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#渡辺範雄
kennak · 8 months
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【ジャニーズCM企業一覧】誰がどこに出てる?契約解除になるスポンサーは?2023年 | R30ブログ
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usickyou · 2 years
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窓辺の花
 窓辺の花を眺めていた。ガラス細工のような、その空間において特別な意味を持たない花だった。  学生時代の友人の友人が開いたその個展にあって、概ね一般的水準かそれ以下の美的感覚しか持ち合わせていない私という存在は、ただ空間を占めるだけの価値しか持っていなかったように思う。それでもいるだけで意味があるのであればと、飾られた彫刻を訳知り顔で眺めてはみた。装飾的な造形の連続、意図的な曲線の提示、そこにあるのは現実の影でしかなく、思考がこの芸術と名付けられた何かを拒むまでにそう長い時間は要らなかった。しかし、そうなってみれば存外面白いもので、私はこの空間における人為の行き届かない物を探すことに執心した。たとえば部屋の隅の埃、照明に引き寄せられた一匹の羽虫、あるいは人々の交わす囁き声。  そうやって偶然に、その花に出会った。  そして、あなたに出会った。 「そんなものに興味があるの」  あなたは私を見た。あまり意志を感じさせない、黒目がちの瞳。反して高く主張のある鼻筋。瞼の下には重い隈と少し痩せすぎた頬。長く艶のある、漆黒というのはこういう色なのだろう、美しい髪。パーティに出るような薄紫のドレスとボレロ、長い手足、後ろ手に組まれた手指の表情は隠されている。 「ひどい人ね」  言葉に反して、あなたは笑った。何がおかしいのか、私にはほとんど理解できなかったが、あなたはよく笑った。笑う時のあなたの口角、右側にだけできる笑窪、その形が綺麗だと、最後まで言えなかった。 「何かご用ですか」 「ご用は特に、一緒にお花を眺めてもいい?」 「私は帰りますが」 「ご一緒するわ」  そう言って、あなたはまた笑った。一歩近付いて、窓辺の花を逡巡なく手折る、手には煙草と百円ライターだけが握られていた。 「少し、お話ししましょう」  その花の名前を、私は今でも知らない。  あなたの名前さえ、知ることはなかった。
 *
 グラスを傾けてやっと、あなたはそれを飲み干していたことに気付いたようだった。照れたように笑い、それからジンライムを注文する、その声が聞きたくて少し目を閉じた。 「お疲れですか?」  あなたは隣から、私を覗き込む。眼鏡の奥から、雄弁な瞳が語りかける。その姿に遠い昔の、母親の姿が重なって、緩みそうになった口もとを手のひらで覆い隠した。 「いえ、目にゴミが入っただけです」  ついでにと注文したモヒート、バーテンダーの意識を外に閉め出す。そうしてから、グラスもなしに手持ち無沙汰であることに気付く。 「で、続きは?」  あなたは私を気にかけてか、あるいは全く意識せずか、体を前に乗り出して問いかけた。かすかに潤った瞳や赤らんだ頬は、私に自分自身の熱を気付かせる。思えばこんなふうに酒を飲む機会も減った。あの頃と比べれば、随分と弱くなった。 「続きですか」 「まさか、ここで終わりませんよね?」 「……善処します」  不思議だ。あなたに、こんな話をしている。  同業者、他社のプロデューサー、ライバルであり、商売敵。前泊のホテルで偶然出会うことは、不思議ではない。いきおい交流や情報交換を目的にバーへ行くことも常識の範囲内だ。それなりの歳をした男が二人集まれば、女性関係の話になることも当然だろう。 「それから、彼女の知るバーへ行きました」  しかしこんな話を、誰にも明かしたことのない彼女との話を、顔見知り程度でほとんど初対面のあなたに話している。 「それで、どうなったんですか?」  あなたは笑う。期待で輝いた目には、少年の面影を宿している。 「ちょうど、こんな場所でした」  それが眩しくて、渡されたグラスに視線を落とした。  一口含んだそれは、無色の液体でしかなかった。
 *
 あなたが吸う煙草から、かすかに甘いバニラが香った。浅葱色のカクテル、その色からグラスホッパーという名前がつけられたのだと、煙の香りと共にあなたは教えてくれた。 「ご迷惑じゃない?」 「付き合いで、慣れていますので」 「助かるわ」  あなたは、よく煙草を吸った。ともすれば忙しないはずのその姿は、むしろ空気よりも煙を必要とする生き物のようにあなたを映した。 「美術商、じゃないわね」 「……はあ」 「銀行員か公務員、もしかしてお花屋さん?」 「いえ」 「正解は?」 「芸能事務所に勤めています」  あなたはグラスホッパーを一息にあおって、次を頼む。 「私、こういうの当てたことないの。すごいでしょう」 「能力かどうかは判じかねますが」 「見る目がないってのも立派な能力よ」  そう言って笑った、あなたの美しさに気付いたのはその瞬間だった。しかし、気付いたところで無意味であることは最初から知っていた。 「恋人は?」  不躾に訊ねる、それは、あなたの美徳だった。 「いません」 「いたことは?」 「あります」 「長く続かないでしょう」 「……答える理由はありますか」 「ごめんなさい。でも、それが答ね」  いつの間にか私は、あなたのテンポに合わせてロックグラスを傾けていた。どうしてか、嫌悪感はなく、むしろ心地良さを感じていた。 「いつか、出会えると思う」  火をつける、あなたの指先を見つめる。慣れているはずなのに、どこか炎に怯えているような、ぎこちない仕草だった。 「……そうでしょうか」  飲み干したグラスの底で、氷を揺らす。次を頼む気には、なれなかった。 「保証する。でも、私じゃないみたい」  あなたは、火をつけたばかりの煙草を揉み消す。 「ええ、そのようです」 「ああ、本当に見る目がないんだから」  灰皿から、消え損ねた煙が立ち昇っている。 「窓辺の花、見つかるといいわね」  そう言って、あなたは手折った花を私のグラスに放り込む。ずっとあなたの手にあったそれはもう、しなだれかけ、俯いていた。  その花の色さえ、私は思い出せずにいる。
 *
「あら偶然、そちらの方は?」  私に声をかけたのは、高垣楓さんだった。 「他社の……同業の方です」 「ふふ、可愛らしい寝顔ですね」 「……高垣さん、担当でない私から申し上げるべきではないのですが」 「一時間だけ、見逃してください」  そう、彼女はカウンターに腰を下ろす。 「ご一緒しますか?」 「いえ、私は彼を送って……仕事も残っていますので」 「残念。早苗さんが寂しがりますので、お早めに戻られた方が良いですよ」  感謝を告げて、席を立つ。あなたは、疲れていたのだろう。私の話を聞き終えることなく眠りについた。しかし、背負っていくわけにもいかないので、声をかける。肩を揺する。ワイシャツ越しにあなたに触れる指先を見られることを恐れて覗き見た、高垣さんはワインメニューに視線を落としていた。 「……どれくらい、寝てましたか?」 「十分程度です」 「すみません、疲れてたみたいで」 「よく、わかります」  目を開いたあなたはすぐに高垣さんに気付き、挨拶を交わした。盗み見た時計、時刻はまだ十時さえ回っていない。 「明日は、よろしくお願いします」  快活な笑顔、眠る穏やかな顔。  よく通る声音、静かな寝息。 「戻りますか?」  その両方を知る人間が、この世界にどれだけいるのだろう。そんなことを考えて悦に浸る、私という人間の愚かさをあなたの笑顔は浮き彫りにする。 「はい、片付けたい仕事がありますので」 「実は俺も」  照れたように笑って頬を掻くその仕草が、とは一生言えないと分かっている。  既にワイングラスを傾け始めていた高垣さんへ声をかけ、柔らかく振られる手に見送られてバーを後にした。エレベーターが上階へ昇る、その途中、夜景が綺麗だとあなたが口にする。私は、偶然にも二人で目にしたその美しさを心に留めるため、言葉を失った。あなたはそれ以上を口にしようとはせず、僅か十秒にも満たない時間を、私たちは共有した。共に、一つのものを見つめる時間を、分かち合った。偶然に。全く、偶然に。 「どうも、付き合って下さってありがとうございます」 「私の方こそ、退屈な話を聞かせてしまいました」  エレベーターを降りて、互いの部屋は左右に分かれている。 「おやすみなさい」 「明日は、よろしくお願いします」  あなたは歩き出す。その背中を見つめていて、ふと、立ち止まり、あなたは振り返った。 「窓辺の花、見つかりましたか?」  あなたは、問いかける。 「はい、見つけました」  私は答える。本当に、私は酒に弱くなった。酒が、私を弱くした。 「それは良かった」  あなたは手を振る。その手で開いた扉に消えていく。その姿を、私はずっと見つめていた。  その花は、ガラス細工のように透明だったことを思い出す。  欲しかったのは、窓辺の花。  そして、共に見つめる人。  私は、その花の名前を知らない。  あなたの名前さえ、知らずにいる。
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anamon-book · 2 years
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泰造 Cinema square Magazine No.35 シネマスクエアとうきゅう 監督=渡辺範雄/原作=一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」、一ノ瀬信子「わが子泰造」/出演=岡本早生、小林桂樹、中原ひとみ、真野響子 ほか
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txtmatango · 2 years
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私の家族の奴隷 My Family’s Slave/Alex Tizon
 遺灰は、トースターくらいの大きさの箱に収まった。プラスチック製の黒い箱で、重さは1kg半。それをトートバッグに入れてスーツケースにしまい、マニラ行きの飛行機に乗って太平洋を横断したのは2016年7月のことだ。
マニラに降り立つと、車で田舎の村へと向かう。到着したら、私の家で奴隷として56年間を過ごした女性の遺灰を受け渡すことになっている。
彼女の名前は、エウドシア・トマス・プリド。私たちは、彼女を「ロラ」と呼んでいた。背は150cmで、肌はチョコレート色だった。アーモンドの形をしたロラの目が、私の目をのぞ���こんでいるのが人生最初の記憶だ。
祖父が私の母にロラを“贈り物”として与えたとき、ロラは18歳だった。そして、家族が米国に移住したとき、彼女も一緒に連れていった。
ロラが送った人生を言い表すのに、「奴隷」という言葉以外には見つからない。彼女の1日は、ほかのみんなが起きる前に始まり、誰もが寝静まったあとに終わった。1日3食を用意し、家を掃除し、私の両親に仕え、私を含め5人の兄妹の世話をした。
両親が彼女に給料を与えることは1度もなく、常に叱りつけていた。鉄の鎖につながれていたわけではないけれど、そうされていたのも同然だった。夜中、トイレに行きたくなって目が覚めて、彼女が家の片隅で眠り込んでいるのを見つけたのは1度や2度の話ではない。洗濯物の山にもたれかかり、畳んでいる途中の服をしっかり握りながら──。
米国では、私たちは模範的な移民家族だった。みんなにそう言われた。父は法律の学位を持っていたし、母は医者になろうとしていた。それに私たち兄妹は成績が良く、礼儀正しい子供たちだった。
だが、家の外でロラの話をすることはなかった。それは、私たちが「どういう存在であるか」という根幹の部分に関わる秘密だったからだ。さらに、少なくとも子供たちにとっては、「どういう存在になりたいか」という問題に深く関係していた。
娘に「奴隷」をプレゼント
 マニラに到着して預けた荷物を引き取ると、スーツケースを開き、ちゃんとロラの遺灰があることを確認した。外へ出ると、懐かしい匂いがした。排気ガスやゴミ、海や甘い果物、そして人間の汗が入り混じった濃い匂いだ。
翌朝早く、私は愛想の良い中年の運転手を見つけて出発した。「ドゥーズ」というニックネームだった。彼のトラックは、車のあいだをすいすいと通り抜けていく。
何度見ても衝撃を受ける光景が広がっていた。おびただしい数の車やバイク、そして乗り合いタクシー。まるで雄大な茶色い川のように、そのあいだをすり抜け、歩道を進む人々。車の横を小走りする裸足の物売りたちが、タバコや咳止めドロップの袋を売り歩く。物乞いの子供たちが、窓に顔を押しつける。
ドゥーズと私が向かっていたのは、ロラの物語が始まったタルラック州だ。また、そこは私の祖父トマス・アスンシオンという陸軍中尉の故郷でもある。家族によれば、土地をたくさん所有していたのにお金はなく、所有地の別々の家に愛人たちをそれぞれ住まわせていた。妻は、初めてのお産で命を落とした。そのときに生まれたのが私の母だ。母は「ウトゥサン」たちに育てられた。要するに、「命令される人々」だ。
フィリピン諸島における奴隷の歴史は長い。スペインに征服される前、島民たちはほかの島から連れてきた人々を奴隷にした。主に戦争の捕虜や犯罪人、債務者などだ。奴隷にはさまざまな形態があった。手柄を挙げれば自由を勝ち取ることができる戦士もいれば、財産として売り買いされたり交換されたりする召使いもいたという。
地位の高い奴隷は地位の低い奴隷を所有することができたし、地位の低い奴隷は最底辺の奴隷を所有することができた。生き延びるために自ら奴隷となる人もいた。労働の対価に食料や寝床が与えられるし、保護してもらえるからだ。
16世紀にスペイン人が到来すると、彼らは島民を奴隷にし、のちにアフリカやインドの奴隷を連れてきた。その後、スペイン王室は自国や植民地で奴隷を段階的に廃止していったが、フィリピンはあまりに遠く離れていたので、監視の目が行き届かなかったという。
1898年に米国がフィリピンを獲得してからも、隠れた形で伝統は残った。現在でも、貧困層でさえ「ウトゥサン」や「カトゥロング(ヘルパー)」、「カサンバハイ(メイド)」を持つことができる。自分より貧しい人がいる限りはそれが可能であり、下には下がいるものなのだ。
祖父は、多いときで3家族のウトゥサンを自分の土地に住まわせていた。フィリピンが日本の占領下にあった1943年春、彼は近くの村に住む少女を連れて帰ってきた。
彼のいとこで、米農家の娘だった。祖父は狡猾だった。この少女は一文無しで、教育を受けていなかったし、従順に見えた。さらに彼女の両親は、2倍も年の離れた養豚家と結婚させようとしていた。彼女はどうしようもなく不幸だったが、ほかに行くあてがなかった。そこで、祖父は彼女にある提案をした。 12歳になったばかりの娘の世話をしてくれるなら、���料と住まいを与えよう──。
彼女、つまりロラは承諾した。ただ、死ぬまでずっとだとは思っていなかった。
「彼女はおまえへのプレゼントだ」と、祖父は私の母に告げた。
「いらない」と母は答えた。だが、受け入れるしかないのはわかっていた。やがて陸軍中尉だった祖父は日本との戦いへ赴き、田舎の老朽化した家で、母はロラと2人きりになった。ロラは母に食べさせ、身づくろいをしてやった。市場へ出かけるときは、傘をさして母を太陽から守った。犬にエサをやり、床掃除をして、川で手洗いした洗濯物を畳んだ。そして、夜になると母のベッドの端に座り、眠りにつくまでうちわで扇いだ。
戦争中のある日、帰宅した祖父が、母のついた嘘を問い詰めた。絶対に言葉を交わしてはいけない男の子について、何らかの嘘をついたらしい。激高した祖父は、「テーブルのところに立て」と母に命じた。
母はロラと一緒に、部屋の隅で縮こまった。そして震える声で、「ロラが代わりに罰を受ける」と父に告げたのだ。ロラはすがるような目で母を見ると、何も言わずにダイニングテーブルへ向かい、その端を握った。祖父はベルトを振り上げ、12発ロラを打った。打ち下ろすたびに、「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」と吠えた。ロラはひとことも発さなかった。
のちに母がこの話をしたとき、あまりの理不尽さを面白がっているようだった。「ねえ、私がそんなことしたなんて信じられる?」とでも言っているようだった。これについてロラに訊くと、彼女は母がどのように語ったのか知りたがった。彼女は目を伏せながらじっと聞き入り、話が終わると悲しそうに私を見てこう言った。
「はい。そういうこともありました」
彼女が「奴隷」だと気づいた日
ロラと出会ってから7年後の1950年、母は父と結婚し、マニラへ引っ越した。その際、ロラも連れていった。祖父は長年のあいだ「悪魔に取り憑かれて」いて、1951年、それを黙らせるために自分のこめかみへ弾丸を打ち込んだ。母がその話をすることはほとんどなかった。
彼女は父親と同じく気分屋で、尊大で、内側には弱さを抱えていた。父の教えはどれも肝に銘じていて、その1つが、田舎の女主人にふさわしい振る舞い方だった。つまり、自分より地位の低い者に対しては、常に上に立つ者として行動する、ということだ。
それは、彼ら自身のためでもあり、家庭のためでもある。彼らは泣いて文句を言うかもしれないが、心の底では感謝しているはずだ。神の御心のままに生きられるよう助けてくれた、と。
1951年に、私の兄アーサーが生まれた。その次が私で、さらに3人が立て続けに生まれた。ロラは、両親に尽くしてきたのと同じように、私たち兄妹にも尽くすことを求められた。ロラが私たちの世話をしているあいだ、両親は学校に通い、「立派な学位はあるけれど仕事がない大勢の人々」の仲間入りをした。
だが、そこへ大きなチャンスが訪れた。父が、外務省でアナリストとして雇ってもらえることになったのだ。給料はわずかだったが、職場は米国だった。米国は、両親が子供の頃から憧れていた国だ。彼らにとって、願っていたことすべてが叶うかもしれない、夢の場所だった。
父は、家族とメイドを1人連れていくことを許された。おそらく共働きになると考えていたので、子供の世話や家事をしてくれるロラが必要だった。母がロラにそのことを告げると、母にとって腹立たしいことに、ロラはすぐには承諾しなかった。
それから何年も経ったあとにロラが当時のことを話してくれたのだが、実は恐ろしかったのだという。
「あまりに遠くて。あなたのお母さんとお父さんが私を帰らせてくれないんじゃないかと思ったんです」
結局、ロラが納得したのは、米国に行けばいろんなことが変わると、父が約束したからだった。米国でやっていけるようになったら、「おこづかい」をやると父は言った。そうすれば、ロラは両親や村に住む親戚に仕送りができる。
彼女の両親は、地面がむき出しの掘っ立て小屋に暮らしていた。ロラは彼らのためにコンクリートの家を建ててやれるし、そうすれば人生が変わる。ほら、考えてもごらんよ。
1964年5月12日、私たちはロサンゼルスに降り立った。ロラが母のところへ来てからすでに21年が経っていた。いろいろな意味で、自分にとっては父や母よりも、ロラのほうが親という感じがしていた。毎朝最初に見るのは彼女の顔だったし、寝る前に最後に見るのも彼女だった。
赤ちゃんの頃、「ママ」や「パパ」と言えるようになるよりずっと前に、ロラの名前を呼んでいた。幼児の頃は、ロラに抱っこしてもらうか、少なくともロラが近くにいないと絶対に眠れなかった。
家族が渡米したとき、私は4歳だった。まだ幼かったので、ロラが我が家でどういう立場なのかを問うことはできなかった。だが、太平洋のこちら側で育った兄妹や私は、世界を違った目で見るようになっていた。海を越えたことで、意識が変わったのだ。一方で、母と父は意識を変えることができなかった。いや、変えることを拒んでいた。
結局、ロラがおこづかいをもらうことはなかった。米国へ来て数年が経った頃、それとなく両親に訊いてみたことがあるという。当時、ロラの母親は病気で、必要な薬を買うお金がなかった。
「可能でしょうか?」
母はため息をついた。「よくそんなことを言えたもんだ」と父はタガログ語で答えた。
「カネに困っているのはわかってるだろ。恥ずかしいと思わないのか」
両親は、米国へ移住するために借金をしていて、米国に残るためにさらに借金していた。父は、ロサンゼルスの総領事館からシアトルのフィリピン領事館に異動した。年収5600ドルの仕事だった。収入を補うためにトレーラーの清掃の仕事を始め、それに加えて、借金の取り立てを請け負うようになった。
母は、いくつかの医療研究所で助手の仕事を見つけた。私たちが両親に会えることはほとんどなく、会えたとしても彼らはたいてい疲れ切っていて不機嫌だった。
母は帰宅すると、家がきちんと掃除されていないとか、郵便受けを確認していないなどと言っては、ロラを叱責した。「帰るまでに、ここに郵便を置いておけって言ったでしょ?」と、敵意をむき出しにタガログ語で母は言う。
「難しいことじゃないし、バカでも覚えられるでしょ」
そして父が帰宅すると、今度は彼の番だった。父が声を荒らげると、家中の誰もが縮こまった。ときには、ロラが泣き出すまで2人がかりで怒鳴りつけた。まるで、ロラを泣かせることが目的だったかのように。
私にはよくわからなかった。両親は子供たちによくしてくれたし、私たちは両親が大好きだった。だが、子供たちに優しくしていたかと思うと、次の瞬間にはロラに悪態をつくのだ。
ようやくロラの立場をはっきりと理解するようになったのは、11歳か12歳の頃だった。8歳年上の兄アーサーは、ロラの扱いに怒りを覚えるようになってから何年も経っていた。ロラの存在を理解するために「奴隷」という言葉を教えてくれたのはアーサーだった。その言葉を知る前は、ただ不運な家庭の一員だとしか思っていなかった。
両親が彼女を怒鳴りつけるのは嫌だったが、それがモラルに反することであり、彼女の立場そのものがモラルに反することだとは考えてみたこともなかった。
「彼女みたいに扱われてる人を、1人でも知ってるか?」とアーサーは私に聞いた。そして、ロラの境遇を次のようにまとめた。
無給。毎日働きっぱなし。長く座ったままだったり早く就寝したりすると、こっぴどく叱られる。口答えをすると殴られる。着ているのはおさがりばかり。キッチンで残り物を独りで食べる。ほとんど外出しない。家族のほかに友人はいないし、趣味もない。自分の部屋もない(彼女はどこか空いた場所に寝るのが普通だった。ソファかクローゼットか、妹たちの寝室の片隅か。よく洗濯物に囲まれて寝ていた)。
ロラと似たような立場の人を探しても、見つかるとしたらテレビや映画に出てくる奴隷だった。
奴隷の存在を隠し続けるしかなかった
ある晩、当時9歳だった妹のリングが夕食をとっていないと知った父が、ロラの怠慢を叱った。父は、ロラを見下ろしてにらみつけた。「食べさせようとしたんです」とロラは訴えた。だが彼女の返答は説得力がなく、さらに父をいら立たせるだけだった。そして、彼はロラの腕を殴った。ロラは部屋を飛び出した。動物のように泣き叫ぶ彼女の声が聞こえてきた。
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」と私は言った。
両親が振り返って私を見た。驚いた様子だった。いつも涙がこぼれる前にそうなるように、自分の顔がピクピクしているのを感じた。でも、絶対に泣くまいと思った。母の目には、これまで見たことのないものが浮かんでいた。もしかして、妬みだろうか?
「ロラを守ろうとしているのか」と父は訊いた。「そうなのか?」
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」
私はすすり泣くように、そう繰り返した。
私は13歳だった。私の世話に日々を費やしていたロラを弁護しようとしたのは、初めてのことだった。いつもタガログ語の子守唄を歌ってくれたし、私が学校に行くようになると、朝には服を着せて朝食を食べさせ、送り迎えをしてくれた。あるときは、長いあいだ病気で弱りきって何も喉を通らなかった私のために食べ物を噛み砕き、小さなかけらにして食べさせてくれたこともあった。
私が両脚にギプスをしていたときは、彼女は手ぬぐいで体を洗ってくれたし、夜中に薬を持ってきてくれたりして、数ヵ月におよぶリハビリを支えてくれた。そのあいだずっと私は不機嫌だった。それでもロラが文句を言ったり、怒ったりすることは1度たりともなかった。
そんな彼女が泣き叫ぶ声を聞いて、頭がおかしくなりそうだったのだ。
祖国フィリピンでは、両親はロラの扱いを隠す必要性を感じなかった。米国では、さらにひどい扱い方をしたが、それを隠すために苦心した。家に客が来れば、彼女を無視するか、何か訊かれたら嘘をついてすぐに話題を変えた。
シアトル北部で暮らしていた5年間、私たちはミスラー家の向かいに住んでいた。ミスラー家は賑やかな8人家族で、サケ釣りやアメリカン・フットボールのテレビ観戦の楽しみを教えてくれた。
テレビ中継を観て応援する私たちのところへ、ロラが食べ物や飲み物を持ってくる。すると両親はほほ笑んで「ありがとう」と言い、ロラはすぐに姿を消す。あるとき、ミスラー家の父が、「キッチンにいるあの小柄な女性は誰?」と尋ねた。「フィリピンの親戚だよ」と父は答えた。「とてもシャイでね」と。
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だが、私の親友だったビリー・ミスラーは、そんな話を信じなかった。よくうちに遊びに来ていたし、週末に泊まることもあったので、我が家の秘密を垣間見ていた。
彼は一度、私の母親がキッチンで叫んでいるのを聞き、何事かとその場を覗き、顔を真っ赤にした私の母とキッチンの隅で震えていたローラを見た。私はその数秒後にその場を目撃した。ビリーはきまり悪さと混乱が混ざったような表情をしていた。"あれはなんだ?" 私はそれを無視して忘れるように彼に言った。
ビリーはおそらくローラをかわいそうだと思ったことだろう。彼はローラの料理を誉め、彼女をよく笑わせた、私が見たことがないような笑顔をローラは見せていた。お泊り会の時にはローラはビリーの好きなフィリピン料理、白米の上に牛肉のタパを乗せた料理を作った。(beef tapa:薄切りの牛肉を魚醤・ニンニク・砂糖・塩・コショウなどで炒めたフィリピンの家庭料理)
料理はローラ唯一の自己主張の方法であり、それは雄弁だった。少なくとも私たちは彼女の作る料理に愛情というものがこもっていたことをはっきりと認識していた。
そしてある日、私がローラを遠い親戚だと言及したとき、ビリーは私と最初に会った時に私が彼女を祖母だと言っていたことを思い出した。
「なんていうかまあ、彼女はそのどちらでもあるというか...」と私は言葉を濁した。
「なぜ彼女はいつも働いているのんだ?」
「彼女は仕事が好きなんだよ」私は答えた。
「君のお父さんとお母さん、彼らはなぜ彼女を怒鳴りつけるんだ?」
「彼女は耳があまり良くないんだ...」
真実を認めてしまうことは、私たち家族の秘密を暴露することを意味していた。 アメリカに来て最初の10年、私たちはこの新しい土地になじむ努力をした。だが奴隷を持つという事実だけはこの国ではなじみようがなかった。奴隷を持つことは、私たち家族に対する、私たちのこれまですべてに対する強い疑問を私にもたらした。
私たちはこの国に受け入れられるに足るべき存在なのか?
私はそれらをすべて恥じていた、私自身もまた共犯者であることを含めて。彼女が調理した料理を食べ、彼女が洗濯しアイロンをかけクローゼットに掛けた服を着たのは誰だ? しかしそれでも、仮に彼女を失うことになっていたとしたらそれは耐えがたいことだっただろう。
そして奴隷を持つということ以外にもう一つ、私たち家族には秘密があった。私たちが米国に到着してから5年後、ローラの滞在許可は1969年に失効していたのだ。彼女は私の父の仕事に関連付けられた特殊なパスポートで渡米した。
父は上司との度重なる仲たがいの後に勤めていた領事館を辞め、その後も米国に滞在するため家族の永住権を手配したが、ローラにはその資格がなかった。父はローラを国に返すべきだったのにそうしなかった。
51歳当時のローラ。彼女の母親はこの写真が撮影される数年前に亡くなった。彼女の父親はその数年後に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。
All photos courtesy of Alex Tizon and his family ローラの母、フェルミナは1973年に亡くなった。彼女の父、ヒラリオは1979年に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。 そのいずれの時も、私の両親は "すまない" "金銭的な余裕がないんだ" "時間を作れない" "子供たちは君を必要としている" と答えた。
私の両親は後に私に告白したが、そこには彼女を返すことのできない別な理由もあったという。当局がローラの存在を知れば、そして彼女が望む通りアメリカを離れようとすれば当然知られることになる、そんな事態になれば私の両親は大きな問題を抱えることになり、国外追放される可能性も十分にあったのだ。
彼らはそのような危険を犯すことはできなかった。ローラの法的地位は「逃亡者」となっていた。彼女はほぼ20年間 "逃亡者" としてこの国に滞在したのだ。
彼女の両親がそれぞれ亡くなった後、ローラは何ヶ月も陰鬱に、寡黙になった。私の両親がしつこく言っても彼女はほとんど答えなかった。だがしつこく言うことが終わるわけでもなく、ローラは顔を下げたまま仕事をした。
そして父が仕事を辞めたことで私たち家族にとって波乱となる時期が始まった。金銭的に苦しくなり、両親は次第に仲たがいするようになった。シアトルからホノルルへ、そしてまたシアトルへと戻り今度はブロンクスへ、転々と住む場所を変え、最終的にはオレゴン州の人口750人の小さな町、ウマティラに移った。
その間、母は医療インターンとして、その後に研修医として24時間シフトで働き、父は何日も姿を消すようになっていた。父はよくわからない仕事をしており、それとは別に私たちは後に浮気やらなにやらしていたことを知った。突然家に帰り、ブラックジャックで新しく買ったステーションワゴンを失ったと言い出したこともあった。
家では、ローラが唯一の大人になる日が何日も続くようになった。彼女は家族の中で最も私たち子供の生活を知る人となっていた、私の両親にはそのような精神的な余裕がなかったがゆえに。
私たち兄弟はよく友人を家に連れてきた。彼女は私たちが学校の事や女の子の事、男の子の事、私たちが話す様々な事を聞いていた。彼女は私たちの会話をただ立ち聞きしていただけで、私が6年生から高校までフラれたすべての女の子の名前を挙げることができたのにはまいった。
そして私が15歳の時、父は家族から去っていった。私は当時それを信じたくなかったが、父が私たち子供を捨てて、25年の結婚生活の後に母を捨てたという事実だけがそこにあった。
母はその時点で正式な医師になるまであと1年を要しており、また彼女の専門分野である内科医は特に儲かる仕事ではなく、さらに父は養育費を払わなかったので、お金のやりくりはいつも大変だった。
母は仕事に行ける程度には気持ちをしっかり保っていたが、夜は自己憐憫と絶望で崩壊した。この時期の母の慰めとなったのはローラだった。
母が小さなことで彼女にきつく言う度に、ローラはより かいがいしく母の世話をした。母の好きな料理を作り、母のベッドルームをより丁寧に掃除した。夜遅くにキッチンカウンターで母がローラに愚痴をこぼしたり、父のことについて話したり、時には意地悪く笑ったり、父の非道にを怒ったりしていたのを何度も目撃した。
ある夜、母は泣きながらローラを探しリビングルームに駆け入り、彼女の腕の中で崩れ落ちた。ローラは、私たちが子供の頃にそうしてくれたように母に穏やかに話しかけていた。私はそんな彼女に畏敬の念を抱いた。
"母と私は一晩中言い争った。お互い泣きじゃくっていたが、私たちはそれぞれ全く違った理由で泣いた。"
私の両親が離婚してから数年後、私の母親は友人を通して知り会ったクロアチアの移民イワンという男性と再婚し母はローラに対し新しい夫にも忠誠を誓うことを要求した。イワンは高校を中退し過去4回結婚しているような男で、私の母の金を使いギャンブルに興じる常習的なギャンブラーだった。
だがそんなイワンは、私が見たことのないローラの一面を引き出した。 彼との結婚生活は当初から不安定であり、特に彼が母の稼いだお金を使い込むことが問題となっていた。
ある日、言い争いの末に母が泣きイワンが怒鳴り散らしていると、ローラは歩いて両者の間に立ちふさがった。彼は250ポンド(約113kg)の大柄な男でその怒鳴り声は家の壁を揺らすような大きさだった。だがローラはそんなイワンの正面を向き、毅然とした態度で彼の名前を呼んだ。彼は面食らったような顔でローラの顔を見た後、何か言いたそうにしながらも側の椅子に座った。
そんな光景を何度も目撃したが、ローラはそんほとんどにおいて母が望んだとおりイワンに粛々と仕えていた。私は彼女のそのような様を、特にイワンのような男に隷属する様を見るのがとても辛かった。だがそれ以上に���の感情を高ぶらせ、最終的に母と間で大喧嘩に発展させたのはもっと"日常的"なことだった。
母はローラが病気になるといつも怒っていた。ローラが動けないことで生じる混乱とその治療にかかる費用に対処することを望んでいなかった母は、ローラに対し嘘を言っているのだろうと、自分自身のケアを怠った結果だと非難した。
そして1970年代後半にローラの歯が病気によって抜け落ちた時も母は適切な対処を拒んだ。ローラは何ヶ月も前から歯が痛いと言っていた。
「きちんと歯を磨かないからそうなるんでしょ」母は彼女にそう言った。私は彼女を歯医者に連れていかなければならないと何度も言った。もう50代になる彼女はこれまで一度として歯医者に行ったことがなかった。当時私は1時間ほど離れた大学に通っており家に帰るたびにそのことを母に言った。
ローラは毎日痛み止めのためのアスピリンを服用し、彼女の歯はまるで崩れかけたストーンヘンジのようになっていた。そしてある晩、ローラがかろうじてまともな状態で残っていた奥歯でパンを必死に噛んでいる様を見て、私は怒りのあまり我を失った。
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母と私は、夜通し口げんかした。2人とも泣きじゃくった。
母は、みんなを支えるために身を粉にして働くのに疲れ切っているし、いつも子供たちがロラに味方するのにうんざりしているし、ロラなんてどこかへやってしまえばいいじゃないか、そもそも欲し��なんかなかったし、私のような傲慢で聖人ぶった偽善者なんか産まなければよかった──とまくし立てた。
彼女の言葉を反芻して、私は反撃に出た。
偽善者ならそっちだ。ずっと見せかけの人生を生きているじゃないか。自己憐憫に浸ってばかりだから、ロラの歯が腐ってほとんど食べられないことに気づかないんだろ。1度でいいから、自分に仕えるために生きている奴隷ではなく、1人の人間として見てあげたらどうなんだ?
「奴隷って言ったわね」
母はその言葉をかみしめた。
「奴隷ですって?」
母は、ロラとの関係は私には絶対に理解できないと言い放ち、その晩はそれで終わった。
何年も経ったいまでも、痛みをこらえるような、あのうめき声を思い返すだけで腹を殴られたような気分になる。自分の母親を憎むのは最悪だが、その晩は母を憎んだ。彼女の目を見る限り、母も私を憎んでいるのは明らかだった。
けんかの結果、ロラが自分から子供たちを奪ったという母の恐怖は強まり、ロラ本人にそのつけが回った。母はよりいっそうつらく当たった。
「私があなたの子供たちに嫌われてさぞかしうれしいでしょうね」などと言って苦しめた。私たちがロラの家事を手伝うと、母は憤った。「ロラ、もう寝たほうがいいんじゃないの」と皮肉たっぷりに言うのだ。
「働きすぎよ。あなたの子供たちが心配してるわよ」
そのあとで、寝室へロラを呼び出し、ロラは目をパンパンに腫らせて戻ってくるのだった。
ついにロラは、自分を助けようとするのはやめてくれと訴えた。
「なぜ逃げないの?」と私たちは訊いた。
「誰が料理をするんですか?」と彼女は答えた。誰が仕事を全部やるのか、と言いたかったのだろう。誰が子供たちの世話をするのか? 誰が母の世話をするのか?
別のときには、「逃げるところなんてどこにあるんですか?」と言った。この返事のほうが真実味があった。米国へ来るときは大慌てだったし、息をつく間もなく10年が経った。振り返ると、さらに10年が経とうとしていた。ロラは白髪が増えていた。
噂によれば、故郷の親戚たちは、約束された仕送りが届かないので、何が起きたのかといぶかしんでいたという。彼女はもはや恥ずかしくて帰れなかったのだ。
ロラには米国に知り合いもいなかったし、移動手段もなかった。電話に戸惑ったし、ATMやインターホン、自動販売機、キーボードのついているもの全般など、機械を見るとパニックに陥った。早口な人の前では言葉を失い、逆に彼女のたどたどしい英語を聞くと相手が言葉を失った。予約をしたり、旅行を企画したり、用紙に記入したり、自分で食事を注文したりすることができなかった。
あるとき、私の銀行口座からお金を下ろせるキャッシュカードをロラに与え、使い方を教えてやったことがある。1度は成功したが、2度目は動揺してしまい、それっきり試そうともしなかった。でも、私からの贈り物だと思ってカードは大切にしてくれていた。
また、車の運転を教えようとしたこともある。彼女は手を振って拒否したが、私はロラを抱き上げて車のところへ連れていき、運転席に座らせた。お互い笑い転げていた。
20分かけて、ギアやメーターなどをひと通り説明してあげた。初めは楽しそうにしていた彼女の目が、恐怖におびえはじめた。エンジンをかけてダッシュボードが点灯すると、あっという間に彼女は車を飛び出して家のなかへ駆け込んでしまった。あと数回やってみたが、結果は同じだった。
私は、運転ができるようになれば、彼女の人生が変わると思ったのだ。自分でいろんなところへ行ける。母との生活が耐えられなくなったら、どこかへ逃げて、2度と戻らなければいい。
高まる緊張
4車線が2車線になり、舗装道路が砂利道になった。竹を大量に載せた水牛や車が行き交うなか、三輪車が通り抜ける。ときおり私たちのトラックの前を犬やヤギが走り抜け、バンパーをかすめそうになる。でもマニラで雇った中年の運転手、ドゥーズはスピードを落とさない。
私は地図を取り出し、目的地のマヤントクという村までの道のりをたどった。窓の外には、遠くのほうで大量の折れた釘のように腰を曲げている人々がかすかに見えた。数千年前からずっと変わらないやり方で、米を収穫しているのだ。到着まであと少しだ。
自分の膝の上に置いた安っぽいプラスチックの箱をトントンと叩き、磁器や紫檀で作られた本物の骨壷を買わなかったことを後悔した。ロラの親族はどう思うだろう?
もちろん、そんなに大勢いるわけではなかった。唯一残った兄妹が妹のグレゴリアで、年齢は98歳を数え、物忘れが激しくなっているとのことだった。親戚によると、ロラの名前を聞くとわっと泣き出し、次の瞬間にはなぜ泣いているのかわからなくなるという。
私は、ロラの姪と連絡をとっていた。彼女は次のように1日を計画していた。私が到着したら、ささやかな追悼式をおこない、祈りを捧げ、マヤントクの共同墓地の一画に遺灰を埋葬する──。
ロラが亡くなってから5年が経っていたが、まだ最後のさようならを言っていなかった。間もなくそのときが訪れようとしていた。
朝からずっと、激しい悲しみを抑え込もうと必死だった。ドゥーズの前で泣いたりしたくなかった。自分の家族のロラに対する扱いを恥じるよりも、マヤントクの親族が私にどんな態度をとるだろうかという不安よりも、彼女を失ったことの重さのほうが強かった。まるで前の日に亡くなったばかりのようだった。
ドゥーズは、ロムロ・ハイウェイを北西へと進み、カミリングで急カーブを左に曲がった。母と祖父の出身地だ。2車線が1車線になり、砂利道が泥道になった。道は、カミリング川沿いを走っていた。竹でできた家々が並び、前方には緑の丘が見えた。いよいよ大詰めだ。
物語の脇役であり続けたロラ
母の葬儀で述べた私の弔辞は、すべて本当のことだった。母は、勇敢で、活発だったこと、貧乏くじを引くこともあったけれど、彼女にできる限りのことをしたこと。幸せなときはキラキラしていたし、子供たちを溺愛していて、オレゴン州セイラムに正真正銘の「我が家」を作ってくれたこと。
1980年代と90年代を通して、その家は私たちがそれまで持ち得なかった「定住地」となった。もう1度ありがとうと言えたらいいのに。
私たちみんなが母を愛していた。
だが、ロラの話はしなかった。母が晩年になると、私は彼女といるときにはロラのことを考えないようにしていた。自分の脳にそういう細工をしないと、母を愛することができなかった。それが、親子関係を続ける唯一の方法だったのだ。
とくに、90年代半ばから母が病気がちになってからは、良い関係を保ちたかった。糖尿病、乳がん、そして、血液と骨髄の癌である急性骨髄性白血病。まるで1晩のうちに健常から虚弱へと転落したようだった。
あの大げんかのあと、私は家を避けるようになり、23歳でシアトルに移り住んだ。ただ、実家を訪れると、変化が見られるようになった。母はいつもの母だったが、前のように容赦ない人間ではなかった。
ロラに立派な入れ歯と寝室を与えた。ロナルド・レーガンによる画期的な1986年の移民法で、何百万人という不法移民に合法的な滞在が認められたとき、ロラのTNT(フィリピン人が言う「タゴ・ナング・タゴ」の略。「逃亡中という意味)としての立場を変えようと尽力した兄妹と私に母も協力した。
手続きは長引いたが、1998年10月にロラは米国籍を取得した。母が白血病と診断されてから4ヵ月後のことであり、母はそれから1年間しか生きられなかった。
そのあいだ、母と後夫のアイヴァンはよくオレゴン州の海岸にあるリンカーンシティへ出かけた。ロラを連れていくこともあった。ロラは海が大好きだった。海の向こう側には、いつの日か戻れることを夢見る島々があった。
それに、母がくつろいでいるとロラは幸せだった。海辺で過ごす午後や、田舎で暮らした日々の思い出話をするキッチンでの15分間だけで、ロラは長年の苦悩を忘れてしまうようだった。
だが、私はそんな簡単に忘れることはできなかった。でも、母の違う面が見えるようにもなってきた。亡くなる前に、母はトランク2つにぎっしり詰められた日記を見せてくれた。彼女が寝ているすぐそばで日記に目を通していると、長年私が目を向けようともしなかった母の人生が垣間見えた。
彼女は、女性が医者になることが珍しかった時代に医学部へ通った。米国へ来て、女性として、また移民の医者として、尊敬を勝ち取るために闘った。セイラムにある「フェアビュー・トレーニングセンター」で20年働いた。そこは、発達障害者のための公共機関だった。
皮肉なことに、母はキャリアを通じて弱者を助け続けていたのだ。彼らは母を崇拝した。女性の同僚たちと仲良くなり、一緒にたわいのない女子っぽいことをして遊んだ。靴を買いに行ったり、お互いの家でおめかしパーティーをしたり、冗談で男性器の形をした石けんや半裸の男性たちのカレンダーを贈り合ったりした。そのあいだずっと、彼女たちは笑い転げていた。
当時のパーティーの写真を見ていると、母は家族とロラに見せるのとは別の自分を持っていたことがわかった。それは当然のことだろう。
母は子供たち一人ひとりについて詳しく書いていた。誇りに思ったり、愛しく感じたり、憤慨したり、その日に感じたことを綴っていた。さらに、夫たちについての記述は膨大な量におよんだ。彼らは、母の物語に登場する複雑な性格の人物として描かれていた。
ただし、私たちはみんな重要な登場人物だったのに、ロラは付随的な存在だった。登場するとすれば、別の誰かの物語における端役としてだった。
「最愛のアレックスをロラが新しい学校へ連れていった。新しい友だちが早くできるといいな。引っ越ししたことの寂しさがまぎれるように……」
それから私について2ページ書かれ、ロラはもう登場しない。そんな調子だった。
母が亡くなる前日、カトリックの神父が臨終の秘跡をおこなうために訪れた。ロラはベッドの脇に座り、ストローを差したカップをいつでも母の口元へ持っていけるように備えていた。これまで以上に母を気づかい、これまで以上に優しくしていた。弱りきった母につけ込むこともできたし、復讐をすることもできたのに、ロラの態度は真逆だった。
神父は母に、赦したいこと、または赦しを請いたいことはないかと尋ねた。
彼女はまぶたが半ば閉じたまま部屋を見回したが、何も言わなかった。そして、ロラを直接見ることなく、伸ばした手を彼女の頭に乗せた。一言も発さずに。
「奴隷」から抜けきれない日々
ロラを私のところへ呼び寄せたのは、彼女が75歳のときだった。私はすでに結婚して2人の娘がいて、周りに木が生い茂る居心地の良い家に住んでいた。2階からはピュージェット湾を見渡せた。
ロラには寝室を与え、何をしてもいいよと伝えた。朝寝するなり、テレビドラマを観るなり、1日中ゆっくりするなりすればいい。人生で初めて、思いっきりリラックスして、自由になればいい、と。でも、そう簡単にはいかないと覚悟しておくべきだった。
私は、ロラの厄介なところをすっかり忘れてしまっていた。風邪をひくからセーターを着ろとしつこいこと(すでに私は40歳を超えているというのに)。常に父とアイヴァンの不平を言うこと(父は「怠け者」で、アイヴァンは「ヒル」だった)。
私は次第に彼女を無視する方法を身につけた。でも、異常なまでの倹約ぶりは無視しにくかった。ロラは何も捨てたがらなかったのだ。しかも、私たちがまだ使えるものを捨てていないか、ゴミを漁って確認していた頃もあった。紙タオルがもったいないと、何度も洗って使い回し、しまいには手のひらでボロボロになるほどだった(誰もそれを触ろうとしなかった)。
キッチンはレジ袋やヨーグルト容器、空の瓶でいっぱいになり、家の一部はゴミ置き場になった。そう、ゴミだ。それ以外に言いようがない。
朝はみんな時間がなくて、バナナかグラノーラ・バーをかじりながら家を飛び出すというのに、��ラは朝食を作った。ベッドメイクをして、洗濯物をした。家の掃除をした。最初は辛抱強く、私はこう言い続けた。
「ロラ、そんなことはしなくていいんだよ」「ロラ、自分たちでやるからね」「ロラ、それは娘たちの仕事だよ」
だが、「オーケー」と彼女は言ってそのまま続けるのだった。
ロラがキッチンで立ったまま食事をとっていたり、私が部屋に入ってくると体をこわばらせて掃除を始めたりするのを目にすると、イライラさせられた。数ヵ月経ったある日、話がある、と彼女を呼んだ。
「私は父じゃない。あなたは奴隷じゃないんだ」
そう言って、ロラの奴隷のような行動を一つひとつ挙げていった。彼女が驚いた様子なのに気づいたので、ゆっくり深呼吸してロラの顔を手のひらで包んだ。エルフのような顔のロラが、探るような目で私を見つめ返す。私はその額にキスをした。
「ここはあなたの家だ。私たちに仕えるために来たわけじゃない。リラックスしていいんだ。オーケー?」
「オーケー」と彼女は言った。そして、掃除に戻った。
彼女は、それ以外どうしていいかがわからなかったのだ。次第に、リラックスするべきなのは自分だ、と気づいた。夕食を作りたがるなら、やらせてあげよう。ありがとうと言って、自分たちは皿洗いをすればいい。何度も自分に言い聞かせなければならなかった。やりたいようにやらせてあげろ、と。
ある晩、帰宅するとロラがソファでパズルをしているところを見つけた。脚を伸ばして、テレビをつけ、隣にはお茶を用意して。彼女は私をチラッと見て、きまり悪そうに真っ白な入れ歯を見せて笑い、パズルを続けた。良い調子だ、と私は思った。
さらに彼女は、裏庭でガーデニングを始めた。バラやチューリップや、あらゆる種類の蘭を植えて、それにかかりっきりになる日もあった。また、近所を散歩するようにもなった。
80歳くらいになると関節炎がひどくなり、杖をつくようになった。キッチンでは、かつては下働きの料理人のようだったのが、その気になったときだけ創作する職人肌のシェフのようになった。ときに豪華な食事を作っては、ガツガツ食べる私たちを見てにっこり笑うのだった。
ロラの寝室の前を通ると、よくフィリピンのフォークソングのカセットが聞こえてきた。彼女は同じテープを何度も繰り返し聴いていた。私と妻は週に200ドルを彼女に渡していたが、ほぼ全額を故郷の親戚に送金していることを知っていた。そしてある日、裏のベランダに座り込んだ彼女が、誰かから送られてきた村の写真をじっと眺めているのを発見した。
「ロラ、帰りたいの?」
彼女は写真を裏返しにして、そこに書かれた文字を指でなぞった。それから再び表に返し、1点を食い入るように見つめた。
「はい」と彼女は答えた。
83歳の誕生日のすぐあとに、彼女が帰国するための飛行機代を出してあげた。1ヵ月後に私もそこへ行き、米国に戻る意志があるなら連れて帰ることになっていた。はっきり口にしていたわけではないが、旅の目的は、長年のあいだ戻りたいと切望していた場所が、今なお故郷のように感じられるかどうかを見極めることだった。
彼女は答えを見つけた。
「何もかも違っていた」と、故郷のマヤントクを私と散歩しながら彼女は言った。昔の畑はなくなっていた。家もなかった。両親も、兄妹のほとんども亡くなっていた。まだ生きていた子供時代の友人は、他人のようだった。再会できてうれしかったけれど、昔と同じではなかった。ここで死にたいけれど、まだその心構えができていない。
「じゃあ庭の世話に戻る?」と私は訊いた。すると、ロラはこう答えた。
「はい。帰りましょう」
奴隷としての一生
ロラは、幼い頃の私や兄妹たちと同じように、私の娘たちの世話をしてくれた。学校が終わると、話を聞いてあげて、おやつを与えた。妻や私と違って(主に私だが)、学校の行事や発表会を最初から最後まで楽しんだ。もっと見たくて仕方がないようだった。いつも前のほうに座り、プログラムは記念にとっておいた。
ロラを喜ばせるのは簡単だった。家族旅行にはいつも連れていったが、家から丘を降りたところのファーマーズ・マーケットに行くだけで興奮した。遠足に来た子供のように目を丸くして、「見て、あのズッキーニ!」と言うのだ。
毎朝、起きると必ずやることと言えば、家中のブラインドを開けることだった。そして、どの窓でも一瞬立ち止まって外の景色を眺めるのだ。
さらに、自力で字を読めるようになった。驚くべき進歩だった。長年かけて、彼女は文字をどう発音するかを解明したようだった。たくさん並べられた文字のなかから、単語を見つけてマルで囲むパズルをよくやっていた。
部屋にはワードパズルの冊子が積み上げられていて、鉛筆で何千という単語がマルで囲まれていた。毎日ニュースを見て、聞き覚えのある単語を拾った。それから、新聞で同じ単語を見つけ、意味を推測した。そのうち、新聞を最初から最後まで毎日読むようになった。
父は、彼女のことを「無知だ」と言っていた。でも、8歳から田んぼで働くのではなく、読み書きを学習していたら、どんな人になっていただろうかと考えずにいられなかった。
一緒に暮らしていた12年のあいだずっと、私は彼女の人生についていろいろ質問をした。私が彼女の身の上話の全容を明らかにしようとするのを、彼女は不思議がった。私が質問すると、たいていまずは「なぜ?」と返すのだった。
なぜ彼女の幼少期のことを知りたがるのか? どうやってあなたの祖父と出会ったのかなんて、なぜ知りたがるのか?
妹のリングに、ロラの過去の恋愛について訊いてもらおうとしたことがある。妹のほうが話しやすいと思ったからだ。リングにそう頼むと、彼女はケラケラ笑った。その笑い方は、要するに協力する気がないということだ。
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ある日ローラと私がスーパーで買った食料品をしまっている時に、私はついこんな質問をしてしまった。
「ローラ、君は誰かとロマンチックな経験をしたことはあるかい?」
彼女は微笑んで、彼女が唯一持つ異性との話を私に語った。
彼女が15歳くらいの頃、近くの農場にペドロというハンサムな男の子がおり数ヶ月間彼らは一緒に米を収穫したという。そして一度、彼女はその作業に使っていたボロという農具を手から落としてしまったことがあり、彼はすぐにそれを拾い上げ手渡してくれた。
「私は彼が好きでした。」ローラはそう言った。
しばらく、お互い黙ったままで
「それから?」
「彼はその後すぐに立ち去ってしまいました。」
「それから?」
「それだけです。」
「ローラ、君はセックスをしたことがある?」私は、まるで誰か他人が言ったのを聞いたように、そう質問する自分の声を聞いた。
「いいえ。」彼女はそう答えた。
彼女は個人的な質問に慣れていなかった。彼女は私の質問に1つまたは2つの単語で答えることが多く、単純な物語でさえも引き出すには何十もの質問が必要だった。私はそれらの質問を通してそれまで知り得なかった彼女の一面を知った。
ローラは母の残酷な仕打ちにはらわたが煮えたぎる思いをしたが、それにもかかわらず母が亡くなったことを悲しく思っていたことを知った。彼女がまだ若かった頃、時々どうしようもなく寂しさを感じ泣くことしかできなかった日が何度もあったことを知った。
何年も異性と付き合うことを夢見ていたことを知った、私は彼女が夜に大きな枕で抱かれるように包まれた状態で寝ている光景を目撃したことがある。だが老後の今、私に語ってくれた話によると、母の夫たちと一緒に暮らすうちに独り身でいることはそれほど悪くないと思ったという。彼女はその二人、父とイワンについては全く懐旧の情に駆られないそうだ。
もしかしたら、彼女が私の家族に迎えられることなく故郷マヤントクで暮らしていたら、結婚し、彼女の兄妹のように家族を持っていたら、彼女の人生はより良いものになっていたかもしれない。だがもしかしたら、それはもっと悪いものになっていたかもしれない。ローラの2人の妹、フランシスカとゼプリャナは病気で亡くなり、兄弟であるクラウディオは殺されたと後に聞かされた。
そんな話をしているとローラは、今そんな "もし" の話をして何になるのかと言った。"Bahala na" が彼女の基本理念だった。
bahalaの本来の意味は「責任」。フィリピン人の性格を表現する時によく使われる「Bahala na(バハーラ ナ)」:何とかなるさは、「Bahala na ang Diyos(バハーラ ナ アン(グ) ジョス)」:神の責任である→神の思し召しのままに→運を天にまかせよう、というところから来ている。「Bahala」自体はそんないい加減な意味の表現ではないので注意が必要。 フィリピン語(タガログ語) Lesson 1より http://www.admars.co.jp/tgs/lesson01.htm
ローラは彼女が送ってきた人生は、家族の別の形のようなものだったと語った。その家族には8人の子供がいた、私の母と、私とその4人の兄弟、そして今共に過ごす2人の私の娘だ。その8人の子供たちが、自分の人生に生きた価値を作ってくれたと、彼女はそう言った。
私たちの誰もが彼女の突然の死に準備ができていなかった。
"彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。"
ローラは夕食を作っている最中に台所で心臓発作を起こし、その時私は頼まれた使いに出ていた。家に戻り倒れている彼女を見つけた私はすぐさま病院に運んだ。数時間後の午後10時56分、病院で、何が起きているのか把握する前に彼女は去ってしまった。すぐに全ての子供たちと孫たちがその知らせを受け取ったが、どう受け止めていいかわからない様子だった。ローラは11月7日、12年前に母が亡くなった日と同じ日に永眠した。86歳だった。
私は今でも車輪付き担架で運ばれる彼女の姿を、その光景を鮮明に思い出せる。ローラの横に立った医師は この褐色の子供くらいの身長の女性がどんな人生を歩んできたか想像もつかないだろうと思ったのを覚えている。
彼女は私たち誰もが持つ利己的な野心を持たず、持てなかった。彼女の周りの人々のためにすべてをあきらめる様は、私たちに彼女に対する愛と絆と尊敬をもたらした。彼女は私の大家族の中で崇敬すべき神聖な人となっていた。
屋根裏部屋にしまわれた彼女の荷物を解く作業には数ヶ月かかった。そこで私は、彼女がいつか字を読むことができるようになった時のために保管しておいた1970年代の雑誌のレシピの切り抜きを見つけた。私の母の写真が詰まったアルバムを見つけた。 私の兄弟姉妹が小学校以降獲得した賞の記念品も見つけた、そのほとんどは私たち自身が捨たもので彼女はそれらを "救いあげて" くれていた。
そしてある日、そこに黄色く変色した新聞の切り抜きが、私がジャーナリストとして書いた記事が大切に保管されているのを見つけ、泣き崩れそうになった。彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。
竹と板でできた家々が並ぶ村の中央にある小さなコンクリートの家に私を乗せたトラックが止まる。村の周囲には田んぼと緑が無限に広がっているようだった。 私がトラックから出る前に人々が家の外に出てきた。運転手は座席をリクライニングにして昼寝を取りはじめた。私はトートバッグを肩に掛け、息を呑み、ドアを開けた。
「こちらです」
柔らかい声で、私はそのコンクリート製の家へ続く短い道に案内された。私の後を20人ほどの人が続く。若者もいたがその多くが老人だった。
家に入ると、私以外の人たちは壁に沿って並べられた椅子とベンチに座った。部屋の中央には何もなく私だけが立っていた。私はそのまま立ちながら私のホストを待った。それは小さな部屋で暗かった。人々は待ち望んだ様子で私を見ていた。
「ローラはどこですか?」
隣の部屋から声が聞こえ、次の瞬間には中年の女性が笑顔を浮かべこちらに向かってきた。ローラの姪、エビアだった。ここは彼女の家だった。彼女は私を抱きしめて、「ロ���ラはどこですか?」と言った。
私はトートバッグを肩から降ろし彼女に渡した。彼女は笑顔を浮かべたままそのバッグを丁寧に受け取り、木製のベンチに向かって歩みそこに座った。彼女はバッグから箱を取り出しじっくりと眺めた。
「ローラはどこですか?」
と彼女は柔らかく言った。この地域の人々は愛する人を火葬する習慣がなかった。彼女は、ローラがそのような形で帰ってくることを予想していなかった。
彼女は膝の上に箱を置き、その額を箱の上に置くように折れ曲がった。彼女はローラの帰還を喜ぶのではなく、泣き始めた。
彼女の肩が震え始め、泣き叫び始める。それは私がかつて聴いたローラの嘆き悲しむ声と同様の悲痛な叫び声だった。
私はローラの遺灰をすぐに彼女の故郷に返さなかった、これほど彼女を気にしていた人がいたことを、このような悲しみの嵐が待ち受けていることを想像していなかったのだ。私がエビアを慰めようとする前に、台所から女性が歩み寄り彼女を抱きしめ共に泣き始めた。
そして部屋が嘆き声の轟音で包まれた。目の見えなくなった人、歯が抜け落ちた人、皆がその感情をむき出しにすることをはばからず泣いた。それは約10分続いた。気づけば私も涙を流していた。むせび泣く声が止み始め、再び静寂が部屋を包んだ。
エビアは鼻をすすりながら、食事の時間だと言った。誰もが列を成してキッチンに入る。誰もが目を腫らしていた。そして急に顔を明るくして、故人について語り合い、故人を偲ぶ準備を始めた。
私はベンチの上に置かれた空のトートバッグをチラリと見て、ローラが生まれた場所に彼女を戻すことが正しいことだったと実感した。
原典
『My Family’s Slave』By Alex Tizon(The Atlantic)
She lived with us for 56 years. She raised me and my siblings without pay. I was 11, a typical American kid, before I realized who she was.
翻訳
https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2017/06/lolas-story/524490/
https://kaikore.blogspot.com/2018/01/lolas-story.html
https://courrier.jp/news/archives/89516/?utm_source=article_link&utm_medium=longread-lower-button&utm_campaign=articleid_89495
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kuribayashisachi · 4 years
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NHK大河ドラマ「太平記」
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NHK大河ドラマ「太平記」
  25年間お世話になってきたTSUTAYAご近所店が店じまい! ショック!
 大あわてで、3月頃から1枚ずつ借りて見ていた「太平記」(全49話)の、まだ見ていない後半を一気に鑑賞した。
 
 見るにあたって、二つの「予断をもって」見た。
 一つ目は、朝勉強の時間に岩波文庫の『太平記』(兵藤裕巳校注/底本:西源院本)を少しずつ読んでいるので、ここで読んだエピソードがドラマでどんなふうに描かれているか、ということ。
 もう一つは、足利尊氏のような悪逆なことを重ねてきた人物を、どのように“好ましい主人公"として描いているか、ということ。こちらの方を、ほとんど「執念深い」思いで睨みながら見た。
 暴虐なヒーローを「好ましい人物」として描く場合、どうしても、ヒーローからむごい目に遭わされた人たちのことを、「なかったことにする」か「そういう目に遭わされても仕方ない人たちだった」と描くことになる。
 これはまったく理不尽な話だ。
 特に、実際は残虐な「乱世の英雄」を描く場合、「天下統一を果たして戦のない世の中にするため、仕方なく戦うのだ」という物語軸で描いてしまう。このことが私にはとても恐ろしい。好ましい俳優が美化された英雄を演じ、これを愉しむ視聴者は、知らず知らず、「平和のための戦争」なんてものを疑わない習慣を身につけてしまうだろう。
                ****
 たとえば、歴史から見るに、足利尊氏たちの鎌倉幕府討伐は、結局は、関東の武士たちの利権争いなのだろうけど、ドラマの、ひたむきで凜々しい真田広之さんの尊氏は、"北条得宗家の醜い政治を終わらせ、皆が平和に暮らせる「美しい国」をつくるため"に、立ち上がるのだ、という(「美しい国」と聞くとギョッとするけど、ドラマの放映当時は、別に変な言葉じゃなかったと思う)。
 また、ドラマでは、尊氏兄弟が後醍醐天皇の2親王を監禁して毒殺する挿話や、尊氏が、新田義貞の領地を勝手に子分たちにあげてしまったことなどは、出てこない。
 それから、尊氏を「後醍醐天皇(片岡孝夫)を最後まで大事に思っていた」と設定しているために、  後醍醐天皇を悪く描くわけにはいかない。それで、取り巻きの坊門清忠はじめ公家たちを悪者にし、赤松円心(渡辺哲)だけ報償をもらえなかったのも、後醍醐帝のせいではなく「(護良親王の勢力を削がんとする)阿野廉子の企み」としていた。さらには、後醍醐たちが慢心して重い税をかけ、浮かれ騒ぎ、身を粉にして働いた武士たちを粗末に扱ったことも、もっぱら護良親王たちの振る舞いとしている。
 したがって、慢心した後醍醐天皇を諫言して没落の道を選ぶ万里小路藤房卿のエピソードも出てこない。はじめの笠置山挙兵の場面には、大和田獏さん演じる藤房卿が登場するのに、いつの間にか出てこなくなった。
 一方、尊氏の敵方に回る、北条高時の弟を擁立しようとした西園寺公宗卿が、身重の妻の前で斬り殺された残酷なエピソードも、趣を変えられ、いかにもイヤミな西園寺卿(長谷川初範)が、"後醍醐帝の暗殺を企んで"新田義貞たちに踏み込まれ、アワワと情けなく逃げ惑いながら捕らえられる……というふうになってる。
 さらには、どうしても尊氏を正当化できないところは、「心を鬼にして行った」というふうに描く。
 足利勢力と護良親王(堤大二郎)勢力の争いは、単なる利権争いなのに、ドラマは尊氏に「都の人々を戦に巻き込みたくない」といかにもな「きれい事」を言わせ、護良親王を「争いの元凶」のように物語る。
 さらには、捕らえられた親王に「そなたが"武家の世を作る大きな器量をもっている"のがわかっていたから殺そうと思ったのだ」と、尊氏に向かって言わせ、観客に尊氏の「器量」を宣伝する。
 そして、尊氏と弟直義との決裂については……。
 傍若無人な横領や婦女暴行を働く高師直兄弟を、甘やかす尊氏と、罰そうとする直義の対立から始まるのだけれど、どちらが正しいかと言えば、直義の方だろう。
 出来事史から察するに、尊氏は高師直を失脚させれば、自分の取り巻きがいなくなり(一の子分を守り切れなかったことで武士たちからの人望もなくすだろう)権力基盤が崩れて直義に押しやられてしまうからだろう。
 けれどドラマでは、
 直義を「自分のまわりを足利一門だけで固め、血筋の低い家人たちを無視した」「譲ればいいのに自分が役職にしがみついた」「桃井のごり押しを抑えることもできず、人をまとめる器量がない」という設定で描き、そして、「聞き分けがなかった」「悪い桃井たちを見捨てることができなかった」から、仕方なく尊氏は毒殺の決断をした、という描き方になっている。
 しかし、このシーンは圧巻だった。脚本も演技も。
 もともと仲の良かった兄弟の、引き裂かれるような痛みに、見ている方も巻き込まれた。高嶋政伸も真田広之も鬼神がおりてきたような演技……久しぶりに泣いてしまった。
 そうなのだ。
 これはドラマなのだから、なによりドラマを堪能すべきなのだ。
              *****
 真田広之さんは、アクションや身のこなしの美しさだけでなく、演技も充実していた。前半の純粋一途な若者から、後半、権力者になって後の、表情やものごしの変化に目を見張った。目が濁ったように動かず、笑わず、どっしりとしたたたずまい。わずかな目の色の変化で事情を物語る演技も、弟を殺してから、めっきり弱ってゆく姿も、自然ですごくうまかった。
 尊氏だけでなく、妻の、可憐な登子が、息子��配なあまり痴っぽい剣呑な妻になってゆく姿も、説得的に描けていた。
  そう思うと、俳優さんたちへの尊敬が頭をもたげた。流鏑馬のシーンも、騎馬で闘う時の腕の振り上げ方一つも真田広之はやっぱりすばらしい、とほれぼれし、兜をかぶって馬に乗って槍や刀をふりまわす俳優さんたち、どんなに大変だっただろう。改めてそういうことに、心から頭が下がった。
 
 思い返すと、他の人物たちもとても印象的だった。
「大げさな台詞回し」といわれればその通りなのだが、歴史ドラマは、身のこなし、挙措、大げさな言い回しをよどみなく語る、堂々たる声の張りなども見所になる。
 先代へのコンプレックスと、母親の過干渉に身動きのできない北条高時(片岡鶴太郎)も、癇性の護良親王(堤大二郎)も、足利直義(高嶋政伸)も、デキる悪女、阿野廉子(原田美枝子)も、存在感が際立っていた。
 「太平記」随一の「好人物」楠木正成を演じた武田鉄矢は、金八先生のイメージさながらに、実直で下の者から信望のある人物像にぴったりはまっていた。声もいいなあと思えた。勝てる作戦を、分からず屋の公家たちに蹴られ、負けるとわかっている戦に最後まで責任を全うしようとする正成。彼が長男正行を国に返す「桜井の駅の別れ」のシーン。わかりきった「見せ場」を、堂々と演じきっていて、心を揺り動かされた(昨今はネット上で、その右傾した発言が取り沙汰されていて残念だ)
 足利直冬(筒井道隆)。セリフは棒読みに近いのに、装束を着た立ち姿が堂々としているし、表情や居住まいから、父に捨てられ、横暴な役人に母を斬られた「運命の子」の悲しみや悔しさが迫ってきて、不思議な存在感だった。のちに人気を博したときと少し顔が違う。まぶたが重く、目が三白眼に見えるので、いかにも中世の武士の雰囲気だった。
 いい加減な婆娑羅大名、佐々木道誉(陣内孝則)の「わはははは」というわざとらしい大笑は、けっこう難しい演技じゃないだろうか。ヘタだったらこれほどめだっちゃうせりふもない。片身代わりの派手な素襖が似合っていた。
  イヤミな悪役、坊門清忠訳の藤木孝さん、しっかりはまっていた。どういう方なのだろうと、ググったら、もとはロカビリーの歌手だったのね。悪役で有名・・・。脇役はうまくてナンボですね。
 新田義貞は、本当にかわいそう。かっこいい根津甚八さんがずっと陰鬱な顔をしたまま、足利にお株を取られ、公家たちに勝手な要求ばかりされて、やれ負けた、時間がかかりすぎると詰られ、くやしくてたまらなかった。
 義貞は、親王をつけられて越前へ行かされるのだが、一時もりかえすものの、公家(北畠顕家)軍の援軍もないまま、流れ矢に当たって死んでしまう。石川五右衛門を思わせる、直立して真後ろにどーんと倒れる見事な最後だった。堅物美女の勾当内侍(宮崎萬純)との恋だけがほっとさせられた。
 新田は尊氏に比べ、出来事史から言っても可哀想な役回りだけど、古典太平記では、「武将の器量」とやらは尊氏と別に遜色つけずに語られてて、。可哀想で弱い感じのイメージはない。ドラマでは、楠木正成からも「新田殿にその器量はない」とか言われてしまって、ずいぶんだった。もうちょっと、尊氏を脅かす存在に描いて欲しかったなあ。
  別の語り方の太平記がぜひ、見てみたい。
 真田広之、新田義貞やったらすごくはまりそうな気がする。
 むしろ新田の方が、「良い人物」に描くのに苦労しないと思う。
 そしたら、足利尊氏には、あるがままの悪人をやってもらえるので、いいんじゃないだろうか。
2020.06.06up
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buriedbornes · 5 years
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第33話 『旧き世に禍いあれ(1) - "菌の森"』 Catastrophe in the past chapter 1 - “Fungus forest”
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 森、と呼ぶべきだろうか。
 遠くから見れば、その青さは豊かな植生を想像させ、様々な生命をはぐくむ豊かな森に見えるが、その実、その森は『森』以外の命を拒絶している。
 木々の代わりに、複雑に組み合って伸びた菌糸が、樹木のように空に向かう。梢である部分も、まるで寄せ木細工よろしく噛み合い、その様から想像するよりも酷く凍てついている。
 光の射さない森を、人は畏れ、近づく者はない。
 かつて、近づいたふたり組がモンスターに襲われた。からがら逃げた片割れが言うには、馬ほどの大きさのカマキリに襲われて、仲間は頭から食べられたという。その男自身も背中に大きく斬りかかられた痕があり、傷こそ浅かったがその日のうちに死んでしまった。近づけは呪われる、魅入られる、毒にやられる、様々な噂が立った。
 近隣に住む人々に場所を尋ねても、露骨に嫌がられる。森への案内人は見つかることない。
 菌類は、世界で一番初めに繁殖し、世界を覆い尽くした生命であるとされる。その生命力の強さは人間の想像をはるかに上回る。彼らは何らかに寄生し、共存すること、または乗っ取って成長することで繁殖を遂げた。「菌類が森を形成している」と聞いた時、フィリップは当然のように、実際の木に寄生した菌が、木の表面を覆い尽くしているのだろうとだけ考えていた。
 しかし、実際には、木々などを必要とせず、菌だけが独立し、成長しているという異常な環境だった。
 足元も完全に苔むし、通常の森の数倍の高さまで伸びた梢までを見上げる。
 完全に光を遮った空間には、ところどころに白いふわふわとした胞子が舞っていた。
 胞子を防ぐためにつけた顔を覆むマスクを通した、不気味で低く掠れた呼吸音は、そして規則正しく響く。菌糸が絡まり一本の巨木となる、それが真っ直ぐと空へ伸びる柱の間を、ゆっくりとふたつの影が歩いていく。彷徨っているわけではない。その歩みからは向かうべき先へと向かう意思が見受けられるが、広大な森と道を遮るほどの菌の巨木に翻弄され、緩やかに歩く軌道は大きく蛇行していた。
 この森の来歴は、古い神代にまで遡るとされていた。
「……仮説通り、本当に神が眠っていると考えてよさそうですね」
「ああ、そうだろうな」
 自死を選びこの森に入る者もいるという。それほどに深く、広大だった。
 屍術師のフィリップとグレーテルは、無表情で淡々と歩き続けていた。
 グレーテルが時折、歩みを止めては自身の側頭部に手をやり、目を細めて集中した後、遠くを指差す。精霊の濃い方角を探って向かうべき先を先導し、フィリップがそれに続く。
「何百年、いいや、何千年の時がここの中では流れたんだろう」
 数十メートルもの高さまで伸びた菌で出来た木をグローブ越しに触れてみたが、しっかりと堅い。強く押してもしなることもなく、力強く根付いた感触が返ってくる。
 フィリップは傍らのグレーテルを見た。彼女も顔を覆うゴーグルと、分厚い防護服や手袋、安全靴など、肌を一切露出せず、まるで奇妙な人形のように立っている。ゴーグルの奥にある瞳だけは、以前と何ら変わらず、知的な光を宿してこちらを見つめ返してくる。
 着ぶくれして奇妙な人形のような姿をしているのは、フィリップ自身も同じだ。
 何も身に着けずにここで呼吸をすれば、1分と待たずに肺から蝕まれて死ぬだろう。装備を揃えるために訪れた集落の古道具屋で出会った古老は、皺がれた声でそう告げた。そして、全ての装備を見繕い直す2人を尻目に、白く濁り始めた目で「あの森は捨てておくしかない」とはき捨てるように言って、店を去った。
 どれだけ歩いただろう。古老がいた集落から二日歩いて、菌の森の入り口にたどり着いた。森の入り口には当然、柵も、看板も、遊歩道のようなものさえない。獣道と思しき菌木と菌木の間隙を縫うように進み、ようやく分け入った。
 不意に、菌糸の枝と枝が擦れるような不自然な音が聞こえた。
 フィリップが斜め後ろを振り向くと、グレーテルの背後に、蔓が垂れ落ちている。粘膜で奇妙にてらてらと光る蔓が、ゆっくりと猫の尻尾のように先を揺らす。
 フィリップの背中が一瞬で粟立つ。
「グレーテル!」
 フィリップの叫びに、グレーテルも弾かれたように振り向き、その手を翳した。一瞬の間の後に青い炎が見え、フィリップは舌打ちをした。
「駄目だ!」
 叫びながら、フィリップは手を横に一閃した。
 蔓を焼き尽くさんとグレーテルの手から放たれた炎と、その先でグレーテルを襲おうと先端を食虫花の花弁のように広げた蔓が、澄んだ音を立てて凍り付く。
 ――これが、噂に聞いていた菌の森の怪物か……。
 見上げて注視すれば、そこここに蔓が伸びている。全ての蔓が同個体なのか、異なる個体同士が無力化された仲間の様を感じ取ったのか、するすると蜘蛛の子を散らし、逃げていくように去って行った。
 あれらは強酸性の粘液を持ち、骨をも溶かすと言われている。
「ここでは炎は使うな。分かるだろう」
 フィリップの声に、グレーテルは少しの間立ち尽くしていたが、ふいと顔を背けると、露骨に不機嫌そうな足取りで、フィリップを置いて歩き始めた。
 その背中を追いながら、フィリップは深い溜め息をついた。
 ここは『森』だ。ましてや梢に当たる部分は組み合わさっている。一旦火が付けば、どこまで延焼するかも分からない。
 この先に待ち受けるものが、その炎に焼かれてしまうようなことがあっては、元も子もない。
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 しばらく進むと、菌糸の種類が増えてきた。相変わらず空を覆う巨木たちは変わらないものの、下から葦のように生えた背の高い草状のものも増え始めた。
 はじめは魔物かと警戒していたが、ただの草に似た形状に進化した菌の一種のようだった。
 フィリップが大人になってすぐ、世界は一日にして全てを失い、崩壊した。屍者が溢れ、瓦礫に満ちた街を必死で逃げ回るしかなかった。グレーテルと再会したのはそのさなかだった。混乱の中、ふたりでどうにか郊外へと落ち延びた。
 覇王の侵攻によって、人々は絶望に追いやられ、細々と終焉に向かって隠れるように生きていた。社会や国など、あってないようなものだ。今までは動いていた陸路や海路も断たれ、物資の運搬もままならなず、世界的であらゆる資源の流通が絶えた。手元にあるもの、そこで作れるものだけが全てとなり、手近に残されたものを奪い合った。人の行き来が絶えた街道で誰かと会うことがあれば、例外なく襲い掛かってきた。
 そうして、社会が荒廃していくさまを、指をくわえて見ていることがふたりには出来なかった。
 屍術に手を染めたのも、仕様のないことだ。生き延びるため、何よりすべてを取り戻すため、戦うにはそれしか術がなかった。
 元々、フィリップとグレーテルは同じような境遇で育っていた。家庭の経済環境も近く、受けた教育もほぼ同じだ。ふたりは幼年から時間を共にし、大学で同期だった。専攻こそ、フィリップは時空間魔術、グレーテルは精霊術と異なったものの、在学中はお互い知己の仲であった。
 それでもただお互いに見知っていたというだけで、卒業後は疎遠だった。たまたま、覇王侵攻を契機に2人は再び引き合わせられた。それ以降、ふたりで屍者を用い、戦い抜いてきた。
 けれども、それももはや限界を迎えようとしていた。
 使役するための屍体が明らかに不足し始めた。これまで騙し騙し活動を続けてきてはいたが、そう長くは保たないだろう。
 フィリップの専攻は時間遡行――過去へ戻る術だった。彼の前の代にはその基礎理論はすでに出来上がっていた。ただ、そのために必要な魔力は想像を絶するものだった。そして、その消費量は遡行する時間が遠ければ遠いほど、つまり過去を目指すほどに指数関数的に増えると知られていた。
 覇王侵攻後、フィリップはずっと考えていた。今まで研究してきた延長線上で過去に干渉して現在の問題が解決する方法があるのではないか、と。数秒程度の過去遡行は実例が既にあった。ただそれも、必要魔力が少ないから出来た最小規模の実験だった。
 グレーテルと落ち合ってすぐに、彼女はフィリップの専攻を覚えていたため、「過去に戻って世界を変えることは可能だろうか」と真剣な表情で尋ねたことがあった。
 ――どうしてそんなことを?
 ――過去を変えるためです。現状を打破するには、今の努力でカバーできる領域を超えている。
 ――そうか。……現実的には無理だろうな。魔力が圧倒的に足りない。
 フィリップの返答に、グレーテルは怯まず詰める。
 ――魔石を集めたら? 大量の魔石があれば可能ではありませんか?
 ――街作りになるぞ。単に魔石を集めるだけでは意味がない、石から魔力を引き出し、一点に集中する構造にすることを考えたら、ふたりじゃ一生かかりでも無理だ。とても現実味がない。
 グレーテルは少しだけ、考え込む様子を見せた。
 ――神の力を借りるのは? それならば可能では?
 ――そんな量を借りた前例はない、全部寄越せなんて聞き入れられるものか。
 ――なら、死んだ神から奪うのは?
 ――死んだ神の力は死んだその場で霧散する。受肉して顕現した個体なら可能かもしれんが、そんな都合のいいものどこにも残っていないぞ。
 ――でも、仮に受肉して死んだ神の遺骸が現存すれば、できるという事ですか?
 ――まぁ、そうなるが……
 グレーテルと親しい関係であったわけではない。顔見知り程度だ。そんな彼女がはっきりとものを言い、貪欲に食らいついてくる姿は新鮮だったが、同時に恐ろしくもあった。
 ――あなたの言う受肉した神の遺骸は、歴史上、様々な伝承が残っていますよね。
 ――それでも、伝承だろう?
 ――ええ……。ですが、英雄が屠った神を食べ、国を築いた神話もありますし……時間がある時に調べてみます。
 この会話で終わったのだとフィリップは思い込んでいたが、グレーテルはそうではなかった。
 ある日、彼女はいつもは首から下げている眼鏡をかけ、古びて朽ちかけた郊外の図書館で、一冊の本を読んでいた。よもや殺されたのではないかと探し回っていたフィリップは、安心したと同時に隠しようもない苛立ちに襲われた。
 それでも、大きな張り出し窓に腰かけて本を読む姿は、痩せこけた頬さえ見なければ、まるで平和な時代の学生時代のように穏やかだった。
 ――屍者になっていたらと思ったら、読書か。
 ――なんのことですか?
 よっぽど夢中になって読んでいたのか、彼女は驚いたように顔を上げた。
 ――いや、僕が屍者を操っている間に、まさかいなくなっているとは思わなかった。僕の体に戻ってみたら、君がいなかった。どこか行くなら、一言くれないと困る。
 ――ああ、そうですね……すみません。突然思いついて……、あなたの様子も安定していたので、つい抜け出してしまいました。
 ――何を思い出したのかな?
 グレーテルは力強く頷いた。
 ――菌の森を。
 ――菌の森……? って、あの谷間にあるって言う?
 フィリップの問いに、彼女は大きく頷いた。
 ――あの森は古代の神の眠る場所。まさかこんなところに、こんな貴書が紛れていたなんて……結末知れずの闘争記録が数多く残されていました。記されているものも古語です。
 フィリップも書架をあるけば、複数の関連した図書が見つかった。
 ――古語で書かれている歴史書でした。ここにあるものは恐らく本当でしょう。
 ――古き神が眠る……か。
 ――魔力が残されている前提となる、肉の体に宿した後倒された神が幾つか……けれど、あくまで少数でした。
 ――ああ、そうだろうな。古い記録の中でも、特に古いものにしか出てこないヤツだ。
 ――神の顕現には本来肉体は不要で、なにか特別な理由がなければそうされる事もなかった。肉体を持たずに討たれた神は、その内に秘めた魔力ごと消散し何も残らない。仮説ですが、最も古い時代には、神々も顕現する姿を試行錯誤した時期があったのかもしれません。肉体を持って顕現し、そして討たれた後捨て置かれた神など、そのものの記録はなかったのですが……
 これを見て下さい、とグレーテルは古地図を示した。
 ――神を鎮めに旅立った英雄の行方を知る者はいない……、こういう地に、恐らく討たれて倒れた神の遺骸が現存する可能性があります……その場所さえ分かれば……
 ――ん、これは……
 フィリップはすぐさま、いつも持ち歩いている汚れた地図を広げた。古地図を交互に指さす。
 ――ここが、同じく城塞……高地……少し違いがあるが、同じところじゃないか……?
 ――そうです。そして、ここに菌の森。神の遺骸が、ここに……?
 グレーテルの声は興奮して上ずっていた。まだ確定していないものの、どうしても期待が膨らむ。フィリップは大きく頷いた。
 ――行こう。試す価値はある。
 決意は固まった。装備を整えて、ふたりは早速菌の森を目指した。
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 ふたつのガスマスクを通した呼吸音。梢から垂れた菌糸は、まるですだれのように行く手を次々と塞いでいた。それを押しのけた途端、突然視界が開ける。
 フィリップは、はっと息を飲んで足を止めた。
「――……ここだ」
 ふたりで作った地図とほとんど同じ場所に、それはあった。
 死した神の寝床。
 何千年も前に英雄と戦い没したとされる神が横たわっている。
 鯨に似ている。がらんとした空間の中に大きな赤黒い鯨の遺骸が打ち捨てられているように見えた。
 遺骸の周囲にはまるで丁寧に森をえぐったかのように円形の湿った地面が都市の広場ほどの範囲で広がっており、草一本、菌木一本も生えていない。まるでその遺骸が、あらゆるものが近づくことを拒んでいるかのように。
「……うっ……」
 グレーテルは口を抑えてうずくまった。
「大丈夫か?」
「……精霊の気配が……こ、濃すぎる……すみません、少し時間をください……」
 弱々しい声で告げたグレーテルが、額につけていたサークレットを外して、座り込んでしまう。
 やむをえず、フィリップは少し時間を置くことにした。すぐそばに腰かけて、フィリップも死骸を見つめた。生身で、感覚を増強する道具も身につけていないフィリップは、その遺骸から放たれる魔力の迸りを直に感じずに済んだ。
「あれが神の遺骸か? 鯨のように見えるんだが……」
 フィリップは神の遺骸を見ながら首を捻った。
 グレーテルはまだ肩で生きをしていたが、答える余裕は出てきていた。
「あなたは鯨を見たことが?」
「祖父は漁師で、幼い頃に鯨を見たことがある」
 グレーテルは雑談には反応せず、死した神の遺骸に歩み寄っていった。
 肉の大部分が朽ち落ち、元の形は分からない。骨の先から先までの距離から、巨鯨ほどの大きさの存在だったと察することが出来るだけだ。
 フィリップも近づいて見れば、それは明らかに鯨とは異なる特徴を有していた。抱え込まれた両の腕と太ももと思しき4本の節が見て取れる。
「……人か?」
「当然人ではありません。ただ、極めて人に近い形をした、大型の何か……でしょうね。人を象って顕現したのでしょうか」
 グレーテルは微かに首を傾げていた。
 よくよく見ると、手足や頭部の形は残っている。ひとつひとつの大きさが人間と比べ物にならないくらい巨大だ。横向きに膝を抱えるような形で倒れていたため、残った部分がひとかたまりにまとまって丸々とした肉塊に見え、遠目から横たわった鯨に見えたのだ。
 グレーテルは躊躇いなく、その肉片に触れた。
「お、おい! 触れて大丈夫なのか?」
「触れないと確認できないでしょう。いまさら躊躇しても仕方ないじゃないですか。」
「それは、そうだが……」
 彼女は表情を変えることなく、手袋をしたまま肉片をつまみ上げ、背負った鞄から留め金を外して手にとったモノクルを通してまじまじと観察した。流石にフィリップはまねる気にはなれず、顔を背け代わりに周囲の森を見渡していた。
 屍術師として屍体を扱うことには慣れたが、それを当然望んでいるわけもない。ましてや、死した神の肉片なぞ、触れて何が起きるとも知れぬものを、掴む気も起きなかった。
「……やはり。山羊と、おそらくは牛の混合……生贄を触媒に受肉されたものですね」
「数千年も前のものが?それだけ経っててわかるものなのか?」
「受肉した神の記録は数は少ないですが、それを食したものが不滅を得たという伝説は幾つか聞きます。残された肉そのものが不滅だとしても、不思議はないでしょうね」
「まぁ、山羊と牛のミンチなら、味は良さそうだな」
「その冗談は面白くありません」
「はは、誰が食べるものか。触るのもお断りだ」
 フィリップは肩を竦める。
 ガスマスクをしているから、臭いは分からない。
 蠅もたかりもせず、数千年を経ても微生物に分解されている様子もなかった。
「ここで朽ちていっていたということは、この神はひとりで死んだのか?」
「いえ、この辺りの骨が折れています。きっと英雄と戦い、敗れたのでしょう」
 グレーテルが示すあたりをしかめ面しながら片目で見やる。左脛と思しき位置の骨が、粉々に粉砕していた。これほどの打撃を神に与える英雄とは…。想像が出来ない。あるいは、Buriedbornesの術を介するならば、可能だろうか。ふと、古の時代からBuriedbornesの術は扱われていたのではないか、という妄想にも似た想像が浮かんだ。
「英雄や魔物は神から力を奪う……けれど、この肉体だけが残ったということは、この谷間には元々、遺骸を喰らえるような肉食の魔物や獣がいなかったのでしょう。当の英雄は、恐らく相討ちに」
「その英雄はどこだ?」
 グレーテルが指をさす。その先を見れば、遺骸を中心とした空間の縁に、ボロボロに朽ちた剣の柄らしきものだけが落ちていた。刃は完全に失われて、金の装飾部分だけが、堆積物をかぶりながらも劣化せず残っているようだ。
 受肉した神の肉体が持つ不滅性が証明されたと言える。あまりにも長い時間を経て、相対した英雄の遺体がほとんど朽ちて消え去った後も、まだこうして肉体を残していたことになる。
 木々や草花は育たず、陽の当たらない崖の下で、菌糸類だけがその溢れ出す力の恩恵を受けて菌だけの森を成した。もとより人が住めるような場所ではなかったのだから、手を付けられることもなく歳月が過ぎた事に、疑問の余地はない。
「ここに人間が来たのは、どれくらいぶりなのか」
「……はじめてかもしれませんね。このふたりの他では、はじめての訪問者なのでは? 英雄自身も、はたして人間だったかどうか……」
「好都合だな。予定通りいけそうだ」
「ええ、準備は大丈夫ですか?」
「ああ」
「魔力の計測もそろそろ終わりそうです。正式な数値はまだですが、現時点で必要な魔力を越えています」
 グレーテルは研究者らしく、目を輝かせて頷いた。フィリップも頷き返す。
「ここまで近づけば、肌で分かるレベルだな。この魔力量なら、想定通り飛べそうだ」
「ええ、そうですね」
 人生でも目にしたことがないほどの、内包された計り知れないほどの魔力量。これほどの力を使うことができれば、確実に過去へ戻ることが可能だろう。
「あーあ。どうせなら、覇王が生まれた頃まで戻って子供のうちに縊り殺せたら、もっと楽なんじゃないかな?」
「…この遺骸と同じものを数万体ご用意する気力がおありなら、どうぞ。一緒に試算したでしょうに…」
 時間は巻き戻せる。
 有限でも確実でもないが、方法論は確立している。フィリップはそれを扱える。ただ、この世には魔力が絶対的に足りない。
「この遺骸があってこそ、可能になった、それでも、たったの50年か……。だが、その時期であれば屍体も多く集まるだろう。今ではもうお目にかかれないような、名だたる英雄の屍体も手に入るかもしれない。その力で覇王を討ち、人間が人間として生きる時間が取り戻せるはずだ」
「ええ。失敗は許されません」
「もし失敗したら、どうする?」
「……そうですね、残された戦力で、覇王相手にはもう勝ち目はないでしょう。手詰まりです。未来に可能性を残すために、あなたと子でも為しましょうか」
「その冗談は面白いよ」
 フィリップが笑うと、グレーテルは不満そうに眉を寄せた。
「人間らしい生活を、社会を……取り戻さねば。国や都市が機能し、人々は安全に暮らす、学府にも人がいて、積み重ねられたものが未来に残されていくような……そういったものが、この世界には必要です」
「ああ、その通りだ」
「もし私達に覇王を打破できなければ、より可能性の乏しい後世にすべてを託すしかない。可能性は狭まるばかり。それだけは避けなければ」
「そうならないように、今、やれるだけの事はやろう」
 フィリップは杖を荷物から引き抜いた。
「さ、そろそろ行こうか」
 戻る場所はたった50年。それでも十分だ。
 人類の未来のため、有意義に使わなければ。
 フィリップは杖を握る手に力を込めた。思い切り、遺骸に杖の先を突き立てた。肉を貫く感触は、遺骸というのに生々しくぶにぶにと柔らかかった。
 杖を差した部分から、光がふわりと零れたと思えば、光の筋が一気に杖を通過し、瞬く間に杖全体が発光する。両手で握っているのに、杖のもたらす衝撃に体が吹き飛ばされそうになる。
 杖を中心に、魔力の奔流���竜巻のように徐々に渦を巻き、菌の梢も揺れ、森を包んでいたすべての音が遠ざかって行く。凄まじい轟音が響き、杖自身が悲鳴を上げる。悪路の馬車に乗せたように大きく揺れ振動し、弾け飛ぼうとする。必死でフィリップは縋りついた。
 グレーテルは風の中、近くの木にしがみついてフィリップを見守っていた。その表情は落ち着いている。彼女ならば、過去から送り込まれた屍体もきちんと回収し管理してくれるだろう。彼女のような人間に背中を任せられる自分は、こんな時代において、幸せ者ではなかろうかと時々思うが、今はその気持ちが特に強い。
「世界を、救わなくては……!」
 遂に杖は、内側からの力に負けるようにたわんだ。咄嗟に手で押さえたが、その瞬間、ガラスのように砕けて、真っ二つに折れた。
 そして、世界が揺らいだ。
「フィリップ、お気をつけて」
 何も見えない光の中で、グレーテルの最後の言葉は、しっかりと聞こえていた。
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~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
旧き世に禍いあれ(2) - "ブラストフォート城塞" 
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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toshihikokuroda · 2 years
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原発推進の電事連「就任祝い」 ワイシャツ仕立券2万円相当 磯崎官房副長官に 2021年12月5日【社会】
 大手電力会社の業界団体である電気事業連合会(会長、池辺和弘九州電力社長)が、11月に発足した第2次岸田内閣で再任された国会議員にワイシャツ仕立券を「お祝い」として贈っていたことが4日、本紙の調べで分かりました。
 (「政治とカネ」取材班)
 電事連と磯崎仁彦官房副長官=自民党参院議員=の事務所によると、電事連は第2次岸田内閣で官房副長官に再任された磯崎氏へ「就任祝い」としてワイシャツ仕立券2万円相当を贈りました。磯崎氏は、原発を推進する経済産業省の副大臣や政務官を務めてきました。
 岸田文雄首相はじめ他の閣僚への就任祝いについて電事連は「他の閣僚にお祝いを贈ったかどうかについては答えを控える」としています。
公益性損なう  電事連から政治家に提供された金品は企業・団体献金にあたる可能性があります。公益企業である電力会社は企業献金を自粛しています。その業界団体である電事連が政治家に金品を渡すことは、公益性を損なう行為と言えます。
 電事連は「社会通念の範囲のもので関係法令に反するものではない」と回答。磯崎氏の事務所は、「団体献金は政治資金規正法に基づいて適切に対処する」としています。
 電事連は東京電力、関西電力など大手電力会社10社で構成。このうち沖縄電力を除く9社は原発を保有しています。
 このため電事連は原発の再稼働や活用を政府に求めてきました。10月に第1次岸田内閣が誕生した際には、池辺会長が原発の「最大限の活用」など「バランスの取れたエネルギーミックスを実現すること」を求めるコメントを出しています。
政権に不満も  ただ世論の反対で再稼働が思う通りに進んでおらず、ある電事連元幹部は「政権は原発から逃げている」と不満げに語ります。
 電事連が政治家側に金品を提供するのは今回のような就任祝いだけではありません。2017年には自民党の稲田朋美衆院議員のパーティー券を10万円分購入(中止で返却)していたことが明らかになっています。
(しんぶん赤旗)
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ari0921 · 6 years
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2021年は中国共産党結党100周年にあたる年、共産党は台湾統一を先ずは行って来るだろう。 中国、日本から尖閣奪取に「短期戦争」計画 2020年からの10年の間に=米シンクタンク 2018年04月17日 11時56分 AddThis Sharing Buttons アジア安全保障などに関する研究を行う米シンクタンクが発表した新報告書によると、中国共産党政権が日本の尖閣諸島に軍事侵攻するのは、もはや「時間の問題」だという。報告書は中国軍や政府高官らの声明に基づいて、軍事侵攻が2020年から2030年の間に行われ、「懸念される10年」であると警告した。 ワシントン拠点のシンクタンク「プロジェクト2049」研究所がこのたび発表した報告書『白い艦隊と小さな青い男たち(White Warships and Little Blue Men=軍艦でない海警船と、兵士ではない民兵となった漁船員)』は、中国公安の辺防海警部(海洋警備隊)と中国海軍の動きについて分析した。 報告書の著者は、退役米軍将校で、かつて米太平洋艦隊の情報戦部門を統括していたジェームス・ファネル(James E.Fanell)氏と東南アジア情勢に詳しい米政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)のケリー・ガーシャネック(Kerry K.Gershaneck)上級参与。 両氏は、中国政府が2020年から2030年の間に尖閣を侵攻するとの証拠に、軍部や政府の高官による声明や、海軍の大規模編成を挙げた。「共産党政権取得100周年の2049年は一つの節目。2030年からは約20年の時間がある。20年間も経てば、国際社会からの非難が弱まるだろう」と報告書は尖閣侵攻のタイミングを分析する。 中国海軍の尹卓・少将は2013年1月、北京テレビの番組に出演した際、中国海軍が日本の尖閣諸島を奪取するため「短期戦争」を計画していることを明らかにした。また、実際の戦闘は非常に短く、数時間で終了する可能性もある、と少将は述べた。 尖閣諸島「領土の放棄」か「防衛」 選択迫られる日本 報告によると、スカボロー礁と同じように、中国当局は尖閣諸島の実効支配を計画している。中国国家海洋局は2012年9月3日、中国の漁師たちを「守る」ために、スカボロー礁・西沙諸島・尖閣諸島の周辺海域を「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込み、人工衛星や航空機で遠隔監視している。事実上、スカボロー礁を支配下に置いた。 スカボロー礁は、フィリピンの排他的経済水域 (EEZ) 内に位置するが、戦略的要所として中国も主権を主張している。フィリピン当局は1998年、領海侵犯したとして中国漁船を拿捕したり、拘束するなど、両国では対立感情が高まっていた。 尖閣侵攻は同じシナリオで実行されると報告書は分析した。作戦は「白い艦隊」と「小さな青い男たち」によって実施される。「白い艦隊」とは正規の軍艦ではない海警船、「青い男」とは海上民兵と認識されている漁師のこと。報告書は中国海警船が近年、尖閣諸島付近で頻繁に活動しているため、「漁師が先行し、海警が護衛する」作戦で尖閣諸島を支配下に置く可能性が高いと指摘した。 この際の日本政府の対応は、尖閣の領土を放棄するか、侵攻に対抗して防衛するかの二択だとした。 日本の尖閣と台湾 同時侵攻の可能性も プロジェクト2049研究所は昨年、中国当局が2020年までに台湾侵略計画の準備を完了させる、との元米国防総省高官イアン・イーストン研究員によるショッキングな研究報告を発表した。 おすすめ:中共2020年台湾侵攻準備を完了か「政権崩壊につながる自殺行為」=専門家 このたびの報告書の分析によると、中国当局による日本の尖閣諸島と台湾の侵攻は同時に行われる可能性があるという。もし台湾戦になれば、中国軍が想定する「100時間攻略」よりも、長期で広範囲に及ぶ戦争になるだろうと、同シンクタンクは予測する。 台湾侵攻について、最近、人民解放軍の王洪光・中将は政府メディアに「中国軍は、米国と日本からの援軍が到着する前に、100時間以内で台湾を攻略できる」と豪語した。これについて、台湾軍の陳宝余上将は「不可能だ」「一笑に付する」と一蹴した。 イーストン研究員は、もし中国が台湾侵攻するならば、米国と、日本や英国、豪州など米国同盟国が軍事行動を起こすことが考えられ、中国共産党は政権崩壊の危機に陥いり、「自殺行為」とみている。 最近、尖閣諸島および台湾の周辺海域では、中国空軍、海軍、海洋警備隊など空と海の活動が活発化している。 「これは『孫子兵法』を基にした中国海軍による多面的な台湾戦略だ」。退役した防衛庁情報本部長・太田文雄氏は、大紀元英語版の取材に対して答えた。 太田氏によると、まず、漁船の航行と政府の海洋警備隊による行動拡大、地域の圧力強化を常態化させ、続いて軍による侵略というのは、よくある筋書きだという。 「中国は(欲しい島嶼の)実行支配の必要性を作り出す」とした。また、「米国が他地域での紛争に係わっていて、日本を支援する余力がない時期に、中国は尖閣侵攻するだろう」とも付け加えた。 プロジェクト2049は、一部の対中融和派専門家が言う「中国のレッドラインを超えない」「対立をあおらない」といった、日本の軍事行動を抑制するべきだとの主張を、否定している。 同シンクタンクは、日本への尖閣政策のとして、尖閣を含む周辺海域で米国や同盟国との軍事演習を行うなど、中国に対して抑止力をかけ続けることを推している。また、施設の建設など物理的な実効支配を行うことも案の一つに挙げた。 (文・ポール=ファン/翻訳編集・佐渡道世)
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umitoshonen · 6 years
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#29 ゲーム日記 【ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 ニンテンドー64】 16日目
月の衝突が迫る終末の世界で、最期の3日間をひたすら繰り返す
「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」プレイ16日目。
前回、「グレートベイ」地方での冒険を開始したが、リンクの姿では泳いだり潜ったりすることが満足に出来ず、なかなかコレといったイベントが発生しないので、死にかけのゾーラの男が浮いていた沖合までダメ元で泳いで行った。
最初に来た時、「オレを浜辺に押してくれ」と言われたので体当たりしてみたが全然押せている感じが無いので勝手に「後でまた来るやつ」だと決めつけていたが、実は地味に少しずつ押せていたことが判明。
死にかけのその男はゾーラバンド「ダル・ブルー」のギタリスト・ミカウだった。浜辺まで押してやると、彼は起き上がり「最期のメッセージを聞いてくれ」とギターをかき鳴らしはじめた。
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ミカウは死力を振り絞って熱く唄う
ボーカルのあの娘が変なタマゴを産んで、声を失くした
近頃グレートベイで何かが起きている
その娘のタマゴは海賊ゲルドに盗まれた。すぐに追いかけたが、返り討ちにあってこのザマ
死んでも死に切れねえ
誰かあの子の卵を取り戻しておくれ
誰かオレの魂を癒しておくれ
彼は歌い終わった後、力尽きてその場で息を引き取った。
「魂を癒しておくれ」でピンと来たのですぐさま彼に向かってオカリナで「いやしの歌」を奏でると、ムービーが流れる。
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彼はボーカルのルルを愛していたのかな。ルルと二人で向かい合い、手を取り合ってバンドメンバーのみんなのもとへ帰っていく、そんなミカウの追想とも願いとも取れるような一幕だった。
ミカウの魂は癒され、ゾーラの仮面へと乗り移った。
「あの娘のコト たのんだぜ…」と想いを託される。グッとくる。
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このゾーラの仮面を付けるとリンクはゾーラの姿に変身し、水中をダイナミックに泳いだり、水の底へ沈んで底を歩けるようになる。
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これはグッと行動範囲が広がりかなり嬉しい。パンチやダブルカッター、バリアなど攻撃アクションも多彩だ。
ゾーラの姿でゾーラホールへと戻る。入り口近くにいた何も喋らないあの女の子こそが声を失った歌姫ルルだった。彼女に話しかけてみると、悲しげな顔で何かを訴えてくるがやはり喋ることは出来ない。
変身をしていると、山里でゴロン族にとっては英雄ダルマーニ(の生き返り)として扱われたように、ゾーラ族にとっては伝説のギタリスト・ミカウとして彼らの目に映っている。
ゴロンの時と同様、志し半ばで死んでも死に切れなくなった者の魂を「いやしの歌」で癒して浄化し、その想いを託されて、彼らの代わりに行動してその地を救うという重い役目を淡々と担うリンクの姿にはある種の孤独が感じられる。
ホール内にいるバンド目当ての客にはとりわけルルのファンが多いようで、彼女の楽屋をこっそり覗いている者や(声をかけるとわかりやすくドギマギしていた)、ミカウが彼女の身内であることをいいことにプライベート写真を撮ってくるようせがむ者がいたりした。
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セコイやつだな〜と思いつつも、物憂げなルルの美しい横顔をウツシエに収めて渡してやったら20ルピーをくれた。なんか罪悪感。ゴメンね、ルル。
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そういえば、海賊の入江近くで出会った別のゾーラの男は、とびきり美人な海賊たちを一目見ておきたいという思い余って、危険を顧みず彼女らの“出待ち”をしている者もいた。
ムジュラに出てくるゾーラ族って見た目に反してなんだか人間臭いキャラが多くて楽しい。
バンドリーダー兼キーボーディストのエバンに会いに行った。
ゾーラの姿(=ミカウの姿)をしていれば当たり前だが楽屋にも入れる。
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エバンは「ルルが歌えないことでバンドの公演が中止になることを危惧しており、このことは他のメンバーにもまだ内緒にしてある。タマゴを奪った海賊と渡り合えるのは勇者の血を引くお前(ミカウ)だけだ。」と告げる。
ベーシストのジャパスはまとまりを失ったバンドにうんざりしていて、ルルが歌えなくなったことについては、彼女と懇意にしているミカウに嫌疑をかけている節がある。
ドラマーのディジョからはルルの秘密を教えてもらえた
グレートベイの神殿に何か起こってるから海がおかしくなってる
そんな時は必ず神殿を守ってきたゾーラの末裔に何か良くないことが起きるんだ
つまり、ルルが神殿守りの末裔に当たるということか。
各メンバーの各部屋で、それぞれのパートの楽器に特化したBGMが聴ける。
ムジュラって時間に追われるゲームだけどこの時ばかりは時間を忘れてこのホール内をウロチョロしてただただ音に酔いしれたいと思った。サントラが欲しい。
そういえばまだここへ来る前のこと、クロックタウンで出会ったダル・ブルーのマネージャーは「公演の中止」を伝えに来ていたが、今こうしてゾーラの人々の物語や人間模様を知ってからは絶対にルルの声を取り戻して「公演を開催する」運命に変えてみせたい、という思いが自然と湧いてきた。
ムジュラの中の人物や物語にはグッと引き込まれるものが多い。
なかなかゲームを全クリした経験が無いけれど、ムジュラは絶対にクリアしたいし、すべきだと感じるし、きっと投げ出さずに完遂できるだろうという確信めいた予感がある。
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(本当はこのあともう少し先へ進んだのだがあまりに長編になってしまうのでキリがいいところで一旦区切っておこう。次回分のプレイも終えているがかなりのボリュームで進展があった。さあ書かねば。)
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takahashicleaning · 3 years
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TEDにて
コリン・ストークス:映画が男の子に教えること!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
映画「スター・ウォーズ」は、コリン・ストークスの3歳の息子を一瞬にして虜にしました。しかし、3歳の男の子は、このSF映画の傑作から何を学んだのでしょうか?
ストークスは男の子に、協力することの大切さ、女性を尊敬することが、悪者を打ち負かすことと同様に男らしいことであるという
ポジティブなメッセージを伝える映画がもっと必要であると訴えます。(TEDxBeaconStreet より)
悪者を打ち負かすことに対しての報酬という英雄ジャーニーモデルという男の定義は崩壊してきていて
「メリダとおそろしの森(日本名)」(なお、米国では、「Brave」です!)- ディズニー映画も登場します。
他には「オズの魔法使い」「ハリーポッター」などもベクデルテストに基づいた良い手本だそうです。
テストの内容についても詳細に説明しています。
その後、娘に「スター・ウォーズ」で好きなキャラクターを聞きました。
何と答えたと思いますか?オビ=ワン オビ=ワン・ケノービとグリンダこの2人の共通点は何でしょうか?
おそらくキラキラの服だけではないでしょう。彼らはエキスパートなのです。
私が思うには2人の共通点は、映画の中で人一倍の知識を持ち、それを仲間の成長のために共有することです。
彼らはリーダーです。2人のような冒険を子供達にも経験してもらいたいです。
こんな冒険がもっと存在してほしい子供達に「一人で戦ってこい」と命令するような冒険は必要ないのです。
子供達に必要な冒険とは、仲間の成長を助けるために女性が指揮をとるチームに加わる必要を感じる冒険です。仲間のための冒険なのだそうです。
権力者が権力を思うまままに振舞うことは硬く禁止しています。
その他に・・・個人的なアイデア
男脳と女脳は、構造上、別物なので、自分と同じようにふるまうことをお互いに無意識のうちに相手に期待し、共感しようという思い込みが不幸を招き寄せてしまいます。
なので、極論お互い別の生き物と思えばいい。さらに、共感できる範囲が唯一食べ物や赤ん坊、子供くらいとお互いに狭いことが原因かもしれません。
男と女は違うみたいで、どちらが優れている?劣っている?ということではなくただ違う!両者に共通しているのは、種が同じということだけです。見ている世界も違えば、価値観も役割も違うそうです。
自分の尺度で相手を測ろうとしても、自分と同じ考え方、感覚を求めても必ず男女間の不満は爆発してしまうものと認めてしまえばいいかもしれません。このような前提で、お互いに歩み寄っても不満は無くなりませんが最小限にできる可能性があります。
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?極端な場合は保護が必要ということを前提にしても問題がある。男女平等が社会システム内では功利主義的には有効?混乱を産み出し憎しみの連鎖を起動させてるだけで果たしてそうなのか?国の歴史によっても異なるし、上記の事例に関しては、法の下の平等は万能ではない!道理に反するということでもあります。
太古からの厳しい自然淘汰を生き抜く上で多少の児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?が良い作用を与えていたのも事実であって数万年かけて培われた本能的な児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?は、犯罪者扱いするんじゃなくて隔離して教育してもいいし、国家が対策マニュアルをオープンソースで公開して男女の特性子供の特性として共有すれば?
極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
それを社会システム内で最適化させて一千年単位のスパンで少しずつ改善するほうがいいし、マスメディアも慎重に吟味してセンセーショナルな報道をしないことだ。
本当に殺しては社会システム内ではダメだからテレビ的にはタレント生命、テレビ、ラジオ出演者生命や広告代理店関係者、芸人芸能人生命、俳優生命など。是非、不幸をあおるやつらを殺してほしい
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?たった数十年の現代版社会システム内では善かもしれないが、数万年単位の大自然内では場合によっては最適かもしれない。強制的に洗脳報道繰り返すマスメディアは潰れたほうがみんなのためにもなる?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
女性は、腹が立つ相手に恋をするし、「感性が真逆の相手に発情する」という特性は、脳科学上の真実
対策として、ケンカになった際は言い募るのではなく「悲しい気持ち」をありのままに伝え感情を共感しましょう。
男性が一日に発信する情報は7000語くらいで、女性は約三倍。この差は、テクノロジーやコンピューター、人工知能を活用しないと絶対に勝てないレベルです。
コミュニケーションツールとして女性脳は認識しているためでもあります。女性の特性上、サポートするような仕事は、太古からの自然淘汰の中で培われたため相性が良いかもしれません。
対策として、何気無い言葉でのメールやチャット、メッセンジャーも良いかもしれません。
つまり、女性はもともと本能レベルで備わってるので機械が使えないのではなく、使う必要性がないから、そんな役に立たないの使わないし興味がないだけです!だって、自分で無料で瞬時にできるのに、わざわざ遅くなる手間とお金かけないでしょ。
「今日は何してたの?」は禁止ワード。具体的に時間がかかろうが一つ一つ90分くらいは1日にかける覚悟は必要です。
「言ってくれればやったのに」は禁止ワード。まず、ごめんね。と言って感情を共感してから手伝うこと。
「おかず。これだけ?」は禁止ワード。次に食べたい食べ物を要望して会話のキッカケにすること。足りない場合は自分で買って後で食べればいいだけです。
マスメディア側の専門的な知識や経験のない勝手な先入観で広告料金をもらうだけのために勝手な報道を垂れ流し、離婚させるよう誘導、偏向報道し、その報道のために児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?と視聴者に誤解させても責任をとらない?潰れたほうがいい。
自らが権力者であることを発信せず視聴者を混乱させ、それに便乗して権力乱用する日本の民法テレビ局。同じことを繰り返さないようにみんなでチェックし見守っていくことだ。
日本で、恋愛結婚が普及したのは、サルトルとボーヴォワールが来日した時に一気に拡大した可能性もあるかもしれない。それ以前は、お見合い結婚が主流でした。
前提条件として、恋愛結婚はサルトル、ボーヴォワールみたいな有名人であること。創作活動が成功していて多額の資金を保有し裕福層であること。
それ以外では、まず不可能。良い結果にはならないことを追加しておきます。日本の高度経済成長インフレ時代には合っていたけど、デフレ経済下に入ってしまうと厳しく破綻しやすくなります。
または
女性特有の支離滅裂な言語。例えば、キモいなど擬態語共感は男性には理解できない。
だから、言葉の定義を決めない場合、リアルタイムに真似して、同じしぐさで中和か、法律で正当防衛的な暴力を情状酌量可能にすれば言葉の表現方法を考えるきっかけになるかもしれない。
大前提として、理想の男性はこの世にいない!本能に任せて男を追い求めるくせに、母親が、幼い男性にもっと小さい頃から女性の善い面や悪い面を覚えさせることが最善。
さらに、将来までのサポートをしない責任もある!女性は、年齢的に心と身体形態を最低三回くらい変えていくエヴァンゲリオンの使徒みたいな特徴もあるから!
後始末しづらい精神分裂者と男性には感じられることが多々ある。
以上の前提条件から考えると
女性は子供を創る天才。男女平等じゃないのに男女雇用機会均等法を誤解したまま流布した政治家、マスメディア関係者をすべての女性は恨みな!
結局女性弱者にツケが回る仕組みなんだよね。お金を分配して償えば?邪悪な悪女が構築?
小池百合子が主犯と見ている
言葉の定義を決めよう!ジェンダー平等の定義は?そもそもの起源は?多神教や一神教。男と女。違いは必ずある!
価値観を数値化できないと定義も決まらない倫理観が欠落することになり権力者に悪用され基本的人権侵害に直結する危険性大
ジェンダー平等?真の男女平等な第二次大戦で社会実験結果がでたでしょ!男が勝利!平等はないと!
だから基本的人権が社会システム内に創られた!外に出たら結果は明白でシステム内の法律で押し付けるといずれ災厄が吹き出すぞ警告だ
女性活躍女性が強い?これは裕福女性がテレビで流布したプロパガンダだから女性弱者はこいつらを恨め!真実は第二次大戦で男性勝利で決着がついてる!
女性の末路は悲惨なものだった!死人に口無しって知ってる?
実務のできない女性を上役にしても混乱するだけ公約を果たさず再選した小池百合子が悪い見本
男女平等と誤認させるなら権力者であるテレビ局に出演する女性の旧姓と結婚後の名前を表示しろ!それで対等だ!
同じ種だが役割が違う!男が勝つのは先の大戦で結果がでた!こうして基本的人権が創設。
だから、男女平等ではなく男女対等。誤訳?平等なら男子女子と分けずに一緒にするよ
男女平等は誤り、男女対等と言え!
トップに立つには、それ相応の女性の良い見本を示すことが重要。
ジェンダーの定義は、古フランス語から共通の特性を持つ集まり、血統が語源。
この後に「平等」が付くと概念上は医療をフラットに提供するための原点に似ている?
二元性が存在できないプラスサム、共感やワンネスに近い?
参考概念としては、個人の基本的人権や法人の競争に頻繁に登場します。
知ってるつもりで思い違いしてること!で、公平概念というのは「ハンデをつけて上限を公平に!」と言葉であえて説明する。
平等概念をわかりやすく言葉��すると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じです。
これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
個人の基本的人権とは真逆なため、法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
時間をかけて諭していたが・・・
過酷な真実を言わなければ、女性の腑に落ちないから言うけど・・・
男女平等な第二次大戦で男が勝っているのに、東日本大震災、新型コロナ、ミレニアム以降の日本全体に災厄が降り注ぐのは
女人禁制の経験則に男女対等じゃなく、誤った男女平等を持ち込んだからかもしれない。
悲しいことに、ジェンダー平等や女性活躍主張する女性ほど独身、離婚者が多いのはなぜ?
結婚してる女性は幸せだから、慎ましく将来の息子の出世に響くため、そんなこと言わない傾向がある矛盾があるから統計を取るといいかも。
よく考えても見ろ!
自分の息子の将来を現時点で独身女性、離婚者女性��奪うのは、ジェンダー平等かな?
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monqu1y · 3 years
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戦後の事件簿  「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた  図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった  1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した  1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない  1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した  1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した  1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した  1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている  1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した  1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された  1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した  1946年12月20日、首相���邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた  1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した  1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派���されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった  1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された  1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された  1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった  1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された  1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた  1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた  1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された  1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した  1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した  1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された  1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した  1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った  1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した  1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた  1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した  1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された  1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している  1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった  1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した  1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
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 1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった  1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った  1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した  1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した  1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した  1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した  1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった  1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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第25話 『ある術者の1日 (1) - “朝の目覚め”』 One day of a necromer chapter 1 - “Morning awakening”
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Buriedbornesの術者の意識が屍体を離れ地上に還った後、肉体は一時的に主を失い無防備となる。
そのまま野ざらしにしておけば、死臭に誘われた魔物が這い寄り、次の目覚めまで保つことはまずないだろう。
そこで、術者が屍体を離れる時には、肉体を土に埋めてしまう事が通例となっている。
厳密には、穴を掘りそこに横たわって、土をかぶる、言うなれば『自ら埋まる』というものではあるが。
匂いの消し方には、決まったやり方はあまりない。
外の空気に触れないよう結界で封じてしまうもの、香草を使うもの、大量の屍体を周囲に撒き散らし"森に葉を隠す"ものなど様々だ。
物理的に鉄板などで蓋をしてしまうようなケースもあるが、この場合は霊体のつながりを保つために開けられた、成人男性の手首ほどの"空気穴"が仇となる事もあり、危険だ。
巨躯の魔物などは鉄板を前に屍体の発掘を諦めてしまうかもしれないが、空気穴でも通れてしまう小さな虫や動物はその限りではない。
いずれにしても、術者は十人十色の方法で以て、屍体の保全に努めている。
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術者が目を覚まして最初にする事は、自身の体に盛られた土を払い除け、外へと這い出す事である。
土中から目だけを出して、周囲を見渡し、気配を窺いながら音もなく身を起こす。
その後、自身の肉体を隅々まで見る。
脚は二本ともついているか。
頭部のどこかが欠けていないか、一箇所ずつ触り、異常がないか探る。
体を細かく動かし、全身くまなく意識をめぐらせて、意図通りの動きが遅延なく為されるか、試していく。
意識がなかった間に起きた事をあらかじめ正確に把握できなければ、屍体を喪失するリスクは大きくなる。
うわべの見た目に問題がなくとも、寄生生物に這入られている可能性、何らかの呪いを受けている可能性など、リスクの種類には枚挙にいとまがない。
経験の浅い術者は、些細な機微に無頓着だ。
戦闘中に自身に刻まれた呪印の存在に気づくなど、もっての外である。
十全な確認の後、その場を離れ、再び危険が蔓延る地底の世界を蠢き始めるのだ。
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死の冒涜に自ら足を踏み入れ、禁忌を重ねるに至ったとしても、その全てがはじめから倫理を外れたものであったわけではない。
良心の呵責から、使用を躊躇った者も少なくはない。
しかし、全てを凌駕する強い力を求める過程が、やがて多くの術者達の心から倫理観を奪っていった。
倫理観とは、それがもたらす社会的合理性によって支えられた人間達が、それを共有し合う個々人の中で互いに生み出し合った幻想の呼称である。
それがもたらす意味や価値がこの世に残されていないのであれば、そこに見出されるものは、もはや非合理性のみである。
遅かれ早かれ、屍者を以て屍者と対峙する者達は、命に対する意識を改め、死を生命体の状態の差として見るようになっていった。
その意識の変化に心が耐えられず、かといって自らの命を絶つ事もできなかった者達は、様々な形で"歪んで"いった。
整合性の欠片もない論理を立てて自己正当化を図る者、存在しない神性の存在に行動の責任を転嫁する者、自らに幻術をかせて現実認識を曲解させる者…
いずれの形にせよ、それらは平和な時勢の社会においては"狂った"と一律に評されたであろうものであった。
だが、今の彼らを"狂っている"と、我々は指差して嗤う事などできようか?
それがその世界において最も合理的な人間のあり方であるならば、それに適合できず脆弱で無価値な良心なぞに従って自らを害した者達こそが狂人であったとさえ言える。
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心理的な合意形成の過程とは別に、屍体を操り戦う事を選ぶに至った経緯も、術者ごとにまちまちである。
Buriedbornesの秘術を見出す過程から、まず違う。
一部の術者達は、世界に滅びが蔓延するよりも以前から、既にその禁忌を現代において犯していた。
勘がいい者達は、世界に滅びが蔓延する最中、自らの知識と経験からその真実にたどり着いた。
それ以外の多くの術者達も、仲間から伝えられたり、風の噂から知る事になったものが多い。
コミュニティを形成し協力して研究や闘争に立ち向かう者もいれば、孤独に戦っている者もいる。
屍者の軍勢を滅ぼし世界を救う事を本気で目指している酔狂な者達もいれば、未曾有の世紀末を覆う呪いと屍術の無限の可能性を探求し知の歓びに耽溺する者達もいる。
共通した過程は常に『屍者を使って戦う以外に選択肢がない』であり、最終的に至った目的も常に『いかにして屍者を操り、より強い兵隊を生み出すか』である。
Buriedbornesの術がもたらす恩恵はそれ以外の手段では決して得られる事がなかった。
改造と術による筋力や脳機能の自己抑制を無視する作用によって本来得る事ができないほどの尋常でない能力を得て、使い捨てができて術者は常に無傷で次の挑戦を繰り返す事ができる。
それまでの全ての常識を覆し、屍者で戦う手段はそれ以外の手段のほとんどを駆逐し尽くした。
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屍術師ダレンは、その日もいつものように目を覚ました。
17日目。
迷宮、地下6階。
足を踏み入れた頃に見られた陽の光は遥か頭上の彼方に離れ、今や途切れず燃え盛る松明の光だけが回廊を照らしている。
研究所の近場にある寂れた墓所に残された兵士の屍体の数にも、底が見えて来始めている。
屍体を使い始めた頃と同じように、なんでも試して、失敗すれば次、そんな投げ槍な感覚で屍体を使い捨てられるの���も限界がある。
せめて、新たな屍体の供給源にでも見つけられれば或いは…
しかし、それも手に入らず、このまま何の結果も生む事もできなければ、この戦いにも終わりが来てしまうだろう。
術者自身は、生きた人間である。
安全に生活資源を得られる手段すらもBuriedbornesに頼っている。
屍体を全て使い切る事。
その先に待つものは、緩やかな死である。
我々には、後がない。
普段は聡明なダレンにも、焦りと本体の空腹による集中力の低下が起きていた。
天井の暗がりに張り付いた巨大な粘液��の存在に、彼は気づくことができなかった。
突然閉ざされる視界。
通り掛かる獲物に降下したラージスライムの定石手は、頭部を覆い呼吸を止めて活動力と判断力を奪い、そのまま全身を取り込むやり方だ。
頭部が酸液に溶かされる音が回廊に響く。
首元をかきむしりもがく。
術者の負担をへらすために事前に痛覚は切断している。
当然、痛みはない。
呼吸をせずとも、死ぬ事はない。
だが、術を介してはいても、肉体の感覚はすぐそこにあるのだ。
実際に魔物に命を奪われる感覚、その過程を経験する事にはなるのだ。
たとえ幻術であっても、高所の不安定な足場を見せられた被術者は、一瞬の恐怖に脳を支配され、本能が理性を凌駕しパニックを引き起こす。
彼もまた、それと同様の事態に見舞われていた。
「炎術だ、燃やせ!」
どこからともなく、遠くに響く声がする。
その声に我に返り、手を頭上の塊に差し出す。
指先から火炎放射が放たれれば、スライムは表皮の熱源に反応し、生理上の反射として身を縮め、即座に獲物から離れる。
スライムの習性に対する最適解のリアクション。
しかし、彼はそこでもまた失態を犯した。
目が見えず、距離感を失っていた彼は、炎の噴射を開始するよりも先に、スライムの粘液の中に指先を突き入れてしまう。
慌てて引き抜こうとしても、もう遅い。
まとわりついたスライムは特殊な薬液か炎、異常なほど強い遠心力以外によっては引き剥がす事ができない。
そして、粘液に包まれた手の先は空気が触れておらず、可燃しない。
右手からの炎術はもう、使えない。
代わりの左手を出すよりも早く、上半身はスライムに覆われてしまう。
スライムの重さに耐えかね、兵士の肉体は横転した。
そして、足先まで、全身がスライムの内側に取り込まれた。
ここから助かる術は、もうない。
手詰まりである。
ダレンは、術の施行を取りやめ、意識を兵士の肉体から引き離した。
全身に猛烈な突風が吹き抜けるような感覚が走り、そして、視野が元の研究所の片隅に戻った。
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「クソッ!」
握りこぶしを作って、椅子の肘掛けを強く叩いた。
木が軽く軋み、鈍い音が響く。
叩いた椅子よりもむしろ、叩いた自身の掌こそが裂けそうなほど、痛む。
非力な肉体では、こんな木切れすら破壊できない。
「ダレン、少し休もう。そんなコンディションじゃ、勝てるものも勝てんぞ」
ヘルマンがダレンの肩を叩く。
彼の声は、炎術の助言を促したときと同じようなはっきりとした声で、ダレンを励ます。
「…施術の準備はしておく。寝てこい」
無表情で隣室を指差し、椅子の周囲に描かれた魔法陣を直し始めたのは、マルクだ。
ダレンは手で強く目頭を抑え、ふらつきながら部屋を後にした。
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施術室の整備はマルクが担当している。
魔法陣、椅子、術の施行などだ。
Buriedbornesの術を発見できたのも、彼の思慮深さが寄与している。
術を使って戦わせれば、3人の中では最も優れた術士ではあるだろう。
ヘルマンはダレンの戦闘補佐を担当している。
3人の中で最も大きな体躯を持ち、饒舌で、崩壊前に限れば快活な楽天家ですらあった。
広い知識と高い判断力を持ち、世界崩壊時も彼の活躍があってこそ3人は生存できたと言える。
だが、術の才能に関して言えば決して優れたものを持っているわけではなかった。
多少は肉体的な強さも持ち合わせてはいたが、それも所詮は一般人として見たら、である。
魔物と直接渡り合えるほどでは当然ない。
彼らは、その隠された狭い研究所の側にある墓所から、屍体を調達している。
そこはかつてとある2国が争った戦場の南端に位置し、近隣の住民はそこでの戦死者の亡骸をその墓所へ埋葬した。
(勿論それは、残された兵士達の装備を売り払った事への罪悪感を紛らわせるための、極めて利己的な葬儀ではあったが)
結果としてその墓所には、戦争に参加した雑兵が山程埋められてた。
3人はそこに目をつけた。
夜な夜な、徘徊する屍者や魔物の目をかいくぐり、屍体を掘り起こし、研究所に持ち帰る。
屍体に霊体を込めて、動かす。
その屍体が優れた戦士のものなら、儲けものだ。
そうして3人の術者による"屍者の軍勢との戦い"は始まった。
Buriedbornesの術に求められるものは、術の才能でも、肉体の強さでもない。
屍体と記憶をつなぎ、操作する。
この時代にあっては、多くの場合その記憶は不遇の戦死に対する怨恨に満ち、またその死の瞬間の印象も鮮烈だ。
無数の屍体に次々と乗り換えて、そのひとつひとつの記憶に触れ続ける必要がある。
つまり、最も重要なものは、純粋な精神力である。
無数の死に触れながらなお正気を保ち、前に進み続けられるだけの強靭な精神力。
あるいはそれは、結果として異常行動に走らずに済んだだけの発狂者かもしれない。
崩壊より遥か以前に家族の命を眼前で野盗に奪われていた事は、彼の精神の不感と全く無関係ではないかもしれない。
他の二人は、精神力という面で見たときに、いささか人間的過ぎたのかもしれない。
はじめは3人で交代で術の行使を行っていたが、ヘルマンとマルクはすぐに精神の不調を来し、やがて術の直接行使はダレンだけが行うようになった。
術者と言えども人間である。
食べもするし、寝もするだろう。
休憩する事もあれば、無関係の事に勤しむ時間もある。
Buriedbornesの術を一度行使すると、霊体の接続は対象の肉体が崩壊するか、意図的に切断するまでは保持される。
一時的に屍体から霊体を本体の肉体に戻して活動し、その後思い出したように接続を再開する事も可能だ。
複数の屍体に接続し、切り替えて使用する事も可能ではあるが、集中力の限界があるため、一度に動かすのは大体1体である。
術者によってタイミングや長さはまちまちだが、ダレン達は毎日、平均して9時間の接続を行っている。
朝起きて、日常的な"生活"の範疇の行動を済ませた後、冒涜を開始する。
1日の探索を終えた後は、屍体を土中に隠し、ダレンの霊体は研究所に戻る。
その後、地図の整理や術の研究などに時間を充て、各々思い思いの時間に消灯する。
日によっては1日以上外出して、屍体の回収を行う事もある。
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彼らは大量の屍体を抱える墓地近くに拠点を得た事で、運が良かったとも言える。
しかし一方で、その墓地が雑兵しか得られない場所であった点は、不運であったとも言える。
彼らの戦力は専ら"農民に毛が生えた程度の男"だけで、そんなもので、英雄的な活躍ができるわけがない。
これまでに数百とその死の記憶に目を通してきたが、人を斬れた記憶もよくて一生に1度、全体でも数えるほどしか確認できていない。
ほとんどが、牧歌的な農村に育ち、やがて徴兵され、慣れぬ剣や槍を持たされ、何もわからぬまま何かに貫かれるか焼かれるかして死んだものばかりである。
このまま屍体を全て使い果たしたところで、世界を崩壊に追いやったと噂される古代の覇王の、姿を確認する事すら叶わないかもしれない。
こんな辺境にまとめて墓地に埋められた屍者の中に、英雄が存在する可能性が、どれほどあろうか?
ダレン達は半ば、スペードのAが抜かれたトランプの束から、それを探して1枚ずつめくるような日々を過ごしていた。
最後の1枚をめくった後は、もはや死を待つばかりである。
ギャンブルとも呼べない切迫した状況は、3人を日に日に追い詰めていった。
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その日の夜、ダレンは紙がこすれる音に目を覚ました。
廊下に面した扉は部屋の暗闇に融けて、寝覚めの目には存在すら薄ぼんやりと透けている。
一方、隣室につながる扉から、光が漏れている。
そちらは、マルクの自室であった。
逆に目をやるが、そちらの扉は廊下側と同様に、闇に包まれていた。
ヘルマンは、少なくともその扉を見る限りにおいては、眠っているらしかった。
ダレンは重い体を起こし扉の前に立つ、控えめに叩いた。
返事はなかったが、ゆっくりと扉を開く。
マルクは質素な机に向かって熱心に何かに目を通している。
部屋の高い位置に開けられた小窓からは月の光が漏れて、経験からおおよその時刻を推し量る事ができる。
「もう遅い、寝ないのか」
ダレンの言葉にも、マルクは返事をしない。
ダレンが書物を覗き込むと、そのページには、奇怪な6本の腕を持った男の解剖図が緻密に描かれていた。
魔物か、悪魔の類か?
訝しがるダレンに、マルクが身を起こし、ページの中の文字に指を指して、声を押し殺しながらも興奮した熱気を伴ってダレンにまくしたてた。
「パーツだ!屍体に他の屍体の部品を継いで、より強固な屍体を作り上げるんだ」
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~つづく~
ある術者の1日 (2) - ”昼の陽光”
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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A post shared by shu uemura (@shuuemura) on Apr 19, 2018 at 5:58am PDT
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A post shared by shu uemura (@shuuemura) on Apr 19, 2018 at 1:16am PDT
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herbiemikeadamski · 4 years
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(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月20日(火) #赤口(丙申) 旧暦 9/4 秋土用入 月齢 3.3 年始から293日目(閏年では294日目)にあたり、年末まであと72日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に行き💪夜を感謝に眠ろう😪💤 夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦 睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 雨上がり今日明日は助かりますね(≧▽≦) 3号車のADIVAが修理に入って返って来ないので 今日も1号車のNM4ですので、ADIVAの有難味を 今更ながらつくづく感じる次第です。。。_| ̄|○ 日中は良いですが朝晩は寒くなりました(^^; . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛なさって❤️ お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない!ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #上皇后美智子様の誕生日. 日本の第125代天皇・明仁の皇后、上皇后。 皇族。 お印は白樺。敬称は陛下。 勲等は勲一等宝冠大綬章。 旧名は、正田 美智子。 明治時代以降初めての民間出身の皇后ならびに皇族で、現皇室典範下で夫帝の即位に伴って立后した初めての皇后でもある。 第125代天皇明仁の退位に伴い、皇室史上初めての上皇后となった。 . #ソフト化の日.  ソフト化経済センターが1989(平成元)年に制定。  「ソ(十)フ(2)ト(十)」の語呂合せ。  柔らかな発想で、これまでと違ったことをやってみるという「ソフト化」を広く呼びかける日。 . #はっかない恋デー.  北海道北見市の「まちづくりプランニング」が制定。  北見地方は昭和初期に世界の70%を超す生産量を誇るハッカの名産地だったが、現在では天然のハッカがない。  そんな「ハッカが無い」と「はかない」をかけて記念日を制定し、はかない恋に悩んでいる人の手助けをし、まちづくりに役立てるのが目的。  日付はハッカを収穫して精油の製造時期であり、恋の神様のいない神無月である10月と、はっか(20日=はつか)ないの語呂合わせから。 . #老舗の日.  日本は創業100年を超える企業が世界一多いといわれる。  その日本が世界に誇るべき老舗の良さを見直すのを目的として、老舗の商品を扱う「老舗通販.net」を運営するスターマーク株式会社が制定。  日付は商売の神様として知られる恵比寿様の祭り、恵比寿講の日にちなんで。 . #えびす講(#えびすこう). おもに10月20日ないし11月20日に催される祭礼または民間行事。 秋の季語。  大鳥大社など日本各地の鷲神社で行われる酉の市は由来が異なり全く関係がない。 . #アップルペイント外壁塗装の日.  長野県松本市で総合リフォーム・住宅防水塗装などを手がけるアップルペイント株式会社が制定。 . #床ずれ予防の日.  一般社団法人日本褥瘡(じょくそう)学会が制定。 . #新聞広告の日. #疼痛ゼロの日. #群青忌. #ヘアブラシの日. ●リサイクルの日. . #信州ワインブレッドの日(毎月20日).  長野県長野市に事務局を置く信州ワインブレッド研究会が制定。 「信州ワインブレッド」とは長野県産ぶどうを使用したNAGANO WINEと長野県産小麦を100%使用して作られたパンのこと。  ワインの風味がほのかに漂う「信州ワインブレッド」の魅力を全国に発信するとともに、農産物の豊かな長野県をPRするのが目的。  日付は日本ソムリエ協会が提唱している「ワインの日」が毎月20日であることから。  ワインを囲む食事に「信州ワインブレッド」を合わせて楽しんでほしいとの思いが込められている。 . #頭髪の日(毎月10日・20日に設定されている記念日). #発芽野菜の日(毎月20日). #ワインの日(毎月20日). #マイカーチェックデー(毎月20日). #シチューライスの日(毎月20日). #キャッシュレスの日(ゼロが付く日). . . #グアテマラ革命記念日. #ケニヤッタデー(#英雄の日). . . ■今日のつぶやき■. #浅い川も深く渡れ(アサイカワモフカクワタレ) 【解説】 浅い川であっても、深い川と同じように用心して渡らなければいけないという戒めの意味を込めたことば。 浅く見える川にも危険��潜んでいるかもしれないし、見かけ以上に深いかもしれない。 たいしたものではないと軽く見て、油断するのは禁物であるということ。 ささいなことでも用心せよという戒め。 . . 1983年10月20日 #大和ヒロシ(#やまとひろし) 【プロレスラー】 〔千葉県君津市〕 . . (副都心線 北参道駅近辺) https://www.instagram.com/p/CGitpvInax9diMroxyc6jmjawyApvo-9Iylkdg0/?igshid=1k7i6sf4tkvqw
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tanamuregaki · 6 years
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終章とエピローグ
先にソロール『砂の上の星詠みたち 』 (リンク先のページの下のほう) を読むとわかりやすいと思います。
終章 1 「これは母上に返すよ。僕たちには、もう必要のないものだ」  ジュバは、弟のギルタブと共に、革表紙の本を差し出した。星明りの下、分厚い革の表紙がぬらりと光を反射する。そこには兄弟の署名が記してあり、インクの色が黒々とその存在を主張していた。 「母上のものでしょう」  母と呼ばれた女――シェダルは首を横に振った。 「いいえ。これは誰のものでもない、幻の本。『戯書』と呼ばれるものよ」  戯書、か。小さくギルタブが呟いた。シェダルは頷き、説明を続ける。 「この本は、常に世のどこかを漂っている。といっても、普段は実体を持たないわ。この世界とは違う……もう一つの世界といったらいいのかしら。その世界で、この本が私たちの傍に対応する場所を通ったとき、こちら側から魔力を用いて干渉することで、初めてこちらの世界に姿を現すもの。私はその機会を詠み、詠み通りの日に、触媒を通してあちらの世界に触れた」  懸命に話に耳を傾けていたギルタブだが、内容が頭に入ってこなかったのか、複雑そうに眉を顰めてみせた。 「ふん。複雑な話だな……」  ギルタブの兄であるジュバの方も、話をしっかりと理解できた様子はない。それでも、自分なりに内容を解釈し、語り出す。 「ええと……。要するに、『戯書』はいつもは別の世界にあるっていうことだよね。それで、その世界にもこの国と同じ場所が存在していて、たまたまそこを『戯書』が通り掛かったとき、こっちの世界から魔力という腕を伸ばして、こっちに引っ張り出すことができる……。そういうこと?」  シェダルが、ジュバの釈義に頷いた。 「そんなところでしょう。知っている? この世にはいくつもの世界が存在していると言われているわ……。『戯書』は、そんないくつもの世界を繋ぐことができる、特別なものなの。だから、必要がなくなれば、元の世界に返さなくてはならない。――本当にもう、いいのね」  本当に必要ないのかと、シェダルが問う。しかし実際には、二人の答えはとっくにわかっていた。
「うん」
「必要ない」
 兄弟はしっかりと頷いた。すると、本の持ち主を表す文字が、夜に溶け込むようにじわりと滲み出す。次の瞬間には、本の署名は跡形もなく消散していた。 「あとは、私が処理しましょう」 「ありがとう、母上」  ジュバは礼を言ってから、なにか思いついたように再び口を開く。 「あの、『戯書』は常に移動しているんだよね。そんなに手に入れることが難しい本なのに、どうして母上の手の届くところに、たまたま現れたんだろう」 「それはね、ジュバ」  シェダルが軽く微笑んだ。 「星が廻った――ということよ」 「……そうか。“星が廻った”んだね」 「ええ」  ジュバとシェダルは、互いに目を合わせて意味深長に微笑み合った。星の詠めないギルタブだけは、会話の内容を理解できず、不服そうに口を窄めていたが。  しかし、シェダルの笑みはすぐに消えた。鋭い視線をジュバに向け、厳かな声色で問いかける。 「ジュバ。貴方の星は、貴方になんと言っていますか」  ――星? 何を聞かれているのかわからず、ジュバはぼんやりと相手を見つめ返す。 「うん? ええと、何の話?」  シェダルは表情を変えないまま、忠告するように声を落とす。 「星詠みを怠らないで。よく、見極めるのです。機会を誤ってはいけません。わかりましたか」 「その……」  ジュバが口籠ると、すかさずギルタブが口を出す。 「兄上。返事を」  ジュバは二人を見つめ返すと、暫し沈黙した。 ◆ 2 「牢などではなく、あの塔の小部屋とは……。よく配慮してくださり、感謝します。陛下」  広い廊下に、数人分の足音が響き渡る。いつものように雲のない、しかし、全くもってゆったりしているとは言えない空気の午後だった。シェダルは、自らの夫であり王であるザウラクに、恭しく感謝を述べたところだった。それに気を良くしたのかどうなのか、ザウラクは僅かに口元を緩めた。 「あの部屋ならば、まず逃れられまい。その上、宮殿一の景色が眺められる場所でもある。最後の数日間を過ごさせるには、おあつらえ向きだろう」 「お優しいのですね。あの子も景色に見惚れていたようで、何よりです」 「一言も話さなかった点は気になるが――しかし、確かに、喜んでいるように見えたな。あのまま、何も知らぬうちに眠らせて処刑するのが、せめてもの慈悲というものだ。――して、例の“魔法の書”のことだが」 「はい。確かに、書庫にあったものです。このように――」  数人の従者と共に、二人は書庫へ入る。シェダルはザウラクの目の前で、『戯書』を手放して見せた。すると、戯書はひとりでに漂い、書庫の内部を進んでいく。そして、ある書架の前で一度止まると、本と本の隙間にするりと収まった。まるで、元からそこにあったかのように、違和感なく。ほう、と息を漏らすザウラクに向き直り、シェダルは説明を始める。 「元あった場所へと、ひとりでに戻る魔法が仕掛けられておりました。この書に限らず、この一帯の本たちにも同じような魔法が仕掛けられていたようです。大切な本を無くしてしまうことがないよう、外国の図書館などでも用いられる魔法です。ただ、ここにあるものはどれもが古い故に、この一冊にしか魔力が残されていなかったようです」  ザウラクはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、従者の一人に軽蔑の視線を向けた。 「くだらん仕掛けだ。例の道化に、つまらん報告をした罰をせねばならないな。のう、道化よ?」  道化と呼ばれた従者は即座に飛び上がった。芝居掛かった甲高い悲鳴を上げて、慈悲を乞うた。 「ヒィ! ヒヒッ、お、お許しを、陛下ァ」 ◆ 3  黒い月の高くなる頃、煌々と輝く星々は、より一層明るさを増していた。夜闇と星影の降り注ぐ砂丘を、狐が一匹駆けて行く。その足跡はしかし、女の青白い瞳が見送る中、痕跡を掻き消す風とともに遠ざかっていった。ここに残っているのは、ただ風が吹くばかりのひとけのない静かな中庭と、一人の女、そして、僅かにあどけなさの残る次期王だった。昼間は白い壁を彩る色鮮やかな花々も、今は更けた夜に沈み込み、寂しそうに葉を揺らすだけでいる。長い沈黙を破ったのは、いつか王となる少年――ギルタブの方だった。 「自らの名に誓う盟約の術、だそうだな」  ギルタブの静かな声色には、どこか刺すような響きがあった。それは、高貴なるもの特有の、威厳や誇りを感じさせる声にも似ている。しかし、彼の声に込められたものは、それだけではない。偽っているものを尋問するような、鋭い確信を持って発せられた言葉だった。指摘されたシェダルは、たじろぐように僅かな間を開けた後、ひどく小さな声で返答する。 「よく、勉強したのですね、殿下」  「殿下」という言葉を聞いた瞬間、ギルタブは不快そうに片目を細める。 「その呼び方はするな。星詠みとはいえ、お前は僕を生んだ者だろう」  ギルタブの咎めるような視線と声に、シェダルはそっと目を伏せた。長い睫毛が、その目元を隠す。それでも、ギルタブは語調を改めはしない。 「なぜ、あいつを生かしたんだ? あいつが生まれたとき……」  もう十何年も前のこと。あってはならない印をもって、その男は生まれ落ちたのだ。ギルタブにとっては、自分が生まれるよりも前のこと。当時の母親の心境など、知る由はない。 「そのときの私は、愚かで浅はかな、ほんの娘だった。後先のことなど、ろくに考えてはいなかったのよ」 「だが、そのせいでお前は――」 「ええ。月を裏切った星詠みは、月によって裁かれる」  月の様に白い髪が揺れる。女は、見えぬ月を見上げていた。それでも、ギルタブは月を見ない。黒い月の位置など、わからなかったからだ。 「あなたに、謝らなければなりません。私は二人の子供を産みながらも、二人を同じように愛することが出来なかった。私は、あなたに触れることさえ……」 「勘違いするなよ」  シェダルの言葉を遮って、ギルタブは低く言い放った。強がるような瞳で、自分の母親を睨め付ける。 「僕はお前に謝ってほしいんじゃない。触れられたいなどと子供じみた事、一度だって思わなかった。僕は、そう思うこと自体、許されない立場にいるんだ。愛される必要など、なかった」 「……いいえ」  それまで弱々しかったシェダルの声に、僅かに凛とした、小さな炎のような意志が宿った。彼女は月を見るのをやめると、振り返ってギルタブに向き直る。 「私は、きっと母親ではなかったでしょう。あなたに何もしてあげられなかった。それでも……」  シェダルは自分の二人目の息子を見つめた。彼女の青白い瞳の光が、少年の紫色の瞳と交差する。 「ギルタブ、私は……」  ギルタブは、目を見開いた。彼女の眼光に捉えられたように、その光から目が離せなかった。かつてないほど鮮明に、母親の顔が見えるのだ。彼女は―― 「あなたを、愛しているわ……」  ――泣いていた。彼女のそんな顔を見るのは、初めてだった。それに、いつもの香の匂いに混じって、初めて感じる匂いがあった。それは、紛れもなく人間の、彼女自身の匂いだった。自分の身体のすぐ傍に、母親の存在があった。 「……母上」  ギルタブは戸惑った。これほどまで近い距離に、母親の接近を許したことはなかった。当然、甘えたことも、無い。どうすればいいのかわからなかった。この場でようやくできたことは、ただ俯いて、母親の胸に額を預けることだけ。顔をあげられるはずもなかった。今の自分はきっと、次期王に相応しくないだろう、情けない顔をしているに違いないから――。
 二人の抱擁は、恐らくほんの短い間だったろう。それでもなお、二人にとっては、まるで時が止まったのかと感じられるほどに長く、そして、何千年も待ち焦がれた瞬間のように感じられた。シェダルは、自分と同じ銀の髪を持つギルタブに、そっと指先で触れようとした。しかし、髪に触れる寸前のところで、ひどく臆病な指先は止まってしまう。生じたのは、僅かな間の躊躇だった。「さよならだ」  シェダルの温かな胸に、くぐもった声と共に、冷たい風が吹き込んだ。母親の温もりから、ギルタブが自ら身を剥がしたのだ。次期の王となることを決定づけられたギルタブは、これ以上温もりを求めることもできなかった。そして、ほんの刹那、母親の瞳を見つめた。これで最後なのだと、交差する二人の視線が互いに別れを告げていた。ギルタブは、豪奢な紫色の外套を翻す。
 キン、シャン――。重い金の装飾を揺��しながら、硬い靴音が廊下に響く。大きすぎる装束を纏った未完成の少年は、一人、暗い廊下を駆け抜けた。その手に、明かりは持たれていない。ただひたすらに、夜の闇へと溶け込んでいく。彼が振り返ることは無かった。ただの一度も。
 月のない星影の下、残された細い指先が宙を彷徨った。 ◆ 4 ああ白きその面 主が世は千の星詠み捧ぐまで 使徒とともに輝かんことを 忠実なる我らを導きたまえ その御許にいつか還らん ――アマン ひょろろろと鳥の声が響く、広い晴天の下。ジュバは、朝日にきらきらと輝く川面を、眩しそうに見つめていた。傍には、いつの間にか黒い髪の童子――マァが寄り添っている。ジュバの微かな歌声を、零すことなく聞きつけたのだ。 「手前の国の歌かい」 「うん」  ジュバは、これは月を称える賛歌なのだと、マァに教える。 「国の皆が歌っていたんだ。それで、何となく、覚えていたから」 「へぇ」  船頭が出向いてくるまで、まだ余裕がある。興味深そうにしているマァに、しばらく国の話をすることにした。月のことや、儀式のこと、人が死んだらどこへ行くのか、など。そんなことを、ひたすら話し続けた。マァは、そんなジュバの話にじっと耳を傾けながら、時折心地よく相槌を打った。ジュバにはそれが、ただ、ありがたいと思った。彼が傍にいてくれるだけで、救われるような気がするのだ。  ぴちゃり、と。ジュバの視線の先で、魚が跳ねた。 「あ」  川の下には、いくつもの魚影が見える。ふいに、その群れに白い翼の鳥が降り立った。よく見れば、乱反射する水面に、ひとつだけ浮いている銀色の体が見える。魚だ。一匹、浮いている。 「ん、どしたよ」 「いや……」  鳥は、死んだ魚を一匹見つけると、大切そうに嘴に咥えて飛び去った。 「……そろそろ、行こうか」 「ん、おう」  その鳥は、白い光の中へと飛んでいった。  高く、高く。 ◆ 5 いつものようによく晴れた、慌ただしい王宮の朝。 その日は、ある人物の処刑が行われるはずだった。 しかし、実際には処刑が実行されることは無かった。 処刑されるはずだった人物が、当日になって忽然と姿を消してしまったのだ。 その日、彼が発見されることは無かった。 代わりに見つかったのは、別の人物の遺体――。 星詠みの女が、変死していたのだ。 王の命により、その後も王宮の者たちは必死になって青年を探し回る大騒動となった。 捜索範囲は国全体にまで及んだが、魔道具の力をもってしても、結局、彼が見つかることはなかった。 それと、もうひとつ。王宮で見つからなかったものがあったらしい。 ある男の話によると、書庫にあるはずの“魔法の書”が、いくら探しても見つからないという。尤も、そのことを話しても、誰も信じてくれなかったそうだが―― エピローグ ◆  東西南北どこを見ても、海、海、海。星空のようにきらきらと輝く雄大な青い水の中で、その船はひと際眩しく、太陽の光を反射させていた。いたずら好きな海風が、乗客たちをからかうように外套や髪を撫でていく。でっぷりとした腹の小柄な男が、広大な海を満足げに眺めながら、黄金色の液体の入ったグラスを傾けた。男は昼間であるにも関わらず、船の上で酒を頂くという、実に優雅なひとときを楽しんでいる。つい先日、その男は商売で成功を収めたばかりだったのだ。少しうまくいったからといって休むつもりもないが、移動中くらいは贅沢をしてもいいだろうと、船上での昼酒に踏み切ったというわけだ。
 こんな日の酒は旨い。気分は上々だった。船に寄り添うように飛ぶ海鳥に、ひとつ餌でもやりたくなった。今日の私は機嫌がいいのだ――。どれ、とつまみの燻製に手を伸ばしたとき、視界の端に、海や空よりもなお鮮やかに輝くものが見えた気がした。私がそちらに首を向けると、たった今扉から出てきたらしい、褐色の外套を羽織った男が目についた。すぐ傍には、色の白い子供を引き連れている。親子かと思ったが、外套の男は、よく見ればまだ青年といっていいほど若そうに見えるし、連れている子供とは対照的な、土のように黒い肌をしていた。変わった組み合わせの旅人だと、好奇心から二人を眺めていると、色の白い子供がこちらをちらりと一瞥した。しかし、子供はすぐに視線を戻すと、青年と共に手すりの方へと歩いていった。そんな私に遠慮することなく、一羽の海鳥が私のテーブル降り立った。せがむようににゃあと鳴くので、私は燻製を投げてやる。  心地よい陽気と風を感じながら、私は暫くの間海鳥と戯れた。気が付けば、周囲の鳥の気配がずいぶんと増えている。そして、その中に混じって、先ほどの二人組が私の方を見ていた。特に、色黒の青年のほうは、まるで子供の様に瞳を輝かせて、私と海鳥たちとを好奇心いっぱいに眺めていた。 「鳥が好きなのかい?」  私は指先で海鳥の首を撫でながら、さりげなく砂漠地方の言葉を使い、旅人に話し掛けた。外套の隙間から覗く足元からして、青年の出身は砂漠地方のどこかに違いないだろう。青年に目を向けると、彼は驚いたのか一瞬戸惑ったようだが、やがて、はにかむように笑って見せた。 「うん。あなたも好きなの?」 「ああ、まあな。俺は商売人なんだが、仕入れ先なんかで、よくこいつらと遊んでやるのさ」 「へえ、そうなんだ」  話すことで緊張を緩めたらしく、青年は私のいるテーブルに近寄ってくる。その際、青年の外套が風に揺れ、外套の下の髪が垣間見えた。この辺りでは珍しい、銀髪だった。私がそれに見とれる間、私には聞き取れない声で、色白の子供が二言三言喋った。青年は子供のほうを振り返ると、何やら小魚のようなものを受け取っている。海鳥たちにやるつもりなのだろう。楽しそうに笑い合って小魚を掲げる二人の周りに、にわかに海鳥たちが集まってくる。私はその様子を眺めながらふと、とある事件を思い出した。「そういやあ――」  褐色の肌に銀の髪を持つ人々の暮らす、砂漠の国家で起こった珍事件のことだ。その情報は、酒場で働く友人から仕入れたものだ。内容が少し物騒なこともあり、印象に残っていた。��しかすると、この青年の故郷が、渦中の国なのかもしれない。事件の話を始めると、二人は私に注目した。 「――この間、星詠みの国だかどっかで、恐ろしい犯罪者が逃げ出したっていうじゃないか。もしかして、お前さんたちの国じゃあないかい?」  言い終わらないうちに、二人は顔を見合わせた。子供の方は何か考え込むような仕草をし、青年は首を振ってから口を開いた。 「犯罪者って、どんな人? 僕たちは、最近あまり新聞を読めていなかったから、そういう話には詳しくないんだ」 「そうか、知らなかったか……」  二人は確かに「星詠みの国」という言葉に反応していたように見えたが、事件のことは知らなかったらしい。旅をしていれば、案外、故郷のいざこざの話など、耳に入ってこないものなのかもしれない。私は良心から、例の事件の犯人について、この二人に忠告することにした。 「なんでも、他人の魔力を奪い取る、恐ろしい魔術師なんだとさ。そいつがどうも、国の要人を殺して、魔力を奪って逃げ出したらしい。それで、国中探しても捕まらないってんで、外国に逃げ出したんじゃないかって噂されててな。――ああ、けど、大丈夫だ。その魔術師には特徴があるんだ。そいつは、黒い肌と白い髪をしていて、目が青白く光るんだそうな。しかも、奪った相手の魔力の色を、そのまま自分の髪に宿すんだとさ。今は髪の一部が青色になっているって話だ。髪を見りゃあ、一発でそいつかどうかがわかるだろうさ」  私は一口酒をあおると、こう付け足そうとした。「お前さんたちも気を付けな」――しかし、口を開こうとする矢先、二人が既にこの場を離れていることに気が付いた。 「ごめん、商人さん。もうすぐ船が停まるみたいだ。降りる準備をしに行くよ」  少し離れた位置から声が掛かる。そちらへと首を回すと、船内へと繋がる扉の前で、背中を向けた青年と子供が、顔だけをこちらに向けていた。爽やかな潮風が、青年の外套を大きくはためかせた。 「おや?」  はたと思い至る。青年の顔をよく見れば、健康的な褐色肌に銀色のくせ毛髪、そして、射貫くような青白い瞳に目が留まる。それは、件の魔術師の特徴によく当てはまっていた。そして何よりも――銀のくせ毛に混じり、外套の中から冴え切った青い髪が僅かに覗いたように思えた。 「お前さん、まさか……」  私の言葉を遮るように、太い汽笛が響き渡った。
「まさか」
 二度目の汽笛が鳴る前に、青年が口を開いた。 「――人違いだよ」  そう続けると、青年はからりと微笑んで、子供を連れだって船内へと消えていった。
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