Tumgik
#ホッブス
takahashicleaning · 1 year
Link
TEDにて
ジョージ•ダイソン:コンピューター誕生の物語について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
歴史家であるジョージ・ダイソンが、現代のコンピューター誕生にまつわる話を、その16世紀の起源から初期のコンピューター技術者によるユーモアのある日誌まで紹介します。
ニュートンと同時代のライプニッツからのコンピューターに必要な二進法の構築から語ります。その他には、微分積分もニュートンとは僅差でしたが構築に貢献していた天才的な数学者です。
彼は、中国の古典「易経」に関心をもっており、イエズス会宣教師から六十四卦を配列した先天図を送られ、そこに自らが編み出していた2進法の計算術があることを見いだしています。
現代では、陰陽2つのエネルギーの共同作業が、この世のほぼすべての生命現象が産み出されていたことを分子生物学が原子レベルで解明しています!
ノイマン、フォルゲンシュテン、オッペンハイマー他など、天才達がプリンストン大学に集合し、真空管でメモリはブラウン管で創造しています。
現代では、ディズニー傘下のマーベルコミック、映画アベンジャーズのイメージ。
演算装置、制御装置、記憶装置、入出力装置が必要な条件ですが、当時はアナログでデジタルではなく、集積回路も無い状態なので巨大な機械で実現しています。
それは、理想的な始まりでした。うまく行った話で、実際に起きたことです。このマシンは、今やどこにでもあり、必然的に生まれたテクノロジーです。
これから紹介する人たちがやらなくても、おそらく別の人が実現したでしょう。つまり、しかるべき時に、しかるべく生まれたアイデアだったのです。
トリニティと呼ばれる最初の原子爆弾の話から始めます。マンハッタン計画でのことですが、それはTEDに似て、優秀な人材を多数集めていました。
中でも際立っていた3人が、スタニスワフ・ウラム、リチャード・ファインマン、ジョン・フォン・ノイマンです。原子爆弾の実験後にノイマンは「私は、爆弾よりもずっと重要なことについて考えている。コンピューターだ」と書いています。
そして、考えただけではなく、作ったのです。これが彼の作ったマシンです。彼は、このマシンを作り、このアイデアが実現できることを見事に実証したのです。
コンピューターのアイデアは、遙か昔に遡ります。最初に記述したのは、トマスホッブズで、1651年に算術と論理が実質的に同じであることを示し、人工的な思考や論理を実現したければ、算術のみで行え、必要なのは加算と減算であると言っています。
ライプニッツが、少し後の1679年に減算も不要なことを示しました。全て加算で実現できるのです。ここには、のちのコンピューター革命へと繋がる2進演算と論理について書かれています。
コンピューターの構築について書いたのもライプニッツが最初でビー玉とゲートで説明していますが、これはシフトレジスタに相当するもので、ゲートを開けてビー玉を下の経路に落とします。
ビー玉が電子に変わったのを別にすれば、これはあらゆる計算機が行っているのと同じことです。
時代は移り、フォン・ノイマンが、1945年に全く同じで性能の良いものを再発明しました(アランチューリングはもう少し前に原型を暗号解読のため製作しています)1945年に戦争が終わった後も、電子工学は続き、そのようなマシンの構築に取り組んだのです。
1945年の6月、原子爆弾がまだ投下される前にフォン・ノイマンは、コンピューター構築に必要な理論をまとめ上げました。
理論に関しては、前の時代。チューリングがテープを読み書きする能なしの小さな有限状態機械によってあらゆる計算が可能であることを示しています。
フォン・ノイマンがしたことの動機となったもう1つのことに天気予報の難しさがあります。ルイス・リチャードソンは、たくさんの人を整然と並べ、小分けした仕事を各人に与えて、集計する手法を考えました。
こちらは、意志を持った心の電気的モデルです。
ただし、2種類の考えしかありません。これは、まさに最も単純なコンピューターで量子ビットが必要なわけです。
2つの考えしかないのですから、これをたくさん集積することにより、現代のコンピューターの基本構成を実現できます。算術演算装置、中央制御装置、メモリー、記録媒体、入出力装置です。
ただし、大きな落とし穴が1つあります。プログラムを作ろうとすると分かったのですが、演算を制御する命令は、微細なところまで指定する必要があるのです。
プログラムは記述が完璧でなければ動作しません。コンピューターの起源を見てみると、典型的な歴史文献ではENIACがすべての元になっていますが、これからお話しするマシン。
つまり、上の方に書かれているIASマシンが、本当は大元に書かれるべきなのです。歴史を覆して、彼らにしかるべき名誉を与えたいと思います。このようなコンピューターがあらゆる装置を超えて広がる全く新しい世界を開きました。
それは、彼らが夢見た世界です。そのマシンを作るはずだったのが、写真の真ん中にいる、RCAのウラジミール・ツヴォルキンです。RCAはおそらく史上最悪の経営判断によりコンピューター事業に参入しないと決めました。
最初の会議は、1945年11月にRCAで行われました。RCAはこの全計画に着手したものの、将来を担うのは、コンピューターでなく、テレビだと判断してしまったのです。
マシンを作り上げ動かすのに、必要なものは全て揃っていました。フォン・ノイマンに、論理学者に、軍の数学者たちが集まりました。組み立て場所が必要でしたが、RCAに断られたので、プリンストンで作ることにしました。
フリーマン・ダイソンが働いていた研究所で私も幼少期をそこで過ごしました。私と、先に講演した姉のエスターです。2人ともコンピューターの誕生に立ち会ったわけです。
こちらは大昔のフリーマンです。私もいます。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンです。ゲーム理論を作った人たち。この蒼々たる人材がプリンストンに集まっていました。
原子爆弾を開発したオッペンハイマーです。実際、このマシンは主に爆弾のための計算に使われたのです。
ジュリアン・ビゲローは、技術者として採用され、電子工学を使って、実際にマシンを構築する方法を考案しました。この仕事のために集まった人たちです。
前の女性たちは、大半のコーディングを行った、いわば、最初のプログラマーです。彼らはギークの原型で組織には馴染みませんでした。
彼らは、研究所でした開発の全過程を公開しました。報告書が発行されて、世界15か所で複製マシンが作られました。これが、まさにマイクロプロセッサーの原型となったのです。
現代のあらゆるコンピューターがこのマシンの複製です。メモリーはブラウン管で作りました。ブラウン管表面のたくさんの点を使っており、電磁波の影響を受けやすい不安定なものです。
入出力には、最初テレタイプテープを使っていました。こちらにあるのは、自転車の車輪を利用したワイヤードライブで、ハードディスクの原型です。
この後、磁気ドラムに置き換わります。こちらは改良されたIBMの装置で、後にIBMに引き継がれ、データ処理産業を生み出すことになります。こちらはコンピューターグラフィックスの起源です。
「グラフィング。ビーム。ターンオン」です。これは、私の知る限り、最初のデジタルビットマップディスプレイで、1954年のものです。
フォン・ノイマンは既に理論の世界へと離れ、信頼性の低い部品からいかに信頼性の高いマシンを作れるかという抽象的な研究をしていました。
フォン・ノイマンは、様々な問題に取り組むため、世界中から変わり者を集めていました。バリチェリは、今でいう人工生命に取り組むためにやってきて、この人工的な世界の中で取り組んでいました。
彼は、元々ウィルス遺伝学者ですが、時代の遙か先を行っていました。彼は、ある部分では現在よりも先を行っていました。コンピューターで動作する人工遺伝子システムに着手し始めました。
彼の世界が生まれたのは1953年3月3日です。次の火曜日でちょうど50年になります。スティーブン・ウルフラムをご存じかもしれませんが、彼はこれを再発明した人です。
私のノートPCの世界は、バリチェリがプロジェクトをやめた時点と比べ、100億倍もの大きさになっているのです。彼は、時代に遙か先駆けて、新しい種類の生命へと育てることを考えていました。
そして、これは今起きていることなのです!ファン・エンリケスが私に言ったのですが、プロテオミクス研究所では12兆ビットのゲノムデータがやり取りされているそうです。まさにバリチェリが夢みたことです。
マシンの中のデジタルコードは、もう既に実際の塩基配列をコーディングするようになっています。PCR法を行い、小さなDNAの断片を合成するようになったときから
我々は既にそうしているのです。近いうちに実際に、タンパク質を合成するようになるでしょう。スティーブが示したように、ここから全く新しい世界が開かれるのです。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
��法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想��大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
アーサー・ベンジャミン:数学の教育を変えるための公式
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
ジョン・グラハム=カミング:かつて存在しなかった最高のコンピューター
ジム・アルカリリ:量子生物学は生命の最大の謎を解明するか?
ロン・エグラッシュ: アフリカのデザインに潜むフラクタル
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
ari0921 · 5 months
Text
我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ���
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
9 notes · View notes
reportsofawartime · 4 months
Text
わたしは第一に、全人類の一般的性向として、次から次へと力を求め、死によってのみ消滅する、やむことなく、また休止することのない欲望をあげる(ホッブス『リヴァイアサン』第1部第11章)
2 notes · View notes
kuribayashisachi · 11 months
Text
勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
Tumblr media
■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
6 notes · View notes
kedama-o · 1 year
Text
今週はちょっとずつ本を読み進める週間でした。
いや、今割と応援してる方の愛読書がホッブスの「リヴァイアサン」だそうで、これは読まねば!と手にとったのだけどめちゃくちゃ難しいな?!まあでも読めなくはないからちょっとずつ舐めるように読んでいきます…。息抜きに読み始めた安部公房の「壁」はのっけから不安になるもやもや感が大変良くて、そうそう!これを求めてたんだ私は!とほくほくしてしまった。こっちも並行して読めたら良いなあ。
あと、昨日Netflixで「レッドノーティス」という映画を見た。ルパンと香港映画とインディージョーンズを足して割ったような内容で、メイン2人の掛け合いもとても面白く、中々良い映画だった。
6 notes · View notes
mreiyouscience · 2 months
Text
 「ファウスト」。ドイツ文学の巨匠ゲーテ(1749-1832)がその生涯をかけて完成させたといわれている超大作であり、ノルウェー・ブック・クラブが選ぶ「世界最高の文学100」にも選出された、文学史において非常に重要な文学作品だ。
 「もういちど読む山川世界史」によると、14世紀イタリアでヒューマニズム-「中世ヨーロッパ社会で支配的であった神中心の伝統的世界観から抜け出し、人間性を信頼しつつこれを充実・発展させようとする態度」-を掲げたルネサンスが始まり、時代は中世から近代へと変遷した。ルネサンスの基本精神であるヒューマニズムは17世紀に花開く「科学革命」の基盤を提供し、また、ルターとカルヴァンを中心とした「宗教改革」、そしてカルヴァンによる予定説は近代ヨーロッパ市民に禁欲的な態度で職業労働に励むことの大切さを説いた。その後17世紀にガリレオやケプラーによる研究に基づいて、ニュートンが万有引力の法則を発見した。これは「古典物理学」を生み出し、「科学革命」の幕開けとなった。このように始まった「科学革命」は、フランシス・ベーコンによる帰納法とルネ・デカルトによる演繹法を生み出した。帰納法は自然科学の発展に、演繹法は数学などの発展に寄与した。18世紀末、帰納法を重視した経験論と演繹法を重視した合理論を���合し、「自分の理性を主体的に用いて子どもじみた迷妄から抜け出る」ことを説いたドイツの哲学者イマヌエル・カントにより啓蒙思想が生まれた。この啓蒙思想によって、トマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーなどによる社会契約説が勃興・発展し、アダム・スミスによって古典経済学が発展した。
 このような時代背景がゲーテの「ファウスト」を生み出した。それ故に、私は「ファウスト」の内容がゲーテとほぼ同時代を生きた哲学者キルケゴール(1813-1855)の思想に酷似しているように感じるのだ。この解釈は若干無理があるものの、主人公ファウストはキルケゴールの説く「美的実存段階」、「人倫的実存段階」、最後に「宗教的実存段階」を経て、悪魔メフィストに魂を奪われることなく死ぬ物語と解釈すると、この美しい文学を少しだけ理解しやすくなるのではないか?しかし、この文学の物語の流れを追いかけるだけでは、ゲーテがこの文学作品で伝えたいことを知ることが出来ないだろう。私的見解だが、この文学は三人の主要な登場人物-悪魔メフィスト・主(神)・主人公ファウスト-による戯曲を詩的に描きつつ、「人はいかにして生と死を肯定するか?」という時代・歴史・国を超越した普遍的なテーマを伝えたかったのだろうと思う。
 「様々な問題が複雑に絡まり合い、それらをどのようにすれば解決するのか?」という難題に対して途方に暮れている我々現代人はV・E・フランクルのように「それでも人生にイエスと言う」という態度-生の肯定-が出来ずにいる。また、一部のSTEM研究者やIT社長などが雑誌のインタビューで「人間は有機物から無機物になるべきだ。無機物は有機物に比べて化学的構造が安定している。よって、近い将来、科学技術を駆使して人体を無機にすることで人は不老不死を実現できるだろう。」と答えており、私は彼らから死の否認を感じた。これらの例は人にとって生と死を肯定することがいかに困難であるかを我々に教えてくれる。そんな我々に本書を通じてゲーテは「向上の努力こそが生の肯定を生み出し、老いる過程で自分の経験や体験そして智恵を伝えていき、そして最後に老いた自分より若い人達や次の世代に自分が果たすことが出来なかった課題を伝え希望を託すことで、死を肯定することが出来るのだ。」と教えてくれるに違いない。
0 notes
real-info · 1 year
Text
■2020年同様汚い手を使う、ならクラスアクションでお返しだ!
 形式的に開いた裁判で、一応双方の主張を聞いた後、トンプソン地裁判事は「誰が選挙投票用紙を郵送するかを確認するアリゾナ州法の署名検証」請求を無視、共和党側の訴訟を却下した。しかし、既に署名の合わない膨大な投票用紙が確認されている。なのでレイク側は直ちに上訴、これに対し上級裁判所では「不利!」が明確なホッブス・民主党はリンク記事のようにカリ・レイク側に言いがかりをつけて巨額の損害賠償請求を行った。このような脅迫の手口は2020年でも同様に行われ、その結果、署名確認は不可能になった。しかし、今回は「機械の故障!」という動かし難い現実がある。なのでマリコパ郡の投票機会を奪われた市民がグループを結成、ホッブスとマリコパ郡に対してクラスアクションソ訴訟を起こすことができる。市民達は機械の故障で仕事に行けず当日膨大な時間を無駄にしている故、その補償(責任者は選管とその監督者のホッブス)を求めるもの。あれだけの市民がほぼ1日並んだのだから、その請求額はとんでもない巨額になる! (Citizens deprived of voting opportunities in Maricopa County should form a group and make the CLASS ACTION against Hobbes and Maricopa County Election Committee. Citizens are wasting the huge amount of time by the broken machine. The compensation must be HUGE !!)
--- (c) 2022 Osamu Terao, Allrights reserved ---
0 notes
shigerunakano · 1 year
Text
太平洋戦争期における標語が示す総力戦の転回およびその性質
実際大日本帝国における「天皇陛下万歳」と「最後の1人になるまで戦う」という標語は矛盾しないという事実がある(日本浪漫派とそれからイロニー)。特定の1人が死ぬか、すべての人類が死ぬか。すなわち日本人が常識的に人間的実情と判断するような「一億玉砕」という国家的戦略はひとつの軍事的事実でしかなく、軍事的アマチュアでない限り、戦略のひとつとして卓上に据え置かれることが判明する。「父親と星条旗……、その2つは相反しない。父は私を守ってくれる。彼の家庭内の振る舞いに誓って……。すなわち、国家とは家のようなもの」。それが人類の置かれた軍事的状況であり、今後も大日本帝国の国家的戦略はホッブス的戦争状態の誘惑を太平洋のトロピカルな風景表象を背に、軍事的プロフェッショナルに対し迫ってくる契機なわけである。「我々が望むのは女と子どもの戦争である」(高畑勲そしてそのユング的元型の発現もしくは大量動員)。問い、兵士とは誰か。
0 notes
ryotarox · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
https://twitter.com/Ei_Kawasaki/status/1280753237507768320
ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターのイラストによるキノコ図鑑「路傍と森林の菌類 原題:Wayside and Woodland Fungi ウォーン社出版」が届いた。 表紙が注文した物とイメージが違ったので戸惑ったものの、内容は同じのようで一安心。 やはりポターさんのキノコの絵は生彩で美しい。
- - - - - - - - - - - - - - - -
ビアトリクス・ポター - Wikipedia
博物館に行き化石のスケッチも多く残したが、ポターが特に興味を惹かれたのは菌類、キノコであった[23]。 当時のイギリスでは各家庭に顕微鏡が存在するほど、一般市民の間で博物学の大流行が起きていた。女性の高等教育はまだ一般的ではなく、ようやくその必要性が認められはじめた時代であったが、女性がキノコの観察やスケッチを行うのはそれほど珍しいことではなかった[34]。 ポターはキノコの精緻なスケッチを描き続け、叔父にあたる化学者ヘンリー・ロスコーの計らいにより、ついにはキュー王立植物園で自由に観察・研究できるようになった。他の研究者もポターを歓迎していたが、ポターが胞子の培養に成功すると態度は突然冷たくなっていった[35]。アマチュアとしての研究ならば女性であっても認められていたが、大多数の専門家はポターのようなアマチュア研究者が自分たちの領域に入り込むことを疎ましく思っていた[36]。 王立植物園から疎外されたポターは、ロスコーの勧めもあって1897年に「ハラタケ属の胞子発生について―ミス・ヘレン・B・ポター」と題した論文をロンドン・リンネ学会に提出した[37][38]。しかし女性が学会に参加することは認められず、論文は植物園副園長が代理で読み上げた。一説にはタイトルだけしか読み上げられなかったともいわれている[39][35]。ポターは日記にその無念さを書き残している[40]。ポターはその後もキノコの研究を続けたが、やがて研究からは遠ざかっていった[41]。 『ピーターラビットの野帳[注釈 4]』の著者、アン・スチーブンソン・ホッブスは1900年以降にはキノコがスケッチにほとんど登場していないと指摘している[42]。もし、こうした事件が起こらなければポターは研究者として名を残したかもしれず、ピーターラビットも生まれなかったという者もいる[43]。 彼女が残した絵は、死後の1967年に発行された『路傍と森林の菌類 (Wayside and woodland Fungi) [注釈 5]』に挿画として使われている[44]。1997年の4月にリンネ学会は、性差別があったことを公式に謝罪した[45]。
Wayside and Woodland Fungi potter - Google 検索
- - - - - - - - - - - - - - - -
【東京都庭園美術館】「キューガーデン 英国王室が愛した花々 シャーロット王妃とボタニカルアート」展 開催のご案内|公益財団法人東京都歴史文化財団のプレスリリース 2021年9月18日(土)~11月28日(日)
女性画家たち 植物学や水彩画を学ぶことは、18世紀のイギリスの女性たちの教養のひとつとされていました。そうした中で女性の優れた植物画家が登場し、当時ごく限られていた女性の職業選択に新たな選択肢が生まれました。ここでは、ボタニカルアートの分野で活躍した女性画家たちの作品を紹介します。
1 note · View note
yxmeyxme · 3 years
Text
遙かなる時空の中で7 感想
noteから避難しちゃった。
シナリオ 1億点 絵 1億点 恋愛要素 1億点 歴史解釈 1億点 キャラクター造形 1億点 思想 1億点 音楽 1億点 戦闘 50点 コスパ 75点 直江兼続のタレ目上がり眉口元の黒子  1億点 その他色々加味して1000000億125点/100点です
 はじめまして鉢です。ツイッターでは八女といいます。  遙かはだいたいメディアミックス含めて大体やって、ゲームやったり同人誌書いたり京都の大学いったり距離置いたり繰り返して遙か歴は15年くらい。推しは無印友雅さん、2彰紋くん、3弁慶さん、4同門、5箱推し、6ダリウスと秋兵さん、7兼続と五月。
 実家だと思ってます。何卒お手柔らかに。
 これは私がゲームクリアしたら感想ブログ漁るし、ゲーム買う前もそこそこの数漁るので、そんな人用です。  後は私が吐き出したいだけ。最高なので。
で。
画面の前のあなた、遙か7やった!?
 大人なので今日コンプしたんだけど、最高〜〜でしたよね!  最高だから全人類遙か7やってください。お願いします。  遙かも戦国もしらんって人でも楽しめると思います!今だったらFGOとかやってる人とかおすすめじゃない!?私の推しはマーリンです。
 最高だったところ言ってくね。ネタバレはあります(各々のゲームに対する思想があると思うので進むかやめるかはあなたが決めてね。ただ、本当に買いのゲームだと思う)
1.深い歴史解釈に基づく天才シナリオ 2.老舗乙女ゲーム会社らしい、控えめな恋愛描写と気高い思想観 3.音楽とかボイスとか物語の彩り 4.テキストのレベルがマジで高い 5.直江兼続のタレ目つり眉口元の黒子
1.深い歴史解釈に基づく天才シナリオ  これですよ。
 先に感想叫んでる人もね、言っているんだけどね。今回マジでシナリオがいい。ハズレがない。 「我々は愚かだから争っているわけではないのです」みたいな幸村のセリフが私は忘れらんない。いや本当にそう。戦国っていうか人間の歴史全般に言えること。徳川家康も石田三成と話せるけど、2人とも悪人じゃない、民草のことを考えていないわけではない。徳川家康なんてさ〜〜腹黒とか泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギスとか言われてるけど、今回マジで天下人の器。でも、戦は起きてしまう。
 そんな世界で神子が自分で選んで恋をする話。面白くないわけないじゃん。
 すいません。まず、シナリオということで最高ルートよ真田幸村ルートについて語っていい?いいよ。  遙か7どこがいいかって、現代ED(神子=ヒロインが異世界を救ったのち生まれた世界に帰るED)が五月ルートと大団円ルートしかないとこなんだよな。これは今までのシリーズの現代EDをdisってるのではなく(3弁慶十六夜記EDありがとう)、特に今回はこのキャラクターはかっこよく戦場で散るんで〜すっていうコーエーの戦国武将に関するクソデカ感情が見られて最高なんですよね。で、真田幸村を願いが叶うことのなかったがそれでも義を貫いた武将(最高解釈)として描いたのち、最後に先に指名を全うして龍神になっていた神子と神域で永遠にたどり着くの最高。私真田幸村が倒れたとき、ここで立ち上がって神子を助けるか、葛城忍人EDかなと思ったら真田幸村死んじゃうんだもん。びっくりしたわよ、これねネオロマンスでしてよ!!! でもそうなの、真田幸村はあそこで義のために死ぬ武将で、その上で恋を貫いてほしいんや〜〜最高。この恋は運命を超えるんですよ。家族になってくださいって告白も真田幸村についての解釈10億点ある。  対の五月は、真田幸村が心をとったのとは対照的に存在(名前)をとるシナリオなのも天才。五月が三成に「違う名前のまま死なせないよ」っていうの最高。真田ルートで五月のやり方だと姫の心を殺してしまうって言われてて笑っちゃった。
 まあ、はい、天才のシナリオでかつ歴史に対するリスペクトがあって、それをシナリオに完璧に落とし込めれてるの本当に好き。
 ありがとう。日本にコーエーがあってよかった。3の還内府ってワードマジでセンスの塊で泣いてしまう。これからも応援する��。
2.老舗乙女ゲーム会社らしい、控えめな恋愛描写と気高い思想観
 私ですね、古い人間なのかもしれませんが全年齢乙女ゲームでえっちな描写はおろかちゅーしてる描写さえもはわわ……なるんですよ。これはちゅーのシーンや今までのネオロマでは珍しいお風呂でバッタリ☆があった遙か6をdisってるわけじゃありません。6は英雄譚よりもロマンスで、そこに救われるやりとりがあったのが最高なので。そこそこ歳を食ってるので照れることはないのですが、供給過多な時代にエロゲを買うことができる女が全年齢乙女ゲームをわざわざ買うのは、ぶっちゃけ体のつながりを見たり、ラッキースケベ見たさだったり、本能を満たすたりするじゃないんですよね。
 今回、攻略対象キャラが甘いセリフ言うまで本当に時間がかかる。だからこそ、その先の描写がいきるというか。恋愛描写でいうとやっぱり今回兼続じゃないですか?兼続ルートのいいところ、頭のいい男が恋に落ちるところが丁寧にかかれててそれがたまたま神社暮らしでよかった〜ですまないくらい神子が頭がいい。地白虎の伝統なのか最初まあまあ煽ってきて可愛いね〜されたんですけど、今回ちゃんと負けを認められる。えらい。で、4アシュヴィン以来じゃないですか、作中で夫婦感出されるの。節度ある、尊敬の意識がお互いにある恋愛描写がなされている。ちゅーもエッチなシーンもない、でも心が繋がってるのが分かる。ちゃんと恋してんだよな。この2人。そうそうこういうのだよ、私が求めてんのは。
 今回、前に進む、自分で決めるなどが強調されてて、黒田長政様が繰り返す7つの童女(7歳までは神のものという言葉が実際ある)の7の数字を冠した遙か7、まさに神から緒を切られて世界へ飛び出していく現代を生きる女の子に元気を与える新しいロマンスなんです。女の子だから可愛いければおっけー他人から価値観を押し付けられて、お人形になる世界じゃない。また、男並みに何かをやる世界でもない。世界のために自分でできることを頑張って探して自分にできることをやって1人の人間として尊敬・尊重されて、その先で自分で選んで誰かと恋をしてもいい、そんな世界なんです。  それって女の子にだけ都合のいい世界なんじゃない?っていわれるのかもしれないけど、違いますね。  私ルビパのモンペなので別格好きなルートは当然真田幸村で、推しは兼続で、推しカプは五七で、でも重要だなと思ったのは朱雀と阿国のルート。前に進む、定めを受け入れるという方向性で全部最後までいきそうなのに、ここに親の希望から外れて自分で決めた道を歩んでそれもまた良しとする。そんなルートも戦国の特に今よりも家が絶対の世界で存在するの優しくないですか?男だから泣くなの世界じゃない、泣ける男の人は優しいのだ。そんな世界って素敵やん?
 後、また幸村ルートと後は柳生宗矩ルートの話なんだけど、七緒が龍神で神を地に落とすのは割合どのルートでも言われてたんだけど(それも一つの道、王子様でもお姫様でもそれ以外でも何にでもなっていいのだ)、幸村ルートは幸村が天に登ってくれるし、柳生ルートはED七緒の名前が???になってるので多分ほぼ龍神なんだろうけど、地に降りてくる必要もないし絶対人になる必要もないのだ。別にこれは風早ルートの愚痴ではないです、いくつもの人間の姿を見て風早は人間になりたいの。それも、良いの。
 毎回、時流を勉強してゲーム作るルビパえらい。さすがネオロマンス、新しいロマンスを作る会社。最初にアンジェで初の乙女ゲー作った会社だけど、常に最先端いっててすごい。満点です。
3.音楽とかボイスとか絵とか物語の彩り  最高。最高傑作。
4.テキストのレベルがマジで高い  今回テキストのレベルが高くないですか?私序盤ボイス切ってた何故か五月と兼続を立ち絵の見た目から20代だと思ってたんですよね(いや、五月浪人生なのに謎に制服着てたけど)  でも五月はイメージより軽くて、兼続はイメージよりおっさんなんですよね。で、年齢調べたら2人とも10代と30代なんですよ。これってすごくないですか?テキストだけで、年齢感出せるの。マジで文才がある。
5.直江兼続のタレ目つり眉口元の黒子  助かる。漫画の直江兼続、漫画版遙かの橘友雅の系譜じゃないですか?束帯姿の橘友雅の……
(水野十子は神)
 こんな感じです。語りたいだけ語って満足しました。  戦闘はシナリオとスチルに比べたら時代遅れというかもう少し頑張れたのでは感が否めない点と、コスパはダウンロード版が最高価格帯だったことに関する不満ですが、私そこそこ遙か歴あるので毎回この遙かを親だと思っている私を楽しませてみよみたいな気持���で臨んでるところあるので(長政様か?)、他の最高なところがあるので無問題。
 社会とオタクの色々で疲れた心が癒えました。またがんばります。ありがとう。みんな遙か7やってくれ。
【追記】 そうそうカピタン・モロのあやつる悪魔がホッブスが国家を例えたリヴァイアサンなの最高じゃない?
2 notes · View notes
anaconda-japan · 2 years
Text
――本書でフランスの「論理」を形成するものとして焦点を当てたディセルタシオンですが、どういったものなのでしょうか? 私たちがイメージする小論文とはどう違うのでしょうか?
本書で詳しく紹介していますが、大きく言うと2つの特徴があります。
1つが、問いに対する答えのあり方です。「○○はAか否か」という問いがあったとして、日本の小論文もアメリカのエッセイも、「Aである」あるいは「Aではない」と、イエスかノーかで答え、いずれかの立場を擁護します。
ところがディセルタシオンでは、こうした答えでは不十分です。イエスとノーを超える第三の道を求めるんですね。本書では、「国家への服従は常に義務か」という哲学小論文の例題を紹介していますが、「国家への服従は常に義務である」という〈正〉の定立に対して、「では、いかなる場合に国家への服従は義務ではなくなるのか」という、〈反〉の定立への問いを立てます。次に、「国家への服従を(義務でなく)意志と捉えるとどうなるか」といった〈合〉を導くための問いを作ります。問いに対する肯定でも否定でもない、それらの総合を通じてより大きく積極的な視点と結論を導きます。
もう1つが、自分の感想や感覚が一切価値を持たないことです。日本では小論文も作文も、主張の裏付けとして自分の経験や考えを用いますし、アメリカのエッセイでもこれは同じです。ところがディセルタシオンでは個人の体験や意見は全く意味を持ちません。4時間かけて書く大論述問題で「私は……(Je…)」という言葉は一度も出てきません。
先ほどの例題では、ホッブスやスピノザ、ルソーといった思想家たちの議論を引用しながら、先人の考え方を論述の中で〈正〉と〈反〉として対決させる。さらにもう一つ新たな考え方を、これも先人の議論の引用を使って〈合〉で引き出す、という手続きを生徒に促しているのです。著名な哲学者たちの議論は、それ自体で意味を持つのではなく、あくまで生徒が弁証法で論じるための「材料」なのです。
「論理的思考」の落とし穴――フランスからみえる「論理」の多様性 『「論理的思考」の社会的構築』著者、渡邉雅子氏インタビュー
0 notes
takahashicleaning · 4 years
Link
TEDにて
ジョージ•ダイソン:コンピューター誕生の物語について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
歴史家であるジョージ・ダイソンが、現代のコンピューター誕生にまつわる話を、その16世紀の起源から初期のコンピューター技術者によるユーモアのある日誌まで紹介します。
ニュートンと同時代のライプニッツからのコンピューターに必要な二進法の構築から語ります。その他には、微分積分もニュートンとは僅差でしたが構築に貢献していた天才的な数学者です。
彼は、中国の古典「易経」に関心をもっており、イエズス会宣教師から六十四卦を配列した先天図を送られ、そこに自らが編み出していた2進法の計算術があることを見いだしています。
現代では、陰陽2つのエネルギーの共同作業が、この世のほぼすべての生命現象が産み出されていたことを分子生物学が原子レベルで解明しています!
ノイマン、フォルゲンシュテン、オッペンハイマー他など、天才達がプリンストン大学に集合し、真空管でメモリはブラウン管で創造しています。
現代では、ディズニー傘下のマーベルコミック、映画アベンジャーズのイメージ。
演算装置、制御装置、記憶装置、入出力装置が必要な条件ですが、当時はアナログでデジタルではなく、集積回路も無い状態なので巨大な機械で実現しています。
それは、理想的な始まりでした。うまく行った話で、実際に起きたことです。このマシンは、今やどこにでもあり、必然的に生まれたテクノロジーです。
これから紹介する人たちがやらなくても、おそらく別の人が実現したでしょう。つまり、しかるべき時に、しかるべく生まれたアイデアだったのです。
トリニティと呼ばれる最初の原子爆弾の話から始めます。マンハッタン計画でのことですが、それはTEDに似て、優秀な人材を多数集めていました。
中でも際立っていた3人が、スタニスワフ・ウラム、リチャード・ファインマン、ジョン・フォン・ノイマンです。原子爆弾の実験後にノイマンは「私は、爆弾よりもずっと重要なことについて考えている。コンピューターだ」と書いています。
そして、考えただけではなく、作ったのです。これが彼の作ったマシンです。彼は、このマシンを作り、このアイデアが実現できることを見事に実証したのです。
コンピューターのアイデアは、遙か昔に遡ります。最初に記述したのは、トマスホッブズで、1651年に���術と論理が実質的に同じであることを示し、人工的な思考や論理を実現したければ、算術のみで行え、必要なのは加算と減算であると言っています。
ライプニッツが、少し後の1679年に減算も不要なことを示しました。全て加算で実現できるのです。ここには、のちのコンピューター革命へと繋がる2進演算と論理について書かれています。
コンピ��ーターの構築について書いたのもライプニッツが最初でビー玉とゲートで説明していますが、これはシフトレジスタに相当するもので、ゲートを開けてビー玉を下の経路に落とします。
ビー玉が電子に変わったのを別にすれば、これはあらゆる計算機が行っているのと同じことです。
時代は移り、フォン・ノイマンが、1945年に全く同じで性能の良いものを再発明しました(アランチューリングはもう少し前に原型を暗号解読のため製作しています)1945年に戦争が終わった後も、電子工学は続き、そのようなマシンの構築に取り組んだのです。
1945年の6月、原子爆弾がまだ投下される前にフォン・ノイマンは、コンピューター構築に必要な理論をまとめ上げました。
理論に関しては、前の時代。チューリングがテープを読み書きする能なしの小さな有限状態機械によってあらゆる計算が可能であることを示しています。
フォン・ノイマンがしたことの動機となったもう1つのことに天気予報の難しさがあります。ルイス・リチャードソンは、たくさんの人を整然と並べ、小分けした仕事を各人に与えて、集計する手法を考えました。
こちらは、意志を持った心の電気的モデルです。
ただし、2種類の考えしかありません。これは、まさに最も単純なコンピューターで量子ビットが必要なわけです。
2つの考えしかないのですから、これをたくさん集積することにより、現代のコンピューターの基本構成を実現できます。算術演算装置、中央制御装置、メモリー、記録媒体、入出力装置です。
ただし、大きな落とし穴が1つあります。プログラムを作ろうとすると分かったのですが、演算を制御する命令は、微細なところまで指定する必要があるのです。
プログラムは記述が完璧でなければ動作しません。コンピューターの起源を見てみると、典型的な歴史文献ではENIACがすべての元になっていますが、これからお話しするマシン。
つまり、上の方に書かれているIASマシンが、本当は大元に書かれるべきなのです。歴史を覆して、彼らにしかるべき名誉を与えたいと思います。このようなコンピューターがあらゆる装置を超えて広がる全く新しい世界を開きました。
それは、彼らが夢見た世界です。そのマシンを作るはずだったのが、写真の真ん中にいる、RCAのウラジミール・ツヴォルキンです。RCAはおそらく史上最悪の経営判断によりコンピューター事業に参入しないと決めました。
最初の会議は、1945年11月にRCAで行われました。RCAはこの全計画に着手したものの、将来を担うのは、コンピューターでなく、テレビだと判断してしまったのです。
マシンを作り上げ動かすのに、必要なものは全て揃っていました。フォン・ノイマンに、論理学者に、軍の数学者たちが集まりました。組み立て場所が必要でしたが、RCAに断られたので、プリンストンで作ることにしました。
フリーマン・ダイソンが働いていた研究所で私も幼少期をそこで過ごしました。私と、先に講演した姉のエスターです。2人ともコンピューターの誕生に立ち会ったわけです。
こちらは大昔のフリーマンです。私もいます。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンです。ゲーム理論を作った人たち。この蒼々たる人材がプリンストンに集まっていました。
原子爆弾を開発したオッペンハイマーです。実際、このマシンは主に爆弾のための計算に使われたのです。
ジュリアン・ビゲローは、技術者として採用され、電子工学を使って、実際にマシンを構築する方法を考案しました。この仕事のために集まった人たちです。
前の女性たちは、大半のコーディングを行った、いわば、最初のプログラマーです。彼らはギークの原型で組織には馴染みませんでした。
彼らは、研究所でした開発の全過程を公開しました。報告書が発行されて、世界15か所で複製マシンが作られました。これが、まさにマイクロプロセッサーの原型となったのです。
現代のあらゆるコンピューターがこのマシンの複製です。メモリーはブラウン管で作りました。ブラウン管表面のたくさんの点を使っており、電磁波の影響を受けやすい不安定なものです。
入出力には、最初テレタイプテープを使っていました。こちらにあるのは、自転車の車輪を利用したワイヤードライブで、ハードディスクの原型です。
この後、磁気ドラムに置き換わります。こちらは改良されたIBMの装置で、後にIBMに引き継がれ、データ処理産業を生み出すことになります。こちらはコンピューターグラフィックスの起源です。
「グラフィング。ビーム。ターンオン」です。これは、私の知る限り、最初のデジタルビットマップディスプレイで、1954年のものです。
フォン・ノイマンは既に理論の世界へと離れ、信頼性の低い部品からいかに信頼性の高いマシンを作れるかという抽象的な研究をしていました。
フォン・ノイマンは、様々な問題に取り組むため、世界中から変わり者を集めていました。バリチェリは、今でいう人工生命に取り組むためにやってきて、この人工的な世界の中で取り組んでいました。
彼は、元々ウィルス遺伝学者ですが、時代の遙か先を行っていました。彼は、ある部分では現在よりも先を行っていました。コンピューターで動作する人工遺伝子システムに着手し始めました。
彼の世界が生まれたのは1953年3月3日です。次の火曜日でちょうど50年になります。スティーブン・ウルフラムをご存じかもしれませんが、彼はこれを再発明した人です。
私のノートPCの世界は、バリチェリがプロジェクトをやめた時点と比べ、100億倍もの大きさになっているのです。彼は、時代に遙か先駆けて、新しい種類の生命へと育てることを考えていました。
そして、これは今起きていることなのです!ファン・エンリケスが私に言ったのですが、プロテオミクス研究所では12兆ビットのゲノムデータがやり取りされているそうです。まさにバリチェリが夢みたことです。
マシンの中のデジタルコードは、もう既に実際の塩基配列をコーディングするようになっています。PCR法を行い、小さなDNAの断片を合成するようになったときから
我々は既にそうしているのです。近いうちに実際に、タンパク質を合成するようになるでしょう。スティーブが示したように、ここから全く新しい世界が開かれるのです。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
アーサー・ベンジャミン:数学の教育を変えるための公式
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
ジョン・グラハム=カミング:かつて存在しなかった最高のコンピューター
ジム・アルカリリ:量子生物学は生命の最大の謎を解明するか?
ロン・エグラッシュ: アフリカのデザインに潜むフラクタル
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
satelliteee-com · 2 years
Photo
Tumblr media
David Altmejd David Altmejd
デヴィッド・アルトメイドの初めてとなるモノグラム集。 複雑で高度な技術を要する、部屋サイズのインスタレーションや彫刻で知られ、石膏と鏡を用いた禁欲的なミニマリズムの作品から、水晶・金の鎖・糸・剥製の鳥や動物などを集積した作品まで、さまざまな美的モードをシームレスに行き来するアルトメイドの作品は生と死のサイクル、内面と外面、セクシュアリティ、スピリチュアリティに関する美しく鍛え上げられた物質的瞑想であるといえる。 トリニー・ダルトン、クリストファー・グレイゼック、ロバート・ホッブス、ケビン・マクギャリーによるエッセイも収録。
ISBN-10: 8862083459, 13: 978-8862083454 24 x 30 cm 2014/3/31
David Altmejd: David Altmejd
0 notes
ginzawinebarg5 · 3 years
Photo
Tumblr media
ハイエスト・ビューティ   ト・カロン・ヴィンヤード 世界で最高峰のカベルネ・ソーヴィニヨン=ト・カロンの葡萄のみを使い「最高に美しいワイン」の為にワインメーカーにアンディ・エリクソンを抜擢。 実績は素晴らしく、 ポール・ホッブス、コングス・ガード、ハーラン・エステイト、ファヴィア、それにスクリ―ミングイーグルを経験 まさにワインメーカー界のロックスター的な存在です 2016年よりリリースされた 最高に美しい味わい🍷 (Ginzawinebar G5) https://www.instagram.com/p/CJG8u9CgEzx/?igshid=1aqfx10brqzf2
0 notes
bless-blessyou · 4 years
Text
読書の秋(Oct.24.2019)
前回に引き続き、本の紹介を簡単に。
最近、Kindle版でこちらを読みました。
Tumblr media
教養的な要素の強い書籍を読みたい気分で。
これまで哲学には殆ど触れずにき��ので、ビギナーに優しそうなこちらを手に取ってみたんです。
(prime readingで読み放題でした!嬉しい!)
この本には、
仕事
自意識・劣等感
人間関係
恋愛・結婚
人生
死・病気
の6つのテーマに分類した全25の悩みごとに対し、
様々な哲学者達の考えが平易な言葉で綴られています。
例えば『仕事』であれば、
『忙しい。時間がない』という現代人の悩みに対し、
アンリ・ベルクソンの哲学が分かりやすい事例と共に語られている。
そんな構成になっています。
どれもこれも、決して過去を生きた人々だけのものではなく、
現代を生きる私達の日常にも身近なもので。
何だか著名な先人達に親近感を覚えるような読後感でした。
中でも私が一番ハッとさせられたのが、
トマス・ホッブスの
『人間の感情において最も根源的なものは恐怖であり、不安である』
という言葉。
これには、何だか脱力させて貰えました。
物事を悪い方に考えてしまったり、訳もなく不安になってしまったり、
そんな風にネガティブになってしまうことって、時々あるじゃないですか。
起こってもいないことを想像しては、胸がザワザワするような。
その度に、無理矢理前向きに気持ちを切り替えようとしてしまいがちな私ですが、
ホッブス曰く、いつでもびくびくしている状態こそが人間の本来の姿なのだそうで。
人生をうまくいかせようと思えば思うほど、不安で頭が一杯になってしまう。
それがデフォルトなのだそうですよ。
ふむふむ、と目から鱗でした。
そう考えると、
いつでも堂々として見える人も、実は不安で仕方がないのかもしれませんよね。
みんな不安なのだから、みんなで一緒に頑張ったらいいじゃん、って妙に優しい気持ちになれました。
先人達の教えは、狭まった思考を広げてくれますね。
読みやすく良本でした。
Tumblr media
読書をしていると、手元が視界に入ります。
長袖の季節。
このポワッとした袖口が目に入るたび、心穏やかになり嬉しくなっちゃいました。
それも含め、読書は癒しを与えてくれますね。
さて次は何を読もう。
0 notes
wineninja · 4 years
Photo
Tumblr media
【ブログ更新しました!】飲んだワイン ポール・ホッブス・ワインズ/クロスバーン・バイ・ポール・ホッブス カベルネ・ソーヴィニヨン ナパ・ヴァレー2016 7点 https://ift.tt/2UGqCbA
0 notes