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#水引の街
mizuhiki-gallery · 1 year
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水引ドールのスイーツパーティー vol.17🥳 今回は、大正6年創業、信州飯田の菓房・田月 @tagetu1917 さんの『赤飯まんじゅう』をご紹介します! お赤飯がおまんじゅうに入っているなんて斬新!と思われるかもしれませんが、飯田のお菓子屋さんでは、よくで作られているソールフードの一つです。卒業、入学、長寿、節句等、お祝いの時にもおすすめ。紅白でしかもお赤飯なので、おめでたいづくしですよ〜♪ 田月さんの『赤飯まんじゅう』は小ぶりなのが特徴。通販のクール便で届いたら、電子レンジで解凍&温かいまま食べれば、心もほっこり温まる美味しいお茶の時間を過ごせます。 優しい甘さのもちもち生地に甘い小豆のふっくらお赤飯が違和感なく食べられる美味しいお饅頭です。 本当は桃の節句に…と思ったのですが、間に合わなかったので、少し早いですが五月人形の水引ドールを登場させてみました。 今年お祝い事がある方は、『赤飯まんじゅう』でお祝いしてみてはいかがでしょう!? 【作品展】 3/17(金)〜21(火・祝) 紙単衣の水引展「祝うを結はふ」 アート&ギャラリーARTHOUSE(大阪北堀江) 【出店】 3/22(水)〜24(金)11:00〜19:00 THAT’S FASHION WEEKEND SPRING EXHIBITION 日本橋室町江戸桜通り地下歩道 【toB展示会】 3/15(水)〜16(木) 10:00〜19:00 PROJECT_TOKYO ブースno.1213 東京国際フォーラム ガラス棟 HALL E1 グッドさいくるフェスタ内 【Makuake】 〜3/24まで「水引がま口財布」先行予約販売 https://www.makuake.com/project/kamihitoe/ 【オンラインショップ】 ・初回クーポン《HAPPY10off》 ******************** 紙単衣 - kamihitoe - 水引アクセサリーと雑貨のお店 Makuake、水引の商品、お問い合わせは @kamihitoe_mizuhiki プロフィールのリンクから #水引 #水引ドール #水引デザイン #スイーツパーティー #水引の街 #和菓子の街 #人形劇の街 #いただきます #赤飯 #赤飯まんじゅう #赤飯饅頭 #おうちおやつ #田月 #南信州 #長野県 #南信州の魅力 #飯田下伊那 #飯田市 #郷土菓子 #ソウルフード #テーブルコーディネート #tablesetting #japaneseknot #japanesesweets #おやつタイム #甘いもの #至福のひとくち https://www.instagram.com/p/Cpe2WGXPasA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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wazakka-kan · 1 year
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営業中。水引の玄関飾りございます。スーパーの店頭で売られている玄関飾りがどれも同じに見える方、こちらもご覧いただけたらと思います。 紅白、または赤=おめでたいと言う文化的刷り込みのおかげで、なんとなく店内が福々してきたようで訳もなくいい気分です(視覚で左右されるわたくし、単純
#玄関飾り #水引き #お正月 #年神様の目印 #お入りはこちら #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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uchusenshi123 · 6 months
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きっといつかなりたいものができると思っていたのに、なりたいものがないまま、なんとなく生きていたら坂田銀時と同い年になってて泣いた
水槽の中の水が入れ替わって起きる前の景色を忘れる 住んでみたかった街に住んでみて想像通り完璧すぎて怖くなってまあまあ好きな街の方に引っ越した いつまでたっても、嬉しいのがこわい 好きな人の笑顔がこわい 紙粘土潰す 釣り銭入れるケース怖い 完璧なものいつか変わるから完璧な瞬間みると寂しくなって逃げ出したくなる 完璧なんて主観なのに 電飾のお星様へ 生まれ変わったらシルバニアファミリーになれますように 猫になりませんように フリースタイル人道破壊 行手の見えない悪夢の中で腹痛 望み通り流行ったはずの「元気」が想像以上に爽やかで苦しくなる
常に速燃性の熱しか持っていないし燃えカスは二度と燃えない 空前の同級生結婚ラッシュと親戚出産ラッシュ どうせ謎の叔母さんになるならサマーウォーズの侘助おじさんくらい実はすごいことしてたいのにひとつもすごいことしてなくてやばい ラブマシーン今から作って伝説の叔母ちゃんになろうかな でももしかしたら「そろそろいい歳した女なんだから」どうたら言われる歳を耐え抜いたところに真の 人外として生きる契約書みたいなのあるのかもしんないっす
夢で会った架空の好きな人だけを集めて夢の中でオフ会してクソ気まずくなって全員嫌いになりたい
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holespoles · 4 months
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Yumeji Takehisa 1931 "Woman of Asakusa" / Colouring on silk
"If it's a temple bell, ring it when you strike it. Don't stay there, don't return. If you pull it, it will ring." I rememberd the dancer of Asakusa And I send it to my brother Shimizu. Kanoto-hituji-syun-syou (1931 Spring Night) from Musei (Alias Yumeji Takehisa)
Asakusa has flourished as the gate town of Senso-ji Temple since the Edo period, In the Meiji era (1868-1912), it flourished as a popular entertainment district. Asakusa was a town of the common people, where Japanese and Western culture, human karma, good and evil, love and hate swirled together, Yumeji was particularly fond of Asakusa, a town of the common people where Japanese and Western culture, human deeds, good and evil, love and hate swirled together, and went there frequently. The dancer's untied sash, her outstretched hand, and her sad gaze are all pointing towards a place that fascinates her. The fan in her lap suggests that the broken ties will never return. The fan at her knees suggests that a broken bond will not return.
竹久夢二 「浅草の女」
昭和6年(1931)/絹本着色 寺の鐘なら ひけば鳴ろ おいてもくんな 切れた縁 引けばとて かの浅草の踊子をおもひて 清水兄におくるとて 辛未春宵 夢生
江戸時代から浅草寺の門前町として栄えた浅草は、 明治になり大衆歓楽街として盛況を呈しました。 和と洋の文化、人間の業・善悪・愛憎が渦巻いた庶民の街浅草を、 夢二は殊の外好み、度々出掛けたといいます。 踊り子の解けて流れた帯、さしのべた手、悲しげな視線は 心惹かれる先へと向かっていますが、切れた縁は再び戻らな��こ とを膝元の扇は暗示しています。
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tsumakoushika · 5 months
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(第一部)
衝動的に寂しくなって、夜道を誰かに声をかけられるまで、取り止めなくさまよい歩く習慣がついたのは二ヶ月前からで五回目だった。知らない街まで電車に乗って、治安の良くない場所を選んで歩く。命の危機に晒されて半死半生の目に合うこともあれば、何事もなく無事に帰って来ることもある。仕事に行き自宅に帰り、一人食事を取り寝るだけの繰り返し。誰かに求められることもなければ必要とされることもない。一度負った傷の瘡蓋を剥がす一時の甘い悦びに浸りたいだけの狂った夜間歩行。
現地でシェリー酒やブランデーの強いお酒を飲んで、ほろ酔いから次第に足取りが重くなってくるのに任せる。お酒の酔いの回りの早い私にとって、緊張する瞬間。身元のわかるものは一切持たず、頼るのは自分の意識次第だというのに、その意識すら混濁させながら、ふらふらする。街灯の点灯し始めるマジックアワーを闇に紛れながら、細い路地を歩く。袋小路になるところ、人一人しか通れないような家の隙間を選んで歩く。日中は光の差し込むだろう通路は、ただただ魑魅魍魎の通る獣道のように、鬱蒼として気味悪くなる。
白地に黒い猫の柄の入ったロングの巻きスカートに、一点もののデザイナーズセレクトの白地に赤の刺繡の入ったカットソーを着て、シルクの下着を身につける。巻きスカートの黒い猫の目は金色に光り、夜目にも輝いて見える。巻きスカートは一点もので、かつて愛した人にプレゼントされたものだった。よくこのスカートを身につけて一緒に歩いた思い出のぎっしり詰まったものだった。私は他の男性とSNSを通じてやり取りしていた事を彼に誤解されて、約束していた結婚を取りやめにされた。別れ際、愛する人に清らかな人だと思っていたのに、不潔だとまで言われて、ショックを受けた。ただメッセージのやり取りをしていて、なんの疑われる行為もしてなかったのに。彼はその数ヶ月後にSNSで知り合った人と一緒になったと聴いて、ダブルでショックを受けた。私は清らかではなく不潔な人間だというレッテルを貼られたまま、蛇の生殺しのようになって、数ヶ月泣きはらした。
誰も通らぬような通路を、ドキドキとしながら通り抜ける。空を見上げると、三日月が空に架かり、流れる雲に隠れては見え、隠れては見えする。明るい星たちから輝きだしている。知らない場所の闇の中、月の方角と光だけが頼り。既に刺すような冷たい風が吹き抜け、ただでさえ心細い私を不安にさせる。
30分ばかり歩いたろうか。後方に、私の後をつけている人を確認して、速足で歩こうとする。うまく歩を進めることのできない速足で歩くと速足になり、ゆっくりと歩くとゆっくりと歩く。私は頭が真っ白になるのと同時に、なんの目的でついてきているのか、逃げ切ることができるのか、頭をめぐらす。地の利のない場所で、自分がどこに行きつくのかも分からない通路をやみくもに歩いている愚かな自分。
この先には何があるのか、道すらもないのではないかという不安と、後ろから追いつかれて、腕を掴まれて更に人気のない場所に連れ込まれる妄想と闘いながら、ふらふらと先に進んでいく。
ふと、後ろからの気配が消える。安堵したのも束の間、カラスが群れて、泣き叫んで暴れている袋小路にたどり着く。心臓がどくどくと聞こえるぐらいに膨大な血流を全身に送り、高鳴っている。私は行き場を失い、来た道を戻るしかない。カラスはこれから起こる何かを暗示しているかのように、獰猛に暴れている。
自分が今どこにいるのかもわからない場所で、闇から闇を通り抜ける。人の気配のない場所で、月明かりだけが頼り。来た道かどうかも分からぬ不安と闘いつつ、二股に分かれている地点にたどり着いた。
どちらに進もうか立ち止まったところで、後をつけてきたと思われる男が待ち構えていて、口をタオルで覆われて、固く捕らえられた。タオルは汗臭い匂いがした。男は地の利のある場所で、一番いい場所で私を待ち構えていたのだ。抵抗する時間も与えられぬまま、竹藪の中に引きずり込まれる。腐った水の匂い、成長した竹の青臭い匂いの中に入っていく。
ちくちくと背中に痛みを覚える場所に引き倒されて、体中を弄られる。お洒落な格好も台無しで、スカートもカットソーも引きはがされて、巻きスカートの黒い猫も無惨に引き裂かれて、脱がされた。白い素肌が闇に浮かぶ。痩せた脇腹の肋骨が上下するだけで呼吸すらままならない。男は貪りつくように覆いかぶさり、欲望の限りを尽くしていく。
私は頭上で竹の葉の間で見え隠れする三日月を涙を流しながら、男の律動に突き動かされている。三日月は冴え冴えと妖しく光り、���げに歪んでいた。快楽はどこにもない。身体の中を硬くなった虫が激しくうねり、大切な何かを剥奪された痕が残っていくだけ。なぜ私はこんなことをくり返しているのだろう?なぜ?なぜ?と自分に問うてみても、答えは返ってこない。私は私を放棄することで、自分に仕返ししているような気持ちになった。
自分を大切にできずに、汚されていく自分を俯瞰して見つめている。男は二度三度、繰り返し中で果てると、その場に私を残して立ち去って行った。私はぴくりとも動けないまま、竹藪の中で白い肌を晒している。体の芯まで冷えて、このままここで死ぬのではないかと思った。誰かが私を見つけ出して、救ってほしかった。こんな愚かな私でも大切に想って、抱き上げて介抱して、温かなスープを飲ましてくれる存在が欲しかった。しかし、そんな温もりはこの世の中にはどこにもなかった。
私は散らばった衣服をかき集めて、下着を見つけることのできないまま、震える手で身につけた。寒さと怖さで、ガタガタと歯が鳴っていた。お洒落な衣服は、泥で汚れて、竹の落ち葉が張り付き、ところどころ破られていた。巻きスカートに張り付いた猫まで無惨に足元から引き裂かれていた。金色の目には泥がこびりつき、輝きを失っていた。
私はふらふらと立ち上がり、西に傾いて地平に消えて確認できなくなった三日月を見失って、酔いが醒めて素面になって、呆然と闇の中をさまよい帰った。私は正気ではない行為をしているにも関わらず、冷静だった。汚れるだけ汚れて安堵したかった。
自宅に帰った時には0時を過ぎていた。鏡には変わり果てた私が映っていた。私は三日月のように、これから満ちて丸くなっていくのだろうか?限りなく欠けていき、空で真っ二つにぽきりと折れてどこまでも地の果てへ落下していくだけの月になってしまいそうだった。
果たして私は清らかではないのだろうか?ますます遠く離れた不潔で淫らな人間に染まる事で、人間としてのバランスを保てる気がしていた。
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月21日(日曜日)
    通巻第8099号
 湾岸諸国が中国人民元と通貨スワップを締結
  カタールはすでにガスの人民元取引を始めている
*************************
 数年前だった。ドバイに宿泊した折、空港から近いインターナショナルシティの一角に中国人街「ドラゴンモール」があると言うのでタクシーで見学に行った。
 中国企業が胴元で、邦貨換算270億円を投じたショッピングモール(唐人街)である。
吹き抜けのロビィ、入口に中国銀行支店。ラーメン、餃子のレストランに混じってタピオカも。商店街は中国産の雑貨が山積み、おもに観光客相手の安物ばかりだった。ランタンの飾り付け、最近、行った人の話ではカラオケも開店しているとか。
 ドバイは中東の金融センターである。
世界一の高層ビルが聳え、そのなかに水族館があり、紀伊國屋書店もある。住民の九割は外国人で、カネが有り余っているのでバス停まで冷房付き。警察官はひまだから赤信号で渡った歩行者にまで罰金を取っている。
 ドバイ、カタール、UAE諸国の地域的覇者はサウジアラビアである。石油とガスの取引は米ドルで行われている。というより「いた」と過去形に変わりつつある。
人民元が、1974年以後「ペトロダラー」として、ドルの金兌換離脱以後も世界の通貨覇権を握るアメリカを脅かし始めた。拙著でも推論したが、中東の金融事情の変化に対して、トランプ「次期大統領」は、新札「トランプダラー」の発行を計画しているかも知れない。
 さて現実の問題。ドバイは上海株式市場と連携し、デジタル人民元での売り買いを開始した。中国が現在「通貨スワップ」を締結した国々は29ヶ国だが、ドバイは中国の銀行に正式の銀行免許を交付した。中国農業銀行もドバイで業務を本格化した。カタールも中国とははやくに通貨スワップを結んでいる。
 人民元は2016年にIMFのSDR通貨として認められ、シェアは日本円と並ぶほどに世界で認知されている。
 促進の刺激剤となってきたのが一帯一路プロジェクトだった。
 2012年にUAEと中国は通貨スワップを結んでいたが、2023年からガスの決済を人民元でも認めた。UAEは23年11月28日に48億9000万ドルで五年間の通貨スワップとした。
 サウジアラビアは23年11月20日、中国と69億8000万ドル、三年契約の通貨スワップを認めた上、ドル決済だった石油取引の一部を人民元とする政策変更に前向きと言われる。
サウジの変心、米国にとって神経質にならざるを得ない。
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ak794itomugi · 1 year
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今年も気づいたら年末 いつもの振り返りをぽちぽち書いてたので上げちゃいましょう。
今年も色々ありましたが、1番自分にとってデカかったのはリアルで、転職をして今の職場に着任できた事です。 人や社風や職場の雰囲気が自分に合ってるので、毎日あー仕事やだなーじゃなくて、今日も頑張りますかねーってなれる幸せがようやっと来ました。 金銭とかよりも、まずは精神面での安寧と安定を求めていたので、これはやっぱりすごく大きいです。 とはいえ、このTumblrは一般ブログではなく一介のオタクブログなので、リアルの話は程々に一年の振り返りをしましょう!
今年は去年同様意図的に漫画の量を増やしてます。 去年と違って、というか実は初の試みで、30ページ以上のクソ漫画を作ってます。 今まではエイプリルフール漫画くらいだったのですが、通常でフルギャグが前提のコンセプトの短編ではなく一品でその規模は実は地味に初めてだったりします。 去年は実はかなりクソ漫画を描く事を渋ってたのですが、色々考えた末に解禁してます。 ただSNSだと考えた結果なんですが、検索避け前提になってます。絵文字って便利だね🐓🐎🐢🐏🍰
あとは初の試みとして、あえて作画を崩したり、原作からちょっと違うデザインにしていたりします。 これはクソ漫画を描くにあたり、原作のキャラ=クソ漫画での話という安直な式を作ってもらいたくなくて、試験的に効果があるかを試す為サイレントで決行していた事なのですが、 これはあんまり見る方には効果なさそうだなーとなったので、服装チェンジやアレンジだけ引き継いで、 キャラのパーツに関しては順次来年から原作寄りに戻していこうかなと思います。 既に年末の方で🐓や🏇に関してはお試しで来年版もデザイン出しているので是非ご確認あれ。
それはそれとして、今年色々頑張ったので来年はちょっと休ませて欲しいです。 これ毎年思ってるし毎年休めてないね?つまりはそゆこと
あとは旅行!!とはいえまだコロナはあるので、そこまでガッツリじゃなくて、例大祭の前日に横浜行ったとかですが。 ていうか今年ついにコロナ陽性しょっぴいて大変な目に遭ったんですよね 8月の末ごろに熱でて、幸い熱そのものはすぐ引いたんですが、 結局今月の頭くらいまで咳と鼻水が結構酷かったです。今はやっと咳がほぼほぼ無いって状態にまで回復しています。後遺症こえー 絶対かかんない方がいいです……。
とはいえちょっとずつですが、コロナムーブは明けてきてるし、来年はまずは三重を満喫するぞー!って気持ちです。
作ったものにフォーカスして話をしようとすると、 逆に色々と作品を作ってたのでなんか今年の作品は!とかは言いづらいのですが、 やはり「後ろに幻想」はめちゃくちゃ拘ったので楽しかったです。 (途中ギャグありますが)シリアスな漫画で地味に同人誌で3桁ページってこれも初めてですね。しかも題材やキャラの選抜から考えても想定していたより多くの方に手に取っていただいています。すごーい。 今年の後半の本は在庫も残せたので、来年にもイベントで持っていけます。
それからこの一年作っててと頒布してて感じたのは、東方っていつでも若い子が多いよなって思います。て言うか私も小学生の頃にハマった人間なので、気持ちは何となくわかります。 自分は東方の前に親戚の影響で幻想水滸伝やポップンからこのオタクの道に既に触れていたのですが、東方は自力で見つけて自力でハマった最初のオタクな作品なのもあり、同人誌とかもリアタイでゲットできる環境が委託含めても整いつつあった頃でしたので、中学生くらいの頃ゲットしたものは今でも大切な宝物です。 当時から小説と音楽が大好きなので、分厚い本を見るととてもニヤニヤしていたので、本やCDをゲットする時ってほんとイベントの日や委託開始日が待ち遠しかったのを今でも覚えてます。
そう考えると、もしかしたら今私が待ち遠しいと思われている立場な���かもしれないな、とこの一年イベントで同人誌を頒布してて感じました。 親子の方かな?とか、未成年の方かな?って人たちにも手に取ってもらっていて驚きです。 今までも頒布してた際でも若い方はたくさんいましたが、即売会となると、低くても自分より少し年下くらいの方や普通に年上の方がやはり多かったので、何年も風通しがいいって凄いですね。
私はこれからどんどん老いていきますが、本や物語を作るのが趣味の人間なので、 今とても若い人たちが楽しめる環境やノウハウってのは、老いていく中では、やはり残していきたい気持ちにもなります。 何故かというと自分が楽しめる二次創作の作品がまともな形で増えて欲しいからです。 今までまぁ色々あって内に内に、分かる人が分かれば良いとしてアンダーグラウンドかつクローズドな���界にいる事を望んでいたのですが、 長��目で見たら、ある程度オープンの方が自分にとっても助かることが多いなぁと思わされる一年でもありました。(このあたりの経験則は仕事とか含めてですね……)
老いる事は置いていかれる事でも、若い人と共存する事でもないと思います。ですが、だからといって邪魔するのではなくて、 自分の居場所でできる事をやりつつバトンタッチをするステージになっていく、それが死への道かなと感じています。 死というと悲しい事に見えますが、これは悲しくないようにするためにまさに道があると思うので、ポジティブにとらえるべきだと思っています。 しがみついて居座るのではなく、少しずつ手放しながらもゆっくりと機能停止する感じが理想ですね。急ブレーキは誰だって辛い。 私が絵を手放す事になるのは多分ほぼ最後の方な気がするので、素敵な老人になる事に努めます。
しんみりした話題の後にいうのも何ですが、 東方以外で今年楽しかったと言ったら、ポケモンは楽しんでます。アルセウスもSVもサークルメンバーとめっちゃはしゃいでプレイしてます。 レイドしまくりで全員廃人みたいな構成作っててダメですね、誰だよ厳選と努力値の知識持ち込んで他人に仕込んだ悪い奴は 私やけど……
あと万聖街!!!毎週楽しみにしてます。Blu-ray予約しちゃってるから無敵 プリキュアも来年のが楽しみですね まずは春映画か秋映画か 話はそれからだ……
とまぁ色々と感じることの多い一年でしたが、 来年も普通にのんびりやるつもりです。 2021年は色々あってなんだかなぁという感じが多かったのですが、 今年は結構楽しかったです。来年はもっと楽しい年にしていきたいですね。 ちな、今年はなるべく広範囲という事を務めていましたが、 来年はある程度描くキャラをフォーカスした状態にしようと考えています。 とはいえ、ローテーションでかいてるイラスト系はいつも通りで、 あくまでもwebや紙媒体での漫画でのお話なので、見てる方はあんまり変わりないかもしれないです。 なお百合の中でも恋愛的な方はどうするか……なんですが、そもそも畜生側の方は百合を全く想定した作りになっていない為おいとくとして、 他もちょっとわかんないです。まぁ新作とかでた時に狂うかもしれんので、現時点でって事にしておきましょう。
色々頒布する機会や作るものに関しては来年の予定ほぼ決まっていて、とりあえずまずはそいつらの確実な完成を目指します! 実は既に1つ完成してて、年始に二冊目も着手しだします。 サークル参加手続きも済ませているのがあるのでぼちぼちがんばっていきましょう。 私の病気についてはips細胞を信じましょう!
それではみなさん、良いお年を〜!
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winterain66 · 1 month
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近況(23.3.21)
机の上と周囲をかたづけてPCが開ける状態になったので、とりあえず書きたいことを書こうと思い、キーボードを叩いている。
2月の序盤は詩集『whirlpool』を制作していた。2023年、前の詩集を完成させてから、人生の停滞期に迷い込んでいたような時期で、そのなかで書いていたもの、それを「単なる感情の排泄物」としてなかったことにしてしまうことも可能ではあった。(そうするべきであったかもしれないという迷いや怖れは今もどうしようもなくある) 書かれたものが詩として優れているのか・多くの人に読まれるものであるかということはわからない。現代詩として成立しているかどうかも、わからない。けれど、そもそも、冬雨千晶という名前でインターネット上で続けてきた(表現と呼んでいいものかどうかわからない)営みが、冬雨千晶という存在が、どうやって成り立ってきたか・いるのかを振り返ったとき、そうやって書かれてしまったものをなかったことにすることはできなかった。(わからないという言葉ばかり、書いている)
話題を逡巡の螺旋から無理やり引き剥がす。完成した詩集とかつて作った冊子たちの在庫を持って、2月末から3月にかけてZINEのイベントと一箱古本市に出店した。昨年末に勢いで申し込んでしまっていたので、体調に不安はありながら、なんとかなるかと楽観して突入した。参加してみての感想をどうかいたものか、迷うけれど、初めて顔をだして公の場に冬雨と名乗って立つという事は、とても違和感があって、無防備になってしまったような感じがした。目の前で「手に取る・手に取らない」「読む・読まない」「買う・買わない」のジャッジがされている様子を見ることは、情報量としてあまりに膨大で、売り子をしながらいろいろなことを考えた。私が何かを書くという営み、その中で死や傷といったことについて言及せざる負えないこと、非社会的なものであるのだろう、きっと。
それとはまた、別のこととして一箱古本市は、単純に本好きとして楽しかった。商店街のアーケード下に個人の一箱本屋が一列に並んだ様子は圧巻で、他の出店者を巡ったり、本を通じた会話も、楽しかった。風通しの良さがあった。年始、能登半島での地震のニュースからはじまった今年、私生活で自分のためにお金を使う事、本を売って利益を得る事、そのすべてにおいて申しわけなさが伴っていた。だからせめて、今回のイベントでの売り上げは全額寄付することにした。これが正しいことなのかどうかわからない。自責感を軽減するための行為にすぎないと言ってしまえばそれまでだろう。(また、逡巡を垂れ流している)
「洗濯」が、最近書いた詩や散文に頻出している事を人からいただいたメールをきっかけに気づいた。「whirlpool」という単語、きのこ帝国の最初のアルバムに入っている曲名で知ったのだけれど、そういう名前の海外の洗濯機メーカーがあるとGoogleで検索して知り、面白いと思った。確かに、洗濯機も水の巡る場所、渦の発生装置だ。
これからさき、どうやって生きていこうと迷い考えている。それは、一個人としても、社会的な存在としても、冬雨という名前としても。 と書いてみて、それはいつものこと、私の通常運転であるだろう、と自嘲する。いつまでモラトリアムを気どるつもりだろう。
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asagaquru · 2 months
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恋人を連れて実家に帰る。同棲のご挨拶だ。実家はアパートで、幼少期の恋人が過ごしたアパートでもある。運命ではなくて、ただの偶然。運命を信じるほどもう若くない。けれど、偶然を大事にすることはきっとできる。恋人が生ノースマンと丸美のコーヒーを手土産に持ってきたので、母がマグカップを用意する。4つそれぞれ大きさも柄も雰囲気も違うマグカップ。統一感はないのに、それぞれ好きな柄だったり、思入れのあるマグカップだったりして、それがとっても良く見えた。
翌日、母に彼の印象を聞くと「フツーだった」と答えた。確かに真面目で静かだった。本当は、もっと面白い人なのにな。悔しい。彼は、私の前でだけ陽気。
その日の夜には、恋人の父親に会う。大通り駅に直結するビルの中にある居酒屋で、日本酒を飲む。彼の父親はどんな人なのだろうと思ったら、大きな声で笑う楽しそうな人だった。彼は腕を組んで、ポツポツと話している。本当に彼はこの人の息子なのだろうか。「お父さんの前でも彼はこんなクールなんですか」と聞けば「男同士ってこんな感じだよ。ふたりだと明るいの?***さんと一緒だからなんじゃないかな」と言われる。「明るければ物事の70%は上手くいく」「いや90%!」「95%!」「98!」とお一人で盛り上がってて面白かった。良い父親だった。仲良くできそう。
21日に引っ越すので、家中段ボールの山になっている。2年間、菊水という街に家を借りて住んだ。かつてススキノにあった遊郭を移動させた街だ。遊郭が移るから豊平川に一条大橋ができたという。よくその橋を渡って、街まで散歩した。大層昔に遊郭が無くなってしまって、面影といえば遊郭の大門があった通りが変な道路幅になっているくらいだ。来週にはこの街を去るのかと少し寂しくなる。豊平川が流れるこの街が、本当に大好きだった。
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nanaintheblue · 10 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって武器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい」と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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mizuhiki-gallery · 1 year
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水引ドールのスイーツパーティー vol.12🥳 今回のおやつは、文政元年(1818年)創業の菓子処・和泉庄(いづしょう) @izusho.since1818 さんの『名代大きんつば』(長野県飯田市)。 驚くほど薄い皮に��っぷりの餡子。 直径5.5cm厚さ2.5cmの大きさに、まるまるひとつ食べるのは無理かな…と思いきや、甘さ控えめでペロリと食べられてしまいます。 飯田市を代表する銘菓で、私の家族も大好きです。 通販のほか東京歌舞伎座の売店でも「いろはきんつば」として販売されているそうですよ。 //////// 紙単衣 @kamihitoe_mizuhiki は、 ふだんは自作の水引アイテムを投稿しているアカウントです。 水引の産地である南信州のお菓子も、新月か満月の日にご紹介しています。→ #紙単衣おやつ 南信州は、南アルプスのきれいな水と昼夜の寒暖差のある気候から木々がすくすく育ち、2つのモノづくりが発展しました。 🪢和紙の原料となる木→水引づくりが発展 🍎おいしい果物が実る木→菓子づくりが発展 水引もお菓子も気になったら、ぜひお手に取ってみてくださいね♪ //////// 【オンラインショップ】 初回限定10%offクーポン《HAPPY10off》 ******************** 紙単衣 - kamihitoe - 水引アクセサリーと雑貨のお店 水引の商品、お問い合わせは @kamihitoe_mizuhiki プロフィールのリンクから #水引 #水引ドール #水引デザイン #スイーツパーティー #水引の街 #和菓子の街 #人形劇の街 #いただきます #きんつば #名代大きんつば #おうちおやつ #和泉庄 #菓子処和泉庄 #南信州 #長野県 #南信州の魅力 #飯田下伊那 #飯田市 #郷土菓子 #スイーツ #テーブルコーディネート #tablesetting #japaneseknot #japanesesweets #おやつタイム #甘いもの #至福のひとくち #お菓子好き https://www.instagram.com/p/Cl57rdqPVja/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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elle-p · 4 months
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的���はあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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01-08-m-n · 11 months
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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hangorin · 9 months
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨���の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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oka-akina · 5 months
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1123-1129
1123 宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。 皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。 あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。 正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124 どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまったようで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。 こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。 えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。 わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱりハラハラはする。 とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。やることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125 明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの���習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。 土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事の前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に潜ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。 小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思った。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやす���うれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。 明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、いやでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。 遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
1126 ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。 電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。 寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。 自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってくるな…)。 お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。 きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。 イベントの案内に政治的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。 新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。 そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。 イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。 ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
1127 尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。 『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。 長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説だったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。 どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんまり上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
1128 痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書けるでしょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
1129 引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。 異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。 まだ読み始めたばかりで、ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。 「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。 そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。 子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき友だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
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日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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patsatshit · 4 months
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2023年も色んなことがあった。嬉しいことも嫌なことも悲しいことも。それでもこの夏はきっと終わらないって、心からそう思わせてくれた特別な日がある。8月19日、あれは猛烈に暑い日だった。そして今年のタラウマラ営業日のなかでも屈指の忙しさと売上を記録した日だ。朝から途絶えることなく自転車修理と整備業務に追われて滝のように汗を流しながらタイヤ交換をしていたときにSTRUGGLE FOR PRIDEの今里さんが「土井さん、久しぶり」と言って朗らかな笑顔で店先に姿を現した。これまでに自分の日記やSNS等でSFPについて何度も書いてきたから、SFPに対する僕の過剰な思い入れについては周知の通りだ。とにかく20代の僕の生活には常にSFPとECDがあった。だからと言って熱心にライブに足を運んだり、血眼になって音源やマーチャンダイズを探し求めていた訳ではない。もちろんライブに行くこともあったが、当時は声をかけたりはしなかった。直接、話をしなくても心で対話をしているような錯覚を抱いていた。そう、当時の僕ははっきりと痛い奴だったのだ。20代の自分を振り返るとなかなかにクソったれな日々を送っていたけれど、無理に同志を見つけようとは思わなかったし、誰かとつるんで何かをしようとも考えなかった。ボクシングのプロテストに挫折してからは、ひたすらに小説を書き続けていた。執筆時に爆音で流していたのがSFPやECD、そしてデトロイトのUnderground Resistanceの音源だった。その頃は参考文献と併せてBGMを記載していて、彼らの楽曲は必ずセレクトしていた。
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それくらいSFPの存在は僕が生きていく上での一本の「筋」や「芯」だった。彼らが居てくれたから、ウダツの上がらないシミったれた日々も「何とかなるやろ」と肯定できた。前回の日常炒飯事くんのインタビューからの流れで言えば、SFPが僕にとって20年来変わることのない「推し」なのかもしれない。サイクルショップすずめをやっていたときには常連のハタさんが「土井さん、SFPお好きでしたよね?」と言って、超デカい今里さんのポスターをプレゼントしてくれて、それを店頭にデーンと掲示したことでマリヲくんと出会うことになる。そんな今里さんとはじめてお話をしたのが2年前の年��、旧グッゲンハイム邸で開催されたRC SLUM主催のパーティーだった。タカアキ(BUSHMIND)さんに手を引かれ、紹介された。今里さんは「俺、ソウタくんの真似してタラウマラに突撃しようと思ってたんですけど、寝坊して行けなかったんですよ」といつものあの笑い声を聞かせてくれた。
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それから2年ぶりの再会、夏、茹だるような暑さの淡路の路上で。今里さん、お久しぶりです、このタイヤ交換をちゃっちゃと終わらせるんで、店内でゆっくりしてて下さいと告げるも、今里さんはお邪魔でなければ外で見てて良いですか?と言ってずっと店頭で僕の作業を見ていた。しかし当のタイヤ交換を終わらせても一向に客足が途絶えず、パンク修理、タイヤ交換、自転車販売、スタンド修理、チェーン交換と立て続く。あまりの慌ただしさを見かねた今里さんが「土井くん!俺も手伝うわ」と手を差し伸べてくれた。車体を押さえてくれたり、タイヤを取ってくれたり、スタンドを調整してくれたり。そのスタンドはタラウマラの主要登場人物シュウ(小学4年生)のもので、このシュウという少年はなかなかの個性持ちで、阪急淡路駅の改札をサラリーマンの後について入場し、そのまま難波や心斎橋まで行って駅員に保護されたり、23時を過ぎた人もまばらな淡路商店街で空き缶やペットボトルを並べてボーリングをしていたり、方々で犬と本気で喧嘩をしていたり、知らないおっさんの部屋で一緒にゲームをして遊んでいたりするような最高に愛すべき問題児なのだが、今里さんの前では珍しく猫を被っていた。途中、今里さんがコンビニに行った際にシュウのお母ちゃんが僕にそっと耳打ちする、うちのシュウがビビってる、と。僕は思わず爆笑した。ちょうど今里さんがコンビニから戻ってきたタイミングで、CHOPPY'S SKATEBOARDの上野さんが来てくれたので僕は修理作業を継続しながら紹介すると、おふたりはスケートボードや共通の知人の話で盛り上がっていた。その頃になるとようやくシュウもギアが上がってきて「どっちかのお兄ちゃん、僕のお母さんと結婚して欲しい」と冗談とも本気とも取れる言葉をぶっ込んできた(シュウの両親は離婚している)ので、みんなで爆笑。お母ちゃんは「お兄ちゃんらにも選ぶ権利があるわ」と言うて苦笑していた。結局シュウのスタンドは完全には直すことができず、ちょうどサイズも小さくなってきたこともあって、まだ整備できてないけど一台シュウにぴったりのサイズの自転車があるからそれが出来上がったらお母ちゃんに電話するからそれまで辛抱しとき、と伝えると瞳を輝かせて、ほんま!絶対やで!約束やで!と嬉しそうに手を振って帰って行った。その後もなかなか客足が途絶えないため、今里さんが「軽くメシでも喰ってくるよ、オススメある?」とおっしゃったので、食い気味に「大阪王将」と言うと「いや、王将が美味いのは知ってるけど、もうちょっとローカルのが良いな、せっかくやから」と苦笑い。僕も思わず、ですよね、と吹き出した。さっき今里さんが行かれたコンビニの裏手に「いしかわ」という定食屋があって、��このカスうどんめちゃ美味いですよ、と伝えると、じゃあ行ってくるー、と今里さん。僕は一度、頭から水を被って残りの作業を続ける。ようやくひと段落つこうかというタイミングで今里さんが戻ってきた。え、もう喰ってきたんですか?と驚くと、いや、やっぱり土井さんと一緒に食べようと思ってお好み焼きを買ってきた、と手に下げた袋を見せてくれた。僕らは一枚のお好み焼きを半分こして食べた。そこでようやくゆっくり話せるかと思ったんだけど、またしても来客があり、整備依頼が舞い込んでくる。ついつい話し込んで僕の手が止まることを懸念して、今里さんはこれ以上いたら邪魔になるので今日はもう行きます、と店を出る。たくさんのプレゼントを頂いたお礼に僕は自分の作品を手渡した。そのときたまたま定食屋「いしかわ」の社長がタラウマラにやってきたので、今里さん、この方がさっき言うてたカスうどんの美味い店をやってるお父ちゃんですよ、と伝えると、ああああ俺やっぱりカスうどん喰っときゃ良かった、とほんまに悔しそうにしていたのが可笑しかった。社長は、わしはカスうどんなんて認めへん、あれは孫が勝手にやっとるだけや、とか言うて何やねんそれ(笑)。そんな訳で2年ぶりの再会はゆっくり話せるなんてことはほとんどなかったけれど、その時に流れていた時間は僕にとってはSFPのライブの激しさとDJ HOLIDAYのミックスで聴ける優しさが全部つまった特別な瞬間だった。この夏はきっと終わらない、心の底からそう思った。汗だくヘトヘトで閉店作業をしているときに今里さんからメッセージが届いて、スマホを持つ手が喜びに震えた。
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