. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月17日(火)#先勝(乙亥) 旧暦 12/26 冬土用入 月齢 24.7 年始から17日目に当たり、年末まであと348日(閏年では349日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . やっぱり自家用車がある生活って 一気に生活水準が上がった気分に なり、ゆとりと云うか生活に潤い がありますよね✋雨も寒さも気に ならない✋ストレスから解放されます。 週末日曜と暖かな日が続きました が、昨日は雨で寒く午後より晴れ 間も見え夕焼け🌆も綺麗でしたが 雨で辺りが浄化され冷えた感じが しましたよ✋まぁ~これが普通の 冬の時季ってもんでしょ✋20日の 金曜日には「大寒」ですからね✋ . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #防災とボランティアの日. 1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。 1995年(平成7)年1月17日(火)仏滅.に発生した阪神淡路大震災。 そのときにボランティア活動が大きな力となったことから、災害への備えとともにボランティアの大切さを認識する日とされている。 . . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 . #月徳合日(ゲットクゴウビ). 他の吉と重なると特に吉の日です。 引っ越しや結婚、リフォームなどにも吉とされます。 . #大犯土(オオツチ). 選日の一つ。 土、椎、槌。 庚午から丙子までの7日間を大犯土、戊寅から甲申までの7日間を小犯土という。 その間の丁丑を間日、犯土間日、中犯土といい、この日は犯土には含まれない。あるいは犯土には含まれても犯土の禁忌は存在しない。 犯土期間には土公神が本宮、あるいは土中にいるため土を犯してはならない。 土に休養を与えるべき日とされ、土に関することは慎むべきとされています。 . . #阪神淡路大震災記念日. 1995(平成7)年1月17日(火)仏滅.午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。 . #防災とボランティアの日. 1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。 . #おむすびの日. 米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000(平成12)年11月に制定し、2001(平成13)年から実施。 . #第二次オイルショック(#Oilcrisis). 1979年に第二次オイルショック。 . #ウェーク島占拠. 1899(明治32)年1月17日(火)大安.に軍事政策の一環で基地構築の為にアメリカ合衆国が領有宣言した。 . #湾岸戦争開戦記念日. 1991(平成3)年(木)先勝.アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、イラクとクウェートのイラク軍拠点に攻撃を開始し、湾岸戦争が勃発しました。 . #尾崎紅葉祭(#静岡県熱海市). . #ひょうご安全の日(兵庫県) . . . #国産なす消費拡大の日(毎月17日). #いなりの日(毎月17日). #減塩の日(毎月17日). . . ■本日の成句■. 一輪咲いても花は花(イチリンサイテモハナハハナ). 【意味】 たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないと云う事。 . . 1986(昭和61)年1月17日(金)先勝. #長谷部優 (#はせべゆう) 【女優、元アイドル/dream、DRMのメンバー】 〔岐阜県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CnfS0eoh9yy4O6LqmlyNO_mPuHAm4WXJulwYTg0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。
神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。
芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。
六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。
この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。
六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの��きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。
敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。
六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必��である。
町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。
新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。
現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。
上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。
バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。
住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
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安倍政治は若者世代を元気づけた
櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人はこれを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。安倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、インドをはじめアジア諸国に大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天皇、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以前から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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2024.1.5
昨日はピアノの弾き初めでした。
例年の新春コンサートでは、ヨハン・シュトラウスを始め華やかな作品を中心にお送りしてまいりましたが、今年はどうしても明るい気持ちになれず、急遽前日に思い切って全曲プログラムを変更をして、コンサートタイトルを「祈り」と題しました。
1日間での譜読み・暗譜・朗読の暗記に沢山のエネルギーを消耗しましたが無事に終えることが出来ました。
オリジナル曲の阪神・淡路大震災祈念曲「いのちの尊さ」では、29年前の私の震災経験を話しながら歌詞を読み上げて哀悼の意を表しお送りしました。
次に演奏した「心の瞳」は、1985年8月12日JAL123便の墜落事故でこの世を去った坂本九さんの遺作をお送りしました。1985年5月12日に発売された作品で墜落当日もNHKでこの作品が公開収録されていました。
坂本九さんの葬儀では娘さまがこの曲を献奏されました。
犠牲に遭われた520名の方々のご冥福をお祈りし今まで度々私は当時の映像を繰り返し見て過ごしておりました。
この度の1月2日のJAL516便エアバスA350-900型機と海上保安庁の航空機MA722との衝突事故で居た堪れない気持ちになり、どうしても「心の瞳」を演奏したいと思いました。5名とペット2匹の尊い命が奪われましたことに心からのお悔やみを申しあげます。
この2曲のほか祈りをテーマにしたプログラムでお送りし皆さまと共に掛け替えのない祈りの時間を共有することができ胸が一杯です。
コンサート最後の私の呼び掛けで、皆さまの温かなご支援に感謝申しあげます。終演後すぐに団体を通して、能登半島地震の災害義援金として御寄付をさせて頂きました。
重ねて心からの御礼と感謝を申しあげます。
今後も音楽を通じて、皆さまお一人おひとりのお心の支えになれますように、そして平和活動を繋げてまいります。
それが私に与えられた使命だと感じております。
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石硤尾大火から神戸の壁へ
4月16日に『被災地をつなぐさをり織りin北淡震災記念公園』が終了しました。最終日の午後4時ごろに香港で用意したたて糸が織り終わりました。
このたて糸は、香港の社區文化發展中心(CCCD) の協力によって2022年10月につくられました。場所は、1953年12月25日に5万人が焼け出された大火災「石硤尾大火」のあった地域です。
香港でのたて糸制作風景。英語、広東語、広東語手話でコミュニケーションをとりながらの共同作業。
もう少しで織りあがります。
1953年 石硤尾大火
炎をイメージする赤とオレンジの二色交差織りのあとに、野島断層記念館に来たご家族が炎を収めるようなブルーとグレーが混じった糸で織ってくれました。これで香港のたて糸は完成です。
北淡震災記念公園には「神戸の壁」があります。第二次世界大戦の空襲を耐え、阪神淡路大震災によって発生した大火災の延焼を止めた本物の壁です。…
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2023年1月18日(水)
いつもSOU・SOUの足袋下を愛用しているが、いくつかすり切れたものが出だしたので、普段使いのものを注文した。おりしも節分セール中、『宝船入りぽち袋と福豆』が入っていた。500円・1000円・2000円と3種類のクーポンが当たるのだが、残念ながら今年も500円。とは言え節分とは嬉しいひびき、週末寒波を耐えた先には立春が待っているのだ。
5時起床。
日誌書く。
水曜日の朝は忙しい。
ツレアイが息子たちの朝食と、2男のおにぎりを用意してくれる。
6時になった段階で、洗濯機を回す。
いつものそば定食を美味しくいただく。
珈琲を入れ弁当を用意している間に、彼女が洗濯物を干す。
空き瓶・缶、45L*1。
いつも通り、彼女の職場経由で出勤する。
吹田出口が少し混んでいたので、5分程度遅い到着。
水曜日は2限・3限「情報機器の操作Ⅱ(食物栄養学科)」、今日が最終回、阪神淡路大震災から28年を伝える新聞記事を使って、先週の<長文作成をサポートするスキル>の復習を行う。最後に授業アンケートを実施して、残すは来週月曜日の2コマだけとなった。
昼休み、弁当を食べ終える頃に来客、今年から同僚になったA兄と、ハングルの非常勤のI姉が顔を見せてくれた。2人とも学生時代から一緒に在韓被爆者支援運動の仲間、半世紀近い時間が流れても関係性は何も変わらない。
明日は入試のために臨時休講、ゴミを片付けて早めに退出する。
ライフ西七条店まで買い物、鰤の切り身・豚バラ肉・小松菜・煮干し。
灯油の移動販売、18L*1を回数券で購入する。
息子たちの夕飯はブリの煮付け、白菜と小松菜と豚バラ肉のクタクタ煮、ConoSur の白を一緒に。
今夜もツレアイは早めの帰宅、辛味を聞かせた麻婆豆腐で慰労する。
録画番組視聴。
「冬・高野山」
初回放送日: 2023年1月17日
和歌山県の紀伊山地に抱かれた高野山は、1200年前、弘法大師空海が開いた。その教えに従い、修行僧たちは早朝4時の起床から夜9時の就寝まで様々な行に明け暮れる。番組では、冬、氷点下15度の厳寒の中で氷の浮かぶ川に入り経を唱える水行を中心に僧たちの修行の日々を追う。また、高野山に受け継がれてきたマンダラや孔雀明王像、愛染明王像など密教美術の数々を紹介しながら、冬の高野山の幻想的な世界を描く。
40年前(?)の映像、とにかく寒そうだ。
片付け、入浴、体重は700g減、よし。
水曜日は昼をはさんで教室と研究室を2往復するので、特に意識しなくとも歩数は伸びる。水分は、1,600ml。
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2024年5月4日
Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
【画像を見る】参議院の公報には『れいわの山本太郎氏はタイへ』『社民の福島みずほ氏はシンガポールへ』
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問
まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、上記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も
一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩谷議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航
続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国���、それぞれ渡航する。
また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察のためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)
「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグルメ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も���っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる活動についてネット上で報告すると、「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあったというが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、どんな支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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毎日が記念日
1月17日は…
防災とボランティアの日
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方、学生を中心としたボランティア活動が活発化、「日本のボランティア元年」と言われました。これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、1995年12月の閣議で制定が決定され、翌1996年から実施されたんです。
なんで、日本はボランティア精神が受け入れ難いところがあるんだろうか?
【疑わしいAI-イチロウによる1月17日の出来事】
395年 - ローマ帝国のテオドシウス1世が死去し、帝国が東西に分裂する。
1773年 - ジェーン・オースティンが生まれる。
1873年 - アメリカの実業家、投資家のデビッド・ロックフェラーが生まれる。
1945年 - ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がソビエト連邦によって解放される。
1961年 - アメリカの��統領、ドワイト・D・アイゼンハワーが議会に「軍産複合体」について警告演説を行う。
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1月17日(水)
おはようございます!
阪神淡路大震災から29年を迎えた朝。やはり今は能登半島地震で被災された方々が心配です。いまだに余震が続き、不安な日々が続いていると思うと心苦しいです。一日も早く安心出来る生活が戻ることを願います。先日にもお伝えしましたが、レジ前で皆様からお気持ちで頂戴しましたチップは全て日本赤十字社に義援金寄付させて頂きました。本当に有難う御座います。
さてさて、写真のバーガーですが、久しぶりのベーコンジャムバーガー🍔🥓🐷✨今回はザ★キャノンボールラン最後の限定としてクリスピーオニオン、パインチーズ&ベーコンジャムで作らせて頂きます!超少量数なのでメニューには載せてませんが、インスタご覧になられた方限定で🙏1750円+tax
クリスピーオニオン、エッグチーズ&ベーコンジャムは1800円+tax
【本日のパイ&ケーキ】
●オールドファッションアップルパイ
●ピーカンオートミールパイ
●ブルーベリーサワークリームパイ
●オレオチーズケーキ
●ソルティーハニーパイ
【本日のクッキー】
●カウボーイクッキー
●ハワイアンクッキー
●チョコチャンククッキー
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⚠️AUNTY-MEE BURGER 20周年 記念企画スタンプラリー『キャノンボールラン』のチラシ、ダコタの住所が間違っておりました。私どもの不手際でご迷惑をおかけ致しております。
(誤)長尾町707-1
(正)長尾町宅原707-1
です。宜しくお願い致します。
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【お客様へ】
⚠️お席のご予約はお受けしておりません。店内のご利用は、ご来店頂きました順番にご案内しておりますので、来られましたら必ずスタッフにお声がけ下さい。
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店内のご利用は、混雑時はお席の譲り合いにご協力お願い致します。(目安 : お食事のご提供から約60分)
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テイクアウトはお電話にてご注文承ります。☎️078-986-1237 です!事前のご注文でお引渡しもスムーズです。※タイミングでお時間が少しかかる場合もございます。ご了承下さい。
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当日のご予約は、開店前の朝9時からお電話にてご注文承ります。当日ご来店頂いてからのご注文はかなりお時間がかかる場合もございますのでご注意下さい。
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またスタッフ少人数のため、11時から営業が始まりますと、お電話に出れない場合もございます。少し時間をあけて 再度お電話頂けると幸いです。
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ハンバーガーだけでなく、ご一緒にパイ🥧やケーキ🍰、クッキー🍪もテイクアウトも承ります。
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⚠️ハンバーガーはお引き渡し後、1時間以内にお召し上がり下さいね!
パイ・ケーキ類は速やかに冷蔵庫で保管し、当日中にお召し上がり下さい。
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駐車場はお店の周りに5台、第2駐車場に5台と数に限りございます。出来るだけ乗り合わせてのご来店でお願い致します。また駐車場内での事故や盗難等トラブルにおきましては一切の責任を負いかねますのでご注意下さい。
では本日も素敵な一日をお過ごし下さいね😊👍✨✨✨
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2024/01/07
BGM: The Bluetones - If…
今日は早番だった。今朝、何人かの女の子(いや、「女性」かな)が晴れ着を着て歩いているのを見かけた。それでぼくは、今日はぼくの住む町で成人の日の催し物(祭典)が行われていることを思い出したのだった。ぼくは過去に、自分がハタチだった時実際はどうだったかを思い出そうとする。でも、たしかなことを何も思い出せない(言うまでもなく、それはとても遠い遠い昔のことだ)。
事実を1つずつ記していこうと思う。その当時、ぼくは東京に住んでいた。具体的に言えば早稲田に在籍していたのだった。でも、思い出してもぜんぜん楽しい記憶はよみがえってこない。あの日々、すでにぼくはとても激しい欲求不満にさいなまれてひどく生きづらい思いをしていたのだった。世界に対して巨大な怒り・憤りを煮えたぎらせていたし、自分自身のことについても自己嫌悪に取り憑かれてどうしようもなかった。だから、式には結局出ずに終わってしまった。
そうした日々にいま一度目を向け、振り返ってみて思う。たぶん当時のぼくはそうした成人の日の式典が無意味に決まっていると頭ごなしに決めつけ、バカにしていたのだろう。そして、もっと言えばそうした式典に興じる人は「洗脳されている」とか思っていたのかもしれない。たとえば、成人式なんて「しあわせの押しつけ(ファシズム)」だとか日本でおなじみの悪名高い概念である「同調圧力」だとか……書いていて、なんだかどれだけ自分がみじめったらしくてアホな人間だったのかあらためてわかってきて汗顔の至りだ。いま、ぼくはそうした催しにはたしかな、大事な意味があると思う。そうしてぼくも変わってきた。それが人生ってことだろう。
おそらく、1995年という年(ぼくがハタチだった年だ)はとうてい明るい未来に向けて輝かしく生きられた1年というわけではなかった。すくなくとも、ぼくの個人的な印象としてはそう思われる。その年、阪神淡路大震災が起こった。そして、オウム真理教が戦後史に残りうる地下鉄サリン事件(一種のテロリズムと呼ぶこともできないだろうか?)を起こした。そして、平成不況はいまだ深刻でとてもハッピーなムードが漂っていたとは思えなかった。
そんな不幸な「大人へのとば口としての1年」のあと、ぼくはいろんなできごとを体験しなくてはならなかった。今年、ぼくは49歳になる。もうぼくは立派な大人になった、と言えるだろうか。誰にもわかりっこないことだ。でも、少なくともぼくがこの人生で体得した大事な教訓はそれなりにいくつかある。そのうちの1つはこれだ。ぼくは、他人を拒絶して人生を生きるわけにはいかない、ということ。過去にぼくは、誰も頼りにできない、誰も信頼できない、誰にも甘えてはいけない、と思い込んでいた。だから1人で生きないといけない、と。ゆえに、どんな協調関係も築けなかった。サークルを築いてもつぶしてしまい、友だちともすぐ仲違い・喧嘩別れの日々が続いて……でもいま、ぼくの職場や私生活を見てみると実にいろんな友だちとの仲がゆるやかに続いているようだ。ああ! これについてはもっと考えを煮詰める必要があるだろう。
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瀬尾夏美『声の地層』刊行記念朗読&トーク
2011年に発生した東日本大震災以降、自身の経験を言葉にして伝えようとする人びと、あるいは他者の経験を語り継ごうとする人びとにたくさん出会い、話を聞いてきた瀬尾夏美さん。
『あわいゆくころ—陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『10年目の手記—震災体験を書く、よむ、編みなおす』(共著、生きのびるブックス)などを刊行してきた瀬尾さんの最新作『声の地層 災禍と痛みを語ること』(生きのびるブックス)が、11月に刊行されました。
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『声の地層』は、2021年1月から2022年春までの連載と、3本の書き下ろしで構成されており、新型コロナウイルス感染症の拡大や気候変動による自然災害、ロシアによるウクライナ侵攻など、予想もしなかった災禍に揺れる社会の記録にもなっています。
そう、災禍は突然訪れる。ほとんどのまちが災禍と災禍の間にある。そんなわたしたちの日常を支えてくれるのは、過去の災禍を経験した人びとの声を聞き、隣り合う人たちと話し合い、未来の暮らしを積極的に考えていくこと。その架け橋になるのが、個人個人の想像力を受け入れる器としての詩や物語だと思います。
『声の地層』のひとつひとつの章は、「物語」と「あとがたり」で構成されています。物語があることで、第二次世界大戦や阪神・淡路大震災や東日本大震災などの災禍の痛みが、誰しもの痛みと繋がり得るんだと思えます。それはきっと遠方の戦地で生きるひとりひとりとも。
たくさんの語りを聞いてきた瀬尾夏美さんに、物語の朗読と、この本を書く中で考えたこと、これからについて、お話いただきます。
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瀬尾夏美『声の地層』刊行記念朗読&トーク
日時:2023年11月30日(木)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F/三軒茶屋駅から徒歩5分)
チケット:
会場参加(定員18名さま):1500円
会場参加+『声の地層』¥2310=3810円
配信参加:1000円
配信参加+『声の地層』¥2310=3310円
*すべて見逃し配信付き(1ヶ月間)
申込:https://peatix.com/event/3763844/view
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《瀬尾夏美さん選書フェア》
期間:2023年11月29日(水)〜12月11日(月)
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
瀬尾夏美さんが「これまでに影響を受けた15冊」を選び、 それぞれにコメントを寄せています。
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《プロフィール》
瀬尾夏美 (セオ ナツミ)
1988 年、東京都生まれ。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2011年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとのユニットで制作を開始。2012 年から3 年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行なう。2015年、宮城県仙台市で、土地との協働を通した記録活動をするコレクティブ「NOOK」を立ち上げる。現在は、東京都江東区を拠点に、災禍の記録をリサーチし、それらを活用した表現を模索するプロジェクト「カロクリサイクル」を進めながら、“語れなさ” をテーマに旅をし、物語を書いている。著書に『あわいゆくころ—陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『10年目の手記—震災体験を書く、よむ、編みなおす』(共著、生きのびるブックス)、『New Habitations:from North to East 11 years after 3.11』( 共著、YYY PRESS)がある。
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建築探訪 淡路島編
思いがけず古墳!からスタートな兵庫2日目の朝。
五色塚古墳。兵庫県下最大の前方後円墳だそうです。
淡路島と明石海峡大橋をのぞむ絶好のロケーション。
観音屋のデンマークチーズケーキを食べて
明石海峡大橋を渡る。
まずは本福寺水御堂。
安藤忠雄設計、1993年の竣工。蓮の池から地下に潜っていく写真を見ては、いつか行ってみたいと思いながら、30年も経過していたことにも驚きました。
階段をおりきった入り口。打ち放しのコンクリート壁に細い光のライン、模様かと思うような絶妙な位置に落ちていた。帰りには光のラインが移動していて、ほんの一瞬の美しいタイミング。
朱色の空間の美しいこと。
本殿は撮影禁止でしたが、本殿の内部の格子と、この外の廊下の格子が重なった時、光の加減で内側の格子が黒く見える不思議。光と影が美しかった。
お昼にサワラを食し、
伊弉諾(いざなぎ)神宮へ。
日本神話「国生み」に登場する二神イザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る日本最古の神社。2神が天之瓊矛(あめのぬぼこ)を授かり、引き上げた矛先から滴り落ちた塩の雫がオノゴロ島となったという国生みの神話。2人は夫婦となり、次々と日本列島を作った最初の島が淡路島だそう。
昨年登った鹿児島高千穂峰の天の逆鉾の話に似てる?と思ったら同じお話でした。
そんなわけで夫婦円満の聖地とよばれるこの神社。夫婦大楠の前での模範的な友人家族。夫婦と、写真を撮る娘。
このあと、淡路島の南端、南あわじまで車を走らせてくれた友。行きたかった場所にたどり着きました。
四国まであと一歩、鳴門海峡を見渡す場所に建つ、戦没学徒記念 若人の広場。丹下健三設計、1967年竣工。
まず見えてくるのが石積みの建物、戦没学徒記念館。
入り口を通り越して
塔が見える。
太平洋戦争で戦没した全国約20万人の学徒ら若者を慰霊する高さ25Mの祈念塔。
HPシェルの曲線。力強くてかっこいい。
塔の側からは、地面に埋まるように低い入り口が。
内部。石積みの上にヴォールト屋根が連続しています。
力強く美しかった。建築に目がいきがちですが、内部には、全国の戦没学徒の遺品などが展示されています。
来場者の減少により1994年に閉鎖されたのち、阪神・淡路大震災の被害もあり、約20年放置されていたといいます。2008年の日経のネット記事で「廃墟」と書かれていました。その後、南あわじ市が買い取り、2015年に都市公園として再整備されたとのこと。
こんな場所が無料で開放されているなんて。来られてよかった。
そして本州に戻りつつ、最後にあわじ夢舞台。
季節的に植物が少ないせいなのか、人が少ないせいなのか、ブルータルという感じでした。とにかくスケールが大きい。
本州に戻って焼肉を食べて、夜は温泉へ。
初めての淡路島、満喫した1日でした。建築もすばらしく、玉ねぎ関連みやげもしっかりゲット。兵庫最高です。
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2023.4.19
4月20日(木)12:00〜13:00
クラブハウスの「グローバル共和国」に、ピアノの生演奏付きで60分間トーク形式で出演いたします。
ロサンゼルス公演からのご縁でこの度出演のお話を頂きました。
クラブハウスを利用したことのない方は、携帯のアプリからクラブハウスをインストールしまして、下記のリンクから、4/20 12:00PMよりお楽しみください。
「グローバル共和国」とは
会員1万人超のグローバル共和国は、クラブハウス初のクラブとしてNHK「あさイチ」に取り上げられ、文部科学省のウェブサイトに掲載されるだけでなく、Kindle出版、YouTube、上場企業などとのコラボイベントなど多くのプロジェクトを成功させる国際論文研究対象の世界一のサイト。
予定では、
出逢い
阪神・淡路大震災記念曲「しあわせ運べるように」
梅たたずむ思い
などを演奏いたします。
https://www.clubhouse.com/invite/InzZ5pwY hey - you should join us Tomorrow, 12:00 pm for 🌏日本・エルサルバドル音楽親善大使 作曲家ピアニスト平原誠之氏に聴く魂に響く演奏🎹.
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M7.3
4月16日まで、淡路島の北淡震災記念公園にて「被災地をつなぐさをり織りin北淡記念公園」を実施しています。東日本大震災から12年目の3月11日から、阪神淡路大震災によって地表に現れた野島断層を保存している北淡震災記念公園の25年目、明石海峡大橋の開通25周年を超えて、熊本地震の本震の4月16日まで、野島断層のよこで展示しています。
東日本大震災やスマトラ島沖地震はM9クラスなので、それに比べると熊本地震と阪神淡路大震災のM7.3はたいして大きくないように感じるかもしれないが。震源が浅い直下型の場合かなりの破壊力がある。昨年のルソン島北部の地震もM7.3の震源が浅い直下型地震でした。
阪神淡路大震災は夜明け前でしたが、熊本地震は4月14日は夜9時ごろ、4月16日は深夜1時ごろでした。阪神淡路大震災は、夜明けが遅い時期ではあったものの、夜明け前だったからましだけど、熊本地震は明るくなるまで…
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2024年2月18日
岸田内閣支持率、最低14% 不支持率82% 毎日新聞世論調査(毎日新聞)2024年2月18日
記者団の取材に応じる岸田文雄首相=首相官邸で2024年2月15日午後6時29分、竹内幹撮影
毎日新聞は17、18の両日、全国世論調査を実施した。岸田内閣の支持率は、1月27、28日実施の前回調査(21%)より7ポイント減の14%で2カ月ぶりに下落し、岸田政権発足以来最低となった。岸田内閣の支持率が20%を切るのは、昨年12月以来2度目。不支持率は前回調査(72%)より10ポイント増の82%だった。
【グラフ】岸田内閣の支持率の推移
調査方法が異なるため、単純比較はできないが、内閣支持率14%は、2009年2月の麻生内閣(11%)以来の低い水準。また、不支持率が80%を超えるのは、毎日新聞が世論調査で内閣支持率を初めて質問した1947年7月以来、初めて。
支持率は、マイナンバーカードを巡るトラブルが相次いだことなどが影響して昨年6月以降、下落傾向に転じ、9月に内閣改造を実施するなどしたが、政権浮揚にはつながらなかった。11月以降、自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題が深刻化。今年1月は20%台を回復したが、再び下落した。
調査は、携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)機能を使う方式と、固定電話で自動音声の質問に答えてもらう方式を組み合わせ、携帯453件、固定571件の有効回答を得た。固定については、能登半島地震で大きな被害が出ている石川県の一部地域を調査対象から外した。【野原大輔】
裏金事件の「脱税」疑念 国税「調査すべきだ」93% 世論調査(毎日新聞)2024年2月18日
多くの人が参加する自民党安倍派の政治資金パーティー=東京都港区で2023年5月16日午後6時49分、宮武祐希撮影
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り、脱税の可能性が指摘されている。毎日新聞は17、18の両日、全国世論調査を実施し、問題のあった自民党議員を国税当局が調査すべきだと思うか尋ねたところ、「調査すべきだ」が93%を占め、「調査する必要はない」(3%)を大きく上回った。「わからない」は4%だった。
自民党による党所属国会議員らを対象としたアンケート調査では、2018~22年にパーティー券収入のキックバック(還流)や中抜きに関する政治資金収支報告書への不記載や誤記載があったのは85人で、総額は計5億7949万円に上った。政治団体が寄付やパーティーで集めた政治資金は原則、非課税だが、不記載分に関し、野党などは議員個人の「雑所得」とみなして所得税法上の課税対象とすべきだと主張している。
調査は、携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)機能を使う方式と、固定電話で自動音声の質問に答えてもらう方式を組み合わせ、携帯453件、固定571件の有効回答を得た。固定については、能登半島地震で大きな被害が出ている石川県の一部地域を調査対象から外した。【野原大輔】
能登半島地震、ボランティアの数少なく 自粛や「SNSでたたかれる」萎縮する人も 1カ月で2739人、阪神・淡路は62万人(神戸新聞 2月18日)
能登半島地震で、災害ボランティアのあり方が問われている。発災1カ月が過ぎても、災害ボランティアセンター(ボラセン)を通じて活動しているのは延べ2739人。阪神・淡路大震災では発生1カ月で延べ62万人だった。「ボランティア元年」から29年。自立した市民社会の後退を危惧する声も出る。
■「プロとアマを区別してしまう空気」
1月中旬。「神戸国際支縁機構」(神戸市垂水区)のメンバーは石川県珠洲市に連絡を取り、医師や看護師と一緒に避難所を訪問した。そこに医師はおらず、避難者らの体調も心配されたが、活動を断られたという。市に問い合わせると、「現場に任せているので」と言われた。
国内外の被災地支援に携わってきた同機構。岩村義雄代表(75)は「能登では、災害派遣医療チーム(DMAT)など公的に認められた団体でなければ活動しにくい。プロとアマを区別してしまう空気がつくられてしまった」と嘆く。
背景の一つに、交通事情などを理由としたボランティアの自粛ムードがある。石川県によると、現地で活動した一般募集のボランティアは2月16日時点で、延べ2739人。公的なボラセンに登録し、活動した人数だ。同県は「個別に被災地に行くことはお控えください」と呼びかけている。
一方、食料や宿泊場所を自ら確保し、得意分野で支援する「専門ボランティア」は114団体が現地入り。国などと連携する「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」がコーディネート役だが、神戸国際支縁機構など所属していない団体は活動していてもカウントされない。
■東日本大震災でも
ボランティアの自粛ムードは東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)などでもみられた。
議論の源流は阪神・淡路大震災だ。当時全国から駆けつけたボランティアの活動をどう捉えるか。「混乱」と「自由」の両側面が指摘されたが、大阪大大学院教授の渥美公秀さん(62)=災害社会学=は「行政側は『混乱』と捉え、全て管理したいという空気がその後、出てきた」と指摘し、続けた。「市民活動を信じない風潮が根底にある」
渥美さんによると、能登半島での活動を希望する学生もいるが、「SNS(交流サイト)でたたかれる」と萎縮し、被災地入りを諦めているという。渥美さんが副理事長のNPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク」(西宮市)は独自の拠点をつくり、ボランティアを受け入れるつもりだ。
「被災地NGO恊働センター」(神戸市兵庫区)顧問の村井雅清さん(73)も阪神・淡路で殺到したボランティアについて「行政は混乱したが、被災地は助かった」と振り返る。
当時は多くがボランティア初心者。「失敗や間違いもあったが十人十色、みんな自分で考えて動いた」。聴覚障害者に気付いてもらえるよう「肩をたたいて」と書いたプラカードをぶら下げて歩く人もいた。
新たな市民社会の到来を感じさせた29年前を振り返り、村井さんは言う。
「市民が自主的に動ける���化がなくなっていると感じる。あの時のボランティアたちに申し訳ない」
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「対話でつくる」は容易くない(都市マス説明会レポート・前)
都市マス改定案パブコメは1月31日まで(マイナンバーへの意見も同日まで、忙しい)!
https://www.city.suginami.tokyo.jp/news/r0412/1078272.html
その前に、説明会のレポートです。
私が行ったのは、2023.1.19阿佐ヶ谷地域区民センター。各地域ごとで内容が違うのかどうなのかな、と、思いましたが、ニシオギ回に日程が合わず。結果、やはり阿佐ヶ谷中心ではありましたが、阿佐ヶ谷にも言いたいことあるし。
まず、一カ所1回でぜんぶ平日18:00-20:00って選択肢狭いよね。これで「丁寧な説明」と言われたらかなわんが、向こうはそのつもりだ。
これ、ずっと懸念してること。区長替わって「対話でつくる区政」と言っても、これまで「対話」という概念を持ってない行政担当者のマインドは変わらないし、むしろ固くなるおそれあり、なので。
1Fのパネル展示、これも17:00から20:00ってひどくないすか?パネルくらい、会期中全施設にずっと置いておくべき。しかもあいかわらずのぼんやりした概念図と見出しだけのパネル。これに対して意見を言うなんてことは、あまり思いつかないのではないか。
さて、 18:00から、2Fの広い集会室でおこなわれたのが「杉並区まちづくり基本計画(杉並区都市計画マスタープラン)(案)説明会」。お役所センスまるだしなのは仕方ないとしても、「説明会」というのがイヤな予感。そしてそれが当たっていました。
告知不足もあり、予約は少なく、当日参加可能になっていました。ニシオギ回は20人とかだったらしいけど、後半にいくと口(SNS)コミで広まるし、やはりさすが阿佐ヶ谷。今回は最多で50人近く参加していました。
いちおう、 これまでの「ザ・説明会」からは少し変える体制で、「ゲン・プランニング」なる外部団体の人が「ファシリテーター」として仕切る。
質問・意見は付箋2枚で書いてください、書き方は…と、まず説明。なるほど。付箋を使うと「ワークショップっぽくみえる」、が、そのビジュアルに毎回騙されてはダメですよ。
まず、パワポスライドで、ほぼパネルと同じような、どこに文句をつけていいのか気をつけてないとわからない系のふんわりプロモ。ここは短め。
そのあと付箋記入タイム15分。事前に告知してくれればもう少しうまく書けるのに。小さい紙に太いペン。私はうるさいよ。「ペンが太くて書きにくい」と、ボールペンで書いといた。
でも結局ファシリテーターも字が読みづらく、困っていました。それなら書いた本人に読み上げてもらってはどうかと思うけど、長々と話してしまう人がいるからねぇ。
集まった付箋を基本計画の8項目
・土地利用
・市街地整備方針
・道路整備方針
・交通整備方針
・ユニバーサルデザインのまちづくり
・防災・減災・事前復興まちづくり
・みどりと水のまちづくり
・景観まちづくり
・ゼロカーボンシティを目指すまちづくり
・地域別方針(阿佐ヶ谷・駅周辺と南阿佐ヶ谷の一体的な生活拠点の形成)
に分けて掲示し、ファシリテーターが読み上げて区職が回答。
意見が多いのと少ないのがあり、やはり「ユニバーサルデザイン」「ゼロカーボンを目指す」ような誰からも文句のつけにくいものもある。逆に漠然としてるってことだけど。横文字だし。
まず少なめのところから、ということで防災について。しかし、阿佐ヶ谷の降雨と善福寺川への流入、防災キャンプの実施、防犯・ちかん対策、くらいまではスムーズに進んだのですが、「避難所での性被害の対策が必要なので、ジェンダー視点を取り入れ、担当者に女性を」(これは今ちょうど阪神淡路大震災の際のこうした問題が検証されている折でもあり、当然な意見)に対しての回答から、思わぬ紛糾が。
これは意外と象徴的で本質的なズレを露呈したのでは。
回答した都市企画担当課長が「防災会議には、警察署長や消防署長、東電などの充て職が多いので、女性を半分にするには総数を60人以上にしないと」と説明。エラい人は男だから、ということなのだが、「充て職」ってなんだ?と男女問わず区民が騒然。字で書くと「充て」だ、と説明されたが、こういう内輪の言葉をつい使ってしまうのも、行政の一方的説明体質、ひいてはジェンダーバランス是正の遅れの両方の表れではないか。
そもそも、この説明会もジェンダーバランスが偏っています。区長からは「警察署長や消防署長などのトップに限らなければ、防災会議に女性を立てることもできるのではないか」という意見があったが、都市整備部長、都市企画担当課長、拠点(駅周辺)整備課長(女性)、耐震・不燃化・防災担当、都市計画道路担当、みどり施策担当課長、環境部長(女性)で職員は女性二人。
ファシリテーターも男女であったが、実際に喋るのは男性だけで、女性は補佐というありがちなやつ。今どきはせめてありがちを避けるために、女性を司会に回すことが多いと思うのですが、それもしてない。
区職員が相変わらずなのを露呈したところをもう一つ。
中盤に若い男性参加者(たぶん区議選に出る新人の関係者)が割と目をキラキラさせて「職員の方の個人的な意見でいいので、杉並に住みたいと思えるには何が必要か、10~20年後のビジョン、夢を語ってほしい」と質問。あ~そりゃ答えられないヤツだ~と、思ったとおり、職員全員沈黙。そういうことを答える立場ではない、とかモゴモゴ言ったあとに、そうですね…たとえば…
「DX」。
…ダメだこりゃ。
ものすごい行政内目線じゃないですか。
まぁ、答えられない質問を出して困らせた(いや、目をキラキラさせてたので本気なんだけど)のかもしれませんが、行政で標語になってることしか思いつかないって悲しいですよ。
そんな状況なのでこの日の参加者みんなが関心ある阿佐ヶ谷問題について、いよいよ本気の紛糾。 阿佐ヶ谷には北東地区(田中前区長の疑惑の三角交換)再開発問題と、南阿佐ヶ谷(成田東)補助133号線問題があり、区民の捉え方としては別々の地域なのだけど、計画には「一体化」と書かれている。これについても質問が出ました。 方向性としては、北側は「落ち着きのある生活空間」「住環境と調和した市街地整備」「みどりの保全と創出(創出は危険ワード)」、南は「公共施設やサービスにアクセスしやすい」ということ。
まず、北東地区について。杉一小建て替えは現在地で!という意見が6件も。河北病院跡地には小学校を移転・建築せず「ツミが戻ってこられるような緑地・森を作る」という意見も多い。ケヤキ屋敷が伐採されてしまったのだから、そのくらいやらないとゼロカーボンに近づくことはできないだろう、という提案。 ケヤキ屋敷の保存を求めていた人たちの、今の総意なんだと思います。
質問は、北東地区計画の経緯・計画・課題は?というのが出ましたが、拠点整備課長らはマトモに答えず、上記のような目標を並べるだけの回答でした。論点ずらしにもなってない。
さらに河北病院敷地(元ケヤキ屋敷)について「武蔵野の屋敷林を西側に残した」と言い張るので、「えーっ」「あんなショボい並木で」とブーイングが。
実は阿佐ヶ谷北東地区計画については都市マスでほとんど記述されていませんし、西荻窪や高円寺のような「さとことブレスト」は行われず、すでに着手済事業としてそのままにされています。しかし工事に入っているのはケヤキ屋敷→河北病院だけで、あとの2地区、周辺商店街や道路はまだ見直すことができます。
まちづくりのあり方を区民の視点で見直すなら、もっとも重要な事業であり、最後に区長からも「阿佐ヶ谷北東については、方針と区民意見に乖離があり、私もどうしたらいいか悩んでいる。ただ緑を守る、ではなく未来の杉並のビジョンとなるような中心にしていかなくてはいけない。杉一小を含め、20年後の杉並をどうしたいか」というような発言がありました。
それなら、今後都市マスの枠組み以外でも北東地区についての話し合いの場を設けるべきだし、このレベルの話し合いでは不十分だと思います。
ほかにもこの都市マスタープランは、杉並区の未来の街のあり方を考えるのだから「子どもや若い人に周知して」という意見に対して、区職員からは「小学校に出前講座」をしている、という発言がありました。それなら杉並第一小学校に出前をして、当事者(PTA含む)の意見を聞けばいいじゃないですか。
南阿佐ヶ谷については区役所のほか、都税務署や郵便局などの施設が築40年で建て替え時期である(133号線沿い)ということを当初は折り込みたかったようですが「今のところ各施設には計画はない」という回答。それもあってか133号線については効果を検証する、が都市マス改訂版では明記されました。
しかしこれに関しても、「道のないところに新しく作る理由・効果は?」という質問に対して、企画担当課長だったかが「目的は防災・延焼遮断。青梅街道-五日市街道をバイパスすることで走行時間が短縮、結果、CO2削減になる」といういつもの「効果」を披露し、区民はうんざり。
さらに「事業主体は東京都で、10年ごとに優先整備路線を設定する」「都市計画道路は都で6割、都心部の東西の道は整備済み。外周にいくほど、縦方向の道が進んでいない。杉並は46%しか整備できていない」と述べました。
実はこれが道路拡幅強行の大きな理由。横並び的というか、まるで東京都様が権力者みたい。杉並は東京都の植民地ではないし、私たちの街はバイパス道ではないのだが。
そういうマインドが区職員には根強くあるし、こういう場に出てくるとポロリとそれを言ってしまうのですよね。
だから「さとことブレスト(前記事)」で私が「職員出て来い」と言ったら、都計審の村上さんがキレたわけだ。 この日も、書いたことの他にも区職員のポロリが連発。区民と「対話」するのに慣れてないし、「対話でつくる区政」を理解していないから。
このまま進めて「対話でつくる」「都市計画マスタープラン」「杉並区基本計画」になるでしょうか? そっからやり直しではないか、とすら思えてしまったのですが… もともと「反対する人のいうことはきかない」と豪語していた田中前区長の独裁的な区政のもとで作られた基本計画です。「対話でつくる」という岸本区長の、まさに180°違う理念が掲げられたとき、これまでの計画の上にそれを乗っけるだけで、区民意見を反映した新しい計画に変わるわけはないですよね。「対話」を土台に置くなら、こうしたひとつひとつのプロセス、区職員ひとりひとりの意識のあり方から考えないと。
ここまでのやり方だけで、パブコメを集めて、さぁ決定、ではなく、もっと「対話」の質と量が必要なのではないでしょうか。
もちろん、本題(私にとってだけ)の西荻窪のことでも、露骨にこの姿勢で返されました。またもや前後編の超大作になってしまいますが、次回は、西荻窪編と、私が提出するパブコメをお届けします。
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