Tumgik
#Eugene Tovio Gendlin
kobitonoheya · 8 months
Text
"Focusing"
うろ覚えも含まれるけれども、
アン・ワイザー・コーネルという女性が書いた、ある翻訳書籍から得たことがらを以下簡単に書こう
クライエントとしてセラピストによる心理療法を受けた結果として、精神の向上があったと判断された人々とそれがなかったと判断された人々の治療面接をテープに録音したものを比較した際、ある事実がわかった。
前者の人々は面接のどこかで、話し方がゆっくりとし、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始めた。
後者の人々には、面接中それが見られなかった。
なお、両者のセラピストの面接方法に、大きな違いは見られなかった
それはつまりこういうことだ。
精神の向上のみられたセラピーのクライエントたちは、面接の過程に、直接からだで感じている、漠然とした、言葉では表しにくい身体的な気づきがあった。思考による自己分析や考えをよどみなく話している後者は、言葉にできない感覚をからだから感じ取ろうとする意識がなかった。たとえ涙を流したとしても、最終的な結果として後者のセラピーはうまくいかなかったという。
この研究を応用し、自己にセラピーを施す方法が確立された。
それが『フォーカシング』だ。
以下に簡単なあらましを書く。
(追:短文で正確には伝えられないと判断し、あらましは削除した)
(かわりに、文末に、この手法を発見したジェンドリン氏の著書に簡便な方法が載っていたので、それと、フェルトセンスをつかむための訓練の方法を追記した。)
…………という具合にさらに先へと進めていくものだが、
その書籍で学んだとおりの方法でこのあとの項目まで続けていくと
「インナーチャイルド」に対するセラピーに近いことが理解できる。
そして、フォーカシングの場合、それよりももっととっつきやすい印象だ。
とにかく丁寧に自己の内側で起こる「感じ」に触れ、近くに腰を落ち着けるイメージで対話をしていく。
私はまだお試し程度しか自分に施したことはないが、その成果として、理性では予想できなかった、「『感じ』に合う言葉のイメージ」が私の中に起こった。
(追記:これはラッキーな体験だったようだ。その後はうまく「感じ」に突き当たらない。むしろそれがふつうで、「感じ(フェルトセンス)」を感じることができるまでには時に三ヶ月、など一定の練習が必要なのだそうだ。)
これを–––その本を熟読しつつ–––根気よく続けていくと、自己の強い感情を孕んだ、その悩みの根底にある部分とも向き合え、今よりも素直な自分と付き合えるようになるだろう、という手応えを軽くだが、私はつかんだ。
(追記:少々高揚感が強い表現になってしまっている)
実際に、フォーカシングによってそのような成果が望めるというではないか。
詳細な方法は、書籍を参照するのが確実でいちばんよいことだろうと私は思う。
(追記:熟練した人が周囲に見つかれば、その人と一緒に行うのが一番よいのだろうが……)
一見単純ながら、からだの内側に集中し“声”を聴くというのは、小さい子に接し続けるような、繊細な労力が必要なことでもある。
(追記:本に書かれている通り、途中、自分のなかから、非現実的、実現不可能と思われる要求が返ってきても、その時点では否定する必要はなく、よく探っていって、例えば「今すぐ海外に行きたい」という願いは非現実的だが、「遠くに行きたい」→休む時間がない、休息が欲しい、ということだ、と理解できる例もある、ということだ。)
精神的に助けを必要としている人、今苦しんでいる人にこの手法が片隅にでも、存在しているということが届けば(少しは)よいだろう、と私は一方的に思う。
(追:もし、うまくいかなくても、気に病む必要はない、とも思う。
「これで精神的に絶対に良くなる!」という保証は、申し訳ないことだが、私からは簡単にはできないことだから……)
*本にも書かれているが、この手法は“リスナー”と“フォーカサー”にわかれ友達とふたりで進めていくことも可能だ。もちろん、セラピストに協力してもらって行う方法もある。
加えて、掲載の情報が古く私自身は参加したことがないものの、フォーカシングのワークショップは(現在では不明だが、当時では)各所にて行われているという。
*この、アン・ワイザー・コーネルという女性は、フォーカシングの開発者、ユージン・T・ジェンドリンという男性から享受したその手法に改良を加えたものを記している。よりシンプルなフォーカシングの手順を知りたければ、ジェンドリン氏の著作も手に入れて然るべきであると私には思われる。
(追記:ジェンドリン氏の書籍について、私は、日本で1982年に初版出版された、日本語翻訳本〈初期の手法から改良されたヴァージョンが記載されている書籍〉を読んでいる。)
*当たり前のことだが、翻訳される前の原著は英語でかかれているため、そのことに留意しつつ、「セリフの形式」、そして本に書かれているとおり、「順番の形式」にとらわれきらないよう、書かれれていることの本質を少々考えながら身につけていくとよいと個人的には思う。
*自分一人でどうにもならない(かもしれない)という感じなら、休んだり、必要ないならやめたり、専門家や他の人に相談したり、手を借りることもためらわないようにしてほしい……。
*****
ジェンドリン著 「フォーカシング」から 「フォーカシング簡便法」と、「フェルトセンスをつかむ実習」
以下抜粋
フォーカシング簡便法
1.空間を作る いかがですか?あなたの気持ちはよろしいですか? すぐ答えずにからだに湧き起こってくるものに答えを出させてください。 そこにどんなものが浮かんできても、すぐそのなかに入り込まないようにしてください。 出てきたものそれぞれに対して挨拶をしてください。ひとつずつ、しばらくあなたの横においてください。 それを除くと、すっかりよいでしょうか。
2.フェルトセンス 焦点をあててみたいことをひとつ取り上げてください。 そのなかに入っていってはいけません。その問題全部を思い起こすとき、からだに何を感ずるでしょうか。 それらすべてのもの、全部の感じ、暗い不快感、もやもやしたからだの感じなどを感じてください。
3.取っ手(ハンドル)をつかむ フェルトセンスの質はどんなものでしょうか。 このフェルトセンスから、どんないいまわしやイメージが出てくるでしょうか。 どんな言葉がそれに最もよくあてはまるでしょうか。
4.共鳴させる 言葉(あるいはイメージ)とフェルトセンスの間を行ったり来たりしてください。正しいでしょうか。 それらが一致したら、数回ほど一致している感じを味わってください。 もしフェルトセンスが変化したら、あなたの注意をそれに向けてください。
あなたが完全に一致したものを得たいときは、言葉(あるいはイメージ)はこの感じとピッタリしていますから、そのことをしばらくの間、味わってください。
5.尋ねる 「その全体の問題について、私をそう……させているのは何でしょうか。」
行き詰まったら次のように尋ねてください。 この感じで最も悪いのは何だろうか。 このことに関して何がそんなに困るんだろうか。 それで何がそんなに困るんだろうか。 それで何が必要なんだろうか。 どんなことが起こったらいいんだろうか。 答えないでください:気持が動き、その気持が答えを与えてくれるのを待ちましょう。
もしすべてがよろしい場合は、どんなふうに感ずるでしょうか。 からだに答えさせます。 そうするのに何がじゃまになっているでしょうか。
6.受け取る どんなものが浮かんできても歓迎してください。それによろこんで話させてください。 それはこの問題に関する1ステップにすぎず、最終のものではありません。 それがどこにあるかを知った今、それから離れたりあとでそこに戻ってくることもできます。 じゃまになる(自らの)批判的な声からそれを守ってください。
あなたのからだはもうひとまわりのフォーカシングを続けようとのぞんでいますか。それともここはちょうどよいやめる場所でしょうか。
フェルトセンスをつかむ実習 1. 黙って、自分のなかで、何か愛しているものか、美しいと思うものを選びます。もの、ペット、場所など、何でも結構です。何らかの意味で特別と感じているものを。1分か2分の時間をとりましょう。
2. ひとつにしぼる。「なぜ私は……を愛しているのか、あるいはなぜそれを美しいと思うのか」自分に尋ねる。
3. その、特別な、または愛しているという感じの全体を自分に感じさせます。自分がその感じになれる言葉がひとつか2つ見出せるかどうかをみます。
4. その言葉が何を指しているか自分に感じさせます。全体のフェルトセンスとつき合わせてみます。そして何か新しい言葉または気持ちが出てくるかどうか見ます。
この練習はフェルトセンスに注目する経験の手助けになります。それは大きくしかもはっきり感じられるけれども言語化できない何かです。あなたが愛しているという気持のほんのわずかしか実際の言葉にはならないことに注目してください。それでもその言葉が(もし見つかっていれば)なぜかフェルトセンスとぴったりの関係になっています。
以上抜粋
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