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#車椅子映画館問題
urusura · 1 month
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自分の思っていることを言語化しているツイートを見つけました。ここまで正論を出されているんだけど、この問題に車椅子インフルエンサーの反応はいかに。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/10/29〜
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10月29日 いろいろ疲れているので、日記も写真も今日の予定もすっぽかそう!の気持ちでいちにちを始めたら、全てまずまずやり遂げてしまった。
3ヶ月に一度の歯科検診へ。 前回、黒ごまラテの着色いじりへ不服を態度で伝えることができた、と思っていたのは勘違いで、今回も黒ごまラテから始まった診察。黒ごまラテは飲んでないけれど着色汚れがある。お茶をやめて水にしろ、言われたこともあったけれど、それは無理なので、コンクールジェル、シュミテクトホワイトニングの2回磨き+コンクールマウスウォッシュの消毒+ホワイトニングマウスウォッシュ、で術を尽くしていた口内事情。それを伝えると、シュミテクトホワイトニング以外やめてみましょう!と、新商品のシュミテクトホワイトニングの試供品をくれた。 シュミテクトって海外では違う商品名らしい。 とにかく歯が白くなって嬉しい。 でも口を開けっぱなしだったからか、喉を痛めてしまった。それと、毎度のことながら歯医者さんの後はお腹を壊している。
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都写美で野口里佳の“不思議な力”を鑑賞。 ほとんど観たことのある作品だった。作品展の空間に居られることがとても幸せに感じた。心地よい展覧会で幸せ。 撮っているものは、キュウリやヤシの木やコップなど、シンプルで一瞬で認識することができる写真。でも、じっくり落ち着いて観ていたくなるようにさせてくれる写真たちだった。 潜水して撮影したり、胃カメラを使って撮影したり、思っていたよりへんなことをしているのに、写真はシンプルで美しいのが不思議。 “夜の星に”のデジタル映像とコンタクトシートの展示を観て泣きたくなった。 昔、平日の曇天の昼の品川のキャノンギャラリーで観たことがある作品。会社員たちと、昼食にテイクアウトした商品を入れた緑の袋が、モスバーガーの店舗からどんどん出てくるシーンに、わ〜〜〜となった記憶。
何となく街のちょっとした陽の当たるところとか、そうゆう写真を撮っても良いんだね、と思い出して、まんまと写真をたくさん撮って恵比寿駅まで戻った。
アトレの無印良品で冬のお部屋のものなどを買い込んだ!
夜お部屋で花火が打ち上がる音を聞く。
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10月30日 今日の日はもうないものとして過ごしていたので、少しの家事や用事を済ませることができただけで大満足な日だった。
体の調子は変わらずに良くなく、体力を余分に消耗している体感でソワソワしながら日中を過ごした。
スーパーで年末年始っぽい音楽が流れている。駅前の歯医者にはツリーがあって、ショッピングモールにはカボチャのアイテムを身に付けた子供がたくさんいた。
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10月31日 昨晩、渋谷と京都のライブカメラ配信を見ていたら、渋谷はハロウィン前日の人の多さで、警察も出動していた。予定していたライブは、渋谷のライブハウスが会場だったので行けなくてよかったかも。
風邪薬が効きすぎているのか、エネルギーが勢いだけ有り余り、でもチャージはされていないのでスカスカの身体が、今日もずっとソワソワしている。 朝、一応体調が戻った気がして出掛けてみた。 途中で抗原検査キットを処方してもらう。 フィルム現像を出しに写真屋さんへ行くと、年賀状の注文をしている人がいた。
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平日の昼間のオフィス街がやはり大好き。 大手町から日比谷までの丸の内を歩いて歌って、ショーウィンドウを眺めて写真を撮っている時が一番楽しい!と思った。 みんなが働いているのに休んでいる優越感なだけ?と考え���けれど、みんな働いているのを知らない大学院生時代からこの通りを歩くのが大好きだった。 東京駅は外国の方が増えた。
日比谷のTOHOシネマズで映画を鑑賞。 うん、少しずつ映画館恐怖症?が治ってきている…はず。今日は2時間超の作品で、途中、とてつもなく気持ち悪くなりかけたけれど、足をゆさったり深呼吸をして凌げた。 鑑賞したのは趣里ちゃんが出演し、根本宗子が脚本の“もっと超越したところへ。” いろいろすごかったし、音が大きくて何度か酔っていた。趣里ちゃんの動き方や身体のバランス感がとても好き。 こないだyoutubeで予告を見た三浦透子ちゃん主演の映画にも、あっちゃんと元乃木坂の子が出演していたな〜、と思い出す。 映画は、後半からエンドロールまでが、演劇っぽい作品!と何も映画にも演劇にも詳しくないのに、なんとなく思っていた。
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映画の後、大丸のパパブブレでラスト1つのハロウィンキャンディセットを購入し、大学の研究室へ持っていくことにした。
駅から大学まで、都会特有の長い信号待ちの横断歩道を2回渡りながら、1つ目を渡った後、とっても走れば2つ目の青信号に間に合うことなどを思い出した。 結局、大学まで行って、何か怖気付いてしまい神保町古本祭りを眺めて帰宅した。
東京の平日の昼間って、たくさん撮りたくなるシーンがあって貴族の遊びが捗ってしまう。
丸の内のショーウィンドウの中のものたちが、どれもキレイで、それを欲して入店する人達も気品があるので安心する。 平日に、北関東のスーパーやディスカウントストアやショッピングモールやファミレスばかり見ていると、インターネットで欲しくないものばかり買ってしまうので、精神衛生的にも金銭的にも良くない。
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11月1日 朝起きて、これはだめなやつ!な身体だったのでお休みをすることにした。 けれど、このままずっと休んでしまうのでは?と、午前休にする。8時の電話をかけるまでの時間、いろいろな言い訳を頭の中でし続ける。 連絡をした後も、この午前休を何か有効的に使わなくては…!と眼科を予約。 身支度を済ませた時に、身体が本当に空っぽで薬の効果で駆動力だけ湧き上がっているのに気が付き、予約まで1時間以上あるのに家を出てしまう。
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すぐエネルギー切れになり、何か食べよう!と思った。 いつもは、少しの血糖値の上昇でも身体がきつく眠くぱったりしてしまうため、日中に食事はしない。でも、こうなると無理で、他のことが見えず、食物を探し彷徨ってしまうことがたまに起きてしまう。
とりあえずキレートレモンを片手に電車に乗った。 車内では秋の行楽のアナウンスが流れていて、窓の外を見て、休んでいた3日間で通勤経路の秋がどっと深まっているのを感じた。 無心で金曜から予定していた旅行をキャンセルした。 隣の席の人のスマホの画面を見ると、東博の“国宝展”のチケットを予約して、ラインで予約完了の報告をしている。あ!と、友人に国宝展のお誘いメッセージを送ると、なかなか予約が取れないらしい。その時、他の人からディズニーランドへ行く予定の確認が来ていて、でも今は全くディズニーランドなんて行きたくない!どちらかと言えば、有給とってでも国宝展へ行きたい気分。
下車した先のスタバの店員さんが赤いTシャツを着ていて今日からクリスマス解禁。
ここからまたコンビニというコンビニをうろつき、食物を探すけれど納得のいくものがなく、駅のちょっとした物産展へ入ってみると、こだわりプリン的なものが半額だったのでちょうど胃も辛いし咀嚼も辛いので、食べてみることにした。
広場の椅子とテーブルでは、女子高生が1人数学の問題集を解いていた。 私もそこに座りプリンを食べた。 近くではロボットが実走させられている。 プリンはカラメル以外は食べることができたし、満たされる美味しさを感じることができた。半額で190円支払ったので定価400円程する高級プリン…。
血糖値おばけになってガクガクしながら出勤して、やっぱり苦しくて虐げられて泣いたり、体調不良でワクチン接種できなかった事を笑い飛ばされたり、暇だけど何か手伝いますか?何をどうすればさらに職場環境が向上するか的なの前向きな話題を聞いたりして半日を過ごした。
すぐ泣きたくなる。すぐ、みんな良く喋るなー、ってモードになる。暇な時間をどう埋めるべきかで私の頭はとっても忙しい。そして実際に暇でもなくて、それはもう忙殺。
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11月2日 うさもっちの白はamazonで既に売り切れ!
朝、霧が濃くて紅葉が白に生えていたので、何となく持って行けたカメラでたくさん写真を撮った。帰り道も何か月とか撮ろうとしたけれど、いつも撮っているよね?と自制を効かす。
ケイトはいつまでもつのかな。 お花の片付け時がわからず、1週間と決めてしまっている。 なるべく、本当は明日から旅行だったのに!と思わないように2日間は生活と自分を喜ばせる時間に充てたい。
SNS映えのためにずっと生活をしているので、なるべく“映え”がテキトーにバカにされる言葉にならないで欲しい。 (“映え”という言葉が出てきた時、私のしたかったことはこの一言で表せるのかも!と思ったりした。一瞬。) 明らかに仕組み作られてしまったインターネットの世界でなかった頃、飲み会帰りにさっきまで一緒にいたみんながするツイートをふぁぼしていた頃、そうゆう感じで、掴みどころのないツイートを仕事終わりにして、みんなでいいね!をし合うものだと思っていた頃、その頃のインターネットを知っている私は幸せだと思う。
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11月3日 午後の予定まで東京駅〜銀座をお散歩した。 国際フォーラムではゴジラのイベントが開催されていた。本当に外国人の観光客が増えていて、話題の食べ物とセルカ棒で写真を撮っている。 KITTEの郵便窓口では、年賀はがきや年賀切手を60枚、70枚と大口購入されている方が多い。今年はもう年賀状をやめてしまおうと思っていたけれど、30枚インクジェット年賀はがきを購入してしまう。卯年のデザインのうさぎは、どことなくマイナンバーカードのうさぎに似ていて、うーん。 うさもっちは20体ほど残っていた! 紅しかいなかったけれど、実物はとっても可愛い。お会計してくれた局員さんは“うさもっち”と、言わないようにお会計手続きをしている感じ。 その後エルメスへ行ってみると展示が変わっていたので鑑賞。犬の粘土アニメーションが面白かった。
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帰りにスーパーへ行く。 どうもずっとお腹が気持ち悪く何も食べたくないのに身体はエネルギーを欲していてあべこべな気持ちで食材を買った。レジでお会計していたら、隣のレジのおばさんが「これ使った?私は今日もう使っちゃったのであげる!」と、10%引きクーポンをくれた。「え!?あっ、ありがとう…」と、ろくにお礼も言えずに、おばさんが先に袋詰めを済ませて店を出ていく姿におじぎをしたら、振り返って手を振ってくれた。
今、少し長い地震があった。こわい。 今日は結婚する報告を受けた。こうゆう時、誰かいるとこわさが軽減されていいのかもしれない。大丈夫なきれいな人がいるといいのだと思う。
ケイトを生けていた花瓶を倒して水を撒いてしまった。ケイトはまだ元気そうだったけれど、さよならすることにした。
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11月4日 1日休んで1日働くくらいが身体的にはちょうど良い。 明日から文化祭なので、広場には仮設ステージが設営されていて、朝から夜まで準備をしている人がいて、少し元気になった。 こうゆうイベントが少しずつ許されていて、元々苦手だったものは、この感染症を理由に断ったりして利用しつつ、うまくやっていければいいな。 文化祭前夜の仮設ステージと照明と雨の夜がとてもよかった。 酉の市には行けていないけれど、雨が降っているので!と行けない理由もできて大人しく帰宅できた(でも40分くらい写真を撮って遊んで貴族退勤した)。
「3年目までのメンバーで新人さんの歓迎会をやるんですけど、どうですか?」とお誘い話を受ける。ちゃんとこうゆう会を開こうって思ったり、人に声をかけたりできる人ってすごい。確かに歓迎会らしい会がなくここまできてしまったので、3年経ってもなんとなく知っていてなんとなく過ごしている人だらけ。
先週の反省として、頑張って掃除をしすぎない(体調を崩す)と言い聞かせて、いま夜を過ごしています。
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sissy-forest · 2 years
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最悪の1日だった。ゴールデンウィークを使って出雲まで車で行くという今回の旅程。今日はその3日目、出雲から東に270キロ進んだ金引の滝が出発地点だ。朝から生憎の雨。本来であれば天橋立をレンタルサイクルで散策する筈だったが流石に断念。雨でも楽しめる観光地はどこかにないかと考え、そうだ恐竜博物館があるじゃないかと思い付く。以前行った事はあるがそれも高校生の頃、更に言えば家族旅行だ。そう考えたら家族に合わせてそこまで時間を掛けずに回ってしまっていたんじゃないかと思い始めてきた。今なら1人でゆっくり回れるし、高校の頃とは感性も違うだろうから新鮮に楽しめる筈に違いない。それに恐竜好きなあの子にお土産の1つでも買って帰ればきっと喜ぶ。いつも世話になっているからね、これは良い案に違いない。自分の中の方針が定まった所で、私は舞鶴港で早めの昼食を済ませ、福井恐竜博物館へ向けアクセルを踏み込んだ。
高速を降りて、目的地付近の電光掲示板に書かれている一文に絶望する。恐竜博物館は予約制だった。まさかである。博物館が予約制ってどういう事なのさ。焦って予約ページを開いてみるとなんと15時からの入場に空きが一名。これは神の采配。もうお土産買って帰ると行った手前行かぬ訳にはいくまい。個人情報を打ち込んで送信。画面が変わらない。ん?もう一度。変わらない。画面を良く見て気付いた。上部に赤い文字でエラーメッセージが出ている。選択中の時間帯は予約が満員です。なるほど。どうやら私と同じように奇跡的な空き一名を神に感謝したラッキーボーイがいたらしい。くそったれだ。精々私の分まで楽しんでくれれば良いさ。あの子に恐竜博物館に行けなかった、お土産は買って帰れないと連絡を入れ暫しぼーっとする。こんなことなら東尋坊の方に行っておけば良かった。雨でも雰囲気があって、それはそれで良い景色が見れたかもしれないのに。
次の目的地を探す気にもなれないので携帯を弄くる。男はみんな暇があるとエッチなものを見てしまう。例に漏れず私もTik Tokでおっぱいを見はじめた。因みにTik Tokを見る男は100%エロを目的にしているのだが(嘘、本当は面白いものもたまにある。私は絶妙に弱い幽波紋使いという動画が好きだ。)、私の友人はYouTubeのまとめでエッチTik Tokを見ている。しかし私は、自分で宝物を掘り当てたあの感覚が好きなのでちゃんと現場で散策している。
揺れる乳房をしばらく観察していると少し悶々としてきた。そういえば3日位お祈りをしていないな。今日は1人旅。3-4年前のあの時と同じ感情が鎌首をもたげる。そうだ、風俗に行こう。
そうと決まれば早速仕事に取りかかろう。現在時刻は1330、まだまだ時間はたっぷりある。焦ることはないさ。どの営業形態にするか。デリバリーは論外として、前回と同じくお手々か?いやいや待ってくださいよ。いつまで同じ所をグルグルしてるんですか。昔の偉い人も言っていたじゃないですか、精神的に向上心の無いものは馬鹿だって。まぁせいはせいでも今回は性の方ですけどね笑 うるさいよ君、下らない事を言うんじゃない。しかしまぁ、君の言うことも一理ある。確かに向上心というものは重要だ。良いだろう、君の口車に乗ってやろうじゃあないか(ここまで脳内)。私はGoogleマップの検索欄に「ソープランド」と打ち込んだ。
私が選んだのは加賀にあるインペリアルタイペイ。言いたいことは分かる。なんか怪しい名前だ。タイペイは台北を連想させるし、外国の方を低賃金・不当な扱いで働かせているのではないかと、私も最初はそう思った。しかしこの店舗、口コミを見る限り非常に評判が良いのである。私にとってソープランドなんてものはブラックボックス、未開の地である。良い店と判断する指針、方位磁石を持たない私にとっては、先人の残した轍しか頼れるものは無いのだ。さて、店を決めたのなら次はキャストを選ばなければ。
本日出勤している方々から私が選んだ嬢はれもんさん(26)。日記や口コミを見る限り明るいタイプの女性らしい。写メ日記を何日分か見る。恐らく26は詐称だろうということは私にも想像がついた。検索をかける。「インペリアルタイペイ れもん」。ヒットした掲示板を覗いて得た情報的には30過ぎくらいとのこと。問題ない。私は年上好きだし、そんな年齢なんかよりも人格こそが肝要だ。大人のお姉さんにリードしてもらって童貞を卒業する、最高ではないか。
そうと決まれば移動だ。私は恐竜博物館側のローソンを出ようとギアをドライブに入れ、発進した。そして気付く。あれだけ降っていた雨が上がり、雲の隙間から光が差し込んでいるということに。これはあれか?神が晴れにしたから風俗なんか行かないで他の観光地に行けと言っているのか、それとも人生を一歩前へ進めようとしている私に対する福音なのか、、、神様が考える事なんて私には分かりっこない。私は、私の決めたことをやり通すだけさ。北上だ。目指すは加賀百万石の地。
店から車で10分ほどの距離にあるコンビニに車を止め、予約の電話を入れる。前回ほどのしどろもどろさは無い。私もこの数年で少しは成長したのかな。現在時刻は1530。私は1800から120分コースを予約した。120分、少し長いかもしれないとは思った。しかし先人は言っていた。ケチるな、絶対に長めにしろ、と。先人がそういうならば、私は只それに従うのみである。予約を終え、準備を行う。まずは歯磨き。コンビニで口臭スプレーも購入。それと髭剃りだ。髭が伸びているのはよろしくない。残りの時間はイメージトレーニングに充てた。どういう会話が繰り広げられるのか、どういう流れで物事というのは行われるのか。迷わずに辿り着けるか?Googleアースで店舗の確認もした。道が分からなくて予約に遅れました、なんてのはお話にならない。自分の息子はしっかり勃ってくれるのか?映像作品をみてウォーミングアップを行う。準備は万端、のはずである。17時になる。あと少しか。ここから10分あれば着く筈だから、ちょっと余裕をもって40分に出れば間違いないはず。時計を見る。17:05、まだ早いよなと煙草に火をつける。時計を見る。17:15、まだ早い、煙草に火をつける。17:30、まだ早い。煙草に火をつける。17:40、時間だ。煙草の火を消し、セブンイレブンを後にする。
そこは黄色の壁のビルだった。黄色と言っても鮮やかな色ではなく、少しくすんだ黄色。その壁にPの文字と矢印。かつてはきっとちゃんと色が付いていたであろう事を想像させる、白枠だけがPの文字を縁取っていた。案内に従い車を止め、ビルの入り口に向かう。隣のビルはドアがボロボロに破られており、内部の錆びた階段と積み上げられた段ボールが丸見えになっていた。不安になりながら進む。入り口に立っていたのは70ほどに見えるお爺さん。こちらです、と中に案内される。中はいきなり廊下になっており、入り口右手に受付のお兄さんが立っていた。予約した○○です。○○さんですね、希望した女性の名前を教えてもらえますか?あっはい、れもんさんです。分かりました。では先払いですので41000円お願いします。あっはい。頭にあっが付いてしまうのが情けない。料金を渡し、老人の案内に従いカーテンで仕切られた待合室に入る。以前と同様、テレビに下世話な雑誌にガラスの灰皿。風俗の待合室には規格でもあるのだろうか。女子陸上の槍投げ選手がインタビューを受けているのを見ながら煙草を吸い、声が掛かるのを待つ。3本目を取り出したところで声が掛かる。こちらです。エレベーターに誘導され中を覗くと、ベージュのワンピースを来た女性と椅子が乗っていた。女性のほうがれもんです、本日はよろしくお願いしますと挨拶をしてくる。あっはい、よろしくお願いしますとお辞儀を返す。椅子?なんで椅子があるんだろうと不思議に思っていたら、座るよう促された。成る程そういうおもてなしなのかと納得して座るが、エレベーターの中で椅子に座るというのは中々に気恥ずかしい。れもんさんが私の着ているトレーナーの柄を褒めてくれたので、可愛いっすよねこれ、ヘヘッと返したのは覚えている。さほど盛り上がらずエレベーターは6階へ到着。右手のどんつきにある部屋へ二人で入る。心臓が中々暴れているので参ってしまう。
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straycatboogie · 1 month
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2024/03/20
BGM: Phil Collins - Both Sides of the Story
今日は遅番だった。今朝、イオンでグレゴリー・ケズナジャットが記した面白いエッセイを読んだ。彼はアメリカ出身のネイティブの英語話者だが、現在彼は日本語を選んで小説執筆を続けておられる(ぼくは『鴨川ランナー』『開墾地』を読んだことがあるが、どちらも印象深いものだった)。このエッセイでは彼が区役所に行った時の面白いエピソードが語られている。その区役所で、彼は役所の人間に英語で話しかけられたのだそうだ。彼自身は日本語を話し、かつ英語を使ってほしいと頼んだわけでもないのにである。ひとえにそれは彼が「ガイジン」に見えたからだろう。
実はぼくはこう見えてもふだんはデパートの一従業員として働いているのだけれど、ときおり異なった肌の色・髪の色を持つ外国人のお客様にお会いすることがある。ただぼくは、そうした場であっても前もって英語で話しかけることはかたく自らに禁じている。というのは、お察しのとおり、彼らの外見だけで彼らが英語話者かどうか、英語を使う方たちなのか見極めることはほとんど不可能だからだ(もしかしたら見かけが外国人っぽいだけで実は日本で生まれ育ってペラペラの日本語を話す人たちだ、なんてことも充分考えられる)。だから、彼らに対して問答無用で英語で話しかけることは彼らを「ガイジン」として扱ってしまったということになりうる。ニーズを汲み取ってから言葉を選ぶことが合理的なのだとぼくは信じる。
昨今、Xにおいて車椅子ユーザーをめぐるさまざまな議論(というか「戦争」)を目にする。どうやって彼らをケアし、助ければいいのか(公共施設、たとえば映画館や美術館といったところで)。そして助けてもらった場合、どうやって感謝の念を示すべきか(過度に示すべきではないのか)。実に繊細で難しい話題だ。しかしぼくは思う。ありうるソリューション(解決手段)としてはまずその困っている人たちにどんな助けが必要なのか実際に訊くことだ。その勇気を持ち、相手の意見を確認する手間を惜しむべきではないのだろう。もちろんこれはぼく自身に対して自戒を込めて言っている。
ぼくは発達障害者であり、ゆえに他者からの最低限の助け・ケアを求める人間である。でも、上に書いたロジックをなぞればぼくはどんなケアが必要なのか他者に説明・弁明する手間を惜しむべきではない。はっきりと上品に伝えるべきなのだ、と。それこそが「開かれた」会話・ダイアローグというものなのだと思う。もちろんこれはバカバカしいミス・失敗を覚悟しないといけない。それによって傷ついたり心証を害したりすることもあるだろう。でも、ぼくはねばり強くなり、あきらめないタフさを身につける必要もある。
ああ、今日はそのグレゴリー・ケズナジャットの文章からまた1ついいレッスンを学んだ。ミスを犯すことを恐れず、勇気を以て他者と対峙すること。そうすることが偉大な、「グローバルな」人間になる一歩なのかなとも思ったのだった。
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shintani24 · 1 month
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2024年3月17日
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「やってあげる」感覚では本来の人権は根付かない 英国在住の学者が「思いやり」重視の日本に伝えたいこと(東京新聞 3月15日)
英国在住の国際人権学者、藤田早苗さんが昨年11月から4カ月間日本に滞在し、国際人権に照らした日本の問題点について各地で講演した。労働や入管問題、障害者差別、教育行政などさまざまな分野に関心を持つ人たちが参加し、「人権について初めて学んだ」との声も少なくなかったという。行脚を終えた藤田さんに手応えなどを聞いた。(石原真樹)
藤田さんは英エセックス大人権センターのフェロー。2013年に日本の特定秘密保護法案の問題点を国連に通報、国連特別報告者(表現の自由)の日本調査実現に尽力した。「武器としての国際人権」(集英社新書)を一昨年出版。今回は滞在中に30カ所で講演、15大学で講義した。
◆状況を改善する義務は政府に
藤田さんが講演で強調するのが「『思いやり』と人権は別物」という点だ。日本の人権教育では優しさや親切さが強調され、「視覚障害者が困っていたら手を引いてあげましょう」などと教えられるが、その場に誰もいなければ問題は解決できない。音の出る信号の設置やバリアフリー化などを政府が進めるべきで、政府には人権が守られていない状況を改善する義務があるなどと説明する。
◆「思いやり」で起こる問題
「思いやりも大事だが、思いやりを強調すると『やってあげている』感覚になり、障害者が声を上げると『生意気』となってしまう」。一人一人を尊重する「本来の人権」が日本に根付かない原因の一つが人権教育のあり方だと指摘すると、「はっとさせられた」という参加者が多いと明かす。
会場で、虐待されて育ったという人に「自分には人としての尊厳があると著書で知り、助けられた」と声をかけられ、人権意識の低さに苦しむ人の存在にショックを受けたという。一方で、変化の兆しも。人権教育を担う教育委員会や行政関係から「ぜひ話を聞きたい」と講師に招かれる機会が増えた。2月のさいたま市での講演は、年金や生活保護、教育問題などに取り組む20団体が実行委員会を組織して開催、240人以上が集まった。「たこつぼ化しがちの運動を、人権を合言葉に横につなげられた。共闘する地盤ができた」ことに希望を感じた。
◆受け身では社会は変わらない
日本人は「国連が世直ししてくれる」と受け身になりがちだが、自分たちがアクションを起こすことでしか社会は変わらないと藤田さんは訴える。「講演が良かったよ、とSNSで投稿するだけでもいい。一緒に行動しましょう」
講演会の予定などは「日本の表現の自由を伝える会(事務局は全国市民オンブズマン連絡会議)」ホームページへ。
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「別の映画館で見てと言われた」車いす利用者の投稿にバッシング 「合理的配慮」どう実現していくか考えた(東京新聞 3月20日)
東京都内の映画館で従業員が車いす利用者に不適切な発言をしたとして運営会社が謝罪文を公表した。「この劇場以外で見て」と言われたと利用者がX(旧ツイッター)に投稿したためだが、交流サイト(SNS)では利用者への中傷も起きた。法律改正で4月から企業にも障害者への「合理的配慮」が義務化される。識者は対立ではなく、当事者と共に解決策を探る「建設的対話」を重要視する。(宮畑譲)
◆映画館側は「謝罪文の通り」
「お客さまの映画ご鑑賞後に弊社従業員がお客さまに対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました」。「イオンシネマシアタス調布」(調布市)を運営するイオンエンターテイメントが16日、ウェブサイトに謝罪文を公開した。
いきさつはこうだ。この前日に「車椅子インフルエンサー」を名乗る観客が希望した映画を観覧。上映後、従業員に「この劇場はご覧の通り段差があって危ない。手伝えるスタッフも時間があるわけではない。今後はこの劇場以外で見てもらえると、お互いいい気分でいられると思う」と言われたとXに投稿した。
「こちら特報部」がイオン側に確認すると、このやりとりがあったことは認め、「対応としては謝罪文の通り」と答えた。今後は従業員への教育再徹底と再発防止、全劇場で設備の改善を進めるという。
◆「優遇されて当たり前の考えは捨てろ」
一方で「すごい悲しかった」と訴える車いす利用者の投稿には「特例対応を現場に強要するのはハラスメントでしかない」「何でも『優遇』されて当たり前の考えは捨てろ」といった批判のコメントがネット上に並んだ。
こうした論争は過去にも起きてきた。2013年、著書「五体不満足」で知られる作家の乙武洋匡氏が、車いすであることを事前に言わないで訪れたレストランに入店拒否された経緯を投稿すると、店への苦情とともに「傲慢」などと乙武氏にも批判が相次いだ。
◆「過重な負担」の線引きは明確でない
この4月からは改正障害者差別解消法が施行され、国や自治体に加え一般企業にも障害者への「合理的配慮」が義務化される。国は合理的配慮の例として「物理的環境」「意思疎通」「ルール・慣行の柔軟な変更」を挙げるが、明確な基準はなく、企業側に「負担が過重」な場合は除かれる。
車いすで生活する川内美彦・元東洋大教授(ユニバーサルデザイン)は、企業の側が合理的配慮をどこまでできるかは状況に応じて変わるため、障害者と共に解決策を探る「建設的対話」が重要だと強調する。
◆企業はできないことの明示を
「障害者が要望を伝えることは大切」としつつ、根拠や論理がないことまで主張してよいわけではないとも指摘。企業と障害者の関係は新たな段階に入りつつあるとし、「企業の側もできることとできないことを明示しておくことが望ましい。互いに主張しつつも譲歩し、満足できる合意点を探ることが建設的対話だ」と話す。
日本障害者協議会(東京)の藤井克徳代表は映画館の対応について「現場の従業員を責めるのは酷。あくまで会社の姿勢の問題だ」としつつ、「もし車いす利用者の訴えが『過重負担』とされてしまえば、法律の趣旨は骨抜きになってしまう。過重負担を企業の言い訳に使われてはいけない」と懸念する。
◆批判の応酬では出口は見えない
ネットでの批判については「匿名で非常にひきょう。根深い集団差別の一つだ。ただ、内心の問題に踏み込むのは難しく、議論自体を抑え込むのも違う」と悩ましさを吐露する。その上で「批判の応酬では出口は見えない。まずは政策を実施し、社会を変えることが大切だ。障害者と健常者が同じように映画を見ている状況が当たり前になれば、多くの人の認識も変わる」と訴えた。
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スペースX、米スパイ衛星網を構築 当局が2700億円拠出―ロイター(時事通信)2024年3月17日
 【シリコンバレー時事】ロイター通信は16日、実業家イーロン・マスク氏率いる宇宙企業スペースXが米国家偵察局(NRO)のためにスパイ衛星ネットワークを構築していると報じた。極秘契約で、18億ドル(約2700億円)を当局が拠出。低軌道衛星で地上部隊を支援するのが目的という。
スペースXはロシアによる侵攻で通信インフラが破壊されたウクライナに衛星通信サービス「スターリンク」を提供。抗戦に活用された。一方で、マスク氏が支援停止に言及した際に混乱が広がるなど、安全保障分野での影響力の高まりを懸念する声もある。
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mougen-nikki · 4 months
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
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2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
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3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
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4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
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5月
2日にネ��の夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
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運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
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6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
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7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
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8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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zattani · 8 months
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202306-08
またしても間が空いてしまうが、今年は趣味にあんまり頑張らないと決めたのでゆるくいきたい。去年がエンジン掛け過ぎたのかも自分比だけど……いつだって誰かよりもスローペースで得るものがそんなにない気がして焦っている。歳若いひとの方が明らかに自分よりも優れていて、今まで一体何をしていたのだろうという気になるし、同年代と比べると社会的な責任が少なくて能天気に生きてしまっている負い目があるのをいかに誤魔化しながら日常を過ごすか。
ヘザウィック・スタジオ展ほとんどの展示にコンセプト解説があって分かりやすかった。模型を見るのは楽しい。エアロ(車)やスパン(椅子)は飽きがなくて楽しくて素敵だ。建築物についてはそこの地に根差したものであるので、模型だけでなく動画で雰囲気を味わいを少しでも得られたのはよかった。建築物って「場」に根差したものだしね。21_21のザ・オリジナル展知っているデザインのオリジナルの設計の強さ、強いからこそのオリジナルのものたちがいっぱいで改めてデザインとは何かを考えさせられた。でも途中関係者なのか首からカード下げたおじさん複数人展示見るのに話し込んでて邪魔だったから関係者は常に会場内でどう立ち回るべきか考えた方がいい。
SOMPOのブルターニュの光と風展。国立西洋美術館のブルターニュと確か機関被ってて、だから両方行ったんだけど、個人的にはこちらの方がコンパクトでよりまとまっていて見ていて分かりやすかった。テーマが違うといわれたらそうなのだけど、広げ過ぎて印象が薄くなるよりは地味でもかちっとまとまっていた方が満足感がある。
ガウディ展、一度サグラダファミリアに行ったことがあったので、思い出しながら見ていた。スケッチがめちゃくちゃ上手い。スケッチがすごく細かい。建築のひとのスケッチって緻密なスケッチの印象があって、その印象をはるかに上回る緻密さと観察力のすごさ、あと3次元に起こすにあたっての実験とかのみどころがたくさんあった。自然と幾何学、スペインの歴史、色々な意味で目がいいひとだったんだなと思った。
6月は刀ミュを観劇した。立川ステージガーデンでマチソワはもう2度とできない……見え方よりもお尻がたいへんだった。
本は確か恩田陸の『歩道橋シネマ』理瀬シリーズを久しぶりに読んでも10代~20代前半ほどの萌えというか楽しみはなくなってしまったことを実感した。あの頃すごく好きだった。読むタイミングってあるよなを感じる好きだった作家。別に今も作品は好きだけど、あの頃ほどの熱はない。恩田作品の短編っていつも評価に困る。短編というよりも断片みたい。
7月はめちゃくちゃ詰め込んで「蔡國強展」「大森暁生展」「野又穣展」「古代メキシコ展」「テート美術館光展」「植物と歩く展」ダントツ良かったのは「野又穣展」で、みたことないのになんとなくノスタルジックな風景と建物。静謐で吸い込まれていくみたい。わたしはこんな建物の中で殺されて死にたいなと思う。寂しくはない。空気はカラッとしていて、ここでなら、いいな、と思う。「蔡國強展」はスピリチュアルとサイエンスの融合具合が中国ルーツらしいと思うと同時に、ブランドメゾンが手掛ける展覧会のホワイトキューブの使い方に新鮮な感じがした。大森暁生の彫刻は動物が好きなので見ていると楽しいが、個人的には「魂」というにはちょっと大げさな気がしなくもない。好みと題材の問題かな~。古代メキシコ展は全く馴染みない文化が単純に新鮮だった。気候風土に根差した動植物をかたどった彫刻は見ていると楽しいし、信仰する神様の違いも、信仰による生贄の文化も現代人の価値観からは遠いところにある。その違いを知ることができるのが楽しい。テートのモダンアート系は完全に映えるなと思ってしまった。光をどう捉えてきたかという話。ブレイクが見れて嬉しかった。あらゆる光、光とは何か、信仰や窓から零れる自然からさらに進んで科学的知見を得てからぐっと光の表現幅が広がって、結局光とは何になるんだろう。植物と歩くは地味だけど牧野博士の観察から始まって、静物としての花や草、イメージとしての広がりと、草の生命力、木の芽吹きとかいろんな連想によって連なる展示が面白かった。
7月って何読んだっけ?たぶんカレン・ラッセル『オレンジ色の世界』わたしが20代半ばくらいだったらもっと刺さってたかも。レモン畑の吸血鬼が面白かったからこっちも手を出してみたけど、題材は面白いけど文章がいまいち合わないのかも。思えば、ルーシー寮だったか、立ち読みの段階でこれはそこまで合わないなと思っていて、実はラッセルそこまで好きじゃないのかも。映画は「ロバと女王」ロバの皮被っててもカトリーヌドヌーブは美しいだとツッコむのは野暮だなと思いながら映画装飾が美しくて見ていた。妖精いる世界なのにヘリコプターあるんだ!今の時勢ではこういうお伽噺は作れないだろうな、と思いつつ結構このお姫様もしたたかにちゃんと行動しているんだよね、出来る範囲で。
8月は生命力意地のため外出セーブしていた。デイヴィッド・ホックニー展を楽しみにしていた。今なおipadで描き続ける力の強さを感じる。生命力の強さというか、貪欲な精神力。スペインのイメージ展も版画中心なので色味としてはかなり地味だけれど、イメージは実像ではなく、同じく欧州と括られながら異国からの異国に対するロマン抱かれる虚像を見られていたとしても、そのイメージを利用しながら時代を進む逞しさもあってよかった。
夜の動物園に念願かなって行けたのが嬉しい。夜なので活発な動物たちがいるかといえば、きっとみんな暑さでバテてた。わかるよ、人間もだ。蝙蝠は普通に飛んでいた。外ではなくて屋内展示に入れられている様子も普段は外だから新鮮だったし、何よりも街灯が少なくて真っ暗な動物園の雰囲気が一番面白かった。ひとりじゃないから怖くなかったけど、この中にひとりでいたら相当怖い闇だろうな。
平井呈一『真夜中の檻』死んだ人間の本しか読まない友人から譲られた。死んだ人間の本を読む友人はデカダンスというかエロティシズムというか艶のある話が好きなので、なるほどね、と思いながら読んでいた。エッセイの歯切れの良さがいい。
君たちはどう生きるかを見たのは7月だったか8月だったか?かつて見たジブリが全て詰まっていて、かつてジブリを楽しんできたわたしは充分に楽しんだと思う。
そういえばこの3か月で英国ロイヤルバレエも見た。下半期も何か観劇したいな。
(ちょっぴり9月)ここではないどこかへずっと行きたくて、今年は海外はベトナム(ハノイ)に旅行に行った。理由というほどのものはなく、単に行ったことのない国に行きたかった。ガイドつきのオプショナルツアーをちょこちょこ申し込んでいて、ガイドさんがベトナム文化の話をしてくれた。ベトナム戦争とか占領の歴史って一体我々日本人はどんな顔をして聞くのが正解だったのだろうかと今でも考えている。交通ルール無視のバイクの群れや街路のガジュマル、路上でプラスチックの椅子に座ってお茶やご飯をのんびり食べている人々。。。
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thereareonlydeer · 1 year
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鳥類
ボクは別に本が嫌いでも好きでもなかった。プライベートな時間で本を読むことはなかったけれど���例えば国語の教科書に載っている物語は何度も何度も読みかえした。それくらいのポジションにいた。 ボクが活字を嫌いになったのは「ペンギン・ハイウェイ」のせいだ。全く意味の分からない話だった。ついていけなかった。なぜペンギンが森の向こうからやってくるのか、なぜお姉さんはペンギンに疑問を抱かないのか、なぜ不条理な方法で事態が収まるのか。頭がどうかなりそうだった。 以来、ボクは本を読んでいない。 ハヤシダ――ハヤシダはボクの同級生だった。ボクらは同じ誕生日で、同じくらいのテストの点数だった。ボクらはいつも一緒にいた。つまり出席番号は誕生日順で座席配置は成績順だった――は、ボクが「ZOO」を読もうとしたとき「そんな気持ち悪いの読むのやめてよ」と言ってくれたけれど、本当はボクが水族館に行くのを止めるべきだったのだ。
「すずめの戸締り」を見た。
事前情報ゼロだったから、ヒロインが椅子になって笑ったし以降ずっとそのままで絵面を間抜けに感じた。これは褒め言葉だ。いい抜け感だった。
音がよかった。誰かが同じ感想を書いていたが、鈴芽の家に上がったときの草太の足音が異様にリアルだった。その直後ダイジンを追いかけるシーンのBGMもよかった。アップテンポなジャズはいいものだ。 ミミズが現れた瞬間のドゥンという効果音はシンボリックだった。コメディあるいは人情パートからシリアスパートへの移行をとても分かりやすく演出していた。鈴芽の瞳にミミズが映るのも同様に効果的だった。オタクは瞳を見つめるのが好きなのだ。
人情といえば、映画前半は概ねダーツの旅だった。新海作品で描かれるノスタルジーは美しい田舎や魅力的な少女にだけでなく、こういうところにも潜んでいる。 話が東京(として表象されることの多いものとしての都会)へと収束するのも新海的だった。全ての道は東京に通じている。 ダーツの旅の過程で鈴芽はときに服を着替えときに装備を追加したが、最終的に選んだのは制服(と彼氏(予定)のブーツ(素足))だった。これも瞳に映るミミズと一緒で、性癖を存分に曝け出してやろうという制作陣の意気込みを感じるポイントだった。制服はJKの戦闘服だ。
解放されたミミズの姿はとてもグロテスクだった。透明感に定評のある新海作品の映像のなかで、このシーンのミミズだけが異様にマットだった。これヤバいやつだと問答無用で理解させられるおどろおどろしさだった。かたちが生き物からかけ離れているのもそれに拍車をかけていた。
芹澤君はコッテコテの「友」だった。閉じ師の設定や古文書まわりはコッテコテの「閉じ師だけど質問ある?」だった。このへんはもう失敗しようのない描写だと思う。約束されたここ好きポイント。
家出少女と養母のあれこれの件はやや無理してねじ込んだ感がある。ただこれは鈴芽の過去と年齢から自然と導出できてしまうエピソードではあるから物語の一つの軸に組み込まれるのも仕方ないことなのかなとは思う。
鈴芽の(とくにサバイバーズギルトじみた)心の傷については作品の題材上、部外者がどうこう言えることはないように感じる。地震後の描写や東北の景色も同様に。
3月11日は終業式だった。いつもより何時間か早く家に帰ると、母親がテレビにくぎ付けになっていた。ニュースの映像では航空機が波にさらわれていた。ボクは鑑賞者だった。
4月14日はパーティに参加していた。留学生が多くいた。 警報が鳴り、ボクたちは折りたたみテーブルの下に身を隠した。大きいといっても死を感じるほどの揺れではなかった。せいぜい震度4くらいだった。「こんなの日常茶飯事だよ」とヨーロッパから来た学生に言った。その直後に「お前の地元熊本だったよな」と言われた。すぐに実家に電話をした。無事だった。ボクは「断水になっても江津湖があるから大丈夫だね」と笑った。念のため娘――ボクからみた妹――と一緒に小学校の体育館へ避難するのだとシングルマザーの母は言った。ボクは「スマホの充電は大事に」と言って連絡を止め、ベッドにもぐった。 16日の揺れはもはやちょっと大きい余震でしかなかった。
ボクは阿蘇の山道を何度も通った。ボクの実家は熊本にあり、実家の実家は大分にある。阿蘇山を通り抜けるのは特別なことではなかった。 ボクは運転の練習にと、カルデラの街を望む道を車で走った。初めはほとんど封鎖されていた道が、ボクの運転が上達するのに併せるように解放されていった。震災から2年後には黒川温泉に遊びにも行った。 大きながけ崩れがあった場所も、傷痕を残しながらではあるけれど通れるようになった。その場所では通行車は徐行するのがマナーになっている。運転手が惨状を見る時間を作るためだ。PTSDを起こす心配のない人たちが崩れた山肌を流し目で見ながらゆっくりと去っていく。自然公園のパノラマを眺めるみたいに。
益城町で再建に奮闘する神社の記事をネットニュースで見た。それを魚拓にとって保存した。
真面目君がボランティアに行かないかと誘ってきた。ガクチカ稼ぎかよとボクは断った。
図書館へ行って調べものをした。 日本の地下には龍が住んでいることを知った。 ミンダナオ島から東北地方にかけて、黒潮流域の地下に蛇(あるいは龍、鯰、蚯蚓)が生息していることを知った。 阿蘇山には鯰と巨人が住んでいたことを知った。巨人がカルデラの淵を蹴飛ばしたことを知った。
いつかの電話で母は「ああいうときはやっぱり見るんだねえ」と言っていた。黒い影が視界に入り続けたのだと。避難するときに開けた車のトランクからその影は飛び出たのだと。ひび割れたアスファルトや落ちた看板や水を求めて並ぶ行列やふと目を覚ました夜の闇の中や体育館でうずくまるわが娘のそばに、その影は佇んでいたのだと。 ボクはドラマや映画の見すぎだといった。母は「黄泉がえり」の映画を見たことがあったし、ボクはその小説を読んだことがあった。
���年の今頃、CAMKで「こわいな!恐怖の美術館 展」があった。 コーダ・ヨーコのインスタレーションでは「ヨルのキオスク」の裏に自由帳が置いてあった。旅館や観光地の駅に置いてあるような、客が自由にメッセージを書き込むノート。髑髏の絵が描かれたページの裏に「精神こわれた 弟とともに 寝れない夜」と、太くなった鉛筆で殴り書きされていた。ボクはそのページの写真を撮った。それからいしいしんじの展示に行き、小泉八雲の左目についてのコピーを取って建物を出た。
テレビを見るときも、パーティに出ているときも、車を運転するときも、ニュース記事を読むときも、ボランティアを断るときも、調べごとをするときも、人の話を聞くときも、美術館を歩くときも、小説を読むときも映画を見るときも、ボクはただの鑑賞者だった。空飛ぶ鳥が、揺れる大地を、はるか上空から悠々と見下ろすように。
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momoclo-docs · 2 years
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【緊急開催!!】大ヒット御礼舞台挨拶実施決定!
映画『ももいろクローバーZ ~アイドルの向こう側~〈特別上映版〉』の大ヒットを記念して、御礼舞台挨拶を実施致します。監督・キャストによる舞台挨拶登壇を予定していますので、ぜひ、皆様のお越しをお待ちしております!
★大ヒット舞台挨拶
★舞台挨拶
日程:9月1日(木)
会場:ヒューマントラストシネマ渋谷
➀10:50の回(上映後舞台挨拶)
登壇者:高城れに/酒井祐輔監督(敬称略)
➁13:30の回(上映後舞台挨拶)
登壇者:百田夏菜子/酒井祐輔監督(敬称略)
③16:10の回(上映後舞台挨拶)
登壇者:玉井詩織/酒井祐輔監督(敬称略)
④18:50の回(上映後舞台挨拶)
登壇者:佐々木彩夏/酒井祐輔監督(敬称略)
※上映回により登壇者が異なります
※登壇者は予告なく変更となる場合がございます。予めご了承ください。
【チケット料金】
2,100円均一 
【チケット販売】
「チケットぴあ」にて販売
【チケット購入方法】
プレリザーブ:08/30(火) 11:00受付開始~08/31(水)11:00受付終了
当落発表:08/31(水) 18:00予定
※チケットのお申込は、お一人様1枚までとさせていただきます。
★身分証明書ご提示のお願い
入場時に本人確認を行います。
鑑賞チケットに加え、顔写真付きの身分証明書の提示が必須となりますので、必ず当日までにご用意ください。
※身分証明書がない方はご入場頂けません。
<身分証について>
下記のいずれか一点をご持参下さい。
①個人番号カード または 写真付住民基本台帳カード
②パスポート
③運転免許証 または 運転経歴証明書
④外国人登録証
⑤在留カード
⑥写真付学生証
⑦写真付障害者手帳
【注意事項】
※政府による「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」及び全国興行生活衛生同業組合連合会による最新の「映画館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づき、映画館を運営しております。
※ご来場の際は、マスクの着用・咳エチケットをはじめとする各劇場の新型コロナウイルス感染症予防対策へのご協力をお願いいたします。ご協力いただけない場合には、ご鑑賞をお断りさせていただく場合がございます。
※舞台挨拶中および本編のご鑑賞の際には、会話や発声はお控えください。特に飲食物をお召し上がりの際の会話はしないようご注意ください。声援が起こった際には、ご退場いただいたり、イベントを中止させていただく場合がございます。予めご了承ください。
※ご入場の際、入り口に設置しています機器による検温にご協力ください。37.5度以上の発熱が確認された場合は、ご入場をお断りいたします。
※過去2週間以内に感染が拡大している国、地域への訪問歴がある場合は、ご来場をお控えください。
※手洗いや備え付けの消毒液のご使用、咳エチケットにご協力ください。
※ソーシャルディスタンス(社会的距離)の確保について、座席指定券との引換時や売店等のお並びの際、および入退館時など、一定距離の確保にご協力ください。
※お席はお選びいただけません。
※新型コロナウイルスの感染拡大状況やその他主催者の判断により、舞台挨拶の開催中止や、登壇者などの内容が予告なく変更になる場合がございます。
※いかなる事情が生じましても、ご購入・お引換後のチケットの変更や払い戻しはできません。
※映画鑑賞の妨げになりますので、上映途中での入退場はご遠慮ください。
※特別興行の為、ムビチケ・割引券・招待券は、ご使用いただけません。
※全席指定・定員入替制での上映となり、座席指定券をお持ちでない方はご覧になれません。
※ご購入の際は各種手数料がかかります。詳しくは、ご購入の際にご確認ください。
※車椅子での鑑賞を希望される場合は、事前のご連絡をお願いしております。
※転売・転用を目的としたご購入は、固くお断りいたします。
※場内でのカメラ(携帯電話を含む)・ビデオによる撮影・録画・録音等は、固くお断りいたします。保安上、入場時に手荷物検査を行う場合がございますこと、予めご了承ください。
※お電話でのご予約は承っておりません。
※当日、マスコミ・メディアの撮影が入る場合がございます。その際、お客様が映像等に映り込む可能性がございますこと、予めご了承ください。
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kachoushi · 2 years
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零の会
2022年4月2日
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於:南麻布いきいきプラザ
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
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坊城俊樹出句
空襲に焼けたんぽぽの大銀杏 更科へ蕎麦食ひにゆく恋猫と かぎろひの暗闇坂をとぼとぼと 花衣たはむれに寄る煎餅屋 あべちやんの焼きとんもまた霞むなり 霞みたる幽霊坂へ迷ひ込む 女学館へとまやかしの蜃気楼 霾るや夏目雅子が路地ぬつと まだ開かぬ麻布温泉のどかなり 春の坂東洋英和へと続く
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坊城俊樹選 特選句
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坊城俊樹選 特選句
花の舞ふ五叉路に迷ふ女かな きみよ 蛇穴を出て街中に紛れたる 梓渕 大江戸も春や二の橋三の橋 荘吉 ハワイアンたらたら流れ逝く春ぞ いづみ 大銀杏とは崩れつつ芽吹くもの 光子 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 春の地上へとエスカレーターエスカレーター 炳子 六本木ヒルズの方へ茎立ちぬ いづみ 小津映画ほどの間合や春の昼 美紀 春爛漫東洋英和女学院 梓渕
坊城俊樹選▲問題句
花人の一人は泣いてをりにけり 光子
坊城俊樹選入選句
さ迷うて麻布十番花疲れ 眞理子 川と云ふ都会の隙間春の風 梓渕 春の寺供花抱きしめて車椅子 小鳥 花の雲麻布の空を押し上げて 三郎 うららかやくらやみ坂に影もなし 千種 パンの香と春の香のして西麻布 季凛 口元のうつくしき人梅真白 美紀 門番をかすめ燕の大使館 きみよ 花の昼髪に顔入れものを食ふ 和子 赤い靴履いて麻布の永き日を いづみ つぼみからくしやくしやぽんと八重桜 いづみ 座すによき石をみつけて花衣 光子 春闌けて地下鉄駅の深すぎる いづみ 花の夜は狸も出でよ麻布山 きみよ もの言へばまた一片のさくら散る 和子 のどけしや人住めさうな大公孫樹 千種 ひらひらと卒業式の少女かな 美紀 越路吹雪の碑に惜しみなき花よ 眞理子 陽炎やぬうと伸びたるビルの首 千種 コーちゃんへ愛の参加のごと落花 慶月 鯛焼もかりんともある春の昼 荘吉 間口狭き仕舞屋の奥春の闇 眞理子 鳥のこゑ芽ばり柳を噴き出づる 光子 駄菓子屋の二階は歯医者町日永 千種 湯タンポの錆びて売らるる万愚節 佑天 帽子屋の主は女花疲れ 炳子 胴吹きの花に語るや道成寺 眞理子 塔頭の始まりとして八重桜 慶月
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岡田順子出句
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岡田順子出句
香具師達の来る花守の面相に 弔ひも祝ぎも桜のひと色に 花万朶啄みたるや鳥の糞 カーネーション諭吉の墓に妻の名も 花朧シャンソン歌手の碑を包み 人形の瞳に春の夢去らず バザールへひやうと古今の花吹雪 囀と花の散り込む名刺受 子の膝の跡に窪みし花の塵 白椿麻布幼稚園へ矢印
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岡田順子選特選句
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岡田順子選特選句
女学館へとまやかしの蜃気楼 俊樹 道路鏡に真昼の空や鳥交る 炳子 花衣抱かれて泣く真昼かな 光子 花盛り帝都の地下を逝く列車 久 骨董を異人売りをり春市場 季凛 花衣とて親鸞のわらぢ履き 千種 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 開山堂椿は白に額は朱に 季凛 老酒の壺の箆跡風光る 和子 手のひらが日を受くやうに飛花落花 小鳥
岡田順子選▲問題句
生者死者みな散る花の子でありし 光子
岡田順子選入選句
湧水の落花くるりと回しつつ 季凛 霾るや夏目雅子が路地ぬつと 俊樹 囀もテニスボールを打つ音も きみよ ダリの絵の斜塔めきたる目借時 光子 いくつものレシピを聞きて春キャベツ 季凛 霞みたる幽霊坂へ迷ひ込む 俊樹 春の海向く福沢諭吉の墓碑 いづみ 勅使門うやうや拝す百千鳥 慶月 花の昼髪に顔入れものを食ふ 和子 花屑は情念となり鐘楼下 小鳥 花の舞ふ窓開かるる大使館 きみよ つぼみからくしやくしやぽんと八重桜 いづみ 泣き上戸一人をりけり花の宴 光子 仰ぎ読む山号寺号花の下 荘吉 花片を少女のやうに掬ひ撒く 秋尚 男の子二人の家に燕来る 美紀 風信子星の匂ひと想ひけり 美紀 浄土より花降る街の石畳 きみよ 愛子忌へ花の仏の鎮もれる 三郎 名にし負ふ山寺寺号花万朶 荘吉 木々の芽のふくらむやうに父よ癒えよ 美紀 ヘリ飛べば桜吹雪の麻布かな いづみ 塔頭の始まりとして八重桜 慶月 狸坂暗闇坂へ椿墜つ いづみ 花時をシティーボーイは遅参して 光子
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kyo-sakisaka · 2 years
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最果 #2
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やっとこさ2話目 お待たせしました
表紙お借りしています→illust/69660367
***
 淡々と読み上げられた声が、ふと意識の中に流れ込んでくる。紙を擦っていたはずの鉛筆の先は、知らず知らずのうちに丸くなっていた。僕はふとそれに目を向ける。声の出所は付けっぱなしのテレビのようだ。 『東日本側を中心に俄雨(にわかあめ)が降るところが多くなりそうです。お出かけの際には傘を忘れずに――』  窓の外は灰色によどんでいる。ここのところこんな天気ばかりで、洗濯物をなかなかに外に干せない。いくら一人暮らしとはいえど、気まぐれに顔を出す晴れ間を探すまでに洗濯物が溜まる一方なわけで。僕の背後でぐるぐると洗濯を続けている。  僕は手にしていた鉛筆を放り出して、ちらりと外に視線を向けた。 「……撤去、しないといけないな」  ここから電車で二駅ほどいったところにある、借りっぱなしの部屋。主に自分がアトリエとして使っていたその部屋だけは、どうしても手放すことができなかった。どうにかしなければいけない。意識の裏側に残ったしこりのように訴えかけるアトリエの存在にそう思ってはいるものの、体は鉛のように重い。過去と、現状と、未来を永劫に考え続けては、思考の渦に迷いそうになる。このまま画家時代に細々と続けていた貯金を食いつぶすだけの日々を続けていれば本当に路頭に迷う羽目になることもわかってはいる。わかってはいるのに、なぜか躊躇してしまうのだ。何かに後ろ髪を引かれているような、そんな感覚。  不意に、ぽたり、という音が沈みかけていた僕の思考を浮上させる。その音の出所である窓ガラスに焦点を合わせてみれば、降り出した雨の雫がそれを叩いたようだった。 「あ、」 ――今日こそは外に干せると思っていたのに。  ぽつり、ぽつりと降り出した雨は徐々にその雨音の速度を上げていく。そうして気が付いた頃にはざあ、と降り出していた。こんな天気じゃ洗濯物を干すどころじゃない。窓ガラス越しに映るのは、突然の雨に大慌てで駆け出す人々の姿。腹の底から押し上げてきた倦怠感に身を任せていれば、僕の口からはため息がひとつこぼれた。  こうなってしまえば、行き先はひとつしかないだろう。案の定、この雨模様で利用する客は多いようだ。見たところ、全体の四割程度といったところだろうか。無機質な機械音とともにぐるぐると回り続ける洗濯物たちをそれとなしに眺める。稼働している乾燥機自体は多いものの、店内に人の姿は見受けられない。雨が降って少し寒いくらいの外に比べ、ここは暖かかった。コインランドリー特有のふんわりとした洗剤のような匂いが鼻腔をくすぐる。 「……あの人、どうしてるんだろう」  ぼんやりと、その人のことを思い出した。映画館で出会った、奇妙な男性。それでいてどこまでも綺麗な彼は、どうしてあの時僕に名前を尋ねたりなんかしたんだろうか。どうして僕は、彼に名前を教えたりしたんだろうか。あの日から一週間経った今でも、その謎は解けることなく僕の内側に違和感として残っている。人間という生き物の性質上、そう重要でないことは忘れるようにできているはずなのに、なんだってこんなことになっているのだろうか。 「……何がしたかったのかな」  人がいないことをいいことに、ぽつりと独り言を漏らす。僕の小さな声は閉鎖的なこの暖かい空間に響くことなく、回り続ける機械音にか��消された。 いつまでそうしていただろうか。不意に、背後の自動ドアが開く。この雨模様だ、きっとこの人も乾燥機を回しに来たんだろう。そう思いながらなんとなしに目を向けた先にいた人影――その姿に、僕は思わず目を見開いた。  中央で紅白に区切られた、特徴的な髪の毛。同性でも息を呑むほど整った顔立ちと、左目のあたりを覆うような火傷の痕。  これは白昼夢だろうか?たった今考えていたばかりのその人が、僕の目の前に現れたなんてそんな都合の良いこと起こるだろうか?それも、映画館の人混みの中でたった一度会っただけのその人が。  思わず目を丸くしてしまった僕の視線に気付いた彼は、僕を見てはっきりと驚愕の表情を浮かべた。持ったままの洗濯物のかごを落とさんばかりの勢いばかりで目を見開いたまま、ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返す。それからどういうわけか、泣きそうにほんの少しだけ色違いの瞳を細めたのだ。 「また、お会いしましたね」  その声に、ようやく現実が戻って来る。時が止まってしまったかのような、そんな錯覚。たった今、この瞬間までそんな錯覚を覚えていたことを僕はようやく悟った。平静を装った彼の声は、けれども喉から絞り出したかのような声音で。絞り出したようなその声は、僕の胸のあたりをざわめかせた。  どうして彼は、僕にそんな顔をするのだろう。どうして彼は僕に、初対面の人間とは思えないような関心を向けたのだろう。わからない。僕は彼のことを何一つ知らないから。納得のしようもなければ、理解のしようもないのだ。 「この間ぶりですね――轟さん」  その名が口をついたのは、自分でもびっくりするくらいに自然な流れだった。いつの間にか彼その表情から泣きそうなそれを拭い去っていた。先ほどまで繰り返していた瞬きがぴたりと止んだかと思えば、凪いだ海のような穏やかな瞳で僕を見つめてくる。  違和感のような、それでいて知ってみたいような。彼の瞳は、僕をそんな不思議な気分にさせる。よくよく考えてみれば、あの映画館の時もそうだった。ゆらゆらと溶けだす、光を宿した色違いの瞳。水の上を伝播した光のきらめきが、瞳の色に反射して輝きを増していくよう。彼は、美しい人だった。さざ波のように静かに、心の内側にざわめきを残していくような。 「お住まいはこのあたりで?」 「ええ、実は近くなんです。ここから少し北の方でして」  手に持った洗濯かごの中身を乾燥機に放り込みながら、彼――轟さんはそう口にする。あまりその中身をじろじろと見るのも憚られて、僕はそっと視線を外した。わかっていたことではあるけれども、やっぱり店内には僕たち以外の誰の姿もない。あるのは稼働したままの乾燥機と、洗濯かごを置いて洗濯物を畳むための台、それから申し訳程度に隅に置かれた観葉植物くらいだろうか。店内はどこまでも殺風景だった。 「まさかこんな場所で轟さんにお会いするとは思ってませんでした」 「本当ですね、すごい偶然だ」 「映画、よく見られるんですか?」 「そんなでもないです、たまに見に行く程度で」  僕が座っていた長椅子の隣に「失礼します、」と腰掛けた彼の面持ちは、やはり何度見ても文句なしに整っている。整いすぎて冷たい印象さえ感じるくらいだというのに、彼が僕に向ける表情にそんなものは微塵も感じられなかった。 「緑谷さんはどうしてあの映画を?」 「え?ああ、好きなんです。あの映画の原作の作家さんが」 「轟さんは?」 「あ、いえ、まあ、そうですね……俺も同じようなものです」  ぴくり、と彼の肩が不自然に揺れた。ひょっとしてあの映画が微妙だったのだろうか?もしかしなくてもあまり快くない言葉を言ってしまったかもしれない。きゅ、と唇を結んで、何が面白いのか重力に従って回り続ける洗濯物を見つめた。  そうしてふと、僕らの間に沈黙が落ちる。耳に伝わるのは、ごうごう、と回り続ける乾燥機の音。僕と彼の間には言葉がない。けれども僕も、彼も、腰を上げる気にはならなかった。 (……わからない)  わからない。彼が何を考えているのか、その判断をするには僕たちはお互いのことを知らなすぎる。唯一共通の話題である映画の話も尽きてしまえば、いよいよ彼自身のことについて考えるほかない。  その瞬間、頭の中で感じていたはずの違和感がふいに思い出された。いや、違う。思い出されるというよりは、きっと最初からあったんだろう。ただ、ここ最近はそれに意識を向けていなかっただけだ。  ――彼が、なぜ初対面の僕に執着したのか。  僕は、重い口を開いた。核心に触れる言葉を口にするために。 「轟さん」 「はい」 「どうしてあのとき、僕に声かけたんです?」  ごうごう、と回り続ける洗濯物の音。僕らの間にあるその音の隙間の中で、彼はひっそりと息を吸い込んだ。それは、どこか懺悔のようだった。なんの言葉も発することはない、ただの呼吸だというのに。それなのに、僕にはどうしても彼が息をする様が、肩を縮こまらせて、震えながら懺悔をしているように見えてならなかった。彼がそうしていれば、ピーッという音が響く。乾燥が終わったらしい。  ふと、僕は腰を上げようとした。彼は黙ったままだ。彼の口から答えを聞けないのであれば、僕がこの場所に、彼の隣に腰を下ろす理由はない。言葉のない彼を残し、一抹の後ろめたさに気付かないふりをして。そうして、腰を上げようとしたのだ。 「どうしてでしょう」  そんな僕の動きを止めたのは、ひどく穏やかな、それでいて葛藤が入り混じったような彼の声だった。どうしてでしょう、と彼が口にしたその言葉。それは僕に対する問いかけでも、彼自身に対する問いかけでもあったように思う。まるで、どうして僕に声を掛けたのか、彼自身がさっぱり理解していないとでもいうように。 「どうだったと思うんですか?緑谷さんは」 「……さあ、わかりません。何しろあなたとは初対面でしたから」 「ええ、そうですね」  彼はどこか遠くを見ていた。僕の質問から逃げるように。明確な答えを口にすることなく、過去の自分からすらも逃げているように思えた。思っていた以上に冷たい言葉になってしまった気がして、思わず彼の方を見やる。 「……声をかけるつもりなんてなかったんです」  長い沈黙のあと、彼は口を開いた。 「自分でも理解できなかった。気がついた時にはあなたに声を掛けていました。どうしてあなたに声を掛けたのか、そう仰いましたよね?」 「はい」 「わからないんです。強いて言うなら衝動的なものに近いのかも」  衝動的、と心の中で呟く。僕が彼に何かを感じたように、彼も僕に何かを感じたというのだろうか。彼が衝動的と名付けたその奇妙な感覚は、僕にはよくわからない。ただ、僕がこうして彼の隣にいること、こうして話を続けていること自体が奇妙なことだった。ぐるぐると回り続けていた洗濯物はすっかり動かなくっているわけだし、もうこの場所に用はない。ないというのに。  目の前の綺麗な男性(ひと)がそっと目を伏せる。長い睫毛が目蓋に影が落ちた。相変わらず外はざあざあと雨が降り続いており、一向に止む気配がない。雨の音と、洗濯物が回り続ける音。その音に紛れるようにして、自分の酸素を吸い込む音が聞こえる。 「また、会えませんか」  口にしたのは僕のほうだった。驚いたのは彼の方で。僕のあずかり知らぬところで声になってはじめて、無意識に感じていた思いを知る。どうしてそんな言葉が零れたのか、僕にはさっぱりわからない。ちょうど、声を掛けるつもりなんてなかったと口にした彼のように。  轟さんの色違いの瞳が見開かれる。それは人工の蛍光の明かりをその瞳の上に反射させて、きらめいていた。ピーっ、と音が響いて彼の衣類の乾燥が終わる。彼が動くことはなかった。それがすべてだったともいえる。僕の言葉に対する、彼の無言の返答が。 「……こんなことを言ったら気恥ずかしいんですが」 「はい」 「友だちになりたいんです、あなたと」  友だち。その言葉にぴくりと肩を動かす彼。よく見ればその肩はちいさく震えている。理由のわからないことを口走ったのはこれで二度目だった。それに無理やり理由を付けるとするなら、きっと一緒だろう。これが「衝動的」ってやつに違いない。  窓の外に鮮やかな色が映る。誰かが傘を差しながら通り過ぎていった。 「……どうして?」 「どうしてだと思います?」  言いながら少しだけ笑ってしまった。僕たちはどうしてを繰り返してばかりだ。結果なんて決まっているのに、過程の道中で感情を見せあっている。その裏側に混じりけのないことを、余計な色が落ちていないことを確かめて、確かめて。  ――ああ、こういうのなんていうんだっけ。 「わからないんです、自分でも」  友だち、だなんて年不相応の響きを羨ましく思う自分が。そうまで僕に思わせた目の前の轟という名の男性(ひと)が。わからないことを知りたがるのは人間の欲だ。だからきっと僕はとびきり欲深い人間なのだろう。 「……お嫌ですか?」  本音を言うと少しだけ怖かった。その言葉に彼がどんな反応を寄越すのか気になるから。そうやって僕は彼の出方を窺うようにちらりと視線を向けた。その間、轟さんは何も答えることはなかった。とっくに終わった乾燥機の稼働音はもちろん聞こえない。いつの間にか僕たち以外の乾燥機も止まっている。  聞こえるのは雨の音とふたりぶんの呼吸の音だけ。そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。一瞬のようにも、ひどく長い時間のようにも感じられた。ふっ、という音とともに、空気が柔らかいものになる気配。音だけで、ほんの少しだけ彼が微笑んだのだと僕は理解した。  彼はわずかに微笑んでいる。うっすらと色づくように、僅かに微笑んでいるのに。 (どうしてそんなに、)  どういうわけか彼の微笑みは、単なる微笑み以上の感情を僕の内側から呼び起こした。それは僕にとって諦めたようにも、泣きそうなようにも見えて。  似ている、と思った。あの映画のラストシーン。辿り着いた思いの果てと、たどり着けなかった場所に、諦めるように、泣きそうに笑ってみせたあのふたりの影に。  ちりん、というベルの音が響く。雨音と、吐息の音だけしかなかったせいだろうか。それは随分と大袈裟に聞こえた。コインランドリーを利用していたその客は、すべての乾燥機が動きを止めていることを確認してから、僕たちに困惑した視線を一度だけ寄越す。順当に考えればそれは当然だった。稼働していないコインランドリーの中で、じっと何かを待ち続けるかのように見えたのだろうから。そのままいそいそと洗濯物を回収した客は、足早に去ろうとしていた。その姿をなんとなしに見送って、窓に視線を向けた時に僕ははたと気付く。外を歩いていた通行人がちらり空を見上げて、傘を閉じる。――雨が止んだ。  ちりん、と音が鳴る。それが合図だったかのように、彼は口を開いた。言葉を探していたわけじゃない。きっと彼の中でそれを口にするのは必然だったんだろうと思う。そう思わせる声で、彼ははっきりと言葉を紡いだ。 「轟でいいです。敬語もなしで」 「……じゃあ、轟くん」 「はい」  そこではじめて、僕は彼の微笑みを見た。それを目にした途端、胸の奥の方で痛みにも似た、引き攣れるような感覚が僕を襲う。神さまなんて信じてはいないけれども、もし僕が敬虔な信者だったとしたら。きっと神さまに会ったとしたらこんな感覚を味わうんじゃないかと思う。そんな、見る人の何かを変えてしまうような微笑み。嵐みたいに乱暴で、なのに春の風みたいに温かい、心の内側に吹き込むなにか。  彼は――轟くんは、その両の瞳を細めて、眩しいものでも見るかのように僕を見つめた。こんなことを言うのは恥ずかしいのだけれども、まるでそれがこの世の楽園でも見つけたかのようだから。だからなんだか恥ずかしくて、居た堪れなくて、照れ隠しにそっと視線を落とす。どうして。どうして僕は、轟くんのことをただの他人と思えないんだろう?  ただの他人だと思えない。すれ違った人波のひとりひとりとは何かが決定的に違う。ただの他人だと思えない。だというのに彼は、僕の手に及ばないくらい遠かった。もっと曖昧に言うのなら、薄かった。消えてしまいそうだった。 「どうして僕だけなんだ」  そうだ。きっと僕は寂しかったんだと思う。「轟くん」と呼んで「はい」と返した彼に。敬語もなしで良いと僕に言ったのに、自分はまったく敬語を外そうとしない彼に。寂しかったんだ。ほぼ初対面の相手に抱く感想じゃない気もするけれども。 「え、俺ですか?――えーっと、それはすこし」 「少し?」  意地悪な聞き返し方をした自覚はあった。轟くんは困ったように視線をうろうろと動かしながら、口を開いては閉じることを繰り返している。それはどこからどう見ても「言いにくいです」と言わんばかりで、思わず吹き出しそうになったのをぎりぎりのところで堪えた。 そこいたのは春の嵐なんてものよりはずっと身近な、温かい生身のひとりの人間だ。それがたまらないくらいに嬉しい。くすぐったい。楽しい。こんなことを思ったのは久しぶりだった。  きっと顔に出てしまっていたんだろう。吹き出しそうになったのを堪えることはできたけれども、表情筋を騙すのは骨が折れる。申し訳ないなあとは思ってはいるんだけれども。  彼は俯いていた。さらさらとした手触りの良さそうな髪の毛から少しだけ覗かせる耳は真っ赤に染まっていた。 「……恥ずかしい」  ふは、と声が漏れる。なんなんだろう、このひとは。一体全体どこの誰がこの整いすぎた顔立ちからこんな姿を想像できるんだろうか。何を考えているかわからないだなんて思っていたけれども、案外彼の中では単純なのかもしれない。そんなことを思えば、僕の中に描いてあった彼のイメージがばらばらと音を立てて崩れていく。春の嵐よりかは、初夏のひだまりのようだ。 「そんなことを言うとは思わなかった」 「…………そうか?」 「うん」  僕は立ち上がった。とっくに終わった乾燥機の取っ手をかぱりと開ければ、特有の洗剤の匂いが漂う。どんよりとした気分はいつの間にか晴れていた。自分でもびっくりするくらい、僕は洗濯物を丁寧に畳んだ。必要以上に時間をかけて、ゆっくりと。 「緑谷さん」  轟くんはそんな僕の様子をじっと見つめていた。名前はまだ呼びにくいのかもしれない。彼の瞳の中と、僕の瞳の中が重なる。僕と彼はよく似ていた。なにひとつ似ていないように見えて、とてもよく似ていた。気が付けば彼は僕のすぐ近くにいた。  轟くんは財布の中から何かを取り出そうとして、一瞬その手を止める。それはどう見ても不自然な動きだった。じっと視線を落とした彼の瞳が、戸惑うように揺れる。轟くん?と声を掛ければ、はっとしたように取り出そうとしていたポケットとは別のポケットからレシートを取り出した。彼はレシートの裏側に数字を記していく。 「これ、俺の番号だから……知っておいてほしい」  記されたのは11桁の数字の羅列。つまるところ答えだった。僕の問いに対する、彼の。 「これ、」  僕が驚きに目を瞠(みは)っている間に、彼は途中で慌てたように「こっちでも」と英数字の羅列を書き足す。言われなくてもわかった。メッセージアプリのIDだ。 「じゃあ、また」 「うん………また」  ちりん、とベルが鳴る。僕はその言葉を最後に外に出た。手にしていた傘がすっかりただの荷物になるくらいには、晴れた空。洗濯かごの中は、いつもよりずっと丁寧に折りたたまれた衣類たちで埋まっている。雨続きの最近じゃ、貴重な晴れ間だった。あともう少し家で待っていれば、コインランドリーなんかに行く必要はなかったのかもしれない。雲の切れ間から顔を出す太陽に目を凝らす。  ――それでも。  なんでだろうか。この場所で、彼と――轟くんと言葉を交わしたこと。たったそれだけのことに、どうしようもないくらい救われたような気がしたんだ。たとえそれが、世間から到底褒められるようなことではなくとも。 *** 「は~~~~~……ほんっっっと最高………」 「こっちはクソ最悪だがな」  思わず顔を覆って呟いた僕の言葉に、不機嫌そうな声でそう返される。とあるファミレスで僕はオレンジジュースを啜っていた。その向かい側にいるのは、僕の幼馴染。理不尽、横暴、唯我独尊の三拍子、呆れてため息が出てしまうほどにそんな言葉が似合うような人間の幼馴染は、僕とは正反対に麦茶を飲んでいた。  意外も意外だけれども、幼馴染――かっちゃんは健康志向だったりする。こんなに人相が悪いというのに、生活そのものは規則正しい。なんというか、本当によくわからない幼馴染なのだ。今まで二十数年幼馴染として過ごしてきた僕が言うのだから、間違いない。  さて、なんで僕が今こうしてファミレスにいるかといえば、元はと言えば目の前の幼馴染のせいだったりする。昼まで寝ていた僕を叩き起こした元凶のスマホは、かっちゃん、という文字をディスプレイに光らせていた。寝ぼけまなこで出た僕を迎えたのはかっちゃん……じゃなくて、僕たちの共通の友人である切島くんで。開口一番に「わりい、爆豪が緑谷のこと気にかけて荒れてるから助けてくんね?」という焦った声が聞こえたかと思えば、その裏側で「ンなわけねーだろがクソナードが!」という怒鳴り声が響いてきたのはつい数時間前の出来事。かっちゃんみたいなプライドエベレスト男はもちろん僕に頼み事なんてしないし、頼まれたって正直渋ってしまうのだけれども、ほかでもない切島くんに頼まれたのなら話は別だった。いつもかっちゃんがお世話になっているわけだし、断るわけにはいかない。そんなこんなで、こうしてかっちゃんと相対しているというわけで。 「かっちゃんはもうちょっと本を読んだ方がいいと思う」 「るせェ」  けっ、と吐き捨ててかっちゃんはそっぽを向いた。どうしたもんかな、と僕は手持無沙汰にオレンジジュースを啜る。もうとっくの前に氷が溶けだして大分薄くなっている。正直美味しくはない。 「大体なんでンな話聞かされてんだよ俺は」 「だってかっちゃんが話しろって言ったんじゃないか」 「ちげーわアホ、最近あったことを洗いざらい吐けっつっとんだわ」 「じゃあ同じだろ」 「ハア?」  かっちゃんの眉根がぴくりと持ち上げられる。折角映画の感想をネタバレのない範囲で伝えていたというのに。米神にうっすらと青筋が浮かんでいるのを見て、僕は思わずため息をついた。この幼馴染はいつもそう。極端に短気なところ、本当にそろそろ直したほうが良いと思う。 「だーかーらー、映画を観に行ったくらいだってば。ていうかかっちゃんこそなんでそんな荒れてるんだよ」  というか、どうして僕が朝から(というかもはや昼だけれども)かっちゃんの不機嫌な顔を見なければならないのだろうか。正直、この傍若無人な幼馴染とは仲が良いとはお世辞にも言えない。悪いわけでもないとは思うのだけれども、なんというか、あんまりうまく言葉にできないのだ。  けれども悲しいかな、過ごしてきた年月のせいでこの幼馴染の考えることはなんとなくわかってしまうわけで。例えば、こうして切島くんから電話を受けて相対しているこの状況そのものが、普段の僕らじゃあり得ないなんてことも。  かっちゃんがちらりと視線を寄越す。幼馴染の訝しげな瞳と僕の視線がぶつかった。  ――わかってしまうのだ。これでも昔は結構いろいろあったから。 「おまえ、仕事辞めてからどれくらい経つかわかっとんのか」 「え、なに急に。そんなん覚えてないよ」 「3ヶ月だッ!!!!ニート決め込んでるクセになに映画なんか行っとんじゃクソデクが!!」  急に口を開いたかと思えば、ダァン!と麦茶の入ったグラスを豪快にテーブルに叩きつける。あまりの音に周囲のお客さんたちがこちらを振り返った。シンプルに迷惑だからやめてほしいのだけれども。というかなんで彼の方が覚えているんだろうか。やっぱり律儀というか真面目というか。まあ、彼の場合、ただ単に僕が気に入らないだけだとは思うけれども。 「仕方ないじゃんか、貰ったんだから」 「貰ったァ?」 「元同業から。貰ったんだよ、ムービーチケット」  口にするなり、つい先日の記憶が蘇ってくる。もう一度絵を描いてくれないか、と頼んだ彼の姿は記憶に新しい。  実際、絵のことを忘れたわけじゃなかった。むしろ忘れたくても忘れられなかった。だからあの日の彼の姿に僕は、元恋人に復縁を迫られたような気分にさせた。もちろん元同業の彼の名誉のために言うけれども、僕は彼とそういった浮ついた話なんて一切ない。  ただ、こうやって表立って絵のことを聞かれるのは懐かしい気もしたし、そうだろうなという気もした。本当に申し訳ないとは思うのだけれども、周りの人間はいまだに僕に気を遣ってくれているのが現状で。  沈みかけた思考を誤魔化すように、僕は結露したグラスの中のストローをかき混ぜる。からん、と氷同士がぶつかる音が響く。なんだかんだ言って自分にとって爆豪勝己という幼馴染は大切な存在なのだ。他の人じゃつっこんで聞けないことを聞いてくる唯一の存在だから。  ――わかってる。忘れたわけじゃない。  それなのに、どうしてだろうか。いまの僕には、かっちゃんと瞳を合わせる勇気がない。まるで冷えた心臓に杭を打ち込まれるような衝撃があった。 「お前、そこでなんかあったろ」  どくり、と心臓が大きく跳ねた。目を逸らし続ける僕の視界に、かっちゃんの鋭い視線が投げられる。別に何も悪いことをしたわけじゃない。罪を犯したわけじゃないし、誰かに迷惑をかけたわけでもないというのに。それなのに、かっちゃんの正しすぎる目に晒されると息が苦しくなる。酸素がうまく吸えない。気管支を握りつぶされているように思う。  体の奥からなんだか途方もない何かが溢れてしまいそうな気がして、僕はぐっと堪えた。もしここが自分の部屋だったのなら、今すぐにでもベッドに倒れ伏しているところだ。こうやって内側で葛藤する僕は、一体全体かっちゃんにはどう映っているんだろうか。それはもう無様に、滑稽にでも映っているんだろうか。 「きみには関係ないだろ」  怖かった。何が怖いのかさっぱりわからないけれども、とにかく怖くてたまらなかった。だから、僕は敢えてぶっきらぼうにそう口にする。今更かっちゃんにどう思われようが気にしない。そうやって気を遣わなくていいのは、救いでもあった。  もうほとんど水になったオレンジジュースを啜る気にもなれずに、僕は目を閉じた。わかっている。僕は逃げてばかりだ。たった一度、逃げずに足を踏み出せたというのなら、あのコインランドリーのことだろう。  そうやって思考を向ければ、思い出されるのは彼の瞳のこと。色違いで、不揃いに揺れる瞳。映画のラストシーンにひどく似た、あのうつくしい瞳。  ――いつか、君にもわかる。  ずっと前、その言葉を僕にかけた人がいた。泡立った白い波と、すきとおるような青。世界の果てのような場所で、僕にそう零した人が。  いかないでください、まってください、……なんて言いたくても言えなかった言葉ばかりが、行き場をなくして僕の体のなかで響く。 「かっちゃんはさ――、」  あれは、僕の後悔。青色の、後悔。 「……いや、ごめん。なんでもない」  頭の中に過ぎってしまった。「最果て」だなんてあの、映画のタイトルが。そしてあろうことか、一瞬でもかっちゃんの前でそれを口にしてしまいそうになった。青色の後悔に、記憶に、呑み込まれてしまいそうにも感じる。息をしているはずなのに、溺れていくような。空の青さを反射した透明さが、足元からじわじわと侵食していくような。  かっちゃんは僕のことをじっと見つめていた。何かを言いたげな目で、それでも何も口にすることはなく。  僕は知っている。この横暴で傍若無人を絵に描いたような幼馴染が、どうして今押し黙っているのかを。知っているから、取り繕うこともしなかった。知っているから、頬杖を付きながら窓の外に視線を投げた。  ――最果て。この世の果て。果て。生の終わり。  自殺願望なんてものじゃない。生きることに嫌気が差したわけでもない。ただ、本当になんとなく僕は果てを思った。  心に残す風景だなんて、そんなものが本当にあるのだろうか。あるとしたら、それは一体どんなものなのだろうか――そんなことを考えながら。
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tamanine · 3 years
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空は青色、水色ではなく青色、黄色やピンクや紫の混じる時間も終わり、青色が群青色に変わるまでの時間。
美術館に行きたいけれど美術館は国や都の運営が多く速攻閉まってしまうし、そこで働くかたがたが不安なく働ける状況下というとそういうわけでもなく、(だけど所得の補償はするべきだ、ほんとうに、そうしたらみんな心配しなくて済むのに)変異株はマスクをしていても…等のテキストもインターネット上には流れてくるし、じゃあどうしろっていうのか?という状態のままなにも変わらない。仕事で渋々電車に乗るのに楽しいことのために乗るなというのは無理だ。
家で仕事をできないアルバイトをしている若い人に、仕事には来い学費はフルフルで納めろだけど遊ぶな/なんて無理だ。ありえない。でも悪いのは政治だと思う。リレーはするけどお前たちはじっとしてろなんて滅茶苦茶すぎる。破綻した権力者は怖い。
ワクチンのロジスティクスも人員も予約システムもショボショボのままなのだから、(医療従事者のかたはなにも悪くない、ご自身の心身を守っていただければと思う)根こそぎ検査して無症状の感染者のかたに一旦じっとしていてもらうしか今できることはやっぱり無いのだ。去年検査を渋ったまま、それを誤りだと認められないまま、去年GOTOとか言ってすいませんでした間違いでしたと自民党政権が認められないのが全ての間違いの始まりだろう。
やっぱり助けてくれるのはラジオから聞こえてくる声で、論理が破綻していない長い話を聞くとホッとする。
映画の「クリシャ」をこの前見た。
私は同監督のWAVESの男親への甘やかしが全然許せなかったのだけど(去年の7月11日にシネクイントWHITEで見て〝ものすごく久しぶりに渋谷で爆音で音楽を聴いて椅子がビリビリしている〟ことに感激してしまい、見たこと自体は楽しかった、でも男親が娘に甘える感じが最悪だった、シネクイントWHITEの音響と座席の広さは本当に素晴らしい、大好き)、クリシャを見たらWAVESのことも全て許せそうなぐらい嫌な気持ちになって最高だった。
クリシャの主人公である「クリシャ」は監督の実の叔母(俳優)らしく、面構えも演技も、そして撮影も脚本も素晴らしかった。あれが本当の実家なのか…(そして文化にも恵まれているんだろうな…)
家族団欒とにぎやかさが神経に触る感じ、筋肉をきちんとつけた男たちが男たちで集まった時の騒ぎかた、苛立つ人と、人を苛立たせてしまう人のその切実さ。
感謝祭の映画だったけれども、日本の盆暮正月にもガンガンかけて欲しい。あれでスリップしてしまうあまりのリアルさと、その映画的迫力、あの雰囲気の捉え方にしびれた。
私は自分の母と折り合いが悪い。というか、母が、子どもの頃の私にかけた言葉の数々があまりにも酷く、母は今現在私のことを嫌いではないかもしれないが、全然愛する気にはならない。世話をしてもらってはいたが、私の思う愛などはそこにはなかった。受けた拒絶のほうが随分と大きい。
母は私の人生の滋養には全くなっていない。母が私の味方であるとはとても思えない。彼女の気に入ったタイミングで/彼女の気にいることをすれば機嫌は良くなるかもしれないが、今そこまで付き合いたいかというと、Netflixの方が私に優しく生きる力を与えてくれる。
だから、母親なんだから愛されるはずだとは、他者に対しても全く思えない。
私が母親だとしても、毎日の中できちんとした優しさを、行動と言葉と実務と世話の全てで重ねていかないと、愛することにはならないし、どんなに気遣いや想像力や実務で気持ちを伝えても、愛される保証なんてどこにもない。愛していたとしても、拒絶する権利が愛される側にはある。大人と子供、親と子供、保護者と未成年、大人と大人、全ての立場で。
クリシャが言う、「今している努力」(台詞のディティールの記憶は曖昧、多分アルコールを抜いてシラフで生きる毎日の全てが努力なのに、依存症ではない周囲の人から見たらそれは努力とはとても見えず、失敗した時にはすごく大きな過ちに見える)の大きさも、とても切実に見え、
私はアルコールやドラッグのリハビリのドキュメンタリーをあればあるだけ見るので(Netflixのリハビリ・ボーイズ、ヘロイン×ヒロイン、リアルガールズ・イン・プリズン等々)、お酒を飲まずに1日を過ごす、というのが努力であるというのがよくわかる。(映画で言うと、アンハサウェイの、レイチェルの結婚や、シンクロナイズドモンスターも好きだ)
アン・ハサウェイの「レイチェルの結婚」もとても良いヤダみ団欒シーン映画だったけれども、あそこにはまだ思春期に近い拗れ方があり、クリシャでは主人公が60代にもかかわらず、その母親(90歳くらい?)との愛情関係のこじれがまだ残っており、老親の認知能力にもう限界がきている場合、もう会話における大人同士の許す/許される(愛し/愛されたことを確認する)行為を行うことができず、その点の苦悩は解消の見込みが無い。
クリシャがあの状態になるまで、何回コミュニケーションのチャンスを潰し、他者が彼女を許し愛し直したいと思ったタイミングを逃していたんだろう。けれどクリシャは自分の問題で精一杯で、コミュニケーションを逃しながら、けれどどこかで心は通じ合ってるはずだと思い込みたくて仕方がない。
私は私の能力や優しさが全て嘘のハリボテに思える。はたから見たら私とクリシャはなにも変わらないかもしれない。
にぎやかさも団欒も、どうしても神経に触る日がある。でもあそこまでいきたくない。この気持ちは、クリシャという映画がフィクションだから言う言葉だ。私はあんなふうにはなりたくない、は実在の他者に向けてはいけない。フィクションの中の・あの人のように・私はなりたくない。
「クリシャ」は緊張感のある長回し、美しい長回し、とても気の利いた音楽遣い、人間の優しさと豹変が脚本に織り込まれており、その上質さにも死ぬほど癒された。
映画館で見る映画がないと生きていけないや、と強く思った。
アップリンクの公開では私は見にいけなかったから、ユーロスペースで公開してくださりありがとうございました、グッチーズ。
長くなり夜が更けてきたので、ではまた
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