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#小さいノート活用術
toxgo · 1 year
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Meet Brad Pitt
「ブラッド・ピットはお好きですか?」
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晴子さんよろしくな質問。僕は山王戦を迎える花道よりも早く、「大好きです」と即答できる自信がありますし、もちろん嘘じゃないっす。もしも海外のムービースターに1人だけ会えるよと言われたら、僕はブラピに会いたい。
いや、、やっぱりちょっと悩ませて下さい笑 ぱっと思い付くだけでも、ゴズ兄やキアヌやイーサン・ホークにも会ってみたい。でも、そんな願いが万が一叶うのであればブラピは間違いなくベスト3。
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僕の友人の中で、物理的に誰よりもブラピに近づいた男こと徳利さん。羨ましい。羨ましすぎる。さらにこの写真の好きなポイントは、徳利さんのキティちゃんTee。そして、ブラピがサングラスをOFFしてる位置です。
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ブラピの顔と名前が僕の中で一致し始めたのは、97年頃に流れていたEDWINのCM。一度聴くと忘れないブラピの声とあの♫503〜の歌。それから時は流れ、初めてスクリーンで彼を見たのは2001年に公開された「OCEAN’S ELEVEN」でした。
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坊主でも長髪でも、髭があろうがなかろうが、ヤングな時も、中年時代も、今年で還暦を迎えようが、どの時代でも僕らを魅了し続ける存在のブラピ。
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皆さんはブラピが出演した映画だと何が好きですか?この質問には一つだけ縛りを付けますね。「FIGHT CLUB」と「SE7EN」は殿堂入りすぎるので、この2作品は除外です。
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僕は「BABEL」や「ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD」かな。あとは、ほぼ出演していないと言っても過言ではないけども、ジャンキーな役をブラピが演じたところに価値があり、脚本と監督が最強タッグの「TRUE ROMANCE」や、この作品がブラピの出世作だと思う方も多い、ロバート・レッドフォード監督の「A RIVER RUNS THROUGH IT」も好きだな。
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でも、今回はもう1つのお気に入りである「MEET JOE BLACK : ジョー・ブラックをよろしく」について。
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物語は死神と社長令嬢のラブストーリー。最初の衝撃はいきなり訪れます。冒頭でブラピは交通事故に遭い、死んでしまいます。
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ヒロインのスーザンと初めてコーヒーショップで出会ったその冒頭シーンは今なお語り継がれる名シーン。当時のブラピのイケメンさは言うまでもなく抜群。それに加えて、女性に対する絶妙な距離の詰め方やウィットに富んだ会話術なんかは、現在進行形でシングル男子が身に付けたいナチュラルさ。
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その後、人間の生活を体験したい死神がブラピの体を乗っ取ります。ここでのポイントは肉体だけであり、記憶や性格などの内面は死神には引き継がれてないということ。
この死神ことジョー・ブラック(以下:ジョー)は一代にして財を成した実業家であるウィリアム・ビル・パリッシュ(以下:ビル)の知性やカリスマ性に興味を持ち、近くで観察してみたいとビルの家にやってきます。
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ビルには2人の娘がおり、その1人があのコーヒーショップで登場したスーザン。あの名シーンの時に、名前や連絡先を聞いておけばよかったと、心残りがあるスーザンにとっては衝撃的な再会。
でも、ジョーにはその記憶がないので初めましてな状態。そもそも、ジョーがビルの前に実体として現れたのは、観察も1つの理由ですが、ビルの余命が残り僅かだったから。寿命を操れる死神らしいチートな能力を振り翳し、ビルの余生を少し伸ばしてあげます。その代わりに、ビルの側で人間の生活を送らせてもらうのが交換条件でした。
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でも、ジョーに1つ誤算が生じます。それは、スーザンに恋をしてしまったこと。初めはなかなか噛み合わなかった2人。しかし、ジョーは人間の生活に少しずつ慣れ始めるのに比例して、完全にスーザンラブ。そしてスーザンも確実にジョーに惹かれ始めるのです。
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お互いに距離がグッと近づいてきたある日。ビルの人生最後の日は、彼の誕生日に決まります。誕生日パーティーの最中に、ジョーはビルにスーザンとこれからも一緒に居たいと告げます。しかし、ビルはそれを心良く思わず首を縦に振りません。そりゃそうです。死神と愛娘が付き合うなんて。でも、ここでビルは、ジョーに出会った時に言われた言葉を上手く引用して、愛するとは?何かと力説します。
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ビルの力説が全く響かないジョーはスーザンの気持ちを確かめるべく、パーティー会場で彼女を探します。これが結果的にスーザンとジョーの最後の会話。
女性の勘といいますか、何となく会話の流れから別れを予感してしまうスーザン。その予感と合わせてスーザンが1番に語り出した思い出は、死神のジョーがずっと知らないままの記憶だったあのコーヒーショップでの出会い。その時にジョーは気付かせれます。コピーはオリジナルに勝てないと。
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ジョーがキタサンブラックばりな漢の引き際を見せて迎えるクライマックス。ここからのラストシーンは好き嫌いがはっきりと分かれるはず。なのでラストについてはあれこれ書きません。
1つだけ言うのであれば、この映画はファンタジーです。要はクライマックスのその後をあれこれ考えてはダメ。それは御伽話と同じです。このラストは現実的にありえねーって思う人はもちろん多いはず。でも、ありえなくていいんです。
僕は映画って、その作品の世界観にどれだけ自身の経験や願望を重ね合わせることが出来たかが好きの大きさに繋がると思ってますが、アクションやサスペンスの類の作品にはその物差しを使う事はあまりありません。では、ファンタジーはどうでしょうか? そこを踏まえてもう一度お伝えします。「MEET JOE BLACK」は限りなく現実世界に近いファンタジーなのです。
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約3時間の大作映画ですが、全く退屈を感じさせない脚本と俳優陣。要所要所のサブストーリーや、名優アンソニー・ホプキンスの紹介がごっそりと抜けてしまいましたが、それは余白としてまだ見たことないよって方は、是非そこもお楽しみ下さい。
今から25年前の98年公開の「MEET JOE BLACK」。21世紀の足音がすぐそこまで聞こえはじめ、僕にとってのインターネットや携帯電話が日常になるちょっと前の時代。それは劇中の時間軸も同じくらい。
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誰かに会うには直で行かなきゃだし、待ち合わせの連絡なんかは今よりも絶対にリスペクトが必須。昔と比べすぎるのもあれですが、何事も簡単につながることができる今よりも確実にめんどくささが勝る。でも、それらの事柄が絶対に暖かい時代だった。
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ジョーとほんのり重なる経験談として小話を1つ。僕の人生で、初めて彼女が出来たのは中2の時。お相手は1つ年上で少しやんちゃな竹原先輩。付き合いはじめにもらったのはノートの切れ端。もちろんデスノートではなく、そこには先輩ん家の電話番号。嬉しくてたまらなかったのも束の間、先輩にお兄さんがいることを知ります。そのお兄さんは、フッド界隈ではなかなかのワル。もし、電話をかけて、それを兄ちゃんが取ってしまったら。そんな思春期よろしくな悩みが邪魔をしてしまい、14歳の僕は先輩ん家に家電するのを完全にチキってました。
でも、いよいよ決心がついたある日。ヤンキーってそもそも家にあんまり居なくない?や、仮に居たとして、家の電話が鳴っても自ら受話器を取らないでしょ!と、勝手過ぎかつ失礼な妄想を頭いっぱいに広げて準備万端。テレフォンカードを握りしめいざ向かう先は、実家から秒のセブンにあった公衆電話。そこからダイヤルしたあのドキドキとアナログ感。思春期+恐怖+恋心が入り混じり、替えがきかないこの経験を僕は生涯忘れることはないでしょう。
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簡単に連絡がとれてすぐに会える現代。会う前には、その人の何やかんやが調べればすぐに分かってしまう。先入観とは時に恐ろしく、相手に対して作ったイメージを、なかなか崩してくれない。他者との距離が近くなり、何事も便利になりすぎてしまった反面で、人付き合いが窮屈に感じたり、生きにくくなったなと考える場面は多くないですか?そして、人や洋服やその他色んな物事をひっくるめての"好き"が離れてしまうスピードは増すばかりだと思う。
これからが今よりもそうなってはヤダしつまらない。無理に周りに合わせなくていい。だって、自分の好きがブレなければ、この先はそれにもっと夢中になるしかない時を費やせるはずだから。「MEET JOE BLACK」は恋愛ストーリーがメイン。でも、年始に改めて鑑賞し見終わった後には、懐かしさを踏まえつつそれをちょっと思い返したり、"好き"であり続ける大切さをふと考えちゃいました。
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と、最後はブラピから脱線しましたが、大好きな「MEET JOE BLACK」から着想を得たTOXGOオリジナルアイテムを作りました。
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「ジョー・ブラックをよろしく」 の劇中で1番印象的なアイテムとは? それは間違いなく満場一致でピーナッツバターです。そして、ただのピーナッツバターでダメです。アメリカの老舗メーカー"Laura Scudder's"メイドじゃないといけません。
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ジョーが人間界で初めて口にした食べ物がこの"Laura Scudder's"のピーナッツバター。それ以来この味の虜になり、人間界を離れる最後の最後まで口にしたい(正確には舐めたい)と願ったフェイバリットアイテム。
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タイトルのJoe Brackを「Brad Pitt」に置き換えました。これは映画に対するリスペクトと、冒頭に述べた、ブラピに会いたいという想いのダブルミーニング。そして、Laura Scudder'sの昔のパッケージに採用されていたピースフルなブルーバードを隣にあしらいました。
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使用したボディは90sデッドストックのF.O.L。ほぼコットン100素材でいい塩梅のヘビーウェイト。ボクシーなシルエットとリブのテンションも抜群です。そして、発見時は真っ白だったこちらのボディを今回のテーマに合わせてピーナッツバター色に染めました。デッドストックの良さをあえて無くした贅沢なボディです。
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僕の思い付いたアイデアをGOROさんがグラフィックにしてくれて、TATSUOさんが発見してきたヴィンテージボディにそれを刺繍でONしたTOXGOオリジナルです。
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MBP CREWNECK
Size : L / XL / XXL
¥14300 (tax-in)
※染める工程で全体的に縮んでいます。ノーウォッシュ時よりも着丈すっきりシルエット。Lサイズは女の子にもオススメです。XXLサイズは生粋のユーザーの方には、ちょっぴり物足りないかもしれません。
※3.3の12:00から店頭先行で販売します。
※オンラインは3.4の20:00にアップします。
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届け。ブラピ好きに。
NARI
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jinsei-pika-pika · 7 months
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連載「時の音」Vol.23 北村道子が見据える“現在”という点
自身の哲学を貫き、今もなお第一線で活躍している北村にインタビュー。
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北村道子(きたむら・みちこ) 1949年、石川県生まれ。10代の頃にサハラ砂漠やアメリカ、フランスを放浪したあと、30代でスタイリストの道へ。��スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。著書に『衣裳術《新装版》』『衣裳術 2』『衣裳術 3』がある
その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。
今回は、ファッション業界歴40年以上というスタイリストの北村道子が登場。自身の哲学を貫き、今もなお第一線で活躍している北村が見つめる先にあるものとは。
思い出すのは「記憶」
ある晴れた午後に、このインタビューは行われた。待ち合わせの場所に着くと、すでに北村道子は待っていて、「外のほうが気持ちがいいと思って」とテラス席で言った。
「そこの噴水のところにカラスがやってきて、水を飲んでいたんですよ。それをここから眺めていたんです。眺めながら『どうしてここに水を飲みにやって来たのだろう、池は他にもいっぱいあるのに』とか、『あれは子どもかな』なんて、考えていたんです」。
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北村は40年以上にもわたりスタイリストとして活動し、今もなお第一線に立っている。移り変わりの激しい世界に身を置き、広告、映画、ファッションとさまざまな領域に立ってきたが、そのどこにも属するわけではない。いつだって、自分のやり方で仕事をし、哲学を貫いている。だからこそ、多くの人が彼女に引きつけられるのだろう。そして同時に、これまでの足跡に関心を抱くのだけど、本人はきっぱりと言う。「私は過去は振り返らない。振り返ったことがないですね」と。
「これまでのことを聞かれたら、これが私の答えってことだと思います。昔を振り返って何があるの? 振り返ったりしたら、きっともう自分の言葉は出てこないですね。現在は点じゃないですか。だから今話したことも、もう過去になって行くんですよ。思い出すのは何かと言ったら、記憶ですよね。それは脳内の物質でしかないもの。今はみんな脳内にある社会ばかりを見ているんです。考えるって、脳内を見ているということでしょう。過去の話をするというのは、過去をリピートしているだけ。同じことをずっと繰り返して、何年も生きてしまうだけですよ。だけど、自分の脳内にあるものなんて、たかが知れているじゃないですか。リピートするだけでなく何かを発見しないと。発見によってアートが生まれるのだから。人はアートがなければ何もない生き物。あとはただお金もうけを繰り返して、そして壊れていくだけでしょう」。
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次々に繰り出される言葉に耳を傾けていると、1人の人の生き方に触れている実感が押し寄せてくる。他愛もない話題から政治、文化、ファッションへと移り変わるうちに、今日はどんな取材なのか、テーマは何だったのか、この人物がどんな肩書を持つのか……というような意識はどこかに行ってしまい、ただそこにいる北村の、生身の世界に触れているように感じる。情報や記号を拾い集めて何かを理解したつもりになってしまいがちな最近の世界に生きていると、かなり新鮮な驚きと刺激に満ちた体験。取材のノートは、膨大な言葉であふれていく。
「じゃあ私が何を見ているのかって言ったら、それは目の前にある風景です。自分が見ているビジュアルこそが、私の好奇心。私はビジュアルにしか興味がないですから。そして目の前のビジュアルをずっと見ていると、その風景のことがわかってくるんですね。ああ、ここにはブナの木があるんだな。カラスがやってきた。なぜだろう? …というふうに、自分なりの疑問を投げかけるんです。頭の中の自問自答なんだけれど。そういうことなんです、私にとって言葉や知識が生まれるというのは。仕事において自分の作品を“残す”というのも、私には違う。作品というものは目の前で生まれていて、それを私はその場で見ているんです。撮影の現場で。だから、例えば雑誌の場合なら1ヵ月後くらいに誌面になるわけですが、そこに載っているのは私にとってはもう作品じゃない。フェイクのようなもの。でもそれをフェイクとわかっていながら、ずっとやってきているんです」。
どんなトピックスに対しても、北村は必ず独自の見方を投げかける。見るたびに見方が変わる。違う視点が見つかっていくようだ。「最近だと、つい先日見た映画『TAR/ター』がおもしろかった。あれは心理学と民俗学とセクシャルというテーマを色濃く含んだ作品だと思うんです。誰もそんなことは書いてないけれど、私はそう考えているんです。本当にいろんなディスカッションができる作品でしたね」。
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これまでに3冊出版されている自著『衣裳術』の中にも見つけることができる言葉だが、北村は自身の服に対する見方やスタイリングについて語る時に、「服の力」という言葉を用いる。力というのは、哲学のこと。哲学があるから、人は引きつけられる。だとしたら、私達はこの取材で「人の力」を感じていたのだと思う。「人と同じがどうもダメ。それは子どもの頃からずっと」という彼女は、「若い頃から、『どうやってこの惑星を歩こうか、歩いてみようか』と生きていた」という。
噴水にやってきたカラスに、電車の中の人々にと、ささいなことをじっと見つめて感じ取る。その小さな感性の連なりが、いつしか北村道子という人物を作り上げている。「やっているのはどれも、どうってことないことなんですよ。でも、どうってことないことを、今はみんなやらないじゃない?」。
何気ないことをおもしろがる好奇心が、コピーアンドペースト不可能な人の個性の源泉となるのだろう。スマートフォン1つあればどんな情報でも得られる世の中では、最新のファッションやカルチャーは当然のこと、もっと突き詰めればパーソナリティや思考だって、すでにできあがったものを一式手に入れることが可能になってきている。そのことに多くの人が気付き始めている今、生身の言葉や鋭いまなざしが、ひときわ強い引力を放っている。なぜなら、そこにその人ならではの温度があるから。
Photography Anna Miyoshi Edit Nana Takeuchi
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310kori · 1 year
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買って良かったもの2022
あっという間に12月もあと少しになってしまった。2022年ももうおしまいだなあ。ということで、今年買って良かったものをまとめます。本や漫画はまた別の機会にと思っているので、リストの中にないのは悪しからず。
01 クリニーク イーブンベターブライトセラムファンデーション
02 クリニーク イーブン ベター シティー ブロック ポリュテクション 40 N
今年買って良かったものはいくつかあるけれど、その中でも特に!というものを挙げろと言われたならばこれら。
たまたま、口紅を買おうと思ってふらっと訪れたカウンターで、BAさんに「お化粧直しましょうか?」と言われて直してもらって、その仕上がりに衝撃を受けたので買った。
当時本当に肌荒れに悩んでいて、むしろ一周まわってもう諦めていた時に処置していただいて、こんなに変わるんだ!!と本当にびっくりしたのを今でもありありと思い出す。今まで自分は肌について、もう諦めていたのだなとその時にしみじみ思った。
とにかくカバー力が強い。でも決して厚く塗った感じにはならなくて、肌なじみがいい所がすごいと思う。そして下地ファンデーション共にかなり伸びがいいので、長く使えるところもありがたい。
これらを使って約半年後、化粧品が良かったのか昨年から通い始めたサウナで汗をかくのが効いたのか何年も飲んでた薬が効いたのかボンバーガールのプルーンの沼に落ちたのが効いたのかつまりどれが効いたのかはわからないけど、長年、本当に長年悩んでいた肌荒れが99パーセント回復しました。今年でいちばん嬉しかったことかもしれない。
クリニークと言えば肌に優しい化粧ブランドなので、肌の具合に困っておられる方に特におすすめしたいです。
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03 クリニーク イーブンベターポップ 13クローザー
件のBAさんに勧めていただいて買った口紅。普段は赤とかオレンジ系を使っているので、茶色!?と思ったけれど、つけてみるとまた優しくて穏やかな感じの色合いでとても素敵。どんな服にもだいたい合うのも助かっております。
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04 キャンメイク オイルブロックミネラルパウダー
夏場にマスク下の化粧崩れなんかをどうにかしたくて購入。
本当にサラッサラになる!これをつけた後、肌を手で触るとさらさらしてとても気持ちいい。下地→ファンデーション→パウダーの後、仕上げ的に鼻とほっぺた、おでこにつけております。夏用に買ったけど、安心感が欲しい時など冬場にも全然使っております。気持ちいい。
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05 壁かけ時計
抱えてる仕事が一段落した時、なにか記念になるようなものが欲しくて買ったもの。
何がいいかな~と考えて、それまで使っていた壁紙時計の針が絶妙に見づらいんだよな……と思って、思い切って買った。どうでもいいですが、まだ使えるものを「使いにくいから」という理由だけで新しいものに買い換える時、なんか悪いことをしている気分になる。
ともあれ、買い換えてみたらすごく見やすいので気に入っています。時間を見間違えることが無くなりました。
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06 ゼブラ マイルドライナーブラッシュ
たまたま行った近所の文具屋さんの決算セールで見かけて、試し書きしたらおおおおおこれはなんだい!!!!と衝撃を受けて、まとめ買いしました。
なんというか、カラーペンが筆ブラシになってるだけでこんなに楽しいものかと思って、雷に撃たれた気持ちになりました。在りし日のコピックへの憧憬というか、絵を描くことに対する欲が蘇ったような……。
勢いでガッッと買い集め、同時に買ったクロッキーブック(マルマンのあれ)にひたすら絵を描く日々が続きました。しばらく文章をメインに活動していたので、こんなに絵を描いたのは雑誌のハガキ職人をしていた時ぶりではないだろうか。懐かしいな。
色数の少なさがまた創作意欲をそそられるというか、だったらこれこの色で代用しよう!この色混ぜよう!と考えたり、とてもとても使うのが楽しい文房具です。手帳とかノートとかちょっとしたことに気軽に使えるのも魅力。絵を描く描かないに関わらず、試しに使ってみてほしいな~と思います。
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07 ルピシア あまなつ烏龍、メルシーミルフォワ
今年の初夏くらいにちょっと体調を崩し、床に伏せっていることがしばらく続いたことがあった。いつもはコーヒーや炭酸をよく飲んでいるんだけど、その時はどうも刺激の強いものが飲めなくて、白湯かお茶ばかり飲んでいた。その時飲んでいたのが、たまたま買いだめていたルピシアのあまなつ烏龍だった。元々柑橘系が大好きなのでそれっぽいものは買ってしまいがちなのですが、清々しい甘酸っぱい香りと烏龍茶の穏やかな風味がくたびれた体に染みたのをよく覚えている。
メルシーミルフォワは、おたよりについてきたおためしのティーパックをなんとなく飲んで、その素敵な香りの良さにびっくりして思わず買いに走ったフレーバー。どうやら私はフルーティーな香りに目がないのだな。あまりに好きすぎて、贈り物にも使った。年末はただでさえ気忙しいので、こういう素敵な香りを吸い込むとほっと一息つける気がしている。
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08 ルームフレグランス ムスクミモザ
香りと言えばこっちも。雑貨屋さんで棚を通りかかった時、ふわっと香ったすごくいい匂いに惹かれました。ルピシアのとこでも書いたけど、体調崩した時にとても癒された。つらい時に、部屋だけでもいい香りに包まれているというのは本当に気持ちが休まる。
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09 ワイヤレスイヤホン
ワイヤレスイヤホンって耳からポロッと落っこちないの!?って怖くて、ワイヤレスはずっとヘッドホンを使ってきた。でもそのヘッドホンを無くしたのをきっかけに(何故無くした……)
ついに手を出してみたら、なかなか良かった。
普通に歩いたりする分には落っこちないし、夏は耳が暑くなく、冬はマフラーに干渉しないのが良い。タッチで簡単にオンオフできるのもありがたい。あとノイズキャンセリングが上手く効いてるのか、音量低めでもちゃんと聴こえるのが嬉しい。
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10 ロルバーンミニ
奇書が読みたいアライさんのメモ帳術を見て、自分もやりたい!と思い試したところ、このロルバーンミニがとても使いやすいメモ帳だと言うことがわかった。
クリーム色の紙が見易くて、方眼は邪魔にならない。後ろのフィルムポケットはちょっとしたものを保管するのにちょうど良いし、表紙の色が豊富なのも可愛くてい良い。
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こうしてみると、意識してなかったけれどちょうどよく10個になった。
来年はどんなことがあり、誰に出会い、どういったものに出会えるだろう。
先の見えない世の中だけれど、そういった小さなことが、未来への希望に繋がるのだと信じている。心から。
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mreiyouscience · 3 months
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 学ぶということは過去の偉人が築いた軌跡を辿ることを意味します。それは統計力学にも当てはまると思います。統計力学とは”統計力学です。ですから、ミクロな(量子力学的な)分子の挙動からマクロな熱力学的現象を理解するための物理学となります。それでは、物理化学理解のために不可欠な熱力学、量子力学についてお話ししたいと思います。
 熱力学とは”熱”力学ですから、熱の移動(≒運動)についての物理学となります。また、学部生で習う熱力学は平衡熱力学ですから、主に平衡状態の始点(化学反応前)と平衡状態の終点(化学反応後)のみを扱います。あなたは、「非平衡熱力学を学べないなんてつまらないな・・・。」と感じているかもしれませんが、非平衡熱力学は現在ホットなトピックであり、学びたければ、大学院に進学��るしかありません。悪しからず。
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 さて、熱力学についてお話ししたいと思います。先程申し上げたように熱力学の目的は熱の移動(≒運動)を記述することですが、熱を直接計測することは困難を極めます。ですから、まずは、観測可能な物理量である圧力、体積、温度、エントロピーを計測します。これら観測可能なデータから実験的に(≠理論的に)熱力学第一法則(熱の運動方程式)を組み上げていきます。そして、この熱力学第一法則に以下の二つの条件を課すことで熱の移動を求めることができます。(一般的にサイエンスでは厳密性が求められるので、まずは厳しい条件を課したうえで簡単な理論を練り上げ、その後徐々に条件を減らしていき、理論を拡張していくのです。)
定積過程の熱の移動=内部エネルギー
定圧過程の熱の移動=エンタルピー
 *エンタルピーとは高温かつ高い圧力を加えるのに必要な熱のことです。化学反応を引き起こすためには概して高温かつ高い圧力を加える必要があることから、定義されました。
これらによって化学反応が発熱反応なのか、もしくは、吸熱反応なのかを大雑把に判断できるようになります。そして、これらの物理量に基づいて化学反応が自発的に起こるか判断できるようになります。そのための物理量は以下のとおりです。
<理論面>
 化学反応は自発的に起こるか?
等温過程 ヘルムホルツの自由エネルギー
純物質における等温等圧過程 ギブスの自由エネルギー
  束一的性質の理論的根拠(蒸気圧降下、沸点上昇、凝固点降下)
↓抽象化
混合物における等温等圧過程 化学ポテンシャル(各物質のギブスの自由エネルギーの寄与)
 浸透圧や化学反応の詳細な分析の理論的根拠
<実用面>
 どれだけエネルギーが取り出せるか?
等温過程 ヘルムホルツの自由エネルギー
  取り出し可能な膨張仕事
等温等圧過程 ギブスの自由エネルギー
 取り出し可能な非膨張仕事(電池など)
<応用例>
取り出せる動力の技術的課題
 ヘルムホルツの自由エネルギー(ガソリン車)
 ⇩
 ギブスの自由エネルギー(電気自動車)
内部エネルギー、エンタルピー、ヘルムホルツの自由エネルギー、ギブスの自由エネルギーは直接計測できません。しかしながら、実験的に(≠理論的に)観測可能な圧力、体積、温度、エントロピーから間接的に求めることができます。その手法をルシャンドル変換といいます。
 それでは、次に量子力学についてお話ししたいと思います。さて、量子力学とはどのような学問なのでしょうか?それは量子状態の遷移を記述する学問なのです。まず、量子力学勃興の背景を説明したいと思います。解析力学は一般化座標と一般化運動量を確定すれば、正準方程式によって運動を記述できることはご存知かと思います。しかし、量子状態の遷移(≒運動)においては不確定性原理によって一般化座標と一般化運動量を同時に確定できないことが明らかとなりました。従って、量子のモデル化のために新たな記述方法が模索されました。しかし、量子のモデル化は困難を極めました。なぜなら、我々の直感・常識を逸脱しているからです。では、なぜ我々の直感・常識を逸脱しているのでしょうか?それは生き残り戦略として生物は世界をありのままの姿ではなく、生存と種の保存に必要な情報として加工しているからなのです。このような世界のありのままの姿と我々の認知・直感との間に生じたジレンマを克服するためには、我々人間の認知・常識を括弧に入れる判断の停止(エポケー)が求められたのです。これによって、量子状態の確率振幅(=波動関数)を中心とした記述の端緒を開くこととなったのです。
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 まずは、物理学者は量子状態の確率振幅(確率振幅の二乗=量子状態の確率)をベクトルで表し、ある量子状態の確率振幅(ベクトル)から別の量子状態の確率振幅(ベクトル)への遷移(≒運動)を行列によって記述しました。いわゆる、ブラ・ケット表記です。しかし、一つ一つの量子状態の遷移(≒運動)に対して一つ一つの行列が対応するため行列による記述(行列力学)をより抽象的に表現するすべが模索されました。そして、ハミルトンヤコビ方程式を基にシュレディンガー方程式が導かれ、後にファインマンによる経路積分(量子力学における最小作用の原理)によって理論的に裏付けられたのです。
 こうして、量子力学は化学、電気工学の発展に寄与しました。(ex.周期表の原理、ベンゼンなどの有機化学の構造、コンピューターに搭載されている半導体の原理)そして、現在量子コンピューターの発展が著しいのは言うまでもないでしょう。
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 続いて、統計力学についてお話ししたいと思います。統計力学の目的は量子力学観点から熱力学を組み直すことです。この目的達成のために、様々な条件の下で各分子が取り得る量子状態の言わば”場合の数”(=状態数、分配関数、大分配関数など)を求めます。(一般的にサイエンスでは厳密性が求められるので、まずは厳しい条件を課したうえで簡単な理論を練り上げ、その後徐々に条件を減らしていき、理論を拡張していくのです。)この”場合の数”(≒状態数、分配関数、大分配関数など)から熱力学的な物理量であるエントロピー、ヘルムホルツの自由エネルギー、ギブスの自由エネルギーなどを理論的に(≠実験的に)組み上げていきます。そうした地道な基礎研究の中で、ボルツマン分布が導出されました。
 最後に学習のロードマップについてお話ししたいと思います。まずは、YouTubeチャンネル「村田佳樹の授業動画」の統計力学の動画を観ながら、マセマシリーズを”ボロボロ”になるまで読みましょう。
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実はマセマシリーズを完璧にマスターすればA以上を目指せるだけでなく、高嶺の花だとされている田崎先生のテキストも楽々と読みこなすことも夢ではないのです。だからこそ、統計力学の基礎となる土台の足固めをマセマシリーズで学ぶことが大切なのです。(逆に言えば、田崎先生のテキストが難しく感じるのはマセマシリーズを完璧にマスターしていない何よりの証なのです。)なので、どんなに時間がかかってもいいのでマセマシリーズを完璧にしましょう。
 統計力学の深い理解のためには、基本的な物理学の素養が欠かせないため、敷居が高く感じるかもしれませんが、その広大な理論は深いものがあり、化学的現象の深い理解が醸成されることは言うまでもありません。勉強頑張ってください。
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追記~夢の実現方法(PDCAサイクルを実践する)~
1,Plan ;具体的に目標をイメージしてそれをノートに書きとめる。
2,Do ;目標を達成するために努力する
3,Check;現実と目標のギャップを受け入れて何を改善すればいいか考えてノートに書きとめる。
4,Action;Checkでの反省を活かして努力する。
1,Planに戻る。
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*本書を読破することを夢見る学生の中には研究者としての道や会社でエンジニアとして研究開発に没頭する日々に憧れているはずです。そういった学生のために研究開発を行う上でのちょっとしたコツを添付した資料に記載したのでそちらもぜひ参考にしてください。
~追記1~
暇があったら「YouTube」で「Why tech needs the humanities | Eric Berridge」と検索されたい。(日本語字幕あり、11分)文科系に対する差別・偏見がなくなることを祈りたいです。
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~追記2~
 本書を読破することを夢見る学生の中には研究者としての道や会社でエンジニアとして研究開発に没頭する日々に憧れているはずです。そういった方のために研究開発を行う上でのちょっとしたコツを示したいと思います。
~クリエイティブになるためのコツ~
「YouTube」で「デビッド・ケリー 「自分のクリエイティビティに自信を持つ方法」」と検索する。
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 ↓
「YouTube」で「The surprising habits of original thinkers | Adam Grant」と検索する。
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「アダム グラント」の「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代」を読む。
「NHK」の「デデデデザインて何?!」を一年間見る。
雑誌「日経デザイン」をたまに読む。
有名デザイナー(「ジャスパー・モリソン」や「深沢直人」、「佐藤オオキ」などのホームページを調べる。またはグーグルの画像検索で検索してみる。)
「アリス・ローソーン」の「HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由」を読む。
「佐宗 邦威」の「ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION」を読む。
「野中 郁次郎」の「直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論」を読む。
クリエイティビティと経営学に関連性があることを理解する。
「エイミー・C・エドモンドソン」の「恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす」を読む。
「ピーター M センゲ」の「学習する組織――システム思考で未来を創造する」を読む。
「Jeff Patton」の「ユーザーストーリーマッピング」を読む。
「James Kalbach」の「マッピングエクスペリエンス ―カスタマージャーニー、サービスブループリント、その他ダイアグラムから価値を創る」を読む。
追記3~研究のコツ~
近藤 克則 (著) 研究の育て方: ゴールとプロセスの「見える化」
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kurohige-news · 4 months
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おまけちゃんとちらかしの森
【公演情報】 TACChi 新作公演「おまけちゃんとちらかしの森」
ちぎって、やぶいて、ひっくりかえして、 みんなであたりをちらかしていたら、 見たこともない葉っぱが風にゆれて、 どこからか生き物たちの声も聞こえてきました。 にょきにょき、ざあざあ。
おまけちゃんは、旅にでることにしました。
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(pdfはこちら)
■日時 2024年3月 7日(木)11:00 /14:30 8日(金)11:00 (終了)/14:30 9日(土)11:00 (終了)/14:30✴︎追加公演
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※受付、開場は各回15分前より行います。 ※上演時間は60分を予定しています(途中休憩あり)。
■場所  横浜にぎわい座 のげシャーレ(https://nigiwaiza.yafjp.org/) 〒231-0064 横浜市中区野毛町3丁目110番1号B2階 ※会場にはベビースペース(授乳・調乳・おむつ替え)をご用意しています。
■料金 ①一般  4,000円  ②親子券 5,000円 大人1人+こども(0〜6才) ③こども 2,000円 ※小学生以上は一般チケットが必要です。
■チケット予約 https://www.quartet-online.net/ticket/omakechan ★予約時のアンケート回答でこども1人につき500円割引!
予約ページに繋がらない場合、ご予約はメールでも承っております。 ①ご希望日時②チケット種類枚数をご明記の上、[email protected]までお願いします。
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これは、大人とこどもが一緒に演劇を楽しむための試みです。
■おとなへ この作品では、大人の席とこどもの席を分けていません。 こどもたちは予測不能な動きをしたり、突然声をあげたり、もちろんいろいろすると思います。 ここでは、それも作品の内と捉えてみます。 子連れの方は、我が子のことに気をとられすぎず 大人だけの方は、そんな状況まるごと作品として楽しんでもらえたらうれしいです。
■こどもへ 泣きたいときは泣いて、立ちたいときは立って。 見たことないものに出会えるといいよね。 どんなふうに見るのか楽しみだよ。 見るって言っても、たぶん触ったり嗅いだり舐めたりするよね。 それがきみたちの「見る」ってことわかってるから大丈夫! ただこれは危ないぞってときは声をかけるから、そのときは協力よろしくね。
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■演出ノート やぶく やぶく ちらかす 新聞の折込チラシをやぶいてみせると、さっきまで泣いていた我が子が、ニコニコ目を細める。 なにが楽しいのか。わたしはやぶいて、やぶいて、やぶきまくる。 部屋はちらかっていき、片付け……と思いながら、ぐずられるのを恐れて、手を止められない。
この子は、「いま」目の前のものの形が変わるのが、音が、楽しいのだ。近い未来にしなきゃならない掃除のことなんて、知ったこっちゃないのだ。羨ましいな。
「おまけちゃんとちらかしの森」では、大人もこどもも、一緒になって、紙などの素材をやぶき、まるめ、転がし、貼りつけ…… とにかく、そこら中ちらかしていきます。ちらかされたものたちは、重なり膨らんで、客席を飲み込む大きな森に、「おまけちゃん」が出会う舞台になります。 みなさんと、たくさん、ちらかせたらと思っています。まだまだ寒い時期ですが、のげシャーレでお待ちしております。(演出 コジママサコ)
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TACChi 新作公演「おまけちゃんとちらかしの森」
演出:コジママサコ   作:くロひげ   企画:くロひげ、TACChi
青木拓磨(パウンチホイール) 甘井飴子(抗原劇場) 有吉宣人 いけだとも実 今井貴宏   笠村勇樹 高橋由佳(uni|うに) 寺岡サヱ  皆川ちひろ
制作:宮原真理  舞台監督:わたなべひでお(猫侍) 舞台美術:Stamina Art Company(三ツ山一志、久地岡聡志) 照明:大津裕美子  衣装:長峰麻貴 映像記録:小林功弥 宣伝美術:大須賀裕美 メインビジュアル:伊南ひなた 保育アドバイザー:薬師寺博子
主催:くロひげ 助成:芸術文化振興基金助成事業、神奈川県文化芸術活動団体事業補助金対象事業
■問い合わせ くロひげ Mail:[email protected] Website:https://kuro-hige.com
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0x41n · 5 months
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レトロゲームの音源仕様まとめ
ゲーム機の音楽の仕様を知ろう! ちょっとずつ更新します。
以前ちょっとだけ公開した音源の仕様まとめです。 自分が興味のある音源しか調べてません。 「Daw上で仕様を意識してそれっぽく」くらいがゴール。 まちがっていたらゴメンネ。
実際の音���ファイルについてはここがほどよくまとまっている。
ファミリーコンピュータ (FC / NES)
ここでより詳しい説明が見れる。
音源と最大同時発音数 (拡張音源なしの場合) 矩形波 (Duty比 12.5%、25%、50%、75%) 2音 三角波 1音 (音量固定) ノイズ 1音 サンプリング音源 (DPCM) 1音
そのほか モノラルなので音の振り分けはできない。 音量は16段階。 使えるBPMに限りがある。150が一番都合がいい。 DPCMのループ再生は使わない方がそれっぽい?
スーパーファミコン (SFC / SNES)
マニュアルもあるけど難しい…
音源と最大同時発音数 サンプリング音源 (32000Hz ADPCM) 8音
そのほか FIRフィルタとディレイが使える。 ピッチモジュレーション機能とノイズ機能もある。 ノイズ機能はピッチの変更ができない。(周波数の指定はできる。) ゲームによって曲に割り当てるチャンネルの数が結構変わる。
ゲームボーイ (GB)
ニコニコ大百科で詳しく見れる。
音源と最大同時発音数 矩形波 (Duty比 12.5%、25%、50%、75%) 2音 波形メモリ (16段階32サンプル) 1音 ノイズ 1音
そのほか ファミコンと違ってステレオで出力できる。 (パン振りは右or左or中央の3段階?) 波形メモリ部分でPCMを再生する技術もある。 (「ぷよぷよ~ん」とか「コロコロカービィ」とか) 波形メモリは音量が実質固定で 波形をずらすことで音を小さくしているらしい。(4段階?)
ゲームボーイアドバンス (GBA)
ここで詳しく見れる。サウンドドライバによって仕様が変わるっぽい。
音源と最大同時発音数 GB音源(上記のものと同じ) 計4音 サンプリング音源 1~12音 ×2
そのほか BPMは偶数だと良いかもしれない。
ニンテンドーDS (DS / NDS)
音源と最大同時発音数 サンプリング音源 16音 16音のうち、8音をPSG音源にすることができる。 (矩形波6音、ノイズ2音)
そのほか ここによるとPSG音源の矩形波はDuty比が8段階っぽい。 この動画(英語)のコメントによるとPSG部分はGB音源二つ分ということらしい。 (ノイズはGB仕様の方がいいのかもしれない)
NINTENDO64 (64 / N64)
ここ(英語)で詳しいのが見れる。
音源と最大同時発音数 サンプリング音源 (ADPCM) 可変 CPUをどれだけサウンドに充てるかによってチャンネル数が変化する。 (1チャンネルでCPU1%くらいらしい。最大は100chくらい)
そのほか ここまでくると制限らしい制限がない。 ここ(英語)によると、リバーブの機能もあるにはあるらしい。 エフェクトなしで打ち込むとそれっぽくなると思う。
メガドライブ (MD / GENESIS)
音源と最大同時発音数 ステレオFM音源 (YM2612) 6音 矩形波(Duty比 50%固定) 3音 ノイズ 1音
そのほか YM2612は6chのみ8ビットリニアPCMとして使用可能。 矩形波とノイズはSN76489というゲームギアなどでも使われている音源。
PCエンジン (PCE / TG-16)
音源と最大同時発音数 波形メモリ音源 (32段階32サンプル) 6音 or 波形メモリ 4音 + ノイズ 2音
そのほか 5bitPCMも再生できる。 波形メモリ、ノイズ、PCM合わせて計6音まで同時に出せる。 LFOが内蔵されている。2音を合わせてFM音源っぽいことが出来るらしい。
X68000 (X68k)
音源と最大同時発音数 ステレオFM音源 (YM2151) 8音 サンプリング音源 (ADPCM) 1音
そのほか ここによると、ADPCMは1音しか出せないが、 サウンドドライバで合成したものを1音に押し込む仕組みが開発されていたらしい。 (PCM4とかPCM8とか)
PiyoPiyo
レトロゲーム…? 開発室Pixel作品「いかちゃん」などで使用されているサウンドドライバ。
音源と最大同時発音数 波形メモリ音源 (256段階256サンプル) 3種 パーカッション (22050Hz WAV) 1波形につき24音まで同時に出せる。
そのほか 曲中の音色変更は不可。トラックで波形は固定。 キーオフされない。指定されたエンベローブ長で音が止まる。(たぶん) エンベロープ(ADSR)は256段階64サンプルで指定する。 1波形につき出せる音の範囲は2オクターブ分のみ。最低音のオクターブが指定できる。 パンポットは7段階。 音が鳴っている間のピッチ変更はできない。
オルガーニャ (Organya)
レトロゲーム…? 開発室Pixel作品「洞窟物語」や Rxo Inverse氏による「STARGAZER」などで使用されているサウンドドライバ。 ちょっとした解説はここ。
音源と最大同時発音数 波形メモリ音源 (256段階256サンプル) 8音 パーカッション (22050Hz WAV ?) 8音
そのほか 曲中の音色変更は不可。トラックで波形は固定。 波形メモリ音源は100種から選ぶ。自分では書けない。 最短ノートが何ミリ秒かを指定してテンポを決める。 ADSRは指定できない。ボリュームをいじってそれっぽくする。 キーオン中のピッチ変更もたぶんできない。ビブラート不可。
PMD98 (PMD)
KAJA氏制作のPC-9800シリーズ用のFM音源ドライバ。 常駐量削減のために音源ごとにドライバが分かれている。(4種)
音源と最大同時発音数 ①YM2203 モノラルFM音源 3音 SSG音源 3音 ②YM2608 ステレオFM音源 6音 SSG音源 3音 リズム音源 6音 (6種の音が独立チャンネルで鳴る) ADPCM 1音 ③YM2608 + PCM いわゆる「86音源」(だと思う) YM2608のADPCM部分をPCMに置き換えたもの? ④YM2608 + ADPCM (ちびおと) 「86音源」のADPCMを復活させたもの (PCMと共存)
そのほか ちびおとは同人の拡張音源らしい。 東方旧作はたぶん②。
ワンダースワン (WS)
音源と最大同時発音数 波形メモリ音源 (16段階32サンプル) 4音 2ch目を8bitのPCMに変更できる。 4ch目はノイズに変更できる。
そのほか すべてのチャンネルでステレオ出力できる。 音量は左右それぞれ4bitずつでの指定。 ホワイトノイズは8種類から音を選べるらしい。
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hatohonoka · 7 months
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特別教育機関『孤児院』 神奈川支店 2
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AM5時
ピピピピと電子音が部屋に響く。部屋の時計を確認し結局あの後起きることもなく爆睡してしまったのだなと察し、寝起きのだるい身体をモゾモゾと起こし音の元へ向かう。
机の上のスマートウォッチがアラームを鳴らしている、
もちろん亜里沙の分もなっているが起きる気配がない。
仕方なく亜里沙のアラームを止め、自分の分のスマートウォッチを手に取る。
アラームを止めると、小さな画面に認証終了の文字が表示されていた。説明にあった通り使用許可が降りたのだろう、試しにARナビシステムという代物を装着してみる。
端末を頭の後ろに回し両耳に引っ掛ける、左目下の頬辺りに伸びた端子の一端が出っ張っている。ちょっと気になる。この状態でスマートウォッチを手首に巻く。
耳元で小気味よい音が鳴る。起動音だろうか、頬に掛かる一端が光る。
空間にARナビシステムという文字が投影され起動処理を行っているのか、システム承認がどうのこうのと文字が流れていく。「おぉ、すご」などと軽くつぶやきつつ起動完了した様で空間に色んな情報が表示されている。コンパス表示も上部にあり辺りを見渡してみる。しっかり動きに追従して動いている。
手元のタブレットを確認しつつ、操作を試す。
スマートウォッチを装着した方の腕を特定のジェスチャーをする事で各種メニューが開くようだ。ナビゲーション、通話システム、チーム編成や弾薬管理システム。
(まるでゲームみたいな感じ…)
空中でジェスチャーを色々試し、最後にチュートリアルの項目を選択する。
内容はタブレットで確認したような内容で、ジェスチャーやその他機能の紹介が表示されている。その項目とはまた別に項目が出ており、そちらはタブレットでは書いていない項目のようだ。
『本ナビゲーションシステムは『孤児院』神奈川支店内または作戦行動中以外の装着は不可』
『使用者の網膜に情報を投影しているため画面情報の共有は現実空間では不可、ただし『チーム編成』▶︎『作戦リンク』を使用後は作戦情報の共有が可能』
『本ナビゲーションシステムは使用者の心拍など計測しています。本ナビゲーションシステムとスマートウォッチから心拍が一定時間停止した場合、機密保持のため使用者と端末は防衛処置として破壊されます』
etc...
とりあえず世に出回ってない便利道具っていうことはわかった。この空間に浮かんでるコンパスやら文字やらは他の人には見えていないのか。
(不思議…)
手を中空に振ったり部屋中を回ってみたりしていると訝しむような顔の亜里沙が寝癖の頭をかきながらわたしを見ていた。
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この施設はだいぶというか知っている学校とは全くといっていいほど違かった。まず1年生はしばらく地上に出れず、地下の学内で生活を強制される。
そして教室がない、生徒各自で授業を受ける必要があるのだが場所はどこでも問題ない。全てオルフェンARナビシステム『O.A.SYS(オアシス)』が決まった時間に授業を行うからである。基本的にどこでも受けられるがやはり書かなければ覚えられない、そういう子達はノートを持参し自習室で受けたりしている。わたしも亜里沙も例に漏れず自習室で授業を受けている。
時間中に装着してない場合、特別な申請がなかった場合は欠席扱いになるらしく時間割の確認は怠れない。
授業の内容は至って普通の授業から、銃器の扱い方の座学など明らかに普通の学校ではやらない内容もあり、覚えることが多すぎてついて行くのがやっとぐらいであった。
中でも体育は飛び抜けて難易度が高く、下層の運動場を使用しての射撃訓練や体術訓練、併設されている3階建てぐらいのビル内が専用のパルクール施設になっていて、ツーマンセル行動、『オアシス』を使った戦闘訓練システムなど本格的な演習施設として使用されている。
身体を動かすのが得意だと豪語していた亜里沙がキツいという程で、わたしは死にかけつつも毎日をこなしている。全身筋肉痛で指を動かすのも辛い。そんな生活もやっとひと月程経った。
「今日もキツかったー」
「キツかったっていう割に元気だよね」
今日の一日のカリキュラムが終わり、大浴場で身体をほぐし、癒しきれない身体を引きずりながら寮へと戻る。
「この筋肉痛が快感になってくるんだよ、そのうち愛衣もわかるよっ」
ツンと二の腕をつつかれる。
「イッデッ!!」
反射的に手を叩き返すが筋肉痛に次ぐ筋肉痛でどこを触られようが今は爆弾なのだ。仕返しに叩いた反動でも。
はははと笑う亜里沙にキレてると視界にメッセージ通知が入る。
亜里沙も通知が入っているのかジェスチャーをしている。
メッセージは『オアシス』からで
『明日13時に横浜駅GRANNY SMITHへ、シスターの上級生とマッチングミーティング。基本装備にて目標地点へ集合』
互いに顔を見合わせる。上級生と会うためについに地上へ出る許可が出た。
期待と不安で胸を膨らませながら痛む身体に鞭を打ちながら急いで寮へ戻るのだった。
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つづく
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takahashicleaning · 8 months
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TEDにて
ラファエロ・ダンドリーア: クアッドコプターの驚くべき運動性能
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TEDGlobalのロボット・ラボで、ラファエロ・ダンドリーアが、クアッドコプターのデモを披露します。真上に投げてもホバリングを今すぐ維持します。
この驚愕の機械は、運動選手のように考えて、学習を助けるアルゴリズムによって、物理的な問題をリアルタイムで解決していきます。
一連の素晴らしいデモで、ダンドリーアはクアッドコプターがボールをキャッチしたり、棒のバランスを取り、複数の機械が協調して意志決定する様子をご覧にいれます。
棒のバランス以外でも、水の入っているグラスでもバランスのとれた状態に復帰していきます。きっとすぐにでも欲しくなると思います。
ヘキサコプターやそれ以上のマルチコプターでも可能ですが、最小プロペラ数で実現しているシンプルな所がクワッドコプターの人気のある理由です。
運動抜群の機械というのはどういうものでしょう?これから機械の運動能力の実演とそれに必要な研究をクアッドコプターを使ってご覧に入れます。
所謂、クアッドコプターは結構昔からあったのですが、最近流行りだした理由は構造的にとてもシンプルだからです。
4つのプロペラのスピードを制御することによってロール、ピッチ、ヨーの動作とプロペラの方向への加速が出来���す。
また、これには電池、���ンピューター、様々なセンサーと無線がついています。クアッドコプターはとても敏捷ですが、その代わり不安定でちゃんと飛ばすためにはフィードバック制御が必要になります。
今のをどうやってやったのかですが、天井のカメラとノートPCがこの室内の測位システムの役割をしていて、反射マーカーを付けた物の位置を測定しています。
推測と制御のアルゴリズムを実行する別のPCにそのデータが送られ、そこからクアッドコプターに指令が送られます。クアッドコプター自体も推測と制御のアルゴリズムを実行しています。
私達の研究の大きな部分をアルゴリズムが占めています。それが、この機械に命を吹き込む魔法なのです。では、機械の運動選手のためのアルゴリズムはどう設計したらいいのでしょう?
私達は広く「モデルベース設計」と呼ばれる手法を使っています。まず、機械の動き方を数学的モデルを使い、物理的に把握します。
それから、制御理論という一種の数学を使ってそのモデルを分析し、制御のためのアルゴリズムを組み上げます。例えば、どうすればホバリングさせられるのか?
まず、力学的性質を一連の微分方程式で記述します。それから、制御理論を使って方程式を操り、クアッドコプターを安定させる。
アルゴリズムを作ります。このアプローチがいかに強力かお目にかけましょう。クアッドコプターにホバリングするだけでなく、バランスを取ってこの棒を立てさせることにしましょう。
少し練習すれば、人間には苦もなくできることです。両足を地面に付けて器用な手を使ってやるということであれば。
でも、片足で立って手を使わずに足でやるとなるとちょっと難しくなります。棒の先端に反射マーカーがあって部屋の中での位置が分かるようにしてあることに注意してください。
棒のバランスを取るために、クアッドコプターが細かく調整しているのが分かるかと思います。このアルゴリズムをどう設計したかですが、クアッドコプターに棒の数学的モデルを追加したんです。
クアッドコプターと棒を組み合わせたモデルができれば、制御理論を使ってその制御をするアルゴリズムが作れます。
ご覧のように安定していて、ちょっと押してやってもバランスの取れた状態に戻ります。このモデルを拡張して行って欲しい場所も含めることができます。
この反射マーカーのついた指示棒を使って、私から一定の距離でクアッドコプターに行って欲しい場所を指示します。このような曲芸飛行の鍵になるのが、数学的モデルと制御理論に基づいて設計されたアルゴリズムです。
一般的には、これを飛ばすためには少なくとも4つのプロペラが必要とされています。ロール、ピッチ、ヨー、加速と4つの自由度があるからです。
ヘクサコプターやオクトコプターには、6つか8つのプロペラがあり冗長性があります。クアッドコプターに人気があるのは4つという最小限のモーターとプロペラしかないからです。
それが欠けたらどうなるの��しょう?2つのプロペラしか機能していない場合の数学的モデルを分析したところ、異例な方法で 飛ばせられることが分かりました。
新しい構成に基づいたアルゴリズムによってヨーの制御はあきらめつつ、ロール、ピッチ、加速は制御し続けることができます。数学的モデルは、それが正確にどんなとき、なぜ?可能なのかを教えてくれます。
この知識によって機体の損傷に対して、柔軟に対応できる新しい構造や優れたアルゴリズムを設計することができます。冗長性を持たせるかわりに、人間の運動選手のように対応するのです。
飛び込み選手が宙返りしながら、水に飛び込んだり跳馬選手が迫る地面を前に空中で身を捻るのを見る時、思わず息を止めますよね。飛び込み選手はきれいに着水できるか?跳馬選手は着地を決められるか?
このクアッドコプターに3回転宙返りして元の位置に戻らせたい。としましょう。非常に素早い動作が要求されるため、やっている最中に位置を教えて動きを修正させることはできません。
十分な時間がないのです。かわりに、クアッドコプターは目隠しでやって動作をどう終えたかを観察し、その情報によって動きを修正し、次回にもっとうまくできるようにします。
スポーツの飛び込みや跳馬の選手と同じように練習を繰り返し、動きを身に付けることによってのみ、このような動きは実現できるのです。動くボールを打ち返すというのは、様々なスポーツで要求されるスキルです。
運動選手が苦もなくやっているように見えることをどうすれば機械にさせられるでしょう?このクアッドコプターは、ラケットが貼付けてありますが、スイートスポットはリンゴの大きさほどしかありません。
次に説明する計算を20ミリ秒ごと。つまり、1秒間に50回しています。最初にボールの飛ぶ先を求めます。それから、投げられた場所に打ち返すには、ボールをどう打つ必要があるか?
計算します。それから現在位置からボールを打つ位置まで移動する軌道を計画します。そして、その計画を20ミリ秒間だけ実行します。20ミリ秒後に、また、このプロセス全体を繰り返しボールを打つ瞬間までそれを続けます。
動物の世界では、遊びはスキルや能力を磨く役割があるという説があります。集団を結び付ける社会的役割があるという説もあります。
私達は、同様にスポーツや競技のアナロジーを使って、機械のための新しいアルゴリズムを作り、限界を押し広げよう としているんです。
機械のスピードが私達の生活にもたらす影響は何でしょう?過去のあらゆる発明や創作と同様、それは、人々の生活の改善にも使えるでしょう。
私達が直面しているのは、技術的ではなく社会的な選択です。正しい選択をして未来の機械から最善のものを引き出すようにしましょう。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
グウィン・ショットウェル: 30分で地球を半周するSpaceXの旅行プラン
ヘンリー・エヴァンズ&チャド・ジェンキンス: 人類のためのロボットを!
すべて電動で動く人間が乗れるマルチコプター
SpaceXのFalcon 9ブースターロケットが海上の無人ドローン船舶に着陸成功!!
ハワード ラインゴールド: 個々のイノベーションをコラボレーションさせる
Drone Racing League ( DRL ) 101: What is FPV Flying?
Drone Racing League ( DRL ) : Gates of Hell The Dream Takes Form
Drone Racing League - Episode 1: Qualifying Round (Level 1: Miami Lights) - DRL
Drone Racing League - Episode 2: Semi-Finals (Level 1: Miami Lights) - DRL
Drone Racing League - Episode 3: Finals (LEVEL 1: Miami Lights) - DRL
Carbon Flyer: The Ultimate Crash Proof Video Drone
CyPhy LVL 1 Drone: Reinvented for Performance and Control
マルコ・テンペスト:小型ドローンの群れが作り出す魔法
Intel’s 500 Drone Light Show
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
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1izx5a2j-blog · 8 months
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【出展】10/14(土)第42回 ARTiSM MARKET 2023東京-秋(終了)
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【イベントは終了しました。お越しいただきました皆様、ありがとうございました!】
10月14日(土)に開催される「第42回 ARTiSM MARKET 2023東京-秋」に、サークル「遥かの都 彼方の国」として出展いたします。 当サークルはスペース【B-19】にて皆様をお待ちしております。
【開催情報】
イベント名:第42回 ARTiSM MARKET 2023東京-秋 日時   :2023年10月14日(土)12:30-17:00 場所   :東京都立産業貿易センター台東館(東京・浅草) 入場料  :500円(※小学生以下保護者同伴で入場無料) 内容   :アンダーグラウンド展示即売会 主催   :ARTiSM
会場へのアクセス、イベントの詳細は公式サイトにてご確認くださいませ。
本イベントでは【雑貨のみ】頒布いたします。 刊行物の頒布はいたしません。
【ブースのご案内】
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↑クリックで拡大表示
当サークルはスペース【B-19】にて皆様をお待ちしております。
【頒布物のご案内】
◆ 新作雑貨 ◆
アーティズムマーケットに向けて既存デザインの新作雑貨を急遽制作!
急遽の制作ですので今後継続頒布するかは未定です。
【初出】THE HANDS 観音御手イヤリング
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観音四十二臂より選り抜いた六つの持物を描き起こした【THE HANDS】シリーズ新作。
国産檜にイラストをプリントしたチャームでイヤリングを制作しました。
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各モチーフは最大長40mm。
やや大ぶりの存在感ある片耳イヤリングとして1点ずつの頒布です。
急遽の制作なので、価格は会場にて!
【初出】妄想飲料 モチーフ付ゴム
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牛乳瓶の蓋から着想した【妄想飲料】シリーズ新作。
同シリーズの缶バッジと同じ素材で作ったモチーフ付ゴムです。
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4種類のモチーフ×ゴム色4色のバリエーション。
裏面はフエルトで封じてあります。
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ヘアゴムとしてのご利用はもちろんのこと、ケーブルホルダーや開けかけの袋菓子の封になど色々と活用できます。
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今回間違えて通常のヘアゴムよりかなり径が小さいもので作ってしまったので、試作品としての頒布となります。
なのでちょっとお安めに出しますよ。
◆ 準新作 ◆
組替紙仏「帝釈天/梵天」
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パーツを切り抜き、組み替えて遊べる仏像モチーフのペーパー・ドールです。
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帝釈天 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718726128153608192/
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梵天 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718726131160842240/
装飾紙シリーズ「飛天つなぎ/仏具づくし」
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仏教美術×テキスタイルとしてA4サイズの装飾紙をメインに、ペーパーアイテムを展開しています。
◆A4ペーパーセット「装飾紙」
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装飾紙「飛天づくし」 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718249678123286528/
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装飾紙「仏具づくし」 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718337814180347904/
◆紙製小箱「御角箱」
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御角箱「飛天つなぎ」 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718338852570513408/
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御角箱「仏具づくし」 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718339318299721728/
◆平袋「小品袋」
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詳細 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/718611897336905728/
◆ミニ蛇腹式ノート「じゃばら帖」
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詳細 https://hrk385knt92.tumblr.com/post/722237708555124736/
ほか、仏教美術×和レトロをテーマにした紙もの、袋ものをご用意しております。
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雑貨一覧はこちら↓ https://hrk385knt92.tumblr.com/tagged/goods
【お支払いについて】
当サークルは現金払いのみのお取り扱いです。釣銭は不足のないよう充分にご用意しておりますが、できる限り小銭での金額ピッタリ払いにご協力ください。もちろん、お持ちでない場合や1000円を超える会計の場合はこの限りではありません。 なお、大変申し訳ありませんが5000円札、万札のご利用は釣銭のご用意がなくお断りする場合がございます。
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empou · 1 year
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買ってよかったもの2022+α
大晦日ですね。 体調を崩してしまい外には出ておりませんが、街ではあちらこちらから良いお年を、という挨拶が聞こえてくることでしょう。そうした年の瀬の雰囲気が好きです。 私も年の瀬ムードに参加すべく、買ってよかったと感じたものを紹介しようと思います。
書籍編
新潮社 新潮美術文庫シリーズ
作家ごとに刊行されている、小さな画集です。定規で測ってみたところ、横13センチ、縦20センチほどでした。それぞれの本に1人執筆者がついており、掲載作品や作家の解説を行ってくれます。 私が今年買ったのはコロー、ユトリロ、クレーの3冊です。特にクレーは、解説の部分も含め読みごたえがありおすすめです。 手ごろなわりに満足感もあったので、ちょっとずつ集めていきたいなあと思っています。日本の作家に限定した新潮日本美術文庫というのもあるみたいなので、そちらも気になっている。
東京美術 ヴィルヘルム・ハマスホイ 静寂の詩人
こちらはごく最近(たしか12月のはじめとかに)買ったものですが、かなり良かったので共有です。 Twitterか何かでハマスホイの室内画を見かけて「素敵すぎ!?」となり、そのまま大きい書店へ絵の載っている本を探しに行きました。 平凡社から出ているものと迷いましたが、1枚1枚の絵が大きく集中もしやすそう、という理由で東京美術の方を選びました。平凡社の方は、参考図版が充実していた印象です。 普段は電子か通販で本を買うことが多いため、久々に店頭で吟味したという意味でも印象的でした。
食料品編
茅乃舎 和風だし塩
マイ万能調味料とでも言うべきものがあるとすれば、私の場合はこれです。 魚のうま味と程よい塩味であらゆる素材がいい感じの味に仕上がります。私はおにぎりに使うのが1番好き。 湿気で中身が固まりやすいので、小さなお皿やフタに適量をとってから湯気の立つ料理に振りかけるようにしています。
KALDI クラフトジンジャー
辛いジンジャーエールが大好きで、中でも特に好みに合致しました。 喉にカ~ッとくる辛さと言うよりは、生姜感が強く舌の上でピリピリする感じです。 シロップとビールをまぜて作ったシャンディガフも美味しかったです。好きなお酒が増えて嬉しい!
その他編
RANDEBOO Bucket bag
A4もノートPCも入る。 デカいバッグはあればあるほどいいです。
Mattel ウノ ミニマリスタ
持っていくとオシャレ~と言ってもらえて嬉しかったです。でしょ~。 関係ないのですが、ウノがマテルという会社でつくられていたことも、マテルが世界最大規模の玩具メーカーであるらしいこともこの記事を書いて初めて知りました。超大手玩具メーカーってフィクションの中ではたまに見るけど本当にあるものなんだ。そりゃあるか……。
番外編 買ったけど活用できなかったもの
無印良品 週刊誌4コマノート・ミニ
フィルムスタディーに使おうと思い購入しましたが、ToDoリストと化しています。 しかもノートを開く習慣がないので、今やお守りのようなアイテムになってしまいました。 さいきん自分の中に「中長期の目標を立て、達成に向けて日々を細分化した方がいいに決まってる」という気持ちが芽生えてきたので、このノートの使い方を見直してみたいです。 構図も学習したいので、本来想定していた用途にも揺り戻したい。
フィルムアート社 類語辞典シリーズ
創作活動のサポートを前提に、様々な感情、性格、場面設定……がインデックスされています。最近刊行された「対立・葛藤類語辞典 上巻」以外の6冊をまとめ買いしてみました。 それぞれの項目の解説だけでなく、関連・派生する状況や、先行する作品例などもバランスよく記��されており驚きの充実度です。 自分の良くない性質として、既知の事柄の確認に終始してしまう、というのがあります。来年は自分の知らないこと・考えてこなかったことにも目を向け、その手助けとして類語辞典シリーズも活用できればいいな。
ここまでお読みいただきありがとうございました。 お風邪など召されませぬようお過ごしください。 来年もどうぞよろしくお願いいたします!
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zdlmlq · 9 months
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08.22.2023の日記
長谷川白紙とKID FRESINOを観てからご飯を食べていたらねむる所に着いた時には午前1時に近くなっていて、もうさっさとねむりましょう、明日も早いし、と思っていたのに、2時を回ったあたりでしょうか、ふと「今日の日のことは記憶にしか残っていない、忘れたら忘れる」と思ってしまい、そしたらすごくかなしくなってきて泣いてしまいました。
涙は3時を回る頃に止まって、そのままくたびれて眠りました。起きたのが6時過ぎです。
眼鏡が見つかりませんでした。
しばらく探してはみたものの、暗がりかつ裸眼もあって一向に見付かる様子はなく電車の時間も迫ってきていたのでやむなく裸眼のまま電車に乗りました。
電車の中で、夜中に来て一時間ほど泣き通し、眼鏡を置いて行くのは、親しき中の礼儀にも反するのではないだろうかと思ってしばらく呻いていました。謝罪しながらも結局「眼鏡探しておいて」という旨を連絡するのも随分図々しい。私は何をやっているんだろう、と俯くと昨日購入した長谷川白紙とフレシノのイラストが描かれたTシャツが目に入るので、ついへらっとしてしまい、私は簡単だなぁと思います。
それでもなんだか気が抜けていて、泣き疲れた気分も引きずっていたのでしょうが、お店に着いてからもしばらく元気がありませんでした。
お店も落ち着いた営業だったので割合本を読んで過ごしました。
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読んでいた本の一覧です。
『ハイパーソニック・エフェクト』は芸能山城組の代表���書いたもので、ケチャまつりに行った後その感想を話している時に盛り上がって入荷したのですが、6700円の本です。どうしたらいいんだろう。
入荷した人が「ちょっと、ここからすごいから読んでみて」とひらいて見せてきた終盤の章にはデカルトの名前が登場し、ほーん……と読み進めて行くと本当に驚く描写が現れて「これは叙述トリックなのでは」「そうです、もう最初から読み直そうとなります」などと話していたらちょっと元気になりました。
大橋力という人は、人間の可聴領域外の音にある人体への影響をものすごく前向きに捉えていて、その持論に関する確信はもはや何の根拠がなくてもつい、戸惑いながら相槌を打ってしまうような種類の力強さがあります。私はこれをものすごく淡々と書いていますが、ひらいている間はずっとどこに分類していいのかわからない笑い方をしていました。おそらく動揺が近いです。
少し元気になった後、業務として文化の棚の配置について少し考えました。
文化、というジャンルは書店としてわりと珍しいかと思います。バイト先の店名は「文化を喫する」に由来してついているのでそこに因んで名付けられたのかなと思いますが、それもあって棚の数も多く本棚の並ぶスペースでは中央に位置されています。
私は長くその棚の担当なのですが、よく棚を前に(本って全部、〈文化〉なんだよな……)と思ってしまい、何を並べていいのか途方に暮れることがあります。
一応素直に、と言っていいのかわかりませんが人類学、民族学、文化人類学言語学の一部、を中心に──著者でいうとティム・インゴルド、レヴィ=ストロース、柳田國男や今福龍太などですね、から、口承されてきた神話や民話、魔術や占星術などの神秘的なもの、サブカルチャーの実録本やメディア論、社会に置くにはいささかカジュアルなジェンダー論や、倒錯的な(当てはまる部分が大いにあるのでこの言葉にはやや抵抗があります)性嗜好についての本などが並んでいますが、私は去年そこに少しばかり生真面目な図書館論や編集技術の本などを足して、刺激的な虚構や消費を愉しんだり批判する本の中にもう少し別の文化の在り方、残し方を検討している人たちの棚をつくりました。
今日そのことについて棚の仕事をサポートしてくれている人と話しながら、その面は社会やビジネスの棚が引き受けて文化はもう少し露悪的でポップな元々の形に近いものにしてもいいんじゃないか、という話になりそれに同意しましたが、そもそもなぜそんなことをやり始めたかと考えると、おそらく去年私はすごく疲れていて、人の善性みたいなものを自分の中に強調しないと耐えられなかったんだろうと思います。
開店時から数年、棚作りの基本として私はずっと「たのしく喧嘩売ろうよ」と言っていました。傷はつけるものだしつけられるものだけど、そういう世界に中指を立てつつもべったりとあいすることができると強く信じていたように思います。世界って最悪でたのしー、かわいー、だいすき。
そう考えることが難しくなったんだろうな、と、思います。加齢のせいかその他の要因、思いつくものはたくさんありますが、なんというか、最悪さを周りの誰よりも強く引き受けながらそれを言う立場ではなくなったから、という気がします。私が最悪さを笑ってしまうと、私の下につく人々は抵抗の選択肢を失うな、と気がついたのです。それはふるいたくない暴力です。私が痛みに笑ってしまうと主体を無視した物差しで比較された私より浅い傷、が軽んじられます。そこで痛がる人々を追いやります。
なんというか、そういうことを痛感する出来事がいくつもありました。いくつもいくつもあって、自分の鈍感さに随分と辟易したのです。
でも長谷川白紙の『口の花火』を聴いた時、なんというか、そういう態度の持つ影を持った強烈な光のたのしみ方を思い出したような気がしました。もう少し別のたのしみ方を検討できないかなぁ、と思います。立場上私に反論しにくい人々にそれでも拒絶や抵抗の余地を残して、私は私の喧嘩を売れるような方法を検討する気力が、少し、できた気がするので、もう少し練り方を考えよう、と思いました。
それはたのしいことだと思います。
『タイミングの社会学』はジャケがいいので気になっていたのですが、今日初めてひらいたらべらぼうに面白そうでした。まだ序盤しか読んでいませんが。
一応業務中の読書は業務に活かす前提に許されているので(本来は許されていないのですが、私に関しては、ということです)、活かすぞー、のポーズのためよくメモを取りますが、あまりにも毎ページかっこいい文章が多いので序盤だけでも引用しておきたい箇所がいくつもありました。
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別にいつもこういう書き方をしている訳ではないのですが混沌さはそう変わりないです。私は絶対にページの順に引用していくことを避けますし、ページ番号もあまり書かないことが多い。一番よくやるメモの取り方としては一筆箋や小さいメモ帳にハギレのような引用をしてそれを千切りノートに貼ることです。そして別々の本が似たようなことを言っているメモをまとめたりします。特に意味はありません。たのしいだけです。それはたのしくて、安心することです。
2日ぶりに会った夫は少しすっきりした顔をしたように思えたので「一人で寂しくて痩せちゃったの?」とたずねたら「ストレスの原因がいなかったから過食が減ってね」と言われて難しい顔になりました。眼鏡がないことには特に触れられませんでした。
本当は、帰ってきたらまた少し泣きたいなと思っていたのに、なんだか泣き損ねた気がします。泣くのはわりと気持ちのいいことです。きっと原因にもよりますが、私は辛い時や痛い時に涙が出ることがほとんどないので、なおさらそう思うのかもしれません。
ですがもう今日は泣けない気がします。そしてもう、昨日のことを何も憶えていない気もします。それをもう、残念に思えなくなっている自分がとても残念です。
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cellophanemaryjane · 11 months
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ケイト・ザンブレノ「ヒロインズ」-3
どこの国にも女の子はいるのだから、ガールズカルチャーというものがあるはずです。しかしそれらはケイト・ザンブレノからするとあくまで正統ではないという扱いを受けているらしい。
女の子の作り出すものは、個人的で過剰で一時の気の迷いに左右されがちであるということ。特にザンブレノが身を置く文学界においては。しかし私はやはりここにも異を唱えたくなります。少なくとも日本では、少々うんざりするほどに「女の子文化」が讃えられてきたように見えるからです。もちろん讃えているのはほとんどがあくまで自分達は選ぶ立場にあると思い込んでいる男性たちですが、作り手の女の子たちが「女の子である」ということを武器にしていないとは思えません。
たとえば文化と呼べるレベルに達しているものではない、ネットの炎上の一つに過ぎない「古塔つみ」の件に関しても、彼は明らかに「こんな女の子がいたらいいな」という男性によって作られたキャラクターです。女の子だからここまで注目された。そして本当は女の子じゃなかったから。(とドラマチックに書いてみる)彼が他人の写真を加工する様なことはせず真っ当な画家であったとしても、花卉農家の中年のおっさんではあのポジションは得られなかったでしょう。「2020年代に暮らす女の子が80年代への憧憬と再構築を込めた作品を異常なスピードで生み出す」という、いかにも髭やメガネで不細工をごまかしてるタイプのおじさんが好みそうな設定で作られた���在だったからこそ、騙された人が多かった。でも本当には彼の絵は描いたとは言えない代物だったし、技術もセンスもない「それらしさ」だけが詰め込まれたものだった。だからひとたび炎上してしまえば、こんな作品は好きじゃないし良くないと思った人たちによってあっという間に解体されてしまったのです。(まだ諦めてないみたいだけど)
日本のカルチャー界にはしぶとく「奔放で美しく若い女の子の表現」に甘いおじさんたちがたくさんいて、それを半分自覚している女の子たちもたくさんいます。しかしもちろん、こうして祭り上げられた女の子たちはほとんどが破滅とまではいかないまでもひっそりと消えていってしまいます。村上隆のお気に入りだったエビチリの女の子は今も細々作家活動をしてるみたいですが、見つけたのが本当にたまたまだったのとその活動規模には少々驚きました。(しかも名前ど忘れしてしまった)
若い一時の小銭稼ぎであろうと一生の仕事であろうと、女の子たちが自分で選んだ生き方を「消費された」「正統なものに見られない」と嘆くのはなんか違う気がする。しかし女性は一方では正統な評価がされないと感じ、また一方では若い女性という下駄をはかされる。改めてどうやって生きていったら良いのやらと思います。
一部の女性の世界では、ずっと「女の子はソフィア・コッポラの作品のようであるべき」という価値観が持たれ続けています。女の子が好むのはかつては「ベティ・ブルー」やその後は「アメリ」など、そして「ヴァージン・スーサイズ」であるべき、という価値観。これらは決しておじさんから押し付けられたものではなく、少なくともファッション雑誌の中では分析好きの女性ライターたちが「これはあたし達の物、あたし達の感性!」と宣言したことだったのです。
その後、私より下の世代の女の子たちはタヴィ・ジェヴィンソンに衝撃を受けペトラ・コリンズに夢中になったことでしょう。(その世代であるシェイナ・クリーのYouTubeはとても興味深く私も見ています。彼女は好ましい人物ですがちょっとスピリチュアルな発言が気になります。それから、私も含めておそらくはほとんどの人が彼女の作品よりも彼女自身の魅力の方に興味があるのだということも)この2人は確かにかつてはクリエイティヴであり刺激的でした。ざっくり分ければザンブレノもこのジャンルにいる作家だと思います。きわめて個人的な、あくまで自分達のためだけのセクシーさを表現するというような。彼女たちのインスピレーション源はたいていはソフィア・コッポラに代表されるちょっと生臭いガールズカルチャーです。最近はようやく落ち着いてきたように見えますが、いっときは「ガーリー=ソフィア・コッポラを好きであるべき」という押しつけ、オシャレ同調圧力が酷かった。
やはり私には、この洋の東西を問わない女の子カルチャーの持つあまりに類型的なイメージが受け付けない部分もあります。女の子は若くはちゃめちゃで、制服か突飛なファッションを身にまとい自分の体や心の傷を大っぴらにすることも厭わない。恋に溺れてボロボロになることもあり、自分を大事にしないこともある。そして女の子は怖いものでもあるというイメージ。全てにおいて過剰で感情的で作品よりも本人が注目される。私はこういうカルチャー界における女の子かくあるべしという風潮にはついていけないところがあります。私は、自分がいろいろな意味で自分を傷つけずにここまで生きてこられたことはラッキーだったのだと思ってはいますが。
だけど女の子が自分に正直に表現をした場合、大抵はこう言う感じのブツが出来上がる。あまりこういうことは書きたくないのですが、経血のついたナプキンを見せびらかしているような作品。そういうものが普遍的な芸術として評価される日は来ないと思います。だってナプキンはこの世の半分の人間にとって作品ではなく現象なのだから。そしてもう半分の人間にとっては、頭の中で理解はできても本当にはわからない。それを他人に見せることに意味がある、隠されているのがおかしい、というような意見はまだ多いですが、それはもう手垢のついた表現です。そしてこういった表現では、結局性的な関心やタブーであるがゆえの覗き見的な興味しか持たれない。
私は経験的に、そして性格的になにがしかの作品についての受け取り手の感性というものをあまり信用していないのです。ぶっちゃけると「わかってる」人間なんて世の中にはほとんどいません。バカが喜ぶようにエモくエモくしないと見向きもされない。(それでもプライドを持ってアイディアを実践していくことが大事だとは思っています)
私は最近たまたま飯野矢住代という人のことを知りましたが、こういう女性のストーリーがいつの時代も求められがちです。同世代の鈴木いずみしかり、ロリータ順子しかり、岡崎京子の漫画しかり。それらを純粋すぎたなどともてはやしながら平穏無事に年をとり落ち着いていくというのが、大抵のつまらない女の「あの頃バカやってました」という生き方です。
私は女の子はもっと、クレバーでクールでいることも可能だと思います。あふれてくる感情の表現が過剰で赤裸々なものばかりなのは納得いかない。タバコ、夜遊び、恋愛にドラッグに自傷行為と奇抜なパフォーマンス。こういったものが普通の女の子にとって手軽にできることではなかったという時代は、少なくとも日本やアメリカではとっくに終わっています。
だから「ヒロインズ」の後半に出てくるザンブレノの経歴や行動には少しがっかりさせられました。またしてもこれか、と。混乱した10代、20代の身の処し方はほとんどみんな同じ。自ら進んでビッチになること。(たとえしぐさであっても)いつまでそれをやってるの?と思います。これをやってる限りは、女の子というものの扱いやイメージはなんにも変わらない。これで女性の文学は下に見られていると言われてもそりゃそうだ、結局は自分の感性が死んでないと証明したいしたり顔の人たちの道具になるだけなんだから。
もちろん私はゼルダやジェインの味方でいたい気持ちのほうが強いです。ゼルダやシルヴィア・プラスへ批判的だったエリザベス・ハードウィックとメアリー・マッカーシーの印象については、概ね著者と同意見です。(私は女も捨てないし、文句ばっかり言わずに男を立てて上手くやっていくのよという態度)だけどザンブレノが思い入れを込めすぎるあまりに、ノートやメモ書きだけを残した小悪魔的なミューズから老いさらばえた狂女という扱いになってしまいがちであった「モダニストの妻たち」みんなを、家父長的な夫に邪魔されなければ作家になれたのにと繰り返し主張するのには賛成できません。ゼルダの本は私も読みました。つまらなくはなかったけど、何回も読みたいとは思いませんでした。あのゼルダが書いた、というのでなければ、あんな美しい立派な装丁で出されるような本ではなかったと思います。
自分も作家であり芸術家だと思いながら、厄介な病気や人格障害のレッテルを貼られていった女性たちにはシンパシーを感じはしますが、彼女たちに本当に才能があったのかどうか。そしてザンブレノは「本当の才能とか、本物の作家とか、それって誰が決めるの?」といったような意見も繰り返し書いています。まずは書かれ、表現することに意味がある。そしてそれを女性の一時の気の迷いや単なるメランコリックな日記と決めつけてはいけない、という感じのこと。
しかし、彼女たちに自分をダブらせ共感し支持していくことだけが女性を救うことになるのでしょうか。感情的な女の子や女性の発言には一様に価値があるのでしょうか。作品の体をなしておらずあるいは面白くないのなら、それはどんなに自分に正直でいようとし、抑圧された環境で作られたものであっても、優れていることにはならないと思います。
作品だけを見るならば、たとえば夫のスコットが思う存分酒を飲み愚痴を吐きながら書いたものと、抑圧され検閲された妻のゼルダが書いたものに、バックグラウンドを足さなければいけないのでしょうか?スコットはゼルダを元ネタ扱いしやりたいように書いて、ゼルダは1日1時間しか書かせてもらえなかったんだよ、なんてことを。それはムシが良すぎるというものです。これは今だから言えることなのかもしれませんが、こういうタイプのフェミニストにありがちな意見である「文学の世界では男性の作品(フィクション、大作、手記)だけが認められ、女性の個人的な日記に端を発したものや感情的な作品は下に見られ、あくまで「男性作家のミューズ」であったことによるゴシップ的な興味以外で読まれることはない、それはおかしい」みたいなこと言われても、そんなんしょうがないじゃんと思ってしまいます。何かを表現したいと渇望する女性たちを病的と決め付けた世間は確かにひどいですが、日記やノートだって文学だし作品だと認めろ、という著者の主張は全面的に賛成できるものではありません。発表する権利があるなら、支離滅裂な女性性のほとばしりなんてものは金を取って人に見せるもんじゃないと言う権利だってあります。(エスパー魔美みたいになってきた)もちろん男性であっても同じです。私は無料漫画サイトの片隅に転がっている、70年代のアングラエログロ漫画やマイナー漫画を覗き見しに行くことが半年に一回ぐらいありますが、やっぱりこういう作品は「こう描くことしかできない」というのは伝わってくるけど、絵は下手だしつまんないしここにエンタメやヒットはおろか芸術性を見出すのもムリです、という気持ちになってサイトを後にします。もちろん、そういった作品からは時代性と漫画産業のあれやこれやが浮かび上がってくるので、無碍にできないとは思います。でもとにかく面白くないし売れるものじゃない。誰かが資料としてぶっこんどくしかない。これが好きって人も少しはいるかもしれないし。
メジャーだろうとマイナーだろうと、バックグラウンドを一切見ずに作品だけで評価される作家がこの世にいるのでしょうか?ザンブレノは、男性の作家はルックスなど気にされず女性はどんなに偉大な人物でもルックスを取り沙汰されることを憤っていますが、スコットはかつてはイケメン作家扱いだったはず。カポーティのデビュー作にはあの写真が大々的に載りました。(そして後年みっともないデブになったと言われた)村上春樹を小馬鹿にする人は、ほとんど全員彼があの顔であんな小説を書いていると嗤っているではないですか。(海外ではそう言われてないかもしれないけど)
女性の作家やアーティストのルックスについて感想を持つのは本当に男性だけ、それも彼女の夫のようではない最低な男性たちだけなのか?といったら、そんなわけがない。その辺の人たちは男だろうと女だろうと評価の一部にどうしたって美醜を含めます。だから素顔はおろか性別すら発表しないような漫画家がいたりするのです。
もちろん、男性には不細工を補う小技がいくつかあります。だけどルックスとライフスタイルを取り沙汰されるのは女性だけではありません。フィクションがフィクションとして読まれ、自分をモデルに書いた作品が資料として読まれる。それは当たり前のことです。それが嫌なら、女の作家はいちいち自分の生活の変化に照らし合わせた作品なんか書かなきゃいいじゃんか、どうせそれしか書けないくせに。
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thetaizuru · 1 year
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 大衆文化の歴史の中で、公開から現在に至る長い期間と市場規模において最大の社会的インパクトを与えた映画作品が、ジョージ ルーカスが製作し1977年に公開された『スター・ウォーズ』だ。  シリーズ関連作品は映画だけでなく、アニメ、小説、コミック、ゲームなどの媒体や、おもちゃなどの商品で展開され、その後のコンテンツビジネスやキャラクタービジネスにモデルを提示した。
 製作時のエピソードは、ファンの間で伝説化された面もあるし、また、監督、スタッフ、出演者なども、インタビューのたびにリップサービスなどもあって毎回内容が異なるが、ルーカスが第1作の構想時から全部で9部作になるという企画を考えていたというのは誇張した表現のようで、第1作制作時は、これが成功したら続編を作れたらいいなと漠然と考えていたというのが実際のところのようだ。それどころか公開日にはルーカスは完全に自信を失っていて、続編をどうするかどころではなかった。
 1970年代中盤のアメリカ映画は、ベトナム戦争終結後の内省的な社会的風潮を受け、「アンチヒーロー」と「アンチハッピーエンド」で特徴づけられるアメリカンニューシネマが多くを占めていた。  その中でルーカスは、かつての娯楽映画の復権を目指し、SF、戦争映画、西部劇、海賊映画、ラブロマンス、ヒューマン、ミュージカル、日本の時代劇まで、あらゆる要素を盛り込んだ娯楽超大作の構想を膨らませる。  それを映像化するには視覚効果や特撮などの幅広い技術が必要だったが、ハリウッドの黄金時代と言われた1940年代にはどの映画会社にもあった視覚効果スタジオは、60年代に閉鎖が続き、映像技術ごと失われつつあった。  ルーカスは「インダストリアル ライト&マジック」という社名で、撮影スタジオや工房として使うための倉庫を借り、自主映画で特撮の研究をしていた学生やカメラマン、デザイナー、特殊メイクアーティストなどを多数雇い入れ、ベテランの特撮スタッフにも声をかけて参加してもらい、ここで失われつつあった技術を復活させ、数々のノウハウを一から生み出していこうと考えた。そのスタジオを運営していくためにも続編制作やシリーズ化が好ましかったし、そのためには作品の権利を自身が保有しておくことも必須だった。  ルーカス自身がノートに鉛筆で書いた脚本を、アシスタントのライターが文章整理してタイピングしたものをチェックしてみると、あまりに黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』そのままだったので、子供の頃に見たSF映画や海賊映画などをヒントにしたシーンを盛り込んでるうちにどんどん壮大になってしまい、シリーズ化には困らないかもしれないが、映画会社には通らなかった。  1984年頃のインタビューでルーカスは、ジョゼフ キャンベルの『千の顔を持つ英雄』(1949)という神話研究の本を挙げ、「この本に出会っていなければ、私は未だに脚本執筆に追われていただろう」と語っている。ここで語られる、いまでは「ヒーローズジャーニー」と呼ばれる物語構成はその後世界中の作家に大きな影響を与え、物語の代表的なテンプレートとなる。ただ、脚本執筆時のルーカスに自信を与えたのは、神話的物語構造の理論というより、「主人公たちの動機か目的が描けていればなんとかなる」というニュアンスだったとも、制作に参加したスタッフが語っている。  脚本がなかなか通らないためルーカスは、友人から紹介されたイラストレーターにキャラクターや宇宙船のイメージ画制作を依頼し、それらを用いたプレゼンテーションを経て20世紀フォックスから制作のゴーサインを得た。とはいえ少ない予算しか出なかったので、マーチャンダイジングの権利を要求し、結果としてこれによって後に莫大な収入を得てシリーズの制作も可能になるが、足りない分の予算を捻出するために様々な作業に追われることになる。  ビジュアル資料(コンセプトアート)を用いたプレゼンテーションの他にも、ルーカスは、現在の映画製作ではスタンダードになっている「プレビズ (プレビジュアライゼーション)」という手法を作ったとも言われている。ルーカスは、過去の映画作品や記録映画などを自身で編集した映像資料をスタッフに見せ、自身のイメージを伝えた。また、ルーカスもスタジオに参加したスタッフたちも、SFや特撮映画などにマニアックに詳しいため、イメージを伝えるために数々の作品名が会話の中に飛び交った。「マニアックな会話」というのが一般化していくのもここがきっかけだったんじゃないかという説がある。
 撮影と編集作業を終え、あとは特殊効果を入れるだけとなった段階で、ルーカスは自宅に友人たちを招いて試写を行った。  この時点でルーカスは大分自信を失っていた。体を壊して入院したし、構想時に思い描いたものの3割も実現できなかった。大好きな映画である『アラビアのロレンス』と同じロケ地で撮影できたが、太陽を2つにしたものの、砂漠だし、あまりに似すぎているかもしれないし、『アラビアのロレンス』にも出演した名優のアレック ギネスにオビ=ワン役で出演してもらうことができたが馬が合わず険悪なムードになってしまい、もし続編が作れたら劇的に再登場して世界の秘密を語るという重要な役割を担わせるためにめちゃくちゃ意味ありげに消えるシーンを入れたが、続編には出演してもらえそうにないし、スタジオの中心的なスタッフともかつかつの予算でなんとかやってもらうために無理を言ってケンカしてしまった。  試写の後は気まずい空気が流れていた。編集にも携わった妻が顔を覆って「無理だった。終わりだ」みたいなことをつぶやいている。ルーカスが、正直なところどうだったか聞かせてくれと友人たちに聞くと、冒頭の長すぎる字幕から意味がわからないという感想を皮切りに、次々と酷評が飛んでくる。  その場にいたスピルバーグは、冒頭の字幕は全く意味わからないかもしれないけど、最後のファルコン号のシーンで完全に心をつかまれて、むしろ読み飛ばした冒頭の字幕を読むためにもう一度映画館に行くよみたいなことを言い、最高のエンターテインメント作品だと絶賛し、自分が撮った『ジョーズ』(1975)が1億ドル儲けたからこれも1億ドル儲かるとルーカスに言った。ルーカスはかなり無茶な慰め方するなと思い、むしろ失敗を確信する。後日、スタジオなどの存続のために、自身が受け取る『スター・ウォーズ』の収益歩合と、スピルバーグがその時に制作中だった『未知との遭遇』の収益歩合のいくらかを交換してくれないかと相談を持ち掛け、スピルバーグはこれを了承する。結果としてルーカスが慰めだと思ったスピルバーグの評価は予言的に正しく、『スター・ウォーズ』は『未知との遭遇』を超える大ヒットとなり、現在になってもその印税収入はスピルバーグに利益をもたらしている。  公開日が迫る中ルーカスは、各映画館が『スター・ウォーズ』を子供やマニア向けのB級映画だと見なして上映することを渋り、配給会社である20世紀フォックスも他の作品と抱き合わせるかたちで売り込みを行わざるを得ない状況にあることを知り、完全に自信を失う。プレミア公開翌日には、結果を聞きたくなくて、ハワイともオーストラリアとも実は自宅だったとも言われるが、どこか電話もテレビもないところに籠っていたという。公開と同時に大ヒットしていることを、いち早く伝えに行ったのもスピルバーグである。  『スター・ウォーズ』 はわずか50館に満たない映画館での公開で始まったが各地でヒットを記録し、それまで『ジョーズ』が持っていた世界最高興行収入記録を塗り替えるに至り、世界規模の社会現象になっていく。断続的に何年にもわたって上映され続け、それまでB級という扱いだったSF映画に対する評価も一挙に引き上げた。  当時の社会状況が希望ある娯楽作品を求めたとも、作品の神話的構造が普遍的な世界認識のあり方を思い起こさせたとも評論され、ルーカスの創作動機の一つでもあった、大人でも子供でも持っているはずの古き良き時代の感覚をみんなが思い出したのかもしれないとも語られるが、誰にも何が何だかわからないほどヒットした。
 ハリウッドの黄金期と呼ばれる1940年代には、「ポヴァティ ロウ (「貧民街」の意)」というスラングで呼ばれる、Bムーヴィを製作する小さな映画スタジオが多数存在した。長期間作品をリリースし続けたスタジオもあったが、ほとんどは、数本あるいは1本のリリースで消えていった。  1929年からの大恐慌を乗り越えるために映画会社は、興行側の映画館の要請もあって、2本立て興行を始めたが、それにはハリウッド全体で年間300本の映画を製作する必要が生じた。大手映画会社は、トップスターが出演する大予算の「Aムーヴィ (Aピクチャーズ)」と、低予算と短期間で作る「Bムーヴィ (Bピクチャーズ)」による量産体制を作っていく。1930年代終わり頃には、大手5社(ビッグ5)がそれぞれ年間40本以上を製作し、それにリトル3と呼ばれる3社が続き、ポバティ ロウや独立系プロダクションが残りの枠を埋めた。  1948年、上訴や第二次世界大戦を挟んだため10年越しとなった訴訟に「パラマウント判決」と呼ばれる判決が下った。これは、パラマウントを筆頭とするビッグ5による製作ー配給ー興行の垂直統合のシステムが独占禁止法的に触れるとする判決で、所有する映画館を売却するように映画会社側に命じたものだった。ビッグ5とリトル3は拘束的な配給慣行を停止しなければならなくなり、1948年から1958年にかけて、各映画会社は映画産業システムの基盤であった「スタジオ システム」と呼ばれた縦の系列化を解体させた。  それと共に、戦後の急激な観客動員数の低下と1950年代のテレビの台頭により、映画会社にはBムーヴィ製作の余裕もなくなり、1本の作品にかける大作主義に移り、製作本数は激減した。ハリウッドの現象としての「ポヴァティ ロウ」も50年代に完全に消滅した。  「Bムーヴィ」も消えたが、特定の観客層を狙った低予算作品を「B級映画」と呼ぶようになった。内容等が劣ることを総称して「B級」と言う日本語の表現もこれに由来している。
 1960年代後半から70年代半ばにかけてのアメリカンニューシネマは、ベトナム戦争に邁進する政治に対する反体制的な人間の心情を綴った映画作品群であり、また、反戦ムーブメントでもある。  この時期にハリウッドは、ニクソン大統領(在任:1969年-1974年)を赤狩りの協力者と呼んで非難し、また、ハリウッド衰退の原因を1950年代前半の赤狩りによるものだとした。やや強引な論調ではあった上、そのニクソンがソ連とのデタント(緊張緩和)を実現し、73年には米軍がベトナムから撤退する。ベトナム戦争は75年に終戦。77年に就任したカーター大統領はソ連との関係を再び緊張させ、経済も悪化させる。80年の大統領選でハリウッドは、レーガンを赤狩りの協力者と呼んだが、「レーガン デモクラット」と呼ばれる民主党員のレーガン支持者が大勢現れた。  レーガン政権は、デタントを「米ソ両国の力の均衡を維持することに役立っただけで、冷戦そのものの解決には全くならなかったばかりか、いたずらにこれを長期化させる」として否定し、ソ連を「悪の帝国」と呼んで非難した。「力による平和」と呼ばれる一連の外交戦略でソ連と真っ向から対抗する道を選び、通称「スターウォーズ計画」という戦略防衛構想を推進する。これが成功し、ソ連から大幅な譲歩を引き出した。
 1975年、インターネットの前身であるARPANETが稼働状態にあると宣言された。ここからインターネットが世界を覆っていく間に、コンテンツビジネスやキャラクタービジネスでの最大の成功例を示した『スター・ウォーズ』は、知的財産のあり方を示すものともなった。それは、1859年の演説でリンカーン大統領が語った、米国旧特許庁で現商務省の建物の玄関に今でも刻まれている、「特許制度は、天才の炎に利益という油を注ぐ」という言葉を思い出させた。
2023年5月 ユー ソー
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mreiyouscience · 3 months
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 学ぶということは過去の偉人が築き上げた”知”を辿ることを意味します。このことは解析力学にも当てはまるのではないかと思います。
 さて、解析力学とはどのような学問なのでしょうか?それは普遍的な物理学の確立を目指した学問だったのです。この解析力学勃興の背景として、ニュートンの運動方程式を導く原理の探求がありました。というのも、ニュートンの運動方程式はニュートンのひらめきから生まれたもので実験結果による裏付けはあったものの、理論的裏付け(原理)が欠けていたからです。この難題に応えるべく、最小作用の原理によってオイラーラグランジュ方程式が導かれました。そして、オイラーラグランジュ方程式では普遍的な座標とその時間微分としての運動(速度)の確立―普遍的な変数の確立―のために一般化座標(デカルト座標でもなく、極座標でもなく)と一般化速度が導入されました。例えば、一般的にX座標を横軸に、Y座標を縦軸に、Z軸を高さの軸に定められているのはデカルトによる恣意的な取り決めであり、極論を言うと、X座標を高さの軸にとっても良いわけです。このような恣意性を排すために一般化座標と一般化速度が導入されたのです。このように普遍性の高い変数(一般化座標と一般化速度)の導入によりニュートンの運動方程式からオイラーラグランジュ方程式へと変貌を遂げることで、物理学の新たな領野を切り拓くことが可能となったのです。そして、このオイラーラグランジュ方程式により、ネーターの定理が証明されました。
1.時間の性質による普遍的なな保存則 エネルギー保存則
2.空間の性質による普遍的な保存則 運動量保存則
3.回転の性質による普遍的な保存則 角運動量保存則
このネーターの定理を受けて、ルシャンドル変換による普遍性の高い変数の変換(一般化座標と一般化速度→一般化座標と一般化運動量への変換)によって、物理量ラグラジアンから物理量ハミルトニアン中心の理論へと変遷を遂げたのです。
オイラーラグランジュ方程式 最小作用の原理による自然の効率性
正準方程式         エネルギーの保存性
また、オイラーラグランジュ方程式を二つに分けることで正準方程式は対称性を与えることができました。しかし、正準方程式は解析的に解くことが非常に難しいため、それに対する解決策が模索されました。その手法は位相空間論に基づいたポアッソン括弧によって保証された普遍的な変換としての正準変換でした。これによって、理論的に解析可能な物理現象が拡大されたのです。そして、ハミルトニアンヤコビ方程式によって正準方程式を一つにまとめることができ、後にシュレディンガー方程式導出のための理論的礎を築いたのです。
 最後に解析力学の学習のロードマップについてお話ししたいと思います。まずは、YouTubeチャンネル「PHYSIS Entertainment ピュシス・エンターテイメント」の解析力学の動画を観ながら、マセマシリーズを”ボロボロ”になるまで読みましょう。尚、わからない箇所は近藤龍一の「独学する「解析力学」」を参考図書として読まれると良いでしょう。実はマセマシリーズを完璧にマスターすればA以上を目指せるだけでなく、高嶺の花だとされている増川先生のテキスト「基幹講座 物理学 解析力学」やランダウのテキスト「力学 (増訂第3版) ランダウ=リフシッツ理論物理学教程」も楽々と読みこなすことも夢ではないのです。だからこそ、解析力学の基礎となる土台の足固めをマセマシリーズで学ぶことが大切なのです。(逆に言えば、益川先生やランダウのテキストが難しく感じるのはマセマシリーズを完璧にマスターしていない何よりの証なのです。)なので、どんなに時間がかかってもいいのでマセマシリーズを完璧にしましょう。
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*注意点。研究者志望でないのなら、マセマシリーズで十分です。それに対して研究者志望であれば、益川先生のテキストとランダウのテキストの二冊は必読です。また、益川先生のテキストは解析力学のみを扱っているのに対して、ランダウのテキストは物理学の全領域を扱っているので、物理学を一通り学んだあとで読まれると良いでしょう。
解析力学は抽象的で難解ですが、理解を深めることで初等力学では決して触れることができない深遠な世界を垣間見ることができるはずです。頑張ってください。
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追記~夢の実現方法(PDCAサイクルを実践する)~
1,Plan ;具体的に目標をイメージしてそれをノートに書きとめる。
2,Do ;目標を達成するために努力する
3,Check;現実と目標のギャップを受け入れて何を改善すればいいか考えてノートに書きとめる。
4,Action;Checkでの反省を活かして努力する。
1,Planに戻る。
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~追記1~
暇があったら「YouTube」で「Why tech needs the humanities | Eric Berridge」と検索されたい。(日本語字幕あり、11分)文科系に対する差別・偏見がなくなることを祈りたいです。
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~追記2~
 本書を読破することを夢見る学生の中には研究者としての道や会社でエンジニアとして研究開発に没頭する日々に憧れているはずです。そういった方のために研究開発を行う上でのちょっとしたコツを示したいと思います。
~クリエイティブになるためのコツ~
「YouTube」で「デビッド・ケリー 「自分のクリエイティビティに自信を持つ方法」」と検索する。
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 ↓
「YouTube」で「The surprising habits of original thinkers | Adam Grant」と検索する。
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「アダム グラント」の「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代」を読む。
「NHK」の「デデデデザインて何?!」を一年間見る。
雑誌「日経デザイン」をたまに読む。
有名デザイナー(「ジャスパー・モリソン」や「深沢直人」、「佐藤オオキ」などのホームページを調べる。またはグーグルの画像検索で検索してみる。)
「アリス・ローソーン」の「HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由」を読む。
「佐宗 邦威」の「ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION」を読む。
「野中 郁次郎」の「直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論」を読む。
クリエイティビティと経営学に関連性があることを理解する。
「エイミー・C・エドモンドソン」の「恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす」を読む。
「ピーター M センゲ」の「学習する組織――システム思考で未来を創造する」を読む。
「Jeff Patton」の「ユーザーストーリーマッピング」を読む。
「James Kalbach」の「マッピングエクスペリエンス ―カスタマージャーニー、サービスブループリント、その他ダイアグラムから価値を創る」を読む。
追記3~研究のコツ~
近藤 克則 (著) 研究の育て方: ゴールとプロセスの「見える化」
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thereareonlydeer · 1 year
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鳥類
ボクは別に本が嫌いでも好きでもなかった。プライベートな時間で本を読むことはなかったけれど、例えば国語の教科書に載っている物語は何度も何度も読みかえした。それくらいのポジションにいた。 ボクが活字を嫌いになったのは「ペンギン・ハイウェイ」のせいだ。全く意味の分からない話だった。ついていけなかった。なぜペンギンが森の向こうからやってくるのか、なぜお姉さんはペンギンに疑問を抱かないのか、なぜ不条理な方法で事態が収まるのか。頭がどうかなりそうだった。 以来、ボクは本を読んでいない。 ハヤシダ――ハヤシダはボクの同級生だった。ボクらは同じ誕生日で、同じくらいのテストの点数だった。ボクらはいつも一緒にいた。つまり出席番号は誕生日順で座席配置は成績順だった――は、ボクが「ZOO」を読もうとしたとき「そんな気持ち悪いの読むのやめてよ」と言ってくれたけれど、本当はボクが水族館に行くのを止めるべきだったのだ。
「すずめの戸締り」を見た。
事前情報ゼロだったから、ヒロインが椅子になって笑ったし以降ずっとそのままで絵面を間抜けに感じた。これは褒め言葉だ。いい抜け感だった。
音がよかった。誰かが同じ感想を書いていたが、鈴芽の家に上がったときの草太の足音が異様にリアルだった。その直後ダイジンを追いかけるシーンのBGMもよかった。アップテンポなジャズはいいものだ。 ミミズが現れた瞬間のドゥンという効果音はシンボリックだった。コメディあるいは人情パートからシリアスパートへの移行をとても分かりやすく演出していた。鈴芽の瞳にミミズが映るのも同様に効果的だった。オタクは瞳を見つめるのが好きなのだ。
人情といえば、映画前半は概ねダーツの旅だった。新海作品で描かれるノスタルジーは美しい田舎や魅力的な少女にだけでなく、こういうところにも潜んでいる。 話が東京(として表象されることの多いものとしての都会)へと収束するのも新海的だった。全ての道は東京に通じている。 ダーツの旅の過程で鈴芽はときに服を着替えときに装備を追加したが、最終的に選んだのは制服(と彼氏(予定)のブーツ(素足))だった。これも瞳に映るミミズと一緒で、性癖を存分に曝け出してやろうという制作陣の意気込みを感じるポイントだった。制服はJKの戦闘服だ。
解放されたミミズの姿はとてもグロテスクだった。透明感に定評のある新海作品の映像のなかで、このシーンのミミズだけが異様にマットだった。これヤバいやつだと問答無用で理解させられるおどろおどろしさだった。かたちが生き物からかけ離れているのもそれに拍車をかけていた。
芹澤君はコッテコテの「友」だった。閉じ師の設定や古文書まわりはコッテコテの「閉じ師だけど質問ある?」だった。このへんはもう失敗しようのない描写だと思う。約束されたここ好きポイント。
家出少女と養母のあれこれの件はやや無理してねじ込んだ感がある。ただこれは鈴芽の過去と年齢から自然と導出できてしまうエピソードではあるから物語の一つの軸に組み込まれるのも仕方ないことなのかなとは思う。
鈴芽の(とくにサバイバーズギルトじみた)心の傷については作品の題材上、部外者がどうこう言えることはないように感じる。地震後の描写や東北の景色も同様に。
3月11日は終業式だった。いつもより何時間か早く家に帰ると、母親がテレビにくぎ付けになっていた。ニュースの映像では航空機が波にさらわれていた。ボクは鑑賞者だった。
4月14日はパーティに参加していた。留学生が多くいた。 警報が鳴り、ボクたちは折りたたみテーブルの下に身を隠した。大きいといっても死を感じるほどの揺れではなかった。せいぜい震度4くらいだった。「こんなの日常茶飯事だよ」とヨーロッパから来た学生に言った。その直後に「お前の地元熊本だったよな」と言われた。すぐに実家に電話をした。無事だった。ボクは「断水になっても江津湖があるから大丈夫だね」と笑った。念のため娘――ボクからみた妹――と一緒に小学校の体育館へ避難するのだとシングルマザーの母は言った。ボクは「スマホの充電は大事に」と言って連絡を止め、ベッドにもぐった。 16日の揺れはもはやちょっと大きい余震でしかなかった。
ボクは阿蘇の山道を何度も通った。ボクの実家は熊本にあり、実家の実家は大分にある。阿蘇山を通り抜けるのは特別なことではなかった。 ボクは運転の練習にと、カルデラの街を望む道を車で走った。初めはほとんど封鎖されていた道が、ボクの運転が上達するのに併せるように解放されていった。震災から2年後には黒川温泉に遊びにも行った。 大きながけ崩れがあった場所も、傷痕を残しながらではあるけれど通れるようになった。その場所では通行車は徐行するのがマナーになっている。運転手が惨状を見る時間を作るためだ。PTSDを起こす心配のない人たちが崩れた山肌を流し目で見ながらゆっくりと去っていく。自然公園のパノラマを眺めるみたいに。
益城町で再建に奮闘する神社の記事をネットニュースで見た。それを魚拓にとって保存した。
真面目君がボランティアに行かないかと誘ってきた。ガクチカ稼ぎかよとボクは断った。
図書館へ行って調べものをした。 日本の地下には龍が住んでいることを知った。 ミンダナオ島から東北地方にかけて、黒潮流域の地下に蛇(あるいは龍、鯰、蚯蚓)が生息していることを知った。 阿蘇山には鯰と巨人が住んでいたことを知った。巨人がカルデラの淵を蹴飛ばしたことを知った。
いつかの電話で母は「ああいうときはやっぱり見るんだねえ」と言っていた。黒い影が視界に入り続けたのだと。避難するときに開けた車のトランクからその影は飛び出たのだと。ひび割れたアスファルトや落ちた看板や水を求めて並ぶ行列やふと目を覚ました夜の闇の中や体育館でうずくまるわが娘のそばに、その影は佇んでいたのだと。 ボクはドラマや映画の見すぎだといった。母は「黄泉がえり」の映画を見たことがあったし、ボクはその小説を読んだことがあった。
去年の今頃、CAMKで「こわいな!恐怖の美術館 展」があった。 コーダ・ヨーコのインスタレーションでは「ヨルのキオスク」の裏に自由帳が置いてあった。旅館や観光地の駅に置いてあるような、客が自由にメッセージを書き込むノート。髑髏の絵が描かれたページ���裏に「精神こわれた 弟とともに 寝れない夜」と、太くなった鉛筆で殴り書きされていた。ボクはそのページの写真を撮った。それからいしいしんじの展示に行き、小泉八雲の左目についてのコピーを取って建物を出た。
テレビを見るときも、パーティに出ているときも、車を運転するときも、ニュース記事を読むときも、ボランティアを断るときも、調べごとをするときも、人の話を聞くときも、美術館を歩くときも、小説を読むときも映画を見るときも、ボクはただの鑑賞者だった。空飛ぶ鳥が、揺れる大地を、はるか上空から悠々と見下ろすように。
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modeqs · 1 year
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2022年を振り返る(1)
習慣
緒言
私の2022年のテーマを一言で振り返れば「習慣」だ。新たな、積極的に生活を改善することができる習慣の形成を試みたり、試みに失敗したり、試みの失敗から別の企てを講じたりした一年だった。
私が形成したかった習慣とは
数学を日常的に学習すること
職業生活のうえで求められる学習を継続すること、これを通じ資格取得につなげること
スマホを必要を超えて使用せず、別の事柄に注意を集中させること
であった。裏を返せば私には上記の習慣が無かったし、一部は今も無い。改めて明言すると己の非認知能力の低さに驚かされる。まるで小中学生の生活目標ではないか。幼児のトイレットトレーニングといってもよい。
しかし習慣形成を試みて何度も思ったことは「そこからスタートするしかない」ということだ。たとえ学習者が何歳であったとしても、割り算が分からなければ割り算を勉強するほかに割り算が分かるようになる方法はないし、たとえいい歳したオッサンでもスマホ依存症になってしまったら小中学生が親に指導されるような、あるいは受刑者のような、規律ある生活をするほかに回復の道はない。
つまり、学習者の属性に関係なく、目標から理論的に導かれる前提条件は、目標を達せんと欲するならば、必ずや満足しなくてはならないということだ。「恥ずかしさ」や「いまさらそんなことは…」という気持ちはかなぐり捨てなくてはならない。「いまさらそんなこと」、いいじゃないか!どうせお互いに100年後には記憶する人が残っているかどうかもわからない「この星の無数の塵のひとつ」ではないか。だったらどれだけ恥ずかしいことをしたとしても100年後にはノーカンなわけですよ。目標のために恥ずかしいこと、しよ?
最小習慣(Atomic Habits)
私の能力が残念なのは学習習慣が無いからでは??と思った私がまず手に取ったのは『ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣』(パンローリング㈱)という本だ(原著:"Atomic Habits: An Easy & Proven Way to Build Good Habits & Break Bad One" by Hames Clear, Random House Business)。
(出版社には大変申し訳ないが)邦題がカスみたいなせいで胡散臭い印象を受ける本になってしまっているが、原著は高校の英語学習教材でお馴染みの「ペンギンブックス」の会社だ。だから訳わからん下らない自己啓発書ではない(と思って読んでみる価値はある本)。
自己啓発本にはありがちだが、率直にいって目新しいことは書いていないと思う。虚心坦懐に述べれば、良い大学に入れる頭の良い人にとって役立つ情報は少ないのではないかと思っている。
しかし私はそうではないので役に立っている。この本は、とても久々に「精読」した本だ(もちろん内容は難しくないうえに量がある本でもないのだが)。目次に書き込みをし私にとっての検索性を高め、別途時間をかけて要約まで作った。とはいえこの本を使ってこの一年線形に成長を続けられたわけではない。熱心に読み込んでから1ヶ月くらいで取り組みは自然消滅し、その後取り組みをローペースで再開する…というようなことを二度か三度繰り返したのではないかと思う。
この本に書いてあることで今現在わたしにおいて稼働中のアイデアは2つで、1つは「習慣の積み上げの公式」と、もう1つは「習慣トラッカー」だ。最小習慣とは目標に関連した実行がごく簡単な継続させたい行動のことだが、前者はそれを現在の習慣に結びつけて行おうというものだ。後者はその最小習慣を実行できたら記録をとって自身がきちっと習慣形成に向けて日々行動できていると可視化するためのアイデアだ。
今は「食後に5分間、職業の勉強をする」という私以外の人にとっては間抜けとしか思えない最小習慣を通して、特にやりたくもない仕事の勉強を習慣化しようとしている。しかしあまりにもやりたくないので、この5分間学習ですら気を抜くと簡単に私はサボる。まして休日にまとまった時間をとって学習するなどアルコホリックの前に酒瓶を差し出して呑むなと命ずるようなものだ。
そこでこの本では最小習慣の実行を自分にとって魅力的にする必要があると説き、その一つの方法が習慣トラッカーというわけだ。これについては、この歳末の段階に至ってようやく私は「自分化」の改善策を思いつき、試し始めることができた。というのは、最初は私も最小習慣を実行できたらノートに日付をメモするといった方法をとっていたのだが、正直つまらなくて飽きてしまったのだ。つまり普通の方法では私にとって習慣トラッカーは魅力的ではなかった。
そこで二次元キャラクターをはじめとする「萌え」が好きな自身の性向に基づき、費用(時間)があまりかからず、しかも私にとって嬉しい簡単な行動を考えつき、現在効果と持続可能性を試しているところだ(ここでは具体的なことは記さない)。
この本はこの他にも役に立つアイデアが書かれており、来年も本書を励みとしつつ良い習慣形成に取り組んでいくつもりだ。
バレットジャーナル
(これ自体が私の悪いクセだが)最小習慣の中だるみ期に読んだ本に『バレットジャーナル――人生を変えるノート術』(ダイヤモンド社)がある(原題は"The Bullet Journal Method: Track The Past, Order The Present, Design The Future" by Ryder Carrol, Portfolio)。これも邦題とダイヤモンド社という点から胡散臭い感じがしてしまうが、原著は由緒正しい出版社から出ている(というより Atomic Habits の会社と同じみたいだ)。
バレットジャーナル法の具体的なやり方は別途調べてください。方法は一通り試してみようとしたのだが、よく機能することなく年末を迎えてしまった。そもそも(大変恥ずかしながら)TODOリストを作って中長期の締め切りを構成しその目標に向かって日々仕事(業務)をこなしていくという習慣が私にはなく、私生活の目標についても同様であったから、まずバレットジャーナル以前の段階から私は新しい習慣を形成しなくてはならなかった。
その結果…私の脳にとって細かなスケジュール管理(というかその「外部化」「明確化」だ)はそこそこ認知負荷が高く、意識的な継続がまだまだ必要との結論に至った。要するに、私のお頭ではそうしたスケジュール管理は「複雑なこと」「難しいこと」であり、業務の勉強(職業生活上の勉強)の一環として取り組まねばならないことということだ。
そこに輪をかけてバレットジャーナルはやり方が難しいように、私は思う。あれを一読して簡単といえる人は相当に頭がいいと思う。今の私には正直十全に扱えるレベルのものではないゆえ、来年も本書を参照しつつ、おそらくはレームダック状態になりつつ、この「ノート術」を扱えるようにしていく。バレットジャーナルは生活の種々の事柄を構造化し、忙しい日々のなかでも目標に集中するための仕組みだと私は思っている。それはまさに私が人生で���れまで必要としていたし、今も必要としているものだ。
ちなみに疲れちまって本書は通読できていない。本来は内容は難しくない。ただのハウツー本だからだ。しかし本書は実践パートと自己啓発パートに大別できるのだが、実践パートまで読んで実際にノート術を試してみて力尽きたゆえ、後半パートまでは読めていないのだ。
MAKE TIME
バレットジャーナルに力尽きて次に手にとった本が『時間術大全――人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ダイヤモンド社)だ(原著は"MAKE TIME: How To Focus On What Matters Every Day" by Jake Knapp and John Zeratsky, Bantam Press)。これも世界的に売れた本らしい。調べたらこの本の出版社もPenguin Booksの一派のようでワロタ。
この本は集中すべきことにエネルギーを投じるための具体的な提案が87コ書かれている。Atomic Habitsとバレットジャーナルはやや抽象性が高い(書かれている「理論」に従って読者自身が自分の生活へ落とし込む方法を考えなくてはならない度合いが高い)が、本書はより「どう手を動かすべきか」について解説されており、その意味で認知負荷が小さく実践しやすい。
この本では「ハイライト」の考え方を学んだ。ハイライトとはその日で最も取り組みたい事柄を指し、一日のうち最大でも2時間ちょいくらい(だったか?)の時間を割くべきもの。このハイライトのために、いわば万難を排して時間をやりくりし他人からの妨害を躱すべきだ、という。
改めて書くと本当になんでもないようだけど、前述のとおり、恥ずかしながら私はスケジュール管理がとても下手くそゆえ、まず一日のはじめにその日絶対に時間を割くべき「聖域」を作っておきそれに基づいて時間ぐり・同僚への対応を考えるというのは役に立った。
またこの本全体に通底するものとして「試行錯誤を通じた漸進主義」がある。「できそうなものからしばらく試してみる」「全部やる必要はない」といった言葉は本書にしばしば登場する。本書に登場するテクニックに同意するかは別として「一つのアイデアに固執する必要はない、試してみて有用なものだけを継続させればよい」という考えは(これもごく現実的で当たり前の態度と言われればそうなのだが)いきおい精神論に堕しがちな頭よくない系の人の努力の継続を助けるものだろう。
あと私がこの本から学んだのは「単純な工夫であっても『アイデア』として尊重して扱って良いんだ」という発見である。本書で立派に紹介されている工夫のなかには非常に単純なものもよくある。それこそ(子供に注意するような)「勉強中はテレビを消す」といったみたいな。この学びから些細な考えでも有用性のテストの対象にしよう、という発想が私のなかで芽生えた。つまり価値があるかもしれない何かを日常の忙しさのなかに流してしまうのではなく、心の中に留めておくべき対象として認識できるようになりつつある、かもしれない。
ああ、そうそう、この本のなかで TimeTimer (アナログタイマー)が紹介されているのだが、それは購入して仕事と、最近はプライベートの勉強にも活かしつつある。特に勉強では「(5~20分程度の短い時間)だけは勉強しよう」と自身に学習を課すときに役立っている。仕事のつまらない勉強をこれだけは我慢してやろう、という「これだけ」が視覚化され外部化されるので我慢がききやすい(のだと私は思っている)。
この本が前2冊と比べ抽象性が低いからといって、読者はお仕着せの知識をボケーッと消費すればよいということではない。著者らはいわゆるクリエイティブ系の専門職の人たちであって、本書の提案は彼らには可能であった働き方・生き方に基づいてなされている。そのため彼らとの社会的な属性の隔たりが大きくなればなるほど、本書の提案(あるいは本文)はどこか空々しく感じられることが多くなると思う。しかし著者らは項目によっては気恥ずかしさを押し切って具体性に富む提案をしてくれているわけで、そうであればこそ、アイデアの細かな実装を工夫することは読者に委ねられた仕事であるといえる。
で、実際のところは?
以上、今年読んだ自己啓発本を通じてそれらから学んだ事柄を述べてきた。実際のところ私は2022年1月1日から進歩しているのだろうか。結論は、進歩はしているがまだまだ非常に時間がかかるというものだ。習慣形成という、能力開発におけるメタな能力の不足を認識しそれを向上させようと考え施策を実行できているところは成長していると言わねばならない。
だが、まだメタ能力の開発に苦慮しており、しかもいつでも全力で習慣形成を行っているかと聞かれれば、そうではない。様々なことを言い訳にして私は努力をサボることがよくある。その意味でもっと努力できたし、今後は生活における「努力の隙間」をもっと小さいものにしていかねばならない。
私はいま大きな一歩を踏み出しているのだと思いたい。上記したような事柄でさえ、学生時代の私はしなかった(だから私はいまそうした能力がない)。自分には必要ないと思っていたし、第二次性徴期を終えた以降の人間がそうした非認知能力を開発するというのは端的に「恥」だと思っていたからだ。私が今年獲得した僅かばかりの習慣形成の能力でさえ、その頃の私からすれば大きな進歩がある。育ちの鉄鎖を克服し、その0と1の断絶を乗り越えることができたのだから、もっと遠くにいける筈なのだ。
最後に私が上記3冊から得た(学習した)、最も抽象的と思うメッセージについて述べる。それは「一つのことに集中すべきである」というものだ。とても当たり前なことだが、注意散漫がデフォルト設定の私の脳にはとてもよく響いている。
つまり3冊のいづれも日々の忙しさに負けず人生の目標を達成するためにはどういった時間の使い方をすべきか、そのためには何をすべきか、ということを論じているのだが、それはほかならず「大切なことに資源を集中すべきだ」という世界観が前提されている。私は特に本なんかは、意識しないと読み終わらないうちからどんどん本を購入してしまう。昔からの癖で本を選び購入することで賢くなった気になってしまうこともしばしばだ。数学は頻繁に本を購入しても意味がないジャンルのナンバーワンだと思うけども、数学書ですら気を抜くと次から次へと購入してしまう。
しかし、それではだめだ。本は読まないと意味ないし、数学書は問題を解き定理を証明することで初めて効用が得られる。だからこの1冊をやっている間だけはこれに集中して、他のことに気を散らすのをやめようと思えるようになった(まだ不徹底だが…)。いまは本の購入について述べたが、お金(他の遊興費)の使い方についても同様の意識が芽生えつつあるし、お金の使い方を規制することで可処分時間の使い方全般も規制し節度あるものにしようという発想もできるようになりつつある。
そうした非認知能力を高めて、もっと洗練された知的でストイシズムある人間にならなくてはな。我が日本における社会保障の長期的な削減の見通し(私はようやく確信できたのだが、今年あった社会保障や税金関係のニュースは政府からのそうしたメッセージを暗に含んでいるものと了解している)は日本人にお頭をよろしくしろ、年食っても働き続けられるように心身をメンテナンスしろと強く求めているものだと私は考えている(ここで詳述する余裕はないが、あとは「理科系的な要素の社会における広がり」だな。そうした要素が以前にもまして一層社会に広がっているので適応できないと死にはしないが活躍の場が減少するか、ひょっとすると社会参加の機会が阻害されかねない)。だから技術職、専門職でない世の大半の大人にとっても知的向上、もっといえば認知能力の向上を目指すのは時代の要請なのだ。
つづく
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