Tumgik
#1回間違えて全部消したとか言わない
nemutain · 11 months
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㊗️1ヶ月
ありがとうおめでとう!毎日が幸せで充実してるのにお互い日が経つのが遅いねって言い合ってたけどまじで1ヶ月過ぎてると思うほどなんだよね!不思議だなー しかも1回も喧嘩してない!毎日すきってたくさんいってくれてうれしい言葉をいっぱいくれてアイコンだってなにも言ってないのに書いてくれてかわいいことするなーって思ってる お気に入りです🫶🏻かわいいことされすぎておれの心臓が持つか毎回分かんないくらい!!電話したときはいつもあほとか言っていじめてくるけど、おれのほうが年上です覚えろください!!そしておれがいう「うざい」は最大の褒め言葉です!とりあえずおれは毎日幸せです!来月もその先もこうやってお祝いできますように!これからもこんなおれをよろしくね 語彙力ないけどゆるしてね!だいすきです🫰🏻
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daruma1004 · 7 days
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
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食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロン���ーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャ��
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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chikuri · 1 month
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけ��いい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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eieneie · 2 months
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6章終わった、ヒースクリフ~~~…の感想まとめ続きから 自分メモに近い
【上】 ・0章?で、ヒースクリフにシンクレアが撲殺されてるのがめちゃくちゃ好きで、そのあともずっと若干根に持ってたら良いなって思ってて… だから、何かあったら力づくで自分を止めてくれとヒースが言ったときのシーンで、シンクレアが「頭を強く突く位はいいんじゃないですか?」て言ったの嬉しすぎた しかもあの笑い方で… 撲殺されたの踏まえての発言…だよね?! ・シンクレアを掃除屋の真似して怖がらせるロージャ可愛すぎるし、その光景があまりにも和み 5章の無人船でホンルにも脅されてたし、根本的にホラーが苦手なんだろうな…ロージャとホンルに定期的に怖い話大会されててほしい ・キャシーより、の手紙を読み上げさせられて照れ気味のヒース、そしてそれをからかうロージャとグレゴールのやり取り本当にかわいい 思春期DKが親戚の年上2人にからかわれる奴じゃん! ・あとラブレターの下りまじでまじでまじで良すぎ 本と黒板だけを見ながら必死に勉強だけやってきたんです!的にキッてなってるの良すぎ お付き合い経験はなしの可能性高ということでいいですか ・ドンキはあんま図星言うてやるな!でも段々ドンキにもギャンッて言い返せるようになってるシンクレアもまた良し ・おめかしヒースクリフかわいすぎる スタイリスト担当ろじゃほんるありがとうありがとうありがとう 【中】 ・デッドラビッツボスの正体が…良すぎたよ~~~! バトル開始時気付いてなくて、ただ立ち姿?とか攻撃スキル名とかであれ…?てなりはじめて…からのあの流れ、本当に良すぎた ・でもめちゃくちゃ苦戦した 中指ドンキムルソーのお陰でなんとか突破しました ・憤怒の象徴的なヒースクリフが、自分の過去と向き合う中で見せるのが…そりゃ激しい憤怒でもあるんだけど、まっすぐな怒りではなくて…それこそ袋に死体がぐちゃぐちゃに詰め込まれるように、怒り以外の卑屈、嫉妬、悲しさ、愛着、色んな感情が入り混じったものなんだろうなって感じがすごく…よかった ・あとヒンドリーに対し、多分今までの旅路がなかったら結構直情的に怒りをぶつけていたんだろうが、今までの旅路で変わったからこそ若干哀れみの方が強い感じで見られるようになってるんだろうなって感じが…怒りが高まって、ある段階でスッ…と怒りの波が引くような反応をするのが印象的だった ・でもゴミカスホームレス呼びがあまりにも直球悪口ホームランすぎて若干笑ってしまった そんなこと…言うな! ・イサンマジでかわいそうだ  4章で自分の生み出した技術、九人会に向き合い、全てに向き合い、自分で決断していく(流され受け入れることをやめる)決意をしたんだろうな、て思ってるけど…マジで…過去の幸せな思い出を構成する要素のほとんどが…再会するたびに心を刺してくるの…辛かろう がんばれ…がんばれ… ・ヒンドリー、生家に対する絶望と傷つけられたという記憶が彼の根底に流れているからこそ、地獄に果てがなかったんだろうな 地獄はその人の心が画角を決めるから、その人の心の一番柔らかく温かい所に成りえた家がそれに絡みついてると心底地獄だ ・過去のヒースクリフがヒンドリーの心を決定的に壊したあの一言、あの舞台を作り上げてしまった全てにおいて…もはや両方が加害者で被害者だったんだろうけど それでも…決定的に誰かの心を壊してしまうと、両者とももう取り返しがつかなくなる、それは傷つけられた側も勿論だけど傷つけた側も同様で… 人に嫌われる、を通り越して恨まれる、そこまで行ってしまうともう…
【下】 ・別の世界のヒースクリフ~~~!!!泣 囚人ヒースクリフも何度も言ってたけど、変わりたいと思う事、その難しさ、しんどさ…本当…悲痛で… 何度も歯を食いしばって、こういう風にあれたらいい、という形にしがみついて、でも事あるごとに今までの苦労を全部自分で台無しにしてしまうような綻びが露呈して、自分に心底がっかりして、惨めに思って、もしかしたら変われたかもしれない、善くなれたのかもしれない、なんて気持ちを抱いた自分があまりにも馬鹿らしく思えて… 人が自分を変えたいと思うときって、その繰り返ししかないもんな… 繰り返ししかないんだけど、繰り返すしかない ・そしてネリー!!!泣 ネリーなんとなく不穏だな…と思ってたんだけど、彼女があの行動に至った理由が語られた後、めちゃくちゃ好きになってしまった~… ・自分の幸せの為に、消したくないと言い切れる大事な思い出を共にした人たちを切り捨てる決断ができる人だ でも自分の幸せを追求すること、それも大事なことだ… キャサリンとの思い出は大事、キャサリンやヒースクリフの事を憎み切ってしまっているわけではない…というような意図にとったけど 多分、自分の幸せを追いたいけど、キャサリンやヒースを裏切ることはできない…であのまま苦悶し続けるといつかはその二人の事も憎み切ってしまっていたのではないかと思うから、そうなるまえに…憎み切る前に、切り捨てたのは優しさでもあるなあと感じた ・鏡技術が、それまでのすべての価値基準を切り捨てさせる恐ろしさ…てことでもあるんだろうけど ・やはりリンバスのキャサリンも、ヒースクリフの幸せを一番に願っての行動だった…そしてそれがヒースクリフに届いた、ていうのが本当に嬉しかった… ・最後の色んな世界の二人、おそらく対応する世界が表示されるタイミングが微妙にずれてるのも悲しくて良かったな ・ヒースクリフの発言の「学がねえ上に性格まで汚ぇから罵ることも多い」とか、すごく卑屈な発言が多いんだけど…卑屈、妬みを感じている事をあんま隠す気なさそうなのがすごく好きだけどな 他の囚人ってあんまり卑屈な発言はしない気がする  ありそうだとしたらシンクレアだけど、卑屈というか気弱な発言が多い気がするし  自信がないからこそ妬み僻み嫉妬する、手に入れたくて足掻く、自信がないから向き合えない、負のループだね… ・clear…章タイトルに即したギミックも面白かったけど、やっぱラストのパッシブがあまりにも良い ヒースクリフの意地を見せてもらった…仲間が残っている限り、決して倒れないって…さ~~!! ・ヴェルのあの演出も本当によかった、ルイナラスト周辺のあの演出が大好きだったからさ…あまりにも格好良い…赤い視線~~!!そりゃドンキもああなるよな…てなった でも全然そのギミックに気付いてなかったから、大罪たちとマジで無限バトル繰り広げすげー疲弊した でも湧き出続ける百鬼夜行の絶望感を味わうためには必要だったのかも ・ムルソーのあの鎖のシーンも…自分で考えてその時やるべきことをやるために動いてくれて、ホンルも思ったことをそのまんまいうんじゃなくて大分言葉を選んでた感じが…担当章経てない囚人達も変わっていってる感じが…ぐっとくるな…ヒースが今回屋上に至れたのも、これまでの旅路あっての事なんだろうな ・六章クリア後、他の鏡世界のストーリーの「キャシー」の部分の表記やボイスが黒塗り、ノイズ、で徹底的に消し去られているのを見返すとつくづく…六章~… ・でも本当、指輪が残っていてよかったなあ  死体袋の台詞変化嬉しく悲しい  どんなバラバラ死体になっても指輪無くしませんように…みんな回収手伝って!!!! ーーーーーー シンクレア、イシュメ章が結構明確に過去の仇との決別!!感が強かったので、六章の荒涼とした読後感がなんだかすごく新鮮だった でもとってもよかった ヒースクリフが六章開始時点でワザリング・ハイツと向き合う勇気を得ていたこと、そしてそれはきっと今までの旅路によって得たものであるという事 様々な悪意や利己的な欲望に絡み取られながらも、自分がどうすればよかったのか、という事にも気付けたこと 人生でただ一つ、それだけ手にはいればもう他に何もいらない、というものに出会えていたのに、それがどうやっても手に入らないという事が分かってしまった後…それでも生き続けるしかないこと、どうやって生きていくかという事、それが見られて…なんかすごくよかったなあ… 「強い怒り」に支配されている、という点でイシュメールと似ていると思ったけど、やはり全然違ったのが面白かったな~… イシュメは結局誰かに自分のコンパスをゆだねてしまった自分との決着が一番にあって(あとクィークエグは死んでしまった、と何年かかけて受け入れていたのもでかそう)、 ヒースクリフはキャサリンがいるからこそ成し得る幸せが一番にあったから…一人だけでは成し得ない(と本人が思っている)人生の幸せ、てのが大分違ったのかなあ キャサリンを生き返らせるていうのはもうほぼ確実に無理なんだろう、というのは本人もわかったうえで、世界から消されたキャサリンを取り戻すことを人生の新しい目標にしつつ、「こうでなければ幸せになれない」ていう鎖から解かれた状態で、新しいドアを開けて、そこから見る人生を…歩いて行ってほし~… 心が縛られていなければ、きっと新しい幸せも、苦しさも、出会うものだと思うし(それは絶対に「それまで求めていたもの」とは違うけども…) そういう意味でも、やっぱり1・2章(グレゴロージャ)とちょっと似た終わり方だったなと思う。 個人的にはグレゴールとロージャは絶対に今後まだ色々あると思ってる…あの二人は自分の感情も隠せるし、諦めを手段として使える大人だから、担当章を経て自分の人生を歩む気持ちを強く持ち直しはしたけども、まだ果たしたいことが残っているのではないかな、と思うから… 1・2章組は明確に仇といえる存在を~というより、自分の人生を歩む決意を新たにし、3・4・5章は仇敵を倒して…というか自分の罪を見出し乗り越える決意をし、6章は罪と向き合ったことによって新しい目標を得た、て感じなのかなあ ーーーー なにはともあれ6章完結おめでとうございました! メイドバトラー人格実装楽しみ!!!!! バトラーファウファウに出てた詰めの甘い新人バトラーシンクレア人格もお見せいただけるんですよね!?楽しみ!!
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li--c-ht · 5 months
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出会った頃から掴めない人だった。もう8年の付き合いになると気づいた時、お互いに笑ってしまった。初めて会った日を全く覚えていないし、恐らく相手も覚えてないだろう。学生の頃は良く遊んでいたけれど、社会人になってから予定がすれ違い、久しぶりに会うと随分と髪が伸びて、金髪になっていた。新宿駅の待ち合わせでかなり探してしまった。お互い最後にいつ会ったかも覚えていなかったけど、たまに交わす連絡で大まかな近況は知っていた。4年付き合った彼女と別れた、私は仕事を辞めた、など。暑い夏の日だった。
そこから1年半後、最悪の状態で終電を無くした私はダメ元で「家に泊めてくれないか」と連絡していた。1人暮らしで夜中に起きている人はかなり限られている。3人に連絡して、1番最初に連絡が返ってきた。同棲していた彼女と別れて1人暮らしに戻っていた家に、こんな形で来ることになるとは。笑ってしまった。タクシーで向かうと、1年半前よりももっと髪が伸びて、後ろにひとつに結んでいた。毛先だけ金髪で、また誰なのか分からなかった。学生の頃は私が喫煙者、相手は非喫煙者。嫌煙していたのに、今では喫煙可能の喫茶店を探すほどに。ワンルームなのに煙草の匂いが全然しなかった。「生活感がない」という言葉を体現したかのような人間なので、部屋も本当に物がなかった。同棲する前の、学生の頃に住んでいた家は何回も行ったことはあったけど、その時よりも何もなかった。柑橘の、何か甘いような匂いがした。夜中に押しかけた上に、1年半ぶりの再会がこれなので、申し訳なさすぎてベッドの横に座布団を敷いて、座ってずっと映画を見ていた。仕事終わりだったらしく、すぐベッドに入って眠っている。時間が過ぎるのを待てれば良いので、息をひそめていた。寝返りを打つたびに、手が触れるのを感じていたけど、もう良い大人なので、気付かないふりをした。床が冷たすぎて、何も考えずに済んだ。
お互い何も言わないけれど、学生の頃に、何度もキスをしたことがあった。その先の、線は越えていない。不思議な関係だったことを、そういえばずっと忘れていた。それが去年の、寒い日だった。
年が明けた。ダラダラとラインをしていると「めちゃくちゃ酔っ払った」と来た。どうやら新年会で飲みすぎてしまったらしい。水を飲め、など面白がっていると「暇なら来てほしいレベル」との連絡。この前世話になったしな〜と、支度を始める。まだ三が日が過ぎたばかりで、私が家に押しかけた日から1ヶ月も経っていなかった。ウケるな〜と思いながら、タクシーに乗って向かった。夜中の0時前に着くと、ベッドに転がっていた。めちゃくちゃ酔ってるけど、頑張ってお風呂には入ったらしい。危険な行為すぎて呆れてしまった。しばらく酔った人で遊ぶ。おでこにペットボトルを乗せたり、水を飲ませたり。何要員で呼ばれたん?と聞くと、心の支え・おしゃべり要員、と言われた。そう言った割にすぐに寝息が聞こえた。まだ着いて1時間も経っていなかった。床が冷たすぎる。暖房がついてるはずなのに、顔にだけ温風が直撃して死にそうなので、寝ているのを起こしてベッドに入って良いか確認、滑り込んだ。背を向けて横になって寝ているので、私は壁に背をつけて、下半身だけベッドに入った状態で映画を見た。腰が痛くなって、私も横になる。お互いに背を向けた状態で寝っ転がって、ぼんやり映画を見ていると、後ろから抱きしめられた。もう私は彼氏と別れていたし、なんとなく予感と期待があったので放っておいた。暖かい。映画を見始めたばかりなのに、全然集中できないし、眠気も来ない。私は人と一緒に眠ることができない。暖かさだけを感じて、映画を見切った。もう諦めて、お互い向かい合って抱き合った。間接照明も消して、窓から明るさだけが頼りの部屋で。線を越えたことはないし、多分これからもない。性的な雰囲気が一切ない男だ。不思議と、それが私を安心させた。背中に回った腕で、背骨と肩甲骨の形を何度もなぞる。痩せていて、大きな背中だ。向き合っているので、何度も目が合う。唇ばかりに目が合ってしまう。暑い。手が何度も頬に触れて、焦げる。同じことをきっと考えているけど、何も話さなかった。キスをした。唇の形を確認し合うような、軽いキス。何も話さず、キスをしては抱きしめ合って、背骨の数を何回も数えた。1、2、3...と数えても、途中で分からなくなった。カーテンの隙間から、朝日が差し込んできた。何故か遮光カーテンだけで過ごしている。カーテンレールに、毛布を掛けて、朝日が眩しくないようにしていた。またベッドに戻ると、少しだけキスをした。
二日酔いどう?と聞くと、まだ頭が痛い、とうんざりした顔をしていた。ベッドから出ると、何も起きて無かったかのように、数時間前のように、2人で換気扇の下で煙草を吸った。仕事が残っているのはいつものことで、15時頃に一緒に家を出た。タクシー代をきっちり回収して、電車で帰った。コートとマフラーから、あの、柑橘の甘い匂いがして、顔を埋めた。体温を反芻しては、どんな性行為をするんだろう、と想像してしまい、死にたくなった。
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kaoriof · 7 days
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前にスタッフルームに入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけどね、富士山に関係している話なの。それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれるの。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の文化祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近はめがねがこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにそのつど救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。家族のことはそれなりにはすきだけど、一緒に暮らすことだけは大きらいなのでふつーにしにてーと思った。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。この人とはしんでもキスとかセックスとかできないなと思う。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにスタバでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花が欲しい、誕生日に花なんて一輪も貰えなかったし。北海道の僻地とか一人旅したい��新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになるの。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
大学に入ってからみんなかわいくなっていって、わたしだけ取り残されているような気分。東京のど真ん中にすんでるから?みんなほそくて、白くて、髪から爪先までケアが行き届いていて己の恥が浮き彫りにされる。その一瞬はたのしいとかんじても、その背後にはいくつもの積み重ねられた気苦労があって帰りの電車の中でぐったりする。恋人のこと、しばらくは気にしないでおこうと思っていたのにこういう、心がげんなりしているときにその輪郭はいっそうまぶしく点滅する。とりあえず5キロ痩せる。いつかはだれかの手のひらサイズに収まる砂となってしまうのに、変なの、と思いながら、それでも毎朝まつ毛をあげる。でも、悲しくなったり辛くなったりはしなくなった。ひとりでもだいじょうぶなのだと思えるようになった。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと思う、自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。でもそれってそんなにいけないことかな?インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。美しいから隠すというのもとても素敵だけど、なんで美しいから見せるのはだめなんだろう。美しいと分かればわかるほど人は傷つけたくないという気持ちになるのに。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、一人だけじゃなくて、みんなに、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分らは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。これのどこが罪深いんだろう?とおもってしまった。みんなほんとうは弱いんだとしってなんでも許せるような気分だった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、なにも怖がることはないと思うの。本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主かショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。てをつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいなかなしいなとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら���いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛てあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の��景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
eighteen, mytears
最近歩くのがはやくなった。暑さで腐っていく弁当箱の中の唐揚げ、毛を剃り続けて痛んだ腕。砂時計みたいにどんどん浪費されていくばかりの時間、人生を、客観的になって眺めてみると、なんて滑稽なものだと思うけれど、与えられたものをそれなりに消費していくことでしか自分のことを殺せない。まいにち山手線に乗ってる、ぎらぎらした太陽の光の下で蛇みたいに動いている列車。窓枠に空の青だけが切り取られるとまるで宙を浮いているみたいに感じられて死にたくなってしまう。こんな文章を書いていいほど、自分のことをうつくしいとだきしめて愛でてあげることができない。ブログを更新しなくなったらファンがたくさん減った。文章を書く行為ってとても勝手でずるくて逃げてるかんじがする。だからすきなのに、それをすきと言う自分のことを認めてもっとすきになるのに勇気がいる。ぜんぶそう。わたしは勉強のことを口にしていいほど頭も良くないし、外見にしろ性格にしろ友達との関係や恋愛においても尚更そう。参考書の羅列された文字をいくら追っても脳味噌が大きくなっていく感じがしないし、わたしの未来があかるくなっていくかんじもしない。あなたよりもつらい人は沢山いるから、ね。あなたの不幸なんてちいさなものだから、という言葉がどれだけ傷な言葉かわかってほしい。どこをみても善を装った暴力ばかりが転がっていて、本当はたぶんみんな何かに託けてマスクの下で舌打ちしているんだと思う、絶対そうだと思う。小さな四角い箱の中でみんな泣いている。夏にいちばんちかい記憶の底でみんな寂しがっている。勉強の意味の裏付けにあの子は一体なにを置いているんだろ。変なの。もう文章も書けなくなった。夏になると賑わう燕の巣を確認することもなくなった。野良猫をていねいに撫でなくなった。恋人ともうまくいかない。どれもこれもおまえ(わたし)のせい、がむしゃらに鳴いている蝉だって求愛のためにあんなに人の生活を邪魔することをゆるされるのに、わたしがそれをすると暴力だのめんどうくさいだの、そんな価値のないものに成り下がってしまうのはどうして。ただの自傷になってしまうのはどうして。だれも捕まえてくれない。あなたのことを好きで、それが結果的にあなたのことをくるしめてしまっても、それを俺もすきだからという理由だけでぜんぶゆるしてほしい。泣きすぎてお腹空いた。自分自身の未来に対しても過去に対しても、これを読んでくれているあなたに対しても、友人にも、恋人にも、両親にも、苦しくさせてごめんなさいという想いばかりあって、それを受け止めてくれた優しさに対してのありがとうばかりある。受験死ね、と最後に書こうかなとおもったけどちゃんとした日本語じゃないし縁起がわるいのでやめた。すぐにじゃなくても良いから最後にはみんな幸せになれますように、おやすみなさい。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌���ていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きて���てつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念��るようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は���されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼ��てしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉に��れるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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smi********さん
2016/1/25 18:18
なかよし・・・1990年代末まではりぼんと並ぶ名門で、メディアミックスでは紛れも無くNo.1だった雑誌。しかし1990年代に大ヒットした美少女戦士セーラームーンとカードキャプターさくらの影響が悪い方に作用し、編集部がオタクの嗜好と女児の嗜好を取り違えて、いつしか美少女戦士やら魔法少女ばっかり重視するようになり、それが描ける作家はCLAMPとか征海未亜とか外部作家やフリー作家を連れてきたりして優遇する代わりに、描けない作家は大ベテランのあさぎり夕であろうが高瀬綾であろうが川村美香であろうが引退を突き付けて『粛清』し、「アニメ」ではなく「少女漫画」を求めていた読者から見放されて自爆した雑誌。 現在では「美少女戦士・魔法少女=アニメオリジナル・園児向けのプリキュア」(一応なかよしで連載しているけどね)という図式が定着した影響で少女漫画での魔法少女漫画の需要がなくなったせいで、遠山えまや鳥海ペドロらを『調教』してちゃおを"卒業"した子やその路線になじめない子狙いでコミックス売上狙いでエロ路線に走っている(とはいえ、エロのレベルは一時の少女コミック・Cheese!と比べりゃ微々たるもの)けれど、一部を除く女児には不評。ちゃおほどメディアミックスに熱心できる状況ではなく、りぼんほどコミックスが売れる作家が多いわけでもなく、コミックスのスペースもかつてのちゃおが味わった苦汁のごとく年々削減されて、セーラームーンとCCさくらの貯金を取り崩しながら破滅に近づいている状況。 りぼん・・・2000年代までは少女漫画売上No.1で、マーガレットの妹分。恋愛漫画も充実。メディアミックスはヒット作に全く恵まれずに消極的なおかげでなかよしと比べると少女漫画の品位は保たれているし、ちゃおよりも少女漫画らしい誌面。ただし1990年代から2000年代前半はメディアミックスではなかよしを追い抜こうとした時期があり、姫ちゃんのリボンをテレビ東京系でもいいからアニメ化したり、秋元康に頼んでナースエンジェルりりかSOSを立ち上げたり、赤ずきんチャチャを魔法少女モノに改変したり、どちらかと言うと原作は鬱要素が強いこどものおもちゃを子供向け路線に改変してアニメ化された影響で、誌面はタイアップバリバリだった。そのおかげで姫ちゃん~こどちゃがアニメ化されていた頃は低年齢層を掴んで1994年には少女漫画最高記録の255万部/月を達成するが、こどちゃ以降はアニメ化に恵まれず、新人を猛プッシュした種村有菜のアニメ化作品が神風怪盗ジャンヌ・満月をさがしてとともに不振だったり、Cookieの分離創刊を機に吉住渉、矢沢あい、小花美穂ら古参作家を放出させ、春田なな、酒井まゆ、槇ようこら絵柄重視で新人作家を猛プッシュしたりした影響でやっぱり古参読者が離れて部数が激減、一時は3誌で最下位になるものの、その後のなかよしの大自爆により2位に浮上。 現在では春田なな・槙ようこが看板格に育ち、雪丸もえのひよ恋がスマッシュヒットしたが、最盛期には遠く及ばず、また夢色パティシエールの大爆死以降はちびまる子ちゃんを除くメディアミックスも一切なく、中高生向け少女漫画と同じくコミックスで生き残りをかける格好。 ちゃお・・・1990年代中盤までは売上・人気面でボロボロで10万部台の頃もあり。起死回生を図るために1993年に(当時キャンディキャンディの版権問題で水木杏子・講談社と揉めていた)いがらしゆみこを招聘してムカムカパラダイスをアニメ化して以来、漫画よりもアニメとのタイアップを中心に捉えてきた。2000年代初頭まではタイアップ先(特にバンダイがメインスポンサーの女児アニメ)がちゃおを敬遠していたこともあり、ポケモン、少女漫画ウテナ、デ・ジ・キャラットにょ、電脳コイルといったオタク層や男性(男児)向けの作品が比較的多く、その漫画版が載っていた1997~2003年頃のちゃおはカオスな雰囲気を醸し出していた。しかし2002年のわがままフェアリーミルモでポン!のヒットで少女漫画売上No.1になるとオタク向け路線は徐々に一掃され、ChuChuの分離創刊(現在は廃刊)であらいきよこ・おおばやしみゆきらベテランが放出されるが、ミルモ・恋プリ・ちびデビ・ちいちゃんと児童向け路線で4作続けてヒットを出す篠塚ひろむと、男ショタキャラの魅力でちゃおを卒業した読者もコミックスに安定して取り込む八神千歳の存在は頼もしく、3誌の中で唯一世代交代に成功したといえる。2000年代後半からはアイドル物に力を注ぎ、きらりん☆レボリューションで中原杏を猛プッシュ。関連商品の売上は上がるが、デッサン力・画力は決して高いとはいえない彼女を起用したおかげで、高学年を中心に読者離れが起きて本誌の売上は下がる。 現在では売上は下落の一途だけど前述のアイドル路線を引き継いだアイカツ・プリパラと、妖怪ウォッチのタイアップで華はある印象。そのおかげでスーパーやコンビニ・書店では月末には真っ先に売り切れる。それらのタイアップ作品に流されやすい女児には堅調で、それに流されにくい女児は早々と逃げられ、女児の間で評価が分かれる(後者は早めに少女コミック・マーガレット・花とゆめなど中高生向け雑誌に移行することが多い)。あと女装ショタや性教育エロ路線では鉄板で、1991年の水色時代でのレギュラー化から現在のドーリィ♪カノンまで25年間もちゃお・学年誌に居座り続けているやぶうち優はいろいろな意味で化け物。 マーガレット・・・当たり前だが、りなちゃ3誌よりは少女漫画らしい雑誌。少女コミックス・花とゆめを含めた3大隔週誌の中では王道路線であり、アタックNo.1、ベルサイユのばら、エースをねらえ!、花より男子のヒットを築く。しかし、花より男子が終了した2000年代後半には部数が激減し、10万部を割り込む。近年はメイちゃんの執事がヒットするが、部数減に歯止めがかからず5万部台で推移、りぼん・なかよしと同じく主戦場は完全にコミックスに移行。
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xx86 · 11 months
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起きる機会を見失ったものたち
5年前ぐらいからTumblrの下書きを溜めるようになり、気づいたら下書きだけで200を超えそうになったので、今更出せない記事をごちゃまぜにしてみた。ある意味総集編。
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このあと何しようとなった時、美術館を提案してくれる人って素敵だなと思う。その時コンラッドにいたというのもあると思うけれど。あの辺りは美術館が多い。
傷ついているのはわたしで、痛いのはわたしだとずっと思ってきた。だけれど、あなたの反応を見てああわたしが傷つけたのだ、と思った。恐らくわたしが大切な人にされたら1番傷つくやり方でわたしは線を引いた。
この前名駅に行ったら袴姿の女の子達がたくさんいて、ああ卒業式の季節かと思った。金箔も水引も出てきた当時誰がやるんだこれと思ったけど、見慣れるとカワイイし尖っててクールでいい。私たちの卒業式の頃の流行りはドライで、ドライってやわ過ぎてぽろぽろしてフケみたいになるの、なんか嫌だったから。
卒業式、受付が始まった頃ヘアセットが崩れて、慌てて着付け会場だった近くのホテル電話して、小走りで駅を逆走していたら、丁度卒業式会場に向かうところだった友人にそっちじゃないよと手を取られたの、懐かしくて愛しい思い出だ。あとは宗教に洗脳された同じ学年の子が校長先���の話の後急に壇上に上がって話はじめたのが怖かったのが強烈に残っているぐらい。
全然食べたくないどん兵衛のニンニクバター味噌にお湯を入れる。全然食べたくない味がした。お湯を入れすぎたのか、若干味が薄い。最後スープを流したら容器の底から信じられないほどみじん切りにしたニンニクが現れてゾッとする。すぐさま水切りネットを変える。
段ボールを開けたらすべておなじにおいがした。洋服もスタンドライトも山吹色の土鍋も。私の部屋は、私はこんなにおいだったのだな、と思う。
お酒を飲んで、帰りたくなくて、近くの公園でアイス食べて花火してブランコを漕いですぐ気持ち悪くなって笑った。夏。ブランコを勢いよく漕いでヒールを飛ばして笑いながら拾ってくれるところまで含めて夏。ブランコ漕いだのなんて何年前だろう、と思いながら去年もそういえばブランコを漕いだ事を思い出した。夏だった。高台にある、動物のいる細長い公園。
深夜の公園は酔っ払った若者か、犬の散歩をしてる人か、ダンスをしてる人しかいない。気づいたら2時を過ぎていて、それぞれタクシーを呼んで帰る。今日もタクシーの運転手に近くてごめんなさいね、って言うんでしょと言われてよく分かってるなあと嬉しくなった。まだわたし達出会って1ヶ月ぐらいしか経ってないのにね。
やめられた先輩や上司達がずらりと並ぶ飲み会で、黙々と枝豆を食べなが周りのペースに合わせてビールを飲んでいたら、現先輩方から怪訝な顔をされた。やだしおらしいの変だよ、え?松田さんっていつも違うの?、全然違いますよーわたし達のこと先輩って絶対思ってないですもん、そうなんだ意外〜。ガヤガヤした店内に甲高い先輩の声が響く。まん丸にした目を向ける上司に言える言葉もなく、ただ苦笑いを返した。自分のつまらなさに苛立つ。
ちなみにいつものわたしと言うのは、先輩方にほぼタメ口で話し、名前にちゃん付けで呼び、飲み会では先輩に取り分けてもらい、みんなの制止を振り払って日本酒を煽るような女である。こんな後輩を可愛がってくださる先輩達の心の広さたるや。平伏してしまう。大好き。
もちろん先輩方にも最初からこんな態度を取っていたわけではない。2年目までわたしは趣味は裁縫とおかし作りで、ピンクのフリフリのワンピースを着て、淑やかでおとなしい子だと本気で信じられていた。そんな事は一言も言った事はないけれど。
わたしは所謂猫かぶりというやつだ。猫かぶりというか、初対面で慎重にいくタイプだと言って欲しい気もする。23年間生きてきて、わたしの性格というのが個性として簡単に受け入れてもらえないことを痛いほど学んできたから。わたしはどの学校でも1年生の10月ぐらいまではろくな思い出がない。どれだけ己を押し殺してひっそり生きているつもりでも、強烈すぎて受け入れられなかったと言われたりする。
わたしはWikipediaにつらつらと肩書きが沢山連なって結局何をやってる人なのかよく分からないって思われたいの、とあなたに言ったら君らしいねと穏やかに笑ってくれた。わたしらしいってなんなんだろう。
運命の恋なんて転がっていないし、運命の人なんて待っていたところで迎えにきてくれやしないのだ。
あなたが第2の故郷が軽井沢だというので、わたしの第2の故郷はどこにしようかなと言ったらお前は鎌倉やろ、と返してきた。よく覚えてますねと驚き半分であなたの顔を見たら、あたりまえやん何年の付き合いやと思っとるねんと得意げに言われたので、強めに叩いておいた。本当にそういうどうでもいいことばっかり覚えているのだ、この人は。たいせつなことは全部わすれてしまったくせに。
怖い夢か過去に大好きだった人と幸せになる夢ばかり見るから寝るのをやめた。頭が重たい。布団はちっともあったまらない。高速道路がすぐ近くにあるこの家は、深夜になるとよくトラックの走る音がする。朝5時をすぎるとスズメが鳴きだす。朝8時半になるとびっくりするような声をあげる子供達が外で遊ぶようになる。9時を過ぎると1時間おきにお寺の鐘が鳴る。この3週間で全部覚えた。
隔離されていた間に季節は確実に春に向かっていて、私はそれが悲しかった。片付けても片付けてもすぐ散らかる部屋の片隅に座り込んで春ってろくなことないから春なんだよなあと思う。ほんっとにろくなことない。部屋のファンを回す。すぐに夏が来るのだろう。きっと今年のゴールデンウィークは暑い。菜の花をダメにしてしまったのでひどいにおいがする。夏になるし気をつけなければ。
本当はもうあの時死んでしまいたかった、いや消えてしまいたかったよとあなたに言うと、そんなの俺が許さないと真っ直ぐ目を見て言ってくれた。ばかみたい。あなたはわたしが消えてしまっても別に何にも失わないのにね。わたしはあなたが死んでしまったら失うから死なないで欲しい。二度と会えなくなってしまっても、あなたがこの世界のどこかで息をしてると思えればわたしも生きていける。
新しい仕事何にしようとDODAをスクロールしていた時、どうしようもなく泣けて泣けて仕方なかった去年の夏。15の時から夢見て20で叶えて、たったの4年で諦めなければいけなかった夢。音が鳴らない黒のぺたんこ靴。オレンジ色のスカーフ。資生堂のルージュルージュを引いて無理やり鏡の前で笑顔を作る瞬間。しょっちゅうボリュームを調整しなければいけないインカム。もう二度とあの仕事は出来ないような気がするし、あの仕事をしたいのかと言われると分からないけれど、懐かしくて思い出す度胸が締め付けられる。
精神が安定している時は自分の精神が弱っていることなんてひとつも思い出さないのに、まるでアドレナリンが切れたスポーツ選手よろしく一定期間精神が落ち着いたらきちんと一定期間精神をおかしくする。まあでもだいぶ冷静になってきたんじゃないだろうか。冷静なふりが出来るようになったの間違いかもしれない。
世界が混沌としている今、こんなことでだめになっている私は贅沢なんだろうか。先生に言われた通りとんぷくを飲んだせいで今日は1日だめにした。だからあの薬は嫌い。嫌い嫌い嫌い。薬なんて大嫌い。大嫌いなのに一向に私の飲む薬は減らない。やんわり拒絶されているような気持ちになってへこむ。
お金で買えない幸せがある、と言われる度鼻の奥がツンとなる。知ってるよ、それが欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて、でも無理だったからお金で買える幸せを片っ端から手に入れていたのだ。
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mm0924 · 3 months
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February of Mei Nagano. 2月。ショートケーキはどうやっても倒してしまう人間です…と言えたら不器用で可愛い女の子を演じられたのかもしれないけど、ショートケーキは最後まで倒さずに綺麗に食べられる人間です。フルーツがたくさん乗っているケーキは下の土台とフルーツをきちんと同じ分量で食べられる自信があるし、オペラケーキみたいな長方形で安定している形のケーキならお皿の上にスポンジが1つも残らないくらい綺麗に食べられる自信がある。だけど、ケーキの箱に入ったお持ち帰りのケーキを上手に持って帰る自信はまるでない。ケーキって味はもちろんだけどそれ以上に見た目だと思うんです。箱に入ったケーキをそーっと綺麗なままで持って帰ったつもりなのに、帰ったらいつの間にかケーキは歪んでいて、そんなケーキの存在をながのだけが見て、食べて、なかったことになるんです。ううん、なかったことにするんです。だってきっとそれはこのケーキが本来想定されていた〝食べられ方〟ではないから。ながのの思い込みかもしれないけれど、このケーキを作った人が届けたかった形ではないから。きっと誰よりも〝形〟に〝見た目〟に囚われていると、悲しくもがな感じることがあります。〝感情〟1つでさえその場で現れた感情を如何にして何%で表現するのかを考えてしまうし、友達以上恋人未満のもどかしい関係があったとしたら形の見え方の正解を求めてしまう。曖昧で〝今〟が楽しければいいと思う反面、自分の中で区切られている何かに全てを分類しなきゃ気が済まないんだろうな、と自分の性格を客観視しています。A型の取り扱い説明書みたいになってますけど、ながのAB型です。一言でいうと(「AB型」「性格」「一言」検索)あっさりさっぱりした性格、だそうです。うん、間違いではない、むしろ大正解。だけど、ながのが持って帰ったちょっと歪んだケーキを一緒に笑って「美味しいね」って食べてくれる人にはできればずっと隣にいてほしいと、ながのの中のさっぱりしていない部分で思っています。ケーキを持って帰るのはあくまでもながの。一緒に持って帰ろう、は違うんです。…なんてややこしい子なんだ、と思われていることでしょう。でもこんなややこしいながのにそうやって上手に距離を作ってくれて、ながのが上手くケーキを持って帰れるように手助けしてくれる人が近くにいてくれるんだもん。幸せ者です。ショートケーキ、ロールケーキ、チーズケーキ…きらきら輝くショーケース。さて、今日は何のケーキをテイクアウトしよう。 日々生きているだけで、色々なことがある。言っていないこと、言えなかったこと、言いたかったこと、あえて言わなかったこと、我慢したこと、我慢できなかったこと、泣きたかったこと、泣いてしまったこと…きっとたくさんあると思うんです。〝人〟の〝生〟き様について。生きる意味を考えない人もいるし、考えすぎてしまう人もいるし、考えないようにしてる人もいるし、意味なんてないと考えている人もいるし、生きながら探し続けている人もいる。日々生きているだけで起こる〝色々なこと〟のせいで、このままふらっと消えちゃおうかなと思う瞬間や衝動は大人になるにつれて増えたけれど、そんな時「人生なんて、あともうちょっと頑張ろうの繰り返しなんだよ!」といういつかの誰かの言葉を思い出します。そして〝あともうちょっと〟について考えて、絶望したり希望を見出したりするんです。きっとこれから先の人生、それの繰り返しで大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりするんだとしたら、生きていくことって心細すぎる。1���じゃとても抱えきれないとも思ってしまう。大丈夫じゃなくなる直前までは誰かに頼ることができるけど、本当に大丈夫じゃなくなってしまったらもう1人でうずくまることしかできなくて、そんな状態に慣れてしまうんです。ながのにもそんな時期があったし、これからもあるかもしれない。だから、元気の無い状態に慣れてしまわないように、元気になれそうなことは積極的に摂取していきたい。例えば、雨の日にお気に入りの傘を差してみたり、いつもより少し大きな声で「いただきます」と言ってみたり、家を出る前には姿見の前でくるっとターンしちゃったりなんかして…小さいけれど元気になれそうなことをかき集めていたら、気付いたら大きな元気玉になっていたりするものなのよ。ふふ、得意なんです、小さな元気を見つけるの。小さな元気をかき集めて「あれ?もしかしたら凄い元気かもしれない」そんな錯覚をしながら生きていけたら、それが希望になるんじゃないかと思ったりします。生きる意味なんてないかもしれないし、意味がないことに意味があるのかもしれないし、この世界を去る瞬間にしか分からないことなのかもしれないけれど、いつか「このために生まれたのか!」と思えるときがあるかもしれないし…まだよく分からないけれど、分からないからもう少しここで生きてみようと思う。あともうちょっと頑張ろう。 お仕事!今月は伊右衛門やアイシティの新CMや、「Ray」の表紙や「BARFOUT!」の紙面に出していただきました。また、今年もミラノで開催されたPRADAのショー『PRADA FW 24』に出席させていただきました。PRADAのアイテムはどれも可愛くて、年々パワーアップしています…!そして、現在放送中のドラマ『君が心をくれたから』のノベライズが発売決定となりました。小説にはドラマ本編の内容に加えてドラマには出てこないオリジナル短編小説も収録されています…というのはXの投稿にも書かせていただいたので、ここを読んでくれた方にだけ特別にもう少し教えちゃうと、オリジナル短編小説は宇山さん書下ろしで『クリスマスと小さな二文字』というタイトル、高校生の雨ちゃんが「太陽さん」から「太陽くん」と呼ぶまでの物語です。好きな人の呼び方を変えるってどういうことだと思いますか?ながのの考えもちょこっと小説で知れちゃいます。1巻は雨ちゃん視点の短編となっていますが、2巻は太陽くん視点で別エピソードになる予定(宇山さんが締め切りに追われているのを目撃しました)なので、是非ノベライズもご一読ください。ドラマはもう8話の放送を終え残りあと3話、〝逢原雨〟として精一杯生きたいと思います。
3月のながののイチオシソングは声にならないよさんの『死にたい夜のBGM』。何度聴いても単刀直入だなと思う歌詞だけど、辛くてどうしようもなくなった時、この曲がもう一度ながのの目の前に出てきてくれるんだと思う。
君の笑顔が曇ったこと僕が気づかない訳ないでしょ? 君の瞳がにじんだこと僕が気づかない訳ないでしょ?
そう言って口下手なながのから言葉を引き出してくれる、大好きな人へ。MVに出てくるノートに書かれた「・仮面をかぶっている自分→私とは?」、泣いていないふりをして静かに涙を拭いて、連絡のこないスマホはただの鉄の塊にしか見えなくて、パソコンを開いて文章を書こうと思うけど何も出てこなくて、だけどあなたと話している時間だけは全部忘れてころっと笑顔になれちゃう。死にたい夜のBGMはいつもあなたの声で、気づかない訳ないってわかってて「どうしたの?」と尋ねてくれる優しさに甘えて温かさに包まれて安心して、頼りっぱなしで甘えっぱなしでたくさん我慢させてる。これはめいの力不足。2分5秒から始まる手拍子に背中を押されて前を向けた。気持ちを原点に戻して。あなたがあなたらしくいられるように、辛くてどうしようもなくなった時、死にたい夜のBGMがめいの声になったらいいのにとそんな欲張りなことを願う。あなたの幸せの形を選ぶのはあなたしかいないけれど、めいの幸せの形には間違いなくあなたが存在します。もっと知れますように、もっと知ってもらえますように。上手に気持ちを伝えるのは苦手だけど、1つだけ。もしまた生まれ変われるなら、次も絶対出会いたい。 Tumblrの更新が回を増すごとに綴る文章の題材、内容、言葉選びに不安を抱えているながのですが、「紅茶入れてからゆっくり読みたくて」とか「毎月の壮大なタンブラー好きだよ」と言ってくださる方々のおかげ(本当にありがとうございます。)で毎度自己肯定感は上がりっぱなしで調子に乗って後書までつらつらと書き進めている今日この頃です。こうして毎月文章を書いていると〝うっかり言っちゃったこと〟より〝それでも言わなかったこと〟にその人の本質があると思える時があるんです。きっとそれって〝生まれつき持っていた感情〟よりも〝生まれてから育てた意志〟に興味があるからだと思います。ながのがTumblrに綴る言葉は陰も陽も、ながのの意志が伴って発信している言葉。発信した言葉の裏にはいつも〝それでも言わなかったこと〟が付きまといます。生まれつき持っていた感情に流されて、言わないでいいことまで言ってしまうとか、言いやすいから強く言いすぎてしまうとか、そうやって相手への気遣いを疎かにして、無意識に一緒にいられる毎日が当たり前だと思ってしまっていて、そんな怠惰の積み重ねで関係って崩れていくんです。関係って水みたいで、零したものにこだわって掬いなおそうとしても元に戻すのは難しいから、これからまた少しずつ注いでいく必要があるんだと思う。グラスが割れないうちに。自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 3月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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killsmells · 8 months
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郷土無い
私には地元というものがない。ついでに実家もない。親戚の縁も薄い。今でも交流があるような幼馴染といえる人もいない。義務教育時代の同級生たちは恐らく私の生死すら知らないと思う。幼稚園から高校卒業まで京都で暮らしていたがその間家は2回引っ越し、いずれも借家であった。父も母も京都の人間ではない。2人とも住みだして長いが、三代住まねば京都人と言えないらしいのでうちは末代(おれ)までよそさんである。生まれたのは母の地元・島根県である。それも限りなく山口県に近い。確か最寄りのコンビニは山口県だった気がする。母ですら松江には中学の部活の大会でしか行ったことがないという。
早くから協調性ゼロ・言う事聞く耳持たずの自閉的お絵描き少女だったので両親には猪か山犬の子として育てられてきた。しかし彼等もまたかなり前衛的な人間であった。専門職で休日も本に埋もれた机に向かう友達0人の父に対して庭でインパクトドライバーや鉋を繰り出すDIY主婦の母、そんな2人の新婚旅行はタイとネパール、結婚当初は福井県の田舎で職場の同僚に貰ったジープを乗り回し、これまた貰い物のカワハギを台所で捌いていたという。母曰く「新婚なのに今までの人生で1番隠居のような暮らしをしていた」。確かに私の記憶でも当時の時間の流れは緩やかで、人生の終末に近いものを感じる。そんな若隠居の両親の下、幼い私は車道に横たわり、猿よけの電線を掴んで感電し、スイカを皮ごと喰らうなどして天真爛漫に過ごしていた。そんな穏やかな日々は長くは続かず、訳のわからぬまま京都に引っ越すこととなる。
京都の日々は正直なところ記憶から抹消したいことばかりだ。思春期の毒気が充満する精神状態に加えて己の出自が若干複雑で(ここで詳しく書くことは控えるが戸籍上イレギュラーな問題がある。ただ私の場合さほど差し障りなく生きて来れたのは時代と運が良かったと思う)どこの誰として振る舞えばいいのかわからなかった。中学生の時「男はつらいよ」を全部見たが(勉強もできない、運動もできない、周りと馴染めず友達がいないスクールカースト下層部の人間は他にやることがないのである)寅さんがフーテンできるのは帰る家があるからだと羨ましかった。京都に馴染めたらそれでここが故郷だと納得して楽になれたかもしれないが、それもできなかった。一番ネックなのは言葉だった。主に母や母方の親戚に育てられ、古い漫画を読み漁って言葉を覚えたのでべらんめえ調の標準語と中国地方の訛りが私の基本だった。関西弁が主言語の地域では私は異邦人なのである。前衛的精神の両親とも幾度となく衝突した。彼らは自分たちの思い通りにならずどんどん山犬になっていく娘に対して心の整理が追いついていなかった。人と暮らすことに不信感が募り、全てを振り切るように広島に進学した。島根に近いから関西弁を喋れなくても済むだろうと思ったのである。
来年とても円満な形で一家離散する。田舎暮らしに憧れて島根の母の実家に居候する父、京都でまだやりたいことがあるため残る母、5年前に広島に出てったきり帰る気配のない私というように西日本3拠点に散ることとなった。
それぞれが三叉路に立って「じゃっ!」と手を振り合い、それぞれの道を行くような清々しさである。バラバラで神経質のベクトルが全員違うような家族だ。共に暮らすことはそれなりに無理があったのかもしれない。今、ようやく信頼に満ちた我々にとっての家族のスタンダードができたと思う。どうだろうか。
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xf-2 · 8 months
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コンサルティング会社「スピーディ」の福田淳社長。2016年4月から俳優・のんさんのエージェントを務めている
ハリウッドの契約を見てきた弁護士も驚愕
―― 福田さんは、もともと映画業界でキャリアを重ねてきました。のんさんに関わるようになったきっかけをお聞かせください。
福田淳社長(以下、敬称略): ソニーグループに20年いました。元々は映画監督になりたかったのですが、最初の10年は「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」のM&A担当で新規事業の責任者をしていました。後半10年が社内起業で立ち上げた「ソニー・デジタルエンタテインメント」です。ハリウッド10年、日本のテック系10年。こういったキャリアを持つ人は多くないと思います。ソニーの先輩が役職定年になる中で、「勢いがあるうちに辞めなきゃ」と17年に立ち上げたのがスピーディです。    のんとの接点ができたのは15年末で、エージェントを始めたのは今から約7年半前の16年4月です。ある出版エージェントの友達から「なかなか日本の芸能で困っているよ」という話があって会ってみたら、本当に信じられないような内容でした。いわゆる奴隷契約と申しましょうか、低賃金で移籍の自由もなく、本名が使えないとか...。うちの弁護士はハリウッドの契約を見てきた弁護士ですが、その内容には驚愕していました。事実として「能年さん、サインしてしまっているので、本名使えないみたいですよ」と伝えたら、本人は次の日に「NON」って書いてきて、「これ、小文字にしたら絵文字の笑顔に見えますから」ということで「私のことは『のん』って呼んでください」。 それから7年が経ちました。そんなひどいことが21世紀に起きるものなのか、今でも信じられません。同じくらいの年の娘がいるんですよ。子どもを持つ父としても、正義感からしても、のんに起きていることは許せないと思いました。
広告クライアントは延べ55社、28社が継続中
―― 最近でも、国民民主党の玉木雄一郎代表が記者会見で言及するなど、ジャニーズ問題と、のんさんをめぐる問題を関連付けて議論されることがあります。
福田: 今回のジャニーズ問題や、「あまちゃん」再放送を機に「そういえば『のん』っていう人もいたね」「まだ俳優してるの、この子」となることがあるようです。中には「あの子何か問題起こして干されてるんだわ」と思っている方もおります。だけど別に何もないんですよ。のんの「劣悪な労働条件なので移籍したい」という訴えが、前事務所の「お前育てたの誰だと思ってんだ!」という反応になった、ということです。    この機会に、僕がエージェントを始めてからの代表的な仕事をまとめたのですが、23年に映画「さかなのこ」で「第46回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」をいただいたほか、アニメ映画「この世界の片隅に」(16年)も好評でした。広告クライアントは延べ55社。うち継続中が28社です。電通・博報堂からはほとんど相手にされていないので、全部直取引です。テレビ局は編成と営業が全く別会社みたいなものなので、(CMの枠を売る)営業サイドとすれば、お金が入る分には誰が出ていようと構わないわけです。ですが、(番組そのものを担当する)編成となると、にらみがきいてしまうので出せない。
―― 19年には、ジャニーズ事務所が元SMAPメンバー3人の出演を妨げようとテレビ局側に圧力をかけた疑いで公正取引委員会が調査を行い、「該当するような行為があった場合は、独占禁止法に抵触する」として「注意」した、という経緯があります。当時、ウェブサイトに「CMの依頼が多くあり広告には出ることができています。でも彼女は女優です。現場からの熱烈なオファーもある、のんが三年間テレビ局で1つのドラマにも出演が叶わないことは、あまりにも異常ではないでしょうか?」と書き込んだことが話題になりました。この4年間で状況は変わりましたか。
福田: 19年当時は色々な(地上波の番組を製作している)プロダクションから「のんさん主演でこんなのやりたいんです」という脚本が来て、検討している間に立ち消えになっていたのですが、今ではゼロになりました。「こんな話ありますよ」もゼロ。ただし、ネットフリックスやアマゾンプライム、U-NEXTといったオンラインメディアとは取引があります。いつも「新しいことやりませんか」とお声がけいただいており、新規案件も多数あります。
―― 地上波ドラマには出られない状況が続く一方で、別のところで道が開けつつあるということですね。
福田: 元々僕はブランディングのプロでもあります。「能年玲奈」という「商品」は、それが自分の本名だったことが悲劇なのですが、「のん」という芸名に変えたことでブランディングは十分できています。本人が地上波ドラマに出られる状態が正常だとは思いますが、それを目的にしていないのと、テレビドラマに出ることが成功だという時代ではなくなっています。「テレビドラマに出られなくてかわいそう」という声がありますが、全然かわいそうじゃないんですよ。たくさん収入はありますし、好きなことをやっていますし。
ずっと売れているので、2年先までほぼ休みなし
のんさん。CMやPRイベントへの出演は多く、「常に2年先ぐらいまでほぼ休みなし」だという
―― てっきり冷や飯を食わされていると思っていたのですが、違うわけですね。
福田: ずっと売れているので、常に2年先ぐらいまでほぼ休みなしで悲しむ余地がない、というのが実情です。
―― ご本人は、自らが置かれている状況をどう受け止めているのですか。
福田: すごく元気です。精神的にめちゃくちゃ強い、自己肯定感が200%ぐらいある人です。
―― のんさんの個人事務所「non」と、スピーディ社がエージェントとしてマネジメント契約を結ぶ、という形をとっています。芸能事務所に所属する、という伝統的なスタイルとは異なります。
福田: 当初は僕の会社に「所属」するというやり方もあったのですが、「もうやめた方がいい。僕だっていつ豹変して、『奴隷契約』にするか分からない。だから大人は信じないで」ということで、エージェント契約になりました。    米国であれば俳優が一番偉いわけです。例えばトム・クルーズが一番お金を持っていて、経理、総務、運転手、ブッキング担当、付き人がいて、いわば「トム・クルーズカンパニー」なわけです。エージェントというのは、俳優を売り込んだり原作権を買ってきたりする役割です。スポーツの分野で活躍している団野村さんが分かりやすいですね。日本ですごい選手がいると、売り込みに行ってくれたりする。    ハリウッドでは一番の主体にある人(俳優)が契約のフレーム(大枠)をつけて、あとは弁護士さんが見る、というのは普通なのですが、日本ではそういうことの訓練ができている人は少ない。タレントがギャラの交渉も知らなければ、契約に噛むこともできないというのは、僕からすれば驚くべき事実でした。年端もいかない人を地方から連れてきて「訓練してあげよう」なんて言っているうちに、奴隷契約に持ち込んでしまう。公正取引上、非常に問題がある、優越的地位の濫用だと思います。
―― 所属ではなくエージェント制にするメリットは、どういったところにありますか。
福田: のんが自分の会社をつくって、そこと僕の会社がある期間、独占的な契約をしましょう、その年数の中で僕の働きが悪かったらクビにすればいい、という考え方です。それがフェアトレード(公正な取引)だと思います。他のタレントと違って、仕事のギャラがいくらで、どんな意味があるのかを完全につかんでいるので、生き生きしていますよね。僕からは、「嫌な仕事はやらなくていいと思うけど、ある程度責任を持ってやった方がいい大きい仕事もあるし、小さくてもSDGs(持続可能な開発目標)啓発の仕事など、社会的に意味があるものは一生懸命やろう」と伝えています。    LINEのCMではLINE幹部の方がすごく応援してくれました。「起用をやめろ」という脅しの電話も各方面にあったようですが、クライアント(LINE)が「正義は勝つと思います」と言ってくれて、あのCMはOKになりました。ユニクロのCMは、ナンバー2に頼んでアジア18か国での展開が実現しました。    このように独自の路線を切り開けていけたから、消されずに何とか生き延びてきました。だからこそ、ジャニーズ問題が出るたびに副次的に、能年玲奈の問題が出てくるという構造になっているのだと思います。
(インタビュー後半に続く。10月1日掲載予定です)
福田淳さん プロフィール ふくだ・あつし ブランドコンサルタント、スピーディ社長。1965年、大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。ソニー・ピクチャーズエンタテインメントを経て、2007年にソニー・デジタルエンタテインメントを創業。17年に株式会社スピーディ設立。「のん」をはじめとする俳優・ミュージシャンなどのタレントエージェント、ロサンゼルスでのアート・ギャラリー運営などを行っている。金沢工業大学大学院客員教授や横浜美術大学客員教授も務める。著書、講演多数。
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nostalblue · 6 months
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うこん
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普段は緑茶やコーヒーなどを主に飲んでいても、それらとは違った刺激でリフレッシュしたい時がある。そんなアイテムの一つとして昔から時々飲んでいたのが「ウコン茶」。初めの頃はティーバッグの物を買っていたけど、ある時プラ容器に入った粉末のウコンを見つけこれはお得だと数個まとめ買いをした。それから10年ぐらい経っただろうか、いよいよそのストックも少なくなり、今後は自分で栽培して自家製ウコン茶を楽しんでやろうとあいなった。
いつも種芋を物色する地元農産物の直売所ではみつけられなかったので、インターネットで種芋を手配しようと見てみると。。。春ウコンとか秋ウコンとか紫ウコンとかいろいろ種類あるじゃんよ(迷)。我はこれまでそんなこと意識せずに飲んでいたのだけど、よくよく調べてみると秋ウコンだったようでそちらを手配した。ちなみにカレーなどに使われるスパイス「ターメリック」も秋ウコン。春ウコンや紫ウコンは生薬や健康茶にされるがかなり苦いらしい。
しばらくして郵送で種芋が届いた。試しに2~3個植えられれば充分だったので少量のものを注文したのだが、開封してみると思いのほか沢山入っている。まあ上手く発芽して育つか解らないから多いに越したことはないけどね。いずれにしても到着したのは晩秋なので上手く越冬させてやらなくてはならない。いかんせん初めてなので試行錯誤ではあるが、ショウガ科なのでショウガと同じ方法で室内保管した。
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保管は上手く行き、全てのウコンの種芋は健康な状態で春を迎えた。4月の上旬にそれを播種すると、1ヶ月程して発芽した。その後追肥などもせず放置状態だったが、ドンドン大きくなり最終的に1.5mぐらいの高さになった。上の写真は比較的日当たりの良い場所に播種した物だが、半日陰になる場所に播種した物も遜色ない大きさに育っている。
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9月に入って花が咲いたのだが、驚いた。ウコン茶の鮮やかな橙黄色やスパイシーな風味からは想像できないような清楚さと透明感の有る白で、まるで蓮の花のような神々しさがある。ちなみに春ウコンや紫ウコンはピンク色になるらしい。ただこの部分は厳密に言うと花ではなく苞葉と呼ばれる部位で、下方にできる黄色いものが本当の花なんだと。ところで根茎で増えていく植物が花を咲かせる意図は何だろう?種子は出来るだろうか?
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晩秋になり、緑色だった葉が黄色く変わってきた。収穫は茎葉が完全に枯れてからの方が養分が根茎に還流して良いのかも知れないが、なにせこの時季は突然強烈な寒気が来てダメージを与えてしまう可能性があるので、多少早めではあるが幾分かでも収穫し、種芋として保管しておく方が賢明だろう。
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剣先スコップを使って掘り起こすと、しっかりと新しい根茎が付いていてとりあえずひと安心。この時点でもうウコン独特の香りが漂っている。
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とりあえず5株ほど収穫したが、すでに根茎は最初に入手した量を上回っている。さらに播種した種芋の部分(ショウガ的に言うと古根ウコン)や茎の最下部(サトイモ的に言うと親芋)も利用出来そうな気がしたので廃棄せずに取り置いた。
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こちらは左から根茎(子芋)、親芋、種芋をそれぞれ縦に割ってみた写真。いずれも内部は橙黄色だ。それぞれ生で摺ってウコン茶にしてみたが、いずれも遜色なく美味しく頂ける。親芋は多少味がマイルドな気もするが、使う量や煎じ方でどうにでもなるので、実質的には同等に利用出来ると言っていいだろう。
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穫れたての生の根茎を摺りおろして米と炊き、自家製パセリを刻んで散らしターメリックライスを作ってみた。使用するウコンが多いと色合いは良いが苦味も強くなってくるので程々の量にしておくのがコツだろう。今回はおかずを揚げ物にしたので敢えて使わなかったが、バターやマーガリンなどを混ぜても美味しい。まあターメリックを使っているカレーが合うことは勿論だけどね。
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数週間後、残りのウコンも収穫したのだが、いやあその量の多いこと。根茎だけでバケツ満杯になった(呆)。いくら何でも独りでこんなに消費できないよね~と思いつつ、とりあえず洗って仮干しする。
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これらを全て生で保管しておくのは合理的でない。こうなればもうやるしかないと覚悟を決め、包丁、まな板、そして左手を橙黄色に染めながらひたすらスライスしたさ(疲)。緑のボウル3つ分になったそれを干し網に入れて小屋の下に吊した。
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冬型に変わった気圧配置で西風が強い日が続き、それは2週間でかなり乾いた。容積はボウル1杯、即ち3分の1になった。さらに完全に乾かすのには冷蔵庫が適しているが、スペースがないので冷凍庫に入れた。フリーズドライってやつですか?(笑)
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軽くひとつまみをポットに入れて熱湯を注ぎ、乾燥品からのウコン茶を試す。生の摺りおろしや乾燥粉末ならすぐに色と味が出るだろうけど、スライスだからジワジワとエキスが出るのに少し時間が掛かる。ただ粉末にするのは結構手間が掛かるから(容積はかなり小さくできるけどね)、多少待てども乾燥スライスのまま使えばいいんじゃないかと自分を納得させる。ターメリックライスを作ったり、スパイスとしてカレーに入れるなら生を摺りおろせばいいからね。用途によって上手く使い分けていくにせよ、これだけの量を消費するには数年掛かりそう。来年は少し生産を減らさないとね(保存場所も困るしね)。
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eieneie · 1 year
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リンバスリリースおめでとうございます!!!! そしてめっちゃ面白かった~~~~ 苦しみながら3章を終え、鏡ダンジョンをうろついています。 ●ゲームに対する感想 なんか…楽しみにしてたシリーズのゲームである、っていうひいき目を抜きにして、ゲームとして純粋にめちゃくちゃ面白くて好みで感動しました。うれし~~~ ゲーム性の高いソシャゲをあんまりやったことがなかったので、 どんな感じになるんだろう…と想像ができていなかったんですが、 見事ルイナのゲームシステムベースに、スピード感とか親切設計が乗っかった感じでめっちゃうれしかった。 ルイナ、ロボトミーからの流れ+キャラやストーリーの魅力も勿論あるんですが、ゲーム性がめちゃくちゃ好きだったから… またこんなゲームをやりたいな、って思っていた気持ちがすくいあげられて嬉しかった。 パッシブとか効果とか細かく考え抜いてやるシステムも楽しかったけど(今回も幻想体戦がそれに近いのかな)そこはソシャゲだと確かにやりづらいしな…という気持ちもありつつ、 3章らへんの耐性等考えさせるところ見ると普通に今後めちゃ考えて組まないといけないのも出てきそうだな。 あと立ち絵の画風とイベントスチルの画風が違うのもなるほど!と思った。 以下中身に対する感想
●ゲームの中身に対する感想 とにかく…3章までのそれぞれのストーリーが、ルイナまでの勢い衰えずめちゃくちゃ面白くて好みだったのでまだあんま気持ちがまとまってない 3章クリアした後興奮しすぎて脳がうろついた プレイメモ箇条書き
1章らへん ・囚人が思ってたよりも囚人ではなく社員だった!が、あの世界の社員はもはや囚人だなとも強く思った ・ロボトミーコーポレーション、L社はもう「旧L社」なんだな…と思うと感慨深かった。 ・なんで囚人が気軽にEGOを発現できるんだろうと思うとやっぱり図書館エンド後に色々あったんだろうな ・ヴェルギリウス、修学旅行の引率の先生だ ・ウーティス、ロリ顔だ ・ダンテ、今までの主人公の中で一番ノリが軽い!軽いが、いいやつだ ・ドンキのフィクサーへの夢見具合、身近にフィクサーいなかったんだろうか ・グレゴールのEGO使うたびにやっぱり指定司書モチーフステッカーベタ張りしてあるの気になるよ~~ ・グレゴール含め、どの囚人も事前情報よりも人間味が強くていいなあと思った。得体のしれない囚人たち、がエピソードと細かい交流を積み重ねていくの見せられちゃうとさ… ・単純にレア度が高い人格が最強!ってわけじゃないのがいいな つまり相性とか頭を使わないといけないわけですが… ・グレゴールの過去の記憶、見る度におぞましいものに歪むのリアルだなと思った。つらい記憶は頭の中でリフレインさせるたびに不和ばかり増長される ・地下鉄で無精ひげはやして自分のポスター見るの、すっぴんで自分の広告見るアイドルじゃん!ていうわけわからない感情になった ・グレゴールもしかして小さいのか ・アヤとユーリがめちゃくちゃよかった。アヤの、運がいい、に対する理屈を自身の最期にもああやって言い放てるの強い人間だなと思った ・ユーリの罪悪感は、それこそ根っこのように死ぬまで消えることはないものだったんだろうけど、根を踏みしめて前に進もうと思えていたのではないかな…まあその歩みはもう進むことはないんだが… ・封印されたL社支部の中で醸造された終末カレンダー地獄、地獄すぎて地獄 自分以外の誰かが早く死んでほしい、自分も誰かにそう思われてる、っていう時間が続くのってもう何を見つめて生きていけばいいのかわからないよな ・↑を踏まえると、アヤに死なないでいてほしかったと純粋に思えたこと、そしてグレゴール含め囚人たちにも死なないでほしかったと思われたユーリは、あの世界の中では割と救いを得た終わりだったのかもしれん 2章らへん ・シンクレアの魂のキャンプファイヤーシャカシャカかわいすぎ ・マラカス、音楽の授業で基礎やるの!?!? ・ロージャがあまりにも最高すぎる、最高のイケてる女 ・鉄工会会長のあの姿ってめちゃくちゃ箱セフィラじゃん! それが博物館に並べられてそうな旧式じゃ~んみたいな感じに言われてんのめちゃ萌える。職員にもそう思われてたのかもしれん… ・ソーニャ… 3章らへん ・3章の中盤で完全に詰まる、そしてそこで人格の同期レベルとか紐とかタイプ相性に気づく ・鏡ダンジョンにもようやく気付く レベル上げをする ・シンクレアがゲボと脳漿と涙の大盤振る舞いしてくれすぎてびびる ・ドンキちゃん思ってたよりグッズ集めるタイプのオタクだった。絶対家に推し祭壇あるじゃん かわいい ・かわいくて声がでかい ・処理落ちが怖くてPCでリンバスやってるけど、今後スマホにいれて、電車の中で誤タップしたら死ぬ声のデカさ ・イシュメール…ダンテの尊厳を…侮辱されたという事で怒ってくれたこと感動した ・ホンルの底知れなさ、なんだろ〜…と思ってたけど剣契?のストーリーの、人を使うのが異常にうまい的なやつみてしっくりきた ・エピの介錯を提案するウーティスも、ソードにあの嘘をついてあげるホンルも、情のある人間だなと思った。(ウーティスはもしかしたら管理人への従属の一環かもしれないが、あれは情のある人間じゃないとしない提案だと思う) ・ぽんぽん、他の誰かもそのうち出るってこと?ぽんぽん派ムルソー、ぽんぽん派ファウスト ちなみにぽんぽんまだ出ません ・ムルソー執行、そもそも髪おろしめちゃいいじゃんって感じなんだけど ego乗っ取られてがちょっと…なんか…変な欲望掻き立てられる感じで…イイね…て思った ・ヒースクリフ、乱暴だが無謀ではない ・ダンテのどっかのセリフで「良秀は囚人になったから弱くなっちゃったけど昔は剣で鉄も切れたすごいやつだった~」みたいなのあったよね!? 断片的に(ダンテ的)無意識で出てくる情報闇深すぎて気になる ・シンクレアハーレムラノベの主人公 やべーやつに好かれまくりすぎ ・デミアンさあ………… ・クローマーの釘と金槌加入世界線のスチルよすぎ 長い 鏡ダンジョンに出稼ぎに行くか…
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harawata44 · 6 months
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実は間違い!やってはいけない「おばあちゃんの知恵袋」時代の変化と根拠のない過去の常識 - ライブドアニュース
以下引用
民間療法は過去の常識を疑おう
「昔は今のように便利なものがすぐに手に入ったり、情報にアクセスできなかったので、身近なもので編み出した“苦肉の策”的なアイデアも多いんです。ただ、医師の立場から言えば、実際に効果があったというエビデンスのないものは、おすすめしません」  と話すのは、公衆衛生学が専門の医師、柳澤綾子先生。
「民間療法はあくまで補助的に行うべきもの。例えば、切り傷の治りが悪いぐらいならまだいいですが、菌が入って化膿(かのう)させてしまうような危険なケースもあります」(柳澤先生、以下同)
逆効果で害に!正しい治療法を知ろう
「昔はアロエがすぐに手に入ったため、『切り傷にはアロエを塗る』といった民間療法は日本だけでなく、海外でもよく知られている方法です。アロエの成分には収れん作用があるので、小さな傷であれば有効である可能性があります。  ただ、土や雑菌がアロエに付着していれば、それが傷口に入り、化膿する危険性も。その結果、傷痕が残る可能性がないとはいえません」  さらに、今も一般家庭で行われている、市販の殺菌消毒薬を使う傷治療も、医学の世界では“時代遅れ”。 「正常な細胞まで破壊してしまう危険性のほうが高いので、泥などを水で洗い流すだけというのが、現在の傷治療の常識。昔の常識が間違っているというより、研究が進んで新常識に塗り替わっているのに、広まっていないということなのでしょうね」  最近の研究では、植物や食材を皮膚に塗ると刺激になってかぶれたり、口にするとじんましんが出る「食物アレルギー」発症のリスクが上がることがわかってきた。 「例えばキュウリパックなどで食物アレルギーになった場合、その発症をきっかけとして同じウリ科のメロンなども食べられなくなってしまうことも。“おばあちゃんの知恵”的な『自然のものだから安全』という思い込みは捨てたほうがいいです」  ほかにもヨーグルトやレモン、米のとぎ汁などでも発症する可能性があるので、皮膚につけるのは避けたほうがベター。乾燥しやすかったり皮膚が弱い人は特に要注意だ。  この時期、風邪のひきはじめや体調が悪いときの言い伝えを試す人もいるのでは? 「『風邪をひいたときにネギを首に巻く』のも効果はないですね。ウイルスが引き起こす風邪に特効薬はありませんし、ましてや特定の食べ物を食べて治ることはないです」  このような民間療法は、誰かひとりに何か良い結果が出たことが、噂として広まっただけかもしれない……と柳澤先生は語る。 「実害がなければ、個人の判断で行うのは構わないでしょう。『心地がいい』『気持ちいい』というのも、私たち人間には大事な要素。ただし、イメージで妄信せず、その民間療法が安全かどうかを事前に確認すべきです」
おばあちゃんの知恵【風邪対策編】
×:ネギを首に巻く  首に巻くとネギの成分「アリシン」が鼻から入ってきて良い……というのが、この対策を“本当のように”思わせてしまう理由。 「アリシン自体は免疫活性化に役立つといわれていますが、風邪を直接、治すものではありません。そもそも、首の皮膚から経皮吸収できませんし、分子が大きいので吸い込んでも吸収されません」(柳澤先生、以下同)  免疫を高めるためには「寝ることに勝るものはありません!」 △:風邪のひきはじめには卵酒  酒に卵と砂糖を混ぜ、温めたのが「卵酒」。卵であれば常備している家庭も多く、液体なら体調が悪くてもとりやすい。 「身体に異物が入ってくると、細胞性免疫や白血球が抗体を使って戦うのですが、この抗体を作る原料がタンパク質。  卵の主成分であるタンパク質(アミノ酸)をとると免疫の原料が増えるという意味では、卵に限らず、良質なタンパク質をとるのは良いことです。ただ、お酒はいらないのでは。  私たちはお酒を消化する際、免疫に必要な栄養素を消費してしまうので、免疫力低下につながります」 △:風邪をひいたらチキンスープ  風邪のとき、欧米ではポピュラーな“おばあちゃんの知恵”が「チキンスープ」。鶏肉や玉ねぎ、セロリなどの野菜を煮込んで作る。 「諸説あるものの、米国胸部疾患学会(ACCP)の報告書では、しっかりしたエビデンスはみつかりませんでした。卵酒と同様、鶏肉はタンパク質が豊富とはいえると思いますが……」  療養食としては適しているが“治る”のは期待しないほうがいい。 △:喉のイガイガにははちみつ大根  咳が止まるといわれている「はちみつ大根」。皮をむいてカットした大根をはちみつに漬け、半日程度冷蔵庫に置いてからその大根やシロップをとるというものだ。 「はちみつには咳を止める効果があるという論文がありますが、大根には今のところ裏付けはないはず。はちみつは上気道炎で咳が出ている小児での調査でも、咳止めの薬と同程度の効果が見込まれました。  抗酸化作用や抗菌作用のある成分が多いからとされていますので、喉が痛いときには、はちみつのみを少しとってみては」  ただし1歳未満の小児に与えるのはNGだ。
昔ながらの生活の知恵
×:ひじきで貧血予防  鉄欠乏症などの貧血を防ぐ食品として日本では知られるひじき。しかし、1950年から発表されている『日本食品標準成分表』では、ひじき100gあたり55mgあった鉄分は、2020年版では6.2mg、つまり9分の1に減っていた。 「そもそも、この鉄分は食材に含まれていたものではなく、鉄釜で調理していたから。今はステンレス鍋などを使うので含まれる鉄分が減ったのだとか。これは切り干し大根も同様」  動物性と植物性の鉄は作用が異なるので、レバーや肉、魚の赤い部分、豆類や小松菜などをバランスよく食べよう。 △:こりや痛みに「こんにゃく湿布」  昔はこんにゃくを温めて、こりや痛みのある患部に当てていたそうで、今もナチュラリストの間では実践する人も。 「現代では温めたいなら、こんにゃくである必要性はありません。湯���んぽやカイロなどで良いはず。ただ急性の炎症の場合は冷却が基本だったり、慢性期は温めるのが基本であったり、症状によって違います。  炎症の種類によって変える必要があるので、自己判断で決めず受診したほうがよいでしょうね」 △:お酒を飲む前に牛乳  お酒好きの人は飲酒前に何かをとって二日酔い予防をしたいという人も多いだろう。そのひとつが、「お酒を飲む前に牛乳を飲むと胃に膜ができてアルコールの吸収を遅らせ、酔いにくくなる」という説。しかし、効果は期待できないという。 「タンパク質は分解酵素の原料としては役には立ちますが、即効性はありません。乳脂肪は胃の動きを抑制してアルコールの吸収を遅らせるという作用はありますが、微々たるもの。酔いがまわるのがほんの少し遅くなるというだけです」 ×:塩で歯磨き  塩で歯磨きをすると浸透圧で歯茎の中の老廃物を排出しやすくなるといわれているが、「浸透圧で分子の小さな水分は外に出てきますが、老廃物は外には出てきません」と、柳澤先生は一刀両断。 「塩の結晶が大きいので、歯や歯茎を傷つける可能性しかないです。塩で歯茎のマッサージなんてもってのほか。刺激は強いので爽快感はあるのかもしれませんが……」  汚れを落とす効果もなく、塩分過多で血圧や腎臓への影響も心配だ。 △:りんごが病気を遠ざける 「1日1個のりんごで医者いらず」ということわざが有名。加えて「りんごポリフェノールが豊富なので皮ごと食べるとよい」、「抗酸化物質の塊」ともいわれ、まるで“万能薬”のようにうたわれるりんご。 「ポリフェノールという意味ならぶどうや緑茶にも入っています。ポリフェノールには脳卒中や高血圧、多くの心疾患リスク要因を減らすという効果が期待できても、その作用を起こすほどの量を食べることは現実的ではありません」  さらに果糖もたっぷりあるので食べすぎると、血糖値の上昇や血中の中性脂肪の増加を招く危険性も。 ×:魚の骨が喉に刺さったらご飯を飲み込む 「ご飯の粘度で魚の骨が取れる人もいるそうですが、ますます深く刺さることもあります。たまたま取れた人がいたとしても、ほかの人も成功するとは限らず、おすすめできません」  食道は縦に裂けやすくなっているため、硬い骨を無理して取ると神経などが通る部分に炎症を起こすことがある。 「人の身体には異物を排除する機能があるので、ある程度は自分の身体に任せておいて大丈夫」  どうしても気になるときは、耳鼻咽喉科で取ってもらおう。 △:やけど・傷はアロエで治る  日本だけでなく世界中で、ケガをしたときによく使われている多肉植物のアロエ。この成分を使ったゲルを塗ることで、にきびの回復、やけどの回復が早まる可能性が研究で報告されている。 「やけどの初期対応としてアロエの葉を使う場合、冷却作用は期待できますが、今はそれより冷蔵庫の保冷剤を取り出すほうが、葉っぱを取りに行くより早いのでは?水道水で良いのでとにかく早く冷やしてください」  また、土にはさまざまな雑菌が含まれているので、アロエの葉とともに雑菌が傷に入れば感染症を起こす可能性が。人によっては皮膚がかぶれたりすることもあるので要注意。 ×:蚊に刺されたらアルカリ性の石けんで洗う  蚊の唾液が酸性なので、アルカリ性の石けんで洗うとかゆみがなくなるといわれている。 「まったく効果はありません。そもそも蚊の唾液が酸性であるという証拠がないのです。それに、皮膚の上に石けん水を塗ったからといって、皮膚内に入った蚊の有害成分に届くことはないですよ」  異物が体内に侵入するのを防ぐ役割を果たしているのが皮膚なので、特殊な医療技術を使わない限り奥まで浸透することはない。 ×:わかめで髪が黒くなる&増える  見た目が“緑の黒髪”という言葉を連想させるためか、伝説のように語り継がれているわかめの効果。 「白髪の予防になるという科学的なエビデンスはまったくなく、増毛作用の根拠もありません」  だが、海藻にはビタミンやミネラル、食物繊維といった、毛髪にも良い成分が豊富に含まれているのは事実だ。 ×:美白のためにキュウリのパック  キュウリに含まれるビタミンCには美白効果、βカロテンには美肌効果などの効用は認められているものの、キュウリに含まれる量は少ない。さらにいえば肌に直接のせてパックをしても、ほとんど肌に浸透することはないという。 「キュウリをパックするというのは、そのメリットがまったくわかりません。冷たくて気持ちいい程度の意味しかないと思います。それに刺激物だと身体が認識して、かぶれてしまう心配もあり、こちらのほうが心配です」
今は効果なし!おばあちゃんの節約術
 健康法だけでなく、おばあちゃんの節約術にもハイテクになった現代には使えなくなったワザが。節約に詳しい丸山晴美さんは、次の3つにダメ出しした。 ×:水道水はチョロチョロ少しずつ出す  昔は水道メーターの精度が悪かったため、少量ならカウントされず水道代が安くなるといわれており、洗濯機や風呂の水をためるときに実践している家もあった。しかし、今はメーターの精度が高いので、この方法では意味がない。 ×:冷蔵庫内にビニールカーテン  冷蔵庫の開閉時に冷気が逃げないようカーテンをつける人が続出。しかし、電気代の節約効果はいまいち不明……。それよりは食材を詰め込みすぎないこと、無駄な開閉はしないことを心がけてみては。 ×:コンセントはこまめに抜く  何でもかんでも電源プラグからコンセントを抜いていたが、家電の進歩により今は待機電力がほぼかからない。10年以上前の保温式の電気ポット、旧式のガス給湯器についてはプラグを抜くか、主電源を切って。
教えてくれたのは……柳澤綾子先生●医師、医学博士。東京大学医学系研究科公衆衛生学客員研究員、国立国際医療研究センター元特任研究員。集中治療・麻酔科専門医指導医。年間500本以上の論文を読破し、著作本『身体を壊す健康法』(Gakken)では、世界中から集めた情報をわかりやすく解説。
(取材・文/オフィス三銃士)
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kennak · 1 month
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2024年3月17日(開催まで392日) あべのハルカス近鉄本店「2025大阪・関西万博オフィシャルストア」の映像観覧スペースにて、アンバサダー紹介の動画が流れ、ダウンタウンの名前と映像が流れるのを目にして驚いた。 2023年12月27日、週刊文春の記事に、ダウンタウンの松本人志氏が女性に性的行為を強要したと報道され、松本氏は、2024年1月8日に芸能活動を休止。これにより当然アンバサダーとしての活動も休止していると思っていたからだ。 その場で、大阪・関西万博公式ホームページでアンバサダー紹介のページを開くと、ダウンタウンの紹介とメッセージが掲載されていたが、オフィシャルストアで流れていた動画と、ダウンタウンの動画は「この動画は非公開です」と表記され全く観ることができない(万博協会からsnsでの使用禁止とのことなので、スクショ全体は掲載できず一部のみ)ぼくは、活動休止にともない動画を非公開にしていると思った。なのに、なぜ、オフシャルストアでは堂々と流しているのか?疑問に思い、万博協会に問い合わせをした。 3/17 アンバサダー紹介ページで、メインとダウンタウンの動画が非公開だった 3月18日 日本国際万博協会コンタクトセンターに電話 ナビダイヤルでの音声ガイダンスが流れ、その他お問い合わせの 5 は、20秒に10円(通話料定額プラン対象外)の有料。コロナ感染(当時2類相当)し、大阪市のコロナ相談ダイヤルへの問い合わせも20秒に10円で、高熱でぐったりした状態での電話で散々待たされたあげく検査できる病院は自分で探してほしいと言われ泣いていた母を思い出す。 コンタクトセンター受付から広報課へ電話を繋げてもらう。 【質問内容】 ①万博アンバサダーの松本人志さんのアンバサダーとしても活動は休止しているか? ②芸能活動が再開後は、アンバサダーとしても活動も復帰するのか? ③相方の浜田雅功さんも、アンバサダーの活動は休止しているのか? ④大阪・関西万博公式ホームページのアンバサダー紹介のページのダウンタウンが削除されていないのはなぜか? ⑤アンバサダー紹介のメインの動画とダウンタウンの動画だけが非公開になっているのはなぜか? ⑥日本国際万博協会のその他問い合わせの通話が有料なのはなぜか? この質問をした後、アンバサダー紹介のページのメイン動画とダウンタウン動画が再生できるようになる。 数日後、数回に分けて回答をもらう 【日本国際博覧会広報課の回答】 ①②③松本人志さんに関して、今後のアンバサダーの活動は特に予定されていない。協会として、活動を休止されている間、休止期間に関してはこちらの方からアンバサダー活動を依頼する予定はない。 これ以上のことが、現在裁判の方をされている事案になりますので、これ以上の回答は、協会からは差し控えさせていただいている現状。 現在裁判中ですので、結果がどうなったら再開するなどというのは、たらればの話になってしまいますので係争中につき一旦回答を差し控えさせていただく。 ④⑤アンバサダーの動画だけでなく、協会のホームページで一部の動画が、非公開となる現象が起こってしまっていたことに指摘されたことで気づき、非公開になってしまっていた動画を一律修正した。原因としては、3月4日時点から動画の担当が操作を誤り、非公開になってしまっていた。 ⑥音声ガイダンスで案内をすることによってスムーズにお問い合わせに対応できるためということで、ナビダイヤルを導入している。ナビダイヤルという制度自体が有料だという理由は、こちらの方の理由ではない。有料であることに違和感があるというのはご意見として受け止めさせていただく。 アンバサダー | EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト 2025年の万博、日本、大阪・関西で開催!テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。 www.expo2025.or.jp 問い合わせ翌日から動画が再生されるうようになった、大阪関西・万博公式ホームページ|アンバサダー紹介(リンク貼り付けは、日本国際博覧会協会の許可を得ています) 公の行事であるにも関わらず、問い合わせ相談ダイヤルが有料であることや、裁判中との理由でさなざまな回答を差し控えている万博協会は、ホームページのアンバサダー紹介に松本人志の名前を残し、動画の再生が可能であるということは、現在活動中!との位置付けになってしまうのではないかと疑問が残る。 【ダウンタウン松本人志氏と週刊文春の記事から裁判までの時系列】 2017年3月27日、「2025年日本万国博覧会誘致委員会」の大阪誘致を盛り上げるの「2025年日本国際博覧会アンバサダー」にダウンタウンが就任。 2020年2月14日、「大阪・関西万博」の顔として万博の魅力を伝える「2025年日本万国博覧会アンバサダー」にダウンタウンが就任。今後、関連イベントや様々な広報、プロモーション活動に協力し、万博を盛り上げていく。 2023年12月27日発売の週刊文春の記事に、松本氏が女性に性的行為を強要した内容を掲載。(26日に文春オンラインに一部掲載) 同日、吉本興業が公式サイト上で、一部週刊誌報道について「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を棄損するものです」といった文書を発表し、法的処置を示唆。 2024年12月末のテレビ番組で、アサヒビールとサントリー、消費者金融大手アコムは松本氏が出演したテレビ番組で、スポンサーとして社名の表示を取りやめた。アサヒビールの松山一雄社長は「人権に関するわれわれの基本方針に照らし、最も適切な対応を取らないといかない」と説明。 2024年1月5日、松本氏が局長を務める、朝日放送「探偵!ナイトスクープ」23:17〜(2023年12月8日収録)が放送された。 2024年1月8日、松本人志氏は「芸能活動を継続すれば、さらに多くの関係者に多大な迷惑と負担をかける一方で、裁判との同時並行ではお笑いに全力を傾けることができなくなってしまう」として当面の間、芸能活動を休止すると発表。 2024年1月9日、林芳正官房長官は、記者会見で松本氏が2025年大阪・関西万博のアンバサダーを務めていることについて「報道は承知しています。事実関係を確認の上、万博アンバサダーへの任命を行なった博覧会協会において、適切に対応されるものと考えておりまして、わたしくしからコメントすることは差し控えたいと思います。詳しくは経済産業省にお訊ねいただきたいと思っている」と述べた。 斎藤健経済産業大臣は、「突然の松本さんの発表でありますので、しっかり検討してお答えしたいなと思っております」と述べた。 吉村大阪府知事は、「事実無根で裁判で争う、裁判の期間中は芸能活動を休止されるということですから、その間はアンバサダーは当然、活動されない。休止になると思います」と自身の意見を述べた後、「博覧会協会等からは連絡は受けていない。博覧会協会と吉本興業との協議になるかと思う。博覧会協会からはまだ吉本とは話してませんという報告を受けていますので、正式に決まったものがあるわけではありません」と述べた。 2024年1月14日、フジテレビのバラエティー番組「ワイドナショー」に松本氏出演せず。 2024年1月18日、読売テレビよバラエティー番組「ダウンタウンDX」に松本氏出演せず。 2024年1月22日、松本氏が発行元の文藝春秋と編集長に対し、名誉毀損されたとして5億5000万円の損害賠償と訂正記事の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こす 2024年1月24日、吉本興業は公式サイト上で、週刊誌報道等に対する当社の対応方針を発表。所属タレントらがかかわったとされる会合に参加された複数の女性が精神的苦痛を被っていたとされる旨の記事に接し、当社としては、真摯に対応するべき問題であると認識している。ガバナンス委員会から「当初の『当該事実は一切なく』との会社のコメントが世間の誤解を招き、何を指しているのか不明確で混乱を招いたように思う」との文書を発表。 2024年1月25日発売、週刊文春で元タレント女性の「実名・顔出しインタビュー」の記事を掲載。 2024年1月29日、2020年12月からアンバサダーとして「ダウンタウン」を起用していた回転ずしチェーンくら寿司が、活動中止を発表したことを受けた措置として別のCMに差し替え、ホームページ上からもアンバサダーとしての記載を削除したことが分かった。 2024年3月28日、ダウンタウンの松本人志氏が性的被害を受けた女性の証言を掲載した週刊文春の記事により、名誉を傷つけられたとして、損害賠償と記事の訂正を求めた起訴の第1回口頭弁論が東京地裁で行われた。文春側は請求棄却を求め、争う姿勢。松本人志氏は出廷しなかった。
大阪・関西万博 EXPO2025🔴🔵|日本中学生新聞
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ari0921 · 2 months
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桜林美佐の「美佐日記」(253)
戦後史ミステリー「下山事件」の内幕話……
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、253回目となりま
す。
前回の災害派遣が今も継続されていることに対して
も「ファストイン・ファストアウトが鉄則のはずの
自衛隊をここまで長期間にわたり使うというのは、
やはり問題があると思いますというご指摘について、
もっと多くの方に知っていただきたいと思います」
と感想を頂戴しました。ありがとうございました。
 
 少し前に、NHKスペシャルで「下山事件」を取り上
げるというので、観てみました。これは昭和史最大
のミステリーと言われる事件で、初代国鉄総裁の下
山定則氏が、出勤途中に立ち寄った三越デパートで
突如、姿を消し、15時間後に東京・足立区の線路上
で遺体で発見されたという出来事です。
 占領下の国鉄でGHQから10万人の人員整理を命じ
られた下山総裁の謎の死ということで、苦悩の末の
自殺なのか、あるいは何らかの勢力による他殺なの
か、これまでも多くの関連本が出ています。
 警視庁などは自殺であると言っていたようですが、
共産党による犯行であるとする説や、松本清張の
「日本の黒い霧」では米軍機関による犯行としてい
るようです。合理化に反対し闘う国労をつぶすこと
を目的としたGHQによる謀略だと。番組では米国
の反共工作部隊「キャノン機関」の関与も取り上げ
ていました。
 
実は、何を隠そう、私の母方の祖母は下山総裁が立
ち寄ったという足立区五反野にある旅館跡に住んで
いました。私自身も一時期そこに住んでいました。
 私の実の祖父は警視庁���警察官でしたが、インパ
ールに出征し戦死し、私がおじいちゃまだと思って
いたのは再婚相手だったのです。
 そのおじいちゃんと前妻の長島フクさんが営んで
いた「末広旅館」に下山総裁が亡くなる前に数時間
滞在したということで、その時の様子を証言するフ
クさんの映像を今回初めて観ました。
 下山総裁が滞在した時のことをかなり詳細に語っ
ていたということでしたが、それがゆえに、その信
憑性が疑われているようです。
 私はこの映像を観て、その事件の真相よりも、私
の祖母とは全く違うキャラクターになんだか驚いて
しまいました。祖母は祖父と死別した後に、親族か
ら籍を抜くように言われ、身寄りのない戦争未亡人
となったのですが、祖父の警視庁の先輩だった長島
の妻フクさんが亡くなったことで、そこに後妻に入
ったのです。戦後はこうした複雑な婚姻関係が多か
ったのだと思われます。
 大変だったのは、元末広旅館という場所柄、マス
コミや数々のジャーナリストや祖母宅を訪れ、対応
しなければならなかったということでした。もちろ
ん、私の祖母は何も知らないのですが。
 この私のおばあちゃんという人は本当に面白くて、
誰にでも好かれるタイプでした。何が面白いって、
例えば「今度、イモ洗いに行くようにお医者さんに
言われたの」というので、それはどこで言われたの
か問うと整形外科だという。もしかしてそれは「イ
モ洗い」ではなく「MRI」じゃないの!?と病院に問
い合わせると、案の定MRIではありませんか!すでに
近所中の人たちを誘ってしまったために、危うく近
隣の人たちと「イモ洗い」の計画を本当に進めると
ころでした(っていうか、イモ洗いって何なの?)。
 そんなわけで、今回の下山事件の番組を観て、あ
あこの証言しているのが、私の実のおばちゃんじゃ
なくてよかったなあという感想が、実は第一でした
……。
 今回は戦後史ミステリーの話か!と期待された読
者の方にはこんなオチでごめんなさい。
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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