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#お客様と一緒につくる家づくり
kenchikuya-daitoku · 2 years
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新築住宅の基礎。 配筋検査。 長期優良住宅の検査です。 柱、建物を支える基礎! とても大事なところです。 #配筋検査 #耐震等級3 #新築現場 #瑕疵担保責任保険 #長期優良住宅 #構造内覧会開催します #高気密高断熱住宅 #大徳建設 #山口県工務店 #自由設計の家 #パッシブ設計 #性能値 #土地探し #資金計画 #お客様と一緒につくる家づくり @kenchikuya_daitoku https://www.instagram.com/p/Cg4aLzpvidG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sarahalainn · 4 months
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
自分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと違って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはとにかく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
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9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手くいったら、綺麗なFlowになる。
それを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONになってました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある!
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
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11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
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お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝いする方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは叶わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビ���ラートが殆どない、ピュアな歌い方。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
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ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お客様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェールも被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
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バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調)、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
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14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベースが鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
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16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
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満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇‍♀️
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サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
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lllusioninthehead · 2 months
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2024/3/5
いま、思えばなぜ紹介してくれた女の子は話してくれたのだろうと思う。人によってはアレルギーのある話だ。その友人の女の子が凄い霊能者と会ったと興奮気味に語ったときも最初はやや眉唾であった。占いは信じない質なのだが、本当に見える人が世にいるのは知っていた。友人の中でも2人いてよく面白半分で体験談を聞いていたし、常識や科学では説明がつかないようなことも自身でも経験したことがある。まぁ、時としてこういうのって全能感に繋がったり、自分は選ばれた人間だ。なんて勘違いした輩を生むし、金持ちがお金を吸い取られる様も見てきた。1時間20分で10000円が高いのかわからない。占いにしては高いし、本当に見えるのならば安い気もする。
紹介者の女の子からは10000円以上の見返りを求められたという話はなく、客を選んでる感じもない。誰でも紹介してくれて大丈夫だと言われてるそうだ。
ならば、早速と紹介を頼むとあっさりとLINEの友達紹介が送られてきた。ここでは仮に“四季さん”としよう。◯◯から紹介されました。お会いしたいのですが可能でしょうか?と送ると数時間後に時間と金額と場所、そして日時の提案があった。
一度、四季さんの仕事の都合でリスケはあったもののすんなり会うことができた。別で仕事をしてるんだと頭に浮かんだが。まぁ、そういう人もいるかとすぐに疑問は打ち消された。
会うまで2週間程度。何を相談しようかと考えていた。当面の課題いくつもあれど、大体は方向性が決まっている。相続問題には弁護士が入った。家を建てる話には土地が決まり地盤調査が無事に終わりそうだ。奥さんの家族とそりが合わない問題も心のなかで決着を見ている。奥さんにも素直に話せているので距離感が遠くなり楽になると思う。新しい仕事を1つ考えていてこれは確かに相談したいかもしれない。あとは何と言っても拠り所のない自分のこと、知りようも無い飼っていた犬の気持ち。そして四季さんへの好奇心もある。ただ、最後のこれはどこまで聞いて良いのかわからなかった。
−−−−−−−−−
当日はひとつMTGをこなし、都心の街に出た。待ち合わせに遅れるのは苦手なので30分前に着いてしまった。まぁ、いいか。と久々に訪れた街をブラブラ歩いた。もし、すべて見れる人ならばこんな光景も見られているのかもしれない。雨がぽつりぽつりと降ってきた。終わる頃にはお昼だなとどこで食べようか検索したりしていると時間になった。
待ち合わせの喫茶店で席番号を伝えると少し年配の優しい感じの女性はすべて心得てるようで「はい、承っております」と答えた。ひとつ階をあがり、上着を脱いで席につく。「着きました、お待ちしております」とLINEでメッセージを送ると今向かっておりますとすぐに返信が来た。
浮ついた気持ちを抱えながら待っていたものの、不思議と猜疑心はなかった。友人からさんざん凄さについては語られていたのもある。
現れた四季さんは普通に少し遅れたことを謝り、特別な服装や髪型ではなく、少しおせっかいそうな雰囲気あれど、神秘性なんて何も無い話し方で、慌ただしくアイスレモンティーを頼んだ。おしぼり使ってくださいね、���は奥側でいいですよ。と気遣いできる人で身構えたこちらとしてはホッと何かひとつ肩の力が抜けた気がした。
事前に聞いた通り録音しても構わないと言われ、スマホの録音ボタンを押して、子供がお絵かきに使うような消せる小さな黒板に聞きたいことの周辺者を書いてくださいと差し出された。
差し出される際は「相続ってのが出てるんだよなぁ」や「複雑な家庭ですよね?」とすでに見透かされているような発言をされていて胸の鼓動が早まる思いだった。自分の名前、奥さんの名前、母の名前、義父の名前、義父の息子の名前、父の名前、兄の名前と書く。そして、そこに年齢を足していく。
まだ、完全に信用していたわけではないのでこちらから情報を出すことはしない。
まずはお母さんからと話す出す。お母さん相手を間違えてしまったね。ただ、そこをいまさら責めておかしいし。この人は責められるの苦手だし溜め込んでしまうんですよね。
母の写真に手をかざす。すると、母がたまに話す愚痴と同じ語り口調でつらつらと母の心境が出てくる。まるで、そこに母がいて自分には見えなくて、その通訳をしてくれてるかのよう。それくらい母が話す言葉と語尾までほぼ同じだった。
「お母さん、良く喋る人ですね?」と笑う。そして、「実の父親」という言葉が出てくるんですけどと言われた時にドキリとした。母は養子縁組を祖父としていて、祖父に育てられた。その情報は四季さんにもちろん伝えていない。
自分は違うんですけど母方は宗教にどっぷりなんです。と伝えるとずばり宗教法人の名前が出てきた。これも伝えていない。
潜在意識と会話をしているんです。と四季さんは言う。その後に話される言葉も核心をつくようなことばかりだった。
奥さんが出会えてよかったと言っている。運命の人だからここは大丈夫ですよ。と言われた時にはすっと胸の澱がいくぶん落ちた気がした。
四季さんが言うには
人は家庭でもらった愛情しか自分の子供に伝えることができない。例えば1%の愛情しか貰ってない人は2%の愛情を子供に渡すことは出来ないと言う。
なので、あなたの場合はお母さんが愛情をもらってない。そして祖母も愛情をもらってないと伝わってきてるものなんです。
少しここで胸が傷んだ。では、自分は?自分も子供が出来たとしてやはり愛情を渡せないのではないか?
疑問をぶつける間もなく話は進んでいく。
「お仕事などんなことをされてますか?」という質問から「事業拡大というのが出ているんですが」
未来を見ることができる仕組みはわからないし確かめようがないがこれから取り組もうとしている仕事について話した。
人は、誰もが使命を持ってこの世を生きていると言う。それは大きい人もいれば、小さい人もいる。その使命に気づいてほしくて自分はこの仕事をしている。と前置きをされて言われたことは自分の周りに散らばったものを集めたようなもので、とにかく困難で緻密でとても到達できないんじゃないかと思えるようなものだった。
その後は前世の話をされ、それもなぜかすっと納得いくようなもので。そして、ずっと見守ってくれる人がいることを伝えてくれた。それは父性というものを経験したことがない自分にとっては嬉しく、自分はずっと一人ではなかったのだと思った。
その見守ってくれる人の風貌を教えてもらい、母に確認すると母方の高祖父ではないかと。母には四季さんに見てもらったことを伝えていないので「なんで急にそんなこと聞くの?」となっていたがややこしいので話さない。四季さんは見守ってくれてる人は背が高く母のようにお喋りでしっかりしていて頼りがいのある感じだとのこと。高祖父は昔の人にしては珍しく身長が高かった(180センチ以上だった)と訊く。
高祖父が昔飼っていた犬と一緒にいる。ボールで遊んだり、散歩をしたりしている。と聞いて少し泣きそうになってしまった。それを知れただけでも来てよかったなと思えた。思春期の頃に飼っていた犬で可愛がっていたけど、充分にしてあげれたとは思えなかったし、ツラく当たってしまうこともあった。
気にしてない。大丈夫。もっと遊んでほしかったけどね。とそう言っていると伝えてくれた。
帰り際に「次に来るとしたら◯◯の件だと思いますよ」と予言めいたことを言われた。その前世があるからあなたは戦ってしまうところがあるのだと。
また来るのかな。まぁ、人生は悩みが尽きないしそうかもしれない。
−−−−−−−−−
当然ながら1時間20分の内容をここにすべて書けるわけもない。終わったあとは驚きと納得と情報処理で頭がグルングルンしていた。
帰り道、Recorderとして使っていたせいで充電が少なくなったスマホを眺めながら、紹介者にお礼を打ち送信した。
四季さんからは誰でも紹介してもらって大丈夫です。LINEを教えてあげてください。と言われていた。悩んでる友人やこういった話にアレルギーがない人の顔が浮かんでくる。とはいえ、実際に行く人は一握りだろう。未来視を受けたくない人だっているはず。そこには凄惨な未来も少なからずあったから。奥さんもそのひとりで、未来を知るのは怖い。人の気持ちを知るのは怖いと言っていた。
なんとなくだけど、四季さんはその人が変えられることだけにフォーカスしてくれてるような気がした。2年先のことが見えない人もいるとぽつりとこぼしたし、何かに固執して柔軟に生きていけないのもそれは仕方ないことだとも言った。
自分には知らなくても良いことは伝えずに、良くなる可能性があることをたくさん話してくれた。基本的には内容はポジティブで誰にとってもこう胸が温かくなったり、何か支えや指針ができたりする話だった。
−−−−−−−−−
さて、不思議な体験談は以上としよう。
あなたもきっと見てもらったらびっくりするはず。恐ろしい程に自分だけが知る自分や、自分の周りにいる人のことを当てられる。疑う余地がない。
ただ、四季さんが話した未来のことや前世のことや守護霊みたいな人のことはわからない。だって確かめようがないから。答え合わせはずっと先。いつだって人生はそうだし不満を言っても仕方ない。
この投稿を見て、これ書いた人はスピに被れたイカれた人だなと思われるのも仕方ない。人の感性はそれぞれだし。もし、あなたが何かに悩んでいたり好奇心旺盛で体験をしたい、四季さんに会いたいという人がいれば連絡をくれると良い。東京近郊、または東京に来る予定があるならば会えるはず。
知るということに臆さない、勇気のようなものがあればたぶんそれを人生の糧にできるだろう。
もちろん、自分に何も見返りはない。でも、前世でもそういうお節介な人だったようだ。そして、なにより好奇心が大きい。あなたが何を四季さんと話したのか教えてくれればそれで嬉しい。
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mm0924 · 2 months
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February of Mei Nagano. 2月。ショートケーキはどうやっても倒してしまう人間です…と言えたら不器用で可愛い女の子を演じられたのかもしれないけど、ショートケーキは最後まで倒さずに綺麗に食べられる人間です。フルーツがたくさん乗っているケーキは下の土台とフルーツをきちんと同じ分量で食べられる自信があるし、オペラケーキみたいな長方形で安定している形のケーキならお皿の上にスポンジが1つも残らないくらい綺麗に食べられる自信がある。だけど、ケーキの箱に入ったお持ち帰りのケーキを上手に持って帰る自信はまるでない。ケーキって味はもちろんだけどそれ以上に見た目だと思うんです。箱に入ったケーキをそーっと綺麗なままで持って帰ったつもりなのに、帰ったらいつの間にかケーキは歪んでいて、そんなケーキの存在をながのだけが見て、食べて、なかったことになるんです。ううん、なかったことにするんです。だってきっとそれはこのケーキが本来想定されていた〝食べられ方〟ではないから。ながのの思い込みかもしれないけれど、このケーキを作った人が届けたかった形ではないから。きっと誰よりも〝形〟に〝見た目〟に囚われていると、悲しくもがな感じることがあります。〝感情〟1つでさえその場で現れた感情を如何にして何%で表現するのかを考えてしまうし、友達以上恋人未満のもどかしい関係があったとしたら形の見え方の正解を求めてしまう。曖昧で〝今〟が楽しければいいと思う反面、自分の中で区切られている何かに全てを分類しなきゃ気が済まないんだろうな、と自分の性格を客観視しています。A型の取り扱い説明書みたいになってますけど、ながのAB型です。一言でいうと(「AB型」「性格」「一言」検索)あっさりさっぱりした性格、だそうです。うん、間違いではない、むしろ大正解。だけど、ながのが持って帰ったちょっと歪んだケーキを一緒に笑って「美味しいね」って食べてくれる人にはできればずっと隣にいてほしいと、ながのの中のさっぱりしていない部分で思っています。ケーキを持って帰るのはあくまでもながの。一緒に持って帰ろう、は違うんです。…なんてややこしい子なんだ、と思われていることでしょう。でもこんなややこしいながのにそうやって上手に距離を作ってくれて、ながのが上手くケーキを持って帰れるように手助けしてくれる人が近くにいてくれるんだもん。幸せ者です。ショートケーキ、ロールケーキ、チーズケーキ…きらきら輝くショーケース。さて、今日は何のケーキをテイクアウトしよう。 日々生きているだけで、色々なことがある。言っていないこと、言えなかったこと、言いたかったこと、あえて言わなかったこと、我慢したこと、我慢できなかったこと、泣きたかったこと、泣いてしまったこと…きっとたくさんあると思うんです。〝人〟の〝生〟き様について。生きる意味を考えない人もいるし、考えすぎてしまう人もいるし、考えないようにしてる人もいるし、意味なんてないと考えている人もいるし、生きながら探し続けている人もいる。日々生きているだけで起こる〝色々なこと〟のせいで、このままふらっと消えちゃおうかなと思う瞬間や衝動は大人になるにつれて増えたけれど、そんな時「人生なんて、あともうちょっと頑張ろうの繰り返しなんだよ!」といういつかの誰かの言葉を思い出します。そして〝あともうちょっと〟について考えて、絶望したり希望を見出したりするんです。きっとこれから先の人生、それの繰り返しで大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりするんだとしたら、生きていくことって心細すぎる。1人じゃとても抱えきれないとも思ってしまう。���丈夫じゃなくなる直前までは誰かに頼ることができるけど、本当に大丈夫じゃなくなってしまったらもう1人でうずくまることしかできなくて、そんな状態に慣れてしまうんです。ながのにもそんな時期があったし、これからもあるかもしれない。だから、元気の無い状態に慣れてしまわないように、元気になれそうなことは積極的に摂取していきたい。例えば、雨の日にお気に入りの傘を差してみたり、いつもより少し大きな声で「いただきます」と言ってみたり、家を出る前には姿見の前でくるっとターンしちゃったりなんかして…小さいけれど元気になれそうなことをかき集めていたら、気付いたら大きな元気玉になっていたりするものなのよ。ふふ、得意なんです、小さな元気を見つけるの。小さな元気をかき集めて「あれ?もしかしたら凄い元気かもしれない」そんな錯覚をしながら生きていけたら、それが希望になるんじゃないかと思ったりします。生きる意味なんてないかもしれないし、意味がないことに意味があるのかもしれないし、この世界を去る瞬間にしか分からないことなのかもしれないけれど、いつか「このために生まれたのか!」と思えるときがあるかもしれないし…まだよく分からないけれど、分からないからもう少しここで生きてみようと思う。あともうちょっと頑張ろう。 お仕事!今月は伊右衛門やアイシティの新CMや、「Ray」の表紙や「BARFOUT!」の紙面に出していただきました。また、今年もミラノで開催されたPRADAのショー『PRADA FW 24』に出席させていただきました。PRADAのアイテムはどれも可愛くて、年々パワーアップしています…!そして、現在放送中のドラマ『君が心をくれたから』のノベライズが発売決定となりました。小説にはドラマ本編の内容に加えてドラマには出てこないオリジナル短編小説も収録されています…というのはXの投稿にも書かせていただいたので、ここを読んでくれた方にだけ特別にもう少し教えちゃうと、オリジナル短編小説は宇山さん書下ろしで『クリスマスと小さな二文字』というタイトル、高校生の雨ちゃんが「太陽さん」から「太陽くん」と呼ぶまでの物語です。好きな人の呼び方を変えるってどういうことだと思いますか?ながのの考えもちょこっと小説で知れちゃいます。1巻は雨ちゃん視点の短編となっていますが、2巻は太陽くん視点で別エピソードになる予定(宇山さんが締め切りに追われているのを目撃しました)なので、是非ノベライズもご一読ください。ドラマはもう8話の放送を終え残りあと3話、〝逢原雨〟として精一杯生きたいと思います。
3月のながののイチオシソングは声にならないよさんの『死にたい夜のBGM』。何度聴いても単刀直入だなと思う歌詞だけど、辛くてどうしようもなくなった時、この曲がもう一度ながのの目の前に出てきてくれるんだと思う。
君の笑顔が曇ったこと僕が気づかない訳ないでしょ? 君の瞳がにじんだこと僕が気づかない訳ないでしょ?
そう言って口下手なながのから言葉を引き出してくれる、大好きな人へ。MVに出てくるノートに書かれた「・仮面をかぶっている自分→私とは?」、泣いていないふりをして静かに涙を拭いて、連絡のこないスマホはただの鉄の塊にしか見えなくて、パソコンを開いて文章を書こうと思うけど何も出てこなくて、だけどあなたと話している時間だけは全部忘れてころっと笑顔になれちゃう。死にたい夜のBGMはいつもあなたの声で、気づかない訳ないってわかってて「どうしたの?」と尋ねてくれる優しさに甘えて温かさに包まれて安心して、頼りっぱなしで甘えっぱなしでたくさん我慢させてる。これはめいの力不足。2分5秒から始まる手拍子に背中を押されて前を向けた。気持ちを原点に戻して。あなたがあなたらしくいられるように、辛くてどうしようもなくなった時、死にたい夜のBGMがめいの声になったらいいのにとそんな欲張りなことを願う。あなたの幸せの形を選ぶのはあなたしかいないけれど、めいの幸せの形には間違いなくあなたが存在します。もっと知れますように、もっと知ってもらえますように。上手に気持ちを伝えるのは苦手だけど、1つだけ。もしまた生まれ変われるなら、次も絶対出会いたい。 Tumblrの更新が回を増すごとに綴る文章の題材、内容、言葉選びに不安を抱えているながのですが、「紅茶入れてからゆっくり読みたくて」とか「毎月の壮大なタンブラー好きだよ」と言ってくださる方々のおかげ(本当にありがとうございます。)で毎度自己肯定感は上がりっぱなしで調子に乗って後書までつらつらと書き進めている今日この頃です。こうして毎月文章を書いていると〝うっかり言っちゃったこと〟より〝それでも言わなかったこと〟にその人の本質があると思える時があるんです。きっとそれって〝生まれつき持っていた感情〟よりも〝生まれてから育てた意志〟に興味があるからだと思います。ながのがTumblrに綴る言葉は陰も陽も、ながのの意志が伴って発信している言葉。発信した言葉の裏にはいつも〝それでも言わなかったこと〟が付きまといます。生まれつき持っていた感情に流されて、言わないでいいことまで言ってしまうとか、言いやすいから強く言いすぎてしまうとか、そうやって相手への気遣いを疎かにして、無意識に一緒にいられる毎日が当たり前だと思ってしまっていて、そんな怠惰の積み重ねで関係って崩れていくんです。関係って水みたいで、零したものにこだわって掬いなおそうとしても元に戻すのは難しいから、これからまた少しずつ注いでいく必要があるんだと思う。グラスが割れないうちに。自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 3月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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xx86 · 2 months
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3回休み
最近自分の書く文章が説教たらしく嫌になる。でもネイル可愛いしいっか。ネイル可愛いと人生カワイイ。お店で塗ってもらった時はピンクすぎると思った色もオフィスでみればちょうといい。事務所はなにもかも全体的にぼやけているので、華やかにしてないと途端に自分も見失う。同僚の深山さんと、散々他課の後輩のネイルが派手だと盛り上がったあと、でも松田さんのネイルも似たようなもんだよねと笑われたので今回はデザインを大人しくしたつもりではある。私もすっかりお局だけれど、事務職のお局というのは暇すぎて誰も彼も他人のネイルばっか批判している気がする。ぼやけた空間ではそれだけがセンシティブに映るのだ。
最近はお薬が効いてきたのか情緒が安定している。とても良い事。やっぱり精神病も早期発見早期治療に越したことはない。まあ先週熱田神宮で縁切り祈願をしたおかげかもしれないけれど。縁切りは別に他人とだけではなく、病気や悪癖との断絶でもあるときいて、縁切りのプリンアラモードよろしくあれもこれもとトッピングしながらお願いしてきた。もっとも霊感0すぎて安井金比羅宮でも縁が切れたことはない。ある意味すごくない?神様から嫌われてんのかな。
私は性格が悪く気の強い女が好きで、今通っているサロンのネイリストのお姉さんも例に漏れずそれだ。初回1時間まではハズレのネイルサロンに来ちゃった、二度と来ないと誓っていたのだけど、残りの30分ぐらいが楽しくて以来通っている。私は嫌な客なので、ごめんなさいもう少し短くとか、塗ってみたらイメージと違ったとか、乗せたらパーツ大きすぎる気がするとか割とポンポン口に出してしまうのだけれど、その度お姉さんはムッとして無言になりながらも直してくれる。ウケる、それでも接客業かと思いつつ、わ〜イメージ通りになった〜とヨイショしながら固める。指摘を入れる度無言になるから気を悪くしてるのかもしれない、まあ固める前に言ってるし後からグチグチ言うよりいいだろとそれほど気にしてなかったのだけれど、松田さんって本当に気持ちのいい人ですよね、と嫌味のない声色でからりと言われて、やっぱりこの人好きだなあと思った。
一応三連休だけれど、ネイルにいって容疑者Xの献身をみて、最低限の家事をした以外は何もしていない。ちなみに容疑者Xの献身を観るのは初めてだけど、オチは知っていたので答え合わせをするように、都度ちゃっかり泣きながら観た。よかった、ネタバレしてなかったらダメージ大きすぎて今頃まだ放心状態だっただろう。
最近は気温の急変や気圧の変動で自律神経がかなりまいって頭痛もひどく寝込んでいたのだけれど、ずっと部屋に閉じこもっているのももったいないなと夜の9時に本屋へ車を走らせる。車があるとこういう時便利。ほんとは今日パン屋にも行きたかった。でも絶妙な距離にあるパン屋は駐車場がないから諦めた。明日電車に乗って行こうかしら。本屋でだらだらと本棚を眺めながら、何一つタイトルが頭に入ってこなくてああ疲れてるんだなと思った。本好きな人でもうつ病になると本を選べくなると聞いたことあるけどわかる気がする。本屋は情報量が多い。どデカい家電量販店と同じぐらい疲れる。
やっとの思いでNのためにを探し出す。平積みになっていたのに、どうして気づかなかったんだろう。ていうか全ての本屋さん作家別に並べてくれるタイプになったらいいのに。Nのためには彼にあげてしまったけれど、手元に置いておきたいぐらいにはお気に入りだ。湊かなえだけどそんなに怖くなくて、でも湊かなえ特有の救いはなくて好き。
明日は少し掃除して、スーパーにでもいって、本を読もう。気が向いたらパン屋にも行こう。明日雨か、今日スーパー行っとけばよかったなあ。
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takigawa · 1 year
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日本社会と世界は2025年までには AIの進化、メタバースの普及、NFTの一般化、ブロックチェーン経済の進展、量子コンピュータやIPS細胞の実用化などにより、大きな変化を迎えます。 このような状況下で、労働者として働くよりも、起業して自分のプログラムコードやアルゴリズム、映像などを提供する方が、人生の総収入と遣り甲斐が高くなると予想されています。 そして、次世代の組織であるDAO型組織が注目されています。 ご存じの通り、近年、日本やアジア圏においても「r>g」の理解が広がっています。経済学者トマ・ピケティによれば、rは資本収益率、gは経済成長率を表します。 「r>g」という考え方が、若者層にも浸透し始めているのです。この考え方とは、資本収益率が経済成長率を上回ることで、資本家たちは株式や不動産などの投資によってさらなる利益を得ることができる一方で、一般的な労働者たちは、生活費のために働き続けなければならないというものです。このような状況が広がっている現在、労働者として働くよりも、起業することがより魅力的な選択肢となっているのです。 要は「金持ちがもっと金持ちに。サラリーマンは一生、安月給」という事です。 もちろん多くの起業、スタートアップが成功する訳ではありませんが、 彼らは見ているのです。 手取り数十万円で頑張り、何年も家族の為に頑張り、多くの人が「役職定年」を迎え、努力が報われずに、元気が無くなった先輩たちを。 一度の人生で「チャンスがあるならば!」と仲間と企業にチャレンジする若者が増えてきているのは歓迎すべき変化です。 彼らは成功しなければ転職すれば良い、バイトで繋げばよいという柔軟性も持っています。 では、このような状況下で、「DAO型組織」の役割は何でしょうか?。「DAO」とは「分散型自治組織(Decentralized Autonomous Organization)」の略称で、従来の中央集権的な組織とは異なり、ブロックチェーンを利用した自律的な組織形態を指します。DAOは組織の意思決定をブロックチェーン技術を用いた自律的なシステムによって行うことができる組織形態です。つまり、従来の中央集権型の組織ではなく、参加者が自由に意見を出し合い、その意見に基づいて組織の方向性を決定することができるのです。 今後、このようなDAO型組織が、次世代の組織として注目されています。なぜなら、DAOは、ブロックチェーン技術によって、参加者が同時にシステムにアクセスでき、データを共有できることができるため、より透明性が高く、組織内での決定プロセスも迅速かつ正確に行うことができるからです。ブロックチェーン技術を使用することで、情報の改ざんが困難になり、不正行為が発生するリスクが低くなります。これにより、お客様や投資家からの信頼を得ることができます。また、参加者が自由に意見を出し合うことができるため、より多様なアイデアを生み出すことができるというメリットがあります。 また、AIの進化やメタバースの普及により、今後はより多くの人々が自分自身を表現し、創造性を発揮することができるようになります。これにより、個人が独自のコンテンツを制作し、DAO型組織を通じて提供することが可能になると考えられています。 こうした状況下で、起業して自分のプログラムコードやアルゴリズム、又は映像などいくら利用されても、提供側に費用が掛からないサービスを提供するほうが、人生の総収入と遣り甲斐が高いだろうことがいわば「常識」となりつつあります。 これらの状況を踏まえた上で既存企業は運営して行かねばならないので、DAO型組織の魅力を上回る魅力を提供し続けられるかがカギとなります。 具体的には平均資本収益率を上回る経済条件や、透明性のある企業運営、そして個人が成長できる環境などになります。 昭和や平成時代の「お前の替えはいくらでもいる」という上から目線の選抜意識では成り立たず、今は少子化時代でもあり、成長の為に合理的な根拠のある作戦を共に敢行する、企業価値(時価総額)も上げる、株価連動報酬を導入し、一緒に成長するという意識が非常に重要となります。 https://note.com/takigawa/n/n2465543af89e
https://note.com/takigawa/n/n2465543af89e
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exciting-funeke · 8 months
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ドラクエⅧリメイク(メインシナリオ)クリアしました
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キタカミの里を訪れたい衝動を抑え、暇な時間を見つけてひたすら3DS触ってたふねけです。めちゃくちゃ面白かったので完走した感想をレポートの如く連ねています。
※以下全文クソ長感想&ネタバレ注意※
感想を書くに際しまして、wiki等でドラクエ8の情報を漁りある程度の"答え合わせ"は済ませてある状態です。あしからず(本来拾えた筈のアイテム、リメイク前との差異、etc…)
ものすっっっごい個人的なことばかり書いてるので共感とかそんなに無いかもしれません。ご了承ください。
此度のドラクエ8プレイに当たる基本的な方針として
・可能な限りリメイク版追加キャラクターであるゲルダ、モリーの使用を避ける(めっちゃ強いらしいのとなんとなくリメイク前の質感に近づけたかった)
・ヌルゲー化を避ける為過度なレベル上げはしない(道中見かけたメタルは狩ろうかなくらい)
・あまりにも詰まったら普通にwiki見る(方向音痴定期)
というのを気にしてシナリオを進めていました。縛りというかめんどくさいこだわりの域ですね。
どうせ縛るのにモリーを仲間にした理由はもちろんエンディングに居て欲しかったからです。仲間になるという情報をプレイ前に得てしまっていたのもありますが……
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最終的には画像の育成状況で暗黒神を屠ることに成功しました。結構満足してます(上は父上のデータ)
印象的なキャラ
ククール : 彼のビジュアルや性格はDCD版モンスターズバトルロードやヒーローズで断片的に得ていましたが、実際に本編を遊んでみてその味わい深さに気付いたクチです。案外というか結構アツい男。話が上手く、煽りのセンスが無駄に高い。当然本人も好きだが後述のマルチェロとの関係も好き。
マルチェロ : ライバルズではお世話になりました。確かに彼の持つ人格は素晴らしいものとは言えないかもしれませんが、一時とはいえ一般人から法皇にまでのし上がった圧倒的な野心家&努力の人というイメージです。ゴルド崩壊後のククールとのくだりは全人類の心が動く。
てっきりリメイク前からあると思っていた「奈落の祭壇」での共闘シナリオがアホ良かった。時系列的にはゴルド崩壊後すぐ挑めるので復帰早くね?とは思いましたが
リメイク前ではあれ以上は終ぞ埋まらなかったマルチェロ、ククールの歪な兄弟の溝が「奈落の祭壇」の追加によりほんの少しでも埋まったのならそれはとても素晴らしいことなんじゃあないでしょうか。
ミーティア :ウマ娘。普通に善い娘すぎるのでクリア後のシナリオも最低でも主人公とミーティアが結ばれるところ(+地獄の帝王との邂逅)まではやろうと決意しました。あと母親似っていうかもう本人じゃん。
モリー :DCDのモンスターバトルロードのオタクであり残党なので彼を見ているとものすごく懐かしい気持ちになる。YOUの��ームに命令を与え���のだッ!!
いちキャラクターという観点から見てもロマンに対して無限にアツい漢であり、年長者としての視点をちゃんと持っていたり、夢を叶えてくれたから今度はボーイの夢を叶える為にどこまでも付いていくと言いなんか暗黒神のとこまで一緒に来てくれるおもしれー男。善い人すぎません?
印象的な敵
オセアーノン : 他の作品の扱いが結構良い割に思ったよりちょい役だったモンスターその1。序盤の海で出会ってボス戦してそれ以降見ることも無かった。思ってたんと違う……
ドン・モグーラ : 他の作品の扱い(ry その2。キミさ、ジョーカー2で闘技場の責任者やってたりドラクエ10で激強アクセのコインボスになってなかった……???ハープ取り返してアジトが売地になってた以降、彼の姿を追うことができない。思ってたんと違う……
バベルボブル : 単純に好きなモンスターでもある。モンスターズシリーズではとりあえずで作りがち。トロデーン城を前にしてエンカウントしたボルがおもむろに目の前で合体し出し、そして完成したコイツにパーティを半壊させられました。(割と色々な作品で強めの扱いされてる合体モンスターをこんな序盤寄りのなんの変哲もないフィールドで出すな)
ドルマゲス : 化け物その1。リメイク前も強かったらしい。方針に過度なレベル上げはしないとしましたが初見時のレベルで彼に勝てるビジョンが一切見えずククールがベホマラーを覚えるレベルまでトロデーン城ではぐメタ狩りしてました。屈辱。そしたら逆に簡単になっちゃった。マジで屈辱。もし次最初からやる日が来たら頑張ってククールのベホマラー習得前に倒してやります。
レティス : 化け物その2。やっぱりリメイク前も強かったらしい。彼女のわしづかみ一撃でゼシカのHPがオレンジに染まったのを見て素で「は?」って言っちゃった。しかもなんか異様に硬いし。バイキルトかけたヤンガスの蒼天魔斬で100くらいしか出なかった気がする。当時間違えて多額のゴールドを抱えて彼女に挑んでしまい、本当に絶対に負けたくなかったのでゲルダのゴールド投げを解禁してしまった。マジで屈辱。
ジャハガロス : リメイク版の刺客。普通に1回全滅した。マルチェロがいなければ即死だった。第二形態は大岩投げで全体に100〜130くらいのダメージ出してくるし、いなづまで合計約400ダメばら撒いてくるし、かみなりパンチで確定麻痺攻撃してくる。しかもAI2回行動。つまり大岩投げ×2を1ターンでしてくることもあるんですよ。ウソでしょ……???
ただ、挑んだ時期が悪いのもあります。この「奈落の祭壇」というダンジョンは必ずしもゴルド崩壊直後の解放された瞬間に挑まなければいけないものではないらしいです。
というかジャハガロス本人より助っ人のマルチェロの恐るべき強さの印象の方が強いです。こういうキャラって仲間になったら弱体化するのが世の常なのに彼は違いました。助っ人キャラの例に漏れずマルチェロはHP、MP共におおよそ無限。いなづまのダメージも運が良ければ吸ってくれるし、グランドクロスで150くらい、メラゾーマでなんと250くらいのダメージを叩き出してくれる正真正銘の化け物です。お前も仲間にならないか……?
暗黒の魔人 : なんか微妙に弱くね?
暗黒神ラプソーン : あんま強くないって風の噂で聞いて正直ナメてかかりました。リメイク前の話だった……インターネットに踊らされるな
全滅回数は4回。一番苦戦しました。なんかリメイク後の今作で超絶強化貰ったらしくて、神々の怒りで運が悪ければ問答無用で1人即死するし、頻繁にいてつくはどう打ってくるし、マダンテ+叩きつけとかいう低耐久絶許確定即死コンボを予備動作無しで放ってくる。普通マダンテ前にはめいそうとかするもんじゃないの!?!?!?
ピオリムかけないと絶対に上取れないし(ポケモンで学んだsの重要性)、エルフの飲み薬やせかいじゅのしずくフル活用だし、マジックバリアを絶やさなければマダンテ+叩きつけをゼシカは無理でもククールはギリギリ耐える事を発見しなければ勝てなかったと思います。最後の戦いに相応しい、文字通りの総力戦でした。ヤンガスには3回くらいメガザルしてもらいました。R.I.P.
色々なお話
ドラクエ8よりも先にドラクエ10をプレイしてしまったふねけにとってのBGMの第一印象としましては、
トラペッタにて
(レ◯ドア(ラッ◯ラン)じゃねーか…!!!)
フィールドにて
(氷の◯界じゃねーか…!!!)
アスカンタにて
(グラ◯ゼドーラ城じゃねーか…!!!)
という感じでした。いや違うんだよ。やったことないゲームの筈���のにどこへ行っても聞いたことのある、ある程度刷り込みが、認識が成されたBGMが流れてくるんだよ……!"こっちが原作"だと頭では理解してても、逃れられないドラクエ10の認識の呪縛が先回りしてくるんだよ……!!しかし まわりこまれてしまった
ほかのゲームで聞いたことがある、つまり他のゲームに多く起用されているということは、それだけドラクエ8のBGMの完成度が高く、愛されている証拠でもありますね。ほんとに聞いたことのないBGMの方が少なかったです。
あとBGMの話でもう一つ、物語の最後を締め括る戦いである暗黒神ラプソーン戦の、あの有名なBGM「おおぞらに戦う」ですが、
生で(生か?)聞けて良かった……!!!自分の打つコマンドで繰り広げられる戦いの背景にあの神BGMが流れてるのホントに感動しますね……
ドラクエのラスボスのBGMって【魔王の恐ろしさ、性質を前面に出すBGM】と、【最終決戦そのものを表しているような、勇者を鼓舞するようなBGM】の大きく二種類に分けられがちで、例えば「悪の化身」、「オルゴ・デミーラ」なんかは前者に、「勇者の挑戦」や「決戦の時」なんかは後者に分類されます。そしてこの「おおぞらに戦う」は正に後者の代表格と言えるでしょう。
ふねけはRPGとかのラスボスのBGMって結構大事な要素だと思っていて、無くてもいいけど(演出の都合とかもあるし)、有れば絶大なチカラを発揮し、物語を鮮やかに彩るモノという認識です。そのカタルシスの質さえ平気で左右してしまうような要素で、もし自分でゲームを作ることになったら、多分ラスボスのBGMには力を入れると思います。それくらいの代物だと思っています。そして、今作の「おおぞらに戦う」はその完成系の一つだと思っています。
それと色々調べてる内に気付いたのですが……そういえば一応メインシナリオをクリアした筈のふねけのふくろにドラクエ8最強のアイテムと名高い『ふしぎなタンバリン』と、なんか高速で移動できるらしい『バウムレンのすず』が無えな、と
あれ、またなんかやっちゃいました?(汗)(涙)
『ふしぎなタンバリン』に関してはレシピを教えてもらえるのがクリア後要素とのこととあるので、情報をある程度断ち気味だったふねけが作ってないのはまあ仕方ないです。ただ、材料自体はレオパルドの時くらいにはもう揃えられるらしいですね。
『バウムレンのすず』は……いや、存在すら知らなかった。というかフィールド移動が徒歩固定なことに何の疑問も抱きませんでした。考えてみれば確かに……最近のドラクエは徒歩以外の何らかのフィールド移動手段を用意されがちですが……(10のドルボード、11のウマ等)
という訳でタンバリンは仕方ないとしても、探索不足で読むべきストーリーの一つを読まず、挙げ句フィールド移動の時間を無駄に引き伸ばしていたみたいです。こんなハズでは……
話は変わるんですけど、モンスターズの方にこの世界では親鳥の、我々を背に乗せ暗黒神と戦ってくれた『神鳥レティス』と、死してなお"神鳥のたましい"に姿を変え一行を支えてくれた、その"子"の成長した姿らしき『レティス』がいますよね。
もしかして、いやもしかしなくても、子供の方の黄色い『レティス』がちゃんと自分の"肉体"を持って存在してるの、めちゃくちゃ涙腺ブッ壊れ案件なのでは………?
さいごに
ここまで読んでいただきありがとうございます。さらに細かい感想とかはもっと無限に湧いてくるんだけどそれこそ無限に等しいので心の中に納めておきます。
履修できて本当に良かったです。背中を押していただき誠にありがとうございました!
クリア後要素につきましては他のゲームとの折り合いを付けながらチマチマ進めていこうと思います。さっきも言いましたが、ミーティアと主人公の結婚を見届けるのと地獄の帝王に謁見するまでは最低でもやりたいと思ってます。
                     
                      不一
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rosysnow · 21 days
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雨にとらわれて
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 誠弥くんは、私の肩に咬みつくような口づけをして、荒っぽく動きながら、しがみつくみたいに抱きしめてくる。まだ男性として未完成で、丸みの残る軆と低くなりきっていない声、匂いも甘い。
 私もそんな彼を腕に包みながら、じかに背中に��れているたたみに、湿った髪を流している。
 窓の向こうでは、まだ雨が降っている。冬の冷気が染みこんだ雨だった。その雨に濡れて、軆を温めて、私は恋人の弟であるこの子と軆を重ねている。
 こんなこと、この子の助けにはならないのに。
 激しい雨音が、このアパートのリビングを世界から切り離している。誠弥くんの息遣いが耳たぶに触れて、私に微熱をうつしていく。
 私は睫毛を伏せ、今だけ、と思った。
 そう、今だけ、これでこの子の気が済むのなら。
 ──長かった残暑が明け、ほんのひととき、季節が秋に彩られた。街路樹の銀杏が、アスファルトをひらりとひるがえっていく。秋晴れは青く澄み、頬をすべっていく風は心地よい涼しさをはらむ。もうすぐ十一月になるから、秋の味覚や夜長の虫の声は、いつのまにか過ぎ去ってしまったけれど。
 家電メーカーのコールセンターで働く私は、仕事を終えると、恋人の圭弥のアパートにおもむいて夕食を作る。
 圭弥は同じメーカーの実店舗でバイトリーダーをしている男の子だ。知り合った切っかけは、本社と店舗の交流会。私は短大を出て、圭弥は高卒から働いていて、年齢は同じ二十二歳だ。
 おとうさんはいない、おかあさんは留守がちの家庭で育った圭弥は、私の手料理を喜んで食べてくれる。圭弥には誠弥くんという中学二年生の弟がいるけど、彼も私の料理を無言でだけど、いつも平らげてくれた。
 その日は雨模様だった。スーパーで急いで献立の材料を買うと、赤い傘をさして圭弥の部屋に急ぐ。雨雫に湿った肩をはらい、ドアフォンを押した。
 こうすると、いつも誠弥くんが無表情にドアを開けてくれるのだけど、今日は反応がない。どうしたのかな、と思いつつ、合鍵はもらっているので、それで部屋にあがった。雨音が響く中で耳を澄ましても、誰かがいる物音はしない。
 時刻は十八時をまわっている。学校はとっくに終わっている時間だ。誠弥くん、どうしたのだろう。気にかかりつつも、私はエプロンをまとって夕食の支度を始めた。
 香ばしい秋鮭のホイル焼き。甘いさつまいものそぼろ煮。白いごはんと、豆腐とわかめのお味噌汁。
 ひととおり完成した夕食を味見していたとき、玄関で物音がした。振り返った私は、目を見開く。
 学ランを着た誠弥くんだったのだけど、髪にも服にも泥が絡みつき、疲れ切った面持ちをしていたのだ。
 私は慌てて「どうしたの」と玄関に駆け寄る。しかし、誠弥くんは私をちらりとしただけで、「何でもない」と吐き捨てるように言った。間近で見ると、肩や脇腹に靴底の痕がある。
「誠弥くん──」
 誠弥くんは何も言わずに私を押しのけ、自分の部屋に入っていった。昔は圭弥と誠弥くんの部屋だったらしいけど、今は圭弥は誠弥くんに部屋を譲り、自分はリビングで生活している。
 私は誠弥くんの顔を思い出し、顔には何もなかったけど、と思う。蹴られた痕。暴力。……イジメ? 安易な発想かもしれないけれど、そんな考えがぐるぐるよぎって、勝手に不安になる��
 翌日になっても、対応が終わって電話を切ったあと、ふと誠弥くんのことが思い出されて、心配になった。
 圭弥は、知っているのだろうか。言ったほうがいいのかな。昨夜の夕食時には、何となく誠弥くんの視線に圧を感じて、何も言えなかったけれど。
 十月最後の週末、私はオフなのでお昼から圭弥の部屋に向かった。店舗勤務の圭弥は、週末はほとんど休めない。だから、誠弥くんの昼食を用意するように頼まれている。圭弥にも、腕によりをかけて夕食を作る。
 誠弥くんはいつも部屋にいて、「ごはん食べる?」と声をかけてやっと部屋を出てきて、ふたりなのが気まずそうだけど、やっぱり私の料理を平らげる。けれど、その日何となくドアフォンで知らせることなく合鍵で部屋に入った私は、誠弥くんがキッチンの引き出しを開けているところに遭遇した。
 その手は、封筒をつかんでいた。私が食材に出したお金は、圭弥がそこに忍びこませて返してくれるのが、暗黙の了解だった。そのときに使っている封筒を、誠弥くんが開いている。
「何、してるの」
 私がこわばった声で言うと、「違う」と誠弥くんは声変わりしきっていない声で言った。
「持ってこいって……でも僕、一万円なんて持ってないし、」
「圭弥が働いて稼いだお金なのに、」
「そんなこと知ってる! じゃあ何だよ、にいさんは一万円くれんのかよ。あいつらに渡す一万円をよこせとか、……言うのかよ」
「………、それでも、」
「あんたに分かるかよっ。くそっ」
 誠弥くんは引き出しに封筒を投げこみ、閉じることもせずに自分の部屋に入っていった。私は当惑しつつ、引き出しを閉じる。
『あいつら』。やはり誠弥くんはイジメを受けているのか。それも、恐喝されるようなイジメを。それはもうイジメじゃなくて犯罪か。
 どうしよう。さすがに何かしてあげないといけない。けれど、ここで私の一万円を貸して、当座をしのぐのは解決ではない。
 そのあと、誠弥くんのぶんの昼食は作ったけど、声をかけても出てこないどころか返事もなかった。圭弥が帰宅した夕食時もそうで、「ごめんな、気むずかしい奴で」と言われて私は首を横に振る。圭弥はさくっと牛肉のコロッケを頬張ったあと、「とうさんがいた頃はよかったんだけど」と哀しそうに微笑んだ。
「おとうさん」
「その頃は、かあさんも家にいてくれたし──かあさんも、とうさんが死んだのを受け入れられないから、この部屋にあんまり寄りつかないんだと思うんだ」
「……うん」
「分かってても、子供にはそれは寂しいんだよな。とうさんがいないから、せめてかあさんの愛情が俺にも誠弥にも必要なのに」
「そう、だね」
「こんなぎすぎすした家じゃなかったんだ。とうさんが生きてた頃は、家の中はほんとに優しかった」
 圭弥はシーザードレッシングをかけ、プチトマトと千切りのキャベツを食べる。
 誠弥くんも、おとうさんがいれば頼りになる人がいて、救われていたのだろうか。傷つけられた心身を打ち明け、受けて入れてもらって、甘えて泣くこともできていたのだろうか。
 それからすぐ十一月に入って、秋が冬にうつろいかけて、冷たい雨の日が続いた。
 また誠弥くんが帰宅していない日、もしやと心配していると、案の定、誠弥くんはぼろぼろのすがたで帰ってきた。「大丈夫!?」と玄関に走り寄っても、誠弥くんは何も言わずにスニーカーを脱いで、私のかたわらをすりぬけようとする。
「ねえ、圭弥に言ったほうが──」
「言うな!!」
 鋭い口調に、びくんと口をつぐむ。誠弥くんは、いらいらした視線を持て余すようにして、目を床に伏せた。
「にいさんには、分かんないよ。あんたみたいな彼女もいて、いつも『頑張ってるね』って褒められて……僕ばっかり、出来損ないだ」
「そんなこと、」
「じゃあ、僕とやれんのかよ」
 急に睨みつけられて、私はまた口ごもってしまう。「口ばっかりじゃないか」と誠弥くんは疲れたように毒づいた。
「はけ口になる気もないくせに」
 そして、顔を背けると誠弥くんは部屋に行ってしまった。
 はけ口、って。いや、誠弥くんは学校で「はけ口」にされているのだ。だとしたら、誠弥くんにも吐き出す場所が必要なのだろうか。それを性衝動で発散したいというのなら、私があの子と寝れば、せめてもの癒やしになれる──?
 仕事中もそんなことを考えて、問い合わせ内容を聞き違えてお客様をひどく怒らせてしまった。落ちこみながら、その日も赤い傘をさして、圭弥と誠弥くんの部屋に向かう。
 吐く息が白いほど雨が冷たい。アパートへの一本道に入ったとき、前方を黒い学ランの男の子が歩いているのに気づいた。傘もささず、ずぶ濡れになって、とぼとぼと歩いている。
「誠弥くん」
 思わず声をかけながら駆け寄ると、誠弥くんは振り返る。雨で髪も顔も服もびっしょりだけど、目の中が赤く潤んでいて、泣いているとすぐに分かった。しかし私はそれには触れず、「風邪ひくから」とかすかに震えている誠弥くんを傘に入れる。誠弥くんは拒絶せず、前髪からぽたぽた雫を落としながら、うつむいた。
 傘の下でひとつの影になって、私たちは一緒に部屋に帰った。家並みが雨脚に霞み、轟々と雨音が鼓膜を圧している。誠弥くんの横顔を見て、この子の笑顔って見たことないなあと思った。
 部屋にたどりつくと、私はすぐにお風呂にお湯を溜めた。誠弥くんは暗い表情で突っ立っている。まもなくお風呂が沸くと、「すぐ入ってあったまって」と誠弥くんの肩を優しくうながす。すると、誠弥くんは私を見上げて小さな声で言った。
「一緒に入って」
「えっ」
「……あんたも濡れてるし」
「私は、」
「嫌なの?」
 私は狼狽えたものの、ここで拒絶するのも誠弥くんを傷つける気がして、「分かった」とぎこちなくうなずいた。洗面所で、お互い無言のまま自分の服を脱ぐ。
 誠弥くんの軆を直視できないし、誠弥くんも私から目をそらしている。それでも誠弥くんは私の手を引いて浴室に踏みこんだ。
 軆を流してから、温まるために一緒に湯船に浸かる。ひとりで浸かる狭い浴槽だから、絡みあうように私と誠弥くんの肢体が触れ合う。
 雨の音が響き渡る。交わす言葉はない。でも、相手の息遣いに耳を澄ましている。
 そのうち引きあうように軆が近づき、急に、誠弥くんが私の腰を引き寄せた。乳房に顔をうずめ、初めて、甘えるようにしがみついてくる。
 ずっと、すりガラスの窓に当たって砕ける雨粒を見ていた。そんな私の軆を、誠弥くんはむさぼるように抱いた。私の中に入ってきて、波紋を起こしながら深く突き上げ、かろうじて私の体内でなく水中に吐き出す。
 でも、私は圭弥の恋人なのだ。だから、誠弥くんのそばにいることはできない。つながったけど、つながってはいけない。私と誠弥くんは、どうやってもつながれない。
 触れちゃダメ。
 触れさせてもダメ。
 なのに、浴室を上がっても私たちは軆を合わせた。激しい雨の中でかたちを崩し、ひとつになってしまうみたいに。でもお互いの心に手は届かないから、ひとつにはなれない。
 ああ、私は誠弥くんに何もできないんだ。
 雨はやまない。やむ気配もない。けして結ばれない私の軆を求めながら、誠弥くんはひとりだ。
 倦むことなく窓ガラスを殴る雨を私は眺める。この秋雨が過ぎ去れば、いよいよ冬だ。そうなれば、雨はやむだろう。
 しかし、この子は、いつまでやまない雨の中、ひとりなのだろうか。
 このままでは、その心に降りしきる雨はみぞれになり、神経を刺すように傷つけるのに──誠弥くんは、心を穿たれ、熱に浮かされ、雨にとらわれたまま、ひとり彷徨っている。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 止まぬ雨 ひとり/杉野淳子 『解放心章』収録
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kennak · 3 months
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この文は似たような業種の会社に勤めていた時の事情を元にたぶんそうじゃないかなあ、程度の俺のあくまで勝手な妄想です。 -- 冷凍ケーキの件だけど、ブランド先製造ってこの手の大規模な製造��題を起こさない、または起きても責任の所在をはっきりさせるために、定期的に工場監査して問題発生時のトレース能力の確認を求めてくる。分かりやすく言えば金と工数だけかかるクソ面倒なISO認証(食品だとFSSC)とかも求めてくるし、力量怪しければ信頼できる業界大手を元請けに入れたりコンサル投入してくる。なんでクリティカルポイントの管理や記録確認程度ではなく、受託製造の人間による記録外の原因究明力とか改善力とかそこまで見ている。  そんな状態で製造ラインに乗せて出ていった冷凍ケーキの多数が崩れていましたなんて明らかに製造・搬送ラインまたは付帯設備のコントロールポイント管理を極めて重篤に怠ってないと出てこないので受託製造の社員クラスなら原因100理解ってるし、発注元のブランドも検討つく程度には理解ってる。  ではなぜ原因特定不能と言い張るのか。これは断片的な報道からの俺の予想というか、受託製造あるあるだけど製造ロット数の見極めやら、発注元の要求による難製造工程でライン大規模調整とか発注自体がかなり遅いとか、原料入手の情勢が極端に悪化とかで(ケーキで言うと濃縮乳、鶏卵、生果物とか怪しいよね)結果的に発注側の責任か情勢悪化による、受託側に責任のない難納が発生するときがある。 そんなときでも特定の期間商品では結構な割合で発注側の利益優先で、万が一があっても知らんですよと受託側が折れて製造することがある。まあそうよね、超超超特定の期間商品で大した違いもないのに百貨店ブランドで安くない値段取ってAmazonのセール期間みたくお届け遅れました原因は百貨店側ですなんて、百貨店ブランドの面で客に言えるわけがない。 受託「この納期無理です」発注「いやなんとか!ここなんとかすればいいでしょ、後の責任持つんで~」みたいな風景、B2Bの会社だったらあるでしょ、風景見えてこない?見える見える。結果理解してたのか理解してなかったのか、見えないアウトの線を踏み越えて製造をしてしまったことになる。見えないアウトの線ってのが今回のミソ。  製造の話に移るけど、食品製造ラインは一定の品質保つために工程毎の温度管理と���間管理を徹底していて、これは基本的には食品の汚染を防ぐ事が主目的であるんだけど、形状とか見た目の品質維持にも効果がある。ある程度経験上や理論上の安全率を付加した設定になってて、大きく逸脱しない限りはほぼ同質の製品が得られるようにされている。似たような物を扱っていた会社にかつて居たので冷凍ケーキの経験はないが、まあ下記の工程が標準工程として監査や認証時、そして試験製造にて確認されているはず。 滅茶苦茶ざっくり書けばスポンジは何処其処でウン度の低定温庫で入庫ウン時間からウン時間で使用してクリームの温度はウン度冷蔵で仕込みはウン日前で、オーバーランのエアはウン度で粘度はどうだ。充填と手加工や機械加工の通過時間はウン分までで定期的な風味検査。窒素トンネルはウン度でウン分、トンネルフリーザーはウン度ウン時間で定期的に固化状態見る。箱詰めのタイミングは冷凍前か後か知らんが、恐らくトンネル出てからウン分の間に封函。冷凍工程に紙入れたら結露してふにゃってコーティング紙でもかなり強度落ちるからたぶんそう。パレ積みされてリフトで冷凍倉庫に置いてその間に細菌検査の結果見て出荷準備して、細菌検査の結果次第でブランド元の出荷許可が降りたら出荷。 ここでちょっと考えてほしいのが冷凍の工程で、冷凍ケーキほどの大きさでなくても、窒素トンネルやトンネルフリーザー程度では表面が固化するだけで、サニタリサーモぶっ刺して-18℃でも中のスポンジは良くて5℃とかそんなもんと思われる。(空気の層ってかなり冷えづらくて、家を二重窓にしたらなかなか屋外と熱交換しないのと一緒) 現実問題、中身の固化は冷凍倉庫で入っている間に進んでいて、通常の期間商品であれば中継の冷凍倉庫で場合によっては1ヶ月以上保管されることもあり、その間に固化している。これは結構暗黙知な部分で、冷凍倉庫で固化が進むことを製造工程として書きたくても、自社倉庫を出庫してからは運送屋や倉庫屋に固化の責任を負わせられないし、では完全に固化するまで自社の冷凍倉庫に入れる事は現実的に無理。ここに保管期間という見えないアウトの線が引かれている。   これ出荷指示してる人間が理解ってんだか理解ってないんだか知らないけど、工程管理上にも書いてないんやからええやろ、クリスマス間に合わんかったらどうすんねん転がすぞコルァ!と報道でもあるように冷凍時間を2週間から25時間に短縮すると、(これを冷凍時間と呼ぶのかは微妙なところで諸事情で保管期間と言いたいが)それはまあサーモグラフィで見ると真っ青で、抜き取りサンプルにサーモぶっ刺して-18℃の記録が取られてても、中は全然凍ってませんがな、ということになる。 冷凍車やってる運送屋さんは、この手の事情は多少知っているので万が一があると丁重に扱うけど、物流拠点のそれも冷庫仕分けなんて、息ゎ苦しいしマヂ苦しい酸欠で死にそうシュワッチ…シュワッチ!なマジのキツイ職場なんで、そんな暗黙知は知らないし教えても理解しない奴しか来ないので、やっぱり雑に扱われて凍ってなければグシャッとなる。ただ物流拠点に来た時点で中身凍っていることはそもそも前提だし、凍ってないものを一般的な所作で流して潰れた責任までは彼らは負わされていない事だけは擁護したい。  よって 百貨店「運送屋が雑すぎ」運送屋「落としてもないし荷崩れもないが?」百貨店「物流拠点どうなってんねん」物拠点「凍ってないもの扱わせて責任問うんか?」百貨店「受託の製造がおかしい」受託側「お宅の無茶な要求と出荷指示晒したろか?」 百貨店「(なんでや!俺悪ないのになんで俺が悪い言われるんやねん)」←悪い御客様「オラァ!どないなってんねんや!ケーキみたいにグシャッと転がすぞコルァ!!」百貨店「原因特定不能です(すっとぼけ)」 こうなります -- 余談なんだけど、受託側の責任で難納期発生や製造上の問題が発生したら、機会損失も含め損害賠償する契約になってることが結構あって、ブランド元が顔真っ赤で乗り込んでくるんよな。もう受託側は全面謝罪と補償するしかない。でも今回は報道で取材されてた受託側責任者が、百貨店に聞いてくれ責任はあっちなんて言う状況。百貨店が青い顔してすっとぼけてのは、百貨店が何かしらでチョンボしてると見る。 あと一般的な期間商品の冷凍品てのは大体半年前までに試験製造入れて、消費者に渡る2ヶ月前に生産ラインから製品として出てくる。この消費者に渡るまでの時間差が倉庫料として効いてきて、俺が知ってる頃でも倉庫料きつい言うてたので今はもっとギリギリ攻めてるかもしれん。  もっと余談なんだけど、冷凍庫の保管を冷凍工程としないのは品質保証の規定作成に深く関わったことが無いから想定だけども、恐らくそれはHACCPで定める清潔区域に出来ない都合であって、例えば倉庫がトラック搬出の都合で外部と貫通せざるを得ないので汚染区域にするしかないとか。 結局工程扱い出来ないのだから冷庫保管の時間の根拠を示すことはないのだが、実質工程扱いなので時間と根拠を示したら示したで汚染区域で製造工程とはけしからん。となるはずなので現場の人間は、冷庫保管はあくまで検査結果待ちとか出荷指示待ちの建前で、暗黙の了解で運用してきたと考えている。 これは誰がやりだしたんか知らんけど、冷凍品の製造業と冷凍倉庫の関係を無視した汚染作業区域とか清潔区域を設定させて冷庫で保管中の製品は保管中であり製造ラインではないし、凍結具合を管理してないしコントロールしてないならそれ工程じゃないよね。更に清潔区域ではない場所で製品凍結させてるとか駄目でしょ。(超要約)とか言い出して杓子定規に適用しないと超絶難癖つけてくる認証機関とか、現実知りつつ一度出た認証を突くのはやぶ蛇と放置してきたせいだと、今回の冷凍ケーキ事件について俺は勝手に思ってる笑
冷凍ケーキの件
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keredomo · 11 months
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ヒロスエの手紙
 ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。  有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
 不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
 「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。  自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
 婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のあ���かたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
 何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
 一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。  婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
 「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。  初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
 国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。  それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
 ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、���きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。  誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。  あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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hotelinfernoll · 11 months
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実りある人生
fanfic(円満期 - 貘ハル貘)
昼休み 公園にて
「本当は海にでも行きたかったんだけどね」
ビル街の真ん中にある公園。昼食帰りの会社員たちがおのおの好きなように過ごしている。街中で際立つ彼も芝の上に寝転んで人々の視線から逃れている。真昼間のオフィス街にはまったく不似合いないつもの白スーツに白い革靴。上から溢れる木漏れ日が彼の髪の波間でまたたいていた。
昼休みが始まる時間ぴったりに内調前に現れ、僕の顔を見るなり「どっか行こうよ」と言った。どうやら“お屋形様”業に退屈して抜け出してきたらしい。だったら一人で遊びに行けばいいのに、どうして僕を誘うんだろう。 「わかってるくせに」 彼は僕の顔から頭の中を読んで、僕が言葉を発する前に会話を続ける。 「ハルも退屈してると思って」 「だからと言って抜け出せないよ。勤め人なんだから」 「つまんないね〜」 言葉とは裏腹に彼は笑っている。最近はいつも機嫌が良い。以前の彼とは大違いだ。 「じゃあ一緒にランチしよ。天気���いいし外で食べるのはどう?」 「いいよ」
昼時になるとどこからともなく現れる移動販売の車からサンドイッチとコーヒーを買って公園まで歩いた。ベンチはどこもいっぱいで大きな木の陰の下に見当をつけた。彼はポケットから真っ赤なハンカチを取り出すと「どーぞ」と僕を促した。 「君のそういうところが嫌い」 「お姫様扱いがお気に召さなかった?」 「誰も座らないとは言ってない」 そう言ってハンカチをしまおうとした手を払いのけた。午後も仕事があるんだ。おしりが芝だらけになるのは困る。僕が座ったのを見てから彼も芝生の上に直接腰を下ろした。 「ずるい」 すべては彼のお膳立て通り。本当は彼と同じようにしたいのに、彼はそれを分かってて僕から文句を引き出す事をして余計なやりとりを増やす。めんどくさい彼の流儀には慣れたつもりでも、時々それがすごく嫌だ。 「ハハッ」 不機嫌を隠さない僕の顔を見て彼は笑う。たとえ僕が怒っても泣いても笑っても、彼の前で感情を隠さない僕を見ると彼はいつでも機嫌がいい。知ってる。そういう僕を見るのが楽しいんだろう。そしてそういう勝手な彼を見て、僕は呆れて、つい笑ってしまう。
ランチを食べて、コーヒーを飲んで、昼休憩は残り20分。
1998年 ある男の顛末
男は都心にある大手銀行に勤めていた。地方出身の彼は国立大学入学を機に上京し、大学生活はサークルにも入らず、残り少ないモラトリアムを楽しむ浮ついた学生たちを尻目に真面目に講義を受け、地道な努力をして氷河期と言われた中で就職戦争を勝ち抜いた。結婚をして、家庭を持って、家を買って、そういうぼんやりとした将来に向けて、就職と同時に貯金も始めた。しかし貯金の額が増えるほどに彼自身が疲弊している事に彼自身が気づいたのは、日本で冬季五輪が開催された時期だった。
仕事を終えた帰りに、駅近くの繁華街で声をかけられた。相手は自分の名前を知っていたが、彼はその男の名前を最後まで思い出す事はできなかった。男は大学時代に同じ講義を取っていたと言い、このあとの予定を聞いてきた。普段なら同僚からの飲みの誘いも断っていたが、その日は大口の顧客から担当を外され、ムシャクシャしていたので覚えのない同級生の誘いを受けた。
元同級生は陽気でよく喋り、彼は相槌を打つだけで済んだので一緒にいるのは楽だった。2軒目を誘われた時も断らなかったのは、断る理由を思いつかなかったというだけだった。男に連れられて入った繁華街の外れのバーが闇カジノだと気がついた時も、ちょっと遊んでみないかと誘われた時も、男は同じ理由で断らなかった。
翌朝目を覚ました時、男は自宅のリビングのソファーにいた。そこまでの記憶は途切れ途切れだったが、カジノを出て大通りでタクシーを拾って乗り込み、窓の外から元同級生が「また遊ぼうぜ」と笑っていたのを見た。リビングのテーブルに置いてあった彼のブリーフケースには札束が詰まっていた。
それから彼は闇カジノに通うようになった。そこからあとは簡単だ。勝ちと負けを繰り返しながら、それでも彼は社会人になって以来感じた事がなかった「生きている」という実感を感じ、その顔に正気が戻っていた。そして、そのうち負けが続くようになった時には彼自身の意思ではもうその蟻地獄から抜け出せなくなっていた。ぼんやりとした未来への貯金はすぐに底をつき、よりハイリスク・ハイリターンな勝負を求めて闇の奥へと飲み込まれた。
闇カジノに通うようになって10ヶ月もした頃には、抱えた負債は彼の生涯収入を上回った。そして彼は今夜、一世一代の大勝負に出る。
その夜、男が用意したのは昼間に顧客から預金として渡されたカネだった。テーブルの向かいに座っているのは、自分をこの蟻地獄に誘った元同級生だった。「助けてやろう」彼はそう言った。「ただし、俺に勝ったらな」。男はその誘いに乗った。どちらにしろ翌朝になれば会社に横領がバレる。負けたらそのまま道路に飛び込むか、海に身を投げるか、いちばん楽な方法で死のう。そう思っていた。
勝負はセブンブリッジ。カジノの一角の異様な雰囲気を察して他の客達も集まってきた。転落はあっという間だった。カードを持つ手も冷たくなって、視界も霞んでくると、ま���りのギャラリーの囁く声だけが直接脳内に届くような感覚になった。その時頭の中で声がした。
「死んでもいいと思ってる奴は絶対に勝てない」
男か女か若いのか年寄りなのかわからない声だったが、その声は男の心臓を掴んだ。顔を上げて周囲を見渡しすと、テーブルの向こうの相手から「キョロキョロするな」と制されて、正面を向いた。さっきまで大きく見えた相手が今は自分と同じくらいに見えた。もう大丈夫だ。迷いも恐れも消えた。男は口元を歪めて笑った。さっきの声は、きっとギャンブルの悪魔だと男は思った。
そこから男は勝ち続けた。勝負が始まる前にあった負債と同じだけ元同級生の男から巻き上げた。元金が無くなった瞬間、元同級生は周囲のギャラリーの後ろから現れた黒服の男達に連れて行かれた。ギャンブルに勝った興奮に男は震えていた。その時視界の済みにこの場にひどく不似合いな二人連れが見えた。格好は若いがひとりは目深にキャップをかぶっていて、もうひとりも白い髪が目までかかって二人の顔はよく見えなかった。白い方がキャップに耳打ちをして、くすくす笑った。 「地獄はこれからだよ」
その声を聴いたあとの記憶は無い。男は翌朝、自宅に戻ったところを逮捕された。 塀の中で男はどうして自分がここにいるのかを考えた。 (俺は悪魔にそそのかされたんだ)
塀の外に出てからも、男はカジノ通いを止めることができなかった。あの夜、死ぬ気で勝負して勝利を掴んだ高揚感。全身が、脳が、命が痺れるあの感覚を味わうためなら全てを失ってもいいと、男は自ら再び闇の中に呑まれた。あの日死んだ方がマシだったと気付いた時には、もう出口はとっくに見えなくなっていた。
昼休みのおわり
木陰のランチを終えた二人の後ろから近づく影があった。男の手の中のものが木漏れ日を反射した瞬間鈍い音とともに影が倒れて、近くの茂みに引き摺り込まれた。昼休憩も終わりに近づき、足早に職場に戻る人たちは誰もその短い出来事に気を止めなかった。
腰を上げようとしたハルに向かって、貘が横になったまま声を掛けた。 「ねえ、海行かない?」 「…いいよ」 何を言っても最後は貘の思い通りになるから、ハルは面倒臭いやりとりをスキップして答えた。 「車を呼ぼうか?」 「たまには電車もいーんじゃない?」 「そうだね」 ふたりは立ち上がって、スーツについた芝を払いながらハルが「今の誰?」と訊ねた。 「あ〜…覚えてない? 昔カジノにいたの。10年物だったから、正直もっと楽しませて欲しかったんだけどね〜」 「…ふーん。僕じゃ足りないんだ」 「お楽しみは多い方がいいでしょ。で、ハルは俺を楽しませてくれんの?」 「君次第だ」 優等生な答えに貘は満足そうに笑った。
(230528)
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senpenbanka0426 · 4 months
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コレクションハンター - Part3
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引き続きJungle Adventureのコレクションコンプリートを目指してプレイ。
で、「オミスカの宝物」を遺跡最奥から回収する以外に手に入れる方法として↑こんな感じのチャンスカードを成功させる必要がある。 チャンスカードではあるが、対応するスキルをMAXまで持ってればおおよそ成功するんでスキル習得してからSelvadorada行った方が楽っちゃ楽。
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(↑セルヴァドラーダ文化のスキル訓練中の図)
チャンスカードの該当するスキルが、器用さ、フィットネス、論理、考古学、セルヴァドラーダ文化、魅力、だったか?(見落としで、まだあるかもしれないが(笑))
ただ、全部のチャンスカードで宝物が貰える訳じゃない。2、3種類のチャンスカードのみから確率で「オミスカの宝物」が出てくる感じだったはず。
なんで、最奥の遺跡行くまでに「手に入ったらラッキー」くらいで挑戦してた。それでも遺跡探索回数を1回でも減らせる可能性があるなら無いよりマシ。
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んで、最後にあと2種類でコンプリート出来るのに出ない!ってなったから最終手段を発動。
遺跡最奥の宝箱前で一旦セーブ→箱を開ける→欲しい宝が出なかったらメインメニュー戻ってロードし直し→宝箱を開ける……ってのを繰り返したZOY!
どうやら「オミスカの宝物」の抽選は開けるまで確定されてないっぽい。(初見プレイ時は遺跡のマップロードした瞬間に宝の種類が確定されてそうって思ってたわww)
いや、しかしセーブ&ロード戦法が使えてもダブりが凄くて大変だったww 最後の1つはロード20回くらい繰り返してやっと出たわww(屑運すぎぃ!)
これ、せめて魔法のコピペ呪文が使えたらもうちょい楽なコレクションになるんだけどなぁ……ww
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そんな感じで「オミスカの宝物」をコンプリート! マジで疲れたww
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そんなこんなしてたら科学者キャリアもレベルMAXまで行って、ワームホールのアップグレード完了。
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シグザムに来るのも何年ぶりだろうか……ww ここでしか取れないアイテムは結構あるが、そこまで重要な物でも無いから個人的に忘れがちなスポットだわww
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でも、Seasons導入状態でコレクション完成させようとすると、最低3回はここに来なきゃいけない。
ここに生えてる植物3種類はいずれも種袋から出て来なかったはず……。しかも3種類とも季節がバラバラとかいう、なんの嫌がらせだよ!って言いたくなる仕様でワロタ。(ちなみに季節は春と夏と冬だZOY)
しかもさ、植物の実って自シムがその区画にずっといないとスポーンしなくない? 昔は行けば必ず実ってた気がするんだが……記憶違いか?
結局「疲れ知らず」の能力でずっとその場に平然と居られたから良いけど、普通のシムだったらキツイ気がする。(ここトイレもベンチもないよね?) 割とかなりの時間シグザムで過ごしたZOY。
(あと、私は未検証なんだが、シグザムで手に入った「MySimsトロフィー」のカプセルからは必ず「希少度:レア」の物が出てくる……らしい。これ本当だったら最初に無理してトロフィーコンプリートする必要なかったかもしれんww)
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で、シグザム内で色々回収しまくって「金属」をコンプリート。
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家に帰ってダブったクリスタルと金属を地質調査に送って「元素」もコンプリート。
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その後、Selvadoradaに2回くらい行き直して「クリスタル」をコンプリート。(Jungle Adventureでクリスタルが追加されてたのをすっかり忘れてたww)
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そんで、家に帰って来た後もシグザムに何回か足を運んで「晶洞石」をコンプリート。(手に入る場所が限定的すぎて凄い影の薄いコレクションだと個人的に思うww)
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Get To Workは終わったな、って事でお次はOutdoor Retreat関係のコレクションをスタート。
季節も丁度、夏になってたからラッキーだったZOY。(ちなみに科学者キャリアは退職済み)
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で、早速、特殊エリアに出発。隠者と一緒に魚釣り。(なお一匹狼ゆえ会話は一切してない模様)
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DLCで追加される魚は餌が要らないから、かなり楽だww これにて「魚」コレクション、コンプリート。
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何日か時間は掛ったが、「昆虫」も終了。かなり見づらい状態でスポーンするのが昆虫採集の辛い所。それでもポイントは固定で何度もリスポンするから左程運要素は薄いかなぁ。
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で、Outdoor Retreatのコレクションが終わったから今度は卵でも集めるか、って事で祝日を追加。
夏にイースターイベントって、正気か?とか言われそうだが気にしてはいけない。
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庭の開いてるスペースにキッチンカウンター並べて卵取ったらSimRayで変身させて、また卵を取るって感じでやってみたが、卵取れない家具に変身するパターンが多すぎて微妙……ww
素直に建築モードでカウンター設置し直した方が早かったww
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そんな感じで「デコレーション・エッグ」はサクッとコンプリート。
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お次はクローン装置でコンプリート済みのマジックビーンをもうワンセット作成。で、切り株に置いて水をあげて、
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木に成長させて「植物シムの禁断の果実」をGET。
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次はStrangerVilleに出かけて土産物屋から「謎の果実」を購入。
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ヴァンパイアのForgotten Hollowにも移動して、ニンニク、ブラッドフルーツ、シグザムカトリグサの種を入手。
魔法使いが使う作物は「魔法のアーティファクト」集める時で良いかって思ったんで、ガーデニングの残りは後回しに。
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先にDine Outの「エクスペリメント料理の写真」をやろうかと思い立ったから専用のコンロを設置。(そう言えばポストカードの時に「唯一運が絡まないコレクション」とか言ったが、これも運に左右されない簡単なコレクションだったわ)
しかし、食べないと作れない料理だったことをすっかり忘れてたww
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しゃーない、レストランをテキトーな区画に置くか、とかやったが……すげぇ面倒臭かったww
まず席に案内するウェイターがスポーンしなくて詰んだ。 次に店を購入してスタッフ雇ってレストラン売却してから客として訪問したが、料理の注文メニューが出て来なくて詰んだ。
……いや、マジでバグだらけでワロタ。
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で、結局もう一回レストランを購入してからスタッフを雇い直してオープン。
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レストランのオーナーだが、ウェイターに席を案内してもらってエクスペリメント料理を注文して写真撮ったZOY。
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レストランの所有者として貸し切り状態で写真撮って食いまくった結果コレクションコンプリート。ずっとオープンさせておくと「従業員を働かせすぎです!」みたいな通知が来るから何回かに分けて営業したけど……。
いや、しかし面倒臭かったww レストラン買ったり売ったり、ゲームロードし直したり……コレクション関係ない所で躓くのもこのゲームらしいわww(何年たっても変わらない物(バグ)があるんやなって……ww)
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んで、レストランを売却してお次は魔法の国へ。
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サクッと薬のレシピと呪文集めてRealm of Magicの願望2つ達成して最高ランクの魔法使いになったZOY。
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オーバーチャージ中でも死亡しないように能力を取ったから、ここからガンガン魔法の決闘をしていく。 もはや話しかけてきた奴全員と勝負じゃ!……とかやってるともはやただの辻斬りでワロタ。
「魔法のアーティファクト」は結構ダブりが酷いイメージ。つーか、バグ?かなんかでこれだけコンプリート不可能なんだよな。 一応、コレクション完成で貰えるプレートは貰えるっちゃ貰える。けど、コレクションアイテム一覧表はチートなしでは絶対埋められないって聞いたわ。(ぶっちゃけ、初見プレイ時も埋められなかった思い出)
そんな感じで、あと少しで終り。次回へ続く。
次回へ
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taquasb · 5 months
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MEET YOUR HEROES: RICK HOWARD (Good case of IBS)
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Rick Howardの長いキャリアの中において、彼は様々なことに関わっている―EMBのイノベーターであり、90年代のスーパー・チームの一員であり、そしてスケートシューズのパイオニアとして、最も重要なことは彼が「楽しむこと、友情そして創造性が他の何よりも大切である」と気づいた点である―特に冷酷なスケートボード・ビジネスにおいて。彼はサッカーボールをあなたの顔にぶつけ、あなたのシャツをトイレットペーパーに使う。しかしこれは1993年以来初となるThrasherのインタビューなのであります。ここにお集まりの皆様、カナダからやってきたRick Howardの登場です。 -Michael Burnett
-君はいわゆる「すべてのトリックを最初の6ヶ月で習得した」っていうSean Sheffeyタイプの一人だったのかな?
そうかもね。13歳で始めてスポンサーがついたのが16歳。これって早い「学習曲線」なのかな?オレらはただオーリーでなにか飛び越えたり、ジャンプランプやってたりして、その後ウォールライドが流行ったのかな?そんな感じだったよ。だから今あるトリックを身に着けていく状況じゃなかった。ハンドレールもまだ広まってなかったし。だから「学習曲線」で言えば全然緩やかな感じだったと思うよ。例えるなら「360サランラップ」対「今あるトリックすべて」みたいな感じじゃないかな。
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-かなり早い時期にカルフォルニアに来たよね?初めてのカルフォルニアでの冒険はどんな感じだった?
その時のトリップが動画で残ってることに驚いてるんだ―友達の一人で一緒にスケートしながら育ったKevin Chan、それとこのトリップに一緒に行ったBen Chibber。Kevin は片手で持てるビデオカメラを持ってたんだ。オレらはグレイハウンドバスでサンフランシスコまで行った。なぜかっていうと、Sick Boys(1988年リリースのスケートビデオ)に出てきたスポット全部を回るって目的があったから。消火栓に縁石、あのビデオに出てた全部をね。オレらはスケートボードを持って聖地を回る観光客みたいなもんだった。 85年だったと思うけど、その時Mike(マイク・キャロル)に会ってるんだよね―直接ではないんだけど。笑っちゃうことに彼のミニランプを無断で滑ってたんだ。その後、ちゃんとした形で会うことになるんだけど、記憶だとオレらが勝手に自分のランプを滑ってるのを観てたんだ。彼は寝室の窓から見ていてムカついてる…。彼は絶対そんなことないって言うけどMike独特の表情を知ってるよね?だから、ね…。
-当時、スポンサー契約っていうのは頭にあった?
あったね。そういう状況はローカルのパーク―Richmond Skate Ranchでも時々起きていたんだ。友達のPeter SullivanはSchmitt Stixから商品をもらってたり。Powellのチームが来たことがあって―たしかLanceとTony Hawkだったと思うけど、それって大事件で「ボーンズブリゲードが近所のパークに来たぞ!」ってことだから。結局、ローカルの何人かがPowellのライダーになった―Colinとその兄貴のCaseyのMckay兄弟とか。それを見てて「マジか。バンクーバーのキッズだよね。そんなことあるんだ」みたいに感じてたわけ。その後、自分でもBlockheadのDave Bergtholdからデッキをもらうようになった。それが人生を変えたよね。
-話をちょっと戻したいんだけど、Richmond Skate Ranchでの最高の思い出ってある?
すごいいっぱいあるよ。あの頃はむちゃくちゃ楽しかった。憶えてるのは地元に戻ってくるのが夜遅くになった日があって、たしか最終バスに乗り損ねたんだよね。その時期って、ちょうど皆がいろんなものを壊して回るのが流行りだした頃で―のちに彼らは自分たちをRed Dragonsって名乗りだすんだけど。で、その1人が小さな磁器の破片一つでどんな窓ガラスでも割ることができるって発見したんだよね。それでスパークプラグから磁気の破片を取り出して、ちっちゃなスリングショットを持ってたやつが車の販売店の窓めがけて発射したんだ。窓ガラスが割れ落ちていくのを目にして!?ってなった。「マジかよ?バスもないのにオレらなにやってんだ?」ってなって、地元までほとんど走って逃げ帰ったんだ。あの頃は「悪ガキ行為」がたくさんあったね。誰かがセブンイレブンで「襲撃だ!」って叫ぶわけ、で20人ぐらいのキッズが菓子だったり宝くじを盗んだりとかね。のちに何人かはCrime Stoppersってテレビ番組に出たりしたよ。だから、ものすごく楽しかった時期。めちゃくちゃ忙しくやらかしてた頃だけど、楽しかった。
-どういう流れでBlockheadからプロになったの?
Daveにサンフランシスコの"Back to the City"プロ・コンテストに出る気ある?って言われて。めっちゃ緊張したね。Tony Hawkの後、Mark Gonzalesの前だった記憶なんだけど、出場前に裏で吐いちゃったんだ。「ダメ。できない」って感じ。憶えてるのがSheffeyがちょっとした安心する一言をくれて、「オーライ。もういいや。なんでもこい。戻ってスケートするだけだ」ってなったんだ。
-Blockheadからリリースされたデッキ「スカンクとルートビア」のグラフィックは、なにを意味してたの?
それはたぶん、オレがIBS(過敏性腸症候群)のすごく良い例だからじゃない。オナラがすごく出る。それが「スカンク」。で、たぶんよく「ルートビア」を飲んでたから、(グラフィックを担当した)Ron Lemenが使ったんだと思う。あのグラフィック、実際気に入ってるんだよね。
-君はある意味、IBS(過敏性腸症候群)で有名だよね。聞いたところではBlockheadのビデオでシミのついた短パンで滑ってるシーンがあるとか。
あるね、EGで。たしか「Splendid Eye Torture」(1989年リリースのスケートビデオ)でちょっとしたシミが映ってると思う。スクショで送れるよ。
-履いてたLimpies(90年代のアパレルブランド)に?
LimpiesだかT-Bagsにね。 嫁Meganとの最初のデートで―彼女は君にこの話した?当時、World Industriesに勤めていた彼女のことが好きになったんだ。普段から見かけていて、ある日デートすることになった。Redond Beachに遊びに行くことになってちょうどIBSがはじまって-クソしたくなったら「どこでする?ここでなにが起きる?!」ってなるだろ。で、車を停めた。この頃彼女はなんも知らなかったけど、オレはかなり焦ってた。「そうだ、ビーチまで下りていけばトイレがあるよな」って思いついた。だけど、トイレは閉まっててオレはシャツも靴下もない状態で戻っていった。トイレの脇で済ませてシャツと靴下をトイレットペーパー代わりに使ったよ。その姿をを見て「なにがあったの?」ってなってたけど、彼女はオレとの最初の夜を乗り越えたんだ。そこで思ったよ、「オッケー、彼女なら間違いない」って。
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-90年代のEmbarcadero(EMB)のスケートシーンがどんな感じだったか説明してくれる?
それか。そうだな、最高の毎日だった、それは確実だね。当時Mikey(マイク・キャロル)の家に寝泊まりしてたから毎日あそこに滑りに行っていて―Henry Sanchezが新しいトリックをメイクしたりとか、なにかしら新しいことが起きてた。すごかったね。Kelch(ジェイムス・ケルチ)や皆があの場所をどうやって取り仕切っていたかも、振り返ってみるとすごかったなって思う。だから、彼らと一緒にスケートしてあの楽しい日々を送れたってことに感謝してる。あの場所が今みたいに有名になるなんてビックリだよ。後から聞くことになったんだけど、国中からスケーターが集まってきて、彼らを有名にしたトリックを「ザ・セブン」でやりだす前―その頃には俺はもうそこにはいなかったんだ。それは後の話だね。だから有名になる前の、ちょうどいい量のEmbarcaderoについての思い出がある。あそこは特別な場所だったんだ。
-君がPlan B結成を一番初めに知ったのはいつだった?
1989か90年の夏にヨーロッパのMünsterでコンテストがあったんだ。そこで、Danny(ダニー・ウェイ)が「見ろよ、これが始まるんだ」って、関係者のリストを見せてくれて、そこに俺の名前も候補として入ってたんだ。「え?うそでしょ。なんでこのリストに?」ってなったよ。Mikeyに(彼がこの件について)なにかしら関わっているのかどうか質問しないわけにはいかなかったね。間違いなく関わっていたと思うけど。
-あのビデオ(「Questionable」1992年)撮影時、新しいアプローチの作品になるのは君の中では明白だった?
そうだね、正解。H-Streetがすでにビデオをリリースしてたし、その内容は今まで見たことのないトリックの連続だったよね。Mike T(マイク・ターナスキー)の話からもその方向になるってわかってた。カメラの前で初めてメイクしたトリックも多かったよ。今になってみると「うわーめっちゃグラついてるしクオリティ低い」ってなるけど、今までやったことなかったり見たことのないトリックだったらその当時はクールだった。楽しかったよ。
-Matt Hensleyが(Plan Bの)最初のビデオで引退したことは良く知られてる話だね。
それからSal(サル・バービエ)が次だったよね?
-そうそう。当時、「わー、歳とってスケートしてたら自分の意志じゃなくてもリタイアさせられるのかも」みたいな感覚はあった?
うーん、あった。そういう雰囲気はかなり漂ってたね、もし君がその時23歳だったらそう思ったかも。なんていうか、クレージーな話だけど。その頃って「古いものはアウト、新しいものが正解」みたいな感じだったよね?そんな空気はたしかにあった。それがオレたちがGirlを設立したひとつのきっかけになってるかもしれない―(自分たちで会社を立ち上げれば)意志に反してリタイアすることないなって。おかしな時代だったね。
-Girlのチーム内でロゴについて反発はあった?
いや、記憶にないね。
-それとかブランドネーム自体?
Carrollがあの名前を思いついたんだ。反発があったって誰かから聞いたの?
-じゃなくて、個人的に気になってた���だ。19歳ぐらいのタフになろうと���ている連中が「ロゴは女子トイレのマークにする」って言われたらどう思ったんだろうって。
だね。それってつまり、Carrollがどういう脳の使い方をするかってことだよね。人をおちょくるようなことが大好きなんだ。そう、だから反発はなかったよ。ロゴはもっと後にできたと思う。Mikeは「コンテストで『さあ、次は『女の子のためにスケートしている○○』ってアナウンスされたら笑えるよな」みたいな感じ(※通常、"skate for ~"の~にはスポンサー名がアナウンスされる)。彼はそう聞こえたらおもしろいよなって思ったんだ。特に長い間深く考えたネーミングじゃなかった。いろんなアホみたいなアイディアがあわさって、あの女子トイレマークがロゴになってツアーに出たんだ。
-GirlとChocolateって「スケート業界の老兵」にはどんな風に受け止められたの?
Girlをやり始めた頃はたくさんいる友だちを加えることができなかった。で、Girlが回りはじめた頃にChocolateをスタートさせた。だけど老兵には理解できないわけ。「こいつらなにやってんだ?また別の会社始めるだと?」みたいな感じ。で、老兵が集結するような感じでオレらを材木加工業者から締め出したんだよ。当時は2、3の業者しかスケートボードデッキを受注してくれなかった。Schmittはオレらのデッキを生産してくれたんだけど、老兵が彼に詰め寄ったんだ。「アンタがやつらを許すってことはスケートボーディングを滅茶苦茶にしてるってことなんだぞ」みたいな感じでね。Paul(ボール・シュミット)は協力的だったけど、周りに脅されたんだと思う。Fausto(ファウスト・ヴィテッロ)に出会った時ことを覚えてるんだけど、彼はとっても興奮してくれて支持してくれた。オレらのウィールを生産してくれるって言ってくれて、それからもいろんなアドバイスやヘルプをできる限りしてくれたんだ。素晴らしい人だよ。彼の協力には本当に感謝してる。なんだけど、そうオレらは家具メーカーのTaylor Dykemaにデッキを発注するしかなかったんだ。理由は君が言ったように老兵が「ダメだ。おまえら他のことやってろ」って態度だったから。まあだから、困惑したよね。
-ヤバいね。Spike(スパイク・ジョーンズ)とはどうやって繋がったの?
オレらはただバカやって遊んでただけだよ。なんていうか、彼は今でも大きくなった子どもで「遊ぶこと」が好きなんだ。探求するのが大好き。今でもなにかを学んでる、そういうところが好きだね。出会えてすごくラッキーだと思う。しっかりした人間だし、最高の一人。
-たぶん無計画に方向づけされたんだとは思うんだけど、今までにオフィスで働くことで自分自身のスケートキャリアを犠牲にしたって感じたことってある?
Mikeがその話したの?
-いや、これはオレ自身からの質問だよ。
その質問は興味深いな。Mikeと共有した経験だからね。そうだね、苦しい思いになることもあった。でも、「ノー」だね。オレらの仕事は、一緒に働いている皆の喜びの為だし、それってかけがえのないことだから。まあでも、なにかを成し遂げるには時間がかかるだろ。もちろんそういう出張だったり、時期は当然あったよ―「ああ、みんなとスケートできたのになあ。もったいないなあ」なんてね。でもね、聞いてほしんだけど、結局は正当な理由があるからなんだよね。だから、キャリアを犠牲にしているとは考えないようにしてる。そんな考えが出てくる時って不思議だよね―オレはオフィスに一晩中ってわけじゃないけど「いる」。それは「その分、時間が経過した」ってことになる。でも、振り返ってみても「スケートすることだけ頭にあって、(現在の)責任ある立場にいない」という選択をしていても不思議じゃないからね。うん、どうなってたんだろうね。
-DC(スケートシューズ会社)とスケートシューズのゲームに乗り出した時の話を聞かせて。
素晴らしかった。すべての工程に関わらなきゃなくて、それからオレが一足作ることになったんだけど、その当時のオレたちの好みにはまるのがなかったんだ。だから現行のシューズと違うものを作り出さなきゃならなかった。クレージーだったよ。最終的には家を一軒買えるぐらいの経済的恩恵に与れたと思う。はじめは、正直乗り気じゃなかったんだ。自分のモデルのスケートシューズを出すなんて「陳腐で安っぽい」って思ってたから。でも誰かに「やったほうが良いぜ」って言われて、実際にやった自分を褒めたいね。Huf(キース・ハフナゲル)やDanny(ダニー・ウェイ)のような一緒に旅行に行きたいと思う連中すべて、憧れていた全員と過ごすことができたから。楽しかったけど、次第に何人かは別の道を選ぶことになったんだ。
-GirlとChocolateには「90年代初めの重たい状況」から出てきたパイオニアたちであり仲間同士の「バイブス」があった。そこから君たちはオリジナルのクルーではないスケーターを加入させていったよね。それって難しいプロセスだった?
自然とそうなっていった感じなんだけどね。何人かは以前よりスケートしない時間が増えていったり、別の興味を追求しだして―まだコンテストが重要視されていて頃だよね、McCrank(リック・マクランク)とBrian Andersonの2人がどんな大会でも入賞してヤバいビデオパートを残してたんだ。何人かに「このMcCrankとかいうヤツ、聞いたことないな!」みたいに言われたことを憶えてる。彼の加入は何人かの機嫌を損ねることになったね。
-その時期って、君がTy Evans(フィルマー・ディレクター)と作品に取り組み始めたのと同じ頃でもあるよね。なにが君のスケーティングを「再点火」させたの?
オレたちがPlan Bから離脱した時には、みんなもう疲れ果ててたんだ。最終地点まで、かなりの激務だったからね。それからGirlをスタートしてからは「なんでもいいから撮る」みたいな感じで、ボロいカメラでお互いを撮影してた。「Goldfish」はかなり経費がかかったけど、楽しかった。だからいくつかビデオをを作って、何年か楽な感じで過ごしてた。その後、Mikeに火がついたのに気がついたんだ。「このビデオパートにトライする、マジでやる」みたいな感じで。で、それから彼らと一緒にスケートするようになって、うん、あれは特別な状況だったね。楽しかった。Tyと一緒に作ったビデオは驚異だね。言い訳ができないんだ―彼はどんなものも「スケート可能」な状態にしちゃうんだ。「照明を点けろ!」なんて言ってね。それがオレたちをハードにトライさせる状態に持っていったんだ。
-その時にいたキッズたち、P-Rod(ポール・ロドリゲス)、Biebel(ブランドン・ビーベル)やSherm(ジェレム・ロジャースのニックネーム)はどんな様子だった?実際の10代をツアー・バンに詰め込むのはどんな感じだったのかな?
あれはホント楽しかった。JeremeとPaulはヘッドフォンをシェアしたりしてたね。キッズ、若いやつらと一緒にいるのって、自分がバンでツアーしていた頃を思い出させてくれるんだ。Biebelはヤバかったね。最高の時間だった。彼とサクラメントで過ごした週末?最高だったね―川でただプカプカ浮かんでみたり、昼も夜もスケートもして。それとヤツのエネルギー。たぶん君も体験したことあるだろうけど、あのエネルギーには誰も勝てないね。
-00年代を通して、本当にヤバいくらい積み重ねられたチームライダーたちが出てくる重要なビデオを作ってきてるよね。妥協しなければならない場面もあったと思うけど、チームライダーが去っていくベスト、またはワーストの状況ってどんな感じ?
なんていうか、家族みたいなものだから悲しいことではあるんだけど、場合による。初期はマジで今まで経験したことないもない最悪な出来事だった。実際の友達でもあったわけだから。いつどのタイミングでプロとしてデッキをリリースするべきかをチームライダーと話し合う、そういう立場になることにオレは同意してなかった。今はそんなことはないけど、スタートした頃は本当にラフな感じだったんだ。Mikeがいつも言うのは「くだらないことを言ったやつらが、少ない額で解雇されてきた」なんだ。誰かに去ってもらわなきゃならない場合、良い気分のはずないよ。オレらと一緒にやってきたこと以外に、彼ら自身の創造性を伸ばしたいとか何かを新しく始めたいとかであれば、それは別のシチュエーションになる。最悪なのは、その後の人生で繋がりや友情を失ってしまうことだよね。今まで仲良くしていた皆と、いまだに友達であり続けられているオレは幸運だなって思う。たとえば、New Yorkに行くならBrianがいるのを知ってるからいつも連絡するみたいに。すごいことだよ。この一連のできごとの最良の部分、それって「繋がり」なんだ。だから関係が悪化したときは悲しいし辛い。さらに、時には手に負えない状況もある。オレはただ単に、皆になにかをやるチャンスがあることが嬉しいよ。スケートボーディングには違う側面もあるよね。つまり、大金が流れ込んできたことで人生が一変した人たちもいるから。
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-オレたちが2004年にKIng of the Road(Thrasherの名物企画)に行った時、オレはBrian Andersonがゲイであることを知ったんだ。だから君たちの間では共有されていた話題なんだと思う。それから数年後、彼は公にカミングアウトすることになる…。
その時点で知っていたかわからないな。
-ある人物から聞いたんだ。
了解。それってオレらがZeroに負けたとき?
-オレたちはいつもZeroに負けてるよ
知ってる。クソ、Jamie Thomas(ジャーミー・トーマス)め!オーケイ、そうだな、オレたちは他の機会で(その件について)話したことがある。オレたちはBrianと最高のカミングアウト・パーティーをすることになったからね。
-どんな感じだったの?
オレらはSpikeのパーティーにいて、近くに滞在してたBrianもやってきた。たしか最初Meg(嫁)と話してて、それからこう言ったんだ。「ヘイ、俺がゲイだって知らせておきたかったんだ」。これが笑えるんだけど、彼女から聞いたのは、その時振り返ってオレをみたらオレは誰かの肩に乗ってダンスしてたみたいで、彼が「次はRickに伝えてくる」ってなったんだって。でも彼が話してくれた時、すごく楽しかったのを覚えてる。裸になってプールに飛び込んだかって?オレたち最終的にHollywoodのいくつかのバーに流れ着いた。まあでも、楽しい夜だったよ。もっと友達があんな風にカミングアウトしてくれたらいいのにって思う。そしたらお祝いできるからね!楽しい時間だった。
-うん、なにしろ90年代初頭なんて「黄色いTシャツを着てスケートしたから」って理由で周りから追放されたからね。だからこの件に関して君たちに躊躇いがなかったのはクールだった。
でしょ?うん、たしかにそんな風潮だった。それか「適切じゃないズボンを履いてる」とか、そんなのでしょ?まさにね、あの時代はすごく偏見も派閥意識みたいなものも強かったよね。
-君が故意に、あるいはアクシデントで最悪に誰かを傷つけてしまった経験は?
Carrollに聞くべき話題。オレとしてはだんだん落ち着いてきたと思ってるんだけど、一番最近だと、あるツアーでのこと。空気の抜けたサッカーボールがあってさ、それをピント(※フットボールで両手で持ったボールを落として蹴る動作のこと)したら、それが完璧なカーブを描いて50ヤード先のMikeの顔面にヒットしたんだ。で、彼は今までみたことないぐらいキレた。終いには「こんなことがファッキン30年間あったんだぞ!」って叫んだんだ。それを聞いてさ、わかるかな?彼が言ってることは正しいんだ。オレはずっとこんな調子のバカなんだよ。たぶん彼には「いつ痛めつけられるかわからない状況への耐用年数」みたいのがあって、そこにプラスしたような感じ。Mikeの「ちょっかいを出された場合の耐用年数」を越えちゃったんだね。
-自分で自分を痛めつけた経験は?もしかして間違った薬で、あるいは正しい薬を大量に摂取して有害な影響が出たことってある?
うわ。落ち着かない気分にさせる質問だな!まあでも、あるよ。本当に若い頃、たしか14か15の時に間違って大量のアシッドをキメちゃったんだ。いつ素面に戻るかわからなくなって怖かったね。数日後、医者のところというか病院に行ったんだ。その医者には「うーん、大丈夫でしょう。温かいミルクを飲んで安静にしてください」って言われた。その後再診を受けたら「言いたくはないのですが、あなたと同じことをして元に戻れなかった人たちもいます」って言うんだ。おそらくそれが今のオレである原因。良い気分じゃなかったね。たしか3、4日間ぶっ飛んでいたと思う。あれはクールじゃなかったね。
-Girlのビデオに出てくるスキット(寸劇)で好きなのはどれ?
Owen Wilson(俳優)があのセリフを練習して現れた時は、度肝を抜かれたよ。その時初めて「Hard Out」って業界用語を知った。たとえば、「Owenは20分でHard Outしなくてはならない」みたいな感じ。彼はあれを1、2回で撮り終えたんだ。Meza(Aaron Meza ディレクター・プロデューサー)があのセリフを書きだして「この男、どうやってこんなにスケーターみたいに喋れるようになったんだ?」って昂奮してたよ。彼の最初の演技を見てオレらは抑えきれなかったね、大爆笑。まあでも、Spikeとの仕事はいつでも楽しいんだ。スキットをやるだけでも彼とふざけまわってるのは楽しいからね。実を言うと今、ちょうどLakai用にもスキットを撮り終えたところ。口ひげとカツラをつける時はいつだって楽しい日になるんだ♠
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patsatshit · 7 months
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
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小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
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各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
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私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
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そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレ��ズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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apoandbangpo · 9 months
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の���い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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tutai-k · 1 year
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カモを見たあとで鴨を食べ損ねた
文学フリマ京都7に参加してきた。 感染症が始まる直前、最後の文フリの参加が文学フリマ京都だった。あの頃はまだ感染症が流行して三年もイベントに参加できなくなるなんて思っていなかった。 仲のいい友達とアフターを楽しんで、また普通に会えると思って別れたから、そのとき、ドトールみたいなチェーン店でゲームの話をしたことを鮮明に思い出そうとしても思い出せない。 去年9月、文フリ大阪に久しぶりに参加しているから、これが「復帰1発目!」というイベントではないのだけれど、去年は始発で出かけて大阪城公園で鳥を撮りまくってからの参加だったから、眠くて眠くて仕方がなくてほとんどイベントの記憶がない。 だから、記憶があるイベントとしては1発目。
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ここでも書いたけど、前泊で参加した。 1日目は奈良・京都でずっとお話をしたいと思っていたひとたちに会った。一緒にイベント参加しようねって言いながら感染症でずっと無理だった人、感染症の蔓延しているさなか、出国まぎわに地元に来てくれて、鳥の写真を撮りながらおしゃべりしようと言いながら天気が悪すぎて、キャンプ場でスモアをつくったり、おしゃべりが楽しかった思い出をくれた人……。 「イベントに行けば会えた」人たちは、イベントに参加できなくなってしまうとなかなかあえなくなってしまって、地元の友達のようには気軽に「遊びに行けない」人なんだ、ということにびっくりした。 「誰かに会う」ということは、じつはとても困難だ。リモートで遠方のひととも気軽に会話できる、Twitterでは毎日のようにわちゃわちゃエアリプしている、でも「会う」というのは、いろんな要素と条件をクリアしていないとできないのだと言うことを、その要素と条件を簡略化してくれるのがイベントだったんだと思った。
文フリ当日の京都は曇りだった。 もう少し天気が回復すれば、オシドリで有名なところへ行こうと思っていたのだが、いつも使っているミラーレスではなく小さなコンデヂでは警戒心がつよく遠いところにいるオシドリは撮れない。 せっかく京都まで来たのに、とぶつぶついいながら、文フリ会場の近くを検索したら、平安神宮のお庭にカワセミが飛んでくるらしい。 カワセミとかべつにどこでも見られるのだが、せっかくカメラも持ってきたんだし、神宮のお庭という素敵な景観のカワセミとか撮れたらうれしいじゃないか!
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ホテルでごろごろしているのをやめて、大急ぎで平安神宮へ向かった。 お庭は600円で入れた。曇天で、しかも早朝、お庭はほとんど人がいなくて、カワセミもいなかった。 でも池がたくさんあって、カルガモがたくさんいた。ようすがちがうカルガモを発見する。カルガモとマガモの交雑種(ハイブリッド)。「マルガモ」という俗称があることをそのときはしらなかったので、「カルマガモ」と名付けた。ずっと観察していると、カルマガモは自分のことをカルガモに分類しているらしく、カルガモたちと行動を共にしている。マガモの群もあったのだが近寄ろうとはしていなかった。
庭を巡り終えたあと、文フリの会場のみやこめっせへ。
すごく久しぶりだったのに、体って普通に動くものなんだね。前日に会った人に「自転車の乗り方は体が覚えているというけれど、三年前の自分がイベントセットを用意してくれていたし、やらなければならないことのために体が動く」と言っていたが、本当にそう。
設営本能
としか言えないものがわたしを動かしていく。宅配搬入の段ボールをさっさと持ってきて、机から椅子を下ろし敷布を敷き、段々ボールを組み立て、本を並べていく……まるで前世の記憶! 私ってこんなにできる女だったのか?! まあ前々日の支度のときに「京都 野鳥」「京都 野鳥スポット」「鞍馬山 野鳥」とか調べまくっていてサークルチケットの存在を完全に忘れ去り、八束さんに「サークルチケット忘れてきたんですけど、持ってませんか」とDMをもらって(電車の中だった大和八木くらい)「サーーーーーーーークルチケット!!!!!」とその存在を思い出した。ちなみに八束さんはサークルチケットを忘れてきていなくて、ちゃんと持ってて、八束さんがサークルチケットをめぐんでくれた。だから前世からちょっと成仏しかけてたね……。
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見本誌も提出し終えて、まったりしていると隣接の鹿紙路さんがやってくる。鹿紙さんとは感染症が蔓延してからもじつはいろいろ旅などしているので結構会ってる。とはいえ久しぶりに会えるのでうれしい。 鹿紙さんは会場ぎりぎりにやってきたが、颯爽と組み立てていく。 みんな体が覚えているのだ設営を……。(鹿紙さんはイベント結構参加してるからね)
イベントがはじまると、びっくりするくらい人がたくさん入ってきた。文フリ大阪もたくさん人が来ていた様な気がするけど、なにぶん始発で鳥(以下略)だったため、記憶がない。
今回は新刊『山梔の處女たち』を持ちこんでいた。初めての百合スペースだし……めちゃくちゃ緊張していたが、鹿紙さんが隣にいるのでしゃべりつづけて心を保った。 とはいえ、わたしは文フリのスペース内ではあまり接客はしない人間で、愛想のないやつだなあとたぶん思われているだろうと思う。 服を買いに行ったとき、自分に似合うものなのか・着られるものなのか、値段は支払えるものなのか、それはいろんな要素がせめぎ合った「選択」だろうと思うけれど、本選びもそうだろうと思う。 「本当に読みたい本だろうか」「読める本だろうか」という吟味をするとき、なるべくいろんな声(特につくっている人間の心情や期待など)を浴びたくはないとわたしは思うので、吟味する時間と立ち去りやすさを考えてそうしている。 まあ、接客をしなくても、愛想がなくても、立ち寄ってくれるというのは「いいなあ」という。 普段はひとに愛想を振りまいて、なんとかご機嫌を取って暮らしている人間だから、こうやって無愛想に座っていても「いい」空間はありがたい。新刊は持ち込みの三分の二、他の本も半分くらいは縁があったみたい。 無愛想でも、 見本誌を見て、表紙がとても素敵だったから、タイトルがよかった、前に読んだ本が面白かったから、おすすめしてくれる人がいたから。 本をえらんでくれる「理由」を話してくれるひとがときどきいて、そうすると小説ってひとりで書いて、ひとりで本にして、ひとりで売ってるわけじゃないんだなと思う。
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イベントのあとは、鹿紙路さん、沙耶さん、らしさんと日本酒バーへ。 ほんとうはわたしも飲むつもりだったのだが、家のことが重なりすぎて後泊しないで帰ってきてほしいと言われて、酒は飲めなかった。 沙耶さんとウーロン茶を飲みながら、らしさんと鹿紙さんが日本酒を飲みまくっているのを眺め、鳥の話をたくさんした。 タメイーランドのこと、野鳥の会のこと、浜の鳥のこと、沙耶さんとゆっくり鳥の話をしたいと思っていたのでとてもいい時間を過ごせた。 近いうちに、一緒に鳥を撮りにいけたらいいなあと思っている。約束をした。 カモを見たあとで鴨を食べたいね~って話してたら鴨料理は売り切れていた。 カヤさんが教えてくれた「カモサブレ」を京都駅で買う。ますく堂さんがくれた「ハトサブレ」と見比べ・食べ比べをしようとおもう。
買い物も結構した。 買った本のリスト。 『LAZY MONDAY MORNING』あずみ(冬青) あずみさんの新作を読めるのがうれしい! 『イサド住み』オカワダアキナ(ザネリ) 「魔女の選択」を迷いながら書いていたとき、おかさんのこの本のあとがきにどれだけ救われたことか。本を読むのが楽しみで仕方ない。 『貝楼諸島へ』(犬と街灯) 柳川麻衣さん、紺堂カヤさん、オカワダアキナさん、佐々木海月さん、穂崎円さん、正井さんのお話が読みたくて買った。 『吸血鬼は青年を伴侶に選ぶ』きよにゃ(招福来猫) わたしのBLの教科書はきよにゃさんです!表紙がめちゃめちゃきれい~! 『百人のためのエンターテインメント~読書サロンにて『須永朝彦小説集』を読む~』ますく堂なまけもの叢書12(古書ますく堂) わたしがこの本を買うのに特別な理由を必要とするとお思い??購入は呼吸です。 『稲麻竹葦 第6号 神々との治療』 スクナヒコナが推し神です!!!!
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本の他に、緑色のカモノハシのぬいぐるみを買った。 新しい仕事の机に飾ろうと思う。
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