つくば市、駐車場のライン施工を致しました。 道路の区画線と同様の施工で、長持ちします! つくば市にありますリフォーム会社です。 内装工事も外構・エクステリア工事も 職人直営だから、高品質&リーズナブル お問い合わせ
[email protected] Tel 029-896-5656 *************************************************** 茨城県つくば市上広岡429-1 当社ホームページhttp://www.tsukubaremodel.co.jp *************************************************** #リフォーム専門店 #リフォーム事例 #つくばリモデル #つくばリフォーム #ライン施工 #駐車場ライン #ライン工事 https://www.instagram.com/p/CdmYKguJcKS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
BRTひこぼしライン 開業半年前(15-5 FINAL)添田駅 ~ 名残
2017年(平成29年)7月の九州北部豪雨で被災した区間の鉄路での復旧の願いは叶いませんでした。しかし BRTひこぼしラインが2023年の夏に開業します。沿線住民にとっては利便性の向上も見込まれます。そして、電気バスが使われます。
日田方面とは列車との対面乗り換えです。
今は代行バスが運行中。> 関連投稿 ~ 添田・代行バス乗り換え
日没の頃、日田方面行のバスが出発しました。(18:03 発 ~ 19:28 日田着)
ホームの券売機 ~ かつての名残でしょうか、関門海峡を越えた行き先が行き先があります。(厚狭・湯ノ峠 ~ 由布院より20円安い1830円)
関連投稿 > 直方駅寸景(日田彦山線の急行についての記述あり)
2023.3.5 ~ おわり
2 notes
·
View notes
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月3日(日曜日)
通巻第8158号 <前日発行>
TSMCが熊本に半導体工場を開設。メディアは度を超えた過熱報道
しかし第一工場は28ナノ量産、第二工場は7ナノ半導体でしかない
*************************
TSMCが熊本に半導体工場を開所した。報道の過熱ぶりたるや、開所セレモニーには百台のカメラ、台湾の主要テレビもこぞって取材にやって来て、いわく。
「日本に黒船。台湾TSMC日本進軍、日台協力意義強固、帯来復興」などとお祭り騒ぎのように報じた。しかしこの工場、日本政府が4760億円を助成したのだ。
熊本県菊陽町にTSMC工場は東京ドーム4・5個分の広さを誇り、地下4階建て。付近の道路に大渋滞が発生、台湾の技術者がすでに350名。将来は700名、また日本国内での技術者も大量に採用されたため第一に人口増加、第二にショッピングモール、レストランの台湾食材シフト、第三に住宅価格の暴騰。第四が賃金の大暴騰となった。
2月24日の開所式に台湾からはTSMCの創設者=張忠謀(モリス・チャン。92歳)、CEOの劉徳音、CCOの魏哲家らが顔をそろえ、日本側は蒲島県知事、斉藤健・経産大臣、歴代の甘利明、萩生田光一らが馳せ参じて壇上でのテープカット。
またトヨタ、ソニー、デンソーの経営トップの顔が並び、岸田首相はオンラインで画面にあらわれ、TSMCの第二工場には7320億円の日本政府助成金を公約した。翌日の『熊本日日新聞』は一面トップ記事。ただし、TSMC第二工場は「熊本県内。東京ドームの七個分」と発表されただけで、場所の明細は伏せられたまま。
開所式で注目はモリス・チャンの発言である。かれは台湾を代表してAPECにも出席する世界の顔だが、こう言ったのだ。「いまから56年前に、わたしはTI(テキサス・インスツルメント)のエンジニアとして初めて来日した。ソニーの盛田昭夫氏と半導体の将来を語り合った。その夢が、56年後に実現した。この半導体工場は『第一の波』であり、日本の『半導体ルネッサンス』になる」。
正確を期すとTSMC熊本工場というのは正しくない。正式社名はJASMである。
日本と台湾TSMCの合弁企業(日本半導体製造会社)でTSMSが86%の筆頭株主だが、トヨタ(2%)、デンソー(5%)、ソニー(6%)と日本企業も株主である。
工場は鹿島建設が請け負い、24時間の突貫工事、二年足らずで完成した。とくに半導体の生命線である地下水の配慮が入念になされている。一日の水消費は8500噸、このうち75%がリサイクルされるという。
半導体に欠かせないウエハ、部品、半導体製造装置の維持管理など、台湾からTSMCの下請け、孫請け企業が17社。同時に熊本へ進出した。このため賃金が暴騰し、付近のレストランで求人募集しても時給1300円では人が集まらず、1500円(熊本県の最低賃金は898円)となった。
▼理工系のエンジニアが足りない
人材不足は熊本に理工系大學がすくないため佐賀、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島県にも人材を求める。住宅価格は戸建てが3000万円だったのに、5000万円台に跳ね上がった。賃貸マンション、アパートの家賃も棒上げとなり、通勤列車は超満員。駅からバスになるので不便なため、バイク通勤も目立つ。
菊陽町は人口が43673人(23年末)を突破し、市制へ移行が日程に上った。
第二工場は第一工場より規模が大きくなり、7ナノを生産するが、1700名従業員予定のうち700名は台湾から呼び寄せることになる。
台湾ではすでに「新チップスクール」を設立し、留学生に奨学金を提供し、大學の新学部・大学院の充実を急ぎ、現在、国立台湾大学(NTU)、国立成功大学(NCKU)、中山大学(NSYSU)を含む9校のチップカレッジが設立された。
中国の電子メディア「THINK CHINA」はTSMCをして、「王冠の宝石」と書いた。
さてぬか喜びはこのくらいにして国家安全保障問題に視点を移すと、TSMCの熊本工場は2028年頃までに全ラインが量産にうつっても28ナノから7ナノまで、EV自動車、家電、スマホ用であり、このレベルの半導体は中国でも生産している。
ハイテクの半導体は1ナノ~2ナノである。TSMCは、台湾で2ナノ半導体を年内にも開始し、2028年には1・4ナノを生産する予定。米国アリゾナ工場では3ナノ生産を予定するが、地元労組が強く反対し、かなり遅れるだろう。
千歳に工場を建設中の日本のラピダスが2ナノの生産開始は2027年が目途である。日本の半導体ルネサンスはまだ遠いのである。
台湾の計画では、日本の量産はあくまでも差プラインチェーンの安定のためであり、最先端の半導体はあくまでも台湾で生産するということである。
7 notes
·
View notes
初夏に旅する上越・北信濃 - 長野・松代
初夏の長野 善光寺と松代を散策してみた。
上越妙高で一泊した翌日は、えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン、しなの鉄道 北しなの線を乗り継ぎ長野へ。
長野に来たら善光寺、と言いつつ今回 初めての参拝。観光客でにぎわう参道を抜けて本堂へ。東日本最大級の国宝木造建築の壮大さに感服。本堂脇には昨年の御開帳の際にも話題となった回向柱と年月を重ね朽ち始めた歴代の回向柱を見学。巨大な本堂前に設置されている映像のイメージしかなかったもので、実際にそのものを見ると想像以上に大きいものなのだなと認識しました。
長野駅に戻り、バスを乗り換え目指すは松代。真田氏の治めた松代の城下には、松代城址をはじめ藩校 文武学校、真田邸等が雰囲気のよく集まるエリア。 まずは松代城址。真田昌幸の長男であり、信繁(幸村)の兄として知られる初代 藩主 真田信之が大坂の陣ののちに移封、明治維新まで居城とした城の跡。 二の丸から本丸にかかる���鼓門前橋が有名なのですが。。。現在 橋の架け替え工事中でした。相変わらずタイミングのよくない私でした。お天気だけには恵まれ、快晴のもと北信濃の山々に囲まれた城郭を写真に収めてみる。
お城の脇を抜け、松代藩の藩校 文武学校へ。比較的 江戸時代末期に建築された藩校、明治維新後も学校として利用されていたということで、当時の建築物がそのまま残っている貴重な遺構。広い敷地内、歴史を刻んだ木の床を踏みしめながら歩を進める。隣接する真田邸と合わせて趣のある建物と庭園に心和ます。既に夏日でしたが、昔ながらの風通りの良い作りの室内は心地の良い温度感。
長野駅と松代の間は大体30分に1本程度のバスが運行。ちょっと時間が空くので、竹風堂の店舗に併設されたお茶屋さんでクリーム栗あんみつをいただきながら小休止。火照ったからだに冷たいあんみつで冷まし、温かいお茶とあわせてほっと一息、美味でした。
47 notes
·
View notes
~ 24社が「影響あり」、建物・店舗被災が最多 ~
石川県能登半島を震源とする最大震度7の地震(以下、能登半島地震)は、企業にも影響が出ている。東京商工リサーチ(TSR)は、地震後の1月1日~4日までに地震の影響を適時開示情報で公表した上場会社を集計、調査した。これによると29社が影響を公表し、一部や軽微を含め「影響あり」(すでに解消含む)は24社だった。被災内容では、「建物の損壊・破損」が16社、「生産ラインや設備などの被害」が13社、「ライフラインやインフラへの影響」などが6社だった。
東京証券取引所など国内の全証券取引所に株式上場する企業のうち、能登半島地震に関する適時開示情報を公表したのは29社だった。このうち、「影響なし」は5社で、「影響あり」は24社だった。特に強い揺れで被害が激しかった石川県内に本社や工場、店舗などがある企業の開示が相次いだ。製造業では、工場内の建物破損や生産設備に被害が発生し、震源地に近いエリアでは生産活動の再開に時間を要する可能性がある。
また、一部の企業では相次ぐ余震や道路網の寸断、通信インフラ障害で被害状況の確認作業が容易でない状況が続く。従業員の安全を最優先にしながら、被害確認や復旧作業を行っている企業も多い。こうしたなか、ジャパンディスプレイ(本社・東京都港区)や歯愛メディカル(同・石川県能美市)は、地震の発生直後から一部の工場や本社を住民に避難場所として開放した。
被災地では、従業員や家族が被災した企業も少なくない。事業の復旧や再開に向けては停電や断水など、ライフラインやインフラの復旧が必要で、被災者や被災した企業には国や自治体、取引先の臨機応変な支援が急がれる。
※ 能登半島地震が発生した1月1日~4日23時59分までに「適示開示情報閲覧サービス」でリリースされた資料で、 「能登半島地震」の影響に関するリリースを対象に集計した。業種は、証券コード業種分類に基づく。
開示企業は29社、24社が「影響あり」
「能登半島地震」の影響を開示した29社のうち、「影響なし」は5社、「影響あり」は24社だった。
被災内容(複数要因有り) 建物損壊が最多
判明した被災内容別は、工場や店舗建物への被害開示が最多の16社だった。次いで、生産ラインや設備、店舗機器などの被害が13社、断水などライフラインやインフラが6社、商品の荷崩れなどによる製(商)品・在庫品損傷等が5社で続いた。
業種別 小売業が6社
「影響あり」を開示した24社の業種を分析した。最多は、ドラッグストアなど一部店舗が被災した「小売業」が6社。次いで、介護など「サービス業」が4社、工場が被災地域に所在した「電気機器」が3社、倉庫が被災したなど「卸売業」が3社、営業所の被災など「陸運業」が2社の順だった。
令和6年能登半島地震 「上場企業の被災状況開示」調査(1月4日時点) | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ
7 notes
·
View notes
今日は仕事が休みだった。というか、不妊治療のために12月の前半は土曜のシフトを外してもらったのだった。午前休をもらったり、遅番に変えてもらったりしていて、なんだか申し訳ないやら、本当にありがたいなと思う。
朝からクリニック。自己注射にだんだんためらいがなくなってきたが、今日の夜の注射は薬の量がちょっと増えている。なんだかこんな治療法が確立していて人工的に細胞をつくって凍結して移植するだなんて、まるでSFみたいなことをしていて、これが現代だなんてすごい技術だよなあと思う。それで帰り際に看護師さんに「すごい治療ですねえ〜」と言ったら「今できることは全部、頑張ってされているから大丈夫だよ」と思いがけぬ力強さで励ましてもらった。治療が大変だというふうに受け取られたのかも? ちょっと悪いことをしてしまった。でも嬉しかった。
受精卵ができたとしていくつか凍結したうちのひとつを移植したとして、のこりの細胞たちは「死」になってしまうのだろうか? まだ概念としては死でなかったとしても。いや、でも、それでもひとつを選んで移植はするのだろう。ラインが連続的で曖昧だということを思う。考えすぎかもしれない。
これはべつの場所でも書いたけれど、自分が治療で人工的に子をつくって産むということに果てしない業の深さを感じていて「この選択について背負い続け考え続けねばならない」と思っていたのだけれど友人に「不妊治療しているんだ」と話したとき、「良い先生に巡り会ったなら委ねて行けば良いと思う」と言ってくれてすごく心が楽になったのをいまもときどき思い出す。あのときから病院は変わったが先生も看護師さんも優しい。なんなら受付の人は前の病院よりめっちゃ優しい。変わるのは怖いが万物が悪いほうへ変わるわけではない。子を授かっても授からなくてもわたしの人生である。それは変わらないと思う。採卵手術の説明を受けて、帰った。
8 notes
·
View notes
・ ・ 2023.3.18.sat.- 4.2.sun. 村上躍 陶展 Yaku Murakami Exhibition ・ ・ 長野県八ヶ岳にて清々とした空気の中で作陶する、村上躍さんの作品展となります。余白のある整った工房、周囲の木々や山々に動植物の音。そこは静かで凛とした空気感があります。力強さや温もりの中に静謐さを感じるのは、そんな環境で日々暮らし、自分と向き合いながら仕事をしている村上さんの空気感なのかもしれません。桜の季節、皆様のお運びをお待ちしております。 ・ close:月曜 | open:11-19:00(初日は18:00まで) | 17(金)は展示準備のため臨時休業 | 初日作家在廊予定 | 開店前にお並びの場合は整理券を配布いたします。| ・ ・ Profile | 1967年 東京生まれ | 武蔵野美術大学短期大学部専攻科工芸デザイン卒 | 98年より神奈川県にて手びねりにて作品の制作をはじめる。 | 2020年 長野県八ヶ岳に工房を移転 | 国内外で個展を中心に作品の発表を続ける | ・ ・ ・ 364-0031 埼玉県北本市中央2-64 048-593-8188 Open 11:00-19:00 close 毎週月曜・第一火曜日 JR湘南新宿ライン高崎線 北本駅西口徒歩1分 ・ ・ #yaichi #やいち #器 #うつわ #食器 #tableware #生活道具 #暮らし #cafe #カフェ #アンティーク #antique #antiques #古道具 #古家具 #oldfurniture #brocante #古物 #埼玉 #埼玉県 #北本 #北本市 #村上躍 #YakuMurakami (Gallery&Cafe やいち) https://www.instagram.com/p/CpRuf5GvPl_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
25 notes
·
View notes
2024年3月1日(金)
今日から3月、私の最大の関心事は<無印良品>のMUJIマイルがリセットされることだ。店舗やウェブで買い物すると金額に応じてマイルが付加され、一定の段階でステップアップ、買物に使えるポイントをくれるのだ。午前8時の段階でマイルは0(ベーシックステージ)となっているが、イオンモール五条に着く頃には連携マイル(LINEやGoogleとの連携)が追加され、1,180円の買物に(溜まっていた)1,000ポイント使用したので差額の180円分とエコバッグ持参のマイルが付与されている。これって、兼業主夫には嬉しいんだよね・・・。
5時45分起床。
6時を待って、洗濯機を回す。
朝食。
珈琲。
私が弁当用意する間に、ツレアイが洗濯物を干す。
金曜日は可燃ゴミ、30L*1&45L*1。
7時45分出発、彼女を職場まで送り、私は有休のために自宅へ戻る。
今日は午後から<NURO光>の工事が入る、まずはリビングの大掃除、インターネットの入口はツレアイの作業机の下、掃除機を掛けて雑巾掛け、完璧とは言えないがずいぶんと綺麗になった。
10時、<イオンモール京都五条>に開店と同時に入り、無印良品で糠床を購入する(¥1,180ー1,000ポイント=¥180支払)。すぐに西大路七条へ移動、コレモで手羽中の安売りを見つけて購入、ぬか漬けの材料となるキュウリとニンジンも(¥1,154)。
<韓国の原爆被害者を救援する市民の会・大阪支部>のI会長からメール、昨日福岡高裁の不当判決についてのメッセージと朝日新聞の記事リンクをFacebookにポストする。
糠床を用意して、キュウリとニンジンを漬け、2階のキッチンの冷蔵庫に収める。これなら出し入れ簡単、弁当にも使っていこう。
今日もランチは止めておく。
午後の工事に備えて、車を近所のコインパーキングに移動する。
職場から、3/15(金)の学位授与式の式次第が届く。
NURO光の工事予約は15時、20分ほど遅れて業者到着。我が家の場合、既にケーブルは通っているので今回はONUの交換と点検の作業のみ。20分程度で終了、これで<2G>から<10G>へとグレードアップ出来た。とは言え、うちのケーブルではその力を発揮することは無理、早さを実質化するためにamazonでより高規格のケーブルを発注した。
車を元に戻し、次は夕飯準備。
コレモ七条店へ補充の買物、トマトの大玉3つと、細うどんが安かったので明日のランチ用に2玉購入する(¥372)。
夕飯、手羽中の唐揚げ/半熟酢卵/ボイルドソーセージ/レタスとトマト、withスパークリングワイン。
息子たちの食事が終わってから、録画番組視聴、刑事コロンボ。
第15話「溶ける糸」/ A Stitch in Crimeシーズン 1, エピソード 15
心臓外科手術の第一人者ハイデマン博士が救急車で運ばれてくる。野心家の外科医メイフィールドは、ハイデマンと共同で心臓移植手術に伴う拒絶反応を抑える新技術の研究を行っていた。メイフィールドは研究発表を急いでいたが、ハイデマンはもう少し時間が必要だとして取り合わなかった。
もちろん、ストーリーは覚えているが何度観ても楽しい。ナースキャップとそこに入るラインの意味など、ツレアイの体験談がテレビ以上に面白い。
片付け、入浴、体重は50g減、増えなくてよかった。
風呂上がり、パジャミに着替えて日誌を書く。
いい数字、結構結構、早めに休むこととしよう。
3 notes
·
View notes
本書は感性または悟性(理性とは区別された経験に関する知性)に関する書籍である。より分かりやすく説明すると、マインドフルネスを哲学的に論じた書籍であるといえるだろう。さて、私たちが今生きているこの世界において二つの大きな力が私たちに作用しているのは言うまでもないだろう。それはリビドー(性的欲求)とライフ・オブ・ラインズ(線としての生)である。(その作用の様相に関しては添付した資料の図1を参照されたい。)
そして、この二つの力のうちライフ・オブ・ラインズ(線としての生)に焦点を当てているのが本書である。
第一部―結び目をつくることーでは、社会的な生命の紐帯の中の個々の存在の生命線の絡み合い(相互浸透)について論じている。(ex;私たちの精神が交わるとき、つまり自らの意識を相手の意識とつなぐとき、相互浸透しているゾーンはたちまちどちらかに属するのをやめて、両者が責任を有する異質な存在、すなわち「社会」に組み込まれる。)人々にしても、他の生物にしても、あるいは生物による加工を経た事物にしても、こうしたすべてが関わっている出来事にしても、すべては様々な線のかたまりとして、絡み合いとして出来上がっている。つまり、線の生態人類学とはまさに「すべてはすべてと関係している」ことを見極めようとする関係の学であり精神的態度だが、我々の世界を構成するすべての存在=事件(出来事)のエコロジー(生態学)をティム・インゴルドは企てているのである。もちろん、そのドン・キホーテ的企画に完成などありえないのだ。すべては「うろつき」の中で見出され、また見捨てられてゆく線の集合離散のダイナミクスとその履歴の問題となるのだ。そして、成長と運動というプロセスを経て諸々の物が絶えず生じ続ける世界においてーつまり生命の世界においてー生命の線を(関係としてのライフ・オブ・ラインズを)結ぶことが可干渉性の基本原則であることを示すことがティム・インゴルドの目指すものである。この結ぶことは思考や実践の様々な領域の中に現れることになる。そして、結ぶことによって諸々の文化、パターンは維持され、人間の生活のすき間に結び付けられているのである。そうしたものは以下のようなものが含まれる。空気や水、コード類や木といった物質の流れや成長のパターン、編むことや縫うことに見られる身体的な動きや身振り、おそらく見ることよりも特に触れたり聞いたりするといった感覚的な知覚、そして人間関係とそうした関係をもたらす感情などである。すなわち、結びつくことは人々が互いに活動し語ることのリアリティの中に、人々が自分の関心を見つける間のものの中に、そして人間関係の網目を織り込んだものの中にあるのである。続く、第二部ではたくさんの人々や数多くの力がその環境や感情の中で揺れ動く様子を論じている。
第二部―天候にさらされることーでは大気=雰囲気について論じている。具体例としてティム・インゴルドは植物の成長と運動を挙げている。ティム・インゴルドによると、植物は大地的であると同時に天体的であるという。そうであるのは空と大地の混じり合いそれ自体が生命と成長のための条件だからである。植物が「大地に属するものである」から(大地の上にあるのではなく)、植物は「空に属するものでもある」のだ。また、もう一つの具体例として人の知覚を挙げている。私たちは空気を呼吸し、空気の中で知覚する。それゆえ、空気がないと窒息してしまうだけでなく、感覚も失ってしまうだろう。通常私たちは空気を見ることができない。けれども時折霧の中で、炎や煙突から煙が昇る中で、空気の流れの繊細な模様を見ることができる。しかし、正確には空気を見ることができないのは、私たちが見ることができる生を維持させる媒体の透明性が故である。さらに言えば、空気が振動して音の波動を伝えてくれるので私たちは音を聞くことができるし、空気が与えてくれる運動の自由の中で私たちは触れることができるのである。このようにすべての知覚は空気に依存しているといえるだろう。逆に言えば、空気のない固まった世界の中では知覚することは出来ないだろう。それゆえ、まさに感情を持つものとしての私たちの存在は天候(世界)に浸っていることを前提としているのだ。そして、このような大気=雰囲気をより感じ取るために必要な態度が「・・・とともに、・・・とともに、・・・とともに」という態度である。例えば、あなたがチェロを演奏している時チェロとともに奏でているならば、あなたのチェロから流れ出すラインは音のラインであり、それはあなたが聴いている時に聞こえる、あるいは一緒に聞こえるものなのである。その音はあなたの生命にライン吹き込むことであなたはチェロと大気=雰囲気と調和し、マインドフルネスへと至るだろう。このような現象が大気=雰囲気現象なのである。そして最終章である第三部では、このマインドフルネスな状態がいかに私たちをより人間らしい調和の取れた生き方へと導くかを論じている。
最終章である第三部―人間になることーでは生に導かれることがいかにして私たちを人間化するということを生じさせるのかを論じている。長らく西洋的伝統において、私たちが行うことは立案者として頭の中に構想を持った動作主(エージェンシー)のよって行われると考えられてきた。しかし、ティム・インゴルドはこれを否定しており、生は立案者として頭の中に構想を持った動作主(エージェンシー)に従属的ではなく、エージェンシーが生に従属的であることを主張しているのだ。すなわち、この導かれた生によって(「C・オットー・シャーマー」が主張する「出現する未来から導く」ことによって)、いかなる瞬間にあっても人間は自らがそれであるものではなく、自らがそれになりつつあるものたらんと決心していなければならないのである。すなわち、いかなる点でもその過程が最終的な結末に到達することはあり得ないのだ。達成は常に延期され常に「未だない(未完成である)」。人間はどこで生きているのであれ、そしてどのようにして生きているのであれ、常に人間になりつつあるのであり、つまりその進展とともに自らを創造しているのである。すなわち、人間はこの意味において自分自身の生の脚本家あるいは小説家なのである。
総括したい。ティム・インゴルドは私たちが独立し、自立して存在しているというより環境や他者と相互依存しそれらと調和生きていたいと切望する存在であり、またシステム思考のような態度で生きていくことの大切さを教えてくれるだろう。
1 note
·
View note
(「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンラインから)
そのなかで僕が働きたいと考えたのが、給湯器を製造する工場でした。
いざ面接を受けにいくと、面接官が履歴書の「読売巨人軍」という僕の前歴を見て「えっ?」と声を上げました。
「巨人の選手だったんですか?」
「はい、9年ほどいました」
工場は朝8時に始業し、休憩を挟んで17時まで働きます。時には残業をする日もありました。三菱の工場で働いていた時にネジを締める作業は得意にしていたので、「いいね、速いね」と褒めてもらえました。
プロ野球選手の頃から見て学ぶ術、やって学ぶ術が身についていたので、仕事も早く覚えられました。工場は7つほどのラインに分かれているのですが、先輩の仕事を見ながら「これとこれは一緒だな」などと覚えて、どのラインに入っても仕事ができるようになりました。
- - - - - - - - - - - - - - - -
「> プロ野球選手の頃から見て学ぶ術、やって学ぶ術が身についていた」
優秀なんだなあ。
5 notes
·
View notes
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月13日(水曜日)
通巻第8047号
韓国とオランダが「半導体同盟」。米台日がビックリ
サムスン、SKのCEOが大統領訪蘭に同行
*************************
12月12日、韓国の尹錫悦大統領はオランダ国王の招待で四日間のオランダ公式訪問を始めた。初日に伊大統領はアムステルダムで韓国人駐在員らと会談し、「半導体は我が国の産業だけでなく、安全保障にとっても重要な分野だ。韓国とオランダの半導体協力は『半導体同盟』に格上げされるだろう」と気勢を上げた。
大統領の旅程にはASLMなど世界的な半導体清掃装置メーカーなどを見学する。このためサムスン電子のイ・ジェヨン執行会長、SKのチェ・テウォン会長も同行した。
すでに米アプライドマテリアルズ(AMAT)は韓国に研究開発センターの新設を発表している。またASMLもサポート拠点がある。
韓国ではサムスン電子が30兆円を向こう二十年間に投じるなどとする壮大な半導体生産基地の整備計画を打ち出している。
韓国大統領は「こうした韓国側の巨額投資が磁力となり、世界の半導体企業を韓国に引き寄せているのだ」とし、「韓国とオランダの関係は、国防・安全保障などの戦略分野から経済・文化交流、先端科学技術交流まで拡大している。ロッテルダムにコールドチェーン物流センターを建設するプロジェクトなど多くの協定や覚書を締結する。韓国とオランダの関係はさらに深まるだろう」とした。
韓国のサムスン電子とSKハイニックスは、米国政府による特別の承認を得ることなく、米国製半導体製造装置を、中国の自社工場に導入できる例外措置が取られている。この報道はロイター通信や米ニューヨーク・タイムズが報じた。
韓国大統領府によると、米商務省はサムスン電子とSKを「検証済みエンドユーザー」リストに指定した。このリストに加えられた企業は、個別の輸出案件について米政府から許可を得る必要がない。
世界有数の半導体メーカーであるサムスンとSKは中国の製造施設に数十億ドル(数千億円)を投資しており、「中国での半導体製造ラインの運営に関する不確実性は大幅に解消された」としている。
▼ベトナム争奪戦、地殻変動が起きている
12月12日から二日間、習近平がベトナムを公式に訪問した。
安全保障、多国間問題、海洋問題に重点を置き、戦略的協力を推進する目的である。
6年ぶりにハノイ入りした習近平はグエン・フー・チョン共産党書記長と会談し、双方の共産党で��中越の全面的戦略協力パートナーシップの深化を基礎に、戦略的な意義を備えた中越運命共同体を手を携えて構築する」などとした。
とくに国境を跨ぐ鉄道の整備や貿易関係の強化など37項目の合意に署名した点に留意したい。
中越戦争で中国に勝ったベトナムだが、その後の南シナ海の領有権を巡って軍事的な対立が長期化している。ベトナム人の反中感情は強烈である。にも拘わらず、経済協力をテコに関係を深めるのは経済成長が政治目標となっているからだ。
中国側には日米との関係強化を図るベトナムの動きに歯止めを掛ける思惑がある。
習近平の訪越直前に半導体戦争で動きがあった。「革ジャン男」と異名を持つのがエヌビデァのCEO黄仁勤(台湾人)の訪越だ。かれはチン首相との会談で「エヌビディアはベトナムに半導体工場を建設する」という計画を打ち上げた。すでにエヌビディアは2億5000万ドルをベトナムに投資している。
またエヌビディアはマレーシアのYTLとの合弁で、データセンターの建築プロジェクトも進めている。
ベトナム共産党もイデオロギーはとうに何処かに忘れ、ビジネスに熱心だ。ハノイ政府は半導体産業の育成を進め、高い技術を持つ米国企業との連携も急いでいる。
このニュース、一見何でも無いようだが、半導体業界においては地殻変動と言って良いだろう。時価発行総額ではエヌビディアのほうがTSMCより多く、2023年の業界の話題は専らエヌビディアの動きだった。
5 notes
·
View notes
子ども3人いながら年収800万円の仕事を辞めて、夫婦仲最悪から改善した40歳トレーナーの理念・歴史
こんにちは!MARUです
現在40歳で、愛知県の有名なエリアで5人家族で暮らしています
日々、経営者として奮闘していながら、毎日、子どもを送り迎え、行事の参加など、子どもの成長を見守って暮らしています
事業の方は、メンタルトレーナーをメインに行っていて、特にこれまで、がむしゃらにがんばっていたのに、なぜか最近がんばれなくなってしまったガス欠な人に向けて、ガソリンを補給して、モチベーションを改善することを行ってきました
ただし、今は自分が改善した夫婦仲を改善する方法を世の中に広めようと目指している最中です
そんな私の、これまでの歴史を振り返っていこうと思います
夫婦仲というと「結婚は人生の墓場」という通り、墓場に入っていたわけですが、墓からよみがえったわけを紐解いていこうと思います
墓からよみがえるために才能は必要ありません。ただ”コミュニケーション”って何かを考えることだけです
それではいきましょう
私は、東京23区内で生まれ育ちました
とはいえ、かなり貧乏な方な家庭だったと思います
家はローンがないとはいえ、築30年は超えていて、すりガラスの漆喰の壁で地震がきたら、確実に潰れてしまうといった感じでした
←こんな感じでしたね
まわりの家との違いは際立っていました
それでも、教育熱心だったのか、遠くの幼稚園に通わせてもらったんですが、その結果、小学校に誰1人として友達がいないという困った事態だったのですが、クラスカーストの子たちと仲良くなって生活していました
そんなある日、何が原因かも忘れましたが、クラス上位からイジメられるようになりました。というか、いじられグループにいて、自分の番が来たみたいな感じでした
毎日、憂鬱というか、単純にイヤだったので、先生とともに戦いました。結果、一旦は落ち着いたけど、3ヶ月もすると元通りになりました
ただ、3ヶ月前と全く違うことが起こったんです
それが、私の感じ方でした
3ヶ月前と全く異なり、何も感情の起伏が起きませんでした。なんのリアクションもないからか、すぐにイジメ自体がなくなりました
これがどうして起こったのか、今ならわかるんです
それは、自分が孤独である・孤独になってもいいやと受け入れたので、その下のステージで興味関心を引きあうゲームに関与する気がなくなったんですね
その当時、生きていく上では大事な視点だったかもしれませんが、これが夫婦関係というか、人間関係に大きな影を落とすことになりました
人間関係が希薄なままの大学生活
東京に住んだことある人は分かると思いますが、自転車で通える範囲ですべてが事足りるので、大学も自転車で1時間くらいかけて通っていました(1時間半もかけて満員電車乗るなんて苦行、無理)
つまり、いつまでも無駄に遊んだり、つるんだりする時間がなかったということでもあります
学校終わって、電車に乗って、街へ出かけて遊んだり、無駄に���夜を過ごしたりということが全くなかったでしたね
授業やサークルが終わっても、駅まで一緒に行くが、そこで解散
と、本人的には充実していましたが、コミュニケーションの観点からすると、人は人、自分は自分と割り切っているところがしっかりと形成していった時期でした
うって変わって楽しい院生時代
貧乏だったと言いましたが、お金の使いどころを決めていたようで、教育にはお金をかけてくれました。中学生から公文式で、そのまま高校まで公文式1本で理系の大学まで行って、大学院まで行かせてもらいました
ただ、全く外食しないし、旅行は帰省するときだけ、ディ〇ニーランドも一度も行ったことありませんでした。本当にお金をかける部分を絞っていたように思います
小学生の時に、もうこれは…ってことで、家を立て直したんですが、家の設計図面を自分たちで書いて構造計算までして、設計費用を浮かしていたようです
自分たちで出来ないこと以外にはお金かけずに家建ててましたね
脱線しましたが、そんな感じで、大学院生活が始まったわけですが、たまたま、日本の研究所の2大巨頭である理化学研究所から教授が着任して、1期生としてゼミを受けることができ、そのまま院生になることができました
2年目からは競争が激化して足切りラインが設定されて大変だったようですが、1年目に滑り込めて良かったです
理系のゼミ生って何するか、イメージがわかない人のために説明すると、大体、7~8人くらいの4年生が配属されるので、その中で、教授がやりたいことを2名ずつくらいで研究するという感じです。院生はその3~4テーマの進捗管理と卒論発表のためのデータ取り、そして自分のテーマを進めるのと、手伝いを院生候補にさせるって感じになります
教授は授業とメーカーとの応対に加え、理化学研究所のプロジェクトもあって、そっちの話を進めたりと、多忙なので、学生の実験を教えることはほとんどないって感じでした
私が学生たちに実験を直接教えて・やらせて・データを取らせておいて、1週間に1度報告させるみたいな感じで、自分で仕切りながらやることが面白かったですし、自分からコミュニケーションとらないと進捗も進まない(就職が決まったら、別に後は研究せずとも卒業できちゃう)ので、楽しくコミュニケーションとりながら、結果を導くみたいな部分にやりがいを感じてました。
研究って黙ってやっているイメージかと思いますが、雑談したり、反応待ちでゲームしたりして、本当に楽しかったです(ゴルフゲームでチーム戦でランキング100位/10000チームくらいやり込みました)
帰りも駅までいって、時間があれば、毎日のように飯を食って帰るみたいな、コミュニケーションが満たされていた充実した生活を送っていました
一部上場企業の化学メーカーに就職し、愛知県で働くことになる
大学の頃のポジティブな状態で社会人になり、メーカーで工場勤務という男社会ど真ん中みたいな職場でしたが、大学の頃と全く変わらなかったので、慣れるのは早かったです
日々、楽しく先輩・後輩とご飯に行ったり、釣りに遊びに行ったりと、楽しい時間を過ごせていましたが、転勤や結婚といった周囲の変化から、一人になり、これじゃいけないとパートナー探しを始めました
幸いマッチングアプリが存在していたので、割と早く同い年のパートナーが見つかり、1年半の交際を経て結婚と順調な流れで、これからの夫婦生活も楽しくなるのかなという矢先でした
結婚は人生の墓場 -第1:棺桶に入るー
結婚して専業主婦になってから半月たった金曜日の夜でした、パートナーが友達を連れてきたいと言いだしました。結婚式にも招待し、結婚以前も友達として紹介され、何回か遊んだ仲の人でした
もちろん、OKと言いました、ただ、お互い片付けは得意じゃなく、少々乱雑になっていて、結婚式の残骸やらなんやらが、まあ、そんなもんだろう。「汚い所で悪いね」と言えばいいやと思っていたら、少したって、「明日来るから、今から掃除するよ」と一言
今から??何を?金曜の夜、仕事から帰って掃除ってなんだろ?と思いながらも、おもむろにリビングを片付け始めたので、最終形も見えてない私は、リビングのゴミを掃除機で吸い始める、すると、「同じことやらないで、違うことして」と言われ、渋々、玄関とトイレの片付けを開始。ほどほどに掃除して、「終わったよ」と一言
ご飯でも作るかなー、夕飯なんにしようと考えていたら、「ダメ」これじゃ掃除になってないと言い、自分でやり始める。何かしてと言われたので、関係ない風呂と寝室の掃除を釈然としない気持ちのままやって、夜中までかかり、ご飯も食べず寝ることに
今思えば、ちゃんとコミュニケーションを取っておけば良かったんですが、人は人、自分は自分と割り切った考えが沸き上がってきてしまった最初の出来事でした
結婚は人生の墓場 -第2:埋葬されるー
とは言いながら、新婚旅行やその後の妊娠などで、そんなことを忘れていて、ついに出産したあくる日、仕事上で大きなトラブルが舞い込んできました
工場の技術部署で働いていたのですが、生産現場が知らないうちに原料の大幅な変更が後6ヶ月で始まるという話が舞い込んできたのです
これは後で知った話ですが、上司が私の前任者に原料変更は大丈夫と聞いて、大丈夫と2年前くらいに聞いたからプロジェクトを進め始めたようで、原料部署とのやり取りがない、私たちが知ったのは、いざ切り替えましょうとなったときだったのです
私は即座に現場に聞きましたが、無理という返事でした。確かに、ほぼ同じ原料を原料部では取り扱っているのですが、私たちの工場では、生産能力が2倍になるという試算でした
明らかにおかしいと誰も思わなかったのか?工場に聞いたら、一瞬でわかったはずなのに??大企業の歪んだ思惑のしわ寄せが舞い込んだわけです
1年でやるような仕事を6ヶ月でやり切るために、子どもが生まれたばかりなのに、毎日午前様、遅いときは、朝4時頃までの仕事、土日はどうなってるんだという上司の電話、パートナーは実家との仲が悪くなって、自宅にいるというわけのわからない状況でした
私のポリシーとしては仕事を家庭に持ち込みたくなかったので、何をやっているのかは、言いませんでしたが、土日も会社から電話がかかってくるという事態に、察してくれたようで、何も言わずでした
ただ、逆の立場から見ると、子ども生まれたのに一人で、ずっと一人で朝から晩まで子どもを見ているという状態で、全く息抜きも出来ないし、相談もできないと、どんどん孤独になっていき、変な妄想が始まって、こんな風になっていきました
「仕事じゃなくて、遊んでるんだ」「私はこんなに辛いのに、無視する」「どうせ、仕事の方が大事ですよ」といった感じですね
こうやって色々と文句を言われた私はというと、イジメの時と同じ対処を図りました。感情の起伏を抑えて、半ば無視するような形です
アインシュタインもこう言っています「人間は生まれた時から孤独である」ということで、具体的なこと、「ご飯買ってきて、子どもと出かけてきて」などについては対応しましたが、そのすべてにいいなあ楽で、と一言付け加えてくるようになっていました
そもそもの原因である孤独をいやしてあげることをしてこなかったせいなんですね
結婚は人生の墓場 -最終:あなたは敵ー
なんとか、プロジェクトも終わり、私も別の部署に異動になりました。同じ愛知県でしたが、全く違う場所です
今までのママ友たちとも離れ、また一人になってしまったのですが、会社の業績や昇進もあって、そこは満足していたようです
ただ、3人目の子どもを妊娠したときに本当に壊れてしまいました
私が、
2人の子どもの面倒を見てくれない。仕事で帰ってこない。何を言ってもはぐらかされる。何か言ったら意見を言われる。
ということで、子どもの面倒が見れないうつ状態になってしまいました
3人目の世話はしないとまで言われました
2人目の時も育休を取ったので、3人目も取って育てました
幼稚園の子が雨の日はバス停まで送り迎えできないと言われ、いろんな保育園に掛け合って、途中入園等を繰り返して、家に一人でいる時間を作りました
ただ、どこまでやっても、元に戻る兆候はありませんでした。とにかく、毎日、私の悪い所を探して言う、何にもなかったら、過去にさかのぼって、あの時助けてくれなかったと責め続ける日常が続いていました
人生の転機
普通これくらいの状況になったら、もう元に戻らないと思いますよね
ただ、元に戻す方法があるんです。というか、昔からあったんですが、私が知らなかったのと、無くても困っていなかったからなんですね
どうして、この元に戻す方法を知ることができたのかというと、3人目が生まれた後の待遇の違いが原因だったんです
2人目が生まれた時も育休を取ったのですが、仕事内容に関わらず、給与が維持される方針を取って頂きました
育休後といえど、急に仕事復帰は難しく、また、早く帰ることも多かったですが、そこも加味しての評価をして頂きました
育児にお金がかかるのはもはや常識で、家事・育児をやった結果、仕事が低下することは当たり前だと思いますが、3人目の時は、顕著に仕事内容から給与から大きく下げられました
データ入力とかの単純作業にさせられ、その結果、同一賃金同一労働の観点から、給与が下がりました
まあ、固定費削減のチャンスが転がっていたのを拾うか拾わないかという選択だったのだと思います
ただ、こんなことをされて黙っているはずもなく、また、家族のこともあって、メンタルを勉強することとしました
コミュニケーションの本質とは?
メンターからメンタルについて学んでいくうちに、メンタルに大きく関与するコミュニケーションについて正しい知識を得ることができたんですね
アインシュタインの名言「人間は生まれた時から孤独である」というのは、孤独であることを認識して、コミュニケーションを取らないと、それはただの自己満足に終わってしまうよ、という話でした
人は孤独なんだから、どんなに人を敵対視していても、その根底は孤独だからということを理解することができるようになったんです
周囲に当たり散らしている人も、その表現方法がわからないだけで「孤独だ。助けて。」と言っているに過ぎないということを知ってから、対処する方法がわかるようになりました
実際に、家族関係も最悪な時期からは脱却して、孤独にならないように専業主婦からパートに出てもらって、改善しています
今は、これを安定化するためにコミュニケーションを活用しています
この学んだ情報を活用するために、メンタルトレーナーを始めました。実際にクライアント様からメンタル不全の原因を聞いて、掘り下げていくと、私と同じようにパートナーとの関係が悪いことが土台にあることがわかりました
というのも、仕事でストレスが溜まっているのに、さらに家に帰ってもストレスを受ける、ストレスの逃げ場が無くなって、風船が膨らみきって、割れる寸前・割れてしまったという状態で、私のとこにくるといった状態であることに気づきました
ちょっとでもよくなるなら、なんとかしたいな
私の行動原理です
別に熱意を持って、あなたを変えてやると意気込んでいるわけでもありません
ただ、あなたが夫婦仲に問題を抱えているのであれば、変化するきっかけを与えることは可能だと思っています
というのも、自分自身が経験したこともそうですが、クライアント様も治っていったという自信があるからです
ただ私が教えることは、テクニックではありません。本質です
とにかく、パートナーの話を聞いて、相槌を打っていれば大丈夫です
なんて、テクニックの話ではなく、あなたがパートナーに対してコミュニケーションするために何が必要で、それができているかという���とを伝えていきます
なので、即効性はないです。正直言って、即効性があって、かつ、本質原因を取り除くなんてことは、夢物語ですので、今すぐ諦めましょう
では、どれくらいやればいいのか、あなたがどれくらい生きてきたかわかりませんが、90日。これだけの時間があれば、人は変わることができます
今巷で話題になっているChatGPTですが、ChatGPTはテキストベースで5000文字程度のバックグラウンドを理解した上で運用しています。
要は、5000文字分の人生観を詰め込んで、話を作ることができるということです。そして、その文字数は使っていくと変化していくという特徴を持っているものなんです
では、人間はというと文字数が多いだけで同じ仕組みを利用しているんです。年齢によって体感時間が異なるのは、この文字容量が増えていくことに起因していると考えられています。
ただ、過去がいい思い出に変わっていくのは、この影響が大きいと思っていて、いかに人間が優れていても、このあなたの人格を作っている文字は常に書き変わっているんですね
この書き変わる速度は個人差がありますが、大体90日にと言われています。なので、あなたも90日で変化することができるはずなんです
ちょっとでも夫婦仲を良くしたい、自分が変わりたいと思ったり、なんかどうしたらいいかわからない、聞いて欲しいという方はコメント頂ければ幸いです
それではここまで読んで頂きありがとうございました
そして、今だけ私のやっている夫婦仲改善セミナーの詳しい説明などを含めて、豪華5大プレゼントをしています
有料で販売しても恥ずかしくない内容にしていますので、ぜひ確認してみてください。
2 notes
·
View notes
品質偽装が明らかになったことにより、自動車メーカーが販売停止や操業停止をすることのニュースにはインパクトがありますが、そのために納入停止や操業停止しているサプライヤーの困窮を合わせて報道しなければ、この問題の深刻さを正確に伝えられているとはいえません。
数多くのサプライヤーの情報を正確につかんでいるトヨタ自動車に取材をして、停止による影響の全容を明らかにすることは、メディアの大事な役目だと思います。
トヨタ、4工場6ラインの稼働停止を継続 豊田織機の不正で(ロイター)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
6 notes
·
View notes
TEDにて
テイラー•ウィルソン:僕のラジカルな計画 ― 小型核分裂炉で世界を変える!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
テイラー・ウィルソンが、自宅ガレージで核融合炉を作ったのは14歳のとき。そして、19歳となった今、彼は、再びTEDのステージに立ち、既存技術である「核分裂反応」の新たな活用法を提示します。
ウィルソンは、支援を取り付けて起業し、彼のビジョン実現に向けて最新の原子力発電の実現に動いています。なぜ?小型のモジュール式核分裂炉を製作する革新的な計画に燃えているのか?
そして、なぜ?それが世界のエネルギー危機を救う大きな一歩となりうるのか、語ります。
もう一度言います!
これは、現在、最新式である第4世代原子力発電の仕組みです。
核分裂反応は、適切なレベルで制御、維持されています。核分裂反応によって、水が熱され水が蒸気に変わり、蒸気がタービンを回すことで電気を得られるのです。
100年も前から、この方法。蒸気タービン発電で電力を作ってきました。
原子力は、水を熱する方法を大きく進化させはしましたが、水を熱して蒸気に変え、それでタービンを回すところは同じです。
そこで思ったのです。これが一番いいやり方なのか?
核分裂は、枯れた技術になったのか?それとも、まだ何か革新できることが残っているのか?そこで、僕は世界を変える大きな可能性があることを思いつきました。
これです。小型モジュール式原子炉です。
あちらの図に示したような原子炉ほど大きくありません。でも、50~100メガワットという大きな電力を作れます。これは、そう平均的な家庭で2万5千から10万世帯分の電力です。
この原子炉が、魅力的なのは工場で作れることです。これら、モジュール式原子炉は、基本的に組立ラインで作れ、世界中。どこへでも運べ、設置さえすれば発電ができます。
ちょうど、この部分が原子炉でここが重要なのですが、地下に埋められています。
テロ対策に通じている人なら地下に埋めることが、どれだけ核拡散防止や警備の上で素晴らしいことか言うまでもないでしょう。
さて、さきほど電力は全て。まあ、太陽光発電を除けば、蒸気を熱してタービンを回すことで作られると言いました。
実は、これはそれほど効率はよくないんです。図のような原子力発電でも大体30~35%の効率なんです。
この数字は、炉が出力する熱エネルギーと実際に発電できる電力の割合で熱効率が悪いのは、これらの炉が低温で稼働しているからです。炉の温度は、せいぜい摂氏200~300度くらい��んです。
でも、新しい炉は、摂氏600~700度で稼働します。温度を高くすれば、より高い熱効率を得られます。
そして、この炉は水を使わず、超臨界のCO2やヘリウムといった気体を使いそれでタービンを回すのです。
これは、ブレイトンサイクルと言います。
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率になります。素晴らしいと思うのは炉心がかなりコンパクトなことです。
融解塩炉は、もともと小さなものですが、さらにすごいのは、核分裂させたウランからより多くの電気を生み出せることです。
おまけに燃焼してなくなるこの燃焼度はかなり高いです。同じ量の燃料でもこの炉ならより多くの割合が使えるのです。
新しい原子炉は、燃料補給なしで30年も稼働できる。これは、僕は本当に素晴らしいことだと思うんです。密封されたシステムということですから。
燃料を補給しなくて良いので密封できます。
核拡散の危険もなく、炉心から核物質や放射性物質が、外に漏れることもないのです。
安全の問題に戻りましょう。東日本大震災原子炉事故のあと、誰もが原子力の安全性見直しを迫られました。
僕が、原子炉を設計するときに考えたことの一つは、そのままでも本質的に安全であることでしたから。
僕が、この原子炉に大いに期待しているのは、主に二つの理由からです。
まず、高圧下で稼働しないこと。加圧水型炉。沸騰水型原子炉といったこれまでの原子炉は、非常に高温の水を高圧下で使います。
すなわち、事故が起こったとき。もし、ステンレス鋼圧力容器が破損したら、冷却剤が炉心から流れ出すのです。
新しい原子炉は、ほぼ大気圧で稼働しますから、事故のときにも核分裂の生成物が炉の外に出ることはありません。
さらに、高温で稼働し、燃料も融解されているのでメルト・ダウンも起こりません。
原子炉が許容範囲を超えたり、東日本大震災原子炉事故のように電力供給が断たれたりしたときは排出タンクがあります。
燃料は液体で冷却剤と一緒になっているので、炉心を流し出して臨界以下の条件に落とせます。基本的には反応炉の下にある中性子吸収剤の入ったタンクに落とすのです。
これは本当に重要なことです。核反応を止められるのですから古いタイプの原子炉ではそれができないのです。
さっき言った通り、燃料はジルコニウム燃料棒内のセラミックでこの原子炉で事故が起こったとき、その前のスリー・マイル島の事故では解明するまでに時間がかかりましたが
燃料棒のジルコニウム被覆は、高圧の水や蒸気に酸化環境でさらされたとき水素を発生します。水素は���発する可能性があり、核分裂の生成物を放出することになります。
新しい原子炉の炉心には、圧力は加わっていないので化学的な反応は起こらず、中の核分裂の生成物が炉の外に出ることもないのです。事故が起こったとしてもまあ原子炉はダメになるかもしれない。
それは、電力会社には気の毒だけど、でも、多くの土地を汚染することはないんです!
また、安全性を確立した後、この小型原子炉をロケットに積めば、50~100メガワットの電力を供給できるわけですから。
これは、ロケット設計者の夢。他の異星への移住も夢じゃない。
50~100メガワットの電力で行きたいところに行けるだけでなく、着いてからも 電力があるのです。ロケット、人工衛星の設計にソーラーパネルや燃料電池を使えば、数ワット、数キロワットが出せます。
それは、たくさんの電力です。でも、ここで話しているのは100メガワット。すごい電力ですよ。火星の街に電力供給できるし、高いレベルの安全性が必要ですが、そこのロケット、人工衛星にも供給できます。
原子力を使って、他の星に飛んでいくのは、これは、とても詩的なところがあると思うんです。銀河の星々は、巨大な融合炉として燃焼している結果、地球に光が届くのですから。つまり、空に浮かぶ巨大な原子炉です。
今日、お話ししている僕のエネルギー源も元々は核反応から由来して、食物の化学エネルギーに変換されたもの。ですから、核分裂の技術を極め、将来の革新的エネルギー源とすることはやっぱり詩的なんだと思います。
参考までに、平和利用のために考案された原子力発電は以下の種類に分けられます。
他にもあるけど省略します。
1)沸騰水型軽水炉 (Boiling Water Reactorで略してBWRとも呼ばれる)
核燃料の液体が入った圧力容器内で水を沸騰させ、核燃料の液体とともに直接!外部の!タービンに送って発電機を回す原子炉。
なお、福島第一原発もこのタイプです。そして、第1世代 ( GEN-I ) -1950年代から1960年代前半に運転を開始した初期の原型炉。危険性が確率的に高いタイプ。第2世代 (GEN-II)もここらへん。
2)加圧水型軽水炉 (Pressurized Water Reactorで略してPWRとも呼ばれる)
圧力容器内で加熱される核燃料の液体が内部で循環して、タービンに送られる水と完全分離している原子炉。
こちらは、第3世代 ( GEN-III ) - 1990年代後半から2010年代頃に運転開始した原子炉で、第2世代の改良型として開発された原子炉。西日本で主に使用されているタイプ。
これを小型化したタイプが第4世代 (GEN-IV)といわれるもので過去の障害を克服している天然ガス火力発電とも競合できる高い熱効率、高度な安全性、放射性廃棄物の負担の最小化及び高度な核拡散抵抗性などの特徴をもつ革新的原子炉です。
東日本の原子力発電は、ほとんどが第1世代 ( GEN-I )、第2世代 (GEN-II)というタイプです。(北海道以外)
(個人的なアイデア)
本当は、震災が起きる前に設備を小型化した第4世代へ大胆に更新すればよかったけど、もう、後始末、廃炉の時間の関係上、手遅れかもしれません。
実は、高度経済成長後のバブル経済への成長の達成は、当時は、最先端のイノベーションである原子力発電の建造も重要なターニングポイントの一つでした。
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
<おすすめサイト>
ジョン・フランソワ・バスタン:地球に1兆本多く木があったら?
アラン・セイボリー:砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
(原子力)
スチュワート・ブランドとマーク・Z・ヤコブソンが討論:原子力発電は必要か?
ジョー・ラシター:気候変動の解消に向けた原子力発電の必要性?
「フロート式原子力発電所」について
劣化ウランゼロへのイノベーション:ビル=ゲイツ、エネルギーについて語る
(再生可能エネルギー)
レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学
Solar Roadways(道路としても敷き詰めて活用できる太陽光発電パネル)
「考えるクルマ」が世界を変える―アーバン・モビリティの革命
Powerwall 2 & Solar Roof Launch - Teala Motors
デイビッド・マッケイ: 再生可能エネルギーの現実
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
量子コンピューターの基本素子である超電導磁束量子ビットについて2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
2 notes
·
View notes
本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率��悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
1 note
·
View note