20240421
そこでは疑い合い信じ合い泣かせ合い癒し合い与え合い奪い合い生命をヤスリで削るような荒く暴力的な営みがあった。しかしそこではそこなりに削りながらも凹凸を均し整えてみせるようとする意思もあった。もっと優しい相互扶助の精神で成り立つ在るべき社会を求め街を飛び出た住民は、遅かれ早かれまたこの街に戻ってくるか、飛び出たもの同士で落ち合い場所を変えてまた削り合っていた。このような出身は求めた世界に身を置いても、疑うだけ疑われるだけ、傷つくだけ傷つけるだけ、泣くだけ泣かせるだけといった一方的な作用に我慢ならずあるいは良心を痛め自分と当環境との帳尻を合わせることが出来きずに破綻した。双方で互いにやり合えることが住民を広い意味で救っていたのだ。
ここに居るべきじゃないとここに居たいとが捻れて今も目を腫らしている彼は、だから君に嫌われ拒まれることが今の私の最大に自己中や我儘なのだ受け入れてくれと乱れた。
この世を憎悪で壊したくなった数時間後にはこの世界を慈しんだり、そう思えば、次の瞬間には去りたい衝動に駆られてとめられなくなったり、忙しなく、ほとほと疲れてしまうよな。
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ネジが一本多いような面倒くささがあってそのネジを取り除こうと懸命になった結果、バラバラバラと解体されてしまった。ネジ一本外れた奴以上の面倒くささがある。
殺してよ、と隣人の右を自分の首筋に導いた。隣人は力を込め私の喉仏を押し込んだ。そしてキスをした。
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20240108
体中に鈍い痛みがあり、熱に魘され、私が私の身体に線を引けないほど私の何かが膨張していく。もうそういう悪夢ばかりを見ている。iQOSや本やリモコンがベットから落ちて静か��部屋を震わせる音の波の端となる。壊れた音が心地よく響いた。私は死にたいのかと引っ張られるような強い眠気と朧気な感想
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20231220
ひとつ終わりをむかえた。とても苦しく楽しくとても虚ろで輝かしい魅力的なものだった。
私は今も自分の行動と思考を間違っているとは思わない。総じて良かったと思う。それは私の将来にとって大切なことだった。
幸せになってねと言うと、お互いにね、と返ってきた。あっさりとしたハグをして別れた。いつかまた普通で。
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私があなたに好意を抱いていることの何があなたに影響するのだろう?私はそう思い至れたときに愛を抽出できると思っている。だからこれは寂しい言葉ではない。パートナーよ友人よ家族よ、私は私でいるからあなたもあなたでいてくれ。私はあなたたちの孤独を食べて生きる漠じゃない。誰の孤独もいらない。
20231009
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202309030
彼ら二つは似すぎてしまっていたのかもしれない。だから仕事の話で固く手を結び、人生観について語り明かし、互いをいつまでも疑い続た。それはまるで、自らをまた他方をクレタ人だと名指し、自己言及のパラドックスのようで行き着く先などなかった。言葉の不足した論理がいくつかの形に凝縮してそのまま空に浮かび途方に暮れた。消えそうなそれを形付け直すことは、吐いた煙か雲に届くのを見届けるように不可能な事であった。
私が長年考え続けたことを今書きたい。それを書き始めたのは4年前に遡る。具体を排除した文節として記録された私の戯言
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「クレタ人は嘘つきである」
-仮説①クレタ人は嘘つきだとする(主張が嘘だとする)―結論①クレタ人は嘘つきであるため、"嘘つき"が嘘になり、クレタ人は正直者になる。【=仮説①に反する】
-仮説②クレタ人は嘘つきだとする(主張が正しいとする)-結論②クレタ人は嘘つきではない【=仮説②に反する】
どちらの仮説を立てても、仮説に反する結論に行き着いてしまうというパラドックス。
これを生活に落とし込むと、多くの者は「途中式なんてものはどうでもいいから結局どっちなの?」と息もつかず、あるいは露骨に深い息を吐きながら結論を迫る。結論だけを提示することがシンプルとでも言うの
201911424の私は彼女と対話をしていた。対義語と否定語はあまりにも役割が違いすぎると思い知った。彼女にとってのyesの否定語はnoだったけれど、私にとってyesの否定語はnot yesだったからだ。例外なく女子大生は恋バナをする(私は肩身の狭い恋バナ不得意勢であったが)。彼女は「好き」の否定語は「嫌い」だと捉えているようで、おそらくパートナーとは言えない人からの言動に一喜一憂し忙しなくも充実しているように見えた。「"好きじゃない"って言われたけど、なにそれ」と整えられた長い爪で今にも画面を割りそうなくらい液晶を連打した。私がある人を指して「嫌いじゃない」と状況を説明したところ、彼女の気性を逆撫でたのだろう「それは好きとは違うわけ?」、付け加えて「そういうどっち着かずの反応はキープと紙一重なんじゃない?ズルくない?」と今度は私を割ってやろうと言わんばかりに視線を向けてきた。
もちろん彼女の言わんとすることは私にも感覚的には分かったけれど、否定語を対義語と混合されることは思った以上に誤解が生じるのだなと学んだ。数学的に言えば、「行ける」の否定語は「行けない」、「行けない」の否定語は「行ける」ではなく「行けなくない」なのだ。でもこれが彼女の言う"どっち着かずの反応"である。飲み会への出欠確認なんかでは「で、どっちなの?」と煩わせる。ただ、この煩わしさの要因は文字から生じるものではなく、私情を伺うことにある。一度、情を切り離してみれば、「雨が降る」の否定語は「雨は降らない」。一方、「雨は降らない」の否定語は「雨は降らなくない」。もし天気予報士が統計をもとに"雨が降るとは断言できない"と判断すれば、「雨は降らなくもない(=雨が降る可能性もある)」としか言えないのだ。晴かもしれないし雨かもしれないし、はたまた曇りなのかもしれない。もっと一般化してしまえば、雨かどうかは"分からない"ということだ。そんなどっち着かずの反応も雨のように無機質で人臭さのないものが対象であれば、大半の人は「ハッキリしろよ」なんてテレビに向かって声を荒げない。「雨が降るのかもしれないな」と折り畳み傘を鞄の中に入れるのだ。そして、「ハッキリしろよ」と言っている者に対して、この人は聞く耳を持たない者だとすら思うのかもしれない。天気予報との明らかな違いは、私たちは統計と可能性と選択だけで動くロボットではないことだ。私たちは相手を思いやることができる熱を持ったヒトだし、他人の私情に簡単に揺さぶられつつ未熟ながらも尊く相和するのだ。だから、行けなくなくても「行く」「行けない」とハッキリと提示するし、たとえ「行けない」を選んでも、それについて誰も嘘つきだとなじる者はいないことを当然のように知っている。それが始点と終点がじわじわと滲んで綺麗な円になる大衆が取り巻く社会の全貌のようだった。
もう一つ当時は書かなかったけれど、今なら書けることがある。それは否定文を否定する側がいつも立場を迫られるということだ。仮説は仮説だとしても、仮説としての機能を果たしている。有効な反証がまだ見つかっていない仮説には真剣に向き合わなければならない。私は見えない行間を読むように会話を摘まむ。否定語の否定は「分からない」という結論にしかならないけれど、「嫌いじゃない」「行けなくない」「雨は降らなくない」を含めていて、かつ否定語の否定を肯定する要素にもならないということだ。私情がなくても、あって身がはち切れそうでも、私はそういう理論を受け入れているんだ。時という流れは刻一刻と過去を増やしていき、その流れの中には取り返しのつかない選択だって紛れている。私は誰をも傷つけるべきではなかったし、私は誰からも傷つけられるべきじゃなかった。でも"起こった"ということは、粉々に割れた珈琲カップと同じことだ。どんなに手を尽くしても元には戻らない。でもそれに悲しんでいても時は流れていくから、私たちはその過去を根に持って継承したり繰り返すのではなく、許していかなければならない。許すという行為が自分を掬いとる唯一の方法なんだ。綺麗事じゃない、私はなにも恨まないよ、たとえ私を恨んだモノたちが目の前にいてもだ。
ところで否定語については上のことが言えるけど、もし「分からない」が通用しない、真と偽の二つしかない事象があるとしたら、この種のパラドックスは避けられないのだろうか?
ある人はこう言葉を始めた。いいかい?パラドックスが生じたとき前提を疑うことだ。途中式をあの手この手で組み替えても決してそれは解決には繋がらない。なぜならそれがパラドックスだからだ。「もう一つ言うなら」、彼が宙に人差し指を伸ばしたから思わず私はその先に目を向けた。そこには宙があるだけだった、あるいは何もないから宙だった。「そもそもその主張は意味を宿しているの?」。私は既に眩暈を覚えている、「それは孤独についての話ですね。」。
20210330『箱の中のカブトムシ』を知り、20210508箱の中のカブトムシはヒトに与えられた生涯の孤独であると府に落とした。私たちは言語ないしは言葉を概念とともに習得してきた。箇条書きで「~というもの・こと」で表される事由をかき集めてたった一つの名詞(三角形・カラス)が成る。両者が認識している名詞であれば、少なくとも感覚的に「~というもの・こと」を共有して捉えていると言えて、逆に言えば、浸透していない言語は言葉通り意味の無い、ただの記号の羅列であり口から出る音の連続でしかない。三角形やカラスのように、それを見て多くの人が同じ色・形・大きさ・温度・音・肌触りを把握できて、これは▲だけどこれは■だね、これはカラスだけどこれはハエだね、と真剣衰弱のように照らし合せができれば随分と安心するのに、信号の色は青色か緑色か、こんな身近なものあたりから境目がぼやけはじめる。特に具体的な形や物体を伴わない、極めて外界や他人を理解するために機能する概念(痛み.好意)となれば、視界一面に薄い透明ガラスが何重にも厚みを作っているような感覚だ。赤信号が青信号に変わったのに、私たちは歩を進めず信号を眺めている。「私には青色に見えます。」「いいや俺には緑色に見えると言ったら、俺はあなたを信じていないことになる?」-ならないです。でも信じているということにもならない。そもそもこれは肯定と否定でも真と偽でなく、私にとっては青色に見えるということと、あなたにとっては緑色に見えるということだけであって、逆に言えばそれだけでしかないからです。「もうひとつ覚えておいた方が良いことがある」彼は赤になる前に渡ろう、と言って横断歩道の白い線を踏んだ。「あなたにとっての青色と、俺にとっての緑色は同じ色の可能性を秘めている」俺たちは中身を他人と共有し得ない箱を持たされて生きている。だから、自分のカブトムシに従って感覚や概念を伝えるしかない。さらに残酷なことは重なるようにできていて、どれだけ自分の考えていることを話しても、本質的には自分しか知り得ない。それが俺たちが与えられた生涯の孤独というものだ。でも、不幸の中にも幸福はある。これは反証し得ない仮説と同じことだ。誰にも俺の緑色を否定できないし、偽だとも証明できないからだ。でもそのなかで、色が認識されていくときの諸条件のひとつひとつを丁寧に標準化していければ、もしかしたらあなたの言う青色と俺の言う緑色は、同じ色の符号を指している可能性がある。不思議なものだよね、青色と緑色は異なる記号の羅列であり、口から出る異なる音の連続なのに、同じものを指しているなんて。その逆も然りではあるんだけどさ。
そうだ。私たちの中に"カブトムシ"が何千何万匹と蠢いていることはよく分かる。歯が抜ける夢のリアリティさのようにざわざわと奇妙な感触をもってこのカブトムシを感じている。この"分かる"もカブトムシのひとつなのだろう。失いたくない人を目の前にすれば、失いたくないのに、好いているも愛しているも永遠も私には分からなくなる。勝ち負けや駆け引きが始まれば、言語の使われ方は無意識的な本能に翻弄され、意味だけが剥ぎとられ、実態を欠いた響きだけが耳に届くのだ。耳を塞ぎたい、膝を抱えたい、目を瞑りたい、この頭を手放したい。でも、割れた珈琲カップを思い出す。与えられたものは仕方がないのだと散った体力をひとつに寄せ集めて、頭に送る。それが私たちヒトというものだった。私は目の前の人を信じていなくはない。ただ、時々、この不条理で可能性に満ちた世界を誤って拒みたくなるのだ。あなたが信じることもまた疑うことも放棄したように。
自己言及のパラドックスは言語の不完全性に責任を転嫁した、言語を扱う側の不完全性なのかもしれない。似すぎてしまった二つはおそらく他人に初めの一歩を踏み込んでもらうことを望んでいる。テイクアンドギブしか出来ない私たちが、ギブアンドテイクを惜しまない彼らの何してんの?っていとも簡単にこの暗闇から引っ張り出してしまうような軽やかな一歩を。
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20230916
20230918南窓から身を乗り出して見える星の数は丁度左手伸ばした先にひとつ。私が目が悪いので幾つかにブレて見えるけれど、本当に4.5つあるのかもしれない。確かめられないのだからどちらでも構わない。20390916いつまでも秋の朝の5時半のような個室で、私は「忘れられることが怖い」と沈黙を破って影に伝えた。影は「だったら、忘れられないように毎日一緒にいたらいい」と答えた。影がぼんやりと揺れるので光があることを私は辛うじて認識できた。毎日とか、当たり前とか、普通とか、そういう扁平なものが最も忘れやすいのではないか?例えば、水を飲んだ回数とか、赤信号で止まっていた時間とか、今日見えた星の数とか、そういうのが一々怖い。だから時々私は消えることを選ばざるを得ない。影が私の頭に手をまわすが、その動きは硬く、その後、微動だにしなかった。ただ、消えることを選び続けてもいけない。メンヘラ女が直ぐに別れを切り出すのとは訳が違うんだ。いつか徹底的に消えなくてはならない時がくる。もしそれで傷ついてくれるものがあるなら悪いとは思う。悪いとは思っても悪いとしか思えない。私は君にそのことを伝えておきたいと思うほど君を特別視している。いつか忘れてほしい、私は君が私を忘れたとか忘れていないとか、そういうことを知る術もないほど遠くにいくのだから。覆い被さる影からポタポタと私の胸の谷間辺りに水滴が落ちた。私たちの存在は殆ど意味のない細い線の一部にすぎないようなものだと思わない?馴染んでしまい、流れてしまい、束ねられ全体となる。雨がの一部となりいつか中洲を跨いで海になるように。忘れられることは寂しいことではない、ただ怖いだけなのだ。私はその影を抱いた。今はこの温もりも記憶に刻み込むことで精一杯なんだ。
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