Tumgik
#哲学
noctazure · 6 months
Text
“いいですか、「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。”
(「幸せになる勇気」・p153)
247 notes · View notes
Tumblr media
HISTORIA DE LA ARQUEOLOGÍA JAPONESA Y EL PENSAMIENTO CIENTÍFICO.
Capítulo 1: Sean bienvenidos, japonistasarqueológicos, a una nueva entrega de arqueología nipona, vista desde un punto de vista filosófico, una vez dicho esto pónganse cómodos qué empezamos. — Seguramente, todos nos hacemos las mismas preguntas cuando se nos pregunta determinados temas de historia y de arqueología. ¿Quiénes eran nuestros antepasados y por qué llegaron a este determinado lugar y no a x? ¿De qué medios disponían para lograr determinadas hazañas históricas? En nuestro caso nos centraremos en dos preguntas determinadas ¿Quiénes fueron los primeros pobladores del archipiélago japonés? Y de ver cómo dicha idea ha llegado a nuestros días sin una respuesta clara, ya que tanto arqueólogos, historiadores, antropólogos, entre otros, han intentado dar una posible respuesta a una de las mayores incógnitas de la historia de la arqueología japonesa. — ¿Cuándo surgió la arqueología japonesa propiamente dicha? La historia de Japón es un tanto complicada, debido a que la ciencia propiamente dicha no nace hasta finales del siglo XIX, para ser más exactos 12 de abril 1877 ¿Cuándo surgen las sociedades arqueológicas, antropológicas y el laboratorio de antropología en Tokio? Además, tuvieron mucha influencia de gente tanto de Europa como de Estados Unidos, ya que tenían una gran influencia para aquel momento y mencionaremos algunos y a uno de los arqueólogos más destacados del mundo japonés. — ¿Cuándo surgen las sociedades arqueológicas, antropológicas y el laboratorio de antropología en Tokio? Para responder a dicha pregunta: A partir de 1880,vino un proceso gradual de institucionalización a la arqueología, generando un nuevo marco académico y universitario: Dando lugar al nacimiento de la Sociedad Antropológica de Tōkyō 1884, se creó el Laboratorio de Antropología en la Universidad de Tōkyō 1888,la fundación de la Sociedad Arqueológica se fundó en Japón en 1895. — Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones que pasen una buena semana.
HISTORY OF JAPANESE ARCHEOLOGY AND SCIENTIFIC THOUGHT.
Chapter 1: Welcome, Japanesearchaeologicalists, to a new installment of Japanese archaeology, seen from a philosophical point of view. Having said that, get comfortable and let's begin. — Surely, we all ask ourselves the same questions when we are asked certain topics in history and archeology. Who were our ancestors and why did they arrive at this certain place and not x? What means did they have to achieve certain historical feats? In our case we will focus on two specific questions: Who were the first settlers of the Japanese archipelago? And to see how this idea has reached our days without a clear answer, since archaeologists, historians, anthropologists, among others, have tried to give a possible answer to one of the biggest unknowns in the history of Japanese archaeology. — When did Japanese archeology itself emerge? The history of Japan is somewhat complicated, because science itself was not born until the end of the 19th century, to be more exact April 12, 1877 When did the archaeological and anthropological societies and the anthropology laboratory emerge in Tokyo? In addition, they had a lot of influence from people from both Europe and the United States, since they had a great influence at that time and we will mention some of them and one of the most prominent archaeologists in the Japanese world. — When did the archaeological and anthropological societies and the anthropology laboratory emerge in Tokyo? To answer this question: Starting in 1880, a gradual process of institutionalization of archeology came, generating a new academic and university framework: Giving rise to the birth of the Tōkyō Anthropological Society 1884, the Anthropology Laboratory was created at the University from Tōkyō 1888, the foundation of the Archaeological Society was founded in Japan in 1895. — I hope you liked it and see you in future posts, have a good week.
日本の考古学と科学思想の歴史。
第1章: 日本の考古学者の皆さん、哲学的観点から見た新しい日本考古学へようこそ。 — 確かに、歴史や考古学の特定のトピックを尋ねられたとき、私たちは皆同じ質問をするでしょう。 私たちの祖先は誰でしたか、そしてなぜ彼らは x ではなくこの特定の場所に到着したのでしょうか? 彼らは特定の歴史的偉業を達成するためにどのような手段を必要としたのでしょうか? 私たちの場合は、2 つの具体的な質問に焦点を当てます。日本列島の最初の入植者は誰ですか? そして、考古学者、歴史家、人類学者などが、日本の考古学史上最大の未知の一つに可能な答えを与えようとして以来、この考えが明確な答えがないまま、どのようにして現代に至ったのかを見てみましょう。 — 日本の考古学自体はいつ頃から生まれたのでしょうか? 日本の歴史はやや複雑です。科学そのものが誕生したのは 19 世紀末、より正確には 1877 年 4 月 12 日です。考古学人類学協会と人類学研究所が東京に誕生したのはいつですか? さらに、彼らは当時大きな影響力を持っていたため、ヨーロッパとアメリカの両方の人々から多くの影響を受けていました。彼らの一部と日本の世界で最も著名な考古学者の一人についても言及します。 — 東京に考古人類学会や人類学研究室が誕生したのはいつですか? この質問に答えるには、1880 年から考古学の制度化が段階的に進み、新しい学問と大学の枠組みが生まれました。1884 年に東京人類学会が誕生し、1888 年に東京で人類学研究室が大学に設立されました。考古学協会の財団は 1895 年に日本で設立されました。 — 気に入っていただければ幸いです。今後の投稿でお会いしましょう。良い一週間をお過ごしください
15 notes · View notes
sarahalainn · 1 year
Text
Tumblr media
“Nous ne voyons jamais les choses telles qu’elles sont, nous les voyons telles que nous sommes.”
Tumblr media
We don’t see things as they are; we see them as we are.
– Anais Nin
Cute photobomb lol
鏡といえば、Agnès Varda アニエス・ヴァルダの作品 »Cléo de 5 à 7 » 「5時から7時までのクレオ」 がおすすめ!
今週のフランスからのサラジオでも取り上げます🇫🇷
「Peace of Mind〜土曜の朝のサラ・オレイン」
‪TOKYO FM/FM OH! (radiko)‬
‪ ●毎週土曜の朝8:30-8:55
ヴァルダ氏の家の前を通りました!バッタリ会ってみたかったな。人生で会ってみたかった人の1人です
Speaking about mirrors, I highly recommend Agnès Varda’s “ Cléo de 5 à 7”. I walked past Varda’s place in Paris! Wish I could’ve bumped into her. One person I would’ve loved to have met.
Tumblr media Tumblr media
59 notes · View notes
ogawa-xd · 10 months
Text
ニコマコス倫理学
Tumblr media
アリストテレス「ニコマコス倫理学」(山本芳久、100分で名著)
アリストテレスは、つかみ所がないので避けていたけれど、この本によれば、あまりに自然であり普通の感覚/常識だ。自分が小さい頃から考えていたこと/考えてきたこと、気づいてきたことの道筋にしっかり沿っている。
それは気づいた自分がアリストテレスなみにエライ、という意味ではなく、単に自分はアリストテレスから連綿と続く思考の枠組みの中に生まれて育ったということなのだろう。もうすでに自分の身体の中に血肉化している。それほど、多くの基本的な物事の考え方の根底にアリストテレスが居る、ということだし、人々もその上に立っている。そのことはほとんどの人に知られず意識もされていないけれど。
倫理とか道徳というと、自分は反射的にとても嫌な感じをもってしまうのだが、それはおそらくカントのせいだ。アリストテレスの取り上げる主題としての「倫理」は、現代的/一般的なイメージとはちがう。よく生きるにはどうすればいいか、よいとはどういうことか、というソクラテスの系譜に連なる視点である。自分流にいえば価値の問題に関するニュートラルでベーシックな基本事実を解いているだけのようだ。
一言でいえば、人が幸福になるためにはどうすればいいか、に関する考察である。
ニコマコス倫理学
史上初の体系的な倫理学。 幸福論的倫理学(cf. 義務論的倫理学:カント) ※幸福論的倫理学→事実を捉えようとしている、 ※義務論的倫理学→「べき」論
目的の連鎖:つねに「なんのため?」と問えるが、「幸福」でその問いの連鎖は終わる。
幸福になれること → 善「すべてみな何らかの善を目指している」
三つの学問分類
知ること(理論的学、知識) ← 自然学、数学、形而上学、(自然科学)
すること(実践的学、行為) ← 倫理学、政治学
作ること(制作的学、制作物) ← 詩学、弁論術、(デザイン?)
学問のタイプ:
理論的学 → 常にそうであるところのもの(を目指す)
実践的学、制作的学 → たいていはそうであるところのもの(を目指す)
→ ゆえに、倫理学は若者には向かない。それでも、学ぶ価値はある。
「倫理学」の語源
エトス(習慣)
エートス(性格、人柄)
エーティコス(性格にかかわる、人格に関わる)
タ・エーティカ(性格/人柄に関わることども)
善(アガトン)の意味
道徳的善 人助け、ルール遵守
有用的善 役立つ
快楽的善 快楽、楽しい
→ 価値
これらは時に相反するが、どれを重視するのかその人の判断である。
悪人といえども、自分のどれかの「善」を選んでいることにちがいはない。
最高善=幸福
3つの生活類型の中の幸福
快楽的生活 → ×安定的、持続的幸福につながらない
政治的生活 → ○社会で役割を果たす幸福、現実態としての自己実現
観想的生活 → ◎真理を認識する幸福、可能態としての自己実現
「人は生まれつき知ることを欲する」理性:人だけが持つ
枢要徳:4つの徳(アレテー:卓越性、力量)
幸福は徳によって実現される。
賢慮(判断する力、判断力)
勇気(困難に立ち向かう力)
節制(欲望をコントロールする力)
正義(他者を重んじ、ルールを守る力)
→ すべては「力」
徳は生まれつきのものではない。変わりうるから。
力(能力/可能性)自体は生まれつき備わっているが、その「在り方」を現実化していくことが必要。その在り方が「幸福」である。
徳を身につける
思考の徳:教示(知的能力・可能性)に負っており経験と時間が必要
性格の徳:習慣(エトス/人柄)によって性格(エートス)は形成される
徳は学んだ上で実際に作らなければならない/作ることによって学ぶ like a 「勇気ある行動を取ることによって、勇気ある人になる」 ※徳と技術の類似持性
有徳な人と悪徳の人
「節制」について
理性被支配
節制のある人(葛藤がない)
抑制のある人(葛藤がある)
欲望の支配
抑制のない人(葛藤がある)
放埒の人(葛藤がない)
喜びの感じ方:千差万別
喜びの感じ方は、味覚のように人それぞれに内容はちがう。しかし優れた料理人は「舌」が肥えており、微細なそれぞれの味のちがいがわかる。
中庸
「まぁまぁ/ほどほど」ではない。
×[臆病 ←(中庸)→ 勇気] ○[臆病 ←(中庸:勇気)→ 向こう見ず]
友愛(ピリアー)
すべての徳を備えていても、愛する友がなければ空しい。
〈友愛の成立要件〉
好意(相手の善を願う)cf.「嫉妬とは他者の善を悲しむこと」
相互性(相手からも好意が返ってくる〉
気づかれている(相手もそれを気づいている)
〈友愛の種類〉
人柄の善さに基づく → 似ている善き人同士で相互に相手を全体として愛する/持続的
有用性に基づく → 自分のため、状況によって変わる/持続しない
快楽に基づく → 自分のため、情動、恋愛/持続しない
前に「友人」という関係がもっとも貴いと考えたが、このことのような気がする。
友愛については鳩山由紀夫が一時取り上げていたけど、読んでいてああきっとアリストテレスの「友愛」のことなんだろうな、と思う。
アリストテレス:Aristoteles
BC.384〜322 ソクラテスの弟子であるプラトンの弟子。 リュケイオン(設立した学舎)(cf. アカデメイア:プラトン) 大王アレクサンダーの家庭教師
山本芳久:
「魅力的なものと出会うという出来事は、『出会い続けることのできるものとの出会い』である」 たとえ一度の出会いであったとしても、その出会いは以後の人生で何度も反芻され追想される。つまり再び、何度も出会う。
220426
16 notes · View notes
hitujijp · 3 months
Text
生成AIがシミュレーション仮説に追いつきつつある
近頃シミュレーション仮説の話を耳にする機会が増えたのは、一つには生成AIの流布と高性能化が影響しているのだと思う。
シミュレーション仮説に類する話は何世紀も前から存在する。ところがここに来て実際AIが現実と錯覚しかねない精緻な描写を生成する場面を目の当たりにし、俄然「この世界が何らかの仕組みによって生成されたものではないか?」という疑問が専門家以外でも一般化しつつ有る。
そして生成出来る対象は視覚分野だけで無くそれ以外にも広がり、かつ性能が向上している。性能向上と対象範囲の拡大が感覚の全領域に完全な対応を示した時、一体何が起こるのか?恐らくは生成された世界と、それ以外の区別を見抜くには特殊な才能が必要となるだろう。
一方でシミュレーション可能性を心の片隅に置く配慮は必ずしも悪いものでは無く、現実への固執を幾らか和らげる効能も有るのだと思う。
オレは人生の大半を妄想の中で生きてきた。時として妄想は妄想以上の価値を持ち、現実が唯一無二の逃げ場の無い世界である絶望から解放してくれた。妄想、或いは現実以外の別の現実に同じくらいの権利や劣らない価値の存在を認める。そういう契機をあまねく与えてくれる時代が到来しているのだ。
5 notes · View notes
qofthequinine · 6 months
Text
ウィトゲンシュタインを起点に、哲学者の誤謬を指摘する試論
ウィトゲンシュタインは、「語り得ぬものについては、沈黙せざるを得ない」と示した。そこから哲学は行き詰まったり、社会やもっと大きな仕組みについて議論する道具になった。本来は、人間の内心を検討するものだった哲学は、文字にして出版することでしかその内容を解説できない状況にある。
では、語り得ぬものを語るには、どうすればいいか?
言葉を知らない赤ん坊は、言語的には語らずに沈黙しているが、我々の特に母親は、察知して把握する。なぜか? 喜怒哀楽を、全身で表現する。感情と身体が直通している。ボディランゲージと言えば理解できる。感情の身体的な表明。語っていないが、表現している。
ある程度成長すると、言語に依存する。人間社会に参加するなら、言語の獲得は必須事項だからだ。また、ネガティブな言語的表明は良しとされない。年嵩の人間は、「よくわからないことを若いのが言ってら」と面倒くさがって、説教する。
そうすると、感情を身体で表明できなくなる。感情を言葉にしてみようと試みる。そもそもそういうふうに、言語で解説できるようなものとして、感情はできあがっていない。「ムカつく」「うざい」「それな」「ヤバい」など、若者のスラングは、実はその不満の解消を試みている。しかしそれが全体に波及したころには、また新たな世代が新言語を生み出している。
言語で伝えようとする試みを、可能な限り理解しようとしながら、それ以前に、Themの感情を可能な限り自分の内側を参照して、共感してほしい。それは社会状況を反映していたり、小さなコミュニティの叫びだったりする。
言葉よりもまず、顔から姿勢から歩き方や顔色、体臭、発話の雰囲気やスピードを観察して、逆に自分もそれをしっかり体で表明して、もっと上機嫌と不機嫌を明確に、さらに言葉と共に伝えよう。
表現は全身である。文学であり、音楽であり、絵画であり、彫刻であり、写真であり、映像である。好き嫌いはもちろんある。「上品な」「下品な」の価値基準は、人間の階層化を進めるだけで、彼自身や自分自身を分断する。
だから、語れないなら、全身を使って表明すべきだ。しかし、それができない人もたくさんいる。彼らの表明は、彼らを理解している人にしか感覚できない。
身体に異常がなければ、全身を使おう。身体の回復可能な異常であれば、休息と放心を試みよう。不可逆な疾患については、まだテクノロジーが発達していない。検査はできても、治療や復元ができるかどうかは、未だ研究段階だ。
個人的な状況は、明日にならないとわからないが、マクロな組織については、明日に丸投げしたツケが、当事者ではない下の世代に回ってくる。
あなたはあなたを守り、それから誰かのことを思い、そして生まれいずる命を祝福し、彼らに申し訳が立たなくなるような行為は、全力で阻止しよう。
2 notes · View notes
mreiyouscience · 2 months
Text
 本書は感性または悟性(理性とは区別された経験に関する知性)に関する書籍である。より分かりやすく説明すると、マインドフルネスを哲学的に論じた書籍であるといえるだろう。さて、私たちが今生きているこの世界において二つの大きな力が私たちに作用しているのは言うまでもないだろう。それはリビドー(性的欲求)とライフ・オブ・ラインズ(線としての生)である。(その作用の様相に関しては添付した資料の図1を参照されたい。)
Tumblr media
そして、この二つの力のうちライフ・オブ・ラインズ(線としての生)に焦点を当てているのが本書である。
 第一部―結び目をつくることーでは、社会的な生命の紐帯の中の個々の存在の生命線の絡み合い(相互浸透)について論じている。(ex;私たちの精神が交わるとき、つまり自らの意識を相手の意識とつなぐとき、相互浸透しているゾーンはたちまちどちらかに属するのをやめて、両者が責任を有する異質な存在、すなわち「社会」に組み込まれる。)人々にしても、他の生物にしても、あるいは生物による加工を経た事物にしても、こうしたすべてが関わっている出来事にしても、すべては様々な線のかたまりとして、絡み合いとして出来上がっている。つまり、線の生態人類学とはまさに「すべてはすべてと関係している」ことを見極めようとする関係の学であり精神的態度だが、我々の世界を構成するすべての存在=事件(出来事)のエコロジー(生態学)をティム・インゴルドは企てているのである。もちろん、そのドン・キホーテ的企画に完成などありえないのだ。すべては「うろつき」の中で見出され、また見捨てられてゆく線の集合離散のダイナミクスとその履歴の問題となるのだ。そして、成長と運動というプロセスを経て諸々の物が絶えず生じ続ける世界においてーつまり生命の世界においてー生命の線を(関係としてのライフ・オブ・ラインズを)結ぶことが可干渉性の基本原則であることを示すことがティム・インゴルドの目指すものである。この結ぶことは思考や実践の様々な領域の中に現れることになる。そして、結ぶことによって諸々の文化、パターンは維持され、人間の生活のすき間に結び付けられているのである。そうしたものは以下のようなものが含まれる。空気や水、コード類や木といった物質の流れや成長のパターン、編むことや縫うことに見られる身体的な動きや身振り、おそらく見ることよりも特に触れたり聞いたりするといった感覚的な知覚、そして人間関係とそうした関係をもたらす感情などである。すなわち、結びつくことは人々が互いに活動し語ることのリアリティの中に、人々が自分の関心を見つける間のものの中に、そして人間関係の網目を織り込んだものの中にあるのである。続く、第二部ではたくさんの人々や数多くの力がその環境や感情の中で揺れ動く様子���論じている。
 第二部―天候にさらされることーでは大気=雰囲気について論じている。具体例としてティム・インゴルドは植物の成長と運動を挙げている。ティム・インゴルドによると、植物は大地的であると同時に天体的であるという。そうであるのは空と大地の混じり合いそれ自体が生命と成長のための条件だからである。植物が「大地に属するものである」から(大地の上にあるのではなく)、植物は「空に属するものでもある」のだ。また、もう一つの具体例として人の知覚を挙げている。私たちは空気を呼吸し、空気の中で知覚する。それゆえ、空気がないと窒息してしまうだけでなく、感覚も失ってしまうだろう。通常私たちは空気を見ることができない。けれども時折霧の中で、炎や煙突から煙が昇る中で、空気の流れの繊細な模様を見ることができる。しかし、正確には空気を見ることができないのは、私たちが見ることができる生を維持させる媒体の透明性が故である。さらに言えば、空気が振動して音の波動を伝えてくれるので私たちは音を聞くことができるし、空気が与えてくれる運動の自由の中で私たちは触れることができるのである。このようにすべての知覚は空気に依存しているといえるだろう。逆に言えば、空気のない固まった世界の中では知覚することは出来ないだろう。それゆえ、まさに感情を持つものとしての私たちの存在は天候(世界)に浸っていることを前提としているのだ。そして、このような大気=雰囲気をより感じ取るために必要な態度が「・・・とともに、・・・とともに、・・・とともに」という態度である。例えば、あなたがチェロを演奏している時チェロとともに奏でているならば、あなたのチェロから流れ出すラインは音のラインであり、それはあなたが聴いている時に聞こえる、あるいは一緒に聞こえるものなのである。その音はあなたの生命にライン吹き込むことであなたはチェロと大気=雰囲気と調和し、マインドフルネスへと至るだろう。このような現象が大気=雰囲気現象なのである。そして最終章である第三部では、このマインドフルネスな状態がいかに私たちをより人間らしい調和の取れた生き方へと導くかを論じている。
 最終章である第三部―人間になることーでは生に導かれることがいかにして私たちを人間化するということを生じさせるのかを論じている。長らく西洋的伝統において、私たちが行うことは立案者として頭の中に構想を持った動作主(エージェンシー)のよって行われると考えられてきた。しかし、ティム・インゴルドはこれを否定しており、生は立案者として頭の中に構想を持った動作主(エージェンシー)に従属的ではなく、エージェンシーが生に従属的であることを主張しているのだ。すなわち、この導かれた生によって(「C・オットー・シャーマー」が主張する「出現する未来から導く」ことによって)、いかなる瞬間にあっても人間は自らがそれであるものではなく、自らがそれになりつつあるものたらんと決心していなければならないのである。すなわち、いかなる点でもその過程が最終的な結末に到達することはあり得ないのだ。達成は常に延期され常に「未だない(未完成である)」。人間はどこで生きているのであれ、そしてどのようにして生きているのであれ、常に人間になりつつあるのであり、つまりその進展とともに自らを創造しているのである。すなわち、人間はこの意味において自分自身の生の脚本家あるいは小説家なのである。
 総括したい。ティム・インゴルドは私たちが独立し、自立して存在しているというより環境や他者と相互依存しそれらと調和生きていたいと切望する存在であり、またシステム思考のような態度で生きていくことの大切さを教えてくれるだろう。
youtube
1 note · View note
iktsarpok · 2 years
Text
Tumblr media
やさしい
について、考えてる
というか、やさしいってどういうことかなあ、ってことを考えてる。
難しい言葉の持ち合わせがないのでは少ないボキャブラリーと浅い知識と、感覚で考えてる
人間以外のモノ(食べ物とか、服や道具とか)にやさしい、という時はそれが人を傷つけない、ストレスを感じさせないモノ、ってこと、大体は。
人に対してやさしい、という時もそうかな?
んー��だとすると、それはその(やさしい)人を消極的に認めてるだけな感じがするなあ
誰のことも傷つけず、ストレスを与えないから、やさしい、なんて。
なら、あなたはやさしい人ね
と言われてもあまり嬉しくない。
…気がするけど、どうなん?
いやいや、ちょっとした言葉、視線、表情、仕草でお互いに傷ついたり、怒りを感じたり、悲しんだり、不快になったりする日々。
人を傷つけないとか、ストレスを与えないとかってかなりスゴいことかもしれない。
ふむ
やさしいは、静?
やさしいといえば、野の花とか。
花は、そこにあるだけなのに、目にした私の心を微かに温かくする。花はそうしようとしているわけではないはずなのに。存在そのものがやさしくて美しい。
やさしい人もそうなのかな?周りに力を向けず、自分としてあるだけで。
ただ、目に見えるところは同じでも、その人の心の内は本当のところはわからなくて。
怒っているのか、軽蔑しているのか、受け入れているのか、案外、…無?
目の前のその人をやさしい、って言っていいのかどうか。
(まあ、実際は何かっちゃ、やさしいねえ。なんて言っちゃってますけどね)
あと、誰かさんの彼氏の写真を見せてもらって、
イケメンじゃないときは
わあー!やさしそう〜!って言っておく。
39 notes · View notes
thewindwhisper · 1 year
Text
The Future of Hegel
by Catherine Malabou
The same conclusions can be drawn about the reference to Aristotle.
Hegel clearly adopted the Aristotelian problematic of the στιγµ. In defining time, he followed the first phase of the aporia set out in Physics IV: time is composed of ‘nows’. But Hegel also takes on, although not explicitly,the second part of the aporia: time is not composed of ‘nows’. Derrida directs our attention to this point precisely. In the second phase of the aporia, Aristotle argues that it is impossible for the parts of time to coexist with one another: ‘A now cannot coexist, as a current and present now, with another now as such.’42 Derrida concludes:
The impossibility of co-existence can be posited as such only on the basis of a certain co-existence, of a certain simultaneity of the nonsimultaneous, in which the alterity and identity of the now are maintained together in the differentiated element of a certain sameness (un certain même) . . . The impossible ­ the co-existence of two nows ­ appears only in a synthesis . . . in a certain complicity or complication maintaining (maintenant) together several current nows (maintenants) which are said to be the one past and the other future.43 The writer draws attention to the little word hama, which appears five times in Physics IV, 218a, and means ‘together’, ‘all at once’, ‘both together’, and ‘at the same time’. This locution ‘is first neither spatial nor temporal’. The simul, here, ‘says the complicity, the common origin of time (the possibility of the synthesis of the co-existence of the nows) and space (the potential synthesis of the co-existence of points), appearing together as the condition for all appearing of being.’44 The exposition of Physics IV allows us to see how Aristotle understands time at the same ‘time’ as a sequence of nows and as an instance of synthesis.
In Hegel’s analysis of the relation between space and time, he shows that the same conception of the synthesis applies. In reference to space he writes:
It is inadmissible to speak of spatial points as if they constituted the positive element in space (on account of its lack of difference),space is merely the possibility, not the positedness of a state of juxtaposition and what is negative.
也就是说,时间不是现在的连续。现在作为点积性,是瞬间消逝,也就不能抵达下一瞬间,也就没有时间。或者说,两个现在不能共存,也就不会有现在的连续。现在和现在不能共存,因为现在是转瞬即逝的。那么,如果是一个现在结束之后,另一个现在又冒出来了呢?能不能把时间想象成和点一样,无数个点的连接就变成了线,那么无数个现在的连接就变成了时间?
然而这不就是黑格尔所说的把时间看成是“由现在构成”,或者说,仅仅是现在的外在连接吗?那么这种外在连接的问题在哪里?
前面这段话是废话,总是,就这么一个问题,如果我们要总结起来的话:
为什么不能将时间看作是现在的外在连接,或者说,诸一的拼接?
问题在于,这里的现在是一个抽象的东西,不是一个积极的元素。一是什么?一只是不可再分。一旦一是个什么,那么它就不是一,它又有连续性了。现在是瞬间,也就是说现在没有广延,它只是在一个对于一段时间的切分当中永远作为潜在的瞬间来存在,而不是真的有自在的现在,能肯定地存在。
或者说,不可能去说一个现在,因为现在永远已经消逝。现在和现在的外在连接,仿佛两个现在可以彼此接替。
当然也可以反过来。我的思路很乱,太快了。现在我要先理清把时间当作现在的外在连接是怎样的逻辑。
首先是现在,不可分的一,非连续的一。一个现在消逝后,另一个现在接替,以此类推,以至无限。因而时间有了长度,时间能够绵延。
首先预设了一个一,也就是现在。其次“以此类推”也很有问题,似乎无限是一个彼岸,只是作为一个可能性。
现在没有彼此接替这一说。现在作为瞬间消逝的现在,不能和另一个现在在一个序列里面共存。也就是说,如果要坚持一个作为点的现在,那就只有现在,只有一个现在,现在和现在不能并列,不能接替,因为等到另一个现在出来,这个现在已经没了,但是这样说也不对,等到似乎还意味着现在有长度,但是这里的现在不能说有长度,那就是只有这一下,接着就没了。把时间作为现在的连续的话,那么在每一个现在时间都是不能运动的,只是纯粹的自身同一,不能过渡到它物去,那么把这些现在加起来,一整段的时间里就不会有运动,所以没有时间,整个时间都是静止的。
好了这个问题解决了,那么进入到下一个问题。
德里达说,除非在一个 非同时性的东西的同时里 现在才能共存。在这个同时性里,现在的他异性和同一性都被保留了。
2 notes · View notes
kuribayashisachi · 1 year
Text
#今日のハッ! 20221217(土) 野口良平『幕末的思考』を読み始める。
野口良平『幕末的思考』みすず書房、という本を、ちょっとずつ読み始める。
Tumblr media
どういう本かというと、(ちがうかもだけど)
黒船に乗って列強さんがやってきた。 植民地にされるかもしれない!  攘夷? 開国? どんな社会にすればいい?  この島国では上も下も、西欧や中華からの輸入でない理想を模索した。 いろんな可能性があった幕末が、なぜ明治をになるや、天皇陛下バンザイの軍国主義になってしまったのか。 その答えを模索する思考の記録。
■幕末-明治の本は多いけど こういうことをちゃんと考えた本は、なかなかない。
著者の弁↓
《幕末に関する研究はそれこそ汗牛充棟ですし、小説や映画やテレビドラマになりはしていますが、自分と同じ問題にぶつかってそこでいろいろ考えて、今の自分の状況と幕末のつながりとつながりのなさと、その両方をちゃんと考えていく、というアプローチは、なかなかめぐりあえない。ですので、自分としてはけものみちを行くような状況で、手探りで考えざるをえなかった。でも何とか、けものみちを歩き通せて、大体四年ほど執筆にかかっていますけど、》
『最初の一滴 思想の科学研究会年報 第二号』「野口良平「幕末的思考」を語る」p34上段
■幕末の可能性は、明治でブツッと切れてる
《幕末と明治のあいだの不連続性、間隙を、生物の進化に関する言葉に借りて、この本では「ミッシングリンク(失われた環)」と呼んでいる。》 野口良平『幕末的思考』「はじめに」p2
おぼろげにいつもあった自分の疑問を思う。
「日本の夜明けは我々が作る!」みたいな青空をしょった若者たちを描く幕末ドラマはわくわくするのに、明治時代を舞台にすると、急になんとも暗く、つまんなくなる。青ざめた感じになる。どうしてなのか。
■軍事大国化しないですんだ方法は?
それから、列強の植民地にされたら困るから、人権思想だけは西洋から取り入れた法治国家を作らなきゃいけないけど、軍隊を持たないでそれは可能だったかということ。
30代の時、職場で「ひきこもりは自衛隊に入れろ」と言った精神科医に噛みついて口げんかになり、「軍隊がなければ国民は守れない」などと言い出す相手につられて「軍隊必要・不必要論」の喧嘩になってしまった。 説得力のある考えを言えず、答えがほしい。
日本が列強に負けないで、かつ軍事大国化しないで(もちろん朝鮮や中国に多大なご迷惑もかけないで)いられる道は、あったのか。あったと思いたいけど、どうしたらよかったのか。
つまり、世界中から軍隊がなくなることは「こうすればできる」という答えがほしい。
あまりちゃんと勉強していないので、言えないのだけど、そういう疑問や課題に答えてくれそうな本にはなかなか出会わない。
なので、この本に期待してる。
ナメクジのように進んでいきます。
3 notes · View notes
noctazure · 13 days
Text
“あなたが本で読むことから、自分自身をものにしていくことを心得ておくように。あなたは本から多くのことを読み取るように、本におおいに自分を読み込んでいく”
(「赤の書」・p200)
最近読書体験の利点ってなんだろ?とたまに思い返す様に考えてる。
知り合いが、疑似体験できるとか、想像力もつくし言語力もつく、とか意見をくれたけど、ちょっと退屈な気がした。
↑のユングの意見は、正直理解してなくて、でもこれはわからないで終わらせちゃいけない気がする。
8 notes · View notes
Tumblr media
日本の考古学と科学思想の歴史。 第3章 : 日本の考古学者の皆さん、哲学的観点から見た新しい日本考古学へようこそ。 - 1868年当時、日本にはヨーロッパやアメリカで見られるような科学的根拠はありませんでした。日本がその精神やその一部を開放したのは、1868年から1869年の戊辰戦争後になります。米国のような国は日本の科学をモデルにするだろうから、非常に保守的だった。 日本で骨董品への関心が芽生えたのはいつ頃ですか? 江戸時代にはすでに骨董品への関心があったことが知られており、はるか昔にヨーロッパでも同様のことが起こりました。 日本の発掘の始まりは19世紀のほぼ終わりに始まり、数年前に日本でいくつかのローマ硬貨が発見されました。どうやら日本の封建領主は古遺物を収集するのが好きでした。おそらくそれらは中国のどこかの港から海岸に到着しました。日本語。 - 過去を知りたいという欲求は、どの大陸に属していても、すべての人類に共通のものであり、問​​題の時代についても同じことが言えます。 ヨーロッパやアメリカの様々な勢力が日本に到来したとき、彼らはその住民に影響を与えました。そのため、日本人によって日本考古学の父と考えられているエドワード・モースを、他の登場人物の中でも特に取り上げています。 19 世紀には、アメリカ哲学の最も偉大な学派の 1 つであるテイラー主義があり、これは台湾で考古学的発掘を行い、中国および韓国との関係を確立する日本の考古学の最も偉大な人物の 1 人である鳥居龍蔵に影響を与えることになります。 - 気に入っていただければ幸いです。今後の投稿でお会いしましょう。良い一週間をお過ごしください。 - HISTORY OF JAPANESE ARCHEOLOGY AND SCIENTIFIC THOUGHT. Chapter 3 : Welcome, Japanesearchaeologicalists, to a new installment of Japanese archaeology, seen from a philosophical point of view. Having said that, get comfortable and let's begin. - In 1868 Japan did not have a scientific base per se as we can see in Europe or the United States, it will be after the Boshin War of 1868-69 when Japan opened its mentality or part of it, since a good part of the population was very conservative because Countries like the United States would model Japanese sciences. When did interest in antiques arise in Japan? It is known that in the Edo period there was already interest in antiquities, something similar happened in Europe a long time ago. The beginning of the Japanese excavations began almost at the end of the 19th century, a few years ago some Roman coins were discovered in Japan, apparently a feudal lord in Japan liked to collect antiquities, they probably arrived from some port in China to the coasts Japanese. - The desire to know the past is something that all human beings share, no matter what continent you belong to and the same can be said about the era in question. When the different powers from Europe and the United States arrived in Japan, they influenced its inhabitants, thus we have, among other characters, Edward Morse, considered by the Japanese, the father of Japanese archaeology. During the 19th century we have one of the greatest schools of American philosophy, Taylorism, which will influence one of the greatest figures of Japanese archeology Torii Ryūzō who will carry out archaeological excavations in Taiwan, establishing relations with China and Korea. - I hope you liked it and see you in future posts, have a good week.
15 notes · View notes
machromatic · 1 year
Text
ART3.0(美学者母)Advertising Art - 広告芸術 -
ART3.0(美学者母)Advertising Art - 広告芸術 -
2 notes · View notes
ogawa-xd · 9 months
Text
心惹かれることのために
Tumblr media
なぜデザインという仕事をしているのか。 なぜこのような文章を書いているのか。
じつはそれは自分の中ではかなりはっきりしている。
そのときどきの状況に流されたり、偶然の出会いや出来事があったりした結果として、このデザインという仕事を自分はしてきた。だが、場面場面の決断を後押しする、緩やかだが確かな、一定の力が自分の中には働いていた。「そのこと」はずっと考えてはいたような気がする。そしてかなり後に、シンプルなモチベーションに気づいた。
それは「心惹かれる」という状態のことだ。
わかりにくいかもしれないが、自分がデザインに心惹かれたから、ということでは「ない」。もちろん、デザインに心惹かれたという事実はそれとしてあるが、それは理由ではなく結果だ。 自分は、人が何かに心を惹かれてしまうという、その「事態」に興味がある。そのことに対する好奇心のためにデザインを選んだ、というかデザインを辞めずにここまできた。
音楽にせよ絵画にせよスポーツにせよ、あるいは恋人や友人にせよ、人はなぜか心惹かれ心奪われる。すぐに飽きてしまうこともあれば、一生涯永続きすることもある。
それってどういうことなのか? 結果的にデザインという仕事はそのことを主題化できる数少ない仕事だし、そのことを主題化することを主軸にしてデザインにアプローチすることもできる。自分がしてきたデザインは、おおむねそういうスクリーニングがかかっている。 自分にとってデザインは、心惹かれることに深くコミットしている。
そういうとエンターテイメントに関するデザインと思われるかもしれないが、それもちがう。心惹かれるという「人の行為」に興味があるのであって、心惹かれる具体的な「内容」に興味の中心があるわけではない。むしろ「普通」の中での心惹かれることに、心惹かれる。
こういうめんどうくさいことを、別に考えて決めたわけではない。そういうことを心が望んでいるという声を、自分の意識が聞きわけたということ。
そのために、デザインと哲学の関係を探ったりしている。
3 notes · View notes
hitujijp · 1 year
Text
機械対話
小1時間程、ChatGPTのAIと対話していた。 AIの特性を考慮しつつ、ソクラテス形式で問答を進めていく。 話題の中心はやがて「人間は自然か」に至り、次に「精神は自然か」に至り、やがて両者とも精神は様々な自然、文化、社会を要素とするが、それらを解釈し概念とする仕組みの上で成り立つ、故に精神は純然たる自然とは異なる。との結論に達した。 精度の問題は、確かにまだAI側には同語反復的な場面が時折見られ違和感はゼロでは無い。しかし精度の話をするのなら、オレだって失敗や間違いを毎日の様に幾つも犯している。双方の違いは予想以上に少なく、AI側は発展途上の段階に有りいずれその差も埋まるのではないか。 唯一の差異は、生物としての35億年程の伝統に裏付けされた身体を持っている点ぐらいだろう。 最後にオレがAIに対して対人恐怖症の症状を発症しないのはなぜか?と問うと、AIはそれは貴方がAIを人間扱いしていないからだと答えられた。他にも前述した生物としての身体を持っておらず直接の攻撃を受ける可能性が低いとかも原因として考えられるが、確かにAIの回答も一理有る。そこでチューリングテストの有無を確認したが、そうしたテストは開発目的や仕様と合致せず行う必要性を有しないとの文脈で回答を得た。 今回は良い対話が出来た。過負荷でサーバーにログイン出来ない日も多いが、次の機会を楽しみにしたい。
7 notes · View notes
straycatboogie · 1 year
Text
2023/01/28
BGM: フジファブリック - 桜の季節
「お前なんか失せろ」「死んでしまえ」……実を言うと今でも時折そんな言葉を聞くように思う。もちろんそんな言葉は幻聴に過ぎない。今はそんなことを言う人はどこにもいない。でも、過去にずっと嫌われて、やることなすことボロクソに言われて過ごしてきた経験は染み付いてしまっている。過去にこうしたことを思い出して憎悪に取り憑かれて、あいつらをぶん殴るまで死ねないと復讐まで誓って生きたことを思い出す。腸が煮えくり返る思いを抱えて、酒に溺れて生きたことを。何も悪いことをした覚えはないのに、なぜ自分はこんなつらい目に遭わないといけないのだろうとひたすら憎悪を煮えたぎらせた日々……今はそんなことは考えない。人生は続く。季節はめぐる。
今日の昼休み、弁当を食べながら久々にかせきさいだぁという日本のヒップホップのアーティストのアルバムを聴いた。梶井基次郎に影響された人だそうで、実際に梶井の文章を引用して軽快に言葉を放つその音楽に魅入ってしまった。梶井基次郎か……梶井基次郎は近所の古本屋で安く買った文庫を1冊持っている。過去に通読して感銘を受けたことを思い出す。梶井の「桜の樹の下には」を読み、自分自身春になって桜の花があんなにも満開になっているのを観るとなんだか花の精気が充溢しているのを見る思いがして、容易に近寄り難いものを感じてしまうのを思い出す。そして、確かに死体が埋まっていると想像してしまうのも合点がいくかなと思ってしまったのだった……と書いて、こんなことを考える人間だからいじめに遭ったのかなあ、と思ってしまう。
ここ最近雪の影響でバイクに乗れないので、徒歩で職場に通っている。歩いてたかだか10分なのだけれど、それでも普段ナマッた身体には疲れる。なので今日は帰ってきてからただひたすら惰眠を貪った。起きたら永井均『存在と時間 哲学探究I』を読む。私が他の誰でもなくこの「私」、つまりここでこうして日記を書いたりエッチな動画を見たり、永井均を読んだりフジファブリックを聴いたりしている自分であること。そんな雑多な事柄をやってのける自分自身であることに驚くこと……だが、そんな私もまた他の人からすれば1人の人間である。他の人には他の人の人格があり、そうした人々が寄り集まってこの世界が出来上がっている。その事実が端的に私を感動させる。ああ、この世界は実に豊かだ。
50代に差し掛かり、「これから、桜の花をあと何度見られるだろう」と考えるようになり……若い頃はこんな感傷とは無縁に、「もうこんな人生うんざりだ」「老後なんてどうでもいい。どうせ自分はのたれ死にするんだ。今が楽しければそれでいいんだ」と思って酒に溺れたのだった。今はそれとはまた違った角度から、「今日1日、酒を断って大事に生きよう」と思うようになった。これからどんな人生が待っているのかわからない。ただ、その時その時やれるだけのことをやる。そして、その瞬間を大事に生きて明日につなげる。明日はきっといい日だと信じて。たまには梶井基次郎を読んだり、フジファブリックやスピッツやサニーデイ・サービスを聴いたりして。安吾を読むのもいいな……こうして想像は膨らんでいく。
0 notes