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#段葺き
kazuya-ikezoi · 1 year
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横葺きのガルバリウムに、出窓をポイントにいれました 1.3m角の大きな窓で、外からも中からも印象的です 他にも事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てください #出窓 #アクセント窓 #ガルバリウム外壁 #段葺き #白ガルバ #スクエア窓 #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/CmJA2yWrtAf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shodoshima-camera · 7 months
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今週末はお祭りウィーク!小豆島の各地区で秋祭りが行われます。 集落の太鼓台も先日朝から飾り付けを行いました。 普段は遠くに住んでいる人も帰省したり、元気な声や笑い声が飛び交う久しぶりの賑やかな時間。 2023年10月11日 葺田八幡神社、10月13日 伊喜末八幡神社 10月14日 土庄八幡神社、10月15日 富丘八幡神社、内海八幡神社 10月16日 池田亀山八幡宮、10月18日 家浦八幡神社 10月21日 唐櫃八幡神社 秋晴れの空の下、皆で無事に太鼓台奉納ができますように◎
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yamada50 · 1 year
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世界遺産嚴島神社の元宮ともされる大元神社 安芸の宮島の宮島水族館を抜けたその先、大元公園の傍らに嚴島神社境外摂社大元神社が鎮座しています 創建は不詳ですが、一説では嚴島神社が創建した推古天皇元年(593)に鎮座したとも伝わります 大元の名は諸説あり、一説には嚴島神社の本殿があった場所、一説には土地神を祀った社、一説『伊都岐島社神主佐伯景弘解』に佐伯鞍職の祖先、大伴氏の神を祀った大伴社と記述があり現在の大元神社と考えられています 相殿神の佐伯鞍職(さえきのくらもと)は嚴島神社を創建した初代神職で社殿内にかつて佐伯鞍職を模した神像が安置されていたと記録が残りますが神像の行方は不詳です 宮島カラーの朱色が目を引く三間社流造の本殿ですが特徴的なのが屋根です 杮葺六枚重三段葺きの屋根は日本唯一こちらでしか見られない特殊な葺き方で「大元葺き」とも呼ばれているそう 現在の本殿は室町時代後期大永三年(1523)に再建されたもので国の重要文化財に指定されています #大元神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 大元神社(おおもとじんじゃ) 鎮座地:広島県廿日市市宮島町10 主祭神:大山祇神、保食神、国常立尊 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #広島県 #廿日市市 #宮島 #厳島神社 #嚴島神社 #国指定重要文化財 #大元葺き (大元神社) https://www.instagram.com/p/CpaLYuWPxAJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oniwastagram · 1 year
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📸依水園・寧楽美術館 / Isuien Garden, Nara ③ ——奈良の紅葉庭園ならここ!🍁世界遺産・東大寺の南大門や若草山〜春日山の借景も美しい、奈良で最高級の日本庭園。 裏千家12代 #又妙斎 宗室が設計の茶室や茶庭も含む江戸時代〜明治時代の庭園は国指定文化財(国指定名勝)。お食事や『寧楽美術館』でのアート鑑賞も🖼 奈良・依水園の紹介は☟ https://oniwa.garden/isuien-garden-nara-autum/ ...... 続き。 ■茶室“挺秀軒”〜“清秀庵”〜茶庭 前園から後園へと至る途中には2つの茶室と露地庭園があります。 まずと小川べりに建つ茅葺屋根の四畳半の茶室“挺秀軒”(ていしゅうけん)。こちらは前園と築いた清須美道清が“三秀亭”と同時に煎茶室🍵として建てたもの。 . 小川と編笠門を隔てた先にある茶室が“清秀庵”。この茶席“又隠席”を写した四畳半茶室は明治時代にこの庭園のオーナーとなり“後園”を造園した関藤次郎の時代、1900年(明治33年)に茶道裏千家12代目宗匠・又妙斎の設計指導の下で建築。 . 清秀庵の造営にあわせて挺秀軒も待合風に改築され、あわせてこれらの茶室の周囲の茶庭(露地)も又妙斎宗室の設計により作庭されました。 現在の園路ではこの両茶室の間の石橋は渡っちゃダメで行き来できないけれど、本来はこの2つの茶室と庭園がセットの空間。 . ■前園 今の順路は最後に前園。 古くは『興福寺』に関連する別業(別荘)の跡地だった場所に、江戸時代初期の延宝年間(1670年代)に麻織物「奈良晒」を扱う御用商人・清須美道清が造営した別邸をルーツとします。 . 池泉回遊式庭園のほとりに建つ茅葺屋根の“三秀亭”は庭園と同時に建築された主屋で(明治時代に数寄屋風に改築)、現在は園内のレストラン/お食事処として利用されています🥢 屋内からは庭園越しに若草山の借景が! . 昭和初期(1939年)に神戸で海運業⚓️を営んでいた中村準策が関家より依水園を買い受け、現在見られる庭園に整備。 1969年に『寧楽美術館』が開館し、中村準策/中村準一/中村準佑の三代が収集した茶道具・陶器など、神戸大空襲を免れた美術品2,000点超が所蔵・展示されています。建築設計は東畑謙三。 . 冬・晩春・晩夏とそれぞれの季節に訪れてきて、どの季節に訪れても素晴らしいなと思ってきたけど…紅葉の季節はやはり一段と素晴らしかった!(紅葉以外の時期もぜひ) . 奈良・依水園の紹介は☟ https://oniwa.garden/isuien-garden-nara-autum/ - - - - - - - - #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #奈良庭園 #奈良紅葉 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #naragarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #landscapedesign #nara #奈良 #庭院 #庭园 #茶庭 #露地 #露地庭 #茶室 #借景 #文化財 #文化財庭園 #裏千家 #おにわさ�� (公財)名勝依水園・寧楽美術館) https://www.instagram.com/p/ClQdRdMvPTq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kei-life · 2 years
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東京都檜原村『小林家住宅』
10年前くらいには実際に人が住んでいた、貴重な茅葺き屋根の立派な邸宅を訪問。
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いくらか改修はしてあるでしょうけど、間取りも梁も、土間や軒先などの造りも素晴らしく、できれば一泊してみたい気持ちにさせられた。
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向かうには、こんなモノレールに揺られて急傾斜をアクロバティックに登るか、20分かけて急傾斜を登るしか手段が無い(笑)。
お分かりとは思うが、徳島県の祖谷集落に似た里山の奥の急傾斜地に、この邸宅は佇んでいる。元の住人(小林さん)に、当時の生活を聞くことができたのだけど、苦労は感じるが、今のバーチャル的な生活とは完全に対局的の、土地と時間を大切にした豊かな生活が、そこかしこから感じられた。
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これしかない、東京都の最奥。 お時間がある時、是非立ち寄ってみては如何だろうか。
霧の多いタイミングではあったけど、かえって神秘的に感じられた。折を見て、快晴の時期にも出掛けてみたい。
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jaguarmen99 · 2 months
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逮捕容疑は1日午後11時ごろ、客として訪れた同区割塚通7の居酒屋で、カウンターで食事をしていた女性客(42)に対し、店の洗い場にあったキッチンばさみを突きつけて「殺したろか」などと脅した疑い。 男は「ありえません。していませんし覚えてもいません」と、容疑を否認しているという。 葺合署によると、2人に面識はなく、男が店内でこけるほど酔っていたのを心配した女性客が「帰ったらどないですか」と声をかけると激高した。 女性客は柔道の有段者で、男に関節技をかけて取り押さえたという。
「殺したろか」はさみで女性客を脅した男、逆に関節技かけられて逮捕 女性は柔道有段者|事件・事故|神戸新聞NEXT
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endekashi · 3 months
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志賀漂流記
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本日は当ブログでお馴染みの孤高のチェアスキーヤー黄門様のツアー。標高低い場所は雨予報なので、一路、天界の志賀高原に凸ってみました。
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という訳で久々の黄門様。白馬からの二時間強のドライブも茅葺トークに花が咲き(彼は茅葺職人でもあります)、あっつー間に到着。
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ちょっと車椅子のタイヤ変えるから待ってて〜。手慣れた動作でサラッとスリックタイヤを雪道などのオフロード用のタイヤに変えてました。
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さてさてオレも全然わかんない志賀高原。黄門様は何度か来てるけどまだまだわからないところだらけだそう。
いいすね、ワクワクしますね!
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朝方はまだ天気もよく日差しの入る時間帯も。
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リフトから見下ろす善光寺平の絶景。見て見て!黄門様!綺麗だよ!!後ろ向けないっちゅーねん!💢
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リフトから降りてようやく眺める景色。ほんまやな、綺麗やな。
ほんじゃ、志賀漂流記始めましょうか。
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初っ端、昨日のほうてい祭りの後に突っ込むも、久々のアルペンボードの操作に慣れておらず、コケまくる。
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なんせ普段乗ってる普通のスキーの倍くらいの太さですから、操作性は全然違うでしょうね。
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しかし、その太さのお陰でこうした端っこの残パウを楽しめるのです!!
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ヒュ〜〜〜。極楽じゃ〜。
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しかし、林道との合流地点の段差にやられる。人生楽ありゃ苦もあるさ。
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だいぶ板の扱いにも慣れてきた様です。
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焼額の方へも行って見ましょう!
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綺麗な圧雪で滑りやすいです。
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チェアスキーって実は普通のリフトは簡単に乗れるけど、ゴンドラは板を脱いだりしないといけないのでチェアスキーヤーにとっては実は利用しづらいそうです。なのでゴンドラを使ってしか遊べない焼額の奥の方へは今まで来た事なかったそうです。今日はせっかく俺がいるんで突っ込んで見ましょう!
係の方も快く手助けしてくださりサクッと乗れました。
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てな訳で2000mで記念撮影。
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なんてキャッキャッしてると小布施のスキーヤーの友達のカズシゲに遭遇。外国人のゲレンデクルーズガイドのお仕事中でした。彼の実家、小布施のジェラート屋、エルバート、美味いから要チェックやで。
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ほんじゃ焼額山頂からの滑降を楽しみましょう。
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ロングランで楽しいです。標高下がると雨っぽい雪に変わって来ました。
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一ノ瀬に来ると数多くの修学旅行生達が。あかん、こんなところで滑ったら、絶対通学中の子供達の列に突っ込むトラックみたいになっちまう。
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という訳で人の少ない寺子屋へ来てみました。
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上の方はいい雪が降っていました。視界は暗いけど雪はいい。
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帰りは林道で。ここがまたバンクドスラロームみたいでなかなか面白い!!
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楽しかったけど、いつの間にか車のある高天原ゲレンデと全然違うゲレンデに降りてきてしまっている様です。
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そしていつの間にかゴンドラの駅に迷い込んでしまいました。
また、さっきみたいにゴンドラ乗れないかな〜とあわよくば思っていましたがここは、ゴンドラに乗るまでの道のりが長い上に、ゴンドラが狭くて入れないとのこと。
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こりゃだめだ。戻りましょう。
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標高下げると雨模様。でストップスノー。いや〜やめて〜。
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なんとかリフトを乗り継ぎ高天原へ帰って参りました。黄門様、もうくたくたなご様子。朝からみっちりやりましたからね。
お陰で志賀高原ってとこがなんとなくわかりました。
お疲れ山です!
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帰りは美谷島の豪ちゃんおすすめの中華料理店にピットイン。
美味しいラーメン食っときました!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でした!!
黄門様とは明日も引き続きツアーします!
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tsubakicraft · 4 months
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扉窓枠の加工を始める
モノづくり塾建屋で使う扉の窓枠材の加工を始めました。 こんな感じに組みます。 細く掘った溝にガラスが入ります。 怠けなければ年内にホゾ加工を終えて、年明け早々に現場で組み立てられると思います。 年末に基礎工事が終わり、建材の一部が現場に搬入されます。そのタイミングでもう一度現場に行く必要がありますが、なんとか大晦日までには加工が終わるでしょう。 年始は少しのんびりして、5日から道具や材料の搬入、7日から現場での建材の加工を始めたます。それに前後して仮設トイレの設置、仮設電源の工事が入り、15日から建て方開始。25日には肢体が完成して屋根を葺きます。25日には一旦帰宅しますが、それまでは現場に泊まり込みです。毎日通うのは大変なので。 その後は、建屋の中で雨風を凌げるので、土日以外は泊まり込み、土日は通いで電気工事、階段作り、床張り、断熱工事、外壁工事、内装工事、作業台・机・椅子…
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khrbuild · 4 months
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寒いの嫌やけど、なんかやっと年末らしくなってきました。
貝塚市水間寺境内旧水間会館リフォーム工事
貝塚市三ツ松屋根葺き替え工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
先週の26℃からの急転直下の雪、
なめんとんかーい!!
ですよね。
まぁ、正月近づいてきたなーって感じですけど🎍
やっぱり暖かいほうがいいですね。
(^_^;)
今日の雨もへこたれました。
そんなことも言いつつ、朝から年明けの工事の準備に入ってます。
水間寺境内にある、旧水間町会館。
今年春に二階部分を改装させていただいて、出来上がった
「さくらのテラス」
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落ち着いた空間なので、土日に水間寺に遊びに来たら寄ってね〜。
そして今回この旧会館の1階部分の改装。
今年も残すとこ2週間。
頑張って来年の仕事の準備をせねば。
いつものようにまずは、工事前の荷物の片付け
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ここで、子供の頃クリスマス会やったんやけどね。
もうボロボロやね(^_^;)
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頑張って、うっつくしにしましょかw
クリスマスもあるしね🎅
そして、やがてくるお正月といえば、
お餅にお雑煮 おせち料理と色々ありますが、やっぱり日本人はコタツにみかん🍊。
今年は夏が異様に暑かったせいか、みかんが小ぶりで水分が少ないものが多いとか。
毎年先輩のやっちゃんありがとうございます。m(_ _)m
そして 和歌山のお魚師匠の旦那さんのお勤め先のみかんも届きました。
有田中央高校の学生さんたちが学校の実習で作った美味しいみかん。
販売されてまして、ちゃんと購入してます、かっぱらって来てもらったんちゃいますよ。
そこはちゃんとお伝えしておかなければ
(^_^;)
試食品はいただくんですけどw
とても品質もよく地元でも大人気みたいです。
みかんの産地、和歌山県有田市のおみかん、これで正月はコタツと共に「ゆく年くる年」から「箱根駅伝」まで 引き籠もり生活満喫できます。
アザース!!
そうそう、皆さん
田村のみかんて最近ちょくちょくテレビでやってるの知ってます?
和歌山県湯浅町の田って地区で作られている知る人ぞ知るみかん。
糖度が13度とも14度とも言われるみかん。
お値段は10キロ五千円、都会に行くと一万円とも言われる幻のみかん🍊
紀伊国屋文左衛門の世界ですね。
そのみかんを今日は一緒にいただきました。
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食後やったんですが、1つ食べたらめちゃくちゃ甘みがあって、温州みかんじゃないみたいでしたよ。
そして、美味しいみかんといえば、
「菊みかん」って昔から言われてるみかん知ってます?
品種じゃないですよ、
それはたまに取れる甘いみかんのこと。
皮がブツブツというかボコボコというか、ブラックマヨネーズの吉田みたいなw
写真で菊みかん並べたのでわかるかな?
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普通のみかんは
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上のほうがボコボコしてるでしょ。
そしておしりの方から見ると
菊の模様に見えるって言うんですけど。
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これは なかなか熟練でないとパッと選べないですよね。
私もそこまで熟練じゃないんで偉そうにいえませんけど(^_^;)
うちのジュディーは昔お父さんがみかん畑やってましてね、南向きの山で美味しいみかんが穫れたらしくて、みかんにうるさいと言うか、めちゃくちゃ大好物なんですよね。
毎晩いただいたみかんを夕食後暗い部屋のダンボールから4つ持ってコタツの上に置くんです、
そして無造作にテレビを見つつ、その4つのみかんを手探りで選んで2つパクパクッ!
おーーい!ちょっと待てっーーー!
4つ持ってきて2つ食べる、フムフム!
私に2つ持ってきてくれたんやな、優しい妻よ!
いやいや、その前にノールックやけど、選んでるよね!
持ってきたからイニシアチブはあなたにあります、しかし目利きの良いあなたが選んだみかんは美味しい。
ほな毎回毎夜残った2つ食べてるワシは敗戦処理投手かぁ~い!
責任者出てこーい!!
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ミカンハラスメント、略してミカハラ!
とまぁ、面と向かってよう言わんから、
ブログを通じて、人生幸朗みたいなオチになったけど(・・;)
今年もこうして残り少ない坂口家の平和な夜が更けてまいります。
皆様お疲れ様でした。
おやすみなさいまし。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】明治二十二年(1889)9月30日:天満紡績争議(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
争議の発端 1889(明治22)年9月30日12時半、午後の就業をつげる汽笛が鳴りひびいても誰一人工場に出てこなかった。かねて職工は賃金引上げについて「寄々相談」を続けていたが、この30日、綛場 (綛部・綛締部)の女工300余名がまず朝9時の休憩時間、そして昼12時の食事時間に食堂で「今日こそは賃金引上げを要求しよう」と相談、ついに午後就業しなかったのである。米価が騰貴を続け、生活に難渋し(この当時女工は、近郊農村あるいはいわゆる細民社会のものがほとんどであった)、それに近くの堂島紡績の賃金の方が高い(綛機一枠、紹締部一玉に付2~3厘)ことからも、賃上げは決して無理な要求ではないというのが女工の主張であった。その他、上半季特別賞与の支払い(予定は9月20日迄に支払い)・待遇の公平も要求していた。その後、女工は、食堂の様子をうかがいにきた職工取締(役員)が後日の返答を約したことで、一応就業したが、午後5時半になると一斉に仕事をやめ(6時までが就業時間)門前にでて夜業職工を待ち受け「人毎に何か示し合わせし模様」だったが、この日はそれ以上の行動に出なかった。
その後の経過 30日以後女工たちは、返答を待ち仕事も手につかない有様だったという。返答がないのに業を煮やした女工約300名は、 10月2日午前7時頃、出勤途上の一職工取締にじか談判に及んだ。だが女工らが、その取締の説得に応じ会社内での話合いに入ろうとした途端、取締は態度を変え、即座に主唱者を解雇してしまった。憤激した女工たちは、午後三時頃には4~50名が先���要求に加えて、5年間契約書・積立金(双方とも職工の足留策)の返付をせまった。さらに翌3日には、 汽缶部の男工も、女工に同調する動きをみせた。このため、会社は3日まで操業を中止せざるをえなかった。 この3日には、会社は、女工300名募集の掲示を門前に出すとともに、社員が職工宅を歴訪し出社を説得するなど、争議の切崩しにかかった。対抗して、職工約400名は同日午後から、堀川監獄・島田硝子製造会社等の天満周辺に「集合して頻りに相談をなし」、「ややもすれば会社に押しかけんとする」勢いをみせた。この動きを察知した憲兵第六管区長柄駐屯所は、4名の憲兵を現場に派遣、職工を説諭、解散させた。ちなみに憲兵が争議に介入するのはこれが初めてである。警察・憲兵は、争議中の集会等にも干渉し、解散を命じていた。会社側はこれを背景に、「もし説諭に服さざれば解雇せん」と一層強硬な態度に出てきた。翌4日、会社は、争議の主唱者とみられる 男工60余名・女工20余名を厳重に取り調べた。5日までに、その職工らを解雇するかあるいは要求を受け入れるか、いずれかに決定する予定だったという。
警察・憲兵・会社の強硬な姿勢を前にして、5日には昼業職工400名はすべて就業してしまった。だが夜業職工のうち数百名はなおも説諭に服さず、「賃金の引上げを聞き入れぬとならば、我々に相当の前借を許された」と要求していた(結果不明)。
妥結 警察憲兵・会社の強硬な姿勢の前に、職工側の態勢が崩れ、争議を継続している職工も止むなく会社と妥協することとなった。その結果、会社側は、職工が「穏当」に出ればという条件つきで、「物価騰貴につき実際生活上困難なるべければ、就業の上勉強の者には賃金の値上げをなし、また本年上半季における特別賞与金は6月迄に入社せし者に限り来たる20日迄にそれぞれ配当する」ことを認めた。 また職工主任(職工配置、日給・請負額等の労働条件を決定し、また日常的に職工を監督する)から謝罪書をとることも認めている。この妥協案により、職工は7日から元の通り就業し争議は一応落着した。 当初の職工の要求のうち、賃上げ・特別賞与そして待遇の改善(主任の謝罪書)を曲がりなりにも獲得していることから、この争議は、解雇者が出たとはいえ、一応成功したものといってよいだろう(『大阪 朝日』明2・10・4、10・5、10・6、10・8)。
なお1889(明治22)年12月の天満紡の火災の際、この争議との関連を警察が調べていることからみて(無関係と判明)、その後も争議の余波は残っていたものと思われる(『大阪朝日』明22・12・ 4)。周知のように、この天満紡の争議を契機として、紡績連合会・各紡績会社の職工対策は整備されていく(立川健治)。『大阪労働運動史(第1巻)戦前編・上』1986より。※原文数字はすべて漢数字。
(写真)「赤レンガ館」1886築(中西金属工業) 赤レンガ館はもともと天満紡績の工場として完成、合併により1900(明治33)年に大阪合同紡績天満工場となった。1931(昭和6)年、大阪合同紡績が吸収された東洋紡績の工場となり、1938(昭和13)年に中西金属工業に移った。赤レンガ館と並んで本社棟も明治期の建物。1階が石造風、2階はタイル張り、屋根が寄棟造桟瓦葺という和風づくり。天井が高く、階段は急勾配、手すりまわりの古風な意匠などに、明治の香りが漂う(中西金属工業)。写真は、《西日本 近代建築万華鏡》より。
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32j · 8 months
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2023/08/27
今日は天気がいいという予報だったので郊外にある美術館をトライする日、なんとか天気がいいが、午後曇ることが多いので心配ではある。朝早く起きたので一旦少し島の南側にある現代集合住宅を回ろうとなり、地下鉄の一日券があるのをいいことに南へ。昔はこういう形態操作が好きだったはずなのだけどもはやあまり興味が湧かない。たしかにうまくできている、というかうまくできていることがかなりすごいのだけど、こうも自分が変わるか、という感じ。やはり学部のころは物心がついていたとは言い難い。二つ集合住宅をみて、近くのアンデルセンベーカリーでパンを調達して美術館へ、少し遠い。駅に着いた大量の人が同じ目的地へ歩いていた。途中茅葺きの民家を見かけたりしながら美術館に着く。そういえば予約とかしてなかったなとか思いつつ、普通に入場できた。荷物をおいてひたすら回る。最初の部屋の企画は男性のフラジャイリティに関するもの、これはなかなか共感できた、ダンディズムの無意味さ、とよく観ていったら前にミグロ美術館でみた映像作品の人だった。そのまま少しずつ進み、海の方まで来た。庭を少し回って建築展コーナーへ、裏から入ってしまいよく分からなかったがだんだんわかった。かなり骨太なリサーチをやる人たちで、どこで学位を取ったんだろうと思う。そのまま進んでコレクションのゾーンへ。ベーコンを見ていたあたりで外が土砂降りになっていることに気づく、まあ仕方ないと進んでいって、一旦終わりまで行ってから少し休憩することに。ロッカーに戻ってピーナツを確保、雨がちょうど上がっていたので芝生で食べる。常設コーナーに戻り、思いのほか地下が大きいのでウロウロしながらなんとか一周見終わる。もう一周ざっくりみよう、と言ってまだ観ていない庭の彫刻を中心に見て回る。裏の庭などもなかなか見応えがあるが、カフェが異様に綺麗。さっくり一周終わり、ショップを見るもあまりいいのがなく、巨大ポストカードを一応買って出る、さらに奥の街にある海洋博物館に行ってみることに、博物館自体はほぼ閉まる時間だがドックを改修した場所でわりに行きたかったところの一つ。北限の港町といった風情の街、趣がある、博物館もやはり力が入っている。隣の倉庫の改修と思しきボリュームはあまり良くないと思ったが、中に入ってみると面白くはあった。街の教会を少しだけ見たりしてさっさと帰ることに、中心部で今日はレストランでがっつりいこう、となりいわゆる有名な運河のエリアへ。雨がかなり降っているし寒い、適当に見つけたレストランを当たってみて、一つ選んで店内に入る。多分観光向けになっているが雰囲気は悪くない。オープンサンドとつみれ、どちらも美味しい、ファミレスの味に近い懐かしいデミグラスソースの気配を感じる。まさに北欧の味という感じで良かった。会計が信じられない値段だったが。雨もひどいのでさっさと帰る。
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kazuya-ikezoi · 1 year
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外まわり 窓をつないだ木のアクセントが映える組み合わせ 複数ある生活感の出る窓を、一つにつないでまとめています 外観と窓の取り合いは、いつも悩むポイントです 皆さんの悩みポイントがあれば、参考になるものを探すので 教えてください 他にも事例を紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てください #木枠 #アクセント窓 #外壁板貼り #木枠の窓 #外構計画 #外構デザイン #ガルバリウム外壁 #段葺き #設計士とつくる家 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/CmBg9MiOdFu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poddyshobbies · 10 months
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福津市の須多田古墳群 ~ 在自剣塚古墳(4)
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津屋崎古墳群最大の前方後円墳の後円部に居ます。
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↑↓ 北西面の1段目の上 ~ 後円部から前方部方向
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後円部の正面方向(少し離れて)
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1段上がって、その上に後円部。
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葺石でしょうか。
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北側から
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農機が通った?
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北西面
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前方部(南西側)へ出てきました。こうして見ると少なくとも3段はあります。
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2023.6.5 ~ つづく
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aizumin · 10 months
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その1
6月18日(日)参加して参りました。ローソントラベルと月刊ムー編集部のコラボツアー第2段です。実は昨年の第1段も気になってはいたのですが、コロナ下ということと1泊ツアーだったこともあって断念😢
今回は元々が大好きな平将門さんなのと、パンフレットに作家の加門七海女史が寄稿されているということで、読んでみたい意欲も重なりまして。6月過ぎているというのに申し込みをポチってしまいました💦
集合場所は新宿センタービル。Twitter等の情報を見てなかったんですが、何か集合時間ギリギリになって最後に現れた方が松原タニシ氏のコスプレ?すごい似てるけどまさかな~😅
……そのまさかで、ご本人様でした💦💦
※後から松原タニシ氏の参加が、公式Twitterで告知されてるのを確認して脱力しました。何だよー、ちゃんと把握しとけよ😂>自分
さて、1時過ぎに定刻通り出発した🚍が向かった先は、茨城県の國王神社でした。
将門さんが討ち死にされた跡地?に創建された神社です。ここがめっちゃ居心地がいい😊💕空気が違うと言うか、清々しいんですね。糺の森クラス。
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駐車場から境内に入ったのですが、ちょうど狛犬さん辺りからになるので、改めて⛩️をくぐって入ろうと思い、⛩️は何処だと見渡したら遥か彼方!!
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参道長っ😳
急いで⛩️まで行って、改めて参道を歩いてから本殿に二礼二拍一礼しましたが、端から見たら多分変な人でしかなかったと思うの😰
ここから、郷土史家の方の簡単な将門さんの生涯と神社の縁起の説明がありまして、将門さんの三女の如蔵尼-ー歌舞伎の滝夜叉姫のモデルになった方ですねーーによる建立とのこと。御神体は如蔵尼自らが将門さんの三十三回忌に彫られた坐像だそうですが、盗難にあった関係で現在は本体は蔵に安置してあり写真のみパネルで公開。
余談ではありますが、私の家の氏神様というか守護神様?が谷保天神(ウチは神道なんで、祭礼関係をお願いしています)なんですが、由来がほぼ同じ💦💦
あちらも菅原道真さんの三男にあたる道武公が、配流先で薨去の知らせを聞いて刻んだ道真さんの坐像を鎮座したのが縁起なんですよねー。3番目の子供と坐像……ちなみに、将門さんが新皇と名乗るきっかけになった神託は道真さんが下したものなので、これも深い因縁があるように思えます。
境内には数々の石碑や、建立当時から植わっていた樹木があり、歴史が感じられました。
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こちらの拝殿の屋根は茅葺きなんですが、所々傷みが……💦💦本来だと茅は数十年おきに葺き替えるのが常識です。京都のみやまのかやぶきの里でも岐阜の白川郷や五箇山でも、保存会の方々が総出で葺き替えている映像を見かけたことがあります。傷みがあれば、茅を継ぎ足します。こちらもそろそろ葺き替えの時期が来てると思うのですが、資金不足だそうで😰お詣りしたご縁もあるからと、些少ではありますが授与所で寄付をさせて頂きました。もっと早くに知っていれば、💴を下ろしていったのにーー😩
参拝を済ませ境内を散策した後、再び🚍に乗り込み次の目的地の神田山延命院へ。こちらには将門さんの胴塚があります。大体15分くらいで到着。🚍の前には畑と竹林が拡がり、こちらも落ち着いた雰囲気の場所。
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でもってですね。☝️を見て仰天。こちらの宗派は真言宗智山派ですと!?
何を隠そう、将門さんの調伏をしたとされる成田山新勝寺が同門なんですよ!!そういうこともあって、将門さんを信仰される方は新勝寺には行かないそうなんですが、よりによって何で同じ宗派に葬った!!
朝廷は調伏を全国の仏門に命じたそうなので、新勝寺がしたということはその宗派全体に命令が下っている筈なんですね。にも拘らず、胴塚が築かれている。何じゃそれ。
ともかく、境内に入ります。
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将門さんの胴は、最初このカヤの巨木の根元に埋葬されたそうです。かなり存在感がある。胴塚にはペットボトルがたくさん置かれておりまして、信仰の篤さが伺えます。
神田明神もそうですが、神田山は元々はからだ山がなまってかど山⇒かんだ山となり、現在の山号になったそうです。将門山とも称するそうなので、かど山=将門さんの「かど」から来てるのかと思ってた😅その身体は何かと言えば、当然のことながら胴塚の胴ですね。
ちなみにこちらの石碑。
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右の「南無阿弥陀仏」と書かれたものは、元々大手町の将門塚(首塚)にあったもので、それが盗難に遭い将門塚の方は新しく造り直して設置した後に戻ってきたそうで。既に設置し直したものを破棄する訳にもいかず、それならこちらの胴塚に奉納しようということで、将門塚保存会から寄贈されたとのこと。それはいいとして、何で浄土宗もしくは浄土真宗なんだろう🤔(南無阿弥陀仏は“阿弥陀仏に帰依する”ということで、浄土宗&浄土真宗の所謂「念仏」なんですよ)
旗の上にある九曜紋は、毘沙門天(多聞天)=大日如来を表すそうで……そういや、境内にちゃんと毘沙門天を祀ったお堂があったじゃん😭(画像撮らんかったんです)
この左の石碑、ん?と思う方もあるんじゃないかと。「大威徳将門明王」なのに、梵字がキリークではなく不動明王を表すカーンなんですよ(その辺りの考察は、高田崇史氏がQ.E.Dシリーズの御霊将門で書かれています😊)
ちなみにこちらの金堂は1964年(東京オリンピックの年ですね)に不審火で焼失してそのままだとか。胴塚のすぐ横の↓がその跡地になります。
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こちらも信仰を集めている割にちょっと荒れているというか。國王神社と延命院、どちらも常駐の神主さん&住職さんが居られない😥正直うちの近所の村社とあまり変わりがなくて驚きました。
取りあえず前半戦はこの辺までで。
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5-season · 1 year
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【法然院】♪あなたが立ち寄ってみたいと言った法然院は恋人たちで賑わい賽銭投げて♪ 私のオリジナル『左京恋模様』の2番の歌詞に登場する寺院、法然院を銀閣寺を後にしてお参り。 銀閣寺が参拝客で賑わうのとは真逆に静かな佇まいのお寺。歌詞には「恋人たちで賑わい」とされているけど、賑わいはなく静寂の和みの寺院でした。「賽銭投げて」という下もあるけれど、本殿は閉まっていて外からお詣りできるのみ。 お庭を清掃中の職員さんに訊いてみると賽銭できるとしたらお地蔵様ではないかということだったので、本殿前の石段を上り地蔵菩薩様をお参り。『左京恋模様』のCDを手に掲げて見ていただいた。傍らに仏足石も。 歌詞には ♪花と波が描かれた道を歩いています♪という一節もあり、それはたぶん山門から続く白い砂を持った白砂壇のことかと想像。 白砂壇は路の両脇にあって、季節ごとに描かれるものが変わる。この日は幾何学的な水と花が描かれていたのかな〜と思うことにした。 茅葺の山門は緑が芽吹いて趣きがある。法然さんのお寺は和みのお寺。『左京恋模様』のような賑わいは見てとれなかったけれど、特別公開の期間中は���た違う印象かもしれない。 🌸左京恋模様を行く⑤ ・ ・ #5_season #apple #japanese #handmade #ringo #kawaii #illustrator #kyoto #liver #japantrip #japaneseart #japan_of_insta #japan_photo_now #奈良に会いに来て #りんご #ライバー #奈良好き #りんご好きと繋がりたい #頭にりんご #歌うパステル画家 #ティックトッカー #鈴御はん #りんごはん #京都 #kyoto #哲学の道 #法然院 #白砂壇 #清め #お地蔵さん #静寂の京都 (法然院) https://www.instagram.com/p/CqUaYfAJoK3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年11月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
秋風や日覆ひの色褪せしまま 秋尚 のつそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 佃煮屋間口小さく秋灯す 三郎 神水を掬へば木の実溢れ出る はるか 残菊やまことに細き路地ぬけて きみよ くつくつともんじや躍らせ小春人 眞理子 欄干に頬杖をつく鯊の竿 はるか 猫じやらしいづれも佃生まれなる 和子 小鳥来て路地の少女の消えてゐる 同 晩秋に釣糸たらす女かな きみよ
岡田順子選 特選句
初冬の海月は川の色をして 小鳥 のつそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 大正の風沸く交番神の留守 小鳥 もんじや屋の高き箆音小六月 眞理子 てつぺんへ鳥入れ替る柿の空 千種 産土神の留守の月島一号地 いづみ 朝寒し江戸の醤油の煮詰まれり ゆう子 佃とは小鳥姦し婆もまた 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鷹匠の脈打つ腕畏鳥 美穂 襟元を直す鷹師の指女性 勝利 風の待つ鷹一点を凝視して 孝子 鷹匠の血脈誇り隠れ棲む 美穂 白樺の空ふかぶかと鷹柱 朝子 りんりんと月呼びよせて虫の声 成子 七五三背中をあふれさうに帯 美穂 隼の一閃に散る鳥の群 由紀子 風も日も包みて蓮の枯れにけり 孝子 あまたなる祈り睡らせ枯蓮 かおり 前を行く心変りの時雨傘 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
石蕗の黄飛ばねばをれぬ蝶一つ 雪 赤とんぼ飛んで昔の空の色 同 この晴を授けて神は旅に出し かづを 幾千里子連れの鴨の渡り来し 匠 在りし日や歴史は遺る左内の忌 千加江 潮風や句碑は礁に柏翠忌 同 霙るるや獄舎の左内穀然とし 千代子 天高く貫ぬく像や左内の忌 笑 街路樹の一夜に痩せて神渡 希
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月8日 萩花鳥会
石蕗の花段段段と崖ぷち 祐子 コロナ禍の波乗り上手に冬構 健雄 小春日の暮れて待たるる燗一杯 俊文 風に揺れ森の囁き木の葉散る ゆかり 会釈から世間話に小春の日 陽子 ただふるへ明日を求めぬ木の葉かな 吉之 流星の如く零れし小夜時雨 明子 南窓微睡む父や冬ぬくし 美惠子
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令和4年11月5日 さくら花鳥俳句会 岡田順子選 特選句
袖揺らし拙く歩く七五三 あけみ 傷のない大根抱へ師を訪ひぬ 登美子 面取りの暇なき夕の煮大根 実加 徒歩多き歴史ツアーや椎の秋 紀子 細路地に並ぶ地蔵や朝時雨 実加 葛湯して今夜は静かすぎる母 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月10日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凩や気にしても今猫背かも さとみ 句をよんで名を知れるなり石蕗の花 同 手の先に触れ行く物の冬に入る 都 廃船のたゆたふ河や冬めきて 同 前山に人の呼び合ふ小春かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蒼穹へ差し出されあり鵙の贄 都 トタン屋根黒く被ひて山葡萄 史子 迷ひ来し犬は小春の匂ひして 都 神名備へ舞ひ降りて来し渡り蝶 宇太郎 冬籠老いて小さくなるままに 悦子 遠き日の灯台の下大根畑 すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
欠礼の葉書一通冬に入る 恭子 大綿の飛ぶ一角や時ゆるむ 同 朝の日に虻を待ちゐる花八手 三無 初時雨移ろへる景厨より 和代 蒼天に柿の朱色の映り込み 三無 大綿の抱へる影の漂へる 秋尚 想ひ出は些細なはなし花八手 ゆう子 木々の葉の手さわり厚く冬来る 恭子 綿虫のふうはり中子師の化身 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
こつこつと振子の音や冬灯 時江 残菊に風の別れか纏ひつく 同 丁寧に描く絵手紙曼珠沙華 ただし 神なびの落葉時雨や岩を打つ 時江 花八手午後の日早も翳りゆく 昭子 職人はなべて無口や日短 同 落葉踏む音にも山の深さあり みす枝 踏み入りて銀杏落葉に呑まれたる 信子 マネキンの衣裳着膨れしてゐたり 世詩明 初霜の夜なりオリオン瞬きぬ 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
山茶花の掃きたるあとに二三片 廸子 ものの影長く濃くなる冬めきて 三無 隼の腹白じろと急降下 怜 街路樹の風音乾き冬めける 秋尚 夕散歩我が影長く冬めきぬ 怜 箒持ち山茶花散るを楽しめり ことこ 青空を切るビルの影冬めける 秋尚 立ち話続く山茶花日和かな 和魚 冬めきて木立の空の広くなり 廸子 蒼天を蹴りて隼矢となりぬ 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月16日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
字余りの句をつくりたる文化の日 世詩明 桟橋も浚渫船も冬に入る 千代子 神の旅紅く際立つ大鳥居 笑子 茅葺の千古の家に散る紅葉 希子 玉砂利の中に見つけし木の実かな 和子 存問もせずしづむ身に石蕗の花 数幸 せめて欲しうすばかげろふ程の翅 雪 人の世を仏の流転秋の風 同 だんまりを通しきれずに蚯蚓鳴く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
人の世に蓑虫鳴くと誰が云ひし 雪 火取虫飛ばざれば灯も淋しきか 同 寺小春上品上生仏仰ぐ 千代子 ぼてさんは越前蟹を売り歩く 同 銀杏散り大樹の影の細りゆく かづを 千年の古都の時雨にあひにけり 同 潮風に磨きあげられ石蕗の花 眞喜栄 腕白も今日は神の子七五三 みす枝 秋風に揺れてゐるかに弥陀の耳朶 やす香 冬ざれや星をつけたる兵の墓 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月18日 さきたま花鳥句会
参道を江戸小紋なる散紅葉 月惑 冬凪や島のなぞへの墓の群 裕章 麦稈のロールどすんと冬を待つ とし江 藤袴やさしく撫づる福禄寿 ふじ穂 あかあかと冬田息づく日の出かな 康子 神無月何事もなく老いの日々 静子 美女と言ふ嘘を重ねて冬鏡 良江
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令和4年11月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
照紅葉ここは武蔵野ど真ん中 三無 黄落の熄み変哲もなきベンチ 千種 落葉して三面恐し馬頭尊 慶月 重さなき影を揺らして枯尾花 三無 藁屋根に落葉降り積み主留守 慶月
栗林圭魚選 特選句
冬枯や蚕飼の匂ひふと間近 炳子 冬灯しコルクのもろき薬瓶 久 初時雨お薄いただく森の庵 久子 雲割れてゆく黄落の激しさに 千種 大根の髭剃られあり品評会 久子 山茶花や雨の重さも散り敷きて 亜栄子 黄落の熄み変哲もなきベンチ 千種 白銀の手摺り冷たく磴下る 炳子 乾びたる音の遠のく冬木道 眞理子 ちりちりと咲き揃ひたる冬桜 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋祭皮張り替へし大太鼓 雪 而して九十一の菊膾 同 七福神旅立たれたる村静か みす枝 百地蔵に散華の如く紅葉舞ふ 同 湯豆腐の正面に座す強面 昭子 掃き終へし箒立て掛け花八手 同 季は今し厳き面となる猟夫 一涓 還り来し神をねぎらふ祝詞かな ただし 百鉢の菊の位を競ひけり 世詩明 一寺置く知恵の文殊の山眠る 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
皇のげに隙のなき白障子 昌文 身を包むコートの中が愛国者 いづみ 箒目を真直ぐに神を迎へけり 光子 陸士らの祈りの長き神迎 はるか 今にして見えてくるもの綿虫も 千種 大前へ小春は人を歩かせて はるか 孤独なる鴨の水脈とはもつれざる 光子
岡田順子選 特選句
桜もみぢ防大生の整列へ 眞理子 狛犬の阿吽おそらく息白し 俊樹 黄落す絵画の中に居るやうな 政江 参道の冬日の中へ防大生 同 幾そ度落葉の艶を神の池 幸風 すれ違ふ男冬野の匂ひして 千種 大前へ小春は人を歩かせて はるか すめらぎの濠へ映りて柿たわわ 眞理子
栗林圭魚選 特選句
冬蜂のとどまるところ香の濃ゆし 光子 ハーレイの枯葉舞ひ上ぐ九段坂 要 靖国は黄金色に神迎 千種 枯蓮の影縮こまる濠深き 秋尚 日を溜める力残せし枯尾花 同 すれ違ふ男冬野の匂ひして 千種 孤独なる鴨の水脈とはもつれざる 光子 紅葉散る城跡になほ地の熱り 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
蓮根掘る胴長干して昼餉時 光子 蓮根掘り母のがめ煮の待つてをり 美穂 目貼せし仏間に母と長話 愛 黄落やへうたん池を膨らませ 由紀子 手の窪に在はす仏や霜の声 成子 蓮根掘るまぶしき泥の太古まで 睦古賀子 冷たき掌胸に合はせて百度石 かおり づぶづぶと臍まで沈む蓮根掘 千代 抜き足は得意技なり蓮根掘 美穂 蓮根掘るこのまま脚の根付きさう 愛 冬銀河泳ぎ止まざる大魚達 ひとみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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