Tumgik
#蓄音機の日
herbiemikeadamski · 2 years
Photo
Tumblr media
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 7月31日(日) #先負(乙酉) 旧暦 7/3 月齢 2.4 年始から212日目(閏年では213日目)にあたり、年末まであと153日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 今朝、iTunesを見たら曲が勝手に 整理されたのか滅茶苦茶になって レスミルズの曲だけがダブってて 曲順もグチャグチャになってるの❓ なんだろこれって修正しようと手 がけたが途方もなく時間がかかる と思い断念⤵️したら、こんな⏰ もう流石にヤバイ時間なんで今朝は これにて、🙏今日はラストアタックです。 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #山手線初冷房車(ヤマテセンハツレイボウシャ). 1970(昭和45)年7月31日(金)先負.に東京を代表する国鉄の国電山手線初の103系冷房車運行開始した。  国鉄とは現在のJRの前身である国の国有鉄道であったが、今も昔も変わらぬ「通勤地獄」という言葉  は1960年代には定着していて、庶民は猛烈な暑さと戦う日々で今と変わらぬ猛暑でした。  この日も東京は曇りであったが、気温は最高33.3度、最低25.8度、湿度75%の蒸し暑さの中に冷房車  の登場で癒された事でしょう。 . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う).  「先負日」の略。  陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。  「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。  午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . #一粒万倍日(イチリュウマンバイビ).  選日の1つであり、単に万倍とも言われます。   一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。 .  一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。  但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。  また同じ意味合いで、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費などもトラブルが倍増するので避けたほうがいいとされている。 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #富士噴火最古記録.  781年(天応元年7月6日)奈良時代末期、朝廷編纂の『続日本紀』に富士山噴火に伴う降灰の記録されており、富士山の最古の噴火記録になっている。 . #ビーチの日. . #蓄音機の日. . #土地家屋調査士の日. . #トゥインクルレースの日. . #GLAYの日. . #クールジャパンの日. . #パラグライダーの日. . #こだまの日. . #そばの日(毎月晦日). . #菜の日(毎月31日). . #ドッグデー期間(7/23~8/23犬の日)#ドッグ・デイズ. . #住吉祭(住吉大社の例祭).  大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼(夏越祓神事、神輿渡御祭、荒和大祓神事)。  愛染まつり、天神祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。 . #マレーシア英雄の日. . #カ・ハエ・ハワイイ・デイ(#ハワイ旗の日). . . ■本日の語句■. #転んでもただでは起きぬ(コロンデモタダデハオキヌ). 【解説】 たとえ失敗した場合でもそこから何かを得ようとする。 欲の深い、また、根性のある人の例え。 . . 1985(昭和60)年7月31日(水)先勝. #田邊和也 (#たなべかずや) 【俳優】 〔神奈川県〕 . . (ジョナサン 上石神井店) https://www.instagram.com/p/Cgp-K7jPwzgGI1qsvPjY-mt7SvKcMsIK5Kh_ns0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ari0921 · 9 months
Text
カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再��この地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
Tumblr media Tumblr media
292 notes · View notes
ryotarox · 4 days
Text
『四季』のビバルディ、20世紀半ばまで200年も忘れ去られていた | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
(『四季』のビバルディ、20世紀半ばまで200年も忘れ去られていた | ナショナル ジオグラフィック日本版サイトから)
ビバルディの『四季』と言えば、クラシック音楽のなかでも最も愛されている不朽の名作の一つだ。それぞれの季節を表す4つの協奏曲から成る音楽は、1725年に発表された当時と変わらず、今も人々の心を躍らせる。 ところが、第二次世界大戦前は、音楽家の間でもこの曲を聴いたことがある人は少なく、アントニオ・ビバルディという名前すら、音楽史の脚注で言及される以外ほとんど知られていなかった。
 1800年代初頭、バッハの音楽への関心が改めて高まると、バッハがビバルディから影響を受けていたことが明らかになった。そのおかげでビバルディの作品も徐々に掘り起こされるようになったが、1900年代初頭まではまだ曲が演奏されることはめったになく、バロック音楽の専門家以外にはほとんど知られていなかった。  それが大きく変わったきっかけが、レコードの登場だった。『風と共に去りぬ』や『カサブランカ』などハリウッド映画のサウンドトラックでの演奏で有名な米国のバイオリニスト、ルイス・カウフマンが1947年、ニューヨークのカーネギーホールで『四季』を演奏し、録音した。人々が自宅の蓄音機で気軽に上質な音楽を楽しむようになっていたおかげで、ビバルディの名はほぼ一夜にして世界中に知れ渡った。  それ以来、ラジオ、テレビCM、映画のサウンドトラックなどで四季やその他の作品が広く聴かれるようになり、クラシック音楽の巨匠としてのビバルディの地位は不動のものとなった
5 notes · View notes
mokuhatsuka · 8 months
Text
Tumblr media
蓄音機の日
07.31
14 notes · View notes
samantha-dan564 · 7 months
Text
Tumblr media
何か考えているらしい
1940形『Hi-CBM』
すでに乗務員不足による減便が現実化している中で、人手を抑えたうえでのメインテナンスってのが今後重要になってくるわけですよ。彦電みたいな小さな鉄道会社では札束ビンタで人を集めることは不可能。そこで今後を見据えたシステムデザインとして、CBM(状態基準保全)に切り替えていきたいと考えているわけです
これまでのTBM(時間基準保全)だとメインテナンス要員を確保したうえで、定期的にインフラを検査して保全するわけだけど、CBMならインフラの状態を「何者かが」監視したうえでそれを分析、そのうえで保守をかけられるので、人員の圧縮や保守コストの低減がはかれるのですよ
で、その「何者か」を人間でなくて機械にやらせる。なんせ彦電には1日中線路の上を走ってる「何者か」がいるわけですよ
電車
電車に測定設備やカメラを搭載し、ATACSのネットワークから送信。サーバにデータを蓄積してそれをAIで分析し、人間がそれを確認の上で保守することで、人的資源をかなり圧縮できるわけです
その装置を搭載した電車を1編成、2023年堂に導入するというお話を考えています。ベース車両は1900形で検測設備を搭載しているため番台区分を40番台として1940形とします
愛称はHi-CBM。「Hi-cbm Is Condision Based Maintenance」の略。発音は「ハイシービーエム」となりますが、フランス語読みだと 「アイシービーエム」になっちまうのかな?
それはそれとしてシステムとしては1900形に軌道撮影カメラと振動計、架線監視カメラを搭載して軌道と架線の状態を記録してデータをサーバに送信するようになっております
…としているんだけど、俺がどこまでCBMの概念を理解できているかがカギだな
7 notes · View notes
Text
テックやしろ参上! 屋代敏博回帰』
https://www.zeit-foto.com/yashirotoshihiro
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会期|2024年3月16日(土)ー 4月27日(土) 
金・土曜日 OPEN
時間|金曜日 15:00~20:00 土曜日 11:00~18:00   
火・水・木曜日はアポイントメントのみ
会場|ZEIT -FOTO Kunitachi
東京都国立市中2-22-33
Tel: 042-505-8838 
関連イベント
★ オープニングレセプション 
  3月16日(土)16:00~18:00
★「Phonographer 蓄音機奏者」 
   3月16日(土)14:00~
★「回転回 LIVE!」      
  3月30日(土)14:00~
2 notes · View notes
shredderwastesnow · 3 months
Text
長々と「ゴーストワールド」考
Tumblr media
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバ��トをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
3 notes · View notes
kennak · 6 months
Quote
続出していた基本的な問題ドイツの『ハンデルスブラット』にリークされた内部報告書はクルマの力学と騒音・振動・ハーシュネス(NVH)に関するもので、あるテスト結果が含まれている。サイバートラックのα版の性能を、CAD(コンピューター支援設計)のシミュレーションに基づいた予測や社内の基準と比較したものだ。それらを総合すると、音漏れや騒音があり、ハンドルやブレーキの性能も低いという試作車の状態が見えてくる。「まだα版の車両ですから、目標から遠く離れていても驚きはありません」。自動車業界で40年以上を過ごし、日産自動車の最高執行責任者(COO)やアストンマーティン・ラゴンダのCEOでもあったアンディ・パーマーはそう語るが、報告書の卒直な内容に驚いたという。「これを書いた技術者は厳しい叱責を受けるべきでしょう。普通、こうした報告書は書きませんから」報告書によると、サイバートラックのα版は手作業でシーリングしなければならなかったが、実際の生産モデルでは「シーリングの明確な手順がない部分が複数あった」という。これは雨風を避けるためだけでなく、車内の騒音を抑える意味でも問題となる。報告書のデータは、設計に基づく技術者たちの想定よりもα版の騒音が大幅に大きかったことを示している。テストの結果、車体の21カ所から騒音が漏れている可能性が指摘されたという。テスラ車は過去にも音漏れの問題があった。報告書からは、サイバートラックの奇抜なデザインのせいで、技術者による適切なシーリング作業の試みが複雑化していることがうかがえる。そこには「車体製造や塗装の行程において、これまでもNVH性能を最適化するためのシーリングに苦労してきた。サイバートラックのデザインは新たな課題を突きつけている」と記されている。ハンドルもα版の懸念点のひとつだった。報告書では「中速域での過度な加速や急な動き」「急加速」「構造的な振動」など、複数の問題が指摘されている。トラックには「低速域での操作において横方向の急な動き」が見られ、ステアリングの微調整や車体の横揺れ(ロール)の問題に対処しなくてはならなかった。また、サイバートラックの「ストレイフ」モード(タイヤの角度を変えて横方向に「カニ歩き」できる機能)は「基本的な機能にとどまっていた」という。ブレーキやボディ構造にも「深刻な課題」報告書において最も深刻な問題のひとつとされたものが、ブレーキ性能だった。テスラの技術者は、自動車技術関連の規格を定める国際団体「自動車技術者協会(SAE)インターナショナル」の評価スケールで7点(有望)を目指していたが、α版は4点(不出来)しかとれなかったのである。報告書によると、22年1月時点でサイバートラックのブレーキペダルの圧力パッドは、まだ設計段階にあった。このため、α版には「過度なペダルストロークや不安定な制動」や「摩擦ブレーキ時の過度な縦揺れ」のほか、ステアリング時のブレーキの問題や不安定なパワーブレーキングがあったという。Most Popular地球に寄り添う準衛星「カモオアレワ」が、月の破片だった可能性。その起源がシミュレーションでも見えてきたBy Ramin Skibba今年の「Amazonブラックフライデー」で買うべき商品は? セール攻略の8つの方法と、狙い目の商品62選By Takuya KikuchiUltrahumanのスマートリング「Ring AIR」は“終身サブスクリプション”込みで着け心地がいい:製品レビューBy Simon Hill「ブレーキの性能は深刻に思えます。テスラがそれ以上に踏み込んでいないのは驚きです」と、報告書の内容を精査したパーマーは語っている。ブレーキシステムを含むシャシーは、普通はボディやほかのシステムに先駆けて最初に取り組む部分だ。「すなわち、この段階で試作パーツしかないのは大幅な遅れと言えます」報告書では、自動車の乗り心地やハンドリング性能を評価する車両基礎特性測定試験(K&C試験)の結果についても詳しく説明されている。一般的なK&C試験では車体を固定し、制御された力や変位が車輪に加えられる。こうした試験の結果、「キャンバー」や「トー」などのサスペンションのパラメーター(車輪がまっすぐの状態から内側か外側に曲がる角度を決める値)を得られる。報告書はα版の性能について、「目標値と大きな差異がある」ことを示している。報告書には、解決策の候補と問題点が対比して列挙されているが、なかには示唆に富むものもある。車体前部には「サスペンションの設計を変更しなければ解決できない」問題があったというのだ。また「キャンバーゲインが高する」ことで、タイヤの摩耗や車高によるアライメントの変化などが生じるという問題に対しては、解決策の欄に「恐らくなし」と書かれている。このように、テスラが同カテゴリーのほかのEVに対抗できるトラックを開発するうえで抱えていた問題が、報告書では示されているのだ。自動車のボディがねじれに耐えられる能力を意味する「ねじり剛性」の問題もそうだ。ねじり剛性が小さすぎると、クルマを方向転換させる際にボディが壊れてしまう。大きすぎると曲がりづらくなり、アンダーステアになりやすい。パーマーによると、α版の(ねじり剛性の)性能は目標を大きく外れており、テスラが懸念を抱く可能性がある。「驚くべきなのは、修正がとても困難だということです。これは根本的な問題ででしょう。開発においては、かなり正確にシミュレートすることができます。ですから、目標から大幅にずれていることに驚きました」と、パーマーは言う。「これは重大な問題でもあります。この問題を解決すると車体の重量が増し、クルマのデザインが損なわれてしまうからです」外骨格構造ゆえの難しさテスラは08年からEVをつくっている。しかし、トラックの開発においては技術面でまったく別の課題が突きつけられると、専門家は指摘している。フォード(同社の電動ピックアップトラック「F-150 Lightning」は22年4月に生産を開始した)など、ほかのメーカーには数十年の蓄積がある。ゼネラルモーターズ(GM)のブランドであるシボレーやGMC、そして新興EVメーカーでピックアップトラックを手がけるリヴィアンなどのEVトラックメーカーは、すでに市場でサイバートラックを上回っているか、今後は凌駕する可能性が高い。
テスラの「Cybertruck」に設計上の“問題”が続出? 内部資料から見えた新型EVの行く末 | WIRED.jp
3 notes · View notes
togekiss4ss · 7 months
Text
SNOOZER 1998 4 Bernard Butler 天国から降り立った至福のソウル・ミュージック、遂に完成!
BERNARD BUTLER
Tumblr media
by SOICHIRO TANAKA photography by MIDORI TSUKAGOSHI
間違いなく、98年最初の傑作と呼びうる作品が座み落とされた。アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」——バーナード·バトラーという類稀なる才能がようやく咲かせた、大輪の花びらである。険しさや激しさとは無縁。勿論、どこまでも気持ちが高揚するアップ·テンボのナンバーもある。だが、基本的には柔らかで、しなやかで、ゆったりとした時間が漂う、極上のソウルフルな作品集である。
■練りに練り込まれた4ピース·バンドのアンサンブル、そこに実に効果的に配置された華麗なストリングス——だが、そんなゴージャスなプロダクションにもかかわらず、バーナード本人の細かい息遣いがそのまま伝わってくるような親密さがここにはある、日当たりのいいキッチンに通されて、入れたばかりのココアを御馳走になったかのような暖かさ。薪が割れる音だけが聞こえる、暖炉のある暖かい居間に招かれて、家族との思い出話をひとつひとつ聴かされているかのような距離感。そして、妻、亡き父親、兄弟達、多くの友人達——バーナード自身と彼の周囲の人々をめぐる大小様々なドラマが平易な言葉で綴られた歌詞。ここはバーナードが招き入れてくれた彼の部屋なのだ。
■「僕が何故、落ち込んでるか聴いてくれるかい?/僕が過ごしていた日々は、ありがちな疑いばかりだったから/そう、僕が夢を語っても、君だって耳を貸しちゃくれなかった」「そう、君はわかってくれてると思ってた/友人達が僕のことを取り合ってもくれなかったってことを/だって、僕は他人のことが少しもわからないんだよ」「でも、最近は僕はひとりじゃないんだ」——アルバムに先立つ2枚目のシングルとしてリリースされた“ノット·アローン”において、バーナードはどこまでもあけすけに歌う。だが、ここで鳴らされているのは、夢、失意、孤独、離別、誤解、強がり、喜び——そんな普通的なものばかりだ。そう、これこそは我々、日常と自分自身の感情に翻弄され続ける「ちっぽけな魂」の主題歌そのものなのではないか?
■バーナード·バトラーは、自分の半径2メートルのありきたりの小さなドラマから「普遍」を生み出した、どこにでも転がっているありきたりの失意と喜び——だが、それが当の本人にとってはとれほどに深刻なドラマなのか? そして、それを細心の注意を払い、目一杯の熱意でもって奏でた時に、それはどれほどに崇高な叙事詩たりえるのか?——アルバム「ピープル・ムーヴ·オン」は、そうした事実を証明してみせた。バーナードに招かれて、我々は自分自身について語りだす。そう、アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」は、そんなありきたりのちっちゃな喜怒哀楽に対する祝福で溢れている。
このレコードによって父の思い出が公になってしまうのは、少し哀しい。でも、そのことによって、僕自身の存在を証明出来た気もするんだよ。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくない。そんな思いを父の思い出がサポートしてくれるのさ
ありきたりに生きたありきたりの男が愛した「やせっぽちの息子」だからこそ産み落とせた、どこまでも親密な「至福のソウル・ミュージック」——
マチズモからも、ホモ・セクシャル体験のないバイ・セクシャルからも遠く離れた、奇跡のソロ・デビュー・アルバム『ピープル・ムーヴ・オン』が到達しえた、しなやかさの秘密
●素晴しくソウルフルなアルバムが出来上がりましたね。
「どうもありがとう」
●このアルバムを聴いて、何故、あなたがスウェード時代、あんなにも居心地悪そうにしていたのかがわかったような気がします。というのも——。
「ふう(と、言ったまま机につっぷしてしまう。髪の毛がスープに浸ってしまっているのも気にせずに、ガバッと起き上がり、首を激しく振り続ける)」
●もうスウェードの話はしたくないんですね?
「いや、そんなことは言ってないよ。別にいいんだけどさ。別にいいんだけど……でも、スウェードのことについては散々話し過ぎたから。ねぇ、アルバムの話にしてくれない?」
●ええ、勿論。だって、今日はスウェードじゃなくって、あなたのソロについて話しにきたんだから。
「それなら良かった。うん、もうスウェードの話はしたくないんだ。僕はスウェードでのキャリアを、本当に誇りに思ってるよ。でもさ……でも、もう5年も前の話なんだぜ?でも、ヨーロッパのプレス……特に英国のプレスは、事あるごとにそんな昔の話に固執するんだよ。昔のことだけじゃない。スウェードが何百万枚もレコードを売ったとか、そんな話をするんだ!そんなの僕の知ったことじゃないのに」
●いや、だから、僕が訊こうとしてるのは——。
「(遮って)だってさ、このアルバムはスウェードのレコードに対する反撃でも何でもないんだから……。このレコードは明らかに、今までやってきたことと違うはずだよ。僕の人生の中の、新しい時代の節目にふさわしいものなんだ。歌詞的なアプローチの方法も、個人にすごくクローズアップしていったり、うんと突き放してみていたり、すごく一般的なことに基づいていたり、様々なんだ。そう、これは全て『僕』なんだ。すごく『僕』らしいレコードなんだよ。ここには、いろんな違った角度から『僕』が描かれているのさ。それこそが、僕が常にやりたいと思っていたことなんだ。うん……でも、まあ、君がこのアルバムの中の僕と比べてみて、スウェード時代の僕は居心地悪そうにしてた、と言うのも分かる気がするよ。確かにそうだったかもしれない(笑)」
●うん、そう。つまり、僕が「何故、居心地悪そうにしていたのかが分かった」と言ったのは、このアルバムを聴きながら、「ああ、これこそがバーナードが昔からずっとやりたかった音楽だったんだなあ」としみじみと感じたからなんです。
「ああ、もう本当にその通り。大正解だ。でも、そんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ」
●嘘?本当に?
「ねえ、『ボトム·ドロワー』って知ってる?結婚に備えて、女の子が嫁入り道具をしまっておくたんすの引き出しのことなんだけど。お父さんやお母さんが、お嫁に行くときに持って行かせたいものを、娘のために蓄えておいたりもするんだ。で、これは、そんな感じのレコードなんだよ(笑)。今まで大事に蓄えてきたものがギッシリ詰まってる。なかなか外にひっぱり出すことが出来なかったんだけど、絶好の機会を得て、ようやく陽の目を見ることを許されたのさ(笑)」
●(笑)なるほどね。それで、このアルバムを聴いて最初に感じたのは、ひとつが最初に言ったソウルフルな作品だということ。で、もうひとつが、70年代のソングライター達がやっていたような、すごく「パーソナルな息遣い」が伝わってくる作品だということなんです。
「へえ。なるほど。いいね」
●でも、自分自身の弱さや怖れをも包み隠さずに歌うのは、最初は戸惑う部分があったんじゃないですか?
「いや、僕は隠しだてしたりしないんだ。隠すものなんて、何もないからね。むしろ人間は自分を包み隠したりしないための努力をすべきだと思うよ。ほら、去年出たレコードの大半はマッチョで、アグレッシヴなギター·ミュージックばっかりだっただろ? なんかお高くとまってると言うか、人を下に見てるって言うか。『俺はグレイトなんだぜ!俺はお前らとは違うんだ!』ってね。でも、僕はそんな風に自分のことを考えたくない。それよりも、もっと繊細なものを表現したいんだ。人間関係のことや、離別や、誰かを失うことや、家族のこととかね。僕はそういうものを自分の内側にひたすら溜めているだけなんて好きじゃない。殻に籠りたくないんだ。溜まったら吐き出して、受け入れていかなくちゃ。どんなポジティヴなことも、ネガティヴなこともね。勇気を奮い起こさなきや。『何でこんなことが僕の身に起こったんだろう?』って理由を解明するんだ。それで『きっとそれは僕が物事の悪い面しか見てなくて、考え方によっては良い側面もあるはずなのに、それを見ようとしないからなんだ……』って気付くんだ。それは変化し得るものかも知れないんだから、リスクを負わなくちゃ。それが、このレコードで表現されている僕の感情というか、感覚なんだ。とにかく、このレコードはすごくパーソナルなものなんだよ。だから、どの曲が具体的にどの人について歌っているかは、言いたくない。僕に言えることは、『このレコードは僕の人生にすごく深く関わっているものだし、多分、みんなの人生にも何らかの関係性を持っているだろう』ということだけなんだ」
●なるほどね。実際、あなたは、これまで自分自身のことを「やせっぽちの、ギターを弾くしか能のない男」という言い方をしてきましたよね。でも、この作品さえあれば、そういった自嘲的な言葉で照れ隠しするのではなく、「僕には人を感動させることが出来るんだ!」と胸を張って言えるんじゃないですか?
「そうだね。僕はこのレコードをすごく誘りに思ってるよ。でも、特に、ここ10年くらいは男が怖れや弱さをさらけ出す、なんてことが受け入れられない状況にあるだろ?実際、僕が思うに、男は普通そういうことをレコードの中で表現したりしないんだよ。男っていうのは、いっつも叫び声をあげてなきゃならない。っていうか、いつでも強気で、男らしくて、荒々しくふるまわなくちゃならなかったり��るんだ。でも、僕は、終始『俺はグレイトだ!俺は最高だ!俺の書く曲はどれもこれも素晴しいんだぜ!俺はこの世代で、いちばん優れたソングライターだぜ!』なんてふれまわるような人間には興味がないんだよ(笑)。自分の道をまっすぐに、ただ前だけを見て進んでいけばいいのさ。僕はその方がずっと強い生き方なんだと思ってる。実際、怖れや弱さをさらけ出す、って言っても、何もネガティヴで、悲観的な意味かりがこもっているわけじゃないと思うんだ。本当は、もっとずっとポジティヴで前向きなことだと思うんだよ。だって、ちゃんと自分と前向きに向かい合っているわけだろ?で、その先を模索するための一段階なんだからさ。勿論、これは僕の問題であって、他の人にも強要するつもりなんかないよ。でも、もしかしたら僕のレコードが他の人の考え方に影響を及ぼすかもしれないよね。その可能性もあると信じてるんだけど……。だから、このレコードっていうのは、マッチョでもなく、アグレッシヴでもない、でも、強くてしなやかな男の作ったレコードなんだ。前だけをまっすぐ見て、突き進んでいくだめのレコードなんだよ」
●マッチョじゃないってことで言えば、ヴォーカルという面についても、ニール·ヤングの「囁くような歌い方」があなたに歌う勇気を与えてくれたんじゃないですか?
「う~ん。囁く、っていうのはちょっと違うかな。でも確かに、ニール·ヤングみたいに、ヴォーカルではなくて、表現の一部として歌を歌っているような素晴しい人達っていうのは、技巧に凝らないよね。ビブラートも使いこなせなければ、音階もまともに取れない。でも、何故彼らの歌が素晴しいのかと言えば、ここから生まれたものだからなんだ(と胸をトントンと叩く)。それにいい音符が並んでいれば、つまり良いメロディがあれば十分なんだよね。でも、僕が勇気づけられているとすれば、やっばり彼のアティテュードなんじゃないかな」
●先ほど、70年代のソングライター的なパーソナルな思遣いという話をしたんだけども、逆に、あなたとしては英国人のソングライターに多いキャラクターや物語を設定する歌詞の書き方には、胡散臭いものを感じるんでしょうか?
「そもそもイメージを作り上げようとする点では、大英帝国こそ最も悪しき存在だと思うな。この国は、もう何千年もの間時間を無駄遣いしてる。国民はずっとそれに踊らされて、『大英帝国万歳!』ってやってきた。で、その思想みたいなものが、今の時代になってもずるずると国民の頭の中に残ってるんだよな。こんな小さな国に住んでるもんだからさ、アメリカにプレイしに行ったバンドなんて、すぐ大陸を征服したような気分になってしまうのさ。『俺達はすごい!』ってね。勿論、これは一般的な英国人の考え方であって、僕の意見というわけじゃないよ。僕はそんな考え方には反対なんだ。僕の両親はアイルランド人だから、この大英帝国的な思想は相容れないものがあるし。これがさっきも言った、アグレッシヴな考え方の根底になっているものなんだ。僕は、僕のレコードを聴いた人達にイメージの刷り込みとか、餌付けみたいなことはしたくないんだ。それよりも、このレコードを聴いてくれた人達と手をとりあって、暖かな雰囲気を感じて貰いたいと思ってる。僕は火になって、誰かを暖めることだって出来るはずなんだ(笑)。まあ、確かに、その英国的なソングライティングというのは、一種のシニシズムのようなものだよね。それと、幻想みたいなものを人はそこに見い出しているんじゃないかな。というのも、みんな退屈してるからね。退屈な生活、退屈なバックグラウンドを持った人達が、大勢ロンドンにやってくる。特にロンドン郊外からね。サリー州やケント州、サセックス州といった場所に生まれ育った若者達は、ロンドンに大都会の幻影を見てるんだよ。『ロンドンに行けばきっとエキサイティングなことが待ち受けてる』ってね。でも、僕もそうだけど、元々ロンドン市内で育った人達は、そんな幻想を持ってはいないからさ。でも、郊外で育ってロンドンに来た人達は、そういう幻想を持ってる。すごく奇妙な、ロンドンのアンダーグラウンド·シーンを発掘するのに執着するんだ。むしろ僕は自分のレコードには、退屈ならその退屈をそのまま表現したいと思ってる。下手な幻想を描くのではなくてね。まあ、こういうことはロンドンに限らず、世界中の大都会に共通する風土病みたいなものなんだけど(笑)」
●なるほどね。
「諸悪の根源は、あのブリット・ポップだった。まあ、中にはいいのもあったけど、そういう地味だけどいいレコードよりも、もっとくだらないけど華やかなレコードばっかりが売れて、そういう連中だけが大金持ちになっちゃったんだよね。ヴァーヴとか、レディオヘッドとか、そういう素晴しいバンドは黙ってベンチに座ってるだけだった。僕もそうだった。でも、最近になってやっと状況とクオリティが一致してきたように思うんだ。でも、やっぱりあの時代というのは、失望させられてばっかりだったよ。まるでロンドンのイメージー=ユニオンジャックの旗、赤い2階建てバス(笑)っていう、あのステレオタイプのイメージがそのままロンドンのミュージック·シーンに持ち込まれちゃったんだ」
●では、今も話に出たレディオヘッドのトム·ヨークのような人は、自分しか気が付かないよ���な、自分自身や世界の問題点をえぐるように見つめて、それを克服するために創作に向かっていますよね。
「僕、彼のことが本当に好きなんだ。尊敬に値するね。レディオヘッドの曲を聴くと、いつでもついつい歌詞に目がいってしまう。歌詞カードを読む、数少ないバンドのひとつだね(笑)。でも、ああいうダウンな歌詞で曲がものすごく良いバンドって、本当に少ないと思う。そこが彼らのすごいところなんだ。曲がとてもいいから、その曲と詞の相乗効果が素晴しくて、詞そのものがまるで詩歌みたいに響いてくる。世界で最高のバンドのひとつだね。それは疑いようがない。興味深くて、曲が素晴しくて、声が美しい。そして、歌詞が本当にいい。自分達の過去を忘れてしまって、最初からビッグなバンドだったような顔をしないのがまたいいよね。彼らが最初にレコードをリリースした時、この国の誰も彼らに興味を抱かなかった。『ザ·ベンズ』をリリースした時だってそうさ。でも、半年経った頃に、ようやくみんながあのアルバムの良さに気付き始めた。ファッショナブルだとさえ言われるようになったんだから。最初は誰の目にも留まらなかったものが、今では10年来の傑作レコードにまで成り得たのさ。その辺が、僕が『ロンドンのミュージック·シーンはクズだ』と言う所以なんだよ」
●ところで、あなたのソングライティングについてもうちょっとお訊きしたいんですけど、やはり今作に収められた作品のソングライティングの過程というのは、自分自身の弱点やダークな部分と向き合って、それを克服していく過程でもあったんでしょうか?
「うん、そうだね。ただ、向き合って、というのは確かにそうだと思うけど、克服っていうのはちょっと違うな。克服というよりも、『ポジティヴなやり方で自分自身を表現している』と言ったほうが適切だと思う。僕は決して紙と鉛筆を持って、じっくり腰を据えて曲を書くようなタイプではないからね。ただテープレコーダーを回して、思いついたフレーズをランダムにそこに放り込んでいく。アイディアをとっ散らかったままとにかく録っておくのさ。頭の中はいつも混沌としていて、いろんな考えや感情がぐちゃぐちゃに渦巻いている。それを簡潔な言葉で説明することなんて出来ないはずなんだ。なのに、一旦レコードになると、ちゃんと簡潔にその意味がまとまっているんだよね。自分でも不思議でしょうがないんだけど(笑)。それで、レコードをじっくり聴き直してみて、ようやく自分自身の考えていたことが解ったりするんだよね。曲作りは、本当にそんなふうな自然発生的なものなんだ。予めプランを立てておくことなんて出来ない。いや、出来たらどんなにいいか、って思うんだけどね(笑)。だけど、やっぱり駄目なんだよね」
●では、今回、ソングライティングの過程で、本当の自分自身と向き合う時、最も苦痛を伴ったのは、具体的にどんな部分だったか数えて下さい。
「そうだな……僕の父親についてのラインを書いている時かな。このアルバムには、全体を通して僕の家族についての描写がたくさん出てくるんだけど、時々胸が苦しくなったりしたね。タイトルや、そういったフレーズに引用されているのは、妻との会話や、何年も前の僕の家族との対話だったりするんだ。まあ、中にはテレビの中の会話からとったものもあるけど(笑)。僕は、基本的に、そういう具体的な会話を引用するのが好きなんだ。政治的なメッセージ性のあるタイトルなんて付けたくないからね。僕は本を読まないからさ。知識なんかよりも、もっと自分のイマジネーションや、頭の中にあるもの、感覚的なものを大切にしたいと思ってるんだ。とにかく、家族のことを曲にするのは、いつでも苦痛を伴う作業なんだ。でも、そこにこそ僕のエモーショナルな部分がいちばん生かされているとも思うし、ポップ·レコードに、もっと深い感情を与えてくれる存在でもあるんだよ。それに、父親や、祖父や、先祖の思い出は僕に残された遺産だと思うんだ。で、その遺産を僕も残していきたいと思ってる。そう、運命みたいなものだね。それに自分なりに折り合いを付けていくのは、エキサイティングなことでもあるんだ」
●実は、この作品を聴いて、かつてあなたがあなたのお父さんについて語った素晴しい言葉を思い出したんです。「自分はごく平凡なとても素晴しい人をひとり知っている。君達にはなんの意味も持たないかも知れないけど、僕にとってはとても大切な人だった。その人はとても幸福な当たり前の人生を生きて死んだんだ」って言葉を。
「ああ、そうなんだ……うん……彼はね、そう、とても平凡な人だった。ごくごく当たり前の人生を送っていたよ。人生を通して、何か特別なことをしたわけじゃない。9時から9時まで退屈な場所で働いて、夜は毎晩テレビを観て、お金の工面をして、ごくまともな死に方をしたんだ。特別に楽しいことがあったわけじゃないんだろうけど、月明りの頃……死の直前にはそれなりに残りの人生をエンジョイして死んでいったと思うよ。その父の思い出がレコードをリリースすることによって公になってしまうのは、僕にとってちょっと哀しいことでもあった。でも、それと同時に、彼の思い出を公にすることによって、僕自身の存在を証明出来たような気がするんだよ。僕自身がここに居る、その事実と理由をね。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくはない。そんな思いを彼の思い出がサポートしてくれるのさ。そう、父はとても博識で、機転が利いていて、ウィットに溢れた人だった。でも、誰も声を大にして、彼にいい仕事にありつく機会を教えてはやれなかったんだ。君や、僕のようないい仕事にね。まあ、これって世代的な問題でもあるし、それだけのことなのかもしれないけどね」
●うん。でも、このアルバムさえあれば、あなたは彼の遺志を継いだ、素晴しい息子だという証明が出来ますよ。
「(笑)そうだね。父がそう思ってくれることを願うよ」
●先行シングルの“ステイ”は、どこかお父さんに捧げられた部分もあるんじゃないかと思ったんだけど。
「いや…… 。特にそういうわけじゃないんだ。でも、もしかしたら、潜在的にそんな思いもあったのかもしれないね。正直なところ、どういうふうに君に説明したらいいのか分からないんだけど。この曲は、『変化』について歌われたものなんだ。僕は、人が他人に『君は変わるべきだ』『君はもっと先に進まなくちゃいけない』なんて言ってるのを見ると、イラついてしまうんだ。だって、言われた方は、彼らが変わらなくちゃいけないことも、彼らが本当に先に進みたいと思っていることも、ちゃんと分かってる。それと同時に、そのことがどんなに難しいことかも分かっているんだから。でも、一日の終わりには、必ず『やっぱり自分は変わらなくちゃいけない』って思うんだ。それって、すごく絶望的な光景だと思うんだよね。変化の過程というのは、いつでも恐怖や失望を伴うものだし、違う場所に到達するのって、フラストレーションに常に苛まれるシチュエーションなんだよ。感情的にも不安定で、すごく傷つくことなんだ。実は、この曲のフレーズは、ちょうど僕がレコーディングに入る前に知人の女の子に言われた言葉でさ。彼女は僕が先に進まなくちゃいけないことも分かってるのに、僕にそんな風にばかり言ってて…おまけに、自分は進もうとしなかった。自分も前進しなきゃいけない、って分かってるのにさ。このことは、“ステイ”の前の曲 …なんだっけ、アルバムの9曲目」
●え~っと “ユー·ハヴ·ゴット·ホワット·イット・テイクス”ですね。
「その曲も、このことについて歌われたものなんだ」
●そうなんだ。なるほど。じゃあ、アルバム·タイトルにもなっている『ピープル·ムーヴ·オン』というタイトルは、そうしたあなたの人生における変化に対する認識が現われたものなんでしょうか?
「これも、もともとは毎日の対話の中から出てきたフレーズなんだ。でも、ちょっと違うのは、これは自分自身の対話というところなんだよ。『何でこんなことが起こるんだろう?』、『何でこんなことが自分の身に起こったりするんだろう?』という問いかけから生まれたものなんだ。自分の頭の中に渦巻いている、人生そのものに対する問いかけだね。このフレーズが最初に閃いた時、僕はウェストエンド(ロンドン中心街)で新聞を売ってたんだ。何年も前の話さ。で、人がただ、流れていく。流れていく。流れていく。土曜日の夜で、みんなはクラブに繰り出すために、流れていたんだ。僕は、それをじっと観察してた。自分勝手に彼らを批評してたわけさ。クラブへ向かう時にはお洒落して、皆すごくスマートに決めてるだろ? でも、帰りには口紅は剥げてるし、髪の毛はめちゃめちゃだし、あられもない格好になっていたりするんだ(笑)。そういう流れ行く人の立ち居振る舞いを、批評することだって出来るし、それを経験の一つとして自分に取り込むことも出来るんだ。そういうのって、ただの行きずりの人についても、大切な人についてもそれは同じことだと思うんだ。過去に一緒にプレイしたことのあるミュージシャンだって、一緒に仕事をしたことのある人だって、関係を持ったことのある人だって同じことさ。僕の中には、他人は自分の中を通りすぎて行く存在に過ぎないという思いがどこかにあるのかもしれない。勿論、その中には僕を救済してくれる人も、僕のイマジネーションをかきたててくれる人もいる。2度と会わない人もいる。「ピープル·ムーヴ·オン」というのは、人が自分の中を流れていく、まるで旅するように来ては去っていくシチュエーションをイメージさせるフレーズだと思うよ。このレコードも、そんな旅のようなものなんだ。色々な人や、色々な経験がこのレコードを通り抜けていくのさ」
●なるほど。で、このアルバム全編には「許し」が漂っていると思うんですよ。あなた自身、このアルバムを作ることで、憎しみや怒りという感情から解放されて、とっても清々しい気分になったんじゃないですか?
「いや、どうだろ……最初から『許し』があったというよりも、先に『評価/判定』があって、その結果から君はそう感じたんじゃないかな。勿論、ネガティヴな評価の場合もあるよ。で、そういう人間関係を自分の経験則として蓄積することが出来るんだ。そういうことだと思う。そう、それと『ビーブル·ムーヴ·オン』というタイトルには、もう一つ別の意味があるんだ。それは、『頼むぜ!動いていこうよ!』ってことなんだ(笑)。『進んでいこう、イマジネーションを最大限に使って、音楽に関する知識をうんと生かして、動いていこう、進んでいこう!』ってことなんだ。まあ、つまりは、レコードを作ろう、ってことなんだけど(笑)。スピリチュアライズドやレディオヘッドといったバンドは、それを本当に上手にやってのけたと思うよ。彼らはこの国の音楽的な財産にきちんと敬意を払いながら、全く同じことをやるということに、プレッシャーを感じてる。違和感を感じてるんだ。『お、これいいね!頂戴しよう』って上手く過去の音楽スタイルを取り入れながら、最新型のオリジナルを創り出しちゃうんだからね!すごく革新的だよ。こういうのを、アート·ワークって言うんだと思う。いろんな人から影響を受けて、それで今度は自分達がリスナーやオーディエンスに影響を与えてる。動き続けているのさ」
●うんうん。じゃあ、あと少しだけ。“ユー·ライト·ザ·ファイア"の穏やかなムードというのは、あなたの家庭のムードそのものの反映なんでしょうか?
「いや、というよりは、これは今現在の僕自身の状態についての曲なんだ。父が死んでから数年の間、僕は兄弟達と全然連絡を取り合っていなかった。でも、ちょうどアルバムの最後の曲のヴォーカル·トラックを録っていた時なんだけど、兄弟が僕をスタジオに訪ねて来てくれてさ。なんだかすっかり歳とっちゃったみたいに見えたけど、もうとても嬉しくてさ。つまり、レコーディングが一区切りついたところで兄弟が激励に来てくれたんだよ。その時っていうのが、すごく暖かな気分だったんだ。その後も、僕にも子供が出来て、兄弟にも子供が出来て、母が孫を見に来てくれて、良い時期が続いてる。すごく暖かくて、素敵な、ポジティヴな時間が続いていることを歌っているのさ」
●うんうん。でね、ちょっと気になったのは、このアルバムを聴く限り、あなたってちょっとジェラシーが強すぎる男性なんじゃないかな?って。
「ジェラシー?いや、僕としてはそんなことないと思うけどな。良く分からないな、その質問は」
●OK。じゃあ、ここ数年のあなたの活動を見て、最もやきもきしていたのは、あなたのワイフなんじゃないかと思ったんだけどーー。
「え、どういうこと?彼女が僕の音楽活動を気に入ってなかったってこと? それとも、全然働いてないことを怒ってたかってこと?」
●違う違う!だって、ここ数年、音楽活動の面であなたは色々と紆余曲折してたじゃない?
「ああ、分かった。そういうことか。うん、僕の奥さんはね、すっごく素敵な女性なんだよ。アハハハ。いやいや、とにかく、音楽のことに限らず、色々心配はかけてると思うな。僕は結構肝心なことを言わなかったりするもんだから、彼女はそれをどうにか理解して、問題を解決しようと努力してくれてるんだ」
●じゃあ、“ユー·ジャスト·ノウ”は、彼女との関係の中から生まれた曲なんでしょうか?
「そう、僕は彼女のことを何でも知りたがるからね、まるで子供みたいに(笑)。というより、彼女が僕を理解してるのかどうかを知りたがってしまうんだ。ほら、子供って何でも根掘り葉掘り訊きたがるだろ?『どうしてそんなこと知ってんの?それってどういうこと』ってさ。小さい時には誰でも、『なんで今夜サンタクロースが来るなんて判るのさ?』って両親につっこんで、困らせたりするじゃない。もちろん親はそれには答えられないんだけどね(笑)」
●でも、それって、あなたがジェラシーの強い人だってことも関係してるんじゃない?
「ああ。なるほど。それは良い見解だね(笑)。そうか。そうなのかも。ハハハ」
3 notes · View notes
morserbremen2023 · 8 months
Text
Morser 来日直前インタビューその3
Q 俺はドイツのバンドって基本的にメタルの要素とハードコアの要素が混ざってるというか、メタリックハードコアと呼ばれてるバンドが多いように思うし、また、そのプロダクションですごく才能があると思うんだけど?
A いやーわかんねーな。そうかな? 環境次第じゃないの?
Q おいおいマジかw 80年代以降、ほとんどのドイツのバンドがメタルに影響を受けていると記憶しています。純粋なDischarge/Disorderタイプのものよりも。SODOMやKREATORみたいなパイオニアもいるし、ドイツのバンドはこれら2つの要素をうまく組み合わせていると思うのよ? Heaven Shall Burnとかもビッグネームじゃん。でMörserも同じように感じるんだけど。
A いや、それは偏見じゃないの?そんなことないと思うけどな。
youtube
Q いや偏見じゃなくて文化ってその地域や歴史の影響を受けると思ってる。
例えばアメリカはヨーロッパのような歴史の蓄積が薄いからクラシックではなくカントリーミュージック/R&Bが共通の好みとしてベースになる、ストーナー/ブギー的な音も好まれやすい。一方でヨーロッパはクラシックや教会音楽に慣れた民族という印象を持ってるよ。宗教の布教や王政の元に芸術が磨かれてきたからね。例えばイングウェイはアメリカからは出てこないでしょ。音楽だけじゃなくて食の好みや美意識などにも違いって出るじゃない。同じように旋律の好みもお国柄が出ると思う。AGEなんかABYSSとか聞くとドイツらしいメロディっていうのがわかったりするし、同じようにこれイタリアっぽいなとか、そういうのも感じるね。
A うーん。じゃあ日本だとどんなことがあるの?
Q日本について言われるのは表拍、ダウンビートでリズムを取るというよね。西洋では裏拍、アップビートでリズムを取って。だから海外のアーティストで誰だかが日本人に手拍子させたら表拍で入れるもんでやりづらくてキレたとか聞いたことある。
これは多分日本の祭り事などで使われる音楽や、日本人の重心位置なども関係していると思う。
A 重心?
Tumblr media
Q 西洋人の体重の中心は足の球にあり、ほとんどのアジア人はかかとにある。だから西洋人はアジア人のようにスクワットできない
A うわ、マジだ。俺は一応アジアンスクワット出来るけどすげー苦しい。
あとAGEでいえば俺はボーカルのHaukeとバンドやってるよ。先月新作を出した。
Q Misanthropeね。
A 彼はハノーファーの先のwolfsburgという街からブレーメンにやってきて、テレビの仕事してる。彼がスーツを着て政治の話でゲストと討論してるのを見るのは面白いよ。
Q 俺は文化人類学的な考察が好きで、こうした差異を知ったり考えたりするのが好きなんだよね。優劣じゃないんだ。これは違いなんだ。そして違いを把握することはとても面白いんだ。
まぁいいや。君たちの新しいアルバムについて話そう。コロナの災厄の最中に、新しいアルバムThank You For Leavingが録音されたことになるよね。
A そう、前のアルバムから5,6年かかったね。でも俺たちはアルバム録るぞと頑張って曲つくりに励む感じではないんだよね。マイペースに曲を作り、貯まったらアルバムにする。そんな感じ。俺たちは毎週月曜日に集まってリハーサルをする。それを25年続けてるんだよ。
Q パーマネントにリハーサルルームを借りてるんだよね。日本ではバンド練習は時間貸しで、沢山のバンドがそのスタジオルームを工面しあうんだ。じゃあ曲はコンスタントにできあがる?
Tumblr media
A うん、基本的にこっちのスタジオは長期契約で、月払いで家賃を払ってる。だから楽器はその部屋の中に置きっぱなしだしいつでも練習はできる。
基本的にはスヴェンがアイディアを持ってきて色々試しながら作っていく。(注、2人のギター共にスヴェンという名前なのでややこしい)
S 結成したから、私たちはたくさんの曲を作ってきました。たくさんのアイディアがリハーサルルームで交わされます。最初のレコードTwo hours to doomの時からこのやり方は変わってないです。でも今は同時に集まることも難しいのでDAWソフトウェアを活用しています。今は1stアルバムのように曲つくりするのが難しくなってる。曲を作成するプロセスは時間とともに変わりました。リフは家で書かれ、リハーサルルームで実装されます。オケを作って共有してます。もちろん、ある種の即興性が失われますが、より練られた曲作りに置き換えられます。 Thank you for leavingは曲作りの面で最高のやりかたでした。なかなか会えなかったり、度重なる構成の変更でも、高い攻撃性を持った曲でいるようにできましたから。
Q 前のアルバムと比べて抑圧的、陰鬱な印象があるんだよね。
A そういう側面はあるかも、コロナで不安な時に作った曲もあるし、またコロナで近親者が亡くなったりもしたしね。タイトル曲に関して言えば、ボーカルの1人であるデニーのお父さんが認知症になってしまったことを扱ってる。 でも基本的にはマイペースに録音していってるよ。
 レコーディングは studio-rというところで、ブレーメンのアンダーグラウンドシーンではお馴染みのところ。
S Mörserの実際の音楽的影響を挙げることはできません。私たちは長い間をかけて独自のスタイルを作り上げてきたと思います。もちろん、私が聞いていたバンドは常にあります。例えばCarcassとかね。(Heartworkはおそらく90年代の最高のメタルアルバム)、しかし、自分のスタイルを失うことなく、想定される影響に抗うことを試みなければなりません。
A 俺はBOLT THROWERが大好きでBOLT THROWERのカバーバンドもやってるんだけど、おそらくエクストリームミュージックしか聞かないのは俺だけじゃないかな。他のメンバーは色んなスタイルの音楽を聴いてるはずだ。もちろんCARCASSも大好きだし、あ、そういえば先日Convergeを見てきたんだけど、うーん、もういいかなぁ。最近の聞いた?
Q いや
A 殺気立ったパートは大好きなんだけど、なんでイヤーアーみたいな歌い上げパート入るんだろw あれが邪魔! 殺傷力でぶっちぎってくれよ!音で殺してくれ!
Q あーわかるw でももうあの高みは無理なんじゃないのかな。年齢的にも探求を続けるにしても。
Tumblr media
A 俺のConvergeベストソングはColor Me Blood Redだ
Q 俺はThe Saddest Day! あの時期の無敵感やばいよね
A まぁ自分たちに戻すと、ずっと友達で毎週集まって新しいものを作っていく作業が楽しいだけなんだよね。もうこれを30年近く続けてる。で、楽しいショーをやってパーティするんだ。
あ、そういえば先週ドイツの東の方でライブやって来たんだけど、なんか感じ悪くてなー。
ドイツの東の方はさ、旧共産圏だろ、いまだに格差があるんだよ。人々の感じもちょっと素直じゃないというかちょっと変なテンションがある。演奏は悪くなかったと思うんだけど妬みというか喧嘩吹っ掛けたい感じがあった。日本に来る前の最後のショーだったので気分よく終えたかったんだけど。
Q まだそんな影響が残ってるんだね。じゃあ最後に直前メッセージを。
A 親愛なる日本の皆さん、Mörserで日本に行くことが出来て本当にうれしいです。サポートしてくれる皆さんも、今までに知り合った素敵な人たちにも感謝します。日本のアンダーグラウンドミュージシャンは年をとっても相互に深く連携しているのがすごい印象的なんです。
私たちはエクストリームミュージックが好きで、それが縁で会うことができます。ぜひ楽しみましょう。日本の行くために特別なカバー曲も用意しました。みんなで楽しみましょう!新たな友情が出来ることを願って。じゃあ間もなく会いましょう!
youtube
youtube
2 notes · View notes
myonbl · 11 months
Text
2023年6月13日(火)
Tumblr media
私の通勤ルート、京都市下京区の自宅を車で出て、名神高速道路京都南ICから下り線、茨木ICを過ぎて次の吹田ICで下りて職場へ、通常は50分程度で到着する。ところが、今朝は茨木ICを過ぎてすぐに<吹田IC渋滞1km>との表示。この程度は問題なかろうと思いきや、事故発生直後らしく渋滞は酷くなるばかり、結局普段より60分遅れで職場に到着した。100円余計に支払ってまでも吹田ICで下りるのは流れがスムーズであること、それがこんな渋滞に巻き込まれては元も子もない。明日からは、100円節約ルートで茨木ICで下りることにしよう。たかが100円されど100円ということであろうか、とほほ・・・。
Tumblr media
5時起床。
Tumblr media
朝食、洗濯、弁当*3。
可燃ゴミ、30L*1&45L*1。
O姉からメッセージ、事情があって電車で向かうと。
ツレアイは7時20分に自転車で出勤、午前中に2箇所を訪問する。
私は1人で出勤、事故渋滞のために約1時間遅延する。
換気・体操・お茶。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ>の課題、提出物を印刷してチェック、いかんなぁ・・・。
O姉が電車で到着、少しお茶を飲んで2限の<ジェンダー・ダイバーシティ論>の講義へ向かう。
すぐにドアにノックの音、夜勤明けの妙齢女子がたずねてきてくれた。前回は事前にLineで連絡があったが、今回はアポなし突撃訪問、驚いたが元気な顔を見せてくれるのは何より嬉しい。2限を終えたO姉が戻るのを待ってあれやこれや、女子2名の会話に取り残された私は弁当もそこそこに、早々に3限の教室へと向かう。
火曜日3限・4限は<スタディスキルズ(看護学科)>、10週目の今回からはグループワークに取り組んでいただく。先週ま���の<論文型レポート>作成のスキルを活かしてのグループワーク、SDG'sの<ジェンダー平等を実現しよう>をテーマに設定し、そこから身近なトピックを絞り出して、発表用のデータを蓄積/共用するトレーニングだ。予想以上に活発なディスカッションが展開され、担当者としては嬉しい驚き。次週の作業が楽しみだ。
終了後、お茶を入れて一息ついてからの退出。
いつも通り、O姉を九条大宮で降ろし、私が帰宅したのが17時30分頃。
すでにツレアイも帰宅、夕飯準備を始めてくれていた。
Tumblr media
野菜も蛋白質もあまり気味、手抜き料理でご容赦をお願いする次第である。
片付け、入浴、体重/血圧測定。体重は変化無し(あかんがな!)、血圧は安定傾向が嬉しい。
Tumblr media
なんとか3つのリング完成、水分は1,540ml。
5 notes · View notes
mokuhatsuka · 2 years
Photo
Tumblr media
蓄音機の日
48 notes · View notes
hiroshi-shimizu · 11 months
Text
時間と感覚について考える/試みの場 第一回
寝転がってCDを聴く会 について、、
前略
時間のことをずっと考えています。
ーー 中略 ーー
先日気持ちのいいスペースを見つけました。初めて行った時、ある人がそこにある音響機材でシガーロスのCDをかけました。その場所は靴を脱いで上がる場所なのでごろんと寝転んでいたら吊りスピーカーから流れてくる音に普段と違った心地良い感覚を覚えました。今度は自分で選んだCDを持ってきてここでまた寝転んで聴いてみたいと思いました。そしてどうせならその体験を他の人と共有してそれを元にして時間や感覚について対話したらどうだろうと考えました。そこで寝転がってCDを聴く会 を開催することにしました。施設常設の再生機器と天井に吊られたスピーカーを使用しますので別段いい音響システムで聴くというわけではありませんがそれぞれの日常の中で聴くのとは違った体験にはなると思います。ポイントは日常から離れて、密集せずにいられるスペースで、何かを し“ながら”ではなく 空間 と 音 を味わうということでしょうか、、もちろん眠ってしまっても良いです。今回は自��がセレクトしたリストから当日1枚を選んでそのアルバムを最後までしっかり聴こうと思っています。この日はアンビエント・ドローン・自然音・音響・現代音楽・民族音楽 の範囲から考えています。聴き終わってからシェアリングと情報交換をします。時間と音と空間、感覚などについて対話ができたらと思います。
※今後は参加者方の推しCDやMIX、カセット、レコード、蓄音機などを聴く会もできたらと思っています。
ご興味ある方はメッセージをください。 [email protected]
--------- 寝転がってCDを聴く会 vol.1
・時間   開始10:00~12:00 (9:45~入室可) ・日程   2023年 6月4日(日) ・参加費  1500円(会場費含) 定員5名くらい ・場所  参加予約された方に直接お伝えします。 最寄駅小田急線  代々木八幡・メトロ代々木公園駅
---------
寝転がってCDを聴く会 vol.2 ・時間   開始10:00~12:00 (9:45~入室可) ・日程   2023年 6月6日(火) ・参加費  1500円(会場費含) 定員5名くらい ・場所  参加予約された方に直接お伝えします。   最寄駅小田急線  代々木八幡・メトロ代々木公園駅
3 notes · View notes
ari0921 · 1 year
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)3月16日(木曜日)
    通巻第7669号 
 米司法省、亡命希望の中国人・郭文貴を金融詐欺で逮捕
   共犯の余建明と10億ドルの金融詐欺、マネーロンダリング
************************
 中国共産党高官の汚職、不正蓄財、醜聞などをNYの自宅からユーチューブ等で次々と暴露し、一時はトランプの右腕だったスティーブ・バノンとも組むなど世界の有名人となった郭文貴。
 3月15日、米司法省は、11の金融詐欺容疑で郭文貴を逮捕し、係争中の豪華ヨットをさし抑えた。被害総額は10億ドルになるという。
 2014年に郭文貴はアメリカへ移住し、政治保護を求めて亡命を申請していた。
 ちょうど「習近平独裁1・0」が開幕した時期と重なり、高官等の腐敗を暴いたが、NYでは豪華コンドを購入し防弾ガラスに換えた等と主張していた。
 この時期、権力の交替とともに中国国内でも江沢民派の高官たちが片っ端から逮捕され、郭の相棒とされた肖建華が「行方不明」になり、さらには胡錦濤の大番頭だった令計画が失脚、実弟の令完成は機密書類をもって米国へ亡命した。
 令計画は2016年に無期懲役が確定、肖建華は香港から拉致されて数年間行方不明だった。22年に突如裁判が開かれ、懲役13年と発表された。
ウォール・ストリート・ジャーナルのこれまでの報道では、FBIと米国証券取引委員会(SEC)ならびに司法省が、関係企業を詐欺の疑いで捜査していた。
 ネットの金融詐欺、マネーロンダリングなど11の犯罪容疑を固め逮捕に踏み切った。相棒の余建明(音訳)も同時に逮捕された。
3 notes · View notes
the-earth-2016 · 1 year
Text
ギターを買った話
きり 2023/04/25
そのままの話です。
2週間前にギターを注文して、日曜日に取りに行ってきました。楽器の種類には全く詳しくなく、特にアコギのメーカーなんてヤマハとヤイリ(駅メロの歌詞にあるから)くらいしか知らなかった私ですが、ここ3ヶ月くらい楽器屋さんを回ったりネットで調べたり、最近会ったsessionの人達に意見を求めたりして、最終的にはネットで見つけたVINCENTというK.Yairiから独立した方がやっているブランドのギターを買いました。岐阜の工房で作られているギターであまり楽器屋さんには置いてないのだけど、たまたま4月の初めに横浜で展示会があって、実際に弾ける機会があって。しかも、一番弾きやすくて抱えやすく、音も良く、ピンと来たギターがこの4月に新発売のモデルで、最初の6本。運命を感じてしまった。うずくり加工がポイント。白いピックガードに一目惚れしてしまったのよ。(実物は柔らかいベージュのような色でした、それもまたよき)
Tumblr media Tumblr media
畳の部屋にて。
ご存知の通りギターは全く弾けないので、父の古いエレキで3ヶ月ほど少しずつ練習をしていました。そもそもなぜギターを始めようと思ったのかというと、ある日の帰り道、バスの中で音楽を聴いていて、ふと「ギターが弾けたらなあ」と思った私。普段ならタラレバで終わるところ、この時だけは頭の中で「弾けるんじゃない?」という答えが返ってきたのです。
3年くらい前からウクレレを弾いているのですが、その時は「コードを押さえるなんて絶対無理だけど、弦がベースと同じ4本ならなんとかなるんじゃないか」という考えで始めました。これが良かったのか、4本の弦でコードを押さえる動きが蓄��されて、初めてエレキでコードを押さえてみたら「意外といけそうな気がする」という感じで。もちろんちゃんと押さえられないから綺麗な音は出ないし、Fとかのバレーコードは無理だったけれど、ギターとウクレレで「指の押さえ方」は同じということに気づいたのでした。つまり、弦の数は増えるけれど、指の数は親指を除いて4本しか無いのは一緒なので、主なコードの手の形は同じ。なんとかなる、そんな予感がしました。
私はギターの音が好きで、ずっと誰かに隣でアルペジオを弾いていて欲しいとか意味のわからないことを考えたりしたこともありましたが(笑)軽音部に四年もいたのに、なぜか弾いてみようと思ったことは無くて。ウクレレは軽くて音も小さくて、家で弾くにも持ち運ぶにも最高の楽器だけど、やや物足りなさを感じることが増えてきたこの頃。最近、aztec cameraのHigh Land,Hard Rainを聴いてアコースティックのギターポップにハマったのもあり、やっと「自分で弾けば良いんじゃん」と気づいたのが今というわけですね。初心者にしてはお高めの楽器を買ってしまった気恥ずかしさと、25歳から始めてどこまで弾けるようになるのか分からない不安もあるけれど、工房の方に「このギターは50年弾けますから」と言われたので、50年かけてゆっくりと弾けるようになっていければ良いかなと思っています。今は自分の手でアコギの音が鳴らせるのが嬉しくてたまらないよ〜!色んな弾き方が出来るようになれば良いなあ。
有難いことに私の周りにはギター経験者の先輩がたくさんいるので、色々教えて下さい。お願いします。あ、もちろんベースもバリバリ弾いていきます!
人生、先は長し。
追記:ギターを家にお迎えした日から50年後の2073年4月23日、スピッツの「僕のギター」を弾き語ることを今決めました。その時は満を持して「長い月日を一緒に〜」って歌います。
2 notes · View notes
kennak · 8 months
Quote
「エウレーカ(わかったぞ)」――ラボのノートに,エジソンはそう書き付けた.エジソンは,必要としていたモノを,ついに最新の実験から手に入れたのだ.すでに蓄音機の発明家として世界に名を知らしめていた「メンロパークの魔術師」は,それまででもっとも野心的にちがいない実験をすすめている真っ最中だった.その実験とは,経済的な屋内向け電気照明システムの開発だ.当然ながら,使い物になる電球こそ,そのプロセスの成否を分ける最初の一歩だった.
エリック・ギリアム「トーマス・エジソン――システム構築と改善の人」(2023年5月23日) – 経済学101
2 notes · View notes