Tumgik
#心のケアも大切
chikuri · 5 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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22oq · 6 months
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
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今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で黙って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
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何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
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この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよ���ったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じように���ばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓��持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる���前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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sakase · 2 months
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Nijisanji ENのセレン龍月さん契約解除のお知らせから今日までに感じたこと
初めに
これは私の言葉であり感情です。私以外の誰かが別の誰かに対して武器として扱わないでください。また、これは一連の話題について誰かの証拠として述べ、情報を提示・精査しているものではありません。
ここで明確に怒りをむけている相手は主に誹謗中傷を行なっている人達と行き過ぎたサポーター達に対してです。にじさんじEN、所属しているライバー、セレンさん(以降Dokiさん)に対してはそれぞれを心配していますし一刻も早く安寧が訪れることを願っています。しかし衝撃が大きかったのがDokiさんのポストなので当たりが強いと捉えられたら申し訳ありません。
私は普段物静かなリスナーです。リスナーの声を望むライバーには申し訳ないですが静かに楽しむのが好きなのであまり公の場でコメント等をしていません。ですが見聞きしています。偽のリスナーにしないでください。
長いです。誤解を招きたくないので主言語である日本語で書きます。
沈黙は金という言葉がありますが、死人と同じとされる場合もありますね。 であれば私は今墓場から声を上げている亡者です。それほどまでに現在の状況が悲しいです。あまりにも長い呻き声です。ごめんなさい。 今苦しい気持ちでいる方々にまずハグを。
今回の件で運営は手段やタイミングを尽く間違えたかもしれません。少なくとも良くはないと感じます。事情があるにせよ、これまでの立ち回りを思えば全てを是とすることは出来ませんし、不満は当然出るでしょう。とはいえ、何をぶつけてもいいわけではありません。
あの時ショックを受けたのは運営側のお知らせだけが原因ではありませんでした。熱心なサポーターがDokiさんのアカウントを早々に広めて回っていましたからその時から見ています。
【Notice: Termination of Selen Tatsuki’s Contract with ANYCOLOR】
運営お知らせポスト後のDokiさんポスト
ハラスメントを受け続けた末に未遂に至ったというエピソードは権利関係の違反云々とは別に重要なポイントです。しかし感情的になる以前にどうにも両者の間には不明瞭な部分が多くありました。
私はこの段階で、「彼女に弁護士がついていて法的に責任を追及するつもりであれば、いずれ裁判で明らかになるのだろう」と考え、一先ず静観しました。が、別のところでは瞬く間に炎は大きくなっていき衝撃と困惑を携えた人々はぶつけ合い始めていました。
所属ライバー達のメッセージ(動画)
日本語訳つきはこちら
メッセージ配信を受けたDokiさんのポスト
↑のポストから2時間後のスレッド
文書共有の懸念について説明
田角社長の声明
ライバー達はDokiさんの知らないうちに情報に触れる機会を得て自らの感情や状況を話しました。おそらくハラスメントとされたものに対して認識に誤りがあると伝えたかったのだろうと汲んでいます。そこでは追撃の示唆も、早急に公の場での回答を求む声はなく、聞いた人達には弁護士が関わる話だからこれ以上は言えない、攻撃はやめてほしいと願うのみでした。
ここに関してはDokiさんも同じように主張されていますね。
どちらが正しい振る舞いかどうか?正直今の段階ではどちらも言い分は分かるが手段は最善でないと考えます。沈黙を愛せる状況にさせなかったのは私達リスナーや乗じて騒ぐ人達の声でしょう。しかしリスナーが応援したい人の傷ついた姿を見れば忽ち感傷的になるのも想像に容易いです。更に文書の存在・閲覧を仄めかす程度に出したことでより事態を複雑にしました。
彼らは同僚として活動し、友人としても関係を築いていたのですから、何かしら誤解やすれ違いがあったのかもしれません。運営、彼女のマネージャーも各々尽力したが彼女の期待には及ばなかったのかもしれない…想像しか出来ません。もし誰かが嘘をついているなら、それは法の下で暴かれ、裁かれるものです。文書公開・共有範囲についてもどちらの国にそってどう考えるべきかも複雑で、最早部外者が判断出来るラインを越えているでしょう。少なくとも運営が出したポストでは違法性はないと言い、どんなに立ち回りが悪かろうとそれなりに大きい企業ですからこの点は一旦信じています。こういったケースを経験した当事者と専門家がそれほど多く存在するとも思えません。
2/15 Dokiさんのポスト
これは私にとって本当に衝撃的でした。
先に言っておくと話題になった文書や録音についてはここでは触れていません。今は情報の精査は部外者に判断出来るものではないからです。
私が衝撃を受け、人々の反応に戸惑ったのはその後の部分です。
打ち明けられた情報に対してリアクションをしたのは理解できます。結果的に一部の混乱を抑えてくれたことにも感謝しています。改めて彼女は今後サポートされるべきだと思います。しかし、たとえ人々に聞いてほしい一心からだったとしても、優しさ故だったとしても、これが良い手段・内容だとは思えません。
どうしてまた秘めていたエピソードを追加で公開したのでしょう。 1度目の告白で既に多くの人がその痛みに寄り添い毛布をかけていたと記憶しています。ライバー側のメッセージ内容を考えても、胸に秘めておきたかったのならそれを今深く掘り下げずともよかったはずです。一部の情熱的なサポーター達の他にも、興味津々で“次の材料”を常に待ち伏せしている人達もいる。弁護士や専門医と相談の上での発言だと信じたいですが、その場合、その人達へ攻撃しないよう願う為に更に傷を抉って伝える必要があると判断されたのですか?今のDokiさんの状態を慮った上で? 人々は彼女に寄り添うでしょうが、反応を見て分かるはずです。この開示の影響力がどれほどか。これからのことを考えるなら言う側も聞く側ももっと慎重に扱っていい話題のはずです。
自らの命を絶つ。その選択に至るまでの環境や心身の状態はたとえ同じように試みた人間であっても容易に計り知れません。「生きてさえいれば」とは簡単に言えない。死が包み込んでいった現実は余程救いであったと思えない限り、後の他者にとってもただただやるせないです。 Dokiさんには十分なケアを受けてほしいし、今後その意見を尊重してもらえる環境下で生きてほしい。既に前に進もうとしている決意の背中には拍手を送りたいです。 しかし、未遂を打ち開けることは、状況次第で他者にとっては“自分自身の命を盾にした強力な脅迫”に成り得ます。中には苦しみや痛み、自分の欲求を訴える手段として自ら命にナイフを突きつけてみせることを選択してしまう人がいるのも事実です。慎重になる人が出るのは仕方がないと考えます。(Dokiさんをそういう人だと断定する為に言うのではありません。決して。)
私は日本で主に仏教に基づく生活を送り、自死に対しては身に近い話題ですが肯定的ではありません。宗教によってはより痛ましく捉えられるのでしょう。何にせよそこに至った、それだけで重みは十分にあります。
当人がつらい境遇にあった事は責めることでないですし今後報われるべきです。しかし、たとえ本人に悪意や支配の欲求はなくても、『その手段に一度でも行き着いた人間である』と意識されることで、忽ち他者に強く働きかける力を否応なく持ってしまう。どうとも思っていない外野ならともかく、誠実に向き合おうとする相手や好意を抱いてくれる相手にはとても強力に働きます。実際、近くに居る人の中にはその気配をひどく怖れるようになってしまう人、必要以上に自らを責め苛んだり深く傷つく人、当人に代わり周囲への警戒心が強まり攻撃的になる人もいます。これは私の経験にも基づく話ですし、Dokiさんもポスト内でご両親のことを記載されているので想像出来得るかと。
自他ともに心身への負荷や影響・リスクが伴う可能性が高い。今後、追い詰められる前に人に頼ったり助けを求めるハードルを低くしていくのに厄介ではありますが、自覚しておかなければ望まない傷を負い、負わせかねません。
運営の対応や公開されている内容に憤る方も多いですが、私はDokiさんを担当されている弁護士や専門医の方にも、彼女から相談されているならば、より気をつけてほしいと切に願います。
強く意見している人達もどうか注意してください。自己犠牲や起こった悲劇を悲しみ、生き延びたことを喜び励まし合うことはあっても、聖なる灯のように、英雄のように掲げるのは違います。ましてやその名の下に義憤し、周囲へ矛を突き立てるのは行き過ぎています。
過去には自らの願いや訴えを社会に痛烈に伝える手段として自決を選んだ人もいますが彼女の場合はそうではなかったはずです。
起こってしまった以上は先を臨むしかない。完璧ではない企業や運営に改革を求めるのはご尤もです。ですが何人をも裁く権利を司法以外は未だ誰も持っていません。今はそれぞれ信じたいライバーに目を向け、愛情と優しさを持って根気強くサポートしてほしいと願うばかりです。心を深く痛めている人はどうか休んでください。全てがあなたの痛み、責任ではありません。自分に余裕が持てたなら一緒に前を向いてください。
少々話は逸れますが、今回の件では日本人リスナーの反応について過去のにじさんじライバーの件がよく話題に挙げられています。が、私はその件については深く知りませんでした。私は最近起こった、ある悲しい一件に似ていると捉えていました。
2024年1月末、日本では自らの作品の映像化脚本について声明を出した漫画家が急遽亡くなってしまい、現在も話題になっています。彼女は当初脚本について説明する為に声を上げました。彼女の声明内容は瞬く間に波及し、彼女の作品の映像化にあたった関係者や企業、脚本家においてはその知り合いまで巻き込み、SNSで発言を暴き晒し始めたり誹謗中傷が飛び交い、他の創作者達も意見を出し、各所で混乱が起こりました。死に至った明確な理由はわかりません。ただ非常に戸惑っていただろうととれる当人のポストは今も残っています。 他にも浮かぶエピソードはあります。そういったものを通して“必要以上に騒ぎ立てる内に渦中の人物が突然命を絶ってしまい、公の場で必要な裁きや真相究明が困難なままに葬りさられたり、取り返しのつかない展開を迎える怖さ”を知っている人は少なくないでしょう。
最後に、今回の件でヘイトを発信し、国間ヘイトまで煽られている方々。国内外問わず多くいらっしゃいますね。
おかげで私は墓場から声を上げる亡者になりました。きっとお読みにならないでしょうけれど書いておきます。
どうか愚かな壁を先んじて建てないでください。 言語を始め、様々なフィルターは確かにあり、言い出したらキリがないです。しかしそんな中でも各々翻訳したり、ライバーを支えたい一心で必死に配信やポストを聞き応えようとしたり、リスナーたちと交流を試みている人々も国を問わずいらっしゃいます。その末に疲弊し、心を痛めている人も。 時に他言語話者が翻訳機を通しその思いを伝えてくれるように、伝えたい思いや分かち合いたいものがあります。各言語を堪能に扱えなくても心を砕こうとしている人がいることも知っていてほしいです。
国、人種、性差別と取れる表現を軽々と交える人に何かを嘲る資格はありません。
“くろさんじ”が俗に言うブラック企業という言葉の意味を被せているのは知っています。だからといって、そこには黒しかないだろうと笑ったり、誰かを必要以上に蔑むその口が、本当の意味で“anycolor”(どんな色、どんな個性も)を尊重するべきと、守りたいものの美しさをどうして訴えられますか?
どんな色でも、少なからず歴史を知る上で、未だ色色に忌み物のラベルをして、平気で石を投げ楽しんでいる姿を見ると落胆します。結局は自分の飾りたい、認めたい色を都合よく掲げていると気づいていますか?
不満や怒りを抱き、反する意思を見せるのは構いません。ですが理性のラインまで見失わないでください。もしあなたが今信念を持って、誰かや何かを想って立ち上がっているなら、一度落ち着いてまずは我が身と筆先を整えることをおすすめします。
人は日々様々なものを経験しつつ進んでいる道の上で物事を目の当たりにしています。こうした難所に対峙した時の対処法や姿勢は人によります。 ここから先のお願いはあなたにとって心地よければ是非やってみてください。 あなたがサポートしたい誰かが励んでいるなら傍で支えましょう。やがて物事が明るみに出るであろうことを願いながら過ごしましょう。 その間、愉快なドラマをみたがって囃し立てる人達もいるでしょうが拳を振るうよりブロックや通報をして、出来得る範囲で自分と大切に思うその人を温かく包んで。 もし息苦しいなら一旦離れてみましょう。美味しいものを食べたり飲んだり、違う場所へ行ったり、休息をとってください。 綺麗事ではありますが各々大切な人と穏やかに日々を過ごせるよう心から願っています。
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ymkc · 4 months
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わたしではなく、わたしのなかの…… 
人と出会うこと、人と話すことそれじたいが祈りなんではと、もしくはそうであってほしいと思う、本が出たばかりの、それも展示中の日々、神さまではなく目の前のあなたに声をかける、気にかける、そうしたケア-フルなありかたに神が宿る、霊が降りる、シュタイナーじゃないけれど、この先きっとそういう世界になるんじゃないかと思ったりする。
でもこのクリスマス・イヴの夜、いちばんに思うのは、まずは自分のことを、たったひとりの「わたし」のことだけは放っておかないこと、(金曜にトークをさせていただいた)中村佑子さんの新著の言葉を借りるなら、「自分への批評性」を失わないことが、他者への、世界へのやさしさにつながるんじゃないか……ということで、でもそれはセルフケアやご自愛だけじゃない、自分をぎゅっと抱きしめるだけじゃない、もっと、それこそ宮沢賢治のような透明なつめたい目でもって自分を見つめることでもあって…… 中学生のころ、どうして戦争(そしていま起きていることは戦争というよりジェノサイドじゃないのか)はなくならないの?と聞いた、そのときの答えが「お金儲けになるから」だった、そのことに心底がっかりして絶望してむかついて、でも大人になったいま、自分もまったく無関係ではないのだと何度も突きつけられている。だからそこには、見つめなくてはいけない「わたし」には、とうぜん消費行動をする自分のことも含まれている。ある部分では開かれていて、でも別の部分ではぐっと閉じてしまう、閉じているつもりでもあちこちに穴が空いていて、それでも気づかぬうちに誰かを排除しているかもしれないわたしのことも。
そんなふうに、ここにいる自分のことを、あらゆる意味で放っておかないこと、とくにクリスマスの時期には、とにかくそんなことが必要な気がしていて、大切にしたいと思うんです。
*
(そのうえで、ほんとにそのうえでこそ、オルガ・トカルチュクのこの言葉がひびいてくる:「文学は自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」。
トカルチュクのいう「優しい語り手」=閉じられた個人の一人称ではない「第四人称の語り手」のことをこの夏からずっと考えている。「あらゆるちいさなかけらに存在を与え」、「べつの存在、つまり『私』ではないものを注意ぶかく集中して」見ることのできる語り手。そしてシュタイナーのいう「高次の自我」、ずっとよくわからなかったけれど、まさにこの優しい語り手なんじゃないかって思ったり、ね……)
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ymifune · 2 months
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口の慎み
3月10日。できたことを中心に。 3月5日にCD Babyから入金があった。153.91 USD。今回はすぐ日本円にしてゆうちょに送金してもらった。円安が続き、この金額でも日本円で22007円になった。 給料日で、今月は134602円が給料だった。今現在の預金残高は363699円と出ている。 つみたてNISAの口座開設が完了した。ようやく。ネットだけで済むものかと思ったら、意外とそうでもなかった。iDeCoは結局、スルーすることにした。とりあえずつみたてNISA一本で投資を始め、今後どうなるか見守ろうと思っている。4月1日に最初のつみたて購入が始まる。毎月5000円、SBI証券の全世界INDEXのものを買っていく。先進国のものも、日本のものも、発展途上国のものも入っているものだ。どうなるか、見守ろう。 有給が取れて、3月29日金曜日から4月2日火曜日まで京都に行ってくる予定である。ホテルを検索してみたのだが、ホテルの値段があまりに高騰していたので、驚いた。カプセルホテルでも1泊1万円するレベルだ。流石に泊まれない。去年もだいたい同じ時期に京都へ行ったのだけど、その時は本当に京都滞在が始まる直前にドタキャンが入ったであろうビジネスホテルを1泊6500円ぐらいで予約したのだ。今年も一応それは狙ってみるつもりではある。が、まあそんなに期待せずにやろう。春休みにモロ被りしているし、桜のシーズンとも被ってしまっているのだから。 毎週こんなことを書いている気がするのだが、体組成計の結果が振るわず、今週は筋肉量が-1.2kg、体脂肪量が+0.6kgと出ている。体重は今82.2kgと、だいぶ1月から減ってしまった。まだ2ヶ月終わったところだし、夏はこれからなのだから、こちらも弛まず粛々と続けよう。 昨日から少し時間があり、新曲のスケッチに着手できている。Chris Brownの"Call Me Everyday"のビートをお借りしている。何度もループさせて聴いても飽きがこないビートさえ作れれば、なんというか、あとはどうとでもなるものだなと改めて思っている。飽きが来るビートを作ると、逆にどう上物を重ねても魅力的に感じられなくなるのだ。 新曲の仮タイトルは"Monday Love"と付けた。ダンクラとして知られる"Saturday Love"のオマージュである。が、結構ダウン系の曲になってきていると思う。ブラコンの香りは残って・・・いる?ちょっとわからない。真っ先に耳に入ってくるコード進行にEmulatorを使っていて、若干サンプルベースなのだけど、ダウン系のPadを使っている。 少なくとも、新曲・・・それもシングルカットできるかもしれない曲が作れていることがとても嬉しい。 来週も少しは作る時間が持てるだろう。 来週の週末は結構楽しみな展覧会が目白押しで、うれしい悲鳴である。アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作にはぜひ行っておきたい。渋谷のBunkamura跡地でも、Anomaly所属作家の何かインスタレーションが始まると聞いている。 金曜日に国立新美術館で、かなりグサっと来るグループ展を見た。遠距離現在というタイトル。いくつかあるのだが、Belanciegeという労働者のためのブランドを作り、Balenciagaとベルリンの壁崩壊後20年の資本主義のあり方をめぐる考察の作品、デンマークにおける孤独死をテーマにした作品、憂鬱なプロットをAIに学ばせることでイメージを作り続ける作品、ネットミーム的な画像をとにかく大量に敷き詰めた空間など、ヒリヒリしてすごかった。会場にいる間、こんなものを見て、これからどうやって微笑んだら良いのかわからなくもなった。Belanciegeのインスタレーションの部屋で今の笑えなくなってしまった自分の顔を撮影してみたのだけど、驚くほど目が落ち窪み、眉間には皺がより、肌の色が土気色をしていた。カタログまでは買っていないのだけどね。コンセプチュアルなものだけで構成されたグループ展で深く刺さるものが多かったのは結構久しぶりだったように思う。 今日は筋トレ中少し、苛まれの状態に陥って窮した。そこまで深くはないのだけど。雑駁にだけど、書いておきたい。 使う言葉、口にする言葉には全力で気をつけないといけないんだなと改めて思っている。主語が単数のものは主語を単数のままにとどめ、大きい主語を使って全体化しないこと。そうなってきたとか、そうなっていくとか、累加の表現をできるだけ避け、今はそうであるという現状認識だけがドライに表現できる言葉を極力選んで使うようにすることとか。流れや潮流があるかのように考えないし、かつ口にしないことで、自分の現状認識が「今/ここ」からずれないことがとても大切。 また、結構前々から言われていることではあるけれども、他人の話す言葉はそれを話す本人自身に向けて発される言葉を他人に投影しているだけで、良くも悪くも向かい合った私に言われたことだと引き受けてはいけないということ。そういう厳格さや言葉の厳密さ、口の慎みが自分を含め、結構多くの人を救うんじゃないかと思っている。 土曜日にはフランスのCと会ってきた。最近、Cは口腔内のケアをきちんとするようになったようで、口が臭くなかった。が、今も若干かそれ以上にCの行動原理というか、言動の根本にあるものはわからない。何回か書いたことがあると思うのだが、Cは一度俺との縁を明確に切ろうとしたのだ。が、その数ヶ月後、Cからメールがあり、なんの気はなしにメールを返し、会うようになったところ、なぜか俺への評価が180度変わっていた。セックス自体はもちろん大好きだし、楽しいのだ。セックスをきちんとすることでしか満たされないものがある。少なくとも自分には。結局これが2024年初のセックスとなってしまったし。 寝よう。 なんにせよ、幸せな週末だった。 今週も生き延びるので、どうか見守っていて欲しい。 これを読んでくれた人がいたら、どうか平穏無事な1週間を過ごしてもらいたい。
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growvegetables · 2 months
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家族で楽しむ無農薬・無肥料野菜の育て方①
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無農薬・無肥料栽培の基礎知識
無農薬・無肥料栽培の基礎知識について学ぶことで、あなたも地球にやさしい持続可能な食生活を実現する一歩を踏み出せます。自然と共生しながら、美味しく健康的な野菜を育てる方法を探求することは、私たちの生活に深い豊かさをもたらします。この記事では、化学薬品を使わずに健康な土を作り、野菜を栽培する技術について詳しく解説します。読者の皆様が自宅で安心して野菜を育てられるよう、簡単で効果的なテクニックを分かりやすくご紹介します。自然に優しい家庭菜園で、健康と環境保護の両立を目指しましょう。
無農薬・無肥料栽培の定義とメリット
定義 無農薬・無肥料栽培は、農産物の生育過程で合成農薬や化学肥料を使用せず、自然の生態系を活かして植物を栽培する手法です。有機物の利用や生態系のバランスを重視し、持続可能な農業の一環となっています。
メリット
健康への影響 農薬や化学肥料の不使用により、農産物には有害残留物が少なく、安全な食品として消費者に提供されます。特に子供や妊娠中の女性にとって、安心して摂取できる食材の確保が可能です。
環境への貢献 無農薬・無肥料栽培は、土壌や水質汚染のリスクを軽減し、生態系への負荷を最小限に抑えます。自然な生態系を尊重しながら、環境に優しい農業を実践することが可能です。
味と栄養の向上 植物が自然なペースで成長するため、土地の特性や気候に適応した強い植物が生まれます。これが、農産物の風味や栄養価を向上させ、より美味しく栄養豊富な食品を提供します。
経済的側面 生産コストが低減されるため、無農薬・無肥料栽培は生産者にとって経済的なメリットがあります。また、消費者が品質にこだわる傾向があり、地元産の高品質な農産物は市場で競争力を持ちます。
無農薬・無肥料栽培は、食品安全性、環境保護、経済的側面で多くの利点があります。これらのメリットを理解し、食品選択において環境への配慮と健康を重視することが、よりサステナブルな未来への一歩となります。
適切な作物選びと種類
選び抜いた作物とその特徴 無農薬・無肥料栽培においては、適切な作物の選択が重要です。選んだ作物がその土地や気候に合ったものであれば、栽培の成功が期待できます。
地域と気候に合わせた選択 まず、地域の気候や季節を考慮して適した作物を選びましょう。例えば、暑い地域ではトマトやナスが適していますが、寒冷地域ではキャベツやほうれん草が育ちやすいです。
土壌の条件を確認 作物の生育には土壌の状態も重要です。土壌のPHや栄養素のバランスを確認し、特定の作物に適した土壌条件を整えることが必要です。
生育期間や収穫のタイミング 各作物には異なる生育期間や収穫のタイミングがあります。これを理解し、計画的に植え付けていくことで、一年中新鮮な農産物を収穫できます。
互助共生の考え方 無農薬・無肥料栽培では、異なる作物同士が互いに助け合う互助共生の考え方が重要です。例えば、窒素を固定する豆類と、それを利用するトマトを同じ畑に植えることで、土壌の健康を維持できます。
適した品種の選定 耐病性や適応力が高い品種を選ぶこともポイントです。これにより、農薬不使用の環境でも作物が健康に成長し、高い収穫量を期待できます。
適切な作物選びは、無農薬・無肥料栽培の成功の鍵です。植物と地域の相性を考え、互いに補完しあう関係を築くことで、持続可能な農業が実現します。これらのポイントを押さえ、自分の環境に合った作物の栽培に挑戦してみましょう。
自然な害虫駆除法と病気予防
生態系のバランスを尊重 自然な害虫駆除法では、益虫として知られる生態系の一翼を担う生物を活用します。ハチやカブトムシなどを積極的に利用し、害虫の天敵として生態系のバランスを維持します。
適切な植物の配置 植物の配置に工夫を凝らすことで、害虫の発生を抑えることができます。香りの強いハーブや花を適切に配置することで、害虫の寄せ付けを防ぎ、健康な植物を育てることが可能です。
有機質の堆肥と土壌改良 健康な土壌は植物の自然な抵抗力を向上させます。有機質の堆肥を使って土壌を栄養豊かにし、微生物の活性を高めることで、植物が病気や害虫に対してより強くなります。
天然の忌避剤の活用 天然の忌避剤やエッセンシャルオイルを活用することも効果的です。にんにくや唐辛子のエキスなどを散布することで、害虫を寄せつけず、植物を守ります。
定期的な観察と手入れ 植物を定期的に観察し、早期に害虫や病気の兆候を発見することが重要です。手入れを怠らず、枯れた葉や枝を適切に取り除くことで、病気の予防につながります。
これらの方法を組み合わせることで、環境に優しく、健康な植物を育てることができます。自然な害虫駆除と病気予防は、持続可能な農業において重要な要素となります。
土の健康維持と有機物の利用
土壌の健康維持の重要性 土壌は植物の生育にとって不可欠な役割を果たします。そのため、土壌の健康を維持することは、良い収穫を得るために必要不可欠です。健康な土壌は植物に栄養を供給し、水を保持する役割を果たします。
有機物の重要性と効果的な利用 有機物は土壌の健康を促進する重要な要素です。堆肥や腐葉土を使って有機物を供給することで、土壌の保水力が向上し、微生物活動が活発化します。これにより、植物が必要な栄養分をより効果的に吸収できます。
適切な有機物の選定 有機物の種類には様々なものがありますが、適切なものを選ぶことが重要です。堆肥には家庭の生ごみや落ち葉を利用し、化学的な処理を加えないように心がけましょう。自然な有機物の利用が土壌に優しい影響を与えます。
有機物の均一な散布 有機物は均一に土壌に散布されるように心がけましょう。これにより、栄養分や微生物が均等に分布し、土壌全体の健康を促進します。不均等な施肥は根の成長や植物のバランスに悪影響を与える可能性があります。
規則的な土壌の調査と保守 定期的な土壌の調査を行い、必要な栄養素のバランスを確認しましょう。また、土壌の保守として、不要な雑草の取り除きや土壌の通気性の確保なども怠らないようにしましょう。これにより、土壌の健康を持続的に維持することが可能です。
土の健康維持と有機物の効果的な利用は、持続可能な農業を実践する上で欠かせない要素です。適切な管理と丁寧なケアにより、豊かな土壌を築き上げ、美味しい農産物を実現しましょう。
まとめ
この記事を通じて、無農薬・無肥料栽培の基礎知識を深め、自然と調和する家庭菜園を実現する方法を学ぶことができました。化学薬品に頼らずに健康な野菜を育てることは、私たちの生活に新しい意味をもたらすだけでなく、地球環境にも優しい選択です。今回ご紹介したテクニックを活用して、あなたの家庭菜園を豊かで持続可能なものにすることができます。自然との共生を通じて、より健康で環境に配慮した生活を目指しましょう。
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manganjiiji · 3 months
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砂雨(すなさめ)
今日はもう朝から大変だった。大変だったのは私だけで世界のほうは特に何も変わっていない。なんのきっかけもなく、希死念慮を伴ううつ状態が始まった。ご飯を食べてもう少し寝ようと思いベッドで座って休んでいた時に、来た。あーあ。という感じがいつもある。そのあと寝て、起きて、自分だけが見るTwitterに書き込んで、寝て、起きて、18:45に起きた時に、なんとなくうつは抜けていた。それでもなかなか元気はつらつにはなれず、とにかく身体がきついなあという感じだった。寒くて寒くて風呂に入った。頭も体も洗わずとにかく湯船にだけ入った。こういう自分の体の自由な運用ができるのはいいなと思う。風呂から出てやや回復し、『現代思想入門』の2章目(ドゥルーズ)を読み、1章で出てきたデリダの入門書などを3冊(たぶん)注文した。金を大切にしろ、湯水のように使わずにとっておけ(貯金があるだけでも心の均衡が保てるのだから)、と友人にきつく言われたばかりにもかかわらず、うつ状態やそれに準じる状態のときって、本当に何もかもがどうでもよくなってしまう。100分de名著『フェミニズム』の上間陽子さんのところを読んだ(著書がたまたまTLで流れてきたため)。大学で教えながら、沖縄で10〜20代の妊娠した女性のシェルターを運営している方だ。ハーマンの『心的外傷と回復』についてを、「おにわ」(シェルターの名前、おきなわの、にんしんしたおんなのこを、わになってまもる)での支援やケアの実際と照らし合わせながら紹介していた。『フェミニズム』というこのテーマにそこまで沿っているとはあまり思えなかったが、この本にこの話が入っていてよかったと思った。人は深い傷つきから立ち直ろうとする時、というような事を、『現代思想入門』のドゥルーズのところでも書かれていて(ドゥルーズは精神分析批判をしていたため)、千葉雅也がいい感じに現代のケアや自立はどうなされるべきかを調整して補論していたので、千葉雅也、やるじゃん。と思った。私は基本的に千葉雅也が嫌いである。見た目が嫌いなのである。化粧が合ってない、ただケバいだけで、私の美意識と合わない。ギャル男ファッションをするにはとにかく顔が合っていない、本当に千葉雅也の見た目は耐え難い。人の容姿を嫌うのは良くないことだと思うが、千葉雅也に関しては、あれはもちろんそこまで考えた上で「あえて」��っているのであって、千葉雅也の狙った通りの反応を引き出されている私などを見ると千葉雅也は「ほらね」という感じだと思う。とにかく気持ち悪い。かなり前のことだが、千葉雅也はなぜこんな何も分かっていないような、放ったらかして置いてあげた方がいいくらいの知性の人まで引用RTして吊るしあげるんだろう、みたいなことを呟いたら、おそらく名前でエゴサしているのであろう、リプライが来て「これが僕の芸風なので」みたいなことを言われた。芸風か、お前芸人だったのか。全然おもんないけどな。と思ったが、はあ、そうですか。という感じだった。まあ、それが彼のやり方なら仕方ない。私はただ、自分という巨象にたいして足元でぴょんぴょん跳ねるアマガエルみたいな存在に悪口を言われたからって、そんな全力で踏み潰しにかかることはないだろう、と今でも思っているが、哲学者としては、相手が誰であろうと譲れない主張には全て反論するのだろう。単純に、弱いものいじめとか、嫌な奴。と思ったが、哲学者としては、そうではない理路があるのだろう。まあ、千葉雅也のツイートに、相手が哲学者の千葉雅也だと思ってつっかかってくる奴は相手にすればいいだろうが、その辺の変なおっさんだと思って大した覚悟もなしに反射で悪口を言う地方の中学生程度の知性の人間にえんえんと絡み続ける「芸風」、私は合わないなと思っている。あれから千葉雅也のTwitterは見ていないが(その時もRTか何かでたまたま流れてきた)、相変わらずそういうことをしているのだろうか。Twitterをする上で私が決めていることは、アイコンに「気持ち悪さ」を感じるアカウントには近づかないこと。言及もしないこと。なぜかアイコンの気持ち悪さは私にとって警鐘となる。千葉雅也はギャル男ファッション(※ギャル男ファッションの研究者なのである)の自分の写真をアイコンにしているので、私にとって危険な存在である。
一次創作の資料まとめとあらすじ立てやスケジュールを決めたかったのだがその気力はなかった。気力がないので爪を塗った。他にも本を読もうかなと思ったが、もう今日はこれ以上頭に入らないので無理だった。アウトプットにもインプットにも限界がある。体がついてこれていないのだ。おそらく気温差だと思う。日照時間が落ちていることもそれなりに打撃だ。活動がどんどんできなくなっていく。運動をしたいが、とても動けない、という日が多い。この生活を変えたい、と思うが、どうにも難しい。疲れている。今日はあんスタ日記も博文館も書かずに布団に入ってしまった。座っていることさえできない、という限界状態が最近多い。その度に寝て回復しているが、生活のほとんどが睡眠になっている。その合間に食事。太ることはあっても痩せることはない生活態度。痩せたいとは思っても、痩せるための体力さえ失った状態なので、何をどうすればいいのかわからない。
2024.1.16
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。��を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発��して満足する。阿部の作品や���考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦���ら文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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pathofgardens · 4 months
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(セルフ)ケアのことを恋人と話していた
「セルフケアって、何やるの?」と聞かれて、「湯船に浸かったり、化粧水塗ったり、健康なものを意識的に食べたり、はやく寝たり、ヨガしたり、からだをマッサージしたり……」と答えたんだけど、ぴんと来なかったみたい たしかにそれって、再生産労働だし、ただただ生活していてもできることではある
「しないわけではないけど、するには面倒なこと」を「ちゃんとやる」のとは、どこが違うの?という反応だった 自分にストレスかかっているか判断できないほど非-客観的ではないと思うんだけど、と
それで、わたしはなにを「ケア」と呼んでいるのだろう?と思ったのよね
音楽を恋人のとなりで一緒に聴きながら、ふとひらめいた
「ケアって、ものいわぬものへの応答じゃないか?」
たぶんこれだ!!!!!!直観がそう言ってた(ケア論やってたのに、ケアの定義すらしてない/覚えてないのもあれでしたね)
げんきが出ないときに踊れる音楽を聴くとか、ふらふらはしないけど体調が悪かったら無理せずに仕事を休むとか、気分を切り替えたいときにいい匂いのせっけんで身体を洗うとか、身体が凝ってる感じがしたらヨガをするとか、そういうことをわたしは「ケア」だと思ってそう呼んでいるのね
それは、「いまの自身の状態をみてみる、把握しようと努める」こと、そしてさらに「自分が心地よくなるために、どれが効果があるかはわからないけど、あれこれいろんな手段をためしながら使ってみる」ということなんだよね
なんとなくそれって、「赤ちゃんが泣いてるのを、どうにかこうにかして泣き止んでもらう」みたいなのと近い感じがする 明確に言葉で「これが不足している、必要なのでこうしてくれ」とかではないんだけど、「泣く」みたいなサインがあって、それに応えて、「ミルクかな、おむつかな、だっこかな」といろいろやってみるという こうすれば解決する、という一対一の対応関係ではなく、その場で反応を見ながらやってみて、慣れてきたらこの感じはこれかな?ができるようになるような…… 「泣く」というサインが、「ニーズがある」ことだけを示していて、それを探るところからはじめなくてはいけず、解決方法やアプローチもたくさんある そんな感じ
何を言いたいか、何が必要なのか、明確にはわからないけれど、それでもそれに応えて、あれやこれやと、何かをしてみること
そのことが必要なのだと思うし、わたしは「ケア」と呼びたいと思う それは簡単なことでも、すぐにできることでもないんだけど、だからこそ大事にしたい
言葉ではなく、「なんとなく感情が平坦、あるいは過敏」とか、「肩が凝っている」とか「手足が冷えてる」とか、そういうサインしかないとき、それに対して「お気に入りの音楽を聴こう」とか「あったかいお風呂にはいろう、銭湯に行こうかな」とか、何かをおこなうことじゃないかなあって思う
肌が荒れたら、化粧水を塗ろうとか、お菓子を食べるのを控えようとか、コーヒーじゃなくてカフェインのない飲み物にしようとか…… そうやって、生成的な応答、試行錯誤を、わたしは「ケア」と呼んでいるんだと思う
正解がないことに耐え、それでも応えることをやめないこと
なにか違和感があることに気づき、それをほったらかさないこと
じぶんが満ち足りているか、必要なものは充足しているか、何かによって阻害されたり損なわれたりしていないか、確認すること
ものいわぬものへの応答がケアなのではないか、と思ったのよ
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
【2】
ニ 五月 米屋陽介(と出水公平)
 そして、入学式が始まる前の教室である。クラス分けの発表があったばかりだ。
 期待と緊張が入り交じり、ざわめく教室の中で三輪は誰にも声をかけられずにいた。そもそも誰がボーダーかもわからない。提携校なのだから石を投げれば当たるほどいると聞いていたが、皆が皆違うように思えた。本部で会っている者もいるはずだが、人の顔を覚えるのも三輪の苦手な分野だった。
 クラスの中でボーダー隊員であるとわかっているのは、一人だけだ。
 入学式当日に、すでに友人らしき人物と楽しげに話している陽キャを見つめた。
 出水公平である。
 三輪にとって彼は、太刀川隊の天才シューターである。ボーダー隊員のなかでもずば抜けたセンスと圧倒的なトリオン量を誇る。合成弾の開発者でもある。これにより、東隊のA級一位の立場も最後のシーズンにはひっくり返された。悔しい。その後、先輩二宮が頭を下げて教えを請うた人物だ。
 それだけではない。人なつこく明るい性格で、コミュニケーション能力が高い。
 こういう人物が隊長向きではないだろうか。三輪は我が身を省みた。月見の指摘が思い返される。
 出水の横にいる友人とおぼしき人物は、入学式というのにカチューシャで長い前髪をあげていて、やはりコミュ強者という風格だった。
 米屋陽介である。
「出水、��ビビってんの?」
 米屋陽介がちらりと三輪に視線をやった。
「しぃぃっ、視線あわすと噛みつかれるぞ」
「なにそれ」
 一方の出水は三輪の強い視線を受けて、内心戦慄していた。
 彼にとっての三輪は、東隊の狂犬アタッカーである。最近は銃も使う。その鉛弾が叩き込まれると厄介だ。容赦はない。弧月でぶった切られるときの鋭い目つきに明確な殺意を感じる。格上にも平気で挑み、勝てば当然といいたげな涼しい顔、負ければギリギリと歯ぎしりしそうな様子で悔しがっている。よく太刀川に噛みついている。迅、嵐山と誰もが好感しかいだかないであろう人物にも恐ろしいほどに攻撃的だ。何、怖い、この子。
 なんでそこまでと思うが、誰も気にしていないので、出水も空気を読んでそっとしておくことにしていた。そういえば、同い年だったなという認識だ。同じクラスになったのか。
「めっちゃ、お前のこと見てんじゃん。あいつ、知ってる。解散した東隊だった奴だろ」
 米屋とはボーダー本部のブースで知り合った。目が合うなり、いきなり個人戦に挑まれたが、それからよくつるんでいる。ノリが合うのだ。入隊は最近らしいが個人戦を重ねてあっという間にB級にあがった。とはいえ、上昇志向とは無縁で単に戦うのが好きという戦闘狂だ。米屋は無理やり思い出すようにこめかみに指を当てた。
「…確か隊員を募集してたな」
 知らなかった���
「へえ、あいつも隊を作んのか」
「『も』?」
「ああ」
 三輪は狂犬だったが、優秀な猟師にしつけられた猟犬でもあった。指揮官が描いた盤面を猟犬たちが静かに展開し、敵を次々と屠っていく様は見事なものだった。彼らの追い詰める獲物とは自分たちのことであったが、毎回、テキストをすすめるように替わる戦術と戦局を楽しみにしていたのだ。
 二宮、加古に続き、三輪までも隊を立ち上げようと動いている。
「これは面白いぜ、きっと」
「あ」
 本部である。
 三輪は現在隊に所属していないので、防衛は混成チームに参加して当たっている。誰かスカウトできないか目を光らせておけと優秀オペレーターの厳命に従い、なるべく参加しているが、彼と一緒になったのは初めてであった。
「米屋」
 カチューシャの彼はニヤリと笑った。同じクラスで、出水の友達だ。クラスの中でもとてもニュートラルな人間である。というのが、人間観察術を身につけようと努力する三輪の見立てである。誰に対しても偏見がない。無愛想で距離を置かれがちな三輪にも気軽に接してくれる人物でもある。
「米屋はボーダーだったのか」
「なんだよ。知らなかったのかよ」
 みんな知ってるぜと米屋はあきれた顔をした。
 すでに五月も中旬である。クラスでのスカウト活動は進展していない。積極的でないのもある。この一ヶ月近くは、月見に戦術をスパルタでたたき込まれている。人間観察はその修行の一端だ。鉈でざくざくと自信が削りとられていくような厳しさに、すでに三輪のライフはゼロに近い。目の下には隈が出来ている。いまだに隊員の応募もない。
 米屋はネイバーの口元にある急所にスコーピオンを叩き込んだ。
「いっちょ、あがりっと」
 軽口だがやっていることはすごい。
 防衛任務を共にこなして、三輪は米屋の強さに驚いている。二人一組で哨戒に当たっているところに門が開いたのだ。
 強い。トリオン量が少ないと言っていたが、それを補う高い技量を持っている。スコーピオンの使い方も独特で彼のセンスを伺わせた。これほど強いのなら、どんどん結成されている新しい隊に声をかけられているのではないだろうか。
 その疑問を口にすると、米屋は直接答えず、逆に問うた。
「うーん、三輪はさあ、どうしてボーダーになったんだよ」
 ボーダーではよく聞かれる質問だ。
 三輪の答えによどみはない。誰にどんな場面で聞かれても、こう答えてきた。
「近界民に殺された姉さんの仇をとりたいんだ」
「へえ」
 米屋は片眉をあげて三輪を見た。珍獣に出くわした表情だ。それもそうだろう。ボーダーに志願する者で近界民侵攻の遺族は不思議なほど少ない。逆にアンチ・ボーダーに傾く者が多かった。いまやボーダーは街を守る存在として憧れの存在だ。失ったものが多い人間には眩しすぎるのかもしれなかった。
 米屋はシンプルな感想を口にした。
「しんどくね?」
「わかってる」
 三輪は何の感慨もなく、うなづいた。よくわかっている。
「近界民をこの世から抹殺する。それが俺の目標だ」
 そのために強くなりたい、こう言うと、大抵の隊員はひきつった顔をする。憧れの隊員は誰? 好きなランク戦動画は?などという話の流れを一気に破壊する迷惑な代物であることはわかっている。だから、三輪は必要以上に隊員と交わらない。現在、隊員を募集するうえでそれが裏目に出ているわけだ。
 しかし、米屋はひるまなかった。かわりに、ははっと笑った。
「おっも」
「ああ」
「三輪って真面目そうって思ってたけど、ほんと重いのな、いつも? いつもそうなの?」
「ああ。うん、いや」
 三輪は首をひねって口ごもった。改めて聞かれると少し違う。
「なんだよ」
「いつもってわけじゃない…かもしれない。それじゃ、勝てないから」
 冷徹な戦局に復讐心は不似合いだ。邪魔になる場面は何度もあった。
「普通に強くないと勝てない…かな」
「普通ってなんだよ」
「普通は普通だ。…米屋はどうなんだ? ボーダーに入った理由。お前、強いじゃないか」
「俺?」
んん、と唸って、米屋は顎をグーでこすった。
「俺は楽しければそれでいいかな。強い奴と戦えればそれで」
「近界民でもか?」
「近界民でもさ」
 これ普通ってこと?と米屋が笑った。
「そうか」
 しばらく沈黙が落ちる。
「ふざけてるって、怒んねえの」
「お前が普通だって言うなら普通だ。そうだな、お前が、俺が重いって怒ったら怒ることにする」
「まあ、俺は楽しければ何でもいいからな」
「……前を向けって言われるのが一番こたえる」
 侵攻で生き残った者に対するケアを専門にするカウンセラーには何度も言われたことだ。前をむきなさい。このままだと悲しみに殺されるよ。それがお姉さんののぞむこと? 復讐なんて考えないで。
「しんどくね?」
 米屋はもう一度言った。
 そこに、
『門が開きました』
 このタイミングで、本部オペレーターからの指示が飛ぶ。
「んじゃ、『抹殺』しに行きますか?」
「そうだな」
 応えると、唐突に米屋が話を変えた。
「俺、応募してもいいぜ」
「は?」
「お前の隊に。募集してんだろ。本部で見たぜ」
「本当か」
 どうしてこういう流れになったかわからない
「嘘言ってどうするよ」
 三輪は弧月を抜いた。ぶうんと不吉な音をたてて、白い大きな怪物が現れる。
「詳しい話はこいつらを片付けてからだ」
「マジ? 三輪んとこ入るの?」
 本部のロビーである。
 月見との顔合わせで、米屋と待っているところを出水に声をかけられた。
「お、おお、そうなんだ。米屋をよろしく頼むぜ」
 三輪を向いて、手をあげる出水は少々テンパっている。米屋はひひひと笑った。
「こいつ、三輪が怖いからビビってんだぜ」
「おま、ここでそれを言う?」
 三輪は瞠目した。知らなかった。
「あー、何度もぶった切られてるからさ」
「…それは悪かったな。でも、俺は出水のほうが怖いと思う」
「な、なんで」
「強いから」
 思わぬタイミングでやってくる圧倒的な光の束を目の前にした絶望感がどれほどのものか出水は知らないのか。
 出水はびっくりした顔をしたあと、にへへと顔を崩した。
「早くA級にあがってこいよ」
 もちろんだと請け負う。
「すぐに追いついて、太刀川隊をボコボコにするつもりだ」
「三輪、おもしれえ」
「いやいや、三輪、これ本気でしょ」
「もちろん、本気だ」
 冗談でいうことではない。東隊最後のランク戦の恨みも忘れていない。
 出水は気が抜けてため息をついた。
「やっぱ、怖いわ」
【3】に続く
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nyantria · 9 months
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 中村氏は新型コロナのさまざまな問題点について、1時間40分ほど語った。21年6月24日の「新型コロナワクチンの接種中止を求める嘆願書」提出以来の自身の活動について「当時は風当たりが強かった」と振り返った。読売新聞の連載『虚実のはざま』やNHKの番組『フェイク・バスターズ』などで自身の言説が「デマ」とされたことに触れ、「今は違う。多くの人が少しずつ気づき始めている。これから多分、もっと研究されていくだろう」と展望した。
 主催が宗教団体であることについて「初めて。皆さんにお伝えしたいことがあった。マスクや社会的距離の確保に対して、宗教家の人に立ち上がってほしかった」と吐露した。「旧約聖書では病気イコール汚れと捉え、病人は隔離すべき対象だった。新約聖書では病人も神の愛に生きている人と解釈した。これは宗教家として理想の姿」と評じた。
 しかし、「オンライン礼拝」や「洗礼水鉄砲」などの奇行が実施されていたことを紹介し、「公衆衛生上の対策に宗教界の権威が一方的な考えを表明することは信者に大きな影響及ぼす」と警告。ローマ法王が「コロナワクチンは道徳上の義務」と宣告したことや、ロシア正教会も「ワクチンを打たないことは罪」と発言したことを問題視。ただし、「ワクチンは悪魔」との観念が根強く、接種率は低いまま。「信徒は偉かった」とたたえた。
 「病気の流行とプロテスタントの発生は密接な関係がある」と切り出し、「14世紀にペスト(黒死病)が猛威を振るった欧州では、人口の3分の1が亡くなった。マルティン・ルターは避難を拒否し、街の病人や教会員のケアに奔走した。プロテスタントにもこうあってほしい」と希望した。
 12~17歳のアフリカ系米国人の40%以上が未接種であることを伝える記事を示し、「黒人は秘密裏に梅毒の人体実験をさせられた苦い経験もあり、だまされにくいのだろう」と分析した。お寺や教会をワクチンの接種会場に使わせた例を挙げながら首をかしげ、「奈良の大仏は祈りで病気を退散させるため、国家事業として造った。祇園祭は病気払いの祭り。コロナで中止したのは本末転倒」と嘆いた。
 「オンライン法要」の写真を映すと、会場からどっと笑いが起こる。ダライ・ラマが「ワクチンを打て」とチベット仏教徒に促したことを取り上げ、「こうして政治の片棒を担いでいる。本性が透けて見える」と指弾した。
 イスラム教については、大事な金曜礼拝やメッカへの巡礼「ハッジ」を禁止しながらも、イラクやイラン、サウジアラビア、パレスチナ、マレーシアなどでは接種率が低かったことを挙げ、「比較的頑張った」と評価。一方で、イスラム教徒が体に入れてもよいとするハラル認証を「味の素」が受けながら、豚から抽出した酵素を使用していたことが発覚して問題になった「味の素事件」のように、「コロナワクチンがハラルかハラム(摂取してはいけないもの)かの考察があったのか」と問い掛けた。
 ワクチンの権威、ポール・オフィット博士は「ワクチンには中絶時の細胞が含まれている」と明言していることを紹介。「中絶を禁止しているカトリック教会のトップがワクチンを推進していることを問題視しなくていいのか」と提起した。コロナワクチンでも、ジョンソン・エンド・ジョンソンやファイザー社、モデルナ社が中絶した胎児細胞を入れているとするナショナル・ジオグラフィックの記事を示した。
 天台宗は信徒向けの教化紙に「通常ならば使用可能になるまで何十年もかかるワクチンが1年足らずで使用できるようになったことに不安を覚えるのは無理もない」といぶかりながらも、「コロナ禍収束のためには1人でも多くの方の接種が望ましいのではないか」とつづり、接種を促していることを紹介。
 浄土真宗本願寺派は信徒向けの新聞で、「危険性と予防効果を考えて、打つかどうかを個人でも判断する必要があります」と自己判断を促す。
 大本教は、薬剤師でもある出口紅(くれない)教主が「長期の影響への不安が拭えない」と懸念を示し、「正しい食事と適度な運動、十分な睡眠、土、松、梅干しや梅肉エキスの力で免疫力を高めつつ、神に真剣に祈ることが大切」と教示している。中村氏は「正しい。宗教家はこうあるべき」と絶賛した。
 幸福の科学は、故大川隆法総裁が「法話、書籍、楽曲、祈願などにはウイルスを撃墜する力がある」と法話で説き、「コロナワクチンは当てにならない」「信仰心を持つことで免疫力を高め、コロナを乗り越える重要性は増すばかり」と締めくくっている。「正しい。こうあるべき。これが宗教の意義」と中村氏はたたえながらも、「ただし、大川氏は亡くなった。打っていないと思うが、タイミングや『急死』というのは怪しい」と疑問視した。
 この後中村氏は、接種すればするほど新型コロナにかかりやすくなっていることや、マスクに何ら感染予防効果がなく、心身共に弊害をもたらし、服従の印でしかないことを膨大な資料を基に、実証的に説明。大きな拍手を浴びた。
中村医師がチャペルで講演、「(コロナ下で)宗教家たちに立ち上がってほしかった」 2023/07/17
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kennak · 4 months
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視覚障害者の女性を狙う性加害の卑劣な手口や被害の実態が近年、障害者団体の調査などで分かってきた。加害者は相手の目が見えにくいことにつけ込み、盗撮や痴漢、つきまといなどを行うケースが多い。こうした被害を防いだり、被害に遭った人をケアしたりする取り組みも広まりつつある。(坂戸奎太) 7割が被害  関東在住の全盲女性(30歳代)は、一人暮らしだった2017年頃、知らない男に自宅の合鍵を作られ、部屋に盗撮カメラを仕掛けられた。部屋を訪ねてきた母親が気づき、警察に通報。男は20年に逮捕され、「目が見えないのでばれないと思った」と供述した。  男は女性の 白杖(はくじょう) に目をつけて尾行し、自宅を割り出したとみられる。女性は「犯人が捕まるまでは知人を疑ってしまった。白杖を使うのが不安になった」と明かす。  女性が入会する支援団体「日本視覚障がい者美容協会」(埼玉県)は、この事件などを機に、視覚障害者の女性に性被害のアンケートを21年に実施。68人が回答し、7割の48人が「障害に乗じたと考えられる状況で被害に遭った」とした。  場所(複数回答)は電車内(30人)や街中(27人)、被害内容(複数回答)は、同意のないボディータッチ(32人)、痴漢(27人)、つきまとい(23人)が目立った。  先天性の弱視で白杖を使う20歳代の女性は、通勤途中の駅で男に声をかけられ、手を握られたり、背中を触られたりし、つきまとわれる被害が約2週間続いた。同僚に付き添ってもらい、収まったが「本当に怖かった」と振り返る。  協会は「視覚障害者は白杖を使うなどし、目立ちやすい。性加害を 企(たくら) む人物から『自分の姿が見えない相手だし大丈夫』と標的にされがちだ」と分析する。  アンケートでは「誘導の際、手をつながれた」との声も多かった。協会は正しい誘導法を啓発する冊子を作成した。「相手に触らず、自分の腕をつかませることが誘導の基本。不自然な誘導を見かけたら『お困りですか』『私も手伝います』などと声をかけて助けてあげて」と呼びかける。 鉄道での放送取りやめ  鉄道では従来、視覚障害者や車いすの利用者らの乗降を駅員がサポートするため「○両目お客様乗車中」などと駅のホームで放送するケースがあった。  だが、障害者団体でつくる「DPI日本会議」(東京)の21年の調査で、放送を聞いた乗客に自身の存在を知られ、痴漢やつきまといなどの性的嫌がらせを受けたとの相談を障害者団体に寄せた人が30人以上いるとわかった。大半は女性だった。  同会議は国土交通省に改善を要望。同省は21年、別の方法で情報伝達するよう鉄道各社に要請した。各社は関係者以外にはわからない方法への変更を進める。関西のある鉄道は、駅員らが旗を振って合図する形に変えた。  社会福祉法人「日本視覚障害者団体連合」(東京)は昨春、視覚障害者の女性の性被害に関する全国初の相談窓口事業を開始した。これまでに計4回実施。法人の幹部や臨床心理士らが電話や対面で、相談者の話にじっと耳を傾ける。  「学生時代の被害が今でもフラッシュバックする。区切りをつけたい」  ある女性が寄せた相談は30~40年前の性被害だった。法人は、この女性が別の性被害の当事者とつながりを持つための仲介など、支援を続けている。  相談件数はまだ少ないが、法人女性協議会会長の阿部 央美(てるみ) さん(66)は「窓口の存在を知らない人も多いはず。周知を進めて悩む人を支えたい」と語る。次回の相談対応は3月に行う予定だ。
「白杖」狙い尾行・合鍵作り盗撮カメラ、誘導時につきまといも…視覚障害者狙う性加害明らかに | ヨミドクター(読売新聞)
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elmatadorguapo-lab · 8 months
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I treat my body and mind with love and respect.
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Photo by Mariah Hewines on Unsplash
思えば、自分の満たし方をあまり考えてこなかったなぁ。人のことを羨むばかりで、「自分にできること」に目を向けられなかった。そのせいか、ここ2、3年ほど調子があまり良くなかったんだよね。
ヒントになったのが、ボランティア活動での心構え。
「余裕がなければ、まず自分の生活を優先させる」
心の問題もそうかもしれないな。何をすれば、自分の心と身体が満たされるのだろう…。
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Photo by Will Truettner on Unsplash
いろいろ試してみた。最近の my energy booster はこちら。
・朝・晩のヨガ(20〜30分、じっくりと身体を伸ばす)
・瞑想(morning affirmation を唱えることも)
・朝・晩の5分読書
・1時間以上の workout(筋トレ、ピラティス、cardio など)
・ジョギングかウォーキング(短時間でもOK!)
・自炊する(忙しくても簡単メニューで)
・自分のために学ぶ(英語は趣味と実益を兼ねてるしね)
・入浴と入念なボディケア
・その日の気分に合わせたメイクアップ
ここに挙げたものは、「やればやるほど、力がみなぎってくるもの」「目に見えないものの、着実に自分自身の力となるもの」ばかり。
つまり、「他人にはわからなくても、自分自身で満足できればそれでいいや!」という今の気分がよーくわかるね。
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Photo by Jannis Brandt on Unsplash
自炊なんて、めんどくさくて嫌いだったのよ。それが、自分のために材料を選んで調理して、自分をもてなすように器や配膳を考える作業が、どうも「癒し」になっているような気がしてならない。
ボディケアやメイクアップも同じ。人から褒められることよりも、自分の気分が上がるからやってるだけ。やればやるほど、自分に手をかけてあげているようで癒される。
幼い頃は、親が手をかけて私のためにやってくれていたんだよなぁ。大切にされている気がして、嬉しかった。
それを、今は自分でやっているわけ。昔を思い出して、胸がいっぱいになる。ゆとりができて、人にも優しくなれているのが不思議。
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Photo by Bilal Mansuri on Unsplash
この2、3年の間は、他力本願な姿勢で接することが多くて、離れていった人もいた。今なら、彼らの気持ちがわかる。
I find balance between giving and receiving.
満たされるようになってから、不思議と他人が気にならなくなった。他人に寛容になれたし、尊重できるようにもなった。
結果、毎日ワクワクするし楽しい!
ケアすること、ケアされること、ケアしてあげることって、幸せの縮図に違いない!と思う、今日この頃です。
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crispy-moratta · 8 months
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お盆にとてもしんどい出来事があって、それを皮切りにして実家にいる時間がいたたまれなくなった。いろんなベクトルの、それぞれに悪意はないであろうが人間の傲慢さや自尊心に振り回されて、どうすれば良かったのか。今思えばあのとき、わたしにはどうすることもできなかったとという吹っ切れはあるものの、それらの起こるきっかけをつくってしまった当事者として、わたしなりにその時にいた人たちのケアにいそしみ、かなり自責の念にかられて、自分の守りたい生活のペースや気持ちがかなり乱されてしまい、つまるところの大バッドを展開して、完全に塞ぎ込んでしまった。そんな心持ちでは仕事が捗るわけもなく、ひとつの詰まりがわたしの諸々を渋滞させてがんじがらめにして、ほんまにしんどい、しんどすぎる、、。しかしそれらの諸悪を起こした相手に対して、わたしがそれを咎めることで、その相手方の周辺にも不和を起こしてしまうことは良しとできず、自分の気持ちに蓋をした結果、わたしの容器はすっかり腐ってしまった。お盆は、そこから早く気持ちを切り替えないとと思い、予定よりはやく帰省から切り上げることを考え、準備をするもタイミングが悪く、台風の影響、わたしは実家に留まることを余儀なくされ不本意に2日間も滞在を伸ばし、正直自分の気持ちを観察するのもしんどい、連日の寝不足は新幹線の見合わせや仕事の忙しさからくるものではなく、ひたすらわたしの抱えた容器に悩まされて、以降わたしはただ眠ることでしか、自分の気持ちを守る術がなく、なんだがんだでおおよそ8月いっぱい引きずってきている。二三日ほど前からそれがようやく沸々と怒りのようなものに変換され、わたしは自分の掲げるやさしさに吹っ切れて、まじで最低〜とその相手方に思える次第になってきたが、他方相手方はお酒の失態、終わったことに対しては存外あっけらかんとしていそうな様子であり、それを垣間見ると、また情けないというか大人気ない感じであるが、わたしも今になって掘り返しても感があり、もうこれに関しては何も言わないが、ひとことだけ書き残してもよいとすれば、「もうほんまにキライです。」 しかしここまで抱え込んだことにより、結果として二次被害というものを出さずに済んだのだと思うと、わたしが人の傲慢さや奸計にひとり病まれるというのもある意味、処世術といえばそうなのかもしれない。というふうに思えるくらいにはわたしの心持ちは回復の傾向にあり、否、本当に最低やったな〜と。でもこれを持ってこの件は水に流し、わたしの気持ちの清算も終了だが、わたしは断じてもう彼とはこれっきりである。
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shredderwastesnow · 9 months
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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