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#理想の老後
moderndays · 1 year
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普段は漫画は読みませんが、これはホントにお薦め。
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leomacgivena · 2 months
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老人ホームで暮らす高齢者の中には、世代だからという理由で演歌ばかり聞かされて嫌気がさしているひともいる。本当はフォークやグループサウンズが聞きたいと。数十年後に「懐かしいでしょ?」と言われながらEXILEやジャニーズやAKBばかりを流され、歌わされる自分の姿を想像してツラくなった。
しろたぬ☘歯科医師(お豆腐メンタル)さんはTwitterを使っています
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hitujijp · 5 months
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ちゃんとサボってますか?
もう若くなくなった時、スタミナが無くなったからって無理に走り込みなどはしない方が良い。余計に関節にダメージが蓄積するだけだ。 練習に関しても同じ、練習時間は減らして一向に構わない。スタミナが減ると、必然的に練習時間は減るので尚良い。それが自然。むしろ練習時間より、頻度の方を重視した方が好ましい。 プロでもある程度年齢がいくと、試合形式やスパーリングを避ける練習方針が存在する。その効果はある程度実証されていて、余計な負担が体に蓄積しない為に選手生命が長く、引退後も体の不調が少なくなる傾向が有る。 そもそも運動はやり過ぎると身体の酸化を催し、活性酸素の悪影響を強めかねない。頑張らなくてよろしい、全力は出さなくてよろしい。年齢相応にいかにサボり、いかに楽に動けるかを老獪に追求するべきだとオレは考えている。 しかし、それは運動に慣れていないと案外難しい所作でもある。運動センスが乏しい人ほど、何も考えずにとにかくやる、という感じになってしまい、気が付けば頑張る、全力でやる身体負荷の高い運動になりがちだ。 実はサボるという所作は、巷で連想されるより高度な技術の結晶で、実際本当にサボっていて成り立つ訳では無い。試行錯誤と経験によって築かれた高効率出力装置、それが「サボる」の真の名前である。
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moment-japan · 3 months
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米国映画「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」(1940)
原作:John Ernst Steinbeck
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
出演:ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン、他 
僕の中で、死ぬまでに一度は見なくてはいけない映画の1本であったアメリカ文学を代表する作品「The Grapes of Wrath」。
自然の猛威と不条理な資本主義に対する直接的な告発作品ともいえるこの映画を正月に、BSの放送大学で放送大学の教授による詳細な解説と共に放送されることを知って早速テレビの前に・・。
1930年代末、アメリカ中西部を襲った干ばつをきっかけに、農業の機械化を進める資本家と貧困小作農民との軋轢を描いた映画。
主人公トム・ジョードとその家族のオクラホマにある農場はダストボール(砂嵐)によって耕作不能に。
彼らは、家財すべてを売り払いそのお金で買った古い中古車に乗り込み、移住先のカリフォルニアを目しルート66を辿る旅に出るが、年老いて病気がちな祖父や祖母はアリゾナ砂漠やロッキー山脈越えに耐えることができず命を落とし、従妹もあまりの過酷さに途中逃亡。
苦難の末、辿り着いた楽園カリフォルニアは大恐慌と機械化農業のために土地を失って職を求める多くのオクラホマ農民で溢れかえり、夢も希望も大きく打ち砕かれる・・。
彼ら移住者は、地元民から蔑まれながら貧民キャンプを転々とし、地主の言い値の超低賃金で、日雇い労働をするほかなかった。
やがて彼ら小作農民の不満と怒りは頂点に達し、一つの大事件が起こる・・。
最後の最後まで息子のことを想うママ・ジョードが泣けるし、最後にママ・ジョードが呟く「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」という新約聖書の言葉に胸が詰まる。
豊饒な「約束の地」であるカリフォルニアを目指すところは、旧約聖書のエクソダス「出エジプト記」をモチーフに、タイトルの「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」は、ヨハネの黙示録の題材からとられたもので、神の怒りによって踏み潰される葡萄(人間)のことと解釈されています。
原作者のジョン・スタインベックはこの小説で1940年にピューリッツァー賞を受賞し、「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」の総発売数は全世界で約1500万冊に。
この映画はアカデミー賞の監督賞、助演女優賞(ジェーン・ダーウェル)を受賞。
彼は、1962年にノーベル文学賞も受賞しましたが、受賞理由も本作の作品が決め手になったそうです。
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kozy-ogawa · 3 months
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2024.01.22 59歳の誕生日を迎えました。
父親が46歳、母親が59歳で亡くなっているため、いよいよ親よりも長生きすることになります。
59歳の誕生日には、日本年金機構より、ねんきん定期便が届きます。マイナポータルからねんきんネットで、年金の納付状況と予定支給金額は分かっているので、これと言って真新しいことは何もないのですが、こうして通知を受けると、嫌でも老後の生活を考えなくてはなりません。
現在は3つの財布を持っています。つまり
1.給与所得=介護福祉士として近所の特別養護老人ホームからの給料
2.事業所得=不動産オーナーとしての賃貸収入
3.金融所得=株式とREITによる資産運営
最近は老後のお金に関していろいろ勉強していますが、自分なりの考えは
65歳以上単身世帯の場合、年金収入のみ年間所得155万円以下の住民税非課税世帯にして、金融��産を取り崩して生活していくのが最もお得
という結論に至りました。
まぁ来月確定申告のため担当税理士に会うので、確認はしてみますが…
そのため今後は
1.新NISA1800万円
今月からeMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)通称オルカンで毎月30万円ずつ積立投資し、65歳までに1800万円の枠を埋める。
2.不動産の売却
5年以内に賃貸店舗物件の不動産を売却して現金化する。
3.年金の調整
自分が大学生の頃はまだ、20歳以上の年金納付が義務化されていなかったため、大学生の間は年金未納期間となっています。そこで60歳以降、仕事を続けて厚生年金を支払い続けるのか、国民年金の任意加入で納付するのかを考えなければなりません。
いわゆる年金の壁と言われる年間所得155万円以下に抑えるには月額13万円を超えてはいけないので、そこを調整しなければなりません。
自分は2050年で85歳になります。介護福祉士をやっているので、認知症高齢者になった自分の姿も容易に想像がつきます。認知症になる前に自宅不動産も売却しなくてはいけないので、それが一番心配です。
これからの日本は急激に人口減少を迎え、社会保障はもちろん様々な社会インフラも維持できなくなるでしょう。2050年頃、看取りを迎える、自分のようなバブル世代は一番幸せな世代なのではないでしょうか。
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elle-p · 30 days
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Persona 3 Club Book Strega pages scan and transcription.
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ストレガ
Strega
主人公たち特別課外活動部の行く手に現れる謎の3人組。同じペルソナ使い ながらあくまで敵対する彼らもまた、彼ら自身の信念でその限られた力を振るっている。
復讐代行屋 Strega
港区全域
自らをストレガと名乗る3人組の表向きの顔は、「復讐依頼サイト」に書き込みされた内容を受けて、自ら手を下せない依頼人の代わりに復讐を果たすことだ。人知れず所持する武器を手に、彼らは裏社会を渡り歩いている。
3人はいずれもかつて幾月が、ペルソナ能力者開発のためにグループ内部にすら秘密裏に進めてきた研究の被験者だ。非合法の人体実験で多くの子どもたちが命を落とすなか、幸運にも生き永らえて能力を開花させたものの、悲惨な実態を目の当たりにして研究所から逃亡し、身を寄せ合って生きてきた。
ペルソナ能力の発現と引き換えに心身に過剰の負担を負う彼らは、制御剤の力を以ってすら長くは生きられない。生命としてのルールを逸脱した運命に魅入られ、彼らは刹那的な衝動にのみ突き動かされて生きている。
たった3人だけで影時間に生きてきた彼ら。宵も享楽を求めて夜の街を笑う。
タカヤ Takaya
凶行の担い手
ストレガの実質的リーダー。3人の中では推定年齢が一番高く、研究所から逃亡した当初から指導的立場に立っている。刹那的・虚無的な思考が強く、自分にも他者にもあらゆる物事への執着の愚かさを説く。復讐代行屋として銃の引き金を引くときも、自分の享楽はもちろんだが、相手の生にしがみつく無様な姿を浄化してやろうという思いがあるようだ。
かつて同列の研究対象であったタルタロスは、忌まわしい邪悪なものではなく、甘美な悪夢をもたらす近しいものだと考えており、ペルソナ使いの存在はもまた、タルタロスあってのものだとしている。そのため真意を知らずタルタロス破壊を目指す主人公たちの存在は、愚かな人間がシャドウの恐怖に怯えることへの嘲笑も込めて、抹殺すべきものだと捉えている。
主人公たちの働きではからずも滅びそのものである二ュクスの復活が秒読み段階に入ると、自ら二ュクスの代弁者を名乗り、滅びと破壊の思想で扇動する。
タカヤの救世主思想
• あなたが自覚している悪意と、相手が感じている悪意とは無関係⋯ 人はみな、聞きたいように聞き、信じたい事だけ信じるものです。(6月22日影時間・裏通り)
• 聞けば、人々を守るための、“善なる戦い” だとか。ですが⋯ 今夜はそれをやめて頂きに来ました。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 時の限られたこの体⋯力を失ってまで生き永らえるなど無意味⋯ ならば、 私の生きた証⋯ この地に立てるのみ!(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• 分かっていますね⋯? 君には “居場所” など無い⋯ 私たちと来る以外にはね。君もよく知っている筈だ⋯ 怖いのは死ぬ事なんかじゃない。(11月21日深夜・辰巳記念病院)
• フ⋯亡霊などではありませんよ⋯ 生に “執着” などしなかった我々を、運命はそれでも “生かした”⋯ 私は “選ばれた” のです。(11月22日影時間・タルタロス)
自分たちの思想こそが浄化された世界を作ると信じるストレガのリーダー。痩せこけた体に長い髪、色素の薄い瞳という憂世離れした姿。
欲深き自称メシア
ほぼ同年代のはずのストレガですがタカヤは見るからに老け顔。不精ヒゲを剃って髪を切ったらかっこいいのに。
ジン Jin
知性派の爆弾魔
タカヤの右腕を務める少年。自作の爆弾を持ち歩き、武器として使用している。
社会から隔絶された自分たちだけのコミュニティの中で生きているストレガは、物資の調達の大半を影時間を利用した略奪行為によってまかなっているが、その指揮を担うのがブレーンであるジン。特別課外活動部を脱退してからの荒垣に接触し、ペルソナ能力抑制のための制御剤を提供することになったのも、ジンの情報収集能力あってのことである。またネットでは同名のハンドルネームで知られており、その知名度と情報操作のノウハウが、ニュクス教を一気に広げることを可能にした。
つねにともに生きてきたタカヤを崇拝しているが、それゆえに狂気の思想に囚われる彼を、命を捨てていさめようとする。
物議を醸す髪の構造がよくわかる右からの一枚。身につけているものひとつひとつにもこだわりが感じられます。
ストレガ一家を支える苦労人な屋台骨
実際的な生活能力の欠如したストレガを支える一番の常識人。資金調達から食事の世話まですべてを担う関西弁のミリタリーマニア。
ジンの毎晩大変なんだから
• お前を恨んどるヤツがおんねや。でもって、“復讐” を頼まれとる。(6月22日影時間・裏通り)
• お前らには “個人” の目的しかあらへん。どいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義は、それを正当化する為のただの “言い訳” や。そんなんは “善” や ない⋯ ただの “偽善” や。そんなもんに邪魔されとうない。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 破れかぶれは、あかん! ⋯すんません。でもこれは⋯ あなたが言うてくれた言葉です。(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• やめときや、タカヤ⋯ アンタには先がある! ここで無理したって⋯意味 あらへん! (11月22日影時間・タルタロス)
チドリ Chidori
手斧の魔女
白いドレスに身を包んだ、虚ろな表情の少女。ストレガのひとりとしてタカヤやジンと行動を共にし、ぺルソナ能力のひとつである索敵能力でふたりのサポートを行なうが、ふたりとともに戦いの場で力を振るうことは少ない。
感情表現に乏しく、とくに喜びや悲しみを表に現すことはほどんどない。それは幾月の下で受けた過酷な人体実験や、逃亡後の寄る辺のない生活によって後天的に身に付けた自衛の手段。また彼女は自身のペルソナを通して、あらゆる生き物に命を分け与えることができるが、これも自分の人生にはすぐ先に死が見えているという揺るぎない事実ゆえ、生きることに対してまったく執着を持たなくなった結果の悲しい力だ。しかしそれでも、ふたりが手を下す殺戮現場に決して目をやろうとしないのは、運命をゆがめて与えられる死への、本能的な嫌悪感を抱いているからかもしれない。
生を放棄した飛べない小鳥
可憐な容姿に似合わず手斧を振るって戦う少女。気の向かない相手とは一切会話せず、自分のペルソナだけを拠りどころに生きている。
冷めた目線はチドリのトレードマーク。豪奢なドレスは彼女の趣味なのか、ジンのお仕着せなのか。
あんたには関係ない私の言葉
• チドリよ。私の名前。順平が訊いたんでしょ? あの絵⋯もうすぐできるから。私の描いたものは、私にしか分からない。でもそんなに見たきゃ⋯来れば? (8月31日昼・ポートアイランド駅前)
• 命より、作戦が大事ってこと? 死ぬ事って、普通の人には一番の恐怖なんでしょ? ⋯ 違うの? (9月5日影時間・巌戸台分寮屋上)
• ⋯言っとくけど、心配してくれなんて、言ってないから。あんたの勝手な早合点でしょ。(9月8日昼・辰巳記念病院)
• なにそれ⋯ なんで、そんな顔してるの? 死ぬなんて怖くないのに⋯ 死なんて、あした目が覚めないってだけ⋯ ただそれだけじゃないの。(9月10日昼・辰巳記念病院)
• そう⋯アイツのせいよ⋯ アイツが近づいて来てから、私、毎日、苦しくて⋯ 死ぬのが⋯怖くなって⋯ (11月21日深夜・辰巳記念病院)
• 順平と一緒に居ると、怖くなかったものが、なんでも怖くなる⋯ 無くすのが怖い⋯ 死ぬのだって怖い⋯ 一緒の時間が終わっちゃうのが⋯怖い⋯ だから、私⋯ (11月22日影時間・タルタロス)
「チドリ補正」の入った超ナイスガイな順平とともに。幸せになって欲しいカップルNo.1。
順平との出会いと「生きること」
敵同士としての立場にありながらも献身的に尽くす順平と出会って、チドリは少しずつ生きることの意味を知る。けれどそれは自分自身の死の認識と同義。ずっと忘れていた死���ことの恐怖におののきながら、それでも彼女は愛する彼に生きて欲しいと願った。
頬を染めたグラマラスなチドリの魅力に、すっかり鼻の下が伸ぎ切った順平がキュート。がんばれヒゲ男くん!
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ak794itomugi · 1 year
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今年も気づいたら年末 いつもの振り返りをぽちぽち書いてたので上げちゃいましょう。
今年も色々ありましたが、1番自分にとってデカかったのはリアルで、転職をして今の職場に着任できた事です。 人や社風や職場の雰囲気が自分に合ってるので、毎日あー仕事やだなーじゃなくて、今日も頑張りますかねーってなれる幸せがようやっと来ました。 金銭とかよりも、まずは精神面での安寧と安定を求めていたので、これはやっぱりすごく大きいです。 とはいえ、このTumblrは一般ブログではなく一介のオタクブログなので、リアルの話は程々に一年の振り返りをしましょう!
今年は去年同様意図的に漫画の量を増やしてます。 去年と違って、というか実は初の試みで、30ページ以上のクソ漫画を作ってます。 今まではエイプリルフール漫画くらいだったのですが、通常でフルギャグが前提のコンセプトの短編ではなく一品でその規模は実は地味に初めてだったりします。 去年は実はかなりクソ漫画を描く事を渋ってたのですが、色々考えた末に解禁してます。 ただSNSだと考えた結果なんですが、検索避け前提になってます。絵文字って便利だね🐓🐎🐢🐏🍰
あとは初の試みとして、あえて作画を崩したり、原作からちょっと違うデザインにしていたりします。 これはクソ漫画を描くにあたり、原作のキャラ=クソ漫画での話という安直な式を作ってもらいたくなくて、試験的に効果があるかを試す為サイレントで決行していた事なのですが、 これはあんまり見る方には効果なさそうだなーとなったので、服装チェンジやアレンジだけ引き継いで、 キャラのパーツに関しては順次来年から原作寄りに戻していこうかなと思います。 既に年末の方で🐓や🏇に関してはお試しで来年版もデザイン出しているので是非ご確認あれ。
それはそれとして、今年色々頑張ったので来年はちょっと休ませて欲しいです。 これ毎年思ってるし毎年休めてないね?つまりはそゆこと
あとは旅行!!とはいえまだコロナはあるので、そこまでガッツリじゃなくて、例大祭の前日に横浜行ったとかですが。 ていうか今年ついにコロナ陽性しょっぴいて大変な目に遭ったんですよね 8月の末ごろに熱でて、幸い熱そのものはすぐ引いたんですが、 結局今月の頭くらいまで咳と鼻水が結構酷かったです。今はやっと咳がほぼほぼ無いって状態にまで回復しています。後遺症こえー 絶対かかんない方がいいです……。
とはいえちょっとずつですが、コロナムーブは明けてきてるし、来年はまずは三重を満喫するぞー!って気持ちです。
作ったものにフォーカスして話をしようとすると、 逆に色々と作品を作ってたのでなんか今年の作品は!とかは言いづらいのですが、 やはり「後ろに幻想」はめちゃくちゃ拘ったので楽しかったです。 (途中ギャグありますが)シリアスな漫画で地味に同人誌で3桁ページってこれも初めてですね。しかも題材やキャラの選抜から考えても想定していたより多くの方に手に取っていただいています。すごーい。 今年の後半の本は在庫も残せたので、来年にもイベントで持っていけます。
それからこの一年作っててと頒布してて感じたのは、東方っていつでも若い子が多いよなって思います。て言うか私も小学生の頃にハマった人間なので、気持ちは何となくわかります。 自分は東方の前に親戚の影響で幻想水滸伝やポップンからこのオタクの道に既に触れていたのですが、東方は自力で見つけて自力でハマった最初のオタクな作品なのもあり、同人誌とかもリアタイでゲットできる環境が委託含めても整いつつあった頃でしたので、中学生くらいの頃ゲットしたものは今でも大切な宝物です。 当時から小説と音楽が大好きなので、分厚い本を見るととてもニヤニヤしていたので、本やCDをゲットする時ってほんとイベントの日や委託開始日が待ち遠しかったのを今でも覚えてます。
そう考えると、もしかしたら今私が待ち遠しいと思われている立場なのかもしれないな、とこの一年イベントで同人誌を頒布してて感じました。 親子の方かな?とか、未成年の方かな?って人たちにも手に取ってもらっていて驚きです。 今までも頒布してた際でも若い方はたくさんいましたが、即売会となると、低くても自分より少し年下くらいの方や普通に年上の方がやはり多かったので、何年も風通しがいいって凄いですね。
私はこれからどんどん老いていきますが、本や物語を作るのが趣味の人間なので、 今とても若い人たちが楽しめる環境やノウハウってのは、老いていく中では、やはり残していきたい気持ちにもなります。 何故かというと自分が楽しめる二次創作の作品がまともな形で増えて欲しいからです。 今までまぁ色々あって内に内に、分かる人が分かれば良いとしてアンダーグラウンドかつクローズドな世界にいる事を望んでいたのですが、 長い目で見たら、ある程度オープンの方が自分にとっても助かることが多いなぁと思わされる一年でもありました。(このあたりの経験則は仕事とか含めてですね……)
老いる事は置いていかれる事でも、若い人と共存する事でもないと思います。ですが、だからといって邪魔するのではなくて、 自分の居場所でできる事をやりつつバトンタッチをするステージになっていく、それが死への道かなと感じています。 死というと悲しい事に見えますが、これは悲しくないようにするためにまさに道があると思うので、ポジティブにとらえるべきだと思っています。 しがみついて居座るのではなく、少しずつ手放しながらもゆっくりと機能停止する感じが理想ですね。急ブレーキは誰だって辛い。 私が絵を手放す事になるのは多分ほぼ最後の方な気がするので、素敵な老人になる事に努めます。
しんみりした話題の後にいうのも何ですが、 東方以外で今年楽しかったと言ったら、ポケモンは楽しんでます。アルセウスもSVもサークルメンバーとめっちゃはしゃいでプレイしてます。 レイドしまくりで全員廃人みたいな構成作っててダメですね、誰だよ厳選と努力値の知識持ち込んで他人に仕込んだ悪い奴は 私やけど……
あと万聖街!!!毎週楽しみにしてます。Blu-ray予約しちゃってるから無敵 プリキュアも来年のが楽しみですね まずは春映画か秋映画か 話はそれからだ……
とまぁ色々と感じることの多い一年でしたが、 来年も普通にのんびりやるつもりです。 2021年は色々あってなんだかなぁという感じが多かったのですが、 今年は結構楽しかったです。来年はもっと楽しい年にしていきたいですね。 ちな、今年はなるべく広範囲という事を務めていましたが、 来年はある程度描くキャラをフォーカスした状��にしようと考えています。 とはいえ、ローテーションでかいてるイラスト系はいつも通りで、 あくまでもwebや紙媒体での漫画でのお話なので、見てる方はあんまり変わりないかもしれないです。 なお百合の中でも恋愛的な方はどうするか……なんですが、そもそも畜生側の方は百合を全く想定した作りになっていない為おいとくとして、 他もちょっとわかんないです。まぁ新作とかでた時に狂うかもしれんので、現時点でって事にしておきましょう。
色々頒布する機会や作るものに関しては来年の予定ほぼ決まっていて、とりあえずまずはそいつらの確実な完成を目指します! 実は既に1つ完成してて、年始に二冊目も着手しだします。 サークル参加手続きも済ませているのがあるのでぼちぼちがんばっていきましょう。 私の病気についてはips細胞を信じましょう!
それではみなさん、良いお年を〜!
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Lao Tzu's best translation annotated by Tamaki Ogawa (Essay)
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I am not ashamed to claim that Lao Tzu is the best book in the universe. This is an essential book for the world of the future. Legend has it that Lao Tzu was Confucius' senior, but it is reasonable to think that he was written much later than Confucius, in the 200s B.C., around the time of Mencius, and was written after knowing various ideas of ancient China. I guess it was. It is the culmination of ancient Chinese thought.
In areas where Chinese characters are cultured, such as Japan, China, and Korea, there is the advantage of being able to read Lao Tzu in its original text. This is something that Westerners cannot do and is a privilege of East Asians. Among them, the translation and annotation of Lao Tzu by the Japanese Chinese scholar Tamaki Ogawa is unrivaled. By the way, Tamaki Ogawa is the younger brother of Hideki Yukawa, a Nobel Prize winner in physics, and Hideki Yukawa was also familiar with Lao Tzu.
Let me point out the excellent points of Tamaki Ogawa's translation and annotations.
1) Accurate and easy-to-understand translation notes.
2) He boldly incorporates the views of Arthur Waley, a British researcher on Lao Tzu that other Japanese translators and annotators ignore, and makes his annotations solid and valid.
3) The explanation about ``proper nouns'' in the notes made me realize the fact that ``Lao Tzu hardly ever uses proper nouns,'' and I learned about Lao Tzu's careful ability to construct sentences. This is a clear departure from the Bible, which overuses proper nouns and tends to cause unnecessary conflicts.
4) The writing gives a sense of Lao Tzu's passionate soul.
For now, I will mention these four points. Tamaki Ogawa is a top-level Lao Tzu commentator.
Rei Morishita
老子最良の訳注者:小川環樹(エッセイ)
私は、「老子」を宇宙最高の書と主張して恥じない者である。これからの世界に必須の書である。老子は、伝説では孔子の先輩にあたるが、実際には孔子よりずっと後の時代、紀元前200年代、孟子の頃に書かれたと考えるのが妥当で、古代中国の諸思想を知ったうえで執筆されたのだろう。古代中国思想の集大成なのだ。
日本、中国、韓国などの漢字文化圏では、「老子」を原文で読めるというメリットがある。これは欧米人には中々出来ないことで、東アジア人の特権である。中でも日本の漢学者:小川環樹による「老子」訳注は、他の追随を許さないものがある。ちなみに小川環樹は、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹の実弟で、湯川秀樹も「老子」に詳しかった。
小川環樹の訳注の優れた点を挙げてみよう。
正確で解りやすい訳注。
日本の他の訳注者が無視しているイギリスの老子研究者:アーサー・ウェイリーの見解を大胆に取り入れ、その訳注を強固で妥当性のあるものにしている。
注にあった「固有名詞」についての解説で、「老子にはほとんど固有名詞が出て来ない」という事実を認識させられ、老子の周到な文章構成能力を知った。固有名詞を乱用し、要らぬ争いの元となりやすい聖書とは一線を画する。
老子の熱いソウルを感じさせる記述になっていること。
とりあえず、この4点を挙げておく。小川環樹は、最上級の「老子」解説者だ。
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uchusenshi123 · 8 months
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こんなになってしまった つまらない人間つまらない大人、それを分かっていて迎合することに命をかける
怒られたくない、嫌われたくない、もう誰ともぶつかりたくないあまりに私は無理やり年老いた
爪の先の魔法は使い果たした メルヘンランドのうさぎたちが身投げする 私がひとつポエムを殺すたび、むこうでは一話の青い鳥が焼き鳥になっているらしい しらんがな しらんがな 知っていたいのに。 壁のぼこぼこひとつひとつに古代文明があるならば カレンダーの四角ひとつひとつが誰かの部屋ならば?...?
揶揄なんて空想の散弾銃で蜂の巣にすればよかった 名前なんて立場なんて社会性なんてパンに塗って食べて消化して排泄して下水道に流せばよかった あの日私がつけた机の傷 削れた木材が今もどこかで私を見ているのかもしれない
ジャガーの目 あの日、私の知る由もないあの日、誰かが吐いた夢想は私の中にきっと宿っている 誰かの血に塗れて新宿の交差点、もう知らなかったことなんて何ひとつなかったね 衣擦れの音 私以外の生命体 出て行け
どこにも行けなくなって新しい魂をいくつもインストールしてデバッグを記録した もうこの体は器でしかないがこうして無意識の垂れ流しは可能である 通り過ぎていったいくつもの魂が後悔を助長する 生きていてよかった
初めての愛は誰もきっと虚しい あなたの 思い出すだけで気が狂うようなその話を 好きなだけ落としてもらえる沼になろう
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ari0921 · 23 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月8日(月曜日)
   通巻第8205号 
  AI(人工知能)と不可知の唯識「阿頼耶識」
   たといAC(人工意識)がうまれようとも。。。。。。。
*************************
 AI(人工知能)革命と言われるが、そのダークサイドが深刻な問題となった。
 AIの進化スピートがあまりにも迅速なため人類社会の構成要素である政治と経済のシステムが追いつけず、意識が置いてきぼりになっている。
 歴史を眺めると失業を代替する新産業が生まれることになっているが、すぐに適用できる人が少ない。
 中高年層は長く携わってきた職業を喪うと次の方向へ転換できる適応力不足のため困難に直面する。スマホで新幹線に乗る若者がいる一方で、銀行ATMを使いこなせない老人がいるように。
 AIは生産性を今後十年で30%ほど押し上げると予想され、90年代の「IT革命」より迅速になる。
 あまつさえ生成AI、チャットGPTが登場し、AI規制論が西側の合意となった。
 「AIが人間の智恵を凌ぐ転換点」がシンギュラリティだが、レイ・カーツワイル(米国の発明家)が言い出した。
 『AIのゴッドファーザー』ことジェフリー・ヒントン教授がこの学説を追認した。それが2045年と想定されてきたが、もっと早まる可能性がある。
 しかもAIがGDPの殆どを稼ぎ出すようになれば人間存在は小さくなる。AI搭載のロボットが人間を支配するという暗黒の未来図が描かれている。それはAIが意識をもつときであり、最近は「人工知能」ではなく「人工意識」が誕生するというのだ。
 グーグルの開発研究者だったブレイク・レモインは「生成AIはすでに意識を宿した」と唱えた。
 したがって兵器に転用されると「原爆を上まわる」と前掲ヒントンが懸念を率直に述べる。『人工意識』が善意の持ち主ならまだしも悪意を先に宿すとなると怖ろしいことになる。
 しかしロボット工学専門の石黒浩・大阪大学大学院教授は「人間は新しい技術が出てくると「仕事を奪われる」と心配しながらちゃんと受容し駆使してきた。より高度な技術を使うためには人類全体が賢くならなければならない。将来、社会で受け入れられ『人間』として認識されるロボットは社会に役立つ」と楽観的である。
 すでに人工意識に挑んでいる日本のベンチャー企業がある。「アラヤ」社は神経科学と情報理論の融合により、脳に意識が生まれる原理、AIに意識を実装する研究と産業界にAIと脳科学の実用化に取りくむ企業だ。
 その企業名のアラヤと聞いて筆者は咄嗟に「阿頼耶識」に由来するなと直観した。
 仏教がいう第六識は霊感、インスピレーション、第七識が未那識、そして不可知とされるのが阿頼耶識である。
 AIがやがて人間の頭脳を代替する時代にいかに備えておくべきか?
              (北國新聞コラム「北風抄」、4月4日付けから再録)
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moderndays · 8 months
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気���いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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petapeta · 10 months
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 獣肉を「けがれたもの」と考える国民に対して、いきなり「やっぱり食べなさい」といってもうまくいくはずがありません。そこで政府は作戦を考えました。飛鳥時代に「肉食禁止」を宣言したのは天皇です。ならば、「肉食解禁」も天皇にお願いしようというのです。かくして明治5年1月24日、宮中にて西洋料理の晩餐会が開かれました。参加したのは後藤象二郎・副島種臣・江藤新平・寺島宗則・井上馨(かおる)ら、肉食を推進する政府関係者たち。この模様が新聞で「日本では昔から肉食が禁止されてきたが、これに正当な根拠は無いとして、天皇自ら肉を食べられた」と報道されたことで、正式に肉食が解禁されたのです。とはいうものの、実は明治天皇は洋食嫌いでした。「肉食は養生のためよりも、外国人との交際に必要だから食べたのである」と大久保利通にグチをこぼしたそうです。「肉食推進作戦」には当然反発も起こりました。解禁から一ヶ月後、御岳行者10名が皇居に乱入し「万民の上に立ち、穀物の稲を祭司し、古代以来肉食を禁止した歴代の天皇をさておいて、外国の勢力に押しながされて獣肉を解禁するなど、とんでもないことである」と訴え出たほか、明治10年(1877)4月の朝野新聞では「大久保利通が無理矢理天皇に洋食を食べさせている」「洋食洋医を宮中から斥けよ」と糾弾する記事が掲載されました。 どうしても食う気になれない  明治天皇も食した肉ですが、それでも庶民には受け入れられませんでした。実際に食べて美味しさを実感すれば、口コミで広がっていきそうなものですが、そうはならない大きな理由がありました。それは「調味料」。西洋の肉料理は「スパイス」や「バター」を使って調理されますが、これがいけませんでした。ちょっと時代を遡りますが、フロイスが、天正13年(1585)にまとめた『日欧文化比較』の中にはこう書いています。 「われわれ(西洋人)は乳製品、チーズ、バター、骨の髄などをよろこぶ。日本人はこれらのものをすべて忌み嫌う。かれらにとってそれは悪臭がひどいのである」  遣外使節団の1人としてフランスに派遣された奉行池田筑後守長発(ながおき)が、船の中で出された洋食に苦悩している様子を、同行した理髪師の青木梅蔵が記録しています。 「パン・牛肉の焼もの様々、ことごと歎息なしたり、パンは別段臭気なけれども何とやら気味悪く、牛はなおさらなり、さればとて二日三日このかた食事とては一切いたさず、空腹もまた堪え難し。(中略)折からこの処へ御奉行様お一人にて、色青ざめ、ひょろひょろと致しお出ありし有り様、さながらこの世の人とも思われず」  NHKの大河ドラマ『八重の桜』にも登場した明治期の物理学者山川健次郎。学生時代、アメリカに留学するために乗った船中で食べた洋食について『山川老先生六十年前外遊の思出』で以下のように回想しました。 「何しろ西洋の食物なんて云うものは食べた事がない。あの変な臭いがするのがまず第一に困って、船に乗っても食わないで居ると、船の医者が飯を食べにゃいかんと勧めて呉れたが、しかしどうしても食う気になれない」
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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おはよ。每日勃起薬でガチガチにして、処理穴。全力でピストン。いかね〜。
追加30で、、、。
每日処理穴2時間ぶちこませたら、一月後。。
ガチガチやばそ、
自分って、、
便器→処理穴→筋トレマシーン→
来月位から、関東。ぐるり旅します。車で連絡くれた人のとこ周るの。
フーデリしながら、地元民に自分をお届け。
お代は精子中田氏で。
誰か一緒に、、。いかねーよ。ってか。
ハイゼット。後部座席、大人3人横になってもあまる広さ。アオカン寒いし暖かいくる真ん中で
勃起薬とリングで半日遊んでくれるなら、、ホテルとる。スポーツの秋だね。。
やべー。もうほしくてたまんね、、根本までくわえて、歯を当てず、耐えれるかな、、太くて硬い。。ケツにハリガタ入れて。。太くてかたいの。。
ケツに欲しい。。ケツから精子垂れるの、お兄さんやみんなに。。
なんであんなにケツにぶち込まれたくて、精子ほしくなんだろ、、硬くて太くて熱くて。。オシッコと精子も。さっさと力づくで、入れさせてあとガン掘りで。。
みたい人画像送るね、、
すげーかっこいい。。自分の使ってもらって、、
感謝しかない
もっと変態になりたい。気持ちよく犯させたい、、
自分が怖がるとか、、入口。。壁がうごいてるみたいな、、かべなんだよ、、
神奈川東京らへんのケツ掘ってくれる方。練習させてください、、失敗したら意識朦朧なるまで殴られて、、とか。。ある意味あれだけど、、
失敗するならワザとだな、、
自分を捨てて、男の人に気持ちよく使わせるから。
男に犯されるんだから、怖いし苦しい。レイプされて気持ちいいわない。。
気持ちよく犯せる便器に。自分と人間辞めて、奴隷として、奉仕する。。
いく瞬間想像すると、、
感謝しかない。。やっぱ、、、男の人といたい。必要としてくれる人。いずれいなくなるのはわかってる。。いまはまだ。
ありがとう。もう少しだけ。。
もう少しだけ自分を色んな人に。
使わせたい。自分も相手も忘れるだろうけど。。
Tumblr media
ミモザ。あと少しでけむくじゃらなるわ
16くらいからだけど、友達より家族より、男でした。別れて、友達んとこ、、、?いえいえ。。セフレつくってました
自分さ。。好きな人の子供生んで
一緒に家族や旦那を守って、
喧嘩や色々あって、
子供が結婚。
定年。
老後は旦那様と一緒に。。
こんな人生。やっぱ憧れだな。。
一緒にいたかったな。。
まっ。頑張ろう。ウーバーイーツたーのも☆
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longgoodbye1992 · 7 months
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Dear M
今から三ヶ月前に同時に仕事や恋人を失った時に支えてくれたのは、Tumblrで知り合ってかれこれ五年話していた愛奈だった。
その愛奈に先日会うことが出来た。
ここに書こうとは思ってなかったけれど、愛奈が望んだので綴っておく。
降りるはずのインターを一つ過ぎて愛奈に連絡した。
アパート近くの変な名前のラーメン屋が待ち合わせ場所だった。
カーナビの到着予定時刻は約束より五分過ぎた時間。
愛奈の顔を見たのは今から五年前くらいか。まだ十代だった。そのイメージだけが頭にあってどんな女性なっているのか見当もつかなかった。
長閑な農道の中にあるセブンイレブンで気を落ち着けるために緑茶を買った。
マウスウォッシュで口をすすぎ、お気に入りのナイルの庭を首筋や足首につけた。
約束の場所に到着してすぐにLINEを送った。すぐに今から向かうと連絡があった。
間もなく道路の向こう側からスラリとした女性が歩いてきた。白いニットに黒のスカート。肩まで伸びた黒い髪。すぐに愛奈とわかった。
運転席に座ったまま、どうしていいかわからなくなった。どんな言葉をかけたらいいのか、どんな表情をしたらいいのか。
とりあえず降りることにして運転席のドアを開けたタイミングで愛奈が助手席のドアを開けてあららとなった。
愛奈と向き合い顔を見た。昔見た写真とは随分と変わり、大人の女性になっている。例えるなら吉高由里子や和久井映見、笑うとYUIや橋本愛に似た雰囲気で和服が似合いそうだという印象を受けた。
この辺りは何を話したのか記憶にないが、地元の名産や実家で作った米、お守りなんかを渡した。そのお土産があまりにも多かったからアパートの近くで待ち合わせていた。
荷物を置きに一度部屋へ戻る愛奈の後ろ姿を見ながら素敵な人になったなとしみじみした。
車で繁華街へ向かう。夜市があってそこに行こうと約束していた。
車内では昨日の飲み会の話を聞いて青春だななんて羨ましくなった。愛奈は大学生だ。
「電話で聞くのと声若干違う」
「確かに」
助手席側の窓から西陽が射し込む。
「いい時間ですね」
「そうだね、着いたらちょうど薄暮でお酒が美味しいんじゃないかな」
緊張していた。助手席に座る愛奈の横顔をほとんど見れなかったのを今では後悔している。それとカーオーディオから流れる曲がたまたまTaylorSwiftの「DearJohn」とかバラードばかりだったのがちょっと恥ずかしかった。
俺が泊まるホテルにチェックインしてから夜市へ向かった。川沿いの道を愛奈と歩く。
「この街を歩くのは初めてですか?」
「そうだな、中学生の時に歩いて以来だから十五年くらいぶり」
「そっか研修で来たって言ってましたね」
「いい街だね。住みたいくらい」
「私ももっと住んでてもいいかなって思う」
マンションの間をすり抜けていくと目の前に夜市の旗が掲げられていて、大勢の人で賑わっていた。
「まずは食べたい物に目星つけて端まで歩こうか」
「途中でビール買いましょ」
「いいね」
焼鳥、海鮮焼き、日本酒、スイーツなど様々な店が並んでいる。人は多いが決して歩けないわけじゃない。
「彼に夜市行くって言ったらいいなって言ってました」
「今度連れてきたらいいよ」
「でも彼人混み苦手なんですよね」
「それじゃあダメか」
「そういう私も苦手なんですけどね」
「俺も得意ではないな」
ビールを売ってる店を見つけて並ぶ。
ふんわりした泡が美味しそうな生ビールだ。
生憎座る場所が空いてなかったので立って乾杯した。
「はじめまして」
「はじめまして」
二口で半分くらいまで飲んだ俺を見て愛奈は笑っていた。好きな銘柄ではなかったけれどここ何年かで一番美味しい生ビールだった。
色々と歩いて海鮮焼きを買って食べることにした。
何となく愛奈の前を歩いたのは横に並んで歩くのが照れくさかったのと、俺が横にいることで愛奈の価値が落ちてしまうじゃないかと思ったからだ。それくらい愛奈の姿は美しさとミステリアスさがあって、もし知らない間柄でどこか別の街ですれ違っていたらきっと振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまっただろう。
親子連れの横の席がちょうど空いており、了承を得て座った。
Tumblrの人の話なんかをして海鮮焼きを食べる。
イカ焼きに苦戦してタレを服にこぼしそうになる愛奈を心配なようなちょっと可笑しいような気持ちで見ていた。
「ビールもう一杯飲んだら帰ります」
「えっ?」
虚をつかれたような気持ちになった。
「そう言わずにどこかお店行こうよ」
「週報書かなきゃいけなくて…」
「まあな、今朝まで友達と飲んでたんだもんね」
無理矢理そう納得させる。
何か嫌なことでもしていたのだろうか。もしくは俺のルックスやらファッションが想像と違っていたから早く帰りたいのかとも考え、次のビールを買いに行った愛奈の背中を見ながら天を仰いだ。
ビールを飲みながら残っていたホタテを食べた。手がタレだらけになっているのを見て愛奈がハンカチを渡してきた。
「いいよ、せっかくのハンカチが汚れる」
「裏側ならいいですよ。見えないし」
「なんかごめんな」
お言葉に甘えて手を拭いた。十一匹のねこの刺繍があった。
「かわいいね」
「お気に入りです。書店で買ったんですよ」
ハンカチを返す。
「口にもついてます」
そう言うとそのハンカチで俺の口の横を拭った。
ほんの数秒の出来事なのにその瞬間は鮮明に残っている。
「なんか子供みたいだな。かっこ悪いね」
「男の人はいつまでも子供ですから」
愛奈の底知れぬ母性は本当に罪だ。年甲斐無く甘えてしまいたくなる。かれこれ五年も話しているからどんなバイトをしてどんな男と交際しているのかほとんど知っている。だから同い年の女の子達とは一線を画すくらい魅力的な人になったんだな。
夜市を後にする。空は確実に夜に近づいているがまだ青が見えている。
駅の方向に向かいながら二人してトイレに行きたくなり場所を探した。
「この街のトイレなら任せてください」
そう言う愛奈の後ろをついて行った。
二人とも限界に近づいていたから小走りでテナントが多数入る建物に入った。
終わるとお土産コーナーを見ながらコンビニに入った。
玄米茶と愛奈が吸ってる赤いマルボロを買った。
「そこの角で吸いましょう」
「そうしよか」
玄米茶を一口飲んでアメリカンスピリットに火を点ける。愛奈はライターを持っていなかったのでその後に俺が点けた。
「今日はありがとう」
「こちらこそたくさん貰ってしまって」
「いいんだよ。命の恩人なんだから」
「いやいや」
「これで思い残す事はない。いつ死んでもいい」
「そんな事言わないで。悲しい」
「最近思うんだ。生きてる価値あるのかなってさ」
「じゃあ飲みながら人生語りましょ」
愛奈の言葉に驚く。
「帰らなくていいの?」
「いいです。お話しましょ」
なんか泣き落とししたみたいでかっこ悪いなと思った。愛奈の時間を奪っていくみたいで罪悪感も湧いた。でもそれを超えるくらい愛奈ともっと飲みたい話したいというエゴがあった。
「そうか。ありがとう。愛奈ちゃんと一緒に行きたい店があるんだ」
「どこですか?」
「バーなんだけどさ」
「バーあまり行ったことないから行きましょ」
煙草を吸いながらバーを目指す。
途中で車に轢かれそうになると腕を引っ張ってくれた。
「いいんだよ、俺なんか轢かれたって」
「ダメですよ。死んだら悲しいですから死なないで」
「でもさ、よく思うんだよね。交通事故なら賠償金とかでお金残せるしさ」
「それは私も思うときあります」
そんな話をしていたら店についた。
俺が持っていた玄米茶を愛奈が自分の鞄に入れてくれた。
明るめな店内のカウンターに横並びで座る。
愛奈はモヒート、俺はモスコミュールをオーダーして乾杯。
「私、親の老後見たくないんです」
「そうなんだ」
「前に言いましたっけ?産まなきゃよかったって言われた事」 
「うん、覚えているよ。それならそう思うのも不思議じゃない」
「計画性ないんですうちの親。お金無いのに産んで。三人も。それでたくさん奨学金背負わせるなんて親としてどうかなって思うんです」 
「そう思うのは自然だな」
「だから私、子供産みたくない。苦労させたり嫌な気持ちにさせたくないから」
「でも愛奈ちゃんはそうさせないと思うけどな」
「育てられる自信ないです」
「そっか。でもそう思うのは愛奈ちゃんの人生を振り返ってみたら自然だよ。それでいいと思うし、理解してくれ��人はたくさんいるよ」
「結婚しないと思いますよ」
「それはわからないよ。これからさ、その気持ちを超える人が出てくるかもしれないし」
モスコミュールを飲み干した。
もし自分が同じことを親から言われたとしたらと思う怖くなった。そんな中で愛奈は自分の力でそれを乗り越えて立派に生きている。愛奈を抱きしめたくなった。ただただ抱きしめてもう大丈夫だって言いたかった。
愛奈からマルボロを一本もらう。久々に吸った赤マルは苦みが程々で後味が美味かった。そこで知ったのは赤マルは二種類あって、俺が渡したのはタールが高い方で、愛奈は普段低い方を吸っているらしい。
「あの棚の右から二番目のお酒知ってます?」
「知らないな」
「友達が好きで美味しいらしい」
「読んでみよか」
スコッチだった。
ソーダ割りで飲むと中々美味しかったけれど、元々カクテル用のウイスキーとして作られただけあって、もうワンパンチ欲しい味だった。
三杯目は俺はヨコハマというカクテル、愛奈は和梨のダイキリをオーダーした。
「俺もさ、親を看取らなきゃいけないプレッシャーがあって辛いんだ」 
「一人っ子ですもんね」
「出来た親でさ。ほとんどのことを叶えてくれた」
「すごいですね」
「ほんとすごい人だよ。だから期待に応えなきゃって思うとさ。色々しんどくなるんだ」
���コハマを一口飲む。ウオッカとジンの二つを混ぜるカクテルだからぐっとくる。愛奈に一口飲ませると「酒って感じです」と感想を述べた。茹で落花生がメニューにあったのでオーダーする。愛奈は食感が苦手だったようだ。愛奈はダイキリについてきた梨を一口食べ俺にくれた。甘くて美味い梨だった。次にオーダーしたのは愛奈はシャインマスカットを使ったウオッカマティーニ。俺はサイドカー。
「ゴリラいるじゃないですか」
「実習先の人ね」
「ほんといいなって思う。優しいし人のこと良く見てるしたくさん食べるし」 
「既婚者じゃ無きゃね」
「そうなの。でも奥さん可愛かった」
「たぶん可愛いだろうな」
「一緒にいれはいるほどいいなって気持ち強くなる」
「叶うとか叶わないとかそんな事はどうでもいいから今の時間楽しめたらいいね」
「頑張ります。お局怖いけど。でも最近機嫌いいからいいや」
シャインマスカット一粒を俺に寄越す。繊維質の食べ物があまり好きではないらしい。サイドカーを飲ませると美味しいと言った。
「サイドカーに犬って映画知ってる?」
「知らないです」
「すごくいい映画だよ。小説原作なんだけれど」
愛奈がスマホをいじる。
「Huluで見れるんだ」
「そうなんだ。便利やな」
「今度見よう」
その後は愛奈の好きな小説の話をした。加藤千恵って読んだことなかったなと思いながら話を聞いていた。
「次なんだけどさ」
「はい」
「ピアノがあるバーに行きたいんだ」
「行きましょ。その後ラーメン食べて帰るんだ」
「いいね、そうしよう」
店を出てると少しだけ肌寒くなっていた。
ピアノのあるバーに向かって歩いていく。
「バーに入るの初めてでした」
「そうなんだ。前の彼とは来なかったの?」
「入るのに緊張するとこには行かなかったんです」
「最初は緊張するもんな。慣れればいいんだけど」
「あっちの方にあるビストロにもやっと入ったくらいだから」
「そうなんだ。でもいいもんでしょ」
「すごくよかったです」
「そうだ」
「どうしました?」
財布から千円札を数枚出して愛奈に渡した。
「タクシー代、忘れないうちに渡しておくよ」
「えっ、いらないですよ」
「遅くまで付き合わせてしまったし」
「いいですって」
「いや、受け取って。今日は本当にありがとうね」
愛奈のポケットに押し込んだ。
「すみません。ありがとうございます」
「ほんと愛奈ちゃんには救われっぱなしだよ。だからこれくらいはさせてよ」
そうこうしてるとピアノバーの前についた。
少しだけ緊張したが意を決して入る。
店内は混雑していたが運良くピアノが横にある席に座れた。さっきまでは横に座っていた愛奈と向かい合わせで座った。目を合わせるのが照れくさくなるなと思った。
「リクエストしてもいいみたいだよ」
「えー、いいな。弾いてもらいたい」
「何かあるの?」
「一時期、月光にハマってて」
「いいね」
「でも何楽章か忘れちゃった。ちょっと聞いてもいいですか?」
「いいよ」
愛奈がイヤホンを繋げて聞いている。
その間に俺は「Desperado」をリクエストした。
「一でした」
「そっか、次に言っておくよ」
Desperadoが流れる。
愛奈も知っていたみたいで俺が勧めたピニャコラーダを飲みながら聞いている。柔らかくて優しい表情が美しく貴かった。
「これはさ恋愛の曲っぽいけどポーカーで負けた曲なんだ」
「えー」
愛奈が笑う。
次にピアニストの方に愛奈のリクエストを伝えた。
始まると今にも泣きそうなくらいに感動している愛奈がそこにいた。スマホを向けてその時間を記録している。その時の顔は少女のよう、昔見た愛奈の写真に少し似ていた。
お酒が進んでいく。
カウンター席のおじさまがビリー・ジョエルをリクエストしている。ストレンジャーやHONESTYが流れている。
会話は愛奈の男友達の瀬名くんの話題に。
「今度ドライブに連れてってくれるんですよ」
「ロードスターに乗ってるみたい」
「オープンカーか。この時期はまだ気持ちいいね」
「天気の良い日見ておくねって」
「いい子やね。その子と付き合っちゃえば?」
「でもね、絶対彼女いるんですよ。いつも濁してくるけど」
「そっか」
「沼っちゃう男子ですよね」
「じゃあさ、俺と付き合って」
「仮にも彼氏いるんですよ」
「冗談だよ。俺は君に似合わない」
もっと若くて横浜流星みたいなルックスで何か才能があって自分に自信があったらもっとアピールしたかもしれない。そう、愛奈に合うのはそれくらい優れている人で、愛奈を大切に包み込むことが出来る余裕がある人に違いないからだ。
「あの曲聴きたい」
「なに?」
「秒速の曲」
「One More Time?」
「それ!」
「じゃあ頼んでおくよ」
ピアニストの方にお願いするとすぐに弾いてくれた。愛奈は感激してこのときは本当にその強い眼差しが少し濡れていたように見えた。
タバコに火を点ける。愛奈をちらちらと見ながら吸うタバコはいつもより目に染みる。
ダービーフィズを一口飲む。久々に飲んだがやはり美味しい。
「すごく嬉しかった」
「よかったよ」
最後の酒に選んだのは愛奈はシシリアンキス、俺はXYG。
そのオーダーを聞いていたピアニストの方はGet Wildを弾いてくれて俺は笑った。
「これさ、シティハンターで出てくるんだよ」
愛奈はもちろん知らなかった。男の子の映画だからね。
「ボズ・スキャッグス弾いてほしいんですけど」
近くの席の女性が弾いているピアニストに声をかけたがちょっと待ってと制止された。女性がトイレに入った間に俺はこの隙にと一曲リクエストした。
愛の讃歌。
愛奈も知っていた。
タバコも吸わず、氷だけになった酒で口を濡らし、聞いていた。少しだけ目頭が熱くなった。
曲が終わるとお酒が届く。
「渋いお酒飲まれますね。さっきのダービーフィズとか」
マスターから声をかけられた。ダービーフィズの泡がいいよねと話した。
ピアニストにさっきの女性が話しかけている。
「ボズ・スキャッグスをお願いします」
「曲はなにがいいですか?」
「曲名がわからなくて…」
「それならウィー・アー・オール・アローンを聞きたいです」
俺が言った。すると二人ともそれがいいとなって弾いてくれた。
訳詞には二つの解釈がある。
僕ら二人だけ。なのか、僕らはみな一人なのか。
今だけは前者でいさせてほしいと思った。
「ピアニストの人が弾いてて気持ちいい曲ってなんなんだろう」
愛奈が言う。
「確かに気になるね。聞いてみるよ」
ピアニストの方に聞く。
「その時で変わります。上手くできたなって思えば気持ちいいですから」
なるほどなと二人で頷いた。
最後のリクエストに「ザ・ローズ」をお願いした。
ピアニストの方も好きな曲らしい。
「気持ちよく弾けるように頑張りますよ」
この曲は愛奈も知っていた。
オールディーズの有名な曲だ。
気持ちよさそうに弾くピアニストと聴き惚れる愛奈を見ながら最後の一口を飲み干した。
後半はあまり愛奈と話をした記憶がない。二人ともピアノの音色に癒やされながら静かに酒を飲み、少しだけぽつりぽつりと会話をする。そんな落ち着いたやり取りが出来る関係っていいなと思った。
会計をする。
お釣りを全て、といっても少額だがピアニストの方に渡してもらった。
財布の中身が増えている気がした。
愛奈に聞くと何もしてないらしい。
「きっと財布の中でお金が生まれたんですよ」 
そういうことにしてピアノバーを出た。出る直前に流れていた曲はドライフラワーでちょっとだけ不釣り合いで笑えた。
愛奈がラーメン屋を案内してくれるが場所が少し分かりにくくて何とかたどり着いた。
ビールを少し飲みながら餃子を食べているとラーメンが届いた。
二人して黙々と食べた。美味かった。
「大盛りにしてもよかった」
「私もう食べられないからあげますよ」
愛奈が麺をくれた。それを全て食べてビールを飲み干す。
二人で一頻り飲んだあとに餃子をつまみながらビールを飲み、ラーメンを一緒に食べてくれる女性は出会った事なかったかもしれない。
会計前にトイレに行きたくなって財布とカードを愛奈に渡して払っておいてほしいとお願いした。
戻るとテーブルに忘れていた眼鏡を俺に渡しながら
「使い方わからなくて自分で払っちゃいました」
「えっ、ああ、ごめん。現金渡すよ」
「いらないですよ。たくさんご馳走になったんでこれくらいはさせてください」
何度かやり取りしたが甘えることにした。
愛奈には甘えてばっかりだ。
店を出て大通りに向かう。
タクシーをつかまえようと。すぐにつかまった。
「このタクシー割引使えるんですよ」 
「ありがとうね、また会おう」
「はい!」
タクシーを見送った。夜の大通りをすーっと去っていった。
ホテルへの帰り道。コ��ビニでお茶と赤マルを買った。久々に吸って美味しかったからだ。お茶は愛奈の鞄に預けたまま忘れていた。
赤マルに火を点ける。
やたらと煙が目にしみる。夜空を見上げたら明るい繁華街にも関わらずいくつか星が見えた。
生きていてよかった。
それくらい楽しくて美しい夜だった。
また愛奈に会いたいと思った。次はいつ会えるだろう。そんな事を考えながらホテルのベッドに倒れ込む。
「死んだら悲しいですから死なないで」
今日何度か言われた愛奈の言葉がリフレインしている。
本当に素敵な人だ。あんなに幼くてどうしようもない人と恋に落ちてたのに上手に成長した。
あんなに気遣いできて疲れないのかなって思う。
少し心配だ。
愛奈を写した写真を見返す。ブレてる写真ばかりで下手さが目立つが二枚ほどいい写真があった。
大切にしなきゃならない人がこの世にはいる。
間違いなくそれは彼女である。
これは一夜の記録と愛奈への恋文だ。
なんてね
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dropoutsurf · 1 month
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プロジェクトの開始時点ですべて説明していたことですが、改めてそれぞれの理由を説明しました。その上で、「アポイントまでは想定を超える成果が出ているがその先で止まってしまっています。その理由を知りたいのでSFAへのアクセス権をもらって分析させてもらいたい」と申し出ました。 長い沈黙の後で古参の営業部長が口を開きました。 「あのさ、この半年、あなたたちのやってきたことはね、他人の家に土足で上がり込んで片っ端からタンスを開けて中の洋服を品定めしているようなもんなんだよ。その上、今度は預金通帳を見せろと言ってる。冗談じゃないよ」 CMOは何も言わず、翌月、退職しました。
私はこれでCMOを辞めました どこにでもある「俺の客問題」:日経クロストレンド
MA,SFA,老害,古参,おじさん,コンサルティング,提案,改善,中途採用,引き抜き,ヘッドハンティング,相性,文化,停滞,
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