Tumgik
#積み重ねられた信用
copyoffice · 5 months
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5社の就職試験を受け、なんと5社すべてから内定をいただきました。 誰にでもできるシンプルな作戦ではあるのですが、実際にやるとなるとすこし大変かもしれません。けれど、どうしてもコピーライターになりたかった私は、自分が編み出したこの方法を実践することで、内定がもらえるだろうという自信のようなものがありました。なぜならその方法は、日本中の誰も(きっと)やったことがない方法だと思っていたからです。 ということでさっそく、その手の内を明かしますね。こたえは簡単。 「写経」です。 わかりますでしょうか? 一般的にはお坊さんがお経をひたすら写し取る作業のことを指しますよね? コピーライターの場合もほぼ同じ意味です。「過去の(名作といわれる)コピーを手で書き写すこと」。これだけです。本当にこれだけのことを行うだけで、試験を受けたすべての会社から内定をもらうことができました。 ちなみにこの写経、コピーライターを志す人や、若いコピーライターなら、経験済みという人も多いと思いますし、上司から「やれ」と言われることもありますよね。それほど“ベタ”な方法なわけです。それでもこの方法で内定がもらえると自信があったのは、人とはちがうやり方を発見したからです。 前置きが長くなってしまいましたが、さっそく具体的な方法をお伝えします。 それは“圧倒的な量”をこなすことです。 あまりにも単純でしょうか? がっかりしたでしょうか? すみません… けれどもなぜわたしが、そんなサルでも思いつくような方法を実践しようと思ったのか。その経緯も説明しておきますね。 わたしは当時、宣伝会議が主催する『コピーライター養成講座』に通っていました。 (…) さまざまな講師の方に、“定点観測をするように”、尋ねました。 「コピーライターになるために今やっておいたほうがいいいちばんの練習ってなんですか?」 シンプルな質問です。答えの中でもっとも多かったのが、さきほど紹介した「写経」だったのです。さらに偶然なのですが、当時読んだ広告業界への就職に関するの書籍の中で、ある人がこう言っていました。「コピー年鑑の1年分のすべての文字を書き写しました」。 よし、これだ! 未経験のじぶんがコピーライターになるための方法はこれしかない! そのときそう思ったんです。 けれど1年分じゃその人の真似で終わってしまいます。倍の2年分にしようか? いやいや、それだとインパクトは弱いかな…。思いきって5年分! うーん…中途半端? ということで結論、 10年分のコピー年鑑を写経しました。 これがわたし流の、すべての会社から内定をゲットした方法です。 さて、やるべきことは決めたものの、そのためにはコピー年鑑を入手しないといけません。ご存知の方も多いと思いますが、コピー年鑑といえば1冊約2万円!もする高額書籍です。若かったジブンが簡単に購入できる書籍ではありません。そこで近所の図書館を何件かはしごして、10年分を手元に入手しました。10冊すべてを自宅のデスクに積み上げると壮観でしたが、これをすべて写すのかと思うと、果てしない道のりにも感じました。 (…) さて、準備が整いました。コピー年鑑は最初から写していきます。TCC賞、審査委員賞、部門別コピー、新人賞という流れだったかと思います(現在の年鑑では新人賞が前の方に来ていますね)。とくに新人賞の受賞者は年齢や作品が大きく取り上げられていたので、勝手にライバル視していました。 また、ひとつの広告に絞ると、キャッチコピー⇒リードコピー⇒ボディコピー⇒そして小さな文字で書かれた注釈まですべてを写します。肉眼で見えない部分は、“100均”で購入した虫眼鏡を使って読み取りました。コピーの良し悪しなんて当時はまったくわかりません。それでもコピー年鑑に掲載されている時点ですべてお手本だと思ってひたすら作業を続けました。 (…) 写経の過程でたくさんの発見もありました。コピーを写すことでいいとされるコピーを知識として知ったということはもちろんですが、それ以外にも、毎年掲載されているコピーライターの名前は嫌でも覚えます。また、その人の文体までなんとなくわかってきます。細かい点でいうと、「ボディコピーってこれくらいの長さが一般的なんだな」など、そういった感覚もついてきます。10年分を通して見ると、じつは毎年同じような作品が掲載されていることも知りました。そのため作業に飽きてしまう日もありましたが、言葉を変えれば“飽きるほどやる”ということは、覚えてしまったということでもあありますよね。とにかくとても大切な経験だったと思っています。 さて、作業自体は楽しかったのですが、困ったこともありました。朝から晩まで写経を続けていると、8時間くらい経過したところで、目の前がチカチカして、軽い眩暈のような状態になるんです。遠近感がつかめず、立ち眩みがするのです。心ではもっと書きたいと思うのですが、その症状が発症したら作業は終了と決めました。1日約8時間。1冊を写し終えるのに5日くらいかかっていたと思います。 10年分を3か月で写経完了! 写経したコピーが書かれたプロジェクトペーパーは、さきほども言ったようにパンチ穴をあけて、リングファイルのいちばん背幅が厚いものに綴じていきます。10年分ですから相当の厚さになります。重量も5kgくらいはあったでしょうか。 ちょうどその頃、養成講座も修了するタイミングでしたので、就職活動も開始しました。養成講座の受講生だけが見られる求人票や、マスメディアンのサービスを利用しました。当時は地方在住だったため、面接のためには上京の必要がありました。交通費をなるべく抑えたかったので、なるべく面接は1日にまとめるようにして、その結果、5社を1日で受けられるようにスケジュールを組みました。 ※書類選考は半分ほどの割合で通過しました。 “写経ファイル”は、キャリーバッグに入れないと持ち運びができないほどの大きさにふくれあがっていました。ですが、面接で毎回そのファイルを見てもらうと、必ずといっていいほどウケます。若干ひかれていたかもしれません。「なにそれ?」「こんなヤツ初めて見た」「誰もやったことないんじゃない?」「うちで決めちゃえば?」などなど…。手ごたえを感じるたくさんの言葉をいただくことができました。 未経験者がコピーライターという肩書きを手に入れるためには、どうすればいいのか。内定から逆算して行動できたことがよかったと思います。元々、学生時代に行った就職活動もけっこう好きでした。いろんな会社にタダで葉入れて、話が聞ける。そしてもちろんたくさん落ちました。そんななかで自分をアピールする方法を考えないといけないということも学びました。 どうすれば、「人と差別化できて」「インパクトを残せて」「いっしょに働いてみたい」と思ってもらえるか。 そういった視点で準備をすることが重要です。しょせん私自身は、実際としては“経験ゼロの若造”なわけですから。それでも「おもしろいヤツだな」と思っていただけると、次のステップに進めるのではないかと考えていました。結果としてすべての会社から内定をいただくことができましたが、正直そこまでの結果は予想していませんでしたけど。 この方法を実践すれば、すべての会社とは言わないまでも、ある程度の確率でいいところまで行けるのではないでしょうか。もちろんもっと楽でスマートな方法もあるかもしれません。でも、本当にかなえたい夢のためなら、努力はできると思います。逆に、これくらいの努力ができないのであれば、あなたはあまりコピーライターには向いていないかもしれません。 ちなみにわたしの場合は、電通や博報堂に入社することよりも、コピーライターになる方が重要でした。 結果として10年以上がたった今も、毎日楽しく働くことができていますし、「会社行くの嫌だなぁ」と思ったことは一度もありません!
未経験でコピーライターの内定を“確実にもらう”方法(実証済み!)|ai0167
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houteiyugi-movie · 6 months
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特別講義 in 専修大学のイベントレポートが到着!
公開を前に本日10月26日(木)、映画の舞台にロースクールが設定されていることにちなんで、法律家を志す学生が集う専修大学法学部の法廷教室にて本作の特別試写会を開催!上映後には原作小説を手がけた五十嵐律人さん、本作の深川栄洋監督、専修大学法学部の関正晴教授による“特別講義”と称してトークイベントが行なわれました。さらにイベントの途中で、法律家を目指す学生たちにエールを送るべく、主演を務めた永瀬廉さんがサプライズで登場!学生との質疑応答も行なわれ、会場は大きな盛り上がりを見せました。
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弁護士でもある五十嵐さんは、原作となる小説を執筆したきっかけについて「もともと法律が好きだったんですが、その面白さがなかなか法律に携わってない方に伝わらないという思いがあり、小説という形で法律の面白さを描けないかと考えました。映画でも出てくる“無辜ゲーム(※生徒たちがゲームとして繰り広げる模擬裁判のようなゲーム)”がアイディアの着想となり、そこからどんどん発展していきました」と明かしました。
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深川監督は、この小説を映画にする上での難しさについて「まず法律用語が難しい(苦笑)。若い人にどう見てもらい、乗ってもらうか? どういうふうに広い裾野に物語の面白さ、法律の面白さと危うさを感じさせるかが難しいポイントでした」とふり返りました。
そうして完成した映画について、五十嵐さんは「どの時間を切り取っても面白い。事件だけでなくそこに至る過程や裁判のパートも飽きさせない工夫や展開の仕方があって、原作をより面白く、エンタテイメントにして完成させてくださって感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛を送りました。
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関教授は法律家の視点で、本作について「いろんな場面で法律の制度や手続きについて出てきますが、そこをうまく使うというのが(よい)アイディアだなと思いました。時効や再審制度、証拠の追加などもそうですし、証人尋問のシーンは特に感心しました。一問一答で現実の裁判に近いものを感じました。普通の刑事ドラマだと主人公が喋りまくって尋問している感じではないんですが、今回の映画は尋問の仕方が実務に近かったです」とそのリアリティを含め、絶賛!これには五十嵐さんも「刑事訴訟法を専門にしている先生のお墨付きをいただけて嬉しいです」と笑みを浮かべていました。
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そして、イベント中盤に完全サプライズで主演の“セイギ”こと久我清義を演じた永瀬さんが登場すると、会場は悲鳴のような歓声に包まれました! 真ん中の裁判長の席に座った永瀬さんは「緊張します…」とはにかみつつ「(映画の中では弁護士なので)こっち側じゃなかったので、ホンマに全部が見渡せる席で、特別な感覚がありますね」とご満悦。学生たちに向けて「弁護士の役をやらせていただき、ロースクール生の頃も少しだけ演じさせていただいて、弁護士になるために並々ならぬ努力をしないといけないことをこの映画を通じて学びました。みなさんも、そういう思いをされているかと思うと、少しだけみなさんのお気持ちがわかるし、親近感がわきます」と笑顔で語りかけました。
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そんな、永瀬さんの劇中での���護士ぶりについて、関教授は「一問一答の形式で、テキパキと杉咲花(織本美鈴役)から言葉を引き出すところの歯切れが良く、まさに法廷でやっている尋問に近かった」と称え、永瀬さんは良い弁護士になれるか? という質問に「訓練を積んでいけば」という条件付きで太鼓判を押しました。これには、法律用語のセリフに苦戦したという永瀬さんは「えげつない訓練じゃないですか!」と苦笑いを浮かべていました。
学生の中には劇中の無辜ゲームのようなことをやった経験があるという人も。ある学生は、この法廷教室で「模擬裁判をやりました。学生が一からシナリオを考えて、役になり切りました」と明かしました。ちなみに裁判の中身は「殺人事件で死刑か? 無期懲役かなど量刑の争い」とのこと。
別の学生は「おとぎ話の『ヘンゼルとグレーテル』を題材に、2人が魔女を殺したことを立証できるか?」というユニークな模擬裁判をやったと語りました。これに“裁判長”永瀬さんは「テーマが面白いですね!」と感心しつつ「ヘンゼルとグレーテルについてそこまで知らないけど、殺すのは良くないですね。有罪で!」と即判決を下し、会場は笑いに包まれました。
また、法律を学んでいた役に立ったことについて、ある学生は相続法の知識を今後の遺産相続の際に活かせると明かし、労働法を専門とする別に学生は、アルバイト先での有給や休業補償について、バイト先に働きかけた経験を明かし、永瀬さんは「法律は僕らの生活と切り離せないので、知っておいて損はないですよね。知識があると、行動もできますもんね」と感心しきりでした。
またある女子学生は永瀬さんに「法律を学んでいる女性のイメージ」についての質問が。永瀬さんは、法律家になるための勉強の大変さやその量の多さに言及しつつ「過酷な状況に耐えられる忍耐力がある強い女性が多いのかなと思います」と語りました。
また、学生からは本作の撮影において苦労したことについての質問も。永瀬さんはやはり、耳慣れない法律用語に苦労したようで「発音も含めそれらをすらすら言わないといけなくて、常にそうした言葉が板についている感じで芝居をしないといけない。一度、法廷シーンで噛んでしまって、長回しでみなさんに申し訳なかったですが、2回目ももっと噛んでしまって…(苦笑)。スイッチが入ると取り戻しづらい空気感で、大変でした」と緊張感のある法廷シーンならではの苦労も明かしました。
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五十嵐さんは、そんな永瀬さんについて「なりたての弁護士という役で、専門家だけどわからないところもあるんですよね。僕も同じ気持ちでしたし、そういう不安や悩んでいる姿や、法律家も完璧じゃないところを表現されていて素敵でした」と自身と重ね合わせてその演技力、表現力を称えました。
さらにある学生からは、King & Princeが歌う本作の主題歌「愛し生きること」について「お気に入りのフレーズは?」というユニークな質問も!永瀬さんは「綺麗な嘘で抱き締めるから」というフレーズを挙げ「全体的に今回の映画のために作られていて、バシッとハマった感覚があるし、どこかで救われた自分がいる感覚もあります。『綺麗な嘘で抱き締めるから』という言葉は、どこかでセイギの美鈴(杉咲花さん)に対する気持ち、馨(北村匠海さん)に対する思いに通じる部分があると思うし、好きです」と明かしてくれました。
イベントの最後に永瀬さんは「この物語はセイギと美鈴と馨がメインで進んでいきますが、それぞれが抱えている過去や思い、人それぞれに自分の正義感があると思うけど、その正義感や信念を突き通すことの苦しさ、つらさ、難しさも含めて描かれてると思います。あまり、法律が近くない存在の人十分に楽しんでいただけると思うし、映画をきっかけにもしかして法律に興味持ってくださる方もいるんじゃないかと思います。余白を残して、考えていただくところが多々ある映画なので、見終わって感想を話し合って、それぞれの意見を交換し合っても面白いと思います」と呼びかけ、温かい拍手に包まれてイベントは終了しました。
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公式サイト
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patsatshit · 6 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集���の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもな���。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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mm0924 · 2 months
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February of Mei Nagano. 2月。ショートケーキはどうやっても倒してしまう人間です…と言えたら不器用で可愛い女の子を演じられたのかもしれないけど、ショートケーキは最後まで倒さずに綺麗に食べられる人間です。フルーツがたくさん乗っているケーキは下の土台とフルーツをきちんと同じ分量で食べられる自信があるし、オペラケーキみたいな長方形で安定している形のケーキならお皿の上にスポンジが1つも残らないくらい綺麗に食べられる自信がある。だけど、ケーキの箱に入ったお持ち帰りのケーキを上手に持って帰る自信はまるでない。ケーキって味はもちろんだけどそれ以上に見た目だと思うんです。箱に入ったケーキをそーっと綺麗なままで持って帰ったつもりなのに、帰ったらいつの間にかケーキは歪んでいて、そんなケーキの存在をながのだけが見て、食べて、なかったことになるんです。ううん、なかったことにするんです。だってきっとそれはこのケーキが本来想定されていた〝食べられ方〟ではないから。ながのの思い込みかもしれないけれど、このケーキを作った人が届けたかった形ではないから。きっと誰よりも〝形〟に〝見た目〟に囚われていると、悲しくもがな感じることがあります。〝感情〟1つでさえその場で現れた感情を如何にして何%で表現するのかを考えてしまうし、友達以上恋人未満のもどかしい関係があったとしたら形の見え方の正解を求めてしまう。曖昧で〝今〟が楽しければいいと思う反面、自分の中で区切られている何かに全てを分類しなきゃ気が済まないんだろうな、と自分の性格を客観視しています。A型の取り扱い説明書みたいになってますけど、ながのAB型です。一言でいうと(「AB型」「性格」「一言」検索)あっさりさっぱりした性格、だそうです。うん、間違いではない、むしろ大正解。だけど、ながのが持って帰ったちょっと歪んだケーキを一緒に笑って「美味しいね」って食べてくれる人にはできればずっと隣にいてほしいと、ながのの中のさっぱりしていない部分で思っています。ケーキを持って帰るのはあくまでもながの。一緒に持って帰ろう、は違うんです。…なんてややこしい子なんだ、と思われていることでしょう。でもこんなややこしいながのにそうやって上手に距離を作ってくれて、ながのが上手くケーキを持って帰れるように手助けしてくれる人が近くにいてくれるんだもん。幸せ者です。ショートケーキ、ロールケーキ、チーズケーキ…きらきら輝くショーケース。さて、今日は何のケーキをテイクアウトしよう。 日々生きているだけで、色々なことがある。言っていないこと、言えなかったこと、言いたかったこと、あえて言わなかったこと、我慢したこと、我慢できなかったこと、泣きたかったこと、泣いてしまったこと…きっとたくさんあると思うんです。〝人〟の〝生〟き様について。生きる意味を考えない人もいる��、考えすぎてしまう人もいるし、考えないようにしてる人もいるし、意味なんてないと考えている人もいるし、生きながら探し続けている人もいる。日々生きているだけで起こる〝色々なこと〟のせいで、このままふらっと消えちゃおうかなと思う瞬間や衝動は大人になるにつれて増えたけれど、そんな時「人生なんて、あともうちょっと頑張ろうの繰り返しなんだよ!」といういつかの誰かの言葉を思い出します。そして〝あともうちょっと〟について考えて、絶望したり希望を見出したりするんです。きっとこれから先の人生、それの繰り返しで大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりするんだとしたら、生きていくことって心細すぎる。1人じゃとても抱えきれないとも思ってしまう。大丈夫じゃなくなる直前までは誰かに頼ることができるけど、本当に大丈夫じゃなくなってしまったらもう1人でうずくまることしかできなくて、そんな状態に慣れてしまうんです。ながのにもそんな時期があったし、これからもあるかもしれない。だから、元気の無い状態に慣れてしまわないように、元気になれそうなことは積極的に摂取していきたい。例えば、雨の日にお気に入りの傘を差してみたり、いつもより少し大きな声で「いただきます」と言ってみたり、家を出る前には姿見の前でくるっとターンしちゃったりなんかして…小さいけれど元気になれそうなことをかき集めていたら、気付いたら大きな元気玉になっていたりするものなのよ。ふふ、得意なんです、小さな元気を見つけるの。小さな元気をかき集めて「あれ?もしかしたら凄い元気かもしれない」そんな錯覚をしながら生きていけたら、それが希望になるんじゃないかと思ったりします。生きる意味なんてないかもしれないし、意味がないことに意味があるのかもしれないし、この世界を去る瞬間にしか分からないことなのかもしれないけれど、いつか「このために生まれたのか!」と思えるときがあるかもしれないし…まだよく分からないけれど、分からないからもう少しここで生きてみようと思う。あともうちょっと頑張ろう。 お仕事!今月は伊右衛門やアイシティの新CMや、「Ray」の表紙や「BARFOUT!」の紙面に出していただきました。また、今年もミラノで開催されたPRADAのショー『PRADA FW 24』に出席させていただきました。PRADAのアイテムはどれも可愛くて、年々パワーアップしています…!そして、現在放送中のドラマ『君が心をくれたから』のノベライズが発売決定となりました。小説にはドラマ本編の内容に加えてドラマには出てこないオリジナル短編小説も収録されています…というのはXの投稿にも書かせていただいたので、ここを読んでくれた方にだけ特別にもう少し教えちゃうと、オリジナル短編小説は宇山さん書下ろしで『クリスマスと小さな二文字』というタイトル、高校生の雨ちゃんが「太陽さん」から「太陽くん」と呼ぶまでの物語です。好きな人の呼び方を変えるってどういうことだと思いますか?ながのの考えもちょこっと小説で知れちゃいます。1巻は雨ちゃん視点の短編となっていますが、2巻は太陽くん視点で別エピソードになる予定(宇山さんが締め切りに追われているのを目撃しました)なので、是非ノベライズもご一読ください。ドラマはもう8話の放送を終え残りあと3話、〝逢原雨〟として精一杯生きたいと思います。
3月のながののイチオシソングは声にならないよさんの『死にたい夜のBGM』。何度聴いても単刀直入だなと思う歌詞だけど、辛くてどうしようもなくなった時、この曲がもう一度ながのの目の前に出てきてくれるんだと思う。
君の笑顔が曇ったこと僕が気づかない訳ないでしょ? 君の瞳がにじんだこと僕が気づかない訳ないでしょ?
そう言って口下手なながのから言葉を引き出してくれる、大好きな人へ。MVに出てくるノートに書かれた「・仮面をかぶっている自分→私とは?」、泣いていないふりをして静かに涙を拭いて、連絡のこないスマホはただの鉄の塊にしか見えなくて、パソコンを開いて文章を書こうと思うけど何も出てこなくて、だけどあなたと話している時間だけは全部忘れてころっと笑顔になれちゃう。死にたい夜のBGMはいつもあなたの声で、気づかない訳ないってわかってて「どうしたの?」と尋ねてくれる優しさに甘えて温かさに包まれて安心して、頼りっぱなしで甘えっぱなしでたくさん我慢させてる。これはめいの力不足。2分5秒から始まる手拍子に背中を押されて前を向けた。気持ちを原点に戻して。あなたがあなたらしくいられるように、辛くてどうしようもなくなった時、死にたい夜のBGMがめいの声になったらいいのにとそんな欲張りなことを願う。あなたの幸せの形を選ぶのはあなたしかいないけれど、めいの幸せの形には間違いなくあなたが存在します。もっと知れますように、もっと知ってもらえますように。上手に気持ちを伝えるのは苦手だけど、1つだけ。もしまた生まれ変われるなら、次も絶対出会いたい。 Tumblrの更新が回を増すごとに綴る文章の題材、内容、言葉選びに不安を抱えているながのですが、「紅茶入れてからゆっくり読みたくて」とか「毎月の壮大なタンブラー好きだよ」と言ってくださる方々のおかげ(本当にありがとうございます。)で毎度自己肯定感は上がりっぱなしで調子に乗って後書までつらつらと書き進めている今日この頃です。こうして毎月文章を書いていると〝うっかり言っちゃったこと〟より〝それでも言わなかったこと〟にその人の本質があると思える時があるんです。きっとそれって〝生まれつき持っていた感情〟よりも〝生まれてから育てた意志〟に興味があるからだと思います。ながのがTumblrに綴る言葉は陰も陽も、ながのの意志が伴って発信している言葉。発信した言葉の裏にはいつも〝それでも言わなかったこと〟が付きまといます。生まれつき持っていた感情に流されて、言わないでいいことまで言ってしまうとか、言いやすいから強く言いすぎてしまうとか、そうやって相手への気遣いを疎かにして、無意識に一緒にいられる毎日が当たり前だと思ってしまっていて、そんな怠惰の積み重ねで関係って崩れていくんです。関係って水みたいで、零したものにこだわって掬いなおそうとしても元に戻すのは難しいから、これからまた少しずつ注いでいく必要があるんだと思う。グラスが割れないうちに。自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 3月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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ashi-yuri · 3 months
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トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
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同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わりと楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶっているのだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌味と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
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elle-p · 4 months
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Famitsu 1823 Persona 3 Reload part scan and transcription.
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続報
謎だらけの迷宮タルタロスも新ギミックを追加してリニューアル!
真田明彦
声:緑川 光
さあ挑め、奈落の果てに
当時開発に携わったP-STUDIOがみずから現行最新機種でフルリメイクしたJRPGの名作。1日と1日の狭間に存在する“影時間”に潜む謎の存在“シャドウ”と戦う若者たちの物語が、新たに描き起こされたグラフィックで色鮮やかに蘇る。今回は、登場人物たちの情報や迷宮タルタロスの新要素を紹介する。
3年生でボクシング部の主将。専用ペルソナ“ポリデュークス”は、不死身の肉体を持ち、剣術と拳闘の名手として名をはせた、ギリシャ神話の英雄だ。
専用ペルソナ
ポリデュークス
己の拳を武器にシャドウを叩きのめす
電撃と打撃のハイブリッドでシャドウたちを蹂躙する
←↑も���ろん真田も、本作からの新要素である超強力なスキル“テウルギア”を使用できる。彼のテウルギア“ライトニングスフィア”は、敵全体へ相性を無視した電撃属性の大ダメージを与える効果を持つ。
専用ペルソナ
ルキア
山岸風花
声:能登麻美子
主人公の同級生で、パーティーを後方から支援するナビ役を務める。専用ペルソナ“ルキア”は、古代ローマで信仰を貫いて殉教したシチリア島の聖女。
←↓支援スキルで主人公たちをサポートする風花。テウルギアの“オラクル”は、味方全体にランダムでいい効果が発生する。
↑→突剣を振るう美鶴。テウルギア“ブリザードエッジ”は、敵1体へ相性を無視した氷結属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
桐条美鶴
声:田中理恵
専用ペルソナ
ペンテシレア
3年生。特別課外活動部部長にして生徒会長、フェンシング部にも所属する。専用ペルソナ“ペンテシレア”は、ギリシャ神話に登場する誇り高きアマゾネスの女王。
巨大な迷宮タルタロスに挑め!
1日と1日の狭間に存在する“影時間”にのみ姿を現す巨大な迷宮“タルタロス”。内部には無数のシャドウが徘徊し、主人公たちに襲い掛かる。本作ではグラフィックや一部ギミックが新しくなったほか、ダッシュ移動、ボタンひとつでパーティー全体のHPを回復させる“オートリカバー”などの機能も追加。
↑→本作では操作系が見直され、探索がやりやすくなった。また、戦闘後のシャッフルタイムも選択制になるなどより便利に。『ペルソナ3ポータブル』で追加された失踪者救出も実装。
破壊オブジェクトと施錠された宝箱
タルタロス内には破壊可能な物体や宝箱が点在しており、フィールドアクションで破壊した物体からは、回復アイテムなどが出現することがある。宝箱には施錠されたものもあり、“薄明の欠片”と呼ばれるアイテムで解錠が可能。手間は掛かるがそのぶんいいアイテムが入手できる。
オブジェクトを壊しアイテム収集に励もう
↑→破壊オブジェクトの中には、宝箱の解錠に使う薄明の欠片が入っていることも。発見したら積極的に破壊するといい。
エントランスの時計
タルタロスのエントランスに置かれている時計を起動すると、パーティーメンバー全員のHPとSPを全回復できる。ただし、起動には毎回薄明の欠片が7個必要となる。薄明の欠片は貴重なのでムダ遣いせず、探索期限間際で探索の継続が必要な場合など、いざというときに使おう。
SPを回復できるありがたい施設
←タルタロスではとくにSPの回復手段が乏しく、時計は貴重な存在。使いどころを見極めて薄明の欠片を投入するのだ。
モナドの扉とモナド通路
探索中、“モナドの扉”と呼ばれる巨大な扉が出現することがある。その先には貴重なアイテムが入った宝箱と、強力なシャドウが待つ。
←↑モナドの扉の奥では、貴重なアイテムが入手可能。ただし、強力なシャドウが待ち受けているので、腕前に自信があれば挑戦しよう。
風花だけが使える支援スキル
風花の支援スキルは、戦闘だけではなく探索時のサポートも行える。探索中に“ナビボタン”を押せば、支援スキルを選択して発動できる。
←↑フロア内の敵から感知されなくなる“ジャミング”を始め、スキルは多岐にわたる。発動にはほかの仲間と同様にSPが必要となる。
港区の街を巡って出会いを捜そう
街中で出会う“コミュ”のメンバー
→放課後や夜の時間には、ポロニアンモールや巌戸台駅など、学園外のさまざまな場所に移動できる。
主人公が、出会った人々と交流を重ねて絆を結び、その絆をさらに深めていくことで発生、成長する“コミユニティ”(通称“コミュ”)。コミュランクを上げると、そのキャラクターにまつわる特別なイベントを見られるほか、ペルソナ能力の強化にもつながる。今回は、コミュを築ける人物の中から、おもに学外で出会う人々を紹介しよう。彼ら彼女らとは、放課後や夜の時間などをメインに交流することができる。
飛躍的に顧客を増やすテレビ通販会社社長。お金にがめつく、独特の経営理念を持つ。主人公をタレントとして売り出そうと目論む。
たなか社長
テレビ通販社長
声:島田 敏
ややガラの悪い僧侶。煩悩だらけの様態を見せるが、檀家からの評判は上々。主人公に独自の価値観と言葉で説教をくり返す。
無達
型破りな僧侶
声:青森 伸
他校の陸上部のエースで、全国レベルで注目を浴びる実力者。主人公に才能を見出し、ともに競い合うライバルとして認める。
早瀬 護
他校のエース
声:梅原裕一郎
オンラインゲームで出会うプレイヤー。主人公の操るN島を相棒と呼ぶ。休日には必ずログインし、主人公が来るのを待っている。
Y子
インターネット
声:なし
長鳴神社脇の公園で出会う女の子。両親が離婚寸前で不安を感じ、あまり家に帰りたがらない。主人公をおにいちゃんと呼び慕う。
大橋舞子
神社の女の子
声:河野ひより
不治の難病を患っており、休日になると弱った体をおして神社へやってくる。自分の生きた証を童話という形で残そうとしている。
神���秋成
余命いくばくもない青年
声:野島裕史
古本屋“本の虫”の店主夫婦で仲はとても良好。数年前にひとり息子を亡くし、生前に彼が植えた柿の木を形見のように思っている。
北村文吉•
光子
古本屋の老夫
声:高木早苗
声:龍田直樹
休日にはメールでの誘いも
放課後や休日には親交を深めたキャラクターたちからメールで誘いを受けることがある。個性的なメールにニヤリとすることも⋯⋯?
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kennak · 1 month
Quote
僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった 僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。 総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。 また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。でも心の奥では分かっています。あのBは、僕への正当な評価だということを。あれ以外にも、他のいくつかの科目でBをもらってしかるべきでした。どうにかそれは避けられたわけですが。 最近、SAT (大学進学適性試験)を受けたら1900台のスコアでした。ただ単に怠けていたからこの結果だけど、本気を出したらもっと全然すごいスコアがとれるはずと考えました。なので、その後もう一度受けてみました。よく出来た感触はありましたが、結果は前回よりたった約40点よかっただけでした。 昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。たぶん親元を離れずに地元のつまらない大学にいくことになるんだろう、と今になって悟りました。あぁ。 あーそれに、僕の趣味といえばゲームとRedditだけなんです。クラブ活動とかも全くしてないし。車の免許さえ持ってない。終わってる。まぁ、これは僕の知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。 対する返信。 どうも、遅れてすいません。新年を祝うのに忙しくて(笑)。君がまだこのスレをみているとよいのですが。 さて。私はちょっとユニークな視点を持っていると思います。私は、MITの入学試験をいままで様々な視点で見てきました。受験生として、学生として、教師として、そして今は有望な学生を面接する卒業生として。君がMITに触れているのをみて私は、ちょっと時間をかけていい返信をすべきだなと思いました。 入学試験に関する標準的なアドバイスから書き始めるつもりでした。(例えば、SATのスコアは大した問題じゃないよ、とか。)そんなアドバイスもありでしょう。しかし君の抱えている問題は入試云々よりも遥かに大きなものです。君が遭遇しているのと同じ問題に同級生たちがぶつかるのを私は何度となくみてきました。もし昔の記憶をここに再現できるなら、新入生の頃の私を君にみせてあげたい。 私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。とりあえずMITに入学したのです。加えて、一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。つまり一年先の数学、微分方程式と、物理2という難しい方の物理から始めることができたのです。履修登録は簡単にできて、私は自分の決断に満足でした。 時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか、(そしてたいていの場合には)他にやるべきことがあったからだなどと言って。いい成績をとれば、エゴが満たされました。自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。私はそれまでMITを全く見くびっていたのです。ほんとうに惨めな気持ちでした。 幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。彼は2年生でしたが、学部で最も進んだ数学のクラスにすでに出席していました。彼はMITに来て、微積分、多変数微積分、微分方程式、線形代数、実解析(MITで最も難しいと悪名高いクラス)、そしてその他多くの数学の単位を取得しました。そしてなにより、彼は魅力的で、やる気があって、社交的でした。人間なら1つや2つあるだろう欠点もこれといってありませんでした。 微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。そして、必要に応じて学んで訓練をした知性の道具や数学の道具を蓄積した結果として、彼の大きな道具箱があるのだと知りました。彼はそれらの道具をいくつか見せてくれましたが、私にとっての本当の収穫は、自分独自の道具をどうやって探して、つくって、改良するかという方法を理解したことでした。Rに憧れ、尊敬をしていました。私は、彼のずば抜けた能力と張り合えるようには一生なれないだろうと思うと同時に、その原因がなんだかも分かっていました。私と彼を比較すれば、私は信念に欠如しており、彼は信念にあふれているということです。遺伝子の偶然などということではなく。 「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。君はいま気づかずにこの罠にはまろうとしています。君は最初の2段落では自分の知性を問題としていますが、続けて、自分にはふさわしくない良い成績をとったと言って卑下していますね。やる気のなさが、クラブ活動をしていないことの要因だとは君は思っていますが、SATスコアの要因とは思っていないようですね。(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)君のこの最後の一文は、投稿した文章全体にもあてはまってしまうでしょう。 > まぁ、これは僕の知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。 君がAをとったのは、君が勉強をしたかあるいは授業内容が簡単だったからです。君がBをとったのは、おそらく、どうやって扱ったらいいのか分からないことや、そう簡単には腑に落ちないようなことをすぐ理解してしまうのに慣れすぎたからだと思います。思うに、君は早いうちに認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりということを素早くできるようになったのです。でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要となる、ちゃんとした道具一式を全く発達させなかったのです。私がそうでした。でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまではそれに気づきませんでした。君に質問があります。だれか今までに時間をかけて勉強の仕方を教えてくれた人はいますか?それとは別に、先生やカリキュラムなしで自分自身で勉強する方法を君は学んだことがありますか?これらは習得することのできる最も重要な道具です。なぜなら、この道具を使って、さらに強力でさらに遠くを見通すことのできる道具をつくることができるからです。それがただ雪だるま式に大きくなることで、Rのような人になるのです。 MITの卒業率は97%です。つまり入学したほとんどの人が卒業します。3%の卒業できない人とその他の卒業できる人を分けるものがなんだか分かりますか?私には分かります。私は何回もそれをみてきましたし、私自身危うく卒業できないところでした。MITの4年間を、卒業できないほどの悪い成績で過ごす人はほとんどいません。実際、そういう人を一人もすぐには思い出すことができません。MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。私は、やる気をみつける方法を教えてくれる人と出会えて幸運でした。インターネット上でできることは小さなものですが、私があなたに対してその役割を果たすことが出来ればと願っています。私は大学一年目の挫折から立ち直り、学業がとてもうまくいくようになり、同級生、下級生のティーチングアシスタントを務めるまでになりました。4年生のときには、寮で新入生の横に座り、私がかつて先輩から教えてもらったことと同じことを教えたものでした。そして彼らが、かつての私が抱いたものと同じ感情と闘い、それを克服するのをみてきました。MITを卒業するまでに私は、入学時に尊敬していた人になっていたのです。 君はとても若い。頭があんまりよくないのではなどと悩むには本当に若すぎる。年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。君は、自分は燃え尽きてしまった、あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているという風に感じています。でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。これが決断であるということを認めるのは怖いことです。なぜならそれは、君にはなにかをする責任があるということですから。でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。君にできるなにかがあるということですから。 さぁ、やってごらん。
僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録
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ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
��て稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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oq-oq · 1 year
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多様性とかいうけど
逆境体験を生き延びてきた友人が、自己治療的なものとして薬物を使用していた時期があり、それ自体は生き延び方としてわたしは肯定されていいと思っているのだが、会話の中でカジュアルに薬物を使用したいと言われることに嫌悪感があった。すごく憤りを感じたのはなんでだったんだろうかと考えると、薬物を安易に会話の中に出してくるというのは、わたしの生活や仕事に対してのリスペクトがないような気がしたからだと思う。薬物を拒否しているのは社会的な信頼をすごく失うもので、それが合法でも違法でも許容されない社会で、使用したわたしに不利益を被るだけでなく、わたしと関わっている子どもたちや団体にも大きな不利益を被るものだ。そして、逆境的な体験から抜け出すために、血の滲むような努力をし、自己治療として薬物を使ってきた自分自身へのリスペクトが足りないことも友人への大きな憤りだった。わたしとしては守りたものがあるから、アウトローな人とは仕事のクライエント以外として付き合うことはできない。こう本人にもはっきりと伝えた。
SWerとして、働いているといろんな人と出会うし、モラルや倫理に違和感を感じる人もいるけれど、それは生き延びてきた経験が違って、それが生きる術になっているからだろうと、SWerとして理解している。でも、友人としてこういう危うさに向き合う時に、SWerとしての自分がでてくるのは対等ではないなと思っていて、わたしの感情が全面に出るべきだと思って���る。でもそもそももうSWerのアイデンティティがわたし自身のアイデンティティになっているところも十分にあり、どう向き合ったらいいのか悩んだりする。こんな仕事をしていない方が悩まなかったんじゃないかとも思う。
多様性とかいうけれど、綺麗な話じゃなくて、こういうジレンマの積み重ねなんだろう。環境が違うなら交わらない方がいいんじゃないかって気持ちにもなるけれど、諦めたくもなくて、今日もうーんとこんなことを、考え続ける。
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reportsofawartime · 4 days
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シャール・アル・アサド: 「若い頃、私はたくさんの計画を持っていて、それをすべて達成したいと思っていました。 年を重ねるにつれて、すべてのことには代償があることに気づき、優先順位をつけるようになりました。1 つのタスクを管理できなければ、他のことを達成することは不可能になります。 私は過去を懐かしんで振り返るのではなく、時間をかけて貴重な経験を積み、より効果的に働けるようになりました。 [ソーシャル メディアを利用していますか? たとえば、市民があなたについて書いたものを読んでいますか? 自分の仕事に対する市民のコメントに興味がありますか?] 会長になる前、私はシリア情報学会を率いていました。私は常にテクノロジーに興味があり、デジタルテクノロジーの将来に自信を持っていました。 しかし、インターネットは簡単に操作されて、どの国の内政にも干渉できるということも私は知っています。 ソーシャルメディアを使用するときは、人々との直接的なやり取りとのバランスを取るようにしています。 ソーシャル メディア プラットフォームは人を騙す可能性があり、コメントや評価の信憑性を検証することが難しい場合がよくあります。オンライン上のやりとりは、常に現実と比較する必要があります。仮想の世論は必ずしも大多数の意見を反映するわけではなく、捏造される可能性さえあるからです。 したがって、意思決定を行う際にはソーシャル メディアに頼るべきではありません。 シリアでインターネット技術の発展を推進し始めたとき、私はそれが諸刃の剣であると認識し、高度な技術に伴う潜在的な危険性を常に念頭に置いていました。 [仕事に復帰する際に役立つ趣味やリラックス法などはありますか?] 個人的には、映画やテレビにはあまり興味がありませんでした。子供の頃から読書とスポーツを好んでいました。 年齢を重ねるにつれて、トーク番組が好きになりました。時間があるときは、オンラインでドキュメンタリーを見たり、運動しながらニュースを聞いたりしています。 私は音楽が好きですが、聴く音楽は気分によって変わります。 [あなたには3人のお子さんがいらっしゃいます。ご自身の豊富な経験とこれまでの歩みを考えると、政府職員という仕事は困難で、時には矛盾することもあると承知の上で、お子さんに公務員になってもらいたいと思いますか?] 父が生きていた頃、私がシリアでインターネットを開発していたとき、自分が政府職員になるなんて想像もしていませんでした。父は私の将来の役割について私と話し合うことはありませんでした。 そのような決定は、世界における自分の役割を理解した上で、各個人が行うべきだと私は信じています。 私の子供たちがどのような道を選ぶかは分かりませんが、私たちは皆、できる限りのあらゆる立場で国に貢献することを約束します。 誰もが自分の役割を自分で決めるべきだと思います。必ずしも国の最善の利益に奉仕しなくても、政府職員や管理者になることができるのです。 これらはすべて、個人自身の性質から生じます。 親が子供の将来を決めるのは適切ではないと思います。 親は子供たちに国への愛、国の歴史への敬意、そして国のために犠牲を払う覚悟を教え込むべきだ。 個人が自分の選んだ分野の資格を取得し、そのスキルに基づいて国に最も貢献する方法を決定することが重要です。 私の子供たちは戦争を経験しており、なぜ戦争が始まったのかをよく尋ねます。 もし彼らの世代がリベラル派の猛攻に耐え、なぜ戦争が避けられなかったのかを理解すれば、彼らは大きな成功を収めるだろう。」
#S
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keredomo · 9 months
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愛の完成
 あなたが殺してくれと言うので、それなら一緒に死のうよ、と返した。  その即座の返答が、あなたには意外だったのだろうか。少しだけ悩んだそぶりを見せてから、そうするかあ、と返事が来る。あなたがその返事を打ち終えるまで、「……」と表示されるメッセンジャーのトーク画面を見つめていた。ようやく覚悟が決まったらしい文面に、「やった、念願の心中だ」とわたしは無邪気に喜んでみせる。あなたの数秒のためらいはなかったことにしながら、努めて無邪気に。「ようやく一緒に死ねるね」と。たった数秒かけて打ち込んだだけのあなたのしょうもない覚悟、その覚悟なんかに何の意味もないことを察しながら、それでも努めて無邪気に、無表情のまま、文面だけは無邪気ぶって同調し、あなたのそのか細い不安の尻尾を捕まえて自分のものにしようとする。  それは醜悪な独占欲の行使だったが、やっと、やっと捕まえたと思ったのだ。死の匂いのする愛の場処に、ようやくこの人を引きずり降ろしたのだと。
 *
 「殺してくれ」と言われて、「一緒に死のう」と返す。その姿ははたから見ればまるで幼い茶番のようだが、まったく笑えも救われもしないのは、私たちがこれらの言葉を至極本気で言い交わしているからだった。  われわれの交わす言葉に嘘も虚飾もない。それは、数年来、知力の限りを尽くして言葉によってやりとりしてきた関係の守ってきた、唯一の約束だった。ほかに何も交わせないからこそ、それだけは決して破ってはならない約束。言葉という、そもそもが虚飾になることをまぬがれないツールにおいてその約束を結んでしまった以上、われわれは言葉の粗さによって生の実を歪めることを受け入れ、それによって隙のない盤石な関係を築き、「われわれの倫理」という誰にも踏み込むことのできない倫理領域を作り上げた。われわれはその倫理の国の薄い空気のなかで必死になってのたうちまわってきた。いよいよ酸素も足らなくなり、死んでしまおうと計画し��めたのだった。
 息も絶え絶えになってしまった私たちは、本気でこんなことを言い交わして、しかし心に飼っている理性は、われわれがこの心中計画をどうしたって実現し得ないことを知っていて、あからさまに失笑してみせる。互いの頑強な理性がストッパーを担っていることを、本当は互いにわかっていた。どんなに苦しんだところで、理知に従って生きている私たちは恋愛のためには死ねない。この甘い甘い心中計画は永遠に果たされない。わかっていながら、われわれの築いてきた強固な倫理の要求にあらがえず、一緒に死のうと言い交わすことになってしまった。  なんてやるせない愛の睦言だろう。システマティックに煽られた感情にすぎないこの睦言には、けれど倫理を成立させるだけの情熱と真意がたしかに燻っている。社会的な倫理と私的な倫理の相剋は、私たちを無様に苦しめた。どんなにこの愛の深みに沈み込んでみたところで、死をもって完遂することはできないだろう。関係が袋小路に入ったところで、信じたいはずの互いの言葉が空虚なものとして舞う、苦しいばかりの中途半端な共依存関係がわれわれをずたずたに傷つけていた。二つの倫理に引き裂かれているがゆえの、中途半端な共依存関係。
 睦言が睦言に過ぎないことを知っている大人同士の、けれどもその寂しさがゆえに成り立つ、これは「完成された恋愛」だった。私たちのためだけに築いた二人だけの倫理が成り立たせる、何の澱みも、緩みも、破綻もない恋愛だった。言葉を拠り所として紡いできた関係は、それゆえ、互いの言葉への信用がなくなればあらがいようなく終わってしまうのだった。  一緒に死のうだなんてあからさまに陳腐でみっともないことを言い交わす羽目になってすら、私はまだあなたとの恋愛の甘い夢から覚めることができないのだった。関係して6年。交わしてきた膨大な言葉たちが溶け合って、私はとうに自分を見失っている。自分の大きな一部を、大きすぎる一部を、あなたに明け渡してしまっている。おのれの足だけではもう、立てなくなってしまっている。  わが半身となった者なしにはすでに歩くこともままならず、ようやく一緒に死のうと言い交わせても、言葉にすることでそれが土台不可能であることを理性でもって再確認するだけだった。一人で立てもしないが、二人で死ねもしない。おのれの一部を明け渡していると自覚することは、同時に、おのれの全てをあなたに明け渡すことができないと了解することであった。  あまりにも似すぎている者同士の、相互理解の深さが私たちを悲しみに追いやった。相手が私のために死ねないことなど、はじめからわかっていた。私が相手のために死ねないことも、わかっていたはずだった。
 あなたは言う。「あなたはこの先、誰と恋愛をしたってどうせ深く傷つき続けるだろう。だったら、その相手はわたしであってほしいと、身勝手ながら、そう思うんだ。どうせ誰かに傷つけられるなら、わたしが傷つけたい。わたしでいいじゃないか。わたしに、傷つき続ければいいじゃないか」。  あなたは言う。「あなたが恋愛で傷つく相手は、これからもずっとわたしであってほしい。一生、わたしであってほしい。どうせつく傷ならば、その傷はわたしによるものであってほしい。でなければ、わたしは気が狂ってしまう。あなたがほかの男に傷つけられることを考えると嫉妬に狂ってしまう、暴力でもなんでも行使してあなたを独占してしまおうという虚妄に身を灼かれてしまう」。
 あなたの言うことには一理ある、と思う。一理どころではなく、このわれわれの倫理に則るのなら、それだけが真実だと思う。あなたのその嫉妬心も独占欲も、人が抱くものとして、真っ当なものだと思った。それらは人が人に向ける感情の中でもっとも狂おしく、もっとも切実で、もっとも真剣なものだ。そして、あなたがそれを発揮できるのは、われわれの倫理の内側でのみだ。私はあなたの吐露したその切実さに絡め取られて、思う、確かに私にとっても、これからも傷つき続けるのであれば、その相手はあなたがいい。暴力的に独占されるのであれば、その相手はあなたがいい。  けれど、そうか。私はこの先も、傷つき続けるのか。私のもう一つの倫理がそれを拒もうとする。この叫ぶような痛みを受け取り続ける生を送るのか。あなたは、私が傷つき続けるこの世界から私を救い出してはくれないのか。そんな生を、私はずっと生き続けるのか。
 あまりにも強固なわれわれの倫理に絡め取られて、すでにこの身は牢獄の囚人のよう。あまりにも寒く、あまりにも惨めだ。けれど実のところ、どちらかといえば、私のほうがあなたを牢獄に引きずり込んだのだった。私はそれに気づいていた。その責任を果たさねばならないと思って、あなたよりも数年早く、私は二人で死ぬことについて静かに腹を括ったのだった。この結末は死にしかないだろうと結論づけたのだった。  括った腹の、括った紐が緩めば、臓器が汚い床にぶちまけられるだろう。赤黒い腸が跳ね、痛めつけられて穴だらけになった胃がべしゃりと形を崩し、膵臓がそこに黄濁して積み重なる。そのグロテスクな光景を見てもまだ、あなたは私を愛するだろう。破裂した私をも尚、あなたは愛するだろうと思えるほどの骨がらみの恋愛を、私はしていた。渾身でもって。そうしてようやくその汚濁にあなたを引き摺り込んだ。
 *
 ぼんやりと、視力の落ちた目で自分の暮らす一人きりの部屋を眺める。輪郭は揺らいでしまって掴めないが、それでも色彩だけは判別できる。本棚に差す書物の色を選べないせいで、夥しい色が自室にあふれかえっているのがゆらゆらと揺蕩って見える。これらの色々の、すべてに生気が宿っているような気もするし、すべてが死んでいるような気もする。この景色がそのまま私の存在にも反映されていることだろう。私のすべてに生気が宿っているような、私のすべてが死んでいるような――こんなマージナルで危うい生を、これからもまだ、生きるのか。とうに限界を迎えているというのは、どんな言葉で訴えても誰にも正しく伝わらない。私だけが知るところだった。私だけが、つかみどころのない人生に膿んでいた。それはすでに、生ではなく死であるように感じられた。  このぼやけた景色は「完璧な恋愛」の代償だった。愛は命を削る。私の命は削られていた。あなたの命もまた、削られた。
 心中の相談をしながら、あなたと私の感情はけっしてそこに乗ってはいない。ただ、理屈の上だけでの話をしてお互いを慰め合っているのだった。「死ぬの、どこがいい?」「東尋坊でしょう。遺体が見つからない場所がいい」「私もそう思ってた。身投げですね」「うん、そうしましょう」。  なんて空虚な会話だろう。私は唇の片方だけを吊り上げて笑う。ここにあるのは形式だけだ。私たちは間違いなく、何があろうと間違いなく、東尋坊で身投げなどしない。一緒に海の藻屑になることを選びはしない。倫理の強制力に従って口にしているだけだ。この会話すら、「あなたを深く深く、深く愛している」と告げるためのメタファーにすぎなかった。そこには形式だけがあった。  これほど陳腐でこれほど切実なメタファーもない。私たちは確かに、そのメタファーに乗せて、互いの思いを伝えあっていた。けれど、そもそもそこに載せるべき感情は、本当に存在しているのだろうか? わかっている。これは、心中というロマンティシズムに淫することもできないまま、ただ会話をつなげているだけの空虚なやりとりなのであった。愛と呼ばれる美しい交歓はすでに散ってしまって、私たちのあいだに残されているのは、責任、けじめ、矜持、昇華願望、そして諦めだけなのだとすれば、どうしよう。――愛って何だっけ?
   *
 私は知っている、あなたという人は、あまりにも歪なやりかたで、「本心」というものを置き去りにしながらこの世を生きてきた。その場の、場当たり的な誰かの要望に無我に応じることで生をやりすごしてきたあなたは、ここにきて、私の切なる終わりに対しても、いよいよ同じ態度をとっているのではないか。そして、私もまた同じであるからこそ、それに気づいてしまうのではないか。  当事者の私たちですら拾いきれないほどの数多の言葉を交わしてきたから、改めて語られずとも、あなたの生き様についてはよくわかっている。私が送ってきたのとは真逆の生をあなたは生きてきた。奇跡的なことに、互いの「愛」の定義だけが同じだった。だから愛をやれた。完成するまで、愛をやれた。愛は完成した。完成した愛は、そののちに、壊れようとした。
 完成とは「それ」が永遠になることだと、語義の上で、経験の上で、ずっと信じていた。それなのに、完成した愛も齟齬によって破綻しうるのだとすれば、一体何を目指してゆけばよいのだろう。  私はすでに、何によってその完成した愛が罅割れたかを理解している。互いに抱えてきた二つの倫理の矛盾がそこに歪(ひずみ)を生じさせた。その罅を修復するだけの力が、もう私たちには残されていなかったのだ。6年という歳月で、あなたも私も、おそろしく老いてしまった。私たちにはもう、愛のために無理を押し通す力が残されていないのかもしれない。
 私は言う。「あとはあなたを地獄に道連れにすることしかできない」と。その最後通牒に、あなたはもう何も言えなくなってしまう。  私は思う。人を愛することはこんなにも苦しいことだったかと。人を愛することは、人に愛されることは、こんなにもままならないことだったかと。それでもあなたを愛していると。愛する人の手を離すことはこんなに苦しいことだったかと。あなたを愛することができない日が、もう二度と、こないでほしいと。一緒に死のうと言った時に、理性をかなぐりすてて、感情のままに、お互いだけを見つめあって、一緒に死ねればよかったのにと。
 私たちが築き上げてきた美しい倫理によってすらそれが叶わなかった生を、これからどう生きてゆけと言うのかと。
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nostalblue · 1 month
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移住した経緯(その拾)
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最初の物件を見た後、一旦山を下って国道に戻り、そこからまた別の山道を上っていくと、その終点の辺りに次の物件はあった。そこにはまだ家族3人が住んでいて、その日は夫人が応対し説明をしてくれた。
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家屋は簡素な木造平屋で、屋根はガルバリウム鋼板葺き。築30年ほど経っているので外回りはそれなりに劣化してきているが、早急あるいは大きく手を入れなければいけない箇所は見あたらない。家屋面積は約100平方メートルで、薪ストーブが付いた10帖のリビングルーム、8帖のダイニングキッチン、それ以外に8帖の部屋が1つ、6帖の部屋が2つ、いわゆる3LDKの間取り。現況で居住者がいるからどの部屋も綺麗に保たれている。この広さと部屋数は無駄な物持ちの自分にとって魅力的で、工作室やゲスト滞在ルームも設けることが出来るなと想いを馳せる。ただ必要以上に広くても管理が大変だから、これぐらいが丁度良いかも知れない。
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家屋の周囲に付随する土地(地目は山林・原野)は約2000平方メートル。現状ではその一部を家庭菜園や花壇として利用しているが、他の部分は未開拓な状態。日照や水はけが著しく悪いような場所は除くとしても、これらをきちんと整備して活用すれば多くの作物を栽培できるだろう。一部は果樹園のようにしてもいいよね。自給農暮らしを目指す身としてはこの土地の広さは魅力的で、特に家屋に隣接していることは大きな利点だ。かつてホームステイした場所では、遠く離れた圃場まで長いこと車で走らねばならなかったり、途中の開かずの信号機に毎度捕まり延々待たされるなんてことがあり、相当な時間を無駄にしていると感じたからだ。それでも体が若いうちは何とかなるだろうけど、年齢を重ねると負担は大きくなってくるかも知れない。圃場管理の観点からも近いに越したことはないだろう。ここなら窓から覗けば大方見渡せる。
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一通り見回った後、庭に置かれたテーブルセットで休憩しながら、茶を淹れてくれた夫人と話をして情報を収集する。
・この集落は古くから住んでいる人はごく一部で、ほとんどが他の地域からの移住者であること。
・自治会の催しなどは全くなく、みんな好き勝手に暮らしているとのこと。
・日用品の買い物は下田市街地まで出向く。自動車やバイクで片道30分程度かかるが苦にはならないとのこと。
・テレビや携帯電話の電波は受信しにくいが、有線でのインターネットは可能だと言うこと。
・野生の鳥獣は多く、近年特に鹿と猪が急増して被害にあっている。一方で猿は昔いたが他に行ってしまったらしい。
・本物件は築以降4人オーナーが変わってきたこと。
・現居家族は6年この場所に住み、気に入っているが、家庭の事情により交通アクセスの良い場所に移らなければならないとのこと。
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(その拾壱に続く)
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patsatshit · 5 months
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Mがタラウマラを退職して今月末で早くも1年になる。Mとの出会いはサイクルショップすずめ時代で、彼がダルクからの帰り道に3,500円のママチャリを買いに来たのがはじまりだった。その後も何度か話をしているうちにとても面白い人だと思うようになり、おまけにサイクルショップすずめが立ち退きを迫られていたタイミングだったこともあり、純粋な気持ちで「自分はこれから新しい店を始めようと思うが、一緒にやらないか?」と声をかけた。その後はとんとん拍子に話が進んで……という訳にもいかず、突然連絡が途絶え、聞いていた住所を訪ねるも接触ができなかったりした(笑)。やっぱりあかんかぁ、と自分は自分で今後の準備に取り掛かっていたところで、突然サイクルショップすずめの店頭にふたたびMが現れて「ぜひともやらせてください」と言って来た。最初に声をかけてから数ヶ月が経過していたと思う。そこからは本格的にタラウマラの準備に取り掛かった。Mには諸々の事情があったので、契約面、資金面については僕がすべて請け負い、あくまでも雇用する者とされる者の関係性のうえで二人三脚で開業の準備を進めた。僕は開業資金の100万円を借り入れ、途中で不足が生じたので社会福祉協議会から新たに40万円を調達した。その間に数人の友人たちに「Mと一緒に新しい店をやろうと思う」と伝えたら、全員から猛反対された。これは誇張や脚色ではなく、本当に色んな人から「何を考えてるんですか?」「いままでやってきたことを棒に振るんですね」「あなたがやろうとしていることは商売ではなく福祉だ」との助言をもらって、これまでのMがやってきたことを勝手に想像しないではなかったが、それ以上にそんなダメダメなMをきちんと支えたいという想いが遥かに上回っていた。なかには「あなたがMと一緒にいるなら、もう関わりたくない」と言ってきた人もいたが、その方とは未だに再会できていない。とにかく当時の僕はMに夢中だったし、むちゃくちゃに酒癖は悪いがどこか憎めないところがあって、すべては許容範囲だと感じていた。実際タラウマラが始まっても酒でのトラブルは絶えなかったし、M自身も慣れない仕事で精神的にきつかったのだろう、いつだって抗不安薬を手放せないでいた。それでも僕はMの才能に魅せられていたし、ひとりの友人としてもこんなに腹の底から笑い合えるのは初めてだとも感じていたから、最初の2年間は本当に楽しかった。タラウマラで雇用する際にひとつだけ約束事として交わしていた「違法な薬物に手を出さない」ということもきちんと守ってくれていたように思う。Mの音楽作品もコンスタントにリリースを重ね、また彼自身の尊敬する先輩や友人からオファーを頂く機会も増えていった。とにかく酒や違法薬物をできるだけ遠ざけ、それ以上に夢中になれることをふたりで模索していた。僕はあのときの自分の感覚とMを信じて良かったと心の底から快哉を叫んだ。唯一の不安は金銭面だった。そこだけは本当に苦しかった。社会福祉協議会に追加の借り入れを申し込んだが、それでもまったく足りなかった。互いに友人や親戚の仕事を手伝ったり、単発の日雇いバイトに従事することで何とか糊口をしのいでいた。そんな金銭的な不安を打開するために僕は出版物のリリースを目論んだ。もともとMは編集者になりたかったと言っていたこともあり、それならば、と季刊刊行物を制作しようと思い立った。それが「FaceTime」である。タラウマラのような小さな店舗ではどれだけ頑張っても自転車だけでは到底2人分の給与は稼げない。Mの持っている技術で新たに売上をつくることができれば、今後、彼自身の自信にも繋がるだろうし、タラウマラの第2ステージとしても最高だと思った。実際、滑り出しは順調で尊敬する友人たちが素晴らしいテキストを寄稿してくれたこともありvol.1の500冊はすぐに完売した。Mの編集技術も回を重ねるごとに更新されていった。ちょうどその頃、Mに恋人ができた。Kという彼女は僕の「DJ PATSATの日記」を読んでMに興味を持ち、好きになったと言っていた。しばらくするとKはジョージアへ1年間の語学留学に発つことになるのだが、ロシアとウクライナの戦争が激化し、ジョージア国内でもキナ臭い動きが表面化したことで、彼女は緊急帰国した。そして淡路にあるM宅での同棲が始まった。突然の帰国に際してタラウマラからは自転車やTシャツを贈呈した。するとMが「Kが土井さんに直接お礼を言いたいとのことですので、土井さんの勤務日にお邪魔しますのでよろしくお願いします」と言って来たので、そんな気を使わんでええよ、と思いつつも心のどこかで楽しみに待っていた。しかし予定の日にKがタラウマラに現れることはなかった。その後、3度、同様のことが繰り返されたので僕ははっきりと気分を害していることをMに伝えた。Mは狼狽しつつも「Kの仕事が急に忙しくなって、家から一歩も出ていないんです」と必死にKを庇っていた。ちょうどその頃、常連のOさんがタラウマラにやって来た際に「そう言えば先日、Mさんの彼女を紹介してもらいました」と言うので「どこかでばったり会ったんですか?」と聞くと「いやいや、タラウマラでに決まってるじゃないですか!ビールまで頂いてしまって」と笑う。Oさんが店を出た後、僕はMに電話をしてはっきりと怒りを露わにした。もうKには挨拶に来てもらわなくて結構!と伝えるとMは終始すみません、ごめんなさいと誤っていた。翌日、Kは菓子折りを持ってタラウマラにやってきた。本人と直接話をしても僕の中で靄が晴れることはなかった。その後、周知の通りMの商業出版が決まり、Mは多忙な日々を送ることになるのだが、明らかに酒量は増えていった。そして遂には◯◯にまで手を出してしまうことになる。タラウマラを一緒にやるうえでの絶対的な約束を彼は破ってしまった。僕の妻は心底呆れて「もうあかんで、やめてもらって」と言っていたが、本人が深く反省していたこともあって、僕はなぜか不問に付することにした。いま思えばもうどうでも良くなっていたのかも知れない。その代わり、Mには土日だけの勤務にしてもらい、給料もそれまで売上の完全折半でやって来たところを日給制に切り替えた。Mは義兄のバイト、土日のタラウマラ、商業出版の執筆、最後の「FaceTime」の編集作業と引き続き忙しそうにしていた。その頃からますますKがタラウマラの業務について口出しをしてくるようになった。給与面、業務時間、業務負担についてなど、それらすべてをMの言葉を介して僕に伝えられた。何度かそばで聞いていた友人が「それ以上はKのことを土井さんに言わない方が良い、ネガティヴキャンペーンにしかなってない」と注意をしてくれた。Kは「なぜMばかりそこまでやらないといけないのか」と繰り返しているようだったが、物事には役割分担というものがあり、僕には僕のやるべきことがあり、MにはMのやるべきことがあるというだけの話だ。どこからか金が降って湧いてくる訳でもなく、自分たちで稼がないといけないのだから。そして遂にはタラウマラで行われるイベントの際にMは「いまのあなたには執筆の方が大事でしょ」とKから言われたとのことだったので、僕はイベントの最中にMに対して「もう帰りや」と言ったのだが、Mは慌てて「そういう意味じゃないんです」と訂正した。いまでもそれがそういう意味じゃなくてどういう意味だったのかわからない(笑)。「淡路が嫌いやから」という理由でMとKが引っ越しをしたり、その後も色々あったが、綱渡りのような精神状態で互いに業務を遂行していた。そしてその先に待ち構えていたMの解雇を決意するに至る決定打は、実につまらない些細なことだった。ライブやバイトのスケジュールでMは度々シフト変更を求めてきたが、僕も家族のことなどで逆にMにお願いすることが何度もあったので、そのこと自体については持ちつ持たれつで何ら気に留めるようなことでもなかったのだが、ある日Mが同日の予定変更を何度か重ねて依頼してきたことがあった。最初の変更時に僕自身もプライベートの予定を入れてしまっていたこともあり、2度目の依頼の際には代わりに出勤することもできず、その日は店を閉めることにした。一応Mに休みたい理由を聞いてみると「Kがどうしてもその日に新開地の立ち飲み屋に行きたいと言っている」とのことで、この瞬間にはっきりと僕の中で何かが崩れた。あのときのことはいまも忘れられない。本当にこれまでMと積み上げてきたことがはっきりと物音を立てて崩れ去った瞬間だった。僕は「わかった、でももうMとは���ラウマラをやっていくつもりはない。��内で辞めてくれ」と伝えた。その後も例によって色々ありながらも、彼がタラウマラを辞めると決まってからは僕も色んなことがふっ切れて、随分と気持ちが楽になった。Mの商業出版に関しても素直に応援することができた。ただ一点だけ、彼の出版を手がける編集長がタラウマラにやってきた際に「著者と打ち合わせしたいので、しばし外して頂けますか?」と直々に言ってきたことについてはいまでも呪いのように自分の内側に燻り続けている。タラウマラはコワーキングスペースでもなんでもなく、僕が借金して作り上げた自転車屋やで(笑)。
※ ここから先は「他人の事情」につき閲覧注意!
それはさておき、2022年の年末でMはタラウマラを退職した。最後の1ヶ月は本当にたくさんの方々がタラウマラを訪れ、みな口々にMを労ってくれた。ほんまに色んな人から愛されとんなぁ、と驚いたのをいまでも鮮明に覚えている。タラウマラを始める際には周囲からあれだけ反対されたのに、どないやねん(笑)。しかしある意味でこの両極の振れ���こそがM「らしさ」なんやと思う。最後にシャッターをふたりで閉めた際に僕は素直にMに「楽しかった。ありがとう」と伝えることができた。Kからも「色々お世話になりました。これまではタラウマラにあまり顔を出せずにいましたが、来年はもっと遊びに行きます」とメッセージが届いていた。年明け早々にはMと友人と一緒にmole musicに行った。出会った頃のように話をして、笑うことができて嬉しかった。別れ際に「出版もうすぐやな、楽しみにしてるで。僕も同じタイミングで何か作ろうと思ってるから、タラウマラでダブル出版イベントとかできたらええな」と冗談めかして言った。そして「Kと一緒にいつでも遊びにおいでな」と言ってその日はMと別れた。その後、Mの書籍のリリース日が決定したが、タラウマラ限定特典についての打ち合わせもしっかりできないままに、いよいよ出版社へのオーダーの期日が迫っていた。Mは「義兄のバイトで忙しくて」と言っていたから、退職して間もないし確かにそうだろうなと思っていた。もちろんKも年が明けてから一度も顔を出さない。SNSで別の友人の書店には頻繁に行っている様子だけは伝わってくる。そんなある日、Kがインスタグラムに投稿した内容を見て愕然とした。Mからは「週7で義兄のバイト」と聞かされていた日に彼らは旅行に行っていたのだ。思わず「またや」と無意識に言葉が口から漏れた。1年前、Kの帰国後の挨拶問題とまったく同じことが繰り返されたと感じた。僕は瞬間的に自分を見失うほどの怒りが込み上げた。そしてみんなが呆れてものも言えなくなるような醜悪な内容をSNSに投稿した。純粋に死んでほしいと思ったし、自分も死にたくなった。結果、たくさんの人が僕のもとを去った。それは仕方のないことだといまでも思っている。誰だってあんなことを書くような奴と付き合いたくない。それでも継続して僕との付き合いを続けてくれている方々、大丈夫ですか?あなた方のほうが狂っていますよ、だけど心からありがとうと思っています。自転車関連でも、Mの退職後は何人ものお客様から「あの子がおらんねやったらもうええわ」と言われたし、それまで良好な関係だった方々にいつもと同じように挨拶をしても露骨に無視されるようになったり、Mを慕っていた若者からレジ金を盗まれたりもしたけど、この1年で自分なりのやり方を確実につかんだ。何事もゼロをイチにするまでの地道な活動こそが最も大変で、イチがサンになってようやく人々に少しだけ気にかけられるようになり、サンがゴになって多くの方々に認識される。言うまでもなくKや某編集長はゴ以降にMと出会った人たちだ。そんな彼らに僕らがふたりで積み上げた期間を蔑ろにされたような気がして、自分でも愚かだとは思いつつも怒りを抑えることができなかった。でもそれはもう大丈夫。僕はいまもやるべきことを継続してやれている。何度も言うけど、いまでもサポートしてくれるみんなのおかげ。Mはどうだろう。編集長が言ったように僕が彼の足を引っ張ることになったので、どうにも本来の力を発揮していないように思う。ガヤの勝手な意見やけど、これだけは言っておきたい。Mの胸には「チェンソーマン」のデンジみたいにスターターが付いていて、それを引っ張ってやればとんでもない能力を発揮する。だからお楽しみはこれからってことですよ。
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kinemekoudon · 1 year
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
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前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば、現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
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それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
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――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
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↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「おはようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
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7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語を上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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manganjiiji · 5 months
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日記書いてる場合である
この日記……途端に無意味に思えてきた!日記本にするほどの内容でもないし、日記本にする必要がないのなら、その日記、なんか意味あるのかな……みたいな、日記本至上主義みたいな思想になってしまっており我ながら笑った。日記祭での衝撃が大きく、まだ尾を引いているようだ。日記本は面白いし素晴らしいこころみだと思うが、別にみんな日記を本にするために書いているわけじゃない(勿論するために書いている人もいる)。この日記はなにをもって始まったのかというと、Twitter上で私生活のあれこれ全てを呟くことをやめるかわりに、生活のことはこちらにまとめて書き、見たい人はそれでワンクッションになるように、みたいな考えであった。当時の私はTwitter上で行動全てを報告しないと頭がおかしくなるというつい廃だったので、まずそれをやめてもう少しクールなアカウントになろう、という気持ちがあったと思う。この日記に一日の私生活をまとめて書けば、Twitter上ではジャンルやカップリングのことを言うだけですむのではないか?または、緊急性の高い拡散や共有のみに絞れるのではないか?という目論見だ。実際にそれはある程度はそう機能したが、最近はもうどこまで日記でどこからをTwitterで言うかがだんだんゆるゆるになってきた気がします。というかまたTwitterで全ての行動を報告しているのでは…という日がよくある。フォロワー数が少ないので気が緩んでいるのもあると思うが、せっかく日記に私生活を分けているのだから、改めて少し自制したほうがいいなと感じる。tumblrだけ見てくださっている方には「はてな」という感じになる書き方をしていることがあるのは、この日記は基本的にTwitterを見てくださる方が、補助情報として使うためのものだからです。Twitterを見てくださっている方への付録みたいな感じで書いているので、基本情報や重大情報はそもそもTwitterで発信しており、そちらは日記に書いていないことがある。予想外だったのはtumblrにも日記文化があり、ここでのみ繋がっている関係(相互フォローの方など)が幾つかある事だ。これはこれでおもしろいなと感じている。Twitter上の私というのは、つまり「BL二次創作小説を書く私」であって、それは当たり前すぎるので日記ではわざわざ書かないが、その空白をなんとなく察してこの日記が読まれていることもあるのかと思うと、かなり不思議な感じがする。この日記はTwitterの補助装置なので、メインコンピュータの姿を知らないまま、このバックアップというか補完的なサブコンピュータのメモリを見られているのかなと思うと楽しい。もちろんTwitterも見て下さって全く構わないのですが(IDは@manganji_ です)。ここに殆どリンクを貼らないのは、リンク系は全てTwitterでの告知などで完結しているから。共有も拡散も、いや、言うなら貼れや、URLを、と思われることもあるかもしれないのだが、だいたいTwitterのほうですでに言及しているので、ここに例えば書籍情報のURLを貼るとか、別のサービス(プラットフォーム)のリンクを貼るとかは、ないなあ、と思った。tumblrびとたちは、この閉じた感じも含めて愛している感じもある。この日記に対しての自己言及にここまで文字数を使えるのもすごいと思う。つくづく私は話が長い人間だ。同じことを言葉を変えて何回も言うし。(これに関しては悪いと思っていない。二つの言い回しで表現して初めて伝わる、内容の「位置」があると思うから)
朝4時に起きて、何度かあんスタを叩き、5時を過ぎたところで、簡易的なPC用デスクとプリンターを買った。この部屋とは長い付き合いになると思うので、家の中をもう少し整備して、やりやすいように変えていっていいのではないかと思った。大学の編入学試験を受けた際、面接で先行研究にとにかくもっと当たれと言われたので(その通りである)、別にまた編入学試験を受けるわけではないのだが、先行研究の論文を印刷しまくりたい、という欲が湧いた。ついでに、PCもいちいち書き物机に引っ張り出してくることをしていると全然使わなくなってしまうので、専用の机に定置し、いつでも印刷できる状態にしようと思う。書き物机というか、私の机は食卓でもありドレッサーでもあるので、ご飯を食べたり化粧をしたり、ノートや参考書を開いて勉強したりあんスタを叩いたり、とにかく役割が多いので、それに関連した物も多く、どんどん利用できる面積が狭くなってきている。そのうちまた机の上を断捨離して面積を増やさなくては、と思うが、今のところ化粧品とあんスタのグッズ、文房具がどんどん机の上に進出している。それでもまだ勉強する面積は確保できているので、この机にして本当に良かったと思っている。
まず印刷してファイリングしておきたい先行研究、論文、記事については、今日すでに検索して目星をつけてある。でも正直あまり、まさにこれ!という研究や記事は数本あったが、あとは「まさにこれじゃない、まさに、こういうことを書いている無駄な論文が多すぎる」みたいな感想をいだき、つまんね〜気持ちになった。とくに厚労省関連。クソがよ。そういうことじゃねえんだよ、というか………お前らがやれよ、仕事を……なんで、NPOに頼ってんだよ……おい……というむかつきを最大限感じた。もちろん行政のなかにも動きを作ろうとしている方がたくさんいるのはわかっているが、それはまだまだ表面化していない。論文や記事を読んでいく中で、だんだん「私は何がしたいのだろう」ということがよくわからなくなってきた。そもそも福祉社会学でいいのか?ということもわからなくなってきた。でもまあ、社会学の先生に「それは福祉社会学の領域であってうちよりもっと研究が進んでる大学なり研究機関がある」と呆れ気味に言われたので(ありがとう先生、無知ですみませんでした)、今のところ福祉社会学という方向を体が向いている。うーん。たぶん私のしたいことは、支援の方向性としては、虐待を生き延びた人々おもに若年層が、精神疾患を治癒しつつ、就労できるまでの活動をサポートしたいということだと思う。そしてもうひとつは、たぶんこちらが主目的なのだが、虐待を生き延びた人達の苦しみはそこで終わらず、かなりの年数を重い精神疾患とともに、貧困や、自分ではハンドリングできない苦しい生活の中で暮らす困難に陥ってしまう、ということ、その人たちのための支援が必要なことを世間に広く知ってほしい。もちろん知られていることは多いが(虐待サバイバー当事者の本やルポなども出ている)、ニュースで虐待死事件が報じられた時に、どうしても「虐待されても死ななかったやつはマシ。死ななかったんだから生きていけるでしょ」的な圧を感じてしまう。しかし、虐待を生き延びても、精神疾患やトラウマのために就労がうまくできず貧困に苦しむなど、第2第3の苦難が待っている。何よりもつらいのは、「虐待を受けずに育った人と同じ土俵で戦わなくてはならない」というシンプルで残酷な現実だ。虐待を受けていくら教育が自分から抜け落ちているとしても、体力や栄養が落ちているとしても、病気だとしても、そんなこと誰にも言えない。なぜなら、誰も「そんな話は聞きたくない」からである。誰だって親(家族)との確執くらいあるでしょ、虐待とか言って大袈裟に傷ついて、こっちだって「何も無い」わけじゃないっつーの、と思われて終わるだけなのが手に取るように想像できる(これはもう恐怖という名の偏見が濃いが)。ちなみに、虐待を受けても、それをあまり苦とせず精神疾患にも陥らず、普通に生きていける人ももちろん多数いる。そういう人は別に支援を必要としていないのでいいのだが、支援を必要としている人にはまだまだそれが行き渡っ��いない。うつ病を始めとする精神疾患、発達障害、その他いろいろ、社会生活上または、就労の場所においてハンデを抱えている人というのは、健康な人、健常者にとっては「めんどくさい、なんなら給料泥棒」な存在である。明らかに健常で優秀な人のほうが仕事量が多いだろうし、うまくできない人の尻拭いもそういう人達が結局はやらされている。いわゆる「仕事の出来ない人、すぐ休む人」の全員に疾患や障害があるかと言われればそうではないと思うし、虐待を受けていたのかと言われればそうではないと思う。でも頑張って工夫して自分なりに最大限努力してみても、どうしても、健常者の働きぶりに追いつけない、そんな自分を責め続けてしまう、そういう虐待サバイバーが、苦しんだまま、トラウマ治療も精神疾患の治療も受けずに孤立しているのではないかと思うと、もう気が気でない。世間の人というか体も心も強く生まれついた人は、かなり冷酷である。これははっきり言うが、まじで冷酷であるし、邪悪とも言えるケースさえある。自分の体や感覚がベースだから、他の人も当然自分と同じくらいのことはできる、努力の問題だと思っている。んなわけねえだろ。てめーーーーーーみてえに恵まれた体も生育環境も持ち得てねえんだよこっちは💢💢💢💢💢💢💢💢という呪詛が全国の虐待サバイバーから発せられていると思う。それでももちろんそんなことは口に出さない。誰もそんな話は「聞きたくない」からである!あー!むかついてきた!今までの上司も社員もあいつもあいつもあいつもあいつも!ああーーー!!良かったですね健康に生まれ育って他人を踏みにじることで勝ち上がっていけて!!!!!!私怨で荒ぶってしまった。まあこういう問題はACEサバイバーだけではなく、障害者問題やジェンダー平等問題にも通じてくると思う。全ての人が健康な成人男性として仮定された日本の就業システムの根幹的な問題だ。そもそも8時間労働は長いし、週に5日は多い。でもそこまで人員を稼働させて、敗戦という傷を工業国として立ち直ることでどうにかこの国は国際社会での立ち位置を固めることができた。つまり、日本から「仕事」を取ったら何も残らない、という恐怖があるのだと思う。他の国より多く長くよりプレッシャーをかけられて働いて、それは高品質で安いものがたくさん作れるに決まっている。しかしもうそれをやっても勝てないし追いつけないのだから、人間を守る方向で、一人一人が歯車ではなく人間として生きる方向で、産業の衰退を「推し進めて」いかなければならないと思う。マイナス成長でどうやって生きていくねん、と思うが、もう何をどうやっても生きていけない人達がいることを認めるしかない。正直今の60代以上が全員鬼籍に入れば、こんなに苦しい社会は終わると思う。こんなに少ない人数でこんなに大勢の高齢者を生かすことは、現役世代にかなりの貧困を強いる。あと30年すれば、そして成長を前提とした年金モデルをやめれば、どうにかこうにかもう少し人間らしい社会になると思う。そのためには今から徹底的に、いわゆる「弱者」と呼ばれる側の人々への支援を充実し、そもそもの競争社会的な思想を破壊しておかなければならない。生まれ育ちや障害やジェンダーに関係なく、お互いを尊敬・信頼しあって仕事ができるような仕組み作りをしていかなければいけない。福祉を充実させ、仕事ができる人、健康で優秀な人は高い給料をもらい、そこまでできない人はできないなりの給料をもらい、それで生活していけるようなインフラや、なにより思想を私たちが持たなければならない。虐待を生き抜いてなお苦しむ人々のケアや支援を充実させるのがまず最初だが、虐待が起きない社会がいちばんいいに決まっている(ただ、どこまで社会がよくなったとしても、子供を虐める親や養育者は絶対にいなくならない)。虐待が起きないためには、子供を産み育てる大人がきちんと成熟し、満足感をもって子育てできることが大切だと思う。児童虐待の発生の防止、というのは結局「弱いものいじめをする人を少なくする」ために社会をどう変えて、人間の考え方をどう鍛えていけばいいか、という大きな、結局は哲学や倫理の話になってくるのだと思う。
話が壮大に逸れたが、目の前の課題としては、資金の潤沢なNPOを作りまくって、国からの補助をどんどん取り付けることだと思う。行政が一律に悪いとは言わないが、行政というのは貧乏で、事務員であり、福祉を担当するのにはかなり限界のある組織だと私は思う(家系に地方公務員が多いので、肌感)。福祉には金がいるし、事務能力ではなくてもっと他の、端的に言えば「助けたいという気持ち」がいる。現状、公務員がいくら助けたいと思っても、お金や時間の制約によりそれが成らず、気持ちのある人はどんどん心を病んでやめていくのが、市役所や町役場の福祉課という場所になっている。とにかく国が金を出さないなら民間で金を作りまくるしかない、最悪だがもう、自助になる。儲かっている企業は税金を多く取られていて、その多くは高齢者福祉に行ってしまうのなら、税金で取られる前の金を、直接児童・若者や貧困者の支援団体に寄付してもらうか、企業が後ろ盾となって財団を作ってもらうしかない。どんなに選挙をしたって、あと30年はこの状況は変わらないのだから、NPOを作りまくって、国からの認可を受けつつ、金の補助は企業や投資家を宛にすればいいと思う。投資家というのは、金が余って余って仕方がない、これ以上使い道がわからない、という人が結構いるのだ。じゃあ寄付しろよ、と思うが、彼らは競争に敗けた「努力の足りない」人間たちにお金は落とさない。というのは言い過ぎで、中には絶対慈善事業に興味のある人がいると思う。別にキリスト教圏、プロテスタントの国ではないから寄付文化が育たないとか、そんなことはないと思う。変えなければいけないのはエリート達の頭の中身であって、この競争社会と思い込まされている階層社会という真実を各々が認識することだと思う。
人間は自分の利益を最大化するために生きている。らしい。どうやら多くの人は。私はちょっと違うようなのだが、これは生まれつきでたぶん決まっている。この、自分のために生きるという理論でみんなが動いていることを、私は20年以上理解できていなかった。そしてもちろん、人間は自分の利益を最大化するために生きていい。そうしなくてもいい。それは自由だが、自己利益増大のために生きる人がたぶんこの世では圧倒的多数である。そうした人達が、どうやったら「他人のため」に気持ちよくお金を出してくれるのか、その方法を考えなければならない。圧倒的少数の「生まれつき利他」はだいたい、利他的なのでそもそも自分の財産をあまりもっていないし、そういう人は身近な生活のなかでどんどん他人に施してしまっている。だからお金は貯まらないし、貯まったらだいたいNPOを立ち上げる。つまり、NPOを立ち上げないタイプの、自分の金は自分のためにしか使いたくない、でも正直金は余ってる、という人からどうやって、支援のための金を引き出せるのか?いちばん手っ取り早いのは「税金」という仕組みだが、まじで本当にもう政府はだめだ、という印象しかない。なんでこうなってしまったんだ。老人だけで政治をするのをやめろ。もしくはもう少し利他的な考え方で政治をやってくれ。自己利益増大のためではなく、国民の生活を良くするために政治をやってくれ。しかしエリート層は基本的に資産家で、それが何代も続けばエリートの世界の中で人生が完結していく。エリートは自分より下の階層の人々の生活や命なんてどうだっていいし、そもそも感知していない。それが自己利益の最大化ということだ。でも、じゃあ「公」ってなんなのか、と思う。私費を増やしたいなら民間で企業を興せばいい。政治家をやっている以上は、公のものとして、ちゃんと社会に利するように動いてほしい。それが嫌なら政治家やめろ。世襲とか周りの圧力とかそういうの本当にばかばかしい。やりたいことがあるならやればいいし、やりたいと思って政治家になった以上は、まじで民のために生きろよ、と思う。明治維新を思い出せよ。お前らは明治のあの人たちの正統的な末裔なんだぞ。あの人たちがどれだけ国民のためを思って革命起こしたか、忘れてんじゃねえぞ。明治維新と同じことができる志がないなら政治家やめろ。プライドもって国家の行く末考えられねえなら今すぐやめろ。
ただ単に政治家への悪口になってしまいました、失礼いたしました。まあとにかく今の政治家はよくないですね。というか、国防と高齢者福祉に圧殺されて、その他に全然手が回ってないですね。だからまあ、政府がその状態であるうちは民間で「自助」して、人々の思想を少しでも、前に押し進めるしかないんじゃないかなあと思います。
おなかすいてきた。7時です。
2023.12.13
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elle-p · 4 months
Text
Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine March 2016
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PERSONA3 THE MOVIE
#4 Winter of Rebirth
●新宿バルト9ほか全国にて公開中
●第3章Blu-ray&DVD好評発売中
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKO YAMADA, painted by MARIKO SHINOHARA(TROYCA)
finished by JUNPEI TAKATSU, background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
アイギス
自分は感情のない機械だと言うが、使命から離れても「理のそばにいたい」という想いがその身にあふれていることに気づく
結城理
「春になったらいっしょに桜を見よう」――そうアイギスと約束し、世界の終わりに対峙する戦いのなかで、「命の答え」にたどり着く
まるで当たり前に訪れるあすのように静かに近づく死の運命のなかでかわした約束はともに生きるという喜びに満ちていた。 すべての想いは空に上がり、いつか花びらようにゆらめき舞う。全4章からなる劇場版「ペルソナ3」を「主人公・結城理として、また、世界の滅びを告げる宣告者として2つの側面から表現した石田彰に聞く――。
Birth to Rebirth
人間らしくなったね
人間らしくなれたね
結城理/望月綾時役 石田彰
理の成長と仲間とのきずなを感じて
春、夏、秋、冬と季節を重ねて彼らが迎えたのは、一年の終わりではなく――世界の終わり。仲間たちのなかで心の扉を少しずつ開いていった理は、その先の春を想って、真っすぐに約束をした。
ついに封切られた 「PERSONA3 THE MOVIE」最終章。このフィナーレを主演声優・石田彰はどのように見つめたのか。
「台本を読んで、まず思ったのは、そうか、この結末が確定してしまうのか⋯⋯ということでした。いや、厳密に言うと台本の時点では、でも、映像ではもしかしたら何とかなるのかも、なんて淡い想いも抱いたんですけど(笑)、その後リハーサル用ビデオと合わせて確認して、ああ、やっぱり逃げようはないのか、と覚悟を決めました」
そう言って石田はほほ笑んだ。彼が今作で演じた役柄は、主人公の結城理と、理が仲を深めてきた友人であり、世界の滅びの宣告者《デス》という正体も明かされていく望月綾時。まず、今作の理の印象を尋ねると、「しっかりしたというか、人間らしくなったね、人間らしくなれたね、という感慨がいちばん大きいですね」という答えが返ってきた。
「第1章のときには、周りに言われたことを『わかった』と何でも受け入れていた理ですが、今では自分の意志をもち、さらに、その意志を周りに伝えて、ともにあるひとつの決断に至ることもできた。そんな理の成長、仲間たちとのかかわり方の強化は、ぜひ感じていただきたいポイントです」
演じる立場から見ても、理は季節を経るごとに、より刺激的なキャラクターになっていったのだという。
「もともとの理のような淡々としたキャラクターは、考えが���レないので演じやすいんですけど、でも、そういう芝居っておもしろいかおもしろくないかで言ったら・・・・・・あまりおもしろくはない(笑)。なので、彼のなかに心の揺れが生まれて、どんどん人間味が出てきたことがうれしかったですね。そのぶん、彼がどう感じているのか、どう考えているのかを解析していくハードルもどんどん上がっていくんですが、それがおもしろいんです」
クライマックスに向かう物語のうねりと、理が人間としておもしろくなっていく輝きとがシンクロして、それが石田本人にとってのエネルギーにもなっていく。
「何て言ったらいいんだろうな、演じていくごとに作品が『もっと来いよ!』って言ってくれる気がしたんです」
一方、綾時の印象を問うと「理と違って、社交的で行動力があって⋯⋯とタイプの違うキャラクターなんですよね」とつぶやいた。
「理みたいに周りから一歩引いたところにいつもいるようなタイプの人間にとって綾時は、ある種、こういうふうに生きられたら俺にも違った人生があったのかもしれない、と感じさせるような存在で。こういう人間が自分にかかわってきたら、どう接したらいいんだろう? とか、いろいろ考えさせられたりするんじゃないかな。演じるうえでは、理でやらないことを綾時としてやればいい、というふうに考えていました。理の裏面をやる、みたいな気持ちで向かっていましたね」
背中合わせの存在をそれぞれに表現していった石田。第4章のアフレコは、先に綾時にまつわるパートを録り、後日、理として、ほかのキャストといっしょにそこに向き合っていく、という順で進められた。
「自分が言ったセリフに対して、自分で返していく作業ですよね。もし綾時を別の役者さんが担当されていたら、相手はどんな想いを込めて、こういう言い方をしているんだろう? と、その都度受け取りながら返していくわけですけど、今作の場合は、スタジオに入って、その声を聞いた瞬間にその声の主の気持ちもわかっている、という状況なわけです。あらかじめでき上がっているパズルのようなものなので、理と綾時のやりとりに関しては、通常の作品にはないハマリ方になっているのではないでしょうか」
避けられない滅びが迫り、急速にせつなさを帯びていく物語。そのなかで最も印象深かったと石田が語るのは、理と仲間たちがひとつの決断に至るまでを描いたそれぞれの時間だ。
「かなわぬ相手だとしても正面からニュクスに立ち向かって、ガチで殴り合おうぜ、とみんなが決断する前です。この世はもうすぐ終わるよって、理不尽に自分の人生を止められてしまう事態に直面したときの、特別課外活動部のみんなの立ち居振る舞いが、それぞれ本当に生々しくって、ね。たとえば、順平が『何でこんなことになっちゃうんだよ』みたいな叫びを理にぶつけちゃったり。僕らの世界に影時間はないですから、あったとしても気づいてないですから、こんな事態が迫ってくることはないと思い込んでいますけど、でも、もしも彼らと同じ局面に立たされたら、誰と近い反応をするんだろう? なんて考えてしまいます」
第4章の監督は、第2章でも監督を務めた田口智久。監督について聞くと、石田は楽しそうに語る。
「田口監督は第2章の舞台あいさつで盛り上がった、ラブホにロケハンに行った話の印象が強くて(笑)。俺のアイデンティティはそこじゃない! と監督は叫びたいと思うのですが、でも、そんなこともあったおかげで、監督と役者の間にある垣根がすごく低くなったような気がかってにしていたので、第4章でもごいっしょできてうれしかったです」
そして、石田は、劇場版全4章を走り切った今の想いを語った。
「起承転結の起に当たる第1章で映画としての『ペルソナ3』の土台をつくって、その上に章を積み重ねてきたのですが、章を追うごとにファンの皆さんの賛同の声も大きくなっていった印象で⋯⋯。毎回熱気で劇場をいっぱいにしていただけたことが、演じる側、制作側にとっての自信につながっていました。そのパワーをいただけたからこそ最後まで走り切れたのだ、という感覚が強くあります。ありがとうございます」
●いしだ・あきら/ 11月2日生まれ、愛知県出身。主な出演作品は、「昭和元禄落語心中」八代目 有楽亭八雲/菊比古役、 「Dimension W」アルベルト・シューマン役、「銀魂」桂小太郎役ほか
10年前、理はアイギスに出会っていた。アイギスはデスと死闘を繰り広げ、最後の力で理のなかにデスを封じ込めたのだ。忘れていた10年前の記憶を取り戻したアイギスは理とみんなが苦しみながら滅びを迎えることを望まなかったが、理のことばに、アイギスも滅びから目をそらさず、立ち向かう決意をする
滅びの時が迫ることを知り、特別課外活動部のメンバーは “滅び” の運命にうろたえ、それぞれに考え、向き合っていく。順平は理に辛く当たってしまったこともあったが「俺、サイテーにかっこ悪かった」と謝り、理がどんな選択をしても自分もみんなも恨まないと伝えた
綾時の正体は10年間理のなかに封じられ、大型シャドウを倒すごとに理のなかで育った宣告者・デスだった。来たる滅びの時を前に、綾時は自分を殺してすべてを忘れて迎えるか、このまま恐怖におびえながら迎えるかの選択を理にゆだねた。綾時を殺せるのは理だけ――綾時と理のつながりが生んだ最後の選択を前に、理は決意を固める
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