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#現在パンフレット発行しておりません
u543z · 2 months
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ガイドスケジュール(パンフレット)ペーパーレス化のご案内
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これまで夏冬年二回発行&郵送してきましたガイドスケジュール冊子ですが、しばらく発行を停止しオンラインでのスケジュール掲載といたしますので、今後はホームページ等を通じてご確認ください。ご不便をおかけいたしますが、何とぞご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。ガイドオフィスユーゴ
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kennak · 4 days
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独立も統一も選択したくない台湾人 台湾人の立場に立つと、独立か統一かを決めることは簡単ではない。台湾人は独立と統一の間で引き裂かれてしまっている。 中国との統一に賛同ができない理由は、中国の国家優先の統治体制に組み入れられることは誰もが嫌うからだ。1947年に台湾政府が成立をした時、実態は軍事政権であり、言論の自由などなかった。そこから、多くの民主化運動を経て、多くの人の血を流しながら、現在の自由な社会を手に入れてきた。中国と統一をするということは、時代を逆戻しすることになり、自由のために命を落としてきた先人たちに合わせる顔がなくなると考えている。 中国と統一をする場合でも、高度な自治区など、現在の台湾の社会体制が維持されることが絶対条件だと考えている人が多い。しかし、香港の現状を見ていると、それが叶えられないことがはっきりとしている。これにより、2018年から「どちらかというと独立」が急上昇をしている。 独立できない2つの理由 では、中国と袂を分かつことができるかというと、それも難しい。ひとつは経済問題だ。中国市場に進出をしている台湾企業は少なくない。有名なのはカップ麺の康師傅、豆漿の永和大王、スナック菓子の旺旺、メガネの宝島メガネ、電子機器製造の富士康(フォクスコン)など、大陸の中国人たちが中国企業だとすら思い込んでいる台湾ブランドがたくさんある。独立を強行すれば、このような中国でのビジネスを失うことになる。 もうひとつ大きいのが、儒教的な考え方に基づく、自分たちのルーツの問題だ。台湾には、福建省などの中国から移住をした人たちが多く、儒教の考え方では、先祖の霊を祀ることが何よりも重要だとされる。そのため、台湾人でも、中国にある先祖の墓参りをしたいと考える人は多く、歳を取ったら中国に移住して墓を守りたいと考える人もいる。中国と袂を分かってしまうと、それができなくなる。 これは心の問題であり、日本人でも故郷に実家があることが心の拠り所となっている人は多い。都会に生活基盤を築いても、どこか漂泊しているような虚しさを感じることがある。それと同じで、中国の社会体制がどんなものであれ、中国とのつながりを完全に断ち切ることはできないという感情がある。 それでも備えは進める台湾 現状維持を望む人が多い台湾だが、台湾有事をまったく考えていないわけではない。台北市政府は2023年7月に市民に対し、「台北市全民国防応変パンフレット」を配布した。そこでは、人民解放軍という言葉は使われていないものの、敵軍が空襲をした場合にどう避難をすべきかが分かりやすくまとめられている。 しかし、ある市民からの指摘で、敵軍の軍服を紹介した図版が誤っていることが発覚をし、訂正版を配布する事態となった。人民解放軍の古いタイプの制服に基づいた図版を載せてしまったのだ。切迫感に欠ける話だが、ここに「現実的だとは思えなくても備えはしておく」という台湾人の考え方が見える。 台湾人の考え方は「現状維持」。ただし、台湾有事のリスクが0でない限り、可能な対応はしておくというのが台湾の考え方だ。周囲が「台湾有事」と騒ぎ立てるのは、当の台湾人にとっては「現状維持」が難しくなる困った状況なのかもしれない。
台湾人の6割が「現状維持」を望む。独立と統一の間で引き裂かれてしまっている台湾人 - 中華IT最新事情
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dal2bb · 5 months
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先週行ってきてたくさん写真を撮ったので残しておく。
京都モダン建築祭に初参加。
腰痛とかもあって事前予約するガイドツアーなんかは全部パスしててゆっくり適当に回るか〜くらいのゆるいノリで行ったんだけど、行きの新幹線内で友達が寝てる間に暇でサイト見てて「ミニガイドツアー」なるもの発見。エリア毎のパスポート引換所で先着10名まででプロじゃないけどボランティアの先生達(資格あり)が解説ツアーしてくれると言う。こりゃ参加せんば!となり、友だちとパスポート引き換えた後に引換所内をウロウロ。(なんかこの人仕切ってるな…)と目を付けていた人が外に出たタイミングで一緒に出て、「では、こちらにミニガイドツアー参加希望の方並んでください」←よっしゃー!ってことで、3番4番ゲット。無事参加できました☺️※1番2番はお若いお嬢さん達が並ぶならココやろ!ってとこで先に立ってらした…察しが良い。
ミニガイドツアーの整理番号受け取って、時間までいったん自由に。
ということで、引換所から一番近い建築祭参加建物「カトリック河原町教会」へ。
私たちは細かいことは全然詳しくないし分からないんだけど、そもそもカトリック教会の中に入ることがないので入った瞬間ステンドグラス越しの光でふわ~っと白い天井が明るくなってる室内に「うわ〜」と声が出た。
カトリック教会ってもっと荘厳?っていうか重々しい?暗め?みたいなイメージ勝手に持ってたけどここは天井も壁も白くてステンドグラスが広めに取られていて明るくてきれいで見やすかった。
地下に徳川秀忠のキリシタン弾圧の頃にどうしても都である京都にマリアさんの像を持ち込みたかったけどできなくて、でも江戸時代中に持ち込んで地中に埋めてた、明治になってから掘り起こしてこちらの地下に安置したという像があり。現在大河ドラマ熱心に見ている私たち、複雑な気持ちに…。まぁ物事には多面性がありますから。どちらにもそれぞれ己の信じる正義があるのでな。うん。
ところでこの旅の最初のへんでめっちゃ面白かったどうでもいい話。
今回私たちは観光客でぎゅうぎゅうのバスは避けて主に地下鉄で移動することに。新幹線降りて地下鉄ホームで「いや〜今日このイベントあるっていうのに全然それに行くっぽい人見かけんね〜。やっぱマイノリティ文化なんやろか〜寂しい〜」的な会話をでっかい声でしてて、友だちがふっと私越しの後ろをチラ見して「(小声)いた!」→振り返ると私達と同じパンフレット(PCから出力)見てた40代後半〜50代前半くらいのおじさんが座ってましたw
おおお、いたよ!いたいた!ってことで絶対同じとこ行くわーっつって地下鉄降りたらついて行こうぜ!って言ってたんだけど、降りた瞬間そのおじさんめちゃくちゃ早歩きで😂ついていけませんでした。地面を踏みしめる力が私らの10倍ぐらい?はあったwズンズン進む感じ。あれ私らの仕事中の歩き方やん…って唖然となって諦め😂
で。その後、なんとカトリック河原町教会の地下で地中に埋められてたマリアさんの像を見学中に斜め前におじさんが居たwwwえ!?って声出たw
ただ、おじさんはパシャパシャパシャパシャっと写真をサッと撮った後にすぐ例の早歩きで去っていきました…。私たちは「いやーあの速度で今日一日回ったら全部回れるね、やばすぎる。プロやん」と言いながら見送りました。あのおじさん絶対全部回ったやろうな…すっげ。
長いけど②へ続きます
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tokyomariegold · 5 months
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2023/8/21〜
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8月21日 10日間に変化は何もなく、相変わらず蝉の鳴き声が降り注ぐ、スズメバチがたまに落ちている道を歩いていた。
休み期間中に同じく関西行きを計画していた方は、出発の予定を前倒し、帰宅の予定を後ろ倒しにして無事神戸の実家へ帰り、京都で観劇ができたとのこと。京都は外国の方が多かったと言っていた。
カナダに旅行へ行った方からも、登山鉄道に乗ったお話を聞かせてもらった。
上席の方々と今後の勤務形態について、煮え切らない私の体調不良と、煮え切り過ぎている上司の妊娠への対応について、改めて相談して、部署の方々を呼んで報告する流れになった。 自分の口から、自分の身体のことなのに、ひとから(主治医から)言われてから、というような口調で、業務に制限をかける報告をした。
もうそこから泣きスイッチが入ってしまい、ずっと心在らずで泣かないようにするのに必死な一日を送った。
業務を代打してくれる方が、本当に心ないひとだったのを忘れて、業務のお願いをしながら、その方のちょっとした台詞にいちいち傷ついていた(今日のところは気にし過ぎです)。
お昼休みにも帰り道も歩いて帰っている。 たぶん誰も指摘はしないけれど、これから不可解な行動についてたまに?とされるんだろうな、と予期している(これも今日のところは気にしすぎです)。
色々耐えられなくなり、帰り道にたくさん泣いた。
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8月22日 何かに負けたくなくて、今朝はずっと歩いて出勤してしまった。 お昼休みもだいぶお散歩に出掛けてしまった。 でもそれで今日のところの私の機嫌をとることがでたので仕方がなかったと思う。
少し風邪をひいたのか、例の感染症をまた罹ってしまったのか、喉が痛い感じがあるので検査キットを買って帰ろうと思う。
友人から先日渡したtealのチョコバーが美味しかった、と連絡をもらって、わざわざありがたく嬉しくなる。 それと切り文字屋さんとの見積もりのやり取りメールに絵文字が入っていることをちゃんと突っ込んでくれて、やっぱり気になるよね!となった。 お仕事メールで絵文字が入ってくると不安になる。
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8月23日 こうやってまとめてみようかな、の、新しい展示の方法をイメージしてみて少し準備をしてみる。 でも9月の応募には間に合わないかもしれない。
やっぱりまだ一昨日から職場での自分の行動をいちいち気にしなくてはいけなくて、とっても苦しい。どうしてこうなってしまったのだろう! でも以前スカートをいただいた方から、イイダ傘店というテキスタイルが素敵なお店の受注販売会のお知らせをいただいた。一年で少しの間しかオーダーを受けていないらしく、9月にあるとのこと。わざわざパンフレットを下さって嬉しい。
明日の外の現場を、ちゃんと流されずに待機を申し出ないと、診断書とその申告だけでもたくさんすり減った私の心がもったいないよ、と言い聞かせている。
展示会場に置く用のブックレットの納品に間に合うように帰宅できるといいな。
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8月24日 夜中にふと目を覚まして、上司にちゃんと業務を断らないといけない!と思い出してすごく辛くなりながらいろんなものを飲んでまた寝て、朝起きてとても疲れていた。 何でこんなことになっているんだろう!
職場ではずっと人目を気にしすぎてしまい、ずっと息苦しくて少しでも突かれたら泣いてしまう感じを継続中。誰も何も悪くないのに、職場の人たちみんな好きじゃなくなってしまった。
でも「これって普通に〜ですよ」と教えてくれた向かいの席の方に「ふ、普通に…?すみません普通がわからない」と答えてしまい「あ、ごめんなさい。これ口癖なんです」と他人の口癖を間に受けて揚げ足を取ってしまった。お仕事をしていると他人の口癖が少し気になって(自分のことは棚の上)、本当に無意識に口癖潰しをしてしまうことがある。
前の上司の口癖の「ああ、例のあれね!」にも「え?これ初めて相談したので違うと思います…」と言ってしまって、あ!となったことがあるし、 今の上司の「悩ましいな〜…」にも「そんなにですか…?」みたいな、��さずに立ち返らせるような反応をしてしまう。流されたくなかったから、きっとそうしてるんだけど、でも絶対ディスコミュニケーション!自分の性格悪すぎ問題にあとあと反省してしまう。
ぐちゃぐちゃの心で明日は通院なのですが、逃げずに行けたらそれだけで良くて、診察をまともに受けられなくても仕方がないと思う。ぐちゃぐちゃすぎる。
ブックレットを受け取れてもあまり感動がない。 お昼休みに、1,000円札が道に落ちて風に吹かれているのを見つけた。
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manganjiiji · 7 months
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こはく雪積れ積れ
友人が結構復調してきているらしい。喜ばしい。私からはとくに伝えることがないので個人的なメッセージを送ってはいないが、周りの話を聞くとメッセージもスムーズなやり取りができるようで、とてもよかったと思う。私も何か言葉をかけたいような気はするが、こちらからは本当になんの報告もない。ただそのまま順然と回復していきますように、というのは皆が願っていることで、わざわざ私が個人的に伝えることでもないような気がする。そのような元気が自分にないだけの気もする。ともかく良い事です。本当に、もっと幸せになってから死んでもらわなきゃ困る。
今日は友人(こうこさん)の誕生日「苦肉の日」だった。昨夜21時半頃からもくり(通話スペース)を立てて、23:30になったらこうこさんお誕生日カウントダウン会場になりますと栞に書いておいた。そして集まった4人で(当然本人は寝ているので不在)30分前からカウントし、15秒前から数を数え、0時になった瞬間ハッピーバースデーを歌った。その後はもくりのタイトルが「こうこさん誕生日おめでとう」になった。本人は不在だが、祝いが届けばいいなと思い、その様子を今日報告した(やはり本人はまったく感知していなかった)。こうこさんには今年はかなりの、いわゆるキャラグッズをプレゼントとして送った(去年は洒落たボディソープなどを送った)。チェンソーマンとA3!のグッズ詰め合わせと、最近こうこさんがステッカー収集にはまっているので、ロルバーンの横型ノートと、その表紙につける透明カバー。このカバーに(もちろん本体にでもいい)たくさんステッカーを貼ってくれというわけだ。カバーを掛け変えれば別のステッカーの表紙にもなるし、ノートを使い終わっても、また別のノートにステッカー付きカバーを使いまわせる。無限大の夢が詰まった商品だ。すごい。あとかわいいジェットストリームがあったのでそれもおまけで付けた。友人のことがわかっていると、好みにジャストなプレゼントを送ることができていいな、と思った。無事に喜んでもらうことができ、安堵。こうこさん達の界隈というか、周辺では、誕生日付近になるとAmazonのほしい物リストを公開して、本を贈り合うのが慣例になっている。私も1冊送った(川端康成の異相短篇集)。明日着くと思う。みな誕生日前や誕生日後にもばらばらと届くように注文するので、誕生月は本が不意に降ってくる月になるらしく、お祭りだなあと思った。私は欲しい本があったらすぐ買ってしまうので、そういった催しには縁がない。また、読むべき本が意図せず増えてしまうのも苦手だ。本が読める人はすごいと思う。どんどん買ったり借りたりしてぐんぐん読んでいく。脳が強くてつねに空き容量があるのだなあと感動する。私は脳が貧弱で物語飽和症であるため、フィクションを摂取できる量が少ない。買う本はほとんど小説ではない本で、それさえも読むのが遅いし、積む。本日の時点で机の横に置いてある「今読んでいる本」を写真に撮ったものがたまたまあったので貼る。
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資本主義、民主主義、キリスト教、アメリカ、というのが相変わらず私の興味の中心だ。若い頃はもっと日本の歴史や思想にも興味があったはずだが、今はそのあたりへの情熱が薄れている。ミュージカル「ラグタイム」のパンフレットにもまだ目を通しきっていない。アメリカの近代というものに、私たち日本の今が凝縮されている気がして、ついそのような本を手に取る。ベスト・オブ・エネミーズの上映を友人(ことこさん)に薦められたのはたまたまだが、あまりにも私向きのコンテンツだった。舞台って、ミュージカルと違って歌のうまさを気にせずフィクションの世界にのめり込めるからいいな、ということに気づいた。そして英語を聞くのも心地いいなと思ったので、最近は数人の友人にアマプラで見れる洋画を沢山教えてもらった。物語としてまとまった英語が聞こえてくるのは楽しいな、脈絡がある知らない言語っていいな、と思ったので、内容が見えなくても流しておくくらいはしたい。寝たまま映画や動画を見るためにiPadを買ってはどうか、ということをいよいよ本格的に考えている。
数日前に、正式に退職した。次職も決まっていない。なんとなく応募してはいるが、たぶん決まらないだろうと思う。色んな人が私に仕事を辞めるように言ったし、そもそもどうせ続かないということもよく言われたし、その人たちの思惑通りというか予想通りになり、私は悔しいような気持ちもあるが、ただ、また敗けたのか、と思っている。私が働くことを無駄だと思う人、そんなことに意味は無いと思う人、私が働くと都合が悪い人、色々いる。私は前職の仕事も同僚も本当に好きだったので、退職したことはかなり悲しい。しかし、体が動かないのであれば、もう仕方がなく、私の「失脚」を望む人々の希望通りになった。それはそれで少し落ち着いた気持ちになった面もある。心配して言ってくれているとか、現実を見て言ってくれているとか、そういうことは頭ではわかっているが、私は単に仕事がしたくて仕事が好きなのであり、それを否定してくるということは私に死ね、今すぐ自殺しろと言っているのと同義である。と私の心は捉えている。これはもちろん拗ねているのだと思う。そのような捉え方はよくないし、幼稚だと思う。しかし、それでも、なぜ、私のやりたいことを応援してくれないのか、なぜ、最初からできない、やるべきではないと言われなければならないのか、そんなに私に「生きない」でほしいのか、と感じる心の動きは自分で押さえられるものではなく、自然発生である。私にとって生きることは働くことであり、働けなくなったら死ぬしかないと思っている。実際この世はそうだと思うし、そう思うことでしか生きていけないような個人的な事情が私にはある。そのことはカウンセリングでの先生との対話を通して整理していくべき課題だと思う。
仕事を辞めたことで、うつ状態になる確率が急上昇し、ふとした瞬間に、あ、ここで落ちたらもううつになるな、という「手前」を感じる。実際ほとんどうつ状態で寝ているし、希死念慮と自殺企図が一日おきに発生している。無気力はややましになったが、その代わりに、という感じだ。そのストレスにより、偏頭痛が頻発し、予防の注射を打ってもなお、毎日偏頭痛薬を飲んでいる。酷い時は朝も夕も飲んでいる。自炊する気力もきっかけもうしなって、とりあえずロッテリアをウーバーイーツで頼み続けているため、明らかにまた太ってしまった。ウエスト部分がきついと吐き気も生じやすい。まずロッテリアを食べることを辞めるべきだが、これも正気を保つひとつの手段になってしまっている。
なかなか正気を保てない。寝ているか、食べているか、余力があれば友人と通話する。さらに無理をして外出、勉強ができるときもある。今日はほとんど何もできなかったが、明日が期限の書類を速達で出すことができた。今日の成果はそれのみ。英語の勉強をしたかったなと思う。大澤真幸の『資本主義〜』も早く読み終わりたいのだが、段々話のレベルが上がってきて、そこまで早くは読み進められない(やっと第3章:増殖する知、勢いがどんどん増していき面白い)。マイケル・サンデルの『実力も運のうち』も、西洋思想やキリスト教にかなり突っ込んだ内容のようだったので気になって文庫版を結局買ってしまった。諏訪部浩一の『現代アメリカ小説探訪』も、かなり歴史の補助線として有難い。教科書的に(体系的に)アメリカ史を学んだことがあるわけではないので、独自の個別講義から得た知識で穴埋めしていっている感はぬぐえないが、このようなやり方も面白いなと思う。日本の歴史は小学校から徹底的に外枠から内実の順に埋めさせられたが、世界史(外国史)の知識は今のところほぼないので、内実から外枠に向かっている。果たして自分でアウトラインを説明できるほどになるのかはわからないが、できるようになりたいとは思う。しかしアメリカは広すぎて、地理知識が日本史の比ではない。連邦国家ということがそもそもアメリカの特徴的なすがたであるので、アメリカ史というのは、12から15くらいの国の歴史を学ぶ感覚になっている。ざっくりと北部と南部、西海岸、東海岸、と思ってはいるが、とにかく都市や州ごとにルーツの違う人達だし、ルーツの意識とは別に「アメリカ人」として育った意識もまた別にあり、縦にも横にも重層的な国だと思う。しかもこれが近代になってから作られた人工的な国なのだから、びっくりしてしまう。それでも現代日本人である私には、明治以前の社会よりは、アメリカ社会のほうがまだ感覚が近しい。そこにはキリスト教という絶対的な断絶があるけれども、その断絶を眺める作業はかなり楽しい。その仕組みさえわかれば、あとはだいたい私たちと同じ、と思えるので(というのも落とし穴だと思うが)200年前のことでも理解しやすい。日本だと、200年前の人というのは、その感覚をほとんど想像できない。同じ列島に住んではいるが異国の人だと思う、旧日本人は。それでも文化や宗教への感覚がほぼ変わっていない点があると思うので(勉強不足のため曖昧な表現だが)、前近代の感覚さえ掴めれば、霊的な部分の繋がりには、キリスト教圏ほどの隔たりはないように思える。
紀伊国屋ホールで「燕のいる駅」という芝居を見た。和田雅成さんが主演のため、友人(となりさん。和田さんの長年の、かなり前線のファン)が観に行っているのを見ていいな、と思っていたら控えめに薦められたので、そのままチケットを取り、話をした翌日、つまり昨日見に行った。帰宅しながらとなりさんにLINEで感想をぽつぽつ送っているうち、2人ともすごい熱量の文章を送りあってしまい、ひとつの演劇作品について、こんなにも自由度の高い読み取り方ができてすごいなと思った。私の感じたことは実はあまりなくて、ただ芝居のテンポやリズムがおもしろくて、そういうのがいいな、と思った。となりさんは脚本(物語)についてもかなり考えていて、私はそこまで深く考えて見ていなかったので、ほんとうに、観劇や読書というのは、受け手の人生体験に依るところが大きいのだなと改めて思った。二次創作の恋愛中心の小説でさえ、やはり読んでいる時は自分の恋愛観や人間関係の記憶が読む時の手すりになっている気がするし、人の数だけ物語がある。受け手が創造しているんだよな、と思う。私はこの、同じものを見たり読んだりしても、頭の中には違う物語が残っている現象というのがとても好きである。受け取り手がいて初めて物語は出来上がると思う。もちろん、書いている人も書きながら読んでいるので、書き上がった時点ですでに物語が1つできている。みんなそうやって、物語を読みながら、自分の人生に整理をつけて生きていて、偉いなと思う。私は読むことによって自分の人生の記憶と向き合うことを避けているのかもしれない。それはあまりにも大きな消耗を伴うため。読んでも読んでもすり減らないくらいに強くなりたいが、それはなろうと思ってなれるものなのだろうか。
2023.9.29
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)11月26日(土曜日)
    通巻第7535号
 台湾統一地方選、親中派の国民党が優勢
  秘密の買収資金が中国から這入り込んでいた
************************
 11月26日、台湾六大市長選の投・開票である。
台北、新北、桃園、台中、台南、高雄の六つの市長は閣僚級であり、二年後の総統選を左右する重要な選挙だ。
 台湾の高雄市警察は市長選挙直前に選挙軍資金とみられるマネーロンダリングの犯行集団を摘発した。
 高雄警察は11月23日、「過去6か月間に中国から95億台湾ドル(3億618万米ドル)を受け取った「李」を名乗る男を拘束した。マネーロンダリング作戦を率いたとし、目的は台湾の選挙に関与、親中派の候補者を支援する買収資金への転用も目的、中国の陰謀と捉えた。李の自宅からは3台の高級車、 1,300 万ドルの現金を押収した。
 手口はオンラインのギャンブル、並びに賭けサイトに偽装され、同種の犯罪で李が過去にもマネーロンダリング違法行為関与の疑惑が持たれ、内偵されていた。
 通信記録は、送金の背後にいる中国の連絡先があったことを示していた。
 また11月初旬には台中の或る夫婦の家宅を手入れ、 170 億台湾ドルと高級車 4 台を押収した。台湾検察は「中国から台湾への違法な送金」を捜査してきたが、「暗号通貨、アンダーグラウンド送金、ゲーム収益」等が含まれていた。
 中国政府とその代理人は、親中派の候補者の選挙運動に不法に資金を提供することで買収や選挙資金を用立て、選挙事務所、宣伝カー、ポスター、パンフレット印刷費、集会費、保証金などに資金を渡し、親中派の候補者の選挙を支援してきた。
 
地下ルートのほかにギャンブルを装ってのマネーロンダリングリング送金が含まれていた。
 中国はこうした作戦を行使し、台湾の金融機関を不安定化させ組織犯罪活動に資金を提供し、国家の安全を損なおうとしたのだと検察はみている。
 
 台湾統一地方選は終盤にきて親中派の国民党が優勢と伝えられるが、秘密の買収資金が中国から這入り込んでいたことに多くの台湾人が衝撃を受けた。
 ▲英国もハイクビジョン、ダーファの監視カメラを禁止へ
 11月24日、英政府は政府機関に対して、「敏感な場所」に設置した中国製監視カメラの使用を停止するよう命じた。
英国では公共団体の大半が、中国監視カメラ大手の杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)と浙江大華技術(ダーファ・テクノロジー)のいずれかの監視カメラを使っている。英議会は中国製二社製品の販売や使用禁止を求める動きが顕在化していた。
 英政府は全面禁止の決断は出来ないが、中国製「視覚監視システム」を使用しないように要請すし、中国監視カメラを政府機関の「中核ネットワーク」に接続せず、早期に交換するよう求めた。
 米国はすでに2018年8月に成立した「国防権限法」に基づき、ハイクビジョン(杭州海康威視数字技術)、ダーファ(大華技術)の監視カメラ使用禁止に加え、ファオーウェイ,ZTE(中国通訊)、ハイテラコミュニカーションなどの製品の政府調達を排除している。
 ならば日本は?
ダァーファ、ハイクビジョンの監視カメラを警備会社大手のセコム、ALSOK、セントラル警備が使用しているばかりか、ファーウェイとZTEのルーターを使用しているのがソフトバンク、au、楽天、ソニーなど殆どである。
 「台湾沖縄有事が起こった際、ハイクビジョンやダァーファの監視カメラが遠隔操作され、政府中枢や自衛隊や在日米軍の動きが人民解放軍に筒抜けになる可能性も否定できない」(平井宏治「個人情報は丸ハダカ』、「WILL」、23年1月号) 
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real-sail · 1 year
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「おけいこニスト」第一世代として
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ちょっと書いておこうと思ったのですがね。
93年生まれのわたくし、ちょうど学校教育にパソコンが導入されるのをこの目で見ていた世代でして、小学校低学年のときにわたしの学校にパソコン室ができて、ときおりパソコン室で授業をするコマが設けられました。2年生のときにはふたりで1台、3年生になるとひとり1台のデスクトップを使っておりました。
家庭用パソコンというのが一般家庭に普及し始めたのも同時期かと思いまして、98年に初代iMacを迎え入れた我が家というのは、「おうちのパソコン」の導入が早いほうだったと思うのですが、何が世にパソコンを広めたって、 Windows 95, 98 あたりですよね。
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それで、今日書きたいのは、90年代生まれの音楽家にとっての、「ネットの書き込み」についてなんですけれど。このあたりの感覚は、先輩方の感覚とは少しギャップがあるような気がして、わたしたちの世代特有のものがあるかもしれないと思い、ブログに書いてみました。
そのためには少し、子ども時代のインターネットの関わりから振り返る必要があります。
インターネットがどんどん普及する中で育ったわたしたちは、小学校の中学年高学年あたりから、「掲示板」というものに注意するように、と全校集会や学級通信で言われるようになりました。インターネットで知らない人と話すのは良くないことです、なんて言葉と共にね。早い人だと4年生あたりでケータイを持っていました。時代ですから、折りたたみのアレです。
その頃になると「学校裏サイト」というものが現れて、どんな町の小さな学校でも、学校名で検索すれば見つかると言われておりました。全国的にそれは問題となっていて、裏サイトで悪口を言われていじめがエスカレートするなんていう事例も珍しくありませんでした。確か、わたしがちょうど6年生のときに放送された、小学6年生の教室が舞台になっていた連続ドラマ『女王の教室』でも、そんなシーンなかったっけ。
中学生になったのは2006年ですが、携帯を持つことが禁止されていたうちの中学のようなところですら、主に卒業生と、一部の隠れて携帯を持つ在校生が、匿名で人の悪口を書いている掲示板があるから、闇雲に触れるんじゃないと言われたものでした。当時はBBSや掲示板がいくつもあったけれども、2ちゃんねるが普及したのはこの頃ですか? 調べたら、『電車男』が2005年、なるほど全盛期だ。
ここからが本題、これらの「ネットの書き込み」が音楽家にいかなる影響を及ぼしたのか、という話です。
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00年代後半、わたしは東京藝術大学という学校の附属音楽高等学校を志してヴァイオリン練習に励む一介の中学生でしたが、練習をときおりサボっては、パソコンでネットサーフィンをするようなことがありました。ヴァイオリンのおけいこ勢がまず出会うのは「ビバ!おけいこヴァイオリン」以下「ビバおけ」というサイト。いろいろなコンクール情報やら、コンクールを聞いた感想やら、おけいこを指南する内容など、個人のブログながらものすごい情報量でした。そこでは我々のような存在が「おけいこニスト」と呼ばれていました。あのブログはいつ開設されたのだろう、でもブログという形態自体がゼロ年代にブームを迎えたことを考えると、言うなればわたしたちは「おけいこニスト」第一世代なのでしょうか。
また当時の2ちゃんねるには、「全日本学生音楽コンクール」について語るスレッドなんかがありましてね。そのコンクールは世の「おけいこニスト」がこぞって出場するもので、ここで優勝すれば日本一うまいと言われたりします。そしてスレッドには予選通過者の名前が書き込まれたりするわけです。いつかは出場して、入賞などしてみたいコンクール。そうしたら自ずと、本選進出したら、先人たちのようにここに名前が載るんだなって思うじゃないですか、中学生は。
わたしは中3でかのコンクールに初出場を果たし、ビギナーズラックで最初の予選を通過したのですが、自分の名前が「ビバおけ」やスレッドに載って、ちょっと嬉しくなっちゃう。スレッド上では、入賞実績が多い人の、これまでの成績とかが語られたりしていてました。わたしはポッと出だから、通過者の速報以降は話題に上らない。ここでもし来場者の人が「あの子の演奏が良かった」なんて書き込んでくれたりしないかな、なんて夢見るわけですよ。そんなことを思えば、定期的にスレッド覗きにいくじゃんね。
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めでたく晴れて志望高校に入学して「藝高生」と呼ばれる存在になったら、入学式のしおりに載っていた新入生全員の名前を翌日までに全部ググっているような親御さんが何人もいましたけれど、入賞歴とかのリソースって、そういう個人ブログや2ちゃんねるじゃんっていう。しかも今度は、2ちゃんねるに「藝高」を語るスレッドを見つけちゃうんですよ。同級生の名前が伏せ字で書き込まれたりしていました。書き手は今で言う「音大おじさん」だったんじゃないかなあ、要は在校生よりは部外者のほうが多そうな感触でしたが、結局匿名だったからよくわかりません。
そして先述の「ビバおけ」は、藝高に入ってみたら、ヴァイオリンの子はみんな知っていました。ブログ主の「イ��ラーユ」さんって一体何者なんだろうね、と言いつつも、みんな見てたし、在校生が言及されていたらなんかもう笑うしかないというか。笑って「載ってたね」と言えるときと、まあわざわざ言及せんでもええなってときとあったけど(というのはコンクールに落選しても名前を出されることがあるので)、あそこに書かれたことは、自分らもだけど、自分ら以上に親たちが知っていました。とにかくみんな見てた。
突然の昔語りをしたのは、わたしたちの世代では、10代の頃から、ネットで名前を晒されて、落とされたり貶されたりは当たり前の経験としてそこにあったということを書きたかったから。当たり前だったけれどそれは、どこか自分から切り離されたもののようでもありました。だって現実味がないから。なんか言われてら、的な。決して良い気分のするものではない、でも見てしまう、恐ろしいもの。だってそこで良いこと言われてることなんてほとんどなかったから。でももし自分の名前があったら、自分で確認したい、あるいは知っている人の名前も、やっぱり確認したい。そう思って見てしまうのです。
だから、ちょっとコンクールで賞を取ろうもんならネットで言及されることは当たり前だったけれど、でも「当たり前に」貶されて良いわけなんかなかった。立場変われば、それは落選した傷を抉ってくるものでもあったし、何より相手が誰だかわからないのが恐ろしかった。
それを体感で知っているから、結果や実績を乗せた自分の名前がネットで知れ渡っていくことを、ただ愉快なことだとは思えないのです。
ところでこのブログを書くためにふと、そういえば今も「ビバおけ」ってあるのかしらと思って検索してみました。すると、やはりわたしが高校生のときに目にしたことがあった、おけいこ関連情報をいち早く載せる別のブログ「文化的な日々」に、2020年11月の日付で、「ビバおけ」がリンク切れになっていると書いてありました。もう少し検索したら、別サイトの匿名のスレッドに「本心を言うと」というタイトルで「情報源としては良い面もありましたが、親をあおる感じがあったので、なくなってよかったと思います」という書き込みを見ました。ごめんわかる、わたしも思わず口角が上がってしまった。もう解放されたんだって思っちゃった。
「ビバおけ」や「文化的日々」の影響が薫る、現役「おけいこニスト」の保護者が主と思しきブログには、2016年の日付で、こんな言及がありました。学生音楽コンクール側が、コンクール会場で有料販売したパンフレットの情報を、インターネット上で公開してくれるなと「ビバおけ」に対して注意喚起したらしいこと、それはFacebookアカウントの投稿上で何かしらのやりとりが発生していたこと。そのブログにリンクされていたFacebookのポストはリンク切れで確認できませんでしたが、恐らく「ビバおけ」のポストだったのではないかと推測されます。「ビバおけ」はサイト消失と共にFacebookもTwitterも姉妹サイトも消えたので。やっぱり度が過ぎていたよ、あのブログ。
そこに書かれた情報の影響力があまりにでかいから、あそこで悪く書かれたら厄介だ、という思いが強くて、表で声を上げる人はなかなかいませんでした。相手にしないのが良いとか、何にも賞歴がなければ名前すら挙がらないから言及してもらえるのは名誉じゃんとか、まあいろいろな言葉のおかげで、ブログたちや2ちゃんねるは存在を許されてきたのです。
でもわたし、言うね。
ああいうの全部全部、ずっと、最初から、大っ嫌いだったよ。
よくも我々をコンテンツにしてくれたな。知らないだろうね、あなたたちに振り回された側の気持ちなんて。親たちが目を血眼にして「同級生の誰さんはコンクールで優勝したんだってよ、で、あなたは?」と自分の子どもたちにプレッシャーをかけていたけれど、その燃料はおたくらの書き込みだよ。コンクール公式から淡々と結果が告げられるだけなら、親御さんたちもあんなに目を血走らせることはなかったと思うよ。
自分は姿も名前も見せないで、こちらの名前や所属や結果を晒して、場合によってはもっとパーソナルな情報も流していた。日本のしがらみから逃れて海外コンクールに行っても、アルファベットの中からちゃーんと名前を見つけてきては晒し上げてさ。教育虐待への加担とも言えるのかもしれない。人のこと煽って、おもしろかったか?
もう目に入れたくないから調べないけれど、もし5ちゃんねるとかに、今もそういうスレッドがあるのだとしたら、みんな書き込んじゃダメだ。よそさまのことをネタにしてないで、ちゃんと自分を生きろ。あんなもの、平成に置いてきてくれ。
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hangorin · 2 years
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「東京2020オリンピックSIDE:A SIDE:B」(河瀨直美監督)に再度、抗議する  
私たちは、私たちの抗議行動を撮影する河瀨氏に対して、撮影中止を求めた(2020年11月17日ほか)。また、NHKBS1「河瀨直美が見つめた東京五輪」における、公式映画提供とされた私たちの行動の映像が無断使用であることを指摘し放映に抗議した(2022年1月9日)。さらに、SIDE:Aにおける、私たちの行動の映像使用の中止を求めて声明も発表した(2022年6月3日)。
6月16日、河瀨氏の事務所(組画)に声明をFAXし、同日に制作側に渡されたことを同事務所に確認した。
それにもかかわらず、SIDE:Bの予告編と本編においても、私たちの行動の映像が無断使用されている。
改めて河瀨氏に強く抗議し、映像使用をやめるよう求める。
私たちは、「表現の自由」について、権力を持つ者の権力的な事象に対して、最大限に尊重されると考える。一方で、権力を持つ者が対象者の意向を無視して「表現の自由」を行使するのは不当な暴力だ。カメラは、権力を持つ者が振りかざす時、民衆を抑圧する凶器になりうる。強い権力を持つIOCと組織委員会から公式映画制作を請け負っているにもかかわらず、河瀨氏に、その自覚は全くないようだ。
河瀨氏は、公式映画について「すべての感じ方をフラットにしてもらえるように描いた」「片側からだけのイメージの描き方をしていません」(2022年6月21日 SIDE:B記者会見)と語っている。しかし、公式映画に現れる「反対派」の理由は、コロナしか明示されていない。コロナ・パンデミックが起きるずっと以前から、私たちがオリンピック反対運動をしているという単純な事実さえ河瀨氏は見過ごすか無視している。その上、公式映画において、私たちについては、ただ大声をあげて反対しているだけの存在として描いている。河瀨氏は「コロナ禍によって自分自身のスペースを作れない不安や恐怖があって、その矛先をわかりやすい誰かのせいにすることで解消しようとしていたんじゃないかと」(SIDE:Bパンフレット)に類する見解を繰り返し、五輪開催がもたらす当然の不安を歪曲してオリンピックを擁護してきた。そして、その倒錯した見解を表象するものとして、私たちの行動を切り取って映画のコマに利用している。「すべての感じ方をフラットにしてもらえるように描いた」ものでは到底ない。
このことが、公式映画の中でもっとも明瞭に現れているのが、バッハ来日時(2020年11月16日)における都庁前での抗議行動の場面だ。
「東京都都庁前でオリンピック中止を叫ぶ女性に、バッハ会長は近寄っていく場面がありますが、あそこで彼は「(女性が持っている)マイクロフォンを下げてください」と言うんです。バッハ会長としてはマイクロフォンを使って怒鳴るのではなく、対話しましょうと歩み寄るんですが、感情的になっている女性はそれをしない」(SIDE:Bパンフレット、河瀨氏発言)
バッハ(および河瀨氏)が護衛たちに守られているのに対して、抗議しているメンバーは、他のメンバーから切り離され、警備員らに取り囲まれて身動きできない状態だった。この暴力的な不均衡の中での「対話」の誘いかけは、自分の優位にあぐらをかいた者のパフォーマンスにすぎない。公式映画および河瀨氏の言説は、そのことを度外視しイメージ操作をしている。見事に片側からイメージを描いているのである。
私たちは、予想どおり、この作品がプロパガンダ映画にすぎないという退屈な「真実」を確認した。
河瀨氏は、「デモの参加者の中には撮られたくないという方がいらっしゃいました。そういう方たちにはもちろん撮ることもしないですし、この映画の中に登場することもない」(2022年3月24日公式映画制作記者会見)と平然と語っている。
もう一度、河瀨氏にくりかえす。
私たちの行動の映像につい���、今すぐ使用を中止しろ。
このような映画を生み出す権力装置であるオリンピックを私たちは許さない。
※なお、バッハに対する都庁前での抗議の状況などについては以下で公開している。 1 2
       2022年7月5日 反五輪の会
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af3ura · 2 years
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2022.8.25-28
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イギリスにいます。 正確に言うとスコットランドのエジンバラ。 気がむいた時に書くこの日記だけど、3ヶ月のイギリス滞在中はせっかくだから何かあった日はちゃんと書き残しておこうと思って、ひさびさに更新に至った。 前回何書いてたんだっけと読んでみたら、一年前だし、日本から出ていきたいって言ってるし、なんか一貫してるな。
2022.08.25
出発は22:30成田発だったので、昼間は蜂巣さんの『abさんご 試演会』の稽古見学に駆け込んだ。 なんだかよくわからないけど閻魔様がいた。 蜂巣さんチームに混ざって、おぐセンターの美味しすぎるほっけを食べながら、急にマスク無しの生活したらコロナかかりそうだな、海外にもR-1ってあるのかな、ていうかR-1のCMって失礼だよね、とかいう話をして、空港に向かった。
成田空港、まじで全然店が開いてなかった。 仕方ないからセブンでR-1とグミを買った。
乗り換え地点のドーハ行きで出た機内食はカツ丼だった。 カツ丼は美味しかったけど、副菜の立ち位置の冷製パスタが思いっきりシソ味で、海外の人は食べれたのだろうか。私はちょっと嫌だった。 離陸までに40分くらいかかって、このまま陸路でドバイまで行くのかな?と思った。
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時差のこと何もわかってなくて日本時間出発22:30-ドーハ時間4:25到着なのに、愚かなことに到着時間も日本時間だと認識していて、出発する前は「6時間で着くじゃん。鳥取までの夜行バスの方が辛いわ」とか思ってた。 全然つかない。つく気配もない。まわりの人は爆睡してる。 途中で「違うわこれドーハ時間だから1、2、3、4…12時間かかる!」と気がついたが、手元の腕時計もiphoneもまだ日本時間。12時間かかるのがわかったところでじゃあ今何時ですか?what time is it now なんて英語の授業だけで使う言葉だと思ってたけどまさかリアルに使う時が来るとは。
2022.08.26
ドーハ乗り換えは4:30から3時間後の出発だった。全く眠くなかった。 ドバイっぽいお土産を見たり、謎のポテチを食べたり、アゴラのシフトを組んだり、周りにならって地べたに座って待ってみたりした。 ドーハからエジンバラまでは7時間くらい。 私は飛行機がかなり嫌いで、乗る前に必ず心の中で3回くらい十字を切っている(なぜキリスト式なのかはわからないけどとにかく必死に神頼みしたくなるくらいまじで嫌)なのだけど、私は空を飛んでるのが怖いのではなくて、空中の揺れが怖かったらしい。でかい国際線は平気だけど、小さい国内線は怖い。
エジンバラ空港は思ってたより小さかった。 SIMを変えて出発。空港のコンビニ店員さんのSIMの説明が全く聞き取れなくて焦る。
倫敦どんより晴れたら巴里って感じの曇り時々雨で、降り立ってすぐに早速イギリスらしさを感じる。 お腹空きすぎて街に出るまで我慢出来ず、空港でサンドウィッチを買った。美味しかったけど、円安を感じるお値段。
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滞在するゲストハウスはエンジンバラ城のすぐ下だった。 てかエジンバラ城めっちゃホグワーツじゃん。
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日頃の生活リズムが狂いまくってるおかげで、時差ボケは全くなく通常運転で活動出来そうだったので、時差分増えた8時間で散策。
ふらっと古い教会にたどり着いたら、ヨーロッパ1怖いと言われてる墓地だった。 骸骨のモチーフがたくさん刻まれてたのだけど、どうしてお墓に骸骨? マクゴナガル先生とトムリドルのモチーフになった方々のお墓を見た。 雨が降ってて写真が撮れなかったので、別日に再訪した時の写真。
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お墓を見てたら、お城の方から大歓声が聞こえてきた。 予約しなかったミリタリータトゥーだとすぐにわかった。 こんな盛り上がってんの?絶対見た方がよくない?と思い直してその場で即当日のチケットを購入。 一旦宿に戻って、夜、持ってきた中で一番あったかいトレーナーを着て出発。
まずお城に入るまでにすごい人だかりだった。東京の花火大会みたい。 パンフレットを買ったけど、まじで私以外誰も買ってなかった。なんで。 座席のスタジアムっぽさもあってか、野球やサッカー観戦のような盛り上がり方をしていた。 The Royal Edinburgh Millitay TATTOO という名前(タイトル?)から、かなり厳格で伝統的な感じなのかなと思ってたら全然違った。いや全然違くはないんだけど、本気出した王立のエレクトリカルパレードって感じだった。私の感想は終わってるけどまじで爆上がりしたし見てよかったから機会があればぜひおすすめしたい。 あと、スコットランドのチームの演技が始まった時が一番盛り上がっていて、ああここはスコットランドなんだな、と思った。 写真はプログラムが全て終わった後の向かい側の客席と、並ぶ国旗。
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2022.08.27
朝起きて、オンラインMTをしてから出かける。
最初にジャルジャルを見た。 私が出したワードが2つともコントになって喜び。CUTE / CAT Train Man というトーマスを模した新しいキャラクターが生まれてウケてた。
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でっかいスモアクレープを食べた。隣に並んでた小学生くらいの男の子も同じもの食べてた。熱すぎた。
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元学校のアートスペースで2本目の観劇。 プロジェクターに映るテキストやプリンターから出てくる台本に従って観客が演じる形式がとられていて、このノリ方は日本では無理かも…と思いながら楽しんだ。 構内を普通に犬の散歩で通り過ぎてる人&犬がいてびびった。ここそういう感じで通っていいんだ。
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快晴だったので、次の予約まで再び散策。
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↑終わってる感想 ディズニーランド?て感じの城?塔?あれはなに
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↑ヨーロッパ1怖いらしい墓地でChillってる若者たち。 墓地だけでなく、すごい傾斜でもとにかく芝生のあるところでは必ず1人はChillってる。 もしかしてここも 墓地 < 芝生 という認識?
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↑逆光のアダムスミス(人混みすごすぎて諦めた)
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↑両替してなくて出来なかったピンボール
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↑お城のある旧市街の方は丘になっている。 丘を登って、くだると旧市街。丘をそのまま登るとエジンバラ城。 イギリスの歌詞や物語にはHillがよく出てくる(Mountainより出る)イメージがあるのだけど、確かに空港からの景色も山よりも丘という感じの盛り上がった土地が多かったような気がする。
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↑トレーラーで暗闇の中ヘッドフォンをして体感するイマーシブシアターを見た。 普通に怖かった。日本でもウケそう。
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↑ていうかめちゃくちゃ美しい街なのにゴミすごいな…世界中から人が来てるからこうなっちゃうのか…?と思ってたらストライキ中らしい。 ゴミの写真撮ってたら自由な犬きた。
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↑最後にもう一本演劇を見た帰り道、23時くらい。 若者が集まってスケートボードをしたりお酒を飲んでる横を通り過ぎた。 Not British と書かれたジャンプ台が置かれていた。
2022.08.28
10時からシェイクスピアの子供向け朝食クロワッサン付き演劇を見た。 To Beer or not to beer だけ元ネタがわかるもじりだった。
前半書きすぎてもう書くの疲れてきたし観劇ばっかりしてたからもう今日はさらりとおわらす。
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洞窟みたいなところを進んだところにある劇場?でも観劇。 たぶんフリンジの多くの会場は、普段は別のスペースとして使われてるだろう場所に仮設で劇場が組まれているのだけど、期間外はどうやって/どのくらい使われてるんだろう。
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観劇の合間にスーパーのホットスナックを買った。 ソーセージパンって書かれてたけど、思ってたのと違った。ソーセージの中身が入ったパンだった。ソーセージに対する概念の違いが浮き彫りになった出会い。美味しかった。
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大きい教会で観劇。ここもトラス組んで照明吊ってた。 2階席みたい場所があった���ど、普段は何の部屋なのかわからない。教会のこと全然知らない。
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20:30の明るさ。 全然日が沈まないから時間感覚が狂う。そんなはずはないんだけど、ここには昼と夜しかない。
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22:30開演のダンス公演を見に行ったら耳栓配られて怯えた。 1日の最後に耳イカれてしまうのか…?と思ったけど作品は最高だったし、耳栓はくれて本当にありがとうという音量だった。
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黄色いコーンを被せたり刺したりするのが主流のいたずらっぽい。 確かに日本の赤いコーンより小さくて、銅像に被せるのにちょうどいいサイズ。
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なんか…なんか食生活やばいかも⁉︎と思って急に買った野菜ジュースと今日までの観劇メモ。 無地のノート売ってなさすぎて2日間探し回った。1.5£
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7月に埼玉で上演していたパパイオアヌーの『TRANSVERSE ORIENTATION』にて、演出家の強烈な原風景を感じたシーンがあった。舞台上に現れた海岸と地平線は明らかに日本の海ではなかった。はっきりと、まざまざとその”演出家(あるいはチーム)の原風景”を見せつけられて完全にやられた。どこからどう見てもギリシャの海岸沿いだった。自分のルーツを、自分を構成している文化や習慣を、原風景を自覚することは、自分たちの作品に軸を通すのかもしれない。私は私(と私を構成してきた環境・文化・慣習・社会)のことを全くわかっていない。鏡がないと自分の顔を見れないのと一緒で、自分の中身を観察するにも鏡のような何かが必要だと思っていて、それでやっぱり海外に行こうと決めた。短くてもいいから、次にまた長く来たらいいからと、とにかく今!自分を構成している環境から離れてみるタイミングだと思って。もちろん語学もちゃんと伸ばして、英語でのクリエイションに物怖じしないくらいのパッションは身につけたい。
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私が子供の頃から飾ってた実家のクリスマスツリーのオーナメントに小さいリンゴを模したものがある。幼少期から「変な大きさのリンゴだな」と思ってたし、最近まで「妙に小さくデフォルメされてるな」と思ってた。けど、あれはヨーロッパサイズのリンゴなのかもしれない。
書きすぎた。 もう早速明日書かないかも。
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kennak · 2 months
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森永ひ素ミルク中毒事件とは    昭和30年に森永乳業株式会社徳島工場製造の調製粉乳にひ素を含む有毒物質が混入したことに起因して、近畿、中国地方を中心に乳幼児に数多くのひ素中毒患者が発生した食中毒事件です。  昭和32年3月現在で、患者数は、約12,300人にのぼり、そのうち130名の方が亡くなられました(平成27年12月末現在の被害者数は、13,442人)。また、事件の影響で、現在でも数多くの方々が知的発達障害や身体障害など、支援を必要とする状態にあります。   被害者の方々への支援    昭和48年10月に発足した、厚生省(現厚生労働省)、被害者団体及び森永乳業株式会社による三者会談において、問題解決の方途の検討が始められ、昭和48年12月に合意(確認書)に達しました。  確認書には、国の責務として、被害者対策について、「森永ミルク中毒の子どもを守る会」(現森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会)が提唱する「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案」の実現のために積極的に援助し、確認書に基づき設置する救済対策委員会(現公益財団法人ひかり協会)が行政上の措置を依頼した時はこれに協力することが盛り込まれています。  また、昭和49年4月には、被害者の救済事業を実施する団体を設立すること、救済事業に要する費用は、森永乳業株式会社が負担することなどを骨子とする具体案が合意され、救済事業を実施する団体として、財団法人ひかり協会(現公益財団法人ひかり協会)が発足しました。  現在、被害者の方々に対する支援は、この確認書を基に、国、森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会、森永乳業株式会社及び公益財団法人ひかり協会の話し合いにより進められています。   確認書 [97KB]   行政協力      厚生労働省は、三者会談で合意された「確認書」に基づき、森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会及び公益財団法人ひかり協会からの要請に対して、様々な協力を行っています。 【通知】    (公財)ひかり協会による障害のある森永ひ素ミルク中毒被害者への適切なサービス提供に向けた取組に対する協力について(依頼)[416KB] (公財)ひかり協会が行う事業に対する協力について(依頼) [380KB] (公財)ひかり協会の行う施設入所等の取組に対する協力について(依頼) [74KB] (公財)ひかり協会による森永ひ素ミルク中毒被害者の介護サービスの利用等に関する相談への協力について(依頼) [69KB] 【事務連絡】(公財)ひかり協会による森永ひ素ミルク中毒被害者の施設入所等の取組に対する協力について(依頼) [66KB] ひかり協会が「自立奨励金」の見直しにより創設した「健康管理手当」の周知と同手当の生活保護制度における取扱いについて [198KB] 森永ひ素ミルク中毒被害者の住所不明者の情報提供について(依頼) [77KB]   公益財団法人ひかり協会が実施している救済事業について      被害者の救済と、その福祉の向上を図ること等を目的に、三者会談での合意に沿って、昭和49年4月に財団法人ひかり協会が設立されました。(現在は、公益財団法人に移行しています。)  ひかり協会では、被害者の健康管理や治療養護、生活保障、保護育成等の事業を行っています。   詳しい情報は公益財団法人ひかり協会へ 【パンフレット】            行政機関向けパンフレット [1,679KB]    関係機関向けパンフレット [6,285KB]     全国担当係長会議  令和5年度  令和4年度  令和3年度  令和2年度  令和元年度 平成30年度 平成29年度 平成28年度 平成27年度   裁判関係書類の遺失に関するご報告とお詫び      平成25年2月20日、厚生労働省職員が帰宅途中に、森永ひ素ミルク事件に関連する裁判の関係書類を東京メトロ丸の内線内で遺失する事案が生じま した。その中には、原告等の氏名・住所等の他、被害者1万3432名のうち、昭和54年に森永ひ素ミルク飲用者証明書を交付された455名の方の当時の氏 名と居住市町村(町名や番地は含まれておりません)が記載されたリストが含まれていました。  被害者やご家族の方々には、大変ご心配、ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。  事案の概要及びその後の対応については、 こちら [101KB]をご覧下さい。 ※ 遺失したリストは、昭和54年当時の氏名と居住市町村名のみが記載されており、現在の住所を特定できるものではないことなどから、直接ご迷惑がかかる可能 性は低いと考えておりますが、何か気になることが生じたり、あるいはご心配の点がある場合には、お手数をお掛けしますが、以下までご連絡をいただきますよ うお願い致します。 厚生労働省健康・生活衛生局 総務課指導係 電話:03(5253)1111 内線2492 ファックス:03(3502)3090
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/kenkoukiki/morinaga/index.html
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yoshiyoshigoodnight · 4 months
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映画を100本観た
 LINEを溜めないだの1年目から有給休暇を全日消化するだの、妙に現実的かつ妙に無謀な目標ばかりを立てて無邪気にスタートした2023年。LINEの通知は2月までは一桁をキープしていたものの、節操なく撮りまくった卒業写真の処理をキッカケに、現在に至るまでLINEは溜まりに溜まっている。有給休暇といえば20日のうち4.5日という最悪の取得状況で、10月頃に「休め」と私を叱った上司をいまや「頼むから休んでください」と泣かせている。
 今年達成できた目標といえば「死なない」ことと「仕事を辞めない」ことくらいだった私だが、一つだけ数値的功績を残せたものがある。
 【目標:映画を100本観る】
 今年観た映画はなんと112本。「健康で文化的な暮らし」に憧れて立てた軽薄な目標だったものの、達成した今となればかなり有益な目標だったと感じる。自分が何に対して魅力を感じ、心動かされるのか、はたまた何に対して嫌悪感を抱くのかも明確にわかった。映画雑誌を買い漁っては自分の映画知識の少なさに絶望したりもしたが、映画評論家を目指してるわけじゃないしな!と開き直ってシュレックを見た。名前も知らなかった良作に出逢うたびに映画配給企業にエントリーシートすら出さなかったのを呪ったりもした。
 私の2023年の映画体験を語るに絶対的なのが、『怪物』だ。
 間違いなく今年ベストムービー。それどころか人生ベストムービーだ。これを超える映画は現れないだろうと絶望すらした。6回観に行った。シナリオブックと文庫本も買った。パンフレットも何故か2冊買っている。来月Blu-rayが発売される。買うに決まっている。
 是枝監督は”こども”を描く天才だし、極めて日常的なのに節々でときめかされる台詞回しは坂元脚本な���ではだ。全編を通じていかに人間が無意識のうちに片面的な捉え方をしているかという社会的な問題提起と並行して、少年の葛藤と逃避行を痛々しいほど爽やかに描き切った最終章は、感動どころか大きすぎる衝撃で当初の私を立てなくさせた。さらに坂本龍一の劇中曲が物語のテーマを最大限に引き立て、まさに”一線を画している”。どの映画を観ても「坂本龍一が曲を手掛けていたら…」というタラレバに陥るようになってしまった。酷い。
 衝撃と言えば豊田利晃監督作品との出会いもそうだ。
 『青い春』を観た時、「やば…」と思った。ウンコが異常にリアルで、新井浩文がウンコを素手で踏みつけてしまうシーンは軽くトラウマになった。ウンコもウンコなのだが、作品の”色”がかなり強烈に尖っていて、バイオレンスで狂気的、グロテスクな人間観は唯一無二だ。同監督の『9souls』も9人の死刑囚を描いたなかなかハードコアな作品。けれど双方に共通するグロテスクかつ華々しさは中毒性があって、鮮烈な展開に魅了される。けたたましい(音量設定を間違えているとしか思えない)ロックサウンドと共に終わる『青い春』のラストシーンは未だに頭から離れない。そして何より松田龍平と瑛太の使い方が上手い。
 
 『西部戦線異状なし』もまた、最も喰らった映画の1つだ。一言で言えば戦争映画だが、詳細に言っても戦争映画である。主人公にフォーカスはしているものの、ただ淡々と戦争の様子を2時間映し続ける。そこに一切の美談の余地はない。何千万人が死に、爆撃で体が粉々になっていく描写に、逆にもはや「グロテスク」と感じない。こうした感覚麻痺こそが観客への問いかけなのではないかと思わされた。
 喰らった映画を記録し始めるとキリがない。特に『くれなずめ』や『佐々木、イン・マイマイン』は今年初めて友人を亡くした私は大いに喰らいまくり、ウルフルズを聴きまくって夜道を泣きじゃくりながら帰ったりした。『サマーフィルムに乗って』を見てモラトリアムから抜け出せなくなったり、『かもめ食堂』を見てコーヒーを淹れるのにハマったり、『ケイコ 目を澄ませて』『百円の恋』を見て近所のボクシングジムの月額まで調べたりした。
 私の中ではビジュアルもかなり重要な要素なので、ビジュアルやコンセプトが好みの作品に劇場で出会った際には、惜しまずパンフレットを買った。『aftersun』、『PERFECT DAYS』、『ゴーストワールド』 は本当にデザインが良く、迷わず買った。『シチリア・サマー』も物語に脳味噌をブン殴られた後、放心状態のまま気がついたら手にしていたが、買ってよかった。パンフレットで得られる実感がいい。
 さて、そんな2023年、私の人生を文化的に彩ってくれた112本の愛すべき作品たち。
 来年はやらないけど、ゆっくり見たいものを見ていきます。ありがとう。
 
1. ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから
2. ハウルの動く城
3. さかなのこ
4. 百花
5. マイ・ブロークン・マリコ
6. ベイビー・ブローカー
7. 燃ゆる女の肖像
8. LEON
9. 光のお父さん
10. 梅切らぬバカ
11. エゴイスト
12. これからの人生
13. RUN
14. 哀愁しんでれら
15. PLAN 75
16. 湯道
17. 私をくいとめて
18. キングス・オブ・サマー
19. アンチャーテッド
20. くれなずめ
21. 黒い司法 0%からの奇跡
22. タイムトラベル家族 1991年から愛を込めて
23. 佐々木、イン・マイマイン
24. ちひろさん
25. ルームロンダリング
26. 架空OL日記
27. レディ・バード
28. MONDAYS
29. グッバイ、リチャード!
30. エスター ファースト・キル
31. 告白
32. かもめ食堂
33. リトル・ガール
34. 秘密の森の、その向こう
35. 劇場版美しい彼 エターナル
36. こちらあみ子
37. 母性
38. ペイ・フォワード
39. あのこは貴族
40. ミッドナイト・スワン
41. 西部戦線異状なし
42. 怒り
43. 望み
44. 明日の食卓
45. 街の上で
46. アザーフッド 私の人生
47. SABAKAN
48. ケイコ 目を澄ませて
49. まほろ駅前 多田便利軒
50. ハケンアニメ!
51. もっと超越した所へ。
52. 百円の恋
53. 怪物
54. 万引き家族
55. キャロル
56. べいびーわるきゅーれ
57. 渇水
58. 日日是好日
59. サマーフィルムにのって
60. 誰も知らない
61. 羊たちの沈黙
62. ピンポン
63. あの頃。
64. ある男
65. サマータイムマシン・ブルース
66. 青い春
67. ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー
68. aftersun
69. 君たちはどう生きるか
70. 場所はいつも旅先だった
71. 海街diary
72. ボーイズ・オン・ザ・ラン
73. ブルーアワーにぶっ飛ばす
74. 世界で一番しあわせな食堂
75. いつかの君にもわかること
76. 9souls
77. パプリカ
78. ヴィレッジ
79. プロミシング・ヤング・ウーマン
80. リベンジ・スワップ
81. 歩いても 歩いても
82. 塔の上のラプンツェル
83. 劇場版SPEC 天
84. 劇場版SPEC 漸
85. 劇場版SPEC 爻
86. SPEC 翔
87. ザ・ホエール
88. 宇宙人のあいつ
89. リトル・マーメイド(実写版)
90. リトル・マーメイド(原作)
91. SPEC 零
92. アステロイド・シティ
93. BAD LANDS
94. SMILE
95. シェフ 三つ星フードトラック始めました
96. カラダ探し
97. BOYS
98. リリーのすべて
99. CLOSE
100. 桐島、部活やめるってよ
101. キリエのうた
102. 月
103. 君が君で君だ
104. 愛にイナズマ
105. シチリア・サマー
106. 最後まで行く
107. ザ・キラー
108. PERFECT DAYS
109. リバー、流れないでよ
110. ザリガニの鳴くところ
111. 中村屋酒店の兄弟
112. ゴースト・ワールド
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mikanjiru · 4 months
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取り急ぎ、Evernoteからサルベージしてきたもの。我ながら熱量の高すぎる感想書いててこの頃の私、すごいなと思った(笑)
風立ちぬ 感想
公開二日目にレイトショーで見てきました。
日曜の夜なのにけっこうな人手があった。時間帯もあって、年齢層は高め。20代、30代を中心に、50〜60代くらい?と思われる観客も居た。これまでのジブリ作品では見られなかった現象。番宣効果かな。大人向け、零戦設計者がモデル、という認識が浸透しているのかな、という客層。
映画公開前、原案はモデルグラフィックスという雑誌の連載漫画、と聞いた瞬間に思い浮かんだのは、今回は紅の豚のような、趣味全開の映画なのかな?という事。
公開直前に番宣番組を見て、どうやら本当にそのような映画だな、と確信したので安心して見に行けるな、と思った。安心して、っていうのは、前作の崖の上のポニョの衝撃を未だに引きずっていたから。
別にポニョが面白くなかったわけじゃない。ストーリーがまったく理解出来ないにも関わらず、謎の感動に包まれて涙してしまったシーンもあったし。ただものすごく毒気が強い作品だった。表向きは幼児向けの皮を被った可愛らしい画面作りなのに、その実、老いと死の匂いが濃厚に漂う内容は、私にはまだ早すぎたみたいだ。もしくは遅すぎた。
アレは固定観念で凝り固まっていない幼児か、逆に人生経験豊富でどんな表現にも感情移入できる老人か、もしくはそのようにピュアな心を保ちながらある程度達観している大人じゃないと平静に見られないものなんじゃないかと。
宮崎作品の転換期は今までに何度かあったが、監督本人が今までの総括と言っていたもののけ姫が傍目に一番わかりやすい変化ではないかと思う。
事実、もののけ姫に見られたモチーフはほとんどそれまでの作品(シュナの旅など、映像作品以外のものを含む)に出てきたものばかりだったし、私のように物心ついた頃から宮崎作品を見てきた人にとってはどこかで見た事がある、お馴染みの、安心して見ていられる映画だったんじゃないかと思う。ただ、この映画が大ヒットして社会現象にまで発展していったところを見ると、生粋の宮崎駿ファン以外にとってはとても斬新なものだったようだ。
公開当時、私はこの映画が最後の宮崎駿監督作品になるんじゃないかと思った。それ以前にも、一本撮り終わるごとに引退引退と言っていたけれど、ここまで過去作品を凝縮したようなものを作ってしまってはもういよいよ次はないだろうなと思ったのだ。
その認識は、次回作品の千と千尋の神隠しで大きく覆されたわけだけど。この作品には、本当に久しぶりに度肝を抜かれた。それこそ、ナウシカ以来の衝撃だった。まだこんな引き出しがあったなんて、と驚愕した。
続くハウルの動く城では、この新しい引き出しを広げる幅をもっと増やして、ポニョでとうとう引き出しを全部引っ張りだしてしまったように思えた。
引き出しというのは、要は無意識への扉を開くという事。これは意図してやったというよりは、年齢的なものもあって、自然とそういう方向に向かっていったのかもしれない。もののけ姫は、意識側に留まって物語を構築した最後の作品なんじゃないかと。
だから、ポニョを見終わった時は、ああ、いよいよこれが最後の作品になるのかなぁとまた思った。これが遺作になるのかな、と。
だったら、この難解で不気味で理由もわからず不安にかられるこの作品を、何年かかってでも良いから理解出来るようになりたい、と思って、公開直後から他人の感想を聞いたり読んだり、
ネットの考察サイトを巡ったり、何度も繰り返して見たりして、なんとかしてこの作品への自分なりの感想を言葉で表せるようになりたい、と今現在も努力を続けている。
そんな事をしていたら、また新作やりますよ、とある日ネットで情報が流れてきたわけである。目を疑ったよ。一瞬呼吸が止まったよリアルに!!
もちろん嬉しいですけど!!!当然映画館に見に行くけどな!!!!
ただ、ポニョ以上にぶっ飛んだ内容だったらどうしよう…さすがに物心ついた頃からの妄信的パヤオ信者にして生粋のジブリストの私でも着いていけんくなるかもしれん……という一抹の不安を感じたんだ。
そういう意味の「安心して見に行ける映画みたいだな、楽しみだな」という意味でした。前置き長過ぎィ!!!
実はもう三回も見に行っている。初回では買いそびれたパンフレットも二回目の鑑賞時に無事に買えました。
パンフレットによると、鈴木プロデューサーが「これは宮さんの遺言なんですか?」と訪ねたら、監督は「そうかもしれない」と答えたとの事。失礼だが、年齢的に考えても、今度こそそうなる可能性は高いだろう。
そうだとしたら、ずいぶんと親切な作品を作ってくださったものだ。この映画はたいへんわかりやすい。親切で丁寧な構成で、たぶん初めてジブリ作品、宮崎駿作品を見る方にもお勧め出来る映画だ。実際のところ、人にどんな映画だった?と聞かれて、こんなに説明に苦労しなかった宮崎作品って初めてです。
パンフレットには宮崎監督が初めて地に足の着いた作品を作った(庵野秀明氏談)とも書かれている。確かに、今回の主人公空を飛ばないよね。でももののけ姫のアシタカもサンも厳密には飛んでないと思うけどな、跳びはするけどな。とか、まぁそういう事ではないんだろうけど。
ポニョでピークに達した、あのなんとも説明出来ない得体の知れない不気味さがないなと感じた。人声SEは良い意味で不気味だったが、あれは心象風景の表現としてピッタリハマっていたと思う。
ともかく私のような凡人にも安心して見られる映画ってのはやはり良いものです。
今回の目新しいところとしては、けっこう露骨なラブシーンがある、というところ。あくまで宮崎作品にしては、という括りなんでその他の作品と比べたら全然なんですが。こないだ放映した平成狸合戦ぽんぽこの方が全然エロエロしかったですが、それでも宮崎監督作にしたらこれだけの描写を入れるってのは相当革新的な事だと思った。
それは元ネタの小説のヒロインのキャラがそうだからなのかもしれないけど、元ネタを見てないのでわかんない。それでも、今までの宮崎さんなら、意図してそういう部分は描かなかっただろうと思うんです。
未来少年コナンの時、宮崎さんは意図してラナのキャラクターを原作から変えていた。カリオストロの城のクラリスについても、おしっこもうんこもしなさそうな女の子だと同業者に言われて、そんなその辺に居そうな女の子を描いても楽しくないから、と答えている。
そういう意味では菜穂子もその辺に居そうな女の子ではないが。菜穂子のキャラクター造形としては、良い家のお嬢さんで、上品で、清楚で、芯が強くて、と宮崎ヒロインのテンプレみたいなキャラクターではある。しかし、実はこういう完璧美少女って宮崎作品には久々に登場したキャラクターだったりする。
宮崎作品のヒロイン像は、一見するとどの作品も同じようなキャラクターに見えるけど、ちょっとずつ変化している。
おしっこもうんこもしなそうと言われたラナ、クラリスをピークとして、段々と「完璧な美少女」のイメージを崩していって、千と千尋でついに見た目も美少女とは言い難い少女をヒロインに据えてきた。ハウルのヒロインは少女と老婆の両面を持つという点で宮崎アニメのヒロインの集大成ともいえるが、それ故に少女とは呼べない存在になった。その後のポニョに至っては、もう少女っていうか人間という括りですらない。
それがここにきて、ヒロインの造形が昔の完璧美少女に戻ったわけだ。菜穂子の完璧さは声優さんによるところも大きい。瀧本美織さんの演技はとても良かった。島本須美さんのような透明感、上品さ、清楚さを感じました。
しかし、菜穂子が昔の宮崎アニメに出てきた完全無欠なヒロインかというと、そういうわけでもない。
菜穂子の存在は、この物語に置けるミューズだ。創造者にインスピレーションを与え、モチベーションをアップさせる女神のような女性。元型像でいうと、妖精的なアニマだ。男性を誘惑して、官能の世界に導き、果ては破滅へ向かわせる事もある、美しいけども危険な存在。しかしそれは言い換えれば、男性に性の悦びを通して生きる力を目覚めさせる存在にもなる。傷心の二郎は菜穂子との交流を経て創作意欲を取り戻して立ち直っていく。
そして二郎の夢が叶えられた瞬間、菜穂子は去っていく。それは、菜穂子が美しいままで二郎のそばにいられる時間の終わりであり、同時に二郎に与えられた「創造者に与えられた10年」の終わりを表しているのだと思った。
宮崎監督の求める完全無欠なヒロインとは、少女であると同時に母親でもあるが、母性と官能性は相反する要素だ。菜穂子はその意味で完全無欠ではない。
しかし、菜穂子は二郎が創造者としての命をかけて愛するに値する美少女でなくてはならなかった。菜穂子の官能性はそのために敢えて付随した要素ではないかと思いました。
初めて官能と死の世界を描いたことによって、新たなステージに旅立って行かれたんだと思った。
宮崎さんが完璧な美少女を、初めて出会った瞬間にこの女の子のためならなんだって死ぬ気でやれると思う完璧なヒロインを描き出すことに情熱を燃やした期間もちょうど10年くらいだという事を重ねて見ると、ラストシーンはより味わい深いものに感じる。
朽ち果てた戦闘機の残骸や、儚く去っていく零戦。その後に現れる菜穂子は相変わらず美しいままで、二郎に呼びかける。生きて、と。
これまでインタビューや書籍の中で色々と難しい言葉を発してきた宮崎監督だけど、作品世界で訴え続けた事はかなりシンプルな事だと思う。もののけ姫のおトキさんの台詞、「生きてりゃなんとかなる」これに尽きるんじゃないかなと。
創造者としての命は尽きても人生が続く限り生きるのだ。生きてりゃなんとかなるんだから。
・2015年の地上波初放映後の感想補足
最近になって、このラストの菜穂子の呼びかけは当初の構想では「来て」だったという事を知った。が、これに答える二郎の声を当てたのは、庵野秀明氏である。
庵野氏と宮崎監督のエピソードで印象深いのは、旧劇場版エヴァを制作中に、テレビ版エヴァですべてを出し切り燃え尽きて、これ以上何も出せないのに新しく映画を作らなきゃいけない状況で追い詰められた庵野氏が、もう死にたい、と宮崎監督に相談した話だ。
宮崎監督は、死んでもいいじゃないか、エヴァ作って39歳で死ぬなんてカッコいいよお前、という旨の言葉をかけたとの事。これは宮崎監督の本音なんだろうなと思った。与えられた10年を使いきり、社会現象を巻き起こすほどの作品を遺せたならばもういつ死んだって構わないのだろうな、と。だから一本作り終わるごとに引退する引退すると言い続けたんだろう。
しかし実際は宮崎監督はずっと生き続けて、それこそ棺桶に足を突っ込みながらも何度も世の中に爪痕を残し続けた。その最後のメッセージが「生きて」とは…感無量の表情で空を仰ぎながら発する庵野秀明氏演じる主人公の「ありがとう」が染み入るように心に滑り込んできた。
私は、物心ついた頃から宮崎アニメをずっと見てきた。
最後の長編作品のラストメッセージが「生きて」で本当に良かった。私は宮崎監督が映画を作らなくなってもまだ生きなくてはならないので。人生の大半どころかほとんど全部を占めてきた大きな存在を失う覚悟を決めかねていて、今までずっと「ありがとう」とか「今までお疲れ様でした」と言い兼ねていたが、今なら言える気がします。
今までずっと、美しい夢を見せてくださってありがとうございます。本当にお疲れ様でした。
・2016年 終わらない人宮崎駿 視聴後、その後の新作長編映画制作発表を受けての感想補足
クッソまた騙されたァァァクソがァァァァァァァァ!!!
はい!と、いうわけでね!!またいつもの辞める辞める詐欺でしたね!!よかったねーまた安心して生きていけるわー公開楽しみだなぁ♪…ってなるかぁ今度こそは!!!本気だと信じちゃったでしょうが!!!!
いや、パヤオはいつでも本気で言ってるとは思う。失礼だが年齢的に見ても次回作は予定通りに進行するとは思えないし、最悪の事態も覚悟しなくてはならないでしょう。
しかしこれ、鈴木Pの手のひらの上って事なんでしょうなぁ。正直高畑宮崎コンビだけではジブリはこんなにポンポン映画作れなかったと思うよ。鈴木Pありがとうございます。そしてドワンゴは犠牲になったのだ…
宮さんはパクさん見習って死ぬまで映画作ると言って欲しいよいい加減。何度ファンの心を弄べば気が済むのか。あーもう本当に、こんな人を物心ついた頃から神推ししている己が不憫。でもこれからも推す、神だから。神が天に昇られた後も推す、この命尽きるまで。
でも正直なところちょっと言っていいかな?
神だけど!逆に◯ね!!新作がんばってください応援してます!!!!
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takahashicleaning · 5 months
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TEDにて
ルーシー・ホーン:レジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの秘訣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
誰もが喪失を経験します。しかし、その後の辛い時期をどう切り抜けたら良いのでしょう?
レジリエンス(心の回復力)研究者。ルーシー・ホーンが紹介するのは、レジリエンスを高めるための苦労の末に獲得した3つの秘訣です。
逆境に立ち向かう不屈の精神を育み、苦難を乗り越え、何が起ころうと勇気と感謝の気持ちで受け止めるための方法です。
はじめに、いくつか質問をさせてください。
この中で最愛の人をなくしたことがある方、失恋をしたことがある方、離婚で苦しんだことがある方、または、不倫の被害を被ったことがある方
どうぞお立ちください。立つことが難しい方は手をお上げください。そのままお立ちください。
または、そのまま手を上げたままで自然災害を生き延びた、いじめにあった、または、失業したことがある方、お立ちください。
流産をしたことがある、中絶をしたことがある、または、不妊で悩んだことがある方、お立ちください。
最後に、あなたか愛する人の心の病や痴呆、何らかの身体障害、自殺に対処する必要があった方、どうぞお立ちください。
見回してみてください。逆境は分けへだてしません。
私たちは、生きている限り、将来、困難な時期を迎えることもあるでしょう。あるいはすでに迎えたことがあるでしょう。皆さん、ありがとうございます。お座りください。
私は10年前に、フィラデルフィアのペンシルバニア大学でレジリエンス(心の回復力)について研究を始めました。
そこで、素晴らしい時間を過ごしました。ちょうどそのとき指導教官が、ある契約を結びました。110万人のアメリカ兵が、彼らの身体的な健康と同様に心の健康を維持できるよう訓練をするプロジェクトです。
ご想像のとおりアフガニスタンから帰還するアメリカ人の新兵訓練担当ほど最も懐疑的で洞察力がある聴衆は他にいません。
私のようにアカデミアでの科学的発見の中から最良の内容を選び、人々の実生活に役立てることを人生の大きな目標としている者にとって非常に刺激される素晴らしい場所でした。
アメリカでの研究を終え故郷であるここクライストチャーチに戻ってきました。博士課程の研究を始めるためです。
地震がクライストチャーチを襲ったときには、その研究を始めたところでした。そこで、私は研究を一旦中断して地震後の大変な時期の地域のコミュニティを支援する活動を始めました。
いろいろな団体と共に活動しました。政府機関や建築会社、また多様な地域グループなどです。
レジリエンス(心の回復力)を高めるためにどう考え、行動するべきかその方法を指導したのです。それは私の使命だと思いました。今こそ、これまでの私の研究を活かせるときだと。
けれど、残念ながら私は間違っていました。
その本当の試練が訪れたのが2014年でした。女王の誕生日の週末、私達家族は、友達の2家族と一緒にオハウ湖でトレイルのサイクリングをすることにしました。
出発の直前になって私の12歳の愛娘、アビは、親友で同じく12歳のエラと私の大親友である母親のサリーの車に乗って行くことにしました。
途中、ラカイアを過ぎてトンプソンズトラックを走っているときに一時停止のサインを無視した車が突っ込んできて衝突し、3人は即死しました。
一瞬にして、自分がこれまでと全く反対の立場に立たされてしまったのです。全く違う自分が呼び起こされました。
レジリエンス(心の回復力)の専門家ではなく、突然、一人の悲嘆にくれる母親になったのです。自分が一体誰なのか理解できず目覚め、信じられない知らせに頭を抱えこみ私の世界は粉々に打ち砕かれました。
突然、専門家の様々なアドバイスを受け取る側になったのです。けれども、実際のところアドバイスなんて一言たりとも聞きたくありませんでした(人間(じんかん)万事塞翁が馬)
アビが亡くなってからの日々、私達は家族離別の予備軍だと言われました。離婚するかもしれない心の病になる危険性が高い。こう思いました「まあ、ご親切にどうも。でも、私の人生はすでにドン底なのよ」
悲嘆の5段階についてパンフレットにこんな説明があります。
怒り、取引、否認、抑うつ、受容、遺族サポートの人がうちに来て悲しみを忘れるには、これから5年ほどかかるかもしれないと言いました。
パンフレットや支援活動が、善意に基づくものだとはわかっています。しかし、それらのアドバイスは全てかえって私達の被害者意識を強めてしまったのです。
これからの行く先が、とてつもなく大きく立ちはだかり悲しみを乗り越える力を振り絞ることもできませんでした。どんなに酷い状態なのかなんてわざわざ聞く必要はないのです。
本当です。私自身、本当に酷い状況にいることはわかっていました。私が一番望んでいたもの。それは希望でした。苦悩や痛みや切なる望みをやり過ごすために旅が必要だったのです。
とりわけ自分の悲しみの過程の中で積極的な参加者でありたかったのです。
そこで、彼らのアドバイスを聞かないことにしました。そのかわり自分が、実験台にでもなってみようかと考えました。今まで、私は研究をしてきてその手段もありました。
途方もなく大きな山を目の前にしてそれが、自分にどのくらい役に立つのか知りたくなったのです。実は、ここで告白することがあります。
実際にこの実験がうまくいくか確信がありませんでした。子どもと死別することは、最も乗り越えることが難しい喪失であると広く認知されています。
けれど、それから5年経った今、お伝えしたいのは、それは研究からもうすでにわかっていたことなのですが、逆境から立ち上がることは可能だということ!
そして、そのために有効な方法はあるということ。つまり、然るべき考え方をし、行動をとることによって辛い時期をしのぎ切ることは絶対に可能だということです。
この分野の研究は、膨大に存在します。
今日、私は皆さんにレジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの方法をお伝えしたいと思います。
それは、効果的で私の心の拠り所となり、私をどん底から救いだした方法です。
この3つの方法は私のすべての仕事の下支えになっています。そして、誰にでもすぐに簡単にできます。
誰でも学ぶことが可能です。今日ここで学ぶことができるのです。
さて、1つ目の方法は、レジリエンス(心の回復力)の高い人たちは、悪いことが起こることを知っています。
苦難は人生の一部であることをわかっています。しかし、喜んで受け入れるわけではありません。幻想を抱いていないのです。
ただ、厳しい現実に直面したときにどうやらこの人たちは、苦悩はあらゆる人間にとって存在の一部だとわかっているようです。
こう考えていると不幸が起こったときに不公平だと考えずにすむのです。
私はただの一度もこう思ったことはありません「なぜ私が?」反対にこう思ったのです「なぜ私ではなかったのだろう?」と。
あらゆる不幸が起こります。けれど、それは自分だけではありません。自分自身の人生です。ここが溺れるか、泳ぐかの瀬戸際です。
本当の悲劇は、多くの人がこの事実をもはや知らないということです。私達は、まるで完璧な人生を送ることが、保証されインスタグラムの眩しく幸せな写真が、普通の時代に生きているかのようです。
けれどほんとうのところ、トークの初めにみなさんに見せてもらったようにまったくそうではないのが、真の実態です(仏教でも四苦八苦があります」
2つ目に、レジリエンス(心の回復力)の高い人たちは、どこに自分の意識を向けるかしっかり考えて選びます。
現実的に状況を把握し、そして、一般的に自分が変えられることに注意を絞り、変えられないことは受け入れるようにしていきます。
これはレジリエンス(心の回復力)を高めるためにとても大切なスキルで学習可能です。
私達、人間は、脅威や欠点に気づくことがとても得意です。ネガティブなことに反応するようプログラムされているのです。悪いことに気づくことが、あまりにも得意なのです。
否定的な感情は、マジックテープのように簡単に着きますが、前向きな感情や経験はテフロンのように弾かれてしまいます。
このように私達がプログラムされているのは、人類の進化という観点からすれば、実際、とても好都合で有用でした。
例えば、私が石器時代の人間だとします。朝、洞窟から出ようと左右を眺めると片側には、サーベルタイガーがいます。そして反対側には美しい虹が見えます。
食べられてしまうのでその虎に気づくことは、生き延びるためには大事なことです。問題なのは、現在、私達は、一日中、継続的に脅威に晒される時代に生きているということです。
そして、脳は残念ながらまるで全てが虎であるかのようにその脅威の一つ一つに反応するのです。危険に���する警戒とストレス反応は、高い状態に維持されています。
レジリエンス(心の回復力)が高い人は否定的なことを減らすわけではなく、なんとか良いことの方に気持ちを切り替えていきます。
ある日、私は、猜疑心に飲み込まれそうでした。そのとき、こう思ったのをはっきりと覚えています。
「だめだ、こんなことに飲み込まれてはだめだ、生きていかなければいけない。生きる目的はたくさんあるのだ。死ではなく、生きることを選ぼう。失ってしまったもののために今持っているものを失ってはいけない」と。
心理学では、これを有益性の発見といいます。自分の素晴らしい新世界の中で感謝できることをなんとか探し出そうとすることです。
少なくとも、私の小さな娘は、長期間のつらい闘病の末に亡くなったのではありません。突然、即死したので誰も長く苦しむことは、ありませんでした。
この困難を乗り切るため私達は、家族や友達から非常に多くの社会的サポートを受けました。そして、何より私達は、愛する二人の息子のために生きなければなりません。
二人は今私達を必要としているのです。できるだけ普通の生活を与えなければいけないのです。
意識の焦点を肯定的なことに変えることは、とても効果のある方法であることが科学的に証明されています。
2005年にマーティン・セリグマンたちは、ある実験を行いました。被験者にあることを指示しました。
それは、ただ一つ。毎日、その日に起こった良いことを3つ思い浮かべるというものです。
6ヶ月をかけた研究によって何がわかったかというと参加者は感謝の気持ちが高まり、さらに、幸福感が高まり気分の落ち込みはより少なくなるというのが、6ヶ月を通じた効果でした。
悲しい出来事を経験するとき、感謝の気持ちを持つことを忘れないようにする。あるいは、自分にそうすることを許すことが必要かもしれません。
うちのキッチンには、明るいネオンピンクのポスターがあります。それは、良いことを「認める」ことを思い出させてくれるのです。
アメリカ軍では、少し違った捉え方をしました。兵士たちは、良いことを探すようにと言われます。自分に合う言葉を探し、何をするにしても意識的に慎重に継続的に自分の世界の中のいい事柄に気持ちを向けて行くのです。
さて、3つ目です。レジリエンス(心の回復力)が高い人はこう自問します(仏教の内省?)
「今していることは、自分を助けているか?傷つけているか?」と。
これは良いセラピーでよく使われる質問です。そして、非常に効果的です。これは、私が頼りにした質問でした。
娘が亡くなってからの日々、私は何度も何度も自問しました「裁判に行ってあのドライバーに会うべきだろうか?それは私の役に立つのか?苦しむことになるか?どちらだろう」と。
答えははっきりしていました。私は行かないことにしました。けれども、夫のトレバーは、後になってドライバーに会うことにしました。夜遅く時々、昔のアビの写真を何枚も引っ張り出してきてますます悲しみに陥ることもあります。
自分にこう聞きます。
「良いの?これは自分の役に立っているか?苦しんでいるか?どちら?さあ、写真を片付けてもう今晩は、休んで自分に優しくしてね」と
この質問はあらゆる状況に応用することができます。
努力に対する考え方や行動が、自分を助けているのか?苦しませているのか自問します。
昇進を目指したり試験に通るため頑張ったり心臓発作から回復を目指す努力もあります。このようにあらゆる状況が考えられます。
レジリエンス(心の回復力)についていろいろ書いた中で長い間、最も好評を得ているのが、特にこの方法です。
各地の人々から多くの手紙やメールをもらいます。それにはこう書かれています。この方法がその人達の人生に非常に大きなインパクトを与えた!と。
例えば、過去のクリスマスでの親戚の罪や諍いを許せるか?または、ただソーシャルメディアで荒らしをすることは正しいことか?本当にもう一杯のワインが必要か?自問するか。
などです。
自分のしていること。考えていること。振る舞いが自分を助けているのか?苦しめているのかを考えることで自分で進路を選べるようになります。
つまり、自分の意思決定を多少なりともコントロールできるようになるのです。
3つの方法。
とても簡単です。
私達、誰もが簡単に実践できます。いつでもどこでも込み入った理論は必要ありません。
レジリエンスというものは、常に一定の特性ではありません。捉えどころのないものでもある人とない人に分かれるものでもありません。
実際に、普通の手順に従うだけで獲得できます。必要なのは、やってみようという意欲だけです。
私達は生きていると誰でも!しかも突然、人生の岐路に立つときがあります。
うまく進んでいると思っていた人生行路が、予想もしない悪い方向へそれていってしまうことがあります。そう願わなくてもです(仏教での諸行無常です)
それが私に起こりました。
予想以上に辛い出来事でした。
もし、みなさんが「この状況から抜け出せるわけがない」そう思うときがきたらご紹介した方法をぜひ試してみて。
そして、もう一度、考え直してほしいのです。
これが簡単な方法だとはいいません。その一つだから。
そして、この方法で苦痛が、すべて消えるわけではありません。
けれど、この5年間で何か学んだことがあるとしたらこの考え方は、非常に役に立つものだということです。
そして、何より悲しみながら生きることは可能であることを明らかにしてくれました。
そして、そのことに私は、いつも感謝しています。
ありがとう。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
多神教や日本での古来からある概念で、「覚悟」という便利な言葉があり、「覚悟を決める」などの表現もよく使われます。
主に、「覚悟」は、危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること!の他に、仏教から引用されていて、迷いを脱し、真理を悟ること。などでも、よく使われます。
これ以外では、きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。の意味でもよく使われます。
ここでは多神教的に見ると、「覚悟」の量。つまり、覚悟量を普段から積み重ね、経験として増加させていくことで、万が一の事態に備えると言う意味にも解釈できます。
そして、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想法にも似ています!
現在では、2015年にAppleWatchも発売されているので、心拍計も記録できるようになっています。腕時計型ウェアラブルコンピューターでスマートウォッチとも言われる。
Apple Watchの搭載チップは、振動にもつように完全に樹脂でコーティングされてるために、コンピュータシステム全体を一つのチップに組み込んでるそうです。
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「���は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
<おすすめサイト>
トム・ティーブス:マスメディアは死亡事件などの犯人を有名にしてはならない!
マリアーノ・シグマン:言葉から、あなたの将来のメンタルヘルスが予測できるとしたら?
ティム・フェリス : 目標でなく、あえて心の状態の恐怖認識を明確にすべき理由?
メリッサ・ウォーカー:アートはPTSDの見えない傷を癒せる
シドニー・ジェンセン:教師のこころの健康をどうすればサポートできるか
マーティン・セリグマン:ポジティブ心理学
<提供>
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22centuryworks · 6 months
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さよなら ほやマン
庄司輝秋監督が「さよなら ほやマン」の試写会を東京で行った時と、石巻で行った時とのギャップについて語っていたのが特に印象的だった。東京では「まだ震災ネタで引っ張る?」という意見もあった。石巻では実感を持って受け容れられた。私も2016年までの32年間、東京やさいたまにいた。この作品を新宿ピカデリーでみて、あの喧噪の中に出ていって、指先で「刺さった」とSNSで投稿したとして、どこにも繫がっていないという感じはそれこそ手に取るように判る。
東京にはストーリーが落ちていない、だからそこに手を置いて隠ぺいを図る。だからといって、被災地だから地方の離島だからといって大層な「物語」があるわけでは全然ない。この実感こそ石巻には存在する。それがこの「さよなら ほやマン」には結実した。それが「さよなら」だと、私は思う。そこに監督は賭けたのだと思うし、俳優陣もそれに応えた。あれだけ演技にこだわる濱口竜介氏が信用を賭けて推薦する確かな「レベル」があった。
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庄司輝秋監督は1980年生まれ、宮城県石巻市の出身である。この映画の舞台となった網地島は石巻から船に乗って行く。石巻はリボーンアートフェスで幾度も訪れているし、網地島にもその縁で訪ねたコトがあった。とにかく猫がものすごく人懐こい。私には東京の出演者がこの土地に引き込まれ、巻き込まれていった経緯のようなモノが判った。みる人にも同じような巻き込まれ現象が起るコトも容易に想像がつく。パンフレットで庄司監督は〝sense of place(場所の感覚)〟というヴィム・ヴェンダースの言葉を引いて、石巻の映画をこれからも発信したいと語っていた。監督、出演者各氏が「この『映画』を終らせたくない」という気合を漲らせていて、普通ではなかった。フォーラム仙台さんの雰囲気がとても暖かくて、覚めない夢のような時間だった。
撮影中、アフロ、呉城久美、黒崎煌代三氏は民宿で共同生活を送っていた。そのごく簡素な風呂場で起きた椿事などが語られた。先に帰ったアフロ氏が一番風呂に入り、後の二人のために追い焚きをして待っていた所、呉城さんがその「お湯」を嫌い、新しいお湯を張り直したみたいな話なのだが、あまりにも微妙な問題で面白かった。庄司監督にはYouTubeの再生回数をカウントするシーンで笑ったと伝えた。黒崎煌代君は演技経験が長くないにも関わらず、異様に「しっくりくる」印象で驚くべき才能だと思った。何かの「しっくりくる」ポイントを摑んだ才人だろう。呉城久美さんは幼少時に出会った年上の少女によく似ていて、懐かしかった。とても説得力がある。アフロ氏の横顔に私は感動した。「ありがとう」と伝えるコトができた。
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vagrantjp · 7 months
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公演パンフレット(電子版)販売開始のお知らせ
ご好評につき完売しておりました「公演パンフレット」の電子版をアーティストオンラインショップ「A!SMART(アスマート)」にて、販売いたします。
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キャストインタビューやコメント、本作を創り上げるクリエイター陣の貴重な対談やスタッフへのQ&A、さらには稽古場風景写真など盛りだくさんの60頁!ぜひ、お手持ちの端末にてお楽しみください!
■商品詳細 ミュージカル『ヴァグラント』 パンフレット【電子版】 販売価格:2,600円 仕  様:60頁+表紙/フルカラー ※内容は、紙版の公演パンフレットと同様となります。
■発売日時 10月13日(金) 12:00より ※ダウンロード開始予定日:10月中旬頃
■販売期間 2024年1月22日(月)23:59まで ※ダウンロード期限:2024年1月31日(水)23:59 まで
【注意事項】 ※パンフレット本品のお届けはございません。パンフレット【電子版】は、ご入金確定後、【10月中旬頃】よりマイページ内「デジタルコンテンツ」にてご覧いただけます。 ※こちらの商品のご注文では「GMO後払い」「d払い」「auかんたん決済」はご利用いただけません。また、クレジットカード決済をご選択いただいたお客様のご注文につきましては、順次決済処理を行わせていただきます。 ※ご注文完了後のキャンセルはお受けできません。予めご注意ください。 ※こちらの商品はお一人様、1点までの販売とさせていただきます。 ※以下【商品のご購入について】の案内を必ずご確認の上、お申込みください。
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■販売場所 アーティストオンラインショップ「A!SMART(アスマート)」内
ミュージカル『ヴァグラント』SHOP
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zheye958 · 7 months
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 「シャンデリア(虎に身を投げ、酒に溺れる) 」
私にとって芸術制作が個人的な経験、感情、そして個人のアイデンティティの表現にとって他人に迷惑が少ない重要な手段です。
「シャンデリア」は私にとって美しさと憧れの象徴でした。「シャンデリア」は私にとって美しさと憧れの象徴でした。大学が終わり、成績がなくなり、CGの仕事学校を初めて、体を壊し、引きこもったことで、初めて描ける状態になりました。
私は刺激にに対する身体反応の影響で多動で連想しやすく、衝動的で、常に不安を感じています。その為、制作過程は冷静さに欠け、最初のアイデアからは大きく逸れることがあります。素早く覚え、情報を頭の中だけで処理し、素早く次に物事を考える事が難しい為、何をするにも時間がかかります。その為、思い込みが激しいく、視野が狭く、執着が激しいです。言葉が嫌いです。社会的なコミニケーションを理解しないと怒られるからです。現在は、知る事も、理解する事も嫌悪感があります。描くのにも時間がかかる為、デジタルとアナログを組み合わせて制作しています。刺激にに対する反応しやすい身体反応、身体反応から思い出しやすい生理的反応を出力しやすい方法で表現しています。
 私は、普通の人間です。感情によりもたらされた「思い込み」主に、<生きずらさを助長する逃れがたい感情>を現しています。生命の生存戦略から進化、多様性からくる苦痛から抜け出したいです。惨めで生贄の「生」は苦痛です、苦痛が無い「死」が欲しいです。その「思い込み」が頭の中をループする時間がほとんどです。病院など対策を取っていますが止める事に苛立ちます。外部刺激によっていつ連想して負のループに入ってしまうか恐怖しており、それを幸福のインプットにより修正する事も納得が出来ていないです。この納得ができ無い「わがまま」なところを連想させる、ものをモチーフにしています。
表現方法は平面絵画が多いです。デジタルでは、アプリで描く事、日々の写真やスクリーンショットをコラージュしたものなどを、アナログのキャンバス、気に入った形の木、砕いた石膏などの吸収しやすい地に転写し、上から油絵、アクリル、色鉛筆などで手描きの要素を加えます。この様に制作する事で、アナログ、デジタルの行き来が可能で、デジタル、機能により様々なバージョンを転写が制作が可能です。体質の衝動生から連想したものを全て画面に使う様に執着してしまう為、我慢も必要ありません。
 
 「シャンデリア(虎に身を投げ、酒に溺れる) 」はパンフレットのシャンデリアを模写して、形を合わせる為に、トリーミングをした事によりシャンデリアのだいたいの形が出来、トリーミングの取る時に使った筆の跡が別の模様の形に見え、自分がデザインしたシャンデリアを作ろうと考えました。
そこからまずシャンデリアの飾りについて考えていました。
シャンデリアのパンフレットは父親が買ってきたものと勘違いして、描写が飽きた時に、制同じ作業をする苦痛でがありました。連想して親に対して経済的、健康的、心理的な負担をかけている為 、父親への罪悪感が湧き上がりました。父親への罪悪感がわいてききました。過去の撮影しを見返していた時、写 真の目についた東京タワーが写ったものから、その場所で感じた、ビルは美しいが、人々がいて、「出来ない自分を馬鹿にしている」と怖かった事を連想した為、コラージュしました。
 以前、「死にたくは無い」が「死ぬべき」と考えていた鬱病の時、その苦痛から逃れる為、生理的嫌悪感が無い都合がいい他人が欲しく、好きな、キャラクターを混ぜたものを作りました。その行動は家族について連想され、一人一人家族のイメージを記号化しそこから連想したものをコラージュ して描きました。そこからもっと信仰したかった為、架空のキャラクターを描くことにしました。星野王子様→クテュルフ神話→発狂→精神→ロールシャッハ・テストと連想て描きました。その絵の下の部分が気に入っておらず、色味が合っていた為、シャンデリアに合体させました。それは「ロココ式」の豪華な服装をきた人の様で、旅行で行った*ベルサイユ宮殿*のを思い出し、その宮殿の装飾を描ける様になりたくて、鉛筆で模写したものを描きコラージュました。「ロココ式」からジャン・オレノ・フラゴナール「ブランコ」のイメージが湧いてきて、その楽描きもコラージュ に入れました。
 「酒が綺麗」→「飲み歩きお金無くなる」行動が、ベルサイユ→*フランス革命*→財政破綻を連想して酒をコラージュしました。
酒は鬱病が再発し、親の援助のおかげで、引気こもる事が出来、部屋にい続け安静にしても、一定の状態から良くならず、外なら生きる為の作業、仕事探し等が出来るのではないかと、外に出ても沈む気持ちが収まらず、初めて1人で外で酒を飲んいました。それは凄い幸福と不安が柔らいでいく感じがしました。様々なお酒は美しいものが多く、写真で撮っておきました。しかし「自立してい無いのにお金を使用している事、自立の努力も出来無いのに飲みにいく」現実を見ない様にしていた為、その行動は「死」に向かって行く感じがしていました。恐怖が緩和され冷静に今、幸せだから自殺を忘れました。後は悲しい未来だけだと考えてました。それで連想されたものが*玉虫厨子*の*捨身飼虎図*を思い出しました。玉虫厨子は装飾に玉虫の羽を使用している為、宝石のイメージがあり*捨身飼虎図の崖の形がシャンデリアの装飾に使えると考えて使用しました。餓死寸前の虎の親子に身を捧げる、死が尊いものであり、今の自分が持つ事が出来そうも無い心境が欲しかった為、作品に入れました。他にも、外食した美味しい食べ物だったり、恐くて入れなかった、綺麗なお店も酒に酔っていた事で、入れました。その時撮った風景もコラージュしました。
 「シャンデリア(銀座)」を書く上で派生したもので、「シャンデリア酒」が出来、発表した時「映画の(未知との遭遇)の宇宙戦の様だ」と感想を頂きました。その(未知)という言葉に反応してしまい、AIをの自動生成を使って、絵画作品が出来る事、を思い出し、自分の絵画作品の価値が低くなりそうだと考え、使ってみました。画像を読み込み自動で絵を生成してくれるAIに「シャンデリア酒」を読み込ませたら金髪、猫耳をつけサングラスをかけ、オレンジ色のワンピースを着た女の子が出てきました。
こんな可愛く綺麗な女の子が手描きで描く事が出来ないから、苦痛を感じそれをコラージュしました。これらがデジタル作業で行った事です。
 アナログ作業では砂と白亜地を混ぜた少しザラザラし、割れたテクスチャーとペインティングナイフの跡がついた厚みのあるモデリングペーストをデジタルの作品のに会うようにつけ、布キャンバスにアクリル転写をしました。半透明に転写出来る為アクリルで強調したいところを描き込みます。
 この様にアイデアや感情が連鎖的に広がり、最終的には予想外の作品が生まれます。
私の作品には個人的な要素が多く含まれており、感情や経験をアートを通じて表現し、納得してい無い「思い込み」「わがまま」納得させようとする手段です。アートは私にとって、コミュニケーションのツールで新たな視点を見つける手段です。
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"Chandelier (dedicate yourself to the tiger,drink excessively)"
"Artistic creation is an essential means for me to express my personal experiences, emotions, and identity in a way that doesn't inconvenience others." "I am highly sensitive to stimuli, prone to hyperactive and impulsive tendencies, often inattentive, and constantly plagued by anxiety. I find it challenging to quickly absorb information and have a slow processing speed, which leads to tasks taking longer than I'd like. Consequently, I tend to have strong preconceptions, a narrow perspective, and a pronounced fixation on specific matters. This encompasses both hyperactivity and inattentive traits." "The sense of 'difficulty in living' amplifies my suffering and often leads me to desire the peace of death more than the pain of life.""I want to break free from the pain that comes from evolution, diversity, and the survival strategies of life. I utilize art as a means to express these emotions and to escape the loop of suffering from "not wanting to die" to "not wanting to live." The creative process lacks composure due to its impulsive nature.
My primary medium for artistic creation is flat painting, and I combine both digital and analog techniques. In the digital realm, I use various apps to create collages from photographs and screenshots. I then transfer these digital creations onto analog canvases or other materials, adding hand-drawn elements with oil paints, acrylics, colored pencils, and more. This method allows me to blend digital and analog elements seamlessly and enables the creation of various versions of my works. Additionally, since my process follows impulsive associations, I don't need to restrain myself.
The artwork "Chandelier" holds personal significance for me. I began creating it when my health deteriorated after graduating from university, and I found myself in a state of self-isolation. The chandelier represented beauty and aspiration to me. "Chandelier (dedicate yourself to the tiger,drink excessively)" is based on a chandelier brochure. I trimmed the brochure to fit my vision, and the brush strokes I used left patterns that resembled something different. This inspired me to design my own chandelier.
 "Furthermore, this pamphlet was something my father bought, and because it is causing financial, health-related, and psychological burdens on my parents, feelings of guilt toward my father have welled up within me."
While looking through old photos, I incorporated this element into the artwork, as I felt that despite its beauty, the presence of other people in the photo was mocking my inability to do what they could, stemming from negative associations related to my father." 
"In the past, when I was suffering from depression and thought 'I don't want to die' was turning into 'I should die,' I tried to escape from my painful emotions by creating artwork that combined my favorite characters."
This allowed me to express my feelings and memories related to my family and helped me organize my emotions through the artwork. Subsequently, I started drawing fictional characters. The transition from "Hoshino Prince" to "Hoshino Prince to Cthulhu Mythos to Madness to Psyche to Rorschach Test" was a result of my associative thought process during the creation. The lower part of the artwork didn't satisfy me, but its color scheme matched, so I combined it with the chandelier. This part features a person wearing a lavish "Rococo-style" costume, which reminded me of my visit to the Palace of Versailles during a trip. I wanted to be able to draw the palace's decorations, so I sketched a copy with a pencil and integrated it into the collage.
The idea that 'liquor is beautiful' and my behavior of 'spending money on drinking, even though I couldn't support myself,' led me to associations with the Palace of Versailles, the French Revolution, and financial ruin. Alcohol became a means of escaping the symptoms of depression, and I led a secluded life with the support of my parents. Being in my room didn't improve my mental state, and even going outside didn't alleviate my anxiety and depressed feelings. So, I had my first experience of drinking alone outside, which brought me immense happiness and a sense of relief. Various alcoholic beverages appeared beautiful to me, and I captured them in photos. However, I felt that my self-destructive actions of spending money on alcohol without making efforts to become self-reliant were irresponsible. From this, the idea of 'suicide' and the 'Sutemshi jizouzu' ('Giving Oneself to the Tigers') Buddhist painting came to mind. The Sutemshi jizouzu depicts a parent and child on the brink of starvation offering themselves to tigers. I incorporated this feeling into my artwork, wondering if there was something more painful than what I was currently feeling, given the difficulty of my current mental state.
While working on 'Chandelier (Ginza),' the idea of 'Chandelier (Sake)' emerged. During the presentation of this piece, someone commented that it felt like an encounter with the unknown, akin to space battles. This comment inspired me to remember my experiment with using AI to generate art, and I decided to incorporate AI into my work. AI read 'Chandelier Sake' and created an image of a woman with blonde hair, cat ears, sunglasses, and an orange dress—an image of someone cute and beautiful beyond my ability to express. I added this AI-generated character to the collage. These processes primarily took place in the digital realm.
In analog work, I applied a slightly gritty modeling paste mixed with sand and chalky material, creating a textured and thick surface with marks from a painting knife, to match the texture and feel of the digital artwork. I then transferred acrylics onto the fabric canvas. I used acrylics to emphasize the areas where I wanted to achieve a semi-transparent effect.
In this way, ideas and emotions spread in a chain reaction, incorporating numerous personal elements, and art becomes a means to express emotions and experiences while attempting to reconcile with unconvincing "beliefs" and "self-centeredness." Art, for me, is a tool of communication and a means to discover new perspectives.
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