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#全然孫くん受け描いて無いけど大好きです
ammmmmuo · 26 days
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xf-2 · 8 months
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『ドラゴンボール』の主人公・孫悟空、『ONE PIECE』のルフィなど、世代を超えて愛されてきたコミック界の人気キャラたち。最近でも『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『東京卍リベンジャーズ』『SPY×FAMILY』『【推しの子】』など、ヒット作は数多く生まれているが、かつてのような“圧倒的スター”キャラはいないように思う。その背景には、電子書籍の定着が関係しているようだ。また、支持される“ヒーロー像”にも多様化が見られる。国内最大級の品揃えを誇る総合電子書籍ストア・ブックライブに、令和の人気キャラの傾向を聞いた。 【写真】泉里香の“ナミ”に絶賛の声、爆弾たわわボディを大胆披露で「完成度高すぎ!」
■「令嬢もの」がトレンドなぜ? ハラハラより“安心感”、お決まり展開求める電子読者層
 常時1万冊以上の無料漫画を配信し、利用者数は1500万人以上に上るブックライブ。2011年のサービス開始以来、同社が牽引する形で電子書籍が徐々に浸透し、コロナ禍でさらに加速。斜陽と言われ続けた出版業界だったが、急伸した電子書籍の売上により、21年には市場全体でV字回復を遂げている。  いまや幅広い層が電子漫画を読む時代となったが、同社の書店員を務めるすず木さんは、人気作品の多様化を実感しているという。 「昨今は作品自体が多様化しており、分かりやすい王道もありますが、現在流行として外せないジャンルは“令嬢もの”や“異世界転生”。とはいえ、人気作品はバラバラであり、さらには入れ替わりの早さ、消費されるスピードも早いのが特徴と言えます」(ブックライブ書店員・すず木さん/以下同)  紙媒体が主流だった時代は、作品の世界観にどっぷり浸かり、主人公が辿る軌跡や物語の行く末をじっくりと味わう読者が多かった。しかし、電子漫画が主流となり、SNS上でも作品が投稿されるようになった今、スキマ時間や移動中などでもサクッと手軽にいつでも読めることから、Z世代を中心に、分かりやすく、展開の早い作品を好む層が増えてきた。  趣味の分野においてもタイムパフォーマンスが重視される昨今、漫画にもスピード感が求められ、結末がどうなるか分からないハラハラ感よりも、予定調和な安心感が得られる作品が多い。その点、トレンドの“令嬢もの”は、婚約破棄されました、でも今は新たなイケメンに溺愛されています…、という分かりやすいシンデレラストーリーが心地良いのだろう。  また、『巨人の星』のような汗水たらす苦労ばかりでなく、「その人に合った頑張りをすればいい」という意識の変化も見られる。そもそも努力のない、いわゆる「俺TUEEEE」系だと、元々主人公は最強であり、バッタバッタと敵をなぎ倒す爽快感ある作品も増えている。 「友情・努力・勝利のような王道も人気は変わらずありますが、例えば、今春映画化され話題となった『BLUE GIANT EXPLORER』の宮本大は、サックスをめちゃくちゃ練習しているはずですが、暑苦しい修行シーンとしては描かれていない。コミック界全体的に努力の押し付けが消え、どんどんサクセスしていく姿を見たい、結果を早く見たいといった読者のニーズに沿った展開が多くなった印象です」
■圧倒的スターは不在? 従来のヒーロー像とは「真逆」のキャラが新たな人気者に
 人気作品の多様化に伴い、支持されるキャラクターも一辺倒ではなくなってきている。同社では、日々の勇気や感動、豊かさを与えてくれるキャラクターたちに対し感謝を贈る賞として、2年前に『マガデミー賞』を設立したが、ノミネートされたキャラクター勢にもその傾向が顕著だという。  これまでに2回開催され、今年で3回目。「第1回主演男優賞」には『ミステリと言う勿れ』の久能整、翌年の同賞には先述の宮本大が選出された。審査で最重要視されるのは、“今”にふさわしいか否か、ということであり、その時代を象徴する人間性を持つキャラクターが浮かび上がってくるアワードだ。  年間2000冊以上の漫画を読むというすず木さんは、初回から審査員を務めており、「読者の方々の強い推薦を元に選ばれる賞ですが、特に2022年の結果で顕著に思ったのが、“圧倒的なカリスマは減ったな”という印象です。絶対的1位はおらず、審査が難航することも多々あります」と明かす。  これは「主演男優賞」を見れば著しい。第2回受賞の宮本大(『BLUE GIANT EXPLORER』)は、世界一のジャズプレイヤーを目指す従来の熱血ヒーロー。一方で、第1回受賞の久能整(『ミステリと言う勿れ』)は“頑張らない”が、多角的な視点で、人が日頃からモヤモヤしていることを言語化して人にぶつけるという、これまでになかった新しい価値観を持ったキャラだ。令和に愛される2人のヒーローに共通点がないのだ。翻って過去を見れば、先述の悟空やルフィ、『北斗の拳』のケンシロウ、『ベルセルク』のガッツ、『ガラスの仮面』北島マヤに姫川亜弓など、わかりやすいカリスマキャラが多かった。  久能整に関しては、天然パーマで見た目は冴えず、インテリで奥底にはコンプレックスを抱え、ちょっと“面倒くさい”性格。従来の主人公の「真逆」とも言えるキャラクターだ。すず木さんは、昭和、平成、令和の価値観が混在し、様々な世代間ギャップがぶつかっている今だからこそ、支持されたキャラクターなのではないかと分析する。 「上の世代の人の言うことを聞く、決められたことに従う、と言う時代ではなく、それぞれがそれぞれの主張を発信し、上の世代も価値観のアップデートが求められる時代です。ハラスメント問題、炎上、LGBTQ問題、さらにはコロナ禍があり、人々がそれによる価値観のずれやストレスを抱える中、そういったモヤモヤを言語化してくれる整くんが時代の代弁者として評価されているのではないかと思います」
■ちいかわ人気の根底に「漫画」あり、辛い現実生きる現代人に突き刺さるニヒリズム
 昨年は、審査員特別賞に「ちいかわ」が受賞したことも話題になった。2020年にTwitter上で誕生した漫画「ちいかわ」は、21年に単行本刊行、22年にはアニメ化され、日本キャラクター大賞グランプリ、SNS流行語大賞を受賞。一過性の人気にとどまらず、現在もあらゆる分野で絶えず発売されているコラボグッズの数々は、飛ぶ勢いで売れている。その根底には、「漫画」が起因しているという。 「『ちいかわ』は単なるかわいいだけのキャラでなく、そのシュール感、ニヒリズムが上手く掛け合わさって癖になる面があると感じます。また、従来のキャラクターのようなハッピーな世界ではなく、アンハッピーな世界で生きるという、かわいい系では未だかつてなかったキャラ。その中で、不満を言わずに頑張る姿が応援したくなるのでしょう」  ちいかわは、コロナ禍の時期に誕生し、急激に人気を伸ばしたキャラクターだ。現在も物価高騰、戦争など暗い話題が多く、大勢の人々が苦しい生活を強いられている。そういった辛い現実に向き合う中、ハッピーしかないファンタジーには入り込めず、自分達以上に過酷な状況で頑張るちいかわの姿がリアルな共感を呼んでいる、ということらしい。  かように時代によって求められるキャラは変わっていく。人気アニメや実写の数多くが漫画原作であり、世界に誇る日本のキャラクター文化は漫画から生まれていると言っても過言ではない。今年も5日より、『マガデミー賞2023』の一般推薦がネット上で始まった。今回はどんな顔ぶれが揃い、いかなる世相が浮かび上がってくるのか、期待したい。
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jinsei-pika-pika · 10 months
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「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと
 宮崎駿監督の10年ぶりとなる長編アニメーション映画「君たちはどう生きるか」が、7月14日から全国で公開される。吉野源三郎の同名の著書とはまったく違うストーリーが展開されるという以外、詳細は伏せられたままだ。とある縁で宮崎監督に面会した筆者が、新作について監督が語っていた言葉や、鑑賞して感じたことなどを振り返った。(文:吉野太一郎)
「私自身、訳が分からない」  「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」。
 2023年2月下旬、東京都内のスタジオで上映された、「君たちはどう生きるか」の初号試写。米津玄師の歌うピアノバラードが流れ、エンドロールが終わった瞬間、灯りが点き、宮崎駿監督のコメントが読み上げられた。
 客席から軽い笑い声が漏れた。私もその一人だった。あまりの展開の速さと、盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれず、茫然と座り込んでいたが、その言葉で我に返った。
 これは「宮崎アニメ」の集大成なのか、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の再解釈なのか。とにかく、1回見ただけではとても全容を把握できなかった。
「自分のことをやるしかない」  今回の作品は、公開前のプロモーションも、メディア関係者向けの試写も一切ないまま公開日を迎えた。異例の態勢の中、内容は無論、見たことすら口外無用のキャスト・スタッフ向け試写に、なぜ私と両親が呼ばれたのかといえば、父が『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の長男で、私が孫にあたるからだ。
 その5年ほど前の2017年11月、父と私は東京・小金井のスタジオジブリに招かれ、宮崎監督と対面していた。さらにさかのぼること半月ほど前、とあるイベントで宮崎監督が突然、次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」だと明らかにし、ニュースなどで話題になっていた。親族としては寝耳に水だったのでかなり驚いたのだが、宮崎監督は「うっかり喋ってしまいました」と詫びた上で、作品について語り始めた。
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2017年11月、次回新作について父に話す宮崎駿監督。手元に、古びた吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』が置かれていた=吉野太一郎撮影  小学生のとき、教科書に載っていた『君たちはどう生きるか』の冒頭部分に強い印象を受けたという宮崎監督は、年季の入った同書をスタジオに持参していた。若い制作スタッフにも読むよう勧めたところ「この本はまだ生きているね」と好評だったといい、作品のタイトルを決める段になって、一人が「『君たちはどう生きるか』がいい」と提案したのだという。制作は当時まだ始まったばかりだったが、映画の序盤とラストシーンにこの本が登場することも、宮崎監督は既に決めていた。
 宮崎監督によれば、引退宣言を撤回して臨んだ今回の作品は「ずっと自分が避けてきたこと、自分のことをやるしかない」という思いだったそうだ。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
 「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」
 時は太平洋戦争中の1944年、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場とともに、一家は郊外へ疎開する。出迎えたのは父の再婚相手となった母の妹。お腹に新たな命が宿っている新しい母を、眞人は受け入れられず、転校先でも孤立する。そんなある日、疎開先の屋敷で眞人は偶然、1冊の本を見つける。
 屋敷の庭の森には、廃屋となった洋館が建っている。眞人の母の「大おじ」にあたる伝説の人物が建てたという。やがて眞人の前に「母君があなたの助けを待っている。死んでなんかいませんよ」と人間の言葉を喋る青サギが現れ、導かれるように、眞人は洋館の中へと進んでいく――。
 ここから先は「宮崎アニメの集大成」のような不思議ワールドの冒険が描かれるのだが、少年の成長というテーマが共通するからか、宮崎監督が吉野作『君たちはどう生きるか』を再解釈したのではないかと思わせる場面も登場する。
 『君たちは~』の主人公「コペル君」こと本田潤一少年は父親を亡くしており、親代わりでもある「叔父さん」との会話や交換ノートを通じて成長していく。映画の中で交わされる眞人と大おじの対話は、コペル君と叔父さんの対話を思い起こさせる。大おじが眞人に伝える「お前の手で争いのない世を作れ」という言葉は、戦中生まれの宮崎監督が次世代に託すストレートなメッセージだろう。
 そういえば中盤に登場する「ワラワラ」というキャラクターは、宮崎監督が小学校時代に読んだ『君たちは~』の冒頭部分に登場する、銀座のデパートの屋上からコペル君が眺めた群衆にも見える。ではあの場面は、この場面は……次々と出現する謎めいた仕掛けに、まったく分析が追いつかないまま、2時間4分はあっという間に過ぎる。
祖父・吉野源三郎と私  試写からの帰り道、ふと思った。眞人少年が、遥か世代の離れた大おじと対話したように、私も今、祖父と直接対話できたら、どんな言葉を交わすだろうか。
1978年5月、祖父母宅で私の誕生祝いをした時の写真らしい。右から当時5歳の私、弟、祖父・吉野源三郎、祖母  私が小学校に入る前、祖父は2軒隣に住んでいて、訪ねて行くと絵本を読んでくれたり、似顔絵を描いてくれたりと、孫の私をかわいがってくれた。既に80近い高齢で、およそ3回に1回は床に伏せっていて「今日は具合が悪いからごめんね」と追い返されたが、やがて入退院を繰り返すようになり、近づくこともできなくなった。肺や喉の疾患が悪化し、最期は話すこともできなくなった祖父は、私が小学校2年のとき、82歳で死去した。
 祖父は戦前、陸軍を除隊後に治安維持法違反に問われて投獄され、軍法会議にかけられたが九死に一生を得た。釈放後に作家・山本有三の少年少女向け書籍編集を手伝う中で執筆した1冊が『君たちはどう生きるか』だった。戦後は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長などを務め、父には「反骨の背筋は伸びているか」「謙虚に堂々と」など、言論人の心構えを折に触れて説いていたというが、もちろん私は祖父から壮絶な半生を聞いたり、薫陶を受けたりしたことはない。
 祖父の死後も『君たちは~』は岩波文庫に収録され、多くの人に読み継がれてきた。誇らしくもありつつ「偉大なお爺さまをお持ちで」などと言われるのがやや重荷でもあり、積極的には明かしてこなかったが、新聞記者やウェブ編集者になってから時折、祖父の残した他の著作を読み返すようになった。『職業としての編集者』(岩波新書)に収録された、戦前戦後の混乱を経て「世界」を創刊した回想録などは、親族が登場することもあって他人事とは読めず、時代が変わっても守るべき価値や教訓があることを教えてくれる。著作を読むという限定的な形ながら、これも祖父と交わす一種の対話なのかもしれない。
包装紙の裏に祖父が描いた父と私(中央)、弟。鉛筆でサラサラと似顔絵を描くのが上手だった。  『君たちは~』は2017年に漫画化され、21世紀らしい出で立ちで再び現れた。そして約6年の制作期間を経て、別作品とはいえ、宮崎駿監督の同名の映画が公開された。この間の出来事は「やさしいおじいちゃん」しか覚えていない孫に、祖父が思いがけない贈り物を届けてくれたようでもある。どこかでずっと、孫の私を見守ってくれているのではないか。そして何かを問い続けているのではないか。眞人を見守る「大おじ」のように。将来の息子に1冊の本を託した眞人の母のように。
 その問いかけにどう答えるか。つまり私は、どう生きるか。とりあえず、一度見ただけでは回収できなかった伏線を探しに、もう一度、劇場に足を運ぶことにしよう。祖父との新たな「対話」の糸口が見つかるかもしれない。
吉野太一郎(よしのたいちろう) 「好書好日」副編集長。大阪、東京の社会部、ネットメディア「ハフポスト日本版」などを経て2020年2月から「好書好日」編集部員。2022年3月から9月まで休職し、韓国・慶南大学極東問題研究所フェローとして北朝鮮問題・脱北者をテーマに研究。
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blue-aotan · 2 years
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ハロー(´ー∀ー`)2022.7.3
『バズ・ライトイヤー』
を観てきたのでそちらの感想ブログです。
久しぶりの3Dでの鑑賞だったので、3Dメガネを引っ張り出して100円を節約しました←
(どうでもいいw
トイストーリーのおもちゃ・バズのモデルになった人間バズライトイヤーの話ということで、おもちゃのバズとは違う凛々しい真面目で誠実で頭の固い←スペースレンジャーという地位にいるバズ。
自分の操縦ミスで住民を乗せた宇宙船を墜落させてしまったバズ。
その惑星は人が住むにはあまりにも適していなかったんだけど、墜落によりエンジン(動力エネルギー?)が故障してしまい元の惑星に戻るにはこの惑星の資源で新しいエンジンを作り出す必要がありました。
完成しては宇宙船で何度も試運転にトライする���だけど、一度の試運転で4分程度の飛行なのですが惑星に戻ってきた時には4年が経過しており、同じスペースレンジャーで親友のアリーシャや人々がどんどん年老いていきます。
宇宙もの映画としては避けられない運命ですよねw
そこの部分が悲しかったし、寂しかったけれどアリーシャがプレゼントしてくれた猫ロボット・ソックスが十分すぎるくらいの働きをしてくれます。
というかソックスがいないときっと何も達成できていないと思うっていうくらいの優秀さなのですw
でもねーこのソックスの声がね…本当に嫌すぎた←
嫌すぎて全然可愛くないし、嫌すぎてストーリーが入ってこなかった←
別の声だったら絶対可愛かったと思うし、楽しめたと思うから本当に残念でなりませんでした…
字幕で観るべきかな←
でも鈴木亮平さんはとってもお上手でした!元々声が好きだったし、演技も上手だから声優でも本当にお上手で違和感ゼロでした。
自分のミスで任務を遂行できなかったこと、人々の安全を守れなかったことをバズはずっと引きずっていて、そういう思いがあったからか何でも自分一人でするという頑固者になってしまっています。
でもアリーシャの孫に会い、その子がまとめるボランティアチームの2人にも関わっていくことでバズの意識が変わっていきます。
そこで仲間を信じることや協力をすることを学び、人として成長していく。
孫のイジーもバズの言葉に勇気づけられたり変化していく。
そういった成長ストーリーでした。
完全に大人向けですw子供は面白くないんじゃないかと思うくらい。
でも私は一つ引っかかった部分がありました。
それはアリーシャのパートナーが女性だったことです。
個人的にはジェンダーをなくしていくことには賛成です。
同性愛も賛成です。
ただそのジェンダー問題をこの作品で入れてきたことがモヤモヤしてしまいました。
アリーシャが妊娠をした時に相手は誰なんだろう…ってことが気になって物語が頭に入ってこなかったんですよね。孫が活躍する物語なのであれば、パートナーは男性であってもいいのじゃないか…どうやって?体外受精?相手は?などという余計なことを考えずシンプルに楽しめたのではないかと思ってしまいました…
こういうことを言うと批判的だとか炎上とかしてしまうのかもしれないけれど、昨今の映画やゲームでもジェンダー問題がたくさん織り込まれていたり、世界的にジェンダーを無くそうという流れが組み込まれすぎていて私は逆に表現の自由を奪われているように思えて仕方ないのです。
あまりにもそういう描写や流れが多い作品が増えすぎて、押し付けられているようにも感じるのです。
この問題はとても難しいと思うので、簡単には口にできない部分でもあるかと思いますが。
何だか作品を観て自由に感想も言えない時代が来てしまったのかな…とも感じてしまいましたね。
ザーグの正体にもびっくりしました!
このことを知って、またトイストーリーを観たら違う気持ちで観れそうです😂
という訳で、わたくしの評価は★★★☆☆星3です
エンドロール後も少しありましたが、続編匂わせ系エンドでしたよw
次観る時があれば字幕で観ます🤣クリス・エバンスだしね←
そんなこんなで、無限の彼方へは私は行けませんでした笑
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shintani24 · 2 months
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2024年4月4日
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(耕論)教育勅語という亡霊 長谷川亮一さん、林恒子さん、佐久間邦彦さん(朝日新聞 連載:耕論 4月3日)2024年4月4日に追記
広島市長が市の職員研修で教育勅語を引用していた。しばしば政治家から擁護発言が出るのはなぜか。戦後、国会で失効を決議したにもかかわらず亡霊のように漂う教育勅語を考える。
■「天皇」切り離しはできぬ 長谷川亮一さん(歴史学者)
戦後、しばしば教育勅語を擁護する発言が物議を醸してきました。政治家や財界人など発言者はさまざまですが、擁護の仕方はワンパターンで、要は「中身はすばらしい」です。広島市長の発言にも、「またか」とあきれます。
いうまでもなく、教育勅語は戦前の忠君愛国主義の教育を生んだものであり、天皇のために道徳的であれ、いい国民であれと説いています。それなのに擁護する人たちは、歴史的文脈や天皇の存在を切り離して、「父母ニ孝ニ」や「夫婦相和シ」などの徳目だけを取り出して評価します。「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「永遠に続く天皇の運命に命を捧げなさい」という目的が消されているのです。
教育勅語から天皇を消し去れば、もはや「教育勅語」ではありません。教育勅語は「明治天皇の言葉である」ことが大前提で、それが正しさを保証しました。「教育勅語」を語るのであれば天皇は不可分の存在ですし、親孝行などを説きたいのなら教育勅語である必要はありません。
1970年代に本格化した右派による教育勅語復活運動が、今なお続く擁護の声の背景にあると考えています。運動が広めたのが、教育勅語のさまざまな「口語訳」です。「天壌無窮ノ―」の箇所をすっぽり飛ばしたり、「天皇」を「国」にすり替えたりした上で、まるで平和を説いているかのように装う「誤訳」もありました。今なお「中身はいい」という人たちが頻繁に現れることを考えれば、運動はある意味「成功」したと言えるでしょう。
評価する人たちが天皇を切り離すのは、「国体を守れ」などと言っても人々に支持されないと分かっていることの裏返しでもあります。政治家による擁護発言でも全て肯定はせず、「問題はあったけれど」など必ず留保をつける。
それなのに、なぜ教育勅語を語らずにいられないのか。「これしかない」に尽きるでしょう。日本独自の、広く知られる唯一の道徳律が教育勅語なんです。「これしかない」けれど原文は直せない。だから、解釈し直そうという欲望が生まれるのです。
教育勅語を擁護するのであれば、「日本社会を戦前に戻したい」ともはっきり言うべきです。そうであれば、私は評価はしませんが、理解はします。さまざまな文脈を切り離して「中身はいい」と言えると考えるのは、無知に他なりません。(聞き手・田中聡子)
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はせがわりょういち 1977年生まれ。立教大学日本学研究所研究員。専門は日本近現代史。著書に「教育勅語の戦後」「『皇国史観』という問題」。
■子ども、素直に染まる怖さ 林恒子さん(元高校教員)
私が現在の小学校にあたる国民学校に入学したのは1942年です。学校教育は戦争と共にあり、その象徴の一つが教育勅語です。
教育勅語は「畏れ多い」存在でした。入学式や「旗日」に、モーニングを着た校長が教頭からうやうやしく捧げられた勅語を広げて奉読する。子どもたちは直立不動で、頭を下げてじっと聞く。書き写す「謹書」も一生懸命やりました。
今でも印象に残っているのは、学校の2階の廊下の壁一面に掲げられた教育勅語の「絵解き」です。十数枚あったでしょうか。徳目などを描いた日本画が、一枚ずつ額に入れられて並んでいました。「内容も分からずに覚えた」と振り返る人もいますが、私はあの日本画を見て自分なりに意味を理解していました。
一方で、違和感も抱いていました。「我カ皇祖皇宗国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ」の絵解きには「天孫降臨」が描かれていました。天照大神が地上に送った神々が雲の上に乗っている。「雲は水蒸気なのに、あんなにたくさんの神様が乗れるだろうか」と疑問を抱いたものです。「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵(したが)ヒ」は、選挙の投票風景なのですが、男しかいない。「日本は天照大神の国なのに、どうして女の人は投票できないんだろう」と思ったことは、我ながらいささか感心します。
当時の私に「天皇のために」という思いを抱かせたものは、教育勅語だけではありませんでした。学校には天皇の写真が掲げられ、修身の教科書を開くときは頭を下げる。天皇の写真が載った新聞を、先生が「汚したり踏んだりしたらいけない」と、写真だけを切り取っていたこともありました。「まじめな良い子」だった私は、そんな雰囲気を吸収したのです。
そこには、子どもだからこその怖さがあります。よく聞き取れない玉音放送を聞いては「しっかりせよ!」という励ましの言葉と受け取り、敗戦を知った後もしばらくは「いつか復讐の時が来る」と闘志を燃やす「軍国少女」に、私は意図せずともなっていました。子どもは素直に染まってしまうのです。
戦後、民主的な教育が目指された一方、その反動も現在まで存在し続けています。教科書検定や教育基本法の改定などを通じて、戦前の教育への揺り戻しがじわじわと進んでいる。そして教育勅語を「中身はいい」と「つまみ食い」する政治家。「バカヤロウ」と言いたいです。(聞き手・田中聡子)
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 はやしつねこ 1935年生まれ。北海道の高校教員として平和教育に取り組み、退職後も講演や執筆活動。編著に「平和と平等を求めて」。
■広島らしからぬ動き、心配 佐久間邦彦さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
「国際平和文化都市」を掲げる広島市で職員研修に教育勅語が使われたことに大変、衝撃を受けました。私たち被爆者団体は松井一実市長に強く抗議しました。
教育勅語は、親孝行や兄弟、夫婦仲良く、などと述べますが、明治天皇が、当時「臣民」と呼んだ国民に向けたものです。そもそも天皇が家庭のことに介入するのはおかしい。それぞれの家族で判断すればいいことです。
戦後、国会で教育勅語の排除や失効が決議されたのは当然のことです。主権在民の日本国憲法の精神と相いれないのですから。松井市長はそんな古証文を引っ張り出してきたのです。
私自身は終戦の前年に生まれたので、教育勅語による教育は受けていません。���かし、勅語をよく読めば、天皇のための戦争に国民を動員するのが目的だと分かります。そうした侵略戦争の結果、起きたのが広島、長崎への原爆投下でした。だから、被爆者は怒るのです。市長は、教育勅語を使うことについて撤回しないどころか、市民にきちんと説明もしていません。
第2次安倍政権は2017年、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定しました。こうした政府のお墨付きがあるからこそ、松井市長は職員研修で堂々と使えるのでしょう。
歴代の広島市長は、保守的な人も少なくありませんが、被爆者の立場を配慮した慎重な行動をしてきました。しかし最近、松井市長のもとではヒロシマらしからぬ動きが起きています。
昨年は、広島市立の小中高校で平和教育に使われている教材が改訂され、漫画「はだしのゲン」が削除されることが明らかになり、論議を呼びました。市教育委員会は「被爆の実相に迫りにくいから」などと述べています。しかし、戦争がいかに悲惨で人々の心を傷つけるものなのか、「ゲン」ほど、いい教材はないと思っています。
また、平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー記念公園との姉妹協定をめぐり、市の局長が市議会で米国の原爆投下の責任について「議論を現時点で棚上げする」と答弁しました。これも納得できません。
生後9カ月で被爆した私も79歳です。被爆体験の風化という言葉は、使いたくありません。ただ、一連の動きに市民から大きな反応が出ないことが心配です。(聞き手・桜井泉)
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佐久間邦彦 1944年生まれ。生後9カ月で広島市内の自宅で被爆した。三菱重工広島製作所を退職後、被爆者相談所相談員などをへて現職。
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(耕論)「自分の名前」とは 出口顯さん、小国香織さん、高山朝光さん(朝日新聞 連載:耕論 4月4日)2024年4月4日
偽名で何十年も逃げた末、死の間際に本名を明かした容疑者がいた。自分にとって、社会にとって、名前とは何だろう。そして自分の名前を失うこと、名前を取り戻すことの意味とは。
■誕生と死、結びつけるもの 出口顯さん(文化人類学者)
指名手配されながら、半世紀近くも偽名を使って警察から逃げ続けた容疑者が、「最期は桐島聡で死にたい」と語り、名乗り出たと報じられました。
名前は「親からの贈り物」と言われることがあります。何かにちなみ、あやかり、メッセージが込められる。マルセル・モースは人類学の古典「贈与論」で、贈り物を贈られた相手は、同等の返礼をしなければならないという負い目を感じると指摘しました。
名前が贈り物なら、子は親に負い目を感じますが、親に名付けはできません。代わりに、次世代を名付けます。あるいはメッセージを込めようとする。
しかし、偽名で生きた容疑者は、そうした返礼ができなかった。好意を寄せた女性に「幸せにできない」と語ったのも、それを物語っていると感じます。
ただ、名付けをめぐる現在の日本のあり方が普遍的なわけではありません。イヌイットではかつて1人にいくつもの名前があり、ブラジルの先住民には自分が知らない名さえある。名前を口にしてはいけない決まりもあります。
日本の現代の名付けも、明治維新後に始まったものにすぎません。しかし、多くの人は、生まれた時に名付けられた自分の名前が無くなれば、世界が壊れてしまうような感覚を覚えるはずです。生活の中で何度も呼ばれることで、名前が内面化されるからでしょう。
夫婦別姓を求める議論で、自身の家の姓を残すという家父長制的な側面があるにもかかわらず、旧姓にこだわるのは、実務的な不便さだけでないはずです。
容疑者もその感覚から逃れられなかったのではないでしょうか。ただ、それは都市的、あるいは現代的な感覚だとも思うのです。
かつては誕生と死の風景は、土地や家族の結びつきの中にありました。人を名前ではなく、屋号で呼ぶ文化も残っていました。しかし、いまや地域は過疎に直面し、墓じまいも広がる。
結びつきが失われゆく中で、自分自身の誕生と死を結びつけられるものは少ない。生まれた時に与えられた名前はその一つです。
容疑者が偽名で亡くなっていたら、葬儀もなく火葬場に直接送られ無縁仏とされたはずで、時代を体現した死とも言えます。自分を追い続けた権力を出し抜くことにもなった。それをしなかったのは、彼の誕生と死を結びつけるものが、本名しか残されていなかったからなのかもしれません。(聞き手・岡田玄)
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出口顯 でぐちあきら 1957年生まれ。放送大学島根学習センター所長、島根大学名誉教授。著書に「名前のアルケオロジー」。近著に「声と文字の人類学」。
■改姓で実感、失われた人権 小国香織さん(「別姓訴訟を支える会」副代表)
桐島聡容疑者が最期に本名を名乗ったと知り、偽名で生きている間は「本当の自分を生きていない」と感じていたのかも、という思いがよぎりました。結婚により改姓した私には、その感覚が分かります。
ラジオのロシア語講座で聞いたなぞなぞがあります。「自分のものなのに、他人が使うのなんだ?」で、答えは「イーミャ(名前)」。私は「半分合ってるけど、半分足りない」と思いました。「名前は個人の識別のためにある」という認識しか感じられなかったからです。
確かにそういう面はありますが、一方で、自分の名前は常に自分と共にあり、一番使っているのは自分です。名前を呼ばれれば返事をし、名乗ったり、名前が書かれたものを受け取ったり。名字も含めて自分の名前であり、自分が使う自分のものでもあるのです。
選択的夫婦別姓を求める訴訟の原告になった時、ニュースを見たある米国人の顧客が応援の言葉をかけてくれて、こう言いました。「It’s your name,not government’s name!(君の名前なんだから、政府の名前じゃないんだから!)」。まさに「my name(私の名前)」の話をしているのが、選択的夫婦別姓です。それなのに日本では「家族のあり方」の議論にされてしまい、「名前を変えたくない」という本質的な部分が十分には理解されていないように感じます。
この感覚は、名前を失ってみないと分からないのかもしれません。「人権は普段は分からないものだけど、皆さんをこの教室に閉じ込めたらすぐに理解できる」。以前、ある法律家が講義でしていた話です。侵害されないと理解しづらいけれど、失ったとたんに分かるのが人権なんだ、と。私はやっぱり、名前は人権だと思います。
かつて夫婦別姓訴訟で原告団長を務めた塚本協子さんは、事実婚を経て、仕方なく夫の名字に変えていました。集会などで話す時の訴えはとてもシンプルで、「塚本協子で生き、塚本協子で死にたい」。そして、2019年に、塚本協子に戻れないまま亡くなってしまいました。
今、新たな訴訟を支援していますが、細かい情報を集め、積み上げている弁護団の作業を見ていると、ここまでやらなければ自分の名前で生きることの意味や失うことの重大さが伝わらないのか――と残念な気持ちになります。(聞き手・田中聡子)
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小国香織 おぐにかおり 行政書士。2006年、結婚により夫の名字に改姓。11年に提起された選択的夫婦別姓訴訟で、原告団副団長を務める。
■立ち上がる、戦没者の人生 高山朝光さん(元沖縄県知事公室長)
1992年から沖縄県の「平和の礎(いしじ)」建設を担当しました。礎は「いしずえ」の沖縄の読み方です。鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員されながらも、くしくも生き残った大田昌秀知事の公約で、戦争終結50年の95年に完成させる計画でした。
沖縄戦は、私が10歳のころでした。沖縄本島北部で、撤退する日本軍の後を追って山を逃げ回る中で、多くの遺体を目にしました。どこの誰かなどわかるはずもない、名もなき遺体です。顔さえわからない日本兵の遺体もありました。
遺骨もない遺族もいます。沖縄には各地に慰霊碑があります。そこに刻まれた名前を、遺族が指先でなぞる姿を、私たちは見てきました。まるで本人がそこにいるかのように。
礎には、敵も味方も関係なく沖縄戦の全戦没者名を刻む。その名を永久に残し、沖縄戦を風化させず、平和を世界に発信する――それが目的でした。
問題は戦没者名の確定でした。すでにあった戦没者名簿には欠落があると研究者から指摘を受けました。
名前は尊厳であり、生きた証しです。完成が遅れる心配もありましたが、趣旨を考え、市町村の協力を得て、全戸調査を実施しました。すると、記録されていない犠牲者の情報が県民から次々と寄せられました。
家族全員が死亡したため戦没者の記録にない一家、確かに生まれた姿は見たけれど、混乱の中で戸籍も登録もなく、誰も名前を覚えていない赤ちゃん……。そうした子は「●●の子」として刻まれています。
20万を超す名が刻まれた礎が物語るのは、沖縄戦の激しさです。名前を刻んだ石が平和を願う波のように押し寄せる、その前で毎年、沖縄戦没者追悼式が行われています。
敵だった米兵や、沖縄の住民を殺した日本兵の名も刻まれていますが、県民から反対意見は一つもありませんでした。憎いのは兵士ではなく、戦争だという県民の思いなのでしょう。
戦後が遠くなり、戦争体験者も減っています。礎が物として残っても、その精神が失われないか心配でしたが、心強い動きも始まっています。礎に刻まれた名前を読み上げる、市民有志の取り組みです。
参加した中学生が言いました。「この人たちが、もし生きていたら」。名前を読むことで、一人ひとりの人生が立ち上がり、あったかもしれない現在を想像する。名前には、そんな力もあるのです。(聞き手・岡田玄)
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高山朝光 たかやまちょうこう 1935年生まれ。NHK沖縄放送局副局長、沖縄県知事公室長、県政策調整監、那覇市助役などを歴任。沖縄平和の礎の会会長。
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男性で国内最高齢の112歳死去 千葉・館山の薗部儀三郎さん(時事通信)2024年4月4日
男性で国内最高齢だった千葉県館山市の薗部儀三郎(そのべ・ぎさぶろう)さんが死去したことが4日、同市や厚生労働省への取材で分かった。112歳だった。死去した日時や死因は公表していない。
薗部さんは1911(明治44)年11月生まれ。2022年11月に広島県の男性が111歳で死去して以降、国内の男性で最高齢だった。
新型コロナ 広島県の新規感染者2%増 8週ぶりわずかに増加 4日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は4日、先週1週間(3月25日~3月31日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は417人、定点あたり3.69人と発表しました。
1月29日の週は、去年5月8日に新型コロナが5類に移行して以降、最多となっていましたが、先週は前週と比較すると感染者数は2%増となり、8週ぶりにわずかに増加しました。(前週は410人、定点あたり3.63人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
このほかの感染症ではインフルエンザ、咽頭結膜熱について、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
1月29日~2月4日 1,944人 定点あたり17.36人 前週比 微増
2月5日~11日 1,751人 定点あたり15.77人 前週比 微減
2月12日~18日 1,056人 定点当たり9.43人 前週比 微減
2月19日~25日 849人 定点あたり7.51人 前週比 微減
2月26日~3月3日 623人 定点あたり5.51人 前週比 微減
3月4日~10日 593人 定点あたり5.25人 前週比 横ばい
3月11日~17日 538人 定点あたり4.76人 前週比 微減
3月18日~24日 410人 定点あたり3.63人 前週比 微減
3月25日~31日 417人 定点あたり3.69人 前週比 横ばい
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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takahashicleaning · 4 months
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TEDにて
オリバー・サックス:幻覚が解き明かす人間のマインド
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
神経科医であり、作家でもあるオリバー・サックスが、シャルル・ボネ症候群 ‐ 視覚障害者に生じる正常人が経験する幻覚症状の一種 ‐について語ります。
自身の患者が体験した幻覚を心温まる細部に渡って描写しながら、あまり社会には知られていないこの現象の生態学へと案内します。現在では、特定の脳細胞が引き起こしていることがわかっています。
人は目だけではなく脳でも見ています。想像は脳で見るものです。想像が描き出す心象は馴染みがあるでしょう。どんな人だって想像はしますから。
しかし、幻覚もあります。幻覚は全く異なるもので我々の創造ではありません。抑制もできません。幻覚は外から現れて現実と区別がつきにくい。
その幻覚について話をします。
私の患者が体験した特殊な幻視を紹介します。数か月前に電話がありました。私が働く老人ホームからです。入居中の90代の女性が、幻覚を見ているので気が狂ったのではないかと。または、高齢のために脳卒中かアルツハイマーではないかと。
それで診に来てほしいと頼まれました。ロザリーおばあさんです。診に行ったら彼女が正気なのは、明らかでした。頭ははっきりしていて理解力もある。でも非常に当惑していました。
幻覚が現れるからです。事前に聞いていませんでしたが、彼女は盲目だったのです。彼女は5年前に加齢黄斑変性症のため失明したのですが、数日前から幻覚を見るようになりました。
“何が見える?”と聞くと
“東洋風の服を着た人たちが、階段を上り下りしている。私の方を見て微笑んでいる男。口の脇から大きな歯が出ているの。動物も見える。白い建物。わた雪が降っている。雪かき用ハーネスをつけた馬が見える。そして、ある晩、シーンが変わったの。猫や犬が寄ってきてある程度近づいたら立ち止まる。そして、また変わる。階段を上り下りしている。たくさんの子ども。バラ色や青の明るい服を着ている。東洋の服のよう”
その人たちが現れる前に床に広がるピンクと青の四角い模様が、天井に上がる幻覚が見えることも。
“夢のような感じ?”と尋ねると
“いいえ、夢ではなく映画のよう。色もついていて動きがある。でも無声映画のように音がない”
やや退屈な映画だと“東洋風の服をまとった人たちは、上り下りを繰り返すばかりで行動が限られている”
ユーモアのある女性なんです。幻覚だとわかっていても怖がっていた。95年の人生で幻覚を見たことがなかったから。その幻覚は彼女の思考や感覚、行動と無関係だというのにやって来ては消えていくようです。
コントロールすることはできず、彼女には幻覚の中の人物や場所はどれも見覚えがない。しかも人も動物も彼女に気がついていないようだった。彼女は状況が把握できず、狂ってしまったかと心配していました。
私は入念に診察しました。陽気なおばあさんで異常はなし。体調良好、幻覚を引き起こす薬も飲んでいません。盲目ということだけ。それで言ったんです。
“察しがつきました。視力低下や失明によって起きる特殊な幻視があるんです”
“これはシャルル、ボネという男性が、18世紀に初めて記述した症状です。あなたはシャルルボネ症候群です。脳も精神も正常、シャルルボネ症候群ですよ”
それを聞いて彼女は安心し、深刻な問題ではないことにホッとした。そして、むしろ好奇の目で“シャルルボネって誰?彼にも幻覚が見えたの?”と。
さらには“看護師のみんなに私はシャルルボネ症候群だと言ってちょうだい”
“狂ってもボケてもいない。シャルルボネ症候群なだけ”彼女の言うとおりにしました。
これは、よくあるケースです。主として老人ホームで仕事をするので高齢者が相手です。聴覚、視覚障害者も多く聴覚障害者の約1割は、音楽性幻聴が聴こえます。視覚障害者の約1割は、幻視を見ます。全盲ではなく弱視も含まれます。
18世紀に話を移しますが、この幻覚症状があったのは、シャルルボネではなく彼の祖父でした。祖父は高齢の裁判官でした。白内障の手術を受け視力は相当悪かった。1759年、彼は自分の幻覚症状を孫に話したのです。
まず彼が話したのは、宙に浮くハンカチです。大判で青地にオレンジの丸が4つ。祖父は幻覚だと認識していました。宙に浮くハンカチはありませんから。そして宙に浮く大きな車輪を見た。
でも、時々、幻覚か否か自信がなかった、幻覚が身の回りのものと調和しているからです。ある日、孫娘が来ていた時“男前の若い衆は誰かね?”と聞きました。
“まぁ、お祖父様。そんな人いないわ”そうするとその男たちは姿を消しました。幻覚ではよくあることです。パッと現れ、パッと消える。徐々に現れたり消えたりしません。むしろ突然起きるのです。
シャルルボネの祖父には、何百もの人影や形、風景が見えました。バスローブ姿でパイプを吸う男も見えました。それは彼自身だったのです。見覚えのあるのは、それだけでした。ある時、パリの街を歩いていたら目に入った本物の工事現場の足場が、帰宅すると15cmのミニチュアとなって書斎の机にのっていました。映像を繰返し見ることは、反復視と呼ばれます。
シャルルボネの祖父やロザリーに起こっている現象をロザリーに説明しました。視力を失うと脳の視覚部分に入る情報が無くなるためそこが活動過多になります。
そして自発的に作用してしまい幻覚を見始めるのです。時に内容も非常に複雑化します。
別の患者の体験です。その女性は弱視で彼女に見えるものは厄介でした。ある時、彼女はレストランで縞模様のシャツを着た男を見た。男は彼女の方を振り向き6人に分離して彼女の方へと歩き始めたのです。
そして、6人はスーっと1人に戻りました。ある時、彼女は夫が運転する車に乗っていたら道が4つに分かれました。そして彼女も4つに分かれて進む感覚を覚えました。
動きのある幻覚も見えました。その多くは車に関連したものでした。時々彼女はボンネットに座っている10代の男の子が見えました。車にくっつき道を曲がるたびに優雅に動くのです。そして、車が止まると男の子は、30m真上に急上昇して姿を消してしまうのです。
こんな幻覚を見る患者もいました。その女性は目には問題ないけれど脳の視覚部分に問題がありました。後頭皮質にある小さな腫瘍です。とりわけ、彼女にはアニメ映像が見えました、
そのアニメは透けて見えるもので画面のように視野の半分を占めています。よく見るのはカエルのカーミットでした、私はセサミストリートは見ませんが、彼女は、こう主張するんです。
“なぜ?カーミットが出てくる理由がわからない。フロイト的な意味が知りたい。なぜカーミットなの?何の意味もなさないのに”
アニメは我慢できてもしつこく出てくるイメージや顔の幻覚に彼女もロザリーも困っていました。多くの場合、巨大な歯や目をしたデフォルメされた顔が見えるからです。彼女は怖がっていました。彼らには何が起きていたのでしょう。
医者である私は患者の症状を見極め安心させるのが仕事です。狂ったのではないと伝えるのは特にそうです。
先ほども言いましたが、視覚障害者の1割がこの症状を持っています。しかし、症状を訴えるのは、そのうちの1%以下。精神障害だと思われるのが怖いからです。病院に行っても誤診される可能性だってあります。
特に、幻覚の概念は、気が狂ってるとみられがちです、しかし、精神病性幻覚はかなり違います。精神病性の幻視や幻聴の場合、声をかけてくる。責められる。誘惑してくる。侮辱される、馬鹿にされる。巻き込まれてしまいます。
シャルルボネ症候群において声をかけられることはありません。自分とは無関係の映画を見るようなもの。そのように、捉えられています。
側頭葉てんかん。という稀なケースがあります。この症状は、過去に遡る感覚や以前訪れた場所へ戻るような感覚が生じることがあります。ある交差点に立っている焼き栗の香りがする。車の音。五感で感じ取れます。
彼女を待っていた忘れもしない1982年、あの火曜の夜、側頭葉に関わる幻覚はすべての感覚に関係しています。感覚があり馴染みがあり場所や時間もはっきりしていて話に筋が通っていて芝居のよう。
シャルルボネはかなり違います。
シャルルボネ症候群には、様々なレベルがあります。幾何学模様の幻覚やロザリーが見たピンクや青の四角。人や特に顔の出てくるとても精緻な幻覚もあります。デフォルメされた顔が現れるのは、シャルルボネ症候群で最も一般的です。
2つ目によくあるのはアニメ。
これは、どういうことか、面白いことに過去数年の間に幻覚症状の最中にfMRIを使用して脳機能の画像化が可能になりました。実際に幻覚が現れているときに異なる脳の視覚部分が、活発化することが特定されました。
単純な幾何学模様が現れるときは、一次視覚野が活発化します。脳は、この領域でへりや模様を知覚します。一次視覚野で画像を作りだすのではありません。
画像が作りだされるとき。高次の視覚野が、側頭葉と作用します。特に、側頭葉の一部は、紡錘状回と呼ばれています。紡錘状回がダメージを受けると顔を認識できなくなることがあります。
しかし、紡錘状回が異常に働くと顔の幻覚を見ることがあります。これが、患者に起きていることだったのです。この脳回の前方には、歯と目を思い描く領域があります。巨大な歯と目の幻覚が見えるときは、脳回のその部分が活発化しています。
脳の別の部分は、アニメが見えるときに活発になります。アニメを見たり描いたり、アニメの幻覚発生時に活動しています。特異性があって興味深いんです。脳の他の部分では具体的に建物。風景の認識や幻覚に関連する部分があります。
1970年頃、脳の決まった部分のみならず特定の細胞があることがわかりました。1970年頃、顔細胞が発見されました。今では何百種類もの細胞が発見されています。非常に特有な細胞です。
ですから、もしかしたら車細胞だけではなくアストンマーチン細胞があるかも。今朝アストンマーチンを見たので話したかったんだ。既にどこかにあるはずだよ。
下側頭葉皮質と呼ばれるこのレベルでは、視覚画像や断片しか処理されません。他の感覚が加わってくるのは、もっと高次の領域です。
そして記憶や感情と関連しています。シャルルボネ症候群では、このレベルまでは達しません。
下側頭葉皮質において何千も何百万ものイメージや断片的な作り事が、決まった細胞や細胞の小さな固まりに神経符号化される部分で生じます。
通常、これはどれも知覚や想像の一体化した流れの一部なのです。人間は意識していません。
視覚障害者である場合に限りこの過程が中断されます。そして、正常な知覚を得る代わりに下側頭葉皮質では、その視覚細胞から無秩序で発作的な刺激や放出が行われているのです。
そして突然、顔や車が見えたり色々なものが見えるのです。頭はまとめようとしたり一貫性をもたせようと頑張りますが、完璧には働きません。
この幻覚が初めて発表されたとき。夢のように解釈できると思われていました。でも、患者さんは言う“こんな人たち知らない、関連づけ出来ないわ”
“カーミットなんて私にとって何の意味も持たない”夢のように考えてもダメなんです。
さぁ、私の話はこんなところです。要は、この幻覚症状はよくある事なんです。世界の盲人数を考えてください。このような幻覚症状を持つ盲人は何十万といるに違いない。
でも怖くて言えないんです。ですから、このような事実は患者、医者、世間のためにもっと知られるべきなんです。
最後に、これは、脳の働きを洞察するには非常に興味深く貴重な情報だと思っています。
250年前にシャルルボネは、このような幻覚症状を思いながら脳の機械仕掛けから心の劇作品がいかに作り出されるのだろうと考えました。
250年経った現在、私たちは真相を究明し始めたと思うのです。
どうもありがとう。
最高だ、どうもありがとう。
洞察力が深くて患者さんへの共感が感じられました。そのような経験をご自身もされたことは?
聞かれるだろうと思いましたよ。けっこう見ます。実は私も視覚障害者です。片目は失明してもう片方も良好ではありません。幾何学模様の幻覚が見えます。
他のは見えません。
不安にかられませんか?どんなことが起きているのか分っておられるから。
耳鳴りよりは、ましです、耳鳴りは無視してますけど幻覚には時折興味が湧くのでノートにたくさん絵を描いています。
fMRIも使用して視覚野の機能も見ました。六角形や複雑な模様は、眼性片頭痛でも見ることがあるのですが、これは普通なのでしょうかね、
そして、古代に描かれている洞窟壁画や装飾デザインは、幻覚をヒントに作られたのか?
興味があります。
非常に興味深い貴重な講話でした、
どうもありがとうございました。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
オリバー・サックスが、幻覚は外から現れて現実と区別がつきにくい!と言ってるように・・・
もしかして幻覚も「ブラックホールと観測者問題2023」で考察した「死の瞬間」に見るとされる走馬灯に似ている?
「死の瞬間」に、その激烈な感情を自動的に沸き起こす人間の走馬灯システムが超大質量ブラックホールにアップロードされるための起動スイッチかも?というアイデアを拡張して
同じメカニズムのスイッチが入るために、超大質量ブラックホールにアップロード、ダウンロードできている?
ひょっとしたら、幻覚ももしかして・・・このメカニズムで一時的にアップロード、ダウンロードされている?
超大質量ブラックホールに「死の瞬間」の人の記憶がタイヒミューラー理論で量子エンタングルメントにより記録されているとしたら?
つまり、アカシックレコードに記録されているとしたら?
人の死の際に走馬灯。つまり、走馬灯がよぎると言うデータが、死の直前に夢を見ている。もしくは記憶を再生して、何十倍ものスピードで記憶を再生していると言う解釈から
盲目になると・・・シャルルボネ症候群から・・・出てくるこの幻覚も「死の瞬間」のように脳が誤認識してしまうため・・・
このメカニズムで一時的にアップロード、ダウンロードされている?とも考えられるかもしれない可能性もあります。
<おすすめサイト>
ブラックホールと観測者問題2023
ブレイス・アグエラ・ヤルカス: コンピューターはこうしてクリエイティブになる?
アニル・セス: 脳が「意識された現実」という幻覚を作り出す?
ジュヌヴィエーヴ・フォン・ペツィンガー:ヨーロッパ中の洞穴に描かれた32個のシンボルの謎
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
メアリー・ルー・ジェプセン:未来のマシンで脳からイメージを読み出せるか?
カール・シューノーヴァー: 脳(Brain)の中身を見る方法
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ichinichi-okure · 5 months
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2023.12.22fri_tokyo
目覚めてすぐにXとインスタを開き、ガザの同行をチェックする。
手にキャンディーを握りしめたまま子供が死んでいる。 少年が泣き崩れて、父親の死体にしがみついている。 生後間もない赤ちゃんが返り血を浴びて泣いている。 目が覚めると家族全員を失い、自分の右目もなくしていた男の子が泣き叫び、地面を叩いている。
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その写真や映像をリポスト及びストーリーズでシェアする。ここ数日、これを繰り返している。 この悲惨な写真や映像が、誰かの目に突然飛び込むことに躊躇がないわけではない。これを見せたいと思っているわけではない。僕もこんな悲惨なものは見たくない。目をそらしたい。でもいちばん見たくないし本当は見せたくないと思っているのは、この惨劇を撮影した人たちだろう。その彼らが「Don’t Look Away(目をそらさないで)」と発信しているその苦しみを想像すれば、何もしないでいることは僕にはできない。ガザでは子供の死体から目をそらしても、そのそらした先にも別の子供の死体が転がっている。これが現実だと伝えている。
子供が起きたので朝ごはんの準備、そしてこども園に連れて行く。帰宅してデスクワークをする。伊藤忠アビエーションと日本エヤークラフトサプライに「イスラエル軍の兵器を製造しているエルビット・システムズとの業務提携を解消してください。ガザでの大虐殺に加担しないでください。これ以上、死の商人として世界に名を馳せないでください。命を奪うのではなく、命を救う行動をお願いします。」と意見を送る。本当は昨日の一斉抗議にあわせて送りたかったのだが、都合がつかなかった。
妻と外出し、昼食を孫市というラーメン屋で食べる。久しぶりの孫市は麺が今までよりもちもちに感じてとても美味しかった。その��、一橋大学に移動。学生有志による「パレスチナに涙を」という、パレスチナへの連帯を示すアクションに参加する。参加者は赤い絵の具で涙を一粒描く。その間、虐殺で亡くなった人たちの名前が読み上げられる。そのほとんどが10歳に満たない子供たちだ。とても一時間では読み上げきれませんと教えてくれた学生は、今みんなで植民地主義や帝国主義について学んでいるところですと言った。
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僕はこの虐殺がなぜ起こったのか、何が起こっているのかについて学び始めて、自分がどれだけ無知で、それどころか全く知ろうとしていなかったということを痛感した。民族浄化やシオニズムという言葉も知らなかったし、パレスチナがどこにあるのかすらまともにわかっていなかった。知れば知るほど、自分の無関心を恥じ入った。そして帝国主義についても無知だった。国連での停戦決議を拒否するアメリカ。それに足並みを揃えて決議を棄権するウクライナ。侵略されている国が他国の侵略を止めようとしない。なんだかいろんなことがボロボロと崩れていくようだった。次々に欺瞞が暴かれるこの感覚は身に覚えがあった。それは東日本大震災の後に感じたものとよく似ていた。
帰宅してデスクワークの続きをする。夕方になり子供たちをこども園に迎えに行く。帰りに精肉店で豚レバーを買う。もう20年以上前になるが、人生で一度だけフォアグラなるものを食べたことがある。その濃厚な旨味は噂に違わぬものだった。そこでこの豚レバーで、擬似フォアグラを作ってみようと思いついたわけである。しかしいざ作る段になって調べてみると、バルサミコ酢が必要だとわかる。我が家にそんなものはない。が、黒酢ならある。さらにはちみつも必要だとわかったのだが、そこは安心せよ、最近急に父親がはちみつに凝り始め、一本6,000円の高級品をよこしたのだ。と、これなら黒酢だろうが豚レバーだろうが全部覆すだろうと自分に言い聞かせて完成させた疑似フォアグラソテーは案外旨く、子供たちに好評であった。
午後から仕事に出ていた妻が戻ったので、子供たちのお風呂と寝かしつけを任せて立川駅へ向かう。パレスチナの国旗と、ていせんとひらがなで書いたカードを首から下げて駅の入口に立つ。金曜の夜の駅は、飲み会帰りの人たちが行き交っている。ときどきカードに視線をやる人がいるが、そのまま通り過ぎて行く。 SNSを通してだけパレスチナの情報に触れていると、僕のタイムラインに時々現れる、上映や展示の告知や、あまりに以前のままの光景に戸惑うという倒錯が起き始める。戸惑いならいいが、それがだんだん憤りから苛立ちに変わりそうで、これはよくないと思い、世間は一体どう感じているのかを一度この身に染みさせようと思ったのだ。その結果、話しかけてきたのは「ていせん?ていせんって…あの箱型の、自分は車両庫に勤めてるんですけど、ていせん持ってこいって言われて、はい!って持っていくあの箱型の…?ていは丁って書いて、せんは数字の千で…あの箱型の?あ、戦争の?戦争の停戦の?」と勘違いした男だけで、彼はチラシを受け取ることなく足早に去った。これが現実だ。 そもそも関心のない人は、これがパレスチナの国旗であることにすら気づかないのかもしれない。子供でも読めるようにとひらがなにしたものの、こんな夜遅くには酔っぱらいしかいない。あまりに無策だった。やはり何も知らない人たちに訴えるには、アベ政治を許さない!くらい強く明確でなければならないのか。すかしたアーティスト気質などいらない。あとやっぱり人数は大事だな、だからデモに参加したほうがいいのか、などと思い巡らせていると一時間はあっという間で、次はもっと策を練ってから来ようと決めて駅を後にした。
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帰宅して、Xとインスタで外務省前や首相官邸前のデモの様子をチェックする。今日もアメリカ大使館、首相官邸、外務省に即時停戦の意見を送る。タイムラインにまた「Don’t look away」の文字。ベッドに横たわった一歳にもならない赤ちゃんの死体と、その母親が悲鳴をあげて泣いている映像が現れる。母親は目を覚まさせようと赤ちゃんを揺すっている。これが現実だ。そしてその映像をリポストする。こういう映像を見るたびに、普通に生きていることに罪悪感を感じる。美味しいものを食べても罪悪感を感じる。家族で笑っても、そのあとに罪悪感がやってくる。自分がこの虐殺に対して声を上げたり行動しているのは、その罪悪感のせいかも知れない。自分の心を殺さないためなのかもしれない。もうこんな映像は見たくない、もうひとりも殺すな。そう言葉にするまでに失われれたあまりにも多くの命に対して、罪悪感でいっぱいだ。 とここまで書いて、この文章が現実の時間に追いつく。もう夜明け前だ。2歳の息子がうなされている。悪い夢をみているのだろうか。もうすぐ来る朝に、またいつもと同じような映像を見ることになるのなら、この現実も悪夢を見ているのと変わらない。もう寝ます。朝になれば妻の誕生日だ。
これを書くにあたり肩書が必要と言われたのですが、やっぱり必要ですか。今は何の肩書も持ちたくないと思っています。前回は映画作家という肩書でこの日記を書いたけど、今はそんなものはいらないと思っています。ただの個人として、人間としてこの現実と向き合って、この世界を受け止めなければいけないと思っています。何の立場もなく、人間としてこの虐殺を終わらせたい。人間として殺すなと言いたい。見殺しにしたくない。僕の場合は自分の無知と無関心を心底恥じ入って、そうすればあとはもうやるだけ、と覚悟は決まりました。そしてやれることはたくさんあると知りました。同じように思っている人がいれば、これを読んでみてください。とても簡単だし、やれることはまだあります。そしてあなたが本当に思っていることを言葉にしてほしい。 https://docs.google.com/document/u/0/d/1IUVPD02DGo5GPPM6ZU2WB0FYES4eGAaXZio07hq07hc/mobilebasic
Stop Genocide! Ceasefire Now! From the river to the sea, Palestine will be free!
-プロフィールー 波田野州平 43歳 東京都立川市 インスタ https://www.instagram.com/inscumgram/ X https://twitter.com/kotobanishimasu HP https://shuheihatano.com/
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krkwngm · 7 months
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アステロイド・シティ
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���面白かった。以下台詞はうろ覚えのネタバレがある。
 1955年、「温かくも冷たくもない、しかし容赦のない」照明を当てるよう指示書きされた舞台で上演される架空のドラマ『アステロイド・シティ』とその制作裏を交互に描く構成。冒頭で読み上げられる舞台装置の指示書きと制作中の背景や効果音が、いざ本編が始まるとなるほどこうなるのか!と腑に落ちるコンパクトでカラフルで戯画的な街並みが印象的でそこからずっと楽しい映画だった。カーブの角度間違えたから途中で終わってる空中道路とかなに?って感じだし(わざわざ看板に小難しい言葉で説明書いてるのも笑う)隕石の落下跡の隣でぐるんぐるん回ってるアンテナは無駄にデカくてふざけてるし街の標識にちっさく書かれた「人口87名」の表記がエンドクレジットで制作チームの名前になってるのに気付いて笑った。ダイナーの看板が「朝食」「昼食」「温かい夕食」になってたけど温かい夕食がふるまわれるシーンはなかったので実際どうなのか気になる。あとレモンの皮をその場で削いでくれるお酒の自動販売機めっちゃよくない?あんな美味しそうなお酒から歯磨き用品と土地の権利証書まで売ってる自動販売機とか近所に欲しすぎる。
 ドラマ『アステロイド・シティ』のパートは全編がカラーで全3幕とエピローグと2回のインターバル(うち1回は任意の休憩)があり、制作裏のパートは基本モノクロで『シティ』の人物が滲み出るときだけカラーが入る演出になってた(気がする)。それぞれアスペクト比も違っていて、『シティ』本編はスクリーンの幅いっぱいに映し出された横長のスコープサイズだけど、モノクロの制作裏はテレビとおなじスタンダードサイズになってた。ちなみに場面ごとに挿入されるクレジットは色こそドラマと同じカラーだけどアスペクト比はスタンダードで、それが架空と現実をシームレスに繋いでる感じがした。  『グランド・ブタペスト・ホテル』も時代の違う3つの物語に合わせてアスペクト比を使い分けてたし、なんなら『ブタペスト』も『フレンチ・ディスパッチ』も書かれた物語と書いた人間の物語をひとつの映画で描く構成になってたから既視感を覚えて当然なのに、どれを観ても新鮮な刺激と面白さと寂しさでいっぱいになるから不思議だ。登場人物やたら多くて最後まで名前を覚えられない人もいるくらいなのに、劇中で幾重にも重なっていく小さなエピソードを観るうちに登場人物それぞれに二つとない『人生』が在ると分かるから誰ひとり忘れることができない。ウェス・アンダーソン作品を観るたび映画を観ることの喜びで満たされてしまうのはそのせいだと思う。もちろん映像も素晴らしかった。色彩だけじゃなくて画角もいちいち良いからずーっと楽しくて好きだ。
 冒頭に登場する司会者が、『アステロイド・シティ』は架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと語っているとおり、脚本を書き演出をつけ役柄を演じた人たちの現実が架空の町の七日間にたしかに反映されていると気付かされるのが楽しかった。  たとえば自分も子供たちもあなたを愛しているけど離婚するという演出家の妻ポリーが、「第三幕の最後。ミッジの台詞はドアを閉めてからにして」と言うシーン。「破滅だな」とつぶやく脚本家の前でドアを閉めたポリーはドアの向こうから夫に「さよなら」を告げる。でも実際の第三幕にはミッジがさよならを告げるシーンはない。第二幕で窓越しに「私たちは進展しないわ」と言うミッジにオーギーは「そうかな」と返す。「進展する?」「いや」、ミッジは頷きながら「破滅ね」と答える。でも窓は開いてるしドアは閉めないしやっぱり「さよなら」は言わない。演出家がそういう演出をしたんだと想像できて滋味深い。  エピローグでオーギーが目覚めるとすでにチェックアウトした11棟のなかにミッジたちもいて、だからミッジとはこれきり、と思いきやダイナーのおばあちゃんが「ミッジから住所を預かってるわ 家じゃなくて私書箱よ」とメモを渡してくるあたりは脚本家の脚本どおりな気がする。この作品の眠りは目覚めるためにあるので。ただそのメモを大事にポケットにしまいこむのは演出家の選択な気もする。  演出家は脚本家と役者の関係をどこまで知っていたんだろう。ドラマの終盤、オーギーを演じている役者が「芝居が分からない」と舞台を抜け出して演出家に会いに行ったのに「よくできている 君という人物がオーギーに映りつつある 分からなくていい そのままでいい (新鮮な空気を吸っても)分からないままだよ」と言われてしまうのは、役者と恋仲だった『アステロイド・シティ』の脚本家が交通事故で亡くなってしまっていることが原因なのではと思った。演出家が二人の関係を知っていたとしたら、妻を亡くしたオーギーと脚本家を失った役者は状況と心情が重なっているはずで、だから「そのままでいい」と言う。  でも役者にはオーギーがなぜこんな言動をするのか分からない。そして廊下を突っ切って外壁の階段の踊り場に出てパイプを吸おうとしたら、向かい側のビルの踊り場にいたオーギーの妻役の女優さんと鉢合わせる。  オーギーとその妻が隣り合ったビルから言葉を交わすこのシーンは、ドラマのオーギーとミッジがモーテルの窓越しに会話していたシーンと同じ構図、同じ距離感。でもここまでアステロイド・シティの色鮮やかな世界に浸り続けてきてから唐突に白黒で映し出される『現実』の光景は、違う時代の遠い出来事のように見えた。妻役だった役者(マーゴット・ロビー)が新しい作品の撮影中で中世の侍女のドレスをまとっているのも、過ぎ去った過去、終わった人生を彷彿とさせる。実は当初の『アステロイド・シティ』にはオーギーと妻の会話シーンがあったのにここでの会話でそれが全部カットされたと分かるからなおさらだ。しかも人が萎れそうなほど暑い設定のシティに対してここの『現実』では雪が降ってる。全部が対比だ。  うろ覚えなんだけど、ここで女優に「覚えてる?」て問われるままに再演したオーギーと妻の生前のやりとり、映画の冒頭で脚本家を訪ねた役者がその場で演じてみせた一人芝居とほとんど同じ内容だった気がする。この再演は役者にとってオーギーという役柄の背景を確かめるだけでなく、いまは亡き恋人と初めて出会った運命の日を振り返る行為でもあったのではなかろうか。宇宙人との交流について夫と話していた妻は、「(いまあなたが撮って泣いてくれた私の写真、)現像できるかしら?」と最後に問う。夫は「ぼくの写真だからね」と答える。きみを永遠に失うのはつらい。悲しい。耐えられない。それでもこれはぼくが愛したきみの写真だから、フィルムのまま眠らせておきはしない。
 オーギーの撮影した写真はすべてモノクロだ。亡くなる前の妻の写真も『現実』とおなじで色がない。だから彼の愛も喪失の痛みもたぶん、まぎれもない『現実』として色褪せることなく彼に留まり続ける。  娘たちがママの遺灰を埋めてお葬式してるところを見守る終盤のオーギー、息子のウッドロウと左手を繋いでるけど、火傷してるからたぶんカメラが持てないんだよね。火傷するまでは虚構の傷を負った自分を被写体にして『負傷した自画像』なんて写真を撮ってたのに、「ほんとうにやけどした」あとは自画像を撮らない、葬式の光景にカメラを向けない、レンズ越しではなく自分の目で見なければならない。火傷の痛みは心の痛みそのものでもある状況に置かれて、ようやくオーギー/役者は愛するひとの喪失を正面から受け止める機会を得た。  オーギ―は「時間が傷を癒すなんてのは嘘だ」と中盤に言っているし、痛みは残り続けるかもしれないけど、ミッジの残したメモを大事そうにたずさえて、妻の葬式を終えた家族みんなで旅立つことができたオーギーの(役者の)行く先には希望があると思った。
 以上感想。以下は印象的だったエピソードのメモ。とりとめがなく長いので注意。
🎡 オーギーのちっさい娘三人がかわいすぎる。壊れた車からみんなで荷物を運び出すとき一人だけドアの外でうろうろしてるとこ良かったね……父にドアの隙間を見てって言われたから他の二人が終わるまで待ってたのかな。ダイナーのおばあちゃんに「お姫様たち何が飲みたい?」て聞かれて「私たちお姫様じゃないわ、呪われたミイラよ」「私は妖精」て答えるのもおばあちゃんが「…………苺ミルクはどう?」て聞き直すのも良かったし、エピローグで同じこと聞かれたときは「ください(Yes,please.)」て口々に答えるところお利口さんでキュートだ。  ママが三週間前に亡くなったとオーギーに知らされたとき「いつ帰ってくる?」「私たち孤児なの?」て聞くあたりは切ないけど、モーテル街の道の真ん中にタッパーごと埋めたママの遺灰を掘り起こそうとしたおじいちゃんにくそまじめな声で「私たちを生贄にしたら呪う」て告げるとこで爆笑した。結局おじいちゃんが根負けしてママを回収できずに終わるのも笑ってしまう。でも娘たちは娘たちなりに、知らないうちにいなくなっちゃったママとちゃんとお別れしたかったんだろうな。「半分魔女 半分宇宙人」の自称はママの娘としての矜持でしょきっと。「お祈りしましょ ママは土の中で眠ってるの」て一生懸命祈る孫娘たちをおじいちゃんは泣きそうな顔で見てるし、隣に義理の息子も孫も参列してるしで良さしかなかったな…
🎡 にしてもおじいちゃんがさ、お前のことは嫌いだが娘と四人の孫たちを愛しているからお前も受け入れる、て言った次の瞬間オーギーの胸ぐら掴むふりでイーーーッ!!てやるから不意打ちで噴いてしまった。そこに来て父に「僕たちを捨てるの?」て聞いたウッドロウが、父の「(おじいちゃんの「私は家政婦か?」て台詞を受けて)ハウスキーパーを雇おうと思った ほんのちょっと考えたがすぐ止めた」て答えを聞いて「考えたのを許すよ」て返すとこ、超優秀な長男だから子どもになりきれない寂しさがあって好きだな。  ところで惑星に映像を投射する技術を発明したウッドロウが博士に「可能性を働かせて」て励まされてさ、最終的に投射した絵がダイナと自分のハートマークなの最高じゃなかった!? エピローグで奨学金の使い道を聞かれて「彼女のために使うと思う」と答えるのも可能性に満ちててかわいいよ~!  この直前におじいちゃんから「きっと″超優秀″ってやつだ」と言われてウッドロウがニコ…て嬉しそうに笑うとこすごいよかった…ほんのちょっとの微笑みなんだけどお母さんがシャツに刺繍してくれた「超優秀」と同じ言葉だったから嬉しくてついこぼれてしまった感じがしてしみじみとよかった…
🎡 超優秀の子どもたちもみんなクセ強くてよかったな。実在の人物の名前を一人ずつ増やしてたくさん覚えていくゲームでみんな学者の名前ばっかり出すし、「これ終わらないよ 僕ら超優秀だから」て言う子に他の子が「でも楽しい いつもだと出てくる名前が平凡だもの」て返すところ良かったし、第三幕では全部俳優女優の名前になってるところに時の流れを感じた。楽しいって言った女の子が後半ウッドロウとダイナの仲に言及して、友達だよって反応に「超優秀なのにバカね」て返すくらい仲良くなってる。  ところでなんでモーテルの7番棟は火事で焼けてしまったんだろ。焼けてテントになったおかげで博士から盗んできた機材を運び込んで隠れながら宇宙人と交信できたけども。このあたり、モーテルの管理人がテントになった代わりに電気周りは充実させたと説明するくだりが地味に効いてる。  登場時から唐辛子まるまる食べたり押しちゃいけないボタン押したり屋根から飛び降りたりする超優秀な子どもが「もう止めたりしない 好きに挑戦しろ なぜ挑戦する?」て父に聞かれて「わからない きっと怖いんだ 挑戦しないと誰も見ないから 僕みたいな存在を」て答えるシーンがしんどい。その後の第三幕で息子の発明品(すでに終わった挑戦)を使ってみたり没収しようとする兵士と喧嘩したりする父の姿が映ってて安心した。  表彰式の将軍の「平穏に生きたかったなら生まれる時代を間違えた」てスピーチが軍事利用する気満々で怖すぎたので子どもたちには幸せに生きていってほしい。
🎡 そしてかわいさと不気味さのあわいを攻める宇宙人の絶妙なデザインよ……!  オーギーの車の故障を点検するために謎の部品を挿入するシーンと、宇宙人が宇宙船から下ろしてきた柱から小さな脚が生えて接地するシーン、構図が似てた気がするけどわざとなのかな。二度目の宇宙人の訪問後に隔離解除の延期が告げられてみんなが大暴れしてるとき壊れた車から転がり出た未知の部品も地面でのたうち回ってたから、車が壊れたのは宇宙人のパワー的な作用でウッドロウが宇宙からの信号を解読できるのも妻が宇宙人と云々て話もその伏線だったのでは!?(たぶん考えすぎ)
🎡 第三幕の眠りの意味を考えるべくゼミのみんなに実際に演じてもらうシーン、教授を演じるウィレム・デフォーがまじで良い。みんな一斉に眠るところすごかったな(一人夢遊病がいて笑った)。眠りと死は違う。眠りから覚めれば脚本家は良い話を思いつくし俳優は新しい演技を生み出す。眠りにつく間どんな時間が流れているかをふまえて眠れって示唆に応える学生たちの眠りもそこからひらめきを得る脚本家もよかった。目覚めたいのなら眠るがいい。目覚めるために眠りがある。
🎡 映画全体の冒頭、真っ暗な画面の下あたりに均一に並んだ白い光の円が映る。なんか両端だけ変に欠けてるなと思ってるとその円は舞台の音を拾う音響室の機器の光で、欠けてるのは手前に座ってるスタッフ二人の頭で隠れてるからと分かる。この時点で映し方が変でもう好き。音響室の窓から見下ろす舞台上に立つひとりの男にカメラが寄り、男がアステロイド・シティは架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと説明を始める。上手下手背景大道具小道具照明の指示書きが読み上げられ、全三幕は7日間の出来事との解説がなされ、本編が始まる。貨物列車に山盛りに積まれたグレープフルーツとアボカドとピーカンに意味はあるのか?分からんけど青い空にオレンジの砂漠を突っ切っていく列車を軽快な音楽に合わせて映していくオープニング良すぎた。  エンディングも鳥がノリノリで踊ってて良かったけどあの鳥なんなんだろね?オーギーが街に着いたシーンであの鳥の標識が映るんだけどそれ以外特に説明ないのよね。アイス食べてる三人娘ちゃんの隣できょときょとしてる鳥の動きがなんか良かった。
 良かったところばかりでどこまでも書いてしまうので終わる。人生を感じさせるシーンがいっぱいで楽しい映画だった。
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nullak · 9 months
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下書き
完了
未送信ポスト
予約済み
感情論と芸術の話を始めたらもう芸術の最前線は現代アート論しかその先にはなくない?(現代という文脈のすべてを引き受けたうえでの最先端のアートを問う系に持っていくと、そう言う話じゃんだろ)
規範的性愛者、自分で作って自分で名乗ってる属性だけど他に名乗ってる人いるの…(マイノリティからマジョリティに抜け出すために行った自己改造の履歴みたいなもんなので普通にトランスヘイトによく似たマイノリティヘイト感情が動機の源泉になっている)
史実では馬が最強で、凄い馬とか馬用の鎧を用意できる貴族+死ぬのが仕事の傭兵やら軍人というコンビを作るための貴族や金持ちが重要だった 金は持ちすぎると反感ポイントにもなるのだが、最悪宗教施設に持ち込めば徳ポイントに変換できるので困るということはない
魔法が血統に由来する設定で軍事力は貴族本人と決定的に結びつく、という様子になると、戦争になると金持ち本人かその子孫が死なないといけないことになる、という事情で、だいたい中世みたいになる
本物の世界、冷静に考えると本当に怖いことしか言わなくなってくる
いきなり本物の話が始まってしまった、怖すぎる
女の人は気軽に好きとか言い放ってから向こうが盛り上がっていく戦略を取れるけど男から好きって言ったらもうほとんど大体性交してっつってるのに等しいことにならん?何?魂の高潔さとか年収レベル?をアピールしろって?みたいな別ルールでやらされてるのずるくないですか?みたいな泣き言はある
この世界の片隅に も好きだったんだけど、主人公みたいな人物が本当に嫌いでああいう人間が理不尽な不幸に飲み込まれてめちゃくちゃにされているの本当に嬉しい、戦中こそ真実の時代と思ったから だったんだよね
現在の年齢になってセックスがしたいですか?と言われると、まあ別に高校生だった頃ほどはしたくはないですね、くらいの気持ちはあるけど、できるできないかだとやっといたほうが面白いんじゃない?わざわざできないは選ばないけど…みたいになるだろうね
あなたからは馬鹿なハンドルネームで呼ばれたくないのですが…を言う勇気がなかったために失われたらしいなんらかのなにか
真実の時代が来たときに自分がまともに取り合ってもらえるかとか 現実資源を獲得して どこに住んでるかとか そういうことをコントロールして 生と幸福の獲得努力をするしか 結局人生でやるべきことなんてないから…
トランス支持者は全人間の人権を守ろう、ターフは女性の人権を守ろうが今の最大トピックになってる気がするけど、お題目はどうあれ敵対者の(言説空間での)押しのけ合いになっているし、喧々諤々していてともに目標は達成されそうにない
すべての争いの解決策 妥協案を作りマニュアル的に運用できるようにすることしかない 絶滅戦争を異様にやりたがる売文家が一歩引いた視点から囃し立て続けるために 終わらない場合もありうる
夢見りあむが用意した土壌をサブカルの寵児が初音ミク化(ツインテール・ネット配信)させてさら��たんだよな、許せねぇ…!という調子でレインさんへの悪口も言うことができる(何でもなしたやつが最高に偉く後ろから指示厨だの評論ごっこするのは比べて簡単みたいな自虐ネタ)
客観視の能力、大事故を起こさない程度にまともな自負はあるが、気がついたらうっすら距離を開けられたりするのにとんでもなく敏感というほどではないし、どちらかといえば気に入られていそうなときにどういう根拠で気に入られているのか分からないし、多分うっすら飽きられるし…
あの人が本気で助けてーつってたんなら、俺だって助けてやりたいと思っていましたが…(リプライされると嬉しくてギチギチの長文を送って引かれるみたいなことを繰り返しているうちに、本当にさあ…)
オタク・エロ画像(PixivR18)の人気でポケモン人気女性ジムリを分析するの、自分の中で筋の通った話をできる自信はまあまああるけど代償にカルマが穢れそう
俺もクネクネしていた頃にぞっこんだったファムの人が未だにクネクネしているのを嘲笑うことでマチズモアピールしていく感じでも目指すか(ミューズでファムな人が凡人になっていたのに甲は一生文学崩れやっとるみたいな物語類型の男女逆版かもしれないしな)
男じゃなかったら文系行けたんですけど…!という生き方をしているのでタワマン文学に対してタワマン文学〜となることができるのですね やめろやめろ
好きな人に近くにいるなんか 黒髪乙女? と結婚しろと言われたのは嫌だったし 黒髪乙女?誰?じゃあてめえが用意してみろよ とは思ったのかもしれないね 全ては夢うつつだよ
けーさつもぐんたいもよわよわなこと、ぜったい諸外国にきがつかれちゃだめなのに…みたいな感じになってるのかもしれない(それはもうかなりどうしようもない気がするんだけど…)
好きだった人は反りが合わない兄弟がハーメルンで上手くやっていてみたいな話をしていたので、まあ嫌われることで動機にすることができたんなら良かったこと探しみたいな感じにできるし
どっちもどっちとかいう魔法の言葉で問題を先送りにしてきたことのツケが出てきているんでしょうね(左派理論において自由を取り扱うとき、時代性や親の資産、生得的などの事情で得られた特典は偶然によるもので、そのバイアスは完全に取り払わなければならない)
俺が知らんということはないんだろと決めつけながらR18乙女版ハーモニーとか虐殺器官を書き、どうにかこうにかしてウケる(青写真はそらいくらでも描けるけどウケるかどうかが全てであり今まで有象無象に大受けしたことはないが、夢はでっかくないと創作やるかいなんて無いし…)
エッセイ…?私小説…?自分語り…?というのはまあやって、納得して、もう自分のこと書かないで他人のこと書かないとなってなると、女性向け官能小説をハーメルンに投稿して全員殺すみたいな感じになるが、いくら恥と外聞を捨ててもその時はこれまでとは違う名前を流石に使うつもりでいる
『社会弱者のくせに投票率が上がれば社会が良くなると思ってる人、国政とがっこーの生徒会みたいのが同じだと思ってるみたいでかわいいよね』くらいの比喩?ブラックジョーク?が塩梅良かったのかしらねという感じになってきたわね、
人間がどういう機序で感情を動かされるのかを心底から理解することとそれに基づいて他人を(ある意味、という程度の言い方だけど)意図的に感動させたいというのが自分の根源的な夢だったのだから、そしてそれはやっときっとやれそうな場所にあるのが、見えてきた!やれるやれる!ハッピー!白米!
キショい自分語りとか自家中毒の自傷行為はやめて、お客さんに気持ちよくなってもらう!!!!という責任感のもとで絶位に実用ポルノを書いてやるぞ!!!という気持ちを強く持ち、信念を実現しようとする姿勢
『個人が自死に至る決定は単なる一時的な情動の揺らぎでしかなく本心ではない』 そういう人もいるかも けれど 昔の俺は違う 断言できるし 読や思索への自負もある だからはじめの質問に対し 俺は敵意を持つに十分な背景を持つと 確信できる
あとイアソンがメディアと会ったときに「あっこれは一目惚れされてるね(察し)」とイアが独白するのに神々の悪戯だなあとゴチて、(えっ気がついてるの?)と思ったのだけど【『一目惚れ=神々の悪戯』という慣用句】と注釈に書いていたこと(実際はヘラに凄まれたエロースが愛の矢を撃っていた)
商業創作がどうなるのかはあまりわからないけど会社は残るだろうし編集役の仕事がエーアイにすり替わるとフリーでやってる作家は難しい状況になるんだろうというのはまあ…(若者の登竜門としても存在し続けるだろうしデカい資本のあるところは強いだろうね)
目的がないのが目的です!正しいことなんて何もわかりません! つってるの まあ学生さんならそれでもええけどね くらいの嫌味は言いたくなるけど 俺もサブカルで耶蘇教やってるだけで勝てると思ってるわけじゃねえから嫌味言ってる場合じゃないのだ
自治厨のくせに「自治厨じゃありませんよ〜ww」みたいな目配せの筋肉だけはつけている畜群 なんのためにそんな筋肉を鍛え 見せびらかしているのか 理解に苦しむ
ポピュリストだけどポピュリストだとは思われたくありません という在り方を 自我の拠り所にしている御方 何? 憲兵は怖いけど 憲兵になってしまうかもしれない可能性を恐れているの? 鬼のいない鬼ごっこをずっとやりたいみたいな性根があるの?
俺のpixivエロ小説を真面目に読もうとした結果挫折して捨てゼリフはいて現実へ帰還して行ったの、頭が悪すぎて本当に可愛いと思わないのは無理でしょ
少女漫画絵をもっとシュッとさせたら萌え絵になって、少女漫画絵よりは萌え絵のほうが好きだしという気持ちはするね(けど今のはやりって萌え絵から二段くらいはリアル志向に寄せてない?全然勘で喋ってるけど)
「恋愛感情の からかいを受ける」「友達で居たかった と言う」「政治の話やめろ と 選挙行こう を同じ口で言う」という3つの地雷を踏まれたのだなあと思うと喧嘩することもさもありなん という気もしてきた
インターネットが本格的に発狂し始めているので 意見を変えられることが持て囃され始めようとしている しかしもちろん 無条件で称揚される わけではなく どうでもいい部分では柔軟に変え 芯の譲ってはならない部分で譲らないことが 大切なのである
動物想が重要概念っぽくなってる様子、わからん、今はまだ…という気持ちになるね
特にNTR役が粗で弱いことを強調しつつ、バッドステタースを付加することでやられ役を堕としていく逆NTR・奇形児が��って、「差別化とガラパゴス化だ!文化の普遍性が本当に嬉しい!」みたいな気持ちになるんですって(どういうこと?)
ロジハラって本当につまらない言葉ですよね、論理弱者のことはどつき回してもいいと思っているからそうしてんだよ馬鹿ぐらいの皮肉を少し怒鳴り返したくなってしまうくらい程度ますわよ
【知性は言葉遣いに引きづられること】について、そろそろGPTの為した偉業から学習して、死ねとか老人とか刑罰とか健康についてもっと真剣に考えるようになったほうが良い
ヒロアカ社会、漫画みたいのを本当にやるとヤバいが根幹にある(社会派漫画とは、そういうもの)ので犯罪者を『敵(ヴィラン)』と呼称するのが本当に頭おかしいのは意図的だと思う
自分は軽程度の逸脱がある範囲の普通さがあり、軽程度の逸脱がある範囲の人間と親しくなるので、このように行動すれば普通このような反応があるはずだ、に常に当てはまるような人間関係を維持できるとは、限らないこと
自分は完全に平均的な人間だと思っていたが、【完全に平均的な人間は《自分が完全に平均的な人間であることを知らしめるために最高効率である方法を探求すること》に人生を賭けたりしないこと】をようやく認められる気がしてきた
手前がフランス革命だろうと他の歴史的大事件だろうとどう評価するか/あるいは価値判断を下すかどうかまでもがただただ手前の勝手だが、ともあれお前はただ偶然という理由によってのみ、その歴史的事件の最良の結果のみを享受できるというわけだ
宇宙の疑問の答え42の講話の寓意と解釈、ウィキペディアをディグれば普通にありそう
西洋はすべて破壊と吸収のサイクルできたけど東洋は清濁を自分で呑み込みながら時代に託すという方法でやってきて、欧米はマーメイドとスパイダーマンを日本はピカチュウと初音ミクを作ったというものだと思っています
義務としての性的願望(生自体の全てが神から課せられた仕事でしかないなら、次代に生命を継ぐことも仕事のように達成されなければならないでしょう)
自己満足のための書きかけ誤字まみれの日記帳みたいなものを開けっ広げにするのは芸術行為じゃなくて自傷の言い訳と加害行為に過ぎない、やっとこのことを飲み込もうという気になってきた!
それと政治的正しさに基づいた政治参加や表現の自由が保証されるべきという考えは別々で独立したものだし、政治についての自分の発言に当時なりの理はすべて通しておいたつもりだし、そのことを諦めるつもりもないけど
そっちが先に好きって言ってきたし絶対俺は好きになってくる人間とまともにコミュニケーションできないだろうからやめたほうがいいんだろうなあ、と思いながら、結局そういう道を歩むしかなかったのだった
俺が真面目で良識的な女性を好きの対象に選ぶような人間に見えるか?そう見えるとしたら絶対お前人を見る目がおかしいよ、とは思うよ(まあ、こちらから選ぶという態度で巡り会えるような、巡り合うことに満足するような人間でもないこと、たしかにそういう言い方もできるかもね)
画面の向こう側で謎語で怒鳴っている人を呑気に品評するのは楽しいな、何しろ画面の向こう側にいるのだから、自分が暴力を振るわれるおそれは絶対ない!の気持ちをリンバスカンパニーで初めて実感している(欧米語はだいたい自分の不教養への劣等感に繋がったから、欧米の映画を好かなかったのだ)
年下だから遠慮してたら、本当に純情乙女の恋煩いとか恋に恋なんてしないわ私に真剣に悩んでいたせいで破局した のだとしたら なんかそれくらい高校の時分でさっさとやっとけや みたいな…(昔のこととか別にどうでも)(成人まで生きてて友達のいる人間が今更初恋とかホンマにある?)
痴漢、俺ぐらいの友好人物の少なさでもちょっとは男の知り合いでも『痴漢にあって怖かったことあってさ〜』くらいのこと言う人がいて 実感を持った恐怖やね感覚はある まあ友好範囲にひょろいオタク男子のいる率が高いとか 都会じゃねーと電車使いまくらんとか 色々な要素がある
まあだんだん不安になったりしてよくわからなくなったわけだね 美人ていうか並よりは整ってるくらいかもしれないけどあまりでかい動画じゃなくてぶれてたりしてよく分からなかったはずだけど並より良い方の人間は美人だろ
好きだった人が美人だったこと知ったとき普通に嬉しかった気がするな 弟に報告したらフォトショでいじってるだけだよつってたけど動画だったからそんなんできるの?
好きだった人が美人だったこと知ったとき普通に嬉しかった気がするな 弟に報告したらフォトショでいじってるだけだよつってたけど動画だったからそんなんできるの?
「友達でいたかった」の内容を信じようとするよりも「キリスト教・皇室・運命の統一」で説得しようとしてくる人間、たしかに自分じゃなかったらブロックされて当然の危険人物だと客観的には思うが まあこっちも真剣にやっとるからね しゃあないしゃあない
とりあえずやること全部に文句を言う、「宿をとれと言われた、野宿じゃないならいいとか言っといて定めたら文句言うくせに」←ネカフェで平気だった、と言うなど(どういうこと?)
好きと言ってそういうのはやめてほしいと言われたのでじゃあどういう距離感の何を…という感じを模索、とりあえずやること全部にケチつけていたら嫌いになったと思われたらしく、長らくログアウトという試し行動をされ、久方ぶりに復活したのを遠巻きに喜んでたら垢消しされたりした(ご報告?)
ジャンプとかボカロはそういう意味での若い淘汰圧がかかり続ける環境だったから良かった、という気持ちはあるかもね、歌はボカロ全賭けでなんとかできてた時代そろそろ終わるのかもわからん
好きな異性の裸を引き出したことがある人間に対してウググ…ってなる気持ちがあったけど、好きだった人に運命のマジレスさせたりしたのも結構やってたのかもと思うとまあメタクソやなという気がしてきた(人間一人一人にそんなやつが設定されてるわけなくない…?って言われました)
サブカルはセックスをする方、オタクはセックスをしない方、これだけは覚えて帰ってくださいね
好きだった人、一瞬先生にイベントであって感情を揺さぶられていたがニディガ出た後にはあんな人さあみたいになっており、なんかあったのか嗅覚だけで逃げてたのかこうなったら聞いておけなくて残念だったわねの気持ちになるわね
にゃるら先生、中国にファンが多いらしいし文字を隔ててれば炎上なんかほーんくらいの感想にしかならないんだから別にボヤがちょいちょいたとうが関係ないでしょうね 諸行無常
顔だけは向こうだけ勝手に晒してきたけども、こっちは名前も顔も晒してないのに逆ASANAGIみたいなこと言って切ってきたの、そういう速度の段階だったの!?ってなるて
向こうのほうが先に好きって言ってきたし、応えようとしたらなんか破滅するんだろうなとは思ったし、予想通り破滅したけど悲しいしどんな感じで居ればええねんつってるて
ブロックされたというか多分アカウント消したのでインターネットから足を洗ったんだと思いますが…(色々なことがある)
暇なので後出しで答え合わせしているだけなんですが(ブロックされたから)、直接言われればまあさあでなんか言うけど空リプで済まされてもどこまで本気なのかわからないから一々捕捉して回答してやらないだろ(直接言われたら流石に友達いたことないから分からんつってるって…)
悪性
良い読者であるという、それだけでなにか報われるようなものがある、ということです
道徳は基本的な原則なので、「独裁者が軍事作戦を発動している」などの時事的な状況のために冗談で済まなくなるとか、そういう時事とは関係なくない
公金用途問題とか言う方向性、渡せって言われてるから渡してるだけで別に使い道なんてどうでもいいだろ自分が文句言われないために渡してんだよ、くらいに思っとけやと思うのだが、なんだかんだ金払ってんなら有意義に使ってほしいのが人情なんだろうか
もう少しで創作物キャラクターに恋愛感情を抱くという感覚を完全に理解できてしまえそうだが、そうなったら逆向けにして自分の恋愛感情を完全に統合するか崩壊させてしまうかという未来が起こりそうというか…
創作人物に恋愛感情を抱くという心の動きを自分はエミュレートできてしまう気になってきたが、これを突き詰めてしまうとテキストだけでやり取りしている相手を人間だと覚えておく常識力を喪失してしまいそうというか…
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うなぎの絶滅を防ごうとかさあ、もうどうでもいいから食いまくって滅ぼそうぜとか露悪ぶってるやつとかどうでもいいけどお前ら全員日本の漁業資源管理が最低なことなんて全然興味持ってないんだろとかさあ、わざわざ言ったってどうにもなんねーじゃん、クソども
賢しげな言葉ばかり偉そうに吐いて偽善者ぶっているカスども以外の人間はみんな、必死に頑張っていて偉いと思ってますよ
別に人間関係で愛想つかされてどうこうとか、いちいち男女論に持ち込むまでもなく双方ミスったね…というだけなのでド反省自己批判仕草してもチラ裏って感じだが、消失されるとジクジクはする まあライフイズゴーオンやろ
世の中の人間が考えればすぐわかるようなことにいつまでも悩んでいたのが本当にわからなかったのだが、どうやら面倒だったり損するようなことを考えることはあほらしいと思っているだけだったことがどんどん明らかになっていき、死に晒せやカスども…と闇堕ちしそうになってくる(みんな大変だ)
俺は倫理律にかなりを託していたけど、倫理より空気のほうが日本語空間では正義だったらしいのを無視しすぎていたのが完全に終わりだったらしいな
好きな人がどれくらいやさしかったかというと、ちいかわ山姥編でこういうおばあさんすきだから疑いたくない…!ってずっと言ってた(身過ぎる)(そんなん作者のさじ加減じゃん無理そう…と思ってこっちまでつらくなっていた)
恋愛弱者の見苦しい嫉妬を読むのは穢らしくNTRを支持する僻み根性の源泉となりうるから、潔くバッサリ諦めることを褒めそやし、世の価値観として浸透させてほしい、みたいな、エゴや傲慢じゃなくて、正義感であってほしい、という信仰心
あの人は、fgo恋愛二次創作の、マシュ以外のキャラと結ばれるやつを愛好したらしいのですが、マシュが悔しがるシーンとかわざと書かないでほしいらしくて。なぜそんな敗北者の検閲を正当化できるのかわかりませんでしたが、彼女なりの正義感からそれを願った、そう信じたいというわけです
したがって誰をリツイートしたとかは罪にならないと思うのだが、ガレソをリツイートしたとかこぴーらいたーをリツイートしたということについてそれは適応されず、リツイートは必ずしも賛意を表しませんのかも曖昧になる現象のことが、よくわからない
言語情報はただの字の羅列なのだから、「誰が言っ���いる」「誰から共有された」という理由で価値が変化することはありえず(神・サタン・イエス・ニーチェ・大川のある発言について話者を隠してシャッフルしたら、話者と放言を結びつけることは不可能)、
偶にキャスやってると入って聞いたりもしましたが、女性の声って聞くと単純接触効果で好きになってくるからやだなーと思いました。単純接触効果は現象や物理効果であって魂の本質ではないですからね。まあ結局好きになったのでキャスでコメすると、向こうもテンション上がったような様子を見せました
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えーとそれで該当人物のアカウント名は『初音ミクさんを忘れ〜』だったんですが、11月〜12月辺りの期間にあの人が『《元々のハンドルネーム》を忘れないでください』にハンネを変えて、「心当たりのある方は別のアカウントを教えたいのでDMください」とかを固定ツイにしてたんですが、
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あなたのためにキリスト教への思索について記述し公開するようになった側面があることも確かに否定できないかもしれません
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常識とか全部疑うようになったきっかけはサンタクロースを相当恥ずかしい時期まで信じていたからだと、そう自己分析しています(子供の頃の私はそれはそれは純粋な魂を持っていたのでしょう、もちろん皮肉ですが)
ブルアカ公式の性欲、受動喫煙の範囲内だけでも『真面目そうな淡い青い髪の子が渋々の体でペットプレイやってもらってるやつ、ペット側でやらせてほしすぎる…!』ぐらいにはなるので、絶対にキモいんだろうなという確信がある(ヒューマン・アニマル・ロールプレイ)
民度って『運動なんかに興味を持つことのない健全な市民様としての誇り』とか『運動家に対してプロ市民という言葉が蔑称になる風潮』とか、そういう状況を高いと表すので、『民度の高さ=運動組織の不在』というのはまさにそのままの現実を表した言葉でしかなくね
どういうつもりで居ればいいの???みたいになるけどまあそっちも俺にどういうつもりで???と思っていた時期は長かったそうだしうまく適当に耐えれてくれというかこのツイも予約しているうちにどうでも良くなって消せるといいな…
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毎話生えてくる仙水の設定ですきなやつ、仲間の妖怪のホモじゃない言い訳をするための女の人格
別にカルトでなくても他宗教行事は排他するが…という気持ちとなんか外国のお祭りを始めとして結構にはゆるゆるだけど…という気持ちとウチの母はバレンタインをローマ時代の聖人に由来することを普通に知らなかったという気持ちと
そこに命がありますか。が許せたのは前に失恋したときにそういうのを書いていたから、という発見のおかげで剥がれるリミッターかなりバキバキあるのだけど、より一層慎重になり、むしろリミッターを引き締めるまで必要と思ったほうがいいんだよな
一方的に言うと空リプという形式とはいえ会話にならないんだからこっちばっかり喋ってると自分ばっかり正しいと思うに決まってるんだから普通に会話してやり取りしようよてきな希望はあるんだけどまあビビってDMも何もうまくやれないからキショくなってて
『そこに命はありますか。』がなんでこんなに馴染むんだろうと思っていたけど前に失恋したときにこんな詩書いてたわねのオチだったのでガハハになった、恋愛が人間を育てるお前も恋愛をやれジジイになってしまう〜(しゃーないだろ、人間はやがて最も憎んでいたものの姿に成り果てるものだからね)
Twitterくんが死んでしまうのも仕方ないか、をTwitterサービスが停止するのも〜に書き換える程度に汎神論的言語表現を使うことへ神経質になっているのは貴方のせいなんですよ、ということくらいちょっとは気に留めておいてほしいもんですからねという気はあるし、別にちょっとだけでいいけど
眠れる奴隷と隣の芝の青さだけを偏執的に気にしている人のどちらがどういうふうにいいかとか場合場合だしそもそも比べる比べないという視座の持ち方が卑しいみたいなマウントの持ち方もあり、納得は全てに優先するぜでいいだろ別に(なんの話題?)
コンドーム利用性教育ビデオの思い出、『快楽などのために性交する』という発想がなく、ビデオ中に説明もなかったので(妊娠にリスクがあることはわかるけど、出生しなければならないこととどう向き合えと…?)の疑問について考えていたら終了し、後々考えて言わんとする所がわかった
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善人とか聖人君子の真似をしてなきゃいけないみたいな気分にさせられていたのが嫌だったんだよな、や、させられてたっていうか自主的にしていたんだけど、自分をいい人間だと思わせようとすることに積極的にならなくてはならないか��、恋は嫌だ、嫌だった、それでわざと嫌われってのも卑怯な自意識だ
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kentarouchikoshi · 10 months
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 こちらの展覧会を訊ねることで,僕も自らの原点を見直すことが叶うでしょうか(⋈・◡・)
 僕の実家では昔から商売をしております。ですから農家出身の方々と違い「実家に帰れば新鮮な野菜や果物が食べ放題」と言うわけには参りませんし,こうして暮らしていても「実家から新鮮な農作物が送られてくる」といったことも期待出来ません。また僕の家がたまたま市街地の中の小学校の学区に属していたこともあって,幼馴染の友人の中にも農業を営んでいる方は殆ど存在しません。
 しかしながら,僕にとって農業というのはやはり自らの原点なのではないかと感じることが少なくありません。理由は二つあって,一つは父方の祖母です。祖母の実家は農家で,幼い頃から自らも農家の一員として農業に従事して育った人でした。そんな祖母は植物を育てるのが大好きで色々な草花を植えては丹精していましたが,種を撒いたり苗を植えたりする前に土を耕す様やその後に草取りをする様がまるで農業のようで「若い頃に身に着けたやり方でやっているんだろうな」と常に思っていました。そしてその後,僕が小学校中学年の時分の1月に学校で鑑賞用のエンドウ豆が生徒たちに10粒ずつ配られたときに僕も母もどうやって育てるのかよく判らず「お祖母ちゃんに相談してみよう」と持って行ったところ「今年育ててみたい?(。・о・。)?」と妙なことを訊かれました。意味が判らずに居ると「増やしてあげるから,それを来年育てなさい」と。祖母の言葉の意味は判りましたが,そんなに都合良く行くのかなと思っている数日のうちに祖母は鋤鍬を持ち出して庭を耕し始めたりプランターを買ってきたりと大活躍を始めます。そしてその年の秋にはどっさりと豆を収穫し,僕以外の孫たちにも配っていました。因みに庭に植えたものとプランターに植えたものとについては「豆の具合を見て,どちらが良いか決めた。これは種を扱っていると勘で判る」とのことでしたが,結果としてどちらも大豊作だったわけですから祖母の勘は大当たりだったということなのでしょう。そんな祖母の姿を見て,僕は「経験というのは凄いものだな」ということと「丹精を続けるとちゃんと結果として現れるのだ」ということを感じさせられました。  もう一つ。これは僕が社会人になってからのお話です。僕はサラリーマンとして就職し暫くの間はデスクワークに従事していましたが,転勤で実家を離れて遠くの事務所で農業関係の仕事に従事することに。「僕は農家の出ではないし,これは大変なことになりそうだ」という予感は大当たり,そもそも転勤初日,前任者からの引継事項が殆ど理解出来ません(・ω・`) それでも事務方の話は数週間経つうちに徐々に何とか漠然とながらも見えて参りましたが,事務所の同僚の大部分は農業高校や農業大学を出たエンジニアでいわば農業のプロフェッショナルです。打合せをするたびに全く知らない用語が頻発し,必死にメモを取って机に戻って調べても彼らが何を言ったのか全く判らない。「とんでもない所に転勤になってしまった(。ŏ﹏ŏ)」と恐れ入っていたのですが,幸いなことに彼らエンジニアは皆さん優しい方たちでした。「自分も高校(大学)入学時には農業のことなんぞ全く判らなかった」「基礎的な知識を身につけるためにこの本を読むと良い」などとたくさんの親切なアドバイスを貰ってそれなりに一生懸命勉強した結果,半年もするとエンジニアたちのお話も聴いて判るくらいにはなって参りました。時には自分なりの意見を言って「お,勉強してるな(๑•ᴗ•๑)」などと褒められたりもしたものです。「たとえ最初は全く判らなくても,勉強をすれば段々と力がついて難しいことも判るようになれるのだ」ということを実感させられました。
 そんなわけで僕は農家の出ではないのですが,農業を通じて人としての心構えや社会人としてのあるべき姿などを学んだと言えるのではないかと思っています。残念ながら僕の家には農地は無く,自らの原点を再度体験し直すことは叶わないのですが,今回それに代わるべきものといえそうな展覧会が開催されていることを知りました。それも僕の実家のほど近くで。  茨城県近代美術館で「土とともに 美術にみる〈農〉の世界 ─ミレー、ゴッホ、浅井忠から現代のアーティストまで─」という展覧会が,2023(令和5)年9月3日まで開催されています。バルビゾン派の代表的な画家にして働く農民の姿に目を向けた先駆者というべきジャン=フランソワ・ミレーや同じくバルビソン派の画家であるカミーユ・ピサロ,そしてミレーの強い影響を受けたフィンセント・ファン・ゴッホの描いた作品などが展示されていると聞くと,それだけで「是非行きたい」と思ってしまうのは,決して僕だけではないでしょう。そしてそれに留まらず浅井忠といった日本の画家の作品,更にはケーテ・コルヴィッツといった女性アーティストの作品や草間彌生・雨宮庸介・スプツニ子!各氏のような現代アーティストの作品まであるとなれば更に。まして僕にとってこの展覧会の意味はそれに留まるものではなく,そうした優れた作品に触れながら人間として・社会人としての原点を再度見つめ直せるのですから,これは是非足を運びたいところです。
 8月に,上手く時間を取りたいところです。きっと素晴らしい美術体験と,僕の人間としての再構築とが叶うに違いありません。 企画展「美術にみる〈農〉の世界」茨城県近代美術館で - ミレーはじめ、農村・農民にまつわる作品を紹介 https://www.fashion-press.net/news/104485
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夢の中で
某宗教の尊師、徳を積んでいるが霊的なパワーに執着している。生きている間は必要な食べ物、山芋とパスタ?超能力で治す形而上の存在と副作用の心配。光と色で治す塗料の帯のあるローブを着た精神科医?何もが毒にならない程の耐性が付与されている視覚化された化学構造体がある。『脱洗脳』
夢の中にて
地球近似惑星が山程視える。霊は夢の中では行き来できるようだったー。どの惑星に入るのも中がどんな状態になっているのか?数ある中でどの惑星に入れば良いのか?分からないー。
ところで、現在の霊的ヒエラルキーは金星から1,850年前に地球にやって来た一団であるー。『異惑星』
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①主観、③客観、②④⑥間主観性
①頭脳、②直感、③理解の光線、④想像力に依る洞察、⑤記憶知性、⑥論理的思考、⑦創造的技術(スキル)
⑤記憶的知性の欠如に依る③数学的理解の欠如、⑥歴史的記憶の欠如、⑤化学的構造、⑥夢、①②④⑥⑦素粒子の想像力のシニフィアン、シニフィエのシーニェ。
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夢の中にて『筏が2つ』
振り向くと街並みが一変。疑うデイケアメンバーはもういない。行き道を戻ると来た道だと隠秘学的に文字が暗示。逆を向いて老女の一団を右手にーさて、電車に乗りたいが物価!古びた電車の撫でられ看板のある駅舎にて12500円超の掲示。両替の為に駅員に話しかける処で目覚め。
夢の中で
昨日、在りし日の昔の姿の同級生O君が余りにも不釣り合いな驚くほど背の大きな茶色の犬を連れている。直ぐ後の現実の予知夢?だった。
その後のテレビの国際ニュースで海外で犬と一緒に喜んで授業を受ける子ども達とそのユニークな取り組みが放送されていたー。『#元型』『#集合的無意識』
限界次元
夢で、英語のロゴがある2つのスタジオが併設されて並んでいて音楽の授業に遭遇する。ある講師に依れば4次元時空を越えた時点でsoupDimensionsの中で人は輪廻できずに死んでしまうー。赤の方のChristMaitreyaに出逢い脚を踏まれた事を言う。自転車に乗りながらイヤホンから音楽が聴こえる。
夢の中で
じゃがバター(ジャガバイト)
上戸彩さんの声で、「メキシコ🇲🇽はマヨジャガだから速いんだもんねー。」(そんなわけない?)アプリが顕れてタップしたら1Gだけ爆速!
スマ��でWi-Fiでも予想外(ヨソウガイ)に速かった。(ヨソウガイです。)
iPadとAppleペンシルはアーティスト向けですー。
夢の中で
母が三菱の書いた文字が送れられる鉛筆?の端末?を紙袋一杯に買ってあるのを見ていた。
肉体に対して、抽象的な状態と光子について意見に述べようとするがかき消されて声が出ない。
肉体頭脳・機械頭脳・素粒子頭脳・生物的コンピュータについてのアイディアについて構想を巡らせていた。
夢の中では
有名衣服ブランド✕非営利団体✕『建築』
イブ・サンローラン プラダ グッチ エルメス
シャネル などが別々の施設に重ねられている。
H田先生の所持の西洋修辞学の本 光 闇 炎 氷 水 風 雷 毒などの英語の類義語の属性が文学的文体で書かれているものを読んでー。『文学』
#宇宙レベル
頭を下げて無頼漢や商人や王族や盗賊や諸侯などがクリスタルや魔石などの戦利品と自分の処遇を全部預けて配下になってしまうファイナルファンタジーシリーズの雄大な星のストーリーで、VR(仮想現実)とAR(拡張現実)と統一された物語でした。
夢の中で半分失神してしまいましたー。
イエスとゾロアスター
夢の中でー神の光線で🇬🇧から🇩🇪にトランスワープ。神は一者。独国なのに英語を話すぼくを笑う輩。ドイツ人の想像力(①即物、⑤化学、③進化論、④創造性のヴァリエーション)哲学的異文化の霊的な相互矛盾と⑦多様性と豊穣さについて居酒屋で哲学するー。『#創造論と進化論』
夢の中で
視察中に首都直下大地震が来て核融合炉から火が出て、安全装置が働くから待てと言われて爆発してぼくは必死で窓に何本にも張り巡らされたポールにしがみついて事なきを得たー。命からがら皆がビール🍺を飲む砕けた祝勝会場のような役員会に参加した。与党や政治家に個人的な恨みはないです。
夢の中で
O野くんとテストを受けているが、子どもの頃のようには頭脳に偏極がないから上手く解答できない。文章題は難解だから飛ばして分かる所だけ解く様に言われる。やっぱり、肉食は霊的には良くない様です。再テストを受け、終了後に音楽アプリの会で会おうと、別れた。後で西洋人が集合したー。
夢の中で
次元の間の神竜が守るラグナロク攻撃力140と、
聖なる剣のエクスカリバー攻撃力110を二刀流で
(騎士剣は片手持ちは重たくて無理。ナイトでも両
手持ちが普通!)携えた、よしひろが、攻撃力140
セイブザクイーンを携えた英国のキャプテンディッ
シュと闘い、ほぼ互角に渡り合ったー。
夢の中で
今は亡き愛犬のミニーを呼んだら直ぐ側まで来てくれた。恥ずかしそうにクッションに顔を伏せて見せた。ぼくが愛しているのを知っている様子。名前を何回も呼んだ!愛してくれて💖ありがとうー🌟
生前、ぼくの想いに答えて愛してくれた。束の間でも想いが通じて、ぼくは幸せだったよ。(^ω^)
夢の中で
ぼくの生涯で1番大好きな声優さんの事をテレビで観て、また、人生の最期にも会いたいと思う。S原君や家族にバレて笑われる?急いでチャンネルを変えた。N田君が自分の #素粒子 と #分子構造 の描かれた診察用紙を見ている。ぼくは素敵な #SONY?の少し分厚いタブレットを持っていた。
メランコリー
夢の中の卒業制作展において第4光線の故に葛藤を通しての調和の光線が多く、作品の模索の時間が思いの外、長く懸かる。3つの光線のバランスをK崎先生と話し込んで、大きなモノではなくて小さな作品でも良い。T君の世界観に引き摺り込まれた本が書店にあり、其処で作品に出逢うー。
夢の中で
高校の夏休みの補習に参加せず後悔。下級生?がいる。家の目の前が本屋で自宅の書庫に山程購入した本。その中から、イタリア語の詩集、文法、を手にする。肉食をしなくても、#プラーナ(#光子 #エーテル)からエネルギーを取れる人は #見る人 #プルシャ #霊我 #大師 #Adept #アデプト に近い。
日向さん
⑥双魚宮の女子高の卒業式の先生と生徒の中に『覚者方』(⑤段階)の1人として参加している。と、皆に見えているようなので詳細を話す。告白の後、目が覚めて母の眠る現実の中の自宅に帰ってきたらカイダンに彼女の姿が視えるが、目が覚めて、まだ身体持ちのぼくは⑦宝瓶宮の初めの方にいる。
夢の中で、
返すべきか?
ヨハネ黙示録は危険だから、読んではいけない。
キリスト・マイトレーヤはダリの真我である?ぼくの愛する人が桁を間違えて、緑豆を280個も頼んでしまった。うんざりするほどの量で食べきれない。一緒に居てくれた幸せー。隣には幼稚園児。➕の型の天井のある部屋で待機。
エセO村隆史、T島君がリーク、ぼくの機械での所業にクレーム。ほぼほぼ、生きている間に覚者にはなれない。ダ・ヴィンチ、ゾロアスター、イエス・キリスト、クリシュナルムルティ、他でもギリギリ届かない。生まれつきはクリシュナ、孔子、ティアナのアポロニウス、キリスト・マイトレーヤ、他。
夢の中の夢
寝ていたら28000円のTMNetworkのガジェットが当選しましたとの紙製の広告を母と父と見る。夢の中で視えた通りに、試しにデモ機を弾く。小室さんがトレーの上で1つ目に、ぼくは「会うときは其の姿で良い」軈て🐍に。蛇が通路の左の部屋に入る。ぼくは真ん中の部屋。其処で目が覚めたー。
夢の中で
③物質性が高くない②④描画を模索し、④音楽を聞きながら絵を描いている。
自宅のステレオで④②電子音楽を聞きながら、③⑦絵を描くことよりも④音楽を④③作曲することを夢見ている。
プレイステーション(白水晶)でストⅡ。睡眠中に波動拳、昇龍拳を操作した。
寿司で③玉を食べる。
マスター🌟🌟🌟
#宇宙人 ー『プロメテウスの交響詩』 次元拡大
#地球人 ー『文化人類学の本』 平面張力
瞑想と発見の文体 #クリシュナムルティ
#ベンジャミン・クレーム
妄想 #ダリ全画集 
#キリスト・マイトレーヤ
#宮村優子 #新世紀エヴァンゲリオン
#FFRK  #ファイナルファンタジー
夢の中で
ダリの薄い画集(新品)本人が表紙になっているものや、違う製品を含むものが他にも何冊もある。画集の高い方の一万円越えの値段のものにはぼくの言葉が入る?異なる次元の違う作品集が、重ね合わせるように、夢の中では、現実を越えて、超現実の中に、複数同じに存在できるようだったー。
夢で
結構広い間取りの素敵な部屋に元気な母が🇰🇷韓国語を聞く。来世が在ることが分かって、「きっとエネルギーが導くよ!」すっかり元気に。ぼくはFF7を大きなテレビでゲーム。テレビ中継。登校。昼食に恋人に会うために、30分も車で運転。女性は居合いの、アピールするも希望者多数にて時間切れ。
夢の中で
お爺さん想いの孫がいる老人養護施設にて死について話す。タモリさんに、「生きているという現実は依然として其処に在り、生きている以上、皆、死んでしまう。」ドッキリを仕掛ける女性の罠に、知らない振りをする自分と、隠れた場所から驚かそうとする2人の女性看護婦の漫画の姿が視える。
夢の中で
氷の結晶のアイコン(実際に手で持てる薄いCG)を
手にしてゲーム開発者の集い。第六光線は群青ではなく青緑にすべき事を覚る。はい×3、遊ぶのをやめました。
部屋程もある猫に襲われそうになり、もう少しでタブレットを割る所だったー。
60歳になって、幅広い見解を持つ者を弟子にした。
自分の部屋には壊れた?プレステと重なるように置いてあった(レコード盤?ポートフォリオ?のように薄い物)。寝ている筈の父の横に外付けHDのついたPC?でCDのバッハがかかっているのをCDを替えようとすると父が起きて、「人が寝ているのに、お前が出張してくれたんか?」と聞かれて目が覚めたー。
夢の中での洞察
⑦物質性の大主方の悪の住処は固まって動かない。太陽の黒点運動を観測していたレオナルド・ダ・ヴィンチは予めイニシエートのリストをベンジャミン・クレームに書かせて、自分の生涯の食べる量と寝る時間を計算して、丁度、自分の役割を全て果たして、死なずに次元が固まるのを希望。
信仰
夢の中で、薬を求める若者でいっぱいだったが、母が帰って来ると、皆が蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。壁には一面に顔面崩壊した死人のように悲惨な相貌の面々の写真。「ティアナのアポロニウスを信じなさいー。」水色のカバーのAndroidのタブレットを(神様が)夢の中で作ってくれたー。
マスター
夢の中でも、ぼくのゲームの腕は、まあまあですが、其れに対して、ゲームキングのO田君は電車の中で死んで?夢の中に戻り、泣く子も黙るほどの本領発揮ー。そして、FF、マリオ、その他全クリア、🎖️。一躍時の人にー。巧すぎて一同大爆笑でした。外人のキャスト?にも、大ウケしていました。
餓えと飢え
生き甲斐と意味のある意義深い人生についてー。
数ある書物の中で神智学(宇宙の霊学)の本を手にするぼく。(ぼく自身は哲学以外には音楽や美術には興味があるが、俳優はしたこともなく、尚更、まるで、演劇論には興味がない。)K野武が夢の中で老酒と酒の宛を口にする。食事がエネルギー。
三日が何分
売れ残った785円のパンを手にするが返そうとして、女性に助けられてO野克矩と再会。一緒に歩いて降り場で別れ、引き返して駅で緊急🚨システム作動!職員に補導され、あるがままを説く。前日にM井一郎。H下徹に保護され「百年前の発明。頭悪い、無冠。」母の声が聞こえて目が覚めたー。
夢の中にて
水屋に啓示され、直観した卒業制作として描くべき霊人の類型としての普遍的象徴としてのセフィロートと、腐ったオレンジ🍊。#グラマー #Glamour #幻惑
①#モリヤ覚者
②#クート・フーミ覚者
③#ジュワル・クール覚者
④#セラピス覚者
⑤#ヒラリオン覚者
⑥#イエス覚者
⑦#ラコーツィ覚者
#ニューアトランティス
夢の中で、#幽霊 を作る両翼のようなコピー機械の様なCMだった。#アストラル界 の幽霊 (複数)が複製されているような様子だった。オカルト科学が機械で複製される霊で養われた魔法物理なのか?其ともイニシエートの #霊的偏極 の結果としての #心霊現象 なのか?『非常識』
夢の中で
作家の皆に出逢えた事に感謝して、寸時、沢山の楽しい想いをして、思いの外、素敵な夢だったという事以外ほとんど記憶に残っていないー。チベットにいる生きている間の在りし日のベンジャミン本人に(ぼくはあなたのファンです。)作品を沢山、遺してやってください。」と言って目が覚めたー。
闇の館
ぼくの夢の中で皆で手を繋ぎながら支えあって、地震に備える旧友達だった。子どもの頃からのままの姿で、その繋がりは延々と続いて行くー。其れは丁度、愛の欠如のせいで、覚者方であっても、破壊をもたらす輩がいないわけではないようであった。皆の命を守りたい一心からの行動だったー。
夢の中で
ぼく(甲斐性なし)と釣り合いのとれる女性は早々はいないが、バツ3?のアラフォーのママ(繰り返し身籠った)とならぼくの初婚である再々婚は可能か?
次元が書き変わり軈て訪れたコロナの収束?以前の撲滅された天然痘のようなウイルスの様になればいいのですが。これがいつまで続くのか?
夢の中で
1つ前の夢は無意識の中に飲み込まれて、忘却されて失われてしまった。もう1つの夢は、池のようないっぱいの水の中に咲き誇るいくつものシャリンバイ?の花と一緒に浮かんだ朋ちゃん(華原朋美)が視えるというものだった。花がドロップされて、家にも3つ手に入れていたようであったー。
夢の中で
理由も分からないままに東京に呼ばれて、何故か下着とズボンで街を彷徨うぼくは自宅に電話で行き先を聞く。建物の上から指差されて暗がりの場所へー。ホテルの鍵を持った西洋女に辿々しい拙い片言の英語で話すとTOEIC 100点ぐらい?と聞かれて「弁護士合格を目指します!」と言う男がいた。
♓➡️♒夢
覚者方は知識のツールを与える。かつては、スピリチュアリティは聖書であり、新聞でした。タブレット端末は(霊性と物質性の媒体であり)魔法的であり、昔はなかった。最近まで信仰の対象となるのは、心と理想主義と精神性だけでした。①文学、②絵画、③彫刻、④音楽、⑤化学、⑥夢、⑦建築
#Air  
科学と常識ー夢の中のミニマムの思考実験 
電気はある➡️紙に絵が出るアストラル光で教育OK!
食べ物がない➡️セレブが庭に東洋麺を設置。
スペースもない➡️小人は✈️飛行機でも空気抵抗極大➡️夢の崩壊
#音楽 が #オーラ になる #風の民
#方向音痴 は重力運動しないせい?
『#兜率天』
#素粒子物理
夢の中で、浜ちゃんが50時間テレビに参加していました。壺や印鑑を高額で御布施で買わせて破産させて巻き上げた金を韓国に送る統一教会でも頭のいい人はいるのか?ただ単に頭脳の想記力がいいだけ?#素粒子論 を書いた人は真の #哲学者 であると一緒に勉強しました。あぶない🪒の刃。
夢の中にて
#タカオカ目線 でお馴染みの、高岡さんの授業を受けていました。
最後まで残って、遺伝子の本、暗記系の本、漢字の辞書(新字源)、その他を持って、ぼくは物覚えが悪い(右から左)のでどうすれば、勉強ができるようになるのか?聴きに職員室に行きました。特に解決方法もない様ですがー。
#宇宙意識
#異惑星 はガス状態(多くは地球人には耐えられない毒状態)でできており、生存するのに耐えられない #地獄界 であり、戻れる身体が此方の地球にあるから、御霊にて夢の中の其処へ行く事ができる。身体持ちでの #テラホーミング(異惑星への参入)は現実的ではない。美しい #霊界 は何処に?
夢の中で
漫画の本を読んでいたら、ぼくの未来予想図(放送予定のアニメの番組編成のイラストと設定資料集でぼくのアバターとその他の登場人物の相関関係がびっしり)描かれていた。ところで、もちろん内容は㊙️です。感謝しています。ありがとう!夢の中で昔のアナログ式のテレビを点けたら本が溶けた。
レトロブーム
夢の中で、プレステを1万5000円(!)で、プレステONEを2万5000円(!)で、売ろうとしていました。今となってはそんな値段で売れる筈もないですが、プレステ(今も持っています)とプレステONE(ぼくは買ってないので持っていない筈のモノ)がありました。自宅で、父と母と一緒です。
夢の中で
小林武史さんと夢の中であってほんの少しだけ、話をした様でした。ぼくはファンである事を言いました。遮るようにスタッフに促されて?直ぐにその場を去りましたが、最近は、日頃あまり聴いていない旨も述べました。ディテール「細部」は記憶の彼方にすっかり忘却され曖昧で、ごめんなさい。
夢の中では
父と母とぼくの家に地震が起こり、硝子が割れ、下の階に落ちる。小室さんが危険な運転。SuperCarで左右を確認しながらも、追い越しの車?が走ってくるのに、右折も左折も減速もせず、右側を直進。(#straightrun) 相手の車に、向かって左側の路側帯から、超小型機が突っ込んで、追撃した。
夢の中で
瞑想中に、一瞬の間、気を失いかけて、うとうとしていると、タブレット端末の色違いの1回目のオレンジ、2回目にはブルーの其々の #Doodle の壁紙 #Pixel4 が視えたー。
夢の中で
右手の丸い取っ手がハズレて、その覗き穴から倉庫に色気のある本のコレクションが大量にあったのがバレて、父と母に掃除された。慌てて、ぼくも回収しようとする。
アラブ雑貨店
店主が書物やタブレット(激安)まで売っている。『魔法の本』が目を引く。幅広く書籍が並べられていたー。
夢の中で
この世に生まれる事は霊的進化の目的を達成する為に行われる犠牲的行為である。其れ以外に生まれ変わる理由なんてない。#ベンジャミン・クレーム 他、が意外に元気そうだった。ぼくも自分にできる事だけはしていたい。目覚めるぼくに「今から起きるの?」苦言を呈する医者の一団であったー。
夢の中で
白と金色の光の中で母と道に迷う新しい光の町。建物の一階で、#ベンジャミン・クレーム の #VHS を掛けようとして、一部から歓声が上がったが、やっぱり止めたー。
先日には、夢の中で #仏陀の徴 である白い光を受けたー。
夢の中で
カイダンを上がる浜田雅功とぼくでした。丘を越えてどんどん進む。
延々と歩く🚶🚶‍♂️軽快な足取りで滅茶苦茶速い。ぼくはヒョロヒョロで付いていくのがやっとでしたー。
母が入れた水にぼくが大きな氷を加えたら、殆ど溶けて水となる筈が、何故か殆ど水蒸気となって水は消えてしまったー。
#小室哲哉 #キーボードマガジン
夢の中で、#スピーカー、#PC, #オーディオ 関連のサイトのイメージが、極薄のカミ媒体に広告されていました。手にとって、視てみると何れも、今となっては、残念ながら、以前の前時代的な代物でしたー。今でも、音楽は好きですが、直ぐに飽きが来るので困りますー。
夢の中で
青瓢箪ではダメなんでと、少し鍛えた様子のO野君、久し振りに会った。今からでも、また友達だったら良いのになー。良い夢だった。
ローズクオーツ色(!)の #イヤホン とケーブル、そして箱の中にアダプターがあるようだった。自分の部屋に戻って、組み立てようとしていたら目が覚めたー。
夢の中で
#北島三郎 さんが夢の中で #小室哲哉 さんに、「ぼくも一曲書いて貰おうかなー!」と言っているのを視ていたー。手には小室さんの🎻?、裏面に🎸を持つ小室さんの載っているアルバムー。の2枚の異なるジャケットを持っているのを見せてくれたー。音楽プロデューサー #TK こと 小室哲哉。
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raka0103 · 2 years
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北方謙三「楊家将」(上・下)を読んで/あるいは二次創作における作文作業への応用可能性について
久々~にブログを動かしました。前回書いた記事がなんと3年半前の書きかけの旅行記という体たらく。観劇の感想とか��最近全然書けてないですね…。
こちらは小説の感想文と見せかけて、twitterに書けばいいのでは?というような読書体験にかこつけた自語り記事です。あまりにも雑文過ぎんか?とも思いつつ、「記しておきたい欲望のままに長文を書ける機会」というのは案外巡ってこないので、文章のリハビリがてら書き残しておく。
なぜ読もうと思ったか:
今回読んだのは著:北方謙三の「楊家将」上下巻。史実を基にした中国歴史小説で、 第38回吉川英治文学賞受賞作品です。 課題図書とした理由は、有体に言えば作家買いでもありテーマ買いでもあり。まあ要は私なりの選定理由があり、ジャケ買いしたわけではないということ。
~ここで自語りへ~
オタクこと私が二次創作するにあたり採る手段は概ねイラストや漫画なんですが、ごくごく稀に文章も書きます。
どういう時にどの表現手法を選択するのかという質問への回答は今は持ちあわせていないんだけど、なんとなく「ひとつの話の中で書/描ききりたい時間軸が長くなるほど小説を選択する傾向がある」かもしれないな、と今これを書きながら思った。あとは、バックグラウンドについて(キャラクターのみならず彼らを取り巻く世界に関するもの)の説明必要性が大きいほど、文章で書くほうが手っ取り早いと感じているような気もする。 小説の方が書ける、と言うよりは漫画で描き切れないなと言う時に文章を選択していると言えなくもない…かも。
そして今現在の私が同人誌として出したいなと構想を練っているネタは、「私が考えた最強の歴史」という名の捏造設定の説明をある程度してから本題に入っていく構成で考えています。そのため、今回は小説の方が構成しやすそうだなと判断して創作していく姿勢をとっている。ただ、現時点ではどうも書き出しの上手く筆が乗ってこない…ので、これまでの読書体験を振り返って参考になりそうな文章やストーリー構成を書き手側の視点に立って読んでみる試みをしてみようと思い至った、という経緯でした。また、以前読んで面白かったお話を丁寧に丁寧に読み解くのではなくて、せっかくなら新しい小説でそれをやってみようと。私だけかもしれないけど、ちょっと齢を重ねてくると「面白いかどうかわからない話を博打で読むよりも10代のころに読んで面白かった話を何度も何度も読み返す」ことを選んでしまいたくなるのですが、せっかくの機会なので新しい刺激も得ておきたいし…
そういう流れから、世界観・バックグラウンドを説明しきるタイプの創作事例として参考になるかなと思い至ったのが、かつての自ジャンルであった歴史を取り扱った小説。三国志のオタクをやっていた当時に読んだのが、著:北方謙三の三国志だったんですよね。氏の小説で、今まで触れたことの無い題材を扱っていて、尚且つサクッと読める文章量で…という条件に当てはまったのが「楊家将」上下巻。そんな感じで決めました。
概要・推し・大まかな感想・わかったこと
舞台は中華、宋の時代。三国鼎立の時代を遥か昔に過ぎて、隋・唐と言った世界史初心者にもお馴染みの王朝すらも終わった後。え?それならかなり近代の話では…という気にもなりましたが、宋の建国は960年でした。この時日本は平安時代なので全然近代でも何でもない。いやあ中華の歴史は偉大ですね(いち歴史ファンとしてのコメントです)。
宋・遼という2国が覇を争う戦いの中、それぞれの国家において武人としての誇りを持って生きた"楊業(ようぎょう)"と"耶律休哥(やりつきゅうか)"、ふたりの武将を中心に描いた歴史小説でした。いやー面白かった。詳細はまた別途書けたら書こうかなと思うけど、大河だなぁ…という読後感でした。何となーく描かれる悲劇の内容的に、項羽と劉邦みを感じなくも無かった。
それはそれとして、今作の私の推し。遼国で最大の権力を持つ、蕭太后という女性でした。 蕭太后は若くして帝となった聖帝の祖母なんですが、作中年齢なんと42歳。42歳で祖母かぁ…。戦局を見極める才覚や配下の将軍たちの力量を適切に見極める慧眼を持ち合わせ、��情家でありながらも敗戦時には冷静な判断を下せるといった、正にカリスマとして描かれている。いや強い女なんて言うものはねえ、皆好きです。まあ乱世における戦場のお話なのでどう転んでも楊家将自体は「男の物語」ではあるんですけど、その中でも男達から畏怖と敬意を向けられる存在である彼女はとっても魅力的な人物だった。 言うて北方氏の創作か?(歴史小説家、こうした創作を手つきとしてやりがち)と思ったんですけど、聡明な女性であったことは事実らしい。かの有名な西太后も、自身の人生を蕭太后と重ねていたとのこと。西太后の楊家将への入れ込み様の一例として、当時講談や京劇として上演されていた脚本を自分好みに変えさせたりもしていたらしいと聞いて権力のあるオタクはやることが一味違うぜ…になった。※この解説文読んだ時に本当に声を出して笑ってしまった
全体を読み終わり、創作の方向性について抱いた感想は「これって歴史ものというよりは所謂ハードボイルドの文体なのでは…」でした。とはいえ思った時点で"ハードボイルドとは"を説明できる言葉を持ち合わせていなかったんだけど、ググったら「感情を交えず、客観的な態度・文体で対象を描写しようとする手法」とのこと。言われてみたら確かにそういうニュアンスを感じ取っていたな、と思う。
いやでも…おたくがさぁ…同人誌で表現したいのって、おおむねキャラクターの内面なわけじゃん…(人に寄るとは言え)。確かに楊家将自体は読んでいてちゃんと面白かったけど、これはちょっと自分の創作に有効に応用はできないな…と思うなどしました。
以下、作品より引用: (蕭太后は)四十二歳で孫の後見をする太后となったが、美しさは今も衰えていない。
(蕭太后は)戦略から人を見る眼まで、唖然とするほど非凡なものを持っている。太后ではなく、つまり男であったなら、この国は英雄と呼ばれる帝を戴くことになったのだろう。
人物を説明する文章としてこの辺とかズルいよ~~~!!!と思うもん…「そうか…蕭太后って美しいんだ…」「蕭太后は非凡なんだ…」って読者は思うしかない。様々な事柄について「これは事実である」として書いているの、強い。でもオタクも己の妄想を「"事実"だが?」と思って書くしかないんだよな…そういうメンタルセット的なところでは参考にできる…かもしれない…いや言っても三人称で書くというのは結局こういうことなのかもなー。
私が今まで書いていたのは、三人称一元視点というやつなのかも。
読み終えて①
今回読んだ楊家将というお話、私はそもそも寡聞にして知らなかったんだけど、本場中国では三国志や水滸伝にも負けず劣らず大人気とのことでした。読み進めながら素人なりにその理由を考えてみたけど、年功序列やら男性の優位性やら家族主義やらが当たり前のものとして描かれるあたりで「思いっきり儒教思想がベースになっているからだろうか…」という安直すぎる回答しか用意できず。まあでもそんなの歴史って押しなべてそうだろうがよ…の気持ちで答え合わせのつもりで解説を読んでみたところ、「唐の時代までは強かった漢民族は宋の時代にはなぜ異民族(遼は 契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝 )による度重なる侵攻を受けて)弱くなったのか?を自問するため」というなかなかにセンシティブな理由だった。なるほど…なるほどね…
読み終えて②:すごくどうでもいい話
遼の将軍:耶律休哥が、自分の配下五千の騎馬隊から更に選抜した 百の精鋭に「"赤い具足"を身に着けさせる」というくだりがあって、そこを読んだ瞬間に「あれ?三国志でも呂布でこれやってたよね?」という記憶が蘇った件。ただ読んだのがあまりにも遠い昔過ぎて全然自信が無かったんだけど、後で確認したら呂布が赤い布身に着けて戦場に出ていく、というやつを北方三国志で確かにやっていた。氏の手癖なのか!?と思ってひとしきり笑ったけど、こんなところまで記憶が残っているんだなということに謎の感動を覚えるなどしました。いやしかし10代の頃に植え付けられた記憶、鮮烈すぎ。一生残るんだろうな…
おわり。
頑張って二次創作するぞ。という話でした。特にオチはない。
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ari0921 · 4 years
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日本に「見えない戦争」を仕掛け始めた中国
日本は「全政府対応型アプローチ」で備えよ
2020.11.16(月)
樋口 譲次
「新しい戦争」の形
 21世紀の戦争は、国家が堂々と紛争の解決を軍事的手段に訴える分かりやすい従来型の戦争から、知らないうちに始まっている外形上「戦争に見えない戦争」へと形を変えている。
 この「新しい戦争」の形を初めて実戦に採り入れたのはロシアである。
 その実戦とは、2014年のロシアのクリミア半島併合と東部ウクライナへの軍事介入であり、西側では「ハイブリッド戦」と呼んでいる。
 ハイブリッド戦は、『防衛白書』(令和2年版)によると下記のように説明されている。
 軍��と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法であり、このような手法は、相手方に軍事面にとどまらない複雑な対応を強いることになります。
 例えば、国籍を隠した不明部隊を用いた作戦、サイバー攻撃による通信・重要インフラの妨害、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などによる影響工作を複合的に用いた手法が、「ハイブリッド戦」に該当すると考えています。
 このような手法は、外形上、「武力の行使」と明確には認定しがたい手段をとることにより、軍の初動対応を遅らせるなど相手方の対応を困難なものにするとともに、自国の関与を否定するねらいがあるとの指摘もあります。
 顕在化する国家間の競争の一環として、「ハイブリッド戦」を含む多様な手段により、グレーゾーン事態(純然たる平時でも有事でもない幅広い状況)が長期にわたり継続する傾向にあります。(括弧は筆者)
 東西冷戦が終結して2000年代に入り、複数の旧ソ連邦国家で独裁的政権の交代を求めて民主化と自由を渇望する運動が起こった。
 非暴力の象徴として花や色の名を冠した、グルジア(ジョージア)のバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)、キルギスのチューリップ革命(2005年)などがそれである。
 また、アラブ諸国においても「アラブの春」と呼ばれた同様の運動が起こり、2010年から2011年にかけてチュニジアの民衆が蜂起した「ジャスミン革命」を発端として、エジプト、リビア、イエメンなどでも独裁・腐敗の政権が倒された。
 シリアでは激しい内戦が最近まで続いている。
 これらの民主化と自由を求める運動によって、かつての衛星国を失ったロシアでは、本運動は米国や欧州などの西側が介入・扇動し、旧ソ連邦国家やアラブ諸国住民の「抗議ポテンシャル」を活性化させた意図的な体制転覆あるいは陰謀であり、一種の戦争であるとの見方が強まった。
 そして、ロシアもまた、このような脅威に晒されているとの認識が高まり、安全保障・国防政策上の中心的テーマとして急浮上したのである。
 それを背景として、2013年2月に発表されたのが、ロシア連邦軍の制服組トップであるヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長による「予測における科学の価値」(『軍需産業クーリエ』、2013年2月27日付)というタイトルの論文である。
 ゲラシモフ論文は、「21世紀には近代的な戦争のモデルが通用しなくなり、戦争は平時とも有事ともつかない状態で進む。戦争の手段としては、軍事的手段だけでなく非軍事的手段の役割が増加しており、政治・経済・情報・人道上の措置によって敵国住民の「抗議ポテンシャル」を活性化することが行われる」と述べている。
 そして、ゲラシモフ論文による21世紀の戦争では、非軍事的手段と軍事的手段との比率を4対1とし、非軍事的手段の役割の大きさが強調されている。
 そのように、ゲラシモフは「戦争のルールが変わった」と指摘しており、いわば「新しい戦争」の到来を告げたのである。
 その後、2014年にウラジーミル・プーチン大統領が承認した「ロシア連邦軍事ドクトリン」は、前年のゲラシモフ論文の考え方を踏まえて作成されたとみられている。
 ロシアの2014軍事ドクトリンでは、政治的、外交的、法的、経済的、情報その他の非攻撃的性格の手段を使用する可能性が尽きた場合のみ、自国およびその同盟国の利益のために軍事的手段を行使するとの原則を固守するとし、最終手段としての軍事とその他の手段との連続性を示唆している。
 そして、同ドクトリンでは「現代の軍事紛争の特徴および特質」と題して10項目を挙げ、ハイブリッドという言葉こそ使っていないが、ハイブリッドな戦い方が現代戦の特色であることを強調している。
「現代の軍事紛争の特徴および特質」を時系列的にまとめると、次のようになろう。
平・戦時の境目のない戦い→ハイブリッド戦/グレーゾーン事態
①軍事力、政治的・経済的・情報その他の非軍事的性格の手段の複合的な使用による国民の抗議ポテンシャル(相手国民への宣伝戦・心理戦による懐柔)と特殊作戦(リトル・グリーンメン)の広範な活用
②政治勢力、社会運動に対して外部から財政支援および指示を与えること
③敵対する国家の領域内において、常に軍事活動が行われる地域を作り出すこと(東シナ海:尖閣諸島~沖縄、南シナ海)
軍事活動への移行
④軍事活動を実施するまでの準備時間の減少
軍事活動
⑤グローバルな情報空間、航空・宇宙空間、地上および海洋において敵領域の全縦深で同時に活動を行うこと(マルチドメイン作戦)
⑥精密誘導型兵器および軍用装備、極超音速兵器、電子戦兵器、核兵器に匹敵する効果を持つ新たな物理的原理に基づく兵器、情報・指揮システム、無人航空機および自動化海洋装置、ロボット化された兵器および軍用装備の大量使用(技術的優越/先進的兵器)
⑦垂直的かつ厳密な指揮システムからグローバルな部隊および指揮システムネットワークへの移行による部隊および兵器の指揮の集中化および自動化
⑧軍事活動に非公式の軍事編成および民間軍事会社が関与すること
(以上、括弧は筆者)
 つまり、「新しい戦争」の特徴・特質は、まず、純然たる戦時と認定しがたい条件の範囲内で、軍事的手段と非軍事的手段を複合的に使用し、相手の知らないうちに外形上「戦争に見えない戦争」を仕掛ける。
 それによる可能性が尽きた場合には一挙に軍事活動へと移行し、最終的に最先端技術・兵器を駆使したマルチドメイン作戦による軍事活動をもって戦争の政治的目的を達成することにあると言えよう。
 ロシアは、旧ソ連邦国家やアラブ諸国の民主化や自由を求める運動を西側による体制転換の脅威として非難しているが、むしろそれを逆手にとり、実際にウクライナやシリアで「新しい戦争」を展開しているのはロシアの方である。
 そして、最近ロシアとの軍事的接近を強めている中国が、「孫子」の伝統と2人の軍人によって提唱された「超限戦」の思想と相まって、従来と形を変えた「新しい戦争」を描く「ロシア連邦軍事ドクトリン」に関心を示さないはずはないのである。
すでに始まった中国の対日“戦争”
 習近平国家主席は、故毛沢東主席のほかに、ロシアのプーチン大統領をロール・モデルとしていると言われている。
 クリミア半島併合などの実戦で採用された「ハイブリッド戦」に代表されるロシアの軍事ドクトリンは格好の教材である。
 習近平主席は、中国のシンクタンクにその研究を命じ、それによって、中国の台湾統一戦略や尖閣諸島・南シナ海などへの海洋侵出戦略に大きな影響を及ぼしていると見られている。
 そこで、中国がわが国に対して仕掛けている「新しい戦争」について、ロシアが挙げる「現代の軍事紛争の特徴および特質」に沿って分析してみることにする。
①「軍事・非軍事手段の複合的使用等」について
 中国は、軍事や戦争に関して、物理的手段のみならず、非物理的手段も重視しているとみられ、「三戦」と呼ばれる「輿論(よろん)戦」、「心理戦」および「法律戦」を軍の政治工作の項目としているほか、軍事闘争を政治、外交、経済、文化、法律などの分野の闘争と密接に呼応させるとの方針も掲げている。(令和2年版『防衛白書』)
 米国防省によると、輿論戦は、中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を得るとともに、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的としている。
 心理戦は、敵の軍人およびそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとする。
 また、法律戦は、国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処するものである。
 中国は、海洋侵出の野望を実現するため海軍および海警局の先兵として海上民兵(リトル・ブルーメン)を活用している。
 海上民兵は、普段、漁業などに従事しているが、命令があれば、民間漁船などで編成された軍事組織(armed forces)に早変わりし、軍事活動であることを隠すため、漁民などを装って任務を遂行する。
 東シナ海の尖閣諸島や南シナ海で見られるように、海上民兵は、中国の一方的な権利の主張に従い、情報収集や監視・傍受、相手の法執行機関や軍隊の牽制・妨害、諸施設・設備の破壊など様々な特殊作戦・ゲリラ活動を行う。
 同時に、係争海域における中国のプレゼンス維持を目的とし、あるいは領有権を主張する島々に上陸して既成事実を作るなど幅広い活動を行い、中国の外交政策や軍事活動の支援任務に従事している。
 その行動は、「サラミ1本全部を1度に盗るのではなく、気づかれないように少しずつスライスして盗る」という寓意に似ていることから、「サラミスライス戦術」と呼ばれている。
「サラミスライス戦術」を行う海上民兵が乗船する漁船などの周りを海警局の艦船が取り囲み、公船の後方に海軍の艦艇が待機し、島や岩礁を2重3重に囲んで作戦する様子が、中心を1枚ずつ包み込んでいるキャベツの葉に似ているので、これを「キャベツ戦術」と呼んでいる。
 そこには、前述の通り、計算尽の巧妙な仕掛けが潜んでいる。
 まず、中国は、歴史的にも国際法上も日本固有の領土である尖閣諸島を、中国の「領海・接続水域法」で自国領土と規定した「法律戦」に訴えつつ、妥協の余地のない「核心的利益」と主張している。
 その虚構の上に、尖閣諸島周辺海域で漁船(海上民兵)を活動させ、その保護を名目に法執行機関(海警)を常続的に出動させている。
 そして、「釣魚島は中国固有の領土である」という題目の白書を発表するとともに、いかにも尖閣諸島を自国領として実効的に支配しているかのように国際社会に向けた大規模な「輿論戦」を繰り広げている。
 同時に、日本および日本国民に対しては力の誇示や威圧による士気の低下を目的とした「心理戦」を展開している。
 このように、中国の日本に対する「戦争に見えない戦争」は、すでにこの段階まで進んでおり、中国の尖閣諸島奪取工作は危機的状況にまで高まっている。
 そして、中国は、同島周辺地域で不測の事態が起きることを虎視眈々と窺っており、もしそのような事態が発生すれば、力による現状変更の好機と見て軍隊(海軍)を出動させ、軍事的解決に訴える態勢を整えているのである。
②「敵対国家内の政治勢力や社会運動に対する財政支援・指示」について
 米有力シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)は2020年夏、「日本における中国の影響」についての報告書を発表した。中でも、中国の沖縄工作が注目される。
 報告書は、中国が世界中で展開する戦術には、中国経済の武器化(取引の強制や制限)、 物語的優位性の主張(プロパガンダと偽情報)、エリート仲介者の活用、在外華人の道具化、 権威主義的支配の浸透などがあるとした。
 こうした工作を中国は日本に対しても行い、表向きの外交から、特定個人との接触などの隠蔽、強制、賄賂による買収(3C=covert, coercive and corrupt)を用いているとしている。
 特に、尖閣諸島を有する沖縄県は、日本の安全保障上の重要懸念の一つであり、米軍基地を擁するこの島で、外交、ニセ情報、投資などを通じて、日本と米国の中央に対する不満を引き起こしていると指摘する。
 報告書は、中国共産党が海外の中国人コミュニティに影響を与えるために使用する多くの方法の一つが中国語メディアであり、ニュースメディアを通じた中国の影響力の最も重要なターゲットは沖縄だと指摘する。
 この件については、日本の公安調査庁も年次報告書(2015・17年の『内外情勢の回顧と展望』)において、中国官製メディアの環球時報や人民日報が、日本による沖縄の主権に疑問を投げかける論文を複数掲載していることを取り上げ、沖縄で中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙���が潜んでいるものとみられ、今後の沖縄に対する中国の動向には注意を要すると問題提起している。
 そのように、中国が沖縄に「独立宣言」させる工作を進めている可能性があるとして懸念が広がっている。
③「敵対国家の領域内における軍事活動地域の創出」について
 中国は、尖閣諸島周辺の日本の領海や接続水域に法執行機関である海警局の艦船を絶え間なく送り込み、同諸島の領有をかたくなに主張している。
 この動きは、2019年から強まっており、今年、各国が新型コロナウイルスへの対応に迫られる中でもその攻勢はむしろ激化し、これまでとは違った危険な局面に入っていると見られている。
 尖閣諸島周辺での中国公船等による接続水域内入域および領海侵入は、今年4月中旬から110日以上連続した。
 そして、5月8日、日本の領海に侵入した中国海警局の2隻が、そこで漁をしていた日本漁船を追尾し続け、3日間にわたって領海への侵入を繰り返した。
 この件について中国外務省の報道官は、「日本漁船が中国の領海内で違法な操業をしたため海域から出るよう求めた」と主張した。
 すでに尖閣諸島は自国領であるとの前提に立ち、あくまで自国の海で主権を行使しているに過ぎないとうそぶく始末である。
 中国では、2018年1月に人民武装警察(武警)部隊が、また同年3月には武警部隊の傘下に海警局が、それぞれ国務院(政府)の指揮を離れ、最高軍事機関である中国共産党中央軍事委員会(主席・習近平国家主席)に編入された。
 この改編を通じ、海警局の法執行の強化および武警・人民解放軍と融合した軍隊化が図られた。
 その結果、尖閣諸島周辺海域で行動する中国海警局の艦船は、準軍隊としての性格と役割を付与され、東シナ海を管轄する人民解放軍の「東部戦区」とともに一元的に作戦行動をとる体制が整ったことになる。
 さらに、中国の立法機関である全国人民代表大会(全人代)は今年11月初め、海警局(海警)の権限を定めた「海警法」案の全文を発表し、国家主権や管轄権が外国の組織、個人に侵害されたときは「武器の使用を含めたあらゆる必要措置」を取れると規定した。
 また最高軍事機関である中央軍事委員会の命令に基づき「防衛作戦などの任務」にあたることも明記された。海警局の艦船は、大型化し、軍艦並みの兵器を装備しており、法制定後は海軍との連携を一段と強めるとみられている。
 前述の通り、海警局の艦船は、尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返しており、周辺で操業する日本漁船も「海警法」の対象となるのは間違いなかろう。
 このように中国は、日本領域内の尖閣諸島ひいては南西諸島周辺を焦点に軍事活動を行う地域を意図的に作り出していると見ることができ、今後、不測の事態が生起すれば、一挙に軍事活動へとエスカレートさせる危機が迫っていると考えなければならない。
④「軍事活動への短時間の移行」について
 中国は、東シナ海の尖閣諸島、南シナ海そしてインドとの国境で、領土的野心を露わにしている。
 今年6月に中国とインドの国境付近で発生した両国軍の衝突は、中国が自国周辺の領有権主張を巡り、一段と強硬姿勢を取るリスクを浮き彫りにした。
 また、その衝突によって、中国が国境付近の現状を変えるため、現場の比較的小規模な小競り合いを利用しごく短時間に軍事作戦へ移行することも明らかになった。
 同じように、中国の尖閣諸島を焦点とする日本に対する軍事作戦は、「Short, Sharp War」(迅速開始・短期決戦の激烈な戦争)になると見られている。
 そのシナリオの一例はこうだ。
 米国がINF全廃条約の影響で、東アジアに対する中距離(戦域)核戦力による核の傘を提供できない弱点に乗じて、中国軍は日本を核恫喝してその抵抗意思を削ぐ。
 同時に、対艦・対地弾道ミサイルを作戦展開し、それによる損害を回避させるべく米海軍を第2列島線以遠へ後退させるとともに、米空軍を北日本などへ分散退避させる。
 その米軍事力の空白を突いて、中国軍は、海空軍を全力展開して東シナ海の海上・航空優勢を獲得し、その掩護下に海上民兵や日本国内で武装蜂起した特殊部隊などに先導されて尖閣諸島をはじめとする南西諸島地域に奇襲的な上陸作戦を敢行し、一挙に同地域を奪取占領する。
 まさにその軍事作戦は、迅速に開始され短期決戦を追及する激烈な戦争、すなわち「Short, Sharp War」を追求している。
 その際、米陸軍および海兵隊は、中国軍の侵攻に遅れまいと第1列島線への早期展開を追求するため、中国軍の侵攻と米地上部隊の展開が交錯する戦場でいかに主導権を握るかがカギである。
 したがって、日本や第1列島線の国々は、米陸軍・海兵隊の受け入れをスムーズに行う体制を平時から整備することが重要である。
⑤「マルチドメイン作戦による戦争」について
 中国は、日米などが新たな戦いの形として追求しているマルチドメイン作戦(MDO)という言葉を使用していないが、それに相当する概念を「情報化戦争」と呼んでいる。
 中国は、2016年7月に公表された「国家情報化発展戦略綱要」などで表明しているように、経済と社会発展のための道は情報分野に依存しているとし、軍事的側面からは情報化時代の到来が戦争の本質を情報化戦争へと導いていると認識している。
 そして、「情報戦で敗北することは、戦いに負けることになる」として、情報を生命線と考えるのが中国の情報化戦争の概念であり、そのため、従来の陸海空の領域に加え、敵の通信ネットワークの混乱などを可能とするサイバー領域や、敵のレーダーなどを無効化して戦力発揮を妨げることなどを可能とする電磁波領域、そして敵の宇宙利用を制限する宇宙領域を特に重視して情報優越の確立を目指している。
 この際、中国の情報化戦争は、米国のような全般的な能力において優勢にある敵の戦力発揮を効果的に妨害する非対称的な能力を獲得するという意味合いもあり、新たな領域における優勢の確保を重視している。
 前述の通り、「孫子」の忠実な実践者である中国は、情報化戦争の一環として政治戦や影響工作も重視している。
 また、1999年に発表された中国空軍大佐の喬良と王湘穂による戦略研究の共著『超限戦』は、25種類にも及ぶ作戦・戦闘の方法を提案し、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙し、これらのあらゆる手段で制限なく戦うものとして今後の戦争を捉えており、中国の情報化戦争に少なからぬ影響を及ぼしていると見られている。
⑥「技術的優越の追求と先進的兵器の使用」について
 中国は、2019年10月1日の建国70周年の軍事パレードで23種の最新兵器を公開し、軍事力を内外に誇示した。
 その中で、超音速ミサイルや無人戦闘システム、電子戦などに力を入れていることが明らかになったが、パレードで公開された最新兵器はすべて実際に配備されていると説明されている。
 その一部を紹介すると下記の通りである。
 新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「DF-41」、極超音速滑空ミサイル「DF-17」、超音速巡航ミサイル「CJ-100/DF-100」、超音速対艦巡航ミサイル「YJ-12B/YJ-18A」、最新鋭ステルス戦略爆撃機「H20」、攻撃型ステルス無人機「GJ-11」、高高度高速無人偵察機「WZ-8」、無人潜水艇(UUV)「HSU001」など
 中国は、全般的な兵力やグローバルな作戦展開能力、実戦経験でなお米国に後れを取っているとはいえ、今や自国からはるか遠くで作戦を遂行する能力を持ち、インド太平洋地域の紛争を巡る米軍および同盟国軍に対する接近阻止・領域拒否(A2/AD)能力を有する自国製兵器を幅広く取りそろえている。
 中国は、米国に対する技術的劣勢を跳ね返すため、特に、海洋、宇宙、サイバー、人工知能(AI)といった「新興領域」分野を重視した「軍民融合」政策を全面的に推進しつつ、軍事利用が可能な先端技術の開発・獲得に積極的に取り組んでいる。
 中国が開発・獲得を目指す先端技術には、将来の戦闘様相を一変させるゲームチェンジャー技術も含まれており、技術的優位性の追求を急速かつ執拗に進めている。
⑦「ネットワーク型指揮システムによる部隊指揮・兵器運用の集中化・自動化」について
 中国は、建国以来最大規模とも評される「軍改革」を急ピッチで進めている。
 軍改革は、2016年末までに、第1段階の「首から上」の改革と呼ばれる軍中央レベルの改革が概成した。
 2017年以降は、第2段階の「首から下」と呼ばれる現場レベルでの改革を着実に推進し、そして「神経の改革」と呼ばれる第3段階の改革に着手している。
 中国は、中央軍事委員会に習近平総書記を「総指揮」とし、最高戦略レベルにおける意思決定を行うための「統合作戦指揮センター」を新設した。
 これをもって、習近平総書記が、統合参謀部や政治工作部などで構成される中央軍事委員会直属機関の補佐を受け、統合作戦指揮センターにおいて中国全軍を集中一元的に指揮する体制が整ったことになる。
 また、中央軍事委員会/統合作戦指揮センターの直下に、従来、総参謀部が持っていた多くの作戦支援部門の機能を統合し、航空宇宙部、ネットワークシステム(サイバー)部、電子電磁システム部および軍事情報部から構成され、情報の戦いを一元的に遂行できる戦略支援部隊が編成された。
 さらに、これまでの「七大軍区」が廃止され、軍全体で統合運用能力を高めるため、統合作戦指揮を主導的に担当する「五大戦区」、すなわち東部、南部、西部、北部および中部戦区が新編され、常設の統合作戦司令部がおかれている。
 これに先立つ2014年7月、環球時報(電子版)は、中国軍が2013年11月、東シナ海に防空識別圏を設定したのに続き、「東海(東シナ海)合同作戦指揮センター」を新設したと伝えた。
 合同指揮センターは、中国各軍区の海、空軍を統合し、東シナ海の防空識別圏を効果的に監視し、日本の軍事的軽挙妄動を防止するのが目的だと報じている。
 このように、中国は、マルチドメイン作戦としての情報化戦争で「戦える、勝てる」(習近平総書記)よう、統合作戦遂行能力の向上と効率的な部隊・兵器運用に向けて、ネットワーク型指揮統制システムによる部隊指揮および兵器運用の集中化・自動化に注力している。
⑧「軍事活動への非公式の軍事編成および民間軍事会社の関与」について
 中国は、2010年7月に国防関連法制の集大成となる「国防動員法」を制定した。
 同法は、有事にあらゆる権限を政府に集中させるもので、民間の組織や国内外に居住する中国公民に対して、政府の統制下に服する義務を課している。
 国防動員の実施が決定されれば、公民と組織は、国防動員任務を完遂する義務を負い、軍の作戦に対する支援や保障、戦争災害の救助や社会秩序維持への協力などが求められる。
 同法は、日本国内で仕事をしている中国国籍保持者や留学生、中国人旅行者にも適用され、突発的に国防動員がかかった場合、中国の膨大な「人口圧」がわが国の安全保障・防衛に重大な影響を及ぼす。
 そのことについて深刻に受け止め、有効な対策を練っておかなければならない。
 また、同法は、国が動員の必要に応じ、組織および個人の設備施設、交通手段そのほか物資を収容しおよび徴収することができると定め、その際の徴用の対象となる組織や個人は、党政府機関、大衆団体、企業や事業体等で、中国国内のすべての組織と中国公民、中国の居住権をもつ外国人をも含むすべての個人としている。
 つまり、本法律は、中国に進出している日本企業や中国在住の日本人をも徴用の対象としている点に注意が必要である。
 コロナ禍によって、マスクをはじめとする薬や医薬品、医療機器など、日本人の生命や国家の生存に関わる生活必需品や戦略物資が不足した。
 その原因は、中国でマスクを生産していた日本企業が中国の国防動員の徴用の対象となったことにあり、医薬品などを極度にまで中国に依存し、脆弱性を露呈した厳しい現実を決して忘れる��けにはいかない。
 他方、中国は、2017年に軍隊と民間を結びつけ、軍需産業を民間産業と融合させる「軍民融合」政策を国家戦略として正式採用した。
 その狙いは、軍の近代化のために民間企業の先進的な技術やノウハウを利用することにある。
 中でも、最先端の軍民両用(デュアル・ユース)の技術を他国に先駆けて取得・利用することを重視していることから、民間セクターと軍事の壁を曖昧にし、あるいは排除して軍事分野に活用する動きを強めている。
 そのため、国有企業と民間企業の相互補完的な関係づくりに取り組みつつ、米国の軍産複合体を目指すとともに、国有企業の規模・シェアの拡大と民間企業の縮小・後退を意味する「国進民退」を積極的に推進し、政府の官僚を「政務事務代表」としてアリババやAI監視カメラメーカーのハイクビジョン(海康威視)などの重点民営企業に駐在させ、政府官僚による民営企業の直接支配を始めている。
 このような共産党一党独裁体制下での軍民融合は、軍事力の近代化・強化がすべてに優先する「軍国主義」化に拍車をかける危険性がある。
 軍民融合政策と同時に警戒しなければならないのが、「国家情報法」である。
 同法は、「国家情報活動を強化および保障し、国の安全および利益を守るため」(同法第1条)、国内外の情報工作活動に法的根拠を与える目的で作られた。
 その第7条では「いかなる組織および国民も、法に基づき国家情報活動に対する支持、援助および協力を行い、知り得た国家情報活動についての秘密を守らなければならない」と定め、国内外において一般の組織や市民にも情報活動を義務付けている。
 つまり、中国は軍民融合政策と国家情報法を一体として運用しており、そのことは、日本の企業や研究者が意図せずして、あるいは気付かないうちに、人民解放軍によるドローンや人工知能(AI)などの民間の最先端技術や専門知識の取得を助け、新たなリスクを生み出す可能性があることを意味している。
 このように、中国は、軍事活動に民間の組織や公民を動員する体制を敷き、また、軍の近代化のために民間企業の先進的な技術やノウハウを利用するため、民間セクターと軍事の境界を曖昧にし、あるいは排除して軍事分野に積極的に活用する動きを強めている。
 以上、ロシアが挙げる「現代の軍事紛争の特徴および特質」に沿いながら、中国がわが国に対し仕掛けている「新しい戦争」の形について概要を説明した。
 それから読み解けることは、中国は、ロシアの軍事ドクトリンとほぼ同じ軌道をたどった行動や工作を行っているということだ。
 ロシアが、当初ウクライナで行ったこと、すなわち純然たる平時でも戦時でもない境目において、軍事的手段と非軍事的手段を複合的に使用し知らないうちに始められた外形上「戦争に見えない戦争」、それと同じあるいは更に厄介な戦争を、中国は日本に対しすでに仕掛けていることは疑う余地のない事実である。
 もし、それによる可能性が尽きた場合には一挙に軍事活動へと移行し、最終的に最先端技術・兵器を駆使した情報化戦争をもって戦争の政治的目的を達成しようとすることも、ロシアのクリミア半島併合や東部ウクライナへの軍事介入��同じと見なければならない。
「全政府対応型��プローチ」で備えよ
 「新しい戦争」の形である外形上「戦争に見えない戦争」の大きな特徴および特質は、軍事力を背景とし、軍事的手段と非軍事的手段を複合的かつ連続的に使用することにある。
 したがって、わが国の防衛も、軍事と非軍事の両部門をもって構成されなければならない。
 その軍事部門を防衛省・自衛隊が所掌することは自明である。
 では、これまで説明してきた中国の非軍事的手段である「輿論(よろん)戦」、「心理戦」および「法律戦」の「三戦」、そして政治、外交、経済、文化などの分野の闘争、さらに常態化しているサイバー攻撃などに対しては、どの行政組織がどのように備えているのであろうか。
 それ以前に、わが国が中国の「戦争に見えない戦争」の挑戦を受け危機的状況にあるとの情勢認識があるのか、ななはだ疑わしい。
 そこでまず、「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」や習近平国家主席の国賓来日など、誤った対中情勢認識に基づいた日中関係の推進は、直ちに是正されなければならない。
 そのうえで、中国の複雑多様な非軍事的手段による脅威を考えると、政府内各省庁のそれぞれの任務所掌事務・機能を結集した「全政府対応型アプローチ」(all government approach)を取ることが何よりも重要である。
 しかし、各省庁の縦割り行政では、効果的・実効的な対応は期待できないので、その弊害をなくし、政府が総合一体的な取組みを行えるよう、行政府内に非常事態対処の非軍事部門を統括する機関を新たに創設することが望まれる。
 例えば、内閣府または総務省に「国土保全庁」(仮称)を設置するか、米国の「国土安全保障省」のように、各省庁の関係組織を統合して一体的に運用する「国土保全省」(仮称)を創設する選択肢もある。
 そして、国家安全保障局(NSS)の補佐の下、国家安全保障会議(NSC)を国家非常事態における国家最高司令部とし、内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣および防衛大臣(4大臣会合)を中核に関係閣僚をもって国家意思を決定し、最高指揮権限者(NCA)である内閣総理大臣が軍事部門の自衛隊および非軍事部門を集約する「国土保全庁」あるいは「国土保全省」に対して一元的に指揮監督権を行使するピラミッド型の有事体制を作ることが必要だ。
 他方、わが国は「自然災害大国」であり、平成7(1995)年1月の阪神淡路大震災や平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災をはじめ、ほぼ毎年全国各地で大規模自然災害が発生し、その都度、共助、公助の不足が社会的課題として指摘されてきた。
 近い将来、南海トラフ地震や首都直下地震などによって国家的危機の発生が予測されている。
 併せて、中国による広範なサイバー攻撃や高高度電磁パルス(HEMP)攻撃があれば、一般住民をも直接的・間接的に巻き込まずには措かないのである。
 このように、国民保護や重要インフラ維持の国土政策、産業政策なども含めた総合的な対応を、いわば「国家百年の大計」の国づくりとして、千年の時をも見据えながら行っていくことが求められる。
 つまり、わが国の安全保障・防衛を強化するためには、社会全体でわが国を守る仕組み・取組みが不可欠であり、国民の「自助、共助、公助」への責任ある参画を促し、それを「民間防衛」の組織へと発展させることが更なる喫緊の課題である。
 一方、軍事部門を見れば、わが国は、戦後の「経済重視・軽武装」政策を引きずり、いまだにその充実強化が疎かにされている。
 最大の課題は、列国と比較して防衛費が極端に低く抑え込まれていることだ。
 日本は、中国の「情報化戦争」を念頭に、30防衛大綱で「領域横断(クロスドメイン)作戦(CDO)」を打ち出し、自衛隊の能力構築を始めた。
 CDOでは、従来の陸上、海上、航空の活動領域が宇宙空間へと拡大し、さらにサイバー空間や電磁波空間といった新たな活動領域が加わった。
 そのように、軍事活動の領域・空間が3つから6つへと一挙に倍増し、多領域・多空間に拡大して戦われるのが近未来戦の際立った趨勢である。
 そのため、これまでの自衛隊の組織規模をスクラップ・アンド・ビルト方式で再編成するのには一から無理があり、従来の防衛力を基盤として、中国の新たな脅威に対抗できるCDO能力を付加的に強化するには、自衛隊の組織規模の飛躍的拡大や最先端のハイテク装備の取得が必須である。
 また、CDO(米軍はマルチドメイン作戦:MDOと呼称)を前提とした日米共同作戦には、両軍のC4ISRをネットワーク化することが不可欠であり、そのような防衛力の整備には防衛費の倍増は避けて通れない。
 米国は、中国との本格的かつ全面的な対決に踏み出し、そのため今後、世界の分断が進むと予測されている。
 つまり、米中対立は、米中間に限られたものではなく、自由・民主主義を支持する国々と共産主義中国との対立であり、他ならぬ日本自身の問題である。
 その対立が前提の世界において、日本が二者択一で同盟国の米国をさて置き、中国を選択することがあってはならない。
 同盟が成り立つには、①価値の共有、②利益の共有、③負担の共有、そして④リスクの共有、すなわち戦略的利害の共有が必要である。
 米国が中国との新冷戦を決意している時、日本が安全保障・防衛上の利益のみを享受し、新冷戦において生じる米国の通商や金融、テクノロジー、外交、それに安全保障・軍事などの負担やリスクを、中国との経済関係を重視するあまり、日本が共有する明確な姿勢を示さない場合、同盟は成り立つはずがない。
 そのうえ、米国からは見放され、中国からは経済面で裏切られた上、安全保障上の敵対心を露わにされるのは必定である。
 コロナ禍とともに戦後最大の安全保障の危機に直面している今こそ、日本は米国との同盟関係を一段と深化させ、米国と同じ構えで中国に備えることが強く求められるのである。
 そして、日米同盟を基軸として、インド、オーストラリアの4か国(クワッド)に台湾などの周辺諸国やASEANなどを加えて、「自由で開かれたインド太平洋」構想(戦略)の下、インド太平洋版「NATO」へと発展させることが今後の大きな課題でもある。
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石平 : 『 中国共産党・暗黒の百年史 』 「 一方で権力を握ると腐敗が始まり、汚職が横行し、つぎに色欲が爆発する。カネにあかせて妾を大量につくる。そのお手当のために汚職がエスカレートする。これも毛沢東以来の、というより孫文以来の伝統なのである。 本書を読んだあとでも中国共産党を賛美する人がいたらお目にかかりたいものだ。 」 (宮崎正弘氏の書評より一部抜粋)
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皇帝🐧ペンギン
2021/07/02 07:08
・中国共産党史の暗部を描き尽くした衝撃作!
・2021年7月1日の結党百周年にあわせ、1年かけて書きおろした渾身作。中国共産党による数々の大虐殺と民族浄化、驚異の裏工作と周恩来の恐ろしい正体など、日本ではよく知られていない衝撃事実を多数掘り起こして読みやすくまとめた、中国共産党史の決定版!
「本書の構成は、一般の歴史教科書のように、歴史的出来事を時系列で羅列(られつ)したものではない。むしろ、今まで日本で刊行された「中国近代史・現代史」関連の書籍で、意図的に隠蔽(いんぺい)され、無視されてきた事実を一つ一つ拾いあげ、それを「中共の暗黒百年史」として再構成したものである」(本書「はじめに」より)
<目次より> 一章 浸透・乗っ取り・裏切りの中共裏工作史 二章 繰り返される血まみれの大量虐殺史 三章 侵略と虐殺と浄化の少数民族弾圧史 四章 紅軍内大虐殺、陰謀と殺し合いの内ゲバ史 五章 周恩来、美化された「悪魔の化身」の正体 六章 女性と人民を食い物にした党幹部の貪欲・淫乱史 七章 日本人をカモにした対日外交史と反日の系譜 最終章 危険すぎる習近平ファシズム政権の正体と末路
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🔴🔴🔴  周恩来は、スパイマスターで【卑劣漢】。 虚像と実像は違う。 毛沢東の【酒池肉林】は並外れていたが、同時に多くの同志を裏切っていた。  🔴🔴🔴
     ♪ 石平  『中国共産党 暗黒の百年史』  (飛鳥新社) @@@@@@@@@@@@@@@@@@
中国共産党は悪魔である、と開口一番、ただしい歴史認識に基づいた叙述がある。日中友好の幻想にまだ酔っている人には目から鱗がおちることになればよいが。。。
毛沢東がいかなる陰謀と殺人と破壊工作で党の主導権を確立していったかは、これまでにも多くが語られた。その意味で、本書はおさらいである。 
ようするに「百周年の誕生日をむかえた中国共産党がどれほど罪深く、それほど外道なふるまいをする危険な勢力か」を徹底的に、達筆に、しかも簡潔に要点だけを抉った。 
「世界最大のならず者国家中国の軍事的脅威と浸透工作によって、我が日本が脅かされている今こそ、中共の悪を歴史的に明らかにし、マフィア同然の反日反社勢力の罪悪と危険性にあたいする日本人の認識を深める」使命があると著者は執筆動機を語る。 
なぜか。 日本の一流(?)とかの学者、ジャーナリスト、学究らは中国共産党の革命史観にそって賛美するものしか書いていないし、天安門事件前までの中国史たるや、共産党代理人が書いた書籍しか市場に流通していなかった。
そのでっち上げ史観に日本のインテリが影響を受けている実態はじつに情けないではないか。 
ウィグル族の弾圧を欧米はジェノサイドと認定し非難している。ところが、日本は与党内の親中議員と公明党によって反論が渦巻き、決議さえ出来ずにいる。
なにしろ与党幹事長を基軸に与野党を問わず親中派議員がぞろぞろと国会にいるからであり、新聞テレビで、まともに中国共産党の暗黒面を伝えるのは産経新聞しかないではないか。
経済制裁にさえ、日本の財界は加わらないで、むしろ対中投資を増やしている。この愚劣な幻想行為は、なにからおきているのか。
中国共産党のマインドコントールに嵌って贖罪意識を植え付けられ、日本が悪かった、日本が中国様に謝罪し、そのためには経済援助を惜しんではならないという善意の発想を基礎にしている。
この善意は、中国が展開した高等戦術、その洗脳工作から産まれた日本人の意識の破壊、つまり考える前提を破壊し、中国寄りに思考を組み変えることからおきているのである。 
中国的共産主義のおぞましさと残忍さの第一の例証は、かれらが権力を握る遙か以前から凄惨な内ゲバに明け暮れていたことである。
その実態は匪賊と代わらず村を襲撃して地主や有力者の財産を取り上げ、公開処刑して、村を暴力で支配し、それが解放区などと美化した。実態は大量虐殺でしかなかった。 
大量虐殺は権力を握った後の国内で更に大規模に繰り返され、つまりは皇帝毛沢東の独裁にさからう者は、たとえ「革命の同志」であっても、残忍な拷問の末に殺された。
周恩来は、毛沢東の上司であったのに、いつのまにか家来となって生きのびた。 狡猾な卑劣漢である、と著者は言う。 
ついで少数民族の虐殺と民族浄化であり、南モンゴルからチベット、そして現在はウィグル自治区でジェノサイドが続行している。 
一方で権力を握ると腐敗が始まり、汚職が横行し、つぎに色欲が爆発する。 カネにあかせて妾を大量につくる。 そのお手当のために汚職がエスカレートする。 これも毛沢東以来の、というより孫文以来の伝統なのである。 
本書を読んだあとでも中国共産党を賛美する人がいたらお目にかかりたいものだ。
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( 下記は、Amazon の レビューよりの転載です。)
日本人必読の書! 昨日届き、一気に読み終えました。 夜寝る前に読むには、「精神的に良くない本」でしたけど。
予想していたとは言え、それを遥かに超える「残酷な歴史」がまとめられています。 未だに中国に「幻想」を持っていたり、「暗黒面」に目を背け、ずぶずぶの関係にある政治家や官僚、財界人、マスコミ人、学者やコメンテーター、そして活動家たちは、こういった事実をどう考えるんでしょうか?
もし日本をはじめ世界が中国共産党の支配下に置かれたら(「自治区」や「世界統一政府」などを含む)、ここに書かれたことが間違いなく起こるでしょう。それこそ、世も末です。
私は��類は、これまで様々な「経験」や「歴史的出来事」等を通して学び、少しでも素晴らしい世の中になってきていたんだと信じていますが(もちろん「マルクス主義」や「階層史観」のことではない。私はそういった世代ではない)、中国共産党の侵略の手がさらに伸びれば、時代は大きく逆行するでしょう。
中国共産党や国民党により無残にも殺害されまくった数千万(数億人?)の人たちの尊い犠牲を繰り返さないためにも、何とかしないと大変なことになります。
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石平氏渾身のライフワーク 「はじめに」で、石平氏は、2021年7月1日の中国共産党結党百周年を「記念」して、1年以上の時間をかけ、渾身の力を振り絞って、「中共百周年の暗黒史」をテーマとする本書を書き上げたと述べている。 石平氏は1989年、日本の大学院に入り、中国近代史が日本でどのように書かれているか、日本の権威ある大手出版社から刊行された書籍を色々読んでみて、唖然としたという。日本の知識人たちが書いた中国近代史のほとんどは、中国共産党の「革命史観」に沿って書かれた、中共への賛美そのものだったからである。 中国共産党の外道ぶりと悪辣さを自分の目で見てきた石平氏は、日本の「中国近代史」の本を読んで、唖然としたり、憤ることがよくあるという。中共シンパの日本の知識人が書いた「中共史観の中国近代史」が広く読まれた結果、日本では中国共産党に親近感や甘い幻想を持つ財界人や政治家が数多くいるように思われる。
石平氏は嘘と偽りで成り立つ「中国共産党革命史観」を日本から一掃するため、そして中共の歩んだ極悪の百年史を日本の読者に示すため、この書を書いたのである。
33万人の長春市民を餓死させた「兵糧攻め作戦」、数千万人の人々を餓死させた「大躍進政策」、1千万人以上が虐殺された「文化大革命」については、これまでに石平氏の著書等で読んできたが、それ以外にも数十万人単位の大量虐殺が絶えず繰り返されてきた。 中共が好む殺人法はいつも「公開処刑」であり、必ず大衆を集めてきて、大衆の目の前で殺戮を行った。民衆に恐怖心を徹底的に植えつけて、彼らが政権に反抗できないように仕向けたのである。 「党を守るために虐殺も辞さない」という態度は、毛沢東時代に限ったものではない。鄧小平の時代においても、このような虐殺が実行された。 1989年の天安門事件では、石平氏と面識のある数名の同志たちが虐殺された。この天安門事件で殺された若者や市民の数は、今でも「最高国家機密」として封印されたままである。数千人はいると思われる。 そして他民族へのジェノサイドである。総人口の約5分の1の120万人が殺されたと推定されるチベット人虐殺は、今なお続いている。次に規模が大きいのが内モンゴルに住むモンゴル人の虐殺である。 現在、習近平政権によるチベット人、ウイグル人などの民族浄化政策は、世紀の蛮行と言っていい。習近平政権は間違いなく21世紀のナチスと化していると、石氏は述べている。
人民を奴隷として支配し、苦しい生活を強いながら、中共政権の幹部たちは贅沢と淫乱を貪る生活を送ってきた。その一方で彼らは、結党当時から残酷な党内闘争を繰り返し、殺し合いの内ゲバを展開した。時には、自分たちの仲間に対してもお家芸の大量虐殺を辞さなかった。 この極悪な中国共産党が百年に渡って存続してきたこと、そして70数年間にわたって中国を支配してきたことは、中国人民および周辺民族の最大の不幸であり、悪夢でしかなかったが、これが終わる気配は残念ながら全くない。むしろ習近平政権の下、中共のもたらす災禍はますます激しくなり、中国大陸周辺の我々近隣国にも及んできている。 幸い、この数年間、自由世界の多くの国々では中共政権の邪悪さへの認識を深め、中共政権を封じ込める中国包囲網の構築に乗り出した。 ウイグル人・チベット人に対する民族浄化の人権侵害に対し、そして彼らが香港で行っている人権侵害に対して、自由世界は一斉に立ち上がり、習近平政権への「NO」を突き付け始めた。更に安全保障の領域においても、自由世界主要国は連携して、中国共産党政権に対する総力的な闘いを挑み始めた。 中国共産党という悪魔のような政党の歴史は、習近平政権の破滅によって終止符を打たれなければならないと、石氏は主張している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 浸透工作による百年の原動力――、まさしく中共のDNAである
本書は、中共百年の「悪のDNA」を受け継いで、世界の巨漢と化した今の習近平政権こそ、中共最後の政権となるべきである。中共という悪魔のような政党の邪悪な歴史は、習近平政権の破滅によって終止符を打たなければならない、として締め括られているが、石氏にしては歯切れが悪い。むしろ、「今後も百年は安泰」とも思える絶望的な嘆きの声と捉えるのが素直ではないか。
やはり、その辛辣さは、上塗りの中共誕生の歴史を振り返る他ない―――、袁世凱の死後の無政府状態が続き軍閥の群雄割拠の中で抜きん出てきた蔣介石率いる国民革命軍と毛沢東率いる中共の対立構造をみても、中華民国の国軍とされる国民革命軍に楯突いた中共とは何者か。
無論、国民革命軍の中核は、蔣介石と国民党の独裁体制にこそある。国民革命軍を率いて「北伐」と呼ばれる戦争で統一政府となった。その裏で実力をつけた中共は国民革命軍に殲滅されそうにもなった。しかし、二度の国共合作で生き残り、終には、武力をもって国民革命軍を中華民国の大陸から追い出し、現在の中華人民共和国を樹立に至る経緯がある。
その成功――、闇の力の原動力は、「浸透工作」にある。権謀術数を弄し、自己の打算にのみ腐心し、自分や一族のためにいつも私計を謀ろうとする「支那流為政者」は、「軍閥のDNA」と言ってよい。「腐敗の普遍化」は中共内部にも起こるのだが、「粛清によるクリーニング」(選別的な摘発)に「浸透工作」が一役買っている。それによって、「権力構造をむしろ安泰」に導くスキームが内蔵されている。これが、百年の原動力なのだ。
共産党総書記に就任して早々、習近平は唯一の政治的盟友である王岐山(おうきざん)という中共幹部を、腐敗摘発専門機関の中央規律検査委員会の書紀に就任させた。以降の5年間、習近平と王岐山コンビは二人三脚で、中共内における凄まじい「腐敗撲滅運動」を展開し、累計25万人以上の中共「幹部」が摘発され失脚し、あるいは刑務所入りとなった。この規模から言って「浸透工作」がないと実現はできやしないだろう。
さらに、「浸透工作」の凄みが本書で指摘されている――、鄧小平(とうしょうへい)が改革開放路線をスタートさせて外国資本を中国に誘い入れようとした時、中共のスパイ工作の長老格である能向暉は、新設された国策会社「中国国際信託投資公司」の副董事長兼党書紀に任命された。つまり、中共からすれば、「国民党の内部に潜り込むのも外国の資本を中国に誘い込むのも、全く同じ性格の浸透工作でしかない」と述べている。 このことからしても、普通の主権国家であれば、「外資に乗っ取られる」危険を感じるのだが、「外資を誘いこんで浸透工作を行う」という発想――、この辛辣さの凄みに驚愕するところでもあった。さらに、その一枚上を行く「コミンテルン」の視点で書かれていて、しかも随所にリアルを追求したエピソードが散りばめており、迫真に迫るものがあった。本書はお勧めできる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中国共産党は癌細胞! 「このやり方は、癌細胞とよく似ている。人の身体の中で健康な細胞を呑み込み、それを栄養に癌細胞はどこまでも繁殖していく。そしていずれ、寄生する母体を完全に食いつぶす。ここが、中国共産党の御家芸の浸透・乗っ取り工作の極意であり、最も恐ろしい側面である。」と石平氏は書いている。
日本国内を見ても、いろいろな部位?で癌細胞が侵食している。とくに、国会の中に寄生した中国共産党という癌細胞は最大の問題である。我々日本人はいつまでこの癌細胞と戦わなければならないのか!はやく、世界が協力してこの癌細胞に対する抗癌剤を開発しなければならない、と思う。
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keredomo · 3 years
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『八月の光』、分厚いですよね(後半)
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 後半です。前半ではクリスマスとジョアナを中心に愛と承認についてうだうだ書きました。後半では腹を括って書ききれなかった「信仰とはなにか」問題について書かねばなりません。書き切るためにも、とにかく気合でページを進めるのみです。デスマーチ……(私はものを読むのが得意でない)。  後半で取り扱う人物がまー軒並みクズでして、奴隷労働をさせられることになった怒りをフォークナーに癒してもらうために読み始めたはずが、より一層怒り狂うはめになりました。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:神がジェファソンに導き給うた。そろそろ産まれそう。
ジョー・ブラウン:自分が作った酒でアル中になるバカ。
ジョー・クリスマス:愛した女を殺し家を燃やして逃走中。賞金首。
ジョアナ・バーデン:愛の渦に飲み込まれ死亡。享年44歳。
バイロン・バンチ:おれがリーナを守る!夫に会わせてやるからな!
ゲイル・ハイタワー:実はバイロンとマブダチ。本は結構読むらしい。
 それでは参りましょう。悪態が炸裂して大変なことになりそうです。
【目次】
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
395ページ 「確信」への憧憬  
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
474ページ まるで死が賜物であるかのように
495ページ 黒人の神様
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
526ページ リーナの出産
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
やっと読み終わりました(656ページ)
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
 前半冒頭で「走る下半身」として紹介したジョー・ブラウンという男がいましたね。こいつの名前は偽名です。リーナの夫になることから逃れるために町を移り、名を変えました。本名(かどうかも怪しいが)ルーカス・バーチ、バイロン・バンチと名前が似ていた偶然がリーナを彼のそばまで運んできたのです。必然でしょうね。  このクソ野郎は、リーナから逃げて流れ着いたこの町に同じく流れ着いたストレンジャーであったクリスマスとつるんで密造酒の製造販売で儲けようとするのですが、脳が5gくらいしかないのであちこちでヘマをやらかしてクリスマスに睨まれます。とはいえクリスマス自身もストレンジャー特有の警戒心があり他に仲間にできそうな人もなく、同じくストレンジャーであるブラウンと一緒に過ごすことを選びました。宿のない彼をジョアナに与えられていた小屋に招いて共に暮らすようになると、ブラウンはクリスマスとジョアナが男女関係であることを知るようになります。へえ、こいつはおもしれえや。あの北部人の女とね。のみならず、クリスマスが酩酊して「自分には黒人の血が流れている」と独白するのも聞く。いよいよこいつの弱みを握ってやったぜ。こいつは使えそうだ。  それで、火事の現場に偶然居合わせたブラウンに容疑がかかった際、相棒クリスマスの複雑で繊細な事柄をぜんぶ、ぜーんぶぶちまけて、自分の利益に替えようとするわけです。我が身の安全とクリスマスの首に懸かった賞金の千ドルのために、知ってることをすべて警察に打ち明けて、「あいつが殺したんだ!あいつが悪人だ!」と喚く。「俺は何もかも知っている!犯人を明らかにしたんだから千ドルよこせ!」とぎゃんぎゃん叫ぶ。なんなんだこの下劣野郎は。最悪すぎる。
ブラウンはしゃべりたがった、熱心に大声でしゃべりたがり、どうやら彼がそうするのも千ドルの賞金が欲しいためだとすぐに明らかになったのだった。 「おまえは共犯証言をして自分の罪を軽くしたいわけかね?」保安官が尋ねた。 「俺はそんな証言したくねえよ」ブラウンは表情も声もやや荒っぽく、突っかかるように言った。「誰がやったか俺は知ってるんだ、千ドルくれれば話すんだ」
 ちょっと頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えないですね。それとも、この時代、1930年代のアメリカの南というのは、ここまで人を貶めなければ自分が生き延びることができないような時代だったのでしょうか。
 2020年を生きる私はブラウンのキャラクターに対してはっきりと憎悪をもっていますが、当時の土地や時代のことや、信仰のもう手に負えないほどの形骸化のことに鑑みるに、彼が神を無視し、慣習を無視し、父親となってこの世に囚われることを拒み、逃げ、逃げ続け、この世に反抗して生きられるのならば何だってやる、という態度を選択するのももしかすると一つの生き様なのかもしれない、とわずかな同情の余地をもつこともできます。彼の発言や行動の迂闊さと利己心をみるに、そこまで確固たる思想があるとはまったく思えないけど、絶対ないとは言い切れないよね。
 もちろん、どう擁護しようと、こいつのせいでリーナは孕んで共同体から疎外され、こいつのせいでクリスマ���はリンチに遭って死ぬわけです。  ですが、彼を悪であると断じていいのかどうかはわかりません。
 リーナはすごく晴れ晴れしく旅を続けています、この男を追う旅を。この小説のラストシーンは再びリーナの歩みで締めくくられるのですが、そのリーナの姿の晴れやかなことといったら。生きる勇気をもらえるラストシーンです。この美しさ、晴れ晴れしさは、未読の方には是非読み通して味わっていただきたいものです。  クリスマスは、これは想像にすぎないけれど、多分ジョアナを殺して一人になった時からずっと死にたかったのだろうと思います。二人で死ぬつもりだった女を一人で死なせて、彼はもう生きていくことはできなくなったような気がする。二人で死のうとしていたような女を一度人生に置いて、それから再び一人になるということはできないような気がします。
 ジョー・ブラウンの存在は、「引き金は意思を持たない」ということを示しているのかもしれません。事実、この世には、明確な意志で以って引かれる引き金なんかほとんどないのです(私たちが抗いながらも自殺に憧れる理由でしょうか)。
395ページ 「確信」への憧憬  
 これまでこの記事では愚昧な男バイロン・バンチと追放された牧師ゲイル・ハイタワーのことにはほとんど触れずにきました。どちらも物語の主要人物なのですが、どうも魅力に欠いて、それは彼らに主体性がないからだと思います。自己についても他者についても社会についても責任を有していない。呆れたことですが、一般的なことかもしれません。  動くことはもちろんsurviveするための能動的選択ですが、不動のまま耐え続けることもまた生き延びるための一つの選択肢でしょう。とくに共同体から疎外されては生きてゆかれないような状況では、動くことのほうが愚策であることが多い。  バイロンとハイタワーの両者は「耐える」ことを選んだ者でした。  ある側面では、この小説の結末について思えば、これはそういった「どこに自分を見出せばいいかわからない」ような生を生きてきた彼らを救済する物語であるとも言えるかもしれません。
「彼女はいまあなたがしているように僕を見つめてて、それから言ったんです、『その黒ん坊の名は何というの?』まるで神様が見るみたいに、人間の嘘から知りたいことだけを、尋ねもせずに、見つけだしちまうんです」
 バイロン・バンチがリーナに恋をするのも頷ける話です。確信を持つ人間は、従い続ける人間にはあまりにも眩しく見えるものでしょう。
 バイロン・バンチは、よりによってジョアナの死体と家が燃え上がっているまさにその時にジェファソンにたどり着いたリーナと偶然出会って恋に落ちます。「ルーカス・バーチ(下半身ジョー・ブラウン)を探していたら、バーチじゃなくてバンチならここにいるっていろんな人に言われたわ。バンチってあんたなのね。」みたいな感じで話します。今書き出してみて気づいたけど、売野機子の描く物語の登場人物にこういう話し方をする子がけっこういますね。『かんぺきな街』とか。
 バイロンがリーナを保護し、彼女の望みを叶えるためにブラウンに会わせてやろうとするその健気さ、甲斐甲斐しさというのは、明らかに当時理想とされていた男性像から逸脱したものです。言ってしまえば性役割が反転しています。ここがリーナというキャラクターの底知れなさで、この人、主語が一貫して「あたし」なんですよね。前半の登場人物紹介で「電波」と書きましたが、彼女を電波と言わしめる社会順応性のほうがどう考えても悪ですね。
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
 『いかん、わしはせんぞ。わしはお役ご免の株を買ったんだ』。それがいまは口でしゃべる言葉ほどになって、繰り返し、執拗に、主張するように、『わしはそのために支払ったのだ、値段をごまかしはしなかった。誰にもそうは言わせんぞ。わしはただ平和が欲しかっただけだ。言い逃れもせずに彼らの値段どおり払ったんだ』。
 『 』は作中人物が頭の中で考えた会話や独白を示すそうです(原文では ‘ ’ )。ゴシック体(原文はイタリック)となっている“意識の中を走る「思考の流れ」”との違いが相変わらずよくわかりませんね。より強く現実に即している思考ってことなのかな。
 本書ではバイロン・バンチとハイタワーの対話に少なくない紙面が割かれているのですが、この箇所ではバイロンがハイタワーにクリスマスを助けるための嘘をついてくれないかと懇願します。  バイロンはハイタワーに頭を下げつつ、「悪人と同様に善人にも負債が——償わねばならぬ負債が——あるとあなたに言いましたね」と話しています。ハイタワーはそんなこと、つゆほども承知していない。  先に「耐える」者として触れたとおり、そして上記の引用からも見て取れるような、「ただ悪事を犯さないというだけで“善人”である」というスタンスをとっていたハイタワーには、自分が支払わなければならない負債なんか到底あるとは思えないのです。  しかしその後、ハイタワーはほとんど自らの意志で「おつり」を受け取ることになりました。
 この場面の前後で、クリスマスの祖父母が新たに登場します。ここにきて新キャラ出すのやめろ。クリスマスの(微妙にたいしたことない)出生の秘密が明らかになると同時に、前半で触れた孤児院の「番人」はクリスマスの祖父だったことが判明します。孤児院のシーンでの描写でも完全にヤバい男でしたが、何がどうなってあんなにヤバかったのかが明らかにされて私も安心しました。詳しくは後ほど。
474ページ まるで死が賜物であるかのように
それでいてなおその音楽は冷酷で執念ぶかい性質を持ち、用心ぶかくて、わが身を犠牲にする情熱もなく、頼み、懇願するのだが、それは生をではなく、死を請い願っているのであり、他の新教音楽と同様、人々に生命を禁じるその高い調子は、まるで死が賜物であるかのように、死を請い願っているのだ。
 ハイタワーが今は自分の所属先ではなくなってしまった教会、そこで奏でられるパイプオルガンの音色について回想しているこの箇所は、明らかにイエス・キリストを擬人化(擬人化?)した挙句クリスマスに重ねている文章ですね。  この、クリスマスの心情を髣髴とさせる一節をハイタワー(堕落した牧師)の思念として描き出すのもなかなか皮肉に満ちていながら、……もしかすると、「わかりあえなさ」を強調しているのかもしれません。
この人々は喜びや陶酔には耐えられぬようであり、そこから逃避するために暴力と酒と喧嘩と祈りを用い、破滅するときにも、また、同様に、きまって暴力を用いるのだ だから彼らの宗教も当然のことに、彼ら自身やお互いを、十字架上に追いあげるようなものになるのだ と彼は考える。この音楽の内奥には、あの人々が明日はせねばならぬと知っているものに対する彼らの宣言と献身とが聞きとれるように思える。また、前の週は奔流のごとく過ぎ去り、明日に始まる来週は深淵であり、いまだけは瀑布(ばくふ)の落ち口に集まった水の流れが一つに調和して厳粛で朗々たる響きをあげているといったふうなのだ、それも弁明のためでなくて自らの落下を前にしての末期の挨拶であり、それを神へではなくて鉄棒のはまった監房に死を待つあの男へであって、その合唱ばかりか他の二つの教会の音楽も聞えてくる監房にいる男に、彼らは喜んで磔のための十字架を建てようとしているのだ。(太字箇所はここではゴシック体)
『というのも、あの男を憐れんだりすればそれは彼ら自身への疑問を生むことになるからだ、彼ら自身を憐れむ希望と必要を生むことになるからだ。だから彼らは喜んであの男を磔にする十字架を建てるのだ、喜んで。それが恐ろしいことなのだ、まったく恐ろしい、恐ろしい』
 思念はイエス・キリスト、クリスマス、そしてハイタワー自身が民衆から受ける仕打ちを重ね合わせながら、自己を守るために他者の理解を拒むという民衆的暴力の陰惨さに辿り着きます。  この箇所を他人事として棚上げすることは許されないように思われます。私たちが他者を拒むとき、それが暴力の行使にあたることにはほとんど気づきません。しかしそれは、『八月の光』あるいは聖書に描かれる実際上の血祭りとなんら変わりないと、ここにはっきりと記されていました。
 ハイタワーとクリスマスは、それこそクリスマスの死の瞬間まで一切、直接に接触することはありません。隠居しているハイタワーは、クリスマスの存在を知ってはいるものの、バイロンの噂話で聞きかじる程度です。  こうしてかつての自分が民衆から受けた迫害にあらためて思いを馳せる夜を経たことで、その後ハイタワーはクリスマスを暴力と死から逃そうとする行動をとることになるのですが、結局守りきれず、無力感に包まれたままハイタワーもまた孤独に息をひきとりました。
 直接に愛し合うことのない人間がほとんど唯一の理解者としてこの世に存在しうるということは、絶望でしょうか。それとも希望でしょうか。自分が生きながらにして享受できない救いははたして救いなのでしょうか。生前評価されなかった画家を死んでから愛でるというおこないの下劣について、私たちはどう折り合いをつければいいのでしょうか。
 死が賜物であると宣べるとき、私たちはこの生の耐え難い無力感から解放されることの安堵に支配されてしまうのでしょう。その安堵に抵抗し続けることの困難に、それでも立ち向かわなくてはならないのですが。
495ページ 黒人の神様
『坊や、なんであっしばかり見つめとるだね?』するとその子(引用者注:孤児院時代のクリスマス)は言った、『おじさん、どうして黒ん坊になったの?』それで黒ん坊が言った、『あっしが黒ん坊だなんて誰が教えたい? ええこの白人の父(てて)なし子め!』するとその子が言うんだ、『ぼく黒ん坊じゃないよ』、そして黒ん坊が言った、『おまえはそれより悪いだ。自分が何だか知らねえんだから。それもだ、これからずっと一生知らねえだ。おまえは行きて、そいから死ぬだがそれでも死なねえままだ』
 呪いがすごい。この呪詛によって、人種差別の罪、暴力でもって黒人を奴隷として使役してきた白人の罪のすべてがクリスマスに注がれています。神なき人の子に重すぎる原罪を背負わせるのやめろ。
そしてその子が言うんだ、『神様は黒ん坊じゃないよ』、そしてその黒ん坊が言うのさ、『おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ』。
 「神様は黒ん坊じゃない」!  その次の黒ん坊のセリフもまたすごいものですが、「神様は黒ん坊じゃない」という一節に衝撃を受けました。そうだよな、黒人の歴史においては、キリスト教が布教される(あるいは強制される)その担い手は白人だったわけで、それは書物ではなく口承と絵図とモチーフのみによって教えられたわけで、イエス・キリストは黒人の姿をしていない……。一度も考えたことがなかった。黒人にとっては、神の子は自分と同じ肌の色をしておらず、よりイエス・キリストの姿(と思い込まされているもの)に近い白人たちのほうが上等な生き物であると思わされてきたのかもしれない。白人たちも当然その傲慢に染まっていたことでしょう。聖書におけるイエスの肌は褐色であるにもかかわらず。  ここで私が割って入って「神様は黒ん坊でもないけど白人でもありませ〜〜ん残念でした〜〜〜!」と叫びながらハリセンでクリスマスの頭をはたけたら何か変わっていたかもしれません。悔やまれます。
 その直後の黒ん坊のセリフ「おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ」、こっちが真実ですね。どんなに正しいことに触れても、それが正しいと知らなければ受け取ることは叶わないのはやるせないものです。私もきっとおびただしい正しさを取りこぼして過って生きているのだろうな。
 それにしても、構造が明らかになるにつれフォークナーの筆力にひれ伏すばかりです。私事ですが、ここ何年かは、複雑きわまりない人生から「咀嚼可能なていどに簡易化をほどこした物語」を抽出することに取り組んできましたが、そろそろ「複雑な物語構造を組んで現実を再構築する」ということに取り組んでみたい気がしています。
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
 クリスマスの祖父について少し触れておきたいと思います。老ハインズと呼ばれている、町で噂のキチガイ爺です。「番人」の描写の時もやたらと神神神神言ってましたが、この人もまたあんまりよろしくない形で神と共にあり神を都合よくつかって救われたがっている人です。彼は常時、神と会話(対話でなく会話です)をしています。
老ドック・ハインズはあれが馬車に乗って出てゆくのを見送ってから、神様がおいでになるのを待っとると神様がやってきて老ドック・ハインズに申された、『おまえも行ってよろしい。おまえはわたしの仕事を果した。あとはもう女の悪業しか残っておらぬが、それはわたしの選んだ手先に見張らせる値打ちもないものじゃ』。
 クリスマスを孤児院から養父母に引き渡したあとのシーンですね。老ハインズは自分を神の使者だと思っているようです。  彼の一人芝居の滑稽さには正直ちょっと笑ってしまうのですが、直後に来るシーンはかなり切実で泣けてしまいます。
夜になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あれはまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズは神様と連絡をとっておってそして晩になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あの子はまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズはなおも神様と連絡をとっておって、そしてある夜に彼はもがいたり荒れくるったりしてから大声で叫んだ、『あの父なし子、神様! わしは感じます! わしは悪魔の歯と牙を感じます!』そして神様が言われた、『それはあの私生児じゃ。おまえの仕事はまだ終っておらん。彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのじゃ』
 ぐううう……(ぐうの音)。いやね、今となっては「私生児くらいでそんな……」という感じですが当時は気が狂うほどの罪だったんでしょう。自分の手から放してしまった孫をずっと気にして、不安にかられて、神様、神様と唱え続けている老ハインズの哀れな姿に胸が締めつけられます。ついに不安も苦しみも罪の意識も自責の念も背負いきれなくなり、ハインズは神様に「彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのだ」と言わしめてしまいました。  貶めることで安堵しようとする。人間のそういう弱さはよくわかります。自分の罪を自分で抱えきるには人間は弱すぎる。老ハインズと同じことを私もよくやっていると思います。でも、人間が弱いからと言って、自らその弱さを手放しに許すことは堕落にほかなりません。生きる以上、私たちはこの弱さに抗っていかなければならない。
526ページ リーナの出産
 さて、物語も終盤にさしかかっています。ついにリーナが出産するのですが、ブラウンが彼女を匿うことにしたのは実はジョアナ・バーデン邸の一角、クリスマス(とブラウン)が寝泊まりしていた小屋なんです。  クリスマスがジョアナを殺して家を焼いたそのすぐそばの小屋でリーナの子が産まれた瞬間、そこには、大人になったクリスマスに再会することで罪を許されたいと願ったものの叶わなかったクリスマスの祖父母(老ハインズら)と産婆役のハイタワーが集い、ここまできてもなお事態を我が事とみなしていなかったために医師を連れて来るのが間に合わなかった情けないバイロン・バンチが遅れてやってきて……なんというか、すごい構図ですね。ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897-98)を思い出します。
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 ゴーギャンこれ。好きなんだよね。
『哀れな女だ』と彼は考える。『哀れにも不毛な女。あと一週間だけ生きのびておれば、幸運がこの場所に戻ってきたものを。この不毛の破滅した土地に運と生命が戻ってきたものを』。
 ハイタワーはリーナの小屋に医師役として通いながらこんなことを考えますが、ほんとにそうかなあ。ジョアナとクリスマスが破滅し、家が燃え上がって何もかも失われてしまったからこそ、ここに新たな生命が芽吹いたんじゃないのかな。わからないけど、そんな気がします。世界は運動し続けるもので、とどまることはないと思う。
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
 おい、もうほぼ読み終わろうとしているこのタイミングでなぜまたも新キャラを登場させる。すごい度胸だフォークナー。登場させたペラッペラの新キャラにクリスマスを惨殺させる役割を担わせるのに何の意図があるんだフォークナー。  この新キャラ(警官パーシイ・グリム)は物語に颯爽と現れて颯爽とクリスマスを殺して消えます。なんなんだ。
 留置所から逃げ出したクリスマスはハイタワーの家に駆け込み(クリスマスの祖母が彼に会いに留置所へ行き、ハイタワーが守ってくれるはずだと説いたためです)、ハイタワーも彼を追っ手の警官グリムから守ろうとするのですが、空しくクリスマスはグリムに撃たれて殺されてしまいます。
他の連中が台所に着いたとき、テーブルは横にのけられ、グリムは死体の上にかがみこんでいた。彼が何をしているのかと近づいて、一同は男がまだ死んでいないのを知った、そしてグリムのしていることを見たとき、彼らの一人は咽喉のつまった叫びをあげ、壁のほうへよろめいていって嘔吐しはじめた。グリムもまた、血だらけの大ナイフを背後に投げすてながら飛びさがった。「これで、きさま、地獄に行っても白人の女にいたずらできないぞ」と彼は言った。
 このシーンは……ちょっとあまりにも悲惨で口を噤んでしまいますが……。直後に「尻や腰のあたりの切り裂かれた服の間からは」という記述があるので、おそらくそういうことですね。一体、警官には正義の名の下にそんな仕打ちをおこなう権利があるというのでしょうか。正義は最悪。いや……マジで最悪ですね正義……。正義によって私刑が正当化されると思っている人間は本当に吐き気のする悪でしかないですね……。おえ。
彼らはこの澱んで僧院めいた薄暗さの中へ、いま彼らが彼にしたばかりの残酷な夏の光に似た何かを持ち込んだのであった。  その光の残映は彼らの上に、彼らのまわりに、ただよっていた——それは光の持つ恥知らぬ残忍酷薄な明るさともいえた。
 「八月の光」が何であったのか、端的に述べられた箇所です。  柔い光は人に優しく、あたりを照らして私たちに景色を与え、世に温度と色彩をもたらし、それは恩寵というべき恵みです。しかし、あまりにも強い光は私たちから視力を奪い、体を灼熱に焦がし、すべてを奪いつくす暴力と転じます。それは私たちの力ではどうにも操ることのできないもの、畏怖すべき自然です。  このグリム然り、『異邦人』のムルソー然り、どうも「太陽のせい」で人は道を踏み外しがちになるようです。それはお前が常日頃からきちんと責任について考えておらず、また畏れという意識のもとに生きてないからだと思います。バーカ。
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
『いずれにせよ、人間の手で神様に非難や責任を押しつけえないものが、何かあるにちがいないのだ。どこかにあるにちがいない』。
 終わりから2番目の章はハイタワーが息をひきとる間際におこなう回想に充てられています。祖父の栄光、父の真面目さ、自殺させた��のこと、などなど。相変わらずあまり反省の様子は見受けられませんが……。初めて知ったのですが、死ぬ間際にはアメリカ人にも走馬灯が見えるようです。
 それでも、上に引用したハイタワーの独白は、「八月の光」を否定しうる力強い一節に違いありません。この小説に登場した人物には、神を信じるのではなく、神に責任を転嫁したり、神を都合よく利用したり、神にすべてを預けて破滅へと堕ちていったりする者も多くありました。まともに神を信仰していたのは記憶の限りではリーナくらいでしょうか。  別に神を信仰することが圧倒的な是ということもなく、神のかの字も口にしないジョー・ブラウンのあっぱれな逃げっぷりもそれはそれでよかろうと思います。人倫には悖るし、局部を切り取られるべきはクリスマスではなくこいつなわけだが……。
 自分を手放してしまうこと、抗うことを諦めてしまうこと、すべてを「八月の光」のせいにして責任を取らないまま都合よく救済されようとすること。生きるという重圧からの解放に誘惑され、ともすれば抗い難く飲まれてしまうそういった堕落に抵抗し続けることこそ、私たちが生きるこの世界にたいする責任を果たすことに繋がるのかもしれません。
 ちゃっかり逃げおおせたブラウンを追って、リーナは再び立ち上がります。今度はバイロン・バンチも一緒です(残念ながらまだまだ片思いの模様。)。
『逞しいもんだ。男どもがあんたを踏みつけにして行っちまうと、あんたおはやつらの残したものを集めて、また進むというわけだ』
 そのとおり。私たちは何度踏みつけにされても立ち上がるのです。
やっと読み終わりました(656ページ)
 読み終わったぞーーー!!!ワーーー!!すごかった!!!  軽い気持ちで書き始めた感想文のために2周もするはめになり、私もリーナと一緒にずいぶん遠いところに来た気分です。私の読解力の低さゆえ一読では読みきれないところが結構あったので、こうして精読する機会を得られてよかった。
 しかしフォークナーの筆力えげつないな……。 
 と言うのが今は精一杯です。人の人生を初めから終りまで描き切るようなことは、今の私には逆立ちしたってできっこありませんが、「人の人生を初めから終りまで描き切るようなことも人間には可能なのだな」ということをこの20代の終りに初めて知れたので、おそらくこれから先、見ようとするもの、見えることをわかっているので見ようとすることができるもの、が格段に増えてくると思います。とても嬉しい。嬉しいな。精読できてよかったな。
 追うリーナ、逃げるブラウン、彷徨うクリスマス、助けるジョアナ、閉じるハイタワー、従うバイロン。人間同士を物語によって絡めあい、多様な生き様を浮き彫りにしつつ、フォークナーはけっしてその是非を問わない。善悪を診断しない。評価を下さない。優れた���説とはかくあるべし、というまさにお手本のような作品でした。これは個人的な感触にすぎず、後日もっと学びを深めたあかつきには撤回することになる謂いかもしれませんが、多くの小説においてはテーマがすでに正義を帯びているような気がします。気がするだけだけど……。
 というわけで、拙い感想文に長々とお付き合いくださり本当にありがとうございました。長かったでしょう……。読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。  最後に、フォークナーがノーベル文学賞を受賞した際のスピーチより有名な一節を引用して締めくくりたいと思います。
I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance.
 ——私は、人間とはただ耐えるだけの存在ではなく、打ち克つことのできる存在であると信じています。人間は永遠の存在です。あらゆる生き物のうちただ人間だけが尽きることのない声をもっているから、というわけではありません。人間に魂があるからです。他者を思いやり、自己犠牲を厭わず、忍耐強く耐え抜くことのできる精神を人間が備えているからです。
訳は拙訳でした。全文はこちら↓ https://www.nobelprize.org/prizes/literature/1949/faulkner/speech/
 リーナの旅は続く。わたしは次は何を読もうかな。
(2020/05/17 16:21)
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『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
《あらすじ》
6歳のムーニー(ブルックリン・プリンス)とシングル・マザーのヘイリー(ブリア・ヴィネイト)は定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドに隣接する安モーテル「マジック・キャッスル」でその日暮らしの生活を送っている。
シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子どもたちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごし、管理人ボビー(ウィレム・デフォー)はそんな子どもたちを厳しくも温かく見守っていた。
そんなムーニーの日常が、ある出来事をきっかけに大きく変わりはじめる…。
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《感想》
「衝撃のマジカルエンド!子どもの目は魔法の虫眼鏡、すべてが魔法に変わる。ディズニーランドのそばに立つ安モーテルを舞台にアメリカの低所得者の生活をリアルに描くすごさ。」
『フロリダ・プロジェクト』というタイトルを見て、フロリダ計画?フロリダビジネス?と、意味が気になったので「プロジェクト」の意味を調べてみたら一般に日本で使われているような計画や事業の他に「低所得者向けが多く住むスラム住宅」のことも指しているそうで。
つまり『フロリダ・プロジェクト』っていうのは「フロリダのスラム」という意味なんだけど、ポスターを見ても本編のワンシーンを見てみても「スラム」にしては雰囲気がポップですごく明るいので、まだ本編を観ていない人からしたら違和感しかないよね。
“世界最大の夢の国“フロリダ・ディズニー・ワールドでは周辺にたくさん「モーテル」と呼ばれる簡易宿泊所があって、高級なホテルの近くに乱立してるんですが、そんなモーテル街の中に、「プロジェクト」と呼ばれる超オンボロの公営住宅地みたいな住宅が建っているそうです。
そして今作の主人公ムーニー(娘)とヘイリー(母)が暮らすのはそのオンボロ住宅地の「プロジェクト」ではなく実は「モーテル」の方。
「プロジェクト」ってタイトルがついてるのになぜモーテルなのか。この親子はその日暮らしの生活を送ってるってあらすじにも書いてあったのに。
なぜなら、彼女たちは低所得者が住む「プロジェクト」にも住めない“超超“低所得者だから。つまり本来定住する場所でない宿泊施設を居住地として生活をしているのです。
日本で例えるなら漫画喫茶に泊まってその日暮らしの生活をしているような感じでしょうか。
モーテルなら電気代、水道代、ガス代はかからないし、洗濯機も公共のものが設置されてて宿泊代だけで、結果的には安いのかもしれない。
☆この映画のすごいところその1
1,本編のほとんどの場面が子どもの視点(地上1メートルほど)で描かれるということ。
そのため大人は足のみ写されることが多い。
大人は毎日の食事代にも苦労している状態で、教会の炊き出しに参加することも。このような人々の生活に関する重要な情報を見る人に与える時は、大人の視線に合わせたアングルになりますが、しばらくすると主人公のムーニーの視点の高さに戻ります。
このような複数の視点を組み合わせることで、視聴者に「そこで何が起こっているのか」を理解できます。ベイカー氏は「炊き出しがどんなものなのか」ということ���のものを描きたいのではなく、「ムーニーにとってそれらがいかに当たり前のことなのか」を描こうとしているのです。この点が非常に見事とのこと。
映画における重要なシーンは、このようにほぼ全てが「子どもの視点」で描かれます。例えばムーニーの母親の売春に気づくシーンは以下のような感じ。ムーニーがお風呂に入っていると
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ガチャッと部屋の扉が開く音がひびき、姿は見えないものの、誰かが入ってきたことがわかります。
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「子連れなのか?」
「だから入るなって」
母親が男性とやりとりしている様子が声だけで聞こえ、状況が直接描かれるわけではありませんが、ムーニーの体験を��して母親が売春を行っていることがわかるわけです。
さらにこのムーニーの入浴シーンはこの"母親の売春を悟ったシーン"以前に何回か登場しており、1回目はムーニーの髪をヘイリーが洗ってあげているシーン、このとき浴室に音楽は流れていません。
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2回目以降はいずれもムーニーひとりで、浴室には大きめの音でクラブ音楽が流れています。一定時間映した後に何事もなく次の場面に切り替わり、少し不自然です。
このことから今までの入浴シーンの裏では、ヘイリーが売春を行なっていたのではないかと推察できます。
つまり、我々もムーニーと一緒でこのときは母親の売春に気づいていない、そうムーニーと同じ体験をしているということになるわけです。
これすごくないですか。ほんとすげー。
そして、物語の後半でヘイリーが9人の男性を家に招き入れているところが防犯カメラに写っていたことから複数回に渡って売春をしていたことが管理人のボブにバレてしまう所で、この推察が確証に変わるところまでバッチリ。
☆この映画のすごいところその2
ヘイリーとムーニーがこのまま暮らしていくことが危険だと判断した児童保護局は、ムーニーを一時的に離し、施設に送ることに。最後のお別れのあいさつをしにムーニーはスクーティーの元へ。そしてその後ジャンシーの元を訪ねるが、スクーティーの時とは違ってなぜか涙が溢れてくる。
いつもは気丈な性格のムーニーが泣きじゃくる姿を見てジャンシーは「ムーニー、恐いよ」
ムーニー「あんたは親友よ、でもきっともう会えない。」
「あのね、言えないよ…」
そして震える声を振り絞ってついにジャンシーに
「バイバイ」
と言う。
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で、ここの演技がとにかくすごい。
きっとムーニーはディズニーワールドがどんなところか知らなかったはず。ヘイリーとムーニーが盗んだマジカルバンドを観光客に押し売りするシーンで、もしディズニーワールドがどんな場所か知っていたらマジカルバンドをお金と交換とはいえ、子どものムーニーなら手渡していないと思うのです。
ヘイリーもディズニーワールドに行くお金なんてないから、ムーニーに知らせないようにしていたのではないでしょうか。
ムーニーにとってはさびれた廃墟や、牧場のサファリパーク、アイスクリーム屋がテーマパーク同様だったのでしょう。
そんなムーニーがディズニーワールドの世界を初めて知る瞬間がこのラストシーン。
私的にですがこの結末からは、
子どもは親の経済状況に大きく左右される傾向にあり、生まれた環境で人生の可能性が制約されてしまう。だけど、世界の全てを「遊び場」に変えることができるってこと。
またそういう世の中に対して必死で歯向かって行く子どもたちの強い意思を感じました。
『“イマジネーション“というどこにだって行ける足がついていれば世界は全く違う色に見える。』
そういうことよな、多分。
私この映画めっちゃ好きだ!ムーニーとジャンシーありがとう!!
いつかシンデレラ城でふたりで暮らすんだぞ!
めちゃ良い映画です!!
《番外編》
☆好きなシーン その1
映画はヘイリーの娘であるムーニーと、同じモーテルに暮らすスクーティーが隣のモーテルに暮らすディッキーから「新しい住人が来た」という報告を受けて見物しにいくところから始まります。
3人は新しい住人のものと思われる車に2階から唾を飛ばし誰が1番遠くに飛ばせるか勝負をして遊んでいたが、このいたずらが持ち主のおばさんに見つかってしまい大目玉をくらうも3人はクソババアなどと汚い言葉を連発し、無敵の様子。このあと罰として車を掃除させられることに。
この件をきっかけに、今まで一緒に遊んでいたディッキーが外出禁止になってしまい、仲間を失ってしまった代わりに、唾を飛ばされたおばさんの孫にあたるジャンシーを新たに仲間に加え子どもたちは毎日のように探検に出かけるようになる。
手始めに2人は、“新人”のジャンシーをいつも探検しているスポットに案内。アイスクリーム屋の前を通りがかったところで
ムーニー「ここはタダなんだよ」
ジャンシー「本当?」
ムーニー「ちょっと来てみ」
ムーニーが観光客に「お金ちょうだい」と明るい声で小金をせびり、平気で「医者から喘息って言われてるの」とかえげつない嘘をつく 笑。
で、タダでアイスクリームを買うことに成功 笑。
帰りは3人で1つのアイスクリームを一緒に食べながら歩く。
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その後も3人の探検は続きます。
モーテルのプールに死んだ魚を浮かべて生き返るかどうか実験したり、チップをくれない観光客に水風船を投げつけたり、モーテルの立ち入り禁止の機械室に入って施設のブレーカーを落としたり、プールで裸で寝ているおばさんに遠くから「垂れパイ、垂れパイ、バナナパイ」とリズミカルに囃し立てたり、おばさんに服を着るように注意するボビーに向かって「ボビー、パイピー」と大声で叫んだり笑
ここはめちゃくちゃ笑った 笑。
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これらの探検を彼らの視点で写すことで、まるで視聴者も子どもたちと探検をしているようなワクワクした気分になるのだ。
3人の探検はどんどんエスカレートしていき、ある日廃墟に忍び込んで暖炉に枕をつめて火をつけ逃げ出してしまう。誰にも内緒と3人で固く約束を交わすが、後で廃墟が大火事になったことが判明。
スクーティーの母親(ムーニーの母親ヘイリーと仲が良い)は息子の挙動不審な態度から放火をしたことを悟り、ムーニーとジャンシーと会うことを禁止し、さらに以前から仲が良かったヘイリーともほぼ縁を切る状態に。
☆好きなシーンその2
ヘイリーはスクーティーの母親の態度がいきなりそっけなくなったことに異変を感じて、彼女のバイト先であるファミレス?にムーニーと共に向かう。
彼女の名を指名し、嫌がる彼女に強制的に注文をとらせるが、ヘイリーは「ムーニー、なんでも頼んで、今日は1日中いるんだから」と言う。それを聞いたムーニーは目を輝かせながら次々と注文をしていく。
「ストロベリー・ワッフル、あたたかいメープルシロップめっちゃ追加で、ベーコンエッグ、ストロベリーとブルーベリー、コーラ、ルートビア、レモネード、ソーダ。ママは?」
ヘイリー「それだけ?なんでも頼んで良いって言ったのに」
ムーニー「じゃ、ベーコン追加で、山盛りだからね、それとゼリーも忘れないで」
さらに親子は店内で好き勝手やる笑
ヘイリー「ゲップ大会やらない?」
ムーニー「マジですか!?」
すると、ムーニーがでっけえゲップを1発店内に響かせる笑。1回じゃ飽き足らずさらにもう1発をお見舞い 笑笑。
スクーティーの母親も呆れ顔、痺れを切らしてテーブルに伝票を叩きつけます。すげえ嫌がらせだ笑。
☆好きなシーンその3
ムーニーとジャンシーがマジック・キャッスルの上にかかる虹を見て話すシーン
ムーニー「虹の始まりって金色なんだ、妖精は麓に金貨を隠してる」
ジャンシー「でも分けてくれないのやさしくないよね」
ムーニー「よし襲っちゃえ行こう!」
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☆好きなシーンその4
ヘイリーとムーニーが近くの高級モーテルの宿泊者専用のバイキングに宿泊者だと偽って行くシーンにてムーニーの発言
「ストロベリーとラズベリーの同時食い」
「フォークがアメだったらいいのに」
「私、妊婦みたいにお腹が大きかったらごはん詰め込む」
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