TEDにて
スティーブン・ピンカー:データで見ると、世界は良くなっているのか、悪くなっているのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
誰かがそう信じさせようとしているように、2017年は、本当に「最悪の年」だったのでしょうか?
心理学者のスティーブン・ピンカーは、殺人、戦争、貧困、汚染。その他に関する最近の統計データを分析することで、今の世の中は30年前に比べ、そのいずれにおいても改善していることを見出しました。
しかし、進歩というのは必然的に起きるものではなく、また、常にすべてがあらゆる人にとって良くなるわけではない!と彼は言います。
進歩とは問題解決であり、気候変動や核戦争といったものは待ち受けている終焉としてではなく、解決すべき問題と捉えるべきなのだと。
「完全な世界というものは存在しないし、そんなものを求めることは危険でさえある!しかし、人類の繁栄のために、知識を応用し続ければ、我々に実現できる改善に限りはない!」と彼は述べています。
多くの人たちが、毎朝ニュースを見て不安や恐怖を感じています。
毎日のように発砲事件だとか、不平等、汚染、独裁政治、戦争、テロ。それに核の拡散に関する記事を目にします。
そういったこともあって2016年は「史上最悪の年」だと言われました。それも2017年が、そう言われるまでのことでしたが。
そして、多くの人が数十年前を懐かしんでいます。世界はもっと安全できれいで平等だったと。
しかしこれは、21世紀の人類が置かれている状況に対する理にかなった見方なのでしょうか?
フランクリン・ピアース・アダムスは言っています。
「古き良き時代というのは物覚えの悪さの産物である」
みなさんも世界は悪くなっていると思い込んでいることでしょう。
こんにちの血塗られたニュースの見出しをバラ色に染まった昔のイメージと見比べるなら同じ物差しで世の中の幸福度を測ったら世界の変化はどのように見えるのでしょう?
最新のデータを使って同じ尺度で、現在と30年前を比較してみましょう。
昨年のアメリカにおける殺人件数は、10万人あたり5.3人。貧困層の割合は7%。微小粒子状物質(PM)の放出量は、2100万トン。二酸化硫黄の放出量は、400万トンでした。
一方、30年前はと言えば殺人の犠牲者は10万人あたり8.5人、貧困層の割合は12%。PMの放出量は3500万トン。二酸化硫黄の放出量は、2000万トンでした。
世界全体で見たらどうでしょう?
昨年、12か所で戦争が起きていました。独裁国家の数は60。極貧層は全人口の10%。核弾頭の数は1万発以上。
30年前はというと23か所で戦争が起きていて独裁国家の数は85。極貧層は全人口の37%。核弾頭の数は6万発以上でした。
確かに、昨年は、テロにより西欧で238人が犠牲になったというひどい年でしたが、1988年はもっとひどく440人もの犠牲者がいました。
???
どういうことなんでしょう?
TVやマスメディアのプロパガンダ?
1988年が特にひどい年だったのでしょうか?
それともこれは、様々な困難があるにせよ世界は良くなっているというしるしなのでしょうか?
「進歩」に対する古臭い見方を呼び起こしたものでしょうか?
そうするのは嘲りを招くことになるでしょう。なにしろ知識人は進歩を嫌いますから。
自ら進歩主義者を名乗る知識人というのは、進歩を本当に嫌っています。
別に彼らも進歩の成果を嫌っているわけではありません。学者先生の多くは、手術を麻酔なしでやるよりは、麻酔ありでやる方を好むでしょう
「おしゃべり階級」を苛立たせるのは、進歩という考えそのものなんです。
こんな風に言われたことがあります。人間が自らの運命を改善できると信じるとしたらそれは時代遅れの迷信や進歩は変わることなく続いていくという誤った展望を半宗教的に盲信しているということだ。
アメリカの通俗的な「できる主義」の応援団長であり、脳天気な役員室のイデオロギーやシリコンバレーや商工会議所に毒されているホイッグ史観の実践者
世間知らずで超楽観主義のポリアンナ「この存在しうる最善の世界において、すべては最善の状態にある」と言うボルテールの小説の登場人物。パングロスみたいなものだと。
でもパングロス博士は、悲観主義者だったんです。真の楽観主義者なら今よりもずっと良い世界があると信じていますから。
でも、そんな議論は無意味です。世の中が進歩したかどうかは、信条や楽観性の問題ではなくコップに半分の水をどう見るかとも関係ありません。
これは検証可能な仮説なのです。
様々な見解の違いはあれ幸せの要素が何かについての人々の意見は、概ね一致しているものです。
寿命、健康、暮らし、繁栄、平和、自由、安全、知識、余暇、幸福感。
これらのものは、どれも数字で表せます。時と共にその数値が上昇していれば進歩していると言えるでしょう。
データを見てみましょう。
まずは最も大切なもの。寿命から。
人類の歴史のほとんどの期間において平均寿命は30才程度でした。今では、世界平均で70才以上、先進国では80才を超えています。
250年前には、最も豊かな国でも子供の3人に1人は、5歳の誕生日を迎えられませんでした。
死亡リスクが百分の1に低下する前のことです。今では、最貧国でも乳幼児死亡率は6%未満です。飢饉はヨハネの黙示録の四騎士の1人であり、世界中のあらゆる場所に打撃を与えるものでした。
現在では、飢饉はとてもへんぴな場所か戦争により荒廃した地域に限られます。200年前には、世界人口の90%が極度の貧困にあえいでいました。今では10%未満です。
人類の歴史の大部分において強国や帝国同士は、ほとんどいつも互いに戦争していて平和は、戦争の合間のつかの間のものでした。今では、大国同士は決して戦争などしません。
最後の大国同士の戦争は、65年前の米中間の争いでした。その後は、いかなるタイプの戦争も数が減り死者が減っています。
年間の戦死者数は1950年代前半には、10万人当たり22人だったのが今では1.2人となっています。
民主主義は、ベネズエラ、ロシア、トルコで明らかに後退しており、東欧やアメリカでは権威主義的ポピュリズムの台頭で危機にさらされています。
それでも、この10年で民主主義がかつてない広がりを見せており、世界人口の3分の2が民主主義国に暮らしています。
無政府状態や復讐の掟(憎しみの連鎖)が、法律に置き換わるとき殺人の頻度は、急激に減少します。
これは、欧州が封建主義から中央集権国家に移行したときに起こり、現在の西欧で人が殺される確率は、中世に比べ35分の1に過ぎません。
同様の減少は、植民地時代のニューイングランドや保安官が街に駐在し始めた開拓時代のアメリカ西部。それにメキシコでも起きました。
実際のところ、あらゆる面で安全になっています(違うと思う人は、TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
20世紀を通して自動車事故で死亡する確率は、96%減少し歩道にいながらも車にひかれる確率は88%減少。飛行機の墜落事故で命を落とす確率は99%減少。仕事中の事故で命を落とす確率は95%減少。天災によって命を落とす確率も89%減少しています。
干ばつ、洪水、山火事、嵐、噴火、地すべり、地震や隕石の落下といったものですが、それは、神の人間への怒りが納まったからというよりは、インフラの耐久力が高まったおかげです。
神の業の中でも代表的なゼウスが放つものはどうでしょう?落雷によって命を落とす確率も97%減少しています。
17世紀以前には、欧州における識字率は、15%未満でした。欧米では20世紀中頃までに識字率がほぼ100%になり、他の国もこれに追いつきつつあります。現在では、世界全体で25才未満の人の90%以上が読み書きできます。
19世紀には西洋人は、週に60時間以上働いていましたが、今では40時間未満です。
水道や電気が、先進国の至る所で整備され洗濯機や掃除機、冷蔵庫、食器洗浄機、コンロや電子レンジが普及したおかげで家事に追われる時間は、週あたり60時間から15時間未満になりました。
健康、富、安全、知識、余暇といったものが改善されたことで我々はより幸せになったのでしょうか?
答えはイエスです。この数十年の間に、86%の国で、幸福度が高まりました。
納得して頂けたことを願いますが、進歩したかどうかは信条や楽観的であるかとは関係のない人類史上の事実であり、それも最も素晴らしい事実なのです。
このことはニュースで、どのように報道されてきたでしょう?(TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
報道記事に出てくるポジティブとネガティブの感情語を数えると、人類がより健康に、豊かに、賢く、安全に、幸せになったこの数十年の間にニューヨークタイムズ紙はよりネガティブな傾向を強め、世界の報道でもますます陰鬱な言葉が使われるようになっています(TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
なぜ人々は進歩を認めようとしないのでしょうか?その答えの一部は、認知心理学にあります。
我々は「利用可能性ヒューリスティック」で手っ取り早くリスクを評価します。思い出しやすいものに基づいて判断する傾向が強いということです。
また答えの残りの部分は、報道の本質にあり、それは風刺サイト「The、Onion」の見出しに見てとれます。
「今日は誰をパニックに陥れるか、議論するCNNの朝の会議」何かが起こるからニュースになるのであり、何も起こらなければニュースになりません。
だからリポーターが「40年間平和な国から生中継でお届けします」とか「テロ攻撃を受けなかった都市からお届けします」と言うのを目にしないのです。
悪用して言えばいいのに言わない。それに、悪いことは突然起こるものですが、良いことというのは「1日にしてならず」です。
新聞は、25年間毎日「昨日、13万7千人が極貧状態から抜け出しました」という見出しを載せ続けることだってできたんです。
12.5億人が貧困から抜け出したということですが、良い記事を書けばいいのに悪用して、そんな記事を目にすることはありません。
またニュースというのは、悪化するものに対する我々の関心に悪用してつけ込むもので、それは「流血優先」という記事選別基準に現れています。
認知的なバイアスとニュースの本質を合わせて考えれば、世界がなぜ長年にわたり「終焉を迎えつつ」あるのか理解できます。
きっと多くの方が抱いたに違いない進歩に対する疑問にお答えしましょう。
1つ目は、悲観的な見方には利点があるのではという考えです。現状への満足に陥ることへの予防線となり、重要人物の汚点を明かし不都合な真実を権力者に訴えられるとそうとも限りません。
正確であるのは良いことです。もちろん災難や危険が、起きている時はいつだってそれを認識すべきです。しかし、そういった問題の軽減策についても知るべきです。
良いことというのは「1日にしてならず」なら少しでも生活の向上を毎日報道すればいいだけなのにしない。不思議です。
見境のない悲観主義は、危険を伴うからです。
その一つが運命論です。世界を良くしようという努力が、すべて無駄だったならば、なぜ無駄な努力を続けるのでしょう?
貧窮にあえぐ人は、いなくならないし、世界はやがて終焉を迎えます。気候変動が人類を滅亡させなくとも暴走した人工知能が、そうするでしょう。それに対する自然な反応は「どうせ明日、死ぬんだったら今のうちに飲み食いし、せいぜい楽しくすごそう」というものです。
無分別な悲観主義のもう一つの問題は、過激主義です。
この世の制度がとことん破綻し、改善の見込みが立たなければ、きっと人々は、機械を破壊し、悪者を一掃し、体制を打ち倒そうとするでしょう。灰じんから新たに興ってくるものは、どんなものであれより良いに違いないと期待するからです。
進歩などというものが、あるのだとしたら何がそれを引き起こすのか?
進歩は神秘的な力でも弁証法的に我々を向上させ続けるものでもありません。摩訶不思議な力で歴史が、公正へと向かうわけでもありません。
進歩は思想によって導かれた人間の努力の結果です。
それは18世紀の啓蒙主義に端を発する思想、つまり、人間のあり方を改善する理性と科学の力を用いることで我々は徐々に成功を収めることができるという考え方です。
進歩は必然なのでしょうか?もちろん、違います。進歩が、絶えずあらゆる場所であらゆる人にあらゆることの改善をもたらすわけではありません。
そうだとしたら魔法のようですが、進歩は魔法なんかではなく問題解決です。
問題は必ず起こるものであり、問題を解決すると別の解決すべき問題が出てきます。人間は一人で生きてるわけではないので大きい規模で関連してきます。
現代の世界が直面する未解決問題は、規模が非常に大きくそれには気候変動や核戦争などのリスクが含まれます。
しかし、それは来るべき終焉としてではなく、解決すべき問題として捉えるべきであり積極的に問題解決にあたるべきです。たとえば、気候変動対策として脱炭素化を強力に進めるとか核戦争を避けるため核兵器を全廃するといったことです。
最後に、啓蒙主義は人間の本質に反するのかを考えましょう。これは、私にとってとても鋭い疑問です。
短所や屈折した部分も含め人間の本性というものを私は強く支持するものだからです。拙著「人間の本性を考える」で述べたのは、人類の見通しはユートピア的であるよりは、悲劇的であり星屑のようでも金のようでもなく
エデンの園に戻る道はないということです(ここは、一神教ではなく多神教のテーラワーダ仏教で「悟り」を開く方法でブッダが道を説いています)
しかし、私の世界観は、あの本の出版後の15年間にだいぶ明るくなりました。人類進歩に関する統計に親しんだことで、それは暴力に関するものに始まり今では幸福度に関するあらゆる側面に及んでいますが。
私は確信を強めました。苦難や災難を理解すると人間の本性が、元凶になっていますが啓蒙主義の規範と制度に導かれた人間の本性は、問題解決の鍵にもなるということです。
確かに、私のデータに基づく人間性一般についての洞察は、身に付けるのが容易ではないでしょう。知識人の中には、私の著書「Enlightenment、Now」に怒りを示す人もいます。
第1に、知識人が進歩を毛嫌いするとは何事だと。第2に、進歩があったなんて何て馬鹿げたことかと。
彼らも他の人たちと共に「進歩なんて」と冷ややかな目で見るだけです。何十億もの人命を救い病気を根絶し、飢餓にあえぐ人に食べ物を与え子供たちを教育するって?そんなの退屈だと。
一方で、読者の多くから感謝の言葉もいただいています。世界観を変えてくれたという感謝で無感覚で無力感しか���い運命論から救い出し、より建設的で壮大とさえ言える見方に変わったと。
私は、啓蒙主義の理想には、人々を鼓舞させるような語りがあると信じていて、私なんかより芸術的センスがあって美しく表現できる人ならもっと上手く説明し、広めてくれると思いますが、それはこういうものです。
我々は無慈悲な宇宙に生まれ生命を可能にする秩序のわずかな勝算を前に、常に崩壊の危険にさらされている我々は容赦ない競争的なプロセスで形作られた曲がった木から作られ、幻想や利己主義という弱さを持ち時に驚くような愚かさを見せる。
それでも人間の本性は、自らを救うための場を開く資源に恵まれているアイデアを再帰的に組み合わせる力を与えられ、自分の考えについて考えることができる言語の素養を持ち、自らの創意と経験の果実を共有できる共感と哀れみと想像力と思いやりと同情の力による深みを持っている。
これらの資質は、その力を拡大する道を見出した書かれ、印刷され、電子的になった言葉よって言語の及ぶ範囲は拡張されている。
我々の共感の輪は、歴史とジャーナリズムと物語の技術により拡大され、我々の貧弱な理性的能力も高められてきた理性的な規範や制度によって知的好奇心や開かれた議論、権威やドグマに対する懐疑、現実に突き合わせることでアイデアを確かめる。立証責任によって。
再帰的な改善の循環が、勢いを増し、我々を押し潰そうとする力や我々の本性の暗い部分に勝利を収める生命や心を含む宇宙の謎に切り込んでいる。
我々はより長く生き、苦難を減らし、よりよく学び、より賢くなり、より多くの小さな喜びや豊かな体験を楽しんでいる。
他の者に殺され、襲われ、奴隷にされ、利用され、虐げられる者は減っている。わずかなオアシスから平和と繁栄の地は広がり、いつか地球全体を包み込むだろう。
多くの苦難や大きな危機は、まだあるが、それを減ずるアイデアが出されまだ考え出されていないアイデアが無限にある。
完璧な世界などなく、それを求めるのは危険でさえあるが、人類の繁栄のために知を適用し続ける限り、我々になせる改善に限りはない。
この英雄的な話は単なる伝説ではない。伝説は作り事だが、これは真実である。
我々の最善の知識においてではあるが、それが我々に持ちうる唯一の真実なのだ。学ぶにつれてどれもが真であり得、どれもが誤りになり得る中から話のどの部分が真であり続けどの部分が誤りか示せるようになる。
この物語は、特定の集団のものではなく、人類全体のものであり、論理的能力と生きようとする衝動を持つ知覚力のあるどんな生き物にも属するものである。
それに必要なのは、生は死よりも良く、健康は病気よりも良く、豊かさは欠乏よりも良く、自由は抑圧よりも良く、幸福は苦難よりも良く、知識は無知や迷信よりも良いという信念だけなのだから。
ありがとうございました。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
当店は、新型コロナウイルスのパンデミックで明らかになったこととして・・・マイケル・サンデルも言うように
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