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#90年代サブカルチャー
cellophanemaryjane · 2 years
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私にもサブカルのこと書かせて-3(CUTIE)
CUTIEにはファッションの面でとても影響を受けました。
あの頃のスナップページに出てくる人たちは、おしゃれな服を着て「バタイユを読みました」とかコメントしていました。今は反知性主義な人がいるからそういうことを言うと馬鹿にされますね。
CUTIE系のはちゃめちゃなインテリアもありました。何というのかわからないけど、青文字系インテリアスナップとでもいうあの手の世界では、アントニオーニの「欲望」と「トレインスポッティング」のポスターが長いこと幅を利かせていた気がします。
私が初めて岡崎京子の漫画を読んだのはPeeWeeという雑誌で、双子が出てくるやつで特に面白くはありませんでした。その後CUTIEで連載していた作品を知ったけど、全面的に好きではないなぁと思いました。「リバーズ・エッジ」がちょうどリアルタイムで連載されていて、あまりの展開に私の通っていた学校にいたほんの一握りのサブカル女子達のテンションですらみるみる下がっていったのを覚えています。「pink」くらいまではまだ女の子の感性いいよねー的な雰囲気があったけど、あそこまでやれとは言ってないわーという空気でした。これは私が実際に体験したもので、決してみんながみんなあの作品を絶賛したわけではなかったのです。
それなのに、あっというまに「リバーズ・エッジ」は当時のもやもやした空気を見事に描いた、漫画にしかできない表現、などと言われるようになって、いまさら映画にまでなってしまった。
映画はGYAOで見たけどなんかダサい作品だったし、るみちんと観音崎くん役の人がヨゴレすぎて気の毒になってしまいました。あの2人他のドラマとかで見かけないし。(活躍してたらごめん)
岡崎京子の作品に熱狂的なファンがいるのはわかります。わかるけど、私はなんかあの自分と誰かを傷つけないと生きてる実感が湧かないのよみたいな感じが苦手です。
当時、私より2つ3つ年上のある女性が「pink」のことを「売春しても守りたいものがある、っていいよねー」と言っていて寒気がしました。結局のところほとんどの女の子というものは、本当にはなかなかそこまでは行けなくて、ガールカルチャーというものをフィクションとして消費してしまうんだなというのがずっとあります。ごく一部の女の子達がこういう作品やサブカルおじさんの言うことを間に受けてしまって痛い目に合うこともあるけど。
その頃はそういう、生きてる実感を味わうための、マイナーな雑誌ではないちゃんとした出版社から出た死体の本とか悪趣味なものを集めた本とかあったけど、私個人としてはダイアン・アーバスの写真集をこっそり見るのが精一杯でした。ダイアン・アーバスも「毛皮のエロス」という映画になって、なかなかいい作品だったけどAmazonのレビューで「でもこれ不倫の話ですよね」って書いてる人がいてびっくりしました。
その後ボリス・ヴィアン原作の「うたかたの日々」を漫画化した連載が始まって、60年代に作られた映画のリバイバル上映もありました。私は「日々の泡」というタイトルの方を読んでいたので「うたかたの日々」というタイトルがあっという間に主流になって納得いきませんでした。そしてそもそも、この小説がとてもつまらなくて嫌いでした。私はこの頃から今までずっと、そして多分これからも、主人公が難病で死ぬとわかっている作品の面白さがよくわかりません。「うたかたの日々」の映画は装苑の長沢節の映画批評コーナーで取り上げられて褒められていました。長沢節も微妙に私と好みが合いませんでした。この人毒舌がうまくないし、男でも女でもきれいでかわいい人が出てるだけでだいぶ点数アップするんだよな、と思って読んでました。
ただ、漫画雑誌でもないのにあれだけまとまった作品にできたCUTIEってすごいと思います。それともCUTIEはなんにもしてなくて岡崎京子がすごかったのか、その辺の話を聞いたことがないので誰か教えてほしいです。どのくらい編集者が関わってたんだろう。確かあの頃ナガイ編集長という人でした。
そのあと安野モヨコが載るようになって、岡崎京子に比べると読みやすい漫画でした。安野モヨコは今落ち着くところに落ち着いてるようで嬉しいです。おしゃれ漫画家だったのに、すっかりオタクの人たちからミューズ扱いされるようになっていてほっこりします。
CUTIEのようなファッションを好むのはモテない女の子扱いだったけど、ひとつのスタイルを作り上げた雑誌だと思います。きちんと、若い人たちにファッションとカルチャーを結びつけてあげていた。系統としてはパンク系、エスニック、スポーツミックスのクラブ系、ロリータ(ゴス含む)、古着やレトロ系が軸だったと思います。あとチープシック特集だと便所サンダルとかかっぽう着とか載せてたんだけど、覚えてる人いるかなぁ。チープシック特集というのはCUTIEに限らず他の雑誌も1年半に1回くらいやるのですが、どこも必ず「文化屋雑貨店」のアイテムを載せていました。私もよく行きました。
堀越絹衣は大物スタイリストという感じでたまにしか載っていなかったのですが、吉川ひなのがモデルを務めていた「インナーウェアで街に出よう」という特集が大好きで、実はまだ切り抜きを持っています。この人のページはクレジットに「スタイリスト制作物」というのが多くて、それがまた良かったのです。スタイリスト制作物はいいけど、「スタイリスト私物」と「参考商品」ばっかりのページは「ハァ?」って思ってました。
あと名前を思い出せないのですが福島さん?みたいな名前の若いスタイリストの方が活躍していて、本人もよく出ていました。ジャージに古着のコットンスカートとか、ラインストーンの大きな飾りがついたスニーカーとか、そんな感じのスタイリングが印象に残っています。今でも100円ショップのラインストーンのシールとか見るとかわいいな〜と思ってしまいます。(集合体恐怖症なのであんまり小さいのはイヤ〜ってなるけど)
私は断然レトロ派でちょっとだけパンクとロリータが好きだったので、ジャージやスカートとパンツの重ね着はしなかったし、チビTとロングスカートも着なかったし、ヒステリックグラマーやスーパーラヴァーズもあまり興味ありませんでした。でもその頃はアニエス.bなどのフレンチカジュアルとギャルがメインストリームな感じだったので、どこかに勝手な仲間意識はあったような気がしています。高いものから安いものまで、とにかく風変わりで着ることが楽しいと思えそうな服がいっぱい載っていました。手作り系も楽しかったし真似しました。
私はオリーブを読む時と同様にCUTIEに載ってた人たち全部が好き、というわけではなかったので、安田トキコや花代は苦手でした。2人とも読者からするとお姉さんの年代に当たったのですがスタンスは違えど厚化粧する女の子をディスるようなことを言っていて、年下の子にこういう言い方をする人にはなりたくないな〜と思いました。態度も見た目も好きじゃなかった。カヒミ・カリィはこだわりはわかるけどインタビューでは大体いつも同じことばかり言っていました。(岡田眞澄や伊武雅刀などとデュエットしたい、小柄なのでキッズサイズを着てる、ずっと探してるデザインの服があるんだけど見つからない、の3本)あとCUTIE全体にちょっと下品さがあって、そこが好きになりきれない面がありました。CUTIEに限らず、どの雑誌も好きな部分だけ受け入れるという感じでした。
そしてあの頃からオシャレ動物愛護、オシャレ環境問題みたいな人たちがいて、ユアンが井浦新やKIRI等の他のモデル達から「ユアンはゴミ問題の話ばっかりしてる」とか言われていました。ヒロミックスもゴミ問題とかよく言ってた。井浦新はかっこよかったけどこんなに活躍するようになるとは思ってませんでした。まさか毎週毎週ドラマに出て視聴者を身悶えさせるようになるとは。市川実日子も。姉の実和子の方がシュッとしててきれいだと思ってたけど、実和子はその頃恋人だった三原康弘(やっちん)との微妙にすさんだポラロイド日記を連載していて、だんだん私もマイペースな実日子の方が好きになりました。
その後何年か経って驚いたのは、読者モデルだった村山ゆきが片桐仁の奥さんになってたことと、エアギターの金剛地武志が深夜番組で一回だけ見たyes mama ok?だったことです。イエママはCUTIEの新譜コーナーで紹介されてたけど、なんか渋谷系の搾りかすみたいだった。村山ゆきと横山優貴が出てくるようになった頃、私もあんまりCUTIEを買わなくなりました。ゴシップみたいな話ばっかりですみません。
(つづく)
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pelsivestore · 2 years
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AWAY DAYS
フットボールを語る上で外せないのが、カジュアルズ(Casuals)というカルチャー。イングランドでは毎週末にサッカースタジアムに通う労働者階級のファッションを“Football Casual”と呼びます。
英国のユースカルチャーはモッズ、ロッカーズ、テッズ、スキンズ、パンクなど、常に音楽を背景にして発展してきましたが、カジュアルズはフットボールファンの中からはじまり、スタジアム内外のフットボールファンの間、つまりオーディエンスから発展してきたカルチャーです。ここが他のサブカルチャーとは大きく違う点です。
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そもそもカジュアルズとは70年代の終わりに、何千というリヴァプールのサポーターたちがチームに帯同してヨーロッパをまわりアディダスのスニーカーを手に入れ、それを履いてロンドンのチームとの試合に行く、それを見たロンドンの若者たちが衝撃を受け真似たというのを80年代に入ってから雑誌がカテゴライズして広まった言葉です。リヴァプールでは自分たちを“スカリーズ=Scallys”と呼び、カジュアルズはロンドンでの呼称として広まりました。
今回は1979年のポストパンク時代の英国、マージーサイドが舞台のカジュアルズを描いた作品、「AWAY DAYS」という映画をご紹介します。
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母親を1年前になくした19歳のカーティはアート学校を途中でやめ、叔父の働く職場で下級公務員として働いています。家庭は中産階級で父親と高校生の妹と住んでいます。収入をクラブ、レコード、サッカー、ライブにつぎ込む彼は、ある日、ギャング集団”THE PACK”に所属するエルヴィスと出会います。
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彼らはピーターストームにフレッドペリー、ロイスのジーンズ、そしてアディダスのスニーカーを履いてスタジアムで常に問題を起こしていました。お揃いの制服を着て肩で風を切り、街を闊歩するTHE PACKの姿は、中産階級のカーティには自分の周りにいない特別なものを感じていました。エルヴィスはカーティに“THE PACK”と付き合うことが危険であることを警告しました。
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しかし、それよりもエルヴィスはカーティの様に芸術、音楽、詩、そして死について語り合える友人をずっと待っていたのです。エルヴィスはカーティに、Joy Divisionの「New Dawn Fades」を聴きながらいつも死について考えていると語っていました。英国特有の階級差だけでなく、同性愛要素も絡まり複雑で繊細な人間模様を描いています。作中の79年はホモフォビアが根強く、特にフットボールフーリガンのようなマチズモ全開の世界においては忌むべき存在で、カミングアウトできずに苦しみを抱え、部屋にロープを吊るし常に死を意識していました。
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ある日の遠征(=Awayday)でカーティは成果を得るのですが、“THE PACK”のボス、ゴッドンに認められることはありませんでした。自分よりも、謎に包まれた存在のエルヴィスが尊敬を集めていることに苛立つカーティ、自分の想いが届かないことに苦悩するエルヴィス。次第に2人の溝は深まっていきます。
あらすじはざっとこんな感じ。
先の見えない将来への絶望や日々の焦燥が若者たちを暴力に駆り立て、やがて悲しい結末へと向かっていく、そんなリアルを描いた物語。エルヴィスとカーティの行き着く先の違いが彼らの階級差によるもので、対極な2人が交わって意気投合したり、ぶつかって離れてしまったり。2人の関係が崩れ落ちていくシーンは観ていて胸��苦しくなりました。どのシーンもずっとどんよりとした曇り空。それはまるで心の中を映し出しているかのようでした。
ここからは劇中のファッションの話を。
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エルヴィスの家に訪れたカーティがadidasのスニーカーを見て「この靴は?」と尋ねるシーンがあります。これがadidasの”FOREST HILLS”。70年代後期に発売されたフォレストヒルズは、主にリバプールを中心とした北部で人気でした。当時最軽量(250g)のテニスシューズで、柔らかいカンガルーレザーとゴールドのソールとストライプが特徴です。もともとのソールは白かったんですが、人気が出たのはゴールドソールの再販版だったそうです。
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その他にも”SAMBA”、”NASTASE”、”SMASH”、”MALMO”など様々なadidasのスニーカーが登場するので、そこにも注目して観ると、また違った面白さを感じれると思います。
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90's adidas GAZELLE
今日オンラインにアップした”GAZELLE”もカジュアルズに愛用されていたスニーカーの1つです。1966年にサッカーやハンドボールなど、屋内・屋外問わずさまざまな場所でトレーニング(または競技会に使用)するために開発されたモデルで、ヨーロッパではプロサッカー選手に愛用者が多いことから、チームのサポーター達、特にカジュアルズ界隈では、定番モデルとして絶大な支持を集めたスニーカーです。
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皆さん一度は見たことがあるであろうJamiroquai の “Virtual Insanity”のMVでも履かれています。1991年に豊富なカラーバリエーションで復刻されると、オアシス、ビースティボーイズ、マドンナ、ケイト・モスといった90年代を象徴するアーティストたちにも愛されていました。気になった方はONLINEまで。
そして劇中で妹に小馬鹿にされながらも「これが制服なんだ」とカーティが意気揚々に着こなすピーターストームのカーキ色のカグール。日本ではアノラックパーカー、ヤッケなどの名称で呼ばれているプルオーバーのジャケットをイギリスではCagoule(カグール)と呼んでいます。ちなみにエルヴィスはこのカーキのカグールを着ているシーンはありません。早くこの集団から、この生活から抜け出したいという意思表示でもあったと思います。
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イングランドではリバプールのサポーター達がチャンピオンズ・リーグで海外遠征の際に着用し、他チーム特にロンドンのTerrace casual(ゴール裏のコアなサポーター)がカグールにポロシャツ、ジーンズ、アディダスのスニーカーといったファッション・スタイルをこぞって真似し始めたそうです。
カグールにフレッドペリーやラコステのポロシャツなどスポーツウェアブランドと合わせて着られていました。
ちなみにブログ内で何度か登場した”フーリガン”とはサッカーの観戦中に暴れたり、試合進行を妨害する熱狂的なサッカーファンのことです。フーリガンについてもまた改めてご紹介します。
そんなフットボールカルチャーを描いたこの作品。是非一度ご覧ください。
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実店舗も営業を再開したのでまた是非遊びに来てください。映画の感想とかも聞かせてもらえたら嬉しいです。
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park-tokyo · 1 month
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【 終了しました 】 はるやまひろし × なかおみちお 『MORE SLOW TEMPO』 2024.03.13 WED - 03.24 SUN @ PARK GALLERY
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★ 東京・末広町の PARK GALLERY では、2024年3月13日(水)より、イラストレーターの “はるやまひろし” と “なかおみちお” による2人展『MORE SLOW TEMPO』を開催します。 同じ時代を、それぞれの街で暮らしながら、全く別々の道を辿ってここ東京でゆるやかに出会う2人のイラストレーター。趣味が合うなんてよくある話だし、決して奇跡的な出会いでもないけれど、ゆっくりと静かに「マイペース」で歩んできた2人だからこそ生み出せる独特で歪つなリズムがそこにはあります。それは、実は内側に秘めた2人の「こだわり」だったり、2人にだけわかる譲れない「何か」なのかもしれません。 “MORE SLOW TEMPO” という言葉そのままの空気感が、この展示では表現されます。チープでドライで、でも、穏やかですこし優しい世界は、この忙しない社会のスキマ。そんなスキマでゆっくり深呼吸するような気分で、楽しんでもらえたらと思います。 以下、2人よる今回の展示のステートメントです。 === タイトルにもなっている “MORE SLOW TEMPO” は、いくつかの候補の中で、忙しない世の中のスピード感に逆らうマイペースな自分たちに似合っていると決めた言葉。 今回の展示ではそんな2人が得意とする動物や植物、キャラクターや文字などのモチーフを、それぞれの手法でモノクロームで描き、ただひたすら壁に貼り付けていく。 イメージするのはまるで手作りの ZINE のようなチープな空間。マイペース過ぎる2人のセッションはきっとデタラメだけれど、ゆるやかで穏やかなセッションになると思う。
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★ 以下、それぞれの作家からのコメントです。
昨年、“はるやまさん” に2人展の話を持ちかけた。基本いつも1人作業だし、2人なら普段考えつかないアイディアも出たり、共同作業の楽しさもあるだろう。3人以上になると連絡が大変。もちろん誰でもいいわけではなく、音楽や絵の話でも共有できるところも多く、お互いの絵の相性も良さそうな “はるやまさん” とは同い年で、ナードっぽいところも接しやすい。 彼の作品は、空気や間のようなものを含み、エアリーでファンタジーさと遊びがあり、穏やかだ。そして、形、配色にもこだわりが感じられつつ嫌味がない。 そこに、僕の絵と合わせたらどうなるか興味があった。 ー なかおみちお ————————————
2人展をしよう。 パークギャラリーでビール片手にしている時だったか、その帰り道に ”なかおさん” から声が掛かった。普段から、お互い好きなサブカルチャーや絵のこと、音楽、テレビのなんかの話をする。趣味であったりスタンスであったり共有する感覚があるんだ。 前々から、それを形に出来たらいいなと思っていたから、話はすぐに進みはじめた。なかおさんのペインティングやドローイングから生まれる、キャラクター達、謎なやつら。人懐っこいポップさもありながら、作者にも通じるナードな佇まい。描かれる表情はシュールであったり、時に混乱してるようでもある。 それは、なかおさん自身の正直さを表しているから、じっくり観ている間に穏やかな気持ちにさせてくれる。ゆるい遊び心に表情もほどける。 同時代に別々の道を辿ってきた2人。 それぞれの道がかさなる時に、一体何が生まれるだろう? ー はるやまひろし
———————————— はるやまひろし × なかおみちお 2人展『MORE SLOW TEMPO』 2024年3月13日(水)~3月24日(日) 場所:PARK GALLERY(東京・末広町 / 湯島) 東京都千代田区外神田3-5-20 <入場無料> 営業時間:13時〜20時 定休日:月・火曜 *3/23(土)は別会場でイベントを予定しているため休廊します。 最寄駅:東京メトロ 銀座線・末広町駅(徒歩約5分)千代田線・湯島駅(徒歩約7分) JR 秋葉原駅 / 電気街口(徒歩約10分) JR 御茶ノ水駅 / 聖橋口(徒歩約12分) — – < 作家プロフィール > はるやまひろし(HIROSHI HARUYAMA) 1981 年、静岡県生まれ千葉県育ち。桑沢デザイン研究所 夜間部 ビジュアルデザイン科卒。好きな音楽のアートワークやTシャツを手掛けることに憧れてイラストレーターとしての活動をはじめる。日々のドローイングをベースに、主にステンシル版画・ペン画・ガッシュペインティングで表現。ポップながら味わいがあるイラストレーションを目指している。絵を描くこと=レコーディングと捉え、シンガーソングライターを中心とした音楽家の考え方に大きな影響を受けて作品を制作。 主な仕事に、マーカス・デュ・ソートイ「数学が見つける近道」 (CREST BOOKS)、フィリップ・アサンズ「モンスターを書く」創作者のための怪物創造マニュアル(フィルムアート社)装丁、雑誌『日常』(一般社団法人 日本まちやど協会)挿絵など。 instagram
なかおみちお(MICHIO NAKAO) 1982年鳥取生まれ、東京在住のイラストレーター。 スケートボードをはじめ90年代のサブカルチャーからの影響がベースにあり、ポップで接しやすいキャラクターや、犬や猫をメインとした動物のモチーフも多く描く。どこか変なムードとユニークな形を意識している。幅広く仕事する中、イラストレーターになるきっかけともなったコラムの挿絵は得意ジャンル。 “NERD SPORTS"名義でTシャツなどのオリジナルアイテムを発表しイベントなどに参加することが多い。 主な仕事に「競馬王」(白夜書房) 、かなざわいっせい「必笑法ドン・キホーテ」 (白夜書房) 、かなざわいっせい「もののけの族」 (白夜書房) 、 武田砂鉄「フジワラノリ化論」(CINRA) 、 武田砂鉄「コンプレックス文化論」 (VERY/光文社) 、武田砂鉄「武田砂鉄のVERYな言葉狩り」など。 instagram
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soku812 · 5 months
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Art and Fashion Photography: A Japanese Renaissance Hayashi Fumihiro   今の日本に、本当の意味でのファッション・フォトグラファーは、僅かな例外を除いて存在しない。広告写真の影響力が強い日本の写真界では、広告、芸能といった商業写真での成功が、ほとんどの写真家の目標であるといっていい。ファッション写真は、広告カメラマンになるためのプレゼンテーションに過ぎない場合が多く、ファッション写真だけを撮り続ける写真家は皆無といっていい。さらに、欧米の文化、セレブレティーに対してコンプレックスの根強い日本のファッション写真界は、海外でこれほどまでに日本文化が注目されているにも関わらず、欧米の有名写真家の表層的な模倣に執着する。そのことは、東京の街に氾濫するファッション企業のビルボードや広告ポスターを見れば一目瞭然だ。日本人の白人コンプレックスは根深い。また、最近のファッション誌は、ユニークな才能を持つ新人のファッション・フォトグラファーの作品よりも、素人の芸能人、スタイリスト等の知名度のほうに価値を感じるようである。大多数の日本の雑誌のファッション・ページは、美意識やクオリティーに対する判断力を利益至上主義で失ってしまい、さもしいカタログ的な自己顕示欲の坩堝と化してしまった。   ただ、これは90年代後半、バブル経済崩壊から続いた経済的不況に影響された、日本の“失われた10年間(ジャパニーズ・ロスト・ジェネレーション)”時代の話である。この10年間で、日本人の美意識、倫理観、価値観は、大きく変化、堕落し、虚無主義と拝金主義が世の中全体を覆っていった。そして、壊滅的なモラルの崩壊、無秩序な混沌が極まった今やっと、日本文化は、ルネッサンス的な新しい変革の時代を迎えようとしている。その最も大きな流れは、まず白人コンプレックスからの脱却から始まった。子供たちを熱狂させるマンガ、アニメーション、コンピューター・ゲームなどのオタクカルチャー、健康志向からの日本食や禅、高性能のハイテクノロジー、海外の人々が伝統文化のみならず、日本の現代文化に大きく影響を受ける現状を実際に感じた、欧米(特にヨーロッパ)で教育を受けたクリエイター達の帰国は、その変革の重要なきっかけとなった。彼らは、海外の地において、“オリジナリティーとは何であるか”という事を徹底的に教え込まれる。そのことは、自分は日本人であるという事を強烈に再認識させることになる。欧米文化への憧れ、模倣ではなく、欧米文化との違いが創造の源であることに気づくのである。彼らが、影響を与える時代、ポスト・ロストジェネレーションが始まったのである。今考えれば、“失われた10年間”は、DJ的なサンプリング・カルチャーとアメリカ的な大量消費文化に、日本のファッション界が大きな影響を受けた時代であったと言えるのではないか。サンプリング、コラボレーションという心地よい英語のフレーズによって、模倣に何の疑問を持たなくなった日本のファッション界は、オリジナリティーを片隅に追いやり、業界自体を異形で未熟な物質主義に変容させてしまった。   このような、現在の日本のファッション写真界を取り巻く状況を理解した上で、読んでもらいたい。   日本のファッション写真の大きな転機は、やはり90年代であった。そして、この90年代の東京のイメージを決定付け、その後の日本の写真界全体に、最も影響を与えたのがホンマタカシであろう。日本人独自のロリータ趣味を全面に押し出した現実感溢れるポートレイト風のファッション写真は、アートとファッション写真、ドキュメンタリーとファッション写真の融合であり、彼の写真から強烈に感じられるニヒリズムは、近未来の日本への警鐘のようであった。無機質に殺菌されたシステムの中で、自らのアイデンティティーを見失い、凶暴なグローヴァリズムに翻弄される日本への、誰しもが持つ漠然とした不安、終末の予感。ホンマタカシの写真は、ジャンルを超えて多くの人々に支持され、多くのフォロワーを生み出す。今や日本を代表する作家となった、ヒロミックス、佐内正史、本城直季らは、多かれ少なかれホンマタカシが切り開いたスタイルの延長上に独自の世界観を築き上げたといっていい。そして、彼の広告、アート、ファッション、ヌード、グラビア、建築、編集、映画等のあらゆる分野へボーダレスな進出は、良しにつけ、悪しきにつけ多くのカメラマンの指針となったのである。   もう一つ、90年代の日本のファッション写真に大きな影響を与えたファッション誌が、パリで出版されるPURPLE誌である。アートとファッションの融合をテーマに、一貫したインディーズ・スタイルで数多くの新しい才能を世に送り出してきたこの雑誌は、日本のカルチャー、サブカルチャーにも早い段階から興味を示している。そのため、日本人アーティストも多く参加しているが、その中でも別格なのが、このPURPLE誌で創刊以来、ファッション写真をとり続けている鈴木親であろう。鈴木親は、今の日本では数少ない純粋な意味でのファッション・フォトグラファーであり、世界に通用するオリジナリティーを持ち合わせている。彼のファッション写真は、マルタン・マルジェラに代表されるアントワープ系の内向的なデカダンスの影響を色濃く受けながらも、日本の伝統的な文化の品と静謐さを感じさせる。そこには日本人しか表現する事の出来ない情緒がある。彼は、ファッション写真家であることにこだわり、ファッション写真と作品以外は、ほとんど撮影しない。商業主義一辺倒の今、鈴木親の隠者のような撮影のスタイルは、彼のオリジナリティーを磨き上げた。その独特の色彩と間を感じさせる作風は、世界に影響を与えるファッション写真家になることを予感させるに十分である。   ただ、このような日本のファッション写真界の曖昧なあり方は、決して悪い事ばかりでもない。その、通過儀礼的なポジションから、様々な分野の写真家がファッション写真を撮るために非常に多様性のあるものになっている。例えば、アフリカ、中東、東南アジア、南米等の“滅びゆく少数民族”のポートレイトの作品で、ファビアン・バロンに絶賛され、写真集“TRIBE”を出版した小林 響は、欧米のファッション界では、90年代最も評価された日本人写真家であろう。荒木経惟、植田正治、ヒロミックス、新津保建秀、富永民生、久家靖秀、佐内正史、石坂直樹、ザ・グレート・ザ・歌舞伎町、平野太呂、本城直季、米原康正、井賀孝といったアート、グラビア、広告、ルポルタージュ、スポーツ等のジャンルで活躍するファッション写真家以外のファッション写真をこれほどまで沢山見る事のできるのは日本だけだろう。そして、ファッション写真を変革するのは、実は、他のジャンルから来た異端者の価値観である。マーティン・ムンカッチは、スポーツカメラマン。アーヴィング・ペンは、画家。ヘルムート・ニュートンは、報道カメラマン。スティーヴン・マイゼルは、ヘア&メイク。マリオ・ソレンティは、モデルであった。そう考えると日本のファッション写真界は、可能性に満ち溢れている。止まれる者の出現。。日本人としてのオリジナリティーを追求して、美意識と技術を極めた上で、ファッションという世界に魅せられ、美の本質を探究したい写真家が現れたときに、きっと日本のファッション写真界はドラマティックに変わるはずである。サンプリングの達人から、オリジナリティーへ、欧米コンプレックスからジャパニーズ・ルネッサンスへの意識の変化。それが、近い将来であることだけは間違いない。
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thetaizuru · 8 months
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 1977年から1987年の大衆文化を、「リヴィジョニズムの時代」だったとする解釈がある。  1977年というのは映画『スターウォーズ』が公開された年であり、この映画が巻き起こした世界的な社会現象は、前年の1976年に建国200年を迎えたアメリカが、新しい文化の時代を築き始めたことの象徴であるかのように受け止められた。  1987年というのは、末尾の数字を合わせた表現であるものの、いくつかの象徴的な出来事がある。  サブカルチャーにおいては、1986年から1987年にかけてリミテッドシリーズとして刊行されたアラン ムーア原作のコミックス『ウォッチメン』が1���の単行本として出版された年である。この作品は、その後のサブカルチャーに多大な影響を与えたと評される。  ポップアートにおいては、ポップアートというジャンルを超えてアメリカの一時代を象徴した存在でもあるアンディ ウォーホルが亡くなった年でもある。  そして、1987年にロシア革命70周年を迎えたソ連は、ペレストロイカ(「再構築」)とグラスノスチ(「情報公開」)を進めていた。これを指導したゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したものの、1988年のエストニアの国家主権宣言、1989年の東欧革命、そして1991年のソ連崩壊に繋がっていく。
 21世紀になって、アラン ムーアの作風を評する際に「リヴィジョニズム」という言葉が用いられたが、これを1977年から1987年頃まで、あるいは1980年代の文化的な状況について言い表すために、拡大解釈的に用いたものが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。  ここで言う「フィクションにおけるリヴィジョニズム」とは、既存の作品やジャンルを改作し、原典の持つ意味や隠れたイデオロギーを批評的に描き出すことで、新しい読み方を提示することだと説明され、これは「脱構築」という哲学的な思考法を手法として昇華させたものだとも説明される。  また、これにはニュアンスとして「ヴィジョナリー」という意味が含まれる。「先見の明がある人」や「幻視者」などと訳されるこの語は、斬新なものの見方や未来像を提示する作家などを評する際に、特に第二次大戦後から1960年代頃までは好意的に用いられた。1982年公開の映画『ブレードランナー』を評する際にも、監督のリドリー スコット、デザイナーのシド ミード、原作である小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を書いたフィリップ K ディックが「ヴィジョナリー」と呼ばれ賞賛された。『ブレードランナー』は公開時の興行成績が振るわず、暗く退廃的な未来観に対する酷評も多かったが、一部の賞賛は衰えることなく、1985年以降に「サイバーパンク」と呼ばれSFのサブジャンルの一つとして定着する世界観に多大な影響を与え、21世紀になってからますます評価を高めたという経緯があり、これも先見性のひとつの側面を表すものとして語られる。ただ、「ビジョナリー」という言葉は、1970年代以降、好意的な意味で使われることは少なくなっていき、『ブレードランナー』を賞賛する際に用いられた頃をほぼ最後に、ほとんど使われない表現になっていく。この言葉に含まれる、スピリチュアル的あるいはオカルト的なニュアンスへの忌避感は強まっていく。  「リヴィジョニズム」という語も、第二次大戦後、「歴史修正主義」と訳され、批判的な意味で使われる。特に1960年代以降は、非難する対象に貼るレッテルのような使われ方が増えていく。「オカルト的」あるいは「カルト的」、「陰謀論的」という言葉とほぼ同義に用いられる。  歴史改変SFでもある『ウォッチメン』を評する際に用いられた「リヴィジョニズム」は、あくまで「フィクションにおけるリヴィジョニズム」という手法を言い表すために用いられたものだが、これが、レッテル貼りのように用いられるようになってしまった「リヴィジョニズム」という語の、この語が使われ始めた20世紀初頭の「時代によって変化する価値観や社会を再解釈することで、出来事や作品を評価し直そうとすること」というもともとの意味を思い出させることになった。いわば「リヴィジョニズム」という言葉自体を再解釈あるいは脱構築して捉えることで、時代解釈の定説や主流とされる考え方とは違ったものの見方を提示するという、本来フィクションに求められていた「ヴィジョナリー」としての役割を、1977年から1987年頃までのフィクションやポップアートなどが取り戻していたと再解釈するのが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。
 1968年アメリカ大統領選でのニクソンの勝利は、ベトナム反戦運動に沸いたカウンターカルチャーの敗北を意味し、1974年にウォーターゲート疑惑によりニクソン大統領が辞任したことは、カウンターカルチャーへのカウンターという保守または中道にも失望感と敗北感を残した。多くの人々が一挙に政治的な運動からも、文化的な運動からも退却していく。多くの人が、何も考えないでいられるコンテンツだけを需要するようになっていき、それまで政治的なメッセージや哲学的思考、文化であったものは、その形式だけをある程度模倣しただけのものになっていく。  ソファーに寝そべったまま動かずにテレビを見て長時間を過ごす人を、「ソファー(カウチ)の上に転がっているジャガイモ」に喩えて揶揄または自嘲した「カウチポテト」という俗語表現は1976年に生まれ、1987年には週刊誌などが当時の若者文化の傾向を「カウチポテト時代」と呼んだ。  1987年以降に「カウチポテト」という表現が日本にも伝わった際に、「ソファでポテトチップスを食べながら」リラックスした時間を過ごすというニュアンスで、半ばあえて意図的にポジティブな意味合いに誤訳するのと同様な捉え方を、この俗語が生まれた直後から、この語を使う人たちはしてもいた。半分は自嘲で、もう半分に、メディアに何が正しいかを説かれたくない、何かを考えさせられた挙句に変な運動へと煽られたくないという消極的な反抗が込められてもいた。
 1980年代の文化を「カウチポテト時代」の文化として、何も考えずに需要できるエンターテインメント消費が始まった時代と捉える解釈のほうが主流であり、「リヴィジョニズムの時代」というのはやや誇張でもある。  アメリカのベトナム反戦運動は、1968年大統領選挙の期間に、当初の純粋さではなくニクソン嫌いという感情を原動力にしたものに変化し、ベトナム戦争からの「名誉ある撤退」と米ソ間の緊張緩和を公約に掲げたニクソンを攻撃するといういびつな運動になり、内部崩壊していく。ニクソン嫌いの感情はいびつなまま、多くの人の中に残った。イギリスの作家であるアラン ムーアは、サッチャー嫌いを1980年代の創作動機のひとつにしていたことを後に認めてもいる。ニクソン嫌いの感情を持った人がニクソンによってアメリカが警察国家あるいはファシスト国家になるという考えと同じく、ムーアはサッチャーによってイギリスが警察国家になると考え、それを『Vフォー ヴェンデッタ』(1982-1989)などの作品に反映させた。『ウォッチメン』では、ベトナム戦争でアメリカが勝利し、ウォーターゲート事件も発覚せず、ニクソンが1985年になってもまだ大統領を務め、米ソ間の緊張が第三次世界大戦勃発の危機的状況までに高まっているアメリカを、作品舞台としている。  1980年代のSFやサイバーパンクの作品は、大抵はその作品の執筆開始直後の80年代か90年代に第三次世界大戦が起きていて、環境破壊によって酸性雨が降り続けているなどの、共通したイメージを世界各地で同時多発的に描いている。ビジュアル的にも設定的にも相互に影響を与えている面も多少はあるものの多様で、未来像だけが共通している。これはおそらく、カウンターカルチャーの終わりのニクソン嫌いが生んだイメージだろうと考えるのが「リヴィジョニズムの時代」解釈である。  「リヴィジョニズムの時代」解釈においては、「フィクションにおけるリヴィジョニズム」が果たした役割は、このニクソン嫌いからいびつな形で生まれてきた終末イメージを、結果として、解体したことでもある。  ただ、その後の文化がニクソン嫌いやサッチャー嫌いのようなものを乗り越えたようには見えないし、そうした感情と、政治や経済、あるいは作品を分けて考えられるようになっているようにも見えない。90%以上の科学者が言うにはあと5年で世界が崩壊するという説を20年以上、ハードコアなバージョンだと60年近くかそれ以上、信奉するスタイルは現在も結構活発だし、ニクソン嫌いやサッチャー嫌いに似た感情を煽られた人たちが、自分たち以外全部ヘイトだと叫ぶスタイルも活発で、いびつさは増しているようにも見える。公衆衛生プロパガンダに煽られたり、別に最初から嘘だってわかってたけど周りに合わせただけだし要望があったから解説してあげただけみたいなこと言い出してる人たちが、もともとの専門分野とかのことを真剣に語っても、聞いてる人たちごとバカに見える。
 「フィクションにおけるリヴィジョニズム」などのように「脱構築」を手法化しようとするときの問題は、その後に続いてくる虚無感である。誤解や矛盾が生んだ感情であっても、それを無理に破壊した後の虚無感は、意味の生成を阻害する。何を見ても無意味に思えてくるし、新しいものや考えが視界に入ったとしても見えない状態にまでなってしまう。そうなる前に心理的なブレーキを踏んだとしても、次の作品に向かうために必要な、疑問や発見などの感情や感動が沸き上がる状態とは程遠くなってしまう。作品として上手くいったとしても一回性は免れず、後続の作品も自分自身までも、その作品のエピゴーネン(模倣者、亜流、二番煎じ)になってしまう。そうなった後の感情の回復には、ユーモアなどが助けになるとも言われるが、無理に笑おうとしても辛いだけだし、カウチポテトでもして時間の経過を待つしかない。  アラン ムーアも90年代になってすぐ同様の悩みに直面し、半ばユーモアで、魔術師になると宣言し、魔術とオカルトの研究を始める。ムーアは、「理詰めの創作についての理解の限界の先に進むためには、理性を超える一歩が必要��思え、その一歩の足場となってくれる唯一の領域が魔術だった」と語っている。
 「リヴィジョニズム(修正主義)」という語は、マルクス主義運動においては、マルクス主義の原則とされるものに対して重大な「修正」を加える意見や思想に対して使われる用語であり、ほとんどの場合、批判や蔑称として使われ、その「修正」や「修正主義者」はマルクス主義を放棄したもの、あるいは異端であるとみなされた。1960年代前半、「平和共存」と呼ばれる米ソ緊張緩和を実行したソ連を、中国は「修正主義」であるとして非難し、一方のソ連は中国のそのような姿勢を「教条主義」として非難した。
 知らずに模倣を繰り返しいびつな感情を育むことへの消極的反抗もまた、繰り返されているように思える。
2023年9月 ドラウト メイ トリガー アウトオブシーズン ブルーミング
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kagurakanon · 8 months
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2023/08/30 戦後ロボットアニメのもう一つの総決算--機動戦艦ナデシコ
『新世紀エヴァンゲリオン』の社会現象化に伴い発生した第三次アニメブームからは同作への返歌的な多くの作品��生み出された。それは同時に戦後日本的な「大きな物語」の失墜に伴う社会の引きこもり化/心理主義化といういわゆる「95年問題」に対するサブカルチャーの一つの回答でもあった。そのうちの一つに数えられる本作は「95年問題」に対する回答としてTV版エヴァが提示した母性的承認(おめでとう)をより一層強化した形で提示した。作中において自身の愛する「ゲキ・ガンガー3」というロボットアニメが侵略者のプロパガンダに使われていることを知り苦悩する主人公テンカワ・アキトに対してライバル的存在であるアカツキ・ナガレが「君はもっと色々なアニメを見ておくべきだった」と諭すシーンが象徴するように、同作ではマジンガーZに象徴される70年代的ロボットアニメの文法の失効が戯画的に確認される一方で、うる星やつらに由来する80年代的ラブコメディ/90年代的美少女ゲームの構図が前景化する。そして本作が提示した母性的承認の回路はやがて90年代後半からゼロ年代初頭におけるセカイ系と呼ばれる想像力の台頭を準備することになった。こうした意味で本作はエヴァの構図をオタク系文化史の中に位置付けて、エヴァとは別の形で戦後ロボットアニメの総決算を図ろうとした作品であったと言いうるのである。
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straycatboogie · 10 months
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2023/06/23
BGM: 佐野元春 - VISITORS
今日は遅番だった。朝の読書タイムを楽しむべく、カレン・チャン『わたしの香港』の続きを読む。まだ途中までしか読めていないのでこれといったことは語れないけれど、香港という場所を語ることを通して彼女自身の複雑な人生そのものを語ることをも試みた、その意味で野心的な1冊なのではないかと唸る。そして、ぼくも彼女のように何か書けないかと思ってしまった(これは面白い本を読んでしまったらついつい考えてしまうことであり、つまりはぼくの「悪いクセ」なのだった)。彼女のように書く……つまりは、ぼく自身のメモワールを書くということだ。この宍粟市で生まれ育ったことを書き、90年代の日本のサブカルチャー(渋谷系の音楽や『クイック・ジャパン』の創刊について)、オウム真理教事件やぼく自身が多感な青春(!)を過ごした早稲田大学のキャンパス・ライフについて、などなど。そう考えると思考はとりとめもなく膨らんで、ほとんどぼくの脳から溢れていく。ただ、もちろんそれを形にできるかどうかはまだまったくもってわからないのだった。
『わたしの香港』に倣って……ふと、その時聞いていたロイド・コールの音楽のことを考えた。この音楽にしたって小沢健二がファースト『犬は吠えるがキャラバンは進む』を出したばかりの頃にある音楽雑誌で「小沢はきっと、ロイド・コールのような渋いミュージシャンになる」といった批評文が書かれていて、そしてそれを読んで手にしたのだった。思えばぼくは一時期音楽を語るジャーナリスト/フリーライターになりたいとも思って『エレキング』や『ロッキング・オン』をせっせと買い求めて読んでいたりもした。そうしたサブカルチャーを語ることはこの国における、スティーブン・ミルハウザーの小説のタイトルを借りれば「ある夢想者の肖像」を語ることにつながらないだろうか。いや、もちろんこれはまだ形にもなっていないただのぼくの思いつきでしかない。書けない可能性も相当に高い。でも、「ぼちぼち」断続的に書いていくことはそれなりの価値があるかもしれない……やってみたいと思った。ぼくももう48歳になろうとしている。いつまでも若いわけではない。50代・60代はもう目の前だ。
思考はとりとめもなく広がる……ふと、その「ぼくのメモワール」を「きみ」という一人称を使って書けないかと考えてしまった。この書き方はぼくは確かジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』やポール・オースター『冬の日誌』で読んだことを思い出す。いや、ぜんぜん戦略的なものではなくただそれがしっくり来るからというだけの理由でしかないのだけれど、今日仕事が終わって一晩ゆっくり寝たら明日土曜日に試してみようかと考えた。思い出す……村上春樹との文学の出会いについても書きたいし、フリッパーズ・ギターやコーネリアスを聞いて過ごした10代・20代についても書きたい。「きみは今、自分の人生の持ち時間について考えている。いつこの人生が終わるのかについて……そして、きみは自分がこれまでの人生でいったい何を成し遂げたのかについて考える。これからいったい何を成し遂げるのかについても。そう思うと、ペット・ショップ・ボーイズ『ウエスト・エンド・ガールズ』の歌詞よろしく『死にたくなる』こともある」……と書いてみることを考える。
仕事に入った。今日はジョブコーチとの面談がある日だったので、さっそくその方と2人で今のぼくの勤務内容について話し合う。思わず、ここまでの道のりを振り返ってしまいその方の前で泣いてしまいそうになった……前にも書いたけど、そのジョブコーチの方とのあの日の運命的な出会いがなければこんな風な楽しい日々・愉快な人生を生きることもなかったからだ。ほんとうに夢のような日々を生きていると思う……もちろん毎日毎日バラ色の人生というわけではない。今だってお金のことについて悩んでいるし、仕事場でだって「差別されてるな」「見下されてるな」と思うこともある。でも、それもこれも含めて「味わい深い人生」とも言える……今から10年前、こんなことが起きているとはぜんぜん想像できなかった。マンガみたいな展開というか何というか……その後仕事もこなせて、グループホームに戻りバタンキューで眠ってしまう。思っていたぼくのメモワールはまた時間が取れたらやってみようと思った。時間と労力の無駄かもしれないけれど、書けるだけ書いてみたいと思っている。
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specs-times · 11 months
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STANDARD CALIFORNIA - スタンダードカリフォルニア からTHRASHER(スラッシャー)とコラボのTシャツが到着!
STANDARD CALIFORNIA – スタンダードカリフォルニア よりTHRASHER × SD Diamond Logo T の1アイテムが発売開始 ( 公式通販サイト.電話での購入可能 )
Online Up Date 5/27 12:00
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THRASHER × SD Diamond Logo T
THRASHER(スラッシャー)とコラボのTシャツになります。1981年にサンフランシスコでエドワーズ・リギンスにより創刊されたUSAを代表するスケートボード専門誌「THRASHER MAGAZINE」。スケートボードだけの枠にとらわれずその独自の世界観はサブカルチャーの代名詞になっており、その雑誌から生まれたプロダクトはアイコンのマガジンロゴをはじめ、様々なスローガンがプリントされたTシャツなどを中心として世界中で認知されています。Standard Californiaでは、80~90年代のダイヤモンドロゴをベースにしたロゴTシャツを別注。インラインにはないオリジナルカラーでラバ��プリントしたスペシャルバージョンとなります。ボディはStandard Californiaオリジナルのヘビーウエイトボディ。
STANDARD CALIFORNIA ( スタンダード カリフォルニア ) ONLINE STORE
石川県小松市のセレクトショップ
SPECS (スペックス)
【住所】
923-0832 石川県小松市若杉町2-38
【お問い合わせ先】
0761-23-0121
【営業時間】
(平日) 12:00 – 21:00
(土日祝) 12:00 – 20:00
定休日 (木)
【公式通販サイト 】
HP : www.specs03.com
通信販売 ¥10000以上購入で送料無料,最短翌日着
【instagram/インスタグラム】
新入荷情報や素早い情報をキャッチ
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cellophanemaryjane · 2 years
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私にもサブカルのこと書かせて-番外編(タモリと山田邦子)
スタジオボイスでナンシー関が連載していた「信仰の現場」の、笑っていいともを見に行く回が面白かったです。今でこそタモリは権威主義なオタクに愛されるキャラクターになったけど、その頃は俗にいう「男の更年期」時代でタモリもピリピリしたところがあったし、ちょっと笑っていいともとかダサいよねという空気が一部にありました。あんなにつまらなくなって終わったのに、最終回のインパクトのせいなのか喉元過ぎればということなのか「すごい番組だった」「終わらなくてもよかったのに」とか言ってる人たちを見ると、大衆というものはなんて現金なんだろうと思います。
タモリのことで私がすごく驚いたのは、その頃お笑い芸人としては最もエッジーな存在だったダウンタウンが司会をしている生放送の特番で、秘密のゲストとしてタモリが電話をかけてきてクイズを出すという場面でのことです。生放送でちょっとバタバタしてるところへもって、タモリが突然ダウンタウンに向かって「お前ら俺のこと馬鹿にしてんだろ」と言ったのです。ダウンタウンの2人はタモリがそんなこと言うなんてまったく思ってなかったようで、「そんなことないですよ、してませんよ」とふざけずに返していました。あれにはびっくりしましたが、あの頃のタモリにはそういうところがあった。
タモリがお昼に出るなんて信じられない、と言われていた頃は私もリアルではわからないのですが、その頃のタモリを森茉莉が「ドッキリチャンネル」でけちょんけちょんに貶していたのは読みました。森茉莉はタモリの見た目がどうしても受け付けないと書いたのに、却ってタモリから対談を申し込まれてしまいます。森茉莉は「あんなに見た目が無理って書いたのにババアだと思って舐めやがって」と憤り、再びどこがどういうふうに受け付けないかを書いて断りました。
私はこの件に関して、お茉莉はちょっと誤解している、と思っています。一視聴者である私の意見としては、タモリという人は飲んだりする時、バカでもなんでもいいから若くてきれいな女がいればいい、というタイプには見えないのです。きれいな人はもちろん好きだけど、例えブスでもババアでもおっさんでも、話のわかる面白い人といる方が基本的にはいい、という男の人に見える。(こういうタイプの男性はたまにいる)そして森茉莉はまさに話は面白そうだし、無理やり相手を持ち上げたりしない人だし、タモリが会ってみたいと思ってもおかしくありません。
それからずっと経って私も笑っていいともをほとんど見なくなったのですが、たまたま見ていた時にクイズのコーナーで「森鴎外は何のお茶漬けが好きだったでしょう」という問題をやっていたことがありました。正解はもちろん「葬式饅頭のお茶漬け」なのですが、鴎外はそのことを文章に残していなかったみたいで、森茉莉の文章が紹介されました。その時タモリはたまに見せることがある、まわりの反応はどうでもいいからこれだけは言うぞという表情で、「俺答え知ってたんだ。娘の茉莉さんも作家なんだよ。」というようなことをやけにキッパリと言ったのです。もちろん周りは「…へぇ〜」という感じでした。私はそれを見た時に、やっぱりタモリは森茉莉に自分の見た目を気持ち悪がられたことなんて気にしてなかったんだなと思いました。
私は最近の明石家さんまやビートたけしを老害扱いして、タモリを「いい年の取り方をしている」と持ち上げる風潮が苦手です。いい年の取り方なんて他人に決められたくない。私は男の更年期の頃のタモリの方が好きだったよ。笑っていいともで、急に黙ってカエル逆立ちするタモリ。ジャングルクッキングで、お題の料理を作るのに手を貸さず、その辺の材料をなぜか置いてある七輪で炙って「この方がうまいよ」って言ってたタモリ。
そしてもう1人、山田邦子。山田邦子がサブカルだったことは一度もないのですが、私はなぜか好きでした。(だからここからはサブカルではなくただの90年代のテレビの思い出です)
とはいえ、さすがの私も「やまだかつてないTV」の時は見放しかけました。それにその頃は笑っていいとも同様、山田邦子とかゴールデンの番組はダサいよねみたいな感じがありました。そして「やまかつ」が終わり好感度が下がっていき、サブカル的には「イジってもいい」ような感じになってしまいました。しかし、その頃山田邦子はテレビで料理や手芸を披露するようになり、リング型のバウムクーヘンを半分に切って背中合わせにしてからデコレーションする「シャネル風ケーキ」や、ダブダブのTシャツ2枚を縦につないで作った「上下どちらからも着られる服」など、個人的には忘れられない作品を生み出していた頃でもあったのです。
また、山田邦子はその頃もっとも終わった存在扱いだった田原俊彦のことを何だかんだ言って理想のタイプ、大ファンと言っており、情に厚い人なんだなぁと思いました。そして当時大人気だったドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、女子という女子がトヨエツトヨエツと言っている中ひとり「私は見守ってくれるケンちゃんがタイプ」「ケンちゃん好きなんだけどな…」と言っていたのも印象に残っています。山田邦子は、あのドラマで豊川悦司が演じた「麻のシャツをサラッと着こなしサンダルで歩いているような男性」というタイプに何か思うところがあったようでした。
その頃山田邦子と森公美子がほとんどコンビのような感じで出ていて、この2人の姿は当時十代後半だった私に、決して正統派の美人ではないけど都会の自立したモテる女というイメージを植え付けてくれました。わかりやすい美人だけがいい女なわけじゃない、という価値観は今でも私の中にバッチリと残っています。その後どうも不仲になったようで寂しいです。
そして再びですが森茉莉も「ドッキリチャンネル」で素敵な文章を書いていました。まだ絵描き歌のネタなどをやっていた頃の山田邦子について、なにかいい食事を奢ってやりたくなる、彼女と出かける時は素敵な男性に変身してやりたいが、彼女は私とでも喜んで来るだろう。あの子はそういう子だ。美人ではないがしっかりした男性ファンがいるだろう、とかいうような文章で、とても良かったのです。
それから土曜の昼下がり、ラジオで「涙の電話リクエスト」を聞くのも好きでした。私が山田邦子を嫌いになれない一番の理由はこの番組を聞いていたからだと思います。昭和の歌謡曲のリクエストと、相方であったアナウンサー「さくちゃん」との掛け合いはとても楽しかった。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」がかかった時にさくちゃんが「こういう曲を聴くと麻のシャツとか着て旅行に行きたくなる」と言ったら、山田邦子はまず、さくちゃんの顔が濃いのでサラッとしたシャツは似合わないと言った後に、煮え切らない言い方でしたがそういうスタイルはあまり好まない旨を発言していて、トヨエツのドラマでの役の件といいなんかあったんだろうなぁと思いました。私もああいう男性は特に好きではないので、それだけかもしれないけど。
この番組は妙にフォークのリクエストが多くて、村下孝蔵や「雪」「春うらら」「さなえちゃん」などがかかっていました。こういう曲は「涙の電話リクエスト」を聞いていなければ知ることがなかったと思います。
そしてさだまさしの「案山子」がかかった時、山田邦子がポツリと「なんかヤな歌だな」と言ったのには驚いたと同時に激しく頷きました。私もさだまさしとそのファンが大嫌いです。この2つの存在があるせいでこの世が良くならないんだと思っているぐらい嫌いです。「パタリロ!」のあるエピソードの中で、谷村新司のことはいくらハゲと書いても何も言われないのに、さだまさしのことをハゲと書くと苦情が来ると書いてあって、さだまさしのファンはなんていやらしいんだろうと思いました。私もピート・タウンゼントやジェイムズ・テイラーのファンですが、彼らがハゲてないなんて考えたこともありません。ハゲてても素敵だってなぜ言えないんだ、そういうの良くないぞ。
それはさておきこの頃の山田邦子の面白さを分かち合える人が全然いなくて悲しい��
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fuminaga · 11 months
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《今回のLGBTに関する報道を見ていると、1980~90年代、マスコミがオウム真理教をサブカルチャーとして持て囃していたことを思い出す。マスコミには、新しいものを有り難がる習性みたいなものがある》(この投稿は現在は削除されている) 《とにかくね、何か変だと感じた直感を大事にして欲しい。 当時、オレもオウム真理教信者、彼らが乗っ取ろうとした熊本県・波野村の村人たちの証言を耳にしながら、写真にも記事にも反映出来なかった。 その結果が、地下鉄サリン事件だ。これは、背負っていくしかない》 《今、LGBT運動に加担している同業者たちに、その覚悟はあるのかと問いたい》 《今の勢いのまま、LGBT運動が進むことに対する危惧です。個人的には、オウムの件と近いものを感じざるを得ません》
「オウムの件と近いものを感じる」共同通信・編集委員のLGBTへの“持論”が「差別的」と波紋…会社は「慎重な発信を」と本人に指導(女性自身) - Yahoo!ニュース
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atomicdope · 1 year
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【 Carhartt 】Restock ビーニー, ロンT, Tシャツ 入荷しました! ・KNIT CUFFED ビーニー カラー: ブラック, カーハートブラウン, ブラック/ホワイト, ヘザーグレー サイズ: フリーサイズ 素材: アクリル 100% 5,170円(税込) ・LOOSE FIT HEAVYWEIGHT ポケットロンT カラー: カーボンヘザー, ヘザーグレー サイズ: M, L, XL カーボンヘザー素材: コットン 60% / ポリエステル 40% ヘザーグレー素材:: コットン 90% / ポリエステル 10% 6,270円(税込) ・LOOSE FIT HEAVYWEIGHT ポケット ヘンリー Tシャツ カラー: ブラック, カーボンヘザー, ヘザーグレー, ネイビー サイズ: M, L, XL ブラック, ネイビー素材: コットン 100% カーボンヘザー素材: コットン 60% / ポリエステル 40% ヘザーグレー素材: コットン 90% / ポリエステル 10% 4,950円(税込) ・LOOSE FIT HEAVYWEIGHT ポケット Tシャツ カラー: ホワイト, ヘザーグレー, ネイビー サイズ: M, L, XL ホワイト, ネイビー素材: コットン 100% ヘザーグレー素材: コットン 90% / ポリエステル 10% 4,400円(税込) 【Carhartt (カーハート)】 Carharttは米本国では時代を問わず労働者にとって欠かすことのできないワークウェアであるが、 90年代に入るとタフでリーズナブルなCarharttのプロダクツは数多くのHIP HOPアーティストに受け入れられ、 ストリートウェアの代表的ブランドとしての地位も確立。同時にヨーロッパや日本でもカジュアル・ウェアとして高い人気を集めていく。 Carharttブランドは更なる進化を遂げ、ファッション・ブランドとしてもワールドワイドにその名が知られていくようになる。 そして、クラブミュージック、アート、スケートボードなど、様々なサブカルチャーを積極的にサポートしていく。 アーバン・ライフスタイルにフィットする革新的ブランドとして世界中で親しまれている。 082-247-5998 [email protected] Atomicdope.com #Carhartt #streetstyle #fashion #selectshop #hiroshima #Atomicdope #カーハート #アトミックドープ #広島 (Atomicdope) https://www.instagram.com/p/CoUExRUyTv-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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atlionbottom · 1 year
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久しぶりにHand in Handを聴いたら(というかプロセカで選曲したら)
好きな人 好きなこと 好���な場所 めがけた 優しさが 変えるんだ 明日を
のところ、ここで「愛」じゃなくて「優しさ」をもってくるのが秀逸だなーと……特にサブカル界隈って(一般的と認められていないこともある)好きとか愛とかがポジティブな原動力になるというのを称揚するけど、自分にとって大切なものへの愛は他者にとって大切なものを非常にしばしば踏みにじるので。
(kzさんの曲、実はそんなに好きじゃなくてあんまり聴かないから歌詞にも注意してなかったんだけど、曲づくりがどうとかじゃなくて調声がひたすら好みじゃないだけなんだな……と、あんスタに提供されている曲を聴いたりしていて気づいた)
「おたくであること」をアイデンティティとして表現の自由を標榜するひとびとの一部がどうして(政治的信条については特に考えず?)右翼に迎合するのかわからん……と思っていたんだけど、自分(たち、に/が属すると感じているもの)と自分の欲望をおおっぴらに表現することにしか関心がないからか……という気がしてきた。
わたしにとってフィクションを愛するというのは自分の今ある在り方とは異なる在り方に関心をもつことなので、保守(=体制=メインカルチャー)的な思想・感性と親和性をもつ層がサブカル界隈に一定数存在するのはなぜなのか、それともたんに票田として都合がいいから保守政党がサブカルを肯定するしぐさをしていてそれが受けているのかわからなくて、でも後者だけで説明できるほど根が浅いとは思えないんだよなーと。
余談。
倉橋耕平(2018)『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』、青弓社 https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787234322/
半年前くらいにこの本読んだけど、「歴史修正主義『と』サブカルチャー」というよりは、「歴史修正主義はサブカルチャー」という感じだったような覚え。
「東京都⼈権部が飯山由貴のアート作品を検閲か。小池百合子都知事の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への態度も影響した可能性」(福島夏子、Tokyo Art Beat) https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/iiyamayuki-tokyo-metropolitan-human-rights-plaza-news-2022-10
「現職の都知事が関東大震災での朝鮮人等虐殺を認める態度をとっていないから東京都も虐殺があったという歴史認識を示さない」とかいう論理と検閲がまかりとおるようになると、もう、歴史修正主義ってメインカルチャーじゃんという気分になりますけど。
(ところで過去に読んだweb記事って、ヘッドラインやつかわれていたキーワード、掲載メディアまで覚えていたらまだしも、内容ざっくりくらいの記憶だと探すのすごい大変になる……読んだ時点では感想を整理するまで至らなくても、タイトル・執筆者・掲載メディア・URLだけTumblrかどこかに投稿しておくようにしようかな、非公開でいいから)
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naoyakoike · 1 year
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ライターの冬将軍さんに初の著書について取材しました。話題はヴィジュアル系だけでなく、日本では電気メーカーがオーディオを売るためにレコード会社を作った流れがあることなど多岐に渡ります 
��“もしもhideが在命だったら、ITの世界でなにかを成し遂げていたかもしれません”
https://realsound.jp/book/2022/10/post-1154866.html
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mobsprooftheweb · 2 years
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『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』公開
映画『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』が2022年10月21日(金)にヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開されることが決定!
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今、世界で最も勢いのあるカルチャーを作り上げた不良たちの物語
90年代ニューヨークから生まれ、今では世界的にメインストリームとなったストリートカルチャーの誕生を追ったドキュメンタリー映画!!
1980年後期のニューヨーク。アンディ・ウォーホールやジャン=ミシェル・バスキアたちの時代が終焉を迎え、そこに空いた穴を埋めるかのようにヒップホップとスケートボードという2つのサブカルチャーが頭角を現し始める。 当初ヒップホップは黒人の物、スケートボードは白人の物というイメージが強かったが、当時では珍しくヒップホップを流すクラブMarsのオープンから、Wu-Tang Clan、Nasやノトーリアス・B.I.G.などのラッパーの誕生、映画『KIDS/キッズ』の公開、スケートブランドZoo YorkやSupremeのローンチなどを経て、ライフスタイルが似ていた両者の文化は次第に交わり、ラッパーがスケートブランドで着飾るように、スケーターがヒップホップを聴くようになる。
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そして、不良と呼ばれていた若者たちの生き様が、今では世界的に最も影響力のあるストリートカルチャーを作り上げた。
ポスタービジュアルには2006年に31歳の若さでこの世を去ったニューヨークのレジェンドスケーター、ハロルド・ハンターが華麗な技を決める写真を使用。 今からちょうど27年前の1995年7月28日に北米で公開を迎えた映画『KIDS/キッズ』に出演していたハンターは、この映画を切っ掛けにニューヨークのスケートカルチャーを一気に世界に知らしめることとなる。
本作では、同じく『KIDS/キッズ』に出演したロザリオ・ドーソンやレオ・フィッツパトリックがインタビュー出演している他、若かりし頃のハーモニー・コリンの映像も使用されている。
その他90年代ヒップホップを代表するアーティストや、現在のストリートファッション界を代表するスケーターなど90年代ニューヨークのストリートを生きた豪華人物たちがインタビュー出演。 また、Jay-Z、Method Man、Busta Rhymesなどのまだ無名の頃の映像も収録されている。
さらに、スケートブランドZOO YORK設立メンバーの一人、イーライ・ゲスナーがナレーションを担当するほか、90年代ヒップホップ界を代表するプロデューサーのラージ・プロフェッサーがオリジナル楽曲を提供。
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『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』(2021年/アメリカ/89分/原題:All the Streets Are Silent: The Convergence of Hip Hop and Skateboarding(1987-1997))
【一部インタビュー出演者】 ロザリオ・ドーソン(俳優「KIDS」) レオ・フィッツパトリック(俳優「KIDS」) ジェファーソン・パン(プロスケーター、現Supremeブルックリン店店長) ジーノ・イアヌッチ(プロスケーター、スケートブランドPOETS創業者) キース・ハフナゲル(プロスケーター、ストリートブランドHUFの創業者(2020年9月逝去)) マイク・キャロル(プロスケーター、スケートブランドGirl SkateboardsとChocolate Skateboards共同創業者) Fab 5 Freddy(アーティスト、プロデューサー、ラッパー) ダリル・マクダニエルズ(ラッパー“Run-D.M.C.”のメンバー) クール・キース(ラッパー) ASAP Ferg(ラッパー) ブラック・シープ(ヒップホップグループ) ボビート・ガルシア(DJ) ストレッチ・アームストロング(DJ)
監督:ジェレミー・エルキン ナレーション:イーライ・ゲスナー 音楽:ラージ・プロフェッサー 製作総指揮:デヴィッド・コー 製作:デイナ・ブラウン、ジェレミー・エルキン
©2021 Elkin Editions, LTD. All Rights Reserved. 日本語字幕:安本 熙生 配給:REGENTS
2022年10月21日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開 公式HP:atsas.jp Twitter/Instagram:@RegentsMovie
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loosejointsposts · 3 years
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TOMOO GOKITA / 五木田智央
Tomoo Gokita was born in 1969 in Tokyo. Starting from illustration influenced by the subculture and underground culture in America, he has released works inspired by magazines and photographs from that time. He gained attention and enthusiastic support in the late 90’s for his drawing works. In recent years he has created abstract paintings that simultaneously pay heed to specific motifs, including portraits which appropriate the colors of black and white. As well as being involved in a vast number of publication activities and exhibitions within Japan, he has participated in solo and group exhibitions in New York, Los Angeles, and Berlin; continuing to receive high international acclaim. Taka Ishii Gallery presented a solo exhibition with Gokita in 2008, 2012 and 2017. In 2014 he held a solo exhibition「THE GREAT CIRCUS」at Kawamura Memorial DIC Museum of Art in Sakura City. In addition, there are many publications, such as "Lingerie Wrestling" (2000), "Shuffle Railroad Chorus" (2010), "777" (2015), and "Holy Cow" (2017).
1969年東京生まれ。イラストレーションから出発し、60~70年代のアメリカのサブカルチャーやアンダーグラウンドに影響を受け、当時の雑誌や写真にインスピレーションを得た作品を発表。90年代後半にドローイング作品により熱狂的な支持を得る。その後、キャンバスにアクリルグワッシュで描くモノクロームの人物画を中心に制作。ニューヨーク、ロサンゼルス、ベルリンなどでも作品を発表し、高い評価を受けている。2014年に佐倉市のDIC川村記念美術館で個展「THE GREAT CIRCUS」を開催 。 また、出版物も多く 、作品集に『ランジェリー・レスリング』(2000年)、『シャッフル鉄道唱歌』(2010年)、『777』(2015年)、『Holy Cow』(2017年)などがある。
https://tomoogokita.com www.blumandpoe.com/exhibitions/tomoo-gokita
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ahi-inc · 4 years
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2019/11/28 (Thu.) 19:00-00:00 Energy for Weekend vol.4 @ heavysick ZERO (Nakano) Door: 600JPY en4we presents GTL (Genba Talk Live) 「現場」をキーワードに、軸足をクラブミュージックに置きつつ、90-00年代にその周りのカルチャーも含め何が起きていたかを振り返る。 90-00年代といえば、サブカルチャー全盛の時代。 同時にインターネット普及以前でもあり、独立して存在していた様々なサブカルチャーが散発的に混じり合った時代。 現在へ続くカルチャーの、土台となる様な出来事がたくさん起こった時代でもある。 語り手には、クラブ及びクラブミュージックで遊んだ体験と同時に、ゲーム・アニメ・同人というフィールドにおいて活動し続けてきた方々7名を招聘。 その時起こっていたサブカルチャーの3つのフィールドと、クラブミュージックとの交差点を振り返る。 Speakers: Takayuki Kamiya [秋葉原重工 オーガナイザー DJ] アツシオハラ [LINEAR オーガナイザー / 秋葉原重工 DJ] Ysk439(Fumiaki Ito) [Diverse System オーガナイザー] カガワダイチ [Storyridersマネージャー / DJ] Hariu [東京ゲーマーズナイトグルーヴ オーガナイザー] wat [秋葉原重工 DJ / トラックメイカー] and more... かつて各々が感じ、体験し、作り出した「現場」での出来事。 そして現在、それぞれが「現場」で起こしていることや、感じていることは何か。 観客の皆さんには是非、過去から今までを知って、これから何が「現場」で起こるのか想像し、あわよくば、自分がこれから何がしたいかを創造してもらえればと思う。 サブカルチャーと言われて久しいカルチャーにおいて、いま何が起きているのかを、その熱に少しでも触れられる「現場」に、ぜひ確かめにきて欲しい。 Organized by REV-TUNE [Energy for Weekend / CONT.] DJ: REV-TUNE Takayuki Kamiya Food: ビリヤニ☆タカシ Massage: amritessence https://twipla.jp/events/421027 弊社より、Takayuki Kamiya、Atsushi Ohara、watが出演いたします。
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