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#野口良平『幕末的思考』
kuribayashisachi · 11 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼ら���行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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kennak · 9 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全��やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ari0921 · 8 months
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我が国の未来を見通す(80)
『強靭な国家』を造る(17)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その7)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
本メルマガは当初の予定をはるかにオーバーし、8
0回まで来てしまいました。浅学菲才の恥をしのん
で、知見も経験もない様々な分野に首を突っ込み、
それぞれ表面的ではありますが、知り得る限りの知
識で書きなぐっていました。そうしているうちに、
(前にも紹介しましたように)「その道の専門家の
限界」のような、新たな問題意識を持つに至り、
「では、どうするべきか?」が再び首をもたげ、悩
むことになりました。その結果、最近のメルマガの
ように、「国力」の観点から再整理することしまし
たところ、これはこれで面白くなってきました。
今回は「軍事力」を取り上げます。世界的な呼称は、
「軍事力」ですが、事柄の性格上、我が国の「軍事
力」を語る場合は「防衛力」と置き換えます。
私は、37年間、陸上自衛隊で勤務し、各級指揮官
はもちろん、陸上幕僚監部の幕僚として防衛力整備
を主に担当してきましたので、「防衛力」について
詳しく語り出すと、書籍1冊では足りないぐらい
“言いたいこと”がありますが、あえてテーマを世
間ではあまり語られていない、いわゆる「タブー」
とされている部分などに絞って、しかも要点のみを
紹介したいと思います。
我が国の「安全保障」とか「防衛」に関する最近の
話題についてもっと知りたい読者は、最近、元空将・
織田邦男氏が『空から提言する新しい日本の防衛』
を上梓しましたので、ぜひご一読いただきたいと思
います。織田氏は私と同期で、幕僚監部勤務にあっ
ては陸上、航空の違いありますが、いつも同じよう
な部署で勤務してきた経験があります。よって、
「ライバル」というより「戦友」であり、家族ぐる
みで親しく付き合ってきた仲でもあります。
『空から提言する新しい日本の防衛』
本書は、「将来の我が国の防衛のあり方」に対して、
元自衛官ならではの“切り口”から迫り、一般の軍
事専門家などが追随できない視点から貴重な一石を
投じているとの読後感を持ちます。なかでも、「我
が国の防衛」が抱えている課題、あるいは昨年末に
策定された「戦略3文書」の不十分なところの指摘
などについては私も全く同意です。
あえて違いがあるとすれば、陸上自衛官だった私は、
どうしても「国土」とか「国民」目線から防衛を考
える“癖”がついてしまっているせいか、「国防」
など頭の片隅にもない方々などにとってはどうして
も理解が難しくなってしまいます。その点、元航空
自衛官の織田氏の解説や提言は、難解な領域にはほ
とんど踏み込まないのですっきりしてわかりやすい
と思います。
さて、私の現在の最大の関心事は、「現実進行形の
ウクライナ戦争が国際社会の将来にどのようなイン
パクトを与えるか?」、そして、「そのインパクト
が、やがて“形を変えて”我が国の“眼前”に迫っ
てきて、我が国の平和や独立や国民の安寧な生活を
左右する可能性があるのかないのか?」にあります。
織田氏も再三、同趣旨の切り口で解説していますが、
“予想外のことが起こる可能性を表す”言葉の「ま
さか」や「もしかして」のうち、これまでは“予想
外のことが起こる可能性が低いと考えられる場合”
に使われる「まさか」の範疇として無視あるいは軽
視してきた事態が、“予想外のことが起こる可能性
があると考えられる場合”に使われる「もしかして」
の範疇に移動し、その実態の解明や未然防止の対策
までを含め、考え、検討し、具体化しなければなら
ない割合が増えているように気がするのです。
昨年の「戦略3文書」にあっても、これまでのこの
種計画の“歴史”を継承しつつ、どうしても踏み込
めない憲法上の制約や戦後の防衛政策の変更に対す
る批判への“予防線”を張っているのか、いくつか
の「もしかして」には自ら目をつぶり、「まさか」
の範疇で取り扱い、その上で無視あるいは軽視した
と考えざるを得ない論点がかなりあるとように思う
のです。
現役時代も、毎度ながらの“政治決定”に呆れ果て、
言いようもない“むなしさ”を味わったものでした
が、“我が国の特殊事情からやむを得ない”と自ら
納得させてきた側面があります。
繰り返しますが、“失うものがない”今、自らを納
得させてきた論点まで少し踏み込んで、その要点は
紹介しようと思います。実は、そう思い立って文献
を漁ると参考になる書籍もたくさんあることもわか
りました。ただ、表題からして大きなインパクトを
与えないと手に取ってもらえないからでしょうか、
このジャンルの書籍はタイトルからしておどろおど
ろしいような気もします。例えば、『自滅するアメ
リカ帝国』(伊藤貫著)、『腹黒い世界の常識』
(島田洋一著)、『国連の正体』(藤井厳喜著)な
どです。インターネットで発信しているものも数多
くありますが、共通しているのは著者の皆さんの
“強い危機意識”でしょうか。
なかには、『新しい日本人論』(加瀬英明、ケント
・ギルバード、石平共著)のように、日本人の根底
に流れている「性善説」が背景にあって、この「も
しかして」を考えることができなくっていると指摘
するものもあります。多くの日本人が宗教のように
ひたすら信じている、憲法前文にいう「平和を愛す
る諸国民の公正と信義に信頼して……」のくだりな
どを指すものと考えます。
さて、「もしかして」の領域が拡大したのは、我が
国の「安全保障」とか「防衛」に限ったことではな
いことも明白です。すでに本メルマガで再三触れて
きましたように、我が国の未来に立ちはだかるであ
ろう「暗雲」として、「もしかして」が様々な領域
に広がる可能性があると考えます。
本メルマガ発信の目的は、「我が国の未来について
様々な視点から見通し、“最悪の状態にならないよ
うに”早急に処置すべき具体的な対応策を明確にす
る」ことにありましたが、知れば知るほど“まだ道
半ば”との思いを強くしています。もう少し続けま
すので、しばらくお付き合い下さい。
▼「軍事力」の国際比較
 
さて、国際的な影響力という点でいえば、「軍事力」
こそが「国力」の“ど真ん中に位置づけられる”こ
とは明白です。しかも、その良し悪しは別として、
核戦力保有の有無は決定的です。
まず、これまで同様、「軍事力」の国際比較につい
てもチェックしておきましょう。発刊されたばかり
の今年の「防衛白書」は、冒頭、「戦後最大の試練
の時を迎える国際社会」から始まります。子細に読
むと、これまでの「“まさか”戦争なんて起こりっ
こない」を否定し、「“もしかしたら”我が国の周
辺でも起こり得る」ことを肯定しているのです。
白書は、「だから、未然防止のために反撃能力の強
化が必要」と言いたかったのでしょうが、白書の性
格上、それが限界なのかも知れません。そして、我
が国の陸海空防衛力については、「我が国の周辺に
は大規模な軍事力が集中している」ことを具体的な
数値で説明するために、世界の陸海空戦力それぞれ
のベスト10を紹介しています。しかし、白書らし
く、我が国の防衛力についてはそれぞれの兵力量の
みを掲載するにとどめています。ちなみに、実際に
ベスト10に入るのは海上自衛隊のみで、保有船舶
総トン数から第5位にランクされるはずです。
陸海空戦力を含む、軍事力を構成する様々な要素ま
で含め、通常兵器の世界軍事力ランキングは、「Gl
obal Firepower 2023」によれば、1位アメリカ、2
位ロシア、2位中国、4位インド、5位イギリス、
6位韓国、7位パキスタン、8位日本、9位フラン
ス、10位ドイツとなっています。
また「軍事予算」のランキングは、「ストックホル
ム国際平和研究所」(SIPRI)によれば、1位アメリ
カ(8010億ドル)、2位中国(推定2930億
ドル)、2位インド(766億ドル)、4位ロシア
(659億ドル)、5位イギリス(659億ドル)
と続き、日本は9位(517億ドル)になっていま
す。つまり、日本の防衛予算は、2021年時点で
米国の約6.5%、中国の約18%だったことがわ
かります。
前回上げたような各国の「購買力平価」を使用する
と、実際の軍事予算の様相は違ってくるものと考え
ます。また、年末の「戦略3文書」には「GDPの
1%から2%に引き上げる」旨が盛り込まれていま
すので、実現すれば数年後のランクは上がることも
予想されます。
現在、世界の核保有国は9カ国で、上記SIPRIの推計
による保有弾頭数は、1位米国(5244発)、2
位ロシア(5889発)、3位中国(410発)、
4位フランス(290発)と続き、9位には北朝鮮(3
0発)がランクされています。これらから軍事予算の
上位国はほとんど核保有国であることもわかります。
これらはあくまで静的な比較で、ウクライナ戦争に
より、ロシアや西側諸国の兵器の生産量や消耗量も
大幅な変動があったことでしょうから、最新のデー
タを比較すると、すでに変動している可能性もある
でしょう。
厳しくなりつつある周辺情勢や我が国の「国力」と
比較して、これらのランクや防衛力の量・質が現状
程度で適切か否かにについては各論あることでしょ
う。しかし、増強論に反対する側に立つ人たちの意
見の背景に、戦後の「平和ボケ」とか「平和の毒」
が今なお根強く定着しているとすれば、やはり「時
代は変わった」ことに気づく必要があると考えます。
目を開け、耳をふさがないで、しっかり見極めた上
で、自分たちの主張が正しいか否かを再考する時が
来ていると思うのです。
8月16日、有楽町駅前で、この暑さの中、背広を
着た日弁連の皆さんが「憲法違反の平和安全法制の
廃止を」との看板の前で街頭演説しているのを見か
けました。周りにはだれもいませんでしたが、“司
法試験に受かるくらい頭が良いのだから、法律以外
のことも少しは勉強すればよいものを”と思いつつ、
私も無視して通り過ぎました。ちなみに、「平和安
全法制」が制定されたのは9年前の2014年です。
「今頃、何を言っているのか」という点でも呆れま
した。
白書も言うように、“戦後最大の試練の時を迎えて
いる国際社会”を、我が国はけっして傍観できるわ
けがなく、予想される“戦場”が我が国近傍にある
ことを考えると、逆に“国際社会を戦略的にこの地
域に引きずり込めるか否か”に我が国の存亡がかか
っていると考える必要があります。そのために“何
をすべきか”については、ウクライナ戦争をみれば
明らかでしょう。多少苦しくても、「自助努力」す
るしかないのです。
▼我が国の「防衛力」の“急所”──核抑止
「戦略3文書」に書かれていない視点で、我が国の
「防衛力」の“急所”」と題して、いくつかの論点
の要点のみを紹介しましょう。“急所”ですから、
口に出すこともはばかれ、普段は隠れています。大
方の日本人のように、関心がない人には思いもよら
ないでしょう。されど“急所”なのです。ものすご
く大事なのです。
その筆頭は「核戦力」の取り扱いでしょう。織田氏
も「国家安全保障戦略」の中で、核抑止については
わずか1行しか触れず、米国に丸投げしていること
を「最大の欠陥」として問題視していますが、私も
全く同感です。
言うまでもなく、中国、ロシア、北朝鮮のような、
核・ミサイルを保有する権威主義国家に囲まれてい
る我が国が、「非核三原則」のような“現実離れ”
した政策を保持して「考えもしない」段階に留まっ
ている“危険性”について、安全保障や防衛を“真
剣に考えている人たち”は皆、多少の温度差はあっ
てもよく認識していると思います。しかし、その範
囲が“真剣に考えている人たち”に留まっているの
が問題なのです。
『自滅するアメリカ帝国』の著者・伊藤貫氏は、ア
メリカ在住が長いせいか、今どきの国際政治学者に
は珍しく、ハッとすることをスバっと指摘します。
一例を挙げれば、日本にもなじみが深い、アーミテ
ージ、ジョセフ・ナイ、それにライス元国務次官ら
が「日本の核武装をさせたくない」とする一心から
アメリカの「核の傘」の有効性を繰り返して主張し
てきた事実、しかし、昨今のアメリカの相対的な力
の衰退や国際環境の大きな変化もあって、キッシン
ジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリスト戦略
家たちは、「日本もアメリカに過剰依存しない自主
防衛に舵を切るべき」と提唱していることを紹介し
ています。当然、自主防衛には核戦力の保持も含ん
でいます。
私たちは、通常兵器の世界では「敵と我が拮抗した
戦力を保持しておれば戦争は発生しにくい」ことを
軍事常識として理解していますが、伊藤氏は2人の
有識者の分析を紹介して、これまでの常識をくつが
えしています。実に興味深いです。
まず、MITの軍事学者パリ─・ポーゼン氏の「他
国からの先制攻撃によって破壊されない核兵器を所
有している国は、世界覇権を握ろうとする超大国に
よる軍事的な恫喝と攻撃を拒否する能力を持ってい
る」、同じくMITの国際政治学者ハーヴェイ・サ
ポルスキー氏の「核武装国同士の戦争はリスクとコ
ストが高すぎる。したがって、核武装した諸国は、
お互いに核戦争を避けようとするだけではなく、通
常兵器による戦争まで避けようとする」との分析で
す。
つまり、核戦力保持の有効性は、たとえ彼我の格差
があっても、核戦争の抑止に留まらず、通常戦争の
抑止にもつながることを指摘しているのです。「核
抑止」と「核廃絶」の区別もつかない大方の政治家
・有識者・マスコミ人には“目から鱗”であろうと
思います。
だからこそ、湾岸戦争やイラク戦争から「イスラム
諸国が非核保有国だから、簡単にアメリカの攻撃を
受けた」との教訓を学んだ北朝鮮は、国民が明日の
食事さえ飢えているなかにあっても、莫大な経費を
費やして核実験やミサイル発射実験を繰り返し、有
効な核戦力の保持を企図しているのです(北朝鮮の
今年の餓死者は例年の3倍との報道がありましたが、
実態はかなりひどそうです)。
そして、中国は、日本を現状のような“与(くみ)
しやすい状態”に留めおくために、福島原発の処理
水について、自らがもっと濃い濃度の汚染水を垂れ
流している事実を知りつつ、“天つば”にもなりか
ねないリスクを冒しても、日本人が原発にも原爆に
も“眠ったまま”積極的な意思表示をしないように、
戦略的に反対論をぶち上げているのです。
さて、我が国の「核抑止」については大きな問題点
が2つあると考えます。まず、我が国のように「非
核3原則」を唱え、自らは核兵器を「持たず」「作
らず」「待ちこまず」としてすべてアメリカに“丸
投げ”している国が、ボーゼンやサポルスキーのよ
うな考えを適用しつつ、核抑止も、さらに通常戦力
の抑止も本当に可能なのか、という点です。
言葉を代えれば、アメリカの「核の傘」は未来永劫
に有効なのか、という点ですが、これについては、
次回、「日米同盟の有効性」に関連づけて詳しく触
れることにしますが、アメリカ政府の“一存”でそ
の有効性が突然、反故(ほご)になる可能性がある
ことは間違いないでしょう。
問題点の2番目は、中国や北朝鮮のような権威主義
国家に、アメリカのように「自国(民)の膨大な被
害回避を最優先し、核保有国とは戦争しない」との
考えが通じるかという点です。もし両国の為政者が
自国(民)の犠牲など一顧だにせず、戦争目的を遂
行しようとすれば、世界最大の核保有国・米国の
「核の傘」であっても、抑止が有効に機能しない可
能性があります。
なんせ中国には、1969年、ウスリー川の中ソ国
境問題を解決するため、当時は非核保有国だったに
もかかわらず、核保有国・ソ連に対して果敢に攻撃
を仕掛けたという“前歴”がありますし、同じく北
朝鮮も、“朝鮮半島はアメリカの防衛ラインの外”
と宣言した「アチソン声明」があったとはいえ、韓
国の後ろ盾に核保有国・アメリカがいることを知り
ながら、朝鮮戦争を仕掛けたのでした。
将来、これらの国とさらに緊張が高まるような事態
になれば、当然ながら、最大限の卑劣な文句を乱発
しつつ“露骨な核恫喝”を予想しておく必要がある
でしょう。
一方、本メルマガでも指摘したように、ウクライナ
はソ連崩壊時に領内に1240発の核弾頭を保有す
る世界第3位の核保有国でしたが、1994年の
「ブダペスト覚書」によって核兵器をすべて撤去し
ました。「歴史のif」ですが、仮にウクライナに
数発でも核兵器が残っていたなら、このたびの「ウ
クライナ戦争」は発生したでしょうか。少なくとも、
プーチン大統領の脳裏には、“ウクライナが報復と
して核兵器を使用すれば自国に膨大な被害が出る”
ことが浮かび上がり、侵攻を躊躇することにうなが
る可能性はあったと推測できるでしょう。
悩ましい問題でありますが、国際社会は、理想では
あってもいつ実現するか全く見通しが立たない「核
廃絶」ではなく、明日の「核抑止」をいかにするか、
で動いていることは間違いないのです。ゆめゆめ優
先順位を間違えないことが肝要です。
今回はこのくらいにしておきますが、我が国の「防
衛力」の盲点に��いて、「もしかして」、つまり
「考えられないことを考える」ことまで拒否せず、
“急所”だけに“そっと覗いてみる”くらいの知恵
が必要であると私は思います。
ついでに私がアメリカをうらやましいと思うことが
もう一つあります。MITという、日本の東京大学
にランクされるような大学の教授たちが堂々と「正
論」を述べていることです。
それに対してと言うわけではありませんが、日本の
学者先生方は自らに恥じることはないのでしょうか。
前述の日弁連もそうですが、優秀なはずなのに、も
はや「つける薬がない」のでしょうか。
8月15日、終戦記念日の産経新聞社説は、論説委
員長の記名入りで「首相は核抑止の重要性を語れ」
と題して、“悲劇を繰り返さぬため”にも「核抑止
の有効性」について、普段の倍ほどの長さで堂々と
述べていました。過去にもあったのかも知れません
が、私自身は「核抑止」についてこれほどの内容を
マスコミ人が語ったのを初めて知りましたので、と
ても驚きました。
これなどはとても珍しいケースだと思いますが、我
が国の最大の問題は、様々な「もしかして」など
“夢にも思わない”人たちが政治家・有識者・マス
コミ人・教育者などに数え切れないほど存在し、な
おかつ、依然として“その人たちの声が大きい”こ
とにあると思うのです。その結果を受けて、大方の
国民もなんら危機意識を持つことなく、時間だけが
進んでいきます。本当に困ったものです。次回は、
もう一つの“急所”を紹介しましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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ysnsgt · 1 year
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【刀剣乱舞】映画黎明感想2:解釈『刀剣乱舞』と刀剣と日本人
映画「黎明」、端的に言えば「最高でした」になるんですが、もう少し言葉を尽くしましょう。
物語の中の刀剣には元々興味があったのですが、2015年1月14日PC版「ONLINE」を始めてから本格化。以来実物の鑑賞勉強と多方面の本をちまちま続け、2022年12月だったかにやっと入り口としての問いに自分なりに解を出せました。
「なぜ刀剣なのか」 「日本刀とは、日本人にとって何なのか / 何だったのか」
一年の計は元旦、ならぬ春にあり。旧暦の春は一旦勉強を離れて5月から本腰を入れて刀と向き合おう。そういうタイミングだった2023年3月31日に公開された「黎明」は、私が8年かけてたどり着いた境地への「答え」そのものでした。
というわけで、この機に映画「黎明」の筋書きをベースに解を記したいと思います。
刀剣に関わり始めて幾度となく言われた言葉があります。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀剣は武器です。映画「黎明」でも冒頭では、罪なき(と思われる)人々が為政者によって無惨にも刀で斬り殺されている。それでもふしぎなことに、戦や暴力とは程遠い世界で生まれ育った少女が「綺���」と見惚れる魅力を持っている。なぜなのか? その答えへと、天下五剣の中で最も「美しい」とされる三日月宗近と、「綺麗とか言うな」山姥切国広が主軸となって導いていく。これだけで映画「黎明」を喝采せざるを得ません。
先に答えを言ってしまうと、どんなに社会に溶け込めなくても、どんなに報われなくても、人を傷つけることを厭い、人を傷つける己を律する、そんな心を持った人間が刀と共にあり続けたからだよ。象徴するのは「美しい」刀2振りの仮の主、琴音と伊吹でした。
ユング心理学者の河合隼雄は、人間の精神性を「包含」と「分断」の2軸で説明しました。全体主義と個人主義とも言いかえられるでしょうか。日本人は前者の気質が強く、そのために時として他者どころか己の子を(心理的に)喰い物にする「山姥」のようになってしまうとのこと。それを防ぐためには「分断」の気質も高めて相互補完し、心のバランスを保つことが大事であるとかなんとか。
こうした説明を読んだ時、新渡戸稲造『武士道』の記述を思い出しました。
刀は不断の伴侶として愛せられ、固有の呼び名を付けて愛称せられ、尊敬のあまりほとんど崇拝せられるに至る。
刀は基本的には斬るための武器で、つまりは「分断」の機能を持っています。そんな刀を「伴侶として愛」することは、己の「包含」気質を抑え、心のバランスを取ることに寄与していた……つまり、概して日本人て刀と向き合い刀と共にあることで、やっと真っ当な人間でいられたのでは?
反対に、武器である刀を「包含」気質の強い日本人が持っていたからこそ、「分断」の機能が抑制され武器を超えた存在として千年受け継がれてきた。そういうことなんじゃないでしょうか。
さて。美しき刀の仮の主、琴音と伊吹からその辺りのことを見ていきましょう。
まず琴音。彼女は特殊能力故に居心地の悪さを覚えていますが、高校に通い、友達にも恵まれた、「平凡」の範疇に入れて良い少女です。日本のたどる歴史の中ではぬるま湯と呼んでも支障がないだろう21世紀にどっぷり浸かり、だからこそ事態が切迫しても理解が追いつかない。友達が被害に遭っているし察しはついていますが、解決策として人を殺すという選択肢がどうしても採れない。
大義のためには、という男士……刀の「分断」機能から見れば鬱陶しくなるくらいの甘ちゃんでしょう。私も実は最初ちょっと苛ついていたのですが、あれが日本人の持つ「包含」気質の象徴と思えばむしろああでなくてはいけないと思い直しました。ことここに至っても有害だからと切り捨てられない、だからこそ三日月は友の信じる主であり、歴史の流れに踏みにじられた弱者を斬る「汚れ」にはまみれずに済む。
そして琴音も、三日月という刀と繋がりを持ったことで、協力は嫌だと駄々をこねるだけのところから、彼女なりに伊吹を心の鬼と「分断」する力添えをするに至る。琴音はひたすら伊吹に言葉を投げかけていましたが、河合隼雄に言わせると言葉は「分断」属性なんだそうです。つまり彼女はあそこで象徴的に刀を振るっていると同義とみなせます。最後に物の「言葉」に耳を傾けられるのも「分断」機能が向上したからかもしれません。見事な相互補完関係です。
次に伊吹くんですが。まず目下の人間に暴力を振るうのは「低次の「包含」機能に支配されている」と河合隼雄はズバリ言ってます。要はまず父親からして「包含」気質の奴隷。そんな父親に支配された伊吹もまた「包含」に呑まれており、弟への執着……依存は、見ていて心配になるほどでした。実際弟との離別(「分断」)に気付いた瞬間伊吹は心の均衡を失い、父と同じ属性を持つ酒呑童子と一体化してしまいます。
そんな時、「分断」機能の権化たる刀・山姥切国広が問います。「それは本当に“あんたの”願いなのか」と。これは明確に、酒呑童子と伊吹を分断するための言葉です。三日月の影響を受けた琴音の言葉による介添えもあり、伊吹は己の「分断」能力を高め、山姥切国広と共に己の心の鬼を断つ。
さらに言うと、伊吹に対して山姥切国広は刀としての「分断」機能だけでなく山姥切という属性の持つ「包含」機能も活きたんじゃないかと考えています。
実は包含機能は母性原理(地母神)、分断機能は男性原理(天父神)として説明されることもあります。だからこそ負に働く包含機能が「山姥」に例えられるんですが、伊吹の家は、父、兄、弟で女が不在なんですよ。包含機能のモデルケースがいない。だからこそ父は暴力をふるい、伊吹も悪役として活動し鬼になりかけたんだと思うんですが、そこを補ったのが山姥切国広でした。
とにかく彼は言葉を挟まず伊吹に寄り添う。彼がすがる醜い「弟」をも込みで伊吹の心を守ろうとする。それで世界が滅んだとしてもその結果をも受け入れるつもりだったのでしょう。こうしたどこまでも温かな「包含」を与えられたからこそ、彼は鬼を分断する心を得られたんじゃないかなと。そして恐らく保護員である女性と繋がることができたのは、やはり象徴的です。
母性原理と父性原理はあくまで心理学上の便宜上の説明であり実際の男女の役割を固定化させるものではないんですが、まぁ21世紀から見るとちょっと野暮ったいですよね。実はその辺もうまく配慮されてて、映画「黎明」本当にすごいなと感心しました。
琴音は物の声を聞く審神者に近い存在。伊吹は鬼に憑依される依代に近い存在。古来審神者は男、依代は女に多く(絶対ではない)、両者の二人三脚で祭政が行われてきました。でも審神者に近い琴音は女、依代に近い伊吹は男で男女の役割が逆転しています。そして両者が恋仲……一対になるわけでもなく物語は幕を下ろす。
実弦と加々美も伝統的な男女の役割が逆転しているように思えました。実弦は恐らく黒田家の末裔。そういうポジションは従来だったら男が担うものです。そして加々美。為政者たる男に侮られ、細かな気配りでお茶を出し、長義には絶対服従というレベルで絶大な信頼を寄せて言葉少なに彼の意に添う。これ普通に良妻モデルですよ。でも彼は男です。けれどそれでおかしいわけじゃない。実弦は黒田家の末裔たるギャルだからこそ、加々美はまるで良妻な男だからこそ、それぞれの刀と最高の相棒関係を見せてくれた。ジェンダー規範に囚われず生きたい現代審神者への全力のエールだと思います。
そしてそういう現代的な生き方をする彼らを、日本の歴史そのものたる神道に携わる倉橋���んと、あの大江山急襲に参加していた髭切(渡辺綱が腕を切り落としていた)とその弟の膝丸が付かず離れず見守っているというのが、なんか、途方もなく優しかったなと、今思い返してちょっと涙目になってます。『刀剣乱舞』どこまでも推せる。
そろそろ終わりに向かうため、最初の問いに戻りましょう。
「人殺しの道具を見て何が楽しいの?」
たしかに刀は武器だ。けれどそれは、何も生身の人間を斬るだけじゃない。
日本最古の物語『古事記』には既に刀の物語が多く語られています。そのうちの一つである布都御魂剣は、初代天皇・神武天皇の東征時に以前の持ち主の加護を受け、霊障治癒、怪異退治を果たしています。これ、映画「黎明」で刀剣男士が行うそのままなんですよ。
彼らは元は異なる人の持ち物ですが、そこで培った力を活かして「新たな」主を守っていく。鬼を斬り、想いを吸われ病にかかったように倒れ伏した人々を回復させました。
そして持ち主が心をしっかり保っていれば、彼らは血に汚れることもなく、誰を傷つけることもなく、ひたすらに持ち主の心を守ってくれる。
「こんな素晴らしい“伴侶”を見て、楽しくないわけがありましょうか」
この言葉を胸に、ゲームに実物に物語に、死ぬまで刀と向き合っていきたいなと改めて思いましたし、改めて思わせてくれた映画「黎明」に心からの感謝を送ります。円盤ぜったいに買いますからね!
補記。刀の話に終始しましたが、刀にこだわる必要もないよっていうのを示しているのがまた映画「黎明」の憎いところでした。
大事な人からもらったブレスレット。ずっと身につけている腕時計。文字通り十把一絡げで売られているスーパーボール。どんなものだって、思い入れを込めた物なら心を守ってくれるんだよと。
「誰もが審神者になる可能性を持っている」という台詞はゲームのユーザー数を増やしたい的なメタ要素を置くとして、日本人と日本刀は長らく蜜月だったのでそりゃもう日本人や日本文化に興味を持つ人なら誰だって刀の加護を得られるでしょう。けれど刀に興味を持てない、どうしても怖くて近づきたくない人だっているわけで。そういう人だって、身近にある何かがあなたのことを守ってくれるよというメッセージは普遍的なもので、すっごく良いですね。
補記2。以上は人間たる私から見た解釈でしたが、主題歌「DESTINY」が刀からのアンサーとして見事で私は泣きました。別れは避けられないけどせめて彼らに悔いを残さないように死なないとなぁ。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/11/19〜
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11月19日 スーパーの半額のお豆腐の賞味期限が、11月20日日で「?」だったけれど、もう11月も19日だったとは!
今日は税関スタンプラリーのために横浜へ行った。横浜へ行く道のりや、横浜の街の位置感覚を少しずつ覚えてきている。新しい街の事を少しずつ知ることができている感覚が、久しぶりで新鮮で楽しい。 横浜は人が多かったけれど、海が広いからか、何かゴミゴミした感じがしなくて、ずっと開放的な気分でお散歩ができた。
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カスタムくんファン(?)が思ったよりも多くて、スタンプラリーに参加してせっせとポイントを巡っている人たちを見て焦ってしまい、あまりスタンプポイントの施設をゆっくり見学することができなかった。また海上保安庁の博物館に行きたい。あと、山下公園の近くのシルク博物館が気になったのと、山下公園入り口のインド取水塔ご工事中だったので、次は見られるといいな。 なるべく芝生を歩いて、犬やシャボン玉をする親子やクラリネットの練習をするおじいさんに混ざって歩いた。 横浜はデートスポットのイメージがあって、1人で出かけることにどこか不相応な気後れがあったけれど、午前の時間だったからか、山下公園ではお婆さんたちがお弁当を食べたり体操をしたりしていた。 赤レンガではお祭りが開催されていて、たぶんその運営スタッフさんが、赤レンガ倉庫の際で海を向いて、たぶん崎陽軒のお弁当を食べていて正解な感じがした。
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イチョウもとても美しく黄色く映えていた。
ふらっと1〜2時間お散歩だけした横浜。 こんな感じでたまに訪ねて、少しずつ街を知っていきたい気持ち。苦手意識が薄れてきている!
今日が返却期限の本を返しに図書館へ行き、乗り換え駅で切らしていた化粧品を買って、フィルム現像を出して、早めに帰宅できてえらい。
スタンプラリーを巡ったゴールでカスタムくんキーホルダーをもらったよ! ゴールの税関で職員さんにスタンプラリーカードを渡すと「キーホルダーとカスタムくん、どちらが良いですか?」と訊かれ「カスタムくんキーホルダーが良いです!」と答えてしまった。 昨日からちょっとしたディスコミュニケーションが続いているな…
サンタクロース村は、ステージとモニターが設置されていて、もうすぐクリスマスシーズン開幕のイベントがあるみたいです。
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11月20日 雨が降りそうないい天気で、雨が降ってからはダメダメだった!予定を済ませて、掃除をして、フィルム現像をとりに行く。お花を買う。 少しずつ増える手荷物と折りたたみ傘で、腕も手も塞がるけれど、帰りにスーパーにも寄ってしまう。 焼魚が食べたい日々で、でも電子レンジ調理が限界のところで、レンジ焼き魚を作れる箱をamazonで見つけたので買ってみた。夏休みの自由研究みたい。今朝届いていた事をスーパーで思い出して、生魚を買ってみようとするけれど、もしかして塩とか酒とかも必要?と不安に色々考え始めているうちに、目を付けていた半額の鯖の切り身たちが、目の前でどんどん他人のカゴの中に入ってなくなってしまう。 もう少し余裕のある時に生魚を買おう、と、コンビニの焼き魚を買いに行くと今日に限って欲しいお魚がない。 もう一度スーパーへ戻り、さっき買ったものを片手にレトルトの鯖を持ってレジへ。 今日はこのスーパーで10%引きクーポンの配布だったので、ものすごく姑息な手段で2枚クーポンをゲットしてしまった感じで落ち込んだ。雨の日はダメだ。
これは私が摂食障害だから、スーパーとコンビニを行ったり来たりして、これしか食べたくないものに取り憑かれてこだわってしまうのかしら。みんな、鯖の塩焼きが食べたいけれど、赤魚の煮付けで妥協しているのかしら。
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昨日の税関スタンプラリーを終えて、先の楽しみがすっかり分からなくなってしまった。 インスタグラムをみると、なんと!マンスーンさんも昨日このスタンプラリーに参加して、カスタムくんを手に入れていた!!
お花屋さんで、男性のお客さんが「紫の花で…」と花束のオーダーをしていたので、担当カラーが紫の推しに送るのかな、と思った。
11月21日 気がついたら16時だったし、とても居残りをしてしまい、逆にハイになって疲れがわからない。明日は研修なのに。
でも、その中でも、学生時代に憧れていた友人が目白でオフィスを構えて、そこで不定期でブックカフェを開いている事を知る。 近々目白に行く予定なので、場所を聞いてみようかメッセージをしようと迷い中。 こないだ夢に出てきてから、会いたい訳でもなく、ただいたずらにメッセージを送ったりしたい!と思っていたので、ちょうど良い。
お手洗いで、おしゃれな方から「黒の革のフレアスカート履いたりしない?」と、状態が良ければあげるわ!と言ってもらう。
1期下の方から弘前のお土産をいただく。 貯めたマイルで、ランダムに選ばれた旅行先へ行ってきたとのこと。ちょっと気になるので調べてみよう。
本の電子化の注文をして、配送用の段ボールを注文した!えらい!
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11月22日 東京で研修。やっぱり東京は暖かくて、室内は暖房がよく効いていて、ぼーっとしてしまう。頭を頑張って稼働させて、目と脳が痛い。 懐かしい方々に会えて、とっても笑顔になったり、もう2度と会わないんじゃないか、な、全国津々浦々な方々に会って、名前を伝え合ったりして顔が疲れた。
絞り出す会話を、本当に絞り出しています!満載でやってくる人もいれば、スマートにやり過ごす人もいて、私は何も絞り出せずおどおどしていた気がする。
前の職場の方々にご挨拶をした。 みんな覚えていてくださっていて安心して、自分の苗字が珍しくてよかったね、と思った。 手土産に、と近江屋洋菓子店でマドレーヌを購入。平日の朝だからか、たくさんの種類のパンがあって、目玉焼きの乗ったラピュタみたいなパンがあるな〜と思ってみてみると“フレンチトースト”とプレートが立っていた。
研修の帰り道、とにかく疲れていて、1期下の方と上野公園までお散歩して帰った。とにかく疲れていたのに夜の東京さんぽがとても楽しかった。 東京で働きたい!と改めて思ったり、やっぱりこのままでいいのかも、と思ったり、クリスマス何しよう、と思ったり、でもとにかく疲れていて、自撮りをして適当にSNSを更新したりした。
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11月23日 雨だ〜と、窓を少し開けて二度寝でうとうとしながら、たぶん現実のお隣さんの会話と、自分の夢の間を行ったり来たりした朝。 お隣さんは2単語しりとりをしていて”◯◯の××”みたいに意味の通じるワードでしりとりを続け“◯◯のやかん”と言ったところで「それはなしでしょ〜!」と笑い合っていた。私は、そもそも“ん”がついてるじゃない!と思っていた夢。
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昨日の疲れを引きずって、たくさん薬を併用して外に出る。久しぶりにお友達に会えてとっても嬉しかった!お休みの日に誰かとお茶をするのが、とても久しぶりだった気がする。 嬉しくって、昨日の研修がとっても疲れたことから将来の不安までたくさん話してしまった。 友人は、私のコートとワンピースのボタンを付け直しながら話を聞いてくれた。お茶をしたデパートのクラシカルな喫茶店もとても良くて、注文したシナモンティーのビジュアルが2popだった! ボタンを付け直してもらったお礼に、ナインチェサブレを旦那さんと2人分渡すと、旦那さんはこうゆうキャラクターを模したお菓子を食べることに抵抗がある方だ、と教えてくれた。 それと、彼女たちは昨日が結婚記念日だったことを私が思い出し、よく覚えているな!と言ってくれた。 やっぱり今でも、友人が誰かと結婚して暮らしていることが信じられない時がある。
定期入れに昨日の研修でもらった全国津々浦々の名刺を入れっぱなし。愛知とか新潟とか青森とか。
年末になるとどうしようもなく寂しくなるのは、友人も同じらしく、誰かと暮らしたりすれば解消するのか?と思っていたのは、私のただの他力本願で、結局誰かといても気分が落ち込んでその相手に勝手に絶望するところでした!危ない〜。
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11月24日 2回連続で職場の食事会をドタキャンしようとしている。もう気持ちがダメでちゃんと人と接するモードを保てる自信がなく、もちろん食事もできないし、お部屋の掃除をして寝るのが1番!の気持ち。 こんなにもドタキャンをしまくっても、有効的モードで社会でいられるようになれば、今後もやっていける気がするし、何より自分をダメにしてはいけない!誰か無理しないでいいよ、って言って!という気持ち。
髪を切ったら2週間、ネイルをしたら1週間は自分の体にしっかり馴染むまで時間がかかる傾向。
昨日久しぶりにアボカドを、ちゃんと皮を剥いて包丁で輪切りにして食べたら、それだけで美味しかった。
11月25日 上司がブラックフライデーでダイソンの送風機を買った話をしていて羨ましい。
今日の回はお断りしてお家で掃除と電子書籍化する本の配送準備をした。 いけなくなった事を伝えると「わかりました!理由書いてもいいですか?」と、とっても明るく対応してくれて少しつらかった。 理由はないので、ちょっともうダメで…、と本音を伝えた。 午後になって「予定がないのなら、少しだけ、飲み物一派だけでも行きません?車で送りますし!」と言ってくれる。ちゃんと断って、今、おうちで日記を書きながらお香を眺めている。
なんというか、生まれつき元気がない人と生まれつき元気な人がいるよね〜、と思った日だった。
革のスカートをもらってくれないか、と言ってくれた方から黒のスカートをいただく。 切りっぱなしのフレアスカートでかわいい!ただデニムの上から試着しても腰下まで下がってしまうので「あ〜サイズがだめか〜」となった。でも何かしらの工夫で着たい!と思い、いただいて、帰り道でベルトを買ってみた。それと落としてしまったBluetoothイヤホンも買ってブラックフライデーをした。 「タンスの肥やしなので〜、ありがとう。」と、人に服をあげられる豊かさって良いな。 私も次は服を売ったりする準備をしたい。
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ashi-yuri · 2 months
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「ボーはおそれている」感想
君はまだ生まれる前の硬くて歪んだ殻のなか
長いしホラーは苦手なので見る気なかったけど、IGNの映画語り「銀幕にポップコーン」のネタバレ感想聞いて楽しそうなので見に行った。
怪作、なのに共感してしまう?『ボーはおそれている』の感想を語る:第329回 銀幕にポップコーン - YouTube
野口さんの怖がってる感想がとくによい。監督の前々作「ヘレディタリー」感想会で千葉さんが意図せず怖がってるのもいい。アリ・アスター監督が引き出すひとの恐怖を聞くのは楽しいなと思う。ひとが恐れているものを見たり聞いたりするのはいつだって楽しいので。
トラウマ必至!現代ホラーの傑作『ヘレディタリー/継承』:第65回 銀幕にポップコーン (youtube.com)
なので、「ボーはおそれている」もたのしかった。長いし疲れたけど。自分は怖がりなほうなので、わりと理解しやすかったのもよかった。
以下、ネタバレありの感想。公式のネタバレページだけ見た。
第一部で「社会に対する恐怖」、第二部で「家族に対する恐怖」、そして物語ることの虚構性と欺瞞性を挟んだうえで、第三部で「愛と性と生殖に対する恐怖」と、どんどん個人的で根源的な恐怖にさかのぼってくの、構成としてはきれいでわかりやすく楽しかった。一作品としては盛り込み過ぎだと思うけど、全部描きたい気持ちは伝わるから自分はわりと好きな感じ。
賑やかすぎる第一部より、第二部以降のほうがじっくり考えながら見れてたのしかった。話がすすむにつれて大げさでばかばかしく虚構性が高くなっていくのもよい!
ぜんぶ主観の中でしか話ができなくなってるから、うるさすぎる周囲の声も家族の声も結局ぜんぶ自分自身の声だし、母親以外の他者はぜんぶイメージでしかなくて、ほんとに「他者」「外部」が皆無。当然出口も解決もない八方ふさがりで、だからこそ鮮烈で不穏なイメージの中を堂々巡りするのは楽しかった。
この主観の硬い殻は、たぶん彼が己を守るために作り上げた強固な殻で、その殻がないと生きるのむずかしそうなので、もう好きなように語ってくれ、という気分になりました。
映画を見終わって、愛情と責任感と不安と支配が混然一体となってる雰囲気のあるご家庭を垣間見たことを少しだけ思い出した。たしかお子さんがすこし体が弱いということだったと思う。もうどこで見たのかも思い出せないし、時間が経つことや距離を置くことが、少しでも良い方向に働いているといいなと思うことしかできないけれど。
あとは思ったことをとりとめなくばらばらと。分け方は適当。
第一部「終わってる街篇」
うるさすぎる!
第二部「平和な家族篇」
『息子』を大事にしすぎ。みんな家族としてしか生きてない。悲劇。
幕間「家族の物語」
家族の物語をしすぎてる。その物語が見世物で虚構であることに気づいてるのに。母も息子も物語にこそ縛られてるのに。
妊婦に母子像をあげるという作中唯一の善行の報われなさが笑えました。このあたりから爆発オチなどバカらしさが加速してよい!
第三部「家に帰る篇」
このあたりからぜんぶ嘘くさくばかばかしくなってより楽しい。
母の語りに押し込められて、びっくり男性器モンスターと衰弱した人間に分離させられてしまった「父」も、実在性のないイメージです!という感じでばかばかしすぎる。
一番の恐怖の根源である「生まれること」につながる生殖(父は失敗して死んだ)を死なずにやりとげてやったー!というところで全部ネタ晴らしされるのはさすがにかわいそうだけど、シーンとしてはいちばんバカバカしいので、怖いところで笑かしたいのかもしれない。
愛?と執着がつよすぎて母親もボーもお互いぜんぜん分離できなくなってるところや、ボーが母親の一面を非常に解像度高く理解しているのと同じくらい、ぜんぜん理解できてなさそうなところがリアルだなと思う。空の水槽(愛情が存在しないことのメタファー)に母親の死体を突っ込むのが結局虚無だ!という感じでよかったね。それも嘘だけど。
なんとか愛そうとしたことも、愛していることも、ほんとは愛していないことも、人生を奪われたことも、人生を捧げたことも、生まれてきてほしくなかったことも、生まれたくなかったことも、期待も、失望も、申し訳ないと思ってることも、許せないことも、憎んでいることも、死んでほしいと思ってることも、死んでほしくないと思ったことも、お互いぜんぶほんとだろうから、ぜんぶそのまま描いてるのはえらいなと思った。
第四部「最後の審判篇」
大げさすぎる審判のシーン、びっくりするくらい意味なくてすごくよかったな。声高でやたら大げさに自分と母の物語ばかり語ることのくだらなさ、ちゃんとわかってるんだ...としみじみしてしまった。
自分の見ていた映画館では第二部後半や謎の演劇シーンあたりから立ち上がって劇場から帰る人がぽつぽつ出始めてたんだけど、それもショーの観客が興味を失い帰っていくシーンとシンクロしていて良かった。こんなの付き合いきれないし帰る人が出るのは当然。
水と静寂だけが残るラストシーン、たぶんどんなに無意味だろうと、鮮烈でなによりも大事であると同時に、どこにでもある些末でバカみたいな家族の話をこれからも語り続けてくれるんだろうなという信頼と罪深さを感じた。次回作もたのしみ。
アリ・アスター監督の映画は自身のセラピーだとよく言われてるし、実際監督自身も、たぶん自分自身のフィクションを物語り続けないとおかしくなってしまう(ヘレディタリーのお母さんみたいに)自覚があるんだろうなと作品見て感じるけど、話作りがうまくて想像力がある分セラピーの道のりは長そうだな、と勝手な素人の印象としては思った。
作者側の物語ることへの強い執着と、自分も含め他人の恐怖のセラピーの物語を見たいという観客側の欲望がもたらす共犯関係、不健全でよくないことのような気もするけど、それもお互いおそろしい世界で生きていくうえで必要なことかもね、ということで納得して終わりにする。
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doctormaki · 8 months
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。
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言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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ysformen · 10 months
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ジャニー喜多川の性的児童虐待について
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(データハウス、1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(データハウス、1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(鹿砦社、1996年4月)、 山崎正人は『SMAPへ』(鹿砦社、2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズ、著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に���いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群やグルーミングの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿��を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
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kentarouchikoshi · 11 months
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 長年にわたって優れた美術作品を世間に発表するための場だったギャラリーが閉店するというのは,とても残念です。それと同時に「それで良いのだろうか」という疑問も感じてしまいます。
 先日も取り上げたばかりですが,茨城県笠間市は芸術の盛んなところです。笠間焼の産地であると同時に人口7万人ほどの市内に2つの美術館と幾つものギャラリーが存在し,また県立の美術高校(笠間高校美術科・同校メディア芸術科)及び陶芸大学校を擁していることもあり「茨城県を代表する美術の街」という表現も決して不当ではないでしょう。僕も子供時代には故郷が地理的に近接していることもあり,小学校の社会科見学や家族のドライブで何度もお邪魔しました。当時は今と違って美術には何の興味もありませんでしたがそれでも陶芸にだけは幾らか関心を持つようになっていたのも,こうした子供時代の経験があったからではないかと感じております。聞けば美術鑑賞好きというのは最初は絵画を好きになることが多いそうですが,僕の場合には最初に好きになったのが陶芸です。或いはこれは「絵画だけに関心を向けているのでは充分ではない。絵画以外のジャンルにも関心を向け大いに楽しく鑑賞したい」という僕の考えの基盤になっているのではないかとも思えます。笠間という地が存在して本当に良かった。僕はそう思っています。
 そんな笠間市にあるアートギャラリーの一つ「ギャラリー陶正」が,2023(令和5)年6月一杯で閉店になるというニュースを知りました。同店は元号が昭和から平成に変わった1989年1月にオープンした老舗です。記事には「周囲に同じような業態の店がなかった頃にオープンした『先駆者』だった」とあり,僕は最初「はて,それ以前にも笠間焼を展示販売するお店は市内に複数存在した筈だが…」と感じてしまったのですが,少しして「当時のお店は陶芸作品を販売してはいたが,鑑賞ということはあまり視野に入れていなかったようだ」とハタと気付きました。陶芸作品が所狭しと並んではいても,観る者に美術作品としての魅力が伝わるような展示上の創意工夫が為されていたかというと,必ずしもそうとは言えなかったような気が致します。ましてお店の側でテーマを決めてそれに沿った作品を展示する企画展や,或いは作家さんにスペースを貸して自主展示の場を提供するといったことは行われていなかったのでしょう。そういう場は美術家にとっても,また地域を美術の街にしていく上でも必要不可欠なことは言うまでもありません。美術家は己の力量を愛好家に知ってもらわなければ仕事になりませんし,また制作のみ行われていても鑑賞を行えないのでは顧客はその地に足を向けようとはあまり思いません。販売が行われている以上は足を向ける者は皆無ではないでしょうが,どんな作家が居てどのような作品を制作しているのかがよく判らないのではあまり美術振興には役立たないでしょう。そんな意味で「ギャラリー陶正」はまさしく先駆者であったし,その功績は非常に大きいといえるのではないかと思います。
 そんなギャラリーが幕を閉じてしまうというのは非常に残念なことです。僕は最初「オーナーの渡辺正子氏がリタイアするのかな」と思ったのですが,こちらの記事によるとバブル崩壊に加えて何よりもオンライン販売の普及で売り上げが最盛期の1/3にまでなってしまったということで,それもまた閉店の理由の一つなのに違いありません。そして僕はそれを聞いて非常に残念に思うと同時に「それで良いのだろうかな」などということも感じてしまいました。  陶芸作品というのはやはり実際に目で見て,可能であれば更に手にも持ってこそ,その良さが十分に判るのではないか。これは他のジャンルの美術品でも共通することでしょうが,それでも平面での表現を行う絵画や版画などは,オンラインでもかなりの程度その良さが判るでしょう。しかし陶芸や彫刻などの立体的な作品だと,なかなかそうはいかないのではないか。まして陶芸作品の中には美術品であると同時に実用品であるものも少なくありませんが,実際に手に持たなければ「手に馴染むか」は判らないのではないか。この点,以前に僕が「スキャンと3Dプリンター等の技術を活用し絵画等の美術作品をデータ化して複製品を制作し,それを鑑賞に充てては」と申し上げたことと矛盾するのではとお感じになる方もいらっしゃることでしょう。しかしそうではありません。僕の案ではたしかにオリジナル作品をデータ化しますが,鑑賞の対象になるのは物質です。それもオリジナルと寸分違わぬ形の。これに対してオンラインの場合に画面に表示された作品には形が無く,当然重さもありません。そして色が違い,大きさも違う。無論,それでもある程度の鑑賞は可能でしょう。創意工夫を重ねれば有意義な美術鑑賞の一手法として積極的な活用も出来るし,それを進めていくことにも何ら異存はありません。しかしそれは,実際に物質である作品を観るのと同じことなのか。僕は現時点では「かなり違う。特に陶芸や彫刻等の立体作品においては,その違いは極めて大きい」と感じます。無論,作品を購入すれば手元に届くのですからその後は物質としての作品を鑑賞出来ることは間違いありませんが,オンラインで作品の概要を知るだけでそれなりの価格を投じて作品を購入してしまうというのには僕はかなりの違和感を覚えてしまいます。そんな不十分な事前鑑賞だけで作品を購入してしまう人々が,ギャラリーの売り上げが低下するほど大勢存在するというのは驚きです。率直に言えば,僕ならばそのような方法での購入は極力避けたいところです。
 そんな疑問に自分なりの答えを出すべく,実際に「ギャラリー陶正」に足を運びたいと僕は思います。6月28日まで開かれている最後の企画展「陶芸家 伊藤東彦の場合」で展示されている伊藤氏の作品は「ゆがみや垂れを生かした自在な作風」を持つということで,こういう作品などは特に実際に物質としての作品を目にしなければその特徴や美点は判らないのではないかと僕には思われるので,僕の考えが妥当か否かの結論についても出し易くなるのではないかと期待しているところです。
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kuribayashisachi · 9 months
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拙勉強メモ
野口良平『幕末的思考』第3部 第1章 ③に著者様からお返事頂いてしまいました!
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③
の、福沢諭吉『痩我慢の説』のところ。
誰もが住みよい世の中をつくるのには、法(ルール)が必要。 なのだけど、「強い人たちも弱い者を搾取する自由を手放し、従いなさい!」という理屈の根本は何か。 ルソーと中江兆民は、それは強者だけが自由を謳歌する、「自然状態」がまずいからだ。と位置づけたのだけど、 福沢は「痩我慢の説」でこういっているそうだ。「公をつくるのは私情だ」と。
このあたりが、私はちょっとわからず、「自然現象がまずいから」という考えでは不正解なのか……。と疑問だったのです。
すごく貴重なお返事を頂いてしまって、自分一人で見るにはもったいないので、ご許可を頂いて、ここにアップいたします。
◆ 野口良平様からのお返事
・・・・・・・・(略)
自然状態のままだと弱肉強食が野放しにされてヤバいので社会契約を結ぶ。これが、ルソーと中江兆民が考えたことです。でもそのとき、すべての人がそれを「ヤバい」と気づけるわけではないのではと、二人は考えたわけです。
ルソーは、「立法者」と「市民宗教」を考えることで、その難問をクリアしようとして失敗しました。兆民は、その失敗に気づくことはできたのですが、その失敗を克服する明確な根拠を見出すことはできませんでした。
意外なことかもしれませんが、その根拠を見出したのが福沢だったのではないかというのが、私が出してみたた考えです。福沢は、弱肉強食は「ヤバい」と感じるものが、一個の「私」「私情」でしかないことに注目します。
ルソーは、「私」の大切さを痛いほど知っていましたが、私情というものが「公」をつくるだけの力をもつものだとまでは考えることができませんでした。言い換えれば、「私」というもののとらえかたがまだ浅く、「私」というものが経験のなかで広く、深いものに成長しうるものだとまでは考えることができなかったわけです。
「私」には公をつくる力がある。と同時に、どのような公にも回収しきれない固有の価値をもつ。こういうダイナミックな把握をなしえたのは、兆民よりも福沢だったのではないか。
一方、ひるがえってみれば、兆民自身、自分の思想にどこか足りないものがあるということに気づいていたふしもあります。国会議員をやめて再び野にくだったのち、いろいろな商売に手を出しては失敗し、辛酸をなめたのも、「公をつくるものとしての私」という考え方を試してみたかったのだ、と考えることも可能だと思われるのです。
今だったら、こういう説明も加えてみるかもしれませんね。そもそも、人間に私情というものがあるからこそ自然状態が生じた。と同時に、その自然状態を終わらせたいと思うのも、私情にほかならないのだと。「私情」には、それだけのふり幅が備わっているのではないか。
「私」には「公」をつくり、しかもその「公」のありようをチェックする力がそなわっている。福沢のこの考え方がなかったら、文学というものそれ自体の存在理由がなくなってしまうように、私には思えたのです。
***
福沢に対しては、さまざまな批判が寄せられていることは承知しています。どんな言論にも、可食部と不可食部というものはあるでしょう。福沢の考え方についても、どこまでが可食部で、どこからが不可食なのかということが、過不足なく見極められる必要があるのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なるほどです。
なんとももったいなきご返信、ありがとうございます。
ルソーは、「私」の大切さはイヤと言うほど知っていたけど、「私」にそんな力があるとは気づいていなかった……。
そっかー。もしかしたらルソーは自分がすごい変人と知っていたので、そこまで「私」を大事にする自信がなかったのかなあ。
なんて、そんな奥ゆかしい人じゃないか。
そして、《どんな言論にも、可食部と不可食部というものはあるでしょう。福沢の考え方についても、どこまでが可食部で、どこからが不可食なのかということが、過不足なく見極められる必要が……》とのお話。 可食部と不可食部という言葉が、とても効き目があるなあ! などとヨロコンデいたのですが、考えてみると、これは、もう少し強い「たしなめ」のお言葉ですね。
福沢のたくさんの言説の中から「醜業婦」発言に真っ先に注目して、福沢全体を否定してしまうのは、 りんごをもらってヘタに噛みつき「ぺっ、ぺっ、これ食べれない~」というのと同じじゃないですか、と。
◆ ウーマンリブの合い言葉「個人的なことは社会的なこと」について
頂いたお返事は、
(追記)「公をつくるものとしての私」という考え方は、The personal is political.という考え方を含みうるものだと、私は思います。ただ、ギリギリのところで、「私」には政治的な要素には還元できない性質が残されるように感じられます。福沢の「瘠我慢」は、The personal is both political and non-political.という考え方に近いのではなかという気がしますね。
「個人的なことは社会的なこと」というより「個人的なことは政治的なこと」ですね。
The personal is political.は、60年代にアメリカを席巻したフェミニズム第2波と反戦運動の合い言葉だったのですね。
私はそれを認識してないで、ウーマンリブのお姉さんたちが、世間から馬鹿にされながら「がんばろうね」「私たち自分勝手なわけじゃないよね。この苦しさは社会の問題だよね」と励まし合った、という感じの言葉だと思っていました。
どこかで耳に挟んでじーんとしたのです。
《「私」には政治的な要素には還元できない性質が残されるように感じられます。》
なるほど。
といって、野口さんのおしゃることが、自分にわかったのかどうか……そのうち、「あ」とおもうかもしれません。
野口さん、もったいなきお返事を、まことにまことにありがとうございます。
m--m
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misdrnet · 1 year
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招商コースで、肇慶は「新」から出発する--2023中国スマート自動車技術展覧会巡回展
投資肇慶2023-05-11 22:44広東省で発表
第1四半期は円満に幕を閉じ、第2四半期は金太鼓が鳴り響いた。
2023年5月10日から12日まで、肇慶市の指導者が引率し、肇慶市投資促進局、各県(市、区)の指導者、新エネルギー自動車業界の企業代表が招商団を結成し、重慶、成都などの都市に赴き、2023中国スマート自動車��術展覧会の巡回展に参加することを通じて、新エネルギー自動車産業招商会を開催し、企業全体の一対一交流活動を展開し、現地の有名企業などのパイプラインを訪問し、成渝地区の企業誘致に力を入れ、新エネルギー自動車、電子情報などの産業を大いに強化し、肇慶市の新エネルギー自動車及び自動車部品産業の集積発展を加速させることを目的としている。
▲肇慶は重慶で新エネルギー自動車産業誘致会を開催した。南+ルシューマンで撮影
肇慶馬は足を止めずに再出発し、全力を尽くして「鳳凰を引く」行動を実施し、経済建設のためにスピードアップすることができる。
この招商活動では、
肇慶の企業誘致には多くの新しい変化があった。
新方向、成渝地区が重点招商分野に
これまでの企業誘致の方向から見ると、
肇慶が主に力を入れているのは珠江デルタの東岸、長江デルタである。
グループを組んで成都重慶地区に赴き、
それとも初めて、意図はどこにあるのか。
重慶は国家中心都市であり、全国の発展モデルであり、昨年のGDPは2兆9000億元に達し、中国経済の「第4の都市」となった。重慶は世界の自動車と電子情報産業の発展の重要な町であり、昨年の生産額はそれぞれ7000億元、4500億元に達し、全国の上位に位置している。2023年第1四半期、重慶自動車産業の完成生産量は49.2万台で、全国第2位に位置し、名実ともに「中国自動車名城」である。
肇慶代表団の責任者の紹介
「豊富な自動車と電子情報産業の基礎に依拠して、長安、吉利、サイリスなどの新エネルギー自動車企業の牽引の下で、重慶は全国をリードする知能ネットワーク連合新エネルギー自動車産業クラスターを構築し、肇慶の対標学習の先駆的模範である」。
肇慶と重慶は千里離れているが、産業上の深い協力がある。
ここ数年来、肇慶は重慶など西南地区のプロジェクトを50件以上導入し、計画投資総額は200億元を超えた。肇慶は全国の重要な電子部品、自動車部品の生産基地であり、毎年重慶の自動車完成車と電子端末製品に50億元を超える部品を提供している。肇慶巴蜀商会は川渝籍の企業家200人以上を擁している。これらの良質なプロジェクト、優秀な企業家は肇慶産業強市に新たな活力を注入するだけでなく、両市の協力交流をさらに推進し、双方の共同発展を促進する。
▲肇慶グループは2023中国スマート自動車技術展覧会に参加した。南+ルシューマンで撮影
重慶市招商投資促進局の謝小剛副局長は
「重慶は将来、完成車の新エネルギーとスマートネットワーク化の水準を高め、自動車部品のサプライチェーンシステムを整備し、自動運転と自動車ネットワークの革新的応用の推進を加速する。2025年までに、世界レベルのスマートネットワーク新エネルギー自動車産業クラスターを初歩的に形成し、生産販売量は全国の10%以上を占めている」
肇慶の発展方向とは期せずして合致した。
肇慶市投資促進局の担当者は
スマートネット連合新エネルギー自動車は将来の産業発展のための戦いの頂点であり、肇慶は多種の通路を通じてパイプラインを誘致し、点を持って深く耕し続け、新エネルギー自動車産業チェーンの延伸を加速させ、全力で自動車電子産業の新高地、スマートネット連合人材の低地を構築し、完成車、スマートネット連合部品、システムソフトウェア分野の市場主体が深く協力する産業生態を構築する。
新形式、17社の肇慶企業が展示会に登場
最近の肇慶招商人の仕事ぶりから、
成渝地区は肇慶の重要な招商区域となっている。
⏰ 今年2023年2月、高要区招商団は重慶に赴き、現地の有名な自動車生産企業を訪問し、高要投資環境と自動車整備園区の優位性を積極的に紹介した。
⏰ 同月、封開県の「トップ」が引率し、県レベルの財政、資源、農業農村、投資促進などの多くの部門を携えて重慶に企業を訪問し、双方は深い商談を展開した。
⏰2023年4月上旬、肇慶高新区は何度もチームを組んで重慶、成都に現地企業を訪問し、協力の機会を求めた。
肇慶新エネルギー自動車産業チェーンの各段階
肇慶市の各県(市、区)に建設があり、
代表企業は主に端州区、肇慶新区、高要区、四会市と肇慶高新区に分布している。
今回の重慶市誘致チームには、上記の県(市、区)の指導者及び広東桂協力特別試験区(肇慶)の代表が含まれており、
招商会では、各区の投資優位性についてそれぞれ紹介した。
▲肇慶市ハイテク区代表は肇慶ハイテク区の投資優勢について紹介した。
上汽通用五菱汽車株式会社販売物流部総監黎安楽
肇慶に対する「初印象」は非常によく、将来的に産業研究を肇慶の方向に渉猟することを示している。
「肇慶各県区の指導者は率直に交流し、新エネルギー自動車産業はまた千億の大台に入ることになる。これは得難い都市だ」。
今回重慶で開催された2023中国スマート自動車技術展覧会は、
集束知能ネットワーク接続及び自動車ウェハ、
新エネルギー自動車技術、
自動車用鋼及び軽量化資料などの革新技術、
世界の自動車発展の新たなチャンスを全面的に発掘する。
肇慶市投資促進局は積極的にブースを獲得し、
肇慶市新エネルギー自動車協会と共同で展示会を設置し、
本土企業に新たな露出度を追加した。
▲肇慶代表団は地元の有名企業を訪問見学した。南+ルシューマンで撮影
肇慶の17社の企業は新材料、金属加工、自動車部品、静電容量抵抗、スマート装備などの業界をカバーし、放熱ファン、感知器、ヒーター、遠隔操作中制御、ドアロック、電磁トレイなどの各企業の家庭用製品を展示した。また、広東アジア太平洋新材料、広東駿馳科技の2社はゼロドッキング活動で紹介する機会を得て、出��者に深い印象を残した。
▲肇慶企業が��ーム製品を展示する。南+ルシューマンで撮影
広東駿馳科技株式会社マーケティングセンターディレクター趙桂斌氏の紹介
「現在、自動車の生産量が大きく、生産能力が過剰で、新エネルギーリチウム電池が新たな風口となり、将来的には千億級市場に踏み出すことができる。風口を迎えて、会社は今年、取っ手式エネルギー貯蔵器を開発し、アウトドア活動の各種電気製品の「良い手伝い」であり、現場にはすでに出展者の問い合わせがあった。私たちは市場の反応をもっと気にして、東風の上をつかみたい」。
新たな目標は、肇慶主導産業のためにチェーンを延長し、チェーンを強化する
広東駿馳科技にとって、製品を売ることができるかどうかは今回の出展の目標ではない。
彼らは長安自動車などの優秀な完成車メーカーと交渉したいと思っています。
自分の研究開発の実力を示し、協力の機会を得る。
▲肇慶企業がホーム製品を展示する。南+ルシューマンで撮影
趙桂斌氏は
「現在、当社の電磁弁製品にはすでにホンダ、トヨタ、日産、フォス、BMW、長安など13社の主流完成車メーカーの顧客がいます。現在、超高温または超低温の場合、85%以上の作業効率を維持できる電子テールゲートステー製品を完成車メーカーに推薦したいと考えており、これは国内トップクラスです」
広東駿馳科技と類似して、中晶実業が展示した電気吸引ドアロック、ドアロックアクチュエータ、リモコン中制御など、
いずれも市場で競争力のある製品です。現在、同社は長安自動車、陝西自動車、中国重汽、大運自動車、
宇通自動車などのメーカーは2つのサービスを提供している。
▲出展者は肇慶館で交流を展開している。南+ルシューマンで撮影
肇慶市新エネルギー自動車及び自動車部品業界協会の朱増余会長は
重慶の多くのメーカーは肇慶企業の顧客であり、今回の旅行は肇慶企業のために交流協力の通路を開くだけでなく、重慶企業を標的にして、同業者に学び、肇慶の企業誘致、人材誘致にも力を尽くしたいと考えている。
今回の旅行では、新エネルギー自動車業界を狙うほか、
電子情報大手企業も肇慶の目標の一つだ。
12日、肇慶市の指導者はチームを組んで成都に赴き、現地の世界半導体ディスプレイのトップ企業を訪問し、肇慶電子情報産業チェーンの末端位置を補完し、上流企業の一群が肇慶に定住することを促進し、既存の新エネルギー自動車、新エネルギー電池、スマート製造産業の加速的な発展を力強く支えることを希望する。
経済発展の道には近道はなく、実践が必要だ。
肇慶の未来、
招商者の勤勉な努力の下で、
光と希望に満ちている。
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jeffersonhowell47 · 1 year
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以便宜的價格養活人群的派對美食創意!
外燴 舉辦一個沒有正式餐點和自助食物的放牧餐桌。 自助餐比盒裝午餐便宜,食品吧非常流行。 這裡有 25 種絕對可以節省活動餐飲費用的方法。 不要把你的餐飲預算看成一個整體,否則你可能會發現自己點了那個巨大的魷魚黃油雕塑。 繼續閱讀,為早起的人發現便宜的早餐餐飲創意。 只需 29 美元就可以讓您的四口之家吃一頓健康的飯菜? Panera 的家庭盛宴套裝讓您可以為您的家人製作完美的套餐——飲食限制等等。 從簡單的三明治、通心粉和奶酪等“適合兒童的晚餐選擇,到更適合您的成人選擇,如沙拉和三明治配新鮮可口的蔬菜。 好吧,是的,我們只是說人們在每年的這個時候都想吃得更健康。 薯條、蘸醬和小點心是任何超級碗派對的亮點,因此它們一定會贏得活動參加者的青睞。 如果您想保持優雅,請查看這些供應超級碗食物的重要規則。 在決定餐飲菜單創意時,請考慮觀眾對他們喜歡什麼和已經看過什麼的偏好,以及他們的食物口味。 哪種餐飲服務方式最適合您的特殊活動? 重要的是要為活動正確研究和計劃您的餐飲,以免犯任何大錯誤。 這就是為什麼我們為您完成了這項工作,並針對活動餐飲的每個元素匯總了我們的 24 項正確與錯誤。 無論您計劃舉辦哪種活動,合格的餐飲配送公司都可以與您合作,制定適合您和您的客人的菜單和用餐風格。 這種風格還為您提供了比自助餐更多的選擇。 餐飲服務商可以創造更多種類的菜餚,並且他們可以將更多有趣的食物帶到餐桌上,因��提供的食物份量更小。 它還鼓勵客人嘗試新事物,因為他們可以選擇自己的部分,而無需快速通過自助餐線的壓力。 如果您的活動比較隨意,自助式餐點會增添氣氛。 如果您對活動的指定座位不感興趣,則尤其如此。 有了自助餐,客人可以自由地交流、光顧酒吧,並按照自己的節奏填滿自己的盤子。 能量碗和冰沙可以製作出令人愉悅的早餐,而且不會拖慢您的團隊的速度。 從甜味到鹹味,有無數種供應和享用華夫餅的方式。 充滿焦糖洋蔥和意大利熏火腿,佐以龍蒿芥末醬。 以便宜的價格養活人群的派對美食創意! 此外,奶油味、鹹味和甜味的風味趨勢很有吸引力。 查看周圍一些最酷的食品卡車創意。 幾乎和甜甜圈牆一樣誇張,獨角獸主題已經大量進入活動和餐飲領域。 創造一些驚人的東西,他們會談論你並在社交媒體上分享。 給他們一個平淡無奇的體驗,你很可能不會再見到他們。 一個非常實惠的活動餐飲創意是烤土豆吧。 對於澆頭,您可以搭配切碎的蔥、紅辣椒、燒烤醬、培根碎、歐芹、火腿和切碎的西蘭花片。 這個演示示例得益於良好的房間設計。 盤子上覆蓋著苔蘚,然後使用光滑的表面為帶有大地色系的手指食物提供一些視覺趣味。 另一方面,如果您的食物顏色鮮豔,您可能會選擇將其放在白色地鐵瓷磚上。 這些可愛的包裹實際上是由切片麵包而不是皮塔餅製成的,但它們也很漂亮。 另外,眾所周知,食物放在棍子上味道更好。 計劃一份令人印象深刻的宴會活動菜單 為了最大限度地提高這種體驗,這裡有一些很棒的戶外餐飲創意。 如果沒有 croquembouche,這個列表會是什麼,這是一個可食用的自我維持結構,可以完成所有的展示! 顯然,您仍然需要一個支架或盤子,但將其添加到我們之前提到的其中一個領獎台上,您就會成為贏家。
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它們有一種飄渺的感覺,因為你不會注意到盤子、桌布或其他佈置。 總是有一名員工負責糖果儲藏,他們幾乎和飲水機一樣受歡迎。 即使是最嚴肅的商業活動,它也會分發一小部分並增加奇思妙想。 想像一下老式的教室佈局;一排排正方形或長方形的桌椅都面向舞台或講台,直接面對演講者或屏幕。 一些小圓桌被佈置成椅子麵向舞台區域,最靠近演講者/表演者的空隙使得沒有與會者背對著前面。 會議室或大廳,椅子成排面向舞台或講台。 裡面的椅子直接面向房間的前面,而外面的椅子可以傾斜以提供更好的舞台視野。 有效的小賣部菜單設計的 7 種策略 其中一位甚至用柏林口音向我保證,德國雪茄比世界上任何雪茄都要好。 酒很好,但也不算貴,當然也不比可以在 Cafe Anglais 買到的德國酒好。 盛酒的杯子很漂亮,造型精緻,色調柔和,也許有點太小了,但總的來說很迷人。 遊客們一邊嚼著東方品種,一邊漫步到 San Miguiel 休息室,喝了一杯菲律賓啤酒和一份美國奶酪三明治。 在拐角處,一些比利時人正在用 bel-gem 華夫餅吸引甜點人群。 它們大約四乘八英寸,一英寸厚,上面覆蓋著鮮奶油和新鮮草莓,上面撒上糖粉。 如果活動當天沒有可用的 CC 授權表,則可以在服務完成後直接向指定的服務器付款。 Delaware North 的烹飪團隊幫助您和您的套房客人在 Chaifetz Arena 獲得終極體驗。 他們友好、經驗豐富的團隊將幫助確保您在訪問期間獲得美妙的餐飲體驗。 孩子們會立即認出我們提供的美味食物,並會在與朋友社交時挑選他們最喜歡的食物。 我們的兒童菜單既適合所有年齡段的兒童,也適合成人。 服務員將設置和提供自助式食物,包括火鍋和保溫器,讓您的食物保持溫暖和美味,還有優雅的一次性盤子、銀器和餐巾。 多莉·帕頓 (dolly Parton) 的 Dixie Stampede 奶油蔬菜湯配方 Chowders 不經過過濾,傳統上是海鮮湯加土豆勾芡,最後加入奶油或牛奶,例如蛤蜊濃湯、海鮮濃湯等。 Chowders 來自美國,最經典的版本來自曼哈頓,因此得名曼哈頓雜燴。 所用主要成分的風味應保持突出。 Consommé要清澈不渾濁,肉湯要葷素均勻,賞心悅目。 湯的擺盤也很重要,因為我們知道這會給客人留下第一印象。 去骨去皮雞胸肉裹上調味麵包屑,然後用平底鍋煎;然後淋上我們的招牌碼頭醬和馬蘇里拉奶酪。 用意大利香草完成並在扁麵條上食用。 湯是一種美味且營養豐富的液體食物,在用餐或點心開始時供應。 這些類似於沙拉吧,由於質地鬆脆,將成為開胃小菜中的最愛。 一定要讓車站充滿不同的顏色,混合搭配,這樣它就不會看起來都是“綠色”的,這會讓它更能吸引客人的胃口。 辣椒可以作為搭配藜麥、米飯或蒸粗麥粉等其他食物的絕佳底料,而且它們可以根據菜品的不同烹調時間。 例如,作為主菜的整個釀辣椒可以徹底煮熟,直到它變軟且易於切割,而辣椒“船”片可以作為開胃菜。 60 種便宜又簡單的派對美食創意 要快速輕鬆地吃肉丸,請使用商店購買的肉丸。 對於坐下來的晚宴或自助晚餐,提供您青少年喜歡的各種快餐。 與簡單的沙拉和各種麵包一起食用,您的孩子會很開心。 你可以提前兩天製作魔鬼蛋,並在派對當天將它們與奶油芝士、蛋黃醬、芥末、伍斯特沙司和調味料一起組裝。 用培根、手撕豬肉、碎薯片或其他配料裝飾魔鬼蛋,讓這些雞蛋看起來充滿節日氣氛。 因為它基本上是一個托盤烤盤,所以在自助餐桌上分成一口大小的小塊真的很簡單。 將商店購買的薯片從袋子裡拿出來,用於今年的野餐或燒烤。 創建一個交互式薯條站,客人可以在薯條上放上各種調味料、醬汁和新鮮奶酪。 由於爆米花輕盈透氣,是休閒戶外午餐或晚餐聚會的完美開胃菜。 然後在上面放上商店買的或自製的調料,或者淋上一點橄欖油和檸檬汁以保持簡單。 這些輕盈透氣的奶酪杯裝滿了美味,可能是吃蔬菜最美味的方式。 這些鹹甜的點心將成為任何甜點傳播的受歡迎的補充。 在與自製雞尾酒醬一起食用之前,先在烤架上快速炭化蝦,將這種取悅人群的方式提升到一個新的水平。 將意大利熏火腿包裹在酥脆的麵包棒上,作為聚會的開胃菜。 它具有香草、橄欖和帕瑪森芝士的濃郁風味,一定會大受歡迎。 如果您在活動中有燒烤,您只需提前在醃料中準備好——最多提前 24 小時。 或者,提前將它們煮熟並加熱,或者讓它們在冰箱中���全冷卻後再打包。 您的客人會喜歡的 12 種婚禮美食創意 這個一流的企業和社交活動場所是舉辦商務會議、婚禮、招待會、宴會、聚會和務虛會的理想場所。 它可以舉辦 1-50 人的會議,一直到擁有 750 個劇院式座位的大型活動。 一個私密的活動場地,位於美麗的佛羅里達州溫特帕克。 優雅而獨特的室內/室外場地,我們全年提供絢麗的鮮花和郁鬱蔥蔥的綠色植物,營造出令人嘆為觀止的氛圍。 我們經驗豐富的協調員擅長打造非凡而難忘的活動。 想一想肉類、蔬菜、水果、餅乾和發酵食品的拼盤——2019 年的熱門趨勢——以自發而周到的方式排列。 即使沒有計劃假期派對,假期有時也會讓人不知所措! 如果您確實打算舉辦派對,請留出充足的時間進行準備。 最好保留一份清單,以確保您考慮到聚會的各個方面。 戈爾廣場擁有自然美景、新英格蘭魅力和 50 英畝鄉村莊園的私密性,距離波士頓僅 9 英里。 他們的現場世紀帳篷最多可容納 200 位客人,可以舉辦坐席招待會,還可以舉辦更多雞尾酒會。 如果舉辦戶外企業慶典,客人可以利用所有額外的草坪空間來舉辦食品卡車、草坪遊戲、酒吧和食品站。 Carriage house 為多達 a hundred twenty five 人的活動提供了更私密的室內空間。 在春季和夏季,您可以將與 Carriage House 相鄰的室外空間結合起來,同時提供室內和室外活動。
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