テント泊装備で奥武蔵縦走
奥武蔵を縦走ついでに「歩荷練習も兼ねてしまえ!」と、元々は日帰り装備で歩く予定だったロングコースを大荷物で歩いて来ました。
武蔵横手駅からスタートし、愛宕山から北向地蔵、越上山、顔振峠、黒山三滝、関八州見晴台を経由して西吾野駅へ下りるという20キロ強の道のり。
今思えば、完全に無理のある(無謀な)計画でした…。
途中、辛過ぎて何度「エスケープ」の文字が頭を過ぎったことか。
写真は、最初に登る愛宕山。
武蔵横手の駅を出るなり進む方向を間違えて、この日最初のロスト。
住宅街を抜け、水の綺麗な川を渡ります。
YAMAPの地図とGPSでは横断歩道を直進となっていたけれど、正面にはお寺。
進んで良いのか迷っていると可愛い丸太の人形が方向を教えてくれました。
そうだ、だれかの日記で見たことがある…名前は確か「あたごくん」!
お寺の境内を抜けて鐘撞き堂の前を通ると、
鐘付き中の住職さんから話し掛けられ、案の定荷物について聞かれました。
そりゃこんな所でテント泊装備を背負って歩いていたら気になりますよね…。
鐘撞き堂の脇の道を突き当たりまで直進すると、愛宕山への登山道の入口。
私は間違えて鐘撞き堂のすぐ後の池のところで右折して
お墓の敷地に入ってしまい、本日2回目のロスト。
先ずは栗林の中を歩いて行きます。
鉄塔の脇を抜け、ここからが本当の登山道。
害獣除けの高圧電流を跨ぎます。
こんなに低いと動物も飛び越えられるのでは…?
雨上がりで滑りやすい急坂を登り切れば、最初のピーク、愛宕山。
標高250m。山頂には神社の祠と鳥居があります。
ここにも丸太の可愛い人形。馬、笑ってる〜。
ベンチには小さなテーブルも付いています。
ここからは細かいアップダウンの繰り返し。
途中、子どもの背丈ほどもある大きなウラジロシダ(裏白羊歯)が。
2座目、水晶山。え、まだ標高266m。結構アップダウンあったよ???
3座目、深沢山。標高350m。ジリジリと上がっていきますね。
十字路に再びの「あたごくん」。
沢山峠の十字路を通過して…
4座目、西大峰。標高391m。あんまり上がってない…。
またまた「あたごくん」登場。ここの子は名札付けてます。
で、あたごくんの指さす方へ行くと戻ってしまうので、私は北向地蔵へ。
途中、斜面一面がウラジロシダに覆われたゾーンがありました。
お久し振りの北向地蔵。今日の安全を祈願しました。
ここのベンチで5分ほど荷下ろし休憩。
休んでいると、目の前の山道へ入っていくトレランの方がいたので
私もつられてその道へ入ってしまったのですが…
あれ?また愛宕山?
そう、ここは通る予定じゃ無かったピーク。一応5座目。標高不明。
予定していた林道と並行に道が続いていて、元に戻れたから良かったものの、
これも一種のロストと言うことで、本日3回目。
6座目、スカリ山。435m。ここで先にいたトレランの男性と暫しお喋り。
この後、新宿で「トップガン・マーヴェリック」を観るのだそうで。
凄い…私は山の後で映画館に行く元気は無いな〜。
スカリ山からは武甲山の横顔も見えました。
スカリ山からは急な岩場を下って行き、7座目の茶嶽山。標高450m。
ちなみにYAMAPでは茶ノ岳山と書かれています。
この後、いったん林道に出て舗装道路を歩くのですが、
登山道への入口を見落としてズンズン進んでしまい引き返しました。
これで本日4回目のロス。
今日は荷物の重さに気を取られて分岐の確認をし忘れてばかり…。
気を取り直して8座目の蟹穴山。標高460m。
ユルユルの道を進むと、突然開けた場所に出ました。
眺望はなかなか良いけど、日焼けしそう…。
その先には、コアジサイ(小紫陽花)ロードが待っていました♬
その先の岩場を登って行くと、9座目の越上山(おがみやま)。標高566m。
実はここ、2014年に初めてのボッチ登山で訪れた記念すべき山でして。
その時は顔振峠からユガテへ抜けるショートコースでしたが、
初のソロ山行で当時の私にはドキドキの大冒険だったのを覚えています。
特にその時は山頂に誰も居なくて(ソロの男性が一人来たけど)、
眺望も無くて寂しいお山…という印象でした。
でも今日は山頂手前の危険な岩場を越える前から賑やかな声が…。
シニア5人組の皆さんがランチ中で、またもや荷物について突っ込まれ。
私も荷物を下ろし、立ったままランチを頬張りつつ皆さんと暫しお喋り。
この夏行く予定のアルプスや八ヶ岳について色々と教えていただきました。
別れしな「頑張ってるご褒美」とバウムクーヘンまで頂いて…。
「何だか新1年生のランドセルみたいだな!」というお声も
背中でしっかり聞いておりましたよ〜(笑
そんなにヨタヨタしてたかしら…?
越上山からの下りが結構急で、顔振峠に着く頃には足の裏がジンジン痛く…。
8年前に来た時は時間が早くて誰も居なかった峠、今日は賑わっていました。
そうか、もう昼過ぎだもんね…。もうここでやめて帰っても良いけど…。
とりあえず、黒山三滝へ向かう道へと入り、展望台方面を振り返ります。
止めるなら今だけど…。でもでも、行っちゃえ!
顔振峠からは砂利道を沢沿いに下り、川にぶつかると舗装道路に合流。
左手にズンズン下って行くと、渋沢栄一の従弟(かつ見立て養子)、
渋沢平九郎自決の地がありました。
「青天を衝け」の悲しいシーンを思い出し、思わず手を合わせて参りました。
更に下ると、漸く黒山三滝の入口に到着!
日本観光百選なのか…埼玉に居ながら、その存在は去年知りましたよ私。
滝へ向かう道沿いに咲いていたユキノシタ(雪の下)。
有り難いことに、この道沿いにはトイレも自販機もありました。
迎えの滝。暑い日だからか、駐車場は観光客の車でいっぱいでした。
小天狗滝(こてんぐだき)。
奥まで何段か続いているようでしたが、乳幼児連れのファミリーが何組かいて、テント装備ではすれ違えそうにないので諦めることに。
三滝全てを廻っていると時間的に厳しそうだったので、この小天狗滝の少し先の分岐から関八州見晴台方面への山道に入り、沢沿いの木陰で10分ほど休憩しました。
長いロードを歩きを挟み、沢沿いの道を歩いていると目の前を茶色い物体が!
大きな雌鹿が登山道を横切り、対岸からこちらを伺っていました。
カモシカには何度か遭遇したけれど、奥武蔵の山に鹿がいるとは…。
動揺してカメラの向きとピントが合ってませんが、何とか写ってますね。
見つめられて、小さく手を振ってみたら「キョーーーーーン!(文字化するのが難しい音)」と2回ほど大きく嘶いて、元来た斜面へと戻って行きました。
ハァ〜、ビックリした!
けど、何だか元気をもらえたのか、そこからはハイスピードでガツガツ歩くことがで来ました。ありがとう、鹿!!!
花立松ノ峠を越え、またロード歩きを挟んで再び登山道へ。
この尾根を歩いている時は吹く風が冷たくて風邪を引くかと思いました。
そして緩い道に出たと思ったら…あの明るさは、山頂ですかね?
正解!3年振りの関八州見晴台です。標高771.1m。
10座目にして、本日の最高峰!低い!
ここに登るといつも山頂がガスっていて全然見晴台って感じじゃ無かったけど、今日は都心部など遠くまでよく見渡せました。
そして山頂の手前はカルミア(アメリカシャクナゲ)ロード。
もう14:30だけど、ここで残りのランチを平らげました。
今日は疲れすぎていて、あんまり食べてなかったな〜。
さぁ、後は駅に向かって下るだけ。
先ずは丸山(展望台がある県民の森のとは別物です)のピークを越えて…
高山不動まで下ったら…
パノラマコースを下って、この看板の右下の道へヘアピンカーブで下るのですが、私は間違えて道なりに進んでしまいました(しかも右下に道があるのに気付いていたのに���今来た道の迂回路だと思い込んで…)。
名もなきピークを3つも越えてから「待てよ?ここまで下って来たのに今さらこんなにピークを越えるのおかしくないか?」と気付いてGPSを確認。
ヘロヘロになりながら、このムーミンの標識まで引き返したのでした。
これが本日5回目、最後のロスト。大荷物なのに、ロスト多すぎ!
パノラマコースっていう割には眺望良くないな〜と思っていたら、
急に視界が開けました。ARによればアレが川苔山だというんですが、怪しい。
何とかパノラマコースの入口まで辿り着きました。
ここは観光案内所、兼、お休み処だそうですが、どうやら無人のようでした。
沢に沿ってひたすら歩き、最後に急坂を登れば西吾野駅にとうちゃこ〜!
トータル21.4キロ。5回ロストした分だけで、優に1キロ越え。
いや〜、今日は本当に無駄に歩いた。腰骨にはザックの痕がクッキリでした。
良い子のみんなは、絶対に真似しないでね〜!
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二の丸隅櫓
江戸時代、小田原城には5棟の二重櫓と1棟の平櫓がありました。この櫓は、関東大震災(大正12年:1923)後に再建された櫓で、二の丸隅櫓とも呼ばれています。延宝元年(1673)もしくはその翌年に2間 x 6間(約3.6m x 11m)土蔵としてはじめて建設されました。しかし、元禄16年(1703)の地震により倒壊し、奥行2間、折廻し7間(約13m)の鍵の手状の平櫓として再建されました。
小田原藩主居館がある二の丸の南東の隅に位置し、三の丸の大手門を入ると正面にこの平櫓が立ちはだかることになります。また、二の丸への入り口である馬出門を見下ろす位置でもあります。当時の櫓内部では武具等が保管され、小田原城防御の要とも言える櫓でした。
この平櫓だけが小田原城内唯一の建物として残されましたが、関東大震災により失われてしまいました。
現在の櫓は、江戸時代のものとは異なり、大きさは一回り小さいものとなっています。
During the Edo period, the Odawara Castle had five Niju Yagura (two-story turrets) and one Hira Yagura (single turret). This one is a single turret also known as a Sumi Yagura (Corner turret) of Ninomaru.
Storing arms and weapons inside, the turret, keeping an eye on both Ote-mon as well as Umadashi-mon Gates, had the most important role in a defense of the Odawara Castle.
In Meiji period, after many structures within the complex of Odawara Castle were demolished, only this Hira-yagura turret remained.
However, it was destroyed by the Great Kanto Earthquake of 1923, and the present one was reconstructed later. Unlike the one in the Edo period, the present turret here is a size smaller.
[Chinese]
Top picture:
The Imperial Villa, Odawara 邸用御趾城原田小
明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿
Bottom picture:
Goyote Odawara, Sagami 邸用御原田小州相
明治42年(1909)〜大正12年(1923) 頃の姿
*Note, the Japanese on the first lines of these pictures appear to be backwards on the original.
Vocab
櫓 (やぐら)turret, watchtower
延宝(えんぽう)Enpō era (9.21.1673-9.29.1681)
元年 (がんねん)first year (of an imperial era)
もしくは or, otherwise
間(けん)ken (6 shaku, approx. 1.818 m)
土蔵(どぞう)storehouse with thick (earthen) walls
元禄(げんろく)(Genroku era (9.30.1688-3.13.1704)
倒壊(とうかい)destruction, collapse
奥行(おくゆき)length
折廻(おりまわり)to provide the bend for the kagi no te
鍵の手(かぎのて)section of road that is curved on purpose as a defensive measure (see here)
藩主(はんしゅ)feudal lord, daimyo
居館(きょかん)residence, estate
大手門(おおてもん)front castle gate
立ちはだかる(たちはだかる)to stand in the way, block the way
馬出(うまだし)Umadashi
見下ろす(みおろす)to overlook, command a view of
武具(ぶぐ)weapons, armor
保管(ほかん)custody, storage
防御(ぼうぎょ)defense, safeguard
要(かなめ)cornerstone, vital point
唯一(ゆいいち)only, sole, unique
異なり(けなり)unlike
一回り(ひとまわり)one size (larger or smaller)
城趾(じょうし)castle site
御用邸(ごようてい)imperial villa
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令和5年度東京都市町村総合交付金の交付額決定について
(単位:千円)
うち
政策連携枠
八 王 子 市 4,771,320 190,612 4,461,179 310,141 4,974,909
立 川 市 1,617,893 181,829 1,589,701 28,192 1,845,281
武 蔵 野 市 1,020,356 87,746 871,492 148,864 974,440
三 鷹 市 1,539,459 90,246 1,520,834 18,625 1,485,434
青 梅 市 1,346,010 81,217 1,574,307 △ 228,297 1,523,797
府 中 市 1,058,245 117,035 1,180,021 △ 121,776 1,080,016
昭 島 市 1,923,029 69,427 1,808,904 114,125 1,599,122
調 布 市 1,435,282 126,027 1,504,549 △ 69,267 1,485,239
町 田 市 3,900,386 300,949 3,645,156 255,230 3,986,163
小 金 井 市 1,604,669 224,002 1,604,528 141 1,570,120
小 平 市 2,284,226 115,111 2,275,558 8,668 1,978,427
日 野 市 2,238,774 78,616 2,206,688 32,086 2,284,941
東 村 山 市 2,230,024 185,201 2,104,352 125,672 2,199,732
国 分 寺 市 1,667,286 64,883 1,439,973 227,313 1,430,298
国 立 市 1,407,391 122,266 1,295,275 112,116 1,247,314
福 生 市 1,156,333 48,394 1,244,314 △ 87,981 1,152,090
狛 江 市 1,365,693 61,604 1,473,266 △ 107,573 1,461,863
東 大 和 市 1,688,231 83,181 1,684,677 3,554 1,414,806
清 瀬 市 1,542,601 71,807 1,828,971 △ 286,370 1,603,304
東 久 留 米 市 1,580,897 66,089 1,448,619 132,278 1,467,149
武 蔵 村 山 市 1,289,269 24,055 1,229,191 60,078 1,252,536
多 摩 市 1,214,040 118,492 1,524,603 △ 310,563 1,586,249
稲 城 市 1,538,389 78,932 1,393,688 144,701 1,366,913
羽 村 市 819,974 28,686 916,713 △ 96,739 957,190
あ き る 野 市 1,774,027 48,786 1,683,151 90,876 1,869,480
西 東 京 市 2,276,972 90,833 2,359,609 △ 82,637 2,195,008
瑞 穂 町 913,683 23,375 975,284 △ 61,601 975,592
日 の 出 町 977,473 56,464 965,165 12,308 964,420
檜 原 村 975,567 4,101 1,010,156 △ 34,589 1,020,169
奥 多 摩 町 1,510,474 4,211 1,527,731 △ 17,257 1,506,687
大 島 町 1,600,294 13,884 1,590,284 10,010 1,581,351
利 島 村 603,797 25,043 663,581 △ 59,784 581,604
新 島 村 931,158 12,145 980,950 △ 49,792 901,849
神 津 島 村 913,556 44,267 907,405 6,151 925,686
三 宅 村 1,029,960 55,632 1,091,443 △ 61,483 1,099,935
御 蔵 島 村 401,467 50 488,354 △ 86,887 340,683
八 丈 町 1,794,436 3,542 1,645,269 149,167 1,434,798
青 ヶ 島 村 436,543 712 388,249 48,294 431,879
小 笠 原 村 820,816 548 696,810 124,006 743,526
合 計 59,200,000 3,000,000 58,800,000 58,500,000
令和5年度 東京都市町村総合交付金 市町村別交付額
令和5年度
令和3年度
令和4年度 (参考)
A B
増減
C=A-B
400,000
別 紙
東京都市町村総合交付金の交付額を決定|東京都
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