Tumgik
keredomo · 4 months
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愚図
 日々がこういう状態に陥ってからどのくらい経ったかもうわからなくなってしまったが、自宅で仕事にかかっているとくらりと眩暈がやってきて、耐えきれずベッドに横臥すれば一時間も二時間も昏睡してしまう。業務のストレスに精神が耐えられず、どうしようもなく、逃げてしまうのだった。
 これを怠惰だと言うのが苦しい。この状態が命を守るための切実な逃げであることを否定したくない。でも、どんなに言い繕っても、どうしようもなく、私の日々はとうに怠惰の域に入っていた。誰がみてもだらけていると判断するだろう。お前の昏睡はただの怠けであると責め立てられるだろう。眠りに逃げる切実さは、私だけにしかわからないものであった。  私はこんなに出来ない人間だっただろうか。歯を食いしばってすべきことをなすのが私の生き様ではなかったか。いつからこんながんばれない人間になったのだろうか。
 苦しくて起きられないし、苦しくなると起きていられない。それでもなんとか波のはざまを見つけて、やるべきことにしがみついて業務をこなす。それでなんとか会社が求めるだけの仕事をこなせているのだから御の字なのかもしれないが、こんなのは「私」の人生ではない。「私」はこんな胡乱な人間ではないはずだった。どうして。どうしてこんなにも、抗うこともできぬままに、逃げてしまうのか。
 毎朝、常識的な目覚めるべき時間がやってきて、携帯のアラームが鳴る。けたたましく鳴る。それをキャンセルして、私は再び眠りに戻ろうとする。起きることが、生を生きることがあまりにも苦痛で、まだ悪夢にうなされるままでいるほうがましなのだ。そうして私は眠れるだけ眠る。その眠りは眠りと呼べるようなものではない。うとうとしながら仕事に絡んだ妄想に浸って、納期や進行のことが半覚醒の頭をよぎりつつ、現実的な心配事にうなされて過ごすことになる。それでも、現実よりそちらのほうがましなのだ。起き上がってそれらの紛糾に直面するよりも、自分という殻のなかでうんうん唸っているほうがよっぽどましなのだ。
 目が覚めた時、メールの通知が溜まっている。開くのが怖い。Slackの通知に自分宛に届いたものが表示されている。開くのが怖い。私的な連絡すら、既読をつけるのが怖い。どうせ、すべて私を責める連絡に違いない。開けばきっと、齟齬を責められている。無配慮を責められている。力不足を責められている。
 ひたすらに、他者が怖い。他者からの連絡が怖い。
 誰からの連絡も、ひどい緊張感とともにしか受け取れなくなっている。糾弾される覚悟なしには未読のメッセージを開けないような日々を送っている。どうせ誰も誰も、私の不足を指摘するだろう。そのような妄執に駆られて日々を過ごす。
 私に向けられる他者からの責めは、すべて、理路整然とした責めである。何の理不尽もない理路整然とした責めで、受け入れない選択肢はない。そうすると、やはりすべて私が悪いのだった。私の無理解、私の無配慮、私の力不足が、悪い。私の行き届かなさがゆえに相手が困っている。困っているからなじる。完璧に理解できる。私は確かに正しく詰られるべき対象である。私ができないのが悪い。私が不出来なのが悪い。私の努力不足が悪い。私が徹底的になれないのが悪い。私が無能なのが悪い。私が頑張れないのが悪い。私があなたの仕事を阻害している。私があなたの成功を阻んでいる。私のような人間が、努力もできない、仕事もやりおおせられない、ぐずで、ばかで、だらしなくて、まともに責任を果たすこともできない、そんな人間があなたの仕事相手であることがそもそも間違っているのだろう。私のような無責任で怠惰で能力のない人間がおめおめと生きているせいであなたがたの行くべき道を阻んで苛んでしまう。そのことが申し訳なくて仕方ない。
 私の仕事は、生業は、いわば調整役ともいうべきものだ。すべてすべてがうまく転がるように、たくさんの小石を拾って隠す仕事。「道」にはいろんな形の小石がばら撒かれていて、それらを地道に拾う。拾い方が甘ければ罵倒される。罵倒されても、へらへら笑って、謝罪しつつ相手を持ち上げる。すみません、私の仕事が甘いせいで。ご迷惑をおかけいたしました。遅れてしまって申し訳ない限りです。
 望んでついた職業だ。楽しいとは思っている。でも、全うできていない。私は自分の人生を仕事のために捨てきれない。かといって、あなた方への責任に背いて何をしているかといえば、寝ているだけなのだ。精神の限界に眠ることで蓋をして、何もできずに過ごす日々。
 協働してよいものをこの世に生み出す、そういう立場であるはずながら、私と仕事相手はけっして対等ではない。ずっと、自分が下の立場であることに甘んじ、叱られれば叱られることを受け入れ、怒られれば怒られることを受け入れ、そこに相互的な愛など一つもない。お願いして、下僕となることを受け入れ、下僕として生きている。
 削られて削られて、もうこれ以上やりたくないと気づいたけれど、残念ながらこの仕事は専門職で、プロフェッションを築いた以上、そして私が30を越えた女である以上、ほかの職を望むことは難しいだろう。自分が望んで就いた職を全うしたいというプライドもある。
 そこそこ優秀な職能を持っている自負があったけれど、このたび一つのポカをして激しく責められて、自分はやはり無能なのだと思い知らされた。仕事相手からの責めはまっとうなものだったと思う。私は迂闊にもだらしないミスを犯した。責められて当然だ。
 そういえば、小さい頃によく母親に「ぐず」となじられていたな。『モスラ』という映画があって、その主題歌をもじる形で「グズラのテーマ」というのを作った母は、私がグズグズしていたらその替え歌を歌って、私に早く動けとせかしていた。
 愚図か。私にぴったりの形容だなあ。
 疲れたな。
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keredomo · 4 months
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2024
 2022年の終わりに書いた年の総括には「言葉を信じ直すために神との対話に日々を費やしたい」とあったが、そう書いたことすら瞬く間に忘れてしまって、神との対話に耽る一年にはならなかった。どころか、現実に翻弄されて日々を過ごした。とても胡乱だった。胡乱な一年を過ごした。「今」この瞬間のことしかわからない日々だった。
 もともと私は胡乱な人間で、いつだって何もかもを忘れてしまう。それが怖くて十何年も日記をつけていたのに、いつの間にかその習慣を失くしてしまった。
 最後の日記を確認したら、2023年の1月8日に1行だけ書いていた。それ以降の自分が何を考えて何を愛して何を望んだのか、何を憎んで何を押し殺したのか、思念のほとんどは空白になってしまっている。
 多忙と疲弊が原因だった。かろうじて文章に残した情念と、iPhoneのカメラロール、それからGoogleカレンダーの予定のログを振り返ることでしか自分が生きた軌跡を確認できない。仕事の成果すらうまく思い出せなくて、確かにがむしゃらに働いていたはずなのに、業務がもたらす致命的な疲弊を忘れなければ毎日を進んでいけなくて、それらがあまりにも辛いか��防衛本能がはたらいてどうしても思い出せない。
 何一つとして定かでない。定かなものが何もない。私は誰なのだろうか。
 あまたの出来事が生じたらしかった。嬉しいことも苦しいこともあった。一つ一つは思い出せるが、それらが繋がって物語が生じるかといえば、生じない。有機的に繋がらない。一瞬一瞬のみが、かろうじて点的な記憶となって残っている。私は「植物の生」を生きている。太陽の光が私を意味なく生かす。土壌の養分が私を意味なく生かす。嵐が私を意味なく薙ぎ倒す。風や虫が勝手に花粉を運ぶ。私が吐き出す酸素が知らないところで誰かを生かす。わけもわからないまま人間に切り倒される。ただ一年が過ぎたのだった。
 それでも、カメラロールに残っている私はそれなりにいい感じだった。2023年のはじめに写っている私より、2023年の終わりに写っている私の方がずっとずっと綺麗だ。快活だ。強そうだ。ある意味では、自己の生を強いて物語化しなくても、私は私を生きられるようになっているのかもしれない。反射的な行動や発言について、懸命に理由や論理を付与せずとも構わないほどに、私は私であれているのかもしれない。
 けれどそれは成長を止めることにほかならない。2023年の後半、「仕事と恋愛しかしていない」という一節がしきりに脳裏をよぎるようになっていた。これはつまり、私は勉強と創作を放棄している、という嘆きだ。学び、書くこと。それらの自分に課してきた生産を惰性によって放棄して、私はただ、植物状態の病者のように「環境におもねって」生きているだけだった。
 「それなりにいい感じ」などではだめなのだ。世界に与えられるものに寄りかかるだけではだめなのだ。私は私の道を、私の輪郭を、築いていかなければ生きている意味がない。私が築いた輪郭によって誰かが救われないのであれば、この生を生きる意味はない。
 何をもっておのが生の本来であると断定するべきかは難しい。けれど、「これがそうじゃない」ということは直感的にわかる。それを是正するためにいかに現実を調整するべきか、算段を巡らせている。本当はこんな算段をしたくはない。ただ受け入れていたい。けれどそれではだめなのだ。納得できないのだ。これこそが私の業であり、私の美徳だと感じる。「このままではだめだ」と常に思っている。「このままでは死んでしまう」と常に思っている。この激しさをも、いつか失う日がくるだろう。だったら、だからこそ、まだ炎が燃え盛っている今しかないのだ。これは最後の炎。これは最後の火。
 「何者になりたいか」なんて、そんな陳腐な若々しい夢の話ではない。「私はどうすれば生き延びていけるか」という、老いた者の切実な問いなのだ。誰も笑うな。腹を括れなかった人間がどう無様に生きながらえるか、刮目して見よ。どろどろに汚くても、私は私の生を生きる。どろどろに汚いながら、なんとか蓮の花を咲かせようと、のたうちまわる。
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keredomo · 5 months
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写真
 先日、ひょんなことから、写真家の友人に私がずっと愛している男を会わせる機会があった。  友人との待ち合わせ場所に男を同伴して赴いたのは、きっとその写真家がわたしたちふたりの姿を撮ってくれるだろうという淡い期待があったためだ。  世界に二人きりであることをひたすら求めて関係してきたわたしたちにはついぞ「公」をやる機会がなく、数年来、頑なに「二人きり」を行使してきた。しかしここにきてどうしてか、このところわれわれは公に現れたくて仕方ない。その衝動の一環として、他者に二人を撮ってもらう客観的な一枚を渇望していた。何かしら、愛の証拠を残しておきたかったのだろう。二人の成し遂げた、類稀な愛の、その証拠を。  「二人の写真」。われわれを捉えるそれは傑作であるべきだった。美しいものであるべきだった。われわれが、心底から納得できるものであるべきだった。それがゆえに、軽々しくは撮らせられないのだった。この愛を、何も知らない者に撮らせるわけにはいかない。少なくとも私の文章を解する者でなくては。私は偶発性への賭けに出たのだった。  写真家の友人は私がことわりなく人を引き連れてきたことの異常性を察知し、瞬時におのれのなすべきことを把握した。待ち合わせた交差点で軽やかに、何の準備も指示もなく、彼は私が愛する男と私のツーショットを撮った。愛する男は私を愛しているし、写真家の友人も私に対して友愛をもっている。彼がシャッターを押し、彼がレンズに映る、その一瞬は私のために捧げられた一瞬だった。
 後日届いた二人の写真を見ると、互いがまるで別の世界を生きているような、まったく異なる筆致をしていた。  つるりとした顔の私、複雑に入り組んだ顔の彼。モノクロームに加工された二人の姿の、あなたの顔はおそろしく暗い。私の顔は、反して、白く輝いている。腕を抱えて寄り添いながらも、わたしたちはまったく違う地獄を生きている。写真とは残酷なものだ。ありありと、二人の形而下での隔たりを示してしまうのだから。それでも、わたしたちが別の地獄を生きていることもまた、わたしたちの関係を深める糧となっていることを双方ともに理解している。生を共にするとは、本質的にそういうことだった。おためごかしでもなりゆきでもない、そんな真に迫るかたちで共にあれる人が現れてくれることを私はずっと切望していた。現れ、意志でもって関わり、道行きを共に歩む。この実現は生の奇跡であった。
 *
 「もしかすると気を悪くしてしまうかもしれないんだけど」  交差点での出来事のひと月後、写真家と飲みに行ったところ、例の写真の話題になった。撮ってくれてありがとう、嬉しかった、と伝えたら、何やら神妙な顔をするので少し驚いた。私はその友人の品性を信用していて、むやみなことは言わないとよく知っているので、気を悪くするわけはないよと続きを促す。  「写真を整えていて、思ったんだ。その、彼の目が、狂気を孕んでいてさ……」  だん、と音がするほどに荒々しくジョッキを机に置いて、「そう」と叫んだ。  そうなのだ。叫びながら、私は悶えた。どうしてか、誰もあの目の孕む狂気に気づかない。あの異常性に。世界で私だけが気づいている、恐ろしい輝き。ようやく気づいてくれる人が現れて高揚する。カメラマンというのはずばぬけた観察眼を持っているのだなと思う。あの一瞬で、よくも。  そんなふうに話すと、写真家は少し謙遜して、付け加えた。  「会って話していてもわからなかったことも、撮るとわかるんだよ。写真の明度を調整している時に、ああこの目は、と思った。あなたが彼をミューズとしたのはよくわかる。あの男は異常だよ」  写真家が彼を評するその言葉のすべてに頷く。よくぞ見抜いてくれた。私は彼のその異常性に恋しているのだから。  「そうでしょう、そうなの。にこやかに社交をこなしている彼の目がまったく笑っていないことに気づいた時、本当にぞっとした。そして恐ろしく惹かれた。その狂気を徹底して表に出してこない、人間離れした抑制。あれを飼い慣らす知性の強度。本人ですら、自分が何を制御しているのか気づいていないのではないかと思った。そして、私はそれをどうしても暴きたくなってしまった」  写真家は苦笑して、「あんなのに会ってしまったらもう、仕方ない。苦しむからやめとけだなんて、おいそれと言えないよ」と言う。  「写真を撮るとき、人にカメラを向けると誰しもかならず身構えるんだよ。撮られたい顔を模索したり、少なからず萎縮したり、恥じ入ったりする。でも、彼にはそれが一切なかった。怖じるということが。撮られ慣れているとかそういうことじゃない、世界におのれの身を投げ出してしまっている人の無頓着と言うべきか、あるいは……。正直、こちらが一瞬怯んでしまったよ。悔しいなあ」
 *
 話しながら、男の目を思い出す。  写真家はその眼光の鋭さを指摘していたが、私が見ていたのは、彼の目に何の感情も宿っていないことの異常さだった。表情は微笑みを絶やさないのに、目だけはたえず無を湛えていた。生まれて初めて、これほどまでに世界から乖離している人を見た。あの目が光る瞬間を見てみたくなった。彼の目が光る時、その光が私に向けられているべきだと思った。  撮ってもらった写真のなかの男の目は、改めて見ると、少なからず威嚇の表情を帯びている。おそらく思い上がりではないだろう、「この人はわたしのものだから、くれぐれも丁重に」ということを言っている。私が友人として親しんでいる写真家の存在を尊重しつつ、自分の所有物である私を傷つけたら殺す、と言っている。  他者に暴力を向けることを徹底して避けてきた男が、殺す、という目をする。わたしの大事なものを傷つけたら殺す、と。私があの目を光らせたのだ。欲望によって。本質的には何事にも無関心であった男の目を私だけが光らせた。私がその狂気を剥き出しにした。そうして今ようやく、あの目の異常な輝きが第三者の手によって写し取られ、顕現したのだった。私を見つめるあの目の獰猛な輝きが、私の視界にのみ映っていたあの輝きが、ついに表象された。
 男がひた隠しにしていた狂気をあますことなく引き出し、そのすべてを自分に浴びせる。その愉楽に酔いしれて日々を過ごすことの、なんという甘さ。なんという痛々しさ。痺れるような快感に耽って、私も男も、かつては備えていた厳格な統制機能を放棄してしまった。生きることに淫している。共に生きることに。道行きを行くことに。
 *
 かつて、「ファム・ファタール」というタイトルで、男について書いた。ファム・ファタールとはフランス語で「運命の女」を指す。女が男たちの文学の題材として易々と死なされてきたことを批難し、そのような文学作品たちへの復讐のためには男たちこそが私の文学のために死ぬべきであると語った記事だった。  実際に、これまで私はほとんど書くためだけに男たちの性を搾取し、愛することもせずに暴虐の限りを尽くしてきたつもりだったが、その運動は奏功しなかったのかもしれない。それが、ついには一人の男に忠誠を誓ってしまったことで露呈した。計画を頓挫させ、忠誠を誓った相手が、この眼光の男だ。ファム・ファタールを題材として筆を走らせてきたような男どもはけっして一人の女に忠誠を誓わなかった。私の計画は、一人の男に忠誠を誓うことで瓦解した。  その瓦解を引き起こした当人である私の男はこれを読んで、「ファム・ファタールはあなただろう」と笑っていた。いつまでも笑っていた。理知的な人なので、けっして男性���権的な価値観のもとにそう言っているわけではない。ただ、現実的な状況に鑑みて、自分がファム・ファタールと呼ばれることにどうしても納得がいかないらしい。  出会い、惹かれあい、関わり、生殺与奪の権まで預けた女。何十年にもわたって敷いてきたおのれの統御を巧みにほどき、押し込めて潜めていた狂気をあられもなく暴いた、たった一人の女。いわゆる伝統的なファム・ファタールを演じている当の本人が、自身のやったことを差し置いて男の側をファム・ファタールと呼んで嗤おうとする。男は、その手のひら返しをある種の裏切りだと感じたのかもしれない。
 指摘されるとおりなのだ。私は確かにあなたのファム・ファタールで、本当は、あなたは私の「ミューズ」。私にものを書かせる女神。ミューズという概念もまた、搾取の文脈を逃れ得ないものかもしれないが、「あなたを描かせてくれ」と一方的に恋い縋っているだけまだよいだろう。そもそもの位相が違う。あなたはファム・ファタールである私によって快楽とともに人生を狂わされる。私はミューズであるあなたを描いて人生を至上の美しさに仕立て上げる。  写真がとらえたわたしたちの顔が白と黒のソラリゼーションをなしていたことが、この位相の相違をよく示していた。そここそに私はあなたと私の対等を見出す。  あなたは私のミューズで、あなたが私に向ける狂気を糧に、私はものを書き続ける。ファム・ファタールを抱えてしまったあなたは、あなたをミューズとして追い縋っている私に、一方的に運命を翻弄され続ける。私はあなたのために書く。あなたは私のために死ぬ。これがわたしたちの対等で、わたしたちにとっての「共に生きる」ことなのだ。共に歩み、共に死ぬことなのだ。
 *
 写真家は言う。「いつかもう一度、彼を撮ってみたい」と。  ミューズを持つ生がどれほど美しかろうと、彼を書くことによって明らかに命を削られている私は思う。あなたもあの狂気に魅入られないといいけれど、と。
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keredomo · 7 months
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夢十一夜
 こんな夢を見た。
 ぼんやりとした霧の中、私はしきりに血縁者たちに別れを告げてまわっている。どうやら先ほど自死から甦ったらしい。三日目かどうかはわからない。  並び立つ親族の者たちはみな寂しそうに笑っているが、泣き咽ぶ者や私を責める者はない。家族の縁の薄い私には、私の自死に対して親族がどう思うかなど、夢のなかですら想像できないのだろう。へらへらしている血縁者たちに、ありがとう、さよなら、と言ってまわっている。
 どうも、私に残された時間は僅かであるようだ。存在が徐々に消えてゆく感覚がある。自死ののちに甦ることがそもそも異例なのであって、僅かでも後始末の時間を得られたことを喜ばなければならない。  私はそんなこともお構いなく死んでしまったらしかった。なるほど、万全に整えられた死を死ぬ勇気は、確かに私にはない。少しずつ、自分の体が薄れてゆくのがわかる。
 母親にいくつかの実務的な事後処理を託そうとして、ふと、遺書を残さなかったことに思い至った。遺書もなしに死んでしまうなんて、自分はこんなに衝動的な人間だったろうか。  インクの出の悪いペンを借り受け、空振りした筆跡を何度もなぞりながらぺらぺらのコピー用紙に書き付けはじめる。法的に定められた様式など何もわからないけれど、血判さえ捺せばきっと有効になるだろう。まず「遺書」と表題を記したが、字はうまくいかなかった。  財産の配分を考える。私を支えた女たちに、その貢献度に従って分配しようと思う。「私の金融資産から事後処理の費用を引いたものを下記の配当にて相続する」。女たちの名前はすべて旧姓で書いた。彼女たちの配偶者の姓をまったく思い出せなかった。
 そこまで書いて、そろそろ死へと戻る時間がきたことを察した。  焦りながら、続きを書こうとする。「そして最愛の人である——」すでにインクの乗らなかった筆跡をなぞることすらできない。ここまで書いた時点で、続きを考える時間はもう残されていなかった。  ほとんどいなくなりかけながら、私は母親にむかって懇願する。  「小指の指輪と一緒に私を焼いて。ほかは外していいから、これだけは連れていかせて。お願いね——
 混濁する意識のなかにあなたの顔が浮かぶ。私はもう、ほとんどこの世にいない。あなたが隣に立って私に向ける時の笑顔が浮かんでいるが、それすらもう遠い。  目は霞み、もうほとんど見えなくなりつつあるなかで、死から甦って初めて抱いた感情に苦しいほどの切なさをおぼえた。  あなたとの生をまだ続けたかったと。それだけが心残りであると。
 ——はっと目を覚まして、暴力的な朝日が部屋に注いでいるのをまぶしく眺める。  生きている。視力のない視界はぼやけて、光と色だけが私を圧倒する。  寝返りを打ち、窓に背を向けてぎゅっと布団を抱きながら、まだありありとあの切なさが胸に残っているのを確かめた。なんという夢だろう、と思った。
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keredomo · 7 months
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あなたと一緒にいる時以外、ずっとあなたのことを憎んでいるの
 時々、私のもとを訪れる人。あなたといると心がとても安らぐ。私はあなたに存分に甘えて、あなたも私に存分に甘える。私はあなたに話したかったことを話せてとても嬉しい。あなたも私に話したくてたまらなかったことをとうとうと語って嬉しそうにしている。私はあなたに触れたかったから、無遠慮に触れる。何のためらいもなく肩に頭をのせて、のせた頭をあなたの頬にすりつける。あなたの膝に寝転がってあなたの顔を見上げる。あなたも無遠慮に私に触れる。何のことわりもなく肩を抱く。腰を抱く。太ももをさする。膝にあずけた私の頭を撫でる。見つめ合って、愛おしそうに唇を落とす。両手を広げて抱きしめる。額にも、頬にも、瞼にも、首にも、したいように唇を落とす。笑い合う。私たちは互いを預け合う。美しい時間。甘やかで、うっとりするような匂いと声とに満ちた、やさしい時間。
 けれどあなたは立ち去る。約束の時間がくると、どんなに睦んでいても、あっさりと立ち去る。何か理由があるらしい。あなたが立ち去ると、私はあなたを憎む気持ちでいっぱいになる。なぜ立ち去るのか。なぜあなたがいない時間を過ごさなければならないのか。その時がくればあなたは立ち去ることになるのに、なぜ私にやさしい声をかけるのか。なぜやさしく触れるのか。なぜ笑い合うのか。なぜ愛し合うのか。なぜ私の言葉を蔑ろにするのか。なぜ私を忘れるのか。なぜ私の苦しみがわからないのか。なぜ私の怒りが届かないのか。なぜいないのか。なぜ私の痛みが届かないのか。なぜ私の孤独を埋められないのか。なぜここにいてくれないのか。なぜ、あなたは今、ここにいないのか。
 ――立ち去る必要があるからせめて逢瀬の時間は至上の愛を与えたい、と、私のゴドーは言う。ゴドーが、来ているだけましなのだ。ベケットを参照しながら、私は思おうとする。ゴドーはほんらい、来ないものなのだ。それが来ているのだから、私はそれに感謝しなければならない。――でも、何に対する感謝なのだろう? 神?
 だったら私は神を殺してゴドーを牢に監禁したい。神を殺し、この世の理をすべて葬り去り、奇跡的に私のもとに尋ね来てくれたゴドーの手足を削いで、この自室に監禁したい。私は二度とゴドーを待ちたくないのだった。こんな辛酸を舐めるくらいならば、ゴドーの身体を奪い、自由意志を封じ、わがもとに繋ぎとめてしまいたいのだった。けれどそれは許されない。私に神を殺す力がないからだ。
 こんなものが恋であるはずがなかった。恋とは相手のことを思い出せばそのままうっとりと悦楽の境地に至ってしまうような蜜のような感情を指すはずだった。思い出すだけでばら色の頬が私を美しくするようなもののはずだった。あふれた慕情に耐えかねて床にのたうち回る、あふれた慕情に耐えかねて膨大な言葉を書きつける、浮き足だってなにも手につかなくなる、そういうものが恋であるはずだった。それなのに、今や私は常に苛立っていた。一人きりで抱えているのは孤独と憎し��だけだった。憎しみの介在によってそれは恋とは呼べないものになり、私はもう長らく恋をしていなかった。
 愛ではあった。恋でなくとも、愛ではあり続けた。これが愛であるがゆえに、愛になってしまったがゆえに、憎しみも苦しみも怒りも抱き込むことをおのれに認めさせなければならなかった。愛と恋とは峻別するべきものだが、その峻別には大いなる痛みがともなった。
 憎いのは、私が愛の痛みを甘受しているにもかかわらず、あなたは恋に浮かされている、そのアンビバレンスだ。癇癪を起こしながら、しかし私はすべてを理解してすべてを諦めていた。この激しい癇癪は無為なものだと了解し、セルフ・コントロールがきかず漏れ出るわずかな感情のみを相手にぶつけながら、癇癪のほとんどを自身の裡に抱え込むのだった。それはひとえに理知によるものだった。それが愛だった。情動のなす恋とちがい、理知がなすものが愛であった。理知による忍耐がなすものが愛であると、思い込むことしかできなかった。
 外科室で、寝台に横たわる。なぜ、これ以上生きていきたいはずのない生にありながら、私は治療を受けるのだろうと不思議に思った。憎く、かつこれ以上ないほどに愛おしく思っていた父親、死んだ父親から遺伝的に受け継いだ心臓の疾患は、ストレス過多な人生の圧迫を受けて想像以上の悪化を見せており、少しでも若く体力のあるうちに執刀すべきだと診断された。私は診療にかかったことを後悔した。医者は人命を救うことを使命としており、施術を拒否するには相当の労力を要することが明らかだった。そのまま、正義感の強い医者の強い進言を受け入れるかたちで、またも先々に生きながらえるための道を自分で選んでしまったのだった。
 生きながらえたところで、私はどのみち自分を傷つける選択をするのだろう。生きながらえた私は、またもや愛をおこなうのだろう。そうして憎しみと苦しみと怒りと、加えて、悲しみの果てに、ただ泣き咽びながら生きているだけの人生を、延長することになるのだ。
 この先、何の喜びがあるだろう。何の達成があるだろう。自分の人生に、美しい未来がもう見えない。私はきっと憎しみと苦しみに囚われて、刹那的な快楽のみを享受しながら生きていくのだろう。だとして、こんな延命処置に何の意味があるのだろう。
 そんなことを思っているうちに、全身麻酔がきいて、深い深い眠りに落ちた。数時間の意識の放棄ののち目が覚めると、私の左胸の、乳房の付け根にはガーゼによる覆いが施され、左腕には点滴が落ちてきていた。みずから延長してしまった人生の、これからのことを考えると、目眩がした。手術でたくさんの��を失ったせいかもしれない。
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keredomo · 7 months
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愛の完成、拝読しました。私の心と重なる瞬間があり途中から泣いて泣いて泣いてしまってまだ通しでは読めていません。私の心が落ち着いたら感想を送ってもいいですか?
コメントへのお返事が遅くなってしまってごめんなさい、私もこれを書いてから、ずっと何も書けないまま呆けていました。
ご感想、お待ちしています。共鳴してくださって本当にありがとう。今日、久しぶりに自分でも読み返して、苦しくて仕方ありません。
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keredomo · 9 months
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愛の完成
 あなたが殺してくれと言うので、それなら一緒に死のうよ、と返した。  その即座の返答が、あなたには意外だったのだろうか。少しだけ悩んだそぶりを見せてから、そうするかあ、と返事が来る。あなたがその返事を打ち終えるまで、「……」と表示されるメッセンジャーのトーク画面を見つめていた。ようやく覚悟が決まったらしい文面に、「やった、念願の心中だ」とわたしは無邪気に喜んでみせる。あなたの数秒のためらいはなかったことにしながら、努めて無邪気に。「ようやく一緒に死ねるね」と。たった数秒かけて打ち込んだだけのあなたのしょうもない覚悟、その覚悟なんかに何の意味もないことを察しながら、それでも努めて無邪気に、無表情のまま、文面だけは無邪気ぶって同調し、あなたのそのか細い不安の尻尾を捕まえて自分のものにしようとする。  それは醜悪な独占欲の行使だったが、やっと、やっと捕まえたと思ったのだ。死の匂いのする愛の場処に、ようやくこの人を引きずり降ろしたのだと。
 *
 「殺してくれ」と言われて、「一緒に死のう」と返す。その姿ははたから見ればまるで幼い茶番のようだが、まったく笑えも救われもしないのは、私たちがこれらの言葉を至極本気で言い交わしているからだった。  われわれの交わす言葉に嘘も虚飾もない。それは、数年来、知力の限りを尽くして言葉によってやりとりしてきた関係の守ってきた、唯一の約束だった。ほかに何も交わせないからこそ、それだけは決して破ってはならない約束。言葉という、そもそもが虚飾になることをまぬがれないツールにおいてその約束を結んでしまった以上、われわれは言葉の粗さによって生の実を歪めることを受け入れ、それによって隙のない盤石な関係を築き、「われわれの倫理」という誰にも踏み込むことのできない倫理領域を作り上げた。われわれはその倫理の国の薄い空気のなかで必死になってのたうちまわってきた。いよいよ酸素も足らなくなり、死んでしまおうと計画し始めたのだった。
 息も絶え絶えになってしまった私たちは、本気でこんなことを言い交わして、しかし心に飼っている理性は、われわれがこの心中計画をどうしたって実現し得ないことを知っていて、あからさまに失笑してみせる。互いの頑強な理性がストッパーを担っていることを、本当は互いにわかっていた。どんなに苦しんだところで、理知に従って生きている私たちは恋愛のためには死ねない。この甘い甘い心中計画は永遠に果たされない。わかっていながら、われわれの築いてきた強固な倫理の要求にあらがえず、一緒に死のうと言い交わすことになってしまった。  なんてやるせない愛の睦言だろう。システマティックに煽られた感情にすぎないこの睦言には、けれど倫理を成立させるだけの情熱と真意がたしかに燻っている。社会的な倫理と私的な倫理の相剋は、私たちを無様に苦しめた。どんなにこの愛の深みに沈み込んでみたところで、死をもって完遂することはできないだろう。関係が袋小路に入ったところで、信じたいはずの互いの言葉が空虚なものとして舞う、苦しいばかりの中途半端な共依存関係がわれわれをずたずたに傷つけていた。二つの倫理に引き裂かれているがゆえの、中途半端な共依存関係。
 睦言が睦言に��ぎないことを知っている大人同士の、けれどもその寂しさがゆえに成り立つ、これは「完成された恋愛」だった。私たちのためだけに築いた二人だけの倫理が成り立たせる、何の澱みも、緩みも、破綻もない恋愛だった。言葉を拠り所として紡いできた関係は、それゆえ、互いの言葉への信用がなくなればあらがいようなく終わってしまうのだった。  一緒に死のうだなんてあからさまに陳腐でみっともないことを言い交わす羽目になってすら、私はまだあなたとの恋愛の甘い夢から覚めることができないのだった。関係して6年。交わしてきた膨大な言葉たちが溶け合って、私はとうに自分を見失っている。自分の大きな一部を、大きすぎる一部を、あなたに明け渡してしまっている。おのれの足だけではもう、立てなくなってしまっている。  わが半身となった者なしにはすでに歩くこともままならず、ようやく一緒に死のうと言い交わせても、言葉にすることでそれが土台不可能であることを理性でもって再確認するだけだった。一人で立てもしないが、二人で死ねもしない。おのれの一部を明け渡していると自覚することは、同時に、おのれの全てをあなたに明け渡すことができないと了解することであった。  あまりにも似すぎている者同士の、相互理解の深さが私たちを悲しみに追いやった。相手が私のために死ねないことなど、はじめからわかっていた。私が相手のために死ねないことも、わかっていたはずだった。
 あなたは言う。「あなたはこの先、誰と恋愛をしたってどうせ深く傷つき続けるだろう。だったら、その相手はわたしであってほしいと、身勝手ながら、そう思うんだ。どうせ誰かに傷つけられるなら、わたしが傷つけたい。わたしでいいじゃないか。わたしに、傷つき続ければいいじゃないか」。  あなたは言う。「あなたが恋愛で傷つく相手は、これからもずっとわたしであってほしい。一生、わたしであってほしい。どうせつく傷ならば、その傷はわたしによるものであってほしい。でなければ、わたしは気が狂ってしまう。あなたがほかの男に傷つけられることを考えると嫉妬に狂ってしまう、暴力でもなんでも行使してあなたを独占してしまおうという虚妄に身を灼かれてしまう」。
 あなたの言うことには一理ある、と思う。一理どころではなく、このわれわれの倫理に則るのなら、それだけが真実だと思う。あなたのその嫉妬心も独占欲も、人が抱くものとして、真っ当なものだと思った。それらは人が人に向ける感情の中でもっとも狂おしく、もっとも切実で、もっとも真剣なものだ。そして、あなたがそれを発揮できるのは、われわれの倫理の内側でのみだ。私はあなたの吐露したその切実さに絡め取られて、思う、確かに私にとっても、これからも傷つき続けるのであれば、その相手はあなたがいい。暴力的に独占されるのであれば、その相手はあなたがいい。  けれど、そうか。私はこの先も、傷つき続けるのか。私のもう一つの倫理がそれを拒もうとする。この叫ぶような痛みを受け取り続ける生を送るのか。あなたは、私が傷つき続けるこの世界から私を救い出してはくれないのか。そんな生を、私はずっと生き続けるのか。
 あまりにも強固なわれわれの倫理に絡め取られて、すでにこの身は牢獄の囚人のよう。あまりにも寒く、あまりにも惨めだ。けれど実のところ、どちらかといえば、私のほうがあなたを牢獄に引きずり込んだのだった。私はそれに気づいていた。その責任を果たさねばならないと思って、あなたよりも数年早く、私は二人で死ぬことについて静かに腹を括ったのだった。この結末は死にしかないだろうと結論づけたのだった。  括った腹の、括った紐が緩めば、臓器が汚い床にぶちまけられるだろう。赤黒い腸が跳ね、痛めつけられて穴だらけになった胃がべしゃりと形を崩し、膵臓がそこに黄濁して積み重なる。そのグロテスクな光景を見てもまだ、あなたは私を愛するだろう。破裂した私をも尚、あなたは愛するだろうと思えるほどの骨がらみの恋愛を、私はしていた。渾身でもって。そうしてようやくその汚濁にあなたを引き摺り込んだ。
 *
 ぼんやりと、視力の落ちた目で自分の暮らす一人きりの部屋を眺める。輪郭は揺らいでしまって掴めないが、それでも色彩だけは判別できる。本棚に差す書物の色を選べないせいで、夥しい色が自室にあふれかえっているのがゆらゆらと揺蕩って見える。これらの色々の、すべてに生気が宿っているような気もするし、すべてが死んでいるような気もする。この景色がそのまま私の存在にも反映されていることだろう。私のすべてに生気が宿っているような、私のすべてが死んでいるような――こんなマージナルで危うい生を、これからもまだ、生きるのか。とうに限界を迎えているというのは、どんな言葉で訴えても誰にも正しく伝わらない。私だけが知るところだった。私だけが、つかみどころのない人生に膿んでいた。それはすでに、生ではなく死であるように感じられた。  このぼやけた景色は「完璧な恋愛」の代償だった。愛は命を削る。私の命は削られていた。あなたの命もまた、削られた。
 心中の相談をしながら、あなたと私の感情はけっしてそこに乗ってはいない。ただ、理屈の上だけでの話をしてお互いを慰め合っているのだった。「死ぬの、どこがいい?」「東尋坊でしょう。遺体が見つからない場所がいい」「私もそう思ってた。身投げですね」「うん、そうしましょう」。  なんて空虚な会話だろう。私は唇の片方だけを吊り上げて笑う。ここにあるのは形式だけだ。私たちは間違いなく、何があろうと間違いなく、東尋坊で身投げなどしない。一緒に海の藻屑になることを選びはしない。倫理の強制力に従って口にしているだけだ。この会話すら、「あなたを深く深く、深く愛している」と告げるためのメタファーにすぎなかった。そこには形式だけがあった。  これほど陳腐でこれほど切実なメタファーもない。私たちは確かに、そのメタファーに乗せて、互いの思いを伝えあっていた。けれど、そもそもそこに載せるべき感情は、本当に存在しているのだろうか? わかっている。これは、心中というロマンティシズムに淫することもできないまま、ただ会話をつなげているだけの空虚なやりとりなのであった。愛と呼ばれる美しい交歓はすでに散ってしまって、私たちのあいだに残されているのは、責任、けじめ、矜持、昇華願望、そして諦めだけなのだとすれば、どうしよう。――愛って何だっけ?
   *
 私は知っている、あなたという人は、あまりにも歪なやりかたで、「本心」というものを置き去りにしながらこの世を生きてきた。その場の、場当たり的な誰かの要望に無我に応じることで生をやりすごしてきたあなたは、ここにきて、私の切なる終わりに対しても、いよいよ同じ態度をとっているのではないか。そして、私もまた同じであるからこそ、それに気づいてしまうのではないか。  当事者の私たちですら拾いきれないほどの数多の言葉を交わしてきたから、改めて語られずとも、あなたの生き様についてはよくわかっている。私が送ってきたのとは真逆の生をあなたは生きてきた。奇跡的なことに、互いの「愛」の定義だけが同じだった。だから愛をやれた。完成するまで、愛をやれた。愛は完成した。完成した愛は、そののちに、壊れようとした。
 完成とは「それ」が永遠になることだと、語義の上で、経験の上で、ずっと信じていた。それなのに、完成した愛も齟齬によって破綻しうるのだとすれば、一体何を目指してゆけばよいのだろう。  私はすでに、何によってその完成した愛が罅割れたかを理解している。互いに抱えてきた二つの倫理の矛盾がそこに歪(ひずみ)を生じさせた。その罅を修復するだけの力が、もう私たちには残されていなかったのだ。6年という歳月で、あなたも私も、おそろしく老いてしまった。私たちにはもう、愛のために無理を押し通す力が残されていないのかもしれない。
 私は言う。「あとはあなたを地獄に道連れにすることしかできない」と。その最後通牒に、あなたはもう何も言えなくなってしまう。  私は思う。人を愛することはこんなにも苦しいことだったかと。人を愛することは、人に愛されることは、こんなにもままならないことだったかと。それでもあなたを愛していると。愛する人の手を離すことはこんなに苦しいことだったかと。あなたを愛することができない日が、もう二度と、こないでほしいと。一緒に死のうと言った時に、理性をかなぐりすてて、感情のままに、お互いだけを見つめあって、一緒に死ねればよかったのにと。
 私たちが築き上げてきた美しい倫理によってすらそれが叶わなかった生を、これからどう生きてゆけと言うのかと。
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keredomo · 10 months
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差���伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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keredomo · 11 months
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ヒロスエの手紙
 ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。  有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
 不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
 「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。  自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
 婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
 何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
 一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。  婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
 「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。  初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
 国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。  それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
 ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。  誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。  あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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keredomo · 11 months
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足跡
 33歳になる。  32歳になった時に書き綴った「帝国」という文章を読み返してみて、そこに迸る生きる意志の強さにおののいた。  いくつもの記事に繰り返し書いてきたが、32歳になった昨年の6月4日にはじまる1年間で、人生を深く深く傷つける出来事がいくつもいくつもいくつも、死なずにいたのが不思議なくらいいくつも生じ、友人たちの力添えや化学物質の支えで手当てしながらなんとか生に前向きになろうと試みたけれど、私にはもう「帝国」のようなものは書けない。闊歩と称せるような歩き方はできない。茫然と、背を丸めて突っ立っている。  こんなところで折り返してしまった。あとはもう、持っているものを削って捏ね、また削って捏ね、その繰り返しにすぎない。私の存在が消尽してしまうまでやって、なくなったら終わり。ほんとうはその時を待つのも苦痛きわまりないのだが、いっぱい削れば早く終わるでしょう。がんばっていっぱい削ります。
 誕生日には毎年、リルケやブレイクのような「ほとんど永遠になれた人たち」の本を読むようにしていたが、今年はそれを選ぶ気力もない。できればユルスナールかウルフを、と思っていたが、けっきょく手に取ることもできなかった。  それでも何か一つでも、と思って、去年の誕生日に親友の一人が贈ってくれた英語の詩を読み返していいかげんに訳した。
 *
Footprints
One night I dreamed a dream. I was walking along the beach with my Lord. Across the dark sky flashed scenes from my life. For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Lord. When the last scene of my life shot before me I looked back at the footprints in the sand. There was only one set of footprints. I realized that this was at the lowest and saddest times of my life. This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma. "Lord, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk with me all the way. But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints. I just don't understand why, when I needed you most, You leave me." He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you never, ever, during your trials and testings. When you saw only one set of footprints it was then that I carried you."
足跡
ある夜、私はこんな夢を見た。 私は主と連れ立って浜を歩いていた。 闇夜には私のこれまでの人生の光景がちかちかと閃いている。 それらの光景は、砂に刻まれた二つの足跡を照らし出した。 一つは私の、もう一つは主の。二人の、二つの足跡。 最後に私の生の光景が空に閃き、私の目の前で光ったとき、 私はいきおい振り返って、砂に残る足跡を見た。 そこに残っている足跡は、たった一つだけだった。 最後のそれは、この人生でもっとも辛く、もっとも悲しい瞬間を映していた。 この記憶が、いつだって私の心を乱すのだ。わたしは主に訊ねた。 「主よ、私があなたを信じることを誓ったとき、 あなたは私に、常に私と共にあろうと語ってくださった。 なのに、私がもっとも苦しかった時、そこには私の足跡しかなかった。 主よ、どうして、私がもっともあなたを必要としていた時に、 私を一人にしたのです。私はただ、理由が知りたい」 彼は囁く。「私の愛しい子よ、私はあなたを愛している。 あなたが苦しんでいる時、あなたが励もうとする時、 私は決して、あなたを置き去りにしたことなどなかった。 これからもあなたを一人にすることはない。 あなたが振り返って、足跡が一つしか見つからない時、 それは、私があなたを背負って歩いているからだ」
 *
 去年の32歳の誕生日に初めてこれを読んだ時、恥ずかしながら、そこに意図されているメッセージを汲み取ることはできなかった。まあ、それもそのはず、当時の私は王として私の世界に君臨しようとしていたのだから。あの時のエネルギーは根こそぎ世界に奪われてしまったが。  予言であったかのごとく、その後、私はこの詩の書き手が受け取るような「もっとも辛く、もっとも悲しい最後の光景」に見舞われ、自分の足のみでは立っていられないような日々を過ごしたわけです。つら~。これってもしかしてフラッシュバックの詩? 死ぬほどつらい時のことって永遠にフラバするし、その時に感じた孤独ってどんどんその後の命を削るよね。わかる~。どんどん削るんだよ。その傷からは一生逃れられない。その傷が余命を確実に縮めていく。  まあこの詩は「主」からのアンサーを得て救済を受けていて(作者よかったね、がんばったね)、わざわざ多くを語ることも無粋なのでしませんが、辛くて死にそうな時に実は人に背負われているっていうのはこの一年を通して実感としてわかりました。最初読んだ時「主、マジ恩着せがましいな」とか思ってゴメンね。
 これ以上書くこともないので終わります。なんという駄文だろう。情けないことこの上ない。
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keredomo · 11 months
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心臓
 課の会議中に、会社に受診を義務づけられている健康診断の結果がメールで届いた。今年は健康診断前にうっかり食事を摂るようなミスも回避できたのできっとよい結果になっているだろなと喜び勇んで開いたところ、画面にあらわれた判定はEだった。思わず「いー」と口走る。突然の奇声に、課のメンバーから怪訝な顔を向けられて「すみません何でもないです」と取り繕う。連日連夜の野蛮な飲酒にとうとう肝臓が悲鳴を上げたかと診断をスクロールすると、警告よがしに表中の列が真っ赤に塗られている項目は心臓だった。
 心電図を採るためには、ベッドに横たわって上衣をめくりあげ、身体のあ��ゆるところに冷たい機械をあてられる。手早く特定箇所に機器を当てるこの担当女医に、私の乳と腹はどう見られているのだろうかと不安に思いながらも、被験者の矜持があるので微動だにしない。
 女医は医師として無数の乳房を見てきたのだろう。品評するだろうか。乳首の形と色とがさまざまであることを誰よりも知っているだろう女医は、乳房というものをどう捉えているのだろうか。そんなことを考えているうちに検査が終わり、次の部屋への移動を促されてそれに従う。結果、私の脈は不正で、疾患を疑われるほどの異常値を叩き出していたのだった。乳房の優劣のことを考えていたせいだろうかと一瞬よぎったが、専門機関で精密検査を受けるまではその真偽はわからない。検査で異常を確認するのがなんとなく億劫で、病院にはまだ行っていない。
 *
 父も、心臓をやって死んだ。あの人の場合は、糖尿病を患って、酒も煙草も大いにやったあげく脳もだめにしていたから、死因は心臓とは断言できない。私も父と同じく酒と煙草をやるが、酒については父のおそらく倍量以上を煽りつつも、煙草の量は吸わない人間と大差ない程度だ。それでも、身体的遺伝とは怖いものである。
 顔のつくりはまったく似なかった。美男の色男であった父の美醜の感覚で「ブス」と面と向かって蔑まれる程度には可愛くない容姿に生まれついたにもかかわらず、疾病だけは執念深く遺伝するのだから面白くない。
 父から引き継いだ心臓の弱さによって死ぬことで、父をもう一度殺したい。父が容姿の醜さを笑って娘の自尊心をずたぼろにした結果が私の孤独死であると、見せつけてその心のなさを責めてやりたい。
 病気を糧に親を責めたい気持ちがむくむくと湧く。とはいえ、父はそのだらしなさがゆえに数年前にとっくに死んでいて、たとえ私が父の遺伝のせいで若くして死んだところで彼にはもはや何のダメージもないのだった。一人相撲の、この徒労感。私と父は、生きていても死んでいても、どのみち交わらないのだった。
 おのれの死を父に見せつけて父の未熟さを思い知らせたい、などと馬鹿げたことを妄想して鼻で笑う。くだらない未練だと思いつつ、これがあの男の心臓なのだと思うと、死んで地獄でやりあおうかという気にもなるのだった。お前の心臓を受け継いで死んで、お前と殴り合ってやろうかと。
 そんなことを考えるということは、おそらく、私は今になってようやく父を愛しているのだった。彼が死ぬまで愛せなかった父を、死後になってから悪あがきのように愛しているのだから愚かなことこの上ない。
 *
 心臓の疾患を疑われた以外は、私の身体はほとんどがAの判定を受けていた。当然だ。一般的でない飲酒量とそれを切実に必要とする不眠以外、私に不摂生はなかった(まあ、それこそが致命的なのだが)。毎日、おびただしい量の野菜を摂取する異常な食生活。過剰な飲酒による酩酊と気絶がもたらす十分な暴力的睡眠。適度な運動。ノイローゼを呼ばない程度の仕事量。すべてを肯定してくれる友人たち。この世の誰よりも健康的な日々を送っている。心だけが異常に繊細で、激しい怒りや激しい悲しみのあまりストレスで生理が止まったりはするが、そういうことがあっても、女だなあと思うだけだった。
 毎晩ワインを一本あけるほどの過分な飲酒にもかかわらず、肝臓の数値は良好だった。煙草を吸うわりには血圧もヘモグロビン量も正しい。理想的な痩身を保っているわけではないが、BMIも適正値だった。
 ただ、父親から受け継いだ心臓だけがだめになっていた。ばかな男。私をまともに愛さなかったくせに、形骸的に執着して、まさか引き連れていきたいのか? 否、そんな情は奴にはあるまい。母に対する恋情はずっとあった。倒れて理性を失ってからも、うわごとで母に「愛してます、結婚してください」と語り続けていた男だ。私の母と結婚する以前に二度結婚して子供を作って、その子供たちは父の死後に弔問に来て「父には可愛がってもらった」と思い出を口にしていた。私だけが、父の愛を知らない。
 けれど私は、父親の愛を知らないからこそ未だに父に執着していて、父の本来の愛情深さを想像してはそれが自分に振り向けられなかったことを恨みながらも、愛情深い人間であった父を無碍にできないのだった。なぜか。心臓の疾患のみならず、その愛情深さも、私に遺伝しているのだろうか。わからない。なぜなのだろう。父の死後、その死をきっかけに私の知らなかった父の生を聞かされるたび、私は父に自分を投影してしまう。父の人生が私の人生であるように思えてしまう。私だけが一方的に父を愛しているのだった。
 私の死因がもしあなたからの遺伝によるなら、いいよ。受け入れる。ほかのどの死因よりいいよ。あなたと同じ死に方をして、ようやく私は父親とのつながりを思い知ることができるんだ。ようやく愛されたと思えるんだ。
 *
 ずっと、「私を殺してくれる男」を待ち侘び続けてきた。
 私をはるか凌駕している男。私の命がその手にかけられることに悦びを感じられるほどの男。圧倒的存在をずっと待っていて、十何年かけてずっと探して、ようやく見つかったと思ったらその男は私を深く愛してしまったので、私を殺すことなどとうていできなくなった。そりゃそうだよな。ふつう、愛する人には生きていてほしいものだ。
 心臓のことが判明して、死因のことを考えて、ここに書いて、私が探していたのは「父」だったのだと、ようやく思い至った。「父」の不在が、私に「私を殺してくれる男」を探させた。
 それがゆえに私の人生はこうなった。安定も安心も遠ざけて、苛烈な情念だけを頼りに猛獣のように世界に牙を向ける人生。けれど心の奥底には「父」を持てなかった少女がうずくまって泣いていて、父親にあたたかく抱きしめてほしいという感情をこらえている。あなたにあたたかく抱きしめてほしいという感情がずっとくすぶっている。父に抱きしめられたい。父に愛されたい。父を愛したい。大好きだと叫んで抱きしめたい。
 どうしてそれが叶わなかったんだろう。男を使い捨てても使い捨てても満たされない理由をようやく自覚して、ぽかんとしている。埋める努力をしたところでどうしたって埋まることのない穴を、私はこれから先、どう扱えばいいんだろう。これまでについた不毛な傷を、どう見捨てればいいんだろう。
 いつ、父親への執着が消えるのだろう。もうこれ以上苦しみたくないのに。
 できるだけ早く心臓が破裂して、私が死んでしまえたらいいなと思う。父親のせいで狂ってしまった人生を、父親のせいで終わりにしたい。あなたの娘はあなたに愛されなかったせいで、彼女が決死の思いで築きあげた素晴らしく美しい人生をあっけなく台無しにして死にましたよ。死後の父にそう伝えて、後悔に苦しんでほしい。
 そんな日は永遠に来ないことはわかっている。私は心臓の疾病を放置して、不整脈が起こるたびに父を呪う。父を愛する。父を憎む。酒を飲む。煙草を吸う。男を抱く。絶対に許さない。私を愛さなかったことを許さない。せめて私を早く殺してほしい。受け継いだ心臓の疾患で、私を殺してほしい。すでに不在となった者へのこの憎しみから、この愛情から、愛おしさから、執着から、苦しみから、もう逃れたい。逃してほしい。あなたを思うことから、逃してほしい。
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keredomo · 1 year
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マティス、バッハ、フルニエ
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 連休前半を使った京都出張から戻って二日間の平日を働き、ゴールデン・ウィークの後半に突入した。初日には東京藝大の買上展と都美のマティス展をはしごすることが叶い、連休を充実させようという気力が湧いている自分に安心する。  先年に生じたあまりにも苦しい出来事の傷によって長いあいだ鬱状態に陥っていたが、親しい人々の助けと輸入したサプリメントの服用によって半年かけてなんとか回復したようだ。連休二日目の今日も、最近サードプレイスとして活用している大学図書館へのおでかけを実現した。あの頃のままの私だったら、昨日も今日もひたすらに酒を飲んで鬱々と自傷し、現実から解放されるために昏昏と眠り続けていただろう。そんな精神状態は、この五月晴れにはふさわしくない。
 マティス展は、客層の顔がやたらとよかったのが印象的だった。私は実はマティスをそれほど好きではなく、あの仕込んだようなおしゃれ感がどうにも苦手なのだが、それは私が野暮ったいからで、おしゃれな人はマティスのおしゃれに怯むことはないのである。マティス展の観客たちの多くは、かっこつけるという気恥ずかしさに怯むことなく自らのスタイルを行使していた。なかでも印象的だったのが初老の女性たちで、彼女たちはみな、白髪をぎゅっとポニーテールにしてデニムを身に纏い、高級なデザインの施されたシルクのスカーフを首元に巻き、慈しむような薄い微笑みを浮かべながらマティスの描いた絵をじっと眼差していた。
 マティスが切り絵で『ジャズ』を作った時期の作品たちを眺めていて、佐藤のことを思い出した。  佐藤とは、二〇代の前半から半ばにかけて関わっていた男だ。下の名前は知らない。たしか十以上歳上で、顔と体格が美しく、服のセンスがよく、言葉のセンスもよく、職業選択のセンスもよい男だった。佐藤は当時、高級で質の良いものを扱うセレクトショップの広報に就いていて、音楽喫茶に通うのを趣味としていた。聞き出してみると、どうも、縁ある女性と中央線沿いの無理のない駅に暮らしているらしかった。一緒に暮らす女性があるのに私にも手を出そうとする佐藤は社会的誠実さを欠いていたが、他者がもたらす偶然と知識とに貪欲だった当時の私にとってそれはどうでもよいことだった。他者が私を食おうとするとき、私は相手が食う以上を食う。それだけが信条で、その信条がゆえに私は自身が傷つくことにひたすら鈍感だった。傷ついた以上に得るものを得ていた、その好例が佐藤だ。
 佐藤は磨いてきた自分のセンスに自信を持っている男だった。私の、文化的に未熟ながらも野蛮にほとばしる文学的才覚に気づいて、その芽を育てることに夢中になっていた。自分が力を注いで洗練させた美しい趣味を私に授けることに喜びを見出しているようだった。実際に、佐藤はよい趣味をしていたと思う。  趣味のよいとされる音楽と趣味のよいとされる香水を、佐藤は私に叩き込んだ。音楽について、一つはグールドだった。当時の私は、グールドの名前すら知らないほど音楽に無知だった。今思うとあまりにも恥ずかしい無知だが、知的にある程度の分別がついてから初めてグールドを聴けたのはいい経験だったかもしれない。ピアノを習った経験からクラシック音楽を聴く習慣はあったが、プロコフィエフもブラームスも、グールドの演奏を聴くまでよいと思ったことはなかった。  グールドをひとしきり聴かせた後、佐藤はピエール・フルニエの演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲のCDを私に手渡した。フルニエのチェロが奏でるバッハは身悶えするほど素晴らしかった。初めて、バッハに神の幻影を見出す人間の気持ちがわかった気がした。演奏はきわめてポップなのだが、そのポピュラリティが一般的な人間と神とを接続する可能性を持っているような気がした。佐藤に渡された二枚組のCDの、アルバムカバーを飾っているのがマティスの切り絵だった。  フルニエの音楽は全くもってジャズではないので、そこにマティスが飾られている理由はいま見返してもよくわからない。フルニエの演奏するバッハとマティスの切り絵は、かけ離れた存在同士であるように、一瞬思った。が、確かめるために改めてフルニエのバッハを聴くと、そこにマティス的な抑制を感じなくもないのだった。
 マティスの絵画やデッサンは、音楽的と称されるごとく、自由でのびやかな筆致でなされているように、一見するとみえる。しかしそこには恐ろしいほどの抑制が働いている。心のままにあと数センチ伸ばしたかった筆を、ぐっと堪えることでしか完成し得ない画面が、そのタブローの内側に見える。マティスの忍耐をタブローが受け入れ、見事な画面を成立させていることが、その絵をよくよく見ると伝わってくる。  フルニエのチェロもそうだ。「この音を伸ばしたい」と、きっと誰もが思う瞬間に音を切っている。まだ響き続け得る音を、指ではっきりと止めているのだ。マティス展に飾られた夥しい作品を眺めてからフルニエを聴き直すと、そういうことが新たに見えてくる。  佐藤というのは、おそらく偽名だったのだろう。日本における最も一般的な名字を名乗って、自分というものを晒さず、匿名性のもとで私をどうにかした男だったのだろう。それを為すモチベーションがまったくわからなくて、意味不明な存在である佐藤のことを、私はこれからも時々思い出しながら暮らすのだろう。
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keredomo · 1 year
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鯨のようにすべてを
 かつての私にとっては、与えることは奪われることと同義であった。  欲しがられて、与える。あるいは、私が欲しがることの代償に、与える。  するとこの腕が、この脚が、ごりごりと擦り下ろされて削り取られる、私は、いつか削られた手足がふたたび生え伸びるだけの栄養を返礼として受け取るはずだと盲信する。指先から肘まで削られながら、いつか癒えるのだと信じることでしか痛みを耐えられないので、信じる。  求められ、削られることを「与える」という言葉にすり替えていた。自分が望んで与えているのだと。与えるという態度は喜びをはらみ、痛みを麻痺させた。けれどついぞ、受けた傷を回復できるだけの養分は他者から支払われなかった。
 腕や脚の削られる感覚はいつだって、身体的凌辱よりも言葉の伝わらなさに依拠した。関係の空隙を埋めるために身を削っているこの痛み、この思いが、なんとか相手にも伝わってほしくて全霊を尽くしたが、相手にとっては私の思いなど重要ならざることだったのか、どんなに重ねても言葉は払い棄てられ、適切に受け取られなかった。心を尽くした一字一句が面倒くさそうな顔をした相手に無為に棄てられてゆく。痛みはやがてトラウマのようになり、人と関わろうとするたびに徒労感が精神を襲った。削り取られる痛みだけならまだ耐えられても、その削られたものが無為に捨てられることにまで耐えることは難しく、やがて人間関係を自傷行為の一に数えるようになった。それはひたすらに虚しい生だった。
 幾度もそんな挫折を思い知った。今となってはもはやどうでもいい、削られる痛みもどうでもいい、削り出されたものがどうされようとどうでもいい。好きに食え、好きに散らせ、好きに捨てろ。浜に打ち上げられた鯨の死骸のように、この生を差し出す。打ち上げられたこの身がどうなっても構わないという感覚。  好きに削れ。好きに捨てろ。私は与えることをやめた。そこに自分の意思を介在させることをやめた。削られるがままに、臓腑が食われて減り、喉がちぎれ、手足が短くなっていくのをただ茫然と眺める。好きに食え。欲しいだけ奪え。私の心はそこに関与しない。この体は、すでに死骸だ。 
 *
 悠々と海原を泳いでいた鯨は、ある日何の警戒心ももたずに岸に近づいたところ、急に不穏になった潮の強い流れに抗えず、生きたまま沖に打ち上げられた。そこは、その体を受け止めるほどに広く、静かな、砂の細かで柔らかな白浜。濃い曇りと薄い晴れとが交互にその浜を覆う、時には小雨も訪れるが、その雨はすぐに乾いて砂のうちにとどまらない、そういう清潔な白浜だった。
 重苦しい曇天の日だった。わずかなしめりけを砂がたたえる日。打ち上がって、仰向けに寝そべった。海がなく水がなく、半分しか呼吸ができない苦しさに全身を激しくのたうちまわらせて、無数の砂が埃となってあたりに舞い上がってはその重さにしたがって降りた。悶えに悶え、やがてあらがう気力も体力も失せ、何日が経っただろう。身体のすべてのつま先はとうに干からびていた。悠々と海波を靡いていたいくつかのひれも、水が擦れて過ぎ去ってゆくのを感じて喜んでいた表面の皮膚も、あられなく、あらがいようなく、ぱりぱりと乾いて細かに剥がれ落ちる。かつては揺ら立つ水面のむこうに遠くの星の巡りを見ていた目も、とうに痛々しく乾ききって霞んだ。目を開けるだけでひりひりとした痛みが走るが、それでもかろうじて開いた眼には、濁りと暗闇のみが映り込む。今はもう、死を待って朦朧としているだけ。  諦めがすべてを支配し、動くことをやめた頃、宵の明けにとつぜん人間たちが押し寄せた。人間たちはわたしが動かなくなるのを待っていたようだった。  わたしは松明の揺れてはじける光と人間たちの声とに心底怯えた、もうほとんど尽きた力を振り絞って、乾いたひれを動かして暴れた。人間の頭を右のひれで打ち、人間の足を尾で叩いた。まだこれほど動く力が自分に残っていたのかと驚きながら暴れた。  機敏で勇敢な一人の男がエラに銛を差し込んで、呼吸の苦しさから解放されたくてしたたかに暴れたが、やがて朦朧として、点滅する意識では動くこともままならず、そのうち、ようやくわたしは静かになれた。
 苦しみと痛みから遠ざかり、暗闇のなかを浮遊する。海中のようであるが、波が肌を撫でる荒々しい感触はない。水とちがって、暗闇は冷え切っていた。凍えながら泳ぐと、目が合った蟹がじっとりとわたしを睨む。貝も怨みがましくこちらを見ている。わたしはいまわの際に、白浜の砂をめくりあげて大暴れしたことでそこに埋もれる貝も蟹も虫もなにもかもを殺し尽くしたらしかった。わたしの殺戮は責められるべきものだが、償う方法がわからない。
 力尽きて静かになったわたしに、人間が群がる。動かなくなったわたしに乗り上げて、腹の肉から切り取る。胸の肉をとる。皮膚を剥がし、油をとる。目玉をくり抜かれる。  削いで、削いで、骨に至るまで削ぎきったあとにようやく心の臓を見つけて、それすらも綺麗に取り出して薬だか何だかに使うらしい。人の声が聞こえる。わたしの声は人間には聞こえない。それだけは持ってゆかないでくれと叫ぶが、届かない。  油は灯籠に、肉は長者の鍋に、と切り分ける男の声。残りの肉は市場に送れ。売れなければ猪肉と偽れ。骨から油をこそぎとったら、割って焼却炉に捨てろ。
 *
 鯨はただ死んだ。私も同様、死ぬ前にただ生きているだけだ。浜に打ち上げられたこの身を差し出す。打ち上がり、殺し、銛を差し込まれ、暴れ、死に、やがて肉を切り取られて見知らぬものに食われる。わたしを食う���は犬かもしれない。  肉を削ぎ落とされ、油をとられ、骨すら燃やされて、この身の何もかもを失くしたまま、いつまでもいつまでも白浜に寝転ぶ。鯨のように。そうして立ち込める暗雲からやがて小雨が降れば、すでに抉りとられた目をあけて、天から雨粒が降り注ぐのを眺める。雨水が海波の強さを持たないことに寂しさをおぼえながら、雨の止むまで、失われてしまった目をみひらいている。そういう結末を待っている。
 
 銀座線から井の頭線に乗り換える仮設の鋪道を歩きながら、鯨の油がどうやって採られたのかを考える。数日来、打ち上げられた鯨の死が脳裏にこびりついて、解体される我が身のことばかり考えてしまうのだった。  鯨のことを思う。悠々と大海原を泳ぐ日もあれば、採り尽くされた骨が浜辺に放置されている日もある。  今日はまだ、朽ち果てぬ日。浜も私を迎えない。  豊かな妄想のなかで、鯨のわたしは、いまだ骨から身を削がれ、その気が狂うような痛みを叫んでもなお、解体され続けている。わたしのからだから採られた何かを燃料に、どこかの松明に火が灯る。痛みの向こうに誰かの声がする。
 路線の異なる駅同士の高さをおぎなう五、六段のみじかい階段に最初の右足をかけた時、思念のうちに「あなたがいなければわたしは……」という声が蘇った。通りすがる誰にも気づかれないほどの一瞬、段をのぼる足を止める。 
 *
 「あなたがいなければわたしは困る」と語る人。「わたしの“ほんとう”はあなたの中にしかないから」と縋る人。  しかしあなた、私は鯨になるのだよ。打ち上げられ、切り分けられ、肉を油を目を心臓を、持ち帰られることを自然としなければとうてい生きてゆかれぬほど、人間と人間のあいだの搾取にほとほと疲れてしまって。  「だからあなたのすべてが欲しい」と語る人。  しかしあなた、私は鯨になるのだよ。あなたに今日捧げるこの花、この花は私のひげ、鯨のひげ。丸めるとガーベラみたいだから、ちぎってあげるわ。飾ってくれると嬉しい。食べてくれてもいい。  「やめろ。切り取らなくていい。切り分けなくていい。差し出さなくていい。何も差し出さなくていい。あなたは、そこに在ってくれればそれでいい、在ってほしい、ただあなたのありうるそのままで、あなたのそのままが朽ちるまで」
 美しい声を持つ人間が、松明も掲げずに裸足のままわたしの鯨の死体に近づく。「あなたのそのままが朽ちるまで」と語りながら、いつ暴れ出すかわからないわたしに丸裸で近づく。  その勇敢さが声となって、わたしの鯨の死体のおぼろげな耳を通して私に届くのだった。
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keredomo · 1 year
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この顔
 一年以上会っていなかった旧知と久しぶりに二人で酒を飲んでいたら、「顔が変わったね」と指摘された。  「最初はメイクを変えたのかなと思ってまじまじ見ていたんだけど、どうも違う。やっぱり顔自体が変わってる。どうしたの?」と言うので狼狽えて、どんなふうに変わったのかを訊ねると、「冷たさが抜け落ちて、ただただ小動物のようにきゅるんとしてる」と、友人。  彼女に会っていなかった一年間を経て、たとえば「老けたね」と言われるのならわかりやすかった。この一年、生に疲れ果てるだけのおびただしい出来事が襲来して、私は身も心もぼろぼろに疲弊したはずだった。なのに、「きゅるんとしてる」と評されている。つまり、幼く純粋素朴な面持ちへと退行しているらしいのだ。  手鏡を開いて自分の顔を確認したら、ジブリ映画の登場人物みたいに線がなかった。皺がないのではなく、線がない。人生の機微によってそこに刻まれるべきものが刻まれていない、あまりにもプレーンな顔。  驚いた。苦痛に対峙して、どうにかやり過ごした人間の顔ではない。凄惨な出来事の何もかもを無化したような、傷つくことなど何もなかったような、あまりにも素朴な顔をしていた。
 その話をすると、「変わったのは事実だと思うよ」「人に甘えることを知ったからじゃない?」と、その年、近いところで私の顔が変わる様を眺めてきた、別の旧知。「苦しむ君を甘やかしたいんだ」と望んで私のそばにいた人なので、自分がよい顔に変えたという自負があるのだろう。  優しい感想だったが、それは違う、と思った。そういうわかりやすいプラスの変化ではない。あんなに苦しんだのに何もかもがなかったことになっている、その心持ちの異常をこの顔が表しているのだ。何もかもを忘れ去ってしまう健忘症のあられもなさがこの顔を私に与えたのだろうか。わからない。ただ退行して幼児化しているこの顔について、誰も異常だと思っていない以上、悩むことすら憚られた。打ち明けて理解してもらえそうな相手からはポジティブな反応しか返ってこない。違うんだ。これは異常なことなんだ。大きな鏡の前にへたりこんで、一人きりで、慄きながらこの顔と付き合うことを強いられる。
 *
 去年の春ごろだっただろうか。「きれいになったね」と、付き合いの長い友人たちにしきりに言われるようになった。  「顔が変わった」とは違う、「元の顔からさらに良くなった」という指摘だったから、わかりやすかった。  綺麗になった自覚はあった。肌はつやをたたえ、目はきれいに見開かれて真っ直ぐ世界を見つめていた。口元にはつねに余裕の微笑みをたたえ、怖いものなどなにもないような顔をしている。
 私がきれいになったのには、わかりやすい理由があった。私のそばに、しきりに容姿を褒める人がいた。たとえ私が一切の化粧をしておらずとも、慄然と世界を睨みつけておらずとも、すべての姿をあまさず「きれいだね」と称賛し、この生来の容姿への愛着を惜しみなくあらわす人が、生活という次元でそばにいたためだった。  化粧をきれいに落としきった寝覚めの顔も「かわいい」と慈しみ、だらしなく唇をあけていても「きれい」と微笑む人。そんな奇跡みたいな存在が、2021年の冬から22年の秋までずっとそばにいて、寝ても覚めても、私は褒められ尽くした。きれいだね、かわいいね、美しい。絶賛されるたびに私はきれいになった。自信をつけ、輝いた。とても単純な話だった。  至極表面的なことではあったが、30年を自分として生きながら自分の醜さを憎むのにほとほと疲れていたこの人生を救う、ほとんど唯一の僥倖だった。私は自分の表面を数十年にわたって毎日こき下ろすのにほとほと疲れ果てていた。疲れ果てたところに、思いがけず降りてきた僥倖だった。そのような救いはこれまで誰一人として与えてくれたことがなかった。縋った。依存した。内面化した。  その人はすでに私のもとを去ったが、おそらく今も私は前より綺麗なままでいる。
 *
 こう話すと誰もが意外だと言うが、意外に思われるのであれば私の虚栄がうまく働いているだけのことである。私は自分の容姿の醜さに常に苛まれて生きていた。もっとも近しい人ですら、「あなたは自分の容姿を誇っているのだと思っていた」と言う。そう思われるのなら、私の戦略は成功していた。誰も、自信のない者に愛されたり褒められたりしたところで満足するわけがない。私は自信に溢れる態度、ふるまいを、自分に課した。賛辞を向ける先の人々にその賛辞を十全に受け取ってもらうがために。
 思春期は遥か遠く、当時「美しい」女の見本は、雑誌によって示された。田舎に生まれ育ち、マスメディアの決める美醜にしか基準点を置くことのできない幼い女にとっては、ファッション誌の専属モデルの容姿こそが「正解」だった。大きな目の縁を平行に彩る綺麗な二重瞼も八頭身のスタイルももたない自分は劣等たる存在なのだと思い込んだ。彼女たちのような美貌を持たない自身の不正解をどうすればよいのか、途方に暮れた。
 あのころ、とにかく「不正解」が怖かった。幼少期には私のテストの点数が家族の機嫌を決めていた。満点を取れば家はにこやかに保たれた。小学生のころ、国語のテストで64点しか取れなかった日の夜、母と祖母は狂ったように絶叫し、私の出来損ないを激しく責めた。私はその責めを愚直に受け取って自分を情けなく思うばかりであった。不正解による低得点は、狭い世界で生きていた幼い私にこの世の地獄をもたらす咎だった。  叱られないためにはすべての科目で満点をとる必要があった。容姿についてもその延長にあった。母に「あなたの顔のせいで私は正解には程遠い、あまりにも美しくない、努力では容姿の不正解を乗り越えられない」と泣き叫びながら訴えたら、「整形したいのなら協力する」と至極申し訳なさそうに言われた。なんという暴力、なんという毀損、なんという否定、なんという蹂躙だろう。
 *
 私の顔と体の造形を愛し、全身全霊で褒めそやす人とまだ愛し合っていた頃、「僥倖の僥と倖、どっちがほしい?」と訊いてみたら、「幸せのほうを君にあげるよ」と言ってくれて、彼は優しかった。どこまでも優しく、健気に私を好きなのだった。目を細めて慈しむのだった。  寝覚めの顔を至近で「かわいい」と言われるたびに、16歳のころ、好きだった男に「遠くで見ると可愛い」と評されたことを思い出していた。幸福は屈辱を呼び覚まし、すべてが主観であるがゆえに、塗り替えるほどの説得力を持たない。
 私が数十年後に皺くちゃになっても同じように愛されていたのか、今ではもうわからない。  美しい容姿に注がれる愛は、永続するものではない。私は老いる。私は崩れる。君が愛した唇は皺で柔らかさを失う、君が愛した瞼の淵にはこれから何本も線が引かれるだろう、頬が弛み、口元には深い影ができるだろう。  自分の老いた姿について、とめどなく想像が膨らむ。怖くて足がすくむ。そうなった時、注がれなくなった慈しみのまなざしは、どこに吸い込まれて消えてゆくのだろう。
 *
 「どんどんいい女になるね」と、私を正面から見つめる人。
 隣駅の、大通りに面しながらその門戸をひっそりと隠すイタリアンの店でコースを頂きながら、テーブルを挟んで正面に座る人がため息混じりにそう言った。  「あなたのおかげ」と返しながら、心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張する。「あなたは綺麗だ」とその目が語っているのがわかる。あなたが私に嘘をつかないことを知っている。
 賛辞には曖昧に頷くことしかできなかった。自分が歳を重ねるごとに綺麗になっていくのがわかる。私の存在に相応しい年齢になったということだろう。
 綺麗になったとは思うが、自分の顔は嫌いなままだ。人に褒められるたびに、今どんな顔をしているだろうと不安に駆られる。
 おのれの美しさをどう扱えばいいのか、他者の思う美しさと自身の思う醜さの折り合い���どこに落とし込めばいいのか、私は美しいのか醜いのか、誰の判断に従えばいいのか。自分を自分で美しいと評することは、可能なのか不可能なのか。
 あなたは老いても私を美しいと言うだろう。
 数年にわたるあらゆる対話と情の交換と説得と懺悔と和解とを経て、もはや恨みさえを感じえないその人を孤独にすることをよしとせず、私はかれを寂しがらせないだけの情念を記憶からかき集め、顔を少し前のものに戻した。  戻した顔を見て、その人は大いに安心していた。  「いつものあなたの顔だ」と嬉しそうに語った。私の顔は、客観的にはすっかり変わってしまったはずなのに。「いつもの顔」。あなたを見つめるいつもの。
 眼差しだろうか、顔つきだろうか、唇の結び方だろうか、瞳の苦しさだろうか。  愛だろうか。恋心だろうか。縋る気持ちだろうか。離れないでと、離さないでと、懇願する思いが目に映っているのだろうか。
 正体のない、この顔。
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keredomo · 1 year
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大江
 大江健三郎が死んだ。文学者の死は、その者の作品に多少なり思い入れがあったとしても、特別寂しいものではない――もしかすると、その死が文学者のものでなくとも同じように乾いた感慨のみで済ませる薄情のきらいが私にはあるのかもしれないが。とはいえ、こと文学者についてのみ言えば、その者が生きているうちにこの世に遺した作品さえ���の世に残るのならば、繰り返しその文章の一字一句を辿り直すことでかれらの死せぬ生を感じることができる、そのような親しい追憶を可能とするテクストの存在がゆえに、生身の死にこだわらずにいられるのかもしれない。テクストという確かな置き土産。
 老衰と報道されていた。大江は自殺しないだろうという、彼の生前の存在感が与えていたそういう感触が立証されて嬉しかった。死がわれわれを迎えにくるその時まで耐えて生きてくれたことに対して、ありがとう、というばかみたいな感慨を得た。信頼に足るテクストの書き手が、この世に絶望せずにいてくれたことに、勇気を得る。
 これまでの人生で私は、大江に縋ることもあれば、大江を使うこともあった。軽く挨拶を交わすだけのこともあった。いずれも大江の書いたものが構築した「大江健三郎」という虚構に私が接しただけの話だ。大江の生身に触れたことはない。かれの人生に登場したことはない。それでも、鉤括弧つきの「大江」は、折に触れて私の生に顔を覗かせた。
 ここに書くのは、大江のテクストに誠実に向き合ってそれを論ずるようなものではない。これほどの思い入れがありながら、訃報を受けて作品を読み直すまで、私は大江が何を書いたかをすっかり忘れ去って生きていた。それでも、その存在が過去の私において度々の救いとなったことだけを受けて、私は大江を信頼し、遠い存在ながらに確かに愛していた。その履歴について、恥を承知の上で書くのみである。
 *
 一、
 就職して間もない若い頃のこと。大江を模写する一時間によって慰められた心があった。  生業の賃金の低さが生活水準を脅かしたため、副業として水商売に従事していた。その世界の必要に応じて背中と脚を露出し、煌びやかなドレスとガラスが形どる宝石まがいの反射光が飾るハイヒールに包まれて酒を飲む。会員制の店であるがゆえに馴染みの客しか来ない店の居心地はよかった。巻いた髪を結い上げてスプレーで固め、客が卓に入れたワインを注がれ、煽られるがままにグラスなみなみの赤を飲み干す日々にはそれなりの快楽があった。とはいえ、それはあまりにも虚しい時間の使い方で、夜が更けて酔いが回るまでの数時間は、着飾ることにも笑うことにもただただうんざりしていた。  その反動で、昼の仕事の休み時間には職場の近所の藤棚に駆け込んで心を癒した。藤棚で何をしていたかというと、大江の初期小説をひたすら模写していたのだった。その藤棚は、大江もその横を通り過ぎただろう場処だった。  なぜ、その癒しに大江を選んだのかはすでに記憶の彼方だが、「共同生活」「性的人間」「飼育」などをひたすら書き写していたことだけはしかと覚えている。大江の小説の模写だけが日々の救いだった。生活に時間を蝕まれ、知を放棄しながら金を稼いでいる状況にある自分を唯一自分として保たせるのが、昼休みに大江を模写する営みだった。  やがて転職に成功し、しばらくは大江を必要としない生活を送っていた。
 二、
 2019年、つまり29歳を迎えた年。大江を模写して生きながらえた日々からは5年以上が経過している。環境が変わり、大江とは疎遠になっていた。   大江もまたその場処にいたことがテクストとして残っているところの「森」がある。森というのは私独自の呼称だが、大江がその場処について「躑躅が咲き乱れていた」と語るのを読んだことがあった。  初夏から夏へ移ろう時の、木々が呼吸を深くし、陽光がわずかなぎらつきを見せ始める六月の誕生日をその同じ森で迎えた。私はリルケを誕生日の連れ合いに選んでいた。赤いワンピースを着てリルケを開く私を見て、なぜリルケなのかと問う。「誕生日には、強いものを読むようにしているのだ」と話すと、「来年の誕生日にはあなたはウィリアム・ブレイクを読むといい」とその人は呪縛した。  私はその呪いを喜んで受け取った。リルケを読み終え、ブレイクを読むための準備をしていたら、またも大江にでくわした。「またあなたか」と思った。「久しぶりだね」と呟いた。大江にとってブレイクはとても重要な詩人で、ほとんど私小説の領域に踏み込んだ大江による『新しい人よ眼ざめよ』の中には「無垢の歌、経験の歌」というブレイクの詩をモチーフとした作品が収められている。  先方にとっては思いつきにすぎない呪縛を受け入れてから一年、29歳の一年、私はものを書くにあたって何度も大江を援用した。  30歳の誕生日に至るまで、呪いのもとに、私はふたたび大江に何かを明け渡して過ごしていた。そういう日々のなかで、思い出すのはやはり23、4の頃に大江に縋っていた若い自分の姿だった。藤棚の陰のもと、膝にノートを載せて、一心不乱に短編小説群を書き写すことでしか救われない魂が、藤と藤棚を築く大理石によって彩られていたことは、美しかった。
 三、
 訃報を受けて大江を読み返している。  篠田一士は大江の文体をこき下ろしていたが(「大江はフォークナーを原文で読めばわけのわからぬ日本語を書くことはなくなるだろう」)、昭和の当時においては認め難いものであったとしても、令和の現在、大江の文章にそういう評を下す人間はきっといないだろうと思える。  大江が現代文を刷新したとかそういう話ではない。そうじゃなくて、私はなんとなく、大江は「馴染む言葉」を探し続けた人なのではないかと思う。  岩波文庫から『大江健三郎自選短篇』という本が出ている。そこに収録されているのは、初期短篇(まだ空想をやっていた頃の作品)が8本、中期短篇(「イーヨー」と呼ばれる知的障害をもった子を中心とした、実生活を糧とする作品群)が11本、後期短篇(レインツリーからは離れ、しかしすでに「実」と「虚」を分けることが難しくなっている作家の作品たち)が4本。それらのすべてに、加筆修訂が入っているのだという。  それを知って、恐ろしいことをする人だと思った。ものすごく長い人生の月日を書きながら過ごし、きっと初期の作品などはすでに自分のものではなくなっているはずだ。なのに、老年の感覚で赤を入れてしまうのかと。それは当時の読者への裏切りであると同時に、自分の過去を蹂躙する行為にほかならない。  しかしそれができてしまう人であることは、容易に想像できる。執着が薄そうなのだ。何に対しても、誰に対しても、自分の作品に対しても。そうでなければこんな文体にはならない。しきりにそう感じていた。
 大江の文章がもうこれ以上増えないことに、正直にいうと安堵している。これ以上遠いところから書かれることになったら、私は自己を保てない。大江に絡めていろいろなエピソードを持っているが、なぜこうも「自分の側に引き寄せることができたか」といえば、大江がそれを許す書き方をしているからだ。おそろしい表現だと思う。大江はあれほど私小説的な語りを長年にわたって発表しながら、その実、書いたものからは徹底して「私」が省かれている。その恐ろしさを、どう説明すればわかってもらえるかわからないまま、文章を閉じてしまう。大江の死を契機として。
 大江よ安らかに眠れ。あなたの作品たちはあなたに知られないまま私の生を救った。書くことにおいて、それ以上の徳があるだろうか。
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keredomo · 1 year
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酸っぱい葡萄、あるいは節分の豆
 節分を迎え、ようやく厄年を了えた。  長かった。本当に長かった。人生におけるある一年の長さを思う時、それは出来事の数に従うだろう。
 この一年、無数の出来事が私に降り注ぎ、それらはいいかげんに忘れ去ることを許されないものばかりだった。  忘れていい出来事と、忘れることが許されない出来事。その二つを分けるのは、出来事に携わった他者が今後の生にも引き続き存在するか否かによる。あるいは、誰かの生を取り返しもつかないほどに害したと、私がきちんと認識し、悔いているかどうか。  いずれの意味においても、この一年間に生じたすべての出来事は忘れることを許さないものばかりだった。それを背負って生きていく覚悟を求められるものばかりだった。忘れることを、忘れて楽になることを、どうしようもなく赦されない。害した記憶も害された記憶も、私から忘れ去られることを赦さなかった。
 すべての選択が責任下において生じるだけの分別を年齢を重ねるごとに身につけたことで、次第に人生というものが重くのしかかるようになった。  降り注ぐ生の重さを抱えたままこれからの生を生きてゆかねばならないことに、抗いようのない重圧をおぼえる。その重圧こそがおのれを生に繋ぎ止めていることも、逆説的ではあるが、よくよくわかる。こうした重圧と責務がなければ、人は生きていられない。「軽々とは死ねない」という状況に足を踏み入れてしまうことは、生きる甲斐であると同時に、自由であったはずのおのれを否応なく縛り、苦しみを与える枷でもある。  子供とか配偶者とか、そういう、社会にとってわかりやすい枷があればよかったのに、私にはどうしてかそれが与えられなかった。そのかわりに、「生きていてね、愛しているよ」というあまりにも不安定な口約束だけが私に与えられた。人生の業だと感じた。その「愛しているよ」を信じるか否かの判断は、ひとえに私の知性に課されている。
 *
 「信じる」というのは、向こう見ずなようでいて、実は知性にその根拠を求めるものだ。何を以て信じるか。信じることで何を棄却するか。宗教上の神がいないわれわれにとっては、「信じる」ためには、至極冷静な判断を必要とするのだった。自己のみを担保とし、おそろしい孤独のもとに「信じる」決意を固めるというプロセスが必要で、それをやりおおせるにはわれわれの自己はあまりに脆弱なのだった。  ちがう。自己が脆弱であることを責めるのは間違っている。あまりに脆弱である自己というものに責任を負わせるこの世界が間違っているはずだった。歪な構造に、押しやられて食いつぶされるのが自己というあまりにもやわい存在だった。  自己というものを過信していた私も悪かったが、その過信を強いた世界もまた罪深いものだったはずだ。あまりに歪で、あまりに放任主義的なこの世界で、真実を求めることがそもそも間違いなのかもしれない。
 「生きていてね、愛してるよ」。生きていてくれと懇願する者があるということはすなわち、私が身勝手に死ねば、その無責任をなじられるということだ。  なぜ死んでしまったのだ、「愛していると伝えたのに」と、私を愛した者は、打ちひしがれて膝をついて嘆くのだろう。あまりに勝手だ。けれど、その苦しみに満ちた嘆きが今後この世に生じるか否かが私の手中のものとなってしまった以上、受け取った愛の責任を負う主体は私になってしまっている。私は「愛しているから、生きていてね」を退けるほど、無慈悲には生まれつかなかった。あなたが私を愛するのであれば、私は生きていくしかない。  難しい生を選んだものだと後悔する。望んでこの道を行っているが、どうにも難しい。生はあまりに重い。
 *
 旧年中、厄年のことを女たちに話すと、昔の人間の身体環境が決めたことだとか、悪いことがあったら厄年という理由に回収できるからいいわよねとか、そういう「気のせい」に帰することを励ますような反応を受けるばかりだった。  確かに私も、理屈と科学の上ではそれらの考えに賛同するが、それでも私のこの人生の運びを振り返るに、残念ながら「厄年」という不吉を全うしたと言わざるをえない。  芽生えた望みを、一つ、また一つと摘み捨て、その度ごとに心を大きく毟り取り削り血を流す、そういう一年間だった。それらすべての苦しみを「厄年」の一語が引き受けてくれたことには大いに感謝している。けれど、私に刻まれた傷は、一生かけても癒されないもので、「年」が終われば済むようなものではなかった。それが終わった今も苦しんでいる。誰にも明け渡せない苦しみを、苦しみ続けている。
 「愛しているから、生きていてね」と述べて私を生に引き留める人間にすら明け渡せない苦しみたちを一身に引き受けて、しかしその重さによって生にかろうじて抱き留められている。ほとんど呼吸できずに生きていた2022年、その重さは生きたまま私を海に沈めるための重石でしかなかった。
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 厄年と呼んだ一年、私は一つの大きな呪いにかかっていた。「この苦境は人と生活することで取り払われる」という妄執だ。それは私を愛した人によって与えられた呪いだった。  その妄想を実現するために、声が枯れるまで叫び続けた一年だった。一年間格闘して、声は枯れ果てた。すべての望みが枯野と果て、そうしてようやく気づく。無為な望みであったと。望んで望んだものではなかったのだと。私は呪いによって望まされていただけだったのだと。
 その一年は、これまで忌避してきたはずの「人と共にする生」に固執した一年だった。  一昨年の秋、私に熱烈に恋する人が現れた。長年ひた隠しにしてきた私への愛情を打ち明けるかたちで、震災のように始まった恋愛だった。  私に恋をした彼は、「君が安心して生きるには俺が必要なんだ」と提案した。あまりの実直さゆえに相手のその欲望がこの身に刷り込まれ、「私には傍にいてくれる人が必要なのだ、私を支える人が生活にいてくれさえすれば何もかもがうまくいくのだ」と素直に思い込んだのが一昨年の終わりから昨年のはじめのこと。  恋愛の始まりから半年後、その提案が先方の事情で瓦解した。「やはり君を愛することはできない」と。あまりにも身勝手な話だった。身勝手だが、受け入れざるを得なかった。相手に私を愛する余地がなく、それを求めても無為である以上、抵抗する意味はなかった。私が喪失の痛みを引き受ければいいだけの単純な話を、これ以上長引かせることはできない。
 だからといって、その震災によって与えられた傷であるところの、「人が傍にいてくれれば何もかもうまくいく」という妄想がクリアになることはなく、私は人を求め彷徨える亡者と化した。自覚もないまま被災し続けて、私は「私」を失っていたのだった。
 *
 私が「私」を失ってからの日々、いわゆる2022年の後半と区切られる日々は、目も当てられない惨劇の連続だった。仔細を語るにはあまりに痛々しい。
 肉体も精神も削り取られ、私自身もそれを甘受していた。自身を他者の律におもねることに疑問を抱く余地すらなかった。祈りをたしかなものにするための供物として私の身体を捧げ、求められるがままに激しく抱かれ続けた。自ら望んでそのように抱かれることで、全ての体力を使い果たし、本質について考える余力など残されていなかった。そんなふうに語れば、被害者の顔をすることもできるだろう。しかし、私は被害者ではない。望んで絡め取って誘って、そうして供物となるための日々を送ったという点で、むしろ加害者とも言われるべき立場にあった。
 何か月もたって、全てが瓦解してから、ようやくはっと我に返った。  私は望みを履き違えていたのかもしれないと。私は、呪いにかかっていたのかもしれないと。
 唖然とした。あまりにも巻き込みすぎていた。
 *
 呪い。
 私は呪いの存在をよく知っている。  「あなたはこうでなければ」とか、「あなたには私が必要だ」とか。信頼を置いている他者が口にする言及は、呪いとして機能することを私はよくよく知っていた。ずっと、呪いを受ける立場だったから、その効力は思い知るところだった。知っていて、知っているからこそ、いつしか他者を操るのに利用するようになった。それは抜群に効果的だった。  そうして、長いこと、自分の都合のためにそれを利用してきた過去がある。
 強い言葉で人を縛ること。時には同じく呪いによって、人を解放すること。私は呪いを使役しながらうまく付き合ってきたつもりだったが、かける側にいるという自覚ゆえか、自分が呪いをかけられることには無頓着だった。  言葉が人を呪縛することを誰よりも理解していたはずなのに、自分がそれによって縛られる可能性には疎くなってしまっていたのは、驕りがもたらす思考停止だったのだろう。私は呪われてしまった。「君は一人きりであるよりも俺といたほうが幸せだよ」という言葉に。「君が不幸なのは一人でいるからだよ」という意味に。  結局、呪者はその呪いを達成できぬまま、私の人生から退場した。そうして呪いだけが薄らと残った。それにとらわれて、私は「私」を見失ったのだった。
 体に残った呪いに苦しめられて、最後の絶叫を終えたところで、「これは私の望みではない」と思い至ったのだった。  その時には瀕死の体力で、体は荒野に伏していたが、かろうじて働いていたわずかな頭で、私は私を取り戻した。
 言葉は恐ろしい。人を縛ることができるのは言葉だけだ。  理解しているつもりだった。それは「つもり」にすぎず、呪いに対処できずに一年あまりの時間を費やした。  なぜか。その呪いがもたらす日々が幸福に満ちていたからだ。  優しさに支配され、快楽に耽溺する日常は、甘やかで美しい、至上の幸福に満たされていた。安堵と喜びの日々。これが永遠に続くことを願った。呪いが私を蝕んでいるかどうかなど、どうでもよかった。愉楽は私の日々を助けた。私の人生を救った。結局は瓦解したが、あれが永劫続くのならば、私はすべての知性を放棄しただろう。続かなかったからカウンターとして「呪い」という言葉を与えているだけなのだと、わかっている。葡萄は酸っぱいのだ。
 *
 甘く熟した香り高い葡萄を手放したのは2022年の年末のことだった。  残るのは名残だけだった。名残だけが私の指先に残り、そのほかは何も残らなかった。愛情も、友情も、慈愛も、信頼も、心も。
 優しくできなかった後悔だけが残る。   そうして過去に浴びた愛の痕跡だけが身勝手に身体に植え付けられているのだった。脚を動かすたびに思い出しては苦しむ、愛おしい傷だけが。
 その傷をもう癒せないだろう未来が目の前に広がって、私は飢えることもできずに手足を放りだすのだった。
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keredomo · 1 year
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みずから神の手を
 一つだけ手に入れるならばどれにするのか、そろそろはっきりさせなければならない。
 佳境の2022年、ついに自尊心のすべてがだめになり、秋、友人たちの二人暮らしの住まいを居候先として匿ってもらった。その言葉の家で生きることを促され、少しずつ心を回復させて、なんとか今も生きている。こんなふうに匿ってくれる人たちがいることに、何度も改めて驚く。
 死にかけていた私が優しく柔く生かされて、なんとかこの先も生き続けるだけの力を取り戻し、そうして季節が本格的な冬に入ると、今度は生について考える時間がとれないくらい仕事に明け暮れることとなった。人に優しく接する余力もなく、また一つの人間関係をだめにしてしまいかけたが、案件はなんとか年内に納まり、人との関係もぎりぎりのところで維持できた。ようやく休めるとなると気が抜けてしまって、年末年始は眠れるだけ眠った。体がまだ、休養のモードから抜け出せていない。
 年始のご挨拶と友人の誕生祝いをかねて、ピエール・エルメのケーキと金目鯛などのきらきらをありったけ抱えて居候先を訪ねる。本調子でなく、鬱々とした考えに耽りがちな精神状態だったが、居候先の二人の関係性――「かわいいね」「いいね」「素敵だね」と讃えあって、微笑みとともに暮らしている二人――の中にまぜてもらうことで、冷えていた心がじんわりと温まったのだった。
 癒しの場所だ。どうしてここに来るだけでこんなにも傷が癒えるのだろう。この場所の優しさは、私の厄介な暴力性すらも無化する。愛に満ちるというのはこういうことを言うのだろうと思う。優しさに満ちる。愛に満ちる。互いを必要とする。綺麗なものをたくさん眼差す。よいものとして眼差される。羨ましくて仕方なかった。
 彼女たちの持つ「美しい目」というのは、そこにあるだけで多くを救う奇跡なのであった。二人とも、生まれてきてくれてありがとう。おめでとう。
 帰り道、癒しを得て回復のきざしをみせた精神が、長々と電車に揺られながら、私はこのままではいけないのだということを考え始めた。
 腐りかけているのは、いまの己の人生を愛せていないせいだった。そのことにすら、長らく気づいていなかった。のしかかる自他の愛情と夥しい刺激とに組み伏され、自己を客観視するうえでの冷静さを完全に欠いていたらしい。
 自力で働きかけて何かを変えようと思えるところまで気力を回復できたことに、あらためて居候先への感謝をおぼえる。あの生かされる日々がなければ私の生はきっと、病に伏すか衝動的に死ぬかといったところだっただろう。誇張ではなく、恐ろしいことに、あの頃の私は命の一切を扱いきれなくなっていた。ついに、私のかわりに一人、死んでしまった。
 *
 望みをはっきりさせ、捨てることを覚悟し、明るいほうへ、幸福なほうへ、きちんと自身を導いてやること。
 これが、これから私が取り組むべき課題であるのは明らかだった。しかし、どうにも苦手なのだった。自分が現実生活の上で何を望んでいるのかわからないままに、がむしゃらにここまで来たのだから。
 「不幸でも構わない」と肩をいからせ、ひたすら情動の求めだけに従って生きてきた。その生き方はもう十年を超える。命を削って情念をゆさぶり、魂をふるわせ、狂い、絶叫し、そうして思惑通り、私は言葉と密な関係を築くに至った。
 「思惑通り」というのはやや穿った言い方で、「結果的に」という表現と半々とするのが精確かもしれない。しかし、不幸を許容する自己に対する私の言い分は、この十年、一貫して「私の芸術のため」であった。
 心が傷つけば、書くべきことが生まれる。実際、そうして書かれたものは目を見張るほど美しかった。書いた私自身でさえも、よくこんなものを書けたものだと拍手した。苦しみ、疲れ、惨めさ。人生を圧迫するそれらに抗うように息も絶え絶えに書かれたものたちは、間違いなくこの世界に存在するべきものだった。世界というのが言い過ぎであるなら、少なくとも、私のために、存在するべきものだった。
 「出来事をフェティッシュとして受け取るのだと話すのを聞いて、物語に耽溺して文章を毀損する人だったらどうしようと危惧していたけれど、そうでないことがわかってよかった」と、私的な文章を読んでくれた彼女が言った。それが伝わってよかった。私は耽溺しない。私は捧げる。捧げてきたのだ、私の身を、書かれるべきものたちに。削り、切り刻み、焼き捨てながら、よいものを書かせてください、と。
 心身を削って書くべきものを得る。その行いは実のところ、激しいセルフネグレクトにほかならなかった。
 ごく宗教的で、うっかり宗教的であるがゆえに咎められることのない、他者の咎めの一切を制止する性格をもつ、自己破壊。私の姿を指して「修行僧のようだ」と事あるごとに語ってきた親友は、彼女自身も敬虔なクリスチャンだった。今、ようやくその言葉の指すところがわかる。
 括弧付きの「愛」への盲信から自己存在を摩耗させ、いよいよ立っていられなくなったのが昨年だった。力尽きた、と感じた。これ以上捧げられるものが私にはもうないのだと。苛烈な生き方を辞する必要に迫られている。
 気づいて、情けなくて仕方なかった。自分は脱落したのだと思った。しかしそれもまた盲いた人間の愚かな所感なのだろう。情けなくなんかない。私は自分の身を守らねばならない。
 生き様を変えるのは並大抵のことではない。しかし、今そうしなければ全てが無に帰すだろう確信がある。私が魂と引き換えに得た言葉たちが、私の死に連れられて、この世から消えてしまう。それは避けなければならない。
 愛情、執着、欲望、蹂躙、嫉妬、独占欲、この世はあまりに情念に支配されている。それらに寄り添うことは、恵みであり慈しみであり報いであった。愛であった。私はぎりぎりまで世界を愛した。今度は世界が私を愛する番であるはずだ。そう考えることでしか、踏み出す勇気を持てない。
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