二日目
6:19
起きた。行くか
6:40 92.98km
腰あたりがピリピリしているが思った程疲労していない。
雨が降ってないだけ最高にありがたい、コンビニにも入りやすいし。
さて、目指すは琵琶湖大橋
7:55 108.36km
元気なのは最初だけ、というよりサドルに乗った瞬間「それだけはやめてくれ」というシグナルを全身が送り始める。普通の椅子は平気なのに、サドルに乗ると痛い。
100km越えて、よくやったよ。肉体的な限界なら仕方ない。では、肉体的な限界に到達したなら何故まだ20km/hで走っているのか?勾配を強く漕ぎ出して越えていけるのか?
ここに来た目的を思い出せ、70%の向こう側に行くんだろ。
ってめちゃくちゃ登っとるやないかい!
https://twitter.com/Sista___/status/1679628591104147456?t=fQoKSnHvBxjHtyumJmWFqA&s=19
ゴール手前の彦根を目指す。ここは全行程の70%程度の地点、そしてこの先からはそれを越えた道のり。
8:32 112.72km
サイクリストの聖地らしい、寄ってみた。
昨日とは打って変わって湖面が波打っている。これだけ大きいと潮位の影響受けるんだろうか?
10:19 140.02km
だんだん痛さも気にならなくなってきて、終わってしまう寂寥感が増してきます。
彦根城まであと15km、ゴールは更におよそ10km先
11:07 150.63km
言葉はいらない、進め。
11:36 156.50km
琵琶湖、一周しました。
これから米原へ行き自転車を返却する。
なんやかんやで159.31km、やり遂げました。
想像していた限界よりも高いステージの限界だった。そしてたどり着いてしまえばその地点でさえ正確には限界ではない、まだ、まだ先のステージがあるものだ。
「琵琶湖を自転車で一周して何か変わったか?」と言われれば、胸を張って何も変わらないと言える。要不要を超越した過酷な挑戦を選び取りやり遂げたからこそ、70%の日々にそんなに腐ることもないんじゃないかな、と思うことができるのだから
8:38 112.72km
ちょっと琵琶湖を一周して来た、自転車で。
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『湖の女たち』 完成報告会に福士蒼汰さん、松本まりかさん、大森立嗣監督が初登壇!
4月16日(火)、都内にて「湖の女たち」完成報告会が開催されました。
本作が映画化された経緯について質問された大森監督は、原作小説出版時に書評を書いてほしい、という編集者からのオファーがきっかけだったと振り返る。「本を読んで驚きました。衝撃的だし、考えさせられましたし。僕はいつも頭の片隅には映画化というのが浮かんでいるんですけど、これは難しそうだなと……。最初は書評を書かせていただいたんですが、そしたらお礼の手紙をいただいて。編集者さんから「吉田さんが『大森監督が映画をつくってくれたらな』とつぶやいておりました」と伝えていただいて。それはとても光栄だったので、踏み切りました」。
一方、介護士の豊田佳代(松本)への歪んだ感情に支配される若手刑事・濱中圭介を演じた福士は、吉田修一原作、大森立嗣監督というタッグに魅せられ、やりがいを感じたという。これまでの“好青年”という福士のイメージとはまるでかけ離れた役ということで「この役を引き受けるというのは大きな決断だったのでは?」という質問に、「そう思われるんですけど、意外とふたつ返事くらいで『やりたい!』という感じだったんです。確かにセクシャルなシーンや、ハードなシーンもあるんですけど、そこに関しては演じるのに難しさはないかなと思っていました。むしろこの作品が包み込んでいる大きなものを、どう言葉で表していくのか分からなくて。だからこの役を演じることに関しては楽しみでした」と振り返った。
そして圭介と抗えない力で関係性をもつ介護士・豊田佳代を演じた松本は「わたしも佳代を頭で理解することをやめました。ただ彼女が置かれている環境、状況、体感というのは体現できるかなと思って。たとえば、琵琶湖の近くの介護施設で介護をし続けてきた人であり、まわ��に圭介のような刺激的な人がいたわけでもないですし、そういうある種の孤独感というか、静かな生活に自分の身を置くという。そういう極限状態に陥った身体感覚みたいなものは自分に近づけることはできるのかなと思ってそういう状態でいました。監督もおそらく感覚的な部分で理解してほしい、ということをおっしゃっていたのかなと。」と本作に取り組む難しさを語った。
大森監督がふたりの役者に期待したこととは何だったのだろうか? 「福士くんとは初対面だったんですけど、波長が合うような感覚があって。会った瞬間から信じてくれている感じだったので、俺も信じようというところからはじまりました。だから現場中も齟齬(そご)はなかったし、何かを信じ切ろうという覚悟がありました。そして松本さんは20年くらい前から知っていたので、今回、主演と監督という立場で一緒に映画をつくれることがものすごくしあわせでした」。
そんな大森監督との出会いを福士は「俳優としてのターニングポイントになった」と語る。「今回の撮影では、3日目あたりまで、すべての芝居にNGを出された気がするんです。最初に着替えているシーンがあったんですけど、『(芝居に)声はいらないから』と言われて。どうやらそこで、意図せず“着替えている”という(芝居の)声を出していたようなんです。俳優として状況を説明してしまうことがあって、すべての行動に音をつけるというのは得意なんです。だけど、自然でリアリティーを求める作品では、それは必要ないんだなと気付いて。でもそれが慣れているからできないから、もう一回と言われ続けて。それはものすごくヒリヒリするんですけど、これがリアリティーあふれるヒューマンドラマを撮るうえでの役者の心構えなんだなというのを学びました」。
その言葉を聞いた大森監督は「撮影も最初の方はいきなり大変なところから入ったんです。目線の位置とかも細かく指示したりして。僕の本意としてはもっと自由にさせたいと思っているんですけど、目線の位置とか細かいところから始まって。僕としては、(優しい口調で)「いい?」「ごめんね?」とか言いながらお願いしたんですけどね」(笑)と笑ってみせると、福士も「こわかったですよ」と冗談めかして付け加えた。
そしてその意見に「わたしも(監督を)恐ろしい人だなと思っていました」と続けた松本は、「監督は全肯定の人なんで。ここまで俳優を信じ切るのかというくらい俳優を信じる。『まりかがそう思うならそれでいいよ』と。その覚悟ってすざましいなと思うんです。もこちらとしては迷ってるから聞きたいんですけど、明確に答えてくれないんです。表面的なことではなく、ちゃんとこの映像の中で本当に生きろよと言われる恐ろしさ。そういう意味で俳優を信じてくれる安心感と愛、そして責任もあって。自分が自分でなくてはならない、本当の意味で演じなければならないという意味で、恐ろしい監督だなと思いました」と付け加えた。
そして今回、初共演となる福士について「福士さんってさわやかな好青年のイメージを持っていたので、圭介を福士さんがやるなんて想像もつかなかった」と語る松本。「でも初日に会ったときにビックリするくらい恐ろしくて。こんな福士さんを見たことがないというくらいすばらしかったんですよ。怖かったですし、変な色気もあるし。でもそれが良かったんです。この圭介だったら、考える必要はないなと思って。だとすると(圭介)以外の彼を知りたくない、この人の笑顔とかやさしさは見たくないとわたし自身も思って。だからわたしも福士さんからはすごく距離をとって。目も合わせないぐらいでいました」という。
それは福士も同じ思いで役づくりをしていたそうで、「本来、僕はにこやかな人間で。自分から積極的に話しかける方ではあるんです。でも今回は話さなかったんで。どう思われているのかな……」と語る福士の言葉にかぶせるように、「嫌いでした!」とたたみかけた松本の言葉に会場は大笑い。「撮影の時は本当に福士くんと合わないなと思っていました。そしてそのままお別れして。そこから1年半、会うこともなく今に至るわけですが。この間、この映画の取材会で久々に役から抜けてお会いすることになって。マネジャーに『わたしたちは合わないから、あまり話せないと思うよ。大丈夫かな』と言っていたくらいだったんですけど……」という松本の言葉に、心配そうな表情で「どうだったんですか……本当の僕は?」と尋ねた福士。
するとニッコリ笑顔となった松本が「どっちが本当の素顔か分からないですが、役が抜けた福士蒼汰さんは、めちゃくちゃ好感度が高くて。こんなしゃべりやすいのかと。いいじゃん、福士蒼汰!って、すごく好きになりました」と明かして会場は大笑い。
そして最後のコメントを求められた松本は「なかなかここまでのことを描く挑戦的な作品って、今の日本ではなかなかないんじゃないかと思います。わたし自身も“ここまで”とか“こんな風に”とか、そういった言葉でしか表現ができてないんですけど、言葉のプロである皆さんに、この作品をいろんな表現で、日本の皆さん、世界の皆さんに伝えてほしいなと楽しみにしていますし、観てくださる皆さんがどんなことを感じるのか、わたしも楽しみにしています。ぜひ映画館に観に来てください」とメッセージ。
最後に福士も「この物語はそれぞれが思い浮かんだ絵とか、言葉がメッセージなのかなと思っています。人それぞれで違うものを感じるでしょうし、その違うものをシェアして、みんなで話し合ってもらうとこの作品が深くなっていくのかなと思います」と呼びかけた。
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雑記20240124
今日は例年お馴染み“最強寒波”の日。朝は大丈夫そうだけど、昼くらいから読めない感じみたい。去年のJR琵琶湖線・京都線(東海道本線)みたいなことが起こらなきゃいいけど。あの日、湖西線に乗っていて山科駅で停車したまま動かないから、下車して京阪で帰ったんだよね。雪が真横に吹雪いてたよ。
完全防備で出勤します。これが日本のサラリーマンだ。できればさっと帰りたい。
……ということで、だいたいいつも通りの時間に帰ってきました。京都市内、大津南部はまだまだですわ。明日の朝にどうなっているかだよね。
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ダイキンのセラムヒート(ハイブリッドじゃないやつ)を注文しました。シーズンオフまで我慢できませんでした。でもまあ、冬前より結構安くなってます。ハイブリッドのほうがデザイン的にはシュッとしてるけど、別に温風は求めてないというか。
寒さが堪える年齢になってきたので、一応暖房も入れた方がいいかなと。土曜日に配達指定しました。
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ドミノピザの福袋に応募したときにメーリングリストに登録したら、Sサイズのピザが1枚無料っていうクーポンを貰いました。なんか太っ腹。
月に1度のジャンクフードにドミノピザを組み込もうと思います。持ち帰り半額ならコスト的に妥当な気がする。マクドナルドもどんどん値上げしてるし、バーガーキングは元々高いし、持ち帰り半額の価格競争力は高い。
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いやー、正直ソシオネクストとネクソン、こんなに騰がるとは思ってなかったよね。今日も稼がせてもらったけど、売り急いだ。悔しいけど損するよりはいいと思わないと。ちょっと想定の価格帯から外れつつあるから、他に銘柄探さないと。
でもソシオネクストはもう第二のレーザーテックなのよ。みんなもう、レーザーテックは高すぎるって思ってるでしょ? どうなんだろう。
トラブル続きの関西電力、株価を切り下げているのでいいところでNISA枠に突っ込めないかなって思ってます。もしかしたら一生物になるかも。こさかな銘柄。もうちょっと配当が良ければいいんだけど、ディフェンシブ系では高望みだよね。
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海沿いを走って、ちょっと道間違えたりしつつラグーナ到着! ビーチから堤防が伸びてて「突提」と地図には書いてあった。 自転車で先端まで行けるってすごい! 土日は人多いかもしれないけど、平日の昨日は僕だけ。 貸し切り! 初めて突提の存在をしったけど、ほんとに面白いものが世の中にはたくさんあるやな〜🧐 食べれそうなサイズの魚がたくさんバシャバシャはねてたし 波は穏やかで、雲ってて最高。 頭の中でLUNA SEAの「IN MY DREAM」が再生されてた(笑) そういえば山中湖、琵琶湖とか海とか、なんか水辺に来たくなる不思議。 #ラグーナビーチ #蒲郡 #三河湾 #サイクリング #自転車すきな人と繋がりたい #ternrip #ternbicycles #bicyclelover (ラグーナビーチ蒲郡) https://www.instagram.com/p/Cjox2wpBBPA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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22の冬至の朝日を見て夢のお告げは間違いなく竹生島!✨ #先月見た夢からインスピレーションで冬至に行く意味 #夏至からのお告げで淡路島へ行って冬至に琵琶湖と #淡路島と琵琶湖は同じ形と関係性があったことも #なるほど納得でお呼び頂けたと感謝して回った #こんなふうに神さまと繋ぎをとれたこと感謝 #いよいよ風の時代幕開けとなる相応しい日 #高い波動でチューニングし益々不思議な #見えない世界と見える世界を繋ぐもの #偶然など無く全て必然で起こってる #宇宙と自然と八百万の神々と自分 #今が楽しくてワクワクすること #すべては波動からなっている #意識の集合体が世界平和に #自然セラピーコーチング #自然を守りつながれば #思いのままに生きる #新しい自分を開花 #見えない世界と #見える世界を #融合させて #どこでも #自由に #生き #愛 #光 #神 https://www.instagram.com/p/CJGRZefgOiR/?igshid=1p70tvue7p8gh
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【まるかんのお店 長坂商店より耳寄りな情報】 (宇野隊まるかん本部提供) 龍神の誓い ☆われわれ龍神隊は 太陽の如ごとく闇を照らし 人々を幸せにみちびく 火の鳥になることを 誓います 一同かちどき エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、 エイ、エイ、オー、以上 ☆本日、出陣にあたり、 全国各地から、たくさんの援軍がかけつけてくれましたー。 龍神隊は、一歩もひくことはありません。 左足、一歩まえ 左手、腰 右手、かまえ! やるぞ、やるぞ、やるぞ、×3回 どとう、岩をくだけ! いなづま、闇をきりさけ! 龍神隊、出陣!! 以上! 龍神隊、出陣にあたり、 全国各地より、援軍がかけつけてくれました。 北海道隊、出陣! 霊峰、大雪山に守られて、蝦夷の国より援軍。 青森隊、出陣! 霊峰、八甲田山に守られて、陸奥の国より援軍。 岩手隊、出陣! 平泉より、猛将、源義経、南部の国より援軍。 秋田隊、出陣! 霊峰、鳥海山に守られて、猛将、佐竹義宣、羽後の国より援軍。 山形隊、出陣! 霊峰、出羽三山に守られて、猛将、直江兼続、羽前の国より援軍。 宮城隊、出陣! 東北の覇者、猛将、伊達政宗、陸前の国より援軍。 新潟隊、出陣! 猛将、上杉謙信、越後の国より援軍。 福島隊、出陣! 霊峰、磐梯山に送られて、白虎隊、磐城の国より援軍。 栃木隊、出陣! 猛将、足利尊氏、下野の国より援軍。 群馬隊、出陣! 霊峰、赤城山に送られて、上野の国より援軍。 茨城隊、出陣! 無敵の騎馬軍団。猛将、平将門、常陸の国より援軍。 埼玉隊、出陣! 軍神、日本武尊、武蔵の国より援軍。 長野隊、出陣! 三途の川の渡し賃。六文銭を押し立てて、猛将、真田幸村、信濃の国より援軍。 千葉隊、出陣! 猛将、本多平八郎忠勝、上総の国より援軍。 東京隊、出陣! 旗本八万騎を先頭に、猛将、徳川家康、江戸表より援軍。 山梨隊、出陣! 風林火山を押し立てて、猛将、武田信玄、甲斐の国より援軍。 神奈川隊、出陣! 関東の覇者、北条早雲、相模の国より援軍。 富山隊、出陣! 霊峰、立山を押し頂き、猛将、佐々成政、越中の国より援軍。 岐阜隊、出陣! 金華山に送られて、猛将、斎藤道山、美濃の国より援軍。 静岡隊、出陣! 日の本一、霊峰、富士に守られて、駿河の国より援軍。 石川隊、出陣! 加賀百万石、猛将、前田利家、加賀の国より援軍。 福井隊、出陣! 猛将、柴田勝家、越前の国より援軍。 愛知隊、出陣! 猛将、織田信長、尾張の国より援軍。 滋賀隊、出陣! 比叡嵐に波すさぶ、琵琶湖の風に送られて、近江の国より援軍。 奈良隊、出陣! 日の本一、大仏殿に守られて、大和の国より援軍。 三重隊、出陣! 朝焼けの、伊勢神宮に守られて、伊勢の国より援軍。 和歌山隊、出陣! 熊野古道をひた走り、那智権現に守られて、紀伊の国より援軍。 京都隊、出陣! 千年の古都より、猛将、平清盛、山城の国より援軍。 大阪隊、出陣! 朝日に輝く、千成瓢箪、太閤秀吉、浪速の国より援軍。 兵庫隊、出陣! 播磨灘、六甲山に守られて、猛将、楠木正成、千早城より援軍。 鳥取隊、出陣! やけつく砂丘をひた走り、因幡の国より援軍。 岡山隊、出陣! 猛将、宇喜多直家、備前の国より援軍。 広島隊、出陣! 宮島の赤い鳥居に送られて、猛将、毛利元就、安芸の国より援軍。 島根隊、出陣! 八百万の神、出雲大社に守られて、出雲の国より援軍。 山口隊、出陣! 騎兵隊を先頭に高杉晋作、長門の国より援軍。 愛媛隊、出陣! 千機の船を押し立てて、海の王者、村上水軍、伊予の国より援軍。 香川隊、出陣! 金毘羅大権現に守られて、讃岐の国より援軍。 徳島隊、出陣! 鳴門の渦を押しわたり、猛将、蜂須賀小六、阿波の国より援軍。 高知隊、出陣! 海援隊を先陣に、坂本龍馬、土佐の国より援軍。 福岡隊、出陣! 豪傑、後藤又兵衛を先陣に、猛将、黒田官兵衛、筑前の国より援軍。 大分隊、出陣! 佐賀関、豊後水道、押しわたり、豊前の国より援軍。 佐賀隊、出陣! 荒れ狂う、玄海灘を押しわたり、肥前の国より援軍。 長崎隊、出陣! 大地より、赤い火を噴く普賢岳。肥前の国より援軍。 熊本隊、出陣! 熊本城に送られて、猛将、加藤清正、肥後の国より援軍。 宮崎隊、出陣! 蹄の音を響かせて、怒涛の快進撃。日向の国より援軍。 鹿児島隊、出陣! 真っ赤に燃える桜島、猛将、西郷隆盛、薩摩の国より援軍。 沖縄隊、出陣! 波濤万里、守礼の門に送られて、琉球王国より援軍。 以 上 おかげさまで七周年 まるかんのお店 長坂商店 0532-52-0774 (まるかんのお店 長坂商店 豊橋市・chicago) https://www.instagram.com/p/CT6f7mtPxL4/?utm_medium=tumblr
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奥宮と里宮という原始祭祀の形を今も残す日吉大社の東本宮 東本宮には、山の神として名高い大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られ、その宗教的な起源となるのが日吉大社背後にある八王子山(牛尾山、波母山)だ。大山咋神は現在、東本宮本殿で祀られているが、そもそもは八王子山の磐座に鎮座していたとされる。八王子山頂上近くには2棟(牛尾宮・三宮宮があり後の世に建てられたもの)の社殿があるが、社殿と社殿の間には、注連縄が施された大きな磐座がある。今は、大山咋神は八王子山の牛尾宮で荒魂(あらみたま)として祀られ、東本宮本殿で和魂(にぎみたま)として祀られるという山宮(奥宮)と里宮という原始祭祀の形をとる。 祭神の大山咋神については、日本最古の歴史書『古事記』神代の巻に、「大山咋の神(おおやまくいのかみ)。亦の名は山末之大主の神(やますえのおおぬしのかみ)。此の神は近淡海国(ちかつおうみのくに)の日枝山(ひえのやま)に坐し、また葛野(かづの)の松尾に坐す、鳴鏑(なりかぶら)を用ゐる神ぞ」とあるのが初見とされる。『古事記』神名釈義(新潮日本古典集成)には、大山咋神の名義は「偉大な、山の境界の棒」。「山咋」は「山杙(くい)」で、山頂の境界をなす棒杙(ぼうぐい)の神格化。山末之大主の神は「山頂の偉大な主人」「山末」は山本(麓)に対する山頂をいうと記されている。また、『日吉社禰宜口伝抄』によれば、およそ2100年前の���神天皇7年に、八王子山に鎮座していた大山咋神と玉依姫の和魂(にぎみたま)を、今の地に遷したのが、東本宮のはじまりとされている。 また違った観点から見ると、八王子山の麓一帯には「日吉大社境内古墳群」と呼ばれる、古墳時代後期(6世紀初め~7世紀半ば頃)の円墳が約70基ほど群在している。死者の魂(祖霊)が山に帰る「山上他界」の観念から、山そのものが神聖視され、磐座祭祀を中心とした神体山の信仰形態ができ上がったものと考えられる。先にあげた崇神天皇7年の創祀については歴史的検証が必要ではあるが、山上から山麓へと祭祀の場が移っていったと思われる。 #東本宮 #日吉大社 #八王子山 #近江 #琵琶湖 #近江アースダイバー #近江学 #旅の近江ものか?たり #近江の探究 #近江のツーリズム #近江のガイド #琵琶湖サイクリング #近江八景 #近江の神社 #近江の寺院 #近江の寺社 #近江の社寺 #白洲正子 #司馬遼太郎 #松尾芭蕉 #国宝 #重要文化財 #滋賀 #大津 #Shiga #Biwako #Otsu (日吉大社) https://www.instagram.com/p/CUX80IivU-0/?utm_medium=tumblr
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地魚4種刺盛と江ノ島ビール 民宿ゑじま 江ノ島にて 年に一度この時期に現状の報告とこれから先の事をお願いに行く江ノ島神社。 日本三大弁財天にもご挨拶。宮島には過去行ったのであとは琵琶湖の竹生島の弁財天におまいりできれば弁財天コンプだ。 その帰りに一杯の酒と肴で英気を養う。 この日は波が高く海がシケで生シラスは食べれず。そんなに遠くないしまた行くかな。 #江ノ島#江の島#ENOSHIMA#江ノ島神社#民宿#民宿ゑじま#魚#刺身#sashimi#beer#ビール#food#foodie#foodies#foodgasm#foodgram#foodphotography #foodporn#delicious#yummy#yum#tasty#gastronomy https://www.instagram.com/p/CCoGQTgAMQZ/?igshid=zgwxawpwv4w4
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出演者インタビュー⑩
再演『ヤマガヒ』へ向けて出演者のインタビューを紹介していきます。
10人目は、江原千花さんです。
①経歴・プロフィール
山口県下関市出身。梅光学院高等学校音楽科卒業後、下関と東京を拠点に個人事務所で女優・モデル・ダンサーとして活動。三代目J Soul Brothers『C.O.S.M.O.S.~秋桜~』MV、琵琶朗読劇『平家物語抄録 波の下の都』、横山由和演出『父と暮せば』、井手茂太振付・演出『ギミックス』ほか。2011年度準ミス日本。Daiwa Royal Hotels 2016ミスリゾート。下関リーディングの会代表。神楽舞を宮成眞澄に師事。
②作品における役割
役者
③ヤマガヒに参加して感じていること
再演ということで、前回やったことと同じ要素がどのくらいあるのかと考えていたのですが、稽古初日に、みなさんどんどん新しいことをされていたので、結構変わるんじゃないかな、と思ってどきどきしました。
④みなさまへひとこと
山梨の空気が澄み渡った感じや、桃を食べたときのみずみずしい感動、そういった透明感のようなものが、ヤマガヒで描かれている湖と重なってみえるところがあます。作品の中に、山梨の澄み渡った空気感みたいなものを探してみると面白いかもしれません。
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春休みこども寺子屋 ②
徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~寛永寺・開山堂・上野東照宮編
2日目は上野恩賜公園の寛永寺周辺散策です。
寛永寺を開山されたのは江戸初期に活躍された天台宗の天海和尚(慈眼大師)です。
天海和尚は比叡山が信長に焼き討ちをされて再興された方です。
参拝する前に開山堂にご挨拶です。
両大師のもう一人が平安時代に活躍された良源和尚(慈恵大師)です。
この和尚さんは別名、鬼大師と言われ、当時疫病が流行ったころに鬼となり疫病を退散させたという伝説が語り継がれております。
ちょうどお釈迦様のお誕生日、花まつりでしたので甘茶をみんなで順番に掛けてあげました。
寛永寺といえば東の比叡山というくらいに滋賀県の琵琶湖や竹生島に見立て作られています。
不忍池の蓮や各所に桜を植えることで天海和尚は平穏平和で安らかな時代を表現したかったのでしょう。
幕末の戊辰戦争、上野戦争にてもともとは公園内の噴水のところにありましたが、焼失してしまいました。
今の本堂は川越の喜多院から移築したものです。
徳川家 5代 将軍綱吉の霊廟への勅使門跡です。
この奥の敷地に8代将軍吉宗の墓所があります。
コロナ禍により現在拝観中止になっており、子供達にはグーグルマップで位置だけ確認してもらいました。
ほかにも将軍の墓所があったのですが、
第二次世界大戦で空襲に遭い、焼失です。
寛永寺の隣に谷中霊園があります。
その中には15代将軍慶喜の墓所があります。
慶喜は神道でしたので、お墓の形が丸い円盤です。
渋沢栄一翁が寛永寺の総代でしたので
主君のお葬式を寛永寺で行いました。
渋沢栄一翁の墓所です。
ものすごく大きく、お墓の前は昨年大河ドラマだったせいか、
公園へと整備されておりました。
上野東照宮です。
江戸の皆様が日光へ参拝できない方のために作ったお宮です。
上野東照宮はまず黄金色の装飾に圧倒されます。
一つ一つ極め細やかなつくりと色彩は江戸の平和を象徴してます。
4月限定のご��印です。
華やかですね。
旧寛永寺五重塔。とにかく桜の時期は見事な景観です。
東京国立博物館の前です。
つい先日までポンペイ展と5月8日まで六波羅蜜寺の空也展が開催しております。
高学年や中学生になったら、皆と一緒に行きたいですね。
さて、昼食後に国立科学博物館へ行って参りました。
日本館と地球館です。
ちょうどポケモン化石展がやっておりましたので
カセキポケモンと古生物の骨格を比較したかったのですが、
ものすごい人気で事前に予約が取れませんでした。
すべてインターネット予約の方のみの拝観なのです。
残念ですが、出口付近にあった恐竜同士で記念撮影です。
神秘的な地球の原石ですね。
プレシオサウルスの化石。体長は2メートル超える程度の大きさと言われますが、目の前の化石はじゅうぶん圧倒されますね。
1億3500万年~1億2000万年前(ジュラ紀前期)
ここからたくさんの動物が出てきます。
3時間フルに国立科学博物館でした。
もっともっと見たいところがありまして
まだ上野恩賜公園内は弁天堂や上野大仏、清水観音堂があります。
楽しみはまた後にとっておいて帰宅です。
今回のこども寺子屋社会科見学は楽しいだけでなく、
事前に学習をしてきたので
更に知識と好奇心が膨らみ、
新たな楽しみ方を模索できたのかと思います。
今流行のご朱印を各所でいただき、
家に持ち帰り、
ご家族の皆様で思い出話に花を咲かせてもらいたいと思います。
また、実際江戸時代を学校で学ぶ時が来たら
たとえ内容は忘れてしまっても
龍興寺の和尚や引率の尾澤さん、まなちゃんとみんなでコロナ禍の中
旅しながら、みんなで協力して行けたことを思い出して、
不安を希望に変えて、未来を切り開いていってもらいたいと思います。
引率の尾澤さん、まなちゃん、
こども寺子屋の皆さんと
保護者の皆様にはいつもご理解とご協力、
誠にありがとうございました。
今後もよろしくお願い申し上げます。
こども寺子屋 保科基晴
次回、こども寺子屋 ③
徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~世界遺産の日光東照宮・輪王寺・二荒山神社 完結編へつづく
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🍶ひとりではしご酒🍺 12月11日 滋賀のお酒 語りべの会 日本橋にある「ここ滋賀」さんで開催された『滋賀のお酒 語りべの会』でたっぷりとお酒を堪能させていただきました。 全ての蔵のお酒が置いてあるのは、アンテナショップならではです。 只今、地酒12種で300ml瓶1本、地酒20種で四合瓶1本、県内33蔵制覇すると四合瓶1本+酒蔵ノベルティがもらえるキャンペーンを行っているので、ぜひとも33蔵制覇してみようと思います。 facebookでは17時からと記載されていたので、17時すぎに「ここ滋賀」さんに到着するように早く仕事を終えてきたにもかかわらず、実際は19時スタート!その分たくさん日本酒呑むことが出来ましたね〜。「ここ滋賀」スタッフさん、イベントの開催時間は正しく掲載してくださいね。よろしくお願いします。 今回いただいた日本酒は、20種、大津市の #平井商店 さん「 #淺芽生 剣呑」、愛知郡愛荘町の #藤居本家 さん「 #旭日 しぼりたて生原酒 うまくち特別本醸造」、長浜市の #冨田酒造 さん「 #七本槍 純米搾りたて生原酒」はフルーティで飲みやすさNo1、甲賀市の #笑四季酒造さん「 #笑四季劇場 夢を見た魚」高島市の #池本酒造さん「大吟醸 #琵琶の長寿」、甲賀市の #瀬古酒造さん「特別純米酒 忍者」、甲賀市の #美冨久酒造さん「 美冨久 山廃仕込特別本醸造」は地元でしか飲めない銘柄でこんな感じの日本酒を作っているんだといった感じ、大津市の #波乃音酒造さん「 #ええとこどり 純米 超辛口 無濾過生原酒」、高島市の #川島酒造さん「 #松の花 にごり酒」、犬上郡豊郷町の #岡村本家さん「 #長寿金亀 青90 火入れ」、東近江市の #喜多酒造さん「 #喜楽長 辛口純米酒」甲賀市の #西田酒造さん「 #酔小町」、甲賀市の #藤本酒造さん「 #神開 水酛零号」は水酛なのにほとんど酸味が感じられない飲みやすさ、湖南市の #北島酒造さん「大吟醸 #御代榮」、東近江市の #畑酒造さん「生もと 山田錦純米 火入れ #大治郎」、草津市の #太田酒造さん「極辛口 道灌」。 (ここ滋賀) https://www.instagram.com/p/CIsuxHfAZlo/?igshid=jvor546yz9d7
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怖くて記憶に残ってしまった怪談…実体験を含む数々のエピソードに戦慄
集計期間:2020年8月20日~8月22日 回答数:16363
夏の風物詩といえば怪談。古今東西、いろいろな物語が存在しますが、皆さんの心に強烈なトラウマを残すほど怖かった話はありますか?
今回はそんな「怖くて記憶に残ってしまった怪談」について調査を行いました。
続きを読む方はどうかお気をつけて…
怖くて記憶に残ってしまった怪談はありますか?
回答者16363名のうち、怖くて記憶に残ってしまった怪談が「ある」と答えた方は全体の約34.8%という結果に。
ここからは、怪談の具体例を見ていきましょう…
この恐怖!記憶に残る怪談
<さまざまな怪談>
・琵琶湖に飛び込む写真を撮りたいといって飛び込む瞬間とったら下から手がいっぱい出てきてってはなし
・近所にある橋の名前がお岩さんの死体が流れ着い事が由来と言われていて子どもの頃はとても怖かったです。
・警察署などの建物の横に事故車などが置かれるけれど、夜中になるとその警察署の壁を、事故で亡くなった人が血まみれの姿で必ずはってよじ登る姿を沢山の人がよく目撃しているとか。
・警察のフリして訪ねてきて、目撃者でないか確認してくる殺人犯。目撃した、と話したら殺されるという話。現実にありそうで怖い…
・赤子をおんぶした母親が宝の入った壺を取りに行くが 中々取れない壺を引き抜いて家に辿り着くと宝の壺は自分の赤子の血切れた首だった
・未だに『おいてけ堀』という怪談の怖さが忘れられません。この怪談を思い出すと、暗いところで後ろの気配が気になって、思わず走ってしまいます。
・『耳なし芳一』字があってるかはわかりませんがミミナシホウイチの話です。耳を千切り取られるのは恐怖のなにものでもなかった
・20歳までに「ムラサキカガミ」という言葉を忘れなければ死ぬという話。聞いてからしばらくは忘れていたのに、20歳の誕生日と同時に思い出して焦った。もうすぐ30歳になるが、未だに思い出すと怖くなる。
・遭難した4人組が山小屋で一夜を過ごす話。寝ないようにそれぞれ小屋の四隅に立ち、隣の隅にたつ人の所まで行って肩を順番に叩いてから場所を交代して、それをぐるぐると一晩中行い無事に夜が明けて下山できた。一巡目、最後に動いた人は一体誰の肩を叩いたの?
・自転車で急いでとある踏み切りを渡ると後ろの荷台に上半身だけの亡霊がドンと降りてくる。振り落としても腕だけで追いかけてくる。パタパタと呼ばれていたけど、昔は怖くて踏み切りを渡れなかった。今は高架線になったからパタパタは居なくなったかも。
・事故物件にすむ人の話で、そこの2階にある部屋に住む人は必ず2週間以内に引っ越すという話で、なぜかというと、毎日人間じゃないものが階段を一段づつ登ってきて、そのアパートは13段しかないので13日目には自分の部屋に来てしまうので2週間しか耐えられないという話。
・20代の頃フィリピンに行った時、知り合いの家で葬儀があり昔の言い伝えで葬儀を終え埋葬したら3日の内に死者の魂(本人)が必ず友人や職場などに立ち寄った後、家に帰って来ると言われその確認の為3日目の昼過ぎから夕方の間、その前に玄関から家の祭壇まで白い粉を撒きます。その間誰も家に入っては駄目だそうです。そして足跡?を確認するそうです。足跡?があれば成仏するそうです。
・心霊スポットに車で遊びに行った4人。その内の1人が数週間後にバイクで2ケツしていたら転落し、亡くなった��残る3人が心霊スポットに行ったせいではないかと不安になり、車でお祓いに行くことにした。神社に着くと、神主さんが車を指差して一言呟いた。「どうして連れてきたの?」3人はその言葉の意味がわからず、車の方に目をやると、ボンネットに人の手の跡が無数についていた。
・学生の頃、犬村という話が忘れられない。その村は四国の方の山奥にあって村人は昼間は普通なんだけど夜になると四つん這いで歩いたり遠吠えしたり生肉を食らうという。実際その村に極秘潜入したテレビクルーがその惨状をカメラに収めたが何らかの大きな力でお蔵入りになったと。
・会社の人から聞いた話です。娘さんに縁日で風船を買ったそうです。家に持って帰り2、3日二階の娘さんの部屋に置いていたそうです。ある日リビングで用事をしていると後ろから気配が。ハッと振り替えるとそこには縁日で買った風船が浮いていたそうです。しかし娘さんの部屋は二階の奥にあり、階段も曲がって降りなければ降りてこれません。怖くなり風船は捨てたそうです
<テレビ番組やマンガでみた怪談>
・幼稚園の頃にポンキッキーズで放送していた、花子さんシリーズ。子供には怖過ぎ、今だにトラウマ。
・花子さんのアニメで枕元にバナナの絵を置かないと足を切られて殺される?みたいな内容の話。幼少期に見たせいで足を布団から出さずに寝るクセがついた。
・小学生の頃、夏休みの昼間にあなたの知らない世界って番組やっていて、トンネルで肝試しした人の話で、車で来て怖くなって逃げたんだけど、窓に幽霊の手のあとがついて、ガソリンスタンドで拭いてもらったら、一つだけ内側にあり��すっていわれてた話…。しばらく、トンネルが怖かったです。
・本当にあった怖い話という番組の中で、キャンプ場のトイレに女の子がポーチを忘れて、取りに戻ったら、トイレの中からお化けが出てきて、追いかけてきたという…未だに忘れられません。
・友達の家で読ませてもらった漫画で、人参嫌いの男の子が人参食べられますようにとお祈り(?)したら食べ物がみんな人参に見えるようになった話。食べるとたしかハンバーグだったりするんだけど、そのうち本当の人参も知らずに食べてお母さんに褒められる。ある朝、起きたらそばにあった大きな人参を食べてダイニングに行くが、お母さんがいない。お母さんは男の子の部屋でかじられて死んでいる。
・20年以上前にTVで山田邦子さんが披露していた話です。ある夫婦が些細なことで喧嘩して夫が妻を勢いで殺してしまった。焦った夫は床下に遺体を隠した。翌朝、起きてきた子供にママは?と聞かれて誤魔化した。それが1週間ほど続いて、子供に嘘を突き通せなくなった夫が子供に話があると切り出すと、子供も話がある、と。そこで子供の話を先に尋ねると、「パパはなんでずっと、ママをおんぶしてるの?」
<自分の実体験も>
・義理の弟が亡くなった数日後、仏壇から 男の人のお経が聞こえた
・金縛りにあい女の子が耳元にフーと息を吹きかけてきてケラケラと笑いながら走って逃げていった。我が子は成人だし、当時小さな子どもはいない状況だったので怖くてその後眠れなかった。
・シャッター倉庫内で暗室作業時、明るくする為シャッターを開ける途中、回りには誰も居ないのに女性の声で「痛いよ?」との声が聞こえた事。
・テレビを消して、眠りに着こうと思ったらパチってテレビがついて、また消してを3回繰り返して、幽霊だと思って、もうやめてと大声で怒鳴ったら、おさまりました
・心霊スポットに行くと必ず色々ハプニングに遭遇する。慣れた道のはずなのに帰ろうとすると、何故か心霊スポットに戻ってしまうのを30分くらい繰り返してる途中、同乗者の1人に全く知らない子供の声で、「パパ早く帰ってきて」と電話が掛かってきた。(自分含め皆んな10代~20代前半の独身。)
・小学校の時に体調が悪くて保健室で寝てたら布団の上から人の頭の部分が見えてギリギリ顔までは見えなかったけど、怖すぎてしっかり寝れなかった。今でもあの映像はしっかり覚えてる。
・自己体験。神奈川県の丹沢山系を夜間踏破し日の出をヤビツ峠で拝もうと、真っ暗な山道を懐中電灯の灯りを足元に当てながら進んでいると、誰もいない左肩後ろから「チョット、チョット」と女性の声が聞こえてきて、顔は動かさずに眼だけを左横に動かして見ましたら、ボーッとした白い影が見えた経験があります。まだ中2だったので凄く怖かったです。
・3階建ての最上階に住んでいた頃、真夜中の2、3時まで夜更しをしていました。屋上がない建物の筈なのですが、よく天井から足音が聞こえていました。大人の重い足音で、必ず私の真上に来てから足音が消えていました。
・海岸で怪我をしたので、縫合などの処置をした数ヶ月後、なんだかそこが何故か痒い調べてみたらブォーとフジツボがそこに発生していた。その時は嫌でしたが、皆が驚かして遊んでいたのか、そういう話は私の周りは多かったので慣れてしまいました。大抵のことではスルーしてしまう人間になってしまいました。
・学生の寮で、実際にあったことです。毎晩 、1時頃にカツンカツンと音がしました。廊下に出ると誰もいません。しかし、非常口のガラスに片足義足の兵隊さんが杖をついて歩く姿が写っていました。
・20歳頃、当時付き合っていた彼氏の実家に一緒に帰省しました。海の近くで夜のドライブをしていた時に道に迷ってしまいました。お盆の時で全ての家の玄関先に提灯が点いていました。その時、夜遅いのに小さい男の子が浴衣を着て昔の大きな自転車に乗っていて不自然でしたが地元の子かな?と思い道を聞こうと追いかけました。突然、一瞬に姿を消したので曲がったのかな?と思い一本道の先に行くと曲がるような道がありませんでした。近くの家にも自転車が停めた形跡もなく消えたのです。昔、亡くなった子供がお盆で自宅に帰ったのだと思います。行き止まりだったので車をバックして逃げるように道を探したのを覚えています。そして海の防波堤のところで涼んで話をしている時に下からカサカサ音がしたのでスーパーの袋が風で飛んできたのかな?と思い下を見たら人間の笑った白い顔が出てきて逃げるように車に戻り実家に帰りました。お盆の海は、怖いです。
・うちは旅館だったので、子供部屋は屋上にプレハブを1人一つ建ててくれてました。中学3年の夏、窓のほうに横向きに寝ていました。対面にある入り口は、ガラス戸だったので外から見えないようにカーテンをつけてありました。何故か中々寝付けずにいると、扉の外にあきらかに、人がいる気配を感じたんです。すると、顔は窓を向いていたし、カーテンを閉めていたので、外は見えないはずなのに、ガラス戸の向こうに、赤いジャンバースカートに丸襟の白いブラウスを着た女の子が立っているのがハッキリと分かったんです。ただ、首から上がありませんでした。顔がないんです。何故見えているのかわからないし、夢かもと思い自分を叩くと痛いし、ただただ、お経を唱えてやり過ごしました。早朝、お寺の鐘の音が聞こえてきて、やっと顔の向きをかえる事ができました。それが、日航機墜落の夜の出来事でした。
・高校生の頃、吹奏楽部に所属していました。当時の部室はプレハブで校舎外にあり、目が行き届かないこともあって、よく遅くまで残って練習したり、お喋りしたりしていました。ただ、部室は学校の裏手にあり、窓の外には墓地が広がっている…そんなある日、サックスの先輩と2人で残っている時のこと、突然場の空気が変わりました。2人とも異なる方を向き、異なることをやっていたのにも関わらず、2人とも同時にその異変に気づいたのです。後から聞いた所、その時先輩が窓の外に向かって何となく吹いていた曲は、魂を呼び起こすような内容の曲らしく…ただ、その時の先輩は、ただただ部室の入口をじっと睨みつけるように見ており、私はその視線の先にあるであろうモノが怖くて振り向けませんでした。暫くしてから、「今まで入口に白い影が…」なんて言い出すものだから、とにかく荷物をまとめて、2人で速攻帰りました。先輩曰く「ここではもう二度とあの曲は吹かない」。
<真理>
・犬鳴の近所の出身なのでいっぱい。でも結局一番怖いのは人間。
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奈良の事。頭をずっと回ってて、書かないと…
山田寺と藤原京を結ぶのは他にもいくつかあって、山田寺の造営者は蘇我倉山田石川麻呂、藤原京の実質的造営者、持統天皇のおじいさんです。また、両地共に西側の小山に「東大谷日女命神社」の比定地を有しています。また、山田地は八釣川と安倍方面からの川の合流地で、飛鳥川ーハ釣川における飛鳥宮における細川ー飛鳥川の合流地としての石舞台(蘇我馬子)のもう一つ(八釣川)の蘇我ー天皇の飛鳥の権力構造的な上流にあります。高家(たいえ)という集落の入口であり、飛鳥防備上、甘樫丘と並んで重要な地点でもあります。(山田寺、藤原京は共に「降りて入る」アプローチですが、これも出雲大社(斉明期)と同様に道教による水のメタファーと考えられます(祭礼機能と朝廷の統合))。
山田寺の東を抜ける山田道は上ツ道として箸墓、本薬師寺南を通って畝傍山の下をかすめます。山田道に沿って谷を有するのは山田寺脇と雷宮、それに畝傍山南の旧益田池です。
東大谷日女命神社について。山田寺近くの渡来系氏族の氏から「やまとおおたにひめみこと」と読まれるとされたようですが、大和三山が道教における東方の三神山を模していることからやはり「東」は東方の意味が含まれると思います。街道の東で、藤原京の東、中国の東。また、大谷という地名が山田にはなく、畝傍山南にあることから比定地が二つになったようですが、古代において氏族や機能は地名に先立つことが多いため、意味的には共に正と思えます(また地名なら大谷「坐」となる)。
ここで言う「意味」とは道教における谷の役割で、天下の谷として日神を受けて地に恵みをもたらす谷であり、またそれぞれ西においては「西王母」としての存在を仮定したと考えられます。「東大谷日女」は、こうして中国から東の三神山における「天下の渓」たる生長性(益、ます)をまとった仙女、おそらく持統天皇の自画像だと思われます。吉野宮から飛鳥、東から廻り入ってくる、「女淵」「入谷」を抜けての生長性。その媒介としての持統天皇。また、山田道において両大谷に挟まれた雷丘は山田道によって切りかかれていますが、これも香具山における月の誕生石のような女性的な谷を想起させます。
山田寺から山田道にそって雷丘を越え、石川(山田石川麻呂)の北に本薬師寺(もとやくしじ)跡があります。本薬師寺は現薬師寺とほとんど同じ伽藍形式を持ち、その形式への拘りが強いお寺です。薬師寺は天武天皇の病気平癒を祈って持統天皇が発願したとあります。しかし山田寺ー藤原京に見られる道教思想や壬申の乱時の伊勢遥拝からも、当時宗教はかなり広くあって、それに秩序を与えるものとして仏教があったと考えます(山田寺)。そこにきてここでの薬師寺建立とは、薬師如来そのものというよりも宗教的なバランスをとるために仏教寺院、そこの本尊として山田寺(東方浄瑠璃土)本尊たる薬師如来が導かれたのではないでしょうか。
そこで拘られた伽藍配置、すなわち二塔一金堂形式ですが、これは天武ー持統を現している、と同時に谷に対しての山、「2」のそれそのものです。後の平城遷都にともなう寺院移動に伴っての舎利孔の移動は、天武から持統への推移で、ここでもやはり持統天皇は西(西王母)です。
二塔一金堂からなる寺院。そのうちの一つは当麻寺、壬申の乱の戦地たる当麻にあります。当麻寺本尊(創建時)はその直線の感じが山田寺本尊とかなり似た印象があります。そして当麻寺の由緒は「河内国山田の地から移ってきた」との事で大阪側に「山田」の地名がある事からここだと考えられているようです。しかし、山田寺から辿るとやはりここは山田寺を祖として持統の系譜によってこの地に据えられていて、「山田」の地名もまた氏族の分布を示しているものと思います(なお、こちらの「山田」には由緒不明の「薬師寺」があるようです)。
薬師寺、当麻寺の「二塔」は二上山で西の空に顕れます。二上山(太子)ー雷丘(小懇田宮)の聖徳太子ライン、西方思想としての「2」をもった仏教に対して、2から1が流れ続ける、「神道」としての神殿を遥か東の伊勢の要衝に設定します(三輪、鳥見山の向こう)。雷丘の「2」を「谷」として読み替える山田道。香久山で生まれた小山によって運ばれる、東と西の間の海。新益京(あらましのみやこ、藤原京)は山田寺であらわれた宗教的統合を進めて「あらたにます」、谷に流れ込む気が東方三神山の浮かぶ海です。満ち満ちた場所に生じる生長の勢いの中、氏族から土地律令へ、人類的な虚構が具現する場所となります(官制貨幣も生まれます)。そしてその基となった壬申の乱自体が、論語(学而第二)を基調におく、「乱」と言えたかも知れません。
やがて持統天皇は新益京の南の陵に合葬、「1の中の2」へ至ります。それは人類の的虚構の逆、個人的内面的な帰結です。残された京は北極星にあって(そして大和川→佐保川、おそらく一つは市場機能の増強のため)、藤原の地に春日神社を残して北方、平城京へと遷都します。薬師寺は元の形式のまま舎利孔を変え、1の中の2から「より強い2」をまといます。すなわち塔に残像のようなダブルイメージをもたせます。それによって降り立つ鳥のような、飛鳥に見られた垂直性がバロック、強烈な形で顕現させられました。
また、平城京の東に由来不明の巨大寺院、東大寺が建ちます。聖武天皇の���に聞こえるような、日本的壮大性の一つの極点たるここは、山田道��北の果て、もう一つの二塔一金堂の寺院です。また、この盧舎那仏は山田に対しての(日前・國懸ー飛鳥川)吉野と同じように、平城宮-恭仁宮(岡本離宮)に対しての(難波ー木津川)信楽から降りてきました。天武の紀ノ川・中央構造線に対しての淀川・琵琶湖ライン。経済機能を保ったままでの天武・持統の構成を復活させようという(その中で内向化を進めようという)聖武天皇の意図、構成が見えます(万葉集においても、38の「三体」的神話構成空間に立ち現れてくる吉野の儀礼性(河内との接続)に対して、923において「益益」の「流れ」として要素の対象化が図られています。それは対象を希求する明確な意図です)。
「東大谷日女」(修二会神名帳では「東大大明神」)は中国に対しての東、その身は西でしたが、ここにきて日本という中央を持って、身も意味も東になります。西大寺ができ、「ことば」は文字にまとまっていきます。そうして意識は内面化し、権力化と共に、天智系へ。儒教へ、律令は制度となります。そして外へ離れていきます。
ですが持統天皇がなした「コラージュ」を基とする統治の思想、姿勢は前方後円墳にすでに見られた大王の糾合性を極限まで拡げた、復古にして画期の出来事でした。糾合は「天皇」という中心を要請します。それは「簒奪王権」としての側面を持った天武朝にして、糾合への振り戻しに由来しながら、華僑による市場的な結合を核に、思想や言語、そして都市やものにまで落とし込んだ、究極的な概念形成です。その中には組織化されていない土着のネットワークまでも取り込まれました。「礼」、高い次元での調和。天皇、ひいては日本の性質の源の一つとなりました。というよりも、あまりに根本的な改造であり、その後1500年間、特だった変化は生じておりません(生じえない)。そしてそれらの実行上の中核が蘇我氏だったのでしょう。そのようなコラージュによる中央集権。跳躍と同時にバランスが存在しています。
そしてその根本的な動機は「冠位十二階」等の直線的な制度から面に、機能的な展開。法から「物」へ。都市、建築への意思の原初にして根本だと思われます。そしと造形(都市や言語)から逆入する形で「国風化」は積極的達成がなされたと思います(遣唐使の廃止-再開、等法制は消極)。それらの極み、抽象性の頂点として、「天皇」が置かれました。それは階層性を極めた結果、別概念となった主権概念です。ある種の神ではあるけど、もっと直接的機能(ボトムアップ)に立脚した、神様。
古い物が守られて続いていく。その実行に際しての障壁を最小化する。名としての藤原の向こう、魂としての。とってつけたような春日社の配置に対して、名に対して魂の造形へと強さ。精神の構造としての河内(倉麻呂系)-天武-、持統。
そして奈良には星座のような記憶と、環濠集落が残ります。
東大谷日女命神社の手水石(大谷側へ、亀型石造物との近似)
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近江八幡と藤ヶ崎龍神と日吉神社とバーフバリと
1月末にとあるきっかけで4月末までに50枚の作品を書き上げなければならないことになり、前の記事に書いていた面白い短篇を書き上げて出せばいいのではとなったが、あれが50枚で収まるとは思えず、適当に無難な作品でお茶を濁すのはメールの文面上許されないこともさすがにわかるのでできないのであった。
それでなかなか進まないので、10日より自主館詰めと称して近江八幡に滞在。11日の朝、近江八幡のパワースポットを検索して気になった藤ヶ崎龍神という場所を目指した。駅前からバスに乗り、Google先生の指示通りの停留所で降りて農道を延々と歩く。ところどころ雪が残っている。途中、牛舎のそばを通る。牛でかい。湖岸道路を渡って水泳場近くを行き、Google先生が目的地としてポイントをつけているあたりに近づくとそれらしき岩場と鳥居が見え、女性がちいさな社を掃除していた(画像中、グレーのパーカーの人)。邪魔したら悪いなと、ただ湖を見に来ただけですよと言わんばかりに近くでぼうっと琵琶湖を何年ぶりかに眺める。そもそも今回近江八幡を選んだきっかけは宍道湖のことを思い出して行きたくなったが遠いので琵琶湖で代用しようと考えてのことだった。風が強くて波も荒れ気味だった。しばらくして女性からお待たせしてすみませんと声をかけられ、会釈しつつ、一応鳥居を正面から入りなおしたところ、せっかくなので、この卵を龍神さまに納めてくださいと新鮮そうな卵を渡しながら言われる。なんでも龍神さまは生卵が好物らしく、卵に願いを込めてから二つの岩のあいだを抜けるように投げると願いが叶うらしい。面白そうなのでやってみようと思い、卵を受け取るとどこからきたかと尋ねられ、正直に答えたところ驚かれ、なぜか礼を言われる。球を投げるのは下手なのでなるべく岩に寄ってみたりしているうちに女性が祝詞を唱えはじめ、締めにこの人は○○からはるばる来てくださったんですよと龍神さまに紹介される。祝詞が終ったと同時に投げる。無事、岩の向こう側へ行った模様。そのあと、こちらにも祀られていますので、よかったら、と検索したときに見たことのある、山肌の洞窟を示される。女性の息子さんらしき子が中から水を掬っては出している。礼を言って行ってみるが入口が結構狭く、入れるか不安だったもののぎりぎり入れた。中も狭い。手を合わせる。無事に出られるか不安になるが、出られる。あらたに人が訪れていた。近くに水浴場もあるしウェブビーチクラブなる施設もあるので人がまったく来ないわけでもないだろうが(検索したら行った人のブログとか出てくるし)、どうかあまり俗化せずにいまのままであってほしいなと思ったので、twitterにはこのあと行った日吉大社がものすごくよかったとひたすらツイートし、藤ヶ崎龍神についてはほぼ書かないのであった。貴船といい、龍神と相性がいいのではないか、などと調子こいて検索していたら滋賀県内に龍神池なるそそられる名前の池があることを知るなどする。竹生島も龍神系らしいけど今回は断念。まあ、なんにせよ箱根神社には行こうと思うのだった。12日に帰る。書けたのかどうかは秘密。まあただ、館詰めするなら地元とかそういう、どうでもいいところへ滞在するべきなのはたしかであった。あと、日吉大社がちょうよかったのでみんな日吉大社へ行くといいですよ。猿いますよ、猿。建物でかいし。敷地広いし。交通の便もいいので最高ですよ、日吉大社。藤ヶ崎龍神から帰ろうと思ったら次のバスまで2時間とかだったので歩いて近江八幡駅まで戻る羽目になったし。湖岸道路の交通量が多いから渡るの大変でしたし。そりゃもう、断然、日吉大社を推しますね。
そういえば2月3日には塚口サンサン劇場で『バーフバリ──伝説誕生』『バーフバリ──王の凱旋』マサラ上映が行なわれた。かつてチケット入手困難と言われた『マッドマックス──地獄のデスロード』マサラ上映に2回参加したときのノウハウがあるのでチケット予約楽勝であった。すさまじい盛り上がりで会場全体一丸となって王を称えたのであった。神話っぽいなあと思う部分はだいたい神話だということものちになって判明。エンタメ書いてる人は観て損はないのではないだろうか。
最近読み終えた本
平田俊子『ラッキョウの恩返し』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ『意味の論理学(下)』(河出文庫)
最近観た映画
『メリエスの素晴らしき映画魔術&月世界旅行』(セルジュ・ブルンバーグ/エリック・ランジ)
『人生はシネマティック!』(ロネ・シェルフィグ)
『ユダヤ人を救った動物園』(ニキ・カーロ)
『バーフバリ──伝説誕生』 (S・S・ラージャマウリ)
『バーフバリ──王の凱旋』 (S・S・ラージャマウリ)
『リュミエール!』(ティエリー・フレモー)
『オール・アイズ・オン・ミー』(ベニー・ボーン)
『否定と肯定』(ミック・ジャクソン)
『ゴッホ──最後の手紙』(ドロタ・コビエラ/ヒュー・ウェルチマン)
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