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#伸長式ダイニングテーブル
takanomokkou · 2 years
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たまにやってくる来客用に大きさを変えられるダイニングテーブルはいかがでしょうか。 シェルダイニングテーブルは、角度のある脚部と小口がスタイリッシュなデザインを際立たせています。 天板をスライドさせて中天板をはめ込むと天板が大きくなります。 軽い力でできるので、女性でも気軽にご使用いただけますよ。 #高野木工#takanomokkou#国産家具#木製家具#家具#大川家具#北欧風インテリア#ナチュラルインテリア#シンプルインテリア#モダンインテリア#家具選び#家づくり#ダイニングテーブル#食卓#食事#ダイニング#テーブル#伸長式テーブル#伸長式ダイニングテーブル https://www.instagram.com/p/CeQYq3KrAfO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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202208050519 · 2 years
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Aさんへ ⑯
月曜日の朝です
娘は腹痛を訴えて学校をお休みし、腹痛を抱えているひとにあるまじき爆睡で健やかな寝顔です
いいと思います
そんな日もあります
季節の変わり目(とはいえ連日、もはや真夏風味の気温ですよね。)
Aさんもどうぞご自愛くださいませ
********
『ピーコック』
ハンドルに顔を伏せる。
ジーンズの太もも、膝に自作の経年ダメージ、素足、タカシからお下がりした黒い皮のサンダル、正式には借りパク。親指の深爪、しわくちゃに踏み潰されたガソリンスタンドのレシートが2枚、1枚はフットブレーキの下。砂まみれのフロアマット。最後にこいつを洗車してやったのはいつだ?ハンドルに顔を伏せたままリョウは目を閉じる。いつだ?いつ?ソノコを好きになったのはいつだ?
タカシの部屋をたずねる。
足を止めるより早く腕は伸びる。
ドアの前で足が静止するより早くインターホンがドアの向こうから聞こえる。
ひやりと冷たい、ノックをすれば冷たい金属音がする能面のような玄関のドアがゆるゆる開きはじめる。
声を聞く前に、笑う顔を見る前にその人と出会う前に気配でわかる。扉の隙間から流れ出る室内の空気に混ざる香水。そもそも扉を開くスピードで、タカシのそれとは違うスピードでゆるゆる開かれるドア1枚隔てた向こうにいるその人を感じる。
ドアが全開になる。隔てるものがなくなる。向き合い、見下ろすソノコから、
「残念でした。タカシくん今いないわ。コンビニ。リョウくんおかえりなさい。」
タカシの不在を告げられる。
兄の不在を残念だと思えなくなったのはいつだ?なんだタカシいないのか。とガッカリしなくなったのはいつだ?
タカシから聞く「リョウくんおかえり。」よりソノコから聞くおかえりなさいを欲しがるようになったのはいつ?ソノコのおかえりなさいを自���だけのものにしたいと思うようになったのはいつからなのか?
ハンドルに顔を伏せたままリョウは目を閉じ続ける。
違う。全部違う。まるで違う。
初めて抱いた感情故見過ごした。一目惚れ。出会った時に落ちていた。それだけのこと。
ソノコと初めて会った夜。リョウは仕事を終えるとその足でタカシが一人で暮らすマンションへ向かった。キャメル色のスリーシーターに、時々ベッドにもなるコーデュロイのソファに深く座り雑誌を読みながら来る人を待っていた。
「お腹すいたね。」
愛しい人を待ちわびるタカシの声はとても幸せそうに柔らかく響いた。お腹すいたねは早く帰ってこないかなとイコールで、リョウはなぜか懐かしい気持ちになった。大好きな母親の帰りを待ちわびる小学生のようだと既視感のない、味わったことのない感情にも関わらずリョウを満たしたのはノスタルジーだった。
テレビの音もラジオも音楽もなく、タカシがダイニングテーブルに広げた新聞をめくる音だけが短いサイクルできちんと定期的に響く静かな夜だった。
静かな夜のなかに紙が擦れあう乾いた音。数時間前から一向に止む気配のない頭の鈍痛に耐え兼ね、微かに鼻唄さえ醸す極上に上機嫌なタカシに、
「申し訳ないが音が響くから新聞と音痴をやめてくれ。頭痛がエグい。」
とは伝えず、一瞬だけ横顔を見つめ側頭部を撫でた。
薬を飲むほどではないけれど飲めばきっと楽になる。それはわかっているけれど銀色の紙を破って丸い白い粒を3錠取り出し口に放り込みグラスに水を注ぐ。飲み込む。さあ早く効力を発揮してくれと、これがマーブルチョコならいいのにと、色とりどりなカラフルを独り占めしてあんなにワクワクしたけれどなんだかんだ1番好きなのはチョコレート色をした茶色だったと、マーブルチョコの糖衣のほんのりした甘さを手繰り寄せ頭痛薬がマーブルチョコならいいのにと思考してしまうことが億劫でたまらず、頭痛薬を致すのを諦めリョウは雑誌から顔を上げた。リビングのカーテンを見つめた。雨が降るだろう。と、もしかしたらもう降っているのかもしれないと鼻から息を吸い込み、やはりと麩に落とした。
インターホンが鳴った。
両手にスーパーの袋を提げたソノコを迎え入れ長い両腕で包み兄は玄関でキスをした。ただいまおかえりの延長にある一連の流れは自然で、弟がそこに居ようと居なかろうと行われるのであろうことを容易に想像させるキスだった。
「人前でベタベタするのもされるのも苦手なんだよね。」眉をひそめ、ため息をついた過去の兄を思い出した。街中で女から手を繋がれやんわりほどいた途端女の機嫌が悪くなった。と、あれは、あのため息はたしか参ったという音のため息ではなかったか。
リョウはキスをしている二人から手元の雑誌に視線を戻し(参るのはこっちだ。)苦笑した。
「ソノコ。弟、リョウくん。」
紹介されソノコを見つけた。
(泣きぼくろ。)
涼しげなかわいい目をした女だと思った。そのかわいい目が、笑うと眠そうな優しい目になった。
(誰かに似てるな。)
リョウは、かつての女たちやアイドルやアニメのキャラクターを次々と思い浮かべたが結局初めて会ったその女が自分の記憶の中の誰と重なるのか答えを見つけられないままにその夜2度目のノスタルジーがリョウを満たした。
優しい目と甘い雰囲気に似合わない低い声は、丁寧にゆっくり話す声は笑うと時々掠れ、
(目つきといい、喋り方といい……眠いのか?)
探求でソノコを見つめ耳をすませたが、
(こっちが眠くなる。)
気づけばミイラになっていた。
その眠そうな視線を時々しかリョウに向けず、兄ばかりを愛しそうに見上げることに気づいた。
「こんばんは。」
と無意識に差し出した右手は触れたい衝動からの握手だったのだと思う。
その夜、タカシの胃を掴んだ数々の手料理がテーブルに並んだ。匂いを嗅いだ時点で、
(旨そうだ。)
掴まれた。
「お豆腐が苦手って、タカシくんから聞いていたのよ。今度、また、機会があったら、私の豆腐ハンバーグを披露させてね。リョウくんを唸らせてみたくなったわ。」
健やかに朗らかに、気心知れた男友達といるような妙なデジャヴをどこか遠くで感じさせるソノコ。
食事が終わる頃には、まだ見ぬ豆腐ハンバーグにリョウは思いを馳せ、その機会を必ずつくると強く誓った。しぶとく居座っていた頭痛が、気づけば跡形もなく消えていることに気づいた。
タカシの部屋をあとにするとき外まで見送りに出たソノコは兄の横で、
「お疲れなのに時間をつくってくれてありがとう。ごめんね。でも会えて嬉しかった。またねリョウくん。」
礼を言い名前を呼んだ。気持ちの良い響きのありがとうだと感じ、自分の名前を心底良い名前だと思った。
『彼女ができたから今度リョウくんに紹介するね。』
ソノコと出会う数日前、仕事中に届いたタカシからのラインに返信をせずリョウはその日の夜、タカシのマンションを訪ねた。
「料理がすごく上手だから3人でご飯を食べよう。」
タカシは穏やかな笑みで弟を見つめた。
「名前は」
たずねたリョウに、
「ソノコ。」
宝物の名前を答え、
「写真見る?」
携帯電話の電源を入れた。
「いい。会うし。」
リョウがごちそうさまを真綿に包み拒否すると、
「リョウくんのタイプではないと思うよ。」
タカシが淡く囁いた。携帯電話の画面を見つめながら囁いたタカシの表情を覚えている���弟への枯れない愛が足枷となった兄の警告は急所を外した。
リョウはハンドルに顔を伏せたまま今日までの数ヶ月を振り返る。降り注ぐ太陽が首筋に当たる。
ソノコと初めて会った夜。「タカシは俺の好みをわかってないんだな。」ぼんやりと呑気なことを考えていた。
(違う。)
タカシは熟知していた。自分達の母親とは真逆のソノコ。弟思いの兄が男として真綿に包んだ釘。釘をさされたことに気づかず、またいつの日から気づかぬふりをしていた自分の罪。深く息を吐く。
タカシの暮らしにソノコが加わり、寒色だらけだったタカシの部屋はあからさまにこざっぱりと清潔感と生活感が育まれた。温かい色の小物や生活品や、化粧品が増え、照明を変えたように明るくなった。そこかしこにソノコの存在を感じた。
リョウは、通いなれたその部屋に違和を覚え、その違和感はあっという間に居心地の良さに変わった。3人の休日、タカシの部屋でソファに寝転がり二人の気配を感じながら目を閉じる。
しばらくするとそっと、ふわりとブランケットがかけられ、ブランケットが作った風に甘さのない香水が混ざる。
「ソノコ。コーヒー飲む?俺チーズケーキ食べたい。冷蔵庫?」
「ありがとう。のむ。まって切ってあげる。」
「成功した?」
「大成功よ。アールグレイを混ぜたのよ。すっごく良い香りよ。ボトムもすごくおいしいの。近年稀にみる成功よ。リョウくんにも食べさせなきゃ。」
声のボリュームを落としたやりとりが聞こえる。
(実家より実家。)
リョウは心の中で呟く。途端、本格的な眠りのなかにトロリと沈む。
ソノコの笑顔が浮かぶ。
助手席の女が甘ったるいデパート1階の人工的フェロモンの匂いを放ちながら
「大丈夫?具合わるいの?」
リョウの二の腕に右手をのせる。「ごめん。触るな。」を、
「ごめん。大丈夫。」
に変換し、デパートの匂いをかき分けハンドルに突っ伏したまま、目を閉じたま首筋に太陽を浴び続けながらソノコの香りを手繰り寄せる。
「リョウくん!」とふざけて腕を掴まれ、フワリと香った。近づかなければ捉えることができないとても微かな香り。移り香は肌を重ねた者だけが汗を混ぜ合わせメロウな香りに変える。ソノコのコケティッシュな雰囲気とはずいぶんイメージが違うその香りがタカシから香ったあの日。
突然訪ねたリョウを迎え入れるため、玄関のドアを開けたタカシは素肌の上にシャツを被るとジーンズのボタン���留めた。
「リョウくん。」
朗らかに笑うタカシからソノコが香ったあの日。リョウは真夏のスイカを思い出した。
時々、自分の記憶力の高さに辟易する。
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receno · 2 years
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【 お店だより 】東京店の春コーディネート ・ こんにちは。 Re:CENO TOKYOの江上です。 最近は、春のお引越しに向けて、 ご来店いただく方が増��ました。 そんな中、つい先日、 店内レイアウトをリニューアルしました。 伸長式のfolkダイニングテーブルと、 ペーパーコードのチェアーを2脚ずつミックス。 背景の、R.U.Sユニットシェルフは、 キッチン収納として。 細々したものを収納する場合、 フレームの色を壁色と合わせると、 馴染みやすく、 ごちゃつき感も抑えられておすすめです。 コーディネートのポイントは2つ。 ナチュラルヴィンテージのルールに則って… 家具の色は、落ち着いたトーン・色味の ナチュラルカラーで統一。 アクセントは、 アラログかごやヴィンテージ品などの 「素材感」でつけること。 最後の仕上げは、季節感のあるもの。 東京店では、チューリップを選びました。 お近くにお越しの際は、 東京店にて、ナチュラルヴィンテージの空間を 体験してみてください^^ ・ #receno #inteior #furniture #life #relax #coordinate #naturalvintage #folk #diningtable #リセノ #インテリア #インテリアショップ #東京 #暮らし #暮らしを楽しむ #リビングコーディネート #家具屋さん #伸長式ダイニングテーブル #伸長ダイニング #リビングダイニング #ペーパーコードチェアー #ダイニングコーディネート #ユニットシェルフ #ナチュラルヴィンテージ #春インテリア https://www.instagram.com/p/CZVeh47vvFT/?utm_medium=tumblr
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wisdom-mat · 4 years
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カンディハウスの伸長式テーブルにマットをオーダーされました。
サイズ:1400×900(mm) 丸角R10(mm)
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bastei · 3 years
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2020
歌が聞こえる
 はっきりいって何を書いたらいいのかさっぱりわからない。それまでは毎日のように、その日あったことのメモを書いていた(そしてそのうちのいくつかにパンチラインが宿っていると判断すれば、虚構と事実を織り交ぜながら再構築され、日記という体裁を保った成果物としてバス停に残された)が、それがはっきりした言葉とか内容を持たなくなってから長い時間が経過した。一日一段落が一日一行くらいになって、最後には意味のない文字の羅列になってしまって、それでも相変わらずこうしてキーをタイプしている。その日あったことを記録する。意味もなくセックスと記入する。バックスペースを4回押す。用紙に自分の名前を書く。家系図よりも入り組んだポートフォリオを眺め、稟議書を作成する。過去に向かって祈りを捧げる。薄明かりの元に人間が祈りを捧げる。あーでもないこうでもないと、今日も生が死に負けないように祈る。底なしのアホどもに道徳を解く。魂を失い、信頼の気持ちを失う。こうして一年間のうち何があったかと思い返しているうちに、目が覚めていくような気持ちがする。今までずっと眠り込んでいたような気がする。世界中が冷蔵庫の中みたいに静かになって、日曜日みたいに寂しい気がする。重い腰を上げ、自分に対して日常の報告を行う。ヘッドホンを接続し、音楽を鳴らしていると、目の前に広がった低い霧がわずかに���れていく。どこまで広がっているか定かではないけれど少しだけ前が見えるようになる。メリークリスマス。
 今年はほとんど外出しなかったし、ほとんど人にも会わなかった。もともと人に会うのは億劫になる方だが、実際にその場所に行くと楽しくなってテンション振り切ってしまう。2020年唯一の遠出は後輩の結婚式に行ったことで、家族を北海道に残して東京を訪れた。その頃はコロナ禍も小康状態にあったが、会社や周囲の人間から理解を得るためには多少の根回しが必要になった。普段なら行かなかったかもしれない。でもお互い口には出さない友情には変えがたい。実は再会した友人たちと話が噛み合うのか不安もあった。あの交差点で別れてからすごく時間が経ってるから。あの公園の前で私は何度も振り返った。こんなことなら東京で仕事を探せばよかったのだ。そうすれば別の人生があったのだ、と私は幾度となく考えた。東京で暮らす最後の日に、浴びるほど酒を飲んでその日着ていた服を全部公園のゴミ箱に捨てて、何もない部屋に帰ったのがもう十年くらい前の話だったのだ。でもそんな今生の別れなんてなかったみたいに、地続きで酒を飲むことができたのは本当に嬉しかった。夜遅くまであーでもないこうでもないと数学のことを話し合っていたのが境目なく続いていたような気がした。新郎を含めて、みんなが後戻りできない地点までそれぞれの方法で走ってきたという感じがした。スピーチの順番が回ってきて、私は地球の裏側からでも酒を飲みに来ることを両家の親族の前で固く誓った。朝から晩まで酒を飲み、渋谷の街をろくに地図も見ないで歩き通したら、翌日には足が棒のようになっていた。ホテルの大浴場には夥しい量のカボスが浮いていた。
粉砕処理工場
 週末はゴミを捨てに粉砕処理工場へ行った。ゴミを捨てるのは苦手だ。バスケットいっぱいの電池とか、ダメになったフライパンとか、穴のあいたビニールプールといったものがベランダの隅に並んでいる。家にいる時間が長いものだから、普段は気にならないことが余計に気になる。結婚する前に買った大きなテーブルを捨てに行こうと思ったのは、こんなときだからだろう。そのテーブルは全体的に汗ばんでいて、所々マニキュアの除光液なんかをこぼして塗装が剥げている。解体するための気持ちを固���、六角レンチでネジを緩めていくと、天板を支えていたステンレス製の脚がビィンと鈍い音を立てて転がった。アパートの階段を死にそうになりながら下り、やっと車に詰め込む。そういえばこの机を買ったのは妻と付き合い始めた頃で、二人でご飯を食べる場所が欲しくて一人暮らしの部屋には似合わないようなダイニングテーブルと椅子のセットを買ったのだった。それも何故か妻の金で買った。なんというひどい男がいたものでしょうか。処分しようという私の提案を、妻は思いの外すんなりと受け入れてくれた。「私が買ったのよ?」と言われるような気がしていたけれど、スマートフォンでテーブルの処分方法を調べて教えてくれた。その後私は一時的な単身赴任をすることになり、前任者の住んでいたアパートにそれを持っていた。あらかじめ聞いていた間取りが嘘みたいに、部屋が小さく感じたテーブルは部屋の隅に置かれ、作業机、あるいはどこに置いたらいいかわからない書類や機材の置き場となっていった。半分は去年買った27インチのiMacに占領された。
 大抵のものは手に入れる時よりも手放すときの方がーー最初よりも最後の方がーー面倒なものだ。面倒だ。夫婦喧嘩だってそうだし、コロナ禍だって始めるときは楽だった。でもやめるときは多分もっと大変だってみんなわかってた。何もしなくたって勝手に結び目はできていく。人生だって始めるときは気楽なものだった。気がついたら始まっていたから。でもやめるときはきっと穏やかではないだろうな、何故なら私は死ななければならないから。死は神への負債か。宇宙だって始めるときは今より楽だった。ただ爆発すればいいから。Qfwfqじゃあるまいし。いつまで経っても潮目は変わりそうにない。今年一番いったセリフは「潮目が変わったな」と「週末で気持ち作ってきます」の二つだったかもしれない。何か仕事でアクシデントが起きるたびに、その場しのぎでそんなことを言っていた。
 「この街には3ヶ所のゴミ処理場があるようね」と妻が言った。どこも三十分くらいかかりそうな位置に分布していたが、なんとなく私は南の処理場へ向かうことにした。昼すぎの気怠い空気をかき分けて車を走らせた。冷たい空気が押し寄せるまであと少しで、常に薄暗くて雲がかかっているようだった。外れにあるゴミ処理場はサイコパスが履いている靴下みたいな色の煙突から不穏な煙を吐き出していた。付近にサッカーコートがあり、バス停と待合所のプレハブがあったが、あまりの荒廃ぶりに10年に一度バスが来ればいい方だと思った。この地域ではサッカーの試合は20年に一度開催されるビックイベントである。待合所には全く色も形も揃っていない椅子が5つもおいてあった。ゴミ処理場のそばにあって処理されていないゴミ(反骨心の塊だ)が5つも残っている。当然誰かが座るためにあるのだが、5人同時に誰がここに集まっている様子は想像できない。まとまりのない椅子の列を見ると鬼頭莫宏の「ぼくらの」を思い出してしまう。
 想像していた粉砕工場は市役所みたいな受付があるものだと思っていた。番号札を引いて、窓口の横に計量機があり、そこで料金を払うようなものだと考えていたのだが、予想に反してドライブスルー形式だった。数十キロのゴミを抱えて入り口を通れなかったらどうしようとか、二人できた方がよかっただろうかと思案していたのは杞憂だった。直接車で工場の中に行く方が簡単だろう。何十キロとある不用品をどうして市役所や銀行の窓口みたいなもっとめんどくさそうな場所に人力で運ぶのだ。事前に調べていた情報では、粉砕するゴミの重さによって料金が変わるということだった。これは料金を払う段階でわかったことだが、行き帰りで車の重量の差を量っていたのである。賢いなあと思った。ゴミを捨てるのはマクドナルドでハンバーガーを買うより簡単だった。料金所で受付用紙に持ち込んだゴミの種類を記入し、車のウインドウ越しにそれを渡す。まるで夢の国にようこそといいそうな微笑みで、「では破砕工場行きオレンジ色のラインに沿っていってらっしゃいませ!」と笑顔で送り出される。工場の内部は引き裂かれた金属や木片が山になっていた。悪い方の夢の国だ。こういう機会は一年に一回くらいあっても本当は少ない方かもしれない。何も変わっていないように見えて、実は毎年が新しい生活様式だから。
 Like a Sunday
 息子も1歳を超えたので、妻は働きに出始めた。最初はひとりで保育園に馴染めるものか気を揉んでいたが、私の思い過ごしだった。先生に身柄を引き渡す時には目の前から両親がいなくなるという事実に号泣するが、迎えにいく頃には遊びに夢中になっている。毎日少しずつ変わっていく。昨日とは別の人間になる。そういえば昨日と同じ反応ということがほとんどなかった。昨日まではなんとなく笑っていたのが、明らかに私の顔を見て笑っている。何かするたびに私の反応を伺うような表情をしている。今年撮った写真だけ見ても背が伸びて、顔つきが引き締まっているのがわかる。いくつかのジェスチュアを習得する。友達に手を振る、拍手をする、お辞儀をする。私自身も言葉より前のコミュニケーションに頼ることが増えて、あーとかうーとかいって、ニコニコしているのがこんなに楽しいことだったのかと思った。細かく切ったりんごを口元に持っていくとぐいと頭を突き出してりんごを食べる。にっこりと笑う。私が食べているところを見るのもどうやら好きなようである。
 息子が歩き始たりする兆候がなく、心配になった妻は何かの検査を受けさせようと私に言った。妻が初めての子育にすごく悩んでいるのはわかっていたし、それで何もなくて、安心できるというなら検査をしようとなった。「でも忘れて欲しくないのは、何か人生を複雑にする病気だろうと、絶対に君たちを手放したりしないよ」と私は言った。仕事の都合で、私が大学病院までベビーカーを引いて検査を受けに行った。MRIを撮っている間、私は大見得を切った割に動揺していた。内部で暴れないように固定され、麻酔を打たれる息子を見てしまったからだろうか。それともこんなに人がいるのに、ほとんどが他人だからだろうか。それとも今まさに、原理不明な電磁気が息子の肉体を貫いているからだろうか。
 ある日仕事で付き合いのあるお医者さんに「僕が、何かどこかで間違っちゃったんじゃないかって思っちゃうわけですよ」と言うと「言い方は悪いかもしれないけど、アフリカのきたねー地域でぐちゃぐちゃになって暮らしてて、ガリガリに痩せててもなんやかんやで育ってくもんなんだから心配しなくていいんだよ」と言っていた。そういう考え方もあるのかと思った。午前三時に日が上っていたなんて、意識はないけどどうしても明るいと思った。
ワールドエンドメゾン
 本当は冷蔵庫を買った話を書きたかったんですが、冷蔵庫はアパートの階段部分を通過できず、ベストバイとはなりませんでした。
今年買ってよかったもの(成果物は2021年へ持越)
Beats solo pro
PS5
レタスクラブ
サイバーパンク2077
ラストオブアスpart2
トマス・ピンチョン 全小説 重力の虹
量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために
エピローグ
 この記事は 2020 Advent Calendar 2020 24日目の記事として書かれました。昨日はO-SHOW:THE:R!PPΣRさん、明日はrealfineloveさんです。お楽しみに!
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roccashop · 5 years
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1920年創業 イギリスの老舗家具メーカーERCOL(アーコール)社による、ヴィンテージ ドロップリーフテーブルです。⁠⠀ ・⁠⠀ ウィングの部分を広げると楕円のテーブルトップになり、たたむと長方形になります。片側だけたたむ事もできます。パーティーなどでお客様が見えたりする時には広げて、普段お使いの際にはコンパクトにたたんで使用するなど、シチュエーションで使い分ける事ができるテーブルです。⁠⠀ ・⁠⠀ 店頭に展示していない商品ですので、プロフィールに��載のURLからチェックしてみてください。商品番号36267で検索できます。⁠⠀ ・⁠⠀ ・⁠⠀ ・⁠⠀ #目黒通り #都島本通り #インテリア #rocca #六家道具商店 #izuya #interior #furniture #vintagefuniture #antiqfurniture #雑貨 #家具 #ヴィンテージ家具 #アンティーク家具 #エルム材 #輸入家具 #中古家具 #英国アンティーク家具 #イギリス製 #イギリスアンティーク家具 #ercol #アーコール #ダイニングテーブル #ドロップリーフテーブル #バタフライテーブル #伸長式テーブル #木製テーブル #英国家具 #ニレ材 #オーバルテーブル — view on Instagram http://bit.ly/310vzhy
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第十三回北区内田康夫ミステリー文学賞・特別賞受賞作品に基づく朗読劇上演台本
本作は声優・伊藤栄次氏が 二〇二一年十月二九日に配信上演した 「ひとりで朗読劇」の上演台本です。原作者・稲羽白菟が読み物として若干形式を整え、朗読劇の鑑賞を楽しむための資料として公開させて頂きました。「ひとりで朗読劇」はこちら(https://twitcasting.tv/c:eijiitoh1961/movie/707491244)にアーカイブされていますので、是非台本と併せてお楽しみ下さい。
  1
 一階のダイニングルームにご案内した三人のうち、最初に言葉を発したのは新郎のお母様、倫子夫人だった。
「なんだか古くさい洋館ね⋯⋯。本当に、 こんな所で結婚式を挙げる気なの?」
 値踏みする様に高い天井の四隅を見比べ、 部屋の中央に一人進んでゆく夫人のつんけんした雰囲気に、クラシカルな部屋を嬉しそうに見渡していた野見山(のみやま)さんカップルの表情は見る見るうちに曇ってゆく。
〈私〉「こちらの旧古河邸は、知る人ぞ知る、とても人気のあるウエディング会場なんですよ。春と秋のシーズンには正面の南向きの窓の外、バラ園のバラがとっても綺麗に咲いて、庭も、洋館の中も、大勢のお客さんでいっぱいになっちゃうんです。……ですから、限られたオフシーズンの間、年間たった十数組しか挙式出来ない、ここは当社がご紹介できる中でもとっておきの会場の一つなんです」
「⋯⋯じゃあ、結婚式の時期、庭には綺麗なバラの一輪も咲いてないって事なのね……」  ここは、JR京浜東北線の上中里、山手線の駒込、東京メトロ南北線の西ケ原。この三つの最寄り駅それぞれから均等に遠い⋯⋯。おまけにどの駅も地味で、結婚式に向かう駅として華がない⋯⋯。今日待ち合わせをした駒込は一番メジャーだけど、そこからは登り坂だからお年寄りの参列者には不親切……。
 倫子夫人は、根本的に何もかも考え直した方がいいんじゃないか──そんな文句を、ずっと口にし続けていた。
 普段、ウェディング会場のお下見は、カップルお二人だけをご案内する事がほとんどだ。ごくたまに、熱心な親御さんが同行して仲良くプランを考える事もある。けど、半ば無理やりお母様が同行して、しかも、こんな露骨に文句ばかり言い続けるなんて、結婚式場紹介所『ポラリス・ウエディング』に入社してまだ二年の私には、初めての経験だった。
「高台の洋館、斜面のバラ園、そして、低地の日本庭園──ここのお庭は、本郷台地の傾斜に沿って階段状に設計されているんです。下の日本庭園になら、お式の頃にも、きっと綺麗なお花が咲いていると思いますよ」
「日本庭園?」
 ダイニングテーブルの脇を進み、南に開いた窓際で夫人は斜面の下を見下ろす様に背伸びをした。
 あっ! 確かこの建物からは──
「⋯⋯そんなの、どこにも見えないじゃない」
 案の定、険のある夫人の声が部屋に響いた。
 隣に並んだ野見山さんカップルのすがるような眼差しが、視界の端で私を突ついている。
 何て応えよう?
 考えをめぐらせる事に必死になり、私が笑顔を失いかけたその時、柔らかな女性の声がダイニングルームに響き渡った。
「──洋風のバラ園と純和風の日本庭園が連続して見えない様に、わざと常緑樹の林を間に挟んでいるんです。洋館からは洋風の風景、下の茶室からは和風の風景しか見えない。とっても良く考えられた設計なんですよ。⋯⋯ちなみに、日本庭園は京都の名匠「植治」こと七代目小川治兵衛の作、洋館と西洋庭園は鹿鳴館やニコライ堂の設計で知られる名建築家、ジョサイア・コンドルの作です」 「咲耶(さくや)さん!」
 自称「旧古河邸のなんでも担当者」──高橋咲耶さんが、マホガニーの大きなドアの前に立っていた。
 年上の人なのに、つい可愛いと思ってしまう様なチャーミングな笑顔。おっとりとした柔らかな雰囲気を身にまとっているのに、何故か「この人に任せておけばきっと大丈夫」そう思えてしまう不思議な信頼感。咲耶さんは、この洋館の管理と運営をしている財団法人「大谷地美術館」の職員、美術館学芸員さんだ。
「ようこそ、旧古河庭園へ。お出迎えしようと思っていたのに、すみません。シャンデリアの暈を磨いていたら、つい熱中しちゃって⋯⋯」
 ドアの前で、はにかんだ笑顔を浮かべる咲耶さんの顔を、野見山さんカップルと倫子夫人は、なんとなくものめずらしげに眺めている。 私は自慢の姉を紹介するような気分で口を開いた。
「こちらは、この施設を管理する美術館の学芸員さんで、かつ、ウエディングの担当もなさっている高橋咲耶さんです。⋯⋯今日、お二人の結婚式のご希望についてご相談に乗って下さる方です」
「はじめまして、高橋咲耶と申します」
 咲耶さんはにっこり笑って頭を下げた。 野見山さんカップルは姿勢を正して会釈を返す。
 窓際の夫人は相変わらず、値踏みするような冷たい視線で咲耶さんの姿を遠く真正面から眺めている。
「ウエディングの相談も、シャンデリア磨きも学芸員が担当する⋯⋯。こちらはそんなに人材が不足しているのかしら?」
「⋯⋯ええ、そうなんです」
 穏やかな笑顔を夫人に向け、咲耶さんは続けた。
「施設の管理、洋館見学ツアーのガイド、建物まわりの草むしり--出来る事は全部、私とあと二人の人間で手分けして行っているんです。貴重な歴史的建造物ときれいな庭園を後世に伝える事だけが目的の、とても小さな団体なものですから⋯⋯」
 夫人の冷たい表情と、それを気にも留めない様子の咲耶さんの明るい笑顔──部屋の両端で向かい合う二人の対照的な様子になんとなくハラハラして、私は野見山さんたちに言葉を向けた。
「旧古河邸のウエディングはイベント会社の力を借りず、こちらの高橋さん一人が窓口になって色々と手配して下さるんです。専門の式場と違って、都立公園の一角、非営利団体が運営する洋館をお借りしての結婚式になりますから、お二人の様にアットホームな式を望まれる方、派手さよりも温かさを求められる新郎新婦様には、きっとご満足いただける会場に違いないと私は思うんです」
 笑顔を取り戻した新郎の伸一さんは咲耶さんと正面に向き合った。
「今日は、こちらで結婚式を挙げさせていただく場合のプランについて、詳しくお話を伺いに参りました。どうぞよろしくお願いします」
 伸一さんは咲耶さんに丁寧に頭を下げた。隣の麻里子さんもフィアンセにならってペコリとお辞儀をする。
「ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。このお部屋、いつもは喫茶室として営業しているんですけど、幸い今日は他にお客様がいらっしゃいませんから、ここでお話しさせていただきますね。……皆さん、紅茶、コーヒーのご希望は? 喫茶室のマスターとウエイトレス役も、私が一人でやってるんですよ」
「ありがとうございます。⋯⋯じゃあ、僕たちは紅茶をお願いします」
 お二人と咲耶さんの間に生まれた柔らかな空気に、私はなんだかホッとする。
 しかし!
〈倫子夫人〉「あなたのお話を聞く必要はないですから、私にはどうぞお構いなく」
 うんざりした表情を浮かべる伸一さん。
 辛そうにうつむいてしまった麻里子さん。
 少し驚いた表情で夫人の顔を見つめる咲耶さん。
 そして、さすがに堪忍袋の緒が切れそうになってきた私……。
 そんな私たちの方に、夫人はスタスタと近寄って来る。
「母さん、いい加減に──」
「お母さん、マコトと一緒に外で待っているわ」
 マコト?──一瞬誰の事か解らなかったけれど、「お庭で待ってるね」と言っていたもう一人、ご一行に付いて来ていた制服姿のおとなしそうな妹さんの名前なんだろうと私は察した。
 ドアノブに手を掛けた夫人はちらりと咲耶さんを振り返る。
「──坂の下のお庭は随分広そうだけれど、こちらのお庭にはキツネなんて住んでいるのかしらね?」
「きつね、ですか? さすがにそれはいないですけれど⋯⋯」
「母さん! そんな馬鹿な事、もうこれ以上言わないでくれ!」
 ずっと穏やかだった伸一さんが突然上げた大声に構う事なく、夫人は小さく鼻を鳴らしてドアの外に出た。
 麻里子さんは今にも泣きだしそうな顔で俯いていた。
   2
「お待たせしました。さぁ、どうぞ──」
 咲耶さんが、野見山さんカップルと私が座る窓に近い四入掛けのテーブルにお盆を置き、お茶のセットを並べてくれる。
「お茶はアールグレイ、お菓子はここのお庭のばらの花びらを使って作った『ばらの羊羹』。⋯⋯ここの愛称『ばらの洋館』と掛けた駄洒落みたいな名前ですけど、れっきとしたうちの名物なんですよ」
 お茶を配り終えた咲耶さんに、私は改めてお二人を紹介した。
「こちらは野見山伸一さん、そして、長尾麻里子さん。この洋館をご紹介したら、お二人とも、とっても関心をもって下さったんです」
「そうですか。……あの、あまり聞かないめずらしいお名前ですけど、もしかしたら、野見山冴子さんのご親…とか?」
「さすが、よくご存知ですね。野見山冴子は僕の伯母、父の姉に当たります」
「⋯⋯⋯その方、どなたなんですか?」
「掛軸や屏風なんかの日本画を描く、一応プロの画家です。⋯⋯⋯世間一般には、そんなに知られていないと思うけど、KANAKOの母親って言ったら、ご存知なんじゃないかな」
 歌手のKANAK0といえば、ダンディーな大御所ミュージシャン・杉山亮一の娘──
「すごいじゃないですか! うちの父、若い頃から杉山亮一さんの大ファンなんですよ。杉山さんが伯父さんだなんて、うらやましいなー」
 あ⋯⋯。
 数ヶ月前、KANAK0がたった一年で離婚したニュースが話題になった時、実はご両親も数年前に離婚していたとレポーターが言っていた気がする。
 離婚関連の話題。しかもご親族の。
 ウエディングの仕事をしている人間として、これは、かなりまずい失言だ……。
「気にしなくて大丈夫ですよ。伯母の一家は伯母の一家、僕たちは僕たち。僕と麻里子はちゃんと幸せになりますから」
「失礼しました。⋯⋯お優しいお言葉、ありがとうございます」
 私は深々と頭を下げた。
「──素敵なお二人の事、よかったら詳しく聞かせてくれないかしら?」
 咲耶さんの声で、私はゆっくり頭を上げた。
 咲耶さんは私を励ますように微笑んでくれている。
 伸一さんも優しい表情を私に向けてくれている。
 麻里子さんは少しうつむきがちにティーカップを眺めているけれど、その表情は穏やかだ。
 お伺いを立てるように私が向けた視線に、伸一さんはうなずきながら応えてくれた。
「良かったら、僕らに代わってお願いします」
「⋯⋯はい。 お二人は王子稲荷の境内にある幼稚園の同級生、幼なじみでいらっしゃいました。しかし、小学校に上がる時に麻里子さんが引越して、長い間交流が絶えていたんです。それが三年前、王子の大晦日のお祭り『狐の行列』の参加者同士として運命的な再会をしました。そしてこの春、めでたくご婚約なさったんです⋯⋯」
 正面のお二人に、私は満面の笑顔を向けた。
 江戸時代、関東全域のお稲荷さまの御使い狐たちが王子に集まり、村の入り口の榎の下で正装に着替えて王子稲荷さまに新年の挨拶をしに行った……そんな伝説をもとに、昔、その榎の木があったという王子駅の東側「装束稲荷神社」から、駅西側の「王子稲荷神社」まで、狐の扮装をした人たちが提灯の明かりを灯して行列する『狐の行列』。
 自分たちのふるさと、再会した大切な場所に近くて、ご両親がすでに亡くなっている麻里子さんのためにアットホームな式を挙げたい――それが伸一さんのご希望だった。
 だから私は「ここしかない」──そう思ったのだ。
 あれ?──私は少し戸惑った。
 伸一さんはさっきまでと同じように穏やかに微笑んでくれている。
 麻里子さんも同じくうつむきがちにティーカップを眺めている。
 けれど、その表情にはそれまでとは少し違った妙な寂しさ、わずかな悲しみの影の様なものが加わっていた。
 何かまずい事、また言っちゃった?
 とりあえず話題を変えよう──
「⋯⋯そうそう咲耶さん、麻里子さんは最近フラワーアレンジメントをご趣味で始められたんです。結婚式に、新郎様のご実家のお庭に咲いているお花を使ってブーケを作る──そんな素敵なアイディアを、麻里子さんは思いつかれたんですよ。この洋館の雰囲気に合うかどうか、今日は見本を作って来て下さったんですよね? よかったら、そのブーケを見せて下さいませんか?」
 麻里子さんは隣の伸一さんの顔をちらりと見上げ、脇に置いた紙袋からそっとブーケを取り出した。
 小さなブーケは、白、ピンク、ブルー⋯⋯いろんな色と形の花が、バランスの良い球形に綺麗にまとめられていた。
 咲耶さんは微笑みながら、テーブルの上のブーケに指を伸ばした。
「こんな素敵なブーケ、お花屋さんに頼んでもなかなか作ってもらえませんよ」
「⋯⋯��りがとうございます」
 咲耶さんの明るい声に心ほぐされたのか、麻里子さんと伸一さんの表情にわずかな明るさが戻る。
 お花の一つ一つを指さしながら、咲耶さんはリズミカルに言葉を刻んだ。
「千鳥草に矢車草、白妙菊、そして、孤の手袋⋯⋯」
 スズランの様に茎から垂れ下がる細長いピンクの花、『狐の手袋』と言ったその花を指さした瞬間、麻里子さんと伸一さんの口元から笑みが消えた。
「──狐の手袋。学名、ジギタリス。小動物の指サック、手袋みたいな形だから、そんな可愛らしい名前が付いたんでしょうね。⋯⋯けど、この植物には毒があるから、くれぐれも気を付けて下さいね。もしこの葉っぱを食べちゃったら、めまいや幻覚を起こして、場合によっては命にも関わる⋯⋯」
 言葉を区切った咲耶さんと野見山さんカップルの間に、なんとなく奇妙な空気が流れ始める。
〈私〉「⋯⋯まぁ、前置きのお話はこれくらいにして、さっそく、本題のお話を始めましょう。こちらの洋館をお借りして、このダイニングルームで五十名様規模の式を挙げるとすると⋯⋯」
 その時咲耶さんが、穏やかな眼差しで私の目をじっと見つめて言った。
「あなたのお仕事の目的は、お二人の素敵な結婚式? それとも、お二人の素敵な結婚?」
 咲耶さんの言葉の意味がよくわからず、私はしばらく考え込んだ。
「⋯⋯素敵な結婚式をプランニングするのが私のお仕事ですけど、一番大切なのは、もちろんそれから先、お二人の幸せなご結婚生活に決まっています」
「そうよね」
 正面のお二人に顔を向けてにっこりと微笑んでから、咲耶さんは言葉だけを私に向けた。
「その目的を果たすためには、結婚式のプランのお話の前に、ちゃんと考えなきゃならない事があるんじゃないかしら⋯⋯」
 正面のお二人に、咲耶さんは言葉の舵を切り替える。
「私、昔から少しおせっかいな性分なんです。だから、ここの仕事でも『なんでも担当者』になっちゃって⋯⋯。 もし差支えなければ聞かせて下さらないかしら? お二人のご結婚と『きつね』。そこに一体、どんな問題が起こっているのか──」
   3
 しばらくして伸一さんは深いため息をつき、まるで独り言のように小さな声で言った。
「いや⋯⋯お話しするのもはばかられるような、馬鹿げた話なんです⋯⋯。怪文書というか、何というか⋯⋯変な手紙が先週僕の実家に届いて、それから、少し奇妙な出来事が⋯⋯。僕たちの結婚に反対するような内容に、何かの葉っぱの恨みがどうの──っていう、よく解らない和歌が添えられて⋯⋯」
 神妙な様子で、伸一さんは口を閉じた。
 麻里子さんも、その隣で黙ってうつむいている。
 背後の大きな窓から差し込む晴れやかな初夏の光が、お二人の顔に一層深い影を作っているかのようだった。
「こいしくば たずねてきてみよ いずみなる しもだのもりの うらみ くずのは」
 伸一さんと麻里子さんはハッとした様子で顔を上げ、目を丸くして咲耶さんを見つめた。
「それです! その歌です! ⋯⋯でも、どうして、それが?」
「これは『葛の葉』という歌舞伎に出てくる和歌なんです。人間の女性に化けた狐、『葛の葉』が主人公のお話。だから、これかな、と思って⋯⋯」
 麻里子さんに視線を向け、咲耶さんは続けた。
「ちなみに、ここで言う『うらみ』は怨念とか復讐とか、そんな意味の『恨み』じゃなくて、子供と別れなければいけなくなった母親の『未練』という意味の古語なんです。そして、この『うらみ』という言葉には、『葛の葉』が障子に書き残した和歌を『裏から見るように』という意味も掛かっている──」
 麻里子さんは驚いた様子で伸一さんと顔を見合わせた。そして、とても深刻な表情を咲耶さんに向けた。
「裏から見る⋯⋯というのは、どうして⋯⋯なんでしょうか?」
「狐に憑かれた女性は鏡文字、つまり、左右反転した逆さ文字を書くという俗信が、昔の日本にはありました。だから、『葛の葉』役の役者さんは筆を口に咥えたり左手で持ったりしながら、鏡文字でその和歌を障子に書く。それが、このお芝居の一番の見せ場なんです。まぁ、『葛の葉』は狐憑きではなくて狐の変化(へんげ)ですけど⋯⋯」
 麻里子さんも伸一さんも、茫然と咲耶さんの顔を見つめている。
 伸一さんは、隣のフィアンセに顔を向けた。
「麻里子、あんまり人に話す様なことじゃないけど、聞いてもらう意味があるんじゃないかと思うんだ」
 麻里子さんは深刻な表情でうなずき、咲耶さんと私の顔を交互に見つめた。そしてゆっくりと語り始めた。
「伸一さんの実家に届いた手紙は、私が小さい頃に亡くなった母について書かれた手紙だったんです。私の母は狐憑きだった。狐憑きの娘を家に入れると、伸一さんのお家に災いが起きるだろう──って」
「そんな手紙のせいで、お義母様はあんな調子に?」
「いいえ。それだけじゃないんです……。一昨日、ブーケ用のお花を選びに伸一さんのお家に行った時、使わせてもらった和室の障子の一面に、手紙に書かれていたのと同じ和歌が、部屋を離れている間に、墨で大きく書かれていました。どうして障子にあの和歌があんな方法で書かれていたのか、私には全く意味が解りませんでした。でも、今のお話を聞いて理解しました。その文字は、部屋の内側から読めるように書かれていたんです。つまり、桟のない障子の外側から、鏡文字で書かれていた──」
 麻里子さんは両腕で自分の体を抱きしめた。
「私の母が狐憑きだなんていう中傷、私は今の今まで、これっぽっちも信じていませんでした。⋯⋯けど、その和歌が子供と離れる未練の歌だと知って、鏡文字が狐憑きの特徴だと知って、もしかすると私のお母さんは本当に狐憑きだった……あの障子の和歌は、若くして亡くなったお母さんの霊が私に向けて書いたものだったのではないか──そんな風に、今は思っています。⋯⋯だから、狐憑きの娘の私は『狐の行列』で伸一さんと再会する事が出来た。そして結局、その呪われた運命のせいで私は伸一さんと結婚する事が出来なくなる──。これからも私は一人ぼっちで生きていかなきゃいけない──そんな悲しい運命が待っているのかも……」
 突然開け放たれた窓の外から雨粒が葉っぱを叩く音が聞こえだした。雨は降っているのに、空は青いまま──それは不思議な景色だった。
 これって……「きつねのよめいり」じゃない⋯⋯。
 狐憑きにまつわる中傷と奇妙な出来事のせいで苦しんでいる花嫁の麻里子さんに、まるで不吉な追い討ちをかけるような不思議な天気雨──「きつねのよめいり」という因縁めいた不思議な天気に不吉を感じない位に、麻里子さんと伸一さんは、今自分たちが置かれた状況にまいってしまっていた。
「ちょっとごめんなさい。⋯⋯窓、閉めますね」
 咲耶さんは席を立って、外に開かれた窓を閉じようと身を乗り出した姿勢で、ふと動きを止めて、窓の外、左斜め前の方角をじっと見つめた。 私は咲耶さんの視線の先を追う。
 洋館東側の芝生の庭から、南に向かって突き出した展望台―― 屋根のある四阿(あずまや)に雨を避けて駆け込んだ倫子夫人と制服姿の女子高生の姿が、そこには見えていた。
 派手な花柄のサマージャケット、紺色のブレザー。
 それぞれの服に付いたにわか雨の水滴を、ハンカチで払い落としていた。
 窓を閉じて席に戻った咲耶さんは、正面のお二人の顔をじっと見つめた。
「その手紙に、お母様が狐憑きだという具体的な根拠は書かれていたのでしょうか。」
「それは⋯⋯」
「麻里子のお母さんは逆さ文字を書いていたと、手紙には書かれていました⋯⋯⋯。念のため、その手紙も、障子に書かれた和歌も、タブレットで撮影しています。よかったら、ご覧いただけますか?」
「はい。見せて下さい」
「これが、その手紙です。⋯⋯麻里子、お二人に、読んでもらってもいいね?」
 伸一さんの言葉に、麻里子さんは黙ってうなずく。
「できれば、お二人にこんな話をした事は、母には内密にお願いします」
タブレットに写っていたのは、便箋に筆か筆ペンで書かれたごく短い手紙だった。
『近く野見山の家に嫁入りする花嫁は、逆さ文字を書く狐憑きの女が産んだ娘。大なりこまの子もまたなりこま、狐憑きの血が混ざれば野見山の家に災いが訪れるだろう』
 そして二枚目の写真には、同じ便箋の一面を埋めるような大きな文字で、さっき咲耶さんが諳んじた和歌が書かれていた。
『恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる  信太の森の うらみ 葛の葉』
 私は顔を上げ、咲耶さんに尋ねた。
「達筆⋯⋯なんですかね?」
「きっと達筆な人なんだろうけど、なんとなく、わざと筆跡をごまかしているような、不自然な運筆の部分があるわね。……ところで、麻里子さん、お母様は本当に、鏡文字を書いていらしたんでしょうか?」
 しばらく黙ってから、麻里子さんは消え入りそうな声で答えた。
「母の書いたもの……学生時代のノートを引っ張り出して見てみたら、確かに鏡文字で書かれている部分がありました⋯⋯。一冊のうち、ほんの数行でしたけど⋯⋯」
「そうですか。⋯⋯お母様は、どんな方だったんですか?」
「母は、私がまだ五つの時に乳癌で亡くなりました。⋯⋯だから、あまりはっきりした記憶はありません」
「何か、お仕事は?」
「美大に通っていた時に父と学生結婚をして、そのまま専業主婦をしていました」
「大学では、どんな勉強をなさっていたんでしょう?」
「三峰先生という偉い先生のもとで、ケンポンという絵を勉強していたと聞いています。⋯⋯学生の中でも一番将来を期待されていたのに、自分と結婚したばかりに何も残すことなく早死にさせてしまった──三年前に死んだ父は、いつも悲しそうに話していました⋯⋯」
 両親の不幸を自分たちに重ね合わせるかのように、麻里子さんは悲しげな視線を隣の伸一さんに向けた。
 伸一さんもまた、何ともいえない悲痛な表情でフィアンセの眼差しを受け止める。
「今日、何かお母様がお書きになったものなんて、お持ちではないですよね?」
「はい…。こんなご相談に乗ってもらえるなんて思ってもいませんでしたので⋯⋯。わかっていれば、そのノートを持って来たんですが。あっ、ノートを探した時に出てきた、母が鉛筆で描いた小さな絵なら持っています。⋯⋯でもそんなのじゃ、お役に立ちませんよね?」
「いえ、見せていただけますか?」
 麻里子さんは脇に置いたバッグの口を開き、パスケースを取り出した。開いたパスケースの内側、プラスチックの写真入れの部分に入った一枚の小さな絵をそっと取り出し、私たちの前に差し出す。
 古びた名刺サイズの紙には蜜柑が一つ、ぽつんと…鉛筆書きのデッサンで描かれていた。
 咲耶さんは、じっと、その絵を真剣に見つめ続けている。しばらくして顔を上げ、伸一さんに言った。
「障子の写真も、見せていただけますか?」
「はい。……これが、その写真です」
 伸一さんが示したタブレットの画面には、室内から撮影された和室の障子が写っていた。
 夕方ぐらいだろうか、柔らかい日差しを背後から受けたその障子には、さっき見た手紙と同じ和歌が、手紙とほぼ同じ筆跡で、墨と筆を使って大きく書かれていた。
 よく見てみると、確かに、室内側の白木の桟に邪魔されることなく、その文字は平らな裏側から鏡文字で書かれているようだった。
 黙って写真を眺め続けてから、咲耶さんは麻里子さんに顔を向けた。
「この時の状況を、詳しく教えてください」
 麻里子さんはコクリとうなずき、口を開く。
「一昨日の夕方五時頃、私は伸一さんのご実家にお邪魔したんです。お庭に面した和室に荷物を置かせてもらって、私は伸一さんと一緒にお庭でブーケ用のお花を選んでいました。その時に、うっかり、からたちの枝で腕に切り傷を作ってしまって、和室の隣のリビングルームでお義母さまに応急手当てをしてもらったんです。それからしばらくして和室に戻ったら、障子があんな事に⋯⋯」
 麻里子さんは両手で自分の腕を抱いた。
 今まで気がつかなかったけれど、白いワンピースに羽織ったベージュのカーディガンの袖口から包帯らしきものがほんの少しのぞいていた。
「⋯⋯じゃあ、お二人がお庭を離れて和室に戻るまでの間に、誰かがそんないたずらをしたという事ですね。お庭を離れて和室に戻るまでの時間はどれくらいでしたか?」
「そんなにはかからなかったと思います。長くて、十四…五分⋯⋯といったところでしょうか」
「その間、お母様は?」
「麻里子の傷の手当を少し手伝ってから、なんとなくよそよそしく、僕と麻里子の様子を眺めていました。その前々日に例の手紙が届いて、母は僕らの結婚に否定的な事を言い始めた頃でしたから⋯⋯。そのあと、あの障子を見て、母は完全に結婚に反対するようになってしまい、それで今日もあんな調子で⋯⋯」
「妹さんも反対一派なんですか?」
「いえ、真琴と僕は仲が良いので⋯⋯。きっと、母の様子を心配して付いて来てくれたんだと思います」
「なるほど。そうですか──。庭に面した和室とリビングルーム、その他の間取りはどうなっているんでしょう?」
「玄関から延びる廊下の突当りのドアを入るとリビングがあって、その廊下の右手に和室が二つ。例の和室はリビングに近い方です。廊下を挟んでその向かい側には、玄関の方からお手洗いと浴室、そして、父の趣味のオーディオルームがあります。二階は両親と僕、妹、それぞれの寝室になっています」
「なるほど。⋯⋯ちなみに、お父様の音楽のご趣味は?」
「オペラ⋯⋯のようですが、それが、何か?」
「⋯⋯いいえ、大したことではありません。けど、今のお話でおおよその事は解りました。ご家族に事情をご説明したいので、申し訳ありませんがお母様と妹さんを呼んできて下さいませんか?傘は玄関ホールの傘立ての傘をお使いください」
「おおよその事……? それは一体、どういう事なんでしょう?」
 テーブルの上に身を乗り出す伸一さんに、咲耶さんは困ったような微笑みを浮かべて見せた。
「あの…出来れば、お母様と妹さんのお二人とお話がしたいので、呼びに行った替わりに、伸一さんと麻里子さんは少し四阿(あずまや)でお待ちいただけませんか? あの四阿は、この洋館と斜面のバラ園、坂の下の日本庭園――ここのすべてが見渡せる、唯一のビュースポットなんですよ。しばらくの間、お二人はきれいな景色でも楽しんでいて下さい。あと、麻里子さん、お母様の絵、少しの間お借りします」
 不安げな様子のお二人に向かって、咲耶さんはにっこりと微笑んだ。
   4
「とんだ狐の嫁入りね──」
 さっきまで麻里子さんが座っていた席に座り、倫子夫人は忌々しそうに背後の窓の外を眺めた。
 窓の外ではまだ天気雨が降っている。
 四阿の中には、麻里子さんと伸一さんが並んで立つ姿が見えている。
 夫人は咲耶さんに視線を戻した。
「で、お話って? 私はあの二人がここで結婚式を挙げる事に賛成している訳ではないですから、あなたとお話しする事は、特にないと思うんだけど」
 隣に座った妹さんが、横を向いて小さな声で言った。
「やめなよ、そんな言い方」
「真琴は黙ってなさい。⋯⋯で、お話というのは?」
「おせっかいな事は承知しています。しかし、先ほどお二人からお話を聞かせていただいて、いくつか気付いた事があったものですから⋯⋯。まず、麻里子さんのお母様が逆さ文字を書いていた――という手紙の一文の真偽」
「あの子、そんな話まであなたにしたの? 赤の他人に、まぁ、ベラベラと⋯⋯」
 夫人は憎々しげに四阿の方に視線を向けた。
「赤の他人だからこそ、客観的に物事を見られる場合もあります。⋯⋯その手紙の一文は、どうやら事実だった様ですね。その昔、通常では理解し難い不思議な現象を『神懸かり』や『憑き物』と定義して、人々はその謎を受け入れていました。けれど、現代の、科学的・医学的見地から考えれば、例えば解離性同一性障害やてんかんの発作など、そのほとんどには合理的な説明がつくはずです。⋯⋯もちろん、私はその分野の専門家ではありません。ですから、それらの状態がそれぞれ医学的に何と言うのか、細かな説明をする事は出来ません。しかし、手紙に書かれていた現象『逆さ文字を書く』つまり『鏡文字』については、私の専門分野とも少し関係がある事なので、ある程度ご説明する事が出来ると思います」
 咲耶さんの正面で、夫人と妹さんは真顔で黙り続けている。
「鏡文字を書いた事で知られる有名人は『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロル、相対性理論のアインシュタイン、そして、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ。⋯⋯才能豊かな人たちばかりですね。なぜ彼らは鏡文字を書いたんでしょう? 彼らは『狐憑き』だったんでしょうか?⋯⋯もちろん違います。現代医学において、そういった症例は『ディスレクシア』という学習障害の一つだという事が広く認識されています。脳への言語的な入力、出力、そのそれぞれに、人とは違った特徴が見られる状況を、現代医学ではそう定義します。今、挙げた人たちは『出力』に特徴がある場合です。『入力』に関するディスレクシアは、例えば、知能には何も問題がないのに、書かれた文字だけはどう頑張っても読む事が出来ない──俳優のトム・クルーズは、自分がそんなタイプのディスレクシアだと、堂々と公表しています」
「それは、いわゆる精神病の一種⋯⋯なの?」
「いいえ、そうではありません。学習障害は、脳の使われ方が他の人と『少し違う』という、ただそれだけの事で、病気や異常という訳ではないんです。それを証拠に、今、例に挙げた人々はみんな才能豊かで、ある意味『天才』と呼ばれるようなタイプの人たちです。もちろん、ディスレクシア=天才、と短絡的に考えるような事でもありませんが⋯⋯。しかし、鏡文字を書くディスレクシアの人たちには、ある共通する傾向が見られるそうです。それは──」
 咲耶さんは左の掌を自分の顔の横に持ち上げて見せた。
「鏡文字を書く人は、圧倒的に左利きの場合が多いという事。そして、左利きを右利きに矯正しようとした場合に、文字が逆さまになってしまう事が多いという事──。そこにある絵は、麻里子さんのお母様が、むかし描かれた絵だそうです。⋯⋯蜜柑の後ろに描かれた影を見て下さい。鉛筆を斜めに動かして描いた影、その方向に注目して下さい。左上から右下、そして左上⋯⋯筆跡はそう動いています。この線の動き方は、左利きの画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの描く影の線の動き方と共通しています。つまり、麻里子さんのお母様は左利きだった可能性が高いのではないかと……」
 正面の倫子夫人の目をじっと見つめ、咲耶さんは言葉を続けた。
「もちろんこれは、そういった可能性がある──という私の推測に過ぎません。しかし、『狐憑き』と『ディス��クシア』 どちらの見方で『鏡文字』という不思議な現象を捉えるのか、現代人の私たちの選択は自ずと決まっているはずだと、私は思います」
 咲耶さんは言葉を結んだ。
 しばらくの間、ダイニングルームに沈黙の時間が流れる。
 窓の外、天気雨がバラの葉を打つ音だけが、小さく私の耳に聞こえ続けた。
 部屋の沈黙を破ったのは倫子夫人の不服そうな声だった。
「⋯⋯その件については解ったわ。けど、あの障子の文字はどうなのよ? もともと鏡文字が書ける人間じゃなきゃ、短い時間で、あんなきれいに鏡文字を書く事なんて出来ないはずでしょ? 麻里子さんのお母さんの幽霊が書いたなんて、さすがに私もそんな事は言わないわ。でも、どこかの誰かから悪意のある怪文書を送られて、その上、うちの家にあんな不気味な嫌がらせをされる娘さんを、私は自分の大事な息子の花嫁に迎えたくないのよ⋯⋯。子どもの将来を大事に思う親の気持ちは、あなたにとやかく言われるべき問題ではないはずよ」
「お母様のお気持ちは、解るつもりです。 けれど、障子の一件は『悪意のある嫌がらせ』なんかじゃなくて、大好きなお��ちゃんを他人に取られるのが少し寂しかった──そんな思いが原因の、ちょっとしたいたずらに過ぎなかったんじゃないかと私は思っています。⋯⋯ね? 真琴さん」
「あなた、一体何を言い出すの? うちの娘は左利きでもないし、鏡文字なんて今まで一度も書いた事がないわよ。馬鹿な事を言わないで頂戴!」
 茫然とする妹さんの隣で、夫人は我が子を庇うようにまくしたてた。
 夫人の剣幕に臆する事なく、咲耶さんは妹さんに穏やかな視線を向けた。
「⋯⋯国立劇場の『高校生のための歌舞伎講座』今年の演目はたしか『芦屋道満大内鏡(あしやどうまんおおうちかがみ)』 つまり、『葛の葉』。きっと、学校行事のその舞台を、ちゃんと真面目に見ていたから、あの和歌の意味が解って、それで、障子にあんないたずらをする事を思いついた⋯⋯」
「だから、うちの娘は鏡文字なんて書かないって言ってるでしょ!」
 夫人に向き直り、咲耶さんは静かに、ゆっくりと言った。
「誰でも障子に鏡文字が書ける条件が、野見山さんのお宅にはそろっていたんだと思います。―おそらく、一階のオーディオルームには、オペラ鑑賞用のビデオ・プロジェクターがあるんじゃないでしょうか?」
「それは、確かにあるけれど⋯⋯。それが、どうしたって言うのよ⋯⋯」
 言いながら、夫人は隣の娘にゆっくりと顔を向けた。妹さんは何も言わず、青ざめた顔を下に向けている。
 咲耶さんは、妹さんに視線を向けた。
「携帯かデジカメで撮影した手紙を、向かいの部屋の障子にプロジェクターで映写する。それを外から筆でなぞる⋯⋯。そうすれば、誰にでも、短い時間で手紙と同じ筆跡の鏡文字が書けるはずです。そんな事が出来るのは、プロジェクターの存在を知っていて、家の中から操作ができるご家族以外にはありえない──」
「真琴⋯⋯あなたがやったの?」
 しばらく黙り続けてから、妹さんは小さな声で「ごめんなさい」と応えた。
「なんて馬鹿な事を! じゃあ、あの手紙も、あなたが⋯⋯」
〈咲耶〉「それは違います。怪文書を書いた、麻里子さんのお母様のディスレクシアを知っていた人物。そして、障子に落書きをしてしまった真琴さん──。それぞれのちょっとした悪意と出来心が重なって、思いがけず大きなダメージを麻里子さんと伸一さんに与えてしまった──今回の一件はそんな不幸な出来事だったと、私は思っています」
「じゃあ誰が、どうしてあんな手紙を? それがはっきりしない限り、私はとても安心できないわよ⋯⋯」
「手紙には『大なりこまの子もまたなりこま』という一文がありました。『なりこま』というのは歌舞伎役者の屋号『成駒屋』。『大成駒』というのは玉三郎以前、戦後の歌舞伎界最高の女形として君臨していた六世中村歌右衛門、
その人個人を指す屋号です。⋯⋯例の一文はおそらく、歌舞伎の芸の血筋のように、狐憑きもまた親から子へと受け継がれる──そんな意味を表現しようと、大成駒の『葛の葉』の芸をイメージしながら書かれたものだと思います。歌右衛門が亡くなったのは、十四、五年前。高校生の真琴さんが手紙の主でない事ははっきりしています」
 倫子夫人の目を、咲耶さんはじっと見つめた。
「怪文書の筆跡を誤魔化さなければならないほど、野見山さんご一家に近い人物。ご自身とお嬢さんの結婚が失敗し、親戚の幸せが妬ましく見えてしまった人物。歌舞伎を画の題材にする事もあり、歌右衛門を当然知っている人物。そして、麻里子さんのお母様とも知り合いだった可能性が高い人物……。ご親戚の日本画家、野見山冴子さんが手紙の送り主なのではないかと、私は推測します」
 しばらくの間、倫子夫人は黙って咲耶さんの瞳を見つめ続けた。
「まさか、冴子さんが⋯⋯。お金にも、名誉にも恵まれているあの人が、どうして⋯⋯?」
「人の幸せ、人の嫉妬の理由はそれぞれです。もしかすると、麻里子さんのお母様の才能や人生に対する複雑な感情⋯⋯というものも、そこにはくすぶり続けていたのかもしれません」
 夫人は問いただすような視線を咲耶さんに向けた。
「義姉と麻里子さんのお母さんが知り合いかもしれないというのは、どうして?」
「麻里子さんのお母様は、三峰禎造先生の門下で、絹本の勉強をなさっていたそうです。野見山冴子さんも、たしか三峰門下だったはず──。狭い日本画の世界、同門のお二人が大学で友人同士だった可能性は低くないと思います。在学の時期を確認してみなければ、はっきりとした事は言えませんが⋯⋯」
 曖昧に言葉を結んだ咲耶さんの顔を、倫子夫人はじっと見つめた。
「確か、麻里子さんのお母さんと義姉は、同い年だわね⋯⋯」
 それから、ぼんやりと宙を見ながら、夫人は小さな声で言った。
「真琴、どうしてあんな事を⋯⋯?」
 深々と俯き、妹さんは今にも泣き出しそうな声で答えた。「そのお姉さんが言った通り」と……。
 ダイニングの高い天井を見上げ、夫人は呆然と言った。
「麻里子さんに、悪い事をしたわね。⋯⋯お母さんと一緒に、麻里子さんにちゃんと謝りましょう」
 下を向いたまま、妹さんはコクリとうなずいた。
 解決、したのかな──?
 私は胸をなでおろしかけた。
 しかし次の瞬間、それまで気の抜けたようになっていた夫人の顔に、突然険しい表情が浮かび上がった。
 混乱、苦悩、戸惑い──そんな感情がごちゃ混ぜになったような、まるで何かに取り憑かれたような何ともいえない表情を浮かべ、夫人はすがるような眼差しを咲耶さんに向けた。
「私、これからどうすればいいの⋯⋯? 義姉からはつまらない嫌がらせをされる。娘は軽はずみないたずらをする。そして私まで、麻里子さんに散々バカな意地悪をしてしまった──。伸一にはもったいないくらい、麻里子さんが良いお嬢さんだって事、私、ちゃんと判っていたのよ⋯⋯。これからは私が、ご両親の代わりにあの娘を守ってあげなきゃならないって、ちゃんとわかっていたのよ⋯⋯。なのに、浅はかな私たちが、寄ってたかって二人の間にケチをつけてしまった。せっかくの息子の良縁を、母親の私が壊してしまった⋯⋯。あの子に、これから私、どうやって顔向けすればいいの⋯⋯」
 言い終えると同時に、夫人の両目から滝のような涙が溢れ出した。
 さっきまで俯いていた妹さんは、驚いた様子で母親の顔を見上げている。
 咲耶さんは何かを考え込む様に、真顔で夫人の顔を見つめている。
「やっぱり狐のせいよ! 私たち、きっと狐に憑かれていたのよ。冴子さんも、真琴も、私も⋯⋯。そして麻里子さんのお母さんも、もしかしたら、麻里子さんも⋯⋯」
 悲鳴の様な叫び声を上げ、夫人はテーブルの上に突っ伏した。
 駄々っ子のように首を左右に振りながら、夫人は叫び続けている。
 こんな風になってしまった女の人を、もしかすると昔の人は『狐憑き』だと思ったのかもしれない──。
「狐に憑かれているかどうか、見極める方法がありますよ」  咲耶さんの声で、徐々に倫子夫人の嗚咽は収まり、部屋は静けさを取り戻してゆく。
 しばらくして夫人はゆっくりと顔を上げた。その頰には、涙の流れに沿ったアイラインの筋が出来ている。
 まるで無心の子供のように、倫子夫人は咲耶さんの瞳を見つめた。
 夫人の瞳を見つめ返し、咲耶さんはゆっくりと言葉を繋いだ。
「江戸時代のとある文献に、女性が『狐憑き』や『狐の変化(へんげ)』かどうかを見破る方法として紹介されているお話があります。⋯⋯雨の中遠目に見て、もし、着物の柄が異常なまで派手に、はっきり見えたなら、その女性には狐の因縁がある──と。窓から、四阿にいる麻里子さんの姿が見えるはずです。雨の中遠目に見て、麻里子さんの服の柄がはっきりと派手に見えるかどうか、お母様ご自身の目で確認してみてはいかがでしょう?」
 咲耶さんの言葉に従うように、夫人は黙って椅子から立ち上がり、呆けた様子で窓際に進んだ。
 咲耶さんも静かに席を立ち、夫人の方へと歩いてゆく。私も立ち上がり、咲耶さんの後を追って窓際へと進んだ。
 窓の外の景色を見て、私は思わず声を上げてしまった。
 四阿の下、伸一さんと手を繋いで空を見上げている麻里子さんの後ろ姿──。
 白いワンピースとベージュのカーディガンは、当然、これっぽっちも派手には見えなかった。
 私が思わず声を上げて見とれてしまったたもの⋯⋯それは、お二人が見上げる空の向こう、まだ天気雨が降っている青空に浮かんだ、とても綺麗な七色の虹だった。 〈私〉美しい虹が、私たちの正面の空高くに浮かび上がっていたんです……。
 まるで、手を取り合って雨や嵐の困難を乗り越えてゆこうと決意するお二人を祝福するかのように──。 「⋯⋯きつねの、よめいり」  窓の外を眺めながら、咲耶さんは静かに言った。
「偶然の条件が重なって降る、ミステリアスな天気雨。⋯⋯そんな雨が降ったからこそ、あの美しい虹は生まれました。失敗も、過ちも、後悔も、涙も──
もしかしたら、より美しい未来にたどり着くための貴重な回り道なのかもしれませんね」
 黙って窓の外を眺め続ける夫人の姿が、窓ガラスにうっすらと映っている。
 母親の横に静かに近寄る妹さんの姿が、その隣に映る。
 妹さんがそっと差し出したハンカチを受け取り、倫子夫人は頬を拭きながら小さな声で言った。
「ありがとう⋯⋯。 真琴、二人を呼んできてくれないかしら?」
 ダイニングルームに戻った野見山さんカップルの姿を、しばらく黙って眺めてから、遠慮がちな様子で倫子夫人は言った。
「お母さん、結婚式の会場は、絶対ここがいいと思うんだけど⋯⋯。二人は、どうかしら?」
 野見山さんカップルは目を丸くして夫人の顔をまじまじと見つめた。
 狐につままれたような顔──お二人の表情は、まさにそんな風だった。
「僕は、こんな良い場所は他にはないと思うけど⋯⋯いいのかい?」
 穏やかな表情でうなずき、夫人は麻里子さんに体を向けた。
「麻里子さんは、どうかしら?」
「⋯⋯お義母さまもここを気に入って下さったなら、私は、本当に嬉しいです」
「そう⋯⋯良かった」
 そう言って微笑んでから、夫人は神妙な表情を浮かべた。
「あなたたちの幸せを一番に守ってあげなきゃいけないはずの私が、下らない事でうろたえてしまって、本当にごめんなさい。……麻里子さん、あなたには改めて家族と一緒にお詫びしなければいけない事があるけれど、まずは私の愚かさを、どうか許して頂戴」
 深々と頭を下げる夫人に、麻里子さんは恐縮した様子で応えた。
「許すだなんて、そんな⋯⋯。私こそ、ふつつかものですが、末永く、どうかよろしくお願いします」
 麻里子さんと互いに深く頭を下げあった後、夫人は私と咲耶さんに体を向けた。
「今日は散々失礼な態度をとってしまって、本当に申し訳ありませんでした。どうか許して下さい。そして、この二人の幸せのために、これからも、あなたたちの力を貸して下さい」
 姿勢を正して頭を下げる夫人に、私は慌てて頭を下げ返した。
「ありがとうございます! 精一杯、務めさせていただきます!」
「最善を、尽くさせていただきます──」
 頭を上げた私の目の前、幸せな様子で並ぶご一家の姿があった。
 ほっとした様子で見つめ合う野見山さんカップル。
 なんとなく気まずそうにしながらも、確かな祝福の眼差しをお兄さんたちに向ける妹さん。
 そして、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情になった倫子夫人──。
 良かった……。
 私はほっと胸をなでおろし、隣の咲耶さんに顔を向けた。まるで親戚のお姉さんのように、咲耶さんは笑顔で野見山さんご一家の様子を眺めている。
「──咲耶さん、本当にありがとうございます」
「ん? なあに?」
 どうしてお礼を言われたのかわからない──そんな様子で首をかしげ、咲耶さんはにっこりと微笑んだ。
   《おしまい》
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grandsasion33oxo · 3 years
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🏠 一条オリジナルダイニングテーブル  一条工務店が作ったダイニングテーブル試作に出会ってました。 まだまだ研究の段階で発表の予定はないそうです。(言うの半年以上我慢してたけど、ここにきて言っちゃったテヘ)  将来的に一条家具が販売される日が来るかもしれませんね♪ 現にテレビボード販売されていますし♪  グランセゾンのテイストに合う家具を見つけるのなかなか難しいので、ぜひオリジナル家具を展開して欲しいです(熱望)✨  【 要望 】 もし将来的に家具が商品化されますなら、 長さや幅やカラーをオーダーしたい❗️  ダイニングテーブルは伸縮式で 180→270cmに伸びるテーブルほしいなぁ。 グランセゾンおうちに友達親戚招きたい😊 2コマ→3コマに伸びる(または合体して大きくなる)テーブル見かけないから是非作って欲しいです🎵  椅子はベンチタイプ背もたれあり、なし。 椅子タイプ肘掛けあり、なし。 なども選びたい🎵  一条工務店さん❗️ 家具部門どうぞよろしくお願いします❗️   #加平展示場 #グランセゾン #一条工務店 #グランセゾン展示場 #みてみて一条 #ダイニングテーブル (環七・加平ハウジングギャラリー) https://www.instagram.com/p/CLHLyHzgoWt/?igshid=14c5ephe1rc9
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ldbt · 3 years
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満月の夜に
  玄関の小上がりにしゃがみこんで、立ち上がって、屈伸運動。そのたびに、背中のマントが床に当たってぱさ、ぱさ、と音を立てる。10分くらい前に駅に着いたと連絡がきたから、もうすぐ帰ってくるはず。
 屈伸中に、ふと、スリッパ立てにいる灰色のスリッパと目があった気がした。
 あの人は家を出るとき、いちいち毎回そこへしまっていくのだ。曰く,あるべきところに収まっているのは心地よい、とのこと。そう言われると、当然、じゃあ俺も真似しようかな、となる。出掛けるときの、ほんのちょっとだけのひと手間。でも今のところ、忘れる確率のほうがずっと高い。
 どうしてかな、明日からはきっと、同じようにしよう、と決意を新たにする。
 ちなみに彼はといえば、そんな俺を見ても、眉をひそめたりはしない。決まりごとではないから、と。そういうところ、北さんらしいな、と思う。ルールとかマナーにはうるさいけれど、それ以外には案外、鷹揚な人だ。
 並べておいてあげよ。スリッパを手にもって、床に並べる。そのとき急に、鍵を差しこむ音と、ドアの開く音がきこえて、慌てて手を広げた。
「北さん、トリクオアトリート!」
 噛んだ。
 帰宅した北さんは、ちょっと驚いた顔を見せた。他人から見たら、真顔のままと思われるだろうけど。よく見ると、ちょっと、ほんのちょっとだけ、目が見開いているのだ。これは多分、実家の家族以外で判別できるのは、ごくわずか。俺と、治と、当時の三年生。あとは監督と、スナと銀はどうかな、って、けっこう皆知ってるな。
 仕切りなおそう。
「トリックオアトリート!おかえりなさい!」
 ちょっと怖い声を出してみる。なんといっても今日は、ドラキュラに変身した俺なのだ。
「…おお。ただいま。驚いたわ」
 やった、とガッツポーズをしてるあいだに、用意したスリッパに気がついて「ありがとう」と言ってくれた北さんは、ドラキュラを置いてさっさと洗面所へ歩き出した。
 もちろん、後ろから着いていく。手にしていた大きな紙袋は、受け取っておく。北さんは、ジャケットとネクタイを脱いで、丁寧にクリーニング用の袋にしまう。そうしてから、せっけんで手を洗って、がらがらとしっかり三回うがいをして、鏡越しに、俺のツノを���認した。そうそう、気になるでしょう?
 キッチン兼ダイニングまでくると、北さんが持ち帰ってきた紙袋の中から紅白のまんじゅうを手渡してくれた。
「ほれ、菓子」
「わ、白あんとふつうの? 北さんどっちがいいです?」
「好きなほうでええよ」
「じゃ、茶淹れますね!」
 ♢♢
「その格好のまま食うん?」
「せっかくだから、風呂まではこれでおりますわ」
「せっかくの意味がわからんな」
 ダイニングテーブルについて、緑茶とまんじゅうを囲んで、ふぅとひと息。窓の外は、すっかり茜色。
「けっこう、気合いはいった衣装やん。どうやった?」
 北さんが、頭にあるツノと衣装を、物珍しそうに眺めた。
 それが嬉しくて、ツノのカチューシャを外して差し出した。でも、「ベタベタなるやんか」と受け取ってくれなかった。そして、さらにウェットティッシュを寄越す。手を拭けと。拭きますよ。髪のワックスによってべたついたカチューシャは、置き場所もないので、頭に戻しておいた。
 白あんとふつうのを、半分こにして分け合った。皿の上でピンクと白のまんじゅうがくっついて、いびつな形になった。白あんのほうを持って口に入れる。うまい。
 北さんは、こういうものはなぜか両手で持って食べる。リスか、ラッコみたいだ。
「近所の子たちがわんさかきて、盛り上がりました。衣装は、週明け返します。そっちはどうでした?」
「うん、まあ、普通やな」
 今日は、ハロウィンであり、大安だ。俺はチーム主催の子供向けハロウィンイベント、北さんは知り合いの結婚式。せっかくの天気のいい休日だというのに、顔を合わせたのは朝ぶり。北さんのスーツ姿は、めったに見られるものじゃないから、それはいいけど。
「ハロウィンなんて、ちいちゃい頃はありませんでしたよね。おもろいけど、何の日なんかいまだに知りませんわ」
「外国の、どっかの地域のお祭りだったか、宗教の祭りだった気いする」
 ふうん、と答える。どっちだっていいからだ。それよりも、ハロウィンなんてものを、普通に受け入れてくれたことが気になった。
「北さんて、ハロウィン嫌がるかなあと思ったけど、案外そうでもないですね。由来もわからんイベントなんか、好きじゃなさそうなのに」
「嫌ではないよ。まあ、お前が理由もなくイベントに乗っかってきたら、面倒や思うけど」
「ひど」
「こどもたち喜ばしたいからやってんねやろ。ええやんか」
 北さんは、ずず、と茶をすすって、窓の向こうを見ながら目を細めた。
「……北さん、て、」
 こどもたち。
 目を細めて、なにを想像したのだろう。
「こども、欲しかったりします?」
 北さんがこちらを向いて、侑? とひとりごとのように小さくつぶやいた。俺は自然に尋ねたつもりだったけれど、どうも無意識のうちに、口がへの字に曲がってたみたいだ。
 これはけっこう、繊細な問題だった。ずっと気になってはいたけれど、あまり、そちら方面に突っ込んだことはない。なぜなら、欲しいと言われても、どうすることもできない。
 赤んぼの世話をする北さん。
 こどもと遊んでやる北さん。
 こどもの勉強を見てやる北さん。
 どれも、想像はたやすい。
 できない、から考えてもしょうがない、じゃなくて、 いつかは向き合わなければいけないはなし。
「養子? 正直、どっちでもええかな。でも家に専業がおらんと、厳しいらしいで」
「ええ、それ、いまどき厳しない?」
 ふつうに、のんびりとした口調で返されてしまったから、つい、素で聞き返してしまった。
 養子。そういう手があるのか。んで、共働きは、ダメ?
「そもそも結婚してない家庭は、申し込みもできんかったと思う」
「…はあ、厳しいのなあ」
 北さんと俺は、長いこと付き合っていて、お互いの家に挨拶もして、家族同然に、一緒に暮らしている。
 けれど、あくまで同然であって、本当の意味では、家族ではない。他人同士だ。
 うちは、一般的に想定されているような家庭からは外れている。それでも自分たちを取り巻く人たちは優しかったし、いやな目にも、遭ったことがない。それに昔は、認められるとか理解されるとか、そんなもの、されなくても構わないと思っていた。
 それでも、年齢を重ねて、ふたりでなにかをしようと考えたとき、それが制度とか、権利とか、法律に関わってくるとなると、途端にうまくいかなくなるのには、驚いたし、心を抉られた。
 小さなことも、大きなことも、そうしたことは、繰り返された。俺たちは、側を離れる気が髪の毛一本分たりともない。だから、諦めたり、ガマンするしかない。
 でもときどきは、海の底にいるみたいに気持ちが深く沈む日もあるし、ときには、オオカミ男みたいに、うぉーと叫びだして、暴れたくなるような日もある。
 またか、なんてためいきをつく俺に、北さんは、でもお前、欲しいとは思ってないやろ? と当ててくる。そりゃあね、北さんをひとりじめしたいし、積極的に欲しいわけじゃない。それをそのまま伝えれば、ふんわりと笑った。
「フツウの家も、ふたりで生きていくところもある。望んでも生まれない家もある。それに、俺は本当にどっちでもええねん。お前がいてくれたら、それで」
 夕飯に響く、さっさと食べろ。と言われて、残りのまんじゅうを一気に口に入れ、飲み込む。だから、胸が詰まったのは、きっとまんじゅうのせい。
「うちはハロウィンとか、イベントごとで他所んちの子可愛がったろ」
 ふっふ、北さんが笑う。俺もつられて笑った。
夕陽はいつのまにか沈み、月が浮かんでいる。他に星はない。満月だけが明るく空を照らす。
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ブログトピック 市場動向 家の修繕 最初の人 ユニークな家 ヒントとアドバイス 注目のポスト ヒントとアドバイスヒントとアドバイス / 物語 動き出すドルとセントは、多くの要因によって大きく異なります。 全文を読む ジルツール きれいなラインと明るいスペースを備えたこれらの家は、物事を最小限に抑えながらスタイルを最大化できることを証明しています。 素晴らしい。なめらか。きちんとした。シンプルでありながら洗練された8軒の家に目を楽しませてください。とても静かで、すぐに散らかってしまうかもしれません。 開放的で風通しの良い—上下左右 高い天井と中間色のパレットにより、このリビングルームは開放的で明るく感じられます。ミッドセンチュリーモダンカウチからシンプルなサイドテーブルまで、脚がむき出しになった家具がゆったりとしたスペースを演出します。大きな窓は、部屋を豊かな自然光で満たし、風通しの良い雰囲気を与えます。 白くて明るい木材のアクセント 3つのエジソン電球がこのキッチンの島の上にぶら下がっていて、キラキラしていてきれいな外観になっています。均一な白いキャビネットのスレートは、スペースを開放的できれいにし、ステンレス製の農家のシンクは外観を完成させます。バースツールからスライド式の納屋のドアまで、自然な木材のアクセントがキッチンを引き立てます。 清潔で新鮮、流れる 白い壁に立てかけられたこのシンプルなシックなバスルームは、身体と心を浄化するのに最適な場所です。この空間には、流れるような禅のようなデザイン要素があります。シャワーウォールとダブルスリッパタブは、近くの太平洋をPacificとさせるしなやかな外観をしています。 ミッドセンチュリーと21日の出会い 清潔でシックなこのダイニングルームは、シンプルさの夢です。モダンなシルバー色のシャンデリアは、黒と白のクラシックな背景にインスピレーションを与えます。堅木張りの床と天然木のダイニングテーブルは、散らかることなく暖かさを追加します。 ブラッシュトーンとゴールドのクラシックスタイル 鮮明な白い壁と大胆なグレーパネルの暖炉が、この明るいリビングルームを支えています。メタリックな脚のミッドセンチュリーモダンな家具がシンプルでシックな雰囲気を醸し出す一方で、淡い色合いのタッチがシンプルな美学を引き立てます。十字形のラグからモダンなサイドテーブルまで、きれいで幾何学的なラインが外観を完成させます。 自然へのうなずき 広々とした明るいシンプルなラインは、この家に心地よい環境を提供します。金色と銀色の照明器具が輝きを増し、バーカートが保管スペースを兼ねています。また、ピンチで混乱を隠し、物事を整理整頓する卑劣な方法です。 完全に配置されたパターン 寝室に注意散漫がない場合、睡眠は簡単になります。古典的な白い壁は心地よい視覚的な背景を提供し、パターン化されたラグはシンプルでシックなデザインを取り入れています。床から天井まで届く窓が空間を引き伸ばし、たっぷりと光を誘います。 高さの錯覚 三脚のランプから装飾的な木製のはしごや背の高い鉢植えの植物に至るまでの長い垂直線は、目を上に向け、スペースを大きく見せます。グレーとブルーのタッチは、中立的な空間にクールで落ち着いたトーンを加えます。 imageAngelika Piatek Photographyによるトップ画像。 関連: デザイナールックブック:Marc-Michaelsがスタイリッシュなミニマリズムを作成 シンプルなキッチンデザイン:きれいな外観とライン 1920年代の日本茶屋が禅の隠れ家に 当初は2018年1月に公開されました。 × ×
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yo4zu3 · 4 years
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やさしい光の中で(柴君)
(1)ある日の朝、午前8時32分
 カーテンの隙間から細々とした光だけがチラチラと差し込む。時折その光は強くなって、ちょうど眠っていた俺の目元を直撃する。ああ朝だ。寝不足なのか脳がまだ重たいが、朝日の眩しさに瞼を無理矢理押し上げる。隣にあったはずの温もりは、いつの間にか冷え切った皺くちゃのシーツのみになっていた。ちらりとサイドテーブルに視線を流せば、いつも通り6時半にセットしたはずの目覚まし時計は、あろうことか針が8と9の間を指していた。
「チッ……勝手に止めやがったな」
 独り言のつもりで発した声は、寝起きだということもあり少しだけ掠れていた。それにしても今日はいつもに増して喉が渇いている。眠気眼を擦りながら、キッチンのほうから漂ってくる嗅ぎ慣れた深入りのコーヒーの香りに無意識に喉がこくりと鳴った。
 おろしたてのスウェットをまくり上げぼりぼりと腹を掻きながら寝室からリビングに繋がる扉を開けると、眼鏡をかけた君下は既に着替えてキッチンへと立っていた。ジューという音と共に、焼けたハムの香ばしい匂いが漂っている。時折フライパンを揺すりながら、君下は厚切りにされたそれをトングで掴んでひっくり返す。昨日実家から送ってきた荷物の中に、果たしてそんなハムが入っていたのだろうか。どちらにせよ君下が普段買ってくるスーパーのタイムセール品でないことは一目瞭然だった。
「おう、やっと起きたか」 「おはよう。てか目覚ましちゃんと鳴ってた?」 「ああ、あんな朝っぱらからずっと鳴らしやがって……うるせぇから止めた」
 やっぱりか、そう呟いた俺の言葉は、君下が卵を割り入れた音にかき消される。二つ目が投入され一段と香ばしい音がすると、塩と胡椒をハンドミルで少し引いてガラス製の蓋を被せると君下の瞳がこっちを見た。
「もうすぐできる。先に座ってコーヒーでも飲んどけ」 「ん」
 顎でくい、とダイニングテーブルのほうを指される。チェリーウッドの正方形のテーブルの上には、今朝の新聞とトーストされた食パンが何枚かと大きめのマグが2つ、ゆらゆらと湯気を立てていた。そのうちのオレンジ色のほうを手に取ると、思ったより熱くて一度テーブルへと置きなおした。丁度今淹れたところなのだろう。厚ぼったい取手を持ち直してゆっくりと口を付けながら、新聞と共に乱雑に置かれていた郵便物をなんとなく手に取った。  封筒の中に混ざって一枚だけ葉書が届いていた。君下敦様、と印刷されたそれは送り主の名前に見覚えがあった。正確には差出人の名前自体にはピンと来なかったが、その横にご丁寧にも但し書きで元聖蹟高校生徒会と書いてあったから、恐らくは君下と同じ特進クラスの人間なのだろうと推測が出来た。
「なんだこれ?同窓、会、のお知らせ……?」
 自分宛ての郵便物でもないのに中身を見るのは野暮だと思ったが、久しぶりに見る懐かしい名前に思わず裏を返して文面を読み上げた。続きは声に出さずに視線だけで追っていると、視界の端でコトリ、と白いプレートが置かれる。先程焼いていたハムとサニーサイドアップ、適当に千切られたレタスに半割にされたプチトマトが乗っていた。少しだけ眉間に皺が寄る。
「またプチトマトかよ」 「仕方ねぇだろ。昨日の残りだ。次からは普通のトマトにしてやるよ」
 大体トマトもプチトマトも変わんねぇだろうが、そう文句を言いながらエプロンはつけたままで君下は向かいの椅子に腰かけた。服は着替えたものの、長い前髪に寝ぐせがついて少しだけ跳ねあがっている。
「ていうか同じ高校なのになんで俺には葉書来てねぇんだよ」
 ドライフラワーの飾られた花瓶の横のカトラリー入れからフォークを取り出し、小さな赤にざくり、と突き立てて口へと放り込む。確かにクラスは違ったかもしれないが、こういう公式の知らせは来るか来ないか呼びたいか呼びたくないかは別として全員に送るのが礼儀であろう。もう一粒口に含み、ぶちぶちとかみ砕けば口の中に広がる甘い汁。プチトマトは皮が固くて中身が少ないから好きではない。やっぱりトマトは大きくてジューシーなほうに限るのだ。
「知らねぇよ……あーあれか。もしかして、実家のほうに来てるんじゃねぇの」 「あ?なんでそっちに行くんだよ」 「まあこんだけ人数いりゃあ、手違いってこともあるだろ」 「ったく……ポンコツじゃねぇかこの幹事」
 覚えてもいない元同級生は今頃くしゃみでもしているだろうか。そんなどうでもいいことが頭を過ったが、香ばしく焼き上げられたハムを一口大に切って口に含めばすぐに忘れた。噛むと思ったよりも柔らかく、スモークされているのか口いっぱいに広がる燻製臭はなかなかのものだ。いつも通り卵の焼き加減も完璧だった。
「うまいな、ハム。これ昨日の荷物のか?」 「ああ。中元の残りか知らないけど、すげぇいっぱい送って来てるぞ。明日はソーセージでもいいな」
 上等な肉を目の前に、いつもより君下の瞳はキラキラしているような気がした。高校を卒業して10年経ち、あれから俺も君下も随分大人になった。それでも相変わらず口が悪いところや、美味しいものに素直に目を輝かせるところなんて出会った頃と何一つ変わってなどいなかった。俺はそれが微笑ましくもあり、愛おしいとさえ思う。あとで母にお礼のラインでも入れて、ああ、それとついでに同窓会の葉書がそっちに来ていないかも確認しておこう。惜しむように最後の一切れを噛み締めた君下の皿に、俺の残しておいた最後の一切れをくれてやった。
(2)11年前
 プロ入りして5年が経とうとしていた。希望のチームからの誘いが来ないまま高校生活を終え、大学を5年で卒業して今のチームへと加入した。  過酷な日々だった。  一世代上の高校の先輩・水樹は、プロ入りした途端にその目覚ましい才能を開花させた。怪物という異名が付き、十傑の一人として注目された高校時代など、まだその伝説のほんの序章の一部に過ぎなかった。同じく十傑の平と共に一年目から名門鹿島で起用されると、実に何年振りかのチームの優勝へと大いに貢献した。日本サッカーの新時代としてマスメディアは大々的にこのニュースを取り上げると、自然と増えた聖蹟高校への偵察や取材の数々。新キャプテンになった俺の精神的負担は増してゆくのが目に見えてわかった。
 サッカーを辞めたいと思ったことが1度だけあった。  それは高校最後のインターハイの都大会。前回の選手権の覇者として山の一番上に位置していたはずの俺たちは、都大会決勝で京王河原高校に敗れるという失態を犯した。キャプテンでCFの大柴、司令塔の君下の連携ミスで決定機を何度も逃すと、0-0のままPK戦に突入。不調の君下の代わりに鈴木が蹴るも、向こうのキャプテンである甲斐にゴールを許してゲーム終了、俺たちの最後の夏はあっけなく終わりを迎えた。  試合終了の長いホイッスルがいつまでも耳に残る中、俺はその後どうやって帰宅したのかよく覚えていない。試合を観に来ていた姉の運転で帰ったのは確かだったが、その時他のメンバーたちはどうしたのかだとか、いつから再びボールを蹴ったのかなど、その辺りは曖昧にしか覚えていなかった。ただいつまでも、声を押し殺すようにして啜り泣いている、君下の声が頭から離れなかった。
 傷が癒えるのに時間がかかることは、中学選抜で敗北の味を知ったことにより感覚的に理解していた。君下はいつまでも部活に顔を出さなかった。いつもに増してボサボサの頭を掻き乱しながら、監督は渋い声で俺たちにいつものように練習メニューを告げる。君下のいたポジションには、2年の来須が入った。その意味は、直接的に言われなくともその場にいた部員全員が本能的に理解していたであろう。
『失礼します、監督……』
 皆が帰ったのを確認して教官室に書き慣れない部誌と共に鍵を返しに向かうと、そこには監督の姿が見えなかった。もう出てしまったのだろうか。一度ドアを閉めて、念のた��職員室も覗いて行こうと校舎のほうへと向かう途中、どこからか煙草の香りが鼻を掠める。暗闇の中を見上げれば、ほとんどが消灯している窓の並びに一か所だけ灯りの付いた部屋が見受けられる。半分開けられた窓からは、乱れた黒髪と煙草の細い煙が夜の空へと立ち上っていた。
『お前まだ居たのか……皆は帰ったか?』 『はい、監督探してたらこんな時間に』
 部誌を差し出すと悪いな、と一言つけて監督はそれを受け取る。喫煙室の中央に置かれた灰皿は、底が見えないほどの無数の吸い殻が突き刺さり文字通り山となっていた。監督は短くなった煙草を口に咥えると、ゆっくりと吸い込んで零れそうな山の中へと半ば無理やり押し込み火を消した。
『君下は……あいつは辞めたわけじゃねぇだろ』 『お前がそれを俺に聞くのか?』
 監督は伏せられた瞳のまま俺に問い返す。パラパラと読んでいるのかわからないほどの速さで部誌をめくり、白紙のページを最後にぱたりと閉じた。俺もその動きを視線で追っていると、クマの濃く残る目をこちらへと向けてきた。お互いに何も言わなかった。  暫くそうしていると、監督は上着のポケットからクタクタになったソフトケースを取り出して、残りの少ないそれを咥えると安物のライターで火をつけた。監督の眼差しで分かったのは、聖蹟は、アイツはまだサッカープレーヤーとして死んではいないということだった。
 迎えの車も呼ばずに俺は滅多に行かない最寄り駅までの道のりを歩いていた。券売機で270円の片道切符を購入すると、薄明るいホームで帰路とは反対方向へ向かう電車を待つ列に並ぶ。間もなく電車が滑り込んできて、疲れた顔のサラリーマンの中に紛れ込む。少し混みあっていた車内でつり革を握りしめながら、車内アナウンスが目的の駅名を告げるまで瞼を閉じていた。  あいつに会いに行ってどうするつもりだったのだろう。今になって思えば、あの時は何も考えずに電車に飛び乗ったように思える。ガタンゴトンとレールを走る音を聞きながら、本当はあの場所から逃げ出したかっただけなのかもしれない。疲れた身体を引きずって帰り、あの日から何も変わらない敗北の香りが残る部屋に戻りたくないだけなのかもしれない。一人になりたくないだけなのかもしれない。
『次はー△△、出口は左側です』
 目的地を告げるアナウンスで思考が現実へと引き戻された。はっとして、閉まりかけのドアに向かって勢いよく走った。長い脚を伸ばせばガン、と大きな音がしてドアに挟まる。鈍い痛みが走る足を引きずりながら、再び開いたドアの隙間からするりと抜け出した。
 久しぶりに通る道のりは、いくつか電灯が消えかけていて薄暗く、不気味なほど人通りが少なかった。古い商店街の一角にあるキミシタスポーツはまだ空いているだろうか。スマホの画面を確認すれば、午後8時55分を指していた。営業時間はあと5分あるが、あの年中暇な店に客は一人もいないであろう。運が悪ければ既にシャッタは降りているかもしれない。
『本日、休業……だあ?』
 計算は無意味だった。店のシャッターに張り付けられた、チラシの裏紙には妙に整った字でお詫びの文字が並んでいた。どうやらここ数日間はずっとシャッターが降りたままらしいと、通りすがりの中年の主婦が店の前で息を切らす俺に親切に教えてくれた。ついでにこの先の大型スーパーにもスポーツ用品は売ってるわよ、と要らぬ情報を置いてその主婦は去っていった。こうやって君下の店の売り上げが減っていくという、無駄な情報を仕入れたところで今後使う予定が来るのだろうか。店の二階を見上げるも、君下の部屋に灯りはない。
『ったく、あの野郎は部活サボっといて寝てんのか?』
 同じクラスのやつに聞いても、君下のいる特進クラスは夏休み明けから自主登校となっているらしい。大学進学のためのコースは既に3年の1学期には高校3年間の教科書を終えており、あとは各自で予備校に行くなり自習するなりで受験勉強に励んでいるようだ。当然君下以外に強豪運動部に所属している生徒はおらず、クラスでもかなり浮いた存在だというのはなんとなく知っていた。誰もあいつが学校に来なくても、どうせ部活で忙しいぐらいにしか思わないのだ。  仕方ない、引き返すか。そう思い回れ右をしたところで、ある一つの可能性が脳裏に浮かぶ。可能性なんかじゃない。だがなんとなくだが、あいつがそこにいるという確信が、俺の中にあったのだ。
『くそっ……君下のやつ!』
 やっと呼吸が整ったところで、重い鞄を背負うと急いで走り出す。こんな時間に何をやっているのだろう、と走りながら我ながら馬鹿らしくなった。去年散々走り込みをしたせいか、練習後の疲れた身体でもまだ走れる。次の角を右へ曲がって、たしかその2つ先を左――頭の中で去年君下と訪れた、あの古びた神社への道のりを思い出す。そこに君下がいる気がした。
『はぁ……はぁっ……っ!』
 大きな鳥居が近づくにつれて、どこからか聞こえるボールを蹴る音に俺の勘が間違っていない事を悟った。こんなところでなにサボってんだよ、そう言ってやるつもりだったのに、いざ目の前に君下の姿が見えると言葉を失った。  あいつは、聖蹟のユニフォーム姿のままで、泥だらけになりながら一人でドリブルをしていた。  自分で作った小さいゴールと、所々に置かれた大きな石。何度も躓きながらも起き上がり、懸命にボールを追っては前へ進む。パスを出すわけでもなく、リフティングでもない。その傷だらけの足元にボールが吸い寄せられるように、馴染むように何度も何度も同じことを繰り返していた。
『ハッ……馬鹿じゃねぇの』
 お前も俺も。そう呟いた声は己と向き合っている君下に向けられたものではない。  あいつは、君下はもう前を向いて歩きだしていた。沢山の小さな石ころに躓きながら、小さな小さなゴールへと向かってその長い道のりへと一歩を踏み出していた。俺は君下に気付かれることがないように、足音を立てないようにして足早に神社を後にした。  帰りの電車を待つベンチに座って、ぼんやりと思い出すのは泥だらけの君下の背中だった。前を向け喜一、まだやれることはたくさんある。ホームには他に電車を待つ客は誰もいなかった。
(3)夕食、22時半
 気付けば完全に日は落ちていて、コートを照らすスタンドライトだけが暗闇にぼんやりと輝いていた。  思いのほか練習に熱中してしまったようで、辺りを見渡せば先輩選手らはとっくに自主練を切り上げて帰路に着いたようだった。何の挨拶もなしに帰宅してしまったチームメイトの残していったボールがコートの隅に落ちているのを見つけては、上がり切った息を整えながらゆったりと歩いて拾って回った。
 倉庫の鍵がかかったのを確認して誰もいないロッカールームへ戻ると、ご丁寧に電気は消されていた。先週は鍵がかけられていた。思い出すだけで腹が立つが、もうこんなことも何度目になった今ではチームに内緒で作った合鍵をいつも持ち歩くようにしている。ぱちり、スイッチを押せば一瞬遅れて青白い灯りが部屋を照らした。
 大柴は人に妬まれ易い。その容姿と才能も関係はあるが、自分の才能に胡坐をかいて他者を見下しているところがあった。大口を叩くのはいつものことで、慣れた友人やチームメイトであれば軽く受け流せるものの、それ以外の人間にとってみれば不快極まりない行為であることは間違いない。いつしか友人と呼べる存在は随分と減り、クラスや集団では浮いてしまうことが常であった。  今のチームも例外ではない。加入してすぐの公式戦にレギュラーでの起用、シーズン序盤での怪我による離脱、長期のリハビリ生活、そして残せなかった結果。大柴加入初年度のチームは、最終的に前年度よりも下回った順位でシーズンの幕を閉じることになった。それでも翌年からも大柴はトップに居座り続けた。疑問に思ったチームメイトやサポーターからの非難や、時には心無い中傷を書き込まれることもあった。ゴールを決めれば大喝采だが、それも長くは続かない。家が裕福なことを嗅ぎつけたマスコミにはある事ない事を週刊誌に書き並べられ、誰もいない実家の前に怪しげな車が何台も止まっていることもあった。  だがそんなことは、大柴にとって些細なことだった。俺はサッカーの神様に才能を与えられたのだと、未だにカメラの前でこう言い張ることにしている。実はもう一つ、大柴はサッカーの神様から貰った大切なものがあったが、それを口にしたことはないしこれからも公言する日はやって来ないだろう。
「ただいまぁー」 「お帰り、遅かったな」
 靴を脱いでつま先で並べると、靴箱の上の小さな木製の皿に車のキーを入れる。ココナッツの木から作られたそれは、卒業旅行に二人でハワイに行ったときに買ったもので、6年間大切に使い続けている。玄関までふわりと香る味噌の匂いに、ああやっとここへ帰ってきたのだと実感する。大股で歩きながらジャケットを脱ぎ、どさり、とスポーツバッグと共に床へ投げ出すと、倒れ込むように革張りのソファへとダイブした。
「おい、飯出来てるから先に食え。手洗ったか?」 「洗ってねぇ」 「ったく、何年も言ってんのにちっとも学習しねぇ奴だな。ほら、こっち来い」
 君下は洗い物をしていたのか、泡まみれのスポンジを握ってそれをこちらに見せてくる。この俺の手を食器用洗剤で洗えって言うのか、そう言えばこっちのほうが油が落ちるだとか、訳の分からない理論を並べられた。つまり俺は頑固汚れと同じなのか。
「こんなことで俺が消えてたまるかよ」 「いつもに増して意味わかんねぇな。よし、終わり。味噌汁冷める前にさっさと食え」
 お互いの手を絡めるようにして洗い流していると、背後でピーと電子音がして炊飯が終わったことを知らせる。俺が愛車に乗り込む頃に一通連絡を入れておくと、丁度いい時間に米が炊き上がるらしい。渋滞のときはどうするんだよ、と聞けば、こんな時間じゃそうそう混まねぇよ、と普段車に乗らないくせにまるで交通事情を知っているかのような答えが返ってくる。全体練習は8時頃に終わるから、自主練をして遅くても10時半には自宅に着けるように心掛けていた。君下は普通の会社員で、俺とは違い朝が早いのだ。
「いただきます」 「いただきます」
 向かい合わせの定位置に腰を下ろし、二人そろって手を合わせる。日中はそれぞれ別に食事を摂るも、夕食のこの時間を二人は何よりも大事にしていた。  熱々の味噌汁は俺の好みに合わせてある。最近は急に冷え込んできたから、もくもくと上る白い湯気は一段と白く濃く見えた。上品な白味噌に、具は駅前の豆腐屋の絹ごし豆腐と、わかめといりこだった。出汁を取ったついでにそのまま入れっぱなしにするのは君下家の味だと昔言っていた。
「喜一、ケータイ光ってる」 「ん」
 苦い腸を噛み締めていると、ソファの上に置かれたままのスマホが小さく震えている音がした。途切れ途切れに振動がするので、電話ではないことは確かだった。後ででいい、一度はそう言ったものの、来週の練習試合の日程がまだだったことを思い出して気だるげに重い腰を上げる。最新機種の大きな画面には、見覚えのある一枚の画像と共に母からの短い返信があった。
「あ、やっぱ葉書来てたわ。実家のほうだったか」 「ほらな」 「お前のはここの住所で、なんで俺のだけ実家なんだよ」 「知るかよ。どうせ行くんだろ、直接会った時に聞けばいいじゃねぇか」 「え、行くの?」
 スマホを持ったままどかり、と椅子へと座りなおし、飲みかけの味噌汁に手を伸ばす。ズズ、とわざと少し行儀悪くわかめを啜れば、君下の表情が曇るのがわかった。
「お前、この頃にはもうオフだから休みとれるだろ。俺も有休消化しろって上がうるせぇから、ちょうどこのあたりで連休取ろうと思っ��る」 「聞いてねぇ……」 「今言ったからな」
 金平蓮根に箸を付けた君下は、いくらか摘まんで自分の茶碗へと一度置くと、米と共にぱくり、と頬張った。シャクシャクと音を鳴らしながら、ダークブラウンの瞳がこちらを見る。
「佐藤と鈴木も来るって」 「あいつらに会うだけなら別で集まりゃいいだろうが。それにこの前も4人で飲んだじゃねぇか」 「いつの話してんだよタワケが、2年前だぞあれ」 「えっそんなに前だったか?」 「ああ。それに今年で卒業して10年だとさ。流石に毎年は行かねぇが節目ぐらい行ったって罰は当たんねーよ」
 時の流れとは残酷なものだ。俺は高校を卒業してそれぞれ違う道へと進んでも、相変わらず君下と一緒にいた。だからそんな長い年月が経ったことに気付かなかった���けなのかもしれない。高校を卒業する時点で、俺たちがはじめて出会って既に10年が経っていたのだ。  君下はぬるい味噌汁を啜ると、満足そうに「うまい」と一言呟いた。
*
 今宵はよく月が陰る。  ソファにごろりと寝転がり、カーテンの隙間から満月より少し欠けた月をぼんやりと眺めていた。月に兎がいると最初に言ったのは誰だろうか。どう見ても、あの不思議な斑模様は兎なんかに、それも都合よく餅つきをしているようには見えなかった。昔の人間は妙なことを考える。星屑を繋げてそれらを星座だと呼び、一晩中夜空を眺めては絶え間なく動く星たちを追いかけていた。よほど暇だったのだろう。こんな一時間に何センチほどしか動かないものを見て、何が面白いというのだろうか。
「さみぃ」
 音もなくベランダの窓が開き、身体を縮こませた君下が湯気で温かくなった室内へと戻ってくる。君下は二十歳から煙草を吸っていた。家で吸うときはこうやって、それも洗濯物のない時にだけ、それなりに広いベランダの隅に作った小さな喫煙スペースで煙草を嗜む。別に換気扇さえ回してくれれば部屋で吸ってもらっても構わないと俺は言っているのだが、頑なにそれをしようとしないのは君下のほうだった。現役のスポーツ選手である俺への気遣いなのだろう。こういう些細なところでも、俺は君下に支えられているのだと実感する。
「おい、キスしろ」
 隣に腰を下ろした君下に、腹を見せるように上を向いて唇を突き出した。またか、と言いたげな顔をしたが、間もなく長い前髪が近づいてきてちゅ、と小さな音を立てて口づけが落とされた。一度も吸ったことのない煙草の味を、俺は間接的に知っている。少しだけ大人になったような気がするのがたまらなく心地よい。
 それから少しの間、手を握ったりしてテレビを見ながらソファで寛いだ。この時間にもなればいつもニュースか深夜のバラエティー番組しかなかったが、今日はお互いに見たい番組があるわけでもなかったので適当にチャンネルを回してテレビを消した。  手元のランプシェードの明かりだけ残して電気を消し、寝室の真ん中に位置するキングサイズのベッドに入ると、君下はおやすみとも言わないまま背を向けて肩まで掛け布団を被ってしまった。向かい合わせでは寝付けないのはいつもの事だが、それにしても今日は随分と素っ気ない。明日は金曜日で、俺はオフだが会社員の君下には仕事がある。お互いにもういい歳をした大人なのだ。明日に仕事を控えた夜は事には及ばないようにはしているが、先ほどのことが胸のどこかで引っかかっていた。
「もう寝た?」 「……」 「なあ」 「……」 「敦」 「……なんだよ」
 消え入りそうなほど小さな声で、君下が返事をする。俺は頬杖をついていた腕を崩して布団の中に忍ばせると、背中からその細身の身体を抱き寄せた。抵抗はしなかった。
「こっち向けよ」 「……もう寝る」 「少しだけ」 「明日仕事」 「分かってる」
 わかってねぇよ、そう言いながらもこちらに身体を預けてくる、相変わらず素直じゃないところも君下らしい。ランプシェードのオレンジの灯りが、眠そうな君下の顔をぼんやりと照らしている。長い睫毛に落ちる影を見つめながら、俺は薄く開かれた唇に祈るように静かにキスを落とした。
 こいつとキスをするようになったのはいつからだっただろうか。  サッカーを諦めかけていた俺に道を示してくれたその時から、ただのチームメイトだった男は信頼できる友へと変化した。それでも物足りないと感じていたのは互いに同じだったようで、俺たちは高校を卒業するとすぐに同じ屋根の下で生活を始めた。が、喧嘩の絶えない日々が続いた。いくら昔に比べて関係が良くなったとはいえ、育ちも違えば本来の性格が随分と違う。事情を知る数少ない人間も、だからやめておけと言っただろう、と皆口を揃えてそう言った。幸いだったのは、二人の通う大学が違ったことだった。君下は官僚になるために法学部で勉学に励み、俺はサッカーの為だけに学生生活を捧げた。互いに必要以上に干渉しない日々が続いて、家で顔を合わせるのは、いつも決まって遅めの夜の食卓だった。  本当は今のままの関係で十分に満足している。今こそ目指す道は違うが、俺たちには同じ時を共有していた、かけがえのない長い長い日々がある。手さぐりでお互いを知ろうとし、時にはぶつかり合って忌み嫌っていた時期もある。こうして積み重ねてきた日々の中で、いつの日か俺たちは自然と寄り添いあって、お互いを抱きしめながら眠りにつくようになった。この感情に名前があるとしても、今はまだわからない。少なくとも今の俺にとって君下がいない生活などもう考えられなくなっていた。
「……ン゛、ぐっ……」
 俺に組み敷かれた君下は、弓なりに反った細い腰をぴくり、と跳ねさせた。大判の白いカバーの付いた枕を抱きしめながら、押し殺す声はぐぐもっていてる。決して色気のある行為ではないが、その声にすら俺の下半身は反応してしまう。いつからこうなってしまったのだろう。君下を抱きながらそう考えるのももう何度目の事で、いつも答えの出ないまま、絶頂を迎えそうになり思考はどこかへと吹き飛んでしまう。
「も、俺、でそ、うっ……」 「あ?んな、俺もだ馬鹿っ」 「あっ……喜一」
 君下の腰から右手を外し、枕を上から掴んで引き剥がす。果たしてどんな顔をして俺の名を呼ぶのだと、その顔を拝みたくなった。日に焼けない白い頬は、スポーツのような激しいセックスで紅潮し、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。相変わらず眉間には皺が寄ってはいたが、いつもの鋭い目つきが嘘のように、限界まで与えられた快楽にその瞳を潤ませていた。視線が合えば、きゅ、と一瞬君下の蕾が収縮した。「あ、出る」とだけ言って腰のピストンを速めながら、君下のイイところを突き上げる。呼吸の詰まる音と、結合部から聞こえる卑猥な音を聞きながら、頭の中が真っ白になって、そして俺はいつの間にか果てた。全て吐き出し、コンドームの中で自身が小さくなるのを感じる。一瞬遅れてどくどくと音がしそうなほどに爆ぜる君下の姿を、射精後のぼんやりとした意識の中でいつまでも眺めていた。
(4)誰も知らない
 忙しないいつもの日常が続き、あっという間に年も暮れ新しい年がやってきた。  正月は母方の田舎で過ごすと言った君下は、仕事納めが終われば一度家に戻って荷物をまとめると、そこから一週間ほど家を空けていた。久しぶりに会った君下は、少しばかり頬が丸くなって帰ってきたような気がしたが、本人に言うとそんなことはないと若干キレながら否定された。目に見えて肥えたことを気にしているらしい本人には申し訳ないが、俺はその様子に少しだけ安心感を覚えた。祖父の葬儀以来、もう何年も顔を見せていないという家族に会うのは、きっと俺にすら言い知れぬ緊張や、不安も勿論あっただろう。  だがこうやって随分と可愛がられて帰ってきたようで、俺も正月ぐらい実家に顔を出せばよかったかなと少しだけ羨ましくなった。本人に言えば餅つきを手伝わされこき使われただの、田舎はやることがなく退屈だなど愚痴を垂れそうだが、そのお陰なのか山ほど餅を持たせられたらしく、その日の夜は冷蔵庫にあった鶏肉と大根、にんじんを適当に入れて雑煮にして食べることにした。
「お前、俺がいない間何してた?」
 君下が慣れた手つきで具材を切っている間、俺は君下が持ち帰った土産とやらの箱を開けていた。中には土の付いたままの里芋だとか、葉つきの蕪や蓮根などが入っていた。全て君下の田舎で採れたものなのか、形はスーパーでは見かけないような不格好なものばかりだった。
「車ねぇから暇だった」 「どうせ車があったとしても、一日中寝てるか練習かのどっちかだろうが」 「まあ、大体合ってる」
 一通り切り終えたのか包丁の音が聞こえなくなり、程なくして今度は出汁の香りが漂ってきた。同時に香ばしい餅の焼ける香りがして、完成が近いことを悟った俺は一度箱を閉めるとダイニングテーブルへと向かい、箸を二膳出して並べると冷蔵庫から缶ビールを取り出してグラスと共に並べた。
「いただきます」 「いただきます」
 大きめの深い器に入った薄茶色の雑煮を目の前に、二人向かい合って座り手を合わせる。実に一週間ぶりの二人で摂る夕食だった。よくある関東風の味付けに、四角く切られ表面を香ばしく焼かれた大きな餅。シンプルだが今年に入って初めて食べる正月らしい食べ物も、今年初めて飲む酒も、すべて君下と共に大事に味わった。
「あ、そうだ。明日だからな、あれ」
 3個目の餅に齧りついた俺に、そういえばと思い出したかのように君下が声を発した。少し冷めてきたのか噛み切れなかった餅を咥えたまま、肩眉を上げて何の話かと視線だけで問えば、「ほら、同窓会のやつ」と察したように答えが返ってきた。「ちょっと待て」と掌を君下に見せて、餅を掴んでいた箸に力を入れて無理矢理引きちぎると、ぐにぐにと大雑把に噛んでビールで流し込む。うまく流れなかったようで、喉のあたりを引っかかる感触が気持ち悪い。生理的に込み上げてくる涙を瞳に浮かべていると、席を立った君下は冷蔵庫の扉を開けてもう2本ビールを取り出して戻ってきた。
「ほら飲め」 「おま……水だろそこは」 「いいからとりあえず流し込め」
 空になった俺のグラスにビールを注げば、ぶくぶくと泡立つばかりで泡だけで溢れそうになった。だから水にしとけと言ったのだ。チッ、と舌打ちをした君下は、少し申し訳なさそうに残りの缶をそのまま手渡してきた。直接飲むのは好きではないが、今は文句を言ってられない。奪うように取り上げると、ごくごくと大げさに喉を鳴らして一気に飲み干した。
「は~……死ぬかと思った。相変わらずお酌が下手だなお前は」 「うるせぇな。俺はもうされる側だから仕方ねぇだろうが」
 そう悪態をつきながら、君下も自分の缶を開ける。プシュ、と間抜けな音がして、グラスを傾けて丁寧にビールを注いでゆく。泡まで綺麗に注げたそれを見て、満足そうに俺に視線を戻す。
「あ、そうだよ、話反らせやがって……まあとにかく、明日は俺は昼ぐらいに会社に少し顔出してくるから、ついでに親父んとこにも寄って、そのまま会場に向かうつもりだ」 「あ?親父さんも一緒に田舎に行ったんじゃねぇの?」 「そうしようとは思ったんだがな、店の事もあるって断られた。ったく誰に似たんだかな」 「それ、お前が言うなよ」
 君下の言葉になんだかおかしくなってふふ、と小さく笑えば、うるせぇと小さく舌打ちで返された。綺麗に食べ終えた器をテーブルの上で纏めると、君下はそれらを持って流しへと向かった。ビールのグラスを軽く水で濯いでから、そこに半分ぐらい溜めた水をコクコクと喉を鳴らして飲み込んだ。
「俺もう寝るから、あとよろしくな。久々に運転すると疲れるわ」 「おう、お疲れ。おやすみ」
 俺の言葉におやすみ、と小さく呟いた君下は、灯りのついていない寝室へと吸い込まれるようにして消えた。ぱたん、と扉が閉まる音を最後に、乾いた部屋はしんとした静寂に包まれる。手元に残ったのは、ほんの一口分だけ残った温くなったビールの入ったグラスだけだった。  頼まれた洗い物はあとでやるとして、さてこれからどうしようか。君下の読み通り、今日は一日中寝ていたため眠気はしばらくやって来る気配はない。テレビの上の時計を見ると、ちょうど午後九時を回ったところだった。俺はビールの残りも飲まずに立ち上がると、食器棚に並べてあるブランデーの瓶と、隣に飾ってあったバカラのグラスを手にしてソファのほうへとゆっくり歩き出した。
*
 肌寒さを感じて目を覚ました。  最後に時計を見たのはいつだっただろうか。微睡む意識の中、薄く開いた瞳で捉えたのは、ガラス張りのローテーブルの端に置かれた見覚えのあるグラスだった。細かくカットされた見事なつくりの表面は、カーテンから零れる朝日を反射してキラキラと眩しい。中の酒は幾分か残っていたようだったが、蒸発してしまったのだろうか、底のほうにだけ琥珀色が貼り付くように残っているだけだった。  何も着ていなかったはずだが、俺の肩には薄手の毛布が掛かっていた。点けっぱなしだった電気もいつの間にか消されていて、薄暗い部屋の中、遮光カーテンから漏れる光だけがぼんやりと座っていたソファのあたりを照らしていた。酷い喉の渇きに、水を一口飲もうと立ち上がると頭痛と共に眩暈がした。ズキズキと痛む頭を押さえながらキッチンへ向かい、食器棚から新しいコップを取り出して水を飲む。シンクに山積みになっていたは��の洗い物は、跡形もなく姿を消している。君下は既に家を出た後のようだった。
 それから昼過ぎまでもう一度寝て、起きた頃には朝方よりも随分と温かくなっていた。身体のだるさは取れたが、相変わらず痛む頭痛に舌打ちをしながら、リビングのフローリングの上にマットを敷いてそこで軽めのストレッチをした。大柴はもう若くはない。三十路手前の身体は年々言うことを聞かなくなり、1日休めば取り戻すのに3日はかかる。オフシーズンだからと言って単純に休んでいるわけにはいかなかった。  しばらく柔軟をしたあと、マットを片付け軽く掃除機をかけていると、ジャージの尻ポケットが震えていることに気が付いた。佐藤からの着信だった。久しぶりに見るその名前に、緑のボタンを押してスマホを耳と肩の間に挟んだ。
「おう」 「あーうるせぇよ!掃除機?電話に出る時ぐらい一旦切れって」
 叫ぶ佐藤の声が聞こえるが、何と言っているのか聞き取れず、仕方なくスイッチをオフにした。ちらりと壁に視線を流せば、時計針はもうすぐ3時を指そうとしていた。
「わりぃ。それよりどうした?」 「どうしたじゃねぇよ。多分お前まだ寝てるだろうから、起こして同窓会に連れてこいって君下から頼まれてんだ」 「はあ……ったく、どいつもこいつも」 「まあその調子じゃ大丈夫だな。5時にマンションの下まで車出すから、ちゃんと顔洗って待ってろよ」 「へー」 「じゃあ後でな」
 何も言わずに通話を切り、ソファ目掛けてスマホを投げた。もう一度掃除機の電源を入れると、リビングから寝室へと移動する。普段は掃除機は君下がかけるし、皿洗い以外の大抵の家事はほとんど君下に任せっきりだった。今朝はそれすらも君下にさせてしまった罪悪感が、こうやって自主的にコードレス掃除機をかけている理由なのかもしれない。  ベッドは綺麗に整えてあり、真ん中に乱雑に畳まれたパジャマだけが取り残されていた。寝る以外に立ち入らない寝室は綺麗なままだったが、一応端から一通りかけると掃除機を寝かせてベッドの下へと滑り込ませる。薄型のそれは狭い隙間も難なく通る。何往復かしていると、急に何か大きな紙のようなものを吸い込んだ音がした。
「げっ……何だ?」
 慌てて電源を切り引き抜くと、ヘッドに吸い込まれていたのは長い紐のついた、見慣れない小さな紙袋だった。紺色の袋の表面に、金色の細い英字で書かれた名前には見覚えがあった。俺の覚え違いでなければ、それはジュエリーブランドの名前だった気がする。
「俺のじゃねぇってことは、これ……」
 そこまで口に出して、俺の頭の中には一つの仮説が浮かび上がる。これの持ち主は十中八九君下なのだろう。それにしても、どうしてこんなものがベッドの下に、それも奥のほうへと押しやられているのだろうか。絡まった紐を引き抜いて埃を払うと、中を覗き込む。入っていたのは紙袋の底のサイズよりも一回り小さな白い箱だった。中を確認したかったが、綺麗に巻かれたリボンをうまく外し、元に戻せるほど器用ではない。それに、中身など見なくてもおおよその見当はついた。  俺はどうするか迷ったが、それと電源の切れた掃除機を持ってリビングへと戻った。紙袋をわざと見えるところ、チェリーウッドのダイニングテーブルの上に置くと、シャワーを浴びようとバスルームへと向かった。いつも通りに手短に済ませると、タオルドライである程度水気を取り除いた髪にワックスを馴染ませ、久しぶりに鏡の中の自分と向かい合う。ここ2週間はオフだったというのに、ひどく疲れた顔をしていた。適当に整えて、顎と口周りにシェービングクリームを塗ると伸ばしっぱなしだった髭に剃刀を宛がう。元々体毛は濃いほうではない。すぐに済ませて電気を消して、バスルームを後にした。
「お、来た来た。やっぱりお前は青のユニフォームより、そっちのほうが似合っているな」
 スーツに着替え午後5時5分前に部屋を出て、マンションのエントランスを潜ると、シルバーの普通車に乗った佐藤が窓を開けてこちらに向かって手を振っていた。助手席には既に鈴木が乗っており、懐かしい顔ぶれに少しだけ安堵した。よう、と短く挨拶をして、後部座席のドアを開けると長い背を折りたたんでシートへと腰かけた。  それからは佐藤の運転に揺られながら、他愛もない話をした。最近のそれぞれの仕事がどうだとか、鈴木に彼女が出来ただとか、この前相庭のいるチームと試合しただとか、離れていた2年間を埋めるように絶え間なく話題は切り替わる。その間も車は東京方面へと向かっていた。
「君下とはどうだ?」 「あー……相変わらずだな。付かず離れずって感じか」 「まあよくやってるよな、お前も君下も。あれだけ仲が悪かったのが、今じゃ同棲だろ?みんな嘘みたいに思うだろうな」 「同棲って言い方やめろよ」 「はーいいなぁ、俺この間の彼女に振られてさ。せがまれて高い指輪まで贈ったのに、あれだけでも返して貰いたいぐらいだな」
 指輪��いう言葉に、俺の顔の筋肉が引きつるのを感じた。グレーのパンツの右ポケットの膨らみを、無意識に指先でなぞる。車は渋滞に引っかかったようで、先ほどからしばらく進んでおらず車内はしん、と静まり返っていた。
「あーやべぇな。受付って何時だっけ」 「たしか6時半……いや、6時になってる」 「げ、あと20分で着くかな」 「だからさっき迂回しろって言ったじゃねぇか」
 このあたりはトラックの通行量も多いが、帰宅ラッシュで神奈川方面に抜ける車もたくさん見かける。そういえば実家に寄るからと、今朝も俺の車で出て行った君下はもう会場に着いたのだろうか。誰かに電話をかけているらしい鈴木の声がして、俺は手持ち無沙汰に窓の外へと視線を投げる。冬の日の入りは早く、太陽はちょうど半分ぐらいを地平線の向こうへと隠した頃だった。真っ赤に焼ける雲の少ない空をぼんやりと眺めて、今夜は星がきれいだろうか、と普段気にもしていないことを考えていた。
(5)真冬のエスケープ
 車は止まりながらもなんとか会場近くの地下駐車場へと止めることができた。幹事と連絡がついて遅れると伝えていたこともあり、特に急ぐこともなく会場までの道のりを歩いて行った。  程なくして着いたのは某有名ホテルだった。入り口の案内板には聖蹟高校×期同窓会とあり、その横に4階と書かれていた。エレベーターを待つ間、着飾った同じ年ぐらいの集団と鉢合わせた。そのうち男の何人かは見覚えのある顔だったが、男たちと親し気に話している女に至っては、全くと言っていいほど面影が見受けられない。常日頃から思ってはいたが、化粧とは恐ろしいものだ。俺や君下よりも交友関係が広い鈴木と佐藤でさえ苦笑いで顔を見合わせていたから、きっとこいつらにでさえ覚えがないのだろうと踏んで、何も言わずに到着した広いエレベーターへと乗り込んだ。
 受付で順番に名前を書いて入り口で泡の入った飲み物を受け取り、広間へと入るとざっと見るだけで100人ほどは来ているようだった。「すげぇな、結構集まったんだな」そう言う佐藤の言葉に振り返りもせずに、俺はあたりをきょろきょろと見渡して君下の姿を探した。
「よう、遅かったな」 「おー君下。途中で渋滞に巻き込まれてな……ちゃんと連れてきたぞ」
 ぽん、と背中を佐藤に叩かれる。その右手は決して強くはなかったが、ふいを突かれた俺は少しだけ前にふらついた。手元のグラスの中で黄金色がゆらりと揺れる。いつの間にか頭痛はなくなっていたが、今は酒を口にする気にはなれずにそのグラスを佐藤へと押し付けた。不審そうにその様子を見ていた君下は、何も言わなかった。  6時半きっかりに、壇上に幹事が現れた。眼鏡をかけて、いかにも真面目そうな元生徒会長は簡単にスピーチを述べると、今はもう引退してしまったという、元校長の挨拶へと移り変わる。何度か表彰状を渡されたことがあったが、曲がった背中にはあまり思い出すものもなかった。俺はシャンパンの代わりに貰ったウーロン茶が入ったグラスをちびちびと舐めながら、隣に立つ君下に気付かれないようにポケットの膨らみの形を確認するかのように、何度も繰り返しなぞっていた。
 俺たちを受け持っていた先生らの挨拶が一通り済むと、それぞれが自由に飲み物を持って会話を楽しんでいた。今日一日、何も食べていなかった俺は、同じく飯を食い損ねたという君下と共に、真ん中に並ぶビュッフェをつまみながら空きっ腹を満たしていた。ここのホテルの料理は美味しいと評判で、他のホテルに比べてビュッフェは高いがその分確かなクオリティがあると姉が言っていた気がする。確かにそれなりの料理が出てくるし、味も悪くはない。君下はローストビーフがお気に召したようで、何度も列に並んではブロックから切り分けられる様子を目を輝かせて眺めていた。
「あー!大柴くん久しぶり、覚えてるかなぁ」
 ウーロン茶のあてにスモークサーモンの乗ったフィンガーフードを摘まんでいると、この会場には珍しく化粧っ気のない、大きな瞳をした女が数人の女子グループと共にこちらへと寄ってきた。
「あ?……あ、お前はあれだ、柄本の」 「もー、橘ですぅー!つくちゃんのことは覚えててくれるのに、同じクラスだった私のこと、全っ然覚えててくれないんだから」
 プンスカと頬を膨らませる橘の姿に、高校時代の懐かしい記憶が蘇る。記憶の中よりも随分と短くなった髪は耳の下で切り揃えられていれ、片側にトレードマークだった三つ編みを揺らしている。確かにこいつが言うように、思い返せば偶然にも3年間、同じクラスだったように思えてくる。本当は名前を忘れた訳ではなかったが、わざと覚えていない振りをした。
「テレビでいつも見てるよー!プロってやっぱり大変みたいだけど、大柴くんのことちゃんと見てるファンもいるからね」 「おーありがとな」
 俺はその言葉に対して素直に礼を言った。というのも、この橘という女の前ではどうも調子が狂わされる。自分は純粋無垢だという瞳をしておいて、妙に人を観察していることと、核心をついてくるのが昔から巧かった。だが悪気はないのが分かっているだけ質が悪い。俺ができるだけ同窓会を避けてきた理由の一つに、この女の言ったことと、こいつ自身が関係している。これには君下も薄々気付いているのだろう。
「あ、そうだ。君下くんも来てるかな?つくちゃんが会いたいって言ってたよ」 「柄本が?そりゃあ本人に言ってやれよ。君下ならあっちで肉食ってると思うけど」 「そうだよね、ありがとう大統領!」
 そう言って大げさに手を振りながら、橘は君下を探しに人の列へと歩き出した。「もーまたさゆり、勝手にどっか行っちゃったよ」と、取り残されたグループの一人がそう言うので、「相変わらずだよね」と笑う他の女たちに混ざって愛想笑いをして、居心地の悪くなったその場を離れようとした。  白いテーブルクロスの上から飲みかけのウーロン茶が入ったグラスを手に取ろとすると、綺麗に塗られたオレンジの爪がついた女にそのグラスを先に掴まれた。思わず視線をウーロン茶からその女へと流すと、女はにこりと綺麗に笑顔を作り、俺のグラスを手渡してきた。
「大柴くん、だよね?今日は飲まないの?」
 黒髪のロングヘアーはいかにも君下が好みそうなタイプの女で、耳下まである長い前髪をセンターで分けて綺麗に内巻きに巻いていた。他の女とは違い、あまりヒラヒラとした装飾物のない、膝上までのシンプルな紺色のドレスに身を包んでいる。見覚えのある色に一瞬喉が詰まるも、「今日は車で来てるから」とその場で適当な言い訳をした。
「あーそうなんだ、残念。私も車で来たんだけど、勤めている会社がこの辺にあって、そこの駐車場に停めてあるから飲んじゃおうかなって」 「へぇ……」
 わざとらしく綺麗な眉を寄せる姿に、最初はナンパされているのかと思った。だが俺のグラスを受け取ると、オレンジの爪はあっさりと手放してしまう。そして先程まで女が飲んでいた赤ワインらしき飲み物をテーブルの上に置き、一歩近づき俺の胸元に手を添えると、背伸びをして俺の耳元で溜息のように囁いた。
「君下くんと、いつから仲良くなったの?」
 酒を帯びた吐息息が耳元にかかり、かっちりと着込んだスーツの下に、ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。  こいつは、この女は、もしかしたら君下がこの箱を渡そうとした女なのかもしれない。俺の知らないところで、君下はこの女と親密な関係を持っているのかもしれない。そう考えが纏まると、すとんと俺の中に収まった。そうか。最近感じていた違和感も、何年も寄り付かなかった田舎への急な帰省も、なぜか頑なにこの同窓会に出席したがった理��も、全部辻褄が合う。いつから関係を持っていたのだろうか、知りたくもなかった最悪の状況にたった今、俺は気付いてしまった。  じりじりと距離を詰める女を前に、俺は思考だけでなく身体までもが硬直し、その場を動けないでいた。酒は一滴も口にしていないはずなのに、むかむかと吐き気が込み上げてくる。俺は今、よほど酷い顔をしているのだろう。心配そうに見つめる女の目は笑っているのに、口元の赤が、赤い口紅が視界に焼き付いて離れない。何か言わねば。いつものように、「誰があんなやつと、この俺様が仲良くできるんだよ」と見下すように悪態をつかねば。皆の記憶に生きている、大柴喜一という人間を演じなければ―――……  そう思っているときだった。  俺は誰かに腕を掴まれ、ぐい、と強い力で後ろへと引かれた。呆気にとられたのは俺も女も同じようで、俺が「おい誰だ!スーツが皺になるだろうが」と叫ぶと、「あっ君下くん、」と先程聞いていた声より一オクターブぐらい高い声が女の口から飛び出した。その名前に腕を引かれたほうへと振り返れば、確かにそこには君下が立っていて、スーツごと俺の腕を掴んでいる。俺を見上げる漆黒の瞳は、ここ最近では見ることのなかった苛立ちが滲んで見えるようだった。
「ああ?テメェのスーツなんか知るかボケ。お前が誰とイチャつこうが関係ねぇが、ここがどこか考えてからモノ言いやがれタワケが」 「はあ?誰がこんなブスとイチャつくかバーカ!テメェの女にくれてやる興味なんぞこれっぽっちもねぇ」 「なんだとこの馬鹿が」
 実に数年ぶりの君下のキレ具合に、俺も負けじと抱えていたものを吐き出すかのように怒鳴り散らした。殴りかかろうと俺の胸倉を掴んだ君下に、賑やかだった周囲は一瞬にして静まり返る。人の壁の向こう側で、「おいお前ら!まじでやめとけって」と慌てた様子の佐藤の声が聞こえる。先に俺たちを見つけた鈴木が君下の腕を掴むと、俺の胸倉からその手を引き剥がした。
「とりあえず、やるなら外に行け。お前らももう高校生じゃないんだ、ちょっとは周りの事も考えろよ」 「チッ……」 「大柴も、冷静になれよ。二人とも、今日はもう帰れ。俺たちが収集つけとくから」
 君下はそれ以上何も言わずに、出口のほうへと振り返えると大股で逃げるようにその場を後にした。俺は「悪いな」とだけ声をかけると、曲がったネクタイを直し、小走りで君下の後を追いかける。背後からカツカツとヒールの走る音がしたが、俺は振り返らずにただ小さくなってゆく背中を見逃さないように、その姿だけを追って走った。暫くすると、耳障りな足音はもう聞こえなくなっていた。
 君下がやってきたのは、俺たちが停めたのと同じ地下駐車場だった。ここに着くまでにとっくに追い付いていたものの、俺はこれから冷静に対応する為に、頭を冷やす時間が欲しかった。遠くに見える派手な赤色のスポーツカーは、間違いなく俺が2年前に買い替えたものだった。君下は何杯か酒を飲んでいたので、鍵は持っていなくとも俺が運転をすることになると分かっていた。わざと10メートル後ろをついてゆっくりと近づく。  君下は何も言わずにロックを解除すると、大人しく助手席に腰かけた。ドアは開けたままにネクタイを解き、首元のボタンを一つ外すと、胸ポケットから取り出した煙草を一本口に咥えた。
「俺の前じゃ吸わねぇんじゃなかったのか」 「……気が変わった」
 俺も運転席に乗り込むと、キーを挿してエンジンをかけ、サンバイザーを提げるとレバーを引いて屋根を開けてやった。どうせ吸うならこのほうがいいだろう。それに今夜は星がきれいに見えるかもしれないと、��きがけに見た綺麗な夕日を思い出す。安物のライターがジジ、と音を立てて煙草に火をつけたのを確認して、俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
(6)形も何もないけれど
 煌びやかなネオンが流れてゆく。俺と君下の間に会話はなく、代わりに冬の冷たい夜風だけが二人の間を切るように走り抜ける。煙草の火はとっくに消えて、そのままどこかに吹き飛ばされてしまった。  信号待ちで車が止まると、「さむい」と鼻を啜りながら君下が呟いた。俺は後部座席を振り返り、外したばかりの屋根を元に戻すべく折りたたんだそれを引っ張った。途中で信号が青に変わって、後続車にクラクションを鳴らされる。仕方なく座りなおそうとすると、「おい、貸せ」と君下が言うものだから、最初から自分でやればいいだろうと思いながらも、大人しく手渡してアクセルに足を掛けた。車はまた走り出す。
「ちょっとどこか行こうぜ」
 最初にそう切り出したのは君下だった。暖房も入れて温かくなった車内で、窓に貼り付くように外を見る君下の息が白く曇っていた。その問いかけに返事はしなかったが、俺も最初からあのマンションに向かうつもりはなかった。分岐は横浜方面へと向かっている。君下もそれに気が付いているだろう。  海沿いに車を走らせている間も、相変わらず沈黙が続いた。試しにラジオを付けてはみたが、流れるのは今流行りの恋愛ソングばかりで、今の俺たちにはとてもじゃないが似合わなかった。何も言わずにラジオを消して、それ以来ずっと無音のままだ。それでも、不思議と嫌な沈黙ではないことは確かだった。
 どこまで行こうというのだろうか。気が付けば街灯の数も少なくなり、車の通行量も一気に減った。窓の外に見える、深い色の海を横目に見ながら車を走らせた。穏やかな波にきらきらと反射する、今夜の月は見事な満月だった。  歩けそうな砂浜が見えて、何も聞かないままそこの近くの駐車場に車を停めた。他に車は数台止まっていたが、どこにも人の気配がしなかった。こんな真冬の夜の海に用があるというほうが可笑しいのだ。俺はエンジンを切って、運転席のドアを開けると外へ出た。つんとした冷たい空気と潮の匂いが鼻をついた。君下もそれに続いて車を降りた。  後部座席に積んでいたブランケットを羽織りながら、君下は小走りで俺に追いつくと、その隣に並んで「やっぱ寒い」と鼻を啜る。数段ほどのコンクリートの階段を降りると、革靴のまま砂を踏んだ。ぐにゃり、と不安定な砂の上は歩きにくかったが、それでも裸足になるわけにはいかずにゆっくりと海へ向かって歩き出す。波打ち際まで来れば、濡れて固まった足場は先程より多少歩きやすくなった。はぁ、と息を吐けば白く曇る。海はどこまでも深い色をしていた。
「悪かったな」 「いや、……あれは俺も悪かった」
 居心地の悪そうに謝罪の言葉がぽつり、と零れた。それは何に対して謝ったのか、自分でもよく分からない。君下に女が居た事なのか、指輪を見つけてしまった事なのか、それともそれを秘密にしていた事なのか。あるいは、そのすべてに対して―――俺がお前をあのマンションに縛り付けた10年間を指しているのか、それははっきりとは分からなかった。俺は立ち止まった。俺を追い越した、君下も立ち止まり、振り返る。大きな波が押し寄せて、スーツの裾が濡れる感覚がした。水温よりも冷たく冷え切った心には、今はそんな些細なことは、どうでもよかった。
「全部話してくれるか」 「ああ……もうそろそろ気づかれるかもしれねぇとは腹括ってたからな」
 そう言い終える前に、君下の視線が俺のズボンのポケットに向いていることに気が付いた。何度も触っていたそれの形は、嫌と言うほど覚えている。俺はふん、と鼻で笑ってから、右手を突っ込み白い小さな箱を丁寧に取り出した。君下の目の前に差し出すと、なぜだか手が震えていた。寒さからなのか、それともその箱の重みを知ってしまったからなのか、風邪が吹いて揺れるなか、吹き飛ばされないように握っているのが精一杯だった。
「これ……今朝偶然見つけた。ベッドの下、本当に偶然掃除機に引っかけちまって……でも本当に俺、今までずっと気付かなくて、それで―――それで、あんな女がお前に居たなんて、もっと早く言ってくれりゃ、」 「ちょっと待て、喜一……お前何言ってんだ」 「あ……?何って、今言ったことそのまんまだろうが」
 思い切り眉間に皺を寄せ困惑したような君下の顔に、俺もつられて眉根を寄せる。ここまで来てしらを切るつもりなのかと思うと、怒りを通り越して呆れもした。どうせこうなってしまった以上、俺たちは何事もなく別れられるわけがなかった。昔のように犬猿の仲に戻るのは目に見えていたし、そうなってくれれば救われた方だと俺は思っていた。  苛立っていたいたのは君下もそうだったようで、風で乱れた頭をガシガシと掻くと、煙草を咥えて火を点けようとした。ヂ、ヂヂ、と音がするのに、風のせいでうまく点かない。俺は箱を持っていないもう片方の手を伸ばして、風上から添えると炎はゆらりと立ち上がる。すう、と一息吸って吐き出した紫煙が、漆黒の空へと消えていった。
「そのまんまも何も、あの女、お前狙いで寄ってきたんだろうが」 「お前の女が?」 「誰だよそれ、名前も知らねぇのにか?」
 つまらなさそうに、君下はもう一度煙を吸うと上を向いて吐き出した。どうやら本当にあのオレンジ爪の女の名前すら知らないらしい。だとしたら、俺が持っているこの箱は一体誰からのものなのだ。答え合わせのつもりで話をしていたが、謎は余計に深まる一方だ。
「あ、でもあいつ、俺に何て言ったと思う?君下くんといつから仲良くなったの、って」 「お前の追っかけファンじゃねぇの」 「だとしてもスゲェ怖いわ。明らかにお前の好みそうなタイプの恰好してたじゃん」 「そうか?むしろ俺は、お前好みの女だなと思ったけどな」
 そこまで言って、俺も君下も噴き出してしまった。ククク、と腹の底から込み上げる笑いが止まらない。口にして初めて気が付いたが、俺たちはお互いに女の好みなんてこれっぽっちも知らなかったのだ。二人でいる時の共通の話題と言えば、サッカーの事か明日の朝飯のことぐらいで、食卓に女の名前が出てきたことなんて今の一度もない事に気付いてしまった。どうりでこの10年間、どちらも結婚だとか彼女だとか言い出さないわけだ。俺たちはどこまでも似た者同士だったのだ。
「それ、お前にやろうと思って用意したんだ」
 すっかり苛立ちのなくなった瞳に涙を浮かべながら、君下は軽々しくそう言って笑った。  俺は言葉が出なかった。  こんな小洒落たものを君下が買っている姿なんて想像もできなかったし、こんなリボンのついた箱は俺が受け取っても似合わない。「中は?」と聞くと、「開けてみれば」とだけ返されて、煙が流れないように君下は後ろを向いてしまった。少し迷ったが、その場で紐をほどいて箱を開けて、俺は目を見開いた。紙袋と同じ、夜空のようなプリントの内装に、星のように輝くゴールドの指輪がふたつ、中央に行儀よく並んでいた。思わず君下の後姿に視線を戻す。ちらり、とこちらを振り返る君下の口元は、笑っているように見えた。胸の内から込み上げてくる感情を抑えきれずに、俺は箱を大事に畳むと勢いよくその背中を抱きしめた。
「う゛っ苦しい……喜一、死ぬ……」 「そのまま死んじまえ」 「俺が死んだら困るだろうが」 「自惚れんな。お前こそ俺がいないと寂しいだろう」 「勝手に言ってろタワケが」
 腕の中で君下の頭が振り返る。至近距離で視線が絡み、君下の瞳に���空を見た。俺は吸い込まれるようにして、冷たくなった君下の唇にゆっくりとキスを落とす。二人の間で吐息だけが温かい。乾いた唇は音もなく離れ、もう一度角度を変えて近づけば、今度はちゅ、と音がして君下の唇が薄く開かれた。お互いに舌を出して煙草で苦くなった唾液を分け合った。息があがり苦しくなって、それでもまた酸素を奪うかのように互いの唇を気が済むまで食らい合った。右手の箱は握りしめたままで、中で指輪がふたつカタカタと小さく音を立てて揺れていた。
「もう、帰ろうか」 「ああ……解っちゃいたが、冬の海は寒すぎるな。帰ったら風呂炊くか」 「お、いいな。俺が先だ」 「タワケが。俺が張るんだから俺が先だ」
 いつの間にか膝下まで濡れたスーツを捲り上げ、二人は手を繋いで来た道を歩き出した。青白い砂浜に、二人分の足跡が残る道を辿って歩いた。平常心を取り戻した俺は急に寒さを感じて、君下が羽織っているブランケットの中に潜り込もうとした。君下はそれを「やめろ馬鹿」と言って俺の頭を押さえつける。俺も負けじとグリグリと頭を押し付けてやった。自然と笑いが零れる。  これでよかったのだ。俺たちには言葉こそないが、それを埋めるだけの共に過ごした長い時間がある。たとえ二人が結ばれたとしても、形に残るものなんて何もない。それでも俺はいいと思っている。こうして隣に立ってくれているだけでいい。嬉しい時も寂しい時も「お前は馬鹿だな」と一緒に笑ってくれるやつが一人だけい��ば、それでいいのだ。
「あ、星。喜一、星がすげぇ見える」 「おー綺麗だな」
 ふと気づいたように、君下が空を見上げて興奮気味に声を上げた。  ようやくブランケットに潜り込んで、君下の隣から顔を出せば、そこにはバケツをひっくり返したかのように無数に散らばる星たちが瞬いていた。肩にかかる黒髪から嗅ぎ慣れない潮の香りがして、俺たちがいま海にいるのだと思い知らされる。上を向いて開いた口から、白く曇った息が漏れる。何も言わずにしばらくそれを眺めて、俺たちはすっかり冷えてしまった車内へと腰を下ろした。温度計は摂氏5度を示していた。
7:やさしい光の中で
 星が良く見えた翌朝は決まって快晴になる。君下に言えば、そんな原始的な観測が正しければ、天気予報なんていらねぇよ、と文句を言われそうだが、俺はあながち間違いではないと思っている。現に今日は雲一つない晴れで、あれだけ低かった気温が今日は16度まで上がっていた。乾燥した空気に洗濯物も午前中のうちに乾いてしまった。君下がベランダに料理を運んでいる最中、俺は慣れない手つきで洗濯物をできるだけ綺麗に折りたたんでいた。
「おい、終わったぞ。お前のは全部チェストでいいのか?」 「下着と靴下だけ二番目の引き出しに入れといてくれ。あとはどこでもいい」 「へい」
 あれから真っすぐマンションへと向かった車は、時速50キロ程度を保ちながらおよそ2時間かけて都内にたどり着いた。疲れ切っていたのか、君下は何度かこくり、こくりと首を落とし、ついにはそのまま眠りに落ちてしまった。俺は片手だけでハンドルを握りながら、できるだけ眠りを妨げないように、信号待ちで止まることのないようにゆっくりとしたスピードで車を走らせた。車内には、聞き慣れない名のミュージシャンが話すラジオの音だけが延々と聞こえていた。  眠った君下を抱えたままエントランスをくぐり、すぐに開いたエレベーターに乗って部屋のドアを開けるまで、他の住人の誰にも出会うことはなかった。鍵を開けて玄関で靴を脱がせ、濡れたパンツと上着だけを剥ぎ取ってベッドに横たわらせる。俺もこのまま寝てしまおうか。ハンガーに上着を掛けると一度はベッドに腰かけたものの、どうも眠れる気がしない。少しだけ君下の寝顔を眺めた後、俺はバスルームの電気を点けた。
「飲み物はワインでいいか?」 「おう。白がいい」 「言われなくとも白しか用意してねぇよ」
 そう言って君下は冷蔵庫から冷えた白ワインのボトルとグラスを2つ持ってやって来た。日当たりのいいテラスからは、東京の高いビル群が遠くに見えた。東向きの物件にこだわって良かったと、当時日当たりなんてどうでもいいと言った君下の隣に腰かけて密かに思う。今日は風も少なく、テラスで日光浴をするのには丁度いい気候だった。
「乾杯」 「ん」
 かちん、と一方的にグラスを傾けて君下のグラスに当てて音を鳴らした。黄金色の液体を揺らしながら、口元に寄せればリンゴのような甘い香りがほのかい漂う。僅かにとろみのある液体を口に含めば、心地よいほのかな酸味と上品な舌触りに思わず眉が上がるのが分かった。
「これ、どこの」 「フランスだったかな。会社の先輩からの貰い物だけど、かなりのワイン好きの人で現地で箱買いしてきたらしいぞ」 「へぇ、美味いな」
 流れるような書体でコンドリューと書かれたそのボトルを手に取り、裏面を見ればインポーターのラベルもなかった。聞いたことのある名前に、確か希少価値の高い品種だったように思う。読めない文字をざっと流し読みし、ボトルをテーブルに戻すともう一口口に含む。安物の白ワインだったら炭酸で割って飲もうかと思っていたが、これはこのまま飲んだ方が良さそうだ。詰め物をされたオリーブのピンチョスを摘まみながら、雲一つない空へと視線を投げた。
「そう言えば、鈴木からメール来てたぞ……昨日の同窓会の話」
 紫煙を吐き出した君下は、思い出したかのように鈴木の名を口にした。小一時間前に風呂に入ったばかりの髪はまだ濡れているようで、時折風が吹いてはぴたり、と額に貼り付いた。それを手で避けながら、テーブルの上のスマホを操作して件のメールを探しているようだ。俺は残り物の鱈と君下の田舎から貰ってきたジャガイモで作ったブランダードを、薄切りのバゲットに塗り付けて齧ると、「何だって」と先程の言葉の続きを促した。
「あの後女が泣いてるのを佐藤が慰めて、そのまま付き合うことになったらしい、ってさ」 「はあ?それって俺たちと全然関係なくねぇ?というか、一体何だったんだよあの女は……」
 昨夜のことを思い出すだけで鳥肌が立つ。あの真っ赤なリップが脳裏に焼き付いて離れない。それに、俺たちが聞きたかったのはそんな話ではない。喧嘩を起こしそうになったあの場がどうなったとか、そんなことよりもどうでもいい話を先に報告してきた鈴木にも悪意を感じる。多分、いや確実に、このハプニングを鈴木は面白がっているのだろう。
「あいつ、お前と同じクラスだった冴木って女だそうだ。佐藤が聞いた話だと、やっぱりお前のファンだったらしいぞ」 「……全っ然覚えてねぇ」 「だろうな。見ろよこの写真、これじゃあ詐欺も同然だな」
 そう言って見せられた一枚の写真を見て、俺は食べかけのグリッシーニに巻き付けた、パルマの生ハムを落としそうになった。写真は卒アルを撮ったもののようで、少しピントがずれていたがなんとなく顔は確認できた。冴木綾乃……字面を見てもピンと来なかったが、そこに映っているふっくらとした丸顔に腫れぼったい一重瞼の女には見覚えがあった。
「うわ……そういやいた気がするな」 「それで?これのどこが俺の女だって言うんだよ」 「し、失礼しました……」 「そりゃあ今の彼氏の佐藤に失礼だろうが。それに別にブスではないしな」
 いや、どこからどう見てもこれはない。俺としてはそう思ったが、確かに昨日会った女は素直に抱けると思った。人は歳を重ねると変わるらしい。俺も君下も何か変わったのだろか。ふとそう思ったが、まだ青い高校生だった俺に言わせれば、俺たちが同じ屋根の下で10年も暮らしているということがほとんど奇跡に近いだろう。人の事はそう簡単に悪く言えないと、自分の体験を以って痛いほど知った。  君下は短くなった煙草を灰皿に押し付けると火を消して、何も巻かないままのグリッシーニをポリポリと齧り始める。俺は空になったグラスを置くと、コルクを抜いて黄金色を注いだ。
「あー、そうだ。この間田舎に帰っただろう、正月に。その時にばあちゃんに、お前の話をした」 「……なんか言ってたか」
 聞き捨てならない言葉に、だらしなく木製の折りたたみチェアに座っていた俺の背筋が少しだけ伸びる。  その事は俺にも違和感があった。急に田舎に顔出してくるから、と俺の車を借りて出て行った君下は、戻ってきても1週間の日々を「退屈だった」としか言わなかったのだ。なぜこのタイミングなのだろうか。嫌な切り出し方に少しだけ緊張感が走る。君下がグリッシーニを食べ終えるのを待っているほんの少しの時間が、俺には気が遠くなるほど長い時間が経ったような気さえした。
「別に。敦は結婚はしないのかって聞かれたから答えただけだ。ただ同じ家に住んでいて、これからも一緒にいることになるだろうから、申し訳ないけど嫁は貰わないかもしれないって言っといた」 「……それで、おばあさんは何て」 「良く分からねぇこと言ってたぜ。まあ俺がそれで幸せなら、それでいいんじゃないかとは言ってくれたけど……やっぱ少し寂しそうではあったかな」
 そう言って遠くの空を見つめるように、君下は視線を空へ投げた。真冬とは言え太陽の光は眩しくて、自然と目元は細まった。テーブルの上に投げ出された右手には、光を反射してきらきらと輝く金色が嵌められている。昨夜君下が眠った後、停車中の誰も見ていない車内で俺が勝手に付けたのだ。細い指にシンプルなデザインはよく映えた。俺が見ていることに気が付いたのか、君下はそっとテーブルから手を離すと、新しいソフトケースから煙草を一本取りだした。
「まあこれで良かったのかもな。親父にも会ってきたし、俺はもう縛られるものがなくなった」 「えっ、まさか……昨日実家寄ったのってその為なのか」 「まあな……本当は早いうちに言っておくべきだったんだが、どうも切り出せなくてな。親父もばあちゃんも、母さんを亡くして寂しい思いをしたのは痛いほど分かってたし、まあ俺もそうだったしな……それで俺が結婚しないって言うのは、なんだか家族を裏切ってしまうような気がして。もう随分前にこうなることは分かってたのにな。気づいたら年だけ重ねてて、それで……」
 君下は、ゆっくりと言葉を紡ぐと一筋だけ涙を流した。俺はそれを、君下の左手を握りしめて、黙って聞いてやることしかできなかった。昼間から飲む飲みなれないワインにアルコールが回っていたのだろうか。それでもこれは君下の本音だった。  暫くそうして無言で手を握っていると、ジャンボジェット機が俺たちの上空をゆっくりと通過した。耳を塞ぎたくなるようなごうごうと風を切り裂く大きな音に隠れるように、俺は聞こえるか聞こえないかの声量で「愛してる」、と一言呟く。君下は口元だけを読んだのか、「俺も」、と聞こえない声で囁いた。飛行機の陰になって和らいだ光の中で、俺たちは最初で最後の言葉を口にした。影が過ぎ去ると、陽射しは先程よりも一層強く感じられた。水が入ったグラスの中で、溶けた氷がカラン、と立てたか細い音だけが耳に残った。
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takanomokkou · 3 years
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ダイニングシーンでのシチュエーションを考えた時、 みなさんはどのような過ごし方を想像しますか? 家族で食卓を囲むのはもちろん、 友人を招きパーティーを開いたり 2人でコンパクトに使ったりなど、さまざまな使い方が浮かびます。 生活スタイルが変化するたびに、テーブルを買い替えるのではなく、 「どんなシーンでも対応できるテーブルが欲しい。」 とお思いの方は、伸長式のダイニングテーブルを取り入れてはいかがでしょうか? また、お子様の工作など、広い場所で作業をしたい時や、 お菓子作りの時、家族のイベント、季節行事の際にも 大きく広げて使えるので家族で広々と楽しめそうですね。 #高野木工#伸長式ダイニングテーブル#ダイニング#ダイニングテーブル#ダイニングセット#リビングダイニング#食卓#伸長式テーブル #エクステンションテーブル#ダイニングチェア #ダイニングルーム#ウォールナット#北欧インテリア#北欧#モダン#モダンインテリア #日々の暮らし #シンプルに暮らす #暮らしの記録 #丁寧な暮らし#ダイニングインテリア#テーブルコーディネート (高野木工) https://www.instagram.com/p/CKdgYM1ADlF/?igshid=1i3dfzw397imn
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mashiroyami · 5 years
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Page 110 : 親子の夢
 卵屋の二階を訪れたザナトアは、古い椅子に腰掛けて身体を休めていた。  年を取るにつれて、不自由な身体だと実感する。肉体を駆使するからこそ余計に痛感するのだ。かつては簡単に踏み出せた数歩すらあまりに鈍く、重く、身体の節々は痛む。視界は霞み、老眼鏡をかけなければ文字を追い辛くなった。幸いにして脳はさほど衰えていないが、不意に足下を掬われ、床に沈み、それから目を見張る速度で老いる例はザナトアも知るところだ。  生き物はいずれ死ぬものであり、生きていれば老いていく必定に縛られている。育て屋稼業を営んできたザナトアは、キャリアの間に数えきれぬ別れを経験してきた。依頼主のもとへ帰って行く別れもあれば、野生に戻っていく別れもあり、そして死別もある。生き延びるほど、別れに対して鈍感になっていく。ポケモンに限らない。狭小な世間では、人付き合いの悪い彼女の耳にも時折届く。誰某が倒れただの、死んだだの、腐った魚が泳いでくるように、或いは静かな波に揺れて打ち上げられてきたように、新鮮味を失った報せとしてやってくる。  老いているという自覚は、思いがけず幼い旅人を家に住まわせてから更に��厚になった。  風化していくこの家で借り暮らしを始めたアランが、籠を藁で埋めて何度も階段を往復し、或いはポケモン達に餌を与え、或いは床や壁を掃いて磨いて、そういった細々とした仕事を文句の一つ吐かずに淡々とこなしている姿を、多少は感心しながら観察していた。本音を漏らせば、老体には助かってもいる。不慣れ故の手際の悪さは目につくが、吸収が早い点にも身軽な身体にも若さを実感した。ザナトアはもうじき齢七十四。アランとの年の差は殆どちょうど六十年分と知った時は呆気にとられたものだ。孫と言っても通じてしまう。  卵屋の内部はいつもより静かだ。ヒノヤコマを頭とした群れが出かけているところである。親友である幼く飛べないドラゴンは、衰弱を契機とした病で飛べなくなったピジョンと談笑している。その隣で、涼やかにエーフィは横になっていた。  この子達をどこまで世話してやれるのだろう。騒がしいポケモン達を前にふと静けさに襲われた時、ザナトアは一考する。  少なくとも、余程の不幸が無い限りフカマルは遺される立場となる。ドラゴンポケモンの寿命は長い。種族によっては人の一生を超越する。純粋培養といえようか、無邪気でとぼけた明るさをもったまますくすくと育つ彼を見ていると、必然的に彼が経験する別れについて考えざるを得ない。則ち、自身の死後の世界について。  誰かが死んでも、此の世は途切れることなく動いていく。しかし自分の命は自分だけのものではないと知っている。だからフカマルには自分以外のおやが必要だ。野生を経験していないのだから尚更である。ドラゴンポケモンを簡単に野に放てば、生態系が崩れる恐れもある。無論、フカマルに限らない。ここに住むポケモン達、皆まとめて、互いに互いの生命を共有しており、誰かの助けを借りなければ生きられないポケモンもいる。  ふと、顔を上げた。風の流れが変わった。傍でドラゴンが軽快に鳴く。  フカマルが窓に跳び乗り、小さな手を懸命に振っている。つられるように、エーフィが隣へ歩み身を乗り出した。ヒノヤコマや、野生に帰ろうとしているあのポッポを含めた群れが帰ってくるところのようだった。ザナトアは立ち上がり、整然と隊列を成して飛翔する群衆を見つめる。彼等は数日後に控える、湖を舞台にしたレースに出場する面々だ。  秋、晴天の吉日に催されるキリの一大行事である秋季祭で行われる、鳥ポケモンによる湖を舞台としたレース、通称ポッポレースには、いくつかの部門がある。  町を超えて、国土各地のチェックポイントを回り再びこのキリに戻ってくる過酷で長期間を覚悟する部門。こちらは数日を必要とする。一方、湖畔に点在するチェックポイントを全て回り同じ場所へと帰ってくる、数時間で終えるレースは、一定のタイムをクリアした精鋭の参加する部門と、誰でも参加可能な部門とがある。ザナトアの擁する野生ポケモンのグループは後者での参加となる。前者は参加規定としてポッポのみという縛りがあるが、後者は種族を選ばない。形式上順位はつけられるものの、己の肉体を駆使し競うことが目的というよりも、空気感を楽しむ場だ。出場するポケモンが多岐に渡るため、華やかがなんといっても特徴である。家族や友人同士で共に飛ばせたり、衣装を着せたり、背中に別のポケモンや人間を乗せて飛ぶのも許されているような自由なレギュレーションだ。当日の飛び入り参加も可能、飛べさえすれば良いという内容で、珍しいドラゴンポケモンでも出場すれば拍手喝采、注目を浴びる。手に汗握る本気の試合形式とはまた違った趣向で祭を盛り上げる。  とはいえ、混沌とするため事故を招きやすい実情がある。  大小入り交じる見知らぬポケモン達に囲まれると、不安に煽られあらぬ方向へ飛んでいき迷子になる、或いは単純に体力不足等の様々な理由で、棄権するポケモンも出てくる。ザナトアは全員が最後まで飛び続けることを最大の目標とする。そのために、チームで隊列を組み練習を重ねさせた。ただ、ザナトアは特別なことは殆どしていない。飛んでしまえば手を離れる故もあるが、彼女が口を出さずともヒノヤコマやピジョンなどレースの経験者である進化ポケモンが全体をコントロールしてくれている。彼等は血は繋がっていないけれど、皆兄弟のようなものだ。信頼で結ばれた結束は固い。  しかし、このうちの何匹かは恐らくそう遠くない将来にこの卵屋を離れていくだろう。自分の手元から離し本来の居場所へと帰す、それこそが今のザナトアの使命である。  不意に、新入りの獣の尾がぴんと伸びて、喜びの声をあげた。  ほんの少しの挙動だけで解る。主人が帰ってきたのだ。  西日が強くなっている中、長い丘の階段を上がりきったところだ。漸く見慣れてきた栗色の髪を、朝と同じく後ろで一つに結っている。両手に紙袋を抱えて重たげであった。 「手伝いに行っておやり」  エーフィに声をかけると、彼女は頷いて、すぐさま駆け下りていった。惚れ惚れするような滑らかに引き締まった身体を柔軟に伸ばし、主を労うことだろう。  群れが窓の傍で��集し、小鳥達から中へ入っていく。一気に賑やかになり、フカマルが一匹一匹に声をかけていた。このささやかな時間がザナトアにとっては愛おしいものである。  逞しいポケモン達と時間を過ごすほど、別れを意識し、同時に命を貰っていると痛感する。けれど別ればかりが人生ではない。ここが居場所と定住を決めた者もいる。まだこの子たちといたい。痛快な人生、まだ終わらせるには勿体ない。 「お疲れさん。さ、ゆっくりお休みよ」  薄い黄金色をした穀物を餌箱に流し込めば、疲労もなんのその、活気溢れて食い付く鳥ポケモン達に微笑んだ。先導したヒノヤコマ達に声をかける。後で好物の小魚を持ってきてやろう。祭日に向けて、皆順調だ。  フカマルを引き連れて、食事に騒ぐ卵屋を後にする。リビングに戻ってくると、アランが荷物を下ろしているところだった。白い頬に薄らと血色が透いている。アランはザナトアに気付くと、柔和な笑みを浮かべた。  反射的に抱いたのは違和感である。  妙だ。  ザナトアは直感した。  アランは約束通り夕食準備に間に合うように帰宅し、台所では隣に立ち、いつものように料理を手伝う。流石に熟れてきて、ザナトアが何も言わずともフカマルの好みを押さえた餌を用意できるようになったし、自身のポケモン達にもそれぞれに合った食事を用意している。購入品を手早く冷蔵庫にしまえるようになり、食器の収納場所は迷い無く覚えてしまった。  ポケモンに対しては些細な変化にも気を配れる自負があるザナトアだが、人間相手となると疎いことも自覚している。良くも悪くも厳しく、距離を置かれることも多い。自然と人との交流が減り、偏屈に磨きがかかった。しかしそんなザナトアでも、頑なに無表情だったアランが町から帰ってきて急に笑うようになれば、嫌でも勘付く。人形のようだった人間が、本来の形に戻って笑む。それは人としておかしくはないことであるが、違和感を持つのは皮肉である。  散らかった机上に無理矢理空間を作ったような場所で日常通り食事を囲い、アランはぽつぽつと穏やかな色合いで話す。アメモースの抜糸やブラッキーには異常が無かったこと、町はいよいよ祭が近付き浮き足立っていたこと、湖畔の自然公園に巨大なステージが設置されていたこと、町中でポッポレースの広告を見かけたこと。確かに喜ばしい報せもあるが、アメモースは完治したわけではなく、他の問題が解決したわけでもない。大きな変化を与えるほど彼女が祭に興味を持っているかと考えれば、ザナトア自身は疑問を抱いた。過ぎるのは、別の要因がある予感だ。無表情の裏で何を考えているのか読むことの出来ない、端からは底知れない少女にしては、実に明白な変化だった。 「町で何があったんだい」  食器を置き、単刀直入に尋ねた。表情は変わったが、相変わらず食事の進む速度は鈍い。  アランの笑みが消える。ザナトアの問う意味をすぐに理解したかのように。  逡巡するような間を置いて、口を開いた。 「エクトルさんに会いました」  存外あっさりと答えて、ザナトアは不意を打たれたように目を丸くした。 「病院でアメモースとブラッキーを診てもらってから、時間があったので」 「……そうか」  知人に出会い気が紛れたのだろうか。アランは常にどこか緊張し、相手の様子を窺う目つきをしていた。普段は気にもならないが、時折妙に儚げに飛行するポケモン達を眺めていることもあれば、刃先を向けているような非道く冷酷な顔つきをしていることもある。  二人共暫く黙り込んでいたが、長くは続かなかった。ザナトアの方から続ける。 「あの子、元気にしているのかい」 「はい」 「そうかい」細い目が、更に小さくなった。「それなら、別にいいんだけどね」  ザナトアの肩がゆるやかに落ちる。  アランは目を伏せ、手にしていたスプーンを皿に置く。スープなら多少は食べられるので、ここ最近は専らそればかり口にしていた。 「前から思っていたんですけど、ザナトアさんとエクトルさんは、どういう関係なんでし���うか」  耳を疑うように、老婆の眉間に大きな縦皺が寄る。 「知らないのかい」  信じられないとでも言いたげな声音だ。アランが戸惑うように肯くと、大きな溜息が返ってきた。 「呆れた。……いや、あいつにね。今更だよ。語るほどのものでもないけれど」 「昔、お世話になっていたとは聞いています」 「それだけかい?」  できるだけ相手の神経を逆撫でしないよう注意しているかのように、慎重にアランは頷く。 「そうかい。まあ、それだけだがね、しょうがない子だね……あんたも本人に聞いてやればいいのに」 「なんとなく、聞いてはいけないような雰囲気があって」 「これだけ年が経ってもまだ引き摺っているんだろうねえ……あたしのことなんて忘れたものだと思っていたくらいなのに」  解った、と彼女は言う。 「これを食べたら喋ってやるさね。ちょっと長くなるかもしれないがね。だからあんたも今日はそれを食べきってやりな」  ザナトアはパンを千切りながら顎でアランの手元のスープを指した。今日買ってきた野菜をふんだんに使い、細切れの豚肉を放り込み、うんと柔らかくなるまで煮込んでスープに溶けてしまうほどになっているものだ。ミルク仕立てで見た目はシチューにも近いが、濃厚な味付けではない。味が濃いと気分が悪くなってしまうからだった。  黙ってアランは食事を再開した。義務感に駆られるのか、その日は綺麗に平らげてしまった。
 食事を終え、部屋の奥のダイニングテーブルに熱いアールグレイを淹れたカップを二つ並べ、二人は直角の具合にソファに腰掛けた。アランは眠たげに触角を下げたままのアメモースを膝に抱える。  ザナトアは小さく浮かぶ湯気を眺めて、一口軽く含んだ。味わう間も殆ど無く、胸中を熱い塊がするりと落ちていく。  ポケモントレーナーだったんだよ、とザナトアは始め、アランは背筋を伸ばした。 「まだあたしが育て屋の現役だった頃にあの子は遊びに来るようになった。クヴルールの家元だったから実家は町の方だが、親戚がこの辺りに住んでいてね。何の縁か、ここにやってきた。子供は大体ポケモンに憧れるからね。噂でも聞きつけたんだろう。ここには沢山のポケモンがいると。  多くのキリの人間が一家に一匹は鳥ポケモンを持っているように、あの子も一匹ポケモンを持っていた。  今でも覚えているよ。見てほしい、としつこいから仕方なく相手してやったら、モンスターボールから立派なチルタリスを出してきた」  まだ八つか九つか、そのくらいの年齢だったはずだとザナトアは笑う。 「自分で育てたって言うんだ。多少は震えたね。勿論、ほんのちょっとさね。それから流石に嘘だろうと思い直したけど、話を聞くほど、どうやら本当らしい。こっそり野生ポケモンと戦わせたり、本を読んで技を訓練したりね。やけに熱っぽく語るものだからさ、嘘にしちゃ上出来だとね。  その日からあの子はよくここに来るようになった。町からここまでは遠いよ。一日に数回だけ通るバスを使ってさ、チルタリスが人を乗せられるようになってからは、その背中に乗ってね。学校が終わってからここに来て、長期休暇になれば泊まり込んで。ポケモン達とバトルをして、遊んでいた。親がどう言うかあたしは心配だったんだが、どうも事情が複雑で、誰からも咎められることはなかった。あの子の家族は、あの子に無関心だったのさ」  ザナトアはソファを立ち上がり、リビングから廊下へと繋がる扉のすぐ隣にある本棚の前に立ち、一つ取り出した。古びた群青色で、厚みのあるアルバムだった。  ダイニングテーブルに広げられたものを、アランは覗き込んだ。少し焼けて褪せた色が写真の古さを物語った。幼い黒髪の少年と、チルタリス、数多くのポケモン達の日々が記録されている。たまに写る女性は、今よりずっと皺の少ないザナトアだった。カメラを向けられることに慣れていないように、ぎこちなく攣った表情をしている。  少年は満面の笑みを浮かべていた。乳歯が抜けたばかりのように、でこぼことした白い歯並びが印象的である。ページを捲るほど目に見えて身長は伸び、体格は大きくなっていく。顔にも膝小僧にも擦り傷をつくり、絆創膏を貼り付けているのは変わらない。時を進ませたどの写真でも多様な表情を浮かべている。説明が無くとも、少年期のエクトルであると察することができた。基本的には無愛想な今の彼とは正反対の、自由奔放に溌剌とした姿であった。 「悪ガキだったよ、あたしからしてみれば。こちとら仕事だからね、勝手にバトルされると調整が狂うからやめろって言ってるのに聞かないんだから。外が静かになったと思ったら書庫で本を読み漁って床に物が散乱してるし、こうした方がいいああした方がいいって育成に口を出してくるし。子供は黙ってろってね。でもちゃんと聞くと、的を外しているわけではない。あたしも随分教えたね。気に食わないところもあったけどね、楽しいもんだったよ。  ポケモンを持つ子供が皆そういうように、プロのポケモントレーナーになりたい、ポケモンマスターになりたいって話をしていた。あの子は確かに子供だったけど、立派なポケモントレーナーだった。  実際、ちょっとした大会にも参加していてね。キリは地域柄ポケモン関連のイベント事は盛んな方だが、ジュニアじゃ抜きん出ていて話にならなかった。大人相手でも遅れをとらない。その頃になればはっきりと確信したね。あの子には才能がある。こんな田舎町で燻らせるには勿体ないくらい。  あの子が家でよく思われていないのも流石に解っていた。どれだけ結果を出しても気にも留めない奴等なんか見返してやりな、とよく言い聞かせていた。誰よりもあの子のことを解っている気でいた。だから客のトレーナーともバトルの経験を積ませ、首都で開かれるような全国区の大会にも参加させた。あたしが保護者役でね。そこまでいくとレベルが高くなってきてね。バトルが得意な人間なんていくらでもいるんだよ。最初は一回戦で負けた。こんなもんかとちょっと残念だったけど、悔しかったのか更に夢中になって遂には家出してしまってね。流石のあたしもあの子の親戚の元に話をしに行ったんだがね、好きにさせてやれなんていうものだから、腹を括ったというかね……。あの子はあの子で、難しい本を読んで知識を詰め、新しいポケモンも育てて、技を鍛え、毎日戦略を練って、益々のめり込んでいった」  ふとアランに笑いかける。幾分、いつもよりもザナトアの表情は柔らかかった。 「修行の旅まで出たんだよ」  アランは僅かに目を丸くした。 「旅……ですか?」 「そうさ、あんたと同じ。と、あんたは別にトレーナー修業ではなかったか」  ザナトアは続ける。 「危険が伴うから賛否あるがね、西の山脈方面に向かうと手強い野生の根城がごろごろある。それから各地の大会に出て、経験を積んでいった。旅を始めてからは何か合致したように腕を上げていってね、楽しそうだったよ。元々風来坊なところはあったけど、自由な生活が性に合っていたんだろうね。自分の居場所を自分の力で探すのは、とても大変だけれど。立派なことさ。挫折も経験、栄光も経験、ポケモン達と共に成長していった。あたしの楽しみは、チルタリスに乗って帰ってくるあの子の土産話だった。日に焼けて、身体はどんどん大きく逞しくなって、元気な顔を見せてくれることがさ。あたしには子供がいないけど、息子のような存在だった」  流暢な口が、不意に立ち止まる。 「転機は恐らく、クヴルール本家のご息女が生まれた事だね」  静かな口調は、次への展開を不穏に物語った。つまりは、クラリスの影響となる。アランは口元を引き締める。 「規律に厳しいと言われてるクヴルールの人でありながらあの子が自由にできたのは、分家も分家、それも末端の、末っ子の人間だったからだ。そこらのキリの人間とそう変わらない、ただ名字だけクヴルールと貰っている程度。  詳しい経緯は知らない。ただ、あの子が連れ戻されたのは、奇しくもあの子がここらでは誰よりも強いトレーナーだったからだ。そのときには最早誰もが認めざるを得ないほどに。  細かい事情は、あたしだって知らないけどね。要は、お嬢さんのお目付役を頼まれたってことさ。  ポケモントレーナーとしての目標を捨てると、トレーナー��もう辞めると言い出した時は、あたしの方まで目の前が暗くなったね。そこに至る葛藤を今なら想像こそできるが、……いや、それは烏滸がましいだろうね。うん。激しい口論になったものさ。  純粋な自分の望みなら大した問題じゃない。プロの道は甘くないし、途中で諦めるトレーナーは数知れない。あの子もその一人だったというだけ。だけどあの子の場合、その理由はあの家にあった。  あまりにも今更だろう。どれだけ戦果を上げようと家族は殆ど見向きもせず、むしろ邪魔者が離れてせいせいしたというくらいだったのに、トレーナーとして誰が見てもそれなりに形になってきてこれから成熟していこうという時に。家に戻れ、ご息女を護れ。どの面下げて言えるのか、ふざけるのも大概にしろとね。人生の選択に少しばかり自由になりつつあるだろうに、いつの時代を生きているつもりなのかとね。クヴルールを許せなかったし、屈するあの子にも幻滅してしまった。……あの子は本当は、多分ね、寂しがっていたよ。家族に振り向かれないことを。だからポケモンに没頭していたというのも否めない。それを利用したのなら尚更たちが悪い。  結局喧嘩別れになって、それきりさね。あの子とは二十年近く会っていないことになる。凝り固まってたあたしも悪かったと今なら思うけれど、謝るタイミングも無くなってしまったね」  長い溜息をついた。 「エクトルはね、ポケモンが大好きだった」  噛み締めるように、懐かしむように、切実に、語る。 「あたしはこの界隈に身を埋めているから、プロトレーナーの道がどれだけ険しいかは理解しているさ。それでもね。ポケモンは沢山のことをあたし達に教えてくれる。あたしは今でも学んでるよ。彼等を通して得る経験はかけがえのないものになる。旅を勧めたのはあたしだけれど、あの子には世界はキリだけではないと教えたかったって理由もあった。トレーナーとして成功せずとも、ブリーダーでも、うちの手伝いでもいい。なんだって良かったんだ。あの子のポケモンに対する愛情は純粋だった、だからあたしはあの子がポケモンのと共にのびのびと生きてくれるのなら、それ以上に幸せなことはないと思っていた。宝だとすら思っていた。視野が広くて、冷静と情熱を使い分けられる子だった。そして何よりポケモンが好きだった。……自惚れだと、甘いと思うかもしれないけれどね、あの愛情は、正しい使い方をするよう誰かが導いてやらなければならなかった」  あたしには出来なかった、と感傷的に呟く。 「どんな形でもいい。あの家から引き剥がすべきだったと、あたしは今でも信じているし、後悔しているさね」
 ザナトアは彼女の核心にも迫る語り部を続けようとした最中、目頭を強く抑え、頭痛がすると言って、すんなりと幕引きを迎えた。アランはザナトアの骨と薄い肉ほどしかないような細く丸まった小さな身体を支えて、寝室へと連れて行った。やんちゃなフカマルもおとなしくして、ザナトアの傍についている。  寝床のソファに寝そべり毛布にくるまりながら、アランは夜の静寂をじっくりと味わう。  散りばめられた星から星座が生まれるように点と点が結ばれていき、合致する。嘗てエクトルがクラリスに放った言葉もクラリスが自由を求めて起こした行動も、昼間に彼が放った責任という意味合いも、真の根源は彼にあるのだとすれば繋がる。  判断を誤った、とエクトルは言った。  ならば正しい判断とは一体なんなのか。どこから誤っていたのか。どうすれば正しかったのか。  愛情の正しい使い方とはなんなのか。  ザナトアの言うことがもしも正しいのなら、彼は間違いで出来ているのか。間違ったまま生きているのか。正しくない愛情の行き所はどこなのか。そもそも正しさとはなんなのか。  以前キリで、ポケモンを好きだろうと彼女が言うと、彼は返した。そんな時代もあったかもしれない、と。大好きだったものがずっと好きであるだなんて確証はどこにもなくて、ならば、ザナトアの語った純粋な愛情はどう変容したのか。幸福の膨れあがった笑顔を浮かべポケモンに囲まれていた少年は、数多のネイティオの屍を重ねて繁栄を繋げようとした家の渦中に飛び込んでいった人物と同一なのだ。しかし、衰弱したアメモースに憂えた表情を浮かべた男もまた同じ人間である。  結局、暴力的なまでの濁流に巻き込まれれば、ひと一人分の人生など意味を成さないようでもある。アランの口から流れゆく重い吐息が、音も無く広がった。  生き物はずっと同じではいられない。人はいつまでも純粋ではいられない。アランも、アランを取り巻く存在も、皆。  部屋をぼんやりと照らす足下の小さな光が揺れている。暗闇に浮かぶ黄金の輝きがソファの傍にあって、余波のような淡さでアランの視界を僅かに明白にする。僅かな光も、暗闇の中ではしるべのようである。  月光に照らされるアラン自身は、今、無色の顔をしている。ザナトアの話を終始醒めた目で聴いていた。瞼をきつく閉じる。毛布を擦る音、白い月光、紙の匂い、沈黙するラジオ、健やかな寝息、闇夜に抱かれ皆眠る。ひとまぜになって混濁は透き通っていく。  部屋に響く風の音が強い。夜を彩る虫の歌が部屋に差し込む。  どれほどのことがあろうと、時間はやはり等しく生き物を静かに流し、夜を越えて、朝はやってくる。  卵屋の傍で首を千切られたポッポの死体が発見されたのは、朝陽もそよ風も穏やかで、たおやかで、平凡な翌日のことだった。 < index >
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receno · 3 years
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【Re:CENO TOKYO お店だより】 ・ こんにちは。Re:CENO TOKYOのエガミです。 今回は、店頭でたくさんお声をいただく、 〈 folk 伸長式ダイニングテーブル 〉の 伸長方法について、ムービーにしてみました。 手順はとってもシンプルです。 1、天板を固定しているフックを外す。 2、継ぎ板を外して、移動する。 3、天板を寄せて、再びフックを固定する。 店頭では、実際に伸長をお試しいただけますので、 気になる方は、スタッフまで、 お気軽にお声かけくださいませ◎ ・ #receno #interior #tokyo #furniture #dining #naturalvintage #folk #table #リセノ #インテリア #二子玉川 #家具 #ダイニング #伸長式ダイニング #ダイニングテーブル #ナチュラルヴィンテージ #フォーク https://www.instagram.com/p/CMGfTS1hhwl/?igshid=1adr33rwoqvrm
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wisdom-mat · 5 years
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これまで伸長式テーブルを丸型で使用していたものを伸長して、小判型で利用されるのに伴い、テーブルマットをオーダーいただきました。
サイズ:1655×1150(mm) 小判型:丸角R575(mm)
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trussfactory · 5 years
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" Hej! White Oil "ホワイトオイルキャンペーン
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5月31日(金)まで「オーク材・ホワイトオイル仕上げ」の家具をご紹介するキャンペーンを開催しています。
オーク材の『ホワイトオイル仕上げ』はオイル仕上げでありながら、オーク材の白木の風合いを感じて頂くことのできる、北欧・ヨーロッパでは人気のある仕上げです。
ソープ仕上げのチェアにあわせて、テーブルの仕上げを選ぶ際に、 『全体の色雰囲気をそろえたい』『ソープ仕上げの色味がいいけれど、オイルで仕上げたい』など、これまでなかなか叶えることのできなかった ご要望におこたえするキャンペーンです。
さらに、今キャンペーンを機に、ホワイトオイル仕上げの家具を中心に新しく3点の家具を展示入荷しました!
①「CH337 テーブル (ホワイトオイル仕上げ)」 ハンス J. ウェグナーによる、優雅な無垢材製のダイニングテーブル。伸長式の為、日常使いから お客様を招いたパーティまで、あらゆる場面に対応します。
②「CH24 / Yチェア (ホワイトオイル仕上げ)」 それまでに無かった新しいフォルムをもつCH24は、まさにデニッシュモダンの代名詞。世界各国で高い人気を誇っています。
③「CH53 スツール (オイル仕上げ)」 耐久性に優れたオットマン。スツールとしてエントランス、ベッドルーム、そしてダイニングなどに使用するのにも適しています。
ソープ仕上げのようで、滑らかなオイルの手触りをどうぞお確かめください♪
【"Hej!White Oil" ホワイトオイルキャンペーン】
期間:2019年3月1日(金)~5月31日(金) 営業日:金曜日,土曜日,第1 3 5日曜日(火~木曜日はご予約にて営業)  時間:10:00~18:00
購入特典:オーク材ホワイトオイル仕上げをソープ仕上げの価格でご提供いたします。(例:CH24/Yチェア ¥108,000→97,000税別)
場所:家具と道具のお店|TRUSS FACTORY (トラス ファクトリー) 〒753-0023 山口市三の宮一丁目1-58  営業時間:10:00~18:00
【火〜木ご予約・その他お問合せ】 Mail:[email protected] Tel:083-929-3555 (月祝休)
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