GSRMと人種問題
日本のGSRMの当事者でGSRMが出てくる本や映画やドラマなどなどに歓喜している人でも,(特に欧米作品の)白人中心だった物語にPOCが出てくることに関しては冷めた感じ.. というか敵視まではしていないにしても「ポリコレ」呼ばわりしてたり興味薄そうな感じの人が結構いるのかもしれない。基本的にAnti-SJWはAnti-LGBTだと思っていたし,GSRMは他のマイノリティイシューに対しても関心が高く理解のある人が比較的多いと思っていたのだが,日本はそうでもないのかな。まぁ人によるんだろうが。
白人中心社会にいるアジア系移民としてはその「ポリコレ」の恩恵を感じずにはいられないのだが,日本に住む日本人は人種・民族的にはマジョリティだし感覚が違うのは当然か。(「日本人」の定義にもよるから何て言っていいか難しいけど,日本国籍者という意味なら人種・民族的にマイノリティの人もいるわけだし)
アジア系俳優といえば日系だろうとSEA系だろうとカンフーマスター役しかなかった頃は,ただの一般人の私も「カンフーできる? やってみせて」等々よく言われたし,日系だと明かせば今度はスシスシ言われ。”Enjoy your meal” や “Enjoy your dinner” で良いところを “Enjoy your sushi” と言われたのも一度や二度ではない。何食べるか教えてないし,むしろ寿司なんて1年に1度食べるか食べないかなのに。典型的なマイクロアグレッション。でもうんざりするだけで済めばまだマシなほうかもしれない。
アラブや中東系の俳優はテロリスト役でしか出番を与えられず,アラブ系一般市民は一般社会で実際に差別を受けていた/いる。テロ組織の拠点にされたら嫌だからと賃貸物件の入居を断られたり,子どもに危険思想を吹き込まれたら困るからと学校からも排除されたり,生活を脅かされる。
黒人もギャングなどの犯罪者の役が多く,正義の味方はあまりいなかったのではないか。たまに善人がいても引き立て役だったりハッピーエンドまで生き残れない役。。
昔隣人の黒人男性が週末にスーツを着ていたので仕事かと聞いたらスーパーに買い物に行くだけだと。ならなぜスーツにネクタイなのかと聞いたら「このほうがちゃんとして見えるでしょ」。彼は笑顔でそう言ったが,私がその意味を理解したのは何年も経って海の向こうの米国でBLMが大きく話題になってからだった。POCとはいえ小柄で東アジア系の自分にはない経験だった。
これらの差別は今も続いているが,黒人もアラブ人も主役になれる今の時代,少しずつでも改善されていると信じたい。
日系の私個人の話で言えばここ10年でスシカンフーが激減したのは感じる。というかここ2~3年まったく言われていない。最後に言われたのいつだろう。10年前とは大違い。
1 note
·
View note
TEDにて
ドロシー・ロバーツ:人種に基づく医学の問題
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
社会正義について発言する法学者のドロシー・ロバーツには、明確でパワフルなメッセージがあります。人種に基づく医学は、悪しき医学です!
現在も、医師は人種を診療上のショートカットとしていまだに使っており、痛みに対する耐性などのような、重要な判断を医学的な観察や測定からではなく、皮膚の色に基づき行うのです。
このトークでは、ロバーツは人種に基づく医学が、どのように根強く残っているのかを示し、共にこれを終わらせようと呼びかけます。
「この過去の遺産と決別することが、これまで以上に急務です。互いを深く隔てる社会システム的不平等を終わらせ、私たちは同じ人間であるということをはっきりと示しましょう」
私は、人種がすべての医療行為の根底にあることを見つけました。
医師の診断、検査、治療、処方、疾患の定義についてまでが人種を基としているのです。さらに調べていくともっと困惑するばかりでした。
私のような社会学者は人種とは、社会的構成概念だとしてきました。
黒人、白人、アジア人、ネィティブアメリカン、ラテンアメリカ人と人々を識別するとき、私たちは社会的分類で語っています。時間とともに変化し、世界中で様々に作られた境界線による分類です。
私は、法学者として生物学者でもない「法律を作る人達」が、どのように人種の法律的定義をしてきたか?ということを学んできました。
ヒトゲノムプロジェクトを率いた現アメリカ国立衛生研究所代表フランシス・コリンズ氏は、クリントン大統領に賛成の意を示し「今日、我々がいうところの人種とは、人類のみであることを嬉しく思う」と述べました。
医師たちは、人種をショートカットとして使っているだけだと言います。大雑把なものだとしても医師には見る時間がない。筋肉量、酵素量、遺伝形のような、より重要な要素の便利な代理指標なのです。
しかし、人種は代理指標としては不適切です。多くのケースで人種は、適切な情報を全く与えてはくれません。
ただ注意をそらすだけです。しかも、臨床的評価は、人種で左右されることも多く、人種は医師の眼から見えなくします。
患者の症状を遺伝性の病気を既往歴や現疾患の可能性などをこれらすべては、患者の人種よりも根拠がありますが、患者の健康を犠牲にする事なしには、人種をこれらの重要な診断情報の代わりには出来ないのです。
私が、人種医学を終わらせることに一生懸命な理由は、相対的に悪い医学だからというだけではないのです。
私が、この使命を帯びてるのは、医師が診療を行うやり方により、人間の間違った有害な見方を推進し続けることになるからです。私たちが学んできた偉大な先人たちによる多くの医学進歩にも関わらず、人種のこととなると想像力が不足してしまうのです。少しの間だけ一緒に想像していただけませんか?
医師たちが、もし患者を人種で診ることを止めたらどうなるでしょう?18世紀の分類システムを拒否し、代わりにもっとも進歩した人間の遺伝子の多様性と統合性を認識を取り入れたら?
人間は、ネアンデルタール人との生存競争に勝ち残った唯一のホモサピエンスなので、生物学的に人種として分類することができないのです。
もし、人種を他のもっと重要な要素の大まかな代用として使う代わりに、医師が実際にもっと重要な要素を研究したり取り組んだとしたら?
もし、医師たちが遺伝的差異ではなく、人種差別による構造的不平等を終わらせるための運動の先頭に加わったとしたら?
人種医学は、相対的に悪しき医学です。科学的根拠に乏しく、人の属性の間違った解釈です。
この過去の遺産と決別することが、これまで以上に急務です。互いを深く隔てる社会的不平等を終わらせ、私たちは同じ人類であるということをはっきりと示しましょう。
正義については、マイケル・サンデルも言うように、ジョンロールズの言葉が良い手本になるかもしれません。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
(個人的なアイデア)
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
ルーシー・ホーン:レジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの秘訣
ナディーン・ハッシャシュ=ハラーム: 拡張現実が変える手術の未来
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
因為這裡是祕密的小天地
所以不方便私底下認識(也不可能)
不知不覺在這裡有大家的互動也很長一段時間了呢
我生活中就是一位平凡的女生
外表不差 但也不算特別突出 也喜歡樸實低調
因為發現自己內心極度反差的慾望
就找了這個小角落來記錄這些隱藏的秘密
跟身邊的男人發生曖昧互動、大尺度試探甚至是性交
遠比跟自己的伴侶性愛還要刺激...
工作場合的男人(主管、同事、客戶)、朋友、同學、有女友甚至是已婚的男人,都有過或保持著性關係
不一定會長期維持,有的僅一次,有的是間隔很久很久
主要是看有沒有讓我滿意以及有無機會
不太會刻意安排
除非是我主動勾引暗示
很多是對方意猶未盡但我卻沒了興趣
我在想 可能是我想要的是那種刺激反差的快感吧
若淪為了公式化的性愛就比較無法激起我的性慾....
-
喜歡聽到男生跟我說 他看著我的照片幻想著我被幹的模樣邊打手槍直到射精;
喜歡男生接近我時立刻起生理反應;
喜歡被身邊各種不同身分及關係的男人狠狠意淫著;
-
你可以偷偷觀察著我是否存在在你的周圍
然後默默觀察著
不能驚動我
否則我會像小兔子一樣落荒而逃
除非我有了主動的意願
-
最近有點想念某位結婚的男人
他其實年紀不大,跟我差不多
長相有點孩子氣是個又帥又有點可愛的男人
懷念的倒不是他的性愛技巧
反而是他的身分
在他婚後我們只秘密快速地性愛了一次
那次的他 起生理反應的速度與硬度都遠在水準之上
他也說沒想到會硬成這樣
背著老婆對別的女人勃起發情
也許興奮的程度比跟他老婆還高
翹在那邊的肉棒,龜頭滴淌的液體像是流口水般
插入我的小穴時能清楚感受到整根肉棒的硬度
就這樣在我私密的體內被我的陰道緊緊包覆著
他舒服到發出呻吟
我邊被他幹邊感受著刺激的快感
完全放大性交的色情程度....
-
歡迎大家分享你的心得
另外想要看著我的照片打手槍的人可以跟我說
我只要求想要看到你的棒棒跟我的照片合照
還有要射精在照片上的畫面
想要再獲得一些私密的快感...
77 notes
·
View notes
「店員さんイケメンで、ラストまでいたら良いことあるかも♪」
まだ行ったことがなくて、面白そうな店を物色していると、そんな書き込みを見つける。〇〇〇〇ってお店だ。ほんまかなぁ?と思いつつ、自分の目で確かめねばと、少し離れたその店へ初めて向かう。
扉を開けると、そこにはバーカウンターがあり、先客と目が合う。やべ、全員イケる。初めてだと告げると、ロッカーやシャワーの場所を案内される。マジか、店員さんほんまにイケメンや!はやる気持ちを抑えながら全裸になると、シャワー室が使用中だったので、一旦、バーカウンターへ。
「この店何で知ったんですか?」と聞かれるので、ネットで検索して見つけたと答える。書き込みのことは、黙っておく。関西の方なんですね、とか会話が進んでいくが上の空。ほんまにこのイケメン店員さんと?とか考えながらぼぉーっと過ごす。
シャワーが空いて、入れ替わりに中に入る。カラダを洗い、ケツマンコも念の為もう一度念入りに洗う。ふとシャワー室の外に人の気配がある。洗濯機が置いてあり、イケメン店員さんがタオルとか持ってきたようだ。洗い終わった俺は、そこでわざとシャワー室から出る。目が合う。そして不意に股間を見せつけてくる。え?イケメンでデカマラ様?カラダが濡れたままなのも気にせず、跪き咥える。頭に手が添えられそっと撫で回される。
「あとでヤらせろよ」
これが手口か!大歓迎だ👍
二人とも何食わぬ顔で、バーカウンターに戻る。シャンディガフを頼み、隣の客も含め談笑する。よく来られるんですか、とかなんとか。この歌、良くないですか?とイケメンデカマラ様が、かかっている曲を指して言う。良いですよね!と二つ返事でそれに乗っかる。さっきのプレイを思い出しながら、普通を装っているのが妙にドキドキする。
閉店時間が近付き、新しい客も入ってこない様子になった時、音楽を止め、入口の扉に鍵をかける。それを合図に、バーカウンター前のスペースに皆が集まる。イケメンデカマラ様が真ん中でシゴいて見せつけ、皆そこに群がる。やべぇ…やっぱデケェのたまんねぇ…あぁ…うめぇ…竿を両側からしゃぶるとかエロいなぁ…先走りも溢れてる…舌を絡ませ、玉も転がし、丹念に味わってゆく。
「後ろ向いて」
一旦放すと、俺の後ろに宛てがってくださる。嬉しい!イケメンデカマラ様の超デカマラを、俺のケツマンコで使ってくださるなんて!ズブ…ズブ…メリ…グワ…あぁぁぁぁ…たまんね…もう精子漏れそう…匂ってくる…やべぇ…あぁ…全部…入っ……た……ガッツリゆっくり犯してくださる。気持ち良過ぎて全身鳥肌が立つ。あぅ…上の口には、別のデカマラが突っ込まれる。
「いい穴だな」
あぁ…至福の言葉だ。どうぞ思う存分使ってください。心ゆくまで味わってください。
ズルッ!
え?急に引き抜かれてポッカリ開いたままになってしまう。あぁ…抜かないでください…あっ!また別のデカマラが嵌め込まれる。イケメンデカマラ様は、違う雄に嵌めている。全員食うつもりか。その迫力ある光景を眺めながら、自分もまた串刺しにされている。どこを見ても、デカマラ交尾だ。雄同士はこうでなければ!抜き差しされるデカマラがめっちゃ尊い。誰かもう種付けしたのか、既に精子の薫りがしている。たまんねぇ…
そのとき、イケメンデカマラ様が、仰向けになった俺の目の前にまたやってきてくださった。神々しいそれをシゴいている。スゲェ、光り輝いて見える。どうやらこのままイクらしい。
「あぁ、気持ちいい…やべぇ…イクイク…イクイクイクイク……!」
その巨大な鈴口から大量の白濁の精子が吹き出し、俺のカラダに降り注ぐ。あぁ、俺もイキてぇ!すると、まだ精子が漏れているそれを、俺に嵌め込む。おぉぉぉぉっ……!種がローション代わりになって、簡単に奥まで入っちまう…あぁ、やべやべ、イキそう!その様子を見た他の雄たちも、俺に向けてシゴいている。
「おぉ、すげぇ、やっぱ今日一番いい穴ですね…種付けいいっすか?ってか、種付けるぞ…イク…イクイクイク…イクイクイクイクイク………ッ!!」
うわっ!他の雄達も一斉に射精してきた!たまんねぇ、やべやべ、俺もイクイクイク……っ!!
体中種まみれになり、皆汗だくで、精子を垂らしている。スゲェいい匂いだ。たまらねぇ。あ、ケツマンコの中で、ビクビクしている。気持ち良過ぎる。
この店、ヤミツキになりそうだ。笑
127 notes
·
View notes
はっきりいいます 日本で外国人の人権に金切り声を上げている人たちは、日本人ヘイトです
外国人の迷惑行動、犯罪を批判すると途端に極悪非道の人種差別主義者のレッテルを張られ罵倒されるけど、逆に外国人が日本人にどんな迷惑行為をしても犯罪を犯しても大多数はスルーされてます
以前から朝鮮人、中国人で用いられていた手法が今では、クルド人やベトナム人などその他の外国人にも悪用されています
こういう活動をする外国人はもともと日本人との共存を望んでいません 日本人を威圧し黙らせ、支配することしか考えていません
こんな活動に関わる日本人もいますが、自国のことを何も知らないのに、自分は正義を行っていると妄信できる種類の人です
この問いに正面から向かい合い解決しない限り、日本人と不良外国人の関係は悪化の一途をたどるでしょう それは、日本人ヘイトの団体の責任です
何か違いますか?
46 notes
·
View notes
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、1914年の第一次世界大戦勃発の前夜、西洋勃興の中核は、プロテスタント世界の発展だと的確に見抜きました。プロテスタント世界とは、この場合、英国、米国、プロイセンによって統一されたドイツ、北欧諸国を指します。
フランスがラッキーだったのは、これらの先頭集団を走る国々に地理的に近かったから、くっ付いていけたところです。
プロテスタントの国々では、教育水準が人類史上類例のないほど高くなり、識字率もきわめて高くなりましたが、それは全信徒が聖書を一人で読めなければならないとされたからでした。
また、地獄落ちの不安があるゆえに、自分は神に選ばれているのだと実感したくなり、それが勤勉に労働する意欲につながり、個人も集団も強い道徳規範を持つようになりました。
もちろんプロテスタント文化には負の側面もあります。米国の黒人差別やドイツのユダヤ人差別など、最悪の人種差別はプロテスタント文化に端を発しています。プロテスタントの思想には、人を地獄落ちの者と神に選ばれた者に分けるところがあり、そのせいでカトリック式の人類みな平等の考え方が放棄されたのです。
近時はプロテスタント文化が崩れ、それによって知的水準が下がり、勤勉な労働��欲が消え、大衆が欲深さを露わにしています(この事象の正式名称はネオリベラリズムと言います)。その結果、西洋は発展せずに、没落に向かっているのです。
「ロシア衰退は幻想で西洋が崩壊に向かっている」 ソ連崩壊を予見した歴史学者が警告(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
45 notes
·
View notes
寄付って難しいよね、という話。 自然災害とかが起きて、「寄付しようね」という話から「寄付したことは堂々と言っていい、もっとアピールしてもいい。
自分のメリットのためでもいい」とか「偽善だと叩くのはおかしい、偽善であっても実行すべき」みたいな投稿をよく目にするんですが、 それはそれで同意しつつ「寄付をすることを公言するデメリット」みたいなのもあるのです。 結構「偽善だと叩かれるからだろ」みたいな思い込みの人もいると思うんですが、全然違う悩みもあるよ、というのを書いてみます。
特に問題提起をしたいわけでも、議論を活発化させたいわけでもなく「情報の共有」に近い投稿です。
-- 僕も、寄付をそれなりにするタイプなんですが、寄付をしたことを明言したり、一度寄付をしてしまうと、めちゃくちゃ寄付を募集している人から連絡が来ちゃったりするんですよね。
例えば、応援しよう、と思って寄付をしたところ、そのNPOの人から「今はこれをやっているんですが、困っている子供達のために寄付してください」とか「影響力をお借りしたいので、これを拡散してくれ」というのが、頻繁に来てしまいます。
これは、その人が悪いというよりも、完全に構造的にこうなっています。というのも、寄付で活動をしている人たちって - マーケティング費用にかけられるお金が限定的である
- 寄付を集める場合に、もっとも効率的なのが、一度寄付をした人に営業をかけ続けることである
- 寄付をした人の、寄付回数と単価を上げ続けるのが、もっとも活動をドライブさせる という性質があるからです。 となると、寄付をするようになると、いろいろな人から「これを拡散してくれ」「これに寄付をしてくれ」という連絡が来続けます。
そして、さらに営業効率を上げるとしたら「多く払っている人からアタックするべき」というのもあります。 例えば、1000円を寄付してくれる人に倍にしてくれ、と頼むよりも、年間100万円を払っている人に、1%増やしてくれ、というほうが、10倍効果が高いわけなので。
-- また、大きなNPOなどでは、手紙が頻繁にくるようになります。 「今、アフリカではこんな悲惨なことが起きています。ワンピース一枚の値段で、この子供が売られています。あなたの寄付が必要」とか、「この子は、一日一色しか食べられません。
一日の食費がたったの500円です」みたいな、感情を刺激するような、写真付きのレポートとかで来続けたりします。 読んでて辛い気持ちになるやつです。
これまた構造的な問題で - ロジックで見せるよりも、感情を最大限刺激して、反応を引き出すことが寄付を集める上でもっとも合理的 - なので、「かわいそうな子供」「悲惨な人たち」というのを、効果的に伝えるようになりがち というのがあります。
-- んで、これら、どちらの問題も「社会的に良い活動をしている人たちがもっとも効果的なことを実行している」という点で、まったく非難されるべきことではないわけです。
ただ、「実名で善意で行動して公開したら、お金やSNSでのシェアを要求され続けられるので、限界まで利用される気がしてなんかしんどくなる」というのと「感情を刺激するような悲惨な写真やテキストが送られ続けて、見るのが辛い」みたいなことが起こっちゃうんですよね。
-- 一時期、Facebookの広告が全部、NPOなどで、3投稿につき1投稿くらい、戦争や貧困で悲惨な目に会っている人たちの写真が出てきたり、殺処分間近な動物の写真が出てきたりして、みるのが辛い気持ちになったりしました。 そして、なんかしてあげたいと思って寄付をしたりすると、さらにターゲットになって広告が増えるという循環になったりしていました。 今では、ほとんどが詐欺広告になったので、ほっとしています。
-- というので、寄付をしたことを明言したり、シェアをしていると、どんどんとそういうスパイラルに陥っていき、最終的に悪い感情になっちゃったりするんですね。
「いつもテンプレートのメッセージでプレッシャーをかけてくるな」とか「断っても、食い下がってきて、結局寄付とシェアをすることになるな」みたいな気持ちになったら、なんか、その人たちの活動が目に入るだけで、疲れてしまうというか。 また、NPOや社会活動をやっている方がよくいうこととして、「こういう現状を知っておいてもらいたい」というのがあります。
それは本当にそうだろうなあ、と思うのですが、それを知り続けた結果、ものすごい暗い気持ちになってしまいます。でも「目を背けてはいけない」とか「恵まれている人は知っておくべき」みたいなプレッシャーも出てきちゃってて、、 結果として、戦争、人種差別、アフリカの貧困国の惨状、子供への虐待、シングルマザーの貧困、食事を食べれない子供や若者、中毒症患者、などいろいろな情報が入ってきて、認知と感情の限界に達してしまう、みたいなのが感じます。
あらゆる困っている人の情報を摂取し続けると、気分が落ち込んでしまうというか。
-- というので、個人的には、社会活動系は、なるべくこっそりやろう、匿名でやろう、という気持ちになっています。寄付自体をやめるとかはよくないですし、続けたいので、自分が続けやすい、疲弊しない形にしたいというのが本音です。
寄付をしていることを公言するのはめっちゃ良いことだと思いますし、「自社のブランディングになるからやろうぜ!」という意思決定でも、それで困っている人にお金が流れるのは良いことだと思うので、どんどんやったほうがいいと思うんですが、このような理由で公言しない人もいるので、書いてみました!
インターネットで何を叩かれてもさほどダメージがないんですが、善意の人からの行動の方が、ダメージが蓄積するなあ、と思っています。
Xユーザーのけんすう/『物語思考』4万部突破さん
38 notes
·
View notes