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#今帰仁村
shisasan · 6 months
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Beyond the eternity entwined, I hear life.
Nakijin [今帰仁村] Okinawa [沖縄], Japan
Ph. Aleksandra Instagram: Tanzdreamer
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tatsuyasato · 1 year
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🎶♬♪🎵♩ 今帰仁村・今泊から こんにちわ。 本日 Imadomareは 18:00からの営業となります。 宜しくお願いします。 【予約のご案内】お電話・Instagram / Google メッセージ・メール にて お早目にいつでもどーぞ。 【おきなわ彩発見NEXT】クーポン券(紙・電子)の使用が当店で可能です。 【2月・3月の営業日】スケジュールはInstagramストーリーズをご覧ください。 Imad◉mare(いまどまーれ)とは■□■□■□■□ 集落にひっそりひっそりと佇む大人の空間、 カウンターたった8席の小さな小さな古民家レストラン。 ほぼほぼ沖縄県産食材でお酒にバッチリ合う肴(おつまみ=あて)でおもてなし。 BGMはJazzと島唄そして浜からの波の音が緩やかに流れます。 http://www.imadomare.jp [email protected] たまに書いているnoteはコチラ → https://note.com/tatsuya0302 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊3007 電話0980436708 定休日 月曜日(たまに他の日も・・・) 営業日 営業時間 17:00〜(たまに18:00) ※日曜日営業します。 #今帰仁 #今帰仁村 #imadomare #居酒屋 #沖縄旅行 #やんばる #今泊 #今帰仁城 #jazz #島唄 #フクギ並木 #レストラン #日曜営業 #女子一人旅 #一人呑み #全国支援割 #おきなわ彩発見 #古宇利島 #美ら海水族館 #パスタ #本部町 #イタリアン #古民家 https://www.instagram.com/p/CpCTO8hvBrT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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dededos · 2 years
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malecon / 今泊マレコン
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sazanami-ayame · 2 years
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ちょい前の沖縄旅。
古宇利島。橋と消波ブロックがある風景。
iPhoneにて撮影。
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koch-snowflake-blog · 15 days
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坂巻 有紗(さかまき ありさ、2000年9月23日 - )は、日本の女優、タレント、歌手、モデル。埼玉県出身。クイーンズカンパニー所属。
生年月日 2000年9月23日(23歳)
出身地 埼玉県所沢市
身長 162 cm
女優・女性タレント・歌手・モデル
事務所 クイーンズカンパニー
身長162cm、サイズB=80cm,W=62cm,H=93cm、シューズS=24.5cm。
中学校の時には砲丸投げで県大会に出場したこともあり、「所沢の強肩」の異名を持っていた。
高校2年生の時に、埼玉県の高校生代表20人に選ばれ、メキシコに交換留学に行く。
英語が得意で、高校3年生の時には全国高校生英語ディベート大会で司会を務め、司会進行はすべて英語で行った。
インスタグラマー、TikToker、モデルなどを経て、2020年からクイーンズカンパニーに所属し、映画、舞台、CM、テレビドラマ、歌手などで活躍中。
2023年には3本の映画、舞台などに抜擢され、演技派女優として定評がある。
2023年9月3日から令和仮面ライダー5作目『仮面ライダーガッチャード』に錬金術を悪用し暗躍する謎の集団「冥黒の三姉妹」の三女として、口琴の音色で発動する特殊な錬金術を使う「ラケシス」役に抜擢される。
「素直にI Love youを」でソロ歌手として10月8日配信リリースを開始。
明るく元気なキャラクターで、顔立ちが似ていることから令和版ベッキーと言われることもある。
家族構成は、父、母、姉、弟、弟。母方の祖父がアイルランド系アメリカ人のクォーター。母方の祖母は沖縄の今帰仁村出身。愛称はアリッサ。
趣味は漫画、アニメ、ホラー映画、筋トレ、お笑いを見ること。
特技は歌、スポーツ全般、英語、砲丸投げ、ソフトボール。
  
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ari0921 · 11 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
*************************
 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の���親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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chaukachawan · 9 days
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こんちゃ、あろハムです
つい1年前の今頃は演劇のえの字も頭になかったのに偶然が重なって今では舞台に立って新入生を演劇に勧誘している。人生って本当に不思議なもんですねえ〜。さて、本題の役者紹介ですが、あれ?独断と偏見シリーズ流行ってるの、、、?結構色々考えたのですが皆面白いのを書いてくれてるのでこれまでふざけてた分今回くらいは自分が感じていることを素直に書いてみるのも良いのかも知れませんね。たまには、ね。さ、前置きはこれくらいにして、耳の穴かっぽじいて聞いて下さい。
園堂香莉(夢の住人α)
本当、器用な役者さんなんだなと今公演特に感じました。今回の3役とも全く性質が違うのに飄々とこなしてしまうなぽりが羨ましいです。実は稽古の時エレベーターガールのなぽりが好きすぎて気付かぬうちにガン見していたことは墓場まで持っていきます。エレガのマイムいつの間にあんな上手くなったの?5月にあるvaundyのライブ、どうだったかまた感想言いますね。
水琴冬雪(東雲)
私の演劇を好きになるキッカケを作ってくれた先輩なので、今公演でやっと役者として同じ舞台に立てるのが凄く嬉しかったです。役者として理想的すぎる発声と滑舌を持っているので演技しているところを見て自分なりにもこそっと真似してみますがまあー近づけないですよね。いつか背中が見える日が来れば良いな。あ、噛んで落ち込んでるベガさんも素敵ですよ。
緒田舞里(二宮光)
ちゃうかの大量の仕事をやりながら主役するってどんな生活、精神力してるんですか?絶対疲れてるはずなのに演技中全然そんな姿を見せないのは何故ですか?まりおさんの声の震わせ方、表情、目線の使い方がめっちゃ好きです。みんなの魅力を引き出すキャスパ、素敵すぎました。とにかくお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
たぴおか太郎(弁護士)
ちゃうかをイメージすると大体一番最初になすかさんが出て来ます。(withちいかわTシャツ)異議なし、毎回幕裏で笑っていました。あのなすかさんの通る声だからこそ6発6中でウケたのだと思います。オムニからお世話になっているのでなすかさんに褒められると尻尾振って喜んじゃいます。仕込み週になるとほぼ毎日全体LINEで謝ってるなすかさんが大好きです。
肆桜逸(検察官)
唯一の学科の先輩です。体験稽古でめっちゃ優しく話しかけて下さって、それが無ければ私はちゃうかに入ってなかったかもしれません。重い物持ってる時とか仕込みの時とか一番皆に声かけしてくれている優しい先輩です。オムニの時から思っていたのですが、ボケ寄りの役をやってるスチルさんめっちゃ好きです。あと、今公演の場転で行き詰まった時すぐ解決策を出してくれるのがすっごく頼もしかったです。でもキャスパのカウントを勘違いしていて呆然としていたスチルさんもなかなか良かったですよ。
帝京魂(深山登)
今公演で1番関わりがあった役者です。こんの爆発力のある演技を間近で見てみたいなあとは前々から思っていたのでそれが叶って嬉しかったです。演技している時の表情とか目つきが「入っている」感じがして役者として悔しかったです。あんな素晴らしい演技をするもんだから、私の存���感が消える!負けたく無い!と思って必死に練習しました。あと、この前サッカーマシンガントークしてごめんなさい。でもあれは聞いてきたこんが悪い。
縦縞コリー(市原優)
2公演続けての主役、本当にお疲れ様でした。こりの演技を見てると「ああ〜主役だなあ〜」とひしひし感じます。主人公、という言葉がお似合いです。新入生が入ってきても変わらず主演の座に立ち続けて下さい。恐らくこりは自分の中でこう演じたいとイメージしたものをそのまま演じることができる役者さんなんだろうなと勝手に思っています。凄いなああ。私もそうなりたい。線形なんてものも簡単に攻略できるんだろうなあ。
大福小餅(裁判長)
本当に、本当に頑張ったよね。舞監としても、役者としてもめちゃくちゃ頑張ってた。ここは手を抜いてもいいかな、こんくらいで良いかみたいなことを絶対にしない。キャスパも夜遅くまで残って、周りもほとんど帰ってるのに、すごく疲れてそうだったのに、「私出来てないからまだやりたい」って言ってたこふくの顔が忘れられません。こふくを傷付けるような人は私が絶対に許しません。みんなでこの可愛く勇ましい舞監をこれからも全力で支えていきましょう。
苔丸(村上)
器用すぎる。役者としても裏方としても。かっこいいと可愛いを両方バランス良く兼ね備えた役者さん。毎公演本当見事に違う役を演じていて、稽古初日どんな演技をしてくれるのか楽しみでした。色んな役をやってみたいとは思っても実際にやるのはめちゃくちゃ難しいし、苔丸にそういう色んな幅の役が任されるのは恐らくこれまでの演出全員「苔丸なら出来る」と大きな信頼を寄せているからなんでしょう。今公演、役の相談にも乗ってくれてありがとう。役者としても人としてもすごく信頼しています。
岡崎仁美(七瀬マイコ)
先輩としての頼もしさもあるのにたまに同期と勘違いしてしまうような可愛さを持っている方です。今公演の役、恐らくカヌレさんじゃ無いとあんなあどけない無垢な少女にはならなかったでしょう。カヌレさんじゃ無かったら誰がやってたんだろ。想像つかない。立て看、良すぎです。めちゃくちゃ好き。あれに顔はめて写真撮れなかったのが心残り、、、。次もまた看板作ってくれますよね?
衿君(夢の住人β)
実はちゃうかイチオシの役者です。公演ごとの私の推しキャラは大体エリックがやってます。普段は割と大人しめ(周りがうるさい)なのに皆をツボらせたときのウケ方は間違いなくちゃうかイチだと思う。静と動の演じ分けがめっちゃ上手い。だから人の注意が飽きることなくエリックに注がれるんだと思う。ラジパ、後ろでやってたから一回も見れ無かったけど写真で見てビックリしました。あんな笑顔してたんですね。あの写真は今公演1番のお気に入りです。
海泥波波美(夢の住人γ)
この人は何にも考えてなさそうに見えて(失礼)人の観察力がすごいなと思います。だから適当に言っているように思える発言でも実はそのおかげでちゃうかの空気は澱みなく流れてるんだと思う。今公演のあさぎの不気味なシーンちゃんとめちゃくちゃ不気味で大好きです。あの笑い方、良いですよねえええ。あそこで空気がひゅんっと変わる感じが大好き。楽ステのアドリブめっちゃ面白かった。回転扉が回らなくなって焦ってる時のあさぎの顔が忘れられません。
七枚目(郷田)
マキマさーん!チェンソーマン見たことないけどマキマさんだー!郷田さん好きぃいい!私も郷田さんに肩揉んでもらいたいよーー!ぜーんぜん怖くないよ!って言って欲しいよおお!って感じでみそかの演技は脳死しちゃうくらい好きです。通しの時とかずっと周りでウロウロしててごめんね。みそかの優しさと強さを兼ね備えた声が大好き。毎回言ってるけど。一生役者していて下さい。
ミル鍋(施設長)
相変わらず動きの付け方が上手すぎる。実は今公演からゆにの動きをパクってます。というか、ここ動きどうしようって思ったらゆにならどうするかなとイメージしてからその動きを真似してます。バレて、、無いよね!?多分まだ言われたことないから大丈夫。今回も動きに関することでゆにに相談させてもらったら、良いアイデアを即座に言ってくれました。流石です。吹田で一緒に練習したの楽しかったね。またやろう。製図なんてくそくらえ。
西峰ケイ(八戸)
面白すぎです。らびの面白さがフル発揮出来る役を見れてめっちゃ良かった。あの漫才、本当に驚きました。内容もさることながらテンポ感、間、動きの付け方、完成度が凄すぎてちゃんと面白かったし、あんだけお客さんを笑わせるの普通じゃないよ。ずっと練習してたもんね。なのに、そこだけじゃない。二宮と八戸のあの2人のシーン、周りからも散々言われたと思うけど本当に良かった。2人とも演技してるようには思えない空気感だった。あのシーンが今公演で1番のお気に入りです。
あろハム権左衛門(黒川)
キャラメルメル
白子(演出補佐)
誰よりも演劇への想いが熱く、そして演技指導をする時の「こんな感じ」が、レベル高すぎる生粋の演劇サイボーグ。役のことで相談した際、わざわざ私の役の解釈を色分けした台本を作ってくれた。あれは本当に助かりました。白子には前公演も今公演も助けられてばかりです。次の公演は役者として出てくれるのでしょうか?楽しみにしています。あ、授業の方も演劇と一緒にちゃんと頑張りましょうね。
近未来ミイラ・唯端楽生(演出・脚本)
もう散々褒めたしいっか。嘘です。褒め足りません。メガホン持ってスクランブル交差点のど真ん中で「俺は天才なんだぞおおおお!」って言ってもお釣り帰ってくるくらい天才です。ミイラの脚本は、こんな感じのストーリーを描きたいからこのキャラを作る、じゃなくてこのキャラの人生、生き様を描こうとして気づいたらストーリーが出来ていたって感じがします。付け足しのキャラクターがいない。ひとつのキャラクターがいなくなっちゃうだけでもストーリーが壊れてしまうような繊細で美しい作品。黒川の解釈を聞いたらめちゃくちゃ長文ですっごく分かりやすい表現で説明してくれたとき感動しました。ひとつひとつのキャラクターにこんな細かい想いが込められているとは思ってなかったです。出来れば他の人のアドバイスとか指摘とか一切聞く耳持たずにみいらの感じたこと、書きたいことをそのまま書き続けて欲しい。演劇のルール、文学のルールとかにとらわれない自由な作品をこれからもずっと描き続けて欲しいなあと勝手に思ってます。
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tanakadntt · 11 months
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旧東隊の頃をあまり知らない人たちの小説
(だんだん自分が何を投稿したか分からなくなってきたので重なったらすみません🙇‍♀️)
お好み焼き屋において旧東隊が話題になる話
「おー、寂しい男どもよ! ヒカリさんが来てやったぞー」
底抜けに明るい、高いトーンの声が『お好み焼き かげうら』の店内に響く。絵馬ユズルと入れ替わるように店に入ってきたのは、影浦隊オペレーターの仁礼光だった。
「おせーよ、もう食い終わったぞ」
この店の次男である影浦雅人がドスのきいた声でぼやく。動じることなく隣のテーブルの荒船隊の二人に挨拶し、仁礼は北添尋に素早く指示を出す。
「アタシにも、一枚焼け!」
「どうも、初めまして。玉狛第二の空閑です」
空閑遊真が挨拶する。おそらく今日、影浦が企画したのは、影浦隊の面々と遊真の顔合わせなのだ。
玉狛第二と影浦隊はB級ランク戦ラウンド4において戦っている。そして再び、一週間後にはラウンド7で対戦することが決まっている。
仁礼は立ったまま、ニカッと笑った。
「アタシはオペレーターのヒカリだ。よろしくな」
「こいつはアホでズボラだが、オペは上手い」
影浦が褒める。そういう男だ。仁礼も大きくうなずいた。
「こいつらは、光さんがいねえと何もできねえんだ」
誰も嘘は言っていないから、本当なのだろう。空閑は敬意をもって仁礼と握手した。
「脚が寒そうだよ、ヒカリちゃん、風邪引いちゃうよ」
北添尋が仁礼の足元をみて、ブルっと身を震わせた。
この寒いのに、仁礼は太ももを大胆に露出したホットパンツをはいている。靴下も短い。しかし、身軽な格好は彼女によく似合っていた。
「寒さには強えんだ」
膝を豪快にあげてみせる。さっぱりとした仕草に色っぽさはなく、彼女の健康的な美しさを引き立てるのみだった。
「あぶねえだろ」
しかし、ひとつ年上の隊長は心配になったらしい。
「お前、そんな格好して、柄の悪いのに絡まれたらどうすんだ?」
二、三年前と比べて、だいぶ治まったが、九時を過ぎたあたりから、繁華街は柄の悪い連中が我が物顔で徘徊し始める。第一次侵攻から復興に至るまでの間に三門市の治安が悪化した、その名残りだ。
仁礼はカカカと笑って、手を振った。北添の隣にドスンと勢いよく座る。
「大丈夫、三輪に送らせた」
意外な名前を聞いて、空閑は目を開く。その名前は久しぶりだ。彼の率いる三輪隊とは空閑が玄界にきて間もない頃に戦った間柄だ。その後、大規模侵攻において空閑の相棒であるレプリカを通して共闘したが、以後、接触はない。玉狛支部と本部、B級とA級、接点もないのだ。さらには空閑は近界民だ。近界民を憎む彼がわざわざ接触してくることもない。
一方、影浦は意外でもなんでもない顔をした。
「三輪か。こっちに用事があったのか?」
彼は本部住まいだ。
「んや。食堂に行こうとしてるところを捕まえて、送れつったから」
「それで?」
「文句言いなが���、着いてきたよ。もう帰った。一応、誘ったんだけどよ、来ねえって」
「来ねえだろ」
三輪と影浦はそんなに親しくもない。
空閑が不思議そうな顔をした。
「ヒカリはミワ先輩と仲良しなんだ」
「おう、学校で同じクラスだぜ」
「なるほど」
彼も学校に通っているのかと思う。
なお、危険な時間帯に三輪が仁礼を送るのは、特段変わったことではない。ボーダーでは当然とされる行為だ。
「つーかさ、お前、なんで三輪を知ってんの?」
同席している当真勇は違和感を感じて問う。空閑の持つ黒トリガーを巡って、水面下で行われたA級同士の実戦を当の本人は知らぬはずだ。
「ちょっとね」
「?」
「申し訳ないがくわしくは言えない」
「ふうん?」
影浦は仁礼に小言を言うのに忙しく、空閑と三輪の接点の不自然さには気がついていない。
「まあいいけどよ。ヒカリ、気をつけろよ。何かあってからじゃ遅せえんだから」
「わかったよ」
仁礼は気をつけてるから送ってもらったと言いたかったが、肩を竦めて了承した。
「ミワ先輩とニノミヤさんとカコさんが同じチームでアズマさんが隊長?」
「そ、反則でしょ?」
その流れのまま、話題は昔の東隊の話になっている。東隊は仲がよくて羨ましかったよ、と北添が懐かしそうに目を細めた。仲の良い三人+アズマ隊長。空閑には想像できない。空閑にとって、それぞれの最後に見た顔は不機嫌、尊大、無邪気な表情だ。
「俺らは?」
影浦が拗ねたように言うと、
「その頃は喧嘩ばかりしてたでしょ」
と北添が返す。これも想像できない。
「かげうら先輩は昔のアズマ隊と戦ったことあるの?」
「俺とゾエはあるぜ」
影浦隊がA級に上がったばかりの時代の話だ。
「アタシが入った時は解散してたな」
仁礼が補足する。
「むらかみ先輩は?」
「いや。俺がボーダーに入ったのはカゲのずっと後だからな」
黙って、話を聞いていた村上鋼が穏やかに答えた。彼は入隊してから、変わらず鈴鳴支部にいる。
「強かったよ〜」
北添がのんびりと語る。
よほど強かったのだろう。影浦は素直にうなずいた。
「太刀川隊だって、太刀川さんが旧東隊と戦いたくなって作ったくらいだ」
「ほう、タチカワさんが」
「その頃は太刀川隊に烏丸がいたし」
「とりまる先輩が…?!」
「お前が驚くの珍しいな。知らなかったのか?」
空閑はうなずいた。
知らなかった。帰って、修とチカに教えてやろう。しかし、納得できる話だ。彼は木崎、小南と同じく最強部隊玉狛第一に所属している。
「最初、太刀川さんと烏丸だけだったんだが、中距離補強で出水が入ったんだ」
二宮、加古相手に攻撃手だけでは無理があるということらしい。
「興味深い」
まだ明かしてはいないが、現在の玉狛第二も攻撃手が二枚となっている。隊長の三雲が射手だ。これに大砲、トリオンモンスターと呼ばれる狙撃手が加わる。
「それで今のミワ隊にシューターがいないの、おもしろいな」
射手メインのチームにいたのなら、そのメリットをよくわかっているはずだ。
「そういや、そうだな」
今の三輪隊は中距離まで敵を逃がさない戦法をとっていると思う。以前、空閑が黒トリガーで戦った感触では。
「おそらくだが」
話を聞くともなしに聞いていた隣のテーブルの荒船が控えめに口を挟む。彼は戦闘に関して、人一倍研究熱心なのだ。
「以前のログはあまり残っていないんだが、旧東隊は、アタッカーが囮になって、メテオラでまっさらにして射線を通して、東さんがトドメを刺す戦法じゃないのか?」
「ああ、そしたら、ミワ先輩が射手を入れないのはわかる」
「だろ?」
「なんで?」
ピンとこなかった仁礼が聞く。
「囮はいやだろう」
「ああ、そういうこと」
「ゾエさん、いつも囮やってるよ?」
「ゾエは偉いぞ」
「褒められた」
荒船はさらに続ける。
「あとは、どっちをとるかの問題なんだが…。俺の部隊も最初そうだったが、アタッカーが一人だと、狙われやすいし、負担が大きいな」
荒船隊は現在、狙撃手三人体制の特殊な編成だが、以前は隊長の荒船が攻撃手を務めていた。
「それで、よねや先輩が入ったのか」
「多分な」
「ログが残ってるかもよ」
「どうかな」
「いや、あっても見ないよ」
空閑はキッパリと答えた。どっちにしろもうない部隊だ。意味がない。どんなに強く、厄介だったとしても、それはすべて過去の話だ。
明日と少し先の未来のことだけが、空閑の関心事なのだ。
終わり
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myonbl · 10 months
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2023年7月1日(土)
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今日から7月、とは言え週末、少し遠出してJR兵庫駅近くの<こうべ輪太鼓センター>で開催された<第29回笑びす寄席>へとやってきた。JRで三宮以西に向かうのは本当に久しぶりのこと、先日インストールした<モバイルICOCA>が大活躍、AppleWatch ひとつであらゆる公共交通機関が利用できるのは本当に便利。平日は車通勤ゆえ、週末に電車に乗るだけで嬉しくなってしまうのだ。カモノハシ君、今日はお世話になりました。
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5時30分起床。
洗濯。
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普段より30分以上遅い朝食。
酢タマネギ仕込む。
半熟酢卵仕込む。
夕飯用に、無水地鶏カレー仕込む。
早めにランチを済ませ、JRで兵庫まで向かう。
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第29回笑びす寄席、露の新治さんにチケットをお願いしておいた。
帰宅後、新治さんに送ったメールの内容を転載しておく。
こんばんは。  神戸方面へは新開地・喜楽館へは阪急で行きますが、JRで三宮より西に行ったのは本当に久しぶりのことです。  第29回えびす寄席、顔付けを見てすぐに師匠に予約をお願いしたのですが、とても充実した会でした。  トップバッターは桂九ノ一さん、おそらくキャリア10年未満の若手では最も元気さと上手さを兼ね備えている方���しょう。根多は「御公家女房」、御公家言葉の女性を妻に迎えての言葉遊び、私など「延陽伯」で育った世代ですが、近頃は小佐田氏改作のこちらの方が高座にかける方が多いように思えます。ネタはしっかりと体に入っていて、安定感抜群の高座でした。  2番手はこの会の世話人である桂雀太さん、今日の会場でこの会が始まるまでの経緯や最近の自分の周囲に起こったことを、あたかも「グッドタイミング」とでも名付けた新作落語のような抱腹絶倒のマクラでした。。本編はざこば師につけていただい「天災」、仁にあっていますね。  最後は我らが露の新治師匠、年齢と毛髪、定番のマクラからネタは何に入るのか、客席の雰囲気から私は「井戸の茶碗」と予想したのですが、なんと「中村仲蔵」でした。私など「仮名手本忠臣蔵」は文楽の通しは見ていますが、歌舞伎は映像を断片的にしか知りません。しかし、師匠のこの話のおかげで「五段目」をオールカラーで楽しむことが出来るのです。客席の反応を見ながら人物と展開を補足しながらの進行、汗一杯の大熱演でありました。
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夕飯は、野菜タップリ無水地鶏カレー+サラダ+さくらんぼ。息子たちにはスパークリングワイン、私たちはポルトガルの赤。
録画番組視聴。
(23)「悪魔の足」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ある兄妹を襲った恐怖の事件。悪魔の仕業か?犯罪か?真相にホームズが迫る! 
 休養のためワトソンと海辺の地へやって来たホームズ。だが地元の牧師の依頼で、トレゲニス家に起きた事件を捜査することに。兄妹4人のうち3人が一夜のうちに悲劇に見舞われる。妹は死亡、残る2人は錯乱状態に。難を逃れたのは、財産問題により彼らと離れて暮らしていたモーティマーだけだった。残された証拠からモーティマーの犯行が疑われたが、翌朝、新たな悲劇が…。イギリス1988年制作。
片付け、入浴、体重は550g増。
日誌書く。
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今日はさすがによく動いた、水分は1,280ml。
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loppis · 2 years
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イコロの森&LOPPIS2022-SUMMER-「 vue. / sinsin」さん
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 季節ごとに空が変わるように少しずつ変化しながら静かな輝きを放つ vue. / sinsinさんのジュエリー。その世界観をすこしだけご紹介します!
ーどんなお店か、紹介をお願いします
 こんにちは、札幌にて制作活動を行っていますvue. / sinsinです。
 視線・視覚・見方を意味する vue. (ヴー)は、シルバーと真鍮をメインにした、手仕事によるジュエリーブランドです。  日常の中で見ているものや見えないもの、自身の視点や感覚をテーマに、個人を表現するジュエリーとして寄り添えるよう、大切に制作しています。
 sinsinでは、春夏秋冬ニット帽やヘアアクセサリーのデザインと、昨年から香りに纏わる活動をはじめました。
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ー夏のLOPPISにはどんな商品(作品)が並びますか?
 ポコポコという感情の粒で表現したシリーズや、ヴィンテージのような経年変化をお楽しみいただけるコーティングのジュエリー、そして、現在制作中の新作をお持ちしたいと思っています。  まだ形になっていない新作は、構想と妄想は広がるばかりです…(お楽しみに︎)。  またsinsin からは、一日の時間の流れを想像し創香した4つの香りの、ソイキャンドルをお持ちします。  植物の天然成分から抽出された香りのブレンド、ぜひクンクンしていただきたいです。
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ーもちろん、嗅がせていただきます!  さて、 vue. / sinsinさんの、夏といえば思い出すものは何ですか?
 5年くらい前から、梅酒・梅シロップ・梅干しを作るようになり、夏が来る前には今年の梅はどんな感じかなぁと思い巡らせるようになりました。  梅酒は玄米焼酎と甜菜糖、梅シロップは甜菜糖とりんご酢で作っています。  ちょうど暑い頃に梅ジュースの飲み頃。  そして、秋頃に梅酒が解禁(もう少し置いておきたいので古いものから飲みますが)息子が梅干しが好きなことで始めた梅しごと、今では季節を感じて味わう習慣の一つになっていること、すぐにバタバタしてしまう日常の中に、季節を感じることや意識できる瞬間は嬉しいなと思っています。  もう一つは、雲丹を食べに行くことです。お察しの通り…
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ー梅と共に四季がめぐる、四季を食と行事で愛でる日本の文化の豊かさを感じます。そしてわたしもまたそんな習慣を取り入れたいと強く感じました。  さて、インテリアとカフェの週末マーケット「LOPPIS」にちなんで質問です。ご自身が憧れている、好きでたまらない、お店を教えてください。
 また訪れたいと思うカフェは、沖縄の今帰仁村にある波羅蜜 PARAMITA さんです。
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ー最後にお客さまへメッセージをお願いします。
 2年ぶりのイコロの森、そしてロッピスへの参加でこちらで皆さまにお会いできる事が何より嬉しいです。  お楽しみいただけるように制作していきます!
  vue. / sinsinさんのありがとうございました! vue. / sinsin https://babo.world/
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mirai-susume · 2 days
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生徒発案のNO制服DAY!
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tatsuyasato · 1 year
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🎶♬♪🎵♩ 今帰仁 今泊から こんにちは。 昨夜も多くの外国からのお客様にお越しいただきありがとうございました。 毎回感じること・・・・英会話の勉強しよっと。。。。。。 さ〜て Imadomare 本日は 18時OPENです。 ゆったり・のんびり ユンタクしながら飲みましょうね。 ※最新のお知らせ その1 4月3日(月)営業 月曜Imad◉mare その2 4月4日(火)〜6日(木)臨時休業します。 その3 4月から週末・祝日のみ Lunch復活します。 【予約のご案内】お電話・Instagram / Google メッセージ・メール にて お早目にいつでもどーぞ。 【おきなわ彩発見NEXT】クーポン券(紙・電子)の使用が当店で可能です。 【3月の営業日】スケジュールはInstagramストーリーズをご覧ください。 Imad◉mare(いまどまーれ)とは■□■□■□■□ 集落にひっそりひっそりと佇む大人の空間、 カウンターたった8席の小さな小さな古民家レストラン。 ほぼほぼ沖縄県産食材でお酒にバッチリ合う肴(おつまみ=あて)でおもてなし。 BGMはJazzと島唄そして浜からの波の音が緩やかに流れます。 http://www.imadomare.jp [email protected] たまに書いているnoteはコチラ → https://note.com/tatsuya0302 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊3007 電話0980436708 定休日 月曜日(たまに他の日も・・・) 営業日 営業時間 17:00〜(たまに18:00) ※日曜日営業します。 #今帰仁 #今帰仁村 #imadomare #居酒屋 #沖縄旅行 #やんばる #今泊 #今帰仁城 #jazz #島唄 #フクギ並木 #レストラン #日曜営業 #女子一人旅 #一人呑み #全国支援割 #おきなわ彩発見 #おきなわ彩発見 #古宇利島 #美ら海水族館 #パスタ #本部町 #イタリアン #古民家 #あまみく #アカバナーイン #CASADUMAI #本部町 (Imadomare(いまどまーれ)) https://www.instagram.com/p/CqPivEhP3Qh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aarc2017 · 1 month
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
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ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
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ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
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地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
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なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
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ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
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カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているの��、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
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助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。  作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここではないと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
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なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家���ある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
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食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
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帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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sazanami-ayame · 2 years
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ちょい前の沖縄旅。
古宇利島・チグヌ浜。人類が最初に降り立ったところというあやしげな伝説がある。
iPhoneにて撮影
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bearbench-tokaido · 2 months
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四篇 下 その二
笑いながら歩いている二人は、あづき坂を過ぎ岡の江のゆうせん寺をこえて大平川に着いた。
岸に生う 芹のあおみに 小嶋まで 水にひたれる 大平の川
それより、大平村を通り過ぎ岡崎に着いた。 ここは東海道でも特に有名な一勝地で、まことに賑やかである。 道の両側に並んでいる茶屋はいずれも、小奇麗にみえる。 「お休みなさりまし。お召し上がりまし。 よい、大吟醸もございます。お入りなさいまし。」 などと、声をかけてくる。
「なんだか、腹が少し減ったな。」 弥次郎兵衛が言うと、北八も、 「そうだな。ここで、休んでいこうか。」 と、ある茶屋へ入ることにした。
「いらっしゃいませ。」 と、早速飛び出してきた女中に、弥次郎兵衛が、 「あねさん、腹が減ってるんだ。なんか、旨いものはないか。」 「はいはい。さかなの鮎があります。」 と、茶を出しながらいう。 北八は、その女中の言うことを聞いて、 「はん。ということは、さかなじゃない鮎があるってことか。」 女中は、 「おほほほ。」 と笑いながら奥に引っ込むとやがて、鮎のにびたし(鮎を焼いて、さらに醤油とみりんで煮たもの)をつけて、膳を持ってきた。
弥次郎兵衛は、早速、箸をつけると、 「どれどれ、こいつは旨い。そのうえ白い飯だ。」 北八は、その様子に、顔をしかめると、 「ええい、人聞きの悪い。何が白い飯だ。ほれ、女中さんが笑っていかあ。」 と、いいながら、女中の方をじっと見ていった。 「あの女中は、顔中がえくぼだらけだ。」 「えくぼならいいが、頬がくぼんで、踏みすぎてすっかりくぼんじまった踏み石みたいだ。ハハハ。」 と、弥次郎兵衛が、例の悪口でシャレている。
突然、奥から歌が聞こえてきた。 実は、この宿場に居続けていた二人連れの客が、お金がなくなってとうとう帰ることになり、知り合った女郎にここまで送ってきてもらって、この奥座敷で、別れの盃だと、大騒ぎをしていたのだ。
この宿場の岡崎節を、歌っている声がにぎやかに聞こえてきた。 「きくに高い、塀に閉じ込められて、今はしのぶにしのはずれず、ちってれ、とってれ。」 と、大きな声で歌い出したので、北八と弥次郎兵衛が、奥の方を覗いてみた。
一人の客の声が聞こえてきた。 「これこれ、太兵よ。盃はどこじゃ。」 今一人の太兵と呼ばれた男が、 「ほれ、仁兵の側に転がっているぞ。」 仁兵は、 「おっ、そうか。どれ、俺が拾おう。」 「拾ったら、一杯飲んでから、こちらに盃を返せ。」 と、太兵がいうと、仁兵は手酌で盃についで飲み干し、 「おっとっと。一杯飲んだぞ。それ、返そう。」 盃を放り投げる。 と、太兵は、盃を受け取ると、酒を注ぎながら言う。 「おっと。受けた。ちょっと一杯やってから、さっきの女郎屋に戻ろうか。 いや、枡屋にでも行こうか。ハハハ。」 二人の間に黙って座っていた女郎のいくのが、 「なに言わっしゃる。太兵さんは、酔なさると、すぐにこんなことを言われる。 でも、私がおりますからね。外へは、だしませんよ。」 太兵は、いくのの様子をニヤニヤしながら見て、 「いや、実を言うと、橘屋の女郎から手紙をもらっているから、いかなければ男がすたる。」 「ああ、そうですか。」 いくのは、ふくれっ面だ。 仁兵も、おかしそうにその様子を見ていた。 「そうとも、そうとも。ちってれ、とってれ。 兼ねて手管とわしゃ知りながら、くどき上手についのせられて、だまされて咲く室の梅か。ハハハ。」 と歌い出す。
しばらくすると、馬かたが馬をつれてやってきた。 店の表の軒に馬をつなぐと、馬かたは中庭より奥に入り込み、 「旦那方、お向かいに参りました。」 と、声をかける。 「おお、来たか、来たか。なごりおしいが、これで、お別れだ。」 いくのは、袖で涙を拭くようなしぐさをチラッと見せて、 「久しぶりで、これからまた、鳴海までいってこなけりゃならないのよ。」 と、いう。 三人は腰を上げると、茶屋の女中が、 「御きげんよう。」 と、挨拶する。 三人の客は、めいめいに、馬に乗ると、別れの挨拶もそこそこに、旅立ってしまう。 いくのは太兵と仁兵を送り出すと、その後茶店の女中らと話していたが、ここは略すことにする。
弥次郎兵衛と北八はこの様子を見ていたが、女郎を買いに来たのだろに馬で帰るのもおかしいと、笑いながら一首詠む。
三味線の 駒にまたがり 帰るなり 岡崎女郎 買いに来ぬれば (駒とは、三味線の糸を支えるもので、ここでは馬とかけた。)
ふたりもここから立ち出ると、この宿場の外れにある松葉川を越えて、矢作川の橋に着いた。
欄干は 弓のごとくに 反橋や これも矢はぎの 川にわたせば
それより、うたう坂町から尾崎と過ぎて今村の宿場についた。 茶屋の女中が声をかけてくる。 「名物のさとう餅、お召し上がりまし。 お休みなさりまし。お休みなさりまし。」
北八は、弥次郎兵衛よりちょっと先を歩いて、茶屋の店先で立ち止まると、 「おいこの餅は、いくらずつだ。」 と、問いかけた。弥次郎兵衛は、だまって立ち止まっている。 茶屋の亭主が、 「はい、三文でおざります。」 と、答えると、北八は、 「そりゃ、安い。」 と、驚いた様子で言う。 「で、こちらのうづら焼きはいくらだ。」 と、いうと、茶屋の亭主は、 「それも、三文で。」 今度は、北八は、顔をしかめて、 「いやこれは、三文では高いようだ。なあ、御亭主さん。こうしようじゃないか。 このうづら焼きを二文にまけて、そちらの丸いもちは四文で買おう。」 と、いう。 亭主はこいつは、変なことを言うと思ったが、どちらにしても損にはならないと思って、 「はい、結構でございます。どうぞ、お持ちになってください。」 という。 北八は、懐から、金を二文とりだし、亭主に放り投げると、 「四文あれば、丸い餅の方を買おうと思ったが、生憎、二文しか持ち合わせがない。 このうづら焼きだけ買っていこう。」 と、うづら焼きを取って、食べながら行ってしまう。
黙ってみていた弥次郎兵衛は、 「ハハハ。こいつはいい。北八でかした。 さすがの亭主も、鳩が豆食らったみたいだった。」 「どうだ。頭はこう使うもんだ。」 弥次郎兵衛は、 「へへ、べらぼうめ。俺もそのくらいなら、できるわ。見ていろ。」 と、とりあえず、一首詠む。
わずかでも 欲にはふける うづら焼き 三もんばかりの ちえをふるいて
二人は、笑いながら牛田海道を歩いていた。 弥次郎兵衛は、ここから半里ばかり北の方に、名に聞こえた八つ橋の旧跡があるのを思いだして、
八つ橋の 古跡をよむも われわれが およばぬ恥を かきつばたなれ
ほどなく、池鯉鮒(ちりふ)の宿場についた。 馬かたの歌が聞こえてきた。 「熱田に~泊まろか~、その辺で~すますか~。 岡崎~女郎も~捨てがたい~。なあ、どうなあどう。」 「おっと、いまいましい。草鞋が切れた。」 弥次郎兵衛が、ふと立ち止まりそう言う。 あたりを見回すと、ちょうど草履を売っている。 弥次郎兵衛は、何を思いついたのか、ニヤリと笑うと、 「ちょっとの間、草履にしよう。」 と、さっさと、その店に入っていった。
「もしもし、このわら草履はいくらだね。」 出てきた亭主に問いかけると、 「はい、十六文でございます。」 「そりゃ、安い。」 と、弥次郎兵衛は、手をたたく。
ここの亭主は、勤勉・倹約の伊勢の商人だった。そのため商い上手である。 「はいはい、安く売らしてもらっとります。 私のところのこの草履は、間違いなく丈夫でございます。 根っから、切れたりいたしませぬ。」 黙ってついてきていた北八は、その亭主のいいように、 「なんだ。根元から切れないのか。でも、先っぽの方からは切れるんだろう。」 と、ふざけると、 「いや、お履きなされてはたまらないが、仕舞っておきなさるといつまでも持ちますわ。」 と、亭主もやりかえす。 弥次郎兵衛は、軽く受け流すと、 「そうだろう。そうだろう。そして、お前のとこの草履は、鼻緒があって便利そうだ。」 と、わざととぼけて言っている。
「鼻緒のない草履が、どこにあるんだ。」 と、北八が言う。が、 弥次郎兵衛は、これも軽く受け流すと、 「なんにしろ、安いものだ。」 と、吊るしてある草履を手元に引き寄せて、 「いや、この草履はちんばだ。」 と、亭主の顔をうかがいながら、 「かたっぽは大きくて、こっちは小さいようだ。こりゃ、八文ずつでは、 大きな方は安いが、小さな方は高いな。この小さいのを七文にまけなせえ。」 亭主は、変なことを言うと思いながらも、 「はい、ようございます。お持ち下さい。」 すると、弥次郎兵衛は、懐を探って、 「おや、こまった。銭がたりない。一足買うとおもったが たった七文しかないから、あの小さい方だけ、買おう。」 と、いう。
ここで、北八が、はたと気がついて、 「ハハハ、こいつは大笑いだ。俺の真似をしようと思っても、餅ならいいが草履をかたっぽだけ買ってどうするんだ。」 亭主も、困ったと思って、 「この方の言うとおりでございます。かたっぽでは役に立たない。 一足買って行きなされ。残った方が売れ残ることになる。」 弥次郎兵衛は、 「なに、かたっぽだけだと、売らないのか。これだから、田舎は、不自由だ。」 北八は、 「ええ、江戸だって、草履をかたっぽだけ買うやつがいるもんか。」 と、笑っている。
つづく。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)弐
    通巻第7741号
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
  日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓である 
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孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、日本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。
 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてなし、膨大な土産を持たせた。
 競うように新羅からも使節が太宰府へ入り、最初、大和朝廷は朝貢と受け取って歓待した。文書や使節の態度から判断しても、明らかに朝貢だった。日本の宿敵の国がころりと態度を変えて来日するのだから裏にナニカアルに違いない。
 実態は朝貢を装い日本の防衛体制を観察し、また大和王朝の政治空気を把握することにあった。情報収集である。
 新羅は次第に図に乗って官位の低い大使を派遣するようになった。態度も横柄、傍若無人の無礼を極めるようになったため新羅使は太宰府で留め置かれ追い返された。
新羅の態度が横柄尊大になった背景には唐が乱れ、安禄山が叛乱をおこし、国土は荒廃し、新羅に対しての軍事的な脅威にはならなかったからだ。大和朝廷はこの情報を三年ほど知らなかった。ということは新羅使は安禄山の乱を知っていながら大和朝廷には意図的につたえず日本の反応を確かめに来た可能性がある。日本のこうした情報戦の失態はいまと変わらない。つまり韓国の対日外交激変は裏にナニカアルのだ。
 天智天皇の御代、白村江の闘いで唐の海軍に敗れ、2100名の百済高官が日本に亡命した。天智天皇は水城と防塁、城を構築し、防人を強化したばかりか、各地22ヶ所に築城 防衛力を拡充し、新羅の侵攻に備えた。
 ところが、新羅は逆に日本が攻めてくると防衛態勢を急ぎ、「ご機嫌取り」のため「朝貢」を装い屡々来日した。
 天平宝字二年九月十八日に渤海使の小野朝臣田守らが帰朝し、渤海大使の輔国大将軍・行木ら二十三名を随行した。日本海側に帰着したので越前に滞在し、疫病感染の有無を調べるためニケ月を過ごす。
 帰国十日後に小野田守に従五位上を授け、ほかの随行員六十六人にも位階を授けた。 同年十二月十日、すなわち帰国から七十日後に小野朝臣田守は安禄山の謀反を伝えた。安禄山の挙兵は755年のことだから、なんと三年間、大和朝廷は唐の政変を知らなかったのである。
 ▲安禄山の乱が日本政治にいかなる変化をもたらしたか
 小野田守は次のように上奏した。
 天平勝宝七年の十一月九日に御史太夫兼氾陽節度使の安禄山が蹶起し、自らを大燕聖武皇帝と名乗り、邸宅を潜龍宮と名付けた上、年号を聖武と改元した。安禄山は二十万の兵力を率いて忽ち洛陽を落とした。翌六月に玄宗皇帝は難を避けるために蜀の成都(現在の四川省)へ避難した。
渤海に援軍要請があり、騎兵四万をもって賊徒を平定されたしと懇請された。渤海からだと安禄山の後方を攪乱できる。しかし渤海王は派兵要請を疑い、派兵を見送った。途中から安禄山の反乱に加わったのが史思明だ。だから「安史の乱」とも言う。
 玄宗側の反撃準備が整い、ようやく官軍が乱を平定し、玄宗は長安に戻った。逃亡途中では随行した兵隊たちに不穏の空気が流れたため玄宗は愛妃楊貴妃の自裁を認めざるを得ず、長安に復帰しても嘗ての政治力は失われていた。側近は朝衡(阿部仲麻呂の中国名)だった。
 
 かく上奏した小野田守とて、まだ安禄山が部下に殺害されたという情報を知らなかった。渤海もその後の情報を隠匿したわけではなく長安に派遣した情報員が戻らず実情をつかんでいなかった。
 唐土の異変を知った大和朝廷は太宰府に勅して「安禄山は凶暴なる胡人(ソグド人だが、当時は「胡」と称した)、狡猾である。天命に背いた反乱は必ず失敗するが、寧ろ海東へ兵を進める華もしれず、この緊迫状況を太宰府はよく理解し、たとえ安禄山が来航せずとも防衛を怠るな」とした。
 怡土城築城を任された吉備真備は工事に力を入れ、また京では渤海使の歓待宴が続いた。淳仁天皇はかれらに位階をあたえ、藤原仲麻呂は自邸で宴を催し、賑やかにもてなしたうえ夥しい土産を持たせた。
 この時に大和朝廷を支配した空気は唐が衰弱し、渤海が北から協力して新羅を挟み撃ち出来ないか、今こそチャンスではないかということだった。これは当時権力の頂点にいた藤原仲麻呂の情勢認識に欠陥があったということである。 
 
 ▲むしろ韓国がなぜ外交舵取りを変えたかの背景に謎がある。
 北朝鮮内部で何かが起きている。あるいは静かに秘密裏に中国が北への態度をかえたことを韓国が気づいた。米国からも精度高い情報を得て、日本とは修好する時期だとの判断があった。また従来の反日路線は、北朝鮮が情報操作していた。
 さて岸田首相の訪韓である。
 5月7日、アフリカ四カ国歴訪を終えて帰国したばかりの岸田首相はソウルへ飛んだ。
 ソウルの大統領府で 尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談し、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」の訴訟問題など日韓両国の課題に向き合い、関係改善を加速させる方針で一致した。
首相は会談で元徴用工問題に関し、「厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と述べた。
 日本がこれまでの態度を軟化させたのは財産請求権である。
 1965年の日韓請求権協定で「完全に解決済み」とされたが、つねに韓国が蒸し返してきた。
ところが尹政権となって提示してきた徴用工訴訟問題の解決策で突然活路が開けた。岸田首相は「おわび」「反省」は口にせず、尹大統領も謝罪を求めることはしなかった。
 外務省幹部は「大きな前進。文在寅(ムン・ジェイン)政権では実現しなかっただろう」とする。
韓国大統領は「共通の利益」のために歴史問題と切り離して協力を進めるべきだと言い切った。
(資料編に続く。10分後に配信します)
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