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rikuyoshizawa · 2 years
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ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #ジュニアパーソナルトレーニング #子どもパーソナル #子どもパーソナルトレーニング #格闘技個別指導 #ボクシングパーソナル #キックボクシングパーソナル #武庫之荘トレーニング #尼崎 #武庫之荘 #尼崎パーソナルトレーニング #ボクシングのパーソナルトレーニング #キックボクシングのパーソナルトレーニング #武庫之荘パーソナルトレーニング #伊丹パーソナルトレーニング #ダイエット #筋トレ #武庫之荘ジム #むこのそうジム (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/CiygUsxP4Sa/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nm-senmon · 4 months
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最近はマッチョトレーナーと変態ビルダーと28歳のトレリーマンの3人相手に、ほぼ毎日やってる。
マッチョトレーナーは週2回近くのレンタルジムでパーソナル終わった後に家に来る。大体決まった曜日の決まった時間なんで、俺も仕事終わって帰ったらケツ準備して風呂入れて待ってる。
到着早々お決まりで、リビングに荷物置いてそのままシャブりついて小便一気飲み。飲み切ると頭ポンポンしてキスしてくれる。その流れでとりあえずシャワー浴びる。当然一緒に入って体洗ってあげてるとバックから生チンコ入れられる。入れられたままシャワーで流す。
マッチョ君は掘られたい時はそのままケツをシャワ浣するんだけど、最近は、俺が洗ってあげる事が増えた。
シャワーから上がって風邪ひかないようにしっかり体拭いたらベッドでマッチョ君の処理タイム。平均3発は出していく。無論、相変わらず未投薬らしい。最後に俺が掘る事も。ヤリ切ったらまたシャワー。そこで、お互いの小便飲み合いして終わり。極稀にお泊まりするくらいかな。
ビルダー君は週1たまに週2でラブホでやってる。小便の飲み合い。お互い掘り合い。最後はビルダーのケツ拡張のフィスト。ビルダーと待ち合わせしてて歩き方変じゃ無い?って思ったらジムでケツ洗った後にアナルストッパー入れた状態で来る事も有ってホテル入って速攻小便、種付け、腕ってコースが増えてる。
28歳のトレリーマンは、家の近くで働いてるスーツリーマン。アプリで知り合って、テレワークしてる時に家まで来てもらった。ケツは興味ないらしい。ただ、毎日4.5回は抜くらしい。会社のトイレでは毎日最低でも1回は抜いてるって。ランチ時、俺がテレワークしてると必ずくる。メシは速攻で終わらせて、時間が許す限り俺の口に何回も射精して精子飲ませてくれる。早漏でしかも射精しても、シャブられれば即勃ちする。これの繰り返しだから、精子出なくなるまでシャブる事も多い。仕事終わった後も家に寄って2.3発出す事も多い。そのうち、ケツ掘らせるつもり。
そうそう。あとは高円寺にスタジオレッスンしてるトレーナーともヤルかな。この人はマジで処理。家に行ったらケツ出してタチバック。服着たまま。相手もチンコだけ出して前戯無しでローション塗って即入れ。早漏だけど毎回4発抜かずに。15分くらい。最後はウェットティッシュでケツ拭いてくれて、このケツ気持ち良すぎ!ってキスしてくれる。イケメンだから何でも許せる!
この3ヶ月くらい精子摂取してない日無いかも。
マッチョ、ビルダー、トレリーマン、高円寺
出張行った時もアプリで生タチ呼びまくって、ケツ限界なったらガタイウケ探して種付け。
毎日精子飲むだり中出しされて孕まされたり最高な毎日。仕事も頑張れる。年末はまた4Pで廻してくれる。もっとタフマンなってカマグラ飲んでヤリ散らかしたい。
鍛えてる人なら何でもアリだからDM待ってます。って言っても↑はNGね!
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oka-akina · 1 month
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コピー本交換会レポート(でもない)①
コピー本交換会ありがとうございました! 早いもので1ヶ月経ってしまった。 2月は本棚展をやったり寄稿するアンソロの〆切×2があったり忙しく、自分主催のアンソロも動き始め、3月に入ったらJ.Gardenもありそのほか生活のもろもろもあり…ずっとドタバタしている。自主開催するイベントってほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもしれないなあとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったようにも思う。 というかいちばん初めのところでは、えも個展&本棚展への集客につながったらいいなーというちょっと下心みたいな気持ちで始めたことではあったので、会期中の2月に開催したのはそういうわけでした。
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つまずく本屋ホォルの深澤さん、mibunkaの吉田さん、快く会場を貸してくださりありがとうございました。わたしの要領を得ない説明をいつも辛抱強く聞いてくださり、コピー本って何?交換ってどういうこと?というところからしっかり会話ができて、とてもうれしくありがたかったです。 わたしが「なんかもっと格好いいイベント名をつけたかったんですけど思いつかなくて…」とぶつぶつ言ったとき、「コピー本交換会ってとてもいいと思いますよ」と吉田さんが背中を押してくださりありがたかった。いろいろ準備したり当日を過ごしたりするなか、今回のイベントはそういうまんまの名前が必要だったんだなあと思い至りました。コピー本を交換するということだけ決まってて、来た人はそれぞれいろんなスタンスでいていいというか。
打ち合わせに何度かお伺いしたのですが、いつもいろんな方がにこやかに出入りしていて、本当にいい雰囲気のお店だなあと思います。お店は地域生活応援団という地域住民主体の支え合いの場、有償ボランティアさんの拠点でもあって、イベント会場に貸していただいた2階スペースはふだんコワーキングスペースにしているとのこと。近所の方が「霞ヶ関の父」っていう傾聴ボランティアをやってらして、幅広い世代の方で賑わっていていいなあと思います。
本当にとても正直な気持ちをいえば、そういう「地域」「地元の人」と密接な場所におじゃまするのはけっこうドキドキします。わたしは自分の作品にセクシャルマイノリティのことをたくさん書くので、生身の人間が顔を突き合わせる場、住所や容姿や年齢やもろもろ属性と紐付きやすい場に作品を持っていくのはとても緊張する。いま家からかなり近いところで貸本棚をやっているけど本当におそるおそるという感じで、もちろん悪いことをしているわけではないしうしろめたい表現というわけではないんだけど…「地縁」的なものになんとか馴染もうとするときに切り捨てられがちなものが気にかかる(そういうものを小説にしている面がある)。 ホォルさんはいま住んでいる場所からは離れているんですが実家の近くではあるので、イベントを開催したり自分の作品を並べたりするのはいろいろ感慨深いものがありました。怖さ、照れ、恥ずかしさ、でもここで自分がこういうことをできるようになったんだなーという喜び。また少部数のコピー本だったりzineだったりは書いた人のパーソナルな部分が出やすいものではあるから、自分含む参加者がリラックスして話せることを大事にしたかった。セーファーな場づくりをしたかった。
深澤さん吉田さんがわたしのそういった葛藤や、zineにまつわるデリケートさをみたいなものを汲んでくださりつつ、本当に快く場を開いてくださりとてもとてもうれしくありがたかったです。イベントが明るくオープンな場になったのはホォルさんmibunkaさんの常日頃からのお店づくりによるものが大きいと思います。ホォルさんの選書にもそういった姿勢があらわれていて、大らかで気骨のある場所だなあと感嘆します。
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なんかこのレポートすごく長くなりそう��ので何回かに分けようかな。ひとまず今回は余談のような話をしておしまいにします(もはやレポートでもないんだけど、ちゃんと書こうとするとえっらい時間がかかりそうなので、ともかく考えたことを垂れ流しにしているような感じ…)。
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ホォルさんのある角栄商店街の通りに合鍵と靴修理のお店があって、そこで5円コピーというのをやってたんだよね。白黒と単色カラーが5円で、色紙(色上質紙)に刷ると6円だったかな。中学生のころ友だちとそこに行ってペーパーを刷ってたの。 ペーパーっていってもべつに何か宣伝するとかでもなくて、なんかこう…各自が好きな漫画とか音楽とか身の回りのこととか、いろいろおしゃべりみたいなのを書いた手書きの紙。30枚とか40枚とか刷って、学校の友だち同士で交換したり、同人誌のイベントのフリーペーパーコーナーに置いてみたり、好きなバンドのライブとかファン同士の交流会?みたいな場で名刺と一緒に交換したり、郵便で知らない人と交換したり…。 こないだ実家を掃除したらそういうのが出てきて、GLAYのJIROのラジオで紹介されてたスマッシング・パンプキンズのAdoreってアルバムがよかったとか、恋する惑星を観たから香港に行ってみたいとか、そんなようなことを書いていた。いまとあんま変わんないかもしれない。 同じ頃、部活の後輩から毎日手紙をもらっていて、ルーズリーフやコピー用紙にぎっしり書かれた手紙だった。夜に書いたのを朝にくれて、授業中に書いたのを昼か夕方にくれて、1日2通の手紙。わたしの返事は5回に1回返すかどうかって感じだったんだけど、毎日まめに手渡してくれて、なんか話したいことがあったんだろう。わたしにそういう高頻度で手紙をくれる子はほかにも4人くらいいて、毎日たくさん読んでいた。どの子の手紙も深刻な話はあんまりなくて、だいたいは日記というか雑談というか。 あとその頃よく行っていたCD屋で店員さんが新譜紹介のフリーペーパーを自主的に作っていて、これまた手書きの手作り感あふれる感じの紙だった。新譜紹介といいつつ「これぜんぜん好きじゃない」とか「もうこれで解散してもいいくらい最高」とか思いっきり主観で、余白にはどこそこに行ったとか何を食べたとかの雑談も書いてあって…。
わたしはふだん同人誌やzineを作って文フリなどのイベントや書店で販売してるんだけど、今回のコピー本交換会は、こういうペーパーや手紙が頭にあった。売り買いとはちょっとちがうやりかた、むかし作っていたペーパーみたいなことってできるのかな。これは去年6月に参加した陰気なクィアパーティーでzineの交換会をやってすごくいいなと思ったのもあったし、以前umeさんからいただいた交換がテーマのzine(umeさんは本の交換所をやっている)を読んで考えたことでもあった。売ったり買ったりではないことをしてみたらどうなるだろう。売ったり買ったりできないものを作るってどんなだったっけ。
金銭のやりとりの方がコミュニケーション自体はラクだろうか。交換だと人対人になりやすいから結局のところコミュニケーションが達者かどうかになっちゃうんだろうか。買う(読む)側としては匿名でいたい気持ちはすごくある…なら金銭を介したやりとりであるべきか。いや売り買いであっても、規模の小さいイベントだと人対人のコミュニケーションになりやすい。11月に出店者10組だけのzineイベントに出て、「あなたは誰?」「この本は何?」という会話になりやすかった。場が親密になればなるほどそうで、それ自体はとても豊かな時間なんだけど、属性と作品がまっすぐ結ばれるのってちょっと危うさはあるなと思った。そして作り手側もそういうプレゼン?にあっというまに慣れちゃって、自己プロデュースのうまさみたいなことになりがちなのも気にかかる。属性、作品、宣伝、SNS、ビジュアル、会話…そういうものがしっかり噛み合い、「わたしは◯◯で、△△な作品を作っています」がいつも首尾一貫している。一言で説明できる。なんかわかりやすすぎないか。整いすぎてないか。自らと作品をじょうずに寄せにいっちゃってるけど齟齬があってもよくないか。あと買う側の人も自身のことをけっこう開示してくれて、わたしとしては会話ができるのすごくうれしかったけど、無理に話させてないかとちょっと心配にはなった。べつにあなたが何者であっても(なくても)わたしの小説を手に取ってくれるのはうれしい。でもそれだけではいられない、何か話さなきゃって圧が場に生じてるんだとしたら、けっこうきついことかもしれない…とか(ところで陰気なクィアパーティーはそういうのがなくてすごく居心地よかった。会のはじめにセーファースペースポリシーを読み上げてくださって、場にいた人がおたがい了解していたのもあったし、たぶんそのあたりに関心の強い人が多く参加していたのもあったと思う。すごいことだなあと感嘆したしほっとした)。
あるいは売り買いの宣伝の話。文フリとかzineフェスとか書店さんとかで小説を売るとき、多くの人に見つけてもらえるよう宣伝をするわけだけど、なんというかまあけっこう大変だし疲労はある。たとえばアンソロジーだと、コンセプトの強さだったり、フックの効いた言葉やビジュアルだったり、作品や作家の紹介を丁寧にやったり、メンバーの豪華さをアピールしたり…いろいろあるわけだけど、ちょっとちがうことをしたくなった。これはそういうのがよくないという話ではなくて、ちがうベクトルのことをしてみたらなんかいいことあるかもなあくらいのぼんやりした予感。 文芸作品、とくに小説は、読むのにそれなりの負荷がかかると思う。作品の難解さとはまた別のところで気持ちや時間のコストが大きく、「なかなか読めない」という話を作家同士でさえ本当によく聞く。そうすると作品や作家周辺の「活気」みたいなものがけっこう重要ではあって、何か賞をとった、SNSでよく見かける、みんなが話題にしている、みんなが工夫をこらして強い文言で「いい」って言う、そういう祭りや波が読むことへの後押しになる。活気があるのはいいことで、わたし自身すごく楽しんでいるし参考にもしている、かなり恩恵を受けている部分もあるけども、祭りや波から生じる権威大好き感がちょっと苦手ではあって…。権威大好きはちょっと言葉が悪いか。でも沈黙や絶句が、ほんとに沈黙や絶句のままでいられないのはなんかちがうなというか、心の柔らかいところをまいど律儀に開示しなくてもいいし、そもそもそんなに激しく感情が動かなくても楽しんだり感じ入ったりはあるわけで、まして誰々のお墨付きとかじゃなくてもいいわけで…。大傑作とまでは思わなかったけどほどほどに楽しんだ、ちょっといいなと思った、そういうことはぜんぜんあるというかわたしはだいたいの作品はほどほどに面白がってるんだけど、それをまんま口にするとちょっとけなしているみたいに聞こえてしまいそうだなと思う。なんかこう活気を起こそうとする中でちょっと「褒め」がインフレしてねえか…と思う。要するに、祭りや波的なものとはちがったやりかたでの読んだり書いたりが必要な気がしている。 (これはあんまり整理できてないし、活気を起こそうとがんばっている人たちをくさしたいわけではないので、ほんとにまとまってない話で恐縮なんだけど。参加してるアンソロ10000000部売れてくれ〜とかわたしもぜんぜん言うし、人と一緒に作ってるときはおたがいを鼓舞する意味合いも強いのはわかってる。もしかしたらみんなそんなことはとっくに了解していてあえて強い言葉をやっているのかもとも思うけど、わたしはその「あえて」をやり続けられるのってそれなりに元気な人だけじゃないかなあとは思ってしまう…元気じゃない人も文芸をやりたいし、実際勝手にやってるんだけど、「やってる」ということを他人に見せていくのは大事かなと思って言っている)
余談と言いつつすごい長くなってしまった(むしろ余談の方が長い)。 えーと今回のコピー本交換会、わたしはいくつかzineやペーパーを持って行って、そのうちのふたつ『tide』と『プロテスト・モノローグ』はあんまり売ってない本です。 『tide』は陰気なクィアパーティーでのzineの交換用に作ったもの。短い小説をいくつかと&セクシュアリティにまつわるぼやきみたいな文章をまとめたもので、通販はしてなくて文学フリマにも持って行ってない。zineフェス長野には持ってったかな。べつに過激なことが書いてあるわけじゃないんだけど自分的にちょっとナイーブな話はしてるから、こういう本がありますよって宣伝するとなると勇気がいるなーと思う。 『プロテスト・モノローグ』はパレスチナへの連帯について考えてることとかのひとりごとみたいなzine。コピー本交換会のどさくさにまぎれて作ったような感じで、ほんとの走り書き。あんまりおおぜいに売るものではないなーと思った。勿体つけるわけではないんだけど、なんかこうちゃんと発信しようとすると発信するための言葉や話題になるわけで、そうじゃない話、「どさくさ」でないと出てこないような話をする必要があるなと思ったというか…。
そういうものを手渡す場所をやろうと思った。交換する本を机に並べて、気になったものを手に取って読んだり持ち帰ったりできる。しゃべりたかったらしゃべれるし、黙って本だけ交換して帰ってもいい。閲覧用の本も置いておいて、読書の時間にしてもいいし本作りのヒントにしてもいいし…。 それがうまくいったのかどうか、当日わたしはドタバタしていてじつはよくわかんないんだけど、ちょっとずつ振り返っていければと思います。
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alien-melissa · 10 months
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★Feeble Little Horse-2nd album “Girl with Fish” interview ★
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2021年にペンシルベニアのピッツバーグで結成されたばかりのノイズロックバンド『Feeble Little Horse 』   1st Albumである『Hayday』を初めて聴いた時に衝撃を受けたのを覚えている。鋭さと柔らかさがギリギリをひしめき合う心地よさ。重たくノイジーなサウンドにボーカルの柔らかい歌声とポップなソングライティングのアプローチが彼らの音楽。
ピッツバーグで結成された彼らのルーツはこのシーンとは離れたところにある。
それはアメリカンシューゲイザーの新たな波の中心の場所ととなっているフィラデルフィアだ。They are gutting of water 、Full Body 2、などの枠に囚われない独自のスタイル、(形態、奏法)で新たなを切り開く音楽に感化されたFeeble Little Horse。
結成まもないにも関わらず、Big thiefの魅力を世界に広めたレーベル、Saddle Creek 契約し、前作以上に、仲間と共に音楽を作る喜びが反映されたこのアルバム、スリリングで予測不可能な楽曲が詰まっている。今回のインタビューでは音楽的なところ以外のメンバーのパーソナルな部分についても興味があり、質問したところ快く答えてくれた。
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★まず最初に、バンドFeeble Little Horseの始まりについて教えてください。
Lydia - バンドはコロナ禍の中で始まりました。私とセバスチャンがお互いのSoundCloudの曲のファンで、一緒に音楽を作りたい!となったところから始まりました。 最初のバージョンの「Dog Song」をiMessageで送り合い作成した後、私は中央ペンシルベニアの学校から戻り 、現実でミーティングをすることになりました。
ライアンとジェイクのアパートに行って、「Hayday」のほとんどを録音しました。ライアンがベースを私に売ってくれて、その夏の最初のショーのために私は曲を全て覚えました。
★音楽に目覚めたきっかけは?
Lydia - 9歳のときに、とてもクールな父が998曲入りのiPodを作ってくれて、幼い頃からインディーやパンクの音楽に夢中になりました。
Jake - 5歳の時に父が持っていたKISSのアルバムを見つけてからロックミュージックが好きになり、その頃からドラムを始めたんだ。
Ryan- 子供の頃の古い記憶は音楽と結びついている。
Seb- 父がトムペティのFree fallingをギターで弾くことを教えてくれたんだ。それが最初に弾いた曲で、8歳か9歳の頃だったと思う。
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★ニューアルバムのコンセプト、制作、レコーディングについて教えてください。
Lydia- お互いに意見を出し合いながら、すべてのクリエイティブなプロセスを自分たちで行っています。それぞれのアイデアは、かなり広範囲にわたって洗練されたプロセスを経ていきます。
Seb- ほとんどが私の古いアパート(3228 parkview avenue Pittsburgh PA 15213)で、私のベッドルームかリビングルームで録音しました。曲を書きながらレコーディングするので、レコードで聴ける部分はたいてい初めて演奏されたものだ。
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★あなたのバンドのビジュアルやアートワーク、コラージュが大好きです。
Lydia - 私はアートを作るのが大好きで、プロとしてやっていくつもりなので、私たちのためにアートを作るのはいつも理にかなっていることだと思います。
★あなた方のパーソナルなヒストリーについて教えてください。
Lydia - 私には姉が一人いて、母方の家族はイギリス出身、父はニューヨークの田舎出身です。祖父は英国国教会の主教で、父は英国国教会の司祭です。父はBMXやマウンテンバイクもやっていて、私の地下室で自転車店を経営しています。私は小さなキリスト教学校で育ち、バンド活動はそのような泡の外に出た最初の経験の一つです。
Ryan:ペンシルベニア州の炭鉱労働者の家系に生まれた。
Jake - ペンシルベニア州北東部の田舎町で育った。
★創作活動はどのようなものですか?
Lydia - 手元にあるものを使って、いろいろなものを楽しく混ぜ合わせるのが好きなの。言葉にするのは難しいけど、表現することでそれを明確にできる、私が作るものはそうでありたい。
Seb- ギター、ミディ、歌詞、ドラムの順。そして仕上げのタッチ
Ryan - すべての曲は、異なる創造的なプロセスを持っています。ある曲は、個人によって作られた曲のラフスケッチから始まり、他のものはより共同作業である。
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★あなたの音楽的な影響を受けた人は誰ですか?
ryan - Women, Mary Lattimore, Four Tet, Alex G
jake- KISS, cherry glazerr, digable planets, green day, frankie and the witch fingers
lydia — brittle brian, diane cluck, horse jumper of love, babyxsosa
Seb- A Country Western,They are Gutting a Body of Water , pink panthress, sotb, helvetia
★周りのシーンについてどう感じていますか?他のバンドとの繋がりはあるのでしょうか?
ライアン - 私たちが住んでいるアメリカの地域の音楽シーンはとても活発で、良い音楽がたくさんあります。私たちは幸運にも、A Country Western、HotlineTNT、They are Gutting a Body of Waterなどの同業者から受け入れられ、励まされました。
Lydia - julia's warのあるフィラデルフィアのシーンは、私にとって常にホームのように感じられる。彼らは私たちの足元を固めてくれて、スタートするときにとても勇気づけられた。
Jake-ピッツバーグのシーンは僕にとって最も特別な場所だ。とても多くの種類のバンドがいて、この辺りのバンドはみんな他のバンドをとてもよくサポートしてくれる。
★日本のアーティストで聴いている人はいますか
jake- kikagaku moyo
lydia — 800 Cherries, CARTHIEFSCHOOL, Melt-Banana, Cornelius, Lily Chou-Chou
ryan - 青葉市子, toe, hiroshi yoshimura, les rallizes denudes
seb- hirono nishiyama & Kazumasa Hashimoto. あとDeerhoof も好きだけどこれもカウントしていいのかな
★今後の目標や夢は何ですか?
Jake- 国外でライブをすること、そしてもっと素晴らしい人たちに会うこと。
Lydia - 自分たちのベストを尽くすために、自分たちをプッシュし続けることです。
Ryan - メルトダウンを起こさないようにする。
Seb - 日本に行くこと
★日本ではあなたの音楽の魅力が話題となり、熱狂的なファンがたくさんいます。
jake- サポートに感謝しています。そして、皆さんのために何度かライブができることを望んでいます。
Lydia - あなたは誰よりもクールです。私の音楽を聴いてくれて、私もクールな気分にさせてくれてありがとう。
Ryan-私たちの音楽を聴いてくれてありがとう。私たちがアパートで作ったものが、世界中の皆さんの耳に届くなんて、信じられないことです。
Seb-日本のファンが大好きです!あなたは他の誰よりも素晴らしいです。
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kennak · 2 months
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多くの人たちと同じように、ずっと、悲しんでうろたえて、ときどき泣きながら、日々を過ごしていますたくさんの漫画家さんや関係者や漫画を好きな人が、悲しんだり怒ったりしている慎重に誠実に言葉を選んで自分の考えを綴っている人もたくさんいるでも当たり前なんだけど、どんな人の言葉にも過不足がある 今回はなおさらその過不足が大きい自分の場合もひどかった、こんな目に遭った私は別にイヤな目には遭わなかった、みんないい人だったみたいな好悪りょうほうの事例が乱立していっても、この出来事への何かの足しになるのかどうかもわからない芦原さんに家族近親者がいるとして、今後、この業界全体の改善が進まなければ遺された人は傷付き続けるだろうけど、救いがないのは、今後改善が進んだとしても遺された人はきっとまた同じように傷付くだろうことです改善されていけば、「ならば、どうして、彼女が命を絶つ前にそういう改善がなされなかったのか」という思いがつのるばかりだと思うのでなので、 自分なぞがここに何か言い足したりしても、さらに同様の過不足というか、なんなら「お前は黙ってろ」くらいに思われるかもしれないでもこれは自分自身のために書くだから不愉快を感じた人は何も言わず静かに黙って外して済ませてください、今回はとくにここから、長いです多くの作家さんがどうにか言葉を発しようとしているのは、誰もが「自分にも同じ問題が起きた、起きたかもしれない」「自分のことのようによくわかる」からで、多分にもれず、自分にも覚えのある種類の問題ですそして自分が現役の時に(リアルタイムでの漫画連載時に)今回みたいに、同業の作家さんがこんなことで命を絶つなんて出来事があったら、とても平常心を保てないことが想像できるだから、今、現役で連載の執筆をしている作家さんは、自分なんかとはケタが違う動揺に見舞われ続けていると思いますでも言及したくないな、という思いも強いです言及すると、このことは自分の手の中からうしろに放って、もう言及したので済んだこと、にしてしまう心が伴うんですよねそれがイヤで、言及したくない、言及できない語るのもつらい、でも語らないのもつらい、という心もちは、多くの人の言葉や沈黙からも察することができて、「どうしたってこの出来事も遅かれ早かれ“後景”になっていってしまう」ということがわかっていて、そのことも含めて、皆が、うろたえて悲しんでいるのではないかと思いますでも1週間以上経って、当事者である大きな企業2社の現在の態度もあわせ考えて、このままだと、事態がどんどん良くない方向にしか動かない、というか何も変わらない、のではないかというおそれも、今、ものすごく大きいです何から書き綴る?また名前を持ち出して申し訳ないのだけど、庵野さんがそれまでに見たことないほど激怒したのを見たことがあります怒られた相手は、“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子だったのかなあ… シチュがめんどくさいんだけど、『沈没』連載の頃に、大西信之さんの個展に僕と僕のスタッフさんが噛んだことがあって、その時に庵野さんと樋口さんが一緒に遊びに来てくれたのね その流れで、大西さんが引っ張ってきた会場のギャラリー含めて飲み会みたいな流れになって、メインの大西さんが早々に酔い潰れて離脱、なんか知らんけど2次会にまで庵野さんは流れてくれて、僕と僕のスタッフ、庵野さん、あとギャラリーに居た知らん人が何人か、みたいなわけのわからんメンツで飲んでいたときに、多分、庵野さんの前に座ることになった「“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子」が、「何か創りたいと思うんですけど、創って世に出したらそれで評価が��まっちゃうし、自分の可能性を限定するみたいになっちゃうんで、なかなか作れないんすよね」みたいなことを、庵野さんに“相談”したんだと思うんですよね いくら酒の席でも、相手と話題を選びなさいよ、と思うんですけどね庵野さん、みるみるうちに、会って以来見たこともないようなおっかない口調になって来て、「そんなの、創って、恥をかいて、地獄を一度見ればわかります! 地獄見てください!」「地獄を味わったこともないくせに、何も作らないままグダグタ言ってても何も始まりませんよ!」というようなことを話していましたあのとき怒られていたあの彼は、どうしているだろう?かつて居た場所贔屓、かつてしていた仕事贔屓になってしまうけど、多くのクリエイションの中でも、やっぱりとりわけ漫画は、特別…という言葉を選ばないでおくなら、特殊な表現手段なんだと思います「作家個人ひとりに負うところ」が異常に多すぎる表現媒体なんじゃないかと思います漫画家を含めて、作家としての個人の名前が前面に出る仕事(そこには、だから、庵野さんみたいな人の仕事と名前も入るのはわかるでしょう)、そういう仕事は、やっぱりちょっと、特別、もとい、特殊なんです日本語でそれを括るなら、それが、“原作”“原作者”ということになるのかもしれませんその中でも日本の漫画はちょっと特殊すぎます作家個人が、ひとりだけで、ストーリーを考え、絵を描き、俳優を演じ、効果音を当て、お金の管理もして、ひとりで物語を構築する もちろんアシスタントスタッフは存在しますが、決定権というか決定の責任は漫画家個人にものすごく集中しています映画に例えるなら、監督、脚本、カメラ、美術、俳優全員、衣装、音響、編集、予算配分とスケジュール管理と会計処理と税務、すべてをひとりでこなして毎週映画を作り上げて納品するようなものです 狂気の沙汰ですよ映画の作業で残っているのは、そのフィルムに、オープニングタイトルとエンドクレジットを付け、宣伝し、配給し、チケットをもぎり、上映し、パンフとコーラとポップコーンを売ること それらは“プロデューサー”“配給会社”が担���ことなのだと思うし、漫画に例えるならそれは主に出版社と編集者が担ってくれていますでも本当は、漫画の編集者は、多くの場合、作家が物語を創る作業に、もっと深いレベルで関わってくれているんですけどね そこがまた複雑でわかってもらい難い出版社と編集者の話はまたあとで“原作者”は、物語を構築するときに、それぞれの、自分だけが潜れる地下に潜って、自分だけがすすれる泥水をすすりながら、そこで手にした意味不明なんだけど意味あるものを地上に持ち帰って、地上の人にわかる言葉に翻訳して綴って、披露目る、そういう作業を繰り返していますそういう作業の最前線に自分もいた感触は、今でも残っています作家それぞれにもちろん技量や実績の差はあって、日本人なら多くの人が作品名や名前を知っているレベルの一騎当千の猛者もいれば、自分みたいに「はい、あの、なんとか銃は撃つくらいはできます…」みたいなヘッポコまでいるわけだけど、それでも、「商業漫画の連載」ってやっぱり別格の世界で、個別に、エゴのレベルで、あの人やあの人の創るモノとは気が合う合わない好き嫌いみたいなことはあるにしても、みんなが互いに、“最前線で戦っている同士”だっていう共感は持っているように、僕は、思います今もそうだよね?だから、みんなが今、人ごとと思えなくて、悲しんで、うろたえて、怒っているんだと思います“原作者”が自分の体と心を使って何をしているかというと、自分と外界の境界線を最大限にぼやかして自我をゼロに限りなく近付けて、なおかつ、「自分」が信じるものを出していかないとならないので、それは細胞の集合体である生き物の生存の定義に反する作業、「死」に触れる作業なんですよね自他境界を緩めると自我が世界に溶けちゃうんですよこのおそろしさは、もしかしたら、作家のもっとも親しい人にも理解してもらえないことなのではないかと思いますだからものすごい孤独を伴う何度も引き合いに出してすみませんが、庵野さんが死ななかったのは本当にたまたまだった…という話は、本人も何度もしていますみんな、そうなんですよ自分とて「あれはたまたま死ななかっただけなんだな」と思い返す出来事はひとつきりじゃあない生きている人は、「たまたま死ななかっただけ」なんですそういうエッジの上を進み続けることになるんですそして、作家が、地下に、海に、深く潜る際には命綱が絶対に必要で、多くの場合はそれは“編集者”“プロデューサー”が担っているのね船の上、陸の上で、命綱を握っているその安心感があるから、作家は“潜って”いけるんです漫画家にとっても、編集者の存在ってものすごく重要ですでも編集者は漫画家にはなれない 逆も同じです 多くの場合それは互いにじゅうぶんわかっていて、その中で信頼関係と仕事のしかたが構築されながら、作品は創られる編集者って必要なんですよ、ほとんどの場合佐藤さんはたしか「自分は編集者は要らない」と言い切っていたと思うんだけど、そんな強者はひと握りで、多くの場合は漫画家は編集者と二人三脚ですそれでも、ときに、しばしば、行き違いやコンフリクトは生じてしまう作家が、出版社への異議を唱えたり意見を述べると、それを出版社に属する人が「自分への攻撃だ」と認識することが多いのかもしれませんそうではなくて、個人である作家は、「あなたが属しているシステムの構造に異議を唱えているのだ」と言い続けているのだけど、その平行線がずっと続くことが多いですもう10年以上も前に、佐藤さんや雷句さんが、それぞれの考えとやりかたで、出版社や漫画業界のあり方に疑問を投じて、それは大きな波紋を起こしましたワタクシごとなんだけど、雷句さんのアクションの際に僕も僕の考えを書き述べたら、少年サンデーの編集者から「部外者が好き勝手にものを言わないでもらいたい」というメッセージをもらいました 当時の自分の文章を読み返すと、下手な文章だなと思うので「文章が下手だ!」と言われるならわかるんですが、的外れなことも誹謗中傷も書いておらず、何がそんなに相手を不愉快がらせたのかは今もよくわかりませんあれからもう15年以上も経っていて驚きます当時から知っている何人もの有能な編集者が、そのあいだ、作家や作品をないがしろにして仕事をしていたわけがないことはじゅうぶんに知っていますでも漫画家も多忙だけど編集者だって忙しい余計なことに煩わされる余裕なんて無いんですよ編集者はかなり強く担当作家と二人三脚を組んでくれるし、愛する作家を愛するけれど、いっぽうで、関わりのない作家に冷たい面がある(会社の人間として振る舞う傾向がある)それは当たり前なんですけどねでも、編集者がおおぜいになった時に、作家もそこにいるというのに、作家の前で他の作家の悪口や噂話をするのはやめてほしかったああこの人たちは、自分の居ない場所では自分の悪口を言って笑っているんだろうな、という想像ができてしまう何かのおりに、いったん、作家と編集者(出版社)の対立が外部にあらわになると、漫画家は多くの場合に、「組織/おおぜい/システムvs個」の、“個”の側にたったひとりで立たされることになる二人三脚していた相手、個人だったはずの編集者が引っ込んでしまって、代わりに、組織である出版社が出てきてしまう芦原さんが言い残した「攻撃したかったわけではない」という言葉は、誰か個人を攻撃したかったのではなく、「組織vs個人」になってしまい、個人として困っている、ということを述べたかったはずです「パーソナルとマスの問題」なんだけど、マスの中で(組織の中で)個人(パーソナル)として、その理解で組織と個人の問題を捉えて、そして言語化できている人は多くない大きく括れば、これはハラスメントの問題に属しますパワハラは、立ち位置の不均衡を素地にして起こるこちらは個人、向こうは組織その不均衡を、多くの場合、組織(強者)に属する人は理解しきることができないヒトが2人以上存在する限り、どちらかが強い、あるいはどちらかが組織に属している度合いが強いので、パワハラが存在する可能性があって、同時にその不均衡の構造は、なかなかすべては語られ得ないのだと思います日本には、作家にエージェントが存在しない作家と編集者(出版社)の間にエージェントが居れば、また話は違うのかもしれないんですが、多くの場合はエージェントの役割を編集者が兼ねているんですよね何かあると二人三脚していた相手だと思っていた編集者が組織の中に引っ込んでしまうので、作家はひとりぼっちになってしまう取り残されてしまうんです今回の問題の実際のディテイルは、原作の改変ですけど、でも重要なのは改変の良し悪しじゃない改変の度合いに関与できないことが問題なのであって、改変がいけないわけじゃない「良い改変」とか「悪い改変」とかがたくさん例示されても意味がない良い改変だとしても原作者が納得しているか、もしかしたら逆に不本意な気持ちになるか、それはまったく別の問題だから「改変する」「改変しない」じゃなくて、原作者個人が取り残さないようにすること、追い詰められて孤立しないでいられることです取り残され追い詰められるのは個人なので組織を背負っている、全体に繋がっている、ほうの人は個人よりは孤立しない仕組みになっているのだから組織のエラーと、個人のエラーをごっちゃにして峻別出来なくなってしまっている今回生じているのは組織のエラーです 個人のエラーはそれに付随して起きたことでしかないそうすると、得をするのは時に応じて組織に溶け込める人間で、損をするのは“個人のまま”の人間、組織と個人を別々のものだと考え続けている、組織に溶けることなど知らない個人、なんです漫画家はそのほとんどすべてが後者です生前の芦原さんの対応には、見聞きできることを見聞きする限り、ひとかけらの瑕疵もない死を選ばずに済んだ道があったはずだそのことが余計に悲しくて悔しい相対することになってしまった脚本の人の心身の安全は守ってあげなきゃならないけど、死なないで良いんで「死ぬしかなかった苦しみ」「作家が味わった地獄」に関しては、芦原さんが味わったのと同様に味わってもらえないものだろうか、「地獄を見たらわかります」、とは思いますもちろんそのとき重要で必要なことは、プロデューサーやテレビ局は、それでも脚本のひと個人の命をちゃんと守りきることなんだよそこを怠ってはならない大きな話として、私たちの社会が、弱者をすくいあげる、ハラスメントに対応する、そういうことがもう出来なくなっているのでは、という視座が要るように見える“個”への、唯一無二への敬意が欠ける場合が多いというか、“原作”を構築するのは個人で、でも現代は“解説動画”とか“読み解き”とかをアピールする環境が大きく整っていて、そういうジャンルに足を踏み込む人はとても多い何かを楽しもう消費しようとする人々にとっては、原作���、読み解き動画も、面白ければ別にどっちでも良いと思って楽しむことも多いんじゃないかと思う“原作“は希少なのだ…という認識を分かち合い続けるのはとても難しい現代の世界は、余計に、“原作”の稀少さがないがしろにされていく素地があるんじゃないだろうか明日から全てが改善される改革なんてあるわけがないし、できるわけがないだろうだから少しずつでも良くならないといけないわけなのだけど、それはかなり強固な意志で重いハネ車を動かし始めなければならないことなので、今、やらないなら、やっぱりやらないのだろうこれ以上の解決や改善を試みないということは、「今のままでヨシとする」という意思表示と合意を意味するわけだからこれ以上は未解決のままでも、漫画の文化はたいして変わりなく続いていくでしょう 今でもまだ豊潤だから今までどおり、声にならないところで、誰かが割りを喰って、不満や悲しみを抱えながら、時々誰かが死んでしまったりしながら、続いていくのだと思いますでもやはり、どうか、少しずつ、少しでも、状況がマシになってくれまいかもし改善がなされないのだったら、物語を創りたい、商業漫画を描きたい、と考えるひとは、「この世界はこういうものなのだ」と心して近付く、あるいは近付かない、それを「自己責任」で判断して生きていってもらうしかないもうひとつもうひとつ、自分が抱えているジレンマは、じゃあ距離を置いた漫画の世界の話には言い及ぶクセに、今お前が属している飲食業の暴力にはダンマリかよ、という自問自答があります卑怯なんですよね、これ今、自分が属している業界に関しても、言葉を綴るべきなんだと思います 今回とても思いましただからこそ、多くの現役の作家さんが、言いたいことすべてを言えるわけはなくて、なのに、多くの人が考えに考えて、自分の言えること、言うべきことを発しようとしていることも含めて、何もかも、痛いくらいにわかりますこのへんで幕引きみたいになって、またここから15年くらい、何も変えられないようになってしまうよりは、もう少し、言葉にして、言葉がまとまって、何かが少しでも変わったほうが良いのにな、と思います
芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ 
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ignitiongallery · 5 months
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きくちゆみこ 個展『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』
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12月13日より、twililightにて、翻訳・文筆家のきくちゆみこによる個展『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』を開催します。
17日には安達茉莉子さん、21日には淡の間さん、22日は中村佑子さんをお迎えしてのイベントも企画しました。
ぜひ足をお運びください。
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会期:2023年12月13日(水)〜2023年12月25日(月) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00〜21:00  休み:12月19日、20日
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わたしがやることなすこと、すべてがわたしとあなたとわたしたちの喜びのためじゃなかったらいったいなんなんだろう?
なんのために書き、なんのために生きるのかといったら、やっぱりあなたと仲良くなりたいからだ。わたしはあなたにやさしくしたい、あなたにもやさしくしてほしい。そんな気持ちでものを書き、そのあいまに生きてきた。書くことが、自分について書きつづけることが、ひとにやさしく、自分にやさしくいることの最後のよすがみたいに思って――。
(『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』「あとがき」より)
twililight web magazineで連載していたエッセイ「だめをだいじょぶにしていく日々だよ」が本になりました。刊行を記念して、エッセイの世界を目で見てさわって感じられるささやかな個展を開催します。お会いできたらうれしいです。
きくちゆみこ
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《プロフィール》
きくちゆみこ
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文章と翻訳。2010年よりパーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたジンを定期的に発行、言葉を使った作品制作や展示も行う。主なジンのタイトルに『愛を、まぬがれることはどうやらできないみたいだ』、『内側の内側は外側(わたしたちはどこへだって行ける)』、訳書に『人種差別をしない・させないための20のレッスン』(DU BOOKS)などがある。現在はルドルフ・シュタイナーの人智学をベースに、心とからだと言葉を結びつけるための修行をあれこれ実践中。
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《会期中イベント》
1.きくちゆみこ+安達茉莉子『書くこと、裸足でかけること』
日時:12月17日(日)開場:10時 開演:10時30分 終演:12時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
参加料金:2000円+1ドリンクオーダー
定員:14名さま
書くことは、自分をほどくことだと、きくちゆみこさんと安達茉莉子さんの文章を読んで感じることがあります。それはある種、自分の剥き身を曝け出すようで勇気が必要なことだとも思いますが、だからこそ多くのひとりひとりの深い部分にまで届き、共感を生む。
お二人はどのように文章を書いているのでしょうか。そしてどのようにジンや作品集を作っているのでしょうか。
日曜日の朝、書くことについてのワークショップのような時間を設けます。ぜひご参加ください。
“書くというのは、生きるというのは、あらかじめ与えられたひとつひとつの言葉を、より小さいものへと、自分ぴったりのかたちへと、つくり変えていく地道な作業なのかもしれない。”
(『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』「あとがき」より)
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*定員に達したため、キャンセル待ちの受付になります!
件名を「きくちゆみこ+安達茉莉子『書くこと、裸足でかけること』」
として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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安達茉莉子(あだち・まりこ) 
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作家・文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関、限界集落、留学などを経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。著書に『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(twililight)ほか。
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*淡の間さんが体調不良のため中止になりました!
2.きくちゆみこ+淡の間『星のめぐりとわたしたち』
日時:12月21日(木)開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
参加料金:2000円+1ドリンクオーダー
定員:16名さま
『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』の第4章「わたしにとってのわたしたち」に登場する占星術師「淡の間」さんにご出演いただき、きくちゆみこさんの星座について公開星読みをしながら、参加者の皆さんと語り��います。あえて「すべて星のせい」にしてみることで語れることがある。
“占星術と出会ったことで、わたしは自分のことをもっと大きな視点で見つめるやりかたを知った。それは自分の運命をただ受け入れるというよりも、「わたしに与えられたわたし」とこの先どう付き合っていけばよいのかという、大まかな見通しみたいなものをもらったような感覚だ。そしてこれはきっと、自分自身にやさしくするという、わたしにとっての難題とも分かちがたく結びついている。”
(『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』「わたしにとってのわたしたち」より)
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件名を「きくちゆみこ+淡の間『星のめぐりとわたしたち』」
として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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淡の間(あわいのま)
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西洋占星術、タロットカードを使う占い師。人智学、ヨーロッパの自然療法や魔術、自然哲学にまつわることなど、色々なことに興味があって勉強中。活動は2019年〜、オンライン講座の運営や各種媒体での執筆、オンラインと対面での個人鑑定、毎年オリジナルダイアリーの出版を手がけるなど。毎朝Instagramのストーリーで1日の流れ(日報)を更新。
Instagram / X
 @ aynoma.jp
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3.きくちゆみこ+中村佑子『世界はいいところだと信じたい。』
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日時:12月22日(金)開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:来店参加:2000円 / 配信参加:1000円
来店+『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』¥2090=4090円
来店+『わたしが誰かわからない』¥2200=4200円
来店+『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』¥2090+『わたしが誰かわからない』¥2200=6290円
配信+『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』¥2090=3090円
配信+『わたしが誰かわからない』¥2200=3200円
配信+『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』¥2090+『わたしが誰かわからない』¥2200=5290円
*すべて見逃し配信(1ヶ月間)付き
予約:https://peatix.com/event/3779010/view
きくちゆみこさんの『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』(twililight)と、中村佑子さんの『わたしが誰かわからない』(医学書院)のW刊行記念イベントを開催します。
きくちさんは、わたしが誰だか知りたくて、書いて書いて内面に潜っていきます。
そして『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』「あとがき」では以下のように書いています。
“わたしがやることなすこと、すべてがわたしとあなたとわたしたちの喜びのためじゃなかったらいったいなんなんだろう?
なんのために書き、なんのために生きるのかといったら、やっぱりあなたと仲良くなりたいからだ。わたしはあなたにやさしくしたい、あなたにもやさしくしてほしい。そんな気持ちでものを書き、そのあいまに生きてきた。書くことが、自分について書きつづけることが、ひとにやさしく、自分にやさしくいることの最後のよすがみたいに思って――。”
これを読んで、中村佑子さんの『わたしが誰かわからない』を思い浮かべました。
中村さんは『わたしが誰かわからない』の「はじめに」で、以下のように書いています。
“わたしはまず、母に付き添って過ごした精神科病院で出会った女性たちのことから書きはじめ、前作と同じように当事者への聞き書きとして進めていった。しかしそこには、ヤングケアラー特有の困難があったのだ……。その詳細は本論を読んでいただきたい。  筆をとったり、筆を置いたりするわたしの右往左往、迷いともども、すべてをここに書いている。わたし自身の感情や思考のドキュメントとしての部分も大きいが、その道行きの困難さも含めて、書くということが孕(はら)む問題に向き合うことだったのだろうと、いまはそう思っている。  書きはじめてから二年あまりかかったが、最後に別の風景が見えてきた。そのことに、ありがたいような、感謝したい気持ちがわきおこる。  書くということは、洞窟を手で少しずつ掘っていくようなことだという醍醐味を味わった。ときに爪にやわらかい土が入って不快に感じたり、息が切れて壁によりかかって暗い天井を眺めたりしながら、ようやく最後に、指の先に少しだけ光が見えた。”
どこか共通点を感じるお二人に、わたしについて、世界について、お互いの本について、思う存分語り合っていただきます。
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中村佑子(なかむら・ゆうこ)
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1977年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。テレビマンユニオンに参加。ドキュメンタリーを多く手がける。映画作品に『はじまりの記憶 杉本博司』、『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』、テレビ演出作にNHK-BSプレミアム「幻の東京計画首都にありえた3つの夢」など。シアターコモンズにて、AR映画『サスペンデッド』脚本・演出などがある。
2020年、初の単著となる『マザリング 現代の母なる場所』(集英社)を出版。立教大学現代心理学部映像身体学科兼任講師。
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apoandbangpo · 9 months
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、��手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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togekiss4ss · 7 months
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SNOOZER 1998 4 Bernard Butler 天国から降り立った至福のソウル・ミュージック、遂に完成!
BERNARD BUTLER
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by SOICHIRO TANAKA photography by MIDORI TSUKAGOSHI
間違いなく、98年最初の傑作と呼びうる作品が座み落とされた。アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」——バーナード·バトラーという類稀なる才能がようやく咲かせた、大輪の花びらである。険しさや激しさとは無縁。勿論、どこまでも気持ちが高揚するアップ·テンボのナンバーもある。だが、基本的には柔らかで、しなやかで、ゆったりとした時間が漂う、極上のソウルフルな作品集である。
■練りに練り込まれた4ピース·バンドのアンサンブル、そこに実に効果的に配置された華麗なストリングス——だが、そんなゴージャスなプロダクションにもかかわらず、バーナード本人の細かい息遣いがそのまま伝わってくるような親密さがここにはある、日当たりのいいキッチンに通されて、入れたばかりのココアを御馳走になったかのような暖かさ。薪が割れる音だけが聞こえる、暖炉のある暖かい居間に招かれて、家族との思い出話をひとつひとつ聴かされているかのような距離感。そして、妻、亡き父親、兄弟達、多くの友人達——バーナード自身と彼の周囲の人々をめぐる大小様々なドラマが平易な言葉で綴られた歌詞。ここはバーナードが招き入れてくれた彼の部屋なのだ。
■「僕が何故、落ち込んでるか聴いてくれるかい?/僕が過ごしていた日々は、ありがちな疑いばかりだったから/そう、僕が夢を語っても、君だって耳を貸しちゃくれなかった」「そう、君はわかってくれてると思ってた/友人達が僕のことを取り合ってもくれなかったってことを/だって、僕は他人のことが少しもわからないんだよ」「でも、最近は僕はひとりじゃないんだ」——アルバムに先立つ2枚目のシングルとしてリリースされた“ノット·アローン”において、バーナードはどこまでもあけすけに歌う。だが、ここで鳴らされているのは、夢、失意、孤独、離別、誤解、強がり、喜び——そんな普通的なものばかりだ。そう、これこそは我々、日常と自分自身の感情に翻弄され続ける「ちっぽけな魂」の主題歌そのものなのではないか?
■バーナード·バトラーは、自分の半径2メートルのありきたりの小さなドラマから「普遍」を生み出した、どこにでも転がっているありきたりの失意と喜び——だが、それが当の本人にとってはとれほどに深刻なドラマなのか? そして、それを細心の注意を払い、目一杯の熱意でもって奏でた時に、それはどれほどに崇高な叙事詩たりえるのか?——アルバム「ピープル・ムーヴ·オン」は、そうした事実を証明してみせた。バーナードに招かれて、我々は自分自身について語りだす。そう、アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」は、そんなありきたりのちっちゃな喜怒哀楽に対する祝福で溢れている。
このレコードによって父の思い出が公になってしまうのは、少し哀しい。でも、そのことによって、僕自身の存在を証明出来た気もするんだよ。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくない。そんな思いを父の思い出がサポートしてくれるのさ
ありきたりに生きたありきたりの男が愛した「やせっぽちの息子」だからこそ産み落とせた、どこまでも親密な「至福のソウル・ミュージック」——
マチズモからも、ホモ・セクシャル体験のないバイ・セクシャルからも遠く離れた、奇跡のソロ・デビュー・アルバム『ピープル・ムーヴ・オン』が到達しえた、しなやかさの秘密
●素晴しくソウルフルなアルバムが出来上がりましたね。
「どうもありがとう」
●このアルバムを聴いて、何故、あなたがスウェード時代、あんなにも居心地悪そうにしていたのかがわかったような気がします。というのも——。
「ふう(と、言ったまま机につっぷしてしまう。髪の毛がスープに浸ってしまっているのも気にせずに、ガバッと起き上がり、首を激しく振り続ける)」
●もうスウェードの話はしたくないんですね?
「いや、そんなことは言ってないよ。別にいいんだけどさ。別にいいんだけど……でも、スウェードのことについては散々話し過ぎたから。ねぇ、アルバムの話にしてくれない?」
●ええ、勿論。だって、今日はスウェードじゃなくって、あなたのソロについて話しにきたんだから。
「それなら良かった。うん、もうスウェードの話はしたくないんだ。僕はスウェードでのキャリアを、本当に誇りに思ってるよ。でもさ……でも、もう5年も前の話なんだぜ?でも、ヨーロッパのプレス……特に英国のプレスは、事あるごとにそんな昔の話に固執するんだよ。昔のことだけじゃない。スウェードが何百万枚もレコードを売ったとか、そんな話をするんだ!そんなの僕の知ったことじゃないのに」
●いや、だから、僕が訊こうとしてるのは——。
「(遮って)だってさ、このアルバムはスウェードのレコードに対する反撃でも何でもないんだから……。このレコードは明らかに、今までやってきたことと違うはずだよ。僕の人生の中の、新しい時代の節目にふさわしいものなんだ。歌詞的なアプローチの方法も、個人にすごくクローズアップしていったり、うんと突き放してみていたり、すごく一般的なことに基づいていたり、様々なんだ。そう、これは全て『僕』なんだ。すごく『僕』らしいレコードなんだよ。ここには、いろんな違った角度から『僕』が描かれているのさ。それこそが、僕が常にやりたいと思っていた���となんだ。うん……でも、まあ、君がこのアルバムの中の僕と比べてみて、スウェード時代の僕は居心地悪そうにしてた、と言うのも分かる気がするよ。確かにそうだったかもしれない(笑)」
●うん、そう。つまり、僕が「何故、居心地悪そうにしていたのかが分かった」と言ったのは、このアルバムを聴きながら、「ああ、これこそがバーナードが昔からずっとやりたかった音楽だったんだなあ」としみじみと感じたからなんです。
「ああ、もう本当にその通り。大正解だ。でも、そんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ」
●嘘?本当に?
「ねえ、『ボトム·ドロワー』って知ってる?結婚に備えて、女の子が嫁入り道具をしまっておくたんすの引き出しのことなんだけど。お父さんやお母さんが、お嫁に行くときに持って行かせたいものを、娘のために蓄えておいたりもするんだ。で、これは、そんな感じのレコードなんだよ(笑)。今まで大事に蓄えてきたものがギッシリ詰まってる。なかなか外にひっぱり出すことが出来なかったんだけど、絶好の機会を得て、ようやく陽の目を見ることを許されたのさ(笑)」
●(笑)なるほどね。それで、このアルバムを聴いて最初に感じたのは、ひとつが最初に言ったソウルフルな作品だということ。で、もうひとつが、70年代のソングライター達がやっていたような、すごく「パーソナルな息遣い」が伝わってくる作品だということなんです。
「へえ。なるほど。いいね」
●でも、自分自身の弱さや怖れをも包み隠さずに歌うのは、最初は戸惑う部分があったんじゃないですか?
「いや、僕は隠しだてしたりしないんだ。隠すものなんて、何もないからね。むしろ人間は自分を包み隠したりしないための努力をすべきだと思うよ。ほら、去年出たレコードの大半はマッチョで、アグレッシヴなギター·ミュージックばっかりだっただろ? なんかお高くとまってると言うか、人を下に見てるって言うか。『俺はグレイトなんだぜ!俺はお前らとは違うんだ!』ってね。でも、僕はそんな風に自分のことを考えたくない。それよりも、もっと繊細なものを表現したいんだ。人間関係のことや、離別や、誰かを失うことや、家族のこととかね。僕はそういうものを自分の内側にひたすら溜めているだけなんて好きじゃない。殻に籠りたくないんだ。溜まったら吐き出して、受け入れていかなくちゃ。どんなポジティヴなことも、ネガティヴなこともね。勇気を奮い起こさなきや。『何でこんなことが僕の身に起こったんだろう?』って理由を解明するんだ。それで『きっとそれは僕が物事の悪い面しか見てなくて、考え方によっては良い側面もあるはずなのに、それを見ようとしないからなんだ……』って気付くんだ。それは変化し得るものかも知れないんだから、リスクを負わなくちゃ。それが、このレコードで表現されている僕の感情というか、感覚なんだ。とにかく、このレコードはすごくパーソナルなものなんだよ。だから、どの曲が具体的にどの人について歌っているかは、言いたくない。僕に言えることは、『このレコードは僕の人生にすごく深く関わっているものだし、多分、みんなの人生にも何らかの関係性を持っているだろう』ということだけなんだ」
●なるほどね。実際、あなたは、これまで自分自身のことを「やせっぽちの、ギターを弾くしか能のない男」という言い方をしてきましたよね。でも、この作品さえあれば、そういった自嘲的な言葉で照れ隠しするのではなく、「僕には人を感動させることが出来るんだ!」と胸を張って言えるんじゃないですか?
「そうだね。僕はこのレコードをすごく誘りに思ってるよ。でも、特に、ここ10年くらいは男が怖れや弱さをさらけ出す、なんてことが受け入れられない状況にあるだろ?実際、僕が思うに、男は普通そういうことをレコードの中で表現したりしないんだよ。男っていうのは、いっつも叫び声をあげてなきゃならない。っていうか、いつでも強気で、男らしくて、荒々しくふるまわなくちゃならなかったりするんだ。でも、僕は、終始『俺はグレイトだ!俺は最高だ!俺の書く曲はどれもこれも素晴しいんだぜ!俺はこの世代で、いちばん優れたソングライターだぜ!』なんてふれまわるような人間には興味がないんだよ(笑)。自分の道をまっすぐに、ただ前だけを見て進んでいけばいいのさ。僕はその方がずっと強い生き方なんだと思ってる。実際、怖れや弱さをさらけ出す、って言っても、何もネガティヴで、悲観的な意味かりがこもっているわけじゃないと思うんだ。本当は、もっとずっとポジティヴで前向きなことだと思うんだよ。だって、ちゃんと自分と前向きに向かい合っているわけだろ?で、その先を模索するための一段階なんだからさ。勿論、これは僕の問題であって、他の人にも強要するつもりなんかないよ。でも、もしかしたら僕のレコードが他の人の考え方に影響を及ぼすかもしれないよね。その可能性もあると信じてるんだけど……。だから、このレコードっていうのは、マッチョでもなく、アグレッシヴでもない、でも、強くてしなやかな男の作ったレコードなんだ。前だけをまっすぐ見て、突き進んでいくだめのレコードなんだよ」
●マッチョじゃないってことで言えば、ヴォーカルという面についても、ニール·ヤングの「囁くような歌い方」があなたに歌う勇気を与えてくれたんじゃないですか?
「う~ん。囁く、っていうのはちょっと違うかな。でも確かに、ニール·ヤングみたいに、ヴォーカルではなくて、表現の一部として歌を歌っているような素晴しい人達っていうのは、技巧に凝らないよね。ビブラートも使いこなせなければ、音階もまともに取れない。でも、何故彼らの歌が素晴しいのかと言えば、ここから生まれたものだからなんだ(と胸をトントンと叩く)。それにいい音符が並んでいれば、つまり良いメロディがあれば十分なんだよね。でも、僕が勇気づけられているとすれば、やっばり彼のアティテュードなんじゃないかな」
●先ほど、70年代のソングライター的なパーソナルな思遣いという話をしたんだけども、逆に、あなたとしては英国人のソングライターに多いキャラクターや物語を設定する歌詞の書き方には、胡散臭いものを感じるんでしょうか?
「そもそもイメージを作り上げようとする点では、大英帝国こそ最も悪しき存在だと思うな。この国は、もう何千年もの間時間を無駄遣いしてる。国民はずっとそれに踊らされて、『大英帝国万歳!』ってやってきた。で、その思想みたいなものが、今の時代になってもずるずると国民の頭の中に残ってるんだよな。こんな小さな国に住んでるもんだからさ、アメリカにプレイしに行ったバンドなんて、すぐ大陸を征服したような気分になってしまうのさ。『俺達はすごい!』ってね。勿論、これは一般的な英国人の考え方であって、僕の意見というわけじゃないよ。僕はそんな考え方には反対なんだ。僕の両親はアイルランド人だから、この大英帝国的な思想は相容れないものがあるし。これがさっきも言った、アグレッシヴな考え方の根底になっているものなんだ。僕は、僕のレコードを聴いた人達にイメージの刷り込みとか、餌付けみたいなことはしたくないんだ。それよりも、このレコードを聴いてくれた人達と手をとりあって、暖かな雰囲気を感じて貰いたいと思ってる。僕は火になって、誰かを暖めることだって出来るはずなんだ(笑)。まあ、確かに、その英国的なソングライティングというのは、一種のシニシズムのようなものだよね。それと、幻想みたいなものを人はそこに見い出しているんじゃないかな。というのも、みんな退屈してるからね。退屈な生活、退屈なバックグラウンドを持った人達が、大勢ロンドンにやってくる。特にロンドン郊外からね。サリー州やケント州、サセックス州といった場所に生まれ育った若者達は、ロンドンに大都会の幻影を見てるんだよ。『ロンドンに行けばきっとエキサイティングなことが待ち受けてる』ってね。でも、僕もそうだけど、元々ロンドン市内で育った人達は、そんな幻想を持ってはいないからさ。でも、郊外で育ってロンドンに来た人達は、そういう幻想を持ってる。すごく奇妙な、ロンドンのアンダーグラウンド·シーンを発掘するのに執着するんだ。むしろ僕は自分のレコードには、退屈ならその退屈をそのまま表現したいと思ってる。下手な幻想を描くのではなくてね。まあ、こういうことはロンドンに限らず、世界中の大都会に共通する風土病みたいなものなんだけど(笑)」
●なるほどね。
「諸悪の根源は、あのブリット・ポップだった。まあ、中にはいいのもあったけど、そういう地味だけどいいレコードよりも、もっとくだらないけど華やかなレコードばっかりが売れて、そういう連中だけが大金持ちになっちゃったんだよね。ヴァーヴとか、レディオヘッドとか、そういう素晴しいバンドは黙ってベンチに座ってるだけだった。僕もそうだった。でも、最近になってやっと状況とクオリティが一致してきたように思うんだ。でも、やっぱりあの時代というのは、失望させられてばっかりだったよ。まるでロンドンのイメージー=ユニオンジャックの旗、赤い2階建てバス(笑)っていう、あのステレオタイプのイメージがそのままロンドンのミュージック·シーンに持ち込まれちゃったんだ」
●では、今も話に出たレディオヘッドのトム·ヨークのような人は、自分しか気が付かないような、自分自身や世界の問題点をえぐるように見つめて、それを克服するために創作に向かっていますよね。
「僕、彼のことが本当に好きなんだ。尊敬に値するね。レディオヘッドの曲を聴くと、いつでもついつい歌詞に目がいってしまう。歌詞カードを読む、数少ないバンドのひとつだね(笑)。でも、ああいうダウンな歌詞で曲がものすごく良いバンドって、本当に少ないと思う。そこが彼らのすごいところなんだ。曲がとてもいいから、その曲と詞の相乗効果が素晴しくて、詞そのものがまるで詩歌みたいに響いてくる。世界で最高のバンドのひとつだね。それは疑いようがない。興味深くて、曲が素晴しくて、声が美しい。そして、歌詞が本当にいい。自分達の過去を忘れて��まって、最初からビッグなバンドだったような顔をしないのがまたいいよね。彼らが最初にレコードをリリースした時、この国の誰も彼らに興味を抱かなかった。『ザ·ベンズ』をリリースした時だってそうさ。でも、半年経った頃に、ようやくみんながあのアルバムの良さに気付き始めた。ファッショナブルだとさえ言われるようになったんだから。最初は誰の目にも留まらなかったものが、今では10年来の傑作レコードにまで成り得たのさ。その辺が、僕が『ロンドンのミュージック·シーンはクズだ』と言う所以なんだよ」
●ところで、あなたのソングライティングについてもうちょっとお訊きしたいんですけど、やはり今作に収められた作品のソングライティングの過程というのは、自分自身の弱点やダークな部分と向き合って、それを克服していく過程でもあったんでしょうか?
「うん、そうだね。ただ、向き合って、というのは確かにそうだと思うけど、克服っていうのはちょっと違うな。克服というよりも、『ポジティヴなやり方で自分自身を表現している』と言ったほうが適切だと思う。僕は決して紙と鉛筆を持って、じっくり腰を据えて曲を書くようなタイプではないからね。ただテープレコーダーを回して、思いついたフレーズをランダムにそこに放り込んでいく。アイディアをとっ散らかったままとにかく録っておくのさ。頭の中はいつも混沌としていて、いろんな考えや感情がぐちゃぐちゃに渦巻いている。それを簡潔な言葉で説明することなんて出来ないはずなんだ。なのに、一旦レコードになると、ちゃんと簡潔にその意味がまとまっているんだよね。自分でも不思議でしょうがないんだけど(笑)。それで、レコードをじっくり聴き直してみて、ようやく自分自身の考えていたことが解ったりするんだよね。曲作りは、本当にそんなふうな自然発生的なものなんだ。予めプランを立てておくことなんて出来ない。いや、出来たらどんなにいいか、って思うんだけどね(笑)。だけど、やっぱり駄目なんだよね」
●では、今回、ソングライティングの過程で、本当の自分自身と向き合う時、最も苦痛を伴ったのは、具体的にどんな部分だったか数えて下さい。
「そうだな……僕の父親についてのラインを書いている時かな。このアルバムには、全体を通して僕の家族についての描写がたくさん出てくるんだけど、時々胸が苦しくなったりしたね。タイトルや、そういったフレーズに引用されているのは、妻との会話や、何年も前の僕の家族との対話だったりするんだ。まあ、中にはテレビの中の会話からとったものもあるけど(笑)。僕は、基本的に、そういう具体的な会話を引用するのが好きなんだ。政治的なメッセージ性のあるタイトルなんて付けたくないからね。僕は本を読まないからさ。知識なんかよりも、もっと自分のイマジネーションや、頭の中にあるもの、感覚的なものを大切にしたいと思ってるんだ。とにかく、家族のことを曲にするのは、いつでも苦痛を伴う作業なんだ。でも、そこにこそ僕のエモーショナルな部分がいちばん生かされているとも思うし、ポップ·レコードに、もっと深い感情を与えてくれる存在でもあるんだよ。それに、父親や、祖父や、先祖の思い出は僕に残された遺産だと思うんだ。で、その遺産を僕も残していきたいと思ってる。そう、運命みたいなものだね。それに自分なりに折り合いを付けていくのは、エキサイティングなことでもあるんだ」
●実は、この作品を聴いて、かつてあなたがあなたのお父さんについて語った素晴しい言葉を思い出したんです。「自分はごく平凡なとても素晴しい人をひとり知っている。君達にはなんの意味も持たないかも知れないけど、僕にとってはとても大切な人だった。その人はとても幸福な当たり前の人生を生きて死んだんだ」って言葉を。
「ああ、そうなんだ……うん……彼はね、そう、とても平凡な人だった。ごくごく当たり前の人生を送っていたよ。人生を通して、何か特別なことをしたわけじゃない。9時から9時まで退屈な場所で働いて、夜は毎晩テレビを観て、お金の工面をして、ごくまともな死に方をしたんだ。特別に楽しいことがあったわけじゃないんだろうけど、月明りの頃……死の直前にはそれなりに残りの人生をエンジョイして死んでいったと思うよ。その父の思い出がレコードをリリースすることによって公になってしまうのは、僕にとってちょっと哀しいことでもあった。でも、それと同時に、彼の思い出を公にすることによって、僕自身の存在を証明出来たような気がするんだよ。僕自身がここに居る、その事実と理由をね。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくはない。そんな思いを彼の思い出がサポートしてくれるのさ。そう、父はとても博識で、機転が利いていて、ウィットに溢れた人だった。でも、誰も声を大にして、彼にいい仕事にありつく機会を教えてはやれなかったんだ。君や、僕のようないい仕事にね。まあ、これって世代的な問題でもあるし、それだけのことなのかもしれないけどね」
●うん。でも、このアルバムさえあれば、あなたは彼の遺志を継いだ、素晴しい息子だという証明が出来ますよ。
「(笑)そうだね。父がそう思ってくれることを願うよ」
●先行シングルの“ステイ”は、どこかお父さんに捧げられた部分もあるんじゃないかと思ったんだけど。
「いや…… 。特にそういうわけじゃないんだ。でも、もしかしたら、潜在的にそんな思いもあったのかもしれないね。正直なところ、どういうふうに君に説明したらいいのか分からないんだけど。この曲は、『変化』について歌われたものなんだ。僕は、人が他人に『君は変わるべきだ』『君はもっと先に進まなくちゃいけない』なんて言ってるのを見ると、イラついてしまうんだ。だって、言われた方は、彼らが変わらなくちゃいけないことも、彼らが本当に先に進みたいと思っていることも、ちゃんと分かってる。それと同時に、そのことがどんなに難しいことかも分かっているんだから。でも、一日の終わりには、必ず『やっぱり自分は変わらなくちゃいけない』って思うんだ。それって、すごく絶望的な光景だと思うんだよね。変化の過程というのは、いつでも恐怖や失望を伴うものだし、違う場所に到達するのって、フラストレーションに常に苛まれるシチュエーションなんだよ。感情的にも不安定で、すごく傷つくことなんだ。実は、この曲のフレーズは、ちょうど僕がレコーディングに入る前に知人の女の子に言われた言葉でさ。彼女は僕が先に進まなくちゃいけないことも分かってるのに、僕にそんな風にばかり言ってて…おまけに、自分は進もうとしなかった。自分も前進しなきゃいけない、って分かってるのにさ。このことは、“ステイ”の前の曲 …なんだっけ、アルバムの9曲目」
●え~っと “ユー·ハヴ·ゴット·ホワット·イット・テイクス”ですね。
「その曲も、このことについて歌われたものなんだ」
●そうなんだ。なるほど。じゃあ、アルバム·タイトルにもなっている『ピープル·ムーヴ·オン』というタイトルは、そうしたあなたの人生における変化に対する認識が現われたものなんでしょうか?
「これも、もともとは毎日の対話の中から出てきたフレーズなんだ。でも、ちょっと違うのは、これは自分自身の対話というところなんだよ。『何でこんなことが起こるんだろう?』、『何でこんなことが自分の身に起こったりするんだろう?』という問いかけから生まれたものなんだ。自分の頭の中に渦巻いている、人生そのものに対する問いかけだね。このフレーズが最初に閃いた時、僕はウェストエンド(ロンドン中心街)で新聞を売ってたんだ。何年も前の話さ。で、人がただ、流れていく。流れていく。流れていく。土曜日の夜で、みんなはクラブに繰り出すために、流れていたんだ。僕は、それをじっと観察してた。自分勝手に彼らを批評してたわけさ。クラブへ向かう時にはお洒落して、皆すごくスマートに決めてるだろ? でも、帰りには口紅は剥げてるし、髪の毛はめちゃめちゃだし、あられもない格好になっていたりするんだ(笑)。そういう流れ行く人の立ち居振る舞いを、批評することだって出来るし、それを経験の一つとして自分に取り込むことも出来るんだ。そういうのって、ただの行きずりの人についても、大切な人についてもそれは同じことだと思うんだ。過去に一緒にプレイしたことのあるミュージシャンだって、一緒に仕事をしたことのある人だって、関係を持ったことのある人だって同じことさ。僕の中には、他人は自分の中を通りすぎて行く存在に過ぎないという思いがどこかにあるのかもしれない。勿論、その中には僕を救済してくれる人も、僕のイマジネーションをかきたててくれる人もいる。2度と会わない人もいる。「ピープル·ムーヴ·オン」というのは、人が自分の中を流れていく、まるで旅するように来ては去っていくシチュエーションをイメージさせるフレーズだと思うよ。このレコードも、そんな旅のようなものなんだ。色々な人や、色々な経験がこのレコードを通り抜けていくのさ」
●なるほど。で、このアルバム全編には「許し」が漂っていると思うんですよ。あなた自身、このアルバムを作ることで、憎しみや怒りという感情から解放されて、とっても清々しい気分になったんじゃないですか?
「いや、どうだろ……最初から『許し』があったというよりも、先に『評価/判定』があって、その結果から君はそう感じたんじゃないかな。勿論、ネガティヴな評価の場合もあるよ。で、そういう人間関係を自分の経験則として蓄積することが出来るんだ。そういうことだと思う。そう、それと『ビーブル·ムーヴ·オン』というタイトルには、もう一つ別の意味があるんだ。それは、『頼むぜ!動いていこうよ!』ってことなんだ(笑)。『進んでいこう、イマジネーションを最大限に使って、音楽に関する知識をうんと生かして、動いていこう、進んでいこう!』ってことなんだ。まあ、つまりは、レコードを作ろう、ってことなんだけど(笑)。スピリチュアライズドやレディオヘッドといったバンドは、それを本当に上手にやってのけたと思うよ。彼らはこの国の音楽的な財産にきちんと敬意を払いながら、全く同じことをやるということに、プレッシャーを感じてる。違和感を感じてるんだ。『お、これいいね!頂戴しよう』って上手く過去の音楽スタイルを取り入れながら、最新型のオリジナルを創り出しちゃうんだからね!すごく革新的だよ。こういうのを、アート·ワークって言うんだと思う。いろんな人から影響を受けて、それで今度は自分達がリスナーやオーディエンスに影響を与えてる。動き続けているのさ」
●うんうん。じゃあ、あと少しだけ。“ユー·ライト·ザ·ファイア"の穏やかなムードというのは、あなたの家庭のムードそのものの反映なんでしょうか?
「いや、というよりは、これは今現在の僕自身の状態についての曲なんだ。父が死んでから数年の間、僕は兄弟達と全然連絡を取り合っていなかった。でも、ちょうどアルバムの最後の曲のヴォーカル·トラックを録っていた時なんだけど、兄弟が僕を��タジオに訪ねて来てくれてさ。なんだかすっかり歳とっちゃったみたいに見えたけど、もうとても嬉しくてさ。つまり、レコーディングが一区切りついたところで兄弟が激励に来てくれたんだよ。その時っていうのが、すごく暖かな気分だったんだ。その後も、僕にも子供が出来て、兄弟にも子供が出来て、母が孫を見に来てくれて、良い時期が続いてる。すごく暖かくて、素敵な、ポジティヴな時間が続いていることを歌っているのさ」
●うんうん。でね、ちょっと気になったのは、このアルバムを聴く限り、あなたってちょっとジェラシーが強すぎる男性なんじゃないかな?って。
「ジェラシー?いや、僕としてはそんなことないと思うけどな。良く分からないな、その質問は」
●OK。じゃあ、ここ数年のあなたの活動を見て、最もやきもきしていたのは、あなたのワイフなんじゃないかと思ったんだけどーー。
「え、どういうこと?彼女が僕の音楽活動を気に入ってなかったってこと? それとも、全然働いてないことを怒ってたかってこと?」
●違う違う!だって、ここ数年、音楽活動の面であなたは色々と紆余曲折してたじゃない?
「ああ、分かった。そういうことか。うん、僕の奥さんはね、すっごく素敵な女性なんだよ。アハハハ。いやいや、とにかく、音楽のことに限らず、色々心配はかけてると思うな。僕は結構肝心なことを言わなかったりするもんだから、彼女はそれをどうにか理解して、問題を解決しようと努力してくれてるんだ」
●じゃあ、“ユー·ジャスト·ノウ”は、彼女との関係の中から生まれた曲なんでしょうか?
「そう、僕は彼女のことを何でも知りたがるからね、まるで子供みたいに(笑)。というより、彼女が僕を理解してるのかどうかを知りたがってしまうんだ。ほら、子供って何でも根掘り葉掘り訊きたがるだろ?『どうしてそんなこと知ってんの?それってどういうこと』ってさ。小さい時には誰でも、『なんで今夜サンタクロースが来るなんて判るのさ?���って両親につっこんで、困らせたりするじゃない。もちろん親はそれには答えられないんだけどね(笑)」
●でも、それって、あなたがジェラシーの強い人だってことも関係してるんじゃない?
「ああ。なるほど。それは良い見解だね(笑)。そうか。そうなのかも。ハハハ」
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straycatboogie · 8 months
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2023/09/07
BGM: hi-posi - ジェニーはご機嫌ななめ
今日は早番だった。仕事が終わったあと図書館に行く。昨日話題にしたバートランド・ラッセル『幸福論』を借りようかなとも思ったのだけれど、なぜか二の足を踏んでしまい結局今日は多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』と柄谷行人『漱石論集成』を借りる。思えば夏目漱石の小説を「ぜんぶ読んでしまいたい」「『吾輩は猫である』から『明暗』まで読み尽くしたい」と思ったのがいつの頃だったか。たぶん10年ほど前に思い立ったのだと思うけれど(いや、20年前だったかもしれない)、結局いまに至るも完読はできていないのだった。漱石1つとってもそんな有り様なので、この世にはぼくの知らない本・読めてない作品が数多と存在するという事実には常に謙虚でありたいと思っている。ただ最近、歳を取ってしまって自分の好みが変化してきたのを感じたりもしている。一度読んだことのある本にもう一度浸って安心したい、と思ってしまうようで、だからなかなか見たこともない未知の本に手が伸びないでいるのだった。好みが保守的になったのかどうなのかわからない。既知の本、すでに読んだことのある本でも(言うまでもないけれど)読み返すと新たな発見がある。そうした「再発見」の醍醐味がわかってきたのかもしれない。
未知の本ということで思い出した。ぼくは実を言うと40代になってはじめてドストエフスキーを読んだのだった。40代で、だ。それまでもドストエフスキーは読まなければならないと思って、でもページを開いて活字を読もうとしてもぜんぜん頭に入らず途方に暮れたことを思い出す。その経験から考えるに、ぼくは「いつどのような本とどのような出会いをするかはその人の人生次第である」と思っている。ゆえに40代どころか、50代や60代でドストエフスキーに出会おうがそれはその人のかけがえのない人生経験になりうる。だから、それを決して「遅すぎる」と恥じる必要などないのだ、と。世の中には一定数(いったい何が楽しいのかわからないけれど)優越感に浸りたい人というのがいて、そういう人が自分の読書経験からあれこれ「まだ読んでないのか」「いったい何やってきたんだ」と人を攻撃したりするものなのだけれどぼくはこれは端的にナンセンスだと思う。どんな本をいつ読もうが自由であるべきだ、とぼくは信じる。それがぼくのようにフェルナンド・ペソア『不安の書』であろうが、あるいは『はだしのゲン』や『チェンソーマン』であろうがかまわない。本を読むとはそんなふうなアナーキー(?)で自由自在なものだ。
ところで、こうして書いてきてぼく自身がこれまで自分の人生の中で「愛読書」として楽しんできたものは何だったんだろうと振り返ってしまった。思い出せるのはポール・オースター『ムーン・パレス』、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』や先に書いたフェルナンド・ペソア『不安の書』といった本である。今日、ぼくはXで「これからの人生で1冊だけ本を繰り返し読めるとしたら」というポストを見かけて、たぶん自分なら今後もそうした本と向き合って生きていくことになるかなと思った。無人島に行こうが、旅行をしようが自分は旅先でこれまで折に触れて読みふけった堀江敏幸『河岸忘日抄』やリルケ『マルテの手記』や、あるいはそれこそ漱石の『硝子戸の中』などを読み返すのかなあ、と……こうして好きな本についてあれこれ書いていると、何だか猥談を独りよがりに楽しんでいるような気恥ずかしい気分になってきた。本とのつきあいとは個人的なものだ。ぼく自身の懊悩・煩悩を本にぶつけて、そこからパーソナルな対話を行う。それが読書だ。それでいいのかな、とも思っている。別の言い方をすれば、ぼくは読書の趣味を自慢したいとは思わない。自慢するにはぼくの読書はあまりにも個人的な、せせこましい作業である。
夜、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。今日のミーティングではこの市で英会話を楽しめるところについて情報をシェアしあった。そうした施設・教室はないわけではないが授業料高価で、なかなかワンコインで楽しめるところがない……と。そこから、ぼくたち自身がZOOMか何かで教室を開くことができたらという話題にもなった。別段ネイティブの先生でなくてもいい、日本人の先生でもいいので(場所はオンラインで)開けたらと。ふと、Discordかどこかで英語を教えた経験のある人にこうしたことがらを相談できないかとも思ったりもした。教室を開くのが無理なら、英語でチャットを行うカフェを開くのはどうかというようなことも……その後、clubhouseやDiscordでチャットに興じた。寝る前に柄谷行人『探究II』を少しかじる。「この私」について、「自分は特別ではない」けれど「かけがえのない存在である」という微妙な事実について考えさせられる。上に書いてきたことをなぞれば、ぼくの人生は「ぼく自身にとって大事なもの」である。たとえそれが「なんら特別なものではない、ありふれたもの」であるにしても、だ……こんな当たり前のことをうんうん唸りつつ考えているのがぼくというどん臭い人間なのだった。
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lvdbbooks · 1 year
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*2023年1月8日再入荷しました。
2022年11月26日
【新入荷・新本】
Mikiko Hara Small Myths, Chose Commune, 2022
Softcover. 104 pages. 230 x 270 mm. Color.
価格:8,250円(税込)*サイン入りサイン入りは完売しました
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日本人写真家、原美樹子の作品集。電車に乗っている青年、手をつないだカップル、公園で遊ぶ少女など、目の前を通り過ぎる人々を独自の手法で密やかに撮影している。シャッターを押すとき、一瞬被写体と目が合うこともあるが、対峙して言葉を交わすことはない。にもかかわらず、これらのポートレートは、作者と被写体が「その時にその場所にちょうど居合わせる」と��う見えない約束で結ばれているかのように、限りなくパーソナルな何かが表出している。
作者の撮影におけるアプローチは、日常生活の記録にしっかりと根ざしており、シンクに置かれた切り花、冷蔵庫の中のイチゴのショートケーキ、床でうたた寝する3人の息子など、親密な生活空間の中にまで広がっている。母であり妻でもある「写真家」の眼差しは、外から内へ、公から私へと行き来する。どこにいても、作者は観察し、人生の断片を物語る。
本書は、1996年から2021年までの未発表写真を、版元である「CHOSE COMMUNE」と作者の共同で選定してまとめられた1冊。
(twelvebooksによる本書紹介文)
Mikiko Hara has her own way of secretly capturing the strangers who cross her path: a young man on the train, a couple holding hands, a little girl playing in a park… Sometimes their eyes meet briefly as she presses the shutter, but Mikiko Hara does not exchange with her subjects. Yet, these portraits reveal something infinitely personal, as if the photographer and her subjects were bound by an invisible pact: being in the right place at the right time.
Mikiko Hara’s approach, firmly rooted in a documentation of every- day life, extends in the intimacy of her living space: cut flowers in the sink, a strawberry shortcake in the fridge, her three sons dozing on the floor. The eye of the photographer, who is also a mother and wife, moves back and forth from the outside to the inside, from the public to the private sphere. Wherever she is, Mikiko Hara observes and tells stories like fragments of life.
At the initiative of the publisher – who made the selection in collaboration with the artist – these unpublished photographs from 1996 to 2021 have been assembled in this book, entitled Small Myths.
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kasumime · 1 year
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深夜のカウントダウンイベント後、終夜運転で電車を乗り継ぎ吉祥寺の懇意にしているバーへ出向く。0時丁度にこそ居なくとも、かれこれ5年は元旦の夜をこの店で過ごしていることになる。懐かしい常連の面々と一年の中で最も多く再会でき喜びを分かち合う反面、今年は自分がこの店に訪れる頻度が落ちたのも相俟って見ない顔の方が圧倒的に多く、加えて店長からはこの子は19の頃から通ってる古参だからと自分より若い客に紹介され、時間の流れをほのかに寂しく感じる瞬間でもあった。
あの頃は本当に「地に足がつかない」という言葉がお似合いのフラフラ放浪娘だった。両親の期待から背いて専門学校を辞め、中野のシェアハウスで家賃を折半しながら夜から朝まで近所のバーで働く。たまに高田馬場にあるスナックへも出勤していた。飲食業に就きたいと思いながら、気弱でマルチタスクが苦手な自分には性に合わず、他の場所ならとバイト先を転々として環境を変えては粉砕した。今より金がない癖に酒の飲み方だけは一丁前だった。それは当時から自分を見ていてくれた年配の常連にも伝わっていたようで、当時もその危うさが魅力の一つだったけれど今の君は自信に満ちていてこちらが安心するよ、と伝えられた。確かに、当時の覚束ない足取りでなんとか前に進もうとする危なっかしさはあの頃境地に立たされていた(実際には自分で選んだのだけど)からこそ醸していたオーラだった。守られないと死んじゃう兎みたいな。多分今の仕事に就いたことが繭を突き破らせてくれた確たる証拠なんだと思う。それが他人の口から伝えられることは素直に喜ばしいことだと思う。
長年好意を寄せていた人と一年以上振りに会話をした。5年前のインスタグラムの投稿には「きっ��付き合うことはないけどたくさん話せて幸せだった」と書いていて幼かったなと思う。いつもどんな顔で会話したらいいのか分からないが故に変に緊張して吃る癖があるけど、昨夜は至って平常心、むしろいつもは会話の主導権を彼に握らせられるけれど、昨夜に限っては自分がリードしていてどこか勝ち誇った気になった。
周囲の客の会話のレベルと年下のスタッフが店のBGMの代わりに流す適当なヒップホップのプレイリストが唯一気に食わなかった。本人は面白い返し、だと思っているのかもしれないけど多分いや確実に自分の方がベストアンサーとしてのレスポンスができると思うし、ありふれたリリックを垂れ流すイケイケラッパーよりも(いくら専門外とはいえ)さすがにもっと良いヒップホップのナンバーを知ってる。自分と彼は6個違いだけど、敬語は遣わない上にお互いのパーソナルな部分を理解しているからこそ痛いところをわざと突いたり逆に受け身になったりしている。拾ったゴミ1つで三分間笑える、そんなところが彼を好きだった部分であり、今も恋愛感情を抜きにして居心地の良い人だと感じる所以だと思う。
店を閉めて朝の7時前に毎年恒例の初詣へ行く。初参加のメンバーも多く、繰り返しになるけれど自分がこの店の中だけで見ても大人になっていることを感じて少し歯痒い。当時は可愛がられていたけど可愛がる側。20の頃に散々奢られたウイスキーやビールの数々は「俺の年齢になったら下の子へ奢るように」と言われて貰ったもの。バーで過ごす作法以外にも、世間知らずな当時の自分には教えられたことが非常に多い、だからどこへ引っ越してもせめてイベントの時だけはと予定をこじあけて足を運んでいる。
初詣で引いた御籤は中吉。可も不可もなく縛らずに鳥居の外へ。右手を見ると目に眩しいぐらいの初日の出が燦々と光を放っていて元旦の朝を感じた。コロナ前はこのまま八幡近くのカラオケ屋へ雪崩込んでいたけど、今回を含めここ数年は解散して各々帰路へ。10人ぐらいは同行していたはずなのに、井の頭線に乗って帰る組は自分と彼のたった2人だった。あーそうか、皆近いんだねと言って乗車し隣同士に座る。社会人どう?と唐突に聞かれたので、迷いなく今が一番楽しいよと答えた。今年の抱負を語り合って先に明大前で降車。よいお年を、えっ今?よいお年を、と交わしたところでドアが閉まる。おそらく今後も進展はないままで、お互いにお互いの選んだ人と結ばれるんだと思う。それでもこの距離感がどうにも愛おしくなるし、この瞬間のために小さな成功体験を日々重ねていられるように努力しているのかもしれない。ちなみに自分が伝えた今年の抱負は「ジョジョを全部観終える」だった。良いお年を。
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rikuyoshizawa · 2 years
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ahjdaily · 10 months
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INTERVIEW: アルバート・ハモンドJrが語る人生の転機、ザ・ストロークスとフジロックの記憶 (Rolling Stone Japan)
Hiroko Shintani |2023/07/05 18:10
This interview is solely in Japanese. For an English-translated version of the website: click here Please note, the translation may not be not entirely accurate.
For archival purposes, full text is stored below.
ザ・ストロークス(The Strokes)のフジロック出演を前に、メンバーの中でもひと際ソロ活動に情熱を傾けてきたアルバート・ハモンドJr(Albert Hammond Jr.)が、5枚目のアルバム『Melodies On Hiatus』を送り出す。計19曲に及ぶダブル・アルバムにして、ラッパーのゴールドリンクを始めとする多数のゲストの参加など新しい試みを積み重ねた本作を、「自分の人生そのもの」と位置付ける彼。輝かしいメロディが生きた時間の重みを颯爽と運ぶ、そんな会心作のメイキングを辿りつつ、ザ・ストロークスのレガシーについてもフランクに語ってくれた。
溢れるメロディ、新たな試み
―前作『Francis Trouble』を2018年に発表してからの5年間に、世界はパンデミックに見舞われる一方、あなた自身にも色んなことが起きました。父親になり、そして生まれ故郷のLAに戻ったんですよね。
アルバート:そうなんだよ。ただ『Melodies On Hiatus』には引っ越す前に着手していて、『Francis Trouble』とザ・ストロークスの『The New Abnormal』(2020年)を完成させると、すぐに新たな曲作りを始めた。そのセッションのためにニューヨークとLAの間を行ったり来たりした挙句に、2019年8月に正式に引っ越したんだ。それまで21年間ニューヨークで過ごしたわけだけど、思えば本当に忙しくて旅ばかりしていたんだよね。で、長いツアーを終えて都会の真ん中に帰ってきてもちっとも休養できないから、一時はニューヨーク州の北部の田舎に移り住んだ。実際、自然豊かな素晴らしい場所で、今もあの生活は懐かしいよ。ただ、空港から遠かったりしていいことばかりじゃないし、かといってマンハッタンに戻る気はさらさらなかった。マンハッタンで充分な広さの家を借りれるほどの金持ちじゃないから(笑)。で、ソロ活動に関してはマネージャーもバンドもみんなLA在住で、妻の友達も大勢いるし、こっちで過ごす時間がどんどん長くなって、生まれ故郷だからこそ今まで抵抗を感じていたのに、ここにきてエキサイティングに思えるようになったんだよ。大いに活力を与えてくれる場所だし、ライフスタイルもしっくりくる。俺は体を動かしたりするのが大好きだから、そういう意味でもLAが合っているんだろうね。
―2019年に着手したとしたら、本作は完成まで随分時間がかかりましたが、当初からダブル・アルバムを想定していたんですか?
アルバート:いや、そういうわけじゃなくて、とにかく次から次へと曲が出来て、20曲のデモが手元に揃った時点でようやくストップした。まだインストの状態だったから、20曲分の歌詞をこれから書かなきゃいけないってことにふと気付いたんだ、「まずいぞ」ってね(笑)。ただ今回はデモのヴァイブがすごく良くて、「デモのままにするっていうのはどうかな」と思い付いた。デモを元にバンドとレコーディングし直すのではなく、逆にバンドを解体すると言うか。ドラムマシーンを使って、主にコリン・キラレア(前作にも参加したマルチ・インストゥルメンタリスト、今回もギターやベースを担当)とふたりでプレイした原型の状態に留めておいて。
―そうだったんですね。興味深いのは『Melodies On Hiatus』(メロディは休止中)というタイトルです。今まで以上に素晴らしいメロディに溢れたアルバムだけに、全くもって矛盾していますよ。
アルバート:うん、その通りだ(笑)。
―なんでまたこんなタイトルに?
アルバート:曲が全部完成する前に、かなり早い段階でタイトルを決めてしまったんだよ。良くも悪くも俺は直感で決断を下すタイプの人間で、「これはいいな」と感じたら即決する。あれこれ調べたり、考え込んだりするのは好きじゃない。で、ある日“melodies of hiatus”という言葉がふと頭に思い浮かんで、“カッコいいタイトルじゃん”って思った。誰かがしばらく姿を消していた、というようなイメージに惹かれたんだよ。それにさっきも言ったように、今回はアルバム制作のプロセスそのものを再考して、バンドの解体に取り組んでいたから、「従来の音楽作りの方法に別れを告げるにはピッタリかもしれない」と思った。
でも、うん、今となってはバカげたタイトルだと自分でもわかってる(笑)。だって、メロディこそは俺がハマっているドラッグであり、メロディとリズムとハーモニーをどうバランス良く絡み合わせるかっていうことを追求し続けているわけだからね。例えば、ジャムでカッコいい音を鳴らすバンドを観ているのは楽しいんだけど、これでもか!ってテンション満々に圧しまくるのなら、どこかでそのテンションを緩めて解放してくれないと、聞き続けるのが辛くなる。俺の場合、テンションとリリースの反復を追い求めているところがあるんだ。だからこそメロディを諦めちゃったかのような印象を与えるタイトルにするなんて、笑える話だよね。俺の魂が休暇を取ってどこかに行ってしまったみたいな(笑)。
コラボレーションの収穫
―他方で、もうひとつぜひ伺いたかったのが、共作者のシンガーソングライター、サイモン・ウィルコックスのことです。全面的に共作者を迎えるのは初めてですが、今までの歌詞の出来に不満があったんですか?
アルバート:そんなことはないよ。共作は過去にもやっているし、今回はやっぱり曲数が多過ぎて、歌詞を書く段になって途方に暮れていた。そもそも俺にとって歌詞の優先順序は低くて、音と言葉が合致するのが理想ではあるけど、音こそ自分に響く部分なんだよ。若い頃からそうだった。音楽を聴いていて、そのミュージシャンが何を歌っているのかってことにはあまり興味を抱かなかった。というか、完全に音と言葉が合致している時は、ある意味で言葉を意識しない。音に溶け込んで流れていて、それって素晴らしいと思う。そしてじっくりと耳を傾けてみると、「へえ、面白いことを歌っているな」と驚かされたりするんだよ。だから歌詞は重要だし、軽んじているわけじゃない。俺の強みは別のところにあるというだけ。タイトルとか、決め手になる1行を思い付いたりすることは自然にこなせる。例えば「Old Man」を書いた時は、最初にボイスメモでメロディを録音した時に、ふと“My old man”という言葉が口をついて出た。そういうのは得意なんだ。
ただ、20曲分の歌詞を書くとなると話は別で、当初は5〜6人の友人に声をかけて手分けして共作しようと企んだものの、うまく行かなかった。その後サイモンと出会って、自分はまさしくこういう人を求めていたんだと確信したよ。昔から共作された音楽を聴くのが好きで、クリエイティブなことは何でもコラボレーションによって成立すると考えていたしね。サイモンみたいに、俺が言いたいことを深いレベルで理解して、自分とは対照的な立場からバランスをとってくれる人と巡り合えて、本当にうれしかった。
―具体的にはどんな風に作業を進めたんですか?
アルバート:さっき「Old Man」を例に説明したように、俺はデモを作る時に、必ず適当な言葉を口ずさんでいるんだよ。その状態でサイモンに聞いてもらった。だから言うなれば、自分自身を非常に粗削りな形で彼女に提示したわけだ。そしてふたりで長い時間をかけてじっくり話して、サイモンはその会話を踏まえて、デモに載っている言葉の周囲に独自の世界を構築してくれた。これらの曲を聴いていると、彼女が僕に向かって語り掛けているかのような気分になる。すごく興味深いよ。
―そして、作詞の作業を他人に委ねたにもかかわらず、結果的には「自分の人生そのもの」と評するくらいにパーソナルなアルバムになったわけですね。
アルバート:うん。このアルバムって、子どもの時にキンクスのベスト盤を聴いていた感覚に重なるんだ。60年代後半から70年代を経て80年代にかけてのバンドの歩みを辿っていて、その間に起きる変化がすごく好きなんだよね。それとどこか近いものがあるように感じる。自分が今までに聴いてきた様々な音楽を網羅しているというか。じゃあ果たしてそれを意図していたのかと問われれば、俺にはわからない。
何かをクリエイトしている時、楽器をプレイして曲を形作っていく時には、色んな段階を踏むよね。例えばひとつの小さなアイデアを直感を頼りに膨らませていく最初の段階では、とにかくこう、砂場に飛び込むようにして遊びまくるのが得策なんだ。バカげたことを試したら、たまたまクールなものが生まれて、それがさらにシリアスなものへ進化するかもしれない。あれこれ手を尽くして、自分をビックリさせるようなことをやろうとするものだし、そこに計画性はない。俺はいつも曲を書いてボイスメモに録り貯めていて、中にはいい出来の曲も、まあまあの出来の曲もある。そして数カ月経った頃にまとめて聴き直して、「これは可能性がありそうだ」と感じる曲を絞り込んで、手を加えるんだよ。結局いじり過ぎてフランケンシュタインみたいな代物になることもあるけど、とにかくマッド・サイエンティスト的に、自分が何をやっているのかわからないまま精一杯取り組むしかないし、最終的にどこに辿り着くのかわからないんだよ。
―じゃあ、ふたりで書いた歌詞の中で、一番心に刺さったものを選んでもらうというのは難し過ぎるでしょうか?
アルバート:そりゃ大変だ。今歌詞を手元に用意するよ……えっと、まず「100‐99」の“I’m not safe/ I’ve made mistakes I would again/ In spite of what it cost me(俺は安泰じゃない/過ちを繰り返してきたし今後も繰り返すだろう/多くを犠牲にしたというのに)”はまさに、俺の人生の物語そのものだ。だから聴くたびに突き刺さるものがある。それに、ごくシンプルな1行がぐっとくるんだよね。例えば「Libertude」の“I’ve been alone for such a long time(長いあいだ俺は独りぼっちだった)”だったりね。言葉だけを切り取るとどうってことないかもしれないけど、メロディを伴った時にどんな印象を与えるか、曲のどのタイミングにその言葉が配置されているか、その言葉が何を解き放つのか、そういった条件によって意味合いが変わって、すごくパワフルになる。あと、「False Alarm」の“We’ve both been shadows down the well(ふたりは井戸の奥底にある影だった)”も好きだし、「Never Stop」でサイモンが作り上げた物語も最高だよ。当初そのアイデアを聞かされて「なんだそりゃ」って思ったけど、好きに書いてもらった歌詞を読んだら、予想していたものと全く違って「最高じゃん!」と思った。
それから、レインズフォードことレイニー・クオリーがボーカルを担当した「Alright Tomorrow」は、声域が足りないから絶対に自分では歌えないとわかっていながら書いた曲でね。だからこそ、ララバイみたいな内容の歌詞を彼女が歌ってくれるのを聴いていて、すごく心に沁みた。“明日になればなんとかなる”と、まるで俺に言い聞かせているみたいで。以前から、“何があろうと構わない、明日になればなんとかなる”と言ってみたかったけど、自分ではなかなか書けなかったんだよ。ほかにもあちこちに、話しかけられているかのように感じる言葉があって、サイモンがそう意図したのかどうか分からないけど、「Darlin’」の““I needed you to be the edge I hold onto/ Cause its far to fall, when I been feeling small(お前には俺が掴まれる崖っぷちになってほしかった/自信を失っている時は深い場所まで落ちてしまうから)”もそうだね。歌詞を書き終えるまで実際に会うこともしなかったし、初めてコラボしたというのに、不思議な話だよ。クリエイティブな意味で、お互いを必要としていた時期に知り合う機会に恵まれたんだろうな。次は、ふたりでほかのアーティストに曲を提供しようっていう話もあるし、ここにきてまたひとつ、素晴らしい人間関係が俺の人生に加わったよ。
ザ・ストロークスのレガシーへの想い
―ゲストについても気になる名前が並んでいますが、特に豪華なのが「Thoughtful Distress」であなたが集めた、世代をクロスオーバーするスーパーグループです。80年代に数々の名曲にフィーチャーされた名ギタリストのスティーヴ・スティーヴンス、アークティック・モンキーズのマット・ヘルダーズ、最近はパニック!アット・ザ・ディスコやインキュバスでプレイしている辣腕ベーシストのニコール・ロウが参加していますね。
アルバート:本当にクールなメンツだよね。こういったことは得てして、オーガニックに実現するんだ。そもそも「Thoughtful Distress」は前作のために作った曲のひとつで、なんで復活させようと思ったのか自分でもよくわからない(笑)。ただすごく気に入っている箇所があったから、逆に気に入らない箇所をカットしてみたら、残った芯の部分は捨てたもんじゃなかった。それでタイラー・パークフォード(ミニ・マンションズのキーボード奏者兼シンガー)と一緒に改めて肉付けしたんだ。で、どういうわけか、この曲はデモっぽくするんじゃなくてバンド形態でレコーディングしようと決めて、仲がいいマットに声をかけて、すでにほかの曲に参加してもらってウマが合ったニコールにも参加してもらった。スティーヴがギターを弾いてくれた経緯の記憶は定かじゃないけど、Instagramでフォローし合っていて知り合った気がする。連絡してみたらぜひやりたいって言ってくれたよ。さすがに畏れ多い人だから、まずはニコールとマットを交えて方向性を固めてから、スタジオに来てもらったけど(笑)。
―アークティック・モンキーズは言うまでもなく、ザ・ストロークスにインスパイアされて結成された数多くのバンドの一組です。昨年発表の最新作『The Car』での「Star Treatment」でアレックス・ターナーは“I just wanted to be one of The Strokes”と歌ったりもしていますが、例えばラジオを聴いていて、「俺らに影響されたのかな?」と感じることは結構あるんじゃないですか?
アルバート:もちろんあるよ。「この曲聴いてみなよ、すごくザ・ストロークスっぽいから」って友達がよく教えてくれるし、それは最近始まったことじゃない。メンバーが集まる時にも、雑談をしていて「〇〇のあの曲聴いた?」って話になることが多いんだ。例えば去年はハリー・スタイルズの「As It Was」が話題に上って、「ドラムビートが『Hard To Explain』にそっくりだよね」ってみんなで話していたっけ。「ザ・ストロークスの曲をポップ化したみたいな感じじゃない?」と。とはいえ俺は、マジになって自分たちがやってきたことを振り返って感���に浸るようなタイプの人間じゃないし、そういう曲を聴くとただ笑えるっていうか。それにアークティック・モンキーズに関しては単純に素晴らしいバンドだし、彼らが音楽をやりたいと思ったきっかけに、何らかの形で俺らが寄与したのであれば本当にうれしい。「あー。ちょっと待った、俺たちを引き合いに出すなよー」って言いたくなるバンドじゃなくて、アークティック・モンキーズで良かったよ(笑)。
―そして7月にはフジロックのヘッドライナーとして、ザ・ストロークスで日本に戻ってきてくれますね。ソロとしても2018年に出演していますが、過去のフジ体験を振り返って、何か印象に残っていることはありますか?
アルバート:ソロで行った時のほうが思い出が鮮明だと言ったら誤解を招くかもしれないけど、やっぱりザ・ストロークスは前回の2006年もヘッドライナーだったから、大勢で移動して、直前に会場に入って、プレイして、終わったらすぐ帰るという感じで、フェスそのものをあまり楽しめなかったんだ。唯一覚えているのは、ザ・ラカンターズが同じ日に出演して、ジャック・ホワイトとバッタリ会ったことかな。あれは楽しかったね。
その点、ソロの時はもっと余裕があって、苗場で一泊したんだよ。前日に行ってホテルに泊まって、翌朝から会場を歩き回って楽しんで、自分のライブをやって、ポスト・マローンと知り合って、ザ・ストロークスの大ファンだと聞かされたよ(笑)。だからと言って、ソロで行くほうがいいというわけじゃないんだ。バンドでも等しくエキサイティングだし、そもそも日本に行くこと、日本でプレイすることは大好きだから、毎回うれしくてたまらない。今回も俺は早めに行って、2〜3日ゆっくり日本で過ごすつもりだから、すごく楽しみにしているよ。
―ザ・ストロークスの新作についても伺っておきたいんですが、リック・ルービンが、昨年コスタリカでセッションを行なったことを明かしました。その後進捗はありましたか?
アルバート:えっと、その件については、何か隠してると思われかねないけど、現時点ではリックの発言にプラスできることは無いかな。
―わかりました。ちなみにザ・ストロークスのデビュー作『Is This It』のリリース20周年にあたる2021年頃から、盛んにあの時代を回顧する論評なんかが見られましたよね。ギターロックの最後の黄金時代と見做す人も多いようですが、当事者のあなたから見て理想化され過ぎていると感じますか?
アルバート:うーん、そもそも人間って、過去に起きたことは全て理想化しちゃうものだよね。過去はすなわち自分の青春時代であって、人々が言ってることが「理想化」に該当するのか、実際に素晴らしい時代だったのか、俺には何とも言えないな。みんなそれぞれ違う体験をしているから。それに人間は誰しも、20歳の自分に戻りたいと思うものだろ?「こんなことをやったな」「あんなこともやったな」と懐かしむのは無理もないことだし。
そして俺自身、もちろん時代の真っ只中にいた記憶はある。でも、バンド活動をするなら今のほうが遥かに状況はいいと思うよ。俺らが活動を始めた頃のシーンは最悪だったからね。ゴミ溜めみたいな海を泳いで、そこら中に浮いてるクソをかき分けながら必死になって水面に浮かび上がったんだ(笑)。全然楽しいとかクールとかっていうものじゃなかったし、今のほうがずっとカッコいいロックバンドが多い。そして聴き手も、アーティストたちとすごく緊密なコネクションを確立できているよね。それって昔はなかったことだし、今と違うからこそ昔を懐かしむのかもしれない。20年後にはきっと、今の時代を理想化しているんだろうね(笑)。
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manaplog · 1 year
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Thursday May , 11
こんがらがる程つぎからつぎへ色々あった日😇
でも昔から、わたし こういう時の方が頭がクリアになって冷静に的確に動けてると自称してる。
出社。きのう振り分けられた個人面談の学生15人と、一人ずつスケジュール調整するため、口頭で相談する前に先行してメッセージを送信。テキストだけだとみんな読み流しがちだから、画像をつくって母国語もつけた。寄り添ってるぅ。
そのメッセージ作成中、留学生保険の共済金振り込み完了のFAXを受信。
少しでも早く学生には返金対応してあげたいので、ぜんぶ中断して割り振り作業。
そうこうしていたら、10:30。
新入生のSIMカード購入に伴い、スマートピットの操作方法をおしえるためファミマへ同行。
終えたら別の新入生に、履歴書の記入方法レクチャー。那覇市って漢字はとってもむずかしいよね。
面接の練習を終えてわたしの名前を言いにくそうにしているから、はやく覚えてよ、と笑っていたら「先生の名前はながいです」と謎クレーム。
新入生をアパートへ返して、面談担当の学生たちが間も無く授業が終わるので資料が完成してなくて焦る焦る。
昨夜うまく茹でれた鶏胸肉を3切れ食べて、昼食終了。
13:00。
一人目の個人面談。こんな感じで良かったのかな、、と思いながらも今まで以上に学生のパーソナルなこと聞けて自分も嬉しかった。
進路、むずかしいよね。なやむよね。
VISAを更新する学生の資料をつくろうとしていたら、警察から拾得物の電話。学生が財布を落としていたそう。
15:10 警察署へ向けて出発。先月末に、愛車を東京へ送ったものだからしばらくは運転しないと思っていたけど余裕で毎日社用車のってる、、
付き添ったのは、おとぼけな可愛い学生。わたしからの電話で財布を落としたことに気づいたらしい。
16:20戻り。そろそろ締めの作業をしなきゃ。
今日やりたかった新入生たちの留学生保険と入管の登録作業を始めた途端、人間関係ピリついてる問題から「様子をみてきてほしい」とご用命。
すこし話をきいて、事務所へ。
17:00。掃除の時間。早あ。
お掃除おえて入管登録。コピー用紙発注。
やばい。今日の支出、入金、金庫計算が終わってなかった!!!
18:00 へろへろで退社。
久しぶりに好きな先生たち��人と帰れたの、嬉しかった。
梅雨入り前とは思えない爽やかな気候。ずっとこれがいいな。
明日もがんばれ〜。
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crnuo · 1 year
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うたの☆プリンスさまっ♪Repeat LOVE 来栖翔√感想文
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うたの☆プリンスさまっ♪Repeat LOVE 来栖翔くん√(大恋愛エンド)の感想文。
スタツア新規による初プレイ記録です。
ついに推し√に挑戦…始まる前はめちゃくちゃ緊張しました🥺
ざっくりした印象としては
・前半
翔くんのガキンチョ感にくすぐられる母性本能。同時に初恋を泥棒される
・中盤
Sクラスにゲラゲラ笑う
・後半
😭😭😭💗🫰
という感じで、翌日は心ここに在らずな1日を過ごしました。お陰でカミュ様の生誕祭に乗り遅れた。
そもそも那月さん√でも翔くんはちょこちょこ現れては好きでもない女に男気を見せてくれていたわけですけど、翔くん√(特に新学期)はその時想像していたよりずっと幼くてピュアで😭もーー!かわいい!
MEMORIALによると中学時代にも家来を募集しては玉砕していたらしく(愛しい🫶)、同じことをやってる12歳の翔くんも見たかった……もしかしてまだ身長140cmくらいだった?抱きしめていい?
帽子を許可してほしくて龍也先生にはいはーい!!🙋‍♀️って元気に質問してるのもいい子ちゃんでkawaiiし、自己紹介で自信満々に空手を披露する度胸もthe小学生 男子って感じでニコニコしちゃう。※翔くんは15歳
この幼さが恋愛対象外になるかというとそうではなくて、むしろこれこそが初恋泥棒たるゆえんですよ🥺遥か彼方の記憶のはずの小学校の校庭の砂の感触とか空気が蘇ってきたよ……※翔くんは15歳
人間の脳には「初恋」を司る場所があるのではないでしょうか。普段眠っていたそのエリアが翔くんのせいで覚醒した。
「うりゃ」っておでこにツンしてくれたこと、一生の思い出にするね💗(なにあれ?)(好き)
このゲームにおける彼の幼さのメリットはもうひとつあって、プレイヤーと男女関係ではなく王子家来ごっこをする”オトモダチ”として関係を始められるところですね。おふざけしながらキャッキャと無邪気に過ごしているうちに絆が深くなり、お互い成長していくという……そして少しずつ異性としても意識し出して……甘酸っぱ🥺💗
MEMORIALで幼少期のエピソードを読むと、もともとは泣き虫で不安から強がっていたんだね😭とわかる一方、母親に薦められた少年漫画やケン王の影響を受けて猪突猛進するところは多くの男子に共通する思考だと思うし、翔くんのこのリアリティと親近感がたまりませんね。自分の幼少期にも隣にこんな子がいた気がする幻覚というか。
12月頃には翔くんのガキンチョ感は薄れて情熱的な青年になっていくわけですけど、その理由は「恋をしたから」に他ならないわけですよね……最高か?こんな成長過程をリアタイで見せてもらっていいのですか?
クソガキちゃんが「男」に変貌する成長期がこちらの主食です。
音也くん√が少女漫画なら翔くん√は少年漫画だ!
そして、中盤からは普段Twitterでお世話になっている方々とスペースでお話ししながら進める、なんとも得難い経験をさせていただきました🙌
当然みなさんうたプリ歴では先輩プリンセス、しかも翔くん推しの方は1人もいなかったのにあたたかく見守ってくださいました、や、優し……😭
楽しくてハイな上、深夜〜明け方の時間に雑談をたくさん交えながらプレイしたので結局5〜10月の記憶が曖昧ですが(えぇ…?)、楽しかったなってことは覚えてます🫶
「翔くん√、だいぶ忘れちゃったけどロドリゲス🦁は覚えてます…☺️」って方がいて、私もばっちり覚えましたロドリゲスちゃん✌️
HAYATOさんの学園紹介はめちゃくちゃ笑いました。
そしてついに薫くん登場!存在しか知らなかったので、こんな男の子だったのかと感慨深い。
翔くん√では間違いなく薫くんがキーパーソンでしたね。那月さん√での砂月さんがそうであったように、過保護な親のようなポジション。砂月さんの場合は那月さんの”精神”を守るために登場したのに対し、薫くんは翔くんの”肉体”を守るために現れたというクラ組の対称性が良いです。
MEMORIALでは翔くんのお母様は治療費を稼ぐために海外を飛び回り年に数回しか帰ってこなかったと明かされて、そっかぁ…としんみり。
つまり薫くんも母親とはあまり一緒に過ごせずに育ったはずで、その理由が自分であることを知った時の翔くんはどんな気持ちだったのか。「兄弟はずっと一緒にはいられない」「自分の人生を犠牲にするな」と冷静にきっぱりと言える翔くんが偉いなと思うと同時に、相手のことを心から尊重できる立派な考えが確立するまでにどれだけの罪悪感を薫くんに感じたのかなと想像して泣きました。
幼少期を振り返るBeautiful Memories💿の翔くんの語りが大好きで何度も聞き返しているのですが
--⚠️ここからBeautiful Memoriesの内容ネタバレ--
翔くんが過去の自分に向けて「自分の身体のせいだと責めないこと」「無駄なことはなにひとつない」「なにより健康が大事だから自分のペースで頑張ってほしい」と声をかけていて……リピラブの翔くんを知るとよりこのメッセージにこめた実感が伝わってきて泣いちゃう😭
子ども時代の翔くんは、病院にひとりの寂しい夜も、涙する薫くんを抱きしめる時も、がんばりたいのにがんばれない時も、ずっと自分を責めていたんだなって。朝起きて看護師さんによしよしされた記憶が残るくらい、自分が泣いた日々も覚えていて(このエピソード泣いた)。
それでも卑屈にならず、強い自分を目指して空手でフィジカルもメンタルも鍛えて今の翔くんがあること、尊敬する。
そして薫くんが言ったようにリピラブの翔くんは「生き急いで」いることは間違いなくて、そのせいで周りが不安になって振り回されてしまうわけだけど、今の翔くんはそんな過去の自分に「無理せずマイペースで」と言えるんですね……リピラブの翔くんにはまだ言えないと思う😭😭😭
---ネタバレここまで---
本編中盤の話に戻します。
リピラブ、音也くん→那月さん→翔くんの順にとりかかったので今回は初めてのSクラス√だったわけですが、トモちゃん率いる青春全開仲良しAクラスとは雰囲気が違って面白かったです。
特にレンくんとトキヤさんが翔くんに辛辣な点はスタツア新規勢としては新鮮でしたね😳2人とも結構冷たい……
特にレンくん、身長や恋の奥手さについて、完全に男として翔くんを見下していて失礼だぞッ🤚
トキヤさんもトキヤさんで、レンくんを嗜める体をとりながらも「身長低くて哀れだな…」って本心が滲み出ていてひどいぞ!
お馴染みの水球大会ではレンくんの真斗さんへのウザ絡みにみんなでクスクス笑ってしまいました。あとトキヤさんって結局運動苦手なの?得意なの?どっちなの!?とざわつきました。
それにしても翔くん、レンくんの軽率さに警戒して結構強い言葉をかけていて、レディレディで翔レンの民にもなった身としては2人のピリピリした関係性はかなり意外で新鮮だったし正直興奮しました
でも怒ってる理由が「レンに泣かされてる女子何人も知ってるからさ……」なの、翔くん優し😭😭大好き😭
そしてここで「なんでもかんでも恋愛に結びつけるな」「お前と一緒にするな」とレンくんに怒る翔くんを見て、翔くんの、信頼関係を重視する価値観にとても感動した……そういうところ好き…やっぱり翔くん√はベースが友情(相棒?)なんですよね………
そしてこそばゆいちゃんの活躍。
林檎先生の指導を受けながら真剣に女の子モデルとしての仕事に取り組み、女装アイドルの道すら視野に入れていたという事実に衝撃を受けました。あの翔くんが女装アイドル?(そういえばスタツアのボナペティでは彼女役🧸のかわいい所作が完璧だったな)
これは前から思っていたのですが、翔くんってST☆RISHの中でも際立って「アイドル」という形にこだわっていますよね。過去に日向龍也というアイドルに元気づけられたから、自分も誰かに元気を与えたいという理由で。
女装は嫌だという意志ははっきりしているのに、みんなを喜ばせることができるならありかもしれないと真剣に考えるほどに、とにかく「アイドルになりたい」んだなって……男らしい男になりたいという気持ちを上回るほど、アイドルになりたい気持ちが強いんだ……
「Sクラスは自分の理想と適性が合わない3人」、とフォロワーさんに聞いてなるほどと思ったのですが、理想と適性の乖離はどんな仕事でも起こりうる悩みではあるけれど、世間のイメージがパーソナルな人格と結びつけられる芸能人(特にアイドル)にとって、そのギャップは大きな悩みになるでしょうね…
翔くんも、正直言って王子様っぽいタイプではないのに自分のことを王子様と言い張ったり(「うたのプリンスさま」の命名が翔くんだったとは…)、たくましいケン王に憧れてるのに、身体も言動も子どもっぽくて周りにからかわれて……😔
まだ🧡さん💜さん√をやっていないのになんとも言えないのですが、少なくともアニメなどの印象では、このSクラスの2人も「アイドル」への思い入れが強いなぁと思うんですよね……
Aクラスの❤️さん💛さんはどちらかというと「音楽」を愛していて、💙さんは「芸事」全般に憧れている感じ。
一方でSクラスの🧡さんは母親のアイドル像が原体験だろうし、💜さんは…アイドルが「好き」かはよくわからないけど、少なくともすでにアイドルとして活動しているから「アイドルとは…??」ってたくさん考えていそうだなって。
だからこそSクラスは「自分の性質」をいかに「アイドル」という形にチューニングするべきか悩んでしまうのかな……とか考えてました。でもそのアイドルへという存在への意識の強さがSクラス選抜に繋がっているのかなとか。どうなのかな。
翔くんの話に戻ると、彼はその理想と適性のバランスを「音楽」でとっていくのですね。この展開にめちゃくちゃ感動しました🥺
個人的に、翔くんの才能は「女の子っぽくなりきれること」…ではなく、「どんな世界観も引き受けられるパフォーマンス力」にあると思っていて。少なくとも私は初めてスタツアに搭乗したとき、そんな彼の振り幅の広さに恋に落ちました。レディレディのバックダンサー、ボナペティの🧸さん、来来、4U……どれも全然違う世界観なのに、完璧に表現していて、それでいて全て翔くんならではの魅力に溢れていて。
そんな、どんな世界観でも自分を表現できる唯一無二の才能を、リピラブでは「翔くんのリズム」としてフューチャーされていたのが嬉しくて泣きました。
「オレサマ愛歌」の完成に向けて、自分の「かわいい」特技を受け入れつつ、伝えたいことや自分の思う「自分らしさ」はリズムや言葉やダンスで表現する。
そして「(龍也先生のように)ステージを自分色に染めたい」って言っていたのもびっくりして😳それってスタツアで「ピンクフレフレ俺色☆ピース」ってウインクした、あのステージそのものじゃないですか😭💗💗💗
できてる……できてるよ翔くん……翔くん色にステージは染まっていたよ(ペンラって、会場があなたの色に染まってます、ってことをファンがアイドルに伝えるアイテムなんだな)
ここで、メンカラのピンクについても色々考えちゃう……色についての彼の発言が過去にあったらぜひ教えて欲しいのですが、普通に考えて、翔くんは好きな色がピンクにならない性格じゃないですか?赤とか青とかオレンジとか、一般的に男の子が好きになりそうな元気な色を好みそう。
この世界の中でどういう経緯でピンクが割り当てられたのか知らないけれど、翔くんは最初からこの配色に納得していたのかなあと心配になったり。
でもわかっているのは、今の彼がアイドルの活動の中でピンクを「自分の色」にして表現できていること…つまりこれすらも、「オレサマ愛歌」で成し遂げた、「どんなものも自分の『かっこよさ』に繋げる意志とセンス」だよなって。メンカラからもわかる翔くんの魅力。好き。
あと翔くんは那月さんのことを天才天才って言ってコンプレックスを拗らせている面もありますけど、「強く生きたい」と叫び、届ける、そのエネルギーは誰にも真似できない唯一無二のもの。その才能にぜひ自信を持っていただきたい。龍也先生が幼少期の翔くんを振り返って「あの目は忘れられない」と言っていたのもそういうことだと思う(この龍也さんの独白、感動して泣いた)。「命の輝きを宿す目」なんだよきっと。それってアイドルとして最高の要素だよね。人はアイドルに命の輝きを見出して熱狂しているから。だから翔くんはSクラスなんだ……(オタクの贔屓目)
終盤では、自分は切れる前の電球みたいだと言われていたと振り返る翔くん…
「燃え尽きる最後に力の限り輝いてるみたいだ、って…俺はそれでもいいと思ってた。いつか切れるかもしれないなら、その前に輝けるだけ輝きたいって……」
駄目ですこれは……キングダムからスタツアまでの流れ星の文脈に弱いので………だって流れ星は星��燃え尽きる”最期の”輝き。
「これが最後じゃない!ここからが俺様の武勇伝のスタートなんだよ」
😭😭😭😭😭😭😭
星でさえ命の炎燃やしてさ
輝き尽きる日まで
1000%強く 生きている
いつかの眠る時まで
……🥺💫
WE ARE ST☆RISH!!はうたプリの哲学のひとつの着地点だったと捉えているのですが、翔くん√で彼が伝えたかったのも同じことかなって。
でも彼は学園生活を通して、「いつ終わってもいいように生き急ぐ」考えから、「これから一生輝き続けるために明日も生きる」にシフトしたんですね。終わりが来ることは知っているけれど、それはまだ先で、今はまだ輝きのスタート地点なんだと。
龍也先生の話が出たので書いておくと、翔くん√は先生方2名の過去の匂わせが多くて頭を抱えました。
林檎ちゃんはなぜ女装アイドルになったの?そしてよりによって「相棒」がテーマの翔くん√で「相棒を失った」龍也さんの過去が明かされる重み……つら😫続編に期待したいと思います。
(それはともかく、シゴデキ男キャーと龍也さんに盛り上がるフォロワーさんかわいかったな、わかる🫶)
翔くんのアイドル性について語っていたら恋愛パートについて何も書けなかった……まあいいじゃないですか私と彼のラブシーンについては…プライベートなんで……お姫様にしていただきましたよ🤭最後にプレイ中のTwitterログは残しておきます。
Twitterログ
うたプリのテーマのひとつである「永遠」、翔くんの場合はその言い換えとして「一生」がキーワードになっていて粋ですね。だって彼は抽象的な「永遠」なんてものについて考える余裕はなかったはずなので。
永遠って哲学的な発想だから、リアルに目を向けている人には関心がないことだと思うのです……どちらの考え方が良いか悪いかという話ではないです、視点の違いというか。
翔くんは死が誰より身近にある子ども時代を過ごしたからこそ、「充実した一生」への渇望がある。そんな彼の「一生愛してる!」は、そんじょそこらの告白と一緒にしてもらっては困ります。
「翔くんは本当にリズム感がよくて、動きひとつひとつにキレがあって、翔くんにしかない個性がある」「でもそれを強引に押し出すんじゃなくてちゃんと周囲と調和して、ここぞという時に光る」「それは天性のものなんだと思う」それですよ!(大声)スタツアの翔くんはまさにこれだったしそこが好き
ダンスパーティ当日になりまし…た………
むりつらい悲しい
やりたいこと全部やって生き抜きたい!って訴えてる翔くんのBGMのオレサマ愛歌……😭😭😭😭
こんなに涙腺刺激する歌だったの?知らなかった……
「ダンス」という行為、翔くんのパフォーマーとしての魅力の象徴であると同時に「今を全力で生きる」彼の決意の表れでもあって、そんな大事なダンスを一緒に踊れること………こんな…こんな………一生ついてく
くるぞ……
うわああああああ😇😇😇😇
ありがとうございました🪦
いやこの告白の仕方、普通の男じゃ腹立つけど翔くんだと最高
強がって王子と家来ごっこしてたからこその上から目線が愛しくて爆発する
リピラブ翔くん√、1月はじめます!
今月からついに彼女🥳
1月に水着イベント持ってくる那月さんの力
翔くんのキスの喘ぎ声を聴いてしまったので出頭したほうがいいですか?😫🫠
いやちょっといきなり刺激強くて困ってる進めない、落ち着こう
大人のキスで泣き止ませてくれる翔くん何?????こっちの心臓がもたない
一旦別の部屋でSweet Kissを聴いて頭冷やしてきます
心拍数が上がっただけだった
「今後一切キスもハグもしなくていい」、恋愛関係だけを重視しない価値観がここにも表れていて感動した一方で、音也くんは絶対に言わないセリフだろうな☺️と思うなどww
ここまで相棒の支えで生きようと頑張ってる翔くんを知った後に龍也先生の作った歌詞を聞かされてしんどいのですが……
「あの人みたいにその場の空間全てを自分色に染め上げられるアイドルになりたい」
それって俺色☆ピースじゃん、来来のステージが浮かんだよ………なれたんだなあ、憧れたアイドル像に……
終わりましたね……👏
最後の1時間半、めちゃくちゃ集中してて感想書くの忘れた
まって!?MEMORIALってなに?!翔くんの日記みたいなのが出てきた
MEMORIALを読んでます。
家来ができて「やっぱ、俺超王子だもんな!」ってはしゃいでる翔くんおもしろすぎて愛しい
龍也先生に「付き合うってどういうこと?」って質問してる翔くんかわいすぎ🥹
ハァハァ……MEMORIAL、翔くんの心情が全部語られていてもうどうすればいいのか……
自分はアイドルだから彼氏にはなれないけど相手にはいつか恋人ができるんだなって覚悟して落ち込んだ上で、恋愛じゃない信頼関係を大事にしたいって思ってくれてたんだ……好きです😇
翔くんの家族への独白読んで泣いてる
遠足のくだり無理😭😭😭😭
那月さんと翔くんの痴話喧嘩が見れてハッピー
勝手に相手にコンプを抱いて感情的に怒鳴っちゃうのは翔くんの悪いところかもしれないけど、すぐに謝れて偉いね🫶ちょっとくらい欠点があった方がこちらの気が楽なのでそのままでいいよ💗💗
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real-sail · 1 year
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「おけいこニスト」第一世代として
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ちょっと書いておこうと思ったのですがね。
93年生まれのわたくし、ちょうど学校教育にパソコンが導入されるのをこの目で見ていた世代でして、小学校低学年のときにわたしの学校にパソコン室ができて、ときおりパソコン室で授業をするコマが設けられました。2年生のときにはふたりで1台、3年生になるとひとり1台のデスクトップを使っておりました。
家庭用パソコンというのが一般家庭に普及し始めたのも同時期かと思いまして、98年に初代iMacを迎え入れた我が家というのは、「おうちのパソコン」の導入が早いほうだったと思うのですが、何が世にパソコンを広めたって、 Windows 95, 98 あたりですよね。
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それで、今日書きたいのは、90年代生まれの音楽家にとっての、「ネットの書き込み」についてなんですけれど。このあたりの感覚は、先輩方の感覚とは少しギャップがあるような気がして、わたしたちの世代特有のものがあるかもしれないと思い、ブログに書いてみました。
そのためには少し、子ども時代のインターネットの関わりから振り返る必要があります。
インターネットがどんどん普及する中で育ったわたしたちは、小学校の中学年高学年あたりから、「掲示板」というものに注意するように、と全校集会や学級通信で言われるようになりました。インターネットで知らない人と話すのは良くないことです、なんて言葉と共にね。早い人だと4年生あたりでケータイを持っていました。時代ですから、折りたたみのアレです。
その頃になると「学校裏サイト」というものが現れて、どんな町の小さな学校でも、学校名で検索すれば見つかると言われておりました。全国的にそれは問題となっていて、裏サイトで悪口を言われていじめがエスカレートするなんていう事例も珍しくありませんでした。確か、わたしがちょうど6年生のときに放送された、小学6年生の教室が舞台になっていた連続ドラマ『女王の教室』でも、そんなシーンなかったっけ。
中学生になったのは2006年ですが、携帯を持つことが禁止されていたうちの中学のようなところですら、主に卒業生と、一部の隠れて携帯を持つ在校生が、匿名で人の悪口を書いている掲示板があるから、闇雲に触れるんじゃないと言われたものでした。当時はBBSや掲示板がいくつもあったけれども、2ちゃんねるが普及したのはこの頃ですか? 調べたら、『電車男』が2005年、なるほど全盛期だ。
ここからが本題、これらの「ネットの書き込み」が音楽家にいかなる影響を及ぼしたのか、という話です。
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00年代後半、わたしは東京藝術大学という学校の附属音楽高等学校を志してヴァイオリン練習に励む一介の中学生でしたが、練習をときおりサボっては、パソコンでネットサーフィンをするようなことがありました。ヴァイオリンのおけいこ勢がまず出会うのは「ビバ!おけいこヴァイオリン」以下「ビバおけ」というサイト。いろいろなコンクール情報やら、コンクールを聞いた感想やら、おけいこを指南する内容など、個人のブログながらものすごい情報量でした。そこでは我々のような存在が「おけいこニスト」と呼ばれていました。あのブログはいつ開設されたのだろう、でもブログという形態自体がゼロ年代にブームを迎えたことを考えると、言うなればわたしたちは「おけいこニスト」第一世代なのでしょうか。
また当時の2ちゃんねるには、「全日本学生音楽コンクール」について語るスレッドなんかがありましてね。そのコンクールは世の「おけいこニスト」がこぞって出場するもので、ここで優勝すれば日本一うまいと言われたりします。そしてスレッドには予選通過者の名前が書き込まれたりするわけです。いつかは出場して、入賞などしてみたいコンクール。そうしたら自ずと、本選進出したら、先人たちのようにここに名前が載るんだなって思うじゃないですか、中学生は。
わたしは中3でかのコンクールに初出場を果たし、ビギナーズラックで最初の予選を通過したのですが、自分の名前が「ビバおけ」やスレッドに載って、ちょっと嬉しくなっちゃう。スレッド上では、入賞実績が多い人の、これまでの成績とかが語られたりしていてました。わたしはポッと出だから、通過者の速報以降は話題に上らない。ここでもし来場者の人が「あの子の演奏が良かった」なんて書き込んでくれたりしないかな、なんて夢見るわけですよ。そんなことを思えば、定期的にスレッド覗きにいくじゃんね。
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めでたく晴れて志望高校に入学して「藝高生」と呼ばれる存在になったら、入学式のしおりに載っていた新入生全員の名前を翌日までに全部ググっているような親御さんが何人もいましたけれど、入賞歴とかのリソースって、そういう個人ブログや2ちゃんねるじゃんっていう。しかも今度は、2ちゃんねるに「藝高」を語るスレッドを見つけちゃうんですよ。同級生の名前が伏せ字で書き込まれたりしていました。書き手は今で言う「音大おじさん」だったんじゃないかなあ、要は在校生よりは部外者のほうが多そうな感触でしたが、結局匿名だったからよくわかりません。
そして先述の「ビバおけ」は、藝高に入ってみたら、ヴァイオリンの子はみんな知っていました。ブログ主の「イグラーユ」さんって一体何者なんだろうね、と言いつつも、みんな見てたし、在校生が言及されていたらなんかもう笑うしかないというか。笑って「載ってたね」と言えるときと、まあわざわざ言及せんでもええなってときとあったけど(というのはコンクールに落選しても名前を出されることがあるので)、あそこに書かれたことは、自分らもだけど、自分ら以上に親たちが知っていました。とにかくみんな見てた。
突然の昔語りをしたのは、わたしたちの世代では、10代の頃から、ネットで名前を晒されて、落とされたり貶されたりは当たり前の経験としてそこにあったということを書きたかったから。当たり前だったけれどそれは、どこか自分から切り離されたもののようでもありました。だって現実味がないから。なんか言われてら、的な。決して良い気分のするものではない、でも見てしまう、恐ろしいもの。だってそこで良いこと言われてることなんてほとんどなかったから。でももし自分の名前があったら、自分で確認したい、あるいは知っている人の名前も、やっぱり確認したい。そう思って見てしまうのです。
だから、ちょっとコンクールで賞を取ろうもんならネットで言及されることは当たり前だったけれど、でも「当たり前に」貶されて良いわけなんかなかった。立場変われば、それは落選した傷を抉ってくるものでもあったし、何より相手が誰だかわからないのが恐ろしかった。
それを体感で知っているから、結果や実績を乗せた自分の名前がネットで知れ渡っていくことを、ただ愉快なことだとは思えないのです。
ところでこのブログを書くためにふと、そういえば今も「ビバおけ」ってあるのかしらと思って検索してみました。すると、やはりわたしが高校生のときに目にしたことがあった、おけいこ関連情報をいち早く載せる別のブログ「文化的な日々」に、2020年11月の日付で、「ビバおけ」がリンク切れになっていると書いてありました。もう少し検索したら、別サイトの匿名のスレッドに「本心を言うと」というタイトルで「情報源としては良い面もありましたが、親をあおる感じがあったので、なくなってよかったと思います」という書き込みを見ました。ごめんわかる、わたしも思わず口角が上がってしまった。もう解放されたんだって思っちゃった。
「ビバおけ」や「文化的日々」の影響が薫る、現役「おけいこニスト」の保護者が主と思しきブログには、2016年の日付で、こんな言及がありました。学生音楽コンクール側が、コンクール会場で有料販売したパンフレットの情報を、インターネット上で公開してくれるなと「ビバおけ」に対して注意喚起したらしいこと、それはFacebookアカウントの投稿上で何かしらのやりとりが発生していたこと。そのブログにリンクされていたFacebookのポストはリンク切れで確認できませんでしたが、恐らく「ビバおけ」のポストだったのではないかと推測されます。「ビバおけ」はサイト消失と共にFacebookもTwitterも姉妹サイトも消えたので。やっぱり度が過ぎていたよ、あのブログ。
そこに書かれた情報の影響力があまりにでかいから、あそこで悪く書かれたら厄介だ、という思いが強くて、表で声を上げる人はなかなかいませんでした。相手にしないのが良いとか、何にも賞歴がなければ名前すら挙がらないから言及してもらえるのは名誉じゃんとか、まあいろいろな言葉のおかげで、ブログたちや2ちゃんねるは存在を許されてきたのです。
でもわたし、言うね。
ああいうの全部全部、ずっと、最初から、大っ嫌いだったよ。
よくも我々をコンテンツにしてくれたな。知らないだろうね、あなたたちに振り回された側の気持ちなんて。親たちが目を血眼にして「同級生の誰さんはコンクールで優勝したんだってよ、で、あなたは?」と自分の子どもたちにプレッシャーをかけていたけれど、その燃料はおたくらの書き込みだよ。コンクール公式から淡々と結果が告げられるだけなら、親御さんたちもあんなに目を血走らせることはなかったと思うよ。
自分は姿も名前も見せないで、こちらの名前や所属や結果を晒して、場合によってはもっとパーソナルな情報も流していた。日本のしがらみから逃れて海外コンクールに行っても、アルファベットの中からちゃーんと名前を見つけてきては晒し上げてさ。教育虐待への加担とも言えるのかもしれない。人のこと煽って、おもしろかったか?
もう目に入れたくないから調べないけれど、もし5ちゃんねるとかに、今もそういうスレッドがあるのだとしたら、みんな書き込んじゃダメだ。よそさまのことをネタにしてないで、ちゃんと自分を生きろ。あんなもの、平成に置いてきてくれ。
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