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#武庫川体操教室
rikuyoshizawa · 2 years
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ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #子ども体操教室水曜日16時から16時45分 #バク転パーソナル教室 #バク転 #尼崎バク転 #武庫之荘バク転 #bmc子ども体操教室 #子供の運動能力開発 #iqを上げるには運動 #尼崎体操教室 #武庫之荘体操教室 #武庫町体操教室 #武庫川体操教室 #尼宝線体操教室 #尼崎 #武庫之荘 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/ChN-8yuvsB3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tokyomariegold · 6 months
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2023/8/30〜
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8月30日 出張の日は少し遅く家を出られるので、世の中のみんなの通勤通学を見られる。 もう夏休みは終わっているのか、小学生が登校中で絵の具やら体操着やらを持っていた。
ただただ辛くて悲しくて泣きながらメッセージを送ってしまった友人からお返事が来ていて、わたしは彼女に救われてばかりで、彼女がかつて辛かった時のこと全然知らなくってすこし落ち込みながら元気つけてもらった。優しい社会に近づけばいいな、と思った。
まさかの私が先導を切って進めなくてはいけない現場で、なんかずっと泣きそうになりながら、お相手の先生方(20人くらいいた)と打ち合わせをした。 今思っても、え、わたしがこのまま全部仕切るんでしょうか…みたいな感じでやり切ってしまって、正直気持ちは全然追いついてない状態だったので、すっかり空元気(それほど元気でもないけど)で気持ちが分裂していた。
ふわふわしたままその後も打ち合わせをして、職場に戻ろうかと思ったけれど、池袋で1人下車して帰らせてもらった。
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今月でお別れの好きな方々へ、オランダ屋でナインチェサブレとちょっとしたメッセージカードをお送りしよう!とKITTEの郵便局の物販でキツネのメッセージカードを購入。 そのまま郵便局のカウンターで習い事の先生と保健師さんにメッセージを書いた。
駅までの途中にSHIROの前を通り、そういえばマスカラほしいな〜と眺めていたら、新発売のクリームタイプのアイカラーをおすすめしてもらう。 その店員さん、前回も接客してくださった研修生バッジをつけた方で、とても良い感じだったのでよく覚えている。 ブルーのマスカラとアイカラーを買った。 これを買ったから頑張ろう!ではなくて、今まですり減った分を復活できるアイテムになるといいな。
ミッフィーサブレを買いにいくと「今日初めてPayPay払いをしたので…」とカウンターの店員さん2人があたふたしていた。システムで支払いが完了できているかを確認したり、私の支払い履歴を確認したりして、完了できたときは何だかこちらもほっとしてしまった。
その足で習い事先に行ってみる。 いつもと違う時間だし、今日はレッスンの予定はないし、突然顔を出して変じゃないか、明日にしようか、と扉の前で引き返して、でも!と伺ってみる。 入ると「もしかして…」と先生方が気づいてくださって、無事、お礼とナインチェサブレをお渡しすることができた! 少し泣きそうになってしまった。 先生は今日で最後だったらしく、引き返さなくてよかった。
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家に帰るとポストに、お願いしていた似顔絵の作品が届いていた。 その作家さんのイラストはインターネットでいつも見ていたけれど、実物の線や色やラメの乗せられ方に更に愛おしい気持ちになる。包装もとてもこだわっていた。あと作品を作る作家の他にモデルとして活動されている方で、私はしばらくお二人が同一人物だと知らずにインターネットをしていて、そういうスタンスがとてもいいな〜と勝手に羨ましく思ってます。
今月いっぱいで、のお別れと、2回目の満月が近づく月の様子で、8月が終わることを確認している日々。 自分の悲しみで全てを満たせればそれはそれで楽なのかもしれないけれど、今はまだ他にも気にしていたいことがあるのはありがたいことなのかもしれない。
応募作品のキャプション400文字以内、が、どう頑張っても500文字になってしまう。
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8月31日 今日はブルームーン。2回目の満月。 教えてくれた友人から、お得ですね〜、とメッセージが来ていた。
通勤中に、昨日久しぶりに出張先で会った同期が着ていたポロシャツが気になっていたので、検索してみる。胸元にアイスクリームの刺繍…絶対何かだよね!と、調べると、なんと!吉澤嘉代子さんのグッズのポロシャツだった… 同期だけれど、プライベートな話は全くしない間柄だったので全然趣味とか見当もしたことなかった。 うーん、少し話してみたくなってしまう。 月曜日には、月曜日戦争を聴いたりしているんだろうか。それとも全く何も知らずに着ているのかな。
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今日の任務は、とにかく、今日で退職される保健師さんへナインチェサブレとお手紙を渡すこと。 その方がいる建物へ朝よってみたけれど「まだ誰も来てないよ!」と清掃員さんに教えてもらう。 お昼休みに訪ねようと思った日に限って、お昼休みまで20分近く打ち合わせが入り込む。 打ち合わせ��会議室から逃げるように飛び出して、保健師さんのもとへ伺うと「食事に出ています」とのこと。最終日のお昼は送迎ランチよね、と、他の方へ預けて任務完了。とにかく、多分お渡しできたはず。 午後の打ち合わせに出ている間に電話を下さっていて、でもメールを入れます、とメモが貼ってあった。電話越しに泣いてしまうと思ってかけ直せなかった。 もう一生会えないんだろうな。
それで今日はずっと忙しくて、色々追いつけなくて少し泣いてしまった。でも一期下の方と夏休み明け久しぶりにお話しできた。ガウディの展示はとっても混んでいたらしい。
昨年度までの上司から「◯◯さん(私の名前)の上司はみんな育休をとっちゃうね」と、ご自身のことも含めてお話かけてくれた。
今年入った職員さんは学生時代は神戸の大学に通っていたらしく、とっても話を聞きたくなる。武庫川女子大が近くだったとか。 私の受験戦争関西バージョンを勝手に思い描くことがあって、その中では奈良女子大を本命にしたけれど落ちてしまい武庫川女子大へ入学して建築を学んでいる。
明日できれば花火をしたい。
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usickyou · 1 year
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セカンダリ・ラバーズ
「アイドルやめてきた」  と加蓮が言う。  私はミルをまわすのを中断し、手をあげる。てのひらを指のまたの間までうんと広げ、返事を待つ。加蓮はいかにもアイドルらしくしゃなり歩き、そして思いきり振りあげた手を、「やったぜ!」とぶつける。音は心地いい。爆発して、私たちの好きだったもの嫌いだったもの大切すぎたものそれらなにもかもを吹き飛ばしていく。 「お疲れさま」と私はふたたび手を動かす。遠くない港から届いた汽笛の音が時間を知らせる。シロクマじるしの遊覧船は四十分に一本、港を出て新陽新島群をまわると五十分で帰ってくる。だから汽笛は、島��の浜や青い浅瀬を思わせる。 「疲れたぁーっ!」  加蓮はバッグとか贈答品らしい手提げとか、いろいろなものをひたすら放り投げ、ソファに寝ころぶ。背もたれのむこう伸ばした両手足が見え、ひらいた手のひらがひらひら羽ばたく。疲れることなんてあったの、私はたずねる。ちょうど若い子たちがいてさあ、加蓮はこたえる。さしがねだったんじゃない。そうかも、握手会やってきたよ。すてきね、私も並べばよかった。おとなは遠慮してーっ……。  やめてきた、というのを正確に言い直すなら、プロダクションとの契約終了が今日だった。アイドルをやめることについては加蓮は三ヶ月前、私やあとなん人かと揃ってのラストライブをもってすべての活動を終えていた。私の退所のほうが二ヶ月早かったのは契約期間の都合でしかない。 「あれほんとに助かったよ。贈り物の手配」  私の退所日には雨が降っていたのを思い出す。そういう時節だったのだ。思えば最初の契約書にサインをした日にも雨が降っていたような気がするけれど、景色は遠くぼやけている。温かい雨だったように思う。どちらも音だけが、はっきり感じられる。 「もーひゃっぺん頭さげた……ってかそうだ、守衛の畑沢さん。知ってる? あのひとも今日でやめるんだって」 「畑沢さんって、よくロビーにいたあの?」 「ロビーってかA棟」 「よね。私もお会いしたかったな……」 「奏のぶんも挨拶してきたよ。なんかいっしょに住んでるの知ってたし、仲良しだったもんねえって」 「あら嬉しい。理由は聞いた? まだお年ではなさそうだけど」 「長野できょうだいと住むんだって」 「そう、幸せでいてくれたらいいけど……」 「あのひとなら大丈夫でしょ、コーヒーありがと」 「ええ。ケーキも食べるでしょ?」 「お願いしまーす」  私は冷蔵庫のケーキボックスを取り出し、テーブルに並べる。加蓮のうるさくかがやく目は、過ぎ去ってもう久しい少女が気まぐれに戻ったみたいに見える。お皿や、フォークを持ってソファへ戻ると、起きて場所をあけてくれる。私は隣へ腰かけると、かたちを崩さないようケーキをお皿に移す。  私たちお気に入りのふたつ離れた駅の洋菓子店の、いちばん好きだったももとあんずのミルクレープはこの日を待たず店頭から消えていた。少し残念に思っていたけれど、次に愛したタルトタタンをテーブルへ広げてみると、これが最善だったよう感じられる。私は加蓮を見る。加蓮もそう思っているのがわかる。ありがと、加蓮は言う。十一年お疲れさま、私はあらためて言うと、タルトタタンを先に食べるよううながす。 「その前に」と加蓮は言い、私を見る。ああ。私は心の準備をする。加蓮のてのひらが頬に添えられ、ゆっくりと、引き寄せられるのに私は応じる。そうして加蓮がくちづける。私は目を閉じてこたえる。それは清潔にもちょっと続く。けれどもせっかく冷えたケーキやコーヒーの香りを台無しにしてしまうほどではない。それくらいの私たちは、どちらともなくくちびるを離す。すると加蓮が身を寄せてくる。ほとんど倒れこむみたいで、予想しなかったので少し驚く。「おっぱいすき」「バカ」加蓮はけらけら笑って言う。「ちょっと、疲れたかも」  私は、「うん」とこたえて加蓮の髪をなでる。今日はもう出かけないのだから、セットをくずしてもいいと思う。「いいよ」と私は続ける。加蓮は服をぎゅっと掴む。それは切実に重い。 「握手会、若い子ばっかでさ、なんかこんなだったっけとか、思っちゃった」  思い出す。十年前、私も”こんな”だったはずだ。初めてプロダクションに足を運んだ日、エレベーターで川島さんと乗り合わせた。川島瑞樹さん。社員らしい男性が降りていって数階ぶんだけふたりきりになり、私は声をかけたかった。何を話すのかなんてわからなかったけれど、結局彼女は先に降りた。こんなことなら制服を着ていったほうがましだった。アイドルの説明を受けるあいだ、ずっと肌寒かったのを覚えている。  十年前。  新陽はまだこの世にないし私はサーフィンにもダイビングにも興味がなくアイドルを始めたならいつかはやめる日がくるなんて考えたこともなかったけれど、それでも今日へ向かっている。 「ちゃんとアイドルをしたのね」  私は言う。  がんばったんだ、と加蓮はささやく。  そうして、私たちはケーキを食べる。いちカットで満足できず、もうひとつ。コーヒーを飲みながら今後の予定について確認をしていると、また汽笛が鳴る。そびえたつ陽泉山系を反響し、汽笛は天頂の日と折り重なって降ってくる。加蓮の視線に気づく。私は見返しもそうそう、ジェスチャーで返事をする。加蓮はてきぱき後片付けを始め、私は予定しなかった外出の準備をする。新陽の午後にいい波が立つのは珍しい。でも今日がその日かもしれない。
 カットバック・アンド・リッピング。  しぶきは火炎のようにひらめく。  加蓮は華麗に波濤に消える。  いつか、加蓮が溺れたときのはなしを聞いた。小学生だった。加蓮は夏休みに合わせた再入院が決まっていたので、最後のプール授業になんとしても出たかったのだけど、医師が許してくれなかった。だから放課後、忍び込んだ。鍵のかかった柵を乗り越えると、準備体操もそこそこにプールへ飛び込んで溺れた。死ぬってふたつあって、加蓮は教えてくれた。炎か影。結局、駆けつけた教師に引き上げられたということだった。 「もー!」加蓮は波を飛び出すと、髪をかきあげサーフボードにのそっと乗る。「最悪! 絶対いけた!」  ことばと裏腹に大口をあけて笑っている。この波で今日は終わり。私たちは浅瀬から浜へ戻る。波は背中を押したり後ろ髪を引いたりする。日はおよそ暮れかけ、新陽新市街の[[rb:白黒 > モノクローム]]LEDが銀の銀河の星のくずのように光っている。  新陽は六年前、××半島の突端に三の大島、三十三の小島をあわせて建造された。なんらルーツのない新陽にはさまざまな出自の人間――あるいは非人間――が集まり、多様で多層で多重かつ多面的な多人種、多秩序都市が形成された。つまり雑多な街だった。一方で、陽泉海岸周囲がもともと有していた豊かな自然は厳格に保全されており、新島群をつづら折って形成される波はサーファーの人気が高く、また本州有数のダイビングスポットとしても知られている。  そして新陽には、さらにいかした性質がある。  私たちが今晩の食事について話しながら歩いていると、三人連れの男たちが声をかけてくる。彼らには色がない。  新陽には色がない。  都市設計時に忘れられていたため、新陽では現在も白と黒以外の色が存在していない。  新陽あるいは新陽に属するあらゆるものにおいて、色は白と黒の濃淡になんらかのモチーフを加えて視覚される。  私たちには彼らの肌の色がわからない。着ている服もそう。もっとも、左端の男が黒髪であることはそのべたっと濃厚な黒色で知覚される。しかしあとのふたりの、微妙な濃淡の違いは私たちに色を伝えない。顔立ちから日本人であることは予想されるのだけれど、新陽に限ってはそれですらあてにならない。  初めて来たんだけどいい店を教えてほしい、と彼らは言う。  おそらく外から来ているのだろう。  マック、と加蓮はこたえる。  彼らは返事を聞く気もないのか行き方をたずねるところから案内してほしいというところまで流れるように続ける。きっと、練習を重ねたのだと思う。脚に感じる視線もさほどひどくない。どちらかと言えば、ウェットスーツのジッパーを落としたいのかもしれない。できれば新陽でない場所で。  どこかで会ってないか、と彼らがたずねる。  そうかもね、と私はこたえる。  無駄な会話だと思う。おかげで夕食を決められない。私たちはもういい歳をしたおとななので、おなかが空いているとあまり人にやさしくできない。うんざりして無視をきめこみ更衣室までくると彼らは捨て台詞を言う。なにか軽薄で汚いことばに、よせばいいのに加蓮が反応する。なんつったお前、とすごんできびすを返す。加蓮のそういうケンカっぱやいところを私は好きじゃない。男たちは喜んで応じる。加蓮の構えるのを見て残酷に笑う。加蓮は彼らをぶちのめすだろうか。たぶん無理だろう。ヤヤンに習ったシラットは最強の武術だけれど無敵の魔法ではない。でも、一人くらいはいけるかもしれない。私もやればもう一人。 「どーうしったのっ!」  そのとき奇妙な節とともに、フアンがあらわれる。よかった。私は息をつくし、加蓮も構えを解く。男たちは肩に乗せられた巨大な腕を、それからフアンを見て驚く。彼らはサノスを知っているだろうか。インフィニティ・サーガを見ただろうか。フアンはサノスの思想に強い感銘を受け、もともと外見に近しいところもあったのを運命と感じ、敬虔な信仰と壮絶な修行の結果ほとんどサノスそのものになったという、狂気の聖人だった。色を伝えるモチーフには当然インフィニティ・ガントレットを選んでおり、フアンの巨体は私にはサノス・パープルに見える。  新陽のいかした性質。  ここではひとは――ひとでなくても――望めばなんにだってなれる。  私たちはフアンにハンドクラップをおくると、更衣室へ入った。 「ヤヤンに怒られるわよ」  ロキシーのジッパーを下ろし、私は言う。 「ごめんって……黙っててください」  私のは、加蓮が下ろしてくれる。  シャワーのあいだにお店と加蓮の奢りは決まって、更衣室を出るとビーチハウスに寄る。フアンはなんだかものうげに焼飯を作っていたけれど、私たちを認めると柔和にほほえんでくれる。男たちの姿はない。私たちは感謝を告げる。フアンにハグをすると、かれの家族の営むお店、プラチャーナ宮へ行くことを伝える。フアンは喜びながら、やはり憂いをたたえて見える。もしかして彼らになにか、私はたずねる。フアンは静かにこたえる。 「スナップを、したくなったんです」 「……ああ、指パッチン?」 「はい。わたしはまだまだサノス師に遠い……あまりに……」 「えっと、元気出してよ。サノスさんもさ、畑が虫に荒らされてパッチンしたくなることもあったと思うよ……」  私たちはかれに優しくしたいけれど、おなかが空いている上に焼飯がいい香りをあげすぎるのでうまくできない。それでもフアンはふたたびほほえみ、私たちを送り出してくれる。入れ違いに、焼飯の香りにつられたのかサメ人間がやってくる。頭はメジロザメ、体は人間。こんなところで出会えるなんて。サメ人間はそのサメのくちでフアンと話し、焼飯を受け取ると牛串のできあがるのを待った。その、太古の頃より研がれ続けた鋭い牙。数千万年研磨されたオブシディアンのように美しい眼……。サメ人間は、恐ろしくもたくましい顎を繊細にはたらかせストローでメロンソーダを飲んでいる。その姿に、私は惹かれかけている。ひとめ惚れだったのだ。加蓮が私を引きずっていく。  陽泉海岸を離れること十数分。新陽駅に着く。駅南は景観保護のため規定された厳格なルールがあり、線路を渡るとそのすべてが消滅する。線路沿いには住宅を兼ねた十席ほどの小料理屋が並び、それらは〈大父母〉によって経営されている。大父母は、新陽の建築に資産を投じた不動産、都市計画事業体のお偉方の集まりであるらしい。北口を出てすぐ広がる新陽新市街――これらも大父母がもっている――はオフィスやモールではなばなしく、そびえ立つ六つの巨大ビル群、〈新陽・サンシャイン・ビルディングス〉通称〈SSB〉はその名の示す通り新陽じゅうの光を略奪している。北部の最高峰、陽泉山脈よりもよほど高いのだから、かれらの罪はどれほだけのものだろう。  SSBの麓を横切り、大父母経営のお店をすべて通り過ぎると、屋根のないアーケードに入る。旧市街。屋台町。汗や香草、フルーツ、そして二十四時間なにかの焼け続けるにおいが心地いい。さまざまな人/非人が集まり、思いおもい食事を楽しんでいる。プラチャーナ宮は十坪ほどの店舗と同じくらいのテラス席でできている。私たちはムーガタやパッタイ、カオマンガイを頼む。それに私はウーロン茶、加蓮はアユタヤ・ビール。ミーチャ、フアンの奥さんは紫色ではない。私たちの知る誰よりも二重のぱっちりした恰幅のいい女性で、頼んだものをすべてを一度に運んでくる。前腕に刻まれた刺青のため、彼女の肌はかわいいイチゴ色に見える。 「はい、お疲れさま」 「次の波に」  グラスをぶつけると、真後ろのテーブルから乾杯の合唱がとんでくる。かんぱーい、私たちも輪唱する。それはそう。フルーツレディ、アロサウルス、ビーグル犬のピーターやスヴェトラーナがテーブルを囲んでいるのだ。  フルーツレディ。フルーツが好きすぎるあまりフルーツになりたがっている。フルーツショップを営んでおり、イチゴカラーのワンピースからブドウモチーフの髪、バナナのピアス、マンゴーやキウイやドラゴンフルーツの指輪……あらゆるフルーツで全身すべて彩っている。声が大きく、やることなすことせわしない。ほんとうの名前は捨てたらしい。  アロサウルス。身長百七十センチ。かれの名前も私たちは知らない。父より母より朝のコーヒーよりアロサウルスを愛しているのだけれど、アロサウルスが臆病な恐竜であったと明らかになって悲しんでいた。私も、アロサウルスは繊細な恐竜だったのだろうとかれを見て思う。だぼっとした着ぐるみの見た目で、スペアリブを食べている。  ビーグル犬のピーター。アロサウルスが飼っている。もともとは人間だったのかもしれないけれど、それはわからない。乾杯の合唱のとき、ワンワン、かれは言った。  スヴェトラーナ。ふるいロシアの伝承の魔女”ヴィイ”に憧れているらしい。無色の肌に落ち窪んだ頬、鼻は鉤のようにいかつく、たるんだ瞼の目の奥があやしく光っている……外見は悪くないのだけれど、性格がどうにも明るい。張りのなくしゃがれた声でテーブルの会話をリードしていて、スヴェトラーナがいてくれるとみんなが楽しい。  私たちはかれらと近況を報告し、最近はやりのSSBの陰謀論とかを聞くとテーブルに戻る。とうとうアイドル卒業となったので、私たちには話したいことしたいことが山ほどあった。稼いだお金はまあまあ残っているし、私は大学の夏期休講があと一ヶ月あるし、前期の簿記二級を六十八パーセントで落ちてけっこうやる気をなくしている。加蓮のダイビングスクールも日程はけっこう自由がきく。時間がある。車も買った。私たちはいま、けっこうどんなことでもできる。
 加蓮がソファで眠っている。  シャワーを浴びたばかりでまだ、私は髪が濡れている。指の先のしずくをぬぐい、つけっぱなしたテレビの音量をしぼる。それから、加蓮にふれる。お酒が肌の濃淡を塗り変え、頬はほんのり温かい。驚くべきは、加蓮が歯みがきの最中に眠ってしまったことだ。くちびるから歯ブラシが飛び出し、ソファによだれがこぼれている。加蓮はお酒に強くない。悪いことに、酔い潰れるのが好きだ。潰れて介抱されるのが好きだという困った、面倒な、厄介な嗜癖を持っている。たまにちょっといらつく。いらつくのと愛おしいのと、心はまだらに明暗変わる。  加蓮には色がない。  ミントモチーフのヘアピンさえなく、ゆるっとしたロングスリーブシャツ一枚の加蓮には、白と黒の濃淡のほかどんな色もない。  加蓮、と私は呼ぶ。  加蓮はこたえない。 「加蓮、起きて」 「起きへふ」 「いいから。途中でしょう」 「起きへあふ」 「ばかみたいに飲むから」 「……」 「寝ないで」 「ふぇー……」  加蓮はどうにか体を起こし、おざなりに手を動かす。テレビのニュース〈新陽・ナイト・プラネット〉をぼんやり眺めている。ウサギとリスのキャスターが、まじめにニュースを読み上げる。立てこもりが……溺死者が……動物園のヒヒが子どもを救って……。人面ウェルシュ=コーギーの学者が含蓄豊かなコメントを添える。機械人間の気象予報士が吉報を、明日もよく晴れ真夏日になるという知らせを届けてくれる。  加蓮は歯みがきを済ませると、私にまとわりついてくる。さみしいよ、とうそぶく。フロスもしなさい、と私は指示する。加蓮は素直にしたがう。 『……第十六島で起こった立てこもり事件の続報です。人質救出は失敗に終わり、三人の人質は全員死亡、犯人はその場で射殺されたもようです。現場から……』  私が歯みがきをするあいだ加蓮はももで眠っている。ソファを立とうとするとしがみついて離れない。ジェスチャーで説明をして、すると加蓮は腰にひっついてくる。結局、寝支度を済ませるまでそばにいる。頭をなでると嬉しそうにして、加蓮はもしかして犬になれるかもしれない。私はアロサウルスみたいに、いつか加蓮を飼うかもしれない。サーファー犬。それは悪くない。あごをなでると加蓮は拒否する。  私は加蓮の寝室へ行く。加蓮のベッドに横になり、加蓮の隣で眠る。寝室は別々にあるけれど、時間があまりにもずれるときやどちらかの調子が悪いとき、もしくはひどめの喧嘩をしたときとか以外だいたいいつもいっしょに眠る。セックスをすることもある。最初の頃にし過ぎたから最近はそれほど盛り上がらないけれど、たまに爛れる。  奏ちゃん、と加蓮が呼ぶ。  明日も早いのよ、と私はこたえる。  いいじゃん、ねえ、髪染めたいとか思ったことある?  あまりないわね、似合わなそうだから。  あはは、そうかも。でも考えてはみたんだ?  それくらいね。加蓮は? 他の色って考える?  あんまりないかなあ……なんでだと思う?  知らないわよ。  ひど、つめた……ねえ、ごめんね。  ……。  やば、謝っちゃった。ちがうの、じゃなくて……ね、おやすみ。  おやすみ、加蓮。ちゃんと起きてね。  ふふ、大丈夫だよ。奏、またあした。  そうして加蓮はすぐに眠ってしまう。首すじに息を感じる。寝息はぬるく、くすぐったい。肩越しにまわされた加蓮のてのひらにさわってみる。なでたりもんだり、指先でひっかいたりする。加蓮は眠っている。そんなふうに、てのひらで遊んでいるうち私も眠る。夢を見る。夢だけがまだ、絢爛色彩りに満ちている。朝にはもう忘れてまた次の一日の始まりに、私たちはサーフボードをかかえて陽泉海岸を駆け出すと白黒銀の波へ飛びこんでいる。
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boooooooooooook · 3 years
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2021年1月2月3月4月5月6月7月読んだ本
「史記Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」司馬遷
「からだの中の夜と昼」千葉喜彦 中公新書
「スワロウテイル」岩井俊二 角川文庫
「映画巡礼」蓮実重彦 マガジンハウス
「超自習法」スコット・H・ヤング ダイヤモンド社
「たましいの場所」早川義男 筑摩書房
「大切にしたいものは何?」鶴見俊輔 晶文社
「平家物語 精解」大矢武師 加藤中道館
「改訂版 全共闘以後」外山恒一 イーストプレス
「オン・ザ・ロード」ジャック・ケルアック 河出文庫
「屍者の帝国」伊藤計劃 円城塔 河出書房新社
「かげろふ日記新釈」秋元一郎 加藤中道館
「高校数学読本1数と計算のはなし」武藤徹 日本評論社
「LYRICS1961-1973」「LYRICS1974-2012」ボブ・ディラン 岩波書店
「子どもとトラウマ」西澤裕 講談社現代新書
「古文単語343」村田正純 古田光 筑摩書房
「海洋記」「青春記」C・W・ニコル 実日新書
「漢字百話」白川静 中公新書
「ゴーストバスターズ」高橋源一郎 講談社
「ザ・スリー」スティーヴン・キング 角川書店
「一億三千万人のための論語教室」高橋源一郎 河出新書
「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」ブレイディみかこ 新潮社
「ギリシア倫理史 上下」O・ディットリッヒ 内田老鶴圃
「聖書の教 上下」R・A・トーレイ 森渓川出版
「明暗」「吾輩は猫である」「行人」「こころ」夏目漱石 新潮文庫
「歌い屋たち」なぎら健一 文藝春秋
「東京異聞録」小野不由美 新潮社
「異文化体験としての大都市」風間書房
「インサイト」サーシャ・ユーリック 英治出版
「人生は驚きに充ちている」中原昌也 新潮社
「虚人たち」筒井康隆 中公文庫
「ライオンは寝ている」大貫妙子 新潮社
「モモ」ミシャエル・エンデ 岩波少年文庫
「ほんまにオレはアホやろか」水木しげる 新潮文庫
「サリンジャー戦記」村上春樹 柴田元幸 文春新書
「鉛のバラ」丸山健二 新潮社
「出会いの不思議」河合隼雄 創元社
「これでおしまい」マルグリッド・デュラス 河出書房新社
「船を編む」三浦しをん 光文社
「梅原猛の歎異抄入門」PHP新書
「富士日記 上・中・下」武田百合子 中公文庫
「方丈記 精解」尾崎 加藤中道館 尾崎暢殃
「男どき女どき」向田邦子 新潮社
「おみそれ社長」星新一 講談社
「笑いと忘却の書」ミラン・クンデラ 集英社
「日本の戦争」田原総一朗
「ちくま 1月号、2月号、3月号、4月号、5月号、6月号、7月号」
「図書 1月号、2月号、3月号、4月号、5月号、6月号、7月号」
「波 1月号、2月号、3月号、4月号、5月号、6月号、7月号」
  3月からPCを操作して封筒や名詞やチラシを印刷する作業に変わりました。アドビのインデザインやイラストレーターやフォトショップなどの本格的なDTPソフトを使っています。1日に何千枚も印刷する日もありけっこう大変です。6月に中間テストがあり「現代文B」94点、「化学基礎」95点、「社会と情報」88点、「数学Ⅱ」67点でした。期末はもっと良い点取れるように頑張ります。今年読んだ本で感銘を受けたのは外山恒一「全共闘以後」とボブ・ディランの詩集です。毎日ボブ・ディランの原詩と訳をノートに書き写しています。
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kadookanobuhiko · 5 years
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父の死 連載第21回 夜空に咲いた花
   前々回の投稿で、ブログの反響がまったくないことを嘆いたら、その回は、なんと4名の読者から反応があった。大躍進である。まるで催促したみたいで申し訳ない。今後ともよろしくお願い致します(また催促しとるやないか!)。
 前回も快調で、3名のリアクションがあった。恐縮です。つい先日も、知り合いから葉書が届いた。ブログを読んでいることについて触れたあと<返事は送ってませんが、ずーと読者がここにいますよ>との有難いお言葉。私も返事を書いていないので、この場を借りて(というか自分の場所ではあるが)、H・Tさんにお礼を申し上げます。
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 8月は、メモリアルな月である。6日は広島に、9日は長崎に、人類史上初めて原爆が投下された。15日は敗戦・終戦記念日である。
 個人的には6日が私の誕生日であると同時に、父親の命日でもある。私は56歳になり、父の死から丸6年が経った。7回忌法要については、5月に記した通りである。
 当ブログの連載『父の死』も20回を超えた。これまでは残された母親について多く書いてきたので、今回は父親のことを記しておこうと思う。
 父親は1932年(昭和7)に、兵庫県加古川市別府町(当時は市ではなく加古郡)で生まれた。満州事変が始まった翌年、15年戦争のとば口のきな臭い時代である。子供のころ、家の近くで道路を戦車が通過するのを見たことがあると言っていた。もう少し早く生まれていたら、戦場に駆り出されていただろう。
 敗戦時は13歳である。ちなみに32年生まれの有名人には、稲盛和夫、福田繁雄、富田勲、ミシェル・ルグラン、船村徹、小林亜星、小室直樹、田中邦衛、仲代達矢らがいる。
 五木寛之と石原慎太郎もそうで、ふたりは誕生日も同じである(9月30日)。
 父親の父(私の祖父)は、骨粉工場に勤めていた。動物の骨や皮を大鍋に入れてかき混ぜる仕事で、悪臭が漂う劣悪な職場環境だった。父親が7歳のとき、祖父は工場の爆発事故で命を落とす。危険な職場でもあったようだ。
 父親には妹がひとりいる。兄妹は以後、母親(私の祖母)の手ひとつで育てられる。祖母は再婚しなかった。
 6年前に父親が亡くなったあと、昭和20年度の国民学校高等科2年時の通信簿が出てきた。現在でいうと小学6年生にあたる。同年度の学年成績は、優が8つ(修身、国語、国史、地理、理科、図画、工作、実業)、良上が5つ(算数、体操、武道、音楽、習字)である。当時の成績評価が、何段階なのかは詳らかではないが、なかなかの優等生のようだ。
 父親は戦時下に学徒動員で祖父の勤める工場に勤め、国民学校を卒業すると同時に、そこに就職する。母子・貧困家庭に、選択の余地はなかった。以後、父親は、定年まで同じ会社に47年間、勤めることになる。
 国民学校を卒業する前に、担任教師が祖母に、成績優秀なので上の学校に進学させることを薦めたという話は、前にも書いた(と思う)。
 退職時の職階は知らないが、私の記憶ではヘルメットをかぶった現場監督だった。主任あたりになるのだろうか。高校や大学に進学していたら、少なくとも課長や部長にはなれただろう。
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 私が幼いころの父親の記憶には、酒がついてまわる。酔った父親が、居間で四つん這いになり、私と妹がその背中にまたがっている。馬役の父親は、のろのろと畳の上を這い回り、私達は声をあげて喜んだ。素面では威厳を保った父親なので、酔わなければそんな遊びに付き合ってくれなかっただろう。
 たまに職場の同僚や部下を自宅に招待し、酒宴を開くことがあった。楽しい酒で、みんなが笑っていた。同僚に慕われているのが、子供心にもわかった。
 ただ、飲みだすと深酒をする悪癖があった。泥酔しては夜更けに帰宅し、玄関の上がりがまちで寝入り、母親をてこずらせたのは一度や二度ではない。
 私が小学生のころ、地元に公民館が完成した。昼間に祝賀会が開かれ、しこたま飲んだ父親は、自転車を置いて徒歩で帰路についた。だが、まともに歩けず、公民館のすぐ隣りにある公園の柵につかまって体を揺らしていた。
 私はその公園で、草野球を楽しんでいたからタイミングが悪かった。数十メートル先に、父親の恥ずかしい姿が見えるではないか。
「あれ!? 伸ちゃん(私の愛称)のお父さん!」
 チームメイトが声をあげたが、私は知らないふりをした。父親の顔は真っ赤だったが、私はそれ以上に赤かったかもしれない。
 泥酔状態の父親の姿がトラウマになっているので、私は深酒をしないようにしている。とはいえ、年に何度かはそうなることが、ないことはない。にんげんだもの。
「あの時は、ほんま、恥ずかしかったで」
 父親が亡くなる前、昼間の泥酔事件について、私が本人の前でそうコメントしたことがある。父親は申し訳なさそうな顔をしていた。だが大昔の出来事を覚えていなかった。太平洋のように広く、摩周湖のように澄んだ心を持つ私は、その父を赦した。
 毎晩のように酔って帰って来た父親だが、実は私も謝らなければならないことがある。
 小学生のころ、私は居間で寝ていた。父親は背広で通勤しており、帰宅後は居間にそれを吊るしていた。私は夜中にこっそり起きては、背広のポケットにある父親の財布の中から、小銭を頻繁に頂戴していた。それを小学校の近くの駄菓子屋で、同級生に”交際費”として使っていた。悪いガキである。
 ある日の朝、父親が「財布にあった小銭がなくなってるんやけど、お前、知らんか?」と私に聞いた。何食わぬ顔をして「知らんよ」と答えたが、今から考えると、父親は気付いていたのかもしれない。それとも、わからないままだったのだろうか。酔っ払うと、いくら払ったか思い出せないときがよくあるからだ。
 ともあれ、私は窃盗を犯した上に、嘘までついた。もし私がワシントン少年のように正直者であったら、今やアメリカの大統領くらいにはなれていたかもしれない・・・。
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 子育てに関して、父親は私には細かなことは一切言わなかった。それは母親の役割で、これはという時にだけ、カミナリを落とした。手を出すこともあり、それを察知すると、私は裸足で玄関を飛び出した。
 そういった怖い面もあったが、ふだんは頼りがいがある、まさに一家の大黒柱だった。夜に父親が帰って来ると、嬉しくてまとわりついたものだ。台風が接近すると、父親が北側の小さな小窓にまで板を打ちつけ、強風に備えた。父親が家にいると、安心だった。
 父親が勤めた会社は、戦後は大規模工場の脱臭装置の製造・設置を手がけるようになる。私が中学・高校時代は海外出張が多く、突然「これから英語を勉強する」と言い出したこともあった。国民学校には英語の教科がなかったので、海外での仕事では語学で苦労したのだろう。英語に関しては宣言するだけで、学習した形跡はない。
 私の中学時代、父親にタイ転勤の話が舞い込んだ。私は学校が大嫌いだったので、父親について行くことを申し出た。伸彦少年の日本脱出計画である。家族でただひとり私だけが手を挙げ、父親の内諾を得た。
 だが、なぜかその話は沙汰止みになった。実現していれば、私は今ごろ、タイの王族の一員になっていたかもしれない・・・。
 海外出張の中でも、台湾にはしばしば訪れていた。土産によくカラスミを買って帰ってきたのを覚えている。向こうに友人もできたようで、もし言葉ができたら…と思ったのだろう。父親は、NHKのラジオ講座で、中国語を熱心に学び始めた。5~6年は続けただろうか。退職後には母親を連れて台湾の友人に会いに行っている。
 四つ違いの兄は、70年代の後半、父親に「これからは中国の時代や」と言われ、外大で中国語を専攻している。学歴は低かったが、先見の明はあった。
 私が地方紙を退職した直後の90年代半ば、両親と香港・中国を2週間ほど旅行したことがある。香港で1泊数千円の安宿に泊まったとき、ホテルの入り口でドアを開けようとしたが、なかなか開かなかった。スタッフが英語で説明してくれるのだが、私は聞き取れなかった。
 すると父親が「押すんやなくて、引けと言うとる」と教えてくれるではないか。えっ、お父ちゃんは、英語ができたんか、と一瞬感心したが、当のスタッフを見ると、しきりにドアを引くしぐさをしていた。私の早とちりであった。
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 家庭の事情で進学こそできなかったが、向学心はあった。会社員時代に書道を長く学んでいる。私は小学生のころ、父親の手ほどきを受けたことがある。自分ではうまく書けたと思うのだが、父親はなかなか「よし」とは言わなかった。父親からは書を通して、地道に努力することを学んだが、身についていないようだ。
 家にいるときは寝転びながら、よく人差し指で空書していた姿を今でも思い出す。あまり本を読む人ではなかったが、何十巻もある書道全集はそろえていた。今も実家の本棚にある。
 長らく地域の書道会に所属し、準同人の資格を取得している。同人は師範なので、かなりの腕前である。同人になれなかったのは、出張が多く、練習が満足にできなかったからだ。定年退職してから時間がとれないこともなかったが、そのころには書道熱は冷めていた。
 それでも年に何度かは墨をすり、筆を握った。盆踊り大会に寄付した個人・団体の名称を紙に書き、会場に張り出された。父親の達筆が、夜風にひるがえった。父亡き後は、パソコンがその役を果たしている。
 その盆踊りは、私が小学生のころに開館祝賀会が開かれた公民館の隣りの公園でおこなわれる。そう、父親が泥酔し、柵につかまった、あの公園である。
 父親が亡くなった夜、私は実家に帰り、そのまま滞在し、初盆を迎えた。その夏、地元の盆踊りを久しぶりに見に行った。盆には死者の魂が帰って来るという謂れがあるが、えらい早いお帰りやなと思いながら、ぼんやりと踊りの輪を見ていた。
 用を足しに隣りの公民館に寄ると、黒板に1年間に亡くなった人物の名前が白墨で書かれてあった。父親の名前を見つけたとき、本当にこの世からいなくなったことを実感した。
 屋外では地元の子供たちが、打ち上げ花火に興じていた。私にはその光の輪が、父親を送る供花に見えた。
 父と私のふるさとの夜空に咲いた光の花は、一瞬だけ輝きを見せ、すぐに消えた。<2019・8・29>
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yaasita · 2 years
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現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか(��編) 身元判明、そして分かったこと 2022/2/21 07:00 (JST)© 株式会社全国新聞ネット
タグ 47リポーターズ 社会 広島 特集ページを見る 地域再生大賞 📷 全国の地方新聞46紙と共同通信社が、地域モデルとなる活動団体を表彰しています
行旅死亡人の女性。遺品のアルバムから 📷 現金3400万円を残して亡くなった高齢女性。警察も探偵も身元を明らかにできなかった「行旅死亡人」だが、遺品の印鑑に刻まれた「沖宗」という珍しい姓を手がかりに、私たちはついに女性の身元を特定した。(共同通信=武田惇志、伊藤亜衣)(前編はこちら)https://nordot.app/861908753767972864?c=39546741839462401▽全国に100人程度しかいない珍しい姓インターネット上の情報では、「沖宗」姓は全国に100人程度しかいないという。沖宗家のルーツをブログで追究する広島県府中市の自営業、沖宗生郎さん(72)にメールで調査への協力を依頼すると、「私の親戚かもしれない人ですしね」と快諾してくれた。まず、電話帳で調べた各地の沖宗さんに取材しつつ、生郎さんが持つ江戸時代からの系図とつなぎ合わせることで、沖宗一族の家系図を作成することにした。その中に、よど号ハイジャック事件(1970年)の際に搭乗していた元客室乗務員の沖宗(旧姓)陽子さん(73)も含まれていた。彼女が保有していた詳細な系図を提供してくれたこともあり、ほぼ全国の沖宗姓の分布を網羅。その結果、系図が判明しないのは広島市内に点在する沖宗姓に絞られた。そこで昨年6月中旬の休日、広島市へ赴き、接触できていない沖宗姓を尋ね歩いた。2日間で計約10���の沖宗さん宅を訪れ、「周囲で行方が分からない女性はいませんか」と聞いたり、女性の写真を見せたりして回った。しかし「聞いたことありませんね」と言われるばかりで、ほとんど手応えが得られなかった。元広島市議の沖宗正明さん 📷 唯一、気になる話をしたのが元広島市議(自民)の沖宗正明さん(70)だ。玄関先で取材に応対してくれた。事情を説明すると「今春、亡くなった母には妹がいたそうですが、どこにいるのか…。母は何も話したがらず、気になっていました」と明かし、「市役所で戸籍を確認してみます」と言ってくれた。▽興奮した口調で「私の叔母でした」「千津子は私の叔母でした」。週明け、普段の仕事をしていると正明さんから携帯に電話があり、興奮した口ぶりでそう告げられた。戸籍上、千津子さんは正明さんの母である照子(故人)さんの妹で、4人姉妹の次女に当たっていた。姉妹は広島市南区の宇品地区の出身で、病院のカルテにあった「23歳まで広島におり、3人姉妹がいた」との生前の本人証言とも合致する。唯一違ったのは、生年が1933年となっていたこと。45年9月生まれとなっていた年金手帳の記載より12年も古かったことだ。33年と45年9月の間には、第二次世界大戦がある。「なんらかの理由で、生年月日を45年8月6日の原爆の日の後にずらそうとしたのだろうか?」との疑問も浮かんだ。正明さんによると、経緯は分からないが照子さんは被爆者健康手帳を持っていたという。それにしても実年齢と干支(えと)が1回りも違っていたとは衝撃的だった。戸籍謄本と年金関連の書類。生年月日が12年も違っている 📷 相続財産管理人の太田弁護士を通じ、判明した事情を兵庫県警へ連絡したところ、事態は動きだした。警察はDNA鑑定を実施。そして4カ月後、ついに遺体が「沖宗千津子」さん本人と判明した。婚姻歴がなく、自宅の契約名義だった「田中」姓には改姓していなかったことも分かった。正明さんもその後、少しずつ叔母の記憶を思い出していった。「確かに、子どものころ会った覚えがあります。けれど、彼女が30歳前後に広島を離れて関西へ出て以降、疎遠になったままでした。こんな形で再会するとは…人生とは何かを考えさせられる出来事です」残念ながら、千津子さんの姉妹のうち2歳年上の長女の照子さんと、10歳年下の末妹の2人は亡くなっていた。存命の三女も認知症で、詳しい話を聞くことはできない。めいの一人は「母は3姉妹だと聞いていた」と驚いていた。このエピソードも、千津子さんが何らかの事情で身を隠して生きていかざるをえなかった事情を私たちに想起させるものだった。▽「卒業後ぱたっと音信が…」千津子さんが生まれた広島市南区の宇品地区も訪れた。すでに姉妹の生家はなく、新たな住宅が建っており、当時を知る人は見つからなかった。一方、姉妹の母の生まれ故郷で、千津子さんが国民学校と中学時代を過ごした広島県呉市川尻町の小用(こよう)地区には、確かな痕跡が残されていた。広島県呉市川尻町の小用地区の風景 📷 瀬戸内海に面した港町、小用地区は漁業と海運の町として知られており、姉妹の父も船乗りをしていた。父母がどのように出会い、結婚したのかは定かではない。地区は山に沿って小さな民家が所狭しと立ち並んでいるが、一帯は空き家が多い。一歩入ると、車が通れないほど細い道が迷路のように続いていた。沖宗家を知る人を訪ね歩いて1時間。出会ったのが中土井ヒサヱさん(87)で、千津子さんより1学年下だが、同じ中学校に通っていたという。千津子さんの写真を見せると、「これや、千津子さんやな。千津子さんはどこ行っとったんかね。ええような人じゃった」と目を細めた。「千津子さんの親戚が住んどるけん」。教えてもらった住宅に行くと、親族の女性が現れ、千津子さんの実家を案内してくれた。坂の途中に建つ木造の平屋は葉に覆われ、長年空き家となっていた。千津子さんが住んでいた平屋 📷 太平洋戦争末期、広島市で国民学校生徒の疎開が始まったころ、11歳前後だった千津子さんは宇品地区から小用に疎開。終戦後に隣町の安登中学校を卒業している。中学時代の千津子さん(前列右から3番目) 📷 中土井さんの紹介で、国民学校と中学時代の同級生だった川岡シマヱさん(88)とも会うことができた。隣町に続く長い坂道を通って毎日、一緒に登校していたという親友だった。「千津ちゃんは、たいへんおとなしい人なんじゃわ。学校行きよる時、うちが家から出てくるのを遠慮がちに待ちよってねえ」。中学時代の千津子さんとの写真を見ながら「千津ちゃんは髪が癖毛じゃった。歌が上手やった」と懐かしんだ。千津子さんは原爆投下時、疎開で小用にいたことになり、川岡さんも小用からキノコ雲を目撃したという。「中学を卒業して、広島市に戻ったのを最後にぱたっと音信がなくなって。どうしとんじゃろうと、村でも話題になっとったが…」川岡シマヱさん 📷 ▽姉妹でたばこ工場に勤めていたおいの正明さんによると、母の照子さんは日本専売公社の社員だったが、一時期、姉妹で広島市南区の広島工場に通っていた記憶があるという。後身の日本たばこ産業(JT)が運営する「たばこと塩の博物館」(東京都墨田区)に問い合わせると、1956年度の広島工場の名簿が残されており、「巻上課」に「沖宗千津子」の名前があった。元社員数人に問い合わせても彼女を知る人はいなかったものの、唯一、広島市の丹羽和光さん(81)が覚えていた。丹羽さんは59年に専売公社に入社。丹羽さんによると、当時巻上課には約200人の社員がおり、一番人数の多い部署だった。そのうち男性は5分の1程度の女性職場で、千津子さんは機械の操作員だった。名簿に残された氏名=「たばこと塩の博物館」蔵(一部修正しています) 📷 丹羽さんが千津子さんのことを覚えているのは��ぜかと問うと「小柄できれいな人だったから」とはにかんだ。67年に新しい機械を導入したころには千津子さんは退職していたと記憶しているらしい。千津子さんは生前、「23歳の時に広島を出た」と話している。実年齢に合わせると当時は35歳だったことになり、1968年ごろだ。高度成長期の真っただ中。大阪は、70年開催の万博へ向かって活気にあふれていた。私たちは再び、原点の尼崎市にあった千津子さんの自宅に戻った。広島からここに移り住んだ彼女はどんな生活をしていたのだろうか。94年に製缶工場で起きた労災事故からさらなる手掛かりを見つけられないかと考えた。製缶工場は99年に看板を畳み、跡地には住宅が建っていた。周辺を訪ね歩いて出会った経営者の親族女性は、あの事故のことを覚えていた。千津子さんが普段より早く昼休みから工場に戻り、業務を再開した直後に事故が起きたという。沖宗千津子さんの年表 📷 60歳を過ぎてから右手指を全て失う事故は、彼女にどのような影を落としただろうか。女性によると、事故後は工場ともめることもなく退職したということだった。「(千津子さんには)旦那さんがいたはず。周囲とあまりコミュニケーションを取らず、誰に対しても心を開いてなさそうだった」と打ち明けてくれた。▽遺骨は届けられ、遺産も解決したが…警察庁によると2019年、全国で行方不明者は約8万7千人。行旅死亡人は年間600~700件ほどが官報に公告される。高齢者の孤独死に関する公的な全国統計はないが、ニッセイ基礎研究所が2011年に発表した推計では年間約2万7千人に上っている。何らかの事情で地縁や血縁から離れた末、人知れず亡くなる人々は万単位で存在するが、千津子さんもその一人だった。遺品には子どもの写真が2枚含まれていた。1枚は姉照子さんの次男、もう1枚は妹の長女と判明した。長い間、連絡を絶っていた姉妹の子どもの写真を大事に持っていたのはなぜなのか。故郷を離れて世間の目から隠れるように暮らしながらも、ずっと家族のことは忘れていなかったのだろう。無縁仏として尼崎市の斎場に納められていた千津子さんの遺骨は、昨年末、おいの正明さんの元に届き、菩提寺に納められた。自称・田中千津子さんが沖宗千津子さんと判明したことで、その相続人も確定し、遺産の件も無事、落着した。千津子さんが育った町を歩き、友人や知人を取材していると、ほとんどが無縁仏となる「行旅死亡人」にもそれぞれの人生があり、生の痕跡が確実にどこかに残されているものだ、ということを強く思った。しかし、それでも彼女がどんな後半生を送ったのか
は分からないまま。尼崎市のアパートを契約した「田中〇〇」という男性がどこの誰かも分かっていない。千津子さんの部屋には「田中〇●(〇〇と漢字が一字異なる)」宛ての大型家電量販店やガス会社からのはがきが残されていた。「田中〇●」の名前で購読していた新聞は2011年に契約を打ち切っていた。沖宗千津子さん(右)と一緒にいた男性 📷 千津子さんはなぜ広島を出たのか。12歳も年齢を偽っていた理由は何だったか。アパートで亡くなるまで身を隠すように暮らしていた日々について、何か新たな手掛かりは見つかるだろうか。「故郷を50年以上も離れ、叔母はどんな人生を送ったのだろう。幸せだったんでしょうか?」。正明さんの言葉が重く切なく響いた。情報提供やご意見は共同通信大阪社会部にお寄せ下さい。メールアドレス:[email protected]/ツイッター:@kyodonewsosaka
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geidaisounddesign · 7 years
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東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生修了制作展
みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙 vol. 2
わたしたちは遊ぶ 映画で遊ぶ この遊びとはなんだろう いくつか定義がある ここに二つ、三つその例を示そう 他人の鏡のなかに 自分の姿を映してみること 世界と自分自身とを 素早くそしてゆっくりと 忘れそして知ること 思考しそして語ること 奇妙な遊びだ これが人生なのだ
───「みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙」より ジャン=リュック・ゴダール
本上映会は東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻第11期生の修了制作展です。最初の上映から一年、四通の新しい手紙を書き送ります。
◆2017年1月28日(土) 29日(日) 横浜会場:東京藝術大学横浜校地馬車道校舎
◉2017年3月4日(土)〜10日(金) 渋谷会場:渋谷ユーロスペース
Twitter:@GeidaiFilm_11 Facebook:https://www.facebook.com/mintomo11/
◆横浜会場 【会期】2017年1月28日(土) 29日(日) 【会場】東京藝術大学横浜校地 馬車道校舎 3階大視聴覚室(103席) 横浜市中区本町4-44(みなとみらい線「馬車道」駅5、7番出口すぐ) 【料金】入場無料・予約不要 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 横浜市文化観光局 【スケジュール】 1月28日(土)12:30開場 13:00 『ミュジックのこどもたち』 14:30 『みつこと宇宙こぶ』 15:30 『わたしたちの家』 17:10 『情操家族』
1月29日(日)12:30開場 13:00 『情操家族』 14:40 『わたしたちの家』 16:20 『みつこと宇宙こぶ』 17:20 『ミュジックのこどもたち』
◉渋谷会場 【会期】2017年3月4日(土)~10日(金) 【会場】渋谷ユーロスペース 渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 3F 【会場ウェブサイト】http://www.eurospace.co.jp/ 【お問合わせ】03-3461-0211 【料金】前売券:700円 当日券:900円(均一) フリーパス券:1500円(会期中何度でも入場可能) 【主催】東京藝術大学大学院映像研究科 【スケジュール】 3月4日(土) 『情操家族』 3月5日(日) 『わたしたちの家』 3月6日(月) 『みつこと宇宙こぶ』 3月7日(火) 『情操家族』 3月8日(水) 『ミュジックのこどもたち』 3月9日(木) 『わたしたちの家』 3月10日(金) 『みつこと宇宙こぶ』『ミュジックのこどもたち』 ※連日21:00から上映 ※会期中舞台挨拶・トークあり
単純明快な作品などひとつもない。みんなそれぞれに、何か大きなものに挑み、気持ちのいいくらいの試行錯誤を繰り広げ、複雑で重層的な語り口の中から、必死で信じるに足るものを探し出そうとしている。そしてその中から、おそらく偶然なのだろうが、全ての作品に共通の物語的主題がはっきりと浮かび上がってきていることに驚いた。そのひとつは、いまや従来の家族はまったく機能していないという点。もうひとつは、男はほとんど役に立たないか傍観者にすぎず、主体は女性の手に握られているという点。……なるほど、そうかもしれない。しかし4人の若い作家たちにとって、そのことは決して悲観すべきことではなく、むしろ希望、世界と映画に立ち向かうための絶好の主題であるように思える。 黒沢清(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
ふと、昔見たある映画の中のセリフを思い出す。「世界を救うのはこどもや兵士や狂人なんだ」と。こどもとは、疲弊して色彩を失った世界を真新しい視線で再び息づかせるものであり、狂者とは、自分が何者であるか知らぬままに、世界の秩序や意味をかき乱し再生させるものであり、兵士とは、我を忘れて戦いに身を投ずるものであるとするなら、この4本の映画の中では、確かにそのようなものたちが、自ら傷つきながらも生き生きと行動し、世界に新たな光を与えているように見える。奇抜なアイディアや、派手な出来事によって映画を飾り立てることもないが、4本の映画はこどもと兵士と狂者とともに、それぞれの回路で世界に亀裂を生じさせ、映画と世界の新たな接続を試みるのである。 諏訪敦彦(東京藝術大学大学院映像研究科教授)
『ミュジックのこどもたち』
『ミュジックのこどもたち』 2017年/75分/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本・編集:佐々木健太 脚本:木村暉|プロデューサー:池本凌太郎 渡邊健悟|撮影:龍浩錕|照明:上野陸生|美術:美崎玲奈|衣装:栗田珠似|衣装協力:山崎忍|サウンドデザイン:川神正照|サウンドデザイン助手:仲間章雄|記録:李奥洋|助監督:野頭雄一郎|俳優担当:小林のんき|製作担当:森田雄司|音楽:高橋宏治 出演:伊東茄那 中崎敏 新津ちせ 鎌滝秋浩 長内映里香 生津徹 菊池芙美 小林永実
【あらすじ】 女子高生のマーフは、幼い時に母を亡くし、実父と義母、そのこどもである6歳のまあやと暮らしている。しかし酒に溺れる父には乱暴に扱われ学校でも孤独な生活を送っていた。夢見がちな幼いまあやとだけはいつも一緒にいる。ある日、森に迷いこんだマーフたちは、狩猟を生業とし、森の入り口に建つ古びた一軒家に住むマサとその叔父の次郎に出会う。マサと過ごす日々に、亡くなった母親の記憶やなつかしいうたを思い出すマーフ。音楽とうたのあふれるふしぎな森から、こどもたちの新たな旅がはじまる。
【監督プロフィール】 1985年北海道生まれ。立教大学映像身体学科卒業。大学在学中に『クーラン・オプティック』が仙台短篇映画祭に入選。『帰って来た珈琲隊長』は、ぴあフィルムフェスティバル2015にて上映された。藝大で16mm短編作品『どうでもいいけど』(脚本:木村暉)、他に杉野希妃主演のファンタジー短編『Alice』。
毅然と憎しみの感情を爆発させる主人公のたたずまいが美しい。憎しみが美しいというのが粋である。映画のヒロインとはこうでなければならない。家の内から外へ、あるいはその逆へ、彼女は自分の居場所を見つけようと絶え間なく移動する。まるで映画そのものが居場所を見つけ出そうとしているかのように。それにしても、ここはいったいどこだろうか。街のような森のような、この世のようなあの世のような…全ての境界線が曖昧になった一種の寓話的世界で、コミュニティの崩壊と再生が思いのほか壮大に描かれる。それと、森の中で突然行われる情事がまことにエロチックだった。 黒沢清
映画は、たとえどんなに荒唐無稽な世界であっても、それを「信じる」ように仕向けられる。その世界に綻びがないよう細心の注意が払われる。しかし、ここでは映像と映像が相互に補いながら一つの出来事をスムーズに了解させるよりむしろ、断絶し、エッジを際立たせ、世界は軋みはじめる。震えのようなその綻びには、何かのっぴきならないアンビバレンツな力学が働いており、そこに「映画」と向き合う作者の精神が現れていると思う。山間の古い家屋で世界と隔絶し、銃によって「命を頂いて」暮らし、やがて気球で好きなところへ自由に飛んで行こうとするマサたちの暮らし=孤立したユートピアが箱庭のように描かれるのであるが、地上にもはやユートピアが不可能であるとすれば、本当に空を飛んでいかなくてはならないのかもしれない。しかし、私たちは目に見えるものよりも、この軋み(音楽)こそを信じるべきなのだ。冒頭のマーフの微かな歌声が、やがて、堂々とした死者とのコーラスとして響くとき、音楽はその綻びから物語を超えて世界へ染み出すような感動的な響きを湛えている。 諏訪敦彦
『みつこと宇宙こぶ』
『みつこと宇宙こぶ』 2017年/40分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督・脚本:竹内里紗 脚本協力:峰尾賢人|プロデューサー:池本凌太郎 関口海音|撮影:松島翔平|照明:諸橋和希|美術:侯捷 王慧茹|衣装:栗田珠似|録音:清水裕紀子|サウンドデザイン:伊豆田廉明|編集:小林淳之介|助監督:川上知来 大杉拓真 山本英|製作担当:崔得龍|ヘアメイク:熊谷七海|特殊メイク:征矢杏子|音楽:金光佑実 出演:小松未来 金田悠希 島野颯太 宮野叶愛 百合原舞 伊原聖羅 篠崎颯夏 根矢涼香 坂井昌三 永山由里恵
【あらすじ】 9月20日。晴れ。目に見えない部分だから気になるのかな。最近「こぶ」の中身についてよく想像をふくらませてる。学校に行く道でも、お風呂に入っていても、夜に眠れないときも、ずうっと考えちゃう。だって「こぶ」の中身がわかれば、他のことについてもわかるような気がするんだ。
【監督プロフィール】 1991年生まれ。神奈川県出身。立教大学映像身体学科・映画美学校フィクションコース卒。大学の卒業制作として監督した『みちていく』が第15回TAMA NEW WAVEにてグランプリとベスト女優賞をW受賞し、翌年劇場公開。現在、DVDがレンタル・発売中となっている。DVDには藝大にて1年次に制作した16mm実習の短編『感光以前』も特典として収録されている。
主人公は13才の女子中学生だ。だから彼女の人間関係は学校を中心として形成されている。にもかかわらず、授業も教師も出てこない。彼女も作者もそういうものにまったく関心がないのだ。それより彼女は、驚くべき執着で何でも破壊してまわる。おそらく表面を砕いてその中身を確かめたいのだろう。それが大人になるための通過儀礼なのか、それとも子供の領域だけに許された遊戯なのかはわからない。しかし、一途に突き進む彼女の身のこなしは、有無を言わせぬ感動を呼ぶ。ふとジャン・ヴィゴの名前が浮かんだ。映画はきっと、このような者を肯定するために発明されたのだろう。 黒沢清
映画の中のこどもは、多くの場合その可愛らしさを利用されたり、大人が見たいと思う子供らしさを演じさせられたりする。しかし光子がしりとりをしながら商店街を駆け抜けるスピード、横断歩道でフラミンゴのように片足��ブラブラさせる立ち姿、セリフの間合いやちょっとした仕草が、彼女を映画世界の中にユニークに息づかせる。撮影、美術、音響も演出を的確に実現しているが、監督が俳優のユニークさを捉え、その身体を生かしながら、一方的な操作に陥らぬよう、共働者として光子を演じる俳優に映画作りに参画させているように思える。そのことで、私たちはまだ子供っぽい光子の妄想を生きることが可能になる。こぶを恋心のシンボルのように扱ってしまえば陳腐なイメージになってしまうが、こぶは光子の言うように宇宙そのものであって、その妄想を生きる狂気が、世界を息づかせるのだ。こぶが消えると、光子は大人になって、この現実世界に回帰する。彼女の身体表現や発話を変化させて成長というものが確かに視覚化されていることが素晴らしいが、光子がさらに別の宇宙を生きる結末を見てみたい気もする。 諏訪敦彦
『わたしたちの家』
『わたしたちの家』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:清原惟 脚本:清原惟 加藤法子|プロデューサー:池本凌太郎 佐野大|撮影:千田瞭太|照明:諸橋和希|美術:加藤瑶子|衣装:青木悠里|サウンドデザイン:伊藤泰信|編集:Kambaraliev Janybek|助監督:廣田耕平 山本英 川上知来|音楽:杉本佳一 出演:河西和香 安野由記子 大沢まりを 藤原芽生 菊沢将憲 古屋利雄 吉田明花音 北村海歩 平川玲奈 大石貴也 小田篤 律子 伏見陵 タカラマハヤ
【あらすじ】 ある一軒の家には二つの時間が流れていた。 14歳のセリは母親の桐子と二人暮らし。セリは桐子が新しい恋人をつくったことに反発している。ある日、セリはお父さんの倉庫からクリスマスツリーを出してきて……。 自分がどこからやってきたのかわからない、突然記憶を失くしてしまった女、サナ。目覚めた船の中で、サナは透子という女に出会う。あてのないサナは透子の家で暮らし始める。
【監督プロフィール】 1992年生まれ。東京都出身。武蔵野美術大学映像学科卒。同大学在学中に監督した『暁の石』がPFFアワード2014に入選。同卒業制作の『ひとつのバガテル』がPFFアワード2015に2年連続で入選、第16回TAMA NEW WAVEにノミネートされる。他に藝大で制作した『しじゅうご円』『音日記』がある。
暗い古風な家の中で二つの物語が交錯していくわけだが、よくこんなアイデアを思いついたものだ。しかも、その突飛な設定がまったく上滑りせず、あらゆる画面にサスペンスとして機能している。これを実現するには、相当な才能と計算が必要だろう。また、海の向こうがザワザワしていて、妙に気になった。ここは多分どこかの島なのだろうと思うが、ひょっとすると黄泉の国? もしかして、どちらかが幽霊なのか!? そう言えば、冒頭は少女たちが白衣をまとって暗闇の中で揺れているシーンだった。あれが恐ろしい物語が始まる予兆だったのか!! 興味は尽きない。 黒沢清
目覚めると記憶を失っていた女は自分が誰であるのか分からないまま、偶然に出会った女と共同生活を始める。亡くした父の面影と、新しい母親の恋人との間で揺れる少女の日常。全く関係のない二つの物語が、いわゆる平行世界として同じ一つの家屋で進行してゆく。二つの別の脚本を、一つの家屋を舞台に撮影するという実験は、ともすれば作り手の作為が透けて見えるようなものになりかねないが、この作品が魅力的なのは、平行世界を俯瞰して操作するような作者の視点を消し去り、ただポリフォニックに響き合う二つの世界の音楽に耳を傾けるように寄り添い構成されていることにあるように思える。1+1が2になるのではなく、互いに依存することも葛藤することもなく、ただ1と1としてあることで世界を開いてゆく。その「開かれ」に風が吹き込むように、それぞれが奏でる淡い物語はやがて溶け合って、世界をみずみずしく息づかせるのである。 諏訪敦彦
『情操家族』
『情操家族』 2017年/80分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP 監督:竹林宏之 脚本:今橋貴|プロデューサー:池本凌太郎 井前裕士郎|撮影:城田柾|照明:上野陸生|美術:侯捷|衣装:栗田珠似|録音:伊豆田廉明|サウンドデザイン:清水裕紀子|編集:小林淳之介|助監督:西川達郎 大杉拓真|製作主任:林宏妍 鈴木麻衣子|ヘアメイク:橋本申二 中麻��子|音楽:久徳亮 出演:山田キヌヲ 韓英恵 遠藤史人 松田北斗 川瀬陽太 柳谷一成
【あらすじ】 冬休み、小学校教師・小野今日子は勉学に遅れがある生徒・鉄平の補講授業を行う事になる。今日子は、鉄平の母・美映と不思議な絆で結ばれるのであった。一方、冬休みの合宿に行っていたはずの今日子の息子・三四郎が、なぜか万引きで捕まったという報が入り、ある隠し事をしている事が発覚するのだった……。
【監督プロフィール】 1988年生まれ、福岡県出身。明治学院大学文学部芸術学科に入学後、映画史を学び、映画制作を始める。主な監督作に『ハチとミツ-新しい季節-』(14)『帰れないふたり』(15)『ジョンとヨーコ』(16)がある。
面倒見のいい女教師が、何でもかんでも面倒を背負い込み、実に面倒臭いことになっていく物語。それにしても素晴らしくヘンな映画だった。まず主人公を含めて大人たちがみんなヘン。あまりにもずけずけと物を言う。家の構造もヘンだ。熱演する山田キヌヲが部屋を飛び出してクリスマスツリーか何かを押し倒すバルコニーのような場所のヘンさ。別れた夫がどうやら海辺の堤防と思われる場所で、突然タップダンスを踊るシーンでそのヘンさは極まる。息子もつられてタップを踏むのだが、これまで見たことのない異様な光景だった。テッペイという子供だけが唯一マトモで、物言わぬ彼のたたずまいが不思議と印象に残る。 黒沢清
小学校教師今日子は、彼女を取り巻く世界を律儀に秩序づけようと奔走し、同時にその過剰な行動によって世界を撹乱するトリックスターである。主婦仲間の下らない雑談から立ち去る今日子が、突如直角に方向転換して走り出す後ろ姿のように、彼女には他人や自分に見せようとする私と、彼女を突き動かす衝動の間をとりまとめる中間というものはなく、その変化は不意打ちとして周囲をたじろがせるのだ。しかし、不意打ちを食らうのはむしろ彼女のほうである。彼女の秩序は彼女だけのものであり、世界のほうは常に今日子の期待を裏切るように出現する。奇人、変人による(スクリューボール)コメディというジャンルに敬意を払いつつ周到に造形された脚本が素晴らしいが、一歩間違えばから騒ぎに陥ちるかもしれない狂気の主人公と世界との喜劇的対決を、俳優の演技、身体を信頼し、活写する演出の手腕がしなやかで恐ろしいほどに冴えている。 諏訪敦彦
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rikuyoshizawa · 2 years
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ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com #一点倒立 #子ども体操教室水曜日16時から16時45分 #バク転パーソナル教室 #バク転 #尼崎バク転 #武庫之荘バク転 #bmc子ども体操教室 #子供の運動能力開発 #iqを上げるには運動 #尼崎体操教室 #武庫之荘体操教室 #武庫町体操教室 #武庫川体操教室 #尼宝線体操教室 #尼崎 #武庫之荘 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/ChN-v5XvkOL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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korehayabai · 4 years
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男児暴行容疑で逮捕の2人を送検|NHK 群馬県のニュース
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2020年(令和2年)4月25日 土曜日
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外出自粛を 群馬
最新情報
24日現在 感染者数140人(12人死亡)
緊急メッセージ
群馬・茨城・栃木の知事会談 3県の県民に共同の緊急メッセージ
5月6日まで △不要不急の目的で県域またぐ往来の自粛
5月6日まで △密閉・密集・密接の「3密」 避けること
5月6日まで △3県以外の住民にも3県への訪問見合わせ求める
知事会見23日
県立学校臨時休校 5月末まで延長へ
軽症・無症状の感染者用宿泊施設として前橋市内のホテル150室
休業要請への支援
休業要請など応じた事業者に一律20万円 事業継続の支援金支給
対象 4月25日~5月6日 休業・営業時間短縮 中小企業・個人事業者
郵送・専用サイトによる申し込み要(5月上旬予定)
県内企業ワンストップセンター 027-226-2731
県内企業ワンストップセンター [email protected]
休業要請
大型連休明け5月6日まで
△バー・カラオケなど遊興施設 △大学・学習塾など
△小中学校・高校など文教施設 △集会場・展示場など
△スポーツクラブ・ボウリング場など運動施設
△パチンコ店・ゲームセンターなど遊技施設 △映画館・劇場など
△生活必需品の店舗・生活に必要なサービス業を除く商業施設
休業要請せず
休業要請せず △医療施設 △保育所���介護施設など福祉施設
△スーパー・コンビニ・ガソリンスタンド 生活必需品販売施設
休業要請せず △飲食店・居酒屋など食事提供施設
休業要請せず △ホテル・旅館など宿泊施設 △銀行など金融機関
休業要請せず △バス・電車・タクシーなどの交通機関 △工場など
呼びかけ
特別措置法 建物床面積1000平方メートル以下も 休業依頼
居酒屋含む飲食店など 営業5時~20時 酒など提供~19時 協力を
通院・生活必需品の買い物・出勤など除き 原則外出自粛を要請
医療相談窓口
感染症コールセンター 0570-082-820 9時~21時 平日・休日問わず
感染症コールセンター 027-223-1111 21時~翌9時 県庁守衛室経由
前橋市保健所 027-220-1151 平日/8時半~17時15分
前橋市保健所 027-224-1111 夜間・休日 市役所代表経由
高崎市保健所 027-381-6112 平日/8時半~21時
高崎市保健所 027-381-6123 夜間・休日
高崎市保健所 一般相談 027-381-6113/6114 平日/8時半~17時15分
高崎市保健所 一般相談 027-381-6123 夜間・休日
多言語相談
外国人総合相談ワンストップセンター027-289-8275 平日9時~17時
027-289-8275 土日祝/10時~16時 英語・ポルトガル語など
小中学校の休校
5月末まで延長 4月24日現在で18の市町村の小中学校
5月末まで 前橋市 高崎市 太田市 館林市 藤岡市 大泉町 明和町
5月末まで 邑楽町 板倉町 千代田町 玉村町 下仁田町 吉岡町
5月末まで 長野原町 草津町 神流町 嬬恋村 上野村
臨時休校していなかった南牧村 4月27日~5月17日休校
16の市町村 対応検討中
学校の相談
小中学校の相談 義務教育課 027-226-4616
県立高校の相談 高校教育課 027-226-4645
学童保育・保育園などの相談 027-226-2622
特別支援教育課 027-226-4656
私立学校の相談 027-226-2142
いずれも 平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
県内大学
群馬大学 4月20日~オンライン授業 5月6日まで自宅待機
県立県民健康科学大学 5月7・8日 オリエンテーション中止
県立県民健康科学大学 5月11日~ 遠隔による前期授業
県立女子大学 5月7~9日 オリエンテーション インターネットなど
県立女子大学 5月11日~ 遠隔による授業開始
前橋工科大学 5月9日~ オンライン授業開始
高崎経済大学 5月7日~ オンライン授業開始
高崎商科大学 4月27日 プレ授業実施 遠隔授業の操作確認など
高崎商科大学 5月11日~ オンライン授業開始
高崎健康福祉大学 5月11日~ オンライン授業開始
群馬医療福祉大学 4月13日~ オンライン授業開始
群馬医療福祉大学 5月7日~ 対面授業開始の予定 変更もあり
上武大学 5月7日~ 授業開始(授業形式は検討中)
関東学園大学 5月11日~ 授業開始(授業形式は検討中)
東洋大学板倉キャンパス 4月27日~ オンライン授業開始
経営・労働相談
△経営相談・労働相談(資金繰り・雇用・受発注取引・技術開発など)
感染症対策県内企業ワンストップセンター 027-226-2731
平日 8時半~17時15分 土日祝 10時~16時 FAX 027-223-5470
メールによる相談 [email protected]
△資金繰り・金融相談(対象 事業者)
群馬県経営支援課 027-226-3332 (平日 8時半~17時15分)
△中小企業等特別相談窓口 経営全般に関する無料相談
(対象 事業活動に影響を受ける中小企業・小規模事業者等)
群馬県産業支援機構 総合相談課 027-265-5013 027-265-5016
平日 8時半~17時15分
△経営相談(対象 中小企業・個人事業主)
群馬県産業支援機構 027-265-5013
平日 8時半~17時15分 土日祝 10時~16時
△経営相談(対象 事業活動・資金繰りなど影響の事業者)
経営に支障の中小企業に対する信用保証制度拡充
相談窓口 群馬県信用保証協会 保証統括部保証推進課など
相談窓口 平日(9時~17時10分)
土日祝(9時~17時)保証統括部保証推進課027-231-8875 電話のみ
△新型コロナウイルスに関する経営相談窓口
前橋商工会議所 027-234-5115 (平日 8時半~17時半)
高崎商工会議所 027-361-5171 (平日 8時45分~17時半)
△資金繰り・雇用の相談会(対象 経営に影響の事業者)
4月27日 高崎商工会議所 5月12日 藤岡商工会議所
5月13日 前橋商工会議所 5月15日 桐生商工会議所
各日程10時~15時 1社あたり約50分
開催日前々日(土日祝日除く)の正午までに申し込み
問合せ 感染症対策県内企業ワンストップセンター 027-226-2731
平日 8時半~17時15分 土日祝 10時~16時
資金繰り支援
一時的に業績悪化事業者を対象 設備資金・運転資金の貸付
日本政策金融公庫前橋支店 (中小企業事業) 027-243-0050
日本政策金融公庫前橋支店 (農林水産事業) 027-243-6061
日本政策金融公庫高崎支店 (国民生活事業) 027-326-1621
融資支援
△前橋市 経営安定資金による資金繰り支援
融資条件の緩和・利子補給・保証料補助・融資期間の延長特例など
問合せ 前橋市産業政策課 027-898-6983(平日 8時半~17時15分)
△高崎市 新型コロナウイルス緊急経済対策資金
運転資金の融資 対象 経営に支障ある中小企業者・中小企業団体
融資限度額3000万円以内 融資期間10年以内
高崎市が全額補給・補助 5年間の利子・信用保証料・事務手数料
高崎市商工振興課 027-321-1256 (平日 8時半~17時15分)
雇用調整助成金
雇用維持を図るための休業手当などに要した費用助成
問合せ 平日8時半~17時15分
群馬労働局 027-210-5008 ハローワーク前橋 027-290-2111
ハローワーク高崎 027-327-8609 ハローワーク安中 027-382-8609
ハローワーク桐生0277-22-8609 ハローワーク伊勢崎0270-23-8609
ハローワーク太田 0276-46-8609 ハローワーク館林 0276-75-8609
ハローワーク富岡 0274-62-8609 ハローワーク藤岡 0274-22-8609
ハローワーク渋川 0279-22-2636 ハローワーク中之条0279-75-2227
販売促進支援
前橋商工会議所 販路開拓サポート 過剰在庫解消・販売促進支援
詳しくは前橋商工会議所ホームページ参照
NPO法人経営
融資制度について 県民活動支援・広聴課 027-226-2293
平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
労働相談
△労働相談
労働条件・解雇・賃金不払いなど労働問題 使用者からの相談も
群馬県労働政策課 0120-54-6010 (平日 9時~17時15分)
△特別労働相談窓口
労働条件・安全衛生など職場の労働問題に関する相談
雇用の維持・確保に関する助成金・内定取り消し
群馬労働局総合労働相談コーナー 027-896-4739
027-896-4739 (平日 8時半~17時15分)
生活支援
群馬県社会福祉協議会
△休業などで収入減の世帯に生活費の貸し付け
貸付原則10万円以内(要件満たせば20万円以内) 無利子
受付・相談先 市町村の社会福祉協議会
△失業した人など対象に生活費など貸し付け
単身世帯 月15万円以内 2人以上の世帯 月20万円以内
貸し付け期間原則3か月 受付・相談先 市町村の社会福祉協議会
商業施設
高崎高島屋 臨時休業 食料品売り場は10時~18時
スズラン前橋店・高崎店 臨時休業 食料品売り場は10時~18時
高崎オーパ 臨時休業 食料品売り場は通常どおり7時~23時
イオンモール高崎 専門店街は休業(一部店舗除く)
イオンモール高崎 食料品売り場は8時~23時
けやきウォーク前橋 5月6日まで専門店 臨時休業か営業時間短縮
けやきウォーク前橋 5月6日まで食料品売り場 10時~20時短縮営業
ベイシア(県内41店舗)4月26日まで 一部店舗で短縮営業
ベイシア(県内41店舗)4月27日~5月6日一部店舗 短縮営業か休業
とりせん(県内28店舗)~5月6日 一部店舗で短縮営業
ヤオコー(県内16店舗) ~5月6日 一部店舗で1時間短縮営業
フレッセイ(県内46店舗)・ベルク(県内16店舗) 通常営業
県営住宅
入居希望の随時受付 解雇などで現住居の退去者などが対象
連帯保証人不要 収入が著しく低い者は家賃の減免措置あり
群馬県住宅供給公社管理部 027-223-5811 (平日8時半~17時15分)
群馬県県土整備部住宅政策課 027-226-3717(平日8時半~17時15分)
子ども相談
「24時間子供SOSダイヤル」 0120-0-78310 子ども向け
「子ども教育・子育て相談」 0270-26-9200 保護者も
DV被害相談
県女性相談センター 027-261-4466 平日/9時~19時半
027-261-4466 土曜/10時~17時 日曜(祝日除く)/13時~17時
児童虐待の相談
県内各児童相談所 電話番号189 24時間365日
人権侵害相談
群馬県生活こども課 027-226-2906
平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
消費生活相談
消費生活課(消費生活センター) 027-223-3001
平日/9時~17時 土曜/10時~16時 日曜祝日/電話番号188
感染性産業廃棄物
群馬県廃棄物・リサイクル課 027-226-2861
平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
工事現場予防対策
森林保全課027-226-3261 平日8時半~17時15分 土日祝10時~16時
下水処理の相談
下水環境課027-226-3682 平日8時半~17時15分 土日祝10時~16時
相談窓口
窓口不明の場合 群馬県県民生活支援・広聴課 027-226-2176
平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
県内の施設
△コンベンション施設「Gメッセ群馬」オープン5月6日以降に延期
△群馬県立近代美術館 5月7日まで臨時休館
△群馬県立自然史博物館 当面臨時休館
△群馬県立歴史博物館 5月上旬まで休館
△群馬県立館林美術館 5月7日まで休館
△群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館 5月6日まで臨時休館
△群馬県立日本絹の里 5月6日まで休館
△群馬県立ぐんま天文台 5月6日まで休館
△群馬県立ぐんま昆虫の森 5月6日まで休館
△群馬県立公園群馬の森 8:30~17:30 営業時間短縮 散歩のみ可能
△群馬県立観音山ファミリーパーク 散歩・軽運動のみ利用可
△富岡製糸場 5月6日まで臨時閉場
△ヤマダグリーンドーム前橋 5月6日まで臨時休館
△ヤマダグリーンドーム前橋 9月30日まで貸会場利用受付見合わせ
△前橋中央児童遊園るなぱあく 5月6日まで臨時休園
△高崎芸術劇場 △高崎アリーナ 5月6日まで休館
△群馬サファリパーク 5月6日まで臨時休園
△ぐんまこどもの国 5月6日まで閉園
△碓氷峠鉄道文化むら 5月12日まで休館
△伊勢崎市華蔵寺公園遊園地 5月31日まで臨時休園
△桐生が岡遊園地 桐生が岡動物園 当面利用不可
△館林市つつじが岡公園 当面閉鎖
△草津熱帯圏 通常通り営業
県主催イベント
中止・延期期間 大型連休明けまで延長
開催基準の問い合わせ 群馬県総務課危機管理室 027-226-2023
平日/8時半~17時15分 土日祝/10時~16時
県高校総体
群馬県高校体育連盟 中止を決定
高速道路
上信越道下り 横川サービスエリア内一部店舗 当面営業休止
上信越道下り横川SA 駐車場・トイレ・ガソリンスタンド営業継続
県内 道の駅
施設によって当面中止や営業時間短縮など営業時間に変更あり
観光地情報
△谷川岳ロープウェイ 当面臨時休業
△榛名山ロープウェイ 当面臨時休業
△伊香保ロープウェイ 5月6日まで臨時運休 夜間運行(5月6日)も
△尾瀬国立公園 5月22日19時まで入山不可 尾瀬周辺駐車場閉鎖
△尾瀬国立公園 山小屋・ビジターセンター・公衆トイレ利用不可
運転免許
更新手続 3か月延長措置 有効期限 令和2年3月13日~7月31日の人
延長措置 期限内に感染が疑われる症状・外出を避けたいの申し出
県総合交通センター・警察署で本人・代理人が手続き
更新手続きできず運転免許失効の場合 条件満たせば免許再取得も
車検証期間延長
有効期限4月17日~5月末の群馬県で登録自動車 7万2000台余
6月1日まで延長 自賠責保険も継続契約の手続き猶予
献血呼びかけ
県内も献血不足 群馬県赤十字血液センター 献血協力呼びかけ
混雑避けるため電話予約を 高崎駅献血ルーム 0120-805-870
前橋献血ルーム 0120-805-871 太田献血ルーム 0120-805-872 
マスク着用必須 できるだけ付き添いの同行の自粛を
前橋市の情報
△市立図書館本館・15の分館・こども図書館 5月6日まで臨時休館
市内の図書館 休館中 本の返却・返却ポストも休止
△中止 「須賀の園」藤まつり(4月25日・26日) 藤の花は観覧可
△中止「産泰神社太々神楽 二之宮式三番叟・薪能まつり」5月16日
△市税支払猶予 収入大幅減の場合 無担保かつ延滞金なしで1年間
徴収の猶予制度 前橋市収納課 027-898-6233 平日8時半~17時15分
個人市民税 前橋市市民税課 027-898-6203 平日8時半~17時15分
法人市民税 前橋市市民税課 027-898-6209 平日8時半~17時15分
軽自動車税 前橋市市民税課 027-898-5842 平日8時半~17時15分
固定資産税 前橋市資産税課 027-898-6216 平日8時半~17時15分
△水道料金・下水道使用料など 支払猶予の相談
前橋市水道局お客様センター 027-898-3300(平日8時半~17時15分)
△農林業支援 貸付利子5年間の実質無利子化 保証料5年間免除など
問合せ 前橋市農政課 027-898-6702 (平日8時半~17時15分)
△市営住宅 収入減少著しい方対象に家賃減免 確認できる書類必要
群馬県住宅供給公社前橋支所 027-898-6986 平日8時半~17時15分
高崎市の情報
△図書館(中央図書館含む6か所)公民館45か所 5月6日まで休館
△小中学校開放 教室・図書室・体育館 月~金 8時頃~16時頃
利用を希望する場合 事前に学校に連絡・相談
△中止 「榛名山ヒルクライムin高崎」(5月16日・17日予定)
△中止 「吉井どろんこ祭り2020」(5月30日・31日予定)
△市税 納税困難者に対する猶予制度 原則として1年以内
書類提出 高崎市納税課 027-321-1226 (平日8時半~17時15分)
△水道料金・下水道使用料・農業集落排水使用料 最長4か月支払猶予
高崎市水道局料金課 027-321-1283 (平日8時半~17時15分)
△経営に支障が出ている農業者の資金繰りを支援
固定で低利 融資に伴う利子・信用保証料・事務手数料を市が補助
融資限度額3000万円 融資期間10年以内
問合せ 高崎市農林課 027-321-1261 (平日8時半~17時15分)
桐生市の情報
△桐生市新里温水プール 当面施設利用不可
△中止 天満宮古民具骨董市・買場紗綾市・桐生楽市(5月2日)
△中止 桐生えきなか市 (5月3日・10日・17日・24日・31日予定)
△内定取り消し学生 市の会計年度任用職員(パートタイム)5人任用
市内に居住か実家が市内にある大学・短大・専門学校・高校新卒者
総務部人材育成課 0277-46-1111(平日 8時半~17時15分)
伊勢崎市の情報
△相談対応コールセンター0274-22-1211 8時半~20時(休日含む)
△感染症コールセンター 0270-24-5111 平日/8時半~17時15分
△伊勢崎市内の体育館・図書館 5月31日まで休館
△伊勢崎市内公民館 5月31日まで施設貸し出し中止 窓口業務のみ
太田市の情報
△中止 藤岡ふじまつり(~5月6日)
△多くの施設 連休明け5月6日ごろまで休館
沼田市の情報
△中央公民館 5月6日まで 利用・貸し出し中止
△沼田市立図書館 5月6日まで休館 ブックポストは利用可
△南郷温泉しゃくなげの湯 5月7日まで休館 温泉スタンド利用可
△中止 沼田まつり(8月3~5日予定)
△規模縮小 老神温泉大蛇まつり(5月8日・9日予定)
館林市の情報
△小中学校 登校日週1回程度 4月分の学校給食費の口座振替なし
自宅で過ごすのが困難な児童生徒を学校で受け入れ 学校に相談を
△スポーツ施設 つつじ映像学習館 各公民館 図書館 当面休館
向井千秋記念子ども科学館 総合福祉センター 当面休館
老人福祉センター 児童センター 赤羽・西児童館 5月6日まで休館
△多くのイベント 開催中止
5/24に延期 小学生教室なんでもチャレンジ隊募集受付(西児童館)
5/23に延期 小学校教室わくわくクラブ募集受付(赤羽児童館)
5/30に延期 ホビィキッズ前期募集受付など(児童センター)
渋川市の情報
△国保あかぎ診療所(渋川市) 発熱スクリーニング外来
診療開設時間 月~土 13時半~15時半 日祝 10時~正午
電話による完全予約制 080-2208-3876 PCR検査実施せず
△渋川スカイランドパーク遊園地 5月6日まで休園
△伊香保温泉石段の湯 5月6日まで休館
△中止 小野上温泉まつり4月29日・渋川山車まつり9月11日~13日
△延期 日本のまんなか渋川へそ祭り 6月5日・6月6日 時期未定
藤岡市 相談窓口
△相談対応コールセンター 0274-22-1211 8時半~20時(休日も)
富岡市の情報
△富岡保健福祉事務所 0274-62-1541 平日/8時半~17時15分 受診
△妙義ふれあいプラザ・かぶら文化ホール・地区公民館 当面休館
△富岡市内のすべての体育施設・図書館 当面休館
△中止 妙義山ビューライドin富岡2020(5月10日予定)
△中止 富岡市民スポーツ大会オープニング大会(5月17日)
安中市の情報
△安中市文化センター 安中市松井田文化会館 5月7日まで休館
△安中図書館 松井田図書館 5月7日まで休館
△安中地区公民館(8館) 中央体育館 5月6日まで休館
△松井田地区生涯学習センター(5センター)5月6日まで休館
△中止 安政遠足侍マラソン(5月10日予定)
みどり市の情報
△桐生大学グリーンアリーナ(市民体育館) 当面休館
△小平の里・大間々駅前観光案内所 当面休館
△中止 グリーンだよ!全員集合(5月4日・5日予定)
△延期 わたらせ渓谷工芸まつり(5月30日・31日 秋に開催予定)
榛東村の情報
△隣保館(楽集センター)・児童館・ふれあい館 当面利用中止
△中央公民館・南部コミュニティセンター 当面利用中止
△耳飾り館・教育集会所・しんとうスポーツアリーナ 当面利用中止
△地区体育館・南部運動公園(サッカーコート) 当面利用中止
△しんとう総合グラウンド・スポーツアリーナ 当面利用中止
△創造の森キャンプ場 5月6日まで休場
吉岡町の情報
△社会体育館・町民グラウンド 5月20日まで貸出中止
△吉岡町図書館 5月20日まで休館
下仁田町の情報
△ほたる山公園 こんにゃく手作り体験道場 当面利用中止
△中止 神津牧場花祭り(5月17日予定)
南牧村の情報
△道の駅オアシスなんもく食堂 5月6日まで10時半~15時短縮営業
△なんもく村自然公園 5月6日まで利用休止
△中央公民館 トレーニングセンター 5月6日まで利用休止
△農業体験農園施設(千原ドーム) 5月6日まで利用休止
甘楽町の情報
△かんら健康ダイヤル24 0120-002-028 365日24時間
△ら・ら・かんら・名勝楽山園 5月31日まで休業
△歴史民俗資料館 5月31日まで休館
△中止 楽山園夜間ライトアップ(5月1日~10日予定)
△8月29日に延期 ふれあいの丘歌謡祭(5月17日予定)
△中止 大名庭園のホタル観��会(6月上旬予定)
△中止 甘楽町花火大会(8月14日予定)
中之条町の情報
△ふるさと交流センターつむじ 5月6日まで テナント一部営業
△尻焼温泉(川の湯・駐車場) 5月6日まで営業休止
△中之条町自動車教習所 5月6日まで営業休止
△中止 スパトレイル(四万to草津)(6月28日予定)
△中止 嵩山まつり 鯉のぼりも(5月5日予定)
△中止 温泉郷クラフトシアター(7月25日~8月2日予定)
長野原町の情報
△住民総合センター 5月6日まで閉館・利用休止
△総合運動場・屋内運動場 5月6日まで利用休止
△川原畑グランドゴルフ場 5月6日まで利用休止
△北軽井沢ミュージックホール 5月6日まで利用休止
嬬恋村の情報
△がん検診は中止 村内の病院 診療所 基本的に通常通り
△総合グラウンド 西部運動公園 5月6日まで利用休止
△農村環境改善センター 当面休館
△託児施設「にこにこ広場」 休館
△嬬恋会館・図書室・嬬恋郷土資料館 利用なるべく控えて
△中止 嬬恋高原キャベツマラソン(7月) みどりマラソン(4月)
草津町の情報
△公民館・公民館前口分館・温泉図書館・体育施設 当面休館
△無料相談会 労務士による雇用調整助成金 申請手続きなど
草津町役場 4階大会議室 5月1日13時~17時
高山村の情報
△高山温泉ふれあいプラザ 宿泊施設コテージ 5月10日まで休業
△みどりの村キャンプ場・レストラン 5月10日まで休業
△ふれあいパーク 5月10日まで休業
△幼稚園・保育所・児童館 休園・休館 5月10日まで延長
東吾妻町の情報
△公民館・コンベンションホール・体育施設 当面貸出中止
△認定こども園 5月6日まで休園
△中止 三名城周遊シャトルバス(5月3日・24日)
△延期 自転車型トロッコ(5月2日予定)時期未定
△延期 上州真田三名城ウオーキング(5月9日・16日)時期未定
片品村の情報
△体育施設・文化施設 当面利用中止
川場村の情報
△体育館・テニスコートなど 5月6日まで閉鎖
△スポーツ広場(サッカー場)・スポーツクラブ 5月6日まで閉鎖
△歴史民俗資料館・てんぐ山公園 5月6日まで閉鎖
△文化会館図書室 5月6日まで閉鎖
板倉町イベント
△中止 ~4月30日 絵手紙の会作品展
△延期 朝風会絵画展(期日未定)
△延期 ひまわりキッズ入会手続き(5月22日)
△中止 児童館のおはなし会(4月27日)
△中止 5~6月の土曜日と日曜日 春の揚舟 谷田川めぐり
明和町の情報
△中央公民館 社会体育館 B&G海洋センター 当分の間休館
△日本キャンパックホール・図書館 当分の間休館
△ふれあいセンタースズカケ/ポプラ 当分の間休館
△社会福祉会館 老人福祉センター 4月30日まで休館
△6月24日に延期 町民ゴルフ大会(5月27日予定) 健康相談中止
千代田町イベント
△5月29日までに予定されていた乳児相談 2歳児健診など中止
大泉町 イベント
△中止 大泉盆栽会 春の盆栽・山野草展など
邑楽町 小中学校
△中学校の部活動も実施せず
東京都呼びかけ
▽外出分散するため買い物は3日に1回程度に
 必要以上の買いだめはやめる
▽5月6日までの12日間
 家にとどまり命を守る「ステイホーム週間」
 これまで以上に外出自粛の徹底を強く呼びかけ
子ども感染したら
子どもが新型コロナウイルスに感染した場合
家族の対応について日本小児科学会が見解
▽軽症の場合
 原則として自宅での療養を考慮する
 電話などで医師が毎日状態を確認
 高齢者など重症化リスク高い人と同居の場合
 →医師との相談が必要
▽入院の場合
 保護者が同じ部屋で付き添うことを考慮する
都立学校休校延長
東京都教育委員会
▽都立の高校・中高一貫校・特別支援学校
 休校期間を5月8日までに延長
▽都内の小中学校
 区市町村の教育委員会に対し
 都立学校の対応を参考に対応とるよう通知
接触減らすために
専門家会議
「人との接触を8割減らす10のポイント」
▽帰省は避ける ビデオ通話の活用を
▽買い物は1人か少人数で 空いている時間に
▽ジョギングは少人数
 公園は空いている時間・場所を選ぶ
▽急ぎではない買い物は 通信販売
▽飲み会はオンラインで
▽診療はオンライン等による遠隔診療
▽筋トレやヨガは 自宅で動画を活用
▽飲食は持ち帰りや宅配を利用
▽仕事は在宅勤務で
 通勤は医療・インフラ・物流等の業種に限る
▽会話はマスクをつけて
各県知事の訴え
▽神奈川県 黒岩知事
 「今は神奈川にも湘南の海にも来ないで」
 大型連休中の外出を控えるよう強く訴え
▽茨城県 大井川知事
 栃木県 福田知事・群馬県 山本知事
 3県の知事が緊急メッセージ
 大型連休中は帰省や旅行で
 北関東3県を訪れないよう強く求める
観光地の対応
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため
観光地では大型連休中の来訪自粛を呼びかけ
▽神奈川県箱根町
 大型連休中 大涌谷を閉鎖
 箱根町内ではすでに臨時休業の動き
 主な美術館やロープウエー
 ホテル・旅館の6割以上
▽小田原市
 大型連休中 一部の観光施設を休業
▽高尾山(25日~5月6日)
 ケーブルカー運休
 高尾山薬王院 境内への立ち入り禁止
▽東京 奥多摩町「訪問自粛を」24日夕方~
 町内の30の観光駐車場���閉鎖
▽東京 青梅市・桧原村  観光駐車場を閉鎖
▽千葉県館山市
 市内観光地にある8つの駐車場を閉鎖
 沖ノ島に通じる道路を閉鎖
▽埼玉県秩父地域の自治体
 大型連休中の訪問自粛を呼びかけ
 秩父地域では
 すでに多くの観光施設が営業を取りやめ
▽山梨県
 富士山のふもとと5合目とを結ぶ
 「富士スバルライン」を通行止めに
▽尾瀬国立公園
 当面 入園自粛のお願い
 山小屋・ビジターセンター・公衆トイレ
 →利用不可
▽谷川岳ロープウェイ 榛名山ロープウェイ
 当面臨時休業
都立公園の対応
東京都 今月25日から来月6日まで
代々木公園・井の頭公園・砧公園など
すべての都立公園の駐車場・遊具広場を閉鎖
辰巳の森海浜公園などすべての都立海上公園でも
▽公園内での散歩やジョギング
 少人数で混雑を避ける マスクを着用する
 人と人との距離を十分保つなど
 →感染予防対策の徹底呼びかけ
大型連休の高速道
高速道路各社
大型連休中の地方高速道路 休日割引せず
東京・大阪近郊を除く 29日~5月6日
「都道府県またぐ不要不急の移動自粛を」
営業自粛を要請
 SAやPAのレストランと土産物店
 店舗の情報はHPで確認を
通常通り営業継続
 ガソリンスタンドやシャワーなどの設備
東京都 相談窓口
新型コロナウイルスに関する
東京都の一般相談窓口
▽感染予防に関すること
▽心配な症状への対応 など
 0570-550-571 9時~22時(毎日)
日本語・英語・中国語・韓国語で対応可能
都内 相談窓口
新型コロナウイルスや緊急事態宣言など
住民からの相談を幅広く受け付け
▽中央区 
 区緊急事態措置相談センター
 03-6281-5070 平日9時~17時
▽目黒区
 新型コロナ対策コールセンター
 03-5722-9435 平日8時30分~17時
▽豊島区 
 新型コロナウイルスに関する
 区民相談コールセンター
 03-4566-2466 平日8時30分~17時
▽八王子市
 新型コロナウイルス感染症に関する
 総合コールセンター(土日休日含む)
 042-620-7253 8時30分~17時
 ファックス 042-620-7322
▽調布市 
 新型コロナウイルスコールセンター
 042-481-7177 平日9時~17時
▽東久留米市
 市コロナ対策コールセンター
 042-470-1078 平日9時~17時
▽西東京市 
 新型コロナウイルス感染症対策
 専用ダイヤル
 042-420-2870 平日9時~17時
▽瑞穂町 
 新型コロナウイルス感染症関連情報
 専用代表電話
 042-557-6690 平日8時30分~17時
神奈川 相談窓口
神奈川県
新型コロナウイルス感染症専用ダイヤル 
▽症状や感染不安のある方・健康・医療関連
 045-285-0536 毎日9時~21時
▽緊急事態宣言・特別措置法など
 045-285-0536
 平日9時~17時(経営・融資・協力金関連も)
 045-285-0637
 平日17時~21時 休日9時~21時
横浜市 相談窓口
感染症コールセンター
▽予防方法・症状出た時の対応など一般的な相談
 045-550-5530 9時~21時(土日祝含む)
▽緊急事態宣言等の相談
 045-264-8031 9時~17時(平日)
川崎市 相談窓口
感染症や予防方法など 一般的な相談受け付け
川崎市新型コロナウイルス感染症コールセンター
044-200-0730 8時30分~21時(土日祝も)
相模原 相談窓口
新型コロナウイルスに関する一般的な相談
新型コロナウイルス感染症コールセンター
 042-769-8204 9時~21時(土日祝含む)
埼玉県 相談窓口
新型コロナウイルス感染症県民サポートセンター
電話相談窓口を一元化 
電話 0570-783-770
FAX 048-830-4808
土曜・日曜・祝日含め24時間対応
さいたま市 窓口
さいたま市 市民の不安・疑問受付の専用ダイヤル
▽緊急事態宣言の内容全般
 048-829-1354
▽学校対応など教育委員会関連
 048-829-1355
受付 5月6日まで
   平日8時半~17時15分
新型コロナウイルスに関する検査などは
従来どおり 区の保健センターや
帰国者・接触者相談センターで受け付け
千葉県 相談窓口
千葉県電話相談窓口(コールセンター)
相談窓口を一元化
電話 0570-200-613
土曜・日曜・祝日含め24時間対応
千葉 外国人窓口
外国人電話相談
窓口 千葉県国際交流センター
(日本語 英語 中国語 韓国語
タイ語 ネパール語 ヒンディー語
タガログ語 スペイン語
ポルトガル語 ベトナム語
ロシア語 インドネシア語)
電話 043-297-2966
043-297-0245
いずれも 平日9時~12時 13時~16時
千葉市 相談窓口
千葉市 市民向けの相談窓口開設
感染予防や健康不安などについて相談可
043-238-9966 9時~19時(土日祝17時まで)
耳や言葉の不自由な人向け 
茨城県 相談窓口
新型コロナウイルスに関する相談・感染予防など
 029-301-3200 毎日24時間対応
▽休業要請や協力金について(18日~)
 029-301-5375 毎日9時~17時
群馬県 相談窓口
群馬県新型コロナウイルス感染症コールセンター
 新型コロナウイルスの予防や治療など
 0570-082-820 毎日9時~21時
 相談内容によって県内12の保健所の窓口紹介
 ※感染が疑われるような症状や急な診療
  早朝や夜間でも県庁027-223-1111で受付
▽感染症対策県内企業ワンストップセンター
 会社の経営や雇用などに関する相談受付
 027-226-2731
 平日8時半~17時15分 土日祝10時~16時
栃木県 相談窓口
栃木県新型コロナウイルスコールセンター
 感染予防や心配な症状が出たときの対応など
 0570-052-092 毎日24時間対応
 ▽聴覚障害のある人など ファックスでも受付
 平日8時半~20時 028-623-3052
 平日20時~翌8時半・休日 028-623-2527
 ▽日本語以外での相談窓口
  とちぎ外国人相談サポートセンター
  028-678-8282 24時間 18言語対応
 
法律相談窓口
日本弁護士連合会 無料相談窓口を開設
▽給与の減少や解雇など個人の労働問題
 外出自粛で懸念されているDVの問題
 事業者の資金繰りや雇用など幅広く対応
▽受付 0570-073-567(平日12時~14時)
 日弁連HPでは24時間受付
 申し込み受付後 地域の担当弁護士から連絡
10万円給付概要
総務省 10万円一律給付の概要を発表
▽対象
住民基本台帳に記載のすべての人(4月27日時点)
 国内に住む日本人
 3か月超の在留資格などを持ち
 住民票を届け出ている外国人
▽手続き
 市区町村から送られてくる申請書に
 世帯主名義の金融機関の口座番号など記入
 口座確認できる書類と
 本人確認の書類のコピーを返送
 →家族分の給付金がまとめて振り込まれる
※世帯主からのDV被害で避難している場合
 →現住所のある市町村に事前申出・申請を
※ホームレスの人など
 自立支援センターの支援得て住民登録→給付
※マイナンバーカードを持っている人
 →オンラインでの申請可能
※受け取りを希望しない場合
 家族の一部の場合→申請書の記載欄に記入
 家族全員の場合→申請書の返送不要
※口座がない・金融機関から遠い
 自治体窓口に申請書直接提出し
 後日、給付金を受け取ることも可能
▽受付の開始 市区町村が決定 
 申請期限は受け付け開始から3か月以内
▽専用のコールセンターで相談受け付け
 03-5638-5855 9時~18時半(土日祝除く)
▽総務省のHPに特設ページ      
https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/
gyoumukanri_sonota/covid-19/kyufukin.html
不審メールに注意
10万円一律給付めぐり詐欺とみられるメール
総務省が注意呼びかけ
「国や市区町村が個人のPCやスマホに
 メールを送ることはない」
「電話で口座番号や暗証番号を
 問い合わせることもない」
持続化給付金
売り上げ大きく落ち込んだ
個人事業主など支援する国の制度
返済の必要ない給付金を受け取れる
▽条件
 ことし1月~12月のいずれかの月で
 売り上げが去年同月に比べ半分以上減少
▽支給額
 フリーランス含む個人事業主 上限100万円
 中小企業・小規模事業者 上限200万円
原則ネット申請の方向で調整
国 5月中の支給開始目指す
問合せ
 中小企業金融・給付金相談窓口
 0570-783183(平日・休日 9時~17時)
雇用調整助成金
売り上げが減少しても雇用を維持した企業
→国が休業手当などの費用の一部を助成する制度
▽必要な書類の数 記載する内容を半減
 事後申請を認めることに
▽申請から支給までの期間
 これまでの半分の1か月ほどに短縮
無利子無担保融資
中小企業などの資金繰り支援するための国の制度
フリーランスを含む個人事業主も対象
外出自粛・需要落ち込みにより収入大幅減に対応
▽上限3000万円
▽問合せ
 中小企業金融・給付金相談窓口 0570-783183
 日本政策金融公庫 平日 0120-154-505
          土日祝 0120-112476
傷病手当金
▽けがや病気で4日間以上仕事を休み
 収入が減少した場合に受け取れる
  公的医療保険の手当
▽企業などで働く人が
 新型コロナウイルス感染で仕事を休み
 収入が得られなくなった場合にも利用可能
▽感染が疑われる症状があり
  自宅で療養した場合も受け取れる
▽ほかの人の感染で職場が休業した場合は対象外
▽濃厚接触者になった場合も療養不要なら対象外
問合せ 勤務先や加入している公的健康保険
金融相談電話窓口
資金繰りに困る企業や個人向けの電話相談窓口
▽金融庁
 0120-156811 平日10時から17時
 金融機関との融資に関するやりとりの疑問点や
 政府の資金繰り支援策の内容説明に対応
▽金融機関の業界団体が資金繰りの相談を受付
 いずれも平日9時から17時
 全国銀行協会     0570-017109
 全国信用金庫協会   03-3517-5825
 全国信用組合中央協会 03-3567-2456
▽個人向け資金繰りの相談を受付
 全国労働金庫協会 03-3295-6740
 平日9時~17時
企業給付金相談
経済産業省
中小企業などを対象の給付金制度や
資金繰りの支援策について相談受け付け
電話相談窓口 0570-783183
受付 平日・休日ともに 9時~17時
厚労省 労働相談
厚生労働省
感染拡大に伴う解雇や雇止めなど
労働問題の相談受付
▽労働条件相談ほっとライン
 電話 0120-811-610
平日 17時~22時 土日休日 9時~21時
▽各地の労働局・労働基準監督署に
 特別労働相談窓口
 東京労働局
 03-3512-1608 平日9時~17時
 神奈川労働局
 045-211-7358 平日8時30分~17時15分
 千葉労働局
 043-211-2303 平日8時30分~17時15分
 埼玉労働局
 048-600-6262 平日9時~17時
 茨城労働局
 029-277-8295 平日8時30分~17時15分
 栃木労働局
 028-634-9115 平日8時30分~17時15分
 群馬労働局
 027-896-4739 平日8時30分~17時15分
休校で働けない
▽厚生労働省
 感染拡大に伴う臨時休校で
 仕事を休まざるを得なくなった保護者ために
 休みの間の給与を助成金や支援金で支える制度
▽雇用されている保護者向け
 年次有給休暇とは別に有給休暇を取得したとき
 日額8330円を上限に勤務先の会社を助成
 保護者が会社に申し出て会社側から申請書提出
▽フリーランスで働く保護者向け
 一定の条件を満たせば日額4100円の支援金
 申請は保護者自身で
 厚生労働省のHPから申請書を印刷
申請書の提出先
 「学校等休業助成金・支援金受付センター」
 配達記録の残る郵送方法で
 休業日数などを記した必要書類とともに提出
申請期間 ことし6月末まで
問合せ 
学校等休業助成金・支援金相談コールセンター
 0120-60-3999 9時~21時(土日祝含む)
生活費貸付の相談
▽厚生労働省
 当面の生活費を借りられる
 生活福祉資金貸付制度の「緊急小口資金」など
 特例貸付に関する相談ダイヤルを11日に設置
▽受付 電話0120-46-1999 
 土日・祝日を含む毎日9時~21時
生活福祉金貸付
感染拡大の影響での休業・失業
生活費に困った時 資金を無利子で貸付け
▽休業などで収入減少し一時的な資金が必要な人
  最大で10万円
(臨時休校などの影響を受けた時 最大20万円)
▽失業などで生活の立て直しが必要な人
  単身世帯 月に最大15万円
  2人以上の世帯 月に最大20万円
 →貸付けは原則3か月間
▽所得に関係なく利用可能
▽所得減少が続き住民税非課税になったとき
  →返済を免除
▽問合せ 最寄りの社会福祉協議会
 厚生労働省の相談ダイヤル
  0120-46-1999 9時~21時毎日対応
住居確保給付金
厚生労働省の制度
仕事を失い家賃が払えなくなった人などに
原則3か月間 自治体が家賃を支給
▽対象
仕事を失った人に加え
 収入が激減した人やフリーランスの人も
※仕事の日数が減少した場合も対象
 給付に必要だった
 ハローワークへの求職申し込み
 →30日から不要に
▽相談窓口
 自治体や各地の社会福祉協議会
納税猶予や減免
政府が緊急経済対策で税制上の支援策打ち出す
1年間の納税猶予
▽収入が大幅に減少した企業や
 フリーランスを含む個人事業主に対し
 法人税や消費税 所得税などの国税の納付
 固定資産税など地方税の徴収を1年間猶予
▽条件
 ことし2月以降の1か月以上
 収入が前年同期比20%以上減少の場合
▽猶予が認められれば
 年金や健康保険など社会保険料も支払い猶予に
固定資産税の減免 
▽固定資産税や都市計画税を
 来年度課税の1年分に限り減免
▽対象
 売り上げ減少が続く中小企業や個人事業主
 売上高の減少幅(2月~10月のうち3か月間)
 前年同期比30%以上50%未満の場合 半額免除
 前年同期比50%以上の場合 全額免除
イベント主催者の資金繰り支援
▽文化や芸術、スポーツなどの
 チケット購入者が払い戻しをしなければ
 チケットの金額を
 寄付と見なす「寄付金控除」を適用
中小企業のテレワーク促進
▽設備や機器など導入の中小企業や個人事業主に
 取得額の最大10%を法人税額から差し引く
住宅ローン減税
▽特例措置適用の入居期限 来年末まで1年延長
▽対象
 感染拡大の影響で
 住宅建設が遅れ入居が遅くなった人
▽条件
 新築 ことし9月末までに契約
 建て売り・中古住宅など 11月末までに契約
納税猶予相談
国税庁
所得税や法人税などの納税猶予について
専門の電話相談窓口
▽「国税局猶予相談センター」
 全国11の国税局と沖縄国税事務所に設置
 猶予制度や申請方法などの相談を受付
▽電話番号 
 国税庁ウェブサイトに記載
▽窓口相談
 平日 9時~17時
休業商店街支援
客の密集避けるための商店街の対策を支援
▽商店街の自主休業に奨励金
 原則100店舗以上加盟の商店街が
 一斉または輪番で休業
 対象期間 
 25日から5月6日までのうち土日休日の8日間
 1日あたり50万円 最大400万円の奨励金
 条件 
 加盟店に協力依頼しHPなどで休業告知
 休業状況を確認し実績を都に報告  
▽「3密」回避の取り組みに補助金
 過密防止の横断幕やチラシの作成
 商店街の巡回
 距離をとるためのコーンの購入など
 最大300万円
東京 相談窓口
東京都のコールセンター
都民や事業者の疑問・不安に対応
内容 緊急事態宣言に関する要請・指示等について
受付 03-5388-0567
土日祝日を含む毎日 9時~19時 
中小企業相談
東京都
 資金繰りに関する相談 
 対象 感染拡大で影響受ける都内の中小企業
 東京都産業労働局金融課 電話で対応
 03-5320-4877(平日9時~17時)
大田区
 中小企業・小規模事業者向けの経営相談
 経営課題について専門家派遣などで対応
 大田区産業振興協会
 03-3733-6144(平日9時~17時)
杉並区
 中小企業診断士の相談員が
 区内の中小企業者から各種相談受付
 産業振興センター 就労・経営支援係
 03-5347-9182(平日8時30分~17時)
台東区
 中小企業者支援の特別相談窓口を開設
 資金繰りに関する相談
 産業振興課 03-5829-4128(平日10時~16時)
 経営に関する相談  
 産業振興事業団経営支援課
 03-5829-4125(平日10時~16時)
個人事業主相談
融資など経営に関する特別相談窓口設置
対象 都内で事業行う
   フリーランス含む個人事業主
窓口 東京都中小企業振興公社 総合支援課
電話相談  03-3251-7881 
メール相談 [email protected]
受付 平日9時~16時半(火曜は~19時)
販路拡大支援
東京都 緊急販路開拓支援事業
対象 感染拡大に伴い売上減少した
 都内の中小企業者
販路開拓目的の費用等の一部 最大で150万円助成
事前エントリーと申請書送付が必要 持参不可
問合せ 東京都中小企業振興公社助成課
    03-3251-7894・7895
無利子融資
対象 感染拡大に伴う休業で
   収入減少した中小企業従業員
条件を満たせば最大100万円を実質無利子で融資
問合せ 東京都労働環境課 03-5320-4653
融資あっせん
都内の23区
資金繰り難の中小企業支援する融資あっせん制度
金融機関からの借り入れに利子や保証料を補助
▽千代田区
 融資限度額を上限1000万円まで拡大 利子補助
 連絡先 商工観光課商工融資係 03-5211-4344
 ※申し込みには事前の予約が必要
▽中央区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 商工観光課 03-3546-5330
▽港区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先
 産業振興課経営相談担当 03-3578-2560
▽新宿区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業振興課で番号 03-3344-0702
▽文京区
 融資上限1000万円 利子を補助
 連絡先
 東京商工会議所文京支部 03-5842-6731
▽台東区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業振興課融資担当 03-5829-4128
▽墨田区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 経営支援課 03-5608-6183
▽江東区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 経済課融資相談係 03-3647-2331
▽品川区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先 商業・ものづくり課中小企業支援係
 03-5498-6334
▽目黒区
 融資上限1000万円 利子補助
 連絡先 産業経済・消費生活課 03-5722-9879
▽大田区
 融資上限5000万円 利子を補助
 連絡先 産業振興課融資係 03-3733-6185
 申し込みは郵送に切り替え
▽世田谷区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先 世田谷区産業振興公社 03-3411-6603
 申し込みは郵送か金融機関による代行申請
▽渋谷区
 融資上限500万円 利子を補助
 連絡先 産業観光課産業振興係 03-3463-2142
 ※事前の電話予約必要 LINEでの予約も可能
▽中野区
 融資上限3000万円 利子を補助
 連絡先
 中野区産業振興センター 03-3380-6947
▽��並区
 融資上限700万円 利子を補助
 連絡先 産業振興センター就労・経営支援係
03-5347-9182 申請は予約制
 大型連休中は臨時窓口を設置
 4月29日 5月4日 5日 6日
▽豊島区
 融資上限2000万円 利子・保証料を補助
 連絡先
 としまビジネスサポートセンター
 03-5992-7022
▽北区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業振興課経営支援係 03-5390-1237
 予約は不要 郵送でも受付
▽荒川区
 融資上限500万円 利子・保証料を補助
 連絡先
 経営支援課融資係
 03-3802-3111(内467・475)
▽板橋区
 融資上限2000万円 利子を補助
 連絡先 産業振興課 03-3579-2172
▽練馬区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業経済部経済課融資係03-5984-2673
▽足立区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先
 企業経営支援課相談・融資係 03-3880-5486
 混雑回避のため区役所1階に特設会場設置
▽葛飾区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業経済課経営支援係 03-3838-5556
 申し込み窓口は予約制
▽江戸川区
 融資上限1000万円 利子・保証料を補助
 連絡先 産業振興課相談係(中小企業相談室)
 03-5662-2095
 申し込みは郵送
緊急労働相談
東京都労働相談情報センター
新型コロナウイルスに関する休暇・賃金
職場のハラスメントなどについて相談受け付け
内定取り消しにも対応
電話 0570-00-6110
平日9時~20時 土曜9時~17時
内定取消など相談
東京しごと財団
内定取り消しや雇い止めなどの相談
電話や窓口で緊急受け付け 23日~
仕事探しや就職支援のプログラムなど紹介
▽電話相談 03-5213-5013
▽対面相談 千代田区「東京しごとセンター」
▽受付時間 電話・対面いずれも
 平日9時~20時 土曜9時~17時
経営アドバイス
新型コロナウイルスによる経営課題の解決へ
 専門家を無料派遣
▽対象
 感染拡大で経営面の影響受けている中小企業
▽支援内容
 経営戦略の見直し
 安全に配慮した現場運営
 テレワークの推進
 各種支援策の活用方法
問合せ
 東京都中小企業振興公社 03-3251-7881
経営相談
中小企業の経営相談
神奈川県産業振興センターが受け付け
▽経営総合相談課
 045-633-5201 平日8時半~17時15分
▽よろず支援拠点
 045-633-5071 8時半~17時15分(土日祝も)
 ※事前予約が必要
神奈川県信用保証協会
中小企業からの経営相談受け付け
相談先
 営業部 045-681-7178
 川崎支店 044-222-7811
 小田原支店 0465-23-0138
 横須賀支店 046-822-3821
 藤沢支店 0466-23-0792
 厚木支店 046-221-0633
 相模原支店 042-752-0575
(いずれも平日9時~17時15分)
土日・祝日の電話相談窓口
045-681-7174 9時~17時
弁護士会電話相談
神奈川県弁護士会
新型コロナに関する企業経営・破産・解雇など
法律問題の無料電話相談(1人1回)
▽期間 20日から当面
▽電話で申し込みを 045-307-5672 
 平日10時~正午 13時~15時
▽問い合わせ 045-211-7707
横浜 経営相談
横浜市内の中小企業対象に受け付け
資金繰りや経営安定に関する相談
 横浜市金融課相談認定係 045-662-6631
 平日8時45分~17時
経営全般に関する相談
 横浜企業経営支援財団  045-225-3711
 平日9時~17時
信用保証に関する相談
 横浜市信用保証協会本所 045-662-6623
 平日9時~17時20分
川崎 経営相談
中小企業など対象に融資や経営の相談
融資相談窓口
 川崎市金融課 044-544-1846 1847
 川崎市産業振興部中小企業溝口事務所
 044-812-1112 1113
 受付 8時半~正午 13時~17時(土日祝除く)
経営相談窓口
 川崎市中小企業サポートセンター
 044-548-4141
 受付 9時~17時(土日祝除く)   
金融支援
事業活動に影響の中小企業に神奈川県が金融支援
県金融課 経営相談窓口 045-210-5695 
            平日8時30分~17時15分
鎌倉市 家賃支援
鎌倉市 事業者支援のため独自の「給付金」
 100万円を上限に家賃2か月分を全額支給
▽対象
 市内不動産借りて事業の中小企業と個人事業主
 売り上げが前年同月比5%以上減少
神奈川県の休業協力金と市独自の給付金
合わせて受け取ることも可能
▽4月末からの申請受付目指す
箱根町 観光支援
箱根町
経営状況が悪化の観光関連事業者を支援
家賃など経費 30万円上限に補助
対象
 町内の事業が売り上げの半分以上を占める
 観光関連の中小企業や個人事業主など
 直近1か月間の売り上げが前年に比べ
 2割以上減少もしくは減少が見込まれる場合
支給額
 家賃や機器のリース代
 研修・感染予防などの経費の4分の3
 最大30万円まで
申請
 22日から5月25日まで郵送で受け付け
内定取り消し相談
神奈川労働局が特別相談窓口
対象 内定取り消しになった人たちなど 
▽横浜新卒応援ハローワーク
 045-312-9206 平日9時30分~18時
▽川崎新卒応援ハローワーク
 044-244-8609 平日8時30分~17時
▽ハローワーク藤沢
 0466-23-8609 平日8時30分~17時15分
▽ハローワーク厚木
 046-296-8609 平日8時30分~17時15分
 (4月25日(土)は10時~17時)
労働相談
解雇・雇い止めなどの相談
▽かながわ労働センター本所
 045-662-6110
▽かながわ労働センター川崎支所
 044-833-3141
▽かながわ労働センター県央支所
 046-296-7311
▽かながわ労働センター湘南支所
 0463-22-2711(代表)
いずれも平日8時半~17時15分(12時~13時除く)
解雇・休業などに関する相談
▽神奈川労働局 総合労働相談コーナー
 045-211-7358 平日8時半~17時15分
▽横浜南労働基準監督署
 045-211-7374 平日8時半~17時15分
解雇・退職勧奨・雇い止めなどの相談
▽横浜しごと支援センター
 045-681-6512
 平日9時~17時(月・木は9時~20時)
雇用調整助成金に関する相談
▽神奈川労働局神奈川助成金センター
 045-650-2801 平日8時半~17時15分
▽ハローワーク横浜 雇用援助部門
 045-663-8609(部門コード 32#)
 平日8時半~17時15分
融資支援
埼玉県内 中小企業支援へ
経営安定資金 緊急借換資金など拡充
県制度融資の相談窓口
埼玉県金融課 048-830-3801 
具体的な融資の利用・相談は
地元商工会議所・商工会へ
雇用助成金相談
埼玉県内の企業向け雇用調整助成金の緊急相談会
▽5月13日 春日部会場
 春日部地方庁舎 10時~16時
▽5月15日 北浦和会場
 浦和合同庁舎 10時~16時
▽5月22日 熊谷会場
 熊谷地方庁舎 10時~16時
▽5月27日 武蔵浦和会場
 ハローワーク浦和・就業支援サテライト
 13時~17時
▽6月2日 川越会場
 ウェスタ川越 13時~17時
相談には電話で事前予約が必要 
連絡先
▽春日部・北浦和・熊谷会場
 048-830-4518(平日10時~12時 13時~17時)
▽武蔵浦和・川越会場
 048-826-5592(平日10時~12時 13時~17時)
以下は受付終了
4月24日さいたま会場 4月27日新座会場
5月12日大宮会場 5月18日川越会場
経営相談
▽埼玉県内企業向け無料の経営相談窓口
 「よろず支援拠点」 土日も相談可
 来所相談は事前予約を 0120-973-248
 対応時間 9時~12時 13時~17時
 場所 埼玉県さいたま市大宮区桜木町1-7-5
   ソニックシティービル10階 
▽埼玉県信用保証協会の経営相談窓口(4月)
 本店(さいたま市)・熊谷支店
 川越支店・春日部支店 
 受付時間 9時~17時(土・祝日29日も対応)
 26日(日)面談は本店のみ 支店は電話相談
 受付時間 9時~17時
 支店連絡先 熊谷支店保証課 048-521-5221
       川越支店保証課 049-249-1681
       春日部支店保証課 048-731-7311
労働相談
埼玉県社会保険労務士会が相談受付(毎週水曜)
相談内容
 労働者や事業主などからの相談
 小学校などの休校に伴う対応
 助成金申請・感染防止の衛生管理など
1相談90分間 2人体制で対応
申し込み
 電話かHPで受け付け
連絡先
 埼玉県社会保険労務士会 048-826-4860
 月曜~金曜 9時~17時
住宅提供
感染拡大に伴い住居確保困難な人へ県営住宅提供
対象
埼玉県内在住か元の勤務先が県内にある人で
解雇や雇い止めで住居から退去(見込みも含む)
提供期間は原則として6か月間
使用料 月4800円~16700円
(場所・間取りなどにより変動)
敷金は免除 光熱水費・共益費は自己負担
申込・問合せ 埼玉県都市整備部住宅課
 048-830-5564(平日9時~17時)
戸田市 給付金
戸田市が独自の給付金
子育て世帯と売り上げ減少の事業者等を支援
▽児童扶養手当の受給世帯
就学援助の認定を受けている世帯
 →1世帯あたり3万円を給付
▽売り上げ減少の小規模事業者や個人事業主
 →10万円を給付
雇用調整助成金
千葉県内の事業主が対象
雇用調整助成金の相談受付
受付け 平日午前8時30分~17時15分
連絡先は以下のとおり
ハローワーク千葉
 043-242-1181(音声ガイダンスで32#)
ハローワーク市川 
 047-370-8609(音声ガイダンスで31#)
ハローワーク銚子 0479-22-7406
ハローワーク館山 0470-22-2236 
ハローワーク木更津 0438-25-8609
ハローワーク佐原 0478-55-1132
ハローワーク茂原 0475-25-8609
ハローワークいすみ 0470-62-3551
ハローワーク松戸
 047-367-8609(音声ガイダンスで31#)
ハローワーク野田 04-7124-4181
ハローワーク船橋
047-431-8287(音声ガイダンスで32#)
ハローワーク成田 
0476-27-8609(音声ガイダンスで31#)
ハローワーク千葉南
043-300-8609(音声ガイダンスで31#)
企業支援
千葉県と日本政策金融公庫
 中小企業の資金繰り支援
 使い道 運転資金や設備資金
 対象 千葉県全域
 千葉県商工労働部経営支援課 043-223-2707
 日本政策金融公庫千葉支店 043-243-7121
千葉県信用保証協会
 中小企業の経営相談窓口
 本店保証第一課・保証第二課 043-221-8111
 松戸支店保証課  047-365-6010
 受付 9時~17時(松戸支店は平日のみ)
千葉県信用保証協会
 「緊急短期資金保証」取り扱い  
 中小企業の当面の資金繰りのため
 保証限度1000万円 原則無担保
 詳しくは最寄りの取り扱い金融機関まで
経営相談
中小企業向けの無料経営相談所
 中小企業庁が千葉県に設置
緊急事態宣言を受け電話相談対応を強化
中小企業庁千葉県よろず支援拠点
(千葉県産業振興センター内)
043-299-2921 平日9~17時・土日祝10~17時
企業支援相談
中小企業の相談窓口 受付時間を延長
金融相談(電話相談のみ)
 千葉県 経営支援課金融支援室 043-223-2707 
 平日9時~19時 土日���9時~17時
 5月6日まで
経営相談(電話相談のみ)
 千葉県産業振興センター内
 チャレンジ企業支援センター 043-299-2907
 平日9時~19時 土日祝9時~17時
 5月6日まで 
内定取り消し相談
新型コロナウイルス感染拡大の影響による
内定取り消しや入社時期の繰り下げに関する相談
▽千葉新卒応援ハローワーク
 043-307-4888 平日10時15分~19時
▽ふなばし新卒応援ハローワーク
 047-426-8474 平日9時~17時
▽まつど新卒応援ハローワーク
 047-367-8609(音声ガイダンスで48#)
 平日8時30分~17時15分
労働相談
特別労働相談窓口
千葉労働局雇用環境・均等室
新型コロナウイルス感染症の影響に関する相談
電話 043-221-2303
平日 8時半~17時15分
農林漁業の相談
千葉県 農林漁業者向けの相談窓口設置
新型コロナウイルスの影響による融資の相談受付
問合せ 千葉県農林水産部団体指導課
  043-223-3074(平日9時~17時)
千葉 法律相談
千葉県弁護士会 事業者・労働者の法律相談窓口
事業者向け 0570-001-240(平日10時~12時)
労働者向け 043-306-2809(平日10時~12時)
千葉 消費者相談
給付金めぐる詐欺などに注意 専用の相談電話
千葉県消費者センター 047-434ー0999
受付 平日9時~16時半 土曜9~16時
千葉市 生活相談
千葉市が新型コロナウイルス受けた無料相談受付
市内在住の人の仕事・家計・生活の悩みに対応
窓口は市内3か所(平日8時半~17時半) 
千葉市生活自立・仕事相談センター中央
 043-202-5563
千葉市生活自立・仕事相談センター稲毛
 043-207-7070
千葉市生活自立・仕事相談センター若葉
 043-312-1723
千葉市事業者相談
千葉市 事業者向け臨時相談窓口設置
事業継続・雇用維持・その他経営支援
平日午前9時~午後5時 043-245-5898
千葉市 労働相談
千葉市 労働相談室
新型コロナウイルスの影響を含む労働相談
電話 043-300-8282
月~金 午前9時~16時(正午~13時を除く)
土日  午前9時~15時(正午~13時を除く)
祝日は休み
千葉市 住宅相談
解雇や離職などで住宅に困った方の相談窓口
対象 千葉市内に居住または勤務先がある方
千葉市住宅供給公社「すまいのコンシュルジュ」
043-245-5690 
 平日8時30分~17時30分 土日祝日10時~15時
つながりにくい場合は
千葉市住宅供給公社住宅班 043-245-7515
千葉市 住宅提供
千葉市が市営住宅を提供
▽対象
 千葉市に居住もしくは勤務先があり
 新型コロナウイルス感染拡大で解雇され
 住宅・社員寮から退去余儀なくされる人
▽家賃は収入に応じ設定
 30%~80%の減額措置も
▽入居可能期間
 入居日から6か月以内 最長1年まで
▽問合せ
 千葉市住宅供給公社 043-245-7515
 平日8時半~17時半 土日祝日10時~15時
千葉市 市税猶予
千葉市が市税の猶予制度
対象 新型コロナウイルスの影響で納税困難な人
問い合わせ
 中央区 043-233-8138
 若葉区 043-233-8368
 緑区 043-233-8189
 花見川区 043-270-3170
 稲毛区 043-270-3284
 美浜区 043-270-3171
 市外在住 043-270-3138
千葉市 店舗支援
千葉市
営業に影響が出ている店舗を間接的に支援
賃料の減額や免除に応じた
 テナントオーナーに助成金
▽減額分の80%を50万円まで支援
千葉市公表協力金
千葉市
集団感染が発生した施設名公表に
協力した事業者へ協力金100万円を支給
対象 スーパー・飲食店・遊興施設など
休業要請に協力せず営業し
 集団感染が発生の場合は支給せず
千葉市ホテル支援
千葉市
日中のテレワークに部屋貸し出すホテルに
1回の利用あたり3000円を上限とする支援
市内ホテルの利用促進と
テレワークの推進を目指す
千葉市飲食業支援
千葉市
新たにデリバリー代行業者に登録の飲食店
登録費用や毎月の手数料の半額を助成
対象
大手チェーン店をのぞく市内の飲食店
5月末まで申請を受け付け
千葉 飲食店支援
感染拡大の影響を受ける飲食店をSNSで支援
テイクアウト対応店舗の料理写真を投稿
投稿に以下のハッシュタグをつける取り組み
「#食べよう千葉市」「#食べよう八千代」
「#食べよう茂原」「#食べよういちはら」
「#旭市テイクアウト」
「#柏エール飯」「#かまがやエール飯」
タグづけで新たな利用者も検索しやすい仕組みに
船橋はまとめサイト「TAKE OUT ふなばし」運営
柏市 相談窓口
新型コロナウィルス感染拡大で生活の悩み相談
対象 柏市在住の人
仕事・家計・生活のことなど
専門の相談員が解決に向けアドバイス
▽柏市地域生活支援センター あいねっと
 04-7165-8707
▽柏市生活支援課 04-7167-1138
(受付 いずれも月~金 8時30分~17時15分)
浦安市 支援策
浦安市 市内の店舗で利用可能な
 2000円分の商品券を市民に配布
聴覚障害者にスマホやタブレットを利用した
 遠隔手話サービス提供
 同行の手話通訳者を含め
 医療機関受診時の感染リスク低減が狙い
 市障がい福祉課
 利用方法の説明に対応 平日 9時~15時
 →自分のスマホやタブレットを持参のこと
市川市 給付金
市川市 中小企業や収入減の人に独自の給付金へ
市川市内の中小企業向け
 千葉県の休業要請に応じ休業・営業時間短縮や
 在宅勤務などに取り組んだ場合
 給付金
 最大20万円を支給 最大1万2000社を想定
市内在住者向け
 感染拡大影響で収入が減少した人のうち
 前年度給与収入が500万円以下で
 20パーセント以上の減収となった場合
 給付金
 住民税に相当する額を支給
感染で出勤できず収入が減った人
 国からの傷病手当に市として独自に上乗せ
山武市 給付金
山武市 市内の中小事業者に給付金を支給
対象 飲食店 喫茶店 宿泊業 観光イチゴ園 
申請受付 24日~
前年比50%以上の売上減の事業者に10万円
問合せ 山武市経済活性化推進係 0475-80-1201 
船橋融資あっせん
船橋市 
売り上げ減の中小企業向け融資で支援
 市が利子と信用保証料の全額を補助
 融資限度額は2000万円以内 
 国の「セーフティネット保証制度」認定が条件
 連絡先 船橋市商工振興課 047-436-2472
船橋 賃料助成
船橋市 市内中小企業のテナント賃料助成へ
対象 売上前年比3分の1以上減少の事業者
助成 4月・5月分賃料(最大月10万円) 
申請受け付け 4月27日から
船橋市商工振興課 047-436-3320(平日9~17時)
中小企業相談
県内の中小企業を対象に相談窓口を設置
資金繰りなどの相談 県経営支援課金融担当
 028-623-3181 平日8時30分~17時15分
経営などに関する相談 県産業振興センター
 028-670-2607 平日8時30分~17時15分
雇用労働相談
事業主・労働者相談
 栃木労働局 平日8時30分~17時15分
給与・手当の支払い
 栃木労働局 028ー634ー9115
 労働基準監督署
 宇都宮 028-633-4251 足利 0284-41-1188
 栃木 0282-24-7766 鹿沼 0289-64-3215
 大田原 0287-22-2279 日光 0288-22-0273
 真岡 0285-82-4443
雇用調整助成金 各ハローワークで受け付け
解雇や雇い止め相談 平日8時30分~17時15分
 労政事務所
 宇都宮 028-626-3053 小山 0285-22-4032
 大田原 0287-22-4158 足利 0284-41-1241 
解雇・雇い止めの再就職相談(日祝除く日中)
 とちぎジョブモール 028-623-3226
宇都宮 企業支援
感染拡大で売上減少の中小企業や個人事業主に
 宇都宮市が独自の支援・応援金
▽国の「持続化給付金」支給までのつなぎ支援
対象「給付金」支給対象の中小企業・個人事業主
  宇都宮市に本社・本店など
応援金
 中小企業 上限10万円 個人事業主 上限5万円
▽「持続化給付金」の対象とならない事業者
 前年同月比の減少幅に応じて応援金支給
中小企業 
 30%以上50%未満減少 上限50万円
 20%以上30%未満減少 上限25万円
個人事業主
 30%以上50%未満減少 上限25万円
 20%以上30%未満減少 上限12万5千円
▽デリバリーサービスや通販商品の開発など
 新たな取り組みへの支援
対象 売上高が前年同期比20%減の
   中小企業・個人事業主
支援金 新規取り組み経費の半分 上限 50万円
▽問合せ先 市緊急経済対策コールセンター
028-632-5209 平日9時~17時(4月は土日祝も)
経営労働相談
感染症対策県内企業ワンストップセンター
 資金繰り・雇用・受発注取引
 技術開発などの相談が可能
 相談先 027-226-2731
 平日8時半~17時15分 土日祝10時~16時
 メールによる相談 [email protected]
中小企業支援
県内の中小企業を対象にした相談窓口を設置
資金繰りなどの相談 県経営支援課金融担当
 028-623-3181 平日8時30分~17時15分
経営などに関する相談 県産業振興センター
 028-670-2607 平日8時30分~17時15分
資金繰り相談
▽群馬県経営支援課金融係
 事業者からの資金繰りや金融相談受付け
 027-226-3332 平日8時半~17時15分
▽群馬県産業支援機構 総合相談課
 中小企業・小規模事業者などの無料相談
 027-265-5013・5016 
 平日8時30分~17時15分
��橋市 融資支援
前橋市
 経営安定資金による支援
 融資条件の緩和・利子補給・保証料補助・
 融資期間の延長特例など
 前橋市産業政策課 027ー898ー6983
 平日8時30分~17時15分
高崎市 融資支援
高崎市 新型コロナウイルス緊急経済対策資金
 対象は中小企業者・中小企業団体
 融資限度額3000万円以内 融資期間10年以内
 5年間の利子・信用保証料・事務手数料を
高崎市が全額補給・補助
 高崎市商工振興課 027-321-1256
 平日8時30分~17時15分
労働相談窓口
労働条件・解雇・賃金不払いなど
 群馬県労働政策課 0120-54-6010
平日9時~17時15分 使用者からの相談も
労働条件・安全衛生など職場の労働問題
 雇用維持・確保に関する助成金・内定取り消し
 群馬労働局総合労働相談コーナー
 027ー896ー4739 平日8時30分~17時15分
前橋市 経営相談
新型コロナウイルスに関する経営相談窓口
 前橋商工会議所 027-234-5115
 平日8時30分~17時30分
高崎市 経営相談
新型コロナウイルスに関する経営相談窓口
 高崎商工会議所 027ー361ー5171
 平日8時45分~17時30分
県営住宅 受付
県営住宅への入居の随時受付
対象 感染拡大の影響で解雇されるなどして
 住んでいた家を退去させられた方や家族など
収入が著しく低い場合は家賃の減免あり
 4月以降の契約は連帯保証人不要
問合せ 平日8時半~17時15分
県住宅供給公社管理部 027-223-5811
県住宅政策課 027-226-3717
中小企業向け融資
中小企業の資金繰り支援のため
 経営安定に必要な資金を融資
 茨城県産業政策課 029-301-3530
融資 助成相談
融資や助成に関する電話相談受け付け
対象 感染拡大で影響ある中小企業や個人事業主
県中小企業支援対策室
 029-301-2869 平日9時~17時
労働相談
連合茨城 解雇や雇止めに関する無料電話相談
 0120-154-052(平日9時~17時半 5月1日まで)
内定取り消し相談
茨城県が特別支援窓口設置
内定取り消しや雇い止めにあった人など対象に
 就職相談や職業紹介
▽いばらき就職支援センター 029-300-1715
 平日9時~19時 第2・4土曜 9時~16時
▽県北地区就職支援センター
 0294-80-3366 平日9時~16時
▽日立地区就職支援センター
 0294-27-7172 平日9時~16時
▽鹿行地区就職支援センター
 0291-34-2061 平日9時~16時
▽県南地区就職支援センター
 029-825-3410 平日9時~16時
▽県西地区就職支援センター
 0296-23-3811 平日9時~16時
テレワーク助成
東京しごと財団
 テレワーク導入に必要な機器等の経費を助成
 対象 都内に本社・事業所がある
   中堅・中小企業
 機器の購入費・リース料など250万円上限に助成
 申請は5月12日まで
 詳細は募集要項で確認を
 問合せ 東京しごと財団 雇用環境整備課
 電話 03-5211-2397 平日9時~17時
横浜市
 テレワーク導入費用の一部を最大30万円助成
▽対象 市内の中小企業・個人事業主
▽受付 来年1月31日まで
 申請内容を事前に電話等で確認
 申請書持参または郵送提出(審査あり)
▽問合せ 横浜市経済局経営・創業支援課
 045-671-2748 045-671-4236
 平日9時~17時
テレワーク支援
対象 テレワーク導入検討の
都内中堅・中小企業など
テレワーク体験できる端末・ツールを
1か月間無償で貸与
申し込み 東京テレワーク推進センターHPの
専用ページで
テレワーク相談会
テレワーク導入に関する無料相談会
神奈川県が開催
▽対象 神奈川県内の中小企業などの経営者
▽開催日時 4月27・28・30日
 10時~ 11時~ 13時~ 14時~ 15時~
 いずれも定員2人 予約制で先着順 1社1回
 ウェブ会議か電話相談(通信料は利用者負担)
 開催日前日までに電話で申し込み 
▽予約受け付け 4月20日 10時~ 
 045-210-5746 平日10時~正午 13時~17時15分 
テレワーク相談
NTT東日本神奈川事業部
 通信環境全般の困りごと 無料で相談受け付け
対象 テレワーク導入検討の企業など対象
受付電話 0800-800-5662 平日9時~17時
テレワーク相談会
埼玉県内企業対象にテレワーク導入の個別相談会
▽4月24日・5月15日
 浦和合同庁舎別館(さいたま市)10時~16時
▽4月27日
 新座市商工会(新座市) 10時~16時
▽5月12日
 まるまるひがしにほん東日本連携センター
 (さいたま市)13時~17時
▽5月13日
 春日部地方庁舎(春日部市) 10時~16時
▽5月18日・6月2日
 ウェスタ川越(川越市) 13時~17時
▽5月22日
 熊谷地方庁舎(熊谷市) 10時~16時
▽5月27日
 ハローワーク浦和・就業支援サテライト
 (さいたま市)13時~17時
電話で事前予約 連絡先 048-830-3960
テレワーク支援
中小企業のテレワーク導入を支援
▽レノボ・ジャパン
 テレワーク用ノートパソコン無料貸し出し
 250台のパソコンを確保
 貸出対象 従業員300人以下の中小企業
 1社あたり5台まで 最長3か月間
 テレワーク導入についても広く相談受け付け
問い合せ 0120-100-241 平日9時~18時
▽富士通
 テレワーク導入企業 セキュリティー面で支援
 自宅からでも会社のネットワークと
 同じ業務ができるサービス
 3か月間無料に
東京都の休業要請
▽遊興施設など
 キャバレー ナイトクラブ ダンスホール
 スナック バー ダーツバー パブ
 性風俗店 デリヘル アダルトショップ
 個室ビデオ店 ネットカフェ 漫画喫茶
 カラオケボックス 射的場 ライブハウス
 場外馬券場(車券・舟券も同様)
▽大学・学習塾など(延床1000平方メートル超)
 大学 専修学校・各種学校
 日本語学校・外国語学校
 インターナショナルスクール 自動車教習所
 学習塾 英会話教室 音楽教室 囲碁・将棋教室
 生け花・茶道・書道・絵画教室
 そろばん教室 バレエ教室 体操教室
 ※オンライン授業・家庭教師は含まず
 ※延床1000平方メートル以下の施設
 →施設使用・催物開催の停止を依頼
 ※延床100平方メートル以下の施設
 →営業継続の場合は感染防止対策徹底を依頼
▽運動・遊技施設
 体育館 屋内・屋外水泳場 ボウリング場
 スケート場 柔剣道場 スポーツクラブ
 ホットヨガ・ヨガスタジオ
 マージャン店 パチンコ店 ゲームセンター
 テーマパーク 遊園地
 ゴルフ練習場 バッティング練習場
 陸上競技場・野球場・屋外テニス場の観客席部分
 ※弓道場は含まず
▽劇場など
 劇場 観覧場 プラネタリウム 映画館 演芸場
▽集会・展示施設
 集会場 公会堂 展示場 貸会議室
 文化会館 多目的ホール
 (以下は延床1000平方メートル超)
 博物館 美術館 図書館 科学館 記念館
 水族館 動物園 植物園
 ホテル・旅館(集会用の部分のみ)
 ※延床1000平方メートル以下の施設
 →施設使用・催物開催の停止を依頼
 ※神社 寺院 教会は含まず
▽商業施設(延床1000平方メートル超)
 ペットショップ ペット美容室
 宝石類や金銀の販売店 住宅展示場
 古物商 金券ショップ 古書店
 おもちゃ店、鉄道模型店 囲碁・将棋盤店
 DVD/ビデオショップ
 DVD/ビデオレンタル
 アウトドア用品店 スポーツグッズ店
 ゴルフショップ 土産物店 旅行代理店
 アイドルグッズ専門店 ネイルサロン
 まつ毛エクステンション
 スーパー銭湯 岩盤浴 サウナ
 整体院
 ※利用者が身体機能維持を
 目的として利用の施設は対象外
 エステサロン 日焼けサロン 脱毛サロン
 写真店 フォトスタジオ 美術品販売 展望室
 ※延床1000平方メートル以下の施設
 施設使用・催物開催の停止を依頼
 ※100平方メートル以下の施設
 →営業継続の場合は感染防止対策徹底を依頼
▽文教施設
 原則 施設使用・催物開催の停止を要請
 幼稚園 小学校 中学校 義務教育学校
 高等学校 高等専門学校 高等専修学校
 中等教育学校 特別支援学校
都 休業要請せず
▽社会福祉施設など
 保育所など 学童クラブ 障害児通所支援事業所
 上記以外の児童福祉法関係の施設
 障害福祉サービスなどの事業所
 老人福祉法・介護保険法関係の施設
 婦人保護施設 そのほかの社会福祉施設
▽医療施設
 病院 診療所 歯科 薬局 鍼灸・マッサージ
 接骨院 柔道整復
 ※国家資格の有資格者が治療の場合以外は
  施設使用の停止を要請
▽生活必需物資販売施設
 卸売市場 食料品売り場(移動販売含む)
 コンビニエンスストア 百貨店
 スーパーマーケット ホームセンター
 ショッピングモール ガソリンスタンド
 靴店 衣料品店 雑貨店 文房具店 酒店
▽食事提供施設
 飲食店 料理店 喫茶店
 和菓子・洋菓子店 タピオカ店
 居酒屋 屋形船
 ※深夜・早朝の営業→5時~20時に短縮
 ※酒類提供は19時まで
▽住宅・宿泊施設
 ホテル カプセルホテル 旅館 民泊
 共同住宅 寄宿舎 下宿 ラブホテル
 ウィークリーマンション
▽交通機関など
 バス タクシー レンタカー 電車 船舶
 航空機 宅配等を含む物流サービス
▽工場など
 工場 作業場
▽金融機関・官公署など
 銀行 消費者金融 ATM 証券取引所
 証券会社 保険代理店 事務所 官公署
▽そのほか
 理髪店 美容院 銭湯(公衆浴場) 貸倉庫
 郵便局 メディア 貸衣装店 不動産屋
 結婚式場 葬儀場・火葬場 質店 獣医
 ペットホテル たばこ店 ブライダルショップ
 書店 自転車店 家電販売店 園芸用品店
 時計・靴・洋服などの修理店 鍵屋
 100円ショップ 駅売店 家具店
 自動車販売店・カー用品店 生花店
 ランドリー クリーニング店 ごみ処理関係
神奈川の休業要請
▽遊興施設など
 キャバレー ナイトクラブ ダンスホール バー
 ネットカフェ 漫画喫茶 カラオケボックス
 射的場 勝馬投票券発売所 場外車券売り場
 ライブハウスなど
▽大学・学習塾など
 大学 学習塾など(延床1000平方メートル超)
 自動車教習所など(延床1000平方メートル超)
▽運動・遊技施設
 体育館 水泳場 ボウリング場 スポーツクラブ
 マージャン店 パチンコ店 ゲームセンターなど
▽劇場など
 劇場 観覧場 映画館 演芸場
▽集会・展示施設
 集会場 公会堂 展示場
 博物館 美術館 図書館
 (延床1000平方メートル超)
 ホテルの集会スペース
 (延床1000平方メートル超)
 旅館の集会スペース
 (延床1000平方メートル超)
▽商業施設(延床1000平方メートル超)
 生活必需品以外の店舗
 生活必需サービス以外の店舗
埼玉県の休業要請
4月13日から5月6日まで休業要請
▽学校
 小・中学校 高校 特別支援学校 幼稚園
 自動車教習所や学習塾
 (延床1000平方メートル超)
▽大学
 大学 専修学校 各種学校
 (延床1000平方メートル超)
▽劇場
 劇場 観覧場 映画館 演芸場 集会場
 公会堂 展示場
▽宿泊施設
 ホテルや旅館の会議場・宴会場
 (延床1000平方メートル超)
▽運動施設
 体育館 水泳場 ボウリング場 スポーツクラブ
▽遊技場
 マージャン店 パチンコ店 ゲームセンター
▽展示施設
 博物館 美術館 図書館
 (延床1000平方メートル超)
▽遊興施設
 キャバレー ナイトクラブ ダンスホール バー
 個室ビデオ店 ネットカフェ マンガ喫茶
 カラオケボックス 勝馬投票券販売所
 場外車券売場 ライブハウス ストリップ劇場等
※飲食店での酒類提供を午後7時までに
※保育所・放課後児童クラブ 保育の縮小検討を
 (休めない事情の家庭などへの対応は維持を)
千葉県の休業要請
千葉県の休業要請は国ガイドラインに基づき実施
期間は4月14日午前0時~5月6日
【基本的に休業要請】
▽大学等
 大学 専門学校 高等専門学校
 専修学校・各種学校 日本語学校・外国語学校
 インターナショナルスクール
(延床1000平方メートル超)
▽劇場等
 劇場 観覧場 プラネタリウム 映画館 演芸場
▽集会場等
 集会場 公会堂 展示場 貸会議室 文化会館
 多目的ホール
 ホテルや旅館の宴会場や大広間等 
(延床1000平方メートル超)
▽運動施設等
 体育館 屋外・屋内水泳場 ボウリング場
 スケート場 柔剣道場 スポーツクラブ
 ホットヨガ・ヨガスタジオ
 屋内施設のゴルフ練習場
 屋内施設のバッティング練習場
 陸上競技場(観客席部分)
 野球場(観客席部分) テニス場(観客席部分)
▽遊技場等
 マージャン店 パチンコ店 ゲームセンター
 テーマパーク 遊園地
▽博物館等
 博物館 美術館 図書館 科学館 記念館 水族館
 動物園 植物園
(延床1000平方メートル超)
▽遊興施設等
 キャバレー ナイトクラブ ダンスホール 
 スナック バー パブ ダーツバー
 個室付浴場業に係る公衆浴場
 ヌードスタジオ のぞき劇場 性風俗店
 デリヘル アダルトショップ 個室ビデオ店
 ネットカフェ 漫画喫茶 カラオケボックス
 射的場 ライブハウス 場外馬(車・舟)券場
▽自動車教習所等
 自動車教習所 学習塾 英会話教室 音楽教室
 囲碁・将棋教室
 生け花・茶道・書道・絵画教室
 そろばん教室 バレエ教室 体操教室
(延床1000平方メートル超)
【原則として休業要請】
▽小学校 中学校 高等学校 特別支援学校 幼稚園
【相談窓口】
千葉県 電話 043-223-2674
(平日 午前9時~午後5時)
茨城県の休業要請
▽新たに休業要請(22日午前0時~5月6日)
ネットカフェ 漫画喫茶
 場外(車・船)券場
 体育館 水泳場 ボウリング場 スケート場
 テーマパーク 遊園地 ゴルフ練習場
バッティング練習場 陸上競技場 野球場
大学 専門学校 高等専門学校
自動車教習所 学習塾 集会場・展示施設
 商業施設 文教施設
▽すでに休業要請(~5月6日)
 パチンコ店
キャバレー ナイトクラブ ダンスホール
 接待を伴うスナックやバー
 ダーツバー パブ 性風俗店 デリヘル
 アダルトショップ 個室ビデオ店
 カラオケボックス ライブハウス
 劇場 観覧場 プラネタリウム
映画館 演芸場
 スポーツクラブ ホットヨガ ヨガスタジオ
 マージャン店 ゲームセンター
▽休業要請の対象外
 医療機関 鉄道などの公共交通機関
生活必需品を販売する店舗
▽営業時間短縮の要請 食事提供施設
 宅配・テイクアウトを除く飲食店や喫茶店など
 営業は5時~20時までの間に
 酒類提供は19時までに
群馬県の休業要請
群馬県の休業要請
18日午前0時~5月6日まで
▽休業要請の対象
 バーやカラオケなど遊興施設
 大学や学習塾
 スポーツクラブや
 ボウリング場など運動施設
 映画館 劇場など
 延床1000平方メートル以下の場合も
 休業を依頼する予定
▽営業短縮等への協力を呼びかけ
 居酒屋 飲食店
 営業時間は朝5時~20時
 酒類提供は19時まで
栃木県の休業要請
18日午前0時から5月6日まで 休業要請
 バー・カラオケなどの遊興施設
 パチンコ店・ゲームセンターなどの遊戯施設
 スポーツクラブ・ボウリング場などの運動施設
 映画館・劇場
 学習塾など
酒などの提供は19時まで 飲食店に協力呼びかけ
県立学校の休校 来月6日まで延長
市や町の公立学校や私立学校にも同様の休校要請
▽休業要請せず
医療施設 保育所 学童保育
介護施設などの福祉施設
生活必需品の販売施設
 ホームセンター・スーパー・コンビニなど
飲食店・喫茶店などの食事を提供する施設
ホテル・旅館などの宿泊施設
※飲食店での酒などの提供は19時までと要請
社会の維持に必要な施設
 公共交通機関 工場 銀行など
銭湯 ランドリー 理容室・美容室 獣医 葬儀場等
東京 協力金
東京都 「感染拡大防止協力金」新設
▽支給対象
 休業・営業時間短縮の要請に全面協力した
 中小企業・個人事業主
 (以下の場合も含む)
 本社が都外でも都内の店舗など休業の場合
 100平方メートル以下の商業施設などの休業
 ※都の要請前から営業実態があることが必要
▽協力金
 1つの事業者に対して50万円
 店舗などが2つ以上ある事業者には100万円
▽支給の条件
 16日から5月6日までの21日間
 毎日 休業や営業時間短縮を行うこと
▽支給の時期
 大型連休明けからの支給を目指す
神奈川協力支援金
神奈川県が「協力支援金」支給へ
▽休業要請に協力した
  県内の中小企業と個人事業主
▽支援金 10万円
▽家賃補助で加算
 事業所1ヵ所借りている場合 10万円
 複数借りている場合 20万円
▽申請
 来月7日から来月末までの予定
小田原休業協力金
小田原市
県の要請で休業や営業時間短縮の事業者
 県の休業協力金とは別に市が独自に助成金
対象
 休業要請に協力した
 市内の中小企業と個人事業主に20万円を助成
千葉 休業支援金
▽支給対象
 県の休業要請の対象外も含め
 売り上げが前年比50%以上減の
 中小企業と個人事業主 県内に本社
▽支給額
 県内に複数事業所を賃借 30万円
 賃借が1か所の場合 20万円
 賃借なしの場合 10万円 
▽休業要請対象の事業者や
 酒類提供自粛求められている飲食店は
 4月22日から5月6日まで張り紙やHPで
 要請に応じていること周知が要件
▽申請
 5月上旬から電子申請及び郵送で受付
5月中に支給開始を予定
▽問合せ 千葉県経済政策課
 043-223-2799 平日9時~17時
埼玉 休業支援金
▽対象
 県内に本社がある中小企業・個人事業主
 4月8日~5月6日に20日以上休業
(定休日も休業に計上できるよう柔軟に判断)
 業種の制限なし
 休業要請の対象かどうかは不問
▽支援金 20万円(事業所が複数あれば30万円)
▽申請
 5月7日からインターネットや郵送で受付
 5月中に支給開始予定
県内の業種別組合に応援金
▽対象 感染影響緩和する事業実施の業種別組合
▽支援額 1組合あたり500万円
 問合せ 048-830-8291 毎日9時~18時
茨城 休業協力金
休業や営業時間短縮の要請に応じた
 中小企業や個人事業主に協力金
▽協力金 1事業者10万円  
 店舗など借りている場合は加算し最大30万円
▽条件 要請前から営業実態あり
 5月6日まで連続して休業や営業時間短縮
栃木 協力金
休業要請に応じた事業者に最大30万円の協力金
協力金 ベース10万円
 家賃負担ある場合や複数店舗賃貸の場合
 →それぞれ10万円を加算
条件 4月21日から5月6日まで毎日休業
自主的に休業した飲食店も対象
群馬 休業支援金
休業要請などに応じた事業者に一律20万円支給
対象 4月25日~5月6日の間
 休業や営業時間短縮の要請に応じた
 県内の中小企業や個人事業者
申請方法 郵送・専用サイトで(5月上旬予定)
問合せ先 県内企業ワンストップセンター
 電話 027-226-2731 
 平日8時30分~17時15分 土日祝10時~16時
 メール [email protected]
無料宿泊 東京
インターネットカフェの営業自粛で
   行き場を失った人たち対象
東京都がビジネスホテルなど宿泊場所を無料提供
▽受け付け 区や市の相談窓口
 生活状況の聞き取りや会員カードなどから
 ネットカフェ利用者とわかれば無料で宿泊可
無料宿泊 神奈川
ネットカフェの利用者対象
神奈川県が一時的な滞在場所に県の武道館を開放
▽滞在希望者は武道館に電話を 045-491-4321
無料宿泊 千葉
ネットカフェ休業で宿泊先をなくした人
千葉県消防学校(市原市)で宿泊提供
利用は無料 食事提供なし 宿泊は原則1週間
電話で利用の相談を
9時~17時 043-223-2309(県の窓口)
無料宿泊 埼玉
ネットカフェ休業で宿泊先をなくした人へ
一時宿泊の提供
宿泊施設 スポーツ総合センター
(上尾市東町3-1679)
4月12日~5月6日 原則1週間(延長可)
県内ネットカフェ利用者・県内在住者は無料
相談  
9時~18時
緊急事態措置相談センター 048-830-8141 
18時以降 スポーツ総合センター
 048-774-5551
食料は各自で用意 生活費等の支給はありません
無料宿泊 茨城
ネットカフェ休業で宿泊先をなくした人へ
水戸市にある宿泊施設を無料で提供 5月7日まで
利用希望 県の相談窓口へ連絡
 電話029-301-3164(平日9時~17時)
利用条件
 ネットカフェ宿泊のレシートや
 本人と確認できる証明書の提示が必要
休業中の火災予防
飲食店などの休業時 火災に注意呼びかけ
東京消防庁 ホームページで���意点公開
▽ガスの元栓 閉鎖しているか
▽使用していない電気器具の
 電源プラグ抜いているか
▽電気配線に重み・負担かかりすぎていないか
店舗の施錠など放火対策も呼びかけ
保護者感染したら
厚生労働省
▽保護者が新型コロナウイルスに感染し入院
(親族などが面倒をみることが難しい場合)
 病院・児童相談所の一時保護所・
 児童養護施設などで子ども受け入れ検討を
 →全国の自治体に通知
▽保護者が入院していない場合
 子どもと一緒に自宅で療養を続けるべきか
 各地の保健所が判断
※国として統一した基準設けず
子ども感染したら
子どもが新型コロナウイルスに感染した場合
家族の対応について日本小児科学会が見解
▽軽症の場合
 原則として自宅での療養を考慮する
 電話などで医師が毎日状態を確認
 高齢者など重症化リスク高い人と同居の場合
 →医師との相談が必要
▽入院の場合
 保護者が同じ部屋で付き添うことを考慮する
東京 消毒液配布
東京 狛江市 
市民に消毒用「次亜塩素酸水」を無料配布
▽1人1回500ミリリットルまで
 利用の際は受け取り用容器を持参
 使用期限は移し替えてから約5日
▽市のHPで市内10か所の配布場所を公開
 配布時間や曜日は
 場所によって異なるため確認を
乳幼児健診 相談
多くの自治体は乳幼児健診を休止
相談体制強化で
子どもの健康状態把握の自治体も
荒川区
 保健師や栄養士などによる電話相談
 電話 03-3802-3111 受付 平日8時~17時15分
 子どもの健康・育児について(内432・434)
     栄養・歯科について(内423)
品川区
 保健師や看護師などの資格を有する
 「子育てネウボラ相談員」による電話相談
 対象 区内在住の乳幼児の保護者
 電話受付時間 いずれも10時00分~16時00分
 来所による相談は休止中
 大井倉田児童センター03-3776-4881(月/水)
 冨士見台児童センター03-3785-7834(月/水)
 平塚児童センター  03-3786-2228(月/木)
 東品川児童センター 03-3472-5806(火/木)
 三ツ木児童センター 03-3491-1005(火/木)
 旗の台児童センター 03-3785-1280(火/木)
 ゆたか児童センター 03-3786-0633(水/金)
 八潮児童センター  03-3799-3000(水/金)
西東京市
 集団で行う3歳児健診を休止
 親子が個別に訪れ受診の1歳6か月児健診は実施
各自治体「ホームページなどで最新状況の確認を」
千葉市 妊婦相談
千葉市が個別電話相談を実施
対象 感染拡大で不安を抱える妊婦
1人30分 予約制
予約電話 043ー238-9925 9時~17時(平日) 
マスクの捨て方
使用済みマスクやティッシュの適切な捨て方
ごみ箱の場合
 袋を中に入れ ふちにかぶせて使う
 中身がいっぱいになる前に
  袋の口をしっかり縛る
ごみ袋が破れた場合
 マスクなどが袋の外側に触れた場合
 袋を二重にする
ごみを捨てたあと
 石けんを使って流水でよく手を洗う
捨て方は環境省のホームページにも掲載
東京都内の多くの自治体
 家庭ごみ収集の作業員の感染防止のため
 適切な捨て方をするよう呼びかけ
体温計の寄付を
軽症・無症状者の宿泊療養施設 体温計多く必要
神奈川県が寄付呼びかけ
▽体温計の種類や新品・中古は問わず 
 電池切れや故障・破損は対象外
▽送り先 231ー8588 神奈川県健康医療局薬務課
 宛名横に「体温計在中」と記載
▽問合せ 045-285-0775 平日8時半~17時15分
生命保険各社
▽日本生命 第一生命
 明治安田生命 住友生命など生命保険各社
 感染者が入院できずに
 自宅・ホテルで療養した場合も保険金支払い
外国人医療相談
日本に滞在する外国人の電話相談窓口
 電話 03-6233-9266
 毎日 10時~17時 5月20日まで
▽対応言語
 英語(毎日)・中国語(平日)
 韓国語・タイ語・スペイン語・フィリピン語等
 その他の言語 1週間に1度 それぞれ曜日指定
▽英語と中国語は以下の番号でも受け付け
 電話 090-3359-8324 平日10時~17時
健康維持対策
外出自粛中の体力低下防止に
 各自治体が体操・運動法などHPで紹介
▽世田谷区
 ストレッチ体操や呼吸法などの動画
 図解を交えた体操についての解説
 区内5地区の散歩コースなど
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/
fukushi/003/005/006/011/d00185537.html
▽荒川区
 運動不足解消のための体操など
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/kenko
/kenko/shien/kenkoudukuri.html
▽練馬区
 オリジナルの体操や口の周囲のストレッチなど
https://www.city.nerima.tokyo.jp/
hokenfukushi/koreisha/oshirase/koureisya
_kantantais.html
▽葛飾区
 自宅で気軽にできるストレッチやウォーキング
http://www.city.katsushika.lg.jp/information
/kouho/1005542/1023108.html
▽西東京市
 家の中でも楽しくできる体操の図解解説など
https://www.city.nishitokyo.lg.jp/kenko_
hukusi/kenkou_ouentoshi/home_happy.html
▽日野市
 自宅でできる筋力トレーニングの図解解説など
http://www.city.hino.lg.jp/fukushi/
kenko/1013873.html
千葉 健康支援
外出自粛による運動不足に注意を
千葉県がホームページで手軽な運動を紹介
県理学療法士会監修の「+10(プラステン)」
1日10分多く体を動かして健康づくり
問合せ 千葉県健康づくり支援課 043-223-2403
茨城 医療相談
医療相談アプリ「LEBER(リーバ-)」
茨城県民に無料でサービス提供
新型コロナウイルスに関する相談などに
スマホを通じて医師が対応
9月30日まで 24時間対応 事前登録が必要
問合せ 株式会社AGREE 029-896-6263
消毒の事故に注意
日本中毒情報センターが呼びかけ
消毒用エタノールや除菌剤の取り扱いに注意
▽ペットボトルに移し替えない
 ラベル貼られた専用の容器へ
▽冷蔵庫や子どもの手の届くところに保管しない
▽事故が起きたときは
 日本中毒情報センター「中毒110番」へ
 072-727-2499 24時間
 029-852-9999 毎日9時-21時
ストレス緩和は
子どものストレス 親子でできる対処法
国立成育医療研究センターがHPで紹介
▽子どもの話をよく聞くこと
▽家事手伝いの予定を一緒に考えること
▽親子で一緒にストレッチをするなど
リラックスする方法や
感染拡大の事態に落ち着いて対応する方法なども
国立成育医療研究センターHP
http://www.ncchd.go.jp/news/2020/
20200410.html
家庭学習
東京都
家庭学習の進め方や学習方法について
都教委がHPの「学びの支援サイト」で公開
▽家庭学習の時間割作成
 掲載例を参考に自分の時間割を作成
▽基礎的な学習内容を身に付けるためのドリル
 小1~中1の国語・算数・数学
 小3・小4の社会・理科
 中1の英語
 パソコン・タブレットで解答・採点 印刷も可
神奈川県教育委員会
家庭学習等で活用できる練習問題や教材公開
 主に小学生・中学生向けを教科別に掲載
 県ホームページのトップ画面から
 「課題解決教材をやってみよう!」に入る
 小3~小4の国語・算数
 小5の国語・社会・算数・理科
 中2の国語・社会・数学・理科・英語
大和市・秦野市・伊勢原市
 市や教育委員会のHPで
 家庭学習のドリルなど公開
さいたま市
 小学生や中学生の家庭学習の参考に
 授業再現や教材解説の動画
 市のホームページの
 新型コロナウイルス特設サイトで公開
自宅で過ごす
東京 板橋区
▽文化にふれる特別授業として
 「板橋おんらいん寄席」の動画を公開
 区のHPの動画配信サービス
 「チャンネルいたばし」に掲載
▽小・中学生用の音読教材も紹介
東京 足立区
区のHPに家庭学習用の教材を掲載
▽小学校3年生から
 中学校3年生までの算数・数学
▽中学校1年生から3年生の英語
 教育について取り組みのカテゴリー
 学力・体力向上のコーナーからアクセス
東京 多摩市
YouTubeに多摩市公式チャンネルを開設
▽児童館などが制作した
 幼児向けの遊戯や運動 料理の動画など
▽市のHPに
 多摩市公式チャンネルのリンクを掲載
東京消防庁 「おうちdeチャレンジ消防士」
HPで家で過ごす子ども向けに動画を公開
▽ロープの結び方・包帯の使い方を紹介
▽小学生向けの防災クイズ
▽ぬりえ ペーパークラフトなども掲載
横浜市教育委員会
横浜市HPの図書館のページに
自宅で楽しめる絵本や動画など掲載
▽図書館のおすすめの本 年代別 幼児~大人
▽動画 昔ばなし・民話の紙芝居
 わらべうた・手遊び歌
▽図書館キャラクターぬりえ
学生への支援
修学支援新制度
 ▽授業料の減免・給付型奨学金の支給
  感染拡大で家計が急変した
  大学・短大・高専などに通う学生対象
 ▽国・自治体が行う公的支援の受給証明書など必要
 ▽いつでも申請可能
  申し込みの案内を学校で受け取り
  必要書類を揃えて提出
  奨学金はインターネットで申し込み
貸与型の奨学金
 ▽問合せ
  各学校の奨学金窓口や
  日本学生支援機構の奨学金相談センター
  受付 平日9時~20時 0570-666-301
東京 家庭相談
新宿区
 子どもの居場所に関する相談
 子ども総合センター 03-5273-4544
平日 8時30分~17時15分
世田谷区
 子どもからの相談を受け付け
せたがや子どもテレフォン
 03-5451-1211
 平日17時~22時 土日祝9時~22時
 このほか
 子育てなどの相談先一覧を区HPで公開
 詳しくは世田谷区ホームページで
練馬区
 休校・外出自粛で子どもとの時間が増える中
 子育てなどに悩む人の相談受付
 妊娠期からの子育て相談
 豊玉保健相談所  03-3992-1188
 北保健相談所   03-3931-1347
 光が丘保健相談所 03-5997-7722
 石神井保健相談所 03-3996-0634
 大泉保健相談所  03-3921-0217
 関保健相談所   03-3929-5381
 相談時間はいずれも 平日8時30分~17時  
 このほか区の家庭支援センターでも受付
 詳しくは練馬区のホームページで
国分寺市
 子どもの教育に関する相談を受け付け
 042-573-4376 10時~17時(日月除く)
国立市
 子育ての悩みのほか
 子どもからの相談も受け付け
 家庭支援センター
 042-573-0965 8時半~17時(日曜休日除く)
町田市
 子育て全般についての相談
 町田市子ども家庭支援センター
 042-724-4419 平日8時30分~17時
 18歳までの子どもの相談先
 まこちゃんダイヤル
 0120-552-164 平日8時30分~17時
多摩市
 親子関係などについての相談受け付け
 多摩市子ども家庭支援センター 
 042-355-3777 9時~18時(日曜除く)
 このほか2か所のセンターや
 各児童館でも受け付け
東京 生徒相談
東京都福祉保健局
無料通信アプリ「LINE」で
親子関係や子育ての悩みの相談を受け付け
▽「子ゴコロ・親ゴコロ相談@東京」
 平日 9時~23時(受付 22時30分まで)
 土日祝 9時~17時
▽対象 都内在住の18歳未満とその保護者
▽対応 心理カウンセラーなどの専門相談員
▽利用方法
 チラシや東京都福祉保健局HPから
 QRコード読み取り・友だち追加で利用可能
東京 遊び場
東京 千代田区
休校中のあそび場として広場など開放
▽ふじみこどもひろば 富士見2-14-3
 9時~17時(毎日)
▽芳林公園 外神田3-5-18 7時~19時(毎日)
▽小川広場(フットサルコート)
 神田小川町3-6  7時~17時(毎日)
▽旧今川中学校校庭 鍛冶町2-4-2
 15時~17時(土日休日除く)
利用可能な常設の広場
▽くだんしたこどもひろば 九段南1-3-5
 9時~17時(毎日)
▽飯田橋三丁目広場 飯田橋3-9-17
 9時~17時(毎日)
▽富士見二丁目広場 富士見2-3-6
 9時~17時(毎日)
子どもの食事は
東京 中野区
区内の公立保育園の人気献立やレシピ HPで紹介
▽レシピは主食編・おかず編・おやつ編
 離乳食の献立も掲載
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/
dept/244000/d010961.html
東京子ども預かり
東京 目黒区
区内の児童養護施設で
宿泊ともなう子どもの一時預かりを実施
生活保護世帯は無料
対象
 区内在住の3歳から小学6年生
 仕事のための出張・出産・病気など
 子どもの面倒をみることができない場合
利用方法
 利用希望日の7日前(緊急時は3日前)までに
 子ども家庭支援センター窓口で申請
 電話 03-5722-6836
利用料金
 生活保護世帯は無料
 その他 1人1泊2日 6000円 
学習機材支援
東京 文京区
 各学校の動画配信に対応しICT機器の貸出
 対象 区立小・中学校の児童・生徒
 スマホやタブレット等で
 ネットへ接続ができない家庭に限る
 受け付け 文京シビックセンター20F
 学務課施設係(印鑑持参)03-5803-1296
横浜 外国人支援
横浜市中区「なか国際交流ラウンジ」
外国人に生活情報提供や日本語学習等の支援
生活の悩みや不安・
休校中の学習に関する相談も受け付け
電話 045-210-0667
受付 10時~17時(火・土は20時まで)
日本語・英語・中国語に対応
横浜市 家庭相談
自宅での時間が増える中
 子育てなどに悩む人の相談受け付け
横浜市中央児童相談所 045-260-6510
(鶴見区・神奈川区・西区・中区・南区)
横浜市西部児童相談所 045-331-5471
(保土ヶ谷区・旭区・泉区・瀬谷区)
横浜市南部児童相談所 045-831-4735
(港南区・磯子区・金沢区・戸塚区・栄区)
横浜市北部児童相談所 045-948-2441
(港北区・緑区・青葉区・都筑区)
川崎市 家庭相談
不安・ストレス抱える家庭からの相談受け付け 
平日8時半~17時
川崎市こども家庭センター
 044-542-1234
川崎市中部児童相談所
 044-877-8111
川崎市北部児童相談所
 044-931-4300
川崎区役所
 044-201-3214 044-201-3314
川崎区大師地区
 044-271-0145
川崎区田島地区
 044-322-1978
幸区役所
 044-556-6648 044-556-6693
中原区役所
 044-744-3308 044-744-3268
高津区役所
 044-861-3315 044-861-3259
宮前区役所
 044-856-3302 044-856-3308
多摩区役所
 044-935-3264 044-935-3101
麻生区役所
 044-965-5234 044-965-5160
川崎市子ども施設
休館(11日~)
 川崎市内58か所の児童館
運営を継続
 114か所の学童保育
「川崎市ふれあい館」「川崎市子ども夢パーク」
子どもに野菜を
川崎市多摩区HPの「くらしのガイド」
▽おいしい野菜レシピ紹介
 離乳食のほか
 保育園・小中学校で人気のレシピ
 妊娠中の人や生活習慣病予防に役立つレシピ等
埼玉 休校支援
埼玉県教育委員会
臨時休校中の過ごし方をHPで紹介
▽自宅でできる簡単な運動や遊び方
▽「科学技術の面白デジタルコンテンツ」
 宇宙・生物など科学の世界を映像やアニメで
▽「日本アニメーション映画クラシックス」
 100年近く前に作られたアニメーションなど
▽学習支援
 小学4年生~中学3年生向けの「復習シート」
 小学1年生から中学生まで使える
 「学力向上ワークシート」など
▽HPのたどり方
 埼玉県HP
 →「新型コロナウイルス感染症のお知らせ」
 →「感染確認状況と関連情報」
 →「埼玉県教育委員会の対応」へ
埼玉 子ども相談
▽さいたま市
 「なんでも子ども相談」 048-762-7757
▽川口市「家庭児童相談室」 048-259-9005
▽所沢市子ども支援センター 04-2922-2238
▽久喜地域子育て支援センター
 (ぽかぽか)
 0480-21-8596  
▽熊谷市子育て世代包括支援センター
 (くまっこるーむ)
 月曜~金曜 048-523-1066
 土曜 048-524-1111(熊谷市役所)
▽秩父市子育て支援センター
 0494-24-1712(下郷児童館内)
さいたま市 学校
さいたま市内 全公立学校 5月6日まで臨時休校
▽保護者の仕事の関係などで
子どもの預け先ない場合
 給食提供ないが 特別支援学校の生徒含め登校可
▽休校中の小中学校・中等教育学校・高校の校庭開放
 8時半~16時 運動の機会確保のため
 対象 その学校に通う子ども・保護者
千葉 学習支援
休校中の児童・生徒の学習教材 
千葉県教委がHPに掲載
「ちばっ子チャレンジ100」(小学生向け)
「ちばのやる気学習ガイド」(中学生向け)
「家庭学習のすすめ」(小・中学生むけ)
https://www.pref.chiba.lg.jp/
kyouiku/index.html
千葉 子ども相談
千葉県子どもと親のサポートセンター
休校中の悩みや不安などの相談を受け付け
対象 千葉県内の小・中・高校生とその保護者
相談先 0120-415-446(24時間対応)
    0120-0-78310(24時間対応)
Eメール [email protected]
千葉 子育て支援
野田市 補正予算案に計上
▽児童手当を受給している世帯対象
 →独自に5000円を上乗せ支給
▽ひとり親の家庭で児童扶養手当の受給世帯
 →児童1人あたり5000円を上乗せ支給
千葉 生徒相談
千葉県教委
 無料通信アプリ「LINE」で
 休校中の悩みや不安などの相談を受け付け
「そっと悩みを相談してね
        ~SNS相談@ちば~」
受付時間 17時~21時(20日~)
 時間外も相談受け付け改めて返信
 臨時休校期間中は毎日利用可能
対象 県内の中学生と高校生
対応 SNS上でのカウンセリングの経験がある
 専門の臨床心理士
利用方法
 チラシや教育委員会のホームページから
 QRコードを読み取り登録を
心の相談窓口
東京都
地域ごとの保健福祉センターなど電話相談を受付
受付時間 平日の午前9時~17時
▽中部総合精神保健福祉センター 03-3302-7711
(港区 新宿区 品川区 目黒区 大田区
 世田谷区 渋谷区 中野区 杉並区 練馬区)
▽都立精神保健福祉センター 03-3844-2212
(千代田区 中央区 文京区 台東区 墨田区
 江東区 豊島区 北区 荒川区 板橋区 足立区
 葛飾区 江戸川区)
▽多摩総合精神保健福祉センター 042-371-5560
 多摩地域
神奈川県
▽保健師や臨床心理士が電話相談
 0120ー821-606 9時~20時45分
▽LINEで無料相談受付 
 神奈川県に在住・通勤・通学の人を対象
 月~金・日 17時~22時(受付21時30分まで)
 予約不要 匿名可能
 県HP「いのちのほっとライン@かながわ」
 検索 友だち登録を
横浜市
 各区の福祉保健センター 平日8時45分~17時
 「こころの電話相談」 045-662-3522
 平日17時~21時半 土日祝8時45分~21時半
川崎市
 各区の保健福祉センターで電話・面接相談
 「こころの電話相談」 044-246-6742
 平日9時~21時
相模原市
 各区の高齢障害者相談課 平日8時半~17時
 「こころの電話相談」042-769-9819
  月~土 17時~22時(受付21時30分まで)
 “いきる”ホットライン 042-769-9800
  日曜 17時~22時(受付21時30分まで)
埼玉県
 県立精神保健福祉センターの「こころの電話」
 048-723-1447 平日9時~17時
 「暮らしとこころの総合相談会」毎月2回
 事前予約制 予約は048-782-4675へ
さいたま市
 こころの健康センター 048-762-8548
 平日9時~17時
千葉県
 県精神保健福祉センター 043-263-3893
 精神科医・精神保健福祉士などが相談に応じる
 4月18日から5月6日は毎日10時~17時
千葉市
 こころの健康センター 043-204-1582
 平日8時半~17時半
 各区の保健福祉センターでも電話で相談受付
茨城県
 「いばらきこころのホットライン」
 平日029-244-0556  土日0120-236-556
  9時~12時 13時~16時
 県精神保健福祉センター 029-243-2870
 平日8時半~17時15分 電話で相談受付
栃木県
 県精神保健福祉センター「こころのダイヤル」
 専門の相談員が電話相談受付
  028-673-8341 9時~17時(土日祝除く)
群馬県  
 「群馬県こころの健康センター」
 感染拡大に関連する不安やストレスなど受付
  027-263-1156  平日9時~17時
厚生労働省
新型コロナウイルスによる不安などの相談受付
▽「SNS心の相談」
 仕事や生活の不安をチャット形式で相談
 平日   18時~21時30分 
土日休日 14時~21時30分
 厚生労働省「こころの耳」HPからアクセス
日本臨床心理士会・日本公認心理師協会
▽新型コロナこころの相談
 電話050-3628-5672
 平日10時~12時 19時~21時
 ※5月4~6日は実施 5月6日までの予定
千葉市 妊婦相談
千葉市が個別電話相談を実施
対象 感染拡大で不安を抱える妊婦
1人30分 予約制
予約電話 043-238-9925 平日9時~17時半 
全国 DV相談
外出自粛・休業などの生活不安やストレスで
 DV被害増加・深刻化の懸念に対応
全国共通の窓口
▽配偶者暴力相談支援センター
 0570-0-55210
 受付 平日9時~16時
 →各地のセンターにつながる
※これ以外の時間帯に受け付けのセンターも
 内閣府男女共同参画局のHPで確認を
▽DV相談+(プラス)
 電話 0120-279-889
 受付 当面9時~21時(今月29日から24時間)
※メールやSNSでの相談は専用のサイトから
 https://soudanplus.jp/
※5月1日からはメールなどで英語や中国語など
 10か国語程度の外国語に対応予定
DVリスク避ける
DV被害者支援団体などに聞いた対処法
▽「一度その場から離れる」
 イライラしたときはその場から離れる
 別の部屋への移動や散歩が有効
▽「1分数を数えて冷静に」
 離れられない時は
 トイレなどで1分間数を数える
▽「仕事の日程を共有」
 在宅勤務は1日のスケジュールを家族と共有
 話しかけないでほしい時間をあらかじめ伝え
 不要な衝突を避ける
▽「建設的話し合いを」
 生活費などについて家族で話すと
 収入減を責められたと感じ暴力のおそれも
 互いに建設的に話し合いをすることが大切
▽「1人で抱え込まない」
 DVの被害にあってしまった場合
 →我慢せずに相談を
東京 DV相談
外出自粛や休業の不安やストレスなどによる
DV被害増加・深刻化の懸念に対応
▽東京都女性相談センター
 電話 03-5261-3110
 受付 平日 9時~20時
▽東京都女性相談センター多摩支所
 電話 042-522-4232
 受付 平日 9時~16時
 夜間休日の緊急の場合
 電話 03-5261-3911
▽東京ウィメンズプラザ
 電話 03-5467-2455
 受付 9時~21時
東京 虐待防止
外出自粛や学校休校のストレスなどによる
児童虐待増加・深刻化の懸念に対応
児童相談所 虐待対応ダイヤル
 電話 189 毎日 24時間(通話料無料)
児童相談所 相談専用ダイヤル
 電話 0570-783-189 毎日 8時30分~20時
話してみなよ 東京子供ネット
 東京都が設置した子どもたちのための相談先
 電話 0120-874-374
 平日 9時~21時 土日休日 9時~17時
神奈川 DV相談
外出自粛・休業などによる生活不安やストレスで
 DV被害増加・深刻化の懸念に対応
神奈川県配偶者暴力相談支援センター
▽女性のための相談窓口 
 0466-26-5550 
 平日9時~21時 土日9時~17時(祝日除)
 045-451-0740 
 土日17時~21時 祝日9時~21時
 多言語相談
 090-8002-2949 10時~17時(月~土)
 英語 中国語 韓国・朝鮮語 スペイン語
 ポルトガル語 タイ語 タガログ語
▽男性のための相談窓口
 被害者向け
 0570-033-103 9時~21時(月~金で祝日除)
 加害者向け
 0570-783-744 18時~21時(月・木で祝日除)
横浜 DV相談
外出自粛・休業などによる生活不安やストレスで
 DV被害増加・深刻化の懸念に対応
横浜市DV相談支援センター
 045-671-4275 9時30分~16時30分(月~金)
 045-865-2040 
   9時30分~20時(月~金 第4木曜除く)
   9時30分~16時(土日祝)     
横浜 虐待防止
外出自粛や学校休校のストレスなどによる
児童虐待増加・深刻化の懸念に対応
よこはま子ども虐待ホットライン
0120-805-240 24時間フリーダイヤル
川崎 DV相談
外出自粛・休業などによる生活不安やストレスで
 DV被害増加・深刻化の懸念に対応
川崎市DV相談支援センター
 044-200-0845 平日9時30分~16時30分
川崎 虐待防止
外出自粛や学校休校のストレスなどによる
 児童虐待増加・深刻化の懸念に対応
川崎市児童虐待防止センター 
 0120-874-124 年中無休 24時間通話料無料
児童相談所虐待対応ダイヤル
 電話189 年中無休 24時間通話料無料
千葉 DV相談
外出自粛・休業などによる生活不安やストレスで
 DV被害増加・深刻化の懸念に対応
女性サポートセンター
 043-206-8002 年中無休・24時間
女性のための総合相談
 04-7140-8605 月曜除く9時30分~16時
男性のための総合相談
 043-308-3421 火・水16時~20時
千葉 虐待防止
外出自粛や学校休校のストレスなどによる
児童虐待増加・深刻化の懸念に対応
児童相談所虐待対応ダイヤル(通告・相談)
 電話189 年中無休・24時間(通話料無料)
児童相談所相談専用ダイヤル
 電話0570-783-189 年中無休・8時30分~20時
千葉県子ども・家庭110番
 電話043-252-1152 年中無休・24時間
茨城 女性相談
夫や交際相手からの暴力など女性の悩み相談
県女性相談センター 女性相談員が対応
専用電話 029-221-4166
 平日9時~21時 土日祝 9時~17時
来所相談は電話予約必要 相談時間 9時~17時
LINEを活用
神奈川県と埼玉県 LINEを活用した情報提供
▽それぞれの県のLINE公式アカウント
「新型コロナ対策パーソナルサポート」
 県のHPからQRコードを読み取り
 →友だち追加で利用可能
 利用者の状況を入力→個人に合わせた情報入手
 スマートフォンからのみ利用可能
飲食店を支援
東京都内の自治体が地元の飲食店紹介サイト
持ち帰り・出前可能な店をまとめる
→外出自粛に伴い客の減った飲食店を支援
文京区
 「文京区内店舗緊急応援ページ」を開設
江東区
 区運営の店紹介サイト「ことみせ」で紹介
品川区
 商店街連合会が立ち上げたアプリ  
 「しながわTAKEOUT MAP」で紹介
 商店街連合会のHPで掲載店舗を募集中
渋谷区
 区のHPで区内店舗へ注文し
 区内に配達する場合のサービスを紹介
中野区
 観光情報サイト「まるっと中野」に特設ページ
 中野区観光協会はHPで
 クラウドファンディングで支援募集(~30日)
練馬区
 観光情報サイト「とっておきの練馬」で紹介へ
 掲載する店舗を募集中
足立区
 13日から区のHPに掲載 掲載希望の店も募集
豊島区
 17日から商店街連合会のHPに掲載
板橋区
 「いたばしTIMES」ホームページ
 区内のテイクアウト&デリバリー可能店
 最寄り駅別にまとめて掲載
葛飾区
 テイクアウトや出前を行っている店舗
 葛飾区商店街連合会ホームページで公開
 区内を10のエリア別にまとめて掲載
 登録店舗をFAXまたは郵送で募集中
狛江市
 テイクアウト可能店舗を掲載する  
 「こまえおもちかえりごはん」ページを紹介
 店舗一覧ページから掲載希望も受付
小金井市
 「小金井おべんとうプロジェクト」
 「コガネイーツMAP」など
 テイクアウトや配達に対応した
 地元の店舗を掲載したページを紹介
福生市
 市内飲食店でのテイクアウト利用時
 「#福生エール飯」つけSNS投稿呼びかけ
 飲食店にも同じハッシュタグでの投稿呼びかけ
多摩市
 地元で持ち帰りや出前を利用した時
 「#たましめし応援隊」つけSNS投稿呼びかけ
 飲食店にも同じハッシュタグでの投稿呼びかけ
羽村市
 「#羽村エール飯」つけSNSへ投稿呼びかけ
あきる野市
 4月2日~5月31日「テイクアウト選手権」開催
 期間中に参加店でテイクアウト利用で
 地元特産品が当たる抽選応募券を配布
 参加店 秋川駅周辺の12店舗
自宅で楽しむ味
埼玉県公式観光サイト「ちょこたび埼玉」
ホテル・旅館の味が自宅で楽しめる
デリバリーサービス・持ち帰りサービスを紹介
情報掲載の希望
埼玉県観光課へ連絡 048-830-3950
飲食店を支援
テイクアウト&デリバリー横浜
横浜市がHPにリスト掲載
持ち帰りや宅配・出前ができる市内の飲食店紹介
登録希望の場合はHPで申請を
テイクアウト
川崎市のHPに飲食店支援のリンク掲載
テイクアウト・配達可能な市内店舗を紹介
幸区
「-HapiBen-幸区テイクアウトMAP」
中原区
「武蔵小杉・元住吉・新丸子の
 テイクアウトできる
 お店と繋がるコミュニティ」
「レストラン応援!武蔵小杉法政通り
 サライ通りでテイクアウトができるお店」
「武蔵新城 お持ち帰りマップ」
高津区
「ふらっと溝の口」
宮前区
「宮前テイクアウトマップ」
「Miyamae 
 TAKE OUT gourmet」
麻生区
「新百合ヶ丘の
 テイクアウト飲食店情報2020」
「みなさんから情報提供いただいた
 新百合ヶ丘周辺のテイクアウトやデリバリーを
 行っている飲食店55店」
「しんゆりテイクアウト」
結婚式場の対応
全国各地で結婚式場を運営している11社55式場
式の延期 キャンセル 柔軟に対応する方針発表
▽対象 4~5月式場を決めるカップル
▽日程変更によるキャンセル料の対応
 招待状の印刷費等の実費負担だけにするか
 後日 同じ式場で挙式ならば 実質負担ゼロに
55式場のうち首都圏の式場
東京
「アルカンシエル南青山」
「IWAI OMOTESANDO」
「ザ・グラン 銀座」
「ホテル雅叙園東京」
茨城
ウェディングレストラン「アレーズ」
チャペル&ウェディングレストラン「バウム」
完全貸切型ガーデン&邸宅ウェディング
 「アルシェ」
「ホテルクリスタルパレス」
「ホテル テラス ザ ガーデン水戸」
「水戸芸術館 Wedding」
「ホテル テラス ザ スクエア日立」
栃木
「ホテルエピナール那須」
「プリマディーバ」
「マリエルコート インターパーク」
「フェリヴェール サンシャイン」
運転免許
運転免許更新手続き 3か月延長できる措置
 対象 有効期限 令和2年3月13日~7月31日
 申し出が期限内にあった場合
警視庁と神奈川・千葉・埼玉県警
 運転免許の更新業務を当面休止
 郵送での延長手続きを呼びかけ
 免許取得の際の学科・技能試験や
 認知機能の検査・高齢者講習も休止
新型コロナウイルスの影響で失効した場合
 条件満たせば学科・技能試験を免除
 再取得可能な措置も
日赤呼びかけ
日本赤十字社
「献血は医療体制維持に不可欠 
 不要不急の外出に含まれず」 
日赤の専用サイトや電話で前日17時までに予約を
献血 東京都
東京都内 13か所の献血ルーム
ハチ公前献血ルーム
 (9時30分~18時30分)
献血ルームfeel
 (10時~12時15分 13時30分~17時45分)
新宿東口駅前献血ルーム
 (9時30分~18時30分)
新宿西口献血ルーム
 (11時~12時45分 14時~18時45分)
都庁献血ルーム
 (9時30分~12時15分 13時30分~17時15分)
献血ルーム新宿ギフト
 (10時15分~12時45分 14時00分~18時)
有楽町献血ルーム
 (9時30分~18時30分)
akiba:F献血ルーム
 (9時~17時30分)
献血ルーム池袋い~すと
 (9時30分~11時45分 13時~17時15分)
献血ルーム池袋ぶらっと
 (10時~18時30分)
献血ルーム吉祥寺タキオン
 (10時~12時45分 14時~17時45分)
立川献血ルーム
 (10時~17時45分)
まちだ献血ルームcomfy
 (9時30分~12時15分 13時30分~17時15分)
献血 神奈川県
神奈川県内 8か所の献血ルーム
横浜駅東口 クロスポート献血ルーム
(平日 10時00分~18時30分
 土日休日 9時30分~18時30分)
横浜Leaf献血ルーム
(9時30分~18時30分)
かわさきルフロン献血ルーム
(10時00分~18時30分)
横浜駅西口献血ルーム
(9時40分~13時00分 14時00分~17時30分)
二俣川献血ルーム
(9時00分~12時30分 14時00分~16時30分)
みぞのくち献血ルーム
(9時40分~13時00分 14時00分~17時30分)
クロスウェーブ湘南藤沢献血ルーム
(9時40分~13時00分 14時00分~17時30分)
本厚木献血ルーム
(9時40分~13時00分 14時00分~17時30分)
献血 千葉県
千葉県内 6か所の献血ルーム
柏駅前榎本ビル5階
 (10時~13時 14時~17時30分)
松戸駅西口松戸ビル1階
(10時~13時 14時~17時30分)
船橋駅前フェイスビル7階
 (10時~13時 14時~17時30分)
津田沼パルコB館6階
 (11時~13時 14時~17時30分)
��ノレール千葉駅構内
 (10時~13時 14時~17時30分)
千葉運転免許センター
 (9時~13時 14時~16時30分)
献血 埼玉県
埼玉県内 7か所の献血ルーム
所沢プロペ通り献血ルーム
 (9時45分~13時 14時00分~17時30分)
川越クレアモール献血ルーム
 (10時~17時30分)
鴻巣献血ルーム
 (8時45分~13時 14時~16時30分)
越谷レイクタウン献血ルーム
 (9時45分~17時30分)
大宮献血ルームウエスト
 (9時45分~18時30分)
川口駅献血ルーム
 (9時45分~13時 14時~17時30分)
熊谷駅献血ルーム
 (9時45分~13時 14時~17時30分)
災害避難の注意点
避難所で人が密集すると感染のおそれあり
安全な場所の親戚・知人宅などへの分散避難も
▽避難所に持っていくもの
 マスク・アルコール消毒液・体温計
 マスクがない場合 タオルなどで代用も
 消毒液がない場合 ウエットティッシュも活用
▽避難所入る前に体調チェック・体温測定を
 発熱やせき 強いだるさなどの症状ないか
▽避難所を運営する人は
 「隔離する部屋」を用意
 症状がある人のための専用の居場所確保を
▽避難所に入ったら
 「密閉・密集・密接」を避けることが基本
 人と背を向けて座る 段ボール等で間仕切りを
 手洗い・消毒の徹底 毎日 体調チェックを
 体調に変化があったら無理せず
 避難所運営者に対応を考えてもらうこと
男児暴行容疑で逮捕の2人を送検
04月24日 18時34分
23日、高崎市の4歳の男の子が死亡し、母親と元交際相手が頭や腹を殴ったとして逮捕された事件で、男の子の死因は頭を強く打ったことによる「外傷性ショック」だとわかりました。 男の子の全身には多数のあざがあり、警察は、日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて、暴行との関連について調べています。 高崎市の接客業、土屋聡美容疑者(25)と、元交際相手で高崎市に住む自称・販売業の武藤一貴容疑者(27)は、ことし2月から今月にかけて、それぞれの自宅で当時3歳だった土屋容疑者の長男の翔雅くんの頭や腹などを殴ったとして暴行の疑いで逮捕され、警察は、24日、2人の身柄を前橋地方検察庁に送りました。 警察によりますと、翔雅くんは、22日、けいれんを起こしたとして病院に意識不明の状態で運ばれ、その後、死亡しました。 警察は、24日、司法解剖を行い、男の子の死因は、頭を強く打ったことによる「外傷性ショック」だとわかりました。 また、男の子の脳には3日から4日以内にできた出血の跡があるうえ、全身に多数のあざがあったということです。 警察は、日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて、暴行との関連について調べています。
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myonbl · 3 years
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2020年11月27日(金)
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私の職場では今日で後期授業の10/15週が終了、残り1/3となった。タイムカードには11/30(月)に<在宅勤務>と打刻して今月の業務は終了、次の出講日は12/2(水)となる。世間の<師>は走り回らねばならないだろうが、すでに<歳暮・お節>は手配済み、来年のカレンダーも用意して、残るは週末の<小掃除>だけである。<自由業>とは時間を自在に操れる職業、誠に結構である。もっとも懐具合を考えれば、誰にでも勧められるものではないが。
今日は全員出勤。
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レモン煮麺+ヨーグルト+豆乳。
洗濯1回。
可燃ゴミ、30L*1。
弁当詰める。
研究室の前には、明日が締切の「研究倫理eラーニング」の修了証書を提出するための箱が置いてある。昨夕以降に提出されたものをリストに書き込み、Google Classroom の機能を利用して、確認メールを配信する。
10時、ラジオ体操第一。
2限は「情報社会と倫理」、今日のテーマは「インターネットによる社会生活の変化」。電子書籍・電子図書館・電子美術館/博物館、BtoB/BtoC/CtoC...。amazon の kindle、青空文庫、ルーブル美術館などを紹介し、スマートフォンのアプリで無料で楽しく学べるスタイルを提案する。
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福岡の叔母からいただいた辛子明太子@稚加栄もこれで最後、ミカンは農薬ゼミの省薬ミカン。
radikoで武内陶子さんのおしゃべり聞きながら、来週の「環境論」「情報社会と倫理」のレジュメ作成、アップロード。
久しぶりに O姉からメール、来年度の時間割の確認であるが今の私には判断材料がない。sampe 兄に情報提供を依頼し、今年度と変更がないことを確認する。同時に、私自身も今年度と���じであることを再確認した。
3限の授業を終えて久しぶりに IM嬢来室、一緒にラジオ体操第二に取り組む。
金曜日なので、ゴミ処理してから退出。
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週末に奥川ファームから野菜が届くので、今日は買い物なし。
近頃は、教材も含めて YouTube のお世話になっている。いったんはファミリープランを解約したのだが、やはり広告が多くて使いづらい。自分の分だけ再契約する。
apple watch で使用する Suica のチャージ用として、ビックカメラ Suica カードを入手した。折角なので、ビックカメラWebに会員登録、さっそくワイン三本セットをポチってしまった。
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息子たちの夕飯は、昨日から仕込んでおいた<無水ポトフ>、昆布水で少し伸ばしたが、野菜がトロトロ。味噌汁は、タマゴととろろ昆布。
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ツレアイにはナスのナムルを用意し、冷蔵庫にあった厚揚げを焼き、無水ミネストローネをつける。今夜はゆっくりと酒を楽しむ。
録画番組視聴。
上方落語の会▽桂三実「早口言葉が邪魔をする」▽桂雀太「天狗刺し」
▽きょうの落語:「早口言葉が邪魔をする」桂三実・「天狗(てんぐ)刺し」桂雀太▽「NHK上方落語の会」で収録▽「早口言葉が邪魔をする」:小学生の息子が学校で早口言葉の授業を受けて帰ってきた。翌日、父親が出かけたファミリーレストランでは…▽「天狗刺し」:天狗のすき焼き屋を始めたいと言う男がやって来た。どこで天狗を仕入れるのかと聞けば、それを聞きに来たという始末で…▽ごあんない:南沢奈央・くまざわあかね
「天狗刺し」を鞍馬へ行く前に下げるのは、感心しない。
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さすがに、酒が回るとウォーキングは無理、残念なり。
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こちらは、何とかクリア。
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shibaracu · 4 years
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●柳田國男の世界
本文を入力してください
●柳田國男の世界 この人の本はあまり読んだことがない。 何故か少し恐怖があった。 何ともコトバにしようがないほどの感じである。 民俗学的には良いものを出しているようだ。 でも批判もタダ有るようだ。 下の方の論文などは一度読む価値があるように思える。 折口という人と比較されたり並べていろんな話もあるようだ。 どれが良いのかハッキリしない。 人それぞれの取り方もある。 私は読んでも味方も敵にも成れない。 もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、 そういう学問になっている このコメントが引っかかる。     ◆柳田國男 - Wikipedia http://bit.ly/yTENHp 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は日本の民俗学者。 現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、晩年に名誉町民第1号となった。正三位勲一等。 日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、著書『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。 日本における民俗学の開拓者であった。   ◆柳田國男の世界 | 福崎町 http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/category/3-2-0-0-0.html
   故郷 七十年 [2016年5月17日]    國男 年表 [2014年2月3日]    國男ゆかりの地 [2014年2月3日]    福崎の人々 [2014年2月3日]    柳田國男の世界 [2014年2月3日]    福崎という土地 [2014年2月3日]    其の一 [2014年2月3日]    其の二 [2014年2月3日]    其の三 [2014年2月3日]    其の四 [2016年5月17日]    其の五 [2016年5月17日]    其の六 [2016年5月17日]    其の七 [2016年5月17日]    其の八 [2016年5月17日]    其の九 [2016年5月17日]
森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。 が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。
◆福崎町立柳田國男・松岡家記念館 http://bit.ly/zeFzJs 本館は,『後狩詞記』や『遠野物語』などの多くの著作をあらわし,「日本民俗学の父」と 呼ばれる柳田國男(文化勲章受章,福崎町名誉町民第1号)と,医学・国学・言語学・ 美術などの分野で活躍した松岡家の顕彰を目的に,昭和50年に設立された記念館です 。   ◆1144夜『海上の道』柳田国男|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1144.html 2006/05/23 今夜は柳田国男の『海上の道』をもって、いったん「千夜千冊」を擱筆するつもりでとりあげようと思っているのだが、その前に少し書いておきたいことがある。何にも煩わされることなく柳田や折口を読んでいたころがひたすら懐かしいということだ。   ◆成城大学 | 民俗学研究所 柳田國男について http://bit.ly/zD7Dft 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962) 成城大学民俗学研究所は、日本民俗学の創始者で近代日本を代表する思想家の一人でもある、柳田國男の寄贈書を納めた「柳田文庫・民俗学研究室」を基盤とし、設立されました。我国における民俗文化の研究センタ—としての役割を担うべく、日本の民俗文化及びこれに関連する研究、調査並びに資料の蒐集を行っています。   ◆柳田國男について  https://www.seijo.ac.jp/research/folklore/kunio-yanagida/intro/ 名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、 「常民文化の探求」と「郷土研究」の必要性を説く 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962)は、明治8年7月31日に兵庫県神東郡田原村辻川という農村の医者・国学者であった父松岡操の六男として生まれる。幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや間引き慣習の悲惨さを思い、「経世済民の学」を志向、東京帝國大学法科大学(現東京大学)で農政学を学ぶ。  「日本民俗学の祖」柳田國男の旧居は、小田急線の「成城学園前」下車3分、駅前の道を北進して2つ目の四つ角を左に折れると、木立の中に洋館があり、現在は、建て直されてご子孫が住まわれている。 柳田國男存命中の大きな書斎を持つ建物は、昭和63年に解体され、柳田家先祖ゆかりの信州飯田にある「飯田市美術博物館」の中に移築され、今は当時の面影はない。   ◆柳田國男館 - 飯田市美術博物館 http://bit.ly/AoL6VZ 「民俗の宝庫」―伊那谷の「生きた学び舎」としての活用をねがうものです。   ◆柳田國男記念公苑 [茨城県利根町公式ホームページ] http://www.town.tone.ibaraki.jp/page/page003532.html 2019/12/04 柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示しています。また、会議、講座、宿泊施設として利用できます。   ◆柳田国男 家系図研究にも影響を与えている http://bit.ly/zhfiMj 家系図の分野で有名な丹羽基二氏の大学での恩師にあたるそうです。(「日本人の苗字」にありました。) 神隠しの体験について語っていたりする神秘家としての柳田国男がいるわけですが、遡れば陰陽道の中心地播磨という関連もあるかも知れません。 宮本武蔵とは、赤松 つながりでもあるのですが、養子の宮本伊織の神隠し体験ともなんらかのつながりが あるかも ...   ◆第866回談話会要旨(2012年12月2日=いくつかの「先祖の話」:京都で読む柳田祖霊神学)  2013年5月6日 · http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/866.html 主な登場人物2 ―京大文化史学派の『先祖の話』受容― 京都大学・菊地暁
 今回のシンポジウム「いくつかの『先祖の話』 ―京都で読む柳田祖霊神学―」(日本民俗学会第866回談話会、京都民俗学会第31回年次研究大会シンポジウムを兼ねる)はシンポジウム「京都で読む柳田国男」(2005年、柳田國男の会、国立歴史民俗博物館共同研究「日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究」、京都大学人文科学研究所共同研究「近代京都研究」共催)の第2ラウンドともいうべき企画である。「京都で読む柳田国男」は、民俗学史をとりまくいくつかの「中心史観」への挑戦だった。柳田中心史観、純粋民俗学���心史観、東京教育大中心史観、そういった一連の偏向をともなう学史叙述は、結果的に、地方や隣接分野における実践の脱落につながった。そこでその偏向を転倒させるため、「京都」という視点の挿入を試みた。すなわち、粗野に対する洗練、野外に対する文献、在野に対する官学といった、「野の学問」の正反対を抱え込む「京都」をあえて前景化させることによって、民俗学という運動の射程と多様性を可視化させようとしたわけである。   ◆ぶく速 柳田国男と折口信夫って どっちのほうが強いの?http://bit.ly/x6R8bG 2011/12/23 ▽英雄の条件  「大人物出でよというのはかつて政界の常套語であったが、これは今いる連中がみな凡庸だという意味の反語であったかもしれぬ」 「丸太棒であれ鸛(コウノトリ)であれ、何か自分たちを統御してくれるものを恋しがっていた者は多いのである。 しかしその適任者が仲間の内に、今まで埋もれていたということはあまり喜ばなかった。英雄はもう少し毛色の変わった馬に乗って、雲の彼方より出現してこなければならなかった」  これは、民俗学の泰斗である柳田国男が1930年に書いた「明治大正史世相篇」の「英雄待望」の章の文章だ。この本には文明時評的なところがあるが、この部分も皮肉で面白い。 柳田とか折口とかの著作って学術書と言えるの?文学とかエッセイ、随筆の類だろ もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、そういう学問になっている   ◆遠野物語の柳田国男、農政の先駆者としての顔: オーライ!ニッポン https://blog.canpan.info/ohrai/archive/82 2019/02/03 遠野市を訪問したことから、遠野物語の柳田国男、民俗学の祖である柳田国男のもう一つの顔、農政の先駆者としての姿を知った。柳田が考える農政とはどのようなものだったのであろうか。 並松信久氏(京都産業大学 大学院 経済学研究科教授)は、論文「柳田国男の農政学の展開」の中で、柳田国男の農業政策の目的は生産量の増加ではなく、それを通して国民総体の幸福を実現することにあり、これは柳田がJ.S.ミル(JohnStuartMill,1806_1873)のイギリス功利主義の影響を受けていることを物語っている。 論文「柳田国男の農政学の展開」(PDF) https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21
◆水木しげるが漫画化した柳田國男『遠野物語』の“お色気シーン” http://bit.ly/z8x7Oi 作家の嵐山光三郎氏は過去に『水木しげるの遠野物語』(小学館刊)を書評しているが、この原稿で衝撃の事実が明らかになっている。以下、嵐山氏の書評だ。(『週刊ポスト』2010年4月9日号より)
◆柳田國男「ネブタ流し」を読む http://bit.ly/Aqfjb8 柳田國男の「毛坊主考」は、多面的な作品である。表題のとおり、地方の集落で半俗半僧侶生活を送る念仏の徒についての話もあれば、シュクや茶筅などの被差別的な扱いを受けていた人々の生態とその信仰について、また、各地に残る由来のわからなくなった塚や山という異界の周辺にたむろしている者(童子)たちについての話もあった。 この多様性は、「毛坊主考」が「郷土研究」誌上に連載されたものであるということに由来する。 柳田は、地域の口碑や伝承、他の地域の攘却行事を参考にして、ねぶたを“御霊祭”の一種として捉えていこうとしているのだ。   ◆遠野物語 - Wikipedia http://bit.ly/y0ckcQ 『遠野物語』( とおのものがたり)は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した説話集。日本民俗学 の黎明を告げた名著である。   ◆柳田国男 海上の道 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54331_53583.html +一二. +一三. +一四. +一五. +一六. +一七. +一八. +一九. +二〇. +二一. +二二. +二三. +海神宮考. +緒言. +一 昔話の島嶼型 ... それからこの方の記録だけによって海上の交通史を説くのは間違いのもとであろう。 昭和三十六年六月. 柳田国男. [#改丁] ... 日本の海端に、ココ椰子の実が流れ着くということは、決して千年ばかりの新らしい歴史ではなかったはずであるが、書物で海外の知識を学び取ろうとした者は、かえって ... 寄木 ( よりき ) は流木の浜に漂着したものといい、親はこちらで言うならば長者のことである。 「椰子の実」と柳田國男 =流木のロマン= ■ 日本は四方を海に囲まれ、その海岸線の 総延長は3万6千km(地球の9/10周に相当)にも及び、ロシア連邦、オーストラリアに 次いで世界で3番目に長い。日本は紛れもなく海洋大国なのです。   ◆島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチック… | 八重山毎日新聞社 http://www.y-mainichi.co.jp/news/12500 2008/12/02 島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチックだ。愛知県・渥美半島の伊良湖岬を民俗学者の柳田國男が訪れたとき、散策の途中に恋路ヶ浜で拾ったヤシの実の話を友人の島崎に語ったのがきっかけで生まれた叙情詩だという ▼波に揺られ、長い歳月をかけて南の島からたどりついた1個のヤシの実は文部省唱歌となり、多くの人々に親しまれている。その舞台になった渥美町(合併で田原市)は、石垣島沖から毎年ヤシの実を流して自然のロマンを再現、実際に漂着したケースもある ▼ところがどうだろう。八重山に流れ着くのは嫌なものばかりだ。復帰前は爆発物の「機雷」や米軍機の燃料タンク、廃油ボール、そしていまは海外の漁具類やごみだ ▼かつては海岸線を歩くのが楽しかった。珍しい形をした流木や漁具のガラス玉を拾って持ち帰った。だがいまは漂着ごみ量にぼうぜんとなる。プラスチックの容器をヤドカリが抱えて歩いている光景にも出会った ▼先に開かれた環境省の漂着ごみ地域検討会で、観光客アンケート結果として「ごみ回収で滞在日数は0.9日増える」と報告された ▼漂着ごみは静かに島々に負のイメージを広げており、事態は深刻。回収しても次々とごみは流れ着く。その悪循環を断ち切るのが外交力であり、政府に強く望みたい。(黒島安隆)   ◆童謡集/椰子の実(歌詞付き) https://youtu.be/eG1gB5dluU8 2009/08/02 有名な童謡曲集~MillesVents風~シリーズ 第2弾 とても難しい日本語で書かれた歌詞・・・ それを少しでも聴いて頂いた方に理解出来るようにと工夫して歌ってみました・・・。 伝わったでしょうか? ---歌詞の親切な解釈--- (文語調に不慣れな方の為に、歌詞の概略をしるしておきます) ※歌詞そのものではありません
名前も知らない 遠い島から
流れ着いた 椰子の実がひとつ
ふるさとの岸を離れて
お前はいったい何ヶ月 海をただよって来たんだい
お前が育った椰子の木は きっと生い茂り
枝の下に 影ができるほどなんだろうね
僕もまた 波の音を枕に
一人さすらう 浮寝の旅さ
椰子の実を手に取り 胸に当てれば
さすらいの憂いが また新たにわく
海に沈む夕陽をみていると
遠い異郷の地に流れ着いた今の我が身に
涙があふれて流れ落ちる
思いははるか 果てしない波の彼方
いつの日にか 故郷へ帰ろう
いつの日にか 故郷へ帰ろう ~Pucky訳~   ◆日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論  http://bit.ly/xwOKIY 戦前の大東亜共栄圏の夢が軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権として甦ったのだ。 なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか。 外部より内部に目を向けたがるのだろうか。   ◆南方熊楠のキャラメル箱サイト内検索:柳田国男 http://bit.ly/wxM9F9 南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(口語訳1)明治44年12月10日   ◆柳田国男と遠野物語 2019/12/28 https://youtu.be/94ZghOx8jXM   ◆柳田国男.mpg  2010/08/16 https://youtu.be/oWm7zXLOBCI
◆遠野の昔話 『オシラサマ』  2015/04/04 https://youtu.be/h0hVjjrd5Gc 川崎市立日本民家園 佐々木家住宅 語り部 大平悦子氏   ●とおの物語の館 - 遠野市 http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,23855,166,html 2013/04/25 昔話の世界を体感  とおの昔話村が、平成25年4月27日、「とおの物語の館」としてリニューアルオープンしました。  昔話を映像や音声で楽しむことができる「昔話蔵」や、語り部による昔話を聞くことができる劇場「遠野座」などのほか、お食事処やギフトショップも充実。見て、聞いて、食べて遠野をまるごと満喫できます。   ◆遠野の語り部   2008/12/08 https://youtu.be/96rY_9SQEWE 遠野の語り部、カッパの昔話 岩手の方言をお楽しみください   ◆柳田國男「神道は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」 幕末の国学、柳田國男の「国家神道」批判、http://bit.ly/A5bfro   ◆第4回講座-神道研究入門- http://yamaguchi-gokoku.jp/subupage4.html 神道を敵視する立場から神道を研究するわけですから、そうした人たちの神道の研究書に従えば、天皇は人民統治手段として神道を用い、神も支配したという結論に導かれる論理になっており、神道は超国家主義的宗教とされました。
◆補足 「国家神道」がムラを壊した 04 09/10  http://bit.ly/xLHSWv 近代国家としての日本は終始一貫して「国家神道」を、国民の国家への忠誠と献身とを引き出す道具として利用した。 このような国家的計略を「日本に固有のものとはとうてい言えない」と批判したのは官僚出身の民俗学者、柳田国男であった。   ◆民俗学 - Wikipedia http://bit.ly/xOE6LS 民俗学(みんぞくがく、英語:folkloristics)は、学問領域のひとつ。高度な文明を有する諸国家において、自国民の日常生活文化の歴史を、民間伝承をおもな資料として再構成しようとする学問で、民族学や文化人類学の近接領域である。   ◆国家神道批判 [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xbZnG6 国男にとって、神道とは神と人とが交感し、交歓する祭にほかならなかった。その原風景が残るかぎり、たとえ国家が敗れても、くには残ると信じていた。   ◆祭政分離はとうぜん [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xKz8M5 記事はGHQの検閲をへている。 国男の発言は、明治憲法と国家神道を廃絶しながら、政治から切り離された国の祭祀者としての天皇を認めるというマッカーサーの考えを側面から支援するものとなっていた。 だが、それだけでは終わらない。 国男はさらに進んで、政治に利用されることのない神道の再生をひそかに構想していたのである。   ◆【日本近現代史】歪められた日本の歴史 | 日本人の信仰と聖書 ... http://nihonjintoseisho.com/blog001/2019/06/06/history-of-japan-2/ 2019/06/06 「高校生のためのおもしろ歴史教室」というウェブサイトを大変興味深く読ませていただいております。「日本を不思議の国から当たり前の国にいま、周辺国の陰謀によって悪化しつつある国際的評価に正しい主張をしてまいりましょう」日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎(月刊「致知」平成27年10月号「巻頭の言葉」/致知出版社) という文章が紹介されていましたので、一部をご紹介させていただきます。   ◆戦後日本 : 柳田国男らの民俗学による歴史学の破壊 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/symp_012__39__27_36__39_48.pdf A・N・ メシェリャコフ ロシア国立入文学大学 (日本語訳 ・土田久美子) 二十世紀はユートピアの世紀であった。ソビエト連邦でも、ナチス・ドイツでも、そして日本でもユートピアを建設する試みが見られた。 すなわち、ソ連は共産主義 、ドイツは「新秩序」、日本は「大東亜共栄圏」の建設を試みたのである。 ユートピアの思想を実現させる為 、いずれの三力国でも一社会的・文化的相違はあるにせよ一「全体主義」として特徴づけられるべきシステムが構築された。 いずれの三力国でもユートピアの建設は、国内外に対する広範囲の武力行使によて 実現された。 二十世紀はユートピア建設の世紀であるだけでなく、その破綻の世紀でもあった。 前述のいずれの国家もこの運命を免れることは��可能であった。 ドイツと日本は戦争に敗北し占領下に置かれ 、ソ連は第一に非効率的な経済システムの為に崩壊した。 全体主義が破綻した後 、いずれの三力国でもより民主的・個人主義的な社会を創り出す政策がとられ 、それは「全人類的」価値への参加として理解されたそれと同時に、かつての希望の破綻に伴い 、厳しいアイデンティティの危機が生じた。 危機には解決を要する。 新しいアイデンティティを創造した日本の経験はかなりの独自性で際立っており、あらゆる観点からの研究がなされる必要がある。
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ014
7月 16, 2017 9条教は   なぜか憲法1条~8条は守らない。   憲法96条も守らない。   1条~8条は天皇、96条は改正手続き。9条教が守らないのも納得。   19条(思想および良心の自由)、20条(信教の自由)、21条(集会・結社・表現の自由)あたりにも敏感と思われるが、   12条(自由・権利の保持の責任および乱用の禁止)のことは忘れている。      それより13条(個人の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重)を忘れているほうが問題。   この条文は、アメリカ独立宣言由来の民主主義にとって一番重要な条文。   これに比べたら、平和主義は枝葉末節の思想。   89条(公の財産の支出又は利用の制限)が私学助成と矛盾しかねないのも無視する。   とにかく、9条だけは御題目のように毎日読むが、他の条文は目を通したことも無い。   憲法三大原理を理解しておらず、特に「国民主権」を守る気が無い。   「在日主権」は遵守する。   9条以外の憲法はどうでも良いが、「護憲派」を自称したがる。 過コピペ@2ch 生活のため真実に背く 他 【タブーかもしれないコピペ集】 (via realedge) (元記事: kakopipe.blog38.fc2.com (nawakatから))
7月 16, 2017 「南京大虐殺」ではない・・・これが「南京事件」です【日本人が襲われた】 覚書。私的ログ倉庫です。 2014年 8月29日 http://gofar.skr.jp/obo/archives/11404
58 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@:2014/08/27(水) 1926年7月から、ソ連の莫大な援助をもとに蒋介石(しょうかいせき)が、張作霖の打倒を目指して北伐を開始しました。 そして、3月の南京占領の際に、支那兵は突然、日本領事館を襲いました。 日本領事館内には、領事夫妻を始め、領事館員の家族や武官、南京市内に住む日本人が避難していました。 金庫はハンマーで叩き壊され、女性は服を剥ぎ取られ裸にされ、金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。 領事夫人は、27人に輪姦(レイプ)され、 30数人いた日本人婦人は、少女に至るまで陵辱されました。 その際、日本領事館員も、日本軍人も、避難してきた日本人居留民も、まったく抵抗しませんでした・・・海軍陸戦隊は、武器も持たずに領事館にいたのです。 荒木大尉一行は、武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく・・・後に、荒木大尉はそれを恥じて「申し訳ない」と自決することになります。
これが「南京事件」です・・・これこそが「南京事件」です。 ちかごろはインチキ、ウソ話の「南京大虐殺」ばかりが取り上げられるようですが、 それ以前に、南京攻略まで至る様々な出来事があったのです。 死者だけは出なかったので幸いでしたが・・・英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ました。そのため、揚子江のイギリス軍艦は、南京城内へ砲撃しています。 しかし、日本の軍艦は何もしませんでした・・・なぜなら? 当時の幣原外交は弱腰で「支那(しな)を刺激しないように」という訓令があったためです。 日本の外務省は、事を荒立てないため、広報に「わが在住婦女にして陵辱を受けたるもの一名もなし」と、まったくの嘘(うそ)を書きました。 退去令が出され、揚子江流域からは、日本人は全員着の身着のまま、財産を放り捨てて内地に引き揚げざるを得ませんでした。 幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」でした。 こうした外交は、支那(しな)の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば、弱虫の日本は逃げていく」と思われ、 暴力はエスカレートしていったのです。
[ 捏造 南京大虐殺] 反証 いろいろ + 中国共産党工作  【朝日新聞は南京事件でも捏造していた】本多勝一、写真捏造を認める! [南京大虐殺] 捏造写真を 元朝日新聞記者 本多勝一が 捏造と認める 『週刊新潮』グラビア  南京攻略戦・兵士たちの証言 「城内空っぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」[中国プロパガンダ「南京大虐殺」の真実] 日本人が説明した日中戦争の経緯と中国ネット + 支那大陸近代歴史&雑学 [日本人必修かも] 反日在日朝鮮・韓国人+サヨク の ディスカウントジャパンの論法  反日工作機関 [売国・朝日新聞] 従軍慰安婦捏造 以外の 悪行 [工作手法] 朝日新聞 外国メディアを使った 反日記事ロンダリングの仕組み [南京攻略戦] 南京事件で40万人虐殺…安倍首相、米歴史教科書の歴史歪曲に「本当に愕然とした」 「創作された『歴史』の修正を主張する時期に来た、反撃せよニッポン!」ケント・ギルバート 毛沢東と#・譿ホ + 抗日戦勝記念行事と習近平 + 南京 + 反日左翼 [アエラ・工作記事] 日本からの「独立論」強まる 描く青写真 「独立宣言し、各国に働きかけて国家承認を求める」「朝日新聞ウィークリー AERA」 支那(中国)大陸 歴代 南京大虐殺 一覧 [南京大虐殺問題・従軍慰安婦問題・靖国問題]日本国を貶める三大歴史カードの元凶  朝日新聞    [中国情報戦] 日米開戦とベトナム戦争の裏側で (元記事: gofar.skr.jp (rainbowflower-gardenから))
7月 16, 2017 拉致なんてないと言ってた人たちリスト 土井たか子 辻元清美  村山富市 田辺誠 田英夫 志位和夫 野中広務 中山正暉 朝日新聞 日教組 和田春樹 坂本義和 吉田康彦 河野洋平 Twitter|元気な日本を愛する日本国民 @ashitaninareba7 (via ashzashwash) (petakirinから)
7月 16, 2017 天皇制・天皇制度どちらも共産党が作った言葉。日本人なら皇室が正解 アカは、憲法上の仕組みがあって皇室が存在していると思いたいから 「制」「制度」と言う言葉にあてはめようと言葉遊びを繰り返す。 皇室は日本の文化そのものだから制度云々の前に継続して存在しているんだが。 761 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 02:34:52 ID:yGde+St30 ≫740皇室を解体するために、アカが作った造語なんだよね?制度を廃止する!というニュアンスの『天皇制』という造語。 765 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/09/22(木) 06:35:10 ID:TZ79WnNw0 ≫740 かなり昔から天皇制って言葉になんとなく違和感を感じてたけど、あんたのおかげで氷解した。ありがとう。 過コピペ@2ch 小学生の頃 左翼教育受けてた奴 (via bochinohito) 「天皇家」という表現も同じようなものだね。 「天皇」を苗字みたいに思ってるやつw ただしくは血筋を表すなら皇室、皇統と書く。 そもそも一般家庭と一緒に論じてしまうのが間違ってるんだな。 あと、保守を名乗ってる奴でも間違いが多いのが「御皇室」という書き方。 Ch桜も「今週の御皇室」などとふざけたタイトル名のコーナーがあるが、「皇」の字の前に良かれと思って「御」の字を重ねちゃうのがいいと思ってる輩を増やしてしまう原因にもなるので本当にやめて欲しい。本来「皇」の字の上につける文字は「天」以外に存在しないため、頭に御の字をつけると逆に不敬であると言われている。つまり、庶民からみて「皇室」は十分敬った言い方だ。 また、崩御、薨去なども頭に御の字を付けないのが正しい。 (via lumpleteza)
7月 16, 2017 日本の皇室は現在の日本国につながる国家が始まって以来ずっと続いているため、たとえば中国の唐王朝などの歴代の王朝や、現存する日本国外のウィンザー朝(イギリス)、チャクリー王朝(タイ)のような「国内に存在した他の王朝と区別するための王朝の名前」を持たない。強いて言えば、「日本」という国名そのものが王朝名である。 皇室 - Wikipedia (via invoke)(元記事: Wikipedia (awarenessxxから))
7月 15, 2017 #トランプ大統領の政策を日本に置き換えてみる ・中国、韓国、北朝鮮からの入国禁止措置 ・反日思想の在日韓国朝鮮人を強制送還 ・安い中国製品に対して関税20% ・日本企業や外国企業に日本国内の雇用を増やさせる ・韓国との国境に壁を作る \最高じゃんwww/ 500円さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (windsockから))
7月 15, 2017 これが日テレの忖度かw→ 玉木の親は香川県獣医師会の副会長 玉木の弟は獣医師 玉木の秘書は元日テレプロデューサー 玉木の秘書の夫は日テレ報道番組制作会社の会長 獣医師会は玉木に100万円の献金 玉木は父親に1000万円の借金(無利子のため実質的な献金の疑い) 獣医師会は加計学園の獣医学部新設に反対 玉木は獣医師会の会合で獣医学部新設は潰すと発言 怪文書の出所は今以て不明だが、持ってきたのは玉木 怪文書を真っ先に本物だと肯定した北村元議員は現獣医師会顧問 玉木と獣医師会の関係が明るみになっても日テレの報道番組では不自然な安倍叩き (via shinjihi)(peckoriから)
7月 15, 2017 今日、伊集院さんがラジオで言っていた、『自分は無信心で神様も信じてない、だけどお地蔵さんを蹴れるかっていうと無理だし賞味期限切れのおにぎりを踏めるかっていうと無理』という話、なんか大事な気がする。 そういうのが根っこにあるものとして暮らすけど、たまにそれが無い人に出会うと怖い。 幸福太郎さんのツイート (via mug-g) 興味深い (via hispwsbi)(元記事: twitter.com (salazosulfapyridineから))
7月 15, 2017 「腰痛」は、経験した人しか分からない痛みと辛さがある。そして、痛みが酷い上に、「どうすれば完治するのか」がはっきり分からないため、絶望的な気持ちになるものである。 私もそんな経験をした1人。私の場合は腰椎の椎間板ヘルニアだった。それも「手術をした方がいい」と言われるレベルの。ところが、ある整体院で教わった体操を実践しているうちに、みるみる痛みがとれて治ってしまったのだ。今回は、その方法をご紹介しよう。 最初に断っておくが、この記事で紹介する方法は、私にとっては効果が大きかったが、腰痛に悩む全ての人にとって有効である保証はない。あくまでも「実践したら私は治りました」という話である。 ・26歳で椎間板ヘルニア発症 ちなみに私が椎間板ヘルニアになったのは、26歳の時。「腰の痛みが酷い」と思って病院に行ったら、「MRI検査が受けられる大きい病院に行ってください」とのこと。 言われるがままに行った病院で検査を受けると、「腰椎4番5番の椎間板ヘルニア」と診断されたのだ。MRIの画像を見ると、確かに背骨から軟骨が飛び出しているで��ないか! 「マジかよ」という気分に追い打ちをかけるように、「手術した方がいい」と整形外科の先生からのご宣告。 ただ、生来のビビりであることに加えて、「腰椎椎間板ヘルニアは手術しても治るとは限らない」程度の知識があった私は、なんとか手術なしで治そうと考えた。整形外科だけでなく、整体院や鍼灸院などに行けば、どこかに有効な方法があるのではないかと思ったのだ。 ・病院を何件も回る それからというもの、ネットで「ここの鍼灸院がいい」という評判を見つければそこに行き、腰の具合が変わらなければまた別のところに行くという生活。全部で10件近くまわっただろうか。保険が効かないところが多かったため、経済的な面でも相当な負担だった。 ・思い出したくない坐骨神経痛 当時は、腰の痛みも酷かったが、強烈なのは坐骨神経痛! 私の場合は座れないタイプだったため、仕事面でも生活面でも支障が大きかった。足の指先までしびれる神経痛は、今でも思い出したいくない程である。 そんな時、ある整体院に行ったところ、先生に「手術しなくても、今から教える2種類の体操をすれば大丈夫」と言われた。最初は「腰椎の椎間板ヘルニアが体操程度で治るわけない」と思っていたが、やってみると本当に治ってしまったのだ! その体操は以下の通り!! ・体操1 まず、仰向けになり膝を立てる。そのまま腰を動かさずに、膝だけ左右にゆっくりと振ろう。左側が床についたら今度は右側というように、膝を180度の範囲で動かす。これだけである。この時大事なのは、ちょうど腰の当たりがほぐれているような感覚があること。「気持ちいい0」とまで感じられればベストだ ・体操2 次の体操も仰向けの状態で行う。まず、膝をゆっくりと持ち上げて、両腕で抱え込む。ちょうど、寝ながら体育座りをしているような格好だ。それから膝をゆっくりと胸に近づけていき、「これ以上は無理」というところで姿勢をキープ。この体操は、腰の部分が伸びて心地いいような感覚を感じながら行うのが重要。痛みを感じない範囲で、ゆっくりとやろう。 ・体操をする時間は? 長時間体操を行う必要は一切ない。腰痛の酷さにもよるが、1つの体操につき5分で合計10分。それを朝と寝る前の1日2回行えばOK! 非常にお手軽である。 ・効果は徐々に出る ただ、この体操はやってすぐに効果が出るというものではない。私の場合は、1週間くらいすると「ちょっと楽になったかな」という感覚があり、1カ月くらいすると、確実に快方に向かっているという実感があった。3カ月くらいするとほぼ痛みを感じなくなり、完全に痛みを感じなくなったのは6カ月後である。なので、根気よく続けることが大事! ・痛みをおして行うのは厳禁 なお、痛みが強い場合は、体操を完璧にやらなくても大丈夫。痛みで膝を左右180度まで動かせなかったり、膝を抱え込もうとしても膝が胸に着かないかもしれないが、最初はそれでも問題ない。続けているうちに徐々に可動範囲が広くなっていくので、無理のない範囲で行うこと。むしろ痛みをおしてやるのは厳禁だ。 ・痛くて全く動かない場合はどうするのか? 私自身そうだったのだが、中には「痛みを感じない範囲って言われても、ちょっとでも動かしたら痛いわ!」という人もいるだろう。そんな時、使えたのは「牽引」だ。整形外科や整体院の器具を使って行う、腰痛持ちにとっては、おなじみの方法である。 私の場合、牽引だけをしていても効果は薄かったが、牽引するとほんの少しだけ痛みがマシになったので、それから体操をするという手順を踏んだ。腰痛に悩んでいる人からは「牽引しても治らない」という声をよく聞くが、私にとっては「体操できる程度に痛みを抑える方法」と考えると有効であった。 ただし、牽引器具は全ての病院や整体院にあるわけではない。「やってみよう」と思っている人は、事前に電話やホームページで確認して、設置している病院を選ぶのがいいだろう。 ・快方に向かっている感覚を得られたら? 体操を続けて、よくなっているという感覚を得られたら、次は腹筋と背筋の筋トレをしてみよう。体操を教えてくれた先生いわく「腹筋や背筋が衰えると背骨の負担が大きくなる。それも腰痛や腰椎椎間板ヘルニアが発症する一因」なのだそうだ。なので、腹筋や背筋をトレーニングすることで腰の痛みを和らげるともに、再発のリスクを軽減させるのである。 やり方は、よくある腹筋と背筋の運動と同じ。ただし、これも痛みのない範囲で、ゆっくりと行うこと。回数も、状態に合わせて無理のない程度で問題ない。腰の具合が快方になっていくのに合わせて、少しずつ回数を増やせばOKだ! ということで、以上の内容をまとめると、体操できる程度に体���動かせる人は、体操 → 腹筋・背筋の筋トレという流れであり、体操もできない程に痛みが強い人は、牽引 → 体操 → 体操である。 ・「体操なんかで治らない」という思い込みを捨てる 腰痛に悩んでいる人の中には「腰痛体操は知ってた」という人も多いだろう。ただ、知っていたとしても、どこかで「体操なんかでは腰のヘルニアは治らない」とか「ヘルニアを治すにはブロック注射や手術などの痛みを伴う治療が必要」思っている人が多いのではないだろうか?  確かにそのような人もいるだろう。だが、シンプルなこの体操でも、毎日続けることで私のように効果を発揮する例もある。時間もお金もかからないため、腰痛に悩んでいる人は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。 【腰痛持ち必見】体操してたら腰椎ヘルニアが治った / 時間もお金もかかけずに腰痛を治す超簡単な方法はコレ! - ロケットニュース24 (via darylfranz) (元記事: rocketnews24.com (aki-zizi-memoから))
7月 15, 2017 まず言いたいのは、私たち一人一人が「アルコールは薬物である」ということをきちんと認識しなければならないということです。20歳以上は摂取できる合法的な依存性薬物です。コカインや大麻、覚醒剤やシンナー、睡眠薬の仲間で、中でも依存性が高いです。知ってほしいのはアルコールの薬理作用として、依存症までいかなくても、ひどい行為に及ぶことがあるということです。例えば自殺とアルコールは関係性が高い。DVや虐待などに、アルコールが介在しているというデータも出ています。お酒との付き合い方を考えるためには、まず子どものころからアルコールについてきちんと学ぶ教育や体制を整えることが必要です。 東海イズム:オピニオン 「インタビュー(42)アルコールによる社会問題 依存症者の支援研究 実践教育に生かす 健康科学部社会福祉学科 稗田里香准教授(特集企画)- 毎日新聞 (via gkojax)(元記事: mainichi.jp (gkojayから))
7月 15, 2017 212 :名無しさん@1周年:2017/03/06(月) 12:18:22.27 ID:Kg2VV5aU0 いやね、そもそも飲食店の10年生存率って15%程度なんだわ。 20年保つのは1%も無い。しかもこの不景気。 飲食って一見儲かる。だから簡単に参入する。が、ほとんど脱落する。 個人経営で出店して最初の2,3年は驚くほど儲かる。余程不器用でなければ。 新しい店で活気もある、店長も店員もやる気にみなぎってる。客は入る。 現金商売羽振りも良く、客のねぇちゃん引っ掛けて、ブイブイ。青年実業家気取り。 2年目くらいで最初のダレが出て来る。従業員。 飲食最大の敵は従業員の飽き。近隣店舗ではない。 毎日同じ作業で刺激も無いから。 手を抜く、質を落とす、ダレてるのは客にも伝わる。 ほんの少し質を落としても翌日の売上に直結するわけでは無い。 クレームになるわけでも無い。ジワジワと落ちる。 が、落ちる原因が分からない。 ヘタに成功体験があるから軌道修正もできない。 徐々に時代と合わなくなってくる。 なんとか10年もったとしても、今度は経営者も飽きてくる。 多店舗展開で刺激を求めるが目が届かなくなりリスクが増大する。 最悪は食中毒。 品質管理、売上管理。大企業で組織的にそれらの訓練をした経験が無い。 リーマン経験でちっと利口なヤツだと企業がそれら一見無駄に思える活動が 実は組織を長期的に維持する要であることを学ぶ。 が、それがわかるヤツは脱サラはしない。 飲食経営の分の悪さ、リーマンの気楽さも理解できるからだ。 若くして飲食初めて高級車に美女乗せてるヤツが不憫でならない。 10年後は85%の確率で借金まみれで逃走。 【飲食】 “マネーの虎”川原ひろし社長、ラーメン店全店舗閉鎖 [無断転載禁止]c2ch.net (via pinball-1973) (元記事: daily.2ch.net (fumi-tanoから))
7月 11, 2017 わかった!* 部落、皮製品、肉屋、精肉、焼肉店、屠殺業、野中広務、北朝鮮、辻元清美、獣医師、生コン、万景峰号、産廃業者、これらの利権、はぜーんぶ繋がってるのかな!?
7月 11, 2017 ■老眼が自然に治ることはない 【Yes】治ったように感じたら核白内障 ■ブルーベリーは目の健康にいい 【No】確かなエビデンスがない ■目が疲れたらマッサージ 【No】網膜剥離や白内障の原因に ■近視は病気ではない 【No】強度近視は病気 ■目に優しいコンタクトならドライアイでもOK 【No】ドライアイはコンタクトに向いてない ■コンタクトは保存液に入れておけば安心 【No】保存液に洗浄力はほとんどない ■眼球体操では目はよくならない 【Yes】よくなるどころか網膜剥離の危険 ■白内障は放置すると緑内障へのおそれが 【Yes】白内障は緑内障の始まり ■白内障の予防薬で進行が止まる 【No】白内障は薬では治らない ■手術は症状が悪化してからでいい 【No】早く発見手術をすれば視力が回復 ■白内障の手術はどこでも同じ 【No】執刀医によって結果は全く違う ■アトピーや花粉症でも網膜剥離になる 【Yes】目をこ��る、かくのは禁物 ■網膜剥離はすぐに手術するべき 【Yes】最高の腕の眼科外科医を見つけて 詳しくはソースにてhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170709-00010086-jprime-life まとめたニュース : 「眼球体操やブルーベリーが目にいい」はウソ 目のジョーシキがくつがえる! (via 774rider) (元記事: matometanews.com (nerazurinerazuriから))
7月 9, 2017 オウム真理教に殺された坂本堤弁護士が住んでいた団地の他の住人(7世帯)は、 全員事件の起こる半年前より後に越してきた人たちだった。 そのうち5世帯が創価会員。 神奈川県警は失踪事件当初、この住人達全員に行動確認をかけていた。 その矢先に突然県警本部長のレイプ疑惑や生活安全課幹部がノミ屋を張っていた疑惑が次々と出始め、行確をはずしたら、マスコミからの疑惑追及もとまった。 それで勢付いたオウムは脱会信者の家族らを次々とVXガス(今回の金正男殺害で使われたのと同じもの)で襲撃。 当時の官房長官だった野中広務は北朝鮮詣でから帰ると出所不明の大量の金を政界にばらまき始め、自民党の実質的な党首となって公明党を政権に引き入れた。 ネトウヨもまだいないし、韓流ブームもまだ無い頃だったけど、この頃から俺達の国はもうおかしかった。
7月 9, 2017 ▼母親と 「私の母は、口に出して約束したことは必ず守ってくれました。そして、自分に誤りがあるとわかったときは、大人に謝るのと同じように、はっきり子どもに謝りました。これは信用の根本であり、したがって『躾け』と『教育』の土台です。私はいま見習っています」 対話の中で - 恐山あれこれ日記 (via ginzuna)(元記事: blog.goo.ne.jp (esakiから))
7月 9, 2017 戦争をせずに国を侵略する方法 copipeism: スイス政府発行の民間防衛白書 第一段階 「 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳 」 第二段階 「 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導 」 第三段階 「 教育の掌握。国家意識の破壊 」 第四段階 「 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用 」 第五段階 「 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う 」 最終段階 「 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量移住で侵略完了 」 (ds9-garakから)
7月 9, 2017 前にも書いたけど、従姉妹がマルチ商法にハマった時、辞めさせるのに効果的だったのはYoutubeで様々なマルチ商法がアップしている説明動画を逆に観せまくること。観せていくと「このやり方はうちだけって言ってたのに全部一緒だ…」と青ざめて一気に洗脳が解けた。 マルチ商法にハマった時辞めさせるのに効果的なのは「毒をもって毒を制す」的方法だった - Togetterまとめ (via 46187)(元記事: togetter.com (takeawalk365から))
7月 9, 2017 鎖国が教科書に復活するようですが、 これも鎖国がなぜ行われたのかそこを解説すべきでしょう。 ついでに島原の乱を起こした天草四郎どもがどういうことをやっていたのか きちんと教科書に書いてあげるべきだとも思います。 なぜか島原の乱については戦後は一方的な構図で書かれていますが、 むしろ幕府軍には多くの農民も参加していました。 子供を人質に取られかけたり、略奪や焼き討ちにあったりした事で 天草一党許すまじという意識があったからでしょう。 宗教を利用して分裂を作ってそこに付け入って植民地を獲得していく ということを当時はアジアのそこかしこでやられていたわけで、 日本でも同じ事をさせない必要が確かにあったのです。 教育分野を日本人の手に取り戻さねば (via kramerunamazu)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 背乗り(はいのり)とは�� & 背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障 北朝鮮が関与した背乗り事件の例で、もっとも有名なのは、辛光洙(シン・ガンス)事件だ。 この男は金正日の命を受けて日本に潜入し、大阪で暮らしていた日本人の戸籍を乗っ取って、日本で日本人の拉致を指揮していた。1978年に起きた13歳の横田めぐみさんの拉致を実行したのもこの男だった。 日本の警察や公安は、この辛光洙(シン・ガンス)の背乗りを把握していなかったが、背乗りとは一度成功すると、長期間に渡って身元が発覚しないことが多い。 同じく日本人拉致の実行犯だったチェ・スンチョルという北朝鮮の工作員は、1人のみならず、2人の日本人の戸籍を背乗りしている。 2012年に逮捕されたオウム逃亡犯の高橋克也や菊地直子も、やはり他人の戸籍を背乗りしていた。 日本にはスパイ防止法がないので、こういった背乗りは外国人スパイにとっては絶好の身分保障になる。日本人に「なりすます」悪意のある人間を、厳しく取り締まらなければならない理由はまさにここにある。 拉致も、スパイ行為も、扇動も、収奪も、情報漏洩も、何もかもがやりたい放題になって日本は何一つ対抗できない。 こういった「なりすまし」日本人が役所に就職すると、日本人の戸籍をすべて引き抜かれて国外に持って行かれ、さらなる背乗りが可能になる。 あなたの目の前にいる人間が、もしかしたら本人ではなくて、誰かの「なりすまし」だったら、薄気味悪くて仕方がないはずだ。しかし、そういった事態が日本の裏側でずっと起きているのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A 被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。DARKNRESSより。2013年 9月21日 https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(powliticsから)
7月 9, 2017 陸幕の人から聞いた「ここが変だよシン・ゴジラ」で笑って納得したのは「会議中のテーブルに菓子が山積みになっていない」です。今度はいつ食事できるかわからない状況なのに、会議時間を利用してカロリー補給しないことはありえないんだそうな。菓子なのは「調理時間なんかとれるか!」だそうな。 ねおんさんのツイート (via tar0)(kay-ikegamiから)
7月 9, 2017 日本って普通に、死刑廃止も菜食主義も全世界に先駆けて取り入れて、失敗こいた経験のある国だということが普通に見過ごされてると思う。 外人「なんで日本は死刑廃止も菜食主義も鼻で笑ってるんですかホワイ?」 日本人「死刑は1400年前、菜食主義は300年ぐらい前にやったら、死刑廃止では国が滅亡寸前になる程犯罪者が増え、菜食主義では結局ピグミー族レベルまで身長が縮んだからや!」 Herokey Aveさんのツイート (via toronei)(元記事: twitter.com (kunigakuから))
7月 9, 2017 引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」(via joy-fftl)(元記事: twitter.com (ryoh8218から))
7月 8, 2017 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道 2017-06-20 テーマ:腐れかけのテレビ フジテレビ  東京都 港区台場2-4-8 ※韓国MBC 東京都港区 台場2-4-8 18F      朝日新聞  東京都中央区築地5-3-2 (AFP、NYT) ※東亜日報  東京都中央区築地5-3-2      毎日新聞   東京都千代田区一ツ橋1-1-1 ※朝鮮日報  東京都千代田区一ツ橋1-1 4F     読売新聞   東京都千代田区大手町1-7-1 ※韓国日報  東京都千代田区大手町1-7-1 8F      日本放送協会  東京都渋谷区神南2-2-1 ※中国CCTV  東京都渋谷区神南2-2-1 ※韓国KBS   東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C           【日本のテレビメディアの外資比率 】      フジテレビ 29 . 8% ( 違法状態、外資が2 , 3位 ) TBS    13 . 5%( 上位2社が外資 )  日本テレビ 21 . 9%( 違法状態 ) テレビ朝日 12 . 5% 電通    19 . 6%( 筆頭株主は外資 ) MXテレビ  0% https://ameblo.jp/kiyosiro-e/entry-12285275614.html 泉放送制作 サンモニ 金富 マスコミによる洗脳報道|今日ボクが見た風景 Ⅱ (via worldwalker2)(toutiku-m44から)
7月 8, 2017 叔母の入院してる病院から「大部屋がいっぱいで個室に移すから差額ベッド代が一日に2000 円かかりますって。」電話がきました。 それで、「本人の希望以外の、病院の都合上の移動で個室に入るときは、厚生労働省が支払いの義務はないと言ってるよ」と抗議したら、ただになりました。(via otsune)(元記事: twitter.com (playwithから))
7月 8, 2017 背乗り(はいのり)とは?
犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能 そもそも、他人になりすまして、どんなメリットがあるのか。もちろん、いろんなメリットがある。 背乗り(はいのり)した人間が外国人だったら、当然、日本人になりすますことで、日本の行政サービスを受け、生活保護を受けたり、年金を受けたり、日本人として日本企業に就職することが可能になる。 また、背乗り(はいのり)した人間が犯罪者だったら、当然、過去の自分の犯罪を抹殺することが可能になる。 さらに、背乗り(はいのり)した人間の戸籍を使い捨てするのであれば、その人間になりすまして多額の借金をしまくり、最後にその戸籍を捨ててカネを持って逃げることが可能になる。 背乗り(はいのり)する戸籍が裕福な家系であれば、その家系を名乗ることによって身分詐称で箔を付けたり、遺産を乗っ取ったりすることもできるようになる。 あるいは、背乗り(はいのり)することによって元の自分の戸籍と、背乗りの戸籍をふたつ使い分けることができるので、マネー・ロンダリングも可能になる。 背乗り(はいのり)した人間がスパイだったら、日本人の国籍を取って日本人として安心させて政治家・公務員に近づき、情報を盗み取ることが可能になる。 要するに、背乗り(はいのり)するというのは、他人の戸籍を乗っ取って犯罪的な行動を次々と企画・実行することが可能になるのである。 だから、多くの犯罪者は背乗り(はいのり)の機会があれば、それを実行する。 実際に、背乗り(はいのり)の事件は多発している。北朝鮮・韓国系の犯罪者が、まず目指すのがこの「日本人なりすまし」なのである。 背乗り(はいのり)とは? ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B9%97%E3%82%8A
被災者の戸籍が、大量に乗っ取られる危険な事態になっている。 DARKNRESSより。 2013年 9月21日
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/09/20130921T1536000900.html#OILSvfI.twitter_tweet_count_m%C2%A0 (via awarenessxx)(xf-2から)
7月 5, 2017 「ドラゴンクエスト」の作曲家 すぎやまこういち さん 「日本が嫌いな、日本を壊したいというメディア、いわゆる反日メディアというものがあると感じています」 水島さん 「以前、参議院選挙でNHKが選挙前日に放送する『党首走る』という番組で、小泉さんは全て見下ろす形で撮り、岡田さんは見上げる形で撮った。そして小泉さんの顔はワイドレンズで撮った、微妙に魚眼レンズみたいにゆがむんです。岡田さんの方は50ミリの標準レンズできちっと撮る。こういうことをやっていたんです」 すぎやまこういち さん 「安倍晋三さんのスピーチの時だけ、僕が聞いて感じたのは、中音部以下のやや低音域にちょっとイコライザーをかけつつエコーをつけて、リバーブをつけて、もやもやっと聞こえにくくしている。僕は見てて商売柄、やってるなと思いました。音楽やって録音の作業はプロとしてやってますから、ハッキリそれは分かりました」(via shinjihi)(petakirinから)
7月 5, 2017 先生が、授業中に質問をします。普通に「分かるひとー」とだけやっちゃうと、手を上げる子が固定してしまうからなのか、ちょくちょく変則的な当て方をします。「じゃあ、今答えた〇〇の後ろに順番で当ててくぞー」みたいな。 で、当然のことながら、とっさに質問に答えられない子も出てきますよね。あーとかえーーと、とか言いながらしばらく黙っちゃうような子。 普通の先生なら多分、分からないことを責めないまでも、「あ、分かんないか?じゃあ他にわかるひとー」と言って、すぐに次に行っちゃうと思うんですよ。少なくとも、私が子どもの頃の先生はみんな、例外なくそうでした。
ところが、その担任の先生の場合、当てられた子が困っているのを見ると、こういうんです。 「じゃ、〇〇にアドバイス出来るひといるかー?」って。
で、はい!って答えた子は、決してその子本人が答えたりはしないんですね。わざわざ席を立って、分からなかった子のところまで行って、ひそひそ声で答えを教えてあげるんです。 で、最終的には、最初当てられた子が答える。で、先生は「その通り!××(教えてあげた子)もよく教えられたなー」といって両方褒める。
「え、そんなこと?」と思われるかも知れないですが、私、このやり方凄いと思ったんですよ。 ちょっと考えただけでも、 ・最終的に答えるのは最初に当てられた子なので、答えられなかった子の自尊心が傷つけられにくい ・教えた方は単純に「教えてあげられた!」ということで自尊心が満足する ・分からないことを生徒同士で教え合う、という習慣づけになる ・問題によっては、教え方を考えることで問題への理解が深まる ・生徒同士のコミュニケーションにもなる これくらいのメリットはあるなーと。
後から長男に聞いてみたところ、恐らく背景というか下準備として、「人の考えをちゃんと聞いて、考えて、受け入れられるというのは大事なこと」だということを、普段からその先生は言っているようなんです。 小学校の学校公開で目撃した、先生の工夫が凄かった | Books&Apps (via kikuzu)(元記事: blog.tinect.jp (akiocarsから))
7月 4, 2017 虐められて、暴行されたら、必ず病院へ行って、医師から『殴打による、○○負傷』とか何でもいいから、『診断書』を書いてもらえ。 そして、 警察に行け。診断書がある以上、『暴行の事実が確認できないので、被害届は受け取れない』とは警察は言えなくなる。 自ら死ぬな、殺してでも、生きろ。Twitter / kwan2nd (via yellowblog)(sananoteから)
7月 3, 2017 * 【事実】, 拡散希望, * 政治家、国会議員は日本国民が投票して政策や議論を委託した日本国民の代表です。, * マスコミは高い給与を貰っている、どこの国の人かは分からないサラリーマンであり、日本国民の代表ではありません。, (via shinjihi)(tra249から)
7月 3, 2017 うちの娘も夜中の1時過ぎまで会社にいた事があった。迎えに行って無理矢理帰宅させた。労基に行く、と言ったら、その後過剰過ぎた仕事が分散された。そういう時はモンスターペアレンツと揶揄されようが子どもが嫌がろうが親は介入していい。死んでからでは遅い。埒不埒さんのツイート (via do-nothing)(元記事: twitter.com (imajojoから))
7月 1, 2017 言っとくけどこれ民主党が改悪したせいで日本人の税金が使われてるからな(´・ω・`) 【爆病】 来日中国人が日本の医療制度に「タダ乗り」・・・経営ビザで国民健康保険に加入し3割負担で治療を受け帰国 | 保守速報 (via himmelkei)(元記事: hosyusokuhou.jp (aki-zizi-memoから))
7月 1, 2017 「マーク・ザッカーバーグはFacebookを19歳で作ったんだから若いやつらはもっと挑戦するべきで・・・」って説教してくる熟年には「ではカーネルサンダースは65歳でケンタッキーを作ったので年だからって言い訳できないですね」って反論するようにしている おもしろツイートさんのツイート (via gkojax)(hkjから)
7月 1, 2017 「ナポレオンは3時間しか寝なかった」というアレがブラックな労働環境を後押ししたことは間違いないので、対抗策として「シーザーは毎日必ず8時間寝た」とか「成吉思汗の9時間睡眠を邪魔した者は誰であれ首を刎ねられた」みたいなやつを広めていきたい。 前川誠さんのツイート (via gkojax)(hellisinyourbrainから)
7月 1, 2017 大学生がリビアについて、「なんで国連は市民への攻撃をやめさせないんですか?」と質問してきた。国連や国際法の勉強はしたことがないというから、やむを得ない疑問かと思ったので、私なりに説明してみた。そもそもね、から初めて。
・そもそも、人間社会が自然状態から社会契約によって成り立ったものと仮定するなら、国際社会というのは社会契約で成立した「国家」を一義的な当事者とし ている。これが古典的な考え方だ。国家とは(色々な定義の仕方があるが)、領土と国民と主権と政体によって成り立つ。主権が誰に属するかは国家の形態に よって違うが、国家の主権(state sovereignty)は絶対である――これが古典的な国際社会に対する考え方。
・それに対して、社会契約思想が成立した啓蒙主義の時代になると、「普遍的価値」や「普遍的人権」というものが世の中にはあり、君主がそれを侵害すれば社会契約は破綻し、君主は主権行使の正当な権限を失う――という考えがブームになった。これが、英米仏の革命を経て18世紀末以降にポピュラーとなった「革命」の思想だ。
・以来、国家主権vs普遍的人権のせめぎ合いが、現代国際社会における大テーマとなった。つまりは、普遍的人権を保護する為なら国家主権の侵害は正当化されるのだろうか、という命題だ。
・1945年までは一般的に、その答えはノーだった。国家主権>普遍的人権だった。人権とは、国家が社会契約に則り国民に保障するものだった。しかしニュルンベルク裁判などを通じて���ロコーストの実態が明らかになり、それではダメだということになった。
・余談。たまに誤解されているのだが、第二次世界大戦において連合軍はホロコーストの被害を食い止めるためにドイツを攻撃したのではない。ナチス・ドイツ の領土拡張・侵略を食い止める為に反撃したのであって、ドイツ占領地域を解放してみて初めて、強制収容所の実態を知ることになった。ユダヤ人をはじめナチ スが迫害する人々を強制移住させ虐殺しているという情報を連合軍は得ていたし、ユダヤ人民族絶滅計画の情報も得ていて、非難声明も出していたが、実態が本 格的に明らかになったのは戦後の話。
・この経験を経て、国際社会は国家の枠を超えた普遍的人権を守るのだ、人権に対する最大の侵害は戦争である、よって国際社会は戦争の再発と人権侵害を防止しなくてはならないと、国際連合と世界人権宣言が作られた。
・けれども、理念は別として、国際連合は主権国家の集合体だ。加盟国(=主権国家)の多数意見に反したことを国連事務総長や国連職員が糧に決めて遂行できるような、そんな超国家的機関ではまったくない。
・そこに国連のジレンマがある。国家主権の枠を超えた普遍的人権の保護をミッションとしているが、主権国家の委任がなければ動くことはできない。そして国家主権を侵害することも、よほどの特例がない限り、できない。というか、ほとんどできない。
・その特例のひとつが、国連平和維持活動(PKO)だが、これも別に国連事務総長が「あの国に侵攻してその国民を守り なさい」と命令して動かすものではない。国連安保理や国連総会において、必要な数の加盟国の合意を必要とする。国連PKOというのは実は国連憲章に明確な 規定がなく、国連憲章の「6章半」と呼ばれ(これを説明しているとさらに長くなるので、検索されたし)。明確な規定がないので運用や解釈も時代によって変 化してきたが、大まかに言えば、国家間の紛争後の和平維持や、内戦調停後の平和維持に派遣される。内戦の真っただ中でどちらかの側にPKOが味方してドン パチやるわけでは、ない。そしてリビアの場合のように、まだ国際的に「政府」として認められているものが存在している状態で、PKOがその国の領内に侵攻 していって国民を保護したり、政府を倒したりすることは、今の国連憲章では認められていない。国際法も、国際機関がそんなことをするとは想定していない。 そして今更だが、「国連軍」などという、ウルトラ警備隊的なものは存在しない。PKO部隊とは加盟国が提供する部隊の寄せ集めだ。
・今の国際社会と国際法でそれが可能なのは、つまり一国の国家主権を侵害して領土に押し入りその国民を保護する、なんて行為ができるのは、同じく「国家主 権」をもつ「主権国家」だけだ。国家が他国の主権を武力で侵害すること、それはすなわち戦争だ。国家が国家に戦争を仕掛ける権利は、国家にとっての自然権 のようなものだ(生命・自由・財産などが人間にとっての自然権であるように)。そもそも国際法とは、国同士が戦争の法を定める過程で整備されていったもの だ。
・しかし現実主義(realpolitik)で動く世界では、国家が自国兵士の生命や納税者の血税を使って、他国に侵 攻しその国の国民を保護するからには、相当の理由が必要だ。「普遍的人権」という道義的理由だけで、兵士の命と巨額の軍事費を使って他国に戦争を仕掛けて もいいと国民合意が得られる民主国家は、現実にはそうはない。むしろ、独裁者を追放するために戦争したせいで民主国家の指導者が次の選挙で権力の座を追わ れたりする。なので、「大量破壊兵器の開発を防ぐため」「自分たちへのテロを防ぐため」「地域の安定を図るため」など、道義的なもの以外の実利的な大義名 分が必要となるのだ。
・それとは別に、国際社会が承認する実体ある統一政府がもう存在しない状態での介入がある。これは古典的な国際法でいうと「戦争」にはならない。「戦争」 とは古典的にはあくまでも国家vs国家のものだからだ(余談だが、「対テロ戦争(war against terror)」という抽象的なものに対する「戦争」とは本当なら、「war against hunger(飢餓に対する戦争)」とか「war against crime (犯罪に対する戦争)」などと同じレトリックや政策スローガンだったはず。なのに、「war against terror」に法的概念としての実体を与えようとしたのがチェイニーだったのだが、それを話すと長くなるので、よければ本を読んでください。なんて な)。
・たとえばユーゴスラビア内戦におけるボスニア紛争やコソボ紛争では、主権国家同士の軍事同盟機構=NATOが、周辺勢力に侵攻を重ねるセルビア勢力を空 爆・介入したわけだが、そのとき旧ユーゴスラビアは完全な分裂状態にあり、国際社会が認める「政府」は存在しなかった。ゆえにこれはNATOによる軍事介 入であって、同盟国の集団であるNATOが「主権国家」相手に(国際法的な意味での)「戦争」をしたわけではない。
・主権国家に対して戦争を仕掛けるのと、主権国家がもう正当に存在しない状態の地域に軍事介入するのとでは、その行為の重みがまったく違う。何より、自国 民にとっての、そして国際社会においての、イメージが違う。イメージなんて、と思うかもしれないが、国内政治や国際政治において「perception(ど ういうイメージで見られているか)」は実はすごく大事なことなのだ。イメージの善し悪しが、正当性を決めたりするのだから。それからイメージの問題とし て、軍事介入というのは数日や数週間で終わるとイメージがあるが、「戦争」となると(6日間戦争とかは別にして)短くても数カ月、下手をすると数年かかる というイメージがある。民主国家において、国民に「戦争」を受け入れさせるには、上記したように相当の大義名分と準備が必要となる。「限定的な介入」と言 えば、まだ議会の合意を得易い。民主国家とはそういうものだ。
・となるとリビアの場合、国際社会の大多数がカダフィ政権の正当性を認めず、かつカダフィ政権の代わりになれる対抗勢力がまとまった形で台頭しなければ、 つまりリビアは内戦状態にあってその主権は一時的に消失していると認定されなければ、軍事介入は難しいということになる。ぐるりと話を戻せば、一国の主権 というのは国際社会において古都ほど左様に強固な、尊重されるものなのだ。
・では、カダフィ政権が正当な政府であり続ける間、国際社会がその主権を侵害せずに何ができるか。それは残念ながら、制裁くらいしかない。禁輸とか、海外資産の凍結とか(飛行禁止空域の設定が議論されているとの情報もあるが、これは主権侵害にあたると思う。イラクに対しては第一次湾岸戦争後の武装解除を順守させるために実施したのであって、リビアに対してはそもそもの法的根拠がないのではないか?)。
・「responsibility to protect(守る責任)」の議論もある。つまり国家には国民の身体生命 人権を保護する責任あるのだから、それを脅かす国家に対して、国連をはじめ国際社会は人道上の理由から介入し、人々を守る責任があるという考え方だ。集団 虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪――がその対象となる。カダフィ政権による反体制派虐殺は「人道に対する罪 (crimes against humanity)」に相当すると私は思う。アナン前国連事務総長が提唱し、05年に国連総会が宣言し、06年に国連安保理が支持し、09年に総会決議となって採択されたが、実施例はまだなく、定説になっているかは疑問。もしかしたらリビアが、初の明確な適用事例になるのかどうか。
・集団虐殺、戦争犯罪、人道に対する罪を国境を越えて裁く機関として2002年に設置されたのが、国際刑事裁判所(ICC)だ。しかし国家の主権を超えて、そうした行為を裁くことはできない。設置条約の締約国でない国に、ICCの司法管轄は及ばない。そして、はいそうです。リビアはもちろん、締約国ではないのだ。
・くどくどと書いてきたが私が今思うに、国際社会がリビアに軍事的に手を出す為には、カダフィ政権はもはや政府としての機能を失った、リビアは内戦状態に ある、ないしは無政府状態にあると宣言する必要がある。ただしそうした時に、いったいどの国が主導してあの国に軍事介入しようとするだろうか。アメリカや イギリスが、今一度ムスリム国家に軍事介入したがるだろうか。まさか。したくても、状況的にできるはずもない。ムスリム国家に軍事的に手出しできるのは、 同じムスリム国家しかないと思う。しかし同じように国内に反政府デモを抱える長期独裁政権の国々が、いったいどんな大義名分でリビアに介入できるのか。国 境の安定化とか地域の安定化しか思いつかない訳だが、となると今までだったらエジプトしかない。そのエジプトに今、そんな余裕はないはずだ。とすると国際 社会には、(いつもの)非軍事的な手段しかない。
・なので国際社会が国連を舞台に、非難声明とか経済制裁を検討している間に、リビア国内の戦いは続く。
・もちろん、非軍事的手段→軍事的手段と段階的にエスカレートしていくのが外交の常識なのだから、いきなり軍事介入があるはずもなく。とはいえ、であるがゆえに、今そこにある虐殺に対して、国際社会は常に無力だ。
・誤解のないように。私は「さっさと軍事介入しろ」と言ってるわけじゃない。「なんで国連はさっさと国連軍を派遣して虐殺を止めさせないんだ」という声や 不満に対して、「いや、あのね」と言いたい訳だ。他国の国家主権を否定するなら、自国のを否定され侵攻されても文句は言えないのだし。
・ところで内戦といえば(私にとっては)日本の幕末なわけだが、あの時はイギリスが明確に薩長革命勢力を支援し、フランスが(あまり役に立たなかったが) 幕府を支援した。よってその結果、イギリス大使館は皇居の目の前にあり、フランス大使館は(当時は江戸の外で、別にオシャレな街ではなかった)広尾にあ る。カダフィを支える外国勢力はどこか。そして欧米各国は今、後押しするべき対抗勢力を見定めるのに、必死なのだろうと思う。 ・国連はウルトラ防衛隊じゃない - 水川青話 (via nakano)(quote-over100notes-jpから)
7月 1, 2017 麻生財務相はまた、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が米格付け大手ムーディーズ・インベスターズ・サービスから最高格付けを取得したことに関しては、「ボツワナより日本の国債が低いと出したのは確かムーディーズじゃなかったか。その程度のところだと思っている。他に興味はない」と指摘した。 麻生太郎財務相が経済情勢について「経済政策は大きく変えない」 - ライブドアニュース (via rompers-heroine)(元記事: news.livedoor.com (impossiblemodelfactoryから))
7月 1, 2017 福岡市HPの市民からの意見で 「公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ?」との質問に 「韓国人はよく物を壊したり、トラブルが多いので ハングル語の注意書きが必要なのです」 って回答されてて、そういう事か!!と膝を打ちましたw U-1速報 : 公共施設にハングル語の看板が多いのはなぜ? (via isikasa)(元記事: u1sokuhou.ldblog.jp (gkojax-textから))
6月 30, 2017 「しかし、アリペイを利用するのはやめた方がいいと私は思います。「新潮45」でも詳しく描きましたが、アリババ・グループの創業者ジャック・マー(馬雲)は中国共産党とベッタリで、顧客の個人情報を平気で政府機関に引き渡すからです」 「たとえば中国では、人権派弁護士が地方で起きた事件の調査に行くためにアリペイで電車のチケットを買うと、その情報がすぐに当局に伝わり、駅で警察が待ち構えていて妨害されたりします。さらにひどくなると、突然アリペイが使えなくなる。困った弁護士が、家族のアリペイを借りて電車のチケットを購入したら、詐欺罪で逮捕されて晒し者にされたこともありました」 「私も中国政府に批判的な風刺漫画を描いていたら、ある日、突然アリペイが使えなくなり、非常に困りました。それ以来、私はアリババ・グループのサービスは一切使わないようにしています。日本の皆さんもぜひ気をつけて欲しいと思います」 「中国IT最大手アリババの決済サービスは使ってはいけない」中国人漫画家が日本人に警告 | デイリー新潮 (via dotnuke) (元記事: dailyshincho.jp (dotnukeから))
6月 30, 2017 今、ホテル・ルワンダを見終わって、一番あぁって思ったセリフが、「虐殺された映像を世界に流せば世界が救ってくれる」の���答に「いや世界はそれを見て「残虐ね」と言ってディナーを続けるよ」との部分でした。 nobさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (kininaru10から))
6月 28, 2017 いま電車で後ろに立ってる二人のお爺さんが「敵の女房は味方」「使えない上司には使えないイエスマンを当てがうに限る」など心に響く謎の格言を次々と産み出しててヤバイ Twitter / kyrierich (via netinago99) (元記事: twitter.com (rainbowflower-gardenから))
6月 25, 2017 【きみがよ丸】  強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。
在日一世や二世は自分たちのルーツを知っています。 済州島と大阪を結ぶ定期便の名前が、 【きみがよ丸】だったからです。 日韓併合時代の済州島民にとって きみがよ丸の名前を知らない人はいなかったでしょう。
この船の名前がおおっぴらになると 在日朝鮮人達に何が起こるか。 強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。 (この出稼ぎ用の定期航路は大人気で、 のちに第二きみがよ丸も就航するほどだった)
・詳しく調べれば、きみがよ丸に乗ってきた  善良な人達はあらかた帰還事業で 帰国したことが解る。 ・さらに調べれば、朝鮮戦争当時に日本へ  密入国してきた朝鮮人達がクローズアップされる。 ・もっと調べれば、李 承晩ラインの時に釈放された  在日の凶悪犯達のことも 白日の下に晒される。 ・つまり自分たちの先祖達が凶悪犯だらけってのが、  実に論理的に判明してしまう。 在日朝鮮人達がなんとしても隠し通したい上記のことを、 君が代を聴いたり目にしたりするたびに思い出してしまうから 君が代をあそこまで憎む理由。
在日は君が代のメロディでも歌詞でもなく、 【きみがよ】という4文字を見たり聞いたりするのが 何よりもイヤだったのです。 君が代の出だしを聞くだけで 自分たちの祖先が悪人であると思い知らされる。 それが日本人にばれるんじゃないかと気が気ではない。
6月 25, 2017 フィンランドに行って一番驚いたのはバギーで子どもを連れている人は電車やバスの公共交通機関は無料、博物館や美術館も無料。子連れママができるだけ外出できるための政策らしい。国をあげて教育に力を入れるってこういうことなんだなって心底思った。邪魔とかそういうレベルの低い話じゃない。 tonkoさんはTwitterを使っています (via toronei)(元記事: twitter.com (another-gentlandから))
6月 25, 2017 性をアンタッチャブルなものとして扱うのは小学生までで、それ以上になったら、自身の性や性欲と向き合わざるを得なくなる。それを未成年は性について考えなくていいとか、性欲がないとか、綺麗事で蓋をして風通しを悪くするから健康的に受け入れることができず歪むんじゃないかな 音楽ナスカさんのツイート (via gkojax)(yellowblogから)
6月 25, 2017 独、仏の20倍!欧州で最もレイプ犯罪率の高い国はスウェーデン。 他のヨーロッパ諸国における、 レイプ被害の報告は、年間100件強に対し、 スウェーデンではなんと5000件以上である。 (´・ω・`)え?北欧がなんだって? 【マンガ規制】石原「北欧はキリスト教のおかげで倫理観がしっかりしてる」 (via peperon999)(元記事: instapaper.com (onibi-onibiから))
6月 25, 2017 任天堂の岩田前社長が残した言葉 「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと」 感情的な人間が陥りがちな努力主義・苦労主義をぶっ飛ばす冷徹で理知的な言葉だと思います Twitter / nijieith (via drhaniwa)(enzoooooから)
6月 20, 2017 警察は告訴状の受理を非常に嫌うが、究極的には(法的には)拒めないことはさすがにわかっている。 だから、法律家としては、被疑者の行為が犯罪構成要件を満たすことを説得的に記述した、ビシっとした告訴状を書いて、 「これは犯罪事実の申告にはあたらないから告訴として取り扱いません」という逃げ道を塞いでやればよい。 そういった告訴状を持って、告訴人を同行して警察署に行くと、さすがに警察官も素直に受け取る。 と常識人なら思うだろうが、なんとそれでも受け取らないのである。警察は常識の通用する機関ではない。 「この、告訴状と書いてありますけど、これはひとまず、事実上、コピーだけ頂いて参考にさせていただきますので」 とか言って抵抗することが多い。 「告訴状の受理を拒絶されるということでよろしいですか。では警察署長宛に内容証明でお送りするしかないですね」 と言うと警察官は慌てる。しかし、私の場合は、その場で警察官と交渉した結果、きちんと捜査をしてくれる、進捗報告もしてくれるという内々の約束を得て、告訴状提出の強行はいったん引っ込め、コピーだけ取ってもらって帰ることが多い。 別にこちらの目的は、告訴状を受理してもらうことではない。捜査をしてもらうことが目的だから、捜査をしてくれる目処さえ立てば告訴状はどうでもよいわけである。きちんとやってくれなかったら、そのとき初めて内容証明で告訴状を出してもよい。 やりたくない事件にだけ「抑制的」な警察を動かす方法 - 弁護士三浦義隆のブログ (via otsune) (元記事: miurayoshitaka.hatenablog.com (ganeshstから))
6月 19, 2017 最近わかってきたんですが、なんかこう、(個人的な)価値観と異なる生き方をしている人を「あー自分とは違う生き方の人なんだな」とは思えず「あの人は非常識だ≒(社会の)迷惑だ」という構図に落とし込まないと納得できない人っているんですね。そういう���、本人も大変でしょうが周囲もしんどい。 Twitter / bono_kichi (via hutaba) (元記事: twitter.com (okatyo54から))
6月 17, 2017 【韓国】 李氏(りし)朝鮮の時代は、 本当に「韓国人にとって良い国といえたのか?」 ねずさんの ひとりごと | 2008年11月04日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-220.html
辻本さんのブログ「中韓国を知り過ぎた男」(右側にリンクがあります)に、韓国に関する記事があり、そこに昨日僕は以下のようなコメントを掲載させていただきました。 現代の北と南に分かれる前の「李氏朝鮮」というのは、中韓戦争になった折、韓国側の将軍だった李氏が、戦闘中に自国を裏切り、中国と通じることで政権を奪って王位についたという、いわば泥棒政権なんですね。 以後400年にわたり、李氏は中国の属国として対中国土下座外交を行います。庶民の生活なんぞほったらかしだった。いわば同国人による植民地支配が行われていたのが李氏朝鮮の時代の韓国です。 政治体制は、いまの北朝鮮に似ています。ヤンバンと呼ばれる韓国人貴族だけが贅沢な暮らしをし、一般市民は貧窮のどん底。 下のURLをクリックして写真をご覧になるとわかりますが、半島一の大都市ソウルですら、その中心街である南大門前が、まるでホームレス広場となっていました。これが歴史の事実です。 当時の韓国庶民は、ヤンバンという貴族たちにとっての奴隷以下の存在でしかなかった。 そのあまりの下品さに、次々と東亜各国を植民地化した列強ですら韓国にはまったく手を出していない。なぜかといえば、国が貧しく、市民はコジキ同然で、植民地化する魅力がまったくなかったから、といわれています。 いまの韓国の歴史番組などを見ますと、まるで李氏朝鮮の時代は人々が王侯貴族のような生活をし、女性たちは美しいチマチョゴリを着て優雅に暮らしていたかのごとく描かれていますが、これも真っ赤なウソ。 当時のチマチョゴリは、ヤンバンが町にいる女性を我がものとするため、女性の乳を露出させるために着させた服でしかない。 どこの世界に温帯地方でありながら女性に乳を露出される服を着させた国がありますか。 長男を産んだ女性はその時点で乳を露出した。要するに女性が性の捌け口程度にしか扱われていなかった時代の産物がチマチョゴリで、国辱ものの服でしかない。 乳の露出を禁止したのは日本の朝鮮総督府です。 これも写真が残っている。そんなに昔の李氏朝鮮時代が良いのなら、現代韓国の女性も全員乳を露出して町を歩いてもらいたいものです。腹がたちます(怒)
少し解説します。 韓服は、男女共通の上着であるチョゴリと、巻きスカートであるチマ(裳)によって構成されます。 日本国内にある朝鮮学校でも、女子学生の制服としてチマチョゴリの様式を取り入れています。 もともとは、このチマ・チョゴリ、李氏朝鮮の後期から妓女服の影響で丈が短く袖の細いチョゴリ(上着)狭い袖が流行したものですが、19世紀にはチョゴリが乳房を覆えなくなったため、両班層の女性はチョゴリとは別に、胸覆いを使ったと言われています。 しかし、下級階層、特に男児を生んだ女性は乳房を露出するのが誇りとされていたそうです。 現在一般に見られるチマチョゴリは原色を使い派手な物が多いのですが、李氏朝鮮時代の韓国時代のチマ・チョゴリは、朝鮮民族が「白衣民族」と自称してきたように、白一色が標準だったようです。この点でも韓国の歴史ドラマの華やかな民族衣装は、史実と異なります。 さらにいえば、韓国朝廷は、庶民に対して色つきの服の着用を禁止していた。 ただし女性のチマはこの限りでは無く、娘と未婚女性は赤いチマ、既婚女性や中年女性は藍色のチマ、老女はあさぎや灰色のチマを着用するとされた時代もあったそうです。また、生成りの漂白されていないチマとチョゴリは主に未亡人や喪中の女性が着用したといいます。 問題は、現代韓国人の多くが誇りとするチマ・チョゴリが、実は、李氏朝鮮王朝における貴族階級(ヤンバン)たちが、自国の庶民に対し、女性が胸を露出した服を着用することを推奨していたという事実です。 朝鮮半島も温帯地方にあたりますから、冬はやはり寒いです。その寒い土地で育まれた衣装が、女性が胸を露出するもの・・・というのは自然に考えて、やはり考えにくい。 だいたい家事を行うのに、胸がぶらぶらしていたら邪魔でしょうがない。 李氏朝鮮は儒教国家であるといいますが、やはり、こうした胸の露出は、多くの儒学者の非難を受けたのだそうで、1910年日本総督府が置かれた後、1930年代に至って、ようやく女性の社会進出と相まってチョゴリの丈が長くなり、女性の胸の露出がようやくなくなりました。 この服が、ほんとうに民族の誇りといえる服なのか、どうにも疑問の残るところです。 韓国が教科書で、日本総督府の施政が国辱ものであり、それ以前の李氏朝鮮の時代が素晴らしい日々であったというなら、是非、世界を歩く際に、本来の韓服(白装束・胸出し姿)を現代韓国に復活してもらいたいものです。 おそらく自国の国民から猛烈な反発が起きると思いますが。。。。
もうひとつ言うと、朝鮮半島の人口は、 1753年:730万人 1850年:750万人 1906年:980万人(第二次日韓条約により1905年より朝鮮は日本の保護国へ) 1910年:1312万人(日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる) 1920年:1691万人 1930年:1968万人 1940年:2295万人 1944年:2512万人(1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲) 現代 約4600万人
李氏朝鮮は、1392年に建国されましたが、当時から日本統治の時代まで、韓半島の人口はほとんど増加していません。それが、1910年の日韓併合以降、わずか30年で人口は2.5倍に膨らんでいます。これは何を意味するのでしょうか。 ボクは韓国人が嫌いとか、そういう意識はまったく持ち合わせていません。 日本国民であれ、どこの国の人であれ、それぞれが幸せになろうと必死で生きている。 一生の間に、学び、恋し、妻子を愛し、家を育み、誰かが死ねば悲しむ。 それがあたりまえの、普通の人間の姿だと思っています。 世界中、人が人であるならば、対話によって、お互いに理解しあい、愛しあい、学びあうことが可能であると信じています。 しかし、そういう人間としてあたりまえの感情を阻害するものがあります。 それがイデオロギーの対立や、妙に植え込まれたプライド、自尊心です。 そんなくだらないものに染まり、非難しあい、果ては殺しあう。愚かなことです。 隣人同士、互いに反発しあうことより、互いに学びあう姿勢が第一だと思います。 田母神氏の論文もしかりです。歴史観は、ヒダリの人たちのもつそれとは大いに異なるものでしょう。しかし、そうした説もあるというなら、冷静に何が真実であったのか、互いに研究し、そこから何かを学び取るという姿勢が、まず必要なのではないでしょうか。 頭ごなしに否定するのは簡単です。でもそういう姿勢からは何も生まれない。 何も理解できない。偏狭なナショナリズムに凝り固まることなく、謙虚な気持ちで歴史を学ぶ。。。戦後60年・・そろそろそうした素直な気持ちをみんなが持ってもよい時代にはいってきたのではないかと思います。
【追記】 なにか言葉足らずな感じなので、もう少し細くします。 ねずきちは、李氏朝鮮の時代というのは、貴族であるヤンバンたちがもっぱら庶民から搾取をし続けた時代だと思っています。いまの北朝鮮と同じです。庶民は家畜奴隷以下の存在でしかなかった。当時の李氏朝鮮時代の庶民の平均寿命は24歳であったともいわれ、とにかく国民の多くを占める庶��は、食うことすらままならなかった。 これは人間の本能で、人は自己の遺伝子のコピーを残そうとする生き物ですから、飯が食えず若死にするしかないような環境の中で人が生き残ろうとすれば、てっとりばやいのが、男であればヤンバンの仲間に入れてもらうこと。女であればヤンバンに宮廷に連れて行ってもらいヤンバンの女になること。そのためには、ヤンバンが通りがかったときに胸を露出するくらい(生き残り子を残すためには)やむを得なかった。 そのヤンバンたちは、日本統治後、かなりの人数が国外退去した。 そして日本が敗戦となったあと、再び半島に戻ってきた。北にいる者は北の役人となり、南にいる者は政治、経済をとりしきった。 もどってきたかつてのヤンバン達にとっては、李氏朝鮮の時代は、まさに天国です。最良の時代だった。彼らにとって李氏朝鮮時代の王宮は、美しい女たちが着飾り、平和と富を謳歌した素晴らしい時代であった。そして日帝は、そのすべてを奪い去った・・・ 要するに現代韓国で語られる過去の栄光というのは、国民のほんの一握りのヤンバンの栄光の歴史なのだといいたいのです。 そのヤンバンのおかげで、半島の多くの人々(庶民)は約400年の長きにわたり、収奪され、殺され、富を奪われ続けた。その様相は、英国のインド支配どころの話ではない。庶民は人間とすら認識されていなかった。 その証拠と言ってはなんですが、韓国には、日本で言う「昔ばなし」がない。昔話、童話は、庶民の言い伝え文化です。これを言い伝えるのは庶民であり、老人です。庶民が老いるまで生きることが叶わなかった国には、童話はない。昔話もない。ちなみに日本でも、応仁の乱の頃や、戦国時代の「民話」というものはありません。 ドイツやデンマーク、オランダ、イギリス、スペイン、日本には、数多くの民話があり、童話があります。ちなみにフランスも、ルイ王朝の搾取時代によって、庶民が生かされず、このため、民話がほとんど伝承されていません。 ねずきちは思います。庶民が、ふつうの人々が、あたりまえに子を残し、老いるまで生きることができる国というのが、良い国なのではないかと。 ヤンバン達にとっては、自分たちの過去の栄光を奪い去った日帝は、未来永劫許されざる存在なのでしょう。 しかし、そのヤンバンたちは、韓国の多くの庶民に、いったい何をしてきたか。 そのことを多くの韓国のみなさんに冷静に振り返っていただきたいものだと思っています。
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carpaccione · 7 years
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【plan B 通信】ポストモダンダンスについてのノート(2006-07年)
『plan B 通信』(2006年5月号) ポストモダンダンスについてのノート(1)
 ここ最近、1960年代から70年代にアメリカで起こった「ポストモダンダンス Post-modern Dance」に関心が向かっている。まず最初に読むべき必読文献はもちろんサリー・ベインズの『スニーカーを履いたテルプシコール Terpsichore in Sneakers』第二版(87年、Wesleyan University Press)である。そしてこれを読んでしまえばもう実物を見たくてたまらなくなる。NYのリンカーン・センターにはNY公共図書館(Public Library)のパフォーミング・アーツ部門があり、世界屈指のダンス資料のコレクションに触れることができる。コレクションは、一般にヴィデオカメラが普及するより以前のダンスについてはバラつきがあるものの、70年代以降になるとかなりマイナーな記録映像まで所蔵されている(オンラインで検索可能なのでぜひ試されたい http://catnyp.nypl.org/ )。このようなわけで昨秋から約半年、NYに滞在するチャンスを得て、調査・研究を行った。
 しかしそもそも、なぜポストモダンダンスなのか。
 まず第一には、これがダンス史上の画期をなす最も重要な運動の一つであるにもかかわらず、イヴォンヌ・レイナー、トリーシャ・ブラウン、シモーヌ・フォルティ、スティーヴ・パクストンなどといった振付家/ダンサーの実体が日本では全くつかめないという奇妙な状況そのものに違和感があった。ケージ/カニンガムの仕事はともかく、ジャドソン教会やその周辺については美術の分野で「パフォーマンス」として語られることはあっても、「ダンス」としての実質はほとんど知られていない。日本語文献でポストモダンダンスを本格的に扱っている貴重な例外が、市川雅『アメリカン・ダンス・ナウ』(75年、PARCO出版)だが、筆者はこれを古書店で入手した時、帯と、さらに中に挟まっていたチラシによって、75年12月に西武劇場で「DANCE TODAY '75」のタイトルのもと、ブラウンやフォルティ、デヴィッド・ゴードンなどが一挙に紹介されていた事実を知って驚いた。しかし(ブラウンを除いては)全くメジャー化していないこれらの振付家の仕事への関心はいまだ不当に低いままである。人々がダンスを通史的に語る時でさえ、ここは軽く触れて通過してしまうことが多い。再演であれ映像であれ、実物に触れる機会は皆無に等しく、批評家や研究者が言及することも少ない。また、これとほぼ同時期に日本では「舞踏」が起こり、そのインパクトがあまりにも大きかったという事情も考えられる。ポストモダンダンスと舞踏は、バレエやモダンダンスへの反抗という動機を共有していたが、日本における、今日までの舞踏の影響力の大きさは改めていうまでもないだろう。
 しかしポストモダンダンスについて少し知ってみると、当時のダンサーや振付家たちが抱えていた様々なテーマが、現在日本で行われているコンテンポラリーダンスにおけるそれと非常に近いようにも思えるのである。これが、筆者がポストモダンダンスに関心をもった第二の、より積極的な理由である。外山紀久子『帰宅しない放蕩娘 ―アメリカ舞踊におけるモダニズム・ポストモダニズム』('99年、勁草書房)は、ポストモダンダンスにおける引用やパロディ(モダニズム的な自己言及的身振り)に焦点を絞った研究だが、ポストモダンダンスへの入口はいくつも見出すことができ(もちろんそれらは互いに密接に関係している)、筆者の興味の中心は、彼ら彼女らがダンスをエリート主義的な芸術の枠組から解放し、人々の日常生活との新しい関係の中に置こうとした点にある。特定のディシプリンによって鍛え上げられた身体から、誰もがそれぞれに所有している「日常の身体」へ、そしてスペクタクル(視覚性)の芸術から、身体と身体との関係の芸術へ、という考え方が、近年ますます先鋭化してきた日本のコンテンポラリーダンスの顕著な特徴であると筆者は考えている。そしてアメリカのポストモダンダンスは、まさにこうした事柄をきわめて方法論的な仕方で徹底的に探求していた。だからその理論と実践を、同時代の当事者の視点ではなく、40年後の未来に日本で生きている自分自身の視点で見てみたらどうなのだろうかと考えたのである。
 このような経緯で、これからポストモダンダンスに関するノートを連載していくことにする。しかし正直なところ、2005年10月から2006年4月までNYに滞在した成果は、全く不満足な結果に終わってしまったことをお断りしておきたい。知れば知るほどさらに奥が深く、もっと知りたいと思い、欲求はただ募る一方だからである。遠からずまた追加調査を行うつもりでいるが、しかしここでは、とりあえず現時点でわかったこと、考えたことをまとめてゆきたいと思う。
* なお今回の調査は、アジアン・カルチュラル・カウンシルからの助成を受けて実現した。記して深く感謝したい。
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『plan B 通信』(2006年6月号) ポストモダンダンスについてのノート(2)
 「ポストモダンダンス Post-modern dance」という呼称はもっぱら批評家や研究者による区分だが、その定義ないし解釈は錯綜している。一般的には、マース・カニンガムのスタジオにおけるロバート・ダンのワークショップ(1960年~)に端を発し、ジャドソン・ダンス・シアターを経て、以後70年代まで多様に展開していった諸々の実験的なダンスのことを指すだろうが*1、いうまでもなく、多岐に渡る実践の総体にどんな角度から切り込んで、何を読み取るかに一切はかかっている。
 よくいわれることだが、「ポストモダンダンス」とは「ポストモダニズムのダンス」という意味なのか、単に「モダニズムの後のダンス」(例えば「ポスト印象主義 Post-impressionism」のように)という意味なのか、判然としない。『ザ・ドラマ・レヴュー The Drama Review』のポストモダンダンス特集号('75年)に付されたマイケル・カービーの序文は後者の立場をとっている。彼は「『ポストモダンダンス』とはモダンダンスの後に現われたダンスである」(p.3)と書き、モダニズムやポストモダニズムを引き合いには出さず、あくまで(旧来の)モダンダンスと(新しい)ポストモダンダンスの間で対比を行っている。カービーによればポストモダンダンスの「新しさ」はおおよそ次の三点にまとめられる。まず、振付家が視覚的な観点によって動きを予め取捨選択するのではなく、内的な(interior)観点に基礎を置いたこと。すなわち様々な約束事、目標、計画、図式、ルール、コンセプト、課題など一定の枠組となる原則をダンサーに与え、そこから結果的に得られる動きをダンスと見なした。またダンスを音楽に随伴させたり、あるいは動きを音楽性の見地から考えるのを止めたこと。そしてあらゆる「意味」表現からダンスを切り離し、「動き」それ自体を目的としたことである。
 ここで既に、ポストモダンダンスとポストモダニズムを直に対応させるのが適切ではないことは明らかだろう。動きを意味や音楽などといった「外在的」な要素から切り離し、それ自体として目的とすること、すなわち自己批判的な手続きによって媒体(素材)を純化していこうとすることは、紛れもなく他の諸芸術ジャンルにおいてなされてきたモダニズムの理念だからである。事実、美術におけるミニマリズムと一部のポストモダンダンスは密接な関わりをもっていた。それに対し、これ以前のいわゆるモダンダンスの多くは表現主義的な考え方に依拠しており、つまり上のような意味でのモダニズムを必ずしも実践してはいなかったのである。こうした事実が、サリー・ベインズをして「ポストモダンダンスこそが“モダニスト”的な芸術の役割を担った」といわしめる(Terpsichore in Sneakers, '87, Wesleyan U. P., p.xv)*2。
 とはいえこのような論議は、単に言葉による定義上の混乱に過ぎないといえなくもない。モダニズムやポストモダニズムといった概念をアプリオリ(先験的)に導入することによって明らかになる部分も少なくないが、まず確かなことは、ポストモダンダンスのダンサーたちが旧来のバレエやモダンダンスを意識的に批判して、ダンスの可能性を拡張する試みを行っていたということである。そして今日の我々はそこから多くの遺産を受け取っている。ミニマリズムないし反復の技法、日常の身振りや身体の活用、タスク(課題)遂行型ないしゲーム型の振付、そしてコンタクト・インプロヴィゼーション。もちろんこうした技術上の産物を数え上げることで、ポストモダンダンスを歴史的に評価するやり方もやはり慎まねばならない。それは過去を讃えつつ死なせることにしかならない。むしろ、例えばこうした様々な考え方が形をなして来る過程へと遡って、それらが培われた歴史的文脈の広がりを見ようとするなら、過去と現在の関係はより動的で生産的なものになる。そうすれば、我々がただたまたま現在手にしているに過ぎない諸々の「遺産」が、便利な道具という姿をとって実は我々を縛っているというような事態さえも、ポジティヴに乗り越えていけるだろう。
 筆者はまず、イヴォンヌ・レイナー自身が踊る『トリオA Trio A』('78年、初演'66年)を見ることから始めた。ベインズはこの僅か10分足らずの作品が「ポストモダンダンスの美学的目標の一つのパラダイムを示した」といい(Ibid., p.44)、特別に多くの頁をその分析にあてている。筆者の関心を最初に惹きつけたのは、ベインズのこの分析および記述と、レイナー自身のテクストだった。
---------- *1 サリー・ベインズが『スニーカーを履いたテルプシコール――ポストモダンダンス』('77/'87)で紹介している振付家/ダンサーは、シモーヌ・フォルティ、イヴォンヌ・レイナー、スティーヴ・パクストン、トリーシャ・ブラウン、デヴィッド・ゴードン、デボラ・ヘイ、ルシンダ・チャイルズ、メレディス・モンク、ケネス・キング、ダグラス・ダン、およびグランド・ユニオンである。人によってはここに、ローラ・ディーンや、アンナ・ハルプリン、あるいはトワイラ・サープなどを加えるかも知れない。
*2 外山紀久子『帰宅しない放蕩娘』('99、勁草書房)は、モダニズムとポストモダニズムの概念を分析した上で、ポストモダンダンスとポストモダニズムをはっきり切り離し、さらに80年代以降のアメリカのダンスにおいてようやく「ポストモダニズムのダンス」が台頭してきた経緯を考察している。
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『plan B 通信』(2006年7月号) ポストモダンダンスについてのノート(3)
 1966年に初演されたイヴォンヌ・レイナーの『トリオA』は、わずか4分30秒ほど*1の間に夥しい量の実験的要素を凝縮した作品だが、筆者が最初に興味をもったのは、ベインズが紹介している、レイナーの身体運動への極度に分析的なアプローチだった。体の動きを意味や音楽性への従属から解放し、それ自体を一つの自律した領域として取り扱いつつ、また同時に、旧来のバレエやモダンダンスにおける様式化された動きのスペクタクル性を批判して、ダンスと人々の日常生活との関係を問い直そうとしたレイナーは、一般に「ダンス」と称される身体運動の特質を驚くべき執拗さで観察し、その制度性を攻撃する。『トリオA』の第一の眼目は、あたかも自明のものとなっている過去の様式の構成要素を徹底的に拒否してみせることにあり、そこには例えば「動きにおけるエネルギーを常に均質にする」「フレーズを構成しない」「反復を排除する」「複数の部位の動きを互いに連関させない」などといったアイディアが無数に盛り込まれているのである。あるいは、この作品において「体がバレエやモダンダンスに典型的に見られるようなフル・ストレッチにまで至るのは、ただ〔個々の動きから動きへの〕移行の瞬間だけである。こうして〔観客の〕目が親しみやすい“線”を見つけ、そこに視線を注ぐことができたかと思うと、直ちにその線は粉砕され、観客の安心感は覆されてしまう」*2。――詳細は後に譲るとしても、ともかくこれほどまでに人間の体の動きの「客観的」な細部と、その知覚の「即物的」な条件の奥へ分け入ることができるのか、という衝撃が、筆者には何よりも大きかったのである。
 さて初めて見た『トリオA』(ベインズが1978年に制作した、レイナーによるソロを撮影した映像。このヴァージョンは足音や息遣い、衣擦れの音以外は無音*3)の率直な感想をいえば、それはあたかも網膜の上をどこまでも上滑りするかのように捉えどころのないものだった。四肢末端部の細かな仕草から、明らかにバレエに由来する線的なフォルムまで、幅広い語彙そのものは今日の目から見れば特に珍しいものではない。ただ、動きが隅々まで平板化されて、取り留めなく継起するさまがおそろしく無味乾燥としているのである。忙しなく変化するステップ、味気ない腕の振りと旋回、足先で床を擦る動き、唐突に頭を振って走り出す、などといった一連の動きは、個々の部分に注目すればある程度は捕捉できる。むしろ体の分節は粗いので、情報量は決して多くない。にもかかわらず、全体としてはなかなかシャープな像を結ばないのである。画面に意識を集中するのさえ不思議と困難に感じられ、自分が疲れているのではないかと訝るほどだった。
 しかし繰り返し見て気づいたのは、様式化したフォルムを退け、余計な力感を排したカジュアルな動きでありながら、その組み立てはきわめて込み入っており、踊り手には途轍もない負荷がかかっているということだ。視覚的に明瞭な体系性はなく、また同じ動きを繰り返すこともないのだが、ともすればリズムに乗りかかる体に、その都度細かくブレーキをかけて流れを変え、強引に加速したかと思うと何事もなかったかのように柔らかく停止する。こんな調子で各部位が縦横に動き回るのである。おそらく体を操作しようとする意識が非常に強く感じられるがために、ダンスというより単に一定の規則を遂行しているようにも見えるのだろう。しかしリズム的な持続を全く欠いた、この一続きの動きは、見れば見るほど異様なものであることがわかってきた。それはベインズのテクストからの想像をはるかに凌ぐ、極北の世界だったのである。
 こうして初めて、「ダンスを見ることは難しい(Dance is hard to see)」という、よく知られるレイナーの命題に正面からぶつかった。事実『トリオA』を見ることは「難しい」のである。なぜだろうか? その答えは、ダンス論の一つの古典とも称されるべきレイナーのエッセイ「多血症のただなかでの量的にミニマルなダンス活動における“ミニマリスト”的諸傾向についての擬似的な調査、あるいは『トリオA』の分析」*4において、詳細に論じられている。つまり「見ることの困難」こそ、まさに『トリオA』の狙うところだったのである。
---------- *1 前回、勘違いによって「僅か10分足らずの作品」と書いてしまった。訂正してお詫びする。
*2 Sally Banes, Terpsichore in Sneakers, 2nd ed., 1987, Wesleyan U.P., p.46.
*3 『トリオA』には様々なヴァージョンが作られており、中には音楽がついたものもある。ちなみに78年のこの映像の一部は http://www.vdb.org で見ることができる。
*4 A Quasi Survey of Some "Minimalist" Tendencies in the Quantitavely Minimal Dance Activity Midst the Plethora, or an Analysis of Trio A. 複数の文献で読むことができるが、初出は Gregory Battcock ed., Minimal Art: A Critical Anthology,1968.
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『plan B 通信』(2006年8月号) ポストモダンダンスについてのノート(4)
 イヴォンヌ・レイナーが「ダンスを見ることは難しい」といえば、「映画を見ることはむつかしい」と書きつけたのは蓮実重彦だった。「見ることはむつかしい。とりわけ小津を見ることはむつかしい。〔…〕そこには、文字通りの画面しか存在しない。画面は、その背後に何かを隠したりしてはいないのだ」*1。あるいはスーザン・ソンタグの「反解釈」。さらには桜井圭介『西麻布ダンス教室』も並べてみたくなる。ものの現われ、現象、ないし表層の擁護は、過剰かつ恣意的な意味解釈の専横に抗してしばしば主張されてきた。あるいは制度化された視線のあり方があまりにも自明視され、疑われていないことへの苛立ち*2。
 レイナーもまた、ダンスを見る観客の視線と、ダンスとが、一定の様式の元に結託し安住している事実を喝破し、そこで平和裡に隠蔽されている「見ることの困難」("seeing" difficulty)を露出させること(あるいは「困難を見ること」)を目論む*3。
 主要な論点を二つ取り出してみよう。まず、西洋のダンスの多くは、あるフレーズの始めに最も多くエネルギーが出力され(=アタック)、真中で留め置かれ、最後に元の状態に戻る、という形式をもっている。これによってフレーズ内の最も動きの少ない一部分が焦点化され、その「クライマックス」の部分だけが静止画像のように切り取られて網膜上に「登記」されることになる。ならばこの「始めと中と終わり」という(アリストテレス以来の)古典的構造を平坦に均してしまったらどうなるのか。とりわけフレーズとフレーズの間に静止を入れず、一つのフレーズの終わりと、もう一つのそれの始まりを連続させ、両者を区別できなくすること。そして個々の動きの価値を均一にすること(アンチドラマ)。
 また他方、同じ動きを反復することによっても、動きを客体化(objectify)することは容易になるだろう。ダンスにおける「素材」(material=物質)を剥き出しにするには、これを徹底化するのが(観客の不興は買うだろうが)一つの有益な方法といえる。しかし、では逆に、この反復を徹底的に排除してみよう。その時観客の視覚体験はどうなるのか。
 かくして『トリオA』は、ダンスを見る目を一定のやり方で規定している制度を暴き、見ることの本来的な困難を実践によって示そうとする。つまりこれは可視性の閾を越えようとするダンスなのであり、極言すれば「不可視のダンス」だということになるかも知れない*4。「ダンスから、できる限り空想を排除しなければならない、あるいは、見ることがほとんど不可能になってしまうに至るまで、そうした本質的な困難さという事実が強調されなければならない」*5。
 このようなレイナーの構想の狙いは何か。多様な解釈が可能だろう。そもそも「見ること」を断念せよと説いているのか。それとも、よりよく見よ、我々は十分に見ていない、と煽動しているのか。ダンスを視覚にとっての「客体」とすることを批判し、いかなる表象にも還元されない持続を知覚するように(自らの身体で共に踊るように)と、観客を仕向けているのか。
 少なくともいえることは、レイナーが、見ることの困難なダンスを媒介にして、スペクタクル(踊り手と観客との分断の固定)が成立する以前の、「身体」そのもの、零度の身体を掴み出そうとしたということである。美術におけるミニマリズムとの類比から、レイナーはしばしばダンスや身体を「物体」(object=対象、客体)になぞらえるが、上述のように『トリオA』には、「物体化=客体化」さえもかわし、さらに遠い虚焦点としての、主体と客体が分化する条件としての「身体」を捉えようとする側面があることは見逃せない。
 1968年の上演時のプログラムにはこうある。「私と、危機にあるこの世界(world-in-crisis)との繋がりは、稀薄で、疎遠なものに留まっている」。そして「精神が恐怖と不信の念とともに抵抗するのは、TVに映るヴェトナム人が撃たれる場面――ただその死の光景のみならず、TVを見終わったら、まるで出来の悪い西部劇のように、パッと消してしまえるのだという事実に対してである。私の身体はそれでも残る現実なのだ」。つまるところレイナーにとって、身体の零度の探求は、身体をその最大の潜勢力において再び新たに見出すための手続きに他ならない。「運動の発明、すなわち“ダンシング”」(Movement-invention, i.e. "dancing")*6。
---------- *1 蓮実重彦『監督 小津安二郎』、ちくま学芸文庫、238-240頁。
*2 ソンタグの『反解釈』はレイナーの『トリオA』と同じ1966年に出ている。こうした一連の「反解釈」ないし「表層批評宣言」は、いうまでもなく時代毎にそれぞれの文脈を背負っていることだろう。
*3 Rainer, A Quasi Survey of Some "Minimalist" Tendencies in the Quantitavely Minimal Dance Activity Midst the Plethora, or an Analysis of Trio A, in: Rainer, A Woman Who...: Essays, Interviews, Scripts, The Johns Hopkins UP, 1999.
*4 よく似たことが、ある時期のフォーサイスについてもしばしばいわれてきた。しかし動きの「速度」や「複雑さ」などといった、突き詰めれば量の問題に還元されてしまう印象論と、徹底して幾何学的かつ修辞学的なレイナーの方法論とは、全く異質な次元に属している。
*5 Rainer, A Quasi Survey, p.35.
*6 Rainer, A Woman Who..., pp.40-41.
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『plan B 通信』(2006年9月号) ポストモダンダンスについてのノート(5)
 スペクタクル的な視線の制度化によって主客の分断が固定される前の、零度の身体を把捉し、既存の様々な権力機構から解放しようとすること、これはポストモダンダンスにおいて広く共有された重要なテーマの一つであったように思われる。レイナーの『トリオA』はその最も方法論的に��練された作例といえるだろう。
 しかし既に何度か触れたように、ポストモダンダンスにおけるスペクタクル批判は、まずもって職業的な訓練を経たダンサーの超絶技巧を拒絶するところから始まっている。そしてその際、日常を生きる人々の身体とその運動への回帰という方向へひとまず向かうのである。例えば様々な日常動作や「行為」がダンスとして提示され、タスク・ムーヴメント(一定のルールに従って物を運ぶなどの課題遂行によって生み出される運動)もまた多くの振付家によって採用された。
 シモーヌ・フォルティの『ひしめき合い Huddle』(1961年)は数人がスクラムのようにして円陣を組み、その人間の山を一人が外側からよじ登って反対側へ降りると、また別の誰かがよじ登る、という行為の連続による作品である。『斜めの板 Slant Board』(1961年)では、大きな板で作られた傾斜の上を、紐につかまった三人が移動して互いに場所を入れ替わり続ける。そこにあるのは、シンプルな規則とその素朴な遂行のみである。「こういった動きには虚飾がない。素朴な木の器がそうであるように、虚飾がない。そして美しい、素朴な木の器がそうであるように、美しいのだ」*1。スティーヴ・パクストンの『Satisfyin Lover』(1967年)は、30歳から84歳までの様々な人々が多様な速度で淡々と歩行するさまを舞台に乗せた。ベインズによれば、パクストンにとって「歩行」は非ダンス的な諸々の動きの可能性を開く決定的に重要なモチーフであった。「歩行は誰もがしていることであり」、「演者と観客の間を共感でつなぎつつ、また共有された経験でありながら各々の特異性や個性も許容される」*2。この延長上に、食べる、話す、笑う、着替える、などのあらゆる行為=運動が位置づけられる。この世にある全ての音は音楽だ、と説いたジョン・ケージに倣って、この世にある全ての運動はダンスだというわけである。
 バレエやモダンダンスのスペクタクルに対し、こうした実践はなるほど確かに「民主主義的」な理念を首尾よく表現している。しかし他方、スティーヴ・ライヒのこんな笑い話もよく知られている。「60年代にはずっと、人々は誰も踊らないダンスの舞台を見に出かけて、その後みんなでパーティをして踊ったものだった。これは健康な状況ではない」*3。
 ベインズに代表される研究者の議論において、筆者がしばしば違和感を抱くのはここである。「ある動きが、単なる日常動作としてではなくダンスの一部として成立するのは、それがダンスの文脈に置かれることによってである」*4、このような考え方は、ダンスの定義を揺るがそうとした当時の革命的な力を、矮小なアート・ワールド(市場)の論理に回収し、皮相な差異の戯れ、新規性をめぐるゲームに還元してしまうだろう。つまりことさらに「日常の身体」へと人々の注意を向けさせるために「(前衛)芸術」という枠組を利用していたのでは、結局「反スペクタクル」という名のスペクタクルと変わりないのではないか。そればかりか、これでは上述の初期フォルティやパクストンのような過渡期の実践が孕んでいた政治的限界を的確に評価することもできない。すなわち当時の彼ら彼女らは、旧来の舞台芸術のスペクタクル性を批判する際に「人間」や「自然」という尺度を自明かつ普遍的なものとして導入してしまっており、それこそが演者と観客との間の民主主義的な平等の理念を支えていたのである。土方巽ならば、歩行が万人に共通の運動だなどと口にはしなかっただろうが、「日常」なるものを不用意に特権化、神秘化すれば、その革新性は強力な保守性へと容易に反転する。
 しかしもちろんポストモダンダンスが発見した「日常の身体」は、新しもの好きのアート市場に登場した新商品の一つなどに留まってはいなかった。フォルティは68年以降、動物の動きの研究を開始して、秘教的ともいえる独自のダンス言語を膨らませていったし、パクストンは72年にコンタクト・インプロヴィゼーション(CI)を本格的に展開させ始めた。CIは既存のダンス・テクニックとは完全に異質だが、同時にただ人々の日常をなぞってみせるわけでもなければ、人間中心主義的な主体性を誇示することもなく、むしろ「個」を重力の作用と接触による間身体的な関係のただ中に投げ入れて超人間的な身体運動を生成する。CIの実践家たちが「原点」*5と呼ぶ、『マグネシウム Magnesium』(72年)の映像は衝撃的である。体育館にマットを敷いて行われたこの10分足らずのセッションは、今日よく見られるCIと比べてはるかに荒々しく、体と体が高速で猛然とぶつかり合い、柔道に似た受身が多用されている。そしてミサイルの爆発音や爆撃音のような激しい音響〔*6〕によって、まるで戦争そのものののような圧倒的な力のイメージが重ね合わされるのである。ここにはもはや60年代的な、牧歌的な「民主主義」の空気はない。自由や平等の理念を根底で支えて来た「人間」なるものの概念が、汗の飛沫とともに砕け散っているかのようである。
---------- *1 Simone Forti, PASTForward Choreographers' Statements, in: Sally Banes ed., Reinventing Dance in the 1960s, Wisconsin U.P., 2003, p.200.
*2 Sally Banes, Terpsichore in Sneakers, 2nd ed., Wesleyan U.P., 1987, p.60. ちなみに、ポストモダンダンスに特徴的な「非ダンス」的動作、特に日常生活から取り出された動作を pedestrian movement(歩行者の動き、散文的な動き)と呼ぶ習慣は一般的である。
*3 Steve Reich, Notes on Music and Dance (1973), in: Roger Copeland and Marshall Cohen ed., What Is Dance?, Oxford U.P., 1983, p.336.
*4 Banes, Terpsichore in Sneakers, p.17.
*5 シンシア・J・ノヴァック(立木・菊池訳)『コンタクト・インプロヴィゼーション』、フィルムアート社、2000年(原著1990年)、74頁。
〔*6 追記:2009年にパクストン本人とともに確かめたところ、この「音響」はたまたま体育館内で生じた反響によるノイズであるとのことだった〕
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『plan B 通信』(2006年10月号) ポストモダンダンスについてのノート(6)
 ジャドソン教会派を熱烈に擁護し、立役者の一人となった批評家ジル・ジョンストンは、レイナーの『私たちは走る We Shall Run』(1963年)に触れながら「日常的なもののヒロイズム heroism of the ordinary」を興奮気味に語っている。「プロットもなし、見せかけもなしだ。人々が走る。人間万歳」*1。もちろん、単に舞台上で「人々が走る」わけではなかった。出演者たちは振付家によって設計された複雑きわまりないスコアに基づいて走ったのであり*2、そこには積極的に「人間 people」を表象=再提示(re-present)しようとする明確な意図が働いていた。すなわちこれは、観客が自らを「人間」として自己同一化することを促す、いわば「鏡」のようなパフォーマンスなのである。他方、平凡な人々の様々な「歩行」を主題とするスティーヴ・パクストンの『サティスファイン・ラヴァー Satisfyin Lover』(1967年)について、出演者が観客の視線に曝されながら「自然に歩く」ことがいかに難しいかを予測することはできなかった、とパクストン自身が告白している事実は示唆的である*3。つまり人々が「人間」としてのアイデンティティを「自然」なものとして確認し受容するためには、途方もない労力の傾注が必要とされるのである。そしてこの労力の傾注を正当化するような思想を、われわれは「ヒューマニズム」と呼ぶことができるだろう。
 いうまでもなくこのヒューマニズムは、スペクタクル化したモダンダンスからダンスを再び「等身大 human scale」*4の行為として人々の手に取り返そうとするジャドソン教会派の、「民主主義」的なプロジェクトからの帰結であった。『私たちは走る』は、ベルリオーズの『レクイエム』のような大袈裟な音楽と、「走る人々」の平凡な姿とのコントラストを演出し、反スペクタクルを強調するところに主眼を置いていたのである*5。
 しかし思想の限界は様々なレヴェルで明らかになっていく。TV画面に映し出されるヴェトナム戦争の映像に、「人間」を相互に異質な諸集団へと分割する政治の現実を見たレイナーは、ジャドソン教会派およびポストモダンダンスの思想的支柱であったケージを批判していう。ケージは「われわれが生きている生の素晴らしさに目覚めよう」と朗らかに唱えるが、「そんなに素晴らしい生を謳歌しているのはいったい誰で、そしてそれは他の人々のいかなる犠牲の上に成り立っているのか」を問わねばならない、と*6。あるいはまた、キャリー・ランバートによれば、レイナーが1967年に患った胃腸の病気は、身体的経験は究極的には個人的なものであり、他者と共有することはできないのだ、という彼女の認識を補強する重要なエピソードとなっている*7。レイナーは70年代にダンスから映画制作へと活動の場を移していくが、ダンスのシーンにおいては、「日常性」の牧歌的な礼賛に対する反動が新しいダンス・テクニックの開発および超絶技巧の復権を促していく。パクストンはコンタクト・インプロヴィゼーションを練り上げ、トリーシャ・ブラウンも空気のように軽い独特の動きのスタイルを発達させ始める。こうしてポストモダンダンスは、モダンダンスが辿ったのと似た、高度な技術的洗練の道を再び歩んでいくのである。
 それはとりもなおさず、ダンスにおけるスペクタクルの復活を意味する。しかしジャドソン「以後」の状況は、ジャドソン「以前」よりもはるかに深刻な相貌を呈するだろう。マーシャ・シーゲルの言を借りれば、「民主主義」の時代の実験芸術の運動が残した全ての遺産が、今度は「ポピュリズム」の消費文化によって徹底的に流用されることになるからである*8。80年代、いよいよ真の(?)「ポストモダニズム」が世を席巻し始める。
---------- *1 Jill Johnston, "Judson Concerts #3, #4," Village Voice, 28 February 1963. Sally Banes, Democracy's Body: Judson Dance Theater, 1962-1964, p.88 より重引。
*2 Banes, Democracy's Body, p.87.
*3 Steve Paxton, "PASTForward Choreographers' Statements," in Sally Banes ed., Reinventing Dance in the 1960s, Wisconsin UP, 2003, p.207.
*4 Yvonne Rainer, "A Quasi Survey"(1968), in Rainer, A Woman Who...: Essays, Interviews, Scripts, The Johns Hopkins UP, 1999, p.30.
*5 今日のわれわれにとって、チェルフィッチュ(岡田利規)の作品『クーラー』(2004年)との類似は価値のある比較考察を導くだろう。
*6 Yvonne Rainer, "Looking Myself in the Mouth"(1981), in Rainer, A Woman Who..., p.88.
*7 Carrie Lambert, "On Being Moved: Rainer and the Aesthetics of Empathy," in Sid Sachs ed., Yvonne Rainer: Radical Juxtaposition 1961-2002, The University of the Arts, 2003, p.50.
* 8 Marcia B. Siegel, The Tail of Dragon: New Dance, 1976-1982, Duke UP, 1991, p.xv.
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『plan B 通信』(2006年11月号) ポストモダンダンスについてのノート(7)
 70年代に入ると、ジャドソン以降の人々の実験的な方法論が発展を遂げた結果として徐々に新しい技術(ダンス・テクニック)が追求されていったことは前回も触れた。トリーシャ・ブラウン、トワイラ・サープ、スティーヴ・パクストンなどがその顕著な例だが、ベインズはさらに70年代的なポストモダンダンスから80年代的な「新しいダンス new dance」への移行を特徴付ける要素として、ダンサー/振付家たちが次第に自分のカンパニーをもつようになったことを指摘している*1。これもまた新しい技術への志向と無関係ではないだろう。カンパニーとは、技術を振付家自身の身体から切り離し、超個人的なものとして共有しながら体系的に発展させる母体だからである。それに加え、フィルムやヴィデオの普及によってダンスが容易に記録できるようにもなる。映像による記録は、反復可能な「振付作品」のレパートリーの蓄積を容易にする。同一の作品が繰り返し上演されるようになれば、新聞評などの社会的な価値評価システムが有効に機能し、上演に際してのリスクを予め見積もることができるため、カンパニーが各地をツアーするなど市場は飛躍的に拡大する。こうして80年代のダンサーたちの関心は多かれ少なかれ、自分がいかに「生き残ること survival」*2ができるか、という問題に支配されるようになっていく。60年代に行われた実験的なダンスが、「作品」の記録やレパートリー化などといった自己保存への欲求ではなく、即興的かつ自然発生的な身体の衝動に重きを置くことで文字通り「同時代的」な運動それ自体であり続けていたとすれば、80年代的な「生き残り」のメンタリティは、ダンスを身体からは差し当たって区別され得る物理的な商品として生産しようとするのである。
 技術的洗練、カンパニーの形成、「作品」性への志向、こうした諸要素がダンスと市場経済の論理を結びつける。もちろんこれは芸術家が自身の生活を賄おうとした結果ともいえるのだが、いずれにせよ80年代のアメリカのダンスはかつてのような政治的アクションとしての力を失い、「経済」の原則を甘んじて受け入れていく(それは「政治」が「経済」の下位に従属するような、すなわちネグリとハートが「帝国」とよぶような状況ともごく近い関係にあるだろう)。マーシャ・シーゲルによれば、変化の兆候は70年代半ばにはすでに現われていたという。芸術に対する政府、州、地域レヴェルの経済的補助はこの時期にピークを迎え、助成金が実験的な芸術家にも行き渡る。そして「観客数がカンパニーの財政を左右し、チケットの売れ行きがものをいう」ようになると、ダンスは混沌と先鋭性とを喪失していく。そればかりではない。「実験的なカンパニーに期待されたのはフレキシビリティであり、額縁舞台や厳密なプログラム編成に束縛されるわけではなかった。彼ら彼女らは公園でも学校でも踊れたし、地元の出演者とともに踊ったり、即興で、与えられた条件に対応することもできた。しかしながら実験的なダンスの重要な要素であった多様性、予測不能性、奇抜さといったものは、少しずつ飼い馴らされ、和らげられていったのである」*3。「フレキシビリティ」とは、何か特定の目的に適った専門的技術のことではない。それはまさに「何にでも対応できる」ようなダンサーの身体の柔軟性そのもののことであり、ポストモダンダンスを経たダンサーが備える潜在的な力の総体のことである。すなわちジャドソン教会以降のダンスが過激に押し広げてきた身体運動の可能領域そのものが経済的に「飼い馴らされ」ていったのであって、それは単にポストモダンダンスがモダンダンスと同じ轍を踏み、紋切型の形式へと硬直化していったということのみを意味するのではない。つまりポストモダンダンスは、おそらくは図らずして、目的に奉仕することのない純粋な「力」の発現としての「ダンス」そのものが孕む、何か本質的な問題を剥き出しにすることになった。「ジャドソン以前」と「ジャドソン以後」の状況の質的な差異は、ここにこそ求められねばならない。
 70年代から80年代にかけて、ヌーヴェルダンスの興隆とともに「世界のダンスの中心がアメリカからヨーロッパへ移った」とはしばしばいわれる。バニョレに象徴されるヨーロッパのダンスが活気を帯びていく一方で、アメリカのダンスがその先鋭性を失っていった理由として、フランスのジノーとミシェルは、エイズの流行(およびその反動による社会の価値観の保守化)とともに、レーガン政権の緊縮財政による国立芸術基金(National Endowment for the Arts)の予算削減を指摘するが*4、しかし本当に重要なのはレーガンの緊縮財政などではなく、それ以前の、ダンスの公的資金への依存度の上昇、すなわち芸術家たちが政治的に骨抜きにされていく過程の方だろう。そしてそれが今、日本のコンテンポラリーダンスが直面している問題でもあることはいうまでもない。
 筆者は昨年10月から今年4月までの7ヶ月間、主にNYで毎週4~5本のペースでダンス公演を見続けたが、アメリカにおけるダンスと経済というこの問題は現在まで完全に連続しつつ、なおも今日的な局面を展開しているように思われた。その意味でポストモダンダンスとそれが(自覚的に、また無自覚的に)提起した諸問題は今も生々しいアクチュアリティを保っている。(続く)
---------- *1 Sally Banes, Terpsichore in Sneakers, 2nd ed., Wesleyan U.P., 1987, p.xxvii.
*2 同上。
*3 Marcia B. Siegel, The Tail of Dragon: New Dance, 1976-1982, Duke U.P., 1991, pp.xiii-xiv.
*4 Isabelle Ginot, Marcelle Michel, La danse au XXe siecle, Nouvelle edition, Larousse, 2002, p.157.
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『plan B 通信』(2006年12月号) ポストモダンダンスについてのノート(8)
 2005年10月2日夕方にJFK空港着、そのままタクシーでシティ・センターへ向かい、混雑した会場の二階にあるクロークまで大きなスーツケースを引っ張り上げてやや白い目で見られながら、早速ダンスを見た。NYの劇場に入るのはこれが初めてで、2753席の劇場の二階の奥から見渡す広大な客席は満員、熱気が充満している。前年から始まったこの FALL for DANCE Festival は、アルヴィン・エイリーやNYCBから、もっと若い世代まで毎日数組出演するのだが、入場料がわずか10ドル均一。できるだけ多くの一般の人々の間にダンスを普及させようとするこのイヴェントのスケールの大きさは、筆者にとってあまりにもアメリカ的に思えた。そして内容の面では、まず最初に登場したチャールズ・モウルトン(Charles Moulton)振付の『48人による精密なボール・パス 48 Person Precision Ball Passing』が、その印象に呼応するものだったといえよう*1。
 雛壇状の舞台に等間隔で整列した48人ものパフォーマーが、掛け声や音楽に合わせて規則的かつリズミカルにボールをパスし、複雑な動きのパターンを目まぐるしく変化させていくこの大がかりなマスゲームは、例えばアメリカと並ぶモダンダンスの母国ドイツなどではもはや不可能な種類の楽天性を感じさせずにはいないが、ともかく最初からこの作品に当たったのは筆者にとって意味深かった。なぜならモウルトンの名は、ベインズが、80年代アメリカに起こったポストモダンダンスへの様々な反動の例としてしばしば取り上げていたからである。彼女によれば、前衛運動としてのポストモダンダンスの後、ダンスにおける意味やナラティヴの復活、あるいは音楽性の復権などとともに、超絶技巧(virtuosity)に対する志向のあからさまな回帰が観測された。「チャールズ・モウルトンの精密なボール・パスの諸作品、ダンサーがウェイト・トレーニング用のウェイトを身に付けて稽古をしなければならないモリッサ・フェンレイの“ダンスの壁”、コリーン・マルヴィヒルとM・J・ベッカーの体操競技的な卓越性(これらの予兆をなしていたのがバチャ・ザミールの空中ダンスであり、���たトワイラ・サープのジョン・カリーへの振付については言うまでもない)、あるいはウェンディ・ペロンとジョハンナ・ボイスの言葉遊び、こうした一連の事例において、ダンサーの精神/身体は専門技術的な側面を過激な仕方で取り戻している」*2。危険な装置を使ってアクロバティックな技巧を見せるエリザベス・ストレブ(Elizabeth Streb)の作品と、シモーヌ・フォルティの『斜めの板 Slant Board』(1961年)*3を比較すれば、この20年あまりでのダンスにおける身体の変容は見紛うべくもない。後者において観客は自分のそれとほとんど等価な演者の身体によって運動感覚的な共感(kinesthetic empathy)を惹起されたが、前者においてはアスリートの行うハードな離れ技に驚嘆させられるばかりであるに違いないからだ*4。
 モウルトンの『精密なボール・パス』の初演は1979年だが、その時の出演者は実はたった3人だった。しかし翌年には9人ヴァージョンが作られ、88年には18人、93年には25人、そして2005年には48人と、直線的に膨張してきたわけである*5。85年の時点で「日常の身体 ordinary body」が過去のものになったと指摘したベインズは、こうしたスペクタクルの復活は単なる旧来の価値観への逆戻りではなく、新しい現実を反映するものだと考える。「80年代、“日常の”身体とはもはや単に自然から我々が授かったそれを意味しない。ジョギングやフィットネス・クラブ、ボディビルの流行とともに掛け金は上昇した。今やごく一般の人でさえ何がしかのアスリートなのだ」*6。とはいえ、「ナチュラル」な身体への讃美から、整形やピアシングなども含む極端な身体改造へという人々の志向の変化を、レーガノミクスの厳しい経済状況下においても変わることのない人々の向上心や支配欲の現われと見なしつつ、身体こそは「最も安価かつ手近な征服の対象の一つ」なのであり、「人々は文字通り、自分の運命を自分で作り変えることができる、身体文化のレトリックはそのように謳っている」と説明するベインズの議論はいささかナイーヴに聞こえる。シーゲルが指摘するように、人々の身体の表象を変えてしまったのはマスメディアなのだとすれば*7、身体は明らかに一つの産業化=植民地化を経験したのであり、市民的な向上心や支配欲などといったもの自体に対する(より大規模な、そしてますます微細な、私的領域にまで渡る)支配が進行したのが80年代だったのではないか。かつてポストモダンダンスの象徴は「トウシューズ」ではなく「スニーカー」だった。しかし今となっては、「衣装として用いられた『日常的』な衣服なるものの観念自体が、GAPのようなマス・マーケッターによって根本的に変えられてしまった」*8。それは確かに、単なる主体と客体をめぐるヒエラルヒー的秩序としてのスペクタクルの復活ではないのである。(続く)
---------- *1 Peter Jay Sharp 財団およびタイム・ワーナー社がフェスティヴァルの主なスポンサーである。なおこの日の他の出演者は、ヴィンセント・マントソー(Vincent Mantsoe)、カンパニー・マリー・シュイナール、中馬芳子&ザ・スクール・オヴ・ハード・ノックス、そしてジョフリー・バレエ(ジェラルド・アルピノ振付)。
*2 Sally Banes, "No More Ordinary Bodies"(1985), in Banes, Writing Dancing in the Age of Postmodernism, Wesleyan U.P., 1994, p.278. 筆者が実際に見ていないダンスについては見当外れな訳になっているかも知れない。John Curryは70年代に活躍したイギリスのフィギュアスケート選手で、サープには彼に振付けた『After All』(1976年)という作品がある。
*3 この作品については本連載の第5回でもふれた。
*4 Ibid.
*5 ちなみに2003年には、モウルトンは映画『マトリックス リローデッド』において1000人を超すダンサーたちを使ったレイヴ・シーンを振付けている。
*6 Ibid., p.279.
*7 Marcia B. Siegel, The Tail of Dragon, Duke U.P., 1991, pp. xiv-xv.
*8 Yvonne Rainer, "PASTForward Choreographers' Statements," in Sally Banes ed., Reinventing Dance in the 1960s, Wisconsin U.P., 2003, p.209.
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『plan B 通信』(2007年1月号) ポストモダンダンスについてのノート(9)
 現在のNYに、ジャドソン教会派およびポストモダンダンスからの何らかの連続性、あるいはその痕跡を見出すのはさほど難しいことではない。例えば前回ふれた FALL for DANCE Festivalの中馬芳子のグループにもジャドソンの中心メンバーの一人、サリー・グロス(Sally Gross)がダンサーとして出演していたし、ワシントン・スクエアにあるジャドソン教会では毎週定期的に無料のショーケース Movement Research at the Judson Church “About Town” が開かれていて、無名だが野心的な表現者が集まるトポスとしての役割を今も担っている*1。トリーシャ・ブラウンは周知の通りミッドタウンにスタジオを構えて活動しており、デヴィッド・ゴードンも新作を発表し続けている。そしてごく最近、イヴォンヌ・レイナーがほぼ30年ぶりに映画製作からダンスへ復帰したのは大きなニュースだ。2006年4月にDTWで発表された新作『AG Indexical, with a little help from H.M.』は、ストラヴィンスキー/バランシンの『アゴン』をパロディの素材に、ヘンリー・マンシーニ(H.M.)の『ピンクパンサー』の音楽を加え、元NYCBのエミリー・コーツを迎えた女性によるカルテットだった。
 とはいえこうした歴史的コンテクストは、やはりどちらかといえば批評家や研究者の知識に属していて、若いダンサーたちにとっては遠い過去のようである。わずか七ヶ月間滞在したに過ぎない筆者の印象ではあるが、現在のNYはダンス・テクニックの巨大な市場の様相を呈しており、いくつかの大学の他、エイリーやカニンガムをはじめとするスタジオや学校でありとあらゆる技術を学ぶことができる。世界中から、そして日本からも大勢のダンサーが集まっている。そしてDTWやダンスペース・プロジェクト、PS122、ザ・キッチン、ジョイス・ソーホーなどといったダウンタウンの劇場やスペースで見られるダンスの半分は、まずそうしたテクニックの驚くほど無邪気な実践だった。ある意味では日本の「現代舞踊」のあり方にも似て、保守的な形式主義がささやかなヴォキャブラリーやコンポジションの工夫によって盛んに反復され続けているのである。
 他方、あたかもそれに対応するかのように、既存のダンスの制度を皮肉るパフォーマンス的な作品が非常に多いことが一つの傾向として指摘できる。例えばマイケル・ヘランド(Michael Helland)の『ザ・ニュー・アグリーがお送りするスター物語 The New Ugly Presents Star Fiction』は舞台やファッション・ショーに出演する女の子の姿をパロディにした作品だが、これをDTWで見た時、筆者は、ここがショービジネスの国なのであり、DTWといえどもブロードウェイのショーと本質的に断絶したものとは考えられていない(少なくとも日本のコンテンポラリーダンスにおけるように「エンターテインメント」と「アート」、商業主義と芸術は別だと無根拠に信じられてはいない)ということを強く意識した。サラ・ジュリ(Sara Juli)の『お金にまつわる会話 The Money Conversation』は、観客に向かってダンサー個人の社会的身分や経済事情を訴えたり、紙幣を撒き散らしながら「30ドルあったら何に使う?」と問いかけると客席から「ヨガのクラスに行く」「ワインを買う」などと答えが返ってくる。ダンスというより、ダンスの基盤をなす生活の条件に照準したパフォーマンスだ。チェイス・グラノフ/ジョン・モニアーチ(Chase Granoff/Jon Moniaci)の『物と退屈! Boredom with objects!』は、アンプやスピーカー、ラップトップやケーブルが散乱した空間に、ジャージにジーンズの男二人が機材に手をかけてじっとうずくまっている。ドローンやパルス音が鳴り続け、一人が腹にスピーカーを乗せて仰向けに寝てみたりするものの、最後まで特に何も起こらず、二人そろって誰もいない空間をじっと眺めたまま終了する。ダニエル・リネハン(Daniel Linehan)の『食欲不振、失敗、思春期 Anorexia, Failure, and Puberty』はあからさまに貧困生活を主題にしていて、ホームレスかストリート・チルドレンのようなキャラクターを演じながら、ボロボロのジーンズに片足を引っ込めて不具の身体を提示したり、観客の靴にキスをしながら卑屈に通路を這い回ったりする。
 90年代以降のヨーロッパにおける「ノン・ダンス」と同様、こうしたパフォーマンスの形式は確かに60年代の反スペクタクルのそれに多くを負っているだろう。しかしジャドソン教会派が、スペクタクル化したダンスの「生産」過程における人々の疎外状況を前提としつつ、ダンスにおける「民主主義」を打ち立てようとしたのだとすれば、現在のNYのパフォーマンスは今や個々人の活動が最初から最後まで資本主義の制度内での「消費」でしかあり得なくなっているという絶望的な認識の下に、これといって信じられる理想も欲望もないままひたすらのた打ち回っているように思える。例えば経済的な貧困を訴えるダンサーのパフォーマンスを額面通りに受け取るだけで事足れりとすべきではない。経済的な貧困が解決されればそれで良いというわけではない。むしろ経済的な貧困がダンスによって訴えられねばならないような事態、つまりそれほどまでに身体が経済に支配されてしまっている事態こそが、現在のNYのダンスが向き合おうとしている問題なのだとすれば、上に見たようなダンスの制度や条件を標的としたシニカルな遊戯は、何よりも一見「恵まれた」環境に包囲された作り手たちの不毛な自意識と虚無主義の症候といえるだろう。助成金、寄付金の循環が劇場やスペースとそのプログラムを制度的に「潤沢」にしているだけではない。技術的に質の高い舞台が制作され、ある程度は観客動員も見込まれ、『ヴィレッジ・ヴォイス』や『NYタイムズ』をはじめとするメディアには評が出るといった具合に、日本と比べるとはるかに整備の行き届いた環境下で、むしろダンスは奇妙な窒息状態にあるかのようなのだ。
---------- *1 ただし筆者の滞在中は教会が改装中のためダンス・シアター・ワークショップ(DTW)に場所を移していた。
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『plan B 通信』(2007年2月号) ポストモダンダンスについてのノート(10)
 筆者が滞在していたアパートメントは、ダウンタウンでダンスをやっている劇場やスペースの多くが徒歩圏内という立地だった。歩いて数分でダンス・シアター・ワークショップ(DTW)、そのすぐ近くにジョイス・シアター、19th Street をそのまま西に歩くとザ・キッチン。イースト・ヴィレッジまで行けばラ・ママ、PS122、ダンスペース・プロジェクト(セント・マークス教会)があり、ソーホーにはジョイス・ソーホーがある。どこも週代わりでプログラムを組んでいるから、足繁く通い詰め、劇場でフライヤー(ポストカード)を集めてきて、さらに毎週『ヴィレッジ・ヴォイス』と『タイム・アウト』で公演情報をチェックすれば、大半は見られないことがわかる。数が多すぎるのだ。
 早いところは木曜が初日、楽日は日曜だが、創り手の層は分厚く、目一杯詰め込んでも回り切ることなどできない。特に昼と夜でハシゴできるようには開演時間が設定されていないという事情もあるが、そもそも都内を飛び回るような感覚で分刻みのスケジュールを立てても、NYの地下鉄の運行は不規則なので勝算は低い。「ダンスは、DTW、キッチン、ジョイス、ダンスペースで木・金・土・日が埋まってしまうから、他でやっているものは基本的に見られない」と言い切る知人の言葉が印象に残った。ここには一つの「サーキット」が出来上がってしまっている。
 ベインズも、80年代以降のダウンタウンにおけるダンスを規定した要素の一つとして、こうした劇場群が環境として整ったことを指摘している。「六つの中心」として挙げられているのはキッチン、DTW、ダンスペース、PS122と、クイーンズにあるPS1、ブルックリンのBAMだが、「これらの場所は作品を見せるための便利な場所(例えばジャドソン教会がそうであったような)というより、キュレーター付きの施設[institution]である」。そこではプロデューサーが振付家に注文を出す。誰がNYで重要な振付家なのかも決定される。これはいわゆるショービジネス化とは違う。単に、NYにおけるダンス文化の量的な増大が、その必然的な帰結として制度面での極端な「充実」と構造化を招いたということだろう。「ダウンタウンのダンスの制度化[institutionalization]は、1984年、DTWがNYダンス&パフォーマンス賞(ベッシー賞)を設立したことに端的に現われている」*1。ある日本の制作者に��の話をすると、数年後の日本の姿かも知れないね、という返事が返ってきた。
 しかし、ならばこのサーキットの外はどうなっているのか。手探りで歩き回ってみた。スタジオでやっている内輪の試演会に潜り込んでみたり、ブルックリンのダンボ地区でやっていたマイナーなフェスティヴァルで四時間かけて30本を立て続けに見てみたりもした。探索が浅いのは承知だが、それにしても、どんなに小さなアマチュアの作品でも必ず、劇場向けの「商品」として通用するような洗練の方向を向いているように思えてならなかった。何をしても自由なはずなのに、まずは show として破綻なく成立させること、いいかえれば視覚に強く訴えるスペクタクル的な完成度こそが重要と信じられているかのように、小奇麗に仕上がっている。
 そんな風に感じていたところ、アースラ・イーグリー(Ursula Eagly)という若い女性振付家の作品『英雄になろうとは思うな(=無駄な抵抗はやめろ) Nobody Try to Be a Hero』に出会った。会場はブルックリンのチョコレート・ファクトリーという新しいスペースで、元は倉庫だった建物を改造して2003年に運営が始まっている。観客は真っ暗な地下に案内され、椅子に座る。やがて懐中電灯の光に照らされ、Tシャツの女の子が数人現われて、微妙にコミカルな調子を漂わせながら声明を読み上げ、お前たちの身柄は拘束されている、と告げられる。何人かが選び出され、私的な事柄についてひとしきり尋問される。そして「我々の言うことを大人しく聞いていれば危害は加えない!ただしおかしなマネをしたら――」銃声が響く。やがて隣の観客から、含み笑いとともに何かが回されてくる。今射殺された誰かの、指、耳、肝臓、腎臓……もちろん作り物だが、見えないので、湿った感触が気持ち悪い。暗闇の中、囁き声で「これは肝臓です…」などと言いながら、みんなでふざけて伝言ゲームのように人体や臓器を手渡していくのだ。しまいにはなぜか隣の人の肩に手を置いたり、手を握ったり、頬にキスをしたり、ということを次々に強制され、いつしか観客同士の間に感情的なつながりが生まれてくる。
 2002年にモスクワで起きた、チェチェン独立派武装組織の劇場占拠事件に想を得たというこの作品は、ストックホルム症候群をテーマにしている。すなわち、立て籠もり犯と人質が長い間一緒に過ごしていると、敵対関係が徐々に緩み、親密な感情や連帯感が芽生えてしまうという奇妙な現象が、パフォーマーと観客の関係に置き換えられているのだ。同時にこの作品は、視覚的な刺激の代わりに触覚に注意を向けさせ、また隣人との極度に近しい、限りなく直接的(無媒介的)なコミュニケーションを体験させもする。
 このようなコミュニティ(共同体)への志向は、9・11以後のNYという場の文脈を想起させずにはおかない。9・11とは何よりもまず視覚メディアを舞台とする戦争、つまり現実的な攻撃である以上に視覚的な、また象徴的な攻撃であった。そしてそれは結果としてNYという街に無媒介的な共同体意識と博愛精神をもたらした。他方、NYのダンスを覆うスペクタクル的な状況というものがあって、イーグリーはそれに反発している。一方的な視覚性の演出と、受動的な「観客」によるその消費という構造が、切実な問題として意識されている*2。
 この二つのことは、おそらく密接につながっている。ここで、イヴォンヌ・レイナーがTVで見たヴェトナム戦争の映像と、世界貿易センターが崩壊するあの映像とを類比することは唐突だろうか。ただ決定的な違いは、世界貿易センターの崩壊は遠いヴェトナムなどではなく、他ならぬマンハッタンで起こり、その「映像」をNYの人々はなす術もなく見た、という点にある。レイナーにおいては、ヴェトナムの映像の「疎遠さ」はヴェトナムそのものの空間的な遠さを意味した。だから手元には自分の身体というなけなしの「現実」が残された。しかし9・11は違う。近さと遠さ、現実とイメージが重なり合ってしまっている。つまり身体は「映像」に限界まで近似し、その地位を脅かされるがゆえに、過剰なほど強く反発して、媒介なきコミュニティと直接的経験の回復を求めようとするのだ。そのことの反動性を、イーグリーはどこまで自覚しているだろうか。
---------- *1 Sally Banes, Terpsichore in Sneakers, 2nd ed., Wesleyan U.P., 1987, p.xxxiv.
*2 彼女はインタヴューでこう話す。「ダンスのプレゼンターの下で働いているから、たくさんダンスを見るのだけど、そうするとだんだん嫌気がさしてくる。観客としてどんどん受け身になって、判断を下すのも早くなる。〔…〕毎週たくさんの舞台を見ていると、自分がコンテンポラリーダンスに関わるようになったのは、ビックリするような、自分を変えてくれるような体験をたくさんしたからなのだけど、最近それがなくなってきてる気がして、だから今回はそういう自分がダンスの観客としてダメになったことについての作品を創りたかった(笑)。誰も受け身ではいられないようなものが創りたかった」(http://movementresearch.org/publishing/cc/interview/eaglydavis4-8-06.html)。この作品はスペクタクル的な上演の否定でありつつ、同時に「英雄」というスペクタクル的形象の否定でもある。
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『plan B 通信』(2007年3月号) ポストモダンダンスについてのノート(11)
 アパートメントから最も近いダンス・シアター・ワークショップ(DTW)には毎週のように通っていた。とりわけ近年はダンスというより、パフォーマンス的な手法でダンスを批評する作品が多く、アップタウンや、すぐ近くにあるジョイス・シアターで見られるものと比べると明らかに異質なのだが、ダンスペース・プロジェクトやムーヴメント・リサーチなども含め、こうしたパフォーマンスが次から次へと上演されていること自体がNYのダンスの状況を語っているだろう。つまり根本的な「反省」抜きには踊ることなどもはや考えられない、いいかえれば、踊ることへの欲望と、それに対する違和感や自意識とのせめぎ合いが極限まで高まっているということだ。
 もちろんこうした実践の歴史的背景をたどれば60~70年代のポストモダンダンスに行き着くはずなのだが、当時と現在のNYのダンスが必ずしも連続していないことは既にふれた通りである。ただ現在のダンサーや振付家たちは、ダンスの「制度」に隅々まで包囲されていることに対して様々に抵抗を試みている、そのようにみえる。とはいえ彼ら彼女らのおかれた状況は、厳然としてある既成秩序に正面から闘いを挑み、とにかく現在を否定すれば前に進めた時代のアヴァンギャルドとは違い、多くは情報の洪水と無秩序、価値の飽和状態の中に埋没しつつ、漠然ととらえがたい資本主義経済の機構に包囲された自分たちの姿をシニカルに揶揄し嘲笑してみせることによって、辛うじて小さな自己の存在を確認しているといった様子である。しかしそうしたシニシズムの身振りは、結局のところ一過性のスリルと引き換えに個人的な視界を突き抜ける回路をますます閉ざしてしまうだろう。個々人の「今ここ」を、単にそれとして揶揄しようが嘲笑しようが、「今ここ」に縛られていることに変わりはなく、むしろそのように、あたかも今自分の目に見えている世界が全てであるかのように錯覚してしまうこと、あるいは一人一人にとって各々の「今ここ」だけが扱い得る領域であるかのように観念してしまうこと、そしてそうした諸々の「現在」が実際にはどんなメカニズムによって作り出され、構成されているのかを考えないようにすること、これこそが「歴史以後」の時代の資本主義が張り巡らしている大がかりな罠に違いないからだ。
 そんな中、2005年11月末から翌月にかけてDTWで上演されたミゲール・グティエレス(Miguel Gutierrez)のソロ作品『回顧展示する私 Retrospective Exhibitionist』は、やはり制度としてのダンスをパロディにしたパフォーマンスでありながら、状況を無責任に揶揄するだけの作品とは一線を画した射程の深さを感じさせるものだった。タイトルが既に示しているように、ここにあるのは明確な歴史意識に他ならない。それも何か客観的に確立された公式の歴史=物語を語ろうとするのでも、単なる「私」に自閉した個人史を開陳してみせるのでもなくて、「私」という個人がいかに社会的に構成されているかを系譜学的なパースペクティヴのもとに検証しようとする姿勢である(ちなみに exhibitionist という語には「自己顕示欲」や「露出狂」といった意味合いもある)。
 冒頭からいきなり全裸で登場し、鼻歌を歌いながらヴィデオ映像の準備を始めるグティエレスは、まず自分が幼少の頃、女の子に混じって踊ったバレエの発表会や、クリスマス・パーティではしゃいでいるホーム・ヴィデオの映像を流した後、どこか屋外で開かれた公演の後に観客からの質問に答えている自分の声をごく正確に口でなぞってみせるなどして、自己の「ダンサー」としてのアイデンティティ形成を半ば自虐的に露出していく。さらにエイリー、パクストン、バウシュ、フォーサイス、そしてテリー・オコナーやジョン・ジャスパースなどアメリカの振付家たち、果てはマドンナまでに至る、様々なダンスのごく短い断片を大量に連結し一気に踊り抜くという超絶技巧によって、自分の身体をダンス史が刺し貫いているさまを見せつけるのである。いかにも馬鹿馬鹿しい行為に過剰な労力を傾けるグティエレスのパフォーマンスは、滑稽でありながらも絶妙なテンポの緩急を保ち、観客の関心を最後までとらえて離さない。ダンスについての注釈を行う多くのパフォーマンスが、それ自体としては理知にのみ傾いてダンス的な(体感的な)魅力を放棄してしまうのに対して、この作品は文字通り「メタ・ダンス」とでもよぶべき、緻密な設計を施された傑作といえるだろう。
 さて全裸で仰向けにブリッジし、床に置いた蝋燭の火で尻をあぶられながら、グティエレスが裏声でケイト・ブッシュの歌マネをしている時、おもむろに客席後方から誰かが降りて来た。彼女は舞台の隅に散乱していた本の中から一冊を取って、グティエレスの尻を焦がしかけている蝋燭の下に敷く。蝋燭の位置は3センチほど高くなり、グティエレスを一層苦しめることになるのだが、筆者はその本にどこか見覚えがある気がした。遠くからでははっきりしないが、2002年から2004年にかけて開かれたトリシャ・ブラウンの回顧展のカタログに似ている。そしてふと、たった今舞台から客席に戻ろうとしている女性の顔を見ると、それが他でもないブラウン本人だったのだ。しかしグティエレスが無数の振付家のフレーズをつないで踊ってみせた時には、こちらが戸惑うほどの喝采で盛り上がった客席からは、何の反応も起きない。55th Street にスタジオを構えているブラウンが出てくることぐらい何の驚きもないというわけか、それとも単に誰も気づいていないのか。続いて何人かが入れ代わり立ち代わり本を積み重ね、グティエレスを苦しめていく。過剰な歴史の負荷が、過剰な情報の圧迫が、一人のダンサーの尻に火をつけようとしている。ブラウン以外には、どの本も人物も筆者には具体的に同定できるものではなかったのだが、ともかくこうして淡々とこの場面が過ぎ去って行ってしまうことに納得がいかなかった。(続く)
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『plan B 通信』(2007年4月号) ポストモダンダンスについてのノート(12)
 全裸で仰向けにブリッジしたミゲール・グティエレスの尻を、床上の蝋燭が焦がしかけている。突然、客席後方からトリシャ・ブラウンが現れ、自分の回顧展のカタログを蝋燭の下に挿入すると、文字通り具体的な「厚み」をもった「歴史」によって、グティエレスの尻に火が――。こんな馬鹿馬鹿しい戯画じみた光景に、DTWの客席はほとんど何の反応も見せなかった。トリシャ・ブラウンが登場するハプニングくらい驚くほどのことでもなかったのか、それとも誰も気づかないほどに唐突で場違いな登場だったのか。しかしとにかく筆者は、グティエレスのソロ作品『回顧展示する私 Retrospective Exhibitionist』が、NYで生きている一人のダンサーの「現在」を歴史的なものとして捉え直そうとしている点に強く惹かれた。とりわけ、今日あらゆるダンサーが多かれ少なかれ負っているはずのポストモダンダンスの遺産をはっきりと自己に関係づけ、自覚的に引き受けようとしているところに、素朴な意味でシニカルな他の多くのダンサーや振付家たちとは異なる知的強度を感じずにはいられなかったのだ。
 終演後、グティエレスにいくつか質問をしてみた。トリシャ・ブラウンが出てくれたことについては「夢が叶った!」と嬉しそうに語ってくれたが、ただしこの日は初日で、明日以降も来てくれるかどうかはわからないとのことだった。つまり完全に隠し玉なのだ。ダウンタウンのダンスは何だか「ダンス」のパロディばかりやっているように見えるけど、と意見をぶつけてみる。するとグティエレスは「確かにダンスに対してアイロニカルな、屈折した雰囲気がある。でもぼくは無気力なシニシズムに陥りたくはないんだ」とはっきり答えた。自分の身が置かれた「今ここ」に対して、直接的に同調したり反発してしまったりすることを回避し、歴史的文脈を呼び込みつつ「今ここ」への批評的な距離をこじ開ける。そうした手続きによらなければ、もはやいかなる方向に進む根拠も得られないだろう。彼の活動について深くは知らないが、筆者は『回顧展示する私』をこのような意識と姿勢の表明として受け取った。
 グティエレスのソロに続いて、実はもう一つ、彼が女性ダンサー三人に振り付けた『困難な身体 Difficult Bodies』が上演された。空々しく煌めくラメの衣装でユニゾンを踊った三人は、すぐに下着姿になり、衰弱して床に倒れ、のた打ち回りながら誰にともなく喚き声をあげ始める。ところがデスティニーズ・チャイルドの歌がかかると、彼女らはたちまちTシャツ一枚を身につけ、強引な作り笑いで観客に笑顔を送りながら再び踊り始めるのだ。産業化されたダンス、消費される身体を痛々しく見せつけるこの『困難な身体』は、『回顧展示する私』と見事に補完し合い、資本主義社会が作り出す「現在性」の見せかけ、すなわちスペクタクルの支配に対する鋭い批評的コメントとなっていたように思う。ギー・ドゥボールの言葉におきかえるなら、おそらくこうなるだろう。「衣服から歌手にいたるまで流行そのものが停止した現在の構築、過去を忘れようと欲し未来を信じるという印象ももはや与えない現在の構築は、情報の絶えざる循環的通過によって手に入れられたものである。こうした情報は、重要なニュースだと熱狂的に予告されはするが、結局はいつでも同じつまらぬことを連ねたごく簡単なリストにすぎず、実際にものごとを変化させることに関しては、真に重要なニュースは稀にしか、そしてごく断片的にしか、含まれていない」。「スペクタクル的な支配の第一の意図は、歴史的認識一般を消し去り、そしてまず何より、ごく最近の過去に関するほとんどすべての情報と、それに関する理に適った注釈のすべてを消し去ることであった。これほど明白な事実は、説明の必要すらないだろう、というわけである」。「歴史の終焉は、現在のあらゆる権力にとって、心地よい休息である」*1。
 これ以後、筆者はグティエレスに注目することになったのだが、彼の活動を追っていると、思いがけず短期間の内にポストモダンダンスにまつわる一定の状況が見えてきた。まず翌年(2006年)1月のデボラ・ヘイの新作『オー、オー O, O』に、出演者として彼が参加していた。ヘイは70年代に既にNYを離れているが、この作品ではダウンタウンで活躍する五人のダンサーを起用しており、その内の一人がグティエレスだったのである(他の四人は Jeanine Durning、Neil Greenberg、Juliette Mapp、Vicky Shick)。そして3月には、フランスのアラン・ビュファール(Alain Buffard)という振付家の作品で彼を見ることになった。そしてビュファールのことを調べてみると、どうやらヨーロッパでもポストモダンダンスの再評価がここしばらく続いているらしいことが見えてきた*2。そもそも筆者は日本で現在行われているコンテンポラリーダンスが60~70年代のアメリカのポストモダンダンスと非常に近い問題に取り組んでいるのではないかという見通しのもとにNYに来ていたのだが、このような錯綜した動向を現実につかんだことで、視界が大きく開けていくと同時に、日本のコンテンポラリーダンスをめぐる歴史的文脈の構築へと大きく近づいたような手応えを受けたのだった。(続く)
---------- *1 ギー・ドゥボール(木下誠訳)『スペクタクルの社会についての注解』、現代思潮新社、2000年(原著1988年)、25~27頁。
*2 具体的にはジェローム・ベル、グザヴィエ・ル・ロワ以降の「コンセプチュアルな振付」の流れであり、ジャーナリズムの用語では(多分に通俗的に)「ノン・ダンス」とよばれたりもしている。これについては改めてふれる。
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『plan B 通信』(2007年5月号) ポストモダンダンスについてのノート(13)
 日本で現在行われているダンスは、60年代以降のアメリカの「ポストモダンダンス」と多くのテーマを共有しているのではないか――こんな直観をもとにNYへ向かった筆者にとって、2006年1月にセント・マークス教会(ダンスペース・プロジェクト)で上演されたデボラ・ヘイの新作『オー、オー O, O』は、七ヶ月の滞在中、最も重要な舞台だったといえるかも知れない。きわめて方法論的なアプローチを取るポストモダンダンスの振付家たちにおいて、身体というものが具体的にどのように捉えられていたのか、少なくともその一端を非常に鮮やかな形で見ることができたからだ。
 いわゆる「ポストモダンダンス」の振付家たちは、自分たちが追求する身体やその動きのあり方を、「日常的な(daily)」「平凡な(ordinary)」「歩行者のような、街を歩いている人のような(pedestrian)」「見せ物的でない(non exhibitionistic)」などといった風に様々に語り、その探求の方法はもちろん多岐に渡った。一方の極はジョン・ケージ流の「自然状態」へのラディカルな撤退、あるいは作為なき「ありのまま」の身体に到達しようとする様々な実験。単なる「歩行」から、タスク・ムーヴメント(視覚的な形ではなく一定の課題の遂行によって生み出される動き)、あるいはゲームの形式を借りた作品構成などによって、ダンサーの身体から主体性を剥ぎ取ろうとする考え方はおそらくコンタクト・インプロヴィゼーションにその最も高度な達成をみるといえるだろう。他方、単にダンサーが観客の視線への意識を消去できればスペクタクル化を免れられる(真の民主化が成し遂げられる)というような考え方に対して、理論的にも実践的にも限界をみとめるイヴォンヌ・レイナーのような人は、より積極的な仕方でダンスをめぐる無数のイデオロギーに批評を加えるべく戦闘的な「反スペクタクル」の実践へと向かったのだった。
 しかしこうして語られるのはどれもまだ「方法」に過ぎない。そこから実際にどんな「結果」が得られたのかは別である。いやさらにいえば、���えばサリー・ベインズの周到極まりないドキュメントなども含め、「ポストモダンダンス」をめぐる言説の多くは「結果」としてのダンスや身体を仔細に記述することよりも「方法」を理論化すること���傾きがちだが、それにより、かえって「方法」そのものからも細部が捨象され、極端に単純化された形で捉えられてしまっているかも知れない。スティーヴ・パクストンの『サティスファイン・ラヴァー Satisfyin Lover』は、本当に街中で見かけるような、ただの「歩行」を再現し得たのだろうか。一体どの程度の精度で? そしてその幾分かの不完全さは、ひたすら自然に歩行しようとする身体にどんなノイズを与え、そしてそれに対して歩行者の意識はどんな反応を見せ、それが再び身体の動きの質に何らかの影響を与えなかったかどうか? トリシャ・ブラウンの『ビルの外壁を歩いて降りる男 Man Walking Down the Side of a Building』を見ていた観客は、重力の向きと直角に交わる体勢を保って歩行しようとする男の体が一体どんな緊張に耐え、またいかにしてその尋常ならざる物理環境と対話し、バランスをつかんで、「踊る」ことに成功していたか、どうかを見つつ、自らの身体を奇妙なダンスの経験に浸していたのではないか。そして振付家やダンサーたちは、抽象的な観念やイメージばかりを弄んでいたのではなく、こうしたフィジカル(物理的=身体的)な凹凸のある現実の中でこそ思考し、戯れていたのではないか。
 前に書いたことの繰り返しになるが、「ジャドソンでは何でもダンスになった」「歩く、ものを食べる、楽器を鳴らす、とにかくそれをダンスと呼びさえすればダンスだということになった」といった類の紋切型のイメージに筆者は強い違和感と反発を感じていた。その最大の根拠が、実は、黒沢美香に他ならない。黒沢は80年代の前半にNYに長期滞在して大きな変節を遂げたのだというが、当時既にジャドソン・ダンス・シアターはおろかグランド・ユニオンも解散していたものの、黒沢はNYで見たジャドソン教会派の記録映像から多大な影響を受けたとしばしば語っている*1。とりわけたくさんのダンサーが不確定性のただ中に身を投げ出していくスリリングな黒沢企画「偶然の果実」のシリーズなどは、一見したところケージの精神からの直接の延長上にあるといえなくもない。しかし重要なのは、黒沢美香のダンスが決して無味乾燥な観念の遊戯などではなく、絶えず身体の感覚と意識に根差しながら、なおかつそれへの疑いを執拗に保ち続けるところに成り立っている点だろう。黒沢がただ無心にテーブルの脚を組み立て続けたり、延々と床の雑巾がけを行ったり、ノコギリで丸太を切断しようとしたりする時も、それが純然たる「行為」の単なる提示などであった試しはない。見る者の意識を緊張と弛緩の間で宙吊りにして、時には感覚をますます研ぎ澄ませ、自分から次々と小さな意味の点を見つけ出してはつないでいくよう仕向けたりもする、催眠術にも似た何か独特の作用、そこで一体何が起きているのかは、今ここでは詳しく語れないが、ともかく「何であろうとダンスとして見れば、ダンスだということになる。ルールはない」などといった皮相な事態でないことだけは確かなのだ。「雑巾がけ」は、限りなく平凡な「雑巾がけ」のままのようでいて、いつの間にか変質して未知の「ダンス」としての可能性を引き出されている。そこに、方法やアイディアなどには還元し尽くされない「技術」のようなものが介在しているに違いない。同じように、パクストンの『サティスファイン・ラヴァー』では「歩行」が、『状態 State』では「立っている」という行為の持続が、文字通りのそれとは異なる何か特殊な振幅をもったダンス的な運動として(意識的にであれ、結果的にであれ)組織され直していたのではないか。想像が膨らむ。しかしもしそうだったとしても、ヴィデオではやはり限界があるだろう。その場に居合わせ、肌で細部を感じるのでなければわからないだろう。
 デボラ・ヘイの新作は、これに応えてくれたのだった。会場に入るや否や、客席が四方を囲む舞台に散らばった五人が静かにゆっくりと手や体などを動かしている。ただそれだけで、座席を選ぶ間も自分の注意が知らず舞台の方に引っ張られてしまう。ダンサーたちが身体と空間を意識して立っていることで、そこに目では捉え切れない強力な磁場が生まれている。確かに見た目は「平凡」で「日常的」で「街の歩行者のような」動き、佇まいといえる。しかしそれが放つフィジカルな強度は全く違う。肌触り、圧、リズムの濃密さは、明らかに日常の生活や身体の中にあるそれではなかった。(続く)
---------- *1 これについては、例えば、黒沢美香「My Bible」(『トリシャ・ブラウン 思考というモーション』、ときの忘れもの、2006年、所収)を参照。
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『plan B 通信』(2007年6月号) ポストモダンダンスについてのノート(14)
 デボラ・ヘイは、ジャドソン・コンサートに最初期から関わっていたとはいえ、その位置はやや特殊であり、語られることの少ない存在かも知れない。確かに彼女の出発点としてはジャドソン時代が決定的だが、レイナーやブラウン、パクストンのようなコンセプチュアルな振付家というより、禅やヒッピー文化などといった60年代のカウンターカルチャーのイメージに近く、単線的なモダニズム(前衛)芸術の発展史にはなかなか馴染まない作家になった。そもそも身体的な「実感」を介して集団化を図る類のダンスに、少なくとも今日の我々はある種の警戒感を抱かざるを得ないし、また日本人としてはやはり、禅や太極拳やヨガ、あるいは孔子や老荘思想など「東洋」的なものに感化されたアメリカ人に抵抗を感じずにいるのは難しい、という事情もある。たとえ、日本人であるというだけで実際は禅にも仏教にもまるで疎かったとしても、「身体の神秘化」あるいは「オリエンタリズム」の一語で一刀両断にできてしまうかのように錯覚しがちだ。正直なところ筆者も例外ではなく、まず "The Cosmic Dance" などと題された、サリー・ベインズ『スニーカーを履いたテルプシコール』の中のヘイの項に目を通しただけで、ステレオタイプ的な了解を得て済ませてしまっていた。
 しかし実際にヘイの新作『オー、オー O, O』(2006年1月、ダンスペース・プロジェクト)に立ち会った時、そうしたつまらない先入観は一瞬で消えてしまった。そればかりか、これまで様々な言説によって形作られてきたジャドソン教会派や「ポストモダンダンス」なるもの(=コンセプチュアルな振付)のイメージもまた、実はかなり偏ったものなのではないかとさえ思えてきた。
 五人のダンサーたちが、会場中央の空間に散らばって立っている。身体と空間を意識し、その意識のフォーカスを、軸は保ちながらも漠然と宙に漂わせている感じである。それだけで体から圧倒的な強度がほとばしり出ていて、見ているこちらの体に影響をおよぼしてくる。よくジャドソンについていわれるような「踊らないで、ただ立っているだけ」などといったものでは全然ない。語弊を恐れずにあえていえば、「舞踏」のように、集中度が高いのである。こんな体がアメリカのダンスにあるとは、恥ずかしながら想像すらしなかった。表層的なモダニズムの様式史を前提とした眼差し、あるいは記述言語では、この強度を捉え切ることは全く不可能だろうし、写真どころかヴィデオも大した役には立たないだろう。そこに自分の体をおき、踊り手の体との間に関係を張り渡すことによってしか知覚できない「質」、そういうものがデボラ・ヘイのダンスには強烈にあった。
 作品としては、予め構成と展開が決められてあり、然るべきところで特定のダンサーがキューを出すことにより状況が推移していくタイプのものだ。マスゲームのように隊列を何度も組み替える、舞台の周囲を行進しながらセリフを発する、そこから徐々に手を打ち鳴らしつつ歌へ移行する、あるいは中央にぎっしりと集まって互いに全く異質な振りを踊り続けたりする、などといった単純なシークエンスが、余計な演出効果を排したフラットな空間の中で切れ目なく緩やかに移ろっていく。しかし何といっても、個々の場面より、場面から場面へと移行していく過程が充実している。客観的なきっかけやカウントなどに寄りかからず、ダンサー同士が呼吸で意思をすり合わせて即興的に動く。軽やかに流動する混沌の中で、周囲の気配を見つつ、そっと流れに異物を挿し込んで方向を変える。微かな変化に誰かが反応する。間合いを測りながら合流して行くと、次第に他も同調し始める…。誰しも日常の中で経験している通り、こうして無言のままで「ともに」動くためには互いにチャンネルを合わせる必要がある。しかしチャンネルが合うことより、合わせていく過程におこるブレ、駆け引きを楽しむことをこそ、ヘイは大事にしているように思えた。相手の動きを読み、自らを相手に読ませる情報戦をかいくぐって、一人一人が異なった立ち位置から空間内に一つの、あるいは複数の焦点を生み出しては、また拡散していく。そこには不確かな「意味」の生成と、その束の間の構造化と、繊細な修辞を駆使したスリリングな交渉がある。こうした生きて流れ続ける言語とでもいうべきものを、ヘイは見事に立ち上げる。柔軟かつ鋭敏に動き回るダンサーたちにつられて、見ている方も感覚のアンテナがどんどん研ぎ澄まされていく。
 筆者にとってこの経験は大きかった。例えばジル・ジョンストンが、ヘイの60年代の作品(どちらかというとミニマルな構造が強調された)について、「ある意味では、作品は無味乾燥としているが、しかし別の意味では、多様性に満ち満ちている。例えば、いかに、一見同じことをしている五人の身体があらゆる側面において無限に異なって見えてくるか、ということだ」*1などと書く時、こうした言葉はいかにも理屈っぽく、表層的なものに響くかも知れない。五人が正確に同じことをやれば一人一人の体の差異が浮彫りになる。当然だろう。しかし同時に彼女が、「コンセプトに由来する知的な快楽は、平凡なものの開示(revelations of the ordinary)に巻き込まれることから得られる肉体的な快楽によって補完される」*2とも書き添えていることに注目したい。単に知的に了解されるコンセプトには回収されない、「肉体的な快楽(physical pleasure)」、これは人々がジャドソンや「ポストモダンダンス」を語る時に最も蔑ろにしがちな部分ではないだろうか。しかしジョンストンは確かにそれを知覚していて、その上で先のような分析を加えているのだ。少なくとも筆者は、自分自身の体でヘイを「経験」するまで、このことを確信することができなかった。そして今となっては、ジョンストンの一見理屈っぽい、表層的にも思える文章も少し違った風に読める。彼女が「実際に」何を見て、何を書こうとしたのかが行間に読み取れる気がするからだ。(続く)
---------- *1 Jill Johnston, Marmalade Me, E.P.Dutton, 1971, p.141.
*2 Ibid., pp.140-141.
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『plan B 通信』(2007年7月号) ポストモダンダンスについてのノート(15)
 デボラ・ヘイの『オー、オー(O, O)』(2006年1月、ダンスペース・プロジェクト)からしばらく経ち、たまたま知人とそのことを話す機会があった。彼はNY近郊の大学でダンスを教えたりもしている人だが、ここ最近で何が面白かったかと聞くので、デボラ・ヘイが凄かったと答えると、「えっ…でも、古臭くない?要はコンタクトインプロみたいなもんでしょ」と返事が返って来た。虚を突かれると同時に、少し嬉しくもなってしまった。なぜなら彼もまた、あのダンサーたちの繊細にして濃密な絡み合いを、(コンタクトインプロと同じかどうかはともかく)少なくともジョンストンのいう「肉体的な快楽」、あるいは体と体の間に生まれるエロティックな強度として受け取っていることは確かだったからだ。その上で「古臭い」といっている。ちょっとしたカルチャーショックだった。あるいはむしろ、アメリカのダンスといえば総じて大味で、視覚的なスペクタクルしかないというステレオタイプが覆されたというべきか。ヘイのように、体の内側を深く潜り抜けながら外部と関わろうとするダンスが全く無視されているわけではなかったのだ。
 とはいえ、体の微細な動きや呼吸の表情の変化などに対するこの種の感受性もまた、ドン・マクドナーによれば、ジャドソンによってもたらされた革新の一つだったようである。ジャドソン教会派が出現した当時、「踊り手から自分たち目がけて浴びせかけられるような、ダンスのエネルギーの力強い流れに馴染んでしまっている観客にとっては、一人の男が椅子に座って何か細々したことをしているのを“ダンス”などとよぶのは理解しがたいことだった」。しかしその「細々した」ダンスにおいては、「物理的な静けさというものが、通常なら見過ごされてしまいがちな細部に注意を向けさせる」ことになった*1。
 ヘイは、稽古において「体中の細胞の一つずつが各々の意志で動くのを想像する」という方法を好んでいる*2。これにより「ダンサーは単一のまとまりのある存在だという神話――西洋のダンストレーニングにおける基礎的要素の一つ――の圧制を解除する」のだという*3。つまり身体を、同一性を旨とする古典的な「人間」像から離脱させ、無数の細胞の集積として考えるのである。そして自分の体からフィードバックを受け取り、その為すがままにさせてみる。ヘイが「私の先生は、私の体だ」という所以である*4。ワークショップを受けたダニエル・ゴールドマンは、「心理的なことに捉われていたり、ダンスが、誰かとともに踊ろうとする「個人(individuals=分割不能なもの)」に関わっていたりする時にはしばしば起こるような、自己と他者の間の大きな溝が、細胞の稽古をすることで変わっていく」と語っている*5。『オー、オー』のダンサーたちのあの集中度、そして身体間に走る情報の濃密さは、まさにヘイが長年かけて編み出してきた独自のメソッドによるものなのだ。
 いわゆるモダニズム的な芸術の発展史においては、ジャドソン教会派の実践は既存の体制への「アンチ」の側面ばかりが強調されがちになる。しかしそうした見方は、例えば「日常の身振り」が80年代のヨーロッパのダンスによってスペクタクルに再び統合され、瞬く間に消費されてしまった(初期のローザスなど)後から過去を振り返り、現在までの歴史を無矛盾的に表象するような勝利者史観に陥る危険と裏腹でもある。つまりジャドソンは「日常の身振り」という新しい語彙によって単なる表現語彙の量的拡大に貢献したのだと解釈してしまえば、彼ら彼女らが企図した根本的な反スペクタクルの「革命」的な問題意識をすっかり埋葬してしまうことになる。むしろ、そうではなく、日常生活とあくまで連続した身体の「細々とした」ダンスが生み出す、いわば細部の強度とその政治的なポテンシャルこそ、ジャドソン教会派が発見しつつあったものなのではないか。昨年12月、日本の舞踊学会で「ポストモダンダンス特集」が組まれた際、シンポジウムの席上で厚木凡人氏が「パクストンは巧かった。ただ歩いて来るだけで、最高のグラン・パ・ド・ドゥみたいだった」と証言するのを聞いた時、筆者はやはりそうかと思った。パクストンはダンスを否定するために「歩く」というパフォーマンスをしたのではない。「歩く」ということの中に新しいダンスの可能性を見たのだ。おそらくジャドソンを取り巻く皮相な「アンチ・ダンス」の言説を引き剥がし、理論に基づく否定神学的な革新(一過性のダダイズム)ではなく、繊細な身体的経験の探求としてジャドソン教会派を捉え直せば、現在の日本のダンスに通じるアクチュアリティもますます見えてくるように思える。(続く)
---------- *1 Don McDonagh, The Rise and Fall and Rise of Modern Dance, Revised Ed., a capella books, 1990(1970), pp.205-206. マクドナー自身も、こうした感受性を「東洋」的なもののイメージと結び付けている。禅とハイデガーなどを結びつけて「もの」や「存在」の観照を語る傾向はサリー・ベインズのジャドソン解釈にも見られるが、オリエンタリズム/神秘化と一蹴してしまう前に、そこで語られていることの実質を読もうとすることも時には必要だろう。
*2 ヘイがイメージする細胞の総数は最新の科学データに基づいて絶えず更新されている。1970年には500万個だったが、今では1000兆個といわれている(cf. Susan Leigh Foster, "Foreword" in: Deborah Hay, My Body, the Buddhist, Wesleyan U.P., 2000, p.xii. Danielle Goldman, "Deborah Hay's O, O" in: The Drama Review, 51:2, Summer 2007, p.164.)。抽象的に「無限」といわず、あくまで具体的な数を確保しようとするヘイの努力は、身体イメージの制度性に常に自覚的であろうという姿勢を表している。
*3 Deborah Hay, "Performance as Practice," http://www.deborahhay.com/Performance%20as%20Practice.html
*4 Hay, My Body, the Buddhist, p.xxiii.
*5 Goldman, Ibid., interview with Hay, p.162.
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『plan B 通信』(2007年9月号) ポストモダンダンスについてのノート(16)
 デボラ・ヘイの作品に出演していたミゲール・グティエレスは、DTWで見た彼のソロ『回顧展示する私(Retrospective Exhibitionist)』*1でのあのハイテンションな奇人変人ぶりとはまるで違っていた。空気をじっくりと噛み締めながら、身体と身体のもろい繋がりを壊さないように、関係の網の目を繊細に渡り歩いていく。スタジオで彼のクラスを取っているという人たちも意外そうな顔をしていたが、ともかくこうして、トリシャ・ブラウンが突然乱入(?)してきた『回顧展示する私』に続き、グティエレスの仕事は再び「ポストモダンダンス」との接点をもったことになる。
 そしてさらにこの二ヵ月後、今度はアラン・ビュファール(Alain Buffard)というフランスの振付家の作品『Mauvais Genre』で彼を見ることになった(2006年3月30日~4月2日、ダンスペース・プロジェクト。作品初演は2003年)。出演者はビュファール本人と、ジョン・ジャスパースやDD・ドーヴィリエ、そしてグティエレスなどを含む十数人で、ヘイの時と同じく地元のダンサーが顔を揃えたため話題になっていたが、それよりも筆者の興味をひいたのはビュファールの経歴だった。パンフレットによると、彼は1996年、イヴォンヌ・レイナーが69年に初演して後のグランド・ユニオンの出発点ともなった『継続的な作業――日々改変されつつ(Continuous Project - Altered Daily)』を蘇演し(update)*2、また奨学金を得てアンナ・ハルプリンと仕事をする機会にも恵まれ、また最近ハルプリンを中心に据えた映画『アンナとの昼食(My Lunch with Anna)』を完成させたばかりだというのである。フランスのヌーヴェルダンスが初期の段階でマース・カニンガムから影響を受けたことはよく知られているが、ポストモダンダンスが今日ヨーロッパでこのような受容をされていることは恥ずかしながら知らなかった。
 『Mauvais Genre』(仏語で「悪しき品行」ないし「悪い種」の意)は、蛍光灯に照らされた裸の男女がズラッと並んで現れ、白いパンツを何枚も重ね穿きして身動きが取れなくなったり、何かの薬品の箱を大量にぶちまけたり、チームに分かれて互いの体をぶつけ合いながら即興的に動くといった内容で、正直なところ、毎週のようにDTWやダンスペースでこの種のパフォーマンスに食傷している身にとっては、何か特異なものとして受け止めることは難しかった。とはいえ、ダンス以前の身体を即物的に投げ出してみせようとしているところに、ハルプリンと通じ合うものがないともいえない。
 『ヴィレッジ・ヴォイス』のデボラ・ジョウィットによる公演評は、流石に長年のキャリアのなせる業というべきか、冒頭からハルプリンの『行列と変化(Parades and Changes)』のNY公演(65年)の記憶から説き起こしつつ、『Mauvais Genre』をこの作品へのオマージュと解釈していて興味深い*3。『行列と変化』には、出演者が服を脱いで全裸になってはまた服を着て、再び脱ぐといった行為を反復する場面があり、これが(ハルプリンの地元サンフランシスコでは穏当に受け入れられたのに対し)当時のNYでは大スキャンダルとなったことはしばしば語られる通りだが、ビュファールの作品でも裸体が中心的なテーマになっていることは明らかだ。さらに『行列と変化』の中の、ダンサーたちが床に敷かれた大きな茶色の紙を体に巻きつけて自らを動くオブジェのようにしてしまう場面が、『Mauvais Genre』では足の裏にテープで瘤を括りつけたり、下着で頭をぐるぐる巻きにして巨大なボールにしながらバレエを踊ろうと試みる場面などで反復されている、とジョウィットは指摘する*4。
 では、両者の身体観の差異はどこにあるのか。「ハルプリンは人間の身体を、健康的で美しいもの、見るに値するものであり、それが何らかの理想的なイメージに適合しているかどうかは関係ないのだ、ということを訴えようとした。しかしビュファールは、エイズの流行をみた後のこの時代、そして人々がますます高齢化しているこの時代に、人間の身体のはかなさ、脆弱さをも表現しようとしている」*5。すなわち、ハルプリンにおける裸体が60年代の西海岸における楽天的な自然賛美の象徴だったとすれば、ビュファールにおける裸体はあくまでも人為的な操作と変形を受け容れざるを得ない客体としての側面が強調されているのである。ジョウィットのいうように作品中に現れる大量の薬品箱が抗HIV薬の「レトロビル」であることまでは気づかなかったが、ダンサーたちが前後左右に向きを変えながら静止し、全身を四方から隈なく見せる冒頭場面は確かに「病院の検査室(あるいは刑務所の面通し)」を思わせるし、蛍光灯の冷たい光と清潔な白い下着は近代医学の眼差しのもとに捉えられた身体のイメージを一貫して醸し出している。それゆえダンサーたちが肌と肌で接触しながら戯れる場面も、まるで「ウィルス感染の原因となる性行為を抽象化」したもののように見えてくる、というわけである*6。
 『Mauvais Genre』が、作品としてどこまで成功しているかはさておくとしよう。しかしハルプリンとの参照関係に置くことでこの約40年という時間が可視化されるのだとしたら、この舞台はわれわれの「今ここ」なるものの歴史性を切り開いてみせようとしているのだということはできるだろう。つまりビュファールは、「ポストモダンダンス」が開いた可能性にアクチュアリティを認めつつ、その批評的な乗り越えを自らの課題と捉えているのに違いない。60年代には、身体はひたすら無限に生成発展していく無垢なヴィタリスム的自然として肯定されることができた。しかしそのようにして開かれた身体表現という領域が同時にどのような問題系を俎上に乗せることになったのかは、40年後の今になってようやく語られ得るのかも知れない。人間の身体が、科学的・社会的な言説によって隅々まで浸透され、生と死が観念的に分節化され、表象(イメージ)と実在(リアリティ)が複雑に絡み合う、一つの生政治的な力学の空間であることは、今日ますます逼迫した事実として現れてきている。おそらくはそうした状況への応答として、アメリカでもフランスでも、今まさにポストモダンダンスに新しい照明があてられつつあるのではないだろうか。(続く)
---------- *1 ダンサーとしてのグティエレス自身のアイデンティティ、彼の生きる「今ここ」が、ダンスの歴史=制度によって刺し貫かれているさまを演じてみせる「自伝」的パフォーマンス。本連載(11)・(12)を参照。
*2 後でわかったことだが、これは誤解を招く記述で、『継続的な作業』の蘇演はビュファール単独の企画ではない。これについては改めてふれる。
*3 Deborah Jowitt, Brave Bodies: Visiting choreographer shows us dancers we know in a new and loving light, in: Village Voice, April 6th, 2006. http://www.villagevoice.com/dance/0615,jowitt,72772,14.html
*4 『行列と変化』は記録映像が残っており、内容はほぼ確認できる。
*5 Jowitt, Ibid.
*6 Ibid.
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『plan B 通信』(2007年10月号) ポストモダンダンスについてのノート(17)
 90年代以降のヨーロッパ、とりわけフランスにおけるジャドソンの再評価について少し調べてみる���、前回ふれた、アラン・ビュファールが関わったというレイナー『継続的な作業――日々改変されつつ(Continuous Project - Altered Daily)』の蘇演(1996年)がどうやら一つの重要な契機と見なされているらしいことがわかった。
 R・バートによれば、この『継続的な作業』、およびパクストンの『サティスファイン・ラヴァー』の復元上演は、フランスに拠点をおくアルブレヒト・クヌスト・カルテット(Quatuor Albrecht Knust)によって、アヴィニョン、モントリオール、ストックホルムで行われた*1。この四人組はほかにも20世紀の重要な作品の復元をいくつか行っているのだが、『継続的な作業』の出演者として招かれたダンサーたちの中に、ビュファール、グザヴィエ・ル・ロワ、エマニュエル・ユインなどが含まれていたのである。またこれをきっかけに、ジェローム・ベルやボリス・シャルマッツなどが、レイナーやパクストンと盛んに交流するようにもなったという。
 D・フレタールは、2004年の著書『コンテンポラリーダンス――ダンスとノン・ダンス、25年の歴史』の冒頭で興味深い比較を行っている*2。すなわちジャン=クロード・ガロッタの『ユリシーズ(Ulysse)』(81年)と、ジェローム・ベルの『ジェローム・ベル(Jerome Bel)』(95年)の間に大きな転換を見るのである。ガロッタは、この作品でマース・カニンガム的な抽象から離れ、またネオクラシック流のナラティヴや、アメリカ風のミニマリズムにも別れを告げて、「普通の人々の日々の叙事詩」を語る全く新しい世界を切り開いた。しかしその十数年後、ベルは、いかなる象徴的要素も排除し、自らの名前を表題にもった奇妙な自伝風の作品を作り出す。出演者たちは全裸で、自分の肉をつかんで観察し、個々人の身体的特徴をボードに書き出していくのである。フレタールによれば、この作品によっていわゆる「ノン・ダンス」の流れが始まった。それはあらゆるダンスの構成要素をゼロに戻す試みであり、その意味でまさにジャドソン教会派は、彼ら彼女らにとっての歴史上の「参照項」「イコン」といえるだろう*3。とはいえ、バートにしたがうなら、90年代半ばのヨーロッパでジャドソンがよく知られていたわけではなく、どちらかといえばジャドソンは後から再発見され、徐々に両者をつなぐ文脈が形作られていったようである*4。
 『未完結の自己(Self Unfinished)』(98年初演)などで知られるル・ロワは、ビュファールと並んで、ジャドソンやポストモダンダンスに頻繁に言及している振付家の一人である。彼は63年生まれで、94年に作品を発表し始めているが、『継続的な作業』の復元上演に参加した経験から非常に強い影響を受けているという。「例えば、ダンスという行為は身体や創作過程、そして構成の方法を問い直すのだということ、そしてそれが社会的、政治的な問いや、批評的(批判的)なものの見方に結びつくのだということ。例えば、作業の過程においてであれ上演そのものにおいてであれ、個人の責任や集団の意識が権力やヒエラルキーを超えるのだということ」*5。『継続的な作業』は、振付家とダンサーの間の権力関係、あらかじめ振り付けられた作品とその反復上演などといった因習を疑問視し、特定の中心をもたない集団の即興や、前もって設定されたアルゴリズムによってその都度リアルタイムに生成されるパフォーマンスのあり方を提示したという意味で、ジャドソン教会派の一連の実験の集大成であると同時に、70年代のグランド・ユニオンの出発点ともなった作品だが、こうしてダンスに孕まれる様々な問いに目を開かれたル・ロワは、パフォーマンスの上演を何か完成された「作品」としてではなく、一つの「プロセス」として考える視点を獲得したと語っている。すなわち何らかの具体的な社会的・政治的な現実のただ中においてパフォーマンスは作り出され、そのパフォーマンスがまた社会的・政治的な現実の一部として送り返される。あるいは、個人の身体はある特定の環境の中に生れ落ちているが、同時に、環境の方こそが行為者の身体の延長ともいえる。『未完結の自己』は、奇怪な姿勢やポーズを連続して作り出すことによって、観客がもっている人間の身体のイメージ、というよりむしろ視覚上のゲシュタルト(形)を崩壊させ、「意味」の絶え間ない流動化(=未完結、宙吊り状態)を引き起こすソロ作品である。「人間」の体を、人間ならざる「何か」へと見事にズラしてみせるこの想像力は、大学で分子生物学を専攻したル・ロワならではといえるのかも知れない。
 ル・ロワはギイ・ドゥボールを引用しながら、なぜ学問を離れてダンスに専念するようになったかを説明している。実験室では、成果を証明し、論文として出版するための労働に大半の時間が費やされてしまい、研究は権力や「政治」に振り回され、人間の身体を深く知ることにはほとんどつながらない。ドゥボールのいうように、そこでは産業の論理が支配しているのであり、科学は世界をよりよく知り、改善することではなく、既に起きてしまったことを正当化するための手続きなのだ。だから、考えることを止め、むしろいかにスペクタクルの言説に通暁し、馴れ親しんでいるかが評価の基準となる。こうして彼は科学からダンスへと「逃走」した。「考えることから、肉体的に経験することへ。私の体は行動的かつ生産的なものになり、客体にして主体となり、分析者にして分析対象、生産物にして生産者、となったのだ」*6。自らの身体を提示し、動くということが、具体的な状況に内在しながら、そこに変化をもたらすことになるという意識において、政治と生物学とダンスが結びつく。「いかなる身体イメージも、生産と変容の絶え間ないプロセスにほかならない」以上、身体表現はそこに批判的に介入することができるだろう。ここには、フレタールがいうような既存の「ダンス」の否定としての「ノン・ダンス」という印象は薄い。むしろダンスの歴史との接続を通じて、60年代アメリカの前衛がもっていた社会変革の精神を積極的に受け継ごうとするものだろう。そしてこうしたジャドソン/ポストモダンダンス再評価の動きが、現在も活動している当のレイナーやパクストン、ハルプリン、デボラ・ヘイなどといった人々に、再び刺激を与え始めているようなのである。(続く)
---------- *1 Ramsay Burt, Judson Dance Theater: Performative Traces, Routledge, 2006, p.186. これ以後も各地で上演されている。
*2 Dominique Fretard, Danse contemporaine: Danse et non-Danse, vingt-cinq ans d'histoires, Edition Cercle d'art, 2004, pp.9-12.
*3 Ibid., p.93.
*4 Burt, Ibid., p.195. なお2002年には、サリー・ベインズの Terpsichore in Sneakers の仏語訳が出ている。
*5 Xavier Le Roy, "Un prodotto delle circostanze," in: Silvia Fanti/Xing, Corpo sottile: Uno sguardo sulla nuova coreografia europea, Ubulibri, 2003, p.78.
*6 Ibid., p.75.
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『plan B 通信』(2007年11月号) ポストモダンダンスについてのノート(18)
 去る10月7日、世田谷パブリックシアターで、トゥールーズ振付開発センターのディレクター、アニー・ボジニ(Annie Bozzini)氏が「コンテンポラリーダンスの源を探る――ポスト・モダンダンスの流れから」と題するレクチャーを行った。ちょうど本連載でもフランスでのポストモダンダンス再評価の動向を扱っているところで、これはタイムリーだと思ったのだが、フタを開けてみると意外な内容だった。ボジニ氏のレクチャーは、ヨーロッパにおけるポストモダンダンスの受容についてではなく、レイナーの『トリオA』の解説と、実際に振付の一部をさらう簡単なワークショップで構成されていたのである。解説自体は、サリー・ベインズおよびレイナーのテクストに基づく「正統的」なもので、広く流布しているレイナー本人による映像記録(78年)を流しながら、手際よく要点が押さえられていたが、フランスの国立機関のディレクターが60年代アメリカのダンスを2007年の日本で紹介している、ということの奇妙さに当惑したのは筆者ひとりではなかったろう。どのような意味でこれが「コンテンポラリーダンスの源」なのか、フランスではどんな文脈でポストモダンダンスが再評価されているのか――楽屋まで押しかけて聞いてみたが、はっきりした答えは返って来ない。ベルや、ビュファール、ル・ロワのような、熱烈なポストモダンダンス支持派の作家たちに直接聞いてみてほしいといって、ボジニ氏は彼らのメールアドレスを後日送ってくれた(そのメールでのインタヴューをここに載せられればよかったが、今回は間に合わなかった)。
 しかしこのことは、むしろ積極的に受け取ってみたいと思う。つまりヨーロッパのコンセプチュアルな振付家たちの作業は今まさに進行中であり、明解に定式化できる段階ではないのだ、と。たとえ一つのムードのようなものなのかも知れないとしても、彼らが60年代アメリカを参照しながら「ポストモダン」的な批評性をダンスに持ち込み、身体を通じて現在の世界の状況に応答しようとしている事実は確かなのだ。
 イギリスのパフォーマンス研究者、ラムゼイ・バートは、06年の著作『ジャドソン・ダンス・シアター――パフォーマティヴな軌跡』の中で、ジャドソンをめぐる昨今のアメリカとヨーロッパの状況に一章を割いている。バートの議論が興味深いのは、ジャドソンをめぐる多様な言説や実践の中に、アメリカと、特にフランスという場所の地政学を読み込んでいる点だろう。彼によれば、アメリカではジャドソンは偉大な「正典(canon)」として祭り上げられる傾向にあるのに対し、ヨーロッパではそれはさらなる生産や変形へと開かれた「アーカイヴ(archive)」として使用される*1。そしてこの図式は、冷戦崩壊後のアメリカ新保守主義や新自由主義をめぐる闘争と密接に関わっているのではないか、というのである。
 アメリカでは、ジャドソン派の復元上演はしばしば行われているが、中でも2000年にミハイル・バリシニコフが企画した「PASTForward」は規模が大きく、注目を集めた。レイナー、パクストン、ゴードン、ブラウン、フォルティ、D・ヘイ、チャイルズの諸作と、いくつかの新作も上演されたのだが、各作品の冒頭には、舞台奥に振付家の名前が大写しにされ、バリシニコフのナレーションのついた短いドキュメンタリー映像が流れる。記録写真やフィルム、インタヴューからなるそれは、まるで伝説のスターを迎える華やかな儀式のようで、ジャドソンの精神からは最も遠いものといえるだろう(筆者は01年のNY公演の記録映像を見た。会場は Brooklyn Academy of Music の大劇場である)。バートはいう、「仮に人々がジャドソンを一つの正典とは見なしていなかったとしても、「PASTForward」は、そうすべきである、と示唆した」(p.191)。
 パリの劇場MC93(ボビニー)では、たまたまパクストンの『フラット Flat』を踊るバリシニコフと、パクストン自身によるそれを見比べる機会があったという。この作品は、ゆっくりと椅子の周囲を回って歩きながら、服や靴を脱いでいく中に、唐突かつ不規則な静止が挿入されて、時間の自然な流れを寸断してみせるソロだが、バリシニコフの踊り方は、バートによれば80年代のパクストンのそれに近く、上演時間は11分だった。しかし他方のパクストンは、この時、倍以上の25分をかけて踊った。その「特異な集中度」こそは80年代末以降の彼の特徴で、パクストンのあらゆる動きは「ますます小さな断片へと分割されており、それぞれが解析され、ごく精密な細部に富み」、それゆえ「突然の鋭い停止は、ますます予測不能で、しかも長々としたものになっている」(p.192)。おそらくバリシニコフにとって、ジャドソンとは今もバレエに対するアンチテーゼであり続けており(または、そのようなものでしかなく)、だからこそ60年代の革命的な作品を、時間を超えた不変の「正典」、ないし「古典」と見なすことができる。ところがパクストンにおいては、身体の革命は現在も進行中であり、作品もまた止まることなく変容し、深化し続けているのである。
 言説の上でも、ジャドソンを「もはや何もかもがダンスになり得る」という究極的な事態の到来、すなわちダンス史の終点と見なし、それをヘーゲル流の「芸術の終焉」に重ね合わせるノエル・キャロルのような見解がある*2。実は、これは美術の文脈においてポップアートをめぐるアーサー・ダントの90年代の議論をそのままなぞったものなのだが、バートの議論にしたがえば、いずれにせよ冷戦以後のアメリカでこうした主張が現われてくるのは、F・フクヤマに代表される自由民主主義の保守反動的な勝利者史観と完全に軌を一にしている。制限なき「自由」がついに勝利し、歴史の発展は終わった、とする観念が、むしろ一定の権力構造を覆し難くし、様々な抑圧や不平等を隠蔽するイデオロギーとして作用してしまったのと同様に、60年代の政治的・社会的状況の中での絶えざる闘争プロセスとしてのジャドソンを完成された「古典」として美学化することもまた、それ自体への裏切りとなる。
 これに対し、ベルやル・ロワなどヨーロッパの振付家たちの姿勢は異なっている。彼らにとってジャドソンはあくまでも「周縁的かつ破壊的」なものなのであり、70~80年代のヨーロッパのダンスの因習を「撹乱し、転覆しようとする彼らの企図にとって有効な」参照項なのである(p.195)。ジャドソンと彼らの関係を、バートは、アメリカ独立革命とフランス革命のそれになぞらえている。(続く)
---------- *1 Ramsay Burt, Judson Dance Theater: Performative Traces, Routledge, 2006, p.188.
*2 Noel Carroll, The Philosophy of Art History, Dance, and the 1960s, in: Sally Banes ed., Reinventing Dance in the 1960s: Everything was Possible, The University of Wisconsin Press, 2003.
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『plan B 通信』(2007年12月号) ポストモダンダンスについてのノート(19)
 約一年半にわたって、ジャドソン教会派とその後の展開を、60年代から現在へ、そしてNYからヨーロッパへとたどってきたこの連載は、今回で一応の区切りを迎える。そもそもの狙いは、「ポストモダンダンス」と日本のコンテンポラリーダンスの近さを念頭に置きつつ、筆者にとっての「今ここ」を分析する切り口を得たい、というところにあった。最後にこの点にふれて、とりあえずのまとめにしようと思う。
 第一回で筆者は、ジャドソン教会派およびポストモダンダンスが「ダンスをエリート主義的な芸術の枠組から解放し、人々の日常生活との新しい関係の中に置こうとした」ことと関連させながら、近年の日本のコンテンポラリーダンスを「特定のディシプリンによって鍛え上げられた身体から、誰もがそれぞれに所有している「日常の身体」へ、そしてスペクタクル(視覚性)の芸術から、身体と身体の関係の芸術へ」という形で定義してみた。「自然な」動きや「日常的な」身体、タスク・ムーヴメント、ゲーム構造による「振付」、コンタクト・インプロヴィゼーション(CI)などといったポストモダンダンス的なアイディアが、(奇妙にも)現在の日本のダンスの中に再び現れていることは明らかな事実だ。ではなぜ、あたかも60年代のアメリカから00年代の日本へと螺旋を描くようにして「反スペクタクル」は回帰しているのか。これをどう解釈すればいいのか。
 確かに、ジャドソン教会派は、超越的な権力やスペクタクルを批判し、ダンスをそれまでのエリート主義的なモダンダンスから解放して、人々の日常の身体に取り返そうとした。しかしながら、後にこうした実践がいとも簡単に「反スペクタクル」という名のスペクタクルへと回収されてしまったように、それ自体の中に根本的な矛盾を含んでもいた。つまりジャドソンの脱エリート主義は、まぎれもない知的エリートたちによる前衛的身振りだったのである*1。いいかえれば彼ら彼女らは、生活からもスペクタクルからも隔たった前衛芸術という「外部」に超然と立ちながら、それを攻撃することができた。
 これに対し、00年代の日本のダンスは、いかにジャドソンに似ていようとも、ジャドソンのような前衛的な思想性を欠いているようにみえる。例えば、日本のダンスにおける「日常の身体」の発見は、必ずしもスペクタクルへの反抗として熱烈に主張されたのではなかった。むしろ、冷戦以後のポストコロニアリズムや、90年代後半以降の不況の長期化、そして95年の地下鉄サリン事件や震災に象徴される、セキュリティ意識と公共圏の変容、こうした一連の社会状況の変化の中で、能動的な異議申し立てというよりも受動的な症候として、小さな日常の身体が注目されるに至ったというのが実情であるだろう*2。つまりダンスはもはや、状況の「外部」に立ってもいなければ、「外部」へ向かって突き抜けようともしていない。しかしそれは、逆にいえば、単純な意味での「内部」へと意識的に撤退する(引きこもる)ということとも違うのではないか。
 つまり、ジャドソンの時代からはるかに遠く進行したグローバル資本主義と、メディア環境とによって、もはや内部と外部、日常とスペクタクルの関係は、容易に区別できないほど絡まり合い、溶け合ってしまっているのである。生の隅々まで浸透した資本の流動の中で、身体は不断に生政治的な力学に貫かれている。したがって日本のコンテンポラリーダンスの身体は、きわめて個人的な領域に閉じているようにみえながら、同時に、社会へとさらされ、他の身体と直に連続した一つのネットワーク(網状組織)と考えられるべきなのだ*3。
 ジャドソンがスペクタクルを攻撃する基盤は、ヒューマニズムだった*4。彼ら彼女らにとって、日常の身体とは「人間」であり、イメージや記号ではない自然な生の「現実」だった。そこでは、映像と混じり合って見分けのつかなくなった身体や、特定の信号への動物的な反応のみで生きる身体、複数のアイデンティティを重層させて生きる身体、売買(交換)可能な諸部分からなる身体などは、想像されなかった。しかし今やこうして、スペクタクル(資本)と身体は互いに融合することによって生きている。ならば身体の運動は、個人や人間のスケールを超えた、様々な力の線によって分析することが可能であり、また必要でもあるだろう。そしてこのことは、とりもなおさず、小さな個人の身体のスケールから大きな資本や政治の力学と向き合うという、新たな可能性を示唆してもいるのである。
 00年代の日本のダンスは、スペクタクルを拒絶して身体の疎外を回復するといったことにもはや意味を見出すことはできないだろう。そうではなく、資本と身体とが一元化された平面に内在しながら、どれだけ動くことができるかなのだ。アントニオ・ネグリが、フーコーを踏まえながらいうように、「資本のもとへの社会の実質的包摂」は不可避的に「自由の生起と増殖」「主体性の生産」を含み込む。逆説的にも、「資本が生全体を覆い尽くすようになるとき、生は抵抗となって現れる」*5。したがって問題はもはや矛盾の「超克」ではなく、「現存するものごとの状態を変容させる能力をもった実践的緊張」*6、すなわち「強度」なのである。
 さて2005年10月から2006年4月までの七ヶ月間、NYに滞在した後、筆者個人としては現在、アジアに目を向けている。戦後からバブルへと至る経済発展を経た後の00年代の日本の身体を考えるにあたって、欧米と日本の関係のみではなく、欧米と日本とアジアの三極構造を前提とすることが不可欠だと考えたからである。徐々にではあるが、マクロな政治経済の枠組と、身体のミクロな運動との交錯をつかまえる視点が自分の中に生まれつつある。ジャドソンを知ること��、よもやこんなところへ繋がっていくとは思ってもみなかったが、この線をたどって行った先に見えてきたものを、いずれまた報告することができればと思っている。
* 最後に改めて、NY滞在を可能にしてくれたアジアン・カルチュラル・カウンシル、そして編集を担当してくださった斎藤朋さんに、感謝します。
---------- *1 もちろんイヴォンヌ・レイナーはその筆頭だが、ジャドソン教会派の多くが、当時の多くのダンサーとは異なり、大学出身者だったことを指摘する論者は多い。何よりも彼ら彼女らは、「理論」に通暁しており、しばしばテクストを書いて論陣を張った。
*2 この点について詳しくは拙稿「反スペクタクルと無意味の狭間――二〇〇六年のダンスの状況」(『シアターアーツ』30号)、およびアデリーナ・ラ・スカレイアとの対談「社会の中の生、身体、ダンス――イタリアと日本のコンテンポラリーダンスをめぐって」(同33号、近刊)を参照されたい。
*3 類似した状況は、他のジャンルにおいても多少の時差を伴いながら共有されており、典型的な議論は出揃っている。建築批評の飯島洋一は、大きな物語へのアレルギーを示して歴史から逃避する「アンチ・モニュメント」な建築、意識的に行われる「ダメ建築」を、虚無的な些末主義への開き直りとして激しく批判し、アウシュヴィッツから9・11までに至る「大きな物語」の圧倒的な悲劇性をあくまでも対置する(飯島洋一「ユニット派批判」および「反フラット論」、『現代建築・テロ以前/以後』、青土社、2002年、所収)。他方、美術批評の松井みどりは、シチュアシオニスムを踏まえた「マイクロポップ」論によって、スペクタクル批判を素朴な日常性や主観性の讃美へと着地させようとする(松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』、パルコ、2007年)。両者とも、立場は対照的ではあるが、日常とスペクタクルを弁別可能な二項として対立させる点では変わらないように思われる。
*4 本連載(6)参照。
*5 アントニオ・ネグリ「新しいフーコー」、『〈帝国〉的ポスト近代の政治哲学』、ちくま学芸文庫、2007年、154頁。
*6 アントニオ・ネグリ「ポスト近代か、同時代性か?」、前掲書、174頁。
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kusanotakashi · 7 years
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北九州出身てどげな人がおるか? まとめてみた
君も彼らを超えてみるか? その可能は大だ なして?て 北九州んもんやろうがね!
政治・軍事 国会議員・現職 * 高木美智代 (衆議院議員) * 野田聖子 (衆議院議員。元郵政大臣、元岐阜県議会議員) * 杉尾秀哉(参議院議員。元TBSテレビ記者) * 仁比聡平(参議院議員。弁護士) 国会議員経験者 * 自見庄三郎 (衆議院・参議院。郵政大臣、内閣府金融担当特命担当大臣を歴任。医師) * 弘友和夫(衆議院・参議院) * 末松義規 (衆議院。外務官僚出身) * 東順治 (衆議院) * 城井崇 (衆議院) * 緒方林太郎(衆議院。外務官僚出身)八幡西区���身 首長 * 舛添要一 (前東京都知事。前参議院議員。元厚生労働大臣、国際政治学者)八幡東区出身 * 麻生渡 (前福岡県知事、前全国知事会会長) * 亀井光 (元福岡県知事) 裁判官 * 高橋久子 (元内閣審議官・労働省婦人少年局長・女性初の最高裁判事) 軍人 * 杉山元 (元陸軍大臣、参謀総長) * 板倉光馬 (元海軍中佐、海上自衛隊幕僚総監部、戦記作家) * 奥保鞏 (元元帥陸軍大将伯爵) 金融 * 白川方明(元日本銀行総裁) 政治活動家 * 桜井誠(『在日特権を許さない市民の会』会長)
実業 * 大前研一 (経済評論家) * 高原正雄(いすゞ自動車理事、一般社団法人明専会会長、全日本学生フォーミュラ大会元委員長) * 福地茂雄(NHK会長、元アサヒビール相談役、会長):戸畑区 * 村井勉(元アサヒビール社長、元西日本旅客鉄道会長) * 吉田秀雄(元電通社長) * 利島康司 (北九州商工会議所会頭、元安川電機会長、社長、JR九州取締役) ☆小南孝教 (元神戸製鋼副社長、神鋼鋼線工業社長)同級生の兄 ☆大庭雅志(元東京海上日動副社長)同級生
学者 * 杉崎光世 (法学者・九州国際大学名誉教授) * 藤田哲也 (竜巻研究の第一人者) * 中島義道 (哲学者) * 高橋和夫 (国際政治学者)
医師 *福島孝徳 (脳神経外科 新門司病院) *延吉正清 (循環器科、心臓外科 小倉記念病院 )退任 *田中恩 (産婦人科 セントマザー病院) *市川光太郎 (小児科 救急科 市立八幡病院) *川原尚行 (スーダン・東日本震災支援医療 NPOロシナンテス)
文化 * 津村禮次郎(能楽師、人間国宝) * 山田稔 (小説家、フランス文学者) * 左方郁子 (小説家) * 火野葦平 (小説家) * 岩下俊作 (小説家) * 劉寒吉 (小説家) * 佐木隆三(小説家) * 末永直海 (小説家) * 鶴田知也 (小説家) * 佐伯泰英 (小説家) * 一条真也 (作家) * 伊馬春部 (作家・日本初のテレビドラマの脚本を担当した) * 加納朋子 (推理作家) * 立石泰則 (ノンフィクション作家、ジャーナリスト) * 宗左近(詩人) * 高橋睦郎 (詩人) * 平出隆 (詩人) * 笠青峰 (日本画家) * 北条司 (漫画家) * 星里もちる (漫画家) * 鈴宮和由 (漫画家) * 山口かつみ (漫画家) * 前川涼 (漫画家) * 篠塚ひろむ (漫画家) * 谷村ひとし (漫画家・パチンコ評論家) * 萩岩睦美 (漫画家) * 山口美由紀 (漫画家) * 畑中純 (漫画家) * 井上正治 (漫画家) * すえのぶけいこ (漫画家) * 中島史雄 (漫画家) * 藤原ここあ (漫画家) * 原徹 (アニメプロデューサー) * リリー・フランキー(イラストレーター) * サイトウマコト (イラストレーター) * 石橋謙一 (イラストレーター、ボックスアーティスト) * 横山宏 (イラストレーター) * 藤原新也 (写真家) * 小倉朗 (作曲家) * 和田直也 (作曲家) * 畑中良輔 (バリトン歌手、指揮者、音楽評論家) * 大野徹也 (テノール、オペラ歌手) * 川口ヱリサ (ヴァイオリニスト) * 篠崎史紀(ヴァイオリニスト) * 南紫音 (ヴァイオリニスト) * 桂英昭 (建築家) * 大竹英雄 (囲碁棋士、名誉碁聖) * 森下卓 (将棋棋士) * 中村正三郎(プログラマー、コンピュータ評論家)
芸能 俳優 * 秋本祐希(女優) * 鮎川陽子 (モデル、女優) * 天本英世 (俳優) * 板谷由夏 (女優) * 伊原剛志 (俳優) * 榎木智一 (俳優) * 草刈正雄 (俳優) * 早乙女太一 (俳優) * 鈴木浩介 (俳優) * つるの剛士 (俳優、タレント、歌手、ミュージシャン) * 富永研司 (スーツアクター、アクション俳優) * 内藤武敏 (俳優) * 中村有志 (俳優) * 野間口徹 (俳優) * 萩尾みどり (女優) * 林美穂 (女優) * 原田佳奈 (女優) * 深見亮介 (俳優) * 藤本隆宏 (俳優、元競泳オリンピック代表) * ふとがね金太 (ナレーター、俳優、ミュージシャン) * 細川俊之 (俳優) * 松尾スズキ (劇作家、映画監督、俳優) * 光石研 (俳優) * 森田順平 (俳優、声優) * 横内正 (俳優) * キタキュウマン (ご当地ヒーロー 滝夕輝) 歌手・ミュージシャン * 広石武彦 (元UP-BEATヴォーカル) * 175R (ロックバンド) * SHOGO (ショーゴ) - ヴォーカル * ISAKICK (イサキック) - ベース * KAZYA (カズヤ) - ギター * YOSHIAKI (ヨシアキ) - ドラム * 岩坂士京(シンガーソングライター) * 城戸けんじろ (元ジャパハリネット) * 梅田彩佳 (NMB48チームBII副キャプテン):2011年市長選挙イメージキャラクター * 大内義昭 (歌手、作曲家) * 葛城哲哉 (ミュージシャン) * 川崎真弘 (ミュージシャン、作曲家) * キミーブラウニー (ミュージシャン、お笑いタレント) * キハラ龍太郎 (元ブルー・トニック、ORIGINAL LOVE) * 荒神直規(Naifu、元ELF) * 香田晋 (演歌歌手) * 小久保淳平(シンガーソングライター) * シーナ(シーナ&ザ・ロケッツボーカル) * 塩ノ谷早耶香(歌手) * 清水健太郎 (元歌手、タレント) * 千里愛風(歌手) * CHAGE(シンガーソングライター、CHAGE and ASKA) * 高城亜樹 (AKB48チームB) * 冨永裕輔(シンガーソングライター) * 中尾ミエ (歌手) * NEW DOBB(ロックバンド。現在は解散) * HIDE (元crossfm DJ、現 ミーナ&ザ・グライダー)倉掛英彰(作曲家) * Dobb (元crossfm DJ)倉掛信彰 * 野中美郷(元AKB48)※出生地 * 野見山正貴 (ミュージシャン) * 葉月 (歌手、SEED) * Waka(ワカ・フルート担当) * Mariko(マリコ・チェロ担当) * 藤井一子 (元歌手) * 藤田大吾(ミュージシャン、alütoボーカル) * 藤弥美里 (歌手) * 宮本一粋 (歌手・二千花ボーカル) * 山下祐樹(ミュージシャン、ラムジボーカル) * 山本リンダ (歌手) * yu〜ki (ロックバンド、MALICE MIZERのベーシスト) * ルースターズ (ロックバンド、現在は解散) * 大江慎也 - ボーカル&ギター * 花田裕之 - ギター * 井上富雄 - ベース * 池畑潤二-ドラム 声優 * うえだゆうじ (声優) * 内海賢二 (声優) * 置鮎龍太郎 (声優) * 加藤正之 (声優) * 川原和久 (俳優、声優) * 佐藤利奈 (声優) * 中原麻衣 (声優) 映画監督 * 青山真治 (映画監督) * タナダユキ (映画監督) * 平山秀幸 (映画監督) * 吉田啓一郎 (映画監督、テレビ演出家) お笑いタレント * 秋山竜次 (ロバートメンバー、お笑いタレント) * 芋洗坂係長(小浦一優) (お笑いタレント) * 井上虫歯二本 (お笑いタレント) * 桑原和男 (喜劇俳優) * ゴン(ビックスモールンメンバー、お笑いタレント) * なかやまきんに君 (お笑いタレント) * 馬場裕之 (ロバートメンバー、お笑いタレント) * 原口あきまさ (お笑いタレント) * 山本高広 (お笑いタレント) * 渡邊孝平 (クロスバー直撃) その他 * 朝本浩文 (音楽プロデューサー、アレンジャー、DJ) * 鬼橋美智子 (ラジオパーソナリティ、タレント) * 紗綾 (入江紗綾)(グラビアアイドル) * 椎葉ユウ (タレント、ラジオパーソナリティ) * 白石さおり (タレント、ミスコン53冠女王) * 申徹也(しん てつや・ラジオパーソナリティ、タレント) * 高城樹衣 (タレント、Girl<s>ACTRY、高城亜樹(歌手・ミュージシャンの項参照)の姉) * 橘家蔵之助 (落語家・2代目) * 林家きく麿 (落語家) * 立山律子 (DJ、ローカルタレント) * F.King Toggy (DJ、パーソナリティ、ローカルタレント、ミュージシャン) * 原田大三郎 (CG作家、多摩美術大学教授) * 米岡誠一 (タレント、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン)
スポーツ * 今浪隆博 (プロ野球選手、日本ハム→ヤクルト) * 柴原洋 (元プロ野球選手、ソフトバンク) * 柴田講平 (プロ野球選手、阪神) * 中田賢一 (プロ野球選手、中日→ソフトバンク) * 日高剛 (プロ野球選手、阪神) * 山本和範 (元プロ野球選手、近鉄→南海・ダイエー→近鉄) * 小関翔太(プロ野球選手、楽天) * 松永浩美 (元プロ野球選手、阪急・オリックス→阪神→ダイエー) * 安田猛 (元プロ野球選手、ヤクルト) * 奥宮種男 (元プロ野球選手) * 楠城徹 (元プロ野球選手) * 清家政和 (元プロ野球選手) * 宅和本司 (元プロ野球選手) * 森下整鎮 (元プロ野球選手) * 外園正 (元プロ野球選手) * 森博幸 (元プロ野球選手) * 高信二 (元プロ野球選手、現広島コーチ) * 溝口大樹 (元プロ野球選手、ソフトバンク元投手) * 森山良二 (元プロ野球選手、現楽天コーチ) * 敷田直人 (プロ野球審判員) * 松永怜一 (アマチュア野球の指導者) * 本田泰人 (元サッカー選手、鹿島アントラーズ) * 本山雅志 (サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 平山相太 (サッカー選手、FC東京、U-22日本代表) * 三好拓児 (元サッカー選手、FC琉球) * 池元友樹 (サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 重光貴葵 (元サッカー選手、ギラヴァンツ北九州) * 山形辰徳 (サッカー選手、栃木SC) * 千疋美徳 (元サッカー選手、前ニューウェーブ北九州監督) * 柴田華絵 (女子サッカー選手、浦和レッズレディース) * 鹿毛誠一郎 (元プロバスケットボール選手) * 川面剛 (元プロバスケットボール選手) * 藤原隆充 (プロバスケットボール選手、bjリーグ・滋賀レイクスターズ所属) * 鬼塚勝也 (元プロボクサー、WBAジュニアバンタム級チャンピオン) * 白石豊土(プロボクサー) * 箕内拓郎 (ラグビー日本代表主将) * 竹下佳江 (バレーボール選手、日本代表) * 河村めぐみ (元バレーボール選手・モデル) * 江藤直美 (バレーボール選手) * 長田力(プロゴルファー・元日本プロゴルフ協会会長) * 一丸尚伍(自転車競技選手) * 吉岡稔真 (元競輪選手、競輪学校65期) * 北津留翼 (競輪選手、自転車競技選手、競輪学校90期) * 森美紀 (女子競輪選手、競輪学校102期) * 植木通彦 (元競艇選手、登録番号3285番) * 高野拳磁 (プロレスラー) * 浪口修 (プロレスラー) * 渕正信 (プロレスラー) * デビル雅美(女子プロレスラー) * 大潮憲司 (大相撲力士、元小結、元式秀親方) * 小役丸勇走 (大相撲力士、元十両) * 豊ノ花光義 (大相撲力士、元十両) * 春日洋光二 (大相撲力士、元十両) * 山岸二郎 (テニス選手) * 福井烈 (元テニス選手、JOC委員) * 君原健二(マラソン選手、メキシコオリンピック銀メダリスト) * 金哲彦 (元マラソン選手) * 岸川聖也(卓球選手、北京五輪日本代表) * 北畠紗代子(アーチェリー選手、北京五輪日本代表) * 村田愛里咲(モーグル選手、バンクーバー五輪・ソチ五輪日本代表) * 浜中俊 - 競馬騎手(日本中央競馬会所属) * 山下健夫(エベレスト登山家) * 山本浩之(車いす陸上競技) * 廣重毅 (空手家) * 内村航平 (体操選手)
マスコミ * 原田徹 (NHKアナウンサー) * 有馬幸恵 (NHK北九州放送局契約キャスター) * 池内博子 (山口放送アナウンサー) * 池尻和佳子 (RKB毎日放送アナウンサー) * 猪原智紀 (NHKアナウンサー) * 岩元良介 (NHK福岡放送局アナウンサー) * 上田早苗 (NHKアナウンサー) * 江崎裕子 (福岡放送契約アナウンサー) * 小川真人 (元テレビ埼玉、熊本県民テレビアナウンサー) * 川上一夫 (テレビドラマプロデューサー) * 坤徳ひとみ (元RSK山陽放送アナウンサー) * 佐々木正洋(テレビ朝日アナウンサー) * 佐藤征一 (元テレビ西日本アナウンサー) * 塩田真弓(テレビ東京記者、元アナウンサー) * 重松亜紀 (元NHK北九州放送局キャスター) * 武内裕之 (KBC九州朝日放送アナウンサー) * 竹林紀雄 (映像作家、テレビプロデューサー、文教大学准教授) * 田尻敏明 (フリーアナウンサー、ナレーター、ローカルタレント) * 田畑竜介 (RKB毎日放送アナウンサー) * 中野謙吾 (日本テレビアナウンサー) * 西口久美子 (NHK福岡放送局キャスター) * 野田真外 (映像演出家) * 本名正憲 (中国放送アナウンサー) * 宮本隆治 (フリーアナウンサー、元NHK) * 室田智美 (STVラジオパーソナリティ、所属は札幌テレビ放送) * 室屋典子 (TNCテレビ西日本キャスター) * 安田瑞代 (RKB毎日放送アナウンサー) * 山縣慎司 (元フジテレビプロデューサー) * 山下末則 (元日本テレビアナウンサー) * 山下奈緒美 (RKB毎日放送アナウンサー) * 山本耕一 (KBC九州朝日放送お天気キャスター、元テレビ長崎アナウンサー) * 山本剛士 (ニッポン放送アナウンサー) * 吉松孝 (元TVQ九州放送アナウンサー、現在フリー) * 吉永真樹 (熊本県民テレビアナウンサー) * 伊藤薫平 (静岡第一テレビアナウンサー、元テレビ高知アナウンサー) ゆかりのある人物 * 安川敬一郎 (政治家、実業家) 福岡市中央区出身 設立した企業 安川電機、黒崎窯業、若松築港、明治コンサルタント、九州製鋼→後の八幡製鐵所、九州鉄道、 設立した学校 明治専門学校→後の九州工業大学、明治学園小、中、高校 * 出光佐三 実業家 赤間出身 (出光興産創業者、貴族院多額納税議員) * 大迫忍 (実業家)大分出身 父の善隣を拡大、カーナビ、GPSへの道筋、北九州空港実現、スターフライヤー誘致に尽力 *森鴎外 (小説家、医師、翻訳家) 津和野出身 1899に陸軍軍医長として小倉に左遷、後の軍医トップの座を固める素地つくり * 松本清張 (小説家)広島市で生まれ幼少期を下関市で育ち11歳頃以降小倉で育つ。 * 松本零士 (漫画家)久留米市生まれ * 高倉健 (俳優) 中間出身 東筑高校卒 任侠からシリアスな演技で国民的なスター * Vanilla Mood(クラシカルバンド)※4人中2人が���九州市出身 * 永井謙佑 (サッカー選手、名古屋グランパス、広州アジア大会サッカー日本代表):広島県福山市生まれ、ブラジル在住を経て8歳から18歳まで市内在住 * 田村貴昭 (衆議院議員)大阪府生まれ、北九州市立大学卒業後北九州市議会議員を務めた。 * 末吉興一 (前北九州市長、元内閣官房参与)兵庫県生まれ、大分育ち * わたせせいぞう(漫画家)兵庫県神戸市生まれ。幼少期より高校まで北九州市で育つ * 仰木彬 (プロ野球監督 解説者)中間生まれ 東筑高 西鉄 近鉄 オリックス * 平野啓一郎 (小説家)愛知県蒲郡市生まれ。幼少期より18才まで北九州市で育つ * 村野藤吾 (建築家)佐賀県唐津市生まれ * 横内謙介(脚本家、演出家、「扉座」主宰)東京生まれ * 小林千登勢 (女優)京城生まれ、東京育ち。引揚げ地が八幡市 大庭久美子(元バスケ選手《DENSO》)折尾中学校出
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rikuyoshizawa · 2 years
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ボクシング&スポーツジムBMC https://bmc2007.com 子ども体操教室で行なっているリズム運動のハウツー動画をYouTubeにアップしています。 BMCのブログからもご覧いただけます。 #リズム感 #リズム体操 #リズム運動 #運動能力を工事させるにはリズム感は必要  #子ども体操教室水曜日16時から16時45分 #跳び箱 #バク転 #尼崎バク転 #武庫之荘バク転 #bmc子ども体操教室 #子供の運動能力開発 #iqを上げるには運動 #尼崎体操教室 #武庫之荘体操教室 #武庫町体操教室 #武庫川体操教室 #尼宝線体操教室 #尼崎 #武庫之荘 (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/Cg88E5triJv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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