Tumgik
tsthxh · 3 years
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追溯原材料的进化 创作人形的半世纪
PADICO代表取缔役社长·木村进的讲述
在创作人形的世界,作为粘土厂商而知名的PADICO,在1968年,在当时的世界上第一个成功开发了轻量粘土,其质感细腻和使用方便的优点在人形制作者当中获得了好评。在对粘土原材料的开发和销售的同时,PADICO热心执行着培养制作者,企划、举行展览会等活动,在今天,它已成为创作人形界元祖厂商般的存在而广为人知。
我们就粘土的进化和创作人形的世界,向PADICO创设以来直到今天,一直从事粘土开发与振兴创作人形的木村进代表进行了请教。
轻量石质粘土的绽放表现力
1960年的当时,说起手工艺世界的创作人形,以米山京子的布制人形为始,毛毡人形广博得青睐。布人形成为创作人形主流的背后,有着粘土这种原材料仍是一种难以处理的原材料的背景。学校的美术教材、造型艺术的世界,因为全都使用的是重的纸粘土,或是从前使用的土粘土,所以只能创造出块状的作品。
过去,粘土有着“很重、作品会裂、芯材用不了”的三大欠缺。这为粘土造型设置了界限。
在该情形下,1968年,PADICO成功开发了当时世界上的第一个轻量石质粘土“formo”,消除了粘土的三大欠缺。随着轻量石质粘土的诞生,学校的粘土课上,从手是握着的的这一块状的表现,变为了手是张开的能传达指头的肢体语言的表现。结果得到了“造型设计的教学进化了”的评价,产生了这种巨大的影响。那之后,经过进一步地反复改良,开发出了专业艺术家的各位也能认可的造型设计原材料“LaDoll”。
一口气取得进化的创作人形
轻量石质粘土的开发,是PADICO与创作人形世界的最初的接轨点。也许是接受了其是使用方便和能进行细腻表现的原材料,不知何时,轻量石质粘土浸入了手工艺和造型的世界。发觉时,它已自然而然地在进行人形创作的人群中流传开来。
最初的巨大原动力是“挂壁式粘土人形”的登场。代表的制作家是“かないともこ”。かないともこ的人形因为是浮雕(relief )状的人形,即使是初学者也能轻易尝试,且短时间内就能完成。在以主妇圈为中心的女性们之间一口气流传开来。她出版过10本以上的教学书,在幼儿园的义卖会上,展出过很多模仿かない作品的妈妈们的手工作品。
此后,创作人形一口气地取得了进化。挂壁人形与以洋酒瓶等为芯材的瓶人形紧密相连,进一步地向用自己的脚独自站立的人形、能摆出各种各样动作的关节人形发展。据说那个时候,全国各地开设了很多粘土人形的教室。就这样,伴随着制作者们的进步,人形的形态也向前迈进了一大步。
海外火起来的陶瓷人偶热
同时在另一边的海外,开始显示出古董陶瓷人偶狂热流行的征兆。在美国,正兴盛着人形的复刻(eproduction)。在1837年至1900年间迎来全盛期的法国的陶瓷人偶,据说在成为最顶尖时尚的灵感后,就被赋予了文化大使的职务,送往了各国。其中尤以Bru 、Jumeau、Gaultier 、 Schmitt①等制作家的作品最为出名。
在战后,这些法国的陶瓷人偶,以拍卖会为中介,大量流入了美国。以昨日人形美术馆②为首,各地都增添了人偶美术馆。作为兴趣爱好,制作仿造人形,在美国正在狂热流行着。
当时,我自己为了获得有关国外的创作人形方面的知识经常出国,在感受到了创作人形在世界上的流行后,我确信在日本,陶瓷人偶的时代也必将到来。
※陶瓷(bisque):二度烧制的素烧瓷器,也称作porcelain。以古人形、粘土等制成的原型为基础,往石膏制成的“模子”里注入液体状的粘土,烧制而成。译者注—— bisque的语源是法语的biscuit(意为“二度烧制”) 。
前往艺术领域的人形
1980年代半,在日本,创作人形也正变得越来越火热。技术高度化的超轻量树脂粘土“hearty”、oven陶土烧制的“FIMO”、“CERNIT”等崭新的人形原材料不停地登场就是这时候的事情。
作品的质量转眼间就提高了。超越了兴趣领域的制作家们一个接一个登场,全国的百货商场都在举办人形展。创作人形热扩展到了整个亚洲,台湾、香港都开设了教室,韩国的美术馆里也举办了展览会。在日本长大的创作人形飘洋过海,作为一种表现形态站稳了脚跟。
另一方面,创作人形表现的进化令人惊叹不已。新的粘土人形材料的普及与人形制作的繁荣相互影响,人形已超越了可爱的东西、女孩子的玩具的范围,升华为了一种造型艺术。创作人形已到达了连像之前的概念里称作“人形”都禁止的艺术的领域中。
对创作人形明日的探寻
从技术和表现力两方面上,日本的创作人形取得了进化,在迎来了2000年时,诞生自日本人的卓越表现技术甚至在海外也获得了极高的评价。制作者根据自己的嗜好和个性,挑战着各种各样的人形类型。其中,想要在创作中挑战看看“陶瓷人形”这种类型的人,正在急剧增加中。
然而提起必须要烧制来制作的陶瓷人形的话,烧制需要的窑炉(kiln)是不可或缺的。考虑到日本多是公寓等集合住宅,就算是独栋也会和邻居相邻的居住环境,陶瓷人形创作也是相当难以普及的种类。
那么,只要制造出不输给陶瓷人形质感的不用烧的原材料就可以了。那样就会有更多的人加入进陶瓷人偶的创作了。而开发出来的便是不需要烧制的泥浆粘土”Modeling Cast”。
为想要挑战的人,开发与提供能轻松处理的原材料,是作为厂商的我们的工作。意识到时,我们已经持续守护着创作人形的世界半个世纪了。接下来我们也想在提供原材料、领导体制、信息传播力的方式上,在向更多的人传达人形创作的乐趣的同时,也对创作人形界进行支援,贡献出自己的力量。
简单易懂的人形原材料用语解说
木粉粘土
木屑凝固而成的粘土,干后会变硬,能如木头般在表面雕刻。特别是使用了桐树粉末的粘土(桐塑),很轻且不易长虫子,制作人形是最合适的。在和人形的世界里,头跟身体一直用的是桐塑,今天看到的则多是头使用石膏、身体用发泡苯乙烯或聚氨酯的人形。随着时代的变化,与人形有关的职人在减少,原材料的工艺也在发生着变化。
◇用途/常用于传统的和人形。节句人形、御所人形、木入人形③、市松人形等
石粉粘土
人形创作中用得最多的石质系粘土。也有使用了超微粒子石粉的PADICO制高品质粘土才被称为石粉粘土的情况。比纸黏土更结实,质感细腻,易延展,善于吸附和雕刻等。具有可塑性的石塑粘土适合于从创作人形到立体造型、模型手办、迷你屋(miniature house)等所有的造型领域。因主要成分是天然石,是对环境友好的粘土。
◇用途/粘土人形、关节人形、陶瓷人形(原型)、贴布人形等
树脂粘土、oven粘土
指树脂制的、通常可以自然干燥而硬化的粘土。能由烤箱(oven)烧制而硬化的材料也被称为oven粘土。家用烤箱也能烧制,非常方便。易操作,适合于细致的手工作业。有着柔和的质感。
◇用途/关节人形、模型手办
泥浆粘土
称作“Slip”的液体状粘土。采用了将液体状的粘土注入胚体的“浇注技法”,是陶瓷人偶不可或缺的原材料。直到近年,需用1200度高温烧制的瓷泥(porcelain slip)是陶瓷人偶唯一的原材料,但随着PADICO开发了“不用烧的泥浆粘土”Easy Slip(现在的Modeling Cast),使不用烧制,完成质感和强度都能兼具的作品成为了可能。※“Easy Slip”在2009年改名为“Modeling Cast”。
◇用途/陶瓷人偶、球体关节人形等
推荐的人形制作的PADICO粘土
La Doll<ラドール>
代表性的石塑粘土品牌。是能做出美丽的表面肌理的粘土。因为只有非常低的4%的收缩率,最适合于制作原型。取得了“AP认证”。
※AP认证(APマーク):美国的ACMI( Art and Creative Materials Institute)对符合严格判断标准ASTM的安全画材和工艺材料给予的认证。
La Doll Premier<ラドール・ブルミエ>
石塑粘土中最白、最轻、强度最优的粘土,就算混入了颜料也能漂亮地显色。最适合于模切技法、厚度薄的作品。
La Doll PREMIX<ラドール・プレミックス>
保持La Doll的美丽质感和雕塑性的同时,实现了约20%的轻量化。强度也提高了。适合于中空的关节人形等。
特征
·能吸附纸、木、绳子、金属丝等所有的芯材。
·干后能进行刮削、吸附、打磨加工等操作。
·水彩、丙烯、油画、色粉、油性水性涂料的上妆材料能被使用。
·和其他种类的粘土相比,有着值得骄傲的低收缩率。
·易溶于水的粘土。可以使用防水性强的上妆材料。
关于石塑粘土的Q&A
Q:“石塑”的意思是?
A:因为是“雕刻”( carving)和“塑造”(modeling)的卓越原材料,以“能进行高强度造型设计的石粉粘土”的意思给其命名。因可进行精致工艺,创作人形自不用说,也能用在各种各样的立体造型设计上。
Q:适合于雕刻的理由是?
A:干燥后的石塑粘土因为和木头有着差不多的触感,而能适用于雕刻。因为用三角刀等工具来回雕刻也不会走形,所以就算是尖锐的边缘也能表现出来。特别是“La Doll”,最适合于雕刻这种纤细的表现。
Q:适合于塑造的理由是?
A:对润饰来说,重要的是施予的力度能保留下来。石塑粘土能原封不动地再现手指的触感,对塑造的适应性强。
Q:石塑粘土外还能用于人形的粘土是?
A:也有使用能表现出木头手感的木质粘土“Wood Formo”、质感轻柔的轻量树���粘土“hearty”的人形制作家和艺术家。请根据自身的风格和技法来选择。
Modeling Cast<モデリング・キャスト>
能制作出美丽人形的不用烧的、有强度的新时代泥浆粘土。仅仅往石膏模型上浇注,自然干燥后就能获得惊人的质感、强度和轻度。有透明消光型和胡粉型的专业上妆材料“Doll Finisher ”。
特征
·不用烧仅仅是往石膏模型上浇注自然干燥后就能获得惊人的质感、强度和轻度。
·干后能进行刮削、打磨和润饰等工艺性的加工操作。
·水彩、丙烯、油画、色粉、油性水性涂料的上妆材料能被使用。
·收缩率程度10%。
·有透明消光型和胡粉型的专业上妆材料“Doll Finisher ”。
关于“Modeling Cast”的Q&A
Q:“Modeling Cast”适合于球体关节人形的理由是?
A:没有抽芯的步骤,能高效制作娃身。因为石膏能吸收水分在接触面上形成皮膜,在形成适度厚度的阶段,仅仅是排泥就能得到合适的内部空洞。硬化后无需抽芯(在成型的阶段请务必使用石膏模型)。
Q:“Modeling Cast”制的人形模具(doll kit)优点是?
A:能大幅度增加定制的自由度。一般人形模具都是在化妆等外部修饰上的定制,硬化后也能润饰和刮削的“Modeling Cast”制品,能进行捏脸等更为细致规范的工艺,可制作表情。
Q:“Modeling Cast”人形之外的用途有?
A:石塑粘土做出来的人形、造型设计作品在封层时,能作为提高强度的涂层剂来发挥效果。另外,也可用在饰条等室内装修材料的装潢上。
①以上皆为法国的陶瓷人偶制造厂商,Bru(1866-1899年), Jumeau(1842-1999年), Gaultier(1860-1899年),Schmitt(1863-1891年)。
②似是指美国马萨诸塞州三明治市的昨日人形美术馆(Yesteryears Doll Museum)。现已歇业。
③ 木目込み人形,在制作过程中需要用铲刀(ヘラ)——一种两头有金属钩尖的扁平工具——将浆糊涂在沟槽中、把布料压进去而得名。
校对:猫姐姐
收录于《craft art DOLL 2015》。
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tsthxh · 3 years
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蔷薇回廊 芒迪亚格 松本完治·译
谷崎潤一郎を記念して
ウェーブした栗色の髪、同じく栗色の大きな瞳、背が高くて、グラマーで、大人っぽく見える彼女、フローラ・ファーニュは、地下鉄の切符を一枚買うだけという手頃な方法で、実際に現地を訪れることなく、少なくともパリの有名な場所を全部回ってやろうと心に決めた。カルパントラに帰ったときにフロン高校の同級生に自慢できるようにしたかったのだ。かといって別に好奇心があるわけでもなかったので、お金を使うのも嫌だったし、嘘もつきたくはなかった。というわけで、彼女は宿泊先であるアノーヴル通り沿いの日本料理店の上にある修道僧の独房のような一室から出発し、近くにあるオペラ駅の地下へたくさんの階段を下りていくのだった。動いていないエスカレーターもあったが、動いている時には足を止め、手すりのベルトに肘を乗せて身じろぎもせず、急いでいる人々や彼女の顔を見たがる連中が後ろから追い抜きざま振り返るのにまかせていた。というのも、彼女は薔薇色の薄っぺらい綿のワンピースを身につけているだけで、それも洗いざらして縮んでいるせいで、体の線がくっきりと露わになり、下着の黒いブラジャーやパンティが透けて見えるからであった。ストッキングも黒で、膝の上、スカートの縁の下あたりで同じく黒のガーターでぴったり留めてある。少しでも急な動作をしたり、風がそよいだりすると、日焼けした太ももの肌が露わになるまでワンピースがまくれ上がるのだった。しかしフローラ・ファーニュは、追い抜きざま、二、三段下から自分の方を振り返って見つめてくるのが若い女ばかりであることに気がついた。女たちは注目する余り、エスカレーターが下に着く時に転びそうになるのであった。男どもは、老いも若きも決してそんなことはしない。とはいえ、彼女が出かける際に日本料理店の食堂ホールを通り抜けた時、ウェイター全員が仕事の手を止め、あたかも花道を作るかのように、右手に二人、左手に三人並んたものである。こうした男たちとは違い、少なくとも二人の女は、都市の深部へ降りていく彼女を見守り、黙ったままだった。親友のリア・レヴィドゥーズならどう思うかしら?この友の心配や忠告のおかげでどれほど助けられたことだろう。遠くから危険を嗅ぎつけ、掌を広げてフローラの胸にあてがい、うしろから抱き寄せて耳元で叱ってくれるリア、彼女は子犬を護る雌犬のようにフローラを見守ってくれていたのだ。地下鉄の中は大変な人混みだから、行き交う人々や女を見つける人、あるいは何も見ていないような人々の中から、善人と悪人を嗅ぎ分けることなどできやしない。だからリア・レヴィドゥーズはローラ・ファーニュの首筋に大粒の涙を流すだろう。地下鉄の乗客は、各々自分の名前、身分証明書に記載された名前によってしか存在していないのだ。あたかも地上にある街の観光所が、青いエナメル板に白文字で書かれた駅名としてしか存在していないかのように。そう、駅名表示板は二つの線路が一つに合流するせいで、地下鉄の内壁がカーブしはじめる地点にあったのだ。リア・レヴィドゥーズやエステル・カルタジェーヌなら、友達がそんな所をさまよっているのを見てひどく不安になり、いつものように物知り顔でこう言うだろう、パリの地下鉄なんてまやかしの王国、それ以外の何ものでもないわ、と……。しかしフローラがあえて危険を冒してまで、これほど下に降りてきたのは、まさしく彼女たちにパリの主要観光地に行ったことを報告するためではなかったのか?
オペラ駅の迷路のような階段や通路の位置が少し掴めるくらいうろついたあと、彼女は電車に乗り込んだ。が、すぐ次のマドレーヌ駅で降りた。ナポレオンが戦没将兵の栄光を讃える寺院にしようとした教会があるからだ。そういえば、シテ駅には、ノートルダム大聖堂があって、そこでナポレオンは戴冠し、淫売上がりの妻に自らの手で冠を授けたのだ。これって、皆に、とりわけエステルやリアに伝えるにふさわしい歴史上の一幕じゃないかしら……。続いて彼女は同じ路線の次の電車に乗り、アンバリッド駅でまた降りた。もちろん、ナポレオンの挿話を終えるのにふさわしい彼の墓に敬意を表さねばならないからだ。以降も、彼女は同じルールを変えることなく、『エコール・ミリテール』、『グルネル』、『モンパルナス=ビアンヴニュ』、『シャンブル・デ・デピュテ』、『コンコルド』、『レピュブリック』、『バスティーユ』、『イタリー』、『オテル・ド・ヴィル』と一駅ずつ降りていった。たしかに盛り沢山な周遊コースだが、これを地上で移動して踏破しようものなら、大変な時間と労力とお金がかかっていただろう。シャトレ駅のホームに足を降ろした時、彼女は「これで終わりじゃない、終わりじゃないわ」と、ひとりつぶやいた。彼女が読んだ観光ガイドブックには、広場の西に、かつてルイ肥満王の城砦だったグラン・ジャトレが建っていて、それがのちにパリ裁判所となり、シャルル五世、ルイ十二世、ルイ十四世の各時代に改築され、一八〇二年と一八一〇年に取り壊されたと書いてあった。しかし知識には限界があって、不幸にも彼女は、画家のルイ・ダヴィドがシャトレ座の敷地の西側で生まれたことも、詩人のジェラール・ド・ネルヴァルがバリ市立劇場敷地の正面で死んだことも知らない。おまけに、この地下という場所で方角を掴むには、羅針盤が必要だろう。シャトレ駅の曲がりくねった地下道は、オペラ駅やモンパルナス=ビアンヴニュ駅と同様、もつれ合いながら伸び広がっているのだ。フローラは人気の少ない十字路で立ち止まった。そこでは、年頃が定かでない、かなり汚らしい身なりだが、とびきり美しい娘が、エレキギターを弾きながら歌っている。観客は、壁にもたれている同じような身なりをした二人の少女だけだ。フローラ・ファーニュもまた壁にもたれながら「私が三人目の観客になるんだわ」と思った。曲が終わると針が最初に戻るレコードのように、とびきり美しくて汚らしい娘が際限なく歌っている古いブルースは、偉大で素晴らしい黒人女性、ベッシー・スミスが、南部の白人たちによって出血多量で命を落とす数年前に歌っていた《Do your duty》だ。《汝の義務を果たせ》と、殺されたベッシーの歌声さながら、汚らしい娘はシカゴ訛りのハスキーな声で繰り返した。すべての女性歌手にとって、ひたすら力の限り歌うことが義務であるならば、フローラにとっての義務とは、十字架の道行きさながら、各駅の名所の下で、束の間、立ち止まりながらパリを探検し続けることではないだろうか?多分そうだろう、だからこそ、セーヌの川底より低い場所を旅しているわけだが、彼女はカルパントラにいる友達のエステルやリアの険しい顔つきに押し出されるようにして、記念すべき新たな道のりに向かって、また一歩を踏み出した。《汝の義務を果たせ。ほぼ二世紀前に消滅したシャトレの下から立ち去れ》と、彼女はつぶやいた。壁にもたれた聴衆を後にして、彼女は遠ざかった。歌手の声とギターの音が弱まり、やかて消えた。かなり幅の広い地下道に入ったところに<オーヴェルヴィリエ行き><メーリ・ディヴリ行き><メーリ・デ・リラ行き>という路線が表示されている。一見したところ、歴史的な場所は一つもない。が、彼女は今しがた歌から離れたばかりで、《リラ》という言葉に魅入られたのだろうか、あるいは行き当たりばったりに歩を進めたせいか、ほとんど人の通らない道に足を運んでいた。
一般の通路より広々としたこの道はやや登りになっていて、さらに幅が広がったところから、往復する二本の動く歩道(オートウォーク)が通っている。ラッシュ時には群衆を運んでいるはずだが、今はほとんど空のまま動いている。「ホッとするわ」とフローラは思った。初心(うぶ)な田舎者にとって雑沓はうんざりするのだ。動く歩道(オートウォーク)の降り口の正面に立ち止まっていたフローラは、腕を組み合った二人の女が自分に向かって流し出されてくるので、ぶつかるのを避けようと脇に寄った。「まるで薔薇色のコガモね」と、女たちは彼女を見て言った。その言葉の調子と含み笑いに腹は立たなかったが、女たちの言うとおりだとすれば、彼女自身、恥ずかしく思っただろう……が、幸いにも女たちは姿を消し、フローラは遥か遠くまで終点が見えずに続いている、反対側の動く歩道(オートウォーク)に用心深く足を踏み入れた。
動く歩道(オートウォーク)はフローラを運び去ってゆく。細いヒールの下で床が振動し、足の裏がくすぐったい。運び去られるがままに、彼女は少しためらいながら、振動する床面を二、三歩、歩いてみた。それから立ち止まり、後ろを振り返った。というのは、はっきりと異様な気配がしたからだ。何者かが彼女のすぐ後ろを歩いていて、床と同じ速さで動いている両の手すりにつかまり、片方を手放せば、すぐに彼女を追い抜かそうと狙っているような気がしたからだ。実際、背後にはフード付きの長い緑のレインコートを着た若い男がいて、赤い眉毛の下にある両の眼を充血させて、怯えたように彼女を見つめていたのだ。おまけにその唇は異常に薄く、皮膚と同様に白かった。男はいきなり後ずさり、フローラの背後の手すりに両手を置くと、軽々と跳躍し、二本の動く歩道(オートウォーク)を隔てる、さほど高くない仕切りを飛び越えた。反対側の動く歩道(オートウォーク)に降り立ったの男の姿が、かなり大きく見えるのだった。かまいはしないわ。なぜなら、男は逆方向に流されたまま、フローラを見向きもせず、元いた場所に戻っていくのだから。緑の背中が小さくなり、消え去っていくのを彼女は眺めた……。あり得ないわ、と彼女は思った。いくら記憶をたどっても、男女、子どもを問わず、動物でさえ、彼女を見て先ほどのような行動を取ったためしはなかった。そう、今必要なものは鏡だ。鏡に姿を映して、たぶん普段どおりの自分を発見し、さっきの出来事を引き起こすような原因が何一つなかったことを確かめて安心したかったのだ。そう思うと、さっきの出来事が現実に起こったことなのか、疑わしくなってきた。しかし地下道に鏡はなく、壁には同じポスターが広い間隔をおいてずっと続いているだけだった。ポスターには、建造中の建物や足場の光景が描かれており、その上の明るい色の地に書かれた見出しの言葉だけが、ポスターごとに一語ずつ入れ替わっている。動く歩道(オートウォーク)の速度が増したのだろう、左右両側のポスターが、トンネルの中を車で走り抜けるような速さで通り過ぎてゆく。にもかかわらず、見出しの文字が、かなり大きいせいで、自然に目に入ってきた。《掛け値なしの買取》、≪掛け値なしの販売≫、《掛け値なしの賃借》、なんという見出しなんだろう、怪しいわ。
動く歩道(オートウォーク)には、彼女の前方を見渡す限り誰もいない。それで彼女はもう一度振り返って、後ろにも人がいないことを確かめた。反対方向に進む動く歩道(オートウォーク)にも数分間誰も通らなかったが、不意に人影が立ち現われ、急に近づいてきた。初めのうちは黒く見え、性別も分からなかったが、それに同じ服装(なり)をした五人の若い男だった。いずれも絹か木綿の薄い服を着て、開けた襟元から素肌がのぞいている。帽子もかぶらず、服装同様、髪の毛が黒く、前髪が垂れて、細長い目の上の眉を隠している。「日本人だ」とフローラは思った。男たちが猛スピードでやって来た時、彼女の判断が正しいことがわかった。
そして擦れ違いざま、彼女の思いもしなかったことが起こった。というのは、まず先頭の一人が、つづいて後続の二人が一緒に、それから四人目、そして最後の一人が、両手を支えにして、手すりから彼女の背の高さまで跳び上がり、仕切りを超えて彼女の後ろに跳び降りたのだ。動く歩道(オートウォーク)は止まることなく速度を増し、両側のポスターは稲妻のように通り過ぎてゆく。にもかかわらず、ポスターに描かれた足場の側の文字が目に入ってくるのだった、≪掛け値なしで愛せ≫、≪掛け値なしで憎め≫と。
数メートル後ろの方で、五人の男が集結しているのが彼女の目に入った。男たちの服装の細部まではっきり見える。ぴったりした黒いシャツ、踝(くるぶし)のところで締めたズボン、足は裸足だ。たぶん、運動選手に違いない。
動く歩道(オートウォーク)ますます速くなっていく。足の下で振動し、唸りを上げ、次第に強く波打っていく。両側のポスターは、現われては消え、命令を下し続ける、≪掛け値なしで笑え≫、≪掛け値なしで悲しめ≫と。
日本人たちはなにやら企んでいるようだ。フローラは左右の手すりにつかまって道を塞いでいたが、二人の男が近づいて来て、前にいる男の方が、手すりを放して道を譲れと言わんばかりに彼女の手首をつかんだ。「いや」と彼女は抵抗したが、男は「ハイ」と油断のならない笑みを浮かべ、実際に抵抗しようにもできないほど非常に強い力を加えるのだった。二人の男が彼女の脇をすり抜け、あとからすぐに三人目も続いた。フローラは道を開けたが、あとの二人がやって来ない。フローラの後ろ数メートルのところに、その二人は立ち止まっていて、何を考えているのか全くわからない目つきで彼女をじっと見つめている。前方でも、先ほどの三人が同じ距離をおいて同様に見つめている。挟み撃ちだわ、なんてことなの、とフローラは思った。このまま無事で終わればいいのに!動く歩道(オートウォーク)はその間も、振動し、 唸りを上げ、加速していく。そして例の退屈なポスター三枚に、次々と命令が書かれているのを見た気がした。≪掛け値なしで眠れ≫、≪掛け値なしで夢見よ≫、≪掛け値なしで戦え≫。日本人たちは沈黙を守っていたが、一歩、さらに二歩近寄ってきて、そのぶん間合いが詰められた。
そうするうちに彼らは、触ろうと思えば触れるほどフローラに近づいてきたが、触りはしなかった。彼らの指は、彼女の顔、首、肩、胸元、胴、腰から数センチのところで、その輪郭をなぞりながら空中にデッサンを描いているように見えた。うるさい蠅を追い払わんばかりに、彼らの手を触ろうとしたのは彼女の方だった。が、うまくいかず、彼らが「イイエ」と言うのが聞こえた。すると、彼女の両手首はまた手荒く掴まれ、小さなハンドバッグが取り上げられた。なんてことなの、強盗するためにこっちに跳び越えてきたわけ?でもほとんどお金を持っていないから、中身を見たらがっかりするわよ。だが理になかった解釈は次の瞬間に取り消された。というのは、日本人たちは、持ち主の目の前でハンドバッグを振り回したあと、開けもせずに、仕切りの向こう側の動く歩道(オートウォーク)に投げ捨てたからだ。ハンドバッグは運ばれていき、たちまち見えなくなってしまった。
「私の身分証明書が、学生証が……、保険証が、家族の写真が……、みんなあのバッグに入っているのよ、取り戻してよ……」と、フローラ・ファーニュは叫んだ。
無駄だ。連中は嘲笑った。身を振りほどこうにも、彼らは手首を放すことなく「イイエ」とまた言った。もはや自分の存在を証明するものを何ひとつ持たず、罪人同然に捕らえられている状況を受け入れなければならない��か?彼女が思い乱れている間に、五人の男の一人が、彼女の首から珊瑚の玉の首飾りをはずし、先ほどのバッグと同様、彼女の目の前で振り回すのだった。別の指が彼女の耳に伸びてきて、同じく珊瑚のイヤリングを剥ぎ取り、首飾りと一緒に麻袋に放り込んだ。そして握りしめていた彼女の拳を無理やり開けた平たくすると、紅いエナメルのブレスレットと、モザイク状にデザインされた彼女お気に入りの小さく古めかしい金の指輪を四つ取り外し、粗末な袋に投げ入れるのだった。日本人たちは、我慢のならない笑い声を上げながら、「ハイ」と言うや、彼らの一人がフローラの顔のほうに手を伸ばし、彼女の宝石類が入った袋を反対側の動く歩道(オートウォーク)に放り投げるのを見せつけた。袋は流星のように別世界に運び去られた。
通り過ぎた二枚のポスターには、《掛け値なしで生きよ》、《掛け値なしで死ぬ》と書いてなかったかしら?
五人の日本人はいっせいに口笛を吹いた。その口笛は(やけっぱちな響きではないにせよ)、ある種、どうしようもない歓呼の響きがあり、勝ち誇った軍隊、もしくは爆発寸前のボイラーか湯沸かし器を思わせた。彼女は指で耳を塞いだり、可愛いイヤリングをつけていた耳たぶの穴に触りたかったのだが、手首をつかまれて身動きがとれない。日本人の一人が足元に屈み込み、靴を脱がせ、ストッキングを引き剥がして彼女を裸足にした。他の一人が薔薇色のワンピースの留め金をはずして引きあけるや、後ろから剥ぎ取った。続いてブラジャーやパンティも剥ぎ取り、衣類をひとつに丸めて、ハンドバッグや宝石類の袋と同じ場所に投げ捨てた。こうしてフローラ・ファーニュは、日本の男たち――彼女の死刑執行人というべきか?――の間で全裸となってしまった。男たちもまた、自分の服をすべて脱ぎ捨てると、彼女の手首を放すのだった。彼女にしてみれば、こんなに長い時間、しつこく襲われ続けたにもかかわらず、男たちの一人一人を個人として識別できず、今なお匿名の集団として一体化して見えるのが不思議だった……。「強姦するつもりかしら?」、一種の期待を込めて彼女は自問した。というのは、そうなれば彼女の置かれた状況が、ある種の倫理的秩序のもとに帰していくからだ。
《掛け値なしで殺せ》、たしかそう書かれてあったポスターが、高速道路を全速力で飛ばすスポーツカーの速さで、フローラと日本人たちの前を通り過ぎていった。命令なのか、忠告なのか、はたまた、あてもなく書きつけられたフレーズなのか、いったい誰が知ろう?しかし今、三人の男がフローラを仰向けに押さえつけている。彼女の美しい髪を丸刈りにしようと、頭に剃刀をあてていたのだ。もう一人の男は、彼女の眉毛を剃ってしまった。さらにあと一人の男が睫毛にハサミを近づけると、フローラは懇願するように「だめ」と言ったが、「ハイ」という返事がして、睫毛も切り取られた。腋毛が引き抜かれ、陰毛は剃られた。「ハイ」、それから残りの体毛が剃られ、その残骸が他の毛に続いて彼女の視界から消え失せた。男たちがフローラをまた解放すると、彼女は振動する床にそのまま横たわっていることにした。少なくともポスターが通過するのを見なくてすむだろう。横たわっていると、自分を運んでいく猛烈なスピードが心地よく感じられるだろう。それに、彼女を全裸にしてすべてを剥ぎ取った日本人たちは、それ以上何もしなくなってから、少しは予期していたのだが、彼らは再び仕切りを跳び越えて、後方に、偉大なるパリの地下に消え去って行ったのだ。でもそんなこと、もうどうでもいいわ。
今、地下のどこにいるのだろう?目が眩むほどのスピードで、男たちが来た方向へ、きっと彼らの祖国、日本に向かっているのだ。すでに彼女の生れ故郷、かつてフォルム・ネロティス(ネロの広場)であったカルパントラより、遥かに長崎に近い場所にいるかもしれない……。いずれにせよ、かの美しき(クレオールの小貴族の)ジョゼフィーヌ・タシェ・ド・ラ・パジュリ、のちの王妃が淫売に立った場所、つまりパレ・ロワイヤルの停車場や木立から遠ざかり、ロケット並の速さで離れていくのだった。床に倒され、すべてを剥ぎ取られ、全裸となった彼女、フローラ・ファーニュは自分を愛おしく思い、興奮した。最後にどこに投げだされようと、京都の寺院であろうが、銀座の淫売屋であろうが、彼女みたいに頭も身体も剃り上げた僧侶が、《カエサル様から冠を授けられし御身(おんみ)、フローラさまよ》とラテン風の恭(うやうや)しいあいさつで、自分をローマ市民として出迎えてくれればそれでいいと思った。そしたら心得たもので、すぐにでも彼女はこう返事するだろう、「ハイ」、「運命のなすがままに!」と。
(一九八一年十一月五日)
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tsthxh · 4 years
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玛丽亚的心脏 片冈佐吉之眼
片冈佐吉(かたおか·さきち) 1944年出生于北海道。78年“人形屋佐吉”在札幌开店。84年表参道店开店,在全国各地召开人形展览会。2001年东京·元浅草“人形博物馆·マリアクローチェ”开馆。03年涩谷《玛丽亚的心脏》开店,召开了许多人形展、绘画展、音乐演出、电影放映会,11年闭馆。于15年在京都市左京区大原的日本古民房重开(2020年7月闭馆*)。
*终展“天野可淡之纪 最终章”现因新冠肺炎已延期。
——片冈先生一直在拍摄恋月姬先生、天野可淡先生的人形,还召开过许许多多的展览会。各种各样的人形的魅力都位于哪里呢?
恋月姬大约二十年前在我店里工作过。她一个人在交易市场竞价、去国外采购、作为店员跟客人打交道,做过相当正式的和人形有关的工作。我觉得她把这些通过体验学到的东西都体现在了人形的制作上。比如说天才人形师山川永德斎①制作的忧郁眼神、用胡粉②做出来的纯白肌肤等等,从指尖到足尖,恋月姬完全习得了美丽的永德斎技艺。
恋月姬还受到西洋古董人偶(Antique doll)的影响,由粘土转到了全陶瓷人偶(All-Bisque )(瓷)上。事实上,西洋的古董人偶虽也有部分是陶瓷做的,但并没有全陶瓷的。她的人形的特色就是全陶瓷的古董人偶吧。但并没有如她的人形般讲究细节表现力纤细的古董人偶。 不论怎么想,恋月姬的作品都有一种气场。用她的话来说就是:”自己是感受着月亮的气场制作的“。那种世界观引起了我的瞩目。经常感受到宇宙的意识,和那儿产生了连接,才会去想做美丽的东西的。对美的执着里有着惊人的东西。
已经制作陶瓷人偶28年了,她的了不起历历在目。古董人偶经历了百年时间才被评价为是艺术,但恋月姬的人形用了28年就已到达到了一个很高的境地。称她是百年一遇的制作家也不为过吧。
—— 天野可淡先生虽是1990年37岁很年轻的时候就去世了, 但仍有着很高的人气。
可淡是球体关节人形耽美世界的第一人。从她的人形身上感受到的悲伤、恐怖、痛苦、难受和呼喊的存在感是压倒性的。对很多人来说最首当其冲的是她的眼睛。她眼睛的表现也许是世界第一的。可淡用油彩一笔一笔认真地描好眼睛的光彩,再在上面安上玻璃。一尊尊人形的眼睛颜色都不相同,根据人形的气质和性格,眼睛颜色早就注定了。还有栩栩如生的身体、皮肤质感的肌肤,特别有手感。肌色是青白、灰色这种特别的颜色。 再加上大部分人形有意地创造得很奇怪③——我把这称之为“可淡平衡”——如骸骨般的瘦弱少女自冥界出现于现实中,非人类也非人形,该说成是未知的动物才对。
可淡在文章中写下过:”我制作的是不被人所爱而爱着人的人形。” 古今东西,人形一直被说成是被爱着的东西,罕有制作家说出这样的话。可淡的人形也许与其说是想买到的东西,不如说是想相会的东西吧。 很多人在见到她的人形的时候,都感到心情舒畅了下来,痛苦的心情得到了理解, 确实和“爱着人的人形”有着关系。我想,她的人形该说是对人类世界有种过度的在意,还是说有种神经质,不是那样的话,身体也不会那么消瘦吧。
看了最近人形们的表现,我感觉里面放入了太多邪恶的东西,可淡可不是这样的。和纯洁无垢的东西面对面了几十年,对这些我在遇到人形的瞬间就感知到了。制作者在表达事物时心中不能有邪念。专注于面对眼前的事物,无的世界,无的境地,自然的境地,如能贯彻这些的话才算是了不起的。
——才华横溢的二人间的共通点是?
我觉得二人都是被某种崇高的存在点明过的人。可淡写过的文章中缀述过这样的话:“本来,人类制作人形这件事在古代属于神的领域,由于现代的我也是这样制作人形的,我和人形之间恐怕是在进行生命的互博吧。”她把制作人形当成是生命的互博。我觉得二人都就似从事神事一样,制作人形像是一种命运。
——想请教片冈先生关于好的人形的条件。
好的人形的条件,第一是可爱,第二是美的身体,第三是要有某种宗教观。宗教观不是指基督教等既存的宗教,是像宏大的宇宙慈悲那样的东西吧。像形而上的精神世界的东西会不会从人形上流露出来特别重要。所以被想成是很无趣的人形是不会有宗教观的。第四是品格。因为制作家的品格会在人形上表现出来,表现品格这种东西是很难的。第五是存在感。把纯洁无垢的东西刻入人形中,把所有的东西都凝聚于一尊人形中是很重要的。
——对于今后的人形界有什么期冀呢?
人形不是被一个人、是被很多人们爱着的东西。我希望人形比起“人形”,作为升华的“人形艺术”能让世界上的更多人享受到它的乐趣。因此人形也非得继续进化不可。现在不只是日本,以中国为始的亚洲、美洲、欧洲等世界上的人们通过网络等渠道,以人形界为目标特地到日本来。漫画、动画等,因为有好多文化都发自于日本,日本人形的市场有一天也会变成世界的市场吧。
(3月8日于小社)
①    山川永徳斎:日本传统人形师名号,初代(1829年-1908年)于明治时期在东京日本桥十轩店开店,收到当时昭宪皇太后的市松人形订单,赐号“永徳斎”。初代以雏人形(女儿节(雛祭り)时专门摆出来的人偶)为中心的节句物(传统节日(節句)的物品)见长,二代后有很多武者人形(以英雄、故事中的主人公为中心制作的人形)的优秀作品。 ②    胡粉:以贝壳(碳酸钙)为主要原料的白色涂料。磨肌前、涂肌时使用。 ③    原文“デッサンが意図的に狂って”。“デッサンが狂う”是指偏离了正常位置的疯狂的设计或作画。
(Art Collectors’ 2020 No.133 精妙的人偶世界)
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tsthxh · 4 years
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、      イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、      ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、      トリカブトのアコニチン。
四、      ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、      オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケル��教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
 幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜな��魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
 私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
 さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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tsthxh · 4 years
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作为永远的处女的反论王妃,或少女 岳本野蔷薇
*本篇中,“人形”意同"人偶",在表示“创作人形”(个人创作的非商业的人形)或“日本传统人形”的概念时,一般不作翻译。
 人形作家恋月姬和一直拍摄她的人形的人形屋佐吉的屋主片冈佐吉,与我的邂逅,惊人地久远。
记忆不一定准确 ,是在八十年代末的时候吧。是年纪尚轻,对Bru、Gaultier①等工坊在十九世纪制造的陶瓷人偶(Bisque doll)抱有兴趣(不如说是醉心),但因价格过于高昂,只能常去出售这些买不起的东西的古董人偶(Antique doll)店里的时候。当时还居住在京都的我,听说了在东京表参道有陶瓷人偶的严选店,于是便坐上夜行巴士,去参观学习了。
那便是人形屋佐吉。打开镶着花窗玻璃的厚重装饰门扉,出现的是狭隘却包围在妖美空气中的可谓微型宇宙般的幽暗异空间。在那里——是样子仿佛与店内空气同化了般的片冈佐吉和恋月姬。
这时期,恋月姬边制作人形边在人形屋佐吉工作,她的创作人形也与众多稀缺的古董人偶陈列在一起。不止于我目标的古董人偶,激烈地,我的心已被恋月姬的人形夺走了。
近年,已知有称作球体关节人形的汲取了汉斯·贝尔默作风的四谷西蒙②、天野可淡③等众人的作品。有段时间,能拥有它们像做梦一样。但比较那些作家的创作人形,恋月姬的创作人形有着压倒性的不同。
裹挟在优美色情中的恋月姬人形, 存在于暴力的静寂的面纱里。
那身影,使人想起仿佛是在等待着某人,但也决不是谁都可以的知晓天命的孤独王妃,连去碰一碰都踌躇不已。
尽管我与片冈佐吉和恋月姬是初次见面,但也就不知不觉于自己心中扎根的“人形爱”(这是对偶像恋(Pygmalionism)涩泽龙彦翻译过来的造词)谈论了好长时间。要说店内我能买得起的东西,也就只有明信片之类的了,我对当时二人为什么对我热情的相待如宾,仍觉得是个谜。后来,只要偶尔我一有去东京的机会,必定会来人形屋佐吉,和二人的交情就这样渐渐加深。
当时希望成为画家的我,把恋月姬的人形画成画,还把它们让她看过。对于我的拙作,恋月姬很高兴地收下了,还把附上签名的她的人形的拍立得照片作为回礼,送给了我。现在想起来,是十分叫人怀念的回忆。
让我的个人回想就到此为止吧。差不多该谈谈恋月姬的人形了。而一旦开始研究恋月姬的人形,“到底何为人偶?”这一议题必然会来到视线中。
原本把灵魂吹入人偶体内的是其拥有者,做出来的人偶最初只是物质。十九世纪的陶瓷人偶、日本人形、莉卡娃娃④和小布娃娃⑤都是同样的 。对人偶感到棘手的人们,对于穿过历史浪潮的古董人偶,虽觉得美丽可爱,是艺术品,但也害怕地敬而远之。这是对知道人偶是拥��人类灵魂的存在的下意识拒否反应。被玩弄,被转手,继而又重复着这种新的相遇经历的人偶,几经易主,不可能再恢复成平坦的原始材料,人偶继续背负着记忆。或许,比人类还——
古董人偶的爱好者在是这种理解之上,爱恋着人偶的。倘若爱恋的对象不是纯洁之物就难以认可的话,倘若追求的是未被玷污过的处女性的话,就只能弄到还没和人接触过的体验的崭新人偶吧。但如果这是创作人形的话,事情就会有点复杂。要说为什么,那是因为创作人形和通常的人偶不同,在诞生之时,就已作为作家的分身有了自我。
就是说,尽管有着处女性,但也被确立了自己的个性(Personality)。喜欢创作人形、从创作者那里把它让渡过来的人,必须在承认人形人格的基础上去交往(如果同为人类的话,这是很自然而然的事吧)。
恋月姬的人形也不例外。她在某杂志的采访中曾回答,人形不是为了自己而做出来的东西,人形不应被认为是一种自我表现,另一方面,在制作过程中避免用向人形 “寄宿灵魂”这样的套话,改用“维持灵魂”这种不可思议的语言。细细咀嚼,这是不是可以解释成“我创造的人形,不是作者的我在其中寄托了自我,而是它是从神那里被赋予了独自的个人意志”?
凛冽的眼神,就算像睡着了般阖上眼,也飘溢着高洁的氛围与表情。虽有时样子怪诞,但也决不会落入俗物、作为神圣之物君临的恋月姬的人形,自诞生的同时,就确保了连作者都无法涉及的美感。
对于那样的恋月姬的人形,片冈佐吉在各种各样的场合里按下了快门。
绝不亲人的高雅少女,时而被带去森林里,时而又如举办葬礼般被埋进大量鲜花中。以为是给她穿上了裙子,结果却是裸体,用围巾藏起了脸。
他为何从恋月姬的人形开始了成为精通所有人形的人形屋店主、向世间披露了很多人形作家的人形的能干制作人,和这些行为有什么必要的关系吗 ?
《爱丽丝漫游奇境记》的作者数学老师路易斯·卡罗尔,真心喜欢上了相遇时只有三岁的年幼的爱丽丝·李道尔,然而因为只适合在幻想中和爱丽丝达成恋爱关系,他只能不断拍下她的照片,没有办法拥有只属于自己的爱丽丝。
啊,对路易斯·卡罗尔令人痛切的浪漫主义,和片冈佐吉的激情感到酷似的只有我吗?或者是,发现了扒下还懵懂无知的女儿夏娃的衣物,要她摆出可被认为是猥亵的姿势,印在伊丽娜·尤内斯库⑥胶卷上的那些过激行为,和片冈佐吉精心构造的摄影这又一毕生事业间的共同点,是我想太多了吗?
但肯定片冈佐吉是明白的。恋月姬的人形无论到了谁手里,都绝不会丧失精神上的处女性的。这点连作者恋月姬也了解。正因如此,这两个人越过了制作人和创作者的关系,是在取景器中凌辱陶瓷少女的共犯者。
凌辱——这一危险的词语,我是冒着会被误会的可能性,特意使用的。因为这是使毫无结果的爱存在下去的唯一手段。事实上,最想被凌辱的,正是像在藏匿着什么、逃不出永远的处女性的王妃自己。
诱惑的不是卡罗尔,而是爱丽丝。
挑逗的不是伊丽娜,而是夏娃。
然后,在操控的不是片冈佐吉,而是恋月姬的人形。
透过取景器,主从颠倒的反论……
人形的本能是期望处女的丧失。恋月姬的人形,在作为人形的生理结构和作为支配自己的绝对少女的身份间来回摇摆着。
请再定睛细看下,本书中收录的少女们的瞳孔。那伶俐的深处,映照着被凌辱的欢喜之光,你一定也注意到了。
 ①Bru Jeune:法国陶瓷人偶制造商,活动于1866年至1899年,创始人Leon Casimir bru,1899年后加入法国人偶制造商合资公司S.F.B.J;Francois Gaultier:法国陶瓷人偶制造商,活动于1860年至1899年,创始人Francois Gauthier。1899年已改名为Gaultier Freres的公司加入S.F.B.J,营业直至1916年。 ②四谷シモン:人形作家,师自布偶人形作家水上雄次,1965年在读过涩泽龙彦登载在《新妇人》杂志上介绍汉斯·贝尔默的文章后,舍弃了过去的人形制作方法,1972年随着作品《德国少年》的展出正式开始以人形作家活动。1973年于青木画廊举行第一回个展。开设有人形教室Ecole De Simon,于2020年4月30日教室结束运营,网站:http://www.simon-doll.jp/。 ③天野可淡(1953—1990):人形作家,1981年于小松アネックス举行第一回个展,1990年逝世于交通事故。2015年片冈佐吉出版了摄影集《天野可淡 复活谭》,片冈佐吉的人形博物馆“玛利亚的心脏(マリアの心臓)”多有其藏品。 ④莉卡娃娃(リカちゃん):日本玩具公司TAKARA(现在的TAKARA TOMY)制造的玩具人偶。1967年初代发售,1969年在日本莉卡的销售额超越了芭比,1972年第二代发售,1983年第三代发售,1987年第四代发售,现在一直在卖的都属于第四代莉卡娃娃(22.5㎝)。1992年第五代发售。至今莉卡娃娃一直是日本的代表性玩具人偶。 ⑤小布娃娃(Blythe):特征是三头身、拽动脑袋后面的拉绳可变换眼片颜色和角度的玩具人偶。美国玩具公司Kenner1972年首次发售,2001年复刻由TAKARA公司发售了现在的小布娃娃“Neo Blythe”(28.5cm)。其他还有Middie Blythe(20cm)、 Petite Blythe(11cm),以及Ashton-Drake Galleries公司发售的“复刻Blythe”等。现计有500种以上的小布娃娃。 ⑥伊丽娜·尤内斯库(Irina Ionesco):法国摄影师,使用自己青春期前的女儿夏娃(Eva)作为色情摄影的模特而受到争议,日本出版有《R Pan‐exotica》。
 《人形月》后记
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tsthxh · 4 years
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内衣学的基础研究 Hiro Uchiba
*本篇中介绍的动画是《魔法使俱乐部》(OVA) 监修:猫姐姐 扫图: Twitter@ _animarchive
【吊带衫】 胸罩&内裤外头穿的女性内衣。以前的主流是连衣裙款式的吊带睡裙,现在的款式则一般追求可爱和活动方便。衣物不与皮肤直接接触,能够防止出汗和摩擦对洋装的损伤。夏天等场合还能防止透过洋装缝看到肌肤。有点遗憾!?
【花边短裤】 会跟吊带衫在一起穿。因为是一种内裤类型,所以方便活动,边角是舒展的花边造型的话,还能保持可爱。穿迷你裙时,如果风掀开了裙子的话,能够在里面(?)望见它(这也有点遗憾!?)。跟吊带衫配套,其他的还有裙子里面的衬裙、竖直轮廓的蕾丝睡裤等。顺便说一句,连裤袜经常先穿在花边短裤里面。
【可拆卸肩带胸罩】 沙绘酱勉为其难(!?)穿在身上的姐姐早纪的胸衣是可被称为四分之三罩杯的无肩带胸罩。因为有可以正好看到胸部上面(包括乳沟)的四分之三罩杯,所以也会有完全覆盖胸部的全罩杯(最适合用来保持胸形)、大胆地低空飞过乳头的二分之一罩杯等类型。可拆卸肩带胸罩因为无肩带、又方便脱卸,所以会在穿夏天衣服、性感的露出肩膀的礼裙时被使用。
【丁字裤】 丁字裤作为一种内衣物的认识最近正在��渐固定下来。这个词不怎么耳熟,总之就是搭在腰上(侧面一直提到腰上)高开衩&T字的女士内裤!因为穿内衣时的身体曲线很难看清,在曲线可见的衣服上来说棒极了!光这样就已会让人喷鼻血了,如果再和吊袜带配套,毫无疑问会使人贫血的!
【要好好确认尺寸】 话说,挑选再怎么性感的内衣,如果穿得不跟自己的尺寸一致,也还是会糟蹋身体的曲线和性感的,沙绘酱。
 【全套搭配】 胸衣、内裤、吊带衫,到背心、短裤等内衬跟睡衣,使用统一材料、统一设计的成套内衣,这是女士内衣时尚的入门。也有从化妆包、拖鞋,甚至外衣物(所谓洋装)都成套的牌子。再加上外观可爱,全套购入的划算感,令女士内衣的乐趣倍增。对在家里(有院子的话那在外头也行?)以内衣的样子走来走去不排斥的话,也许是件相当幸福的事。
【带钢圈的胸衣】 七香酱的胸衣是100%棉材料的带钢圈的可拆卸肩带胸罩,钢圈是指沿着罩杯下方的曲线、缝在里面的金属或树脂制的钢丝。对聚拢和调整胸围来说是必需的。特别是在穿可拆卸肩带胸罩的时候,如果没有钢丝牢固地托着的话,可能一会儿会滑下来一会儿又会跑上去!? 它起着帮助保持女孩子的身材曲线的作用。特别是对胸大的人必不可少!(顺便说一句,七香酱的胸围是83cm)但如果尺寸不合适,做激烈运动等时候,请注意也会有钢圈嵌入胸两边,造成擦伤的可能。参照TPO①守则进行穿戴吧。好身材的保持也是很讲究的。
【棉材料】 吸汗性效果拔群的棉材料,完全适合于夏天和到热的地方去旅行等时候。无论是外观,还是穿着体验,都特别凉爽。价格上也相对合适,会使用蕾丝、丝带,有很多俏丽的设计。缺点有走形、掉色,容易泛黄(!)等。其他材料则一般有触感柔顺与容易清洗的涤纶等化学纤维,华丽与No.1性感、柔和质感的真丝。真丝是女孩子憧憬的材料。最近,虽然能买到中国制的相对价格较便宜的,但打理起来还是很费工夫,仍是高岭之花。如果是关系亲密的女孩子的话,把它送做礼物她一定会高兴的。但一定要先确认好尺寸喔。
 【男性内衣】 抱歉,接下来要谈的则是男士内衣的话题。因为油壶君怦怦直跳的你,非常抱歉。男性内衣在以前只有三角裤、比基尼内裤、四角裤(平角裤),加上日本自古以来的兜裆布之类的类别,现在则多种多样。特别是男女都能穿的中性内衣物正在越来越多,就连女性内衣,采用男式设计的也在增加中。像流行的Calvin Klein内裤(裤子上有扣子,能看见印有商标的部分)就是象征性的例子。它的设计和材料自不必说,男性内衣的基本概念都发生了变化,以积极展示自己为前提的方式正成为势头。过激的则有G弦裤(侧面由绳子构成,当然也有女性用的)、男性用的丁字裤、O型裤(臀部的地方露着)等等。不只局限于舞者等特殊职业、同性恋的人,因为也有着性感&穿得舒服的特性,现在已被普遍接受。但也许对诸位读者来说还有些抗拒……这样的人有很多吧。连作为观看的一方(!?)的女孩子都有辣眼睛的。嘛,偶尔冒险看看也不错。
【透视】 油壶君穿的是T字裤(重要的部位已经藏起来了!),裤身上有透视材料的条纹(横格),是设计相当大胆的男用丁字三角裤。透视如其字面所言,See Through,是指透明可见的材料。女性穿的外套,最近也很流行这种亮眼又好穿(不会太冷)的难得商品。这是性感自恋的美男子油壶君才会有的选择。
【裸睡】 说起来油壶好像是独寝的,为什么穿着条裤衩呢?以前玛丽莲·梦露好像曾放话过:“我的睡衣是香奈儿5号”(也就是说全身裹在香水味里,什么也不穿地睡觉),对身体不加以任何束缚的进行睡眠活动的话,好像对健康也很有益。请注意别感冒了!
  ①TPO(Time,Place,Occasion),遵照不同时间、地点、场合穿着不同款式的内衣。
 对译: フレアパンツ 花边短裤 ストラップレスブラ 可拆卸肩带胸罩 タンガ 丁字裤 スリップ 吊带睡裙 タップパンツ 蕾丝睡裤 
下着 内衣 ブラジャー 胸衣 ショーツ  内裤 キャミソール 吊带衫 タンクトップ 背心 ショートパンツ 短裤 インナーウェア 内衬 パジャマ 睡衣 ランジェリー 女士内衣 アウターウェア 外衣物 アンダーウエア 内衣物
ブリーフ 三角裤 トランクス 四角裤 ボクサーパンツ 平角裤 Tフ��ント T字裤
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Newtype, 10/1996 
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tsthxh · 4 years
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甲虫病院 种村季弘
和某位诗人聊天的时候,问到如果我被人问最想住的街道是哪儿时我会怎么回答,我立即脱口而出:东京府丰岛区池袋二丁目九六三番地,我出生的家的地方。真像走丢的孩子被巡警问话时所会说的话啊。
那是个平淡无奇的二层小屋,西靠大马路,北朝狭窄的小巷。小巷拐弯后是个死胡同,两侧全是长形房屋。东侧也是长形房屋。大马路以T字形与家前方的一道坡连在一起,斜坡前面有片横长的宽旷空地。在这正确复原的地形和房屋排列的组合上,现在住进去的是与当时附近的邻居面貌一模一样的人们。发挥叔叔角色、绰号是“西乡先生”的住在长形房屋的造币局员工的人,每天早上都会骑着捆着便当盒的自行车去上班。月薪十五元左右,养很多孩子的生活并不容易,所以必须得如此操劳不可。那种环境下,我要么在小巷的像平台一样稍许宽阔的空间里,盯着整天像蚁穴中的蚂蚁一样进进出出的人们,或者就是在朝着猫额头那么小的院子的走廊地板①的日光里,一心一意地玩着积木。 我希望能像播放装置坏掉的下个画面放不出来的放映机那样,时间就此停止。谁能把这时间停下吗?神也好死也好。目前而言,什么都可以。
若再继续向前,就会产生可怕的裂缝。设定这个梦想的主人公是当时四岁的我,然而现实中是三十八岁的中年男子。即便在客观世界中投入巨额财富确实能使其再现,但连主体也能还原是办不到的。而我更已认识过比这条破旧的新兴街区更为繁华的街道。就算请来了身价不菲的一流演员明星施展演技,出演左邻右里,但假装过靠十五元工资的生活也是不可能的。又举例来说,得知收了不少地租的地主老太太是精神病患者,是那之后的事了,当时的我并不知情。那时我会向从长形房屋边上艺伎街出来的大姐姐撒娇,如今再遇到同年龄的那位的话,肯定会以其他更为同情的眼神看待她。这个完整的世界很快就会暴露出这种被无知的幸福和意识到的不幸残酷分裂的、怪诞的、非喜剧性的真实。
懂得人情,时间出现裂缝,世界和主体开始了分离。到了那地步,无论做什么都晚了。裂缝不断扩大,即便江心补漏地拼命对一处围追堵截,水也会从别的地方侵入进来。但偶尔也会有例外,裂缝无休止地扩大,世界和主体之间变得无限遥远,不可思议的和谐却降临了。我要谈的便是下面的事情。
时间是在1945年的5月,前述的家烧毁于4月10日的大空袭中。我们一家被迫离开了大火烧光过的地方。某日,我在吃了领到的葡萄后,突然犯了急性盲肠炎。父亲从附近借来二轮拖车,载着当时上中学一年级的我,从废墟一路带到了小石川的东京大学医学部分院。我当天就做了手术。麻醉消除了,但因为手术后发烧的全身发热,皮肤异常僵硬。在如同被塞进盔甲里的狭窄感中,唯独意识还奇妙地清醒着。时间在继续,那之后两天后的夜晚,发生了空袭。从黑窗帘的缝隙间,能看到好几盏银色的探照灯在扫视夜空。有时窗帘像被火点燃了似的染上了深红色,房间瞬间照得发亮。是曳光弹吧。走廊外吵闹着,护士从门外探出头,说如果情况紧急,所有人都可以到地下壕里避难,不用担心,然后慌慌张张地就走了。四月的空袭中某医院的住院患者大量烧死的新闻报道从我的脑海中一闪而过。高射炮的声音不断响着,从遥远的地方传来地鸣似的燃烧弹落下的咚咚轰鸣声。
然而外科病房的大房间里既未被恐惧所侵袭,也未被沉默得令人毛骨悚然的静谧所包围。倒不如说,房间里是被像适度坦率的漫不经心的快活那样的东西所支配的。负责伺候的家属和护士要比平时唠叨一些。对行动不便的我来说,在这种极度的不自由里,我反倒沉浸在了某种透明的漂浮感中。整个房间沉没于水底,燃烧弹每次划亮,深海的光景都会瞬间明亮起来。那种环境下,我感到自己浮了起来。
这种奇妙的漂浮感很难用语言说清楚。倘若我不是恢复中的外科症患者,而是得了不治之症的病人的话,这种清净之福的感觉定会更为完美。外界中发生的无从下手的破坏和崩溃,与个体的衰弱毗邻,虽在因果上无任何联系,但在下个瞬间,就像两个背靠背的男子一个往西一个往东,向着地球完全相反的方向跑步一般,啪一下撞在了一起。某种程度上这可以用来模拟濒死病人的体会。重症病人的一个微小的面部变化,是要喝水吗,是要拿那个吗,还是要这个,都会得到周围的全面照顾。像口唇魔法期的幼儿一样,在绝对的无力中,你可以像暴君一样向身边的人恣意妄为。终于,你眉毛一挑,点燃了整个罗马,就像非要让自己属于的这个世界和自己一起同归于尽的孱弱的暴君尼禄一样。
后来,我在读卡夫卡的《变形记》时遭遇了同样的情形。《变形记》主人公变成甲虫后,在上锁的房间里越来越虚弱,房间外围绕着他的露面正陷于一片闹剧②般的混乱中。外面发出着争吵的怒吼声,趋向于解体。里面变成可怕甲虫慢吞吞地走来走去的萨姆沙,逐渐走向了某种宽慰的宁静中。这应该只是个会找上与社会性的乌托邦标语“自由、平等、友爱��的一百八十度大转弯的“不自由、隔离、孤独”的世界中、被现实冠之以精神分裂症患者的人的情形吧。然而我为什么会在这样不自由、隔离、孤独加上恐惧的如同精神病院牢房般的世界中收获一种令人安心的救济呢?我不知道这种可怕的逆说是否属实。
①原文“ 縁側 ”,和风住宅居室外侧铺地板的部分。
②原文“ドタバタ喜劇”。
出自《失乐园测量地图》
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tsthxh · 5 years
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看家(节选)長野まゆみ
我拾到了悬巢鸟的羽毛。羽轴的一侧上,并列着九颗蓝色的星点。有的细细的,有的圆圆的,像月亮的盈亏一样。一时之中,我沉浸在了透过它眺望天空的乐趣里。
xing,xing,xing 唐松林里 悄悄地 如同琥珀的松叶在落下 那个啊,是秒针 你的我的,还有许多人们的 用旧了的时间在落下 竖起耳朵,请仔细听 一个一个声音没有是相同的
地上散落有橡果的林子深处,响彻着呼子鸟的叫声。庭院前向阳处相拥而立的白桦一进入十一月,就不停地抖下叶子,像预感到了雪的来到一般,紧紧地缩起了树梢。
父亲在此处开了间夜间诊疗所,那是我比现在小得多、 还在鸠羽底色上蓝得发绿的柔软毛毯里睡觉的时候的事了。玄关内,檐灯一整晚都在写着“接受诊疗”的木牌下亮着,父亲不睡觉地为急诊和出诊进行着张罗。旁边,煮着镊子铗子的小炉灶烧着蓝色的火焰,蒸出湿气的药罐发出着静静地响声。
诊察时间是午后八时至黎明,有身着睡衣的孩子们接踵而来的晚上,也有一声电铃声都没响过,我半夜醒来只听到摆钟的钟摆声和父亲翻书的声响的晚上。
黎明时分,结束诊疗的父亲会散会儿步。为了接下来回到家时刚起来想喝水的我,他一朝不落地带着洋杯子(玻璃杯)为我带喝的东西。父亲静静转动门把的声音,不知何时就成了唤醒我的声音。
喝的东西拜季节所赐,夏季是河底冰冷的底流水,由秋到冬是白椈①叶上的薄霜和雨水,深冬是昨夜降下堆积的最新鲜的雪,春季是庭院白桦树汲下的雪融水。
父亲总是带着个小器皿散步,用那东西装一杯子水量的水回来。
“怎么说事物都该有个相应的分寸。你需要的白桦水,只要装个一点点就行了。你看,用来喝刚刚好吧。”
早春的某日午后,父亲和我到旁边的镇子上去,我们途中在雪道上发现了雷鸟的飞羽②,是换羽后丢下的洁白的冬羽。
“雷鸟啊山雉啊的飞羽,为了跟它们圆滚滚的身躯相匹,羽轴好像是弯曲的。对吸食树浆来说这正好。能自然而然地向下。刚入夜时插进白桦的树干里连着蜜袋吊在那儿,到了翌日早上,就能积存下一洋杯子(玻璃杯)的水。”
早春的早上,充分汲取了雪融水的桦树,只要在一个小小的切口里插进管子,就能抽到要多少有多少的清澈的树浆。耳朵靠在凉凉的的树干上,甚至能听到清晰的水声。
在寝室里只睡了几小时的父亲,不到中午就起床了。我不上学的日子,我们会一起吃午餐,下午结伴去林子里走走,采采棣棠的花蕊,用树木的果实做做笛子。这样和父亲一起生活是从何时开始的,我已经想不起来了。
有时,我会有我到底是不是父亲亲生的疑问的时候。因为父亲喜欢吃我感到棘手的鱼,尤其是冰鱼。连在这样的深山内,都能有闻到顺着河川飘来的海的味道的嗅觉。我却连大海都没看过。
到了晚上,穿透唐松林的红色半月升起了。树木间充斥着与叶子摩擦的声音不同的声响。像在互相之间讲悄悄话似的,对着安静下来的夜空躁动地响着。我起来来到了诊察室。不见患者的身影,父亲在炉子旁正读着书。插在炉口的松木的树脂融化了,房间内充满了蒎烯的味道。这是远去夏日的珍贵余韵。
“那么,你是哪里不舒服呢?”
对我的突然到来,父亲用往常的诙谐语调迎接着我。“今晚会很冷呢,”他边说边从椅子上站起来,用炉子上放着的锅,为我做起了热牛奶粥。把混了点糙米的燕麦放进牛奶里煮,在咕嘟咕嘟浮上来的沫子从锅里溢出来时,快速地撒上盐,之后放上嫩菜,用芝麻和胡椒调完味后就做好了。香味在房间中扩散开来。
“也许是听错了,我听到了说话的声音。像排队穿过松木林的学校远足那样,就吵了一会儿。但向窗外看,却哪儿也没看到人。还是我耳朵出问题了吗?”
“现在还听得到吗?”
我仔细听了下,确认听到声音后点了点头。然后父亲露出了盼望已久的微笑。
“实际上,我也听到了……这大概是在移巢吧。有从高处向山脚搬迁的类型,也有在向更南处搬迁的类型。这附近刚好是个十字路口,是分水岭。像今晚这样的月夜,那么亮,对他们来说也能看得很清。”
“……他们是……”
“真鶸③、鸫从北而来,野鹟④、小瑠璃⑤则向南而去。其他的,也有些是从山上下来的家伙吧。像百舌啊面颊⑥啊。”
但我听到的说话声,却跟雨天在体育馆吵嚷的学校的孩子的那种 ,声音有点高的吵闹声一模一样。我也清楚的听到了踩在枯草上的很大声的脚步声。但我以认可了父亲的说法的表情,点了点头。直觉上,我感到这是父亲认知范畴外的事。父亲往炉子的炉口里投进了新的石骸炭⑦,这擦亮和点燃了炭火,红铜的针状火花飞溅而出。
在我吃完牛奶粥时,诊察室的电话响了。父亲马上接起了电话。在短暂的通话后,他放下话筒,匆忙地整理了下装束。
“我去出诊了。你要去睡了吗?”
“我得看着炉子吧,中途灭了就糟了。不能让爸爸回来的时候冷着。”
“一切照常,放心去睡吧。有个万一的话,还可以用特效药。”
父亲把装着洋酒的容器悄悄藏进了怀里。让它稍稍露出来一点后,然后笑了。
“但现在还睡不着。”
“那就拜托你了。今晚好像会降温,正如你说的做的话就太感谢了。但要真困了,就不客气地去睡吧。睡前添了新石骸炭的话,应该能坚持很久的。”
不久,父亲骑着机车踏着枯叶绝尘而去。向前不断延伸的前照灯灯光,将树木的锐角切开,每当换路时,都会在黑暗中闪烁一下。过了午夜,风都凝固住了,空气冷冰冰的。顺着前院的斜坡向下,前方的一条小径上, 叶子染上颜色已经掉了一半的水楢和白椈,还有特别高大的唐松等,轻缓地此起彼伏着,不停地鸣响着树梢。
在玄关处我目送着父亲。倾听了一会儿机车声,等到完全听不到后我回到了诊察室里。原本作为接待室而布置的室内,由高高的天花板和大大的窗户所围成。电灯圆襞⑧、藏钉片⑨的工艺,隐藏了手工活的巧妙。铺了铃兰花布的睡椅是父亲搬到这儿时带过来的,但并未显得不合时宜。不如说朴素的白色药物柜、诊察床很奇妙地更为夺人眼球。
不能乱碰的地方,小时候起我就被仔细叮嘱过了。父亲信赖着我,出了门。 摆钟宣告已是凌晨一时,登上树梢的月亮完全恢复了淡蓝色的平素面貌。
被风吹着的叶子们不停地摇动着,吹跑了的松球喀呲喀呲地撞着屋顶。在这声音当中,还有更重的什么东西,从屋顶上滚下来,窸窸窣窣地蹭过窗玻璃落进枯草里的声音。接着,响起了清楚地说话声。
“看,跟我说的一样吧,这儿是诊疗所喔。能闻到消毒水的味道,绝不会有错。去请求下治疗吧。”
“……但是,总觉得可有些疑呢。都这个时间了灯还亮着。现在都凌晨一点了。”
“最初我的计划是偷偷潜入某人家,打算悄悄对药箱失礼一下的。跟那个相比,这要好多了。最重要的是,还没有兽类的气味。怪脾气的狗呀脾气暴躁的猫呀都没有。” 
“但好像有什么奇怪的味道。”
“什么样的?”
“……不太清楚。可能是心理作用吧。”
“总之,既然都到这儿来了,难道还害怕吗?肩膀再这样下去恐怕会脱臼,脚脖子这样肿着,也不能放着不管。在积雪之前应该治疗得好的。而且你看,那个好像是看家的,不是个身强力壮的。我们恰到好处地弄到镇定剂和消炎药后,就马上撤退。” 
虽然我走近发出声音的窗户旁,向外看了看,但哪儿也没见到人。确认锁好了门后,我回到了炉子前,是给药罐添水的时间了。玄关处响起了敲门的声音。
“不好意思,可以接受治疗吗?”
用二重门隔开的玄关是兼具挂号和等待室的小房间,在那儿,我见到了在一块儿的两名少年。一个蹲在椅子上,一个与打开门的我相对而视。电灯下,有一瞬间,我在少年的眼睛中看到了白环。我头一次看见这样的眼睛 。
“他的脚扭了,走不了了,不知道有没有什么应急的治疗办法呐,肩膀也碰伤了。” 少年以同龄人的语调同我说话。用平易近人的语气传达了事情的详情。
“很抱歉,父亲出诊去了。总之请先进诊察室里来吧。这里不太暖和,对身体不好。”
冬天的夜间经常有出诊,等待室几乎排不上用场。来人了话,因为会立刻进去诊察室里,平常炉子都是不烧的。随着我的指引,少年们进到了诊察室里。以在旅行中的样子,他们各自都带着个小包,穿着我没看过的棉绒和法兰绒的外套。但比任何都可疑的是,跟我年纪相仿的少年们,在这样的深夜里,单独两个人在外面闲逛。
“由你来治疗的话也行喔。既然是医生的儿子的话,照葫芦画瓢多少都能干一些的吧。我们没有等医生的时间……那个……我们约好了和某人要在天亮前见面。那是个很讨厌迟到的人呢。”
这是个无理的要求。我会做的最多是在自己擦伤的伤口涂红药水跟贴创口贴而已。
“在父亲去到出诊的地方前,让我先联络看看吧。但应该已经到了很远的地方了,回到这里来少说也要花上三十分钟。在这儿无论怎么说也要待上一个小时的吧。”
说话的中间,我一直被少年褐色围巾两端上的鸟的矢羽所吸引。羽轴长七、八厘米,五六枚重复着缝在围巾的两端上。少年每次转头,羽毛的表面都会浮现起蓝色的星点。
① シロブナ ② 風切り  ③ マヒワ(真鶸) :本文中的一些名词都未做翻译。 ④ ノビタキ(野鶲)  ⑤ コルリ(小瑠璃) ⑥ 頬白(ほおじろ) ⑦ 石骸炭(コオクス) ⑧ 丸襞  ⑨ 釘かくし
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tsthxh · 5 years
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山本じん的世界  包围在少年感中的压抑与纯真的色情 取材·文 相马俊树
年轻时度过的漫长空白期 相马俊树★じん先生的详细经历不是几乎不怎么公开吗?虽然我也认识了你好长时间,但事实上我知道得也不多。先生也已经是发表过很多作品的前辈了,应该有很多人很在意创作者的第一手情报吧。所以趁着今天这个机会,如果能在可能的范围内谈谈的话……学生时代,或者小时候的事情也可以。 山本じん★是啊……小时候,对我自己影响很大的事情果然还是父母的离婚吧。现在想起来,那时候很长一段时间都难以释怀呢。我自此和母亲分开,开始了和父亲一块儿生活。 相马★这个时候就已经开始画画了吗? じん★不,对画画完全没兴趣,和其他小孩在画的那样差不多,是个很普通的少年,将来的理想是成为棒球选手吧。 相马 ★ 完全没有吗,中学时代也是? じん★不可思议的是,上了中学更是一点也没画过。怎么说呢,完全没想过去画画,一个劲儿地沉浸在棒球、体育运动���。现在想起来,那果然或许有父母离婚的���响在里面。大概是想通过活动身体,把讨厌的事情全都发泄出来吧。 相马★埋首于体育运动中的じん先生,这有点难想象呢。 じん★反过来说,我会从事画画,这谁也都没想到吧。 相马★那继续说下去,高中的时候是什么样的呢? じん★老实说,我对高中完全没什么兴趣。 相马★难道到了高中也没吗!? じん★嗯,不过稍稍开始产生了些兴趣,不过没画。但与其说是刻意没画,不如说是那样的东西能画得起来吗的感觉吧。你看,画画这种东西是需要集中精神的吧,我讨厌这种集中精神。与此对照,或许还是进行体育运动,想去活动身体进行发泄的心情更强烈一些。 相马★对当时的じん先生来说,不是想埋首在作品里,而是反过来更想朝外界释放吗? じん★果然就算到了高中,父母离婚的冲击也还在继续着吧。所以,就算离开了小学进了高中,我也很长时间都不知道该干什么才好,一副没出息的小孩的模样。被问想做什么,也说没什么没有什么想做的。被问今天想吃什么,也就会回答随便呢。 相马★自从父母离婚后,内心被非常强烈地无助感所支配,じん先生度过了时间相当长地空白期呢。
被解除的艺术封印 じん★在高中毕业后不知道该干什么的时候,虽然有说过要去上大学,但与我而言其实怎样都行。结果,就一直游手好闲着。我的伯母呢,一个是剪头的,一个是做美容的,总之为了取得美容师的资格能找到份工作,我去了美容学校,也参加了国家考试,成了美容师。当时二十来岁吧。那时还是男性美容师很稀奇的年代。刚开始是在出生地岡山工作,不久就跑去东京开始了在板桥的美容院就职。 相马★来来京的时候是多大呢? じん★二十一岁左右吧,所以出来工作后马上就跑去东京了。 相马★那时候也还没有画吗? じん★没有画。但果然还是喜欢的,看了很多画集什么的。 相马★还被封印着的感觉。 じん★嗯。不久也开始接手了《an·an》、《non-no》①的美发工作。 虽然没学过化妆,但自学成才,干着干着也就知道怎么去做了。 相马★但仍没有画画。 じん★虽没有画画,但那时候开始感到一种说不上来的难以忍耐的感觉。 那之后成为开始画画的契机的是和现在的妻子的相遇。和她相遇是在二十四岁左右的时候,我还在做化妆的工作,妻子是在做洋装的工作。当时有个奇怪的化妆沙龙“魔女之馆”,我在那里面给模特化过妆。实际上还出演过演出啊上过电视节目《11PM》②呢。妻子也在那个《魔女之馆》做洋装的工作,我们就这样认识上了。 她是女子美术大学出身,喜欢绘画,她当时大概说了“既然喜欢绘画就动手画吧。”和她的相遇,总算让我开始画画了。 相马★该说是终于,还是总算呢。不知道能不能说成是大器晚成,じん先生的经历真的很独特呢。或许能说在无助的、长长地空白期时一直压抑的绘画欲望,所积攒下来的能量在此时一口气得到了解放和爆发,这或许就是じん先生特异画风的秘诀所在。 じん★ 也许是吧。然后我在二十五岁时结了婚,突然感到该停下了结束了做美容师的工作。幸好薪水还绰绰有余,我想那时候就下定了画画的决心了。 相马★无助的时期突然就结束了,从“不画”到“画”的落差十分激烈呢。那时有想过成为什么样的画家吗? じん★说想成为谁,并没这回事。但在不干美容师之前,有阵子画过一些铅笔画,让朋友看了后,被评价说“很像汉斯·贝尔默,”那时候贝尔默是谁我还不知道呢。 相马★刚开始和贝尔默的气质很像呢。 じん★很接近贝尔默吗?我觉得我只是自然而然地,并没有刻意和有意识地去画。但就算被说很像,这也未尝不可。 相马★总之,じん先生从不干美容师到干画画所思考的,都如现在じん先生作品中的想象一般,并不是其所见的超现实主义、色情的幻想艺术什么的,只是遵循纯粹的画画欲望而已。 じん★是这样。嘛,但要说的话,挺喜欢达利的吧。虽然现在没那么喜欢了。总之,要说开始的时候强烈地影响了我的果然还是和现在的妻子的相遇吧。 相马★把你从压抑中完全解放的是现在的太太。封印的是失去母亲这件事,解放的是和太太的相遇……两位女性的存在很强烈,也许可以说能打开じん先生绘画事业开关的和能关上开关的,除了她们就没有别人了。 じん★一直养育我的岡山,因为有父母离婚的原因,觉得很讨厌。然后到了东京后和现在���妻子相遇,老实说,我觉得这是使我获得了重生的事情。
充实的留法时期 相马★父母离婚失去母亲代表着的是象征性的死,和太太的相遇获得了新生。但对じん先生来说不止是自己的人生,作为重叠的画家的人生也是非常重要的。 话说回来,以前有听说过是结婚后去了法国,是立即就去了吗? じん★ 不,结婚后,计划着去法国,首先做的是为了筹资基金在豆腐店开始的打工。真正去的时候是在七九年,我二十九岁的时候。 相马★在去法国之前,所画的画是什么样的风格呢?是现在的这种画风吗? じん★嘛,是超现实主义的吧。比起现在的风格更具意象(イメージにあふれて),画面整个淹没其中,现在想起来稍有点吵闹。 七八年画的大概第八十号作品的大型油画里,画了在像子宫一样的东西的周围,有好几匹人脸的恐龙,嘛,感觉像是执行磔刑基督的一样,恐龙的子宫被刺戳着,孩子们在环上走着。这幅画啊,从巴黎回来,经人介绍向美术评论家ヨシダヨシエ先生引荐后,被说很不错,介绍给了永井画廊,然后开了第一次个展。 相马★ヨシダヨシエ先生很早时候就评价过じん先生的画呢。说起来已经有些跑题了,想听听法国时候的事情。去法国与其说是去旅行,果然其实是带着画家修行的感觉去的吧。 じん★并没有很快回来,去雅典娜法语学校(アテネフランセ)学了法语,被收为留学生进了索邦大学,那个时候已经有了孩子,所以那一年是家族三人都在一起的。但学校也不经常去,就光是在美术馆啊画廊啊这些地方来回转。 相马★在巴黎看过的艺术作品中,有特别在意的画家吗? じん★不,是所有的事情上。 相马★ 就是所谓地全部吸收吧。 じん★没错,只要去上画廊,大家都能看到好画。能看到名画家的画,也能看到像是没什么名气的画家的画,大家都觉得很不错。
意识到少女后,有了成为少年的感觉 相马★对じん先生的绘画历程来说,去法国果然是很重要的体验呢。遇到太太获得了重生,去法国在巴黎当地进行了充分地艺术吸收,然后开始成为画家,和刚才所说的ヨシダ先生的相遇,促成了第一次个展。 じん★那是八〇年的时候呢。那之后继续边打工边作画,开了好几次个展,受到过ヨシダヨシエ先生的充分声援。九六年的时候,在Art Space美蕾树②开了展。对当时的自己来说,那也是个很大的活动。 相马★最开始美蕾树时期也有去巴黎前的意象涌出、意象过剩的结构形式问题,仍有部分留到了现在呢。例如说像内脏、大脑和子宫融合了般增生膨胀的头部表现等等。 じん★那是抱着齿剑如归的心情非常拼命地画的。结果那是现在看也很不错的作品。 相马★堵上了画家的生命。 じん★那也有吧。但有一半抱着的是只要画出现在自己想画的东西就好的心情。有得不到任何人的理解也行的心情,相反也有希望能得到理解的心情在内。 相马★那时候的个展,我记得我感觉到了相当确切地Lucas Cranach少女风裸体的印象。 じん★嗯,有的。 相马★至今为止的じん先生,即使能看到汉尔默的风格,但也并不一定就是那样,但Cranach有呢。 じん★我就觉得很可爱,不是也能感到有点东洋的风格在里面吗,并不奇怪。把Cranach的整体气氛,嘛,作为基础,想试着加入进去自己的风格吧。 相马★那次个展是对Cranach的北方(哥特)裸体主题的反应,可以说以此为界,じん先生的画风大为转变了呢。 じん★没错。说起北方,为什么我只对Cranach有感觉呢,对Brueghel等等就完全没有。 相马★恰如涩泽龙彦写过“瓷器般的对象”的冰冷裸体,小小的乳房和修长的酮体,肚子胖乎乎的有着奇妙优雅的、凝缩着未成熟的官能美的裸体。Cranach画出那样的裸妇像的时候,好像已是年近六十的老人呢。 じん★果然少女有着非同凡响的魅力呢。 相马★可以说从意识到Cranach的那次个展后,少女题材就得到了放大吗? じん★没错。怎么说呢,很不可思议,意识到少女后,有了我好像成了少年的感觉。刚才相马先生所说,Cranach在成为老人后,才开始被少女所吸引,这和我感觉到自己成了少年之间,是有着什么相通之处的吧。 相马★可能少年和老人的感觉是相通的吧。站在从生到死的人生跨度的角度去思考的话,一个是离开母体还不是很久的存在,一个是离坟墓这一胎内很近的存在。才刚刚出发的存在和临近终点站的存在,无论哪个都离该回归之处很近呢。同时,处于人生正中间的大人们则是和社会隔得最远的存在。 じん★的确,我觉得自己现在也还不是大人呢。当然,有身为大人的普通常识,但觉得自己是进不了大人的社会呢。
缠足不是畸形美 是被鞋的美、被压抑的女性历史所吸引 相马★暂停一下,让回到此时じん先生的绘画题材上,那时候解剖学的要素也很显眼呢。 じん★那个啊,虽然在画完后也有好好地看过解剖学方面的书,但在画的时候,任凭现象去驰聘的感觉也是非常让人着迷的。 相马★果然じん先生最开始时是从自己内侧涌现出来的。关于缠足的研究,这时候还没在进行吗? じん★这时候还没去碰缠足的题材。我记得应该是九八九九年的时候开始画的。展示以缠足为主题的作品的原宿画廊,现在已经没了。 关于缠足的风俗,大概情况从前我就知道,开始有了想详细了解的兴趣,是在读了熟人漫画家鸠山郁子的《カストラチュラ》后。画过缠足题材的漫画,我让鸠山给我看了看缠足鞋子实物。在漂亮的绸子上刺着刺绣,我被那种美震惊到了。然后在开始了调查后,就有了想动笔的欲望。于是我就边对真实的历史做调查,边慢慢地加入自己的幻想,绘画题材也就自然而然地确定了。 相马★那种东西中也有着一些些畸形之处,也能看到怪奇艺术(grotesque)的痕迹。 じん★没错。脚会像那样的印象变形,也会有像猪腿一般的怪奇艺术的地方吧,我看到的时候,首先想到的却是缠足的鞋子很美,那进入里面的腿会是什么样的呀。调查了之后,结果非常骇人。也开始被悲惨的缠足女性们的历史所吸引了。 就好像是看到了跟自己的人生的重叠之处。所以并不是对畸形美引起了反应。我对其他的畸形事物完全不感兴趣,吸引我的啊是缠足本身。 相马★这倒挺有趣的,不是对畸形美的兴趣,而是被所缠足的鞋子的美和那些不幸的女性们的历史所强烈地吸引了。并非对人体部位的色情的变形、改造的兴趣。 じん★那些女性们的人生和我过去的人生,都被压抑得很厉害。看过我的画的人可能只会联想到恋物癖之类的,但我画的和只是恋物癖之类的是不同的。 相马★没错。じん先生所拥抱的是整个缠足历史,和只是在感觉上对某种脚的畸形形态的偏好不同。从我们一直所谈论的这些,じん先生自己的人生经过来想象的话,じん先生是从所缠足的鞋子的美中敏感地察觉到了被压抑的解放吧,只会在被压抑的东西里诞生出的独特的美……是有点独特的矫饰主义,可以说所缠足的鞋就是じん先生绘画的象征本身吧。 じん★所以既不是特别对中国有所兴趣,也不是对缠足这一习俗给予肯定的含义,而是被缠足的历史、题材所深深吸引了。
银笔画画出的纯洁色情 相马★其后就是じん先生在青木画廊的个展对吗? じん★高桥睦朗先生看过我的画后很中意,来参观了次画室,然后承蒙高桥先生介绍给青木先生,开起了个展。 相马★是从青木画廊时开始,集中发表银笔画的呢。 じん★那个最开始的契机是维也纳幻想现实主义画派(Vienna School of Fantastic Realism)的Ernst Fuchs。看到Fuchs的某幅画时,写着是银尖笔,那是什么一开始不知道。之后虽然有过调查,但仍没弄清楚。没办法,去了买卖银的店里,特意将银弄成细长棒子的形状,削出头试了试,那个在纸上很难画得起来。想了各种各样的办法后,以胡粉为粉料画起来的。之后知道了这便是正确的做法。银笔画作为作品第一次发表是在国立画廊的“青年(ユーゲント)”作品系列上,第二次就是原宿画廊的缠足画了。 相马★在青木画廊以银笔画为中心展示后,美蕾树时期仍残留的意象过剩问题也从而被抑制住了。 じん★嗯,确实如此。 相马★心情上有什么变化吗? じん★美蕾树的时候是强烈、温和的气场,所以就想向着相反方向发展来着。 相马★从青木画廊时开始,有种强烈的色情感,但该怎么说呢,也呈现出了强烈地清纯气息…… じん★果然有用了银笔的原因吧。 相马★Cranach的少女题材也并没有消失,感觉是一边消化一边完全融入进了じん先生自己的风格里。果然现在也在追求着少女性吗? じん★这么说不太好听,作为大人的女性总归有些让人讨厌之处……能明白我在说什么吧。 相马★没错。会有很多人烦些生小孩啊、恋爱啊等这种庸俗的现实问题……与此相对,少女这种存在,至少有避免这种印象的希望。 じん★少女就算是淫荡的,也会包含纯真的成分。与性不同的色情之类的…… 相马★削除了和性(生殖)的有关部分的纯洁化的色情,被结晶化的色情。 じん★有时候呢,我也会去想画些让人不舒服的画。这样说可能有些奇怪,但我现在只能画些纯真的色情,也就是说少女的色情这样的画了。有只能去画那种东西的限制。今后虽然也会有色情的画,但我想画像空气的东西,可能很难听懂,空气感之类的。 相马★一股捉摸不透、充满谜团的气息呢。 じん★这大概是自然而然的,靠近那样的东西。 相马★感觉是去向着更为被净化的东西靠近呢。而现在所画的银笔画确实更着重在所描绘的女性上,但也能强烈地感觉到融入其中的不可思议的空气感。 じん★我也感觉到在那样向着的方向发展。以后也许会画出女性完全不出来的那样的画吧。这也是很有可能的。
山本じん的新作ABC 托这次访谈所故,拜访先生的家和画室之际,特别获得了欣赏若干新作的机会。几幅大作和多数小件。大作的出色不用多说,小件也毫不逊色,是凝缩了独立(One Team)画家之精髓的秀作。在个展举办前之际,让我们先悄悄地稍稍一睹为快吧。 首先,是大作中也格外压轴的一幅作品,请欣赏(请看64-65页)。 画面中央宛若女神的女性裸体像的脚边,炼狱中残酷堕落的女人们的淫乱与像是神话中的怪物们的邪恶搅在一起,画出了冰冷燃烧的中世纪风格的恶梦。 宛若染上了地狱深渊的淫乱宴乐般的异样空气笼罩其中。 那股恶行累累的淫欲妖气宛若有自己的意志一般繁殖增生,化作宛若烟滚滚往上冒的火焰和云烟般的气体,围住画面中央威容赫赫的女神,缠着那具耀眼的裸体不放。而她好像在边自由地操纵着这股魔气,边吸收和净化轻轻飘浮在左右两边的黑暗一般。じん先生在访谈中表明今后主要关心的“空气感”不也可以从中一览无余吗? 这幅大作虽给出的是道不尽说不明的神话印记,但也能感到是一幅强烈引发着就保持着这种理解、净化的痛快的热情奔放的作品。 这是一幅乍一看就立刻把人拖入其中、夺人心魄的抱着这种感觉的作品。 另一边的小件里面,也有很多放射着特有强烈磁场的作品。完美无缺的是即将五月在青木画廊的个展登场的两幅吸引我的作品,让我特别在这里简单介绍下。 一幅画着的是凄惨的从被切开的胸部露出心脏的玛利亚风格的女性(母亲)和怜爱地抱着温热脏器的少年(下图)。这或许是透过山本じん这一曲面镜所见的特异的“圣母子像”。彼此之间的爱踏入了疯狂的领域,血淋淋的圣爱,在神秘之光的笼罩下,不断拨高着。解剖学的怪奇艺术在此保持着血腥的视觉冲击的同时,达成了和纯洁之爱的美的和解。 另一幅就算作为小件,也是幅出色地展示出了山本じん风的幻想色情的作品。那里面画着的是宛如蛇一般蜿蜒扭曲的长手长脚缠绕在一块儿的男女两人。因为复杂怪异,加上紧紧相缠,两人已经成为一体化做了一团肉块。相缠的两条蛇仿佛双蛇杖,这一矫饰主义的扭曲,与从通常的纠缠上感觉到的东西明显不同,异质的爱欲如肉体在呻吟般渗出了画面。 话说回来,山本じん在包含人形在内的立体作品上也发挥着出色的才能,这在爱好者间众所周知。但在下回个展上第一次展出的这件作品,也许才可说是真正值得惊叹的对象。那便是被从じん先生的代表作之一《Phoenix Treasure N》解放的少女的立体化作品。被监禁在油画布的狭小箱子内,边身体淫荡的弯曲着,稚嫩的性器和稍小的乳房裸露着,边以缠足的鞋和缠在身上的自己的长长的辫子和阴郁的骷髅作为炫耀,那位妖艳的少女竟以木雕雕像的方式呈现了出来。じん先生在这少女像中了花了深切的心思,是一部满意之作。这同样也是一件值得期待的杰作。 然后,在这最后,通过新作的再次确认,果然应对银笔的压倒性魅力再说上几句吧。比起涂抹,对银的粉末细心进行附着的工作,将画家的精神能量注入到被描绘的少女的风女性形象里,能从中感受到某种热情。我觉得这种热情首先是作为纤细的金属的光辉而实现的,但事实上,是通过周围发出着的柔和灰光实现出来的。但这充其量不过是我的感想,银笔画的绘画魅力,恐怕得通过实物去感受吧。我对事先已拜见过的魅惑的作品们在画廊这一特别空间的相遇,从现在开始殷切期盼着。
①《an·an》,《non-no》,女性时尚杂志。 ②《11PM》,日本电视史上的第一个深夜Wide Show(Wide Show是一种会介绍社会新闻、艺人咨询的日本电视节目,21世纪后称为“情報番組”),播出时间是1965年至1990年。 ③Art Space美蕾树(アートスペース美蕾樹),1983年开廊,2006年闭廊。
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TH series No.46《悄悄地爱玩品(收藏)秘密世界的幻视者们》
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tsthxh · 5 years
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关于拷问 涩泽龙彦
一、痛苦和快乐的相似
用简单明快地话来说,拷问是由人类发明,只属于人类领域的事物。而动物们无论做出多么残酷野蛮的行为,它们都有着生物学上的必然理由。而拷问,比如推翻宗教信仰、思想上的信念,同样身为人类折磨另一个人类,这在动物的世界中是绝不会发生的。这么看来,明显属于人类领域的拷问,果然和动物中绝无可能存在的色情概念相类似,是属于心理学方面的一种探求。 “猥亵行为是对羞耻心冒渎的逆转,拷问是对怜悯冒渎的逆转。”Thierry Meunier写过这样的话。确实,拷问和猥亵行为相似,是非持续性的人类追求持续的一种手段,一种基本上可以视作是绝望的交流手段。 色情行为,男人把女人脱光,伴随着女人的羞耻心一起,使她成为一种非持续性的存在,必然这也会剥下绝对领域的薄膜。夺走了羞耻心,夺走了衣服,她宛若被卸除了武装一般,与存在的普遍持续性相对,成为了完全开放的状态。猥亵则是有着扰乱该个体的非持续秩序、打破日常社会生活的形态、一种不安定的开放状态的含义。也就是说衣服被脱掉这件事,可以看成是使我们存在的非持续形态解体的色情行为的第一步,性高潮是这种解体的最终完成阶段。 和这种色情的过程完全符合,在拷问台上的人类,首先被夺走的是人对人应抱有的怜悯之情。他不能请求拷问的执行者对他可怜。为死的持续性开辟道路,这种不安定的开放状态,和作为色情行为的猥亵状态、赤裸状态极为相似。但两者在试图恢复两个个体的被断绝的交流上,一个是使人快乐,一个是使人痛苦,这点不同。拷问的最终完成阶段,拷问的高潮是死。因此,不管在哪儿,非持续的个体都在持续中得到了解放。 基督教的伪善在于,给予肉体痛苦,对我们肉体的关注,能从肉体回归到精神上这点。为了避免犯错的肉体,给予其最大限度的痛苦——这是来自中世纪僧侣所考虑的所谓禁欲精神、苦修的目的。他们认为,为了让意识脱离肉体,最好尽可能地肆意对肉体残酷虐待;让精神完全独立于肉体,精神处于支配者的地位,再没有比苦修更合适有效的手段了。但这种想法错了。精神终究无法从肉体上完全独立,经常成为肉体的共犯者,遭遇失败。也就是说,会无法区分痛苦和快乐,对精神的肉体的关注,无论如何都只是停留在对肉体的关注上。 异端审判官的拷问,警察对思想犯的拷问,是更为阴险、伪善的快乐。 异端审判官的隐秘的快乐,不一定只在欣赏对方承受肉体上的痛苦。伴随着肉体上的痛苦,对方的精神产生动摇,超越了能承受的极限,终于屈服为了肉体的共犯者,观赏背叛精神的这整个过程是十分快乐的。这宛若和向缺乏恋爱经验的天真纯洁的姑娘,授受爱的技术和快乐的猎艳家的引诱乐趣一样。纯洁的处女被猎艳家所引诱,无意中输给了肉体的快乐,她的精神屈服为了肉体的共犯者,正如思想犯因为拷问带来的痛苦而转变的过程。如波德莱尔所言,肉欲行为确实和拷问相类似。痛苦和快乐,在对人的精神和肉体的作用上,显示出了相似的形式。
二、拷问动机的分类
据Roland Villeneuve的《拷问博物馆》(巴黎,1968年)①一书所言,人类进行肉刑、拷问的动机有以下繁多的种类: (1)战争后遗症——赢得战争的部落,为了让输掉的部落不会再度拿起武器,或者说为了让他们不再有生殖能力,会切除相应的身体器官,将他们变成奴隶。 (2)复仇——美国的印第安人经常将敌人的头皮连着头发一起剥下来,作为战争的纪念品。另外原始民族进行的猎首、纪念打胜仗的庆宴上吃人肉等也属于该类。 (3)宗教——古代东方的牺牲宗教(巴力、摩洛等),为了向使宇宙正常运行的神祈愿,会将孩子、女人作为活祭品献给神。在印度,祈愿农作物的丰收,会向时母神献上活祭品。 (4)魔法——为了制造某些种类的软膏、冲剂和蜡烛,会割下孕妇的肚子、摘除健康男性的器官。据说十七世纪法国的魔法师Guibourg进行的黑弥撒,曾杀死婴儿,将他们的血收集在圣杯里过。 (5)刑罚欲望——为了强调刑罚的可怕,中世纪的欧洲、中国,使用过非常残忍的拷问手段。 (6)现实利益的动机——盗贼、强盗为了钱抢夺财,会用东西堵住人的嘴,以烧伤、刀伤的方式弄伤人给予威胁。诱拐儿童、女性也包含在该类。 (7)强制自白—— 过去,审判预审时,审判员做这样的事很普遍。西班牙的异端审判、军国主义日本的特高警察、纳粹的盖世太保、苏维埃的格别乌、阿尔及利亚的法国军队等等。 (8)所谓的科学研究——战争中,日本九州大学的医学部,对美国飞行员俘虏所进行的活体解剖实验,我们现在还记忆犹新。 (9)色情——一般根据剥下牺牲者的衣物、使身体器官暴露、流血,拷问多多少少能使拷问执行者的施虐癖得到满足。看上去像纯粹实用手段的拷问(比如说鞭打),很多时候都含有着色情动机。
三、对于出现在美术中的拷问的考察
世间有很多拷问爱好者,这和有很多色情爱好者的理由一样,用不着区别看待。他们对以前拷问器具和处刑用具的极度讲究,对此而产生的对沾满血迹的血的怜惜,对不再进行拷问的现代的人道主义风潮这些感到感叹不已。他们只能借着想象力去追忆亚述巴尼拔王②和托尔克马达③的伟业。话虽如此,萨德、米尔博④和巴塔耶留下了许多贵重著作,这刺激了他们的想象力,以宗教艺术为借口,制作了很多巧妙地隐藏着虐待狂本能的绘画、雕塑作品。这让他们充分感受到了赏心悦目。 米开朗基罗的索多玛刑罚图、Orcagna和Taddeo di Bartolo的地狱图、Niklaus Manuel Deutsch的《一万基督教徒的殉教图》等等,都能说是借宗教艺术之名的血浆趣味的虐待狂绘画吧。很多画家画的《基督笞刑图》同样也是包含着很有味道的奇妙暗示和象征的作品。 比如说,请看看中世纪时期西班牙加泰罗尼亚画家Lluís Borrassà的《基督笞刑图》(��斯特尔美术馆)吧。 两位拷问执行官所握的笞仗明显暗示的不就是勃起的男根吗?再看看他们享受的表情和姿势,画家在这里暗示的是自慰场景基本上确凿无疑了吧。更仔细地看,在这根笞杖男根上,三条捻线甚至像喷泉似的飞了起来。这些全是来自画家的恶作剧吗?还是说是委托绘画的贵族的要求呢?无论如何,这副完全是在冒渎基督的大胆妄为的构图,以让自慰者愉悦为目标的画家的挑动意图,可说是显而易见吧。 再让我们看看现在瑞士的巴塞尔美术馆所藏的一幅文艺复兴时期德国代表画家Hans Holbein的《基督笞刑图》吧。 这不就是性倒错者的骄傲游行吗?看着像胆怯含羞的年轻姑娘似的、奇妙地两脚并在一块儿的基督,带着Androgynos(两性具有者)的圆润身材,正在向拷问执行者求可怜。围住基督的拷问执行者们里面,右侧使劲儿用力挥着笞的男子,股间紧绷着小帐篷顶着,表情凶狠,这人是个虐待狂吧?左侧则有个宛若笞是鞭打在自个儿身上, 幻想着基督的痛苦呈现在他身上的激动异常的受虐狂男子。 而从最右侧的房间外面,还能看到有个在偷看的不举者的老人的身影。
①《Le musée des supplices》。 ②亚述巴尼拔:公元前六百年时的亚述国王,当时亚述实行军国主义。 ③托尔克马达,西班牙天主教多明我会僧侣,西班牙异端裁判所首任大法官,1480至1530年间处死了数千名异教徒。 ④米尔博(Octave Mirbeau): 中文书籍有《一个神经衰弱者的二十一天》(作家出版社,1996)和《秘密花园》(重庆出版社,2005)。
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色情和残酷的综合研究志 《 血和蔷薇 1 》
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tsthxh · 5 years
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满潮 芒迪亚格  生田耕作/日译
表妹朱莉十六岁,我二十岁。这点年龄差距,虽没对我们的相处造成什么影响,但她给人感觉还是个小孩子,而我已经是个大人了。我的话她都言听计从。那是在八月的诺曼底,雨水润泽的这片土地难得不见一滴雨落,是个晴天接连不断的舒适夏天。我带着朱莉散步、抓螃蟹,或是以采集化石的名义到海滨和泥灰岩坑去。但实际上,多数时间就只是打发时间。她在由母亲作陪的社交舞会上,和几名男孩子自然而然地发生过来往。懵懂初开的情事以及这其中的小小快意,她都向我倾诉了。而我挑出在巴黎下等妓女卖身的店里,不可思议地,和她的母亲、也就是和我严肃的伯母很相像的肥胖妇人管理的那家店里被女人们伺候过的强烈快乐说给她听。之后我们一起大笑,或者就一直瞅着彼此。但两人的关系总是有着距离,保持着纯洁。所以她一眼看穿了我对她,尤其是肉体所有部分中的她的嘴唇抱有着狂热的欲望(也许是为了捉弄我,后来她毫不隐瞒地都告诉了我……)。这是因为,比起面色红润的脸颊,她的脸颊面无血色,稍带着薄紫。涂着凡士林的嘴唇(为了防止皲裂),浑水般睁着的眼睛,带点灰色的金发剪成所谓圣女贞德式的短发,嘴角青���洋溢的同时又泛着倦色,成熟的同时又透着新鲜。觉得很散漫又率直,与她纯洁少女的风情非常吻合。这把我推入了难以抑制的兴奋状态。
碰巧伯母收到去塞纳河下流区域的骑马狩猎的邀请, 朱莉忙于照顾动物,拒绝了同行,已经决定了要留在屋里。我提出了这天去海岸散步远行的提议。早上八点,我去接她,两人骑着自行车一直骑到丹德鹿薇路(denderville),之后沿着岸边,我让她跟我一直跟到酷瓦路(cuval)峡谷。她同往常一样,如果带了篮子的话,就说明是要在中途吃饭吧。她对做三明治充满了热情,又爱花心思,所以我的那份也总交给她。
我们到丹德鹿薇路时,已过了九时。因为我们出发的稍微有点晚了(我计算了时间)。在海关人员的小屋旁锁好了自行车后,我们走在海滨砾石上,顺手下到了好走的海滩边的潮沙上。我们的身后,三个小孩在玩着,混凝土的台阶旁,有个女人弯着腰在做编织活儿。不一会儿,就只剩下了我们俩人。为了抬头再见到她时能体会到更深地感动,我打算暂时忘掉朱莉的存在,率先走在了前头。我们就这样盯着脚尖一前一后地走着。大海却在迅速地高涨着。这是因为三日前是新月,现在是大潮,是九月、十月潮水期到访前,潮水最高的季节。波浪冲上沙子摔成了碎片,波浪的内部也格外激烈着,在把我们的脚头打湿时,我先接近了断崖。在绕着绝壁下面走时,已经变得看不见了海边的砾石。我们一边留神着容易打滑的绿苔,一边在像是白垩沙丘一样形状的土地上一点点地前进着。
“再这样走的话,”朱莉说。“会被大海带走的,满潮时到不了酷瓦路的。”
“都是你的错,”我回话道。“你要是早点出门的话就不会这样了。但已经迟了,到这了没法原路返回了。就走到现在看到的那片滑坡上去吧。到那儿的话,再高的水都够不着。等又落潮前一直待在那儿就行了。那之后我们再想办法去酷瓦路,是从断崖的顶上过去,还是要是太累了,原路返回都行。”
稍微有点风,波浪在继续高涨,现在打到了沙洲的腹面,在方糖一样的白垩石群间游走完后才退下去。我们像要被大海摁倒似的,向着似乎马上就要被大海摧毁的断崖尽头走去。波浪撞碎在我们的头顶上,水花四溅着,我加快了步伐。在这种地表上摸着走十分困难。我能听到追着我���上来的后面的朱莉的呼吸声。但我没回头。距离那块滑坡的大山还剩下最后的五十米。
断崖像众所周知的那样,受到大海撞击的侵蚀,经常会发生崩落。这片滑坡在掉落前肯定在很久以前是座完整的山脊。证据是,白垩长时间地暴露在海上的空气中后,会开始带着发黑发硬的感觉。它坠落的石块看起来相当地多,退潮时,它们在海上至少延绵了有一公里。现在只看到了其三分之一。而在最前侧,我们经常能在周围捕到车虾的岩石,现在藏在了海草中。
为了帮她爬上最开始的岩山,我向朱莉伸出了手,但依旧努力着不往她那儿看。顺着好不容易找着的路,我们抵达了滑坡的顶端。她突然发出了声可怕的悲鸣。原来背后的海洋,已经把汹涌的白色浪头灌入了酷瓦路峡谷的断崖中,我们的身后已没有了退路。一瞧就知道,滑坡上没有人在。飞来飞去的鸥群威吓着我们,在这种静寂的声响中,响起了让人感到不吉的尖锐的叫声。颜色相同、也没多大差别的那另一种鸟恐怕是海燕吧,它在我们的头上盘旋,接着又向着断崖的顶端继续飞去。
无视再三不满的害怕的表妹,我继续走在前头,向着这个海岬一样的地面的前方下面走去。沿途经过的岩山与岩山间的缝隙很开阔,形成了一个相当广阔的盆地。那里有各种大小的石子和沙子,甚至还有个现成的小水池。水在里面朝着海的方向缓缓流淌。海面的另一侧,能看见比其他更为稀疏的岩石和岩石间的缝隙。到这儿我停下了脚步。然后朱莉也跟着我后面下来了盆地。
“接下来怎么办呢?”她问道。“就我们俩个,浪马上就要来了。”
“到池子这边来吧,到这儿来。你看,砂石上海草组成的这条边界,就是满潮的痕迹。只要找个足够高的地方坐下,脚就不会弄湿了。”
我边说边坐下,脱掉了帆布鞋。于是一直模仿我的小母猴也照做了。接着,我向她发出了在我面前的水里走走的命令。她顺从地照做了。我开始了我的观察。
水一直浸到了她的脚踝,朱莉挽起双臂上的袖子, 把裙摆往膝盖上卷。由于那是件很透的连衣裙,衣服里面又穿了件黑色泳衣,隔着薄棉布,她身体的其余部位甚至都暴露了出来。大开的领口里,扣着扣子的单肩带露了出来。浓眉下的双眼,呈现出一番柔润的风情,让人想要粗暴的折磨她 。她的脸颊微微泛红,而我之前说过的,我比这世上的任何东西都更渴望的嘴角没在笑,但可爱地展现着像日光般闪耀的两排牙齿。我尽可能藏起自己的动摇,把她叫到了跟前。
“来这儿躺下,”我对她说。“ 反正 衣服都脏了,到你母亲回来前,还有绰绰有余的时间把衣服弄干。”
我敬佩的小表妹照着我的话做了。我望着她近在眼前的润泽双目和现在带着笑的嘴角,而她温顺地把圆润的下巴靠在我的膝盖上。(什么都可以做喔)带着这种兴奋的心情,我把手伸向了她的颈筋。同时,我也确认了她肩带上的纽扣是我伯母艾琳为女儿挑选的已经不时兴的打扮。
“是啊,”她说道。“正好穿了泳衣,这样的话脱了衣服也没关系。我们一起从岩石上下去,到海藻上游泳吧。”
“不,”我说着,用两只手同时解开了肩带上的两只扣子。“脱掉泳衣在衣服下面裸着吧。在海藻里玩鱼什么的太无聊了。我们玩个别的游戏。”
“好啊,”虽然她犹豫了一小会儿,边用不可思议的目光看着我边答道。
在我面前,她在连衣裙下面扭动着身子,扯下黑色的泳衣,脚一只一只地拿出来,踏在小石子上。我闻到了温暖的香汗味。到处都被水沾湿和泥弄脏的蔷薇花束图案的白布下,显然已经什么也没有穿了。而我的目光像之前一样地清楚。不,她的体形看得更为清楚了。这是因为风把衣服的布料紧紧地贴在了下腹和胸前的缘故。我在稍高的位置上,背着光滑的岩石坐下,在另一块岩石突出的地方上挂好我的手表,以便更好地看清表盘。又把地方报纸《la vigie》摊在旁边。然后为了不挤到她,我让她挨得尽可能更近些乖乖躺好。
在她几乎就要压在我上头的时候,我重新把手伸向了她的颈筋和肩膀,爱抚着连衣裙下她坚挺漂亮的胸部。发挥了年轻姑娘特有的出色的天真无邪的荡漾,她准备要反抗,但又没表示出任何像是吃惊的举止。同时,我把报纸上的潮汐时间表铺在了她身上。《la vigie》上用的是诺曼底农民的时间。我们使用的是夏令时,也就是说巴黎来的避暑客们、街上的人们的时间。必须要多加上一小时。所以今天十点四分的满潮,其实是在十一点四分。我的手表是正确的时间,指向了十点四十分。所以距离落潮还有上半个多小时。
她几乎是张着嘴,听着我说的话(说起来,这不是她一直以来的态度吗?)。在我向她作出在这座小岛、这座半岛上,我们两人置身于怎样无法拯救的孤独中的说明后,我又说道,像在沙漠中迷路的男子渴望新鲜的水一样,从以前开始一直对这双嘴唇抱有的持续干渴的欲望,现在已经没有任何事情能阻止我接下来对自己的欲望进行满足,治愈那灼热的干渴了。
“接吻可以哟。”已经完全有了心理准备,她答道。
“不,”我回她。“还是继续我们刚才的话吧。你要像Regina夫人店里的娼妇们招待我那样(你不是装作都懂了吗!),在嘴里招待我。在海潮高涨的这段时间中,能理解吧,就是半个小时以上都要在那儿含着。不能毛手毛脚地张嘴说话,把我晾在一边。而我会给你讲解海潮的原理。我让你听着的事情,我在你嘴里进行的事情,还有像是我高涨的欲望般现在正在我们周围的大海的样子,你要一点不漏地全都注意。当十一点十四分,大海明显完全平静下来的时候,我会从你嘴里拔出来。我先告诉你吧,这样地自我控制可不是件容易的事。但我的年纪比你大上好多,在这领域还是有所修炼的。所以在进行这样的操作时,我必须要集中精神,你的话也要去留神去集中精神。你的肢体也好,自己也好,在爱着的男孩也好,还是你想要的物品也好,什么都可以,你要专心致志地把自己的意念集中在上头。尤其要努力地感觉到以增强绝顶感为目标的我欲望的行进过程。我从你的喉咙中拔出来时,是最为关键的时候。对我射在里面的生命的赠物,你要老老实实地高兴地吞下。对那赠物,你要当成是大海产生在你身上的巨大的海洋运动的成果。
她以非常吃惊的表情瞅着我。那样子比起合格的女性,更像是楚楚可怜的孩子,觉得有点可怜。但再怎么怜悯,也不会让我的欲望屈服下去吧。再加上在这种四下无人的地方的难得机会,可以对天真无邪的少女实施实验,这种企图令我心跳不已。都到这儿了不打算做了,也太懦弱了吧。于是我吩咐朱莉一刻也不要浪费,来到我张开的双脚间躺下。她的脸颊靠在我的腿上,隔着裤子布料我感到了灼热的的皮肤。我的手温柔地,也没那温柔地爱抚着美得令人难以置信的她的头发。我想着这样光滑的头发摸起来再怎么舒服,也不会能一直这样舒服吧。说起来,我那可怜的伯母艾琳是假发,我们经常以“小猫咪”来取笑它。
“小不点,”我以非常温柔地口吻叫着朱莉。“我十分珍贵的可爱的小羊,什么也不会发生的,会给你羊喜欢的棒棒糖吃的。”
我一只手遮住她的眼睛,用另一只手久久地爱抚着她的脸。手指在一次也没有摸过的她的嘴唇上游走,摸着小小的牙齿、尖尖的犬齿和臼齿,摸着灵巧的舌头和牙龈。她没有合上下巴,说明了她的服从和默认。她的眼皮始终闭着,我迅速地脱光了身子,稍稍往旁边挪了下,把她的脑袋摆在比现在还要高的地方,然后蛮横地(这是因为在某种时候有使用暴力的必要)进入了她的口腔中。恰好那时,小小的波浪穿过环绕我们所处之处的岩石之间,像是水獭还是海狸跳入其中的秘密声响在我们脚下的水坑中奏响。我们明明保持着安静,鸥群还在我们周围盘旋着在附近落脚。波浪上也能听到鸥鸣声。
朱莉像个溺水者趴在波涛上般,委身在我的暴力之下。在插进去了会儿后,我停止了合上她的眼皮。睁开眼后,她首先凝视着自己嘴边兴奋异常的器官。但很快她就撇开了视线,沉浸在没在别人那儿看到过的茫然若失的和服从的表情当中,与我四目相对。我一只手撑着她的脑袋,把轻微缓和的力道加予她,海浪的节奏和我腰部有规律地摇晃重叠在一起。目睹该场景的人一定会这样想吧(假设有谁在窥视着我们的话),被这满潮浸蚀的岩石中小小的圆形剧场内,在这沙洲上, 我们互相面对面所进行的是一种私密奇特的舞蹈吧,或者肯定是在做一种体操吧。我的另一只手爱抚着衣服下的她的身体。衣服很短,很宽松,我已经解开了皮带让爱抚完全不受妨碍。撩起连衣裙也很容易。假设我那样做的话,朱莉大概也不会表示不满。她没有抗议,因为她什么都愿意做吧。但这件前后都脏兮兮的可怜的衣服,把她装扮得宛若活祭品一样,显示出很出色的魅力。而我已经抓向了她丰满膨胀的乳房,手在纤细的胴体上来来回回,一直伸到了滑溜溜的美丽的腹部下面,选择了最大限度地探索与女佣房间的窗帘相衬的程度的普通印花布罩子下的,天真烂漫的金毛羊的最为起皱的部分。这片小小的草丛对我灵验非凡。
“海潮的潮汐堆出来的沙洲,你知道根据土地会被叫作‘亚当的沙洲’吗?”我朝她说道。“说起这个奇妙的称呼,刚才我突然想到,那个巨大香肠形状的代替品,和我现在插在你喉咙里的东西有着某种联系,或者说是能看到相似之处呢。倾听着大自然的安排,将自己融入海潮的节奏中,我们应该不是头一个。”
她不愿回答的感觉,我更用力地在腰上朝前一顶,看来这伤到了嘴,她发出了小声地呻吟声。之后她更紧地收拢了双唇。我感觉我在侵犯着湿润的花瓣,我想象着我在向着苍白的蔷薇花的中心前进。因为产生了非常厉害的感觉,我觉察到正接近绝顶。我不想错过向朱莉讲述自己心中想说的事情,必须要赶紧采取措施推迟它的到来。
于是,为了和自然现象合一,我瞥了眼手表的表盘,开始了讲义。结合古代人的洞察和现代学者的理论,把我所知范围内的大海涨落的诸多原因向朱莉进行了长长地说明,告诉她根据月亮的位置海水显示着增多、减少的周期,伴随着这种表里活动,以每日四十八分钟的时间推迟。还告诉了她关于它的极点“大潮”和“小潮”,某些时候周期中会产生变化。关于“朔望”的存在和作用以及对春秋分周的影响都让她学习了。我边说明,边在少女的头上慢慢地来来回回,宛若在摇着孩子的摇篮一样。我感到自己也在被摇动着。围住我们的大海,灌入了滑坡山的所有缝隙之间,填满了低洼处。从包围我们避难所的岩石里,水像瀑布一样流泻着。海浪的最前头分开延伸成了小水流,在小水池的表面淌着,早已打湿了我表妹的脚。海鸥飞上天空,接着在高处发出着很吵的叫声,来回盘旋。和自然如此强烈亲密地交流这还是头一次。我感到了在行星间循环、恐怕一直抵达了最遥远的星星的巨大生命流动正从我的体内喷薄而出,可以说我是在共享着宇宙的呼吸。虽然意识迷失在了宇宙的漩涡中,但作为代替,我发觉自己的观察力在迅速扩张。维系我的是在心中给予了我活力的那点。那就是我把蔷薇扎根在那儿的朱莉的嘴巴。
她也时不时地瞟着我的手表,边以耐心、贪婪的热心听着我说话。那张脸上,带着我从未见过的意外地认真表情。我曾经多少次发现过,在老师和学生之间,特别是两人的性质完全不同的场合产生的这种奇妙的性关系。想想这也是理所当然的,只是这个想法是否妥当没有过像现在这样确认过。我差点就要笑出来了,女学生和学者的关系,两人一起以终点为目标什么的过于遥远了。瞥了一眼表盘,我镇定下来。距离满潮的时间只有六分钟了。
在讲完姬露埠弗(法国渔港)的堤坝后,我的讲义突然中断了。虽然我一直注意没放开我的手指,但一回到朱莉的美丽身体,速度一边放快了,爱抚也加强了。同时,我更为尽力地想象着围绕着我们的海面上升。然后,在数分钟后,我和天地自然完全融合在了一起,和周边一带一样,我体内也感觉到潮水快要涨起来了。像自言自语一般的嗫语着,我把事情告诉了朱莉。她装着自己也一样是的样子。时间到了十一时二十分,风止了,撞上暗礁的波浪声放弱了,紧张到了极点。想着我是在把腿窝至颈筋和被月亮吸引的巨大水流在共同分享着,我体会到了一种蔚然的幸福感。终于,到时间了。没有看手表的必要,在这“憩潮”的一瞬间,换句话说因为在心中我发觉了顶点。然后我在朱莉的口中悉数把我的至福给射了出来。自己的喉咙被因此塞满的瞬间,对这场粗暴的海啸,她领会了比自己想象得还要多的东西。对于这种凄厉,无论怎样她都该有所吃惊吧?但完全没有。她乖乖地全部吞了下去。
沉默着,就这样相互挨在一起,宛若变成了石头般,我们一直一动不动着。过了会儿,我起了身,整了整自己的衣服。我回到身边后,朱莉把身体靠过来,海水变得足够低了,我暗示说要能继续散步还必须要等上四十五来分钟。
“还有时间哇。”
我感到了怜悯,对产生了想关心她的心情的我自己,觉得很羞耻。
“不,”我冷淡地回应道。“到这儿来可不是为了玩的,是为了让你学习的。现在你对海潮的潮汐知道是怎么回事了吧。”
《黑色美术馆——芒迪亚格短篇集》
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tsthxh · 5 years
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诗选2  森博嗣
夜目覚めて(夜里醒来)
夜中に目が覚めた 汗をかいていた 僕は誰だろう……と考えて 間もなく現実に定着する
部屋は暗く シーツは白く 呼吸は減速し 思考は加速し
瞳を動かす摩擦を感じ 血液は慣性に従って流れ 口の中で気化して言葉を 想い出そうとする
言葉?
カーテンの隙間から 外の街灯の明かりが 回折して、拡散して、染み込む
時間の外側にいる生きものが きっとこの壁の中に塗り込められている、 と思った
望みを捨てて戦おう
戦おう 人間のように 永遠に戦おう いつまでも 理由もなく 愛情もなく 孤独もなく なにのためでもなく なにも望まずに
連れていってほしい(想私奔)
いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことができる いつも通る道だからって 景色は同じじゃない それだけでは、いけないのか? それだけでは、不満か?
ヘッドライトをつける 車は二人を駐車場から連れ出す
どこからでもいい どこへでもいい きっと 連れ出してほしい二人だった
滑らかな頬(滑滑的脸颊)
シートで眠る彼女の顔 滑らかな白い頬 影を落とす睫毛 缶詰の蜜柑を連想させる唇 緩やかな軽やかな髪 膝の上に落ちている手 なにかを待っている指の形
巡り会い(邂逅)
走れば巡り進めば戻る 過去と未来が今どこか 遠いところで重なり合って
「そんな気がしない?」 「したらどうなの?」 「みんな輪っかになってるの」
さよなら おやすみ またあした
もどって かえって こんにちは
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tsthxh · 5 years
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诗选1  森博嗣
人形の目(人形之眼)
彼女の目は瞬きもしなかった なにも見ていない 人形の目だ
ただ 光を見た 闇を聞いた
目は拡散の七彩に霞み 耳は撹乱の七音に靡く 手に懐疑の七宝に触れ 指は回避の七生を待つ くるくると回る人形の目
大人しい僕(大人的我)
あとはもう壊れるばかりだ この数年間でずいぶん弱くなった   今日はやけに大人しい そう、最近、大人しい 防御手段はバージョンアップするのに 防御されている本体は不明確になる 殻が強く硬くなったときには 実は腐っている それと同じ おそらく摂理 きっと合理 誰だ? 大人しくしろと言ったのは
離れていく(远离)
人はテレビのリモコンのように だんだん非接触になっていく どこまで遠く離れれば スイッチがつかなくなるのか それを試みそうとする子供のように みんな離れていく 誰でも、そう 離れていく まるで、その距離を自慢するみたいに
思考のインピーダンス(思考的阻抗)
閃光が頭の中に 喧噪の バネの捻れ 石臼の回転 そして摩擦
深海魚 真空の放電 あらゆるものが目の前に出現し 青い稲光とともに散る
ラムネのビー玉 バスの停留所 一瞬のうちに四季を感じ 一瞬のうちにすべての色を見る
すべてを
何を学んだのか(学到了什么吗)
何も残らない 結局、スケッチブックは真っ白のまま ほんの少し立ち止まっただけだ
どこから、僕たちは来たのだろう これから、どこへ行くのだろう
駅のコンコースは人で溢れ 銅線を流れる電子のように マイナスからプラスへ平衡を求めて、 大いなる死を目指して絶え間もなく流れている
何も見ようとしてもすぐに見えなくなる 音を聞こうとしてもたちまち聞こえなくなる
理屈を構築し 泣かないためのバランサを配置し 新しいバリアを必死に張り巡らして 防御システムを一生かかって組み上げる
それで何を学んだのか?
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tsthxh · 5 years
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勃起的母性 斉藤栗子
vol.1 最近,我的母性泛滥得很不寻常。
是一年前开始服用低荷尔蒙避孕药的缘故吗,是最近每周二和小孩跳舞的关系吗,还是就是上了年纪的原因呢?我一头雾水。总之母性在泛滥。
我知道不能光用“小孩天生就可爱嘛”来解释,但就是很可爱。就算小孩子们如此让人头大,只要两三天没见,就又开始想他们了。 
搭电车时,遇上坐在婴儿车里的小婴儿和去远足的小学生我会觉得可爱得不得了。和安静的望过来的的小婴儿,不停地招手,差一步就能对上话了。经常在电车里能见到和小宝宝说话的老奶奶,我虽没到那种程度,“差一步”没有迈开脚,但我对小宝宝的情感大同小异只隔着层皮。
我认为这种难以抑制的泛滥,称得上是“母性在勃起”,是和男高中生的性欲相匹敌的一种力量。
经常说“男高中生莫名其妙地就会勃起”。我这简直是在说,母性会不分时间不分场合的勃起,“现在就想和小孩们愉快地玩耍!”在这种冲动的驱使下,打开YouTube看《はじめてのおつかい 》的电视节目。我感觉这简直和在“现在就想和噗扭噗扭的大姐姐干个爽!”的冲动的驱使下,上YouTube搜色色视频的男高中生一模一样。
就连没有定期释放这种冲动身体就会变得怪怪的这点,都和男子的性欲相似。
有时母性会比性欲还要狂乱还要凶暴。 
将迄今为止一直保持的做作和哲学抛诸脑后,用动物本能去对待小孩,乍一看是十分温馨美好的画面,却更加棘手了。
最近有认为区分男女性别差异的价值观是毫无意义的。但在发觉自己拥有暴走的母性后,我认识到自己确实是个女人。
然而,作为女人的象征的母性却是相当汉子气概的。母性在这里有着既是汉子气概也是妹子气概的矛盾关系。
母性确实是“女人的印记”,但同时它也是特别汉子气概的,它两种性别都具备。这可以说是一个让男女的性别差异更加暧昧的要素。
vol.2 母性的勃起停不下来,小孩实在太可爱了。
为食欲而生的十几岁,为性欲而生的二十几岁,我认为是从各种各样理性难以抑制的欲求中过来的三十几岁的我的大脑,是被与“母欲”相衬的母性所支配的。
“母欲”就是排外和自我牺牲。“想从危险中守护爱着的人”的欲求,“想为爱着的人献身”的欲求。它们都来自乍一看温柔善良的“母性”本能,其核心猛烈燃烧的却是有时会向他人伸出爪牙、甚至连爱着的人都会下手的无法控制的欲望。
把这种作为生物编入程序里的无可救药的“母欲”,若无其事藏在心里的人当然不只是我。很多女性对于握住的这个不听使唤的交通工具方向盘、这个新发现的自我,有人吃惊,有人失望,有人畏惧。
尽管对刺入皮肤的黏糊糊的母性、嫌弃它的记忆并不久远,但转眼间,自己也闯入了“站住母性的脚跟、和什么人是关联着的岁数”。
为了不至于要挺着肚子挥舞牙齿的使用暴力,只能靠意志力忍耐着。这和中学男生面对性欲的方法没什么差别。我的现状正和“母性在勃起”的表达完全一致。
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TH series No.56《男之印/女之印~印记缝隙中看见的东西》 TH series No.70《母性,和其魔性 束缚中诞生的故事》 
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tsthxh · 5 years
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吸血鬼論争(节选)種村季弘
「なにかある真理の娘ではない人間の確信には毫末の誤謬もない。そのためにこそ彼の魔法が形成される。なぜなら実証的な真理は、幻想が気をよくするようなものをなにひとつ持たないからである。反対に、幻想は絵空事に夢中になって、快適で自然的な感情を潤色するよりは恐怖をかき立てる幻覚の方を選ぶのである。日常的感情を逸脱した人間感情の究極のこの手立てを、吾人はロマン派気質と呼ぶ」
右の文章の冒頭で、ノディエはバルカン一帯に古くから伝わる「スマラ」という業病に吸血鬼の原因をもとめ、これがフランス語の「夢魔(コシュマール)」に当たるといっているが、いいかえれば「スマラ」なり「夢魔」なりに憑かれた人間は、その瞬間から夢遊病者になるのである。「この病気(夢魔)に罹った不運な人びとのなかには、すくなくとも私が見た限りでは、その症例が吸血鬼と酷似している場合が往々にしてある」。そして幻覚の虜となって月夜の墓地をさまようこの夢遊病者こそは、ロマン派気質の原型にほかならないというのである。「文学においては、われわれは夢魔の、吸血鬼の側にある」のだ。
したがって無味乾燥な、窮屈きわまる「なにかある真理の娘」であることなどは、イディエにとっては論外である。理性信仰は幻想の翼を無惨に撓め、迷信をことごとく圧殺してしまった。だがノディエによれば、「一般に迷信は文学にとって有益」なのだ。迷信、宗教、幻覚、苦悩こそが文学の友でなくてはならない。
シャトーブリアンの『殉教者』を念頭に泛べながら、往時の「革命的犬儒主義の発作に反対する政体」を親密的に回顧し、宗教が詩的であったタッソーとミルトンの時代にいまはなき栄耀を見るノディエは、これらの煽動的言辞の限りでは、復古主義的反対家であり、詩的蒙昧主義者であり、中世主義的な迷信家である。さればとて彼は開明主義者たちが発見した諸価値を無茶苦茶にぶち壊しているわけでもない。吸血鬼信仰が実証的真理とはほど遠い「迷信」、「幻想」、「幻覚」にすぎないことは、ノディエ自身が公言��ている。いわばノディエは、吸血鬼信仰を迷信、���想、幻覚とはっきり認めた上でその詩的価値の昂揚をイローニッシュに歌っているにすぎないのだ。現実には吸血鬼は根絶され、もはや存在せず復活もしないであろう。しかし吸血鬼を消去してしまった現実などそっくり実証的真理にくれてやったのだから、今更それが何であろう。吸血鬼は幻覚の王国にいまやサタンとして君臨して、夢の論理を通じて暗い夢遊病者たちを操作するのだ。このノデあィエの論旨はむしろ一貫して詩的文脈の上にあって、政治的文脈の上にはない。反革命的言辞は恐怖の魅惑を引き立たせんがための薬味のごときものであろう。
ノディエの文章からさらに二十年後、一八四〇年に書かれた、後期ロマン派のファナティックなカトリック主義者ヨーゼフ・フォン・ゲーレスの『吸血鬼とその犠牲者』は、近代に入って書かれたおそらくもっとも熱烈な吸血鬼信仰擁護の文章である。一口にいえばノディエと同じように、ゲーレスは「学者たちの否定的理性」を「民衆の蒙昧な才能」に対比させて、後者のなかに詩的価値を再発見しようとする。しかしそれだけのことならばロマン主義者にありがちの反啓蒙主義的パンフレットにすぎないのだが、とはいえゲーレスが一見荒唐無稽とも見える直喩(シミル)や類推をよすがとして、詩的観念連合の精緻な、ほとんど偏執狂的な迷路を紡ぎ上げながら存在しない地下王国の陰微なメカニズムを刻々に開示してみせる手業は、後のアール・ヌーヴォーのタブローに見られる、無数の線と面が交錯して合いながら人間と花、動物と植物との境界がいつしか混淆し消滅して、複雑なアラベスク模様を織りなしつつ、やがて沈々として死の静謐へと収斂されていく、あの不思議な陶酔を連想させるのである。それは狂烈的にものマニアックでありながらどこか白々しく非現実的で、おそろしく戦闘的でありながら不安で自閉的な無気力を感じさせる、といってもいい。
ゲーレスはまず十八世紀の啓蒙家たちが自明の理として説明した「科学的真理」を覆しにかかる。たとえば吸血鬼の屍体が腐敗しないのは、周りの土壌成分のしからしめるためではない。なぜなら同じ墓地に埋めながら、吸血鬼以外の屍体はちゃんと腐敗しているからである。そうかといってミイラのように。なかに詰め物をしたり、乾燥させたりしたのでもない。そうではなくて、それは明らかに生活動をおこないながら墓のなかでなお死に屈しまいとしている��積極的な活動」であり、「先在したの病状の結果として」発展してきたものなのである。そのために吸血鬼の屍体に血が通い、皮膚はつややかで髪や爪までがどんどん伸びる。しかし死後に観察されるこの「伸びる髪や爪」、「衰えない皮膚」は生前のものと同じではない。それは蛇や蟹の季節毎の脱皮にひとしく、死後に新しく脱ぎ替った皮膚から伸びてきた髪であり、爪なのである。
同様に、この屍体の死後の生活動は生前のそれとはまったく違うものである。なぜなら、なんといっても彼は現実に死んでいるので、高級な魂は肉体を離れ、それとともに神経や筋肉を動かし操る四大精霊も肉体を遠のいてしまったからである。かくて彼は一種の生活動を持続しながらも微動だにしない。とはいえ神経や筋肉は依然として他の諸器官とともに残存していて、それ自身のうちに内在する低級な、形而下的具体的な生命力を部分的に保存しており、この低級な生命力こそがここであの驚くべく現象を生み出すのである。
簡単にいえば、ゲーレスの考えでは、吸血鬼の屍体は精神が活動や動物的生活こそ失ったが、そこで完全に死に移行することはなく、植物の段階に退行して、いわば「植物性動物(ツオーオフイート)」の陰々滅々たる生活を送っている擬生体だというのだ。だから吸血鬼の血は「温かい生命の血」ではなくあて、「冷たい植物の液汁」である。ここで面白いのは、動物と植物の体液循環の相違からして、吸血鬼では血液の循環が逆方向におこなわれていることである。生きている人間のように、心臓が血液循環の中心になるのではない。植物の根に相当する毛細あ管が大気中の湿気を吸って、静脈を通じておもむろに心臓に上って行き、そこからゆっくりと肺を通り動脈(だがこの動脈はほとんど静脈と同じように緩慢な動き方をする)を経過して、ふたたび体内に還流して行く。つまり、なにからなにまで完全に植物的なのだ(たぶんこの辺りに、ドラキュラ伯爵の棺を運搬するとき、何が何でもトランシルヴァニアの故郷の土が必要であった秘密の鍵がひそんでいよう)。
ゲーレスはここで絢爛たる類推の魔術を演じてみせる。この動物の、すなわち人間の形態をした植物は、むろん花を咲かせるにちがいないが、驚くべきことにゲーレスは、吸血鬼の頬の紅味こそはこの凶々しい植物に咲いた花だ、と断言するのである。
「吸血鬼のこの頬の紅味したがって、その最低級の活動をしながらも、なお消滅しない生活を土に覆われた地底で営んでいる、死の花(トーテンブルーメ)である。その豊満さは、たまたま鉱坑の地底に花咲いた、陽の当る場所に生きている同種の仲間とは似ても似つかない、いま蒼ざめてはいるが、幅広く濃密に肥厚した、そんな植物が見せている豊満さにも較べられる」
この植物的血の循環作用は、方向は逆であるけれども、生きている人間の造血作用とアナロジカルであるから、吸血鬼の屍体に呼吸や心臓の鼓動の音が聞こえ、口のまわりが歪んだりしたとしてもさして不思議はない。血を規則的に心臓に送ったり、生活動の類同物(アナロゴン)を惹起させるには、外部の空気が入ってこなければならないからである。ただしこの空気は酸素注入のためではなく、むしろ血液循環運動のための外圧として鞴(ふいご)のような作用を及ぼすものであるらしい。
地下に咲く死の花たる吸血鬼の屍体はそれ自体としては動くことができないので、ゲーレスの考える吸血鬼は通俗小説の怪物のように夜な夜な地上を徘徊したりはしない。もっぱら地下世界に隠れ伏したまま遠隔作用を及ぼすのである。
「吸血鬼は墓のなかにいながら生きている人間に影響を及ぼすが、その結果、吸血鬼に襲われたものはみずからも吸血鬼と化する。すなわち吸血鬼に襲われた人間は病(やまい)を患うが、この病は一種の衰弱である。食欲が減退し、生命力は衰え、消耗があらわれる。そして熱病の高騰も見られないのに短時間のうちに絶命して、墓に入るやふたたび吸血鬼となる」
ゲーレスによれば、この奇妙な衰退は墓のなかでやがてはじまるであろう擬生的な吸血鬼生活から生れてきたものだという。死後の擬生においては毛細管のはたらきが活発化するが、ちょうどそれと呼応するように、吸血鬼に憑かれた犠牲者は生前においてすでに通常の生体活動が徐々に衰弱にむしばまれ、破壊され、麻痺せしめられる。生体活動の機能は弱まり、「新陳代謝は薄弱になったり停止したりし、それとともに生きいきとして柔軟な成形力のあらゆる活動が麻痺する」のである。その結果、犠牲者の血はみるみる大量に減少していくであろう。犠牲者側におけるこの血の減少が、吸われるというマイナスの感覚を呼び起すのである。 
地下の吸血鬼では毛細管のはたらきが活発化し、地上の犠牲者では通常の生活動が退化する。そして犠牲者は生活動の衰弱のはてに死の一線をこえてみずからも吸血鬼となる。同時にこのとき動物性の血は完全に涸れて、植物的な毛細管ノはたらきによって増殖する死後の血に養われることになる。「ついに死がたちあらわれると、地上の干潮の反動のうちに地下の満潮が起こる」のだ。
簡単に言えば、吸血鬼と犠牲者の関係は磁石の陽極と陰極との関係にひとしいのである。吸血鬼が犠牲者と関係をもつと、磁力が陰極の砂鉄を空にしてしまうように、犠牲者の側に自分とは正反対の状態を呼び起し、吸血鬼側に多血質(この血はじつは動物性の血ではないとしても)が犠牲者側の貧血に対応しつつ、両者が完全に一体化するまで陰陽の対応を極限化していくのである。そして陽の力が完全に勝利して犠牲者側の血が空っぽになったとき、はじめて犠牲者は完全に吸血鬼の同族たる資格を獲得する。これが吸血鬼が墓のなかにいながらにして地上の犠牲者を的確に射止め、死に至らしめる謎の秘密なのだ。
「吸血鬼は、いまだ腐敗の手に帰していないところから、残存している、屍体的な、有毒に高められた生命力のうちにある伝染性の物質を醸成するが、――これこそはこの冥府(ハーデス)の不調の花(アスフォーデル)にかぐわう香気である――それはやがて土中を貫いて、とりわけおのれに調和的に親和する人間たる血縁者をもとめ、その神経のアウラに触れて、おのれを駆り立てているのと同じ状態に彼らをもたらす。なぜなら、地中深く埋蔵され金属が明るみに出ようと憧れ、水が光のなかに出ようと蠢動しているように......かつて一度生にあり、なお消えざる生命力の余燼をみずからのうちに貯えている存在は、後にしてきた生の王国にふたたび立ち戻ろうとする並々ならぬ憧憬を有しているからである。かくて彼はあらゆる方法で生の王国と新たな関係を結び、これをよすがとしてふたたび地上に現われ出ようとする。そしてこれに成功すると、彼は生きている人間にたいして、さながら磁力をかけられるものが磁力をかけるものにたいするのと同じ関係に入るのである。彼はおのが支配下にある人間たちからその真の生を奪ってこれを贋の生へと変形せしめ、そのかわりに死を授ける。かくてみずからは利することなく生を盗むのである」
ゲーレスのこの疑似自然科学的・ネオ神秘主義的吸血鬼論は、いうまでもなく、吸血鬼信仰をあらたに復活させる邪悪な呪文であるとして同時はげしい非難を浴びた。これは死滅した中世封建主義への風変りな憧憬であるといえないこともない。とはいえ、「かつて一度生にあり、なお消えざる生命力の余燼をみずからのうちに貯えている存在は、後にしてきた生の王国にふたたび立ち戻ろうとする並々ならぬ憧憬を有している」と述べながら、同じ論者はこの死の王国の住人がすでに生への現実的基盤を喪失していることを知っているのである。それゆえにゲーレスの吸血鬼は蘇生して地上を徘徊することはなく、墓に釘づけになったまま生きている者たちの真の生を「贋の生」へと変え、死の王国の同族を刻々に増殖せしめるだけなのだ。吸血鬼が「みずからは利することなく生を盗む」のは、生きている者の可動性の逆用(なぜなら吸血鬼自身は動くことができないのである)によって生を蚕食しているからで、生の王国への帰還を希いながら、そのための努力をおこなえばそれだけ、かえって死の王国を拡大する結果に終るほかはない吸血鬼の誘惑行為は、奇妙なことに徹頭徹尾受動的なのである。ゲーレスにおいては吸血鬼は復活して生に君臨するのではなく、生に対する領有の欲望に身を焼かれればそれだけ、あでやかな毒花をよすがに生者を死の王国に引きずり込み、死の同族を増やし、死滅の量を深め拡大しなければならない。したがってついに地上が完全に地下の死の王国に引き込まれて吸血鬼の誘惑が達成された暁には、誘惑の対象たる生の王国は無化しているであろう。これはとりも直さず、本来の目的である生の領有ではなくて、植物的な贋の生の王国の確立であり、かくて能動的な生者を逆説的な共犯者として達成されるであろうこの一切の動きの停止した静かなる死の花園は、どこか世紀末の哲学者や詩人が夢見た無為寂滅の涅槃の境に酷似しているように私には思われる。
十八世紀以来、告発者によっても弁護士によっても、ひたすら攻撃的でサディスティックな人獣として定義されてきた吸血鬼が、十九世紀中葉にいたってようやく植物に変身した消息はほぼ右の如くである。ゲーレスの予告したこの死の花である吸血鬼は、その受動性において、その植物性において、その夜の豊満と遠隔的な誘惑の力においてとりも直さず女性的であり、「十九世紀中葉以降吸血鬼はふたたび女性となった」というマリオ・プラーツの証言と完全に符合する。世紀末絵画においても、ほどなくして、植物的に無限に繁茂して画面を装飾的に覆いながら、怖ろしい死の蠱惑のうちにも東洋的なニルヴァーナの浄福感を紡いでやまない、おびただしい女吸血鬼の形象が氾濫してくるであろう。
時を同じうして百年余にわたる論争も終熄する。能動的な纂奪者であることをやめた吸血鬼には、とまれ現実の危険はなくなったからである。だが――念のために、最後に現代からもいくつかの反証を挙げておくのが公平かもしれない。
「吸血鬼ども……彼らは今日もなおあたりを徘徊し、人間生活のなかで見えざる役割を演じている。吸血鬼は、たんに科学の死せる対象であるのみではない。人間の意識のなかの石を、その下に何が隠れているのかを見るために引っくり返してみる詩人にとっても恰好の素材なのである」
「人間の上に覆いかぶさってありたけの血を吸いとってしまうという、この吸血鬼の物語は、世界と同じほど古くからある。むろんいまどきそんな話を信じている人はいはしない。私にしたってそうだ。それなのに私は、いまから窓と扉口に念入りに錠を掛け、ガラスに紙を貼りつけに行くところだ……」(ミシェル・ド・ゲルドロード) 
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tsthxh · 5 years
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7&结束语(完)
���治疗 Episode 1   做母子相奸梦的英雄
*创作者容易梦到春梦!? 无论是谁,一晚上都会做上2、3回梦。在那大量的梦中,尤其是成人,毫不夸张地说,占据着很大比例的、首当其冲的是和性有关的春梦。 特别是青春期时的男性,经常会梦遗。也许是因为羞耻感,梦遗从古至今都被避讳着。古代至中世纪,一直被当成是魔鬼的把戏。直至数十年前,都盛行着“有心理负担的人就会梦遗”的说法。 根据现代的研究,女性也会做春梦被开始理解。虽然女性的梦中,就算有高潮但也不会伴随有像射精那样的身体反应。但根据深入研究,通过观察精神上的反应就能发现做春梦(精神的な理由から性的な夢を見ることがわかり)。同时证实了该过程特别是从事创造性工作的人,定期做性方面的梦的比例会很高。 现在,春梦被很多人认为是这个人创造性能量的表现。所以梦遗也不是什么只会让人觉得不好意思的现象。
*和母亲同床的梦会成为像凯撒一样的英雄 在春梦中,最有名的逸闻就是和古罗马英雄朱利安·凯撒有关的事。 英雄这个词,是大胆不畏切且刚健的意思。有种对“梦”之类的事情毫不介意的硬汉的感觉。 但是,有时胜败也凭运气。当时并不是像现代这样信息发达的时代,大部分的领袖都会雇佣专门的梦占卜师,告知他们自己的梦,每天仰赖他们的判断。 在凯撒所在的四个世纪之前,年纪轻轻就完成了统一一半世界伟业的亚历山大大帝,据说常常在身边安排多名梦占卜师,梦到的一点点梦都统统告诉他们,仰赖着他们的占卜结果。 凯撒在还是一介财务官时,去西班牙赴任之际,看过亚历山大大帝的人像后,“即使我已有了亚历山大的岁数,却什么也没做成,”那样感叹过自己的一事无成,从而下下决心要成就一番伟业。 也许是效仿亚历山大,凯撒也常常在身旁安插着梦占卜师。 斗转星移,已年至五十的凯撒身陷和政敌之间的政治斗争中,困在了罗马边疆的土地上。要想打开这一状况,得出了不惜以被追究反逆罪,也要攻入罗马的结论。 在难以踏出最后一步,于防守线卢比孔河河畔苦苦抉择之时,某天夜晚,他梦见了侵犯了自己母亲的梦。在做了当时被视为最坏的恶梦的近亲相奸梦后,他十分受挫,打算放弃一切计划。 此时,被雇佣来的梦占卜师,说了这样的话: “这是吉梦呢!母亲是万物之母“���地”的象征,你能座拥整个大地,所以一定能征服世界。” 从这个占卜结果得到勇气的凯撒,勇敢地踏入卢比孔河,压制了意大利半岛,踏出了支配罗马世界的第一步。简直可以说是动摇了时代的梦。 但根据史书记载,他梦到了侵犯母亲的梦其实是在见过了亚历山大大帝的雕像后。 在卢比孔河的所做之梦,是同样的梦的二度重现吗,还是对这个过于印象鲜明的梦,传记作家记错了呢?
*和父母性交的梦的解释是? 如前所述,性方面的梦不仅是肉体欲望的体现,也是表示精神方面的创造性、身心能量的标志。 另外,梦中与其性交的人,并不是说自己对那个人直接有着欲望,而是说明了想和那样存在、那样力量的象征一体化,或者说是可以那样,这样的意义很强。 比如说,才开始有性经验的年轻女性就会梦见和父亲性交的梦。这并不是暗示了近亲相奸,而是对现实里同一个年纪对象的对方,感到靠不住和不够体贴的结果。于是作为更可靠和包容(器の大きな)的象征的男性的父亲,于是就跳了出来了。 从更神秘的意义上来说,父亲是天空、宇宙和绝对神威的象征,母亲暗示的则是大地母神、丰穰的力量。 所以梦到了和父亲同床的梦的时候,意味着意识级别会上升。如果是母亲的话,则说明了是会诞生什么力量的可能性的时期吧。 春梦是向着更大的存在、更进一步的阶段前进的能量的象征。
Episode 2 正梦和预知梦的区别
*容易在几日后实现的正梦 十分类似的正梦和预知梦,他们的性质其实相当不同。 比较容易梦到的梦是正梦。正梦的定义是,在做梦后的大概两到三天内,会发生和梦里出现过的一样的事情。大部分时候,是自己也能预想到的事情,在梦中进行了体验。一般认为,这是为即将到来的事态所进行的心理准备。 另外,梦得天马行空,这也是正梦的特征之一。比如说在梦到了得到了什么东西的梦后,现实世界里收到了恋人的戒指,然后在得到戒指的瞬间,对那个模糊的梦记忆修正,“收到了那个人的戒指,所以是个正梦!”这样的例子似乎很多。虽然有点投机倒把的意思,正梦里面吉梦很多的理由,就在这块儿。
*梦见了泰坦尼克号的沉没! 另一方面,预知梦则只能说是谜。 1912年发生的世纪惨剧豪华客船泰坦尼克号的沉没,就有很多乘客通过预知梦提前知道了。 其中最有名的例子是英国实业家奥康纳先生的梦。他因为商务上的事情要去美国,虽然都订好票了,但他连着两个晚上一直做梦梦到船沉没了,看到很多人一个接一个地跳进漆黑寒冷的大海里的画面。这个梦无论如何都在脑海里挥之不去,他取消了予约,从而死里逃生。 与此相反的是英国记者斯特德的例子。他也梦到了同样的梦,把梦到的内容告知了熟人后,不管不顾地就上船了。结果他再也没有回来。 关于泰坦尼克号的悲剧,也有救生船不足是人为灾难一面的事实,这广为人知。所以听说了做了梦的乘客的事情后,会产生“是来自潜意识的警告”这样的看法吧。 但在当时,泰坦尼克号是作为最先进的防灾、建造技术制造的“不沉之船”,而被大肆宣传的豪华客船。“泰坦尼克”的名字也由来于希腊神话中的巨神族,是“巨大刚健无双”的意思。 在这样的条件下,预想到船会沉没,在潜意识中载入信息,这有点难以想象? 进一步地说,这个事件中,也有不少乘客以外的第三者做了泰坦尼克号沉没的预知梦。证人中也有神父那样有社会道德的人士,不会全是为了吸引眼球去吹牛皮的人。
*梦中的世界不受时间的制约 所以为什么会梦见预知梦呢? 根据只是笔者能想到的假说,梦不受通常时间线的束缚这点,是解开预知梦的线索。 比如说在梦中,工作的地方火灾警报器响了,要救出同事还要逃出生天,是这样一直不停大冒险的情节。你已经很累了,在那样的感觉中醒来,枕边的闹钟叮铃铃地吵着。梦中在耳边回响的火灾警报器的声音,简直和这个声音一模一样。 这时候,在听到闹钟的声音前,梦应该正好刚开始才对。然而这个闹钟声,却是后来把你叫醒的声音。 在这么短的时间内,梦中的世界却发生了那么多事情。 梦中的世界原本就和星灵(Astral)界处于同样的位相,有不受时间制约的特征。在那里,过去、现在和未来是浑然一体的。从那里面,被激烈搅乱的做了梦的本人的星灵体,感知到了“未来”的事件,通过梦的介入,信息传出来,所以就做了预知梦吧。 特别是像造成1500人以上死亡的泰坦尼克号沉没这样的大事件,这已经不是蜻蜓点水的那种程度,是引起大海啸的影响力。所以便能理解,为什么潜意识会向没什么直接关系的人强制发送事故的信息。 好了,不管这个假说是真是假,下面例举下预知梦的特征: ①印象很强烈,也有不知道具体含义的情况。 ②怎么也忘不掉。 ③不只是“梦到”这样,有种说不上来的强烈的感觉。 ④同样的梦梦到好多次。 梦到这样梦的时候,请认为是无意识在向你发出着什么警告。不要认为“就是个梦”,请去认真对待。
Episode 3 杀人的梦·被杀的梦
*梦到杀了某人的梦是因为十分憎恨对方? 在现实世界里几乎不会遇上,在梦中就会经常登场出没的就是——杀人。 一般来说,和死有关的梦都会当成是吉梦。象征着大型的节日、告别过去的自己,或者启示着是会从复杂的麻烦里一口气脱身的变化等等。很多时候,在梦中的世界体验到激烈的死的过程,在现实世界里也会有急剧的变化将要发生。 作为生物来说,最可怕的事情毫无疑问就是“死”了。先在梦中进行模拟体验现实世界里的象征性的“死”,也就是作为对某种超展开的对应,或许是在进行着一种准备运动。 虽然有各种各样的杀人的梦,但自己身为被害者是最具冲击性的。但这却是暗示着剧烈的情况变化的吉梦。相反,梦到自己是杀人那一方的梦的话,则像杀人那样极端行为的人的强烈意志才是解开关键的钥匙,不能用一般的方法解释。 还有,关于杀人的梦,一直以来都被说成出于什么理由十分憎恨对方,现实中又无法发泄,对对方感到强烈地嫉妒,所以才会做梦。 也就是说,在现实世界中对对方抱有真的想杀死他的强烈感情和冲动,作为一种替代行为,于是梦到了的解释。 是十分好懂的理论。但在梦里,不是只要实际憎恨的人有登场不就行了吗,为什么要自己也是杀人的那一方呢?这也能解释。 但事实上并不是这么一回事。在说出自己的梦的人越来越多的今天,“不认识对方,”“为什么会做这样的梦完全没有头绪,”逐渐证实了有很多这样醒来后觉得莫名其妙的人。
*被杀的是另一个自己 好了,让我们来稍微转换下视线。自从心理学家C·G·荣格提出“原型论”以来,“梦中出现的人物虽然样子完全不同,但梦到的是代表本人的一种原型”,这样的解释得到了很多人的支持。根据这种解释,梦中杀死的另一个人其实是换了样子的自己。 让我们来实践下这个理论吧。 在梦中,一个你没见过的人做了一件无法想象的过分的事,这个“过分的事”,可以说就是你平日里被社会角色、道德束手束脚的被压抑的欲望和愿望。这个“你没见过的人”的存在,表示的就是你本人“没注意到”那样的愿望。也就是说,你是在梦中见到了你自己的黑暗面。 相反,如果是自己熟悉的憧憬的人,像往常一样以出色的样子在你的梦中出现的话,则那是你开始稍稍察觉到的你自己的可能性。也就是说,这是一个明确意识到自己内部隐藏才能的机会。
*杀死了“良心”的道林·格雷 关于这个理论,笔者想到了奥斯卡·王尔德的著名小说《道林·格雷的画像》。 金发碧眼的美男子道林·格雷做了画家的模特,得到了自己的自画像。那之后,在自满的美貌的驱使下,他沉浸在了自由奔放的堕落生活中。而他的姿色一丝一毫也不见失去。另一方面,他的肖像画却变成了衰弱不堪的老人的形象。 意识到肖像画果然表示的是自己的良心的道林·格雷,销毁了画。结果,在美青年的肖像画旁,留下了丑陋老人的尸体…… 这部小说是解释杀人之梦的绝佳材料。 现实中的我们大家,大部分都是基于一定的行为模式来生活的。当然,人的感情、可能性不会只局限于此。被挤到现实外面的人格就会投影成为梦中的人物=肖像画。 但是,我们平日里无视的“另一个自己”、“未知的自己”,随着成长我们必须给予其认可,将其统合起来。所以有时必须要穿破肖像画,解放关在内部的内在的自己。这是杀人的梦的含义。 所以,如果在梦中杀死的人是自己不认识的人的话,说明的是自己完全忽视了自己隐藏的可能性。如果梦见的是杀死了怀有爱情的对象的梦的话, 能想到的是,这是斩断了对什么的执着的仪式。无论是哪个,在梦中就算杀了人,也完全不需要担心自己是不是抱有暴力冲动什么的。 小说中的道林·格雷持续无视着肖像画中映照的自己的样子,结果的以未成熟的样子迎来了肉体的死亡。我们不想重蹈覆辙的话,必须怀着勇气承认另一个自己的存在。可怕的杀人的梦,就是这样的一个认识机会。
Episode 4 交通工具梦的活用法
*搬运运势、肉体的梦中的交通工具 在有着多种多样的交通工具的现代,几乎没有走着去目的地的情况。因此,也会有各种各样的交通工具于梦中登场出现。 直接地说,梦中的交通工具,是那个人的运势如何、促进每天活动的东西的象征。这样说可能有点难懂,简单地说,很多时候表示的是自己的肉体、和自己的运势有关的组织,比如说是学校、公司和其他的团体等等。 还有,交通工具的梦的解释的特征是,根据这人平常移动方式的不同,解释也会不同。没有车就没法过活的人,汽车的梦很多时候表示的都是本人的状态。与此不同的是,经常使用公共交通工具的人,梦到汽车的梦的时候,象征着命运的重要活动的情况会比较多。请像这样根据不同的情况,分析自己的梦。
*人力驱动的交通工具表示着那个人的状态 梦中登场的交通工具,像自行车那样靠人力驱动的,和摩托车那样靠人力以外的动力驱动的有很大的分别。后者又根据自家车那样可以自由移动的种类和公共交通工具那样按照固定时间表移动的种类又有着分别。解释会不同。 人力驱动的交通工具的代表就是自行车吧。是人驱动的话,滑板等也在该范畴内。这样的交通工具,因为是需要人不停踩的类型,暗示正进行中的计划和人际关系的状态的时候会比较多。 是舒爽快速的自行车旅行的梦的情况,是说你的努力得到了回报吧。是边气喘吁吁边在砂石路或上坡上蹬着的情况,能解释的只有今后的展开会比较严峻。 另一方面,和自己的力量、状态无关的移动工具的代表地铁、巴士这样的公共交通工具,它们是按照已经写好的时间开动,会和很多人同时移动,所以很多时候暗示的是自己所属的公司、学校、团体等的状况。 是没什么问题平稳运行的梦的话,是说你所属的组织运营一切正常,你也会得到相应的好处吧。 但如果是像坐在把你带到你不想去的地方交通工具上、车上的乘客发生了冲突、坐在位子上感觉不舒��这样不愉快的梦的话,则那是对自己所属的组织喷发出的心有不满。 顺便一提,在笔者还是公司职员的时候,经常梦到地铁的吊环奇形怪状的抓不住,乘地铁很累人的梦。现在想想的话,这是象征着死板的组织跟自己不相符的梦。 还有,和公共交通工具有关的梦,很多人经常会梦到没赶上车、留在了站台上。这是承担着超过承受能力的工作的状态、没有理解自己的上司同僚的辛苦状态,或是有点过劳的状态的显示。换句话说,“你赶不上那趟车(集团、组织)比较好,不要勉强你自己,”是来自潜意识的警告。在过劳死议论纷纷的今天,如果梦到了这样的梦的话,也许是该好好调整工作状态的时候了。
*转汽车事故的梦为吉的魔法 接下来介绍的是私家车的梦。在是有驾照的经常开车的人的情况,显示的是自己的身体状况和无意识的行动。比如说做了汽车事故的梦的时候,表示的是鲁莽的行动引发了问题,健康会受损。 另外,在没有驾照几乎不怎么开车的人的情况,则意味着自己所处的环境。在仔细观察梦中登场的同乘者、司机的样子后,关于和身边的人如何交往,能得到意外地提示吧。但如果是没有驾照的人在梦中开车的梦的话,证明身体心理在勉强自己,需要注意了。 最后,来传授下交通工具梦的魔法的利用法吧。 比如说,如果梦到了发生汽车事故的梦的话,请不要在那儿停下,就那样保持着在梦里的感觉,对汽车进行修理。那样的话,现实世界中你的会使健康受损的习惯就能自然地消除,发生问题的要素也会消失。 另外,是苦恼着在坏路上骑自行车的梦的话,到骑到舒适的地方为止一直骑一直骑就能转危为安。事实上,有有抱有神经症症状问题的人在梦中做了类似于修理爆胎的自行车的事情后,恢复了健康的例子的报告。 是坐在地铁、巴士上感到不快的梦的话,就请什么也不想地跳下来吧。那样的话,就能从组织里的麻烦事中脱身。交通工具的梦,是一个活用梦的力量的机会。
Episode 5 转恶梦为吉梦的技法
*在梦中世界自如地修行 恶梦是来自潜意识的危险信号。超过能承受的压力时,不小心工作过头时……这时候它就会以各种各样的象征给予提醒。 恶梦能正确解释的话,是非常有益的。但一旦是和自己有关的事,就很容易难以看清,这是人类的常态。或者说就算能正确地解释,也有现实中无论如何也不知道该如何处理的时候。 有从这样的困境中脱身,一举好转,把恶梦转为吉梦的技巧。是能将由潜意识发送的信息在意识层面上转为好的东西,改写现实世界的强大的力量。 听到这里,或许会认为那是什么疑实属可疑的技法,其实很容易有效果。抱着一半兴趣的想法也可以,请尝试看看。
*在梦中去反击恶梦的元凶! 要实现这条技法,需要以下两点: ①能感觉到自己是在做梦。 ②在梦中反击恶梦中的元凶。 基本上①能做到的话②也就能做到。 首先是第一个阶段。要想能发觉自己是在梦中,得把放在自己旁边的东西带进梦里。 比如说,睡觉的时候,在左手上套着薄手套,边念着“是不是梦手套知道”边入睡。这样经过重复后,在梦中忽然看到左手时,就能发觉“戴着手套,这是梦”。不局限于手套,只要是自己用得顺手的东西都行。 虽然是很单纯的操作,但因为它是架设在通常意识和变化意识间的桥梁,要想能来到这个阶段,得有会花上很长时间的觉悟。另外,因为这可以说是跟所有控制梦境的事情都有关的技巧,最好平日中就要练习。 如果能发觉自己是在梦中,第二个阶段就是对恶梦的元凶反击。 比如说,以典型的表示精神压力过剩的“被什么东西在追着”的恶梦来说。追着你的东西,就是压力的元凶。所以请你不要逃走,呆在那个地方不要动,回过头和追上来的东西进行对峙。 回头的话,会像心脏停止跳动般感到恐怖吧。睡着的这个时候或许会全身直冒冷汗。但只要去面对,大部分的敌人都会噗地一下缩小消失掉,态度突然转好。这样恶梦也没有了睡得很香。到了翌日,精神压力消失了,发现了怎么解决问题的改善措施! 但有时敌人会很难对付,或许会朝着面对它的你扑上来。 但也别担心,梦的主人是你。首先,保持冷静,手上有带进梦中的小东西的话,那就是你战斗时使用的武器。手榴弹也好,机关枪也好,能自由自在地变成那种东西。 不想这么暴力?玩具锤(ピコピコハンマー)、漫才打人用的纸扇(ハリセン)也可以。重要的是,在梦中拿起它,反击对方。 好像是很容易的事……或许会这么认为。但实际上,在梦中这样行动,是需要相当大的勇气和能量的。某种意义上来说,现实中的事情是无法改变的。但在梦中,就会有着不会受到来自世间的阻碍、格外容易行动的优点。 对性质恶劣的职权骚扰的上司用玩具锤揍了一顿后的翌日,你就能感受到来自控制梦境的魔法力量吧。
结束语 “喔!性魔法!”这样将这本小册子拿到手后雀跃不已、小鹿乱撞的读者有很多吧。但这回主要围绕着是以“活用性能量的魔法”的本来核心而进行的讨论。没有讲述使用精液、月经血的伏都魔法。经常使用自慰的混沌魔法系的技巧,也基本上全省略了。我推测有不少读完后感到失望的人.但性魔法的世界,并不是这样简单得就能讲完的事情。破除性禁忌和获得力量的性魔法,下次再找个机会来讲或许会比较有趣。
另外,对本册中一直提到的,就女性强求性行为的男性的话题,或许有感觉不愉快的男性读者。但悲伤地是,这就是现实。 2017年,可以说是让女性们发觉到自己的愤怒的一年。在SNS上,以“#MeToo”这一标签,无数的女性们公开了自己遭遇过的的性骚扰体验。“已经不是保持沉默的时候了,”这样的声音爆发出来。这场运动的结果,逼得好多在欧美地区有很高社会地位的人辞职等等,日本也受到了波及。 魔法的世界,和通常的世界也不会有不同。“原始的女性是自由的”这样的想法,和童话故事一样。不知不觉间,女性就成了被男性祭司、魔法师作为力量的源泉来利用,被去强求性魔法。连使用媚药、麻醉药的事情都有。极端的情况,怀上了不想怀的孩子,成了技法的牺牲者。
第二次世界大战后开始的现代魔女术的特征和长处是,一直被榨取的女性从性能量中得到了解放,女性成了能主导自己的力量的主人。 不受别人的摆布,按照自己的意志使用能量,当然也就能取得更强烈的结果。现在很多的魔法流派,都理解这种效果,向着尊重女性意志的方向在发展着。 然而没有理解这样的时代变化,听说现在络绎不绝地仍有强求以魔法为志向的女性进行性行为的团体。如果能对这样的大蠢蛋们,开始大声说“No!”,本册被活用起来那将是本人的荣幸。
2017年于耶鲁日
名词翻译:カヴン 团体                   魔術グループ 魔术社团                   ペア 组队                   パートナー 搭档                   カップル 伴侣
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tsthxh · 5 years
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大脑科学和爱欲和死 林良文访谈
文/铃木康平 嘉宾/谷敦志
林良文。有多少日本人知道这个名字呢?林氏在距今四十年以前,为了学习美术,离开日本前往了法国。在异国的土地渐渐崭露了头角,现在也在法国的第一线继续进行着画家活动。他的技巧、表现力无与伦比,其才智可以说是已在美术史上留名的程度。
尽管如此,林良文至今也在日本遭受着冷遇。不,并非冷遇这么简单。他的作品在美术价值上也没被重视,日本社会持续无视着林良文这一存在。为什么会这样?能进行解释的是,日本人对于美术品的价值意识比较薄弱。但起着决定性的一点是,林氏的风格偏向色情,而且那是一种达到了引人怪诞的的究极精髓的性表现。
有这般空间描写能力的画家,在日本乃至全世界也找不出几个吧。像法国等美术概念已植入传统的国家,有对显示出彻底细密表现的女体怪诞作为一种美术品来鉴赏的能力。但作为现在日本人的美术感觉来说,没有能看穿林氏本质的能力。不如说会盯着风格猥亵的那一面,最后冠名他为“变态画家”吧。林氏确实对爱欲的猥亵性不会加以轻视,说过“不猥亵的爱欲是伪善的”的话。但光只把视线放在在色情作品的猥亵性中,不是非常下流的吗?
他对这个问题并没有不屑一顾,默默沉浸在制作中。即使如今已经六十七岁,他的能力也不见丝毫衰退。莫不如说,是实现了更进一步的进化。
来到巴黎的四十余年,在第一次小说也收录在内的画集《飞翔——ENVOL》的出版后,日本第一次召开回顾展的前夕,与写真家谷敦志一起,围绕创作理念、和至今为止大相径庭的创作的新系列等话题,展开了讨论。
  绘画的兴趣
——你以前在画集里有提过,对基里科的绘画第一次产生了兴趣,从而进入了绘画的世界。但基里科的风格和林先生的风格完全不同。基里科的画在哪些地方吸引了你呢?
林:对基里科的绘画产生特别兴趣的理由,现在想想能说的地方也有。但那是完全相反意义的兴趣。基里科的画排除了色欲(eroticism)。当时的我还年轻,当然对色情的东西有兴趣,对这种意识的东西抱着抵抗……像是色欲不好,道德的不好,有过这样那样的想法。
——的确,初期时的作品对女性肉体的一切描写都没有呢。构图非常偏向于几何学,与我们熟知的那些作品形成了鲜明对比。
林:在日本的时候,对于色欲那样的存在,我留下了非常压抑、封闭的印象。所以到了巴黎后,和至今一直生存的生活环境完全脱离,产生了全新的感觉。也没有知道自己事情的人,特别是法国人对于画画色情的东西,完全没有对此抱有批评的人。
还有就是,女性的体型也完全不同。说起欧洲人的体型,就屁股和胸的比例来说,显得更为立体。而且这是非常值得骄傲的。看的人也好,被看的人也好,都清楚明白。
在日本,则对此显得有所抗拒。当然欣赏的人从以前开始就有很多,但对于屁股和胸的暴露问题,社会上伦理上对此都感到不愉快,有着这样的认为。
说起来,在日本有着物质上的东西是比精神更下等的存在的看法,所以科学方面并不是很发达。科学是研究物质的学问呢。从画的角度来说,因为没在追求物质,所以尽是平面的、插图式的形式。浮世绘就是一个例子。如果不是那样的表现,就没有办法展开思考。
但在欧洲,对于“物质是什么”的质问,艺术上的概念很发达,从很久以前开始就在传统上被一直持续提出。这在画上也有着显现。那儿是不是有所物,会尽可能正确地进行拥有那样质感、量感的表现。
生命现象能还原为物质
——你认为爱欲(エロス)这种东西是源自哪儿呢?
林:某种程度上,我觉得爱欲这种东西肉体的部分和精神的部分是分开的。例如说,用不太正式的话来说,蒙住一名男性的眼睛,让十名左右的男女打乱顺序地为他口交。男的口腔构造和女的口腔构造没什么不同,是被男的还是女的口的是分不清的吧���但这名男性只要不是同志,是绝对不会喜欢被男性口的。
也就是说,“被口”这一肉体的感觉并没变,是被男的口还是女的口,对这一状况的认识不同,有无色情的兴奋感也会随之而不同。口交被认为是猥亵的下劣的行为,但倒不如说是精神的行为,并不猥亵。
——用巴塔耶的话来说,根据禁止的精神压抑的程度,因侵犯产生的色欲的激烈也会变化。性兴奋的肉体作用的程度,也会根据精神作用产生变化……
林:这就是非常有趣的地方,变成了是先有蛋还是先有鸡的这样的事情。是先有心理上的活动,对肉体产生了性欲,还是肉体上的东西的发动,使心理上出现了性欲,到底是哪回事。这件事上,我秉持的是还原主义的认识看法。
这是作为“所有的生命现象都能还原为物质”的思考方式,“先有物质”的唯物论。所以性欲刚开始时,不是人类的精神也不是心理,是从叫细胞的蛋白质的集合开始拥有机能的这个地方产生的,这和最初阶段是心理的还是精神的那种思考方式不同。
——这我也有同感。也就是说作为物质的延长,才有了精神、精神上的色欲。作为和物质相对的副产物才有了精神呢。
林:现代对脑的思考方式,也就是说认知科学,是和大脑皮层的智能部分有关的学问。在大脑中,类似感情、感性的“情绪机能”占有重要的位置。而在过去,被认为情绪作为智能是一种比较低下的能力。没对它怎么进行研究。但最近不是这样了,对这种情绪、感情的想去科学理解的活动相当活跃起来。情绪是有必要性去培养的东西,非常复杂且高等,决不是比智能更低下的存在。
但感情被认为是很普通的、精神上的东西呢。话说回来,有“肝肠寸断[断腸の思い]”这样的词,这指出了和内脏间的深刻关系性。和内脏的这种关系,果然也就是和物质的那种关系。用19世纪时候的美国行动主义的话来说,就是“没有肉体就没有感情”。
例如说,把大脑放入玻璃缸中使其复活,进行各种演算处理,让它做出“杀人是好的还是坏的”的判断。然后大脑判断是“坏的”。但“坏的”这种生理的感觉,也就是感情是不会发生的。因为没有内脏。
——对怪诞的东西的“嫌恶感”,也产生自这种和内脏有关的感觉呢。如果不是,那么道德、禁忌这样的东西也就不会产生吧。
林:所以肉体是非常重要的存在。包含精神在内的肉体的还原正乃还原主义。所以我和大男子主义的肉体主义可不同哦(笑)。
只是还原为物质而已。
——这样的科学知识,在作画时给你带来了怎样的影响呢?
林:并没有什么直接关系。虽然没有,但也不能说是没用的。
虽然常说“画这种东西是在心里、Heart里画出来的”,但这只是中学生的理论,优秀的画没有头脑的话是画不出来的。培养所有的能力,对于敢于挑战复杂难解的东西的思考是很有必要的。这样的话,脑袋里的突触成长起来,就能培养出崭新目光、崭新手法的绘画能力。
所以虽然没有直接的关系,但发挥科学性的思考能力,对能力的提高是很有必要的。光等着灵感的话,是永远也画不出来的。
然而,特别是日本人,就会说感性,感性!……(笑)
——这是日本人的错误艺术观呢。
林:当然,对绘画来说重要的东西就是感性。没有感性便不能看画、画画。如果要画至今为止都未有过的新风格的画,相应的头脑能力是必要的。必须要培养数据的、明确的思考能力。似是而非的、暧昧的思考,对能力的扩大是没有任何帮助的。
按照我的想法,对提高思考能力而言,文学是没有什么帮助的呢。确实,作为文体有三岛由纪夫等那样的特异的文体的存在。学习这样的东西也不能说没用。但越是科学地进行学习,越不能建立计划性的思想吧。
  大脑科学的构思
——“脑”这一存在在林先生的作品中出现时,作品为之剧变。是剧烈的进行了进化吗?
林:在第一次画脑的时候,还没什么大脑科学的构思。脑在人类的身体里是重要的进行“思考”作用的装置,看上去是松松软软[ぶよぶよ]的,全是皱子,很恶心。但皱子里Y字型的,和女性的股间看上去很像……(笑)。这是我对脑的最开始的兴趣。
——这之后对脑科学的兴趣也一起发展起来了。
林:作为与此对照的参考是神经科学。神经科学是大脑科学的一种,在美国非常发达。例如说弗洛伊德极力申说的无意识,脑中担任无意识的部分到底是怎样的,完全搞不清楚。当初,无意识被认为是脑的网络,脑的整体是被无意识这样的存在所管理的。但随着科学的渐渐发达,逐渐认为脑中并没有担任无意识的那样的装置。
大脑中有大脑皮质回路和大脑皮质下回路,皮质回路担任着所谓的意识,皮质下回路则由线条体、海马体等部分所组成。其中杏仁核Amygdala的部位,渐渐开始被觉得是和无意识有着密切联系。
皮质下领域,也就是无意识的领域,比起意识的领域拥有着还要强的影响力。用电动步道来打比方吧。电动步道产生故障停下来了,没在滚用眼睛看不一定能看出来。但用脚踩上停止的步道的瞬间,即使没意识到,脚踩上去也能感到是没在往前走。
这就是皮质下回路比皮质回路对人体的影响更强所引起的。皮质下回路是和自律神经、运动神经直接联系在一块儿的。所以比起大脑皮质和视野信息一起作出的“故障了动不了,不需要脚用力”的判断,皮质下回路无意识产生的“脚在用力”的判断更具有优势。佛洛依德用语言说明的“无意识”领域,现在正在被物理、脑科学进行着阐明。
——“性冲动(libido)”也是呢,是有语言解释的。到底是怎么回事就不知道了。
林:性冲动确实是。弗洛伊德的性欲论说的是接近性冲动的冲动欲望。但我认为呢,用“性冲动”一词来代表性欲本身是错误的。因为性欲这个东西分为若干要素,佛洛依德想用一个词来表示,理论上解释不通的地方就会有很多。
比如说脑有短期记忆和长期记忆两个记忆领域。为什么有两个,是因为脑中记录这两个记忆的部位不同。短期记忆是在海马体,长期记忆是大脑皮质在进行记录。但都用“记忆”这个词来概括的话,细节的地方就弄不清了。同样的道理,性欲并不只是“性冲动”这一个词所代表的含义。如果就这样对所有要素进行考虑和分析的话,会漏掉很多内容。
其他的,比如说恋物癖等,也能做出脑科学的说明。加拿大的神经心理学家唐纳德·赫布(Donald Hebb)有个“赫布型可塑性”的理论,这是脑回路里的突触频繁使用结合就会较强,不使用的话结合就会较弱的理论。
比如说某位男性会对恋人产生兴奋。如果恋人一直穿橙色衣服的话,对男子来说虽然也不算什么事,但因为恋人一直穿着橙色衣服,对恋人产生兴奋的突触,也会和对橙色的认识的突触同时进行成长。就算这个恋人不在了的话,对这个男子来说作为恋物品(fetish)的橙色也会继续被意识到。
  scatology和进化论
——要说恋物品的话,我想在林先生的绘画里“排泄行为”含有重要的意义。粪便性爱(scatology)你是怎么认为的呢?
林:scatology的话,用进化论的思维去考虑的话,就能了解它的有趣之处。
达芬奇似乎说过“人类这种存在是生物里最精巧且最美丽的生命。”但根据最近的观点看来,人类这种存在非常地潦草,进化上也很敷衍了事,是属于东拼西凑的一种进化呢。关于scatology,一般粪食行为被讨厌的理由很简单,吃了的话有毒。所以人类对排泄物的恶臭非常敏感,会本能地回避。从进化论上来说,“去保住性命”才是正确的行为。
但是,却出现了因为这种避讳,所以要通过性欲克服去吃的人。在进化论上,这无疑是错误的进化。然而这种“进化”不过敷衍了事的“正确”而已,下一个阶段会变成什么样的进化没有人能知道。但以“保住性命”为中心的进化论的观点看来,会说scatology是严重的倒错,或者在进化上是属于一种逆行吧。
谷——:这种倒错,也是恐怖感的其中一个要因吧。我还是想基于死的危险性和这种危险性的恐怖来考虑这个问题。
既然说是scatology,那么在这个世界上的某个地方就有第一次食粪的人。这个人对疾病的危险性毫无所知,我行我素的食粪。不知是哪个时代,但越是在过去,疾病就越是孕育着死的危险性。在这样的环境下,因为性欲而食粪,我想那肯定是颇为必要的色欲吧。
在现代,进行食粪,就算吃坏了肚子,只要去医院治疗就行。不会有危险性,和死有关的恐怖,超越这种恐怖到达的色欲的侵犯也不会存在。我想是无法利用死来获得那种真正的色欲的吧。
林:是可以这么说呢。俗话说:死和色欲相连。因为和死有着关系性,色情方面的感慨也在被促进着[死と関係性を持つことで、エロティックな感慨というものは促進されるわけです]。
大脑科学也发现,脑的一部分中跟性欲有关的回路,竟然好像是和恐怖有关的回路粘在一起的。这样的话,性欲的回路兴奋,恐怖的回路也会兴奋,反过来的话也一样。所以“色情怪奇(エログロ)”的类型是非常理所当然的呢。
——对色情的东西兴奋,和对怪诞的东西厌恶,经常混在一起呢。
林:“怪诞的东西”,说到底就是和“死”���联系的东西。而爱欲和死在神经科学上也是联系起来的存在。所以“死和爱欲是联系着的”的认为一定没错。但从观念上掌握和从科学上掌握,解释方法上会有所不同。
  向着更进一步的境地
谷——:最近你似乎在从事完全不同的风格,关于这件事能稍微谈一谈吗?
林:狭海湾(カロンク)是种沿着海岸线连绵的高高的岩壁的地形。在马赛的海边能看到这种景色。因为石灰成分很多,随着风吹雨打,溶解流下来后,而成了那副模样。并非只是单纯的很多岩石的山,模样是斑斑驳驳的,非常有趣。
但当我第一次见到那种东西的时候,我产生的是最为讨厌的认识角度。我认为“这正是自然创造的艺术。”但就算给自然强安上有关艺术的单面看法,对自然也不会有任何影响。不如说我感到人类所做的艺术是相反的东西。所以无论如何我都想画些什么进行类似的探索。
谷——我想林先生艺术的出发点是性欲这样的东西。但我在第一次看见林先生的画时,比起性欲,我首先注意到的是“死(Thanatos)”。就算是以性欲为起点,某种程度上,使作品的方向性得以确立的,表现的重点还是在死这样的东西上。
而最近的这些作品,比起至今为止的作品,让人感到了更为强烈的“死”。你是不是有意识到呢?
林:我并不太想这样说,但确实如此。这样来说的话,可能因为人的问题被降低而觉得讨厌,但毕竟我已经上了年纪,离死已经十分近了……
谷——:不,现在您拿出来说的这些,一般人或许会产生“已经到了年纪,离死期很近了,可能是意识到了这样的事……”的看法,所以才相当讨厌的吧。但我从以前的作品里就开始感觉到了这种很强烈的死。我想林先生自身对观念性的死早就意识到了。作为方法论,与脑髓、花相比,以这些岩山作为表现死的适合手法的这种境地,我在想是不是经过长久时间的练习才达到的呢。
林:经常买我的画的,艺术造诣也非常深的法国人收藏家也说过类似的话。对于“为了让自己的能力更加提高而画了岩山的画”的说明,他说“对非常高的能力来说,那就是死吧。”对于把极限设定在“死”不是其他东西的看法,这终究只是人类的视点而已。应尽可能避免这样的事态。
这是其中一个陷阱。不能落入这样的陷阱中。但就算明白,不会深陷这样的陷阱中吗?还是会有这样的不安。到头来,人类还是无法逃出“自己一个人/作为一个人”的范畴,这样非常俗套的看法。比如说人道主义这样的东西,是人都无法逃脱。
也有因此而对自己产生的悲观论。因为逃不掉,“那么落进去也不错”。那样的话,就真的落入陷阱中了。所以,我认为就算知道“只要是人就不得不面对死”,也必须要向着更进一步的境地,提高自己的技能。
 本对谈的开端是,谷敦志氏为了展示“fotofever”这一国际性的写真展访问法国之际,看过林良文氏的一部新作后而开始的。当时我和谷氏也一块儿同行,得以有了拜见作品的机会。看到了由无数女阴覆盖的耸立于海风中的岩壁,我体验到了这种庞大出奇的凄然产生的恐怖。成群女阴的主题和以往的风格相一致,是因为岩壁吗,还是因为海呢,这件作品中骇人的荒凉满目都是。已然被他的风格俘虏的我,转瞬间就面如土色了。
那仿佛冻结的冰冷究竟是什么?是跟谷氏对谈时所说的“感觉到了比至今为止还要强烈的‘死’”吗?如果是的话,那或许是死那样的冰冷。但也不能就这样一概而论。对林氏来说,“死”也不过是人类视点的问题而已。他感知到的所在并不在这儿。林氏现在也在考虑着提高自身技能方面的事情。林氏的这种态度,可以说正是因为对“死”这样问题的超然而诞生的吧。
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TH series No.67 2016
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