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#世界点字デー
herbiemikeadamski · 1 year
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月4日(水) #赤口(壬戌) 旧暦 12/13 月齢 11.7 年始から4日目に当たり、年末まであと361日(閏年では362日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 玄関は毎日の様に出入りを繰り返し て外と家をつなぐ大事な場所です。 その玄関を汚したり、荷物を多く 置いたりすると運気が下がります ので注意です。 物置きがあればそこに、玄関以外 に置き場所がない場合は下駄箱に 収納して、たたきに出しっぱなし にするのはやめましょう。 玄関に置くと悪い運気を招いてし まうことになるため、もし東北に 玄関がある場合は、できるだけ✋ 緩和する対策が必要になります。 玄関から家の中が丸見えなのは、 防犯上もよくありません。 観葉植物や家具などを置いて、 家の中が見えない工夫をしてお きましょう。 水や泥で汚れたままのマットや、 変な臭いがするマットなどを玄関 に置いておくのは運気的に避けた いので常に清潔に心が大事です。 今朝は、玄関についての大切な 心がけを勉強しました🤣😆🤣 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #石の日(#ストーンズデー).  「い(1)し(4)」の語呂合わせから記念日とされています。 制定した団体や目的については定かではない。 「ストーンズデー」ともされる。  この日にお地蔵様・狛犬・墓石など、石でできたものに触れながら願いをかけると、その願いがかなうという言い伝えがあります。  昔から石には不思議な力があると信じられており、願掛けの対象になっています。 . . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごと では次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。  この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #月徳日(ゲツトクビ).  家の建築やリフォーム、土を動かすことが良いとされる吉日です。  その月の徳神様が降りてきている日。  特に家の増改築や土に関することには吉日とされる。   . #八専間日(ハッセンマビ). 干と支の性質が同じ組み合わせの多い期間のことですが、八専間日は八専の期間中に干と支の性質の組み合わせが同じでない日。 八専は凶日ですが、間日は凶日ではないとされています。 . . #国際電話開通記念日. 1948年に日本とアメリカの間で国際電話が開通。  当時の国際電話は、受付窓口に電話をか け、かけたい相手の電話番号を伝えてつないでもらう「交換台経由接続」の形式でした。   .  国際電話(こくさいでんわ)とは、国外との間で電話による通話を行う事。 国内通話でも、海外を経由した通話もこれに含まれる。 特に携帯電話にかける場合、アクセスチャージの内外価格差により海外を経由したほうが安くなる事もある。 . #官公庁御用始め.  官庁で年末年始の休みが明けて、その年の最初の事務を執ること。  1873(明治6)年から、官公庁は12月29日から1月3日までを休暇とすることが法律で定められており、4日が仕事始めとなります。  通常は1月4日ですが、土曜日・日曜日の場合は直後の月曜日となります。 . #取引所大発会.  証券取引所での新年初めての立ち会い。この日は午前中(前場)で取引を終了します。  かつては1月6日でしたが、証券業界の業績不振から少しでも営業日数を増やすために大納会が12月28日から30日へ、大発会が1月6日から4日へ変更されました。  1月4日が土・日曜日の場合は、その直後の営業日となります。 . . #金の鯱鉾の日(#金のしゃちほこの日). . #梟首刑(#晒し首)を廃止(#獄門刑). . #毒入りコーラ事件(第一の事件は東京). . #レッスルキングダム. . #みたらしだんごの日(毎月3~5日). . #ミャンマー独立記念日. . #世界点字デー (#世界盲人連合). . . ■本日の成句■. #丸い卵も切りようで四角(マルイタマゴモキリヨウデシカク). 【解説】 同じ話をするのでも、穏やかにしゃべればよいものを、言い方が悪いと、角が立つことがあるから注意せねばならぬという教訓。 . . 1976(昭和51)年1月4日(月) #小山萌子 (#こやまもえこ) 【女優】 〔東京都〕 . . (学芸大附属中小前) https://www.instagram.com/p/Cm956GpB4KOd85IkYH7b9YilTGJN5DKJVrfeg80/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(68)
『強靭な国家』を造る(5)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その3)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 やはりG7サミットについて私の感想を述べてお
きたいと思います。まず、G7のメンバー以外に、
グローバルサウスの代表や韓国大統領、それに戦時
下のウクライナのゼレンスキー大統領まで遠路はる
ばる飛来して参加したにもかかわらず、何事もなく
無事閉幕した今回のサミットが「これまでにない成
果」と評価されていることにケチをつける気は毛頭
ありません。
一方、被爆地・広島で開催したことから、「核兵器
のない世界」という“人類の理想の世界”実現に向
けた「広島ビジョン」を自画自賛するのは時期尚早
と考えます。と言いますのは、本サミットに対して、
中国は「西側の少数の先進国が他国の内政に理不尽
に干渉し、世界を操る時代は過去のものとなった」
とのいらだちを強めれば、ロシアは、G7を「世界
の安定を揺るがす破壊的な決定のふ卵器だ」と厳し
く批判しつつ、「世界の多極化を受け入れられない
G7は、反露・反中のヒステリーを起こしている」
と主張しました。つまり、中国やロシアに加え、北
朝鮮などが素直に「広島ビジョン」に賛同して受諾
するとは到底思えないからです。
元外交官の佐藤優氏は、先の「対独戦勝記念78周
年」で明らかにしたプーチンの「戦争論理」につい
て、「これまで“戦争”という言葉の使用を避けて
きたをプーチンが、初めて“戦争”言葉を使用し、
『米国を中心とする西側連合がウクライナを使って
“戦争”を仕掛けてきた』、つまり『ロシアがウク
ライナに“戦争”を仕掛けた』とは考えてない」と
解説しています。
また、「第2次世界大戦において、『ロシア人が多
大な犠牲を払ってナチズムから人類を救った』とい
う事実を西側諸国は忘れた」として、「文明は再び
決定的な転換点を迎えた」とも語っています。
中国もほぼ同様の歴史観を有しているでしょうから、
G7サミットは、「世界が再び『分裂の世界』に突
入した」ことを決定づけたともいえるのではないで
しょうか。つまり、考えようによっては、「核廃絶」
という“人類の理想の世界”の実現がますます遠の
いてしまったとの見方も出来るのです。
歴史的にみても、一方の「正義」や「美談」が相対
する側にとっての「憎悪」や「拒否」となって「対
立の原点」となってきましたし、「独自の論理を振
りかざして自らの利益拡大を広げてきたのは西側世
界の方である」という見方は、人類の歴史を子細に
見れば、あながち間違っておらず、実際に、欧米諸
国は反対する勢力を力づくで次々に排除してきまし
た。
ところが、今は互いに核兵器を保有していることか
ら、一方的に排除するのは簡単でないことから、
「排除も共存も遠のく」という結果に陥っているの
ではないでしょうか。
当然ながら、ウクライナを支援する必要性にはつい
ては理解しますが、G7がもたらす未来を冷静にイ
メージアップすると、広島サミットを手放しで称賛
する気にはなれない自分がいることに気がつきます。
私のような見方をする有識者は少ないのかも知れま
せん。立場上、声を上げられないのだと想像してい
ます。もちろん、私だけの“独りよがり”なら、そ
れはそれでよいのですが。
振り返ってみますと、実現は無理だったかもしれま
せんが、習近平をオンラインでも拡大会議に参加さ
せ、「何を発言するか」を聞くべきだったと思いま
す。千載一遇のチャンスを逃しました。
▼日本の農業は過保護か?
 
さて、ここまで農業を追い込んだ、その原因はどこ
にあるのでしょうか。我が国は戦後のドン底から、
「貿易立国」として発展し、GDPが世界第2位に
まで発展してきました。そのため、自動車などの輸
出を伸ばすために貿易自由化、そして規制緩和政策
を幾度となく繰り返してきました。また、時には
「聖域なき構造改革」などの勇ましいキャッチコピ
ーに対して誰も面と向かって反論をしないまま時が
過ぎてしまいました。
一方、そのような政策を推進するために、「農業は
過保護だ」という“刷り込み”を、メディアを総動
員して続けてきた結果、私たちの頭の中には、いつ
の間にか「農業は様々な規制に守られた『既得権益』
を有し、『過保護』な業界だ。その結果、農業の競
争力が低下してしまった」、つまり「日本の農業が
『過保護』だから自給率が下がったり、耕作放棄が
進んだ」とイメージが出来上がってしまいました。
しかし、本当にそうなのでしょうか。また諸外国の
実情はどうなっているのでしょうか。少し解き明か
してみたいと思います。
これまで何度も紹介しました『世界で最初に飢える
のは日本』の中で、著者の鈴木氏は、日本の農業に
は「3つの虚構」があると指摘します。
「虚構」の1つは、「日本の農業は高関税に守られ
た閉鎖的世界だ」というものです。OECDのデー
タによれば、日本の農産物関税率は11.7%です
が、この数字は、主要列国と比較しますと、インド
の124.3%、ノルウエーの123.7%を双璧
に、韓国(83.8%)、スイス(62.2%)、
インドネシア(47.2%)などが続き、ブラジル
(35.3%)。タイ(34.6%)、EU(19.
5%)といずれも日本より高い関税率をかけていま
す。食料輸出国の米国のみが、食糧輸入から自国の
農業を保護する必要がないのか、5%に留まってい
ます。
そして、我が国の場合、実際には、こんにゃくのよ
うに1700%の高い関税率もあるにはありますが、
大半の農産物の関税率は3%程度になっています。
そもそも、食料自給率38%の国の農産物関税が高
いわけがなく、「日本の農業は高関税に守られた閉
鎖的世界だ」というイメージとは、全く正反対の
“現実”があるのです。
 「虚構」の第2は、「日本は世界から遅れた農業
保護国であり、政府が農産物の価格を決めて買い取
っている」です。
これも間違いです。政府が農産物の価格を決めて買
い取ることを「価格支持政策」といい、かつて米に
ついては、「生産者価格」と「消費者価格」の2種
類の価格がありました。政府が「生産者からは高く
買い取って消費者には安く提供する」というもので
した。しかし、米の生産や流通を厳しく規制した
「食糧管理法」は1995年に廃止され、それ以降
は、政府を介さずに流通する「自主流通米」が増加
し、価格も競争原理で決められることから「生産者
米価」と「消費者米価」という制度は廃止されまし
た。
実は、日本は、WTO加盟国の中では唯一、農業の
「価格支持政策」をほぼ廃止した国で、自由貿易を
推進する「優等生」にほかならないのです。他国は、
自由貿易の看板をあげても、農業など自国にとって
必要な産業については、“したたかなまでに死守し
ている”のが現実です。
「価格支持政策」とは異なり、生産者に補助金を支
払うことを「直接払い」と言いますが、「価格支持
から直接払いに転換した」といわれる欧米諸国は、
実際には「価格支持+直接払い」と表現する方が正
確なようです。つまり、価格支持の水準を下げた分
についてはしっかりと「直接払い」によって置き換
えているのです。
「虚構」の第3は、「農家は補助金漬け」というも
のです。これが最大の「虚構」ともいえるでしょう。
鈴木氏が様々なデータを取りまとめて分析したとこ
ろ、日本の農家の「所得」のうち、補助金が占める
割合は3割程度ですが、スイスはほぼ100%、イ
ギリス・フランスは90%以上、ドイツは約70%
です。アメリカは、日本とほぼ同じで約35%と先
進国では低く抑えられています。
ちなみにここでいう、農家にとっての「所得」とは、
「農業粗収益-支払経費+補助金」ことを示します。
フランスやイギリスの小麦経営は200~300ヘ
クタール規模が一般的ですが、そのような大規模穀
物経営であっても、市場の販売収入では肥料や農薬
代も払えないので補助金で経費をまかないつつ、残
りを「所得」にしているとのことで、「所得」に占
める補助金の割合の100%超えが常態化している
のだそうです。
日本は、野菜や果実の補助金率も5~7%と極めて
低く、酪農は約30%、肉牛は約48%ですが、フ
ランスは、野菜や果実は30~50%、酪農は76
%、肉牛は何と179%にも及んでいます。
一方、農業生産額に対する農業予算比率は、日本は
38%程度ですが、米国が75%と最も高く、英国
(66%)、ドイツ(61%)、フランス(44%)
と続きます。また、上記の価格差には、「国内価格」
と「輸出価格」のようなものもありますが、米国は、
食料を輸出する際の差額補填など、実質的輸出補助
金などへの支出も含まれているようです。つまり、
米国のような食料輸出国であっても農家を保護して
いるのです。
先進国は、農業が“命を守り、環境を守り、地域コ
ミュニティを守り、国土を守っている”ことを知っ
ており、そのような農業を「何よりも優先して国家
を挙げて支える」ことを“当たり前だ”と思ってい
るのです。
農家が離農して農業が崩壊し、食料自給率がますま
す低下してきたことに目をつぶり、農業の保護を
“当たり前ではない”と考えているのは日本だけで、
だから自動車などの輸出を増大させる代償として農
業を“差し出す”こと、そして米の生産に待ったを
かけて自給率の低い小麦を原料とする洋食の拡大に
も躊躇しなかったのであり、長い間、そのような政
策の是非を顧みないままここまで来てしまったので
す。今こそ、“我が国が例外である”ことを思い知
る必要があるのです。
最後に、農業支援がどれほどのお金がかかるかを概
算しておきましょう。米1俵つくるのにかかるコス
トは頑張っても1.2万円ほどですが、実際に買い
取り額は、ブランド米など高額なものもありますが、
約9000円ほどです。その差額を国が全額を補填
した場合、約700万トン全量でも3500億円程
度にしかなりませ���。
また全酪農家に生乳キログラム当たり10円を補填
した場合の費用は750億円程度と言われます。こ
れらの額は多少の幅はあるとは思いますが、国の予
算の規模からしてさほど大きな額ではないことは間
違いないでしょう。
『世界で最初に飢えるのは日本』と題して、我が国
の食料事情に危機意識を持った鈴木氏の“警鐘”に
納得するのは私だけではないと考えます。正直申し
上げ、日本は、「食料安全保障」に関して、戦後大
きな“戦略的過ち”を犯したと考えざるを得ないの
ですが、いつの時点で、だれの責任でそうなったか
を追及してもこれから未来の対策は案出できないこ
とも間違いないでしょう。「食料安全保障」の必要
性を訴え、根本から農業政策を見直せば、今からで
も農業の救済は可能であると私は考えます。他国を
見習うべきでしょう。
▼総括
最近、日経新聞社がかなり時間をかけて分析したと
いわれる『国費解剖』という書籍に目を通す機会が
ありました。そこには、財政赤字の一方で、膨張を
続ける国家予算を紐解けば、莫大な“ムダ使い”が
あることが随所に指摘されています。読むと本当に
呆れます。
つまり、国防もエネルギーも食料も、やがて人口減
から来る労働力の確保なども、将来を見越した“戦
略眼”を持たないまま、政治家、官僚、専門家とい
われる一部の人たちなどによって、その場しのぎの
政策が案出され、時には国会対策上各党の言い分を
刹那的に取り入れ、その時々の勇ましいキャッチフ
レーズのもと、マスコミなどもこぞってそれを指示
し、「国の舵取り」を行なってきた“ツケ”がいよ
いよ白日の下にさらされたということなのではない
でしょうか。
このような「国の舵取り」は今に始まったことでは
ありません。余談ですが、東京裁判の起訴状で「共
同謀議」が読み上げられた時、「共同謀議をもっと
うまく実施していたら戦争にはならなかった」とA
級戦犯の被告たちが呆れるシーンが記録されていま
す。戦前においても、国家戦略など無きに等しいま
ま、その場その場で「よかれ」と思って実行してき
た延長で大東亜戦争に突入してしまったのでした。
ようやく少子化対策に本腰を入れるようですが、そ
の対策も“異次元”というにはほど遠い内容からか、
国民が“しらけている”ように見えるのが残念です。
もはや一国でもって、国防のエネルギーも食料も、
そして労働力でさえ確保できない時代が到来してい
ることは時代の流れとしても、これらのうち、一つ
として自力ではまかなうことができない国家、つま
り、あらゆるものが“他力本願”の国家が「独立国」
と言えるのでしょうか。ことの重大性に気づかず、
いや、気がついても知らないふりをして、ノウテン
キを装っているのが、現代を生きる私たち日本人な
のではないでしょうか。
冒頭に述べたように、「分裂の時代」を間近にした
今日、このままで「我が国の未来が安泰である」と
はとても考えられません。現在の日本は、戦前の日
本人を批判する資格など微塵にもないし、将来の日
本人に“合わせる顔”があるだろうか、と考えてし
まいます。
なぜこうなってしまったのでしょうか。根本的原因
はどこにあるのでしょうか。これから先、我が国の
現状や風潮を覆す“特効薬”はあるのでしょうか。
当然ながら、そのための対策は、私などが考え及ぶ
べき領域をはるかに超えていると思いながらも、い
よいよ「『強靭な国家』を造る」と題した第4編の
主テーマについて、皆様と一緒に試行錯誤してみよ
うと思います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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ecoamerica · 1 month
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Watch the 2024 American Climate Leadership Awards for High School Students now: https://youtu.be/5C-bb9PoRLc
The recording is now available on ecoAmerica's YouTube channel for viewers to be inspired by student climate leaders! Join Aishah-Nyeta Brown & Jerome Foster II and be inspired by student climate leaders as we recognize the High School Student finalists. Watch now to find out which student received the $25,000 grand prize and top recognition!
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yotchan-blog · 2 months
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2024/4/2 22:01:58現在のニュース
川勝平太知事、報道は「発言のキリトリ」と釈明 6月辞職の意向表明 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 22:00:34) 別々の部屋に党幹部、首相が行き来 疑心暗鬼の自民、決められぬ処分(朝日新聞, 2024/4/2 21:59:29) コミュニティー存続危機 氷見市公営住宅建設を検討([B!]読売新聞, 2024/4/2 21:55:12) 辞職表明の直前に後継打診「やってくれますか」 静岡・川勝知事、立民県連の重鎮に([B!]産経新聞, 2024/4/2 21:55:08) ドル全面高が鮮明 「世界1強」米経済にマネー流入 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:54:58) フィンランドの学校で発砲、児童3人死傷 12歳を拘束 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:54:58) ボーイング、インドに照準 米国外で最大の開発拠点開設 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:54:58) 日本航空機揺れ、乗員4人重軽傷 運輸安全委が調査 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:54:58) 政府長期試算、専門家評価 社会保障改革へ「危機的状況示した」(毎日新聞, 2024/4/2 21:54:57) 紅麹サプリ問題、消費者庁に機能性表示食品あり方検討チーム…6800食品を緊急点検([B!]読売新聞, 2024/4/2 21:48:50) 大阪城が希望の青にライトアップ 世界自閉症啓発デー(毎日新聞, 2024/4/2 21:47:18) 札幌市、交通計画改定 地下鉄黒字37億円に下方修正 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:42:40) 滋賀知事、埼玉で13日始球式 近江鉄道再生で西武と連携 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:42:40) ライフスタイル:パリジェンヌは決して鼻水をすすらない!? この時期気になる「鼻トラブル」に関する豆知識 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 21:42:37) ソフトバンク本拠地開幕戦 “新助っ人”があいさつ代わりの先制打(毎日新聞, 2024/4/2 21:40:01) 県議には「ヤクザも」「コシヒカリしか…」 川勝平太知事の問題発言(毎日新聞, 2024/4/2 21:40:01) ソフトバンクのホーム開幕戦、ファン声援熱く 小久保監督に大歓声(毎日新聞, 2024/4/2 21:40:01) 川勝知事、訓示への批判「誤解もはなはだしい」 繰り返した問題発言(朝日新聞, 2024/4/2 21:37:30) JR東日本、茨城発の線路用砕石輸送車を電動式に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:36:31) 東京・上野動物園内の乗り物、コースター式構造に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:36:31) JR北海道、千歳市にコンテナ型ホテル ラピダス需要狙い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 21:36:31)
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petapeta · 4 years
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パリ北東に約40キロメートルに位置するイル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県クヴレ村に[1]、馬具職人である父シモンと母モニクの間に4人兄弟の末っ子として生まれる[1][2][3]。 1812年、3歳の時、自宅にあったシモンの工房で遊んでいるうち、誤って事故により錐で左目の眼球を突き負傷する[4][5]。その後、右目も交感性眼炎を起こし、5歳で両目とも失明する[4][6]。 1800年代初頭の当時においては、ブライユのように障害のある子どもに対しては教育は不必要とされており、不遇な目に遭うことがほとんどだったが[7]、ブライユは家族の協力もあり生活能力や知識を身につけていく[7]。6歳の時、村にやってきた神父ジャック・パリュイにその聡明さを見出されたブライユは、7歳になるとパリュイ神父から村の学校のアントワーヌ・ベシュレ校長への取り計らいで村の学校に通い、他の生徒と同じように授業を受け、優秀な成績を収めた[8][9]。 学校での成績や「自分で読み書きがしたい」というブライユの願望に[10]、さらに進んだ教育が必要と感じた周囲の援助もあり[8][9]、村の侯爵は、ヴァランタン・アユイ(フランス語版)が設立したパリの王立盲学校へ入学のための推薦状を送った[11]。そのことが認められて、1819年、ブライユは同校に奨学生として入学することになる[12]。 1819年、ブライユは10歳でパリの王立盲学校に入学[1]。同時期、フランス軍の軍人、シャルル・バルビエ(フランス語版)が考案したソノグラフィ(フランス語版)(夜間文字[13]、暗やみの字[7])と呼ばれる12点式の暗号に出会う[1][13]。ブライユはこれを元に6点式の点字を発明した。ブライユはパリ盲学校を卒業し、同校の教官になった。王立盲学校はセーヌ川沿いにあり、建物がもともと監獄として使われ、古く多湿で非衛生的だったため、100人近くいた生徒も不健康な状態であったせいもあり[14]、ブライユが26歳のとき肺結核となる[14]。 晩年は盲学校教師として教鞭を取り、また教会のパイプオルガンを演奏するなどして活躍した。その傍ら晴眼者・視覚障害者両用の点文字の開発に勤しんだ。この点文字は、はじめブライユが点字器で試みたものをブライユの友人の盲人であるピエール・フランソワ・ヴィクトル・フーコーが独特の機械を開発し、のちにラフィグラフ(英語版)と呼ばれるようになった。その方法はタイプライターの普及にともない廃れて、現在では使用されていない。 ブライユは1852年に肺結核のため43歳で亡くなった。死後百年にあたる1952年、ブライユの遺骸は故郷のクヴレ村からパリに移され、ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラなど多くの国民的英雄を祀るパンテオンに葬られた。 クヴレ村ルイ・ブライユ通り13番地にあるブライユの生家は点字博物館として公開されており、世界中の視覚障害者たちが訪れ、盲人たちに光をもたらしてくれたブライユの遺徳を偲んでいる。 点字を表す言葉は多くの国で、ブライユの名前から“Braille”(フランス語読みではブライユだが、英語読みではブレイルになる)と呼ばれている。その誕生日にあたる1月4日は2000年に世界盲人連合により世界点字デーとされた。
ルイ・ブライユ - Wikipedia
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oka-akina · 4 years
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日本語から日本語への翻訳——伊藤なむあひ「天使のマーチャン・ダイジング」
日本語から日本語へ翻訳、やってみました。 伊藤なむあひさんがツイッターでつぶやいていて、よかったら交換こさせてくださいと手をあげたもの。 他の人が書いた小説を自分の言葉で翻訳してみる、同じ日本語だけどきっとちがいが出る…みたいな試み。 くわしくはこちらの記事をどうぞ。 なむあひさんがおかわだの「さなぎ」という小説を翻訳してくださっています。
なむあひさんの挙げていた、 ・話の筋を変えない ・要素を増やしたり減らしたりしない はわたしも意識したところです。内容や意味合いはいじらず、できるだけ情報の開示順もそのままで、どれくらい「文体」みたいなものが出るだろう。
なむあひさんの「天使のマーチャン・ダイジング」という作品でやらせてもらいました。とてもとても楽しく、勉強になる体験でした。  原文はこちらです。よかったら読み比べてみてくださいませ。
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天使のマーチャン・ダイジング 伊藤なむあひ (オカワダアキナ翻訳)
 本日ポイント5倍デー、そのスーパーマーケットの入り口には棒が立っていて、棒は天使の体を突き刺している。そのための棒だ。ひとびとは串刺しの天使を見つけると店へ吸い込まれてゆく。ポイントデーは曜日や日にちで決まっているわけではなく気まぐれで、朝、入り口の棒に天使が刺さっていたらそのしるし。それだけだ。エンゼルマートは今日も繁盛している。  ライバルたちはこぞって商売の秘密を探ろうとした。価格も売り場も内装も、エンゼルマートに目立ってすぐれたところはなく、店の立地はむしろ悪かったのだが、わざわざ遠くの町から、いや飛行機に乗ってだって、客はどんどんやってきた。老いも若きも男も女も、みなエンゼルマートを目指した。秘密は「天使のマーチャン・ダイジング」だった。エンゼルマートには独自の経営術があり、店は三代続いている。  初代はごく小さな商店だった。二畳あるかないか、掘っ建て小屋ともいえないような狭い店だった。大戦後のどさくさに拾い集めた天使の肉片を加工し売ったのだ。  いや天使の肉とはいわずに売った。山で獲ったウサギだとかめずらしい川魚だとか、天使を食べたことのある人間なんてほとんどいなかったから誰にもばれなかった。焼け野原みたいな村はいつも食い物が不足していた。肉はよく売れた。タダで拾った肉に値段をつけ、店はたいそう賑わい儲かった。  店に名前がついたのは二代目になってからだった。商いはだいぶ大きくなっていた。初代が亡くなり、それは不可解な死だったのだが息子は弔いもそこそこにともかく店を継ぎ、店に名前を与えた。『天使商店』、彼は往来から見えるところに大きく掲げた。そして、この店で扱っていた肉はすべて天使の肉であったと客に申し開いた。  客は驚き、怒った。二度と来ないと言う者、金を返せと怒鳴る者、殴りかかろうとする者さえいた。いっとき売り上げは半分近くまで落ち込んだ。二代目は、けれども、天使の肉は安全であると根気強く説いた。家の地下に作った「養天場」、そこではいかに衛生に配慮しているか、高い栄養価、人肌より少し温かいくらいの湯に二十四時間浸けておくなどの天使肉調理のコツ、初代が残したノートや自分が丁稚をやって得た知識。それから現在調べ得る天使についての情報すべて、彼は惜しみなく与えた。  はたして彼のやり方はうまくいった。みるみる業績は回復し、過去最高の売り上げを記録した(もちろん帳簿というものが存在している中での話だ、会計は記録であり記録を信頼することにより成り立つ比較の話だ)。そうしてそこにとどまらず、二代目の商売は右肩上がりに伸びてゆき、やはり初代同様、謎めいた死を遂げた。  俺は二代目から、つまり親父からだが、いつかこういう日が来るだろうときかされていた。世間はかれらの死を商売敵の恨みを買ったものだろうと噂していたが、そうではない。祖父も父も禁をやぶった。そのためむごたらしく死んだ。  ふたりの死に方はよく似ていた。こうだ。両手両足二十本の指が蝋燭みたいに亡骸の周りを囲んでいた。目玉と睾丸が入れ替わっていた。抜かれたすべての体毛で人型の人形が編まれていた。舌は二十四枚にスライスされ、その隙間には切り取られ二十三枚にスライスされた性器が挟みこまれていた。黄ばんだ胆汁が体じゅうに塗りたくられていた。抜かれたすべての骨で、残った肉のかたまりの上に神社みたいなやしろがつくられ、てっぺんには心臓がのせられていた。とてもおごそかに。  親父も祖父も馬鹿だったのだ。商売はうまかったかもしれないが経営はからきしだ。俺は物心ついたときからずっと二人を見てきた。二人の死も目の当たりにした。絶対にあんなヘマはやらない。  俺のエンゼルマートの入り口の棒にはストッパーがついていて、天使は俺の腰のあたりでうつ伏せに刺さって固定されている。手足はぶらりと垂れ下がっている。今日は小雨が降りそうだよ。俺が言うと、天使は苦しそうに顔を上げ、微笑んだ。そしてまたがくんと頭を垂れた。地面に何か見つけたみたいな仕草だ。  俺はそれを見届け、品出しに戻った。俺一人の店だ。もともと家族経営でやっていたが親父は死んだし、ほかに誰も雇っていない。  店に並ぶのはすべて天使の加工品で、商売はもはや肉だけではない。親父から少しずつ店を任されるようになり、骨も髪も爪も、体液さえ、俺は天使のすべてを利用するようになった。天使は人間と似ているが人間ではない。人間よりも知能が低く、体力に劣り、寿命も短い。下位の生き物だ。天使に一切の権利はない。天使に一切の自由はない。天使に一切の意味も、価値もない。  串刺しの天使を見つけたひとびとが続々店に集まってくる。俺は店の中にいて、ガラス越しに天使を見ている。入り口に押し寄せる客たちが天使にぶつかった。天使は棒に刺さったまま、風ぐるまみたいにくるくる回っていた。  俺は店の明かりをつけ、トーキングマシンのスイッチを入れる。軽快な音楽が鳴り響く。本日ポイントデー、今日だ、今日こそがお得だ、それがいかにあなたを幸福にするか、トーキングマシンは親父の声で叫び出す。親父の声が、ガラスのこちら側で喧しく歌う。  俺はもう一度、串刺しの天使に目をやる。ほら、小雨が降ってきた。寒そうだなあと俺は思う。俺の経営はなんら法に触れない。むしろ国から推奨されている。これこそが正しい国民の姿であると、俺は理解している。だけど天使のマーチャン・ダイジングには反しているのだ。俺はぜんぶを了解していて、俺が思うのはそれだけだ。
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やってて思ったことなど
・いったいこれはどうやって書かれたのだろう? すごくわくわくした。文章の骨組みに手をつっこんでさわっているような感じ。読者として読んでいるときとはちがう感覚。
・わたしはたぶん誤読している。本作を初めて読んだのはブンゲイファイトクラブの後のタイセンEだったと思う、つまり半年くらい前なんだけど、今回翻訳作業をやるうちに作品の捉え方が変化していった。もしかしてわたしはふだんぜんぜん小説を読めていないのでは…と思った。
・翻訳をやればやるほどわからなくもなった。本作はわかろうとして読むものではないのかもしれない。いや翻訳するなら自分の中でこうだという答えがいると思ったからあれこれ考えてみたんだけど(ふだんの読書ではわたしはわりとわからないまま読み進める)、うーん。だとしても明確な答えをもたないままやることもできたかもしれない。わたしはけっこう頭がかたい。
・エンゼルマートについて、語り手は第三者のように語りはじめながら、途中から「俺」の話になるところ。歴史が自分ごとになるところ。ここがやはり肝だと思うので、そこらへんを自分の言葉でやるならどうするか。「俺」の話になってからのテンションのちがいとか。
・天使のマーチャン・ダイジングとはなんだろう。祖父と父は持っていたもので、自分はそれに反している? 祖父と父の原始的な商売…、自然(ここでは焼け野原だけど)から採集したものに値段をつけて売る、ひとびとに不足しているものを売るから儲かる。隠していたことを打ち明ける、いったんは客が離れるが、正直さはやがて客の心をつかみ、儲かる。やがて祖父も父もひどい死に方をする。なぜかは明らかにされない。天使を使って商売をし、成功させると、その代償にひどい死に方をする?
・マーチャンダイジングとは「消費者の欲求・要求に適う商品を、適切な数量、適切な価格、適切なタイミング等で提供するための企業活動のこと」をいい、そうすると、天使の肉であることを祖父が隠したこと、それを父親が客に打ち明けたことなどはマーチャンダイジングの一環といえるかも。売り手・買い手それぞれの利益や正しさ。
・で、「俺」は「絶対にそんなヘマはしない」という。むごたらしい死を回避するため、祖父や父親とはちがった商売のやりかたをしている。生きている天使を店頭の幟旗のようにし(生きたまま棒で刺している)、商品は肉だけでなくさまざまな部位を扱う。トーキングマシン(呼び込み君みたいなやつ?)は父親の声。これらは国に推奨された方法らしい。天使のマーチャン・ダイジングには反しているらしい。
・その是非にはふれないが、「なんら法にふれない」「国に推奨されている」というと、なんかこう「良心には反するけども」みたいな感じを受ける…わたしは。ということでそういうつもりでやった。天使を串刺しにする等は倫理に反しているが、国からは許されており、ひどい死に方を回避できる?
・「そりゃあ商売は上手かったかもしれないが、経営者には向いていなかった。」、祖父と父が上手だった商売とは、仕入れ・加工・販売のことだろう。では経営とは? 一般的には、利益を生み出し事業を���続させることをいうだろうけど、ここではどういうことだろう。「元々家族経営だったが、親父は死に、他に従業員も雇っていなかった。店内には俺だけ。」ってことは自分一人の仕事だしな…。いわゆる組織の話でないなら、客とか仕入先とか地域とか行政との関係かな…。みたいなことを考えたんだけどなんかすごく的外れなことを言っている気もする。
・わたしは読んでいて「棒」という語が面白かったので、アクセントにしてみたつもり。突き刺す、立てる、握る、貫く…。祖父も父も死んで自分一人になった「俺」は「絶対にそんなヘマはしない。」と言う、その象徴みたいな。
・なむあひさんの作品は、「おりーりー鳥は実在します?」、「東京死体ランド」、「星になって願いを」などなど読んでいます。そのほかアンソロジーに参加された作品もいくつか。シュールだったり奇妙だったりするけれど、いつも文章に明るさがあってとても好きです。明るさというか…なんていったらいいのかな…内容や話題はいろいろだけども根底に光があるというか、「ヘン」さを楽しんで書かれているのが伝わってくるというか…。いやまあ伝わってくるってか、読んでいる人に、ああ楽しんで書かれたものだなあと受け取らせる力というか。小説表現への希望を感じるというか。
・本作も、「惨たらしい死に方」の描写がじつに生き生きしているし、生きている天使を棒に刺して店頭に飾っている=残酷なんだけど、どことなくコミカルさが漂う。なむあひさんの世界のルールがあるというか。本作はわたしが読んだほかのなむあひさんの作品とくらべていくぶん重苦しさもあるけれど、やはりファニーフェイスだなあと思う。 また、マーチャン・ダイジングとかV字回復とか月商とか、「経営っぽい語」の挟まれてくる感が独特で、おかしみがある。
・で、この「おかしみ」は別の人が書いても難しい。こういうノリになんない。ある種のぎこちなさみたいなものが面白い…んだけど、わたしがやろうとするととたんに骨折したみたいな文になる。 ところで言い方すごい難しいんだけど…わたしは男が女がみたいな言い方はあんまりしたくないんだけど…、こういった”ぎこちなボケ”みたいなのって男性の作家のほうが上手いイメージがある。いやほんと性差の話にはしたく���いし必ずしもそうとは限らない、例外はいくらでもあるんだけど、それはそれとして日々いろんな人の文章を読んでいる感想として、そういうボケ方を得意としている作家に男性が多い…という傾向はあるように思っている。この話長くなるのでやめとくけど、本作を読んだわたしの個人的な感覚として、「あっ男の人だ」というのを感じた。いわゆるマッチョとはちがう、そうではない男性のぽさというか…。
・「経営っぽい語の挟まれてくる感」はとても難しかった。語感を面白がって書かれている、遊んでいる感? 自分だとうまくいかない。ぜんぜん御しきれなくてわりとあきらめた箇所もある。 「創業以来最高(帳簿に記録が残っているなかでだが)の売上」は、もうどうしたらいいのか難しくて、「もちろん帳簿というものが存在している中での話だ、会計は記録であり記録を信頼することにより成り立つ比較の話だ」とちょっとオーバーにしてみたというか、「商売にとどまらず経営にこだわる俺」感で遊んだというか。
・本作はさらさらーっと読める、読みやすい語りなんだけど、じっさい解きほぐしてみるとすごく難しい…というかほかのひとにはあつかいの難しい、なんともいえない奇妙さがあって、「果たして、彼のやり方は誰もが想像する以上に功を奏した。」とかすごいなあと思った。
・「いたって普通の」「だというのに」「見たこともない」「誰もが想像する以上に」「一時期は昨年対比で五十%を切るかと思われた」、このあたりのちょっと大仰な感にひみつがありそう…文章の明るさとか楽しんで書かれている感の…。なんだけどうまく言えない。ほかの語とのバランスとかかなあ。
・あと「抜かれた全ての体毛で」とか「抜かれた全ての骨で」とかのトラップというかひっかけ問題というか(いやわたしが初読時読み落としていたってだけなんだけど)。「すべての体毛を抜いた・すべての骨を抜いた」なのか、「抜いた体毛の全部・抜いた骨の全部」なのか。たぶんここでは前者なんだろうけど、どっちだ?感をそのままにしたくなったので、そのままやったつもり。
・こうして自分の言葉で翻訳…とやっていると、ふだん自分は文章のノリを優先させているんだなーと思った。書きやすいほうをとっているというか、意味とか内容が多少ずれちゃっても文章の運びを優先させている。というかそもそも、書いている時点でちゃんと決めてないのかも。自分にしっくりくるノリで書いているうちに本文中の事実が定まっていくというか。小説を書いているときわたしは序盤の方が時間がかかるんだけど、書き始めはなにを書いているかわからないからなのかも。書きながら形が見えてくる、書いた文章が次を決めていくみたいな。
・だからか、事実関係を文章のノリによってずらすことなく、自分の文体に変換させていくって、すごく難しいなと思った。たとえば「暴力を振るおうとする者もいた」は自分の語りなら「暴力に訴える者もいた」にしたいところだったけど、それじゃちがうんだよな、原文は「振るおうとする」、未遂なんだよな…。自分の作品だったら、暴力はあったってことにしちゃいそう。原文の表現そのままにしてもよかったんだけど、前後のノリで「殴りかかろうとする者さえいた」にしてみた。その後主人公の「棒」とつながりそうな気がしたし(で、棒のほうが強そうだし)。
・そういうノリに従いたくなるいっぽう、わたし自身としての考え方の手癖みたいなものがあって、たとえば本作だと「誰もが想像する以上」の誰もって誰だろう?みたいなところで立ち止まる。ここをこそノリで、波にのっていきたいところなのかもしんないんだけど、そのへんはやはり作家によってちがうのだろうなあと思った。すごく面白かったです。
・長々書いたわりにまとまらずすみません。たぶん読んで書いてをやって、手を動かしてガチッとはまる感じ、なんかこう「そういうことか!」って接続していく感じは、説明するの難しいな…。これ面白いからみなさんやってみるといいと思います。わたしもまたやりたいです。なむあひさん貴重な機会をありがとうございました。めちゃめちゃ楽しかったです。
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議長、副大統領、議員の皆さん、ファーストレディー、米国民の皆さん、我々は今夜、限りない可能性の瞬間に立ち会っている。新しい議会の始まりにあたり、私は全ての米国民のため、歴史的な大躍進を達成するため皆さんと協力する気持ちでここにいる。
 何百万もの米国民が今、この偉大なる議場に集まった我々を見ており、二つの政党としてではなく、一つの国家として統治することを望んでいる。
 私が今夜示す計画は、共和党の計画でも民主党の計画でもない。米国民の計画だ。
 我々の多くが中核となる同じ約束のために運動してきた。それは、米国の労働者のために米国の雇用を守り、公平な貿易を要求することだ。国のインフラ(社会基盤)を再建し、再活性化させることだ。保健医療と処方薬の価格を引き下げることだ。適法で近代的で安全な移民制度を作り上げることだ。米国の利益を第一にする外交政策を追求することだ。
 米国政治には新たな機会がある。それをつかみとる勇気さえあればいいのだ。勝利とは、自分の政党を勝たせることではない。国民のために勝つことだ。
 今年、米国の使命の荘厳さと米国人の誇りの力を確認する二つの大事な記念日を迎える。
 6月には、アイゼンハワー将軍が大いなる聖戦と呼んだ、連合国軍による欧州解放作戦の開始から75年を迎える。ノルマンディー上陸作戦の決行日の「Dデー」、つまり1944年6月6日、我々の文明を暴政から救うため1万5000人の米国の青年たちが空から、6万人以上が海から強襲した。
 そのときの信じられないほど素晴らしい英雄3人が今夜、我々と共にここにいる。ジョゼフ・レイリー1等兵、アービング・ロッカー2等軍曹、ハーマン・ゼイトチク軍曹だ。敬意を表したい。
 2019年に我々はまた、月面に米国旗を立てるため勇敢な若い飛行士たちが宇宙を約25万マイル飛んで以来50年となることを祝う。半世紀後(の今)、旗を立てたアポロ11号の宇宙飛行士の1人が(ここに)参加している。バズ・オルドリン氏だ。今年、米国の宇宙飛行士は米国のロケットで宇宙に戻る。
 米国は20世紀、自由を守り、中流階級のありようを一変させた。皆さんが本腰を入れれば、世界の中で米国と競争できるところはない。我々は今、大胆に勇気を持って米国の偉大な冒険の次の章に進まなくてはならない。21世紀にふさわしい新たな生活水準に一新しなければならない。すべての市民が素晴らしい生活の質をもう少しで手に入れられる。
 我々はかつてないほど地域を安全にし、家族を強固にし、文化を豊かにし、信仰を深めるとともに、中流階級をより大きく、より豊かにすることができる。
 そのために我々は復讐(ふくしゅう)や抵抗、報復の政治を拒絶し、協力と妥協、公益の限りない潜在力を追求するべきだ。
 我々は、何十年も続く政治的な行き詰まり状態を共に打開することができる。昔からの分断に橋をかけ、古い傷を癒やし、新しい連立を築き、素晴らしい米国の未来を切り開くことができる。決断は我々にかかっている。
 偉大さか停滞か、成果か抵抗か、未来か復讐か、途方もない進歩か無駄な破壊か、選ばなくてはならない。
 今夜、皆さんに偉大さを選択するよう求める。
 この2年間、私の政権は、何十年にもわたり両党の指導者が放置してきた問題に立ち向かうため、切迫感をもって歴史的なスピードで行動した。大統領選からたった2年余りで、我々は空前の好景気をもたらした。かつてないほどの好景気だ。530万の新規雇用を生み出した。製造業で60万の新規雇用を創ったのは特筆できる。誰もがそんなことはできないと言っていた。事実は、これはまだ始まりということだ。
 賃金はこの何十年で最速のペースで増え、私が身を挺(てい)して支援すると約束したブルーカラー労働者で一番伸びている。500万人近い米国人が低所得者向け食料品購入券「フードスタンプ」の支給対象から外れた。米国経済は私が就任した時に比べ、ほぼ2倍の速さで成長している。米国経済は、世界のどこと比べても圧倒的な差をつけて活況だといわれている。
 失業率は半世紀で最も低い。アフリカ系米国人、ヒスパニック系米国人、アジア系米国人の失業率も、史上最低水準だ。障害を持つ米国人の失業率も史上最も低い。歴史的に最多の1億5700万人が今、就労している。
 我々は就労世帯に大規模な減税を行い、児童扶養控除を倍にした。小規模の企業や牧場、家族経営の農場にかかる不動産税や相続税を実質的に廃止した。
 とても不人気だった医療保険制度オバマケアの加入義務違反に対する罰金を廃止した。重病患者が救命治療を受けられるようにした。未承認薬を使えるようにする法案を通過させた。
 私の政権はほかのどの政権が任期中に達成したよりも多くの規制撤廃を短期間で実現した。歴史的な減税と規制緩和の結果、多数の企業が米国に戻ってきている。
 米国でエネルギー革命を起こした。米国は今、世界一の石油と天然ガスの産出国だ。今や、約65年ぶりにエネルギーの純輸出国となる。
 24か月の急速な発展を経て、我々の経済は世界の羨望の的だ。軍は地球上で最強だ。米国は日々、勝利している。議員の皆さん、米国は強力である。我が国は活気にあふれ、経済はかつてないほど繁栄している。
 1日には、今年1月だけで雇用が30万4000人増えたとの発表があった。予想のほぼ2倍だった。米国で経済の奇跡が起きている。唯一そ��を止めるものがあるとしたら、おろかな戦争か政治、あるいは、ばかげた党派的な捜査だろう。
 平和と法律があるところには、戦争も捜査もあるはずがない。そんなことにはならないものだ。
 我々は国外の敵を打ち負かすため、国内で団結しなければならない。
 この新たな協力の時代は、連邦機関のポストにふさわしい高い能力を有する300人以上の候補者の指名承認で幕を開けられる。手続きは今も上院で止まっており、中には何年も待たされている者がいる。上院は行動を怠っており、これでは候補者だけでなく国に対して不公正だ。
 今こそ超党派の行動が求められる。信じるか信じないかわからないが、それが可能であることを我々はすでに証明している。
 前の議会で、両党は力を合わせ、鎮痛剤オピオイド乱用問題に対処するため前例のない法案を通過させた。包括的な新農業法案、退役軍人省の改革を通した。さらに40年否決され続けた、退役軍人省の説明責任法案を可決した。これにより、素晴らしい退役軍人に対するひどい扱いをようやくなくせる。
 そしてほんの数週間前、両党は画期的な刑事司法改革に向けて団結した。昨年、私は友人からアリス・ジョンソンの話を聞いた。私は深く心を動かされた。
 1997年、アリスは麻薬を巡る違法行為で終身刑を言い渡された。初犯で暴力に手を染めたわけでもなかったのにだ。
 その後20年以上、彼女は刑務所の牧師となり、他の受刑者により良い道を選ぶよう励ましてきた。刑務所の受刑者に大きな影響を与えた。影響はそこだけにとどまらなかった。
 アリスのケースは、判決の不平等や不公平を明確に示している。この不公正を是正する必要がある。彼女はほぼ22年間受刑し、残りの人生を刑務所で過ごすことになっていた。
 私は6月、アリスを減刑した。彼女は今夜ここにいる。アリス、ありがとう。我々にはいつだって自身の運命を決める力があることを思い出させてくれた。
 アリスのすてきな家族が刑務所の門で彼女を迎え、抱きしめ、キスを交わし、泣き、笑うのを見たとき、私は正しいことをしたと実感した。
 アリスのような話をきっかけに、私の政権はファースト・ステップ法の成立に向けて、両党の議員と緊密に連携した。この法は、アフリカ系米国人の権利を誤ったやり方で過剰に���なってきた刑法を改革するものだ。
 ファースト・ステップ法は、暴力を伴わない犯罪者が生産的で法を順守する市民として社会復帰する機会を与える。今、国中の州が続こうとしている。米国は罪が償えることを信じる国だ。
 今夜、ここにテネシー州からマシュー・チャールズも来ている。1996年、マシューは30歳のとき、違法薬物販売などの罪で35年の刑を言い渡された。その後20年にわたり、30以上の聖書の講義を修了し、法務書記となり、受刑者たちの良き助言者となった。彼は今、ファースト・ステップ法のもとで出所した最初の元受刑者となった。ありがとう、マシュー。
 今、共和党と民主党は、差し迫った国家の危機に立ち向かうために再び力を合わせなければならない。
 国土を守り、南部国境を厳重に警備する予算案を通すために、議会には10日の期間が残っている。
 今こそ、米国が不法移民をなくし、密入国を手引きする冷酷な一味や組織、麻薬密売人や人身売買組織を壊滅するために取り組んでいることを、議会は世界に示すときだ。
 今こう話している最中も、中米からの移民集団の大規模な隊列が米国を目指している。メキシコの複数の市当局が、不法移民を地域から排除するために、バスやトラックに彼らを乗せ、我が国の国境警備が手薄な場所に送り込んでいるそうだ。このとんでもない猛襲に対処するため、南部国境に3750人の部隊派遣を命じたところだ。
 これは倫理問題だ。南部国境の無法状態は、すべての米国民の安全、治安、金銭的安定に対する脅威だ。我々は、国民の暮らしと雇用を守る入国管理体制を作り出す義務がある。
 これには、規則を守り、法令を順守している、今ここに暮らす何百万人もの移民に対する我々の責任も含まれる。合法な移民は、様々な形で我が国を豊かにし、社会を強くする。私は我々の国に、かつてないほど多くの人々に来てほしい。しかし、それは合法的でなければならない。
 不法移民ほど我が国の政治的、階級的な分断を明示する問題はない。豊かな政治家や献金者は、壁と門と警備に守られながら、国境の開放を求めている。一方で、米国の労働者たちは、雇用の減少、低賃金、教育の負担、社会保障の衰退といった大規模な不法移民の代償を払っている。
 不法移民への寛容は思いやりではない。現実は非常にひどいものだ。(米国を目指し)北上する女性の3人に1人が性的暴行を受けている。密売人たちは、我々の法律を悪用し、我々の国に入国するために移民の子供を人質として利用する。
 人身売買業者たちは、何千人もの少女や成人女性を米国に密入国させ、彼女らを売春に従事させるため、我々の通関施設間の広い地域をたくみに利用している。
 何万人もの善良な人々が、我々の暮らす街に国境を越えて流入した覚醒剤、ヘロイン、コカインなどの危険な薬物によって死んでいる。
 悪質なギャング組織「MS―13」が少なくとも20州で活動している。彼らのほとんどは南部国境を越えて入ってくる。ちょうど昨日、メンバーの一人がニューヨークの地下鉄ホームでの射殺容疑で拘束された。我々はこのようなギャングのメンバーを排除しているが、国境の安全が保証されるまで、彼らは逆流し続ける。
 年を追うごとに、犯罪的な不法外国人によって殺害される米国人は数え切れない。
 私は多くの素晴らしい「天使の母たち、父たち、家族ら」を知るようになった。誰も、彼らが耐えなければならなかったようなひどい心痛に苦しむべきではない。
 今夜ここに、デボラ・ビッセルが来ている。3週間前、デボラの両親ジェラルドとシャロンはネバダ州リノの自宅で強盗に入った不法な外国人に撃たれて亡くなった。2人は80歳代で、4人の子供と11人の孫、20人のひ孫がいた。ここには、その孫娘のヘザーとひ孫のマディソンも来ている。
 ほとんどの人はあなたたちの痛みを理解できない。ありがとう、ここにいてくれてありがとう。本当にありがとう。私は決して忘れないし、ジェラルドとシャロンのために、このようなことが二度と起こらないように闘う。
 危険な国境の管理を怠り、もうこれ以上、米国人の生命が奪われることがあってはならない。
 米移民・関税執行局(ICE)は、この2年間で、26万6000人の不法な外国人を拘束した。この中には、性犯罪にかかわった3万人や、殺人事件に関与した4000人が含まれる。
 こうした法執行の英雄の一人がここに来ている。ICE特別捜査官のエルビン・ヘルナンデスだ。エルビンと彼の家族はドミニカ共和国から合法的に米国に移住してきた。8歳の時、エルビンは父親に捜査官になりたいと言った。彼は今、国際的な性的人身売買を取り締まる捜査を指揮している。エルビンは言う。「もしこれらの若い少女たちが確実に正義を得られるならば、私は本当に自分の仕事をしたことになる」。彼と彼の同僚のおかげで、昨年、300人以上の女性らが恐怖から救われ、1500人以上の残虐な人身売買業者らが投獄された。
 我々はいつも、法執行に関わる勇敢な男女を支持する。私は今夜、ICEの英雄を滅ぼすことはないと誓おう。ありがとう。
 我が政権は、南部国境の危機を終わらせるため、良識ある提案を議会にしてきた。それは、人道支援や更なる法執行、入国時の薬物探知、子供の人身売買を可能にする抜け穴を封じること、国境の物理的な壁を含む。過去には、ここにいるほとんどの人が壁に賛成票を投じたが、壁は適切に建設されていない。私はそれを建設する。
 これはスマートで戦略的で向こうが見通せる鋼鉄の障壁であり、ただのコンクリート壁ではない。これは、国境警備隊によって必要性があると確認された場所に設置されるだろう。壁がつくられたところでは不法入国は激減すると国境警備隊は言うはずだ。
 サンディエゴ(カリフォルニア州)は、米国で最も多くの不法入国があった。サンディエゴ住民や政治指導者の要求に応じて、頑丈な壁が導入された。この頑丈な壁は不法入国をほぼ完全に収束させた。
 メキシコとの国境都市であるテキサス州エルパソは、かつて、米国内で凶悪犯罪率が最も高い都市の一つで、最も危険な都市の一つと考えられていた。今は強力な壁のおかげで、エルパソは最も安全な都市の一つになっている。端的に言えば、壁は機能し、壁は人命を救う。
 だから、協力し、歩み寄り、真に米国を安全にする取引を成立させよう。
 我々は国民の安全を守るために働いている。経済の回復を速いペースで進めなければならない。
 昨年に創出された新規雇用の58%を占めた女性たちほど、私たちの発展する経済から恩恵を受けた人々はいない。すべての国民は、これまで以上に多くの女性が働けることを誇りに思うだろう。女性に参政権を与える憲法修正が議会で可決されてからちょうど1世紀、これまでで最も多くの女性が議会で活躍している。素晴らしい。おめでとう。
 あらゆる場面で女性の活躍する機会を改善する取り組みの一環として、我々は途上国の女性の経済的自立に焦点を絞った政府初の事業も始める。
 驚異的な経済の成功を築くためには、最優先事項として、数十年にわたる悲惨な貿易政策を転換させることだ。
 我々は中国に対し、長年にわたって米国の産業を狙い、知的財産を盗んできた今、雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい。
 我が国は最近、約2500億ドル(約27兆4000億円)の中国製品に関税を課した。財務省は今、中国から何十億ドルも受け取っている。しかし、我々を利用したと、中国を非難するつもりはない。私は、この茶番を許した我が国の過去の指導者と議員たちを非難する。私は習シー(近平ジンピン)国家主席をとても尊敬している。
 我々は今、中国との新しい貿易協定に取り組んでいる。しかしその新たな協定には、不公正な貿易慣行を終わらせ、慢性的な貿易赤字を減らし、米国の雇用を守るために、実質的で構造的な改革が含まれなければならない。
 もう一つの歴史的な貿易の大失敗は、北米自由貿易協定(NAFTA)として知られる大惨事だ。
 私はNAFTAによって夢を砕かれたミシガンやオハイオ、ペンシルベニア、インディアナ、ニューハンプシャー、さらに多くの州で男女に会った。何年もの間、政治家はより良い協定を交渉すると公約してきた。しかし、今まで誰も実行を試みなかった。
 我々の新しい「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」は、NAFTAに取って代わり、米国の労働者のために役割を果たすだろう。それによって、米国の製造業に雇用を取り戻し、米国の農業を拡大させ、知的財産を保護し、より多くの車に「メイド・イン・ザ・USA」の美しい四つの単語を誇らしげに刻印することを保証できる。
 私は今夜、相互貿易法を議会で通過させることを求めたい。他国が不当な関税を米国の製品に課したら、我々も彼らが売りたい同様の製品に全く同じ関税を課せるようにするためだ。
 両党は、米国のボロボロのインフラ再建という偉大な仕事のため団結できるはずだ。
 私は、議会がインフラ整備法案を通すことに意欲を持っているのを知っている。私は、未来の最先端産業のための投資を含めた、新しくて重要なインフラ投資を実行するための法整備で、あなたたちと一緒に働きたくてたまらない。これは選択の問題ではない。必要不可欠なものだ。
 私だけでなく、私たち全員にとって次の大きな優先事項は、医療と処方薬の費用を減らし、既往症のある患者を守ることだ。
 私の政権の努力の結果として、既に薬の価格は2018年に、46年間で最大の下げ幅を経験した。
 しかし、我々はもっとやらなければならない。米国人が、たいてい全く同じ場所で作られている全く同じ薬のために、他国の人より非常に高い金額を支払わされるのを受け入れることはできない。こんなことは間違っており不公平だ。力を合わせ速やかにやめさせたい。
 私は、医薬品開発費の負担が世界的に不公正になっている問題にようやく取り組み、米国の患者にとって公平性と価格の透明性を提供する法律を通すことを求めている。製薬会社や保険会社、病院に対し、競争を促し、価格を下げるために実際の価格を開示することも要求すべきだ。
 歴史上、米国の自由ほどの力を持って、人々の境遇を進歩させたものはほかにない。ここ数年で我々は、HIV(エイズウイルス)との闘いで目を見張る進展を遂げた。科学の飛躍的進歩は、遠い夢を手の届く距離に引き寄せた。私は、10年以内に米国でHIVの流行を確実になくすために必要な予算を民主党と共和党に求めたい。一緒に米国のエイズに打ち勝とう。
 今夜、私は全ての米国人が支持できる別の闘いに参加することも求めている。それは小児がんとの闘いだ。
 観客の中で今晩メラニアと一緒にいるのは、とても勇敢な10歳の女の子、グレイス・イラインだ。やあグレイス。彼女は4歳の時から誕生日のたびに、セントジュード小児研究病院への寄付を友人に呼びかけていた。彼女は自身が、患者になる日が来るとは思わなかった。それが起こった。昨年、グレイスは脳のがんと診断された。すぐに彼女は放射線治療を始めた。同時に地域に呼びかけ、がんとの闘いのために4万ドル以上を集めた。彼女が昨秋、治療を終えた際、「化学療法の最終日」というポスターを掲げると、彼女の医師や看護師が目に涙をためて喜んだ。ありがとうグレイス、あなたはこの部屋にいる全員の励みだ。
 多くの小児がんは新しい治療法が見つかっていない。私は、命を救う重要な研究のため5億ドルの予算を議会に求めている。
 共働きの親を助けるため、米国の子供たちのための公立学校選択制を通す時が来た。私は、有給の家族休暇を全国的に導入する計画を予算案に含める最初の大統領となることを誇りに思う。親がみな、生まれたばかりの子供と親密な絆を結べるようにするためだ。
 母親が幼児を抱く美しい映像と比べ、我々の国で最近流れた身も凍るような映像ほど、大きなコントラストを示すものはない。
 ニューヨークの議員は、生まれる寸前の赤ちゃんを中絶できるようにする法案の通過を喜んだ。こうした赤ちゃんは、生きていて感覚を備える美しい存在なのに、この世の愛も夢も決して触れられない。バージニア州の知事に至っては、その発言で、出産後に赤ちゃんを処刑する意図まで示した。
 全ての人の尊厳を守るため、私は、母親の胎内で子供が痛みを感じることができる妊娠後期の中絶を禁止する法案を通過させるよう求めている。
 無垢(むく)の生命を大事にする文化を共に築こう。根本の真実を再確認しよう。生まれた子もこれから生まれる子も、神の神聖な御姿をかたどったものだ。
 私の計画の最後は米国の安全保障についてだ。
 ここ2年以上、昨年は7000億ドル、今年は7160億ドルをかけて、我々は米軍を全面的に立て直すことに着手してきた。我々は他の国々に対して公平な分担をさせている。やっとだ。長年の間、米国は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国である友好国から非常に不公平に扱われてきた。しかし、この2、3年でNATOの同盟国による1000億ドルを超える防衛支出の増額を確保した。彼らができないと言っていたものだ。
 軍増強の一環として、米国は最新式のミサイル防衛システムを開発している。
 私の政権下では、米国の利益を促進したことを巡って我々が謝ることは決してない。
 例えば、数十年前、米国はロシアとミサイル能力を制限し、縮小する条約を締結した。我々が合意とルールを誠実に守る一方、ロシアは長年、繰り返し取り決めを破ってきた。それが、私が中距離核戦力(INF)全廃条約から正式に離脱することを発表した理由だ。それ以外に選択肢がない。
 おそらく我々は中国やその他を加えて異なる合意を交渉できる。もしできなければ、我々は、ほかのどの国もはるかにしのぐ費用をかけて技術革新を行い優位に立つ。
 大胆で新しい外交の一環として、我々は朝鮮半島での平和のために歴史的な努力を続けている。我々の人質は帰国した。核実験は止まった。ミサイル発射は15か月間、行われてこなかった。私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の考えでは、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっていただろう。多くの仕事が残っているが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と私の関係はよいものだ。金委員長と私は2月27、28日にベトナムで再び会う。
 2週間前、米国は正統なベネズエラ政府および新しい大統領、フアン・グアイド氏を正式に承認した。ベネズエラの人々の高貴な自由の追求を支持する。マドゥロ政権の残忍性を非難する。彼らの社会主義政策は、南米で最も裕福だった国を、みじめな貧困と絶望の国に転落させたた。
 ここ米国で、我々の国に社会主義を採用しようという新たな要求を警戒している。米国は、政府の強制でも支配でも統制でもなく、自由と独立の上に築かれた。我々は生まれながらに自由で、自由であり続ける。今夜、米国が決して社会主義国にならないという決意を再確認する。
 我々が長年にわたって直面する試練の中でもとりわけ複雑なものの一つは、中東にある。
 我々の取り組みは、原則にのっとる現実主義に基づいている。何十年も進展がなかった信用できない理論ではない。だからこそ我々の政権は、イスラエルの真の首都を認め、誇りを持ってエルサレムに大使館を開いた。
 我々の勇敢な兵士は今、ほぼ19年間にわたって中東で戦ってきた。アフガニスタンとイラクでは7000人近い米国人の英雄が命をささげた。5万2000人以上の米国人が重傷を負った。我々は7兆ドル以上を中東での戦闘で費やしてきた。
 大統領候補として、私は新しい取り組みを声高に約束した。偉大な国は、終わりなき戦争はしない。
 私が就任した時、イスラム過激派組織「イスラム国」はイラクとシリアの2万平方マイル以上を支配していた。今日、血に飢えた怪物の支配から、我々は実質的に全領土を解放した。
 「イスラム国」の残党を壊滅するため、同盟国と連携して取り組んでいる今、我々のシリアにいる勇敢な戦士に温かい「お帰りなさい」を贈る時だ。
 私はまた、アフガニスタンで政治的解決を、可能なら実現させるための交渉を加速させてきた。敵対勢力もまた、交渉が行われていることをとてもうれしく思っている。我々の軍は比類なき勇猛さで戦ってきた。そして、彼らの勇気のおかげで、我々は今、この長く血を見るような紛争の政治的解決となりうることに取り組むことができる。
 アフガニスタンで私の政権は、(旧支配勢力)タリバンを含む数多くの勢力と建設的な対話を行っている。これらの交渉が進展すれば、我々の軍の駐留部隊を減らし、テロ対策に集中することができるだろう。我々は実際にテロ対策に集中する。(和平)合意を実現できるかどうかはわからない。しかし、20年に及ぶ戦争を経て、少なくとも和平達成に向けて努力する時が来たことを我々はわかっている。相手も同じことをしたいと思っている。その時だ。
 敵味方の区別なく何より重要なのは、国民を守ろうとするこの国の力と意思を疑ってはならないことだ。18年前、テロリストたちは米駆逐艦「コール」を襲撃した。そして先月、米軍はこの襲撃の首謀者の一人を殺害した。
 我々は今夜、トム・ウィバリーが参加してくれたことを光栄に思う。彼の息子で海軍上等兵のクレイグ・ウィバリーは、我々が悲劇的に失った17人の乗組員の1人だった。トム、我々はいつでも、駆逐艦コールの英雄たちを記憶にとどめると誓う。ありがとう、トム。
 私の政権は、世界で有数のテロ支援国家であるイランの急進的な政権に立ち向かうため、断固とした態度で行動してきた。急進的な政権だ。彼らは本当に悪いことをする。
 この邪悪な独裁政権が核兵器を決して保有しないことを確実にするため、私は破滅的なイラン核合意から米国を撤退させた。そして我々は昨年秋、米国が一国に科すものとしては最も厳しい制裁を発動させた。
 我々は、米国に対して死を唱え、ユダヤの人々に対して集団虐殺を行うと脅す政権から目をそらさない。反ユダヤ主義という卑劣な害毒、その悪意に満ちた信念を広める人々を、決して無視してはならない。我々は一致団結し、こうした憎しみがいかなる場所で生じたとしても、立ち向かわなければならない。
 わずか数か月前のことだが、(東部)ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)「生命の木」で、ユダヤ系米国人11人が反ユダヤ主義の襲撃によって残忍な形で殺害された。SWAT(警察特殊部隊)のティモシー・マットソン隊員は銃撃のさなかに突入し、7回撃たれながらも犯人を追跡した。そして非常に成功した。ティモシーは12回目の手術を受けたばかりで、さらに多くの手術を受ける。しかし、今夜、我々と共にここにいるために駆けつけた。マットソン隊員、ありがとう。我々は、永遠に感謝する。本当にありがとう。
 今夜、ピッツバーグの事件の生存者ジュダ・サメットも参加している。彼は、虐殺が始まった時にシナゴーグに到着した。しかし、彼は昨秋、死を免れただけではない。70年以上前、ナチスの強制収容所でも辛うじて生き残ったのだ。今日はジュダの81歳の誕生日だ(拍手。誕生日を祝う歌が歌われる)。彼らは私のためにそうしてくれないよ、ジュダ。ジュダは、約75年前、強制収容所で10か月間過ごした後、家族と列車に乗せられ、別の収容所に行くと言われたまさにその時を、今でも思い出すことができると言う。突然、列車がキーッと音を立てて止まった。1人の兵士が現れた。ジュダの家族は最悪の事態を覚悟した。そのとき、彼の父親は大きな喜びの声を上げた。「米国人だ、米国人だ」と。
 今夜ここにいる、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き抜いた2人目の人物のジョシュア・カウフマンは、ダッハウ強制収容所の捕虜だった。彼は、家畜運搬車の壁の穴をのぞき、米兵が戦車で続々とやって来るのを見たことを覚えている。ジョシュアは「私にとって、米兵は神が存在するという証しであり、彼らは空から下りてきた。彼らは天国から下りてきた」と回想する。
 今晩、私はまず、第2次世界大戦中の「Dデー」(ノルマンディー上陸作戦の決行日)に戦った兵士3人を称賛することから始めた。そのうちの1人がハーマン・ゼイトチクだった。
 だが、ハーマンの物語はもっとある。ハーマンはノルマンディー海岸を急襲した1年後、ダッハウ(強制収容所)の解放を手助けした米兵の1人だった。彼は、この世の地獄からジョシュアの救出を支援した米国人の1人だった。75年近くがたち、ハーマンとジョシュアは今夜、ギャラリーの中に共にいる。米国の自由発祥の地であるこの場に、隣り合って座っている。ハーマンとジョシュア。あなたたちが今晩ここにいることにとても感謝している。
 1944年、Dデーの早い時間帯、英仏海峡の暗い空の下で米兵が作戦に着手した時、彼らは18、19歳のただの若者だった。不安定な上陸用舟艇で、戦争の歴史の中で最も重要な戦闘へと突き進んでいったのだ。
 彼らは、その時を生き残れるのかわからなかった。年を重ねられるのかもわからなかった。しかし彼らは、米国が優勢でなければならないことはわかっていた。この国家、そして、まだ生まれていない世代(のために戦うこと)が彼らの大義だった。
 なぜ彼らはそうしたのか。米国のため、私たちのためにそうしたのだ。
 共産主義への勝利、科学と発見の大いなる飛躍、他の追随を許さない平等と正義への前進――。全てが、先人の血と涙と勇気、先見の明のおかげなのだ。
 この議事堂に思いをはせよう。あなたたちより前に(ここにいた)議員たちが、奴隷制に終止符を打ち、鉄道や高速道路を建設し、ファシズムを打ち倒し、公民権を獲得し、悪の帝国を屈服させるために投票を行った、まさにこの議場に思いをはせよう。
 今夜ここには、この壮大な共和国の各地から来た議員たちがいる。メーン州の岩石の多い海岸やハワイ州の火山の峰々から。ウィスコンシン州の雪深い森やアリゾナ州の赤い砂漠から。ケンタッキー州の青々とした農地やカリフォルニア州の黄金の砂浜から。我々は共に、歴史上最も類いまれな国家の議員を務めている。
 我々はこの瞬間、何をしようとしているのだろうか。我々はどのように記憶に残るのだろうか。私はこの議会の男女に求める。目の前にある機会を見よ! 最も感動させる偉業が、まだこの先にある。最も刺激的な旅が、まだこの先に待ち受けている。我々の最大の勝利はまだ先のことだ。我々の夢はまだ始まっていない。
 我々は、不一致によって規定されてしまうのか、勇気を持って違いを乗り越えていくのか、選ばなくてはならない。
 我々は、受け継いできたものを無駄遣いするつもりなのか、あるいは、米国人だと誇らしげに宣言するつもりなのかを選ばなければならない。我々は信じられないようなことをする。我々は不可能なことに挑む。我々は未知なるものに打ち勝つ。
 今こそ米国の想像力を再び燃え上がらせる時だ。最も高い頂を目指し、何よりも輝く星を目指して目標を設定する時だ。我々を市民として、隣人として、愛国者として結びつける愛と忠誠、そして記憶の絆をよみがえらせる時だ。
 これが我々の未来であり、運命であり、選ぶ道だ。私はあなたたちに偉大さを選ぶよう求めている。
 どんな困難に直面しようと、どんな難問が降りかかってこようと、我々は共に前進しなければならない。
 我々は、心の中に「米国第一」を掲げなければならない。魂の中に自由を息づかせなければならない。そして、神のみもとにある一つの国として世界各国の希望であり、期待であり、光であり、名誉であるべきだ――という米国の運命にいつでも信念を持ち続けなければならない。
 ありがとう。みなさんに、そして米国に神のご加護がありますように。そして、おやすみなさい。
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ecoamerica · 2 months
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Watch the American Climate Leadership Awards 2024 now: https://youtu.be/bWiW4Rp8vF0?feature=shared
The American Climate Leadership Awards 2024 broadcast recording is now available on ecoAmerica's YouTube channel for viewers to be inspired by active climate leaders. Watch to find out which finalist received the $50,000 grand prize! Hosted by Vanessa Hauc and featuring Bill McKibben and Katharine Hayhoe!
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yoghurt-freak · 2 years
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甘糀ヨーグルト
「くらべてセット」8点目。
2021年4月21日、「創造性とイノベーションの世界デー」に合わせて発売された西山酒造場さん×ヒラヤミルクさんコラボの品✨
スペック
糀甘酒・原料乳・乳酸菌をこのカップに充填して一緒に発酵させた「後発酵」のヨーグルト。
カップの中で発酵して固形になってるから、飲む前によく振って自分でほぐすのがおもしろい😆
菌はサーモフィラス菌・ブルガリア菌・ビフィズス菌。
「ama you」がポルトガル語で「あなたを愛しています」って意味らしくて、パッケージには大きなハートが❤️
西山酒造場
高浜虚子命名の「小鼓」の銘柄で知られる丹波の酒蔵さん。
兵庫名産の山田錦や地元のお米、敷地内の湧き水を使って清酒を醸造🍶
甘酒を使ったヨーグルトはこれの他に、丹波乳業さんとのコラボ品も!
ヒラヤミルク
平林乳業さん。
丹後の久美浜で生産から製造・販売までを一貫。
稲作に苦戦する中、役用を兼ねた乳牛を1頭仕入れたことから始まるそう🐄
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
振ってると、あぁほぐれてきたな💕って手応えがあるのが楽しい😊
ストローついてるねんけど、撮影のために開封失礼します🙏
おぉーーー、とろみかなり強め!!
色はハヤチネフーズさんに比べて明るく白に近いクリーム色。
香りが全っっっっ然違う!!
甘酒ってさらに発酵させたらこんな香りになるんや😳💕
燻製されたみたいに深く感じる、めちゃ不思議。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
濃っ厚!!!!!
甘くておいしい😍💕
これもお砂糖不使用で、お米の甘みなんよなぁ。
甘酒ってすごいな✨
でも激甘系のヒラヤミルクさんにしては穏やかな甘さで嬉しい😊
単体で飲んでた時は気づかんかったけど、他社さんのと比べてみると香りが奥深くて、ぶわんと広がる感じがする。
熟成されたような感覚。
ストローで飲んでみると、重くてほっぺ凹ましながら頑張って吸う感じがまたいいなぁ😚
低脂肪なんて信じられんぐらいこっくりしてて大満足!!
濃厚すぎてカップ内にたくさん残るので、開封必須🥄
🛒 丹波酒造直送 小鼓.com
============================ 無脂乳固形分 8.0% 乳脂肪分 1.5% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 111kcal たんぱく質 4.0g 脂質 1.8g 炭水化物 19.8g 食塩相当量 0.1g カルシウム 110mg ※全量は125g ————————————————— 原材料名 甘酒(米、米麹)(国内製造)、牛乳、乳製品 ————————————————— オンラインショップ価格 125ml×8本 2,592円(税込) ————————————————— 製造者 平林乳業株式会社 販売者 株式会社 西山酒造場 ============================
中身
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2021年4月29日のレビュー
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4/21、「創造性とイノベーションの世界デー」に合わせて新発売🎉
西山酒造場さん×ヒラヤミルクさんコラボの甘糀(あまこうじ)ヨーグルト!
サンプルを贈ってくださいました、ありがとうございます🙏✨
これもインスタライブで試飲させてもらったの、改めてレポ!
飲み比べ楽しかったなぁ。
ヒラヤミルク
丹後は久美浜にて生産から製造・販売まで一貫される乳業メーカー、平林乳業さん。
昭和24年、稲作に苦戦されるなか、役用を兼ねて乳牛1頭を導入🐄
昭和31年にはヒラヤミルクが確立し、昭和62年にヨーグルトの製造も開始。
平成9年にはジャージーヨーグルトも製造開始🐂
スペック
糀甘酒・原料乳・乳酸菌をこのカップに流し込んで発酵させたヨーグルト。
おもしろい!!!
丹波乳業さんコラボの「甘酒ヨーグルト」は出来上がったヨーグルトに甘酒を混ぜたものやけど、これは甘酒も一緒に後発酵😳
そうすると何が違うって、容器の中でヨーグルトに仕上がるから固形!!
のむ直前によく振ってほぐしてからストロー刺すといいみたい。
ヒラヤミルクさんの商品で「よ~ふるヨーグルト」っていうのがあって、これものむ前に振って攪拌するタイプ。
まさか甘酒でも同じスペックで出されるとは😆
一緒に発酵させることで味に一体感も出るそうな。
ちなみに使用されてる菌はサーモフィラス菌・ブルガリア菌・ビフィズス菌の3種。
低脂肪・高糖質やからトレーニング前の栄養補給に活用💪🔥
パッケージデザイン
ama you・gurtと不思議なところに中黒。
と思ったら、「ama you」がポルトガル語で「あなたを愛してます」っていう意味があるねんて❣️
なるほど、それでハートのデザイン❤️
象形文字っぽいあしらいも可愛い🐄
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
しっかり振って凝固ほぐし。
振ってると手応えが変わるから「あっ、ほぐれてきた😍」ってわかる!
“ストローで食べるヨーグルト”ってキャッチコピーがついてるところ申し訳ないけど、撮影用に開封🙏👀
色は淡いベージュで「甘酒ヨーグルト」に似た感じ。
コップに注いでみると…
うわぁぁぁぁ💕💕💕
ぬーーーーーーーーーんって流れ落ちる質感、たまらん!!!!!
めちゃめちゃ萌えるーーーーー!!!!!!
甘酒のふんわりした香りも食欲そそる!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おいしーーー😊
まったり穏やか💕
なめらかで優しくてほっこりする。
甘酒の風味もちゃんとあるねんけど、不思議と際立ちすぎず。
これが一緒に発酵させたことで生まれる馴染み感なんかな🤔
低脂肪やから軽いかと思いきや、かなりのこっくり感。
お米さまさま🙏🌾
ヒラヤミルクさんって超甘党な印象やったけど、これは普通の甘さで非常に飲みやすい。
むしろ「甘酒ヨーグルト」と飲み比べると控えめに感じられるぐらい。
あとおもしろかったのが、コップ飲みとストロー飲みの違い。
コップから飲むとモチっとザラっと感。
ストローで飲むとめちゃめちゃ滑らか😳
食感も香りも甘味もガラッと変わるから、何本か買って飲み方変えるのもおすすめ✨
ちょうど今は発売キャンペーン中で、8本入り注文したら甘酒フェイシャルマスク「真!!素滴」が2枚ついてくるって😍
5/31まで!
甘糀ヨーグルトは受注生産につき、毎週水曜に締めて翌週火曜に一斉出荷。
ご入用の際はお早めに💁🏻‍♀️
🛒 丹波酒造直送 小鼓.com
============================ 無脂乳固形分 8.0% 乳脂肪分 1.5% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 111kcal たんぱく質 4.0g 脂質 1.8g 炭水化物 19.8g 食塩相当量 0.1g カルシウム 110mg ※全量は125g ————————————————— 原材料名 甘酒(米、米糀)(国内製造)、牛乳、乳製品 ————————————————— オンラインショップ価格 125ml×8本 2,592円(税込) ————————————————— 製造者 平林乳業株式会社 販売者 株式会社 西山酒造場 ============================
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ignitiongallery · 6 years
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恋は水色
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詩人・菅原敏と、ピアニスト・横山起朗による、夏の夜。
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日程:2018年8月25日(土) 開場:19時 開演:19時45分 会場:nicolas(東京都世田谷区太子堂4-28-10 鈴木ビル2F パン屋さんの2階) 料金:4500円(nicolasの前菜&メイン&デザート&1ドリンク付き) 出演:菅原敏(詩の朗読)、横山起朗(ピアノ)
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「恋は水色」  菅原敏
ありとあらゆる世間のうわべに 
背を向け ただひたすらに  
微笑みだけを追いかけて  
たどり着いたこの島に 
足りないものなど 何ひとつなく 
真夜中にタクシー飛ばして隣の島 
いくつもの列島 はしごすれば 
朝焼けのかもめ 
昨夜の嘘を海に撒き散らし 
仰向けに倒れこんだ甲板 
ぎらりと光る太陽に目をくらませ 
錠剤を探すポケットに 
数枚の貝殻 
粉々になって尻の下 
かつての夏を繰り返し 
濡れたからだでレコードに 
針を落として 
恋は水色
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お申し込み:下記アドレスまで必要事項を明記のうえ、メールをお送りください。 [[email protected]]
件名「恋は水色」 1.お名前(ふりがな) 2.当日のご連絡先 3.ご予約人数 *ご予約申し込みメール受信後、数日以内に受付確認のメールをお送り致します。 *メール受信設定などでドメイン指定をされている方は、ご確認をお願い致します。 *当日無断キャンセルの方にはキャンセル料を頂戴しています。
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菅原 敏(すがわら びん)
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詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。執筆活動を軸に、異業種とのコラボレーション、ラジオやテレビでの朗読、デパートの館内放送ジャック、ヨーロッパやロシアでの海外公演など幅広く詩を表現。 Superflyへの歌詞提供、東京藝術大学大学院との共同プロジェクト、美術家とのインスタレーションなど、音楽や美術との接点も多い。 現在は雑誌「BRUTUS」や「GINZA」webほか連載も多数。2017年7月に新詩集『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)を上梓。 http://sugawarabin.com/
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横山起朗 / ピアニスト
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ポーランド国立ショパン音楽大学にてピアノを学ぶ。駐日ポーランド大使館にて催された日本とポーランドの国交復興60周年の式典に招待され、自作曲をピアノで演奏する。 現在は宮崎、東京、ポーランドを拠点に演奏活動を行い、CMやテレビ番組、宮崎県庁にてノー残業デーの退庁促進の音楽を制作するなど、日本と海外を行き来し幅広く活動する。 http://www.tatsuroyokoyama.com/
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nicolas
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三軒茶屋にあるカフェ。茶沢通り沿いパン屋さんの2階にあります。 http://www.nicolasnicolas.com/
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写真:三田村亮
題字:扇谷一穂
企画:熊谷充紘(ignition gallery)
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notenoughtoplay · 3 years
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a letter of sorts vol. 16 あらゆる面で吠えつづける星たち(未完の詩)
(2021年3月24日、以下の文に記したバンドの最初のドラマーが亡くなったことを日本時間同月25日の朝SNSで知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます)
花をたっとぶにはたっとい花のたとえばなしから。    たっとい花を  そのたっとい花の名を  おぼえていよう  おぼえていなければいけない    その花を  そのたっとい花を  知らない人がいるなら  伝えなければいけない  たっとい花の名を伝え  たっとい花について伝えなければ    思い出してから  その日も次の日も  たっとい花のバンドの名を  SNSで検索してみる  毎日投稿は増えていく    誰かしら 世界のどこかで  たっとい花のはなしをしている  たっとい花のうたう歌が好きで  たっとい花のタップする足を思い出しながら聴く  たっとい花のうたう言葉が大好きだったのに    しばらく  それもずいぶんと長くしばらく  たっとい花のことを忘れていた    話題になった小説を読み終えて  ふとたっとい花のことを思い出した  たっとい花をたどって  トンネルの先の光に向かっていく
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 その人は唄った。  石鹸とスープと救いの歌を高らかに。  ひとつの才能はみんなへの贈り物とも。  運命は不親切で  ドアを閉めたカギは置いていかないとも。    表紙の厚いマルマンのノートに、  その人の歌を記してた。  「こんな気持ちが罪なら私は有罪になる」。  ノートはどっかにいっちゃったけど、  筆圧だけは残ってる。    そのレコードから36年。  その人は唄ってる。  偶々(ということにしておいてくれ)、  その人のことを、  その人の歌を思い出すことがあった。  偶々さがしてた歌の横にあった。  そしてそのまま、  さがしはじめた。  動画サイトにはデビュー前の録音もあって、  バンドの頃もソロになってからも、  38年分の歌声を聴けた。  思ったよりずっと、  簡単に聴けた。  その人のsinging、その人のsoul、その人のsaintliness。  いや、それは大げさだな。  では言いなおして、  その人のsinging、その人のsoul、あとその人のChristianity。  これは知っていた、多少なりとも知っていた。  昔は見る機会が少なくてわからなかったことを、  いまになっていくつも知ることができた。  その人のstep、その人のspoken words、  と、  昔は好きになれなかった、その人の (the hit) single。  気づいてから何度も聴いている。  長かったことに気づいてから。  そして、  長く忘れていたことを悔いあらためながら。  長かった分の反動だろうか、  その人のstageを見る。  次の日もその人のstageを見る。  次の日もその人のstageを聴く。  次の日もその人のstageをさがすために  こちらはstareしつづける。  それはその人の目ヂカラに負けたくないとか、  そんなつもりではない。
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 ポスターとかさがせばあったのかもしれないけど  買って壁に貼ってた記憶もない  発売日にレコードを買いに行ったのも  ソロになるまでなかったはずだ  ロッキンオンに載ってたピンナップは  切って持ってた記憶もあるけど  ケースに入れて下敷きにしてたとか  そんな記憶もない  (そもそもあの頃、もう下敷き使ってなかった気もするな)  FMステーションについてたカセットサイズの写真を  ケースの表に入れてたのは  最初は貸しレコード屋で借りてきたという  事象の現れでもあるわけで  僕はまぁそのくらいのファンでしかない  ほかのたくさんの大好きだったアーティストと  その人との違いは  その人のレコードには歌詞の訳がなくて  ノートを作らざるを得なかった  そんなノートを作らせたのも  雑誌が出て半年たってから  あの25文字に気づいたからだった。  誰があの25字を書いたんだろう。    ほかのたくさんの大好きだったアーティストと  その人との違いは  詞のノートを記した  それだけのことだ。    その人には失礼かもしれないけど  その人がバンドをギリシャ悲劇の幕間のサテュロスに譬えようが  母親との折り合いがいかに悪かろうが  厳密には自分はレズビアンで、とつぶやこうが  わりと僕にはどうでもよくて  (僕に人の感情も嗜好も厳密になど区切れないってことを教えてくれたのはあなたの詩と歌じゃないのってことくらいは思うけど)  その人が歌をとどけてくれれば  その人がstageで唄ってくれれば、  それでいい。  まぁ、そのくらいの水準のファン。    動画サイトにはコメントをつける人がいるから、今もって  その人が愛されていることも  その人の歌を渇望する人がいることも  その人が悲しみを詩に昇華して  それを讃える人がいることも見える  そんな言葉を目にできる今は昔よりちょっといい時代かもしれない  でも35年は長い  ちょっと思い返すとつらいことがあって  この前その人が来日したときのライヴをみていないのだ  その頃もうTwitterははじめてたけど  観られなかったとかつぶやいてもない  あの時、たしか電車の中吊り広告  会場のライヴハウスの広告で知った  行けなかった理由など思い起こしてもみつからない  その時自分が失業してて  行くお金がなかったんだだけの話  だから忘れたかったんだ  少なくともその時は  だからその人のライヴには  いまだに27年前の晩冬の一度しか行ったことがない  あの頃はネットもなかったから  どの曲を演るかなんて調べようもなかった  だからあの時  演るわけないと思ってたバンド時代のテーマ曲を演ってくれて  うれしかった  出だしのコールに  僕も客席か��レスポンスでこたえた  あそこで叫べるのはうれしかった  けど27年経つと感触もちょっとおぼえてなくて  その頃のライヴを聴きながら  ぼやけた画で心象返しを試みる    その人は生まれた「大陸」国より  「島国」で人気が高い人  「島国」とその近辺の大陸での大ヒット曲も  生まれた「大陸」国でヒットしていない  どうやら「島国」周辺の多数の人に  その人はナツメロの一発屋歌手と  いまだに思われてるらしい  でもその人は「大陸」の���端の  イイトコの出のひとなんだ  だからバンドのテーマ曲は  「エデンの東」だったのである  その人がなまじ歌がうまいもんで  みんな「歌手」だと思っちゃう  世の大勢は「シンガーソングライター」って  もっと歌がヘタでボソボソ唄うと思っちゃう    その人は世の中におけるふたつの術語  「歌手」と「シンガーソングライター」への  思い込みを可視化してくれる人  時に低く時に気まぐれに高い両者の垣根を  ときおりかるがる越える人    動画サイトで音だけ入った  その人の素晴らしいライヴを聴いた  そこに誰かがコメントつけてて  僕の気持ちをそのまま言ってた    「彼女がそこにいて、足で床をたたいて脚を揺らしてギターひっかきならす時。もうただほかにこんな人はいないよ!このライヴにはそこが全部入ってる!」    このコメントが好きな点は  「足」の話からはじまる点で  なにしろその人がバンドにいたときは  ライヴは観られなかったのだから  やむなく同じひとつのライヴをヴィデオでくりかえし観てたから  だいたいわかってはいたんだけど  言われりゃあの左足と右脚を  やはり思い出してしまうワケで    その人が厚底靴の左足で  床を(どんっどんって)たたいて  右足だけで踏ん張っているのに  しだいに脚だけが動き出すとき  ああ、やっぱりこの人はリズムギターを弾いてうたう人なんだなって  そのうたう姿をみながらこちらもひっそりと思うワケで    もう30年以上前だけど  その人がソロになってまもない頃  なんでそんな痩せてないといけなかったんだと思う頃だけど  深夜のジャズ番組に  それこそダロウェイ夫人ばりのパーティドレスで  ヴァン・ダイク・パークスと共演して  リトル・フィートのあの靴の歌をうたうとき  あのとき画面の下のほうに  わずかに足がうつってて、なんか  「クラリッサはそのとき、なにか居てもたってもいられないものを感じた」みたいな  歌に入る時に床をどんっとたたいたあの画が忘れられない  なにを唄ってもうまいんでよけいに忘れられない    そこから28年ほどたって  その人がセント・パトリック・デーに  「島国」の教会の前でうたう動画をみた  「最近この曲うたってないんだ、  だってロックンロールじゃないもん」って言ってから  そのときから27年前の大ヒット曲を  ひとりギターを弾いてうたった  27年前とかわらない  というか27年前よりうまいんじゃないか  なんて思ったとき  その人の左足がどんっ、どんっ、どんっって  床をたたくのを見たときに  手前勝手に泣いてしまった  ほんとうに手前勝手に泣いてしまった    陸から陸へ  父から子へ  土でも砂でも  過ぎ去っていく    その人が36年前にうたった歌を  これも手前勝手に思い出す    誰があの25字を書いたんだろう。
 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 これは長篇詩になっていく 35年分の詩になっていく 35年をぶつけるのに200行を越えちゃったけどぶつけるだけでは誰も読んでくれないので詩のかたちにしているだけ  この長篇詩はまだ続くけど 未完の経過をあげておく 終わりかただけは決まっているので 終わりもつけてあげておく その人のうたう姿が大好きだ その人の歌が大好きだ
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 11月1日(火) #大安(戊午) 旧暦 10/8 月齢 6.7 上弦 年始から305日目(閏年では306日目)にあたり、年末まであと60日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 月が変わり今日から11月です🤚 45/43週目の火曜日で今年も残り が丁度、60日です💦早いです💦 それは自然の法則という事で仕方 ないのですが、出勤時間が益々と 早くなると云うのも💢いい加減 せい💢💢💢になりますよ⤵️⤵️ 完全に労働収容所です💦そんな 事もあって、毎日の自炊も洗濯も やる気が失せてスランプ状態です⤵️ そこ言うと女性の方って凄いです よね🤣😆🤣家事もして仕事も してって、よく続くって脱帽💦 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #マープの日.  増毛や育毛サービス、ヘアケア商品の販売など毛髪に関するさまざまな事業を展開する株式会社アートネイチャーが制定。  同社の男性向け製品の「MRP(マープ)」シリーズは、1本1本の自毛に人工毛を結びつけるもので、欲しいところに 欲しい分だけ増毛できる技術。 この「MRP」をより多くの人に知ってもらい、実際に体験してもらうことで、髪を増やすだけでなく笑顔と自信 を増やしてほしいとの願いが込められている。 日付は「MRP」は一本一本の地毛に人工毛を結びつける技術であることから、11と1を合わせた111の真ん中の1を 自毛に見立て、その両隣を人工毛の1と捉えて、1が3つ並ぶ11月1日としたもの。 . #大安(ダイアン). 六曜の中で最も吉の日とされる。 何事においても吉、成功しないことはない日とされる。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #母倉日(ボソウニチ).  暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ).  何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。 . #三隣亡.  建築関係において大凶日。 この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣を滅ぼすと云われる日。 棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日。 . #ひとのわの日.#名木伝承の日#V9読売ジャイアンツ.#サルわかコミュニケーションの日. #ラジオ体操の日.#地方港混載の日.#ダーツの日.#グリーン電力証書の日. #サステ���ブルU.S.ソイの日.#低GIの日(#低GI週間)11月1日から11月7日まで. #本の日.#ベイクチーズタルトの日.#ロンパースベア1歳の誕生日の日. #いい医療の日.#ソーセージの日. . ●スーパーカーの日.●犬の日.●灯台記念日.●寿司の日. ●自衛隊記念日.●古典の日.●深川!マイ・米・デー. ●本格焼酎の日.●泡盛の日.●警備の日.●ウェザーリポーターの日. ●キクマサピンの日. . ●点字記念日.●年賀状を考える日.●いい姿勢の日.●釜飯の日. ●あずきの日.●野沢菜の日.●川の恵みの日.●紅茶の日. ●計量記念日.●生命保険の日.●Ⅲ型コラーゲンの日. ●サービス介助の日. . #ダブルソフトでワンダブル月間. . ●生命保険見直し月間(1日から30日).●玄米茶の日. ●全国家具の日.●新米穀年度. #Myハミガキの日(毎月一日). . ●資格チャレンジの日(毎月1日).●省エネルギーの日(毎月1日). ●教育・文化週間(#教育の日、11月7日まで). . ●諸聖人の日・#万聖節(カトリック).●全聖徒の日(プロテスタント). ●メキシコ死者の日.●アンティグア・バーブーダ独立記念日. ●アルジェリア革命記念日.●世界ヴィーガン・デー. . . ■本日の語句■. #膳は急げ(ゼンハイソゲ). 【解説】 成句(セイク)。 良いと思った事は、躊躇(タメラ)ったり躊躇(チュウチョ)したりせずに、直ぐに急いで実行するべきだと云う事。 「良い事はためらわず直ぐに行え。」 . . 1953(昭和28)年11月1日(日)先負. #石丸謙二郎 (#いしまるけんじろう) 【俳優、声優、ナレーター】 〔大分県大分市〕. . . (Ozu-machi Kikuchi-gun, Kumamoto, Japan) https://www.instagram.com/p/CkZPMy3hPY0hEcsUqzsXrR0dlKUVjzA0KjisM40/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ecoamerica · 2 months
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Watch the American Climate Leadership Awards 2024 now: https://youtu.be/bWiW4Rp8vF0?feature=shared
The American Climate Leadership Awards 2024 broadcast recording is now available on ecoAmerica's YouTube channel for viewers to be inspired by active climate leaders. Watch to find out which finalist received the $50,000 grand prize! Hosted by Vanessa Hauc and featuring Bill McKibben and Katharine Hayhoe!
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(64)
『強靭な国家』を造る(1)
「少子高齢化問題がもたらすもの」(補足)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 今回からメルマガ第4編を再開させていただきま
す。しばしの「充電期間」を頂いている間に、国内
外で様々なことが発生しました。個人的に最もショ
ックを受けたのは、何と言いましても、4月6日に
発生した沖縄・宮古島近海における陸上自衛隊第8
師団所属ヘリコプターの事故でした。
私自身は、若い時分に航空宇宙���学、なかでもヘリ
コプター工学に関心を持って学んだことや現役時代
にUH60の機種選定にも関わった経験があること
に加え、宮古島という現在の我が国防衛の最前線で
起きた事故であるとか、昔からよく知る師団長をは
じめ、「身の危険を顧みず」と誓って国防に人生を
捧げている10名の自衛官たちが事故に巻き込まれ
たことなどが重なって、言葉で言いつくせないほど
ショックを受け、ただただ残念無念で心が痛み、呆
然自失の状態の中で祈るばかりの日々が続いており
ました。
本メルマガが発刊される25日当日まで、行方不明
者の捜索や救出などがどれほど進展しているか不明
ですが、1日にも早く、本事故に遭遇した自衛官達
全員がご家族のもとに帰れることをひたすら祈って
おります。
▼第4編を取りまとめるにあたって
 
さて、頂いた読者反響の中に、本メルマガのデータ
について語っておられた方がおりました。遅ればせ
ながら御礼申し上げます。実は、本メルマガ『我が
国の未来を見通す』を発刊しようと決心した時、最
も悩んだのはメルマガの“スタイル”でした。その
時にヒントになったのが、『Numbers Do
n‘t Lie』(カナダ・マニトバ大学特別栄誉
教授バーツラフ・シュミル著)でした。本書は、サ
ブタイトルが「世界のリアルは『数字』でつかめ!」
となっているように、広範囲にわたるテーマを細部
までに“見える化”する手段として、信頼できる数
字とかデータを多用して解析しており、とても説得
力がありました。
この書籍の手法が私の好奇心に火をつけ、我が国の
未来についても、ただその傾向性や見通しなどを単
に文章で書き綴るだけでなく、可能な限り「数字」
を追ってみようと決意させました。
そうさせた背景には、日本人の多くが、時には国会
のような議論の中でさえも、「だれだれが言ってい
る」とか「マスコミが報道している」、そして最近
は「SNSで話題になっている」など、周りの意見
や考えに振り回され、それらをしっかり評価するこ
ともせずに、知らず知らずの間に自分の“知識”と
しているような傾向がある、と考えていたこともあ
りました。
最初の言い出しっぺ、つまり世間に流布される“意
見の源流”についても、よく調べてみると、その根
拠などをろくに分析しないまま、自分の主張とか思
想などに添った“観念論”を言い放っているだけに
すぎない場合が“ままある”こともわかりました。
そのような現状を打破するためにも、本メルマガで
掲げたテーマについては、可能な限りのデータを集
めることを心がけてみました。そうした所、“観念
論”で作り上げられた世間の“常識”とは違った事
実があったり、また違った見方ができることがたく
さんあることも発見しました。
一方、いかなる分野やテーマにおいても、著者が自
分の主張や意見に合った数字やデータを都合よく使
うこともよくあることから、数字やデータが正確な
ものかどうかについては、努めて違った視点のデー
タ等と比較検討するなどかなり時間をかけましたが、
その見極めは困難を極めました。
最近は、「チャットGPT」なるものが話題になっ
ていますが、使うデータの数や事例は人間では到底
及ばないことは明白としても、それらの数字やデー
タをいくら大量に収集したとしても、それらは「過
去のデータ」であることには間違いありません。い
くら丹念に集めて駆使したとしても、「未来」が正
確によめるかどうかについては異論があることでし
ょう。
現時点では、私は“懐疑派”の立場に立っています。
と言いますのは、世界の歴史を振り返ると、人類は
いつの時代も時に不合理とか不条理といえるような
判断を繰り返してきたからです。これから先も、A
Iがはじき出した「未来」とは別の「未来」を選択
する可能性は十分あると考えるのです。
「歴史はその時々の人間と国家が生き抜いてきた努
力の積み重ねであり、人間と国家の営みの大きな流
れである。大きな流れの中で戦争も生じれば平和も
生じる。その善悪を論じるべきものではない」と 
元外交官の岡崎久彦氏は「歴史」を振り返っていま
すが、時には国家の命運を左右する「戦争」のよう
な問題についてさえ、「人間と国家の営み」の中で
決断され、「歴史」を織りなしてきたのでした。
これから先、特に、日本の未来については、その時
々の日本人と日本という国家の努力と営みの中で創
り上げられることでしょう。一方、過去の歴史を振
り返れば、「歴史の繋がり」という点では、時代や
世代、あるいは日本の動きと世界の動き、つまり時
間軸・空間軸の両軸の繋がりは決して無視できない
ことも明白です。
「歴史に“if”は禁物」といわれますが、後から
振り返ると、「あの時こうしておれば」ということ
にしばしばで出くわします。しかし、「過去」はい
くら振り返ることはできても、時計の針を戻しても
う一度やり直すことはできません。
しかし、これから先の「未来」は違います。「現時
点の様々な判断が未来の歴史を創り出す」のです。
つまり、「より確からしい」「より明るい」「予想
される(あるいは想定外の)危機事態に対してより
的確に対処できる」などの「未来」は、現代に生き
る私たちが、過去の歴史に学び、様々な知恵を絞り、
議論を重ねつつ、完全ではなくとも、未来の日本人、
つまり後世の人達の選択肢を広げ、最適で合理的な
“営み”の中で未来の国家を創り上げることができ
るような“基盤”を整備することにかかっており、
このこと自体が今を生きる私たちの責任であると私
は考えます。
その中でも、「国家の生存そのものを失う可能性が
ある」、つまりその後の未来に繋がらないような、
致命的な選択肢の採用を回避できることこそが最優
先であると考えるのです。
本メルマガ『我が国も未来を見通す』は、これまで
「少子高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動
・エネルギー問題」を取り上げ、巷で述べられてい
るような観念論や理想論、さらには「多勢に無勢」
とか「長いものに巻かれろ」的な風潮にあえて棹を
指し、少数意見であってもより合理的で確からしい
と判断できたものについては、素人の勇気を振り絞
って取り上げてみました。
その結果、それぞれの「専門家」とか「権威」に対
して疑問を持つこともしばしばでした。例えば、気
候変動問題などは、大方の国際機関や大半の人類の
現状認識についてさえ疑問を持つこととなりました。
色々調べるうちに、国際連合のような国際機関であ
っても、ある目的を達成するためには、「反対意見
を封じる」ような“事実”があることもわかりまし
た。
こうなると、何が正しいのか、何を信じてよいか、
悩んでしまいますが、それぞれの問題に取り組んで
から1年余りの歳月が流れました。その経験を踏ま
えると、私たちが今、向かっているのは、本当に
「未来を明るくする道なのか」、あるいは「破滅」
とは言わないまでも、「未来に負の遺産をもたらす
道ではないのか」について、一度立ち止まって考え、
要すれば軌道修正する必要があるのではないかと考
えるに至っています。
さて、前置きが長くなりました。我が国の未来に立
ちはだかる「暗雲」は本メルマガで取り上げた3つ
の問題だけでないことも明白です。まず、現下の国
際社会や周辺情勢から厳しさを増しつつある「国防
問題」があります。これについては昨年末、「戦略
3文書」が策定され、十分かどうかはさておき、国
家として予想される事態に対する対処戦略は出来上
がりました。
もう一つは、近未来から将来にわたって発生するこ
とを覚悟しなければならない「天変地異」です。自
衛官であった経験から悲惨な被災現場を何度も目に
していることもあって、「天変地異に対する備えは
十分なのか」との疑問についても頭から離れません。
歴史的に災害大国であるとの我が国の特性を顧みず、
かつて「コンクリートから人へ」という、狂ってい
るとしか思えないような政策を掲げた民主党が政権
を担った時がありました。そのような時に、(誤解
をいとわずに表現すれば、“神様に見透かされたよ
うに”)なぜか大きな災害が発生するのも不思議で
す。
今年3月のある日、宮城県の仙台港の近くで仕事を
する機会がありました。仕事の合間に、岩手、宮城、
福島の3県の太平洋側にまたがる総延長400キロ
メートルに及ぶ防潮堤の上に立つ機会がありました。
今年は東日本大震災から13回忌にあたります。せ
っかくの機会と思い、遅ればせながら黙とうを捧げ
させて頂きましたが、その瞬間、「この防潮堤が東
日本大震災の前に完成しておれば、何人の人の命が
救われたことだろう」との思いが頭を駆け巡り、涙
が溢れてくることでした。
そして、東北地方の復興や備えがほぼ完成した今、
“30年以内に70%の確率で発生する”といわれ
る「南海トラフ」などへの備えを行なうべきとの思
いも沸き上がりましたが、そのような動きが依然と
して全く話題にならないことにも不思議さを感じて
います。
我が国は、伝統的に「将来に対する『備え』とか
『未然防止』が苦手である」との特性そろそろ気が
つく必要性があると考えます。そのような我が国の
本質的な欠点を含めて、これまで取り上げた5つの
「暗雲」に対していかに対処するかについては、個
別の対応のみならず、外してはならない「共通の要
素」があるような気がしてなりません。
第4編は、「『強靭な国家』を造る」と題して、こ
れらに対処するための「共通の要素」をあぶりだし、
その集大成として、未来に繋ぐ「国家のあり様」に
ついて不十分ながらも取りまとめてみたいと考えま
す。どうぞしばらくお付き合い下さい。
▼超高齢化社会がもたらす「介護」の現状と将来
 
さて、本メルマガ第1編「少子高齢化問題」につい
ては18回にわたり発刊し続けてから1年ほどの歳
月が流れました。最近、「異次元の少子化対策」と
の言葉が一人歩きしていますが、それらの是非につ
いては後述することにして、まず、第1編の発刊の
後に、私自身が発見したデータを紹介しつつ、第1
編を補足しておきたいと思います。超高齢化社会が
必ずもたらすものとしての「介護の問題」です。
歳をとるにつれ、要介護・要支援状態になる可能性
については説明を要しないと考えますが、現状のデ
ータからその比率や確率を知るとまさに驚愕します。
「要介護」の各段階を要約すれば次のように区分さ
れています。「要介護1」は「運動能力や認知能力
の低下により生活の中で一部介護が必要な状態」、
「要介護2」は「見守りや介助が必要な状態」、
「要介護3」は「ほぼすべての日常生活で介助が必
要な状態」で「要介護3」から特別養護老人ホーム
を利用できます。「要介護4」とは、「自力で立つ
・歩くなどの基本的動作が難しく、周りの人との意
思疎通も難しい状態」、「要介護5」は「1日中寝
たきり、意思疎通ができない状態」です。
厚生労働省の統計によると、令和4年1月末現在で
「要介護(要支援)」認定者数は、689.7万人、
そのうち、男性が218.9万人、女性が470.
9万人となっています。
平均寿命は、女性が男性に比して約6歳前後長くな
っていますが、健康寿命と平均寿命の差異という点
では、男性の約9年に比して女性は約12年と女性
の方が長くなっています。その差異がこの認定者数
にも表れていると言えるでしょう。
また、その内訳は、65歳以上が676.7万人で
すが、中でも80歳以上の受給者が517万人と全
体の約4分の3を占めています。また、「要介護3」
以上の受給者は237万人であり、全体の約3分の
1を占めています。
2020年度末の厚生労働省の資料に基づきもう少
し詳しくみてみましょう。「要介護」の「被保険者
に占める受給者の比率」を年代別にみますと、80
歳未満では、全体の12%ほどなのが、80歳から
85歳になると約27%と急増し、85歳以上90
歳未満では50%、90歳以上になると78%に増
加します。そのうち、90歳未満では、「要介護3」
以上は、各世代それぞれの「要介護」比率の3分の
1ほどですが、90歳以上になると約半数に増加し
ます。
私たちの認識を深めるために再度整理しておきまし
ょう。「要介護」に関しては、「80歳未満の高齢
者であればほとんど無視しうる水準ですが、80歳
以上になると約4分の1、85歳以上になると約半
数、90歳以上になると約8割の高齢者が『要介護』
になっている」のが現実です。そして、90歳以上
になると、3分の1を超える高齢者が「要介護3」、
つまり「ほぼすべての日常生活で介助が必要な状態」
になっているのです。
最近はまた、夫婦間の介護や老々介護なども話題に
なっていますが、「夫婦とも受給者にならない確率」
をチェックしてみると、さらに驚愕します。
80歳未満の夫婦が「要介護にならない確率」は7
7%で、ほぼ無視できる水準ですが、80歳以上8
5歳未満の夫婦の場合は、54%、85歳以上90
歳未満の夫婦は25%、90歳上の夫婦になるとわ
ずかに5%に減ってしまいます。そのうち、「要介
護3」については、90歳以上の夫婦の約4割のみ
が「要介護3にならない」とのデータもあります。
繰り返しますと、夫婦ともに長生きするのはおめで
たいことではありますが、夫婦とも「介護」に関係
ない生活ができる確率は、80歳を越えたあたりか
ら半数弱に減り、85歳を越えれば4分の1に減り、
90歳を越えるあたりで5%に激減します。つまり、
健康な日常生活を送れるのは、100組の夫婦のわ
ずかに5組のみという水準になるのです。
このように、高齢化に従い、夫婦のどちらか一方が
「要介護」になることは避けられない問題になりま
す。最近も「介護」が関連していると考えられる殺
人事件が発生しましたが、これらのデータを見る限
り、その背景がよく理解できるのではないでしょう
か。
「人生100年時代」といわれるように、平均寿命
が毎年のように伸び続け、2050年には、男性は
現在の約80歳から85歳に、女性は約87歳から
91歳に近づきます。最近、100歳以上の高齢者
が9万人を超えたことが話題になりましたが、20
50年頃には68万人になると見積もられています。
当然ながら、現時点では95歳以上、あるいは10
0歳以上に限定したデータはありませんが、現在の
「要介護」の実態をみる限り、「人生100年時代」
の到来を手放しで喜ぶことはできないようです。
これ以上の詳細は省略しますが、核戦争が現実のも
のになると言われた1960年代のフルシチョフが
語ったといわれる「核戦争の生存者は死者をうらや
むだろう」の言葉を引用して、野口悠紀雄氏は、自
書『2040年の日本』の中で「来るべき人生10
0年の時代に、長寿者は死者をうらやむだろうか」
と述べています。
「少子高齢化問題がもたらすもの」として、今回は
「介護」の問題を取り上げましたが、それだけでは
ないことも明白です。次回以降、「我が国の近未来」
について、特に「経済成長」予測などと絡めて「社
会保障の給付と負担」の増加などの問題についても
取り上げてみましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gohan-morimori · 3 years
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツヨウカカラジュウヨッカマデノニッキ
2月8日(月)
 今日は早めに起きて出勤前に皮膚科に行くぞ、と諦め半分で思っていたのだけど諦め半分だったからやはり起きれず。尿意を無駄に我慢しながらだらだら起床してゆるゆると準備をしていそいそと豆腐を食べて出勤。先週は毎日ほんとだめだめだったな、今週はちょっとはましな一週間にしたいな、と思いつつ。自分の不調をもっとロングスパンで見たほうがいいのかもな、とぼんやり思う。働く。やることが増えてきた、というより、やらなければいけないことと、やったほうがいいことがすこしずつ見えるようになってきた、といった感じか。めちゃくちゃ忙しい、というわけではぜんぜんなかった一日だったのだけどずっとせかせか動いていて、だからこの「見えるようになってきた」のと並行して「もっと無駄なく動く≒働く」ことを意識しないといけないのだけどそれがむずかしいというかわたしは苦手で、最近凹んでばかりの原因は主にこの「もっと無駄なく動く≒働く」ことがなかなかできないからで、うーん。わたしのこれまでのささやかな人生の処世術というか、それは悪い癖でもあるのだけれど、「(一見)無駄に見える所作や状態に心のお守りを見出す」みたいなところがわたしにはあり、その悪癖が最近は勤務の中で思考を邪魔している感がある。一度癖づいた悪いフォームを直すような作業が必要とされている。気がする。小学生のころの習い事(硬式テニス)、中学のころの部活動(卓球)、などでもその悪癖は発動されていたように思う。いろんなことを毎日思い出す。自分を責めるのはカンタン。カンタンなことはつまんない。つまんないことはやめたほうがいい。だからやめよう。明日から二日間は休みだから今日こそは早めに家に帰ろう、という強い気持ちでいそいそと帰宅。クラブハウスで子供鉅人の人たちのわちゃわちゃした即興芝居を聴いて何度も笑ってかんじさん進藤さんと話したりもして、それから久々にしけこと通話をしてしけこは漫画などのネタバレを率先して読むタイプらしく話の要点にしか興味がないとしきりに言うので「いっとくけど話の要点に話の要点はないからな」とやや苛ついて応えた。苛ついている自分にちょっとびっくりしつつわちゃわちゃ話していたらもう早朝みたいな時間になっていてわたしは数時間前からずっと布団にくるまった状態で通話をしていてもう眠かった。通話を切って、ふよふよとした感情を可愛がっていたら寝ていた。
2月9日(火)
 皮膚科に行こうとしていた、午前中に。行けなかった。去年読んだ本をようやく本棚に収めた。収めるついでに本棚の整理もして、見えやすい位置と奥まった位置の本の配置をああでもないこうでもないと動かしたり、自分の芯、みたいな本をまとめ直したりした。楽しい。時間が溶けるような作業。そのあと床掃除をして、溜まっていた洗濯物をがんがん洗濯して、干して。午前中に皮膚科に行けないならもう今日は一日中家にいようという気持ちでいたのだけれど、まおさんとLINEをしていたら今日はビールだビールだ慰労だ慰労だという気分に。米を5合研いで炊飯器のスイッチを入れて冷蔵庫にあったカブの葉をゴマ油と塩コショウで炒めて家を出て、自転車の鍵を外したあとに「やっぱ歩いていけるほうのスーパーにしよ」と思ってまたすぐに鍵をかけて歩き出した。イヤホンをつけずに外を歩くのは久しぶりのような気がする。「今日は外に出る日(もしくは、人と会う日)」とあらかじめ決めておかないとなかなか外に出られない人間だし、「今日は一日家にいる」という日が週に1度はないと具合が悪くなる人間なので、毎週の休日はけっこう切実に深呼吸みたいな感覚がある。今日はもともと「午前中に皮膚科に行くぞ」と思っていた日だったからスーパーに行くために外に出られた感じがする。スーパーの中で散々ふらふらした結果、黒ラベル6缶パック、ミックスチーズ、フライドチキン6個入り、カニクリームコロッケ、コロッケ、メンチカツ、を買ってほくほくした気分で帰宅。黒ラベルとミックスチーズは冷蔵庫に入れて、フライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを温めて、どんぶりにご飯を山盛りにして、その上にカブの葉の炒めたやつをのっけて、平皿にフライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを盛って、おうち麺TV.の動画を流し見しながら、ああそうだそうだソースだソース毎回ソース買い忘れるんだよな〜〜〜と思いながら、なにもかけずにコロッケたちをガツガツ食べてフライドチキンもご飯もコロッケたちもたいらげて、おなかを休めていたら眠気がやってきて、シャワーを浴びた。寝ようか、どうしようか、と思いながらビールを開けてかぷかぷ飲んで、クラブハウスで中橋さんたちのルームを聴いていたり途中で参加してふざけあったり。すっかりクラブハウス厨だ。きっと良くない。柴崎友香『春の庭』所収「春の庭」「糸」読む。ななえちゃんとメッセージでやりとりしたり(遊びにいきたいよ〜)、『春の庭』所収「糸」の蛙のメタファーに震えて衝動的にみのりさんにLINEを送ったり。しているうちに外が明るくなってきていてほんとうによくない。休日に疲れてどうする。寝る。
2月10日(水)
 昨日皮膚科に行けなかったということは今日も皮膚科に行けないということで、それは「今日は外に出る日」とあらかじめ決めていなかったからで、だから今日はわたしは家を出ない。というのはちょっと意固地が過ぎるような気もするが。だからもうそれはしょうがない。明日早めに起きて行けるか、どうか。今月のlook(s)も早めに撮っておきたい。
 オリンピックをどうにかしてやりたい人らの発言への抗議のひとつとして「変わる男たち」「わきまえない女たち」みたいな言葉がツイッターで散見されるようになって、もやもやしている。「男たち」、「女たち」。いつまで「男」と「女」なんだろう、と思う。「変わる私たち」「わきまえない私たち」では駄目なのだろうか。「変わる」「わきまえない」という言葉にももやもやする。何にもやもやしているのかうまく掴めていないけど、もやもやする。それでいいんか、それで、みたいな気分。変わる/変わらない、わきまえる/わきまえない、という言葉、軸、で、いいのか、本当に。「変わる男たち」は、「わきまえない女たち」は、「それ以外たち」のことをどれくらい視認しているのだろうか。「男たち」にも「女たち」にも入れない/入らない人のことについては、どう思っているのだろうか。
 わたしは、わたしの性別についても、もやもやしている。それは子供のころからだけど、そのころから、形を濃度を揺らぎの種類を変えて、ずっと。「男たち」はもちろん、「女たち」という言葉を扱う人たちの輪には入れないな、と思うし、「女たち」という言葉が扱われるときに想定される「女たち」の中に、わたし(みたいな人)はいないんじゃないかな、と思う。でも、わたしは、わたしのことも(も?)「女」だと思う。と同時に、わたしは、わたしのことを「わたし」だとも思う。ときどきは限りなく男に近い気分にあるのかもしれないと思うこともあるし、どちらでもない存在なんだろうな、と思うこともある。でも、クエスチョニングである自覚はない。「女」だと、思ってる。でも(以下無限ループ)。みたいな状態で生きている。だれかに、(こういう想像をするときの「だれか」は顔の見えないぼんやりとした像の男性であることが多い)一度でいい、しっかりと抱きしめられたら、わたしはわたしを「女」だと思うだろう。思いたい、と思う。ああわたしは(うだうだ考えていても「結局は」、)「女」なのだ、と甘美な諦めに似たよろこびを実感するために、抱きしめられたい。さみしい、とも違う。実感を伴いながら生きるための寄る辺が、あまりにも少ない。気がする。甘えなのかもしれない。何への?誰への?どこへの?
 明日は祝日だということに気がついた。ということは、明日も皮膚科に行けないということだ。ばかやろー。金曜日には行かねば。
 昼過ぎに起きて、「たぬきゅんの仲良し放送局」の新しい回が更新されていることを知って、それを聴きながらクイックルワイパーで床掃除をしてキッチンと風呂場のゴミをまとめてゴミステーションにぶちこみに行って、その帰りに郵便受けを見たらON READINGから『歌集 ここでのこと』が届いていてうれしいうれしい気持ちになった。家に入ってから封を開けて手に取るとずいぶん美しい装丁で、良い意味で、贅沢品、といった感。すべすべと表面を撫でたりぱらぱらとめくったりしていると藤原印刷という文字を見つけて、そうか、藤原印刷なんだな、と思った。いつ読もう。ちょっと寝かせておきたい。冷凍庫から先週買って冷凍しておいたトーストを1枚と、1ヶ月ほど前に作り置きしておいたトマトソースを取り出して、軽く解凍したトーストの上に同じく解凍したトマトソース、そしてミックスチーズを盛って、トースターで焼いて、ピザトーストを作って食べた。職場のメニューの簡略版。職場のピザトーストを、そういえばまだ食べたことがないな、と思った。簡略版でもずいぶんと美味しくて、ちょうどよくお腹が満たされる感覚があった。家でトーストを焼いて食べるのもずいぶん久々だ。この家で暮らしはじめてからは初めて。笹塚に住んでいたときは、結局一度もトーストを食べなかった気がする。だとすると前回おうちトーストを食べたのは、京都のアパートか。柴崎友香『春の庭』をじりじり読んだり、コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしているうちに、不意にショートスパンコール94篇目の形が自分の中でまとまり、いそいそとパソコンの前に座って、書いた。その流れで95篇目も書けて、書けた書けた、よしよし、と思いつつ公開する。94篇目ではずっと老人ホームでの一幕を書きたいと思っていて、誰の視点でどういう書き方でいくかをずっと決めかねていて、どういう選択をしてもなにかいやらしいというか、書きたいと思っているシーンがゴテゴテとしつこくなりすぎたり、説明説明しすぎる感じになりそうな予感があって、手を付けられずにいた。今日書けた方法でその予感が無事払拭されたのかどうかは正直ちょっとわからないが。今日書けるとは思わなかったな、とぼんやり思っていると眠たくなってきてまだ夜も早い時間帯で、気圧が下がっているのかもしれなかった。だるくて、眠くて、キッチンで立ったまま納豆ご飯を食べて、歯を磨いて、布団にもぐって『春の庭』の残りを読んでいたら突然せつなくなって貪欲の手を握ったり頬をうずめたりして感情をやり過ごした、「やっぱり湯船に浸かって身体をあっためよう」という気分になり、起き上がって風呂場へ行って浴槽を洗ってからお湯をためはじめて、たまるまでの間、キッチンに置いてあるキャンプ用の椅子に座って、昨日買った黒ラベルを1缶開けて、ヤマシタトモコ『違国日記』7巻を読んだ。お湯がたまって髪をまとめてシャワーキャップを被って入水。入湯? 入浴か。入浴。お湯に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読む。ちびちび、ゆるゆる、じわじわ、あったかくて、おもしろい。「あったかくて」と感じるのはわたしがお湯に浸かりながらこの本を読んでいるからなのかもしれないけれど、あったかい。あったかくて、おもしろい。知らない言葉、知らない仕組み、知らない態度がどんどん出てくる。そうか、インテリア、という言葉はあたりまえに知っていたけれど、エクステリアという言葉があるのか……。のぼせそうになるまで浸かっていて、ふらふらとお風呂から出て、眠くて仕方がなかったのに読みたい気持ちが勝ってきて、煎茶を淹れて飲みながら土岐友浩『Bootleg』と永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。度胸、みたいなことを思いながらずんずんたのしく読む。読んでいる途中、不意に「あ、いま作れる」という状態になって短歌連作を作った。「洛中」と名付けてiPhoneをたぷたぷいじってTwitterに投稿する。してから、引き続き読むモード。
短歌連作「洛中」 自重から解き放たれることはなくあくまで吊り上げられる口角 黒ラベルロング缶なら許されたあの数秒の無言であるとか 頼まれたときから既にできていて知っていたって素振りの中華屋 拒否いずれ許容になって山と山の間に例えば宿があること お買い物までの準備に旅支度らしさ伴う私服のあなた
 今日はショートスパンコールも書けて短歌も作れて上出来。ずっとゆるく頭が重くてだるいのだけど、眠ればどうにかなるでしょう。たぶん。
 そして午前4時。寝よう。馬鹿。寝ろ。寝る。
2月11日(木)
 先週の日記で短歌を作るときに最近思っていることを書いたけどそんなん関係なく素直に作ったらええ、素直に作ること以外なんも考えんでええ、みたいな気分に昨日からなっていてわたしの気持ち、考え、感情なんて信用ならない。
 11時半ごろ目が覚める。6時間くらいしか眠っていないはずだけどやたらと長く眠ったような感覚があってそれは眠りが深かったということか。起き上がって、昨日そのままにしていた洗い物をしつつお湯を沸かして白湯を2杯立て続けに飲んで昨日の出涸らしで煎茶を淹れてくぴくぴ飲みながら煙草を吸いながら永井祐『日本の中でたのしく暮らす』読む。祝日で皮膚科と耳鼻科は閉まっているから、今日は出勤前にそれ以外の用事をこなせたら、と思っている。look(s)を撮って、通帳記入をして、お金を公共料金用の口座から生活費用の口座にすこし移して、入金作業をして、連絡しないといけない人に連絡をして、自転車に空気を入れて、スーパーで魚の切り身でも買いたい。魚の切り身は必須ではない。昨日というか一昨日の深夜に作ったプレイリストを昨日から延々リピートしている。私的懐メロの羅列、みたいなプレイリストになった。
 シュトーレンがまだ冷蔵庫にあって、まだちびちび食べている。次のクリスマスシーズンまで思い出す人がいなくなってきた、いまくらいのシュトーレンが美味しい。 
 納豆ご飯をがつがつ食べ、出勤。働く。久々初台デー。働き終え、ご飯をばくばく食べ、家に帰って夜ふかしをして眠る。
2月12日(金)
 なんだかとても幸福な夢を見てあわてて起きて支度をして出勤。下北。明日明後日はBONUS TRACKで催事なのできっと猛烈に忙しい、はず。いそいそあわあわと二日間に備える。閉店間際にやってきたななえちゃんとしゃべりながら発注などしていると阿久津さんがやってきて明日明後日売る台湾ウィスキーの写真などを撮りはじめてななえちゃんと楽しげに構図を考えていてその光景がなんだか良かった。ショートスパンコール更新デー。阿久津さんは仕事でZOOMだということで2階へ行き、わたしとななえちゃんは1階でナマケモノの動画をYouTubeで観て愛くるしさに悶絶していた。しばらくしてななえちゃんが帰り、わたしもわたしでごはんを食べて帰ろう、と思っていたら阿久津さんが降りてきて面白いものが見れるからおいでと言われてひょこひょこ��いて行ったら面白いものが見れた。デイリーコーヒースタンドのゆうさんとZOOM越しにはじめましてをした。お互い文字上では知っていてなんだか不思議な気分。楽しくわちゃわちゃと話しているうちに阿久津さんはがんがんにお酒を飲んでがんがんに酔っ払っていって終いにはその場で眠り始めた。ZOOMが終わり、阿久津さんは起きそうになかった。電気を消して、片付けをして、さあ帰ろうか、と思っているとみのりさんから電話がかかってきて、出る。みのりさんとわちゃわちゃ話をしながら職場を出て、自転車を押して、1時間ほどかけて職場から家まで、歩いて帰った。家についてもみのりさんとのおしゃべりは止まらず、たのしいたのしいと思っているうちに4時とか5時とかになっていて、ふたりしてあわてる。電話を切って、ふらふらと着替えて、寝よう、寝よう、と思っていたらなぜか頭が短歌を作るモードになっていて、寝たい、寝ないと、寝ろよ、と身体が言っているのに頭が言うことを聞かなくて折坂悠太『平成』を流しながら聴きながらどんどん短歌ができていって笑った。寝ろよ!!!!
短歌連作「都内」 坂道を駆け降りるためなだらかな身体でなだらかに眠らねば 自転車にエアー と打たれたリマインダー 覚えがなくて告知がきてる 低く深く都内に風が吹いている おそらく右翼の車で目覚める 物流はとても座りがいい言葉 幹線道路の砂利蹴り上げて 昔の写真(写真は昔だ)親元を離れてからブラジャーを買うこと すごいことだ射精しなくていい肉体ってやつはほんとに 国道 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12月やさしいね Amazonだ と思うときAmazonはあなたに灯す魂を持つ 殺したい奴いるくらいあたりまえですか?健康ですか?      へえ
 壊れてしまう。ベッドにインしてスリープ。
2月13日(土)
 起きてすぐ昨日作った短歌をまとめ直して1首追加で作って連作をもうひとつ作って起き抜けにしては旺盛な創作意欲だった。
短歌連作「眠りの圏外」 怒りから光に変わるゲートまで導かれている、いま、この人に 歌い方声高に言う人といて天上天下が旋律になる ほんとうは夜は幼な子たちのもの幸せはおれたちに降るもの 欲望に貴賤はなくて米を炊く前に無意味なくちづけをする 韻律を整えようとするようにきみはわたしの名を諳んじた 眠りから遠いところに立っていてだから遥かな道のりでした
 洗顔をして(お風呂に入りたい。入れない。)お湯を大量に沸かしてパスタを大量に茹でてバターと醤油と納豆とゆかりと海苔でぐちゃぐちゃにしたものを急いで食べて出勤。いそがしいそがしいそがしいそがしあわあわあわあわあわあわあわあわすごいすごいすごいすごいいそがしいそがしいそがしいそがしあらあらあらあらあらほいほいほいほいせいせいせいせいそれそれそれそれいそがしいそがしいそがしいそがし閉店時間。踊るように働いた。チーズケーキを次々焼いてカレーの仕込みを途中までやってまるでお店だねと阿久津さんと笑い合った。昨日の痛飲で阿久津さんはへろへろの様子で、いつもより早く帰っていった。阿久津さんが帰ってからごはんをばくばく食べ、明日の準備をすこしして、永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。読んでから、長らく積んできた『仕事本』を読み始めようとぱらぱらしていると酒瓶の中の酒がぐらぐら揺れだして地震だった。あっこれは、おっ、えっ、となってすぐにテーブルの下に隠れた。くらくらする。iPhoneでTwitterを開くとどうやらかなり大きな地震で、しかも福島。あんまりいろんな情報を見ないようにしよう、と思いつつ目はタイムラインを追っていった。ゆかちゃんから「だいじょうぶですか!」というLINEがきた。こわかった!と返事を打った。みうらさんと石川くんからもそういったLINEが来て同じような返事を打った。これはもう、帰れ、ってことだな、ということで帰り支度をして職場を出る。なんとなく、自販機でオロナミンCを買った。帰宅。すこしまえに買ったラジカセをつけてAMラジオをつけた。洗濯物をとりこんだ。ラジオを流しっぱなしにしながら、お風呂に入って、貯水とか一応したほうがいいんかな、という気になり、髪と身体を洗ってから浴槽を洗ってお湯を張って、湯に浸かる。浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』読む。アツい本だなあと思いつつ屋根裏の改築についてのあれこれを読んでいるとふわふわ眠たいような気になってきて湯船から出て浴槽に蓋をして身体を拭いて寝間着を着て髪を乾かしてオロナミンCを飲みつつ永井祐『広い世界と2や8や7』を読み始める。煙草を吸って歯を磨いていま。エレ片のラジオを聴きながらこれを打っていて、もう寝ないと。明日は1日中下北で働く。きっと猛烈に忙しい。大丈夫。早起きしなきゃ。
2月14日(日)
 早起きでーきた!せっせと準備をして家を出て、買い出しを済ませて朝の職場へ。即座に仕込みを開始して開店前を慌ただしく過ごして、開店して回転して踊るように忙しく閉店まで働く。すっかりへとへとになって、逆にハイ、みたいな状態になっていて閉店後の店内でしばらく呆然としたり阿久津さんとたのしく話したり。阿久津さんが帰ってから、ごはんをどっしり食べて、短歌を作った。バレンタイン短歌。
短歌連作「千とバレンタイン」 愛されたビス愛された室外機愛された飲みさしのピルクル 巻き爪に拍車がかかり側面の皮かたくなる たまに食べちゃう ビタミンって人間に発見されるまでビタミンじゃなかったんだって え? つむじからさわさわ音が出るような生え方ですね 髪の そう、毛 わかんないけどなんとなくこの命終わるまで見ない気がする 修羅場 テレアポを初回の座学でばっくれるきみこそ神になるべきなのに 考えるワシでありたい(いま葦って言うと思ったじゃろ。がはははは) おふざけは個々までにして景観のいいエレベーター越しの森ビル ライフ、ワーク、バランスでじゃんけんしようなんどもライフであいこにしよう
 と、バレンタインとはあまり関係ない短歌。
短歌連作「水筒と自戒」 いきたいものだ400字詰め数枚で数万円が相場の立場 水筒に白湯入れるのだ御守りの中身はどうでもいいようなもの 揺れてから揺れに過敏になるくせに/だからこそ強く貧乏ゆする 漠然と いやはっきりと 眼の位置にあなたの眼があること うれしいな 怒りって場所がこわれる 人がこわれるのはそれから それは嫌です 勤労がおもしろいのかおもしろいから勤労なのか 髪を結う 些事ばかり間違えながら生きていて昨日滑った口の復唱
 永井祐『広い世界と2や8や7』読む。土岐友浩『僕は行くよ』読み始める。ずいぶん遅くまで職場にいて短歌を作る状態から抜け出せなくなっていた。2時だか3時だかに職場を出て、人通りのない帰り道を自転車で。空気がぬるい。雨が振りそうだったというかもう降り出していた。粉みたいな雨。帰って、しんどいな、と思う。気圧が下がっているというより落下している。だれかを、特定のだれかを気になり始めること、すきだとはっきり思い始めること。東浩紀が突発的にニコ生配信をしていて、それをずっとワイヤレスイヤホンで聴いている状態で寝支度を済ませて、布団に入ってもずっと聴いていて、東浩紀の声質は気持ちいいな、はじめて知った、心地いい、耳にやさしい、言葉の連続を聴き続けたい、このまま……と思っていたらいつの間にか意識を失っていた。
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c3oyama · 3 years
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12/1映画の日 誕生日/ #長谷川理恵 #富司純子 #愛子内親王 #ウディアレン #竹内海南江 #根津甚八 #本間泰子 誕生日 1573年 沢庵和尚(宗教家) 1875年 松永安左エ門(財界人・電力王) 1879年 荻原守衛(彫刻家) 1929年 奈良岡朋子(女優) 1932年 鈴木敏文(セブン-イレブン・ジャパンCEO) 1933年 藤子・F・不二雄(漫画家) 1935年 ウディ・アレン(映画監督) 1944年 梨元勝(芸能レポーター) 1945年 波乃久里子(女優) 1945年 富司純子(女優) 1947年 根津甚八(俳優) 1954年 渋谷天外(3代目・俳優) 1962年 林家正蔵(落語家) 1964年 竹内海南江(タレント・レポーター) 1966年 池田政典(歌手・俳優) 1964年 本間泰子(謎の女優/村上瞳) 1968年 加藤麻里(タレント) 1971年 井上りつ子(歌手) 1973年 長谷川理恵(タレント) 1995年 山上暁之進(マジシャン・山上兄弟の弟) 2001年 愛子内親王(皇族・愛子さま) 誕生花・誕生石 誕生花は 赤のラン、花言葉は“旺盛な探求心”、 誕生石は トルコ石(turquoise)、宝石言葉は“成功” 映画の日 映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定。 1896(明治29)年11月25日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日��記念日とした 12月1日世界エイズデー(World AIDS Day) 世界保健機関(WHO)が1988(昭和63)年に制定。国際デーの一つ。 エイズ問題への人々の意識を高めることを目的として制定された。 鉄の記念日 日本鉄鋼連盟が1958(昭和33)年に制定。 1857(安政4)年のこの日、南部藩士・大島高任が日本で初めて高炉による製鉄に成功した。 デジタル放送の日 地上デジタル放送推進協会(現 デジタル放送推進協会)と総務省が2006(平成18)年に制定。 この日は2000年にBSデジタルの本放送、2003年に三大都市圏での地上デジタル(地デジ)の本放送が開始された日であり、2006年のこの日には全都道府県で地デジ放送が開始されている。 いのちの日 厚生労働省が2001(平成13)年に自殺予防活動の一環として制定。 精神的危機に追い込まれ誰にも相談できずに1人で悩んでいる人たちのため、この日から1週間、無料の相談電話「いのちの電話」が設けられる。 冬の省エネ総点検の日 資源エネルギー庁が実施。 1980(昭和55)年10月24日の総合エネルギー対策推進閣僚会議で制定が決定された。 毎月1日が「省エネの日」、2月が「省エネ月間」になっている。 カイロの日 日本使いすてカイロ同業会(現在の日本カイロ工業会)が1991(平成3)年に制定。 カイロの需要が高くなる時期である12月の最初の日。 手帳の日 「能率手帳」を発刊している日本能率協会マネジメントセンターが制定。 翌年分の新しい手帳を準備する時期であることから。 データセンターの日 データセンター運営会社のソフトバンクIDCが制定。 12月はDataCenterの頭文字DCがDecemberに似ていることから。1日は安全第一ということから。 データセンターとはインターネット用のサーバやデータ通信・電話などの交換機などを設置・運用するための施設であり、その役割を広く紹介し、活用を促進する日として制定された。 着信メロディの日 携帯電話用着信メロディの規格を開発した株式会社フェイスが制定。 1999(平成11)年のこの日、同社が世界で初めて着信メロディの配信を行った。 下仁田葱の日 下仁田ファーム・下仁田葱の会が2009年に制定。 下仁田ネギの出荷解禁の日。 カレー南蛮の日 カレーうどん100年革新プロジェクトが2010年に制定。 カレー南蛮を考案した中目黒「朝松庵」店主・角田酉之助の誕生日。 防災用品点検の日 防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。 関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。 歴史・出来事 1640年 ポルトガルがスペインより独立 1857年 釜石高炉の操業開始 1885年 アメリカで、ドクターペッパーが初めて売り出される 1898年 淀橋浄水場通水 1918年 アイスランドが独立 1935年 年賀郵便用切手発行 1949年 お年玉付き年賀葉書の発行 1952年 国立近代美術館開館 1958年 聖徳太子1万円札登場 1969年 住友銀行が日本初の現金自動支払機を設置 1980年 日本初のワーキングホリデーが開始 1982年 マイケル・ジャクソンが『スリラー』を発表 1997年 地球温暖化防止京都会議が開会 1998年 NPO法施行 2000年 BSデジタル放送開始 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CIOtwxzg5HJ/?igshid=z57s9nbgzmtb
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mao-daimao · 4 years
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1日頃 二百十日(雑節) 1日 杭(くい)の日 キウイの日 防災の日 防災用品点検の日 美容週間(~7日) 印刷月間(~30日) 宇宙月間(~30日) バス利用促進月間(~30日) 健康増進普及月間(~30日) 自動車点検整備推進運動(~30日) 2日 靴の日 宝くじの日 3日 草野球の日 ホームラン記念日 くみ愛(組合)の日 盲ろうあ児愛護デー 4日 くしの日 クラシック音楽の日 5日 石炭の日 国民栄誉賞の日 みゆき族の日 6日 妹の日 黒の日 墨の日 クロスワードの日 黒豆の日 鹿児島黒牛・黒豚の日 国際青年デー 7日 クリーナーの日 CMソングの日 8日頃 24節気の白露(はくろ) 8日 ニューヨークの日 国際識字デー 9日 菊の節句 男色の日 世界占いの日 温泉の日 救急の日 POPの日 栗きんとんの日 10日 寝具の日 屋外広告の日 車点検の日 知的障害者愛護デー 牛タンの日 下水道の日 カラーテレビ放送記念日 11日頃 二百十日(雑節) 旧暦8月15日(十五夜・お月見・すっぽんの日) 11日 公衆電話の日 警察相談の日 12日 宇宙の日 水路記念日 マラソンの日 とっとり県民の日 13日 世界法の日 司法保護記念日 プログラマーの日 14日 コスモスの日 メンズバレンタインデー セプテンバーバレンタイン だんじり祭り(大阪府岸和田市~15日) 15日 老人の日 ひじきの日 マスカットの日 シルバーシートの日 16日 マッチの日 競馬の日 ハイビジョンの日 オゾン層保護のための国際デー 鶴岡八幡宮流鏑馬(神奈川県鎌倉市) 17日 モノレール開業記念日 イタリア料理の日 18日 かいわれ大根の日 19日 苗字の日 木炭の日 20日 バスの日 お手玉の日 空の日 動物愛護週間(~26日) 21日 ファッションショーの日 国際平和デー 秋の全国交通安全運動(~30日) 22日 国際ビーチクリーンアップデー カーフリーデー 23日頃 24節気の秋分(しゅうぶん) 秋の彼岸の中日(秋分の前後1週間:秋の彼岸) 23日 テニスの日 愛馬の日 万年筆の日 不動産の日 24日 清掃の日 畳の日 歯科技工士記念日 結核予防週間(~30日) 環境衛生週間(~10月1日) 25日 主婦休みの日 26日 ワープロの日 台風襲来の日 27日 女性ドライバーの日 世界観光の日 28日 世界狂犬病デー パソコン記念日 プライバシーデー 29日 洋菓子の日 ふぐの日 招き猫の日 クリーニングの日 30日 世界翻訳の日 くるみの日 奥様の日 ※第1日曜日:喘息デー ※第2土曜日:ファミリーカラオケの日 ※第3月曜日:敬老の日 ひじきの日 ※第3木曜日:世界スカウト平和の日 ※9日を含む日曜日からの1週間:救急医療週間 ※15日を含む日曜日からの1週間:老人福祉週間 https://www.sasagawa-brand.co.jp/popworld/calender/cal_m_09.html https://www.instagram.com/p/CErLxvpD-8t/?igshid=1wy185hmrijj9
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ecoamerica · 1 month
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Watch the 2024 American Climate Leadership Awards for High School Students now: https://youtu.be/5C-bb9PoRLc
The recording is now available on ecoAmerica's YouTube channel for viewers to be inspired by student climate leaders! Join Aishah-Nyeta Brown & Jerome Foster II and be inspired by student climate leaders as we recognize the High School Student finalists. Watch now to find out which student received the $25,000 grand prize and top recognition!
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ken-nye · 7 years
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講演聴講メモ【核兵器禁止条約の歴史的意義と課題】冨田宏治
【講演聴講メモ:核兵器禁止条約の歴史的意義と課題】 日時:2017年7月29日 講師:原水爆禁止世界大会起草委員長・関西学院大学教授:冨田宏治 主催:核戦争を防止する兵庫県医師の会
7月7日に国連で核兵器禁止条約(treaty on prohibition of nuclear weapons)が採択された。 これを受けた著書も早速発表なさった冨田宏治さんの講演が行われた。主催は「反核医師の会」というグループだが、一般参加も可能とのことなので参加してきた。 せっかくなので、国連サイトからDL・印刷しておいた英語原文も参照しながら聴講した。 以下、断片的なメモ。
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「核兵器の全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議」が、今年3月に第1会期として1週間、6月〜7月に第2会期3週間の日程で開催された。 条約の第一案は5月に発表された。これが第2会期開始時点での叩き台となる。 会議が始まって6月末に発表された案では、第一案からほとんどの項目が書き換えられ、量も5割増しになったとのこと。 そして会期最終日に発表された最終案はまたしても半分ほどが書き換えられた。 (これが微修正を経て採択された) 冨田氏はこの全ての条案を翻訳なさったとのこと。だから、議論を経て条約がどう練り上げられていったかを把握している。 「現状で作られうる最高のものになった」との評価。
条約を誰がどう採択するか詳細は決められておらず、会議の招集が昨年末の国連総会だったため、今年末の国連総会に報告してそこで採択されるという見方も強かった。 会議内での採択はホワイト議長のアイデアで「国連総会から付託を受けているのだから、採決もここでやればいい」ということになった。 採択の結果は賛成122、反対1、棄権1。 賛成の122は、国連加盟国全体から見ても3分の2に迫る圧倒的多数。 反対はオランダで「加盟するNATOの義務に反するから」が理由。それでも所謂「核の傘」の元にある国として唯一会議に参加し続けた姿勢は重要。 棄権はシンガポール。理由はハッキリしないが、近年「大国に配慮してモノを言わない」外交姿勢を取っており、今回の対応もそういうこと��はないかと(もちろんこの姿勢は国内からも批判がある)。
なぜ、わずか半年ほどの期間で大きな条約が成立したのか。それは、ここ20年ほど積��重ねてきた議論がわき上がるように一気に形になったからと見る。
条約の概要について。
条約自体は20条ほどのコンパクトなもの。 その多くを「前文」が占める(10ページ中2ページ半ほど)。 「前文」には「条約」の精神が込められており、各条文の解釈も「前文に書かれた精神に基づいて」行うことになる(これはどんな法律や憲法でも同様)。
前文全体としては「この条約の締約国は(○○という理由で)以下のとおり合意した」という形式になっている。この「理由」が多彩に述べられている。
前文パラグラフ2 「破滅的な人道的結末を深く懸念し」(Deeply concerned about the catastrophic humanitarian consequences…)
→これまでの核兵器を制限する条約(NPT、CTBTなど)にはなかった特徴が「核兵器の非人道性」を指摘する文言。ICAN(核兵器禁止国際キャンペーン)などが主張してきたもの。
パラグラフ6 「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)と核実験の影響を被った被災者の受け入れがたい苦難と被害に留意し」 (Mindful of the unacceptable suffering of and harm caused to the victims of the use of nuclear weapons (hibakusha), as well as of those affected by the testing of nuclear weapons)
→「被爆者」すなわち核兵器使用の被害者に対する留意を盛り込んだ。「人道的懸念」とも重なる。
パラグラフ8〜10 →核兵器を禁止すべき法的根拠として国際人道法(戦時国際法)に基づく指摘。 戦争を行うにあたっても、何をやってもいいわけではない。「無用の苦痛を与えない」「殺傷は戦闘員同士で行われるものとし、非戦闘員には危害を与えない」など。 これらに基づいて「核兵器の使用は違法である」と断じる。
パラグラフ11 →核兵器の使用は「公的良心(public conscience)」に反するものである、とした。 具体的には、条約が「国」や「国連」といった公的組織だけでなく、NGOなど市民社会の要求であることをこういう形で書き込んだ。(パラグラフ24とも関連)
パラグラフ14 「核軍縮・廃絶の進展の緩慢さ、(略)経済的および人的資源の浪費を憂慮し」 (concerned by the slow pace of nuclear disarmament, …waste of economic and human resources on …) →核軍縮が「声かけ」ばかりで実際にはなかなか進まず、核兵器に資源が投じられている現状に対する怒り。
パラグラフ15 「核兵器のない世界の達成及び維持に向けた重要な貢献となる」 (towards the achievement and maintenance of a world free of nuclear weapons) →この条約が「廃絶」へのステップであることを書き込んだ。
パラグラフ24 「核兵器の完全廃絶の要求によって証明された人道性の原則を促進することにおける公的良心の役割を強調し、国際連合、国際赤十字及び赤新月運動、その他の国際及び地域組織、非政府組織、宗教指導者、議員、学術研究者及びヒバクシャがこの目的のために果たしている努力を認め」
→パラ11に登場した「公的良心」をここで具体的に説明。すなわち「核兵器廃絶」のために努力してきた、あらゆる人たちの意思を尊重するということ。この中に「ヒバクシャ」が出てくる。パラ6では「核兵器使用による被害者」としての「ヒバクシャ」が、そしてここでは「核兵器のない未来を切り開くクリエイター」としての「ヒバクシャ」が、条約に書き込まれている。
第1条 一般的義務 禁止行為の列挙。 (a)核兵器又はその他の核爆発装置を開発し、実験し、生産し、製造しその他の方法で保有し、又は貯蔵すること →「実験」は当初案では別項目だった。これは臨界前核実験に対する配慮があったため。現時点ではCTBT(包括的核実験禁止条約)により核爆発を伴う実験は禁じられているが、核爆発を起こさずに保有兵器の性能を確認する臨界前核実験は禁止されていない。 条約最終案ではイクスキューズを設けずに禁止事項となった。
(d)使用の威嚇を行うこと →拡大抑止(いわゆる「核の傘」)の禁止。これが入ったためにオランダが賛成できなくなったが、逆にいえば抵抗したのはオランダだけだったとも言える。
当初から検討されていたが最終案で見送られたのが「上空飛行」と「一時寄港」。 これが入ると本当に核保有国は手を縛られて何もできないことになるが、同盟関係などで参加できない国が増える(=条約としての有効性が落ちる)理由ともなる。
第4条 核兵器の全面廃絶に向けて →現時点で核兵器を保有している国が、核を放棄して条約に参加する手順を説明している。 「廃棄したうえで参加」「参加したうえで速やかに廃棄」とふたつの手順が提示されている。
第6条 被害者に対する支援および環境の修復 第7条 国際的な協力と支援 →被爆者支援の義務化。日本国内でも被爆者の支援は不充分で、各地で訴訟が起こされたりしているが(ほとんどの訴訟で国は敗訴している)。 6条は自国の管轄下における被害者の支援、7条は核兵器を使用・実験した国による他国の支援を規定。
第8条 締約国会合 →条約が成立して「はい万歳」ではなく、条約の実効性を監視し、さらに核軍縮・廃絶を進めるために定期的に会議を開くという規定。
第13条 署名 2017年9月20日より署名開始。 →なお、1週間後の9/26は核禁止国際デーとなっている。おそらくその日までには充分な署名国が集まる見通し。
第15条 発効 50ヶ国の批准で90日後に発効。 →CTBTでは保有国の批准を発効の条件にしているため、いまだに発効していない。 この条約では保有国の参加を条件とせず、早期に発効できる見通し。
(批准には各国の国内手続きが必要なため時期はわからないが、1年程度で発効まで持って行けるのではないかとの想定)
条約の意義・ポイント
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直ちに核兵器の廃棄をもたらすものではない →核廃絶を求める声には「ただちに廃棄」と「まずは禁止」のふたつの流れがあった。 「ただちに廃棄」となるとその手順まで条約に盛り込むことになり、その煩雑さを保有国は「参加しない言い訳」にしてきた。 「まずは禁止」で世界がまとまったのは、「早く実効性のある措置を行うにはそうするしかない」と覚悟を決めたから。
核兵器には「悪の烙印」が押された →国連加盟国の3分の2に迫る国が「核兵器は違法なものである」と合意した。それでもなお核兵器を持ち続ける国はまさに「ならず者国家」となる。 とはいえ、実際に保有国に廃棄をさせるには、国際的な世論と運動で条約への参加を迫る必要がある。
日本政府の態度を改めさせることは日本国民としての国際的責務。
会議までの経緯
2月に行われた準備会合。日本は欠席したが核保有国のうち中・印は出席。 NGOを公式の参加者とした。 議長にコスタリカのホワイト軍縮大使を選出 →これまでならもう少し大きな中堅国を選んでいたところだが、コスタリカは人口500万弱の小国。この国の外交官を議長に選出した時点で「大国の思い通りにさせない」という明確な意思表示となった。 5大国のボイコットは最初から想定内で、だからこそ「第6の大国」として市民社会を呼び込み、会議の正式な参加者として権威を与えた。
この時点では「早ければ年内に成立するかもしれない」という見通しだった →半年も前倒しで成立。
会議は日本被団協藤森氏のスピーチで始まり、カナダ在住の被爆者・節子サーロー氏のスピーチが締めになった。 条約の前文で2回言及されていることとあわせ「被爆者」への大きな配慮が会議全体の姿勢を示している。 日本からは他に、原水協の土田氏、共産党の志位氏がスピーチ。 日本政府は会議冒頭の各国政府演説で条約への反対と交渉への不参加を表明して席を立った。
「核保有国の参加しない禁止条約は無意味」との主張があるが(日本など)、オーストリア軍縮大使は「だったらなぜ保有国は反対するのか。意味がないなら黙殺すればいい。意味があるから反対するのだ」と反論。
中満泉氏の国連軍縮上級代表への就任 「上級代表」は国連の「事務次長」と言える上級幹部 日本出身者の就任は初 生粋の国連職員で、緒方貞子氏とも一緒に活動してきた サラエボで、自分から進んで戦争の現場に行った初の女性国連職員として注目されているとのこと NPT再検討会議やOEWGなど、条約会議に向けた準備段階でも活躍してきた人
国連作業部会(OEWG) 今回の条約交渉会議を「17年に開催する」よう国連総会に勧告した。 NPTでは検討されていない「核のない世界」への具体的な法的措置を緊急性をもって交渉されるべきであると提唱。 勧告の中で「市民社会が参加する会議とするべき」ことも提唱。 16年の2月・5月・8月に国連欧州本部にて開催。 15年のNPT再検討会議にて、採択されずに終わった最終文書で提唱されていた(最終盤になって保有国が本質と無関係なところでイチャモンをつけたために頓挫。全会一致制の限界を示した)。 OEWGの勧告を受けて71回国連総会で条約交渉会議の開催を可決
NPT再検討プロセスから見えた、世界政治の4つの不可逆的流れ
1.民主主義〜大国の支配への反対、市民社会の関与 2.法の支配〜「力による支配」からの転換 3.「核抑止力」批判〜テロと拡散への恐怖(キッシンジャーらの呼びかけ)から、批判の主眼は非人道性に 4.国際紛争の平和的解決〜アメリカとキューバの国交回復に見る NPT(核不拡散条約)について 5大国のみに核保有を認める不平等条約(インド・パキスタン・イスラエルは非加盟、北朝鮮は脱退を表明) 当初は時限条約だったが1995年に無期限延長、以後5年ごとに再検討会議が開かれ、核兵器廃絶に向かう国際交渉の場として重要な政治舞台になる
2000年(最初の)再検討会議では「かつて核兵器を開発した経験のある国」が「5大国が全ての核を放棄するか、全ての国に核保有を認めるかを選べ」と迫り、期限は切られないが「核兵器の完全廃絶を達成する」との約束がなされた
2010年の再検討会議では最終文書で「明確な期限を設けるべき」との考えを示す 2007年、米元国務長官キッシンジャーら4氏が「核兵器のない世界」を呼びかけ、多数の賛同 2009年、オバマ米大統領「核なき世界を目指す」演説 2012年、15年に開催される再検討会議の準備委員会でノルウェー・スイスなどが呼びかけ、16ヶ国による「核兵器の非人道性」を前面に打ち出した共同声明が発表される(日本には声がかからず不参加) 2014年、国連総会にて「核兵器の人道上の結果に関する共同声明」発表、日本も含め155ヶ国が参加 2016年、オバマ米大統領が広島訪問、「核兵器の先制不使用宣言」を検討するも、日本政府の反対により断念
→「核抑止力」という幻想にしがみつく政府を転換し、核廃絶の流れを促��する政府をつくる必要がある。 被爆国の市民運動には特別な役割がある
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なお、講演とほぼ同タイトルの著書が「かもがわ出版」から出された。 条約の全文が日英対照で収録されており、資料としても高い価値がある。 当日会場にて入手したので、8月6日までには読んでおきたいと思う。 下記リンクは出版社のサイト。
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/0930.html
以上
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《Field Research 2.》Swedish For Immigrants
「SFI」と呼ばれる、移民のためのスウェーデン語講座。今回は授業の一環で、言語クラスの受講生と交流する機会をいただきました。
スウェーデンでは、移民に対して言語クラスを無料で開講することが義務付けられています。新しい社会に入り、仕事を見つけ、生活をしていく上で、新しく言語を身につけ、社会的コンテクストを理解しなければなりません。そのため地方自治体は移住することによって妨げとなる、異文化やコミュニケーションの違いを学ぶことができる環境づくりを行っています。国内各地に存在する「SFI」とは「Swedish For Immigrants」の略称で、成人向けに開かれているスウェーデン語コースです。
受講生は主に、中東・アフリカ・東南アジア・西アジアからきており、私がお話しした4人の女性はそれぞれイラク、パレスチナ、シリアから移住していました。新しい生活環境・習慣に慣れること、仕事・家を見つける苦労など、様々な悩みを打ち明けてくれました。
「自国の文化で禁止とされている行為でも、スウェーデンでは認められていることがあり、そのジレンマに苦しむことがある。自分の国の文化だと、自分の子どもをコントロールできる環境があったが、スウェーデンでは子どもの自立を促す環境があり、スウェーデン人の友人が多い息子が話���聞いてくれない。」
「自国で美容師の資格を持ち働いていた経験があっても、同じ資格がスウェーデン国内では通用せず、仕事が見つからない。スウェーデンで働くためには、再びトレイニングコースに通う必要があり、ビザがすでにあるため支援金がもらえず、自費で賄わなければならない。」
「アパートを見つけるのが難しく、公共の部屋を借りるにはウェイティングリストにサインアップする必要があり、ポイント制となっている。順番がくるのに9年近く、そのため非公式(闇取引のようなもの)のやり方で部屋を見つけなければならない。その場合、普通より値段が高い。」
このように、彼女たちは日常の中に様々な"小さな悩み"を抱えています。
また、表向きではスウェーデンは「ソーシャル・インテグレーション」が進んでいると考えられ、その取り組みに対して多くの人が賛同し「良いことだ」と思っていても、実際には認識のギャップがあると、エジプト出身で二児の母であるクラスメイトが教えてくれました。
エジプトで学士をすでに取得している彼女は、現在スウェーデンの大学の講義を受けながらSFIのクラスに通っていますが、スウェーデン人の知り合いに「あなたみたいに高等教育を受けている人が、なぜ彼ら(移民)と一緒にスウェーデン語を学ぶ必要があるのか」と言われたことがショックだったと教えてくれました。
また、移民の人々は、同じ言語や文化を共有できる安心感から、地域の人とは異なる独自のコミュニティを形成していました。インタビューした女性たちも、住んでいる地域には同様のバックグラウンドの人が多く住み、一緒にフードパーティーなどをすることがよくあるが、ほかの地域の人との交流する機会が少ないと話してくれました。
多様性に富んだスウェーデンの社会にも、無意識のうちに壁が存在しているように感じます。もし移民の人が頑張って言語を取得したとしても、「彼ら」に対する眼差しをなくさなければ、本当の意味でソーシャルインクルージョンは叶わないのではないでしょうか。お互いの違いを学ぼうとする努力、知るきっかけが、もう少し身近に、そして気軽に親しむことができたら良いなと思いました。その点で、映画などの文化は最初のステップになると感じます。市民映画館「Folkets Bio」で観た"Tornet"というアニメーション映画は、私にとって"難民"について考える余白を与えてくれました。
Tornetとは、スウェーデン語で"タワー"という意味です。この映画は、パレスチナから逃れたおじいさんの代から、レバノン難民キャンプで暮らす男の子のお話です。レバノンの難民キャンプでは多くの難民が移り住み、家族が増えたことにより、もともと一軒だった家の上には部屋が増設され、今では"タワー"となって空高く伸びています。映画の中では、男の子がタワーに登っていくごとに、周りにいる家族の話に耳を傾け、家族が経た紛争の経験を知っていきます。
捕虜と鳥が目を合わせるシーン、故郷を思い植物を育てるおじいさん、孫に託すパレスチナの家の鍵、、「自由」とはなんだろう。私にも"難民"として暮らす友人がスウェーデンに来てからできました。映画を始め、一人一人のライフストーリーに耳を傾けること。それは、淡々と流れるニュースよりも、より身近でヒューマンドラマに溢れていると実感しました。
Folkets Bioではインディペント映画や、世界各国の映画を放映しており、学生には嬉しい月一の無料公開デーがあります。(アラビア語の映画だったため、スウェーデン語字幕で理解に苦しみましたが、、笑)
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レバノンに暮らすパレスチナ難民に関して:
1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発しました。200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失いました。これを、パレスチナでは「ナクバ」(破局)と呼んでいます。周辺諸国に逃れたパレスチナの人々は、以来「故郷への帰還」を切望しながら、70年にわたり難民として生活してきました。当初70万人だった難民は、避難先で三世代、四世代目となり、今や約500万人に達して世界で最も大きな難民グループとなっています(パレスチナ子どもキャンペーン)。
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