BOOK NOW!
その時その場を楽しむワークショップ
-ぐるぐるだらけ-
ぐるぐるの世界へご案内
4月28日(日)午前の部10:00~12:00 ※満席
午後の部14:00~16:00 ※満席
4月29日(月/祝)午前の部10:00~12:00 ※満席
午後の部14:00~16:00 ※満席
上記いずれかの部をお選びください
対象:こどもから大人まで
料金:3,000円/お一人
追加 2,000円/お一人毎(ご家族間)
ご一読ください アトリエご利用案内
お申し込みは Contct よりどうぞ
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ぼくのダイナソー
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本日、小学3年生の子が描いたLINEスタンプが誕生しました! みじかなことば。 https://line.me/S/sticker/22336693 可愛らしいスタンプですね(*^。^*) #みじかなことば。 #小3 #3年生 #LINEスタンプ #クリエイターズスタンプ #こども図工サークル #お絵かき教室 #絵画教室 #造形教室 #図画工作 #図工 #デザイン #芸術 #アート #小学生 #子供 #体験受付中 #愛知県 #豊明市 #名古屋市 #緑区 #東郷町 https://www.instagram.com/p/Co_xjLGJ9MW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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棕櫚の姫
そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと���った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひ��べりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多��の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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音MDM天 特別告知「アナログ」制作メイキング
2023年9月17日にニコニコ生放送にて開催された音MADイベント「音MAD DREAM MATCH -天-」の特別告知動画を担当・制作しました。そのメイキングになります。技術的にあまり役立つことは書いていないのであしからず。
動画はこちら
【Youtube】
【niconico】
①主題の決定と構想・準備
2023年の春ころに音MDM天運営から「アナログな作風を用いた告知映像」の作成を依頼されました。自分はもともとコマ撮り(ストップモーション)から映像制作を始めたこともありカメラを用いた実写映像の制作は好きでした。今回はその手法をメインとした、暖かみのある作風を主題とすることとなり、制作を開始しました。
「多くの個性が集まり、融合して新しい作品が生まれる」というイベントの趣旨から、おもちゃ箱をひっくり返したように様々なモノがゴチャゴチャに散らばりつつ一つの作品になっていくという主題に決定しました。
僕はこの手の作品をイメージする際にいつも思い出すのが「ミッケ!」という絵本です。読んだことがある人もいると思いますが、内容はウォーリーを探せの人間が小物に変わったようなものです。僕はあの絵本がとても好きで図書館でずっと読んでいました。一見して雑多に小物が散らばっているだけですが、よく観察するとそこにはストーリーあったり、この配置になった時間・過程を読みとることができます。言葉や文字情報に頼らず、存在だけで物語を作り出す表現に衝撃を受けたのをよく覚えています。僕が小物を使った箱庭的な構図を好むのはここが原点である気がします。キラキラした小物たちを眺めるときの多幸感。それをこの動画でも表現出来たらな、というイメージが最初にありました。
この主題を実現するためには前提として「様々なモノ」が必要であったため100円ショップや雑貨屋でおもちゃ、造花などを買いそろえたり、実家から持ってきたりしました。紙の箱やペーパークラフトの家は自分で作りました。こういうちまちました作業をしている時が一番楽しかったりします。
主役のように登場するレコードプレイヤーも実家に置いてあったもので、当初は動きませんでしたが配線を修理してなんとか動かしました。さすがナショナル製。
全体を通して、シンプルさとは相反する情報量の多い画面構成であるため、見てほしい部分と見なくてもよい部分を意識するようにしています。実写映像は明るい昼間しか撮影できなかったり、コマ撮りのように数秒のカットでも撮影が長時間かかるものがあったりとなかなか不自由な作業であり、制作に時間がかかることが予想されました。そのためなるべく早くから構成を考え、実行に移しました。
実写映像は絵コンテなどでイメージしたものがそのまま撮影できることの方が少ないもの(経験則)なので、ある程度は大雑把なイメージのまま、実際に撮影を開始してその都度いい感じに変えていくほうがよいと判断しました。撮影してカメラの画面で確認した時は完璧だと思っても、PCのモニターで見てみるとなんか違うな…ってことも普通にあるので、とにかくトライ&エラーで進めることを重視しました。
各出場者の紹介はポラロイド写真風にしています。初めから出場者の名前は実写ではなく合成にしようと決めていました。その方が視認性がよく、修正も容易なためです。なんといってもイベントの主役は出場者なので最も目立つようにしなければなりません。その名前を合成するスペースを確保するという意味合いで、普通の写真よりも余白が大きいポラロイド写真の方が適しているため採用しました。
立ち絵の背景はその人の代表作のスクショを使用しています。あくまで立ち絵が目立つようにしているのでちょっと見えにくいかもしれません。一人につきスクショ2枚。合計80枚のスクショを間違えずに組み込むといった画像管理は結構大変でした。運営にも手伝ってもらいミスのないように地道に確認していきました。
その他にロゴやその下地に使う模様の印刷、レコード盤風の紙などを作ったり印刷したり細かい準備を進めていきました。実写撮影で大切なのは9割が準備のようなもので、ここらへんは依頼を受けて構想を練った時点で少しづつ進めていきました。
②撮影について
コマ撮りや実写撮影は暑さとの戦いです。自分はかつて真夏にクーラーをつけずにコマ撮りをしてカメラをオーバーヒートさせたことがあります。猛暑の中で制作するのは嫌だったので5~6月のうちに撮影だけでも終わらせようと取り組んでいきました。
とは言え今回の撮影はすべて室内で行ったため、日差しやライティングにさえ注意すればわりとスムーズに進めることができました。
おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャ感、賑やかで楽しい雰囲気を出すためにはとにかくモノの配置が重要になります。画面の情報量がスカスカでは雰囲気を作ることができません。そのため文具やおもちゃなど小さいものを手前、造花や本など大きいものを奥に配置しました。こうすると空間を効率的に埋めることができ、また奥行きを表現できるので平面的な構図を避けることもできます。
当初はこの実写映像にモーショングラフィックス表現を加えて、より華やかな雰囲気にしようかとも考えていました。特に出場者紹介の部分ではコマ撮り以外のカットはあまり画面に動きがなく、見ていて飽きてしまうのではないかという不安がありました。映像作品において動きがないというのはかなりリスクのある表現なので、それをどうにかして避けようと考えていました。結局、モーショングラフィックスを合成する案は却下しました。理由としては手作り感のある、暖かみの感じる作風にモーショングラフィックスが合わなかったことと、合成がうまくいかなかったことがあります。実写映像に対してトラッキングがうまくいかずズレが生じるととても悪目立ちします。まして出場者紹介の部分で変に目立ってしまうことは避けたかったので、今回は実写合成は極力避けて制作しました。
代替案として、出場者紹介の各カットにおいて何かしら動きを加えるという方法を採用しました。「モノを置く」「おもちゃが動く」「電飾が光る」など出場者紹介の10カットすべてでなにかしら映像に動きがあるよう撮影しています。あくまで使用しているのは静止画ではなく動画であることをアピールすると同時に、出場者名が目立たなくならない程度に画面に華やかさを持たせたい意図があります。
運営から雰囲気の参考としていくつか映像作品を教えてもらいましたが、その中でもこの作品が特に印象に残り、お手本にさせてもらいました。実写ではなくCGなのは明らかですが、紙の質感を出しつつ派手な動きとカラーで飛び回る賑やかな映像です。場面転換は早くカット数も多いですが基本的には机の上からの撮影がメインであり、その制限された場所のなかで華やかな画面構成を作っています。それらの要素を観察して、なるべく賑やかな映像になるように考えてみました。
撮影は予定通り7月くらいまでにおおむね終了し、運営と話し合いつつ修正を加えていきました。1カットまるごと撮り直しなどもありましたが、わりと余裕をもって取り組むことができました。
撮影した映像の合計時間は約2時間。撮影した写真は120枚でした。
③編集について
実写映像における編集はわりとシンプルなもので、撮影した映像の上にいろいろ乗せていくだけなのでレイヤー構造が複雑にならずに済みます。ここらへんの整理整頓が苦手なので、これがモーショングラフィックス全開の作風だったらレイヤーがひどい有様になってたはずです。
出場者の名前をどのように合成するかは悩みどころでした。普通に表示させるだけではつまらないし、アニメーションをつけるには表示時間が少ないし、手書きにすると視認性が悪くなるし…。悩んだ末にこのような形に落ち着きました。太めの文字で視認性もいいですし、動きもあるので見ていて楽しくなる。先頭の文字に色を付けていますが、この色はキャラクターの色だったりイメージ的なものだったりするので、実はそこまで深い意味があってつけたものではありません。
(tumblrの仕様上かなり画質が荒いです)
上の画像、左は最初に作った試作版で右は最終的な完成版です。最初は出場者を五十音順で登場させていましたが、運営のアドバイスでチーム順に変更しています。
1カット目(コルクボード)については、最初は撮影した映像に文字を直接合成しましたが、カメラの動きと文字の動きにズレが生じて、いかにも合成した感が出てしまいます。カメラの動きも三脚に固定しつつカメラを動かすとぎこちない感じになってしまいます。なめらかなイージングのある動きを人力でやるのは正直無理でした。専用の機材は特に持っていないので仕方ない。そのためカメラを動かさず広域で撮影した映像を編集で拡大し動かす手法にしました。こうすればカメラのぎこちない動きもなく、合成も自然になります。
2カット目(観覧車の置物)は、構成自体を大きく変えています。試作版は写真に合成した、いわゆる静止画状態なので文字の動きは変ではないですが、静止画ゆえに動きもなく特別面白いところもありません。先述の通り動きのないカットは映像として致命的なので全体を作り直しました。完成版も1カット目同様にカメラ自体は動かさず編集で移動させているので合成は自然になり、ズームを使用した面白い動きになったと思います。
こんな感じで出場者紹介の各カットを作成していきました。曲としてもサビになる部分なので時間をかけて試行錯誤しています。
今回の文字アニメーションのメモ(自分用)
①GG分解でテキストを一文字ずつシェイプレイヤーに分ける
②全シェイプレイヤーを選択してNisai_wigglers(コマ落ちウィグラースクリプト)を適用。
③エフェクトコントロールで数値を調整
④調整レイヤーでチョークを適用(文字の太さ調整)
⑤先頭の文字に塗りで色をつける
個別のシェイプレイヤーの位置を変えても動きには影響しないので管理がラク。文字数が多い人は重なりが生じることもあるので要確認です。
各カットのトランジションは最後まで悩んだところです。ライトリークを入れたりズームを入れたり試行錯誤しましたがいまいち雰囲気に合わず、結局は要所要所でブラーを入れる程度に抑えてあります。出場者紹介部分では各カット時間が短いため、凝ったトランジションを入れて名前の表示時間が少なくなることを避けました。
また、全体の色調はあたたかみのある作風が主題なので少し黄色がかった暖色としています。とはいえそんなに大胆な色調補正をしたわけではなく、ほのかな色の変更と明るさの調整程度にとどめています。自然な感じに見えるように努めました。
④全体を通して
〆切に戦々恐々しながら作っていましたが、思いのほか早く完成し、残った時間を細かな修正にあてることができました。
完成版を一度運営に提出した後にtwitterが突然Xに名称変更し、あわててXのロゴマークを作成・追加しました。タイミングが悪かったら間に合わなかったかもしれず、かなりヒヤヒヤしたのを覚えています。
8月20日に運営からこの動画が投稿され、たくさん見ていただきました。ありがとうございました。やっぱり自分も楽しみながら作った動画というのは見てる側も楽しくなるような、そんな気がします。意外と作り手の心情というのは映像に反映されてしまうので、苦しみながら作ったのか、ノリノリで作ったのか結構分かってしまうものなので、できれば楽しい気分のまま作っていたいと思うところです。
⑤参考にした映像作品
・LiSA 『ノンノン』 -MUSiC CLiP-
・A Year in Full Colour - Moleskine Planners
・Honda "Paper"
・PlayStation®Lineup Video x 梅田サイファー「PUNCH LINE UP」
・Attitude covered by 柾花音【歌ってみた】
・トリックスター / 初音ミク
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2022.9.1-9.15
↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。
以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1
Darhamの宿を出発。朝のパブ。
スーツケースで朝ごはん。
なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。
今度こそ窓側取れた。
雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。
だけどやっぱり後ろ向きに進む。
座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。
途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。
シンプソンズで見たことある形。
ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。
同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。
英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。
Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。
めちゃいいつま先
モアイの体 cute
日本ブース(?)に三島由紀夫いた。
広すぎてまたしても諦めた。
朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。
生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set
部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。
「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3
本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。
観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。
上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。
入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか?
おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。
帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。
金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。
もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。
Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。
常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。
私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。
めちゃいい。
ずっと実物を見たかった”Hope”。
想像以上に大きかった。
とてもいい場所に堂々と展示されていた。
描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。
またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。
緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。
荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。
大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。
人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。
私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。
ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。
2022.9.5
初日。
ガイダンスを受けて午後から授業に参加。
チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。
イギリス初飲酒はguinnessでした。
2022.9.6
Good boy の Billy
どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。
キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。
果物が安い。
相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。
夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7
クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。
時間までNariとBig Ben周辺を散策。
ピーターパンだーーーー
ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。
彼はこの空を描いてたのか。
城?
城じゃん。
石造の建物はいいな。
歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。
カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。
お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。
普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。
色味が途中から変だった。
おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。
エリザベス女王が亡くなった。
「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9
観劇しに市街地へ。
地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。
けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。
どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。
ラーメンは普通に美味しかった。
著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場
客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。
ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。
バイオハザードの地下鉄?
この��は”FROZEN”
めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。
小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。
古そうな天井に穴開けて吊ってる
ピンスポ
オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。
休憩中、客席でアイスを売っていた。
飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。
ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。
観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。
ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。
新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。
久々に対面で日本語を喋った。
タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11
月曜日。
2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。
白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。
行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。
DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」
もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。
日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。
ロンドン塔を見て、Five guys へ。
新しい街と300年前の建物が共存している。
石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。
飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。
ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。
写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman
家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。
2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。
タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。
液体強すぎる。
ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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昨年より、江別市にて季節休みのこどもむけ工作のワークショップ「となりのアトリエ」に講師として出かけています。このワークショップ、みんな同じものを見本通りに作る工作ではありません。なので毎回皆さんからどんな作品が生まれてくるか楽しみです。
もともとは、北海道で長年ご活躍される劇作家の鷲頭環さんから子どもたちが自由な空間で工作するアトリエワークショップを江別でやりませんかとお声がけいただいたのがきっかけです。鷲頭さんは日本の妖怪等をテーマにした戯曲を書かれる作家さんで、音楽や舞踏など様々なエンターテインメントを融合された舞台はとてもエネルギッシュで素敵です。その鷲頭さんがご紹介して下さったのが江別の美容室秘密基地のオーナー渡辺さんで、美容室の隣に鷲頭さんのご主人と渡辺さんらがわくわくするようなスペースをDIYで改装されたばかりでした。
ワークショップは今回で5回目。親子で作ったり、こどもと親が別のものを作ったり、こどもだけで参加したりと、こどもも大人も同じ目線で作るのでひとりひとりが創る事に夢中になり自由な発想が飛び出してきます。
個性は特別なものでは無く誰にでもあるもの。ただそれを表せる場がなく眠ってる感性があります。自分の感性を開放し手と頭を活動し乗ってきた時には個人は輝きます。たまには親子で自分を表現しあうのも楽しいのではと思っています。
今度の春休みは3月28日(木)です。
テーマは「みんなでつくるトナリ村~箱のおうちと夢のおにわ~」
●イベント詳細ページ
●日にち:3月28日(木)
●時間:14:00〜16:00
●会場 〒067-0032 北海道江別市元江別886番地9 5丁目ハイツ いづみ 102号室 美容室秘密基地レンタルスペースとなり
●内容:箱をベースに家を作り家の中やお庭など自分の世界を工作してみんなでアトリエいっぱいに小さな村を作ります。
●参加費(材料費込):お一人様1600円(きょうだい2人以上の参加でお一人50円引)、同伴保護者の方で自分の作品を作られる方はお一人様400円で製作可能です。
・もちもの:なし
・講師:こじまかなこ 画家。愛知県生まれ。絵画の他、挿絵や絵本なども手がける。愛知県立芸術大学大学院修了。由仁町にて、遊び・自然・アートを融合した絵画造形教室「田園スケッチブック」を主宰。【となりのアトリエ】の講師は今回5回目。
・ご予約は3/21(木)までに下記連絡先へお願いします。定員になり次第、ご予約受付を終了します。
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「絵本朝鮮通信使」原画展
兵庫県たつの市にある郷土資料館「たつの市室津海駅館」を運営している「嶋屋」友の会発行の「絵本朝鮮通信使」。室津出身・在住の郷土史家である柏山泰訓さんが文を、綱本が絵を制作し、朝鮮通信使研究の第一人者で京都造形芸術大学名誉教授の仲尾宏さんが監修をした絵本です。
2021年暮れに発行してから、朝鮮通信使ゆかりの地で原画展を開き、各地の通信使史料とともに展示やトークイベントをおこなっています。2024年は以下の三か所で展示予定です。
室津展
【期間】2024年1月20日(土)~2月25日(日)
【会場】たつの市立室津海駅館(兵庫県たつの市御津町室津457)
【休館日】毎週月曜日(2月12日は除く)、1月31日(水)、2月13日(火)・14日(水)
【開館時間】9時30分~17時(入館は16時30分まで)
【入館料】高校生以上200円、小・中学生100円
静岡展
【期間】2024年3月23日(土)~4月14日(日)
【会場】静岡市歴史博物館 1階「道と石垣の遺構」展示コーナー
【休館日】毎週月曜日
【開館時間】9:00~18:00
【入館料】無料
※常設展示室・企画展示室の見学は入館料が必要です
大磯展
【期間】2024年4月27日(土)~6月16日(日)
【会場】大磯町郷土資料館 企画展示室(神奈川県中郡大磯町西小磯446-1)
【休館日】毎週月曜日
【開館時間】9:00~16:30
【入館料】無料
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2023.9.13wed_tokyo
ネットショップに人形の注文が入っていたため、朝から編み機を使って、できた編み地を洗濯した。早く作って数日内に発送しなければ。
編み地をわざわざ編むのがなんだか億劫で、ネットに注文が入ると少なからず動揺して見て見ぬふりをしてしまう。それにしても、レバーを動かすたびに編み機からカラカラと変な音がして、なんだろうとよく見てみたら段数を数えるパーツが壊れてしまったようだ。家庭用編み機の修理をやってくれる所はまだあるだろうか。本体の製造はとっくに終了しているし、段数計のパーツの取り寄せなどできるのだろうか。ああ、あと何年私は編み機を使うのだろう、60歳までやるかな、やりそう、70歳までやる?いやいやいや、やりたくないし20代で買った編み機が70歳まで持ち堪えられるのだろうか。
そんなことを考えながら陶芸教室に向かう。
今日は夕方までたっぷり時間がある。中途半端な下書きだけで放ったらかしにしていた、偽中国風の花器と小皿に呉須で絵を描いた。来月再来月は少し忙しそうだから、今月はどんどん絵を付けて仕上げていかなければ。
昼食時、マイナポイントの申請の仕方を隣に座っている方に力説していると、私のスマホの画面を見たその方が「あら、お孫さん?」と聞くではないか。初めて向けられた『孫』というワードに、(私に孫がいるように見えますか?え?見えるんですか、見えているんですか)と心の内で激しく動揺しつつ、楽天ペイのアプリを開き、「楽天カードを持っているなら楽天ペイがいいと思いますよ、ここにマイナポイントっていうのがあるので・・・」と平然と答えられるようになったのは、もう孫がいるほどに見えるかもしれない私の年の功だ。
昼食後、確認のためトイレで鏡をチェックしたが、やっぱり孫がいるようには見えなかった。
今日は娘の習い事がなく、久々に最後まで教室にいられた。このままではモヤモヤし過ぎて私の精神が無駄死にする、と思ったので、残っていた数人に
「私さっき、お孫さん?って聞かれたんだけど・・・・」
と思い切って打ち明けたら、「いやー、ないない」って全否定してくれたの、本当にありがとうございます。私の精神が再び息を吹き返した。
『待ち受けに新生児の写真は確かに祖母っぽい』という指摘と、『待受にはペットの写真がいい』というお役立ちアドバイスをもらったので、8年ぶりくらいに待ち受け画像を変えてみようと思う。
●待ち受け画像を子供の写真にするときは、アップデートして行かないと孫に見えてしまう可能性あり。
帰宅してもう一度自分の顔を鏡で確認した。
-プロフィール-
大石さちよ
東京
cikolata (チコラータ)
https://www.instagram.com/sachiyoishi2/
http://cikolata-cikolata.com/
https://cikolatashop.info/
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その時その場を楽しむワークショップ
-画家KIBUN-
ゴッホの絵画を模写します
ゴッホとはどんな人だったのでしょうか
そしてどん��名画が生まれるのでしょう
3月20日(水/祝)午前の部10:00~12:00 ※満席
午後の部14:00~16:00 ※満席
3月24日(日)午前の部10:00~12:00 ※満席
午後の部14:00~16:00 ※満席
上記いずれかの部をお選びください
対象:こどもから大人まで
料金:3,000円/お一人
追加 2,000円/お一人毎(ご家族間)
ご一読ください アトリエご利用案内
お申し込みは Contct よりどうぞ
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📢9月のお知らせです
店舗休業中。
日々中川運輸になっておりますが、今日から9月。
夜ですが、9月のお知らせです。
ITO MISA きり絵展
9月6日(水)- 24日(日)
※最終日は17:00まで
※会期中18日(敬老の日)は営業、振替で19(火)、20日(水)が休業となります
"この目で見たものや、
好きな世界を、
そのまま描いて、
切ってきました。"
徳島在住の絵描き、切り絵作家の伊藤ミサさんの個展を、本・中川では初めて開催いたします。
個展での作品発表や、山岳雑誌『岳人』での挿絵連載などでご活躍されています。
その連載の中から、山を愛する様々な文学者や登山家の言葉とともに15の作品とエッセイを詩画集のようにまとめられた『山かく人』を出版され、中川の店頭でも販売中です。
ミサさんとの出会いはアニメーション作家でイラストレーターの佐藤美代さんがきっかけです。
美代さんは、お隣塩尻市で子ども絵画・造形教室ピコロモンドアートを主催されていて、本・中川にチラシを持ってきてくれてからの楽しいお付き合いです。(現在ピコロモンドアートはお休み中)
お二人は同級生。
昨年11月に塩尻市で開催されたお二人の影絵ライブに伺わせてもらって、お二人で作り出す世界がとても楽しく、良い思い出になりました。
その後お店に遊びに来てくれた時に、ミサさんの本が出来たら個展、そしてせっかくなら影絵の会も!と開催の運びとなりました。
影絵の会は9月24日(日)最終日に、一度17時で営業を終了してから、18時半会場、19時開演の予定となります。
【出演】
影絵 フジコ・エム・フジコ
(伊藤ミサ+佐藤美代)
朗読 青山志織
音楽 伴瀬朝彦
【料金】
大人 1,500円
こども 500円
未就学児無料
予約受付はこれよりスタートいたしますが、店舗休業中ですので、お電話はつながりません。
メールでのお申し込み、お問い合わせはお受けしますので、お名前、参加ご希望人数、お子様は年齢、当日連絡のつくお電話番号をお知らせください。
参加料金は当日受付にていただく形となります。
すぐにお返事できないことも多いと思いますが、お返事の際に受付完了、または定員に達した旨をお伝えいたします。
もちろんSNSでも随時予約状況などお知らせいたしますので、チェックしていてくださいね。
写真5枚目以降は昨年の塩尻での影絵ライブの様子。
(メンバーも今回と同じです!)
子どもさんも夢中でのびやかで、楽しかったなぁ。
今回は、本・中川ならではの民話の影絵を用意してくださるそうですよ!わくわく。
どうぞお楽しみに◎
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本日、小学3年生の子が描いたLINEスタンプが誕生しました! いろいろスタンプ。。。 https://line.me/S/sticker/22320037 小学3年生が描いたとは思えないくらい上手\(◎o◎)/! #いろいろスタンプ。。。 #小3 #3年生 #LINEスタンプ #こども図工サークル #お絵かき教室 #絵画教室 #造形教室 #図画工作 #美術 #デッサン #デザイン #物作り #小学生 #子供 #愛知県 #豊明市 #名古屋市 #緑区 #東郷町 #みよし市 #大府市 #刈谷市 https://www.instagram.com/p/Co9YQDfOouR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今敏監督の映画『東京ゴッドファーザーズ』(2003)は、3人のホームレスがクリスマスの夜にゴミ捨て場で赤ちゃんを拾い、その赤ちゃんを親元へ返そうと、残された手掛かりを辿って東京を歩き回るというコメディである。
今監督の作品は、「キアスム」という構造になっている。
「キアスム(交差配列法)」とは、互いに関連する2つの節を、より大きなやまを生むために、その構造を反転させる修辞技法のことで、2つの節が「逆転したパラレリズム(対句法、並行体)」となる形式で表される。簡単な交錯配列法は「ABBA形式」と呼ばれ、「A」「B」は文法、語、意味にあたる。「倒置反復法(アンチメタボル)」とほぼ同義で、わかりやすくABBA形式になっている短文を「リバーシブル レインコート センテンス」とも言う。リバーシブル レインコート センテンスの代表的な例として挙げられるのが、ケネディ大統領の1961年の就任演説の「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」というフレーズである。
倒置反復法はあくまで、順番を入れ替えた「語句の反復」であり、古典修辞学ではキアスムとは区別された。リバーシブル レインコート センテンスや、語句や韻だけをABBA形式に並べた文章は、厳密には倒置反復法であってもキアスムではない。
「キアスムス」という修辞技法の呼称は紀元2世紀のギリシャの修辞学者ヘルモゲネスにまで遡ると言われる。ラテン語形で「キアスム」となった。ギリシャ文字の「Χ(カイ)」に由来し、ギリシャ語の「キアストス」にも、そのラテン語形の「キアスモス」にも「交差する」という意味がある。
17世紀以降の古典修辞学研究では、「交差」がもたらす「絡み合い」や「入れ替わり」のような効果と、さらにはそれらが「円環」をもたらすことが注目された。そのため「キアスム構造 (キアスム ストラクチャ)」と「円環構造 (リング ストラクチャ)」はほぼ同義的に解される。ただこれも、円環構造は「交差」がなくても成り立つため、厳密には区別される。キアスムは、単一視点による一本のストーリーラインで語られていても、「交差」が現れることで、実は並走していた別の視点が提示される。
キアスム構造を説明するために代表的な例として挙げられるのが、創世記6章から9章のノアの箱舟の物語である。
創世記6章で、神は人の悪が地にはびこっているのを見て、すべての人を絶やそうと決心したことをノアに告げ、ノアに箱舟建設を命じる。7章でノアとその家族と動物たちが箱舟に入り、同じ日から降り始めた雨は洪水となり、水が地にみなぎり、地上のものはみな滅び、箱舟にいたものだけが残る。8章で水はしだいに地の上から引き、地がかわいた時に神がノアに箱舟を出なさいと告げる。9章で神はノアとその子らとを祝福し、契約を立てる。その契約により、地を滅ぼす洪水は再び起らないことを告げる。
7章で、「7日」「7日」「40日」「150日」という順番で出てくる数字が、8章では「150日」「40日」「7日」「7日」という逆転した順番で出てくる。この倒置反復形式の記述で、「人々の堕落(6章)」「世界の崩壊(7章)」というストーリーラインが逆転し、「希望(8章)」と「秩序の回復(9章)」によって円環構造がもたらされていることが示される。「交差」しているところにあたるのが、8章第1節冒頭の「神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。」という文であり、神の慈悲とノアの信仰は、洪水の前後で変わらず、一貫性があることが示される。6章で神が「わたしはあなたと契約を結ぼう」とノアに言い、9章で契約が立てられるというのは、円環構造であると同時に一貫性に貫かれている。
キアスムは聖書によく見られる修辞構造である。
19世紀以降のヨーロッパの近代文学は、この「交差」を排し、自己完結性を追求する形式が主流となっていく。
20世紀のロシアの文芸学者ミハイル バフチンは、こうした自己完結性を追求する形式をモノローグな構成として批判し、その対比として「ポリフォニー」という言葉を用いて、ドストエフスキーの小説の画期性を、登場人物達のそれ��れが多面性を持った独立した主体として振舞い、それぞれの間に対話が成立することで、小説以外のジャンルでは表現困難な、現実の多次元的で多視点的な表現が可能になっていることだとした。
またバフチンは、シニカルな社会風刺と笑い、聖と俗の交わりや交代、変装、両義性などの特徴や、価値倒錯の世界を創り出す効果を持った文学を「カーニバル文学」と呼び、ドストエフスキーの文学を、古代より続くカーニバル文学の系譜に位置づけた。
バフチンの言う「対話」は、哲学的な概念でもあり、「私」と「私の中の私でないもの」の絶えざる交換の調整や、すでに存在しているものと未だ存在していないものとの絶えざる交換といった意味が含まれる。
バフチンは、真理は特定の視点によって表現できるものではないと考えた。それは、一つの作品である以上、ポリフォニーであってもカーニバル文学であっても同じだし、どれだけ大量の情報をどれだけ正確に解析してもそうだし、そもそも人は自分という一つの視点しか持っていない。ただ、ポリフォニーには世界には常に複数の視点や複数の対話が並走していることを示せる可能性があり、真実は虚偽に対するパロディーの中に響くことがあり、極端に誇張され意味を喪失した虚偽が真実を垣間見せる可能性がある。
近代文学の主流形式となった閉じた自己完結性は、近代社会が目指した合理性の反映であり、社会にアイデアや意見を提示する際に求められる手続きや形式である。その形式には、登場人物の主観に読者を巻き込もうとする内容であっても、作者の主観的な考えを主張する場合においても、客観性と公正であろうとする態度が求められる。
バフチンの文芸批評は、それまでの文芸批評のあり方を批判している。登場人物と対等の立場で論争してしまうような研究では、作品全体の構造を捉えることはできず、また、その分析内容も、登場人物か作者のイデオロギーの分析になってしまう。バフチンは、その作品が書かれた当時の社会状況に照らして、その書かれた内容が画期的だったかどうかという考察は、歴史学や社会学などの範疇であって、テキストそれ自体を捉えたものではないと考えた。
作品と作者、フィクションと現実を混同しすぎたり、あるいは乖離させて、どちらかを上位、もう一方を下位と捉えるのでは、その境界で絶えず起こっている「対話」が無視されてしまう。
この「対話」という概念は、20世紀の哲学者、現象学者のメルロ=ポンティが「キアスム」と呼んだ概念に似ている。
メルロ=ポンティは、「キアスム」という言葉を、知覚や知覚の主体である身体について考察する際の哲学的な概念として使用した。「交差」や「絡み合い」と訳される。「見るものと見られるものが相互に可逆的に侵蝕し合っている状態」や「転換可能性」のことを言っていると解説される。精神と肉体、主体と客体という、二元論的分離を回避するために生み出された概念で、主観と客観が融合したような状態のことだと説明される。
今監督が全作品に共通する主要なテーマとしている「虚構と現実の混交」は、キアスムに似ているが、それを円環構造の中で描いたものが必ずしもキアスムになるわけではない。
日常と非日常の融合を描いた作品は、今監督の作品も含め、「マジックリアリズム」というジャンルに分類されるが、マジックリアリズムとキアスムは、修辞技法としても、概念としても、違いがある。
『東京ゴッドファーザーズ』には、見た目にわかりやすいモチーフとしての虚構や非日常は描かれていない。そのため今監督の作品の中では珍しくマジックリアリズムではない作品と言える。社会の周辺的なキャラクターが描かれ、あり得ないような偶然の連続による物語展開が続くが、リアリティは非日常やファンタジーとは言えない範囲に保たれる。それがむしろ虚構と現実の境界の曖昧さを際立たせ、揺らぎを作り、キアスムを生んでいる。
虚実混交の手法と、それだけに留まらない不思議な効果についてインタビューで聞かれた今監督は、まずアニメであることを挙げ、リアリスティックに見える風景や人物が、ふいに絵という虚構であることを露わにしてしまう瞬間を描いていることを挙げている。
キアスムは、倒錯や混乱を経て秩序を回復するというカーニバル文学的で祝祭的な価値転倒と、宗教的で信仰のような一貫性を同時に求め、しかも、自分の虚実を転倒させて露わにするというような二重性を、対話を成立させるために、他者にも求める。強制的だと対話として成立しないため、ある意味偶然のように成立する。
『東京ゴッドファーザーズ』は、「意味のある偶然の一致」をテーマに、「科学の論理兵器によって異界へと押しやられた『奇跡と偶然』を健全に回復しよう」という試みで制作されている。物語を展開させる偶然の連続も、いかにもありえそうな現実味と説得力をもって描かれているが、ご都合主義的とも言われるような虚構であることを、エアコンの室外機や窓などを目や口に見立てた「顔のように見える風景」などをところどころに配置するという仕掛けで、こっそりと二重に暴露する。その虚構の暴露を偶然発見するたび、手法、形式、内容、そして表現の目的や動機までが、一貫性に貫かれているように思えてくる。
コメディタッチなかけ合いで、赤ん坊を捨てた理由を聞くために始まった親探しが、自分が社会を捨てた理由、あるいは社会に見捨てられたと感じた理由を自問する旅へと変わっている。クリスマスから正月までの祝祭ムードに照らされた街の、変わらぬ日常が続く影の側で、ドタバタ劇が歓喜に変わる。劇中劇で始まり、プロローグのようなシーンで終わる。
「ミッションドリブン」という言葉で言い表される、使命に突き動かされてるような一貫した行動や、行動と発言となんとなく感じられる精神性のようなものまでが一貫しているように思える人からは、インスピレーションのようなものを感じる。これと、皮肉なことに、と言っていいのかわからないが、皮肉めいた批判として、似たようなニュアンスで「予示的政治」という言葉が使われる。もとは1970年代後半に左翼運動の中で、それまでの運動を反省し以後の運動のあり方を示すために使われた言葉らしい。社会運動が達成する目的は基本的に、その運動が採用する手段によって形成されるので、自分たちの運動のあり方によって目的である作りたい社会を予め示すように、手段と目的を一貫させた運動をしていこうという考えのことらしい。つまり、嘘と暴力で作られた体制に嘘と暴力以外のものを求めても無駄なことはお前らの方が前から知ってたんじゃないのか、というニュアンスでネタとして最近使われてた。
奇妙なことに、ある種の転倒から秩序の回復を求めている���は、色んな都合で色んな分け方をされてる人たちのどちらの側も同じで、科学の論理兵器によって異界へと押しやられた偶然の健全な回復を願っているのは、とりあえず都合の悪いことは全て論理もろともぶっ壊して因果関係不明の偶然だってことにしている人たちもなぜか同じである。本当に奇妙なことに。
そもそも誰なのかも知らずに引き倒した銅像とかの上で、持続可能性のために今まで続いてきたもの全部やめるか金出せとか叫びながら、ボイルした頭が自分と世界をはき違えるほど転倒しているし、分裂症的な世界の中にも奇妙な一貫性は存在している。
意味はパンに塗ったバターのように文の上に塗られているのではないし、偶然は、それだけでは存在できない。
2023年8月 サマリタン リターンズ サマー
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TEDにて
メリッサ・ウォーカー:アートはPTSDの見えない傷を癒せる
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「トラウマによって、被害者は口を閉ざしてしまいます。しかし、アートは戦争の心理的な外傷に苦しむ人々が心を開き、その傷を癒す手助けが出来るのです。」
クリエイティブな芸術家であり、セラピストでもあるメリッサ・ウォーカーは語ります。
精神的なダメージを負った兵士たちが、仮面の制作を通じて自らを悩ますものが何であるかを知り、遂にはそれから逃れられるようになっていく過程が、感動的に描かれるトークです。
あなたは、上級の兵士でアフガニスタンに配属されています。何百人もの男女の生命を託されており、基地は攻撃を受けている最中です。迫撃砲の一斉襲撃を受け、周囲いたる所が爆発しています。粉塵や煙の中からようやく目を凝らし、最善を尽くして負傷兵の手当てをしてから、近くのバンカー(退避壕)まで這って行きます。
爆風により、もうろうとなりかけた意識で身を横たえ、今起きた事を理解しようとします。視力が回復してくるにつれ、血だらけの顔があなたを振り返っているのが見えます。その姿はおぞましいものですが、すぐさま気づくのです。それは現実ではないと。
その幻影は1日に何度も襲ってきます。日中も寝ている時もです。それを誰かに打ち明ける気はありません。仕事を失ったり、弱い人間だと見なされるのが怖いのです。この幻影には名前がついています。Bloody Face in Bunker(バンカーの血だらけの顔)と言い、略してBFIBと呼びます。BFIBが心の中にずっと留まって離れず、密かにあなたを苦しめるのです。その後7年間に渡って。
さあ目を閉じてみて下さい。BFIBが見えますか?もしそうであれば、あなたには戦争の見えない傷、一般的に心的外傷後ストレス症候群や心的脳外傷として知られる様相が見え始めているのです。
自身がPTSDを経験した訳ではありませんが、病気の知識はありました。
幼い頃。毎年夏になると祖父母を訪ねていました。正に祖父だったのです。戦闘が精神に及ぼす影響を私に教えてくれたのは、祖父は、朝鮮戦争で海兵隊員として従軍していた時、銃弾が首を貫き声を上げる事が出来なくなりました。1人の軍人が彼の前を通り過ぎ、祖父を瀕死と宣言し放置されました。
数年後。祖父の身体の傷は癒え故郷に戻りました。彼は起きている時、めったに自分の経験を語る事はありませんでした。しかし、夜になると階下の部屋からなんとも嫌な叫び声が聞こえたのです。昼間、部屋に入る時も祖父を驚かせたり、興奮させないようにと声をかけてから入室しました。彼はその余生を孤独、且つ、寡黙に生き抜き、決して自らを語る事をしませんでした。私もまだ彼を導く術を知りませんでした。
彼の状況を表す言葉を知らなかったのです。20代までは。私はアートセラピーの学位を取得する過程で自然とトラウマの研究に 惹きつけられました。教室で心的外傷後ストレス症候群。PTSDについて学んでいる間、祖父のように苦しんだ兵士の手助けするという自分の使命がはっきりとしてきました。
戦争の歴史を通して、心的外傷後ストレス症候群には様々な別名がありました。例えば「ホームシック」「兵士の病」「弾丸ストレス反応」「戦闘ストレス反応」などです。
研究に従事している最中に新たな戦争が続きました。そして、新しい戦闘服や軍事車両のお陰で兵士が爆発で負傷しても、以前と違って生き延びられるようになりました。しかし、見えない傷は新たなレベルにまで達しました。これが、軍医や研究者を突き動かし、心的脳外傷、TBIやPTSDが脳に与える影響を真に理解しようとさせたのです。
テクノロジーと神経画像の発達により、トラウマの体験をすると実際にブローカ野や言語中枢の機能が停止することが分かりました。この生理学的な変化は「恐怖による言語喪失」と呼ばれるものです。
これが、精神疾患の負のイメージと結合し、批判され、誤解される怖れとが相まって、そして、おそらく解役の惧れからも兵士達の見えない苦悩が引き起こされたのでしょう。何世代にも渡って、退役軍人は、自分達の経験を語る選択をせず、孤独の中で苦悩してきたのです。
就職して最初は最大の軍事医療機関であるウォルターリードでアートセラピストとしての仕事を与えられました。
数年間。精神病患者拘束施設で働いた後、私は、国立イントレピッド・センター・オブ・エクセレンス(NICoE)に移りました。そこは、従軍中の兵士の為のTBIケアを主導する施設です。私は、アートセラピーを信じていましたが、大柄でタフで強い男性やそこに混じった女性の兵士たち向けの精神療法としてのアート制作を試みようと説得する必要がありました。
結果は、全く予想以上の素晴しいものでした。
鮮やかで、象徴的なアート作品が患者である兵士達によって創り出され、その1つ1つの作品が物語を持つのです。このアートセラピーのプロセスは、会話-言語に関する脳の障害を、う回できる事に気づきました。
アートの制作でアクセスするのは、トラウマを記憶しているのと同じ感覚野です。兵士達は、怖れる事なく、自分の経験を乗り越える為のアート制作が出来るのです。その後、彼らは実物の作品に言葉を当てはめ、左右の大脳半球を再統合させるのです。
あらゆる形式のアートで効果��ある可能性が見つかりました。スケッチ、絵画、コラージュ― しかし、最も影響が大きいと思われる物は仮面制作です。結局、この見えない傷には、単に「名前」があるだけでなく「顔」があるのです。
兵士達は、仮面を制作すれば、文字通り自分のトラウマ(仮面)を手で掴むことができるようになります。素晴らしい事に、しばしば、これがトラウマを打ち破り、傷の癒えるのを可能にします。
BFIBを覚えていますか?
これは、私の患者の1人が実際に作ったものです。彼は、仮面を作った時、取り憑いた像を切り離す事が出来たのです。文字通り、それは、兵士にとって非常に困難なプロセスでしたが、結局、彼は、自分の内なる傷としてではなく仮面として、BFIBを捉え始め、それぞれのセッションで全てを拭い去りました。
彼は、仮面を私に手渡して言いました「メリッサ。彼を宜しく」私達は、BFIBを箱の中に入れ、更にそれを遠ざけました。その兵士が、NICoEを去る時、BFIBを置いていく選択をしました。1年後。彼は、僅か2回しか、BFIBを見ませんでしたが、2回共、BFIBは笑っていて兵士は不安を感じませんでした。
その兵士は、あるトラウマ記憶に捉われると絵を描き続けます。動揺するような像を描く度に彼にはトラウマが少なくなったり、全くなくなるのが分かります。
哲学者は何千年間も私達にこう語ってきました。創造する力は、破壊する力と緊密に繋がっているものだ。科学者は、こう説明しています、トラウマを記憶する脳の部分は、癒しが行われる脳の部分ともなりうるのだ。アートセラピーは、それをどう繋げるかを明らかにしているのです。
私達は、兵士の1人に頼みました。如何に仮面の制作が彼の治療に影響を与えたか教えてくれないかと。そして、これがその内容です。
(ビデオ)兵士: 仮面にぼんやりと意識が移ります。絵の中に意識が移ります。
そうすると自分を縛っていたものから解き放たれました。それが出来るようになったのです。それを見た2日後。こんな感じでした「何てガラクタだい。ここにあるのは、絵やら、鍵やら、パズルだ」
そして、気持ちが高まりました。そこから、治療はすごいスピードで進みました。周りも驚いてどうしたんだ?どうしたんだ?と言います。23年目にして初めて実際誰にでも大っぴらに、その話が出来るようになりました。聞いてもらえるなら今でもその事を話せます。
解き放たれたからです。ただただ驚きです。お陰で23年間治療困難だったPTSDが、TBIの治療と共に進むようになりました。初めてのことです。すみません。
メリッサ・ウォーカー: 過去5年間に渡って、作られた仮面が千個以上あります。本当に凄いですよね?
ありがとうございます(日本では、能面という戦国時代に確立した技術があります。何か共通性があるかもしれません)
このプロセスを祖父に話してあげられていたら、きっと喜んだと思うのです。私達が、今日。そして、明日の兵士達の癒しの手助けの方法を探り、彼らを癒す為に求める事の出来る手段を彼ら自身の中に見出していることを。
ありがとうございました。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
(個人的なアイデア)
一度でも、人が人を殺してしまうと、その人は人間という概念には入らなくなる。これを仏教では、「業(ごう)を背負う」と言う概念というが、憎しみの連鎖も近い概念。
解決する方法は、戦国時代の古代日本にあって、人間の概念から外れたサムライ同士が、社会システムのために最前線まで自ら戦いに行き、日本の社会システム内で生きれない代わりに生贄として命を捧げる
こうして、戦いという形で善性に奉仕し、業(ごう)を背負ったサムライも憎しみの連鎖から転化されることで社会システム内の許しを請うという昔の人の知恵です。
法律がない時代の悲しい運命。しかし、法律がある現代でも万能ではないので感情や倫理などもあり難しい問題です。
現代では、人が人を殺してしまった兵士に近いかも。ナショナリズムとも呼ばれる。
最新物理学では、不確定性原理とエネルギー保存の法則により、他人が見ていなくても本人が見ているし、その行動や思いは波動として広がり続け、本人が話さなくても時空に折りたたまれ記憶されていくので
人間の善行為も悪行為も関係なく何千年でも繰り返して行く事象もありえます。
これは、最新物理学で裏付けられてて、仏教では「因果応報」とも言われます。
それに近い現象として・・・
研究論文「Killing Horizons Decohere Quantum Superpositions(キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする)」からのインスピレーション。
はじめに量子論で言われる粒子性と波動性。
次に、二重スリットの観測者問題。
三つ目に、ホーキング博士の「ブラックホール情報パラドックス」より・・・
「ソフトヘア」部分は、ブラックホールに落ちる物体だけでなく、ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しており、人間のように先入観はない「観測者」の条件を満たしていたことが、最近示されました。
この三つからインスピレーションがきた!
マクロ的にブラックホールが人間の原始的な目の機能を有しているなら・・・
まず、現在2023年までに判明しているユニバースの成り立ちの経緯を説明します。
ビックバン後に素粒子の標準理論に従うならば、ブラックホールが時間をかけて大量に点在して形成していく。
その後、ブラックホールも増え、融合、大質量になるに従い、ブラックホールの重力も範囲が広がる。
それに従い、重力波やその影響を受けた粒子の方も三つ目のメカニズムにより存在が確定していく。指数関数的に物質形成スピードも加速するメカニズム?
ビックバンの爆発を契機に、ブラックホールが波動性のダークエネルギーに満たされたユニバースの「最終的に宇宙に存在する全ての重ね合わせが完全に破壊されることになる」ことで
ユニバース全体の加速度的な時空の膨張にもに繋がります。
つまり、重力波などにより時空の膨張範囲も自発的に起こりつつ、指数関数的に時空膨張スピードも加速していくメカニズムの可能性が示されたかもしれない。
斥力やアクシオン、ダークマター、ダークエネルギーではない?
大質量ブラックホールが中心にある銀河系以外の場所には、物質が存在しない事象も説明可能になる。時空は存在するが、波動性のままなので物質が生まれないから。
ブラックホールが人間の原始的な目の機能を有している可能性もあります。
逆に、考えるとミクロ的に人間の眼は、マイクロブラックホール生成装置?にも。今まで展開してきた仮説が正しいならそう見えなくもない。
視線に関する日本語の多様な表現には「視線に引き込まれる」など似たような言葉が。
果たしてただの偶然の一致なのか?
人間の眼の新たな機能、可能性として、新しいユニバース視点からここに到達しました。
と考えていたら・・・
さらに、インスピレーションがきました。
ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しているなら「梵天」や「アカシックレコード」が、実は、銀河系中心の大質量ブラックホールのことかもしれない。
このレベルの巨大な記憶装置なら原初の宇宙からの全記録をしていても不思議はない。
仏教の無明にも概念が似ているし、量子エンタングルメントがブラックホールと人間の脳と相関作用して
宇宙際タイヒミューラー理論からアクセスして読み出してるメカニズムがあるかもしれない?
そうなら、少しユニバース領域を拡張してみると別の銀河系の大質量ブラックホールにもその場所の原初からの全記録がある?
遥か銀河の遠くから重力波?何かのテクノロジーで読み出しができれば、地球にいながら別銀河文明の痕跡も知り得るかもしれない。
と考えてしまいました・・・
そして
モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から
モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら
それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?
つまり、銀河系の中心にある大質量ブラックホールに?
しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?
ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて
自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?終わらない?
<提供>
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いま、子どもの本が売れる理由 を読んだ
子どもむけ書籍の市場というのは一時期壊滅的だったけどもいくつかのブームを経て今出版不況と言われるなか伸びているジャンルだそうで、その背景にあるものをいくつかの角度から分析するという書籍。統計的には今や小中学生が前世代を通して最も「本を読んでいる」世代らしい。白書やレポートなどからデータを元にした議論と個別の作品や雑誌ブランドの戦略についての私感も含む分析とがいいバランスで混じりあっていて、科学的というのとは違うけど客観性といわゆる批評とのあいのこという感じで良い。また子ども向け書籍についての通史を書いたものがないとか、分析も少ないということで類書の少ないものらしい。参考文献も多くかなりの労作と思われる。この本自体もけっこうなボリューム。
3章の構成になっていて第1章では戦後くらいから現在までの時代ごとの子どもと読書との関係について、経済的な面(代表的な形態や売上げ)、政治的な側面(学校図書館に関する法律の変遷など)、家庭や学校の受容やとりくみの側面など多角的に、データ中心に概観する。第2章ではジャンプ/コロコロコミック/ちゃおなどの覇権を取った子どもむけ雑誌の戦略についての分析。第3章では個別のヒット作の人気の理由についての分析(ここがいちばん私感を含んだ批評っぽいところ)となっている。
読んでみてまずこれまで知らなかったことがいっぱい書かれていて、新しい知識を入れるという意味でおもしろい書籍だった。特に戦後すぐの政策や読みものの形態の変遷などは「へー」と思いつつ読んだし、文庫(いわゆる文庫本のことではなくて、私設の図書館みたいなもの?)というムーブメントもあまりなじみがなかった。それに子が読んでいてしっていたものもあるけどいくつか知らない児童向けのヒット作品もあり(逆に子から知っていた作品で本書にとりあげられていないものもあったり)、あたりまえだけど知ってそうで知らないことっていっぱいあるんだなぁというのを実感した。
まず学校図書館改革について。学校の図書室の設置の義務付けがあったものの専任の司書の配置は努力目標とされてきたものが、1997年に肥田美代子という議員の活動により義務化。これにより司書教諭(教員が司書を兼任する)または学校司書が就くようになる。実際自分の記憶では小学校の図書室に専任の司書さんはいなかったと思うが、子にきいてみると小学校でも中学校でも専任の司書先生(つまり学校司書)が常に図書室には居るとのこと。これは大きい。またこれ以前にも出版業界として図書室に入れてもらうためのセールスというのが重要な位置を占めてるとか、あまり考えもしなかったけれども確かに図書館/学校図書室というのは本の流通において無視できない存在なのだな。
あとジャンプとコロコロの関係性。なんとなく世代的なものもあってかジャンプのライバルというとマガジンという印象だったけど部数や小学生層での読者獲得という意味ではジャンプのライバルはコロコロだったと。でジャンプは中高生向けでコロコロは小学生向けという棲み分けが発生して今に至ると。ちなみに女子中高生がいちばん読んでいるマンガ雑誌はジャンプというのもちょっとおどろいた(が、まあそうかもな)。さらに今は女児向け雑誌の部数トップはちゃおらしい。りぼんやなかよしは合わせてもちゃおに届かないと。そうなのかー。それからこれらの雑誌はすべてメディアミックスを重視していて(ジャンプは当初はマンガオンリーという方針だったらしいけど鳥嶋編集長時代にゲームとのコラボなどを取り入れるよう舵を切ったとのこと)、時代に応じて覇権的なメディア(TV, ゲーム, YouTube)とタッグを組むことで子どもたちの生活にとけこむということをしていて、現在ではコロコロもちゃおもYouTubeチャンネルを持っていて専属のYouTuberや子どものモデルなどが活躍しているとのこと。し、知らなかった……。あと「おはスタ」がコロコロのための番組だというのも知らなかった……。
以降個別の作品の分析に関するメモ。
おしりたんていシリーズ。二次的信念認知能力が未発達な未就学児/低学年児童にはミステリは理解できないので迷路やパズルを主としつつ、高学年でも楽しめるように「おしりたんていがどの手掛かりで真相に辿りついたか」というメタな謎ときはより高度なものにして、なおかつ必ず手掛りを書き込むという本格ミステリ的な姿勢が本作の構造的な魅力であるが、なによりもまずキャラクターのインパクトがヒットの基盤というのでそれはそう、という感じ。ただおしりたんていが絵本よりも先にアプリとして登場していたというのは知らなかった。またおしりたんていの「しつれいこかせていただきます」で劇画風になるのは「ゾロリ」+「北斗の拳」だという分析はちょっと笑った。
よしたけしんすけさんの作品群。本書の第3章のトピックで唯一「作者名」で1セクション担っているのがよしたけしんすけさん。やはり「作家性」が強い。しかしよしたけしんすけさんの作品は高学年にも読まれているということで、実際わが家では親も読んでいる(なんなら親のほうが好んで読んでいるので継続して購入している節もある)のでうなづけるが、ではなぜなのかというとよくわからない。定番の分析としては「だめな大人を描いているから」というのがあるが本書の筆者はそれだけではないとして、自由な発想の例示が近年の「探求的学習」の欺瞞をうっすら感じている子どもたちに受け入れられているのではないかとしている。が、どうなんだろう。それもそれだけではない気もする。
「かいけつゾロリ」シリーズ。まずゾロリが人気があるというのは知ってたけどデータでみると想像以上。作者は「ターゲットは本を読まない子ども」といっているそうで、ハリウッド脚本術に立脚した徹底して構造化されたプロットと時事ネタを積極的に取り込む肉づけで常に子どもの興味を引き付けるための取材を怠らない。それがロングヒットの理由ということで、このシリーズも「うるさいことをいう大人への反発」や「おもしろいことの追求」がベースであって、あまりに人気すぎて親や先生からは敵視されているというのはちょっとおもしろかった。「本を読まない子がターゲット」というのもびっくりする。
「ぼくらの」シリーズ。まず「ぼくらの七日間戦争」は知ってるけどシリーズ化されていて、さらに2009年のリニューアル後2011年からは新しいエピソードが続いていて、作者の宗田理さんは現在90歳を越えてなお新しい題材を取り入れつつ子どもの視点に寄り沿った作品を書き続けているという鉄人ということを知った。
かつて特撮ものなどの設定を揚げ足を取って笑わせた「空想科学読本」にジュニア向けバージョンが作られていて人気シリーズになっているというのも知らなかった。あれは実際には「科学的に正しい」とはちょっと違うけども、それでも「真剣に揚げ足を取るとおもしろい」というのは事実なので、それがスプラトゥーンとかの最新の題材を取り込んでいけばそれはウケるだろうなぁ。
と、個別の情報は知らないものも多くてどれも面白く刺激的であった。が全体を通して本書が上げている”謎"が自分の関心事であるかというとそうでもなく、すごくおもしろい読書体験をさせてもらったけれどもこれで知識以外になにかを得たかというとそれは特にないかもな……となった。すごくいい本なんですけどね。
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