Tumgik
#昭和ふるさと村
lierrelearns · 2 years
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Note: Asterisks represent characters that I couldn't read or figure out. If someone is able to figure them out, please let me know so that I can amend my post. :3
伏見神宝神社 当社は、稲荷山を背にする古名丸山(まるやま)(笹山)に鎮まる社である。天照大神、稲荷大神、十種神宝を祀り、社名神宝は、神授十種神寶に由来する。祝詞に「布留部由良由良、玉響(ふるべゆらゆらたまゆら)かして死れる(まかれる)人も反りて生きなん」とあり、神山に抱かれ、五体に宿る魂魄(たましい)を振り起こす処に神徳を見いだす鎮魂の神社である。 神域には縄文弥生を彷彿とさせる磐境、神明造の社、竹の神明鳥居、叶え雛と称する願掛*かくや姫絵馬が献ざられ、丸山笹論(まるやまさろん)の天井に深草産竹墨による天地自然を表す象形文字画月の座と題する螺鈿漆屏風、中世まで存在した社を描く屏風、拝殿に深草憧憬(ふくくさしょうけい)絵、記紀に神語る(かまかたる)墨書天井、神殿に源平盛衰記(十四世紀)に語る草童(くさのわらべ)人形、竹取の迦具夜姫(かぐやひめ)大土鈴、陽炎(かぎろひ)を表す鏡があり、事者(こともの)共に自然(おのずから)なら営みを表し、風水の循環を見立てる狛蘢(こまきゅう)、磐境、磊が存る、この社も応仁の乱後笹群磊磊(ささむらいらい)と化したが、昭和三十二年(一九五七)、社殿が蘇った。竹の下道に沿う最中伊笹群竹浅黄(たけあさみどり)清々しい静宮(しずみや)である。 京都市
伏见神宝神社 本神社位于背靠稻荷山的古名丸山(笹山)。祭祀天照大神、稻荷大神、十种神宝。神社名词中的神宝、来源于神授十种神宝。 祈祷词中这样写道: ”布留部由良由良、摇响宝玉、赤可使人从生死边界苏醒过来”。这是一个被神山环*的鎮魂神社、其神德在于能唤醒宿于五体的魂魄。 应仁之乱后、该神社化为竹林中的廀墟、1957年、神殿重建。沿竹着林中的小路、伊笹丛竹青*欲滴、令人神清气*、伏见神宝神社静静地坐落其中。 京都市
후시미 칸다카라 신사 당 신사는 뒤로 이나리야마 산올 가진 옛 이름 마루야마(사사야마)에 진좌하는 신사다. 아마테라스 어미카미, 이나리노 어카미, 도투사 칸다카라를 모시며 ‘칸다카라’라는 신사명은 신수 ‘도쿠사 칸다카라’에서 유래한다. 기도 문구에 ‘후루베 유라유라 구슬이 울려 생사의 기로에서 헤매이고 있는 사람도 되살아난다’ 로 되어 있고 신령한 산에 감싸여 오체에 깃드는 혼령을 불러 일으키는 데 효헙이 있는 진혼의 신사다. 오닌의 난 이후에 페허가 대나무 숲이 무성하였으나 1957넌에는 신전이 복구되었다. 대나무길을 따라 서 있는 이사사 대나무숲의 푸르름이 상쾌합을 주는 신사다. 쿄토시
Fushimi Kandakara-jinja Shrine This shrine is set on the mountain Sasa-yama (Maru-yama by the old name), with the mountain Inari-yama rising in the background. It is dedicated to the deities Amaterasu O-Mikami and Inari-no-Okami, and to Ten Treasures (Tokusa Kandakara) given by the deities when they descended from the heavens. The shrine name was derived from the treasures (Kandakara). A Shinto ritual prayer given at the shrine asks the deities to care for the souls of the deceased and to restore life to those people who are wavering between life and death. Fushimi Kandakara-jinja fell into ruin after the Onin War in the 15th century, but was restored in 1957. It is a quiet shrine, nestled within the light green of the surrounding bamboo forest. Kyoto City
京都市では、健全な森づくりを進めるため、市内で育った木「みやこ杣木」の活用を推進しています。 「京の森づくり」はこちら 使う 植える 育てる 伐る 健全な*]づくり**中 市内産木村 *証マーク みやこ杣木 京 この名所説明立札(*札)は、豊かな*育てる府民税を活用して設置しました。
Japanese 当社(とうしゃ) this shrine 稲荷山(いなりやま) Inariyama 背にする(せにする) to turn one’s back to 古名(こめい) old name, former name 笹山(ささやま) Sasayama 鎮まる(しずまる) to become quiet 天照大神(あまてらすおおみかみ) Amaterasu Omikami 稲荷大神(いなりのおおかみ) Inari Okami 十種神宝(とくさかんだから) ten sacred treasures 神宝(しんぽう・かんだから) sacred treasure 神授(しんじゅ) divine gift 十種神寶(とくさかんだから) ten sacred treasures 由来(ゆらい) origin, source 祝詞(のりと) riutal prayer (Shinto) 五体(ごたい) the whole body 宿る(やどる) to dwell, remain 魂魄(こんぱく) soul (hun and po) 振り起こす(ふりおこす) to stir up, stimulate 処(ところ) place 神徳(しんとく) divine virtues 見いだす(みいだす) to find out, discover 鎮魂(ちんこん) repose of a soul 神域(しんいき) Shinto shrine precincts 縄文(じょうもん) Jomon 弥生(やよい) Yayoi 彷彿(ほうふつ) (bearing a) close resemblance, vivid reminder (e.g. of the past) 磐境(いわさか) shrine (archaism) 神明造(しんめいづくり) style of shrine architecture based on that of Ise Jingu 神明(しんめい) deity; Amaterasu (as an enshrined deity) 鳥居(とりい) torii, Shinto shrine archway 雛(ひな) young chick; fledgling; hina doll 願掛(がんかけ) making a prayer (to a god or Buddha) 絵馬(えま) votive tablet; wooden tablet usually filled out with one’s name and hung up at a shrine or temple (originally a picture of a horse as a stand-in for a live horse) 献ず(けんず) to present, offer, dedicate 墨(すみ) ink-stick 象形文字(しょうけいもじ) hieroglyphics 題する(だいする) to be titled (e.g. a book), named 螺鈿(らでん) mother of pearl 漆(うるし) East-Asian lacquer 屏風(びょうぶ) folding screen 拝殿(はいでん) front shrine; hall of worship 記紀(きき) the Kojiki and Nihon-shoki 墨書(ぼくしょ) writing in India ink 源平盛衰記(げんぺいせいすいき) Genpei Josuiki/Seisuiki, a 48-book extension of the Heike Monogatari 土鈴(どれい) earthenware (ceramic) bill 陽炎(かぎろひ) heat shimmer, heat haze; the glow of dawn [archaic] 風水(ふうすい) feng shui 循環(じゅんかん) circulation, rotation, cycle 見立てる(みたてる) to (see and) choose; to liken (to), to treat as 磐境(いわさか) shrine [archaic] 磊(らい) many rocks 応仁の乱(おうにんのらん) Onin War [civil war from 1467 to 1477; initiated the Sengoku period] 社殿(しゃでん) (main building of a) Shinto shrine 蘇る(よみがえる) to be rehabilitated, restored 下道(したみち) road shadowed by trees, mountain, etc. 浅黄 [浅葱] (あさぎ) pale blue-green [in this context] 清々しい(すがすがしい) refreshing (feeling, scene, wind etc.) 健全(けんぜん) healthy, sound, wholesome みやこ杣木(みやこそまぎ) lumber wood cut from trees raised in the capital (Kyoto) 伐る(きる) to cut down (trees) 立札(たてふだ) bulletin board, notice board
Chinese 本 (běn) this 神社 (shénshè) shrine 位于 (wèiyú) to be located at/situated at 丸山 (Wánshān) Maruyama 来源于 (láiyuányú) to originate in 祈祷 (qídǎo) to pray/prayer 这样 (zhèyàng) this kind of, so, like this, this way 宝玉 (bǎoyù) precious treasures, jade 人从 (réncóng) retinue, hangers-on 生死 (shēngsǐ) life or death 边界 (biānjiè) boundary, border 苏醒 (sūxǐng) to come to, awaken, come to consciousness 过来 (guòlái) to come over; to manage, handle, to be able to take care of 在于 (zàiyú) to be in, lie in, consist in, depend on 唤醒 (huànxǐng) to wake someone, to rouse 魂魄 (húnpò) soul 应仁之乱 (Yīngrénzhīluàn) Onin War 后 (hòu) after 竹林 (zhúlín) bamboo forest 神殿 (shéndiàn) shrine 重建 (chóngjiàn) to rebuild, reconstruct 小路 (xiǎolù) trail 丛 (cóng) thicket 竹青 (zhúqīng) bamboo bark, bamboo green 坐落 (zuòluò) to be situated/located (of a building)
Korean 신사 (Shinto) shrine 당 this 가지다 to have 진좌하다 to be enshrined 유래하다 to originate 기도 prayer, wish 문구 words, phrase 구슬 bead 울리다 to ring, toll 생사 life and/or death 기로 crossroads, turning point 해매다 to wander, roam 되살아난다 to revive, be brought back 신령하다 to be divine 감싸다 to cover, wrap (up) 오체 the whole body, frame 혼령 soul 불러일으키다 to cause, rouse 효헙이 있다 to be effective, do good 진혼 repose of souls 오닌의 난 Onin War 대나무 bamboo 무성하다 to be lush, thick, overgrown 복구되다 to be restored, recovered 푸르름 greenness/blueness 상괜하다 fresh, refreshing
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1003books · 2 months
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3/20-31【観読往来】「風よ あらしよ」
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村山由佳の評伝を原作に、大正時代に女性解放運動家として活動した伊藤野枝の人生を描いた『風よ あらしよ』。
本作の公開を記念して、元町映画館 @moto_ei とのタイアップフェア【観読往来】を当店にて開催します。原作書籍はもちろん、女性が参政権を得られなかった大正~昭和初期に言葉の力を信じ筆をふるった女性たちについて書かれた本たちも並びます。自分らしく自由に生きられるために闘った女性たちが、映画の世界をさらに広げてくれます。ぜひ書籍でも伊藤野枝や同時代の女性たちに出会ってください!
◆開催期間:3/20(水)~3/31(日) ◆店舗情報: 1003 神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビル504号室 TEL050-3692−1329 12:00~19:00 火・水曜休 https://1003books.tumblr.com/
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mementoboni · 5 months
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踊り子(Odoriko) - 村下孝蔵(Murashita Kozo)
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12/20 Die在他的生日音樂會上演奏了〈踊り子〉 我非常非常喜歡這首歌 (好吧其實Die的選曲都深得我心,滿滿昭和感) 好羨慕在現場的人啊
Die played "Odoriko" at his birthday concert I can't tell how much I love this song (well, actually I love all the songs Die chose, it's full of Showa feeling) I envy those who were there!
日文歌詞 / Japanese Lyrics 👇
答えを出さずにいつまでも暮らせない バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから 何処かに行きたい 林檎の花が咲いてる 暖かい所なら 何処へでも行く つまさきで立ったまま 君を愛してきた 南向きの窓から 見ていた空が 踊り出す くるくると 軽いめまいの後 写真をばらまいたように 心が乱れる 表紙のとれてる愛だからかくしあい ボロボロの台詞だけ 語り合う日々が続き 坂道を駆ける子供達のようだった 倒れそうなまま二人走っていたね つまさきで立ったまま 僕を愛してきた 狭い舞台の上で ふらつく踊り子 愛してる 愛せない 言葉をかえながら かけひきだけの愛は 見えなくなってゆく つまさきで立ったまま 二人愛してきた 狭い舞台の上で ふらつく踊り子 若すぎたそれだけが すべての答えだと 涙をこらえたまま つまさき立ちの恋
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
 前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入ってきました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄る危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在は“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解しつつ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが、マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞め���るを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超えるフランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっている」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」を確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含されると考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
代時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
が���らに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご苦労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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tominohouzan · 1 year
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さよなら中野サンプラザ音楽祭 2023年6月10日(土)中野サンプラザ
50年の歴史を持ってこの夏、中野サンプラザが閉館する。私が初めて中野サンプラザホールでコンサートを見たのは1994年のプライマル・スクリームRocksツアーだった。バリバリのティーンだった私にとっては全財産を叩いて買ったようなチケットだったし、何より一人で洋楽バンドのコンサートに参加するなんて、何だか背伸びをしているような悪いことをしているような不思議な感覚だった。私の前の席のお姉さんが親の仇のごとく踊り狂っていて、ウブで純粋だった私はロックって凄いなぁととにかく圧倒されっぱなしだった事もよく覚えている。 最寄り駅で電車を待っていると後ろから女性に声をかけられた。「すみません。お洋服にタグがついていますよ」恥ずかしさと有り難さで女性にペコペコとお礼する。練馬駅から「中92」のバスに乗って中野に向かう。この番号はいつの間にか暗記している。
▼OCHA NORMA & ハロプロ研修生 :★★★★(4.0) 1階4列下手中央より。凄い良席が来た。もしかしたらこれまでサンプラザに入ったなかでも一番いいカモしれない。 昇格が決まっている花ちゃん、みっぷる、下井谷さんだが、研修生として見るのはこれが最後だろう。花ちゃんの小手先に頼らない精一杯のパフォーマンスは、たくさんの演者が並ぶステージでも飛び抜けて輝いていて、見ているだけでジワジワと涙腺が緩んでしまう。 MCコーナーは中野サンプラザのエピソードというテーマで吉田、川島、後藤の3人。吉田ひのはちゃんとみっぷるはサンプラザのいい思い出をいい感じに語っていたが、花ちゃんは「研修生の楽屋が遠い」という意図的に間の抜けた話を繰り出していて流石だなと感心した。 研ユニはやはりほのほのがとても可愛い。挨拶も噛まずに流暢にこなすのでリーダー向きだなぁと思った。あと研ユニのユニゾンはカントリーのユニゾンに似ていると思った。どんな方向性でデビューするのか全く分からないが、凍結されたカントリーリブート計画もまんざら不可能ではない気がしている。 オチャノーマは久しぶりに見るような気がする。なにせCityCircuitツアーには一度も参加していない。新曲を何曲か披露していたが、一曲凄くかっこいい曲があったが、曲名は忘れてしまった。あと石栗ちゃんから指差しレスをもらった気がする(確度80%) クロージングの曲は彼女になりたい。はまちょーでみんな誰かの名前を叫んでいるが全員バラバラで聞き取れない。
▼つばきファクトリー :★★★☆(3.5) 1階6列最下手。ステージは近いがほぼ人権のない席だ。なにせ下手PAより更に下手なのだ。ちなみに知らなかったのだが、5列には0番の左にさらに00番という席があるのを確認した。このあたりのエリアは完全にメンバーの視界外だろう。とはいえステージは近いのだから、レスを求めないのであれ悪くもないかも。と思っていたが、メンバー全員がまったくこちらを向いていない状況はかなりの疎外感があり、結構シンドい。 意外にも最初に我々のエリアに人権をくれたのはあんみぃだった。下手にきたときにこちらのエリアにアピールをくれた。衣装チェンジ後の希空ちゃんの太ももがやばい。黒のロングブーツにセーラームーンばりの青いミニスカート。���ジやびぃ。会場内場外エリアを活用してガン見する。 PAスピーカーの直前で聞くアドレナリンのベースラインは超楽しい。通路席なので激しくゆらゆらすると非常に具合がよろしい。どうやらアドレナリンのどこかにヤギシオリ!コールを入れれるパートがあるらしい。今度確認しよう。 50年経とうが中野サンプラザが素晴らしい会場であることには変わらない。NIRVANAが消化器をぶち撒けた伝説の会場でもある。本当につくづく勿体ない。 ちなみに服についていたタグはサンプラザの受付でトートバッグを買った際にはさみを借りて切った。
<今日のパンチライン> 米村「(花ちゃんのトークに対して)なかなかでしたね」 広本「期待を裏切られない感じの」
まおぴん「いっかいあたしたちの衣装、イオンモールとかで見たことがあるんですけど」
<OCHA NORMA & ハロプロ研修生セトリ> 01.天まで登れ![ハロプロ研修生]/OCHA NORMA、ハロプロ研修生 02.彼女になりたいっ!!![ハロプロ研修生]/OCHA NORMA、ハロプロ研修生 MC(OCHA NORMA、ハロプロ研修生) 03.きみの登場/ハロプロ研修生 04.Say! Hello!/松原、小野田、橋田、村越、植村、吉田、後藤、下井谷、上村 05.Crying/松原、小野田、橋田、村越、植村、川嶋、上村、河野、林 06.正しい青春ってなんだろう/ハロプロ研修生 MC (広本、米村、吉田、川嶋、後藤) 07.ダイスキだけど付き合えない/松原、小野田、橋田、村越、植村 08.悪いヒト/松原、小野田、橋田、村越、植村 09.女で地球は回ってる/松原、小野田、橋田、村越、植村 MC(村越、植村) 10.ちょっと情緒不安定?…夏(新曲)/OCHA NORMA 11.Hello! 生まれた意味がきっとある/OCHA NORMA 12.ヨリドリ ME DREAM/OCHA NORMA MC(OCHA NORMA) 13.ラヴィ・ダヴィ/OCHA NORMA 14.ウチらの地元は地球じゃん!/OCHA NORMA 15.素肌は熱帯夜/OCHA NORMA 16.オチャノマ マホロバ イコイノバ~昭和も令和もワッチャワチャ~(新曲)/OCHA NORMA ENCORE 17.色とりどり伸びよ!!/ハロプロ研修生 18.かっちょいい歌[ハロー!プロジェクト モベキマス]/松原、小野田、橋田、村越、植村 19.恋のクラウチングスタート/OCHA NORMA MC(OCHA NORMA、ハロプロ研修生) 20.Rainbow[ハロプロ研修生]/OCHA NORMA、ハロプロ研修生
<つばきファクトリー セットリスト> 01.七分咲きのつづき 02.スキップ・スキップ・スキップ 03.うるわしのカメリア MC 04.ふわり、恋時計 05.春恋歌 06.ハナモヨウ 07.純情cm(センチメートル) 08.三回目のデート神話 MC 09.メドレー 恋のUFOキャッチャー×アイドル天職音頭 ~ 断捨ISM ~ だからなんなんだ!×断捨ISM/岸本、小野田、秋山、河西、福田 10.約束・連絡・記念日/山岸、新沼、谷本、小野、八木、豫風 11.独り占め MC 12.マサユメ 13.間違いじゃない 泣いたりしない 14.涙のヒロイン降板劇 15.アドレナリン・ダメ 16.愛は今、愛を求めてる MC 17.ふりさけみれば… ENCORE 18.17才 MC 19.初恋サンライズ MC 20.My Darling~Do you love me?~
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minatokucarpet · 1 year
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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tutai-k · 1 year
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人生で一度もカッパを見たことがない
年が変わってすぐの三連休。 年末年始がごろごろしているだけで終わったから、なにかしたい…と思っていたが、家のことがバタバタしていて遠出や、友人のワンオペ育児のお手伝いなど、「できたらいいなあ」と思っていたことは一つもできなかった。
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土曜、日曜は、母親が「夕日を撮りたい」というので、地元の有名な橋へ出かけた。 母親は登山が趣味で、休みの日はほとんど山にでかけているのだが、目の手術をしたのでどこへもいけない。自分で車にも乗れないので、わたしがあちこちつれていくしかない。 土曜日は曇りで、撮影をしているひとはひとりしかいなかったが、日曜日はたくさんのカメラマンがいて、みんな夕日というよりは夕焼けと橋を撮っているようだった。 月曜も、いろいろな買い物のついでに「散歩がしたい」というので、わたしのいつもの鳥写コースを母親と一緒に回った。 日曜日に夕焼けスポットにいたひとが鳥写コース(カワセミが近くで見られる穴場)にふたりもいて気まずい。かれらはカワセミを狙っていたようだが、わたしはその向こうの猛禽ポイントへ行きたかったので立ち止まらずにポイントへ。 猛禽はミサゴすらみられず、退屈する母親が「もう帰ろう」と言い出してひきあげることに。また夕日のカワセミおじさんたちと顔を合わせるのがいやで、別ルートで帰った。
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家の仕事をちょこちょこやってから、文フリの荷物の出荷をする。 前回の文フリ大阪は手搬入だったのだが、今回は宅配搬入だ。久しぶりだし、荷物の作り方や、何を入れていたかの記憶もあやしい。 「本と敷布さえ入っていればなんとかなるはず」と本と敷布、あとお品書きをいれた。 お品書きはネットワークプリントで出力したのだが、ネットワークがとても混雑していて、一つ目のコンビニで20分粘りうまくいかず、母親の美容院(目の手術をするとお風呂に入れないし髪は美容院で洗ってもらわないと行けない)のためいったん帰宅して、洗髪のあとでまたコンビニで20分くらい格闘してなんとか出した。 「こんなに苦労したかなあ…」と思いながらも、見本誌もちゃんと帯を巻いて値段も入れてつくったし、本と敷布は入れたから大丈夫。120サイズの段ボールが、重たくて140サイズの値段になった。
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宅配を出し終えて、ちょっとゆっくりしようとしていたら、つらいことがあった。これはまだいまの時点では「何」とは言えない(顛末がどうなるかわからないので)のだけれど、それがとてもつらくて、文フリにも行けないかも…ということもあって、いろんな人に連絡をした。 約束をしていたひとびとにはとても心配をされてしまったし、迷惑をかけてしまうことになるので、なんとか文フリにいけるようになりたい。 12月頭の事故から、じつはいろんな不運があった。これがとどめのような気がして、恐くなって地元の神社にお参りにいく。 前にも書いたがわたしは信仰心のある人間なので、「なにか」があるときは神社にいくのである。 地元の氏神様は、わたしが小学生のころはお社にコウモリが住み着いていた。祖父、父、私と、三代、この神社の池(底なし沼だとまことしやかにささやかれている)でカッパを見たという同級生がいるのだが、弟たちの代ではカッパの目撃例はない。祖父は大正・父と私は昭和、弟は平成で、カッパは平成の時代には絶滅していたのかもしれない。 そういえば、もうひとつ「底なし沼だ」と言われていた古墳がある山のふもとの底なし沼はいつのまにか埋め立てられてしまって、底なし沼でないことがわかった(もしかしたらアスファルトの下では地盤沈下?が進んでいるのかも知れないが)。 かつてはコウモリとカッパが棲んでいた氏神様だが、手水に花が活けられていて、社の中もきれいに掃除されていて、いまではコウモリもいない。神社の裏にすんでいるおじさんが、きれいにしてくれているのだ。 カッパ池にカルガモがいたので眺めていたら、おじさんが「ここ、いろんな鳥が来るよ」と教えてくれた。 カモはやすみに来るし、コゲラもいる、わたしはここでヤマガラを見た。とても近くまでやってくるのだ。 そういえばこの神社で、父親が小さいころにフクロウを見たことがあると言っていた。 「フクロウ、いたんですか」と尋ねると、 「いまもいるよ」と。「姿は見ないけど、鳴声が聞こえる」 カッパもコウモリもいなくなったが、フクロウは父の世代から連綿といのちをつないでいるらしい。 夏にまた探しに来ようと思った。 「守っていきたいんや」とおじさんは言いながら見送ってくれた。 小さいころからいろんなときに、用があってもなくても訪れている神社だから、わたしも「守られていきたい」と思っている。
氏神様にお祈りをしたおかげか、いまのところ不運続きのとどめみたいな出来事は落ち着いている。小康状態……というか、予断は許されない状況だが、このままうわむいていって、文フリにもいけて、日常がもどってくればいいと思う。
その日の夜は本を読んだ。 石牟礼道子の『苦海浄土』だ。水俣病のルポルタージュ、といえばいいのだろうか。水俣病のことをなにもしらないので、病気のことも調べながら読んでいる。
「”文明”に閉ざされている都市市民たちには、もはや天地自然の中での原理的な生活法や、そのような生活者の心情がわからない。」『苦海浄土』石牟礼道子(講談社文庫)
まだすべてを読み終えていないし、水俣病について知っていることはなにもないのだが、文明と文化の衝突・葛藤を感じている。 読んだものを自分の作品や人生につなげてしまうのは乱暴だと思うが、『浜辺の村でだれかと暮らせば』を書いていた時にもどかしく思っていた「文明」への葛藤に重なる部分がある。 もうすこしで読み終わってしまう。これを読み終わったら、世界全集版に手を伸ばそうと思う。
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oniwastagram · 1 year
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📸秋野不矩美術館 茶室“望矩楼” / Akino Fuku Art Museum Tearoom, Hamamatsu, Shizuoka ——天竜二俣出身、京都画壇で学び京都の文化功労者でもある日本画家 #秋野不矩 の作品の世界観を表現した、#藤森照信 の初期の建築作品。2018年にはツリー型の新作茶室“望矩楼”も。 次回特別展は『中村正義展-日本画を超えて-』展(2023年1月28日〜) 静岡・秋野不矩美術館 茶室“望矩楼”の紹介は☟ https://oniwa.garden/hamamatsu-akinofuku-art-museum/ ...... 「浜松市秋野不矩美術館」は現・浜松市天竜区二俣町出身の日本画家・秋野不矩の作品を中心とした展示が見られる美術館。 その建築は藤森照信/内田祥士による設計で、藤森照信さんの建築家としての初期の作品の一つ。2018年には茶室“望矩楼”が新たに登場しました🍵 . これまでも長野県・茅野の『フジモリ茶室』(空飛ぶ泥舟・高過庵・低過庵)や滋賀県・近江八幡の『ラ コリーナ近江八幡』などを紹介している通り、藤森照信建築ファンです。 自分が「建築を見る」ことのきっかけになったのはこの方の建築であり、この秋野不矩美術館! . 前述の2つ程「園地・ランドスケープ」って感じではない(と思い込んでた)ので紹介してなかったけど、数年間行っていなかった間に茶室“望矩楼”が加わってたのでこれを機に紹介します。 ほんとは特別展『日本画で綴る 源氏物語五十四帖展』がすごく良かったので会期中に紹介するつもりだったのだけど…終わった直後になってしまった…🖼 . 旧・静岡県磐田郡二俣町(後の天竜市二俣町)に生まれ、20代前半の頃は京都画壇・西山翠嶂に師事、その後は京都を拠点に昭和〜平成年代に活躍した秋野不矩。(余談なのだけど、先日京都の方に西山翠嶂のお話を聞いたばかりだったから「あの西山翠嶂!」という気分に) . この美術館が当初建った天竜市(→浜松市に吸収合併)の名誉市民であるだけでなく、京都市立芸術大学の名誉教授もつとめた京都でも文化功労者として表彰。晩年には文化勲章も受章されました🎖 . その晩年の1998年(平成10年)に地元・天竜市に開館したのがこの秋野不矩美術館。特徴的なのはその外観。 一応中は鉄筋コンクリート造らしいのだけれど、土塀って感じの漆喰や地元の天竜杉をふんだんに使った自然風な建築で自然の山の中腹に溶け込んでいます(コンセプトは「秋野不矩作品との調和」)。 続く。 - - - - - - - - #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanesegarden #japanesegardens #beautifuljapan #landscapedesign #gardendesign #japanmuseum #artmuseum #japanart #ランドスケープ #建築デザイン #茶室 #teaceremonyroom #美術館 #現代美術館 #庭園美術館 #fujimoriterunobu #akinofuku #天竜市 #天竜区 #天竜二俣 #二俣 #浜松市 #hamamatsu #おにわさん (秋野不矩美術館) https://www.instagram.com/p/CligeG_P7cV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hideki-kaji · 1 year
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2022.12.07 「A ROOM WITHOUT YOU e.p.」
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カジヒデキ「A ROOM WITHOUT YOU e.p. 」 [CD] 2022.12.07 Release
BBC-014 1,500円税別
CD収録曲 1. きみのいない部屋(Hideki Kaji / Hideki Kaji) 2. A Merry Jingle [ performed by DOTS + BORDERS ] 3. ハローとスマイル - HOMEMADE session version(Hideki Kaji / Hideki Kaji)
カジヒデキ、2022年を締めくくる冬の歌をリリース!
春に「APRIL FOOL」、夏には「SUMMER SUNDAY SMILE」と、その時々の季節の風景を盛り込んだ楽曲をリリースしてきたカジヒデキの2022年を締めくるる冬の楽曲たちが完成いたしました。 今年のウィンターソングは、レイモンド・カーヴァー風な(?)どんでん返しでハッとしてグーな、切なくもふわっと温かいラブソングです。 僕自身、クリスマスソングや冬をテーマにした歌を書くと、なぜか別れの歌や、ひとりぼっちの歌になってしまう。それはきっとAztec Cameraの「Walk Out To Winter」や、フリッパーズ・ギターの「すべての言葉はさようなら」と言った冬の歌が好きだったから。そう、WHAMの「Last Christmas」とかね。今年こそはハッピーな冬の歌を書こうとしたところ、堀江プロデューサーから「一人で過ごす冬の一日、みたいな歌詞がいいんじゃない?」とアドバイスを受けたので、やっぱり僕には一人きりの冬が似合うんだなと「きみのいない部屋」を書きました。ただ、寂しい歌にはしたくなかった。一見、別れの歌なのかと思わせて、全然違う結末を迎える。まるでレイモンド・カーヴァーの短編小説にありそうなストーリー。もしくは数年前、上野樹里さんと中村倫也さんが出演されていた大和ハウスのCM。怖がりの頼りない夫だけど、とても優しくて信頼がおける人物。そんな人を主人公にしてみた切なくも温かいラブソングです。 この曲のサウンドの肝は、堀江博久くんのキーボードと、とても古い付き合いながら僕のレコーディングでは初登場の深沼元昭くんのギター!深沼くん率いるPLAGUESで20年以上ライブ活動を共にしてきた二人のアンサンブルは極上です。ネオアコ心も持つロッカー、深沼くんのアルペジオやフレーズのエモさにどうぞ泣いて下さい。MIXも深沼くんに初依頼し、僕が求めて来たネオアコの真髄に、また一歩近づくことが出来ました! 2曲目のカヴァーは堀江くんの発案。以前からこの曲を演ろうってよく言われていた、ハッピー極まり無いクリスマスソング! 昨年リリースしたウィザードの「毎日がクリスマス」に続き、ヴェリー・ブリティッシュな70年代の名曲。そう、僕らは完全に英国派であり、ロンドナーを気取りたいんです笑!久しぶりにDOTS + BORDERS名義で。これは来年活動再開するのか!? 3曲目の「ハローとスマイル」はスウェーデンの冬をテーマに作ったコンセプトアルバム「SWEET SWEDISH WINTER」収録曲のセルフカヴァー。この曲の歌詞は、1995年6月に僕が初めてスウェーデンを訪れた時、シェレフティオと言う最北の街で開催されたフェスを観に行き、その時に出会った当時大好きだったバンドのボーカルの男子と意気投合した実話が、元になっています。もちろんニューヨークの話は脚色ですが、バンドマンはみんなこんな夢を持っているよね!と言う歌です。 PET SHOP BOYの「LONDON」と言う、僕の大好きな曲にもインスパイアされて作った曲です。 カジヒデキ 全曲解説でした! ※2曲目の「A Merry Jingle」はThe Greediesが1979年に唯一発表したシングル曲のカヴァー。 メンバ��はThin Lizzy、Sex Pistolsのメンバーからなる所謂スーパーグループになります。 「きみのいない部屋」 Hideki Kaji / Hideki Kaji produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, bass Hirohisa Horie : keyboards, programming Hideki GEN Hara : drums Motoaki Fukanuma : acoustic guitar, electric guitar recorded by Kosuke Takahashi at STUDIO K5 vocal and chorus recorded by Shuhei Ueda keyboards recorded by Hirohisa Horie electric guitar recorded by Motoaki Fukanuma mixed by Motoaki Fukanuma 「 A Merry Jingle」performed by DOTS + BORDERS produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, bass Hirohisa Horie : vocal, chorus, guitars Hideki GEN Hara : drums, chorus recorded by Kosuke Takahashi at STUDIO K5 additional chorus recorded by Shuhei Ueda mixed by Kosuke Takahashi 「ハローとスマイル - HOMEMADE session version」 Hideki Kaji / Hideki Kaji produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, acoustic guitar Hirohisa Horie : rhodes piano, synthesizer mixed by Hirohisa Horie Mastering Engineer : Shuhei Ueda Hitoshi "KINK" Suzuki : design Tetsuya Yamakawa : photography
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kennak · 2 years
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1968年~1990年 自民党・統一教会に密接な関係があった時代1968年 世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が国際勝共連合を設立1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]。また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清、箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[16]。1986年の第38回、1990年(平成2年)の第39回、1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子[17] は、霊感商法の霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている[18]。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[19] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない」[20] と歯切れの悪い回答を残している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%881990年~ 保守界隈が統一教会と距離を取った時代統一教会においては「天皇であろうが大臣であろうが、祝福(合同結婚式)を受けないと救われない」と教えられている。(中略)それにしても皇太子を伝道師、合同結婚式に出ることも「夢の様な話ですが、これは可能なこと」という文鮮明教祖の発言について、「勝共文化人」と呼ばれてきた人たちは、どう答えるのだろうか。共産主義に対抗し、勝利することを使命として連帯してきた彼らは、多くの場合、熱烈な民族主義者でもあり、皇室崇拝論を展開してきた。勝共連合の背景にこんな「教え」があったことを知っていたのだろうか。92年の合同結婚式直前に、『産経新聞』(8月12日付)は、「私たちは〝国際合同結婚式〟を応援します」という意見広告を掲載した。そこには大学教授や評論家たち97人が名前を連ねた(もっとも勝手に名前を使われた人もいたが)。この広告を出したのは「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」。世話人には政治評論家の細川隆一郎氏がいた。細川氏は、90年4月10日から13日までモスクワで開かれた世界言論人会議(文鮮明教祖が主催)にも参加している。文教祖の発言について聞くと、こんな答えが戻ってきた。「まったく話になりません。論評する必要もなく、皇室を侮辱するものです。(中略)こんなことを言うとは、失礼極まりない。余計なお世話もいいところです」―『産経新聞』の意見広告は?あれは、桜田淳子さんの結婚をおめでたい、とお祝いしただけですよ」(中略)「勝共を応援する会」の活動を熱心に行ってきた一人に木内信胤氏がいる。木内氏はこの会の会長を長年務めてきた。「勝共を応援する会」とは、統一教会の友好団体である国際勝共連合を応援する団体である。この木内氏は、ソ連、東欧の急変を目の当たりにして「我々応援する会とし���は、目得たく解散すべきものである」ということを、国際勝共連合の名称変更とともに久保木会長(統一教会および国際勝共連合の会長だった)に申し入れていた。ところが久保木氏からはっきりした返事だなかったため、木内氏は国際勝共連合と袂を分かった。その理由を木内氏はこう書いている。〈共産主義が今日の状態になつたにも拘らず、引き続いて『国際勝共連合』と関係をもつといふことは、自然に文鮮明という方の特殊な宗教的な活動の片棒を担ぐことになる。そのことを私としては、厳密に避けたいと考へたからに他なりません〉(『私の宗教観』91年)(中略)木内氏は、問題の文鮮明発言についてこう語っている。 「こういう発言は無視すればいいんです。黙殺するのがいい。ああいう人間とは議論すべきじゃありません。私はソ連がこうなる前に勝共連合はやめました。統一教会とも文鮮明ともとっくに縁を切っている。もう反共などという時代じゃないし、それよりも文鮮明がヘンテコリンな男であることも分かって縁を切りました」有田芳生 1997 「神の国」の崩壊(221-223頁)統一教会のこんな韓国中心主義に対して、民族派からの反発は強い。一水会の木村三浩書記長は、統一教会会員が国会議員の秘書になっていることをふくめてこう語る。統一教会の阿部令子が渡辺美智雄の秘蔵っ子として登場して、自民党の公認で選挙に出た。当選には至らなかったけれど、自分たちが立ってだめだったら、まずは秘書として政権の中に入って、情報収集や懐柔をし、人脈や金脈を作っていこうというのではないですか。私たちが統一協会を批判するのは、天皇陛下の問題はもちろんですが、日本が過去に朝鮮を侵略した誤りにつけこんで韓国中心を唱えるのは独善だということです。しかも、これが文鮮明の利害のためとくればなおさらです。私たちは、ここの統一教会員に対してはむしろ哀れぐらいに思っています。人に対してではなく、その教義、さらに贖罪意識に乗ったやり方に抗議しているんです」こういった批判は、一水会だけではない。戦前からの右翼で文鮮明や久保木修己とも親しかった畑時夫の証言を聞こう。 畑に言わせれば、文鮮明は「宗教を軸にした国際的錬金師」だと言う。私たちの前で、ある統一教会幹部に電話してくれた畑は、統一教会員が国会議員秘書にどれくらい入っているのかを聞いてくれた。その相手は「以前ほどではないが相当送り込んでいる」と答えている。「勝共ということで日本の政治家はだまされた。これが統一教会ということなら、政治家もこれほどまでは接近しなかっただろう」というのが、国会議員に統一教会が浸透できた理由だと畑は見る。有田芳生 1992 『統一教会とは何か』(108-109頁)http://fb90wx.g1.xrea.com/k/to/lo/nseiji.htmlそれは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているのである。(引用元)安倍晋三と統一教会(1)~(4)http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/12d4d733eaea2d590f8b73716ce042ab/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/37e6d95f53187d5d2f48ab8bdb281d81/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/695fe400235e6e5706874dc9a7e17167/http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/1230584c94947653d0e01007c631dc13/統一教会と日本の政治 http://fb90wx.g1.xrea.com/k/to/lo/nseiji.html近年 再び統一教会と近づく保守界隈 霊感商法や集団結婚などの被害が長く社会問題になっている旧統一協会(世界平和統一家庭連合に改称)に関連する団体が開いた大規模集会に安倍晋三前首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと演説していたことが17日までに分かりました。旧統一協会が勧誘活動や宣伝に利用することで新たな被害につながるおそれがあり、安倍氏の道義的責任が問われます。 安倍氏がビデオメッセージで演説したのは、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで12日に開いた集会「シンクタンク2022 希望前進大会」です。UPFは統一協会の開祖である文鮮明(故人)と、その妻で現家庭連合総裁の韓鶴子が2005年にニューヨークで創設したNGOです。 同集会では、トランプ前米国大統領に続いて左胸に議員バッジをつけた安倍氏が会場の大型スクリーンに映し出され、約5分間の演説をしました。 安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、次のような発言をしました。 「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」。実質的なトップの名をあげ、旧統一協会を称賛した形です。 旧統一協会と一体の右翼団体「勝共連合」は、ジェンダー平等を「社会における男女のあり方、そして家庭のあり方を根本から変えてしまおうという危険な思想」としています。 安倍氏の演説の中で目立ったのは、旧統一協会の思想にある家族観への共鳴です。 安倍氏は「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」と褒め上げ、その上で「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と呼びかけました。 ジェンダー平等などを「偏った価値観」とみなし、個人を尊重する社会を目指す運動を非難するのは異様と言えますが、同集会の司会者は「たいへん感動的な演説」と評価しました。 本紙の取材にUPFジャパン(東京都新宿区)は、米国のUPFインターナショナルと「ワシントン・タイムズ」(旧統一協会系メディア)が安倍氏側にビデオメッセージを依頼したと説明しました。旧統一協会系集会にメッセージ/安倍前首相「総裁に敬意」/宣伝利用で霊感商法被害拡大の恐れ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-18/2021091815_01_0.html
統一教会と安倍晋三・自民党
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cellophanemaryjane · 2 years
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私にもサブカルのこと書かせて-番外編(タモリと山田邦子)
スタジオボイスでナンシー関が連載していた「信仰の現場」の、笑っていいともを見に行く回が面白かったです。今でこそタモリは権威主義なオタクに愛されるキャラクターになったけど、その頃は俗にいう「男の更年期」時代でタモリもピリピリしたところがあったし、ちょっと笑っていいともとかダサいよねという空気が一部にありました。あんなにつまらなくなって終わったのに、最終回のインパクトのせいなのか喉元過ぎればということなのか「すごい番組だった」「終わらなくてもよかったのに」とか言ってる人たちを見ると、大衆というものはなんて現金なんだろうと思います。
タモリのことで私がすごく驚いたのは、その頃お笑い芸人としては最もエッジーな存在だったダウンタウンが司会をしている生放送の特番で、秘密のゲストとしてタモリが電話をかけてきてクイズを出すという場面でのことです。生放送でちょっとバタバタしてるところへもって、タモリが突然ダウンタウンに向かって「お前ら俺のこと馬鹿にしてんだろ」と言ったのです。ダウンタウンの2人はタモリがそんなこと言うなんてまったく思ってなかったようで、「そんなことないですよ、してませんよ」とふざけずに返していました。あれにはびっくりしましたが、あの頃のタモリにはそういうところがあった。
タモリがお昼に出るなんて信じられない、と言われていた頃は私もリアルではわからないのですが、その頃のタモリを森茉莉が「ドッキリチャンネル」でけちょんけちょんに貶していたのは読みました。森茉莉はタモリの見た目がどうしても受け付けないと書いたのに、却ってタモリから対談を申し込まれてしまいます。森茉莉は「あんなに見た目が無理って書いたのにババアだと思って舐めやがって」と憤り、再びどこがどういうふうに受け付けないかを書いて断りました。
私はこの件に関して、お茉莉はちょっと誤解している、と思っています。一視聴者である私の意見としては、タモリという人は飲んだりする時、バカでもなんでもいいから若くてきれいな女がいればいい、というタイプには見えないのです。きれいな人はもちろん好きだけど、例えブスでもババアでもおっさんでも、話のわかる面白い人といる方が基本的にはいい、という男の人に見える。(こういうタイプの男性はたまにいる)そして森茉莉はまさに話は面白そうだし、無理やり相手を持ち上げたりしない人だし、タモリが会ってみたいと思ってもおかしくありません。
それからずっと経って私も笑っていいともをほとんど見なくなったのですが、たまたま見ていた時にクイズのコーナーで「森鴎外は何のお茶漬けが好きだったでしょう」という問題をやっていたことがありました。正解はもちろん「葬式饅頭のお茶漬け」なのですが、鴎外はそのことを文章に残していなかったみたいで、森茉莉の文章が紹介されました。その時タモリはたまに見せることがある、まわりの反応はどうでもいいからこれだけは言うぞという表情で、「俺答え知ってたんだ。娘の茉莉さんも作家なんだよ。」というようなことをやけにキッパリと言ったのです。もちろん周りは「…へぇ〜」という感じでした。私はそれを見た時に、やっぱりタモリは森茉莉に自分の見た目を気持ち悪がられたことなんて気にしてなかったんだなと思いました。
私は最近の明石家さんまやビートたけしを老害扱いして、タモリを「いい年の取り方をしている」と持ち上げる風潮が苦手です。いい年の取り方なんて他人に決められたくない。私は男の更年期の頃のタモリの方が好きだったよ。笑っていいともで、急に黙ってカエル逆立ちするタモリ。ジャングルクッキングで、お題の料理を作るのに手を貸さず、その辺の材料をなぜか置いてある七輪で炙って「この方がうまいよ」って言ってたタモリ。
そしてもう1人、山田邦子。山田邦子がサブカルだったことは一度もないのですが、私はなぜか好きでした。(だからこ��からはサブカルではなくただの90年代のテレビの思い出です)
とはいえ、さすがの私も「やまだかつてないTV」の時は見放しかけました。それにその頃は笑っていいとも同様、山田邦子とかゴールデンの番組はダサいよねみたいな感じがありました。そして「やまかつ」が終わり好感度が下がっていき、サブカル的には「イジってもいい」ような感じになってしまいました。しかし、その頃山田邦子はテレビで料理や手芸を披露するようになり、リング型のバウムクーヘンを半分に切って背中合わせにしてからデコレーションする「シャネル風ケーキ」や、ダブダブのTシャツ2枚を縦につないで作った「上下どちらからも着られる服」など、個人的には忘れられない作品を生み出していた頃でもあったのです。
また、山田邦子はその頃もっとも終わった存在扱いだった田原俊彦のことを何だかんだ言って理想のタイプ、大ファンと言っており、情に厚い人なんだなぁと思いました。そして当時大人気��ったドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、女子という女子がトヨエツトヨエツと言っている中ひとり「私は見守ってくれるケンちゃんがタイプ」「ケンちゃん好きなんだけどな…」と言っていたのも印象に残っています。山田邦子は、あのドラマで豊川悦司が演じた「麻のシャツをサラッと着こなしサンダルで歩いているような男性」というタイプに何か思うところがあったようでした。
その頃山田邦子と森公美子がほとんどコンビのような感じで出ていて、この2人の姿は当時十代後半だった私に、決して正統派の美人ではないけど都会の自立したモテる女というイメージを植え付けてくれました。わかりやすい美人だけがいい女なわけじゃない、という価値観は今でも私の中にバッチリと残っています。その後どうも不仲になったようで寂しいです。
そして再びですが森茉莉も「ドッキリチャンネル」で素敵な文章を書いていました。まだ絵描き歌のネタなどをやっていた頃の山田邦子について、なにかいい食事を奢ってやりたくなる、彼女と出かける時は素敵な男性に変身してやりたいが、彼女は私とでも喜んで来るだろう。あの子はそういう子だ。美人ではないがしっかりした男性ファンがいるだろう、とかいうような文章で、とても良かったのです。
それから土曜の昼下がり、ラジオで「涙の電話リクエスト」を聞くのも好きでした。私が山田邦子を嫌いになれない一番の理由はこの番組を聞いていたからだと思います。昭和の歌謡曲のリクエストと、相方であったアナウンサー「さくちゃん」との掛け合いはとても楽しかった。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」がかかった時にさくちゃんが「こういう曲を聴くと麻のシャツとか着て旅行に行きたくなる」と言ったら、山田邦子はまず、さくちゃんの顔が濃いのでサラッとしたシャツは似合わないと言った後に、煮え切らない言い方でしたがそういうスタイルはあまり好まない旨を発言していて、トヨエツのドラマでの役の件といいなんかあったんだろうなぁと思いました。私もああいう男性は特に好きではないので、それだけかもしれないけど。
この番組は妙にフォークのリクエストが多くて、村下孝蔵や「雪」「春うらら」「さなえちゃん」などがかかっていました。こういう曲は「涙の電話リクエスト」を聞いていなければ知ることがなかったと思います。
そしてさだまさしの「案山子」がかかった時、山田邦子がポツリと「なんかヤな歌だな」と言ったのには驚いたと同時に激しく頷きました。私もさだまさしとそのファンが大嫌いです。この2つの存在があるせいでこの世が良くならないんだと思っているぐらい嫌いです。「パタリロ!」のあるエピソードの中で、谷村新司のことはいくらハゲと書いても何も言われないのに、さだまさしのことをハゲと書くと苦情が来ると書いてあって、さだまさしのファンはなんていやらしいんだろうと思いました。私もピート・タウンゼントやジェイムズ・テイラーのファンですが、彼らがハゲてないなんて考えたこともありません。ハゲてても素敵だってなぜ言えないんだ、そういうの良くないぞ。
それはさておきこの頃の山田邦子の面白さを分かち合える人が全然いなくて悲しい。
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lb-toei70th · 2 years
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伊藤英明、中谷美紀、宮沢氷魚、市川染五郎、北大路欣也 出演情報解禁!豪華俳優陣が覚悟の集結!!
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伊藤英明、中谷美紀、宮沢氷魚、市川染五郎、北大路欣也という豪華俳優陣の出演が解禁になりました! 濃姫(綾瀬)の侍従・福富平太郎貞家(ふくずみへいたろうさだいえ)には伊藤英明、濃姫の筆頭侍女・各務野(かがみの)を中谷美紀、美濃の戦国大名で濃姫の父親・斎藤道三には北大路欣也がそれぞれ扮し、主演級の豪華俳優陣が綾瀬濃姫の脇を固めます! 織田家の家臣でありながら本能寺で謀反を起こした明智光秀には宮沢氷魚、そして織田家家臣・森可成の息子で信長の側近中の側近・森蘭丸には時代劇映画初出演となる市川染五郎が扮し、フレッシュなキャストが木村信長を支える形に。戦国時代を駆け抜けた人物たちが大友組の現場でどのような彩りを放つのか、新たなレジェンドの誕生にご期待ください! 【キャスト役所&コメント】 伊藤英明/福富平太郎貞家(ふくずみへいたろうさだいえ)役 濃姫の侍従。斎藤道三に仕え、その娘の濃が織田信長に嫁いだ際、共に織田家へと入った。 <COMMENT> 東映70周年記念作品であり、主演の信長役が木村拓哉さん、さらに大友監督が信長の生きた時代を撮るということで、台本以上のものが必ず出来上がるだろうと楽しみでした。内容としては信長と濃姫夫婦の純愛ストーリーですが、いち歴史ファン、信長ファンとしては、どういう解釈で一つの作品になっていくのか、その過程を見たくて出番がない日でも現場に顔を出していました。 私が演じた貞家は、濃姫の目付け役、お守役という役どころです。自分の中で役の中に通る筋のようなものを見つけて、演じるというよりは、現場で貞家が「生きている」という感覚を持ち楽しみながら参加させていただきました。完成した映像を観るのが待ち遠しいです。 中谷美紀/各務野(かがみの)役 濃姫の筆頭侍女。濃が幼い頃より姫を見守り支えてきた。 <COMMENT> 各務野は綾瀬さん演じる濃姫にお仕えする立場なので、濃姫への愛情を胸に秘めていて、彼女が可愛くて仕方がない、言うことを聞かないお転婆ぶりまでもが愛おしいという気持ちで演じていました。また、以前ご一緒させていただいたこともある大友監督から、ある種、濃姫が憧れるような存在であってほしいとのご要望がありました。信長の正室の濃姫は、その立場のためささやかな日常を楽しむゆとり、普通の幸せを感じることが許されていない。各務野と濃姫、2人が得られる幸せの違いを際立たせてほしいというご依頼で、その点も大事に演じています。壮大なスケールの作品で、この中に存在させていただいただけで本当に贅沢なことだなと思い、幸せでした。 宮沢氷魚/明智光秀(あけちみつひで)役 織田家の家臣で織田五大将の一人。信長より信頼され、低い身分から一国一城の主に出世したと言われる。史実では本能寺で謀反を起こし、わずか10日余りの天下を取ったとされる人物。 <COMMENT> オファーをいただいたときは大変嬉しかったですが、すぐ「本当に頑張らなければ」というプレッシャーが一気に襲ってきたのを覚えています。自分がクォーターで、髪や目の色が茶色だったり、身長が184cmあったりもするので、そもそも時代劇に出られると思っていなかったので、脚本を読み込み、過去の映像作品を観て、自分なりに明智光秀についてリサーチや勉強をしました。そしてあえて自分にしか出せない明智を演じてみようという思いに至りました。ただ立っているだけなのに、何を考えているのだろうと感じるような不思議な雰囲気をまとっている、自分自身とシンクロした、自分にしかできないミステリアスな明智を作り上げてきたつもりです。 市川染五郎/森蘭丸(もりらんまる)役 織田家家臣、森可成の息子で織田信長の側近中の側近。13歳の頃より信長の小姓として仕え始め、その上品で��々としたふるまいは、織田信長の近習として、織田家の家臣団や敵にも認められていった。 <COMMENT> 台本を読み、殿のため忠義を尽くして生き抜いた蘭丸の姿を純粋にかっこいいと思い、自分で演じてみたいと、お話を受けさせていただきました。木村さんとの共演シーンが多く、クランクインした日から信長の、後ろに炎が燃え盛るような気迫に圧倒されましたが、木村さんは殺陣の稽古を見てくださり、刀の持ち方のアドバイスもしていただいて勉強になりました。所作が歌舞伎と違う部分も多く難しいこともありましたが、殺陣では今回ちゃんと刀を合わせることができて、歌舞伎とはまた違った実戦感が楽しかったです。殿のために生きている蘭丸なので、殿が命令する前にすでに対応しているような頭の回転の早さが見えればいいなと思い意識して演じました。 北大路欣也/斎藤道三(さいとうどうさん)役 美濃の戦国大名で濃姫の父親。典型的な下克上の体現者とされ、美濃のマムシという渾名でも知られている。 <COMMENT> 戦国という滾る時代の中で、激しく美しく熱く燃える男と女の紡ぎ合い、ハラハラドキドキ興奮と感動の内に脚本を読み切りました。斎藤道三と織田信長、その運命の出逢いから道三の中で奮い立つ夢と希望、そしてその願いを濃姫に託したいという想い。そういった想いを意識してこの役を演じ、まさに男が男に惚れた、道三の一面を表現しました。自然体で受け止めて下さった、スタッフの皆様に感謝しています。 1956年(昭和31年) 映画「父子鷹」でデビューさせて戴いて以来66年、先人の方々が築き上げてこられた大きな山を、今も登り続けています。「東映70周年記念」と冠がついたこの作品に出演出来た事の喜びを嚙み締めております。
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masucaffe · 2 years
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2022.8.27 今日は早朝4時起きに始まり仕事も含めて盛りだくさんな一日になりました。
朝は爆釣とはいきませんでしたが、久しぶりの釣果有り。しかし私が竿を持つと魚が離れて行き、旦那や息子の竿には魚が寄るという日。そんな日もあるでしょう。朝焼けが綺麗だったのでのんびりと良い一日のスタート。
海の近くでモーニング。
営業準備を頑張った。もう少しやりたかったのですが明日からを元気に過ごす為に終了。麻袋の整理もしたかったのですがこちらは追々。
楽しみにしていたアーカイブ配信のコンサート鑑賞。当店で演奏してくださったことのあるヴァイオリニスト〝和田恵理子〟さんがコンサートマスターを務められた昭和大学のフェスタサマーミューザ2022 川崎シンフォニーホールを。素敵でした🎶
そしてヤクルトスワローズのナイター戦を観ながら夕食。再び仕事をした後は珈琲時間。スワローズの勝利に満足しながら〝ふっきーずくっきーず〟のケーキと珈琲。
忙しくてもやりたい事をできるだけやってみたら充実した一日となりました。寝なくても良い身体になりたいなぁといつも思っていますが...そんな訳にはいかないので家事を済ませて寝ます。
明日もよろしくお願いします。
#珈琲と釣り#海釣り#それ釣り#釣行記録#桝カフィ釣り部#キス釣り#釣果少ない#爆釣しない#モーニング#営業準備#ブルーマウンテン#麻袋#呉羽狂詩曲#ヴァイオリン#和田恵理子#ミューザ川崎シンフォニーホール#音楽鑑賞#ナイター観戦#東京ヤクルトスワローズ#村神様今日もすごいね#珈琲時間#ふっきーずくっきーず#ラズベリーショート#coffeelovers
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moko1590m · 11 days
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6回答 日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? nea********さん 2010/9/28 23:52 売るというと語弊がありますが、 形式的には子供を年期奉公(就職)に出し、その賃金を何年分も前受けの形で親が受けとったのです。 遊郭へ売られる場合も同じ形式でした。 で、その借金返済が済むと年期明けで自由の身になったのですが、遊郭では衣装代などに出費がかさむので年期明けがどんどん長くなるのがふつうでした。 親がその後一山当てれば、前受金を返済して引き取る道も残されていたわけで、これが純粋な人身売買とは違うところです。 遊女の場合は、ひいき客が見受け金を積んで買い取ってもらうことも(自由の身とは言っても自分の囲い者にするとか、運がよければ正妻に迎えられるとか)あったわけです。 ま、これが子売りの実態です。 これは日本では大正時代でもありましたよ。 きりたんぽりたんさん 2010/9/28 23:28 「大鏡」の冒頭で、語り手の一人である夏山繁樹が自分の生い立ちを次のように語っています。 「(私の親が)ご主人の使いで市へ参りましたとき、自分のお金を十貫持っていましたところ、赤ん坊を抱えた女が『この子は他人様にあげようと思います。子を十人まで産んだ末っ子でして、その上(親に祟るという)五月の生まれでして』と申しますので、(この私を)持っていたお金に換えてきたのです。」 特に作者のコメントがないところを見ると、こういう会話は当時の人には珍しくもなかったのでしょう。繁樹がこのことを卑下している様子もありません。淡々としています。 繁樹の育ての親はある貴族の家の使用人だったようですが、平安時代の貧民の子供というのは、このような身分の人が市場で買って帰れるようなものでした。こうなると、「人身売買」という認識すらありません。ペットショップで犬猫でも買うように、子供が売られていた時代が確かにあったのです。 sep********さん 2010/9/28 22:11 江戸時代には、吉原遊郭に売られる子供が とても多かったそうです。 親はふつうに子供売って新しい家庭を作ることも あったそうです。 今もありますよ、 親が子供を性の道具にして、お金をもうける。 これも親が子を売る行為にあてはまります。 ムーミンさん 2010/9/28 21:40 戦前までありました。 子を減らさないと親が飢え死にするためです。 殺す場合もあり、東北地方は飢饉が多かったので殺してしまったようです。 こけしは、子消しで、殺した子供を祭ったものが始まりです。 ID非表示さん 2010/9/28 21:39 昭和東北大凶作 http://www.mumyosha.co.jp/docs/01new/kyosaku.html 目次から プロローグ 「欠食児童世代」 歴史的な飢饉多発地帯 江戸・天明の大飢饉/天保の大飢饉 昭和五年(1930)世界恐慌の直撃 泣く子も地頭もかなわない/失業の大群とホイト(乞食) 昭和六年(1931)凶作の追い打ち 大不況と凶作と「満州事変」/粒々辛苦の甲斐もなく/北海道――辛うじて飢えをしのぐ飢餓地獄/青森県――ワラビの根を掘って食料に/岩手県――茅の野原のような田んぼ/秋田県――収穫皆無地1300町歩 昭和七年(1932)悲惨、娘身売りと欠食児童 売られ行く娘たち/欠食児童全国20万 昭和八年(1933)戦争への道行と三陸大津波 救農事業と「自力更生運動」/地主様と小作農民の悲哀/軍国美談の陰で/厳寒・暁の大津波 昭和九年(1934)ああ、昭和東北大凶作 恨みのやませ(風)/死の東北を救え! 飢餓線上の凶作激甚地を行く 岩手県――深刻な飯米の欠乏/青森県――娘たちを求めて人買い人が横行/秋田県――料金未納で電灯が消されていく/山形県――皮を食用にと裸にされた松の木/宮城県――凶作のうえに養蚕収入激滅の打撃/福島県――野獣対人間の木の実の争奪戦 重荷を背負った娘たち、空腹に泣く子どもたち 「悲しみの身売り列車」/走る食堂車からの恵みのパン/軍事予算に潰された農村救済 エピローグ 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ」 資料「南部盛岡藩~岩手県の凶作・飢饉年表」/参考資料と文献・写真の出典一覧 lib********さん 2010/9/28 21:39 島原、吉原等の遊女はそんな境遇の方が多かったみたいです(^-^)
日本の歴史の中で貧しいからといって親が子を売るってあったんですか? - 売ると... - Yahoo!知恵袋
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kachoushi · 21 days
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅴ
花鳥誌2024年5月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
8 さしくれし春雨傘を受取し
 『五百句』には「大正十三年」と注記され、初出は翌大正十四年八月の『ホトトギス』で、「近詠」とのみ題されている。『年代順虚子俳句全集』第三巻の大正十三年の項には、「四月(日不明。)小樽高商を卒へたる長男年尾を伴ひ京阪地方に遊ぶ。その時の句?」とあって、『虚子百句』では次の九番目に挙げられる「天日のうつりて暗し蝌蚪の水」の後に掲出されている。成立は前後していたか。
 しかし、『虚子百句』では、この句の方を先に挙げた。その理由は、単純に『五百句』の掲載順に拠ったとも考え得るが、加うるにこの句の前の七番の句が「雨の中に立春大吉の光あり」なので、「雨」の句で一組としたか。この後九番は「天日」で晴、十番は「思ひ川渡れば又も春の雨」と雨の句となる。単調さを避け、季節の進行に晴雨の交代を入れ込んだ編集の妙でもあったか。
 この句の問題は、「春雨や」と持ってこず、「春雨傘」と中七に造語としてわざわざ置いたのは何故かという点にある。ここから考えてみよう。
 「さしくれし」の「し」は、一般に「過去」の意味の助動詞「き」の連体形だと言われるが、室町時代末期から、現在もその動作が続いている「完了」の意味を持つようにもなってきていた(井上・堀切克洋『俳句がよくわかる文法講座』第2章)。有名な、
  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな 正岡子規
 の「し」も、「つまってしまった(そして、現につまっている)」の意味でないとおかしい。ただ過去の動作が終わったとか、あるいは過去の動作の影響が終わってしまったということなら、子規は死んでしまっていることになるが、この句は自分の最期の姿を「佛」と客観視して詠んだのであって、「今まさにちょうど」という意味でなければならない。やはりよく知られる島崎藤村の「まだあげ初めし前髪の/ 林檎のもとに見えし時」という『若菜集』「初恋」の一節も、現前する女性のうなじを詠んでいるのだから、「し」は「あげたばかりの」という意味でなければならない。
 掲句も、上五の「さしくれし」を受けて「受取りし」と応じた、この呼吸が一句の眼目なのである。繰り返される「し」は、過去でなく完了の意味でなければならない。そこで中七の「春雨傘」の造語が使われることになったものだろう。
 そこに気づいてみると、おそらくは女性が手渡してくれた傘を阿吽の呼吸で、虚子か、あるいは虚子が見ていた人物が受け取った動きのある一場面に焦点を当てたことがわかる。
 「春雨」は本来京都独特の、鴨川の水面を観て雨を知るような細やかで繊細なそれであるから、この一瞬の「艶」なる場面をつなぐ重要な小道具の属性を知らせるのに、十二分の役割を果たしているのである。当然『喜寿艶』にはこの句は掲載されている。
 なお、京都の三業(料亭・待合茶屋・置屋)の女性の品を様々に詠むのは、虚子句の一傾向であるが、
  美人手を貸せばひかれて老涼し 昭和二七年
  夕立に傘傾けてはつ子来ぬ   昭和三〇年
 など京都の女性の「手」や「傘」を材にした同傾向の句を確認すると、虚子にとって「傘」と女の「手」のしなやかさや姿態は、発想の起点であったことが確認できる。
9 天日のうつりて暗し蝌蚪の水
 『五百句』には「大正十三年」とのみ注記。『年代順虚子俳句全集』には、前の句の解説で示したように、小樽高商を卒業した高濱年尾を伴い、関西を訪ねた四月の句か、としている。『ホトトギス』大正十三年六月号の「消息」欄で年尾は、滞在十八日、京都・大阪・神戸・堺・大和を回り、特に京都の嵯峨・御室・東山、さらに琵琶湖から比叡山・大原を回り、京都の風光の良さを特記している。
 掲句は、二つの解釈が一応想定できる。太陽が位置を傾け、それまで日が当たっていた場所が暗くなり、そんな中をお玉杓子が泳いでいる、というもの。
 今一つの解釈は、「沢山のお玉杓子が孵ると水一面が黒くなるほどで」「日の光が水に当っても暗いような感じがする」という『虚子百句』の高濱年尾のような受け取り方である。清崎敏郎も「玉藻研究座談会」で同様の解釈を披露している。
 大野林火もまた後者の意味に捉え、「くろずんた蝌蚪」と「水面の日輪」とが重なり、「不思議に重々しい空気を伝えてくる」としている(『虚子秀句鑑賞』)。
 こう考えてくると、一句の解釈の分岐点は「うつりて」が「移りて」なのか、はたまた「映りて」なのかというとこにあることが見えてくる。
 まず、この句が詠まれていた時、年尾が同伴していたということであれば、後者の解釈に軍配を挙げる客観的証言である可能性は頭に置いておく必要があろう。
 さらに、「うつりて」を「移りて」と解釈してしまっては、太陽の移動を説明しただけのことになってしまい、何が何してどうなった式の句として、値打ちが下がる。やはり「映りて」と受け取って、太陽の姿と光は池に映ってはいるものと理解して初めて、句に情趣が生じる。
 そもそも「て」は、単純な接続ばかりでなく、「ではあるが」という逆接の含意を俳句では持たせることがままある(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
  面白てやがて悲しき鵜ぶね哉 芭蕉
  糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな 子規
  蝌蚪生れて未だ覚めざる彼岸かな 松本たかし
 この句も、「太陽の光とその姿は池に映ってはいるものの」と屈折した意味を読み取るべきであろう。
 深見けん二は、やはり「玉藻研究座談会」で、「天日」の語の選択について、「何かそこからずうつと広がって行く大きな宇宙なり世界といふものが感じられる」と発言し、敏郎とのやりとりの中で、「太陽」よりも「天日」の語を選ぶことで、客観的な状況が単純化され、それに伴って、個々の細かい現象より、もっと大きな世界を把握し表現することが可能になったと確認しあい、生前虚子は「単純化していくとそこに個性が出て来ますよ」と語っていたことを引用している。
 この句に虚子の「個性」を読み取るならば、「金亀虫擲つ闇の深さかな」「蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな」「大寒の埃の如く人死ぬる」のような闇の世界を見つめ、それすら客観視しようとする世界に通じると言えば言えようか。
 最晩年の「この池の生々流転蝌蚪の紐」(昭和三十一年)も、細部にこだわった客観写生から出発して、掲句のような「単純化」を経て、たどり着いた表現と境地と見ることも可能だろう。「天日」という世界観を含んだ語の実験が、晩年の自在を生んだと考えたい。
 なお、虚子の揮毫は『虚子百句』全体に、かすれた墨痕で、視力が弱くなった老年の筆を感じさせるが、掲句に限っては鮮やかな筆づかいとなっている。意図的なものなのかどうかは、本書全体から見直してみる必要があり、機会を改めたい。ただし「我心或時軽し芥子の花」など明らかに、居住まいとただした書きぶりも認められる句が少ないながらあることは、単純な墨継ぎの問題で収まるのか否か注意を要することは、心覚えに書きとどめておきたい。
『虚子百句』より虚子揮毫
9 天日のうつりて暗し蝌蚪の水
10 思ひ川渡れば又も花の雨
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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