インド建築縦走旅vol3 ジャイプール
インド旅のブログを一向に更新できないままあっという間に1ヶ月以上経ちましたが、思い出しながらのんびり更新中。
3つめの都市ジャイプール。朝3時半のお迎えで飛行機で飛びました(国内線なのでチェックインもすんなりかと思っていたら、インドは国内でも2時間前に空港に行く)空港でドライバーさんと合流し、まずは、郊外のアンベール城に向かう。
ジャイプールがあるのは広大な砂漠が広がるラジャスタン州、8世紀からヒンドゥー教を信奉するラージプート族が住み、ペルシャやトルコの文化を取り入れた独自の文化を築いていた地域、様々な民族が行き交う要衝地だったことから丘陵地帯に城塞が築かれ、6つの城塞が世界遺産に登録されています。中でも、16世紀、ラージプート族のマハラジャが築いたアンベール城は、都市機能を持ち、ジャイプールに遷都されるまでの150年間、繁栄し続けた都。
朝の光に照らされた城塞を見上げながら歩く。象のタクシーも魅力的でしたが自走。
かつては王族だけが通ることを許されたという太陽門、スーラジポールをくぐると
大きな広場。ジャレブ・チョウク。門の上にインドならではのえ「チャトリ」が載っている。
チケットを入手してさらに上がり、獅子門(スィンポール)をくぐる。赤砂岩の建物と軒天井から壁の小口にまで細かく描かれた幾何学模様の美しいこと。
またも広場があらわれる。左手にある列柱の建物がディワーネアーム(一般謁見の間)、奥に見えるのがガネーシャ門。
赤砂岩と大理石のディワーネアーム。
装飾的な列柱空間。
そして、世界一美しいというガネーシャ門、
この奥に現れるのが幾何学模様の庭園。スク・ニワース(歓喜の間)からジャイ・マンディル(勝利の間)をのぞむ。
スク・ニワース(歓喜の間)、涼やかな白とブルーの空間はマハラジャたちが涼をとるために室内に水が回る造りだそう。
ジャイ・マンディル(勝利の間)
目をみはる天井の象嵌細工と、壁は鏡がちりばめられた装飾。別名シーシュ・マハル、鏡の間。
マハラジャは夜毎開かれる宴をこの場所で楽しんだとか。
同じ模様でも色の違いで雰囲気が変わる。組み合わせも、大理石、象嵌、ステンドグラスと色々。400年以上前の人々のセンスたるや。
そして奥の奥にあるのがハーレム、マハラジャの妻たちの住まい。大奥、後宮、呼び方さまざまあれど、妻たちの住まいの位置付けは世界共通だったのか・・・これまでの豪華さに比べると簡素ですが、赤砂岩とお花のフレスコ画が女性らしい。ここに妻たちがひしめきあっていた様子を想像してみる。まさに酒池肉林。
ハーレムは、マハラジャがどの部屋を訪ねたか知られないような作りになっているんだそう。
チャトリと幾何学模様の開口部が美しい回廊をぐるりまわって、再び絢爛豪華エリアの中庭へ。奥の山の上にあるのがこのあとゆくジャイガル要塞。
最後に、ソーハグマンディル。美しい幾何学模様たち。この繊細な穴あき開口部はどうやって作っているのか。。。
想像をはるかに超えるマハラジャのすごさにため息をつきながら城をあとにするワタシ。と象。
そして、ジャイガル要塞へ。上から見るアンベール城。
ジャイプール市街に戻り、シティパレスへ。18世紀に作られて以来、今もなおジャイプールのマハラジャの住まいとなっているというチャンドラマハル。ラージプート様式とムガル様式のミックスだとか。
中庭に入ると、美しい門が並ぶ。
いにしえのアンベール城に対して、生きているマハラジャの住まい。マハラジャって現存するんですね。
そして、パワ・マハル(風の宮殿)、宮殿というけど、奥行きがなくとても薄い。その昔、後宮の女性たちが顔を見せることなく街を見物できる造りだとか。
ここから、ショッピング!ということで、ブロックプリントの老舗、アノーキ本店へ。手彫りの木版に染料をつけてスタンプを繰り返す、インドの伝統的な染色様式。色々お買い物。
帰りの飛行機の時間が決まっている日帰りの私たち、お昼すっとばしで巡ってきましたが、最後、どうしてもいきたかったラッシーワラをめざす。WALAはヒンズー語で〜屋という意味。ラッシー屋が軒を並べている。
きたー。今まで飲んできたラッシーとは見た目から違う。液体というよりシェイクのような??
お昼もとばして、朝からたくさん歩いたあとに飲むラッシーのおいしさといったら!濃厚だけど重くない、甘みと酸味の絶妙さ、最高です。
大喜び大満足で車に戻った私たちに「一番左の店が一番有名で美味しいんだよ、知り合いだよ」とドライバーさん。ん?私たち行ったの真ん中では???
えーーー!?先に言ってよーと思うも、このラッシーは間違いなく人生で一番美味しかった。(あとで検証するに、有名店と言われる店は、売り切れ店じまいだったのかも?誰も並んでいなかったし)そしてびっくりなのは、この陶器のカップは使い捨てです。
こうしてジャイプール日帰り旅が終了。無事にデリーへ戻り、いよいよチャンディガルへ移動です。
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北軽井沢の山荘、大詰めへ。
5月末の引き渡しまで、気づけばあと1ヶ月半。3月から忙しく通っております。季節はめぐり、浅間山の雪もだいぶ溶けました。でも浅間山に雪が残っている間は、まだ降る可能性があるそうです。
現場は内部羽目板の塗装が終わり、
これから階段の施工、古材を使った造作や家具の施工が進みます。
監督、大工さんとともに、古材の使い方を再確認しました。
そのあと、きたもっくさんへ移動し、地元材で作るベッドの詳細打ち合わせをしたあと、最後に現場に戻り、珪藻土のサンプルを確認しました。白にも色々あります。
連休あたりから、現場に行きやすいよう、しばし軽井沢滞在を予定中。引き渡しにむけてラストスパートです。
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インド建築縦走旅vol2 アグラ、タージマハル
インド2日目はタージマハールを見に電車でアグラまで行きました。ロストしていた荷物も届き、朝7時、朝はまだ道がすいている。日の出は日本より遅め。
デリーの南にあるハズラット・ニザムディン駅から特急ガディマン・エクスプレスに乗り込みます。
朝食付き!スパイシーなコロッケとパン。
1時間40分でタージマハルのあるアグラカントの駅に到着しました。
電車の降り口で待ち構えていてくれた本日のガイドさんの案内で、tケット買いにレストランへゆき、そこからトゥクトゥクに乗り換えてタージマハルの入り口へ。運転手さんと時間を決めて同じ場所で再会する約束をしてタージマハルの入口へ。
遠足の女子高生?みんなこっち見てる。制服の色がかわいい。
セキュリティチェックを終えて入場。
赤砂岩でできた南の大楼門(ダルワーサー)へと向かいます。デリーでも、特徴的だなと思っていた4本柱の上に乗ったドームは『チャトリ』といって、サンスクリット語の『傘』が語源だそう。この『チャトリ』がインドのイスラム建築の特徴的な装飾要素。パキスタン国境に近いジャイサメールに行くと砂漠にそびえたつチャトリ群があるのだとか。
赤砂岩に白大理石の組み合わせで、花模様の象嵌が施されています。そのまわりはアラビア語で、ムスリムのクルアーン(コーラン)なのだそうです。
門をくぐる。全貌をあらわすタージマハルと、ものすごい人人人。
ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妻ムムターズ・マハルの死を悼んで建てた霊廟、後世に残る墓を望んだ妃のために、世界中から大理石や宝石を集め、1632年から、22年間の歳月を経て1654年に完了したそう。
近づくと、その大きさもさることながら、白い大理石と象嵌の、模様やレリーフがすごい。ヴォールト型の天井のくり抜かれたような前面開放の空間はイーワーンといって、ドームや四分庭園ペルシア建築の特徴だそう。
サイトプラン。十字の水路で4分割された四分庭園『チャハルバーグ』がタージマハルまでの間に広がります。イスラム庭園の特徴でもあり、ペルシア建築の特徴でもあり、タージマハルの庭園やドーム、イーワーンや象嵌の技巧はペルシアからのものだそう。
西側のモスク。『チャトリ』こそがインドらしい要素だそう。
北側に流れるヤムナー川の氾濫に備えて、100m四方の高さ7mの立派な基壇の上に建ち、四隅にミナレットがそびえるムガール建築の集大成。
いざ、���壇の上にあがり、
上を見上げながら列を進む。
美しい模様と象嵌の数々。
内部も、大理石の象嵌の花模様が続き(撮影禁止につき写真なし)さらに大理石の透かし彫りで囲まれた中に棺があるのですが、大理石ってあんなに緻密な細工ができるのですね。。。すごい。
外にでると、北のヤムナー川がのぞめました。
東側にある迎賓館。
上から見るチャハルバーグ庭園。
花壇の部分がイスラム模様。&鳥。
赤い回廊も美しかった。
タージマハルの見学を終えて、ランチのあとは川の対岸へ移動しました。後ろからみても美しい。本当はここは川の水が流れていてもっと美しく見えるとのガイドさんの話でしたが、乾燥地帯になっていました。
子供達と子牛。
マスタード畑と集合住宅?いくつかの家族で住んでいて(ガイドさん談)裕福な人たちの家だそう。ちょっとおもしろそうな作りでした。
かたや、スラムのような簡易なレンガ造りの家の集落のような場所、はじめはテントで住んでいた人たちが、だんだんと自分たちで家を建てて暮らしている、との話。
このあと、マーケットに行ってみたい、とのリクエストをして、スパイス&チャイ屋さんへ。おじさんがチャイをふるまってくれる。
そのあと、欲しかった大理石のスパイスミルを物色し、インド初お買い物、価格交渉を粘る。ガイドとドライバーさんも立ち会うなかで無事購入。
2日目にして重い大理石を買い込んでしまったわけですが、一期一会のお買い物、ここでしておいてよかった。
こうしてアグラ駅からデリーへ向けて電車にのる。
ワンデイトリップ、無事終了。
デリーに着いておいしいカレーの夕食へ向かいました。ゴハン編はまたおって。
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北軽井沢現場&きたもっく訪問
先週に続き、今週も軽井沢滞在しています。2月以降、雪道の運転を警戒して日にちをずらしたりしていたのですが、3月も残すところあと1週間というところで、まさかの、今冬一番の(人生一番の)雪道運転となりました。
しんしんと降る雪。真冬です。
先週は、リビセンにて資材調達の翌日、上着もいらないような暖かい日曜日、資材搬入とあわせて、お施主様に進捗を確認いただきました。『広い!』と第一声。
間仕切りがないことや吹抜けの高い天井や窓の抜けなどで、実際の面積以上の体感になっている様子。ロフトから眺める。
この日は、北軽井沢で地域資源活用事業を展開している『きたもっく』さんに伺いました。ロフトに置くベッドを地域の材で作りたいというところから、お施主様が連絡をとったことがきっかけで、その事業内容を、とても興味深くサイトで拝見しました。色々お話聞いてみたいという思いもあり、打合せを兼ねて訪問しました。
『きたもっく』は、1994年にキャンプ場から始まり、その後、薪ストーブの販売と薪製造、養蜂と展開し、2019年には山を取得し伐採から建築までを行うなど、地域未来創造企業として様々な事業を展開しています。
キャンプ場の『スウィートグラス』もコンセプトパークの『ルオムの森』も名前は知っていて通りかかることもあった場所ですが、すべて一貫した事業のひとつだと知りませんでした。
まずは、製材所のある『あさまのぶんぶんファクトリー』に伺う。
事務所にて、地域資源活用事業部の中川さんと、ベッドに使う樹種やサイズなどの打合せを行いました。中川さんはもともとギターの製造で木材を扱っていた経験から、北軽井沢に移住されたそうです。
参考に見せていただいた地元のナラ材を使った椅子、現在売り切れ中で再販予定なしとのことですが、欲しい!とリクエスト。
その後、ファクトリーへ。地域モノづくりの拠点として2021年にオープン。カラマツや栗などの原木が並んでいます。
こちらで製材。
『浅間ストーブ』の販売とあわせた薪製造のためのボイラー室。
その過程で出る年間100トン以上の端材や木屑を、薪乾燥のボイラーの燃���として再利用し、化石燃料を頼らない循環型の製造プロセスを作り出しているそうです。そして、薪乾燥室。
さきほどのボイラー室からの温風が送られてきて、ふんわりと暖かい。天井に置かれている炭は、現在、乾燥のためにいろいろ試しているところだそうです。
地元の材を使って作られた壁が素敵でした。
多品種少量生産が可能な製材所とのこと。今、ベッドに使える材は、ナラか栗、というような話をしながら。
立派なケヤキの無垢材。(北軽井沢で伐採されたものではないそうですが)前日のリビセンで、幅の広い無垢材を探すのに苦労したので、思わず注目。
今回の山荘に広いデッキがあるという話から、紹介いただいたのが地元の栗材。再塗装を行えば10年くらいもつとのお話。
このあと、実際に地元の材を使った建物を見に、キャンプ場へ移動。
浅間山の絶景を拝める場所に、様々な形のコテージ、キャビン、テント場があるのですが、とにかく広い。
段階的に広がっていったとのことですが、こんなに広大なキャンプ場があったとは驚きでした。
こちらが地元材で作られたコテージのひとつ、手ぶらで泊まれる形でなんでも揃っている。
カーテンで仕切るだけの、半屋外的なしつらえがあるのが魅力的。
全棟薪ストーブつき。
オープン当時からあるキャビンは、家具と薪ストーブのみが実装とのこと。
水場とともに、レンタルスペースあり。お風呂もありましたが、皆さん温泉に行かれるそうです。
かわいいツリーハウスや
焚火暖炉キャビンなど、いろいろな種類の建物が全部で46棟。
食材やテイクアウトもできるカフェ『アサマヒュッテ』は、こんど現場に来た時にランチに利用できそう。
ところどころに薪スペースがありますが、こちらのテントは『コロ薪』ステーション。薪にできず山を荒らしてしまう小さな木枝をカットし人工乾燥不要にした小さな薪を、焚き付けや焚火台で使えるようにしたもの。カートで薪を運んでいる人の姿が楽しげでした。
平日でしたが、春休みということもあって賑わっていました、キャンプ場の稼働率は8割を超えるそうです。
地域の資源を活用していく様々な取り組みと、雇用を生み移住を促進している様子に興味津々で見学を終えました。
今回、きたもっくさんの活動を知ることができた出会いに感謝、ベッドの製作も楽しみです。
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古材調達@リビセン
先週は金曜日から軽井沢へ。北軽井沢の山荘の現場は、2月末から木製サッシュの取り付けが進み、ぐっと家らしくなっています。
前の週の現場は2月の大雪の時より雪深くなっていました。20cmの雪が2回降ったとのことで、現場の雪かきも大変なことです。金曜日、浅間山も真っ白でした。
1週間で、内部の羽目板が着々と進んでいました。
打合せ事項が満載ですが、金曜はまず電気屋さんとの打合せ。「もう施工してしまった」という箇所があるなかで、その場でより良い方法を考え指示を出す形で決定していきます
そして翌日土曜日、今回のメインイベント、「土に還る家にしたい」という命題のもと、これまで3回ほど訪れたリビルディングセンター、いよいよ現実的が古材調達へ。昨年の5月、11月に続き、3度目の訪問。
今までは、古材をどう使うかお施主様とのイメージ共有のための訪問でしたが、今回は材を購入する最終段階。前回、このブログでもご紹介しましたが(『リビセン再び、上諏訪へ』)リビセンデザインの周辺施設を見学し、頭の中で設計図を描いたものの、いざ、古材置き場に立つと、どう選んで、どう使えばいいのやら。。。
というわけで、スタッフの方に頼ります。
耳のついた無垢材を洗面カウンターに使いたい、とか、固定棚に使いたいということを伝えると『詳しい工場スタッフを呼んできます』と登場したナカジマさん。この日、たまたま作業場からこちらに来ていたとのことで、アドバイスをもらいながら、たくさんの材の中から寸法がとれそうなものを物色。お施主様とは写真でイメージを共有していたものの、いざたくさんの古材を前に、仕上がりのイメージが掴めないのでは?
というわけで、近隣の施設の見学へ向かうことにしました。ちょうどオープンしたばかりという麻婆豆腐屋さんがあるというので、ランチを兼ねて向かった先がこちら。
4軒長屋を改修したという複合スペース『ポータリー』、街の中にふいにあらわれる広いデッキスペースが素敵です。
中の様子。
細い廊下の途中には2階への階段が。デザイン事務所などが入っているとのこと。
麻婆豆腐屋さんに入り、お店のテーブルや棚、
共用部の洗面を見たりして、お施主様とイメージを共有しつつ、
美味しい麻婆豆腐をいただきました。
昨年から、自分の事務所も兼ねたシェアスペースとなる場を探し中ですが、外部空間が共有の場として充実しているのが、とても理想的な空間でした。戻って調べて見たら、リノベ前の様子を発見しました。(web komachiさんより)
こうも素敵に変身を遂げる技量にひたすら感心する。。。
その後、ambirdさんに立ち寄って内部を見せてもらい、fumiさんでお茶しながら打ち合わせをして、リビセンに戻り、再びナカジマさんに頼る。たくさんの材の中から探し出すのも一苦労、ポータリーの棚はどんな材はどんな材か、などとたずね、色々とよさそうな材を探し出してくれた中からお施主様が最終決定へ。
洗面や固定棚などの造作材を決定したあとは、テーブルとキッチン作業カウンターの材探しに移ります。リビセン店内にある、ワークショップで製作できるテーブルを参考に、
再び古材売り場へ、ナカジマさんに力を貸していただきながら、実際に並べてみて、作り方の相談にものっていただく。
パッチワーク材もセレクト。
適当な材に出会えなかったら通常の形で作る、ということで進めていた今回の古材利用。古材が素敵に活きる空間に仕上げられるか、使いあぐねそうなプレッシャーもありましたが、心強いアドバイスのおかげで具体的な作り方を頭に浮かべながら、リビセンをあとにしました。
軽井沢と諏訪の途中には中山道の最高地点の和田峠があります。新道側を超えるもののなかなかのカーブ道ありの2時間弱の長い道のり、長野県広いですね。東御の道の駅での休憩時、いつもと逆側の黒斑山側からの夕暮れの浅間山がきれいでした。
翌日曜日は、お施主様と共にリビセンで入手した資材の搬入と、現場の進捗確認や、家具製作の打合せへと続きます。
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授与式のこと。
母校である日本女子大、住居学科卒業生同窓会『住居の会』の令和5年度奨励賞をいただけることが決まり、先週土曜に授与式がありました。
昨年9月ごろに推薦のお話をいただき、これまでのコーポラティブハウスの住戸設計や、共用庭をもつ集合住宅の設計とマルシェなどの一連の活動について『住まいから街へ、街にコミュニティを広げる空間設計と活用の実践活動』として、プレゼンテーションをさせていただきました。
規模が大きくなくとも、個人でも、コミュニティ形成につながるしかけとなる空間を、建築として作っていきたい、という思いがあります。今後、自身も参画する形でのコミュニティの拠点作りに向けて、場所探しを現在進行中ですが、この日、住居の会の木下会長とは、今後のコミュニティの場作りに、既存のストックを活用が増えていくであろうということ、建築家が不動産の視点から考えていくことなどをお話して、さらにイメージをふくらませています。
うまく活用ができていない建物や場所の価値を高めていくご提案や利用を推進していきたいと思っていますので、ぜひご一報ください。
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SUMIKAオンラインセミナー
「家づくり情報サイトSUMIKA」のオンラインセミナーで、ウニコデザインで設計した集合住宅『ろじにわの家』をご紹介しています。
【集合住宅の作り方 ろじにわの家】
自撮り撮影のため、2月の頭は、何度となく撮り直しをしていましたが、15分間まったく噛まずに喋るのは難しいということがよくわかりました。うまくいったと思ったら、17時の夕焼け小焼けが入ってしまったり、、、、
他にも色々な建築事例が、テーマごとにオンライン開催されていますので、住宅をお考えの際の参考に、是非ご覧になってみてください。
【家づくりの専門家によるオンラインセミナー】
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インド建築縦走旅vol1 デリー編
メキシコでルイスバラガン、ブラジルでオスカーニーマイヤー、インドでコルビュジェ、という世界遺産巨匠建築を40代に見たいと思っていました。2012年にメキシコに行ってから12年。インドは2020年に行く予定がコロナ襲来で、50代に突入してしまいましたが、ついに念願のインド初上陸へ。2019年以来の海外旅ということ、インドの噂を色々聞くにつけ、緊張感しかない・・・という状況で出発。しょっぱな飛行機が遅延して、バンコクのトランジットは、スタッフに連れられて空港内を走り抜けるも、無事、デリーインディラガンジー空港に到着。
ナマステー。
トイレのサインが大変わかりやすい。
とワクワクしながら入国すると、荷物きませんでした。
ロストバゲージは想定範囲内で、一泊分の着替えや必要なものは手荷物にしていたので動揺少なめ。タイからの便は1日3便で翌朝には届くとのことで手続き終えて外に出ると、首を長くして待っていてくれたドライバーとガイドさんと無事合流。デリー市内の行きたいところをお伝えして出発。まずはクトゥブミナールへ。
平日のはずだが、すごい人。
インド最古のイスラム遺跡群だそうです。ゴール朝の指揮官クトゥブtディーンアイバクが、北インドを制圧した記念に建立されたもの。1192年(日本では源頼朝の時代)に建設が始まった。インド初のイスラム支配で、アイバク自身が奴隷だったことから、奴隷王朝と呼ばれる。塔の高さは72.5mの5層構造。
塔の手前にあるのがクワットゥル・イスラーム・モスク。1188年に建設されたもの。破壊されたヒンドゥー寺院の石材を使って建てられたため、偶像崇拝を認めないイスラム寺院でありながら、列柱に女神像が残る。
美しい列柱空間。
3〜4世紀のグプタ朝時代に造られたとされる鉄柱は、鉄の純度が100%に近いとかで、いまだ錆びないという謎の鉄柱。
イスラム様式、ヒンドゥ様式が混在するモスク。
奴隷王朝を滅ぼしたジャラールッディーンはハルジー朝を開くも、甥のアラウッディーンに暗殺されてしまうが、その甥っ子が建てたのがこのモスク。模様がきれい。
繁栄しては滅ぼされ、時代を変えて建てられた建物たち。
日本の城もそうですが、人間の建設技術力のすごさが想像の域を超えます。
移動して中心部へ向かいランチタイム。ガイドのアシラさんオススメのお店に連れていってもらう。
さっそくカレーカレー。
マサラチキンとパニール、ラッシーも忘れずに。
ランチ後、国会図書館を目指すもリノベーション中で見れず、フランス語学習・文化施設アライアンス・フランセーズ(インドフランス文化センター)へ。
建物は2004年に建てられたもの、2020年に内部の改修が行われたそう。またも入口でとめられるが、施設の代表の方?が登場し、「今日は天皇誕生日ですよね」などと話しかけてもらいながら、入管許可を得る。
入口のホワイエは高い吹抜けの上の屋根フレームを十字形のコンクリート柱が支えている。
このあと見に行くチャンディガルにあるコルビュジェの「オープンハンド」のモチーフが廊下に光る。インドとフランスを結ぶ?
地下のギャラリーの中にも十字柱があらわれていて、インド人のガイドがおもしろがっていた。
改修後のフロントオフィス。
日本語堪能な熟練ガイドさんもこの建物は初めてだったようでした。そして、ここから、ニューデリー2つ目の世界遺産、フマユーン廟へ。
門を抜けると。
ムガル朝第2代皇帝フマユーンの墓廟で、王���が建てたもの。9年の歳月をかけて1565年に完成。ミニタージマハール、とガイドのアシラさんは言ってたけれど、頂点にドームをおくムガル様式の礎となる建物で、100年後のタージマハルなどへ受け継がれているそう。
穴あきレンガから差し込む西日がとても美しい内部で、みんな順番に撮影タイム。
特徴的な赤い建物が、西日でさらに赤くみえる夕暮れ時。
そしてデリー3つ目の世界遺産、ラールキラー(赤い城)を見るためにオールドデリーへ。ガイドのアシラさんは17時にクローズと言っていたのですが、地球の歩き方に20時までと記載があったので、とりあえず行ってみる。
が、残念、やっぱりクローズ。しかし城壁だけでも十分に堪能できる赤い城。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって、1639年から9年かけて建てられたもので、城壁は2.4キロとのこと。
ライトアップと月。相変わらず人だらけ。
そして、最後にマーケットへ。リクシャリクシャリクシャ、人人人、へー、やっぱり頭に載せるんだ、と驚く初日の私。
ガイドのアシラさんが「絶対食べて」というお店に連れていってもらうと、すごい人だかりが。
人だかりの奥には、揚げ物してるおじさん。
人気の正体はJALEBIというインドのお菓子。サモサと一つずつ買ってみる。美味!
1日を満喫しホテルへ向かう途中、今回、いろいろをお願いしたシゲタトラベルさんに立ち寄って、両替したり、SIMの手配をお願いする。待ってる間にふるまっていただいた初チャイ。
長い1日のあとのチャイがなんとも体に染み渡る。最高です。この素焼きカップ「クリ」というそうですが、飲んだら叩き割って捨てちゃうのです。びっくり。ヒンドゥ教は人の使った食器は不浄なんだそう。
人人人、車車リクシャ、クラクションという喧騒のデリー初日、22時も過ぎてしまったのでホテルの食堂でカレーを食べて寝る。インド建築縦走旅、スタート。
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『パサディナハイツ』再び
時間がたってしまいましたが、1月下旬、静岡県函南町にある集合住宅パサディナハイツを訪ねた時の備忘録。
建築家 菊竹清訓設計、1974年竣工、築50年の段状集合住宅です。三島に拠点を移して久しい小学校の同級生である友人からのリノベーションの相談を受け、行って来ました。
実は10年以上前にも一度訪ねたことがあり、��た行きたいと思っていた場所でした。親御さんを呼び、ご自身も三島から転居し、それぞれ別の住戸で、共に暮らすとのこと。
前���来た時はこのまま廃墟化してしまうのか?という印象もありましたが、今回驚いたのは、10年前より生き生きとした印象を受けたこと。この10年で『リノベーション』がより身近なものになり一般化したことを感じました。
スロープと階段が駆使されたエントランス。
南側の通路から、前庭を経てアプローチする各ユニットが、全120戸、地形に添う形で壇状につらなります。
リノベーションして住まわれているという建築家夫婦の宅を見させていただきました。
前庭(中庭)からアプローチするのが基本の形です。
サッシュもすべて木製に取り替えられていました。リノベーションによって生まれた広い土間が素敵でした。
歩いていると、それぞれの個性が前中庭の表情に表れていて面白い。
階段の手すり壁にあいている模様がそれぞれ違う。迷わないための印のような。
友人がすでに購入して親御さんの別荘として利用しているユニットは、ほぼ手を加えずに使っているとのこと。
オリジナルのお風呂は丸窓。
各ユニットの前庭(中庭)から北側のピロティにつながる階段。
ピロティ側。
鉄骨の吊り階段。
夕暮れ時になり、圧巻の富士山。
圧巻のパサディナ。
前回訪ねた時にコピーしていた当時の新建築、都市住宅の供給量が需要に追いつかない圧倒的不足、東京では1/3の住民がなんらかの形で住宅難に悩まされていて、日本の都市住宅の確率が遅れている、というところから始まる1975年、その中で、住宅拠点として、コミュニティのあり方を共有空間を軸として推進すること、生活が始まりコミュニティが滲みでるまで四半世紀かかるかもしれない、というな内容には、時代や背景が変われど、生活を営む人間が常にもつ課題なのだということを感じます。
パサディナハイ��は、都市住居の「かた」としてスタディされた壇状住居で、実験的な側面もあったそうで、家事労働の中心をどう計画すうるか、もっとも快適なところに台所を置く、ということで計画されたというキッチンが夕暮れ時がすばらしくきれいでした。
またじっくり見てみたいパサディナハイツ、お仕事で通える日が現実になることを期待してやみません。
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北軽井沢の現場
先週の北軽井沢の現場、当初、大雪予報の火曜日に行く予定でした。軽井沢からのレンタカーも予約済み、スタッドレスならいけるよね、いや、クネクネ道でスタックするね、と悩み、現地の監督さんに連絡すると「こないほうがいいよー」ということで日程変更。木曜日の軽井沢は良いお天気でしたが、駅前はまだかなりの雪が残り、朝はツルツル。
でも、道路はしっかり除雪されていて、クネクネ道も心配なし。
北軽井沢に着いて大学村に入ってからも、道路の除雪が完璧でした。雪が積もった木々がきれいです。
現場に行く前は、いつも色々懸案事項で頭がいっぱいになるのですが、着いたら、すかーっと頭がスッキリしました。そんな雪景色。
内部は、床暖房の敷設工事が進んでいました。
この日は太陽が出て、少し暖かかったですが、中は冷え切った状態での作業。ありがとうございます。
床断熱は150mmのスタイロを敷き、隙間もしっかり埋めてもらいました。
デッキテラスから見える景色。暖かい部屋からこんな景色を眺めながら過ごす冬の北軽井沢、なんとも魅力的です。
あれやこれやと細かいところを打ち合わせて、月末の木製サッシュの仕上がりを待ちます。鎧貼り用に加工し塗装されて出番を待つ外壁の杉板たち。
帰り道、浅間山のてっぺんは雪の中でしたが、真っ白な冬景色に心洗われる気分になります。浅間山が好きです。
軽井沢までおりて自分の家に立ち寄ったのですが、ここが一番の豪雪でした。
雪の軽井沢も過ごしていますが、こんなにも気持ちよいと思ったのは初めてのような。長逗留したくなりますが、この日はとんぼ帰り。
木製サッシュがつくと、一気に工事が加速する予定。今のうちに、色々と検討を進めます。
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クリニックモール引き渡し
町田のクリニックモール、1月に完了検査は終わっていましたが、歩道の切り下げ工事などもあり、本日引き渡しでした。すっばらしい青空。
まだ中はからっぽ、テナント募集中です。能登の地震の影響で遅れているものがあったり、植栽工事もありますが、ひとまず引き渡しということで、お施主様、管理会社さん、医療コンサルの方、一同集まりました。
工務店さんから諸々の説明、
外部もぐるっと一周して
外にいると、通りかかる人たちから「いつオープンするんですか」「あっちの整形が閉じちゃったから整形外科を待ってるのよ」という声をかけていただく。早く決まることを祈るばかり、整形外科にもってこいな広さだと思うのです。
地震の影響で遅れていた庇も、富山の工場が稼働し始めたとのことで、来週入口に庇がとりつきます。
現在、植栽の打ち合わせ中。植栽工事に適した3月に向けて準備しています。緑が入るのが待ち遠しいです。
それにしても、今日の空、青かったです。
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『超高齢化社会のくらしとデザイン』
先週、一般社団法人ケアリングデザインの10周年記念のシンポジウム『超高齢化社会のくらしとデザイン』にオンライン参加しました。
ケアリングデザインは、西武池袋で2015年より展開し、設立当初より登録建築家として、また当初コンシェルジュとしてもお世話になった「暮らしのデザインサロン」の運営母体、西武池袋の体制変更により昨年11月で幕を閉じましたが、ケアリングデザインは10周年ということで記念シンポジウムでした。
超高齢化社会とは。
65歳以上の人口が総人口の21%を超えた社会を言います。日本では2010年に23%を超え、2023年には29.1%と過去最高となった。75歳以上の人口が2000万を超えたのも初めてのこと。2007年に生まれた子供たちは、107歳まで生きる確率が50%と言われている。
100歳を超えることに対してどう感じるか、というアンケートでは、若い人たちは、どんよりする、と答え、70歳以上の人はワクワクすると答えたそうです。わかります。
まずはじめに、建築家の中村好文さんのご登壇。1月の能登の地震をうけて話す内容を変更されたという、自給自足の小屋暮らしのお話。ちょうど私は、現在現場進行中の北軽井沢の山荘を設計する際に、好文先生の「小屋暮らし」の本を読んでいてタイムリー、だいぶ前に行った「小屋展」の写真がでてきました。決して小さくない小屋。
続いて料理家の有元葉子さんと中村好文さんが登壇されてのお話。お2人とも、イタリア暮らしの経験をもつ共通点あり懐かし情景が思い出される。
「体は道具、ぽんこつになるのかヴィンテージになるのか、メンテナンスが大事、家と似ている」
印象に残ったキーワードです。
その後、東北工業大学 石井敏先生のご登壇、高齢者住宅に転居するのは本人の意思か、というお話から。
13年前の日本では、本人の意思での転居は極めて少なかった、本人の意思決定が増えてきたとはいえ、13年前のフィンランドにもまだ届かない。
直近1週間で友人知人と会っているかどうか(2023年に比べ2015年が高いのは社会情勢に影響されていると思われますが)フィンランドとの違いがわかるデータ。
最近見た記事ですが、オランダのスーパーでは、通常の青いカゴの他に、おしゃべりしたい人のための緑のカゴが加えられたとのこと。一人暮らしの高齢者の孤独を和らげるひとつの方法。すでに2022年には『世間話専用レジ』が導入されたスーパーもあったそうです。日本でやったらどうなるのか??
続いて『現在の居住への満足度』
「日本人はどちらともいえないという答えをする人が多いことも前提に」とは石井先生談。満足と不満足で90%を超えているフィンランド人は自分たちの暮らしを、具体的に考えて、主体的にそれを求めていくということなのでしょう。
システムの違いを含めた国民性の違いは、住まいそのものの形への違いにつなっているのかもしれません。
じゃあ、家とは住まいとはなんぞや、ということで。
箱としてのHOUSEと、人と環境の相互関係でつくられる居場所としてのHOME。
例えば認知症のグループホームでも、包み込む空間によってその人の動きが変わる。
空間を含めた「環境」と「システム」のありかたひとつで人の暮らしの質は変わる。空間は、それだけの大きな可能性をもっているということ。
過去、現在、未来の、暮らしの環境を継続させること、と、選択性が必要である。とのこと。
一昨年あたりから、高齢期の住まいづくりに関わる機会も増えてきているなかで、課題が整理されるキーワードが多々ありました。
3人に一人がシニアという時代、あるアンケートでは『自宅に住み続けたい』という人が65%いたそうです。逆にいえば、快適なシニアライフをイメージできるような場所が少ないということなのかもしれません。
環境の変化がストレスにならない転居とはどんな形か、ということを自身がすぐに関われるものとして考えています。
と同時に、会の中盤で有元葉子さんがおっしゃっていた「歳をとると億劫になり動きづらくなってくる、多拠点に家があることで、否応無く環境が変わることが頭の切り替えになっている、これが大事』
というのにも合点がゆく。健康寿命の重要さ。そして、暮らしとは、家ひとつにはとどまらない広い環境のもとにあることを改めて意識した時間でした。
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2024年スタートで完了検査週間
新しい1年の始まり、年の瀬には想像もしていなかった大変な年始となりました。被災された地域の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
例年通り、高崎は少林山達磨寺でのお参りと
明治神宮のお参りをして1/4より仕事はじめとなりました。
おみくじは末吉、なかなかに厳しい内容でしたが、昨年の完璧なほどの大吉でも非常にシビアな1年だったので、、、、ひとまず心して達磨に目入れいたしました。
そして、週明け早々に、町田のクリニックモールの完了検査、消防検査が行われました。
エレベーターの検査は、先に提出した検査結果とあわせて念入りに。
スケルトンのため、内部は共用部の確認、外部の敷地境界の確認を行ない、書類の確認を行ない、データ等の追加提出の指示を受けて終了。
翌日は消防検査が行われました。設計の相談の時から担当してくださった方がみえたのでスムーズに進みました。
煙感知器の動作確認。
自火報、発信機の確認。
外部、キュービクルの確認をしたのち、テナント工事の際に消防計画を行うことを再確認し、終了しました。
住宅と違って、電気、設備や消防などで初めてのことが多かった今回の現場、諸事情で1ヶ月先になった引き渡しにむけて、歩道の切りさげ工事などの残工事を終わらせていきます。
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北軽井沢山荘、年越しへ。
今年もいよいよ残すところ2日。
今年最後の現場検査は、25日クリスマスの日、北軽井沢にて上棟後の金物検査でした。
浅間山の雪もまばらで、数日前に舞ったという雪が少し残る程度でした。10月の地鎮祭の時には緑で鬱蒼としていた木々は、すっかり葉がおちて風景が変わる。冬の森もいい感じです。屋根のルーフィング材を施工中し終わったところでした。
内部にて、構造設計とともに、筋交いや金物をチェックします。
床面積は小さめですが、吹抜けのおかげでゆったりとした空間になりそうです。
谷に向かって張りだす広いデッキもリビングの一部となります。
この翌日には瑕疵担保の検査も無事終了。指摘事項の是正を行い、屋根工事まで終えて、ブルーシートでくるんで年越しです。
このあと、木製サッシュの納期3ヶ月を待つ間に、現場との内部のディテールの打ち合わせ、お施主様と仕上げを詰めていきます。
今年はこれにてブログ納め。
とにかく忙しい1年でした。色々あった1年でしたが、ひとまず無事に終了。これから、例年同様、軽井沢に移動して年越しです。
来年も引き続きよろしくお願いします。
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今年最後の『コーヒーと血圧計』
先週木曜日のこと。今年最後の『コーヒーと血圧計』ということで、久しぶりの尾山台。3ヶ月ぶりくらいの助太刀参戦でした。
日が落ちるのも早くなり、家路に急ぐ人たちも多いなか、立ち寄ってくださる方たち。
この日は、血圧測定とともに『今年の一文字』と書いてもらうというテーマあり。チャイを飲んだあと「習字は初めて」と言いながら『泳』という漢字を立派に書いていった小学三年生。このあと水泳教室に行くんだって。
「あなたたちの活動に似ていると思って」と、コミュニティナースについての新聞記事をもってきてくださった方。前月の看護師さんのアドバイスのおかげで、歩くときに痛みがなくなった、とお話ししてくださいました。
街路樹のイチョウの葉っぱを持って登場して、何かを書いていらっしゃる。
「みつをじゃないよ」と言いながら書いているのをのぞきこむと、
一年を終えて、新しい年を迎えようとするときに、心にひびく言葉。この日、リピーターの方も多く、お話をしながら、自由に時間を過ごしていらっしゃるのが印象的でした。
今年の一文字、今年を改めて振り返るきっかけになりますね。
様々な一年だったことでしょう。
タタタハウスでのコーヒーと血圧計はこの日で10回を終え、この先の展開などについて振り返りを行なって無事終了。
ネイバーズがめざすカジュアルケアは、ケアすることでケアされる、という関係で孤独を防ぐ、ということがあります。街ゆく人にコーヒーを出してお話するというなかに、体感としてその感覚があった一年でした。来年も引き続き参加していきます。
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十色クリスマスマルシェ
12月2週目の日曜のことですが、今年3回目となる「十色ハウスで小さなマルシェ」クリスマス編が開催されました。
3回目にして初めての青空の下、ろじにわがクリスマスらしい彩りに。
スイーツ、
パンとコーヒー、
室内では、本やアクセサリー、ラッピング雑貨など。
このピアス、なんとレシートからできているそう。
ステンレスの製作キッチンも立派な陳列台に。
ろじにわでは、お花、古着、古物など。
毎回きてくださるご近所の方も。
トミカに夢中になるご近所のお子さま達。
十色ハウスにお住まいの方もマルシェを楽しんでくださったり、いろいろな交流がありました。どんな風にお住まいなのか、お宅を拝見させていただく嬉しい機会もあり、巧みな暮らし方に関心したり、良い参考になりました。
すべての住戸が南に向くようにと設計した南の窓を定位置にしているギンタくんです。
今回も、オーナーの心意気で、賑わいを生んだクリスマスマルシェ。小さな「ろじにわ」が文字通り十色に彩られる可能性がまだ色々ありそうで楽しみです。
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ヒロカマ展のこと。
12月の頭のことですが、これまでコーポラティブハウスのプロジェクトで、室内の鉄骨階段を施工してくださっていたマテリエさんからお知らせいただき、建築会館ホールで開催されていた「ヒロカマ展」にいってきました。
建築家の広瀬鎌二氏、といえばSHシリーズ、とは、学生時代に日本の住宅の歴史を学んだ記憶ですが、鉄骨造の住宅作品を技術や生産性の観点からシリーズとして作られた戦後モダニズムの建築家です。1959年に竣工した「上小沢邸」はDOCOMOMOにも選定されました。が、今は解体され現存せず、残念ながら私は実際を見ることができていません。
SH1が竣工してから70年という時を経て、会場には多くの図面や資料が並んでいました。
手書きのディテール図面には思わずため息がでるような迫力を感じました。
1953年のご自邸のSH1にはじまり、1971年のSH72まで多くの鉄骨造を設計されたのち、1980年には「肆木(しもく)の家」という3度目のご自邸(SH65はSH1の建て替えで2番目の自邸)を木造で設計されました。接合部に金物を使わず仕口を使い、なんとセルフビルドで完成したそう。その構造模型。
SH30に置かれたソファ。快適な座り心地でした。
そして外には、SH1の原寸模型。40ミリのアングルを組み合わせた柱に、聞けば、ブレースは6mmとのことで、すさまじく華奢。(新耐震の現行法規では無理でしょう)
こちらは、SH30の原寸。ユニット化することで、自由に連結させていける汎用性を考えていたが、工業化には至らなかった、とはその場で説明してくださった広瀬研究室のお弟子さんのお話。
個人的には、SHシリーズのずらり並ぶプランも興味深かったです。
最近小ぶりな住宅を設計していることもあり、ミニマムな住宅のプランに目がいきます。今年は、清家清先生の「私の家」の見学をする機会もあり、空間の豊かさは単なる広さだけではないこと、その人にあった暮らし方ができる空間の個性を改めて考えています。
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