Tumgik
#立平葺
tomiya-a · 2 years
Photo
Tumblr media
「斜光のガレージハウス」夕景外観 ・ 風景と光に向け斜めに配置された大きな窓を道路から見上げると迫力ある無垢材の梁表しの空間が透過します。 ハードな外観と優しいインテリアの対比が面白い見え方、設計中の模型でも検討したカットのイメージが形になっています。 ・ 素材はガルバリウム鋼板立平葺き、亜鉛メッキしたスチール、コンクリート打ち放しを組み合わせています。 ・ ガルバリウム鋼板はさざ波加工とすることで表面のペコつき感を抑えています。 ・ 写真 酒井広司 ・ その他のphoto→@yosuke_tomiya_design_office ・ #富谷洋介建築設計#一級建築士事務所#設計事務所#建築家#北海道#札幌#注文住宅#斜光のガレージハウス#梁あらわし#無垢梁 #ガルバリウム鋼板#ガルバリウム外壁#ガルバリウム#立平葺#さざ波 #建築模型#家づくり #マイホーム#architect#architecture#design (一級建築士事務所 富谷洋介建築設計) https://www.instagram.com/p/CgRyQqJvqTZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
3 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸目黒邸(旧目黒家住宅)庭園 / Meguro-tei Residence Garden, Uonuma, Niigata 新潟県魚沼市の国指定重要文化財『目黒邸』の庭園が素敵…! JR只見線・越後須原駅から徒歩3分…かつて会津の戦国大名・蘆名氏に仕えた武士→豪農の茅葺屋根が重厚なお屋敷&明治時代の近代和風建築と、魚沼地域では貴重な江戸時代の歴史的庭園。一帯は新潟県立の都市公園『須原公園』でもあります。 新潟・目黒邸庭園の紹介はこちら☟ https://oniwa.garden/megurotei-uonuma-niigata/ ...... 「目黒邸」はJR只見線・越後須原駅🚉から徒歩3分とすぐの場所にある豪農屋敷。 「旧目黒家住宅」として主屋/新座敷(橡亭)/中蔵/新蔵の4棟と屋敷地が国指定重要文化財で、江戸時代中〜後期に建築された主屋と近代に建築された橡亭とそれぞれから眺める池泉式の日本庭園も残ります。 . 2年半ぶりに新潟を訪れた2021年秋に初めて訪れました! この目黒邸もこの旅行で行きたい上位にあった場所――なんだけど、小島谷の『住雲園』と同じく頭を悩ませたのがアクセス。 . 駅から徒歩3分と書いたものの、肝心の只見線が1日4往復…。開館時間中は13時台の1本のみ。 小出〜越後須原間の路線バス🚌を組合せることで当地に取り残されることは避けられる(*平日のみ)けど、気軽に途中下車出来る場所ではないのは確か…。 .. 只見線、小出→会津若松と乗ったことはあったけど沿線の駅近にこんな場所があったとは〜。 また目黒邸のある一帯が新潟県立の『奥只見レクリェーション都市公園 須原公園』🌲として整備されているので、人はそこそこ居る。 . 元は会津国の戦国大名・蘆名氏に仕える武士だった目黒家。蘆名氏が伊達政宗🌙に敗れたのを機に目黒家も会津を離れ、1590年(天正18年)より旧会津街道沿いのこの越後・魚沼の地で帰農したと伝わります👩‍🌾 江戸時代に入ると慶長年間には15ヶ村の“肝煎役”をつとめ、以後江戸時代中期には糸魚川藩魚沼領の“割元庄屋”〜明治時代に入るまで大庄屋職をつとめました。 . 近代に入って以降も須原村の中心人物���して15代目当主・目黒徳松が新潟県議会議員〜衆議院議員を歴任、16代目・目黒孝平も衆議員議員となり、只見線🚃の開通や銀行🏦の設立、水力発電所の建設など地域の近代化を推進・尽力されました。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #魚沼 #uonuma #新潟旅行 #にいがた庭園街道 #国指定重要文化財 #重要文化財 #只見線 #越後須原 #おにわさん (目黒邸) https://www.instagram.com/p/CeTphL2Pisr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
356 notes · View notes
yamada50 · 1 year
Photo
Tumblr media
越中国一宮氣多神社 国重要文化財指定の御本殿 戦国時代永禄年間���1558~1570)の再建と云われる三間社流造柿葺一間向拝付きです 全体的にシンプルな造ですが木組みが大きく荘厳な風体を醸し出しています 元は越中国総社とされ越中が能登に合併し天平宝字元年(757年)再び越中が分離独立の際、氣多大社より勘定したのが創祀とされています #気多神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 気多神社(けたじんじゃ) 鎮座地:富山県高岡市伏木一宮1-10-1 主祭神:大己貴命、奴奈加波比売命 社格:式内名神大社 県社 巡拝:諸国一宮 #国指定重要文化財 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社建築#神社仏閣 #パワースポット #高岡市 #一宮巡り #延喜式内社 #式内社 #富山県 #神社巡拝家 (気多神社) https://www.instagram.com/p/CmcBq8vPuFp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
67 notes · View notes
lierrelearns · 11 months
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
[1]奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター Nara National Museum Buddhist Art Library
仏教を中心とする歴史と美術にかかわる学術資料の作成・収集・整理・保管・公開を目的に、昭和55年(1980)に博物館の一部門として設置され、平成元年(1989)より現在の建物にうつりました。
資料公開日: 毎週. 水曜日・金曜日 (国民の祝日・休日、12月26日から翌年1月4日までを除く 開館時間: 午前9時30分〜午後4時30分 (複写受付は午後4時まで) 公開している資料: 図書、雑誌、紀要、報告書、展覧会カタログ、両像資料等 サービス内容: 閲覧、複写、レファレンス
調査研究を目的とする利用者に対して資料を公開しています。利用を希望の方は左側のインターホンを押して係員をお呼び出して下さい (水曜日・金曜日の公開日のみ)。
[2]重要文化財 旧奈良県物産陳列所 昭和58年(1983)1月7日 指定 奈良市登大路町50番地1
この建物は明治35年(1902)に竣工し、同年奈良県物産陳列所として開館したもので、県下の殖産興業と物産の展示販売をおかなう施設として利用された。設計者は、帝国大学工科大学造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師として古社寺建造物修理に尽力した関野貞博士(1867-1935)である。 木造桟瓦葺で、小屋組や河辺などに西洋建築の技術とりいれつつ、外観は和風を基調とする。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、東西に切妻造の翼部を延ばし、端には宝形造の楼をおいている。関野は大学在学中より宇治の平等院鳳凰堂を研究しており、屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳凰堂に範をとったものと思われる。また蟇股などのなどの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建物の設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。その一方で窓にはイスラム風の意匠もみられる。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されている。 この建物は開館後、奈良県商品陳列所、奈良県商工館と名称を変え、昭和26(1951) に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)まで間のに奈良国立文化財研究所春日野宇舎として利用された。昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして活用されている。 平成23年7月 奈良国立博物館
Vocab 関わる (かかわる) to be concerned with, to have to do with 学術 (がくじゅつ) science, learning, scholarship 作成 (さくせい) making (a report, etc.) 収集 (しゅうしゅう) collection (of art, etc.) 整理 (せいり) sorting, organization 保管 (ほかん) charge, safekeeping, storage 公開 (こうかい) making available to the public, exhibiting 部門 (ぶもん) branch, division 元年 (がんねん) first year 祝日 (しゅくじつ) national holiday 翌年 (よくねん) following year 複写 (ふくしゃ) copying 図書 (としょ) books 紀要 (きよう) bulletin, memoirs 報告書 (ほうこくしょ) (written) report 物産 (ぶっさん)product 陳列 (ちんれつ)exhibition, display 登大路町 (のぼりおおじちょう)Noborioojichou 竣工 (しゅんこう)completion of construction 県下 (けんか)prefectural 殖産興業 (しょくさんこうぎょう)promotion of industry 設計者 (せっけいしゃ)designer 帝国大学 (ていこくだいがく)Imperial University (name of Tokyo University 1886-1897) 工科大学 (こうだいがく)engineering college 建築学 (けんちくがく)architecture 全身 (ぜんしん)previous existence, predecessor organization 出身 (しゅっしん)one’s origin (i.e. school) 史学者 (しがくしゃ)historian 技師 (ぎし)engineer, technician 古社寺 (こしゃじ)old shrines and temples 建造物 (けんぞうぶつ)structure, building 修理 (しゅうり)repair, mending 尽力 (じんりょく)efforts, exertion, services 関野貞 (せきの・ただし)Sekino Tadashi 木造 (もくぞう)wooden 桟瓦 (さんがわら)pantile 葺 (ぶき)roofing 小屋組 (こやぐみ)roof truss, room frame 河辺 (かわべ)riverside, riverbank 取り入れる (とりいれる)to adopt (e.g. an idea), borrow つつ while; even though 外観 (がいかん)exterior appearance 基調 (きちょう)basic theme, underlying tone 唐破風 (からはふ)karahafu, bow-shaped eaves of a gabled roof 車寄 (くるまよせ)carriage porch, entranceway 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya; building with a gabled, hipped roof 楼 (ろう)tower, tall building 切妻造 (きりづまづくり)gabled roof construction 端 (はし)end, tip, edge 宝形造 (ほうぎょうづくり)pyramidal roof 在学 (ざいがく)attending (school), enrolled 宇治 (うじ)Uji (city) 平等院 (びょうどういん)Byodo-in temple 鳳凰堂 (ほうおうどう)Pheonix Hall 左右対称 (さゆうたいしょう)bilateral symmetry 優美 (ゆうび)refinement, grace, elegance 範 (はん)example, model 蟇股 (かえるまた)curved wooden support on top of the main beam of a house (shape looks like a frog with open legs) 細部 (さいぶ)details, particulars 飛鳥時代 (あすかいじだい)Asuka period (550-710) 鎌倉時代 (かまくらじだい)Kamakura period (1185-1333) にかけて till, over (a period), through 建築様式 (けんちくようしき)architectural styles 設計 (せっけい)plan, design, layout における regarding 密接 (みっせつ)close (relationship, connection, etc.) うかがう to guess, infer, surmise 意匠 (いしょう)design 構造 (こうぞう)structure, construction 巧み (たくみ)craftmanship, design 評価 (ひょうか)appreciation, recognition 商工 (しょうこう)commerce and industry 移管 (いかん)transfer of control 国立文化財研究所 (こくりつぶんかざいけんきゅうしょ)National Research Institute of Cultural Properties 春日野 (かすがの)Kasugano 庁舎 (ちょうしゃ)government office building 国立博物館 (こくりつはくぶつかん)national museum 管理 (かんり)control, management
20 notes · View notes
kyoto4 · 1 year
Text
20230225  巨大こけし(東本願寺)
  1日だけはたらいて、また、休日。国公立大学の二次入学試験日。京大には恒例の折田先生像がたつ。天神さんの日。ロシアのウクライナ侵攻から1年、習近平がウクライナ訪問か、というさなか、東本願寺前に巨大こけしを見物にいってきた。  23日にたまたまクルマで前を通って「なんじゃこりゃ」と感心したのだけど、2人組の現代アートユニットYottaの作品、ということらしい。いつまで置いてあるのかよく知らないが、なかなか楽しいイベントである。  なんでそんなに大きいものつくったんや、と思ってしまうが、背後の本願寺も相当にでかい。ずいぶん昔のことになるが、瓦葺き替えで寄進をもとめられたときが1枚たしか5万円だった。祇園で羽振り飲んでいる姿を見ているので、京都のひとはわりと坊さんには敬意をはらっていない傾向がある。功徳あるえらいぼんさんもいるだろうし、お地蔵さん、仏さんもたいせつにはしたいが、あとはだいたい、そこらの人とそんなに差はない、と見切っているように思う。  24日を休みにすれば4連休なので、もうちょっと人が押しよせてくるのかと思ったが、人出はさほどではなかった。晴れたり、ちらちらと雪の舞う日でもあった。
5 notes · View notes
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
【新潟県謡曲古跡めぐり上越編】1日目9箇所目  2021/6/27ー28
能「壇風」「田村」
水俣観音堂 《 糸魚川市水俣 》 水保観音堂の創建は不詳ですが泰澄大師が養老年間(717~724年)に開いたとも弘法大師空海が大同元年(806)に開いたとも云われています。
その後、坂上田村麻呂が当地を訪れた際、境内が整えられ寺院として草創したそうです。当時は吉祥院に属し、信仰を広げ最盛期には七堂伽藍を備た大寺院として周囲にも大きな影響力を持ちました。古くから神仏習合し隣接する日吉神社の祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により吉祥院が廃寺となり日吉神社と観音堂だけが残され現在は宝伝寺の境外仏堂となり周囲の信者によって管理されています。
水保観音堂には棟札が残されていて明和5年(1768)に建てられ、棟梁が倉若七右衛門、脇棟梁が宮原与右衛門、下役が小杉久右衛門だったことがわかっています。水俣観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺(旧茅葺)、桁行5間、梁間5間、平入、外壁は真壁造り板張り、四方浜縁、高欄付き、中世の密教寺院建築の特徴を残し地域に残る修験道場の遺構としても貴重な存在です。
寺宝には大正12年(1923)に国重要文化財に指定された「木造十一面観音立像」(平安時代中期~後期の作と推定、桜材の一木造、頭部の天冠台には様々な表情をした十一面が墨書、像高1.548m、鉈彫り、33年に一度の開帳、身をもって集落の火災を防いだという伝説が残っていて火伏の観音さまとして信仰の対象となり住民からは「水保の観音さん」と呼ばれています。)や男神像(2躯、室町時代作と推定、像高27㎝、23.5㎝)や鋳銅製鰐口(貞享3年作、鋳師:高田土肥藤右衛門藤原朝臣家次、施主:糸魚川高野清右衛門季林敬白)などがあります。 この仏像は、桜材の一木造りで、高さ1.548メートル。 平安時代中~後期(藤原時代)の作と推定されています。丸のみを横に用いて荒っぽく削る「鉈彫り」の技法で作られたものです。 この技法で彫られた例は新潟県には2例しかなく貴重な仏像です。 一般公開は33年に1回です。(平成16年8月27日~29日に一般公開されました)
又、水俣観音堂には鎌倉時代に後醍後天皇の倒幕に加担し佐渡に流され、本間一族に惨殺された日野資朝の子供阿新丸が十一面観音の霊力を受け父の敵を討ち果たし父の遺骨を境内に埋葬したという伝説があり資朝のもの思われる墓(五輪塔)もあります。毎年5月1日に行われる例大祭では日吉神社の神事の後、観音堂まで神輿渡御が行われ、さらに境内で神楽が奉納される神仏習合の名残が見られます。
能楽 #能 #Noh #申楽 #猿楽 #狂言 #風姿花伝 #世阿弥 #芸術論 #幽玄 #歌舞劇 #演劇 #能面 #マスク #文化 #旅行 #トラベル #名所旧跡 #神社 #寺院 #像 #碑 #巡礼 #古跡 #謡曲 #新潟 #上越 #伝統 #Travel #GoTo #ruins #wreckage #grave #Tomb #temple #Buddhist #image #Buddha #Buddhism #Slaughter #murder #massacre #massacre #Overthrow #noble #aristocracy #aristocrat #coup #惨殺 #貴族 #クーデター #倒幕 #鎌倉 #墓 #塔 #仏 #将軍
2 notes · View notes
tokyomariegold · 2 years
Text
2022/8/27〜
Tumblr media
8月27日 カスタムくんに会いに出かけた! 片道2時間の少し複雑な乗り換えを頭にたたき込んだ。あと少しのところで初めての路線乗り換え。そこでお財布を忘れていることに気がつく。え〜〜……!!と、でも、なんとも戻るしかない。そして戻ったらまた同じ道を出発する元気もないし、カスタム君の午後の部にも間に合わない。横浜駅構内にはブルーナカフェが入っていてナインチェかわいいけれど、心はすっかりカスタムくん。
合計3時間程の旅を0円でしてしまった。
戻りながら電車で日記の文字起こしをして、最果タヒの展覧会のオフィシャルブックを読む。もう1年以上私の部屋にある本だけれど、昨日、この本にマンスーンさんが寄稿していることを知り、もう一度読むことにした。
駅のホームでおじさんに話しかけられる。 私に顔を近づけて「一言、二言で終わるから!」と言われ、イヤホンを外すと「あなたは美人です。だからすてきな彼氏がいるんでしょう。そしてその人と結婚して、絶対に幸せになって下さい。」と言って、去って行った。(“絶対に”の位置が「“絶対に”その人と結婚して〜…」だったかも知れない。) 揶揄う相手を間違えている。
ヨドバシカメラで洗濯機をみる。 1人だとただの鑑賞会をして終わってしまうので友人に付き添ってもらった。ドラムより縦型の方が私の生活には合っていそう。コストダウンできた分で何かしようと思った。 友人がフィルムの現像を出していて嬉しかった。自分以外の人が写真を撮っていると嬉しい。
Tumblr media
8月28日 夜にライブイベントに参加する予定があり、1日を、それまで体力を保たせて帰宅後もきちんと過ごせるように時間を過ごしていた。 夜の予定が本当に苦手になってしまう。 もともと、ライブには1人でよく行っていたけれど、チケットを取った時の喜びから、そのライブが近づくにつれて憂鬱になることばかり。ライブの中身より、その時間を耐えた開放感と夜の街にいる喜びに、ライブ=楽しい、という印象をもっていて、ライブって楽しい。
でも、いつもの日曜日をいろいろ終えて、そこからお出かけするのはなんかいい感じ。みんな帰っていく中でわたしはこれから!みたいな。 途中、ディズニー帰りのお姉さんが隣に座り、携帯で新幹線を予約している様子で、これから大阪まで帰るのか〜と眺めていた。
Tumblr media
臨海副都心の街に久しぶりに降り立てて、しかも日暮れ時の涼しい夏の日曜の夜で最高だった。ライブ中も、外の景色とか今の空の暗さとかが気になって、元々終演までいるつもりはなかったけれど、早めに会場を後にした。 フットサルをしている人達、それ以外は、日暮れ時の公園の人達はみんないなくて、ビルの赤いランプが点々と映えていた。
夜の海沿いの首都高を眺めながら、ほとんど千葉なのでは?と思いながら、意外と日曜日もお仕事お疲れ様な人が多い、と思いながら、ライブ会場の粗悪なパイプ椅子から座って鑑賞することを想定されていない高さの舞台を見ることで痛めた身体を引きずりながら、涼しい夜を帰ってきた。
Tumblr media
8月29日 実家へ少しだけ帰ってみる。 母と同じ時に京都にいたらしい。近所の梨園で無人販売を始めたらしく、梨を1袋買った。ちょうどもぎ取ったところで、その場で詰めてくれる。1,000円で5,6個入っていて、1つだけ貰ってあとは実家に置いてきた。
Tumblr media
実家は色々家の補修を済ませていた。 庭の一部にコンクリートを打って通行しやすくしたり、かなり劣化していた木のデッキと縁側をプラスチックの擬木のデッキにして手入れしやすくしたり、施工不良でずり落ちた屋根を葺き替えたりしていた。 また駅まで車で送ってもらう。 昔、塾に行くために下車していた駅は、駅ビルがかなり充実していて、駅横のデパートはショッピングモールみたいになって格が落ちていた。
池袋のビッグカメラで洗濯機を買った! 他店で目星をつけた製品をもう一度紹介してもらい、その内、一つ前の型がかなりお買い得だった製品に決めた。満足のいく行程で購入まで漕ぎつけた、と思っていると、最後にポイントプレゼントキャンペーンの紹介(セールス?)。どこかの国の必殺技くらいにしか思っていなかった“格安SIM”のことが少しわかった。
Tumblr media
帰宅して眼科へ。ペッパー君みたいなお兄さんに検査してもらう。使っているコンタクトのゴロゴロがつらくて、とても毎日装着できないことを伝えると「そうですよね〜、◯◯さん(私の名前)はかなり乱視が強いので違和感はあると思います。」と流れるように答えてくれてペッパー君。「目薬や装着液を使ってもあまり軽減しなくて…」と言うと、「え…?装着液ですか…?」と人間になってしまった。装着液ってハードコンタクトにしか使わないらしい。「(ゴロゴロするのは)慣れれば感じなくなりますかね〜」と言うと「慣れませんよ〜。ずっと違和感は残りますよ。」とペッパー君に戻った。
梨の皮を剥いて、カットして、今までで1番カットされた梨っぽい造形になって嬉しい!包丁を新しくして良かった。
Tumblr media
8月30日 夕食のお誘いメールをもらった。 職場の飲み会が無くなったご時世でとても助かっている身だけれど、少人数の少し心落ち着ける人選の会だと、行きます!と返事をしてしまう。 (食事の席に変わりはないので、少しずつこれから憂鬱度が増していくのだろうな。) でもお誘いメールに“参加してくれると嬉しいです。夕食を取らない派であれば飲み物だけのオーダーでも構いません。ご一緒できるのを楽しみにしています。”とあり、ならば!となったのかも知れない。 基本的に、他人から気を遣われてしまうタイプだと思っていて、(こんなにしたら逆に相手に悪いかな)と不安を抱かせてしまうくらい気を遣ってもらえると嬉しかったりする。(だから、家族や身内の無礼にしょんぼりするし、いつまでも引きずったりする。)
妹と喋れていた頃、その最後の方は彼女とそんな感じの関係でなんか良かった。祖母のお葬式を中抜けして一緒に帰った時、少しお互いの近況を話して、お葬式も大事だけど、テストや課題や明日の大事なことがあるよね、みたいな話をした気がする。
上司の思いつきで明後日は都庁へ行くことになった。昼食問題は自分に正直になって乗り越えよう。
職場で2日連続で病欠した人がいて「また病んでいるんじゃないか」「お前何かしたんじゃないか」みたいな会話が飛び交っていた。 その人がお休みすることで仕事が増えることの迷惑より、ただ何か面白がって言っている愚痴に聞こえて、とっても私は落ち込んだ。
明日で8月が終わる。暑中見舞いは2通お返事が来た。
Tumblr media
8月31日 今日は何もなかった。 そんなことはないはず。だけど、今日は何もなかった。
9月1日 都庁へ行った。1階のエントランスの巨大なピロティが、何かの搬入口みたいな空間なのに人だけが通っていて不気味。 ロビーにはアルソックの警備ロボットがウロウロしていて可愛い。 ずっと閉鎖されていた45階の展望室は、なんと今日から再オープンのよう!警備員のおじさんが「ちょうど今日からなんですよ。」と教えてくれる。 用務まで東京観光案内所で23区と市区町村のパンフレットを眺めて、再来週行く予定の府中市のお散歩マップを手に入れた! 隣は全国都道府県の観光マップが揃っていて楽しい。月替わりショップは今日から山梨県で、オープンしたてなので信玄餅の入荷数を数えていた。
用務が終わり、昼食に行くみなさんを見送って展望室へ。新宿から眺める東京は、何かありそうで、特別何もなくて、意外と住宅街が細々とよく見える。 誰でも弾けるピアノに人がたくさん並んでいて、代わる代わるに上手に演奏していた。みなさん力強いタッチ。
午後から職場へ戻るため、中央線に乗る。 平日の昼間の中央線っていろんな人がいる。ビンテージっぽいTシャツとキャップ、短パンにサンダルを身につけて、手にはフライトの本があり、昨晩の音楽イベントのストーリーを投稿している男の人がいた。
職場に戻ると、昼食をとれない、人前で食べられないことを、また今日も明るみにしてしまい、そのことを話されているな〜小声で遠くで、というのを察知したりした。あと都庁のどこかに傘を忘れたことに気がついた。
帰り道で稲妻を5回見た!
Tumblr media
9月2日 聴く・見る・読む、何を受け取っても、どこかで気持ち悪いレーダーが働いてしまう日。何も聴きたくない見たくない読みたくない。なので、自分の頭の中で健やかな都合の良いイメージやストーリーを流していた。
今日も何もなかった。 でも、以前同じ部署だった方にばったり会って「相変わらずかわいいですね〜」と言ってもらった。 「ヘッドホンおしゃれですね。」と言ってもらい、でもただのファッションなんです、ファッションといえば◯◯さん(相手の名前)のメガネっておしゃれですよね、といつも思っていたことを伝えることができた。「眼鏡はね、こだわりがあるんです。」と言っていた。眼鏡市場で買っているとのこと。
掃除をして爪を切って写真を撮って梨を剥いて花の水を換えて鏡を磨いてお香を焚いて洗濯をした。
場所性の本に、写真や芸術作品を作る人は場所のアイデンティティの要素をダイジェスト的に捉える、みたいな文があり、ある作家は、以前住んでいたプレーリーの土地を、グミの匂いの中に見出した、とあって、その作家の作品を観たくなった。
Tumblr media
3 notes · View notes
taizona · 2 months
Text
臣安萬侶言。 夫、 混元既凝、 氣象未效、 無名無爲、 誰知其形。 然、 乾坤初分、 參神作造化之首、 陰陽斯開、 二靈爲群品之祖。 所以、 出入幽顯、 日月彰於洗目、 浮沈海水、 神祇呈於滌身。 故、 太素杳冥、 因本敎而識孕土產嶋之時、 元始綿邈、 賴先聖而察生神立人之世。 寔知、 懸鏡吐珠而百王相續、 喫劒切蛇、 以萬神蕃息與。 議安河而平天下、 論小濱而淸國土。
是以、 番仁岐命、 初降于高千嶺、 神倭天皇、 經歷于秋津嶋。 化熊出川、 天劒獲於高倉、 生尾遮徑、 大烏導於吉野、 列儛攘賊、 聞歌伏仇。 卽、 覺夢而敬神祇、 所以稱賢后。 望烟而撫黎元、 於今傳聖帝。 定境開邦、 制于近淡海、 正姓撰氏、 勒于遠飛鳥。 雖步驟各異文質不同、 莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典敎於欲絕。
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、 濳龍體元、 洊雷應期。 開夢歌而相纂業、 投夜水而知承基。 然、 天時未臻、 蝉蛻於南山、 人事共給、 虎步於東國、 皇輿忽駕、 淩渡山川、 六師雷震、 三軍電逝、 杖矛擧威、 猛士烟起、 絳旗耀兵、 凶徒瓦解、 未移浹辰、 氣沴自淸。 乃、 放牛息馬、 愷悌歸於華夏、 卷旌戢戈、 儛詠停於都邑。 歲次大梁、 月踵夾鍾、 淸原大宮、 昇卽天位。 軼軒后、 德跨周王、 握乾符而摠六合、 得天統而包八荒、 乘二氣之正、 齊五行之序、 設神理以奬俗、 敷英風以弘國。 重加、 智海浩汗、 潭探上古、 心鏡煒煌、 明覩先代。
於是天皇詔之「朕聞、 諸家之所賷帝紀及本辭、 既違正實、 多加虛僞。 當今之時不改其失、 未經幾年其旨欲滅。 斯乃、 邦家之經緯、 王化之鴻基焉。 故惟、 撰錄帝紀、 討覈舊辭、 削僞定實、 欲流後葉」 時有舍人、 姓稗田、 名阿禮、 年是廿八、 爲人聰明、 度目誦口、 拂耳勒心。 卽、 敕語阿禮、 令誦習帝皇日繼及先代舊辭。 然、 運移世異、 未行其事矣。
伏惟、 皇��陛下、 得一光宅、 通三亭育、 御紫宸而德被馬蹄之所極、 坐玄扈而化照船頭之所逮、 日浮重暉、 雲散非烟、 連柯幷穗之瑞、 史不絕書、 列烽重譯之貢、 府無空月。 可謂名高文命、 德冠天乙矣。
於焉、 惜舊辭之誤忤、 正先紀之謬錯、 以和銅四年九月十八日、 詔臣安萬侶、 撰錄稗田阿禮所誦之敕語舊辭以獻上者、 謹隨詔旨、 仔細採摭。 然、 上古之時、 言意竝朴、 文構句、 於字卽難。 已因訓述者、 詞不逮心、 全以音連者、 事趣更長。 是以今、 或一句之中、 交用音訓、 或一事之內、 全以訓錄。 卽、 辭理叵見、 以注明、 意況易解、 更非注。 亦、 於姓日下謂玖沙訶、 於名帶字謂多羅斯、 如此之類、 隨本不改。
大抵所記者、 自天地開闢始、 以訖于小治田御世。 故、 天御中主神以下、 日子波限建鵜草葺不合尊以前、 爲上卷、 神倭伊波禮毘古天皇以下、 品陀御世以前、 爲中卷、 大雀皇帝以下、 小治田大宮以前、 爲下卷、 幷錄三卷、 謹以獻上。 臣安萬侶、 誠惶誠恐、 頓首頓首。
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶
0 notes
hachikenyakaiwai · 7 months
Text
Tumblr media
【かいわいの時】明治二十二年(1889)9月30日:天満紡績争議(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
争議の発端 1889(明治22)年9月30日12時半、午後の就業をつげる汽笛が鳴りひびいても誰一人工場に出てこなかった。かねて職工は賃金引上げについて「寄々相談」を続けていたが、この30日、綛場 (綛部・綛締部)の女工300余名がまず朝9時の休憩時間、そして昼12時の食事時間に食堂で「今日こそは賃金引上げを要求しよう」と相談、ついに午後就業しなかったのである。米価が騰貴を続け、生活に難渋し(この当時女工は、近郊農村あるいはいわゆる細民社会のものがほとんどであった)、それに近くの堂島紡績の賃金の方が高い(綛機一枠、紹締部一玉に付2~3厘)ことからも、賃上げは決して無理な要求ではないというのが女工の主張であった。その他、上半季特別賞与の支払い(予定は9月20日迄に支払い)・待遇の公平も要求していた。その後、女工は、食堂の様子をうかがいにきた職工取締(役員)が後日の返答を約したことで、一応就業したが、午後5時半になると一斉に仕事をやめ(6時までが就業時間)門前にでて夜業職工を待ち受け「人毎に何か示し合わせし模様」だったが、この日はそれ以上の行動に出なかった。
その後の経過 30日以後女工たちは、返答を待ち仕事も手につかない有様だったという。返答がないのに業を煮やした女工約300名は、 10月2日午前7時頃、出勤途上の一職工取締にじか談判に及んだ。だが女工らが、その取締の説得に応じ会社内での話合いに入ろうとした途端、取締は態度を変え、即座に主唱者を解雇してしまった。憤激した女工たちは、午後三時頃には4~50名が先の要求に加えて、5年間契約書・積立金(双方とも職工の足留策)の返付をせまった。さらに翌3日には、 汽缶部の男工も、女工に同調する動きをみせた。このため、会社は3日まで操業を中止せざるをえなかった。 この3日には、会社は、女工300名募集の掲示を門前に出すとともに、社員が職工宅を歴訪し出社を説得するなど、争議の切崩しにかかった。対抗して、職工約400名は同日午後から、堀川監獄・島田硝子製造会社等の天満周辺に「集合して頻りに相談をなし」、「ややもすれば会社に押しかけんとする」勢いをみせた。この動きを察知した憲兵第六管区長柄駐屯所は、4名の憲兵を現場に派遣、職工を説諭、解散させた。ちなみに憲兵が争議に介入するのはこれが初めてである。警察・憲兵は、争議中の集会等にも干渉し、解散を命じていた。会社側はこれを背景に、「もし説諭に服さざれば解雇せん」と一層強硬な態度に出てきた。翌4日、会社は、争議の主唱者とみられる 男工60余名・女工20余名を厳重に取り調べた。5日までに、その職工らを解雇するかあるいは要求を受け入れるか、いずれかに決定する予定だったという。
警察・憲兵・会社の強硬な姿勢を前にして、5日には昼業職工400名はすべて就業してしまった。だが夜業職工のうち数百名はなおも説諭に服さず、「賃金の引上げを聞き入れぬとならば、我々に相当の前借を許された」と要求していた(結果不明)。
妥結 警察憲兵・会社の強硬な姿勢の前に、職工側の態勢が崩れ、争議を継続している職工も止むなく会社と妥協することとなった。その結果、会社側は、職工が「穏当」に出ればという条件つきで、「物価騰貴につき実際生活上困難なるべければ、就業の上勉強の者には賃金の値上げをなし、また本年上半季における特別賞与金は6月迄に入社せし者に限り来たる20日迄にそれぞれ配当する」ことを認めた。 また職工主任(職工配置、日給・請負額等の労働条件を決定し、また日常的に職工を監督する)から謝罪書をとることも認めている。この妥協案により、職工は7日から元の通り就業し争議は一応落着した。 当初の職工の要求のうち、賃上げ・特別賞与そして待遇の改善(主任の謝罪書)を曲がりなりにも獲得していることから、この争議は、解雇者が出たとはいえ、一応成功したものといってよいだろう(『大阪 朝日』明2・10・4、10・5、10・6、10・8)。
なお1889(明治22)年12月の天満紡の火災の際、この争議との関連を警察が調べていることからみて(無関係と判明)、その後も争議の余波は残っていたものと思われる(『大阪朝日』明22・12・ 4)。周知のように、この天満紡の争議を契機として、紡績連合会・各紡績会社の職工対策は整備されていく(立川健治)。『大阪労働運動史(第1巻)戦前編・上』1986より。※原文数字はすべて漢数字。
(写真)「赤レンガ館」1886築(中西金属工業) 赤レンガ館はもともと天満紡績の工場として完成、合併により1900(明治33)年に大阪合同紡績天満工場となった。1931(昭和6)年、大阪合同紡績が吸収された東洋紡績の工場となり、1938(昭和13)年に中西金属工業に移った。赤レンガ館と並んで本社棟も明治期の建物。1階が石造風、2階はタイル張り、屋根が寄棟造桟瓦葺という和風づくり。天井が高く、階段は急勾配、手すりまわりの古風な意匠などに、明治の香りが漂う(中西金属工業)。写真は、《西日本 近代建築万華鏡》より。
1 note · View note
aizumin · 10 months
Text
ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その1
6月18日(日)参加して参りました。ローソントラベルと月刊ムー編集部のコラボツアー第2段です。実は昨年の第1段も気になってはいたのですが、コロナ下ということと1泊ツアーだったこともあって断念😢
今回は元々が大好きな平将門さんなのと、パンフレットに作家の加門七海女史が寄稿されているということで、読んでみたい意欲も重なりまして。6月過ぎているというのに申し込みをポチってしまいました💦
集合場所は新宿センタービル。Twitter等の情報を見てなかったんですが、何か集合時間ギリギリになって最後に現れた方が松原タニシ氏のコスプレ?すごい似てるけどまさかな~😅
……そのまさかで、ご本人様でした💦💦
※後から松原タニシ氏の参加が、公式Twitterで告知されてるのを確認して脱力しました。何だよー、ちゃんと把握しとけよ😂>自分
さて、1時過ぎに定刻通り出発した🚍が向かった先は、茨城県の國王神社でした。
将門さんが討ち死にされた跡地?に創建された神社です。ここがめっちゃ居心地がいい😊💕空気が違うと言うか、清々しいんですね。糺の森クラス。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
駐車場から境内に入ったのですが、ちょうど狛犬さん辺りからになるので、改めて⛩️をくぐって入ろうと思い、⛩️は何処だと見渡したら遥か彼方!!
Tumblr media
参道長っ😳
急いで⛩️まで行って、改めて参道を歩いてから本殿に二礼二拍一礼しましたが、端から見たら多分変な人でしかなかったと思うの😰
ここから、郷土史家の方の簡単な将門さんの生涯と神社の縁起の説明がありまして、将門さんの三女の如蔵尼-ー歌舞伎の滝夜叉姫のモデルになった方ですねーーによる建立とのこと。御神体は如蔵尼自らが将門さんの三十三回忌に彫られた坐像だそうですが、盗難にあった関係で現在は本体は蔵に安置してあり写真のみパネルで公開。
余談ではありますが、私の家の氏神様というか守護神様?が谷保天神(ウチは神道なんで、祭礼関係をお願いしています)なんですが、由来がほぼ同じ💦💦
あちらも菅原道真さんの三男にあたる道武公が、配流先で薨去の知らせを聞いて刻んだ道真さんの坐像を鎮座したのが縁起なんですよねー。3番目の子供と坐像……ちなみに、将門さんが新皇と名乗るきっかけになった神託は道真さんが下したものなので、これも深い因縁があるように思えます。
境内には数々の石碑や、建立当時から植わっていた樹木があり、歴史が感じられました。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
こちらの拝殿の屋根は茅葺きなんですが、所々傷みが……💦💦本来だと茅は数十年おきに葺き替えるのが常識です。京都のみやまのかやぶきの里でも岐阜の白川郷や五箇山でも、保存会の方々が総出で葺き替えている映像を見かけたことがあります。傷みがあれば、茅を継ぎ足します。こちらもそろそろ葺き替えの時期が来てると思うのですが、資金不足だそうで😰お詣りしたご縁もあるからと、些少ではありますが授与所で寄付をさせて頂きました。もっと早くに知っていれば、💴を下ろしていったのにーー😩
参拝を済ませ境内を散策した後、再び🚍に乗り込み次の目的地の神田山延命院へ。こちらには将門さんの胴塚があります。大体15分くらいで到着。🚍の前には畑と竹林が拡がり、こちらも落ち着いた雰囲気の場所。
Tumblr media
でもってですね。☝️を見て仰天。こちらの宗派は真言宗智山派ですと!?
何を隠そう、将門さんの調伏をしたとされる成田山新勝寺が同門なんですよ!!そういうこともあって、将門さんを信仰される方は新勝寺には行かないそうなんですが、よりによって何で同じ宗派に葬った!!
朝廷は調伏を全国の仏門に命じたそうなので、新勝寺がしたということはその宗派全体に命令が下っている筈なんですね。にも拘らず、胴塚が築かれている。何じゃそれ。
ともかく、境内に入ります。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
将門さんの胴は、最初このカヤの巨木の根元に埋葬されたそうです。かなり存在感がある。胴塚にはペットボトルがたくさん置かれておりまして、信仰の篤さが伺えます。
神田明神もそうですが、神田山は元々はからだ山がなまってかど山⇒かんだ山となり、現在の山号になったそうです。将門山とも称するそうなので、かど山=将門さんの「かど」から来てるのかと思ってた😅その身体は何かと言えば、当然のことながら胴塚の胴ですね。
ちなみにこちらの石碑。
Tumblr media
右の「南無阿弥陀仏」と書かれたものは、元々大手町の将門塚(首塚)にあったもので、それが盗難に遭い将門塚の方は新しく造り直して設置した後に戻ってきたそうで。既に設置し直したもの���破棄する訳にもいかず、それならこちらの胴塚に奉納しようということで、将門塚保存会から寄贈されたとのこと。それはいいとして、何で浄土宗もしくは浄土真宗なんだろう🤔(南無阿弥陀仏は“阿弥陀仏に帰依する”ということで、浄土宗&浄土真宗の所謂「念仏」なんですよ)
旗の上にある九曜紋は、毘沙門天(多聞天)=大日如来を表すそうで……そういや、境内にちゃんと毘沙門天を祀ったお堂があったじゃん😭(画像撮らんかったんです)
この左の石碑、ん?と思う方もあるんじゃないかと。「大威徳将門明王」なのに、梵字がキリークではなく不動明王を表すカーンなんですよ(その辺りの考察は、高田崇史氏がQ.E.Dシリーズの御霊将門で書かれています😊)
ちなみにこちらの金堂は1964年(東京オリンピックの年ですね)に不審火で焼失してそのままだとか。胴塚のすぐ横の↓がその跡地になります。
Tumblr media
こちらも信仰を集めている割にちょっと荒れているというか。國王神社と延命院、どちらも常駐の神主さん&住職さんが居られない😥正直うちの近所の村社とあまり変わりがなくて驚きました。
取りあえず前半戦はこの辺までで。
1 note · View note
tomiya-a · 2 years
Photo
Tumblr media
「PARALLEL」外観 ・ ガルバリウムカラー鋼板立平葺き(さざ波加工付き)と木板張りの組み合わせ。 庇部分は二階床から片持ち梁で跳ね出し、柱の無いポーチとして使い易い玄関回りとしています。 ネット通販が重要なツールとなった時代、宅配ボックスは断熱と気密を気にしない自立型とし、ポーチのアクセントとしています。 ・ 庭はL形した建物形状と、外物置+コンクリートフェンスを道路側に配置することにより、中庭状に囲まれたプライバシー感あるスペースとなりました。 ・ リビングの大窓は敢えて窓台を広くすることで猫の日向ぼっこ&休憩スペースともしたことで、いつも窓から外を覗いてくれています。 ・ 写真 酒井広司 ・ その他のphoto→@yosuke_tomiya_design_office ・ #富谷洋介建築設計#一級建築士事務所#設計事務所#建築家#北海道#江別市#注文住宅#PARALLEL#酒井広司#ガルバリウム#ガルバリウム鋼板#立平葺き#さざ波加工#スチール手摺#宅配ボックス#ボビカーゴ#猫スペース#猫と暮らす#日向ぼっこ#家づくりアイディア#マイホームアイディア #architect#architecture#design https://www.instagram.com/p/CfsvcWfLhBT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kasayoichi · 1 year
Text
美しき故国④
 六月三日、船はようやく港に入った。
 実に二年ぶりの帰国である。
  帰帆を知らせる狼煙を受け取った王府の役人や使節の家族がこぞって埠頭へ迎えに出向いていた。 
  船室の小さな窓から外を覗くと、出迎えでごった返す人出のうしろ、陸の奥には石造りの塀が連なり、その隙間には朱や灰褐色の瓦屋根の屋敷が並んでいる。遠くに見える青々とした緑の高台には板や茅葺きの民家がまばらに顔を出していた。
 命がけの航海に身を固めて耐えていた人々は盛んに動きだし、積荷も外へ運び出されはじめると、船のなかに外の空気が入り込む。重く湿った夏の風は決して爽やかな心地とはいえないが、海では感じることのできない草木の薫りとこの地に染み付いた命のにおいを運んでくる。
 ―――美しき我が蔽国。
 頭号船から順に下船がはじまり、二号船に乗っている朝明らが船を降りる頃には、入港から大分時間が経っていた。荷物の入った行李などは船員に運ばせ、身の回りの少ない荷物だけを携えて、朝明と己煥そして聡伴の三人はようやく故郷の地を踏んだ。 本格的に夏のはじまりを告げる刺すような陽の光をうけて、己煥は人がひしめき合うなかで仕方なく傘を開いて歩く。
「一生帰れなかったらどうしようかと思いましたよ!あぁ早く屋敷まで戻りたい……子供がですねぇ、生まれているはずなんですよ」
「それはめでたいな聡伴。私も旅役に就く直前に娘が生まれたが、どれほど大きく育っていることやら……」
「何人目だ?」
「それが長子なんです。男女の別は知りませんがはじめての子供が己の知らないうちにとっくに妻の腹のなかから出てきていて、もしかするともう四書を諳んじているかもしれないと思うと寂しいものがありますよ」
 もう育つ余地のない大の大人とは違って、幼子の時の流れは実に早くてその成長具合はとてつもなく大きいのだ。
「我が家に着くのが待ち遠しいですよ。ところで己煥様は本当にその猫をお持ち帰りになられるのですか?」
 船底で暴れまわっていた虎猫は筆のようなしっぽを立て、己煥の足元にぴっちりと寄り添っている。あらためて船の外で見るその姿は、毛も瞳も陽の光を浴びて黄金に輝いていた。此奴が散々積荷を崩しまわったあと、船員に猫の出どころを訊いたが生憎誰も知らず、懐かれてしまった己煥がいつのまにか持ち帰ることになっていたのだ。
「まったく、散々暴れまわった挙句に良い人間に拾われるなんて運のいい奴め。お前が暴れるから俺たちはよくわからない肉なんかを―――……」
「え?肉ってなんですか?」
「いや、なんでもない。それよりお前早く屋敷へ戻らないといけないだろう? 駕籠を使うか?馬でもいいぞ。呼ばせるか?」
「いやいやいやいや、なにをおっしゃっているんですか!屋敷までそこまで離れていませんから、家の者を待って帰りますよ!」
 しかし、あれよあれよというまに、聡伴は朝明が呼び寄せた駕籠に詰め込まれ、彼の住まう四町へと送り出されていった。港の喧騒のなか、聡伴が去ったふたりの周りだけが、妙に寂しく感じられたのはきっと気のせいだろう。
 朝明と己煥はゆっくりと人の流れに合わせながら 連れ立って歩くふたりだが、互いに交わす言葉はなくただ足だけを進めていた。
 それはいつもの慣れ合ったふたりに時たま訪れる呼吸のような沈黙ではなかった。わずかに背の丈に差があることで己煥が差した傘の先が隣の朝明を突くことはないが、今このときだけはむしろ故意に突っつきたい。常日頃は堂々と己の意を主張してみせるこの幼馴染が、眉を八の字にしながらやたらにもごもごと口のなかに言葉を溜め込むのは、余計な気を揉んでいるときの癖だと己煥は知っていた。
 喉の奥で唾液を飲み込んだ数が二十を超えたころ、耐えかねた朝明が先に口を開いた。
「己煥……あの肉は―――」
「あぁ、不味くはなかったな」
 暗い船底でふたりの食指を誘う妖艶な輝きを放っていたあの肉切れは、口に入れた途端、味わう暇もなく一瞬にして蕩け、���の奥へ消えていったのだ。
「口に入れるべきではなかった、と?」
「お前も感じただろう?あの肉を前にしたときの……」
 あの奇妙な心の騒ぎようを。
「気のせいだ。その前に聡伴が林宗信の話をしていたからじゃないか。薬を買い込んだとかいないとか」
「己煥!」
「今のところ身体の調子はおかしくないし、毒の類ではなかったんだろう。それに、清冊に載っていない品であればこの先咎められることもないだろう」
 女にしても仕事にしても、ことあるたびに要領良く綱渡りをし、たとえ綱から落ちようとも悪びれることもなく平然としている朝明だが、それらに己煥を巻き込むこととなればすこぶる落ち込むのだ。
「五良小、」
 外ではあまり使うことのなくなった童名で朝明を呼んでやる。
「もう船旅は御免だが、今度仙薬でも探しに行こうか」
 味のある、できれば美味で、陸の上で気持ちよく酔えるものが良い。
「……口当たりの優しい良薬を探しておくよ、煥小」
 体よくはぐらかされたことは十分承知だが、まるめ込まれた朝明もこの話を続けるはなくなっていた。
「父上!」
 雑踏のなかから、甲高い声が己煥を呼ぶ。
 声の先には、幼子と欹髻前の少年の手を引いた女性、己煥の妻と屋敷の者たちがこちらへ合図を送っていた。住まいを異にしている朝明の息子も一緒だった。
「お迎えだな」
 暗い船底で、あの肉を前にしたときの朝明、そして己煥自身も、きっとまっとうではなかった。胃が空になる勢いの船酔いに見舞われていたのだ。絹のように薄くても、とてもじゃあないが肉なんて腹に入れたくはなかったはずだ。それなのに、腹の底から心の底から、己煥はあの肉を欲していた。
 それが、長きに渡った職務と航海の疲れからなのか、はたまたあの肉の仙力なのかはわからない。もしそうであったのなら、己のこの弱き身体を治してくれるというのなら、それは大変喜ばしいことなのではないだろうか。
「あの薬が真の仙薬であれば、お前の身体も少しは楽になるんだろうな」
「さすがにそんな都合の良い話はないだろう、世迷言はよせ」
 こちらへ駆けてきた息子たちのほうへ、歩き出す。
 それ以上、お互いあの肉について口に出すことはなかった。
 死―――大国の帝ですらそれに抗おうとその世迷言に縋るのだ。
 人間の生は短い。
 
 たとえ俗伝だとしても、残酷なほどに過ぎ往く歳月に己を繋ぎとめようと必死になるのだ。
 いつのまにか先へ進んでいた彼らに気づいた猫は、行き交う人間らの足元を上手に縫って、はぐれることなくついていった。
 ―――1683 美しき故国――― 
0 notes
yamada50 · 1 year
Photo
Tumblr media
蘇鉄と松に囲まれたご本殿 新庄八幡宮 瀬戸内の雨があんまり降らずあったかい気候に馴染む風貌ですね 備後沿岸でよくみかける入母屋平入千鳥破風唐破風に備前備中でよくみかける外削ぎ千木と二本の鰹木のハイブリッド本殿は総﨔造銅板葺で江戸時代末期文化二年の造営です 42代文武天皇の御代、大宝元年(701)に宇佐の宮より勧請し創建したと伝わります 宇佐神宮の創建を調べると45代聖武天皇の御代の神亀2年(725)と出てきますがこれは現在の社殿が建立された年です 創祀自体は29代欽明天皇の御代、大神比義命が創建し日本で初めての神職(祝職)に任ぜられ初代大宮司に就いています 大神神社の初代神主大田田根子命が初の神主といえますが職制としての神主は宇佐神宮が初めてのようです #新庄八幡宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 新庄八幡宮(しんじょうはちまんぐう) 鎮座地:岡山県倉敷市児島阿津2丁目18−1 主祭神:誉田別尊、足仲彦尊、息長帯姫命 社格:村社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #岡山県 #倉敷市 (新庄八幡様) https://www.instagram.com/p/CoE6zGbPXBx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
43 notes · View notes
mofuos · 1 year
Text
秋田 / Akita
旅の始まりは雪深い秋田から。東京から新幹線でおよそ3時間。2月下旬の田沢湖周辺には一面白銀の世界が広がっている。
Unser erstes Reiseziel ist das tief verschneite Akita in Region Tōhoku. In knapp drei Stunden von Tokyo erreicht man die Gegend am Tazawa-See, wo Ende Februar noch die Schneelandschaft sich bis ins Endlose erstreckt.
Tumblr media
十和田八幡平国立公園の中に乳頭温泉という秘湯がある。田沢湖駅から車でおよそ30分。駅を出る頃には50cmほどだった積雪は温泉に着いた頃には優に2mを超えていた。
Im Nationalpark Towada-Hachimantai liegt ein Kurort namens Nyūtō-Onsen. Hier mitten in den Bergen liegen stellenweise über 2 Meter Schnee. Am Bahnhof Tazawako, wo 30 Minuten mit dem Auto entfernt ist, waren sie gerade noch 50 cm.
Tumblr media
乳頭温泉郷で最も奥に位置する鶴の湯。乳頭温泉郷の中でも最も歴史があり、古くは秋田藩主も湯治に訪れたという。
Am Ende des Kurorts befindet sich das Thermalbad Tsurunoyu. Die älteste Therme der Gegend wurde früher auch von Daimyōs (Lehensfütsten) von Akita besucht.
Tumblr media
入り口の門を潜ると茅葺の家が道の両側に連なる。宿の客室として使われているこれらの建物はその昔大名の警護をする武士の詰め所となっていた所である。
Hinter dem Eingangstor reihen sich traditionelle Häuser mit Strohdächern auf den beiden Seiten des Weges. Diese urigen Häuser, die heute als Gästezimmer der Unterkunft benutzt werden, waren früher Wachposten für die Daimyōs.
Tumblr media
温泉は敷地内を流れる小川の向こう側にある。内湯の浴槽が8つに露天風呂が2つと比較的大きな規模の温泉といえる。湯の色は乳白色で硫黄の他ナトリウムやカルシウムに豊富という。
Mitten durch das Thermengelände rauscht ein kleiner Bach. Die Thermalbäder liegen jenseits dieses Bachs. Mit insgesamt 8 Innenbädern und 2 Außenbädern (Roten-Buro) zählt die Therme zu einer der größten in der Gegend. Das Thermalwasser hat eine milchweiße Farbe und sei reich an Mineralien wie Schwefel, Natrium und Kalzium.
Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
ryousyou · 1 year
Text
死水
01
自拱北门一级级拾阶上来,城外的北山逐渐越过箭垛显露真容。时近寒露,碧山上渐染出萧索的灰黄色。他从垛间的空隙中艰难地望了一阵,决计上东边角楼去。有风扑面吹来,饶是今日发髻绑得紧,也被吹开些零散头发。他伸手拢了拢着风而鼓起的袍袖。
向东走出去,箭垛一格格割出的狭窄风景随移步连缀起来,东边山下的仓廒渐渐能看得真切了,再抬头,新修的角楼就矗在眼前。他仔细瞧了新漆的立柱、砌得平直齐整的砖缝,还有檐头形状规整的瓦当,心里很是喜欢。自角楼上远眺,他才惊觉北山竟已能随风翻起浅浅的林涛。因为旧城墙日益破败,他已有些年没来过,不知北山成为了如今这样。十年之计莫如树木,当年的山火后焦土遍地,半山都染作黑色,算来至今也已逾一甲,山林葱茂犹胜当年,想是符德之功。西风渐紧,甫登城上的高悬日头已近西斜,黄昏的冷光映红衣袍,天边正有黑云沉缓地压过来。他最后眺了一眼,转头顺长长的斜踏下去,高处的风声渐被隔在城外了,人声悉悉索索汇起来。他又回到了人间。
我正想你该回来了。
大致看了些。我见云向南走,就先下来了。晚上或许会下雨。
会的,云是从林城来。
我才看见!你竟也来了,稀客啊。
符德叫我一块。
他使唤你这么灵?可见土果然是克水。
上回你说再来就叫上阿聿,我是依城隍大人尊令呀。
你确是衔火而诞的。阿聿沉缓地说。
众人一时笑起来。
他撩住衣袖在炉边坐下,移开砂铫,捏着长夹把旧碳一块块拾进脚下的灰盆里,一面跟符德说:劳驾取些新碳来。再抬头符德已从架上捧了碳盒,他接进手,说:你去同阿聿坐着罢。桌上放的是新供的点心,我尝着不错。
好招待啊,新葺了城墙,你也跟着发达了。
到底不如你们。能得闲上去看看城外,我已经无所求了。他放上砂铫,捏了个火诀煮水,起身去架边翻捣茶叶罐子。
你也好些年没上去了罢?
这正是。他手上不停,取了只青色的锦盒出来,一面说:高处风大,那老墙你们也知道的,风一打,人落一身土,实在不好受,步踏都走成斜坡了,我看了也不愿去。
这下好了,重夯了土,还包了青砖。你今日去看了,觉得如何?
好得很,聿城也章华了。城门修得气派,角楼也漂亮。
我听渡河的人们讲堪比京城。
不想你竟有是心,也偷听人墙根。他一面调笑,端着瓷罐坐回来。
他们在水上走,河不用留意也知道。
究竟能不能比得,我们这群人是绝难知道。他排开茶盏说:我倒有江西来的贡茶一罐,请诸君赏味。
好阔气哇,你还有这样的好东西?符德大感兴趣,起身凑过来:教我见识见识。
今春的新茶,本意存着的。恰巧阿聿送了好水,又逢重修城墙一喜,我也拿来招待招待贵客。
看来我此番蹭茶,实在借了你俩的光。符德捻着茶叶感叹。
地泽万物,少不了你的。
哈哈哈,阿聿说得好。今日有茶吃,还是靠给你们这群土地大仙。
符德笑着摇头:我可管不出聿地,你们要捧杀我了。
吓人,为免你折在此处,快来尝我这救命仙汤。泡了红枣的那盏是阿聿的,一并端去罢。
符德打趣着接过:便来也!
众人品过一巡,外面天已尽黑了,风索索地灌入堂内,不久便开始打雷。他拨了拨茶炉的碳火,起身去关窗。
要下雨了。
阿聿说。
0 notes
endekashi · 1 year
Text
フワッとなせツアー。
Tumblr media
きんなは散々雨が降り散らかしてくれました。おかげでうちのクズ屋根(茅葺き屋根の事ね、方言ね、口悪いよね)は雨漏りして大変。そんな時でもライフ ゴーズ オン。本日はなせ(初心者)ツアー也。
Tumblr media
平日3日間の悪い大人の修学旅行に来た自営のお二人。当初のリクエストでは来たる明日のバフバフに備え、11線の楽しみ方を教えろコノヤローというものでした。リフトの運行情報が発表されるまでコーヒー飲みながら地図を見ていたのですが、程なくして終日運休のアナウンス。仕方あるめえ、プランBですな。
Tumblr media
ゴンドラ乗り場で何やら寒気のする笑顔の二人組が。あ、黒田大先生とテリーダイチ氏!ステージⅡの試験中だそうです。テリーダイチは俺と同じ年にステージⅡを受けた仲。若いのにすでに講師とは。やりおるな。今年の受験生はなんと一名!うお〜、この二人に笑顔でしごかれるのか〜。なかなかメンタル的にキツそうですね。ご武運を!
Tumblr media
入り口ですでに20cm程のニュースノー。こいつはええんちゃうん?
因みに以前もたいてのこらせ(中級コース)でご参加いただいてる二人なんですけど、今日はゆる〜く行きたいという事でなせツアーでエントリーしてきました。このパターンの人、最近多いな。
Tumblr media
まあいいや、なせらしくのんびり歩きましょう。ふかふかなほうていに囲まれ笑顔を隠しきれません。
Tumblr media
ハイクする度にタバコを辞めようと決意し、数分後にこの絶景で吸うからうめ〜んだよな〜と、のたまうゲスト。
ほんじゃもっと美味いほうていいただきましょうか。
Tumblr media
スキーカットに反応もせずくっついていそう。そんじゃどーぞ!!
Tumblr media
わっしゃっしゃーーーー!!
Tumblr media
イヤッホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!!!
Tumblr media
たまんねーーー!!
思わずほうていの大海原に身を投げ、全身で喜びを表現するゲスト。
Tumblr media
いやあ〜、人も全然いねえし、最高だ〜。どうやら悪い大人の修学旅行は幸先いいスタートを切れた模様。
Tumblr media
次のゆるふわツリーもいいと思いますよ〜。
Tumblr media
ほらね〜。
Tumblr media
結構なお手前でございました!
普通ならこれでゲレンデ滑って帰るんですけど、まだ時間あるし裏滑って帰ります?悪魔のささやきに二つ返事のゲスト。
Tumblr media
がしかし、そうは問屋が卸さねえと来たもんだ。標高が下がると積雪が減った上に重て〜!
Tumblr media
誰だ!こんなとこ行こうって言った奴は!
まあ、これなら11線行かなくて良かったすね!ナハハのハ〜。
Tumblr media
それでも悪雪滑って修行できました!とのポジティヴなお言葉!
残りの二日間、気をつけて思いっきりハッチャケちゃってくださーい!!
お疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!!
Tumblr media
帰り際、ゲストがお土産に立派な牡蠣をくださいましたー!!
滅茶苦茶美味かったですー!!最大級のおしょっ様を!!!
0 notes