Tumgik
#長島昭久
tomoya-jinguuji · 2 months
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日���」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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katuo1130 · 4 months
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蔡英文秘史 家史
先祖告誡我們——
瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。
蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。
據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。
濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。
據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。
明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。
蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。
蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號
蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。
行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。
此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。
乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。
臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。
乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。
三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。
林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。
嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
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kennak · 2 months
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森永ひ素ミルク中毒事件とは    昭和30年に森永乳業株式会社徳島工場製造の調製粉乳にひ素を含む有毒物質が混入したことに起因して、近畿、中国地方を中心に乳幼児に数多くのひ素中毒患者が発生した食中毒事件です。  昭和32年3月現在で、患者数は、約12,300人にのぼり、そのうち130名の方が亡くなられました(平成27年12月末現在の被害者数は、13,442人)。また、事件の影響で、現在でも数多くの方々が知的発達障害や身体障害など、支援を必要とする状態にあります。   被害者の方々への支援    昭和48年10月に発足した、厚生省(現厚生労働省)、被害者団体及び森永乳業株式会社による三者会談において、問題解決の方途の検討が始められ、昭和48年12月に合意(確認書)に達しました。  確認書には、国の責務として、被害者対策について、「森永ミルク中毒の子どもを守る会」(現森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会)が提唱する「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案」の実現のために積極的に援助し、確認書に基づき設置する救済対策委員会(現公益財団法人ひかり協会)が行政上の措置を依頼した時はこれに協力することが盛り込まれています。  また、昭和49年4月には、被害者の救済事業を実施する団体を設立すること、救済事業に要する費用は、森永乳業株式会社が負担することなどを骨子とする具体案が合意され、救済事業を実施する団体として、財団法人ひかり協会(現公益財団法人ひかり協会)が発足しました。  現在、被害者の方々に対する支援は、この確認書を基に、国、森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会、森永乳業株式会社及び公益財団法人ひかり協会の話し合いにより進められています。   確認書 [97KB]   行政協力      厚生労働省は、三者会談で合意された「確認書」に基づき、森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会及び公益財団法人ひかり協会からの要請に対して、様々な協力を行っています。 【通知】    (公財)ひかり協会による障害のある森永ひ素ミルク中毒被害者への適切なサービス提供に向けた取組に対する協力について(依頼)[416KB] (公財)ひかり協会が行う事業に対する協力について(依頼) [380KB] (公財)ひかり協会の行う施設入所等の取組に対する協力について(依頼) [74KB] (公財)ひかり協会による森永ひ素ミルク中毒被害者の介護サービスの利用等に関する相談への協力について(依頼) [69KB] 【事務連絡】(公財)ひかり協会による森永ひ素ミルク中毒被害者の施設入所等の取組に対する協力について(依頼) [66KB] ひかり協会が「自立奨励金」の見直しにより創設した「健康管理手当」の周知と同手当の生活保護制度における取扱いについて [198KB] 森永ひ素ミルク中毒被害者の住所不明者の情報提供について(依頼) [77KB]   公益財団法人ひかり協会が実施している救済事業について      被害者の救済と、その福祉の向上を図ること等を目的に、三者会談での合意に沿って、昭和49年4月に財団法人ひかり協会が設立されました。(現在は、公益財団法人に移行しています。)  ひかり協会では、被害者の健康管理や治療養護、生活保障、保護育成等の事業を行っています。   詳しい情報は公益財団法人ひかり協会へ 【パンフレット】            行政機関向けパンフレット [1,679KB]    関係機関向けパンフレット [6,285KB]     全国担当係長会議  令和5年度  令和4年度  令和3年度  令和2年度  令和元年度 平成30年度 平成29年度 平成28年度 平成27年度   裁判関係書類の遺失に関するご報告とお詫び      平成25年2月20日、厚生労働省職員が帰宅途中に、森永ひ素ミルク事件に関連する裁判の関係書類を東京メトロ丸の内線内で遺失する事案が生じま した。その中には、原告等の氏名・住所等の他、被害者1万3432名のうち、昭和54年に森永ひ素ミルク飲用者証明書を交付された455名の方の当時の氏 名と居住市町村(町名や番地は含まれておりません)が記載されたリストが含まれていました。  被害者やご家族の方々には、大変ご心配、ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。  事案の概要及びその後の対応については、 こちら [101KB]をご覧下さい。 ※ 遺失したリストは、昭和54年当時の氏名と居住市町村名のみが記載されており、現在の住所を特定できるものではないことなどから、直接ご迷惑がかかる可能 性は低いと考えておりますが、何か気になることが生じたり、あるいはご心配の点がある場合には、お手数をお掛けしますが、以下までご連絡をいただきますよ うお願い致します。 厚生労働省健康・生活衛生局 総務課指導係 電話:03(5253)1111 内線2492 ファックス:03(3502)3090
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/kenkoukiki/morinaga/index.html
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kyoto4 · 2 months
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『美女という災難  '08年版ベスト・エッセイ集 』日本エッセイスト・クラブ 編 (文藝春秋)
幅広く。
美女という災難(独裁者コレクション(鹿島茂);托骨(飯田章);「昭和」のにおい(清野恵美子) ほか)
「バス停巡礼」の愉しみ(旅する男女脳(黒川伊保子);九十センチの歴史(石田トミ);ダン爺の青春(やなせたかし) ほか)
妻への手紙を書きつづけて(世捨人(車谷長吉);自衛隊のアトム(梯久美子);還ってゆくところ(高田宏) ほか)
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lilinyu-22 · 4 months
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家史
先祖告誡我們—— 瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。 蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。 據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。 濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。 據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。 明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。 蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。 蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號 蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。 行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。 此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。 乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。 臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。 乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。 三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。 林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。 嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
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myonbl · 5 months
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2023年11月24日(金)
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毎月一回、手ぬぐいと足袋下のセットが届く<SOU・SOU>の頒布会、師走号が届いた。今月のテーマは<諸将旌旗図(しょしょうせいきず)>、旌旗とは<はた、のぼり、軍旗>という意味らしく、初めて聞いた言葉だ。毎度のことながら、何年にもわたってデザインを考えるデザイナーの苦労は素直に大変なことだと思う。この企画、もちろん来年も申し込むつもりだ。
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5時45分起床。
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朝食。
洗濯。
弁当*1。
珈琲が切れてしまった。
可燃ゴミ、30L*2。
ツレアイを職場まで送る。
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Change.org で署名とカンパ。
MQJの12月・1月のイベント告知をメールで配信する。
明日の名古屋行きの新幹線チケットをとる。
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今日のミッションは作業環境の一新、mac mini 用のスタンドを導入、テーブルまわりを片付ける。
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ランチ、3男には好きやねん、私は辛ラーメン。
軽く午睡。
資料整理と片付け、45L*1のゴミが出る。
五条花屋町のセブンイレブンで、12/24(土)の天満天神繁昌亭昼席のチケットを発券する。
夕飯の準備をしているところへツレアイ帰宅、3男と2人でココの点滴をする。
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みなで夕飯をいただいているところへココ登場、3男のイスを奪ってしまった。
BSで放送される<ゼロの焦点>を録画モードで観る。
BSプレミアム11月24日(金)午後7時30分〜9時42分  社会派ミステリーの巨匠松本清張の名作を広末涼子・中谷美紀・西島秀俊はじめ豪華キャストで映画化したサスペンス。昭和32年、禎子はお見合いで鵜原憲一と結婚するが、式のあとまもなく、憲一は仕事の引き継ぎで、金沢に向かい行方不明となってしまう。夫を捜して旅立った禎子は、憲一のかつての得意先で、社長夫人の室田佐知子と受付の田沼久子という2人の女性に出会う。時を同じくして不可解な連続殺人事件が発生する…。 【出演】 広末涼子、中谷美紀、木村多江、西島秀俊、杉本哲太、市毛良枝、鹿賀丈史 ほか 製作国:日本 製作年:2009年
腹ごなし町内ウォーキング。
片付け、入浴、体重は50g減。
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なんとか10,000歩クリア、夕飯後の散歩が効いている。
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notokra · 6 months
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MR.High Fashion vol.110 Pina Bausch ミスター・ハイファッション 2002年10月号 ピナ・バウシュ
目次 MR’S SPECIAL ミラノ発信のメンズモードと、ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 トム・フォードが提案する、モダンフォーマルの再来。 by GUCCI Rosemary=写真 ラフでダンディな、ニューカントリースタイル。 by DOLCE & GABBANA 平間至=写真 ジル・サンダー。ウォーターカラーのエレガンス。 by JIL SANDER 戎康友=写真 エンポリオ アルマーニ。クラシカルなワークテースト。 by EMPORIO ARMANI 宮原夢画=写真 長瀬智也。ロメオ・ジリ。クールレジスタンス。 by ROMEO GIGLI 筒井義昭=写真 山下智久、生田斗真。ジリ。コントラスト&レイアード。 by GIGLI 筒井義昭=写真 バーバリー プローサム。ニュークラシシズムのシルエット。by BURBERRY PRORSUM 桐島ローランド=写真 ラフでラグジュリー、ヴェルサーチのニュールック。 by VERSACE 三枝崎貴士=写真 クールでラグジュリーな存在感。 by NEIL BARRETT 石坂直樹=写真 アレッサンドロ デラクア。アクティブでセンシュアル。by ALESSANDRO DELL’ACQUA 守本勝英=写真 エンニョ カパサが提案する、ダウンタウンシック。by ENNIO CAPASA FOR COSTUME NATIONAL HOMME 笹口悦民=写真 ディーゼルスタイルラブ。アーバンなクールカジュアル。 by DIESELSTYLELAB 川口賢典=写真 キーン・エトロと、エトロが生み出される場所。 矢島みゆき=取材・文 アーネスト・レヴィ=写真 MIUCCIA PRADA ミウッチャ・プラダのクリエーション。 二つのベクトルの均衡。/プラダ社の歴史と運営。 矢島みゆき=取材・文 西島秀俊。プラダ。半沢 健=写真/プラダ スポーツ。ニッキー・ケラー=写真/ミュウ ミュウ。半沢 健=写真 イタリア発信の革のツール。靴と鞄。 ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 堀本洋一、畑口和功、牧田良輔、アーネスト・レヴィ=写真 ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナ/ジョルジオ・アルマーニ/ドナテッラ・ヴェルサーチ、エンニョ・カパサ、ニール・バレット、ガブリエレ・ストレーレ、ミラン・ヴクミローヴィック、アントニオ・マラス、コンスエロ・カスティリオーニ、ロメオ・ジリ、ルカ・ミッソーニ、スコット・フェローズ、アレッサンドロ・デラクア、クリストファー・ベイリー、トーマス・マイヤー
FASHION PINA BAUSCH + YOHJI YAMAMOTO : Fusion Between the Two 同質のアビリティ。ピナ・バウシュが着るヨウジヤマモトのポートレート。松本康男=写真 イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ、ボヘミアンエレガンス。 半沢健=写真 ラージサイズでテンダーな6人のスタイル。 田中知之/長瀬哲朗/パラダイス山元/梶原由景/ジョン・ストーリー/三宅勝士 宮原夢画=写真 ポール・スミス氏と愛車ブリストルから始まる、クラシック&ストレンジワールド。 by PAUL SMITH COLLECTION アンソニー・クローラ、三枝崎貴士=写真 ヴィヴィアン・ウエストウッド マン、ワーキングクラスからの発想。 by VIVIENNE WESTWOOD MAN 守本勝英=写真 マーガレット・ハウエル。 クラシシズム&モダニティ。 by MARGARET HOWELL 筒井義昭=写真 クールで優しい、ステファン・シュナイダーというスタイル。 by STEPHAN SCHNEIDER 富岡春子=写真 進化するブリティッシュブランド、ダックス E1。 by DAKS E1 筒井義昭=写真 時を超越するSOのスタイル。 by SO BY ALEXANDER VAN SLOBBE 平郡政宏=写真 バーバリー・ブラックレーベル、ロックスターのように。 by BURBERRY BLACK LABEL 秦 淳司=写真 サンディー・ダラルがディレクションする、ICB menのアーバンエスニック。 by ICB men Rosemary=写真 ブライトンの自然と共生する、ポール・ハーンデンのクリエーションと暮し。 富岡秀次=写真 正岡雅子=取材・文 真木蔵人。ドレスダウンクロージング。 by RADMESS MEN’S BIGI 富永よしえ=写真 伊藤英明×オークリー。シャツとデニムパンツの、イージー&クールなスタイル。 by OAKLEY 三枝崎貴士=写真 A.A.R。ハードボイルドでクール。 by A.A.R 平郡政宏=写真 クールなインパクト。カスタム カルチャーのレザー。 by CUSTOM CULTURE 赤羽圭介=写真 東京発信のウォームスタイル。 川口賢典=写真 コンテンポラリーダンディズム。 富永よしえ=写真 DEPARTMENTS コム デ ギャルソンのラージサイズなコロン。 ニューショップ。ブリオーニ/コーチ/ラグビー ノース アメリカ/ フィラスポート・ライフストア/アディダス SOのオランダ通信。 Vol.13 パリのカルティエ現代美術館で再会した、村上隆と滝沢直己。 ミタ リツコ、森本美絵=写真 ビジュアルのコラム集。 ゴールドジュエリーの生産地、イタリア・ヴィチェンツァで開催された国際展示会。 11 トピックス。 PEOPLE 宇川直宏。34年分の記憶を押し込んだ、脳のような空間。 久家靖秀=写真 東谷隆司=取材・文 小林紀晴。幼いころから変わらぬ、アジアへの関心。 かばんの中身。一之瀬弘法。 男のカーライフ。ROLLY。 スーパースタイリストのリアルライフ。 祐真朋樹=写真・文 クレール・ドゥニが描いた、二人の怪物の物語。樋口泰人=文 伊東四朗。男の覚え書き。 沖山純久=文 松本康男=写真 小村和久(5351プール・オム)/リード・クラッコフ(コーチ)/リック・オウエンス ESSAY 犬の肖像。中川十内=写真 沖山純久=文 ハラショー・ボーイ。島田雅彦=文 記憶の中のカンヌ映画祭。秦早穂子=文 COLUMN COMING NOW カフェ・イン・水戸/BOOK 稲川方人=文/BOOK 佐伯誠=文/MUSIC 北中正和=文/CINEMA 樋口泰人=文/ART 椹木野衣=文/THEATER 渡辺美和子=文/NEWS 鳥越俊太郎=文 ETCETERAS INFORMATION/NEXT ISSUE/BACK ISSUES/PRESENTS/NEWS
編集長:田口淑子
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shirasuphoto · 1 year
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#あの保存車両を撮る No.1~No.19
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No.1
大宮・鉄道博物館 EF58形61号機
目覚めた特別な1台を狙うなら,冬場の閉館間際?
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No.2
京王れーるランド 京王6000系6438号車
早く会いたい,こだわりの通勤電車
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No.3
電車とバスの博物館 東急デハ200形204号
かわいらしいアイドルは,今やキーパーソン
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No.4
逗子・第一運動公園 京急600形デハ601
保存会あっての,昭和レトロな花見
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No.5
京急ミュージアム 京急230形デハ236号
学びの場で出会った,心を動かす写真
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No.6
相鉄・かしわ台車両センター 相鉄6000系モハ6021
赤い相鉄からはじまった,新型車両と同じアルミ車両
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No.7
ロマンスカーミュージアム 小田急3000形・小田急3100形・小田急7000形
贅沢な並びを,たまには違った眺め方で
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No.8
豊島区・千早フラワー公園 都営地下鉄12-000形(試作車)
似てない兄は,幻のゆめもぐら?
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No.9
大宮・鉄道博物館 0系21-2号
振り返る3年前,入りたかったあの頃
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No.10
青梅鉄道公園 0系22-75号
現役より長い,緑に囲まれたセカンドライフ
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No.11
くめがわ電車図書館 西武101系1150号車 
 子どもに戻っても,振る舞いは大人ぶる
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No.12
青梅鉄道公園 8620形蒸気機関車蒸気機関車8620号機
どうする,SLだらけの公園
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No.13
京王れーるランド 京王6000系6438号車
まだ喜べない,これからがあるよね?
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No.14
横浜市電保存館 横浜市電1600形1601号車
港町らしい路面電車は,あまり人気がない?
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No.15
京急・久里浜工場 京急1500形1501編成,1517編成
安心なときほど,根拠がないもの
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No.16
鎌倉海浜公園由比ガ浜地区 江ノ電100形107号車
本当のレトロな江ノ電は,今も江ノ電らしく
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No.17
地下鉄博物館 営団地下鉄300形301号車
その美しさは,ホンモノを越えられない
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No.18
CAFE107 箱根登山鉄道モハ1形107号車
大事に扱われている車両で,飲んでおくべきだった
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No.19
横浜市電保存館 横浜市電1000形1007号車
あの頃と違うけど,あの頃のような景色が見たかった
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アーカイブ
No.20~24
八景シリーズ No.420~439
八景シリーズ No.440~
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psalm80-lilies-iii · 1 year
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戦艦大和、あるいは皇国のアイコン
呉の「大和ミュージアム」に行った。
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3時間以上見学しながら、「日本はなぜ戦争したのかなあ」と改めて考えた。「蒋介石を必要以上に追いつめたことがアメリカの対日参戦を招いた」、この説明で納得しない人もいるだろうけれど、せめて満州だけでやめておけばその後の大惨禍はなかったろうと思う。では、どうして日本はそこまで蒋介石を追いつめることに熱心になってしまったのか。
むかし読みっぱなしにした本を改めてちゃんと読もうという気になり、呉に行く前日から、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読み始めた。読み切れないまま呉に行き、帰宅してから残りを読んだ。そこには、盧溝橋事件を受けて近衛首相が派兵を決定したことについてこうある。
近衛首相は強い態度に出ることによって、事態を日本に有利なかたちですばやく解決できると判断したのである。そこには、明治維新の成功でうぬぼれた日本が陥った中国蔑視を背景として、第一次世界大戦の参戦や対華二十一カ条要求問題あたりから現れはじめた、機会便乗主義とでもいうべき軽薄な日本の外交体質があった。
(第4章 苦悩の「聖断」)
日本がアメリカと戦争をしたのは蒋介石を追いつめたからで、日本が蒋介石を追いつめたのは「うぬぼれ」だったのだとこの本は書いている。列強の国内で世界大戦をものともしないナショナリズムの嵐が吹き荒れていたのは当時日本に限った話ではなかったと思うけれど、ナショナリズムというのはつきつめて言えば「うぬぼれ」なのかもしれない。古川先生はこの本の別な箇所でこの「うぬぼれ」についてこう描いている。
日本は世界のどの国よりも昔から天皇が統治する国として安定して存続してきたとされたため、日本の人々に過剰に自国の卓越性を意識させてしまった結果、周辺地域の人々への蔑視が強まって不必要な対外的緊張を招いた。
(おわりに)
ここに書いてあることはおそらくふたつである。ひとつは、外圧が少なく内政も急変せず皇室が安泰でいられた日本の人々が「そらみつやまとのくにはすめがみのいつくしきくに」と思っていたことそれ自体は、日本が「秋津洲」の国にとどまっている限り、別に虚妄ではなかったということ、もうひとつは、ふつう「植民地政策」というときたとえば「三角貿易」みたいに何か経営戦略があるものだけれど、日本の場合中国はもとより満州も朝鮮も確たる経営戦略はなかったということである。「過剰な」自国意識が「不必要な」対外緊張を招いた。いやいや、帝国主義世界はそれが瓦解するまで緊張を生み続けたはずだ、という批判もあるけれど、少なくともいま引いた本で古川先生は、昭和天皇の徳治主義と協調外交それ自体が帝国主義の世界にあってそもそもたわごとに過ぎなかったのだ、という書き方はしていない。それは、あり得た道なのだ。
だがそうはならなかった。昭和の陸海軍と国内世論は昭和天皇の協調外交に応じなかった(「ことの発端は昭和天皇の推進したロンドン軍縮条約に海軍が反発したことに始まる」とこの本は書いている)。ナショナリズム、つきつめれば「うぬぼれ」。日本は「神州」あるいは「皇国」であるという「うぬぼれ」。国民国家にナショナリズムがあるのは自然なことだろうとぼくはいまでも思うが、アメリカに対日参戦を決意させるほど蒋介石を追いつめたことはやっぱり非合理な行動で、それを支えた「うぬぼれ」はやはり常軌を逸していたとしか言いようがない。
昭和天皇自身はその「うぬぼれ」には与しなかった、と古川先生は書いている(異論もあろうけれど)。だが戦争が終わったとき、昭和天皇は「神州」の現人神、「皇国」の皇統として、その「うぬぼれ」の代償を背負うことになった。国民の中でも、昭和天皇を戦前から知っている人以外は、あえて「尊敬する」とは言わなかったという。木戸幸一は「皇室が戦争責任を取らないのは将来に禍根となる」と言ったそうだが、率直に言えば、ぼくも昭和天皇が在位し続けることに「割り切れぬ空気を感じる」という意見には共感してきた。
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「大和ミュージアム」では、日本海軍の歴史・呉海軍工廠の歴史・戦艦「大和」の歴史・太平洋戦争の歴史・呉海軍工廠と戦艦「大和」を通して培われた技術の歴史が重層的に物語られている。そこでは多くの人々が何かを作り上げていった一方、戦争という現実の中で多くの人々が命を落としても行った。
そこに生きて死んだすべての人々がひとりひとり個人的に「うぬぼれ」に浮かれていたとはとても言えない。だが、少なくとも日清戦争の始まりから太平洋戦争の終わりまで日本を支配したものが「うぬぼれ」だったとしか言いようがないのであれば、そこで起こったすべてのことは、それぞれの人々の確かな歩みであったと同時に、「神州」あるいは「皇国」の「うぬぼれ」の体現でもあったと言わざるを得ない。少なくとも海軍と海軍工廠に生きた人々は、そういうダブルミーニングを背負うことになった。
そして、そこで生まれた戦艦「大和」こそ、そのダブルミーニングの産物として、「神州」あるいは「皇国」という「うぬぼれ」のアイコン(まさに「体現」)そのものにほかならない。それは、あの日本海海戦を制した日本海軍がその威信をかけて築き上げた技術の結晶であると同時に、物量にまさるアメリカ海軍を少数精鋭で制することができるという、残念ながら「うぬぼれ」に過ぎなかった思想の産物でもあった。
戦時中に身命を賭して追い求めていたものが戦後になって虚像だと気づく、それは「嘘」のせいなのか「欲」のせいなのか「狂気」のせいなのか、ひとはいろんなことを考える。先に引いた『昭和天皇』の中でも、古川先生は「なぜ国内世論が協調外交に応じなかったのか、その理由についてはまだ定説はない」と書いておられるが、先生自身が使っておられることばは、定説のないことをできるだけ術語を避けて記述しようとしたためだろうけれど、「うぬぼれ」というものだった。
「そうか、戦艦大和が体現したものは当時の日本人の『うぬぼれ』だったのか」というのは、衝撃的だけれど事実なのである。大和と武蔵、2隻だけで(いや、戦艦そのものは長門陸奥扶桑山城伊勢日向金剛榛名比叡霧島入れて12隻あったけれど)、太平洋を制することができると考えたのは「うぬぼれ」だったと言われたら、それはそうなのかもしれないと思う。
「大和ミュージアム」の中央に展示されている1/10「大和」には、その威容とは裏腹に、「うぬぼれ」という言葉をはね返すことのできないむなしさ、「世界一の戦艦がまともな海戦で自らの世界一を証明する機会を持たないままただ艦上攻撃機の餌食となって沈んでいった」というむなしさが、ただよっている。「戦争はいけない」「平和は尊い」というのは、兵器として作られた「大和」の全否定であると思う。国家には戦争をあえてしなければいけない日があるのだ。たとえば日本海海戦はむなしくはなかったのである。それは、日本海海戦は勝って太平洋戦争は負けたからだろうか。そういう理解もあると思うが、実は勝ち戦だった日清・日露戦争こそ、その後の日本にとって「うぬぼれ」を生む罠となったのである。
「うぬぼれ」。ここに生きて死んだ人たちのすべてをそのことばで片づけることにはものすごい抵抗があるけれど、でも「大和がうぬぼれでなければ何がうぬぼれだったんだ」とも思う。現にここに世界一の戦艦があったということを、そしてそれがいま「海の墓標」として東シナ海の海底に横たわっているということを、ぼくたちは正視するしかないのである。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか
(吉田満『戦艦大和の最期』より「作戦発動」、哨戒長臼淵大尉の言葉)
日本は「何から」目覚めるべきだったのか。「うぬぼれ」という言葉の仮借ない残酷さを、「大和ミュージアム」で見たすべてを思い出しながら、いま改めてかみ��める。
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ものすごく情報量の多い博物館なので、今回は「大和ミュージアムNavi」というスマホアプリを使い、竹達彩奈さんのナレーションを聴きながらそこで紹介される資料を拾い見するという方法を取った。竹達彩奈さんの声がこの博物館のテーマにふさわしいのか、来る前には疑問もあったけれど、壮大なバッドエンドに至る全20章のナレーションを聴きながら、これがもし広瀬修子さんや森田美由紀さんみたいな声だったら、聴いていて気が滅入ってしまうだろうと思った。
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zxingxing-33 · 4 months
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家史
先祖告誡我們—— 瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。 蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。 據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。 濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。 據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。 明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。 蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。 蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號 蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。 行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。 此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。 乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。 臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖��人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。 乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。 三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。 林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。 嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(88)
『強靭な国家』を造る(25)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その15)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「ソフト・パワー」の役割
前回の続きです。前回提示した方程式からわかりま
すように、私は、これまでの「国力」の定義に倣い、
「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」を“足し
算”ではなく、“掛け算”で掛け合わせて定義しま
した。実は、これがミソでして、“掛け算”ですか
ら、ハードかソフト、どちらかのパワーがゼロにな
ると「国力」はゼロになってしまうことを意味しま
す。
国家である以上、「ハード・パワー」を構成する諸
要素がゼロになる可能性はまずないでしょうが、仮
に、国際社会との比較において「経済力」や「軍事
力」や「科学技術」などがある程度のランクに位置
づけられても、「国家戦略」とか「国家意思」など
の「ソフト・パワー」がなきに等しければ、“「国
力」はゼロになる”、あるいは“ゼロと見なされ
る”ということを意味するのです。
戦後の高度成長期に、「経済力」が世界第2位にま
で上り詰めて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と
称賛され、そのことが日本のアイデンティティのよ
うになっている時代がありましたが、国際社会に影
響を及ぼす「国力」という観点で立てば、特段の役
割を果たすことはできなかったと言わざるを得ない
でしょう。
その典型的な例が、湾岸戦争の際に多国籍軍に13
5億ドル(約1兆7500億円)もの巨額の財政支
援を実施しながらも、国際社会から何ら評価されず、
「小切手外交」と批判さえ受けたことでした。
その原因は、「経済力」を主にする「ハード・パワ
ー」を活かそうとする「ソフト・パワー」について
は、終戦直後の「吉田ドクトリン」からいささかも
脱皮できないまま、「国家戦略」はなきに等しく、
「国家意思」も内向きのままだったことにあると考
えます。
言葉を代えれば、“憲法上の制約”を逆用して、そ
の範囲に留まるしか選択肢がなかったのでした。そ
の意味ではありがたい憲法なのですが、憲法前文で
いう「名誉ある地位を占めたい」を実現するため、
憲法自体がその障壁になったと言えなくもないので
す。
戦後からかなり時間が経ち、「時代が変わっている」
ことを認識しながらも、「国のあり様」などについ
て議論することなくそのまま放置した結果でした。
我が国は、その後、慌てて憲法の枠内で「国際平和
協力法」を制定し、自衛隊を(海外派兵ではなく)
海外派遣しました(これに関しては、個人的にも言
いたいことが山ほどありますが、省略しましょう)。
国を挙げての「国家戦略」のようなものがなかった
弊害は他にもあるでしょう。高度成長期の日米貿易
摩擦などについてはほとんど反論できないまま、ア
メリカからも“いいように”叩かれましたし、その
後の「グローバリズム」についても受容することを
余儀なくされ、我が国が弱体化するきっかけにもな
ってしまいました。こうして、GDPは中国に抜か
れて第3位に転落しました。
さて、もっと歴史をさかのぼれば、「日露戦争」の
勝利を得て、1等国に仲間入りをした後の日本も同
様だったと考えます。「帝国国防方針」のようなも
のは策定しましたが、国を挙げての「国家戦略」、
つまり、国家意思として“日英同盟のもと、一等国
となった我が国の向かうべき方向”を明確に統一で
きませんでした。
大正時代になって、明治維新以降、“ジェネラリス
ト”として重要な役割を果していた元老たちが次々
に他界してしまいました。これらもあって、特に台
頭するアメリカの本質や野心を見抜くことができな
いまま、第1次世界大戦においては“その場しの
ぎ”の対応に終始し、大戦後、連合国の仲間入りは
したものの、世界恐慌などもあってやがて大東亜戦
争に至る「国の舵取り」をせざるを得ませんでした。
私は、近代史を学んだ結果として、大正時代に「大
日本帝国憲法」の改正をはじめとする国の「統治制
度」を改善しなかったことが、「激動の昭和」の道
を歩まざるを得なかった最大の原因と考えています。
まとめれば、今後、過去の失敗を二度と繰り返さな
いため、つまり「歴史は繰り返す」にならないよう
に、「ソフト・パワー」の重要性をよく認識した上
で、国を挙げての「国家戦略」を創り上げ、「国家
意思」を明確にすることが必要不可欠であると思う
のです。
特に今は、「ハード・パワー」がいずれもほぼ下降
期にあることから、将来に向けた「国力」の維持、
可能ならば増強に向け、さらに将来の国際社会に対
して必要な役割を行使するための「国家戦略」や
「国家意思」を明らかにして、国家として“向かう
べき方向”を定めるのは喫緊の課題であると考えま
す。
話は変わりますが、パレスチナで再び大規模な軍事
衝突が発生しました。2千年来の宗教対立がそう簡
単に収まるはずがないと常日頃から予想はしていま
したが、それでなくとも「ウクライナ戦争」で喧騒
な国際社会がますます“混迷を深める”ことが懸念
されます。
その延長で、我が国が“対岸の火事”として眺め続
けることができるか否か、しばらくの間、パレスチ
ナの状況の推移のみならず、広く国際社会の動きま
で、目を凝らして注目する必要があるようです。次
回、触れることにしましょう。
▼「国家戦略」とは何か?
 
さて前置きはそのぐらいにして、「ソフト・パワー」
の中核たる「国家戦略」を取り上げましょう。まず
は“「国家戦略」とは何か?”ということです。私
も自衛官であったという職業柄、「○○戦略」と名
のついた書籍を読みこなした数は数え切れません。
また、「△△戦略」と名乗ってなくとも、たとえば
クラウゼヴィッツの『戦争論』とか『孫子』のよう
に、その実態は戦略論に近いものまでたくさん読み
こなしてきました。
しかし、そのほとんどは、「軍事戦略」とか「安全
保障戦略」などについて書かれたものが多く、これ
から取りあげようとする「国家戦略」そのものを取
り上げている書籍は意外に少ないし、あまり読む機
会もありませんでした。
それでは、「戦略」とは何か、から掘り下げていき
ますとその定義はなかなか難しいものがあります。
『現代戦略論』(高橋杉雄著、並木書房)(*)によれ
ば、大まかに合意できる形の定義として、「戦略と
は、『目的』『方法』『手段』の組み合わせを示す
もの」とし、「戦略を策定する」とは「終着点であ
る『目的』と、そこに至る道筋としての『方法』と
『手段』の双方を含んだ全体としてロードマップを
作り上げていくことである」としています。「戦略」
に含まれるさまざまな要素をはぎ取ったコアの部分
の定義として合点が行きます。
(*)『現代戦略論』(高橋杉雄著)
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次に「国家戦略」です。『日本の大戦略』(PHP
「日本グランド・ストラテジー」研究会著)(*)は、
「日本のグランド・ストラテジー(大戦略)」、つ
まり「国家戦略」そのものをテーマにした数少ない
書籍の一冊ですが、「国家戦略」を「当該国家の最
重要の目的を達成しようとする政策の体系」と定義
し、国家にとって最重要な目的とは、「安全と富」
ととらえています。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
この定義からすると、「国家安全保障戦略」のよう
なものは「安全」を重視した「国家戦略」であり、
「経済安全保障戦略」のようなものを「富」を重視
した「国家戦略」と解釈することができるでしょう。
なかには、船橋洋一著の『国民安全保障国家論』の
ように、「国家」というより「国民」を主体に「安
全保障論」を展開している書籍もあって、これはこ
れで興味をそそられます。
また、瀧本哲史著『戦略がすべて』(*)のように、
「戦略」をビジネス市場、教育現場、国家事業、芸
能界、ネット社会などあらゆる分野に適用できる
「ツール」として扱っている書籍もあり、このよう
な視点もよく理解できます。
(*)瀧本哲史著『戦略がすべて』
https://amzn.to/3tBbelU
さて、「国家戦略」の最重要な目的が「安全と富」
ととらえると、この両方をめざした我が国の「国家
戦略」は、(明治初期にはこの言葉自体もなかった
のですが)明治維新の「富国強兵」「殖産興業」を
スローガンとする“戦略的な取り組み”のみだった
ことがわかります。
本スローガンは、当時の西洋文明至上主義の中で、
我が国が植民地化されず、国際社会で競争できる国
家になることを目指したものであり、最初に提唱し
たのは、薩摩藩主・島津斉彬だったといわれます。
やがて、本取り組みは明治政府に引き継がれ、全国
的なスケールで実施されることになりました。
その後の「国家戦略」を振り返りますと、戦前の
「帝国国防方針」の類は、その名称からしても「軍
事」つまり「安全」に偏り過ぎましたし、戦後の
「吉田ドクトリン」は、「安全」をアメリカにほぼ
“丸投げ”しての「経済重視」、つまり「富」に偏
り過ぎたことは明らかです。
「国家戦略」は、国家のアイデンティティの表現で
もあり、それを決めていくものであるとあるともい
われます。何を国家の至上目的とするか、どのよう
な手段でそれを達成するかについては、その時代時
代の国家の性格を左右し、性格そのものを決定づけ
ていくものということもできるでしょう。
一方、国家の至上目的を「安全と富」と定義しても、
その「安全と富」を構成する要素はより複雑化し、
国内の諸事情のみならず、国際情勢や周辺国との関
係などによって、その時代時代によって重視すべき
要素も変わってくるのは必然です。
本メルマガでは「国力」増強に焦点を置き、「国力」
を構成する「ソフト・パワー」の要素をあぶりだし
ましたが、それらを子細に分析すると、「国力」の
維持または増強する究極的な目的は、「安全と富」
に集約できるとも言えるでしょう。
つまり、相互に関連している「ハード・パワー」の
各構成要素を総合的に分析し、バランスを取りつつ
優先順位を定め、今後の“向かうべき方向”を定め
ることが現在、求めら���ている「国家戦略」である
と考えます。
▼現時点の「国家戦略」をいかに創り上げるか
 
一般に“日本人は「戦略的思考」が苦手”と言われ
ます。その理由について、『日本戦略論』(鎌田徹
著)(*)は、島国、稲作民族、刀狩りの結果としての
軍事忌避などの「地政学・歴史的要因」、そして大
東亜戦争の封印、共産主義者からのブラフ、憲法に
よる軍事力の封印など「戦後特有の政治環境要因」
を挙げています。
(*)『日本戦略論』(鎌田徹著)
https://amzn.to/3QcTLt5
確かに、日本の場合、覇権国のアメリカとか、将来
目標として覇権国を目指している中国などとは違っ
た「国家戦略」にならざるを得ず、国際的な大局観
とか大胆さには制約がかかるでしょうが、その分、
覇権国にはない“緻密さ”とか、立つ位置や役割分
析などの“深掘り”も必要になってくるでしょう。
だからと言って、放置する理由にしてはいけないの
ですが、その策定自体がとても難しいことは間違い
なさそうです。
余談ですが、鎌田氏は元自衛官であり、私も現役時
代から今日まで交流があります。505ページに及
ぶ大作は、“戦略を知っている自衛官ならではの鋭
い戦略研究”として、「もっと評価されていい」と
いつも思っていました。
このように、我が国が“元々苦手な”「国家戦略」
をいかに創り上げるか、について子細に言及すると、
書籍にして1冊以上のボリュームになる可能性があ
りますので、本メルマガでは、“ストーリー建て”
して要点のみを取り上げてみたいと考えます。
幸い、『日本の大戦略』(*)という絶好の参考書があ
ります。本書は、5人の著名な学者・研究員によっ
て約4年間の研究を経て、2012年に発行された
ものです。その動機は、我が国が「失われた20年」
の最中、その上、東日本大大震災もあって衰退傾向
の中で、国際社会における“日本の存在感がかすみ
がち”なことを懸念し、「世界の中の日本」という
位置づけで、それも短期的な動向よりも長期的な視
点に立って、当時の安全保障はもちろん、財政、税
制、産業構造、福祉・雇用などまで“大きな絵を描
く必要がある”ということにあったようです。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
実によく分析・整理され、「国家戦略」を策定する
手法がほぼ余すところなく記載されていると考えま
す。このような良書が世に出されても、その後の政
界には、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」と
か「アベノミクス」のように部分的には本書の提案
主旨と同様の政策もありましたが、「国家戦略」そ
のものについては大上段にその必要性を訴え、国家
を挙げてその策定に取り組むとの試みはなされない
まま時が過ぎてしまいました。
この10年の間に、すでに紹介しました少子高齢化、
食料やエネルギー自給率の低下などがさらに進み、
当時は予想だにしなかった「ウクライナ戦争」など
も発生し、日本を取り巻く内外情勢ははるかに厳し
さを増している現状からすると、私などは、「10
年前に取り組んでおれば」との悔恨の念が沸いてき
ます。
しかし、このまま放置すると、後世に残す「資産」
すら失いかねないとの危機意識をもって、主に本書
を参考にしながら、“意を決して”、いかにして
「国家戦略」を創り上げていくかについてその手法
を考察してみたいと考えます。
一歩踏み出すと、途中で切ることが難しくなりそう
ですので、今回はここまでにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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ronpe0524 · 1 year
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やっぱり今年も花粉症、な3月(2023年3月の日記)
■2023/3/1 寝坊しちゃいましたよ、な水曜日ではじまる3月。娘は昨夜からお腹が痛いということで今日は学校を休むことに。何もなければ良いですが。たぶん花粉が大変なことになっている。昨日のうちに薬を手に入れておいて良かった良かった。お昼は丸亀製麺にて釜揚げ大とジャンボカニカマ天。毎月一日は釜揚げの日!ってことで釜揚げ半額。早めに行ったつもりだったけどけっこう並んでた。そしてそのけっこう並んだあとに釜揚げ食べない人はなんなんだろう。お金持ちなのかな。早めに会社を出て立川へ。シネマシティ(シネマツー)で『AKIRA 4Kリマスター』鑑賞。Disney+『マンダロリアン』S3E1を見る。ダンク・ファリック!やっぱぶっちぎりで面白い。もうアバンタイトルの戦いだけでわくわく。マンダロリアンのゲームがあって(もうあるかな?)レイドバトルをやったらこんな感じだろうか。そして話の展開も熱い。エンドロールもあのイラストと音楽で見てしまう。監督はリック・ファムイーワ。E1の監督としては意外な人選。と思ったけど今回のシーズンはジョン・ファヴローもデイブ・フィローニも演出するエピソードなし。監督として最多登板となるのがこのリック・ファムイーワ なんですね。S1とS2で彼が監督したエピソードではメイフェルドが出てきたので、このS3でも後半に登場するかもしれない。あと今回のシーズンではリー・アイザック・チョンや、『スパイダーバース』の監督のひとりであるピーター・ラムジーが監督するエピソードもあるとのこと。約2か月間、毎週楽しみです。シネマシティ(シネマワン)でもう1本、『少女は卒業しない』鑑賞。帰宅してclubhouseにてラフランスさんとLukeさんが雑談していたのでラジオのつもりで作業していたら、うどんの話になったのでつい上がってしまった。あぁ、本日のベタコが見終わらず。。
■2023/3/2 木曜日。娘は昨日1日休んでいたら元気になったっぽい。大事なくて良かった。お昼はCoCo壱にて、焙煎スパイスのチキンカレー。昨日のうちに観れなかったNetflix『ベター・コール・ソウル』S4E6を見終わる。仕事終わりで立川へ。やよい軒でとり天とだんご汁の定食を食べる。大分ではからしとポン酢で食べるらしいとり天、なかなかうまい。Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E7を見る。監督がデボラ・チョウ!画面分割&ダイジェストの見せ方すごい。シネマシティにて『BLUE GIANT』鑑賞。aスタ極音上映にて。後半ボロ泣き。映画終わり映画館を出たとこからMCTGM『アントマン&ワスプ:クアントマニア』回に遅刻参加。涙を拭きながら。参加しながら歩いたりモノレールに乗って帰るという器用なことをやる。帰宅してシャワーから出たら、杉田監督と安楽監督のスペースがやってたので聴く。面白かったので最後(26時)まで聴いてしまった。杉田監督のスペースはいつも口外禁止なので内容については何も書けない。
■2023/3/3 金曜日。通勤途中でApple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E6を見る。昼はマクドナルド。夕方、ぴあの先行抽選の発表。小林賢太郎は当選、シン・仮面ライダーは落選。仕事終わりで立川へ。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E3を見る。なんかピカード責められるかわいそうだな。あと「息子が現れて舞い上がるのもわかりますが」ってきびしいこと云うなライカー。松屋にて、カルビ焼肉定食。U20のAFCアジアカップの試合を前半だけ見る、DAZNで。シネマシティで『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』bスタ極音上映で観る。車を借りに実家に向かおうとしたのだが、なんと実家の最寄り駅にたどり着く終電にはもう間に合わないことが判明。マジかよ。調べたらバスが間に合うのでバスで向かう。バスに乗りながらイシヤマさんがはじめた『エブエブ』スペースを聴く。喋れなくてすいません。バスを降り実家で車を借りる。ここらへんからスペースにスピーカーで参加。車を自宅近くのパーキングにとめたところで車のウィンドウをトントンとたたかれた。なんかこわいなぁと思いながらウィンドウをおろす。酔っぱらっている男性で、最初何を云っているのかわからなかったが、どうやら「代行の人ですか?」と云っている。なるほど。僕が実家から借りてきた車が白いMOVEだったので、待ち合わせている代行の車と間違えたのだ。いや、僕ひとりだし。と酔っている人に云ってもムダだろう。すげー謝られた。という一連の流れをスペースで流してしまい申し訳ありませんでした。人は咄嗟にミュートできないもんですね。
■2023/3/4 土曜日。わー、完全に寝坊した。9時に家を出るのに8時に起きた。急いで娘に準備をさせ、僕も最低限の準備をする。なんとか間に合った。というわけで娘と車でMOVIX昭島へ。『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』観賞。公開して最初の土曜なので子供の観客多い。娘はクライマックスで泣いておりました。車で実家へ。午後はのんびり過ごす。DAZNで京都×FC東京戦を見る。うーん負けたか。京都、とても良いチームな感じがしました。くそー。夕飯までご馳走になり帰宅。両親はドイツ村に行ったらしくお土産をもらった。ラーメンズのコントを思い出す、ドイツ村。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E8同時視聴に参加。今回から同時視聴パートと感想パートの部屋を分けて、感想パートだけ後から聴ける設定にするという。なるほど意外と考えてますねラフランスさん。見てて面白い回でした。この作品って、感想パートで登場人物の心情や考えをあーでもないこーでもないとみんなで話すことが多いのですが、これって演出的にはっきりと描いて���ないから、というのがある気がします。演出がうまくないわけではなく、視聴者それぞれが考える余白がある。こういう作品を見るときに、それぞれが自分の経験や考え方と照らし合わせる。だからそれぞれの感想の違いが出てくる、ような気がします。
■2023/3/5 日曜日。今日は久々に映画を3本観れるぞ。というわけで気合いを入れて早起き。仕事に行くより早く家を出る。radikoを聴きながら立川へ。オールナイトニッポン55時間SPの余波がまだ続いていて、聴いてるラジオ番組がかなり遅れ進行。まだ先週のサンソンを聴いてるぐらいなので試聴期限ギリギリすぎる。シネマツーで『マジック・マイク ラストダンス』観賞。朝8:45の回だからさすがにお客さん少なかったけど、僕以外は女性のひとり客でしたね。スパゲティ PiaPia ウィンズ立川店にて、ミートソース(粉チーズ)+厚切りベーコン。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E7を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館『対峙』と『アラビアンナイト 三千年の願い』を観る。帰宅して夕飯はセブンイレブンのろかプレート。カレーフェアいろいろ食べたいけどなかなかチャンスがない。U-NEXT『イエローストーン』S1E1を見る。『ベター・コール・ソウル』の視聴スケジュールに余裕があるので見はじめてしまった。1話目長いぞ。配信にて「画餅」第二回公演『ホリディ』を見る。本当に配信に特化したコントライブって感じでカット割りが面白い。Netflix『雨を告げる漂流団地』を見る。
■2023/3/6 月曜日。朝食ウインナーを焼いててうっかり指を火傷したぞ。小雨ニモマケズ、朝からウォーキング。午後半休を取るので午前中に全力で働く。うまそうな韓国料理の写真がLINEで送られてきた。なんなんだ。昼で仕事を切り上げ。拝島駅近くのVINTAGE MEMORYにて、チーズナンセット。マトンとレンズ豆。食後は毎朝ウォーキングしているルートで帰宅。昼の鴨ウォッチングも良い。U-NEXT『THE LAST OF US』E8を見る。なんとアリ・アッバシ監督回。小学校へ行き、ひとつ書類をチェックしてサイン。これのための午後半休。U-NEXT『イエローストーン』S1E2を見る。「枕に刺繍しておかないと」って台詞、この前見た『ベター・コール・ソウル』にも出てきたな。アメリカの定番なんでしょうね。夕方から娘は塾へ。お疲れ様です。とゆうわけで僕はMOVIX昭島へ。『フェイブルマンズ』鑑賞。途中でお腹が痛くなってしまったが、これは一場面も見逃せない、という気持ちで我慢して観る。観終わってトイレにかけこんだ。たぶんお昼に食べたチーズナンなんだよなぁ。僕はある種のチーズを一定量を以上食べると腹をくだすことがあるんですよ。とくに映画観る前は気をつけないとな。帰宅してからWOWOWオンデマンド『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』を見る。『タイタニック』について語るスペースには作品を見直してないので参加できなかったけど、二次会的なclubhouseにだけちょっと参加。古畑クイズが面白かったですね。酢豚弁当食べたい。
■2023/3/7 火曜日。なんだかひじょーに忙しい。お昼は丸亀製麺にて、かけ並と子持ちししゃも天。本日から値上げの丸亀、しかたないですね。午後のMeetingで使う資料の作成がぎりぎり。忙しいといろいろがぎりぎりになりしんどい。僕モテメルマガの原稿送付も帰宅してからになってしまった。そして夜はラロッカさんとDiggin' Netflix収録。音源の編集をやる。雑談clubhouseでちょっと話す。最後は古畑クイズでした。
■2023/3/8 水曜日。ちょっと寝坊。昨夜編集したDiggin' U-NEXTを配信。配信できていない音源がたまってきてしまった。Disney+の『デアデビル』新作にパニッシャー(ジョン・バーンサル)出演の報道。それは嬉しいがどうやらカレンとフォギーは出ないらしい。マジかよ。とくにフォギー。。お昼はマクドナルドの瀬戸内レモンタルタルベーコンてりたま。僕はあまりてりたま好きじゃないのですが、これはレモンがいい感じ。東映シアターオンライン(YouTube)『ビューティ・ペア 真赤な青春』を見る。すごい映画があるもんですね。U-NEXT『イエローストーン』S1E3を見る。仕事終わりで立川へ。はなまるうどんにて、ごま坦々うどん(小)+細筍天、とり天。Disney+『マンダロリアン』S3E2を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『逆転のトライアングル』観賞。帰りにclubhouseでLukeさんたちが『マンダロリアン』感想回をやっていたので聴きながら帰る。勉強になります。
■2023/3/9 木曜日。めちゃくちゃくしゃみが出る。今日は夜まで寒くないみたいなので上着なしで出かける。本当に暖かい。お昼は丸亀製麺にて、うま辛坦々うどんとかしわ天。U-NEXT『イエローストーン』S1E4を見る。仕事帰りに重い腰をあげてついに予約をしようと自宅最寄り駅の歯医者に行ったら臨時休の張り紙が。なんだよなんだよ。帰宅してからAmazon Prime Video『ダイ・ハート』を見る。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E9を見る。キム、優しいな。そして油断をしてたら僕までソウルのCMのネタをやらされることに。すいません、難しいですね。さらにラフランスさんに呼び出されてclubhouseにて最近見た映画、ドラマの話を短時間で集中して話す。こうゆうのもいいですね。
■2023/3/10 金曜日。今日は午後半休をとるので午前中がんばって働く。昼で仕事を切り上げ下北沢へ向かう。みん亭でお昼を食べたかったけど2組ぐらい店の外に並んでいたのであきらめ。最近ホントにいつでも並んでる感じになっちゃったなぁ。代打で般゚若へ。ベジまめササミカツカレー(中辛)を食べる。ナイロン100℃ 48th SESSION『Don't freak out』観劇@スズナリ。観劇好きになって20年近くになるけど、スズナリでナイロンを観るのは初。座席も極限レベルまで入れていてすごい密度。そして熱気でした。あとからTwitterをチェックしたら西田尚美さんも同回を観てたみたい。気づかなかった。吉祥寺へ移動。シナボンにて、ミニいちごチョコボン。おやつ。U-NEXTで『シャザム!』を見る。吹替で見たのですが、主人公の少年の吹替が緒方恵美で、彼がウジウジしてるときの声が抜群に合っている。吉祥寺をぶらぶら。Lucky Rocky Chickenにて、オリジナルチキンとクラフトコーラ。僕のチキン食べたい欲は満たされた。クリスピー感強い。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E4を見る。ジャック、最初にする質問が頭髪のこと。まぁ気になるよね。そして面白いエピソードでした。東中野へ移動。『劇場版 センキョナンデス』観賞@ポレポレ東中野。お芝居観たり映画館観たり美味しいもの食べたりで良い午後半休だったな。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E8を見る。Fun Dips食べたい。U-NEXT「イエローストーン』S1E5を見る。
■2023/3/11 土曜日。娘は明日の塾の試験のためにがっつり勉強する日とのこと。お父さんはがっつり家で映画を見ますかね。Amazon Prime Video『彼女を���影』を見る。お昼はパスタ。娘が残した分まで食べたら腹ぱんぱん。運動がてら自転車で図書館へ。娘の本を借りたり返したり。DVDで『紅の豚』と『ハウルの動く城』を見る。DVDで見てもとても面白いジブリ。WOWOWオンデマンド『ブラックボックス:音声分析捜査』を見る。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S4E10を見る。これでシーズン4完走。『ブレイキングバッド』に近づいてきてる。Netflix『劇場版 ほんとうにあった怖い話 ~事故物件芸人~』を見る。
■2023/3/12 日曜日。ちょっと花粉がおさまってきたかな。気のせいかな。飲んでるアレルギーの薬がきいてきたのかな。Netflix『ちひろさん』を見る。劇場鑑賞に続いて2度目。昼を食べてから娘は塾の試験へ。がんばれー。僕は飛田給へ向かう。移動しながらNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E1を見る。いやーE1から面白い。ガスVSラロ・サラマンカの攻防。ソウルは話がのってくると「バーン!」ってやつ入れるの好きなんだな。何回も云ってる。ロバート・フォスター出た、と思ったらラストで追悼メッセージ。FC東京×横浜FC @味スタ。調べたら2019年の浦和戦以来となる味スタ。しかも勝利。ディエゴの2得点、仲川のFC東京初得点。嬉しい。スウォビィクのスーパーセーブが3本ぐらいありましたけどね。帰り、八王子でホワイトデー的なやつを買っておく。最寄り駅まできて駅近の歯医者で治療の予約。なんと翌日の予約が取れた。帰宅してからNetflix『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を見る。WOWOWオンデマンド『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見る。DAZNでU-20のアジアカップの準々決勝日本×ヨルダンを見る。ハーフタイムで『シン・仮面ライダー』のチケ取りも忘れない。
■2023/3/13 月曜日。風が強い小雨。ウォーキングはあきらめて最寄り駅から電車に乗る。アカデミー賞受賞式の月曜だけど、いつもより忙しい午前中。なぜなら先週の金曜に午後半休を取ったからだな。アカデミー賞がTwitter上でしか追えない。Meetingも二つあるし。そうだ、去年までの3年間は在宅だったから普通にWOWOWの放送(配信)を横目に見ながら仕事してたもんな。個人的にはオフィスでの仕事の方が集中できてよいのですが在宅も楽しかったですね。今日から日本ではマスクをするかどうかは個人の判断にまかせます、的なモードに移行するってことですが、僕が務めている会社ではマスク継続、と正式にアナウンスされた。まぁそれでいいと思います。決めてくれた方がやりやすい。お昼は雨の中マクドナルドへ。シャカシャカポテトの梅のり塩。U-NEXT『THE LAST OF US』E9を見る。これでシーズン1完走。まだ何も云えないですけど良い最終回でしたね。アリ・アッバシ、前のエピソードよりこっちの方が良かったです。あと僕もキリンに餌あげたことあります。アカデミー賞の結果、A24とNetflixが力を見せつけた結果でしたね。受賞予想にはまったく興味ない(だってみんな受賞予想の情報を見て予想するだけなんだもの)ですが、スピーチとか見るのは好きなので字幕版で後ほど見ます。仕事を早めに切り上げ歯医者へ。もう数年ぶりの歯医者。詰め物が取れてしまっていて、痛くないからまぁいいやと思っていたら口腔外科の先生に怒られたのでしぶしぶ。心配していたのは手術の影響で僕の口が大きくあけられないこと。歯医者に行くと必ず「口を大きくあけてください」って云われるじゃないですか。まずあれができない。なので担当の歯科医に僕の病気と手術後の状態のことを丁寧に説明。が、さすが歯科医であっさり理解してくれた。口のあきぐあいについても、なんとか治療していきます、とのこと。あー良かった。今日はレントゲン撮ったり、仮の詰め物をして終了。これで口腔外科の先生に怒られないですむぞ。昭島へ。Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E2を見る。ナチョ、今度はガスに脅される。つらいなー。クレイジーエイトの由来がわかったり。エレベーターのくだりは実にソウルらしい。「ウソだろー」とか云ってたけど、見てるこっちが云いたいですよ。MOVIX昭島にて『Winny』鑑賞。帰りながらラロッカさんのジブリスペースに参加。もうラロッカさんが好きな作品かどうかでだいぶ扱いが変わってくるジブリ会。帰宅してそのまま参加し続け、終わったらもう25時。シャワー浴びて、なんとか音源編集を1本だけやって寝る。眠い。
■2023/3/14 ホワイトデーな火曜日。今年、娘からはチョコもらってないけどお返しはほしいというので僕チョイスのお菓子の詰め合わせをあげる。若干納得がいかない。お昼は丸亀製麺でカレーうどん並とジャンポカニカマ天と細竹天。ダウ90000の公演、先行で当選。楽しみだ。帰宅してからNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E3を見る。さらなる『ブレイキング・バッド』キャストが登場。こういう回はクレジットがOPには出なくて、EDロールにだけ出るのを『ベター・コール・ソウル』は徹底していて素晴らしい。DVDにて『リバティ・バランスを射った男』を見る。なるほどね。財布の中のレシートを捨てていたら、何を買ったのかわからないレシートを発券。店名(?)は「エームサービス」、商品名はよくわからない英数字の羅列、価格は400円、日時は昨日の昼12時45分。なんだろう、何を買ったのか。昨日の昼はマクドナルドに行ったはずだ。他に何かを買った記憶がない。ぼんやりと考えながら過ごしていてやったとわかった。さて、これは何か買ったレシートだったのでしょう?ヒントは前日の僕の行動を思い出してみてください。答えは明日の日記で。ロン畑任三郎でした。
■2023/3/15 水曜日。なんだかとっても眠いんだ。ついつい二度寝してしまいますね。朝ウォーキング途中のファミマでダウ90000のチケット振り込み。7000円ぐらい。本多ですけどけっこうな金額になったな。まぁしょうがない。お昼はマクドナルドにて、シャカシャカポテトにんにく黒胡椒マヨ味シーズニングを試す。こちらもなかなか良い。Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E4を見る。これも見どころありまくりの回。冒頭でソウルが何を探していたのか。エピソードタイトルの意味。ガスのパート、二つの場面が並行して描かれるうまさ。あと暗渠は英語でculvert、覚えました。仕事終わりで昭島へ。Disney+『マンダロリアン』S3E3を見る。リー・アイザック・チョン監督回。すき家にて、麻辣やきとり丼を食べ��。スタバにて、スターバックス コーラ フラペチーノを飲む。MOVIX昭島にて『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』観賞。2回目。初見も面白く観たのですが、世間の評価があまりに真っ二つ。絶賛している人たちもぼんやりしたことしか云ってないのでよくわからなかったのですが、自分が何か見逃しているんじゃないかと思って再観賞。2回目なので作品が描こうとしている部分はよりわかったけど、映画の印象は初見とあまり変わらず。大きく見逃している要素はなかったようだ。さて、前日の日記に書いた「謎のレシート事件」の回答編です。答えは会社の売店で購入した「歯ブラシセット」でした。歯医者に行く前に歯を磨いておく必要があって購入したのをすっかり忘れておりました。なんでこんなのを忘れてしまうのかしらん。
■2023/3/16 木曜日。朝から八王子の病院へ。朝食食べずに向かったので腹ペコ。早めの時間からレントゲンだけ撮影してもらって診察。意外に待ち時間なし。病院の待ち時間だけで読んでいる本がぜんぜん進まなかった。10時半には出社できたのでフレックスで吸収。お昼にNetflix『ベター・コール・ソウル』S5E5を見る。立ち退きを拒むアッカーさん。フォルムがポテトヘッドに似てますよね。仕事終わりで松屋にて、富士山豆腐の本格麻婆めしを食べる。これホントに美味しい。MCTOS『ちひろさん』回に参加。どうしても漫画原作ものはそれとの比較の話が出てきちゃいますね。来月のお題は『キル・ボクスン』みたいですよ。
■2023/3/17 金曜日。朝ウォーキング途中でコンビニに寄りキン肉マンジャンプを買おうとしたら売ってない。拝島駅構内の書店で見つけGET。新しいアニメ化が発表されましたが楽しみですね。午前中だけ働き午後半休で吉祥寺へ。おにやんまで温かいかけ並とゲソ天。UPLINK吉祥寺で『メグレと若い女の死』鑑賞。これで今年の劇場鑑賞回数が50回に到達。のはず。去年よりちょっと早いペース。これなら上半期で100本いくはず。という皮算用。さとうでメンチを買って、食パンにはさんで食べる@井の頭公演。これたまにやる贅沢なやつ。雨降らないで良かった。立川へ移動。夜に収録する映画感想を考えてなかったのでPCを開いて考える。ぎりぎりすぎるな。シネマツーで『シン・仮面ライダー』全国最速公開 舞台挨拶の生中継付き回で鑑賞。ライダーカードは仮面ライダーとルリ子でした。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E5を見る。イシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。もう1本映画を見てたけど眠さの限界がきて最後まで見るのをあきらめて寝る。
■2023/3/18 土曜日。うわー8時半まで寝てしまった。朝ごはんを食べていたら中尾ちひろさんのツイキャスがはじまり見る。バンドで参加予定だったLIVEが雨天中止となり、でもバンドで集まったからリハーサル的なやつを1時間ほど聴けて贅沢。とゆうわけで雨である。娘は今日も塾の試験に行くとのこと。僕は一日集中して家で映画を見よう。U-NEXT『地球に落ちて来た男』を見る。Netflix『僕の人生に追いつくとき』を見る。DAZNで名古屋×FC東京戦を見る。ドロー。Netflix『ウィー・ラブ・ア・ゴースト』を見る。U-NEXT『テリファー』を見る。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E6を見る。やっぱ撮影チーム出てくると面白い。イシヤマさんが『別れる決心』を観たってことでラフランスさんと3人でclubhouseにて話す。まぁ『別れる決心』の話からは脱線しまくり27時ぐらいまで駄話。まぁこういう時間が実は大切なんだ、ということを『イニシェリン島の精霊』の話に絡めてしようかと思ったら二人とも見事に観ていなかった。
■2023/3/19 日曜日。今日も基本的に家でのんびり過ごす。午前中のうちに昭島の図書館に行って娘の本を借りたり返したり。昭島の丸亀製麺でテイクアウト。梅おろしぶっかけうどん弁当。U-NEXT『BODIES BODIES BODIES ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』を見る。新世代の嵐の山荘ものとも云えるA24作品。ひとりPodcastをやっている登場人物が、番組の文句を云われてぶち切れるとこが面白い。Amazon Prime Video『007 ロシアより愛をこめて』を見る。午後から妻が不在だったので娘がのびのびしている。娘が好きな部屋にお菓子を隠して探すやつをやって遊ぶ。ヒントのメモとか作ってやるのだけど、そういうの作るレベルが上がってきていてお父さんも楽しいぞ。U-NEXT『MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』を見る。U-NEXT『GLIDE』を見る。apple tv+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E9を見る。日付変わって『キン肉マン』のエピソードが更新されたけど、バッファローマン勝てる気しないな。でも頑張ってほしい。
■2023/3/20 月曜日。妻が不在なので娘をたたき起こすため絶対寝坊はできない。なんとか起きられてホッとしました。がしかし腰が痛し。もともと(骨に異常があり)腰は痛いのですが、たまにレベルの違う痛さがくるのですがそれです。痛み止めを飲んでも痛い。慎重に行動しないと。お昼はマクドナルドでU-NEXT『イエローストーン』S1E6を見る。午後も腰がけっこうやばい感じ。鎮痛剤を追加で飲む。仕事終わりで昭島へ。コリアンキッチン シジャン 昭島モリタウン店にて、チーズラッポギ。Apple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E1を見る。MOVIX昭島にて『シャザム!~神々の怒り~』観賞。いやー腰の痛みがヤバいかもしれない。映画館の座席から立つ時めちゃくちゃ痛かった。帰り、clubhouseでラフランスさんとLukeさんが話していたのでちょっと参加。コヨイチ企画会議みたいに。
■2023/3/21 祝日の火曜日。休みの日ですがきっちり起きて朝からU-NEXT『イエローストーン』E7を見る。僕以外の家族は起きてこない。自転車で昭島図書館へ。娘の本を借りたり返したり。腰が痛いので気をつけながらの自転車である。こわい。U-NEXT『ベイビーわるきゅーれ』を見る。WBC準決勝も見る。にわかで申し訳ないですけど祝日にこんなの見せてくれるなんて最高ですね。メキシコの選手たちがすっごい楽しそうなのも良い。お昼を食べてから下高井戸へ。映画のチケットを買ってからぶらぶら。桜がとても良い感じで咲いている。その下でApple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E2を見る。下高井戸シネマにて『あのこと』鑑賞。再鑑賞です。藤元組FSCのイベント、シアター遠足ってことでこの映画をいっしょに観たあと、藤元明緒監督も参加で感想会@中華料理屋。藤元監督の映画監督目線の感想になるほど、と。あと藤元組の撮影でおなじみの岸建太朗さんも来られていたので『Winny』の話もたくさん聴けたし感想も話すことができました。こういう機会は嬉しい。帰宅してからU-NEXT『グリーンバレット 最強殺し屋伝説国岡[合宿編]』を見る。これも劇場鑑賞以来の2度目ですが、やっぱ鹿目ちゃんがかわいい。
■2023/3/22 水曜日。まだまだ腰が痛いです。朝ウォーキングもゆっくり目。ちょっと早めの昼休憩に出てWBC決勝をAmazonPrimeVideoで見る。いやー凄い。これ僕でも興奮しちゃうんだから野球好きな人たちとか大興奮でしょうね。マクドナルドにて、いちご大福パイを食べる。おいしい。仕事帰りにDisney+『マンダロリアン』S3E4を見る。今回も面白い。マンダロリアンの食事、めんどくさいな。アクションの場面でズームになるやつが熱い。Netflix『男はつらいよ 葛飾立志篇』を見る。中断していた寅さんをまた見ていきたい。前半の隠し子騒動の顛末に声出して笑ってしまう。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E7同時視聴に参加。がってん承知。U-NEXT『イエローストーン』S1E8を見る。東映シアターオンライン(YouTube)にて『東京アンタッチャブル』を見る。
■2023/3/23 雨の木曜日。朝ウォーキングは断念だ。腰の痛み、深刻な状態は脱した感じ。油断しちゃダメだけどとりあえずホッとしています。U-NEXT『イエローストーン』S1E9を見る。これでシーズン1を完走。普通だと悪役になりそうな側が主人公なんですよね。牧場の土地をめぐる争いはまだまだ続きそうだ。お昼はサイゼリヤのランチ。ハンバーグの上にのっているはずの目玉焼きがほうれん草に変更されている。深刻なたまご不足。まぁサイゼリヤのランチ500円なんでなんも文句云えないですが。中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。昨日『男はつらいよ』を一作見て、次のタイトルは何かなぁと検索しようとしたらNetflixに出てこない。えええ。Netflixの配信は終了したのだろうか。そうなると僕が昨日見たのはすごいタイミングだったのかもしれない。てゆーか次作から見れないのかよ、と一瞬あせったけどU-NEXTにありました。さすがU-NEXT。仕事終わりで吉祥寺へ。譚仔三哥(タムジャイサムゴー)にて、お得な夜のセット。しびれる。Apple TV+『エクストラポレーションズ:すぐそこにある未来』E3を見る。UPLINK吉祥寺で『別れる決心』観賞。昨年の先行上映で観た以来となる2回目。見直せて良かった。clubhouseでラフランスさん、Lukeさん、Yuさんが話していたので聴いてみたら映画の余韻がぶっとびました。いやーくだらないこと考えるスピード、マネできない。
■2023/3/24 金曜日。朝から暖かい。桜もがっつり咲いていますね。お昼は丸亀製麺でかけ並とジャンボカニカマ天。今月はうどん札10枚に届きそうにない。U-NEXT『イエローストーン』S2E1を見る。長年関係部署で働いていたパートさんのお別れセレモニー的なのに出る。僕より長く働いている方ですが、おそらく65歳で契約終了ってことなのでしょう。ぜんぜんそんな年齢に見えない。お疲れさまでした。仕事終わりで立川へ。松屋にて、牛バラ焼定食。Abemaでサッカー日本代表×ウルグアイの試合を見る。映画の時間ギリギリまで試合を見ていたがラスト30分ぐらいは断念。シネマシティで『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』鑑賞。帰りながらAbemaでサッカーの残りを見る。便利な時代になったもんだ。Amazon Prime Video『スター・トレック:ピカード』S3E6を見る。やや強引ですがメンバーが大集結してきたー。
■2023/3/25 雨の土曜日。あー雨はこまるよ。午前中から娘と実家へ遊びに行く。お昼はスシロー、お腹いっぱい。午後は実家の車を借りて散髪へ。さっぱり。車を借りたのでついでに図書館へ行き、娘の本を借りたり返したり。U-NEXT『イエローストーン』S2E2を見る。夕飯までご馳走になり帰宅。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E8同時視聴に参加。マイクがかっこいい回でした。さらにclubhouseにてイシヤマさん、ラフランスさんとPodcast企画会議みたいな部屋で話す。まぁ半分以上駄話。深夜2.5時まで。
■2023/3/26 日曜日。朝一から歯医者へ。口を大きく開けられないので治療してもらうのもなかなか大変。娘は今日から春期講習。お疲れ様です。お昼は、マルちゃんZUBAAAN!濃厚味噌。東京ポッド許可局でうまいうまいと云っていたので食べてみたらうまかった。午後は新宿へ。藤元組FSCのお花見、はあいにくの天気でできなかったのでみんなでベトナム料理食べながらいろいろお話を聞く。まるゆさんも来てた。藤元監督の準備中の新作や、海外上映の話などを聞く。あと『サッドティー』でおなじみの永井ちひろさんが来てたのでお話しできた。僕とかまるゆさんにとっては今泉監督や入江監督の作品でおなじみの女優さんではある。僕らの日本映画チェックしてるレベルに驚かれる。たぶん僕らが普通ではない。しかしベトナム料理いろいろ食べれて美味しかったー。U-NEXT『サイコハウス 血を誘う家』を見る。U-NEXT『イエローストーン』S2E3を見る。U-NEXT『エスター』を見る。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。収録終わってから無駄に漫画の話とかしちゃう。めずらしく頭痛があったので倒れるように寝る。
■2023/3/27 月曜日。昨夜きつかった頭痛は朝にはおさまっていてホッとする。お昼はマクドナルドでハッピーセット食べながら中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。帰宅しながらU-NEXT『イエローストーン』S2E4を見る。夕飯はZUBAAAN!濃厚味噌。連日。これはいい袋麺ですよねー。U-NEXT『メタモルフォーゼ/変身』を見る。僕モテの原稿書きながらclubhouse、『フェイブルマンズ』を見たラフランスさんと感想回。
■2023/3/28 雨の火曜日。朝ウォーキングは断念だ。お昼になってもまだ雨。しかも寒い。丸亀製麺にて、かけ並とジャンボカニカマ天。U-NEXT『イエローストーン』S2E5を見る。帰宅してからサッカー日本代表×コロンビアの試合をTVで見る。カシーフの代表デビュー戦。これをきっかけにさらに成長してほしい。DVD『バルタザールどこへ行く』を見る。娘の寝相を見がてらごろんとしていたら自分も寝てしまった。不覚。
■2023/3/29 水曜日。昨夜寝るつもりなかった時間に寝てしまったので7時間ぐらい寝たかも。お昼はOKで買った油淋鶏を会社の近所の公園で食べる。税込322円はとても安い。週に何回かOKで弁当を買うことでランチ代をセーブしていかなけば。それぐらい物価が上がってますよね。U-NEXT『イエローストーン』S2E6を見る。Apple TV+『シュリンキング:悩めるセラピスト』E10を見る。これで完走。ハリソン・フォードがドラマに出るってことで見てみましたけどまぁまぁでしたかね。仕事終わりで池袋へ。肉汁うどん奥村にて、黒カレー肉汁うどん(あつもり)と野菜天。カレーもなかなかうまい。野菜天はピーマンが出てきたのでハズレだったなぁ。『三茶のポルターガイスト』鑑賞@池袋シネマ・ロサ。帰宅しながらラロッカさんがやってた『ブラッシュアップライフ』のスペースを聴く。僕がこのドラマですごいと思ったポイントと、設定上の謎についても話す。帰宅したあと録画したテレビ番組を横になりながら見ていたがいつのまにか寝てしまったようだ。
■2023/3/30 木曜日。ラジオ(radiko)を聴くのがぜんぜん追いつかない。日々の時間って圧倒的に足りないですよね。出社したら会社からメールがきていて、所属している部署の勤続25周年ありがとう、というレターであった。僕は入社してからずっと同じ部署にいるので会社の勤続年数がイコールである。しかしレターのみか。たしか昔はこうゆうアニバーサリーイヤーの際は長い休みがもらえたりお金がもらえたりしていたと聞いている。その頃を経験したかったなぁ。お昼はOKの肉旨!メンチカツ明太弁当。安い。U-NEXT『イエローストーン』S2E7を見る。夜はclubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S5E9を見る。二つ前のエピソードで疑問だった部分なんかが回収される要素があって、僕はこういうの好きです。さらにスピルバーグについて話したくてたまらないラフランスさんにclubhouseに召喚されて話す。いつのまにか平成仮面ライダーの話になっていたり、またスピルバーグの話に戻ったりで深夜2.5時まで。ちなみに僕が見た平成ライダーは電王、ディケイド、W、オーズ、フォーゼぐらいです。
■2023/3/31 金曜日。朝ウォーキング中に撮影できるカモがぜんぜんいなくてさみしい。午前中、ひじょーに集中して仕事。マシンと化した感じ。お昼はOKの塩唐のり明太弁当。安い。U-NEXT『イエローストーン』S2E8を見る。仕事終わりで昭島へ。MOVIX昭島にて『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』鑑賞。初日舞台挨拶の全国同時生中継ライブヒューイング回で。松屋にてプーパッポンカレーを食べる。家に向かいながら『ネメシス』のパンフ買うの忘れたことに気づく。日曜に映画館に行ったら買おう。帰宅してからU-NEXTで『ジョーズ』を見る。なんだかすっごい眠くてそのまま寝てしまった。そんな感じで3月も終わり。
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azariy · 7 months
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品��と思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。��んな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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kei-life · 2 years
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『久しぶりに、旅へ④(石川県金沢市方面の道中)』
福井県大野市『丸岡温泉 たけくらべ で』の朝。
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朝食前に車でひとっ走り。すぐ隣の石川県に向かって、再訪となる『山代温泉 古総湯』の一番風呂をいただいてきた。客は私一人ではあったが、当然ながら撮影禁止。ホームページの写真を拝借。静かに、最高のお湯をいただいた。
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程なく、山代温泉に泊まっているという実業家の紳士が入り、湯に浸かりながら旅や温泉の談義に花を咲かせた。こんな事も、旅の楽しみである。
丸岡温泉から山代温泉への道中に、これまた石川県の名湯『山中温泉』がある。
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今回、こちらのお湯を愉しむ時間は無かったのだが、温泉の歴史をじんわり感じられる町並みが好感触。ゆっくり町も歩きたいので、次回は泊まりたく思う。
もう一つ。温泉に向かう道中で見かけてどうしても気になり、立ち寄った神社『村社 菅原神社』。
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そそり立つ巨大な杉の大木に魅力を感じ参拝してきたのだけど…。大東亜戦争後、昭和22年、昭和天皇が北陸巡幸で立ち寄られた「天覧の大杉」らしい。樹齢2300年の巨木は、神聖な空気を纏い、周辺の空気も、なにか凛とさせるものを感じた。
さて、朝の数時間を満喫し、次の宿泊地へドライブ再開。まず、金沢市。兼六園でも金沢城でもなく、市内の『長町武家屋敷』周辺を散策。
時間もやや早目であったため、人も少なく、気持ちよく散策。この日の行程、まだ先が長いので軽く散策したのみであったが、さすが加賀五百万石のお膝下。
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武家屋敷を初めとした整然とした街の創りは、威風堂々としていて、実に独特の空気感がある。有名な史跡も素晴らしいけど、生活を感じられる場所も、とても素晴らしいと再確認。こちらも出来れば、金沢市だけで1日過ごせるよう、予定を組んで再訪したい。
さらに石川県を足速に北上。
西側の海岸にある『なぎさドライブウェイ』を再訪。近年、砂浜が削られて狭くなっているという海岸は、確かに、以前来た時よりも幅が狭く感じられる。
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でも、爽快感は相変わらず。次々に訪れるドライバー皆んなが笑顔で、思い思いに波打ち際に車を停め、楽しげに過ごしている。幸せに満ちた海岸線。
願わくば、この姿を永く残して欲しい。自然の力のもとには難しい事は分かっているのだけど。
…今回はここまで。次回は『千里浜 なぎさドライブウェイ』〜輪島市までの素朴な道中など。
 
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minatokucarpet · 1 year
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