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#帰宅時の秘密
kutikomi-goodlife · 1 year
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asagaquru · 3 months
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なんだか詰めに詰め込んで充実した週末だった。まず、朝10時の回で役所広司主演の“パーフェクト デイ”を見に行った。劇的なことは何も起こらない日常を描いた映画で、劇的なことは何も起こらないけれど、日常の些細な煌めきを見つけるのが上手くなりそうな映画だった。通りすがりに愛でている観葉植物の葉にちょこんと触れるようななんてことのないシーンで数回泣いた。職場と自宅との往復だと変わり映えのない毎日に思える。でも実は、小さな変化や美しさに溢れている。本当に心が美しくある人は、愛情ある日常のなかに美しさや楽しさと言った煌めきを見出す。そんな映画だった。この感覚をこの映画を大切にしていこうと思った。静かな映画だったから、キャラメルポップコーンは口の中で溶かしながら食べた。
良い映画を観て、ほくほくした気持ちのまま新居の内見へ。内見と言えど、すでに入居を決めて審査完了ひている賃貸だ。21日に引っ越す。周りが戸建てばかりで、遠くにある藻岩山まで突き抜けて見えるのを今日知った。日当たりが良い。ガス台や冷蔵庫スペースや窓枠を採寸し終わって、今度はそのまま札幌駅へ向かう。夜の用事まで時間があるからと来たけれど、節分だから恵方巻きを食べたくなってしまう。デパ地下でひとつ買って家で食べる。方角を調べなかった。きっとわたしの行く方角はいつも幸運があるから大丈夫。
夜になって、友達と合流して恋人のライブに行く。家では陽気な恋人が、クールで笑った。音楽のセンスや知識はないわたしだけれども、楽しそうにみんなでジャズをしているのを観ていると、こちらも身体を横に揺らしてしまう。恋人がソロを吹いて、ぺこりと小さく一礼。座ろうとしたところで、ビックバンドのリーダーが煽って、即興でもうワンパート吹いていた。こんな一面もあるけど、普段から決してひけらかしたりしないことに感心する。その後に、ソロリストとして名前を呼ばれてもぺこぺことお辞儀するだけで、にこりともしない。翌日、「本当に楽しかった」って話すから、面白い人だなと思う。ジャズは演者同士が目配せや楽器で会話して、音楽となっていくから面白い。
ライブが終わって、恋人にひと声かけて会場を出る。「15分後にふたり座れますか?」と、ある酒場に電話をかける。すすきので1番好きな酒場。年明けてから行くのは初めてだった。いつからか顔見知りになった店主に「あけましておめでとうございます」と言って、ビールと日本酒を飲む。1杯目のビールが9.5%あったことを思い出したり忘れたりするくらい酔った。隣の席に座っていた30代のお姉様方とお話し、徳利の日本酒を勝手にお酌し、しばしガールズトークを楽しむ。「結婚しても子供が産まれても旦那に家のこと任せて飲みに出れるのいいな〜」と結婚の条件をまたひとつ上書きする。終電で帰宅。1時になっても彼氏が帰ってこないから、先に寝ることにした。
もぞもぞと彼氏がベッドに入ってくる。ライブどうだった?とか来てくれてありがとう、とかの前の第一声が、ここには書けないような中学生みたいな下ネタで、半分夢の中のまま笑った。なんじ?と聞くと「よじ」と言っていてアホだなーと言いながらまた眠りに落ちた。
次の日は、朝から不動産で新居の契約締結。昼前に料理が得意な男友達が家に来てポークステーキをさささっと作ってくれた。「日曜のお昼だからさ」と言ったそれは彩り鮮やかなブランチで、昨日ライブだった彼氏がジャズを流していたから、なんとも優雅な昼下がりとなってしまった。
その後は、演劇を観に行く。演劇は初めてだった。映画とは違って、自分の好きなところに目をやって楽しめるから、観客は神様視点だなと思った。毎年同じ夏の月末に、同じホテルに泊まる男女の話。毎年、それぞれの家庭や仕事、生活の近況を語り合ったり、イチャイチャしたり、本音でぶつかって喧嘩したり、胸の内の秘密を吐露して泣いてしまったりする25年間を5年おきにシーンカットした演劇。題名が「same time,next year」という。生身の人間が目の前で芝居するパワーや没入感、距離感が映画とは段違いに違う。感情移入してしまって数回泣いた。面白かったからまた行くと思う。札幌で触れる新たなカルチャーの予感。
地下鉄で恋人と感想を言い合いながら、帰宅。うどんを食べて、サウナへ。最近、彼氏の真似をしてサウナにハマっている。汗をびっしりかいて、-2℃の外気浴をする。不思議と寒くない。ひと足先に休憩所で待っていた恋人とオロナミンCとフルーツ牛乳で乾杯して、ほかほかした気持ちで家に帰る。
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ashi-yuri · 8 months
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FAITHにおける「神はなぜエイミーを助けなかったのか」という神学的問題に対する回答試案
以下は、キリスト教徒でもなければ、神学をちゃんとかじったこともない素人が本問題を考えるための材料を記した覚書である。
※この覚書はどのような事実も保証しない
※全Note、全endingネタバレ注意
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結論
エイミーの救済は、弱く罪を抱える人の子がそれでも人を救えるのかという神の試練である。
事件の概要
(ゲーム開始前)
マーティン夫人が双子を流産により失う
マーティン夫人が双子が生存しているように振る舞うなど、精神不安定状態となる
夫人は治療で一時回復に向かうが再度悪化。
マーティン氏が送った怪しげな人形に触発されて(?)マーティン夫人が双子の依代を作り始める
Chapter3 Note44 ボブへ 君が昔からの友人でなければ、こんな風に患者の秘密を破るようなことはしない。私はこの状況を本当に憂いているんだ。 ナンシーの妄想は、初めの頃よりもずっとひどくなっている。私は彼女に徐々に現実を示すよう注意深く接してきた。君は、彼女がまだあの二人のことを話したり偽のお誕生日会を開いたり、その他諸々についてもとても忍耐強く対応していた。彼女が流産したこと、そして双子が亡くなったことを受け入れたとき、私たちは前進しているのだと思った。 けれど彼女は今、双子が自分とコンタクトを取ろうとし、双子の魂が宿る "代用品 "を見つけられると確信しているようなんだ。 聞き覚えはないか?ニカラグアの村で見つけた家を覚えているか?君が彼女に話したのか?なぜ君がそんなことをするのかわからないが、そうでなければなぜそんな話が出るのか、他に理由が思い当たらない。 できるだけ早く私のオフィスに来てくれ。次にどうすべきか、話し合う必要がある。
エイミーが婦人科クリニック(ゲイリー率いる教団が運営)でボランティアを始める。教団がエイミーと接触を図る
エイミーに悪魔が憑く
1986年9月21日
エクソシスト2名(オルレッド神父とジョン)がエイミーの悪魔祓いを試みる
悪魔に敗北し、オルレッド神父が死亡
エイミーが両親2名を殺害
ジョンはエイミーに対して単独で悪魔祓いを行おうとするが失敗。悪魔に圧倒され、恐怖に負けて逃走しようとする
ジョンに対して、白い謎の存在がエイミーはどうするのか問う
ジョンは逃走を希望する
白い謎の存在は、エイミーの運命をジョンの記憶に封印することを条件に、ジョンをマーティン家から逃がす
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ジョン:これは、私の身には余ります。私は怖ろしいのです。どうかこの場所から逃してください。 ??:少女はどうする? ジョン:私はただ帰りたいのです。 ??:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。 ジョン:お望みならなんでもします。どうか、ここから連れ出してください。 ??:誓いなさい。 ジョン:誓います。
事件後、ジョン及びエイミーは精神病院に収容される
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1986年10月23日
ジョンは悪魔祓いを間違いだったと認め、信仰を捨てることで退院を認められる
この時点で、正式な聖職者としての地位は辞しているかも?
(神父を辞したのち、ジョンはモリーと暮らしはじめる)
Chapter1 Note20 1986年10月23日 マクグラーシャン先生へ ここエール精神医学研究所で私の治療が始まってから、30日が経とうとしています。スピネル先生は私に辛抱強く寄り添い、私の苦悩を理解し、私が真実を受け入れて前に進む方法を見つけるのを助けてくださいました。 スピネル先生の助けを借り、私は実際にマーティン家で起こった9月の出来事について受け入れられるようになりました。これは超自然現象の結果ではなく、独断的な両親と前時代的な教会による悪魔祓いといわれる儀式によって、暴力的にならざるをえなかった少女の必死な抵抗であったと受け止めています。 嬉しいことに、真実を受け入れてから、悪夢は止み、事件以来感じたことのない心の平穏を享受しています。こちらに来てからの私の経過を考慮いただいたうえ、今後のスピネル先生の経過観察を条件に、エール精神医学研究所からの退院を謹んでお願いいたします。
1987年9月
エイミーが精神病院から脱走?
カルト教団が儀式を行い、エイミーの顔を削り、器とする
ジョンが悪夢を見る
Chapter1 Note18(抜粋) モリーへ 私はあの家へ戻らなければならない。私の見ている悪夢は現実だ。エイミーはまだあそこにいて、私を待っている。まだ彼女を助けられる。
Chapter1
1987年9月21日
ジョンはマーティン家へと戻り、器となったエイミーと邂逅
ジョンは悪魔を祓いきれず、エイミーは脱走
ジョンは銃を手に取るが、エイミーに手をくださないまま、家へ帰る
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chapter2
ジョンが悪夢を見る
悪夢から目覚めると、ガルシア神父の手紙が届いている
(モリーは家を去っている)
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chapter3
1987年10月28-30日
ガルシア神父の手紙に従って、カルト教団の目論見を阻止するためクリニック・アパート・保育園を探索する
1987年10月31日(冒涜の安息日)
(Neutral ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
ゲイリーを退け、カルト教団の目論む冒涜の安息日を阻止する
エイミーの悪夢を見続ける
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ジョン:神父さま、去年初めてエイミーと会った時に……悪魔を見たのです。悪魔は私を惑わしました。これからずっと、私はエイミーから解放されることはないでしょう。
(Good ED)
ジョンはカルト教団の本拠地で、白い謎の存在に誓ったことを思い出す
封印を解き、カルト教団の最奥「坩堝」の中でミリアムとゲイリーとマルファスの穢れた三位一体と対戦
撃破後、エイミーに出会い、悪魔祓いを終える
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(Bad ED)
ジョンはなにもしない
自宅にいたエイミーに取り憑く悪魔に呑み込まれ、天罰「Damnatio Memoriae」(記憶の抹消)が下される
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前提 
人間には善を為すor悪を為すことを決める自由意志がある。これを尊重し、原則、人の子の問題は人の手により解決すべきである。
ただし、神の恩寵を実現させるため、自由意志を助ける形で神は介入を行う場合がある。(傾かせるが強いない)
この項における「救い」とは魂が悪魔から解放されることを指す。
(白い謎の存在の補足)
白い謎の存在をジョンの空想上のイメージと見なした場合でも、ジョン自身がイメージとの対話により意志を持つに至った結果を重視し、以下の推論を妨げないとする。
白い謎の存在が天使か悪魔かは、作中で明言されないのでここでは問わない。開発者のAirdorf氏は「コリント信徒への手紙二11章14節」を引き、あの存在は悪魔が天使を��ったものと示している。
コリントの信徒への手紙二/ 11章 14節 しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 「旧約聖書」日本聖書教会 聖書教会共同訳より
推論の過程
マーティン家の状況は、オルレッド神父とジョンが来た時点ですでに破綻状態にある。神父たちがエクソシストとしてできることは、エイミーに憑いた悪魔を祓うことだけだ。けれど、悪魔祓いは失敗する。
オルレッド神父が死亡したのち、エイミーが救われるか否かはジョンの手に委ねられる。ジョンにとってははじめての悪魔祓いであり、ジョンは悪魔にたやすく圧倒され、恐怖にのまれてしまい、人智を超えた存在となってしまったエイミーから逃がれたい一心で助けを求める。
ここから、なぞの白い存在との対話が始まる。
白い存在にこのまま逃げたらエイミーはどうなるのか、暗に見殺しにするのかと問われたとき、ジョンはそれでも恐怖から逃げることを選択する。
この選択により、エイミーが現世で救われないこと、悪魔の器となる運命は確定する。人間だけでは悪魔の目論見を防ぐことができなかったことも。悪魔から逃げることを選択し、エイミーが悪魔の器となる運命を最終的に決定した人間はジョンである。
���うべき者を見捨てた罪の代償は「エイミーの運命をジョンの頭に封じる」ことだ。それはジョンにとって誓いであり、呪いでもある。
白い謎の存在:汝を安全な場所まで導けば…彼女の運命は汝の頭に封されるだろう。
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頭に封印された記憶は悪夢となり、1年後にジョンは再びマーティン家へと赴く。信仰を捨ててあたたかなはずの愛を得たにも関わらず、ジョンはそれらを捨てて、あの家へ戻らなければならない。
誓いを果たすため、または呪いを解くために。自らが犯した罪、助けなければならなかった無垢な子どもを見捨てた罪へと向き合い、今度こそ悪魔を祓うために。悪魔の器となってしまったエイミーから悪魔を祓い救うことができるのは、そうなる道を選択してしまったジョンしかいない。
エイミーを救うことは彼個人の願いであるとともに、神の意思でもある。悪魔を祓う力を持つ十字架は、ジョンの願いを助け、神の意思を示す。エイミーを救うという神の意思を達成するか否かは、良き神の子たるジョンの行いにかかっている。
それは、救うべき者を救わなかった罪深き者が、なお人を救えるのかという神の試練である。
悪魔の器となったとしても、誰の手にも及ばない存在になったとしても、エイミーはまだ救われる可能性がある。ジョンが歩み続ける限りは。
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(おまけ)神に頼らない世俗的な救済について
ついでに、神の助けを借りずとももっと早く助けられなかったのかなあと考えてみる。
世俗的な救済は一般人が対応するため、家庭が破綻に至る前の早期対応が重要だと思われる。
具体的には、親戚・近隣・公的団体等による早期のエイミー母への共感的なメンタルケアやグリーフケア、エイミーの状況把握及び学校への登校支援、適切なコミュニティ(信頼できるボランティア団体や普通のバイトなど)への参加誘導などが必要だったんだろう。
だけど、1980年代という時代背景や孤立化しやすい森の一軒家という環境を考慮すると、救済難易度高めでいろんな難しさを感じる……そしてエイミーが器となり死亡が確定した時点で、世俗的にできることはもうない……
器となったエイミーを救うことができるのは、結局ジョンだけなんだろう。
あとがきと感想
神の存在を前提とする場合、残酷なこの事件をどう神学的に解釈するんだろうという個人的興味により書いてみました。
理論的に導くならこんな感じかなと思ったけど、神学者の方の解釈を聞いてみたいなあ。ちゃんと書くなら、アウグスティヌスとかの著作やそれに続く自由意志論争を読みとかなきゃいけないんで無理。結局ただの感想文に近いけれど、ふしぎ論理学っぽく色々考えられたのは楽しかったです。
もし、白い謎の存在が天使を装った悪魔なのだとしたら、作中いちども神の意思は直接示されることはなく、ほんとに十字架だけが頼りであまりに信仰ハードモード……
ヴァチカン非公認でも、神との一対一の信仰を果たすためとにかくやるんだ!という感じはアメリカのプロテスタントっぽいかもね。本作はテキサス在住のキリスト教徒(notカトリック)の方が開発してるので。
神を信じるならここまで考えてきた問いに意味があるけれど、そうでなければ、ジョンの所業は罪悪感や後悔による偏執的な思い込みにしか見えないし、半分おかしくなってるんだと思う。エイミーのことは手遅れなので、ふつうに考えたら贖罪にもならないし。そうせざるをえない心理状況に追い込まれてしまったのだとしても。
でも、本当の結論はあなたの心のなかの信仰次第です。
そして、ゲイリーはなんだったのとかそもそもなんでエイミーに悪魔が憑いたの?という話はまた次回。
※ゲーム画面、日本語翻訳は非公式日本語modを使用しました。
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myonbl · 8 months
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2023年9月2日(土)
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毎年、<暦生活>が発行する日めくりを愛用している。何しろ種類が多く、にっぽんのいろ/誕生花/宙/俳句・・・と楽しんできた。さて来年は・・・、ここは初心に返り(?)先祖たちが大事にしてきた旧暦文化を改めて導入することにした。9月に入ったばかりだというのになんと気の早いと思われる向きもあるだろう、はい、私はこういう奴なのですよ。あ、和菓子フォークは暦とはなんの関係もないが、安売りしていたのでついポチってしまったのだ。はい、私はこういう奴なのですよ・・・。
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5時30分起床。
日誌書く。
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ツレアイは健診のために私1人の朝食、納豆ご飯+かき玉汁+ヨーグルト。
洗濯1回。
ツレアイは先日の健診結果で再検査項目があったとかで、<京都南病院第二南診療所>へ向かう。
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Facebookに紹介されていた黒川みどりさんの文章、いい内容だったので露の新治さんにメールで紹介する。ついでに、『図書』の年間購読を申し込む。
露の新治さんの、10月の出演情報をチェックする。
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10/3(火)6(金)7(土)の喜楽館、10/10(火)の繁昌亭に行くことを決定。繁昌亭は新治さんに予約依頼、喜楽館はタニマチ割引が多いので直接電話する。
ツレアイ帰宅、月曜日に心臓の何とかいう検査をするとのこと。パンとヨーグルトで軽く腹拵え、すぐに買物に走る。
ランチ、息子たちは素麺、私たちは麻婆丼+🍺+🍷。
軽く午睡。
iPad Air + Kindle で読書、とても読みやすい。
ツレアイは16時からWeb研修。
私は17時から夕飯準備、久しぶりに天ぷらにする。
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カボチャ・サツマイモ・ニンジン・レンコン・ナス・エリンギ、鶏の唐揚げは少し色が濃すぎたがこれもご愛敬。
録画番組視聴。
(32)「這(は)う人」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ある自然科学者にまつわる怪事件。捜査が進むと事件は意外な展開に… プレスベリ教授の秘書ベネットは、教授の娘イーディスと婚約している。ある日の深夜、何者かが3階にあるイーディスの寝室を外からのぞいたという。翌日、ホームズたちは現場を調べに訪れるが、そこに帰宅した教授はなぜか尊大な態度だった。ホームズは教授が若い女性と婚約したことや、最近3度も愛犬に襲われたこと、さらに教授あてに秘密の郵便や小包が送られてくるようになった点に着目する。イギリス1991年制作。
片付け、入浴のはずが🍷効果ですぐに爆睡。
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今日は家から一歩も出なかった、水分は1,380ml。
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thinking-ashi · 1 month
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20240324 noon
朝から降る小雨は3時頃完全に止む予報で、不安定に止んでいた昼過ぎ、隙を見計らい傘を持たずに家を出た。
きっと明日の朝、傘が邪魔になると思ったから。
私は3時頃まで屋外を歩けない。
週末で混み合う東京駅の地下通路をつたい、居場所を探す。
八重洲ミッドタウンでコーヒーを飲みながら小一時間読書。江國香織の神様のボートを読了した。あらすじでは狂気という言葉で表されていたが、恋愛で発生する普遍的な盲目状態という感想をもった。
感想を引きずった頭のまま、雨が止んだ地上へ出る。目的があって八丁堀へ足を進める。
霊岸橋から川面を眺める。それは私が秘書だった頃に毎朝決まって遡上したクラゲを探す習慣。今同じことをしてみても、"あの頃に浸る"ということは起こらなかった。思ったよりも薄情な自分を意外に感じる。そういえば強風の日に、スヌーピーの折りたたみ傘の外袋を盗ったのはこの橋だった。
私が勤めていた会社はもうなかった。
会社だった場所はフェンスで覆われていて、私は工事看板を眺める。
隣で同じく工事看板を熱心に眺めるご老人がいる。
私は咄嗟に、ここに建っていた建物をご存知ですかと声をかけた。
ご老人は私が勤めていた建物を知っていた訳ではなく、隣のビルの居酒屋で飲み会があるため、店が開くまで待っていたそうだ。
少し話しているうちに、私もその飲み会に参加する運びになった。
ベイエリアの同じ高層マンションに住む大型バイク愛好家達の集まりだそうだ。
東京モーター(サイクル)ショーの開催に合わせて集まるらしい。
刺身や煮魚、焼き魚ととにかく海鮮料理を堪能させてもらい、そしてまた来週銀座で鰻をご馳走になる予定までもいただき、ほろ酔いでご機嫌になる。
このハプニングのような思わぬ縁が新鮮な話題のうちにと、"今の仲良し"に連絡を入れた。
八丁堀から六本木は日比谷線ですぐだ。
予め、この後予定がありますと言っていたから、宴を途中で抜けることは自然だった。(当初のニュアンスで言えば断れないに近い巻き込まれた形での参加で、逃げ道を作っていた。)
ワインが飲みたい。
親密になりたいと思った人に対して、自分が行きたい場所やしたいことを素直に伝えることが苦手な私は、たぶん初めてちゃんと願望を発した。
そのとき地下鉄から送った文字全て、躊躇いはなかった。
スプリングコートを着た彼。
偶然、初めて会った日と同じ場所で待ち合わせをしたため彼の装いの変化で季節を感じた。
住宅街の中にある彼の好きな店(リーズナブルで美味しいワインが飲めらしい)は休みだったため、結果的にただの肌寒い夜の散歩をした私達。
同じ道、彼がまだダウンを着ていた頃の私達の会話は確かもっと自然だったと思う。
いつからか、会話をするたびに息が詰まるような空気感がうまれた。
こんなにぎこちないコミュニケーションをするくらいなら会わなければ良いのに、やめる必要が見つからなかった。そしてお互いに何かから逃避していた。
結局待ち合わせ場所の赤坂ミッドタウンに戻り、赤ワインとチーズを買って、すっかり来慣れたビンテージマンションに入る。
彼が作ったボロネーゼと、ジャガイモとサワークリームの美味しいつまみをあてにワインを飲んだ。
少し前から、彼と私の潮時がそろそろだとわかっていた。しかしそれまでにきっとあと1回だけ会うだろうとも思っていた。
私は、私自身の大して面白くもないインモラルな話をお披露目して最後の夜に興を手向けた。もう戻れないように、いままで繕っていた私を手放して、浅ましい人間だと話した。
一番良かった。
私はショートスリーパーだと思う。
目が覚めてから2時間後、白々しく眠いふりをした。
まだワインが残った朝、会話はぎこちなく、一刻も早く不自然ではないように帰りたいと思った。
毎回淹れてくれるモーニングコーヒーの豆が変わったこと、今朝初めて朝ごはんを作ってくれたこと。
もしここに忘れ物をしてももう取りに来ないな、とか。
ほら、傘はいらなかったな、とか。
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ichinichi-okure · 7 months
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2023.10.5thu_kyoto
曇天。雨が降るかどうかをチェックしなくちゃと思い、7時に起床。今日は遠出なので、荷造りと身支度に1時間かかる。そこから美味しいお米と梅干しをいただく。今日も楽しむぞと気合いを入れながらも東京から来た現在居候中の牡蠣居酒屋経営のヨッシー(マルショウアリク:現在京都で出店中)が昨晩は帰ってこれなかったので、今日いつ帰宅するのかと気になっている。そうこうしているうちに出発時間。空を見つ��ながら雨が降りそうだと感じつつも、調べる時間を見失った。ヨッシーが帰ってきた。よかった。忘れ物チェックをしたようなしてないような気持ちで8時44分の電車に乗る。 天気予報は電車の中で調べることはできるが傘を持ってこなかったので、調べるのに心が手間取る。もし雨なら残念だし、雨だと思って傘を買っても降らなかったら意味ないし、どうかこのまま天気が守ってくれることを祈る。東福寺でJRへ乗り換え。京都駅に着いたなら新幹線だ。
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そんなこんなで、姫路へ。今日は初めて会う方々と作品撮影。どんな作品になるのかなとワクワクドキドキ。新幹線が直前で急停止ボタンのため運転再開に時間がかかったが、無事姫路駅到着。 今日お尋ねするスタジオに車でお迎えしてくれたカメラマンの奥様。なんとも素敵な雰囲気のお方。車に乗りながら雨が降る。あ、ギリギリ助かった。やっぱり今日は雨だったの…? そう思ったのも束の間、雨は止んだ。 いろいろお話ししながらスタジオに到着するとここは森???と思うような素敵な入口が迎えてくれた。
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とっても素敵なこの扉。家を作る、または住むならこんな扉がある家がいい。私の大好きな秘密の隠れ家への入り口みたい。
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中に入ると、とんでもなくセンス溢れる空間が存在してた。 和気藹々とした声が聞こえて、会ってみると皆様初めてとは思えないくらいアットホームな雰囲気。 もう1人被写体の方がおられたのだが、なんと東京の時に知り合った方で、それも驚き! その方の撮影は終わったとのことで、私の順番に。あれ、とてもいい日差しが入ってきた。白いリネンのカーテンの木漏れ日、玄関にある石たちの佇まい、椅子の影が美しい。
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3人の写真家が居たのでどのように作品を作って行くのかなと思いきや、本当に三者三様。仕上がりが楽しみ。見たこともないレンズで撮っている。
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写真から学ぶことが多いけど、自分と向き合うことを実感する。逃げたくなる側面もあるけど、撮られることで、表面ではなく内面と向き合わざるを得ない瞬間がある。いつも思うけど写真家の方達は光を操り、映し出すことがとてつもなく上手いし、世界を作る面白さが映画とはまた違っていて面白い。天気や空間、人と人とのセッションでもあるし、そこにある物全てを味方にして臨機応変に撮影していく。こんなふうに映画を撮ってみたいと思ってしまう。 ある写真家の方は動画も撮っていたのだけど、それはもう短編映画のよう。
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私の好きなデヴィッド・リンチ作品のイレイザーヘッドを思い出した。
私も趣味で人を撮ることはあるけど、人を撮るって思っているより奥深く、信頼関係があってこそのもの。それに撮影者によって演出も違えば撮り方も違い、私自身が私じゃ無くなる時があって、それは私の中に撮影者が乗り映るような感じでなんだかとっても面白かった。
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こうやって初めての人と作品を作り、演出を受ける立場になること、一緒に考えることはすごく刺激になる。今後も映画を切り取ったかのようなシーンを写真で作ってみたいし、まだ現実化していない執筆した短編映画の作品を写真でも表現してみたい。 撮影後みんなに劇場公開が控えている製作、監督作「ロマンチック金銭感覚」の宣伝をし、その場を後に。最高の時間を共有。
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撮影終了し、姫路駅まで送ってもらう。何度も手を振って、送ってくださったお二人を見届ける。 空を見るとすがすがしい空が私を見ていた。
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次はいつ姫路に来るだろうとぼんやり、駅に立ち尽くして今日の思い出に浸る。
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飲みたくなって三宮駅にて1人で飲みに。奇跡が起こる。 カウンターでごはんを食べていたら、隣のサラリーマン風の2人が話しかけてくれ、一杯ご馳走に。話の流れで映画の話をすると、観に行くよと。お金の本質や価値の話をしていたら、盛り上がる。お会計の時に払おうとしたら、なんとその方々が払ってくれるという。私は払うつもりだったんだけど、それも映画の投資だと。何かの形で返したい旨を伝えると、誰かに同じように優しくしてくれとのこと。まさにロマンチック!これも映画「ロマンチック金銭感覚」のテーマの一つじゃないか!ありがとうございます。勘を働かせてたまたま入ったお店、ありがとう。 その後、友人の紹介のお店で飲む。するとそこは昔から知っているかのような場所。みんな映画の話で盛り上がる。映画を作ってよかった。みんなに見てもらえる可能性があってよかった。このお店に行ってよかったと思えた。ありがとう。もう、すぐにでも会いに行きたい気分だ。帰宅するとヨッシーも含め、東京からの友人、りゅうじゅくんも来ていた。その日はみんなでお酒を飲みながらお金って何���ろう?価値って何だろう?生きていくために必要な本質について眠くなるまで語り合った。その日は夢の中でもそんな話をしていたように思う。
ープロフィールー 緑茶麻悠 京都 俳優、画家、映画監督 Instagram/ https://www.instagram.com/ryokumayu/ X/ https://twitter.com/ryokumayu WEB/ https://www.steam-of-greentea.com/
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date-private227 · 5 months
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お泊まりデート3,4日目(12,3,12/4)
3日目。相変わらず伊野尾くんは先に起きて準備がほぼ終わってるところで俺も起床。朝ごはんはお弁当に入りきらなかった残りの分を食べたんだっけ。この日はライブに行く日で、会場近くのコインパーキングまで1時間程かけて移動。ライブ前に裕翔くんと会ってお昼ご飯を食べる予定だったんだけど俺がのんびりしすぎて待ち合わせ時間に若干遅刻。無事裕翔くんと合流してお昼ご飯を食べに。まずはアイスコーヒー(裕翔くん)とアイスティー(伊野尾くん)とオレンジジュース(俺)で乾杯。
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俺は気になったドデカいカツが乗ったのを注文して、裕翔くんと伊野尾くんは2人でクリスピーチキンを分け合おうと注文。そしたら優しい店員さんが「みんなで食べると思ってカツ分けておきました!」と。
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や...優しい...!優しくて嬉しいけどメニュー表に載ってた、深めのお皿に蓋するようなドデカカツも見たかった...!と思いつついただきました。
そしたらさー、もう勘弁してくれよ。まさかカツの上に七味的なのが掛かってるなんて思わないじゃない。1部だけ激辛になっててオレンジジュース足りなくなったよ。辛さを共有したくてまず裕翔くんに1切れあげてみたら、たまたま辛くないところだったらしい。伊野尾くんにもあげたら見事ヒット。でも美味しかったからまた食べたいな。食べ終わって一息ついてたらまたもや心優しい店員さん。旬のみかんをサービスでくれて、これもまた美味しかった。
ご飯食べ終わってライブ会場まで裕翔くんが見送ってくれてそのまま解散。裕翔くんとは1月にも会う予定だから楽しみにしてます。
そしてこの日はそのままライブへ。ここはちょっと中身すぎる話になってくるから誰のどこのライブかは秘密で。席は微妙な席だったけど楽しめたのでおっけー。
ライブが終わって夜は家の近くにあるパスタ屋さんへ。
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伊野尾くんは期間限定のパスタを注文。俺はよく行ってたからいつも通りのパスタ。それぞれ1人分の小さいピザとドリンクバーのセットもつけて豪華に。めちゃくちゃ美味しかったなー。これ書いてるとお腹すいてきたから今すぐにでも行こうかちょっと迷ってるところ。
割と遅い時間に帰宅。クタクタだったからとりあえず早くシャワー浴びてまったり。
寝る時に伊野尾くんが俺の胸元に頭乗せて抱き着いたまま寝てかわいかったので少しだけ胸元痛かったけどそのまま俺も寝ました(ちなみに本人は頭乗せたこと覚えてなかった)。
つづいて4日目!
4日目も同じところでライブなので前日と同じく車で行きました。お昼は道中のコンビニで買った軽食で済ませ、いざ会場へ。席がめちゃくちゃ良かった。大優勝。
てことで帰宅...の前に近くに東京でいうところの東京タワー的なとこが近くにあってそこの写真だけ撮りに2人で少し夜道歩いたね。伊野尾くんが疲れきっててほぼ終始無言だったけど(笑)
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時間も遅かったから急いで車走らせて、家の近くのショッピングモールのフードコートで夜ご飯。時間はすでに21時だったからフードコートのお店たちがどんどん暗く閉まってくなか黙々と食べてた俺たち。急いで食べて、次の日に使う食材とかだけ買い物して帰宅。
この日も相変わらずクタクタだったからさっさとシャワー浴びて、確かキャスしたのかな。どうだっけ?覚えてないな。
イチャイチャしつつまた伊野尾くんは俺の胸元に頭乗せて寝ました。かわいいですね。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)弐
    通巻第7741号
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
  日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓である 
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孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、日本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。
 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてなし、膨大な土産を持たせた。
 競うように新羅からも使節が太宰府へ入り、最初、大和朝廷は朝貢と受け取って歓待した。文書や使節の態度から判断しても、明らかに朝貢だった。日本の宿敵の国がころりと態度を変えて来日するのだから裏にナニカアルに違いない。
 実態は朝貢を装い日本の防衛体制を観察し、また大和王朝の政治空気を把握することにあった。情報収集である。
 新羅は次第に図に乗って官位の低い大使を派遣するようになった。態度も横柄、傍若無人の無礼を極めるようになったため新羅使は太宰府で留め置かれ追い返された。
新羅の態度が横柄尊大になった背景には唐が乱れ、安禄山が叛乱をおこし、国土は荒廃し、新羅に対しての軍事的な脅威にはならなかったからだ。大和朝廷はこの情報を三年ほど知らなかった。ということは新羅使は安禄山の乱を知っていながら大和朝廷には意図的につたえず日本の反応を確かめに来た可能性がある。日本のこうした情報戦の失態はいまと変わらない。つまり韓国の対日外交激変は裏にナニカアルのだ。
 天智天皇の御代、白村江の闘いで唐の海軍に敗れ、2100名の百済高官が日本に亡命した。天智天皇は水城と防塁、城を構築し、防人を強化したばかりか、各地22ヶ所に築城 防衛力を拡充し、新羅の侵攻に備えた。
 ところが、新羅は逆に日本が攻めてくると防衛態勢を急ぎ、「ご機嫌取り」のため「朝貢」を装い屡々来日した。
 天平宝字二年九月十八日に渤海使の小野朝臣田守らが帰朝し、渤海大使の輔国大将軍・行木ら二十三名を随行した。日本海側に帰着したので越前に滞在し、疫病感染の有無を調べるためニケ月を過ごす。
 帰国十日後に小野田守に従五位上を授け、ほかの随行員六十六人にも位階を授けた。 同年十二月十日、すなわち帰国から七十日後に小野朝臣田守は安禄山の謀反を伝えた。安禄山の挙兵は755年のことだから、なんと三年間、大和朝廷は唐の政変を知らなかったのである。
 ▲安禄山の乱が日本政治にいかなる変化をもたらしたか
 小野田守は次のように上奏した。
 天平勝宝七年の十一月九日に御史太夫兼氾陽節度使の安禄山が蹶起し、自らを大燕聖武皇帝と名乗り、邸宅を潜龍宮と名付けた上、年号を聖武と改元した。安禄山は二十万の兵力を率いて忽ち洛陽を落とした。翌六月に玄宗皇帝は難を避けるために蜀の成都(現在の四川省)へ避難した。
渤海に援軍要請があり、騎兵四万をもって賊徒を平定されたしと懇請された。渤海からだと安禄山の後方を攪乱できる。しかし渤海王は派兵要請を疑い、派兵を見送った。途中から安禄山の反乱に加わったのが史思明だ。だから「安史の乱」とも言う。
 玄宗側の反撃準備が整い、ようやく官軍が乱を平定し、玄宗は長安に戻った。逃亡途中では随行した兵隊たちに不穏の空気が流れたため玄宗は愛妃楊貴妃の自裁を認めざるを得ず、長安に復帰しても嘗ての政治力は失われていた。側近は朝衡(阿部仲麻呂の中国名)だった。
 
 かく上奏した小野田守とて、まだ安禄山が部下に殺害されたという情報を知らなかった。渤海もその後の情報を隠匿したわけではなく長安に派遣した情報員が戻らず実情をつかんでいなかった。
 唐土の異変を知った大和朝廷は太宰府に勅して「安禄山は凶暴なる胡人(ソグド人だが、当時は「胡」と称した)、狡猾である。天命に背いた反乱は必ず失敗するが、寧ろ海東へ兵を進める華もしれず、この緊迫状況を太宰府はよく理解し、たとえ安禄山が来航せずとも防衛を怠るな」とした。
 怡土城築城を任された吉備真備は工事に力を入れ、また京では渤海使の歓待宴が続いた。淳仁天皇はかれらに位階をあたえ、藤原仲麻呂は自邸で宴を催し、賑やかにもてなしたうえ夥しい土産を持たせた。
 この時に大和朝廷を支配した空気は唐が衰弱し、渤海が北から協力して新羅を挟み撃ち出来ないか、今こそチャンスではないかということだった。これは当時権力の頂点にいた藤原仲麻呂の情勢認識に欠陥があったということである。 
 
 ▲むしろ韓国がなぜ外交舵取りを変えたかの背景に謎がある。
 北朝鮮内部で何かが起きている。あるいは静かに秘密裏に中国が北への態度をかえたことを韓国が気づいた。米国からも精度高い情報を得て、日本とは修好する時期だとの判断があった。また従来の反日路線は、北朝鮮が情報操作していた。
 さて岸田首相の訪韓である。
 5月7日、アフリカ四カ国歴訪を終えて帰国したばかりの岸田首相はソウルへ飛んだ。
 ソウルの大統領府で 尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談し、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」の訴訟問題など日韓両国の課題に向き合い、関係改善を加速させる方針で一致した。
首相は会談で元徴用工問題に関し、「厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と述べた。
 日本がこれまでの態度を軟化させたのは財産請求権である。
 1965年の日韓請求権協定で「完全に解決済み」とされたが、つねに韓国が蒸し返してきた。
ところが尹政権となって提示してきた徴用工訴訟問題の解決策で突然活路が開けた。岸田首相は「おわび」「反省」は口にせず、尹大統領も謝罪を求めることはしなかった。
 外務省幹部は「大きな前進。文在寅(ムン・ジェイン)政権では実現しなかっただろう」とする。
韓国大統領は「共通の利益」のために歴史問題と切り離して協力を進めるべきだと言い切った。
(資料編に続く。10分後に配信します)
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tokyomariegold · 11 months
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2023/5/1〜
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5月1日 連休中の平日だけど思ったより出勤している人が多め。 5月らしいさわやかさに薄着で出たら身体を冷やしてしまったのか、2日ぶりのナイアシンに耐えられなかったのか、なんだか息苦しさと目のくらくらで絶不調。 昼休みにソフィカルの展示の作品リストと解説を図書館で借りる。 仕事が急に落ち着いてしまって、ぼーっと帰宅したら、なんと電車が運転見合わせ中とのこと! 他路線へ換えが効かない陸の孤島のため絶望中。 大人しく休んでおけばよかった!
なんとか運転を再開した車内で日記を書いたり、文字起こしをしたりした。 こないだ見た校正作家(?)のプロフェッショナルみたいに、自分で自分の文章を第三者目線で校正できるようになりたい(けど、tumblrに今日も誤字を見つけてしまった。)。
展示のこと、本当にできるかまだ分からなくて、意気込み過ぎたくなくて、でも頭の中でどんな展示にしようか、キャプションはどうしようか、考えてばかりいる。そしてこの展示が結構満足にうまくいったら(自己満)、もう本当に何もなくなるかもしれない。 一緒に展示をする予定の友人が言っていた「まあ失敗してもはじめてだし、とりあえず展示しましょう。」みたいな言葉を思い出している。
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5月2日 連休前日の出勤で心はお休みモード。 だったので赤いコートを着て三脚とカメラを持って出かけた。
家を出てすぐの道でよたよた歩いていたら、後ろからきた自転車に「真ん中(道路)歩いてんじゃねえよ」と言われてがっかりした気持ちになる。 わたしを置きたいところがどこにもない、新緑の美しい木々などを眺めて、緑が生えるわね、と写真を少し撮った。 職場は午前で帰る人が多くて、なんだかぬるっと休みに入ってしまい気持ちが不完全燃焼でそわそわしたので、帰宅して大げさに掃除をした。
そのそわそわの帰路では並行して明日のディナーのことを心配したり、もうとても行きたくない!!と体調不良でドタキャンをしたい気持ちにもなっていた。 多分疲れていてこういう日は何をしてもダメ。 たくさん値引きされた魚売り場で、たくさんあり過ぎて何も選べなくて途方に暮れた。
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ただ2つ。青柳さんの“そだつのをやめる”をまた読み進めて楽しかった。 大自然とは、山や川や木々の中や野生動物ばかりにふさわしい言葉ではなく、昔の同級生を見かける駅前や魚屋さんのヤクルトや教科書のページ数にもふさわしく、そうゆうものだって巡り巡って生長したりするよね、と思った。
もう1つは今日マチ子さんの座談会の抽選が当たった! ただ友人と遊ぶ予定と重なってしまい、スケジュール管理をちゃんとしないと……その友人に、なぜか写真展を計画していることを伝えられずにいて、相手からそれについてメッセージをもらったので、スケジュール再調整となぜか写真展のこと秘密っぽくしていてごめんなさい、と返信した。
明日は漂白してクリーニング出して、少し写真の編集をして、香水をみて、夜ご飯を食べに行く。 食べられなかったら眺めておく。
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5月3日 セセラバアドという分子ガストロノミーという料理のコースを食べに行った…! ちょっと、いろんな意味ですごい夜過ぎて、やっぱり人と楽しく食事をすることって大切なのかも、と思ったし、ちゃんと栄養取れている時は脳も回転するので会話がスムーズに進む気がした。 こんなことではなく、もっといろいろあったのですが、今日は一先ずおやすみなさいです。
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5月4日 昨日の分子料理が刺激的過ぎてチケット予約していたダムタイプの展示には行けなかった。 今日は何もなかった。
クリーニング屋さんは今日と明日がお休みだったので、ただ駅向こうと家を往復した。習い事の用事を入れて一駅電車に乗った。 その先のショッピングモールでなんとなく無印に行くと、すっかり夏仕様。 去年美味しかった冷やして食べるカレーが出ていたので買ってみる。桜のお菓子がまだ残っていた。でもよく考えるとまだ5日前は4月。
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ちょっとした家の周りも混んでいて、世の中に人ってこんなにいて元気。 その1日を過ごしながら、昨日友人と体験した分子ガストロノミーのコース料理のことと、その時間友人がいつも以上にいっそう可愛かったことを思い出していた。 どれくらいの格式の高さの食事なのか、と緊張して向かったけれど、小さなお店の暖かい外国の裕福な家庭みたいなインテリアの店内で、落ち着いた心地よい空間だった。スニーカーで行けば良かったな。 席についてからずっと何かが起こっていて、次々と運ばれてくる飲み物や料理をメニューで確かめたりペアリングを気にしたり、QRコードで和歌ペアリングをみたり、お互いの会話をしたり、食事の内容が味わっても味わっても「??!」とよくわからなくてコースの流れに乗り切れず大変だった。 とにかく忙しくずっと自分のテンションがおかしくなっている感じ。 食事をすることのストレスはありつつも、出てくる料理がエネルギー補給の食事とは次元が全く異なるものすぎて、食べることの罪悪感がわからなくなってほぼ完食していた。(料理は自然?生物?的な表現をしていたものがほとんどで、自然からとった生命を調理してまた自然へ戻しているような感じ。)
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苔玉のコロッケ、見た目が苔玉すぎて難しそうなのに食べると商店街って感じで面白かった。
でも料理長はじめ、スタッフの方々が特段食べるのが遅い私のペースを逐一確認しに来たり、飲み物を飲み干しきれずどんどん出てくるドリンク(抹茶のリンゴジュース割り、スパイスの効いたオレンジのお酢ドリンクなど、すごく美味しかった…)を少しの飲み残しも許さずに下げてもらえないのとか、しびれを切らした料理長から「コースなので!みなさん流れが決まっているので」と急かされたりして、食事をする環境としてはかなりつらさがあった。
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刺激的なもの過ぎて、わたしの日常がつまらなくて当たり前だと落ち着く。
1日ではまだ何も整理がつかず、とにかく大の苦手な食事にまつわる新体験をして、とても忙しかったです。 それもあってか、今日は心身ともに疲れてしまっている。また行きたいか、というと、そうゆうものでもない。でも体験できて良かった。
帰りに閉店間際のスーパーに寄ったら、最終値引きの食料たちが並んでいて、さっき見たものと同じような栄養素に分解してしまう私の身体が嫌だな、と思った。
なるべく高価なものを食べたい、とミックナッツでなく、ナッツで1番高価なマカダミアナッツだけの詰め合わせを買おう、とネットショッピングしながら眠った。
友人と食事をしながら、いとこの話などをした。 代々木上原の街の階段で「邦画みたいだね!」と写真を撮ったりして楽し買った。パンはパンだった。
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heide48 · 1 year
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自宅目の前で突然「助けてください」って小学生くらいの女の子が泣きながら駆けつけてきたからびっくりしちゃった。よくよく聞いたら初めての場所で遊んでいたらお友達が先に帰っちゃって、迷子になってたところだったみたい。とりあえず声をかけて深呼吸してもらって、お家の近くで目印になりそうなものがあるか確認をして、地図を頼りに一緒に歩いた。「もう2度とお母さんに会えないんじゃないかと思ったら不安で不安で」と全身で訴える姿が、不謹慎だけど可愛かったのは秘密の話。習い事の話や今日どんな遊びをしたのか…そんな他愛もない話題で少し落ち着いてもらって、敢えて名前も年齢も聞かず、どこに住んでいる���も知らないまま、私のことも何も伝えずに分かれた。きっともう二度と会うことはないと思うけれど、何だかこの時間を私は一生忘れない気がする。あと、綺麗なお姉さんだったなって彼女の中で良い感じの補正が入っていることを祈って。
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keiaihoumh · 1 year
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nemosynth · 1 year
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Season 2, episode 2 - E-mu
「これは、内蔵姿勢制御装置の���れを���くし、過剰なジャ���ロ宇宙的相対理論化を防ぐ機能です。
注意深く画面を観察いただき、重力による空間歪曲や明らかな時間の加速・遅延、鏡に映る物体が実際より近く見えるなどといった不安定化兆候が起きていないか、ご確認ください。数秒後にEmaxがモジュール識別表示へ戻ってきたのであれば、すべては順調です。
注意: 安定化スキャン処理が進行している間、時として小さなエミュー鳥がEmax内部に閉じ込められ画面上を走り回ることがあります。これはEmaxの通常機能に影響はありません。
 (Emax取扱説明書から超絶nemo版和訳)」
「This function aligns Emax’s internal stabilizers and prevents excessive gyrocosmic relativation.
Carefully observe the display for any signs of destabilization (eg. Gravitational warps, apparent speeding up or slowing down of time, objects in mirrors appearing closer than they really are). If Emax returns to the Module Identifier after a few seconds, all is well.
Note: Occasionally a small emu will get trapped within Emax and run across the screen during the stabilization scan process. This does not affect Emax’s normal functions. (原文)」
もうね、原文にある「gyrocosmic relativation」とかってバック・ロジャースのネタだし。「objects in mirrors appearing closer than they really are」って向こうの車のドアミラーに書いた~る警告文パロってる し。どこにも「自己診断処理」って書いてないから。それが自己診断機能だということは、生産完了後だいぶたっ てからネットかなんかで知った。だから現役当時とにかくLCDの中をエミュー鳥が走り回るだけなので、こっちは 訳が分からず呆然とするばかり。
この面倒くさそうなふざけたノリの取説を出したのはE-MUことE-MU SYSTEMS。その創業者は、ぶっちぎり 天才エンジニアであるデイヴ・ロッサム。デイヴと言っても、名機プロフェットを生み出したSEQUENTIALを創業 せしデイヴ・スミスとは別人。
史上初のサンプラーは、FAIRLIGHT CMIなのか初代Emulatorなのか? 今ならエミュレータと呼ばれてしまう のであろうかEmulator。それを生み出したのがデイヴ・ロッサム率いる E-MU SYSTEMS。
今回はそのデイヴ・ロッサムと彼が興したE-MUを見てみたい。彼こそは電子楽器業界における縁の下の力持ち、 いや縁の下の馬鹿力、もうアトラスのごとく世界を支えてきた巨人ですらあり、彼なくしてSEQUENTIALも OBERHEIMも電子楽器業界すべてがかくも発展しえなかったであろう偉大な功労者なのである。
♬     ♬     ♬
「創世神話」
デイヴ・ロッサム(Dave Rossum)は、アメリカ西海岸サンフランシスコ界隈で育ち、SEQUENTIALより先、1971年にE-MUを創業する。
彼の父親は科学者なのだが、音楽がお嫌い。というのもデイヴ・ロッサムの祖父がミュージシャンで呑んべぇで 父が幼いころ祖父は家におらず、それゆえ父は音楽が嫌いに。ところが祖父が家に不在だったのは音楽どーのこー の以前にそもそも浮気しててほかの女との間に3人も子供を作っていたからだと、後年に判明!
父の愛に飢えつつも禁じられた音楽へのあこがれとを両立すべく、幼い坊やは自宅に誰もいないときを見計らっ て家にあった母のピアノなどを弾いていたのである。
彼には絶対音感があった。 リズム感も大変良かった。
でも彼は音楽のレッスンも受けず、趣味として適当に弾くだけ。センスあるのに独学なあたり、既に後々ぶっと んだ天才肌っぷりを発揮する、その序曲だったのかもしれない。
それでいて彼は、全く音楽の道なんぞ考えもしない科学少年であった。ただやたらとリーダーシップだけはあっ たらしく、5、6歳年上の子供たちを引き連れて登山もしたという。しかも子供のときからなんでも作っては売る という、起業家精神すらあった。
何よりも彼を貫いていたのは、まぶしい自由とぶっちぎりの先取の精神がみなぎるカリフォルニアらしいカウン ター・カルチャーであった。大人社会に対する異議申し立て、大人たちへの反抗、ベトナム戦争反対、ラブ&ピー ス、いぇ~い♬ そんなとんがった空気が充満する西海岸の陽光。不屈の反骨精神こそが、いつまでも若きデイ ヴ・ロッサムをして数々の発明を実現せしめ音楽に変革を引き起こすドライブ力であったのかもしれない。
彼はカリフォルニア工科大学にて生物学を専攻するも、その動機はなんと当時の原始的なコンピューターを生物 学に応用したいという、その時代には誰も考えなかったぶっとんだ新しい発想からであった。だからもちろん彼は大学で生物学とともにコンピューターサイエンスも会得。
そんなある日、彼はカリフォルニア大学サンタクルーズ校にてMOOGモジュラーシンセをセッティングしてくれ と頼まれる。シンセ?なにそれ? それはMOOG System 12。有名なMOOG System 15ですらないその前の黎 明期の機種、その現物を目の当たりにした彼は、そしてそれを人が弾いている音を聴いた彼は、永遠に人生を変え ることになる啓示のごとき衝撃を受けたのである。
MOOG Model 12の広告より そうだ、そうじゃないか、当たり前だよこんなの、当然じゃないか、至極まっとうなことだよ、そうだよ、そうなんだよ!!!とかなんとかそんな感じだったらしく。
シンセというものに運命的邂逅をはたしたデイヴ・ロッサム。突如として無性にシンセを作りたくなったデイ ヴ・ロッサム!
え、生物学と電子音楽の共通点? ネガティブフィードバックさ!
だがコンピューター・プログラミングは分かるのに、逆に電子工学は分からない。恐らく彼は時代に先駆けてソ フトウェアエンジニアだったのであろう。そこで友人にハードウェアを教えてもらうこととなった。時に1970年秋 から冬にかけてのことである。
翌1971年春、サンディエゴの高校生たちに音楽を親しんでもらうべくシンセを作ってほしいと頼まれた彼は Black Mariah(ブラック・マライア)という名のプロトタイプをでっち上げ大学の購買部へ披露、あわよくば雇っ てもらえないかともくろむも、出来のひどさにカリフォルニア工科大の学生寮にて窓から外へ投げ捨て廃棄さる!!!
同年夏、めげずに大学を卒業した彼は仲間や3人の大学生と共同生活を開始。その家の表にかかっていた文言とは、
「Starships and Synthesizers, since 1984 (宇宙船とシンセサイザー 1984年設立)」
 ......1984 年設立って、このときまだ1971年ちごたっけ?
そこで彼らはARP 2600のエッセンスをパクった(本人談)シンセ、その名もEμ 25(イーミュー25)を制作。 その機種名は、もちろん電子工学がお好きならお分かりであろう、電子を意味するelectronの頭文字と、μ(ミュ ー)すなわち電気の単位でありマイクロの意味も持つギリシャ文字とを組み合せてEμ。
そして実はEμ 25とは、なんのことはない愛用してたドラッグの名前だったのである。
これが、イーミューの名が歴史に登場した最初であった。一発キメられる音色、いいね(!?)。
2台作るも、1台は個人宅で使われ行方不明に。もう1台は1970年代にサンフランシスコのコンセプチュアルア ート美術館の展示にての目撃を最後に、行方不明に。ひょっとしてまた窓から投げ捨てられたのであろうか?
そして、その暑い夏が終わると3人の学生たちはカリフォルニア工科大へと帰り、残ったデイヴ・ロッサムは高 校時代の旧友スコット・ウェッジと再会。自身のガールフレンドと合わせて3人でEμ SYSTEMSを立ち上げた。 Eμ SYSTEMSの名を使うことは、3人の学生たちからも同意を得てあった。そしてEμは性懲りもなく次世代モジュ ラーシンセEμ Modularの開発に着手する。
しかしのっけからモジュラーの開発に着手したのにはわけがあった。天才デイヴ・ロッサムは、MOOGやARPよ りも優れた回路にたどり着いていたのである。揺るぎなきこと山の如く安定せるVCO、実にクリーミィな効き具合 が味わい深いVCF、これはほかのどのメーカーにもないEμだけの秘密兵器であった。
そのEμ Modularの完成とともにEμ SYSTEMSは法的にも会社となった。時にEμ創業から1年ほどたった後の 1972年11月27日。日本でいえばローランドの創業から半年ちょい後くらい。
当初「Eμ」と表記していたが、1979年になって実はカリフォルニア州法により登記にはローマ字しか許されない ことが分かりE-MUと英語表記へ変えた経緯もある。かくしてE-mu Modularは1980年代初頭まで生産され続け、 モジュラー界における個性派な名機となった。
あんまし儲けを考えずただただ楽しいことをやっているだけなのに何故か連戦連勝してしまうE-MU SYSTEMS の快進撃、ここに始まる!
♬     ♬     ♬
「いきなりデジタル」
ビンテージ・アナログシンセ時代においてデジタルに強いどころかデジタルの天才デイヴ・ロッサム、E-MUが会社になってから初めて開発したるはデジタルスキャニング・キーボード4050。
これは鍵盤楽器ではなく、それに使われるためのキーボード部品。打鍵状況をデジタル論理回路でスキャンする ことで、最大10音ポリの演奏が可能。
「だぁってMOOGが低音優先とかARPは違うんだとか皆あーだこーだ言うけどさぁ、つまり皆さんポリフォニック で演奏したいんだろ?」
E-mu Modularを作っていたデイヴ・ロッサムはそう実感し、E-mu Modular用に4050キーボードを開発。こ れにより彼は後世「ポリシンセの父」と呼ばれることとなった。縁の下の力持ち初号機、見参!
そのデジタルスキャニング・キーボード4050のプロトタイプを開発中だった1974年9月、デイヴ・ロッサムは AESショウにてトム・オーバーハイムと出会う。天才同士たちまちにして親友となりお互いアイディアを披露し合っているうちに、トム・オーバーハイムいわく彼が作ったフェイズシフターに問題があるとのこと。聞けば3080トランスコンダクタンス・アンプを使えば解決できるはずなのだが、実際どうすればいいのか分からんのだと。 それを聞いた天才デイヴ・ロッサム、やにわに傍らにあった紙ナプキンにさらさらっと回路図を描き、
 「こうしたら良いよ」
紙ナプキンに描かれた回路図をじぃっと凝視するトム・オーバーハイム、
「なにこれ、たった今あんたが発明したってぇの?」 「そう」 「この回路、特許取れるんじゃねぇの?」 「絶対に特許取れるね」 「連名で特許取って権利を2人でシェアするってぇの、どう?」 「グレイト・アイディア!」
さらにトム・オーバーハイムはE-MUを訪問、4050キーボードのプロトタイプを目の当たりに。
「これも、特許もんなんじゃねぇの?」
トム・オーバーハイムはぜひこれを自分の製品に使わせてくれとデイヴ・ロッサムに要望。かくしてOBERHEIM は E-MUからデジタルスキャニング・キーボードを提供してもらい、それを自前のSEM音源モジュールと組み合わせることで2 Voice、4 Voice、8 Voiceといった黎明期のポリシンセ名機たちを実現。それらはクロスオーヴァー を初めとするさまざまなジャンルにて使われ大ヒット作となった。
かくの如くして他社からライセンス料をもらうことでE-MUは潤うこととなったのである。
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「影の支配者ビジネスモデル」
1976年7月になるとZILOG(ザイログ)が8ビットCPUの名機Z80をリリース。人気者CPUの登場は電子工学における画期的なメルクマールとなった。
同じころデイヴ・ロッサムはもう一人のエンジニアとともに二人でシンセ用ICを設計。これらはVCO、VCF、 VCA、EGなどを個別にチップ化したものでSSMが生産することとなった。銘石となったSSMによるICチップの誕生である。
翌1977年、Z80の恩恵を受けたE-MU新型デジタルスキャニング・キーボード4060を開発。従来よりもさらに 多い16音ポリを実現、さらに6,000音のデジタルシーケンサーまで内蔵。
・CPU Z80 ・SSMの音源IC ・デジタルスキャニング・キーボード4060
さぁ役者はそろった。後は指揮者とヒット商品ならではの数をさばける量産設備とを待つだけ。
そしてその指揮者とは、SEQUENTIALのデイヴことデイヴ・スミス。デイヴ・スミスは、だが当初「こんだけ材 料がそろってんだから絶対ボク以外の誰でも思いつくはず」ってんで何もせず。でも半年放置プレイしても誰も何 も動かないのを見て、なら自分で、と史上初のプログラマブル・ポリシンセ開発に着手。そしてそれを横で眺めな がらあーだこーだアドバイスしていたのが、なんとここにもデイヴ・ロッサムその人だったのである。
デイヴ・ロッサムは全体制御とアナログ回路の設計を、デイヴ・スミスはユーザーインターフェイス設計とエデ ィット機能の開発を担当、半年間突貫工事。デイヴ・ロッサムが開発にかかわったSSMチップとデイヴ・ロッサム が開発した4060型デジタルスキャニング・キーボードとデイヴ・ロッサムからさまざまにあーだこーだアドバイス もらってデイヴ・スミスはProphet-5という機種へとまとめあげた。
材料がそろっていながらデイヴ・ロッサムがリリースしなかったのは、絶対に売れると確信するもそれに見合う大量生産設備を準備できなかったからとも言われる。彼はあくまで影に潜み、影で電子楽器世界を牛耳ってはピースサインする、機動力に富んだ謎のテクノロジカル小僧だったのである。果たして1978年、無名の新参者SEQUENTIALから彗星の如く現れたるProphet-5、世界を震撼せしめたるその武勇伝は、もう読者お歴々の皆さまご存じの通り。
そしてE-MUには尚一層どんどんロイヤリティが入ることとなった。
笑いが止まらない天才デイヴ・ロッサム、相前後してロジャー・リン初号機PCMリズムマシンLM-1のバグ出しとデザインレビューも実施。デジタルを熟知しているがためにサンプリングも楽勝で理解。LINNのリズムマシンは マイケル・ジャクソン『スリラー』をはじめ80'sポップスにてめったやたらとアイコニックに聴かれ、ここでも歴史的名機を支えるデイヴ・ロッサムは影の功労者として快進撃!
1979年いよいよ法人にするというのでコインを投げたところ、負けた共同創業者スコット・ウェッジが社長とな り、勝ったデイヴ・ロッサムは副社長兼チーフエンジニアとなった。
彼が設計にたずさわったSSMチップはその後も多くのシンセに採用され、例えばKORG PolysixがProphet-5と 同じ音がするなどと言われたのもVCFとしてSSMフィルターを搭載していたからにほかならない。単純な音であれ ばそこはかとなく似るので、PolysixはプアマンズProphetなどとも言われる。
無論やぼなサツみたいなこと言ってしまうなら 
・フィルター SSM 2044:Polysix SSM 2040:prophet-5
・オシレーター VCO1基+サブオシ:Polysix VCO2基+ポリモジュレーション:prophet-5
当然ちょっとでも込み入ったことをすれば音は違う。逆にその伝で言うならKORG Mono/Polyも同じSSMの系 譜。いずれにせよSSMは良い音がするICの銘柄であった。
かくのごとくSSMチップもバカ売れし、他社からデジタルスキャニングキーボードのライセンス料をいただき、 影の帝王デイヴ・ロッサムは安定のニコニコ経営。「ボクこそが真の勝者♬」と安泰に思っていた。
事実、E-MUが作っていた商品はたった1機種だけ、E-mu Modularのみ。それも総数100とか150セットとか言 われる。派手派手しい宣伝広告もマーケティングもしなかったから、ただ口コミで広がるのみ。本人たちもそれく らい秘匿されているほうがお気楽だったらしい。それゆえ収入の多くはコンサルやライセンス料だったのである。
ことほど左様にE-MUはメーカーとしてはちっぽけな存在であり、それでいて電子楽器のすべてを支えるインフラ を築き上げてきたという、表舞台ではほとんど知られていなくとも水面下では巨人アトラスが全世界を支えるが如 き影のメーカーだったのである。
それでもなお商売になるというのは、すなわちスポットを浴びて話題となるスーパー人気シンセや「なんちゃらテクノロジー」みたいなセンセーショナルな応用技術だけでなく、地味な基礎技術にも理解が深くてちゃんと対価を支払うアメリカの懐の深さを物語るものであろう。
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「ビジネスモデル破綻」
ところで1980年代に入ると軽薄短小デジタル時代になり、唯一の商品たる重厚長大アナログモジュラー売れず。 さりとてデジタルシンセシスを開発するも、いまいち良い音せず。さすがに唯一の商品の売れ行きが傾くのはゆゆしき問題。ならばアナログシンセをデジタルで制御しよう!と思いついて開発をはじめたのが、幻の名機Audity。
既にProphet-5の開発を経験済み、それは言わばAudityの赤ちゃん版。Audityはその3倍から4倍も大規模かつ 複雑なアーキテクチャーであり、CPUも高度に進化したもの���採用。なんせ今までE-mu Modularは、天才がこだ わりまくって凝り倒して作ったわけで。それに取って代わる次世代の看板商品にふさわしく、これまたこだわりま くりの単体アナログシンセとしてAudityを作らんとしていた。して、その莫大な開発費用にはデジタルスキャニン グ・キーボードのロイヤリティを当て込んでいた。
しかしSSMの歩留まりの悪さにSEQUENTIALはProphet-5の設計を全面改訂。すべて音源チップをCURTISの ICへと置き換えた。ほかCURTISのICを採用していたメーカーにはOBERHEIMやROLANDなどがあり、 SEQUENTIALと言えどさすがに音色も以前とはまるで違うものとなった。これがProphet-5 Rev3の誕生である。 そしてそれでもってSEQUENTIALはもはやRev3を別機種とみなし、デジタルスキャニング・キーボードのライセ ンス料を支払停止してしまったのである。
E-MUにしてみれば看板商品の売上に日影がさしてきたところへ、虎の子の収入源が強制終了、そのせいで次の看 板商品も作れない。思わぬ八方塞がりに慌てたデイヴ・ロッサム、対SEQUENTIAL訴訟のことは社長スコット・ウ ェッジに託し、ぱぱっと作れてなおかつ革命的なネタを求めて1980年5月AESショウへ。そこでFAIRLIGHT CMI を見て天才ひらめく。デジタルシンセを作るのは時期尚早だが、デジタルサンプラーを作るのは簡単! CMIみた いな音楽コンピューターでなく単体サンプリングキーボードを作ればいい! なんせ先述の通りロジャー・リンの LM-1も手伝っていたからサンプリングも楽勝理解済。
CMIは1,200万円もしたのだが、サンプラーというよりコンピューター・ベースの統合ワークステーションだった のだから無理もない。このため当然ながらマルチパート音源を搭載し、それゆえボイスごとにCPUからメモリーか らDAコンバーターに至るまで一切合切を装備するも、そんなものデイヴ・ロッサムに言わせれば「ばかじゃねー の、マルチティンバーなんかよりもシンプルにポリフォニックで鳴るサンプリングキーボードのほうが絶対に売れ るに決まってる。冗長性を排し、CPUはZ80を1つだけ、メモリーも1つだけにして全ボイスで共有させたら安価 にできる」
果たしてコストダウン成功。Audity用に開発したディスクOSベースの楽器とする仕様も流用。最初に彼がサンプ リングしたのはエジソンが蓄音機を発明したときの故事にならって自分の妻が歌った「メリーさんのひつじ」(Mary had a little lamb)、しかも途中で1単語だけルー プさせてみたら「Mary had a little, little, little lamb」となってミクロ羊が誕生。その次は妻が居ないときを見計らって開発室の隣にあるトイレでサンプリング、再生してみたら人類最大の膀胱を持った男のような音。
して、その仮称「サンプラー」を開発中、メンバーの一人が「いい機種名を思いついた」ってんで「Emulator」。当時で言うイーミュレーター。今で言うエミュレータ。すなわち模倣者、競合者、ライバル、そんな感じで名付けることに。
かくして史上初のサンプリングキーボード1万ドルにてEmulator、E-MUからついに爆誕! そしてもはやE- MUは影の功労者ではなく、やにわに表舞台に躍り出て売れっ子メーカーとなったのである!
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「インフラからインフラへ飛び移るとき」
初代 Emulator は大ヒット作となった。1981年発売、8ビット/27kHzサンプリング、RAM 128KB、8音ポリ版と4音ポリ版とがあり、ループはできるがエンベロープすらない。
それでもまだYAMAHA DX7が出る前だった当時、一足先にデジタルを標榜したのはサンプラーたちであった。サ ンプラーという名称すら普及せず、サンプリングキーボードとかサンプリングマシンとか言われた。そしてまだデ ジタルシンセが無いままに、デジタルサンプラーとアナログシンセが入り乱れて織りなすのが当時のテクノポップ の特徴。YMOですらデジタルシンセ以前だったのであり、ついぞDX7を使うこともなければMIDIも無い代わりにで かいアナログモジュラーをライブに使っているイメージまで演出していた古典芸能なわけですよ。
しかもサンプラーは「模倣する楽器」という、それまでに存在しえなかった異次元楽器、ミュータントであっ た。それゆえ、著作権を侵害しているのか否かというぎりぎりきわきわの議論やモロどんぴしゃな裁判すらをも踏 み越え、あらゆる森羅万象サウンドをもとの文脈から切り離しあらたな文脈の中にコラージュするという、脱構築 と再構築のための社会学的記号学的なツールという意味合いすら帯び、コピーとオリジナルへの哲学的考察すらはらむ、ソシュールも天を仰ぐが如きスリリングな知的玩具としてポップカルチャーはもちろんシリアスなアカデミ ズムにおいても話題となり、あまたの論文に登場した。
サンプルライブラリー市場もまた人類が初めて経験するマーケット。今で言うコンテンツビジネスの誕生である。ただ、本当に電子楽器業界へコンテンツビジネスが広範囲に到来するのは、これもまた民生機レベルで実現し たDX7の出現まで待たねばならない。そして評判だったEmulator用サンプルライブラリーのみならず、DX7用の坂本龍一ROMや向谷実ROM、生福ROMといったシグネチャーパッチに夢中になった人たちは、言ってみれば今日の Spliceユーザーの先駆者みたいなもの。
すなわち音色を作るセンスから選ぶセンスへと時代は変わったわけで、どっちも個性を出す創造性であるに違い はなく、プロがキュレートしたネタを目利きなアーティストが選ぶことで作品となす点ではAIが提案するものを選択する未来人類の先駆けなのであろう。
長らく土木工事屋さんの如くインフラを作り続けてきたE-MU。それを支えた次なるインフラこそが、これら良質 なサンプルライブラリーによる多種多様な未来コンテンツビジネスなのであった。コンテンツが楽器の次世代イン フラとなり、コンテンツが経営を支えることを、デイヴ・ロッサムは発見したのである。
しかし同時にデイヴ・ロッサムは自分たちがもはや小さなやんちゃ坊主ではなくなったことを思い知る。かつて 工科大の寮の部屋がE-MUだった時代以来、カウンターカルチャーによってドライブされ遊撃活動を繰り広げる愉快 なパルチザンみたいなもののはずが、いつのまにやら成功して大きな企業となり、ついには弁護士まで雇って SEQUENTIALとロイヤリティめぐって争う。
何よりも世の中が進化し、作るものも難解になった。Emulatorは、画期的なサンプリングデバイスでありさえす ればよかった。Emulator IIは、画期的なサンプリング楽器でなければならなかった。それゆえ Emulator II の開発は難航し、先にEmulatorが生産完了になってしまったあともEmulator IIは難産で発売できず、売れるものを失った E-MUは従業員をレイオフせねばならず、会社は今までの天真爛漫さを失うことになった。
音源モジュール版も無かった。MIDI以前からの古い設計思想がアダになり、あくまで楽器を作ることが開発の前 提になっていた。デイヴ・ロッサムにとって音源モジュールは楽器ではない。E-mu Modularと言えどデジタルスキャニング・キーボードを添えて楽器としていたE-MU。よってEmulator IIから鍵盤を省いても、大してコストダ ウンできない。音源モジュールを作るためには別途それに合わせた回路なりを設計しなければならない。そこまで 開発にコストをかけてまでしてモジュール版が売れるという自信もない。痛快だったはずのE-MU、だがいつのまに やら大人になっていたのだ。
悪戦苦闘の末ようやく1984年に生まれたEmulator IIは再びのE-MUヒット商品となり、もはや「イーミュレー ター」の名はサンプラーの代名詞にすらなった。特徴的なその音はFAIRLIGHTとともにひとたび分かればそこらじ ゅうで聴けてびっくりする。エンベロープはもちろん、マルチサンプリングというアイディアもこのときに初めて考案され、E-MUはサンプラーの標準機どころかメルセデスみたいに業界に君臨することとなった。だいたいマルチサンプリングなんて今では当たり前過ぎて誰も問わないけど、当たり前のものが無かったところから思いついたなんて、やっぱゼロから1を生み出す、独創性あふれる天才ですね。
さらにE-MUから出たのはPCMリズムマシンDrumulator。翌年その後継機種としてサンプリング機能も追加し たSP-12、そして3年後サンプリングメモリーを拡大したSP-1200は、AKAI PROFESSIONAL MPC60に先立ち 新しいジャンルたるヒップホップを切り拓いたレジェンドとなった。短かったサンプリングタイムを稼ぐべくヒッ プホッププロデューサーたちが33回転バイナルを45回転にして再生、それをサンプリング後にピッチを下げることで元の音程と長さに戻すと音質が荒れるのだが、それがかえってローファイな味となったことはあまりにも有名。 そのダーティなサウンドがグルーブ界の記号となったため、あとからMPC が出たときなぞ音質が良すぎて線が細い というのでわざわざ汚して太くするテクが流行したこともまた���名。
だが翌1985年、同じアメリカのENSONIQから出たるは、価格破壊サンプラーMirage。1万ドルもした Emulatorに比べ、たった1,600ドルでMirageはローンチ。61鍵版のほかに音源モジュール版まである。しかも価格破壊のみならず凶悪なまでにひどい音質こそ驚愕であったが、それでもミュージシャンにとっては全く問題なかった。ここまで音が変わってしまうと元がなんだったのかわからんとか、もはやこれは音を加工するシンセであるなどとギャグ・ネタにされようが、もろともせずにパンキッシュに売れまくるMirage。こだわりのE-MUは、だがそれゆえオーバークオリティだったのであり、どん底スペックのはずが軽快に営業成績かっとばして赤丸急上昇する番 狂わせチャレンジャーENSONIQは、だがそれゆえ正統派のAKAI PROFESSIONALなんかよりもずっと深くE-MU にとって考えさせられる商売敵となった。自由な発想が売りのアメリカ人のライバルは、同じく自由なアメリカ人であった。
影の功労者から一転、表舞台に立つ大手電子楽器メーカーとなったE-MU、その看板商品を育て守る戦いがここに 始まる。
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「私が愛したノンリアルタイム演算、皆が愛したEmax」
ダークホースとして姿を現した中型高速打撃空母ENSONIQ Mirage。これを迎撃し、最初から音源モジュールも考えて対決する。その回答として出したのがE-MU初の「廉価版」サンプラーEmax(イーマックス)。お値段は2,995ドルということはDX7 とかと同じ感覚、メルセデスのA Class みたいなもん? 1つしか売るものが無かったガリバー商品依存型モノカ ルチャーとも言うのであろうかE-MUにとって、2つめの柱となった名機シリーズの始まりである。
Emaxを設計するにあたり、かつてのSSMチップ開発の経験をもとにデイヴ・ロッサムは初めて独自チップを開 発。結果できあがったE-ChipはデジタルオシレーターにProphet-5のSSMのフィルターとアンプとを加えて全部ひ とまとめにしたようなものであった。またストレージをEmulator IIの5インチ・フロッピーディスクからEmaxでは 3.5インチへと変えるにあたり、Emulator IIを開発しているときに編み出していた12ビットデータを8ビットにまで 圧縮保存するメソッドを移植。3.5インチ・フロッピー720KBの中に鬼のようにサンプルを保存できるようになっ た。
ポップなカラーリングとテンキーすらもが斜めってるおちゃめな外観はMax Yoshimotoなるデザイナーの手にな るもの。もちろん音源モジュール版も最初からあり、しかもそいつまで同じデザイン、テンキーも斜めの音源モジ ュールなんてEmaxくらいなもの♬
E-MU 謹製ライブラリーに支えられた「廉価版」ともなるとやはり魅力。圧縮保存して多少音がローファイに荒 れようが、アナログのVCF/VCAの効き具合はやはりSSMゆずりっぽさもあって独特なキャラが楽しい。宣伝で「2 音色レイヤーしても発音数が減りません!」とかって魔法みたいに言ってたがなんのことはない、1ボイスあたり オシレーターが2基あるだけのこと(笑)。そして前編冒頭にかかげたみょーな説明がついているBird Runという 機能。文字通り LCD の中をエミューが走り回るだけなのだが、実は自己診断機能であった。
Emaxには後追いでEmax SEという機能追加版があった。SEとはSynthesis Enhanced、フロッピーでバージョ ンアップ。これには24サイン波倍音加算合成による24ステップ・ウェーブテーブル自作機能ことSpectrum Synthesisと、もう一つTransform Multiplication Synthesis、とらんすふぉーむまるちぷりけいしょんしんせし す、あまりにも名前が難解すぎてアメリカ人ですら噛み噛み、こっちから発音してさしあげたら早口で復唱してき たのちに「thank you」と言われてしまう壮絶なシンセシス機能が追加搭載された。後者は恐らく2つのサンプル をフーリエ解析し、共通の周波数を持った倍音を抽出し、それらの振幅を乗算させたのちリシンセシスしているも のと思われる。結果例えばバイオリンが言葉をしゃべったりするが、多くの場合予測不可能。強烈な金属倍音が激 しく流出したりして、たいへんな結果に陥ることも多い。
しかも演算がノンリアルタイムであるばかりか、しばしば演算に半時間以上もかかる! 最大40分くらいかかるらしい。なんでもスパコンに相当する演算を32ビットCPUと8ビットコプロとちーちゃなメモリーでやりくりしな がら実行しているかららしいが、とにかく「Synthesize!」とノーテンキなメッセージに促されるままに実行キー を押すやいなや「○○分お待ちください」などとLCDに出てきた日には失神しそうになる。既になりふりかまわず Emax SEは演算に没頭。どえらい波形レンダリングをしている間なんぴとたりとも止められない。英文取説では 「ま、ちょっと休憩でもどうぞ」なんてぐあいに開き直っている! おまけに最低 32KBのRAM領域が必要とか で、これを割り込むと「足りん! サンプル減らせ!」と怒られる。キロバイトでも貴重なリソース。
これら強力シンセシスを駆使して作成した音は、サンプル同様2基のオシレーターにアサインすることでレイヤ ーできる。サンプルとのレイヤーも可能。そしてこれらは実は現場のエンジニアが仕事の合間に自主的にちゃちゃ っと開発したスカンクワークであった。だから結局おちゃめで楽しい!
EmaxにはSE版のほかに40MBのハードディスクを搭載したEmax HDなどがあり、当時のデペッシュ・モードが メンバーのうち3人がおのおのEmax HDのみ1台ずつをセッティングして弾き、さらにカスタムメイドのパーカッ ションパッドでEmax HDを鳴らし、あとは何にも無いという、いかに80'sテクノにふさわしくすっきりシンプルで ハイテクなステージを披露。ライブ映像作品『101』で勇姿が拝める。
天才デイヴ・ロッサムにとってはどうもEmaxは物足りないらしいのだが、それでもこの価格帯はEmax II、ESI- 32、ESI-4000、ESI-2000、E64、E6400というふうにずーっと引き継がれて最後まで新製品が投入されること となった。
このうちEmax IIは、実は中身ほとんど三IIIことEIIIことEmulator IIIなのだが、Emaxのハコに入ってしまったが ために過小評価されてしまったちょっとかわいそうな機種でもあった。にもかかわらずEmax初代と2代目とで合わ せて9年間も売れ続けたというのは電子楽器の世界ではロングセラー。思い出深く振り返るユーザーも実は全地球的に多い。またESI-32からは2U音源モジュールのみとなり、時代にもマッチしたばかりでなく2Uは運びやすいサ イズでもあったので合理的であった。3Uって重くてでかくて現場へ運ぶのつらいよね。4U以上はもう無理。
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「黄金時代」
この後、1990年代にかけてE-MUは数世代にわたり独自チップを開発、それらをもとに数々の名機を送り出す。 今なおアナログフィルターが懐古的人気を呼ぶEIII(Emulator III)、それをデジタル化した新世代EIIIXP、最後の 巨星EIV(Emulator IV)に至るまで、E-MUはAKAI PROFESSIONALと双璧をなす大規模ハードウェアサンプラ ーの名門となった。そのあとはソフトウェアサンプラーEmulator Xを出すことで、当時台頭していたNEMESYS Giga Samplerの好敵手にもなっている。
またコンテンツビジネスを応用、潤沢なサウンドライブラリーからエッセンスを凝縮させた比較的に安価かつコ ンパクトな1Uラックサイズ廉価版シンセ音源モジュールをたくさん出した。具体的にはProteusシリーズ、 VintageKeyシリーズ、Morpheusなる変態フィルター搭載シンセ音源モジュール、OrbitやMo’Phattなどとい ったジャンル別シリーズなどなど。これが同じPCMシンセかと思うくらい太くて明るい舶来サウンドに魅了された 日本のユーザーも多い。さらにはそれらをベースにしたグルーブボックスのXL-7、MP-7、PK-7なるコマンドステ ーション・シリーズもあり、E-MUはかつてなく多くの機種かつ多彩なラインナップを売り出す人気楽器メーカーと なった。これらはすべて、名だたるE-MUサウンドが欲しい少年少女たちへの福音だったのであり、みなぎるコンテ ンツパワーに立脚した1990年代こだわりのステータスシンボルたちでもあった。やはり、楽器は音である。
EIVはE-MU最後の名機かつ集大成と言ってよく、1990年代から2000年代にかけてAKAI PROFESSIONALへの オルタナとしてプロの定番であった。シリーズ大半が3Uラック・モジュール。128音ポリ。後から76鍵のキーボー ド版も出たなんて覚えてる? 鍵盤のそばにさりげなく“EMULATOR”って書いてあったよね? EOS(Emulator OS)なる独自OSで駆動されアイコンを多用したユーザーインターフェースは、もはやサンプリング専用コンピュ ーターのよう。前述のMorpheusでお披露目された変態フィルターことZ-Planeフィルターも搭載。これはZ平面 の名の通りスペアナ上で3次元的に周波数特性が変化する多彩なデジタルフィルターであり、これを知ってしまう と普通のLPF/BPF/BRF/HPFといったものが凡庸に思えて仕方がない。
最後の大物にふさわしくEIVには派生機種もあり、プリセット音色を充実させたE-Synthや、もはや外観だけが同 じで中身は派生とは言えないハードディスク���コーダーDarwinなどある。また前述のE64、そしてE6400は同時発 音数を半分の64音にとどめた廉価版であった。
そして時はAKAI PROFESSIOANL S6000やYAMAHA A5000といった末期的な巨大恐竜のように肥大化したハ ードウェア・サンプラーのファイナルステージでもあった。そして時代の要請により、それらはすべて音源モジュ ールであった。それら最終進化型サンプラーの世において、その最後に登場した哺乳類型爬虫類の如きミュータン トが新時代の朝を告げる6音ポリ・マシンROLAND VP-9000でありVarPhrase技術だったとも言えよう。
ラインナップの大半が音源モジュールという珍しい楽器メーカーE-MU。豊かなコンテンツパワーの果実たち。そ れでもデイヴ・ロッサムは「楽器」を作りたいという思いからキーボードへの夢が忘れられず、かつて SEQUENTIAL Prophet-T8などの鍵盤も製造したPRATT READから鍵盤製造マシンを手に入れたり、今ではスマ ホやタブレットに使われている静電容量センサーをキーボードに応用し、厳密にベロシティや鍵盤の沈み込み位置 を計測しつつも安い価格で鍵盤楽器を商品化できないか追究。しかし極上のキータッチを備えた絶品かつ安価なキ ーボード・コントローラーという彼の夢は、1990年代のうちに消えたのであった。
そして八面六臂の活躍をした彼の会社もまた SoundBlasterを作ったシンガポールのCREATIVEに吸収され、E- MUの名は今はなぜかヘッドフォン2機種に付与されているのみ。だが実は買収後のデイヴ・ロッサムはCREATIVE 自身の機種開発に忙殺されていたらしい。そしてその後、彼は表舞台から姿を消した。
MIDIは電子楽器を役割別に要素分解し、おのおのの目的に特化したコンポーネントへと分化せしめた。結果、キ ーボードやドラムパッドのようなコントローラーも出れば、音源モジュールも誕生。そしてEIVのような音源モジュ ールは、DAWプラグインとなってパソコンに吸収される時が来た。
それでもなお楽器が生き残るためには、精緻なDAWとは違う道を、つまりソフトウェアに最適なハードウェアを身にまとう道を、フィジカルな躍動感と人間の出番の多さとを楽器に求めることになった。AKAI PROFESSIONAL MPCはそうやって成功を積み重ねた今日的なサンプラーであり、ENSONIQ ASR-Xはあまりにも惜しい対抗馬、 BOSS SP-202 Dr. Sampleはうまく下をくぐって庶民の味方SP-404シリーズに至る血統の開祖となる。
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「総括と旅立ち」
E-MUとは、なんだったのであろう。
世界の創造神MOOGとARP。 それら創造神を倒した英雄OBERHEIMとSEQUENTIAL。
ポリシンセの盟主であるとともにネットワークの先駆者だったOBERHEIMとSEQUENTIAL。パラレルかシリア ルかの違いこそあれ、この2社は楽器をネットワークでつなげたのであり、そのノードにわくわくするポリシンセ の名機たちを置いた。
そのポリシンセを支える技術インフラを構築したE-MU。OBERHEIMとSEQUENTIALが安価な日本勢とのハー ドウェア競争に破れて倒産したときも、E-MUだけはコンテンツパワーでもって生き延びたのであった。ハードウェ アによるインフラからソフトウェアによるインフラへと時代に合わせて飛び移ったアタマの柔らかい天才E-MU。か くしてE-MUは価格競争に巻き込まれること無く、高いプロファイルでもって付加価値をつけ長く電子楽器業界のプ ロフェッショナルとして君臨。してその最後は日本勢に敗北するのではなく、コンピューターという究極のコンテンツ端末によって静かに吸収されることとなった。楽器であることにこだわったデイヴ・ロッサムの姿がステージから消えたとき、それは楽器の難しさを示すものとなった。
すっかりDAW時代になった2016年、突如としてデイヴ・ロッサムはE-MUとは違うところからカムバック宣言。 ROSSUM ELECTRO-MUSICを名乗り、以来、今日に至るまで強烈にヲタな仕様のユーロラックモジュールをたくさん送り出している。
やり過ぎ感たまらん3次元Z-Plane FilterモジュールことMorpheusは、前���のEIVなどに搭載されたものをさら にやり過ぎにした満腹フィルター。やり過ぎ感たまらん8chサンプラーモジュールAssimili8or。複雑怪奇なCVジ ェネレーターControl Forgeなどなど、もはや鬼才とも言えるデジタルモジュールたちが綺羅星のごとく舞い踊る はさすがデイヴ・ロッサム。
一方で自身が発明した最愛まろやかアナログフィルターことE-mu Modularから2100 LPF Module、それを元に 開発したラダー型VCFモジュールEvolution、0.1Hz~25kHzまで安定したレゾナンスが得られるのだというこれも また鬼っぷり。これらはさしずめ21世紀版E-mu Modularとも言うべきものであろう。
同社からはサンプリング・リズムマシンの名機SP-1200もリバイバル、なんとプレミアム価格4,000ドルにて再 登場。さらに2020年からはSP-1200 35th Anniversary Renovationとして驚天動地7,500ドルで販売中。
どうがんばっても75万円以上するサンプリング・リズムマシンをポチりたい勇者は、こちら。
https://shop.rossum-electro.com/products/sp-1200-35th-anniversary-renovation
そして実は新生SEQUENTIALのサンプリングシンセProphet-Xにも、デイヴ・ロッサムが設計したVCFが搭載 される。かつてVCFの銘機とうたわれKORG Polysix に採用された SSM 2044、その復刻改良版SSI 2144。どち らのIC開発にも噛んでいるはここにもやはりデイヴ・ロッサム。二人のデイヴの合作Prophet Xでは、そのSSI 2144でサンプルを加工できるので試していただきたい。同じフィルターICはUDO Super-6にも搭載され、やはり天才デイヴ・ロッサムは再びの影の功労者として、影に潜み、影で暗躍する謎のテクノロジカル小僧に戻った部分 もあるのかもしれない。
デイヴ・ロッサムには電子楽器の基礎技術開発に軸足を置いた前半と、コンテンツでもってビジネスをけん引するモデルとなった後半とがあった。そして両者に共通するのはインフラへの理解。 昨今、とかくコスト重視、大学ですら経済効率、科学誌『Nature』ですらセンセーショナルな話題性を求められすぎて、功に焦ってしまったのがちょっと前にあったほにゃらら細胞事件の深層。それくらいちょっち前の話だけどオバマも言ってたよね、 「不景気な今だからこそ将来への先行投資として、応用研究ではなく基礎研究への予算を倍増する」 って。何でもかんでも分かりやすくてセンセーショナルな話題ばっか探し求めない、地道な基礎技術への理解、さすがです。山というものは裾野が広いからこそ高く成長できるわけで、厚い基礎技術の底力、これ大事。
そしてその影の革命家として天才遊撃隊長デイヴ・ロッサムが夢想するもの。それはツウな逸品やツウなテクノ ロジーを音の宇宙に送り出すこと、電子楽器のツウなる仕出し屋さんとなることなのか。 次回はその彼をして驚かしめたもう一つのメーカー、そう、E-MUとくりゃもう一つのEについても語らないとね。
(2022年8月1日Sound&Recording公式サイト初出)
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mougen-nikki · 1 year
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22年振り返り
1月 誕生日に卒論を提出。ひなと「春原さんのうた」鑑賞。自身初のTRPGキャラ瀬川理さんをリリース、「悪霊の家」を通過。まお、はるかさんと三菱一号美術館で「印象派・光の系譜」を観る。「少女革命ウテナ」を一気見した。はるかさんとこうきがポコと面会。ポーランドの朝ごはんを食べに行き後方彼氏面。ももち、ぴよ、孫文さんとオンラインお絵描きバトルをした。2人目のTRPGキャラ、妄言ヶ原墓都で「カタシロ」を通過。IVEにハマり、ガウロンニのパートの少なさに憤る。
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2月 ポラ科旅行で初の富山。バレンタインフェアで1万円ほどチョコを買い込む。2winkバレンタイン曲が最高で涙した。大学生テンプレドライブ(アカオハーブ&ローズガーデン→さわやか→三島スカイウォーク)に行く。ムルSSRは引けず。3人目のTRPGキャラ、磯貝愛海ちゃんで「まつりの街」を通過。
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3月 「フレンチ・ディスパッチ」鑑賞。すみちゃんとハリポタ展。ポラ科ディズニー。軽井沢でポラ科合宿、テニス部発足。帰りに「あんさんぶるスターズ!!ーRoad to Show!!」を観て圧倒される。部活の同期と香川旅行。「THE BATMAN」を2回鑑賞、ブルース坊っちゃまとパティンソンへの想いが溢れてネトフリでドラマGOTHAMを観始める。卒論が学部賞をもらった。「14歳の栞」を観てまともな大人でいることを決意。こうきと上野の「宝石 地球がうみだすキセキ」に行く。ネイルサロンデビュー。卒業式にジャーファルさん色の袴とネイルで行くことにしていたら当日朝に何故かマギのミュージカル化が報じられる。ぴよと「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観てミルクシェイクを飲む。もつ鍋会、こうき見送り。31日にようやく勤務地が判明。
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4月 入社式で配属部署を知る。1ヶ月在宅オンライン研修。簿記を始める。ひなたくんとみかのイースターシャッフルで慌てる。カムカムエブリバディが完結しスタンディングオベーション。ゴールデンカムイも完結し山猫の死のことを考え続ける。初任給で家族にご飯を奢る。おもしれ〜男ことTさんとの出会い。
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5月 4人目のTRPGキャラ、アメリア・アニングで「海底散歩と星の唄」を通過。「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」を観てゲラード……テセウス……になる。友人宅で「私ときどきレッサーパンダ」を観て感激。横浜でバラを眺めながらティータイム。GWの配信で刀ミュを観てふ〜んとなる。同期と初めて対面、本社で寿司を食べその後茨城へ旅立つ。真剣乱舞祭宮城公演で大助かりする。
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6月 ミュージカルマギを初観劇。マギと過ごした半生を振り返りしみじみする。ジュダルちゃんの好感度が爆上がりした。 同期のオンニ2人とあしかがフラワーパークに行く。同期のオンニ①とPLAN75を観に行き社会の悪口で盛り上がる。土日に同期とバスケをし、バスケが上手で良かった〜〜と思う。神里綾人欲しさに原神を始める。(G)I-DLEに爆ハマりしてなぜ今まで手を出さなかったのかと大後悔時代。
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7月 5人目のTRPGキャラ、キャサリン・アーンショウ(篠宮塔子)で「お助けくださいまし、お嬢様!!」を通過。「マイ・スモール・ランド」を観て埼玉県の将来を憂う。ひな、まおと「ベイビー・ブローカー」とTWICEの衣装を観る。バスケ部の先輩と「戦争と女の顔」の沼キョントークショー回を観る。部署に配属され上司&先輩と初対面。その直後コロナになり1ヶ月本社に姿を見せなかったため、同期に退職を疑われる。バリチルの内見にも行けず。
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8月 3年ぶりに地元の祭りがあったが久しぶりに行ったら自衛隊のPRが露骨すぎて辟易。一方で中学の友達が立ち上げたよさこいチームがデカくなっており感涙。滋賀へ初出張で京都に前乗り。念願の京セラ美術館で「綺羅めく京の明治美術」を観る。高台寺の夜間拝館でプロジェクションマッピングを見たり、にっかり青江のエピソードを怖がる人々を見て笑顔になったりする。初の野球観戦で東京ドームへ行き、走り回る野球人たちをシャンパングラスを傾けながら観察。久しぶりに家族4人で出かける(木更津アウトレット)。れみかと「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」を観る。20日にバリチルの借家人となる。ポラ科合宿で相模湖へ行き束の間のヴァカンス。「バリチル」という呼び名が誕生。「私は最強」にどハマりする。
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9月 母と母校の文化祭へ行き、妹のクラスメイトにかっこいいと言われ有頂天になる。バリチル入居に向けて家具探しが始まる。「ONE PIECE FILM RED」を観てパペットスンスンPOP UPへ行く。やはりシャンクスは養育費を払っていなかった。2回目の滋賀出張。ワンピース無料公開を読み始める。
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10月 バリチルに引越し。ももちと三日月宗近カクテルを飲む。刀剣乱舞宴奏会のために午後休を取る。レボライで予想外の客降りを浴びる。池袋のお洒落ホテルステイでナイトルーティーン動画とバルミューダの面白さが分かり始める。すえたんとAesop queer libraryに行きFILM REDに関する議論が盛り上がる。ディズニーシーで大人の遊び方をする。3回目の滋賀出張。すえたんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行きガチ中華を食べる。ココスのテニプリコラボに同居人を連れて行き、幸村のスープパスタと阿久津のモンブランパフェを食べた。
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11月 仕事帰りに「秘密の森の、その向こう」を観る。同期との飲みでワインを飲みすぎ有楽町までレスキューに来てもらうが翌週も懲りずに外でワインを飲む。数年ぶりの大学の先輩とインドネシア料理を食べた。ポーランドに旅立つゼミ同期の送別会に参加。会社の同期と木更津に旅行に行き、コストコの会員になる。ポーランド映画祭で「パン・タデウシュ物語」久山先生のトークショー回を観てから外語祭へ向かう。指導教員にはタッチの差で会えず、大雨だったので早々に退散した。先輩からお誘いがあり「バケモノの子」で劇団四季を初観劇。コミティアに行き同人女に差し入れを渡す。みなほさんとヒルトンお台場の刀剣乱舞コラボビュッフェに行き燭台切様から歓迎のドリンクをいただく。
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12月 すみちゃんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行き羊中華を昼呑みをする。出張で浜松、鈴鹿に初めて降り立ち、名古屋で味噌煮込みカツを食べて帰る。初めて高輪ゲートウェイで降りてチェコ料理を食べに行った。RRRを観てインド意欲が高まる。広島出張でほとんど自分の金を使わずに一泊2日する。ゼミ同期の職場でバロックパールを買いすえたんとまお、こうきをエンカさせた。日比谷のクリスマスマーケットに行く。バリチルでクリスマスパーティーを三日三晩弱行う。クリスマス当日にアフタヌーンティーオフ会をする。
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myonbl · 2 months
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2024年3月12日(火)
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近鉄百貨店@あべのハルカス9階の<SPACE9>で開催される<ハルカス寄席>、原則火・木の開催で低料金、可能なら毎回聴きたい番組が多い。後期授業が終わってから1月・2月・3月と、それぞれ1回ずつ通うことができた。今日は3月最後の鑑賞日、京都駅で早めのランチ=かき揚げうどんを頂いて、京都→大阪→天王寺、一部二部を通しで楽しんだ。テレビのお笑い番組など観ることはなくなったが、落語のライブは飽きることがない。反知性主義の現政権に対抗するには、歴史/文化/生活の上に成り立つ大衆芸能としての落語、強い味方になるのだよ。
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5時30分起床。
6時、洗濯。
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朝食。
珈琲。
弁当*3。
可燃ゴミ、30L*2&45L*2。
ヤクルトさんから、野菜ジュース購入。
8時30分、ツレアイ(訪問看護師)は雨の中を自転車で出勤、午前中に訪問2件。
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Mac用の外付けCDドライブ、ダイブ長い間使っていなかったが、久しぶりに繋いでみても反応しない。仕方なく、amazonで新しいものを発注したのが昨晩到着、以前購入した(中古の)<栄光の上方落語>CD10枚を読み込んだ。
今日は<ハルカス寄席>に露の新治師匠の出番、強い雨の中を梅小路京都西駅11時1分の電車、すぐに京都駅着、ホームで早めのランチにうどんを頂き、新快速で大阪、環状線内回りで天王寺、近鉄百貨店に到着する。
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一部・二部通しで2,000円、雨の平日にしては結構な客の入り、十分に楽しませていただいた。
同じルートで帰宅、すぐに今日の簡単なレポートを<まいどおおきに露の新治です>の管理人に送信する。
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ツレアイは午後には帰宅、あれこれ買物。
私が夕飯準備している間に、彼女はココに点滴。
🍶+🍷で慰労会。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第50話「殺意のキャンバス」/ Murder, a Self Portraitシーズン 1, エピソード 50 天才画家マックス・バーシーニは、妻でマネージャーのヴァネッサ、前妻のルイーズ、モデル兼愛人のジュリーと共に生活し、奔放な創作活動をしていた。ある日、ルイーズが心理学者シドニーと暮らすと宣言するが、バーシーニは、ある秘密がシドニーに漏れることを恐れ、ルイーズ殺害を企てる。
片付け、入浴、体重は250g増。
パジャマに着替えて日誌書く。
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なんとか3つのリング完成、あたたかくなるまでは無理しない。
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mitsu-maru · 1 year
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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oyasumi-blue · 2 years
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9.6(火)
街でかかっている曲を拾って、音楽を探してくれるアプリの履歴を探る。その他、わたしのスマホのなかには200曲くらいの「あとで探して聴いてみよう」が眠っていて、そのたいはんが洋楽だ。
23時半にスタジオから帰宅し、シューゲイザーの音楽にうとうとする火曜日。
9.7(水)
改めて、自分の秘密話もできるし、秘密は距離が近まるし、この歳になるとサシ飲みに価値を感じるようになりました。特にいつも飲んでる仲良いメンバーなのに、誰か誘う?を辞めると。
他の人に言えない男女の話。やっぱり男の子の話は、女の子で経験や憶測でLINEするより、男の子に聞くに限るよなぁ。
大好きな映画に出会えた夜。それはそれは素敵で嬉しい夜なんだけど、そんな映画1本分以上の価値がある、誰かとのお酒の席は、素敵だと思った。濃い話ばかりしていこう。わたしも自分を曝け出せるよう、頑張るから。音楽みたいに。
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