建築家の磯崎新さんが28日に老衰の為91歳でお亡くなりになったというニュースを見ました。 最初に就職した設計事務所に勤めていた1997年、研修で2週間程東京に滞在させて頂いた事があり、その中休みに伺った東京オペラシティービル内のICCで開催された展覧会「海市」のパンフレット。 磯崎新さんがこの監修をされていて、ちょうどトークイベントもあったのでミーハーな気持ちで本人を見に行ったような気がしますが、全く記憶にありません。💦💦💦 当時はデジカメ持ってませんしスマートフォンも無かったので、フィルムカメラしか無く父のカメラを持って行ってました。 ペンタックスのPC35AF DATEというコンパクトカメラです。 今も動くかどうか分かりませんが、我が家に有ります。 ふと思い出してそのフィルムをiPadでKODAKのアプリ使って読み込んで見たら隣の新国立劇場との間の通路の写真を撮ってるのが有りましたが、見事に指が被っていてとても残念な写真になってます。 最初のお話とは全く関係ない思い出話ですが、25年前の事を今更思い出してみました。 。。。そんな事より年賀状が進まない。(笑) #ICC #磯崎新 #海市 #東京オペラシティービル #思い出 #フィルムカメラ #1997 #pc35afdate https://www.instagram.com/p/CmyznCOvuRP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
3 notes
·
View notes
📸奈義町現代美術館“奈義の龍安寺” / “Nagi's Ryoanji”, Nagi Museum Of Contemporary Art, Okayama ——プリツカー賞受賞の世界的建築家 #磯崎新 が3人の現代アーティストと共に作り上げた現代美術館… 360度で体験する京都の世界遺産『龍安寺の石庭』は荒川修作+マドリン・ギンズ作の“奈義の龍安寺”。 . 岡山・奈義町現代美術館“奈義の龍安寺”の紹介は☟ https://oniwa.garden/nagi-ryoanji-%e5%a5%88%e7%be%a9%e3%81%ae%e9%be%8d%e5%ae%89%e5%af%ba/ . . . . . . 今朝は色んな訃報が。ペレ🇧🇷、Vivienne Westwood🇬🇧、そして磯崎新さん…ご冥福をお祈りいたします。 ヴィヴィアンの服は一着しか残してなかったけど、サッカーファンとしても寂しい、そして磯崎新さんの建築も色んな場所で見に訪れました。大分、福岡、山口YCAM、東京、水戸芸術館、多治見、飛騨神岡… . そのうち一つがこと奈義町現代美術館、通称NagiMOCA(ナギ・モカ)。M-1王者ウエストランドの地元で有名な津山から路線バスで40分。🚌 . NagiMOCAの特徴は、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子という3組のアーティストに、“他の美術館に収集されることが不可能な”巨大作品を依頼し、その作品そのものが美術館の空間となり、アーティストと磯崎新が共同で作り上げた、建築と作品が半永久的に一体となった美術館。 . 外観からも気になる円筒状の部屋に、荒川修作+マドリン・ギンズの作品・太陽≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫があります。東京・三鷹の『天命反転住宅』、岐阜の『養老天命反転地』ともう一つの代表的な作品がこちら。 . 円筒の中に、京都・龍安寺を模した石庭が向かい合って表現されている。でもあの直線的な枯山水が、決して真っ直ぐ向かい合ってるわけではない。身体のバランスを崩す、荒川修作+マドリン・ギンズの作風。 だったら寝転がって見てみよう――龍安寺の石庭を寝転がって真上から見るような、新しくて不思議な感覚。 . 龍安寺の石庭を、上から見たり後ろから見たり。生身の身体でVRをやってる感じ? いや今だったら確かにVRで出来てしまうかもしれないけれど、それを実作品にした荒川修作ハンパないって。 . 龍安寺をはじめとした枯山水庭園は、禅の精神はさておき(本当はさて置いちゃ駄目なんだけど)、世界的に“芸術・アート”として受け入れられている感じがする。 そんな人がこの作品と出会ったら間違いなく興奮するし1時間・2時間と眺めていられるのでは… . 磯崎さんと『庭園』はあまりイコールで繋がらないかもしれないけど、藤森照信さんとの著書『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談議』もとても面白いのです。📗 . NagiMOCAに関連したアーティストは岡崎和郎さんもこの夏に亡くなられているので、磯崎さん含め全員が鬼籍に。 お世辞にもアクセスが良いとは言えない美術館だけど、今後世界から人が訪れ後世に残されることを願いながら。 . 岡山・奈義町現代美術館“奈義の龍安寺”の紹介は☟ https://oniwa.garden/nagi-ryoanji-%e5%a5%88%e7%be%a9%e3%81%ae%e9%be%8d%e5%ae%89%e5%af%ba/ . 12月はちょっと更新が滞り気味だったけど今日明日で最後にもう一件ぐらい更新したい! - - - - - - #美術館 #現代美術館 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #japanmuseum #artmuseum #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #contemporaryart #現代アート #arataisozaki #isozakiarata #庭院 #庭园 #おにわさん (奈義町現代美術館) https://www.instagram.com/p/CmyVV4fvbfw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
4 notes
·
View notes
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったと���。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
5 notes
·
View notes
日本の文化は外部からの衝撃によって動かされているということです。インドから中国を経て入ってきた仏教や、ペリー来航、戦後の米国による占領などがその例です。日本は独自にイノベーションを起こすリソースを持ちません。その代わりに、外から物事を受け入れ、自分たちに合うように無限に洗練していくというわけです。
欧米人と日本人の考え方の違いと、日本を揺るがした「あの事件」の裏話─「ノエマ」編集長が語る日本 | 加藤周一や磯崎新の分析は当たっている | クーリエ・ジャポン
11 notes
·
View notes
斎藤さだむさん(左)・鵜沢隆さん(右)
磯崎新さん追悼シンポ 茨城・つくばで19日 建築家ら業績紹介
[茨城新聞]
2023-03-13
16 notes
·
View notes