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#ボルヘス
findareading · 1 year
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わたしの運命もこれと変わらない。不滅の 本質的なものがあると知りながら、わたしは それを、昔あの郷士の物語を読んだ、 過去の図書館に葬り去ったのである。 今、一人の少年が真剣な面持ちでゆっくりと ページを繰りながら、未知の漠とした夢を見ている。
ボルヘス著/鼓直訳編「読み手たち」(『ボルヘス詩集』2001年12第2刷、思潮社〈海外詩文庫13 〉)
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moe-so-journal · 7 months
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友情と言うものは、恋に比べても、またこの複雑な人生が見せる別の顔のどれ一つと比べてみても、それらに負けないくらい神秘的なものだ。いつかふと思ったことだが、ただ一つ神秘的でないものがあるとすれば、それは幸福だ。それだけで自足するものだから。
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misasmemorandum · 1 year
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『新編バベルの図書館3』 J. L. ボルヘス編集
何故この本を読もうと思ったのか思い出せない。スティーブンソンの短編を読みたかったのかな、だ。
スティーブンソン、ダンセイニ卿、アーサー・マッケン、チャールズ・ハワード・ヒルトンとそしてウィリアム・ベックフォードの作品が収録されている。ヒルトンのものは19世紀の最新科学に基づくものなのか、私の頭に一切入ってこないので読んでない。ボルヘスが書いた序文がとても美しく、これを読むだけでも価値があると思った。ノートに取ったのを下に
スティーブンソン
「声たちの島」舞台はハワイ。カウアイ島とハワイ島。魔法使いが出て来る。
「壜の小鬼」これもハワイ。モームの貧しい夫婦みたいな話で、最後は自暴自棄の強欲なアホがこの壜を引き取る。いや、このアホ、実はヒーローなのか?
「マーカイム」罪と悔恨。似てるような誰かは何かの使いなのか。
「ねじれ首のジャネット」魔女ですか、、、。
ダンセイニ卿 読んでて状況が簡単に想像できた。好きになった。
「潮が満ち引きする場所で」夢に見たこと。漱石の夢十夜みたい。大好き!
「剣と偶像」石器時代の始まりと信仰の芽生え。二人の男の物語。
「カルカッソーネ」運命の企みを知る占い師。「妖精の王が多くの妖精たちを従えて、人間たちから隠れ棲もうとやってきた土地」
 「歳月は、われらのそばを巨大な鳥のように飛び去ってゆく。運命と神の掟におどろき脅え、古えの灰色の沼地から飛び立った巨大な鳥のようにな。それらに抗って、いかなる戦士も勝てはせぬ。運命がついにわれらに打ち勝ったのじゃ。われらの遠征は水泡に来した。これも当然かもしれぬ」
「ヤン川の舟唄」ベルドンダリスという町。<時>が神を殺す。まさしく夢の世界。
「野原」凶事の兆しのある、未来の凶々しい予感
「乞食の群れ」 「家々はそれぞれ異なる夢を育んでいる(p186)」
「不幸交換商会」よおわからん
「旅籠の一夜」台本形式。読めないので読まなかった。
アーサー・マッケン
「黒い石印のはなし」妖精、矮人(ドゥワーフか?)との合いの子、蛇族的な民俗学者の研究
これ以外は読まなかった
ベックフォードの「ヴァテック」は1782年の作品なせいか、現代の小説と断替えなど構成が全く違うので少し読みづらくもあったが、とても不思議で魅力的な内容で3分の1ほどは読んだ。が、他の本(金と銀です)を読み始めてこの手の作品を読めなくなってしまったので諦めた。これはいつか読んでみたいと思う。
ダンセイニ卿を好きになったので、『二壜の調味料』と言う短編集をリンリーと言う探偵が出て来るのだけ読んだ。短編の最後の文章に恐怖がやってくるみたいな書き方で何度怖い/気持ち悪い思いをさせられたか。うまい作家さん。いつかまた読んでみたいと思ってはいる。
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ryotarox · 1 year
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この本がスゴい!2022: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
さらに「白」という言葉そのものに注意を向ける。白は、ロマンス語圏でどう言われているかを次々と挙げる。 フランス語ではブラン(blanc) ポルトガル語ではブランコ(branco) イタリア語ではビアンコ(bianco) スペイン語ではブランコ(blanco) 英語でブラック(black) black は「黒」だから、意味と音が真逆になっている!?ボルヘス曰く、これらは元々同じ意味、すなわち「色が無いこと」を示すらしい。色が無いことが、影の方に転んで、ブラックが黒になったのが英語になる。一方で、光の方、澄明さに転んだのが、ロマンス諸語になるというのだ。
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「white」はどこから来たんだろう。「wh」で始まる言葉に関連は。 こういうことらしい。
https://gogen-ejd.info/white/
「白い(hwitaz)」がこの単語のコアの語源。 中期英語 whit(白い)⇒ 古期英語 hwit(白い)⇒ 西ゲルマン祖語 hwit(白い)⇒ ゲルマン祖語 hwitaz(白い)が語源。 英語 wheat(小麦)と同じ語源をもつ。
wh から始まる英単語の語源は何ですか?何かの派生語ですか? - Quora
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「泰平ヨンの航星日記」、読み終えた。
レムはソラリスとインヴィンシブル(砂漠の惑星)しか読んだことがなかったので、かなりびっくりした。こういうコミカルな話も書くんだ…。
とはいえ、前半の「泰平ヨンの航星日記」と、後半の「地球の泰平ヨン」ではテイストが違ってまたびっくり。でも、後半の方が今まで自分が持っていたレムのイメージに近いのかも。
航星日記の方は冒頭に挙がっていたけど、ガリバー旅行記やほらふき男爵のような皮肉や風刺のこめられた冒険譚で、ところどころニヤニヤする感じだった。聖者になっちゃった神父さまの話とかすごかったな…。「絶対秩序自由制定機」も面白かった。これはそのうちAIになんでも「公平に」やってもらおうとしたらなるのかも。
地球の泰平ヨンの方は全体的にややダークな感じで、これはこれでかなり面白かった。ポーとか昔の怪奇小説っぽいのかも。 「鉄の箱」はボルヘスの円環の廃墟を思い出す感じ。「不死のたましい」は、偶然だけど最近読んだ「共同体なき死」や「死後を生きる生き方」なんかにもつながる死生観や輪廻転生にもつながる話で、オカルトっぽい感じはあるもののよかった。でも、最後の泰平ヨンの行動がとてもよかった。
いやー、レムはすごいな。とりあえず買ってある「火星からの来訪者」を読もう。あとはソラリス、インヴィンシブルと三部作になるという「エデン」が気になる。泰平ヨンも続きがあるようなので読んでみよう。読んでみようという本ばかりだ…。一冊読むとそこからまた色々読みたくなるんだよなあ…。
そういえばインヴィンシブルも読んだのにまとめてないな…。ゲームと合わせて書こうかなと思っていたけど、ゲームがやや微妙な感じで…。
「人びとはそれほど不死を渇望してはいませんよ」すこし間をおいて、私はつづけた。「ただ死にたくない、と思ってるだけです。人びとは生きることを望んでいる。足もとに地面を感じ、頭上に雲をながめ、他の人びとを愛し、いっしょに暮らして、お互いのことを考えることを望んでいる。これ以上なんにもない。これを超越して主張されたものは、すべてうそです。無意識のうそです。
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eirikrjs · 2 years
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Devil Summoner Akuma Zensho bibliography
By request, here is the Devil Summoner Akuma Zensho (that demon art + profiles CD-ROM) bibliography. It’s totally in Japanese! I believe this was extracted by @pepsimangb​ many years ago. I have a habit of forgetting where to find this anyway, so it’s a worthy repost.
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Below:
真・女神転生デビルサマナー                             (C)1995 ATLUS
The formatting got kinda messed up so I’ve bolded the publisher.
(参考文献)
世界神話事典 / 大林太良ほか              角川書店
世界神話辞典 / A・コッテル / 左近司祥子ほか訳    柏書房
神話・伝承事典 / B・ウォーカー / 山下主一郎ほか訳    大修館書店
世界の宗教と経典        自由国民社
世界の神話伝説           自由国民社
世界シンボル辞典 / J・C・クーパー / 岩崎宗治・鈴木繁夫訳    三省堂
悪魔の事典 / F・ゲティングス / 大瀧啓裕訳 青土社
天使 / 真野隆也       新紀元社
堕天使 / 真野隆也         新紀元社
地獄 / 草野巧       新紀元社
天使の事典 / J・ロナー / 鏡リュウジ・宇佐和通訳        柏書房
天使の世界 / M・ゴドウィン / 大瀧啓裕訳        青土社
地獄の辞典 / C・D・プランシー / 床鍋剛彦訳 /  吉田八岑協力 講談社
オカルトの事典 / F・ゲティングス / 松田幸男訳    青土社
吸血鬼の事典 / M・バンソン / 松田和也訳        青土社
妖精事典 / K・ブリッグズ / 平野敬一ほか訳        冨山房
妖精 Who’s Who / K・ブリッグズ / 井村君江訳     筑摩書房
妖精キャラクター事典 / 中山星香 / 井村君江監修     新書館
幻想世界の住人たち / 健部伸明と怪兵隊        新紀元社
幻想世界の住人たちⅡ / 健部伸明と怪兵隊        新紀元社
幻獣ドラゴン / 苑崎透           新紀元社
幻想動物博物館 / 草野巧          新紀元社
幻獣辞典 / J・L・ボルヘス,M・ゲレロ / 柳瀬尚紀訳    晶文社
水木しげるの世界幻獣事典            朝日新聞社
日本神祗由来事典           柏書房
神々の系図 / 川口謙二         東京美術
神道の本         学研
修験道の本        学研
古神道の本          学研
図説日本妖怪大全 / 水木しげる          講談社
日本妖怪博物館 / 草野巧・戸部民夫       新紀元社
幻想世界の住人たちⅣ<日本編> / 多田克己      新紀元社
道教の本           学研
道教の神々 / 窪徳忠       平河出版社
タオの神々 / 真野隆也          新紀元社
幻想世界の住人たちⅢ<中国編> / 篠田耕一       新紀元社
中国魔物図鑑(上) / KZ和神      光栄
中国魔物図鑑(下) / KZ和神          光栄
密教の本           学研
チベット密教の本        学研
総合佛教大辞典       法蔵館
インド神話 / V・イオンズ / 酒井傳六訳       青土社
ヒンドゥー教の本          学研
インド曼陀羅大陸 / 葵丈夫            新紀元社
ヒンドゥーの神々 / 立川武蔵ほか       せりか書房
女神たちのインド / 立川武蔵             せりか書房
イスラム教の本 学研
ペルシア神話 / J・R・ヒネルズ / 井元英一・奥西峻介訳       青土社
オリエント神話 / J・グレイ / 森雅子訳              青土社
エジプト神話 / V・イオンズ / 酒井傳六訳            青土社
ギリシア・ローマ神話事典 / M・グラント,J・ヘイゼル / 西田実ほか訳   大修館書店
ギリシア神話 / F・ギラン / 中島健訳        青土社
ギリシア神話  神・英雄録 / 草野巧          新紀元社
ヨーロッパの神話伝説 / J・シンプソン / 橋本慎矩訳        青土社
虚空の神々 / 健部伸明と怪兵隊           新紀元社
北欧神話物語 / K・クロスリイ-ホランド / 山室靜・米原まり子訳 青土社
ケルト神話 / P・マッカーナ / 松田幸雄訳     青土社
ロシアの神話 / F・ギラン / 小海永二訳            青土社
ペルー・インカの神話 / H・オズボーン / 田中梓訳      青土社
マヤ・アステカの神話 / I・ニコルソン / 松田幸雄訳       青土社
オセアニア神話 / R・ポイニャント / 豊田由貴夫訳        青土社
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ashi-yuri · 2 months
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Kentucky Route Zero テキストを巡る冒険(中編)
Kentucky Route Zeroの日曜研究として、KRZにおけるプレイヤー論を考えつつ、ゲームであり文芸・美術作品でありメディアアートである本作の側面を断片的に語る試み。あるいは、訳者解説と鑑賞案内のはざま。
まだ半分程度の途中段階だけれど、自分で見返す用の暫定まとめ。
前編はこちら
11.テキスト(小説)
主観・客観を自在に移動しながら多様な視点・構造・テキストを用いて一日の旅を語る本作は、まさにインタラクティブな実験小説といえる。
欧米圏をはじめとする海外近代文学を読んできた者であれば、多くの作品が本作のテキストに直接・間接的に影響を与えていることがわかるだろう。
ガルシア・マルケスによる架空の町『マコンド』を舞台とするマジックリアリズムの名作「百年の孤独」、古典『オデュッセイア』を下敷きにひとりの平凡な人物の一日を描写しながら彼の生きる国そして普遍の運命を語るジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」、様々な文学手法を駆使してアメリカ南部道徳の衰退と家族の没落を描くウィリアム・フォークナーの「響きと怒り」、さまざまなカルチャー・テクノロジーを貪欲に吸収しながら誇大してアメリカを語り続けるトマス・ピンチョンの巨作群、時間のなかで記憶と感覚の繋がりを問いながら文学を語るプル-ストの「失われた時を求めて」、乾いた文体で書くことそのものを問い続けるポール・オースターの「幽霊たち」、「伝記集」をはじめ幻想的で端正な語りで円環構造を用いるホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作、挙げきれないほどのたくさんの文学作品たち。
これらの近代文学作品が生み出してきた文学手法は、奇抜さや遊戯性だけでなく、近代化という時代の変化のなかでこれまで以上に複雑化した社会と変わりゆく個人について、既存の手法では表現しきれないことを表現し伝えようとするための、試行錯誤のなかで編み出されたものだ。
他者から辺境として語られることを拒み自ら伝承や生活感覚に基づくリアリティにより土地の歴史と苦難を語ろうとするマジックリアリズム、理性と単線的な語りでは捉えられない現実を夢と偶然性から語ろうとしたシュールレアリスム、言葉のうつろいと共に個人を固定したものではなく流動的に捉える「意識の流れ」、ふたつの世界大戦による大きな単一の物語への幻滅の後に多様な視点・テキストによる語りへと物語の進化を試みるポリフォニー、視点と構造を撹乱し読者(プレイヤー)との関係性の再構築を目指すメタフィクション、異化効果、反復、などなど…
Kentucky Route Zeroは20世紀文学の金字塔たちが築き上げ、発展させてきた成果をその文章に惜しげもなく注ぎ込む。静かで抑制的な文章でありながら、本作のテキストには幾重にも文学の魔法がかけられている。
これらの文学手法を張り巡らせた文章で、KRZが何を描こうとしたのか、その手法を採ることにどのような意味があるのかについては後述する(予定...)。
図1:Act.4(森)ふたりの登場人物の会話が、ふたつのウィンドウにわかれ各自の視点で表示される。ウィンドウ内では会話とともに、双方の回想を語る文章がシームレスに入り混じる。
図2:Act.1(EQUUS石油)台詞にてガルシア・マルケスの名前から引用した登場人物や感覚と記憶の関連性について触れる。
図3:Act.5(町)ホルヘ・ルイス・ボルヘスの名を引用した登場人物の話をしている。
図4:Act.2(森) シュールレアリスムを代表する画家のひとりルネ・マグリットの絵画「白紙委任状」をゲームとして再構成するステージとなっている。
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12.テキスト(詩)
本作のテキストは詩情をたたえるが、そのほとんどは脚本・散文調で書かれており、形式的に「詩」といえる文章は数か所しかない。
その詩は、詩のいくつかがそうであるように、短くも作品全体を貫く精神を象徴する。
1.  はじまりの詩
3つの文章からひとつ選ぶ選択を3回繰り返せば、パソコンのパスワードとなる詩が完成する。単体では美しい響きを持つだけの言葉は、組み合わせることで必然のように先の展開の予兆となる。
このパスワードは、どんな選択をしても間違いにならない。プレイヤーの選択を報酬・展開の変化等によりゲームが評価することはなく、すべての選択は等価である。プレイヤーが何を選ぶかは、この先もずっと自由に任される。
最初に作るこの詩から「マルケス」というキーワードが開け、本作の旅は始まる。
図5:Act.1(EQUUS石油)パソコンのパスワードとして、3つの文章から3回選んで詩を作り入力する。
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2. 町はずれの者の死を悼む詩
アマチュア詩人である「町」の住人ニッキがコミュニティテレビWEVP-TVで披露する詩。
町民たちのHomeであったコミュニティ「町」が、より弱い立場にある町はずれの者に対して振るった暴力と罪を悔い記憶するための詩。
もうこの詩の他に思い出されることのない、Homeなき者への詩。
図6:Act.4幕間劇「Un Pueblo de Nada」
ニッキ:町外れの者へ。 どの鷲があなたを終の眠りへと運んだだろう? あなたを運び、眠りにつかせたのは人ではない。 泥と泥水の流れる小川を選んだ者たちは、血まみれのあなたを残して逃げ出した。(以下略)
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3. 終わりの詩
終わりを迎える時、プレイヤー=あなたはなにもわからず宙ぶらりんでさまよう気持ちのまま、それでも詩を紡がなければならない。
まったく現実の世界でもそうであるように。
喪失、追悼、後悔、慰安、再生、悲嘆、鎮魂、決意、休息
悲劇といわれる旅の終着点で、だれに、なにに向けて祈るのか。この作品があなたにとって何だったのか。
作り手たちとの言葉と混ざり合いながら、あなたは短い言葉で詩を紡ぐ。それを表明するために、あなたはこの場にいるのだから。
図7:Act.5(町)最後に捧げる詩の言葉を選ぶ
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詩という形式で、短く象徴的に凝縮されたこれらの言葉こそが、本作の精神をよく表しているといえるだろう。
いや、「迷ったと感じるべき」なんだ、ジョセフ。我々が常に迷い続けているように。 あの哀れな、放浪する雇い人サイラスのように。道をさまよい、帰るべき家を探しながら。 Act.1(EQUUS石油)舞台監督ジェームズ・キャリントンの台詞より
(参照)
ウォルト・ホイットマン「草の葉」
ウォルト・ホイットマンは19世紀アメリカの代表的な詩人であり、放浪しながら一般民衆に広く詩を行きわたらせた彼の生き方と共に、「自由詩の父」と呼ばれる。「草の葉」はホイットマンの代表作であり、その詩にはおおらかで気宇壮大で自然と理想に満ちたアメリカ建国時のイメージが映る。
最後の詩の一部及び第5幕の実績「あなたの足元にいる私を探して」は彼の詩から引用されている。
おれはおれ自身を土に遺す、やがては愛しき草地から生え出るように、 もしおれをまた求めるなら、おまえの靴底の下を探すがいい ウォルト・ホイットマン「草の葉 おれ自身の歌(抄)」より 飯野友幸訳
図8:Act.5(町)
ニッキ:「私を探すなら君の足元を見るがいい!」、そんな言葉があったわね。
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ロバート・フロスト「雇い人の死」
ロバート・フロストは、『選ばなかった道』などの詩により知られる20世紀のアメリカを代表する詩人。簡潔で平易な言葉を用いながら、象徴的で喪失感・諦観に満ちて謎めいた詩を多く残した。アメリカを代表する詩人であるとともに、一見平易な彼の詩はアメリカ一国を超えてひろく読まれてきた。
彼の作品「雇い人の死」は、老いてどこにも行く当てのない雇われ小作人サイラスが放浪の末、雇用先の納屋で誰にも知られぬままひっそりと息を引き取るさまを雇用主夫婦の会話により描いた詩である。
KRZは、「『家』に帰ること」をテーマとするこの詩に基づき、作られていることがキャリントンの口から示唆されている。
図9:Act.1(EQUUS石油)
キャリントン:私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩「雇い人の死」を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに。
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詩の題名をそのまま引用している最後の幕間劇「雇い人の死」では、作品テーマとなるHomeについての議論が行われたのち、サイラスの最期と重なるように、雇い人ブランドンが眠りにつくことでKRZは終わりを迎える。
それがなにを意味するのか、作品はフロストの詩と同様になぞめいて自ら語ることはない。
図10:Act.5幕間劇「雇い人の死」
ハリー:眠らせてやろう。
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「ウォレン」と彼女。「彼は死ぬためにうちに戻ったの。もう今度は途中でいなくなる心配はいらないわ」。 「うちにね」、彼はおだやかに皮肉をこめた。 「だってうちじゃない。うちをどう考えるかで、話はずいぶん違うけど。もちろん彼は私たちには赤の他人で、それは以前、森から出てうちに来た見知らぬ犬―長い旅路でやつれ果てたあの犬と変わりはないわ」。 ロバート・フロスト「フロスト詩集」『雇われ農夫の死』より 川本皓嗣編
(参考)「雇い人の死」和約:神戸親和女子大学学術リポジトリ
(以下、追記予定)
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onishihitsuji84 · 3 months
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こんにちは(爆撃機より)
 一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
 ”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。  しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
 デ・デデデン。デデ――デデ。  デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
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 まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
 交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。  足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
 薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
 全身の筋肉という筋肉に熱い血が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。  あたらしい一日が始まるのがわかる。
 ☟☟☟
 洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。  アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガルのスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
 そう、「アメリカの風景」……
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 僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。  高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
 そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
 何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
 僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
 気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。  眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
 実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
 ぶうん……
 響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
 でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
 つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
 LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。  僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。  朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
 ☟☟☟
 爆撃機はずっと唸る。
 ぶうん……
 ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」  僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を応援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
 その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
 大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。  そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
 リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直すことも、一度手を放して寝かせるということもできない。  瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。  そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。  それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
 ぶうん……
 ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」  そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
 でも、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
 そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
 でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。  文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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clnmn · 4 months
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私は誰かであることが現れる文体(somebody else's style)でではなく、誰でも構わないことが現れる文体(anybody else's style)で記された本を書こうと思う。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス「彼自身の書き方をめぐる講演後の質疑」『クリティカル・インクワイアリー』第一巻第四号、一九七五年
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honyakusho · 4 months
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2023年12月19日に発売予定の翻訳書
12月19日(火)には22冊の翻訳書が発売予定です。
おかえり、オオカミ
レイチェル・ブライト/著 ジム・フィールド/イラスト 安藤サクラ/翻訳
トゥーヴァージンズ
パティさんの編み物知恵袋 : もっとかんたん、きれいに編める
パティ・ライオンズ(Patty Lyons)/著 西村知子/翻訳
朝日出版社
メタゾアの心身問題 : 動物の生活と心の誕生
ピーター・ゴドフリー=スミス/原著 塩﨑香織/翻訳
みすず書房
不自然な自然の恵み : 7つの天然素材をめぐる奇妙な冒険
エドワード・ポズネット/原著 桐谷知未/翻訳
みすず書房
WEIRD「現代人」の奇妙な心理(上) : 経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
ジョセフ・ヘンリック/著 今西康子/翻訳
白揚社
WEIRD「現代人」の奇妙な心理(下) : 経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
ジョセフ・ヘンリック/著 今西康子/翻訳
白揚社
官僚制・家産制・封建制
マックス・ウェーバー/著 野口雅弘/翻訳
岩波書店
人類歴史哲学考 (二)
ヘルダー/著 嶋田洋一郎/翻訳
岩波書店
ナイチンゲールが歌ってる
ルーマー・ゴッデン/著 脇明子/翻訳 網中いづる/著
岩波書店
ママたちが言った
アリシア・D・ウイリアムズ/著 ブリアナ・ムコディリ・ウチェンドゥ/イラスト 落合恵子/翻訳
クレヨンハウス
シェイクスピアの記憶
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/著 内田兆史/翻訳 鼓直/翻訳
岩波書店
ヒューマンボディ 原著第7版
Barbara Herlihy/著 坂井建雄/監修 大久保暢子/監修 工藤宏幸/監修
エルゼビア・ジャパン
中世の写本の隠れた作り手たち : ヘンリー八世から女世捨て人まで
メアリー・ウェルズリー/著 田野崎アンドレーア嵐/監修 和爾桃子/翻訳
白水社
入門 eBPF : Linuxカーネルの可視化と機能拡張
Liz Rice/著 武内覚/翻訳 近藤宇智朗/翻訳
オライリー・ジャパン
[図説]世界の水の神話伝説百科
ヴェロニカ・ストラング/著 角敦子/翻訳
原書房
アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王
ルーシー・ワースリー/著 大友香奈子/翻訳
原書房
小麦の地政学 : 世界を動かす戦略物資
セバスティアン・アビス/著 児玉しおり/翻訳
原書房
ホビットの料理帳
ロバート・トゥーズリー・アンダーソン/著 川添節子/翻訳
原書房
コロナワクチン その不都合な真実 : 世界的権威が明かすmRNAワクチンの重大リスク
アレクサンドラ・アンリオン・コード/著 鳥取絹子/翻訳
詩想社
オー・ヘンリー ショートセレクション 賢者の贈り物
オー・ヘンリー/著 千葉茂樹/翻訳 ヨシタケシンスケ/イラスト
理論社
静かな働き方 : 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す
シモーヌ・ストルゾフ/著 大熊希美/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
地盤工学の実務におけるコーン貫入試験
石原研而/監修 齋藤邦夫/編集 深沢健/編集
CPT技術協会
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findareading · 2 years
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そんな旅がまためぐってきた。曲芸師は網棚の上で横になってボンヤリしていた。興行主は真向かいの窓ぎわに寄りかかって本を読んでいた。
カフカ著/池内紀訳「最初の悩み」(『禿鷹』昭和63年4月、国書刊行会〈J·L·ボルヘス編纂/序文「バベルの図書館」〉)
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moe-so-journal · 4 months
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我的海外文学ベスト10
北回帰線 / ヘンリー・ミラー
ブロディーの報告書 / J・L・ボルヘス
セロトニン / ミシェル・ウエルベック
芸術と身体の哲学 / ポール・ヴァレリー
フェリーニ・オン・フェリーニ / コンスタンツォ・コスタンティーニ
紙の動物園 / ケン・リュウ
巨匠とマルガリータ / ミハイル・ブルガーコフ
ロリータ / ウラジーミル・ナボコフ
マクベス / ウィリアム・シェイクスピア
ヴァリス / フィリップ・K・ ディック
フェリーニとかヴァレリーは文学か?と言われると微妙だけど人文系ということで。
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fredborges98 · 7 months
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“お 母 さ ん” (okāsan) é um termo geral para mãe em japonês. Algumas pessoas a chamam de ”母 ち ゃ ん” (kāchan) ou ”母 さ ん” (kāsan). Também existe uma expressão muito educada, ”お 母 様” (okāsama). ”お 母 様” (okāsama) não é usado para chamar sua própria mãe, mas para chamar outras mães.
Exemplo
お母さん、いつも温かく見守ってくれてありがとう。
Okāsan, itsumo atatakaku mimamotte kurete arigatō.
Obrigado, mãe, por sempre cuidar de mim com carinho.
Oba-Chan, em japonês, significa avó (o que conhecemos mais, pelo menos aqui em São Paulo, é o termo "batchan", que nada mais é do que "vovó", uma maneira mais coloquial e carinhosa de falar).
Bom dia!
Por: Fred Borges
フレッド・ボルヘスの息子、父親、祖母、母親、あなた、そして特に私の先祖に生涯感謝したいと思います。
Tradução:
Fred Borges filho e pai, a avó e a mãe, gostaria de agradecer a vocês e principalmente aos meus antepassados pela vida!
Nossa felicidade ou sofrimento não tem quase nada a ver com o que estamos fazendo, mas como está nossa mente.
Ao contrário do senso comum, além de devaneio para passado ou futuro, dispersão pode significar mergulho cego no presente do mesmo modo que lucidez não significa parar os pensamentos (noção equivocada que muita gente atribui às práticas meditativas).
A questão da liberdade se resume ao quanto somos comandados por elementos internos ou externos e ao quanto somos capazes de parar e seguir com autonomia, autodeterminação e livre arbítrio.
Uma velha de oitenta e um anos, "enclausurada" em uma horta na floresta de Sapiranga na Bahia, é muito mais lúcida do que muitos de nós, jovens, que nos achamos no auge da vida.
Respeito, educação, admiração, consideração,
lealdade, fidelidade, amor, reciprocidade em tudo que é dedicado por meio da educação por exemplo e valor ou vice versa pelos pais para os filhos sumariza colhemos o que plantamos, e assim reverbera dos filhos para o netos, por gerações e gerações, fundação maior da construção,este é o pilar das sociedades orientais, mas também de muitos países ao redor do mundo, inclusive o Brasil,ou no nosso caso em específico, deveria ser o praticado e incentivado pelo governo, pois da família se vem, se tem, se é, e sem a família tudo se esvai, a família é início, meio e fim, é ciclo virtuoso, é círculo de valores edificantes, desacreditar a família e na família é desacreditar na própria sociedade, desmantelar ou desestruturar de qualquer maneira, forma a família, é desmantelar ou desestruturar a sociedade.
Dona Sisu por exemplo,nasceu em Caetés, que na época de seu nascimento era distrito de Garanhuns, em Pernambuco.
Casou-se aos 12 anos, com a permissão dos pais,com Aristides Inácio dos Santos, que era ensacador de milho, de 20 anos.
As bodas foram celebradas apenas no religioso, a quilômetros de distância do cartório mais próximo.
Após o casamento, Sisu teve 14 filhos, perdendo 2- natimortos.
Alguns anos depois, Aristides resolve sair do sertão da Bahia para tentar a vida em Santos, e 4 anos após sua partida, volta e engravida a esposa mais uma vez, e retorna a Santos, levando o filho Jairo, que já sabia ler e descrever.
Numa das cartas que escrevia para o pai, Jairo, por iniciativa própria, diz para a mãe e os irmãos venderem o que tinham e migrarem.
Assim como milhares de pessoas do nordeste naquele período, Dona Sisu subiu a um pau de arara com os filhos e, após 13 dias,sim 13, desembarcou em São Paulo,seguindo para Santos.
Mas a vida foi ficando cada vez mais difícil, pois Aristides virou alcoólatra, passando a agredir Dona Sisu e os filhos.
Cansada da violência do marido, não havia Penha, mas muitas Marias,se muda com as crianças para a capital, onde passou por várias dificuldades, afetando inclusive a mente de uma das crianças, o que lhe rendeu muita preocupação,entre as dificuldades a alfabetização de seus filhos, e alguns anos depois o que lhe rendeu preocupação, além de mental, foi o comportamental, foi o desvio moral de um deles, já identificado desde cedo, desde sempre,queria por que queria ser político, abominável fim para àquela época e continua sendo hoje em dia na pangeia Darwiniana ou não, especificamente a hoje chamada região da América do Sul.
Sisu morreu em 1973, aos 64 anos, vítima de câncer uterino,assim como uma grande escritora da época e muitas outras Marias, mulheres, mães e avós, morreu em São Bernardo do Campo, enquanto seu filho com problemas morais e mentais, ou vice versa,sobrevivia com nove dedos, um deles perdido no anus da população brasileira,sendo assim a mãe foi sepultada no Cemitério da Vila Pauliceia em São Bernardo do Campo.
Vida é construção, mas também pode ser desconstrução, você pode colher um limão e fazer uma limonada ou pode ficar tão azedo quanto o limão, além de ácido, tão ácido que pode causar estragos como a fitofotodernatite
(uma dermatose que ocorre por uma combinação de contato com planta fotossensibilizante e exposição à radiação solar), estragos a si e aos seus mais próximos, imagina àqueles que considera seus inimigos,pode desenvolver ou acentuar patologias epiteliais ou mentais, pode se tornar obsessiva,neurótica, psicótica, uma variação de "facas" da "paz" ou "amor" e da "guerra ou "guerrilha"extremista, caótica,distópica urbana", representada por uma variedade de facas e suas funções para obter a " picanha" principalmente por àqueles com " problemas de desequilíbrio de parafuso".
Faca do chef;
Faca de cozinha;
Faca de Sashimi;
Faca de lula;
Faca de ostra;
Faca Santoku;
Faca de queijo;
Faca de pão;
Cutelo;
Faca de desossar;
Faca de tornear.
Ou
Barong;
Billhook;
Bolo;
Bowie;
Bush( filho) ou 息子
Musuko;
Putin;
Cana;
Colima;
Hawkbill;
Kukri;
Panga;
Parang;
Adagas;
Xi Jinping;
Biden Democrata;
Punhais; Cimitarras;
e Katanas de modo geral.
Mas a mais cara são àquelas enterradas nas costas, no anus da população brasileira:
O punhal Hugo Chaves no valor de US$ 2,5 bilhões.
O punhal Miguel Díaz-Canel no valor de US$ 538 milhões de dólares.
O punhal de Lula da Silva, punhal made in Brazil,de R$ 5,957 trilhões em Julho de 2023.
O punhal Corrupção de US$23.3 trilhões de dólares, somando toda a corrupção desde a implementação do EDD ou Estado de Direito Democrático no Brasil
Mas a faca ou punhal não faz o homem, mas seu contrário.
A família faz o homem mas não o contrário.
Família pode ser uma faca obsidiana; uma pedra de cor negra com função terapêutica, que ajuda a lidar com crises e pode auxiliar o ser humano na evolução por meio da meditação e do autoconhecimento.
Obsidiana é uma das pedras do signo de escorpião, ou seja, ela se conecta com o Chakra Muladhara, localizado na base da coluna vertebral.
A família é a coluna vertebral e ela não é representada na sua totalidade da população votante brasileira e muito menos pelos ministros do STF( Supremo Tribunal Federal).
Em 27 de outubro de 1945 nasce um escorpião de uma família nordestina brasileira.
É da natureza do escorpião picar, mas é da natureza do homem com família estruturada com base ética e moral ilibada,sem desvios, sem bases corrompidas picar?
E seria a de seguir, corromper-se, se mutilar ou deixar-se mutilar pela Picadura " Dedodura" Popular Comunista do governo que aí está?
É hora de acordar!
Exemplo:
お母さん、いつも温かく見守ってくれてありがとう。
Okāsan, itsumo atatakaku mimamotte kurete arigatō.
Obrigado, mãe, por sempre cuidar de mim com carinho!
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straycatboogie · 8 months
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2023/08/29
BGM: Pizzicato Five - 皆既日食
今日は早番だった。朝、いつものようにこの日記を書く。日記にしても詩にしても、書く前は実を言うとほんとうにおっくうで「めんどくさいなあ」としか思わないのだった。書くことがある時はまだいい。まったくない時もあって、そんな時は頭の中が真っ白なままパソコンなりノートなりに向き合わなければならない。そこから、まったくの「無」の状態から言葉を何とかしてひねり出す。時にはまったく思っても見なかった、「あさっての方向」から言葉が出てくることもある。自分でもどうしてそんなことを思いついてしまうのかわからないけれど、ともかくも自分の中から文字通り「生まれ落ちた」言葉。その言葉に基づいていろいろアイデアをつけ加えていくと、やがてそれは1個の表現になる。そのようにしてぼくはものを書いている。内田百閒や古井由吉といったぼくの敬愛する作家たちも「ネタ」や「書くこと」がなくなったところから書くのが本物の表現ということを言っている……と、著名な書き手の言葉で箔をつけてしまうのがぼくの困ったところなのだった。ともあれ何とか言葉を生み出して格好をつけて終える。何だかぼく自身の人生の縮図のようにも感じられる。
そんな風に書くというのは、計算高く頭でっかちに考え込んで何でもかんでもコントロールしていくというやり方では「ぜんぜん」ないということである。む���ろ、頭の中を積極的に(「自分から進んで」と言ってもいい)空っぽにして、外にある何か大きなものにその「カラの心」を開くということだ。思えばこの書き方はぼくの生き方そのものでもある。自分自身のこの愚鈍な、ちっぽけな頭で統率できることにはおのずと限度がある。それより、偶然性を頼ってその時々に起きることを自分なりに織り込んでアドリブ/即興で生きることの方が現実的であるし面白くもある。言い方を変えれば直感というかインスピレーションを信じて生きるということ。詩を書き始めたことだって、こうして日記を書いていることだって思えばまったくの「勘」任せだ。これは合理的な思考を重んじる姿勢から照らし合わせれば実に「ちゃらんぽらん」な、「でたらめ」「無計画」な生き方かもしれない。でも、最後につじつまを合わせて自分の生き方に責任を負えばいいわけだ。そう思って、ぼくは占いやその時の気分までも総動員して実にその日・その時の「ノリ」「気分」で生きているのだった。
今日、ぼくが参加している発達障害を考えるミーティングのLINEグループで「やりたいことが見つからない」という投稿があった。これは実に普遍的な、強力な問いだと思った。呪縛とさえ言える。ぼくのことを思う。ぼく自身も「やりたいこと」が何なのかわからなくなってつらかった日々があった。まったく「やりたいことは何だろう」と自問自答しても見つからない、頭の中が「無」「カラ」の状態……そんな時は、それこそそんな考えをいったん棚上げにして「動いてみる」のはどうかと思う。「苦しまぎれ」でも「破れかぶれ」でもいい。ぼくの場合はほんとうにネタに困ったらX(元Twitter)を見るし、行けるようならそれこそ何も事前に(あえて)考えず図書館に行ってそこで「エイヤッ」とまったく思っても見なかった本を借りてみる。雑誌やテレビの占いをチェックしたり、散歩してみたりその時に聴きたいと思った音楽を聴いてみたり……ぼくはこれを極めて大真面目に書いている。そうして「犬も歩けば棒にあたる」で動いてみるというかやってみると、作用は反作用をともない世界から思わぬリアクションが帰ってくる。そうして、ぼくはいつもネタを拾ってかたちにしている。
夜、仕事が終わりグループホームに戻る。今日は何だか朝・昼に仕事をしたら疲れてしまったせいか眠くなって、ボルヘス『詩という仕事について』を読んでいたのだけれど寝落ちしてしまいそうになって困った。ボルヘスがこの本の中で自分自身のことを「読者」と見なしているのに興味を抱いた。ボルヘスほどのすぐれた博覧強記の巨人であっても謙虚に、自分自身のことを特権的な「作者」とは考えたりせず多種多様なテクストや書物に自分を開いた「読者」と考えているのだ……ぼくはそこから、ボルヘスもまたぼくと同じで自分自身を「カラ」にして世界にあまたと存在する書物に向かって自分を「開示」「オープン」にしているのかなと思った(いや、失礼というかこれが噴飯物の「妄想」「妄言」なのはさすがにわかっています)。そうして、あえてオカルトめいた表現を使えば自分という人間の「チャンネル」「チャクラ」を開く。そう考えれば、人間とは実に面白い。自分の中にあるものに依存しすぎるのではなく、むしろ自分を外部を受容するラジオやスマートフォンのように扱うこと。自分自身が1個のデバイスであると認識すること……と考えていくと「アブない」「妄想」に至ってしまった。おあとがよろしいようで。
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「モレルの発明」、読み終えた。
何年も前に、自分の好きな映画「去年マリエンバートで」の元ネタの一つだという話を聞いて気になっていた本。でも当時は絶版で古本がまあまあのお値段だったので、踏ん切りがつかずすっとAmazonのほしいものリストに入れたままだった。
そうしてほとんど忘れていた先週、いくつか本を探しに丸の内の丸善へ行った時、なんとなく海外文学の棚を見ていたら突然見つけた。奥付を見ると2022年6月発行とのことで、つい最近再装版としてでたらしい(ちょうど引っ越しでバタバタしてたときだ…)。この水声社という出版社は知らないなと思ってたけど、この間国書刊行会の冊子を読んだら、国書を辞めた人が作った出版社とちょうど紹介されていて、なんかつながってるなと思ったり。
内容に関しては、実は重要な部分のネタバレを昔聞いてしまっていたので、そこはちょっと残念だったけど、全体としてはなんとも言えず不思議でよかった。SF的な部分があって、今こそ面白い話かもしれない。これを1940年に考えて書いたとは…。
この本全体が「ある人物が書き残した文章をそのまま本にしました」みたいな一人称小説になっているんだけど、これが本当のことなのかどうかが微妙に怪しい。というかまあまあ書いてることに矛盾が出てくるので、何を信じたらいいかよくわからなくなってくる。この著者は全然知らなかったけど、ボルヘスと仲の良かった人らしく、冒頭にボルヘスの序文もついてる(すごい褒めてた)。
そのあたりの一人称の話や、「去年マリエンバートで」との関連なんかも解説に書かれてて面白かった。「去年マリエンバートで」は確かに似てるものの、またちょっと違う感じかな。でも、今まであの映画はいわゆる「藪の中」方式にカットの時系列をめちゃくちゃにしたものかと思っていたけど、また別の見方もできそう。 解説ではボルヘスの「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」にこのカサーレスが出てくるという話、さらにそのシーンに出てきた鏡を今作と重ねて考えることもできるという話も出ていて面白かった。いい解説大事。
最初の方はいまいちよく分からないな…という感じで漫然と読んでしまったので、最後まで読んで、解説も踏まえた上でもう一回読んでみたい気もする(けどいつものごとく他もたくさんあるので多分読まないけど…)。
ちなみに、この表紙の写真はブラザーズ・クエイの「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」という映画の1シーンらしい。この映画も「モレルの発明」、そして「ロクス・ソルス」(これも気になっている本)を原案に、製作総指揮にテリー・ギリアムが入っているそうで、めちゃくちゃ気になる。DVD買うか…。
思うに、不死性なるものがわれわれの手から失われてゆくのは、死への抵抗手段にいかなる進歩も見られなかったからである。死への抵抗ということになると、肉体全体を生きたまま取っておきたいという初歩的な考えに、われわれは依然として固執している。意識にかかわるものだけの保存を求めれば、それでいいのではなかろうか。
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deisticpaper · 1 year
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連作小説として新しいシリーズの形を組み立てている。
完結「Garbled」以後の展開として、格子状の完結「Deistic Paper」の文脈からの図像系「Cave Diver」の流れ。OpenSeaに向けた16連作。聖マルカンデーヤの逸話をはじめ、様々な連想体系の渦から。
進行中の小説は他に、仟燕色馨系と、具体詩サリサ系がある。
文学は、ボルヘス文脈しか残されていないと考えている。他は、別のジャンルでも表現可能だという意味で。だが、上の3つの段落には、3人の作家が潜んでいる。〜の渦から(ポー)。サリサ(カフカ)。進行中の小説(ジョイス)。人類より先に、詩や小説が滅びることはない。研究観点の文学が滅ぶこともない。しかし、改めて〈文学〉とは、何を指しての物言いなのか。
「Garbled」と「Deistic Paper」は、背景の分からない者、身元不明者にまつわる夢で、このことは仟燕色馨系において幽玄と紐付けられる。「Cave Diver」はその夢が反転された形で描かれる。
散文も始めているが難しい。
ミクロレラート/俳諧と、コンデンスド。
暗号解読も長引き、もはや永遠を予感させるとき。
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