Tumgik
#歩行者横断用信号機
bearbench-img · 1 month
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ホコウシャオウダンヨウシンゴウキ
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歩行者横断用信号機は、道路や交差点で歩行者が安全に横断するための信号機です。通常、信号機には赤、黄、緑の3つの色の信号があります。
赤信号:歩行者に対して停止を示します。歩行者は横断を待つ必要があります。
黄信号:赤信号からの切り替えを知らせます。この時点で横断を始めることはできますが、注意して横断する必要があります。
緑信号:歩行者に対して横断を許可する信号です。このときに横断することができますが、交通の流れを確認しながら横断することが重要です。
信号機は、歩行者が安全に横断できるように、車両との交通を制御する役割を果たしています。また、一部の交差点では、歩行者が横断するための時間を確保するための専用の歩行者待ち時間も設定されています。
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chikuri · 26 days
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総��で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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patsatshit · 7 months
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日頃から公私ともにお世話になっているmole musicの店主、中村光貴にインタビューを試みた。メディアに露出する機会のほとんどない孤高の音楽生活者の「生活」についての一問一答、お楽しみください。
【2023年10月17日12時43分インタビュー開始】
〔土井〕 かつてタラウマラで発行していた季刊ZINE『FACE TIME』の記念すべき創刊号に素晴らしいテキストを寄稿してくれた光貴くん。そのなかで「それぞれが人生を続けるように、風景は変化し続ける。そして忘れ去られる。ユートピアは存在しない。悲しくもディープハウスは状況に対して意味を持つ」という極めて辛辣な言葉で論考に幕を下ろしていたけど、mole musicは大阪〜古市、古市〜新大宮と移転を繰り返してきた訳で、その都度、心境や生活に変化はあるの?
〔光貴〕 土井さん、こんにちは。相変わらず突然ですね。今日はよろしくお願いします。変化はあります。どちらかというと心境や生活の変化に合わせて、移動している感じですね。『FACE TIME』創刊号に提出した「無題」は2019年に自身のパーティーや物質の制作に向けて、普段は公開することのないステートメントや論考のテキスト断片と影響を受けたテキストのサンプリングをミックスして展開してます。昔から変わらないんですが、僕は動く前に書いてます。動いてから書くことは稀で。「無題」はカットアップというより自身のDJの方法に近いです。テマティック批評で編集したと思います。うまくできたかはわかりませんが。「無題」をタイトルとしたのはテマティックの逆説です。逆説の逆説かよってなるかもですが。僕の性質をよくご存じの方はまたやっとるわぁぐらいで思ってもらえれば。結果、活字の世界では違法な戯言みたいなものになりました。結果、土井さんが楽しんでくれていたので良かったと思っていますよ。
(中村光貴の「無題」は『FACE TIME vol.1』に収録)
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-skit-リズムを取る二人。土井返答無し。恐らく仕事。中村は定休日、湯に入る。
〔土井〕 ごめん、ごめん、パンク修理してた!なるほど。まさに「状況に対して意味を持つ」というか「はじめに言葉ありき」という感じやね。僕は古市時代からのお付き合いで、初めて家族でmole musicに合宿させてもらったとき、何か具体的なきっかけがあった訳でもなく、早朝から光貴くんとうちの息子が突然の音楽セッションをはじめたときのことがいまも鮮烈に脳裏に焼き付いてる。そもそも建物の佇まい自体が店というか、家。いや、家というか、掘っ建て小屋。街中によくある「古民家を改造して良い感じに仕上げました」という数多の量産型とは一線を画す、マジの荒屋やん。あそこを住居兼店舗として利用するのはそれなりの覚悟が必要やと思うし、「不便」と添い寝する気概がないと成立しないよね。ガスは通ってないし、水道管に地下茎が蔓延ってどえらいことになっていたし、夏は死ぬほど暑いし、冬は寒すぎて凍え死にそうになるし、秋は猛烈な花粉の飛散でこれまた死にそうになる。僕はmole musicに宿泊するたびに死にかけてる(笑)。それでもまた行きたいと思わせてくれる魅力があそこにはあった。一転、新天地は閑静な住宅街の一角という極端な振れ幅!それこそ光貴くんに教えてもらった西井一夫の『写真編集者』という本のなかに「写真をやろうと思う人は、人から何であなたは写真を撮っているの?というか何であなたは写真家になったの?と聞かれたときに、自分が写真というものを選んだ理由を言えるようにしていなければならない」というようなことが書かれていて、ほな光貴くんがレコード屋をはじめた理由を聞き出したら何日も夜を跨ぐことになりそうやけど、簡潔に言うとどういう理由でmole musicを立ち上げたの?
〔光貴〕 今日もパンクしてますね (笑)。古市は僕にとっては「不便」じゃなかったですよ。家が無い路上のハウスDJだった時代もありますし (笑)。奈良古市は住み込みながら、友人と4カ月かけてレコード家と呼べるような場所にしました。移転前、がらんどうになった家を見ながら、良いハウスになったなぁと勝手に納得していましたね (笑)。
レコード屋をはじめた理由を簡潔にいうと、制約のある時間、あるいは一生をかけて、語るには最高の方法だからじゃないでしょうか。それを続けられるかは別として (笑) 、今もそう思っています。肩書をレコード屋とDJのハイブリッド。これは僕の造語なのですが「音楽生活者」と名乗っています。因みに最高の方法っていうのは僕にとっての最高ですね。方法なので、目的はその先にあります。目的の先があってほしいとも思っています。続けられていることはラッキーです。
〔土井〕 「音楽生活者」という肩書きはめちゃくちゃ納得。mole musicの特異点は店舗そのものが完全自立型の語り部として機能していることやな。同じレコードを買うにしても、意味合いが変わってくるというか、そのレコードを手にした人間に、歴史的な背景や文脈を突き付けてくるというか、ほんま恐ろしい店やで(笑)。
〔光貴〕 その反応は純粋に嬉しいです。答えはなくて色んな方法で楽しんでもらえていると糧になります。僕自身が駄菓子屋からレコード屋に育てられてきた世代の人間なので。現代では何か目新しいことをしているように見えちゃうかもしれませんが、実は時代遅れの混成型。過去にあった、忘れられた当たり前の風景だと思いながら続けています。
〔土井〕 みんなええかっこして「お客さんのために」とか「文化を絶やさないために」とか言うけど、何よりも自分にとっての最善を模索し、追求し続けるのが自営業やと思う。
〔光貴〕 「お金のために?」「利権を絶やさないために?」(笑) 嗚呼、幻?気のせいです。
〔土井〕 自分にとっての最高の方策でないんやったら、店なんかやらん方がええもんね、しんどいだけやし……。
〔光貴〕 あっ、土井さん、しんどいのはお互いさまですよ。だって未だに好きなこと続けさせてもろてるから、しょうがないですよね (笑)。
〔土井〕 光貴くんがある種の目的を見据えて走り続けるmole musicを端的に表明するキーワードを挙げるとすれば何やろう?
〔光貴〕 キーワードかぁ。鍵の言葉ですよね。いつもなら反対とか逆説って言うような気がするんですが……。走っているつもりは無いのですが、うまく歩めていないかもしれません。歩むこともテーマなのですが、活動で脱落者が出てくるのは事実ですよね。ここは土井さんも思い当たる節はありそう (笑)。今日は定休日なのですが、実はさっきもお客さんが来てました。今は次の制作のミックスダウン作業をしながら返信しています。土井さんはパンク修理しながら質問を投げてるでしょう?休み方だけは忘れてしまったかもしれませんね (笑)。
〔土井〕 それはほんまにそうかも。僕も昨年に片足がもげたわ (笑)。好きなことを続けるのは絶対にしんどい!そう言えば、1年の半分以上を全国津々浦々の現場でライブをして生活しているブルースシンガーの方に「しんどくないですか?」ってアホみたいな質問を投げかけたことがあって、その方は「土井くん、子どもは好きなことやってるときは何時間でも何日でも同じことを苦もなくやってるやろ?わてはあれと同じや。好きなことしかしてへんねやからしんどいことなんてあれへんで」って言うてはって、やっぱりレベルが違うなって思うたんやけど、その数日後に体調を崩されてライブの途中にまったく声が出なくなったらしく、後日タラウマラに来てくれたときには「土井くん、やっぱり好きなことでもしんどいときあるわ」って苦笑してはって、逆に「好き!」ってなってん。
〔光貴〕 土井さんの生活はシーケンスがあるから。しっかりと家族と向き合ってるのが凄いなと。この間、ブログで売り上げのサンプルを提供してたじゃないですか。売り上げをデータベースにアーカイヴする時点でえらいパフォーマンスやなぁって思ってみてたんですけど。目的が明確だなと。もう素直過ぎるやんって感心してました。土井さんは家族と過ごしている時間は絶対譲りませんもんね (笑)。比べて僕は即興の要素が多いかもしれません。今やっていることが正にそうですし。あとで辻褄あわすかもやけど (笑)。
〔土井〕 いつも僕のわがままに付き合ってくれてありがとう (笑)。僕は光貴くんの即興性に底知れぬものを感じているから、ついつい無茶振りしたくなるねん。そのくせ自分は家族との時間を断固として死守するという超わがまま (笑)。あと光貴くんが挙げてくれた「歩むこと」「駄菓子屋」は確実に鍵となる概念やね。それこそうちの店名になってるメキシコのタラウマラ族の人たちも速く走ることを得意としている訳ではなくて、ゆっくりと永くいつまでも走り続けることに長けてるみたい。それってつまり「歩むこと」やと思うねん。周りの情勢や速度を気にせずに歩みを止めないというのは意外と大変なことで、誰しもついつい周囲と歩調を合わせてしまうもんやからね。それと2000年代前半くらいまでの過剰なマニュアル至上主義の横行によって、個人経営の店でさえも当たり前にシステマチックな対応を求められるようになったやん。店は客に対してこうでなければならない、というのを無意識に植え付けられている人が多い。でも僕らが子どもの頃に通ってた駄菓子屋のおっさんらは客である僕らに平気で怒鳴ってきたし、ひどいときには殴られたやろ(笑)。せやけど結局それが自然というか、店員と客である前に人間と人間やから、双方で怒りたいときに怒れば良いし、笑いたいときに笑えばいいと思うねん。そういや光貴くんとの電話をしている最中に「工具貸してくれや」って言うてきた客のおっさんにキレたこともあったな(笑)。
〔光貴〕 幼少期、駄菓子屋がはじめて触れた「社会」や小さな「世界」だったと思いますね。決して学校では無かったです。「社会」の教科書を見ても、殺した人間の数が多い人が太文字で書かれているだけだったので。あの書物は時間軸が遠くなればなるほど、太文字が神格化され、現代に近づくほど不明瞭な二元論で語られる不思議な読み物ですね。実際、今は「社会」と呼ばれる教科書を趣味で読んでます。特に意味はありませんよ (笑) 。子どもながらに駄菓子屋で思考するか否かで大きく人生が変わったと思います。田舎育ちだったことも影響しているかもですが、僕の好きな駄菓子屋の風景は無くなりましたね。まだフィールドワークは終えてないのですが、地元の駄菓子屋が潰された時期、各地で駄菓子屋が消えていってるんですよね。その後、街のたまり場はコンビニエンスストアになって、駄菓子屋の無い町の夜は大荒れ。
〔土井〕 いや、ほんまに。教科書ってやっぱり権力側の呪具みたいなもんやから、駄菓子屋のおっさんみたいに「俺が教科書」という人間との折衝はそのまま「社会」に出会う行為と等しいやんな。一時期、うちの長男が家の近所の「ひさご」っていう駄菓子屋で万引きを繰り返すということがあって大変やってんけど、あれも息子がはじめて「社会」というものに触れた瞬間やったと思う。さっき言うたみたいにうちの子らが打楽器で光貴くんとセッションしたり、共通の知人の息子が遊びに来ていたり、mole musicは駄菓子屋の原風景をいまも確実に描き続けてるよね。原風景という言葉で思い出したんやけど、光貴くんと友人との共同制作 Zip Up Parker 「帰り道」について聞きたくて、あの印象的なバックプリントの風景は何をモチーフにしてるの?
-skit-土井:因みに自分も「帰り道」パーカーを愛用している。マジで毎日着てる。
【インタビュー開始から6時間が経過】
-skit-中村:気絶 自称巨匠からのメールで起きる。理由もなく日々えらくなっていく巨匠に恐怖。
〔光貴〕 気絶してました。そうそう駄菓子屋はそういうイメージですね。子供にとっては実は軽く超えられる境界なんです。モールは敷居が高いイメージかもしれませんが、それは現代の風景から切り取ればそう見えるように作っています。住宅地の一角の何故か開かれた場所なので。一駅隣に住んでいる、鉄道マニアの中学生がたまに友達と自転車漕いでレコード買いにきたり。「書くのはやめた」って言ってたのですが、その子は仮想国家のSFも書いていて。まぁ、おもしろいですね。彼らのクルーには昭和アニメのマニアもいるので、この場所がきちんと店に見えてるんですよ。「帰り道」については去年奈良古市に店を置いていた時代に友人と製作したかったもので、タイトルそのままですね。完成して現物が届いてからタイトルを付けたので、特に深く考えずに出てきた言葉ですね。「深く考えず」にということは、日頃からある共通認識だと言うことで「帰り道」としました。モチーフはタッチ、タイトル、カタログ番号等から察して頂ければ幸いです。
〔土井〕 鉄道マニアの中学生クルーに是非とも会いたい!自画自賛になって気持ち悪いけど、ほんまに僕らの店に来る人たちって、良くも悪くも��性的で最高に笑えるよね。光貴くんの言うようにmole musicやタラウマラが「店に見えない」人たちにとっては、一向に可視化されないのに。それでも彼らは自然と集まってくる。そこに何があって、何が見えて、何が果たされたのかというのは各自が自分の胸に手を置いて考えたら良いし、それが通過点なのか終着点なのかは誰にもわからへんもん。光貴くんの製作物には常に何かしらの意図があって、それをこちらの解釈で勝手に紐解くのが面白い。さっきは無粋な質問を投げかけたなって、いまちょっと反省してる(笑)。レコード屋としての光貴くんの考えはほんの少し掴めたような気がするので、次はDJとしての活動について聞かせてください。キャリアはどれくらい?
〔光貴〕 いえいえ、大丈夫です (笑) 。楽しんでもらえればありがたいんです。(ここはインターネットメディアの露出が無ければ話��ているかも知れません。でっち上げの可能性もありますが)。DJをはじめたと感じたのはギターからターンテーブルに持ち替えた18歳、地元でDIYパーティーをはじめた頃ですね。レコードプレイヤーを買ったのは16歳、この頃からレコードコレクターだったと思います。DJのキャリアは22年ですね。
《2022.11.26 Hopkins Creek at Northcote Theatre》
〔土井〕 キャリア22年!龍ちゃん a.k.a VNZ(東淀川区出身のラッパー)がオギャーと生まれてから現在までの人生をまるごと飲み込む期間やん!その22年間のDJ活動に於いての変化や矜持みたいなものがあれば教えてほしいな。
〔光貴〕 じぶんアーカイヴが下手くそなので、仮に22年としておきます (笑) 。実際はもう少し前かもしれないです。DIYパーティーと並行してDAWN(現NOON)でレギュラーパーティーをはじめたのは恐らく19歳でした。僕は行為においては物質より現場のみに重きを置いてきたので、制作物があまりにも少ないんです。変化について簡潔に書くと、僕にとって良いとされていた時代は去っていった、ということに尽きると思います。これは時代の話なので、個と音楽との関係性はもっと複雑かつ多元的です。僕の場合、レコードのような多元的な物質でなければ、ここまでDJを続けることができなかったと思います。戦後日本の時代の変革と世界の変革はおよそ10年と20年、ふたつのタームで考えることができるのではと過程していました。音楽においてもこのタームというのは有効で音楽史を振り返れば自然と見えてくるように思います。未成年(当時)の頃から20年ターム、この姿勢は続けてみようと思っていました。少し欲張って40歳までこの景色を見ようと。既に40歳を迎えたので、矜持としての行為者として続けるという役目はひとつ果たしました。その過程の中で行為として他人と同じことはしないという制約も徹底できたのかな?と。しかし求道的に今尚続けているのは、レコードという物質の魅力に尽きると思います。僕の場合レコード屋とDJのハイブリッドなので、ここを肯定できないと終わりなんです。かと言ってデジタルを否定している訳ではありません。じゃないと、このインタビューも厳密には成立しないので。いま現在もCD-Rで実験しています。この歴史はなかなかおもしろいんですよね。そろそろCD-R史のフィールドワークをはじめようかなと思っていたところです。
〔土井〕 めちゃくちゃ具体的な回答かつ、これが今日のハイライトかもしれない。「現場のみに重きを置いてきた」というのはここ数年の付き合いの自分からしても納得できる話で、mole musicという思想の実体化としての店舗、DJの現場ひとつひとつが光貴くんにとっての作品なんやと思う。レコードを多元的共有物と見据えて向き合う姿勢、CD-R史の探求など深掘りしたい話題がてんこ盛りで、興味が尽きない。ほんまに稀有なまなざしでレコード屋とDJを両立させてる人やと驚くわ。これも答えにくい質問かもしれないけど、光貴くんにとって特に思い入れのある作品(レコードorパーティー)は何ですか?
〔光貴〕 アナログとしてのCD-R史ですね。僕の青年後期は友人と何か作品を交換したり、プレゼントするメディアがカセットテープからCD-Rへと転換する時期でした。僕自身もこの転換は驚くほど簡単に移行できたんですよ。今は歴史と物質自体の持つ情報(ここでの情報はデータ情報で音楽の内容では無いです)その理由に近づいていってる感覚ですね。90年代にはポスト・テクノロジーミュージックの時代は既にはじまっていて、様々な試みが成されていました。実際そういった作品に触れることはありましたし、所有していますが、物質そのものを解釈するという段階まで、青年後期 (90年代後期~ゼロ前代初頭) では思考が追いつかなかったような気がします。まだまだ趣味として楽しめることはたくさんありそうです。そういえば、特別という事を意識したことが無いかもしれません。幸いなことに僕は身近に特別に感じられる人が多いので。ラッキーなのか、どうなのか (笑) 。作品は……ヒミツですね (笑)。
-skit-中村:音楽家の先輩来店、ひたすらレゾナンスについて語る、癒やしの時間。
-skit-土井:龍ちゃん超久々の来店、新曲を持参。
【インタビュー開始からすでに40時間が経過】
もしもし 土井さん、おはようございます。今日タラウマラに何時に入りますか?光貴くん、おはよう。今日からタラウマラは臨時休業で家族でおでかけするねん。えっ、マジで?せやねん、ごめんな。いやいや、頭の中どういう切り替えしてるんですか?こっちにはインタビュー投げっぱなしで (笑)。ごめんな、旅行中は電話でえへんけど、いまはまだ大丈夫やで。いつも思うけど、仕事の向き合い方が全然ちゃいますわ。光貴くんはひとつの案件があったら48時間とか平気で手綱を離さへんもんな。そうですよ、ずっと長時間向き合ってますよ、短時間での仕事の強度が土井さんとは全然ちゃうんかな。自分は究極のメリハリやからね(笑)。僕はこのインタビューに応じながら、店の営業して、次の制作のミックスダウン作業をして、今週末にはパーティーを控えてますからね。ほんまようやるわ、悪いけど僕は家族で温泉につかって来るよ。マジでむちゃくちゃやな、この人(笑)。そうそう、それはそうと昨日タラウマラに龍ちゃん来たわ。だいぶ久々ですか?うんうん、彼はサイクルショップすずめの頃から足繁く通ってくれてたけど、この2年での来店回数は1回か2回やからね、だいぶ久々やな、しかもインタビューで名前が出てきたタイミングで本人登場っていうね(笑)。それは素晴らしいことですよ、何やかんや言うて結局は僕ら、寂しいんですよ(笑)、ずっと続けていることは精神的にも負荷がかかるんで。ほんまそうやわ、ほなそろそろ赤穂に向かう準備するわ、一旦LINEでのメッセージのやりとりに切り替えてええかな?あと週末のパーティーは光貴くん何時の出番なん?ほんまこの人……(笑)
そういや今後の展望を聞かれていた気がするな。このインタビューを土井さんにデジタルアーカイブさせないことですね。
【2023年10月19日8時46分インタビュー終了】
……ということで、いつも通りに互いに仕事をしながらLINEとメールと電話とGoogleドライブを行ったり来たりしながら2週間かけてようやく終わりを迎えたインタビュー……いや、どう考えても僕が喋りすぎてるな、ほんま、すんません(笑)。最後に光貴くんが選んでくれたPARLIAMENT - GLORYHALLASTOOPIDをどうぞ。最高にイカれた週末をお過ごし下さい。
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shinayakani · 9 months
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230901 記憶喪失の夏
 どういうことなんだ。もう八月も終わりだというのに、それにしても暑すぎる。今朝「一年で唯一好きだった9月も、ここ数年の暑さのせいでついに嫌いになってしまう。今年はもう終わりだ」とだけ LINE が飛んできた。どちらかと言えば私は幼少の頃から九月はあまり好きな月ではなかったし、夏が好きだった。ガキは案外、夏好きだからね。市営プールからの帰り、夕方になってもまだ明るい日に照らされた、緑の木の葉一枚一枚が静かに風に吹かれている。公園の日陰にあった錆びた青いブランコが揺れている。投げ出していた両手両足を蚊に刺されすぎた。夏休みが終わってしまい学校に行くことが(子どもの頃から根っからの怠け者ゆえ)本当に嫌だと思いながらも、ただ流れていく時間を無意識に感じ取っているみたいに、日々のそれら風景のなかでぼけっと過ごしていた。それでいて前日の記憶はいつも曖昧だった。いまではそんな風に時間を感じることができないだろう。当たり前のように年をとったから、いや、あの頃と比べて毎日こうも暑いからじゃないの。
(230830)
 盆休みに姉が東京から帰省してきた。転職するとかで長期有休を取ったらしく、珍らしく一週間も「こんな何もないところ(これぞ地方の常套句)」で過ごしていた。全国で比較的には名の知れたところなのかもしれないが、私が戻ってきてからも人口はますます減少する一途をたどり続けていて、文化的にも色んな意味で不毛地帯(最寄りの映画館まで片道1時間半以上かかる。oh~)と化している。そんなところなのだから、休日に帰ってきても動画配信を流しながら酒を飲むかものを食うかくらいしかやることがない。それが極まってきたからなのか、日が燃えている午後の炎天下にもかかわらず、仕方ないから散歩でもしに行こうとなる(正気ではない)。後から聞くと全く意味が分からないのだが(私も酔っていて記憶なし)、誰かが急にミスドを食べたいと言い出し、おつかいがてらということだったらしい。人の出入りがまだわりと多い駅前まで向かってから、古い町並みが保存されたまま改築された建物が並ぶ観光客向けの通りを歩き、二人とも子どもの頃から馴染のある商店街に入っていく。どの時期でもこの商店街はもうすっかり閑散としていて、空きテナントが目立っている。
 歩きながらぼんやり話していると、地元で過ごした高校を卒業するまでのことを、お互い大して覚えていないことに気づく。私が地元に戻ってから生活しているなかで不意に思い出す印象的な出来事(良きにつけ悪しきにつけ)のほとんどは、東京で暮らしていた頃のことばかりだ。姉の場合は、私と正反対の性格だし、地元にそこまで嫌な思い出があるわけでもないはずで、その頃の記憶を積極的に忘れようとはしていないと勝手に思うけれど、どうなのだろう。思春期の記憶は大部分が碌なものではないと決まっているが(?)、子どもの頃のことをほとんどよく思い出せないのは、何だか虚しい気がする。しかし、過去の記憶のほとんどが意識できる心的なものだけに限ったものではないとするならば、記憶は意識されることのないままに身体そのものに存続しているのではないか、と根拠もなく考えてみたくなる。「無意識」という言葉からは身体的な意味合いが強く感じられる。そもそも身体による/への作用が伴わない限り、心的なものは働きえないし、その両者の絡み合いや拮抗、浸透や離反が、生を形作っていく……なんて当たり前のことをここで繰り返し書く必要はないか。いまだに「記憶」という言葉を心的なものとして捉えてしまうことが多いけれど、あくまでも潜在的なものは身体の領分にあるのだ。
(230831、最高気温37.5℃)
 その帰り道、通っていた小学校の手前にある横断歩道で信号待ちしていると、校門の近くに植えられた木の前に女の子が一人立っていた。木のすぐそばにある花壇の囲いのブロックには男の子と女の子が座っていたが、三人とも何も話さずに黙っている。すると、木をじっと見ていた女の子(背が高くて、長い髪に楽天イーグルスのキャップを被っている)がさっと手を伸ばして、太い幹から何か掴み取った。座っている二人の前に来てまた素早く地面にそれを置く。クワガタだった。見ていた私は「すごっ」と声を上げてしまったが、そのとき三人の子どもたちと目が合った。こちらを一瞥するとすぐに視線を地べたに落として、何も言わずにじっとクワガタの様子を見ている。日に焼けた男の子は暑さで少し疲れているようで、隣に座っているハンディ扇風機を首から下げた女の子はガリガリ君を食べていた。三人とも小学3、4年生くらいの子たちだろうか。姉どころか私も、何かの間違いで(!)親にでもなっていたら、今頃はそんな年齢の子がいたとしても別におかしくないんだよな、とか働かない頭で適当に話していた。結局、駅前のミスドに寄っていくことなんてもちろん忘れていたが、コンビニで氷結と煙草だけ買って帰って来たことは覚えている。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)3月19日(日曜日)
   通巻第7674号
中国全人代は達成不可能な数値目標が並んだのだ
  GDP成長が5%。赤字はGDPの3%以内。地方債は72兆円が上限
************************
 3月5日から13日まで開催された全人代では、初日に李克強首相〔当時〕が演説した。
 GDP成長目標を5%とし、22年は「コロナ禍と不動産不況にも拘わらず3%伸びた」と白々しく言い添えた。
 都市の新規雇用は1200万人、失業率を5・5%とする。インフレ抑制を3%前後とし、赤字国債の上限はGDPの3%とする。また食糧5000万トンを増産する等とおおよそ達成不可能な数値目標を並べたてた。
 政府活動報告で目立った表現には「習近平同士を核心とする党中央の力強い指導」、「習同士の核心としての地位と習を中心とする党中央の権威を守る」など時代錯誤の修辞が続き、「貧困脱却堅塁攻略戦に勝利する」と抽象的で意味不明な表現がある。ようするに貧困層を減らし皆の暮らし向きが良くなるように努力すると言いたいのだ。
 内需拡大の項目では「地方政府特別債は3兆8000億元〔76兆円〕とする」とあって、表現に隠れているが、地方政府債務を新規債券発行で肩代わりし、当面誤魔化せと言っているようなものである。
 地方政府が乱発した債券は既に1000兆円を超えたと推測されている(公式には900兆円前後)。
 名指しはしていないが欧米のサプライチェーンの分断に関して「製造業の重要産業チェーンに関して国を挙げて重要な核心技術をめぐる難関を乗り越え、ハイテク研究開発と応用促進を加速する。デジタル経済をおおいに促進する」とする一方で、『外資の市場参入規制を緩和し、TPP加入交渉を推進する』とも主張している。
 同時に『金融』と『香港、マカオ、台湾』の項目で政府活動報告は何を言ったのか。
 「習近平の強軍思想」を貫徹し、環境にも取り組むとしたうえで、金融では「監督監査を強め、地域性、系統性金融リスクを回避する。大手不動産企業の経営危機に対処し、負債比率を改善し、無計画な拡大経営を防ぎ、不動産の安定成長をうながす」。
このため「地方政府の債務リスクを防止・解消し債務期限構造を改善し、利息負担を低減し、新規発行額を抑え、債務残高を削減する」とした。
 この箇所を裏読みすると不動産は無謀���計画で大借金の山を築いたが、利下げと期限を延ばして救済措置をとるという意味だろう。そして、なんとか市況の暴落を防げないものかと言っているのである。
 「昨年の不動産投資は前年比10%減。それだけでGDPは3%の下落圧力になる。それでも実質3%の成長をとげたとは信じがたい」(田村秀男氏、産経新聞3月18日)。
 ▲行政機関は無力化、重要部門は党直轄に
 「チャイナウォッチャーのなかには、これを「地方分権的全体主義」と呼ぶが、習思想などと意味不明の個人崇拝体制で行政と経済政策が、最高指導部管轄となれば、国務院以下の中央官庁の存在意義はどうなるのか? 
行政機構は無力化し、無骨格状態となり、党中央独裁、いや個人独裁の毛沢東時代と変わらなくなる。
 香港とマカオの「一国二制度」の方針を揺るがずに貫徹すると唱えながら(すでに反古となっているが)「法に基づく統治を堅持する」とした。香港とマカオの自治を踏みにじったが、「法に基づく統治」と言うのは、その後、勝手に創った共産党支配合法のための「新法」を指す。
 台湾についても「新時代の党の台湾問題解決の基本方策を貫徹し、独立反対、祖国統一促進を貫き、「祖国の平和的統一への満ちを歩む」などと「平和的統一」の美辞麗句を並べただけだった。
 金融、治安、ハイテクが共産党の直接管理となった。ここが一番重要なポイントである。
西側の制裁に対抗し、統制を強化する目的がある。つまり国務院がこれまで専管事項だった分野も共産党直轄になったわけだ。
 治安では公安、国家安全部と戸籍の管理を共産党内務工作委員会へ移管する。
 金融では人民銀行と金融監督部者が共産党のふたつの委員会に権限移管され、科学技術と教育部門が党の専門委員会の直轄となる。
 3月16日に発表された機構改革では党に「中央金融委員会」を設置し、金融安定を党が指導するうえ、「中央金融工作委員会」を別途設置し、金融システムの組織、規律を統一的に進める。国務院には名目的に「国家金融監督管理総局」が設置される。 
 人事面では新首相に経済素人の李強が任命された。前任の李克強は北京大學経済学博士号。続投する易鋼(人民銀行総裁)はイリノイ大学博士号を持つ専門家だ。
 国家副主席には韓正が選出された。王岐山前副主席は完全な引退に追い込まれた。
人民銀行総裁に居座ることになる易鋼は中央委員候補からもすべりおち、もはや飾りでしかない。胡錦濤時代に中国銀行総裁だった周小川にはやや独自政策の裁量権があったが、金融も共産党直轄となれば、政策に柔軟性を希求するのは無謀だろう。
 ▲中国が「特許大国」ですって。(剽窃世界一の国が?)
 こうみてくると以下の報道がいかに白々しいか。
 中国は米国と並ぶ「特許大国」となった、そうな。実態は研究論文と申請件数のおびただしさで、他人の論文の剽窃や横取りも多い上、これからもつれるであろう難題は、日本や米国と中国との共同出願による特許がかなり存在することである。
とくにEV、スマホ、太陽光パネル、電池、レアメタルなどの先端分野に集中している。中国はこれら共同特許も解釈変更で中国の特許としている。トヨタは中国との共同特許が30件、まるで人質ではないか。
国際学会での論文数では米国を抜いて中国が一位、以下、韓国、台湾、日本とつづき、技術大国だった日本の地位低下が顕著になった。十年後に日本人のノーベル賞受賞者はいなくなるかもしれない。
 米国企業での問題は、研究者の中に圧倒的に中国人が多く、わけてもテスラの技術陣は中国人が過半という。つまり中国人エンジニアが不在となると、世界各地で生産効率が下降する。その一方では、使命を帯びて外国企業にはたらく中国人のスパイ活動がある。
 中国の23年の成長率目標が5%となったことは見た。
 西側企業の中国撤退が続いている上、日米欧は中国へのハイテク輸出を規制し、米国はブラックリストを公表し、日欧にも協力を要請した。とりわけ半導体装置では日本とオランダが米国と協議し輸出停止を申し合わせた。
 欧米ファンドも中国から引き上げをはじめ、中国をのぞく新興工業国家群への投資に分散、米ファンドの日本向け投資は中国へのそれの二倍ちかくになった。
 ベトナム、インド、マレーシア、豪州などへ禿鷹ファンドのKKRやブラックストーンなどの巨大ファンドが投資対象を切り替えた。
 中国株への投資も海外マネーの逃避が続出している。アリババ、JD、美団など中国のハイ的企業株から足を洗っているのだ。
 かような情勢変化に直面する中国が5%成長を遂げるという習近平の方針は、張り子の虎としか言い様がない。
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takahashicleaning · 19 days
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Apple Vision Pro 2024
Appleがバーチャルリアリティをデザインするってこういうこと。
Macのドラック&ドロップをバーチャルリアリティーで表現すると、このようになるということが示されている。
Apple Vision Proにより従来のディスプレイの枠を超えて広がるアプリのための無限のキャンバスを作り出し ユーザーの目と手、声という、最も自然で直感的な操作方法によって、完全に3次元化されたユーザーインターフェイスを実現する。
オペレーティングシステムレベルから実現してます。
「Disey +」のコンテンツが、Apple Vision Pro内で縦横無尽に動き回ります。
他には、検査装置、医療機器の側面から見ると・・・
Apple Vision Proは、虹彩のアイトラッキングから脳の電気活動、心拍やリズム、筋肉活動、脳内血液密度、血圧、皮膚表面の電気抵抗といった信号を検出できる。
「好奇心」「迷ってる」「怖がっている」「注意を払っている」「過去の体験を思い出している」などのユーザーの認知状態を予測できるようになる?
Apple Vision Pro一つで将来、いくつかの検査が同時、及び、事前に可能になり虹彩認証で予測される結果をApple Watchのように目の前にアラート形式で表示してくれるかもしれない。
しかも、行政府や他社とは違い指紋認証や顔認証と同様に虹彩認証データはApple Vision Pro内で処理されて外部サーバーには送信されません。
パスキーにも対応しています。
あなたの許可を前提に提供してくれたデータは、現時点でAppleの場合、広告ではなくハードウェアの製品開発に使用してます。
屋外のスキーやスノーボードのゴーグルタイプだし、ゴーグルタイプの老眼用やメガネ、視力矯正や簡易的な視力検査装置にも!
幅広く活用できたら嬉しいですね。
そして
WWDCは「開発者向け」イベントなので、これまでのAppleの歴史からすると新市場を開拓していくため最初は高価格ってよくあること。
MacのXDR Displayを一つ挙げても70万円くらいだから高解像度の巨大なディスプレイが持ち運べると考えたらむしろ安く感じる。
さらに、開発環境も今までの蓄積があるため
Apple Vision Proにはデベロッパが開発したアプリやコンテンツが見つかる新しいApp Storeが用意されている。
iPhoneやiPadでお馴染みの数十万ものアプリもスムーズに動作し、Vision Proのために開発された新しい入力操作システムと自動的に連係します。
また、さらに一歩進んで、Vision ProとvisionOSのパワフルかつユニークな機能を活かし、これまでにないアプリ体験を一からデザインしたり
これまでの既存のアプリを空間コンピューティングに合わせて再構築できます。
2023年時のApple製品には「eSIM」も標準で搭載してるので・・・
屋外で使用できることも考えているなら・・・
Apple Vision Proにも搭載してると思ってます。
もし搭載していなくてもApple製品のMacに既に実現している標準機能をApple Vision Proに拡張機能追加か何かで反映すれば通話情報を転送することもできます。
屋内だけなら車の運転を行いながらナビゲートしてくれる「Car Play」の上位機種としてバーチャルリアリティで目前のリアルタイムナビゲートもソフトウェアで実現できそう。
ハンドルを握りながら指をタップするだけで通話や音声入力できるし、手を離さなくても視線を向けるだけで選択してくれるMacに既に搭載している
障害者用の「アクセシビリティ」機能のバーチャルリアリティ版も見た感じだけど将来はできそうなVisionがきます。
そのほかの可能性として
老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネも実現できそう。
自動車運転の場合、2024年時点では、現在アメリカ国内では運転しながらは駄目みたいだが・・・運転しながら以外なら助手席に座れば問題はなくなります。
自動車運転はレイテンシーの短さが重要(航空機、宇宙空間なども)
Apple Vision Proが現実空間を認識して画面に反映されるレイテンシーの違いについて。短いほどディスプレイ越しでも半径数メートル以内の状況に対応できる。
「HTC VIVE XR Elite 2024」と「Meta Quest 3」と「Meta Quest Pro 2024」は約40ミリ秒に対してApple Vision Pro 2024は12ミリ秒。車の運転中における人間の認識速度は、重要な役割を果たします。
運転者が周囲の情報を認識し、適切な判断を下すためには、迅速な反応が必要です。
一般的に、人間の認識速度は視覚刺激の検出では約180から200ミリ秒、聴覚刺激の検出では約140から160ミリ秒です。これは、刺激が感覚器から脳に伝わり、脳がそれを認識するまでの時間を指します。
レイテンシーが短いので自動車運転モード(航空機、宇宙空間なども)を搭載してほしい。
屋外を歩く時も、Apple Version Pro のAppleマップが自動で表示されて見ながら道案内ナビゲーションしてくれたら便利。
コーヒー店の中、Apple Vision Pro内のWindowでリアルタイムにAppleカードで注文したり、Apple Vision Proを装着しながら店員さんとコミュニケーションしつつタブレットにサインをし注文したコーヒーをすぐに受け取ることもできそう。
そのまま飲んだり、食べ物も注文して席にすわりWindowを表示してインターネット見たり、指がベタベタになっても画面をスクロール可能?
手術の場合、拡張現実で手術を補助しつつジェスチャー操作で簡単にリアルタイムでナビゲーションしてくれるため、Apple Vision Proなら公衆衛生上は無菌状態を安全面から担保できる?
そのほかにも、Apple Vision Proなら車の簡単な定期点検手順、簡単な修理メンテナンス手順をジェスチャー操作で簡単にリアルタイムでナビゲーションしてくれる?
両手が自由に動かせるのでリアルタイムで作業しつつ、外部からは何を見ているか分かりませんが、閲覧しながらでも作業ができるようになります。
主要部品にセンサーを取り付けるか否かをするかセンサーを読み取って劣化の具合が数値化できれば、交換時期や部品の状況をリアルタイムでチェックできればいいな。
その後、専門家に預けるか否かはご自身の自由です。
スキー場で道案内やリフト中に寒い中、手袋をしたままジェスチャー操作して拡張現実の中に手軽に入れる可能性もあります。外部から見るとスキーやスノボーのゴーグルつけてるようにしか見えません。
EUで導入している公共空間でのストーカー人工知能は警察も原則禁止にして・・・
それ以外のスポーツ観戦などのプロトコルに基づく限定空間で選手のストーカーを許可する仕組みもあるし・・・
日本での応用としては、権力者である新聞やテレビ、ラジオなどで独占禁止法の優越的地位の乱用をした場合に・・・
ジェネレーティブ人工知能が自動的に発言をApple Vision Proがファクトチェックして真実な発言の確率などの予測を示してApple Vision Pro上に表示。
ある範囲を越えたら総務省とBPOに自動に送信してくれる仕組みも政府が法整備すれば可能になるかもしれない?
言葉の定義をテレビ画面に表示することは2024年時点では人工知能がなくても可能なので出演者やコメンテーターの定義から外れてる恣意的な発言の信憑性もチェックできます。
(個人的なアイデア)
Apple Vision Pro 2023の登場で・・・
チャットGPTが、ここに搭載されれば?
どうなる?
今後のインスピレーションに期待します。
健常者にも活用できれば、月面や宇宙空間のロボットを自宅からゲームのように操作するだけで賃金がもらえるような、一神教での労働の概念が変わるかもしれません。
Before 2022, this would not have been possible, but with Apple, Google, and Microsoft agreeing to expand the use of “passkey,” a passwordless authentication system…
2022年以前では、不可能だったが、Apple・Google・Microsoftがパスワードな しの認証システム「パスキー」の利用拡大に合意したことで・・・
…on the basis of high security and a high degree of privacy as well…
高いセキュリティと高度なプライバシーも基本にして・・・
…and if, as Ivan Pupilev says, all everyday objects have gesture interface capabilities…
イワン・プピレフの言うように日常的な物すべてにジェスチャーインターフェース機能を搭載していれば・・・
By integrating them with a common smart home standard, “Matter,” and making it possible to automatically connect to them by simply approaching them, assuming permission and authentication…
スマートホーム共通規格「Matter」で統合して近づけるだけで本人の許可、認証を前提とし自動接続できるようにすることで
It may be possible to customize even simple functions as complex functions by combining various devices in a stand-alone manner.
単体では、単純な機能でもさまざまな機器を組み合わせることで複雑な機能としてカスタマイズできるようにできるかもしれない。
In the past, OpenDoc, a technology developed by Apple to realize compound document and document-centered operation, was available.
かつて、OpenDoc(オープンドック)は、Appleが開発したコンパウンド・ドキュメントとドキュメント中心の操作実現する技術があったが
Can we extend this technology to shift from a document-centric to a gesture-centric interface?
これを拡張して、ドキュメント中心からジェスチャーインターフェース中心にできないだろうか?
If you want to work on a larger screen from your smartphone, iPhone, or iPad with a user interface by wearing the Oculus Dash or HoloLens from Oculus Quest
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなどを身につけることでユーザーインタフェースをスマートフォン、iPhone、iPadからもっと大きい画面で作業したい場合
It was usual to use a computer with a large screen, but now it is possible to use a huge screen! However, there were limits to the amount of money and placement of the display.
大画面のパソコンでというのが、普通でしたが、もっと、巨大な画面で!!という場合はディスプレイの金額的、配置場所にも限界がありました。
Virtual reality as the future of the holographic age, Virtual reality Virtual reality OS and its extension to the gesture interface center.
ホログラム時代の未来にあるものとして、Virtual reality バーチャルリアリティのOSとジェスチャーインターフェース中心への拡張
Seamlessly linked together, there will be no spatial limits, and you’ll be able to work in a small room with any number of huge, large screens that you can place anywhere in 360 degrees!
シームレスに連携させることで、空間的に限界は無くなり、小さな部屋でいくらでも巨大な大画面で360度どこにでも置いて作業できるようになります!!
For example, even if it is not possible to display 3D without wearing glasses like the gesture interface in the sci-fi movie “Iron Man”…
例えば、SF映画「アイアンマン」に出てくるジェスチャーインターフェイスのようにメガネをかけずに立体表示させるとまではいかないまでも
It may be possible to “make it look realistic by wearing special glasses” such as Oculus Dash and HoloLens in Oculus Quest, so…
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなど「特殊なメガネをかけることでリアルに見せる」ことはできそうなので・・・
It would be fun to display the setting panel of a simple function device that you touch through the special glasses as if it pops up from inside the device in CG in a hologram format (image: Genie Effect on Mac)
特殊なメガネを通して、触った単純な機能の機器の設定パネルをホログラム形式でCGで機器の中からポップアップするように表示してくれると楽しそう(イメージは、Macのジニーエフェクト)
警察比例の原則。
警察比例の原則。
警察比例の原則。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
最近2023年から始まったジェネレーティブ人工知能の流行によって
ジェネレーティブ人工知能で作られたメディア(画像・映像など)が人々の目に触れる際には、情報源を開示するよう求めている(オープンAIなど10社が自主ガイドラインに署名した)
ヘンリー・マークラムの研究で脳のイメージが数値化されたデータから・・・
この膨大なデータをディープラーニングを搭載したジェネレーティブ人工知能に候補を複数映像化させる
こうすることでストーカーしかできない人工知能の問題を解消できる?かもしれない
憲法第19条にもあるように「内心の自由」正確に特定しないようにして
権力者の頭脳の中身をリアルタイムに複数映像化したことをチャットGPTに説明してもらう。
これは三つしかない内のひとつ。リカレント・ニューラル・ネットワークを使います。
この権力者の頭脳の中身をリアルタイムに映像化したことをニティシュ・パドマナバンの老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネなどを用いて
特殊なメガネを通して、ホログラム形式でCGからポップアップ表示できる可能性もありそうです。
しかし
機械学習ディープラーニング物体検出データベースのことを「Darknet」と呼んでいます。
フェイフェイ・リー構築した機械学習ディープラーニング画像データベースのことを「ImageNet」と呼んでいます。
他には、今のところ、リカレント・ニューラルネット(RNN)フレームワークなど・・・
たった三つしかないのが2022年の現状です。
チャットGPTは、大規模言語モデル。
懸念されることとして、アメリカ政府が諜報に使用するエシュロンやPRISMに近い可能性もある。
Google検索データは、広告に使われるが、オープンAIはMicrosoftと資本提携で入力データが何に使用されるか?
これを明示していないという危険性がある可能性があります。
続いて
Could it be that Apple is developing its own search engine to compete with Google, which has reinvented semantic web search based on chat GPT and entered the market?
Appleが独自の検索エンジンを開発しているのは、もしかしてチャットGPTを基盤にしてセマンティックウェブ検索を再発明し参入Googleに対抗するため?
In the past, Linux made the OS open source and extinguished Microsoft’s monopolistic Wintel-closed dominance.
かつて、LinuxはOSをオープンソース化してMicrosoftの独占的なウィンテルクローズの優位性を消滅させた。
In 2023, AMD and Apple Silicon are in the midst of blowing the wind out of the last Intel monopoly from the consumer market sector.
AMDとAppleシリコンが、最後のIntelの独占体制にコンシュマー市場分野から風穴を開けている最中の2023年。
Google has opened up the search engine market for a new industry by putting all of its machine learning research results to work to break Microsoft’s Internet Explorer monopoly.
Googleは、機械学習の研究成果をすべてぶちこみ新産業の検索エンジンの市場を切り開いてMicrosoftのインターネットエクスプローラの独占的な体制に風穴を開けた。
And now, right now, open-source AI is taking over Google’s monopoly on the search engine market with chat GPTs. It may be about to wind down with the reinvention of the semantic search engine proposed by Tim Berners-Lee.
そして、今まさにオープンソースAIが、チャットGPTでGoogleの独占している検索エンジン市場をティム・バーナーズ・リーが提唱したセマンティック検索エンジンという再発明で風穴を開けようとしているのかもしれません。
Is Twitter, which Eron Musk went to the trouble of investing a huge amount of money to acquire, comparable to Google and Facebook in terms of data accumulation?
イーロンマスクがわざわざ巨額の資金を投じてまで買収したTwitterもデータの蓄積から見るとGoogle、Facebookに匹敵している?
Is it possible that Eron Musk, a founding member of Open AI, is trying to reinvent Twitter based on chat GPT?
これを立ち上げてるオープンAI設立メンバーのイーロンマスクは、可能性を見越していてチャットGPTを基盤にTwitterを再発明しようとしている?
Open AI, a San Francisco-based nonprofit organization, is dedicated to being the first to develop a “general-purpose artificial intelligence” (AGI) with human learning and reasoning capabilities, so that all people can benefit from it.
サンフランシスコを拠点とする非営利団体のオープンAIは、人間の学習能力と推論能力を持つ「汎用人工知能(AGI)」を最初に開発し、すべての人にその恩恵が及ぶようにすることを目的として設立されています。
Deep Mind,“ which has similar goals, is building a system similar to the chat GPT.
同様の目的を掲げてる「ディープマインド」もチャットGPTと同じようなシステムを構築しています。
As for other derivative…
他の派生的なこととして・・・
As for the use of deep fakes, if they are built into the algorithm for all surveillance cameras, they can be removed only with the person’s permission.
ディープフェイクの活用としては、すべての監視カメラ用のアルゴリズムに組み込んでおけば、外すには本人の許可を得てからにすることもできる。
This would also deter voyeurism by the mass media and police who would abuse the system without the person’s permission.
こうすれば本人の許可なく悪用するマスメディアや警察の覗き見行為も抑止できる。
To temporarily deter misuse, a comprehensive mechanism could be created to protect videos with NFT and a two-factor authentication passkey, and to confirm one by one whether or not the user has permission to disseminate the videos.
一時的な悪用抑止には、NFTと二要素認証によるパスキーで動画を保護し拡散の許可の有無を一つ一つ
If a comprehensive mechanism can be created to confirm whether or not the user has permission to spread the video, it may be possible to create time for the spread of quantum encryption and the commercialization of quantum computers.
本人に確認できるような総合的な仕組みを創れば、量子暗号化や量子コンピューター商用化普及までの時間をつくれるかもしれない。
Released in November 2022. Almost a few months later. A search engine like this appeared.
2022年11月にリリース。そのほぼ数ヶ月後。こんな検索エンジンが登場しました。
perplexity
この回答がどこの記事から引用されたかも表示されはじめた!数字に対応して引用元が表示される。
Next, why? What if the chat GPT could explain how it might have come to this explanation? Perhaps we are getting closer and closer to an explainable AI?
次は、なぜ?この説明に至ったのかもチャットGPTが説明できたら?もしかして、説明可能なAIにもどんどん近づいてきてる?
In about a few months, this threatening? No, an astounding achievement.
数ヶ月位でこの脅威的な?いや、驚異的な成果。
And the Schrödinger equation?
シュレーディンガー方程式も?
For explanations other than equations, it could be comparable to Wolfram Alpha, which is similar to semantic web search.
数式以外の説明に関しては、セマンティックウェブ検索に近いウルフラムアルファにも匹敵する可能性もある。
そして
チャットGPTの人気と爆発的な成長に乗りMicrosoftが先行してチャットGPT 搭載 Bingをリリースするも登録しないと検索結果は会話調で返ってこない?インターフェイスがわかりずらい。
一方、Googleも億人単位規模ネット情報サービスにも関わらず、わずか一日位で対応すると言う離れ技を繰り出すが、検索エンジンの検索結果は、まだ会話調で返ってこない。
両者共に、まだまだ時間がかかりそうだ。
このチャットGPTタイプの新型検索エンジンperplexityのほうに分はあります。
巨大な権力を持つに至ったGAFAMの検索エンジン開発競争が加速。日本のネット情報サービス人口以上で、その規模が人間の限界を遥かに超えた別次元。
権力者処世術は悪性だが、カントの言うように、権力者を完全リアルタイムで行動を透明化する条件限定なら善性に転化する。
同じ権力者のTV局やマスメディア、行政府、警察は、透明化を高くガラス張りにしないから悪性だけど、GAFAMが最善の手本を示してます。
<おすすめサイト>
グレッグ・ブロックマン:ChatGPTの驚くべき可能性の裏話
アロナ・フィッシュ:人工知能は本当に私たちを理解しているのでしょうか?
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
キャシー・ウッド:AIが指数関数的な経済成長を引き起こす理由
ニティシュ・パドマナバン:老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネ
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キース・カークランド:触覚を使ってナビゲートしてくれるウェアラブル技術
イワン・プピレフ:身の回りのものすべてがインターフェイスになる
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shintani24 · 1 month
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2024年4月15日
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青山クラブ取得から6年、活用策の行方は? 旧海軍ゆかりの施設 呉市は近くの3施設を含めて有識者会議で議論中(中国新聞)
広島県呉市が巨費を投じて購入した旧海軍ゆかりの施設「青山クラブ」(幸町)は、活用されないままの状態で取得してから6年がたった。市は昨年5月、近くの市立美術館など市所有の3施設を含め幸町地区一帯の在り方を検討する有識者会議を設置。同会議が出した結論を踏まえ、エリアの整備方針を策定する。約1年間で同会議の議論はどこまで進んでいるのか。状況を整理した。
観光集客などを目指し、市は2018年に青山クラブと隣接する桜松館、2施設のある国有地約8500平方メートルを約2億円で購入。施設の保存・活用を目指していたが、耐震診断で大幅な改修補強が必要なことが判明し、結論を先送りした。以降、活用されない状態が続いている。
有識者会議は建築や都市計画、まちづくりの専門家たち11人で構成。青山クラブを含む4施設の整備コンセプトや機能について約2年間かけて話し合う。昨年5月からこれまで5回会合を開いている。
議論は、物販や飲食、宿泊など各施設に想定できる機能のアイデア出しが中心だった。2月の中間まとめでは整備コンセプトを「呉の歴史と文化を未来へ」と定め、歴史を伝え感じる▽文化・芸術の発信▽にぎわいの拠点―の3機能をエリアに求めるとした。
ある委員は「機能面については丁寧に話し合いを重ね、アイデアが出尽くした。堂々巡りが続いている感もあり、一歩進める段階に来ている」とする。
複数の委員は議論を進める上で重要なポイントとして、(1)青山クラブの保存をどうするか(2)老朽化する市立美術館をどこに再配置するのか―の2点を挙げる。(1)については「市民の思い出や歴史が刻まれた場所。保存が望ましい」「改修補強に費用が掛かり、全面保存は現実的ではない」と意見はまとまっていない。「エリア内の施設の方向性を市にある程度示してもらわないと、具体的な機能の議論が深まらない」との指摘もある。
青山クラブを巡っては、新原芳明市長が17年の市長選で活用などを訴え、初当選。22年に市は市立美術館の機能を青山クラブに移転する考えを示したが、市議会で異論が噴出した経緯がある。新原市長は「有識者会議の結論などを踏まえ判断する」との考えを示す。
有識者会議の事務局を務める市は「意見を幅広く聞きたいので、市が方向性を示す方式は取らない。次回の会合から具体案の議論を予定している」と説明する。
同会議は年内に最終的な結論をまとめ、市に報告する予定だ。議論の推移をみた市議の一人は「購入して6年。この間にも建物は老朽化している。市民の関心も高く、市はなるべく早く方向性を示すべきだ」と注文する。
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「阿鼻叫喚。これが戦争」特攻志した元少年兵が訴えること 原爆投下直後の広島で救護した「暁部隊」(中国新聞)
暁部隊の軍服や胸章が並ぶ企画展
戦時中、水上特攻を志しながら原爆投下直後の広島で救護や遺体の処理に従事した少年兵たちがいた。陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」で、特攻兵を育成する秘密部隊に所属。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で開催中の企画展で紹介されている。元少年兵たちは来年の被爆80年を前に「命と平和を守ることを考えてほしい」と願う。
宇品地区(現南区)に本部があった暁部隊は原爆投下直後の広島で唯一、軍隊機能を保ち、市民の救援、救護に当たった。その中に、幸ノ浦(広島県江田島市)に駐屯していた船舶練習部第十教育隊の15~19歳の特別幹部候補生もいたという。
石川県七尾市の沢野実さん(96)は17歳で入隊した。「天皇陛下のために死ぬのが当たり前だった」。通称「マルレ」と呼ばれる全長5・6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する極秘訓練に明け暮れた。上官には「君たちは捨て石。国のために死ぬのが務めだ」と言われたという。「靖国神社で仲間と顔を合わせようとの思いだった」
原爆投下後、第十教育隊はマルレなどに乗り、広島市内に向かった。沢野さんも市中心部で負傷者の救護と遺体処理に当たった。「心臓が飛び出ている人や泣き叫んでいる人がいて、阿鼻叫喚の現場だった。これが戦争だと実感した」と振り返り、非戦を訴える。
「本土決戦に向け愛国心に燃えていた」と語る岩手県遠野市の伊藤宣夫さん(96)は原爆投下時、船舶通信隊補充隊におり、市中心部で「死の街」を見た。たまらず班長に「戦争はやめた方がいいです」と言うと、「軍人が弱気でどうするのか」と怒られたという。「罪のない国民が殺される戦争は絶対にいけない」と語気を強める。
祈念館の企画展は来年2月末までで、沢野さん、伊藤さんたち元少年兵9人の証言映像や軍服など12点が並ぶ。辞世の句「我が友よ 笑って散ろう 君のため 共に会ふど 九段の社」と書かれたアルバムもある。橋本公学芸員は「自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを感じてほしい」と話している。
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原子炉内への核燃料搬入開始 柏崎原発、規制委が承認 東電(時事通信)2024年4月15日
東京電力柏崎原発7号機で開始された原子炉内への核燃料搬入作業=15日午後(同社提供)
東京電力は15日、停止中の柏崎刈羽原発7号機(新潟県)について、原子炉内への核燃料搬入作業を開始したと発表した。
再稼働に向けて必要な検査の一環で、原子力規制委員会が同日に計画を承認した。完了までは2週間以上かかる見通し。実際の再稼働には地元自治体の同意が必要となるため、具体的な時期の見通しは立っていない。
東電によると、まず制御棒などを原子炉内に入れた後で、敷地内のプールに保管中の核燃料872体を順次搬入する。その後、燃料が正しく配置されているかや、非常用炉心冷却系機能などの検査を1カ月半程度かけて行う。安全対策のため、宿直の所員を8人から51人に増員した。
岡本孝司(東京大学教授)補足 原子力規制委員会の了解を受けて、まずは原子炉に燃料装荷をスタートしているという事です。この後、原子炉を起動するには、地元の了解を得る必要があります。
原子炉を起動して核分裂が正常に起きていることを確認したのち、試運転に移り、様々なテストを繰り返したのち、営業運転に入ることになります。まだ、再稼働に向けた最初のプロセスです。
いずれにせよ、再稼働には、地元との安全協定に基づき、地元了解が必須です。
今、東京電力の電気代は、原子力発電所が動いている関西電力の1.5~2倍しています。2社のホームページで、電気代単価を比較してみるとよくわかります。柏崎刈羽6,7号機は、ABWRという新しい型の原子炉で、安全性も十分に確認されています。安全第一で、この2基の原子炉が動けば、電気代も安くなる事を期待したいです。また、電力の安定供給にも大きく貢献する事が期待されます。
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柏崎刈羽原発、燃料装着始まる 地元から不安の声「課題たくさん」(毎日新聞 4月16日)
東京電力柏崎刈羽原発7号機の炉心部。右手の四角い水槽が使用済み核燃料プール=2024年4月12日、田中泰義撮影
東京電力は15日、再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)7号機の設備の健全性確認のため、原子炉へ核燃料を装着する作業を開始した。能登半島地震で、地元住民からは事故時に安全に避難できるか不安の声が上がる一方、東電による再稼働準備が進む。【内藤陽】
東電は同日、原子力規制委員会から安全対策設備の試験使用承認(使用前確認)を受けたとして、午後5時過ぎに開始。6時半ごろに1本目の核燃料を装着した。東電は「課題が見つかれば立ち止まり対策を講じるなど、一つ一つの工程を着実に進める」としている。
東電は10日に宿直態勢を8人から51人に増員し即応態勢を強化した。作業では、使用済み核燃料プールから核燃料872体を1本ずつ移動し、原子炉圧力容器に装着する。装着後、制御棒205本の動作確認のほか、原子炉圧力容器などからの漏えいの有無や冷却設備の機能などを確認する。すべての燃料の装着が終わるまで2週間程度、原子炉起動まで約1カ月半かかるとみられる。
花角英世知事は再稼働への立場を表明していない。燃料装着について、花角知事は今月3日の記者会見で「検査の一工程」と述べ、再稼働議論への影響はないとの認識を示した。柏崎市の桜井雅浩市長も「再稼働に必要な検査で、しっかり確認してほしい」と話している。
昨年12月の原子力規制委員会による事実上の運転禁止命令解除後、東電は県内各地で説明会を開き、原発の安全性を住民に訴えてきた。しかし説明会では原発事故時の避難や地殻変動による地盤の隆起などを心配する声が上がり、不安が払拭されたとは言い難い状況だ。
同原発から5キロ圏の同市椎谷に住む佐藤正幸さん(79)は「多くの課題に目をつむって再稼働に動き出すのはいかがなものか」と話す。能登半島地震で道路の寸断や家屋の倒壊が複数発生し、地盤が4メートル隆起したことなどを指摘。「課題がたくさんあるのに、目を背けたまま再稼働を準備するのは、けしからん事だ」と語気を強めた。
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万博はもう中止できないのか?「オリンピックと同じ末路に」専門家は警鐘、でも政府は「能登」を横目に開催へ突き進む
2025年大阪・関西万博は、4月13日で開幕1年前を迎えた。国家的イベントが近づくにつれ、世論の期待は高まっている…と思いきや、SNS上では今も「万博中止」のハッシュタグが目立ち、延期を求める声も飛び交う。「期待一色」には程遠い状況だ。
なぜか。多額の税金が投入される会場整備費は、当初見込みの約2倍となる2350億円まで膨らんだ。独創的なデザインを競う海外パビリオンは想定よりも建設スケジュールが大きく遅れ、着工はわずか十数カ国(4月上旬時点)にとどまる。負担増や課題ばかりが目立つ中で、期待値を上げる方が無理というものだ。
そこに、2024年の元日に起きた能登半島地震が追い打ちをかけた。今も避難を余儀なくされる被災者からはこんな声が聞こえてくる。「万博どころじゃない」。国民に理解が広がらなければ、新型コロナウイルス禍の中で開催された東京五輪・パラリンピックと同じ末路をたどる、と警鐘を鳴らす専門家もいる。
逆風は強まるばかりなのに、政府や関係機関は予定通りの開幕をかたくなに維持する。万博は中止できないのか。費用や手続きの面から「なぜ開催にこだわるのか」に迫った。(共同通信=大阪社会部万博取材班) ※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽「0.14%」と「27%」
吉村洋文大阪府知事は3月28日、万博と能登半島地震との関係についてこんな発言をしていた。「復興を最優先するべきだ。しかし万博を中止、延期して復興が進むのかと言うと、違う」。開幕1年前を控えたインタビューで、国内で実施されている各種建設工事のうち、万博が占める割合はわずか0.14%だとして計画変更の選択肢を否定。こう言葉を重ねた。「復興を理由に万博に反対するのは違う」
ところが、国民感情はそう単純ではない。共同通信が2月に実施した世論調査では、能登半島地震からの復興を踏まえた上で万博を開催するべきかどうかを尋ねたところ「計画通り実施するべきだ」としたのは27.1%にとどまった。「延期するべきだ」が27.0%で拮抗し、「規模を縮小するべきだ」26.7%、「中止するべきだ」17.6%と続き、計画変更を求めたのは全体の7割を超えた。
市民団体「どないする大阪の未来ネット」(大阪市)には、開催中止を求める署名がオンラインを含めて14万件集まった。事務局長の馬場徳夫さん(84)は訴える。「延期してもコストが上がる一方だ。震災復興のためには中止が最適だ」。署名は日本国際博覧会協会(万博協会)や近畿経済産業局に提出している。
能登の被災地からは冷たい視線も向けられている。万博会場となる大阪市の人工島・夢洲から300キロ以上離れた石川県珠洲市内の避難所に身を寄せる井上等さん(65)は、自宅が全壊し、高齢の母との避難を余儀なくされた。会場整備費は国、大阪府・大阪市、経済界が3分の1ずつ負担することとなっており、石川県民も納税者として費用を賄う。井上さんは正直な胸の内を明かした。「今は万博どころではない。地震の前からある話なので、開くなら開けばいい。けれど正直、万博に使うお金があるなら、家を建て直す費用が欲しい」
▽「不可抗力」なのか
今回の万博を中止することは可能なのか、中止すると何が起きるのか。経済産業省の博覧会推進室に聞くと、浮かび上がってきたのは「不可抗力」というキーワードだ。
その前におさらいすると、2025年大阪万博の開催が決まったのは2018年11月。パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で、加盟国の投票で選ばれた。5年に一度開かれる大規模な万博の日本開催は1970年大阪万博、2005年愛知万博(愛・地球博)に続き3回目だ。
仮に万博を延期する場合は、BIEの総会で3分の2以上の賛成が必要だ。根拠となるのは、万博の定義を定めた国際博覧会条約。2020年に予定されていたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ万博は、新型コロナウイルス感染の世界的拡大が直撃。BIE加盟国から必要な同意を得て、延期が決まった。
では中止にはどのような手続きが必要になるのか。博覧会推進室によると、実は中止については国際博覧会条約には規定がない。関係者間の合意があればいいということになっている。
そこで、とある書類が重要になってくる。開催が決まった国がBIEに提出する「登録申請書」だ。2025年大阪万博の登録申請書を読むと、開幕まで1年となる2024年4月13日から開幕前日の2025年4月12日までに中止する場合、参加国とBIEに最大計5億5700万ドル(約840億円)を支払わなければならない、とある。
これは、時期ごとの準備状況に合わせて算出された数字で、補償額��パビリオンのタイプによって参加国ごとに異なる。各国が「相当の資金を負担して参加をしている」(万博協会幹部)だけに、直前の中止は影響が大きいというわけだ。政府中枢の首相官邸からはこんな声も聞こえる。「万博の開催は国際公約だ。中止や延期は国の威信にかかわる」
一方、経産省が把握する中で、これまで中止に伴う補償金が生じたケースはないという。直近ではアルゼンチンで開催が計画されていた2023年ブエノスアイレス万博が新型コロナウイルスの影響で取りやめとなった。ところがBIEの執行委員会で新型コロナによる中止は「不可抗力だ」と報告された。
2025年大阪万博の登録申請書の中では、この「不可抗力」についてこう言及している。「自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合には、補償金は支払われない」
経産省の担当者は言う。「能登半島地震が不可抗力とみなされるかどうかは執行委員会で議論してみないと分からない」。では、補償金が生じる恐れがあるから開催を中止できないのか、と問うと「全くそうではない」と返ってきた。「万博には意義がある。その意義は震災には左右されないと思う。そもそも復興は『土木』のフェーズ、万博工事は『建築』のフェーズにあり、ニーズは重なっていない。むしろ、延期すれば復興の妨げになる可能性が高まる」
▽頼みは公式キャラクター
万博旗振り役の経済産業省が言う「意義」とは何なのか。テーマの「いのち輝く未来社会のデザイン」や、コンセプト「未来社会の実験場」から国民が読み解くのは難しく、大阪府と大阪市が強調するメリット「2兆円の経済効果」のみが一人歩きする。
万博協会は昨年ホームページをリニューアルし、企業や海外勢によるパビリオンの紹介ページを充実させた。とはいえ、それだけでは「そもそも万博に興味がある人」への受け身のアプローチに過ぎず、万博でどんな体験ができるのかという点を広く知らせるには物足りない。
さらに、PRのけん引役が公式キャラクター「ミャクミャク」頼みになっていることも、意義が伝わらない一因といえる。
開幕500日前を迎えた昨年11月以降、大阪府内の各地では「くるぞ万博」と書かれたポスターがあちこちで見られるようになった。その中央でおどけたポーズを取るのがミャクミャクだ。
大阪市役所の前には涅槃像のように横たわったミャクミャクの巨大モニュメントを設置。府内で開催される自治体系のイベントには必ずと言ってもいいほど、ミャクミャクの着ぐるみが登場するようになった。
大阪府と大阪市が昨年12月に実施したアンケートでも、ミャクミャクの認知度は全国で88・3%と高く、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」の認知度を30%近く上回った。
もちろん、公式キャラクターの人気はどんなイベントでも成功の柱になる。だが、現時点でミャクミャクの人気が万博への来場意向に与える影響は限定的だ。
アンケートで「万博に行きたい」と答えた人は全国で33.8%にとどまり、1年前から約7ポイント下落。ミャクミャクであふれる府内に限っても36.9%で、2023年度の目標に設定した55%を大幅に下回った。ミャクミャクの人気にあやかるのにも限界がありそうだ。
チケットの売れ行きも芳しくない。万博協会が設定する販売目標は2300万枚。前売り販売は昨年11月末に始まったが、4月3日時点で約123万枚と、目標の6%にも満たない。前売り販売目標の約半数は企業購入分に頼っており、今後はどれだけ個人購入を促せるかが焦点となる。
▽秘策は「ビビッドな情報」?
運営側の取り組みの粗雑さについて、社会学者で神戸大大学院の小笠原博毅教授は厳しく指摘する。
「意義があると言いながら、伝えない。誰が本気で開催したがっているのかが見えてこない」
2020年東京五輪・パラリンピックの開催に一貫して反対してきた小笠原教授は、万博の現状に五輪との共通点を見いだす。「世論を無視して強行した五輪と構図が似ている。多額の税金が使われるのに中身が空疎だ」。期間の短縮やテーマの分かりやすい説明を求める。
新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京五輪は直前まで開催を疑問視する声が絶えなかった。開催1カ月前の世論調査でも中止を求める声が3割ほどあり、国民理解を十分得られないまま開会式を迎えた。小笠原教授は、万博も同じ末路をたどるとみている。
岸田文雄首相の国会答弁からは、能登半島地震の被災地復興という文脈で万博への理解を広げようという思惑がにじむ。「万博で被災地をPRし、復興につなげる」。小笠原氏はこうした言葉を「空虚なリップサービスだ」と突き放す。「万博開催による『2兆円の経済効果』をうたうならば、国民の暮らしへの支援や好影響、復興に割く金額を具体的に示すべきだ」
国民の幅広い歓迎に向けて、秘策はあるのか。4月1日に報道各社のインタビューに応じた万博協会の石毛博行会長の言葉は、現状とは裏腹に自信にあふれていた。「開幕に向けて、これからビビッドな情報を出していく」。全国的な機運が広がっていない現状は「経費の増加や海外パビリオンの遅れといったネガティブな報道が影響した」と分析。SNSやメールマガジンを使った地道な取り組みで挽回を宣言した。「万博へのイメージをアップデートする。世界が日本に2025年の万博開催を信任した。きちんとやり遂げるという形で世界との約束を守ることが、われわれにとって極めて重要なミッションだ」
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歴史的円安背景にインバウンド絶好調 百貨店は軒並み“過去最高”記録づくめの決算に(TBS NEWS DIG)2024年4月15日
百貨店の年間決算は、歴史的な円安を背景にインバウンドが絶好調。各社“過去最高”の記録づくめの決算となりました。
「J.フロントリテイリング」のことし2月までの1年間のグループ全体の決算によりますと、売上高にあたる売上収益は前の年に比べ13.2%増え4070億円に、最終利益は299億円と前の年の2倍以上にのぼり、増収増益となりました。
国内の富裕層向けに高級ブランド品などの販売が好調だったほか、インバウンド客による免税売上高が過去最高の721億円となったことなどが主な要因です。
先月、48歳という若さで社長となったJ.フロントリテイリングの小野氏は初めて出席した決算会見で…
J.フロントリテイリング 小野圭一 社長 「いま非常に業界の中で追い風が吹いているが、これがある種の暴風ではないかというふうに感じています。2年、3年たって、コロナが終わってインバウンドがじゃんじゃん帰ってきて売上良くなってよかったということになってしまっているということに、私は一番危機感を持っている。いま好調の中で、どういった将来に向けた成長の種をまけるかというふうなことで、かなり大きな差がついてくるのではないかというふうに思っています」
このように述べたうえで、「現状の上にあぐらをかくのではなく、新しい事業にしっかり根を張って育てていく」としていて、今後、デジタル分野の事業展開などを強化する狙いです。
一方、「高島屋」のことし2月までのグループ全体の1年間の決算では、営業利益が前の年に比べ41.3%増え459億円に、最終利益も13.6%増えて316億円といずれも過去最高を更新。営業利益は、1990年度以来33年ぶりの最高益となりました。
新型コロナの5類移行や円安を背景に、インバウンド需要が増えたことなどで、国内店舗の売上が好調だったとしています。
高島屋の村田社長は、今回の決算内容の受け止めについて、「コロナからのリバウンド的な部分が多分にあることも事実」と述べたうえで、「今年から本当の力が試される年。冷静に過去最高益に浮かれるのではなくて、グループ全体で引き締め直す」と話しました。
また、「松屋」のことし2月までの1年間の決算では、売上高にあたる総額売上高は前の年と比べ31.2%増え1149億円となりました。
インバウンド客が多く訪れる主力の松屋銀座店では、売上高が前の年と比べ35.5%増え1018億円となり、1991年度以来、32年ぶりの過去最高を更新しました。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)見解 インバウンドにおけるモノから体験への流れ、そしてかつての日本人も海外でのブランド漁りから脱却したように、百貨店のインバウンドはやがて収縮していく。
J.フロントリテイリングの小野圭一 社長 のインバウンド好調に対する危機感と、将来に向けた成長の種をまくことが重要だという指摘はまったくの正論。
いまこそ、百貨店の業態イノベーションとビジネスモデルの変革が求められている。
村山慶輔((株)やまとごころ 代表取締役/インバウンド戦略アドバイザー)見解 中国人観光客の完全復活を待たずに、都内や主要都市の商業施設においてインバウンド消費が順調。続く円安、万博効果もあり今後もさらに伸びる可能性がある。ただ、コロナ禍の状況を踏まえると、各企業は安心してはいられないというのが本音でしょう。
一方で、地域の中小企業において、インバウンド需要の回復はまだまだこれから。インバウンド需要も二極化しており、地方誘客が今後のカギになる。
石川智久(日本総合研究所 調査部長/チーフエコノミスト)補足 日本がこれほど安い国になってしまったことに危機感を持つ必要があります。脱成長を求める意見もありますが、世界は経済成長を続けており、成長していないのは日本くらいであることを認識する必要があります。日本が成長しなければ、企業はインバウンド頼みの経営になってしまいます。今こそ日本はいかにして経済成長を遂げるかを考えるべきです。世界では経済成長に財政資金を投じる傾向が強まっています。理系人材の育成や新産業創出に財政資金を投じて、経済を成長させることが、日本が海外から買いたたかれない方法といえます。
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le-tessia · 2 months
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なるほど、定期的に訪れる「民主党政権擁護」が再発してるんですね。
あのような惨劇は二度と繰り返してはなりません。あの時代がいかに酷いものであったか、いくらでも具体例を挙げて語れますので、支持者から叩かれることを覚悟で詳説していきましょうか。
個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。
(1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた
(2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した
(3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた
では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。
(1)国家運営能力の欠如
・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。
・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。
・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。
・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。
・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。
・「朝鮮��室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。
・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。
・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。
・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。
(2)外交能力の欠如
・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。
・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。
・���閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。
・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。
・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。
・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。
・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。
(3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質
・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」
・菅総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」
・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」
・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決)
・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」
・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」
・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」
・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞
・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影
・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上
・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑
・千葉法務大臣⇒落選後も留任
・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」
・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」
・柳田法務大臣⇒「答弁は二つ覚えておけばよい」
・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題
・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ
・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪
・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名
・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与
・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。
・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。
そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
https://x.com/nittaryo/status/1738566069697356187?s=46&t=1lgVS1ds3uqk5xvTqZM4Fw
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haura-yuki · 8 months
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202309030
彼ら二つは似すぎてしまっていたのかもしれない。だから仕事の話で固く手を結び、人生観について語り明かし、互いをいつまでも疑い続た。それはまるで、自らをまた他方をクレタ人だと名指し、自己言及のパラドックスのようで行き着く先などなかった。言葉の不足した論理がいくつかの形に凝縮してそのまま空に浮かび途方に暮れた。消えそうなそれを形付け直すことは、吐いた煙が雲に届くのを見届けるように不可能な事であった。
私が長年考え続けたことを今書きたい。それを書き始めたのは4年前に遡る。具体を排除した文節として記録された私の戯言
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「クレタ人は嘘つきである」
-仮説①クレタ人は嘘つきだとする(主張が嘘だとする)―結論①クレタ人は嘘つきであるため、"嘘つき"が嘘になり、クレタ人は正直者になる。【=仮説①に反する】
-仮説②クレタ人は嘘つきだとする(主張が正しいとする)-結論②クレタ人は嘘つきではない【=仮説②に反する】
どちらの仮説を立てても、仮説に反する結論に行き着いてしまうというパラドックス。
これを生活に落とし込むと、多くの者は「途中式なんてものはどうでもいいから結局どっちなの?」と息もつかず、あるいは露骨に深い息を吐きながら結論を迫る。結論だけを提示することがシンプルとでも言うの
201911424の私は彼女と対話をしていた。対義語と否定語はあまりにも役割が違いすぎると思い知った。彼女にとってのyesの否定語はnoだったけれど、私にとってyesの否定語はnot yesだったからだ。例外なく女子大生は恋バナをする(私は肩身の狭い恋バナ不得意勢であったが)。彼女は「好き」の否定語は「嫌い」だと捉えているようで、おそらくパートナーとは言えない人からの言動に一喜一憂し忙しなくも充実しているように見えた。「"好きじゃない"って言われたけど、なにそれ」と整えられた長い爪で今にも画面を割りそうなくらい液晶を連打した。私がある人を指して「嫌いじゃない」と状況を説明したところ、彼女の気性を逆撫でたのだろう「それは好きとは違うわけ?」、付け加えて「そういうどっち着かずの反応はキープと紙一重なんじゃない?ズルくない?」と今度は私を割ってやろうと言わんばかりに視線を向けてきた。
もちろん彼女の言わんとすることは私にも感覚的には分かったけれど、否定語を対義語と混合されることは思った以上に誤解が生じるのだなと学んだ。数学的に言えば、「行ける」の否定語は「行けない」、「行けない」の否定語は「行ける」ではなく「行けなくない」なのだ。でもこれが彼女の言う"どっち着かずの反応"である。飲み会への出欠確認なんかでは「で、どっちなの?」と煩わせる。ただ、この煩わしさの要因は文字から生じるものではなく、私情を伺うことにある。一度、情を切り離してみれば、「雨が降る」の否定語は「雨は降らない」。一方、「雨は降らない」の否定語は「雨は降らなくない」。もし天気予報士が統計をもとに"雨が降るとは断言できない"と判断すれば、「雨は降らなくもない(=雨が降る可能性もある)」としか言えないのだ。晴かもしれないし雨かもしれないし、はたまた曇りなのかもしれない。もっと一般化してしまえば、雨かどうかは"分からない"ということだ。そんなどっち着かずの反応も雨のように無機質で人臭さのないものが対象であれば、大半の人は「ハッキリしろよ」なんてテレビに向かって声を荒げない。「雨が降るのかもしれないな」と折り畳み傘を鞄の中に入れるのだ。そして、「ハッキリしろよ」と言っている者に対して、この人は聞く耳を持たない者だとすら思うのかもしれない。天気予報との明らかな違いは、私たちは統計と可能性と選択だけで動くロボットではないことだ。私たちは相手を思いやることができる熱を持ったヒトだし、他人の私情に簡単に揺さぶられつつ未熟ながらも尊く相和するのだ。だから、行けなくなくても「行く」「行けない」とハッキリと提示するし、たとえ「行けない」を選んでも、それについて誰も嘘つきだとなじる者はいないことを当然のように知っている。細かな点々がじわじわと滲んで綺麗な円になるような個人が大衆を取り巻く社会の全貌。
だが仮説は仮説だとしても、仮説としての機能を果たしている。私たちは見えない行間を読むように会話を摘まみ、否定語の否定は「分からない」という結論にしかならないけれど、「嫌いじゃない」「行けなくない」「雨は降らなくない」を含めていて(否定語の否定を肯定する要素にもならないけれど)、私情がなくてもあって身がはち切れそうでもそういう理論を受け入れていかなくてはならない。
時という流れは刻一刻と過去を増やしていき、その流れの中には取り返しのつかない選択だって紛れている。私は誰をも傷つけるべきではなかったし、私は誰からも傷つけられるべきじゃなかった。でも"起こった"ということは、粉々に割れた珈琲カップと同じことだ。どんなに手を尽くしても元には戻らない。でもそれに悲しんでいても時は流れていくから、私たちはその過去を根に持って継承したり繰り返すのではなく、許していかなければ息が尽きてしまう。許すという行為は相手以上に自分を掬いとる唯一の方法なんだ。綺麗事じゃない、私はなにも恨まないよ、たとえ私を恨んだモノたちが目の前にいてもだ。
ところで否定語については上のことが言えるけど、もし「分からない」が通用しない、真と偽の二つしかない事象があるとしたら、この種のパラドックスは避けられないのだろうか?
ある人はこう言葉を始めた。いいかい?パラドックスが生じたとき前提を疑うことだ。途中式をあの手この手で組み替えても決してそれは解決には繋がらない。なぜならそれがパラドックスだからだ。「もう一つ言うなら」、彼が人差し指を伸ばしたから思わず私はその指先に目を向けた。そこには宙があるだけだった、あるいは何もないから宙だった。「そもそもその主張は意味を宿しているの?」。私は既に眩暈を覚えている、それは孤独についての話だった。
20210330『箱の中のカブトムシ』を知り、20210508箱の中のカブトムシはヒトに与えられた生涯の孤独であると府に落とした。私たちは言語ないしは言葉を概念とともに習得してきた。箇条書きで「~というもの・こと」で表される事由をかき集めてたった一つの名詞(三角形・カラス)が成る。両者が認識している名詞であれば、少なくとも感覚的に「~というもの・こと」を共有して捉えていると言えて、逆に言えば、浸透していない言語は言葉通り意味の無い、ただの記号の羅列であり口から出る音の連続でしかない。三角形やカラスのように、それを見て多くの人が同じ色・形・大きさ・温度・音・肌触りを把握できて、これは▲だけどこれは■だね、これはカラスだけどこれはハエだね、と真剣衰弱のように照らし合せができれば随分と安心するのに、信号の色は青色か緑色か、こんな身近なものあたりから境目がぼやけはじめる。特に具体的な形や物体を伴わない、極めて外界や他人を理解するために機能する概念(痛み.好意)となれば、視界一面に薄い透明ガラスが何重にも厚みを作っているような感覚だ。口の動きは見えるのに何を言っているのか伝わらない通さ。
赤信号が青信号に変わったのに、私たちは歩を進めず信号を眺めている。「私には青色に見えます。」「いいや俺には緑色に見えると言ったら、俺はあなたを信じていないことになる?」-ならないです。でも信じているということにもならない。そもそもこれは肯定と否定でも真と偽でなく、私にとっては青色に見えるということと、あなたにとっては緑色に見えるということだけであって、逆に言えばそれだけでしかないからです。「もうひとつ覚えておいた方が良いことがある」彼は赤になる前に渡ろう、と言って横断歩道の白い線を踏んだ。「あなたにとっての青色と、俺にとっての緑色は同じ色の可能性を秘めている」俺たちは中身を他人と共有し得ない箱を持たされて生きている。だから、自分のカブトムシに従って感覚や概念を伝えるしかない。しかし残念なことにどれだけ自分の考えていることを話しても、本質的には自分しか知り得ない。それが俺たちが与えられた生涯の孤独というものだ。でも不幸の中にも幸福はある。これは反証し得ない仮説と同じことなんだ。誰にも俺の緑色を否定できないし偽だとも証明できない。そのなかで、色が認識されていくときの諸条件のひとつひとつを丁寧に標本化していければ、もしかしたらあなたの言う青色と俺の言う緑色は、同じ色の符号を指している可能性がある。不思議なものだよね、青色と緑色は異なる記号の羅列であり、口から出る異なる音の連続なのに同じものを指しているなんて。その逆も然りではあるんだけどさ。
私たちの中に"カブトムシ"が何千何万匹と蠢いていることはよく分かる。ざわざわと奇妙な感触をもってこのカブトムシを感じている。この"分かる"もカブトムシのひとつなのだろう。失いたくない人を目の前にすれば、失いたくないのに好いているも愛しているも永遠も私には分からなくなる。勝ち負けや駆け引きが始まれば、言語の使われ方は本能に翻弄され意味だけが剥ぎとられ、実態を欠いた響きだけが耳に届くのだ。耳を塞ぎたい、膝を抱えたい、目を瞑りたい、この膨れ上がった頭を手放したい。でもこの耳も目も頭も割れた珈琲カップと同じなのだ。与えられた感性は仕方がないのだと散った体力をひとつに掻き集めて身体に送る。それが私というものだった。どうか信じて欲しい。私は目の前のあなたを信じていなくはない。ただ、時々、この不条理で可能性に満ちた世界を誤って拒みたくなるのだ。あなたが信じることも疑うことも放棄したことと似たように。
自己言及のパラドックスは言語の不完全性に責任を転嫁した、言語を扱う側の不完全性なのかもしれない。似すぎてしまった二つはおそらく目の前の相手に初めの一歩を踏み込んでもらうことを実は望んでいる。テイクアンドギブしか出来ない私たちが、ギブアンドテイクを惜しまない彼らのいとも簡単そうにこの暗闇から引っ張り出してしまう軽やかさを。
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herbiemikeadamski · 1 year
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月3日(土) #友引(庚寅) 旧暦 11/10 月齢 9.2  年始から337日目(閏年では338日目)にあたり、年末まであと28日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 実は、昨日の帰宅時に交通事故に 逢いました🚘💢🚙🌬️🚓ナロ-ッ💢💢💢 交差点内での「右直事故(ウチョク)」 こっちが右折時に対向車が直進の 出会い頭なので、ほぼ正面衝突に 近い感じですが、対向車の方は左 にハンドルを切ったせいで右角側から アタックして来た🏐しかもノンブレーキです。 私どもの方は車の全面を剝ぎ取ら れる様にフロントグリルからナンバープレート にバンパーが欠落して先方の車両に 刻印されるかの様にめり込んでて 右角から右側面のボディが後方まで 傷が達して運転席と助手席側の方 もエアバックが作動(o゚д゚)マジスカ? \(__ )マジデスw💢💢💢ノンブレーキで こっちに衝突したから止まれた。 そんな具合✋もし、こっちの側面 に当たって居たら間違いなく横転 してたでしょう✋私どもの非とし ては、交差点内及びその手前30m 以内の場所においては,追越し及 び追抜きの前提となる車線変更が 禁止とされてる事✋対向車に関し ては、横断歩道や交差点内おいて は、横断しようとする歩行者また は自転車が明らかにいない場合以 外は徐行を義務付けられて居ます。 歩行者や自転車が居る場合は停止。 また、前方の進路妨害が適用され るんじゃないかと❔お互いに前方 不注意ではと✋しかもどもの方は 前車両が信号が黄色にでもなるか 赤信号だったので停止して居たの でしょう✋その後ろで進路変更を して右折をしようとした所へ前の 車が突っ込んで来たという事で 明らかに先方は信号無視をして 早く交差点内を通過しようとした と思われます✋こちらは停止車両 の後ろから進路を変更をしたので 前から来る車が見えなかったとの でしょうが、対向車は直進ですの で、一部始終見えて居たんだと思 わるが、奴の証言では見えなかっ たと云って居やがるが「嘘」です。 奴は信号が黄色又は赤になりそう な時にやる信号無視気味でよくや るやつですよ✋ブレーキと云うよりも アクセル踏みぱなっしですわな😅💦 こんな証言をしてやりゃあ良かっ ただろうか❔と今更に思うがその 時はとてもそんな気になれないし ドライバーさんに悪いかなって云う よりも「極寒」の夜空の中での 現場検証が2時間にも及んだのに 凍えそうで手足が痺れちゃった💢 って事で寝たの2時過ぎ😪💤のにw . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #みかんの日. 毎年11月3日が「いいみっか(3日)ん」=「良いみかん」という語呂からみかんの日として制定されています。  本日、12月3日と毎月第一日曜日も同じ記念日として、全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定しています。  みかんは日本を代表する果物であり、冬といったら #コタツにみかん。  三個のみかんを食べるだけで1日のビタミンCが摂取できるといわれています。  昔は、この時期になると各々の家庭では、みかんを箱買いしてあったんじゃないでしょうか?  みかんを食べて寒い冬を風邪知らずで乗り切りましょう。 . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。 . . #魚群探知機の日.#カレンダーの日.#わらべうた保育の日. #個人タクシーの日.#ヒルズダイエットの日.#奇術の日. #プレイステーションの日.#プレママの日.#ひっつみの日 . #着うた®の日 .#国際障害者デー.#自動車電話の日(コードレス電話の日). #妻の日.#世界初の麻酔で手術に成功(NIPPON). . #くるみパンの日(毎月3日). #ビースリーの日(毎月3日). #みたらしだんごの日(毎月3日、4日、5日). . . #国際バスク語の日. . . ■本日の成句■. #名を取るより得を取れ(ナヲトルヨリトクヲトレ). 【意味】 実益の伴わない名誉を求めるよりは、実利を取るほうがよい。 . . 1950(昭和25)年12月3日(日)先負. #イルカ (本名:神部としえ/旧姓:保坂) 【フォークシンガー、絵本作家】 〔東京都中野区〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Clrs934vKuEqy07Lha10wO3KGg_TVh8XNWXTzU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takahashicleaning · 6 months
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TEDにて
デイヴィッド・オートー : 自動化で人間の仕事はなくなるのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
注意!!現在、基本的人権を侵害するストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能です。
これはあまり耳にすることのないパラドックスですが、1世紀に渡り人間に代わって仕事をする機械が作られてきたにもかかわらず、アメリカで仕事に就く成人の人口の割合は過去125年の間増え続けているのです。
どうして、人間の労働が余計になったり、人間のスキルが廃れたりしないのでしょう?
仕事の未来に関するこの講演で、経済学者のデイヴィッド・オートーが、なぜ、未だ、こんなにも多くの仕事があるのかを問い、驚きと希望に満ちた答えを出します。
ひとつ驚くべき事実があります。45年前に「ATM」あの現金の自販機が導入されて以来、アメリカで雇用されている銀行窓口係の数は、おおよそ2倍に。25万人から50万人に増えていて、1970年に25万人だったのが、今では50万人。2000年以降だけでも10万人増えているんです。
ボストン大学の経済学者ジェームズ・ベッセンが、最近出した本で明らかにされたこの事実は、興味深い疑問を提起します。その人たちはいったい何をやっているのか?なぜ自動化によってそういった仕事がなくならないのか?
考えてみれば、過去200年における偉大な発明の多くは、人間の労働を置き換えるためのものでした。
トラクターは、人間の肉体労働を機械の力で置き換えるものとして作られました。
組み立てラインは、ムラのある人間の手作業を機械の正確さで置き換えるため考案されました。
コンピューターは、間違いの多い手計算をデジタルの完璧さで置き換えるべく生み出されました。
これらの発明は大成功でした。私たちはもはや手で溝を掘ることも鍛鉄から道具を打ち出すことも紙の帳面で簿記をすることも なくなりました。それでも労働市場で雇用されているアメリカ成人の割合は、2016年の今。
125年前の1890年よりも高くなっており、その間10年ごとにほぼ上がり続けているのです。
これはパラドックスを提起します。
機械がますます人間に代わって仕事をしている中で、なぜ人間の労働が余計になったり人間のスキルが廃れたりしないのか?どうしてまだこんなに仕事があるのか?
今宵はどうにかこの疑問に答えようと思います。その過程でそれが仕事の未来に対して持つ意味合い。また、自動化が我々の社会システムに提起する問題。しない問題について話したいと思います。
なぜ?こんなに沢山の仕事があるのか?これには2つの基本的な経済学��理が関わっています!
1つは、人間の才覚や創造性に関するもので、もう1つは、人間の飽くことを知らない欲望に関わるものです。
1番目のものを「Oリングスペースシャトルの原理」と呼びましょう。これは人間がする仕事の種類を決めるものです。
2番目の原理は「足ることなしの原理」です。これはどれだけ多くの仕事があるかを決めるものです。
Oリングの話から始めましょう。
ATM (現金自動預け払い機)には、銀行窓口係の雇用に対し相殺する2つの効果がありました。現在では、ご想像の通り、それは多くの窓口係の作業を代替することになり、支店あたりの窓口係の数は3分の1減少しました。
しかし、また銀行は新たに支店を開くコストが安くなったことに気付き、同じ時期に銀行の支店数は40%増加しました。総数としては、支店数とともに窓口係の数も増えたのです。
しかし、窓口係の仕事内容も少し変わりました。日常の業務として現金受渡の作業は減って出納係よりはセールスマンのような仕事になりました。
顧客との関係を築き問題を解決し、クレジットカードやローンや投資といった新しい商品を紹介するようになったのです(法律で規制されるまで金融に関する詐欺も横行するようになりました)
窓口係の仕事は、より頭脳が要求されるものになりました。
ここには、ある一般原理が働いています。
我々のする仕事の多くは多様なスキルを必要とします。頭脳と筋力。専門技術と経験の勘。エジソンの言うところの努力とひらめき、通常そういった仕事の一部分を自動化することで他の部分は不要になりません。
むしろ、その部分がより重要になります。
経済的価値が高くなるのです(そして、精神的に追い詰められる傾向が高まります)
際だった例をお話ししましょう。1986年。スペースシャトル・チャレンジャー号が発射から2分もせずに爆発し、破片となって地上に落下しました。
調査の結果分かったのは、爆発の原因は補助ロケットの安価なゴム製Oリングにあり、前の夜に発射台で凍り付いて、発射直後に破滅的な故障を来したということです。
この数十億ドル規模の事業において、単なるゴム製Oリングが、計画の成功と7人の宇宙飛行士の悲惨な死とを分けることになったのです
「Oリング生産関数」は、この悲劇的な状況の巧妙なメタファーとして、ハーバードの経済学者マイケル・クリーマーがチャレンジャー号事故の後に名付けたものです。
Oリング生産関数は、仕事を連動する一連のステップ。チェーンの輪として捉えるものです。計画の成功のためには、すべてのチェーンの輪が機能する必要があります。
どれか1つでも壊れると計画・製品・サービスの全体が墜落することになります。(現在のサプライチェーンの根本はここから開始しています。生産管理手法のPEATの発展形)
この危うい状況には、驚くほどポジティブな意味合いがあります。
チェーンの輪1つの信頼性を改善することは、他のチェーンの輪を改善することの価値を高めるということです。
もし、ほとんどのチェーンの輪が脆く壊れやすいとしたら、自分のチェーンの輪の信頼性が高いかはさして重要ではありません。
どのみちどこかが壊れるでしょうから。
しかし、他のチェーンの輪がみんな堅牢で高い信頼性があるとしたら、自分のチェーンの輪の重要性はより本質的なものになります。究極的にはすべてがそこにかかることになります。
Oリングが、チャレンジャー号にとって要となったのは他のすべてが完璧に機能していたからです。もしチャレンジャー号が宇宙時代におけるWindows 2000のような代物だったとしたら。
Oリングの信頼性など問題にならなかったでしょう。どうせクラッシュするんだから。
より一般的な話として言えるのは、我々のする仕事の大部分では、人間がOリングだということです(ボトルネックとも言います)
ATMは、確かに現金受け払いの仕事を窓口係より速くうまくこなしましたが、それで窓口係が不要になることはありませんでした。むしろ、窓口係の問題解決力や顧客との関係が重要性を増したのです。
同じ原理が、建物の建設や患者の診察や手当。教室一杯の高校生への授業などにも当てはまります。道具が進歩し、テクノロジーが梃子として働くことで人間の専門技術や判断力や創造性がより重要になるのです(そして、精神的に追い詰められる傾向が高まります)
それが、第2の原理に繋がります「足ることなしの原理」です。
こうお思いかもしれません「Oリングは分かった。人間の仕事が重要になる。機械にはできないが必要な仕事があるんだと。しかし、それは必要になる仕事の量については何も言っていない」
何かについて生産性が十二分に高くなったら、その仕事から人々が抜けていくのは自明のことではないでしょうか?1900年には、アメリカの雇用の40%は農業でした。今日では、2%未満です。なぜ?農業従事者がそんなに減ったんでしょう?みんなの食べる量が減ったからではありません。
1世紀に渡る農業効率性の向上により、今や2百万の大規模農家が3億2千万の国民を食べさせられるようになったのです(遺伝子改良作物。森林伐採、農地の荒廃も同時に起こっています)
行政府の補助金などの下支えが豊潤にありつつ、労働の概念が、テクノロジーの発展により急激に変化した時代でした。
驚くほどの進歩ですが、これは農家に多くのOリング的な仕事が残されたことも意味します。
だから、確かにテクノロジーは、雇用を減らします。農業はその一例に過ぎません。そういう例は、他にも沢山あります。
しかし、1個の製品・サービス・産業に当てはまることが経済全体にも当てはまるわけではありません。
現在、人々の働く産業の多く医療や健康、金融や保険、電子やITといったものは、100年前には存在しなかったか、ごく小さなものでした(労働の概念の変わり目の過渡期には、ゲーム機器としておもちゃ同様、軽く思われていました)
さらに、私たちが、多くのお金を使っている製品。エアコン。SUV、コンピューター、携帯機器といったものは、100年前には とんでもなく高価かあるいは発明されてもいませんでした。
自動化により使える時間が増え、可能なことの範囲が広がり、新しい製品・アイデア・サービスが生み出され、それが私たちの関心を引き、時間を占有し消費を促すようになりました。
おもちゃみたいにくだらないものが多いと思うかもしれません。究極的なヨガ、冒険ツアー、ポケモンGO・・・それは認めます。でも、人々は、初めはそうですが、人間の限界を遥かに超えるようなアイデアにより高密度に洗練されていくにつれて、そういったものを欲しがり、そのために熱心に働きます。
2015年の平均的な労働者が、1915年当時の平均的な生活水準を得るためには、1年の3分の1。17週。働くだけでよいのです。しかし、多くの人はそうはしません。技術の賜を手にするために熱心に働くのです。物質的豊かさで心理的な不足感が消えることはありません。
さて、この2つの原理「Oリングの原理」と「足ることなしの原理」を認めてもらえるなら、仕事がなくならないのもうなずけるでしょう。では、心配することなど何もないのでしょうか?自動化、雇用、ロボット、仕事・・・すべては自ずとうまくいくのでしょうか?
いいえ。それはまた別の話です。自動化はより少ない時間で多くの仕事ができるようにすることで富を生み出します。しかし、その富を人間がうまく使うと保証する経済法則はありません(基本的人権の尊重が重要になります)
行政府の補助金などの下支えを豊潤にするために、行政府が新産業の成功者である超有福層から強制分配しないからです。
行政府の補助金などの下支えを豊潤にするために、行政府が新産業の成功者である超有福層から強制分配しないからです。
100年ほど昔は、フォード、カーネギー、ロックフェラーなどが個人のセンスでエンジェル投資家を兼務し分配していました。
現在の人工知能時代では、ベーシックインカムです!!
それは懸念すべき点です。2つの国。ノルウェーとサウジアラビアを考えてみましょう。どちらも石油のおかげで豊かな国です。地面の穴からお金が吹き出しているようなものです。
しかし、両者が国民の繁栄のためにその富を同じように使っているわけではありません。ノルウェーは、民主主義がうまくいっている国です。概ね国民は互いにうまくやっており、国民幸福度ランキングでは、大概1位から4位の間にいます。
サウジは、王族などの絶対君主国で多くの国民に栄達の道が開かれてはいません。
国民幸福度ランキングは、35位あたりであのように豊かな国にしては低い順位です。比較として、アメリカがいるのは12位か13位あたりです。
ノルウェーとサウジの違いは、豊��さでもテクノロジーでもなく社会システム制度です。
ノルウェーは機会が開かれていて、経済的移動性のある社会を作るために投資してきました。サウジでは、生活水準は上がりましたが、多くの国民は不満を持っています。
2つの国はどちらも豊かですが、同じようにうまくやっているわけではありません(基本的人権の尊重が重要になります)
これは、我々が今日直面する問題。自動化がもたらす問題を思わせます。問題は仕事がなくなることではありません。
アメリカでは、グレート・リセッションの最悪の時期から雇用が1400万増えています。問題は、多くの職は、良い仕事でなく多くの人には、新たに生まれる良い仕事に就けるスキルがないということです。
アメリカやその他の多くの先進国における雇用の成長は両端の重みが増していくバーベルのようです。一方には、高学歴・高収入の仕事。医師、看護師、プログラマー、エンジニア、マーケティングやセールスの幹部社員といった仕事があります。
雇用は堅調で成長しています。同様に低スキル・低学歴の仕事もまた雇用が増えています。食品サービス、清掃、警備、介護などです。他方で、中学歴・中収入な中流の仕事が縮小しています。工員や職人といった労働者や事務やセールスといった事務職です(ドラッカーの言うテクノロジストも)
この中間部の縮小は、不思議なことではありません。
トヨタも過去には、完全な自動化を行おうとして人間を機械のように扱っていましたが、共産党の粘り強い指摘で次第に改善していきました(現在では、同じ過ちをGMやTeslaも経験しています)
トヨタも過去には、完全な自動化を行おうとして人間を機械のように扱っていましたが、共産党の粘り強い指摘で次第に改善していきました(現在では、同じ過ちをGMやTeslaも経験しています)
そういった中間的スキルの仕事の多くは、よく分かっているルールや手順に従っており、それが、必然的にソフトウェア化されてコンピューターで実行されるようになっているからです。
この現象が作り出すのは、経済学者が「雇用の二極化」と呼ぶ問題で経済の梯子の段が取りのけられ、中間層が縮小し、社会の階層化が進むということです。
高収入・高学歴の 知的職業に就く人が興味深い仕事をする一方で多数の人は低収入の仕事をし、その主な責務は、裕福な層が快適で健康的であるように世話をすることなのです。これは私の考える進歩の姿ではありません。
皆さんもそうでしょう。裕福な層が「くそな人間性の人物」なら、より嫌です。
もう一度言います。
行政府の補助金などの下支えを豊潤にするために、行政府が新産業の成功者である超有福層から強制分配しないからです。
行政府の補助金などの下支えを豊潤にするために、行政府が新産業の成功者である超有福層から強制分配しないからです。
100年ほど昔は、フォード、カーネギー、ロックフェラーなどが個人のセンスでエンジェル投資家を兼務し分配していました。
現在の人工知能時代では、ベーシックインカムです!!
しかし、心強い話もあります。私たちは、過去に同じように大きな経済的転換に直面しており、それをうまく切り抜けてきたのです。1800年代末から1900年代初めにかけて、自動化によって農業の仕事が大幅に減りました。トラクターを思い出してください。農業州では、大規模な失業の危機に直面しました。
1世代の若者達が、農場で必要とされなくなり、工業に従事できる準備もできていません。この問題に対して、彼らは大胆な施策を取り、若い世代全体に16歳まで学校に残り、本人の代わりに授業料を支払い義務教育を受けるよう求めたのです。
これは、ハイスクール運動と呼ばれ、極めてコストがかかり高く付くことでした(新産業であるスチュワートミルの義務教育も当時は未整備でした)
学校への投資が必要なだけでなく、その若者達が働けなくなるからです。
これは、偶然にもアメリカが20世紀にした最良の投資であったことが分かりました(フォード、カーネギー、ロックフェラーなどの先見の明。創業者個人のセンスです)
世界でも、最もスキルの高い柔軟で生産的な労働力を手にすることになったからです。
これがいかにうまくいったか理解するには、1899年の労働者を現代に連れてきたところを想像するといいです。
いかに頑丈な体を持ち良い性格をしていたとしても、その多くは基本的な読み書きや数理的なスキルを欠いていて、最も単純な仕事以外はできず大部分が雇用不適格でしょう。
つまり、当時、この分野は新産業でした!!
この例が示しているのは、我々の制度。特に、学校の優位性であり、それが技術的繁栄の実りを収穫できるようにしてくれたのです。
何も心配することはないなどと言うのは馬鹿げています。我々が、やり方を間違うことは十分あり得ます。
もし、アメリカが1世紀前のハイスクール運動で学校やスキルに投資していなければ、これほど繁栄はしておらず、経済移動性も低く、ずっと不幸な社会になっていたでしょう。しかし、我々の運命は閉ざされていると言うのも愚かなことです。運命を決めるのは、機械ではなくマーケットでさえありません。
運命を決めるのは、我々自身のアイデアとこれを補完する制度なのです(基本的人権の尊重が重要になります)
私は、パラドックスから話を始めました。
機械が、ますます人間の仕事をするようになっているのに、どうして人間の労働やスキルが余分なものにならないのか?
経済的・社会的な地獄への道は、我々自身の偉大な発明によって敷かれているのは自明なことではないのか?
歴史は、このパラドックスに繰り返し答えてきました。
答えの1つは、テクノロジーが梃子として働き、人間の専門知識、判断力、創造性の付加価値や重要性を高めるということ。Oリングです。
もう1つの答えは、人間の尽きることのない創意と果てなき欲求のため、決して満ち足りることがないということ。常に新たな仕事があるのです。
技術が変化する速さへの対応は難しい問題を生み出し、そのことは、労働市場の二極化やそれが経済的移動性を脅かす様に見て取れます。
この困難を越えることは、自動的に出来ることでもコストなしにできることでもなく、容易ではありませんが、ベーシックインカムなどの行政府の補助金があれば可能なことです 。
そして、明るい話もあります。驚くべき効率性のお陰で我々は豊かです。アメリカが、100年前にハイスクール運動でしたように我々自身や子供達など、すべての人に投資することはもちろん可能です。
むしろ、しないことは許されないでしょう(基本的人権の尊重が重要になります)
こう思っているかもしれません。オートー先生は、明るい話を遠い昔や少し前や現在についてはしているかもしれないけど、未来のことは言っていない。今回が違うことはみんな知っているから今回は違うんですよね?
もちろん、今回は違います。毎回違っているのです(労働の概念が変化する過渡期だから)
過去200年間に数え切れないくらい学者や活動家達が警告してきました。
確かに今の古い労働の概念がなくなり、我々は用済みになると。たとえば、ラッダイトが。1800年代初めに米国労働長官ジェームス・デイヴィスが、1920年代半ばに。ノーベル賞経済学者ワシリー・レオンチェフが、1982年に言っています。
そして、もちろん、現在の多くの学者、評論家、科学技術者、マスメディアの人々が言っています(ロジェカイヨワ戦争論でも、移行期の「祭り」のための「いけにえ」と言う形で起こるとも言っています)
そのような予言は、私には傲慢に思えます。
そういった自称予言者達は、実質的にこう言っているのです「人々が、将来どんな仕事をするのか?私に考え付かないなら世の人々にも子孫達にも考え付かないだろう」
人類の創意に対して、そのような賭けをする肝っ玉は私にはありません。何百年先に人々が、どんな仕事をしているか?
私には分かりません!しかし、未来は、私の想像力にかかっているわけではありません。私が、1900年のアイオワ州の農民で、21世紀から経済学者が私の畑にテレポートしてきて言ったとします。
「ねえ。お百姓のオートーさん。この先100年の生産性向上によって、農業雇用は40%から2%に減るんだよ。他の38%の人たちは、何を仕事にしていると思うね?」
私はたぶんこうは言わないでしょう「ああ。そりゃアプリ開発とか放射線医療とかヨガのインストラクターとか絵文字デザインとかかな」(労働の概念も変化し、人間の限界を遥かに超えてるため)
私には見当が付かないでしょう。しかし、こう言える知恵があればと思います「すごいね。農業人口が95%減って食糧不足にならないなんてすごい進歩だ。その繁栄によって人類が何かすごいことをやってくれることを望むよ」(労働の概念も変化し、人間の限界を遥かに超えてるため)
そして、概ねそうなっていると私は思います(労働の概念も変化し、人間の限界を遥かに超えてるため)
ありがとうございました。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。
それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
さらに
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<おすすめサイト>
エピソード8 Episode8 - 知恵が試されるバランスとテーラワーダ仏教の「結び」、マクロ経済学(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
この世のシステム一覧イメージ図2012
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
マーティン・フォード: 職が無くなる未来の社会システムでのお金の稼ぎ方
バリー・シュワルツ:我々の仕事の考え方は間違っている?
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
オーギー・ピカード: 製造業の仕事が減っている本当の理由
<提供>
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country81writer · 3 years
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ケニア オンザロード KENYA on the Road
魅惑と困惑のナイロビ
東アフリカのハブ、ケニアは人口約5,400万人。これまでに10回以上は渡航している、アフリカで一番縁のある国だ。 マサイ族の言葉で「冷たい水」を意味する首都ナイロビは標高1700メートルの高地で、赤道直下とは思えない高原の心地よさがある。同じケニアでもインド洋に面した町モンバサの湿気とむせ返る暑さとは別世界だ。
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市内中心部には治安の悪い大きな公園と高層ビルがあり、モダンな都市の体裁を保っている。ただし交通渋滞も殺人的にモダンで、空いていれば20分の場所まで2時間かかることなどは日常茶飯事、遅刻の理由としてオールマイティのため仕事の効率は極端に悪い。効率という感覚自体も無いのかもしれない。 道には基本的に信号機というものがなく、交差点はラウンドアバウトという円形の平面旋回交差になっている。 大小の車が我先にこの円形交差点に飛び込みチキンレースさながらの接近戦を繰り広げる。直線道では前車のスリップストリームに入り込み、露骨な追い越しを仕掛ける。免許取りたての人々はどうやって生き残れたのか、謎である。 初心者のころ、ナイロビ市内で朝9時の会議を予定して、前の晩のうちにホテルに迎えのタクシーを予約した。手配時間の8時になってもタクシーが来ず、電話すると、 『渋滞にはまってるんだろう、そろそろ着くから待っていろ』 と根拠のない説明。会議相手の会社に詫びの電話をすると、相手も渋滞にはまって出社していない。タクシー会社にクレームの電話をしながら歩いているうちに、とうとう会議の場所に着き、相手の到着を30分待った。 当てにならない車より健脚がモノをいう。
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当地のタクシーにはメーターがない。 行き先を告げて値段を決めるのが乗車時のルーティンワークで、降りる段になって渋滞で長時間運転したから追加料金が欲しいとか、小銭が無いから釣銭はチップにしてくれとか、様々なおねだりを持ちかけられる。 簡単にYESと言わないのが習わしなので僅か100シリング(約100円)かそこらのために、明るい大声で運転手とやり合う。声は大きいほどよい。 この非生産的な行為の繰り返しを面倒と思ったら、おそらくあなたはアフリカ向きではない。 どうにかして稼ぎを増やそうとするナイロビ人の熱意には感心するばかりだ。そのくせ値引きにはあっさりと応じる淡白さも併せ持っている。
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最近はウーバーがすっかり浸透して、どこからでもスマホでクルマを呼べるようになった。 価格交渉が不要で、一般タクシーよりずっと安い。ウーバーCHAP CHAPと呼ばれるスズキの小型車が最安でスマホのアプリで選べる。画面の地図上に虫のような車アイコンが現れ、ナンバーと車種、カラー、ドライバー名が表示されて刻々と近付いてくる。ただし、渋滞にハマれば動かないアイコンをイライラと眺めて待つことになるが、その便利さは素晴らしい。それゆえ、既存のタクシー運転手などとの揉め事も多いらしい。 ウーバーでナイロビ中心街を移動中に警察のバイクに止められたことがある。ヘルメット姿の警官とウーバードライバーが何やらスワヒリ語で言い合っている。 いい加減にしてくれとクレームすると車は動き出したがバイクもついてくる。どうやら何か交通違反をしたらしく、私を降ろす場所で再交渉が始まった。再交渉というのは警官に払う交通違反金の値段交渉だ。 当地では交通違反は警官と価格交渉してその場で現金で払うという裏ルールがあり、どうやらそれが警官のアルバイト収入になっているようだ。 ウーバードライバー君が違反金援助を求める目つきをしたので、僕は急いでその場を去った。
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ナイロビでの移動は車にしても徒歩にしても、覚えておいたほうが良いことがある。 まずナイロビ人は男も女も実によく歩く。道でも線路上でも、どぶ川沿いの泥道でも長い脚でズンズン歩く。 マタトゥと呼ばれる小型乗り合いバスから溢れた人々が、車とバイクの波間を埋めて大股で歩いてゆく。 肌色の黒くない我々が歩くのは陽のある時間帯に限られ、用心が必要だ。物を持たないのが基本で、カバンの肩掛けなども要注意。車やバイクからのひったくりに抵抗したら引きずられて危険なことになる。たすき掛けは命掛けだ。
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道を横断するのも冒険になる。横断歩道などという便利なものは描かれていない。車優先が基本なので歩行者に対して車がスピードを落とすことは、まず無いと思ったほうが良い。 最も安全なのは、現地の人たちが横断する場所で集団に溶け込んで一緒に道を渡ることだ。タイミングを誤ったり、後れを取ったりすると危険だ。 猛獣から身を守るために群れを作るインパラのような気持になる。
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クルマの場合、ドアはロックして、不用意に窓を開けないこと。 渋滞で止まっている片側3車線の国道でもクルマの間を様々な人が通る。物乞いの親子などには、つい同情したらキリがない。各種路上セールスには用のある時だけサッと窓を開けて、サッと買う。 彼らにとって交通渋滞は無くてはならないマーケットだ。水、新聞雑誌、スナック菓子から鍋釜まで、ほぼ何でも路上の車中から手に入る。中には風船やビニールプールを売っている男もいた。こんな所で一体だれが買うんだろう。
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バケツとモップを手に持って回り���勝手に車のフロントウィンドウを洗う猛者がいた。確かにガラスは泥まみれだったので、ドライバーは��って金を払っていた。断りたい時はワイパーを動かして追い払う。
ケニアではどんな事でも起こり得ると、現地の友人に言われたことがある。 ここは、訪れるたびにその可能性と不可能性に惹かれる、不思議なエネルギーに満ち満ちた国だ。
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bunshinovel · 2 years
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 交差点には大きく2つの種類があって、一つは十字路でもう一つは丁字路だ。丁字路は十字路の一方が行き止まりになって、入口出口が三つに減じているだけなので、十字路の一種とも言えるけれど、それは十字路だって丁字路のぶつかっているところが貫通して通り抜けられるようになったものとして捉えられるので、どっちがどっちということではないのは当然の事実であるが、いちいちこんな事を考える人は殆ど居ない。
 私がよく帰り道にしている丁字路があるのだけれど、一般的な丁字路でも同じことが起こっているのかわからないが、少し不思議な構造になっている。その丁字路は、丁の横棒がメインの通りで、片道一車線になっていて、縦棒がその道に入るための側道となっている形で、だから縦棒側には歩道はなく、横棒の道には左右どちらにも歩道がある。横断歩道は丁の横棒側には一つだけ、縦棒と合流するところに一つあって、反対側は直進路がないので存在していない一方で、縦棒側から見ると交差点の中央から左右に横断歩道が一つずつ存在している形になっている。
 一般的に片方が青信号ならその通行を妨げてしまうような道の形になっている側は赤信号になっている、そして歩行者用の信号は基本的に車の信号と同じ色になっている、この丁字路もその例に漏れない。だからこそ変なことになっていて、歩行者である私は丁字路の横棒の道の左側を歩いている、そして縦棒がぶつかる地点で前方の信号が赤になった。そうなると当然直進はできない、そして縦棒の信号機が青になれば縦棒側から見て歩行者用である信号も青になっている、その縦棒を横断するための信号は赤であるが、横棒を横断するための歩行者用信号は、縦棒の車用の信号が青と同じタイミングで青になる。ということは、2つある横断歩道に設置されている歩行者用信号が両方とも青になっているという状態が生じている、これが面白い。なぜならば、私は丁字路の横棒の道の左側に居て、目の前が赤でありそしてその丁字路の横棒の道を横断するための横断歩道の信号機は両方とも青であるということは、一旦目の前の赤信号を渡るのを止めて丁字路の横棒の道を横断し、それからもう一度先にある横断歩道に設置された歩行者用信号が青になっている横断すれば、直進路は赤であったのにカタカナのコの字を描くように動けば道路を横断してしまえるというわけだ、一度渡ってもう一回渡ると赤信号を超えて向こうに渡れる構造になっている、これが面白くて私は赤信号になるたびに二度渡りをして向こうに行きたいという気持ちが芽生えるが、そのような奇妙な動きをしているのを停車中の人たちに見られたくないという気持ちが働くのか、できないまま赤信号をにらみつけることになるのだった。
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kennak · 2 years
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自転車で赤切符切られた話 先日呟いたらレポート需要があるとのことなので、つらつら書いていきたいと思います。主観と心の声がうるさいと思いますが、気が向いたら読んでみてください。 遡ること3週間ほど前 仕事が休みだった義理母に0歳息子を預けて、自転車で買い出しに出ました。 行きつけのスーパーで、家族7人3日分の大量の買い物を済ませ、自転車の前後に乗せて帰っている途中 大通りを渡ったところで 突如、警察の方(多分)に止められます。 何事? 「運転手さん、今信号、赤でしたよね?」 いやいや、この交通量多い交差点でそんな危ないことするわけないでしょ。 青だったから渡ったんですよ。 「青だったのは歩行者の信号です。車道の信号は赤でしたよ」 ???そりゃそうでしょ…? 「運転手さん、今車道を走ってきたでしょ?守らなきゃいけないのは車道の信号です」 このあたりでやっとなんとなくわかってくる。数年前から、車道に自転車はここを走れよ的な矢印 が書かれたから、わかったよここを走るのね、と、車通りがない時はその矢印の上を走ることもあった。 たまたま、今日もそうだった。 あの矢印の上を走っている時は、当たり前だけど車道を走っていることになる。 車道を走っている以上は、車道の、つまり、車と同じ信号を守らなければならないのだ。 恥ずかしいことに、私にはその認識がまっっっったく無かった。自転車は歩行者の仲間だから、同じ信号を守るものだと思い込んでいた。 違った。 自転車は軽車両(たしか免許の学科で習った)。あくまでも車の仲間なのだ。 この認識がないままに、スクランブル交差点を、歩行者の信号を見て、車道を渡ってしまった。 (すぐ横の横断歩道の上を走れば問題はなかった) これが今回の私の敗因である。 ただし、ここまでしっかり理解して腹に落とすまでに、2週間ほどかかっている。 この時点での私の正直な気持ちとしては 『んなこと知らないし教えてもらってない!みんな同じ渡り方してるよ!?こんなちまちま取り締まりするより他にすることあるでしょーが!!(失礼極まりない)』 言いがかりをつけられた憤りと、たまたま通りかかってしまった運の悪さをひたすら嘆くばかり。 さらに言うと、車道を渡ったとこ横断歩道を渡っていた作業着のおじさんの通行を妨げたというのである。おっと、という感じに、すこし足を止めた、とのことだった。 信号無視と、歩行者妨害。 2つ重なってしまうと、さすがに見過ごすことができない、とのことだった。 おっさん!!!嬉し泣き 止められてから、私が何をしたのかの説明、状況の確認、身分の確認、赤切符の作成、なんか調書?状況説明書?の作成を路上で立ったまま行うこと小一時間。 ああ、買ったお肉があったまる…… こんなことなら、ちゃんと弱ペダ履修しておくんだった………(?) お母さん用事があるって言ってたのに 間に合うかなぁ…… むすこ、そろそろお腹すくなぁ……泣いてないかな…… 悶々と色々なことが頭をよぎりつつも、だんだんとことの重大さを認識してくる。 「これをもとに後日、警察へ出頭して取り調べを受けていただきます」 まじかよ。ガチなやつじゃんよ。 あしゃ 赤切符をもらい、やっと解放されて帰路についた。 義母と、夜帰ってきた夫に状況を説明すると一緒に怒ってくれてちょっと救われるも、 落ち込みMAXである。 翌々日、用事でまた自転車に乗ったけれど 手は震えるわ軽く吐き気をもよおすわで ああ、これがトラウマってやつだ。。。 日が経つにつれてトラウマはすこしずつ改善された。 周りを観察してみると、 たしかに車道を車道の信号に従って走っている自転車がいる。 でも一方で、私と同じ乗り方をしている人もいる。 認知度としては、どのくらいのものなんだろう。。 そして3週間後、出頭の日。 子供達を保育園に預けていざ出発。 入口で赤切符を提出し、少し待って まずは警視庁の方とお話。 (赤切符に事前に署名しておく場所があったのガン無視してた。恥) これは、先日捕まった時と同じく状況の確認を改めて行う感じ。 警視庁の担当の方はハキハキ元気なお兄さん。 「突然取り締まりにあってびっくりしたでしょう?状況をみますと、もしかして車道の信号に従うことをご存知なかったんですよね?歩道に歩行者が多かったから、避けて車道を走られていた、そうですよね。普段から優しい運転をされていると思います。 でも、もしこの状況で事故になってしまうと、かなり重い罪になるんです。今後はどうか気をつけていただければと思います」 もう頷きすぎて赤べこ状態。 私がこの3週間、悶々と考えていたことを全部言ってくれた。 優しくて泣きそうになった。 すいません、講習、受けてます。 たぶん小3くらいに。 でもひとっつも覚えてないです。ほんとすいません。 こんな紙をいただき、 この機会に警視庁のホームページで自転車のルールを確認してくださいね、とのこと。 『もうしません』と言う書類にサインをして今回はおしまい。 最初は怒りが強かったものの、徐々に己の無知が恥ずかしくなりました。 知らなかったで済んだら法律はいらないってなもんです。 子供たちのためにも前科持ちになるわけにもいかないし、 何より単に危ないし、 自転車、これからはいっそう気をつけて乗ろうと思いました。 子供達もこれから1人で自転車に乗ることも増えるだろうし きちんと伝えていきます。 ここまで読んでくれた人いるのかしら。 ありがとうございました。 たくさん読んでいただいて、反応もしていただいて、ありがとうございます。 少しでも何かのきっかけになっていただけたら、とても嬉しいです。 コメントへのお返事は、エ��ルギー消費を考慮しつつ少しずつ出来たらと思っていますので 少しばかりお時間をいただきたく、 よろしくお願い致します。
あしゃさんはTwitterを使っています
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bastei · 3 years
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2020
歌が聞こえる
 はっきりいって何を書いたらいいのかさっぱりわからない。それまでは毎日のように、その日あったことのメモを書いていた(そしてそのうちのいくつかにパンチラインが宿っていると判断すれば、虚構と事実を織り交ぜながら再構築され、日記という体裁を保った成果物としてバス停に残された)が、それがはっきりした言葉とか内容を持たなくなってから長い時間が経過した。一日一段落が一日一行くらいになって、最後には意味のない文字の羅列になってしまって、それでも相変わらずこうしてキーをタイプしている。その日あったことを記録する。意味もなくセックスと記入する。バックスペースを4回押す。用紙に自分の名前を書く。家系図よりも入り組んだポートフォリオを眺め、稟議書を作成する。過去に向かって祈りを捧げる。薄明かりの元に人間が祈りを捧げる。あーでもないこうでもないと、今日も生が死に負けないように祈る。底なしのアホどもに道徳を解く。魂を失い、信頼の気持ちを失う。こうして一年間のうち何があったかと思い返しているうちに、目が覚めていくような気持ちがする。今までずっと眠り込んでいたような気がする。世界中が冷蔵庫の中みたいに静かになって、日曜日みたいに寂しい気がする。重い腰を上げ、自分に対して日常の報告を行う。ヘッドホンを接続し、音楽を鳴らしていると、目の前に広がった低い霧がわずかに晴れていく。どこまで広がっているか定かではないけれど少しだけ前が見えるようになる。メリークリスマス。
 今年はほとんど外出しなかったし、ほとんど人にも会わなかった。もともと人に会うのは億劫になる方だが、実際にその場所に行くと楽しくなってテンション振り切ってしまう。2020年唯一の遠出は後輩の結婚式に行ったことで、家族を北海道に残して東京を訪れた。その頃はコロナ禍も小康状態にあったが、会社や周囲の人間から理解を得るためには多少の根回しが必要になった。普段なら行かなかったかもしれない。でもお互い口には出さない友情には変えがたい。実は再会した友人たちと話が噛み合うのか不安もあった。あの交差点で別れてからすごく時間が経ってるから。あの公園の前で私は何度も振り返った。こんなことなら東京で仕事を探せばよかったのだ。そうすれば別の人生があったのだ、と私は幾度となく考えた。東京で暮らす最後の日に、浴びるほど酒を飲んでその日着ていた服を全部公園のゴミ箱に捨てて、何もない部屋に帰ったのがもう十年くらい前の話だったのだ。でもそんな今生の別れなんてなかったみたいに、地続きで酒を飲むことができたのは本当に嬉しかった。夜遅くまであーでもないこうでもないと数学のことを話し合っていたのが境目なく続いていたような気がした。新郎を含めて、みんなが後戻りできない地点までそれぞれの方法で走ってきたという感じがした。スピーチの順番が回ってきて、私は地球の裏側からでも酒を飲みに来ることを両家の親族の前で固く誓った。朝から晩まで酒を飲み、渋谷の街をろくに地図も見ないで歩き通したら、翌日には足が棒のようになっていた。ホテルの大浴場には夥しい量のカボスが浮いていた。
粉砕処理工場
 週末はゴミを捨てに粉砕処理工場へ行った。ゴミを捨てるのは苦手だ。バスケットいっぱいの電池とか、ダメになったフライパンとか、穴のあいたビニールプールといったものがベランダの隅に並んでいる。家にいる時間が長いものだから、普段は気にならないことが余計に気になる。結婚する前に買った大きなテーブルを捨てに行こうと思ったのは、こんなときだからだろう。そのテーブルは全体的に汗ばんでいて、所々マニキュアの除光液なんかをこぼして塗装が剥げている。解体するための気持ちを固め、六角レンチでネジを緩めていくと、天板を支えていたステンレス製の脚がビィンと鈍い音を立てて転がった。アパートの階段を死にそうになりながら下り、やっと車に詰め込む。そういえばこの机を買ったのは妻と付き合い始めた頃で、二人でご飯を食べる場所が欲しくて一人暮らしの部屋には似合わないようなダイニングテーブルと椅子のセットを買ったのだった。それも何故か妻の金で買った。なんというひどい男がいたものでしょうか。処分しようという私の提案を、妻は思いの外すんなりと受け入れてくれた。「私が買ったのよ?」と言われるような気がしていたけれど、スマートフォンでテーブルの処分方法を調べて教えてくれた。その後私は一時的な単身赴任をすることになり、前任者の住んでいたアパートにそれを持っていた。あらかじめ聞いていた間取りが嘘みたいに、部屋が小さく感じたテーブルは部屋の隅に置かれ、作業机、あるいはどこに置いたらいいかわからない書類や機材の置き場となっていった。半分は去年買った27インチのiMacに占領された。
 大抵のものは手に入れる時よりも手放すときの方がーー最初よりも最後の方がーー面倒なものだ。面倒だ。夫婦喧嘩だってそうだし、コロナ禍だって始めるときは楽だった。でもやめるときは多分もっと大変だってみんなわかってた。何もしなくたって勝手に結び目はできていく。人生だって始めるときは気楽なものだった。気がついたら始まっていたから。でもやめるときはきっと穏やかではないだろうな、何故なら私は死ななければならないから。死は神への負債か。宇宙だって始めるときは今より楽だった。ただ爆発すればいいから。Qfwfqじゃあるまいし。いつまで経っても潮目は変わりそうにない。今年一番いったセリフは「潮目が変わったな」と「週末で気持ち作ってきます」の二つだったかもしれない。何か仕事でアクシデントが起きるたびに、その場しのぎでそんなことを言っていた。
 「この街には3ヶ所のゴミ処理場があるようね」と妻が言った。どこも三十分くらいかかりそうな位置に分布していたが、なんとなく私は南の処理場へ向かうことにした。昼すぎの気怠い空気をかき分けて車を走らせた。冷たい空気が押し寄せるまであと少しで、常に薄暗くて雲がかかっているようだった。外れにあるゴミ処理場はサイコパスが履いている靴下みたいな色の煙突から不穏な煙を吐き出していた。付近にサッカーコートがあり、バス停と待合所のプレハブがあったが、あまりの荒廃ぶりに10年に一度バスが来ればいい方だと思った。この地域ではサッカーの試合は20年に一度開催されるビックイベントである。待合所には全く色も形も揃っていない椅子が5つもおいてあった。ゴミ処理場のそばにあって処理されていないゴミ(反骨心の塊だ)が5つも残っている。当然誰かが座るためにあるのだが、5人同時に誰がここに集まっている様子は想像できない。まとまりのない椅子の列を見ると鬼頭莫宏の「ぼくらの」を思い出してしまう。
 想像していた粉砕工場は市役所みたいな受付があるものだと思っていた。番号札を引いて、窓口の横に計量機があり、そこで料金を払うようなものだと考えていたのだが、予想に反してドライブスルー形式だった。数十キロのゴミを抱えて入り口を通れなかったらどうしようとか、二人できた方がよかっただろうかと思案していたのは杞憂だった。直接車で工場の中に行く方が簡単だろう。何十キロとある不用品をどうして市役所や銀行の窓口みたいなもっとめんどくさそうな場所に人力で運ぶのだ。事前に調べていた情報では、粉砕するゴミの重さによって料金が変わるということだった。これは料金を払う段階でわかったことだが、行き帰りで車の重量の差を量っていたのである。賢いなあと思った。ゴミを捨てるのはマクドナルドでハンバーガーを買うより簡単だった。料金所で受付用紙に持ち込んだゴミの種類を記入し、車のウインドウ越しにそれを渡す。まるで夢の国にようこそといいそうな微笑みで、「では破砕工場行きオレンジ色のラインに沿っていってらっしゃいませ!」と笑顔で送り出される。工場の内部は引き裂かれた金属や木片が山になっていた。悪い方の夢の国だ。こういう機会は一年に一回くらいあっても本当は少ない方かもしれない。何も変わっていないように見えて、実は毎年が新しい生活様式だから。
 Like a Sunday
 息子も1歳を超えたので、妻は働きに出始めた。最初はひとりで保育園に馴染めるものか気を揉んでいたが、私の思い過ごしだった。先生に身柄を引き渡す時には目の前から両親がいなくなるという事実に号泣するが、迎えにいく頃には遊びに夢中になっている。毎日少しずつ変わっていく。昨日とは別の人間になる。そういえば昨日と同じ反応ということがほとんどなかった。昨日まではなんとなく笑っていたのが、明らかに私の顔を見て笑っている。何かするたびに私の反応を伺うような表情をしている。今年撮った写真だけ見ても背が伸びて、顔つきが引き締まっているのがわかる。いくつかのジェスチュアを習得する。友達に手を振る、拍手をする、お辞儀をする。私自身も言葉より前のコミュニケーションに頼ることが増えて、あーとかうーとかいって、ニコニコしているのがこんなに楽しいことだったのかと思った。細かく切ったりんごを口元に持っていくとぐいと頭を突き出してりんごを食べる。にっこりと笑う。私が食べているところを見るのもどうやら好きなようである。
 息子が歩き始たりする兆候がなく、心配になった妻は何かの検査を受けさせようと私に言った。妻が初めての子育にすごく悩んでいるのはわかっていたし、それで何もなくて、安心できるというなら検査をしようとなった。「でも忘れて欲しくないのは、何か人生を複雑にする病気だろうと、絶対に君たちを手放したりしないよ」と私は言った。仕事の都合で、私が大学病院までベビーカーを引いて検査を受けに行った。MRIを撮っている間、私は大見得を切った割に動揺していた。内部で暴れないように固定され、麻酔を打たれる息子を見てしまったからだろうか。それともこんなに人がいるのに、ほとんどが他人だからだろうか。それとも今まさに、原理不明な電磁気が息子の肉体を貫いているからだろうか。
 ある日仕事で付き合いのあるお医者さんに「僕が、何かどこかで間違っちゃったんじゃないかって思っちゃうわけですよ」と言うと「言い方は悪いかもしれない��ど、アフリカのきたねー地域でぐちゃぐちゃになって暮らしてて、ガリガリに痩せててもなんやかんやで育ってくもんなんだから心配しなくていいんだよ」と言っていた。そういう考え方もあるのかと思った。午前三時に日が上っていたなんて、意識はないけどどうしても明るいと思った。
ワールドエンドメゾン
 本当は冷蔵庫を買った話を書きたかったんですが、冷蔵庫はアパートの階段部分を通過できず、ベストバイとはなりませんでした。
今年買ってよかったもの(成果物は2021年へ持越)
Beats solo pro
PS5
レタスクラブ
サイバーパンク2077
ラストオブアスpart2
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量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために
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 この記事は 2020 Advent Calendar 2020 24日目の記事として書かれました。昨日はO-SHOW:THE:R!PPΣRさん、明日はrealfineloveさんです。お楽しみに!
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nemosynth · 3 years
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緊急投稿 <Synth Review: Forgotten Saga of KORG 800DV>
●メーカー名 KORG
●機種名 800DV
1974年発売、当時の定価 24万円 鍵盤数は、Fスケール 44 鍵で、ミニコルグより半オクターヴほど拡張されている。
アナログシンセ黎明期の機種であり、コルグ初の量産型シンセ mini KORG シリーズを元に開発された機種でもある。すなわち 800DV は、コルグ歴代の量産型シンセとしては事実上2番目となる、きわめて初期の機種であった。
あたらしい音が出る電子楽器を生み出そうという試みは、なにも海外の moog、Buchla などが初めてではない。'60年代から、すでに国産メーカーは、いろいろ試行錯誤を重ねていた。
'63 年には KORG、当時の京王技研株式会社は同社初の商品「ドンカマチック」を発表。これはアナログ電子音源によるプリセット式リズムボックスで、なぜか小さな鍵盤が1オクターヴ弱ほど装備されており、それでマニュアル演奏もできた点では、すでにドラムマップで演奏できたと言える。
翌 '64 年には、Roland の前身でもある Ace Electronics すなわちエース電子工業株式会社が、海外の Clavioline を元に「Canary(キャナリー)」という電子楽器を発表しており、これは3オクターヴ鍵盤のモノフォニック・キーボードで、鍵盤下にならんだタブレットスイッチ群による音色切替や音域切替、ヴィブラートの on/off 機能、音量の抑揚レバーがついた、言わばシンセ的なキーボード、シンセの一歩手前とも言うべき機種であった。キャナリーとは英語でカナリア鳥のこと。かわいいシンセリードっぽい音がしたのかなぁ、と想像するばかり。
当時エース電子工業は「Ace Tone(エーストーン)」ブランドでいくつかの電子オルガンを開発製造しており、キャナリーは、おそらくアクセントとして使うソロ鍵盤楽器として創造されたものと思われる。キャナリーもエーストーン・ブランドで発売されていたようで、さらに Canary S-2 と Canary S-3 の2機種がある。鍵盤の左横にマニュアルで叩く2個のアナログ電子パーカッション・ボタンを追加した機種が S-3 らしい。 トリヴィアなことを紹介すると、このキャナリーの音量抑揚レバーには操作性の向上のため先っぽに1円玉くらいの直径の黒い丸い玉がついており、この玉は家具メーカーから仕入れた、つまり家具の部品を流用したものとのこと。電子楽器あけぼのの時代には、こうした混沌とした珍エピソードがごろごろころがっているものらしい。
そして '70 年ちょうどになると、ついに国産初のシンセサイザーの試作機が、コルグこと京王技研によって実験的に製作される。
コルグの創設者、加藤孟(かとう・つとむ)氏の話では、開発当初コルグは、シンセというものがどういうものか知らず、したがってシンセを開発しているという意識も無く、ただ単に差別化のため個性的なオルガンをつくるつもりで開発していた。すでに海外では moog や ARP がシンセを生産していたが、そんなとんがった最先端情報は、日本になかなか入ってこない。とりあえずコルグがつくりあげた「個性的なオルガン」なるもののプロトタイプは、2段鍵盤こそあるものの、母音が鳴るという機能までついている不思議なしろもの。で、つくった後になってから、海外通の日本人ミュージシャン佐藤允彦氏の指摘で、実はこれがシンセだと判明。つまりコルグは、偶然にもシンセを開発していたのだ、そうとは知らずに。
このプロトタイプは商品化されること無く、この後に開発された「デカコルグ」が発売された。デカコルグという名前は通称で、正式な商品名は「KORGUE(コルグ)」といい、その特徴から「デカオルガン」と呼ばれることもあったらしい。デカコルグは1段鍵盤しかなく、とにかくオルガンに VCF などをつけた風変わりな機種。コルグはこれを発売した。勇気と言うか蛮勇と言うべきか、よくもまぁそんな機種を世に出したものである。 シンセとも知らずにシンセのプロトタイプを開発し、その次にデカコルグという変態オルガンを発売したコルグ。そこからコルグは、シンセ開発へ本格的に乗り出してゆく。
その量産型シンセ初号機が '73 年に発表された「mini KORG-700」で、1VCO のモノシンセであった。このミニコルグという名称は、先行していたデカコルグに対するものかもしれない。37 鍵しかない小さなおもちゃみたいな外観だったが、音は非常に個性的かつ音楽的で良い。これは偶然にもローランドの量産型シンセ初号機「SH-1000」と同年に発表され、ともに国産初の量産型シンセとなった。いずれもオルガンの上に載せてソロ楽器として使うことが前提にされているため、鍵盤下の本体前面に操作パネルを設けているところが、まだシンセが世間的に認知されていなかった黎明期であることを感じさせる。ちなみに現行の KORG ロゴは、このミニコルグ 700 のリアパネルにて初めて搭載されたものを、ほんのわずかに変更したもの。
ミニコルグ 700 は、翌 '74 年サブオシレーターとノイズジェネレーター、そしてリングモジュレーターを追加したマイナーチェンジ版「mini KORG-700S」というモノシンセに置き換わる。
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↑ 高校時代の元カノからタダでもろて、阪急電車をむき身で持ち帰ったやつ
そしてこの 700Sをさらに改良したシンセを2台分搭載したのが、本機「800DV」。
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たった2音ポリと思う無かれ。800DV の DV とは、おそらく Double Voice(今で言う Dual Voice)の略で、モノシンセが主流だった当時、ARP Odyssey に続く2ボイスという仕様をアピールするためのものと思われる。 ところで 800DV は、海外では MAXI KORG(マキシコルグ)という機種名で販売された。これは mini KORG(ミニコルグ)と対をなすためであろう。米国では Univox 社が代理店をつとめ、700 を K-1、700Sを K-2、800DV を K-3 として販売してもいた。
なお同 '74年、ヤマハが同社初のシンセ「SY-1」を発表したことで、国産シンセメーカー御三家がそろうことになる。SY-1 は小さなモノシンセだったが、その前年に発売されていた巨大エレクトーン・シンセ GX-1 から、1音分の回路のみを独立させて小型キーボードにまとめた機種。
800DV が発表された '74 年には、冨田勲氏が moog IIIp による傑作アルバム「月の光」を発表している。翌 '75年にはヴァンゲリスがアルバム「天国と地獄」を、そしてさらに翌 '76年にはヴァンゲリスが「反射率 0.39」を、ジャン=ミシェル・ジャールが出世作「Oxygene(邦題:幻想惑星)」を発表している事からも、いかにこの 800DV がシンセあけぼのの時代に生まれたかが、うかがえよう。
●音源方式
2系統のフルアナログ減算方式:各系統の構成は、
1基の VCO 1基の VCF 1基の VCA 1基の ホワイトノイズジェネレーター 1基の ピンクノイズジェネレーター 1基の サブオシレーター 1意の リングモジュレーター 1基の EG 1基の LFO???
非常に初期のアナログシンセだが、すでに当時から Hz/V 仕様でピッチは安定。ただし CV/Gate 端子が無いので、分解でもしない限り検証しようがない。 Hz/V 方式は、ヴィンテ時代のコルグとヤマハが採用し、ピッチが安定している利点があった。これに対し Oct/V 方式は、ピッチが不安定になりがちなものの、先行していた海外メーカーのシンセと互換するという利点があり、ローランドが採用していた。ただし同社の準プリセットタイプのシンセ SH-2000 だけは、安定性重視の Hz/V の VCO だったらしい。コルグも確か MP-4 "MONO/POLY" だけは、互換性重視の Oct/V 仕様だったはず。
なお、コルグが Hz/V を採用したのは、実は Oct/V にあるアンチログ回路を省くことでコストダウンできるためであり、安定性はあとからついてきただけと元技術者が証言。
●同時発音数
2音。 モノシンセを2系統搭載し、2音ポリとした機種。 2音をレイヤーさせることで、分厚い音のするモノシンセとしても使える。
800DV は2音ポリであると同時に、完全独立2系統のシンセでもあった点が、Odyssey よりも進んでいる。Odyssey は、2音ポリというより、2音パラフォニックであった。 800DV ではフロントパネル上に2系統のシンセが上下に並び、それぞれ UPPER と LOWER という名前がついていた。アッパーとロワーを同じ音色になるよう設定すれば、通常の2音ポリシンセとして使えたし、それをレイヤーすれば厚い音のするモノシンセとして動作した。アッパーとロワーをおのおの違う音色になるよう設定にすれば、2音色別々に鳴らしたり一種のキースプリットまがいの奏法をしたり、レイヤーすることで部分音合成できるモノシンセとして動作した。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
んなもん、あるわけがない。 ただ2音ポリのアナログなので、微妙なナチュラル・コーラスは常にかかる。あと、後述するが、アッパーとロワーの音を個別に出力できるので、左右のスピーカーから微妙に違う音を出すことで、空間合成のコーラス効果も得られる。 なお、音源波形の中に CHORUS と銘打たれたものがあり、これでよく「コーラス内蔵」と勘違いされるが、じつはこれは PWM 波形である。
●内蔵波形、プリセットの傾向
音源波形には、三角波、矩形波、パルス波、鋸歯状波、前述の CHORUS と名づけられた PWM 波、そしてノイズが2種類あった。
CHORUS 波については、先行機種ミニコルグシリーズでは周期固定で、周期のゆっくりした CHORUS I と周期の速い CHORUS II と2種類搭載されていたが、800DV では1種類にまとめられ、実は後述するビブラートスライダーで周期が可変できるのが便利だが、分かりにくい。ビブラートデプスをゼロにすれば PWM のみかかる。
ノイズは、アッパーにピンクノイズが、ロワーにホワイトノイズが割りあてられていたので、両者をレイヤーして鳴らすことも出来た。なお、アッパーにあるピンクノイズだが、のちの MS-20 のような「ゴー」という雷のような音ではなく、もっと高周波も含まれたもので、おそらくはピンクノイズが何たるかを良く分かっていないまま開発し搭載してしまったと思われ、実際のピンクノイズとは違う音がする。 なお、ミニコルグ 700Sでは、NOISE 1 というものが何やら笛っぽい音階ノイズ、NOISE 2 というものがホワイトノイズになっている。さらにのちの MS-20 では、ホワイトノイズとピンクノイズとを混ぜて、LPF、HPF に通し、カットオフを2つ同時に動かすことで、冨田勲の「ソラリスの海」のような潮騒の轟音が再現できた。
800DV の音はシンセ黎明期ならではの、さすがに他のアナログシンセとは一線を画す、やわらかで暖かみのあるもの。のちの MS-10 や MS-20 などとも違う。ただし「太い」というより「あたたかい」「枯れた」という感じ。別に細い音ではないのだが、太さで言うなら minimoog や prophet-5 のユニゾンモード、あるいは Pro-One のほうが、はるかに太くてゴージャスな音がする。800DV やミニコルグは、それらバタくさい洋物や舶来品とは違い、東洋の哀愁のような、やわらかくも枯れた、あたたかみを感じさせる音。この音には、他のどのアナログシンセとも違う、独特の個性がある。龍安寺の石庭のごとく、枯れた和のこころすら感じさせる、わびさびな音。 なお、ミニコルグでサイン波と書かれている音は、じつは三角波である。800DV では、正直に三角波と書かれている。 個体差なのか私の 700Sと 800DV とを同じ設定にしても、違う音になる。キャラの違いなので、どちらも良い音。そして両機種ともに、テクノよりプログレ向き。
音色メモリーが無いので、無論プリセット音色も無い。
●エディットの自由度と可能性
これが今となっては、かなり謎解きな感がある。フルアナログだからすべて本体上のノブやスライダーで操作するようになっているのは良いが、なんせシンセ黎明期の産物ゆえ、独自の用語だらけ、しかも今のシンセには無い変態機能まであり、何が何を意味するのか分からないことおびただしい。
先述のとおり、完全2系統のシンセなので、フロントパネル上も上下2つに双子シンセがならび、それぞれ UPPER と LOWER という名前がつき、両者を同じ設定にすれば2音ポリシンセになる仕掛け。ここまでは分かりやすい。 だが、ふつうならフロントパネル上を左から右へ、信号の流れとともに VCO → VCF → VCA とボブ・モーグ先生から教わったように配置するであろうところを、なぜか 800DV では UPPER/LOWER ともに左から VCF、VCA、VCO と並んでいる。なんでか、わからん。 あと、垂直に配置されているスライダーは、すべて下へ行くほど値が大きくなる! この常識に反した設計はミニコルグでも見られるもので、ボリューム・スライダーでも、下へおろすほど音が大きくなる。これはハモンドオルガンのドローバーと同じ感覚で操作する事を考慮したものと憶測され、目盛りも0~8とドローバーに準じている。
ただ、考えられているなと思わせるのは、ミニコルグと同様 ・青��:音程に関係する操作子 ・赤色:音色に関係する操作子 ・橙色:音量に関係する操作子 ・黄色:特殊効果系の操作子 と配色されていることで、このカラー・コーディングがシンセの理解を助けてくれる。たとえば VCO の中でもオクターヴ切替ノブは青く、音源波形の切替ノブは VCF 系の操作子と同じオレンジに配色されているところは、本質をついていて鋭い。
まずフロントパネル上の一番左にある VCF セクションには: ・「TRAVELER(トラベラー)」スライダー ・「BRIGHT(ブライト)」スイッチ という、さっそく謎の操作子を装備。
目をひくのが「TRAVELER」と名づけられた、2本で1組の水平スライダーで、カットオフ・フリケンシーをつかさどる。2本で1組となっているのは LPF と HPF の組合せになっているからで、両者のカットオフが互いに相手を通過して音が消えてしまうことがないよう、2つのスライダーのツマミには、物理的に干渉する突起がついている。このため、Q幅が可変する BPF として動作する。LPF スライダーと HPF スライダーとを同じ位置にして、一緒に動かすと気持ちいいスイープ感が得られる。
なお、Traveler というつづりは米語であって、イギリス英語だと Traveller なのでご注意。私もなんかみょーな感覚で最初書いたので、混乱させてごめんなさい。
その右横にある「BRIGHT��スイッチ、これがレゾナンスの off/弱/強 スイッチ。なんだスイッチかと思うことなかれ、意外にもレゾナンスの効き具合は気持ち良く、これとトラベラーだけでも、驚くほどいろんな音がつくれる。先行機種ミニコルグでは on/off しかなく、また 800DV ともども自己発振しない仕様だったが、このときからすでに聴感上、効き心地よく設定されていた。ヴァンゲリスの「天国と地獄 パート1 第三楽章」では、終わりのほうで低いシンセ音がレゾナンス効かせ、ゆっくりカットオフをスィープさせながら聴こえてくるが、あれは恐らくミニコルグによるレゾナンス音と思われ、なかなか聴き心地が良い音である。
よってここ VCF セクションには: ・カットオフをつかさどるスライダー ・レゾナンスをつかさどるスイッチ があるということになる。
VCF の右隣にある VCA セクションには: ・「ATTACK/SLOW」スライダー ・「PERCUSSION/SINGING」スライダー ・「HOLD/SUSTAIN」スイッチ ・「SHORT/LONG」スイッチ を装備。
最初のスライダーは、アタックタイム可変スライダー。
2番目のスライダーには名前がついておらず、上端が「PERCUSSION」、下端が「SINGING」と書かれており、つまり上端では短いパーカッシヴな減衰音に、下へおろすほどディケイタイムが長くなると同時に途中からサステインレベルが上昇してきて、最後に下端ではディケイなしの持続音になる。確かに持続音なら歌うよう聴こえるわけで、SINGING という名も理解できる。
その次のスイッチがまた無名のくせもので、実態はリリースの on/off スイッチなのだが3段階あり、上端が「HOLD」と書かれており文字通り音が鳴りっぱなしになり、真ん中にリリース無しのポジションがあって、下端は「SUSTAIN」などとまぎらわしく書かれているがこれはサステインレベルではなく、ここでリリースが on になるが、ついでにサスティンレベルがゼロになり、事実上スタッカート専用音色になる!
リリースの長さは、もうひとつの無名3段階スイッチで「SHORT」と中間値そして「LONG」とを切り替えれる。「LONG」にすると、やたらリリースタイムが長くて、ほとんど使いものにならないのが、ご愛嬌。
よってここには、音量 EG の: ・アタックタイムをつかさどるスライダー ・ディケイタイムとサステインレベルを同時につかさどるスライダー ・リリースの on/off 兼ホールドスイッチ ・リリースタイムを3段階で変えるスイッチ を装備、ということになる。
なお、VCF と VCA との間に「EXPAND(エクスパンド)」と書かれたスイッチがあるが、これを on にすると、VCA EG が、そのまま VCF EG を兼ねる。やはり3段階スイッチで off/EG デプス弱/EG デプス強となっているが、聴感上なかなか気持ちよく設定されている。ブラスやシンベとかいい感じ。これもミニコルグでは on/off の2段階しかなかったが、それでも気持ちよいポイントに設定されているのは流石。
とまぁ、とかくイレギュラーな EG セクションだが、慣れると手早く音が創れるので ADSR より使いやすいこともある。
そしてなぜかその右にある VCO セクションだが: ・オクターヴ切替ノブ ・音源波形を切り替えるノブ ・「MIXER」レベル・ノブ ・「MIXER」のオクターヴ切替と、リング変調 on/off 兼用ノブ となっている。
各 VCO のオクターヴ切替だが、高音は2フィートからあるのは普通として、低音はなんと 64 フィートという超低音まであるのが驚き。ただし、64フィートまで下げて低い鍵盤を弾くと、もはやただの断続的なパルスしか得られず音にならない。64フィートで実用的な音を得るためには、鍵盤の中高域を弾くことになる。これがふつうのシンセにない低音で、おもしろい。 音源波形ノブでは、前述のとおり、UPPER シンセにはピンクノイズが、LOWER シンセにはホワイトノイズが装備されているのが特徴。
「MIXER」というのは、サブオシレーターをミックスするためのオシレーター・ミキサーのこと。 まずミキサーレベル・ノブで、サブオシの音量が決まる。ゼロにするとサブオシの音が出ないはずなのだが、私のは壊れてて、ちょっとだけ漏れて聴こえるので、その時はメイン VCO と同じピッチになるようにしてごまかしている! それはまだしも、このレベルノブをフルテンにするとサブオシのみの音になるのが、また大胆! 中央値にすると、メイン VCO とサブオシが半々に混ざった音になる。
しかもこのサブオシ、めずらしく鋸歯状波オシレーターで、世間に良くある矩形波オシレーターではない。ミニコルグ 700Sでは、サブオシのピッチを専用スライダーで連続可変できたが、残念ながら 800DV ではその機能は省かれ、サブオシ独自のオクターヴ切替ノブに発展的解消(?)された。その範囲は 32フィートから2フィートまでと可変幅が大きい。このためメイン VCO とはオクターヴ・ユニゾンにするか、同じピッチにするかしかできず、適当な音程差を持つインターバルをとることはできない。そのかわりと言っては何だが、メイン VCO 2つと、おのおのにサブオシが1個ずつ計2つ、これを全部レイヤーで鳴らすと4アナログオシレーター同時駆動できるので、かなり分厚い音になる。
サブオシのオクターヴ切替ノブは、リングモジュレーターの on/off スイッチも兼ねていて、32フィートよりさらに左に、つまりを最も左へ回しきると、リング変調が on になる。それよりも右へ回すとサブオシのオクターヴ切替になる。 リング変調は UPPER と LOWER とを乗算させているらしく、よく言われたがホワイトノイズとピンクノイズとを乗算すると雷の音ができる。リング変調機は1台につき1基しかついていないらしく、それを UPPER/LOWER の2つの出力から取り出せるようになっているらしいのだが、なぜか UPPER と LOWER とで違う音が出るのは、 UPPER/LOWER とで、キャリア/モジュレーターとをひっくり返した音が出ているのか? なお、フロントパネル左端の果てに、UPPER/LOWER それぞれのピッチ粗調整ノブ(今で言うコース・チューン:coarse tune)と微調整ノブ(今で言うファイン・チューン:fine tune)があるので、これを手動で回せば、リングモジュレーター特有の、倍音が出たり引っ込んだりするスイープ音もつくれる。
ところで、このピッチ粗調整ノブだが、なんとセンタークリックがついており、アナログシンセの分際でピッチの安定性には自信があったことを、うかがわせる。しかも黎明期のシンセなのに!
また、800DV のリング変調は、その後のシンセにあるものと似たものだが、ミニコルグ 700Sでは3つのリング変調モードがあり、「MODULATOR 1」と「MODULATOR 2」では倍音の出方が違うので、たぶんにモジュレーター側のオシレーターとなっていると思われるサブオシのピッチを変えていると想像される。そして「MODULATOR 3」は、なんと音階にならず、その代わりに鍵盤ごとに違う倍音が出るようになる。ということは、この「MODULATOR 3」モードでは、キャリア側のオシレーターのみピッチがキーフォローせず一定の値で固定になるのだろうか? いずれにせよ、これも黎明期ならではの実験的産物であり、800DV 以降では、より実践的にリファインしたものと思われる。やっぱリング変調は、楽しい。
なお、ミニコルグ 700Sには「EFFECT」というスイッチがあり、これは内蔵エフェクトを指すのではなく、そもそも 700Sにエフェクターは内蔵されておらず、これは 700 から 700Sになるとき追加された部分、すなわちサブオシ/リング変調/ノイズジェネレーターを一括して on/off するスイッチである。おおざっぱに言えば、これを発展させたのが 800DV のミキサー・セクション/リング変調/ノイズ・ジェネレーターとも言えよう。 いずれも、あいかわらず今となってはまぎらわしい名前なので注意。
VCO のさらに右には: ・ビブラート関連スイッチ ・「BENDER(ベンダー)」関連スイッチ ・ポルタメント FIXED/off/VARIABLE スイッチ ・ビブラート・デプスのスライダー ・ビブラート・スピードのスライダー ・「BENDER デプス」のスライダー ・「BENDER スピード」のスライダー ・ポルタメント・スピードのスライダー と、いわゆるモジュレーション系が並ぶ。
ビブラートは、on/off のほかに、ディレイ・ビブラートも選べるのが気が利いている。
次にある「BENDER」とは、いわゆるピッチベンダーとは関係なく、オートベンド、すなわちアタックだけのピッチ EG。そもそも 800DV には、ミニコルグ同様、ピッチベンダーもモジュレーションホイールも、後世コルグ独自のコントローラとなるジョイスティックもついていない! 800DV のオートベンドは、ベンド・アップとベンド・ダウンとが選択でき、ベンドする時間もスライダーで調節できる。ミニコルグではベンドアップのみで、ベンド時間も固定だった。音源波形を三角波にしてベンドアップさせると、喜多郎が好んだ口笛みたいなシンセリードになる。
ポルタメントは普通のアナログシンセのポルタメントなのだが、3段スイッチにてかかり具合が選択可能。VARIABLE にすると、ポルタメントスピードを可変できるスライダーが生きる。FIXED にすると速度固定でポルタメントするが、なぜか私の個体では非常に遅くて使いものにならない。喜多郎の「シルクロード」にて、要所要所で効果的に使われていたのが、懐かしい。
ここまでの各セクションは、UPPER と LOWER 個別に存在し、そのため 800DV は、上記の操作子をすべて2つずつ持ち、この翌年に出た Oberheim Two Voice と同じく完全2系統のシンセとなっている。VCF と VCA まで2基ずつあるのがポイントで、のちの MP-4 "MONO/POLY" や POLY-800 のように オシレーターだけ複数あるというパラフォニックではなく、ほんとうに2音ポリシンセとして動作するので弾きやすい。 フロントパネル上にならんだ、上下2つのシンセ操作子群は、なかなか壮観ですらある。
さて、ここからは1台につき1系統しか存在しない謎のセクションたち。UPPER/LOWER 各シンセ独立ボリューム・スライダーは見ただけで意味が分かるが、さらにその次にあるのが、謎のセクション「REPEAT(リピート)」。 そこにあるのは: ・REPEAT スピードのスライダー ・REPEAT 形状のスライダー ・REPEAT モードのノブ:値が off のほかに A、B、C、D、E とある
このリピートを動作させるとトレモロ効果が得られるので、ついつい VCA LFO かと思ってしまうのだが、よっくよく挙動を調べてみると、じつは EG とベンダー(前述のオートベンド)を周期的にトリガーしているため各ゲート信号を周期的に開閉する、という変態機能らしい。黎明期の混沌である。 このためか効果は、VCA LFO 波形にたとえて言えばパルス幅が可変できるパルス波 LFO のみで、これは恐らくパルス波 LFO ではなく、ゲートの開閉であると思われる。なお、このゲートは、UPPER/LOWER 個別に独立して存在するらしいが、考えてみればモノシンセ2台分なんも考えずに搭載しているから当然か。
リピート・スピードのスライダーでは、トレモロの速さを決定できる。かなり高速にできるので、AM 変調の一歩手前くらいのことができる。 リピート形状のスライダーというのは、パルス幅すなわちゲート・タイムを変えるスライダーで、上端ではパルス波状、中央値で矩形波状になり、下端では上端とは逆相のパルス波状になる。
そして謎のリピート・モードのノブ、これが2系統のシンセシスとからんで複雑なことになっている。各モードの解説をすると: ・A:UPPER のみトレモロがかかる ・B:LOWER のみトレモロがかかる ・C:UPPER/LOWER 同期し、同時に、同じ位相でトレモロがかかる ・D:UPPER/LOWER 同期し、逆相でトレモロがかかるので、両者の音が交互に鳴る ・E:UPPER が一度鳴ってからあとは LOWER がずーっと鳴る、らしいのだが、私のは壊れているのか、UPPER/LOWER 同時に鳴ってから、UPPER のエンベロープがトランケートされて LOWER のみの音になる。
というわけで、たとえば UPPER でベードラの音を、LOWER でハットの音をつくって、モードDにすると「ドンチードンチー」と、ハウスなリズムボックスみたいなリズムが刻める。つまり、ちょいとしたシーケンサーまがいなことも可能。このままベードラの代わりにシンベを UPPER で創ると、なんとなくルート弾きっぽくなって調が連想されるから面白い。 UPPER/LOWER ともに同じシンセ音にすると、2音アルペジエイターになる。UPPER/LOWER とで異なるシンセ音にすると、アナログなウェーヴシーケンスっぽくもでき、周期を遅くすれば、アナログのベクターシンセシスふうにも、聴こえなくもない。
これに先述のリピート形状のスライダーをからめると、スライダー上端では UPPER の音は全部鳴るが、LOWER の音はごく短い間しかゲートが開かないのでエンベロープが終わる前にトランケートされて途切れる。中央値では、UPPER/LOWER 均等に交互に鳴る。下端では LOWER の音が全部鳴るが、UPPER の音がトランケートされて鳴る。ということは、モードDにおいてはゲート開閉が UPPER/LOWER で反転しているのであろう。
また、UPPER/LOWER で持続音をつくってレイヤーし、モードAないしBにすると、片方はずーっと鳴っているのにもう片方だけトレモロがかかるという、風変わりなリード音ができる。
出力端子が、UPPER/LOWER 個別にあるので、外部ミキサーのパンで左右に振り、リピート機能を使うと、左右で音が交互に出たり、超高速で左右でパンするような空間演出もできる。
ちなみに、このリピートという機能はミニコルグにもあったが、 ミニコルグはモノシンセなので、ここまで複雑ではなかった。だからますますただの VCA LFO くらいにしか思えなかった。だがこれは、ミニコルグと 800DV ならではの、変態機能。 ミニコルグで、このリピート機能とベンダー機能とを効果的に使った例として、ヴァンゲリス「天国と地獄 パート2」の最初のほうに出てくるコウモリの鳴き声をイメージした効果音がある。この効果音は、しばらく不気味にひっぱったあとリピートとベンダーとを解除され持続音となり、そのまんまながらに一転して哀愁をおびたメロディラインを少しだけ奏でる。効果音から楽音へのメタモルフォーゼ。ここにシンセならではの、音色変化のおもしろさ、リアルタイムにモーフィングする楽しさが垣間見える。
そして 800DV 最後が究極に謎のセクション、その名も「TRANSPOSE(トランスポーズ)」。もちろんこれも、キー・トランスポーズとは何の関係も無い。これはいわば、キー・アサインの方式を変えているようなセクションで、あるのはただ二つのスイッチ: ・左スイッチ:値はAとBのみ ・右スイッチ:値はCとDのみ だけ。 してその動作は: ・スイッチ群を AD という組合せにすると、まず最初の打鍵で UPPER のみが鳴り、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば LOWER が鳴る。 ・スイッチ群を BC という組合せにすると、まず最初の打鍵で LOWER のみが鳴り、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば UPPER が鳴る。 ・スイッチ群を AC という組合せにすると、UPPER と LOWER がレイヤーされて同時に鳴るモノシンセとなる。ただし、それをホールドしたままさらに別の鍵盤を打鍵すれば、UPPER と LOWER が分離してばらばらに鳴る。UPPER が高い音、LOWER が低い音の鍵盤で鳴る。 ・スイッチ群を BD という組合せにすると、最初の打鍵では音が出ず、次の打鍵で2鍵同時に鳴る。これも UPPER が高い音、LOWER が低い音の鍵盤で鳴る。
つまり: AD ないし BC にて、UPPER/LOWER を同じ音色に設定すると、2音ポリシンセとして動作する。モノシンセとして単音弾きすると、AD で UPPER が鳴り、BC で LOWER が鳴るので、UPPER/LOWER とで違う音色にすれば、AD と BC とを音色メモリーがわりに利用でき、瞬時に音色切替ができる。じつは単に UPPER と LOWER とを切り替えているだけだが。 さらに最後の BD モードにて、UPPER/LOWER を同じ音色に設定すると、高速のコード・カッティングができて便利。違う音色にしても面白い。 というわけで、シンプルかつ難解ながらに、いろいろ使いみちがあるセクションである。
なお、どのモードでも、2つ鍵盤を押したとき、かならず UPPER は高音に、LOWER は低音にアサインされる。どうやら UPPER は高音優先のモノシンセ、LOWER は低音優先のモノシンセらしい。 両者を違う音色に設定すると、レガート奏法することでキースプリット効果が、それもフローティング・スプリットポイントみたいな演出ができる。当時、これを利用し、LOWER でシンベを、UPPER でリード音を創り、左手でシンベを弾きつつ右手でリードとを弾くことで、アクアタルカスを再現していたデモンストレーターがいたとか。 この状態でさらに LOWER のみにリピートをかけてこの奏法すると、シーケンスベースとシンセリードによる合奏ができる。 逆に UPPER のみに高速でリピートをかけると、シンベとトレモロリードによる合奏ができる。UPPER/LOWER 両方にリピートをかけても、いろいろ実験できてたのしい。
よぉこんな機能や名称の数々、考えついたな。
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なお、KORG 700 系はもっと変態で、もはや VCO/VCF/VCA という区別も無く、あらゆるパラメーターがごちゃまぜになって配置されている。なので、パネルの回路と、中の音源回路とが、無関係に配置され接続されていると思われる。
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どんなパネル配置かというと、鍵盤下、左から右へと: ・ボリューム・スライダー(VCA) ・トラベラー(VCF) ・原始的な音量 EG 関連(例のアタックとかシンギングとか言うやつ:VCA) ・オシレーター・フィート切替ノブ(ピッチ切替ですな:VCO) ・音源波形の切替ノブ(VCO) ・Expand という、EG を VCF にあてはめるスイッチ(VCF) ・Bright という、レゾナンスをつかさどるスイッチ(VCF) ・EG リリース・スイッチ(VCA) ・オートベンド・スイッチ(VCO) ・リピート機能スイッチ(ゲートと各種トリガー?) ・ヴィ��ラート・スイッチ(VCO) ・ディレイヴィブラート・スイッチ(VCO) ・ポルタメント・スイッチ(VCO) ・リピート速度スライダー(ゲートと各種トリガー?) ・ヴィブラート速度スライダー(VCO) ・ヴィブラート深度スライダー(VCO) ・ポルタメント時間スライダー(VCO) ・電源スイッチ ・チューニング・スライダー(VCO) とまぁ、むちゃくちゃでっしゃろ。さらに七百式改では鍵盤左横にサブオシ関連、リングモジュレーター関連、ノイズジェネレーター関連の操作子が、これまた、むとんちゃくに配置。えらい混沌。  まぁ鍵盤下に並んだパラメーターは、おおざっぱに言えば基本的な設定を左半分で行い、それに対し効果を右半分で加える、という思想で配置されているようにも思える。
●拡張性
皆無、と言いたいが:
・背面に「ATTACHMENT FROM」という端子と「ATTACHMENT TO」という端子:これは、UPPER/LOWER 個別に外部エフェクターをカマせる、つまりエフェクト・センド/リターン端子 ・UPPER/LOWER 独立にトラベラーのカットオフを開閉できるフットペダルを接続できる端子 がある。
前者を活用すれば、UPPER/LOWER で異なるエフェクト処理ができる。外部アウトボードギアを「アタッチメント」と呼んでいるあたり、時代である。 後者の端子は、当時のコルグ独自の形状になっていて、通常のフォーンジャックなどではない複雑な複数���ン仕様のものである。CV を可変できるような独自のフットペダルがあったに違いないが、見たことが無い。
そして最後に音を出す出力端子は、前述の通り UPPER 用の出力端子と LOWER 用の出力端子とが個別に用意されており、リピート機能などを使った曲芸的な空間演出ができるほか、ふつうに両方で同じ音にして別々のスピーカーから鳴らすと、微妙な音程・音色の違いから空間合成式のステレオ・コーラス効果が生まれる。あるいはここでも UPPER/LOWER で、別々のエフェクトをカマすこともできて便利。
●あなたにとっての長所
いやー、こんだけ音も仕様も個性的なシンセはなかなか無いでしょう。ええ音しまっせー。テープエコーをカマすと、ますます飛べます。しかも少ないパラメーターで、これほど豊かで多彩な音を実現しているところは、ミニコルグと 800DV とに共通する長所。
たった2音とはいえ、和音で弾けるのは大きな長所。モノシンセを弾いてから 800DV を弾くと、ポリフォニックならではの自由度の高さが、じつにありがたい。UPPER/LOWER を違う音にするのも、創意工夫が試されておもしろい。 キータッチもミニコルグより良い、というかミニコルグのがおもちゃっぽすぎる。
●あなたにとっての短所
意外にでかい。ほんで、ごっつ重い! なんでピッチベンダーが無い? 重たさでは、なんでも 16.5kg あるとかで、こりゃたいがいの 61鍵シンセより重たい。 あと、用語や変態機能が独特すぎて、しばらく使わないとすぐ意味や動作を忘れてしまう! そして CV/Gate 入出力端子が無いので、外部からシーケンス駆動できない、手弾きのみのシンセ。
●その他特記事項
忘れ去られた、変り種。
800DV 弾いててなにがすごいって、他には代えがたい音の良さと個性もさることながら、ただ単純に2音ポリのシンセつくりゃーいいとせず、やたらと難解な機能を付加し、2音仕様ならではの、とはいえ思いもよらぬ効果が出るように工夫してあるところ。唯一無比の音にこの変態ぶりの組合せは、先人たちの偉業である。
ここからは純粋に憶測にすぎないのだが、800DV は、のちのポリシンセで使われたデジタルスキャニング・キーボードを採用していない。単に高音優先のモノシンセと低音優先のモノシンセを合体させただけなのだろうが、その結果、変態リピートや意味不明トランスポーズなど、かえってさまざまな演奏というか奏法が可能になっているのではないだろうか。今は滅び去った変態機能の数々は、それら黎明期の、まだ発想が自由だった時代ならではの産物ではなかろうか。
そのせいか、海���では、これを史上初のデュアルティンバーシンセ、つまりパート数が2というマルチティンバーシンセの先駆者として評価する向きもある。しかもいちいち MIDI チャンネルを合わせたり複雑なルーティングを組まなくても、スイッチやスライダーの一発でできるあたり、800DV の操作性はじつは非常に感覚的。 また完全2系統のシンセシスでレイヤーもできたことから、部分音合成が可能なため、ローランド D-50 にあった「パーシャル」という音色単位を早々と実現していた先駆者とみなす向きも、海外にはある。
さらに、独特の用語たち。 たとえば長い音の旅路をわたる旅人になぞらえたという「トラベラー」。これら独自の名称は、800DV だけでなく mini KORG やデカコルグ、770、900SP、M-500SP Micro Preset といった、当時のコルグ機種に共通して使われていた。シンセ黎明期の混沌ぶりをあらわしているこれらコルグ独自のパラメーター名は、なんとかして新しい音創りの世界を、世にひろめようとした努力と工夫であろうか? つまり「かっとおふ・ふりーくえんしぃ」などという技術用語やテクニカルタームをユーザーに押しつけるのではなく、分かりやすく一般的な言葉で、あるいはバーのマスターであった創業者・加藤孟さんならではの粋な言葉で、さまざまな新機能を紹介しようとしたのだろうか? あるいは、はたまた、たんに外国産のシンセを知らなかったために、独自の自社技術でもってシンセの試作機まででっちあげてしまったその歴史から、独自の用語を用いるようになったのか?
事実、同時代のローランド SH-1000 は、すでにモーグ社とコンタクトしていたことがあった経験もあってか、ローランド独自開発であるにもかかわらず、搭載されているパラメーター名は、ほぼ現代のシンセと変わらない。
それでいてなおかつ独自開発だったせいか、ミニコルグの好敵手 SH-1000 は、国産初のシンセであるにもかかわらず、すでにプリセット音色を装備し、しかも複数の音源波形を同時発生でき、おまけにフィート合成までできたという、これまた今のシンセには見られない、独特の個性的な仕様となっている。
800DV に見られるスライダーの多用も、のちのコルグでは長らく見られない。 VCF に至っては、トランジスターを並べるのではなく、ダイオードをならべた変な設計なのだという。 これら原始の混沌からすれば、その次の世代たるコルグ MS-10、MS-20、MS-50、PS-3100、PS-3200、PS-3300 などですら、用語も音色も、それまでのコルグあけぼのの時代とは違う、なんだかずいぶん整然と整理され進化した近代的な機種に思えてくる。それこそ丸ノブの多用から「Cutoff Frequency」という名称の採用にいたるまで、である。
シンセがまだ海外で産声を上げたばかりのころ、それこそアーティストの間ですらまだ知られていなかった時代、メーカーはなんとかしてこの新しい楽器をひろめようと、さまざまに工夫を凝らした。中には今では絶えてしまった機能もあるが、その工夫を凝らした意気込みが、このただの2音ポリシンセにとどまらなかった 800DV には詰まっているといえよう。
そしてミニコルグと違い、操作子を鍵盤の下に置かず、ミニモーグ同様に鍵盤の後ろに傾斜したフロントパネルを設け、そこに操作子を集中させているあたり、単にオルガンに従属した周辺機器にとどまらない、シンセという独自のアイデンティティーを持ったあたらしい楽器が生まれたことを主張しようとしたのではないか。ミニコルグのように王者オルガンに隷属しない、新種の楽器、あたらしい楽器、その誕生ではなかったか。それこそが 800DV の、真の姿ではなかったか。
なによりも、他のどのシンセにもない独特な音。ミニコルグともども枯山水を思わせる、枯れた、だがゆたかで有機的な響きの音。おなじコルグでも、次の世代になる MS-10 や MS-20、PS シリーズとも違う、さらに後の機種とはまったく違う、世界中のどのシンセとも違う独特の個性。これがコルグ・シンセの産声なのか。黎明期ならではの、味のある音である。
忘れ去られた変り種。
喜多郎は、NHK 特集「シルクロード」の中で、ミニコルグ 700Sのサイン波(実は三角波)を、その幻想的な笛のような唯一無比のサウンドから木管調のリードに使い、800DV の鋸歯状波をまろやかなブラスっぽいソロに使っていたという。 難波弘之は、最初に手に入れたシンセがミニコルグ 700Sというところから思い入れがあるのか、800DV とともによく使っている。しかも未だに 700Sを、ライヴで使ったりしている。難波氏は、700Sにある CHORUS I という名の、ゆっくりした PWM がかかる音源波形を使ったと思われる、のびやかなリード音がお好みのようで、レトロフューチャーなリード音が聴ける。 ヴァンゲリスは、前述の通り初期の名作「天国と地獄」「Ignacio」「反射率 0.39」などで、ミニコルグや 800DV などを駆使していたらしく、それらしい音が随所に聴ける。
彼が自身のトレードマークともなったヤマハ CS-80 を多用するようになるのは、'77 年のアルバム「螺旋」から。そのさらに翌年 '78 年には、クラフトワークがアルバム「人間解体」を発表。そのころには、すでに各社からさまざまなアナログシンセが出現し、それらを駆使したプログレやクロスオーヴァーから広まっており、高機能化・低価格化が進んでテクノブームを起爆させ、ついには伝説の名機の数々として語り継がれることになる。
だが、800DV は、まだそのさらに前の時代、シンセあけぼのの時代の、突出した、それでいてほとんど忘れ去られた先駆者だった。
この混沌とした、だがそれがゆえに今では見られない底抜けに自由かつ奔放な設計思想でつくられたシンセたち。
それらのうち、特に miniKORG 700S は、だがコルグの創業者、加藤孟(かとう・つとむ)氏をして、永遠の理想の名機と思わせたらしい。 その発売から三十年くらいたったころ、彼は TRITON 以来のワークステーション全盛期に、一度これを復刻しようと試作させている。できたものの 15 万円くらいになるというので、量産は見送られが、逆に機能縮小することで安くすればいいんじゃないかという話になった。そこで、とことん仕様を削りまくり倒し、最小限のスペックで誕生したのが、スマホサイズのアナログモノシンセ monotron。
時に 2010 年の春。
ひょうたんから駒、ここからコルグは直球でアナログシンセ復興をかかげ、その盟主となって数々の名機復刻や、新時代のアナログシンセをたくさんつくり、不安定でじゃじゃうまなアナログ回路の設計と量産に関するノウハウを積み、ついにアナログシンセ・リバイバルから 10 年、コルグ最初のシンセ試作から 50 年ちょっとたった 2021 年1月 18 日、miniKORG 700FS として、700S に音色メモリーやアフタータッチ、ピッチベンダー、スプリング・リバーブ、USB、MIDI などなど追加したうえで復刻させた。すでに加藤氏は逝去されたあとであったが、当時のエンジニアだった三枝文夫監査役が復刻に関わったという、原点回帰。
原点にして異形なのか。そもそも異形とはなにか?
これを異形のシンセと見ても不思議ではない。 しかし、シンセとはもともとは自由な存在ではなかったか。既存の楽器からの自由解放。しがらみからの逃走と既存文脈への闘争。なんでもかんでもかっとおふふりぃけんしぃなのは、シンセにあるまじき様式美ではないのか?
というわけで、ここまで過去を総括した上で、なおかつ、今までの歴史も文脈も、この総括も全く関係ない若い世代が、あたらしい世代が、彼らなりの文脈とセンスとで、あたらしく使ってくれることを、期待する。老害は黙ってなさい、自由に育成できる土壌づくりに専念してね。
せやかてシンセは、あらゆる既存からの自由なんやさかい。
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Revision Log;  Jan 18, 2021 - First Edition posted
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