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#夫婦で陶板浴
takeya-tobanyoku · 2 years
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 👨「今年は兄のところが新盆だったんだけど、長距離移動は向こうにも嫌がられるかと思ってなかなか行かれないですね」 💁「それは寂しいですねぇˊㅿˋ」 👩「でもね、私たちはこうして近くに行けるところがあるからね、ありがたいのよ」 💁「わぁ!ありがとうございます」 👩「家にこもってばかりじゃねぇ? それにここだと体調も良くなるし♡」 💁「ふふふ。そう言って頂くのが何よりです( *´艸`)」 ※こちらはお客様との会話で出たお話の紹介で、何らかの効果を保証するものではありません。 #体験談募集中♡ #竹屋陶板浴 をつけてぜひ発信して下さい˙▿˙ #コロナ騒動 #コロナ禍でも行けるところ #夫婦で陶板浴 #陶板浴デート 陶板浴の体験談に興味がある方は ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔 𝟛 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 暑い毎日に 熱い汗をたっぷり流して すっきりしました。 夏バテ気味で寝不足だったので いっぱい寝ました💤 女性 30歳代 龍ケ崎市 #すっきり #夏バテ #寝不足解消 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻‍❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ≪9月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 10日(土)~19日(月)敬老の日キャンペーン🍂 1日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 5日(月)足もみ若石 7日(水)足もみ若石 8日(木)ストレッチ&フラダン♡ 10日(土)敬老の日キャンペーン🍂開始 12日(月)内臓整体 14日(水)足もみ若石 15日(木)ストレッチ&フラダン♡ 16日(金)ちくちく大人手芸部♡ 17日(土)月1土曜日学習会♡ 19日(月)足もみ若石 19日(月)笑いヨガ♡ 19日(月)敬老の日キャンペーン🍂終了 20日(火)椅子ヨガ ♡ 20日(火)抗酸化リフォーム相談会☖ 21日(水)氣功 21日(水)幸ちゃんのスマホ教室 22日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 23日(月)内臓整体 26日(水)足もみ若石 28日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ がん交流会⚘ / 8月24日(水)10:30- 今回は自律神経のお話をします。 がんの方同士のおしゃべりで、 情報交換と気晴らし✨ みんなで気持ちよく治りましょう♪ ※ 竹屋陶板浴をご利用のがんの方とそのご家族様のための学習交流の場です。同業他社様のご参加はご遠慮下さい。 #がん交流会 #自律神経 #安保徹 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/ChbGZ92JIOk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 8 months
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各地句会報
花鳥誌 令和5年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年6月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
草取れば天と地しばし離される さとみ 沙羅咲きて山辺の寺の祈りかな 都 神官の白から白へ更衣 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月2日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
読み辛き崩し字祖父の夏見舞 宇太郎 滝飛沫祈りて石を積む人へ 栄子 担当医替る緊張なめくぢり 悦子 青葉木菟声を聞きしは一ト夜のみ 史子 黒を着て山法師てふ花の下 すみ子 砂丘拍動遅滞なく卯浪立つ 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
病院の跡へ南風の吹き抜ける 季凜 梅雨の石積むもののふの墓暗く はるか 十薬とは屍を小さく包む花 和子 もののふの山が鳴るなり青葉風 はるか いとけなき蜘蛛も浄土を知りつくし 順子 菩提寺は城を見上ぐや男梅雨 慶月 ナースらの谺を追うて枇杷熟るる 順子 階段をのぼるつま先街出水 小鳥 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 罠であり結界であり蜘蛛の糸 同
岡田順子選 特選句
墓守のアパート三棟蕗の雨 風頭 眼をうすく瞑る菩薩の単衣とも 俊樹 アトリエへ傾るる大樹枇杷たわわ 眞理子 真夜中の泰山木の花は鳥 いづみ 青梅雨のしづ��すべてが弥陀のもの 光子 昼顔は雨の列車にゆらされて きみよ 行き先を告げよ泰山木咲けば 和子 夏菊や南無遍照と一家臣 慶月 梅雨出水過ぎて正気を歩きをり いづみ 青梅雨の真黒き句碑が街映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
点ほどの人の生涯芝青し 朝子 青芝にまろぶフレンチブルドッグ たかし 海亀の孵化高精細の大画面 勝利 水郷の蛍のなかに嫁ぎゆく 孝子 子供の日クレーンは空へ置き去りに 久美子 特攻の話し聞く夜の蛍かな たかし 日輪は地球の裏に蛍の夜 睦子 青芝を犯す少年のスパイク 同 黴の中遺されしもの錆てゆく 美穂 舞ふものゝ影をも流し梅雨の川 かおり 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 睦子 亡き父のジャズ沁み込みし籐寝椅子 たかし  ハーレムの少年 青芝にいのちの次のスニーカー 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月5日 花鳥さざれ会
少年の少女の昔あめんぼう 雪 ふる里の水の匂ひにあめんぼう 同 風みどり故山の空を吹きわたる かづを あめんぼう映れる雲に乗りゐたり 同 水馬水のゑくぼに乗り遊ぶ 泰 俊 名刹に雨を誘ふや水馬 同 売家札とれて漏るる灯蚊喰鳥 清 女 強かに生きて卒寿の髪洗ふ 同 緑陰に栄華の茶室古りしまま 希 落武者の子孫が育て花菖蒲 ���代子
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令和5年6月7日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
紅薔薇や三國廓址の思案橋 世詩明 更衣恋に破れて捨てがたし 同 水芭蕉分水嶺の聖なる地 同 夏帽子振つて道草してゐる子 清女 鳴く顔が見たくて覗く蛙の田 同 読み終へし一書皐月の朝まだき 同 鋏手に赤き手袋バラ真赤 ただし 浦人の少年継げる仏舞 同 欲捨てて今日も元気蜆汁 輝一 紫の色をしまずや花蘇枋 同 一番星遠ち近ち蛙鳴きはじむ 洋子 手折りたる酸葉噛みつつ歌ひつつ 同 自転車を押してつつじの坂上る 誠 飛魚の羽ばたき飛べる船の旅 同 風薫る慶讃法要京の厨子 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
富士見えて多摩横山に風薫る 白陶 朽ちし色残し泰山木咲ける 秋尚 風薫るポニーテールの娘の声に 幸子 日々育つ杏とエール送り合ふ 恭子 夜も更けてたれが来たかと梅実落つ 幸子 余白には梅雨空映す年尾句碑 三無 記念樹の落ちし実梅も大切に 百合子 観音の指の先より風薫る 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浴衣着て父似母似の姉妹 清女 香水のひそかな滴人悼む 昭子 髪洗ふ心のしこり解くやうに みす枝 白鷺の孤高に凛と夏の川 清女 梅雨じめりしたる座敷に香を焚き 英美子 知らぬ間に仲直りして冷奴 昭子 夏場所や砂つかぶりに令婦人 清女 明易や只管打坐してより朝餉 同 蟇が啼く月夜の山に谺して 三四郎 白足袋の静かな運び仏舞 ただし 梅雨しとど鐘の音色も湿りたる みす枝 答へたくなきこともあり紫蘇をもむ 昭子 本題に触れず香水帰りゆく 同 水面にゑくぼ次次梅雨に入る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
ためらはずどくだみ束ねバルコニー 和魚 釣堀の揺るる空見てゐるひと日 秋尚 何も手に付かぬひと日や五月雨るる 秋尚 どくだみの清潔な白映す句碑 三無 十薬の匂ひの勝る生家門 聰 どくだみの苞白々と闇に浮く 和魚 五月雨にふくらんでゐる山の湖 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
目を染めて麦の秋へとなりにけり 光子 短夜の夢も短き目覚めかな 文子 子の植うる早苗の列の右曲がり 登美子 バースデーソングと夏至の雨響く 実加 羅の受付嬢はちよと年増 みえこ 色街の女を照らす梅雨の月 登美子 五月雨真青な傘を買ひにけり あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 萩花鳥会
車椅子頼りの暮し梅雨籠り 祐子 革ジャンに沁みた青春黴生ふる 健雄 玉ねぎの丸々太る五月晴 俊文 亡き夫の捨てられきれぬ黴ごろも ゆかり 雨蛙降り出す庭で鳴き交はす 恒雄 星々に瞬きかへし舞ふ螢 美惠子
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令和5年6月16日 さきたま花鳥句会
大胆に愚痴を透かして青暖簾 月惑 紫陽花や小走りに行く深帽子 八草 まな板も這ふらし夜のなめくじら 裕章 夕まぐれ菖蒲田の白消し忘れ 紀花 屋敷林青葉闇なる母屋かな 孝江 鐘供養梵鐘の文字踊りけり ふゆ子 漣の葉裏に返る新樹光 とし江 花手水薄暑の息をととのへり 康子 風薫るいまだ目覚めぬ眠り猫 みのり 花菖蒲雨に花びら少し垂れ 彩香 短夜や二日続けて妣の夢 静子 耳かきの小さな鈴の音初夏の夜 良江
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令和5年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
登山者が供華に挿し行く地蔵尊 やす香 蟬一つ鳴かぬ光秀忌を修す ただし 桃色の若き日の夢籐寝椅子 みす枝 村百戸梅雨のしとどに濡れそぼつ 同 空き箱に色褪せし文梅雨湿り やす香 西瓜買ふ水の重さの確かなり 同 薫風や見上ぐるだけの勅使門 真喜栄 そよぐには重たき鞠や濃紫陽花 同 花菖蒲咲かせ半農半漁村 千代子 日の暮れて障子明りに女影 世詩明 香水の女に勝てぬ男かな 同 早苗饗や上座に座る村の長 同 春深し遊び心の雲一つ 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 朝まだき甘き匂ひの蛍川 千種 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 大方は夏草となる畑かな 秋尚 過疎村に農大生の田植笠 経彦 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 捩花の螺旋階段傾ぎをり 斉 道をしへ夜は蛍の思ひのまま 炳子 故郷の水田へ草矢打つやうに 要
栗林圭魚選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 六月の谷戸のすみずみ水の音 三無 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 どんよりと新樹映して濁り池 要 源五郎さ走る田水光らせて 久子 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 万緑の中の水音澄みてをり ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
故里の百年の家花石榴 啓子 巣作りの青鷺歌ふ高らかに 千加江 母に詫び言はねばならぬ梅雨の入り 昭子 幹太くなりたる樹々の夏の午後 雪子 衣替へして胸に白すがすがし 同 梅雨の灯に猫の遺影と娘の遺影 清女 寝返りを打ちても一人梅雨の月 同 枇杷啜るこつんころりと種二つ 希子 女子高生混じる一人に黒日傘 数幸 観世音御ンみそなはす蛇の衣 雪 観音に六百年の山清水 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
あめんぼうてふ名に滑る他は無し 雪 九十二の更衣とはこんなもの 同 白鷺のいよいよ白き青田かな 同 蛇の衣こんな綺麗に脱がずとも 同 落椿描ける女人曼荼羅図 同 殉国の遺影と父の日を終へり 一涓 青春に戻りて妻と茱萸を捥ぐ 同 門川の闇を動かす蛍舞ふ みす枝 母の日の花は枯れても捨てきれず やすえ 一番星あちこち蛙鳴きはじむ 洋子 草矢打つ程の親しき仲でなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 打水はインド料理の香をのせて はるか 炎帝の満を持したる神の池 要 炎天へ柏手打てば蹌踉ひし 順子 靖国は蒼くなりけりサングラス 緋路 雨蛙虫呑みてすぐ元の顔 裕章 サングラス胸にひつかけ登場す 光子 魂となる裸電球祭待つ はるか
岡田順子選 特選句
押し寄せる蓮のひとつに蓮の花 俊樹 紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 凡人てふ自由たふとし半夏生草 昌文 蓮原の沖に宮城あるといふ 光子 内堀の夏草刈られ街宣車 要 混ざり合ふ手水と汗の掌 緋路 祭の準備指揮をとる大鳥居 みもざ 水馬ふたつの天のあはひゆく 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蛍狩り娘の掌のがれて星となる 世詩明 更衣恋の火種を残しけり 同 少年を仰いでをりぬ青蛙 昭子 うまいとも言つてくれぬが菜飯炊く 同 子よりまづ泳ぎ出したり鯉幟 一涓 夏暖簾廊下に作る風の道 紀代美 喉鳴らし母乳呑む児や若葉風 みす枝 目に見えぬものを脱ぎたり更衣 洋子 青鷺が抜き足差し足田を進む やすえ 一院のかつて尼寺白牡丹 雪 蝸牛角を突いてゐる女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2ttf · 12 years
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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kentahayashimusic · 2 years
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今週木曜日11月11日この素晴らし過ぎるイベントに出演します!😊🌈 皆様福井の地 @アグリツーリズモNORAへ大集合宜しくお願いします✨ 1111 参加メンバーご紹介♪ ★No.12 【縄文の扉を開くアセンションGATE】 タイムスケジュール公開‼️ (※変更もあるかもしれません) オープニング 10:30 音開き  林圭樹(山梨) 11:11〜祈りの輪 光の柱を立てる ナビゲート  木盛龍彦 (大分) 12:00〜DJ Time OKA-G (石川) 13:00〜ヨガ✖️コシチャイムヒーリング   有紀✖️NAO (石川)(福井) ※ラウンジ畳部屋にて 14:00〜「アセンションフードとしての麹菌は高次元♪麹を使った食養生の知恵」 ※ラウンジ畳部屋にて たべごと屋ナトゥーラ(富山) 14:45〜祝餅弥栄 (愛知) 五穀豊穣 子孫繁栄 夫婦弥栄 祝いの餅つき 15:15〜ディジュリドゥ 小林純也(石川) 15:25〜フュージョンダンス masami (石川) ジプシー RURI✖️Mu✖️YONYON 15:40〜クリスタルボウル   TAKE(福井) 16:00〜『エッセンスセルフと一体化する魔法の黄金タイム』 スペシャルコラボ♪木盛龍彦➕Tachyon Musician KENTA HAYASHI ヒーリングセッション Tachyon Musician KENTA HAYASHIソロライブ🌈 18:00〜齋藤新緑 講話  「光の戦士として」 20:00〜懇親会 *施設内【リラクゼーションカムイ】にて 11月11日のみ 足つぼ、ヘッドマッサージ 20分¥1,500 ◉谷口知帆 ◉山岸恵美子 その他出店募集中♪ お氣軽にお問い合わせください✨ ◯11月11日(木) 10:30スタート 全てのプログラムの終了は20:00となります。 ご参加は随時受付にてご入場いただけます。 ◯全プログラム通し 参加費5,000円 当日6,000円 下記の申し込みフォームにて お申し込みください。 11月5日締切となります。 それ以降は当日料金となります。 なお、遠方からお越しのお客様は ご宿泊もできます。 プログラム終了後、 懇親会も予定しています。 聞きたかったアレやコレ 話したかったあの事この事 心通わせお話ししましょう♪ ご宿泊、懇親会も合わせて 申し込みフォームより お申し込みできますので よろしくお願いします。 ※懇親会参加費3000円(夕食付き) ※宿泊は宿泊棟にて素泊まり合宿スタイル。 陶板浴付き3000円になります。 お申し込み締め切り 11月5日 あと1週間です。 それ以降は当日となりますので お急ぎくださいね! 【お申し込みフォーム】 https://ws.formzu.net/dist/S32546052/ ◯開催場所 アグリツーリズモNora https://nora-farm.jp/ (at Nora アグリツーリズモ ノラ) https://www.instagram.com/p/CWAkZn1PJuh/?utm_medium=tumblr
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yuppiii369 · 3 years
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私とアクセスバーズ
魂とつながり
喜びで生きるあなたへ
ゆっぴーのブログに訪問
頂きありがとうございます💖
今回は私とアクセスバーズの出会いと
なぜプラクティショナーとして
活動するようになったかなどの
経緯をお伝えしていこうと思います。
約5分で読めますので最後までどうぞ☺️
アクセスバーズを知ったきっかけが
2018年1月に知人の紹介で知り、
当時私の大病が発覚した直後のことでした。
私がアクセスバーズを受けたいというよりは
なぜか旦那さんの方が早急に
"なんとなく必要な氣がする!!'
とただそれだけの理由で旦那さんメインで
予約を取ったのがはじまりです。
私が大病したショックもあるだろうし、
身近に打ち明ける相手も特に居ないようで、
身内しか知らない状況と1人で抱え込んでいる
に近い彼の精神状態を氣遣って、
何か緩和する糸口になればと思い脳を
大掃除できるというアクセスバーズを
選択しました。
(私のことを心配してる割合が大きく
なってしまってると仕事にも差し障る
と感じたので。。。)
その予約当日を迎え、よければ奥さんの
私もいかがですか?ということでお時間を
取って頂き、夫婦してアクセスバーズを
初体験できたのが今となってはとても絶妙な
タイミングでよかったなぁと心から
思ってます。
(偏見持たぬ旦那さんにも感謝♥)
旦那さんはというと、アクセスバーズ中は
ずっと会話をしていたそうです。
(眠っちゃう人がほとんどなのに面白い)
私は元からエネルギーワークが大好物
だったので初回のスッキリした
体感がとにかくすごかった!!
見えない世界の言語化にいつも苦労するの
ですが、分りやすくいうならば長年の
洗濯槽内にこびりついた汚れがスッキリ
したとでもいいましょうか(笑)
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初アクセスバーズをした頃は、病氣に関して
情報集めを多方面にしていた時でもあり、
選択肢が沢山あって、常に脳内パンパンの
混乱状態に近かったように思います。
1度のスッキリ感覚が病みつきになり、
それからはすっかり私のほうがハマって
定期的に続けて通うようになりました。
※人にもよりますが3回以上行うと
人生変わるとまで言われてるパワフルな
エネルギーワークなのですよ♬
効果をテキメンに感じてたのは施術して
下さってる方の人柄と愛に触れて
色んなものが解けていったのと
仲良くさせてもらい信頼していたのも
もちろんあるかもしれません💖✨
当時の私は、西洋医学にどこか嫌悪感と
不信感を拭えなくて、標準治療を決意する
ために、偏った思い込みをニュートラル
に戻していき、自分の中のジャッジを
小さくしていくような感覚でした。
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1つ決めてはまた1つ新しい決断が迫られ
命に関わる選択は未知との遭遇と緊張の
連続です。。。
※自己主張もハッキリできるようになり
主治医と対等に会話してオラオラ患者
にもなりかけたぞw
いい意味で患者力がすっかり身についてた⤴
ジャッジって自分のカラダをこわばらせて
緊張状態に招きやすいなぁと自身の経験から
大いに体感しています。
例えばだけど、格闘技とかの勝敗を
決める判定音みたいなのがいつも脳内に流れていたら?
ハラハラドキドキしませんか??
自分が苦しくなっちゃいますよね…
ジャッジするのを手放すことも今では
簡単にできるようになってきましたが、
私も親からの固定観念や昭和初期感の
価値が絶対なのか?常識って何?など
疑問を持ち続けていたのに、それは
それは無意識のうちに重い思考を
採用していたのです。😱😱😱
本当は自分で全部決めてるのにね…
自分を苦しくさせてしまってたけど
その経験すらも選んでるという。。。
※まだまだジャッジが抜けきらない
新たな発見をするときも多々ありますが
自身に問いかけしてクリアにしてます。
何度目かのアクセスバーズで、ふいに
前世の記憶のことに触れられてすごく
腑に落ちたこともありました。
アパートの仮住まいで娘を日中ワンオペ
育児してた時に、
【私の身に何かあったらどうしよう…
娘が一人になっちゃう…】
という言い知れぬ不安感がよぎり
呼吸が浅くカラダが緊張することが
しばしばあったのですが、
その前世の記憶を伝えられて
スコーンとその不安感が皆無に
なったのも衝撃の体験だったことを
鮮明に覚えています。
正にリミットが外れた瞬間!
それからまた違う回のアクセスバーズ
セッション時には、とあるポイントに手を
触れられた時にそれまで関わってきた
色んな人間関係の人たちがビジョンで沢山
あらわれて、過去の職場の嫌なパワハラ
モラハラセクハラ上司や一方的に
私をフッた彼氏wなどが、走馬灯のように
見えて一瞬で全てのことが出会ってくれて
ありがとうの感謝に変わった時も
ありました。(本当に想定外で驚き)
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大病してることも時たま忘れるほど、
どんどん思考が軽くなっていき、
治療も順調に進み、手術も無事に終え
2019年の冬至の節目にクリスタルボウル演奏
を浴びてからアクセスバーズ(ボディプロセス
も)をするという自分癒やしコースをしてた
時が、まさに自身最大の変化!!
私の体感がビリビリ大きく感じられ、
まるでマリオネットにでもなったかのように
手足がビクッと反応し、その回は人生の禊
というか、私がいる次元が移動して変わった
かもしれないという感覚さえあり、それが
とても嬉しいギフトとなったのです🎁
Instagramストーリーズに #歳末大禊 #2019冬至 でタグつけてた😂
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身体中お焚き上げされた感じですと
伝えたらお互いに大爆笑してたっけ🤣
(背中に羽が生えたと思うくらい軽かった)
それから約半年以上の月日が流れた頃に
アクセスバーズ講座が8月末に開催すること
をダイレクトにお知らせ頂き、ずっと受け
てやってもらう側だけでいいと思ってた
私が、いよいよ提供する側に回った方が
色んな方にシェアできることがあるのかも
しれないと思い、開業直前のタイムリーな
時期に受講して2020年に満を持して?!
プラクティショナーとなりました。
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我が家には一床スペースの抗酸化陶板浴も
あるので、アクセスバーズと組み合わせる
と最強のメニューだと思ってます!!
副交感神経が優位になる陶板浴で約20分
横になってもらってから、リクライニング
チェアで横になり、アクセスバーズを
します。すると、脳がθ(シータ)波に変わり
何とも言えぬ深いリラックスの世界が
訪れるのです✨ビフォーアフターが個人差
こそありますが、嬉しい変化やギフトが
ベストタイミングで現れることも?!
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娘にもちょくちょくリクエストされ
アクセスバーズ中。
↓お子さまにも本当にオススメです❣️
横になってるだけで受けるこの恩恵は
私がずっとやってもらう側だったからこそ
これは必要としてる方が多くいると
思ってます!!
裸足でアーシングもいいと思いますが、
たまには脳に帯電してるものを取り除くこと
もカナリいい!と強く確信して感ますので、
ご興味ある方は是非ともアクセスバーズ
を生活の一部に取り入れてみてくださいね♪
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《アクセスバーズ》
60分 8000 yen
90分 12000 yen
陶板浴ご利用はプラス1000 yen
ギフレシご希望の方も是非!
共に高め合えるお相手を募集中です!
場所代として 2000yen 頂戴してます。
お氣軽にお問い合わせくださいませ♡
私が受けた恩恵をまた新たなカタチで
ご縁ある方に還元していけたら嬉しいです🥰
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Neoベジスイーツも忘れずに
ご用意してお待ちしてます!!
ご予約はLINE@より受付中😊
存在してくれてありがとう✨
ご縁があることにありがとう✨
あなたの喜びは
私の喜び 🌈
深喜 ゆっぴー
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tsthxh · 4 years
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、      イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、      ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、      トリカブトのアコニチン。
四、      ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、      オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
 幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』��いちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神��の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
 私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
 さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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nyantria · 7 years
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* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者     1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生      1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマ��タが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 ��イナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀  証言  1951年11月4日   中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正  自筆供述書   1954年9月7日  中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書  731部隊の研究者   1953年11月11日  中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎   731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄     731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間��ようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行��せたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。     注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏  731部隊少年隊  1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明  731部隊少年隊 1928年生れ  1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ  731部隊教育隊  1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方      研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男    第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇  ハルピン市香坊区     1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で   いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。   当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。   煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、   涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴  ハルピン市香坊区  1��52年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山  証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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-yama-san- · 7 years
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衝撃☆魅惑のストリート巡り☆
 シンガポールの夏は蒸し暑い。  よく、「日本の夏は海外と違って蒸し暑いからぁ~。」などと何人目線なのか分からないコメントをドヤ顔でのたまっていたのだが、少なくともシンガポールの湿度は日本と同等以上に高いらしい。何の根拠もなく「赤道付近の国々は日差しこそ強いが湿度は低いため日陰にいれば乾いた風が吹き抜け快適に過ごせる。」というイメージを抱いていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。  気温も高く湿度も高い、言うまでもなく日差しも強い。  日本の夏をサウナとするならば、こちらはサウナに入った状態で赤外線ヒーターを当てられ続けていいるようなものだ。なぜ死者がでないのか不思議だ。  開始早々愚痴ばかりになってしまって申し訳ないが、時はシンガポール旅行二日目。  まさに今、私と友人はホテルから徒歩でマーライオン公園に向かおうとした結果、道に迷って死にかけているのだ。  訪れるもの全てを落胆させるというシンガポール1のがっかりスポット、マーライオン公園。  当初訪れる気はさらさらなかったこの公園だが、意外とホテルから近いことが判明し、せっかくならばと2日目朝に立ち寄ることとなったのだ。  汗だくとなった我々が辿り着いたマーライオン公園はガッカリスポットの名をほしいままにしているにも関わらず、多くの観光客でごったがえしていた。  公園の大きさは学校のグラウンド程度で、植え込みの中に小ぶりなマーライオン像が立ち、中央の噴水では5、6メートル程のでかいマーライオンが口から水を吐いている。  つまりマーライオン像のある普通の公園だ。
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 終わった。  この公園に着いた瞬間、一目で観光すべき部分を見尽くした。  内心そう悟ってはいたのだが、数十分歩き回ってたどり着いた場所の観光を数秒で終わらせるようなことはできない。  どうやらマーライオンの背越しにマリーナベイサンズの写真を撮るのが人気であるらしく、我々も周りの観光客に倣い写真を撮る。ついでにそれぞれマーライオンとの写真も撮る。遠近法を利用してマーライオンのように口から水を吐く友人とマーライオンの水を口で受ける友人を撮る。  終わった。  限界まで楽しもうと努力したが、ここで他にできることはもうない。
 帰ろう。  友人と私は薄ら笑いながら、どちらともなく公園を後にした。滞在時間は多めに見積もっても十分程度だった。  それでも、正直なところ思いのほか楽しめたのも事実だ。  期待値が極限まで低かったせいもあるかもしれないがなんやかんやでシンガポール=マーライオンというイメージが強いのと、公園からの景色が良好なことで「お、シンガポールに来たな!」という気分を十分に味わえたのだ。もはやガッカリスポットではない。道すがら寄るのはイイじゃんスポットだ。  数分程度の観光でそれなりに充実した気分を味わった我々は、いよいよ本日のメインイベントであるシンガポールエスニックタウン巡りに向けて地下鉄へと飛び乗った。  シンガポールは雑多な国の人々が厳格な法の下好きに暮らしている国らしく、その結果横浜の中華街的なそれぞれの国柄の色濃く出ている街が随所にあるらしいのだ。  有名なところだとアラブストリートにチャイナタウン、リトルインディアにプラナカン、といったところだ。  このうちプラナカンとは中国系の移民が現地のマレー系女性と結婚したことにより生み出されたとする文化で、とにかく全般的にカワイイ。プラナカン文化の色濃く残る街ではピンクやモスグリーンのパステルカラーを基調とした人形の家のような建物が立ち並び、他にもキュートな雑貨が盛りだくさん、と、もはやオシャレOLのインスタグラムを具現化したような存在なのだ。  そんな存在なのだが旅に出る前に友人と意思疎通を図った結果、「ごめん、プラナカンって興味ある?」「正直…ほとんど無いわ」「よかった!私も全然ない」と全会一致で方針が決定したため、この旅では割愛したい。  可愛さを旅から全面的に削ぎ落した我々が最初に向かった街、それがアラブストリートだった。友人も私も何故か中東あたりのタイルに施されているような細かな模様がたまらなく好きで、ついでに言うならモスクなどの建物も美しくて大好きなのだ。正直治安さえ良ければ今回の旅でトルコに行きたかった。死ぬ可能性があるので諦めたけれども。  最寄りの地下鉄BUGIS駅で降りた我々は、アラブストリートの目印であるサルタンモスクを目指して歩いた。  余談だが、シンガポールの地下鉄は駅構内が無駄に広く、ガイドブックに「○○駅より徒歩7分」などと記載されていても駅内の移動だけで10分、地上に出てさらに7分、なんて事はザラだ。田舎暮らしの私と友人は地下鉄の駅=地上の認識で旅のプランを立てており、そのせいで何度も疲労し汗だくの中地下鉄の構内を全力疾走することとなった。  しばらく歩いた我々の前に、突如として金色の玉ねぎ状のドームが現れた。  これだ!間違いない!アラジンで見た!  急激にテンションが上がり、遠目にもかかわらずモスクの写真を激写する私と友人。
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 近づいてみるとモスクは想像以上に大きく、入り口付近で来場者をチェックする警備員のようなおじさんが何人か待機していた。  モスクの礼拝堂は当然ながら異教徒の立ち入りは禁止なのだが、その手前までなら入ってもいいらしく、その際に露出度の高い恰好をしている人間にはここで羽織るローブを貸してくれるのだ。  私も友人も服装については事前に調べきっており露出などほぼない状態だったのだが、せっかくなのでローブを「え?必要なくない?」と怪訝な表情を浮かべるおじさんから借り受けモスク内へと入った。真っ青なローブで俄然気分が高まる。  モスクは入ってすぐが待合所のようなちょっとしたスペースになっており、その先に異教徒は立ち入り禁止の礼拝のホールが広がっていた。この礼拝ホールがもう、黒や緑を基調とした中に金色で細かな月や星が描いてあるのだが、とにかくもう美しいのだ。とにかく美しい。窓枠などの流線型の模様もそこから差し込む白い日の光も、穏やかで繊細で、全てが美しかった。
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 礼拝堂の前方には十数人の子供たちがカーペットの上に点々と座っており、それぞれが何かの本を読んで勉強している。張りつめた空気を想像していたのだがそんなこともなく、昼下がりの体育館のような静かで和やかな時が流れていた。
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 「すっごいな、これはもうちょっとしたトルコだわ」  「やっぱりアラブ系の模様が一番美しいね。めっちゃタイルの写真撮った」  モスクを出るなり各々思うことを好き勝手語り合い、我々はそのまま目の前の通りへと足を延ばした。モスクの前にはそこそこ大きな通りが二、三本まっすぐ続いており、その両脇にずらりと雑貨屋や飲食店が並んでいるのだ。  せっかくなのでなんかアラブっぽい綺麗なものを買いたい。  そう思い何気なく薄暗い店に入った我々は、入った途端に叫ぶことになった。  「ひゃぁぁー、めっっっちゃ綺麗!!!!」  比喩ではなく叫んだ。事実「めっちゃ綺麗!!!」だったのだ。  薄暗い店内には見渡す限り、大小様々な大きさのモザイク模様のランプが所狭しと吊るされており、その全てが青や緑、ピンクやオレンジの美しい光の欠片を周囲に少しづつ落としていた。ランプのモザイク模様もそれぞれ違っており、氷の結晶のようなものや花のようなもの、直線的で無機質なものなど、とにかくそのどれもが心がギュッとなる美しさなのだ。
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 「凄くない?凄くない?え?どうゆう状態?凄くない?」  あまりの出来事に私と友人が混乱しながら驚いていると、ニコニコしながら一人の老人が近寄ってきた。  このおじいちゃん、どうやらこの店の主で奥にいたようなのだが、私達の出川哲郎ばりのリアクションを聞いて店先まででてきたらしい。  笑顔のおじいちゃんは私と友人を店の奥まで招き寄せると、ある位置に立つよう身振り手振りで示した。  そこは店内でもとりわけ大きな、人一人でも抱えきれないほどの大きさのランプが飾ってあるところで、この位置でこのランプに手を添えて写真を撮ると綺麗な記念写真が撮れるよ、ということらしい。  実際に友人がその位置に立ち一番大きな青いランプに手をかざすと、ちょうど店内の数十個のランプ達とも同じフレームに映ることとなった。まるでこの世界のものではない、物語の中を切り取ったような一枚だった。  「ヤバくない?こんな写真無料で撮らせてくれるの?マジで金取られるんじゃない?無料?無料なの?」  物語とは程遠い俗世感溢れる私の確認に、半ば呆然としながら友人は答えた。  「無料っぽいよ。このお爺ちゃん優しすぎない?やっぱモスクが近いから徳高いのかな」  そんな会話が日本語で繰り広げられているとはつゆ知らず、お爺ちゃん店主は私にも同じように写真を撮るよう勧めると、その後、店内を好きに見て回るよう言った。  冷静になって店内を見て回ると、ランプのほかにも絨毯や陶器など、様々な雑貨が置いてあった。  そしてもう一つ気付いたことがあった。この店には値札が一切ないのだ。  コースターや小皿なども本当に可愛かったのだが、私と友人の心はすでに決まっていた。ランプだ。  さすがに天井から吊るすシャンデリア型のものは無理でも、スタンド式の卓上タイプのものならば我々の旅行ケースにですら何とか入る。せっかく旅先でこんなにも美しいものを見つけたのだ。その欠片くらいは持ち帰りたい。  意を決して値段を尋ねる我々に、お爺ちゃん店主は人好きのする笑顔で答えた。  「この大きなシャンデリアだと70万くらいだけど、この一番小さなスタンドライトなら2万円だよ(実際は英語なのでイメージ和訳)」  ひぇぇえー!!!度肝を抜かれるくらい高い!!もう宝石の値段じゃん!?もしかしてこれ、ガラスじゃなくて宝石でできてるのか!?  またしても出川ばりのリアクションをする我々を見て、じいちゃんは「ワァオ!」と、コミカルに驚くと言葉を続けた。  「けれどもあなた達は今日最初のお客さんで特別だし、私は日本人の友達がいるからスペシャルな値段にしてあげるよ。1万6千円にね!」  めっちゃ安くなった!それでも高いけど!  実際1万6千円は変えない値段じゃないがそれでも高い。旅の二日目でそんなにお金を使ったら今後に影響すること請け合いだ。けれどこんなに綺麗なランプを買わずに帰ったらそれこそ後悔することも必須…。  頭を抱えて悩む我々にさらに言い募るおじいちゃん店主。  「日本で使えるようコードも付け替えてあげるし、これはいい品だから壊れるようなこともない、ほら」  指し示すほうを見れば、若い店員が横倒しにしたランプの上で片足立ちし、頑丈さをアピールしている。なんて雑な扱いなんだ。  「もう時間だし、ちょっと落ち着いて、昼ご飯食べてからまた来ようか」  友人の冷静な提案に私も頷いた。ちょうど昼食をリトルインディアの有名店、ヒルマンレストランで予約していたのだ。  「ご飯食べてくるの?いいよ!リトルインディア?近いから車で送ってあげるよ!」  じいちゃんの過剰すぎる親切。それを固辞しタクシーに乗ること数分、我々はリトルインディアへと降り立った。  そして、数秒もたたずに物凄い違和感を覚えることとなる。  道行くほとんどの人間がインド人。  アラブストリートでも店員や道行く人々の大半がアラブ人だったのだが、彼らは何というか、顔の彫が深いだけで大半がニコニコしており、正直とっつきやすかったのだ。  けれどもインド人は違う。理由は分からないが道行くインド人の大半が男性で、しかもその全てが「目がこぼれ落ちるのでは?」というくらい目を見開いて真顔でこちらを凝視してくるのだ。  ベースの顔自体が色黒で彫が深く迫力があるのに、街にいるその顔の人間全員が無言でこちらをガン見してくるのだから正直言ってめちゃくちゃ怖い。  すれ違う人がシンガポールにしては珍しく自分の腹にリュックがくるように背負っていることからも、ここでの基本的な治安の度合いが伺われる。  なんにせよなんでこんなに穴が開くほど見られるんだ?何かマズイことをしているのか?とにかく怖いからやめて欲しい。普段神経の太さに定評のある友人ですら猫背で縮こまり、「マジでヤバいマジでヤバい。早く出ようよココ」と小声で連呼していた。私も完全に同意見だった。  死ぬまでに一度はインド旅行をしておこうと思ったけれど、これはちょっと考え直すべきかもしれないな。リトルでこれなら、本物のビッグインディアはどうなってしまうんだ?生きて帰れるのか?インド、こえぇー。とずっと思っていた。  それでもせっかくリトルインディアまできたからには、一件くらいは店に寄っておこうという貧乏根性を炸裂させ、我々は恐る恐るムスタファセンターに入った。ここはリトルインディア一のショッピングセンターで、日用品から食料、薬品までとにかくなんでも揃っているのだ。  正直怖すぎてあまり記憶がないが、ここでチリクラブソースやブラックペッパーソースを買った事と、シンガポール名物のタイガーバームを飛び切り安く買った事だけは覚えている。  タイガーバームとは虫刺されや蕁麻疹、果ては頭痛に至るまで、とにかく何が起こってもこれさえ塗っとけばオッケーというシンガポールが誇る万能軟膏だ。シンガポール名物なだけあって本当にどこにでも売ってあり、それゆえにその店での物価というか、おおよそのぼったくり具合の指標としても機能している。  ちなみにこの旅を通してダントツでタイガーバームが安かったのはこのムスタファセンターで、ダントツで高かったのはこの後訪れることになるナイトサファリだった。  とにもかくにもショッピングセンターに入って少しだけ落ち着いた我々は、足早に次なる目的地、ヒルマンレストランに向かった。  載っていないガイドブックなどないのではないかとも思える有名店ヒルマンレストラン。ここの名物ペーパーチキンは醬油や紹興酒で味付けした鶏肉を紙で包んで油で揚げたもので、香ばしくジューシーでとにかく旨いという評判なのだ。  否が応にも高まる期待。そ��て注文からたっぷりまたされた後に運ばれてくるペーパーチキン。パリパリのペーパーシートを箸で破き、中のジューシーな鶏肉に箸をのばす。
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 うん、旨い!  旨いけど…と思い向かいの友人を見ると、微笑みとも真顔とも取れない微妙な顔をしていた。アルカイックスマイルだった。  「どう?」  その顔のまま、私に話を振る友人。言い辛いことをこちらから切り出させようとしているのだ。  「いや、美味しいよ」  「うん」  「美味しいけど…、正直お母さんが作るやつだわ」  途端に友人の笑みがアルカイックスマイルから通常の邪悪な笑みへと変わった。同意したのだ。  そう。旨いけど、これはお母さんが家で作るようなやつなのだ。出されたら美味しいと言って食べるが自分からリクエストする事はない。ましてやわざわざ外食で頼むようなものではなかった。  またしても勝手に高すぎるハードルを設定し勝手に失望してしまったようだな…。しょせんは焼いた鶏肉なのに、知らずめちゃくちゃ期待してしまっていたようだ。チリクラブが旨過ぎただけに、同等の期待をこの千円そこらの鶏肉にもかけてしまった。  にしてもこの店、見渡す限り客の大半は日本人観光客だしメニューも日本語。現地の店というよりは完全に観光客のためだけの店だ。なんでこの店が軒並みガイドブックで絶賛されるのだろう。やっぱりガイドブック会社に掲載店はバックマージン的なものを支払っているものなんだろうか…?  自分の評価とガイドブックのあまりの齟齬にそんな失礼な妄想を抱きつつ、一通り店の品々を堪能した我々は、話を本題へと移した。そう、ランプ購入問題だ。  「本気で欲しいけど、本気で高すぎるよね」  全てはこの友人の言葉に集約されていた。  「マジでね。しかもあの店に一時間近くいたせいで他の店全然見れてないし。夕方のナイトサファリのツアー前までにアラブストリートとチャイナタウン、巡り終われるかな…?」  早朝から出発したものの時刻はもうとっくに昼過ぎ。うかうかしている時間はないのだ。  「とりあえずここでガイドブックで行きたい店の目星をつけて、そこを中心にちゃちゃっと回ろうか」  友人からの提案に同意した私は、共にガイドブックを覗き込んだ。まだほとんど巡れていないものの、アラブストリートの魅力的な店々が並んでいる。  「あっ!さっきのランプ屋もあるよ!」  友人の言葉でガイドブックの一角に目を移した私は、友人と同時に息をのんだ。  そこには今まさに我々が欲しいと思い悩んでいる1万6千円のランプの写真が掲載されていたのだ『ランプ(小)6,000円』の文字と共に。  「…あのジジイ!」  怒り狂う我々。  「嘘だろ…信じられん。普通そこまでぼったくる?」  「あんな孫に対するような親密さで接した相手にそんなぼったくる?」  「あんな親しみのこもった笑顔向けた相手にそんなぼったくる?もう3倍近いじゃん?これでもぼったくりって言うの?どんな感受性してるんだ?」  「人間不信になるわ。何がスペシャルプライスだよ。ある意味スペシャルだけど」  止まらないじいさんへの悪口。エターナルジジイディス。  しかしまぁ、適正価格ならばランプが予算範囲内だということが判明した事も事実だ。なにせ買うか迷っていたボーダーラインから一気に3分の1近い価格になるのだ。これはもう買うしかない。  「じゃぁとりあえず他の店見て、ランプと他に良さそうなものがあったらそれを買おう。じいさんの事は忘れよう」  そう結論付けた我々は、再びアラブストリートの店へと戻った。  アラブストリートの店を何件か流し見た結果、ようやくいくつかの事実を学んだ。  まず、ここの店の商品の大半には値札がない。  客が気になる商品を手に取って見ているとどこからともなく店主が寄ってきて、「それは1万円(超ぼったくり価格)だ。だが貴方は特別な客なので7千円(ぼったくり価格)にしてあげよう」と言い出す。  そこで客が「それならいらない」と言うと店主が「いくらなら買う?」と尋ねる。  そして客が「4千円(適正価格)だ」と返答すると店主が『おいおい、何のジョークだい?』というおどけた顔をし交渉開始。  …と、おおよそここまでがこのあたりの店の当然の挨拶、様式美なのだ。  「貴方は特別な客だ」とする理由は「今日最初の客だ」「日本人の友達がいる」「私の友人に似ている」など様々なパターンがあるが、ほとんどがこの流れで事は進んでいく。  他の大半の店でランプの提示価格が最初は1万円、特別な客だから割引で6~7千円だったことからしてもあの爺さんがハイパーぼったくり戦士だったことは間違いないのだが、おそらく私と友人の出川ばりのリアクションを見て「こいつらなら3倍でもイケる!」と踏んだのだろう。事実買う寸前までいったのだし、じいさんの先見は正しい。年の功だ。  ひとまずランプはいろいろな店を見てから決める事にして、まずは純粋に通りを楽しむことになった。  「これほんとにカシミアか?」と疑わしくなるような中東風の模様で織られた格安カシミアストールや『パシミナ』と銘打たれたあからさまに怪しいカシミア風のストール。そしてとにかく多い絨毯。  どれもわくわくするような品物ばかりだったのだが、中でも特に私と友人の心を捉えたのがアラブストリートの一角にある香水瓶のお店だった。  エジプトやドバイから直輸入しているという嘘かホントか分からない香水瓶たちは色も形も見ているだけでうっとりしてしまう程美しく、ラクダや象をかたどった可愛らしいデザインのものまであった。  手作りのためか手に取って見ると完全に密封される仕様ではないため実際に香水を入れたら物凄い勢いで揮発しそうなのだが、そんなことはこの美しさの前では些細な問題だ。外からの光を浴びて輝く香水瓶たちは、その美しさだけで十分すぎるほどの価値があった。
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 迷いに迷って幾ばくかの香水瓶を購入した私たちが満足げに店を出ると、友人があるものを見つけて駆け寄った。  「ここここ!チャイのお店!」  友人が事前に調べてくれていたアラブストリートですこぶる美味しいチャイを出すというその店は、見るからに年季の入った店構えで、年季の入った店内で年季の入った店主のおじさんが年季の入った食器をかちゃかちゃさせながら素手でチャイを作っていた。  泥水やん。  と思ったが友人には言えなかった。友人はここのチャイを飲むのを本当に楽しみにしていたのだ。店に近づくと店の前にはシンガポール政府がホーカー(屋台)につける衛生度でB(ギリギリセーフ)と書かれたステッカーが貼ってあった。  どんな感情でかは分からないが、その店でチャイを飲むことを決意した友人は店のおじさんからコップに入ったチャイを受け取ると店外の席に腰かけ、いそいそと飲み始めた。チャイは濁ったウーロン茶ともニンジンジュースともつかない色をしており、心なしか泡立っていた。  私は正直この旅で、もう友人は脱落したな、と思った。BのおやじがBの手で作りBの食器に入れたBのチャイを飲んでいるのだ。食中毒待ったなしだ。
 一口二口飲んだ友人は顔をあげてこちらを見、「マジで美味しいよ!一口飲まない?」と言ってきた。私は「えー!?いいよぉー」と言った。よくそんなもの他人に勧めるよな、といった気持だった。  結論からいうとこのBのチャイは友人の体調に何の変化ももたらさず、私はこの時飲まなかった事を今でも少し後悔することになったが、それはもう結果論だ。あのBのチャイを飲んで無事に済む奇跡がたまたま訪れたにすぎない。  ともあれチャイも飲んですっかりアラブストリートに慣れた我々は、人の好さそうな夫婦の店で四千円でトルコランプを、そして数百円で謎のストールたちを買い集め、達成感と共にアラブストリートを後にした。  きっとこれでもまだぼったくられているのだがもうそれでもいい。日本でトルコ人おやじと対等に渡り合い価格競争できる人間なんてきっと大阪人くらいのものだろう。私の力では遠く及ばないのだ。  ちなみにこの時買ったトルコランプ、「本当に綺麗でうっとりしちゃう!」のは間違いないのだが日本の電圧の関係か明るさが四割減ぐらいになっており、「日の光の中では明かりをつけても全く分からないため完全なる暗闇の中でしか使えない。そしてとりたてて周囲の何かを照らすほどの光量もないため、ただ暗闇の中ぼんやり光るこいつの美しさを愛でることしかできない道具」と化している。  暑さと交渉疲れでだいぶ疲弊してきた我々だが、再び地下鉄を乗り継ぐと次なる目的地へと向かった。  辿り着いたチャイナタウンは、比較的慣れ親しんだ光景だった。基本的にカラフルな建物が多く、頭上にはずらりと提灯が吊るされている。台湾の夜市で見かけたようなカラフルな布に入った箸やけばけばしい色の中華風雑貨がところ狭しと並び、明らかにパチモンの面白Tシャツやキーホルダーなどが売っている。どちらかといえば日本にある中華街に近い陽気で雑多な雰囲気だ。  せっかくなのでちょっと見て回るか、と店をひやかして歩いていると、ヒンドゥー教のものだろうか、原色で色を塗られた神様や牛の像が雛人形の祭壇よろしく高��積まれた寺院が目に入った。
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 「凄い!凄くない!?」  宗教施設に目のない私と友人が吸い寄せられるように近寄ると、寺院の前には大きな看板が出されていた。この施設の由来か何かだろうか。  興味津々でそれを読むと、そこにはこう書かれていた。  『この寺で写真を撮ると金を貰います』  凄い…。中国人の生きる力凄いわ…。神をも上回る集金力。そう思うと我々は、そっとその場を後にした。  元来、私たちがこのチャイナタウンに来た目的は、寺社めぐりでもなければ中華アイテムを入手したかったからでもない。どうしても食べたいスイーツがあったからだったのだ。  このチャイナタウンには多くのスイーツショップがひしめいており、中でもマンゴーとストロベリーアイスを雪のようにふわふわに削り、その上からフルーツソースとイクラのような謎の球体をかけたスイーツが飛び切りおいしそうで有名なのだ。  目当ての店に入り注文を終えた我々は、空いている席に適当に腰かけた。  店内は超満員で食べ終わった人間が席を立つとすかさず店員が食器を片付け、それと同時に別の客が座る、といった具合だったのだ。  私と友人は件のマンゴーストロベリーアイスを頼んだ。友人に至ってはそれとは別に、マンゴータピオカミルクまで頼んでいた。  実際に席まで運ばれてきたスノーアイスはパンフレット通りの鮮やかさで、大きさは想像の1.5倍ほどだった。そのうえ横には苺とマンゴーが添えられている。
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 「めっちゃ綺麗!めっちゃ美味しそうじゃん!」  「いいね!良くない!?」  乏しい語彙でひとしきりアイスを称賛した私と友人は、ついにスプーンをとってアイスをひとすくいした。  雪よりも軽く柔らかいそのアイスは、すくっている手ごたえがほぼないほどだった。  ふわりとすくったアイスを口に入れる。  雪だった。結論から言うと、良くも悪くもこれは雪だった。  そのガッツリとした色味から、もっとパンチのあるマンゴー味を想像していたのだが、基本的にはマンゴーの香りが少しする雪、くらいの味だった。つまり、雪。味がほとんどなかったのだ。  「・・・このイクラみたいなの何なんだろ」  誰ともなく呟き横の謎の球体を口に運ぶと、無味無臭の球体がはじけ中から無味無臭の液体が出てきた。  マジでなんなんだこれは。  ふと向かいの席を見ると、友人が肩を震わせて笑っていた。  「どうしたの?」  気味悪がって尋ねる私に、友人は自分の頼んだマンゴーミルクを差し出した。  「食べてみて、これ」  一口食べて、息をのんだ。  「ふふっ…。これ、常温で、無味…無臭…」  何がおかしいのか笑い続ける友人を見て、私も何故か笑いが止まらなくなっていた。  本当だ。はるばるチャイナタウンまできて結構な金を出し、得たものは無味無臭の氷の山。しかも友人の小皿いっぱいあるマンゴーミルクに至っては完全に常温。常温で無味無臭。これ、どうすればいいんだ…。  「無味…無臭…」  爆笑しながらそう呟き続ける私たちのもとに、刻々とナイトサファリツアーの時間が迫っていた。
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nanaintheblue · 7 years
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ひだか、という響きをくちびるの動きだけで確かめようとしたら、声になって呟きが漏れてしまった。運悪く近くに来ていた日高くんが耳聡く反応する。 「なに? 」 「え、あ、なんもないよ、ごめん」 目をそらしながらどぎまぎと微笑む。日高くんは目を柔らかく細めた。 「もうちょっとで上がりだから、頑張ろ」 そう言って抱えていた荷物を持ち直して倉庫の方へ向かった。もし彼の手がふさがっていなければ、あたしに恋人がいることを伝えていなければ、頭をぽんと撫でてくれたんじゃないかーーふとよぎった考えをすぐさま打ち消す。 めずらしい苗字かどうかは判らないが、初めて紹介された時から、ぴんと背すじを伸ばしたような彼の苗字がなんとなく気にいって、心のなかで唱えていた。ひだか、ひだか。ふ、と息を吐き、作業に戻る。バイト中に余計なことを考えていると、ろくな仕事にならない。といっても、慣れた作業中は、どうしても雑念が次から次へと湧いてくる。 明日は大学の授業終わりに神戸へ行く。恋人とごはんを食べて、桜を見て、お酒を少し飲んで、たぶん、たくさんふれあう。無骨なゆびが髪を梳いてくれる感覚を思いだしただけで、背骨がやわやわとゆるみ、ほどけそうになってしまう。 家に着いたらすこし奮発して買った高価ないい匂いのするシャンプーを開けて、しっかりとブローしてから眠ろう。恋人のゆびがあたしの髪をすんなりと梳けるように。
同じベッドのなかでとりとめもなくしゃべったり、うつらうつらしたりしていると、ラインの着信でテーブルの上の携帯が閃いた。【日高 尚久】の文字が浮かび、ひやりとした手で胸を掴まれたようにすっと冷たくなる。 「どうしたん」 怪訝そうな恋人の声に、なんでもないよと答えて、さりげなく、携帯を手元に引き寄せ、裏返して置いた。この人は、涼しい顔に似合わず嫉妬深いたちだ。逢瀬の間に男からの連絡が来たとしれば、怒り狂ってアドレス帳から外させかねない。 束縛されることにそこまで抵抗はないし、放任だったり浮気っぽいよりはよほどいいけれど、少しいいなと目をつけている男の子との接点を失くすようなことは避けたかった。少しずつ少しずつ距離を詰め、話す機会を増やし、時々ラインのやりとりくらいはしている。浮気だ、と咎める人がいようが、やめる気はさらさらない。 「朝、何時に出る?」 「五時半。ごめんね、起こさないで行くから」 「いや、送りたいから絶対起こして。黙って出て行ったら怒るぞ」 嬉しくなって、そっと恋人の肩にあたまを載せる。初めてそういうしぐさをしたとき、恋人は大いに照れて、少し困惑していた。すっと入り込むように男の懐に入るあたしに、馴れを感じたから、だそうだ。無理もない。恋人に比べればあたしは場数を踏みすぎている。元々人に触れることじたい、抵抗がない。むしろ、許されるのであればあらゆる好きなひとにずっと触れていたい。身体も心も距離をゼロにしたい。 ほかの人間にそういうところを見せるなよ、と恋人はことあるごとにきつく言う。お前はお前が思うより、隙があり過ぎる。特に男には。皮膚ごとぴったりと覆い張り付いてくるような激しすぎる束縛と執着に時折息が詰まりそうにもなるが、少し、優越を覚える自分もいた。 隙、だなんて。なんて楽観的な見方だろう。隙があるんじゃなく、隙をつくっているだけなのに。こちらにひとがやすやすと入ってこられるように。じぶんだって、そうやってあたしの領域に招かれたのだということに気づかないのだろうか? 恋人がすうと眠りにつく。あたまから力の抜けたゆびがゆるくほどける。あたしはあたまをそっと動かして横を向いた。携帯に手を伸ばし、ロックを解除する。ラインの表示をタッチして、さっきのメッセージを確認する。 【遅くにごめん この前言ってたアルバム聴いたよ すごいよかった 来週にでも返したいんだけどいつがいい?】 簡潔な言葉、卑屈にはならない気遣い、媚のない誘い方。ふふっとくちびるから笑いが漏れてしまい、慌てて口をふさぐ。 【ありがと!よかったらついでにランチでも行かない? 感想じっくり聴きたいな】 【じゃあ来週の火曜日か水曜日はどう?】 【水曜日空いてる すごくおいしいカレー屋さん見つけたから行かない? うちの大学の近くで申し訳ないんやけど】 【全然いいよ笑 行こう行こう!12時には行けると思う】 ぱつんぱつんと小気味良く約束の予定が面白いように決まり、あたまのすみにメモした。隣で不明瞭なねごとがもれる。寝顔をしばらく微笑みながら見つめ、規則正しく呼吸をつづける恋人に頬擦りして、灯りを消した。
バイト先での無機質な制服姿しか��らなかったから、明るいミントグリーンのシャツにブラックジーンズを合わせた姿を見ても最初は気づかなかった。慌てで駆け寄る。 「ごめんごめん私服かっこ良くてわかんなかった! お待たせ」 「……女子大前で待ち伏せるの、結構勇気いったよ? 本当女子しかいないね、当たり前だけど」 あと服褒められたの初めて、と歩きながらはにかむ。褒めたことにレスポンスがあると、とてもうれしい。人を褒めることに照れや抵抗はあまりないし見返りがあってそういうことを言っているつもりは毛頭ないが、報われた気がして心がはずむ。そういう人は、どんどん褒めてみたくなる。たぶん、あたし自身が褒められたがりで欲しがりだから、人にも浴びせたくなるのだ。 「デートどうだった?」 「楽しかった。夜桜が綺麗で、写真かなり撮っちゃった」 「夜桜か、風情あるな」 兵庫の地酒がやや辛口だったこと、頬に張り付いた桜の花びらを恋人がそっとはがしてくれたこと、別れ際に恋人が拗ねて笑ってくれなかったこと。牽制、なんかではなく、日高くんが引き出すのがうまいのでついつい恋人の自慢が進んでしまった。初めてラインのアカウントを交換した時も、ツーショットのアイコンを見て「彼氏かっこいいね」と日高くんはコメントしてくれた。 あたしが連れて行ったカレー屋さんはインド人の夫婦が営んでいるお店で、運ばれてきたナンの大きさに日高くんは素直に仰け反り、あたしのセンスを面白がってくれた。 「ここのカレーおいしい。ナンがでっかいし」 「でしょ? すごくお腹いっぱいになっちゃう。4限寝ちゃうかも」 「じゃあ眠くならないように忘れられないような面白い話するか」 じゃあ早めに切り上げる? とか、この後授業あるのに大丈夫? なんて興醒めなことを口にしないあたり、センスのある人だ。あたしはますます日高くんのことを見直してしまう。 「アルバムの感想聞かせてよ」 「あー、そうだね。気に入った曲結構あったからiPodに入れたよ。ほら」 見せてくれたリストの中には、あたしが特に勧めた数曲が全部入っていた。 「井上さんに勧められたやつ全部よかったよ」 嬉しい気持ちや誇らしさ半分、後ろめたさや気恥ずかしさも半分あった。思い入れのある曲は大概、過去の恋愛の思い出と結びついている。勿論それを伝える気はなかった。 「でもどれも、そんな幸せいっぱいって感じの曲じゃなくて、正直意外だったな。そんな暗い感じだっけ、って」 「うーん……いままで意識してなかったけど暗い曲の方が傾向として好きかもしんない」 日高くんが上目遣いであたしをちろりと見た。三白眼の白目の部分の青白さに釘付けになる。無用心に色っぽい目をする人だな、と思った。 「あたしってそんなに幸せいっぱいに見えてた?」 「あれだけ惚気ておいて違うっていうのかよ」 薄いくちびるが歪んで、悪そうな笑い方をする。好きだな、と躊躇いもなく感じた自分を恥じたのは一瞬で、あたしは日高くんのみせる表情に陶酔していた。こういう、ちょっと支配的で自然と主導権を握る男の人にむかしから弱い。 「んー、もちろん彼氏のことは大好きやよ。なんてったってかっこいいし? 本当いつも奇跡やなって思って運命に感謝しとるし」 大仰な言い方に日高くんは肩をすくめて苦笑した。 「なんだ壮大なのろけの始まりか」 「でも、まぁそれやからって全部うまくいくとか、全部が全部大好きでできてる恋愛って、ないでしょう? たまにはいらついたり腹の立つことだってあるよ。当たり前やん」 「本気? 再三言うけど意外だな、いつもでれでれしてるイメージ強いから」 「そんな締まりのない人間じゃないってば」 運ばれてきたチャイを飲む日高くんのゆびを盗み見る。恋人のものよりやや短く、浅黒くて筋張って膨らんで見える。そのわりに爪は小さく、貝殻のようだ。 「日高くんの爪、かわいい」 「はっ? ありがと……いや、あんまり自分の指好きじゃないから、褒められると恥ずかしいな」 決まり悪そうにゆびを隠そうとする。あたしは思わず手を伸ばしてゆびにふれてしまった。とても熱かった。 日高くんがあたしを見つめて目を見開き、ゆっくり細めた。値踏みされている。品定めされている。嫌いじゃない。自分が気のある男であれば。 おもむろに日高くんが口を開いた。 「また会うよ」 会おうとか会う? とかではなく、断定だった。あたしはにっこり微笑んでみせた。
恋人は支配的なセックスを好む。分かり易いなぁ、と初めて肌を合わせたときにそんな感想を抱いた。それとも、経験人数の多いあたしへの当てつけか、プライドをなんとか保つための自己防衛なのか。べつに、ひとりよがりだとか乱暴なだけとかではない。恐らく上手な方なのだと思う。征服されてるなぁ、と胸板のしたで実感した。 滑らかな背中にぺたぺたとまとわりつきながら、ああこのひとが好きだと漠然と思う。性格も相性もお互いにとってのベストではないことは重々わかっていても、結婚するならこのひとだな、と思う。大好きだ。なぜなら、恋人があたしのことを大好きだからだ。絶対的な愛情、肯定は、他の人が思うより価値がある。そういうのを重いと捉える人は多分、自分で肯定ができている完結した人間なのだ。あたしはとてもじゃないけど、人から肯定してもらわないと生きていけそうにない。ーーそれも、異性からでないと。 いままで付き合った男の人たちなんか比べものにならないぐらい、いまの恋人は執着心や独占欲が強い。真っ正面から全力疾走であたしにぶつかってくる。自分から率先して、傷つき、あたしを責めたり、打ちひしがれたりして、それでもガラスの破片を自分から浴びにこようとする。あたしを完全に自分のものにするために。 「俺のこと好きか」 大きな二重まぶたが真っ直ぐにあたしを見下ろす。言葉自体は媚びているのに、ほとんど抑えつけるような強く支配的な響きだ。 「好き。大好き。本当に好き。好きすぎてどうにかなりそうやわ」 整った顔がくしゃりと笑みに変わる。うわこの人かっこいい、と思いながら、あたしは腕を伸ばして背中に手を伸ばした。
日高くんから誘いがあった。展覧会に行かないか、と。 「別に著名なアーティストの展覧会とかじゃないけど、無料ペアチケットだし、どうよ」 バイト先の休憩室で、日高くんはにこりともせずに財布からチケットを出して振って見せた。日高くんはうちの大学の隣の市の美大に通っている。美術展にも頻繁行っている、と以前他のバイト仲間もいる場で言っていた。あたしは「お洒落やね」くらいにしか特に反応した覚えはないのだけれど、なぜ誘われたのか。 正直、日高くんの言う通りあまりそそられはしなかったけれど、美術展自体はきらいではない。というか興味が一切なかったとしても、日高くんからの誘いなら話は別だ。 「行きたい! でも、なんであたし?」 さりげなさと無神経さを装って尋ねてみる。そりゃ、と日高くんは照れもせずに肩を竦めた。 「井上さんが芸術作品に対してどういうふうに観るのか、ちょっと面白そうだなって」 「なるほど。あたしのセンスを試してるわけ?」 ずばっと口にすると、日高くんは喉をくっと鳴らして例の悪そうな笑みをこぼした。 「ま、そうなるわな。あとこれ結構使える期間狭いけど大丈夫?」 「んー……木曜日の夕方とかなら」 「じゃ来週の木曜行こうか」 頷くと、バイトリーダーが休憩室に入ってきた。「そろそろ交代しますか」と日高くんが立ち上がる。みるともなく背中を見送っていたら、去り際にちらとあたしを振り向いた。片方だけ口角を少し上げてみせる。 共犯者の顔で、あたしも笑い返す。ああ、何着ていこう。
七十年代のフランスの画家の作品は抽象画ばかりで正直まったくぴんとこなかった。まぁこんな色合いのシャツワンピとかあったら可愛いかもなぁ、と思ったくらい。日高くんは意外なほど真剣に絵を鑑賞していて、あたしは彼の五分の一ほどのスピードで回り終えてしまい、美術館のホールのベンチに腰掛けて待つことにした。退屈を押し隠して付き合うのはしょうじゃないし、あたし自身、相手にそういう気の遣い方をされるのはきらいだった。 「ごめん、遅くなった」 頬をぴかぴかと火照らせて日高くんが来たのはそれから一時間後のことだった。あたしは携帯でツイッターをいじったり、パンフレットを眺めたり、持ってきていた文庫のエッセーのを読んだりしていたから、退屈ではなかった。外はすっかり夜の気配がしっとりと降りてきて、どきどきしていた。 「ううん。こっちこそごめんね、普通に興味湧かなかった」日高くんが噴き出す。 「そうだと思った。それが普通の感性だと思うよ、むしろ美大生でもないのに熱心に抽象画鑑賞されたらちょっと俺傷つくわ」 あはは、と笑うと、なにか差し出してきた。ポストカードだった。 「お詫び。井上さんが好きそうなやつにした」 今日の展覧会の画家の作品ではなく、中心でバレリーナが踊っている絵だった。美術の教科書でも見たことがある、有名な名画だ。 「ありがと。日高くんの中のあたしのイメージってバレリーナなのね?」 「いや……? なんでだろうな。バレリーナっていうか、まぁ、踊り子の方が近いかな。井上さんはエンターテイナーっぽい感じがする」 何それ全然ぴんとこないよ、と笑いながらポストカードをしまった。エンターテイナー、というか、媚びたがりなだけなのだけれど。誰にでも媚びるほど尻軽なつもりはないが、好みの男、少なくとも日高くんに対してはしっかり媚を売っていることだけは認める。 つまり、日高くんの見る目はとても正しい。 「飯食うか」 坊ちゃんめいて上品な言葉遣いをしているイメージのある日高くんがめし、という単語と食う、という表現をしたのが意外で、また少しときめく。ーーいや、あたしはもうすでに日高くんから発せられるものならなんだって好いのだ。「ごはんにする?」だろうが「食事に行こうか」だろうが。 「行く! 何食べようか」 「そんなに腹減ってるわけじゃないんだよな。せっかくだし、いいものを少しずつ食べるか」 日高くんが出口の方に目をやったので、立ち上がる。ほぼ無意識に手を差し出そうとしている自分に気づいて、慌てて手を引っ込めた。一瞬のこととはいえ、不自然な仕草の連鎖に日高くんは怪訝な顔をしていたが、はは、と短く笑った。 「そんなことしたら彼氏に殺されそうだな」 「どっちが?」 決まり悪さを開き直ってぐっと身を乗り出して日高くんの目を覗き込む。さりげなくそらされたが、嫌悪からではないことは読み取れた。 「俺に聞く? んー、両方?」 「うんたぶんあの人なら両方殺すと思う」 「すごい男と付き合ってるね」 「ほんとそうでしょ。いまでも信じられんなって思うことある」 美術館を出る。あたしは歩調を合わせながら、ていっと日高くんのジャケットの裾を掴んだ。 「ん?」 日高くんが、前を向いたまま声を漏らす。 「なにかをつないどらんと迷子になるから。厭?」 「……女子の友達でもそうしてんの?」 「そう見える?」 日高くんは肩をすくめた。ひとりごとのようにぼそっと呟く。 「井上さんって本当恐ろしい女だね」 最高の褒め言葉だ。
日高くんが晩食に選んだのは老舗の和食屋さんだった。運ばれてきた秋刀魚の塩焼きをあまりにも器用にほぐして食べるので、丁寧にお魚を食べるね、と褒めると、「丁寧に作られたものはそりゃ丁寧に食うよ」と澄ました顔で答えた。 「俺だって、ここがサイゼリヤならもっと豪快に食うけどな」 「なるほどね。雑なものには雑に、精巧なものは丁寧に、相応な対応するわけね」 「よくわかんないけど、まぁ、そうなんじゃない」 時間が経つにつれ、日高くんの言葉がくだけて乱暴になる。心をひらいているから突き放すような話し方を選んでいるのがわかるから、そっけなくされるほど、心を許されたようで嬉しい。 「ねぇ。日高くんは会った頃はわたしに丁寧に接しとったよね」 何を言いたいのかわかったのか、日高くんは小さく噴き出した。 「でも、そっちだっていかにもいいとこの女子大のお嬢様〜って感じだったじゃん」 「普通にしとっただけやもん。いまだってそのつもりですけど?」 「嘘つけ。どこがいいとこのお嬢様だよ。むしろ」 そこで日高くんは口ごもった。言いたいことはわかっていたが、いじわる半分で「むしろ?」と促すと、ばつが悪そうな顔でつづけた。 「女の子の皮をかぶった男……いや、ごめん、思いつきを言っただけで深い意味はないからそんなに深く捉えないで欲しいんだけど」 勝手に慌てだして必死にフォローしているが、あたしは愉快だった。気を悪くするどころか、褒められた気分だった。 「ありがと。すごい嬉しいよ」 「うわ、ほんと、笑顔で言われるとかなりくるな……ごめんなさいすみ��せんでした失言だったわほんと」嫌味のつもりで言われたと勘���いしているらしい。 そういうたぐいのことを直接異性に言われたのは初めてだったが、あたしは自分で気づいていたので付き合う男の人には「あたしって男みたいでしょ?」と牽制も込めて言うことは結構あった。大概、「確かにな」と頷かれた。付き合いが長ければ長いほど。 「話を戻すけど、だんだん扱いが丁寧じゃなくなってきたよね。今の発言も含めて」 「いやだからそれは……別に丁寧じゃなくなったんじゃなくて、うーん、最初の印象は真面目そうだったし、堅苦しい子なのかなって思ってたら、全然違ったからさ。いや、いい意味でね」 「違った? まぁ、いい風にならいいけど」 「うん……んー?」 少し考えて、日高くんは「もしかして俺、誘導尋問にかけられた? 言わされた感がある」とむすっとした。時間差で恥ずかしがっている。お酒なんか飲んでないのに顔が赤い。 「あー、なんか、すげー悔しい。ほんとうまいよなそういうの」 「ごめーん、わたし、自分が欲しい言葉引き出すのに努力は惜しまんから」 あー悔しい、と日高くんがあまりにも言うので、あたしも差し出すことにした。 「わたしは日高くんの印象あんまり変わってないよ。思ったより愛想悪くはないんだなってくらい。最初から悪い印象持ってなかったからなぁ」 「印象ねぇ」 「私の彼氏の顔覚えとる? いかにも正統派男前な」 「なんすか突然ののろけっすか」 「違う違う。いや、違わんけど。まぁ、彼氏の顔かっこいいなぁとは常に思っとるけど、いままで好きになった人とか好みの顔はああいうんじゃなくて、むしろ日高くんみたいな塩顔の男の人の方が好きなんやぜね」 日高くんの細いひとえの目が驚愕を映してみひらかれる。 「褒めてるの? いや、え、ありがとう。それは普通に意外かも」 「たまに彼氏にあなたの見た目は好みドストライクではないって言うとちょっとへこんどるもん。まぁ、あれだけかっこよかったら、見てくれを否定されたことなかったんやろうね」 「ちょっと胸がすく話だな。あ、言うなよ」 日高くんの目の下が小さな丘のようにふくらむ。たぶん、あたしも同じ顔をしている。わるい目つき。 談笑をして、お店を出た。時刻は九時を少さし回ったところだった。 「明日何限?」 「午前休。日高くんは?」 日高くんはあたしの視線から逃れるようにぐーんと伸びをした。 「二限から。んー、もう帰した方がいいんだろうけど、そんな箱入りのお嬢様ってたまじゃないってわかっちゃったしな」 思わず声に出して笑ってしまった。 「わかっとるね。うん、まだ帰る気は無いよ」 足の間をすり抜ける夜風があたたかい。ストッキングのしたの素肌が汗ばむ。 「すごいな、」 笑い声混じりに日高くんが呟く。 「そういうこと言われると、男は怯むよ?」 「怯む? 興醒めってこと? うーん、あたし、狩られる側にはあまり向いとらんね」 「いや、むしろ向きすぎてるんだと思うけど……あ、やっぱなんでもない」 進むともなく歩く。「どこ向かってる?」「いやどこも」ーーすでにこのやりとりが茶番くさい。 はやく、 「あたしが思うに、狩る狩られるって、そんなに大差ないと思うけどね」 「ふーん?」 「合意があれば、どっちも対等じゃないかなって」 はやく。 「合意ね」 ふわっと息を吐く気配がする。「確かめようがないから、怖いよな」 「そりゃあね。でもだからやめられないのかもよ」 ふみこんで。 「そっか」 闇の中、日高くんの白い喉仏が動く。冷酷とも取れそうな、射抜くような鋭い目つきであたしを見据える。 「じゃあ遠慮なく」 聞いたことのない低い声で呟き、あたしの手を取った。そうされて、あたしがどれだけこうなるかを待ち望んでいたかをあらためて自覚した。 日高くんの腰の骨は木の幹みたいにしっかりとしていて、随分丈夫そうなつくりだった。 「なに」 「ううん、もし海に漂流して、日高くんの腕か脚かが流れてきたら、それにしっかりつかまってればちゃんとどこかにはたどり着きそうだなぁって」 「人の躯見てそんな感想持たれてもな」 日高くんの住むアパートは築三十年ほどの木造だった。「全然お洒落な感じしないね」というと、「俺にどんなイメージ持ってるんだよ」と不本意そうな顔をされた。 アパートに連れられ部屋に押し込まれ、何をされるのだろうと純粋にわくわくしていたら、まさに期待通りの展開を起こしてくれた。「お酒飲む?」なんて退屈な茶番もなく、簡単にあたしのうでを抑え込んでベッドにつれていかれた。 「……本当に抵抗しないな」 あたしを見下ろして呟きを漏らす。 「抵抗した方がよかった?」 「あまりにも委ねられると、逆に罪悪感でいっぱいになるんだよ」 罪悪感でいっぱいなわりにはこんなことしてるんじゃん、というと、「うるせっ」と冗談まじりに頬をつままれた。 「同意の上で、っていうふうに取れば楽になれるよ?」 見下ろされたまま溜息をつかれた。そして長い時間黙り込んでいるので、あたしは不安になった。 「……俺は」 不意に呻き、あたまごと掴まれるようにしてくちびるがかさなった。乱暴な動きの割りに、合わせるだけの清潔とも言えるキスだった。そのギャップに少し興奮する。 俺だけのせいじゃないから、と言いながら服を脱がされ、あたしはおいしく食べられた。苦悶するように眉をしかめてむさぼられ、あたしは悲鳴を上げ続けた。支配したのか支配されているのかもうよくわからない。もうすべてがどうでもいい。いまこの瞬間だけがすべてだ。それ以外何を言われてもあたしはなにも信じない。 あたしのせい? 日高くんのせい? 後押ししたのは確かにあたしだし、脚本も演出もあたしの用意だけれど、決定権はすべて日高くんにあったはずだ。 合意の上じゃん。 日高くんがあたしに覆いかぶさって、欲しいよ、とかすれた声でもらした。井上さんが欲しい。 「それって性欲?」 「……性欲だけに見える?」 あたしはこたえず、日高くんの首すじを強く吸った。わずかに塩辛い。 「俺のものにできないんだったら、せめていまは楽しもうかな」 日高くんの目が獣みたいにひかる。日高くんの躯から、和室みたいな匂いがする、気がする。あたしも余計なことを考えないように、行為に没頭した。いつだったか可愛いと思った日高くんの指が胸の先をきつくつまむ。思わず悲鳴を上げた。 明後日は恋人と会う。恋人はきっと、あたしを抱いても裏切りに気づきはしないだろう。そしてあたしも、素知らぬ顔で愛を囁くのだ。
2015.5 中学時代からの友だちに「わたしの話を書いて」と頼まれて書いたもの。変な話だが自分を書いてもらえて羨ましい。
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neu-ve · 7 years
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WEB内覧/パウダールーム2
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パウダールームの続きをご紹介します。
前回の記事はこちらから。 間取りが気になる方はこちらからどうぞ。 左上の黒い四角のTAGS内からPlanカテゴリーをお選び頂くと、間取り図や過去のWEB内覧をご覧頂けます。
家全体が白を基調としたM邸ですが、パウダールームの意匠は特に、小物を新調するだけで部屋の雰囲気を変えられるような、何年経っても“プレーン”な空間であることを大切にしました。
木・石・ガラス・金属…様々なテクスチャーを選べる家づくりにおいて、プレーンな意匠は悪く言えば無個性ですが、どんなものを置くかで空間全体の捉え方を柔軟に変えていけるような家づくりが自分たちに合っているのではと思ったからなんです。
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水栓と洗面器はフォンテトレーディングのもの。
壁付け水栓は、金具も工事費も少しお高くなりますが、濡れた手で触っても水栓元にカルキ汚れが溜まらず、ストレスフリーなのが最大の魅力。
こちらのBX-5209タイプの水栓(スパウトの長さは同額で変更可)は、クロームなので指紋は付くものの、持ち手が細いため気になりにくいです。 水の滴りを考慮して、本来の付け方と天地を逆にして頂きました。
洗面器は、B1-B1001。
カウンター自体が2200mmと長いので、それぞれの幅が伝わりにくいかもしれません…でもこちらの商品は1000mm幅であり、洗面器の中ではかなり長めなものです。
きっと本来は水栓を2つ付けて、ダブルシンク使いにする仕様…セレブ専用やでこれ…!と一瞬たじろぎましたが、他にはあまりない幅の長さ&浅めでほぼ平坦な形状であることが決定打となって導入しました。(セレブでもなくダブルシンクにする必要性もないので、まさかのシングルシンクで申し訳ないっ!)
洗面器には、“埋め込み型”や“壁付け型”など様々なタイプがありますが、主人も私も腰をなるべくかがめない姿勢のまま使用したかったので“置き型”(カウンター上タイプ)に拘りました。 置き型ですと、カウンターと洗面器が別々なので素材感などの選択肢の幅も一気に広がってくれます。
洗面器を選ぶ際、陶器製なのもポイントでした。 メーカーによっては品質が悪く割れやすいものがあるので注意が必要ですが、陶器は変色もしにくく傷も目立ちにくいので、永く経年劣化に耐える気がしています。
陶器自体は完全にシームレスなので、頻繁に拭き掃除をしてもミクロの汚れを繫ぎ目に押し込めてしまう心配もありません。
ご覧の通り、とても浅い洗面器なので水跳ねを覚悟していましたが、所作が荒くなければ案外大丈夫でした!
洗面器がワイドなおかげで、カウンター側には水跳ねは皆無です。 そして、水跳ねがあまり激しくなくとも、すぐに拭きとる習慣がつきました。
洗顔後は、使ったフェイスタオルでついでにサッと洗面器まわりを拭いて、そのまま隣の洗濯機に放り込む…という流れ。
旧居の賃貸では、湾曲した深い洗面器(よくある賃貸用の既製品洗面化粧台タイプ)で、気付いたら端に汚れが溜まったりしていたのですが… 今は毎日拭いているので自然とキレイをキープ出来るようになりました。
深い洗面器で水跳ねを気にしないよりも、浅い洗面器で水跳ねをすぐ拭く方が私達夫婦には合っていたみたいです!
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浅めで平坦な洗面器が良かったのは…これのため。 生活感…(笑)
毎度クリーニングに出せない程に、主人の服が仕事着含めシャツ率が高く、襟袖をかなり頻繁に予洗いする我が家。(撮影用に洗濯済みのものを置いています。アイロンがけ前でグシャッとしていてすみません)
旧居では、この予洗い作業には強い違和感があって… 洗面器が円形だから重力で服がめくれるわ、底が深過ぎてめっちゃ腰をかがめないといけないわ、結果腰が痛くなるわで、マイナスイメージが強くついつい後回しにしてしまう家事でした。
無意識に憂鬱になってしまう家事の原因。 そういう部分は家を建てる前にどんどん引き出して、出来るだけ不安要素を一つずつ解決したい。 そんな家づくりにすることを意識した結果、選択した洗面器です。
今は本当にこの作業が楽になりました〜…!
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襟元を洗面器の立ち上がりに合わせると、スプレータイプの洗剤が襟首と袖口をピンポイントで狙えるようになり、凄く時短なのです! また、スポンジヘッドタイプの洗剤でも、底面が浅いため力が入れやすく、耐水の机上で工作してるような楽な作業感。
私はあまりしないのですが、浸け置きの場合は水のはみ出しにさえ気をつければ、汚れの確認もしやすいかも。
一度にシャツを2枚(多いときは重ねて4枚)置けて、横幅の広さもとても重宝しています。
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カウンター下は、ボトルトラップで壁排水にして頂きました。 S字トラップ等の床排水型と比べ、とてもスッキリした配管のため、面材をつけて隠したりせず、露出のままに。
壁排水なら、床面に一切の接続部がないのでフロート(浮かせる状態)の意匠にすることが可能です。フロート状態は、本来の床面積をそのまま見せることが出来るのが最大のメリット!通路幅がとても広く感じます。
カウンター下には、片持ち階段を制作して頂いた鉄骨業者さんに、カウンターと合わせた2200mm幅の鉄板の設置をお願いしました。(片持ち階段の記事はこちら)とても薄く軽やかな印象なのですが、鉄の為に実はとても重たい棚で、死角に支柱が4本入っています。
カウンターの白と少し区別するために、窓枠に合わせたライトグレーで塗装屋さんに仕上げて頂きました。
こちらの棚はタオルを置くのが目的。 タオルは、この部屋唯一の見せる収納(オープン)にしたいと思いました。
洗顔後もお風呂上がり後もサッと取り出せる位置で、とても実用的です! その日の気分でピックアップして、タオルのローテーションも満遍なく使えています。
見せると言っても目線よりは下で、タオルの間隔も余白を広くとれるため、そんなにゴチャついた印象にはなりにくく安心。
このタオル棚の下には、スツールを置けるように座面(約40cm程)に合わせて高さを設定して頂きました。どんなものを買おうか迷い中…
アイロン掛けもこのパウダールームで行う洗濯動線なので、その際に腰掛けたり。それから夏のお風呂上がりには座って涼めると嬉��いなぁと思って^^
何よりオープン収納は、面材の付いた収納をつけるよりも低コストにしやすいのが嬉しいポイントかも知れません。
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右側に目線をふると。
残念ですが、THE・国内製デザイン!のドラム式洗濯機が置いてあります。まだまだ使えてしまうので、しばらくはこれを使いつつ貯金して…将来、もっとスマートな洗濯機にチェンジする予定です。
ミーレなどの海外製に出来ると…いい…んだけど。(価格が凄いのであくまで夢) 国産ももっと素敵な洗濯機が増えてくれますように。
防水パンは、自己責任であえて付けませんでした。 無い方が見た目はスッキリしますが、当然、本来は設置した方がいいものです! M邸では設置場所が1Fで、隣接するカウンターもフロート状態であり、床自体が屋外で使用するようなFRP防水なので、勇気を出して減額で削りました。
この洗濯機の位置を中心に、洗濯物の動線は全て3歩くらいで終わるような収納計画にしてあります。
奥に見える廊下の先は片持ち階段の1段目。 ここは階段兼スリッパを収納している場所で、洗濯&乾燥したスリッパはこちらにサッと戻しています。
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海外製の洗濯機であればこういうものは見えないのですが…日本製の洗濯機だとどうしても、コンセント等の位置は洗濯機よりも上に付けなきゃいけないので、隠蔽できないのが悲しい…特にアース線…
せめて洗濯水栓はコンパクトなものをと思っていたら、Wさんが既に選んでいて下さいました。カクダイの72161613です。
将来、海外製の洗濯機にする場合は、日本製のものと水栓の位置自体が違うのでリフォームが必要になってしまいます。 その為あらかじめ配管位置を相談して、リフォームの際に問題のないよう水栓のラインだけ揃えて頂きました。 電圧も海外対応の状態(100Vではなく200V)にして下さっているので安心です。
大事に使いたいけれど、家電はどうしても永遠の物ではないんですよね。 これから家づくりをされる方で、海外家電の導入を迷われていらしたら…どう転んでもやりやすいように、配管や配線だけは将来を見越した状態にするのがベターですよ。
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ところでここまでにタオルや鏡まわりの収納はご紹介しましたが、洗剤やシャンプーのストックなど、その他もろもろの生活品の収納場所はどこなのかというと…こちらのくぼみ!
くぼみ(笑)
減額調整の際に全て削ったので、とても収納には見えませんね…! 予め下地を入れて頂いてあり、これからセルフで棚を取り付けていきます。
そして、柱とツラを合わせて扉も。 近い将来、このくぼみはフラットに隠れる予定です。 ですが建具は高額!なので、実はこの幅はIKEAのPAXという洋服収納システムの扉の幅に合わせて頂きました。色合わせは私がセルフペイント出来るので問題ないのですが、金具(ヒンジ)は上手くいくかなぁ。取り付けたらまた記事にしますね!
収納できる量が中々あるので、日用品のストック以外にも… 1.下着、2.肌着、3.ルームウェアの3種の衣類をここに収納します。
お風呂上がりにすぐ着用し、一番洗濯の頻度が多いのがこの3種。 浴室と洗濯機のどちらからも、たった1歩ほどですぐにアクセス出来るよう、WICではなく絶対にパウダールームに収納しようと思っていました。
また収納の奥行きは、アイロン台のサイズに合わせて頂きました。 折り畳むことなく納められ、パウダールーム内でそのままアイロン掛けも出来るようになっています。
着用・洗濯・乾燥・アイロン・収納のループを全て洗濯機から最短距離で済ませようとしたズボラ動線です。(洗濯動線のはまた別記事でまとめる予定です)
パウダールーム…でもあり、実は家事室の役割もとても強いこの部屋。 ここに全てを集めたことで結果的に広い面積をとれました。
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リモコン類もこちらに隠蔽。 ご覧のように、M邸の給湯器や浴室乾燥暖房機のリモコンはスタイリッシュなものではありません!なにこの解りやすさ最優先のデザイン…。 こんな感じのスタイリッシュなリモコンも存在しますが、リモコン単体が高額な上に、リンクできる給湯器本体も限られています。すると比例して全体のコストもグッと上がってしまいます。
給湯器の機能性としては、お湯が出てくれて、温度を調節出来て、自動でお湯張りしてくれればもう充分(なんか既にワガママ言ってる気がするくらい)だったM邸は、グレードの高い給湯器を選ぶ必要がありませんでした。
リモコンが美しいことに越した事はないですが、隠してしまえばそれを選ぶ必要性もなくなり、全体のコストも抑えられます。
もしも、給湯器・浴室乾燥暖房機の両方のリモコンがそれぞれスタイリッシュになったとしても、同じ空間内でリモコンの素材や色の分配やフォント��“別の雰囲気”だったら、結局隠してしまったと思います。
電気系のデザインはどんどん古くなってしまいがちなので、インターホン同様(インターホンの記事はこちら)徹底して隠蔽する方が大切。
旧居では、お風呂の中に給湯器リモコンが設置されていました。 それ故にリモコンに水滴が飛んでカルキ汚れが付いたり、設定温度を主人が頻繁に変えるため私が気付かず冷水を浴び、むぅぅ〜となる原因になったり。 何かとデメリットが多かったのですが、今はそれがありません。
リモコンは隠す…これが最高の対策や!ズバ〜ン!
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最後に、ホールからのビジョン。
ご覧のようにパウダールームはドアレスです。
現状は夫婦二人暮らしで特に隠すような部屋と感じないので、減額調整の際にドアは無くしました。
ドアが無い方が、廊下から広く見えるし自然光も漏れるのでけっこう好きなのだけれど…子供が出来たり民泊を始めたりしたら、建具を足せるようにあらかじめ下地を入れて頂いています。
以上が、M邸のパウダールームでした!
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takeya-tobanyoku · 2 years
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 夏休みも間もなく終わりますね~🍉 🧓「なんだかここのところ、体調が思わしくなくって…今日からしばらく通ってみますね」 👨‍🦳「夏の疲れが出たんだろう」 💁「いま、3日連続入浴チャレンジっていうキャンペーンをやっているんです。3日間連続で通って頂くと最終日に無料券を差し上げていますので、こちらのスタンプカードをお持ちください」 🧓「あら、夏休みのラジオ体操みたいね(笑)」 💁「朝夕涼しくなると怠くなりますよね。ゆっくりお昼寝して帰って下さいねˊᗜˋ」 #夏休みのラジオ体操 #夫婦で陶板浴 #陶板浴デート #3日連続入浴チャレンジ🌞 は9月末まで✨ 陶板浴のスッキリ温活で残暑を乗り切ろう☺︎ 期間中3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は秋に効く🍂 𝕡𝕚𝕔𝟚 チャレンジ達成コメント紹介中ˊᗜˋ 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 陶板浴に入って 帰りに醗酵ジュースを飲みリフレッシュする。 Oさん 男性 70歳代 龍ケ崎市 #醗酵ジュース #リフレッシュ ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ 秋ダルは早め早めに対策を ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 \ メタトロン体験会 / 8月30日(火)90分10.000円 櫻井涼凪さん 𝟙 10:00- × 𝟚 11:30- ○ 𝟛 13:30- × 𝟜 15:00- × 𝟝 16:30- ○ 予約状況は更新されません。 体験希望の方はお気軽に お電話,DM,コメント下さい˙▿˙ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ≪9月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 10日(土)~19日(月)敬老の日キャンペーン🍂 1日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 5日(月)足もみ若石 7日(水)足もみ若石 7日(水)ファスティング説明会 8日(木)ストレッチ&フラダン♡ 10日(土)敬老の日キャンペーン🍂開始 12日(月)内臓整体 14日(水)足もみ若石 15日(木)ストレッチ&フラダン♡ 16日(金)ちくちく大人手芸部♡ 17日(土)月1土曜日学習会♡ 19日(月)足もみ若石 19日(月)笑いヨガ♡ 19日(月)敬老の日キャンペーン🍂終了 20日(火)椅子ヨガ ♡ 20日(火)抗酸化リフォーム相談会☖ 21日(水)氣功 21日(水)幸ちゃんのスマホ教室 22日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 23日(月)内臓整体 26日(水)足もみ若石 27日(火)腱引き 28日(水)足もみ若石 28日(水)がん交流会⚘ ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 敬老の日キャンペーン🍂 / 9月10日(土)~19日(月🎌) #リフレケット #リフレパッド #リフレクッション 期間中、対象商品、8%OFF✨ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- (at 株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/Ch06RZJJSB_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeya-tobanyoku · 2 years
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 𝕡𝕚𝕔𝟙 お手土産にいかがですか?? 最近の陶板浴は食べ物がたくさんあるんです。 なんだかご縁があって… つまり、食いしん坊なんですˊㅿˋ 𓇥 生板納豆 ¥260- 国産有機大豆にこだわった、臭みのない、豆の甘さが上品なお味です。 @manaita_natto 𓇥 手作り無添加ブルーベリージャム ¥650- 薬学博士の野本篤志さんが育てた無農薬ブルーベリーがたっぷり。甜菜糖と有機レモンだけ。 @ atsushi.nomoto.71 𓇥 抗酸化りんごのストレートジュース ¥1.080- 減農薬・抗酸化農法で育った、とっても味の濃いジュース。本数限定品。 𓇥 うふふのモト ¥300- / ¥330- 寺田本家の酒米で作ったノンアルコール発酵甘酒。発芽玄米が人気です。 @ teradahonke 実は他にもたくさん、いろいろ、 美味しいモノあります。 最近は無農薬夏野菜がわんさかあったり、 お醤油が美味しくなる魔法の瓶とか、 暑い夏にピッタリのピリッと辛いレモン調味料とか、 食べ始めると止まらなくなる危険な無農薬落花生とか、 添加物ゼロにこだわったレトルトカレーとか、 スタッフ一押しのごま塩とか… おいおい紹介させて下さい(๑´ڡ`๑) 身体に優しく美味しい物も ☞ @takeya.tby 𓅨 お気軽にお電話・DM・コメント下さい‪‪ 𓂑 𓌈 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔𝟚 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 「3日連続は無理~」とずっと思っていましたが、 月1学習会に参加したくて 土曜日にこられるHさんを誘い、 日曜日にこられるTさんを誘い、 祝日には主人に付き合ってもらい、 見事達成出来ました。 なんだか嬉しいで~す! Dさん 女性 60歳代 印西市 #お友達と陶板浴 #夫婦で陶板浴 #陶板浴デート♡ ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻‍❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 8月13日~8月15日お盆短縮営業 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 11日(木)ストレッチ&フラダン♡ 13日(土)短縮営業(朝6時~昼12時) 14日(日)短縮営業(朝6時~昼12時) 15日(月)短縮営業(朝6時~昼12時) 16日(火)椅子ヨガ ♡ 17日(水)氣功 17日(水)幸ちゃんのスマホ教室 18日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 6/13-15 6:00-12:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/ChDjF-YBUoE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeya-tobanyoku · 2 years
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 昨日は #エネルギー医学 の第一人者 #永野剛造先生 の講演会でした。 心の持ち方、生き方が発病だけでなく、 治るのにも重要! ではどうしたら良いのか? をじっくり解説頂きました。 #安保徹 先生が初められた #日本自律神経免疫治療研究会は 永野先生が引き継がれ、9月11日には 「 #安保理論への回帰 」 として一般の方も参加できる学会があるそうです。 #日本自律神経病研究会 または #永野医院 へお問い合わせください。 陶板浴で #週3回以上の人が元気 なのはなぜか #仲の良い夫婦は治りが早い のはなぜか #自分で治療を決められる人は治りが早い のはなぜか そんなお話もありましした。 病と心、エネルギー医学の話、面白かったですよーˊᗜˋ 26名ものご参加を頂き、 みなさん健康の意識の高さが伺えます✨ その他にも健康情報は ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔𝟛 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ೭✍︎ 健康維持のため こうゆうイベントを もうけていただいて 感謝です。 女性 60歳代 #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻‍❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 8月13日~8月15日お盆短縮営業 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 10日(水)足もみ若石 10日(水)ファスティングセミナー♡ 11日(木)ストレッチ&フラダン♡ 13日(土)短縮営業(朝6時~昼12時) 14日(日)短縮営業(朝6時~昼12時) 15日(月)短縮営業(朝6時~昼12時) 16日(火)椅子ヨガ ♡ 17日(水)氣功 17日(水)幸ちゃんのスマホ教室 18日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 6/13-15 6:00-12:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/Cg-9_yWLfLs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeya-tobanyoku · 1 year
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⚘ 花粉症の方へ④ 抗酸化の粉石けんが使える( -`ω-)✧ #テラパウダー 👨夫(10年来の花粉症) 「あの石鹸なら外干しされても大丈夫。 あとね、絶対持って歩いたら良いよ。 外から帰ってきたらシューっとやると 花粉を持ち込まないからね」 #陶板浴体験談 #花粉症 #静電気防止 👩妻(私は花粉症ではありません) 「花粉の時期は粉石けんを水で溶いた スプレーボトルが玄関に用意してあって、 夫が家にいて私が外から帰ってきた時など シュッシュッて、『私は害虫か?!』 ってくらいスプレーされます(¯―¯٥) 布団は外干しすると分かるみたいで、 せっかくお日様にあててふかふかになったのに、 シュッシュされて湿っちゃいそうで嫌なので、 夫がいない間に私がかるーくスプレーしていますw やっぱりお日様のふかふかは幸せですよね☀︎」 早め早めの養生とお手当で、 今年こそ楽に乗り切りましょう🌸 たとえ花粉症でも夫婦仲も大切です(笑) 心から体も楽になる、健康情報を発信中٩(ˊᗜˋ*)و♡ 竹屋陶板浴の様子はコチラ ▹▹▹ @takeya.tby - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 春の手仕事マルシェ🌷 / 期間:3月9日(木)~11日(土) 陶板浴のお客様同士で手作りの物を見せ合いっこ♡ お友達と一緒に遊びに来て下さい☺︎ 3/9(Thu) ⚘ 石井とみ子 ・紙バンドかご・手作り和菓子 ・抹茶も頂けますψ(´ڡ`♡) ŧ‹”ŧ‹” 3/10(Fri) ⚘ coco’s crochet ・麻ひも手編みバッグなど ⚘ 手作りの店 ・紅型染め布小物 ⚘ 月筆 ・筆文字作品の展示販売 3/11(Sat) ⚘ 月筆 ・筆文字作品の展示販売 ⚘ ジェリービーンズ ・着物リメイクと和柄雑貨 ⚘ 浅野秀子 ・衣 ⚘ あまぶー ・トンボ玉 ⚘ グリーンカフェ ・着物帯リメイク&ワンちゃんの手作り服 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 ≪2月のスケジュール≫ 28日(火)腱引き𓇼 28日(火)玄米お握り販売 29日(水)足もみ若石𓇼 ♡:参加費無料 𓇼:整え会 𓁙 :キャンセル待ち ≪3月のスケジュール≫ ⋆⸜ 9日~11日 春の手仕事マルシェ🌷 ⸝⋆ 1日(水)足もみ若石 2日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 6日(月)足もみ若石 7日(火)玄米お握り販売 8日(水)足もみ若石 8日(水)ファスティングセミナー♡ 9日(木)ストレッチ&フラダン♡ 9日(木)春の手仕事マルシェ⚘♡ 10日(金)春の手仕事マルシェ⚘♡ 11日(土)春の手仕事マルシェ⚘♡ 12日(日)「体の声を聴く」♡ 13日(月)内臓整体 14日(火)玄米お握り販売 15日(水)氣功 15日(水)スマホ教室 16日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 17日(金)大人の手芸クラブ♡ 18日(土)「温熱と抗酸化の話」♡ 20日(月)足もみ若石 20日(月)笑いヨガ♡ 21日(火)椅子ヨガ ♡ 21日(火)玄米お握り販売 22日(水)足もみ若石 22日(水)がん交流会♡ 23日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(月)足もみ若石 28日(火)腱引き 28日(火)玄米お握り販売 29日(水)足もみ若石 ♡:参加費無料 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- #竹屋陶板浴 #陶板浴 #温熱 #温活 #龍ケ崎市 (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/CpJ8CMoSs1e/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeya-tobanyoku · 2 years
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 𝕡𝕚𝕔 𝟚 👩‍🦰「微熱でも陶板浴入っても大丈夫かな?」 💁「身体が心地よいと感じる温熱は炎症を鎮静化させるが効果があります。アレルギーや膠原病の炎症だけでなく、『風邪の引き初めの陶板浴でひどくならずに済みました』といった体験談も過去に頂いています。また感染症の疑いがある時にはお外の個室をご案内し、ご利用後は清掃をしておりますのでご相談ください」 ※こちらはお客様との会話で出たお話の紹介で、何らかの効果を保証するものではありません。 #体験談募集中♡ #竹屋陶板浴 をつけてぜひ発信して下さい˙▿˙ #風の引き初めに陶板浴 #微熱 #風邪 #コロナ対策 #アレルギー #膠原病 #炎症を抑える 陶板浴の体験談に興味がある方は ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔 𝟛 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 手に湿疹が出たことがきっかけで 陶板浴を教えてもらいました。 抗酸化力のある空気が心地よく 冷えは万病の素というので 温活を始められてとても嬉しいです。 夫ちゃんが一緒に連れてきてくれるので 通えています。 体の健康についてはこれまでも興味があったので いろいろなイベントも楽しみです。 3日間チャレンジ達成ヤッター!! Tさん 女性 40歳代 坂東市 #湿疹 #抗酸化 #冷えは万病の素 #温活 #夫婦陶板浴 #陶板浴デート ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻‍❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 \ 🥒お盆短縮営業のお知らせ🍆 / 8月13日(土)~15日(月) 朝6時~昼12時までの短縮営業となります。 宜しくお願いします。 ※ 新溶液での陶板浴内抗酸化リフォームのため、14・15日は縮小営業。ご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします。 空気が変る抗酸化リフォーム☖✨ のお問い合わせも ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 8月13日~8月15日お盆短縮営業 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 13日(土)短縮営業(朝6時~昼12時) 14日(日)短縮営業(朝6時~昼12時) 15日(月)短縮営業(朝6時~昼12時) 16日(火)椅子ヨガ ♡ 17日(水)氣功 17日(水)幸ちゃんのスマホ教室 18日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 6/13-15 6:00-12:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/ChGJVMXhDrP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takeya-tobanyoku · 4 years
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≪新型コロナウイルスに関して≫ 連日新型コロナウイルスの報道で騒がれていますね。 「営業していますか?」との問い合わせも増えました。 竹屋陶板浴は年末年始以外毎日営業しています(笑) 竹屋陶板浴は免疫力を高める施設です。※ 日頃からお世話になっている 全身温熱療法の専門家である奴久妻智代子医学博士からも 以下のようにコメントを頂いています。 -------------- ウイルスに対するリンパ球とがんに対するリンパ球の種類は同じですので、 感染症予防の対策としても 血流を良くし、体温を維持し、リンパ球が働く環境をサポートするのに 温熱はベストだと思います。 様々に変異して抗原性を変えていくウイルスに対呼応するには、 薬では間に合わず、 やはり免疫で対抗するしかないのではないかと思います。 -------------- 今こそ免疫力を高め、 万が一感染をしても症状を軽く済ませ、早く回復する力を、 竹屋陶板浴で養って下さい。 ○ 風邪の自覚症状のある方は、個室にご案内いたします 料金は変わりません。ご相談、ご予約下さい ○ 清掃・換気をまめにおこないます おくつろぎのところ申し訳ありませんがご協力をお願いいたします ○ お子様連れのお客様もご利用頂けます みなさまにくつろいでいただく場としてご利用頂いています ※免疫力:リンパ球や顆粒球の免疫バランスを整え、病気などから身体を守る力。 竹屋陶板浴ではマイナスイオンの放出される空間で心地よく身体を温めて頂くことで免疫力が高まります。1回のご利用でもリンパ球の有意な上昇が認められています。 #新型コロナウイルス対応 #営業してますかって問い合わせの電話が連日… #毎日元気に営業しています(´▽`) #今こそ免疫力! #今こそ陶板浴! #免疫高める抗酸化グッズ揃ってます♡ #次回のたんぽぽ学習交流会は免疫力について #安保福田理論 #白血球の自律神経支配 について再度学びます #学びから確信を持つことは安心を得ること #安心は心のゆとりとなり免疫力をお高めます✨ #不安は心を委縮させ免疫を下げてしまうので不安感の強い人はTVを消すのも良いかもしれませんね #コロナビールが風評被害って可哀そうすぎる #3姉妹がいる兄夫婦宅からトイレットペーパーSOSが来た!Σ(゚Д゚) #トイレットペーパーその他必要な方に届くように買占めご遠慮下さい(;´・ω・) #奴久妻智代子先生いつもお世話になっています!ありがとうございます💕 #5月6日は陶板浴初夏マルシェ👒 #講演会は奴久妻先生の全身温熱と免疫力のお話! #マルシェ出展者も募集中♪ #竹屋陶板浴 #抗酸化陶板浴 #陶板浴 #龍ケ崎市 #がん #花粉症 ・ 竹屋陶板浴 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- 年中無休 (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/B9U5rPJnBnF/?igshid=svpft313e8s7
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