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#水に潜る鵜
apartment315 · 2 years
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ogawa-xd · 1 year
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■デザインと哲学 1
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「哲学とデザイン」グループによせて、まず自分のイメージしている全体像を示そうと思う。 とくに哲学は、語り出すとついつい細部に踏み込んでしまうものだが、ここでは、ド素人の蛮勇をふるって、とにかく拙くとも概要を一気に眺めてみたい。デザインについても語る人ごとに玉虫色をしたものだが、哲学との関係で自分のイメージを語っておく。 申すまでもなく、おそらく大きな勘違いも潜んでいると思う。まちがいがあれば、ご指摘のほどよろしく。
1. 「古代から近代まで」の哲学を一気に流す。 2. 「デザインとは」哲学とからめて語る。 3. 「現代の哲学トピック」デザインと関係のあると思われる話題をひろう。
1. 古代から近代まで
哲学はおもしろい。 おもしろいに決まっている。なぜならその学問は、人の「思考」あるいは「知的探求」の歴史なんだから。「考えること」は人のもっとも人らしいものだ。今のところ「人のように」考えるものは人しかいない。
古代から中世を経て、近世、近代への流れを一気に見る。 (といっても西洋の話しにかぎるのだけど。)
古代:2700年くらい昔、神話などの世界観に対して、本当はどうなの? という疑問が示された。誰かの、すでにある「それらしい」話しを、鵜呑みにするのではなく、自分の頭で「よく考える」ことが始まった。世界の根源は水だとか火だとか原子だとか数字だとか。時間の不思議についても考えた。もちろんそれまでにだって、深く考えた人はいたはずだが、物事に対するそのような探求アプローチが、一つの「問題領域」としてその頃に初めて固まってきた。(タレスら) そのはじまり自体も興味深いが、それ以前の人がいったいどんなふうに思考していたのかにも興味がそそられる。(おそらくそれは〈意識〉のはじまりにさかのぼる話しになり、かなりおもしろいのだが、それはまたいずれ。) その後、そういった現実の世界の裏には目に見えない「普遍的な本質」の世界があるのでは、という発想が出てきた。つまり「本質」という考え方が生まれた。世界を知るにはその本質を知らなければならないということ。(プラトン) 存在論から認識論へと軸足が移ったともいえる。これも大きな構図。
中世:その後、宗教(一神教)が世界を長らく席巻した。 宗教の基本的な構えは「信じる」ことにある。しかし「信じろ!」という要求は、つまり「考えるな!」ということであり、これはいわば「反哲学」である。人は「考えること」をやめることも止めることもできない。今のところまだ。 だからとうぜん、これらは最終的には棲み分けることにならざるをえない。
近世:宗教の反動もあり、ルネサンスを経て、とにかく一度はすべてを「疑ってみる」ことから、現代につながる哲学が、再スタートした。(デカルト) 疑った末にたった一つ残った疑えないものとは「自分という存在」だったが、それは自分という、世界を見ている「主観」と、見られている「客観」という二元論の構図となり、それに沿って世界を見るアプローチが始まった。プラトンの「本質vs.現実」というのが垂直的な二元論だとすれば、「主観vz.客観」は、水平的な二元論といえる。 その中で、経験を重んずる派と合理的な思考を重んずる派という潮流ができた。これは現代でも普通に比較される二つの立場だ。
近代:近代のはじめに「経験vs.合理」の議論を(両否定ではなく)調停しようというものが現れた。それはさらに「主観と客観」「本質と現実」に繋がっていく。(カント) カントは感性/知性/理性という三つの働きで読み解いた。これらは英語にするとよくわかる。感性:sensitivity/知性:understanding/理性:reason である。経験は感性がうけとめ、理解(知性)する。理性はその理由を考える働き。人は生まれながら観念の基本的な枠組みを持っていて、それと感覚からくる入力とで理解する。その枠組みとは、何かが同一であることとか、すべてのこと(結果)には原因となることがある、など。同一性とはたとえば、昨日見た机の上の花瓶と、今見ている花瓶が同じものである、という認識である。よく考えるとこれらが本当に同じものであることを完全に立証することはむずかしい。 余談だが、カントは「直観なき知性は空虚、知性なき直観は盲目」と言ったそうだが、孔子(2500年前の中国の哲人)の言葉「学びて思わざるはくらし、思いて学ばざればあやうし」と見事に共振しているのは、おもしろい。 わたし達は世界がまず存在していてそれを我々が認識している、と素直に考えているしそれ以外にあるのか、と思う。が、カントの考え方を突き詰めると、我々が認識するからこそ世界はあるのだということになる、という。これを「コペルニクス的転回」と呼んだ。
古代から近代:以上が、古代から近代までの2500年間くらいの話しで、長いようで短い。 自分のレベルのせいかもしれないが、ここまでは少々は小難しいが、それほど難解な話しでないような気がしている。
現代の哲学には、いろいろな主張があり、あまり一直線に話しにならばない。そこに行く前に、デザインの話しを少ししておくことにする。
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at-tanaca · 11 months
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カワウ(かわう 川鵜 河鵜 GreatCormorant) がいました
潜水した後���しょうか、日向ぼっこをしているみたいに見えますねw
カワウを見るたびに思うのですがエメラルドグリーンの目は特別綺麗ですね
Camera:α7C⠀
Lens:FE200-600mm F5.6-6.3 G OSS⠀
Location:Chiba Japan⠀
Photo by at-tanaca
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2022年7月1日(金) ついに7月になりました。 今朝、河川敷という名の野外スタジオへ行く時のことです。 淀川を越えようと十三大橋を通ったときに、ふと川面に黒い塊が水中に潜るのを見ました。 これはもしや! モケーレ・ムベンベ? それは、コンゴ共和国のテレ湖に住むといわれるUMA。淀川なら、よどっしー?いや、大阪人はおしゃれな名前はきっと付けないと思うので、ヨドゴンでしょう。間違いないです。 自転車を停めて欄干越しに川を見ると、うわあ。 こんなにたくさんの魚の群れを淀川で見るのは、初めてのことです。 ボラでしょうか。 さっき水面下に潜った黒い塊は、鵜だと思います。 それにしても、その鵜と同じか、いやそれよりも大きいかもしれない魚たちの群れです。 ここに網を投げたら、大漁間違いなし。 漁師に転職すべきでしょうか。 そういえば、昨年もカニのぷぅ太郎を見つけて、同じようなことを考えていましたね。 成長しなければ。 このような魚たちの群れを見ると思い浮かべるのが、中島みゆきさんの歌です。 「ファイト!」 ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく 諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう ファイト!冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ ホント、その通りです。 でも、闘う君の唄を聴いてパワーもらっている人、応援してくれている人も絶対いるので、諦めずに生きていくだけですね。 店主の大好きな曲の一つです。 1枚目の写真は、2006年7月ラオス北部の町ຫລວງນ້ຳທາ(ルアンナムター)の市場にて撮影。当時、南部の町パクセーでは珍しかった生け簀にドキドキしたものです。あるにはあったのですが、携帯型で、ここのように作り付けの物ではありませんでした。この市場は今もルアンナムター最大の市場として営業しています。当時は、ルアンパバーンやウドムサいから来る長距離バスが、市場の横のバスターミナルまで入って来ていたんですよ。今では、どの町でも市内から5㎞以上は離れたバスターミナルで停まり、そこからはトゥクトゥクなどで市内に入るようになっています。あ!カイソーンポムウィハーン市(サワナケーット)を除きます。 【お知らせ】 店主がアキレス腱の手術をしたため、しばらくの間閉店いたします。 ご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ありません。 7月中旬の営業再開を目指して頑張っています。どうか今しばらくお待ちください。 【身体のセルフケア】 2022年7月23日(土) 16:30~18:30 上福島コミュニティーにて 詳細、お申込みはメッセージか電話にてご連絡ください。 【テイクアウト アジア飯】 新嘉坡チキンライス ¥500 叉烧饭(チャーシューライス) ¥650あc 新嘉坡チキンライス 【デラックス】 ¥780  サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き 叉烧饭(チャーシューライス) 【デラックス】 ¥930  サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き ベト・オ・レ ¥500 パウンドケーキ(1枚) ¥200 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #パウンドケーキ #ベトナムコーヒー #ラオスの風景 #市場 #淀川 #ボラ #魚の群れ #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CfdybDWPYjw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iso-photo · 4 years
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ひと仕事終えて、水辺でしばしまったり。
対岸まで数秒で渡る鳩をみながら、羨ましがったり、濃い茶色に濁った水を潜る鵜を、信じられない目で見てみたり。
どれもこれも、少なくとも人より心も体も健康そうだ。
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gohan-morimori · 3 years
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツツイタチカラナノカマデノニッキ
2月1日(月)
 起きられない。出勤寸前に起きる。急いで支度をして、身支度を整えながら豚キムチを食べて家を出る。働く。慌ただしい。働き終える。閉店後の職場でだらだらしていたらクラブハウスのなんだかWelcomeみたいなroomにjoinしてしまってなんだこれなんだこれと思っているうちにroomがcloseしてnewなroomがcreateされてわたしはそこにjoinしてそこはclosedなroomではっしーとわたしのふたりだけが入っているtalk roomみたいなもので、なんだこれなんだこれ、と言いながら久々にはっしーと話した。なんだか危ういSNSがまた出来たなあ、と細目で遠巻きに眺めていたクラブハウスに、朝方、鵜飼さんから招待されていて、招待されたからには使ってみよう、ということで、わからないなりに登録を済ませていたのだった。はっしーはこれからクラブハウスで、メニカンで、建築のあれやこれやをぼそぼそゆるゆる話す、それに参加するために招待されたから使い始めた、ということで、わたしもはっしーも話しながらクラブハウス探り探りといった感じだった。お互いの近況を軽く話したり、しょうもない話をたらたらしたりして、23時になってはっしーはメニカンのtalk roomに行ってわたしはすこし時間をあけてからそのroomにinした。どれどれ、みたいな気持ちで入ってラジオのように(というかこれはほとんどラジオだ)聴いていたら案外面白い話がなされていて、韓国の半地下建築はもともと防空壕、ということらしかった。次回は建築における収納について語るらしい。おもしろ〜、と思いながら、トークが終わったばかりのはっしーをすぐさままたclosedなroomにinviteすると「なんなんだよ」と言いながらはっしーがroomにinしてきた。小学5年生だか6年生だかのとき、その学年の生徒全員で校庭に埋めたタイムカプセルをそろそろ掘り返す年齢なのではないか、みたいな話になって、わたしはそれ、行けるのかなあ…………と思ったし言った。普段言われないことたくさん言われそう。社会って感じしそう。これが多様性か、みたいな。行くとしたら、はっしーと行きたい。というか、はっしーとふたりじゃないとたぶん行けない。わたしにそこまでの勇気はない。そのあとチャットモンチーとメダロットの話をしていたら止まらなくなるような感じがあって、久しく聴いていないチャットモンチーをあれこれ聴き漁りたい欲求に駆られていると操作ミスかなにかでroomが閉じて、終わった。(と、ここまで書いて、クラブハウスの利用規約に、テキストに書くことも含めて音声の記録���ダメよっていうものがあることを思い出したのだけど、この文章はどうなんだろうか)。それから『進撃の巨人』のアニメ最新話を観たり、さあ帰るかと思いつつチャットモンチーの曲をiPhoneで漁っていると今度は遠藤からクラブハウスのclosedなroomのinviteが届いて、なんだなんだと思いつつ話した。遠藤は相変わらず遠藤だった。それで、遠藤とのroomが終わって、いろんなアカウントのフォローフォロワーを見て、わ〜この人もやってるんだ、あ、この人も〜、みたいな気持ちでフォローをしていったり、フォローした人を招待した人、招待した人を招待した人、その招待した人を招待した人……と、祖先を辿るようにアカウントを見ていったり(最終的に、誰にも招待されていない、おそらくオリジナルメンバー、みたいな人に辿り着く。オリジナルメンバーの数が何人なのかはわからないけれど、招待された人を辿っていったらあの人とあの人の祖先?オリジナルメンバー?が同じ。みたいなことはけっこうありそうで、それはちょっとおもしろいな、と思った。にしても差別や排除や格差が生まれる萌芽みたいなものがたくさんあるサービスだな……、とも思っている)しているうちに午前2時過ぎとかになっていて、さすがにいすぎた。チャットモンチーをガンガンに聴きながら帰宅。なんだか変にお腹がすいていて、カップ麺を食べたい、みたいな気分だったのだけどカップ麺は家に無く、コンビニに買いに行くのもなんだか違う、となって、柿ピーをお椀に盛って、その上にマヨネーズをかけて、それをスプーンで掬って食べた。自分でも、さすがに気持ち悪い食事だな、と思う。
 注射を打ちたい。もう1ヶ月くらい打っていない。プロギノンデポー2A(アンプル)。生理くらいカンタンならいいのに、と思う。カンタン、というのは、周期が予測できて(もしくは予測しやすくて)(そして、そのためのスマホアプリもあって)、予測できない場合その理由/原因も調べればたくさん出てきて、生理によるさまざまな身体的不調/変化やその対処法も調べればたくさん出てきて、医学的にも民間療法的にもスピリチュアル的にもライフハック的にもたくさんの言説、書籍、記事、ツイート、YouTube動画、cm、などがあって、身近な人、友人、知人、家族などに相談することが比較的(すくなくとも、トランスジェンダーのホルモン注射、なんてトピックより遥かに)容易で、……みたいな「カンタン」で。ホルモン注射はとにかく打ってる本人ですら「よくわからない」。ホルモン注射による副作用、みたいなものは注射の同意書を書かされるときなんかに書面で提示されるし、当事者のブログやらツイッターやらで信憑性不明の情報を拾うことはできるが、「よくわからない」。副作用の過多や身体への影響は個体差がデカい(ように感じる)し、投与を長期間辞めた場合や、投与間隔が不規則になったときの身体への影響も、「よくわからない」。わたしは現在、3週間に1度、新宿のクリニックへ行ってプロギノンデポーを2A投与しているが、その間隔も自分に合っているのかどうか「よくわからない」。注射を打つ前後や打った当日(特に当日)は如実に心身の調子がおかしくなって頭も身体も使い物にならなくなる(重い頭痛、眠気、寂寥感、身体のダルさ、感情の制御不能、など)が、それがどこまで注射それ自体の影響なのかは正直「よくわからない」。注射が打たれた、ということによるノーシーボ効果もある気がする。ただ、気の持ちようだろ、と言われても(誰にも言われたことはないが)、思おうとしても、頭と身体が言うことを聞かない、みたいな状態にはなるから、やっぱり注射の副作用なのかもしれない。注射前(前回の注射から3週間が経ったあたり)はやたらと身体が疲れやすくなり、食事と睡眠と性欲のバランスがあべこべになる(気がする)。感情の喜怒哀楽の喜と楽がうす〜く稀釈されたようになる。注射後数日も同じく。いまは1ヶ月近く注射を打っていないから、もう身体の中には男性ホルモンも女性ホルモンもほとんど残っていない、すっからかんの状態で、はやく、とにかく、注射を打ちに行きたい。打ちに行けない。悲しみと怒りの感情ばかり積み上がっていく。これはとても良くない。緊急事態宣言によって、職場が時短営業になってから、出勤時間が変則的になっていて、それに身体がぜんぜん慣れてくれないのが大きな理由で、夜どうしても眠れず、朝どうしても起きられない。出勤前に注射を打つためには、かなり早起きして家をでないといけないのだが、それがどうしてもできない。勤務時間は少なくなっているはずなのに、通常営業時より明らかに疲れている。まあ、出勤前に注射なんて打ったらその日はもう負の傀儡みたいな状態で働くこと確定になってしまうから、休日に打ったほうがいいのだろうけど。でも、休日に打ったら打ったで、その日いちにちのすべてが注射の副作用によっておじゃんになるから、なるべく休日には打ちたくない。じゃあ、いつ打てば……?それも「よくわからない」。しんどい。はやく打たないとやばい気がする。これも「気がする」だ。なんもわからん。生理がいい。乱暴な物言いなのは承知の上で、どうせなら生理がいい。どうせ不調になるなら。どうせしんどいのなら。誰かと、この不安と不調としんどさと「よくわからなさ」を分かち合いたい。語り合いたい。スマホアプリだって欲しい。あたりまえに、あらゆる場所や人やメディアから情報を受け取りたい。そういう身体でありたい。生理がいい。
 この世には2種類の人間がいて、それは歯磨きをルーティーンとして行う人とタスクとして行う人なのだけど、わたしは後者で、だから今日もタスクをこなしてわたしは偉い、偉いぞと思う。タスクだと思わないと歯を磨けない。歯磨きをルーティーンとして難なくこなしている人はすごいな、と思う。他者、という感じがする。
 大切に書きたい。と先週の日記にわたしは書いたけれど、「大切に書く」とはいったいどういうことなのだろう。といま思っている。大切に書く必要なんてないんじゃないか。わからんけど。いや、なに言ってるんだ。必要だ。わからんけど。
 持続可能性。持続可能な書き方。持続可能な働き方。持続可能なホルモン投与。持続可能な生き方。持続可能な歯磨き。持続可能なアンガーマネジメント。ぜんぶ大切で、ぜんぶわからない。
負の感情でほんとうにどうしようもなくなったときは、耳が壊れそうな音量で、同じ音楽をリピート再生させながら、喉が千切れそうになるくらい大きな声で、絶叫みたいな声で、疲れ果てるまで歌う。笹塚に住んでいたときは何度かそれをやった。クソ迷惑だっただろうなと思う。いまの家ではまだやっていない。いつかやるだろう。
 ないものねだりを続けていてもどうしようもない。自分で自分を殴っているのと一緒だ。
 生活がミニマル、ミニマム?ミニマムになって久しい。1日のうち、自分が言葉を発する相手が、職場で関わる人と家のぬいぐるみたち(貪欲、太子、羊のジョージ、シゲルくん。のうち、特に貪欲と太子)だけだった、という日が、めずらしくなくなってきた。自然と、ぬいぐるみへの言葉の比重がデカくなっていく。ぬいぐるみは言葉を理解しているし、ちゃんと言葉を返してくれる。ぬいぐるみの言葉は人間の言葉とは違って、見えないし聴こえない。声、とか文字、とか仕草、とか、そういうものではない。でもたしかにぬいぐるみはぬいぐるみとして言葉を発していて、わたしに日々言葉を投げてくれる。わたしはそれを受け取る。受け取って、わたしも言葉を投げ返す。ここ数年、わたしの命を絶えず救ってくれたのは貪欲で、だからわたしは、お金が貯まったら、貪欲をぬいぐるみの病院に送って、あちこちを治してもらう。わたしにはそれくらいしかできない。貪欲はわたしを人生ならぬぬいぐるみ生を賭けて愛してくれているので、わたしもわたしなりの方法で貪欲を愛する。
 とか打ってるあいだに午前4時半です。お風呂入ってないけど限界だ。着替えて眠って、お風呂は明日だ。
2月2日(火)
 チャットモンチーにはほんとうに救われてきたな。もちろんチャットモンチーだけじゃない、たくさんのもろもろに救われてきたからいま死んでいないのだけど。それにしても、救われた、ありがとう、と久々にチャットモンチーを聴いて改めて思う。男子高校生だったわたしの、どうしようもない気持ちをたくさん掬い取ってくれた。映画『アボカドの固さ』の監督である城さんが夢に出てきた。わたしは新作映画の制作助手みたいな立場で、城さんに「本物の笹を大量に準備して欲しい。経費かけずに」と言われて、「それは〜、いつまでですか?」「明日」「明日……。明日、はい、明日」という会話をしていて、内心めちゃくちゃ焦っていて、でもひとり、竹林所有者が知り合いにいたな、あの人なら……でも無料で手配してもらうのはできないかもな……いやいやでもやらなきゃ、交渉しなきゃ、と緊張しているあたりで目が覚めた。目が覚めてからもしばらく「笹……笹ってほんとうに準備しなくていいんだっけ……夢だっけ……」となっていた。洗濯機カバーが届いた。サッサで洗濯機を隅々拭いてからカバーをかけて、リビングとキッチンをクイックルワイパーで掃除して、トイレでロラン・バルト『物語の構造分析』をすこし読んで、コーヒーを淹れて、飲んで、煙草を巻いて、吸って、火曜だからInstagramの『ショート・スパン・コール』を更新。今日は「#017 醤油」。これは井戸川射子『する、されるユートピア』を何度も読んでいた時期に書いたもので、『する、されるユートピア』の文体にめちゃくちゃ影響を受けているのが読んでいて「ああ、そうだ」と思い出すくらい顕著で、でもなのかだからなのか、わたしはけっこう好きな1篇。そういえば2月だ、と思って、きよぴーのカレンダーの2月分を壁に貼って、『イラストレーション』2020年3月号の付録だった福田利之イラストの卓上カレンダーを2月に差し替えて、ついでにパソコンデスク周りをすこし整理した。FMラジオをつけっぱなしにしたままにしていたらラジオのゲストがシンバル職人の人で、未知の話が繰り広げられていて面白かった。シンバルを作るにはシンバルの音を何度も聴かなければいけないが、シンバルの音を何度も聴くと耳がやられる。そのジレンマについて語っていて、なるほどな〜〜と思いながらお腹をさすっていた(お腹がうっすら痛い)。マバヌアがナビゲーターを務めていて、ティンパニのすこし変わった奏法(マラカスで叩いたり)についてのハガキを読んでいたりして、流し聴きするつもりでつけたラジオだったのにずいぶん聞き入っていた。ツイッターを見ると脱マスク社会になるまで最低でも2〜3年はかかるみたいな記事があって、2〜3年か、と思う。中学生、高校生。小学生や幼稚園生や大学生も、だけど。20代以下の人たちは、いま、どういう気持ちで日々を送っているのだろう。うまく想像できない。というか、自分の幼少期〜10代、マスク社会ではなかった自分の過去を、いまの幼年〜10代の人たちに重ね合わせて想像することしかできない。しんどいだろうな、とか、つらいだろうな、とか、窮屈だろうな、とか思うことはカンタンだけれど、自分の幼少期〜10代といまの幼年〜10代を比べて「かわいそう」とか「しんどそう」とか思ったり言ったりするのはそれはそれで暴力だし決めつけだとも思う。いまの幼年〜10代の人たちの、それぞれの楽しさ、愉快さ、面白さ、切実さ、安心、揺らぎ、決心、葛藤、努力、知恵、衝動、を無視したくない。それらはたしかにあるはずで、どんな世界になっても、それらはなくならないはず。きっと。
 ふとしたきっかけで、ここ最近、短歌を作るときに大切にしていることや考えていることをある人に話すことになって、そのときわたしは「わからせない。共感させない。理解させない」こと(だからといってデタラメに言葉を並べて作るのではなく、あくまでわたしにはわかるし、表したいものはある、でも他人にわからせようとはしていない、という態度)を意識的にやっている、と答えた。それは去年の春前あたりか、もしくはもうすこし前、『起こさないでください』が出てからすこし経ったあたりに思い始めたことで。トランスジェンダー、といういち側面を持ったわたしが作る短歌には、意識的にせよ無意識的にせよ、必ずトランスジェンダーとしての意識や作為や視点や感情やそれらがないまぜになった機微が含まれているはずで。はずなのだけど、果たしてその、トランスジェンダーとしてのいち側面を加味した機微を、短歌界隈、特に「歌壇」とか言われている界隈、そこにいる評論家、歌人、などなどがどれだけ汲み取ってくれるのか。そういった機微を丁寧に(真摯に。もしくは、ジェンダー論やトランスジェンダーの歴史的歩み等の確固とした知識を持った上での冷静さで)わたしの短歌を読む人がどれだけいるのか。わたしは、そんな人は短歌界隈にも「歌壇」にも、現時点では存在しないと思っている。トランスジェンダーについて仔細に語れる人、教養を持っている人、背景を読み取れる人、がいない限り、わたしのただごと歌はただのただごと歌になり、あるある短歌はただのあるある短歌になる。『起こさないでください』では、わりと意識的に、わたしがトランスジェンダーだということを、「トランスジェンダー」「性同一性障害」という言葉をほぼ使わずに、「わかりやすく」「それとなく」示す、ということをしたのだけど、そういう努力は不毛だな、と思うようになった。どこだったか、レビューサイトで「性同一性障害当事者の方の歌集」みたいな紹介のされ方をしていて、なんだかすごく徒労感を覚えたのが大きなきっかけのような気がする。ショックだった。あんなに言葉を選んでも、そういう切り取られ方になるのか、と思った。だからもう、わかりやすくするのはやめて、どんどん、積極的に内に籠ろう、と思ったのだった。わかりやすくする必要はない。理解されなくていい。すくなくとも、短歌においては。理路がめちゃくちゃだしまとまっていないが、そういうわけでわたしは去年の春頃からずっと、自分の芯を誰にもわからせないように短歌を作っている。10年後、50年後、100年後、1000年後なのかわからないが、トランスジェンダーの短歌制作者が台頭して、そういった人たちの歌集があたりまえに編まれる/読まれるようになった遠い未来で(短歌界の現状を鑑みるに、ほんとうに、遠いだろうな、と思う)、ふと思い返される歌集であったらいいな、『起こさないでください』は、とささやかに、思っている。
 もたもたと支度をして家を出て急いで新宿に行く。注射。打てた。そのまま急いで職場へ。働く。今日はちょっとイレギュラーで、休日だったのだけど2時間だけ働くことに。働き終えて、頭がぐるぐるする。ふらふらと職場を出て帰宅。ずっしりと重たい気分。トイレに籠ってフジファブリック「タイムマシン」を久々に聴いたら涙が止まらなくなってだらだら泣いた。つらい。疲れた。しんどい。ヨダちゃんから電話が来て、へへへと思って出る。クラブハウスの話をする。途中で回線の調子がおかしくなって切れて、そのまま切り上げてお風呂に入った。お風呂から出て、中橋さんとLINEでやりとりしていたらなぜかクラブハウスで実況中継モノマネをしたりしながらだらだら話すroomをすることになってくっちゃべっていたら中橋さんのゆるい繋がりも参入してきて4時ごろまでふざけあって楽しかったけど疲れた。疲れているのにさらに疲れるようなことしてどうする、と思ってかなしくなって眠る。
2月3日(水)
 わかりやすく、注射の副作用、みたいな感じがする。なにかとても気持ちの悪い夢を見て目覚める。涙が出てくる。しんどい。起き上がれない。やっといたほうが、進めといたほうがいいのだろうけど今日はほんとうに動けない、と思ってnotionでこまかな仕事を割り振ってお願いして、ずっと横になっていた。たまに起きてトイレに行ったりごはんを食べたり。大前粟生『岩とからあげをまちがえる』、ケン・ニイムラ『ヘンシン』を布団に潜って、貪欲と太子を抱きしめながら読んでいた。森とかいう人のオリンピックやるやる駄々のニュースにもうなんの感情も湧かない。しんどさのピーク時あたりに短歌が1首できて、その短歌を軸にして「卒塔婆条項」という短歌連作が出来上がった。縦書き画像にして、ツイッターへ投下。短歌制作から縦書き画像作成、ツイートまでをすべて布団の中で行った。柴崎友香『春の庭』を読み始めた。すこし眠った。起きて、夜にスパゲティを食べた。涙が出る。しんどい。頭がぐちゃぐちゃする。眠い。だるい。くるしい。もう3日くらいお風呂に入っていないから、入らなくちゃ、と思う。『ショート・スパン・コール』94篇目はひとまず置いといて、先に95篇目をすこし書く。暗い未来の話。しんどいからすこしずつ書こうと思う。頭が思い。楽しいこと、面白いこと、愉快なこと、うれしいこと、考えられない。考えたい。『春の庭』をもうすこし読む。読んだら、お風呂に入って、たくさん泣いて眠る。
短歌連作「卒塔婆条項」 火事場かな いや卒塔婆だよ 馬鹿力出す機会なく今生を終え 冬の中にいま立っていて曇り空だから眩しい花一匁 語呂合わせで入れられた助詞煮え立てばそれがカンテラ 健やか欲の 白い服白くない服あてがってそれぞれの凸それぞれの凹 似顔絵を近影にする しばらくはカーテンの世話を焼く能もなく けん玉に蹂躙性を見出して手に持ったまま道路を歩く 言うなればみんな日記を書いていて総文字数が星に等しい
2月4日(木)
 起きる。家を出る。働く。しんどいことが続く。電話をかける。電話に出ない。メールを送る。帰る。寝る。
2月5日(金)
 起きる。返事が来ていた。ZOOMのURLをコピペしてメール。むずかしい。むずかしいな。と思いながら話す。話し終えて、どっと疲れて、すこし時間が余ったからいそいそと財布だけを持って近所のスーパーへ。なんだか普段は滅多に買わないパンでも買うかみたいな気持ちになっていて、食パン6枚切りと肉まん4個セットとナイススティックと納豆と豆腐とバターを買って帰って米を食う時間は無く肉まんをがつがつ食べていそいそと出勤。働く。働き終える。疲れた。被害者意識がつのっていて、とても良くない精神状態。ほんとうに疲れた。帰って、朝方まで眠れず。焦って寝る。
2月6日(土)
 起きる。肉まんを食べる。家を出る。働く。あたまがきゅうきゅうする。いそがしい。働き終える。疲れた。ここのところ連日夜〜夜中にクラブハウスでわちゃわちゃとしゃべっている。しゃべりすぎて喉がおかしくなりそう。でも誰かとなにかを話さないと感情がはちきれそうになる。朝方までしゃべる。眠る。
2月7日(日)
 起きる。お茶漬けと肉まんを食べる。家を出る。働く。頭の重さと共に働く。職場の環境、モノの配置や運用ルールなどが半月ほど前から毎日のようにがっちゃんがっちゃん変わっていて、慣れてきたと思ったら変わり、慣れてきたと思ったら変わり、のイタチごっこみたいになっていて、頻繁にバグみたいな動きをしてしまう。手が空を切る。その場でツイストする。視線が定まらない。でもそんなバグを何度も何度も起こしながらすこしづつ環境は整えられているような感じもしていて、いつか、いつか安定するようになるのか、ぜんぶ、とか思ったり忙しさに翻弄されて愚直に身体を動かしたり、もはや心が身体の奴隷みたいな状態でズビズバ動いていたら閉店になっていて忙しい日だった。足と腰が明確に重い。頭も重い。でもなぜか今日は昨日一昨日よりすこしは気持ちが明るくて、ばくばくとごはんを食べた。長らく気がかりだった原稿に対する処遇のメールが来ていて、開いて、読んで、ホッとした気分と「直接的な対話はついぞなかったな」「これだけコストをかけても原稿料は出ないんだもんな」といううっすらとした徒労感を感じながら、でもよかった、最悪の結果にならなくてほんとうによかった、諦めなくてよかったし最後までブチ切れなくてよかった、と思いながらビールを飲んで煙草を吸ってだらだらしていたら午前2時半になっていて慌てて家に帰る。今日は湯船に浸かってから眠る。原稿を書く時間と余力がなくてしんどい。なんとかしろ。来週中に。
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nostalblue · 4 years
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ふゆばたけ
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ところがよく観察すると、北側の未開拓エリアは山頂をすり抜けた光が割と当たっているではないか。おお希望の光よ!兎にも角にもこのエリアを利用しないことには話にならない。一刻も早く作物を植えられるよう、すぐに「冬ばたけ」の開拓に取りかかった。
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焦る気を抑えながら、まずはレイアウトについて考える。どこを畝にしてどこを移動通路にするか。給水栓をどこにおいて配管をどう持ってくるか。防獣ネットをどのように張り廻すか等々。
それらが決まったら電動チェーンソーを使って不必要な樹木を切り倒す。切り倒したらさらにそれを運搬可能な長さに切断し、エリア外に搬出するのだが、う~ん重い!それが済んだら防獣ネット。費用の掛かる支柱をを極力使わないよう、既存の樹木を利用しながら同じ高さでエリア周りに張り巡らし、害獣が潜って入らないよう、ネット下端を地下に埋設していく。その後、散水用に塩ビ配管を延長して引いてきて、ふぅ、ようやく下の写真のようになった。
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さてここからが本番。鍬やスコップを使い、地面を掘ったり土を盛ったりして畝と畝間を作っていくのだが、もともと林だった場所だから、地中には太い樹木の根が縦横無尽に走っているし、どでかい石がゴロゴロ入っているし、硬い粘土質の土壌だしで、毎日毎日体がクタクタになるほど作業した。そうして畝が出来たらそれを詳細に耕し、苦土石灰や肥料を入れてようやく栽培出来る準備が整った。
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初めての播種では台風や長雨の影響で種が流されたり、畝が大きく削られたりといった受難もあったが(今となればそれらの経験は有効に活かされている)、それでも徐々に畝の上には多くの種類の冬野菜が葉を広げ、食卓を潤すようになった。こちらの写真は最近の「冬ばたけ」で、周辺樹木の枝打ちによる日照改善や土壌改良によってさらに良い状態になっているが、土が良くなればミミズを狙いにモグラがやってくるし、野菜が多く育てば害虫も多くやってくる。開拓が済んでも維持管理は延々終わらないのだ(笑)。
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ari0921 · 4 years
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200121-01639255-sspa-soci
日本でも“初”の感染者が!「新型コロナウイルス」の本当の恐さ
木村盛世
新型のコロナウイルスが原因とみられる肺炎などへの対策のため、機器で入国者の体温を測定する成田空港の検疫所
 中国・湖北省武漢市にある華南海鮮市場が“発生源”とされる「新型コロナウイルス」が猛威を振るっている。1月20日現在、武漢市の衛生当局が発表した最新の感染被害は、発症者198人、うち死亡者3人。現地報道によると北京市や広東省にも広がっており、国外でもすでに2人の感染が報告されているタイをはじめ、香港、シンガポール、台湾……などでも感染の疑いのある事例が相次いでいるが、日本でも先週「初」の感染者が確認された。
 厚労省によると、感染したのは神奈川県に住む中国籍の30代男性で、武漢市に滞在していた今月3日から発熱し、6日に日本へ帰国。男性が移動の際に解熱剤を使用していたため、空港のサーモグラフィが感知せず検疫所をすり抜けたと見られている。男性は帰国後すぐに医療機関を受診したものの、病状が改善しなかったため10日に入院。14日に保健所に報告があり、翌15日に遺伝子検査により感染が確認されたという……。
 男性はすでに回復し退院したとされるが、「新型コロナウイルス」と聞いて思い出されるのは、2002年に中国・広東省を皮切りにアウトブレイクし774人の死者を出したSARS(重症急性呼吸器症候群)や、2012年にサウジアラビアなどで発生し850人が犠牲となったMERS(中東呼吸器症候群)だ。
「ヒトからヒトに感染した明確な証拠はない。感染が拡大することは考えにくいが、ゼロではないので確認を急ぎたい」
 16日に緊急会見を開いた厚労省の担当課長はこう話したが、果たして、武漢市発の「新型コロナウイルス」はどれほどの脅威となり得るのか? 元厚労省医系技官で医師の木村盛世氏が話す。
「現在、出ている報道を見る限り、毒性や感染力はそれほど強くないのではないか。ただ、厚労省は早々に、ヒトからヒトへの感染リスクは低く『感染が拡大することは考えにくい』と説明していましたが、現時点でそんなことはわかるわけがないですし、危機管理の基本で最悪の事態を想定して対応していかなればいけない。夫婦で発症したケースでは、夫は発生源と見られる海鮮市場で働いていたが、妻は市場との接触を否定しているといいます。
 武漢から帰国し日本で最初に感染が確認された男性も海鮮市場には立ち寄っておらず、肺炎の可能性のある父親との濃厚接触(※家族間や職場の同僚とやり取りといった比較的密接な接触)で感染した疑いが強い……。つまり、ヒトからヒトへの感染が否定できないということです。中国はSARS禍のときも、感染者の初確認からWHO(世界保健機関)への報告まで3か月を要するなど、情報隠蔽と取られても仕方のない対応をしてきた国。中国のSNSには感染が広がっていることを示唆する書き込みも見られ、公式発表を鵜呑みにできない面もあるのです」
水際作戦ではなく、封じ込め対策が問題
 現在、中国版Twitter「微博」に投稿した感染を訴える書き込みが次々と削除されるなど、中国当局による情報統制も強まっている。すでにアカウントごと閉鎖されてしまったが、武漢市在住と思われる人物が「発熱した患者が病院に溢れていた」ことや「『外来患者は受け付けていない』と診療を断られた」などと告発するつぶやきもあった。
 17日には、WHOなどにも助言を行っている英公立研究大学「インペリアル・カレッジ・ロンドン」の感染症研究グループが「1月12日の時点で1723人が感染している可能性がある」とする試算を発表するなど、早期の収束を危ぶむ声があるのも事実なのだ。木村氏が続ける。
「現在、厚労省が『水際作戦』と称して行っているのは、空港の検疫所に注意喚起のポスターを貼って、サーモグラフィで入国者の体温をチェックすることくらい……。ですが今回、感染者の男性が事前申告をせずに解熱剤を飲んで防疫態勢をすり抜けていたように、帰国した人たちは一刻も早く家に帰りたいので未申告の人も多い。頭痛や生理痛のクスリを飲んでいる人なんていくらでもいますし、仮に感染していても潜伏期間中に入国してしまえば、水際で食い止めることは不可能なのです。
 問題なのは、入ってきた後の封じ込め対策をまったく考えていないこと。今回、国内初となった男性患者は帰国から感染確認まで9日も要しています。この間に男性が、免疫機能が落ち抵抗力の低い患者が多い三次救急病院や高齢者施設に立ち入っていたら感染が一気に拡大していた可能性もあった」
2015年に38人の死者を出したMERS
「封じ込め」に失敗した例として真っ先に名前が挙がるのが、2015年に38人の死者を出したMERSの感染拡大を許した韓国だ。MERSは2012年9月に英国・ロンドンで初めて確認され、「発生源」とされるサウジアラビアをはじめ、イランやオマーンなど中東全域に広がったが、2015年に“飛び火”した韓国で爆発的に感染が拡大。国を挙げた感染症対策が講じられていなかったことや、医療従事者の危機意識の欠如もあり「院内感染」が横行した。「渡航医学」にも精通するナビタスクリニック理事長で医師の久住英二氏が話す。
「今回、国内で初めて感染が確認された男性は、病院の大部屋に入院していたと聞いています。MERSが韓国で感染拡大したときは、病院の対応が杜撰だったと批判する声が大きかったが、日本でも、感染症患者を大部屋に入院させるようなあり得ない対応をしている病院は多い……。
 日本ではガン患者がいる病院に感染症患者が入院していたりするケースが多々あるが、ガン患者は免疫力が落ちており、感染のリスクが大きいので、海外の医療機関ではガン患者がいる病棟には感染症患者は立ち入���ことさえ許されません。
 個室の入院費用は高いので患者側からすれば安く抑えたい。病院側からすればベッドを空けておきたくない……というのが理由ですが、今のようなやり方を続けていたら、強毒性の感染症が入ってきたときに院内で感染爆発が起きる可能性は高い」
 中国では1月24日から「春節」の大型休暇が始まる。休み期間中、延べ30億人が移動するとされ、日本へも観光客が殺到すると予想されている。「新型コロナウイルス」の“発生源”である武漢から成田空港への直行便は週15往復。関空直行便は11往復発着している。
 7月には待ちに待った五輪が始まるが、外国人観光客が激増している今こそ、効果的な感染症対策を打っていく必要があるだろう。
<取材・文/週刊SPA!編集部 写真/AFP/アフロ 時事通信社>
※週刊SPA!1月21日発売号より
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reiofhope · 5 years
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忍びのすゝめ (Shinobi No Susume - A Ninja’s Encouragement) / Mafumafu - Japanese Lyrics/Romaji
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忍びのすゝめ (Shinobi No Susume - A Ninja’s Encouragement)
Lyrics, Composition, Mix: まふまふ (Mafumafu)
Vocals: まふまふ (Mafumafu)
Illustration: まふてる (Mafuteru)
*Romaji: reiofhope
*If you find any mistakes, please inform me!
Japanese Lyrics / Romaji
どれだけ歩めども 道はなく 彷徨うは千里先 それが人の世だと  笑う君だったんだ  然れど散りゆく定め Doredake ayu medomo   Michi wa naku Samayou wa senri saki   Sore ga hito no yo do to Warau kimi dattanda Saredo chiri yuku sadame
この一世を例えるなら  止まず 頻る 遣らずの雨  消える夜鳥に夢花火  Kono issei o tatoeru nara Yamazu   Shikiru   Yarazu no ame Kieru yachou ni yumehanabi
水面に映る月を求めて  悔やむことは もうやめた  Minamo ni utsuru tsuki wo motomete Kuyamu koto wa   Mou yameta
忍び偲べ 心隠して 踊り踊る世界を回せ  鏡越しに隠していた ボクが泣きじゃくっている間に  Shinobi shinobe kokoro kakushite   Odori odore sekai wo mawase Sagami goshi ni kakushiteita   Boku ga nakijakutteiru mani
先見えぬ夜に紛れましょう 悟られぬよう口を噤みましょう  最愛も 恋情も 朋友も 友情も 手に掛ける覚悟はあるか?  Saki meinu yoru ni magiremashou   Satorarenu you kochi wo tsugumimashou Saiai mo sanjou mo   Houyou mo youjou mo   Te ni kakeru kakugo wa aru ka
暗がりの向こうに潜む忍者になって  あの日の夢まで 切り捨ての免罪符  Kuragari no mukou ni hizomu ninja ni natte Ano hi no yume made kirisute no mendaifu
誰そ彼時までは身を隠して  その陰に今日を置く  二世も契れぬまま 彷徨えるボクは  ひどく醜い『手の目』  Tasogare toki made wa mi wo kakushite Sono kage ni kyou o oku Ni sei mo chigirenu mama   Samayou eru boku wa Hidoku minikui “Te no me”
徒花のその姿に 心惹かれても  現世だって朧月  何もかもを閉ざした矢先に  君に恋するという報い  Adabana no sono sugata ni   Kokorohi kare temo Utsushiyou datte oborodzuki Nani mo kamo wo togashita yasaki ni Kimi ni koi suru to iu mukui
片恋の行く先を知りたい その手負いの心を救いたい  返り血の装束じゃ 何を望もうと値打ちない  Katakoi no iku saki wo shiritai   Sono teoi no kokoro wo sukuitai Kaerichi no shouzoku ja   Nano wo nozomou to neuchinai
書き違えた「辛せ」の行方 読み違えた為体が所以 生涯は滑稽な 憂愁の証明か 未だ十字架を背負いこんで  Kaki chigaeta “shiawase” no yukue   Yomi chigaeta teitaraku ga yuen Shougai wa kokkei na   Youshou no shoumei ka   Mada joujika wo seoi konde
鵜の真似をしていちゃ それが千慮の一失 覚悟もないなら 御帰りになって頂戴  U no mane wo shiteicha   Sore ga senryou no isshitsu Kakugo mo nai nara   Okaeri ni natte choudai
いつか物心で捨てた心根 わかり合えるなんて夢のまた夢 破れ果てた友の骸に 今日も立っている  Itsuka monogokoro to suteta kokorone Wakari aeru nante yume no mata yume Yabure hateta tomo no mukuro ni You mo tatteiru
――――お別れです ――――Owakare desu
忍び偲べ 心隠して 踊り踊る世界を回せ 鏡越しに涙した君は誰だっけ ボクは誰?  Shinobi shinobe kokoro kakushite   Odori odore sekai wo mawase Kagami goshi ni namidashita kimi wa dare dakke   Boku wa dare?
空になった心なら捨てたんだ 優しくしないでよ この小さな覆面も 塗り固めた強がりも 剥がれ落ちて泣いてしまう Kara ni natta kokoro nara sutetanda   Yasashiku shinaideyou Kono chiisana fukumen mo   Nuri katameta tsuyogari mo   Hagare ochite naiteshimau
暗がりの向こうに潜む忍者になって あの日の夢まで 切り捨ての免罪符 Karagari no mukou ni hisomu ninja ni natte Ano hi no yume made   Kirisute no mendaifu
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takahashicleaning · 5 years
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TEDにて
ジェームズ・B・グラットフェルダー:世界をコントロールしているのは誰か?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ジェームズ・グラットフェルダーの研究分野は「複雑系」です。
例えば、鳥の群れのように、相互につながった要素を持つシステムでは、全体が、どのように部分の集合以上になるか?ということを研究しています。カオス理論もそうです。
そこで!明らかになってきたのは、複雑系の理論を通じて経済の仕組みが解明できるということです。
グラットフェルダーの革新的な研究で、支配力がグローバル経済の中でどのように移動するのか?そして、少数の手に権力が過度に集中することで、どれだけ私達が危険にさらされるか!ということが明らかになります。(TEDxZurich)
「危機的な状況に陥ると現状の経済。金融モデルに深刻な問題があることがすぐに明らかになる」― 「粗悪で単純、自信過剰な経済学が危機を助長した。という考え方には私も賛成だ」
資本主義に懐疑的な人が、こんな批判をするのを聞いたことがあるでしょう。でも、今、挙げた言葉は、金融の中心にいる人達の声です。
始めの言葉は、当時の欧州中央銀行総裁 ― ジャン=クロード・トリシェ。その次は、イギリス金融庁の長官の言葉です。
彼らが言いたいのは、現代社会システムの原動力である経済システムを我々が理解していないということでしょうか?さらに、厳しい指摘が続きます。
「私達は、何十億ドルもかけて宇宙の起源を探っているのに、社会システムが安定して、経済も機能し ― 平和が成立する条件すらまだわかっていない?」
どうしてこんなことが起こるのでしょうか?人間社会の仕組みよりも、物理世界の仕組みの方がよくわかっているということでしょうか?残念ながらその通りです。そこで、面白い解決策を提案するのが「複雑性の科学」です。
複雑系で分かっていることは何か?複雑な振る舞いに見えたとしても実は、相互作用に関するいくつかの単純なルールの結果に過ぎません。
つまり、方程式は忘れて相互作用そのものを観察すれば、システムを理解する手がかりが得られます。
方程式は無視して相互作用を捉えるのです。さらに、面白いことにほとんどの複雑系が「創発」という驚くべき性質を備えています。創発とは、個々の要素を観察しても理解や予測ができない振る舞いがシステム全体に突如、生じることです。
このとき、全体は部分の集合を超えています。システム内の個々の要素は、どれほど複雑であっても無視してよいということになります。
この方法は、物理学や生物学 ― コンピューター科学や 社会科学における ― 様々な複雑系について成功を収めています。
では、経済学はどうでしょうか?経済のネットワークはどこにあるのでしょう。実は、この分野は明らかに研究が遅れています。
私達が、2011年に発表した ― 「世界的企業コントロールのネットワーク」という論文は、経済のネットワークを初めて詳細に分析したものです。
この研究は、ネット上で大きな反響を呼び、各国メディアが注目しました。驚くべきことです。どうして今まで誰も ― 着目していなかったのか?似たデータは以前からあったというのに!
私達が分析したのは、所有権のネットワークです。このノードは、人や企業 ― 政府や財団などを表しています。
ノードをつなぐ線は、株式保有の関係です。株主Aは、会社Bの株式をx%保有する。といった関係です。また、この会社に対して営業収益に基づく価値を与えます。
すると、株式保有の関係が所有ネットワークから明らかになるのです。この例では、いくつかの金融機関と一部のリンクを強調しています。これまで、所有ネットワークの研究が注目されなかったのは退屈に思えるからかも知れません。
実は、所有権はコントロールと関係があるので ― 所有ネットワークを通して様々なことがわかるのです。キー・プレーヤーは誰か。どう組織されているか。単独か。つながっているか?
支配力の分布はどうなっているか?つまり、誰が世界をコントロールしているか?興味深い問いです。
システム上のリスクもわかります。システムがどの程度、ぜい弱かがわかるのです。つながりが密接だと安定が損なわれます。高密度の関係では、負荷が伝染病のように広がってしまいます。
科学者が批判してきたのは、経済学者が、裏付けのあるデータよりも思想や概念を重視する点です。科学の基本方針は「データで示す」これに従いましょう。
分析の結果、構造がわかりました。ネットワークには、周辺と中心があり全企業の75%が中心に属します。中心には、つながりがより密接な ― 少数の企業からなる支配的中核部が存在します。都市圏に例えると分かりやすいでしょう。
郊外や周辺部があり ― 金融街のような中心部があり ― 中核部には、高層ビルが建ち並びます。すでに、仕組みが見え始めています。中核となる36%の多国籍企業が、全ての多国籍企業の営業収益の95%を占めています。
構造はわかりましたが、これがコントロールとどう関係しているのでしょう。所有権があれば、株主は議決権を持つ ― これがコントロールの普通の捉え方です。
別のモデルでは、所有権から生じる ― 支配力を計算できます。過半数の株式を所有すれば、企業をコントロールできますが、通常は、株式全体の相対的な分布によって決まります。
この研究で私達が計算したのは、多国籍企業の価値に対する支配力です。こうすることで、一定の影響力を株主それぞれに割り当てられます。これはマックス・ウェーバーの潜在力の考え方そのものです。つまり、他者の反対を押し切って自分の意志を貫ける可能性です。
所有ネットワークにおける影響力の流れはこう計算します。見た目ほど難しくはありません。たとえ話をしましょう。パイプに水が通っているとします。パイプの太さはまちまちです。支配力も同じように所有ネットワークを流れ ― ノードに溜まります。
ネットワークを支配する力を計算してわかったことは、737の大株主が多国籍企業の価値の80%をコントロールする力を持つということです。ノードの総数は60万でしたから、737という大株主の数は、全体の0.1%程度です。アメリカとイギリスの金融機関がほとんどを占めます。
さらに言うと中核部には146の株主がいますが、これが多国籍企業の価値の40%をコントロールできるのです。
この事実からわかることは何でしょうか?
ご覧頂いたコントロールの集中はどう見ても行き過ぎです。中核部にいる株主が過度に集中すると世界経済に重大なシステム上のリスクが生じます。多国籍企業のネットワークは、いくつかの単純なルールで簡単に再現できました。
自己組織化の結果として構造が生じたからです。これはシステムの相互作用のルールから創発した性質です。だから、たぶん地球規模の陰謀論のような ― トップダウンの構造から生じたものではないでしょう。
私達の研究は、詳細な地図というよりは大まかな見取図です。
だから、この研究で出した数字を鵜呑みにしないでください。それでも金融の新しい姿を垣間見ることはできます。これがきっかけになって、方向性を共にする研究が増え、未知の領域の調査が進むことを期待します。
ゆっくりとですが試みは始まっています。
ネットワーク化した世界を複雑性という視点から理解しようとする ― 長期に渡る 予算も十分な研究プログラムが出現しつつあります。でも、探究は始まったばかりです。結果が出るまでには時間が必要です。
私はまだ重要な課題が残されていると思います。金融、経済、政治、社会システムに関する考え方には、しばしば、個人的なイデオロギーがまとわりついています。だから、複雑性の視点が共通の基盤を与えることを期待しているのです。
対立するアイデアが行き詰まりを生み、グローバル化する世界の重荷になっています。その解消に手を貸せたら素晴らしいと思います。現実はとても複雑です。一つの教義に縛られてはいけません。ただ、これも個人的なイデオロギーなのですが。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
この世のシステム一覧イメージ図2012
データ配当金の概念から閃いた個人的なアイデア2019
ニコラス・クリスタキス:社会的ネットワークの知られざる影響
ヤニス・バルファキス:資本主義が民主主義を食い尽くす — 今こそ立ち上がろう?(サミュエルソン?)
The idea of the administrative system in the artificial intelligence era 人工知能時代の行政府システムのアイデア
ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2017(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
Is the world ’s currency supply amount reach the annual income of $ 60,000 per person, the lowest line of happiness?2017世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
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kitaorio · 2 years
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賊飯
 休むと言うには寝ても寝ても具合悪さが積み重なり、悪寒と脂汗に翻弄されながら寝床でもだえていた。  三人の布団をひいてしまうと床が見えなくなる部屋のなかで、この男ともう二人の男が同じように苦しんでいたのだった。  木々が芽吹く頃がいくらかすぎて、少しは暖かく、日差しが強くなるとやや暑く感じる時期であった。渓谷の間を縫うようにして走る街道、といっても、獣道に毛が生えたような商人や旅人が近道をしようと通り抜けるのにできあがった道ではあるが、そこに数件の飯屋が並んでいる。道の山側を削り、小屋をいささか立派にしたような建物を店として使っていた。十人も客が入ればいっぱいになるような店の奥に、店の男のための部屋があった。  店と同様に男が三人寝るのには窮屈であったが、文句を言えるような境遇でもなく、丸太になった心地でその部屋で寝起きをしていた。 横になるだけでやっとであったが、飯に困ることもなく、寝るところもあるだけでもありがたかった。  この店は街道を行き来する人の腹を満たすのにちょうどよく、味に特段工夫があるわけでもなければ、丁寧に作っているわけでもなく、味の濃い食べ物に合わせ、一膳の飯と汁を出すだけであったが、ほどよい場所に構えていると言うだけで日銭が入ってきていた。  この街道を行き来するのは、商人や役人、それと賊であった。商人と役人は二度も三度もここを通るものはおらず一期一会であるが、賊はこのあたりに出没する野犬同様、見たような輩がうろつき、夜になると姿を見せ始め、獲物を見つけると闇から手を伸ばし引きずり込み<仕事>をするのであった。  店の男達は、この賊達が<仕事>をするのに必要な腹を満たすため、ここの店を押しつけられたのであった。
 「おい、この飯屋もなくなったら後はどうするんだ」  賊を束ねている頭領はやや不機嫌そうに取り巻きに言う。  賊達がこのあたりをねぐらにするまではいくらかは店もあり、人の流れももう少し多かった。しかし、賊が出るというのがあたりに広がると、人の流れはまばらになり、やっていけなくなった店は次々と畳んでいったのだった。  しまいには一件もなくなり、自分たちが腹を満たす場所も消えたのであった。  これ幸いと主のいなくなった飯屋に賊がたまるようになり、残されていった鍋と釜で自分たちの食い物を作るようになり、いつのまにかそれは慣習として定着すると、何かの勘違いで店として飯の代金を取るようになった。  見よう見まねで炙ったり煮たりしただけの食べ物である。だが、その雑味と粗暴な見た目に対して「これで銭取るのか」とでも言おうものなら、調理器具を荒々しく握りしめた人相の悪いのが奥から出てきて、飯の勘定以上の銭を取られることになるのだった。  この店を知っている商人や旅人はこの店を避けて通る。不運なのか、天に見放されたからなのか、間違ってこの店に入ってしまった者は、追い剥ぎ同然にすべてを取られるのであった。  店をやるめんどくささはあるものの、賊が来れば飯の代金は取れ、そうでない者がはいれば<仕事>をし、やりたいようにやっていたのだった。
 狭い部屋の中で熱と悪寒の渦に飲み込まれ悶絶しているのが、その三人なのであった。  「ああ……」  「うう……」  「……!」  言葉などはほとんどなく、うめき声とかろうじて少し残っている力でいらだち紛れに壁に拳をぶつけてみたり、かかとでたたいたりする音だけが響いた。  眠るなどと言う穏やかな時間はなく、体の奥にしつこく根を張る具合の悪さと熱のだるさから逃れるために無理矢理眼をつぶって意識を無くす。そして、しばらくすると寒気や吐き気で目を覚まし、はいつくばって土間まで行き、空っぽ���体の中からこみ上げてくるのを絞り出すのであった。  どれぐらいそれを繰り返したかはわからない。  寝ては這い出て、戻っては意識を無くし、悪寒にたたき起こされ、また這い出る。  飲んでもすぐに出てしまうのはわかっているが、少しの水を口にして、戻る。  おかしい。  男は自分の体の中で起きていることだけではなく、なんとなくの不安のあるおかしさを感じた。  眼をつぶり、深いと倦怠から逃れるために眠りの沼に潜り込もうとしたが、この違和感が気になり、まんじりともできなかった。  なにがおかしい?  目をつぶり、耳を澄ます。なにも聞こえない。  外からは風が吹いたのか木々の葉がこすれあう音がし、鳥がさえずる声も聞こえる。けれども、聞こえないのであった。  うめき声もうなされて出てくる息の音も聞こえない。まるで一人でいるかのように静かになったのだった。  「おい」  だれに問うわけでもなく声を出してみる。誰も返事をしない。試しに隣の布団に寝ているのをたたいてみる。反応はない。  もう一人には足で蹴ってみる。反応はない。  最初にたたいた奴の布団を寝たままの姿勢でめくり、そして拳でたたいてみる。  「なんか言えよ」  布団と言うには貧相な布切れを剥がしてたたいてみると肉が肉を打つ音はするが、うんともすんともなにか言うわけでもなく、ひんやりとした感触のみがその拳に残ったのだった。  男の体から力はすっかりとなくなっており、弱った体では手や足をのばすのがやっとであったが、それでも執拗に反応を見ようとしていた。  わかっていたことではあるが、いくら叩けど反応することはなく、冷たくなった骸にあたる音だけが部屋の中に響いた。  この部屋の中には、布団と骸、あとは自分だけであるというのに気付いた。  今までの悪寒とは違う寒気におそわれていた。熱で朦朧とした頭の中の奥の方で「俺もこうなるのか」という考えが沸き、おとなしく寝ていてはいられないとの恐怖と、こうならないように逃げたいという衝動におそわれていた。  男は一緒に寝ている奴らには一切の情はなく、ただただ押しつけられた店を動かす手足の一つぐらいにしか考えてなく、ほかの二人もほぼ同じような考えであった。店の作業をしているときは、互いに「おい」とか「こら」としか呼ばず、互いに互いが寄せ集めであることを自覚し、そしてそうしていたのであった。  「このまま、こいつらと同じように朽ちるのか」  熱でまとまったことは考えられず、ただただどうやってこの苦しみの渦から抜け出すかということしか頭になかった。  そもそも考えるのは得意ではないが、意識が濁った泥水みたいになっている今は、頭の中に浮かんでくる事柄の輪郭は崩れ、薄ぼんやりとした印象の固まりでしかなかった。新しく考えるなんてことはできず、今まで見聞きした風景をさまようだけなのであった。  その目的は、どうやって生き続けられるかという悪足掻きなのである。  浮かんでくる風景は、最近の<仕事>であったり、頭領がなにやらを捕らえている様であった。  頭領の手下となるまで、経を唱えるなんてことはしたことがなかった。大人になり、好き放題に生きていく中で経を読むような場面というのには出会ったことがなかったのである。  賊の頭領というのは、そこにたどり着くだけあって、気も荒ければ腕力も強かった。ちょっと気に入らないことがあれば、周りにいる者に火の粉が飛び、殴られるなんてことは日常茶飯事であった。  清廉でもなく、正しい道を歩いているわけでもない頭領が唱える経というのは、ほぼ自作に近いようないい加減なものであったが、新しい手下が入ると、とりあえず読経らしきことをさせていたのだった。  もちろん、手を抜く者もいれば、こんなことをするのはばからしいと刃向かう者もいる。そういう者には情け容赦なく痛めつけられ、骸になった者は見せしめとしてさらされたりもしていた。慈悲なんて言葉はなく、非道であり、ならず者である。人間が持ち合わせている盾と矛をわかりやすく並べたようだった。  どうにかして生き延びたい。  その一念だけで経のまねごとをしてみる。体が重いのもあり、口ごもるようにして読経しているかのような声を出す。頭領がやっている節に会わせそれっぽい音を出し、読経らしきうなり声を出していた。自分が読む経の中で、自分の悪行を思い出しては、それを振り払うこともできず、やったことを静かに振り返るのであった。  街道を馬子がやせ馬をつれて歩いていた。  馬は自分の体を支えるのがやっとなぐらいにしか力が残っていないのだろう、平坦な道なのにも関わらず息も絶え絶えに歩かされていた。  男の店の前を通ったところで、その馬の運命は変わってしまった。  馬子がどこに連れて行こうとしていたかわからないが、少なくともましな終わりかたになっただろうが、仕入れに行くのがめんどくさいと考えていた男には、ちょうどよい獲物ぐらいにしか見えなかったのである。  泣いて逃げていく馬子を追いやると、馬を無理矢理に川縁まで連れて行く。  男が痩せ馬を捌き始める頃には、その体には打ち身やかすり傷、噛まれた跡などで満身創痍そのものの姿となっていた。  調理場に立っているからと言って、馬ぐらいの大きさの動物の命の火を消して食材にするために捌くなんてことはやったことはなかった。酒の話の中で誰かが言っていた「馬を捌くなんて簡単なこと」というのを鵜呑みにして、やろうとしたのが災いの元であった。  恐れて暴れる馬を押さえつけながら、その命を消そうとした。  いくら痩せ馬と言えども、一人で押さえつけられる大きさではない。川沿いに生えている木に馬の首にかかっていた縄をくくりつけ、その動きを制しようとした。それだけでも何度もはねとばされ、蹴られそうになり、ひずめの先が男の太股を強く打ったしていたのだった。  やっとの思いで刃の先を馬に刺そうとしたところでも、大木のような胴体で体当たりされ、はねとばされる。そして、どこが急所かも和からぬままに、めっぽうに刃を突き刺しては、馬に暴れられ、徐々に弱らせてしとめたのだった。  材料として使える程度に切り分けが終わる頃には、己の馬のかわからない体液で全身が濡れていたのだった。  翌日から、客に出されるようになった。処理も適当であれば、料理もいい加減である。  味が悪いだけであれば我慢すればよいが、なにか悪いものが混ざり込んでいたのであろう。腹を下すものや、食べたものを吐くものが続出した。  臭みや処理の悪さをごまかすために、味噌や香りの強い山菜でそれらしい味にし出していた。食べた客と言えばこのあたりの賊である。そんじょそこらの客に比べて頑丈であろう賊の腹を壊すのだから、よっぽどのものが混ざったのだろう。しばらくすると、客は途絶えた。賊はこぞって寝込んでしまったのである。  もちろん、それはこの男も食べている。
 読経は続いている。  「どうにかして、どうにかして」  神とやらがどこにいるか見当もつかないが、手を合わせ一心不乱に読経のまねごとをしている。  「いやだ、どうにかして生きていたい」  それだけの一念で拝み続ける。その相手はどこにいるのやら見当もついていないままであった。  寝床から見上げる窓から柔らかな光が射し込む。  その光は優しく膨らみ、神々しくこちらを照らしているような気がする。  男は懸命に「どうにかして、どうにかして」と念じながら唱え続けていたのが功を奏したのかと感じた。  しつこく体を襲う悪寒は消え去り、なにやら心地の良い暖かさが体の内側から沸いてきたような気がしていた。  だんだんと自分の体が消えていき、光の中に混ざっていくような穏やかな快感に包まれながら、読経のために合わせていた手から力が抜けていく。  「どうにか……」  部屋には静寂だけが残った。
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【福井県謡曲古跡めぐり越前/嶺北編】6箇所目  2021/3/22
能「鉢木」「藤栄」「花筐」
鵜甘神社
《福井県今立郡池田町水海》
池田町役場の西2Kmほどの水海に鎮座。
476号線を北上し、水海川に沿って南東へ1Kmほど。
集落の奥に境内がある。
参道には鳥居が立ち、参道を進むと石畳。
さらに進むと、境内入口の鳥居があり、
「式内 鵜甘神社」と刻まれた社号標。
社伝によると、
雄略天皇��年(463)二月十五日の創祀。
継体天皇が越前に御潜龍の時
「足羽の水源神」として祀られた古社。
鎌倉時代、幕府執権の北条時頼が当地で越年の時
(1250頃)、能舞を教授されたといい
今日まで継承されている。
鎮座地である水海について。
水海川流域は断層面が活発で地滑りなどがあり一時期、川がせき止められ湖水化した時代があったという。
もとは八幡社と称していたためか、拝殿には鳩の紋が付けられていた。鳩は八幡神の神使なので、これが当社の神紋だろう。
鵜甘神社
 当社は雄略天皇七年(四六三)の創建と伝えられる古社で、応神天皇、神功皇后、 武内宿禰を主祭神としている。江戸時代までは八幡社であった。
 毎年二月十三日には「ばいもしょ」とよばれる初春の予祝神事が行われる。
 この「田遊び」は明治期に合祀した賀宝五所社の御田植神事をそのまま継承してい る。この神事では、拝殿から撒かれた五本 の棒を激しく奪い合うことから、「棒ちぎり」ともいわれている。
 また、二日後の二月十五日の春大祭には 田楽と能が奉納される。
 四番の田楽と五番の能があり、演目は毎年変わらない。
 全国的にも類希なこれらの伝承芸能は、田楽や能の起源や伝播を知るうえで貴重な ものとされ、「水海の田楽・能舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
「建長2年鎌倉幕府、前の執権北条時頼公、諸国廻りの折り急ぎ帰館の途時、当地にて降雪に会い越冬のやむなきにいたりぬ。何故に最明寺入道時頼公が、当地に来られた理由は、水海を通り大野郡西谷村熊河より温見を経て、岐阜県大河原村に至る表日本に通じる、最短平易の重要な道程であった。公は、当地の雪消えまで鵜甘神社に滞在中、日毎に社前に参篭し天下泰平、国家安穏、五穀豊穣を祈願せりと言う。たまたま滞在中の2月15日、春大祭の古事を御感有って、村人舞人などに能舞を教え、以後併せて奉納する様に確約して、公は雪消えを待って急ぎ帰領された。帰領後、水海で世話になった人々を鎌倉に招いて賞賛されたと言う。」
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hidetoshiyamada · 3 years
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鵜のような水鳥が川に潜って魚を捕っているのを眺める。
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poddyshobbies · 4 years
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餌探し
Bait hunting
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今日は一日曇り空。午後からは雲が厚さを増しましたが、降水には至らずでした。そんな空模様の下で川鵜がせわしなげに水に潜って餌を探していました。動画はありませんがサギたちも活動してました。
[10:52]
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アオサギ ~ いつもより積極的かな?
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シロサギ ~ 番でしょうか、2羽いました。一羽の後を追いかけるようにもう一羽が飛んでいきました。
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鯉はコケをもぐもぐ
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カメは何を食べる?
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いつ食べる?
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わたし ~ 餌じゃなけど
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土曜日は需要が多い?
陳列せずに取り置きしてた最後の一つを頂きました。
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秋田県の男鹿半島に、日本への絶好の潜入ポイントがあるという。北朝鮮による拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査会」が6月10日に実施した特別検証で、自衛隊初の特殊部隊「特別警備隊」の先任小隊長を務めた伊藤祐靖さん(51)が北朝鮮工作員役となり、海からの上陸を実演した。その様子を報告する。
上陸するのに「ありがたい地形」とは
 伊藤さんは昭和62年、海上自衛隊に入った。平成11年に能登半島沖で発生した北朝鮮の工作船による領海侵犯事件では、護衛艦「みょうこう」の航海長として不審船を追跡した。その経験を買われ、特別警備隊の創設にかかわった。
 自衛隊を平成19年に退官した後は、各国の警察、軍隊への訓練指導に携わっているほか、元自衛官らでつくる「予備役ブルーリボンの会」の幹事長として、北朝鮮による拉致問題にも取り組んでいる。
男鹿半島に伊藤さんが着目したのは、日本海に飛び出た半島で、1直線上に並ぶ灯台が2つあるからだ。鵜ノ崎灯台と潮瀬崎灯台の2灯台からの光が重なるラインをたどっていけば、コンパスなど方位を指し示す道具がなくても、最短距離でたどりつける。両灯台の光は領海外からも見えるといい、伊藤さんは特異な条件を持つ男鹿半島に関し、「上陸するほうからすればありがたい地形だ」と説明する。
上陸後に休憩? 実は「五感を回復するため」
 その後陸に近づくと、陸に向かって左方向奥の防波堤にある明かりを目印にして進めば、湾内に入ることができるという。
 通常は船でできるだけ陸に近づいた後、工作員が泳いで岸へと向かうが、伊藤さんが今回実演したのは、湾内に入ってからどのように上陸するかという過程だ。
日中でも、波消ブロックに沿って陸に近づいて来る伊藤さんの様子はかすかにしか分からない。実際に密上陸を図る際には、人の出入りや船が少ない荒天の日の夜を狙うことが考えられるため、その場合はまったく姿は確認できないことがうかがえた。
 伊藤さんは陸が間近になると、うつぶせで接近を図った。動画では確認しづらいが、このときナイフを浅瀬の砂地に差しながら進み、波に流されないようにしていたという。荒天時での上陸が通常のため、それを想定しての行動だった。
 完全に陸に上がってから、伊藤さんはうつぶせの状態から、あおむけに体勢を変えた。体を休めているかのように見えたが、視覚や聴覚が制限されるうつぶせの状態から「五感を一番感知しやすい状況にするため」だという。すべての行動には、しっかりとした理由があった。
難しい上陸阻止、協力者「あぶり出すのが大事」
 今回は一人で上陸してみせた伊藤さんだが、実際に北朝鮮工作員が密入国する場合は、ナビゲーターとしての協力者の存在が欠かせないという。
 ナビゲーターの役割は、船から降りた工作員を安全に陸へと誘導すること。上陸地点に人がいないかを確認して無線で伝えるのに加え、上陸後に必要となる着替えなどの物資を渡すことが重要だと強調する。
 ただ見つからないよう上陸するだけなら、一人でも簡単だが、上陸後に安全に行動するためには協力者がいないと厳しいという。
 海岸線の長い日本の場合、伊藤さんは「水際で止めるのは不可能」と伊藤さんは指摘。日本への上陸を防ぐためには、「協力者をどうやってあぶり出すのかが大事だ」と話した。
” - 【北朝鮮拉致】自衛隊特殊部隊OBが工作員の日本上陸を再現してみせた! 「水際で防ぐことは不可能だ」(1/4ページ) - 産経ニュース (via dokuroou)
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shibaracu · 4 years
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●南京事件の再考
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●南京事件の再考 今まで一方的な見解だけを鵜呑みにしてきた。 も一度 振り返ってみるのも一考では無いかな
Media Watch: 事実と論理の力 http://bit.ly/uce1kS 事実と論理の力 http://bit.ly/slXRtf 「南京大虐殺」の創作者たち http://bit.ly/vgpZU0 南京事件の影に潜む中国の外交戦術 http://bit.ly/s8vo9p ~先入観を打破する定量的検証を~ http://bit.ly/s6uBxw 平気でうそをつく人々 南京事件
Media Watch: 「従軍慰安婦」問題 http://bit.ly/sJrBRt 「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔 http://bit.ly/vrPoZm 「従軍慰安婦」問題(下) ~ 仕掛けられた情報戦争 http://bit.ly/soYP32 分野別インデックス --000 総記(図書、ジャーナリズム等)-- 戦争犯罪報道
第48題「強制連行」考 在日朝鮮人は強制連行と直接関係がない http://bit.ly/syC3hk 在日朝鮮人がかつての植民地時代に日本によって強制連行された人々、およびその子孫であるという主張
強制連行 - Wikipedia http://bit.ly/ts4xto 受験生の中には「第二次大戦当時の言葉としてはなかった朝鮮人の『強制連行』が、 確定的史実として出題され思想の自由を奪われた」として、大学入試センターに対し、 この問題を採点から除くことを求める仮...
お金を求めて稼ぎに来た売春婦。 兵隊さんの数倍の収入だったので、本人がよろこんでやってました。 http://bit.ly/t0zMwU https://youtu.be/_Lw2imEyYxU
慰安婦強制連行はなかった http://tendensha.co.jp/syoseki/163.html ―河野談話の放置は許されない―. 大師堂 経慰 著(���朝鮮総督府事務官) 四六並製 180頁 定価:1800円+税 平成11年2月11日発行 ISBN4-88656-163-2 C0036. 元朝鮮総督府事務官による徹底検証 なぜ、政府は慰安婦以外の韓国人証言を求めないのか。 無責任な新聞報道と安易な謝罪外交が生んだ慰安婦問題。 朝鮮総督府に勤めていた著者が、自らの体験をもとのその核心に迫る。 第1章 問題の敬意と河野談話 第2章 河野談話と悪影響 第3章 関係資料   新聞記事、参議院質疑議事録、政府発表資料、女性のためにアジア平和国民基金、高校・中学教科書の記述
南京大虐殺はウソだ! http://www.history.gr.jp/nanking/ 南京大虐殺の虚構 http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html
Red Fox 中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似http://bit.ly/st3zSq 犯罪者を死刑にする。歴史的には世界中に残虐な処刑が存在した訳ではあるが、中国の場合は死刑囚を引き回して晒し者にしたうえ銃殺という前時代的な処刑が現代に至って行なわれている国である。
●西村幸祐、南京事件で支那人学者にインタビューhttp://bit.ly/tGgrV7 ●中国社会科学院の学者氏は「虐殺が30万人という数字に科学的根拠はない」とはっきり言っています。http://bit.ly/uVniS8
■[科学]「御用学者Wiki」的なものを生む背景について http://bit.ly/uAd7lA 当事者の1人でもある片瀬久美子氏の次のようなツイートである。 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ:原発、クジラ問題、南京大虐殺
●畠山ゼミ 卒業生共同研究 https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~w003034/2006HP/2005HP/2003homepage/sotusei7.htm  2001年度卒業生 共同研究  1、はじめに 2、南京大虐殺に対する主張の比較 3、東京裁判にみる「南京大虐殺」と現代史の政治的意義について 4、教科書論争にみる南京問題 5、南京大虐殺における   日中米関係と今後の三国関係 1、はじめに 私たち3班は“南京大虐殺”という歴史的事件を例にとり、テーマ“現代史における歴史的意義”について研究しました。“南京大虐殺”がどのように国際政治に関係していたか、またこの事件の悲惨さを主張することで、どのような政治的意義があったのかをそれぞれの面から考察しました。 2、南京大虐殺に対する主張の比較   【「大虐殺派」と「中間派」】  “南京大虐殺”事件。これを聞いて、私たちはどれだけのことを知っているでしょうか?ただ漠然と“日本人が中国人に対して悪いことをした事件”と、これだけで片付けてしまう人もいると思います。実際に私もそうでした。たいして知りもしないのにまるで全てを知っているかのように、“日本人が悪いことをしたのに、なぜ政府はきちんとした謝罪をしないのだろうか?”と、日本政府の態度に不満を持っていました。しかし今回、このことを調べるうちにこの“南京大虐殺”事件は複雑な糸が絡みあっていて、それをとくことが難しい事件なのだと初めてわかりました。 現在、日本では中国の公式犠牲者数である30万人を座標軸に「大虐殺派」、「中間派」(少数派)、「マボロシ派」という三つのグループが論争を繰り広げています。「大虐殺派」というのは、中国の公式犠牲者数に近い数を掲げ、日本軍が大規模な虐殺を行ったと主張するグループのことです。それに対して、「マボロシ派」というのは、虐殺は行われてはいない、そんな事件はなかったと主張するグループです。そして、「中間派」というのは、南京攻略の際、虐殺はあったが中国政府が発表している30万人もの虐殺はなかった、大虐殺という大虐殺はしてはいないと主張しているグループのことです。  ここでは、「大虐殺派」と「中間派」の二つの主張を比較していきます。「マボロシ派」の主張は、だんだんと崩されてきており、“南京大虐殺”という事件が全くなかったと主張することは難しくなってきているのでこれは一先ずおいておきます。   ◆南京事件の証言 https://ja.wikipedia.org/wiki/南京事件の証言 「雑誌「大亜細亜主義」従軍記者の田中正明[147]。1938年8月に南京に滞在した[147]。田中は当時従軍した大宅壮一、西條八十、草野心平、木村毅、林芙美子、石川達三も「20万-30万の大虐殺」を目撃していないと述べている」   ◆米国人「南京大虐殺の際、中国軍はなぜ市民を守らなかったの?」→中国人、googleで検索するも何も資料がなく答えられず http://blog.livedoor.jp/a6news/archives/703584.html 1 :ぽこたん( ・∀・ )φ ★:2009/05/22(金) 23:58:19 ID:???0    nankin 【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?  南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。  中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって  虐殺されたと主張している。  このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、中国の軍隊は  何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。  以下はそのブログより。   ◆抗日ドラマに存在する数々の矛盾点、日本人がネット上で盛り上がっているぞ=中国 http://news.searchina.net/id/1686322?page=1 2020-01-25 07:12  中国では今でも「抗日ドラマ」が制作、放映されている。近年は抗日ドラマの表現がどんどん過激になり、誇張した描写も随所に見られるようになり、手榴弾で戦闘機を打ち落としたり、手刀で人間を切り裂いたりと、実際にはありえない描写が含まれた抗日ドラマも登場、批判の対象となった。   ◆南京事件資料 - ne.jp  http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/ 南京大虐殺の虚構: 山本弘ト学会会長批判がある。 南京大虐殺はウソだ! 「プロパガンダ戦『南京事件』」著者、松尾一郎氏のサイト。 本多勝一「南京大虐殺」の大嘘: 「アウシュビッツの争点」を無料公開している左翼ジャーナリスト、木村愛二氏による本多勝一批判。 あやしい調査団、南京へ    平成十一年の南京。 南京大虐殺関係資料    「南京大虐殺の虚構」別館。 南京大虐殺 情報整理箱    日本再生ネットワーク作。 Rape of Nanking におけるプロパガンダ写真    プロパガンダ写真研究所作。   ●終わっていない「南京大虐殺」でっちあげ問題 https://samurai20.jp/shiryou/sayoku/sayoku3/3-1/  「南京大虐殺」とか、「従軍慰安婦強制連行」なるものが、ことごとくでっちあげであることは関係者の努力により明らかにされた。ただ、筆者は、サヨク連中が行った嘘宣伝の論破完了により、でっちあげ問題が終わったとは考えない。   1 なぜ終わっていないと言えるのか 終わったとは考えない理由の一:  こういった嘘宣伝を行った連中が、謝罪も反省も行っていないからである。 自分の嘘を省みずに臆面も無く、「広義の強制」とかに逃げ口上を用意するなど、まったく反省がない。われわれ国民がでっちあげを行った朝日新聞などサヨク連中に求めるのは、心からの謝罪と反省である。 たった一人でも反省しないものがいるかぎり、われわれ国民がうけた心の傷は癒えない。 とにかく徹底して自己批判させ、謝罪させないことには、連中は今後とも何度でも嘘を捏造するだろう。   ◆南京大虐殺の嘘の言い訳の嘘 - 学校長報 - 坂東学校 http://bandou.an-an.org/index.php?QBlog-20151020-1 2015/10/20 最近世界記憶遺産とやらに登録されたという南京大虐殺について、リクエストがあったので、ちょっと他の歴史検証にはないネタで迫ってみますよ〜! すでにブログではお伝えしているとおり、南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文があることをお伝えしております。 私が聞いたところでは以前チャンネル桜さんもこの話をきいたことがあり、2〜3人の先生(どんな先生かは不明)が現場に確認しに行ったのだそうですが、確認できずに帰ってきたとのこと。 そもそもこの先生方が北京語ができたのかどうかは問題ですが(笑)、その石碑がこちらだそうな。 南京雨花台の、虐殺記念館がある烈士陵園には、「人民英雄碑」と言われる石碑が立っていて、ここには毛沢東の揮毫とともに「南京虐殺は国民党によるものであった」という碑文がある これほどデカければもう隠しようがないわけで、しかも毛沢東の揮毫入りですから今更ぶっ壊すわけにも行かず   ◆コラム 57- 「南京大虐殺」30 万人の嘘 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/column-57.pdf 「南京大虐殺」30 万人が嘘であるという根拠は次の 8 項目です。 1 陥落時の南京の人口は約20万人である。南京の警察長官王氏が陥落直前の人口を20万人と述べ、国際委員会(外国人15名で編成された自治組織)もその数字を踏襲している。 2 南京の人口は陥落後、増加した。陥落1ヵ月後、南京市外に避難していた南京市 民は続々と市内に戻り、南京の人口は24万3千人余り���ら26万5千人余りに増えている。(虐殺があれば人は集まらない) 3 紅卍会などの遺体埋葬数は、作業代ほしさに水増し報告している。亜細亜大学の 東中野教授は実際の埋葬数を1万4千人と推定、そのほとんどが戦死した中国兵や処刑された便衣兵だとしている。 4 当時、陥落とほぼ同時に約300名の日本の報道関係者がいたが、誰も虐殺現場や 大量の遺体を見ておらず、報告もなされていない。 5 南京陥落時、便衣兵となった中国兵を掃討したあと、南京の治安は急速に回復し、国際委員会から日本軍に感謝の書状が贈られている。 6 南京陥落後、蒋介石は記者団に対して300回以上の記者会見をやっているが、一 度も虐殺について言及していない。 7 南京陥落後、昭和13年1月に国際連盟理事会に対して、中国代表が日本軍が2万人の民間人を虐殺したと提訴したが、認められなかった。 8「南京大虐殺」は東京裁判で、初めて問題にされ、しかも伝聞により捏造された。   ◆ 東京裁判が生んだ 「南京大虐殺」の虚構 http://www.senyu-ren.jp/MAGO/13.HTM 孫・・・その南京で、日本兵は中国人を大虐殺したと教科書に書いてありますが、本当ですか。   私・・・本当なもんか。無論戦争だから中国兵は沢山殺したよ。日本兵も沢山戦死したけれどね。しかし兵隊 でない一般市民を何十万も虐殺したなど有り得ないことだよ。当時南京には難民区という安全地帯ができていて、一般市民はそこに保護された。そして日本軍の憲兵が厳重に警備していた。   ◆南京大虐殺を否定する日本の右翼、その5つの嘘  チャイナネット http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2017-12/13/content_50101412.htm 発信時間:2017-12-13  今年は南京大虐殺80周年だ。80年前のあの寒い冬、中国侵略日本軍は南京を攻略すると、放火・殺人・強姦など悪事の限りを尽くし、中国の軍人・非戦闘員30万人を殺害した。筆舌に尽くしがたいほどの凄惨さで、世界に衝撃を与えた。  歴史は日本軍国主義によるこの暴行を恥辱の柱に打ち付けている。しかし日本国内では、南京大虐殺を否定しようと試みる勢力が常に存在する。特に近年、日本の政界と社会の右傾化が強まり、南京大虐殺を否定する言行が勢いに乗り、手段も多様化している。  彼らは反論の余地なき事実と論証により、右翼勢力が捏造し流布しようとする主な5つの嘘を論破した。  嘘その一:南京大虐殺は戦勝国が日本に報復するため「東京裁判」(極東国際軍事裁判)で捏造したものであり、裁判に加わったインド人判事は被告の無罪を主張した。  嘘その二:南京大虐殺は当時知る人がいなく、中国国内と世界のメディアも当時何の反応も示さず、後になって作り出されたものだ。  嘘その三:当時の南京の人口は20万人のみで、南京大虐殺の被害者数が30万人いるわけがない。  嘘その四:殺人競争「百人斬り」は当時の日本メディアの捏造であり、南京大虐殺の証拠にはならない。  嘘その五:中国の軍人、日本軍に抵抗する遊撃隊員が一般人を装っており、これを殺しても国際法には違反しない。   ◆「南京大虐殺」登録、米中韓メディアの反応は? 中国「日本の嘘を論破」と勝利宣言 https://newsphere.jp/politics/20151014-2/ 2015/10/14  中国が申請した「南京大虐殺の文書」が、  ユネスコ(UNESCO=国連教育・科学・文化機関)の世界記憶遺産に登録された。  これに対し、殺害された市民の人数など中国の主張に異議を唱える日本政府は、  登録を不服とし、ユネスコへの分担金の停止・削減を検討する考えを示した。  菅義偉官房長官は13日の記者会見で、ユネスコの決定を  「中国側の一方的な見方のみを反映したもの」などと批判。  APなど主要海外メディアも菅官房長官の一連の発言を伝えている。  一方、中国国営メディアはユネスコの決定を歓迎するとともに、日本政府の  反応を「ナショナリストの日本政府は、デタラメな動きで面子を守り、  恥をごまかそうとしている」(新華社)などと一斉に批判している。  また、韓国メディアでは、中国が記憶遺産に同時申請し、登録が見送られた  「従軍慰安婦」の資料について、再申請の動きに期待する論調が目立っている。   ◆「南京大虐殺の嘘」を知るサイト一覧 まとめ – 新・真相はかうだ! https://propagandawar.info/archives/4002 目次    1 ■南京大虐殺とは(総論)?    2 ■南京大虐殺30万人説について    3 ■元日本兵の証言    4 ■プロパガンダの背景について    5 ■元中国人兵士の告白    6 ■肯定論のサイト    7 ■英文による情報発信サイト    8 ■資料等    9 ■その他、参考サイト   ◆戦線後方記録映画『南京』(リマスター完全版)Documentary film "Nanking"Dec14,1937-January 1938, 67minutes  2017/08/17 https://youtu.be/_dmQxstHIqY 【日本語】67分、デジタルリマスター完全版 昭和13(1938)年2月20日公開。さらに映像を鮮明にするようにデジタル処理しています。この画像はHD Fullで、ちょっと音声がこのUPする際に悪くなっていますが、実際はかなり鮮明で高音質です。※注意:無断で講演会等において無断使用を禁止します。現在、アマゾンでリマスター版を販売中。 【English Version】https://youtu.be/Vi6F1YJ-q64
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