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shredderwastesnow · 3 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合��ていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに���した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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shredderwastesnow · 4 months
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2023年、会社を辞めてからのあれこれ
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7月末に会社を辞めて、5ヶ月が経過した。 8月末からハワイに1ヶ月留学し、9月に帰国。10月からは大学の通信で学芸員課程の勉強を始め、現在に至る。 4単位分の課題とテストは終わり、2単位分は課題を出してテスト日程を調整中。今はさらなる2単位分の課題をやっている。来年の6月までに20単位を取って、7月に実習(3単位分)をクリアできれば、9月には晴れて課程修了となる。その先の転職活動がどうなるのか全く予想がつかないが、とりあえず今は単位取得の心配をする時間……と思うことにする。
勉強と並行して、昨年4月の引っ越しから手つかずになっていた段ボールの開梱も進めた。40個近くあった段ボール(私が一人暮らししていたアパートと実家の一軒家からの引っ越し荷物)を6個まで減らし、もう使わないものは断捨離した。本は古本屋に70冊ほど売り、CDも中古CD屋に30枚ほど売った。 本棚や収納の中にとりあえず入れたものは後で確認して捨てるか残すか判断しなければならないが、その作業ができるスペースを確保するためにも段ボールを減らす必要があったので、年内にここまで進められたことは大きい。
今は課題も進めつつ、服の断捨離をしている。箪笥やクロゼットの中の服をすべてベッドに並べ、迷った時はその場で着てみて、残すかどうか判断する。古くなった服や、買ったものの結局あまり着なかった服をまとめて捨てた。会社員時代によく着ていた紺のブラウスは、襟の部分がすり切れかけていたので、一緒に処分した。このブラウスを着て、その上に黄色いカーディガンを合わせた格好でよく出社していたな、と記憶が蘇った。 手持ちの服を把握できたことで、今後どのような格好をしたいのか、そのためには何を買い足すと良いのかも具体的に考えられるようになった。12月に入ってからは、ブラウスや靴下を新たに買った。裾の縫い目がほどけてしまった夏のズボンと葬儀用のワンピースもお直しに出した。
そして、会社員時代の遅れを取り戻す気持ちで、色々なことをインプットしている。 呪術廻戦や少女革命ウテナなどのアニメを観る。気になっていた音楽をまとめて購入して聴く。読書会でジェンダー・セクシュアリティを考えるヒントになるような本を読み、人と感想を言い合う。(半分は課題のためだが)美術館に行く。舞台や映画を観る。パレスチナに関する展示を見たり、デモに行ったりする。
身辺が整ってきて、今後どう生きるか考える時間も持てるようになった。
会社員時代には、「作家かライターに転職したい」と強く思っていた。 でも時間ができた今は、私は純粋な作家には向いていない気がしてきた。何時間もパソコンや原稿用紙に向かうことを毎日繰り返しても、書けない時は書けない。収入も不安定だ。執筆も人生も計画が立てづらく(私が書きたいのはエンタメでなく純文学寄りの作品なので)、書いたものが誰かの人生を照らすまでには長いタイムラグがあり、場合によっては努力して書いても的外れな批判に晒され、それでも自分なりの良い作品の基準を持ち続けなければならない人生を思うと、それに飛び込むだけの覚悟が今の自分にはないことに気付く。 会社員だったら、とりあえず出社して手を動かせば、日によって出来にばらつきはあっても一応誰かの役には立ったことになり、その労働に対する報酬が月1回支払われる。会社員時代は日々のストレスで「もっと違う生き方がしたい」という気持ちが強まっていたが、私は決して会社員生活自体が嫌いではなかったのだと思う。業務内容や環境に納得できれば、会社員をやっている時間にも楽しみを見出せる気がする。 退社前の私は、文芸を生業にすることの大変さを真剣に想像できていなかった。そして、自分が優位に立っていることを事あるごとにアピールせずにはいられない父がいたことで、分かりやすく成功したいというエゴに囚われてもいた。「作家やライターになることで、自分は本当に幸せになれるのか?」と冷静に考えることができていなかった。 もちろん書くことは続けたいが、権威のある文学賞からデビューして、年間1冊は作品を出して……というような生活を私が目指す必要はないと感じている。自分のペースで、肩の力を抜いて、地道に書いていきたい。
手つかずになっていたタスクが少しずつ片付いてゆき、徐々に心がクリアになっている感覚がある。 来年の秋に学芸員課程を終えた私は、どんな未来を思い描いているのか。 残された時間は、まだ9ヶ月ある。慌てて答えを出そうとせず、散らかった身辺の整理と今後に向けたインプットを粛々と進めながら、冷静に心の声に耳を澄ませたい。
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shredderwastesnow · 7 months
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英語を学んだ先にあるもの
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私がハワイ留学の拠点にしているのは、ワイキキにある家具付きマンション(コンドミニアム)だ。通常のホテルと違って部屋にはコンロがあり、調理器具も借りられる。 外食で済ませた方が絶対に楽ではあるのだが、円安のタイミングでそれをやってしまうとものすごい出費になるので、自炊できる宿を選んだ。そしてこちらの料理は量が多く、野菜が少なく、味付けも甘すぎたり塩気が強すぎたりすることがよくあるため、自炊デーを作ることでそれなりの健康維持にもなるかなと思っている。
コンドミニアムには、様々な人が泊まっている。 人種は欧米人、アフリカ系、アジア系など多岐にわたる。家族連れ、カップル、若者のグループ、私のように単独で来ている人など、人数編成もばらばらだ。 シェアハウスではないので、他の宿泊者との交流は、ロビーやエレベーターでの軽い挨拶ぐらいしかない。しかし、そんな限られた時間でも、一度だけ記憶に残る会話が生まれた。
ある日の夕方、食べ物を買うために部屋を出た。 下の階に向かうエレベーターに乗ると、2つぐらい下の階でドアが開き、派手なアロハシャツの白人のおじいさんが乗ってきた。「Hi」「Hi」と軽く挨拶を交わす。ドアが閉まり、エレベーターは再び下へと動き出した。ロビー階���着くまで、しばらく手持ち無沙汰だ。
斜め後ろのおじいさんに目を遣ると、アロハシャツの袖からハイビスカスのタトゥーが覗いている。シンプルな赤い線で描かれた花が可愛かったので、「Hibiscus?」と訊いてみた。 しかしおじいさんは、その下に彫られた筆記体の文字を指差して言った。
「I'm from Lahaina.(ラハイナから来たんだ。)」
ラハイナ。渡航前にニュースで聞いた地名だった。マウイ島の火災で、焼け野原になった町。 筆記体の文字は小さ��てよく見えなかったが、おじいさんの言葉からすると、指で示された位置には「Lahaina」の文字があるらしかった。 その文字が彫られたのが火災の前か後かは分からなくても、その土地がおじいさんにとって大切な場所であることは間違いなかった。
「Oh, you escaped…(逃げてこられたんですね……。)」 「Yes.(うん。)」
おじいさんは、すっと手を合わせた。 私たちのような観光客が、海だ!サーフィンだ!ダイヤモンドヘッドだ!と浮かれているすぐ脇で、生活の基盤を失って逃れてきた人たちが、大切な人の消息も分からず今後の見通しも立てられず、不安を抱えて暮らしている。そう意識した瞬間、強烈な罪悪感に襲われる。
エレベーターがロビー階に着いた。扉が開き、おじいさんと私はエレベーターホールに降りた。 何と言葉を掛けたらいいだろう。必死に考えた。
「I hope everything settles soon.(すべてが早く落ち着くよう願っています。)」
とっさに思い付いた英文を口に出した。用意しておいた言葉ではなかったので、上手く発音できなかった。
「Thank you, thank you.」
そう言って、おじいさんはもう一度、私に向かって手を合わせた。何とか伝わったようだった。
英語を勉強してきてよかった。 これまで生きてきた中で、一番強くそう思った。
日本で、日本語を使って暮らしている人の英語学習は、勉強や仕事上の必要に迫られて始まることが多い印象だ。 身も蓋もない言い方になるが、このような学習は、TOEICスコアなどの分かりやすい指標で測れる英語力を身に着けておくことで、入試や就職・転職活動、職場で第三者からの評価を受けるときに「自分は能力のある人間です」と示せるようになることをゴールにしている。 自分が望む進学や就職を実現したい、社内で希望の職種に就きたい、付加価値の高い仕事をこなせるようになって一定水準の収入を確保したい(場合によってはそれで家族を養いたい)……という気持ちは切実なはずだし、この動機を不純なものと否定するつもりは全くない。
ただ、実利的なメリット以外にも、英語を学んで得られるものがある。言葉で気持ちを伝えられる喜びだ。 海外を旅するとき、または海外から日本に来た人と会話するとき、自分の意図を伝えたり、相手の意思を確認したり、親切にしてもらったお礼を言ったりできたときの喜びは、ある意味「TOEICスコア○点」「英検○級」みたいな実績より価値がある。たとえ履歴書に書くことはできなくても、言語や文化の壁を越えて思いが伝わった!という感動は、何物にも代えがたい。逆に、思いを伝えられなかったときの悔しさも、資格が取れなかった場合のものとは次元が違う。
正直な話、これまで私自身も実利的なメリットを考えて英語を学んできたし、今回の留学も自分の能力をアピールするネタとして見てしまう部分はある。帰国したらTOEICを受け、出たスコアを履歴書に書いて転職活動するだろう。 でも英語を学ぶことは、本当はただの点取りゲームではなくて、違うバックグラウンドを持つ人たちと深く関わるための手段であるはずだ。そのことを思い出させてくれた、ラハイナのおじいさんに感謝したい。
I hope everything settles soon.
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shredderwastesnow · 8 months
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会社を辞めた理由
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2023年7月末、10年以上勤めた会社を退職した。 8月上旬から中旬は、去年の引っ越し後に手つかずになっていた段ボールの開梱と断捨離をしていた。必然的に段ボールの中の本も断捨離することになり、古書店に60冊ぐらい売った。
そして8月下旬から、短期留学でハワイに来ている。 語学学校に通いつつ、空き時間には観光もして、これまでの疲れを癒しつつ今後に向けてエネルギーをチャージしている。 (とは言っても最初の一週間は宿や学校などの不慣れな環境に馴染むことで手一杯だった……今週はもう少し穏やかに過ごさせてくれ……!)
会社には、退職の理由を、健康診断で視力が大幅に低下してしまい、翻訳チェックの仕事をずっとやるビジョンが描けないので……と説明した。視力は本当に下がっていたので、嘘ではない。 でも、実際にはもっと別の理由がある。上司に言って解消されるような内容ではないので、会社の人には言っていない。 ハワイ生活が軌道に乗り始め、ブログを書く余裕が出てきた今のタイミングで、会社を辞めた本当の理由をちゃんと振り返りたい。
本当の退職の理由は、以下の4つだ。
1) 「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
2) 自分に合った仕事を探す意欲が高まった
3) 経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
4) 「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
3年前、部署異動することになった。配属先は女性だけの部署で、7人のうち社員は私を入れて2人、他5人はすべて非正規雇用(派遣か業務委託)だった。 私に割り振られた仕事は、その職場で2年以上働いているベテランの派遣さんが担当していた。私は社員として入社していたので立場としては派遣の人より上だが、その部署での経験という点では後輩という立ち位置だった。
ベテランの派遣さんは、ものすごく仕事のできる人だった。ミスをなくすという目標への執着が桁違いだった。これまでずっと英語関係の仕事をやってきたが、このレベルでミスを潰せる人に出会うのは7年に1度レベルだった。私たちが担当していた技術系の翻訳チェックをするには最適の人財だったと思う。
最初のうちは、自分だって英語を人一倍学んできたのだから、チェック作業のフローになれればそれなりのレベルでチェックできるようになるだろうと思って頑張った。実際に、チェックの精度は徐々に上がった。でも、ある程度の期間その仕事をする中で、努力ではカバーしきれない適正上の問題に直面せざるを得なくなった。
多分私は、仕事のどこかにクリエイティブな要素がないと楽しめない。正確さを追求するより、面白さとか独自の工夫を考える方が向いている(この部署に来て分かったことではあるけど)。チェックの仕事をしながら、「私よりこの作業に向いてる人がいるんだろうな」という気持ちになることが多々あった。 そして、ベテランの派遣の人は、ミスなく正確にタスクをこなすことを楽しいと思えるタイプなのではないかと思う。逆に面白さや独自性を求められると、この手の人はどうしていいか分からなくなる。
ベテランの派遣さん以外にも、こういう人が職場に数人いた。
でも、立場的には社員である私の方が権限を持っている。そのまま偉くなれば、私は非正規の人たちに指示を出すポジションに就く。私の方が経験も浅く、仕事ができなかったとしても。
そもそも、非正規雇用というシステムが非人道的すぎる。 非正規で働く人には有給が与えられず、給料を減らされたくない人は体調が悪くても無理して出社せざるを得なくなる。いつ契約が切られるか分からないので、ローンを組んで家や土地や車などの大きな買い物をすることも難しい。結婚して子供を持つことを諦める人もいる。正社員と同じくフルタイムで働いても、こういう状況にある人は多い。
仕事のできる派遣の人が隣の席にいる環境でずっと働いていると、この問題について嫌でも考えてしまい、仕事そのものとは別の疲労感に襲われる。 そして、どんな事情があったのか分からないが、そのベテランの派遣さんは月に半日程度しか休みを取らなかった。私は月に1.5~2日ぐらい休みたいと思っていたが、派遣さんより上の立場の人間が派遣さんより休むというのはかなり気が引けるため、気軽に休むこともできない。消化できない(そして今後も消化できる見込みのない)有給が、どんどん溜まってゆく。 このまま偉くなったらもっとしんどくなることが目に見えていたので、メンタルを病んだりする前に退職しようと決めた。
自分に合った仕事を探す意欲が高まった
2021年、私の書いた小説が、三田文學新人賞の佳作を受賞した。 小説は8年ぐらい書いていて、過去に色々な新人賞に3回出したものの結果が出ず、才能ないのかなー時間の無駄なのかなーと思いながらも気が向いた時に書くことを続けていた。 初めて賞を貰い、自分の作品が広く読まれたり、文学を生業にしている人からコメントをいただいたりしたことで、やっぱり私はクリエイティブな活動に向いている!と確信できた。
この経験を経て、文化・芸術方面の業界で英語を使う仕事を探そう、という気持ちが固まった。 私は文学や美術を専攻しておらず(専攻は経営・会計学)、その分野の職歴もないが、履歴書に「三田文學新人賞佳作」と書ければ、その手の求人にも応募しやすくなる。そして、親や周囲の人にも説明しやすい。
経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
2017年に、反女性差別のキャンペーン「#MeToo」が世界中にインパクトを与え、フェミニズムやセクシュアリティ研究など旧来の家父長制を問い直す学問への関心が高まった。日本でも、昔は大型書店の奥の棚に数冊あるだけだったフェミニズムやセクシュアリティ関連の本が、#MeToo後には大型・小型書店の平台に並ぶようになり、少なくとも東京では空気が変わったのを感じる。
こうした変化に伴って私の意識も変わり、自分の職場にある理不尽な出来事や慣習が気になり始めた。
私の周りで、育児休暇や子育て目的の時短勤務をしている女性を沢山見た。 でも、勤め先にそういう男性は一人もいない。課長などの役職に就いている人が率先して育休や時短を活用すれば部下たちも同じことをしやすくなるのに、誰もやらない。
また、セクシュアルマイノリティへの想像力を欠いた制度にも違和感を覚えるようになった。 私がいた会社では、社員が結婚すると共済会から祝い金が出る。 でも、ゲイやレズビアンの社員が人生を共にするパートナーを見つけた場合については、何も書かれていない。社員数が1,000人を超えている会社なので、ゲイやレズビアンがいてもおかしくないのに。 最近は、同性カップルが結婚できないことで直面する困りごとについて、様々なメディアで報じられている。自治体によっては、婚姻関係に準ずるものとしてパートナーシップ制度を導入しているし、同性婚を合法化すべきという声も強まっている。 しかし、それでも、共済会のルールは変わっていない。同性パートナーシップの届けを自治体に出したと報告した社員には、結婚した社員と同額の祝い金を渡すなどのルールが加わる気配はなかった。
経営陣は、ドローンやAIなどのビジネスのトレンドについては、プロジェクトチームや勉強会を立ち上げて追いかけようとする。 一応、女性の働きやすさを促進する試みも行われてはいる(男性の育休取得増は達成できていないものの)。 それなのに、セクシュアルマイノリティをめぐる問題については、一切アクションを起こさない。何で?
私が定年まで辞めずに働くとしたら、あと20年この会社にいることになる。 経営陣を信頼できない状態で、20年も働き続けられる気がしなかった。
「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
2020年下旬、父が亡くなった。 私は一人っ子なので、葬儀の準備や役所での手続き、遺品の整理などを、母と分担して進めた。父が亡くなった時点では私は一人暮らしをしていたが、母が実家の一軒家を売ってマンションに越すと言うので、私も同居することにした。
昨年の4月、一人暮らしのアパートから広いマンションに引っ越した。 荷造りを仕事と並行してやらなければならず、ずっと忙しかった。 転居から3ヶ月ほど経って、ようやく生活が落ち着いてきた。昔より広くなった部屋で、自分にとって父とは何だったのかをゆっくり振り返れるようになった。
父がいなくなって、これまでの私は、「父に否定されたくない」「父にいっぱしの人間として尊重してもらえるような生き方をしなければ」という気持ちで、人生の様々な決断を下してきたことに気付いた。
前の勤め先で、仕事が今一つ楽しめなくても10年以上働けたのは、父に対する意地があったからだ。 「私はそれなりの会社で真面目に働いて、高給とは言えなくてもそれなりの額を稼ぎ、一人暮らしできるぐらいの経済力がある。だから、私の人生に対して口出しはさせない」という意識が、私を支えていた。私の着るものや細かい行動に気が向いたタイミングで難癖をつけ、「俺はお前より優位に立っているんだ」と定期的に示したがる父に対抗するためには、安定した仕事や経済的自立という拠り所がどうしても必要だった。
しかし、父の干渉を阻止して自由に生きるためにとった行動が、新たな不自由を生むことになった。 本当はもっと自分に合った仕事があるような気がしても、やりたいこと基準で転職して今より給料が下がれば、父は必ず文句をつけてくるだろう。そうなるくらいなら現状維持でいいや。そんな思考から、私は違和感を抱えながらも転職を決断できなくなった。 仕事だけではなく、父に何か言われるのが煩わしいという理由で、実家に帰る時に文句をつけられない服装を心掛けたりもした。何故そこまでしてやらなければならなかったのか? 思い返すと悔しい。
父がこの世からいなくなったことで、ずっと私を縛っていたものが失われた。 しがらみから解き放たれて人生を振り返り、私が無意識のうちに自分に課してきたものの大きさを思い知った。 人生の選択を自分の意思で下してきたと思っていたけれど、実際は仕事という人生の大きな要素を自分の純粋な欲求で決めていなかった。こうして言葉にしてみると情けない話だが、事実なので仕方ない。
だから、会社を辞めて短期留学をすることは、自分の人生を取り戻すための儀式でもある。 これからは自分に関する重要なことは自分で決め、それによって生じた失敗も自分で引き受ける。 何かあるたびに他人や環境のせいにして嘆くような、自分の人生を「生きさせられている」みたいな状態を、この辺りで終わらせたい。
今後について
今、この文章をホノルルの家具付きマンションで書いている。 会社や仕事に対する責任から解き放たれ、しがらみのない土地で過ごすという、前例のない体験をしている。 語学学校の授業は難しいところもあるが、落第が危ぶまれるほど深刻ではないので、まあ何とかなるでしょう。
短期留学を終えて帰国したら、1年ほど学生をやる予定だ。 1年間で学芸員過程や諸々の資格を取り、その後に転職活動をする。
ここまで文章を読んで、「こいつ30代後半なのにまだ『自分探し』やってんの?」みたいな感想を抱いた人もいるだろう。 確かに日本社会では、この年代の人間は結婚して家庭を持って子育てをしているのが望ましいとされている。 でも、私としては「たまたまこのタイミングだったので仕方ないんです」としか言えない。傍から見たら不可解かもしれないが、自分の人生を取り戻すためにどうしても必要なことだから、今やらざるを得ない。
そして、パートナーや子供がいないタイミングで人生を見直せてよかったとも思う。例えばローンを組んで家を買った後だったりしたら、その家に住んでいる人全員が私の自分探しに巻き込まれることになって、さらに大変になるだろう。 (もちろん、パートナーや子供ができた後に生き方を変える必要が出てくる人もいるとは思う。そういう人が別の可能性に挑戦するのが悪だとは思わないが、相手のキャリアが変わる前提で一緒になったわけではないパートナーや子供が納得しなかった場合、家庭という一つの拠り所が失われることも覚悟しなければならないわけで、今の私以上にリスクを負うことになる気がする。) あと、私の母が老後の資金を確保できていることにも感謝しかない。私が母を養う必要があったら、1年働かずに勉強することはできなかった。ありがとうございます。
書くべきことを書ききったので、これからの1年を有意義に過ごすという決意とともに、この記事を終わりにしたい。 まずは語学学校を修了すべく、目の前の課題をしっかりこなす。 そして、ホノルルで過ごす人生の夏休みを、全力で楽しむ!
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shredderwastesnow · 9 months
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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shredderwastesnow · 10 months
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クィアたちのZINE交換【前編】
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発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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shredderwastesnow · 1 year
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退職前夜、再び
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三月末、会社を辞める意向を上司に伝えた。 今は日々の業務をやりつつ、引き継ぎ資料を作っている。 四月半ばまでメンタルが安定せず、文章がまとまらなかったため、このブログもずっと放置していた。
辞めよう、と心が決まったのは、三月半ばだった。 決定的な出来事があったというのではなく、色々な出来事が積み重なった結果、今のキャリアは一旦終わりにしようという決意が固まった。 定年まで勤めるイメージは元々なく、本が出せたら辞めようと思いながら働いてきたので、本を出せていないのに「今だ」という確信が来たことに私自身も驚いた。
詳しい話は正式に退職してから落ち着いて書きたいので、今の時点では保留にしておく。
十年以上仕事をしてきた今、水木しげるの「人生をいじくり回してはいけない」という言葉が身に沁みる。
働き始めたばかりの頃は、仕事は合うか合わないかじゃない、やるかやらないかだ、と思っていた。 経験もないくせに選り好みしていたら、仕事を任されなくなって、信頼を失う。 これは自分に合わない、向いてない……とかいう先入観に囚われず、とにかく与えられた仕事を自分なりにやり切ることでしか道は開けない、という気持ちだった。 安定した収入を得て経済的に自立し、一定水準の暮らしをしたければ、ある程度自分に向いていない要素があったとしても目をつぶるべきだ、という考えもあった。
しかし、振り返ってみると、そんなに自分を追い込む必要はなかったと思う。 私が自分に必要以上に厳しかったことに加え、環境がそうさせた部分もあった。 環境が変わってしばらくして、自分が自分に課しているものの予想以上の重みに気付いた。 これからはもっと私ならではの働き方を探したい、と感じるようになった。
会社を辞めてからは、いじくり回した人生を本来の軌道に戻す作業を始める。 具体的には、もっと執筆時間の多い生活にシフトする。 (「尊い人々」もちゃんと月一でアップできるような。) ジャンルを問わず、様々な作品に触れる時間も確保したい。
退職できたら、ここに何か書く頻度がもう少し上がる予定です。 まずは決められた手順で、後腐れなく今の会社を辞めてきます。 読者の皆様、今しばらくお待ちください。
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shredderwastesnow · 1 year
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キャンパスライフ未満
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仕事を終え、買い物と軽い夕飯を外で済ませて、電車に乗った。 日はとっくに沈んでいた。外は、電車の窓に自分の顔が映るほどの暗さだった。
最寄り駅の一つ手前で、男の子の三人組が乗ってきて、立っている私の近くで喋り始めた。背格好からすると、大学生のようだった。 「男は顔じゃないらしい。優しさと、包容力」 唐突に恋バナ。横目で見ると、言葉を発した男の子は手元のスマホを真剣な面持ちでスクロールしている。 「インスタは、やっといた方が良いって」 「あー、そうなんだ。今から始めてもなーって思ったけど、作るか…アカ名どうしよ、こんなんで良いかな」 そっと三人を二度見する。みんな、ストリート感のある若者らしい格好だ。しかし、服が身体に馴染んでいない。どのアイテムもおろしたてのようで、持ち主の身体の線を覚える前の段階だった。何だろう、この、こなれてない感じ。 「〇〇のインスタ見たことある?」 「あいつインスタで暴れてるよな、やばくね?」 「なんか、高校卒業したらアカウント消すから別にいいって言ってたぞ」 「うわーまじか」 男子たちはそれぞれのスマホに視線を落としながら、共通の友人の噂話を続ける。そして脇で聞いている私は重要な情報を掴んでしまった…彼らの学年は、この3月に卒業する。そして、恐らく4月には、大学か専門学校かは分からないが、高校より自由な場所での新生活が待っている。 新たに作られるインスタアカウント、身体に馴染んでいないストリートファッション、来るべき出会いとその先の恋愛への期待を込めた「男は顔じゃない」発言―ー全てが一本の線で繋がった。真実を掴んだ気持ちよさに、思わずほくそ笑む。良かった、マスクがあって。
三人の会話に気を取られているうちに、降りる駅が迫っていた。 電車が見慣れた駅に着き、開いたドアからホームに降りる。
エスカレーターの列から少し離れたところで人が捌けるのを待ちながら、自分が降りたドアに目を遣る。三人のうち一人は車体に隠れて見えなかったが、もう一人は長身の後ろ姿を確認できた。窓際に立っている三人目は、男子にしては長めのボブっぽい髪を茶髪にしていた。均一な茶髪ではなく、ところどころ黒が残っていたので、美容室には行かず自分で染めたのかもしれなかった。
男子三人組の、キャンパスデビューに向けた下準備を運良く目撃できた会社帰りだった。 デビューにあたって、ダサく見えないようファッションに気を使うというのは今も昔も変わらないが、今時はSNSでのセルフプロデュースまで求められるらしい。「四月に向けて昔の変な投稿は今のうちに消しとこう」「オタ活の記録はリア垢から別垢に集約しよう」みたいな編集作業が、きっと水面下で進行しているのだ。
十代の子たちの浮ついた空気は、渦中にいた頃はあまり好きではなかったし距離を置いていたけど、こうして離れたところから見ていると案外微笑ましい。どうにでもなる未来を手にしている(ように見える)ことが、ただ眩しい。 私にも未来がないわけじゃないけど、それは現実の延長線上にしかなく、職歴や資格や色々な条件が許す場所にしか広がっていなくて、あの子たちのものとは違うのだ。
あの三人を待っているのは、どんなキャンパスライフだろう。 思い通りにならないことも多いだろうけど、成功や失敗から自分なりに何か掴み取って、最後のモラトリアムを有意義に過ごせますように。 あと、彼女を作って友達より優位に立つために、興味のない女の子と無理して付き合ったり、男友達から評価の高そうな見た目だからという理由で相手を決めたりするのはやめてね。そして、いざという時は、ケチらず避妊しようね!
Be ambitious. Good luck.
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shredderwastesnow · 1 year
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アレルギー少女の食卓と人生
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年明けに、中学時代の友達と数年ぶりに再会した。 最後に会ったのは彼女の家に招いてもらった時で、彼女の夫と三歳ぐらいの娘さんとも初対面した。それから二年ほどは年賀状のやり取りしかしなかったが、その間に彼女はもう一人の女の子を出産した。待ち合わせ場所に長女とベビーカーに乗った次女を連れて現れた彼女は、何とも言えない風格を漂わせていた。
私たちはランチを摂るべく、彼女が決めた店へと向かった。LINEでもらった情報によると、その店は駅ビルの一番上のフロアにあるイタリアンレストランで、そこを選んだ理由は「子供が食べられるものがある」だった。 お子様メニューが充実しているとか、通路が広くてベビーカーでも移動しやすいとか、そんな意味だと思っていた。
席に通されると、メニューを持ってきた店員さんに、友達が声を掛けた。 「卵と牛乳アレルギーがあっても食べられる、子供用のメニューってありますか? 店員さんは、卵・牛乳不使用のパスタがあると答えた。 「じゃあ、それを、トマト味のソースみたいなもので和えてもらっていいですか?」 「かしこまりました」 一連のやり取りを聞きながら、私はようやく、彼女のLINEにあった「子供が食べられるものがある」の真意を理解した。 長女に続いて、アレルギーのない友達と私も、店員さんに料理を注文した。メニューに載っている何十種類もの中から、気分に合うものを選んで。
近況を語り合っているうちに、長女の料理が運ばれてきた。小さめのお皿に盛られた、貝のような形のパスタをトマトソースで和えた一品だった。長女は可愛らしい子供用スプーンで食べ始める。特に拒否反応なども出ず、問題なく消化できているようだった。 しばらくして、私たちの注文したパスタ二皿もテーブルに置かれた。食べ始めると、長女が眉間にしわを寄せて、鼻を押さえた。 「あ、ちょっとチーズの匂いがきついのかな……ハーブかな……ごめんね、食べ終わるまでちょっと我慢してね」 友達は申し訳なさそうな表情を浮かべて、私と長女を交互に見た。長女は、私たちが注文したパスタの匂いに反応しているのだという。同じテーブルで別の人が食べているものの匂いで気持ち悪くなる経験が一度もない私には、長女の繊細さは完全に未知の領域だった。アレルギーがあるだけでなく、感覚が過敏なのだろうか。早く食べ終わってあげなければ……という焦りが芽生えてくる。
やがて、全員のお皿が空になった。「○○ちゃん、デザート食べたい? ジェラートだったら大丈夫かもしれないから」と友達が尋ね、長女が頷いた。友達はメニューのデザートのページを開き、再び店員さんを呼んだ。 「すみません、このジェラートって、卵と牛乳アレルギーがあっても食べられますか?」 「確認して参りますので、少々お待ちください」 しばらくして戻ってきた店員さんは、頭を下げて言った。 「申し訳ございません、こちらのジェラートは、味に関係なくすべて牛乳が入っておりまして……」 「あー、そうですか……。分かりました。ありがとうございました」 友達は長女に向き直り、言葉を掛ける。 「ないって。○○ちゃん、残念だったね」 長女は泣いたり喚いたりせず、静かに、うん、と頷いた。甘いものが食べられなくてがっかりしながらも、どうにもならないことは受け止めるしかないのだという気持ちでじっとこらえているであろう彼女の表情を、忘れることができない。
レストランを出てから、五分ほど歩いたところにある広い公園で、ベビーカーから離れられない友達に代わって長女と遊んだ。 公園の近くに、近所で評判だという鯛焼き屋があった。店先にいたスタッフに、友達がダメ元で例の質問をすると、意外にも「卵・牛乳アレルギーの方でも召し上がっていただけます」という答えが返ってきた。 私たちは、三人で鯛焼きを囓った。 鯛焼きの皮なんて卵がなければ成立しなさそうなのに、アレルギーの人にも手に取ってもらおうと工夫する店もあるのだ。 皮いっぱいに詰め込まれた粒あんを頬張りながら、単なる「美味しい」以上の多幸感に包まれていた。
以前、ツイッターで、牛乳アレルギーの娘を持つ母親のこんなツイートを目にした。 当時高校生だった娘が、数人の友達とかき氷屋に入った。友達の一人が「一口食べる?」と言ってスプーンを差し出し、シェアし合う流れになった。かき氷だし牛乳は入っていないだろうと思った娘は一口もらったが、実はかき氷には練乳が入っていた。彼女はその場で倒れてしまったという。その友達を含め、社会全体のアレルギーへの認知が低いことを嘆く言葉が、連投ツイートの最後にあった。 友達にしてみれば、アレルギーがあるなら断ってくれればよかったのに、という感じだろう。しかし、差し出されたかき氷を食べてしまった娘の気持ちも分かる気がする。食べ物をシェアするという行為は、この状況では、必然的に友情を確認する儀式という意味合いを持つ。「一口いる?」「いらない」というやり取り によって場を緊張させ、友達との楽しい時間に水を差してはいけない……そんな風に「空気を読んだ」結果が、事情を知らない人からすれば不注意とも取れる行動に繋がったのではないか……。知り合いでも何でもないその高校生の逡巡を想像し、スマホを握って勝手に切ない気持ちになってしまった。
個人主義が根付いている国に比べて「人に迷惑をかけるな」という圧力が生じやすい日本社会で、一人だけ周囲と違う食べ物を頼み、時にはみんなが食べているものを「いらない」と言わなければならない。想像してみると、食物アレルギーの人たちの日常は、結構ストレスフルだ。 私の友達の娘も、今はお母さんが食べられるものを用意してくれても、これから小学校、中学校と人生のフェーズが進む中で親と離れて行動することも増え、「これは卵と牛乳アレルギーでも食べられますか?」と自分で毎回確認しなければならなくなる。望んだものが出てくることもあるが、諦めるしかないこともある。必然的に、周囲の人を待たせたり、気を遣わせたりする場面もあるだろう。その時共にいる人が、どうか彼女を理不尽に責めたりせず、寛容でありますように、と願う。
そして、もしかしたらこれまで一緒にご飯を食べてきた人の中にも、同じ境遇の人がいたのかもしれない。気を遣わせないように、陰でそっと「○○アレルギーでも食べられるものってありますか?」と確認して、浮かないように頑張っていたのかもしれない。アレルギーや好き嫌いが特になく(人工甘味料とお菓子の人工的な苺味だけは苦手だが)、ほぼ何でも食べられる自分が、想像力の欠如からアレルギーの人を不快にするようなことを過去にやらかしていたら、申し訳なく思う。
最近は、ファストフード店やレストランを利用する時、アレルギー対応があるかどうかを気にするようになった。 誰かとの食事の時間が相手にとって不幸な思い出にならないように、必要な時に工夫できるようになれたらと思う。
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shredderwastesnow · 1 year
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【尊い人々】1人目:大きな手の中に、小さな兎のぬいぐるみ
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2022年、8月31日のことだった。 曜日は忘れたが、平日だった。
私は会社を早退し、総武線に乗っていた。定時に退社したのでは高円寺にある本屋のイベントに間に合わないので早く上がることにしたのだが、職場からの移動時間は思ったほどかからず、このまま現地に直行すればイベント開始まで手持ち無沙汰になる予感しかなかった。 どう時間を潰すか……ドアの上に貼られた路線図を眺めていたら、昼休みにツイッターで見かけたイラスト展の告知が頭をよぎった――会場は、中野のギャラリーだった。出展者は確か現役の美大生2人で、キャリアの長い人たちではないので、全部見るのに30分もかからないだろう。
数分後、私はずいぶん久しぶりに、年季の入った中野駅のホームに降りた。
この展覧会を主催したのは、入間生さんとこざとユウさん。私が情報を得たのは、入間さんのツイッターからだ。 入間さんは昔、講談社が開催するコンテスト「ミスiD」に「詩乃」という名前でエントリーし、ミスiD2018の1人に選ばれた。(私はほぼオンラインで見ていただけだったが、エントリーした人たちの多彩なプロフィールや選考委員たちの真摯な姿勢に衝撃を受け、翌年はセミファイナリスト発表からずっと見続けるほどハマってしまった。)
「詩乃」は奈良県に住む高校生��、大学に進学して一般企業に就職するのではなくミュージカルやイラストレーションの道に進むという夢を叶えるべく、その第一歩として講談社に書類を送った。 エントリーしている人たちの多くが、服もメイクも完璧に整えて撮影したのちアプリで加工を施した「盛れてる」自撮り写真をSNSにアップしてアピールするのに対し、「詩乃」はいつも飾らない姿のポートレートや、家族と囲む食卓や、丸い目の女の子と兎が織りなす不思議な日常を描いたイラストをアップした。「現役JK」であることを強調して自ら男性に消費されにゆくような発信はなかった。あざとさとは無縁の、素朴な可愛さに溢れた彼女のSNSは穏やかだった。(もちろんコンテストに出ている以上、彼女の心中は必ずしも穏やかではなかったかもしれないが。) 彼女の投稿には、ミスコンで結果を出そうとする女性の多くが努力の過程で失ってしまう、愛すべき野暮ったさがあった。選考委員の1人が、選評に水森亜土と重なるところがあると書いていて、なるほどと思った。イラストと本人の佇まいは決して洗練されているわけではないが、そこにこそ誰にも真似できない魅力がある、ということなのだろう。
多分「詩乃」は、いつもクラスの中心にいてみんなに憧れられるような、華やかな女子高生ではない。でも、心の中に兎と人間が共に暮らす空想の世界を大切に持ち続けている女の子が同じ高校にいたら、私は仲良くなりたい。彼女がノートの端に描いた落書きを見せてもらって、物語に耳を傾けたい。彼女をミスiDに選んだ選考委員たちも、そんな気持ちになったのかなと想像する。
駅前の大きなアーケードを抜け、喧噪から少し隔たったところにある細い商店街を、スマホを頼りに歩いた。やがて道の左側に、小さなギャラリーが現れた。ガラス張りの壁に、展覧会タイトル「モラトリアムメイトの及第点」がポップな書体であしらわれていたので、迷わずガラスのドアを押した。
受付には入間さんとは別の女性が一人座っており、軽く挨拶して中に入った。恐らく、こざとユウさんだろう。 手前の壁面に飾ってあるのはこざとさんの水彩タッチのイラストで、どれも瑞々しい雰囲気だった。その先に、見覚えのある、丸い目をした女の子と兎のユーモラスなイラスト群。 連れ立って自転車に乗り、ボートに乗り、ファミレスで長居し、海へ行き……何枚もの葉書サイズの紙の中で、一人と一匹は夏の鮮やかな色彩を纏い、生き生きと躍動していた。 その隣には、「シャイナシティ旅行記」という連作があった。「シャイナシティ」はシャイな住民が暮らす街で、上空は雲に覆われて飛行機などから目隠しされている。住民は顔や身体を晒さずに済むよう宇宙服のようなものを着て暮らし、コミュニケーションへの圧も少ない……想像の斜め上を行く世界が、軽やかなタッチの絵と言葉でこれまた生き生きと描かれている。 ミスiD2018から4年が過ぎたが、彼女の空想世界は変わらずにあり、さらなる広がりを見せていた。
作品を見ている間に、ギャラリーに一人、二人と客が入ってきた。一人は女の子でもう一人は男の子、どちらも10代前半から20代半ばぐらいに見えた。 もう作品を見終わるかというタイミングで、金髪ショートカットの小柄な女性が入口に現れた。黒髪だった時しか顔を見たことはなくても、「詩乃」=入間生さんだと分かった。白いシャツと短パンという、夏の終わりに相応しい格好だった。
絵を見ていた女の子が入間さんに気付き、声を抑えつつも興奮した様子で話しかける。「あの、ツイッターずっとフォローしてて……」「え、どのアカウント?」おたくと推しの記念すべき初対面が、ギャラリーの片隅でひそひそと始まった。 恐らく受験などの事情なのだろう、入間さんのSNSアカウントは更新がストップした時期もあった。しかしそれでも、この女の子のおたくはずっと「詩乃」を忘れず、追い続けていたようだった。
あまりじろじろ眺めるのも悪いし、残りの絵を見よう……と壁に視線を戻しかけた時、少し離れた場所にいた男の子が視界に入った。さっきまでの私と同様、彼も入間さんと女の子を見つめていた。 背の高い男の子の手に、何かが握られている――透明の袋に入った、10センチほどの兎のぬいぐるみだった。
ああ、きっと彼も古参のおたくだ。 「詩乃」が兎のモチーフを描き続けているから、兎のぬいぐるみをプレゼントしようと思い立ったのだろう。 喋っている二人の間に割って入ったりせず、話が途切れたら渡すつもりで、じっと待っているのだ。
私は絵を見終わり、ドアの方に向かった。入間さんが小走りで向かってきて、「ありがとうございました!」と名刺をくれた。
強い日差しの中を中野駅まで歩きながら、さっきの男の子を思った。
ぬいぐるみは、無事に渡せただろうか。 そうであってほしい。 しかし渡せなかったとしても、それはそれで美しい物語ではある。 夏の終わりの、果たせなかった思い。
大きな手に、柄にもなく小さな兎のぬいぐるみを握ってじっと待っている彼の後ろ姿は、少し可笑しく、尊かった。その情景を切り抜いて、額に入れて飾りたいほどに。
「推しが尊い」というフレーズは、おたくの口癖として広く知られている。 しかし、スポットライトの当たらない場所に視線を移せば、やがて気付く――おたくの中にも、尊い光を放つ人々がいるのだと。
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shredderwastesnow · 2 years
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お原稿
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三田文學編集部から電話を受けたのは、2021年2月2日火曜日だった。
私の書いた小説が新人賞の最終選考に残ったことは、1月8日に郵送されてきた手紙で知った。 入選すれば2月2日の夕方5時半過ぎに電話が来るが、選外になれば来ないという。 1ヶ月弱、落ち着かなかった。
仕事が手に付かなくなると思い、発表の日は午後休を取った。 家で電話を受けるつもりが、外出先でもたもたしていたら予想以上に時間が経ってしまい、結局屋外で電話を待つことになった。 5時15分頃、乗っていたバスから降り、スマートフォンを手に持って歩き出した。終点の駅まで乗るつもりだったが、途中で電話が掛かってきたら受けられなくなるので、そうするしかなかった。バス通りを駅まで歩きながら、電話がなかったら降りた意味ないな、と思った。
見慣れた駅の近くまで来て、脇道に入った。バス通りと平行に走る細い道は、程よく喧騒から隔たっていた。
5時半を5分ほど過ぎて、スマートフォンが震えた。 佳作だった。
「おめでとうございます」 「選考委員の先生方が、切実だとほめていらっしゃいました」
事務的な連絡を想像していたが、編集部のOさんのコメントは温かかった。
ワードの原稿データ送付。ゲラの確認。ウェブでの作品掲載。文芸誌への作品冒頭掲載。選考委員からの批評。授賞式への出席。 2ヶ月ほどの間に、執筆の世界への道が、徐々に開けていった。
Oさんからの一通目のメールにあった、この言葉をよく覚えている。
お原稿をお送りいただけますでしょうか。
私が今まで書いてきた、日の目を見なかった文章を思った。 ただの書き散らしとして扱われてきたものが、「お原稿」と呼ばれる日が来たのだ。 パソコンの前で、しばらく放心していた。
「結果を出した喜び」「達成感」というより、ご来光を拝む瞬間の心境に近かった。 自分の力だけではどうにもならないものが、すっと振り向いてくれたような。
授賞式で、Oさんに「作品が書けたら是非、編集部に送ってください」と言葉を掛けてもらった。 私が書いた小説は、この先も「お原稿」として受け取ってもらえるのだろう。
そして、副編集長がスピーチで語っていたことも印象的だった。
「今回、受賞に至らなかった作品の中にも、心に残るものがありました」
まだ読者や編集者に発見されていないすべての未発表小説は、いつか「お原稿」に化ける可能性を秘めている。
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shredderwastesnow · 2 years
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多感
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ある記憶
一生消えないだろうな、と思う記憶がある。20年以上前のことなのに、時折痛む古傷のように心に刻まれている。小学校高学年の頃に実家のリビングで起きた、傍から見れば些細な出来事だ。
日曜日の団欒の一コマだった。両親と近況を語り合う中で、数日後に迫った百人一首大会のエントリー締切が話題に上った。
私が通っていた小学校は、同じエリアにある他の3校と共同で、小学生かるた大会を毎年開催していた。大会には犬棒かるた部門(小・中学年向け)と百人一首部門(高学年向け)があり、いずれも3人チームでエントリーする決まりだった。強さを競うことより、子供たちの親睦を深めることが目的だったのだろう。
私は、誰に命じられたわけでもないのに、百人一首をすべて暗記していた。小学校低学年の頃に両親が買ってくれた「くもんのまんが百人一首」をぼろぼろになるまで読んで歌の詠まれた背景事情を頭に叩き込み、家にあったかるたの絵を飽きもせず眺めては「このお姫様の着物が好き」「位が高い人は台座がカラフル」などと思いを巡らせた。「ちはやふる」が人気を博す10年以上前のことである。
これほどまでに百人一首にのめり込む生徒は、少なくとも学年では私だけだった。運動会や文化祭でスターになれるような特技や才能のなかった私にとって、百人一首大会は滅多にない晴れ舞台だったのだ。
だが、悩ましいのはチーム決めだった。
仲のいい、できればある程度知識のある子と組みたい。しかし、「出たい」と言っているクラスメイトの中に一人、苦手な子がいた。やたらとテンションが高くて絡み方のしつこい、一緒にいると疲れる女の子。しかも、百人一首そのものには大して興味がなさそう。本来なら顔を合わせる必要のない休日に、何時間も共に過ごすことを想像しただけで気が滅入った。
ぱっとしない私が、珍しく主役を張れる日なのだ。最高の一日になってもらわなければ困る。でも、エントリーの用紙が配られた時に、あの子にあのテンションで「一緒に出てくれるよね⁉」と言われたらどうしよう。「○○ちゃんとは組みたくない!」なんて面と向かって言い返す度胸もないし、傷つけたいわけでもない。一緒に組みたい子に、先に声を掛けておけばいいのだろうか。でも、そんなことできるのかな。気が変わったりされないかな……。
エントリー締切が近づくにつれて、私の悩みは深まっていった。小学生なりの葛藤を、私は両親に向かってつらつらと訴えていた。
「まだ、誰と組むか決まってなくて……」 「組みたい子はいるけど、出たいかどうか分からないし……出てくれるかな……」 「○○ちゃんと一緒に出ることになったら、嫌だな……」 私が、そんな言葉を発した直後のことだった。
「そんなにごちゃごちゃ言うなら、出なきゃいいじゃねぇ」
父が、吐き捨てるように言った。
胸の奥の柔らかい場所を、思いきり踏まれたような気がした。 言葉を失う私を尻目に、父は、フン、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「*に、発散させてあげて」 (*私の下の名前) 母は私を庇ってくれた。 しかし、父の態度が変わることはなかった。 百人一首の話は打ち切られた。食卓に、気まずい沈黙が流れた。
多感の封印、表現への愛憎
それ以来、父のいる空間は、何でも好きに話せる場ではなくなった。 近況を聞かれたら、簡潔に答える。無駄に長く喋らない。結論の出ていない悩みを、脈絡なく垂れ流さない。父に対して、自分を分かってほしいとか、思いを受け止めてほしいとかいう望みを抱いてはならない。そんなルールを自分に課すようになった。
人に悩みを相談したり、自分の感情を伝えたりすることも減った。自���を理解してもらうこと、気持ちを受け止めてもらうことを、原則として他人に期待すべきではない。大きな実績もなく、インタビューアーにマイクを向けてもらえるような人間ではないのだから、私の本音や本心に興味を持つ人間などいないと自覚すべきだ。
何しろ、ずっと共に生きてきた父親ですら、興味を持っていないのだから。辛抱強く話を聴いてくれる人だってたまにはいるが、内心では迷惑しているのだ、きっと。
私が心を開くことを、相手が喜んでくれるかもしれないという発想は、思い上がりだ。一方的な希望的観測にのっとって相手の貴重な時間を使わせてはならない。相手にとって何の価値もない自分語りをする人間など、社会で通用するわけがない。
父は会社を経営していた。社員が10人に満たない小さな会社だったが、責任ある立場にいる父はすごい人だと信じていたし、社会で生き抜く術を知っている存在として尊敬していた。当時の私にとって、父に認められないことは、社会に認められないことを意味していた。
小説や漫画や映画、表現全般との向き合い方も変わった。 何らかの作品が「登場人物の揺れる思いを細やかに描き出している」とか「主人公のささやかな心の震えを丁寧に掬い取っている」といったような理由で褒められているのを見る度に、「でも現実の世界では、そういう繊細さで捉えたことを誰かに伝えたって、『それがどうした』って言われるのがオチだよね」という声がどこからともなく聞こえてくる。
作中で描かれる個人の心の動きは、本や映画などの文化的な体裁を取っているから「触れるべきもの」「見つめるべきもの」「深く味わうべきもの」として尊重してもらえるだけで、表現者の肩書きを持たない人間が同じ内容を語ったところで有難がられることなどない。それどころか、現実を変えようと手を動かす代わりにただ愚痴っている弱い人間だと軽蔑され、鬱陶しがられ、信頼を失うだけだ。
負の感情も含め、人間の心の動きを感じ取って表現できる繊細さが評価されるのは、所詮、芸術の世界だけ。 そんな思いが生まれてからは、自分の中にあった芸術や表現に対する愛や敬意に、ほんのり侮蔑が混ざり始めた。
芸術の世界は、一種のぬるま湯だ。生きているが故の痛みや他者・社会との軋轢に直接働きかけることができず、創作活動という代償行為で凌ごうとする、弱い人間のためのシェルター。些細なことに傷ついたり、周囲の価値観に馴染めなかったり、求められる役割をスムーズにこなせなかったりすることも、「繊細だから」「個性的だから」「独自の感性を持っているから」といった形で肯定してもらえる。
そこにいるのは心地良い。一時的に避難することも、時には必要かもしれない。でも、その世界の思考・行動様式に染まってしまえば、「芸術」という崇高な大義名分に守られながら、自分を苦しめるものを作品の中で批判するだけ批判し、そのくせ具体的な行動によって問題を解決する力はない無力な人間になり下がる。
作品を通じて自分が発信したメッセージが上手く伝わらなかったり、評価を得られなかったとしても、「私の表現を理解できるだけの感性を備えていない相手が悪いんだよね」という言い訳が用意されている。
もちろん、質の高い作品や幅広く支持される作品を生み出すことができる人は、芸術家として社会的な評価を得、現実社会に対して一定の発言力を持てるようになる場合もある。実際、有名な作家や美術家などが国や自治体の文化事業にメンバーとして加わり、仕事を通じて社会に対する提言を行うことは珍しくない。
しかし、そこまで行けるのはほんの一握りだ。そこに到達できなかった芸術家は、現実にコミットして変えてゆく強さを身に付けることができず、繊細さを良しとする思考のせいで痛みをやり過ごすこともできず、最終的には「それがどうしたんだよ」と言われるようなメッセージを発信するだけの社会不適合者になるのだろう。
無慈悲な世の中を生き抜くためには、生き辛さや葛藤や悲しみにいちいち動じない強さや忍耐力が必要だ。芸術の世界の空気に甘やかされてしまえば、そういう力は育たない。作品を受け取る側として楽しむのはいいけど、芸術家のコミュニティの中に創り手として入っていくのは考えものだよね。関わるにしても、程よい距離感を保たないとね。
……でも、もしも、作品の中で自分を曝け出すことで、誰かが救われるとしたら。 救われるというほどのことでなくても、他人の内面世界を覗き見ることが、人間やこの世界への一段深い理解や、よりよく生きるためのヒントに繋がるとしたら。創作活動を通じて、そんなことを起こせるなら、素晴らしいだろうな。それを実現した表現者たちから、私も生きる気力を受け取ってきた。奇跡を起こす側になれたら、と憧れもする。
しかし、人を優れた表現者にするのは、努力なのだろうか。やっぱり才能がものを言うのか。もし自分が、持っている時間を表現に捧げ尽くして、それでも才能が足りずに、表現で生活していくのに求められる水準の作品ができなかったとしたら――そんな自分の姿はまさに、「それがどうしたんだよ」と言われるようなメッセージを発信するだけの、社会不適合者じゃないか。
芸術の世界の寛容さに憧れながらも、そこで生きることを「甘え」として否定する。10代から20代にかけて、私は2つの相反する芸術観に引き裂かれていた。
学生のうちは、衣食住の保証も、将来に向けた教育を受けることも全て、父の経済力によって成り立っていた(俗に言う「恵まれた環境」にいたということだ)。人の心の動きと丁寧に向き合う暇があったら手を動かせと説き、自身も無駄口を叩かずに努力して結果を出したであろう父のポリシーを否定することは、自分の生きている土台を否定することを意味していた。振り返ってみれば、当時の私は、与えられた環境の中でスムーズに生きてゆくために、自分の中にある表現への純粋な憧れを抑え込んでいたのだろう。
就職、自立、挫折
大学では経営学を専攻した。卒業後は翻訳の専門学校に1年通ったのち、翻訳会社に就職した。1度転職し、今では会社員歴が10年を超えている。
20代後半、仕事に慣れてきたタイミングで実家を出た。小説を書く時間が欲しくて、仕事以外で人と関わる時間を最小限に抑える生活を3年ほど続けた。作品を新人賞に出しても全く手応えはなく、このままでは精神がやられると感じた。友達の結婚報告を聞く度に、今の生き方を続けて孤独死する自分の姿が脳裏にちらついた。
私は書くことをやめた。 本屋が主催する読書会に行ったり、ミスiDウォッチャーをやったりした。性別を問わず、人と関わりたかった。文筆家としての才能がなかったとしても、他の部分で肯定されたかった。肩の荷が降りた半面、「作家になれないなら死ぬ」くらいの思い入れがなかったから結果が出せなかったのかもしれないと、自己嫌悪に陥ったりもした。
気になる映画や展覧会に足を運んだり、ラジオを聴いてメールを送ったりといったことも始めた。それまでは興味が湧いても「執筆の時間が取れなくなるから」と見送っていたことばかりだった。
雪解け
自分に課していた「未来の作家」という肩書きを捨て、「本とミスiDが好きな、noteに文章をアップする会社員」として様々な人と対話する、ゆるい生活が始まった。
結果が出なかった頃は本屋に行くと「どうせこの中に私の本が並ぶことはないんだ」「本が好きなばっかりにこんなことになって」と虚無感に襲われることもあったが、本関連のイベントで楽しい交流や濃い会話ができた時は自然と「書き手になれるかどうかはともかく、心から愛せる本という存在に出会えて幸せだ」という感慨が生まれてきた。
そして沢山の人と対話を繰り返すうちに、これまでの価値観や芸術観が問い直されることにもなった。
ある読書会で出会った人が、紅茶を飲みながら語り合う空間を30年以上も運営してきた水野スウさんという方の本を薦めてくれた。その中の一冊「紅茶なきもち コミュニケーションを巡る物語」を読んでみると、水野さんが実践してきた場づくりやコミュニケーションの工夫が集う人の心をほぐし、温かい関わりを育んでゆく様子が綴られていた。時折、はっとする言葉に出会った。
「ここでは何を言っても、頭ごなしに否定されたり、お説教されたり、ましてや指導されたり、しない。私の話は、私の話として、きちんと聴かれる。ここで話したことは噂話としてよそにひろがっていかない。疲れた時は疲れた、と、しんどいならしんどい、苦しい、と、言ってもいい場所なんだ――。 そのことを、来た人の誰かれが自分で感じる時期が来ると、その日その場の顔ぶれに応じて、本当にたくさんの一人ひとりが、ぽつりぽつりと、時にはとうとうと堰を切ったように、自分のきもちの内側を語りはじめる。どうやら紅茶って、そんな場所みたいです。」
「一人ひとりが生きてきた、個々には違うんだけどもどこか重なりあう経験が、意図せず、ふわっと、誰かを救う。」
「自分の感じてることって、自分のものなのに、なかなかわからない。見えてない。そんなこと、意外に多い気がします。そうやって言葉にならないまま、でも確かに自分の内側に溜まっていく悲しみやしんどい想いは、そのままにしとくと、きっとこころが便秘してしまうね。それじゃあ重たいし、苦しいなぁ。」
「長いこと胸の中に溜めていた想いを、受けとめてくれる人がいて、固かったこころが、ほんの少し、ほぐれて。おかげで前よりちょっとクリアに、何が本当の問題で、何にそれほど縛られていたのか、その人自身に見えてきて。もしも体重計に、こころの重さを計るめもりもついてたなら、どれだけきもちが話せた=放せた、か、どれほどこころが軽くなったか、ひとめでわかるのにね。」
水野さんは石川県に暮らす主婦。彼女の作る空間に集まる人々は、近所の人々、その友人知人、口コミを頼りに訪ねてきた人などだ。芸術家のコミュニティではない。しかし、ここではどんな些細な話も、どんな生きづらさも、否定されず聴き届けられる。職業にかかわらず、あらゆる人にそういう場が必要だという信念によって「紅茶の時間」は営まれているのだ。
「芸術の世界は一種のぬるま湯」という、これまでの考え方が揺らいだ。固有の感性を肯定することは、誰かを「甘やかす」ことなのだろうか。むしろ、世間一般に蔓延する、傍から見て理解しづらい考え方や感じ方は尊重しなくてよいという発想が冷酷すぎるのではないか。一人ひとりの価値観へのリスペクトを、もっと沢山の空間に広げてゆくべきだ。内面を受け止めてもらうことが、一部の人たちだけの特権になってはならないのだ。
また、この時期に出会った人たちが、些細なことに揺れ動く10代の頃の感性を微笑ましく振り返るのを何度か目にした。
例えば、エア書店「いか文庫」の店主・粕川さんが「あさイチ」に出た時のトークの一コマ。大人におすすめのマンガ特集で、渡辺ペコ「Roundabout」が取り上げられた。作中で展開される中学生たちの小さな喧嘩と仲直りのエピソードが紹介されると、出演者は口々に「この頃は小さなことに喜んだり傷ついたりしていたなあ」と、少し照れ臭そうに、でも楽しげに語っていた。
YOUTUBEの映画チャンネル「おまけの夜」で、「アイスと雨音」という映画が特集された時もそうだった。
youtube
この作品で描かれるのは、舞台公演が上演2週間前に中止になるという、当事者���外にとっては小さな事件。チャンスを奪われたことに納得できない10代の役者の卵6人が閉鎖された劇場に乗り込むまでをワンカットでカメラに収めた、疾走感のある作品だ。
物語の軸となるのは6人の怒りと表現への渇望だが、劇中劇を演じる6人と映画の役としての6人、役者たちの台詞と劇中劇の台詞が混然一体となった不思議な造りによって、衝動と繊細さが同居する斬新な世界が出現している。
松居大悟監督と3人の映画好きたちによるトークを聴いていると、どの人も主人公の6人に対して強い思い入れを持っているのが見て取れた。演劇部員だった高校時代、自分の書いた脚本を問題視した大人によって上演を中止されそうになったことを思い出し、作中の6人が当時の自分と重なったと語る人。大人として様々な経験を積んだ立場から、「その舞台がなくなったとしても、頑張って役作りをした経験は無駄にならないよ」と伝えたいと話す人。多感な10代の心の震えを少し笑いつつも、決して否定せず温かく見つめる眼差しがそこにあった。
自分の凝り固まった価値観を脇に置いて世界を眺めてみれば、些細なことで揺れ動く心を受け入れてくれる大人は、案外多かった。どんな思いも肯定される場を、それを必要とするあらゆる人に提供したいと、貴重な時間を投げ打って活動する人までいる。
「そんなにごちゃごちゃ言うなら、出なきゃいいじゃねぇ」
強い言葉で話を遮られ、沈黙を余儀なくされた小学生の私に、時を超えて、何本もの手が差し伸べられている。 結果を出さなければ、芸術家として成功しなければ話を聞いてもらえないなんて、単なる思い込みでしかなかった。父を信じ、自分を否定した時代もあったが、私はもう一度、当時の自分を肯定したい。
あなたにとっての、一世一代の大舞台。気の合う子とチームを組めるかどうか、不安になるのは当たり前だよね。 最終的には、いいメンバーに恵まれてよかった。 準優勝おめでとう。
あのハイテンションな子は今、どうしているのだろう。 今考えれば、確かに私とは合わなかったものの、性格や人間性に問題のある子ではなかった気もしてくる。
掲げた目標に背を向け、ただの会社員としてぶらぶらしていた頃、私は意外な形で過去の自分と出会い直し、自分を縛っていたものから解放されることになった。雪解けのような、優しい時間だった。
多感に回帰する
多感であることが意味を持つのは芸術家だけ、などということはあり得ない。一人ひとりの中に生まれる千差万別の心の震えに、優劣などない。誰の、どんな些細な感情も、思考も、この世に生を受けたからこそ知ることのできた、かけがえのないものだ。その一つ一つを深く味わうことは、それだけ豊かに生きているということではないか。
そして表現とは、自分の中に生まれた感情や思考を、誰かと分かち合おうとする行為に他ならない。見つけた断片を、お裾分けし合う。無論、それが商品として成り立つかどうかという問題はある。しかし、それはそれとして、本質的には、発信する側と受け取る側、お互いの人生を豊かにする行為であるはずだ。 自分の中には、こんな気持ちがあったのか。あの人には世界がこんな風に見えているなんて知らなかった。あの時は分からなかったけど、今ならあの人の気持ちが分かる。自分以外の誰かと感情や思考を交換することで新たに加わったものたちが、内面をさらに豊かにしてゆく。
忙しい毎日の中で目先のタスクに追われ、誰かの言葉を「それがどうしたんだよ」「手が離せないから後にして」「ちゃんとまとめて喋れ」と突き返すような生き方をしている人は、豊かになるチャンスを自ら手放しているのかもしれない。 もちろん、心の準備ができていない人に向かって重すぎる感情をぶちまけたり、怒りや不満を立場の弱い人にぶつけて楽になろうとする行為を肯定したいわけではない。でも、誰かがシェアしようとしてくれた思いの断片を、遮らずに聞き届けるくらいの心の余裕は持っていたい。たとえ忙しくても、あの日の父のように、強い言葉で黙らせたりせずに。
多感であることを祝福したいと思えるようになった私は、再び小説を書き始めた。 昔書いた作品をプロに有償で読んでもらい、駄目な部分を自分なりに改善して新人賞への応募を再開したら、ささやかな光が見えてきた。「こんなもの書いて何になるんだろう」「頑張って書いたところで、結局『それがどうしたんだよ』と言われるだけなのかもな」という罪悪感から自由になったことで、新しい扉が開いた気がする。
この先も、些細なことにいちいち喜んだり悲しんだりしながら、多感に生きてゆきたいと思う。 もちろん「こんな気持ちは知りたくなかった」「こんな絶望に苛まれるくらいなら死んだ方が楽だ」という気持ちに行き当たってしまうこともあるかもしれない。しかし、そんな状況だからこそ見える自分自身の姿、人間の本質、あるいはこの社会の様相がきっとある。そして、それを目の当たりにした人間にしか成し得ないことも、きっとあるのだ。
渦中にある時は自分を守るために目を逸らしたり誤魔化したりすることも必要かもしれないが、安全な空間に辿り着いてからその苦しみを振り返る時、痛みの奥に、これまで気付けなかったものを拾い上げる感性が生まれている。その感性は恐らく、自分や周囲を、全く新しい形で豊かにする力を秘めている。
浮き沈みを繰り返しながら歩む日々の中で得られた発見や実感を誰かと分かち合い、また誰かからも受け取って、手に入る限りの感情や思索を味わい尽くして死ねたら素晴らしい。
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