Tumgik
#精神衛生
kobitonoheya · 8 months
Text
"Focusing"
うろ覚えも含まれるけれども、
アン・ワイザー・コーネルという女性が書いた、ある翻訳書籍から得たことがらを以下簡単に書こう
クライエントとしてセラピストによる心理療法を受けた結果として、精神の向上があったと判断された人々とそれがなかったと判断された人々の治療面接をテープに録音したものを比較した際、ある事実がわかった。
前者の人々は面接のどこかで、話し方がゆっくりとし、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始めた。
後者の人々には、面接中それが見られなかった。
なお、両者のセラピストの面接方法に、大きな違いは見られなかった
それはつまりこういうことだ。
精神の向上のみられたセラピーのクライエントたちは、面接の過程に、直接からだで感じている、漠然とした、言葉では表しにくい身体的な気づきがあった。思考による自己分析や考えをよどみなく話している後者は、言葉にできない感覚をからだから感じ取ろうとする意識がなかった。たとえ涙を流したとしても、最終的な結果として後者のセラピーはうまくいかなかったという。
この研究を応用し、自己にセラピーを施す方法が確立された。
それが『フォーカシング』だ。
以下に簡単なあらましを書く。
(追:短文で正確には伝えられないと判断し、あらましは削除した)
(かわりに、文末に、この手法を発見したジェンドリン氏の著書に簡便な方法が載っていたので、それと、フェルトセンスをつかむための訓練の方法を追記した。)
…………という具合にさらに先へと進めていくものだが、
その書籍で学んだとおりの方法でこのあとの項目まで続けていくと
「インナーチャイルド」に対するセラピーに近いことが理解できる。
そして、フォーカシングの場合、それよりももっととっつきやすい印象だ。
とにかく丁寧に自己の内側で起こる「感じ」に触れ、近くに腰を落ち着けるイメージで対話をしていく。
私はまだお試し程度しか自分に施したことはないが、その成果として、理性では予想できなかった、「『感じ』に合う言葉のイメージ」が私の中に起こった。
(追記:これはラッキーな体験だったようだ。その後はうまく「感じ」に突き当たらない。むしろそれがふつうで、「感じ(フェルトセンス)」を感じることができるまでには時に三ヶ月、など一定の練習が必要なのだそうだ。)
これを–––その本を熟読しつつ–––根気よく続けていくと、自己の強い感情を孕んだ、その悩みの根底にある部分とも向き合え、今よりも素直な自分と付き合えるようになるだろう、という手応えを軽くだが、私はつかんだ。
(追記:少々高揚感が強い表現になってしまっている)
実際に、フォーカシングによってそのような成果が望めるというではないか。
詳細な方法は、書籍を参照するのが確実でいちばんよいことだろうと私は思う。
(追記:熟練した人が周囲に見つかれば、その人と一緒に行うのが一番よいのだろうが……)
一見単純ながら、からだの内側に集中し“声”を聴くというのは、小さい子に接し続けるような、繊細な労力が必要なことでもある。
(追記:本に書かれている通り、途中、自分のなかから、非現実的、実現不可能と思われる要求が返ってきても、その時点では否定する必要はなく、よく探っていって、例えば「今すぐ海外に行きたい」という願いは非現実的だが、「遠くに行きたい」→休む時間がない、休息が欲しい、ということだ、と理解できる例もある、ということだ。)
精神的に助けを必要としている人、今苦しんでいる人にこの手法が片隅にでも、存在しているということが届けば(少しは)よいだろう、と私は一方的に思う。
(追:もし、うまくいかなくても、気に病む必要はない、とも思う。
「これで精神的に絶対に良くなる!」という保証は、申し訳ないことだが、私からは簡単にはできないことだから……)
*本にも書かれているが、この手法は“リスナー”と“フォーカサー”にわかれ友達とふたりで進めていくことも可能だ。もちろん、セラピストに協力してもらって行う方法もある。
加えて、掲載の情報が古く私自身は参加したことがないものの、フォーカシングのワークショップは(現在では不明だが、当時では)各所にて行われているという。
*この、アン・ワイザー・コーネルという女性は、フォーカシングの開発者、ユージン・T・ジェンドリンという男性から享受したその手法に改良を加えたものを記している。よりシンプルなフォーカシングの手順を知りたければ、ジェンドリン氏の著作も手に入れて然るべきであると私には思われる。
(追記:ジェンドリン氏の書籍について、私は、日本で1982年に初版出版された、日本語翻訳本〈初期の手法から改良されたヴァージョンが記載されている書籍〉を読んでいる。)
*当たり前のことだが、翻訳される前の原著は英語でかかれているため、そのことに留意しつつ、「セリフの形式」、そして本に書かれているとおり、「順番の形式」にとらわれきらないよう、書かれれていることの本質を少々考えながら身につけていくとよいと個人的には思う。
*自分一人でどうにもならない(かもしれない)という感じなら、休んだり、必要ないならやめたり、専門家や他の人に相談したり、手を借りることもためらわないようにしてほしい……。
*****
ジェンドリン著 「フォーカシング」から 「フォーカシング簡便法」と、「フェルトセンスをつかむ実習」
以下抜粋
フォーカシング簡便法
1.空間を作る いかがですか?あなたの気持ちはよろしいですか? すぐ答えずにからだに湧き起こってくるものに答えを出させてください。 そこにどんなものが浮かんできても、すぐそのなかに入り込まないようにしてください。 出てきたものそれぞれに対して挨拶をしてください。ひとつずつ、しばらくあなたの横においてください。 それを除くと、すっかりよいでしょうか。
2.フェルトセンス 焦点をあててみたいことをひとつ取り上げてください。 そのなかに入っていってはいけません。その問題全部を思い起こすとき、からだに何を感ずるでしょうか。 それらすべてのもの、全部の感じ、暗い不快感、もやもやしたからだの感じなどを感じてください。
3.取っ手(ハンドル)をつかむ フェルトセンスの質はどんなものでしょうか。 このフェルトセンスから、どんないいまわしやイメージが出てくるでしょうか。 どんな言葉がそれに最もよくあてはまるでしょうか。
4.共鳴させる 言葉(あるいはイメージ)とフェルトセンスの間を行ったり来たりしてください。正しいでしょうか。 それらが一致したら、数回ほど一致している感じを味わってください。 もしフェルトセンスが変化したら、あなたの注意をそれに向けてください。
あなたが完全に一致したものを得たいときは、言葉(あるいはイメージ)はこの感じとピッタリしていますから、そのことをしばらくの間、味わってください。
5.尋ねる 「その全体の問題について、私をそう……させているのは何でしょうか。」
行き詰まったら次のように尋ねてください。 この感じで最も悪いのは何だろうか。 このことに関して何がそんなに困るんだろうか。 それで何がそんなに困るんだろうか。 それで何が必要なんだろうか。 どんなことが起こったらいいんだろうか。 答えないでください:気持が動き、その気持が答えを与えてくれるのを待ちましょう。
もしすべてがよろしい場合は、どんなふうに感ずるでしょうか。 からだに答えさせます。 そうするのに何がじゃまになっているでしょうか。
6.受け取る どんなものが浮かんできても歓迎してください。それによろこんで話させてください。 それはこの問題に関する1ステップにすぎず、最終のものではありません。 それがどこにあるかを知った今、それから離れたりあとでそこに戻ってくることもできます。 じゃまになる(自らの)批判的な声からそれを守ってください。
あなたのからだはもうひとまわりのフォーカシングを続けようとのぞんでいますか。それともここはちょうどよいやめる場所でしょうか。
フェルトセンスをつかむ実習 1. 黙って、自分のなかで、何か愛しているものか、美しいと思うものを選びます。もの、ペット、場所など、何でも結構です。何らかの意味で特別と感じているものを。1分か2分の時間をとりましょう。
2. ひとつにしぼる。「なぜ私は……を愛しているのか、あるいはなぜそれを美しいと思うのか」自分に尋ねる。
3. その、特別な、または愛しているという感じの全体を自分に感じさせます。自分がその感じになれる言葉がひとつか2つ見出せるかどうかをみます。
4. その言葉が何を指しているか自分に感じさせます。全体のフェルトセンスとつき合わせてみます。そして何か新しい言葉または気持ちが出てくるかどうか見ます。
この練習はフェルトセンスに注目する経験の手助けになります。それは大きくしかもはっきり感じられるけれども言語化できない何かです。あなたが愛しているという気持のほんのわずかしか実際の言葉にはならないことに注目してください。それでもその言葉が(もし見つかっていれば)なぜかフェルトセンスとぴったりの関係になっています。
以上抜粋
0 notes
takahashicleaning · 4 months
Text
TEDにて
サンドリン・チュレ:新しい脳細胞を増やす方法
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
成人の新しい神経細胞は増やせるのでしょうか?神経科学者のサンドリン・チュレは、それは可能だと言います。
研究結果に基づいた、私たちの脳の神経新生を促す実践的なアドバイスに従えば、気分良く過ごし、記憶形成を向上し、先々の老化にともなう脳機能低下が予防できます。
人間の脳に関して言えば、カロリンスカ研究所の同僚ヨナス・フリセンが、海馬では、毎日700個の新しい神経細胞が作られていると推定しています。私達の持っている何十億の神経細胞に比べたら、あまり多くないと思うかもしれません。
でも、50歳になるまでに、持って生まれた海馬の神経細胞は成人後にできたものと全て入れ替わるのです。
これは、神経新生と呼ばれる現象です。
同僚のロバートが、より興味を示したのが神経新生とうつの研究です。
うつの動物モデルにおいて神経新生の低下が見られました。抗うつ剤を投与すると新しい神経細胞の生成が促進され、うつの症状が軽減し、神経新生とうつの明確な関連が確かめられました。
また、神経新生を阻害するだけで抗うつ剤の効き目も阻害されるのです。
これで、ロバートは、癌(悪性新生物)が治った後でさえも患者にうつの症状があるのは、癌(悪性新生物)の薬が���しい神経細胞の生成を阻害したからと理解しました。
正常に機能する新しい神経細胞を作るのに時間がかかるのです。
これまでの結果から記憶形成や気分を改善し、老化に伴ったりストレスに関連する脳機能低下を防止したいなら神経新生を標的にする上で十分な証拠があると考えます。
これは初期の研究として、私の指導者でもあるソーク研究所のラスティ・ゲイジが行ったもので環境が新しい神経細胞の生成に 影響を与えることを示すものです。
まず、こちらのマウスの海馬の断面組織像は回し車のないケージで育てたものです。小さな黒い点は、新しい神経細胞になる細胞です。
次に、回し車があるかごにいたマウスの海馬の断面組織像です。新しい神経細胞になる黒い点が大幅に増えています。様々な活動は、神経新生に影響を与えますがそれが全てではありません。
食べ物は、海馬での新しい神経細胞の生成に影響があります。
有効性が認められた食品や栄養素を示します。何点か指摘いたします。20~30%のカロリー制限は神経新生を向上させます(日本の腹八分目に医者いらず)
断続的な絶食。つまり、食事の間隔を空けること。これは神経新生を向上させます。
ダークチョコレートやブルーベリーに含まれるフラボノイドの摂取は神経新生を向上させます。サーモンをはじめ、魚油の多い魚に含まれるオメガ‐3脂肪酸は、新しい神経細胞の生成を向上させます。
反対に、飽和脂肪の多い食事は、神経新生に悪影響を与えます。エタノール。すなわち、アルコールの摂取は神経新生を低下させます。でも、全てが悪影響ではありません。
赤ワインに含まれるレスベラトロルは、新しい神経細胞の生存を促進することが分かっています。
何事も適量。次回夕食会に行ったら、この「神経新生に中立」な飲み物を選ぶかもしれませんね。
細胞レベルで調べられたデータは全て動物モデルを使用したものです。しかし、この食べ物を人間に与えても神経新生を調節するのと同じ方向に記憶と気分を変えていることが示されています。
例えば、カロリー制限は記憶容量を増やします。高脂肪食はうつの症状を悪化させますが、逆に、オメガ‐3脂肪酸は神経新生を向上させうつの症状を緩和します。
精神衛生。記憶や気分への食事の影響は、精神衛生。記憶や気分への食事の影響は、海馬の新しい神経細胞の生成に実際に関与しています。何を食べるかだけではなく、食べ物の歯ごたえ、食べるときや量も関与しています。
義務教育の時期に、勉強すると頭痛がするという症状があります!
これは個人的な仮説だけど、脳内のニューロンとシナプスが再結合を繰り返して脳内ネットワークを強靭に構築している可能性が高い。
神経経路が肉を裂き、急激に伸びてるため若くても再生能力が追いつかないので痛みが起きてる可能性もある。
だから、高い栄養補助や十分な水分、睡眠で補給し回復、心身の健康を強化する方がいいかもしれない。
しかし、大人は再生能力が低下していくので、危険なため、頭痛が起きたらすぐ病院行ってください。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
ジュリオ・トノーニの意識に関する情報統合理論がある。
万物には意識があるとする汎心論という考え方です。
ジュリオ・トノーニの 意識に関する情報統合理論によれば、ネットワークの密度は意識(ここでは、ファイと命名している)と呼ばれる何か?の密度に関連しているということ。
これを数値化して、方程式にしている。
それゆえ、人間の脳内では、膨大な情報統合が行われるため高度なファイがあることになり、かなりの意識が存在します。
マウスにおいては中程度とはいえ、かなりの情報統合が行われるので相当な程度の意識があるといえます。
しかし、虫や微生物や粒子レベルになると、ファイの量は低下します。情報統合の量が低下してもゼロにはなりません。
日本では、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあります。
トノーニの理論によると意識の程度はまったくのゼロには、ならないのだといいます。
事実上、トノーニは意識に関する基本的法則を提案しています。つまり、高度なファイには高度な意識が宿るのです。
そこには、ただ淡々と善も悪もなくて古来から有る日本の「魂」という概念みたいなことにも似ています。
また、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの提唱する量子脳理論(波動関数の客観収縮理論)があります。
他には、ブラックホールの特異点定理をスティーブン・ホーキングと共にを証明し、「事象の地平線」の存在を提唱している。
クオリアという言葉も関連していて、「質」を意味するラテン語の qualitas (あるいは qualis) が源流。
この言葉の歴史は古く、4世紀のアウグスティヌスも用いている。長い間忘れられてきたが量子論の登場により、1929年、アメリカ合衆国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を書いている。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
スティーブ ・マキャロル:ビッグデータが脳のミステリーをどのように明らかにするのか
ブレイス・アグエラ・ヤルカス: コンピューターはこうしてクリエイティブになる?
テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている!
エリザベス・ブラックバーン: 決して年を取らない細胞についての科学
キャロル・ドウェック:必ずできる!― 未来を信じる 「脳のパワー」
スザーナ・エルクラーノ=アウゼル:人の脳は、何がそんなに特別なのでしょうか?
ジョー・ランドリーナ:一瞬で止血するジェル
トーマス・インセル:精神疾患の新たな理解に向けて
デビッド・アンダーソン:あなたの脳はただの化学物質の袋ではない!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
jinnseigame · 2 months
Text
Tumblr media Tumblr media
https://x.com/re0nnn/status/1760177921166340392?s=20
※一個人の意見を述べているだけなので推進派と話すつもりも一切ありません。反AIと言われようがどうでもいいし別に他人に押し付けようとも思わんが、推進派なんだなと思った時点で自分の精神衛生を保つためにブロックしてる。
どうしても使いたい人とどうしても使って欲しくない人が話して何か得るものある?1年前から話しつくして平行線なのがわかったし、しかも嫌がらせしてくるとなると話すというより捻じ伏せたかったんやなという感じだった。
人のイラストをAIに突っ込んで出力すれば著作権侵害じゃないと言い、AI使用者同士でRPいいねし合いインプレ稼ぎ。神絵師の絵柄取り込んでわざわざその絵師のとこに凸しに行って嫌がらせを続け休止に追い込んだのも見たわ…。派が同じでも倫理観に欠けることしたら仲間内で止めるものでは…?それもなくここぞとばかりに攻撃してくるので中身がアレなのが多いんだろうなとも思った。
今の所とても手軽な嫌がらせ手段にしかなってない。
さっさと規���してほしいな!
声を上げれば推進派が押し寄せ反AI潰せと袋叩きだよだからみんななかなか声上げられない。
人の手で描いた、撮った元がなければ生成AIで出力できないし、描いた、撮った本人が学習しないでほしいって言えば学習しちゃいけないでしょ普通。
お気持ちお気持ちって推進派は嘲笑うが倫理観欠けとるでその割には推進派もお気持ち表明してるし意味がわからない。
話にならないからブロック、もしくは個人攻撃などしてない規制派が自分の意見を公表しただけでも垢変えたりで凸してくるから困るよね…
38 notes · View notes
buttbii2 · 14 days
Text
▼スナ
ポジ腸液まみれ
オッス、前に『腸液にザーメンの25倍のポジウィルス』って奴を投稿した奴だ。次の相手は黒人だ。しかも俺がその『腸液に25倍』の話を聞いたあと、もうポジってからの話。ポジ掲示板でそいつのメアドを見た。やっぱりと思ったら案の定彼だった。おまけに未投薬だった。彼の名前は発音の仕方が分からないので仮にイズムンチ、としておこうか。そのイズムンチがポジ板で募集をかけていた。場所は新宿◎◎。俺はそれには直接リアクションしないで、ノーアポで出かけて行った。
狂った快感に浸ろうと思った。ヤバい交尾でポジと複数濃厚に絡み、ダブルでポジるとリスクは爆上がりする。そう思ったから限界までパキパキになるほどデカイのをケツからいれた。
二段ベッドのある休憩室のうちの暗い方、真っ暗な中にヒトがいる気配がする。黒人の彼、イズムンチだとわかった。四つん這いになってケツをひろげていた。
鼻を寄せると、強い独特のワキガのような黒人のニオイがした。尻のど真ん中のアナルにベロチューした。真っ暗な中でザーメンがブクブクあふれて舌には苦いドラの味がして、甘い匂いもした。ガンコロだろう。ブチュルッと唇にチカラを込めると緩んだアナルの中にめり込んだ。イズムンチの中は熱いザーメンと腸液であふれかえっていた。ゴボッと音を立てて吸い上げた。暗闇の向こう側で彼がたまらずオオオオッと声を上げる。
ポジで未投薬の黒人の腸液とヤバ種のミックスジュースをゴキュッ、ゴキュッと飲む。飲み込みながらもう俺はイっていた。複合感染でもっとヤバくなる事も知っていた。でもそれが俺にはたまらなかった。イズムンチが体液を注ぎ込む公衆便所の便器なら、おれはさらに下層の下水管だった。人間の衛生観念の底辺をくだっていったところにしかない快楽の神殿。HIVポジの黒人の腸液の沼だ。その中で溶けていきたかった。
イズムンチが長いハリガタとローションを手渡してきた。ボリュンとした感触の中くらいの太さのハリガタをゆっくりと入れていく。イズムンチの身体がプルプル震えはじめた。チンポもくわえて舌に甘く感じるイズムンチの小便を飲みながら、さらにハリガタを出し入れしていくと、S字の入り口でハリガタのヘッドをつかむと全身を押し出してハリガタを根元まで飲み込んできたんだ。俺の口でくわえているチンポから小便が途切れなく出てくるのを飲み込みながら、手に伝わってくるイズムンチの感触で俺もイった。
俺はイズムンチから引き抜いたハリガタを見た。べっとりと彼の腸液にまみれていたのを、俺は拭きもしないでそのまま自分の尻にあてがった。(ああ、ザーメンの25倍のヤバい腸液ハリガタで染み込んでくるッ!)ハリガタはイズムンチの腸液をローションがわりに俺の中にズブズブはいってくる。そこを誰かが後ろから受け取って俺の中に出し入れしはじめた。すごい快感に後押しされながら、俺はイズムンチのアナルにあっという間に手首まで吸い込まれた。
溶けるような感触と、イズムンチのイキまくる快感が腕からしみこみ、ケツマンコからはイズムンチのポジ腸液がハリガタで奥までまんべんなく塗り込まれる。最高だった。俺の腕チンポはすぐに彼のS字を貫通すると、S字の向こう側から上行結腸にまで入っていった。
もう肘も超えている。イズムンチの大動脈の拍動がズキンズキンとバイブみたいに俺の腕チンポからこちらへと伝わってくる。ほかの人間とこんなに深い密度でつながっている人間は、俺たちくらいだ、という誇らしい気持ちがあった。こんなにあったかく包まれた事はなかった。ゆっくり奥に進み、腸液と粘膜をかき混ぜては軽く引き、また奥へ進む。繰り返してやるとイズムンチが激しく痙攣してイった。ケツマンコと腕チンポの隙間からポジ腸液がシブいた。かれの全てが腕から脳に流れ込んできた。俺も連動してイキはじめた。
しばらく二人とも快感の前にひれ伏してイキ続けた。フィストは入れる方もイケるのだ。やがて満足したイズムンチが俺の腕を引き抜いていった。最後に押し出す瞬間にひときわ大きく吠えた。ブリュリュリュッと音をさせて、彼は俺の手を排泄した。俺の腕は肘までべっとりと腸液まみれだった。後ろのオトコがハリガタを引き抜いた。俺はイズムンチをあおむけにすると、腕に絡みついたドロドロの腸液を真っ黒なヤバチンポにぬりたくった。ガチガチだったチンポがさらに長く太くなった。
ヤバい中でももっともヤバい、感染性の高いポジ腸液をローション代わりに黒人のポジマラをケツにもらう。これが新しい洗礼なのだ、と思った。俺はイズムンチの、彼自身の腸液でドロドロになったチンポの上からまたがっていった。すぐに根元まではいり、S字の入り口を抜けて中までチンポが届いた。直腸とS字結腸のすべての粘膜から、イズムンチのポジ腸液が溶けたガンコロと一緒にしみ込んで来た。
俺はイズムンチの上でうねるように動いた。途中からさっきまで自分の中に入っていたハリガタもくわえさせらていた。腹の奥の一番深いところでイズムンチがポジ種をまきちらしはじめた。すごい量のザーメンに満たされてパンパンになった。射精が終わって引き抜かれたイズムンチのチンポをしゃぶり始めると、知らない誰かが俺のケツマンコにナマでハメてきた。振り返るともう一人、イズムンチの連れらしい黒人がいた。振り向きざまに首を抱かれてベロチューされ、ザーメンと唾液が混じったのを口移しに流し込まれた。
ハメながらそのオトコはイズムンチの両脚をつかんで持ち上げると、俺の身体をどんどん前に押していった。ふたりの黒人の身体にサンドイッチされて、俺は目の前のイズムンチの真っ黒なアナルの中に舌と唇をふたたび埋めていった。
36 notes · View notes
chikuri · 5 months
Quote
クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
32 notes · View notes
leomacgivena · 1 month
Quote
自衛官にとって死生観を含めた精神教育は重要なんだけど、なぜか武士道にいってしまう。そんな前近代の考え方を、現代の軍事官僚機構が精神教育にとりいれちゃだめでしょう。だいたい部下は部下であって、部隊指揮官が自腹で雇っている私兵じゃーないだし。あと忠義の対象は主権者である国民な。
Xユーザーの樋口左衛門尉隆晴さん
19 notes · View notes
shingi · 7 months
Quote
最近、ツイッター上でのブロック理由がだんだん「こいつのツイが視界に入ると精神の安定が乱れる」という精神衛生上の話から「こいつ経由でRTされた先のあっち系の人たちの視界に自分のツイを晒したくないな」という「ハブを潰す」みたいな感覚になってきている
Xユーザーの鉄面あなざさん
39 notes · View notes
xx86 · 10 months
Text
起きる機会を見失ったものたち
5年前ぐらいからTumblrの下書きを溜めるようになり、気づいたら下書きだけで200を超えそうになったので、今更出せない記事をごちゃまぜにしてみた。ある意味総集編。
---
このあと何しようとなった時、美術館を提案してくれる人って素敵だなと思う。その時コンラッドにいたというのもあると思うけれど。あの辺りは美術館が多い。
傷ついているのはわたしで、痛いのはわたしだとずっと思ってきた。だけれど、あなたの反応を見てああわたしが傷つけたのだ、と思った。恐らくわたしが大切な人にされたら1番傷つくやり方でわたしは線を引いた。
この前名駅に行ったら袴姿の女の子達がたくさんいて、ああ卒業式の季節かと思った。金箔も水引も出てきた当時誰がやるんだこれと思ったけど、見慣れるとカワイイし尖っててクールでいい。私たちの卒業式の頃の流行りはドライで、ドライってやわ過ぎてぽろぽろしてフケみたいになるの、なんか嫌だったから。
卒業式、受付が始まった頃ヘアセットが崩れて、慌てて着付け会場だった近くのホテル電話して、小走りで駅を逆走していたら、丁度卒業式会場に向かうところだった友人にそっちじゃないよと手を取られたの、懐かしくて愛しい思い出だ。あとは宗教に洗脳された同じ学年の子が校長先生の話の後急に壇上に上がって話はじめたのが怖かったのが強烈に残っているぐらい。
全然食べたくないどん兵衛のニンニクバター味噌にお湯を入れる。全然食べたくない味がした。お湯を入れすぎたのか、若干味が薄い。最後スープを流したら容器の底から信じられないほどみじん切りにしたニンニクが現れてゾッとする。すぐさま水切りネットを変える。
段ボールを開けたらすべておなじにおいがした。洋服もスタンドライトも山吹色の土鍋も。私の部屋は、私はこんなにおいだったのだな、と思う。
お酒を飲んで、帰りたくなくて、近くの公園でアイス食べて花火してブランコを漕いですぐ気持ち悪くなって笑った。夏。ブランコを勢いよく漕いでヒールを飛ばして笑いながら拾ってくれるところまで含めて夏。ブランコ漕いだのなんて何年前だろう、と思いながら去年もそういえばブランコを漕いだ事を思い出した。夏だった。高台にある、動物のいる細長い公園。
深夜の公園は酔っ払った若者か、犬の散歩をしてる人か、ダンスをしてる人しかいない。気づいたら2時を過ぎていて、それぞれタクシーを呼んで帰る。今日もタクシーの運転手に近くてごめんなさいね、って言うんでしょと言われてよく分かってるなあと嬉しくなった。まだわたし達出会って1ヶ月ぐらいしか経ってないのにね。
やめられた先輩や上司達がずらりと並ぶ飲み会で、黙々と枝豆を食べなが周りのペースに合わせてビールを飲んでいたら、現先輩方から怪訝な顔をされた。やだしおらしいの変だよ、え?松田さんっていつも違うの?、全然違いますよーわたし達のこと先輩って絶対思ってないですもん、そうなんだ意外〜。ガヤガヤした店内に甲高い先輩の声が響く。まん丸にした目を向ける上司に言える言葉もなく、ただ苦笑いを返した。自分のつまらなさに苛立つ。
ちなみにいつものわたしと言うのは、先輩方にほぼタメ口で話し、名前にちゃん付けで呼び、飲み会では先輩に取り分けてもらい、みんなの制止を振り払って日本酒を煽るような女である。こんな後輩を可愛がってくださる先輩達の心の広さたるや。平伏してしまう。大好き。
もちろん先輩方にも最初からこんな態度を取っていたわけではない。2年目までわたしは趣味は裁縫とおかし作りで、ピンクのフリフリのワンピースを着て、淑やかでおとなしい子だと本気で信じられていた。そんな事は一言も言った事はないけれど。
わたしは所謂猫かぶりというやつだ。猫かぶりというか、初対面で慎重にいくタイプだと言って欲しい気もする。23年間生きてきて、わたしの性格というのが個性として簡単に受け入れてもらえないことを痛いほど学んできたから。わたしはどの学校でも1年生の10月ぐらいまではろくな思い出がない。どれだけ己を押し殺してひっそり生きているつもりでも、強烈すぎて受け入れられなかったと言われたりする。
わたしはWikipediaにつらつらと肩書きが沢山連なって結局何をやってる人なのかよく分からないって思われたいの、とあなたに言ったら君らしいねと穏やかに笑ってくれた。わたしらしいってなんなんだろう。
運命の恋なんて転がっていないし、運命の人なんて待っていたところで迎えにきてくれやしないのだ。
あなたが第2の故郷が軽井沢だというので、わたしの第2の故郷はどこにしようかなと言ったらお前は鎌倉やろ、と返してきた。よく覚えてますねと驚き半分であなたの顔を見たら、あたりまえやん何年の付き合いやと思っとるねんと得意げに言われたので、強めに叩いておいた。本当にそういうどうでもいいことばっかり覚えているのだ、この人は。たいせつなことは全部わすれてしまったくせに。
怖い夢か過去に大好きだった人と幸せになる夢ばかり見るから寝るのをやめた。頭が重たい。布団はちっともあったまらない。高速道路がすぐ近くにあるこの家は、深夜になるとよくトラックの走る音がする。朝5時をすぎるとスズメが鳴きだす。朝8時半になるとびっくりするような声をあげる子供達が外で遊ぶようになる。9時を過ぎると1時間おきにお寺の鐘が鳴る。この3週間で全部覚えた。
隔離されていた間に季節は確実に春に向かっていて、私はそれが悲しかった。片付けても片付けてもすぐ散らかる部屋の片隅に座り込んで春ってろくなことないから春なんだよなあと思う。ほんっとにろくなことない。部屋のファンを回す。すぐに夏が来るのだろう。きっと今年のゴールデンウィークは暑い。菜の花をダメにしてしまったのでひどいにおいがする。夏になるし気をつけなければ。
本当はもうあの時死んでしまいたかった、いや消えてしまいたかったよとあなたに言うと、そんなの俺が許さないと真っ直ぐ目を見て言ってくれた。ばかみたい。あなたはわたしが消えてしまっても別に何にも失わないのにね。わたしはあなたが死んでしまったら失うから死なないで欲しい。二度と会えなくなってしまっても、あなたがこの世界のどこかで息をしてると思えればわたしも生きていける。
新しい仕事何にしようとDODAをスクロールしていた時、どうしようもなく泣けて泣けて仕方なかった去年の夏。15の時から夢見て20で叶えて、たったの4年で諦めなければいけなかった夢。音が鳴らない黒のぺたんこ靴。オレンジ色のスカーフ。資生堂のルージュルージュを引いて無理やり鏡の前で笑顔を作る瞬間。しょっちゅうボリュームを調整しなければいけないインカム。もう二度とあの仕事は出来ないような気がするし、あの仕事をしたいのかと言われると分からないけれど、懐かしくて思い出す度胸が締め付けられる。
精神が安定している時は自分の精神が弱っていることなんてひとつも思い出さないのに、まるでアドレナリンが切れたスポーツ選手よろしく一定期間精神が落ち着いたらきちんと一定期間精神をおかしくする。まあでもだいぶ冷静になってきたんじゃないだろうか。冷静なふりが出来るようになったの間違いかもしれない。
世界が混沌としている今、こんなことでだめになっている私は贅沢なんだろうか。先生に言われた通りとんぷくを飲んだせいで今日は1日だめにした。だからあの薬は嫌い。嫌い嫌い嫌い。薬なんて大嫌い。大嫌いなのに一向に私の飲む薬は減らない。やんわり拒絶されているような気持ちになってへこむ。
お金で買えない幸せがある、と言われる度鼻の奥がツンとなる。知ってるよ、それが欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて、でも無理だったからお金で買える幸せを片っ端から手に入れていたのだ。
32 notes · View notes
hashirigaki-zzz · 1 month
Text
心が壊れる機会はあっても、(なかなかしんどかった時期があった。)
この1年や数年関わった人達、10代20代の経験からというより、
自分の身体を好きなモデルに似ていて気に入っていたら、なかなかショックだったんだよな。自分の身体を大好きな自分との別れは。(トラウマの本などから自己受容済みではあっても変わってしまった。だからこそ、出会えた人がいるんだけどね。)
家族やみつくんまで否定させてまったんだ。私はそんなに家族に経済的に負担になるような思い、重労働は数年間しかしていない。しかも、それは、やりたいからやったことで。後悔などは全くなく。兄にお金を求められることは辛くても、(お出掛けするため。息抜き。私はその気持ちを知っている。)家族みんな、彼の友人も、彼に生きていて欲しかったんだ。
親戚のことも我が家に呼びたかったけれど、(そのために勉強を頑張っても、自分の頭を知る機会はあって。)そういった自分だけの想いじゃないから、頭が良過ぎる兄が居てくれたこともあって、勉強も頑張れちゃったからなあ。精神科医や弁護士、沢山の人が驚く程度には。(躁的防衛状態)それもまた、父やあの人がショックなことを与えてくれたからなのよね🤔
9 notes · View notes
kijitora3 · 1 month
Text
大谷選手のキャリアの終わりの可能性まで嬉々として煽り立てるメディア あ~嫌だ嫌だ
賭博はこうして本人だけでなく周りも破滅に巻き込んでいく 本当に質が悪い依存症
であるのに、国道沿いとか駅前とかに朝から空いてる常設賭博場が山ほどある日本 賭博で脳溶けた奴は何のブレーキもない 金がなかったら借金して、子供の学費に手を付けてパチンコに注ぎ込む 駐車場や家に乳幼児放置して死に至ろうがギャンブル優先 大昔からその手の事件が多発してるのに、警察とパチンコ屋が結託して刑法の賭博罪に当たらないよう形式的な逃げ道を用意して、依存症から搾り取って大繁盛 警察OBはパチンコ業界に天下ってほくほく 政治家にもパチンコ屋油断なく金を配って、パチンコ禁止に向かわないよう常に工作 あたかも憲法9条と同じように、「パチンコは賭博ではありません」(「自衛隊は軍隊ではありません」)で素知らぬ顔をしてきた
でも、この腐った精神が戦後日本の最も重いガンだ 憲法改正と並んでパチンコは賭博であるという事実を認めて禁止すること それができれば日本の再生は力強いものになるだろうな
6 notes · View notes
tomoya-jinguuji · 2 months
Text
天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われる���、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
11 notes · View notes
moznohayanie · 3 months
Text
(...)これが他人だったら、「いや、あの時は体調が悪くて…」なんて言い訳もできるけど、隠したい真実を知っているのは自分だから、自分には嘘もつけないし、言い訳もできないし、逃げることもできない!!私って人も責めるけど自分も責めるので、そこをなんとか!人も褒めて自分も褒めるという方向に向けたいのよ。
一条は自分から責められるのが、いちばんイヤです。人が何か言っても「知ったこっちゃねーよ」と、自分が悪くないと思えばシカトできます!でも、他人の文句はスルーできても自分の文句は自分否定なので、精神衛生上、ストレス!ストレス!!自分を否定するということは自分はいらないということと同じなので、そうなったら死ぬしかないですねぇ。
でも、今、もうちょい努力しておけば、「いや、あの時にできることは全部やったよ」「あれ以上は、あの時の自分には無理だな。仕方ない」と、未来の自分に言い訳できるじゃありませんか!!未来の自分に気持ちよく、諦めてもらうための努力。
なぜそんなことを考えるかと言うと、今、過去の自分を振り返ってみたら『頑張ったなぁ私。えらいじゃん!今同じことやれって言われてもできないわ』と素直に過去の自分を多少はスルーしつつ、褒めちぎれるからです。
他人の文句からは逃げられるけど、自分の文句からはどこに行っても逃げられない。だから私は嫌だけど努力し続ける!
6 notes · View notes
killsmells · 7 months
Text
郷土無い
私には地元というものがない。ついでに実家もない。親戚の縁も薄い。今でも交流があるような幼馴染といえる人もいない。義務教育時代の同級生たちは恐らく私の生死すら知らないと思う。幼稚園から高校卒業まで京都で暮らしていたがその間家は2回引っ越し、いずれも借家であった。父も母も京都の人間ではない。2人とも住みだして長いが、三代住まねば京都人と言えないらしいのでうちは末代(おれ)までよそさんである。生まれたのは母の地元・島根県である。それも限りなく山���県に近い。確か最寄りのコンビニは山口県だった気がする。母ですら松江には中学の部活の大会でしか行ったことがないという。
早くから協調性ゼロ・言う事聞く耳持たずの自閉的お絵描き少女だったので両親には猪か山犬の子として育てられてきた。しかし彼等もまたかなり前衛的な人間であった。専門職で休日も本に埋もれた机に向かう友達0人の父に対して庭でインパクトドライバーや鉋を繰り出すDIY主婦の母、そんな2人の新婚旅行はタイとネパール、結婚当初は福井県の田舎で職場の同僚に貰ったジープを乗り回し、これまた貰い物のカワハギを台所で捌いていたという。母曰く「新婚なのに今までの人生で1番隠居のような暮らしをしていた」。確かに私の記憶でも当時の時間の流れは緩やかで、人生の終末に近いものを感じる。そんな若隠居の両親の下、幼い私は車道に横たわり、猿よけの電線を掴んで感電し、スイカを皮ごと喰らうなどして天真爛漫に過ごしていた。そんな穏やかな日々は長くは続かず、訳のわからぬまま京都に引っ越すこととなる。
京都の日々は正直なところ記憶から抹消したいことばかりだ。思春期の毒気が充満する精神状態に加えて己の出自が若干複雑で(ここで詳しく書くことは控えるが戸籍上イレギュラーな問題がある。ただ私の場合さほど差し障りなく生きて来れたのは時代と運が良かったと思う)どこの誰として振る舞えばいいのかわからなかった。中学生の時「男はつらいよ」を全部見たが(勉強もできない、運動もできない、周りと馴染めず友達がいないスクールカースト下層部の人間は他にやることがないのである)寅さんがフーテンできるのは帰る家があるからだと羨ましかった。京都に馴染めたらそれでここが故郷だと納得して楽になれたかもしれないが、それもできなかった。一番ネックなのは言葉だった。主に母や母方の親戚に育てられ、古い漫画を読み漁って言葉を覚えたのでべらんめえ調の標準語と中国地方の訛りが私の基本だった。関西弁が主言語の地域では私は異邦人なのである。前衛的精神の両親とも幾度となく衝突した。彼らは自分たちの思い通りにならずどんどん山犬になっていく娘に対して心の整理が追いついていなかった。人と暮らすことに不信感が募り、全てを振り切るように広島に進学した。島根に近いから関西弁を喋れなくても済むだろうと思ったのである。
来年とても円満な形で一家離散する。田舎暮らしに憧れて島根の母の実家に居候する父、京都でまだやりたいことがあるため残る母、5年前に広島に出てったきり帰る気配のない私というように西日本3拠点に散ることとなった。
それぞれが三叉路に立って「じゃっ!」と手を振り合い、それぞれの道を行くような清々しさである。バラバラで神経質のベクトルが全員違うような家族だ。共に暮らすことはそれなりに無理があったのかもしれない。今、ようやく信頼に満ちた我々にとっての家族のスタンダードができたと思う。どうだろうか。
16 notes · View notes
kennak · 5 months
Quote
「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。あるいは囚われの身にあると言ってもいいかもしれません。  現在、17人の方がいらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている」
《宮内庁幹部が告白》「雅子さまは人権侵害を受けてきた」適応障害を発症された本当の理由 | 文春オンライン
12 notes · View notes
ari0921 · 5 months
Text
我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
た��あろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
��まで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
9 notes · View notes
leomacgivena · 26 days
Quote
教授とか偉い人って基本的に超忙しくて、メールの文面が情報伝達に必要な内容しか記載されていない淡泊なものが多い。慣れていないと「怖さ」を感じてしまう事もあるけど、特に隠された心理とかは基本的に何もなくて「情報が伝われば良い」と思っているだけなので深読みしないのが精神衛生上すごく大事
みのんさんはTwitterを使っています
9 notes · View notes