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#豊橋工務店
kyoukoku77 · 1 year
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4月1日土曜日〜4月2日日曜日 蒲郡市形原町にて #見学会 #開催 いたします。 #豊橋地中熱で検索 ぜひご来場ください。 予約制になります。 予約 080-4186-5217 または ban.co.jp #伴工務店 https://www.instagram.com/p/CqUgIJgpVq3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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koch-snowflake-blog · 3 months
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア
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出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
カップサイズ F
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については制限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレビドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍できるのは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。
  
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recipe-cookingclass · 2 months
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世界の食事情を知ると、見えてくる教育の違いや経済や。
そして考え方の違いや、ものの価値観の違い。
日本は、教育的配慮は今よりも、昔の方が高かったことを知ります。
興味深いことに、超先進国だろうが超後進国だろうが
『生活力』の違いを知ることができます。
生活力の中でもやっぱり食事というものは、実際の差がわかりやすい。
世界の家庭では、お台所がない国もなかなかございます。
理由としては「外食が安い」という理由が大きいでしょう。
ですので、料理という自炊を実際は、出来ない人も多いということです。
近年の外国人労働者である、若めの女性たちも、驚くほど料理という自炊が出来ない人が多いのには、驚かされます。
そもそも『空腹を満たすだけのための食事』ですので、「興味を持つことすら発想がない」と言っても、過言ではないのでしょう。
以前、SNSからと言っても10年以上前ですが、ネパールの留学生という若い男性から『あなたの料理は素晴らしい』と言われ、料理を賞賛してくれました。突然でしたので驚きましたが、私は彼に『あなたの将来の夢は?』と聞きましたら『将来の夢?お金を稼ぎたい』という言葉だけだったのです。
夢というものはなく、お金だけしかないということ。
日本の子供たちは『将来は◯◯になりたい!』などは、夢があります。
ですが、その違いに気付くと、やはり経済成長の裏側が解けていきますし。食事情を知るとさらに、教育の現状も見えてきます。犯罪においてもですが。
いつも私が言葉に出る『料理は教養』というものは、必然的に教育をしっかりと受けた上での、さらなる文化人としての嗜みでもあります。教育なくては、教養はまず得られません。多言語教育に時間を取られる諸外国では、圧倒的に教育の量が日本の教育を受けた人間より足りていないと事実は、驚きましたが。教育がしっかりと行き届けば、教養ある人間として、学びを深め、知ることを掘り下げていけるものです。ですので、日本において治安が良かったという事実も、教育がしっかりと行き届いた昭和中期ぐらいからだったのでしょう。平成になり、義務教育において秩序や道徳などを学ぶ時間が低下することにより、モラルに関しても親の知識に関しても残念なこととなっております。
少子化の原因もですが、今まさに高齢社会は、まだまだ義務教育が発展途上だったためか、不思議に思うことも多いぐらいで、親世代もその上もですが、料理が実はできない人が多いという事実です。買い物好きで浪費家が、実に多い。
無駄に無駄な浪費を重ねているのが、現状です。
マーケットに行けば、高齢者の方が割合で行っても大半です。ここ数年は、おひとり様がマーケットをぶらぶら歩いていることをよくお見かけしますし。
趣味がないということも、教養の違いとなるのも事実だと思います。ただ、お金をかけて運動するのは知恵と工夫や発想が、ちょっと乏しいと言えますけどね。ジムに行かないと運動ができないなんてあり得ません。普段の生活で組み込める発想や行動力がないと言えますので。
料理においては実生活に一番、現れます。
『自炊外食』が多い日本のグルメ。自炊ぐらいは、自分で効率よく手際良くできるようになる人は、やっぱり生活力も教養もあると言って過言ではない。
心から美味しいと喜べる、そんな料理を作れる人は教養が高いと言えますので、やはり日本の教育は『文化を楽しむ』そんな豊かさがあるのです。
その反面、無駄に無駄な商品や食材が溢れかえっており、マイナス損失が非常に大きい。
少子高齢化と人口減少において、それについては淘汰される必要が出てきましたが。
小さな製造業や飲食店などもですが、物価高騰もあり、不要なものは売れない時代です。
健康食品なども高齢者がターゲット層ですしね。
贅沢品もモノガナイ時代を過ごしたからこそ、それらを欲しがる高齢者が販売の層です。
そうなるとモノの価値の判断を見極められるのは、その後に続く世代となります。
同じグレードで価値も同様でも、いいモノだとテレビやメディアが煽動すると購買意欲が湧くのも、手に入れる知識の質量や判断できる経験や自信がないからです。
今まさに、調べなくともスマホでパッと出てくる答えに、流される情報獲得になっていますが。
多くの情報を選別できる力が若い世代こそ、失われています。
観光に来る外国人観光客は移動ルートにしろ、観光場所の選別や食事の場所でさえも誘導されており
私が選ぶようなお店には、辿り着かない。まぁそこにはお金が動くので外国人観光客の方たちも、その通りの場所へ足を運ぶものです。そこに教育、教養を高めると視野が随分と広くなるということです。
料理を得意とするまでになれば、無駄や浪費はバカバカしいという発想も生まれますが、それ以上の美味しい感動や料理においてのセンスまでも磨かれることでしょう。知識や経験の引き出しがいっぱいなので、そんな方とおしゃべりをすると楽しい。教養とはそういうことです。
世界のIT化という名の誘導世界は、選別力も情報収集力をも、低下させているわけですから。
どうせグルメをするなら世界の食文化を知ることで、教養を高めることができます。
教養とは知るという質量の多くを、手に入れることでもあるのです。
スマホで検索では、手に入れられないことは、知らない方が多いと感じますが。
教育と教養。料理が一番、わかりやすい。
料理研究家 指宿さゆり
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takahashicleaning · 4 months
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TEDにて
サンドリン・チュレ:新しい脳細胞を増やす方法
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
成人の新しい神経細胞は増やせるのでしょうか?神経科学者のサンドリン・チュレは、それは可能だと言います。
研究結果に基づいた、私たちの脳の神経新生を促す実践的なアドバイスに従えば、気分良く過ごし、記憶形成を向上し、先々の老化にともなう脳機能低下が予防できます。
人間の脳に関して言えば、カロリンスカ研究所の同僚ヨナス・フリセンが、海馬では、毎日700個の新しい神経細胞が作られていると推定しています。私達の持っている何十億の神経細胞に比べたら、あまり多くないと思うかもしれません。
でも、50歳になるまでに、持って生まれた海馬の神経細胞は成人後にできたものと全て入れ替わるのです。
これは、神経新生と呼ばれる現象です。
同僚のロバートが、より興味を示したのが神経新生とうつの研究です。
うつの動物モデルにおいて神経新生の低下が見られました。抗うつ剤を投与すると新しい神経細胞の生成が促進され、うつの症状が軽減し、神経新生とうつの明確な関連が確かめられました。
また、神経新生を阻害するだけで抗うつ剤の効き目も阻害されるのです。
これで、ロバートは、癌(悪性新生物)が治った後でさえも患者にうつの症状があるのは、癌(悪性新生物)の薬が新しい神経細胞の生成を阻害したからと理解しました。
正常に機能する新しい神経細胞を作るのに時間がかかるのです。
これまでの結果から記憶形成や気分を改善し、老化に伴ったりストレスに関連する脳機能低下を防止したいなら神経新生を標的にする上で十分な証拠があると考えます。
これは初期の研究として、私の指導者でもあるソーク研究所のラスティ・ゲイジが行ったもので環境が新しい神経細胞の生成に 影響を与えることを示すものです。
まず、こちらのマウスの海馬の断面組織像は回し車のないケージで育てたものです。小さな黒い点は、新しい神経細胞になる細胞です。
次に、回し車があるかごにいたマウスの海馬の断面組織像です。新しい神経細胞になる黒い点が大幅に増えています。様々な活動は、神経新生に影響を与えますがそれが全てではありません。
食べ物は、海馬での新しい神経細胞の生成に影響があります。
有効性が認められた食品や栄養素を示します。何点か指摘いたします。20~30%のカロリー制限は神経新生を向上させます(日本の腹八分目に医者いらず)
断続的な絶食。つまり、食事の間隔を空けること。これは神経新生を向上させます。
ダークチョコレートやブルーベリーに含まれるフラボノイドの摂取は神経新生を向上させます。サーモンをはじめ、魚油の多い魚に含まれるオメガ‐3脂肪酸は、新しい神経細胞の生成を向上させます。
反対に、飽和脂肪の多い食事は、神経新生に悪影響を与えます。エタノール。すなわち、アルコールの摂取は神経新生を低下させます。でも、全てが悪影響ではありません。
赤ワインに含まれるレスベラトロルは、新しい神経細胞の生存を促進することが分かっています。
何事も適量。次回夕食会に行ったら、この「神経新生に中立」な飲み物を選ぶかもしれませんね。
細胞レベルで調べられたデータは全て動物モデルを使用したものです。しかし、この食べ物を人間に与えても神経新生を調節するのと同じ方向に記憶と気分を変えていることが示されています。
例えば、カロリー制限は記憶容量を増やします。高脂肪食はうつの症状を悪化させますが、逆に、オメガ‐3脂肪酸は神経新生を向上させうつの症状を緩和します。
精神衛生。記憶や気分への食事の影響は、精神衛生。記憶や気分への食事の影響は、海馬の新しい神経細胞の生成に実際に関与しています。何を食べるかだけではなく、食べ物の歯ごたえ、食べるときや量も関与しています。
義務教育の時期に、勉強すると頭痛がするという症状があります!
これは個人的な仮説だけど、脳内のニューロンとシナプスが再結合を繰り返して脳内ネットワークを強靭に構築している可能性が高い。
神経経路が肉を裂き、急激に伸びてるため若くても再生能力が追いつかないので痛みが起きてる可能性もある。
だから、高い栄養補助や十分な水分、睡眠で補給し回復、心身の健康を強化する方がいいかもしれない。
しかし、大人は再生能力が低下していくので、危険なため、頭痛が起きたらすぐ病院行ってください。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
人間はみんな天才だが、ケタの違う天才も少数存在する。
ジュリオ・トノーニの意識に関する情報統合理論がある。
万物には意識があるとする汎心論という考え方です。
ジュリオ・トノーニの 意識に関する情報統合理論によれば、ネットワークの密度は意識(ここでは、ファイと命名している)と呼ばれる何か?の密度に関連しているということ。
これを数値化して、方程式にしている。
それゆえ、人間の脳内では、膨大な情報統合が行われるため高度なファイがあることになり、かなりの意識が存在します。
マウスにおいては中程度とはいえ、かなりの情報統合が行われるので相当な程度の意識があるといえます。
しかし、虫や微生物や粒子レベルになると、ファイの量は低下します。情報統合の量が低下してもゼロにはなりません。
日本では、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあります。
トノーニの理論によると意識の程度はまったくのゼロには、ならないのだといいます。
事実上、トノーニは意識に関する基本的法則を提案しています。つまり、高度なファイには高度な意識が宿るのです。
そこには、ただ淡々と善も悪もなくて古来から有る日本の「魂」という概念みたいなことにも似ています。
また、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの提唱する量子脳理論(波動関数の客観収縮理論)があります。
他には、ブラックホールの特異点定理をスティーブン・ホーキングと共にを証明し、「事象の地平線」の存在を提唱している。
クオリアという言葉も関連していて、「質」を意味するラテン語の qualitas (あるいは qualis) が源流。
この言葉の歴史は古く、4世紀のアウグスティヌスも用いている。長い間忘れられてきたが量子論の登場により、1929年、アメリカ合衆国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を書いている。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
太古から高密度なアイデアは、概念の豊富な人間からしか創造されません。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
スティーブ ・マキャロル:ビッグデータが脳のミステリーをどのように明らかにするのか
ブレイス・アグエラ・ヤルカス: コンピューターはこうしてクリエイティブになる?
テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている!
エリザベス・ブラックバーン: 決して年を取らない細胞についての科学
キャロル・ドウェック:必ずできる!― 未来を信じる 「脳のパワー」
スザーナ・エルクラーノ=アウゼル:人の脳は、何がそんなに特別なのでしょうか?
ジョー・ランドリーナ:一瞬で止血するジェル
トーマス・インセル:精神疾患の新たな理解に向けて
デビッド・アンダーソン:あなたの脳はただの化学物質の袋ではない!
<提供>
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shunsukessk · 4 months
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者��間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、��沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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na1129 · 9 months
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きんようび通信No.659📚
2023年8月4日
▲「夏をイメージする食べ物は」と聞かれたら何て答えますか。スイカ・カレー・冷やし中華など、いろいろ浮かんできますね。外出することに生命の危険を感じさせる日々ですが、水分を取ってスタミナ維持してくことが重要。今日の通信は、この季節に欠かせない「かき氷」について▲史実における初の記録は、平安時代・清少納言「枕草子」の中で「削り氷(けずりひ)」として紹介されています。続けて藤原定家「明月記」に登場するのですが、製氷技術のなかった当時は特権階級しか口に出来ませんでした。庶民の暮らしに登場するのは、明治になってからでした▲人工で氷を作る技術が広がると、東京や横浜では「5歩に1店、10歩に1舗」と言われるほどに専門店が誕生。さらに家庭で気軽に作れるようになると、「家庭用かき氷器」が売れました。我が家にいつ来たのかは忘れましたが、その時イチゴの蜜を買ったことを覚えています▲近い食感で更に手軽に出来たのは、製氷皿で作るシャーベット。風呂上がりに少し深めの器に入れて食べるのがとても楽しみでした。ネット検索すると豊富にレシピが紹介されていて、母親は「(新聞ちぎり絵で)今度作って食べさせるわ」と言って、次女に睨まれていました▲さてまもなく、戦後78年という節目を迎えます。戦時下での氷の配給は、生産者から氷の卸売組合を経由し共同配給所・用途別に軍需用・工業用等に分けられ、最後に家庭用へと配給されていました。口にすることが出来なかった時代に思いを巡らせ、今を考えることが大事だと思います
【今日は何の日✨】
【今週の一句🔖】
酒飲み🥃🍶川柳
日本地図
連日猛暑で
真っ赤っか😨🥵
【今週の歌🎸】
・Lizzo…About Damn Time(Glastonbury 2023)
今年のフジロック最終日のヘッドライナーを務めたリゾ。圧倒的な熱量のパフォーマンスに圧倒されました。この動画は、フジロックより1カ月前にあったグラストンベリー・フェスティバル(イギリス)でのステージ。一度でいいから、グラストンベリーも行ってみたい😆
#リゾ #Lizzo
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【今週のグルメ情報😋】
・酒肆バグパイプ…近鉄・大阪阿部野橋駅から52m
お気に入りのショットバー。あと2~3回でボトルが切れそう。次のバーボンは何にしようかな😅
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【追伸📌】
みなさんのおすすめ・かき氷の美味しいお店の情報をご紹介ください。よろしくお願いします😌
#きんようび通信 #かき氷 #夏 #シャーベット #戦後78年
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rezagrats · 1 year
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#極私的 #大分の思い出 ずーーっと前に撮って編集してたのが出てきた。時間制限があるのでそのまま分割。 荷揚町小学校の分などかなり貴重だと思う。全部自分の子供の頃あの日あの時見た目線をなぞっているようだ☺️ #旧大分県立図書館 #アートプラザ のところで全く振り向いてない、撮ってないのはおそらく無惨に変わり果てた姿を撮るに忍びなかったからだと思う。あんな姿で思い出を汚したくなかったから。間違っても上書き保存はしない。いいところを剥ぎ取って屍のような姿を #磯崎新 の代表作の一つやら受賞したなど自分的には作品を冒涜しといて何を言う‼︎の気分。東京の飯倉交差点前の #ノアビル も後から窓をくり抜いて #白井晟一 先生が激怒したというがこのわ旧県立図書館はそんな小さなレベルではない。いっそ解体して更地にしてほしいほど醜い姿だ。磯崎先生のご存命中に行われたんだから認められて行ったにしても自分には #そんなの関係ねー 竣工時の姿を見るがよい☝️ #oitamemories #throwbackmonday #myhistory #oitacity #oitacitywalker #大分さんぽ #日向敏史 #東京ラブストーリー BGMは曲がとてもよくて好きだからこのままポストするけどはねられるかな⁉︎😅💦 セットリスト 由布連山 別府湾と日豊線 かんたんのレストラン 大分駅 大分中央教会 大分銀行寿町社宅 中島東の本屋さん 中島東の大分信用金庫 中島六条(中島中央) 中島四条〜五条間のお宅 中島三条(元法務局あたりの元歯医者さん前) 松栄神社と城址公園お堀 大分文化会館(旧県立図書館前から) 大分幼稚園白壁 大分市立荷揚町小学校(一部大分幼稚園) 大分市立荷揚町小学校(一部大分幼稚園) 同裏道と大分市体育館 ジャングル(だった)公園 大分銀行寿町社宅 大分中央教会 クローバー公園🍀 都町の自転車屋さん 夜のジャングル(だった)公園 城址公園お堀前歩道(旧県立図書館前) 松栄神社 城址公園お堀ばたの遊歩道 友愛橋 剛健橋 織部外科 陸上競技場 大分川(舞鶴橋–弁天大橋間) 弁天町(ビーバー🦫公園) 大分川(舞鶴橋–弁天大橋間) 舞鶴町 舞鶴公園 佐藤組社宅跡 中島三条 大分キリスト教会 城崎町一丁目と二丁目の間(大分銀行電産センター) さとうべネック本社ビル(佐藤組) 城崎町交差点(九州石油:国道197号;現セブンイレブン) 安見酒店(城址公園方向) 長浜の派出所 長浜神社 大手町 中村病院の通り ルーテル教会 府内町若竹通り かに船満 元きくやスーパーマーケット(現ローソン) トキハ付近の裏道 (at Oita, Oita) https://www.instagram.com/p/ComDU3BP267/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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h-m-ban · 4 years
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ステキなアプローチで自然に導かれ玄関へ 豊川 #豊橋工務店 #岡崎 #蒲郡 #新城 #田原 #湖西 #浜松 #浜北 #シンプルな家 #カッコイイ住まい #樹脂サッシ #木の家 #木配りの家 #木の壁 #パインフローリング #健康に暮らす住まい #気持ちのいい家 #モデルハウス #無垢フローリング #マイホーム #マイホーム計画 #二世帯住宅 https://www.instagram.com/p/B8sP-ZKAMW1/?igshid=13y1pxxy7z4cz
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iakoykonasa · 3 years
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むっつ
6/1 意外と早く起きる。ふとギターを弾いたら曲ができそう。 割と暗い歌詞になりそう。そういう気持ちはないけれど。 夕方に役所へ。 うむうむ、という診断結果。いつもの通り。だから困るんだよ、という。 6/2 ラーメンを一袋食べるのがつらくなる。たまに。糖質過多になるので。 体がだるくなっていたが夜になってまともな食事をしたら回復した。やっぱり大事だな。 買い物いかないとまた食べるものがない...。
6/3 ちょっと疲れが出始めている。 夕方に役所へ行く。 とある診断をしたけど、やっぱ、向いてねーとなる。 本当にやる気ないよな。というかもうそういうあれが考えられない。
6/4 作業して買い物に行く。 最近、百貨店でいいのに当たらないな。相変わらず人が多い。
6/5 今日はものごっつうまいラーメンとホットケーキを食べられたのでよかった。 途中でものごっつい建築を見たのだけど、その設計がもしかして、とある女優さんのおじいさまなのかも。 偶然なんだけど、情報が一致していてびっくりしている。 コントが始まるを見た。俳優はやっぱ、声だよな…と何度も思う。 仲野太賀さんってなんであんないいんだろうな。 6/6 眠れなかったのでこのまま生活の矯正を図る。 モーニングに行った。やっと、マクドナルドのハッシュドポテトを食べられた。うまい。 その後、買い物などに行き、明日への準備。 これが日曜日にできると大きい。 おかえりモネを最新回まで見たんだけど、やっぱ、震災のことはきっつい。と、同時にあまちゃん、ラジオを思い出す。 刈谷友衣子さん、なにしてんだろうな…。 6/7 起きてから洗い物などをしてでかける。 信号待ちや電車の連絡など交通運がなかった。 地元へ帰る。 もう街を客観的にしか見えなくてもうここは自分の街じゃないんだって思った。 距離の問題じゃないんだな。 剪定をとてもした。これが仕事になればなあ。 猫が元気だった。 マクドがいい感じに空いててよかったなー。さすが。こんくらい空いてたらいいよな。 6/8 作業。作業。でおわり。 ミートソースのパスタのおいしい作り方をやっと発見したかも。 6/9 さくさく制作。 6/10 さくさく制作2。 というか忘れてしまったDayだろ。
6/11 上本町という街に初めて行く。フレッシュネス、サブウェイと揃ってて、当たり前のようにマクド、モスもあって最高の街だった。 あれは夢の街だったのかい?と問うほど。 駅がそのものがでかい。ここなら奈良にすぐ行けそう。 少し地方都市に来た気持ちになる。多分、古いままで止まってるからだ。 駅横のホテルの建物がなんだか良くて、植栽の紫陽花も綺麗だった。 調べてみたら村野藤吾の設計じゃないですか。そりゃ良い感じのはず。 中も入ってみたいなー。 目的のひとつの焼肉へ行く。地理的に言えば、鶴橋の外れと言った方が正しいか。 これがうんまい。地元でたまに行く焼肉屋の本店なんだけど、ここも咳がゆったりしてよかった。 あと、冷麺がうまいのもいいなー。食べ切れるか心配だったけど、大丈夫だった。 その後は街を散歩。南下いしたら学校いっぱいある住宅地で静かだった。 これが大阪?と思うほど。少し外れた閑静な住宅街みたいな印象。 綺麗な団地があって、あれ、ここ住めるならめっちゃええやんとなりました。 さらに歩いてたら四天王寺に遭遇。 存在は知ってたけど、初めて来た。広かった。亀がいっぱいいたのは気持ち悪かったけど。 今日初めて、もしくは6月初めての客ちゃうか?っていうくらい人がいない庭園を拝観する。 ここがまた良かった。夏のような日差しに木々が青い蔭を作ってくれてとても日本的、禅のような気持ちになり清々しい気持ちになった。 やっぱり、庭は人の心を豊かにするね。 四天王寺を満喫して出ようと思ったら、すぐ横の高校生たちがわんさか。 今の街に住んでたら高校生は見かけるものの匿名的というかどこどこ高校とかわからないから実態が捉えられないんだけど、こうしてわかるとここに通ってたらどんな生活なんだろうか、と想像が少し浮かんでいい。いや、実態は全然わからないんだけど。 (天王寺とかで遊んで帰るんだろうかとか。) そんなことを考えつつ、行きたかったカフェへ。 お洒落かつカフェラテも好みのもので良かった。思ってたより天王寺駅から離れてたので人もそこまでいなかった。 機会があればまた来たい。 自然と一心寺が近かったので、婆ちゃんの墓参りに行く。全然来れてなかったからなー。 前回来たの10年前くらいちゃうか、という。全然、祖母の記憶がないんだけどね。 今度からちゃんと来よう。 また、歩き出して上町台地の坂を堪能する。 大阪市内は坂が少ない地形なので街中の坂は貴重。3つ4つほど上り下りする。 実際あったら、面倒だけど散歩としてはとても良い。 トータルして3時間近く街歩きして足が疲れた。 短めの靴下を履いていて靴擦れした。 もうそんな季節か。 ということで新垣結衣さん、お誕生日おめでとうございます。
6/12 バーガーを食べに行く。うまい。 結局、歩いて戻ってしまう。 スーパーでパイナップルを買う。パイナップルってなんであんなおいしいんだろうな。 好きな果物は?と問われた時には「パイナップル」と答えてるけど、いまいち共感を得ないんだよな。 梨のおいしさが逆にわからん。 パイナップルの良さといえば、お菓子とかジュースとかの加工品でもその感じがブレないところ。 果物によってはこれが?という味がある。果物の個体別にしても。 パイナップルにはそれがない。安定してる。果物公務員。 「安定した職業に就きなさい」と言われたらパイナップル農家になろうと思う。
6/13 ドラムの編集。といえば、かっこいいがいわゆる打ち込みというやつをする。 うんうん、いい感じ。プラグインのフリーのドラムもなかなかいいやん。 多分、こんな使い方しないって使い方をしてる。 かなり完成に近づいた。 息抜きに別の曲を作る。1時間ほどで骨格は出来上がる。 骨格があってないようなもんだけど。それがアンビエント。
6/14 ひさしぶりにアコギに弦を張る。弦を張るという作業が昔から苦手。 いつも、どっちにペグを回すんだっけ?となる。多分、今回は合ってる。 ただ、やり出したら無心でできるというのもある。 弦を張ってから録音。忘れてた。 このギター、めちゃくちゃ弦高が高いんだった。たまに別の人のギターを弾いて驚く。 こんなに弾きやすいのか、と。多分、弦高が高いギターしか弾いてきてない。 おかげで録音にちょっと苦労。 でも、やっぱ、アコギにしてよかったかも。 ということで、エレキで弾いていたギターは公式に別の曲に使える。加工はする。ジャムみたいだな。 他の曲も即興的に弾いてみる。弾き終わってから、かなり集中していたことに気づく。 ゾーンに入っているのかも。ギター弾くときの集中力ってすごいもんね。 上手ではないけど、独自性は獲得しつつあるのかなあ。それだといいんだけど。 キングオブコントの会を途中まで見る。キャンプでのシソンヌ じろうさんとさまぁ〜ず 大竹さんの掛け合いが良かったなー。 こんなに相性いいんだって思った。大竹さんの哀愁の表情が秀逸すぎた。 ダウンタウン 松本さん作のおめでとうはさすが、という印象。 「あの頃」のごっつを思い出してしまう感じ。演出が小松さんだからか。それを今のメンツでされていた。 ちょっとチョコプラ感も感じたけど、逆なのか。チョコプラがっぽいのか。
6/15 この日記をまとめて書く。 日記を書くということがいかに大事かまた痛感する。 よりニュアンスを伝えるために書くならば、「ツッゥー!」(痛)だ。 そのくらい大事。がん保険くらい大事。めちゃめちゃ大事。 大事MANブラザーズバンドも「逃げ出さないこと 日記を書くこと」と歌っていた気がする。 とりあえず、1曲当てて、その20年後くらいにその曲に年号つけて再リリースしたい。 作業の日々。あらゆるものが形になってきつつある。 大豆田とわ子と三人の元夫の最終回を見る。最高最高最高でした。 このドラマを超えるものってもう出てこないんじゃないか、っていうくらいに。 ドラマを作る側の人間だったらもう圧倒的敗北感に苛まれて辞めちゃうんじゃないか。 役者の「声」というものがやっぱり重要。なんだろうね。 これは自分の中の研究テーマのひとつなんだよな。 役所に行って、珍しい名字の人に会った。 こんなにかわいい名字あるんだ。 鈴木福くんと芦田愛菜ちゃんが歌ってあれが名字。
6/16 引き続き役所。自分がやってる音楽について説明するのはいっつも「ぽかーん」とされるから面倒。 聞くわりに食いつかないし、ぽかーんとされるだけでなんか嫌な気持ちになるからやめたい。 当たり障りのない、思ってたような感じになり終了。 おかげで疲れてしまった。嫌だなあ。こういうのを避けたいんだよな。
6/17 作業したり買い物したり。事務作業をぽつぽつ。 プラグインを買ったりした。これでギターの録音が割と充実するはず。 徐々にプラグインとかが増えてきた。 寝ようと横になっているときに架空の会社名を考えて思いついた。 架空の組織図なんかも作ったりしている。
6/18 たまった洗い物をする。キムチはおいしいんだけど、汚れがすごよいね。 韓国料理とか中華料理を主に食べている方ってどういう洗い方してるんだろう。 キムチとチャーシューを食べるのがめっちゃおいしくてこれはビール飲みたくなるなっていうさすがに気持ちがわかる。 ビール飲める方だったら最高だよな、これ。 100分de名著の三島由紀夫の金閣寺が興味深かった。 三島の最後の自決のwikiを見ていたら、やっぱ空虚だなって思った。 全然、「美」じゃないなって。死をかけて訴えたことが野次でほとんど聞こえなかったって厳しすぎるでしょ。 拡声器とかを使わなかったからというものあるかもしれないけど。 介錯もスっといってないみたいでよりつらいな、と。 父はリアルタイムで知ってるはずだし、今度聞いてみよう。 その流れで調べてた三島の映画がきっかけで井浦新さんがエンドロールにアルファベットが並ぶのはどうか、という思いからから本名に改名したのにエンドロールのBGMが洋楽で驚いたっていう話にめちゃくちゃ笑った。 そんなことある? しかも大監督の映画なのに。空虚だな〜。笑
6/19 ちょっと手直しとか。なんとか。 音のバランス決めるのに時間がかかった。 というか一部だけソフトが言うことを聞いてくれなくてこまった。 操作方法が間違ってるのかなと、別のトラックで同様の作業をしたらすんなり。 なぜか、ピンポイントでだめで大きく時間をロスした。
6/20 やっと、マントッツォなるものを食べる。いろんなバリエーションがありそう。 まっちゃんねる、すごかったー。笑った。 昨日してた作業を再び。やり直し。良い感じかも。
6/21 朝から役所へ。すんなり終わって買い物へ。 いろいろ買って帰る。飯作り第一弾。 一旦、終えて今日から始まった好きな冷やしラーメンを食べに行く。 冷やしいりこそば、絶品でした。おいしい。冷やしはすごいよね。 帰ってきてラジオを聴きながら飯作りに没頭。 オードリーのANN、クミさん最高でした。本当に素敵な方だなー。 テレビ千鳥の一周だけバイキングがおもしろすぎた! ギャラクシー賞、取ってほしい。 バイキングであんなにおもしろくなるなんてなー。 企画の発想がすごい。 バイキングに行きたくなった!
6/22 曲の調整が終わり。EPの作曲部分が終了。 一応、予定通りに間に合った。 意外と調整の時間がかかった。 で、から、ジャケットとか視覚的なデザイン作業。 だいたい、頭で組み立ててたものを出すだけだったから割とすぐにできた。よかった。 漠然としていたコンセプトを書き出す。 項目は決めてるけれど、やっぱり書き出すと長くなる。
6/23 ひたすら、ミックスとかマスタリング的な作業。 10こくらい作ってようやくこれでいいかもというのができる。 1番最初のものと比べると段違い。 長い時間かけてよかった。 冷やしすだちそばを食べる。 すだちと冷やしが相性抜群。うまい。 冷やしの場合ってけっこう塩が多めでも良いのかな。 また、ちょっと冷やしの研究しないとな。
6/24 書類を準備したり、あれこれ。 文章を書こうとするも思いつかなくて困った。 が、なんとか思いついて書く。書けた。 6/25 talk talkという曲を出しました。
6/26 体がだるおも…。ぐったりして遅れて前職の方々と会う。楽しく話した。 その後、役所。うーん、無駄な時間だった。あれであれか〜。って思っちゃった。
6/27 うどんを食べに行く。めちゃくちゃうまかった。が、これがのちに響いた。帰ってきて寝てしまった。頭痛も招いた気がする。 さらにかき氷を食べた。
6/28 夏の終わりのためのEPが完成。 めちゃくちゃ売れてほしい。 bandcampのアーティストガイドがいつの間にか変わっていた。うう、これはつらいことになったな。 買い物をいろいろして、今週はこれでかなり持ちそうだ。
6/29 少し止まっていた作業を再開。 うーん、微妙に進んだり進まなかったり。 変な時間に寝ちゃって寝るまでに時間がかかった。 しかし、そのおかげで新たな作品の構想を思いつく。少ない音数のミニアルバムにしたいな。
6/30 どうしようか作業に悩む。 とりあえず、一旦、おしまいにして後の作業でいい方向にもっていけるようにする。 とんかつはうまいね。
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kyoukoku77 · 1 year
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#おめでとうございます 素晴らしい天候でスタートできました。 #平屋 の#伴工務店#地中熱利用で快適な暮らし#写真の好きな人と繋がりたい #地鎮祭 #豊橋市 #神事用の左縄 #二本撚り #豊橋地中熱で検索 https://www.instagram.com/p/CnazuazPxF7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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koch-snowflake-blog · 3 months
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア
出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
公式サイト: プロフィール
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については制限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレビドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍できるのは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。
  
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xf-2 · 4 years
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第二次世界大戦で奇跡の生還を遂げ「戦艦大和の語り部」として講演活動などをしてきた八杉康夫氏が1月11日広島県福山市内で死去した。92歳。誤嚥性肺炎だった。
 著書『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(2005年 ワック)は筆者の手になる聞き書きである。その生涯と言葉を振り返りたい。
八杉氏は福山市の豆腐店に生まれた。1943年、「街を颯爽と歩く水兵さんにあこがれて」15歳で海軍に志願。秀才の集まる横須賀砲術学校を2番で卒業。17歳で憧れの大和乗務員に抜擢された。
 担当は艦橋最上部での敵機の偵察。「司令官ら偉い人たちの居る場で狭い階段で最敬礼の連続でした」。
 敗色濃厚となった1945年4月7日、「天一号作戦」と呼ばれる沖縄海上特攻に呉港から出撃する。「温存されていた大和を使わないまま敗戦になれば国民の批判を受けることを軍部は恐れたのです。燃料は片道分と言われましたがそれは嘘で、十分に積んでいたはずです」
 乗り込む前夜、母まきゑさんと呉市の旅館で食事をし、当日は港近くまで送られた。「『長い間ありがとうございました』と敬礼し踵を返すと『あんた、元気でな』と言われましたが振り返りませんでした。これで会えないと覚悟していました」。
壮絶な少尉の割腹自殺と救助を拒否した高射長
 隠密行動のはずだったが米偵察機マーチンがさっと上空をかすめた。「すぐに察知されていたんですね」。いよいよ、敵機は近い。
「艦橋最上部で5メートルもあるニコン自慢の測距儀のレンズを覗くと米機の編隊で真っ黒だった。自慢の45センチ(内径)の主砲を撃つタイミングを今か今かと測っていると編隊はさっと雲上に消えたのです。真上から攻撃された大和は高射砲で応じましたが300機以上の米機はまるで雲霞(ウンカ)の大群。魚雷、250キロ爆弾などが次々と命中し為すすべもありません。大和は結局、主砲は一発も撃てませんでした」。当時、日本のレーダーはお粗末で基本は目視だが、運悪くこの日は空一面に雲が広がっていた。
 ちぎれた手足や首が転がり甲板は血の海。地獄絵図の中、八杉少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。可愛がってくれた保本政一少尉が傾く甲板で軍服をはだけ、持っていた短刀で割腹自殺したのだ。「血がホースの水のように吹き出し、少尉は倒れました。私は震えて立ち尽くしました。前夜、褌をアイロンして届けると『ありがとう、明日は頑張れよ』と言われました。彼が秘密の上陸を母に密かに知らせてくれたから母に会えたのです」
 八杉少年は横転した大和の艦橋が海面に接する直前に海に飛び込むが大和が沈没し大渦に巻き込まれる。「洗濯機に放り込まれたように水中をぐるぐる回り、人にバンバン当たりました。息ができず苦しくてもう駄目だと思った時、水中がバアーッと黄色く光ったのです」。弾薬庫に引火した大和が水中で大爆発した。その勢いで運よくぽっかりと水面に浮かんだ。
 空を見上げるとアルミ箔のようにきらきらと光っていた。「きれいだなと思っていたらそれが落ちてきました。砕け散った大和の鉄片だったのです。近くで漂っていた人は頭を真っ二つに裂かれました」。重油の海で力尽きた仲間が次々と沈んでいった。
 沈みかけて思わず「助けてー」と叫ぶと偶然近くを漂っていた川崎(勝己)高射長が「そうれ」と丸太を渡してくれた。「自慢の髭は油まみれでオットセイのようでした。『お前は若いのだから頑張って生きろ』と大和が沈んだ方向へ泳いで消えました。私は高射長、高射長と叫び続けました、川崎さんは救助を拒み、大和が沈められた責任をお取りになったのです」。
 4時間の漂流の末、八杉少年は駆逐艦、「雪風」に救助された。「赤玉ポートワインを飲まされ重油をゲーゲーと吐きました。引き揚げてくれた若い男は『お前、よかったなあ』と泣きながら私の顔を叩いていました」
 雪風が到着した佐世保は一面、桜満開の快晴だった。「『畜生、これが昨日だったら』と全員が男泣きしました」。40キロ以上飛翔する主砲弾が編隊の中で炸裂すれば米軍機10機くらいは一度に落とせたはずだった。
広島では自爆攻撃訓練
 大和の沈没は国家機密。生還者は佐世保にしばらく幽閉された。そして広島へ戻り、母にも再会できたが山中で米軍撃退の「肉薄攻撃」と呼ばれる「自爆攻撃」の訓練に明け暮れた。「棒の先の爆弾を戦車に踏ませるんです。部下は銃の扱いも知らない頼りない兵隊ばかりでした」。
 ある朝、空が光ったかと思うとものすごい風が吹いてきた。原爆だった。すぐに広島市内の現地調査を命じられた。水を求める少年に「後でやるからな」と去った。「水を与えるな」が命令だった。「人生、あれだけは心残りです」。
 音楽の才能の豊かだった八杉氏は戦後、NHKラジオの『のど自慢』のアコーディオン伴奏なども担当した。神戸で修業し、ピアノの調律師として生きたが、被ばくが原因で階段も上がれないような疲労に襲われることもあった。結婚もしたがすぐに離婚された。ヤマハの技師長にまで出世したが、退社後は楽器工房を営んだ。
みつかった戦艦大和
 1980年代に「大和探し」が始まった。調査三回目の1982年5月、指南役になり鹿児島県坊ノ岬沖に沈む大和をNHKスタッフらと探し当てた。戦後長く沈没位置は徳之島沖とされていた。「大和はそこまで到達しないうちに沈んだ。おかしい、という説はありましたが、毎年、徳之島で慰霊祭をやってきた地元出身の有力代議士の力でそのままになっていたんです」。
「潜水カメラの影響でしゃれこうべ(頭蓋骨)が浮かび上がって一回転し、スーッと沈んでいった時は船上の全員が涙を流しました。実は自衛隊の対潜哨戒機が上空から場所を教えてくれたんです」。その後、日本船舶振興会の笹川良一氏などが大和を引き揚げようという計画を立ち上げたが八杉氏は「仲間はあそこで静かに眠らせたい」と反対した。
名作『戦艦大和ノ最期』の嘘を著者に認めさせる
 朗らかな人柄だが事実には厳しかった。名著とされた吉田満の『戦艦大和ノ最期』には救助艇の「初霜」について海面から兵隊が這い上がると艇が沈むため、「ここに総指揮および乗り組み下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇(ひし)めく腕を手首よりバッサバッサと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落す」とある。
 だが八杉氏は「初霜は内火艇と言って羅針盤の磁気に影響するため乗る時は軍刀を持ち込めない。そもそもそんなことする必要もない。艇にはロープが多く積まれ、引き揚げなくてもロープにつかまらせて引っ張ればいい。それにそんな事実があれば幽閉されていた佐世保では『ひどい奴だ』とその話題で持ちきりになったはず。そんな話題は全くなかった」。
 筆者は子供の頃、『戦艦大和ノ最期』を読み、這い上がる兵隊の手首を斬り落としたという場面は衝撃的で鮮明に覚えている。八杉氏に会ってそれが嘘と知り、少しほっとしたが迷惑千万だったのは書かれた当人だ。実名は出していないが旧海軍関係者にはすぐに誰かわかる。兵隊の腕を切り蹴り落としたとされた初霜の総指揮は松井一彦中尉。戦後、東京で弁護士をしている松井氏に筆者も会い取材したこともある。松井氏は訴訟も検討したそうだが吉田氏は五十代で早逝した。
 作品では大和艦上で兵隊たちが議論していた時、臼淵磐大尉が「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(中略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」と演説している。この「名言」に八杉氏は鋭く疑問を呈した。「戦後民主主義教育を受けなくてはあり得ない。あの時は全員が『見ておれ、アメ公め』と燃えていたんです。敗れた自分たちが愚かだった、反省して国を再建しよう、なんて発想が出るはずもない」と。
 吉田満氏は東京帝大出身。大和には電測士として乗り込み、九死に一生を得た。「頭のいい吉田さんは鬼畜米英から戦後民主主義にさっと切り替えて、あたかも大和の乗組員が話したかのようにしたのでしょう」。八杉氏が吉田氏に会って問い糺すと相手はフィクションと認めた。「フィクションならどうして実名で書くんですか」と畳み掛けると黙ってしまったという。『戦艦大和ノ最期』は三島由紀夫、河上徹太郎、小林秀雄ら当代一流の文壇人が「ノンフィクションの最高傑作」とこぞって絶賛した。若い吉田氏は「あれは作り事でした」とは言えなかったのだろう。だが名作の影響は大きい。「徳之島」も吉田氏の著作が根拠だった。
 八杉氏は後年、『男たちの大和』の作家辺見じゅんにも「それは嘘です。そうお書きになるなら小説になさい」などと厳しく指摘した。
 2005年に『男たちの大和』が角川映画になった際は、反町隆史ら出演俳優らに、高射砲の撃ち方などを実技指導した。その時は「娯楽映画だから主砲をぶっ放したのは仕方がないかな』と笑っていた。
 感動的な講演を続け、川崎高射長の場面では必ずしゃくりあげた。一年半前、久しぶりに福山市内の施設で会った時は認知症も進み、いつも「粟野先生」と呼んでくれていたダンディな八杉氏が筆者が誰か判別も付かずショックを受けた。
「敗戦の象徴」の生き証人はいつもこう訴えた。「平和は向こうから歩いてはこない。自ら掴み取るのです」。
粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。
週刊新潮WEB取材班編集
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tak4hir0 · 4 years
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活況を呈していたベンチャー投資市場は、コロナショックによって一変。明暗がくっきり分かれている。 例えば観光・レジャーなど「人の移動」に関わるようなベンチャー企業は大苦戦。その一方で「非接触」「非対面」へのニーズが急上昇している。再生可能エネルギー関連や暗号資産などの金融テクノロジーにも元気な企業が多い。 本特集では、ウィズコロナ、アフターコロナ時代に飛躍するベンチャー企業を厳選。「昨年までのベンチャー100特集に選ばれていない」という条件をクリアしている企業だけを掲載しており、ニューフェイスばかりだ。 「社名」をクリックすると個別企業のページにジャンプします。「代表者」については、複数いる場合には1名のみを記載。「代表者」「資本金」「社員数」などの項目は、いずれも7月下旬の取材・執筆時点のデータ。   巨額調達 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 1 VPP Japan 送電線網を介さない太陽光発電所を運営 秋田 智一 2017年6月 8800万円 10名 2 APB 次世代型リチウムイオン電池を開発 堀江 英明 2018年10月 1億円 54名 3 ベルフェイス 営業に特化したウェブ会議システム 中島 一明 2015年4月 4億6万円 282名 4 Paidy 後払いできるオンライン決済サービス 杉江 陸 2008年3月 27億3016万円 130名 5 AnyMind Group ネット広告を柱に多彩なデジタルマーケティング 十河 宏輔 2016年4月 3684万円 750名 6 ヘイ ネット通販と決済の構築を簡単に 佐藤 裕介 2012年3月 1億円 200名 7 Ubie 「AI問診」で医療現場を効率化 阿部 吉倫 2017年5月 14億1500万円 51名 8 モジュラス 最先端の計算科学を駆使して創薬 木村 俊 2016年8月 1億円 11名 ユニコーン # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 9 リキッドグループ ビットコインなどの交換所を運営 栢森 加里矢 2014年5月 12億7000万円 135名 10 TRIPLE-1 暗号資産採掘用の半導体を開発 山口 拓也 2016年11月 18億3194万円 35名 連続起業家・元社長 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 11 LayerX 「重い産業」のデジタル化を主導 福島 良典 2018年8月 15億5480万円 28名 12 カンカク 完全キャッシュレスのテックカフェ 松本 龍祐 2019年6月 1億989万円 10名 13 NOT A HOTEL 宿泊に関わるオペレーションを自動化 濵渦 伸次 2020年4月 5億234万円 2名 14 アルプ サブスク収益最大化を支援 伊藤 浩樹 2018年8月 1000万円 16名 15 MOON-X 日本のものづくりを支援 長谷川 晋 2019年8月 1億円 4名 大学発 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 16 ACES 画像認識AIで人間の動きを解析 田村 浩一郎 2017年11月 1848万円 11名 17 Heartseed 「心筋球」で移植に代わる心不全治療 福田 恵一 2015年11月 9822万円 30名 18 エレファンテック プリント基板を独自技術で製造 清水 信哉 2014年1月 3億1000万円 42名 19 Integral Geometry Science 外から見えないものをマイクロ波で画像化 木村 憲明 2012年4月 5億5360万円 11名 20 Craif 高精度ながん検査を提供 小野瀨 隆一 2018年5月 1億円 13名 21 AutoPhasyGo オートファジーで老化を防ぐ 石堂 美和子 2019年6月 5250万円 1名 22 リージョナルフィッシュ 魚の品種改良を超高速化 梅川 忠典 2019年4月 8460万円 12名 23 KAICO 特殊なタンパク質を生成 大和 建太 2018年4月 1億7500万円 3名 広告・マーケティング # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 24 サイカ テレビ・ネット広告効果分析システム 平尾 喜昭 2012年2月 4億7000万円 53名 25 ビズパ オフライン広告の検索・発注サービス 石井 俊之 2018年12月 3000万円 6名 26 unerry 位置情報とAIで人の流れを可視化 内山 英俊 2015年8月 1億4310万円 21名 業務支援 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 27 RevComm 音声認識AI搭載のクラウド電話 會田 武史 2017年7月 4億8852万円 57名 28 Wovn Tecnologies ウェブサイトやアプリを多言語化 林 鷹治 2014年3月 1億円 88名 29 UsideU 分身を使った遠隔接客ツール 高岡 淳二 2017年6月 100万円 2名 30 テックタッチ 操作ガイドを簡単に作れる 井無田 仲 2018年3月 3億1500万円 23名 31 エピックベース 音声文字起こしをAIで自動化 松田 崇義 2020年1月 50万円 2名 32 KOSKA 製造業向けの原価管理自動化サービス 曽根 健一朗 2018年10月 1億2500万円 15名 33 Leaner Technologies 無駄な間接費の削減に貢献 大平 裕介 2019年2月 1億8017万円 5名 34 A1A 製造業の調達を支援 松原 脩平 2018年6月 1億7965万円 12名 35 Miletos 不正な経費利用をAIで検知 朝賀 拓視 2016年6月 120万円 7名 36 イエソド SaaSを一元管理 竹内 秀行 2018年9月 1785万円 8名 37 EdLog 先生の採点業務を支援 中川 哲 2017年11月 300万円 1名 人事 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 38 LAPRAS AIを活用したヘッドハンティング 島田 寛基 2016年5月 1000万円 27名 39 POL 理系に特化したスカウト 加茂 倫明 2016年9月 1億円 48名 40 HERP 現場主導の採用システム 庄田 一郎 2017年3月 1億円 25名 41 HRBrain 目標設定や評価を効率化 堀 浩輝 2016年3月 1億円 68名 42 スタジアム ウェブ面接システム 太田 靖宏 2012年8月 5億1566万円 193名 43 JOINS 副業人材をマッチング 猪尾 愛隆 2017年6月 2333万円 0名 住まい・暮らし # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 44 KabuK Style 定額制の宿泊サービス 大瀬良 亮 2018年2月 3億400万円 75名 45 WAKUWAKU リノベーション業者にノウハウを提供 鎌田 友和 2013年6月 1億9308万円 94名 46 Zehitomo 専門サービスを適正価格で ジョーダン フィッシャー 2015年8月 3億8700万円 35名 47 サマリー スマホで管理できる収納サービス 山本 憲資 2010年4月 1億円 19名 48 ビットキー 暗号化技術を駆使した電子カギ 江尻 祐樹 2018年5月 4億546万円 162名 49 インフォメティス 家電製品ごとの消費電力をAIで推定 只野 太郎 2013年4月 1000万円 48名 50 RABO 首輪で猫の行動を24時間見守り 伊豫 愉芸子 2018年2月 9025万円 7名 51 ストロボライト 園芸メディアと庭リノベが柱 石塚 秀彦 2012年7月 4億3771万円 37名 小売り・飲食 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 52 ClipLine 従業員教育を短尺動画に 高橋 勇人 2013年7月 1億円 52名 53 AWL 小売店向けAIカメラの開発 北出 宗治 2016年6月 2億3975万円 66名 54 セーフィー クラウドで録画する防犯カメラ 佐渡島 隆平 2014年10月 1億円 130名 55 Mellow フードトラックのマッチング 森口 拓也 2016年2月 4億504万円 31名 56 シン 個人店が軸の出前サービス 大見 周平 2019年6月 500万円 18名 57 スナックミー 好みのおやつをAIが選定 服部 慎太郎 2015年9月 5000万円 17名 58 GINKAN ブロックチェーンを使ったグルメSNS 神谷 知愛 2015年12月 1億9928万円 14名 フリマ・通販 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 59 ジラフ トレーディングカード専門のフリマ運営 麻生 輝明 2014年10月 2億6250万円 41名 60 モノカブ スニーカー特化のネット売買市場 濱田 航平 2018年12月 1億4009万円 11名 61 モデラート 月額制でスタイリングを提案 市原 明日香 2014年12月 1億3765万円 10名 62 picki 個人のブランド立ち上げ支援 鈴木 昭広 2017年5月 3400万円 7名 63 Sparty シャンプーをカスタマイズ 深山 陽介 2017年7月 1億円 21名 物流 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 64 Rapyuta Robotics 複数のロボットを協調制御 ガジャン モーハナラージャー 2014年7月 2億7496万円 71名 65 KURANDO 倉庫内業務を安価に効率化 岡澤 一弘 2019年7月 350万円 2名 66 ダブルフロンティア 地域密着で買い物代行 八木橋 裕 2013年4月 1億6700万円 8名 67 Azoop トラックの中古売買サイト 朴 貴頌 2017年5月 3000万円 24名 68 アイディア 船舶管制システムの開発・運用 下川部 知洋 2017年11月 1億9302万円 20名 エンタメ # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 69 Mantra 漫画に特化した機械翻訳サービス 石渡 祥之佑 2020年1月 100万円 4名 70 わたしは ユーモアを操るAIで広告提案へ 竹之内 大輔 2016年4月 5100万円 6名 71 クラスター イベントなどの仮想空間を提供 加藤 直人 2015年7月 1億円 38名 72 playground スポーツなどの電子チケットから拡張 伊藤 圭史 2017年6月 5100万円 26名 73 THECOO 芸能人とファンの交流を活性化 平良 真人 2014年1月 5億3000万円 69名 74 オシロ 月額課金のファンコミュニティーを構築 杉山 博一 2017年1月 8485万円 12名 デバイス # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 75 BONX 距離無制限の次世代トランシーバー 宮坂 貴大 2014年11月 2億5000万円 22名 76 アロマビット においを可視化できるセンサー 黒木 俊一郎 2014年2月 5億8500万円 20名 77 INFORICH スマホ充電器のレンタルサービス 秋山 広宣 2015年9月 1億6988万円 37名 データ・セキュリティー # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 78 LeapMind 端末側で深層学習ができる技術を開発 松田 総一 2012年12月 25億8700万円 85名 79 エイシング エッジAIで製造業を効率化 出澤 純一 2016年12月 1億円 16名 80 ココン セキュリティーの脆弱性を診断 倉富 佑也 2013年2月 8354万円 250名 81 Ninjastars ゲームの不正対策 森島 健斗 2018年7月 3300万円 3名 82 TRUSTDOCK 決済時の本人確認を代行 千葉 孝浩 2017年11月 1億円 15名 83 DataSign 個人データ管理ツールを提供 太田 祐一 2016年9月 8600万円 15名 84 Synspective 地方面を観察する小型人工衛星を開発 新井 元行 2018年2月 1億円 80名 医療・介護 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 85 AIメディカルサービス 内視鏡の画像診断を支援するAI開発 多田 智裕 2017年9月 1億円 51名 86 テンクー 遺伝子解析データを基に医師支援 西村 邦裕 2011年4月 1000万円 30名 87 リーズンホワイ セカンドオピニオンをネットで提供 塩飽 哲生 2011年7月 9880万円 25名 88 Buzzreach 製薬会社と治験被験者のマッチング 猪川 崇輝 2017年6月 1億6480万円 18名 89 DentaLight 歯科医院向けのIT開発 藤久保 元希 2013年10月 2810万円 20名 90 イノフィス 人工筋肉で作業負担を軽減するスーツ 折原 大吾 2013年12月 24億8120万円 33名 91 ウェルモ AIがケア事例を提示 ⿅野 佑介 2013年4月 3億円 146名 92 ファミワン 妊活を専門家がサポート 石川 勇介 2015年6月 7773万円 5名 行政 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 93 xID 無料の電子契約とデジタルID 日下 光 2012年5月 6320万円 17名 94 one visa 外国人労働者のビザ申請支援 岡村 アルベルト 2015年9月 2億5699万円 20名 95 WiseVine 予算書をデータベース化 吉本 翔生 2018年3月 1億4880万円 4名 金融 # 社名 特色 代表者 設立年月 資本金 社員数 96 justInCase 保険料を「わりかん」するがん保険 畑 加寿也 2016年12月 1億9562万円 26名 97 エメラダ オンライン資金繰り管理 澤村 帝我 2016年6月 1億円 19名 98 Basset 暗号資産の分析・監視ツール 竹井 悠人 2019年7月 200万円 6名 99 TORANOTEC 買い物のおつりを投資へ ジャスティン バロック 2016年8月 16億4396万円 38名 100 日本資産運用基盤グループ 地方銀行に資産運用をアドバイス 大原 啓一 2018年5月 1000万円 10名   週刊東洋経済 2020年8/22号 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。 この号の目次ページを見る プラス会員(有料)にお申し込みいただくと 下記のサービスがご利用いただけます。 『週刊東洋経済』の最新号を先読みできる 1000冊以上の豊富なアーカイブを読める 雑誌誌面のイメージでも記事を読める 限定セミナーにご招待
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myonbl · 4 years
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2020年4月21日(火)
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2週間ぶりに出勤、東寺前を通過。前回は塀越しに桜の花が見えていたが、いまはすっかり新緑である。国道も高速も、若干交通量は少なめか。職場からは必要な資料を持ち出してすぐに退散、滞在時間は30分。短時間とは言え、必要至急の行動だったのだ。
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今朝の朝食、やはり雑炊+ヨーグルト+豆乳。
三男は24時間勤務、ツレアイは通常、次男は休み。
可燃ゴミ、45L*3&30L*1、大量の資料類を廃棄。
洗濯1回。
2週の授業を終えたところで、初年次教育では新入生の出欠状況をチェックして学部長・学科長へ報告する。私の担当分の結果を、教養教育センター長(sampe兄)に報告。それを受けて、食物栄養学科長から課題未提出の学生向けのメッセージを配信していただいた。それが効いたのか、学生数名から締切を大分過ぎての提出があった。
火曜日は「スタディスキルズ(看護学科)」、今日から「クラスプロファイル」機能を利用しての課題提示・提出方法に切り替えた。ペアのO姉は「学生との繋がりが見えにくくなる」と反対の声、ま、ボチボチ慣れれてメリットを活かす方向で検討したい。
内容は、「大学と学部を理解する」。大学の創設と建学の精神、学部の創設と学部長・学科長は誰か。何しろ、ほとんどキャンパス配置も分からぬ学生ばかりなので、自分の大学がどんなところか、ゆっ��りと理解していただきたい。
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次男のランチは、レタス炒飯。私は、冷蔵庫の残り物掃除。
断続的に、学生からの問合せや提出物のチェック。
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<note>に始めた連載「私と落語」、第4回は五代目桂文枝を予定。書棚から自伝である『あんけら荘夜話』を取り出してパラパラ、結構忘れていることが多くてグイグイ引き込まれてしまう。
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クロネコヤマトが時間指定配達2件、先日見た米朝事務所のYouTube に登場した米團治のカレー、南光一押しのど飴追加分。
IM嬢と夕飯の準備についてメッセンジャーであれこれ、自宅学習期間は家族の夕飯を用意しているとのこと、健気な娘ぢゃ。
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まずは次男の夕飯、昆布締めポークソテー。
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ツレアイもそこそこの時間に帰宅、毎晩のように新タマネギをいただく。
録画番組視聴。サラメシ シーズン10(3)
飲食店の出前に同行し、みなさんが出前を頼むそれぞれの事情とランチに迫る突撃企画、出前メシ!今回は東京・池袋駅近くのそば屋から、お寺、予備校、化粧品販売会社などにおじゃまする。▽大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の収録現場を芸能考証・指導担当として支える友吉鶴心さん。薩摩琵琶の第一人者としても活躍する友吉さんのパワーの源は甘いもの。大河ドラマ収録の合間のランチで好物の大福を味わう至福の時間を拝見する
にっぽんの芸能「太郎冠者が大集合!?彩り豊かな狂言の世界」
流派や家を超えて集まった狂言師たちが、互いの芸を競い合う「立合狂言会」に注目。大の狂言ファンである落語家の桂吉坊さんをゲストに、太郎冠者が活躍する名作の数々を楽しむ。【演目(一部ダイジェスト)】「千鳥」(茂山忠三郎)、「舟ふな」(鹿島俊裕)、「口真似」(山本凜太郎)、「清水」(善竹大二郎)、「不見不聞」(野口隆行)、「文荷」(茂山千五郎)【ゲスト】桂吉坊【司会】高橋英樹・中條誠子アナウンサー
4月から司会陣変更、高橋英樹、顔がでかい!
久しぶりの散髪+入浴。
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ほとんどデスクワークの毎日、もう少し体を動かす工夫をせねば。
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h-m-ban · 4 years
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#四角 い #シンプルモダン な住まい、外構も完成しました。 #アメリカン なフェンスの雰囲気がカッコいいじゃん! 施工写真などこちらから @h.m.ban #健康に暮らす住まい #健康に暮らす家 #男前インテリア #塩系インテリア #ノームコア #ブルックリンスタイル #吹抜け #気持ちのいい家 #白い壁の家 #モデルハウス #無垢フローリング #マイホーム #マイホーム計画 #豊川 #豊橋工務店 #岡崎 #蒲郡 #新城 #田原 #湖西 #浜松 #豊橋 https://www.instagram.com/p/CDsRQPvgAOt/?igshid=1alqx14jpeuev
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分��空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、��わりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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