Tumgik
#脳科学ストレッチ
ichinichi-okure · 11 months
Photo
Tumblr media
2023.6.15thu_saitama
習い事の一日=休日
<朝の部>
Tumblr media
7時。リビングにおりていくと、夫が開口一番友人の名前を口にする。 友人からお子の写真が届いていた!赤子はなんでこんなに真顔で素敵なポーズをとれるのかよ。かわいい
蕪木の珈琲がきれているので、ドリップバッグの珈琲を淹れる。 夫を見送り、積読コーナーからヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」を手にとる。<題はなくてもいい>の一編が、ひとり庭を眺めている時のそれのようで小さく救われる。SNSは適当に、読書は真剣に、のターンが戻ってきた。
掃除、洗濯。除湿機がはりきる季節。夕方には3リットルくらいの水となっていて毎回排水するたびに驚愕している。空気中にこれほど重い水となる物質が漂っている。我々は水中に生き、水でできている—。うっかり35億年前まで遡りそうになったので、掃除のつづき。 今日の一日は日記となるので、これみよがしに階段拭きにも励む。年季のはいった一軒家の埃の溜まり具合というのは尋常でない。2,3日さぼっていたので、あからさまに溜まっている。こんなにもあからさまに…
<午前の部>
Tumblr media
お楽しみの表装教室に向かうべく駅に向かう。掛け軸を仕立てています。
途中、駅前の老舗のパン屋に移転の貼り紙。 途中、教室の先輩が前を歩いていたので一緒に向かう。
本日は総裏打ち二本立て!表装を仕立てる過程でのピークと言ってもよいでしょう。緊張の大一番です。 先生と入念に下準備。先生は、気品とユーモアを兼ね備えている人で、大げさでなく先生に出会えた我が人生でよかったと思う。
紙幣は古紙や和紙や本となり、家と私の生活を圧迫している。 紙から紙に変換しているばかりでどうしようもない。 そのようなわけで変換された魅惑の紙布と、前回先生からいただいた古い宇田紙で制作を進める。 和紙の繊維一本一本が、よりよい掛け軸をつくる。ああ、高まる!
〜集中の2時間〜
<午後の部>
Tumblr media
帰りはクールダウンがてら徒歩20分を歩く。教室の間、思い返せば心のBGMに『古畑任三郎のオープニング曲』がうっすらと流れていたことに気づく。なぜ
昼は富士そばで簡単に済ます。冷やしきつねそばを食べる。(国立南口店の富士そば、<冷やし>がやたらと美味しい)ネギがいつもの20倍増しくらいで「ジャキジャキ」と言いながら脳内をめぐり胃袋へ。(端的にうるさい) 先週から補聴器をかりていて、あらゆる音に慣れない日常が続いている。 ここ3年で口元をみながらの会話の頻度が激減し、篭って作業することが多いのも影響しているのか歳なのか、勘も鈍り聞き間違いが増えた気がしている。
書店に立ち寄り外に出ると、いつの間にか雲が厚くなっており時間の感覚を一瞬失う。帰りの電車で、隣の人がおもむろに電話に出た挙句大声で怒鳴るなどのアクシデント(端的にうるさいパート2)を乗り越え帰宅。蕪木の珈琲がちょうど届いていて歓喜。
母と少し電話。叔母とも話す。レターパックライトおよびプラス、スマートレター、クリックポストの違いを説明する。 雨なので電車でジムへ。ストレッチと筋トレ。いつものルーティンを無心でこなす。帰りがけ、受付におもむろにしゃくしな漬けが販売されていたので、買う。なぜなら我が家に定期的に「しゃくしな」「しゃくしな」と言うひとがいるからです。
<夜の部>
Tumblr media
電車を待つ間、インスタをみる。ピピネラのタケイさんのマレーシア旅を熱心に追う。クアラルンプールの場所ってどのあたりだっけとgoogleで調べたら、「クアラ・ルンプル」と出てきて初耳だ、となった。 これまで、一呼吸も置かずに「クアラルンプール」か、もしくはどこかで区切るとしても「クアラルン・プール」だと思って生きてきました。 南国のプール付きの宮殿のようなイメージが広がる。
一つ学びを得た満足感に浸りながら電車にのり改札を出ると、南国から一転、駅前にポツンと破天荒な店名の歯医者の看板が掲げられていて立ち尽くす。「こんな店名だったら絶対に入らない大喜利」があったなら披露してしまいそう。後ろの二人が「〇〇〇〇〇〇歯科だって…〇〇〇〇〇〇…」と反復しがら通り過ぎていった。目線を変えると、少し手前で同じく立ち尽くしている女性がいた。一瞬でこんなにも人を惑わすネーミングが存在する。
今日は飲酒の日なので、ビールと歌舞伎揚を買って帰宅。蕪木から珈琲が届いたことの喜びが、ここまで引っ張られているように感じています。 夕飯作りの前に、誤って歌舞伎揚を一袋完食してしまう。
開花丼にしようと調理をはじめたはずが、生姜焼きとオムレツが完成。 途中、歌舞伎揚が私の満腹中枢を満たしてきたので丼を回避しました。 ほか、茄子と九条ネギの味噌汁、トマト、しゃくしな漬け、ビール。
この長すぎる日記を書いて就寝。 サッシを閉めようとしたら、はまぐり柄の地域猫(はまぼう)が縁側にいた。雨が止んだのだな。 人の世は日に日に世知辛くなっていくけれど、明日もどうか健やかでいてほしい。
-プロフィール- 佐藤洋美 Hiromi Sato 埼玉 余地|yoti  デザイナー/コラージュ作家 最近は紙漉きと表装に夢中。 https://yoti.jp https://www.instagram.com/yoti__jp/
0 notes
takeya-tobanyoku · 1 year
Photo
Tumblr media
⚘ 陶板浴で温めれば病気は治る! …そんな訳ないです(¯―¯٥) 温めた”だけ”ではほとんど治りません。 陶板浴で「治った!」方の話を伺うと、 多くの方が「陶板浴のおかげで治りました」ではなく、 「自分の力で治した!」という実感をお持ちです。 陶板浴には通ったけれど、 食事を変えたり、考え方を変えたり、 多くの良いことを取り入れて、 多くの悪いことを辞めて、 心身ともに健康的な生活をなさっています。 竹屋陶板浴では、 身体を変えるきっかけになる学びや、 身体を変える手伝いになる施術の紹介を させて頂いています。 陶板浴で体と心をほぐして、 学びも、施術も、チャレンジ下さい♡ 体と心を芯からほぐす♡٩(ˊᗜˋ*)و 竹屋陶板浴の様子はコチラ ▹▹▹ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 \ 腸もみ体験会 / 高橋かすみ(腸もみサロンmillionsmailes) @kasumi.taka あなたの腸は美腸? 汚腸? 「腸もみ」で腸本来の機能を引き出します! あなたの腸の状態を確認し、リラックスできるよう心地よい程度の圧で、 腸本来の機能を引き出すお手つだしをいたします。 体の内側から温め、腸内に溜まった老廃物の排出を促すので 便秘だけでなく、婦人科系や自律神経、冷え性、お肌のトラブルなどにもおススメ。 この機会にぜひお試しください。 MENU ●腸もみ体験価格 45分4.000円 ※ 初めての方はカウンセリング付き ●オプション追加 腰・背中周り 約10分1.000円 首・頭 約10分1.000円 ※ お腹以外からのアプローチで自律神経を整えることが期待できます。 ●個別相談もお問合せ下さい 2月3日(金) 𝟙 9:30- × 𝟚 10:30- × 𝟛 12:00- × 𝟜 13:00- × 𝟝 14:30- × 𝟞 15:30- ○ 𝟟 17:00- ○ 2月23日(木・祝) 𝟙 9:30- × 𝟚 10:30- × 𝟛 12:00- × 𝟜 13:00- × 𝟝 14:30- ○ 𝟞 15:30- × 𝟟 17:00- × 予約状況は更新されません。 体験希望の方はお気軽に お電話,DM,コメント下さい˙▿˙ 2月は #初春の整え月間 開催⚘ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 蝋梅って雨が降っていた方が 香が良い気がします☂ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 ≪1月のスケジュール≫ 25日(水)足もみ若石 26日(木)がん交流会(新年会) 26日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(金)内臓整体 28日(土)足と靴の相談会♡ 30日(月)足もみ若石 31日(火)玄米お握り販売 ♡:参加費無料 ≪2月のスケジュール≫ #初春の整え月間 開催⚘ 1日(水)足もみ若石𓇼 2日(木)ストレッチ&フラダンス��� 3日(金)腸もみ𓇼 4日(土)細胞喜ぶ呼吸法WS𓇼 4日(土)メタトロン𓇼 5日(日)毛細血管刺激療法𓇼 6日(月)足もみ若石𓇼 7日(火)玄米お握り販売 8日(水)足もみ若石𓇼 8日(水)ファスティングセミナー♡𓇼 9日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 11日(土)味噌作り教室♡ 11日(土)「歯と電磁波」zoom上映♡𓇼 12日(日)頭皮もみ𓇼𓁙 13日(月)内臓整体𓇼𓁙 14日(火)メタトロン𓇼 14日(火)玄米お握り販売 15日(水)足もみ若石𓇼 15日(水)氣功𓇼 16日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 17日(金)ホメオパシーぷち講座𓇼 17日(金)QX-SCIO測定体験会𓇼 18日(土)「足から読み解く潜在意識”チャクラと足の話”」♡𓇼 18日(土)メタトロン𓇼 19日(日)頭皮もみ𓇼𓁙 20日(月)足もみ若石𓇼 20日(月)笑いヨガ♡𓇼 21日(火)椅子ヨガ ♡𓇼 21日(火)玄米お握り販売 22日(水)足もみ若石𓇼 23日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 23日(木)腸もみ𓇼 23日(木)「脳を育てる!発達へのアプローチ講座」𓇼 25日(土)バリニーズマッサージ𓇼 26日(日)毛細血管刺激療法𓇼 27日(月)足もみ若石𓇼 28日(火)腱引き𓇼 28日(火)玄米お握り販売 29日(水)足もみ若石𓇼 ♡:参加費無料 𓇼:整え会 𓁙 :キャンセル待ち - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- #竹屋陶板浴 #陶板浴 #温熱 #温活 #龍ケ崎市 (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/CnyL3yIyVFG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
straycatboogie · 1 year
Text
2023/01/16
BGM: U2 - Where The Streets Have No Name
今日は休みだった。朝、総合病院に行く。そこでドクターと会って自分自身の問題を話す。夜眠れないことを打ち明けると、散歩やストレッチを薦められる。身体を動かすことを始めてもいいのかもしれないと思った。その後薬をもらって近所のイオンに行き、そこで中島義道『哲学の教科書』を読む。改めて読み直すとこの本が今の私自身の関心のある「自分とは何か」「言葉とは何か」といった問題に相当に肉迫していることに気づく。昔この本を読み耽ったことがあるので、知らず知らずのうちに影響されていたのかもしれない。私にとってはこの本が語るように、今日が昨日になり今が過去になること自体が不思議なことだ。もちろん私が考えたところでその謎が解明されるわけもない。だが、考えることを止められそうにもない。哲学病、なのだろう。
イオンの中の未来屋書店に行き、そこで井手正和『発達障害の人は世界がどう見えるのか』という本を買う。さっそく読んでみたのだけれど、脳科学の見地から発達障害者の脳が定型発達者の脳とどう違うのか、多彩な実験を基に解明した本であり読み応えを感じる。しばしば私は、自分自身の感覚が他人にも共通の「デフォルト」なものであると信じてしまう。だがそんなことはなく、他の人は他の人の知覚を基に生きている。つまり、私たちはそれぞれまったく違う知覚の仕方で生きているということになる。そしてそれは何らおかしなことではなく、その人の「個性」に属することなのだということになるだろう。
この本では時間の感じ方についても語られている。私の体感する時間と他人の時間が違うかもしれない、と。例えば野球のエキスパート/達人の言葉として「ボールが止まって見える」というのがある。達人の時間の感じ方として、つまりひとつの時間の捉え方としてこれはリアルなものなのかもしれない。私自身は時間というものを実に短くしか捉えられず、1年後のことなど計画を立てられたことがないのだけれどその原因もこうした「時間分解能」という概念が説明するのかもしれない。そう思うと実に得難い本を読んだと思った。井手正和の他の本を読み、もっと自分自身の体感する世界や時間の感じ方をこの日記で記すことが他の発達障害者にとって参考になりうるのかもしれない、と思う。小説として書いてみようか?
夜、特に何もしたいと思えずダラダラと過ごす。そんな時はロクなことを考えられない。フェルナンド・ペソア『不安の書』を読み返しながら、こうして何度も読んだ本を改めて読み返す人生はいかがなものかとも思う。読んだことのない本はまだまだある。トルストイ、ディケンズ、バルザック……だが、そうした本を読みたいとも思えない。図書館が開いたらラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』を読みたいとも思い、結局自分は何者にもなれなくても読みたいものを読み、生きたいように生き、極めて要領の悪い、実にコストパフォーマンスの悪い人生を生きるのだなと思ってしまった。ああ、それも人生。
0 notes
2020zaji · 4 years
Text
♯リハビリ|「治るモデル」か「慣れるモデル」か(3)
 切り傷とか擦り傷が「治る」イメージで、脳出血後の左半身不全麻痺を捉えることは間違っていた。 
 そう気付いて「慣れるモデル」に移行するのだ!と決意はしたけれど、毎日のリハビリ・メニューは実は少しも変わっていない。ストレッチ、筋トレ、踏み台昇降、階段練習。なぜなら、訓練を止めてしまったら、現状維持も出来ないということは、身に沁みてわかっていたから。「治るモデル」を信奉していた時と同様のリハビリ・メニューをこなしつつ、「倒れる前の状態にまで回復する、ってことはないから」「でも、リハビリやめたら現状維持も出来ないから」と自分に言い聞かせていた。
 そこで出会ったのがジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳』(竹内薫訳、新潮文庫、2009年)である。
 脳科学者のジルが脳出血になったのは37歳。原因は、わたしと同じ先天性の脳動静脈奇形(AVM)。ただし、彼女の場合は左脳の広範囲で、言葉の意味を理解する能力を司るウェルニッケ野や身体の境界、空間と時間を司る方向定位連合野にまたがる部分。基本的に身体的な感覚麻痺が主要な症状であるわたしより、ずっとずっと大変な状況が起きたことになる。
 にもかかわらず、彼女は脳出血が起きて認知能力の高い機能が失われつつある、まさにその最中に「(おぼえていてね、あなたが体験していることをぜんぶ、どうか、おぼえていてね)」(48頁)と念じている。その研究者魂に敬意と(おこがましいけれども)共感を覚えた。
 だが、最も揺さぶられたのは、彼女が8年をかけて「今では、これが完全な人生だと思える状態で生きています」(211頁)と宣言していることだ。それは「治る」モデルで想定されている「完治」ではないはずだ。実際、彼女は次のように言う。
「いろんな人から、『回復するのにどれくらいかかりましたか?』と訊かれます。わたしはいつも、月並みで申し訳ありませんが、『何の回復ですか?』と逆に質問するようにしています。もし回復を「古い脳内プログラムへのアクセス権の再取得」と定義するなら、わたしは一部しか回復していません」。
 にもかかわらず、彼女は「今では、これが完全な人生だと思える状態で生きています」と言う。それは、勇気であり、励ましである。ジルが8年かけて言えたこと。わたしも倒れてから8年後に言えるようになりたいと思う。それは、ちょうど還暦の年だ。いいじゃないか。還暦の年、シルバーヘアでおかっぱ頭にして、ザジのように痛快な笑顔で 「これが完全なわたし」と言える自分を目指そうと思う。それはつまり、「治る」モデルを諦めずに「慣れる」モデルを受け入れること。「治る」と「慣れる」のグレーゾーンで「よろよろ」しながら、行くことだ。
2 notes · View notes
asuka-sapporo · 5 years
Text
失語症「北の会」~言葉の教室~
リハビリテーション科 言語聴覚士のM,Aです。
今回は5月11日に札幌身体障害者福祉センターで行われた、北海道失語症友の会である「北の会」の言葉の教室に参加してきたので、ご紹介したいと思います。
失語症とは脳卒中などにより自由に話したり、言葉を理解できなくなったり、読み書きに必要な機能が失われてしまうことをいいます。
当院の言語聴覚療法部門では、毎年「北の会」にボランティアとして協力させていただいており、在宅生活を送っている方々に対して集団リハビリを行っています。
Tumblr media
今回は参加した皆さんに【会話が出来て楽しかった】と感じてもらい、【生活に役立つ】と思ってもらえるように昭和クイズと嚥下体操の2つをおこないました。
はしめに、2チーム対抗で「昭和」に関するクイズを行いました。5月から新しく「令和」の時代を迎えましたが、共通の話題で馴染みの深い「昭和」をテーマにしました。また、様々な方とたくさんお話してほしいと考え、全員参加できるように3択の問題を作成しました。
Tumblr media
チームリーダーやボランティアの学生を中心に、両チームとも会話が盛り上がり、みなさん楽しまれているようでした。さらに、事前に用意した当時の歌手などの写真をみせると「懐かしい」という声が多く聞かれました。
次に、参加者が安全な食事を続けていくことを目的に「嚥下体操」を行いました。食べたり、飲んだりすることに関係する筋肉のストレッチやマッサージ方法の指導を行い、自宅でも体操を続けられるよう一連の方法について紙面にまとめ、参加者全員に配布しました。
Tumblr media
休憩時間に、参加者とお話してみると事前に用意したコミュニケーションノート(絵や文字を指差すことで、コミュニケーションを円滑化するためのツール)を使用している方や写真を用いて会話を楽しんでいる方もいて、みなさんの【話したい。伝えたい。】という強い気持ちが伝わってきたことが印象的でした。このような体験を経ると、改めて対象者の生活にもしっかりと目を向けながらリハビリを行っていこうという気持ちになります。
今回の「北の会」に参加された利用者様には、快く撮影許可を頂きありがとうございました。今後も対象者の想いに応えられるよう、勉強や臨床研究を通して日々スキルアップに努めていきたいと思います。
1 note · View note
trial-and-spiral · 5 years
Text
日々の回復力を最大化するささやかな抵抗
始めに言っておきますが、最近テック系の話ばかり書いてきましたが、このブログはテック系寄りの雑記ブログなので今日はあまりテックと関係ないことを書きます。久々です。
最近の僕はというと、仕事のプロジェクトがなかなか佳境にさしかかって帰りが遅くなってきてます。それに加えてプライベートのほうもいろいろなことがおきていて、なかなか大変になってきました。 そんな毎日を乗りきるために「回復力」に焦点を当てたお話です。
忙しい毎日をのりきるための戦略として、
最大体力を上げる
回復力を上げる
という2つの戦略があると思いますがその後者のお話です。
ちなみに医学的な裏付けはとってませんので「僕はこうしてますよ」という1つの参考意見以上にはならないのでご注意ください。
なぜなに回復力
加齢により体力がなくなった、と昔武術に明けくれて今でも同年代の人よりも少しだけ体力に自信のある僕も感じます。でもつきつめて考えると最大HP的な体力がなくなったというよりは、減った最大HPが自然回復していくスピードが落ちたなと僕は実感しています。
体と心の相関と体をないがしろにしないこと
科学的に本当のところはどうかは知らないんですが、僕は体と心は相関関係があると思っています。腹が減ってるだけでちょっと怒りっぽくなることもあるし、今だったら花粉などのアレルギー症状が出てるだけでも少しイライラすることでしょう。冷えも禁物です、体温が下がると機嫌も体調も悪くなります。
いくら理性が発達しても、人間はしょせんヒトという生き物で、僕はまずそこを違わないように気をつけています。僕は心はどうコントロールすればできるのか良いかわかりません。でも体はわりとコントロールしやすいので、気持ちをハンドリングしたいときには体を介したアプローチをとるようにしています。これのわかりやすい例が深呼吸です。 ん ということで
なんだか疲れてる
精神的に追いこまれてる
しんどい
という気持ちでいる日常であったとしても、とりあえず肉体を
筋肉が疲労しすぎてたりや内臓が疲労していない状態
肉体を抵抗なく動かせる状態
身体の一時的な不便や痛みが気持ちに悪影響を及ぼしていない状態
に保つというアプローチはかなり有効だと思っています。
毎日を機嫌良く過ごすのはもちろん、判断力や決断力、心理的に障壁がある場合の踏み込む力にも影響しそうなので、体の心地良い状態に保つ戦略は良さそうに思います。特に長期的な視点で考えたときにその積み重ねは大きな差を生みそうです。
余談ですが僕にとっては一番良くないのは「疲れているから」という言い訳を用意できてしまうのが危ないです。僕はそこまで気持ちが強くないのでしばしば逃げ道を自分で塞ぐ戦略を取ることがあります。「疲れている」という使い勝手最強レベルの言い訳ができてしまうといろんなことが疎かになるので、疲れていない状態に保つのはけっこう重要だと感じています。
回復しやすくするために実践してること
筋トレをする
筋肉が増えることで体を楽に動かせたり、ということはもちろんあります。筋肉は全てを解決する、というなかば笑い話のような理論もありますが、僕はあながち間違い��はなく7割ぐらいは解決してくれると思っています。
そんな話はさておき、コリの原因が筋肉が硬ばって血流が滞ってるということならば意識的に筋肉を動かしてみよう、というアプローチです。適度な運動はしたほうがいい、というのはもはや常識にもなっているはずです。
僕の場合は筋肉痛になるまでしてしまいますし、その筋肉痛を不快に思わず逆にトレーニングした実感として快と感じることもあるのですが、運動強度には気をつけてください。筋肉痛が酷いと普通は不快になって逆効果かもしれません。ですが、しっかり運動して筋肉を使って動かして、その結果寝付きが良くなったり眠りが深くなる効果も見逃がせません。特に頭を使う仕事の場合、いろいろ考えたりして睡眠の質が悪い場合など肉体疲労状態を意識的に作りだして強制的に眠りの質を上げる方法はあながち捨てたもんあじゃありません。
他の効果としてテストステロンの増加とか、トレーニング後の達成感がメンタルに効いたりしますが、そんな話はまた別の機会で。
ストレッチをする
筋トレに近いんですが、筋肉をのばしてあげる。これだけでも十分に効果があります。 簡単なヨガ的な大層だったり、ラジオ体操でも良いですね。習慣に無いと「めんどくさい」と思ってしまいますが時間にして5分とか10分ぐらいで十分。筋トレもそうですが、面倒なことってだいたい心理的障壁があるだけで実作業や実時間にすると大したことないんですよね。
ちなみにヨガをすると痩せるとか言いますが、だいたいヨガの動きはアイソメトリックな筋トレとストレッチの融合なので無理なく実践できる運動をした結果、健康指向になって普段の意識が変わり、結果的にに痩せた、というだけの話だと思っています。
暴飲暴食をしない
本当に加齢によって油っこいものがツラくなってくるんですね。まさか焼き肉行ってカルビを敬遠する日が自分に訪ずれると思いませんでした。
過ぎたお酒は眠りの質を悪化させますし、消化しきれない食べすぎもまた同様なようです。良く噛んで腹八分目、これを心掛けると内臓も疲労しにくく、眠りが消化のためだけに使われなく良い感じな気がします。睡眠という回復手段の効率を最大化させるための戦略ですね。
可能であれば早い時間に夕食を摂るのも有効なんですが、忙しいとどうしても帰宅が遅くなってしまって現実的に実行が難しかったりするのでそこはあきらめました。
目薬をさして目を温める
デスクワーク主体だと基本的に目が酷使されるので寝るときにやります。 眼精疲労に効く目薬をさして目元をあっためる系の何か(電熱系やらレンジや使い捨てなどいろいろ)を使う、これがなかなかに効きます。
寝るときにやると眠りやすくなる効果もあります。ちなみに僕はけっこう疲れてくると仕事のお昼休みにもやります。スッキリしていい感じです。目の疲れとともに目から耳のちょっと上辺りのコリが解れるような。
お風呂でマッサージする、特に頭皮
体のコリのあるところマッサージするぐらいはよくやると思うんですが、考えごとを沢山した日、目を酷使した日は頭皮もやります。頭皮は意外に忘れがちですが、脳や目の酷使は頭皮に来る気がしています。美容院に行ったときのマッサージを想像していただければわかりやすいかと。
ちなみに顔マッサージや耳をひっぱったりも良さそうですよ。とにかく張ってるところを緩める。��ッサージやストレッチはコレです。人間、力の入れ方を学ぶことは多いんですが力の抜き方を学ぶ機会はそうそう無いんです。緩めるのは下手なんです。だから意図して緩めてあげる必要がありますね。
寝る前に養命酒を飲む
もうこの記事はこれが言いたくて書いたようなところがあります。それぐらい効きます(完全に体感でのお話です。体感は個人差があります)。 養命酒はイメージからどうも高齢者用に見られますし僕も以前はそう思ってました。ですがもしかしたら働き盛りの世代こそバッチリなのかもしれません。 もしかしたら栄養ドリンク系も同様の効果なのかもしれませんが、栄養ドリンクは多量のカフェインを含んでたりするので睡眠の質が落ちますし、場合によっては寝付けないこともあるかもしれません。
ただし少量のアルコールを含むため、体質的にアルコールが全く分解できないほうは要注意ですね。
最後に
見返してみると至極当たり前のことしか言ってないですね。ただしその当たり前をちゃんとやるか、意識的に実践するか、は長期戦を闘ううえで重要になると踏んでいます。
僕の実年齢はそう若くはないので若くて優秀な面々と張り合っていくにはこういう地道な方法もないがしろにできないな、と思っています。1年は1日×365。
肉体的にも精神的にも適度な負荷をかけつつ、日々を楽しく機嫌良く、うまいこと乗りきっていこうと思います。
from Trial and Spiral https://blog.solunita.net/maximization-restoration-power-for-daily-life/
1 note · View note
alexswak · 5 years
Text
Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守���督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初���開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
5 notes · View notes
gu4 · 3 years
Quote
大事な順にこうなります。 1日8時間深く寝るための睡眠薬 低脂肪高タンパク質・食物繊維・水 テストステロンを意識した筋トレ・ストレッチ 目と首と腰を守る、モニターと椅子 「身体管理」に特化しています。 「意識・習慣」だと個人に依存してしまいます。 例えばTwitterは、人によっては「扁桃体・報酬回路」が活発化されやる気を促したり、ADHDの方にとっては脳の雑音を吐き出す大切な居場所になり、また逆に人によってはただただ時間を失い鬱になったりする場所になります。 ですが、「身体管理」は万人の体に共通した、科学に基づいたメリットが存在します。
「休むことは難しい」を読んだ感想と、自分が実践しているエンジニアの健康管理メモ
0 notes
Text
仕事復帰のむずかしさ
リハビリを初遅刻
私の日常が帰って来たのか、キャパシティオーバーか
できなくなっていたらどうしよう…、という恐怖
「治った」の坂はまっすぐ一本道ではなくて、それがつらい
(仮)復帰後からの1週間は、何だか忙しかった。
少ない相手からとは言え「仕事に戻りました」と報告すれば、凍結してたものが動きだしたり新しい仕事の話が来たりするもので、気が付いたら家の机でPCの前に座っている時間が増えている。悪い話じゃなくむしろありがたくて申し訳ないぐらいなのだが、調子に乗って仕事を抱えられるわけでもないので、自分の調子の舵取りがとても難しい。1月の2週目は「リハビリ、 仕事、 そして生活と体調」である。 退院後の「とにかく体調」から「リハビリと体調の両立」→「リハビリ、生活そして体調」そして今は「リハビリ、仕事、そして生活および体調管理」と、気を配るべきハードルが少しずつ増えていく。ハードルの山で遭難しそうな気持ちと、一つずつ日常を得られる安堵と、くたびれとが混ざっている。
仕事を入れつつあるせいもあるのか、眠りが浅くなってきたせいもあるのか、火曜早朝のPTリハビリに大遅刻をした。起床時間はそれほど変わりがないのに、朝食や身づくろいに何となく手が付かずにモタモタしていて、家を出るはずの時間から30分がいつのまにか過ぎてしまっていた。慌てて病院に電話をして遅刻するが行ってもいいかと聞くと、リハビリの時間は短くなりますが大丈夫ですよと言われる。慌ててタクシーに乗る。それまでは50分かけて歩いて通院していたのだが、タクシーだと15分もかからない。自動車はすごいな。
病院で看護師さんにも新・PT先生にも平謝りをしてリハビリを開始する。新・PT先生に様子を聞かれて、仕事に仮復帰したことと少し頭痛に困ってることなどを話す。私が遅刻したせいで時間があまりないからか、運動機能を試すテストなどはなく、筋トレとストレッチの自主トレの確認をした。麻痺があった左の足の内側に力が入りにくく散歩が長くなると疲れやすい、と相談したところ、片足スクワットと、あと両足のスクワットのコツを教えてもらった。片足スクワットは如実に足の内側の筋肉が動いて面白い。両足スクワットは、医科歯科のPT先生に教わった時にイマイチ上手くなくて、自主トレは椅子に立ち座りにしましょうとなっていたのだが、体重のかけ方を均等にすると自然にがきデカの「死刑!」ポーズっぽくお尻を出せるようになることが分かった。スクワット時は手を前に伸ばしているので、このまま腰をひねったらそのまま「死刑!」だなぁと思いながら、新・PT先生はお若いのでがきデカが分かるわけがないよなと黙ってスクワットを続ける。私が遅刻したせいでリハビリの内容もぼんやりしてしまった。先生に申し訳ない気持ち。
水曜はリハビリデーとリハビリデーの合間の日。 いくつかの仕事のスケジュール管理をしなくてはいけないのだが、仕事を再開したとはいえ、複数の取引先の進行状況を整理して…という交通整理が全然できない。 元々それほど得意な仕事ではないので手を付けるのが怖い。手を付けて、もし「マッタク解決デキナイ…」となったら、やっぱり復帰はとても難しいんじゃないかと悲観してしまいそうで怖い。とても怖いのだ。
とはいえ、お客さんに迷惑をかけてしまうのだけはもっとダメなので、歯を食いしばり、いくつものメールを開き、状況を整理し表にまとめてみる、取引先の各所に色々確認をする、私がすっかり忘れていたことなどを恥を忍んで確認したりと迷惑をかけつつ、整理がついてみたらスケジュールは比較的余裕がありそうだと分かったのでホッとする。病み上がりでギリギリの進行になったら乗りこなせる自信がないし、と印刷所の担当��に話したら笑っていた。本当に申し訳がない…。この夜は比較的よく眠れた。だが頭痛も強い。
木曜のOTリハビリも、寝坊こそしなかったのだが、家を出る前に仕事のメールをいくつか書いていたら家を出るのが時間ギリギリになり、病院に着くのがジャストタイムになってしまった。受付とバイタル測定があるから5分前に病院に到着しておきたかったのだが、仕事が入ってくると病人として不良化してくるダメさである。間に合わない!ギリギリだわ!と思いながらモリモリ歩いていて、病院について一息つき「あれ?かなり速く歩けるようになっている?」と思うがタイムを測っていなかったので分からないのだ。
新・OT先生とは、仕事仮復帰しましたという報告と、そういえば夢を見るようになりましたという話をする。飲んでいたてんかん薬はすごく眠くなる薬で飲んだら運転禁止のものだから、そのせいで夢見なかったのかもしれないですねと言われ、やっぱりなぁと思う。ブラックアウト薬。
この日のOTリハビリは、ずっと知能テストオンリーだった。
CDから次々と流れてくる”聞き分けにくいひらがな1文字”…「と、ど、ち、ぢ etc.」などを聞き、指示されたひらがなが出てきた時だけ合図をする、聴覚的文字拾い
新・OT先生が3~10以上の様々な長さのランダムな1ケタの数字の羅列を読み上げる、その最後の3つ、最後4つの数字だけをそれぞれ答える
新・OT先生がランダムな1ケタの数字を1つずつ間を空けて読む。1つ目、2つ目を読んだところで、1つ目の数字+2つ目の数字の計算結果を答える。次は2つ目+3つ目、3つ目+4つめ…と延々と
どのテストも難しく集中力を要する。瞬発的な記憶力が必要で、普段からあまり得意とは言い難い。更に小学1年生レベルの計算とはいえ計算自体が不得意なので緊張する。必死に頭をフル回転させて挑むが元々苦手意識がある。 問題が複雑なので、出題している新・OT先生も大変そうで、あまり顔色を窺って邪魔してはだめだと思うのだが、いちいち新・OT先生の方をチラチラと見て早速集中力が削がれている。上を向いて目をつぶって集中して…と取りあえず各問題を最後までやって、私が不安そうな顔をしているのを察してか、後でテストの結果はレポートにするのでお渡ししますからねと言いながら、面倒くさそうな採点をその場でやってくれた。 結果、どのテストも十分問題ない結果、2つ目のテストについては測定項目のレンジを超える好結果、3つ目も20歳代と同等の結果だと言う。なるほど年齢別平均値があるのか、脳トレなのか、と診断の仕組みを理解しつつ、ようやくホッとする。帰り道は少しゆっくり、少しだけ遠回りを選んでゆっくり帰った。
帰宅して、朝メールした返信へのリアクションメールをしたあと早めの晩ごはんにして、ごはんの後に締め切りが迫る原稿に手を付けていたらあっと言うまに22時に近づいていたので慌てて風呂に入って寝る。退院後の最長不倒で0時過ぎに就寝となった。頭痛はまだやはり残る。無理したくはないのだが。
金曜は仕事中心に。朝、散歩から戻ってずっと仕事とリモート打合せ。 先週末の復帰の後から始まった右目奥の痛みはいまだあって、頭の手術跡のうち2か所が引き攣れるようなツキツキした小さい痛みもある。このツキツキとした痛みは年末にもあったので「お久しぶりですね」という感じなのだが、恐らくは手術跡が直っていく通過儀礼なのだろうと思う。主治医先生は痛みがなくなるのは3ヵ月ぐらいと言っていたし、1月の外来では、今は触ってもあまり感触がない「開頭した部分の頭皮」についても、3ヵ月から半年ぐらいで戻ると思うと言われたので、まぁ、まだまだなんだろうと分かってはいる。頭痛と傷跡の痛みと身体全体の好不調の波が、順繰りに、時に同時に迫ってきて、一通り”不調の症状”が一回りすると「こないだの一周よりは軽減しているかなぁ…」とは思うのだが、だからと言ってその瞬間の不調が改善するというわけではない。一直線に回復傾向のグラフを描けるわけでもないんだから、と、頭痛がする頭で何度も繰り返す。気に病んでもしょうがないのだ。分かってはいるけれど。
と病人ぶりつつも、資料探しからしなきゃならない原稿も一つ、どうにかこうにかまとまったし、提出すべきプレゼン資料のやり取りも打合せもやった。明日は土曜日で仕事の電話もメールも来ないだろうから、と考えると少し気が楽になる。休める。何とか自分をなだめつつ、忙しい一週間が終わる。
大きいスパンで見ればおおむね悪くないのだろうと思う、だが、去りにくい頭痛と右目の裏あたりの痛みという「実感」があると、回復の実感を得にくく、後退の寂しさをずるずると持て余すことになる。更に困るのはコロナ流行で、「病人ならではの不調」なのか「まさかコロナに?」なのかとダブルでストレスをかけてくる。家から一歩も出なければコロナの心配は極小化されるだろうが、リハビリにも行かなきゃいけないし自主トレもしたいし、買い物にだって、何なら仕事の打ち合わせだって必要な時はある。
我が家には看護師さんは居ない(当たり前だ)ので、朝の検温と血圧測定はセルフである。数字が悪くても(とはいえ悪い数字は出てないんだけど)共有して何か方策を考えてくれるプロは家には居ない。 今の私は、コロナで病状が出ていて自宅療養している人の不安さが少し分かるかもしれない。 でも私はおそらく、ロングスパンで考えたら回復している途上である。私も、病気で辛い人みんなも、長い目で見たら回復の坂を下っていけるといい。病気は本当につらいものだな。
0 notes
yimlife · 4 years
Photo
Tumblr media
\福岡市南区学び舎しおらぼで開催/ 骨盤軸整体認定サロン!福岡で うけることができるのは、 薬草子宮ケア&スクールのイムだけです。 一回での施術写真です。 5回は、1週間以内に施術をすることで. 筋肉位置を記憶させていきます。 出張!骨盤軸整体体験会開催! 産前産後に特化したストレッチ方法の 簡単セルフケアトレーニング。 骨盤軸整体は、骨盤矯正ではありません。 次世代の産前産後の方の為の、 マイナートラブル整体です。 より良い子育てを迎えるために、 腰痛改善、股関節痛、尿漏れ対策。 2ヶ月10回で妊娠前の生活に戻しましょう! 骨盤軸整体では、 骨盤を中心として 正しい内臓位置や姿勢癖を整えましょう。 骨盤軸整体を受けると、頭の重みの重心位置が妊娠期のお腹へ移行していたことにより、失われた体幹の安定性を回復し、本来の体の働きを取り戻せます。 一番重たい頭が一番上にあることが、理想的なバランスを保っているといえます。妊婦さんは、お腹の重さが増して、頭とお腹のバランスを保ちながらの動きに変化します。出産することで、お腹から頭に重心が変化し妊娠前の状態に戻ることで、脳からの体感のバランスを保つ信号が乱れることで、産後の体の不調につながります。 骨盤軸整体では、筋肉を調整して、骨盤から体の中心に軸が通ったような状態を作り出します。 ○まっすぐ立ちやすくなる ○力を入れやすくなる ○体が姿勢が整う ○赤ちゃんが軽く感じる ○尿漏れしにくくなる など、個人差はありますが、 施術直後に体感できます。 骨盤軸整体要予約 初回 500円 半額 2回目3000円体験会 予約はDMか、 09072979060 お電話。ショートメッセージにて! 2/3 ①10:00〜10:40 ②10:50〜11:30 ③11:45〜12:20 ④12:30〜13:10 ⑤13:20〜14:00 2/11 ①10:00〜10:40 ②10:50〜11:30 ③11:45〜12:20 ④12:30〜13:10 ⑤13:20〜14:00 2/18 ①10:00〜10:40 ②10:50〜11:30 ③11:45〜12:20 ④12:30〜13:10 ⑤13:20〜14:00 2/25 ①10:00〜10:40 ②10:50〜11:30 ③11:45〜12:20 ④12:30〜13:10 ⑤13:20〜14:00 #福岡 #骨盤軸整体 #骨盤矯正 #産前産後 #高齢出産 #腹直筋乖離 #福岡ママ #出張整体福岡 #出張整体 #出張マッサージサロン #産婦人科勤務経験ありますよ #タイ式マッサージ #ハーブボール #ユーファイ福岡 #ユーファイ体験 #ユーファイケア #産後ママ応援 #子宮内膜症 #姿勢改善 https://www.instagram.com/p/B79iNNag3xq/?igshid=b87iqr1lw2tw
0 notes
takeya-tobanyoku · 2 years
Photo
Tumblr media
⍨ こ、ここここ、これは! 春になると小さいのが うじゃうじゃするアレでは…。 𓅨 偶数月の第1火曜日は 波動療法機"メタトロン"体験会✨ 2月8日(火)午後、空きあります! 𝟙 13:00 𝟚 14:00 𝟛 15:30 𝟜 16:30 体験希望の方はご予約下さい。 施術の空き状況は更新されませんので、お電話でお問い合わせください。 体験コース (※竹屋陶板浴価格) 𝟙 1時間 6.000円(転写水希望の方別途+1.000円) 𝟚 2時間10.000円(転写水料金含む) ロシア人科学者により開発され、戦場や宇宙飛行士などの健康管理に使われた機器です。 座ったままの状態で、身体の中の振動(周波数)の乱れを“脳波”から測定します。 周波の乱れから体調不良の原因となる根本を読み解き、未病を推測します。 全身細部のデータ結果が、パソコン画面で分かりやすく即時に表示されます。 本来のあるべき状態に戻す“セラピー”がかけられることも優れているところです。 あなたの健康状態に合う食べものもお伝えします。 #メタトロン #波動療法 #桜井京子 ≪2月のスケジュール≫ 3日(木)ストレッチ&フラダンス 無料 5日(土)細胞喜ぶ呼吸法WS 7日(月)足もみ若石 8日(火)メタトロン💕 8日(火)玄米お握り販売 9日(水)足もみ若石 10日(木)ストレッチ&フラダンス 無料 14日(月)内臓整体 15日(火)椅子ヨガ 15日(火)玄米お握り販売 16日(水)氣功 17日(木)ストレッチ&フラダンス 無料 19日(土)「自宅で塩浴リフレッシュ✨のススメ」 19日(土)ファスティングセミナー 無料 21日(月)足もみ若石 21日(月)笑いヨガ 22日(火)腱引き 22日(火)玄米お握り販売 23日(水)足もみ若石 23日(水)がん交流会 無料 23日(水)ファスティングセミナー 無料 24日(木)ストレッチ&フラダンス 無料 28日(月)足もみ若石 ≪pick out≫ \ 細胞喜ぶ呼吸法✨ws / 日時:1月5日(土)13:30- 参加費:3.000円 講師:瀧上勝義先生 “呼吸・姿勢・思考”で人の免疫力は大きく変わります。 重ねて受講することで、ご家族に氣の施術が出来るようになります。 #氣功 #細胞喜ぶ呼吸法 #瀧上勝義 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #竹屋陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #感染予防は免疫力で #ワクチン接種は慎重に検討しましょう 竹屋陶板浴 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/CZc56U3h3be/?utm_medium=tumblr
0 notes
Photo
Tumblr media
2019年10月31日(木) ハローウィーンとは関係のない東南アジアがテーマの弊店にも、2年前に購入したこちらのシールを貼ってみました。昨日今日の2日だけのデコレーションです。 今日は、ケルト人になったつもりで秋の収穫を感謝する一日にしようと思います。ちなみに、民族としてのケルト人というのは存在しないそうですね。 ハローウィンといえば、I'm aliveが頭の中を駆け抜ける世代の店主ですが、同時にこちらの歌も脳内リフレインされますね。 ハローウィーン ハローウィーン あーなたは こーなーいー わたしのー おもーいーをー ジョークに しないでー これにツッコめるのは、若者を卒業してしまった方たちだけですよッ😁 本当にどうでもいい話ですが、店主は翔子ちゃん派でした。マジ、どうでもいい。 今日も元気に営業しています...の前に、お知らせです。 『体のセルフケア』 vol.16は、11月16日(土)に開催されます。 https://www.facebook.com/events/389118428641958/ 『体のセルフケア』 Vol.16 ~自分の体と向き合おう~ 11月16日(土) 16:30~18:30 講師:Erica氏 場所:上福島コミュニティセンター 大阪市福島区福島8丁目12−7 大好評のErica先生のワークショップ、第16弾です。「身体は諦めちゃダメ。脳がコントロールしているから。」若い頃と同じように身体を動かすには、日頃のメンテナンスが欠かせませんね。アンチエイジングに目覚めた店主も、体のメンテナンスを怠らないようになり、セルフケアのおかげで身体が軽く動くようになりました。体のコリにも効きます。自信を持ってお勧めします。 なお誠に申し訳ありませんが、整形外科に通っているなど、怪我されている方はご遠慮ください。 参加費2,500円 小学生1,000円、中高生1,500円 テニスボール4個持参の方は、2,000円 小学生500円、中高生1,000円 100均のテニスボールは破裂してしまう恐れがあるので、おやめください。 一度参加されたことのある方でテニスボールセットを持参の方は1,800円、小学生300円、中高生800円になります。 講師紹介:Erica氏 ダンサー;自分のダンスを発表する活動の一方で、某大物演歌歌手のバックダンサーや某ジャニーズタレントのバックダンサーとしてTV出演経験。活動勉強の場は日本国内にとどまらず、今年はバリ、オーストラリア、ウクライナ、ベルリン、ニューヨークへ。また、サムライ ロック オーケストラの振付、ステージング、演出に関わる。昨年は劇団☆新感線の「メタルマクベスdisc1」(宮藤官九郎作)にも出演。己の心、身体に真摯に向き合い、普段の生活や、身体の使い方など自分の身体に向き合う事の大切さを伝える活動をしている。 Erica先生より 一人でだとわかっていてもなかなか始められない、続けられないストレッチや筋トレ。でも、整体に行く回数が減ったり、自分の身体が喜ぶ方法がわかったら?! 皆でやれば、、きっと楽しい!(笑) お一人お一人のアドバイスも致します!是非、ご参加をお待ちしております! 持ち物 ◎いらなくなった靴下(1つ)テニスボール4個が縦に入るもの 足首の上のところまでのもの(×ハイソックス ×くるぶしまでのもの ×パンスト)、あるいは細い巾着袋や100均のペットボトル入れなど。すべりにくいものをご用意ください。 ◎テニスボール4個(持参される方) 予約のお申し込み、またはキャンセルは、11/14(木)までにお願いいたします。 ☎ : 06-6136-7474 今日も皆さまのお越しをお待ちしております。 #大阪 #福島区 #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #wifi #freewifi #cafe #bar #カフェ #バー #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #東南アジア #ラオス #ベトナム #ハローウィン #セルフケア #筋膜リリース #フィットネス #健康 (at Cafe & Bar Sabaidee) https://www.instagram.com/p/B4Rdr6wgP1F/?igshid=3h3uqvdjnln8
0 notes
izumiiguchi · 7 years
Photo
Tumblr media
五穀塩たちの友、それは胡桃。古代ギリシャ時代から口にされてきた人類の長い友達、ナッツ。お腹が空いたな、というよりは、なにか口さみしいな、というときにかじっていることに気がつきました。 まず整理しましょう。 まず、五穀とは、紀記いずれにも月夜見尊が保食神を、素盞嗚尊が大宜津比売を殺し高天原に持ち帰ったと書いてあります。琉球神話だと久高島に五穀の種の入った壺が海岸に流れ着きます。外からもたらされた、ということなのかな。で、古事記によると「稲、粟、麦、小豆、大豆」。つまり日本食の根幹を支えるイネ科とマメ科の食物たちです。 塩は塩。ヒトの体に必要不可欠と言われています。海水から、あるいは岩塩から、塩分豊富な土地を塩田として摂る。 五穀と塩を断つ。 毎日、なにかしら調味料を使っていませんか。特に意識せず、塩を振っていませんか。塩を断つことでまず食べものの中の繊細な塩味、旨味、苦味を感じられるようになる。それは素敵で面白いな、と始めてみました。期間は3.5.7.9〜21日間。3日目までがとてもきつい。塩が足りないことを意識する前に炭水化物を摂らなくなるので震えるほど手足が冷えます。持っている熱の全てを内蔵を守ることに使っている感じ。そしてとにかくだるい。階段を上るのに足がもつれることもありました。きついのでひたすら寝ていて、顔色は掘りたての土付きごぼうのようになります。 なぜか。 ヒトの歴史は9割が飢餓との歴史。数日食べなくてもなんとかなる程度の塩のストックがあるのだそうです。しかしヒトは6割が水と言われ、塩は水に溶けますね。溶けないために古い脂質やたんぱく質の中に固めてその塩をもっているのだとか。体内にある古い脂質とたんぱく質。東洋医学でいうところの「古血(ふるち)」を常に持っているということです。塩の供給が断たれると、備蓄を使うためにこの脂質とたんぱく質が分解されます。固定できなくなったため、血管内を流れてゆく老廃物。土気色の顔色とはつまり古い血の色。顔色を「血色」というのは比喩でもなんでもなかったのだとわかります。早ければ2日目、おそくとま3日目にはこの状態になる。4日目からは「あれっ。昨日までの辛さはいったいどこに?」思い出せないほど顔色はよく体は軽く、会う人会う人からなぜか「なんか…柔らかくなった?」「肌色明るくなった?」と言われます。脂質と炭水化物が分解されるときに水分も生むので肌の保水量も上がるようです。つやつや。 脂質とたんぱく質。 炭水化物を断つことで、これらが分解されるというのはローカーボの理論でも説明されますね。ブドウ糖を脳に供給できないため脂質とたんぱく質からケトン体を作り、脳へと送る。この時もやはり古血が分解され、代謝が促進されゆるゆるとほぐれてゆきます。 そう。ゆるゆるほぐれる。 何度か試した五穀塩断ちの醍醐味はここにあると言っていい。 たった3日間なのに「あああ、3日間なに食べよう」「お腹が空いてるのかたださみしいだけなのかよくわからない…」「これはもしかして不安な気持ちを=空腹だと脳が認識しているだけなのでは?」「カラダが空腹なのではなく、脳というか心の問題をわかりやすい『満腹』で埋めようとしているのでは?」と、思わざるを得ないような、すっかり忘れていた過去の悲しかったり驚いたりやりすごした記憶などと出てきて、カラダだけでなく自分の心に向き合う行程が出てきます。そしてそもそも「なぜ食べないといけないと思い込んでいるのか」「バランスの良い食事の配分とはご飯、汁物、おかず三角食べとはちがうのではないか」といういつのまにか習慣になっているけど、それは自分で決めた習慣ではなかった、他にもたくさんそんなことがあるのではないか。ルーティンの奴隷になっていたのではないか。立ち止まり、習慣を分解することで、今、最も自分が楽しくかつ楽なことはなにか、と見直すことができます。 これは、前々から思っていたけどやっぱりトラウマって筋肉に溜まるんだな〜。ほっておきすぎると石灰化して解くのが大変になるから、だからストレッチやヨガや冷えとりをすると心身がいろいろ楽になってゆくのだわ。 そこに五穀塩断ちを加えると解毒排出が早くなるのでいっそう効果的なんじゃないでしょうか。ストレスがたまって病気になる手前の人とかぜひしてほしい。 あと炭水化物を食べないとどっとつかれる満腹感はなく(五穀塩断ちメニューはたくさん食べていいので満足感はとてもあります)、飢餓感もなく、穏やかでとても性に合っています。 久しぶりに炭水化物をたくさん食べたら❶猛烈な眠気に倒れるように寝た ❷いに血液を集中させようとする心臓の動悸がこれまで以上にからだに響いてつかれる ❸体温が急に上がるので、熱いし暑い。早くお風呂で腰湯などして汗をかいてこの熱を外に出したい〜。 という感じです。あと炭水化物が多いと蚊に刺されて腫れがひかない(お肉だけを食べ続ける、という実験をまだしていないのでそこの比較は不明)。 という感じです。続く。 #発酵の3日間 #発酵の5日間 #発酵の7日間 #五穀塩断ち #ローカーボ #vegan #vegetable #腸美人
2 notes · View notes
oharash · 5 years
Text
白砂の花びら
海沿いの俺のまちは、夏も冬も日本海からの潮風に守られている。この日はどういうわけか 普段よりずっと日差しが強く、昨日よりおとといより気温がだいぶ上昇していた。冬にはあおぐろく染まる北陸の空でも夏はそれなりに抜けるような青さを見せる。一種の雰囲気を感じて振りあおいだら、立ち枯れたみたいに生えている電信柱のいただきに、黒くうずくまる猛禽の視線と俺の視線がかちあった。
 海沿いの道は温泉へ向かう車が時折走り抜けるだけで、歩いているのは俺たちだけだった。俺の半歩後ろをついて歩くユウくんはスマートフォンを構えながらあれこれ撮影している。ポロン、ポロンとこの世界に異質なシャッター音が溢れて落ちる。
 バグジャンプのふもとまでたどり着くと、彼は先ほどの猛禽をあおいだ俺みたいに首をまわして仰いだ。
「映像で見るより大きい。ていうか高い。スキーのジャンプ台みたいだね」
 俺の貸したキャップとサングラスが絶妙に似合わない。卵型のユウくんの輪郭にウェリントン型のフレームは似合っているのだけど、ユウくんがかけるとアスリートというより、田舎の海にお忍びでやってきたはいいけれどただならぬ雰囲気を隠そうともしないセレブリティに見える。
 バグジャンプは体育館を改築した旧スケボーパークに隣接している。パークに置きっ放しのブーツと板からユウくんに合うサイズを選んでフィッティングして俺もブーツを履き、板を持って2人でバグジャンプへの階段を登った。
 登り切ると眼下に日本海が広がる。日本も世界もあちこち行ったけれど、俺は今も昔もこの景色を愛している。光をたたえた海は水平線へ行くほど白くて曖昧で、潮風が俺たちの頬を撫でた。ユウくんが歓声をあげてまたシャッターを切る。
 ユウくんの足をボードに固定しでグリップを締めた。いざとなったら抜けるくらいゆるく。アスリートのユウくんは自分の身体感覚に敏感だからかスタンスのチェックは一瞬だった。「まず俺が滑るから見てて。俺はスタンスが逆だけどそこは気にしないで」「トリックやってくれる?」「やんない。ユウくんのお手本だから滑って跳ぶだけ」フェイクの芝の上に板を滑らせる。重心を落として体重を全て板にのせ、軽く弾ませてスタートした。視界がスピードをもって背後に駆け抜けてゆく。軽く踏み切ってそのまま弧を描いてエアクッションに着地した。板を足から外して体を起こし、バグジャンプに取りすがってユウくんに電話をかける。「こんな感じ。ターンとかしないで普通に滑り下りればオッケー。スピードでて怖くなったら力抜いて。体重偏らせる方が危ないから。踏切のときにもどこにも力入れないで。そのまま落っこちる感じでいけば今みたいになるから」「YouTubeで見たのと同じ絵だ! すっごい。俺今北野アヅサの練習見てるよすごくね?」「俺の話きいてる?」「聞いてる聞いてる。体をフラットにして変に力入れないで、姿勢の維持だけしておけばオッケーってこと?」「そう」「りょーかあい」
 ユウくんがバグジャンプのてっぺんで右手を掲げる。スマホを動画撮影に切り替えて俺も手を挙げた。板をしならせて、ユウくんがスイッチした。レギュラースタンス。腰を軽く落とした姿勢はいい具合にリラックスしている。ユウくんの運動神経に間違いはないけれど、万が一ケガがあったらという不安が喉につかえた。俺の心配を茶化すようにその姿はあろうことか一回転してエアクッションに沈んだ。
 「ありえない。回転しくじってケガしたらどうすんの」
「狙ったんじゃないよ。ちょっとひねってみただけ。エアってすごく気持ちいいんだね。横の回転なら慣れてるけど縦の回転はないから、めっちゃ新鮮。空が見えるし楽しいし着地気にしなくていいなんて最高。両足固定されてるのはちょっと怖いけど」
 回転数のあがったユウくんは頰を火照らせて躁気味に笑っていて、まばたきが減って口数が多くなってるのが余計に危うい。教えてくれというので絶対に無茶はしないことを約束させて、基本の滑りにもう少し解説を加え、簡単なトリックをひとつレクチャーした。もともと体ができていることもあるしユウくんの身体と脳は笹の葉のように研ぎ澄まされていて、俺の言葉の通りに体を操っていく。終いにはタブレットでお互いの滑りを録画し、「ここ、ユウくんは左に落としたいんだろうけど下半身がついてってない」だとか「アヅはこのときどこを起点に体を引いてるの?」だとか結構真面目にやってしまった。休憩のたびにユウくんは海へ体を向けて「船」だの「カップル」だの「カモメ…ウミネコ? 」だの、言葉を覚えたての子どもが看板を読みたがるように単語を頭の中から取り出して眺めていた。「ジャンプやばい。やればやるほど考えたくなってやばいやつ。ね、夕ご飯の前に海行こ」とユウくんから言い出した。
   行く、と言ってもバグジャンプを降りて道路を横切り防波堤を越えればもう砂浜だ。ボードを片付けて、軽くなった足でアスファルトを踏む。防波堤の上に登るとユウくんはまた海の写真を撮り出したので、その足元にビーサンを並べてやる。俺も自分のスニーカーを脱いでビニールに入れ、バックパックにしまう。
 やや遠くから犬を散歩するじいさんがこちらへ歩いてくるくらいで、ここは遊泳区域でもないので先客はいなかった。ユウくんは「砂浜やばい、何年振り」だの「ここ走ったら体幹鍛えられそう」だの「日本海は綺麗だって聞いてたけど本当だね。うちの県の海水浴場は海藻ばっかりだよ」だの俺の相槌も必要とせず軽やかに波打ち際へと歩いて行った。
 波に脚を浸したユウくんの半歩後ろにたつ。そのまっすぐ伸びたかかとのうしろで、黒や茶色の細かい砂利が水のふるいにかけられて一瞬まとまり、また瓦解していく。そこには時折海藻だとか丸まったガラスの破片だとか、たよりなくひらひらと翻る桜貝だとかが浮かんでは消え、俺はなんとなくユウくんの白いかかとその様を眺めていた。
     ユウくんは「俺札幌雪まつりやる」と言い出し、それはどうやら砂で何かを造ることだったようで、黙々と建造を始めた。俺はごろんと横になって脚をのばし、自然と目に入ってきたユウくんの、キリンの子どもみたいに野生的な首筋についた砂つぶを眺めていると、風にあおられたその粒がハラハラと飛び散って俺の目に入った。ユウくんの向こうでは空が乳白色になるポイントと遠浅の海の水平線が交わりハレーションを起こしている。
 キャップをかぶせているとはいえユウくんを長時間砂浜で太陽光にさらすのはよくないだろう。日焼け止めはバックパックの中に入っているけれど…そう思いながら目をしばたいているうちに意識が遠のいていく。次に目に入ったのは呪いの像みたいな謎のオブジェだった。「…それって」「どう? 自由の女神」「ゲームにとかに出てきそう。調べると誰かの遺書とかみつかるやつ」「アヅひっど。辛辣。砂と海水だけで作るの難しいね。ねえ、どこかの国にね、砂の像の本格的な大会があるんだって。砂と海水だけで最低でも高さ1m以上のものを作るの。砂浜一面にたくさん城だとかオブジェだとかが作られるんだけど、どれも満ち潮になると流されちゃうから、その日だけ。ヨーロッパっぽくないよね。その侘び寂び精神って日本っぽくない?」「侘び寂び精神?」「ほら日本人って桜が好きでしょ。すぐ散っちゃうハカナサ的なもの込みで。何かそういうこと」
 ユウくんはスタイルの悪い自由の女神の頭部を指先で整える。俺たちの一身先まで波がきてまた引いていった。ここも満潮時には水がやってきて、その呪いの女神像も今夜には海に還る。
 大学生になって夏休みの長さに驚いた。中高をほとんど行けてなかった俺にとって、夏休みは授業の進行を気にしなくていい気楽な期間だった。それにしたって大学の夏休みは長い。俺は授業があろうがなかろうが練習漬けの毎日だが、この2ヶ月という期間を世の大学生は一体何に使うのだろう。
 大学一年生の冬、2度目のオリンピックに出てからメディアからのオファーが目に見えて増えた。俺自身も思うところがあって露出を増やすことにした。15歳のときもメダルひとつで世界が変わったけど、あのときはそれでも中学生だったからか(すぐ高校生になったけど)競技の注目度の低さからか今考えれば優しいものだった。夏季オリンピックへの挑戦を表明してからは練習練習練習スポンサー仕事練習練習といった毎日だ。調整のために海外にいる日も少なくない。
    だからこの2日間だけが、きっと本当の夏休みになる。
    俺も俺で慌ただしかったが、そのパブリックな動き全てがニューストピックスになるユウくんのそれは俺の比ではなかった。シーズンが終わっても出身地にモニュメントが造られたりタイアップの観光案���が造られたり、国内のショーに彼が出演すると報じられた瞬間チケットの競争率がはね上がったり。そんな彼がスカイプで「夏休みをやりたい」と言い出したときは、いつもの気まぐれだろうと俺は生返事をした。しかしそれはなかなか本気だったようで「海行ったり花火したりする‘ぼくの夏休み’的なのやりたい。田んぼに囲まれた田舎のおばあちゃんちで過ごすみたいなワンダーランド感をアヅとやりたい」と彼は食い下がった。
「俺と? ユウくんのじいちゃんばあちゃん家ってどこにあるの?」
「うちの実家の近所。長閑な田舎感ゼロ」
 成人男子の頭をふたつ持ち寄ってしばし考えたものの、俺たちは家族旅行の記憶���まともにない。物心ついた頃から休日は練習だし、旅行=遠征だ。「国内がいいな。海…沖縄?」「このハイシーズンにユウくんが沖縄行ったりしたらめっちゃ目立たない?」「うううん、目立つのは仕方ないけどアヅとゆっくり過ごせないのはやだな…じゃあ何かマイナーなところ」そんな場所が即座に出てくるような経験はお互いにない。だからしばらくお互いスマホをつついてるうちに俺が「海と田んぼあって田舎で特に観光地でもない、ウチの地元みたいな場所っしょ。何もないところって探すの逆に大変なんだね」と口を滑らせたのは特に他意のないことだった。
「アヅの地元‼︎ 行きたい、スケートパークとかあのバグジャンプとか見たい。日本海って俺、ちゃんと見たことない。アヅの家見てみたい」と食い気味に言われて面食らったものの悪い気はしなかった。知らない土地に行くより気安いし何よりうちの地元には人がいない。両親は友人を連れていくことにはふたつ返事だったが、それがユウくんであることには絶句し、地味に続いている友人関係だと告げるとやや呆れていた。でもそんなの普通だろう。だって高校生を過ぎて、友人のことを逐一両親に話す必要なんてない。ユウくんがただの同級生だったらそんなこと言わないっしょ、と胸に芽生えたささやかな反発はそれでも、訓練された諦めによってすぐに摘み取られた。
 砂の上に起き上がり砂をさらっていくつか貝を拾い、謎の像を写真に収めているユウくんに声をかける。「そろそろ晩メシだから帰ろ」夏の太陽はそれでも夕暮れにはほど遠く、西に傾いた太陽の、ささやかに黄色い光がものがなしい。振り返ったユウくんの顔はなぜか泣きそうに見えた。その頰は午後5時の光線の中でもはっきりわかるくらい白くて、まるで俺が拾った桜貝の内側のようだった。彼の唇がちいさく動いたけれど、波の音に消されて何も聞こえない。かりにユウくんの目から涙がこぼれていたとして、そしてそれが流れる音がしても、波の音にかき消されてしまうだろう。「疲れたっしょ。車持ってくるから待ってて」。踵を返そうとしたらTシャツの裾を掴まれた。俺はユウくんの白い手を包んでゆっくりほぐした。「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
 スケートパークの駐車場からラングラーを出し、国道へゆっくりと出る。ユウくんが防波堤の上で所在なさげに棒立ちになっているのが見えた。  
   まず落ちたのは母親だった。ユウくんがメディアで見せるような完璧な笑顔と言葉づかいで挨拶しスポンサードされている化粧品メーカーの新作を渡す頃には、母の瞳は目尻は別人のように下がっていた。そこには緊張も俺たち兄弟に向けるようなぶっきらぼうさも消え失せ、俺たちにとってはいっそ居心地の悪いほどの幸福が溢れていた。さすが王子様。さすが経済効果ウン億の男。さすがおばさまキラー。夕食が始まる頃には遠巻きに見ていた弟も積極的に絡み出し、ヤベエとパネエを連発していた。野心家なところがある父が酔って政治的な話題を持ち出さないかだけが心配だったが、父はあくまで俺の友人として接することに決めたようだ。ユウくんの完璧な笑顔、お手本のような言葉に少しだけ負けん気を混ぜる受け答え、しっかり躾けられた人の優雅な食事作法。兄は居心地が悪そうに俺の隣でメシを食っていた。俺と兄だけは今、心を連帯している。スノボをとったら芯からマイルドヤンキーな俺たちと、歯の浮くような爽やかさを恥ともしないユウくんではあまりに文化が違う。いつも感じている座りの悪さがむくむくと膨らむ中、母が産直で買ってきたであろうノドグロの刺身と名残のウニだけが美味かった。
 風呂上がりには念入りにストレッチをした。俺の部屋では狭いので居間でふたりで体をほぐす。ユウくんの体はゴムでできているように関節の可動域が広く、股割りを始めたときは思わず感嘆の声をあげた。俺もケガ防止に体は柔らかくしている方だが到底叶わない。いくつかペアストレッチをしてお互いの筋肉を触る。「アヅすんごい鍛えてるね。腹筋は前から板チョコだったけど大胸筋と下腿三頭筋ヤバい。何してるの?」「体幹メインだからそんなに意識してないけど…直で効いてるのはクリフハンガー。後で動画見よ」「もっと筋肉つける予定?」「んん、もう少し空中姿勢作りたいから、体幹は欲しいかな」「アヅがこれ以上かっこよくなったら俺どうしたらいいの…POPYEの表紙とかヤバイじゃん。ユニクロであれだけ格好いいとか何なの。あっ俺、明日は新しいスケートパーク行きたい」「マジ? ユウくんにスケボーとかさせれらないんだけど。怖くて」「うんやんなくてもいい。アヅが練習してるの見たい」ユウくんの幹のような太ももを抑えながら、俺は手のひらで彼の肩をぐっと押した。
   両親はユウくんをエアコンのある客間に通すように俺に言ったけれど「コンセプトは夏休みに友達んち、だから」と言って俺は自室に布団を運んだ。六畳の俺の部屋は俺が大学の寮へ移ってからもそのままにされている。どれだけモノを寄せてもふたり分の布団を敷けばもうスペースはない。ユウくんは俺の本棚の背表紙を指でなぞりながら「教科書とスノボ雑誌以外なんもねえ」と楽しそうにしている。さっき風呂から出たばかりなのにもう肘の内側や膝の裏が汗ばんでいて、ないよりはマシだろうと扇風機をまわした。「もう寝る?」「んん、寝ないけど電気消す」窓を開けて網戸を閉め、コードを引っ張って電気を消した。カエルの鳴き声が窓の外、群青色の彼方から夜をたなびかせてくる。それは記憶にあるよりずっと近く、耳の奥で遠く響いた。
 ユウくんは行儀よく布団に収まって俺の側に寝返りをうった。「自由の女神像、流されたかな」「多分ね。見に行く?」「あっそういうのもいいね。夜にこっそり家抜け出して海行くとか最高。でもいいや、そういう夢だけでいい」指の長い手のひらが、探るように俺の布団に潜り込んでくる。俺の指をつまむようにして指を絡めた。
「…何もしないのって思ってるでしょう」「うん」「今日は何もしないよ。ここはアヅの家だから。セックスして翌朝親御さんの前で息子やってるアヅも見てみたいけど、我慢する」ユウくんはいつもそうやって自分をあえて露悪的に見せる。思ったことだけ言えばいいのに、と心がざらついた。
「どうだった、うちの地元」
「うん、最高。アヅと歩いて、バグジャンプ見ただけじゃなくて跳べて、海で遊べたんだよ。こんな夏休み初めてだよ。バグジャンプからの眺め最高だった。一生忘れない」
「大げさ…」
 ユウくんの目はほとんど水分でできてるみたいに、夜の微かな光を集めてきらめいていた。その目がゆっくりと閉じられるのをずっと見ていた。指先にぬるい体温を感じながら。
   率直にいって覚えていないのだ。その夜、本当に何もなかったのか。
  眠りの浅い俺が微かな身じろぎを感じて起きると、ユウくんが窓辺にもたれていた。布団の上に起き上がって片膝をたてて窓枠に頰を押しつけるようにして、網戸の外へ視線を向けている。俺の貸した襟のゆるくなったTシャツから長い首と鎖骨が覗いていて、それが浮かび上がるように白い。
 扇風機のタイマーは切れていて夜風が俺の頰を心地よく撫でた。俺の部屋は二階。窓の外では田んぼが闇に沈んでいる。目が慣れてくるとそのはるか先に広がる山裾がぽっかりと口を開けるように黒く広がっていた。ユウくんの膝と壁の微かな隙間から細かな花弁を広げてガーベラみたいな花が咲いている。彼の足元から音も立てずシダが伸びていく。教育番組で見る高速再生みたいに、生き物として鎌首をもたげて。ユウくんは微動だにしない。名前のわからない背の高い花がもうひとつ、ユウくんの肩のあたりで花弁を広げた。
 海の底に沈んだみたいに静かで、どの植物も闇の奥で色もわからないのに、そこには生々しい熱が満ち満ちている。
  布団の上を這って脱力しているユウくんの左手の人差し指と中指、薬指を握った。ねっとりした感触に少し安堵する。
「アヅごめんね。起こしちゃったね」
 ユウくんは首だけを俺に向けて囁いた。
 背の低い葦がユウくんの膝を覆う。ずっと気づいていた。右足首の治りが芳しくないこと、それに引きづられるようにユウくんが心身のバランスを大きく欠いていること。
「ねえ、春からずっと考えてるんだ。今まで俺強かったの、俺が完璧に滑れば誰も叶わなかった。でもそうじゃない潮の流れがきちゃった。アヅ、日本選手権の前にテレビで‘誰でも何歳でもチャレンジはできる’って言ってたでしょう。あれ聞いて俺すごいどうしようもない気持ちになったんだよね。腹立てたり嫉妬したりした。お前まだ二十歳じゃん、俺も二十歳だったら、って。アヅとスカイプするたびに思い出しちゃって、一時期ちょっとダメだった。でもアヅに連絡しちゃうし、そういうのって考えるだけ無駄だし、もちろんアヅも悪くないし。なんか今までは細かいことに迷うことはあっても大きなベクトルを見失うことってなかったんだよね。世界選手権2連覇するとかそういうの。でも今わかんない。引退もしたくないけどどんどん前に行くガソリンみたいなのがない。スケート以外も何もやる気おきない。ゲームも立ち上げるの面倒くさいし音楽も聞きたくない。でもこういうことって最後は自分で何とかすることだから誰に言っても仕方ないし、自分の中で消化するしかないんだけど。アヅはどんどん先行っちゃうし。それがすごいカッコイイし。好きだけど嫌い。でも俺にとって世界で一番カッコイイのアヅだな。アヅみたいに必要なこと以外は喋らないでいたいな。アヅの隣にいるのすごい誇らしい。これ俺のカレシーって皆に言いたいくらい。それが言えないのもすごい嫌だし。何かもう何もかも」
  感情の揺れるままにユウくんは喋り、彼の語彙の海に引きずり込まれる。その偏りというか極端さというか、きっとこれが海水なら濃度が濃すぎて生き物は死んでしまうし、雪山だというのなら環境が過酷すぎて大した植物は育たない、そういったものに窒息しそうになった。俺たちの語彙や世界は圧倒的に貧しくて何も生きていけない。そこには美しさだってカケラもない。「よくわかんない。死にたくないけど、いなくなりたい」
 幾重にも重なるカエルの声。降り注ぐような虫の声。こんなにもたくさんの生き物が泣き喚いているのに、そしてこのやかましくて力強い音楽が月明かりに照らされ満ち溢れている世界で、それでも虚しさしか感じられないユウくんが哀れだった。誰も見向きもしないやせ細った貧弱な空虚を大切に抱えているユウくんが。
  ユウくんの背後に虚無が立ち彼の肩をさすっていた。けれどそはユウくんとほぼイコールの存在で、彼にとっては他人に損なわせてはいけない自らの一部だった。それは誰にも意味付けられたり否定されたり肯定されるべきではない。
 勝ち続ける、他者より秀でる、新しい技術を得る。けれど俺たちの誰も等しく人間であるので、それには自分の体を損なう危険が常に伴う。けれど誰にもう十分頑張った、と言われても表彰台の一番上が欲しいのだ。
 そして自分の体が重くなってゆくこと、誰かが自分より圧倒的に秀でるであろう予感を一番先に感じるのも、自分自身だ。
 ユウくんは空いている右手でなく、俺とつないでいる左手をそのまま持ち上げて頰をこすった。子どもじみた仕草で。
 ユウくんは孤独な惑星の住人で俺はその惑星のディテールの何一つもわからない。ただ俺もただひとりで惑星に佇んでいるという一点だけで、俺と彼は繋がっていた。
「アヅ、キスしたいな」
 繋いだ手はそのままに、俺は体を起こして膝でユウくんを包む葦とシダに分け入った。草いきれの中でユウくんのうなじを掴んでキスをする。最初は触るだけ、次はユウくんの薄い舌が俺の唇を舐めた。そのままゆっくりと歯を探られればやがて頭の芯が痺れてゆく。ユウくんの唾液はぬるくて少し甘い。音をたてないように静かにキスをしながら、指に力を込めた。これだけが本当だと伝わりはしないだろうか。
 こんなキスをしたらもう後戻りできない。俺の足に蔦が絡みつく。空虚が鳴る。胸を刺されるような哀れで悲しい音だった。
 次に目を冷ますと空が白んでいた。寝返りを打つうちにユウくんの後ろ髪に顔を突っ込んでいたらしく、それは麦わら帽子みたいな懐かしくて悲しい香りがした。スマホを引き寄せて時計を見ると4時半。ユウくんの肩は規則正しく上下している。そこは正しく俺の部屋で、布団とテレビと本棚、積まれた衣装ケースがあるいつもの光景だった。ユウくんの足元に追いやられていたタオルケットを引き上げて肩までかけてやった。
 首を傾けて窓の外を見る。抜けるような晴天にほんの少し雲がたなびいていた。手付かずの夏休み、2日目。俺はユウくんの腹に手をまわして目を閉じた。
0 notes
qbbape89326 · 5 years
Photo
Tumblr media
東大の脳科学教授に聞いた話が超ためになったので、共有! ・脳は数時間の勉強では疲れない ・疲れたと思ったら、それは脳以外の「目」「首」「腰」等の疲労が原因 ・1つのことに「飽きた」状態も「疲れ」と錯覚する ・勉強に疲れたと思ったら、ストレッチをして科目を変えれば長続きする 広まれ!
0 notes
Photo
Tumblr media
Self Healing Workshop @ RUMAH KAIL
 先週末はセルフヒーリングワークショップとやらがあると聞き、バンドン工科大学(ITB)から車で30分くらいのGirimekar村を訪れた。
 会場はKAILというNPOグループの拠点RUMAH KAIL(KAILの家)。
 KAIL は子どもから大人までの個人やグループが、平等に活動できる機会を提供している。ここでは月に一度の子ども向けワークショップや、食や思考関連のワークショップなど多種多様なイベントが頻繁に開催されている。
Tumblr media
 これは斜面地に建つジョグジャハウスで、ジョグジャカルタのNPO建築グループがジョグジャカルタの古民家を一度解体して運び込み、ここに再建したもの。KAILは2002年発足だが、このコミュニティスペースRUMAH KAILは、2年前につくられた。 
Tumblr media
 道に接したこのエントランスから建物の2階に入る。(注:ここは寺ではない。)
Tumblr media
 日中は錣屋根の東西に向けられたトップライトから光が差し込み、自然光のみで活動できる。 今回のワークショップのプラクティスがちょうど太極拳などを取り入れた気の流れを重視するものだったので、仰け反るストレッチなんかをするとこのトップライトからの光線が私たちに降り注ぐ天からのエネルギーのように見える。理由は神々しいものだったからではなく、ただただ白い天井や壁や床よりも先に私たちが光を反射できるのが久しぶりだったからである。
Tumblr media
 そしてたまたま部屋の端で反り返った私の視界の中心にはずーんと隅木。ちょうど私の背骨と平行するように現れたものだから驚く。普段ヨガやストレッチ、マッサージのとき、左右の対称性を過剰なくらい気にする私にとって、このような場面はお釣りが555円だったときくらい嬉しい。(お釣りの綺麗さも過剰なくらい気にするゆえ)
Tumblr media
 しかし、この家に入って一番最初に驚いたのは屋根の野地板が無いことだ。直接瓦がのっかている。この隙間から湿気や高温になった空気がガンガン逃げていくのでジャワ島の古い民家では一般的だそうだ。相当な豪雨でない限り、雨は入ってこないそうだ。。。 
 無菌無臭無音の日本の住宅を見てきたので、いくら南国とはいえ家がこんなに隙間だらけで良いものかと、ワークショップ初日は驚きを隠せない。インドネシアの建物は風土と国民性の親子丼効果で本当に簡単だなあと毎日毎日思わされる。
Tumblr media
 そしてそのままテラスへ出ると、軒先が床から160cmくらいで私としては非常に心地の良い低さ。テラスへ出る戸口も高さ170cm無い程なので、幼稚園のような建物だ。
Tumblr media Tumblr media
 一階に降りてテラスの下に広がる庭に出ると、古くからヒーリングなどに使われる迷路状のサークルとキャンプファイヤ用のスペースがあった。
Tumblr media Tumblr media
 ワークショップは夕方に終わり、夜はみんなでキャンプファイヤーをした。雨の湿気で苦戦する火起こしだったが、どこからか参上した庭師のお兄さんが一瞬で大きな炎にしてくれる。彼の手は日々の作業で分厚くなっているのか、直接炎に手を突っ込んで、火の粉が頭についていても何も気にしない。30年後とか、あるいは後世でまた人間になることがあれば、このような人になりたいと思って私はただ眺めるのみ。
Tumblr media
 このワークショップは土曜日曜の2日間行われ、KAILのスタッフやボランティアメンバー限定のもの。希望者は宿泊も可能で途中出されるおやつのフルーツや食事など、全てが無料であった。食事は揚げ物の少ないスンダ料理で、毎食美味しくて仕方がない。
 お金を介さないことの威力とは案外凄まじいものなのだが、これについてはまた今度触れたいと思う。
Tumblr media Tumblr media
 朝は棚田を見下ろす庭先で朝ご飯。私を招待してくれた友人お手製のインドネシア版生姜湯とインドネシア版おしるこのようなもの。皆揃っての外での朝ご飯は本当に気持ちがよい。
Tumblr media
 どこからかチキンたちもやってくる。
 RUMAH KAILには人間だけでなく動植物もたくさんいる。
Tumblr media
 新メンバーのうさぎやモルモットは子供たちのアイドルであり、このカモたちは卵を恵んでくれる。
Tumblr media Tumblr media
 そして庭を下って小川を渡るとご近所さんの棚田に出る。東京生まれ東京育ちにとってはファンタジーの世界である。
Tumblr media
 この、おそらくどかすのが大変だったから置いてある岩のおかげで一画が石庭のようにみえる。朝は涼しくてもっと綺麗だっただろう。
Tumblr media
 棚田のど真ん中にポツンと東屋があり、ここで朝ご飯を食べることもあるそうだ。これはその東屋からの眺め。。。次回は絶対に早起きしようと誓う。
 隣の高台は既に別荘や高級住宅地となっているが、ここもデベロッパーの餌食になりかけており、KAILはそれをなんとか阻止しようとしている。
Tumblr media Tumblr media
 隣家の屋根の上で凧揚げをする少年たち。RUMAH KAILはだいぶ高台に位置するので、脇の庭からは向こうに街が見下ろせる。
Tumblr media Tumblr media
 1泊2日で、スースーの建物にもだいぶ慣れてきた。最後は虫や落ち葉や砂だらけの板の間にも寝っ転がる。エントランスからテラスへ風が吹き抜ける地点だったのでこれがとても良かった。
 ワークショップ自体は脳科学や心理学などの専門知識を含めた講義とディスカッションが半分を占め、合間にヒーリングマッサージやストレッチ、ダンスなどが入る。何時から何時がワークショップだったという感覚は無く、このRUMAH KAILとその周辺環境、ここでの時間の過ごし方が一連のヒーリングとなっていた。
Tumblr media
 ここでは全体に家の原初性をみれたというよりも、小屋組が現れていることや��板の隙間に下の階からの風を感じられること、誰かが歩くとギシギシと床がたわむこと、内部と外部の照度に差があること、板の間が固くてひんやりしていることなどがリフォーム前の自宅を想起させた。私は生まれてこの方築40年超えの木造住宅に住んでいる。幼少期によく自宅の工場で寝っ転がっていたのだが、そうすると聞こえてくる音の種類が変わって、時間と他者と自己までもが遥か向こうに遠ざかる感覚になるのだ。これはアニメや映画等で夏休みに田舎に帰り畳に寝っ転がる主人公がぼーっと空想世界に入っていくシーンと同様のものであろう。
Tumblr media
 ここでも色々な人に出会えた。彼はワークショップ中の子守りを担当していて、バリ島のさらに東のSUMBA島出身。最近注目されているインドネシアの建築家アンドラ・マティンの出身校でもある名門パラヒャンガン大学の建築出身らしいが、今は何をして生活しているかは謎。日替わりで獣の種類が変わるTシャツを着てSUMBAのターバンを巻き、アンモナイトの首飾りをしている。こう見るとあらゆるサイズ感が似ている気がする。。。
 SUMBAは8月に屋根の尖った伝統的なSUMBA住居を観に行く予定があったが、来月に槍投げの伝統行事があるから来いと言われて早速スケージュールに入れた。インドネシアはキャラの濃い地域や島が無数にあるので1年の滞在は本当に短いだろう。
Tumblr media
 次回のワークショップはスタッフとして参加する。結構な難題だが準備をしなければ。。。なにを頼まれたかは乞うご期待。ヒントはこの写真。
2 notes · View notes