Tumgik
aarc2017 · 1 month
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5 days ともう1日 お母さん、あの赤いストールどこにいったんでしょうね。
2023年5月の光州滞在に続いて、韓国にいった。3月6日(水)から11日(月)までパジュとソウル。
日曜日10日の夜の便で関空に帰国するつもりが、勘違いして(なのか、購入してから忘れてたのか)翌日に帰国。到着した日から、帰国まで密度の高い滞在だった。
3月6日(水)JEJUairで新千歳空港から仁川国際空港に入る。
ほぼ定刻で到着したけど、パスポートコントロールが長蛇の列で、到着してゲートをでるまで約2時間かかって、ほとんど座れなくてぐったり。機内からの眺めは野山がちゃいろっぽくうつった、冬の終わり、春の手前の韓国。
Yeonyeonが空港まで車で迎えてきてくれてた、やっと会えて急ぐYeonyeonにひっぱられながら、5日間のSIMカードを交換、現金は1万円のみをウォンに両替して、あとはクレジットカードでなんとかするつもり、前回の現金も70000ウォン くらい残っていたし。それにしても日本円が安い。確か80000ウォン くらいにしかならなかった。
気つけにアイスラテを飲み駐車場へ。Yeonyeonが私に合わせたい人がいるといって、そのままイルサン(高陽/コヤン市)へと走る。図書館で仕事中の大学の教授と会うようだ。目の前に小さな公園がある、運動器具が設置されている。
Kim, Sang Chae教授。家が近いとかでいつもこの図書館で仕事をしているんだとか、歩いてカフェにいく、すごくお腹がすいていたのでカプチーノとベーグルをごちそうになる。Kim教授はギャラリーも運営していて、Yeonyeonはそこで展示をしたのだそう。土曜日にオープニングがあるから来たらどう?とか、南の方の市でKim教授のご友人がディレクターをしているアートフェスティバルのこと、国際AIRを始めようとしているという話を聞いた。札幌とつながるのは面白そう。名刺交換をして、YeonYeonの夫、ミンギが働いているアーティスト(ス・ドホ)のスタジオにミンギをピックアップに急いでウルサンをあとにした。
韓国は車両が右側通行で左ハンドル。Yeonyeonの車はペパーミントグリーンで小さくでかわいい。予想通りだけど、運転がほんとに上手。
時間は19時に近くて、暗くなったパジュの中心部を通り過ぎてヨンヨン一家が住む住宅地に急ぐ。ヨンヨンはずっと急いでいる、会ってからずっと!ラヨンをお友達の家からピックアップしてヨンヨン一家のアパートに到着。アパートの住民には決まった駐車場がなくて、空いているところを使うんだとか。建物内が禁煙で、外で立ちタバコをする、慣れた状況。
ヨンヨンの家!!!すごく素敵な天井の高いアパートだった。なんでもおしゃれだったし、すごく掃除が行き届いている。毎日やっているの?ときいたら、どうぜん(なんで聞くか?)とヨンヨン。室内には、ほかのアーティストたちの作品によるヨンヨンコレクションがある、リビングにはこたつと漫画でぎっしりうまった本棚。どうやらヨンヨンたちの寝室を私が使うようだ、なんだか申し訳ない気分になる。そして床暖房。そして夕飯に。
カルグクスの店にいくよ、と言われて行った先は、どうも地元の人気店だった。けど我々の到着時間が遅かったみたいで、ほかにお客さんはいなかった。鍋のシメは、お店の主人がつくってくれるおじやで海鮮の出汁がでた鍋のおじや、最高なのだった。
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ヨンヨン一家は、今年の年明けから天神山アートスタジオに滞在してて、私の韓国の旅の1週間くらい前までいっしょにいたので、なんかへんな感じ。レジデンス直後のアーティストに会うのは、アーティストが気持ちを切り替えられないだろうから、どうかなと思ったけど札幌の延長戦のようなものかもしれないし、いる間も展覧会をどうするかという話はばかりだったので、ほかのもっとひとりの人として話をしたり聞いたりということができていなかったから、帰国後のアーティストに会いに行くという私の好奇心がまさってしまったし、うちに泊まりなさいというヨンヨンの言葉にすっかり甘えることにしたわけです。いまも、ちょっと帰国直後にいってほんとによかったのかなと心配にはなっているけど。
ヨンヨンは、日本は料理がプライドだけど、韓国は食べることがプライドなんだと教えてくれる。だからともかく食べるよーとどんどんやってくる。満腹なのに、お茶に行こうという流れになって、アーティストヴィレッジのカフェに入る。ミニシアターもあるカフェだそうで、お客さんもちらほらいる。韓国伝統茶(五味子)をいただく。
いったん、ミンギとラヨンをアパートにおろして、私のリクエストにより大きなスーパーマーケットe-martに連れて行ってもらった。買い物するといより、どんな感じなのか興味があったから。果物は安い、あと量が多いという印象だった。結局、ヨンヨンおすすめの韓国のお茶や事務所のみんなにお土産にしようと決めていた朝鮮人参のゼリーなど、初日から買ってしまった。
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ヨンヨンに松尾さんからのプレゼントをようやく渡すことができた。松尾さんは、天神山のご近所さんで、オープニングにお寿司を持参して娘さんと参加してくれた。その後、ヨンヨンともう一度話がしたいといって再訪してくれたんだけど、すでに彼女たちは帰国していたので松尾さんは会えずにとても残念がっていた。その時、持参してらした贈り物をわたしが韓国に運ぶと約束して預かっていたのです。 松尾さんは、ヨンヨンへとその場で手紙を書いてくれた。この気持ちをヨンヨンに贈り物といっしょに手渡すことができて、ほんとによかった。
ようやく帰宅すると、ヨンヨンがはやくシャワーを浴びろという、夜のプログラムもあるらしい。シャワーが終わって、リビングにいくと、すでにヨンヨンがフルーツとおちゃを出してくれて、テレビでは、NetflixでEye love youが流れている。ここで日本製のラブロマンスをみんなでみることになるとは!ドラマの中のラブシーンはやっぱり気まずい雰囲気になるが、まあてきとうにいなす。わやわやあれこれ話して夜が更けてようやく就寝。朝は、ヨンヨンはミンギとラヨンを送り出すために8時に起きるという、アーティストで親で、ほんとに忙しい。
ミンギの働いているスタジオは、アーティストがミンギを含めて2人いて、それ以外に近所のおばさんたちがきているのだとか。ミンギは白ごはんだけを自宅からもっていくと、おばさんたちがおかずをもちよって食べさせてくれるらしい。韓ドラで描かれる景色そのまま、と感動した。
3月7日(木)パジュを廻り、ソウルへ。
天神山アートスタジオでの約2ヶ月の留守で植物の鉢がいくつか枯れているのをベランダでみた。ヨンヨンは天神山の滞在の最後に展示をした。そのタイトルが50 days、ヨンヨンとパジュから始まった私の韓国の旅のリポートはそこからきている。窓の外には、川がみえるその先には北朝鮮。パジュは国境の町なのだ、アパートの隣の敷地は軍施設。去年の9月にリサーチで天神山に滞在した3人(分断イメージセンター:ジェハ、ソルジ、ジェヨン)は、週末にソウルでパフォーマンスをする。札幌で(日本で)北朝鮮の気配と強制労働の歴史をリサーチしたのだった。パジュは、ヨンヨンが一晩の宿を提供してくれたから、行くことになったけど、そこが国境の町だったとあとになってしって、ほんとうに肉眼で「分断」の景色を見ていることが不思議だったし、必然的だった。
ヨンヨンが帰ってきて、さあ散歩にいきましょうといってくれて出発。
ヨンヨンのスタジオ
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地元の会社の社長さんがヨンヨンの支援者(スポンサー)で、社屋の隣の空きビルをスタジオとして提供してくれているのだとか。同じビルの中にミンギのスタジオもある。ヨンヨンの作品もいくつも置かれていて、作業に徹するようなシンプルなスタジオだった。社長は、猫のお母さんだそうで、オフィスに2匹、会社の敷地には野良猫のための寝床や餌場がちゃんといくつもおいてある。なんだかシンパシー。この場所で、レジデンスもできるかもしれないと話すヨンヨン。昨日、京畿道にソウルからアーティストがスタジオを移しているという話を聞いた。
次は、ヘイリ芸術家村。
20年前にアーティストのスタジオとして開かれたエリアが、いまはほとんど全てのスペースがカフェになって観光化している場所。このヘイリの中で、アーティスト村時代からいるカップルの経営するカフェ、オーガニックショップ、ギャラリーはヨンヨンの親しい人たちというので訪ねる。温かいジンジャーミルクをご馳走になる。店の外には鶏小屋がある。think green cafe 「わたしたちはゆっくりいきる」年齢層の高い、このカップルの旧知と思われる人々が次々やってくる、この二人には話を聞いてみたい。とてもいい空間だった。
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なぜ、どういう経緯でここに芸術村ができ、20年を経過して観光地となったのかという話を聞いてみたい。次回かならず。
ヨンヨンは、いま岐路にいるようだ。これまで彼女の実力を評価されてきている女性を描いたシリーズ、抽象的な表現のシリーズをスタジオで紹介してくれながら、これからどこに向かうべきかと独り言のように聞いている。家庭と自分の制作のバランスを取ること、母親である彼女が振り払うことのできない家族への思い、がむしゃらな彼女は創作への意欲もさげず、でも取り組むことも多さや複雑さに疲れきっているようでもある。実際、切り盛りしている姿をみて、やりすぎないようにとか、少し手を抜きなよ、とかそんなヨンヨンには邪魔になるような言葉をいいたくなる、いわなかったけど。でも、こうして記憶を辿りながら、急がなくてもなんとかなる、どっかで辻褄があってくるからと、やっぱりいいたくなっている。ヨンヨンにメッセージしよう。
ソウルに出発するまでの間にヨンヨンがつめこんだスケジュールの次はランチ。ローカルのレストラン、スジェビの店。 入ると、店主のコレクションや植木がどころ狭しとびっしりおいてある、いい感じ。先客に消防士か救急隊員のようなグループあり、不思議とそういう職種の人が顔つきが違う(贔屓目)。昼時なので、席は満席、隣のテーブルで注文されている料理に釘付けになる。
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ここのスジェビと名物のチヂミはともかく素晴らしかった!すごい量だったので、まったく終わらず、チヂミのほとんどを持ち帰りにしてもらった。スパニッシュオムレツのようなチヂミ。再現してみたいけど、できるだろうか、ともかく美味しかったし面白かった。そして、昨日の夜のカルグクスの店もそうだったけど、お店ででてくるキムチが美味しい。
また、満腹。
そして、強制的に次は伝統茶のカフェへ。ヨンヨンは、韓国伝統茶がとても好きなのだという、カフェは古民家空間で、お母さんと娘さんが営んでいるようだった。こんがりやいたお餅が出てきた。お茶は、石の碗でぐらぐらに煮立った状態で運ばれてきた。私のお茶には銀杏の実が入っていたので、それはヨンヨンに、去年のお正月に突如発症した銀杏アレルギーがあるのです、でもお茶自体はその後もなにも起こらなかったし、サジで熱々の甘いお茶をちびちび楽しむのはすごくよかった。70-80年代の音楽がかかっていた。かかっていた曲で、好きだったのが学生による民主化運動の時の女性歌手の曲。
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カフェの庭から北朝鮮が見える。
アパートに荷物を取りに戻り、ラヨンをピアノ教室から拾って、ヨンヨンの車でソウル、法大エリアに出発した。ソウルだけ雨が降っているみたいなおかしな天気。ヨンヨンもかつて法大エリアに住んでいたんだそう、この日からお世話になるソルジとジェヨンのアパートに到着した。ハイソな雰囲気の家賃が高そうなアパート群にちょっとひく。地下駐車場で、すでに親戚のような気分になったヨンヨンと別れ、私は彼らの部屋にエレベータで向かった。暗証番号は教えてもらっていた。 しかし、ドアが開かない。困っているとお向かいのドアから小学生くらいの女の子とお母さんがでてきた。女の子は英語が達者で、どうしたんですか?と聞いてくれたから、すぐに助けを求めた。彼女、ほんとに心強かった。ヒーローです、ドアもあけてくれた。
部屋のドアには、helloというシールを貼ってくれていた。私が使わせてもらう部屋もしっかり準備がしてあって、しんそこくつろいだ。 10分ほど、休憩をしてすでにアパートの下でまっていてくれたKim, Soyoungと会う。ソヨンの車を探して敷地内を歩いたんだけど、ともかく新しくハイソなアパートの雰囲気にたじたじする、どんな人たちが暮らしているのか、若いキュレーターカップルのソルジとジェヨンがなぜここに住んでいるのかとかいくつも質問がわきあがってくる。
アパートの敷地を歩き回ってやっと出口があらわれた、そこにソヨンがいた!
横っ面にぶつけたあとのあるソヨンの車に乗り込んだ。
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助手席に座って、彼女の案内にただ従っていく。最初は比較的新しくてソヨンが気に入っているギャラリーに。一軒の家が改装されて複層的なスペースになっていて面白い。そこから歩き始める。このエリアには、ギャラリーもスタジオも多くあったという、でも地下が高騰して減ってきていると。途中、スマホの充電用の韓国使用の電源ソケットを購入。そのままそのほかに二つギャラリーを巡る。ふたつめは、プリント工房が運営する版画がメイン(らしい)新しいギャラリー。二つ目は、アーティスト・ランのギャラリーでこのエリアでは老舗という。
ギャラリーを3軒回って、レンガ構造の建物が残っている古い街区の中のカフェに入った。このあたりはゲストハウス も多いんだとソヨンが教えてくれる、コナーもソウルではここに滞在してたんです、と。旅の前にどこにいきたいのかと聞いてきてくれたので、ソヨンのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼んでいた、だから、このカフェも彼女が好きでとても落ち着く場所だといっていて、その通りだった。いまどきのおしゃれ優先じゃない、でも粋なカフェで私も気に入った。
キムソヨンはソウルを拠点にしているペインター。天神山アートスタジオには去年の春に2ヶ月滞在していた。ほんとうにコツコツと作品に向き合っていて、ちょうど桜の季節に、毎朝二階から公園の桜を眺めて過ごしている姿がいまでも記憶に残っている。昨日のヨンヨンと似ていて社交的で日本語も勉強を続けてかなり使う。滞在中には、道立美術館の学芸員や同時期に滞在していた札幌や日本のアーティストやWSで知り合ったインテリアデザイナー、同時期滞在の海外のアーティストとしっかりと友好的な関係を構築していた。彼女に再会して聞いたところによると、札幌で知り合った人のうち、何人かはすでにソウルに来て再会を果たしているし、天神山以降、彼女もまた2度日本にきている。特に、奈良を拠点にしているアーティストは彼女と同時期に滞在していたのだが、その人との交流によって、彼女は、彼女自身の次のステップを計画するようになったようだ。それは、ソウルという大都市を離れて、故郷の町で新たに活動をしようとする計画。 また、同じく、彼女と同時期に天神山にいたアメリカの文学の作家コナーとは、ソウルの友達よりしょっちゅうあっているといって笑っていた。たった2ヶ月の札幌での滞在制作、このきっかけをものにすることのできるレジデンスアーティストは実際それほど多くない。ソヨンの天神山のあと、は私の想像を超えていた。
すでにペインターとして長いキャリアをソウルで築いているが、作品を制作するだけでは生計が立たない、自身の制作に並行して美大受験生のためのチューターも務めてきている。そのためか、客観的に思考する性質も持ち合わせていて、だから今後のキャリアをどのように組み立てていくのか、自分の経験や体験をどのように活かしていけるかと冷静に点検することができているように受け止めた。もちろん、葛藤やどうしようもない切なさなんかはあるはずだけど。
アーティスト・イン・レジデンスは、一時的な滞在が前提だから、私たちが知るのは、ひとりのアーティストのほんの一面だし、ほんの一瞬にすぎない。それが面白さであり次へと向かう燃料にもなっているが、天神山アートスタジオのように一度にたくさんのアーティストと同時に対応するような環境では、なかなか深くつきあうことができない。それは、天神山以前は年に3-4人のアーティストを招聘していたレジデンスにいた経験からすると私には物足りない。  作品というより、アーティストという人に興味があるので、よくもわるくももういいです、というくらいまでひとりのひとを知りたいという欲求がある。ただの好奇心なので、あまり警戒してほしくはないんだけど。(むしろそれが無礼なのか?)
トッポキを食べる店を探して、また歩く。
途中で、韓ドラの「コーヒープリンス一号店」のロケ地に使われたカフェの道を通り過ぎる。コンユが好きな私はもちろん静かに興奮しました。そして、このカフェがドラマのロケ地になる前に、常連だったソヨンからちょっとしたホラーストーリーを聴くことになるのだけど、それは怖いから書き残さないでおく。
ソヨンに送ってもらって10時すぎにアパートにたどり着くと、ソルジたちも帰宅していた。パフォーマンスの初日を迎えていた二人だったので、あれこれと喋りたい気持ちがお互いにあったのだけど、ふとおもいだした2000年ごろのflying cityのことをきいてみた。都市の再開発に伴ってとりこわされてしまうエリアとコミュニティのプロジェウトをやっていた反骨系のアートグループがいたと記憶していたのだけど、ひょっとして彼らの暮らしている(私が滞在する)このアパートのエリアは、flying cityがフォーカスしてた場所?と質問したら、ジェヨンが、ここでは��いと教えてくれた。その流れで、なぜ自分たちがこのアパートに住んでいるのかを説明してくれた。 新しいアパート群の再開発にあたって、元の住民に新しいアパートに住む優先権が与えられたのだとか。ジェヨンの家族は元の住民でもあるし、新しいアパートの入居優先条件に、「新婚」「子供のいる若い世代」もあったから、ソルジとジェヨンは結婚することにしてこのアパートへの入居申請をしたんだという。面白い話だ。リビングには、結婚式の記念写真も飾られている、ドラマでよく見る風景。 まだ喋り足りなかったけどさっさと自室にひっこんだ。普段の生活よりも倍以上歩いていて私も相当疲れている、きっと彼らはもっとくたくただろうと思う、おやすみなさい、翌日のパフォーマンスの成功を祈った。
私が使わせてもらった部屋は、普段、ソルジが仕事部屋として使っているのだそう。四畳半ほどの大きさの部屋に机と本棚と資料が山積みで、その間にシングルベッドがおいてある。子ども部屋のようで、私はなんだか実家の自分の部屋にいるような気分になった。電気の式パットがおいてある、スイッチの入れ方がわからないけど疲れていてそのまま眠った。
3月8日(金)16年ぶりのアービン・シム
思い出そうとするけど、この日、アービンと回った地名・駅名がまったく思い出せない。10:50の待ち合わせも、どうやら地下鉄の乗り方を間違ったみたいで遅刻した。朝、起きれなかったのだ、慌ててアパートを出て、ろくに調べないで待ち合わせ場所に向かった。 なにしろ初めての地下鉄移動だったから、間違っていてもそこそこ楽しんでいる、完全に覚醒しているわけでもないから気分はのんびりしていた。のんびりしていたと思ったら、待ち合わせ場所でアービンを見た途端に、涙腺崩壊してしまった。なぜ?なぜそんなにエモーショナルになったのか自分でもわからないけど、話し始めたら私たちは16年ぶりにあったのだとアービンがいう。ああ、その時間が私をなんだか盛り上げてしまったようだ、気がつかなかったけど!アービンは16年たってもちっとも変わっていなかった。スピリッツがブレてない気がする。私は肥大したけれど。
アービンの好きなカフェにまずはいく。細い路地と階段を登ったところにある。小さなカフェ。ひとしきり、あの人はどうしている、とかそういう懐かしい話をする、フィナンシェとカプチーノ。
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なんとなくミッションなきがして、札幌でアービンとあったS-AIRのふたりと漆くんにアービンの写真を送った。 カフェの向かい側のひだまりで猫がまるくなっていた。
寝坊して待ち合わせ場所に向かったから、お腹がすいていたし昨日の疲れも癒えてなくて体調はあまりよくなかった正直。だけど、アービンとの16年ぶり!に興奮していたのか、しゃきしゃきと歩く早足のアービンになんとかついて行って、去年まで彼女が働いていたギャラリーにいく。 デジタル系の会社の中にそのギャラリーはあって、そこではここ近年で大注目の女性アーティストの個展をしていた。最初の空間は照明の効果で赤く染まって、その中に数点のビデオが上映されている。受付にアーティスト本人がいて、少し話ができた。 メインのスペースに他二つの空間が隣接していて、それは普段展示空間に使っていない場所だという。ひとつは会議室、もうひとつはアイランドカウンターキッチンがあるラウンジ。 その2箇所には、主にセラミックの作品が展示されていて、アーティストのビデオ(アニメーション)作品が3Dになってリアルな空間に存在しているという感じ、ビデオの中にオーディエンスが取り込まれたような感覚もあり面白い体験だった。 作品をみて、ああ、売れそう、というのが最初に思ったことだった。買いたくなる欲しくなるモノを目の当たりにすると、なんかドギマギする欲望が刺激されると妙な背徳感が迫ってくるからかな。慣れてない&気が小さいのかもね。アービンが、最近の韓国の若手アーティストは2D作品の作家たちが次々セラミックで3D作品を発表していると説明を加えてくれた。アーティストにその話をふると、彼女は絵の制作とそこからの立体への展開は自然ななりゆきで、延長上にあるということを話してくれた。
日本でもアートフェアやギャラリーにしょっちゅう行っていればこう言った傾向に出会っていたのかもしれないな。あまりに日頃ご無沙汰である。
アービンは、最後に彼女にあった16年前にもソウルで一番くらいにいけてるリッチなギャラリーで働きながら制作活動をしていた。その時、創作活動に集中したいから近々仕事をやめると話していた。その後、何年かしてまた仕事に戻ったそうだ。そして、またいまは制作以外の仕事も、制作も一年休んでいるんだそう。彼女は私とおおよそ一回り年下だから、40台後半になっている。年齢を重ねても、どんなふうに活動を続けていくか、これで大丈夫かと自問自答しながらキャリアを築いていくのはきっとほとんどのアーティストが同じなんじゃないかなと考えた。そういう自分のめんどくささを引き受けてそれでも制作を続けるってこと、そんな姿はいじましいい誠実だなあと思わされる。こういう姿が20台とか30台の若いアーティストたちに励ましとして、いい意味であきらめとして伝わるといいのになあとも。
お腹がすいた。
地下鉄で移動するよとアービンが交通カードを貸してくれる。ソウルの地下鉄は安い、この乗りやすさはありがたいな。たぶん、一回くらい乗り換えて、アービンのお母さんに会うために彼女の家のある駅の一つ前で降りて、ファーストフードのようなキムパ屋さんに連れて行ってくれた。すでに2時過ぎだったので店内では、スタッフ二人が食事をしている。食券を買って、キムパ、トッポキ、おでんが運ばれてきた。フライドポテト入りキムパが一番人気ということで、それとツナのやつ。ああ、美味しい。コロナの間、最近習い始めたことなんかを話した。
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食べ終わって、お母さんが待っているからと彼女の家に歩き始めた。アービンのお母さんは、私のことをいつも気にかけてくれていたようで、今回もぜひ訪ねてくるようにとアービンに言ったようだ。
16年前には、彼女たちのアパートに一泊か2泊、お世話になった。駅の周りの景色もかなり記憶していた、懐かしい。あの頃から、ここが変わった、うちも道路向かいの別のエリアに引っ越したとアービンが説明してくれる。 お世話になった時、普段アービンが使っている部屋を私に使わせてくれた。明るい室内とピンク色のサテンのきれいな布団を鮮明に覚えている。ベッドを私に譲ったアービンは、その日お母さんといっしょに寝てた。その状況が当時の私には不思議だった、いい大人が!いい大人に親といっしょに寝させて申し訳ないという気持ち。だけど韓ドラでドラマをみまくったいまなら、彼らがそうしてくれるのはおもてなしの気持ちの表現で、当たり前のことだとわかる。娘と母親の距離感、家の中の雰囲気、お客さんがきた時の対応とか、その当時はまったくの異文化としか思えなかったあれこれのパズルがパチパチとハマっていくような感じで、今目の前の状況もすごくわかる。ああ、見倒しておいてよかった、笑
もう、わかったつもりの私がまた完全に崩壊する瞬間が来るとは予想してなかった。
アービンのお母さん
私を歓迎するために少しおしゃれしているだろうとか、足を悪くされて車椅子や補助器具で行動しているお母さんの雰囲気は、予想がついた。でも、全く覚えていなかったのだけど、すごく無邪気でエモーショナルな人だったということ。再会のとたんの温かい、いや、かなり激しめのハグを交わしながらその様に思わず泣いてしまったし、お母さんも泣いていたし、アービンも泣いちゃってた。日本語も勉強しているの、といって日本語で話しかけてくれる。短い時間の中でもたくさんおもてなしをしてくれようとあれこれ考えてあれこれ準備をしてくれたみたいで、なんというか感動したというか圧倒されて言葉が出ない。日中、お母さんを家でサポートしてくれるヘルパーのおばさんも唖然としながら温かくみててくれている。アービンがお母さんに促されてリンゴを剥いてくれた、韓国のサゴォアはとても美味しいのよ、食べなさいとお母さん。 大谷翔平が好きだというので、帰国したら特集号の雑誌か写真集を送ると約束した。私が大谷翔平とつきあうことになる初夢を今年みたとはさすがにいえなかったが、ちょっと前に大ニュースになった大谷の電撃婚の話題で盛り上がった。楽しいなあ、しかしこの溢れる感情を私は取り扱いできないままでいる。
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帰り際、プレゼントがあるとお金をくれた。トン?トン?トンっ!?!?とほんと驚いた。この習慣もドラマで学習済みだったけど、まさか57歳にもなって贈り物としてお金をもらうなんて、ああ、現実が受け入れられない・・綺麗なパッケージは、ヘルパーのおばさんが手伝ってつくってくれたそう。 今回の韓国旅では、会う人たちからなんだかの贈り物を受け取っていて、ほんとに心苦しいほどだった。私がお世話になっているのに、みな心尽くしの贈り物をくれる、自分が気が利かない人のようにも思えるけど、こういう気持ちの表し方なんだとありがたく言い聞かせる。
ほんとにありがとうございます。
このあと、アービンが10年近く使っているスタジオへと移動した。地下鉄に乗って、確か乗り替えはなかったような気がする。ターミナルの町で、ソウルの人がボルダリングとかをする険しい山の登山口があると言ってた、ソウルの南の方とも・・いま地名が思い出せないけど、最後にまとめて調べよう。元ベルギー大使館の建物を再利用した美術館の分館がある町だったから、検索すればわかるだろう。
この日もハイライトだらけで、長くなりすぎるので別の投稿につづく。
アービンのオンマの愛と引き換えに?なのか、この旅に持参したストールを失くしてしまった。母が(実の)私の二十歳の着物に合わせて買ってくれたもので、30年以上使っていた赤いストール。この冬に、このストールの暖かさを再発見してヘビロテしていたからそのまま韓国に持ってきていた。失くしたことに気がついて、ヨンヨンやソルジたちにも探してもらったけどでてこない。
お母さん、失くしてしまってごめんなさい。でもあのふんわりした温かい感じ、まだ覚えてます。
忘れないようにする。
忘れたくない。
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aarc2017 · 4 months
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About treibgut_20240111
treibgut 
Implementation of a material cycle: treibgut material initiative in Munich
treibgut organizes a material cycle in Munich for which the initiative collects used materials from cultural institutions (e.g. theaters, opera, exhibition and performance venues), processes them if necessary and makes them available to local cultural workers at low cost. After use, the materials are ideally returned and reused. The initiative is therefore a hub in Munich for consciously and responsible material handling.
Sustainable material offering 
treibgut has existed since 2015; Since the end of 2022, treibgut has been officially founded as treibgut Material Initiative gUG. From the individual contacts with Munich cultural institutions and the further distribution on a small scale, a broad network of cooperation partners and users has grown within eight years. This includes over 35 renowned institutions and well over 300 freelance cultural workers in Munich. In 2022, around 50 tons of materials, destined for waste, have been reused.
A sister organization has also emerged from the voluntary commitment: treibstoff - a costume fund for Munich's independent scene in the immediate vicinity. Both initiatives are closely linked in terms of personnel and ideals.
Currently, 250 square meters are being made available rent-free as storage and operating space by the Munich Cultural Department. However, the material cycle model developed by treibgut can be scaled up significantly. In the long term, the team assumes a business area of at least 1500 square meters. Permanent financial support from the Department for Climate and Environment (RKU) was approved by the Munich City Council in mid-2023 and will enable treibgut to set up its first employments. Further financing must be covered from own income and other funding sources. There are currently 14 people working constantly for treibgut, who will gradually be employed properly. As a Munich lighthouse project, treibgut is constantly testing and developing the embedding of a material cycle system in the form of a material initiative into the urban infrastructure.
Cultural promotion
In addition to organizing the sustainable material offering, treibgut explicitly but not exclusively supports artistic and cultural projects from the independent scene. treibgut counteracts the persistently precarious budget situation of independent artists and cultural workers with a socially variable pricing system and thus contributes to reduce the financial pressure on the cultural scene. A work made entirely from treibgut inventory can mean savings of up to 75% on conventional material costs.
Awareness raising
In addition to environmental protection and cultural promotion, another objective is further training in sustainable project planning and implementation. During ongoing operations, the team offers free advice and supports the users' choice of materials with a view to ensuring the greatest possible recyclability and sustainable alternatives to conventional materials. In contact with its institutional cooperation partners, treibgut works on new perspectives for production, use and disposal or further use processes. The focus here is on raising awareness through an exchange at eye level and a gradual structural change in the entire cultural sector. By participating in discussion and exhibition formats, treibgut draws attention to the urgency of material cycles and thus the sustainable use of resources and advises a wide range of actors on their implementation. Most recently, treibgut was a guest at documenta fifteen in 2022 with the initiatives for material cycles (IfM). treibgut has been a member of the nationwide IfM network since 2021 and is in contact with comparable initiatives nationally and internationally.
treibgut as a best practice example
At the local and international level, politicians have been formulating a variety of goals for years as to how sustainable business should be made possible in the future. For example, in the Zero Waste concept, with which the Munich city council commissioned its own waste management company (AWM) in 2020, there is explicit reference to the involvement of civil society actors. treibgut is an already established best practice example for this. As the only cultural initiative in Munich that exclusively focuses on the circular economy, treibgut is also an excellent example of best practice in the culture sector for the European Green City Accord4, for the European Green Deal and the Circular Economy Action Plan. In this way, treibgut also contributes to achieving the UN sustainability goals in a very concrete way.
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aarc2017 · 4 months
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パトロン型から協働型
アーティスト・イン・レジデンス(AIR)は、これまでアーティストに与えられる奨学金や渡航補助、経済力のある者が支援する「賞金」「パトロン」型のマインド、事業フレームを前提として日本において普及してきた。
近年の日本の文化行政おいては、地方創生の流れをうけAIRを地方自治体が事業主催するケースが増えている。
また、都心部から地方への移住や複数点居住の流れ、子や孫が相続した親族等の家屋、人口減少に伴う空き物件を活動拠点にするアーティストのグループが、AIRの主催となる事例が全国で多数出現している。その今日の状況に着目してみる。これらの新しいAIRの事例は、従来の奨学金・パトロン型とはことなる運営基盤であることが想像できる。
私は、2000年に入って日本のアーティスト経由で紹介されたオランダのスクオッティング、アーティストの空き家の占拠を発端としたアーティスト・イニシアティブの活動に興味を持ったことと、その後、オランダでTrans Artistsの助けをもらってオランダ国内のAIR、それをとりまく環境に関するリサーチを2008-2010にかけ行なった。いくつかのAIRを訪ね歩くうちに、そしてその当時のTrans Artstsウェブサイトで表記されていた「Guest Studio」がオランダでのAIRであることが気になり始めた。
その多くは、ある地域を拠点にするアーティストグループによるスタジオコンプレックスの中のいくつかのスタジオを、活動の主体者(グループメンバー)以外のアーティストに一時的に有料で貸し出す、ゲストとしてグループに一時的に参加させるという形態である。
アーティスト・グループがスタジオコンプレックス(建物やファシリティ)を維持するために現金収入が必要で、それの一部を稼ぐために貸室を設けているという事情によるもののようだった。1980年代から私の調査時期くらいまではこのやり方が一般的で、各所のゲストスタジオを活用しているスタジオコンプレックスもうまく回っているようでもあった。 (続き)
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aarc2017 · 2 years
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リサーチin 2022鳥取_リサーチャーー・プロフィール
張 小船  Boat ZHANG (ボート・チャン)
1983年中国生まれ、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ(Goldsmiths, University of London)卒業、2016年から、主に上海と日本を拠点として活動。2020年、上海から東京に移住。
アートが日々の習慣をどう扱えるか、また、慣れてしまっている物事をほんの少し変えることで、既存のアイデア、ルール、マナーを再考し、問い直すことに興味がある。アートは視覚性や審美性の生産ではなく、思考の方法、想像力のゲームとして捉えている。フルクサスのような、日常生活の場や公共空間で作品を展開することを好む。個人的な経験や感情をもとに、コンセプチュアル、パフォーマンス、イベント、映像、イメージ、サウンド、テキストなどを自由に扱って、ユニーク且つ普遍的な状況に、個人的や即興的に対応しようとしている。作品は「ユーモアとアンビバレンス」を併せ持つと評されている。
これまで中国、日本、イギリス、キューバなどの展覧会に参加。作品は上海当代芸術博物館(Power Station of Art)、Asia Art Archive (AAA)などの施設やプライベート・コレクションにも収集されている。2019年Jimei x Arles Discovery Award のファイナリストにノミネートされた。2018年第12回上海ビエンナーレに参加。2016年から毎年夏、日韓中に囲まれた海域の島・対馬で開催される地域密着型アートプロジェクト「対馬アートファンタジア」に参加。リバプール・ビエンナーレ・レジデンス・プログラム、Ongoing AIR AWARD、さっぽろ天神山アートスタジオ国際公募などのレジデンス・プログラムに招待された。
アーティストグループ「row&row」、「•• PROPAGANDA DEPARTMENT」、「チームやめよう」のメンバーとしても活動している。また、コーヒー費を稼ぐために他の名前で文章も書いている。
岡田 有美子  Yumiko OKADA (オカダ・ユミコ)
フリーランスのキュレーター。2018年より北栄町在住。ラテンアメリカと沖縄、山陰を移動しながら、子育てと研究の両立を模索中。
フリーランスのキュレーター。NPO法人前島アートセンター(2005-2009)、NPO法人沖縄県立美術館支援会happ(2010-11)など、沖縄のアートNPOでの勤務を経たのち、文化庁新進芸術家海外研修生としてキューバに滞在(2011-12)。グアテマラにて現代アートのリサーチ(2013)。主な企画に「海の庭 山城知佳子とサンドラ・ラモス」(表参道画廊、2017)、「近くへの遠回りー日本・キューバ現代美術展」(ハバナ・ウィフレドラム現代アートセンター /スパイラルガーデン、2018)など。明治大学理工学研究科建築・都市学専攻総合芸術系博士後期課程在籍中。北栄町在住。
小田井 真美  Mami ODAI(オダイ・マミ)
AIR 事業とその背景など文化芸術活動の営みを支えるインフラ【機能/しくみ/状況】の開発と整備、調査研究に取り組みながら、AIR 事業設計、プログラムディレクターとして運営現場に携わる。
1966 年広島市生まれ。武蔵野美術短期大学、女子美術大学卒業後 1990 年代に LOOK AT MUSIC 名義で主にサウンドアーティストとの仕事で事業のプロデュース企画・運営に着手。アートイベント BONUS を東京大学駒場寮南食堂、中之島公会堂(大阪)、アップリンク(東京)などで実施。
1998-1999年、東京港区で 3 ART PROJECT/ Free Space 3 をギャラリー360°、ホソノ��ズミと共同運営。2001-2002年までとかち国際現代アート展デメーテル(統括ディレクター:P3 art and environment)事務局勤務を機に北海道に移住。
2003 年より NPO 法人 S-AIRに所属し AIR 事業運営、アートによる地域活性化事業の開発と運営、稼働している小学校の空き教室を一時的にアーティストのスタジオにするアーティスト・イン・スクールを企画し事業化した。 2006年、オランダと札幌のアーティストとともに札幌の雪と除雪を考えるための持続型アートプロジェクトSapporo2 Projectを立ち上げる。2008-2009年、文化庁新進芸術家海外研修制度によりTrans Artist (オランダ)で AIR と文化政策に関する研究と調査、AIR ネットワ-キングの研修を受ける。帰国後、複数の AIR 拠点・事業の事業設計に携わり、アーカスプロジェクト(茨城)ディレクターを経て、2012年より札幌国際芸術祭(SIAF)2014 でチーフプロジェクトマネージャーを務めた。2012 年 FOCUS プログラム(INSTITUT FRANCAIS/ the Ministry of Culture and Communication)でフランスに招聘。コマンド N と共にアーティストの移動のための情報ポータル (MOVE ARTS JAPAN ウエブサイト)を設計し運営した(2018年終了)。
2014-現在は、札幌国際芸術祭事務局勤務期間に事業設計に加わった札幌市のAIR拠点「さ っぽろ天神山アートスタジオ」の 運営を、一般社団法人 AISプランニングとともに担い、自身はAIR ディレクターを務める。そのほか、2015-2017文化庁AIR事業協力者会議審査委員、2016-2021年 京都府京都Re-Search実行委員会アドバイザー、2014-現在、アートとリサーチセンター主宰。2020年より、アートグループ「チームやめよう」メンバー。
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aarc2017 · 2 years
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アーティストの新たな活動領域開拓のためのネットワーク構築事業2)創作活動支援プログラム補足資料
表題支援プログラムにおける、北海道内AIR拠点・アーティスト受入団体の補足資料です。
北海道内の多層的なエリアをアーティストの活動フィールドにするとき、道内各地のAIR拠点・アーティスト受入団体やチームがアーティストの活動をさまざまな形でサポートします。
【アーティストの新たな活動領域開拓のためのネットワーク構築事業 締切9/15】 https://ais-p.jp/news/2022/08/09/koubo/
①〜⑦すべて、「滞在時期」「滞在場所」「サポート内容」を活動開始前に、<採択を受けたアーティストの希望>、<拠点・団体の事情や都合等を含む諸条件>を丁寧に調整した上で、実際の活動支援を行います。 アーティストの希望はケースにより変更が生じることがありますので、フレキシブルに計画を作成してください。
①さっぽろ天神山アートスタジオ(札幌市)
滞在時期は、「滞在スタジオA,B,C」空き状況によって設定可能
②清水沢プロジェクト(夕張市)
滞在時期は11月以降を希望。以降、施設の空き状況によって設定可能
③当別アーティスト・イン・レジデンス(当別町)
滞在時期・場所は、運営団体とミーティングの上決定
④みる・とーぶ(岩見沢市)
活動拠点の元中学校施設は暖房設備がないため10月以降は冬季間クローズ。地域内の有料ゲストハウス への滞在を仲介する。
⑤団体名なし(旭川市)
個人有志によるサポートチーム。旭川市及び周辺地域での活動をサポート。独自の滞在施設がないがアーティストの希望に応じて滞在場所の仲介などを行う。
⑥アートラボ北舟(豊頃町/十勝)
アーティストユニットの個人宅での滞在は最大2-3泊。地域内の宿泊施設などを仲介可能。
⑦ヒミツキチ(斜里町/知床)
長期滞在を希望する場合は、ほかの宿泊施設との連携をする予定。 以上です。 コーディネート:アートとリサーチセンター、さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター小田井作成
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aarc2017 · 2 years
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shopバトキカイ出店について
https://tenjinyamastudio.jp/TENJINYAMA’S SHOP - BATOKIKAI バトキカイ November 6th, 2023 updated
Follow us on Instagram! >>click! Join us! >>online form!
How are you? Hope you are doing well.
The new shop BATOKIKAI (Batokikai = Place and Opportunity) in Tenjinyama Art Studio reopened for business in 2023. Now, why don't you join the artists of Tenjinyama Art Studio (=you) and make this shop a success?
Now, we sincerely invite Tenjinyama’s artists (=you) to make this shop happens with us!
お元気ですか?お元気でお過ごしでしょうか。
天神山の新しいショップ「BATOKIKAI」(バトキカイ=場所と機会)は、2023年に営業を再開しました。さあ、天神山のアーティストたち(=あなたたち)と一緒に、このショップを盛り上げていきませんか?
Idea of the shop (Batokikai) お店のイメージ(バトキカイ)
This shop aims to provide a platform to connect Artists and Locals, support the works from Artists and the nearby community, and bring more audience to Tenjinyama. The name of the shop, “BATOKIKAI” (Place and Opportunities) comes from the aims of Tenjinyama, by allowing AIR to stay here carrying out independent activities and producing meaningful results through the “place, time and opportunities” provided by Tenjinyama Art Studio.
ショップ名の「BATOKIKAI(場と機会)」は、天神山アートスタジオが提供する「場・時間・機会(=AIR)」を通じて、滞在して自主的に活動し、有意義な成果を生み出すことを目指すAIR拠点としての天神山アートスタジオの趣旨に由来しています。
このショップは、アーティストと地元の人々をつなぐプラットフォームを提供し、アーティストの作品や近隣のコミュニティをサポートし、より多くの観客を天神山に呼び込むことを目的としています。
What are we going to sell? このショップでは、販売するのは
In this shop, we are going to sell:
- The artistic products from Tenjinyama’s artists. Eg. Handmade goods, crafts, prints, ceramics, glasses, any artistic products, etc
- The local goods from the community near Tenjinyama. Eg. Vegetables, snacks, coffee beans, handmade goods, etc
or anything else, feel free to suggest your ideas!
- 天神山で活動する作家のアート作品を販売します。 例:手作り品、工芸品、版画、陶器、グラス、その他アートなものなど
- 天神山近辺の地場産品。 例:野菜、お菓子、コーヒー豆、手作り品など
その他、何でも結構です、お気軽にご提案ください。
Please join us!
We sincerely welcome artists from Tenjinyama to be part of the shop. If you make artistic products and interested to join, please apply via ONLINE FORM with the information below, 
(1) Product(s) going to sell, and description(s) to show our visitors
(2) The Retail prices (in Japanese currency)  
(3) Product’s photos
(4) Artist Instagram / website (If any)
and Personal information for contact
私たちは、天神山のアーティストがショップの一員となることを心から歓迎します。もし、あなたが芸術的な製品を作っていて、参加することに興味があるなら、以下の情報といっしょにオンラインフォームで申込をしてください。
(1)販売する商品とその説明。 (2) 販売価格 (3) 商品写真 (4) アーティストのインスタグラム・ウェブサイト(ある場合のみ)
そのほか、連絡用の個人情報
About the consignment and shipping
The purpose of this shop is not about commercial, but the opportunity and connections for artists and locals. As we are now in the trial stage, we suggest to take 30% commission fee and will send a sales report every 6 months. 
 (1) In the case of consignment 30% commission fee  (2) In the case of shopkeeping: 10% commission fee
 *Some of the products handled (food and perishables) will be "purchased and sold (transactions at wholesale prices, sales prices negotiable).
 * How the commission (Tenjinzan proceeds) will be used: The remainder of the proceeds from the purchase of store fixtures and other items and payment of rent to the City of Sapporo (26,671 yen/month) will be pooled for "artist invitation expenses". If you wish to donate proceeds, please let us know.
    *We are sorry we may not do the postage support at this stage, but we highly recommend your markup the selling price includes the shipping cost. 
このショップの目的は、商業的なものではなく、アーティストや地元の人たちにチャンスとコネクションを提供することです。現在、試行錯誤中ですので、手数料は30%程度とさせていただき、半年に一度、売上報告書をお送りする予定です。
    ①委託の場合の手数料、30%  ②お店番の場合の手数料、 10%
 *一部の取り扱い商品(食品、生もの)は、「仕入販売(卸価格で取引、販売価格は応相談)」を行います。
 *手数料(天神山の収益)の使い道:店舗備品など購入費、札幌市への家賃(26,671円/月)支払いの残金は「アーティストの招聘費用」のためにプールします。売り上げの寄付を希望される場合は、お申し出ください。
現段階では送料のサポートはできませんが、販売価格に送料が含まれるようなマークアップを強く推奨します。
Opening Schedule Please visit the official website of Sapporo Tenjinyama Art Studio. https://tenjinyamastudio.jp/ さっぽろ天神山アートスタジオのホームページでご確認ください。
札幌天神山アートスタジオでは、皆様のご来店を心よりお待ちしております。アイデアや質問などありましたら、遠慮なくご連絡ください。
それでは、良い一日をお過ごしください。
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aarc2017 · 2 years
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AIRアーカイブ展:アーティストは札幌でなにをした?/AIR Archive Exhibition: What did the Artists do in Sapporo?
展覧会情報リンク(さっぽろ天神山アートスタジオ公式ウエブサイト) 展示テキスト アドルウントとラーメンさん 2019年度の国際公募AIRプログラムで招聘された、ベトナムの映像アーティストとタイのサウンドアーティストによるユニット。 さっぽろ天神山アートスタジオを拠点に、札幌市内の小学校にアーティスト・イン・スクールした。学校の中のひとつの教室を一時的なアーティストのスタジオ(アトリエ)として、学校に通う全ての子供達に開放した。教室だった場所が、アーティストがいることで「アーティストの創造的活動の場」へと変容する。 通い慣れた(ひょっとして慣れて飽きてきている)学校の中に、突然現れた遊び場に子供達が休み時間、放課後に通ってくるようになる。その状況で、アーティストユニットと子どもたちの合作として生まれたのが「ラーメンさん」という音響映像装置であり新しい友達だった。 交流をベースにアイデアを発展させていくプロジェクト(活動など)をやろうとするアーティストは、ほとんどが、その交流(出会いや遭遇、お互いに関心を持つこと、共有される時間など)に対して、感謝をして、プログラムの終わりには”交流”や、”交流した人々など”に返礼をしようとしてくれる。アドルウントにとっては返礼の形が、小学校でのイベントを開催するという企画だった。子どもたち、先生、保護者を温かく招き、最後の時間を過ごすというもの。アドルウントが小学校にいったことがきっかけで、2022年の現在でもさっぽろ天神山アートスタジオとつきあってくださる保護者の方と出会うことができた。 アドルウントは、近い将来もう一度北海道、札幌に戻ってきて、今度はAIRではなく、長期的に暮らしたいと言い出している。 アーロンと漫画プロジェクト 2020年度の国際公募AIRプログラムで招聘されたアイルランド出身でオランダを活動拠点にしているアーロン・マクラフリンは、日本にきたかったのだが来ることができなかった。世界中にまたたくまに広がったコロナウイルス感染予防対策のため、日本の国境は閉じていたからだ。アーティスト・イン・レジデンス(=AIR)は、アーティストが日頃自分の活動拠点としている場所(町、国)から一時的に他所の場所に移動して、そこで一定期間滞在して創造的な活動を行うことであり、それを支援する枠組みのことだ。 札幌でAIR拠点として札幌市の文化施設を運営する我々にとっては、これまで次々と日本に、札幌にやってきて、生き生きと面白い活動を行う海外のアーティストが来られなくなったことに大きなショックを受けていた。海外のアーティストが日本にこられないので(我々と会えないので)、思いつきのような?その場しのぎ?のような方法「オンライン・レジデンシー」採用して、試みることになった。やり方は、インターネットを介してアーティストと我々のコミュニケーションを重ねることを実際に札幌現地にきてアーティストがみたりきいたりふれたりする代わりにすることだ。これまでとは状況がかなり違うことはわかっていたが、それでもなお以前と同じレベルで「アーティストが計画したプロジェクトをなんとかして形にすること」を目指した。 アーロンは、日本で活躍する漫画家と共作で新しい漫画をつくることを目指した。まずは、アーティストは原作をつくるために、ロックダウンの隙間を縫って、そしてそうとう翻弄されながらヨーロッパの日本人コミュニティがある都市(フランクフルト、パリ、ロンドン)を巡り、ヨーロッパで暮らす日本人と出会い話しをしようとした。身体的な移動できる限りに旅をして、移動しながら原作を執筆する。さっぽろにいる我々は、このプロジェクトに協力してくれる漫画家を探す。こうしてヨーロッパと札幌の遠隔で一つのプロジェクトを形にするためにアーティストと我々は別々に100日間必死にうごきまわった。アーティストは多くの出会いの中から日本との接点をたぐりよせ、漫画制作だけではなく、デザインを共同作業する機会にも恵まれた。札幌では協力してくれる漫画家がみつかり、アーロンのイメージを漫画にするためのイメージを作成した。キュレーター(展覧会を作る人)でもあるアーティストの提案で、アーティスト不在のまま、さっぽろ天神山アートスタジオを会場に展覧会を開催した。 アーロンは、「行けない自分の代わりに作品を行かせたい」と言った。 ラヘーズの願い 2018年度、さっぽろ天神山アートスタジオでは文化庁の補助金を獲得してお互いに自国のアーティストを派遣する形式の交換プログラムをようやく実現することができた。そして、台湾・台東市のAIRと交換プログラムをスタートさせた。この年、台湾から札幌にきたのは、台湾原住民アミ族のアーティスト、ラヘーズ・タリフ。世界の先住民族の会議やイベントで過去に何度か日本へ、北海道へきたことがあったが、台湾国内ではシニアクラスのアーティストとして若い世代からの人望もあるラヘーズが、アーティストとして来日し、滞在しながら制作活動をするAIRで日本にくるのは今回がはじめてだった。秋の終わりに始まった滞在だったから、ラヘーズは滞在中に雪に出会うことを楽しみにしていた。こんな時に限って、雪が降らないものだ。 台湾原住民のひとりとして白老町にあるアイヌ民族博物館を表敬訪問したいという希望に応え紅葉が盛りの胆振地域を旅行した。アイヌ民族博物館は、当時、現在のウポポイ(国立民族共生象徴空間 2020年開館)がオープンするため、一度閉館し組織編成が行われて準備室として活動をされていた。我々を出迎えたくれたみなさんは、これまで私がよく知っていた博物館スタッフとしての姿ではなく、アイヌ民族としての姿と態度でラヘーズを迎えてくれた。その歓迎に応えてラヘーズも歌をささげいっしょに踊った。この一連の流れや光景は、私が慣れ親しんでいる日本式ではない、アイヌが日本の文化とはまったく異なり独立した文化だということを再認識する体験になり胸が熱くなった。このような体験はなんどもなんどもすべきである。 台湾台東市はいわゆる「東海岸」と呼ばれているエリアで、太平洋に面しており台風が激しくやってくる場所だ。札幌の我々が大量の雪と格闘し、共存しながら生活を営むように、台湾東海岸の人々は、台風と格闘し、ともに生きている。 ある日、札幌で台風があったのだが、台風の後に訪問したモエレ沼公園で、地面に落ちた大量の枝があるのに遭遇したラヘーズは、この枝を譲り受けたいと申し出た。アーティストとして著名になる前は、アミ族の木工職人として生計をたてていたラヘーズは、木材とその技術に特別な愛着があるようだ。 台風によって倒されたり折れてしまう木は自然のままに、なぜならまた生えてくるからという。札幌ではこれらの折れた木々を集め作品をつくった。バラバラの木片が形をなす、そしてまたバラバラの木片になる。その繰り返しの存在の粘り強さをラヘーズの創造的活動、ことば、作品から教えてもらった。札幌で制作した作品は、いつかウポポイで展示したい、我々を通じてアイヌ民族に寄贈してほしいと依頼された。 滞在の最後に、ラヘーズはとうとう雪をみることができた。 雪がアーティストへのギフトになったのだとしたら、札幌は私たちが思っている以上にいい場所なのではないだろうか? 展示テキスト作成:小田井真美(さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)
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aarc2017 · 2 years
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Art and Research WS 2021リポート
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進藤冬華 アートとリサーチ2021リポート「肩の力を抜いて旅を楽しもう」
私にとって久しぶりのグループ旅行。旅程には二風谷で石のワークショップ、アポイ岳ジオパークなど、日高方面へ行くことになっている。メンバーはアーティストの島袋さんと彼の友人の水上さん、井上くん、大崎くん、岡さんの青年アーティストたち、カメラマンの小牧さん、天神の小田井さんと漆くん、そして私だった。
前夜は、どんな旅に巻き込まれるのか不安でなかなか眠れなかった。昔島袋さんに怒られたことや、若い頃天神チームの天真爛漫さに振り回された過去を思い出していた(私も世間知らずで生意気だった)。こんな不安から何か武器(ネタ、お守り?)を携えるべきだと考えて、土器をこっそり持参した。しかしそんな不安は全く的外れで、私は良い旅とはこういうことだと今回思い知った。もちろん土器の出番はなく、最後まで車の中でドラえもんの袋に入ったままだった。
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車中では、島袋さんと水上さんが色々な話をしていた。水上さんは島袋さんの高校の同級生で、今は土木会社をやっている。今回島袋さんの作品の技術面に関わって一緒に北海道にやってきた。アーティストと社長の制作チームは、こんな手があったのかと思うぐらい二人の組み合わせが絶妙だ。二人を見ていると作品はただ物ができればいいわけではなく、その背景を豊かにすることの重要さを感じる。そう考えると私もまだできることがたくさんありそう。
札幌から高速に乗り、はじめに平取町で「沙流川アート館」という30年前に廃校になった小学校を町のアートセンターとして活用している場所を見学した。古い校舎がそのまま使われている丘の上の美しい場所だ。その後、私たちは二風谷で日高銘石を扱う貝澤さんの所へ移動。島袋さんはここで石を入手して、それを道外に運ぶことになっている。日高山脈の地質を反映し、様々な色や模様、大きさの石が集まっていた。この場所は貝澤さんの美学と挑戦が色濃く反映されている。大崎くんが、うろうろしながらかなりじっくり石を見ていたので、石について質問したら、石のことは知らない、知識を得ることにはあまり興味がないようなことを言ったので、私は何かまずいことを聞いたかもしれないと思ってしばらく黙っていることにした。
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お昼に濃厚な二輪草入り鹿汁をご馳走になって、その後も島袋さんは石を選んでいた。私はその間に、町のアイヌ博物館やダムのあたりを見て回った。夕方暗くなってきたので現場に戻ると、みんなは石を運ぶためのクレートの準備をしていた。カメラマンの小牧さんはカメラではなく電動ドリルを持っていた。とても気まずい雰囲気。こうした時に私はいつも上手く振る舞えない。
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ホテルに移動して、ご飯を食べたり、温泉に入ったりしたあと、部屋に集まって話をしていた。井上君、大崎君の二人は、昼間はおとなしい印象だったけど、元気に作品のこととか美術のことを話しはじめて、やっと打ち解けたと感じた。旅の間アーティストでいることに直結するような話を色んな人とした。旅は会話を促進する。コロナ以降こんなふうに過ごすのは久しぶりだった。
次の日は晴れ、一路襟裳岬に向かう。前日の退屈な高速道路とは打って変わって、海を眺めながらいくつもの漁村を通り過ぎた。ときどき浜に昆布を広げて干しているのを見かける。移動するうちに丘陵や崖、大岩に山脈など、次々と景色が変化していく。通り過ぎていく景色を見ながら、いつか丁寧に歩いて回りたいと思った。
襟裳岬に到着すると、お土産店では案の定、森進一の「襟裳岬」がかかっている。崖の端から海を望むと岬は海の中の大きな岩々に連なって最後に水面下に沈み込んでいる。岬から左側の海は荒々しく、右側の海は穏やかだ。はっきりと潮の流れが見てとれる。崖の横から階段を下りると観光地から地元の景色になった。低い建物の屋根、倒れた簡易トイレ、海の方には鳥居と海の殉難者の碑が立っている。岬の突端に立つと、さっき上から見ていた海の中の大岩が目の前に迫り、その間をたくさん鳥が飛んでいるのに気づく。スマホでその景色を撮ろうとするけど、写真では見えているスケールを捉えられなくてもどかしい。さらに坂を下ると、波打ち際に出た。大きな岩の上によじ登って景色を眺める。強風の中、岩の後ろから大きな波しぶきがときどき現れる。海面を飛ぶ鳥の群、海岸線と波の向こうに日高山脈が見える。崖の頂上から下っていくまでの景色の変化、そして目の前の演歌にでてきそうな眺めに大満足する。
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その後、次の目的地、アポイ岳ジオパークへ行ったけど、なんと休みだった。それで様似のエンルム岬に向かった。この岬は地層の割れ目からマグマが隆起してできている絶景だ。上に登ると様似の港が一望できる。この岬にも、船の殉難碑があり。海上の活動は危険と隣り合わせだと実感する。
この旅では、各場所で好奇心の赴くまま好き勝手に時間を過ごした。旅程をこなし、集団行動をしなくてはならないような堅苦しさがない。特にエンルム岬では、場所にある「何か」に各自自由に反応して遊んでいた。漆君は堤防で釣りができそうな場所を探し、岡さんは針が抜けたウニの殻を集めていた。大崎君と私は岬の急斜面を横切って岩の割れ目を覗きにいった。みんな同じ場所にいる共通点だけがあって、そこから誰かと興味が同じ方向になったり、さらに分かれていったりする。1人で旅行するような気楽さと、誰かと体験を共有する楽しさが同時にある。日が影ってきて夕方近くなった頃、帰路についた。
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この旅で私は徐々に肩の力を抜くことができた。それは、今後も忘れないようにしたい、この旅の中での大事な気づきだった。私はずーと前に肩の力を抜いて作品を作った方がいいと言われたことがある、今回も言われたと思う。それがどういうことなのか、それついてよく考えることなく活動を続けてきた。今回、コロナ禍に考えていた事、旅タイミング、訪れた場所、一緒に行った人との会話やみんなの振る舞い、それら全部が肩の力を抜くことを促した。肩の力を抜くと、うまく状況に反応して、力が自然に出る感覚がある。その場の努力とか、頑張りではなくて、その時の状況と今までの自分の中の蓄積が勝手に合わさって、放出されるような。 (以上、リポート中の写真は新藤冬華さんから提供されました)
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◇実施日程:2021年10月30-11月1日(1泊2日)
◇参加アーティスト:島袋 道浩、井上 修志、大﨑 土夢、岡 碧幸 、新藤 冬華
◇写真記録:小牧寿里
◇ドライバー:水上さん、漆 崇博/AISプランニング
◇企画・コーディネート:小田井 真美/さっぽろ天神山アートスタジオ
◇支援:文化庁
◇主催:一般社団法人AISプランニング、さっぽろ天神山アートスタジオ
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aarc2017 · 2 years
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2021 Exchange program Exhibition_Barim韓国光州_イクヒョン・キム & 玄宇民 Ikhyun Gim & Woomin Hyun
キム・イクヒョンと玄宇民は2020年のパンデミック下にオンライン上で初対面を果たし、イメージを交換することからコミュニケーションを開始した。彼らは実際には会わないまま、光ケーブルを媒体に二つの作品を共同制作した。彼らは、撮影したイメージから見えるものを見直すというオールドスクールな手法をとる。そして、古い技術の世界と光ケーブルネットワークで構築された世界が重なる所を問題として扱う。 キム・イクヒョン bio
ーーー 玄宇民 1985年東京生まれ。生まれた地を離れた人々のありようと移動の記憶、マイグレーションをテーマに映像作品を制作。主な作品に『NO PLACE LIKE HOMELAND』(2011)、『OHAMANA』(2015)、『未完の旅路への旅』(2017)、『逃島記』(2019–) など。2016年以降ソウル独立映画祭(韓国)、Taiwan International Video Art Exhibition(台湾)、韓国国立現代美術館などで作品展示・上映。東京大学文学部美学芸術学専修卒業。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士、同博士後期課程修了。woominhyun.com 현우민 영상 작가, 아티스트. 1985년 도쿄 출생. 태어난 땅을 떠난 사람들의 모습과 이동의 기억, 마이그레이션을 테마로 영상 작품을 제작. 주요 작품으로 <NO PLACE LIKE HOMELAND> (2011), <OHAMANA> (2015), <미완의 여행길로 떠나다>  (2017) 등이 있다. 홍콩의 외딴 섬, 한국의 제주도에서 시작하는 프로젝트 <도도기> 를 2018년부터 진행 중. 서울독립영화제, Taiwan International Video Art Exhibition, 국립현대미술관 등에서 작품 상영. 동경대학 문학부 미학 예술학 전공 졸업. 동경예술대학 영상연구과 미디어영상 석사 과정, 박사 후기 과정 수료.woominhyun.com Woomin HYUN Woomin HYUN was born in Tokyo in 1985. He makes films in South Korea and Japan about migration, and the lives and memories of displacement of those who have left their homeland. His major works include NO PLACE LIKE HOMELAND (2011), which features interviews with young immigrants of South Korean descent, OHAMANA (2015), a road movie set on an actual ferry in South Korea,Akita National Language Education Institute (2016), which looks at how the Japanese language was taught in Akita Prefecture, and Unfinished Voyage (2017), in which he joins actors in retracing the steps of a Korean female pilot who lived in Japan before the war. His latest project "Totoki"(2019-ongoing) is set on a remote island in Hong Kong and trying to achieve an alternative point of view from islands in East Asia. Since 2016, Hyun's films have been shown at the Seoul Independent Film Festival (South Korea), the Taiwan International Video Art Exhibition (Taiwan), and National Museum of Modern and Contemporary Art, Korea. He graduated from the Department of Aesthetics at the University of Tokyo, then obtained his masters in Film and New Media Studies at Tokyo University of the Arts, where he also completed his doctoral program. He has a PhD in Film and New Media Studies. woominhyun.com
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aarc2017 · 2 years
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天神山アートスタジオx jatiwangi art factory 交換プログラム2021成果報告トーク_2021.12.04と続いているプロジェクトのリポート Project report 2021: Ongoing Research Exchange Project/Artist in Residence with Jatiwangi Art Factory, Indonesia and Sapporo Tenjinyama Art Studio, Japan. Date: 2021.12.04
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札幌に20年前から営業しているインドネシア・レストラン&カフェがある。そこのマダムWidya Sumi さんは通訳業も営んでいて、この場所を札幌のみならず北海道で暮らし働いているインドネシアの人々の集いの場としても運営している。jatiwangi art factoryとの交換プログラムの中で、Widyaさんに招聘アーティストのアリーのトークイベントの時に通訳をお願いしたのが縁でこの場所を知ることになった。 There is an Indonesian cafe Restaurant Warung-Jawa in Sapporo that has been running for 20 years. Madame Widya Sumi who also runs an interpreter business, provides this place as a gathering spot for Indonesian people who live and work in Sapporo as well as in Hokkaido. I got to know about her place when I asked Widya to be an interpreter for Arie's artist talk during the exchange project.
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ワルンジャワ  インドネシア料理レストラン&カフェ
交換プログラムでは、アリーがインドネシア国内で、ジャティワンギに近い湊町のシルボンにステイしながらリサーチを行い、同時に、天神山アートスタジオは、jatiwangi art factoryと将来的に形にしようと話し合っているterracotta embassyプロジェクトのためのリサーチを北海道で実行した。
12月4日のトークは、いつもの活動拠点ジャティワンギから、シルボンのステイ先にいるArie Syarifuddinとシルボンでのステイ先(レジデンス)のホストRezky Aditya Perdana、札幌は小田井とWidyaさんといっしょにカフェからzoomミーティングをつかってオンラインで対話をした。 当日カフェには、翌朝の「日本語検定試験」を控えて北海道全土から集まっていた技能実習生のインドネシアの若者たちで賑わっていた。zoomミーティングにいるインドネシアのアリーたちと南ジャワ出身の若者が方言で楽しげに話している。歌も聞かせてくれた。 技能実習生の若者たちはパンデミックでインドネシアに帰国ができず、北海道で働きながら帰国する日を懸命に待ち焦がれているのだ。彼らの若いエネルギーや故郷へのあふれる思慕をバックグラウンドに私たちは画面越しにお互いのリサーチの報告をしあった。 For the 'Terracotta Embassy Project' Arie conducted research in Indonesia while staying in Cirebon, a coastal town near Jatiwangi. We are figuring out ways to make the project happen in the future with Jatiwangi Art factory and meanwhile a team from Tenjinyama Art Studio has been conducting research in Hokkaido. The talk was organized on December 4th with the artist Arie Syarifuddin who moved from his base in Jatiwangi to the research location in Cirebon, along with Rezky Aditya Perdana who hosted Arie in the residence of Cirebon. Odai and Widya used the online meeting tool Zoom to talk with them at the cafe. On that particular day, the Warung-Jawa was crowded with young Indonesian technical intern trainees who had gathered from all over Hokkaido, for the following morning’s Japanese Language Proficiency Test. Arie on the Zoom screen started to talk with one of the young men from South Java using the same dialect and he also showed us a song. Because of the pandemic, these young technical intern trainees are still unable to return to Indonesia and are eagerly awaiting the day they can go home while they keep on working in Hokkaido. With their youthful energy and deep nostalgia for home, we relayed our research to each other across the screen.
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記録動画_YouTube Video Documentation_YouTube
12月にはterracotta embassy japanの展示をアリーのリサーチ&ステイ先で企画したものの、コロナ 感染が蔓延したため中止となった・・ In December, we had a plan to present 'Terracotta Embassy Japan' at the residency where Arie stayed but it was cancelled due to the spread of coronavirus.
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アリーは、自身の拠点であるJatiwangiで生産された煉瓦が、産地から「移動」する交易ルートを辿り、メインの輸送基地であるCirbon(シルボン)の港町に行き着きながらリサーチした。煉瓦の交易リートと文化が混じり合っていくことを重ね合わせて、アリーは将来的なプロジェクト計画を作成した。Jatiwangiの地域の食リソースと、シルボンのリソースを混ぜ合わせるためにそれぞれの地域で食堂やカフェを営んでいる場所をいくつか選び、面白そうな組み合わせをつくってメニューやレシピを交換し合うのだという。 Arie researched brick production in Jatiwangi and by following its trade route, he arrived at the port town of Cirebon which is the main transport hub for the bricks. In seeing the intertwined cultures that developed alongside the route of the brick trading, Arie created his project plan. He selected several restaurants and cafes in Jatiwangi and Cirebon, and there, created interesting combinations from the menus and recipes of both towns, which mixes the local foods.
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実際、後日(2022年2月)にこのプロジェクトは実現された。
https://www.instagram.com/p/CZgT811rW7V/ This project was realized at a later stage. (February 2022) https://www.instagram.com/p/CZgT811rW7V/
さて、天神山アートスタジオと取り組んでいるterracotta embassyは、その後も札幌で小田井と建築家でアーティストの寺世風雅(てらせ・ふうが)、アーティストの井上修志(いのうえ・しゅうじ)の3人で定期的にミーティングをしながら、将来、ジャティワンギのどこか(すでに土地の候補が二ヶ所あるようだ!)に建設する Sapporo? Hokkaido? Japan? Embassyの構想についてドローイングを起こしたり、時にはアリーも加わっておしゃべりに花を咲かせている。この延々と続くおしゃべりは、2022年の夏にドイツのドクメンタ15でも開催される予定である(夢の展開、希望!笑)。そして今年の夏を過ぎてもさらに続く! リポート作成:小田井真美/2022.03.15 Returning to Sapporo, a team from Tenjinyama Art Studio ( Mami Odai, architect and artist Fuga Terase and artist Shuji Inoue) meet regularly. There are already two potential sites where we could build the embassy of Sapporo/Hokkaido/Japan in Jatiwangi - and so we continue to chat and make plans and sometimes Arie joins us. This endless chatting may now happen at  Documenta 15 in Germany in the summer of 2022. (I hope so! It would be a dream for us .) And the chat continues over the summer! Reported by Mami Odai / 2022.03.15
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60日間のレジデンスで相互に交わした提案、Jatiwangi Art Factory/ArieとSapporo Tenjinyama Art Studio/Mamiのぞれぞれのリサーチ・リポート Arie:食・culinary Sapporo Tenjinyama 煉瓦の広場
この二つの要素を合わせて、Embassy of the snowは、煉瓦敷きの広場に台所がある場とする == 雪の大使館 Embassy of the snow 雪がふると世界が一変する 境界線が消え、夏の間にはなかった新しい道がのびる 動物か人か風がもっとも最短でどこかからどこかにたどりつこうとしたあとが道になる または、なにか楽しげな方向にむかっていったあとが道になる または、なにか獲物を狙ってしのびよったあとが道になる 雪がつもると地面が高くなる 積もった雪の上からはみえなかった景色をひょいと覗くことができる 雪は一階と二階をつなぐ外階段をつくることもある 雪は家を覆って、寒い風から家の中を守ることもする 視界に飛び込んでくる景色/情報量がぐっと少なくなり別の景色/情報を取り込むことができる 雪は音を吸収して私の耳をとぎすます 新しい道をつくる私の足音だけがぎゅっぎゅっと聞こえてくる また雪がふるとそれまであった道が消えて無くなる いままであったあれこれがリセットされる 雪がふると新しいなにかがはじまるんだ 日本語最終更新_2022.03.18 Mutual proposals after the 60-day residency program between Jatiwangi Art Factory(Arie Syarifuddin) and Sapporo Tenjinyama Art Studio(Mami Odai). Arie: food: Culinary   Tenjinyama Art Studio: Brick PlazaCombining these two elements, 'Embassy of Snow' (a provisional name) will take place with a kitchen in a brick-paved plaza. Embassy of Snow When snow falls, the world changes. Boundaries presented during the summer disappear and new paths stretch out. Paths made by animals, people or wind that tried to pass through from somewhere to somewhere in the shortest route possible become roads. Traces of animals hunting other animals become roads. Snow makes the ground higher. From the snow piled up on the ground, you can peer at a different scenery. Snow may create an exterior staircase connecting the first and second floors. Snow covers the house and protects it from cold winds. The amount of information that pops into your view is much less, and then, you can take in other information from the scenery. Snow absorbs sound and dulls my ears. Only the sound of my footsteps making a new path can be heard.   When it snows again, the road that used to be there disappears. Everything that has happened up until then will be reset. When it snows, something new begins. Last update: 2022.03.18
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aarc2017 · 2 years
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2021 Exchange program(AIR)_Taitong, Taiwan_Dawn Artists village & TEC Land Arts Festival
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○招聘アーティスト:トントン・ホウウェン(東冬・侯溫 /Dondon Hounwn)
タロコ(太魯閣/Truku)族、台湾の花蓮県秀林郷銅門(Donmong)村落出身。「トントン」というのは可愛い子どもの意で、村落文化の発展過程で登場した新しくて特別な名前である。「ホウウェン」は父親が由来の古い名前であり、鋭い刃を意味する。「トントン・ホウウェン」は現代と伝統の結合であり、そのユーモラスな性格と創作に対する厳格さの対比と表れで、矛盾する要素がぶつかったり混ざりあったりしている。「鍛えられて出来上がる刀への期待…、子どもの純真なこころを護ることができる刀…、きらきらと輝く未来を拓くことができる刀…」と、トントンは語っていた。
トントンは近年、映像、インスタレーション、パフォーマンスアートなどの芸術形式で、正真正銘の人生経験を奥深く伝達し、転換してつなげ、改めてその価値を思索している。トントンは過去を振り返り、当時の人々の自然資源や土地に対する見方から現代的な価値観との違いを考察し、完璧と崩壊の均衡を考えたいと思っている。
Pulima Link(プロフィール詳細)
関連するwebページ
マルチスピーシーズとアートの未来/四方幸子(聞き手=奥野克巳)/以文社
集落の多様な姿を引き出す/Taiwan Panorama
Elug Art Corner/Pulima Art Prize 2021(英語)
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○交換プログラム・パートナー:呉淑倫 Wu Shu-Lun ウー・スールン ウー・スールンは陶磁器とガラスの創作に長けており、オーストロネシア文化の研究者・愛好家で台東曙光芸術村の創始者兼アートディレクターでもある。スールンはオーストロネシア文化を研究することで自分が平埔民族のマカタオ民族の血統を持つことに気が付いた。国立東華大学民族芸術研究所修士課程を卒業後、先住民村落の村づくりに取り組み、台東の台風被災地で芭伊(パイ)工坊を立ち上げて村の女性たちの自立に協力した。その後、台東曙光芸術村の独立運営を始め、台湾のオーストロネシア文化と海外のオーストロネシア文化や先住民文化の関係について注目し続けている。2015年に台東生活美学館の依頼で同年開催の花蓮台東原住民族創作生活祭の東海岸エリアのアートディレクター、2015-16年に東海岸大地芸術祭のキュレーションチームで管理計画と進行を担当し、2017年には同芸術祭の管理責任者を務めた。2018年に同芸術祭・月光海音楽会のプロジェクトリーダー兼管理責任者、台東工芸デザインアーティスト・イン・レジデンス交換プロジェクトのアートディレクター、ならびに台東デザイン展原住民工芸デザインLima展示エリアのアートディレクターを務めた。2019年には東海岸大地芸術祭・月光海音楽会のプロジェクトリーダー兼管理責任者のほか、東南アジアアーティスト・イン・レジデンスミーティング(SEAARM)台湾エリア総合ディレクターの一員も務めた。2020-22年には東海岸大地芸術祭・月光海音楽会のプロジェクトリーダー兼管理責任者、さっぽろ天神山アートスタジオのアーティスト交換プロジェクトリーダーを務める。 1977年 台湾生まれ 2009年 国立東華大学民族芸術研究所修士課程卒業 専門:原住民文化工芸芸術研究、ガラス芸術創作、陶磁器芸術創作、ミクストメディア創作、クリエイティブ商品のデザインと企画、アートキュレーション、アートマネジメント 使用言語:中国語、英語 Dawn Artists Village_Arts Residency Network Taiwan LEC Land Arts Festival 2021
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aarc2017 · 2 years
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Talk_2021 Exchange research program(AIR)_Indonesia_Jatiwangi Art Factory presentation by Tenjinyama Art Studio
Jatiwangi Art Factoryとさっぽろ天神山アートスタジオの共同プロジェクトのはじまり
2021年度(2021.04-2022.03)のAIR(Artists in Residence)プログラムは、空をおよぐ/swimming in AIRというタイトルでやってみようと思った。
このアイデアは、2021年の年末にあるアーティストと電話で話をしたとき、「インドネシアではコロナで仕事が暇になって、凧揚げ��てるらしいよ」と聞いた。その時の日本の状況、私の精神状態はパンデミックがまだまだ続きそうで、海外からアーティストがさっぽろ天神山アートスタジオにこられないのを憂いているばかりだったから、凧揚げしてる、という人々のありようにとんでもなく憧れた。できることは凧をあげて空をみること、実際に国境を超える移動ができなくても空を泳ごうと考えた。
そんな単純な理由と思いつきで、パートナーにはインドネシアのAIRと交換プログラムをやろうと決め、知り合いだったJatiwangi Art FactoryのArieに相談したのが私たちのプロジェクトの始まりである。JAFの活動や精神は、この時代、ともにプロジェクトをやってみるパートナーとしては最適だと思われた。
そして、Arieからterra cotta embassyプロジェクトに参加してみないかと提案があり、60日間のAIRプロラグムではお互いに、Arieは地元の煉瓦産業の移動、つまり交易について、私も北海道の事情をリサーチしてみることにした。
The start of the joint project between Jatiwangi Art Factory and Sapporo Tenjinyama Art Studio I titled the theme for AIR (Artists in Residence) program in 2021 (2021.04-2022.03) 'Swimming in AIR'. I got this name after a phone call with an artist at the end of 2021 when I was told that "in Indonesia, people have more free time since the coronavirus pandemic and are flying kites". Back then, the situation in Japan was still uncertain  due to the ongoing pandemic, and so my mental state felt vulnerable because artists from overseas weren’t able to travel to Sapporo Tenjinyama Art Studio. It made me dream about the people who were calmly flying kites. I thought that we could let a kite soar in the air while looking up at the sky. In spite of not being able to actually move across the border, we could swim in the sky. For this simple reason, I decided on an exchange project with an AIR in Indonesia and asked Arie in Jatiwangi Art Factory(JAF) with whom I have had dealings. This is how our exchange project began as an AIR program in 2021. JAF's activities and spirit seemed to be the best partner to work with on a project together during these times. Arie proposed the 'Terra Cotta Embassy Project' for us to work on together. We decided that during the 60-day AIR program, Arie would research the trading history of the local brick industry in a neighbouring town in Indonesia while I investigated the corresponding industry in Hokkaido. 北海道における煉瓦づくり、煉瓦産業の始まりについて。
The beginning of brick making and the brick industry in Hokkaido.
日本政府は、江戸から明治へと時代が近代に移り変わるなかでこの時代の都市建設の建材として煉瓦生産を始めた。いまでも近代遺産として多くの煉瓦造りの建築物を日本各地でみることができる。同じ頃、北海道開拓を押し進める日本政府は、北海道でも煉瓦生産に着手した。 最初は、北海道の南に工場をつくり東京など日本の本土に煉瓦を輸出する計画だったが、輸送コストがかかりすぎることから、かなり早い段階で北海道での煉瓦生産は北海道をメインの消費地として発展していくことになった。
興味深いのは、当時、植民地として開拓されようとした北海道には瓦などの焼き物産業はなかったので、牢獄に収監されている囚人の労働の一部として煉瓦を生産したこと、北海道全域に開拓を推し進めていく過程とともに敷かれた鉄道や道路建設の先々で材料として必要な煉瓦も生産されていったこと。そのため、開拓のルートにそって煉瓦作業と鉄道や道路が同時に出来上がっていた状況があったことだ。そのため、当時は北海道各地に複数の煉瓦工場が存在しており、それぞれの地域で生産されていたのだが、建材としての煉瓦の需要が縮小していったことから、現在の北海道には、当時から多くの工場が集積していた札幌に隣接する江別市に二つの工場が残っているのみだ。
そこで、江別市にある昭和窯業株式会社の工場、江別市セラミックアートセンターのれんが資料室を訪ねた。 The history of brick manufacture and its industry in Hokkaido The Japanese government began producing bricks for building during the transition from the Edo to the Meiji era. Today, modern heritage can be seen in the many brick buildings throughout Japan. During that period, the Japanese government was keen to develop Hokkaido and started producing bricks there. The initial plan was to build factories in the south of Hokkaido and export the bricks to Tokyo and other parts of mainland Japan. However, transportation costs were too high. From a very early stage, the brick industry in Hokkaido grew because they also developed a construction industry that used this brick to build the local cities. It is interesting to note that at that time Hokkaido was about to be settled as a domestic colony. There was not even any local industry like pottery for fabricating roof tiles, and prisoners were tasked with brick production. During the process to foster the development of Hokkaido, the need for bricks as construction materials meant the industry expanded in tandem with new railway lines and roads. As a result, a situation occurred whereby brick factories were located along the transport routes that were constructed due to Hokkaido’s development scheme. Multiple brick factories existed in various parts of Hokkaido and produced the building materials for each region. Over time however, the demand for bricks decreased. At present in Hokkaido, there are only two factories left in Ebetsu, a city adjacent to Sapporo in which many other factories were concentrated. We visited a resource room of the Ebetsu Ceramic Art Center and a factory of Showa Yogyo Company in Ebetsu City.  
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写真は、昭和窯業株式会社で工場を案内してくれた上田さんと煉瓦置き場。
映像作家でさっぽろ天神山アートスタジオの小林大賀が工場を撮影して編集した動画があるので見てみましょう。
YouTube 昭和窯業の工場風景
セラミックアートセンターでは、江別市で煉瓦作業が盛んだった時代の資料をみせてもらったり、工場での労働環境などについて話を聞いた。家族で仕事をしている小規模な煉瓦工場から、多くの労働者を抱える大規模な工場まで、働き手は、男だけではなく女性も子どもも働いていたという多様な人の集まるコミュニティ、煉瓦製造は人の手によるとても単純な作業の積み重ねでシンプルに組み立てられていて、ものづくりの原点のような姿を改めて受け止められてとても興味深かった。 The photo shows the brickyard and Mr. Ueda who guided us around the factory of Showa Yogyo Company. Let's take a look at a video of the factory shot and edited by Oga Kobayashi, a filmmaker from Sapporo Tenjinyama Art Studio. YouTube - Scene of Showa Yogyo Factory At the Ceramic Art Center, we saw information material about the days when brickwork was popular in Ebetsu City and heard about the working environment in the factories. It was interesting to learn about the diversity in the industry; ranging from small family-run businesses to large factories with many workers, where not only men but also women and children worked. Also, it was fascinating to take a look at brick manufacturing which was a series of very simple tasks performed with only human hands. I felt like I was seeing the origins of Japan’s manufacturing expertise.
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煉瓦建造物は、北海道庁舎として観光名所にもなっている道庁赤煉瓦に代表されるように「日本の近代」を象徴しているようだ。それらは、「北海道庁赤煉瓦」のような政府や鉄道に関係する建築物と、農業や畜産業に関係する大型倉庫などに大きく二分される。それらは当時の権威構造、社会の力学、また営みの豊かさなどあからさまな力の存在を表しているようにも思える。 At the Ceramic Art Center, we saw information material about the days when brickwork was popular in Ebetsu City and heard about the working environment in the factories. It was interesting to learn about the diversity in the industry; ranging from small family-run businesses to large factories with many workers, where not only men but also women and children worked. Also, it was fascinating to take a look at brick manufacturing which was a series of very simple tasks performed with only human hands. I felt like I was seeing the origins of Japan’s manufacturing expertise.
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現在は、煉瓦の建築物はそのイメージを利用して、「おしゃれで」「リッチな」イメージをつくる素材になっているようだ。建材としての煉瓦の表出するイメージが、開拓期の力の構造を振り返ることなく拡散されていて、煉瓦づくりの素朴な人の手による作業という原点が隠されてしまっているようで、なんだかひっかかるのだ。 Brick buildings seem to symbolize "modern Japan". For example, the red bricks of ‘Hokkaido Government Office’ are a known tourist spot. They are roughly divided into two types; buildings related to the Japanese government and railways such as ‘Hokkaido Government Office’ and large warehouses related to the agriculture and livestock industry. They show characteristics of the times such as the structure of authority, social dynamics and the range of activities that took place. Nowadays, the bricks seem to be used to create "fashionable" or "rich" images. It makes me sad that the history of the development of Hokkaido has been neglected and only a superficial image of brick materials is understood. Unfortunately, their inherent simplicity and the fact that the bricks were fashioned by hand are not appreciated.
私の提案
私たちのterra cotta embassyを、ジャティワンギ現地に建設するためアイデアに、私のリサーチから得た感覚と札幌のひとつのエピソードを加えて提案してみたい。 「煉瓦の朴訥(ぼくとつ)さ素朴さ」や「煉瓦づくりの労働で生まれるコミュニティ」にスポットを当てたい。だから、思いつきではあるが、キッチン機能の備わった、キャンプ場のような共同作業のための広場はどうだろう? My ProposalIn terms of our Terra Cotta Embassy in Jatiwangi, I would like to give an impression of my research and recount a story that comes from Sapporo. I would like to highlight "the simplicity of brickwork" and "the community that evolves while  making bricks". So, what about building a campsite-like collaborative plaza with kitchen facilities?
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ある日、煉瓦でできた小ぶりで素敵な美術館に行った。その周辺は高級住宅街で素敵でリッチな煉瓦の家がたくさんある。私は、そのまま地下鉄駅のある円山公園まで歩いた。その途中で、過去に札幌市長の公邸があった公園を通り過ぎた。そこで歩きながら思い出したのが札幌のエピソードだ。当時の札幌市長は公邸が無駄なものだと判断して、歴代の市長がつかってきた公邸を取り壊して小さな公園をつくった。私はこの実話が好きだった。
この写真は、その公園です。どう思う?
そしてArieのリサーチはどんなものだったのか聞かせてください。あなたの番です。 One day, I visited a small but pleasant museum built with bricks. It was located in a high-class residential area and surrounded by many fine brick houses. I continued walking toward Maruyama Park and its subway station. On the way, I passed the park where the official residence of Sapporo’s mayor used to be. While walking there, I remembered this story. Once a mayor of Sapporo thought that even though all the previous mayors had used the official residence, the building was actually useless, and so he demolished it to create this small park. I liked this true story. This photo shows the park. What do you think? I would like to hear what Arie has researched. It's your turn!
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aarc2017 · 2 years
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2021 Exhibition_Barim x Tenjinyama exchange program_Soichiro Mihara
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Artist’s website (JP/EN) Soichiro Mihara / Artist Aiming to make art that openly engages with the world, MIHARA creates systems that employ a wide range of materials, media, and technologies, such as acoustics, bubbles, radiation, rainbow, microbes, moss, air stream, soil, water and electron in order to continually questions the here and now. Since 2011, after an earthquake and tsunami struck the East coast of Japan, he has been working on ‘blanks project,’ which explores the boundaries of the systems that drive modern society. Since 2013, he participate residency program at 12 sites/ 8 countries from center of contemporary art to extreme environment, such as poler region(ars biaorctica), rain forest(labverde), DMZ(REAL DMZ PROJECT). MIHARA has exhibited and awarded internationally, as his solo exhibition “The World Filled with Blanks” was held at Kunstraum Kreuzberg / Bethanien in Berlin in 2013, and Kyoto Art Center in 2016. Group exhibitions include “Open Space 2017: Re-envisioning the Future” (ICC, 2017), “Elements of Art and Science” (Ars Electronica Center, Linz, 2015–16), “Sound Art—Sound as a Medium of Art” (ZKM, Karlsruhe, 2012–13), residency at 10 sites of 8 countries such as SymbioticA (Perth, Australia), DEPO2015 (Pizen, Czech Republic), Kuandu Museum (Taipei, Taiwan) and Do a Front (Yamaguchi, Japan), awarded from Ars Electronica, Transmediale, Japan Media Arts Festival, co-auther of "Haptics Hacks(Asahi Press, 2016)", Jury of Prix Ars Electronica 2019 and Finalists of NISSAN ART AWARD2020.
◇プロフィール
三原 聡一郎 / アーティスト 世界に対して開かれたシステムを提示し、音、泡、放射線、虹、微生物、苔、気流、土、水そして電子など、物質や現象の「芸術」への読みかえを試みている。2011年より、テクノロジーと社会の関係性を考察する「空白のプロジェクト」を国内外で展開。2013年より滞在制作を継続的に行い、北極圏から熱帯雨林、軍事境界からバイオアートラボまで、芸術の中心から極限環境に至るまで、これまでに計8カ国12箇所を渡ってきた。 主な個展に「空白に満ちた世界」(クンストラウム・クロイツベルク/ベタニエン,ドイツ,2013/京都芸術センター、2016)、グループ展に、第11回恵比寿映像祭(東京都写真美術館, 2019)、札幌国際芸術祭2014(芸術の森有島旧邸, 2014)、「サウンドアート——芸術の方法としての音」(ZKM、ドイツ、2012)など。展覧会キュレーションに「空白より感得する」(瑞雲庵, 2018)。共著に「触楽入門」(朝日出版社、2016)。アルス・エレクトロニカ、トランスメディアーレ、文化庁メディア芸術祭、他で受賞。プリアルスエレクトロニカ2019審査員。NISSAN ART AWARD2020ファイナリスト。また、方法論の確立していない音響彫刻やメディアアート作品の保存修復にも近年携わっている。 http://mhrs.jp/
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aarc2017 · 2 years
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2021 Exhibition_Barim x Tenjinyama exchange program_Rumiko Hagiwara
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artist’s website (EN) Rumiko Hagiwara is a Japanese artist based in Amsterdam. In her conceptual art practices represented with installations, photos, videos and performances, she aims to twist point of attentions and values on ordinary phenomenon from her cross-cultural perspective and they often result as humoresque poetics of the ordinary. She was an artist in residence at the Rijksakademie van Beeldende Kunsten in 2008/2009. Her recent exhibitions include  ‘The Botanical Revolution; On the Necessity of Art and Gardening’ Centraal Museum Utrecht/NL and ‘Elsewheres within here’ Framer Framed, Amsterdam/NL.
◇プロフィール 萩原留美子/Rumiko Hagiwara 1979年、群馬県生まれ。東京造形大学卒業後に渡蘭、ライクスアカデミー・アーティスト・イン・レジデンス(オランダ)を終了後、現在もアムステルダムを拠点に活動している。萩原の作品制作は、日常生活で見かけられるありふれた物事や不合理をあえて強調することや、偶然的に遭遇した物事を素材にすることによって、構成されている。また、日本人としてヨーローッパに身を置く上での経験から生まれる疑問や文化の差異が、多々題材にされる。これらの日常への介入行為は、多様なフォーマット、写真、ビデオ、インスタレーション、パフォーマンスで作品化され、微妙な、そして時に遊び心のある詩的表現へ変換される。 近年のグループ展に、「The Botanical Revolution」(2021年、ユトレヒト・セントラル美術館、オランダ)「Elsewheres within here」(2019年、Framer Framed、アムステルダム/オランダ)などがある。 http://rumikohagiwara.com/
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aarc2017 · 3 years
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2021 Exchange Program_Jatiwangi Art Factory/Indonesia_Arie Syarifuddin
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Arie Syarifuddin (1985, Indonesia) is also known as Alghorie. Affiliated as an artist, curator, cultural producer, designer, and director of artist in residency department to the artist initiative; Jatiwangi Art Factory in the village of Jatiwangi in West Java, which is Indonesia’s biggest roof-tile manufacturing centre. Established in 2005, Jatiwangi art Factory (JaF) is a community that embraces contemporary arts and cultural practices as parts of the local life discourse in a rural area. Redesigning; hacking; giving values and dignity to the ordinary things; negotiation between fiction, dreams, reality, and everyday life; and the intersection of historical reading is the most inclination of Arie’s works.
https://alghorie.home.blog https://jaf.art.blog
アリー・シャリフディン(1985年生まれ、インドネシア)は、Alghorie(アルゴリー)としても知られています。アーティスト、キュレーター、文化プロデューサー、デザイナー、アーティスト・イン・レジデンス部門のディレクターとして、インドネシア最大の屋根瓦生産地である西ジャワ州ジャティワンギ村のアーティスト・イニシアティブ Jatiwangi Art Factory(ジャティワンギ・アート・ファクトリー)に参加している。 2005年に設立されたJatiwangi Art Factory(JaF)は、現代アートや文化的実践を地方の生活の一部として取り入れているコミュニティです。再設計すること、ハッキングすること、身の回りのありふれたものに価値と尊厳を与えること、フィクション、夢、現実、日常生活の間で折衝しようとすること、そして歴史的文脈をとらえることは、アリー・シャリフディンの仕事の強い傾向としてみることができます。
◇交換プログラムで取り組むプロジェクト
Terra-cotta Embassy
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Terra-cotta Embassy is a diplomatic relation to open uo opportunities for cultural cooperation between Jatiwangi Art Factory  with various institutions and countries with the initial premise of Terra-cotta City
This institution became the representative of its countries to make the Embassy for Terra-cotta city development for the future, with their specific focus, program, and approaches.
Jatiwangi Art Factory and Diplomatic Institution, countries making collaboration to build up a Terra-cotta Embassy building in Jatiwangi. Terra-cotta Embassy will be activated by exchange, residency, workshop, exhibition, etc., in the frame of Terra-cotta city, which held in Jatiwangi in the year 2021.
All the programs of Terra-cotta Embassy that run this year in Jatiwangi as a part of Terra-cotta City development ideas, will be translated and presented at Jabot Halle space as a part of Jatiwangi art Factory programme at Documentary Fifteen in Kassel 2022.
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aarc2017 · 3 years
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2021, International Open Call AIR program_Tra Nguyen
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◇ Profile プロフィール
 チャ・グエンは演劇による実験を行い、その可能域を他へ移し替えるような骨組みを構築しています。ホーチミン市(ベトナム)で最も息の長いインディペンデントのコンテンポラリーアート・スペースSàn Artにて2019年まで演技監督を務めており、その職務を通じて、視覚芸術のためのさまざまな教育プログラムにも携わってきました。また2018年には、異分野提携の実験的演劇に特化したベトナム初のプラットフォーム‘The Run – A Theater Project’を立ち上げました。以来、パフォーマンスの可能性を探究する目的で、パフォーミング・アーツや視覚芸術、演劇芸術の異なる要素を巻き込んだオリジナルの演劇作品および演劇ワークショップを多数制作。オリジナルの演劇作品ではハノイ、ホーチミン、そして東京を舞台としています。現在、フルブライト奨学金の助成のもとカーネギーメロン大学(米国)の修士課程にて演劇脚本制作を専攻中。2020-2022年度のジョージタウン大学グローバル・パフォーマンス・アンド・ポリティクス研究室フェローでもあります。
Tra Nguyen experiments with theatre and builds frameworks to transfer such capacity. Until 2019, Tra has been Acting Director of S?n Art, the longest-running independent space for contemporary art in Ho Chi Minh City (Vietnam). In this role, she has contributed to various educational programs for visual art. In 2018, Tra launched The Run - A Theater Project, the first platform dedicated to interdisciplinary experimental theatre in Vietnam. She has since produced a number of original theatre works and workshops that engage differing aspects of performing, visual, and dramatic arts to explore the possibilities of performance. Her original theatre works have been staged in Hanoi, Ho Chi Minh City, and Tokyo. Tra is currently pursuing an MFA in Dramatic Writing at Carnegie Mellon University (US) on Fulbright scholarship. She is 2020-2022 Fellow with the Laboratory for Global Performance and Politics (The Lab) at Georgetown University.
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<3P’s - The Performers Performing the Performed V3: The RehearsalHo Chi Minh City, 2018>
facebook.com/TheRun.Theater/
instagram.com/tradagram
◇ Outline of project プロジェクト概要
プロジェクト概要 ‘Theatre on a cart’ (=『あるカート上の劇場』)
 伝統的な語義として、演劇の上演はなによりもまず「人々によって演じられる物語」を指します。こうした考え方は今日では、私自身を含む数々の演劇制作者によって妥当性を見直されてきました。演劇とパフォーマンスをつなぐ私の現在のアプローチでは、演じる複数の身体を一つの創造する総体と考えます。そうした複数の身体はすでに複数の劇を周囲に携えているため、監督ないしコンセプト・アーティストとしての私の仕事は、それらを引き出すことに尽きます。この方法については、‘3P’s: The Performers Performing the Performed(=演じられたものを演じる演者たち)’というシリーズを通し実験を重ねてきました。同シリーズは、3つの演じる総体のあいだで、静止とごくわずかな会話を内包した劇が生じるというもの。この形式に従い、演者は観者に対してストーリーを強要しないかわりにみずから読解するよう要請しますが、同時にそれは現実性を保ったままで劇を実現するということでもあります。彼らの逐語的な身体はそれゆえ、演じないままで、フィクションのキャラクターや演劇的な場面をつくり出すことができるのです。
 パンデミック下にあって、私はこうした演劇づくりについていっそう考えるようになりました。それはさまざまな演劇づくりの方法を招き入れるのですが、一つの可能性として、そうした劇は全員が一ヶ所に集まらずともつくられうるのではないか、と思い至りました。さらにそこで、地理的にも文化的に、札幌が私からとても遠い場所であることを思い出したのです。ふつうであればこうしたことはハードルになりますが、いまなら絶好の機会となります。今回のバーチャル滞在に際して、私は‘Theatre on a cart’を提案します。これは札幌市民と共につくる1本10分間の複数の劇で、‘3P’s’の枠組を基礎とするものです。各劇は以下を含みます。
・1人または2人の現地パフォーマー
・Zoom上の監督=私(チャ・グエン)
・さっぽろ天神山スタジオのスタッフによって設営され、映像として記録されたステージ
 同地で仕事をしたことのあるアーティストから聞いた限りで、札幌のことは知っています。彼らは札幌を、思考しreflectする(反省する/反映する)場所だ、と説明してくれます。そして彼らの仕事もまた、土地と人々の過去、そして人々とふるさととの結びつきを反映させています。私は今まで一度も札幌に行ったことがないのですが、そうした意味では繋がりを感じています―というのも、私はとにかく札幌というその場所に、一抹の親しみとフィクション性を感じるのです。可能であれば、‘Theatre on Cart’はある特定のコミュニティと一緒に制作したいと考えています。特定のコミュニティとは、生きた記憶が刻まれた高齢の市民たちです。彼らがみずからの劇を制作することで、生きた記憶を観者と分かち合えるような場にしたいのです。思うに、高齢の彼らが劇場に足を運ぶのは難しいかもしれませんから、演劇の方が“カートに載って”彼らのもとへやってくる、というわけです。もしこうした特定集団に声をかけるのが難しそうな場合は、類似のコミュニティとの協働という方向で、天神山アートスタジオの皆さんと協議をしてもまったく問題ありません。あなたがた(天神山アートスタジオ)のチームが、この協働型かつ可動式の劇場にとって導きの松明となるでしょう。
Theatre on a cart
In conventional sense, a theatre play primarily means “a story acted out by people”. Nowadays this notion has been challenged by many theatre makers, of whom I am one. Crossing between theatre and performance, my current approach takes the performing bodies as the creating entity: the bodies already have plays around it, the job of myself as a Director/Concept Artist is only to bring them out. I have been experimenting with this method with my series 3P’s: The Performers Performing the Performed, in which a play happen with stillness and very few dialogue amongst 3 performing entities. In this manner, the performers invites the audience to figure the story instead of offering it upfront, and make possible the plays by retaining their realness. Their verbatim bodies thus achieve to create fictional characters and theatric scenes without acting.
In the pandemic, I think more about this way of theatre-making. I think it invites for different ways to make theatre, one possibility is that the plays can be made with everyone not being in one place. Then I think of Sapporo as a place very far from me, both geographically and culturally. Normally this is a challenge, but now it is the perfect opportunity. For this virtual residency, I would like to propose “theatre on a cart”, a series of 10-minute plays with the residents of Sapporo based on the framework of 3P’s. Each play will consist of the following:
- one or two people as Performers in place
- myself as Director via zoom
- the stage, set up and filmed by a staff member of Sapporo Tenjinyama Art Studio
I know of Sapporo from the artists who have worked there. They describe it to me as a place to think and reflect. Their work also reflect on the past of the land, and of the people, and of the connection to their homeland. I have never been there, yet I feel such connection; I feel a level of familiarity and fiction very distinguished to the place. If possible, I would like to create a “theatre on a cart” with a specific community: the senior residents, who embeds living memories. I would like to invite them to share it with the audience by creating their own plays. I think it might be difficult for them to go to the theatre, so the theatre will come to them, on a cart.
If it’s difficult to reach this specific community, I’m open to discuss working with similar communities with Sapporo Tenjinyama Art Studio. Your team will be the guiding torch into a collaborative, mobile theatre.
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aarc2017 · 3 years
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2021, International Open Call AIR program_Joshua Sofaer
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<Photo by Hugo Glendinning>
◇ Profile プロフィール
ジョシュア・ソファー、イギリス
ジョシュア・ソファー(1972年 イギリス、ケンブリッジ生まれ)は、主にパフォーマンスやインスタレーションを手がけるアーティストです。公衆へと参加を促し、そうした招きに対する彼らの反応が作品の美的機能として取り入れられてゆく状況をよくつくり出します。
 ギャラリー、オペラハウス、美術館、公共スペース、個人宅など、さまざまな場所で作品を制作していますが、ソファーの多様な活動を貫くのは、観客が世界とどのように関わっているかということへの関心です。人々の体験は重要です。それは人々が自ら選んでそのただなかに身を置く即物的な文化と同じように、重要なのです。
彼の作品には、「コレクション」(私たちがあえて手元に置くもの)、「ゴミ」(私たちがあえて棄てるもの)、「名前」(私たちはどうやって、自分が名指されたものになってゆくのか)、「鼻」(私たちの顔の真ん中にあって見落とされているかの器官)といったテーマが繰り返し登場します。
 ‘For Scavengers’(テート・モダン、ロンドン、2005年/サンフランシスコ近代美術館、サンフランシスコ、2006年/エディンバラ・フェスティバル、2008年)では、公衆の一員たちが、街じゅうを競走しながら手がかりとなる問題を解くことでギャラリーでの新たな展示をつくりました。
’Name in Lights’(2007年、バーミンガム)は、全国的に催されたコンペでありインスタレーションで、センテナリー広場に一つだけ設置された巨大な名前のイルミネーションという極地に達しました。’Object Retrieval’(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、2009年)は、2010年のMuseum & Heritage Awardの優秀賞にノミネートされました。’Viver a Rua’(NEC/FITEI、ポルト、2010・2011年)は、ポルト在住の人々にとって、誰か一人を指名し市内のとある街路をその人にちなんで恒久命名する機会となりました。結果、すべての地図が変更を要することになりました。また、バッハの『マタイ受難曲』の新演出版(Folkoperan、ストックホルム、2014年)で演出を担当し、高い評価を得ました。’The Rubbish Collection’(サイエンス・ミュージアム・ロンドン、2014年)では、スタッフや美術館従業員、281,647人の来場者がゴミとして捨てたものすべてが30日間にわたり記録され、そのまま展覧会となりました。’Border Force’(ダッキー、ロンドンおよびブライトン、2015年)は、移動の自由をテーマにした没入型ナイトクラブでした。’Your Name Here’(ハート・オブ・グラス、セイント・ヘレンズ、2015年)では町を占拠しました。その集大成として、’River Crossing’(サクラメント市およびウェスト・サクラメント市, カリフォルニア, 2019・2020年)では、海事信号の国際語で2つのドックの新しい名前をそれぞれ綴った大規模なライトボックス・インスタレーションが、サクラメント川の上で向かい合って設置されました。
Joshua Sofaer (b. 1972 Cambridge, England) is an artist who works mainly with performance and installation. He often sets up situations in which the response to an invitation for public participation is then incorporated as an aesthetic function of the piece.
Equally as comfortable working in a gallery, opera house, museum, public space, or private homes, what draws Sofaer’s diverse practices together is a concern with how audiences engage with the world. People’s experience is key, as are the material cultures they choose to surround themselves with.
Recurring themes of his work include ‘collections’ (what we choose to keep), ‘rubbish’ (what we choose to throw away), ‘names’ (how we become what we are called), and ‘noses’ (the overlooked organ in the middle of our faces).
For Scavengers (Tate Modern, London, 2005; SFMOMA, San Francisco, 2006; Edinburgh Festival, 2008) members of the public raced around the city answering clues and forming a new gallery exhibition. Name in Lights (Birmingham, 2007) was a national competition and installation that culminated in a giant illuminated name in Centenary Square. Object Retrieval (University College London, 2009) was nominated for a 2010 Museum & Heritage Award for Excellence. Viver a Rua (NEC/FITEI, Porto, 2010/11) was the opportunity for citizens of Porto to nominate someone to become the permanent name of a street in the city; all the maps have had to change. He directed a new staged version of Bach’s St Matthew Passion (Folkoperan, Stockholm, 2014) to critical acclaim. The Rubbish Collection (Science Museum London, 2014) saw every single thing thrown out by staff, contractors and 281,647 visitors documented for 30 days before becoming an exhibition. Border Force (Duckie, London & Brighton, 2015) was an immersive nightclub about freedom of movement. Your Name Here (Heart of Glass, St Helens, 2015) took over the town. As the culmination River Crossing (City of Sacramento & City of West Sacramento, California, 2019/20) two large-scale light box installations spelling out the new names of the docks in the international language of maritime signals have been installed facing each other on the Sacramento River.
Sofaer’s interest in ‘the nose’ led to a body of work that plays with absurdity and disguise. A Run of Noses (Wellcome Collection, London, 2013) was a series of 452 self-portraits wearing his collection of false noses. The Horniman Noses (Horniman Museum and Gardens, London, 2019) were a series of false noses inspired by the museum collections. The Gold Nose of Green Ginger (Hull UK City of Culture, 2017) was a magical realist installation for the people of Bransholme.
After a BA in Drama & English at Bristol University, Sofaer went on to complete an MA in Fine Art at Central Saint Martin’s College of Art & Design and was subsequently awarded a PhD from Dartington College of Arts.
Sofaer was a winner of the 2009 Bank of America CREATE Art Award, and the first Artist Fellow on the 2010/11 Clore Leadership Programme. He is an accredited Relational Dynamics Coach.
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<River Crossing by Joshua Sofaer, 2020. Cities of Sacramento and West Sacramento, California. Photo by Garry Everett.>
joshuasofaer.com
◇ Outline of project プロジェクト概要
IN RESIDENCE
天神山のための、ロンドン-札幌間のリモート・レジデンシーの提案
1972年うまれですか?
あなたのお話をききたいんです!
 わたしたちは2022年に50歳を迎える方で、地球の裏側にいるだれかと出会い、話をして、人生の何かを共有したいと思っている方を探しています。
2022年に50歳を迎えるイギリスのアーティスト、ジョシュア・ソファー。さっぽろ天神山アートスタジオと協力しリモートで行うオンライン滞在制作の一環として、ジョシュアは、彼自身と同じように50歳という重要な節目に直面している人と共同で「オンライン・フィルム」を作り、さまざまなストーリーを語り合いたいと考えています。
ジョシュアにお気に入りの音楽を教えてみたり、���族の写真をみせたり、好物のつくり方を教えたり、あるいは彼の希望や夢について訊ねてみたり、自分でも夢を語ったりするのはどうでしょう。数週間かけて、ビデオ会議システム上でお互いのことを知り合っていきます。一緒に腰を落ち着けて食事をとり、話をしたりします。2人そろってのビデオ通話を記録、編集して映画にします。あなたにとってこれは、人生の50年間を振り返り、今まさに同じ年齢体験をしている人と国境を越えた繋がりをつくる機会ともいえます。
(ジョシュアが日本語を話せないため)あなたが英語を話せるととてもうれしかったりしますが、そうでない場合は、通訳を用意しますので大丈夫。また、このプロジェクトのために発生した経費はすべてこちらで負担します。
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このプロジェクト案は、世界的パンデミックによる渡航制限でとらざるをえなくなった距離を思いがけない個人的な交流の機会と考え、アーティストと参加者を(お互いの)住環境に文字通りとじこめてしまいます。私たちは未だかつてないほど長い時間を家で過ごすようになりました。このことによって、文化的交流が樹立され、人々の繋がりが生み出されるかもしれません。
“50歳”は一つの立派な節目であると同時に、人生という線のまんなかあたりにある一点にすぎず、そしてそれはまた、おとなとして迎える一点に違いありません。1972年に英国で生まれた人の平均寿命は男性が85歳、女性が88歳で、全体では86.5歳(国家統計局による統計的予想)。つまり2022年に50歳になる人に残された時間は、平均36.5年。人が思春期に、たとえば13.5歳で自己意識を形成すると考えると、50歳は自己意識の確立と死の、ちょうど中間点です。50歳になる、それはすなわち分岐点であり、またreflection(リフレクション=反省/反射)の生じる一点でもあります。後ろと前を、ここでは同時に向くのです。
 さっぽろ天神山アートスタジオは、独自の人脈に加え、状況がゆるせば地元メディアも通じて、1972年生まれの皆さんを募ります。該当者は、応募の時点で48歳か49歳のはずです。来年50歳になることを意識している人もしていない人もいるでしょう。この映画プロジェクトが求めているのは、たった1人の共同制作者です。ただもしかすると、最初は面白そうだと思ってくれた参加者があとから参加を辞退するかもしれませんから、ひとまず2~3人と詳しい話をして、彼らに参加者の任務をよく理解しておいてもらう必要はあるとみています。
ご協力いただく時間は、予定では6時間のコンタクトタイム(=顔をあわせて話す時間)と2時間のコレスポンデンスタイム(=顔あわせをせずメール等でやりとりする時間)となります。また参加者には、映画のラフカットに目を通してもらい、ご自分の描かれ方に問題がないかどうかを確認してもらう機会も設けます。
2ヶ月間の滞在の最後には、さっぽろ天神山アートスタジオでの展覧会にて何かしらをお見せできることになっていますが、それはあくまで制作途中のものを見せる機会なので、もしかすると、制作プロセスについてのパブリックトークに落ち着くかもしれません。その後12ヶ月かけて編集作業を行い、2022年には上映会を開催する予定です。もしかしたら、2022年にジョシュアが札幌に来て、このプロジェクトに参加した人と50歳の合同誕生日パーティーを開くこともありえるかもしれません。
 ◇参加者の選定にあたって考慮するのは、次のような点です。
- 1972年生まれであること。
- ジョシュアが8月1日生まれなので、同じ日に生まれた人を札幌で探すのもあり。
- いろいろなことを話そうという意欲(オープンさ)があり、このプロジェクトを面白そうだと思っていること。
- 地理的な位置(たとえば、候補者の居住地や職場が天神山アートスタジオから近いかどうか)
- 候補者の英会話レベル(※すべての会話で翻訳者を介さねばならないとしたら、とても大変なことではあるが、その場合は「困難」を映画の主題にするのもまたよいだろう)
IN RESIDENCE
A remote residency proposal between London and Sapporo for Tenjinyama
Born in 1972? We want to hear from you!
We are looking for people who will turn 50 years old in 2022, who would like to cook and share a meal with someone on the other side of the world.
British artist Joshua Sofaer will turn 50 in 2022. He wants to meet with people who are also facing this key milestone, to share stories.
You are invited to teach Joshua to cook one of your favourite meals. You supply the recipe in advance and both you and he separately prepare the ingredients. You meet via video conferencing software and you both cook in your own kitchens. Then you sit down, eat together and share stories. The conference call will be recorded for a gallery exhibition.
It’s ideal if you can speak some English but if you can’t we will provide translation. We will also pay for all your ingredients.
*****
This project proposal literally puts the artist and participants in (each other’s) residence, taking the necessary distance enforced by global pandemic travel restrictions as an opportunity for unexpected personal interaction. We spend so much more time at home now than we ever did before. This is a possibility to build cultural exchange and make connections.
‘50 years old’ is a milestone but also just the midway point in a life, certainly in an adult life. The life expectancy of someone born in the UK in 1972 is 85 for men and 88 for women, giving an average life expectancy of 86.5 years [Office for National Statistics]. A person who turns 50 in 2022 will therefore have an average of 36.5 more years to live. If one considers that a person forms their sense of self during adolescence, say at 13.5 years old, then 50 marks exactly the halfway point between the establishment of that sense of self, and death. Becoming 50 is a turning point, a point of reflection, of looking back and looking forward, simultaneously.
Tenjinyama would put out a public call through their networks, and if appropriate also through local media, searching for people born in 1972. Those people will either be 48 or 49 at the time the call is made. They may or may not be thinking about turning 50 next year. Between 6 and 9 people will be selected as participants. The resulting films can be edited and exhibited.
Perhaps it will be possible for Joshua Sofaer to come to Sapporo in 2022 and have a joint 50th birthday party will all the people who took part in the residency project.
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