Tumgik
#最終期日が今夜(昨夜)だと思ってたのが実は英だけ水曜だったのが不幸中の幸い
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情緒不安定すぎてワロ^^
#急〜〜〜にしにたくなるんやぁ#マジでさっきまで安心してたのに 成績のこと#やばかったのが英・社・絵やったんけど#先に絵と社をやって とりあえずBぐらいにはなる感じ#問題は英語^^#あれはやばい しかも5000mぐらい墓穴掘ってた#今の成績35%とか やばい(2回目)#エッセイ(として加算される課題)がな 3つ しかも水曜まで#完全に敗北したわこれ#しかもたとえそれなりに出来たとしても50%ぐらいにしか上がらん#これはplato覚悟 日本に行く期間が削がれる……#最終期日が今夜(昨夜)だと思ってたのが実は英だけ水曜だったのが不幸中の幸い#でも気付く前ほんと死にたくなるぐらいストレスやったからまだ消えとらん#ほんと全て投げ出して死にたくなってくる#日本に行くまで我慢とか言ってもさ 考えれば考えるほど日本に行くこともストレスになってくるのよ#最後に行った時中学生だったし ちょうどその時にジェンダーやら色々考え出したぐらいで#当時の結論はジェンダーフルイドだったけど 今はそ〜簡単に行かんな〜#トイレ・服装・外見・言葉遣い・一人称・仕草…………#名前もそうだな#楽しみなのは本当だけど……嫌になってくる#親から一時でも離れたいけど、一人じゃ何も出来ないダメ人間だから不安になってくる
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gyohkou · 1 year
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26/11/22
ザベストメニューオブ近所のタイ料理屋がTOM YUM FRIED RICE に決定しました。かなり辛&ちょい酸っぱの水分多めトムヤムソース炒飯で、具材はでっかいミドリイガイ(ムール貝の貝殻に綺麗な緑が混じっているような貝)×2、いか、マッシュルーム。£9.00だから円換算だとちょっとお高めだけど、他メニューよりもはるかにわたし好みの味だから明日も食べちゃうかも。旨辛な味付けによわい。
月曜日に突然英語の流暢さがアップして、先週よりも少し長く喋れるようになった。気がする。ある言語を喋るっていうのは、文法が理解できるとか読めるとか聞こえるとかとは全く別のベクトルの技術であるらしい。(わたしはギター弾けないけど、)コードのことは全然わからないけどギターが弾けるアーティストがいると聞いたことがあり、構造としてはそういう話なのかなと思った。スピーキングっていうのは多分、もちろん基礎練習は大事だけれど、勉強というよりかはもっと身体的なこと、運動や楽器を練習するのに近い。ヨーロッパ系のクラスメイトはtenseもままならないくらい文法が不出来なのに、めちゃくちゃぺらぺらと長い文章を喋る。対してわたしは、文法や語彙はかなりできる方だが、雑談とかディスカッションには弱い。イタリア人に、あなたは文法ができないのによく喋る、わたしは文法ができるのに喋りは下手、なんでなんだろうね?と言ったら、同感だがわからないとのこと。
スピーキングは身体運動だからそれにまつわる全てが楽しい。わからないことはそのままにせず発言する欧米文化に倣って、授業進行を中断する形になっても質問を投げかけたり、自分の意見を言ってみたりするのも楽しい。わたしは多分喋ることがもともと好きなんだけど、英語はリズムがあるから喋ってて気持ちいい。リエゾン(単語と単語の音が繋がること)や、シラブル(一単語に含まれる、一度に発音する音の最小単位)がうまく再現できて、口の中で音が響く感じがすごく好き。中学生の時、英語の授業をやってくれた教育実習生がすごく綺麗に教科書を読んでいて、「発音するのが楽しくて英語教師を目指すようになった」と言っていたのを覚えているが、おそらく同じバイブス。
先週末にワールドカップが開幕してからフットボールの話が頻繁に持ち出されるようになり、ついにPubの大スクリーンでブラジル-セルビア戦を観た。ホールのように広い店内で、グラス片手に立ち見をする客に溢れてライブ会場のようだった。色んなタイミングで大きな歓声が上がったり、(店内はブラジルサポーターが多かったので)ブラジルの応援歌が歌われたりと、自由で、エネルギッシュでよかった。歓声と怒号と、厨房で割れるグラスの音が響いていた。グラスが割れたのは厨房内だけではなくて、隣の席の興奮したサポーターがビールグラスを床に叩きつけて割っていた。すぐさま箒と塵取りを持った店員がやってきて、やれやれ、とでも言いたげに、そそくさと掃除をして消えていったので、Pub観戦茶飯事みたい。ブラジルのリシャルリソン選手が決めた回転ゴールがめちゃくちゃかっこよかった。でも実はこの時、ちょうどお手洗いに立っていて、ゴールの歓声を聞いたのはトイレの中で、実は実はゴールの瞬間を見逃したんだけど...(なぜか見栄?張って、一緒に来ていたクラスメイトに「(ゴールの瞬間)観たよ!すごかったねー!」とか言っちゃったんだけど......)。わたしは昔からこういうところがあって、アルバイトしてた居酒屋の店長のお誕生日会に出席した時、お手洗いに立っている間にケーキが運ばれてきていて、席に戻ったらハッピーバースデーは歌い終わって店長の話も終わってた、という思い出がある。聞くにしのびないね。
属しているコミュニティが学校しかないから学校の話ばかりになるんだけど、先日の宿題で、継続的でネガティブなトピックをひとつ選んでプレゼンする、というものがあった。(海洋汚染、大気汚染、原子力発電、ファストフード等。)興味深かったのは、カタールで開催されるワールドカップの裏側についてのプレゼンで、会場建設に携わった多くの人が亡くなっていること、移民労働者がLGBTQだった場合はカタールの法律に則り違法とされ懲役や罰金が下されること、暑いカタールの会場を冷やす空調設備のための莫大な資金と環境汚染、が問題だという。(英語で聞いたからもしかしたら事実と異なる部分があるかもしれない、ご容赦。)このプレゼンを聞いた日にPubでフットボールを観たんだけど、ワールドカップ開催の影とは裏腹に、純粋に試合観戦を楽しむ人たちで溢れていて複雑だった。2021年に開催された東京オリンピックにも様々な批判が集まったけど、莫大な資金が投じられていて、世界規模で、メディアの注目も集まるイベント(プレゼンしてたクラスメイトはスペイン語が母国語で、mediaticと言ってた。mediaticは英語の辞書には無いらしく指摘を受けていたが、スペイン語でmediatico?はメディアに関係していること表す形容詞みたい。)を簡単には中止できないという意味で、構造が似ているなと思った。
このプレゼン関係で交わされたトピックトークで色んな史実が持ち出され、世界で起こった非人道的な事件は人類が共通して持つべき記憶であるという気づき、それらに疎いがゆえに感じるもどかしさ/恥ずかしさから、この歳にしてようやく世界情勢や歴史に興味が湧いてきた。パリの同時多発テロ事件がどのくらいの規模だったのか知らなかったし、テロとは何なのか説明できなかったし(政治的、宗教的なイデオロギー上の目的達成のために行われる暴力や犯罪のこと)、福島の原子力発電所で何が起こったのか詳しく説明できなかったし。地下鉄サリン事件もテロだよね。昨晩はパリ同時多発テロ事件のwikipediaを読んで夜を過ごした。物事に興味を持つ時は、その物事がある程度のリアリティを持って自分と関係することがきっかけになる。
ちなみにわたしは、核融合発電の問題点をプレゼンした。今世界中にある原子力発電にはウランの核分裂が使われていて、うまく管理しないと核分裂の連鎖反応が起き、福島原発のようにメルトダウンを起こして放射性物質が外に漏れ出たりする。対して核融合は連鎖反応が起こることはなく、安全性が高いエネルギー供給法と言われている。ただ、核融合に使われるトリチウムという物質が全く足りてない問題 / トリチウムを作り出すためにはウランを核分裂させる必要があるけどちょっとずつしか作れない問題 / てかクリーンなエネルギーのためにまた核分裂させるのかよ問題 / トリチウムは半減期が短いから作っても取っておくのが難しい問題 などなど、燃料供給に潜在的な問題ありらしい。ひとつの記事しか読んでないから事実とは異なるかもしれないけど、絶対実現むりじゃん。ウケた。ところで、授業の先生が物理学部卒でロケット自作したり、種子島にロケット見に行ったりしてる人で、宇宙ってロマンチックでいいよね、物理ってかっこいいよねの気持ち思い出してる。(That's why 核融合について真面目に喋ってみた。)
仕事したい。Pubで3パイントもビール飲んだから翌日まで酔っ払ってて、どうしてもお米とお味噌汁を体が欲っして、高いお金出してお寿司とお味噌汁をランチにしたんだけど、日本人としては納得いかないクオリティ。おいしい日本食を出すレストランへ気兼ねなく行くためのお金が必要だし、賄い目当てで日本食レストランでバイトするのもいい。タイ料理はおいしいけどタイ料理は日本料理ではない。
オフィスワークもやりたいから現地エージェントに登録したんだけど、「ご角煮おねがいします」とか、メールの誤字がすごすぎて楽しい。角煮持っていって、わたしがエージェント代わろうかな。
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ここからが本題で、日記を読んだ友人がくれた感想を引用させてもらうんだけど。
"あなたという人間から見える世界の在り方自体は何も変わってないのに、舞台がロンドンになった途端、あなたの生活にストーリー性や瑞々しさが生まれているかのように見えてくるの、おもしろい"
わたしが思っていることをとても上手に言語化してもらった気分だった。わたしは世田谷からロンドンに引っ越したみたいな感覚で、自分の生活が、人生が、場所を変えて継続していくだけで、生まれ変わったとか、輝くものを手に入れたような感覚は全くない。渡英前も���わたし本人よりも、渡英するという選択を聞いた周りの人の方がよほど嬉しそうに、感慨深そうにしていて、不思議だった。(安定と変化を天秤にかける人はいても変化を実行に移す人はそうそういない、すごい、とか、海外へ行くと決めたわたしを見て勇気と元気をもらえた、とか。)
自己認識と他者認識の相違をふまえて、
・自分が経験したことのないことに対して抱く感情は幻想、過度な美化だという可能性 ・客観的に自分の立場や能力の特異性、稀有性を捉えることの難しさ
のことを考えている。わたしは羨ましがりで、SNSで人の生活を垣間見ては落ち込み、友人の近況を聞いては焦り、つまり比較ばかりしていた。しかし、羨ましいという気持ちはわたしが頭の中で作り出した幻想や過度な美化によるものではないか?当人には当人なりの地獄、そして天国。人には人の乳酸菌。追及すべきは自分なりの幸福の形であって、羨望や嫉妬に支配されるのは間違っている。ロンドンでの生活に対する印象が自分と他者で大きく異なるという実体験から、他者を羨むことって実はあんまり中身がないんじゃないか?→過度に羨んで落ち込む必要ない、の回路が形成されてちょっと楽になった。とはいうものの、海外へ行くなんて大したことじゃないよ、と平坦に扱うことは違うとも思う。長期で海外へ行くという選択が容易にできる程恵まれた環境、タイミングであったのは事実だと思うし、それに加えて自分の適性もプラスにはたらいているだろう。わたしは新しい環境に対する適応能力が高くて、異なる価値観を"受け止める"力があるらしい(友人談)。たしかにそうかもしれない。人には各々なりの価値観に至るバックグラウンドがあって、好ましいか否か以前にそれらは全て尊重されるべきだというスタンスが根底にあって、それが異文化の人と接する上で潤滑剤になっている気がする。(好ましくなければ否定はするけど。)このような自分の特異性、稀有性に自覚的でいたい。さもないと他者を傷つけかねない。もう傷つけているんだろうか。
自分からみた世界の在り方はあまり変わっていないけど、大きな変化があったとするならば、時間が正しく流れるようになった。以前は、ひどく綺麗な夕日がとっぷり暮れた後にひとりで夜を迎えるみたいな毎日で、そういう日々の中で流れる時間というのは一方向に規則正しく進んではくれず、途方もない。ところが今は、決まった時間に起きて決まった朝ごはんを食べ、学校へ行って授業を受け、帰宅して夕飯を食べ、勉強して、ゆっくりして、眠る、ことが、無理なくできる。正しく時間が過ぎていく。
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ちょっとポエティックになっちゃったけど、いや、なっちゃったとは言いたくない。大学のサークルの先輩がわたしのTwitterを見て、ポエマーだよね(笑)と言ったのをずっと根に持っていて、今思い返しても腹が立つんだが、ポエティックな言葉はうつくしいだろうがよ。
文脈を忘れたけど、クラスメイトが授業中に Live like your last day. と言い放って、お〜ポエティックでいいね〜、てなったのよかったな。
今週はあんまり写真を撮っていないから、お寿司とお味噌汁の写真を載せる。
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kozuemori · 9 months
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相変わらず猛暑が続きますね。それにしても、うちのベランダのバラは途切れることがなく元気に咲き続け、メダカ鉢の水草もどんどん増えて水面を覆い、環境への順応性の高さに驚いてます。
昨日あたりから、ぺルセウス流星群の活動が盛んな時期に入りましたね。21時頃から流れ星が現われ始め、最も多く見られるのは14日の夜明け近く(東京では3時台)とのことです。夏の夜空全体に現れる星々のショーを楽しみたいと思います。私の誘導瞑想でも夏の星空をテーマとしたものがありますので、よかったら一緒に試してみてくださいね。
来週の火曜日、8月15日は78回目の終戦記念日です。夏学期クラスの実習では、生徒さん達にいつもとはちょっと違うインスピレーショナル・ライティングに挑戦していただきました。
まず、以前このブログで紹介した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本の中から一つのエピソードを選んで読みました。そのエピソードは、この本の著者であるポール・ウォーカーさんが担当していたラジオ番組に寄せられたアメリカ人の元軍人ロバートさんか��の投稿文で、実際に番組内で紹介された実話です。
・・・・・・
第二次世界大戦が終わり、私(ロバートさん)は占領軍の一員として沖縄に駐留していました。当時基地内でよく盗難事件が起こりましたが、日本人の孤児グループによるものだと思われていました。お菓子等、どうでもいいようなものばかりが盗られていたからです。
ある日、私は愛用していた自分の万年筆がなくなっているのに気づきました。こうなってはもう盗難を見過ごすことはできません。
その数日後、日本人捕虜の一人を作業任務に当たらせようと、捕虜の居住地区から一人の男を呼び寄せました。彼とは今までよく敷地内で一緒に仕事をしていて、有能で誠実な人物だと思っていたのです。
けれど、その捕虜の胸ポケットに盗まれた万年筆がささっていたのを見た私は、その場で彼に万年筆を返すよう厳しい調子で迫りました。立場的にもアメリカ人の上官の命令に背くことのできないその男は、悲しみと失望の表情を浮かべながら、渋々万年筆を差し出しました。
その後、基地内でその日本人の姿を見かけることはなくなりました。理由はわかりません。
3週間後、私の万年筆が自室で見つかりました。あの捕虜から奪ったのは、模様が似ている別の万年筆だったことが判明したのです。
あれから50年、戦後もずっと私は自分の行動を悔い、あの日本人の男に謝罪したいと願っています。
・・・・・・
この投稿を聞いた生徒さんに「このラジオ放送を偶然聞いた、かつて米軍基地で捕虜として働き、万年筆を没収された日本人になったつもりで、この番組宛に返事の手紙を書いてください」というお題を出しました。
どのクラスも素晴らしい手紙ばかりでしたが、最終日のアウェアネス・オールレベルクラスでシェアしてくださる生徒さんを募ったところ、3人の方々が協力してくださったので、ここに紹介いたします。
・・・
あれから50年たち、たまたま聞いたラジオから思い出された万年筆、これは私のことと気が付きました。
なぜか、涙が出て身体が震えました。
あの頃の戦場では誰もが生死をさまよい必死でした。
捕虜の私は、あなたに何も言えませんでした。それでもいいと思いました。
あの万年筆はあなたに差し上げたものです。
私は、あれから生きて帰ることができ、今まで暮らしてきました。
万年筆のことは思いだすことはしませんでした。
今思うと、万年筆は持ち帰らなくて良かったと思っています。
あなたは、50年もの間、苦しんで生きてきたようです。
もう忘れていいのです。
私は、万年筆をあなたに渡したときからあなたを許しています。
あなたのこれからの幸せを祈っております。
・・・
日曜の午後 たまたま聴いていたラジオから流れてきた内容にとても驚き筆をしたためました。
あの万年筆のお話しは私のことです。
とても高価な物で、私の大切な親友から貰った物です。
その友人は、この戦争で亡くなってしまい形見となってしまった物です。
あの日、彼から「渡せ」と言われ
私は大事な品を取られてはならないと必死でした。
しかし、敗戦国である私に何も守ることは出来ません。
私は、失望・絶望を経験し
あの日以降、敷地に入ることは出来ませんでした。
今、50年経ち思うことは
あの万年筆と共に思い出が沢山あったが
あの万年筆は無くとも思い出が沢山あることに気付き
返してもらおうとは思いません。
また、彼の過ちを起こした理由を知り、
私は、許します。
それだけを伝えたく筆を取りました。
彼もまた幸せでありますように・・・。
・・・
ラジオをお聴きのみなさま、初めてお便りいたします。
先日の放送で、かつて万年筆を盗んだと疑われた日本人捕虜とは私のことです。
あの時の貴方へ、私からもメッセージをお送りいたします。
実はあの万年筆は戦時中、草むらで砲弾に倒れていたアメリカ兵の胸ポケットに刺さっていたものでした。
彼は息も絶え絶えで私に何かを伝え、それを私に渡そうとしました。
英語が全く分からなかった私ですが、それでも彼を不憫に思い、まるでわかったような顔で頷き、それを受け取りました。
しかし私には彼の意を汲み取り、託された万年筆をどうすれば良いのか為すすべを知らなかったのです。
それが長い間私の心のしこりとなっていました。
なので私はあの時、正直ほっとしたのです。
私は貴方を傲慢な人だと思い込んでいました。
しかしその傲慢さが私の罪の意識をいくらか拭い取ってくれたような気がして、むしろ感謝の念すらおぼえていたのです…
・・・・・・・・・・・・
夏学期クラスの中で行った誘導瞑想の中からピックアップして、ショップで音声データを販売中です。クラスの瞑想中に寝てしまった人も😅、再び挑戦したい人も😆、新たな質問をスピリットに投げかけたい人も😄、夏休み中の練習として、ぜひご活用ください。
ショップからご購入いただけます。
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「ニライカナイ  Niraikanai」 33:10
沖縄や奄美地方に伝わる伝承、理想郷とされる神々が住まう美しい島を訪れます。南国の美しい自然のエネルギーに触れ、その恩恵を受けながら癒しの旅を続けます。沖縄のシャーマンに出会い、神域に案内されたあなたは、そこで光の世界に旅立った人と再び出会う機会を与えられます。
「夏の星座  Summer Constellations」 32:21
ローマ神話に登場する全知全能の最高神、ジュピターに誘われ、夏の夜空へと旅立ちます。天空に浮かぶ数多な星に歓迎されながら、光のパビリオンで指導霊と出会ったあなたは、今年の後半へのアドバイスを受けます。美しい夏の星々が、あなたを更なる霊的な学びへと導いてくれるでしょう。
「魂の沐浴  Soul Bathing」 33:00
神聖な鳥に導かれながら、神々が集うバリ島を訪れます。聖なる沐浴を体験して心身を清め、祈り、神聖なエネルギーを受け取ります。ライステラスを見下ろす景色に囲まれながら、更なる祝福を受けるために霊峰を訪れたあなたに、水と火のエレメントが織りなす霊的な出会いが待っています。
「エル・ドラード  El Dorado」 33:26
かつてのスペインの征服者達によって広まった黄金伝説、エル・ドラードを探し求め、あなたは黄金色に輝く美しい都市を訪れます。そこで待っていた高潔な生き方や精神的な覚醒を達成し、神聖な存在と見なされている人々は、あなたの霊性開花への道をより明確に示してくれるでしょう。
「ヴィジョン・クエスト  Vision Quest」 29:44
どこまでも続く赤い大地と青い空に囲まれながら、あなたは霊的成長への旅を始めます。ガイド役に選ばれた美しい姿をしたスピリット達に見守られながら、宇宙のグレート・スピリットと交信し、その大いなる智慧と恩恵と無条件の愛に触れながら、今世での魂の課題を確認しましょう。
「青い家  La Casa Azul」 33:20
コロニアル様式の古い建物が並ぶ美しいメキシコの街に佇む、画家フリーダ・カーロの家を訪れます。逞しくも美しい画家の個性にふれ、魅力的な住まいと生命力に溢れる作品のエネルギーに囲まれながら、クリエイターとしての自分の使命に新たな刺激がもたらされるのを感じてください。
夏学期クラスで好評だった誘導瞑想もシェアしますので、よかったら試してくださいね。(下のリンクをクリックすると視聴できます)
秋学期クラスへのお申込受付を開始いたしました。実りの秋、1年の霊性開花の締めくくりを共に体験してみませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
お申し込みはこちらからどうぞ。
継続の方は直接ショップからお申し込みください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・8月31日(木)指導霊のサイキックアート
・9月14日(木)過去世のサイキックアート 
・11月9日(木)指導霊のサイキックアート 
お申し込みはアイイスまでどうぞ! 
下の写真は、過去に開催したドロップイン・ナイトで行った指導霊と過去世のサイキックアートから抜粋したものです。
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fujimoto-h · 4 years
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2019年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
 実際にはすでに年は明けてしまっているが、この記事に関してはまだ年末という体で。またあとでべつの記事に年末については書きます。  今年は『フィルムメーカーズ19 ギジェルモ・デル・トロ』(宮帯出版社)に『クリムゾン・ピーク』について書かせてもらったり、『文芸誌 反省しない犬』に短篇を書かせていただいたりと、私個人としてはわりと文章発表の機会が増えた。『白鴉』31号に載せた作品が外部合評でやたら高評価だったが、同人誌評でどうなることやら。  仕事の激務化が進んで読書量が53冊と計測史上最低記録を更新してしまった。昨年は66冊。韓国文学の割合が増したのと、岡和田晃氏に勧められていた山野浩一をようやく読めた。  映画の観賞回数は126回。昨年は116回。『フィルムメーカーズ』に書くのにデル・トロをあらためてまとめて何作か観たのも増えた要因か。わりと邦画ががんばっていた印象。ずっと観たいと思っていた『サタンタンゴ』の上映はまさに事件であった。  あと、ライムスターが結成30周年で全国47都道府県ツアーを行ない、そのうち、岡山、和歌山、滋賀、兵庫、京都、大阪、東京、と参加。白鴉の例会がなければ奈良も行っていただろう。東京ポッド許可局のイベントも楽しかった。  2月に大阪入管前抗議、9月に日韓連帯アクション0907に参加し、神戸と東大阪の在日朝鮮学生美術展へ足を運ぶなどもした。  疎遠になっていたmixiの知り合いとふたたび縁がつながるということがふたり分起き、思えばいちばん実人生に影響を与えているSNSはmixiだなあと。よくも悪くも。
2019年の本と映画の記録。2018年はこちら。
読了本53冊
ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社) ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』(河出書房新社) チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社) 姜英淑『ライティングクラブ』(現代企画室) 村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)
ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社) イム・チョル『別れの谷──消えゆくこの地のすべての簡易駅へ』(三一書房) 石垣りん『表札など』(童話屋) 樺山三英『ドン・キホーテの消息』(幻戯書房) キム・スム『ひとり』(三一書房)
石垣りん『略歴』(花神社) ハン・ガン『少年が来る』(クオン) 草野理恵子『パリンプセスト』(土曜美術社) メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(新潮文庫) パトリシア・ウォー『メタフィクション──自意識のフィクションの理論と実際』(泰流社)
チョン・スチャン『羞恥』(みすず書房) 古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ) ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(河出書房新社) 野間秀樹『日本語とハングル』(文春新書) 黄英治『こわい、こわい』(三一書房)
キム・ヨンハ『殺人者の記憶法』(クオン) 廣野由美子『批評理論入門──『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書) チェ・ウニョン『ショウコの微笑』(クオン) アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』(光文社古典新訳文庫) レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(左右社)
松岡政則『あるくことば』(書肆侃侃房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社)2回目。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)2回目。 アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために──付 スナップ・ショット』(新潮社) 『カム』17号
サミュエル・ベケ���ト『モロイ』(河出書房新社) 鈴木道彦『余白の声──文学・サルトル・在日』(閏月社) アントワーヌ・コンピニョン『文学をめぐる理論と常識』(岩波書店) 原佑介『禁じられた郷愁──小林勝の戦後文学と朝鮮』(新幹社) 林浩治『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社)
サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる)通算7回目 林浩治『戦後非日文学論』(新幹社) 金時鐘/佐高信『「在日」を生きる──ある詩人の闘争史』(集英社新書) 『星座盤』vol.13 『骨踊り──向井豊昭小説選』(幻戯書房)
トーマス・ベルンハルト『凍』(河出書房新社) 『babel』3号 『白鴉』31号 サミュエル・ベケット『マロウン死す』(河出書房新社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『なにかが首のまわりに』(河出文庫)
山野浩一『殺人者の空──山野浩一傑作選II』(創元SF文庫) 山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか──山野浩一傑作選I』(創元SF文庫) 山野浩一『X電車で行こう』(ハヤカワ文庫) 山野浩一『ザ・クライム』(冬樹社) 『現代韓国短篇選(下)』(岩波書店)
北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か──不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房) 谷賢一『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔 の上で辿り着いた最後の一行「──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」という言葉により 何を殺し何を生きようと祈ったのか?という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』(工作舎) ジャン・ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』(ハヤカワ演劇文庫) 馳平啓樹『かがやき』(水窓出版)
映画観賞回数126回
『審判』(ジョン・ウィリアムズ)シネ・ヌーヴォ 『ヨーロッパ横断特急』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『嘘をつく男』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『エデン、その後』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『快楽の漸進的横滑り』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田
『鈴木家の嘘』(野尻克己)塚口サンサン劇場 『ヴェノム』(ルーベン・フライシャー)塚口サンサン劇場 『囚われの美女』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『不滅の女』(アラン・ロブ=グリエ)テアトル梅田 『ハード・コア』(山下敦弘)塚口サンサン劇場
『リンダリンダリンダ』(山下敦弘)通算2回目。塚口サンサン劇場 『教誨師』(佐向大)塚口サンサン劇場 『ア・ゴースト・ストーリー』(デヴィッド・ロウリー)塚口サンサン劇場 『ギャングース』(入江悠)通算3回目。第七藝術劇場 『寝ても覚めても』(濱口竜介)シネ・ヌーヴォ
『きみの鳥はうたえる』(三宅唱)シネ・ヌーヴォ 『KICKS』(ジャスティン・ティッピング)塚口サンサン劇場 『銃』(武正晴)塚口サンサン劇場 『ヘレディタリー 継承』(アリ・アスター)塚口サンサン劇場 『メアリーの総て』(ハイファ・アル=マンスール)塚口サンサン劇場
『アリー──スター誕生』(ブラッドリー・クーパー)塚口サンサン劇場 『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー)塚口サンサン劇場 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ)通算2回目。DVD 『デビルズ・バックボーン』(ギレルモ・デル・トロ)DVD 『MAMA』(アンディ・ムスキエティ)DVD
『サスペリアpart2』(ダリオ・アルジェント)DVD 『嵐電』(鈴木卓爾)阪急梅田ホール。第14回大阪アジアン映画祭オープニングセレモニー。 『フランケンシュタイン』 (ジェイムズ・ホエール)DVD 『金子文子と朴烈』(イ・ジュンイク)シネ・ヌーヴォ 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ)通算3回目。Blu-ray
『いつか家族に』(ハ・ジョンウ)塚口サンサン劇場 『22年目の記憶』(イ・ヘジュン)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)2回目。塚口サンサン劇場 『ホイットニー── オールウェイズ・ラヴ・ユー』(ケヴィン・マクドナルド)塚口サンサン劇場
『クリード──炎の宿敵』(スティーブン・ケイプル・Jr.)塚口サンサン劇場 『バーニング』(イ・チャンドン)3回目。塚口サンサン劇場 『天才作家の妻──40年目の真実』(ビョルン・ルンゲ)塚口サンサン劇場 『ヴィクトリア女王──最期の秘密』(スティーブン・フリアーズ)塚口サンサン劇場 『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペツォールト)塚口サンサン劇場
『フロントランナー』(ジェイソン・ライトマン)塚口サンサン劇場 『キャプテン・マーベル』(アンナ・ボーデン/ライアン・フレック)Movixあまがさき 『ちいさな独裁者』(ロベルト・シュヴェンケ)塚口サンサン劇場 『ギルティ』(グスタフ・モーラー)塚口サンサン劇場 『ファースト・マン』(デイミアン・チャゼル)塚口サンサン劇場
『女王陛下のお気に入り』(ヨルゴス・ランティモス)塚口サンサン劇場 『グリーンブック』(ピーター・ファレリー)塚口サンサン劇場 『幸福なラザロ』(アリーチェ・ロルバケル)シネ・リーブル梅田 『ペパーミント・キャンディー』(イ・チャンドン)シアターセブン 『オアシス』(イ・チャンドン)シアターセブン
『主戦場』(ミキ・デザキ)第七藝術劇場 『カメラを止めるな!』(上田慎一郎)11回目。塚口サンサン劇場 『カメラを止めるな!スピンオフ ハリウッド大作戦!』 (上田慎一郎)塚口サンサン劇場 『ROMA/ローマ』(アルフォンソ・キュアロン)塚口サンサン劇場 『ビール・ストリートの恋人たち』(バリー・ジェンキンス)塚口サンサン劇場
『運び屋』(クリント・イーストウッド)塚口サンサン劇場 『ブラック・クランズマン』 (スパイク・リー)塚口サンサン劇場 『記者たち』(ロブ・ライナー)塚口サンサン劇場 『ふたりの女王──メアリーとエリザベス』(ジョージー・ルーク)塚口サンサン劇場 『バイス』(アダム・マッケイ)塚口サンサン劇場
『ゴジラ──キング・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ)塚口サンサン劇場 『多十郎殉愛記』(中島貞夫)塚口サンサン劇場 『マイ・ブックショップ』(イザベル・コイシェ)塚口サンサン劇場 『ビューティフル・ボーイ』(フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン)塚口サンサン劇場 『コンジアム』(チョン・ボムシク)塚口サンサン劇場
『パドマーワト──女神の誕生』(サンジャイ・リーラ・バンサーリー)塚口サンサン劇場 『オーヴァーロード』(ジュリアス・エイヴァリー)塚口サンサン劇場 『希望の灯り』(トーマス・ステューバー)塚口サンサン劇場 『ドント・ウォーリー』(ガス・ヴァン・サント)塚口サンサン劇場 『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ)塚口サンサン劇場
『アナと世界の終わり』(ジョン・マクフェール)塚口サンサン劇場 『愛がなんだ』(今泉力哉)塚口サンサン劇場 『アメリカン・アニマルズ』(バート・レイトン)塚口サンサン劇場 『スノー・ロワイヤル』(ハンス・ペテル・モランド)塚口サンサン劇場 『荒野にて』(アンドリュー・ヘイ)塚口サンサン劇場
『嵐電』(鈴木卓爾)2回目。塚口サンサン劇場 『そうして私たちはプールに金魚を、』(長久允)塚口サンサン劇場 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』(長久允)塚口サンサン劇場 『東京裁判』(小林正樹)シネ・ヌーヴォ 『ハッピー・デス・デイ』(クリストファー・ランドン)塚口サンサン劇場
『ハッピー・デス・デイ2U』(クリストファー・ランドン)塚口サンサン劇場 『イメージの本』(ジャン=リュック・ゴダール)堂島リバーフォーラム 『僕たちは希望という名の列車に乗った』 (ラース・クラウメ)塚口サンサン劇場 『ダンスウィズミー』(矢口史靖)塚口サンサン劇場 『よこがお』(深田晃司)テアトル梅田
『新聞記者』(藤井道人)塚口サンサン劇場 『よこがお』(深田晃司)2回目。テアトル梅田 『サウダーヂ』(富田克也)シネ・ヌーヴォ 『RAP IN TONDO』(富田克也)シネ・ヌーヴォ 『ラップ・イン・プノンペン』(富田克也)シネ・ヌーヴォ
『海獣の子供』(渡辺歩)塚口サンサン劇場 『ドッグマン』(マッテオ・ガローネ)テアトル梅田 『サタンタンゴ』(タル・ベーラ)テアトル梅田 『神と共に──第1章:罪と罰』(キム・ヨンファ)塚口サンサン劇場 『神と共に──第2章:因と縁』(キム・ヨンファ)塚口サンサン劇場
『永遠に僕のもの』(ルイス・オルテガ)塚口サンサン劇場 『工作──黒金星と呼ばれた男』(ユン・ジョンビン)塚口サンサン劇場 『ひろしま』(関川秀雄)シネ・ヌーヴォ 『存在のない子供たち』(ナディーン・ラバキー)塚口サンサン劇場 『世界の果ての鼓動』(ヴィム・ヴェンダース)塚口サンサン劇場
『クリムト──エゴン・シーレとウィーン黄金時代』(ミシェル・マリー)塚口サンサン劇場 『ピータールー──マンチェスターの悲劇』 (マイク・リー)塚口サンサン劇場 『イングランド・イズ・ マイン──モリッシー、はじまりの物語』(マーク・ギル)塚口サンサン劇場 『ブルーアワーにぶっ飛ばす』(箱田優子)テアトル梅田 『米軍が最も恐れた男カメジロー不屈の生涯』(佐古忠彦)塚口サンサン劇場
『やっぱり契約破棄していいですか?』(トム・エドモンズ)塚口サンサン劇場 『感染家族』(イ・ミンジェ)塚口サンサン劇場 『守護教師』(イム・ジンスン)塚口サンサン劇場 『ベルリン──天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース)たぶん通算5回目ぐらい。塚口サンサン劇場 『ガリーボーイ』(ゾーヤー・アクタル)シネ・リーブル梅田
『よこがお』(深田晃司)3回目。塚口サンサン劇場 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ)塚口サンサン劇場 『ラスト・ムービースター』(アダム・リフキン)塚口サンサン劇場 『アス』(ジョーダン・ピール)塚口サンサン劇場 『ジョーカー』(トッド・フィリップス)OSシネマズミント神戸
『メランコリック』 (田中征爾)塚口サンサン劇場 『ブルーアワーにぶっ飛ばす』(箱田優子)2回目。シネマート心斎橋 『ブラインドスポッティング』(カルロス・ロペス・エストラーダ)塚口サンサン劇場 『ひとよ』(白石和彌)MOVIXあまがさき 『第三夫人と髪飾り』(アッシュ・メイフェア)テアトル梅田
『ある精肉店のはなし』(纐纈あや)第七藝術劇場 『象は静かに座っている』(フー・ボー)シネマート心斎橋 『アイリッシュマン』(マーティン・スコセッシ)シネマート心斎橋 『家族を想うとき』(ケン・ローチ)シネ・リーブル梅田 『去年マリエンバートで』(アラン・レネ)十何年かぶり2回目。シネ・リーブル梅田
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(片渕須直)テアトル新宿
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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kkagneta2 · 5 years
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逆の関係
長身女性もの。14k文字。
妻の美雪と出会ったのは高校の入学式だったろうか、出会ったというよりも姿を見た程度ではあったが、今でもあの時の衝撃を忘れることはない。スクールバスから降り立って、上級生に案内されて、体育館にずらりと並んだ生徒たちの中でひときわ突き抜けた、――周りは高校一年生の女子なのだから、遠目からでも胸から上が丸ごと見えてしまっているほどに背の高い女生徒、――もう心臓が張り裂けそうでならなかった。あまりにも現実離れしている。見間違い? それとも台に乗っている? いやいや、何度目を擦っても一人だけ浮いたように胸から上が出てしまっている。他の女子がちょっと大きめの160センチだとしても、明らかに190センチは超えている。……
残念なことに美雪とは違うクラスであったから、心配されるほどに落胆してしまったのだが、嬉しいことに彼女と声を交わしたのはそれから2、3日もしなかった。
ちょっとここで、話を分かりやすくするために説明しておきたいことがあるので、回り道を許していただきたい。私たちの高校では、クラスは分かれるけれども、実のところ授業はそれとは関係なく、選んだ先生の元に生徒が行って、そこで授業を受けると云う、要は大学みたいな授業の受け方なのである。だから毎時間、本来の教室に教科書やらを取りに戻りはするけれど、だいたいあっちへ移動して、こっちへ移動して、それが終わればここへ移動して、……と云うように、学生からすると面倒くさいだけの��ステムを、私はこなしていた。
で、私は最初の週の木曜日、うっかり教室を間違えてしまって、微妙に食い違った席順に違和感を覚えながら座っていたのであるが、チャイムが鳴る少し前、目の前に黒い人の気配を感じて目を上げると、――彼女が居た。
「あ、あの、……」
と鈴のような綺麗な声が私にかかる。
「は、はい?」
ときっと変な声を出してしまっていただろう。何せ目線よりもずっと上に彼女のスカートと裾の切れ目が見えるのである。それに、天井を見るように顔を上げると、「美雪」と云ふ名にふさわしい綺麗で大人びた顔つきが見え、私は必死で歯が震えるのを抑えていた。
「もしかして、間違えてませんか? そこ私の席だと思うんですけど、……」
「あれ? えっと、もしかして、次は化学ではない?」
「そうですね。次はここ古典になってます」
ペロリと彼女が席順等々を記している紙を見せてくれる。
「えっ、あっ、ほんとうだ。……ご、ごめん。通りで変だと思った。……」
と、私は立ち上がった。――のだが、立ち上がった感覚がまるでしなかった。私の眼の前には彼女の豊かな胸元があったし、ぐいと見上げないと彼女と目が合わせられないし、私の腰と彼女の太ももの腹がだいたい同じ位置に来ているし、……要は座った状態で人を見上げる時の景色が、そこには広がっていた。――
「いや、ごめんね。どうぞ」
と足早に過ぎようとしたのであるが、焦りが顔に出てしまっていたのか、
「くすくす、……次からは気をつけてね」
と、柔らかな笑みを浮かべられた彼女に、私は手を振られながら教室を後にした。
ただただ恥ずかしかった。一目惚れをした相手に笑われて、第一印象が肝心なのにこれでは、……と思って、次の授業中泣きそうになっていた。
ところが話はこれだけではないのである。明くる日、教室を移動していると廊下に彼女の姿が見えたので、自然私は隠れるように次の授業の教室に入ったのであるが、なんとそこに彼女が、扉の上に頭をぶつけないよう身をかがめて入って来た。しかも私の横の席に座ってくるのである。私は窮屈そうに横へ放り出されている彼女の足の筋と肉の織りなす芸術に見とれつつも、教科書と、ノートと、筆記用具を取り出す彼女を眺めていた。――と、その時、ひらひらと、扇のように大きな手が右へ、左へ。
「こんにちは。今日は間違えてませんよね?」
とくすくすと笑ってくる。
「たぶんね。誰もここに来なかったら、大丈夫だろう」
この時の私はなぜか冷静だった。それでも彼女のくすぐったい笑いに顔を赤くしてはいたが、……
「ふふ、そうなってからは遅いんじゃありません?」
「ま、でも、同じ教科書を出しているあたり、間違ってはいないんだろうな」
「ですね、――」
とチラリと時計を見た。
「自己紹介、……しましょうか」
「だな。でも、その前に、俺に敬語なんて必要ないんだけど?」
いえ、これは癖なので、……と云ってから彼女は自分の名前を云い出した。旧姓は笹川と云う。私はどこそこの中学校から来た者で、地元はあそこで、今はスクールバスで通っている身で、家で飼っている兎がたいへん可愛くて、……などなど意外にも自身のことをたくさん喋る。
「へえ、笹川さんはあの辺りから来たんだ。俺もお爺ちゃんがあそこらへんに住んでるから、よく行くよ」
「それなら、すれ違ってるかもしれませんね。――ところで、笹川〝さん〟はやめてください」
「笹川さんが敬語をやめたらね」
「うぅ、……橘さんのいぢわる。ひどいです。……」
とわざとらしく手を目元にやるので、私はその見た目とは反対のお茶目っぷりに声を出して笑った。
  この日が契機となって、私たちは週に一度だけ、それも10分だけある休み時間のみではあるが、よく話をしたものだった。私の緊張も次第に溶けていって、一ヶ月もすれば、ごく自然に美雪の前で振る舞えるようになっていた。が、彼女の長身ぶりは半端なものではなく、毎回教室をかがんで入ってくるし、普通のボールペンやらシャーペンがミニチュアサイズに見えてしまうし、相変わらず私の頭は彼女の胸元にしか辿り着いてないし、何より足を前に伸ばせば前の席からかかとが出てしまうのには、驚きで目を見開いてしまった。すると美雪はハッとなって足を引っ込めるのであるが、その仕草がまたいじらしくて、辛抱するのも限界であったかもしれない。
当然、彼女の身長については様々な憶測が飛び交っていた。180センチだの190センチだの、はたまた2メートルは超えているだの、何度聞いたことか。一応男子で180センチはある同級生が居たから、わざと並ぶように立ってもらい、それを色々な角度から見て目算で美雪の身長を見積もると云う方法をやったことがある。が、彼女は話している時には下を向くのと、体を使って話そうとするから上手くはいかなかった。それでもなんとか見てみると、182センチの男子生徒の頭の天辺が、彼女の顎程度にしか辿り着いてないのである。ということは、彼女が小顔であることを考慮すると190センチと、もう少しあるぐらい、とにかく190センチは超えている、――という結論に至った。
私はこの話を馬鹿らしいと思いながら聞いて、その実どれほど心を踊らせていたか。たった一ヶ月前には中学生であった女子高生が、男よりも遥かに高い、190センチを超える身長を持っている。……これだけ分かれば、もう夜のおかずには困らない。しかもめちゃくちゃかわいい、奥ゆかしい、麗しい、……
より私の心を踊らせたのは、中学生時代から美雪の友達だと云う女子の話であった。聞くと彼女は小学生の時にすでに180センチ以上あり、ランドセルが背負えないからトートバッグか何かを持って通学していたと云う。それで中学に入ると、身長の伸びは鈍くはなったが、身体測定のたびに先生を驚かせていたから190センチ以上と云うのは確かだと思う。色々あるけど、すごいのはプールの授業の時で、水深1メートル10センチだったから、みんな胸元に水面が来ていたんだけど、彼女だけ股のあたり、――腰にも水面が届いてなかった。笹川は背が高いけど、本当に恐ろしいのは足の長さなんだよ。君も座ってると別にあの子があんなに背が高いとは思わないでしょ? と云うのである。
たしかにその通りである。私は当時、美雪と基本的に話をすると云えば、互いに座ったまま声を交わすことだったから、しばしば目が合ってしまって顔が赤くなるのを感じたものだった。彼女の上半身は普通の、……少し大柄かな? と思う程度、……恐らく原因は豊かな乳房にある、……裸を見ることの出来る今だから云えるが、背が高いとは云っても、少なくとも私よりは細い。……いや、やっぱり胸はちょっと大きすぎるかもしれない。……
それで、だいたい彼女の身長は190センチ台だということが分かったのであるが、あまりにもはっきりしないものだから、なぜか私に白羽の矢が立ったのであった。恐らく私があまりにも楽しげに美雪と話していたからであらう。
「あー、わかんね。たちばなー、お前聞いて来てくれよ」
「えっ、何で俺なんだよ」
「だって俺たちっていうか、1年の男子の中で、笹川と一番仲が良いのってお前じゃん?」
「それは、まあ、自負してるけど、……だけどこういうのはコンプレックスになってるかもしれないから、良くはないだろ」
「けどお前も、もっと仲を縮めたいだろう? ならいつかは聞かなくちゃいけないから、ほら、ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと、まっ、………」
と、俺は昼休みの時間、まだ食べ終えていない弁当を尻目に連れ出されてしまった。
とは云っても、他人のコンプレックスになってるかもしれない事柄に口を出すのはご法度であるから、もぐもぐと色鮮やかな弁当を食べている美雪の前に立たされた私は、頭が真っ白になっていた。ニヤニヤと笑いながら見てくる友人には、今思い出しても腹が立つ。
「あ、……」
「うん? どうしました?」
「あ、いや、なんでもない。あー、……こ、今度の日曜にユニバでも行かないか?」
なぜ、デートの誘いになったのかは、私自身も分からない。ニヤニヤと笑っていた友人は口を開けて止まっているし、彼女の周りに居た女子数名もパントマイムのように動きが止まっているし、そもそもの話として教室中がしいんと静まりかえってしまった。なんでこんなことを云ったんだ、今すぐにでも教室から出て行きたい、……そんな思いがあって、誤魔化すように頬を爪でかいていたけれども、美雪だけは、あの柔らかい笑みを浮かべていた。嫌味も嫌悪も全くない、今でも私だけに見せるあの、純粋に好意に満ちた笑みを。
そんな美雪だったから、当然デートには行くことになったのであるが、私としては出来るだけその時の事は思い出したくない。それまで恋愛の「れ」の字も味わったことのない小僧が、いきなり女性とデートだなんて、――しかもほとんど自分の理想と云っても良いほどの体と性格を持っているのだから、それはそれはひどい有様だった。
まず、会話が上手く続かない。彼女が頑張って話題を振ってくれるのを感ずる度に、逃げ出したくなった。実は友人数名がこっそりとついてきていたらしく、あの後かなり揶揄されたのもきつい。それに、歩幅が違いすぎて、始終小走りでなくては彼女についていけなかったのが、何よりも情けなくてつらい。
それほどまでに、彼女の足は長いのである。具体的に云えば、彼女の膝下と私の股下がおおよそ同じなのである。裸足であれば言い過ぎなのであるが、あの日美雪は底のあるブーツを履いており、並んでいる時にこっそりと比べてみたところ、足の長さが倍くらい違う。目線を落とすとすぐそこに彼女の豊満なお尻、……が見えるのはいつものことなのであるが、あの日はタイツかストッキングで包まれた彼女の膝が、ほんとうに私の足の付け根と同じ位置にあった。
デート後半になると、私が息をきらしながら遅れてついてくるので、美雪はとうとう手を繋ごうと提案した。承知した私の手を包む彼女の手の暖かさは、初夏であってもやさしく、一生忘れられない。……が、却って大変であった。彼女は意外と力が強く、疲れて足取り重くなった私の手をしっかりと握って引っ張るものだから、感覚としては無理やりマラソンをさせられているのに似る。グイグイと他の客をかき分けて行く彼女に、けれども手の心地よさを味わいたい私は、無理でもついていくしかなかった。
その様子がどんなものであったかを知ったのは次の日であった。勝手についてきた連中が写真を撮っていたと云うので、見せてもらったところ、――いや、もう忘れたい。お姉ちゃんに無理やり連れてこられた小学生の弟が、手を繋がれてやっとのことで歩いている様子が、……あゝ、今でも時折その写真は見ることがあるのだが、まさに大人と子ども、……周りの人々にそういう風に見られていたと云うだけでも、私はもう我慢できなくなる。違う写真には、私が疲れて下を向いていた時の様子が映し出されていたのであるが、それもむくれてしまった子どものように見える。……私は美雪に嫌われたと思った。せっかくデートに誘ったのに、こんな情けない男と出歩くなんてと、思っていた。
が、彼女は彼女でかなり楽しんだらしい。明くる日のお昼休みにわざわざこちらの教室にまで出向いて、昨日は楽しかったです、お誘いありがとうございました、ところで次はどこに行きましょう? 金曜日に言い合いっこしましょうか。では、ほんとうに昨日はありがとうございました。と云って、呆気にとられているうちに出ていってしまった。
  美雪とはそれからどんどん心を寄せ合って行った。とは云っても、私も彼女も非常な奥手で、弁当を一緒に食べることすら一年はかかった。キスをするのには丸ごと二年はかかった。お互い奥手過ぎて告白というものをせず、自然の成り行きにまかせていたせいなのだが、だからこそ初キスの耽美さは際立っていた。それは私たちが高校3年生に上がる頃だっただろうか、すっかり寒さが和らいで、桜もほとんど散っていたから4月ももう後半と云った頃合いだらう。どうしてキスなどと云うものをしようと思ったのかは分からない、それすらも成り行きに任せていたから。だが、確かに憶えているのはどんどん近づいてくる彼女の唇であ���。
確か、キスをしたのは階段の踊り場であった。ベタな場所ではあるが、学校の中であそこほど気分を高めてくれる所はなかろう。奥手な私たちにはぴったりな場所である。階段を二段か、三段上がったところで美雪は私を呼び止めた。
「優斗さん、……あ、そのままで。……」
相変わらず「さん」付けはしていたが、その頃にはすっかり、私たちは下の名で互いを呼び合っていた。
「どうした?」
と云っているうちにも美雪は近づいてくる。――不思議だった。いつもは下から見上げる美雪の顔が今では、――それでも彼女は私を見下ろしてはいたが、まっすぐ目の前に見える。
「……目を閉じてください」
いつの間にか頬を、顔を、頭を彼女の大きな手で包まれていた。薄目を開けてみると、もう目の前まで彼女の顔が近づいてきている。あっ、と思った時には唇と唇が触れ合っている。……
頬から暖かい手の感触が無くなったので、目を開くと、顔を赤くしてはにかむ美雪と目が合った。きっと私も同じような顔をしていたに違いないが、その時はもう目の前に居る女性が愛おしくて愛おしくて、このまま授業をサボって駆け出したい気持ちに駆られた。
「さ、早く行きましょう。もう予鈴が鳴りましたよ」
と一息で私の居た段を飛び越すと、こっちの手を取ってくる。
「ああ、そうだな。……」
私はそれくらいしか言葉を発せられやしなかった。
それからの一年間は、美雪との勉強に費やした。もっとも私は教えられるばかりではあったが、そのおかげで、受験はお互い無事に突破できて、お互い無事に同じ大学へ通うことになった。残念ながら大学時代は一つの事を除いて特筆すべき事がまるでない。全くもって平々凡々としたキャンパスライフだった。
さて、その「一つの事」なのであるが、それは何かと云うと、ついに彼女の身長が判明したのである。大学二回生の時の健康診断の時だったのはよく憶えている。私は長い行列に並ぶのが面倒で飛ばそうかと思っていたのだが、朝方下宿先へとやってきた美雪に、それこそ姉弟のように引っ張られる形で、保健センターへと向かった。レントゲンこそ男女別だったものの、血圧身長体重を測る列に並ぶ頃には、私はまた美雪の後ろにひっついて歩いていた。
彼女は相変わらず女神のような存在だった。後ろに居る私は云うまでもないとして、列に並ぶ誰よりも頭二つ三つは突き抜けている。みんな、彼女からすれば子どもである。誰も彼女には敵わない、誰しもが彼女の弟妹でしかない。ただ私だけが彼女の恋人であった。
事が起こったのは私が身長を測り終えた時である。美雪は私を待っていてくれたのだが、ちょうど私たちの間には微妙な段差があって、胸元にあった彼女の診断結果が見えてしまっていたのである。苦い顔をしながら眺めていたから、横から来た私に気が付いていなかったのかもしれない。だが普段は気が付かなかったところで何も見えない。彼女の胸元と云えばちょうど私の頭の天辺なのだから、背伸びをしなければ、何があるのかも分からない。――が、とにかく、その時の私には、小さいカードに刻まれた下から二つ目の数字がなぜかはっきりと見えた。そこには198.8と云う数字が刻まれていた。余裕があったから私のカードを見てみると、167.4と云う数字が刻まれているからきっとそれは身長で、なら彼女の身長は198.8センチ、……もうあと2センチも大きくなれば2メートル、……2メートル、2メートル、………
胸の高鳴りは、しかし保健センターの職員に邪魔をされてしまって、その後教科書を買いに行くと云う美雪に引っ張られているうちに消えてしまった。が、その日私の頭の中にはずっと198.8と云う数字がめぐりにめぐっていた。あの時の、高校生の時の、190センチ以上は確実にあるという話は確かであった。美雪の身長は198.8センチ、多少の違いはあるとしても、成長期を終えようとしている女の子の身長が、そう違うことは無いはずである。ならば、少なくとも高校に入学した時の美雪の身長は195センチはあったはずである。なるほどそれなら182センチの男子が並んだところで、顎までしか届かなかったのも頷ける。扉という扉を〝くぐる〟のも頷ける。自販機よりも背が高いことも頷けるし、電車の荷物棚で体を支えるのも頷けるし、私の下宿先の天井で頭を打ったのも頷ける。私はとんでもない女子高校生と、あの日出会い、あの日お互いを語り合い、そして、あの日恋に落ちたようである。
結婚をしたのは私たちが特に留年することもなく、大学を卒業したその年であった。恥ずかしながら美雪と初めてしたのは初夜だった。服を脱いで、下着一枚となり、私の前であの大きな乳房を隠そうと腕をもじもじさせる彼女の姿は、いつもと打って変わって、まだ年端のいかない少女のものであった。私はゆっくりとブラジャーを取って眺めた。カップの左下にあるタグには65P と云う英数字が並んでいた。天は美雪に何もかもを与えていた。体も頭脳も美貌も境遇も、何もかもを彼女は持っていた。P カップのブラジャーは途方もなくいい匂いがした。私は実際に彼女の乳房に包まれたくなった。美雪は私を受け入れてくれた。乳房のあいだに辛うじて見える私の頭を撫でてくれた。力の入らない私の背を撫でてくれた。私は彼女の恋人でも弟でもなかった。ただの赤ん坊であった。私はいつしか彼女をこう呼んでいた。
「まま、……」
と。――
一度やってしまえば美雪も私も枷が外れたのか、週に一度とか、月に一度のペースではあるけれども、性行為に勤しんだ。殊に嬉しかったのは彼女が私の様々な要望を答えてくれることであった。もうすでにお分かりの通り、長身女性そのものを性癖として持つ私はずっと昔からそういうプレイをしたくしてしたくてたまらなかった。時には男が床でするように、彼女の太ももにモノをこすり付けたり、時には壁際で圧迫されながら素股、――と云ってもほとんど膝のあたりにしか届かなかったが、彼女の乳房の匂いを嗅ぎながら情けなく太ももで扱かれたり、時には上から押さえつけられるようなキスと手コキだけで射精に至ったり、様々な長身プレイを楽しんだ。
特に、私が気に入ったのは美雪の腕力に任せたプレイだった。先にチラリと出てきたのであるが、彼女の力は強い、……いや、強すぎる。もう何度、ひょんなことで体を浮かされたか。朝眠気にかまけて眠っていたら、ふわり。電車で倒れそうになったら、ふわり。性行為の時に「だっこ」と云ったら、ふわり。重くはないのか? と聞くと、優斗さん軽いんだもん、全然重くないよと云う。私も身長こそ167センチで止まっているが、体重は55キロあるから決して軽くは無いはずである。それを軽いと云って、ふわりと持ち上げられるのは驚異的であるとしか言いようがない。
一度、遊びだからと云って、握力計を握らせたことがあった。3000円ほどの玩具のような握力計ではあったが、100キロまで測れると云うので、さすがにそのくらいあれば良いかと思って買ってきたのである。案の定、美雪は全力を全く出してくれなかった。デジタル表示を見ながら、ちょうど25キロか30キロほどで測定を止めて、手渡してくる。ちゃんとして、と云っても笑ってごまかされる。結局その日は諦めて、また機会があればと思って、それっきりになっていたのであるが、数カ月後のある日、部屋の片付けをしている時に件の握力計が出てきたので、そう云えばあの時自分が測ってなかったなと思って握ってみると、なぜかスカスカする。握力計だから、握ると手応えがあるはずだが、……? と思いながらもう一度握ると、やはりスカスカする。不思議に思って適当にボタンを押していると、100、28、31、27、……と云った数字が出てくる。2つ目以降の数字はまさにあの日美雪が出した結果であった。と、云うことは最初の100と云う数字は一体、……? あの日以来、自分はこの握力計には触っていない。それにこの壊れた取手の部分も気になる。……そこで私はある結論に至り、背筋を寒くした。美雪を怒らせてしまったら、一体どうなる。……? 本気で手を握られでもしたら、……? 私の股間は熱くなる一方であった。
だが、彼女の力の強さを実感するに従って、漠然とした物足らなさが私を襲っていた。美雪にその力を存分に発揮させて、己の無力さを味わいたい。行為に到る時、彼女はどこか一歩引いたような風采(とりなり)で私を痛めつけるのである。それは本来美雪の性癖がそっちでは無いからでもあるし、まさか夫にそういうことをするわけにはいかないと云う思いもあるのであらう。赤ちゃんごっこはそこを上手くついてはいるが、やはり彼女にはその力でもって、私を嬲ってほしい。もっともっと、私を蔑んでほしい。……
とは云っても、美雪は完璧な良妻賢母である。何時に家に帰ろうとも起きていてくれて、しかも笑顔で迎えてくれるし、ご飯は物凄く美味しいし、家事は何一つ抜かり無く行うし、夫への気遣いはやりすぎなほどである。私はとんでもない女性を嫁にもらったようであった。毎日が幸せで、毎日が楽しく、充実している。――
  だが、そんな私と美雪のしあわせな結婚生活は終わりを迎えようとしていた。なぜなら、……
「パパ! パパ! 居るよね、聞いて聞いて!」
と娘の詩穂里が、〝腰を折り曲げながら〟書斎に入ってくる。全てはこの娘とのいびつな関係が原因なのである。――
詩穂里が生まれたのは結婚してすぐのことであった。まさかこんなに大きな女性から生まれたとは思えない、小さな可愛らしい存在に、私たち夫婦は胸を打たれた。授乳のためにさらに大きくなった美雪の乳房から母乳を飲む姿は、天使のようにも思える。
詩穂里はすくすくと成長した。それこそ退院時にはすでに同年代の子よりも一回りほど大きかったのだが、美雪が痛がっても母乳を求め続けた結果、離乳期はもとより幼稚園に入る頃には、一人だけ小学生が紛れたかと思うほど、娘は大きくなっていた。妻は、私もそんな感じだったから、別にいじめられていなければ気にするでもない、と云うので見守っていたのであるが、詩穂里とその組の集合写真を見てあろうことか、私は明らかに娘に、――それもまだ小学生にも至っていない女の子に向けるべきでない欲望が芽生えるのを感じた。美雪が撮って見せてくれる写真や動画もまた、かわいいかわいいとは口で云いながらも、その実私はその、他の子と比べて倍はあろうかと云う体格をした娘に股間を固くしていた。
小学生に上がった娘は相変わらず大きかった。他の子と比べるのは云うまでもないが、小学三年生になる頃には男の先生と比べても遜色なくなっていた。その時にはもうすでに身長160センチ近かったであろうか、気がついた時には私も詩穂里に背の高さで追いつかれつつあった。小学生のまだあどけない顔つきが日を追う毎に高くなって行く。……私はこの年になって久しぶりに、負けて悔しいという感情を抱いていた。
結局負けたのは詩穂里が小学四年生のときであっただろうか、立った時にやたら目線が合うかと思いきや、次の週には少し上から、次の月には娘ははっきりと私を見下ろしていた。そしてあろうことか、
「あれ? パパなんか小さくない?」
と云って、自身の頭から手をすっと横へずらしてくる。その手は明らかに数センチは私の上をかすめていった。
「ふふん。パパに勝っちゃった。ほめてほめて!」
「あ、あぁ、……よくやった。……」
私の声はかすれ声となっていた。
「ダメよ。そういうことしちゃ。パパだって意外と気にしてるんだから。ほら、ごめんなさいは?」
「あ、……えと、ごめんなさい」
詩穂里は美雪の云うことは聞くと云った風で、そこには妻の背の高さに対する尊敬の念が含まれているらしかった。
次の年、つまり詩穂里が小学5年生となった時、娘の身体測定の結果を見た私は愕然とした。そこには182.3センチという数字が並んでいた。180センチオーバーの小学5年生、……それが我が娘だなんて信じられやしなかった。
もうその頃には詩穂里は私よりも頭一つ以上は大きく、親子三人で出かけると決まって間に挟まることになる私のみすぼらしさは計り知れなかったことであろう。方や2メートルまであと一歩の美女、方や小学5年生にして180センチを超えた美少女。しかもヒールのあるブーツを履くので、外では二人の身長差はなくなる。……私は小人になった気分で、両者に手を引かれてついていくしかなかった。いや、小人と云うよりは囚われた宇宙人と云った方が正しいか。ある時、公衆の面前で、いきなり詩穂里が手を上げて、
「ほら、お母さんも」
と云うので、美雪も手を挙げる。私はあっさりバンザイの格好になったのであるが、肩に痛みを感じるや、次第に地から足が浮く感覚がする。――
そういう時がもう何度もあった。それに、二人とも、私の耳が自分たちの口の30センチは下にあることを利用して、コソコソとこちらをチラリと見つつ話をするのである。そして大概の場合、私は二人に挟まって、前からは美雪が、後ろからは詩穂里がという風にどんどん圧迫してくるのである。二人の長身美女に挟まれて身動きの取れない男、……想像したくもないが、一体どのように傍からは映っているのであろう。
そんな娘との関係が歪になり初めたのは、このペースで身長が伸び続ければ190センチも軽いと思っていた矢先のことであった。これは私たち夫婦の落ち度なのであるが、どうも夜の営みと云うものを見られたらしい。とは云っても、そんなに重いものではなくて、ただ妻に持ち上げられて背中をぽんぽんと、……要は赤ちゃんをあやすように抱っこされていた光景を見られたらしかった。
だが、小学5年生の女の子にとっては衝撃だったのであろう。明くる日、ちょうど折り悪く土曜日だったから、昨晩の余韻に浸りつつ、ソファに寝転がって本を呼んでいたところ、突然、
「パパ」
「ん? どうした?」
「ちょっと立って」
とニヤニヤと笑いながら云ってくる。手を伸ばして来ていたので、掴んで立ち上がると、
「そのまま立っててね」
と云われる。相変わらず小学生らしからぬ圧倒的な体つきであった。私の背は娘の肩までしか届いていなかった。目線は彼女の胸元であった。神々しさを感じていると、詩穂里は唐突に脇の下に手を入れてきた。そして、気がついた時には、――私は彼女と目が合っていた。
「え、……うわ! しほ、下ろしてくれ!!」
とジタバタと、地につかぬ足を動かすが、娘には何の抵抗もなっていないようである。そもそも私を持ち上げるのに全然力を使っていないようであった。無邪気な声で、
「あははは、パパかるーい」
と私を上下させながら云う。
「や、やめてくれ!!」
「ふふふ、わたし昨日見ちゃったよ。たかいたかいしてあげよっか」
「やめろ、たのむ、詩穂里!!」
「えー? やだ」
私の叫び声を他所に、詩穂里はさらに手を上へ。
「ほーら、たかいたかーい」
「うわああああああ!!!」
脇腹に感じる激しい痛みもあったが、それ以上に、天井に頭をぶつける恐怖の方が強かった。私はとにかく手も使って暴れたが、妻譲りの怪力を持つ娘には全くもって通じていない。
「ふふん、どう? もう一回?」
「や、やめて、……やめてくれ」
「やだ。それ、たかいたかーい!」
それが幾度となく繰り返された。小学生の娘にたかいたかいをされる恐怖と屈辱に私は涙を流しそうにもなっていた。――と、その時、折良く野暮用から美雪が帰ってきたらしく、部屋に入ってくる。
「あら? 二人とも何やってるの?」
「パパにたかいたかいしてあげてるの!」
「そう、ならもっとしてあげてね」
「美雪、……助けてくれ。……」
「優斗さん、実は楽しんでるでしょう? 私はまだやらないといけないことがあるから、もうちょっとしほの相手をしてあげて。大丈夫、怪我しないように手加減はしてくれるから、ね? しほちゃん?」
「うん! じゃあパパ、もう一回行くよー?」
――全く、私はとんでもない女の子を娘に持ってしまったようである。小学生なのに、背は私よりもう30センチ近くは高い、顔は可愛い、力は怪力、……それに生まれつきのサディスティックな性質。……この時、詩穂里にたかいたかいをされながら、私は美雪では満たされ得なかった何かが自分のなかに満ちていくのを感じた。
そして、その感覚は以来、続くことになった。と、云うのも、詩穂里はこの日以来、しばしば私を相手にたかいたかいやら、美雪のように抱っこをして背中をぽんぽんと叩いてくれたりするのである。彼女からするとごっこ遊びの一種なのであろう。体つきこそ大人顔負けなのに、心は小学生のままである。
そう云えば、家族三人で海に出かけた時は特にひどかった。私は沖に出る二人について行ったのであるが、あっという間に足が底につかなくなってしまった。見かねた美雪に引っ張られて抱きかかえられたものの、それに嫉妬した詩穂里に、
「ほら、パパおいでおいで」
と無理やり妻の柔らかい体から引き剥がされる。そして、
「もう、小さいのに無理して出てきて、溺れたら困るでしょ?」
と云う。もはや子供扱いだったが、さらに、
「なら、溺れないように詩穂里お姉さんと一緒に特訓しよう! ほら、まさとくん、手は離さないからゆっくりと浮いてごらん?」
と、本当に泳ぎの練習が始まってしまった。極めつけには、妻と娘よりも私が先にバテてしまって、注目を浴びる中、詩穂里の胸に抱きかかえて海から上がったのである。
公衆の面前で、小学生の娘に抱きかかえられる父親、……もうたまらなかった。私は妻よりも娘の方にすっかり好意が移ってしまった。まだ未発達な詩穂里の乳房を感じながら、その力強さと、その優しさに酔いしれていた。この時はまだ、あんなことになるとは思ってはいなかった。
あんなこと、と云うのはそれから実に一年が経った頃合いの出来事である。詩穂里は小学6年生、春の身体測定では身長はほとんど妻と変わらない193.4センチだと云う。顔つきもどこか妻に似て、おしとやかである。もう私では背伸びをしても娘の肩に届かない。寝る時は湯たんぽにしかなっていない。普段はほとんど子供をあやすような甘い声しかかけられない。
そんな中、私はある日曜日、大学の同級生とちょっとした遊びに出かける予定があって、支度をしていたのであるが、いざ出かけようと自室の扉を開こうとした時、向こう側から勢いよく詩穂里が入ってきた。当然、屈んで扉をくぐる。
「パパ、どこへ行こうとしてるの?」
いつもとは違うトゲトゲしい調子に、私は相手が娘だと云うのに怖かった。
「いや、ちょっと友達とな。……」
「へえ、そう」
「あ、遊びに行くから、……」
「ふぅん? そうなんだ。わたしとの約束よりもパパは友達との遊びを優先させちゃうんだ」
約束、……たしか先週か先々週に詩穂里と一緒に、――思い出した時には遅かった。私は壁際に追い詰められていた。
「ま、まって、それはまた来週、来週に行こう、な?」
「パパ」
「だ、だから今日は、家でおるすば、……」
「パパ?」
「は、はい」
私を追い詰めた詩穂里はどんどんと近寄って来て、一人の小さな男をその体でもって潰そうと云わんばかりに密着してくる。彼女の胸と壁に挟まれた頭に激痛が走り、私は呻き声をあげる。
「やっぱいいや、行ってもいいよ。許してあげる。でもそのかわり、わたしはずっとこうしてるから」
「うがああああ!!」
「あ、思いついた。じゃあ、こうしよう。このままパパがわたしから逃げられたら、約束のこと無しにしてあげる。でも、出来なかったら。……」
「あ、ひっ、うああ!!!」
と私は詩穂里の体を跳ね除けようとしているのであるが、それは約束云々と云うよりも、この激痛から逃れられたい一心からであった。
「ふふふ、よわいよわいパパ。小学生の娘にも勝てないなんて、……ほら、頑張って、頑張って」
と詩穂里は馬鹿にしたように云う。そのうちにもどんどん彼女の力は強くなっていく。
「ね、パパ、今日はさ、わたしと一緒にいけないことしようよ。お母さんには内緒で。あと10分で逃げられなかったら、そうしようね」
と、その「いけないこと」を暗示するように、太ももを私の股間にこすりつける。
もうどうしようもなかった。気がついた時には私は手を取られてバンザイの格好をしていたし、娘の太ももに座るようにして足は宙に浮いていた。抵抗する気なぞ、とうに消えていた。
結局、その日は本当に美雪には適当を云って、大学の友人には子どもが熱を出したと云って、詩穂里とホテルへ向かった。……この先は云うまでもなかろう。彼女の初めてとは思えない手付きや言葉遣いで、私の娘に対する長年の欲望は全て搾り取られてしまった。行為の最中、私に主導権はなかった。ただひたすら、歳の離れた実の娘のなすがまま、存分に嬲られ、痛めつけられ、挙句の果てにはその余りの神々しさに彼女をこう呼んだ。
「まま、……」
と。――
  「パパー? 聞いてるー? 今日ねー、――」
と詩穂里は私の眼の前に腰掛けた。つい数週間前に中学生になったばかりの彼女はもう妻よりも大きい。私からすると二人とも巨人のように見えるのであるが、明らかに詩穂里の頭の方が、美雪よりも高い位置にある。少し前に、とうとうお母さんよりも大きくなっちゃった! と、はしゃいでいたのは記憶に新しい。
――その時、嬉しいことを思い出した。娘は今日、身体測定だと云って家を出ていっていた。
「久しぶりに身長測ったんだよ! 聞きたい?」
「あ、ああ。……」
グイと近づいてくる、詩穂里は、誰にも聞こえぬと云うのに、私だけに伝わるよう耳打ちをする。
「2メートルと、7センチ、……だよ!」
「2メートル、2メートル、7センチ、……2メートル、2メートル。……」
「そんな何度も云わなくていいじゃん。もう、パパはお馬鹿さんだねぇ」
と、云いながら詩穂里は私の体を抱きしめる。
「ね、約束、覚えてる?」
「も、もちろん」
「良かった。ほら、おいでまさとくん」
と私の顔を豊かになりつつある胸元に抱き寄せる。私は彼女に体をすっかり預けて、その甘い匂いに頭をとろけさせた。
「まま、……」
「んふふ、また今夜しようね、まさとくん」
だらりと垂れた私の体を愛おしく抱きしめながら、詩穂里は子守唄を歌った。それは鈴のように美しく、よく通る音色だった。
 (おわり)
8 notes · View notes
chirinovel · 4 years
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NOxMaria
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風呂蔵まりあ
明け方まで授業の予習ノート作りが終わらなかった。白む窓の外を見て、世界よ滅びろと強く願う。諦めてベッドに入ると、乾いた目に光線が透けるのが痛くて、もう一度心の底から世界を怨んだ。
そのまま、日付が越える頃までスマートフォンでだらだらと読んでいたホラー漫画の展開や、そのおどろおどろしい描写について考えていた。
部屋の前まで足音が、ギッ、ギッ、ギッ、と近づいてきて、「開けてくれ」と雨水混じりの泥をこねるようなまろやかな声がする。その声の呼ぶままに扉を開けてしまうと…。
身体にグッと力が入る。目を一度固く閉じると、外の世界が妄想の通りになっていても、それに気づけない。我慢の限界になると、恐怖と言うのか、なんというか、取り残されてしまうような不安で、ハッと目を開けてしまう。そんなことを繰り返していると、スマートフォンの穏やかなアラームが鳴った。
また眠そびれた。
今日は午後が英語文法と古文で、五限の英単語小テスト対策は午前中の授業中にこっそりやるとして、六限の古文は最初にノートを集める。どう誤魔化そうか。もう、なんでもいいや。忘れ物さえしなければ、どうにかなる。頭がぼんやりしてるうちに、学校へ行ってしまえ。今日はこれで押し切る。
制服に着替えて、リュックを持ってリビングに降りると、昨日買っておいたコンビニのお弁当が袋のまましなびていた。テレビを点けて、電子レンジにお弁当を差し入れて、六〇〇ワットで二分半。テレビからニュースが流れ始めた。
「えー、引き続き、昨日午後五時頃、県立第一高等学校で起きました、無差別殺傷事件の速報をお伝えしております」
聞き覚えのある高校の名前に手を止める。すぐにスマートフォンでSNSの友人用アカウントを開くと、昨日の夕方から夜にかけて大騒ぎだった。ネットの情報では、私が通う高校に一番近い高校の文化祭で、男子生徒が刃物を振り回して
「七名が意識不明の重体…?」
ニュースから流れる速報は聞き逃した。
電子レンジの温めが終わり、響くアラームのなかで、茫然と立ち尽くした。ついさっきまで世の中を恨んでいたとは自分でも信じられないほど、強く胸が痛む。
刃物を振り回した生徒の、のっぴきならない胸のうち。もう二度と彼とは友達に戻れない、顔も知らない被害者たち。悲しいニュースの向こうから、悲しみにまみれた命をひりひりと身に感じて、寝不足の鈍く痛む眼球の裏からぼたりと涙が溢れてきた。
泣きながらご飯を食べ、のろまな足取りのままで家を出た。
外の蒸し暑い空気は少しも動く気配が無い。日差しは白く霞んで何かを誤魔化していて、とても気持ちが悪い。自転車のサドルはほんのりとヒビ割れて、そこからジトリと見つめる梅雨を連れ去った後の湿気。詰め込んだお弁当ごと胃が縮み、小さくえずいた。
コンビニでお昼ご飯を買っても、だいぶ早い時間に学校に着いた。じんわり汗ばんだ制服ではたはたと風を送りながら、ようやく教室へ辿り着く。教室の扉は開け放たれて、エアコンの涼風がむき出しの腕を撫でる。中で勉強をしている人影が見える。
あ、莉花ちゃんだ。
ちょっと嬉しくなって、
「おはよー」
そう声をかけると、少しこちらを見つめてから、不機嫌そうにイヤホンを取った。
鋭い眼差しに、少したじろぐ。莉花ちゃんとは、学校でいつも一緒にいる関係だけれど、機嫌が悪い時の容赦なさには、未だに慣れない。私が悪いことがほとんどだけれど、時折こんな風に、私にはどうしようもないことで傷つけてくる時もある。
彼女の機嫌が悪い時は、なるべく黙るようにしているけれど、今日は睡眠不足でちょっと気分が昂ぶっていた。どうにか笑って欲しい、ご機嫌がいい時みたいに、楽しく笑いあいたいと、思ってしまった。
そのまま、本来は別の生徒のものである、彼女の前の空席に腰掛けてみた。彼女の視線は私ではなく、手元の分厚い英単語帳に注がれていた。
「早くない?」
 なるべく自然に、続きを求める眼差しを彼女に向ける。会話を続けたい意思に気づいて欲しくて、無邪気に振る舞う。
「小テストの勉強今からやろうと思って」
「え、やるだけ偉くない?私もう諦めてるよ」
大げさに笑えば、時々釣られて笑ってくれる。莉花ちゃんは、馬鹿みたいに振る舞う私が好きみたい。
「いや、普通にやっといた方がいいと思うけど」
叩きつけられた返事に、体の中心で氷の塊がドキッと強く跳ねた。あからさまな嫌悪と手応えのないコミュニケーションに、顔はニコニコしたまま、頭が真っ白になる。
「いやー、はは」
口の中が乾いて、吸い込んだ空気は少し苦かった。外では野球部が朝練をしている。埃立つグラウンドは、ゆらゆら揺れているようだった。
彼女とは、このクラスになってから、アイドルの話題で仲良くなった。クラス替えからしばらく騒ついていたクラスメイトたちが各々グループで落ち着いた頃、私は風邪を引いて一週間学校を休んだ。その翌日の学校で、担任の堀田先生に、学校での人間関係は上手くいっているかと聞かれた。
その時は、担任の勘違いを解かなきゃ、と思って慌てたけれど、それまでは平気だったことが、急に死にたくなるほど恥ずかしく感じて、いてもたってもいられなくなってしまった。例えば、授業中に集中力が切れ睡魔に抗えず、先生に「オイ」と指さされることや、課題が終わらないこと、小テストに落ちること。本当に、クラスメイトとはなにもなかったし、関係の浅かった子たちが段々と離れていくのは普通のことだと頭では理解していた。それでも、春先に満ちた自尊心があらかた去っていった後に、羞恥心とふたりきり残されたこの教室は、確かに居心地が悪かった。
もしかしたら、堀田先生の心配通り、私はクラスメイトと上手くやれてなかったのかもしれないと思うと、不安で月曜日の学校に行けなくなった。
その頃、英語の授業を習熟度で分けたクラスで莉花ちゃんと一緒になった。
私のスマートフォンの待受を見て、「ねえ、その俳優さ、今度ナントカって映画で声優やるよね?」と、声をかけてくれた。「私もそのグループ好きなの、友だちになろう」すごく優しい子だと、思った。
今も、そう思っている。
それは見れば分かる。
「あ、ねえ…ニュース見た?一高の」
  ボールに飛びつく野球部の姿をぼんやり目で追っていると、彼女の方が声をかけてくれた。彼女の方を向くと、今度はきちんと私を見てくれている。何が原因かも分からない機嫌の悪さは、申し訳なさそうな色で上書きされている。ほら、今度はきっと、優しくしてくれる。心がふっと浮く。
「知ってる!やばくない?文化祭で生徒が刃物振り回したってやつだよね?めっちゃかわいそう。びっくりしてすぐに一高の友達にラインしたもん」
「何人か亡くなってるらしいじゃん」
「え、そうなの、笑うんだけど」
「笑えないでしょ」
あ、しまった。でも今は、不謹慎だとかよりも、目の前の彼女の機嫌を損ねたくない一心だった。必死に、「あー、ごめん。つい」片手をこめかみに当て、オーバーなアクションをする。視線を彼女に移すと、また英単語にラインマーカーで一生懸命線を引いていた。
「ごめん」
彼女が、私といてちっとも楽しくなさそうな時、私にはその理由がわからない。彼女はひどい時も優しい時もあるけれど、私��、莉花ちゃんのことが大好きだった。彼女の気に入らないところは直したいと、彼女の不機嫌の理由を一生懸命考えた。
彼女は、私を視界の外に、黙々と単語帳に線を引き続ける。
彼女のイヤホンから漏れる低い音が、まるで心音のようだった。胸元の「桝」の名札が、小刻みに揺れる。莉花ちゃんの息づかいに耳を澄ませながら、ふと残酷なことを思いつく。
あの事件のように今、私が刃物を振り回し、こんなに機嫌の悪い彼女が、慌てて逃げ出す様が見たい。いや、もしかしたら、彼女なら、逃げ出すより先に、「やめなよ」と言ってくれるかもしれない。そんな子が、事件のあった高校にも、居たかもしれない。だって、仮にも、同い年の友達だったはずだから。それでも命を落としてしまっただれかのことを想像すると、また鼻の奥が涙でツンとした。
犯行の動機が何であれ、他人の命に干渉してまで抑圧から解放されたら、その時は繰り返してきた自身の葛藤なんて、くだらなかったと思うのかな。
しばらくすると、他の生徒たちがやってきて、グラウンドの土と制汗剤の香りが教室一杯に混ざり合った。
午前中は、事件のことばかり想像していた。
例えば、今私が突然立ち上がって、刃物を振り回したら、どうなるんだろうか。人を刺す感覚や、肌を裂く感覚は、その時初めて知るものなのだろうか。事件に遭遇したことがないから分からないけれど、想像に難くないのは、両手で刃物を持って、力を込めて腹部を刺す光景。どのくらい痛がるんだろう。すぐに気を失ったりするものなのだろうか。先生が止めに来るかな。担任の先生は、どんな顔をするだろうか。
私が警察官に取り押さえられた時、それを見て、クラスは安堵で一杯になるのか、それとも、まだ犯人とクラスメイトとの境界は曖昧で、先生に友だちが怒られてる時のような、茶化せずにはいられない気まずい空気になったりするのかな。
そんなことをしてまで得られるものってなんだろう。
授業には集中できなくて、手元ばかり見つめていると、頭がぼんやりとしてくる。クーラーの効いた教室で、眠気に火照る肌が、科学素材のように嫌な熱気を放っていた。
そのうちすぐに瞼が重くなって、気を抜くとすぐ船を漕いでしまう。瞬きを何度もしながら手の甲を抓ると、痛覚は不甲斐無さばかりを呼び覚まし、蛇口を開けたみたいに悲しさが溢れ出した。
午後の小テストも、きっともうダメだ。ノートの提出も出来ない。嫌だな、今日は乗り越えられないかもしれない。いや、ダメだ!頑張らないと。朝、何か、これで乗り切ろうと思ったことがあったけど、なんだったっけ。
ちらりと莉花ちゃんの方を見ると、彼女もまた、俯いて静かに固まっていた。寝ているのかな。
少し元気が出てきた。期待を持って教室を見渡すと、周りはみんな、しっかりと授業を受けているように見えた。眼球の筋肉が軋むのを自覚しながらもう一度視線を戻すと、彼女も今度はしっかりと黒板を見ていた。
四限が終わるチャイムで目が覚め、少し泣きそうになった。スマートフォンと、朝に買ったサンドイッチの入ったコンビニ袋を持って教室を飛び出した。
どうして、みんなに出来ることが、私には出来ないんだろう。悲しくて、悔しくて、申し訳なくて恥ずかしくて、落ちるように階段を駆け下りた。
思えばずっと、話が噛み合わなかったり、誤魔化さなくていいことを誤魔化して来た気がする。
私も学校の意味を哲学したいけど、みんなと同じゴールを据えたいけれど、ずっとピントが合わないな。景色はボヤけたまま、名を呼ぶ声を頼りに、ただ今日を生きなくちゃ。吐き気のするような一秒の積み重ねを耐え抜いて、誰にも言えない痛みを、私だって知らなくちゃ。
でも、私だけどうしてこんなに辛いんだろう。悪いのは、私なんだけれど、悪者だけが原因とは限らないんじゃない。もっと他に理由があるかもしれない。そんな希望にさえ縋る。若者は無限の可能性を持っているなんて、酷い脅し文句だ。
遣る瀬なく涙を堪えて伏せた視線は、すれ違う生徒たちの腹部に行き着いた。女子は特に、柔らかそうだと、思った。
一階体育館昇降口へ続く廊下の途中に保健室がある。窓から廊下へ差す陽の光がジリジリと暑いのに、その日差しの中に舞うホコリは、ゆったり流れる。それをぼんやりと眺めると、辛く苦しい気持ちは段々と薄らいできた。
その安心は、このまま一秒でも長く頑張らなきゃと切迫したしこりも一緒に溶かした。こうなると、泣きながらでも教室に居続けることは、もう���来ない。
「帰っちゃおう」
呟くと、自分の息でホコリは流れを変える。それは、救いのような光に見えた。
保健室のとなりにある保健体育の準備室の前で足を止めた。自分の教室には居られない時、いつもここでご飯を食べる。
その広さは普通の教室の三分の一程度しかなく、教科書の在庫から、応急処置の実習に使う器具までが押し込められている。基本的には無人で、軽くノックしても、思った通り、なんの返事もない。私のために保健の先生が立ててくれた会議用の長机と理科室の椅子に腰掛ける。
カリカリと机を爪で引っ掻いていると、廊下から入ってきた方とは別の、保健室に直接繋がる扉から、養護教諭の仁科先生が顔を覗かせた。仁科先生は子どもがまだ小さいらしく、たまに居なかったりする。
「ああびっくりした!」
「あ、せんせえ」
「来てるなら言ってよね。なに今日、頑張ったじゃん」
「ちょっと辛いからもう帰る!」
「えー、もうちょっと頑張ろうよ、保健室で休んでもいいんだよ」
「ご飯食べて決めてもいい?あ、せんせえ、カフェオレ作ってよ」
「あんたねえ」
「お願い!今日で最後にするから!」
「もー、最後だからね」
そう言いながら保健室に消えていった。間��無く、陶器のカチャカチャぶつかる音と、コンロに火がつく音がした。
片手にカップを持った先生が現れたのは、すぐだった。
「あっ、聞かずにホットにしてしまった!大丈夫?」
「笑う!夏だよいま!えー、でも大丈夫、ありがとうせんせえ」
「ちょっと、火傷しないでよ」
「いただきまーす」
すぐにごくごく飲んだ。甘くて熱くて、喉が少しずつしか胃に落としてくれなかった。持ち上げたカップ越しに一瞬だけ先生を見た。いつもの表情。先生は、私がこれを飲んでいる時、決まって安心したような顔をする。確信が満ちているように見える。カフェオレの、糖分とか鉄分とか、カルシウムとか、そういうものが私の胃に落ちて、分解されて、栄養素に変わって行くのを、しかと見たぞといわんばかりに。それが少し面白かった。
「あんまり見ないでくださあい」
「なによ、かわいい生徒を見たらいかんのか」
「いやちょっと気持ち悪いんですけど!」
おかしくて笑った。先生はなにかを言いかけた、ように見えたけれど、保健室から呼ぶ別の生徒の声にはあい、と返事して、そのまま去って行った。
静かになった準備室で、机の上に今朝買ったサンドイッチを出した。少し歪になったサンドイッチからはみ出すトマトを、袋の上から一生懸命押し戻す。ポケットに入れたスマートフォンが振動し、画面が明るくなった。そこには、教室にいる彼女から「そっち行ってもいい?」と、メッセージがきていた。アプリを開いて、いいよ、の返事を送った。
本当は、会いたくなかった。繰り返し繰り返しした妄想で殺してしまった人に、会い直す。どんな顔をしたらいいのか分からない。
人生は変えられないけど、人を殺したら、人生観は変わるかな。気を引きたいとか、謝って欲しいとか、構って欲しいとかぶち壊したいとか、そう言う気持ちを暴力で発散し切ったら、人の言葉のひとつに救われたり、傷ついたりしたなんて閉塞的な世界からは出られるだろうか。
子供が互いに干渉し合って、大人になっていくんだから、ろくなこと、あるわけないよなあ。
欠けた月の、欠けた方をじっと見るような心地。そわそわと落ち着かない手でサンドイッチをビニール袋に戻した。
準備室のドアが、廊下から叩かれる。いつもはそんなことしないのに。
今朝方ベッドの中でしていた想像が、ふとよぎった。足音が近づいてきて、「開けてくれ」と囁く。妄想を振り払うように思い切りドアを開けた。
何度も刺してしまった顔が、目の前に現れた。
「ありがとね」
「いいよいいよ、もうご飯食べ終わった?」
彼女の手を準備室の中へ引きながらぎこちなく踵を返すと、保健室と準備室を繋ぐ扉から、仁科先生が顔を出した。
「あれ、二人一緒に食べるの?」
「はい」
彼女がにっこりと答えた。
先生は何度か頷き、おしゃべりは小さい声でね、と言い残し保健室に戻っていった。彼女はにこにこしたままで、さっきまで私が座っていた椅子に座りながら、問いかけてくる。
「これ、先生が淹れてくれたの?」
カフェオレのカップを覗き込みながら、手は持ってきたお弁当や英単語帳を机に広げていく。
「そう、あ、飲みたい?貰ってあげよっか」
「…いいよ」
少し不機嫌な声。粗探しをするような視線が、机の上を泳ぐのが分かった。そんな彼女の、小刻みに動く素直なまつげを、私は立ち尽くしたまま眺めた。
今なら彼女の考えていること、全部分かってしまいそう。それでも私は、こうして来てくれてとても嬉しいよ。
彼女の向かい側に腰掛けて、机の上にあったコンビニの袋の口を膝の上でこっそり縛った。
「あれ、食べ終わっちゃってた?」
「うん。サンドイッチだけだったからさ」
そのまま、そっと袋を床に置いた。
「食べてていいよ」
手前に並べられた彼女の英単語をこちらに引き寄せる。ボロボロの表紙を、マスキングテープでがっちりと固定してある。形から入るところがちょっと可愛くて、掠れた印刷を撫でるようにそっとめくった。
「今日何ページから?」
「えーっとね、自動詞のチャプター2だから…」
「あ、じゃあ問題出してあげるね。意味答えてね」
莉花ちゃんは、勉強がそんなに得意じゃないらしい。教科ごとの習熟度別クラスは、私と同じ基礎クラスで、小テストも不合格で、よくペナルティ課題を出しているのを知っている。本人は隠したがっているし、私の前では決してペナルティ課題をしない。彼女は見栄っ張りで、分かりやすい歪さを持っている。それはきっと深さだね。私とは全然違うタイプだけど、いつかもっと仲良くなったら、きっとすごい友達になれるよ。でも今は今朝の仕返しで、ちょっと意地悪させてね。
「えー…自信ないわあ」
「はいじゃあ、あ、え、アンシェント」
今日の出題範囲とは違う単語を、適当に口にする。
「はあ?」
莉花ちゃんがお弁当のミートボールを一生懸命噛んでいるのをうっとりと眺めていると、視線がぶつかった。
嫌な顔をしていない!それが嬉しくて、上手に仲良くできているのが幸せで、自分の頬が緩むのがわかった。                                                                                                   
「え、待って、ちょっと、そんなのあった?」
「はい時間切れー。正解はねえ、『遺跡、古代の』」
「嘘ちょっと見せて。それ名詞形容詞じゃない?」
ちょっと焦った自身の声の流れへ沿うように、箸を置いて、手が伸びてくる。私の目前から取り上げられ、彼女の元に戻っていく英単語帳の描く放物線。固定されたカバーは、調和を崩さない。
莉花ちゃん、安心して。単語ひとつ答えられないくらいじゃ恥ずかしくないよ。    
「違うし!しかもアンシェントじゃないよ、エインシェント」
笑い声が少し混じるのもまた、どんどん私の心を躍らせた。
「私エインシェントって言わなかった?」
「アンシェントって言った」
「あー、分かった!もう覚えた!エインシェントね!遺跡遺跡」
「お前が覚えてどうすんの!問題出して!」
「えー、何ページって言った?」
目の前に突き返された単語帳に、雲流れて黄金の日差しが窓から降りて、キラキラと光って見えた。遺跡はどんな豪華な神殿にも負けない響きを私の中にくっきりと残し、一生忘れない、と思った。
張り切ってページをめくるたびに、細かい埃が空気中を舞う。彼女と上手く笑い合えるひと時に異常なほど心踊らせる私には、魔法の粉にすら思えた。
光の帯の向こう側で、顔をしゃんと挙げたまま、蝶々みたいに軽く鮮やかな箸でご飯をまとめて、その先に真珠くらいの一口を乗せ、上品に尖らせた唇の間に隠すようにしてご飯を食べる。彼女は、その動作の中で、こっちを見ることもなく呟いた。
「午後出ないの?」
彼女の声は緊張しているように聞こえた。 まるで、世を転覆させる作戦か何かを、本当にやるのかと念を押すように。
真面目な彼女は、私が当然のように学校をサボったり、誤魔化しきれないズルをする時に、こういう反応をする。その度に、彼女の世界に成り立った文化や法律から、私は逸しているのだと実感する。だとしたら、私を見下すような振る舞いをすることも、納得できる。
こういうの、世界史の授業でやったなあ。
何世紀たっても、理解しがたいものに対して、人の中に湧き上がる感情は変わらない。汚くて、時に愛しくすら思う。
「うん。ごめんね、あの、帰ろうと思って」
 彼女は、無理に優しい顔をした。
「プリント、届けに行こうか。机入れておけばいい?」
「うん。ありがとう。机入れといて。いつもごめんね」
手元だけはお弁当を片付けながら、黒いまつ毛に囲まれた双眸がこちらを見つめる。
莉花ちゃんは、なにか言いたいけれど切り出せない時にこの表情をする。どきっとするようなその姿を黄金に霞ませていた太陽は、雲に隠されまたゆっくり静かに翳った。
何を言いたいんだろう。「今朝はごめんね」?、午後も出ようよ」?「家までプリント持って行くよ」?
私の頭の中は莉花ちゃんの言えなかった言葉で、たちまちいっぱいになった。同調してるのか、はたまた妄想かは分からないけれど、こうなると彼女のことを目で追うことしかできない。カーディガンを羽織った女性らしいシルエット、汗疹のある首、伏せた瞳の中に写るお弁当の包みの千鳥柄、そこ影を落とす前髪、その先端、食後のリップを塗られる唇、艶やかになる古い細胞。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったのも遠い国の出来事のようで、立ち上がった姿をまた深く潜水するように眺める。動きを魚影のようなおぼろに捉える。行っちゃう。何か、何か言わなくちゃ。
「つぎ、えいご?」
自分の口から溢れ出た言葉は、驚くほど頼りない。
「うん、教室移動あるし、行くね」
「うん…あのさ、いつもさ、ありがとね」
彼女は、また優しい顔をした気がした。窓から黄金の大流がゆっくりと幕を下ろす。
「え、んふふ。なんで?また呼んで、な」
  そう翻る彼女のスカートの一瞬は、一撃で世界を平定した。裏も表もない、細胞の凹凸も、心の手触りも、自分の輪郭も、日向も日陰も、なにもかも。人なんて殺さなくても、生死の境をたやすく超える。彼女が人生最後の友だちだ。
幸せで、ちょっと泣いた。今日を生きられなかった人、これだけ今を謳歌すれば、大志なんて抱かなくていい?午後の授業に出れなくても、存在していいよね。
「風呂蔵さん」
仁科先生に揺り起こされる。
「大丈夫?熱中症になるよ、こんな所で寝て」
「今何時ですか?」
「まだ昼休み終わって五分くらいしか経ってないよ」
「全然寝てないじゃん」
胸中に「どこからが夢だったんだろう」なんて思いがふっと湧いて私を茶化して消えた。
両手を握ったり開いたりすると、皮膚が突っ張って、三千年の眠りから覚めたような心地がする。
「私帰ります」 
「あ、待って待って。五限中に堀田先生来るって」
「え!やだ」
「そういうこと言わないの」
「何時に来るんですか?具合悪いんですけど」
「多分、もうちょっとで来ると思う。堀田先生お忙しいらしいのよ今」
「じゃあ来なくていいのに」
「かわいそう。会いたがってたよ、堀田先生」
「私会いたくない!ねぇ、仁科先生はさ、堀田先生好き?」
「はぁ?」
「私の周り、堀田ちゃん好きな子多くてさ。でも付き合うならみんな細倉先生がいいんだって。私どっちも嫌い。でも堀田の方が嫌い、おじさんじゃんあんなの」
「ちょっとあんたね、言っときますけど、堀田先生と細倉先生同い年ですからね」
 「うそ!」
「あんたたちから見たら堀田先生らへんの歳はもうひとまとめにおじさんなんだね」
仁科先生は笑いながら私の向かいに腰掛けた。
「風呂蔵さんさ、学校、正直どう?」
仁科先生は腕組みをしながら、先生語を流暢に話す。それは時折、字幕が途切れたように、突然聞き取りにくくなる。今もまた私には先生がなにを言ってるか分からなくて、申し訳なくて、へらへら笑ってみた。
「夜眠れてる?」
穏やかな顔と穏やかな声だなあ。きっと、私のこと心配してくれて、何か伝えようとしてくれているんだ。
言葉の通じ合わない私たちは、カフェオレとか、遅刻の提出物につく三角サインとか、成績表の五段階とか、調理された感情を安心してやりとりしてきた。腹を割って話す、出したばかりの内臓みたいな感情の良さはまだわからない。大人になれば生ものも美味しくいただけるかもしれないけど、今はまだカフェオレ越しじゃないと照れちゃうな。
「そういえば、先生」
私も私の言葉で話したくて、もう一度スタート位置に戻した。
「昨日、大きな事件があったよね」
「そうねえ」
「捕まった生徒って死刑になんの?」
「えー、どうかなあ、多分ならないと思うよ。未成年だからなあ」
「かわいそうだよね」
「亡くなった生徒のこと?」
「刑務所の中で死にたくないなと思って」
「そうかあ」
どうしても、居心地が悪い。一生懸命会話をしようとするのに、どこか決まったゴールに導かれているような。
「私ね、あのね」
言葉を途切れさせないように必死に考える。
「莉花ちゃんのことを殺しちゃったらどうしようって思ったの」
「うん」
「それでね、でも、ちゃんと伝えたいことは」
身振り手振りで一生懸命伝える。
この世界は、胸が裂けるほど怖いことばかりだ。言葉も、ルールも分からない世界で、時間は待ってくれない、隠れることもできない。
私だって、みんなと同じように頑張れるはずなのに。たくさんの言葉を覚えて、言いたいことだって言えるように、みんなと、莉花ちゃんと同じだけの時間をかけて大きくなってきたのに。
私は、友だちの上手な作り方も、失敗した時の許してもらい方も、仲直りの仕方も、勉強の仕方も、ちっとも上達しなかった。同じだけ、人を傷つけたり、馬鹿にしたり、責めたりも、見よう見まねでしか手につかなくて、諦めた。
でも、それもこれも、みんなには出来て当たり前のこと。
私たちもそんな人たちと同じ言葉で、同じルールで頑張って生きていくんだよ。期待を裏切ったり、人を悲しませたり、怒らせたりしながら。出来ないことばっかりで、恥ずかしくなるけど、逃げ出したり、駄々をこねちゃだめ。私たちより頑張ってる人たちのことを邪魔するようなことは、絶対にしちゃだめ。
「ちゃんと聴いてくれるよ、莉花ちゃんなら」
自分の言葉に、涙が出そうになる。私を励ますのは、いつだって私の、そうあって欲しいと願った言葉だった。
「そっか」
「まあでも、莉花ちゃん、あんまり私のこと好きじゃないんじゃないかって思うんだよね」
「ええ、とてもそうは思えないけれど。どうしてそう思うの」
「どうしてっていうか…。先生はそういうこと、ないの?」
「人に嫌われてるなあって思う瞬間?」
「ううん。私のこと好きじゃなくても、優しくしてくれる子だなあって、嬉しくなる瞬間」
「風呂蔵さん、誰もあなたのこと嫌ってる人なんて居ないよ」
出来る限り集中していたつもりだったけれど、仁科先生の言葉は聞き取ることが難しい。
「みんなと比べてどうかなんて、どうでもよくなるほど嬉しい日がきっとくるよ」
 温かい言葉を掛けてもらって、嬉しかった。同時に、真剣な顔をさせてしまったのがどうしても申し訳なくて、大笑いしてしまった。
「仁科せんせえ、大好き!ありがと!私、トイレ行って来るね」
「あ、先生も会議あるから席外すけど、ちゃんと堀田先生に会ってから帰りなさいよね」
「はーい!じゃあね」
仁科先生は、私の背中に手を置いた。反対の手が視界に入る。午後の日差しは、薬指の結婚指輪に反射して、先生のセリフを盛り上げるように、今から来る、ハッピーエンドを祝福するように、キラキラと散った。
「ね、あのね。学校は子供のためにあるのよ、無理に来る場所じゃないの。先生もみんな味方なの、忘れないでね」
ドラマのセリフみたいだ、と思った。
ずっと欲しかった言葉だった気がするけど、早口で聞き取れなくて、それが悔しくて、トイレで子供みたいに泣いた。洋式便器の蓋の上に座って、いつまで経っても白い上履きで、足元のタイルをバタバタ叩くと、もっと涙が出た。
励ましてくれるのはいつも自分の自給自足の言葉だけだと思っていたけれど、本当は今みたいに、私がいくつも聞き逃してしまっていただけなんじゃないか。そう思うと、大げさだと笑っていた絶望という言葉が、トイレの扉のすぐ向こう側にぴったりと張り付いて、私を待っているような気がした。怖くなって飛び出た。
いつか誰かが与えてくれる感動的な救いの言葉を、楽しみにしていたのに。 
慌てて保健準備室に逃げ込んで、隅っこに丸くなって座った。
さっきまで射してたはずの、陽の光の会った場所に膝を抱えて、また雲が途切れることを祈った。薄暗い準備室は、狭いのに物で溢れて四隅が見えず、どこまでも続いている気さえする。ただ、埃や日焼けで、学校中で一番古びているようにも見える。寂れた空気を肺いっぱいに吸い込むと、砂とも紙とも埃ともつかぬ塵に、臓器が参る。こっちの方が、よほど生きている心地がした。まるで古代の遺跡にいるような気分。儀式の途中で、文明の途切れた遺跡。
捧げ物みたいに転がるサンドイッチと、山のように積まれた心と身体の教科書。先生の復活の呪文。
ちょっと笑った。
私、おかしくなっちゃったのかな。 どうしてみんなの言ってることややっていることが、私にはわからないんだろう。
まだ病気とか、人間不信とか、そういうものになりたくない。道を間違えていたとしても、滅んだ遺跡を歩いて戻って、最後にはみんなと同じ景色が見たい。
「莉花ちゃん」
初めての会話で、無理してかけてくれた、嘘のない優しい言葉を、もう一度聴きたい。
しばらく日陰を見つめていると、隣の保健室からドアが開く音がする。
そうだ、仁科先生にお願いして、カフェオレをもう一杯もらおうと思ってたんだ。
立ち上がり、乾いたカフェオレのカップを手にして、保健室に繋がるドアノブに手を掛けた。
 「せんせー、カフェオレー」
いつもの優しい声が返ってこない。不思議に思って顔を上げると、保健室の一角に設けられた簡易相談室の、目隠しとなるパーテーションに片肘をついた堀田先生が、呆れた目でこちらを見ていた。
「うわ」
「はい、まりあさん、こちらへどうぞ」
先生はゆらゆらと手招きする。
「えー!やです」
「やですじゃないです」
私は渋々カップをすすぎ、流しに置いて、パーテーションの中の丸テーブルに腰掛けた。
先生は手元のファイルに視線を落としたまま、なかなか口を開こうとしなかった。沈黙に耐えきれず、
「先生、暇そうだね」
怒らないでと願いながら、茶化した。
新年度に選んだ、身の丈に合わないこの態度も、改めるタイミングを失ったまま。
堀田先生はたまに建前で叱るけれど、基本的には何でもいい、と言ったような対応を返す。
「まりあこそ、暇そうじゃん。午後出ようよ」
「具合悪いの!」
「お前なあ」
「明日はちゃんと全部授業出る」
「勢いだけは良いんだよなあ。仮に家に帰るとして、親御さん居るの?」
具合悪いなら、誰もいない家に帰るより保健室で休んでた方がいいんだよ、と、ファイルを手で遊びながら続ける。
それを言われると、都合が悪かった。ママは夜遅くまで仕事だし、パパはもう何年も家に居ない。ただ、私には、堀田先生との会話をやり過ごす、とっておきの切り札がある。
「親は居ないけど、先生の初恋の人ならうちにいるから」
先生の初恋の人、風呂蔵いのり。十一歳も離れた私のお姉ちゃんだ。
「あほ」
すぐに手にしていたファイルで頭を軽くはたかれる。
「痛いんですけど!」
「そういうの柏原くんから吹き込まれるわけ?」
私のお姉ちゃんには、柏原くんという彼氏がいる。そして、この柏原くんというのが、堀田先生��大学時代の大親友なのである。柏原くんはうちに遊びにくると、いつも堀田先生の大学時代の話をする。酔っ払った時は、決まってにやにやしながら「本当は、堀田もいのりのことが好きだったんだぜ。しかも初めて女の子を下宿に誘ったって。でも俺が奪っちゃったんだよね、いのりのこと」とおどける。
「そう。柏原くん言ってたよ、堀田先生もうちのお姉ちゃんのこと好きだったって」
堀田先生は眉間を押さえながら、
「あなた、やっぱり元気じゃん。小テスト落ちてもいいから出なさいって」
深いため息と言葉を一度に吐き出した。
もともと、堀田先生の印象はそんなに良くなかった。保険をかけるような、建前で最低限の責任を果たすような先生の振る舞いは、子供から見上げた時の独特な大人らしさがあって、苦手だった。
私が風邪で一週間学校を休んだ次の日の「まりあ、友だちと上手くやれてる?」は、その象徴だ。思い出すと今も嫌な汗が出る。先生の言葉を聞き取りにくく感じたのも、その時が初めてだった。私は聞き取れない言葉を、先生語と名付けた。心配するような響きは建前で、本音は「うまくやれよ、不登校になるなよ」なんだと、本能的に感じ取った。
柏原くんはいつも堀田先生のことを嬉しそうに話してくるけど、柏原くんのことだって苦手。いい人だけど、私からお姉ちゃんを取ったことは、何年経っても許せない。そんな彼にも、彼の思い出の中に登場する、学校とは違う子供っぽい堀田先生にも、言葉は悪いけれど正直、うんざりしていた。
「…まりあ」
先生が、先生らしい声で私の名前を呼ぶ。 耳を澄ませて、身を固くする。
「具合悪いのは、こう、学校に居ると心が辛い、みたいな感じかな。それとも、本当に体調悪い?」
「お腹痛い!私さ、生理痛重いんですよ」
間髪入れずに笑い飛ばすと、先生の表情はわずかに歪む。
真剣な話は嫌だった。照れるし、息苦しいし、話が通じないのがバレてしまうから、暗闇で木の枝を振り回すようにおどけてしまう。まさしく振り回した木の枝が当たってしまったような、萎れた反応。
「最近の若い子って、そういうのためらい無いわけ?」
バカみたいに笑いながら、目を細めて先生の目を覗き込むと、ただ悲しくてやるせない、そんな本音を垣間見た。そのことに、少し戸惑った。まっすぐ、私の目を見て、恥ずかしいくらいに。先生の言っていることも、考えてることも分からない。でも、心が痛そう。
私、また失敗してしまったかな、加減間違えちゃったかな、傷つけちゃったかな。辛い顔しないで、ごめんね、先生。
あはは、なんて笑いながら、先生の、祈るように組んだ手を見る。窓から差した光線は、先生の手の血管に陰影を与えたり、腕時計に鋭く反射したりして、温かく周囲に散らばった。
仁科先生の手を思い出す。
欲しい言葉が聴き取れない辛さと申し訳なさ。不甲斐ない自分に強く打ちのめされる。
でも分からないんだもん。教えてよ、先生、世の中難しいことだらけだ。
先生からしたら、私の悩みなんて、きっとばかばかしいことなんだろう。莉花ちゃんだって、クラスのみんなだって当然のようにできていることなんだ。ばかばかしいことばっかり、でも難しいことばっかり。
教えて欲しい事まだあるよ、先生
「てか、先生さ」 
「はい」
先生はわざとらしく、すっと背筋を伸ばした。
「クラスの生徒のことって大事?」
「当然じゃん」
「命かけて守ろうと思う?」
ちょっと目を大きく開いた。普段、表情の変わらない人だから、珍しくて、またじっと覗き込んでしまった。
建前も本音もなく彷徨う視線が、面白かった。 
「どうかなあ。学校って色んな人がいるから、命がけで守って欲しい人も、そんなことして欲しくない人もいるんじゃないかな」
「堀田先生っぽい」
「申し出に合わせると思う」
わかりやすい答えだな、と思った。世の中の求める答えではないかもしれないけれど、私は満足した。
「風呂蔵は」
「え」
不意の仕返しに私が狼狽えるのを、キョトンと見つめながら、手を組んだり解いたり、次の言葉を選んでいる。
「命がけで守られたら、午後の授業出る?」
「今日は、本当に!」
堀田先生はあんまりにこにこしない。冗談かどうかは相手の出方で後から決める、そんな人だ。
会話に行き詰まったら、逃げるのがいい。
「まだお話済んでませんよ」
「本当に!」
ごめんなさい、下げた頭の上に、降り注ぐような終業のチャイム。時間よ早く過ぎてと垂れる頭と裏腹に、チャイムの音を心地よく聴いていた。午後の太陽は保健室いっぱいに白く広がり、不甲斐ない自分の輪郭を溶かして、先生の目眩しになって、チャイムの尖った音をまろやかにしてくれる。恥ずかしくて、申し訳なくて、でも心地よくて、このまま居なくなってしまいたい。
そのまま、誤魔化すようにすり足でパーテーションの外に出ようとすると、先生のこぼした笑いが聞こえる。それはおまけでもらったマルのようで、私は見逃してもらった不正解だけど、それで良かった。許してもらうことが、なによりも幸せだった。
ホッとして顔をあげる。私がまた「ごめんなさあい」と笑うと、わざと口をへの字にした先生のため息が、もう一度笑うように揺れる。飛び上がるほど嬉しかった。
「気をつけて帰れよ。ちゃんと仁科先生にご報告して、早退届には明日まとめてサインするから」
「ありがとうございまーす」
そのまま逃げるように準備室へと飛び込んだ。スマートフォンにイヤホンを繋いで、今月のベストヒットを上から聴く。次の授業が始まればクラスメイトはそれぞれの教室へ向かう。その隙に私は誰もいない教室へ入り、帰りの支度をして学校を出る。準備室で息をひそめ、耳のイヤホンからは今月一番買われていった愛の歌が流れる。もしも今日の日が、いつか「青春」と名乗るなら、ちょっとした悲劇だな。でもそんなことはどうでもよくて、今は頰が緩んでしまうのを感じながら、始業のチャイムと共に廊下に出た。
静まり返った校内で、白く揺らめく階段を駆け上がる。自分の足音が少しずつ軽くなって響いて、羽が生えたみたいだと感じた。
暗い教室に辿り着いた。消し忘れられたエアコンが、必死に部屋を冷やしている。今日は一日中うっすらと曇って、時折日が差す程度だったから、蛍光灯をつけてしまば朝からまるで時間が経っていないように感じる。ただ、窓際の席に莉花ちゃんだけが居ない。 
一度机の中へしまった教科書を一冊ずつリュックサックへ戻していく。倫理、現代文、数学、英語、辞書、開いたことの無い単語帳。どの教科も、「前回の続き」が何ページなのか分からない。寂しい。本当は、もっといい子になりたい。それはいつだって変わらないのに、どうしてそうなれないんだろう。もしかして、私、みんなの何歩も手前で、もう頑張れなくなってしまってるのかな。これから夢を叶えようとして、挫折とか達成感とか、そういう漫画でしか知らない感情を知って大人になっていくみんなの教室に、紛れ込んでしまったんだ、私。
急に不安になって、答えを探して瓦礫を搔きわけるように、教科書をまたリュックに詰める。
今日は、先生に怒られなくて、笑ってもらえて、その場をやり過ごせて、早退できて、嬉しい。でも、莉花ちゃんともっと話したい。
すぐに手が止まった。まだまだ机の中には、触りたくもないものが詰まってる。もやのように淀んで、何から手をつければいいか分からない。
恐る恐る触れる古文、英語文法、古典単語帳、英単語帳、英和辞典。受けなかった小テストの束、ペナルティのプリントの束。たくさんの言葉を覚えたら、この気持ちに名前がつくのかな。夢もできるし、もっとみんなの気持ちが分かるようになるのかな。私もみんなと同じになれるのかな。
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nyantria · 7 years
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思い出に残る患者さんのはなし =舌癌・Aさん(50代 男性)= Aさんは進行した舌癌で、私の外来を訪れた時は既に舌のほとんどが癌にかわっていた。舌はよく見えるところでもあり自分で触れるところでもあるから、「どうしてこうなるまで病院にいかなかったんだ?」と思われるかもしれない。 当然、Aさんも自分の舌の異変には気づいていた。人間、自分の問題があまりにも重大な場合、結果を知るのが恐ろしくなる事がある。この時の彼の心理状態がまさに「それ」であった。舌の硬いところはだんだん広がり、ついには舌のほとんどが硬くなった。 それにつれて痛みも強くなった。「舌癌かも知れない」という不安が頭の中にはあったが、はっきりと医師から癌と診断されるのが怖い。 彼は日々強くなる痛みと不安を紛らわすためにお酒に逃げた。朝、起きると自動販売機にお酒を買いに走る。それから寝るまで一日中、酒びたりの毎日である。 ついに、見かねた奥様に連れられて私の外来を受診した。 このように舌が殆ど癌になってしまった場合,舌を全部とらなければならない。 舌がないと食べた物が気管に流れ易くなってしまうので喉頭もいっしょにとることになる。舌と喉頭がないので声が出せなくなる。食物を口に入れてものどの方へもっていけないので、食事は流動食を流し込む事になる。舌がないので著しく味覚はおちることとなる。 頭頚部癌の手術の中では最も重い障害を残す手術といえる。 彼は手術から20数年たった今も過酷な障害と闘って元気で頑張っているとのことで、北海道に移った今も律儀に年賀状をくれる。 手術を受けた頃年頃の娘さんが二人いたが、今頃は大きくなったお孫さんと笑っている彼が目に浮かぶようだ。 =Bさん・舌癌 (50代 男性)= Bさんも進行した舌癌で、癌を治すにはAさんと同じく舌の全部と喉頭をとるしかないと考えた。Bさんも当初はその手術を受けることに納得していた。 手術をひかえたある日、夜のテレビの二ュースを見ていると、医師のセカンド オピニオンの特集をやっていた。 耳鼻科医に舌と喉頭を全部とるしか良い方法がないと言われた患者さんが癌専門の病院に行き、その道の大先生に診てもらった。 喉頭を残しての手術がで良いと言われて、大先生に手術してもらった。 その結果、患者さんは普通にお話ができ、普通に食事もでき、(癌がその後も治っているのかはわからないと思うが。)大喜びで普通に暮らしている。 一人の医者の判断を鵜呑みにしないで他の医者の意見も聞いてみることが必要 という内容だった。嫌な予感がした。 次の日、病室にいってみると、いつもは暗い顔のBさんが妙にニコニコしている。 予感は当たったようだ。「先生、昨日の二ュース、見ました?私、決めました。先生に手術はしてもらいますが、喉頭は残して下さい。」 (喉頭を残してはたして上手く食べられるのか?喉頭の近くまで癌がきているが、喉頭を残して癌は再発しないのか?大先生に手術してもらったら良いのに。) とにかく、患者さんが頑固に拒否している以上、喉頭は取ることはできない。 家族と相談した結果、喉頭を残して、とりあえず癌を取る。 嚥下訓練をして食べられない事に患者さんが納得したところで喉頭を取る。 傷が良くなり、そろそろ嚥下訓練という頃、彼は食事を吐いた。手術後は鼻から胃に管を入れて、流動食で栄養を摂っているが、それを吐いたのである。吐物の多くが気管に流れ込んだ。その結果、彼は重い肺炎にかかった。 人工呼吸器をつけて4ヶ月頑張ったが、Bさんは亡くなった。あのニュースが少し遅かったなら、私は喉頭を取った医師として彼に憎まれていたかもしれないが、今頃元気でお孫さんに囲まれていただろう。 =Cさん・舌癌(90代 女性)= Cさんは90歳を過ぎた高齢の方だが、大変御元気である。 私の外来を受診、診ると舌の側縁に3cm 程の癌ができている。 この程度の癌なら手術でも放射線でもよく治る。 放射線治療は放射線のでる楊枝ぐらいの針を腫瘍の大きさに合わせて舌に刺しっぱなし、5日~7日、隔離病棟に入っていてもらう治療法で、ほとんど以前の舌のままで治る。 高齢なので心配だったが、放射線治療中も良く頑張ってくれた。 心配したリンパ節転移もでなかった。これだけでは普通の放射線治療患者さんで私の記憶には残らなっかっただろう。 彼女の家は私のアパートのすぐ近くにあった。舌癌が縁でしばしばお茶に呼ばれ,良い茶飲み友達になった。 彼女からとってもモダンな手編みのセーターをいただいた。 「誰に編んでもらったの?」しばらく医局の興味の対象だった。 「名前は言えないけどファンの看護婦さんから・・・。」 =Dさん・舌癌 (50代 男性)= Dさんは、当時、人気のあったテレビのリポーターである。 最初、まだ癌が小さい段階で他院で舌癌の診断を受けている。 しかし、言葉(舌)は彼の商売道具である。 万が一、治療によって舌に障害が残って言葉が不自由になることは彼には絶対に受け入れることはできないことだった。 彼は治療を受けることを拒絶した。 その時の彼の決断は大変に辛いものがあったと思うが、癌は彼を見逃してはくれなかった。 私の外来を訪れた時、彼は診察を待つ間、舌の痛みのために、待合室の廊下にころがってのたうち回っていた。 後にも先にも、その様な患者さんは他には知らない。 私が診察した時には舌が半分以上,溶けていた。 有名なリポ-ターであることはすぐに分かったが、舌喉頭全摘以外に良い方法は思いつかなかった。 彼は舌喉頭全摘術を受けた。リポーターが永久に声を失ったのである。 しかし、彼のレポーター魂は健在であった。彼は自分の��病を積極的にテレビに露出した。 流動食を流し込むことしかできない自分の障害を隠さずに見せた。 障害にも負けず頑張る姿は感動的ですらあった。 しかし、残念ながら,肺転移がでて亡くなった。 リポーターは最後までリポーターだった。最後に素晴らしい自分の闘病記を世間に発表して、彼は逝った。 =Eさん・舌癌 (60代 女性)= Eさんは自分の病気に対してとても心配症な人でした。 10年前に右の舌側縁に癌ができて放射線治療で治っていますが、今度は、左の側縁に癌ができたのです。 幸い、今度は早期発見でしたので簡単な手術ですみました。 心配症の彼女に2度も癌ができたのです。その不安は大きいものがあります。 「先生、またできないでしょうか?」 「できるかできないかは私にも分からないし、どんな大先生でも分からないでしょう。」 「そうですね。でも、またできないでしょうか?」 「前は頸のリンパ節に転移して手術しましたが、今度のは大丈夫でしょうか?」 「今度のは舌の癌が小さいから大丈夫だと思いますが、絶対にでないかどうかは私にも同じように分かりません。」 「そうですね。ところで舌にまたできないでしょうか。」 毎回繰り返されるEさんと私との漫才のような診察風景である。 その後、彼女の舌に癌ができたのか否かは、私は残念ながら知らない。 =Fさん・舌癌 (60代 男性)= Fさんは、会社の社長。 どんな会社なのか詳しくは知らないが、数ヶ月後に数十億の事業の起工式があり、その式で挨拶をしなければならないので、それに間に合うようにして欲しい。私の外来を受診した時の彼の希望であった。 診ると舌の側縁に癌があり、既に頸のリンパ節に転移がみられる。 舌の癌は、この程度なら舌の半分を切除する手術で十分である。 「大丈夫ですよ。手術をしても、この程度なら、ほとんど言葉も普通で済みますし、食事も普通の食事ができます。傷が良くなってから嚥下のリハビリが必要ですが、それでも起工式には十分間に合いますよ。」 手術が終わり傷も良くなりそろそろリハビリという頃、彼は心筋梗塞の発作を起こした。 数日おきに発作を繰り返すひどいものであった。 癌研は癌専門病院なので癌専門の日本的名医は多いが、心臓に詳しい内科医はいない(今はいる。患者さんに癌以外で問題があると,全て内科の専門の先生が診てくれるシステムになっている。) 私の学生時代に習った心臓の知識ではとても無理である。 たまたま医局の友人のおじさんが近くの某医大の心臓専門の内科の助教授をしていた。 電話をすると快く診てくれるとの事。休日にしか来られないため、日曜日にもかかわらず診察にきてくれた。 「もう一度、発作が起きたら死にます。家族へは、その事を家族に伝えておいて下さい。」 そう言って、薬の使い方と患者さんのチェック・ポイントを教えてくれた。 家族にお話をして数日後、また強い発作が起きた。 なんとか救命し得たが肺に水が溜まった。(人間の身体は心臓のポンプ機能がおちると肺に水が溜まるようになっている。) 呼吸状態が悪いので人工呼吸器をつけた。 彼との約束が非常に気になった。家族にもあせりがあった。 「これ以上、どうか発作をおこさないでくれ。」祈るような気持ちだった。 幸い、2ヶ月を過ぎる頃から、まるで薄皮を剥がす様にFさんは元気になってくれた。 3ヶ月後、外を散歩できるようになった。 はじめて外泊した時、かれの家の近くの公園を散歩したそうである 「丁度、桜が満開でした。」Fさんは満面の笑みを浮かべていた。 約束どうり、起工式には間にあった。残念ながら、その後に肺転移があらわれ癌で死亡した。 あの時、助教授の先生がいなかったなら、私はFさんとの約束をまもれなかっただろう。 =Gさん・舌癌 (50代 男性)= Gさんは、私が医者になって始めて「癌告知」をした患者さんとして、私の記憶に残っている。 Gさんは北海道の某大学の英語の教授だった。 舌の付け根がガチガチの癌で、舌のほとんどと喉頭をとらねばならない状態。 そうなると英語の先生を続けることはできない。 卒業したての若僧が、人生の大先輩に、「大きな障害を残す手術を受け、それでも障害にめげずに頑張って欲しい。」と説くのである。 お話をする前の晩はよく寝られなかったことを覚えている。 Gさんは手術を受けることに納得してくれた。手術の前には、最終講義として自分の声を録音して手術に望んだ。 その後どうしているのか知らないが、生きていればとうに70歳は超えている。 Gさんばかりではなく、私は実に多くの患者さんに「癌の告知」をしてきた。 それらの患者さんは治療をうければ命は助かる可能性のある人だった。 特に頭頸部癌は手術後に障害が残ることが多いので、「癌の告知」をして自分の病気が癌であることを話さないと手術を受けてもらえない。 私は医者になって20数年になるが、遠隔転移などで全く助かる希望のなくなった患者さんに「末期です。打つ術はありません。」そのような話を患者さんにしたことがない。 私事ですが、20歳の時、身体をこわして1年入院生活をしたことがある。自分は長らく「若くして死ぬんだろうな。」と思っていた。 でも心の中には相対する気持ちもあって「もしかしたらこの病から助かるかもしれない。」という気持ちもあった。その時感じたことは、病に打ち勝つには希望が必要であるということである。 もし私が、今、「後、数ヶ月です。」と言われたら、心の平静を保つ自信がない。泣き叫ぶかもしれない。 私には、患者さんの希望をうばって、その後の患者さんの精神のケアーをおこなう自信がない。 私の知り合いは肺癌で亡くなったが、診てくれた癌専門病院の呼吸器内科の若い医者は「癌の告知」はしたが、精神的なケアーについては無頓着だった。 旅行好きだったので「良くなったら再び外国旅行に行きたい。」と言うと、「そんなことは二度とできない。」と打ち消したという。患者さんのそのときのショックはいかほどだったろう。 残された時間はどのくらいかを患者さんに告げるのが最近の流行らしいが・・・。 =Hさん・舌癌(60代 男性 )= Hさんは身内がいない。 舌に小さい癌があり、頸に大きなリンパ節転移がある。この程度の舌癌ならさほど大きな手術にはならない。 手術の日の朝早く、病棟から電話がかかってきた。 「今日、手術予定のHさんが手術が嫌だと言って泣いています。すぐ来てください。」 (私は当時、病院のすぐ傍にすんでいた。) すぐに病院に行ってみると70歳になろうかというHさんが,まるで子供が“だだ”をこねる様に「手術いやだ~。」と、病棟中に響く声で泣いている。 昨日は手術に納得していたHさんだが・・・。そんなHさんも、その後、他病死した。 =Iさん・舌癌(50代 女性)= もしもIさんがこのホームページを見ていたら「私は記憶に残らないの?」と怒られそうな、元気の良い患者さんである。 彼女は他の病院で舌の一部を切って、頸のリンパ節の手術を受けている。 それが再発したのである。鎖骨の上の皮膚が真っ赤に腫れて、そこから癌細胞が見つかったのである。 この様な再発は、まず助からない。手術をしてから随分と時間がたった。 もう大丈夫である。治ったのは奇跡的ですらある。 癌研をやめてから都内の某病院で一般の耳鼻科として働いていた時、一��、息子さんを連れてきたことがある。 「明日、息子の大学試験があるのだが、風邪をひいて熱がある。明日までに治して欲しい。 その後、彼が合格したかどうかは知らないが、失敗しても私の責任ではありませんから・・・。 彼女は大変元気で、私が北海道に戻った今でも年賀状をくれる。 =Jさん・舌癌(50代 女性)= Jさんの癌は特殊なタイプのもので,舌の付け根がガチガチに硬かった。 舌根のほとんどをとらなければならないが、特殊な組織型なので喉頭は残すことができる。 問題は舌根を取ったところをどうするかである。 従来の方法は、前腕の皮膚を移植したり腹部の皮膚と筋肉を移植したりする。 その方法では、喉頭を残しても、舌根のほとんどがないので上手く食事をしたり話したりできるのか大いに不安であった。 そこで、当時は画期的な方法であった腸の一部を口に移植した。 これが、思ったより上手くいった。 食事も普通の食事で言葉も問題なかった。 私はJさんによく「あなたは口を開けると自分の生きた腸が見れる珍しい人ですよ。」と言っていた。 あれから随分たつ。もう、心配はいらない。 Jさんも今でも「元気でやっている。」と年賀状をくれる。 =Kさん・舌癌 (20代 女性)=  Kさんは眼の“クリ”とした美人だった。 かわいくて若いから記憶に残っているのではない。 治療経過がいろいろあったので、私の記憶に残っている。 Kさんの癌は、初診時、1cmほどの小さなもので、舌は癌の周囲の正常な組織を十分含めて切除している。 この程度の癌なら術後の機能も問題なく、通常はこれで治ってくれる。 手術後の2年ぐらいは外来に通っていたようだが、その後は受診していない。 数年後、「舌がおかしい」と外来に訪れた。舌のほとんど全部が癌に換わっていた。 治ったとばかり思っていたのに・・・。 本来なら舌喉頭全摘出の手術が必要だが、本人も家族もそんな手術は拒否である。 我々も手術はしたくはない。相談の結果、放射線の針を刺すことになった。私が主治医になった。 多数の針を刺した。よく治療にがんばってくれたが、残念ながら下顎骨から頸部にかけて再発した。 ある日、用事があって癌研から大塚の駅への道を歩いていると、彼女が電話ボックスで誰かに電話をしているのを見かけた。 その時には癌の進行で、声を出す神経は麻痺し、声は出しにくくなっている。 泣きながら懸命に誰かに話している。彼女の辛さが伝わってくるようだった。 彼女が亡くなった後もあの電話ボックスを見ると、彼女のことを思い出した。 小さかった癌が、このような結果となってしまうとは、初診時には夢にも思わなかった。 亡くなってからお母様に、彼女の思い出に作りましたとのことで、彼女が生前かわいがっていた愛犬のテレホンカードをいただいた。 使わずに大事にとっておいた。
http://www.takahashiclinic.com/gan/zetugan.htm
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ronpe0524 · 3 years
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なんだか仕事が忙しくなってきた5月(2021年5月の日記)
■2021/5/1 土曜日。まったくGW感はないです。娘を習い事に送り、僕は新宿へ。新宿はどのお店が閉まっているのか、開いているのかがよくわからない。珈琲西武でモーニングを食べる。西武でMCTTが再開できるのはいつになろうだろうか。ケイズシネマで台湾巨匠傑作選2021『珈琲時光』鑑賞。娘を迎えに行くまで時間があったのでポレポレ東中野へ行き『海辺の彼女たち』のパンフだけ購入。映画は翌日観る予定。娘を迎えに行ってから帰宅。 夜は「若手国際映画監督たちが21時からゆるっと雑談」YouTubeを見る。『海辺の彼女たち』初日ということですごい盛り上がり。YouTube見終わりシネマクティフのオンライン会をのぞいたらラロッカさんとotokeiさんがまだいたのでまたボードゲームに参加。日付変更までゲームして『海辺の彼女たちの』のチケ取り。取れたー。マコチンさんもちょっとだけ顔出してくれたのでオンライン上ながら久々に話す。まだまだ子育て大変でしょうが元気そうで何より。Apple TV+『ディキンスン』S2E9を見る。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E2を見る。
■2021/5/2 日曜日。娘と実家へ。お昼はお好み焼をご馳走になる。午後、娘を両親に見ていてもらい東中野へ。ポレポレ東中野にて『海辺の彼女たち』鑑賞。藤元監督の舞台挨拶付き。パンフにもサインをいただき、ちょっとだけお話しさせていただいてから実家へ戻る。夕飯までご馳走になり帰宅。娘がお腹痛いとか云って心配になったが、トイレに行ってすっきりしたようだ。下痢してた。夜、『海辺の彼女たち』の応援Facebook配信を見る。3人の女優のうちの一人、アンさんもベトナムから参加。映画観ましたー、とコメントしたら返信してくれて嬉しい。Apple TV+『ディキンスン』S2E10を見る。これで完走だ。面白かった。
■2021/5/3 月曜日。まだまだ連休。娘が昨夜調子悪かったこともあり1日ごろごろして過ごすことにする。動画を見たり、ゲームをしたり、好きにさせてあげる。たまには良い。まぁ英語の勉強とかピアノの練習とかはしないといけないのですが。午後、キンザザのMCUドラマ回と、シネマクティフ東京支部の音声配信を収録。ドラマの話をしたり映画の話をしたりで楽しい。BS録画『名探偵ポワロ』E51を見る
■2021/5/4 火曜日。娘と実家へ。今日はお泊りであります。実家の庭でBBQをする。魚介とかうまい。午後、本来であれば野音に行っていたんですけどね。無観客配信でTHE MATSURI SESSIONを見ましたよ。素晴らしい内容だったし、やはり行きたかったですよ。夜は娘と庭で花火やったり。娘が寝てからアーカイブでナンバーガールをまた見る。最高ですよ。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E3を見る。
■2021/5/5 水曜日。実家の朝飯はうまい。午前中はアーカイブでザゼンを見る。最高ですよ。のんびり過ごす。U-NEXTで『恋とさよならとハワイ』を見る。夕飯までご馳走になり帰宅。なんもないGWだったけど仕事に戻るのは当たり前にイヤですね。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E4を見る。
■2021/5/6 木曜日。在宅勤務に復帰。例年のGWに比べるとメールもたまっていなかった感じ。でもしんどい。WOWOWオンデマンドで『レディ・オア・ノット』を見る。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E5を見る。
■2021/5/7 金曜日。お昼に街中華が食べたくなって近所の中華屋さんへ。一番安いランチ食べてお腹いっぱい。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E6を見る。Netflix『ジュピターズ・レガシー』S1E1を見る。
■2021/5/8 土曜日。ちょっと時間があったので集中して映画を見る。Amazon Prime Video『ロマンス・ロード』を見る。Netflix『夢追い人』と『密航者』を見る。あと図書館に行ったり、娘とゲームしたり、娘に勉強やらせたり。夜は春本監督らのYouTubeをLIVEで見る。これが週末の楽しみだ。がしかし眠すぎて終盤寝てしまった。
■2021/5/9 日曜日。昨夜寝てしまったYouTube配信の後半をアーカイブで見る。午前中から娘と実家へ遊びに行く。あまりに暑くてなんか体調が悪い。娘もなんか機嫌が悪くて、1日のノルマである英語の勉強とかやらせるのに一苦労。ぼんやりと夜にやる音声配信収録で話すことを考える。夕飯までご馳走になり帰宅。夜、娘が寝てからmatsuさん、まるゆさんとシネマクティフ東京支部の音声配信をリモート収録。こんな状況ですけど応援したい映画があるんですよね。収録終わったら『海辺の彼女たち』オンラインコミュニティの配信をやっていたので聴く。収録した音声配信も1本だけ編集。さらに録画したテレビドラマとかアニメを限界まで見て寝る。
■2021/5/10 月曜日。うーん昨夜夜更かししたのがいけなかったのかすっきりしない体調。娘が学校に行ってから30分だけ寝る。ぜんぜん調子悪かったのですが、あまり仕事が忙しくなくて助かった。夕方ごろに映画館の再開がいろいろと発表になる。特にキノシネマ立川の再開は僕にとってかなり大きいです。僕モテの情報コーナーも���き直す必要あり。夜は根矢涼香さんのネットラジオを聴いたり、藤元監督の配信を聴いたり。さらにradikoでいろいろ聴きながらマインクラフトで釣りをする。娘に「名札を3つ釣っておいてくれ」と頼まれたので。1時間以上釣りしてなんとかノルマの3つをGETだぜ。夜、BS録画のポワロを横になりながら見ていたはずだがいつの間に寝てしまったようだ。。
■2021/5/11 火曜日。朝、昨日途中で寝てしまったBS録画『名探偵ポワロ』E51を見る。「ナイルに死す」回。新しい映画版も楽しみです。またうまくいかないことがいろいろあり、ストレスと不安が。どうすればいいものか。夜、ラロッカさんとDiggin' Netflix収録。GWにオンライン会をやってるのでラロッカさんとの久しぶり感がない。
■2021/5/12 水曜日。ミーティングの連続。上司とのミーティングで僕が出勤の日々に戻るのはまだまだ先だということがわかる。そりゃそうだろうな。でも海外はけっこう早めに戻りそうな感じ。夜、藤元監督ゲストの朝日新聞のオンラインLIVEイベントを見る。朝日でもTシャツで参加の藤元監督。
■2021/5/13 木曜日。立川の方の病院に通院。こちらは3ヵ月に一度。血液検査はとくに問題なし。主治医の先生にNHKの「テレビ体操」をやってみろ、とすすめられる。体操かー。今日は午後に出なきゃいけないミーティングがあるので午前半休しか取っていない。お昼を食べてから帰宅しようと思ったが、まだ11時前で開店していない店ばかり。こんなとき頼りになるのが「一蘭」である。朝早くからやっていてくれていてありがたい。ラーメン食べて帰る。小ライスも食べたけど200円もしたっけ。なんか小ライス200円は高い気がしたのだが今まで気にしてなかっただけか。それとも値上がりしたのか。午後は長いオンラインミーティングに出る。まぁ聴いているだけだし。日本語だからありがたいですが、他の部署の発表だからわからない単語も多い。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E8を見る。どうしたんだマザー。イタリア映画祭のオンライン第1部が開始。無料の短編『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!』『あなたの不幸はわたしの幸せ』を見る。Amazon Prime Video『シルヴィ ~恋のメロディ~』を見る。
■2021/5/14 金曜日。いやーミーティングと資料作りの日々です。問い合わせが少なくて助かります。Amazon Prime Video『地下鉄道~自由への旅路~』S1E1を見る。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E1を見る。U-NEXT『バリー』S1E1を見る。Netflix『オキシジェン』を見��。
■2021/5/15 土曜日。娘を習い事に送ってから立川へ。立川駅のホームでシネマシティの椿原さんを見かけた。休館中も出勤してるんですかね。松屋で朝定食食べてからキノシネマ立川で『ファーザー』と『ビーチ・バム』鑑賞。インターバル10分のハシゴ。娘を迎えに行ってから帰宅。FC東京が久々に勝った。嬉しい。YouTubeで春本監督らの「9時ゆる」を見る。週末の楽しみ。WOWOWオンデマンドで『霧の中の少女』を見る。U-NEXT『バリー』S1E2を見る。
■2021/5/16 日曜日。今日は映画の2本観れるチャンス。朝から有楽町へ。ヒュートラ有楽町でTCGカードの更新をしようとしたら緊急事態宣言の関係で1ヵ月延ばしてもらえた。わーい。『次の朝は他人』を観たわけですが、けんす君と遭遇。今年はじめて会ったのにオンラインで話しているのでそんな久々感はない。まるゆさんも同回だった。映画終わってからけんす君と駅まで向かう。映画観てる途中けっこう寒かったことを話したら「寒い場所の映画だったから良かったじゃないですか」みたいなことを云われた。確かに。いや、そうか?新宿へ移動。富士そばでお昼食べてからテアトル新宿で『くれなずめ』鑑賞。最近、月餅にハマってるので伊勢丹でうまいやつを買って帰る。いろいろな店のやつを食べてみたい。Prime Video『地下鉄道~自由への旅路~』S1E2を見る。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E2を見る。U-NEXT『バリー』S1E3を見る。BS録画『名探偵ポワロ』E53を見る。
■2021/5/17 月曜日。寝起きの悪い娘。困る。この前、主治医の先生にすすめられたテレビ体操(録画)をやってみる。10分間体操するのきつい。娘が図書館で借りていた本をうっかり延滞。ごめんなさい。夜になって『ハサウェイ』の上映延期が発表された。もう僕モテの原稿書いていたのだが。。オンライン試写にて『映画大好きポンポさん』視聴。U-NEXTで『今そこにある危機』を見る。
■2021/5/18 火曜日。朝から娘とケンカしてしまいつらい。今日もテレビ体操をやってみる。僕は腰が痛いので椅子に座ったままでもできる体操はありがたい。上半身だけでも体操しているとあらゆる箇所からボキボキと音が出ている。おそろしい。実家の近くのデニーズがもうすぐ閉店するとのこと。78年に開店だから僕が1歳のときからある店舗。何度も行ってたファミレスなのでなんか切ない。思わず母親にメールしてしまった。閉店までには一度行ってみる、と返信がきた。夜、けんす君&なんすけ君と音声配信収録。収録終わってTwitter Spaceを使ってみたかったのでSpaceにて次回収録の打ち合わせ。まぁ話は脱線して24時半ぐらいまで話してしまった。途中からさっちゃんさんがリスナー参加で聴いてくれていたようです。U-NEXT『バリー』S1E4を見る。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E3を見る。
■2021/5/19 水曜日。いろいろしんどい事も多いがKUFUでのり切る。でもKUFUにも限界がある気がします。仕事もめんどくさいものが多くまーしんどいです。田村正和が亡くなったとの報道。みんなそうだと思うけど「古畑任三郎」は本当に好きでした。はじめてサントラを買ったドラマであり、ノベライズとか読むぐらいハマっていた。夜、娘を寝かしつけながら藤元監督の監督ラジオを聴いていたら途中で寝てしまった。しかも朝まで。。
■2021/5/20 木曜日。9時間ぐらい寝てしまった。これは精神的なものなのか。僕は寝れない、ということがほとんどない。何年か前にとある病気の治療でステロイド系の薬を飲んでいたときでさえほぼ睡眠障害なしで寝れたぐらい。しかし最近スイッチが切れたように寝てしまうのは困ったものである。がんばって仕事して、子供のことをやって、よし自分の時間が使える!という時にうっかり寝てしまうのは本当にかなしい。母親からメール。なんとコロナのワクチン予約できたらしい。しかも2回目まで。しかも電話予約。これだから田舎(一応東京都)はいいですよね。ここ数日あたまを抱えていた仕事の案件がやや良い方向へ転がった気がする。このまま転がり続けてくれ。今度は三浦建太郎が亡くなったとの報道。僕はそこまで「ベルセルク」にハマっていないので、まわり人々の動揺で偉大さを感じています。夜、娘を寝かしつけながら今日こそは寝ないぞ!と思っていたのに寝てしまった。でも23時頃に目が覚める。映画の1本でも見なくては、とAmazon Prime Videoで配信が終わりそうな『ブラインドスポッティング』を見る。まぁWOWOWオンデマンドでの配信がまだ残っていたのでそんなに慌てることもなかったということに後から気づいたのですが。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E4を見る。そこまで見て娘の寝相を気にしながらごろごろしてしたらまた寝てしまった。
■2021/5/21 金曜日。午前中は長めのミーティング。雨だけどお昼にコンビニまで買い物。テレビ体操もまだ続いているので、テレビ体操と買い物兼散歩でなんとか体を動かしていきたい。午後もいろいろと忙しかった。がしかし今日は娘と一緒に寝落ちせず。いろいろ見るべきものがあるのに古畑VSイチローの再放送をまず見てしまった。面白かった。Netflix『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』を見る。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E9を見る。
■2021/5/22 土曜日。娘を習い事に送ったあと渋谷へ。久々のタコベルを食べてからユーロスペースへ。正しくはユーロライブか。『茜色に焼かれる』鑑賞。キンザザのイシガミさんもコメント書いているとのことでパンフもしっかり買いましたよ。吉祥寺に寄って「さとう」のコロッケ買ってから娘を迎えに行って帰宅。娘の夕食準備したり風呂に入れたりしつつDAZNでFC東京×ガンバ戦を見る。ディエゴ―ル!連勝だ。夜はYouTubeの「9時ゆる」、そして『海辺の彼女たち』のオンラインPARTYにZoom参加。3人の女優陣がベトナムから参加してくれて楽しかった。古畑の『ラスト・ダンス』再放送を見る。U-NEXT『バリー』S1E5を見る。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E5を見る。Prime Video『地下鉄道~自由への旅路~』S1E3を見る。
■2021/5/23 日曜日。娘の矯正歯科へ。インビザラインというマウスピース型矯正をやっているのですが順調なようで何よりです。時間がかかりそうだったのでブランチと云えるような時間だったけどマクドナルドに行ってから矯正歯科に行って本当に良かった。腹が減ると娘の機嫌が悪くなるので辛いのだ。帰宅して娘に英語の勉強やらせたり。天気が良いので近所の図書館まで歩いていって娘の本も借りてくる。BS録画『名探偵ポワロ』E54を見る。エリオット・グールドがゲスト回。映画も何か見たかったが、1本を見終わることができず。夜、寝る準備をしてからP.O.Pの配信ワンマンを見る。20時から1時間ちょいという設定が絶妙で、娘も一緒に見ることができた。やったぜ!満足してそのまま娘と寝落ちしてしまった。まぁいいや。
■2021/5/24 月曜日。朝まで寝てしまった。10時間ぐらい寝てしまったのではないだろうか。どう考えても体調がよくない。精神的なものでしょうか。ひっそりと誕生日であります。44歳。BGMはもちろん『44 YEARS OLD』tha BOSS Feat. YOU THE ROCK☆です。札幌のゆみさんがDMをくれた。誕生日を覚えていてくれる人がいるのは嬉しいことです。サンクス・シアターを利用して『ジョギング渡り鳥』を見る。
■2021/5/25 火曜日。午後半休を取るので午前中から忙しく仕事。義母が今日から数日泊まってくれる。午後は予約していた病院に行く。さらに立川警察署へ行き運転免許の更新。これでまた5年は大丈夫だ。帰りにマクドナルドでおやつを食べていたら村山章さんのTwitter Spaceがはじまる。今夜やるハル・ハートリー話に向けてSpaceのテストということでいろいろ試すのを手伝う。Clubhouseより使い勝手が悪いところが多いけど、やはりアンドロイドユーザーが参加できるというのが大きい。帰宅して夕飯後にケーキを食べる。昨日が僕の誕生日で、今日が義母の誕生日。合同の誕生日ケーキであります。夜、村山章さんがのハル・ハートリー話をSpaceで聴く。かなりマニアックな話もあったけど面白かった。ハル・ハートリー作品、未見が多いので見ないとな。U-NEXT『バリー』S1E6を見る。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E6を見る。U-NEXT『ヘンリー・フール』を見る。
■2021/5/26 水曜日。早朝からU-NEXTで『ストップ・メイキング・センス』を見る。朝から娘の機嫌が悪くて大変である。仕事のモチベーションも下がる。けんす君が作画担当した漫画『親父が河童だった件』を読む。すぐにけんす君に一言感想をDM。次回の音声配信収録ではぜひ告知を入れてもらおう。連勝していたFC東京はなぜか清水に3-0で完敗。残念すぎる。僕モテメルマガ、入江監督の連載が『海辺の彼女たち』、熱い。夜、娘が寝てからU-NEXTで『ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット』を見はじめる。途中で珈琲をいれていたらTwitter Spaceで杉田協士監督と女優の名児耶ゆりさんが映画『スポットライト』について話す回が。面白そうだったので聴いていたら、名児耶さんがどうもSpaceから落ちてしまう。そしてなぜか代わりに僕が聴き手としてスピーカーに呼ばれてしまった。『スポットライト』は好きな映画だけど、公開時以来見ていないのでさすがに細かいところまで思い出せない。うまい返しとかできなくて申し訳なかったです。でも杉田監督の新作についての情報もちょっと聞けたし話せて光栄でした。終わり際に杉田監督が「チートイツさんにもよろしく」と。おそるべしチートイツさん。『ザック・スナイダーカット』は1時間を残すところまで見たけど翌日に持ち越しだ。
■2021/5/27 木曜日。あいにくの雨。仕事忙しい。夜はMCTOSの開催でしたが、義母が泊まりにきているのでいつもの娘の部屋が使えず。家の事情によって参加できないという。残念。なので京浜ネバーランドを聴いたり、藤元監督の監督ラジオを聴いたり、昨夜途中までとなってしまった『ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット』を最後まで見たり。
■2021/5/28 金曜日。朝から八王子の病院に通院。血液検査してとくに問題なし。僕は2年前に左腕をがっつり手術しているので、コロナのワクチンをうつ時になったら左で大丈夫なのだろうか?と思っていたので主治医の先生に一応確認、大丈夫とのことだった。こちらの病院、クレジットカード登録&後払いになったので帰りがめちゃ早い。なんと11時前に帰宅できたので午前半休をキャンセル。11時から自宅で働きはじめ、休暇を使うことなく通院できてしまった。ありがたいぞ。夜は日本代表の試合を見る。U-NEXT『レイズド・バイ・ウルブス / 神なき惑星』S1E10を見る。これでS1完走。最後になんか怖いやつ出てきたな。WOWOWオンデマンド『下女』を見る。
■2021/5/29 土曜日。午前中に映画1本観れる時間があったので迷わずキノシネマ立川へ。『アメリカン・ユートピア』鑑賞。満足。一福でうどん食べてから帰宅。午後は娘に勉強やらせたり、ゲームで遊んだり、娘の本を図書館に借りに行ったり。夜はMCTGM『ウーマン・オン・ザ・ウィンドウ』回に参加。OSに参加できなかったけどこちらには参加できて良かった。YouTubeの「9時ゆる」はMCTGMと時間がかぶったのでアーカイブで見る。U-NEXT『バリー』S1E6を見る。Netflix『マイ・インターン』を見る。
■2021/5/30 日曜日。午前中から娘と実家へ。お昼はスシロー。食べすぎたー。午後はDAZNでFC東京戦を見たりして実家でのんびり。娘は英検の勉強をやりつつ遊んだり。夜はche bunbunさんのTwitter Spaceを聴く。『アメリカン・ユートピア』の話、勉強になりました。Netflix『ラブ、デス&ロボット』S2E7とE8を見る。これで完走。U-NEXT『バリー』S1E8を見る。これでS1完走、このままS2に突入だ。U-NEXT『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』を見る。実は初見。僕モテPodcastの『ネブラスカ』回を聴きながら寝る。僕がメルマガ読者にもなっていなかった頃のPodcast。これ聴いていてわかったけど、僕が『ネブラスカ』を観てなかったのは公開時期にアメリカ出張に行っていて、帰ってきてから体調を崩し、大きな病気だということがわかり、そのまま半年以上休職したからだ。あの時期か。
■2021/5/31 月曜日。Meetingと、その資料作りで忙しい。そして東京はシネコン再開がいよいよまもなく。僕モテの原稿がギリギリまで書けない予感。明日の夜には情報が出揃うだろうか。夜、娘が寝てから映画の1本でも見ようかな、と思ったら藤元監督がClubhouseで『僕の帰る場所』の話をしていたのでうっかり聴いてしまい、スピーカーでも入ってしまった。おそるべしClubhouse。こんな感じで直で映画監督とか映画ファンの人と話せるのはめちゃくちゃ楽しいですが。24時ぐらいまで、仕事の資料を作りながら。なんだか仕事が忙しくなってきた5月も終わり。
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ozawajun · 4 years
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仕事場で死にたかった・・
水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~川野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。 突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月10日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 に掲載の川野将一さん ラジオブロス「Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)」を無料公開させていただきます。  本原稿は、川野さんが永六輔氏の番組終了に伴って執筆し、死去の報道の前日に配信したものです。  是非、一人でも多くの人に読んでいただければと思っています。  (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん) 以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89  (2016年7月10日発行)より��部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』 -----------------------------------------------------------◇ Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ) ( 2015年9月28日〜2016年6月27日 毎週月曜 18:00〜19:30 放送 )
【訃報】「永六輔、ラジオ生放送中に大往生」     昨日午後7時20分過ぎ、TBSラジオ『六輔七転八倒九十分』の生放送中に     パーソナリティの永六輔氏(本名・永孝雄)が東京都港区赤坂のTBSのスタジオで     亡くなった。先週までの1か月間は体調を崩し番組を休んでいたが、昨日は病院の     診察を受けてから娘の永麻理さんとともに参加した。しかし、番組後半のコーナー     「六輔交遊録 ご隠居長屋」で永氏の反応が全くないことに出演者のはぶ三太郎が気付き、  一同が呼びかけ救急医も駆け付けたがそのまま息を引き取った。永氏の最後の言葉は、     外山惠理アナウンサーに対して言い間違えた「長峰さん」だった。享年83。 
本人が望んでいた最期とは、例えばこんな感じだったのだろうか。 1994年出版、200万部を売り上げたベストセラー『大往生』の最後に自分への弔辞を書き、 1969年放送の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)では旅先のニューギニアから 帰国できなくなったアクシデントを逆手に、"永六輔、ニューギニアで人喰い人種に喰われる!" という番組を放送し、各メディアが巻き込まれた騒動の大きさから警察にも怒られた。
これまで度々、自らの「死」をネタにしてきた偉大なるラジオの巨人ではあるが、 冷静に考えれば生放送中に亡くなることは、机の下のキックやマイクで殴ることよりも悪質である。 しかし、冠番組を失った今、その有り難いいやがらせを受けるチャンスもなくなった。
1967年から2013年まで、平日の10分間、46年間続いた『永六輔の誰かとどこかで』。 1970年から1975年まで、毎週土曜日6時間半放送された『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』。 1991年から2015年まで、24年半続いた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 さらに1969年から1971年の間の土曜深夜は『パック・イン・ミュージック』も担当し、 1964年から2008年放送の『全国こども電話相談室』では回答者としても活躍。 子供に向け、若者に向け、高齢者に向け、ある時期のTBSラジオとは「永六輔」のことだった。 重要なポイントは生放送の番組はすべて週末に固めていたことである。
「放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。  電波の飛んでゆく先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだ」
ラジオパーソナリティの仕事を始めた時、恩師の民俗学者・宮本常一に言われたことをずっと守り、 平日は全国各地へ。1年のうち200日は旅の空。久しぶりに家に帰ると「いらっしゃいませ」と 迎えられるのが常だった。1970年から始まって今も続く、永とは公私ともに長い付き合いである 『話の特集』元編集長の矢崎泰久が初代プロデューサーを務め、自身がテーマソングを作詞した 紀行テレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)もそのスピリッツを受け継いだものだった。 いつも、自分で足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことが、その口から伝えられてきた。
だからこそ、かつてのように自らの足で自由に出かけられなくなったとき、 自らの口からはっきりとした言葉で伝えられなくなったとき、激しく悔やんだ。 2010年、パーキンソン病が確認された永は「ラジオを辞める」ことを考えた。 だが、ラジオ界の盟友である小沢昭一に相談すると、激しく鼓舞された。
小沢「やめんな!絶対やめんな!しゃべらなくていい!ラジオのスタジオにいればいいんだ!」
病とともに生きる永が自分を奮い立たせる意味も込めて度々披露するエピソード。 改めて、放送とはその場の"空気"を伝えること=「ON AIR」であることを再確認した。
2015年9月26日、 永はリハビリと闘いながら、放送局は聴き取りにくいという一部リスナーの批判とも闘いながら 24年半続けてきた番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が最終回を迎えた。 永の口から語られたのは、出かけた旅先と思い出と、出かけられなかった悔しさだった。
永「東北の地震で未だふるさとに帰れない人が多い。   デモには僕の仲間もいっぱい歩いてるんで気にはなっていた。   だけど、車椅子でああいうところに行くとものすごく迷惑になる。皆が気を使ってしまう」
1960年、日米安保条約に対して、永は大江健三郎や谷川俊太郎など、 同世代の作家や芸術家たちと「若い日本の会」を結成し反対運動をおこしていた。 当時、国会議事堂近くにアパートを借り部屋でテレビの台本を書いていた永は、 「部屋にこもって仕事をしている場合か」と国会前に駆け付け仲間達のデモに合流した。 台本がなかなか届かず待っていたテレビ局の担当者は、さては?と国会前に探しに来た。 見つかった永は「安保と番組、どっちが大事なんだ!」と問われ「安保です」と即答し、 構成を担当していた日本テレビの番組『光子の窓』(日テレ系)をクビになった。  
2016年4月〜6月に放送された、黒柳徹子の自伝エッセーを原作としたNHK総合ドラマ 『トットてれび』。そのなかで角刈り姿の若き永六輔を演じたのが新井浩文だった。 1961年〜1966年に放送されたNHK初期のバラエティの代表作『夢であいましょう』を再現した シーンにおいて、錦戸亮演じる坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うや、永は怒号を飛ばした。
「なんだその歌い方は!ふざけてるのか君は!  ♪フヘフォムウイテ アルコフホウ〜、そんな歌詞書いた覚えないよ!」
永六輔が作詞し、中村八大が作曲し、坂本九が歌う。 「六八九トリオ」によって誕生し、同番組では「SUKIYAKI」のタイトルで広まったとおり、 すき焼きを食べながら進行する特集も組まれた、世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」。 だが、そのロカビリー少年の歌い方は、千鳥風にいうと"クセがすごい"もので、 当時、作詞した永が頭に来ていたのも事実だった。
永「僕ね、自慢じゃないけど、テレビのレギュラーで番組が終了になるまで続いたのは、   『夢で逢いましょう』くらいなんです。それ以外はだいたいケンカして辞めている」
『創』2009年5月号の矢崎泰久との「ぢぢ放談」で披露された永の"自慢話"。 1956年、コント・シナリオの制作集団「冗談工房」の同じメンバーで、 2015年12月9日に亡くなるまで、永のラジオ番組に手紙を送り続けた野坂昭如。 パーティーでの大島渚との大立ち回り動画でもよく知られるそのケンカっぱやさは、 実は永六輔も持ち合わせ、2013年6月の『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)での 水道橋博士にも受け継がれている、生放送での途中降板も常習となっていた。
1968年、木島則夫の後を引き継ぎ『モーニングショー』(テレ朝系)の司会に抜擢された 永は「僕は旅するのが好きだから」と急遽司会を断り全国を駆け巡るレポーターに変更。 番組第1回は北海道の中継先からオープニグの第一声を任されていたが、アクシデントで番組は スタジオから開始。ずっと雪の中で待っていた永はそのままマイクを放り投げて帰ってしまった。
1994年放送の『こんにちは2時』(テレ朝系)。 自身の著書『大往生』の宣伝はしないと取り決め出演オファーを受けたものの、 当日の新聞番組欄には「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。 文句を言ったところ、冒頭で新聞に掲載されていた内容と異なることを説明するとして 出演したが、結局断りがないまま進行し「皆さんでやってください」と退場した。
「今行けば自分が先頭に立てる」と思い夢を持って始めた開局当時からのテレビの仕事。 構成作家として台本を書き、出演者としてしゃべりまくり、小説家の"シバレン"こと 柴田錬三郎から「テレビの寄生虫」と呼ばれながらも「何が悪い」と続けていたが、 我がままに嫌われるような行為を連発し、自ら発展の基礎を作ったテレビ界を撤退した。 以降、たまに出る度「テレビに出られて良かったですね」と言われることをネタにしている。
度々本人の口から語られるテレビ界の問題として「関わる人が多すぎる」ことがある。 責任の所在がはっきりせず、企画の趣旨がねじまがり、連絡ミスなども誘発しやすい。 裏方と出役の両方を体験する永の意見は現在においても的確で、優れているとされる 人気番組は、内容はもちろんだが、その目に見えない部分の環境の良さを聞くことも多い。
パーキンソン病の先輩、マイケル・J・フォックスが主演する、 1989年公開映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。 そこで描かれた未来の舞台、2015年10月、 日本では永遠に続くと思われたラジオの未来が書き換えられた。
土曜日午前の4時間半の番組から、月曜日夕方1時間半の番組へ。 四半世紀続いた長寿番組の重荷を降ろし、2015年9月28日から新番組がスタートした。 47歳の永がタモリとともに『ばらえてぃ テレビファソラシド』(NHK総合)に出演していた頃、 1981年9月11日、東京・渋谷ジャンジャンで行われたときのイベント名は、 『六輔七転八倒九時間しゃべりっぱなし』だったが、ラジオ新番組のタイトルは 『六輔七転八倒九十分』。それでももちろん"しゃべりっぱなし"というわけにはいかない。
「パーキンソン病のキーパーソン」。 永は自身の病気の回復力について語る時、いつもそのように笑いを交えて伝えている。 それが議論の的になっているのは新番組が始まってからも変わらなかった。 『誰かとどこかで』で「七円の唄」というリスナー投稿コーナーが設けられていたように、 ハガキ1通7円の時代から始まった永六輔のラジオ番組の歴史。 今は52円となったハガキで、時にパーソナリティへの抗議が寄せられるのが切ない。
「病気の話を笑いながらしないで」「病気を楽しそうに話さないで下さい」...。 番組はいろんな病気を抱えている人が聴いている。だが、それを��得しながらも、 「楽しくしちゃったほうがいい、どうせ話をするなら」という姿勢を永は貫いている。 事実、永六輔には「すべらない"病気の"話」が多すぎる。その特選2話。
第1話「ジャカルタの留学生」。 リハビリの勉強のため日本に来ていたインドネシア・ジャカルタの留学生。 永の担当に付いた彼は「姿勢を良くして下を見ないで歩きましょう」と歩き方を指導し、 「日本にはいい歌があります。『上を向いて歩こう』って知っていますか?」と聞いた。 永が嘘をついて「知らない」と返すと、歌うジャカルタの留学生に付いて病院内を歩くことになり、 全ての医者や患者から注目を浴びることに。日本の先生に事態を説明すると、 「真面目に勉強をしに来ている若者に嘘を付かないでください」と注意され、 留学生に実は歌を知っていたことを打ち明け、「知っているのは僕は作ったからです」と言うと、 ジャカルタの留学生は、「あー、また嘘ついてる!」。
第2話「タクシーの事故」。 ある日、永が新宿からタクシーに乗ると別にタクシーに衝突される事故を起こす。 左肩打撲など全治三週間の大怪我を負いながらも、事故直後の警察からの質問に、 名前も住所もサラリと答える永六輔。救急車に乗っても救急隊員の真似をして「出発!」と言い、 慶応病院に受け入れを断られると、「こないだ、大学野球で早稲田が慶応に勝っちゃったから?」 とおどけまくる。そこで冷静になって気づいたのが、自分がパーキンソン病の患者であること。 それまでろれつが回らなくて困っていたのに、事故を受けてから流暢にしゃべっている自分。 そこから子供のころ、調子が悪いとき刺激を与え感度を良くしようとして、 それをひっぱたいていたことを思い出した。「俺はラジオかよ!」。
『六輔七転八倒九十分』になって放送時間は短くなったが "放送時刻"が夕方になったことにより「声が出やすい」という吉を招いた。 だが、本人の"調子の良さ"と"呂律の良さ"が比例しないのがパーキンソン病の やっかいなところで、本人がうまく話せていると思っていてもそうではない時がある。
永「僕は今、携帯を左手に持ちました」  「はい、今、下から上へ、フタを開けました。で?」
家族の安心、自身の安全のために無理矢理持たされた携帯電話。 2012年、『誰かとどこかで』で話題となった、遠藤泰子が特別講師を務めた、 79歳で挑戦する「世界一やさしい携帯電話の掛け方講座」シリーズ。 手紙を愛する永の文明・文化の進化に対する嫌悪はよく知られているが、 テクノロジーの発展のなかには、リスナーのために改善されたラジオの技術もある。
「永さん、声は技術でなんとかしますから大丈夫です」。 パーキンソン病を公表してからインタビューを受けた「東京人」2011年3月号で、 永六輔の「声」をオンエアしていくために検討されたスタッフとのやりとりを明かしている。 スタッフから知らされたその技術は、その場で発せられた声を5つに分割し、 その中で一番聴こえやすい音域だけを活かして、その他の聴こえづらい音域は消す。 アナログのレコードがデジタルのCDに変わるようなその提案を、永は丁重に断った。
永「その声は僕らしくない」  「だったら何言ってるかわかんなくていい」
何の言葉を言っているかではなく、その言葉をどのように伝えているのか。 ここに"活字"とは異なる、"音声"の「言葉」に対する永のこだわりがよくみえる。 それを象徴するような一曲がある。
「逢いたい」 作詞・永六輔、作曲・樋口雄右、編曲・久米由基
   逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい    逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 
   逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい    逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい            ・・・      
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で人気を博したコーナー 「あの人に逢いたい」で流されていた、ただ「逢いたい」という言葉が72回繰り返される曲。 同じ言葉がイントネーションによって変わり様々な物語を想像させるこの曲を、 言葉がひとつしか出てこないことを理由に、音楽著作権協会は「作詞」とは認めなかった。 2001年出版『永六輔の芸人と遊ぶ』のなかで永六輔は誓っている。 「話し言葉だから伝わるニュアンスが無視される危険性があります。  僕はそれを阻止するためにも、この『逢いたい』の著作権を認めさせてみようと思っています」。
永「ラジオは嘘を付けない」
永から直に聞いた、しゃべりで真実が見抜かれてしまうラジオの恐さを 常に肝にめいじマイクに向かっている芸人に、カンニング竹山がいる。 鈴木おさむが構成&演出を務める竹山の定期単独ライブ『放送禁止』。 その2013年版は「お金とは?」をテーマに、1年間365日、毎日違う1人に 「あなたの幸せと思う事に使ってください」と1万円を渡し続ける記録の講演だった。 その中で「1万円渡す時に最も緊張した人」の第1位に挙げていたのが永六輔だった。
1万円を渡すチャンスは『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 竹山がゲスト出演した時のCMタイム中の2分間に限られていた。 外山惠理は竹山とは当時放送されていた『ニュース探究ラジオ DIG』で コンビを組んでいるため、最悪フォローには回ってくれる。 だが、スタッフの懸念は、企画の趣旨を永が2分間で理解してくれるかにあった。 しかし、永六輔の反応はそこにいる全員の予想を裏切った。
永「あのねー、それ、おんなじこと、僕やってたよ。昭和30年代終わりか40年代かな。   1年お金配り続けたら面白いねーって言って、1000円配り続けた」
芸人の先輩として竹山の予想を出し抜き、 放送作家の先輩として鈴木おさむを陵駕する反応。 負けず嫌いなところを含めて、永六輔は現役感を剥きだしにして1万円を受け取った。 筆者が観覧した回、当の永六輔が東京・博品館劇場の観覧席にいた。 外山惠理の手を借りそろろそろりと退場していく様子を、観客一同が拝むように見送っていた。
   2016年1月31日『ピーコ シャンソン&トーク 我が心の歌』                 ゲスト:永六輔(体調がよろしければご出演)    2016年4月17日『松島トモ子コンサート』                 ゲスト:永六輔(当日の体調が良ければ出演予定)
いつの頃からか、演芸ライブの会場には、 永六輔の断り書き付きのゲスト出演を知らせるポスターやチラシが目立つようになった。 残念ながらピーコのライブへの永の出演は叶わなかったが、ピーコ自身は、 『土曜ワイド』から引き続き『六輔七転八倒九十分』にもヘビーローテーションで出演。 昨今メディアでよく見る白髪の永によく似合う赤やピンクの服はピーコのチョイスである。 そんな身だしなみも含め、2001年に"妻の大往生"を迎えて以降、永は自分が現場に足を運んで 才能を見出してきた全ての人々から、大きな励ましと恩返しを受けている。
永「髙田(文夫)さんは出来ないの?」
2015年11月9日、松村邦洋がゲスト出演した回、 リスナーからのものまねのリクエストに矢継ぎ早に応えていくなか、 永が唯一自分からリクエストをしたのが、しゃべる放送作家の後輩「髙田文夫」だった。
1947年10月スタートの連合国軍占領下の番組、 音楽バラエティ『日曜娯楽版』(NHKラジオ)にコント台本を投稿した、 中学3年生の永は、高校生から構成作家として制作スタッフとなり、 早稲田大学の学生となってからその中心的メンバーに。三木鶏郎にスカウトされ、 「トリローグループ」の一員となり放送作家、司会者として活動を活発化させていった。
1969年から1971年、『パック・イン・ミュージック』の土曜日を担当し、 時に2時間半かけて憲法全文を朗読するなど"攻め"の放送を行っていた永のもとに、 ネタを送り続け採用を重ねていたのが、日本大学芸術学部で落研所属の髙田文夫だった。 ある時意を決し、長文の手紙に「弟子にしてください」と書いて、永に送った髙田。 永からの返事は「私は弟子無し師匠無しでここまで来ました。友達ならなりましょう」。
その20年後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家を経て、 『ラジオビバリー昼ズ』などで活躍をしている髙田に、永は再び手紙を送る。 「今からでも遅くはありません。弟子になってください」。
そんなパーキンソンの持病と心肺停止の過去を持つ、幻の師匠と弟子は、 2014年1月と9月に『永六輔、髙田文夫 幻の師弟ふたり会 横を向いて歩こう』を開催。 TBSラジオとニッポン放送、両局のリスナーが押し寄せた、 東京・北沢タウンホールの最前列で観たそのトークイベントが、 今のところ筆者が肉眼で観て聴いた、永六輔の最後の記憶である。
それ以前にステージで観たのは、2014年3月21日、東京・赤坂BLITZで開催された、 「我が青春のパック・イン・ミュージック」への特別出演だった。 「当時はまだ"深夜"に"放送"が無いのが当たり前だったから、 "深夜放送"という言葉も日本語として存在しなかった」という発言は、 車椅子に座って語られるからこその歴史の重さと有難みを感じた。
白髪と頭皮が目立つ観客席で40代の筆者が若造になる、 『パック・イン・ミュージック』の歴代パーソナリティが集う同窓会イベント。 晴れやかなステージを見上げながら、観客はそこには立てなかった、他界したDJの顔も 思い浮かべていただろう。野沢那智、河島英五、福田一郎、愛川欽也、そして林美雄...。
1970年〜1974年に放送された『林美雄のパック・イン・ミュージック』。 柳澤健の近著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』にも 記されている通り、若者たちのカルチャー、アンダーグラウンド文化の担い手となった、 木曜日深夜3時からのその枠は、本来、同期入社のTBSアナウンサー・久米宏に任されていた。 だが、結核により久米は1か月で降板。病気を治して暇を持て余しているところを、 『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』のレポーターに抜擢され人気を獲得した。
"ゲラゲラポー"から"ケンポー"まで。 永の想いを受け継いだ「憲法ダンス」を考案したラッキィ池田の 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でのレポートの模範には、 マイクが集音する響きの良い革靴の音を研究し、ヌード撮影現場などの 過激な現場も土曜午後用の生の言葉で伝えてきた、久米宏の高い中継スキルがある。
以降、久米宏は、永が一線を画したテレビを主戦場にしたことが大変重要で、 2年半前、この連載の第1回で『久米宏 ラジオなんですけど』を取り上げたのは、 テレビから還った"ブーメラン・パーソナリティ"としてのラジオでの存在価値からだった。 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』の直後に始まる番組として、 東日本大震災時、リスナー1人ずつとリレーしながら「見上げてごらん夜の星を」を歌うなど、 毎週リレートークを行う永を敬いながらも刺激を与えてきた。
『六輔七転八倒九十分』でも体調不良から休むことが多くなった永六輔。 たまにスタジオに来たときにサプライズ扱いされることは逆に心苦しかっただろう。 日頃は永が来ないことに不満なリスナーも、久々の精一杯の声を聴いたら聴いたで、 「本当に大丈夫なんですか?」「どうぞ家でゆっくり休んでいてください」と心配にまわる。 その日のニュースや天候よりも、永の体調を確認することが生放送の趣旨になってしまっていた。
永も番組でその名前を挙げたことのある、同じパーキンソン病のモハメド・アリ。 その訃報が伝えられた1週間後、番組のXデーも永の所属事務所からの手紙により伝えられた。
「永六輔は昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、またその痛みは寝起きする時や  車椅子の乗り降りの際、つまり体を動かす時に特に強く現れていました。(中略)  永六輔本人はリスナーの皆様にまた声をお届けしたいと思っており、日々努力しておりますが、  パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどが  ついておりません。ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくらせて  いただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です」
返事を書かないのに「お便り待って���ます」とお願いするのはありえないと、 番組にお便りをくれたリスナーの一人一人に返事を書いていた永六輔。 そんな真摯な気持ちを持つパーソナリティだけに、自分が不在の冠番組の存在は 体の痛みを超えるほど、どれだけ心を痛めるものであっただろうか。
2016年6月27日放送、最終回のスタジオにも永六輔の姿はなかった。 長峰由紀は永から「書けない漢字、読めない漢字を使うな」と叱咤された思い出を話し、 永とは長い付き合いの精神科医で元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむは、 「くやしかったらもう一度出て来いよ!」と戦争を知らない世代の代表として激励した。 そして番組後半、最後の最後にテレビの収録を終えた黒柳徹子が駆け付けた。
2005年9月、『徹子の部屋』(テレ朝系)の収録にペ・ヨンジュンが来たとき、 ゲスト控え室の「ペ・ヨンジュン様 ○○個室」と書いてあるボードを見た徹子は、 「ここのスタジオにいることが分かったら大変!」と名前を「永六輔様」に書き換えた。
対して、永は『誰かとどこかで』の鉄板ネタとして黒柳のエピソードを持っている。 その昔、静岡に行った時、黒柳は駅から見えた綺麗な山を見て地元の人に 「ねえ、あの山、なんて言うんですの? ねえ!ねえ!」と聞いた。聞かれた女性は 本当に可哀想な人を見るような目付きでぼそっと答えたという。「・・・富士山です」。
通算40回。テレビを卒業した永も『徹子の部屋』だけは出続けている。 テレビ・ラジオの創世記から活躍する、そんな関係性の二人だからこそ、 ただ1人だけに向けられたエールを、リスナーも温かく見守ってくれる。
黒柳「永さーん、起きてるー! ラジオって言ったら、永さんしかいないのよー!!」
翌週、2016年7月4日から同枠で新番組が始まった。 『いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口』。 メインパーソナリティは先週まで永のパートナーとしてしゃべっていた、 毒蝮三太夫の弟子である、株式会社まむしプロ社長の、はぶ三太郎。 その相手役を長峰由紀と外山惠理が交代で出演する、信頼の顔ぶれである。
テーマ曲には永が作詞した「いい湯だな」が使用され、 「六輔語録」というコーナーがTBSに残された永の様々な時代の音源を流す。 もちろん、これが引き継いだ番組としての正しい在り方なのだろう。 だが僕は、思い切って「永六輔」を一旦完全に失くすことも望んでいた。 それが、後ろ盾をなくした自分で切り開くしかない新パーソナリティへの励みにもなり、 自分の声も名前も失われたラジオの存在こそが、永六輔の新しい始まりに繋がるからだ。
かつて『全国こども電話相談室』で小学2年生の女の子に、 「天国に行ったらどうなるんですか?」と聞かれ、永は答えた。 「天国っていいとこらしいよ。だって、行った人が帰ってこないもの」。 確かに晩年までマイクの前に座っていたラジオ界の神様たち、 小沢昭一も、秋山ちえ子も、かわいそうなぞうも天国から帰ってくる気配は来ない。 だからこそ、大往生を遂げる前に、永六輔にはやるべきことがある。
物心がついた子供の頃からラジオで様々な演芸に触れ、 中学時代に投稿し、高校時代から70年間ラジオ制作に関わってきた人間は、 初めてラジオから離れた人生を過ごす今、何を想い、何を感じ、何を考えるのか。 もう一度スタジオに来て、ブースに入り、マイクの前に座り、 それをスピーカーの向こうの、リスナー1人1人に伝える必要がある。
それまでゆっくり待たせてもらおう。 ただ情けないことに、リスナーの僕たちは それが叶っても叶わなくても、目からこぼれてしまうのだろう。 例え、上を向いて歩いても、きっと涙がこぼれてしまうのだろう。
『水道橋博士のメルマ旬報』
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shibaracu · 4 years
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★善と悪について
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★善と悪について 難しい問題。  人は日々 善と悪の心と戦っている。  今している事 考えている事  自信を持ち胸張って言える人は居ないと思う。  善行 悪行 この思想は仏教その他の周囲から入って来た尺度で考える事。  日本には元来 無かったのではないだろうか。  外へ出れば野山や海川に食べるものは豊富に有った土地柄。  済むのにも困らない。  人の数が増えれば色んな意見が出てくる。  正義は人の数ほど有る。  こうしたら良い ああしたら悪いの境目は厳密には決めかねる。  でも生きていく時は必ず何らかの決定をしなければならない。  戦争は善でテロは悪。  今はこういう公式が世界の常識になっている。  行為自体は非難の対象になるがソレを実行している人はそれなりに  自分の信念を持っている。  悪とされる行為は当事者の言い分を聞くと変に納得してしまう。  コレも日本人の心の現れかな。  善と悪 いつまでたっても交わることはない。  いろんな解釈の仕方がある。  哲学者 宗教家 一般市民  それぞれの立場で主張は異なる。  時々 何が善で 何が悪か 判断に苦しむことが多いコノ頃である。    ★善と悪について http://bit.ly/AAa6Kv 「何が良いことで、何が悪い事なのでしょうか?」これがそれに対する解答です。 ▲みなさんは善と悪について考えたことはありますか。善とは良いことであり、悪とは悪いことです。これは当たり前のことです。では、どんなことが善で、どんなことが悪なのでしょうか。 ▲答えは簡単です。「すべての人の幸福を実現するのが人類の目的」なのですから、その目的にかなっていることは良いことであり、逆に少しでも人を不幸にすることは悪いことなのです。   ★悪 - Wikipedia http://bit.ly/zJRcCH 悪(あく)とは、文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。
★善 - Wikipedia http://bit.ly/yVIWfn 善(ぜん、Goodness)は、道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。
★道徳(どうとく、英: morality)http://bit.ly/AnNzXs 道徳的規範や道徳性などのこと。倫理はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。モラルとも称される。
★倫理学(りんりがく)http://bit.ly/yOWlNo 倫理学(りんりがく、英: Ethics)あるいは道徳哲学(どうとくてつがく、英: Moral philosophy)とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。 法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。   ★善と悪 - いい言葉は、いい人生を作る  http://bit.ly/A0WmI1 ・悪とは弱さである。 ・最善の敵は善である。 ・正義とは勝者、悪は敗北者。 ・悪には悪の、正義がある。 ・無知は罪なり。無視は悪なり。 ・もともと、物事に善悪はない。人間のエゴで決まる。
★多神教の善と悪とは http://bit.ly/ycjjFk 多神教の善と悪とは. 我々は、かなり自然に「神」や「悪魔」と言う言葉を使う。 でも神とか 悪魔ってのは一体なんだ。 そんな疑問をふと抱いたのは、エジプト本にいきなり「悪魔」 という言葉が出てきたからだ。 (汗) 邪悪なものをさす言葉はあるけど、悪魔なんて単語は無いぞ。 思うに、悪魔というのは、神に対する敵意を持つとか、人を間違った道に導くとかで、存在してはいけないもののことではないのか。 神は善という存在だが、悪魔は存在自体が悪なのではないか…?   ★第四十回 <善と悪>の研究 http://igallery.sakura.ne.jp/iken40/iken40.html 1988年ロンドン、医師であり科���者であるヘンリー・ジキルは、「人間の善と悪の両極端の性格を分離できれば、人間のあらゆる悪を制御し、最終的には消し去ることが出来る」という仮説を立て、それを立証すべく7年前から研究に没頭していた。 ジキルは病院の理事会で人体実験の承諾を得ようとするが、理事たちは道徳無視、神に対する冒涜であると拒絶する。 ジキルの婚約者エマの父親であるダンヴァース卿のとりなしもむなしく、理事会はジキルの要請を却下した。 ジキルは親友の弁護士アターソンに怒りをぶつける。 理事会の連中はみんな偽善者だと。   ★人間の心に潜む「善と悪」 普通の人が どうやって怪物や英雄に変貌するか(日本語字幕付) http://karapaia.com/archives/51971193.html 2011/02/13  人間には「善と悪」という対極した2つの面が、「陰と陽」の関係のように刻み込まれている。  善良な人が悪人に変貌することはとても簡単で、また悪人が善良な人に変貌することも可能であるということを、アメリカの心理学者「フィリップ・ジンバルド」がわかりやすく説明してくれている映像が公開されていた。   ★カラパイアの歩き方 : カラパイア http://karapaia.com/archives/51249039.html みんな違ってみんないい  カラパイアは、「不思議と謎」をテーマに、宇宙規模の森羅万象を観察していくニュースバラエティサイトです。  自然界でも宇宙でも、そして人間社会でも、日々様々な分野で、それぞれの興味深いことが起きています。変化は必然であり止めることはできません。昨日までの真実が今日覆されることだってあるのです。  その瞬間を見守りながら、心に差し込んできた話題を、毎日楽しくご紹介できたらと思っています。   ★善悪判断科学で語れるか | 日経新聞連載・松沢哲郎「チンパンジーと博士の知の探検」第16回 https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/nikkei/16-2015-08-30.html 2015/08/30    京都大学霊長類研究所教授 松沢哲郎 京都東山の空気はしっとりと重く、夜の深まりとともに肌に冷気を感じた。日暮れて庭の緑は色を失い、裏山の森から木々の香りが漂ってきた。 6月最後の日曜日、法然院が開いた「夜の森の教室」で話をした。さまざまな分野の研究者が、研究や社会とのかかわりについて講演する。13年前に始まったときに第1回を担当し、以来毎年1回、チンパンジー研究の成果を話してきた。   ★善悪判断における直感の役割に関する予備的研究 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/2EVB02.pdf 寺井朋子 (武庫川女子大学教育研究所) キーワード:直感、善悪判断、中学生 目 的. 従来の心理学における道徳性研究では、道徳的な善悪判断時の意図と結果や、判断に至る理由づけ等、言語化されやすい論理的な側面に注目されてきた。 しかし、「理由は分からないが判断はできる」という直感に基づく判断もありうることが示唆されている(Haidt, 2001)。ここでは、道徳的な判 断時における直感の役割を検討する基礎的研究として、論理力と直感力の程度を測定する質問紙を作成し、論理と直感という二つの力の程度が善悪判断とどのように関連している のかを検討する。   ★善悪の区別 | 臥竜塾 https://00m.in/xi0Tr 2015/10/08 ブルームらの研究から、赤ちゃんは、良い行いと悪い行いを、 だいたい理解していると言えることがわかりました。 しかし、赤ちゃんの反応には、大人の道徳的判断と同じ、 ある重大な特性があるようです。 赤ちゃんは、自分自身に影響しない行為についても、 公平な判断を下すことができるのです。 それは、大人が、良いとか悪いと評するであろう行為に対する判断です。 実際、まったく同じ劇を幼児に見せて、 「親切な子どもは誰?よい子は誰?」 「意地悪な子は誰?悪い子は誰?」と尋ねると、大人が考えるように、 助ける者を親切な子、邪魔する者を意地悪な子と答えたそうです。   ★科学で迫る「善」と「悪」 鍵となる「共感」の能力|ナショジオ https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25978330S8A120C1000000/ 2018/01/31 殺人や性的暴行、誘拐や拷問といったおぞましい行動を取る人間がいる。 2017年10月には、米国ネバダ州ラスベガスで開かれたコンサートの会場で銃乱射事件が起きた。 死者は58人、負傷者は546人にのぼる極めて異常な事件だったが、似たような事件はしばしば発生し、私たちに暗い現実を突きつける。 私たちは、自己犠牲的な行為や寛大さといった崇高な性質を「善」、それとは正反対の自己中心性や暴力、破壊衝動などを「悪」と認識している。人を善行、あるいは悪行に駆り立てるものは何なのか。 米国では脳科学を通じた研究も進められている。   ★6か月の赤ちゃんでも物事の善悪が分かる? 米大学研究者らが検証。. https://www.narinari.com/Nd/20100513530.html 2010/05/11 赤ちゃんは6か月の時点でも、物事の善悪を理解している――。そんな研究結果を米エール大学の研究者らが発表した。赤ちゃん自身がまだ言葉を話せないだけでなく、その頃を振り返っても鮮明な記憶が残っているという大人がほとんどいない中、なぜそのような結論を導くことができたのだろうか。   ★人間は生まれながらにして”善”が備わっている。その根拠となる10の科学的研究結果 http://karapaia.com/archives/52172320.html 2014/09/06  昔から世界中には紛争や犯罪といった不協和音が鳴り続いている。今尚それは鳴りやむことがない。人間の心に潜む闇や理不尽な側面は、科学の力により暴かれつつあるが、逆に、人間が潜在的に持つ”善”も明らかになりつつある。  ここでは人間に備わった良心に関する10の研究結果を見てみることにしよう。やはり人間は生まれながらにして善悪の両方が備わっているようだ。   ★丘浅次郎  動物界における善と悪 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001474/files/57424_61243.html  善とは何か、悪とは何か、善はなにゆえになすべきか、悪はなにゆえになすべからざるか等の問題は、すでに二千何百年も前のギリシア時代から今日にいたるまで、大勢の人々の論じたところであるが、昔の賢人の説いたところも、今の学者の論ずるところも、みな万物の霊たる人間についてのことばかりで、他の動物一般に関したことはほとんど皆無のようであるから、この点について日ごろ心に浮かんだことを試みに短くここに述べてみよう。  動物には単独の生活をなすものと、団体を造って生活するものとあるが、全く単独の生活をなす動物の行為は、善悪の二字をもって批評すべき限りでない。世人は狼が羊を捕えて噛み殺すのを見れば、羊の苦しみを憐れむ心から狼の所行を悪と名づけたく感ずるが、これは罪なき他人を害する人間を悪人と呼ぶのから連想したことで、単に狼のみについて言えば、その羊を食うのはあたかも人間が飯を食うのと同じく、ただ生活に必要なことをするというだけで、善とも名づけられねば、また悪とも名づけられぬ。かかる動物では各自の行為の結果は、ただその個体自身に影響をおよぼすだけで、成功しても他に利益を与えることもなく、失敗しても他に迷惑をかけるでもなく、強ければ栄え、弱ければ滅び、たれの恩をこうむることもなく、たれの巻き添えに遇うこともない。それゆえ、かりに身をこの境遇において想像してみると、善悪という文字は全くその意味を失ってしまう。   ★善と悪の違いは? 仏教 浄土真宗 https://youtu.be/VZbsvcrboPw 煩悩は合計で108あります。その108の中に代表するのは欲、怒り、愚痴があります。欲、怒り、愚痴の他に105の煩悩があります。 欲は合計で五つあります。食欲、財欲、色欲、睡眠欲、名誉欲がそれです。安らかに在りたい、という気持ちはおそらく睡眠欲になります。 なぜ煩悩は悪になるのか。そして善とは何か。私の仏教の先生である高森顕徹はこのように教えています。 「自分さえよければ、他人はどうでもよい、という考え方を、仏教では我利々々亡者といって、地獄ゆきだと教える。」 仏教では悪のこと我利我利亡者と言います。自分さえよければ、他人はどうでもよいという考え方。 そして 「光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし己れも生きる、自利利他の大道を進まなければならない。」 仏教では善のことを自利利他と言います。相手を幸せにしたい心。 「私の死によって、一人でも真実の仏法を知り、真実の幸福に救われるならば、これにすぎたる本望はございません。」 これはフルナ尊者の言葉。フルナ尊者は釈尊の弟子の一人。 ここではフルナ尊者は、相手を幸せにするため、自分は死んでもいいという勇気を現している。 勇気とは何か。高森先生はこのように教えています。 「誰でも元来、偉人となるチャンスや才能は恵まれているのだ。 ただ、それを発揮するか否かは、その人が安全を犠牲にしても、信念を貫くかどうかにかかっている。  古人はこれを勇気と言ったが、危険を怖れざる心と言いたい。 生命の恐怖心を克服することである。」 勇気とは危険を恐れざる心である。生命の恐怖心を克服する心である。死を恐れざる心である。 これが善悪の違いになります。 悪とは我利我利亡者のことで自分さえよければいい、他人はどうでもいいという考え方。他人を殺してでも自分の命を守りたい、死にたくない、毎日が恐怖、不安、という卑怯者の世界。この卑怯者の世界を地獄といいます。 善とは自利利他のことで相手を幸せにすれば自分も幸せになれる。相手を幸せにするならば自分は死んでもいいという勇気の世界。この勇気の世界を仏の世界であり、極楽浄土と言います。   ★【3分間仏道】善と悪【楽に生きるヒント】 https://youtu.be/o42tLsJ-9FA 【ルール】 ・動画時間は3分以内にする ・動画を見る順番は関係なく、単発で見てもOKにする 【補足】 ・原始仏教(初期仏教)を元にしています。 ・八正道の正業、正語、正思惟、正命を具体的にご紹介するものです。   ★仏道入門【原始仏教】http://bit.ly/wrpS1X 原始仏教は宗教ではありません。  釈迦は神の存在は認めていません。  ~~如来、~~仏というのは釈迦が亡くなった後、  バラモン教、ヒンドゥー教、道教、儒教などの影響を受けて  後から作られたものです。  現在の日本の仏教とは全く別物だと考えて下さい。   ★善と悪・動機と結果・良心と神 - 不合理ゆえに我信ず - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/forest1957/e/040bc6ba5df73e5e50667fd10e091443 きすぎじねんさんに「人間にとって自由とは何か」に対するコメントをいただきました。今日は、これを元に私の考えを書かせていただこうと思います。(きすぎじねんさん、お許しください。) 私は善と悪の定義を、けっこう簡単に考えています。 (A)人の命や心を助けたり守ったり元気づけたりすること。 (B)人の命や心を無視したり傷つけたり抹殺したりすること。
(A)が善で(B)が悪です。   ★人類創成から始まる:善と悪の闘い http://bewithgods.com/hope/ 庶民のつぶやきだから、人の意見には馬耳東風、唯我独尊にはご容赦を (*^ー゜)v ⇒[マッカーサ証言][中国:民族絶滅の危機][捏造 南京大虐殺][真実の沖縄] ⇒[慰安婦強制連行はなかった][戦後補償問題][慰安婦基金][日韓併合百年] ⇒ [朝鮮学校教科書問題][北朝拉致問題][尖閣を守れ!][外国人参政権] ⇒ [世界が裁く東京裁判][GHQが強制した教育基本法][国旗国歌と教育勅語] ⇒[サッチャー教育改革][米国教育改革][ブッシュ大統領の靖国参拝] ⇒[財務省が日本を滅ぼす][自治労の正体][マスコミ岩盤規制][財務省の岩盤規制]   ★第6話 善とは何か?悪とは何か? #平和 #戦争 #心理学 #哲学 ... https://kakuyomu.jp/works/1177354054881067746/episodes/1177354054881150629 善とは何か?悪とは何か? 古来より、善悪論は数多く行なわれてきた。 多種多様な善悪論があり、それぞれに参考になる点がある。それらを踏まえた上で、筆者の考えを記そうと思う。 善や悪といった事は、具体的な行動やエピソードと共に説明される事が多い。 しかし、善悪の意味の境とは何かという議論は、なかなか難しいものだ。   そこで、次の様な例え話を使って考えて見る。 良い行いの例として 1、 本当の事を話し、嘘を言わない。 2、 人に施す、盗まない。 3、 人助けをする。 悪い行いの例として 1、 嘘を付き、本当の事を言わない。 2、 人に施さず、人の物を盗む。 3、 人を殺す。 仮に、これらの事を、全ての人が同時に行なった場合、世界がどうなるのか、と考えてみよう。 良い行いの例として 世界中全ての人が同時に、本当の事を話し、嘘を言わないと、世界はどうなるだろうか?   ★善悪の起源  http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/029zenaku.htm 私たちの世界にはなぜ、善と悪、 命と死、幸福と不幸が同居しているのか   ◆ぜんあく 【善悪】  世界宗教用語大事典 かつて宗教を自然的宗教と倫理的宗教とに分ける説があり、倫理的宗教は、廃悪修善説の仏教や、山上の垂訓を示すキリスト教などがそれだとされた。確かに宗教の教義の中には、倫理・道徳を強く説くものもあるが、しかし、宗教の名のもとに大量殺人(戦争)が行われることもあるから、宗教と倫理の問題は同一次元とは言い切れない面をもつ。だが現今では善悪という場合、その概念は、だれでもある程度経験によって直観的に判断されると見てよいのであって、その標準思弁などよりは、行為論によって明瞭なものをもつ。仏教や旧約聖書に説く十戒は、その代表的なものといってよいであろう。そこでは少なくとも、他者への迷惑行為が悪であるとの意味が示唆されているのであり、その反対が善となる。→ 十戒   ◆ぜん あく【善悪】 〔連声(れんじよう)して「ぜんなく」「ぜんまく」とも〕 一( 名 ) 善と悪。また、善人と悪人。よしあし。 「 -をわきまえる」 二( 副 ) よきにつけ、あしきにつけ。どうあろうとも。是非とも。 「さては-為義まづ命を捨て/保元 中」 [句項目] 善悪の報いは影の形に随うが如し   ◆勧善懲悪(かんぜんちょうあく) https://ameblo.jp/shibaracu/entry-11169016458.html?newwindow=true 「善行を勧め励まし、悪事を懲らしめること。」が意味になる。 言葉としての意味は凄く良い。 でも総てにこの意味を持たせた組織が出来たら怖いことになる。 イスラムには この言葉が現実に使われて取り締まる組織まであるという。 理念としては日本では江戸時代からが始まり。 現在の日本では 水戸黄門漫遊記にしろ、大岡越前にしろ、遠山金四郎にしろ、 悪党は、最初から決まっていてそれを主人公がやっつける。 こんな感じで扱われる事が多い。 現実は違うとある程度の年齢に達すると思い始める。 だから、今では、勧善懲悪は、少年少女の物語だと思われている。 知らない事が余りにも多い。   ◆勧善懲悪 - 学校では教えられない現代社会(諒真) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054882211066/episodes/1177354054882708224 前回の稿は水戸黄門を「悪役側」から見た悲劇です。 これを授業では写真や絵を使って物語として話していたのですが、 昨年こんな広告がSNSで拡散され話題を呼びました。 「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀作品賞とった 「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」 と鬼の子どもが呟いている絵です。 これもまさに「悪役側」からみた悲劇ですよね。 こ���を一枚の絵と数行のセリフにまとめたこのセンスは素晴らしいと思いました。 しかし、私たちは「勧善懲悪」がやっぱり好きなんですよね。 そして、一方を徹底的に悪に描くことで善を際立たせていくわけです。   ◆勧善懲悪 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/勧善懲悪 勧善懲悪(かんぜんちょうあく) 「善を勧め、悪を懲らしめる」ことを主題とする物語の類型の一つ。 勧懲(かんちょう)とも略す。   ◆図書カード:勧善懲悪 - 青空文庫  織田作之助 https://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/46171_23899.html      一  ざまあ見ろ。  可哀相に到頭落ちぶれてしまったね。報いが来たんだよ。良い気味だ。  この寒空に縮の単衣をそれも念入りに二枚も着込んで、……二円貸してくれ。見れば、お前じゃないか。……声まで顫えて、なるほど一枚ではさぞ寒かろうと、おれも月���みに同情したが、しかし、同じ顫えるなら、単衣の二枚重ねなどという余り聴いたことのないおかしげな真似は、よしたらどうだ。……それに、二円貸せとは、あれは一体なんだ? 同じことなら、二千円貸せ……と、大きく出るんだね。だいいち、その方がお前らしいよ。  もともとヤマコで売っていたお前の、そんな惨めな姿を見ては、いかな此のおれだって、涙のひとつも……いや、出なんだ。出るもんか。……随分落ちぶれたもんですね、川那子さん、ざまあ見ろ。ああ、良い気味だ……と、嗤ってやった。驚きもしなんだ。なに、驚くもんか。判っていたんだ。こう成るとは、ちゃんと見通していたのだ。   ◆山子(読み)ヤマコ    さんし    デジタル大辞泉の解説 1 《「やまご」とも》きこりなど山で働く人。 2 山中に住む妖怪。山の精気の凝ったもの、また、猿の年を経たものという。〈和名抄〉
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fujimoto-h · 6 years
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2017年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
 2017年もいよいよ終わる。今年は5月25日に母が63で亡くなるなどしたが、それ以前になにが起こったかまったく記憶にない。8時半(たまに11時)から21時やら23時やらまで働いたりしているせいだろうか。どうやら『ベルリン・アレクサンダー広場』のDVDboxや『サイタマノラッパー』ドラマ版のDVDboxを買ったまま一度も観ていないのは憶えている。  『文藝』のアンケート企画に「来たるべき作家」の一人として前の筆名で載っていたことも、春ぐらいのことかと思ったら7月だった。時期の記憶がだんだんいい加減になってくるのであった。  広島旅行やら島根旅行やら、あと『白鴉』30号を出して「アゴアク」という作品を載せ、先日ようやく同人誌評に取り上げられたが、褒められていない、というかそれ以前の問題。まあ、『白鴉』に載せた私の作品がこれまで全作品どこかしらで取り上げられつづけているという記録をまた更新できたのでこれでいいとする。そんなことよりもいま書いている作品が無事に仕上がることを祈る。  「アゴアク」についていただいた感想に、相変わらず主人公はどこまでも僻みっぽい、でもどことなく品位がある、というのがあったのを昨日思い出して、それはたぶん、私の描き出す主人公の、まわりの世界や世間に対するプロテストなのだろうなあ、などと考えたり。  あと、2017年の文学フリマ大阪に参加した『白鴉』では来年1月21日の文学フリマ京都と5月6日の文学フリマ東京へ参加することがすでに決定しております。両方とも言い出したのは私であり、私がいるのは確実です。
 読書関係だと内藤千珠子氏の著書がとても面白かったことや、長年の課題であったベケットがようやく読めるようになってきたこと、詩を読みはじめたことが大きい。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』もようやく読みはじめ、なんとか人間へ近づいていっている。来年早々に読んでしまって、長年の課題であるドゥルーズ『意味の論理学』に挑みたい。詩集であるていど稼いだ割に読了冊数73冊というのはどうかと思うが。冊数など関係ないと言われるだろうが、読みの浅い人間がせめて冊数がなければどうすればいいというのか。どうやら一般的に本をよく読むと言われている人物は年間300とか400とか読んでおられるらしいので、100にも満たない人間のベストなど不要だろう。  映画は毎年のことながら前半期になにを観ていたかすっかり忘れる。『アトミック・ブロンド』をもう一回ぐらいは観ておきたかった。これも映画好きを自称している人は年間平均500本は観ているようなので、本数ではなく回数にすることによって数字を稼ぐなどといういじましいことをしてもなお141などという、てんでお話にならない数字を出してしまう私などのベストになんの価値があるだろうか、ということでやらない。
 といったところで、来年もよろしくお願いします。
最近読み終えた本 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック) 勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育=金田淳子=二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)
最近観た映画 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド) 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
2017年の本と映画の記録。2016年はこちら。
読了本73冊
松浦寿輝『BB/PP』(講談社) 二村ヒトシ/岡田育/金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWAメディアファクトリー) パスカル・キニャール『アマリアの別荘』(青土社) 赤木昭夫『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波新書) 町山智浩『映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書) 津島佑子『半減期を祝って』(講談社) トーマス・ベルンハルト『ある子供』(松籟社) 三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(新書館) トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)通算4回。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』(ちくま文庫) 山本貴光『文体の科学』(新潮社) 『北の文学2016──北海道新聞文学賞、短歌賞、俳句賞』(北海道新聞社) 『シリーズ言語態(4)記憶と記録』(東京大学出版会) 小平麻衣子=内藤千珠子『21世紀日本文学ガイドブック(7)田村俊子』(ひつじ書房) 杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房) 内藤千珠子『小説の恋愛感触』(みすず書房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社) アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(河出書房新社) アルフレート・デブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場──フランツ・ビーバーコプフの物語』(ぷねうま舎)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)2回。通算3回。 橋本陽介『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ) アルフレート・デーブリーン『たんぽぽ殺し』(河出書房新社) ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(白水uブックス) カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』(水声社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社) トーマス・ベルンハルト『消去──ある崩壊 新装版』(みすず書房)通算5回。 ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(亜紀書房) エルフリーデ・イェリネク『汝、気にすることなかれ』(論創社) 通算2回。 李珍景『不穏なるものたちの存在論──人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味』(インパクト出版会)
アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) 山代巴 編『この世界の片隅で』(岩波新書) 岡本雅享『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店) 岡本雅享 監修・編著『日本の民族差別──人種差別撤廃条約からみた課題』(明石書店) サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水uブックス) 疋田龍乃介『歯車VS丙午』(思潮社) 稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線) サミュエル・ベケット『モロイ』(白水社) 辺見庸=目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫) サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』(白水社) 稲川方人『封印』(思潮社) サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』(白水社) サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『また終わるために』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』(書肆山田 りぶるどるしおる) 『白鴉』30号 『星座盤』11号
『babel』創刊号 松浦寿輝『鳥の計画』(思潮社) 『時刻表』創刊号 田原『石の記憶』(思潮社) 田原『夢の蛇』(思潮社) 田原『そうして岸が誕生した』(思潮社) サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(白水社) 平田俊子『手紙、 のち雨』(思潮社) 高橋康也『サミュエル・ベケット』(白水uブックス) 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『新訳 カフカ──マイナー文学のために』(法政大学出版局) 小野十三郎『冥王星で』(エンプティ) 稲川方人『2000光年のコノテーション』(思潮社) 川田絢音『白夜』(書肆子午線) 平田俊子『詩七日』(思潮社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(上)』(河出文庫) 丁章『在日詩集 詩碑』(新幹社) トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』(松籟社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック)
勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育/金田淳子/二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田) 映画観賞回数141回
『この世界の片隅に』(片渕須直)3回。通算5回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(ロバート・ゼメキス) 『ベストセラー──編集者パーキンズに捧ぐ』(マイケル・グランデージ) 『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太) 『死闘の伝説』(木下恵介) 『マイマイ新子と千年の魔法』(片渕須直) 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー) 『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン) 『マダム・フローレンス!──夢見るふたり』(スティーブン・フリアーズ) 『戦火の馬』(マリアンヌ・エリオット、トム・モリス)
『破門──ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎) 『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス) 『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン) 『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー) 『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・プザドゥー) 『マイ・ファーザー 死の天使──アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』(エジディオ・エローニコ) 『MILES AHEAD──マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル) 『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ) 『こころに剣士を』(クラウス・ハロ) 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・ピータ・サンフリト) 『MERU メルー』(ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・バサヒリイー) 『沈黙 サイレンス』(マーティン・スコセッシ)2回。 『アイ・イン・ザ・スカイ──世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド) 『クラッシャージョウ』(安彦良和) 『オアシス:スーパーソニック』(マット・ホワイトクロス) 『その街のこども』(井上剛) 『疾風スプリンター』(ダンテ・ラム) 『アリーテ姫』(片渕須直) 『アイヒマンを追え!──ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー) 『AKIRA』(大友克洋) 『SING』(ガース・ジェニングス)2回。 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(押井守)2回。 『キングコング──髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ) 『ショコラ──君がいて、僕がいる』(ロシュディ・ゼム) 『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン) 『殺しの烙印』(鈴木清順) 『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース) 『東京流れ者』(鈴木清順)
『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル) 『未来を花束にして』(サラ・ガブロン) 『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン) 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フーク) 『美女と野獣』(��ル・コンドン) 『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック) 『ラビング──愛という名前のふたり』(ジェフ・ニコルズ) 『乱』(黒澤��) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ) 『お嬢さん』(パク・チャヌク)
『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン) 『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(ファイト・ヘルマー) 『哭声』(ナ・ホンジン) 『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ) 『ライオン──25年目のただいま』(ガース・デイヴィス) 『彼らが本気で編むときは、』(荻上直子) 『アシュラ』(キム・ソンス) 『ゆれる』(西川美和) 『花戦さ』(篠原哲雄) 『ディア・ドクター』(西川美和)
『ジャッキー──ファーストレディ最後の使命』(パブロ・ラライン) 『エンディングノート』(砂田麻美) 『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス)2回。 『百万円と苦虫女』 (タナダユキ) 『溺れるナイフ』(山戸結希) 『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子) 『はらはらなのか。』(酒井麻衣) 『美しい星』(吉田大八) 『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル) 『未来よ、こんにちは』(ミア・ハンセン=ラブ)
『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン) 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン) 『光』(河瀬直美) 『武国』(熊切和嘉) 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(ガブリエーレ・マイネッティ) 『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン) 『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー) 『海辺のリア』(小林政広) 『おとなの恋の測り方』(ローラン・ティラール) 『海辺の生と死』(越川道夫)
『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ) 『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン) 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキー) 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト) 『ザ・ドライバー』(ウォルター・ヒル) 『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一) 『ファウンダー──ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック) 『ボブという名の猫──幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド) 『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ) 『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アデ)
『20センチュリーウーマン』(マイク・ミルズ) 『ロックンロール・ハイスクール』(アラン・アーカッシュ) 『少女ファニーと運命の旅』(ローラ・ドワイヨン) 『新感染』(ヨン・サンホ) 『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー) 『あしたは最高のはじまり』(ユーゴ・ジェラン) 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン) 『スペース・レイダース』(ハワード・R・コーエン) 『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー) 『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ)
『おしゃれ泥棒』(ウィリアム・ワイラー) 『メッセージ』 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『デス・レース2000年』(ポール・バーテル) 『夜明けの祈り』(アンヌ・フォンテーヌ) 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子) 『RE:BORN』(下村勇二) 『エタニティ──永遠の花たち』(トラン・アン・ユン) 『50年後のボクたちは』(ファティ・アキン) 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)3回。 『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ)
『ドリーム』(セオドア・メルフィ) 『ハイドリヒを撃て!──「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス) 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス) 『スイス・アーミー・マン』(ダニエル・シュナイナート/ダニエル・クワン) 『ロスト・イン・パリ』(ドミニク・アベル/フィオナ・ゴードン) 『リングサイド・ストーリー』(武正晴) 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー) 『ELLE』(ポール・バーホーベン) 『散歩する侵略者』(黒沢清) 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ)
『審判』(オーソン・ウェルズ)通算2回。 『バリー・シール──アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン) 『三度目の殺人』(是枝裕和) 『セザンヌと過ごした時間』(ダニエル・トンプソン) 『スモーク』(ウェイン・ワン) 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール) 『鉱 ARAGANE』(小田香)2回。 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド)
『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
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sonocore-blog · 6 years
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リテラ「よく言った!大賞」2017
★10位 マツコ・デラックス
 安倍批判をすれば、官邸から直接的に抗議を受けたり、応援団のネトウヨから一斉に電凸がかけられる状況、しかも、世間がリオデジャネイロ五輪の「安倍マリオ」を のパフォーマンスを大絶賛している中、「突き抜けていないよね。恥ずかしいんだったらやるんじゃないよ!すぐ脱ぐんだったらやるな、断れって話。ヒゲもないし中途半端」と切り捨てた。( 『5時に夢中!』(TOKYO MX) )  この発言には、最近のマツコに物足りなさを感じていた往年のファンからも「さすが」という声が上がった。
 さらにマツコの毒は、人気絶頂の小池百合子都知事にも向かった。都知事選翌日に放送された同番組で、のっけから「まあ、都知事なんて誰がやったって一緒ですからね」と斬り捨て、さらに司会のふかわりょうが「もしも都知事がゲストに来てくれたら」という話を振った際には、ニコリともせず「じゃあ、(私の出ていない)他の曜日にしていただけますか」と共演NGを叩き付けたのだ。
★ 9位 ウーマンラッシュアワー村本大輔
 2016年大きな話題になったベッキーの不倫騒動。彼女の不倫に対し、メディアは人格批判までする大バッシング状態に。彼女を庇うような発言をした人間まで炎上に巻き込まれるという異常事態だったなか、ウーマンラッシュアワーの村本大輔はベッキーを擁護。ツイッターでバッシングする人たちを〈死刑台を囲みはしゃぐ異常者のヒマ人おつかれっす〉と挑発した。
 また、不倫バッシングが起きた直後に彼女をCM降板させた企業に対しては〈使うだけ使って都合悪なったらいっせいに、逃げ出す企業。(中略)それこそマイナスイメージですよね〉とも発言。芸能人としては自殺行為にもなり得るスポンサー批判まで行ったのだった。
★ 8位 みうらじゅん&宮藤官九郎
 対談本『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』(集英社)のなかで、みうらは「最近、俺までが気づいちゃうほど、なんだかミョーに政治が不穏な感じするじゃないですか?」と発言し、さらにクドカンは「憲法を変えるとか、戦争できる国になるとかならないとか、ちょっと勘弁してほしいなって思います」と語った。
★7位 渡辺謙
 唯一の被爆国である日本は、本来であれば核兵器の廃絶へ向けてリーダーシップを取っていくべきだが、残念ながら安倍政権はいま真逆の道を進んでいる。今年10月、国連総会第1委員会において「核兵器禁止条約」に向けた交渉を17年にスタートさせる決議が賛成多数で採決されたが、日本はこの議決に反対した。  これを受けて〈核を持つ国に追従するだけで意見は無いのか。原爆だけでなく原発でも核の恐ろしさを体験したこの国はどこへ行こうとしているのか、何を発信したいのか〉とツイートしたのが、国際派俳優の渡辺謙だった。  渡辺は一昨年の安保法制のときもツイッターでこう訴えていた。 〈一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!〉(15年8月1日)
★6位 大竹しのぶ&明石家さんま
 「戦後レジームからの脱却」といえば、安倍首相のスローガンだが、これに真っ向から反論したのが女優の大竹しのぶ。大竹は昨年2月、「しんぶん赤旗」のインタビューでこんな発言をした。 「『戦後』が続くことは、日本が戦争しないということだから。「『もう“戦後”じゃないんです』みたいな言葉には、危機感を覚えます」
 大竹は一昨年、山田洋次や是枝裕和、高畑勲ら世界的な監督や、吉永小百合や倍賞千恵子、野際陽子らといった俳優たちとともに安保法案反対アピールを行った。また、朝日新聞の連載エッセイでは、参院での安保法案可決の数日前に国会前の反対集会に参加したことを明かし、こんなふうに綴っていた。 〈その中(抗議集会の参加者)の一人に、牧師さんがいらっしゃった。そして、聖書の言葉を引用して話された。平和を作りし者は幸いです、平和とは祈るだけではない、作るものなのだ、と。この声を、想いを、安倍首相はどのように思っているのか〉(2015年9月18日)
 政治的発言とは縁遠いイメージにあるさんまだが、14年の『さんまのまんま』で、「ぼくは昔、日本からアメリカに、戦争のためにアメリカに寄付するということがあったとき、さすがに怒って国税局に行ったんですよ(中略)俺は戦争のためとか、人殺しをアシストするために働いてるんじゃないって。そのために税金を納めてるんじゃないって言いにいったんです」と語ったことがある。
 また、安倍首相が「アンダーコントロール」などと嘘っぱちを言って東京五輪招致が決まった際も、祝福ムード一色な世間の空気に抗うように「福島のことを考えるとね」「あんまり浮かれて喜ぶのもどうかと思いますけどもね」とラジオで語っている。
★ 5位 井ノ原快彦
 テレビ番組が「平和」や「反戦」を訴えることすら「政治的偏向」と叩かれる時代。とくに厳しい状況におかれているのが、NHKだ。籾井会長の独裁支配で局内の上から下まで政権を忖度する空気が完全に出来上がり、政権のPR以外の報道ができなくなってしまった。  ところが、そんななか『あさイチ』が8月4日、画期的な放送をした。「戦争はイヤだ」というテロップを大きく映し出し、「憲法9条の改正が議論にあがるなかで現代の戦争を考えよう」といった内容の特集を放送したのだ。
 しかも、出演者たちもかなり踏み込んだ発言をしていた。とくに、井ノ原快彦は「いつ(戦争が)起きてもおかしくないっていうのを、もうちょっとリアルに想像できるかなって」「たとえば日本でひとつの流行が起こったときに、誰が止められるかっていえば、誰も止められないじゃないですか」と、今の状況に危機感を表明。
 さらに、NHK解説委員の柳澤秀夫が「右から左にきたものをそのまんま『こうですよ』って垂れ流すのは、ぼくらの仕事を果たしていないと思う」とNHKをはじめとする報道のありようを自己批判すると、井ノ原は有働由美子アナとともに、「叩かれてもいい」と、空気に流されずに主張し続けることを宣言した。  
 “安倍サマのNHK”となった現在の同局でこうした内容の番組を放映し、こんな発言をしたというのは、高く評価されていいだろう。
★4位 吉川晃司
 「俺は現政権がでえっ嫌い」こう口火を切ったのは、ミュージシャンで俳優の吉川晃司だ。彼は「年金運用の失敗で5兆円損したとか、川内原発の周辺は地震が起きないとか言ってたけど、ふざけんなよ」とも語り、現在の政治状況への不満をぶちまけている。
 彼がこのような姿勢を表明したのはいまに始まった話ではない。実は、吉川晃司は一貫してこのような反骨の姿勢を貫いていた。東日本大震災直後は石巻に出向いて瓦礫の撤去作業ボランティアに加わり、また、チャリティのために東京ドームでCOMPLEXの再結成ライブも行い、6億円以上の義援金を被災地に送っている。
 その後も、吉川は反原発のメッセージを送り続けており、「絶世の美女」という原発の危険性をテーマにした楽曲を書いたりもしてきた。そんなこともあり、「原発に関する発言をするなら契約はなし」というスポンサー企業からの要請に対して首を縦に振らなかったためCMの話がなくなったりもしたことがあったのだが、それでも吉川は「金や権力で人を黙らせようとするものに対しては、自分は絶対に「はい」とは言えません」と語り、自分の主張を貫いてきたのである。
★3位 吉永小百合
 一貫して反戦や平和のメッセージを送り、安保法制にも毅然と反対の姿勢を示した吉永小百合。今年は安倍応援団の下劣な攻撃にも晒された。  安倍首相の御用評論家で、『NEWS23』(TBS)への圧力で知られる報道圧力団体「視聴者の会」の事務局長も務める小川榮太郎が「正論」(産経新聞出版)で、こんないいがかりをつけてきたのだ。〈あへて吉永さんに問ひたい、法案の意味や中身を知らずに、後から責任を取れないやうな出鱈目な批判をする事、またさういふ人達の先頭に立つて広告塔になる事は、貴女の女優としてのあり方や人としての信条に照らして、恥づかしい事ではないのですか〉。
 吉永は終戦71年を迎える今年の夏、「戦争中は戦争反対と言うことすらできなかった」と母親から教わった思い出を振り返りつつ、「言えないってどういうことなんだろうと、その時には理解できなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると息苦しい感じがして」と語り、戦前と現在の状況を重ね合わせた。そして、「憲法9条はバイブルのように大切なもの。絶対に変えさせるわけにはいきません」と、護憲への強い思いを改めて主張したのだ。 
★2位 水原希子
 「まず第一に、私は世界平和を支持し、戦争に断固反対するものです」 水原はこう語ってから、彼女が靖国神社に参拝しているとされる写真を取り出し、「写っているのは絶対に私ではない」と否定した。ようするに、戦争に断固反対しているから軍国主義の象徴である靖国神社に参拝するはずがない、と堂々と表明したのだ。  
 水原はさらに自分の出自(アメリカ人の父と在日韓国人の母との間に生まれた出自)も明かしたうえで、こう語った。 「私は多様な文化を背景にもっていて、そのために異なる文化の人々に触れて互いを尊重することを学び、世界中に友だちをつくることができました。私は自分自身を地球市民だと思っています」「お互いがもっと理解しあうこと、そして愛と平和が私たちをつなげ、世界をよりよき場所にするだろうということを」
★ 大賞 大橋巨泉
「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」死の一週間前に命を削って発した遺言
 安倍政権誕生直後から、一貫して、安倍首相の危険性、憲法改正の恐ろしさを訴えてきた巨泉だが、死のわずか数週間前、体調不良を理由に最終回を迎えた「週刊現代」の連載にこう綴った。
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
 まさに、最後の気力ふりしぼった遺言だったが、ワイドショーやニュース番組はこの巨泉氏の言葉をことごとく無視。ベテラン司会者としての仕事を紹介するに留め、『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介しなかった。安倍首相について言及した部分まで報じたのは、『NEWS23』(TBS)だけだった。
★特別賞 長渕剛 「騙されねぇぜワイドショー」 今回の長渕は『FNS歌謡祭』で
『2016FNS歌謡祭 第1夜』(フジテレビ系)でのパフォーマンス 。 「乾杯」の本編に入る前に弾き語りをはじめた長淵は、その中でこう歌った。
〈今日もマスメディアの誰かが無責任な話ばかりしている  正義のツラして知ったかぶりしてるやつの言うことに耳を傾けてる俺  これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ  騙されねぇぜマスコミ  騙されねぇぜヒットチャートランキング  騙されねぇぜワイドショー〉
 フジテレビはこれに凍りつき、翌日、小倉智昭や坂上忍がコメントせざるをえない状況に追い込まれた。 
https://lite-ra.com/2017/01/post-2823_4.html
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csijaki-blog · 6 years
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欧州旅日記
6月12日(日)
成田→(アムステルダム)→(ジュネーブ)→ベルン
 成田からアムステルダム経由でジュネーブに到着。すべて順調。オランダ航空のスチュワーデスさんたちは体の大きい人が多かった。はきはきした応対が気持ちがよい。機内で11時間。アムステルダムに着く直前に、隣の男性が声をかけてきた。村上春樹の「海辺のカフカ」なんて読んでいるから、ちょっと気取った奴かなと勝手に思っていたが(ゴメンなさい!)、海外のITがらみの投資企業に勤め(ニューヨーク在住)、ロンドンや東京を行き来する、気心の優しい国際ビジネスマンだった。私がNPOの仕事で電磁波問題の海外取材に行くのだと話すと、素直に「それは大事な仕事をなさっていますね」と共感してくれた。名詞を交換して「よい旅を!」と声をかけあった。
 ジュネーブからベルンに行く電車にぎりぎり間に合った。外国で電車に乗るときはいつもどぎまぎする。チケットの扱い、路線、行く先……どれも日本と要領が違うし、標識もわかりにくいものが多いからだ。途中、ローザンヌを通ってベルンに向かったのだが、レマン湖の周辺の景色のきれいなこと! 迫った山の連なり、点在する石造りの家々、湖面の深い青……これらがなんとも見事に調和している。スイスは観光で生きていける国だと感じさせられた。車窓から見る限り、路線に沿って家々はまばらで、企業のスマートなビルや中規模の工場が時々姿を現す以外は、畑と牧場だった。牛の姿を久しぶりに見たが、その数は決して多くはない。観光以外では、スイスの人たちは主に何で生計を立てているだろう?
 ベルンに到着し2日間滞在することになるホテルにたどり着いた。予約しておいたホテルの部屋がやたら大きいことに驚く。洗面と風呂場がひとつになった部屋がなんと6畳はおろうかという広さだ。これでもユニットバスと呼んでいいの?? トイレで用を足しながら妙な気分になった。
 明日は一日をかけてベルンをじっくり歩きまわる。
6月13日(月) ベルン  昨晩は早く寝たので、今朝は朝4時に起床。驚いたのは、朝5時、つまり夜が明けてくる頃に、3種類ほどの鳥の声が聞こえてきたことだ。首都のど真ん中のホテルでこんな感じだとすると、市のいたるところに小さな森がたくさんあるのかもしれない。午前5時から7時までの2時間、「電磁調理器使用に伴う低周波磁場の被曝量計量モデル」を考える。朝食をホテルでとって8時半に出かける用意ができた。朝食に出たパンがやたら美味しい。ついついたくさん食べてしまう。ベルンの中心街は地図で見る限り2時間もあれば一周できそうな感じだったが、ホテルから出て歩き始めて、それが本当だとわかる。道に沿って並んでいる建物や家屋のきれいなこと!  1階部分はアーケードで連なっていて(全部あわせると長さが6キロにもなって、ヨーロッパで最長とのこと)、しゃれた感じのお店が延々と続く。大聖堂や時計台をはじめとする背の高い中世の建物、そして道路に点在する噴水や彫像がアクセントをつけ、どの建物も全体と調和を保ちつつ一つ一つが目を引く要素ももっている。まるで一人の人間が設計したものが長い時間を経て熟成したかのような落ち着きとしっくり感がある。世界遺産に登録されるのも、むべなるかな。午前9時半頃にあいにく雨が降り出し、バラ園を訪れたときにはずいぶん降られたが、その後はさっと雨が引き、少々暑く感じるほどに晴れ上がった。  道行く人々を見下ろす位置にあるレストランのテラスで雨上がりの涼しい風に吹かれながら昼食をとり、午後にはベルン自然史博物館に出かけた。(ベルンの施設は月曜日は休館、もしくは午後2時からの開館となっていて、この自然史博物館もそうだった。)動物の剥製が多いことは前もって知っていたが、いやー、この博物館はすごい。ロンドンの自然史博物館をある面では超えていると思う。剥製技術の精巧さは言うに及ばず、網羅的に生物の種を示そうとする収集へのこだわり、内部の解剖や骨格、運動の様子なども含めて、生きている身体の様子や周りの環境とのやりとりをあの手この手を使って再現させようという点など、面白い博物館のお手本のような展示がいくつもあって、びっくりした。蟻を何千(何万?)匹も飼って巣を作らせ、その活動の様子を見せるために透明なチューブで結んだ3つほどの大きな透明なケースに住まわせて行き来させるやり方には圧倒された(人によっては猛烈な数の蟻が蠢く姿を見て、気持ち悪くなるでしょう)。生きたカブトガニも初めて目にすることができた。アンモナイトや羊歯類の化石の数や大きさも半端ではない。巨大な哺乳類、非常に多数の鳥類、そして超精巧な製作技術を要するようにみえる両生類など小さな生き物の剥製や骨格標本……いずれも作る者の執念を感じさせるこだわりの品々だった。(説明がドイツ語しかなかったのは残念。)  ベルンの街の主だった通りを歩きまわってすごした一日だったが、東京の繁華街のどこと比べても人の数がうんと少なくて、混雑した感じがまったくないのは、うらやましい限りだ。アーレ川が中心街全体をぐるっと取り囲むようにU字型に流れ、その外側にはまた街全部を覆うように、小高い丘(というか山)に緑鮮やかな木々が生い茂る。至る所に赤いゼラニウムの花が咲き、家々の屋根はすべて赤茶けた色の煉瓦屋根に統一されている。落ち着いた時間の流れを感じるのは、こうした中世の風情が残っているためだろうか? こんな街に住んでみたい、と思わないではいられない。
6月14日(火) ベルン→ジュネーブ  今日は午後から「スイス健康局」(スイス連邦公衆健康局)に取材に出かける。これは日本の厚生労働省に相当する政府の省庁だ。事前に申し込みをしていたMartin Meierさんにお話をうかがう。  午前中少し時間があったので、昨日月曜日は休館だった「ベルン市立美術館」に入る。パウル・クレーの作品が2000点以上も収められていると聞いていたので、大いに期待して入ったのだが、なんとなんと、少し離れた丘の方に6月20日に開館する新設の「クレー美術館」へ、1点を除いて全部移したのだとこと。残念でならなかった。ただ、アンケルやホドラーといったスイスの画家やドラクロワ、セザンヌ、モネ、ムンク、ブラック……など、どれも1点か2点ずつであるものの、重要な作品が展示されていて、じっくり眺め入った。帰りにクレーの絵の絵葉書を2つ買う。  その後、正午までの時間で、ベルンの大聖堂の中に入り、長くて細い螺旋階段を延々と上ってすばらしい展望を楽しむ(足元から急転直下の切り立った所からの見晴らしなので、ほんとのことを言うと、かなり怖かったです)。高さ100mのこの大聖堂はほぼ500年をかけて造られたのだという。礼拝堂は20mはあろうかと思える高さのドーム状の天井を持ち、後期ゴシック様式の彫刻とステンドグラスがじつに見事だ。美しく装飾された巨大なパイプオルガンもあり、静かな音楽が奏でられていたが、それが礼拝堂全体をなんとも美しい響きで満たしていた。造られた当時に音響設計の複雑な計算などなされたとは思えないのだが、これほど美しいオルガンの調べと響きは耳にしたことがない。職人が自身の感性を研ぎ澄ませたところに成立する技術は、奇跡的なことを可能にするものだという気がする。  午後は健康局に向かった。連邦政府の官庁なのだが、コンクリート打ちっぱなしの飾り気のない箱のような建物が郊外のだだっ広いところにポツリポツリと建っているという感じなのだが(研究都市のつくばを連想させました)、中に入ってびっくり。きわめて斬新なデザインで、個々のオフィスがガラス張りになっているところが多く、外から中の様子が眺められる。扉も開けっ放しにして誰でも出入りできそうなオープンな感じが全体に漂っている。カフェテリアで約束の時間が来るまでを過ごしたのだが、職員や研究員たちは背広を着ている人はほとんどいなくて、みなとてもカジュアルでインフォーマルな姿だ。なんと言っても若い人が多い。大学の自然科学系研究室の仲間たち、といった感じだ。  Meierさんが迎えに来てくれて、彼のオフィス(研究室)に通される。30歳半ばくらいに見える男性で、柔和な表情が印象的。生物学と物理学のPhDを持つ。私がなげかける質問に「国の政策についてはそれほど詳しくはないのだか」と断りながら、電磁波規制に関する取り組みや現在の問題点について丁寧に語ってくれた(話の中身は別のところで詳しく取り上げる)。貴重な資料もコピーをいただいたいり、情報源を教えていただいたりした。  公衆衛生・健康に関して予防原則の尊重を法的に規定しているため、個々の環境問題で予防的措置をとることに、日本とは比較にならないほど前向きである。ほとんどまったく普及していないIH調理器についても、家庭内の���システム全体からの電磁波被曝を調べようとするプロジェクトの中で調査対象のひとつと位置づけられていることからも、それは伺える。  バスでベルン中央駅に戻り、鉄道ICでジュネーブに向かった。夜の(といっても明るいのですが)7時にホテルに到着。明日からWHOのワークショップだ。
6月15日(水) ジュネーブ  ジュネーブの中央の中央駅であるコルナバンからバスに乗って10分のところに、国際機関が集中して立ち並んでいる一角(アッピア通り)がある。不覚にも、今朝はいくつもあるバス停-しかもかなり距離的に分散している-のどれからその通りに向かうバスが出ているのか、4人ほどの人に尋ねたのだが、みんなはっきりわからず、ワークショップの開始時間のこともあったので、やむを得ずタクシーを使う。  10階ほどの巨大な建物だが全体がガラス張りで細長い直方体の形をしているので威圧感はない。周りに緑が多い。入り口でパスポートを示して参加証となる名札をもらい中に入る。昨年のワークショップでもお目にかかった日本からの参加者SさんとOさんの姿が見えたのでご挨拶する。今回は他にも日本人が4,5人参加している。中央に円卓を配して、その周りを正方形状に囲むように机が並ぶ。TVで映る国連の会議場の雰囲気とやはり似ている。  ワークショップのテーマは「携帯基地局と無線ネットワーク」だ。主たる話題は、携帯基地局からの高周波電磁波が人体にいかなる影響をもたらしているか、科学的にどこまでわかったかを検討しようというもので、1日目は「携帯通信革命」「高周波電磁波の被曝量計測」「基地局電磁波の健康影響研究の評価と今後求められる研究」……といった話が続く。30分のプレゼンで濃い内容をつめこもうとほんとんどのスピーカーがかなりの早口でまくし立てる感じだ。こちらは聞き取るのに必死。やはりあまりに専門的な内容になるとわからない部分も出てくる。幸いパワーポイントの大きな画面がスクリーンで映し出されるので、おおよそのところは把握できるが、的確な質問を瞬時に返せるくらいに聞きながら内容をつかみとるのが難しい。これは英語圏に属さない参加者にわりと共通した悩みなのではないだろうか。というのは、やはり質問する人がかなり限られているように思えるからだ。ワークショップの中身については、講演予稿集もあるので、別の機会に詳しく紹介することになる。(帰国して間もない26日に簡単な報告をする機会もある。)  日本でワークショップ形式の専門家会議を行うときと比べて、少し違うなと思えるのは、ブレイクの時間が長いことだ。昼食(1時間半)を別にして、午前に1回、午後に1回、30分の休憩が入る。コーヒーなどの飲み物とスナック類が用意される。会議中に質問の時間が十分とれなかったことを、これで補おうとしている感じさえする。  1日目の会議が終わって、簡単なレセプションパーティーがあった。数人の参加者といろいろおしゃべりした。台湾の2人の研究者(毒性学、環境アセスメント)、ドイツの社会学者、オーストリアの政府で環境関連の仕事をする女性……なかなか楽しかった。こちらがNPOだと言うと「どのようにして資金を得ているのか」という質問が必ず出てくる。オーストリアの女性はどうも私と年が同じくらいで、しかも生物学を専攻していて途中で方向転換したところも似ているので話が弾んだ。「大学に入りたてのときは、よし分子生物学を研究して癌を撲滅させるための画期的な発見をするのだ、と息巻いていたわ」と語っていた。私が発生生物学を専攻したことを述べると、「それこそ生物学で一番興味深くて核心的な分野ね」と反応してくれた。女優のジョディ・フォスターによく似た美人で、にこっとするときの知性的な笑顔が素敵だった。
6月16日(木) ジュネーブ  WHOのワークショップの2日目。  今日のテーマは携帯基地局のリスクアセスメントやリスクコミュニケーション。一番興味深かったのは、各国の事例紹介の中でスイスが予防原則をそう生かして高周波の規制を行っているか、という点とイタリアがはやり独自の規制を設けていて、それが現実に守られているかどうかをモニタリングする方法を編み出している点だ。イタリアは全国に100箇所を超えるモニタリングポイントを設け、環境中の電磁波を定点計測していると同時に、を全国で「青バス」という名をつけたバスをいくつかの都市部などで街の中を走らせて、気になる環境に赴いての計測も行っている。この2つの国は携帯基地局の問題で紛争がないわけではないのだが、それを解決していくために賢明な政策的対応をなしていこうという姿勢が著しいように感じた。  一昨日スイスの健康局でインタビューした際に紹介されたバウマンさんがスピーカーとして話をされたので、ブレイクの時間につかまえてお話をした。スイスでは家電製品からの電磁波漏洩の問題は“環境問題”として扱わないので、電磁波規制をしていく対象としてとらえていないが、全部の家庭に共通する要素(たとえば熱供給システム)や職場に固有の要素については“環境”として扱うので、規制の対象としてとらえていく傾向がある、との指摘をされていた。  会議は夕方5時半まで続き、様々出た意見をどうまとめるのか、なかなか明確にみえないまま、幕を下ろした。WHOの電磁波プロジェクトがこの問題に一定の見解をfact sheetとして示すのがいつになるのかはわからないが、世界各国でもめている携帯基地局設置の問題だけに、メディアからも大いに注目されるだろう。  昼食の後に、各国の状況を伝えるための自発的なショートプレゼンテーションの受付けがあった。日本人の参加者の中から某国立研究所に所属するある若い方が5分ほど発表をしたのだが、あまりにお粗末で筋違いな発表だったので、唖然としてしまった。「各国の報告」とは、基地局をめぐる状況を伝えることだ。何を考えているのか、総務省のホームページの紹介そのままといって過言ではない、「日本には電波防護指針があり、その中で規制をしている。生体電磁環境推進委員会があり、各種の研究をしています」といった類のことを述べただけ。基地局の設置に関する問題点や紛争のことは一言たりとも触れない。日本は他の国と比べても基地局のことでは解決すべき課題を多く抱えているはずだが、この人はとにかく上司から「日本のことを伝えてこい」と言われて、総務省のスポークスマンになればよいと考えたのだろうか。英語も非常につたなかったけれど、それ以前の問題として、他の参加者をポカンとさせることを自分がしゃべっているという事態がわかっていない。それが恐ろしい。  ワークショップを終えて、夕方の涼しい風に吹かれながら、レマン湖の突端にあたる場所(「英国公園」があるあたり)を歩きまわった。ベルンと違ってやはり大都会だ。道行く人々も様々な国籍の人がいるように見受けられる。テラスにテーブルを構える店が軒を連ねるあたりを見つけ、1軒を選んでテーブルにつき、注文する。メニューがすべてフランス語なのでよくわからなかったが、あたりをつけて3品を頼む。ここのところ野菜不足だったので少し大き目のサラダと、オムレツ(なぜか量が少ない!)とパスタ。そしてビール(これも量が少ない!)とグラスワイン(同様!)。スイスは物価が高いと聞いていたいが、これら全部をあわせて日本円で4500円もしたので驚いた。 
6月17日(金) ジュネーブ→(パリ)→ブリュッセル  今日は移動の日だ。ジュネーブからパリを経てブリュッセルに向かう。鉄道での移動は初めての旅で一番不安を掻き立てる要素だ。電車の指定席を手に入れても、ちゃんと出発の時刻までにその駅にたどり着けるか、ヒヤヒヤすることがあるからだ。今日も、パリでいったん地下鉄に乗ってブリュッセル行きの電車に乗り換えることになったのだが、この地下鉄、どれがどこ行くのかがわかりにくい(パリ駅のインフォメーションセンターのお姉さん、こちらが英語で尋ねた内容がわかっているくせに、英語で返事しないでフランス語のメモ書きをポンと渡すだけ、というのはやめてよね)。荷物も抱えているし、載り損ねたら大変だし……と、どうしても焦ってしまう。でも無事ブリュッセルに到着。朝10時に電車に乗って、待ちや乗り継ぎを経て、夕方4時20分に到着。長い車中旅行だった。面白かったのは、ジュネーブからパリに向かう列車から見た風景だ。ジュネーブを出てすぐにフランスに入ったはずだが、そこからパリの直前まで特急延々2時間半ほどの間、見渡す限り農場と牧場が広がっていたことだ。「フランスは農業国」とはよく言われることだが、それを実感させる光景ではあった。  ブリュッセルの街は立ち並ぶ建物こそ中世風の造りをとどめているといえ、軒を連ねる店舗やオフィスはモダンだし、駅の周辺や中央広場付近には高層のビルがいくつもそびえている。ホテルにはタクシーで向かったが、いったん街に繰り出してみると方向がわからず、そもそも手元に地図を持っていないので(ベルギーだけの観光マップを手に入れることができなかった)、とにかく街に掲げてある大きな地図を見つけて、どこをどう歩けばいいのかを把握しようとやっきになった。車が多くて、けっこうスピードを出しているものもある。歩道はやたら広くて(スイスでもそうだった)、これに慣れると日本に戻ったときつらく感じるだろうなと思う。広大な植物公園がホテルから歩いて10分くらいのところにあった。中をぐるっと回りたかったが、どうもいくつかの部分はもう閉まっているらしい(夕方6時)。そこをあきらめて、目抜き通りを歩く。銀座に雰囲気がよく似た通りだ。大きく違うのは、道往く人々の国籍が多様であるという点(どういうわけだか、トルコやイランンなど中東から来ているとおぼしき人が多い)、そして通りのうんと先が見通せてそこには巨大な宮殿が控えているという点だろう。  期待のベルギービールを2種類飲んだが、どちらもきわめて美味しかった(ひとつはすごく甘みの強いビールだった)。お店の給仕の男性もがっしりとしているのに動きが軽やかで、無口だけれど笑顔が素敵な、まるで映画俳優のような雰囲気を漂わせた人だった。ベルギー人とフランス人やドイツ人を見分けるのは難しい(というよりたぶんできない)が、全体として日本人よりやや大柄といった背丈で、少し北欧系の肌の白さが強い(そして目が青い人が多い)という印象を持った。  明日は憧れの街、ブルージュを訪れる。 
  6月18日(土) ブリュッセル→ブルージュ→ブリュッセル  今日は土曜日。ベルギーのブリュージュを訪れた。ブリュッセルから電車で2時間弱。素晴らしい晴天に恵まれて、期待に胸が膨らむ。駅前の広場から街に聳え立ついくつかの聖堂や塔が見える。街の中央部に到るいくつもの道があるようだが、とにかく一番高い聖堂を目指して歩くことにした。  歩き始めて直ちにここが「屋根のない美術館・博物館」と呼ばれる理由がわかる。  車と観光客がいなければ、中世にそのままタイムスリップしたと錯覚するような光景。どの道もどの建物もすべてが一つに溶けあっている。美しい川と馬車と至る所に生い茂る大きな樹木と小鳥たちの囀り……。石造りの家々が石畳の道に沿ってどこまでも続く様は、これは映画のためのセットではないかと目を疑いたくなるほどだ。電柱や電線は一切ない(あたりまえか……)。観光客を乗せたボートや馬車がゆったりと行き来するのが、なんとものどかだ。  昼食はベルギーの名物ムール貝と美味しいビールをいただいた。  歩き疲れて川べりで寝そべり、空を見上げた。たくさんの葉っぱが太陽をさえぎったり透かされたりしながら、川の水の流れを映して刻一刻と変化する微妙な緑のグラデーションを生じている。風に吹かれて枝がゆっくりと揺れ、それがまた陰影の変化をもたらす。聞こえるのは水が流れる音、風に吹かれて葉がすれあう音、小鳥の声だけ。僕自身もこの街に溶け込んでしまいそう……。  心ゆくまでのんびりとこの美しい街で一日を過ごせたことは、一生忘れられない思い出となるだろう。 
  6月19日(日) ブリュッセル→デン・ハーグ  今日は国境を越えてオランダに移動する日。そう言うと大そうに聞こえるが、実際はブリュッセルから特急で2時間ほど乗るだけ。電車待ちの時間が1時間近くあったが、もし前もって時刻表など読めるようになっていれば、その待ち時間も短縮できる。ブリュッセルの駅もそうだったが、デン・ハーグの駅も1つではない。つまり「中央」があり、「北」があり……で3つも同じ名前で始まる駅名であったりする。これが混乱のもとなので、ホテルを予約する際は要注意だ。デン・ハーグのホテルは特急が到着した駅から近いのかなと思っていたが、まず中央駅まで一駅電車で向かう必要があった。そこからインターネット入手していた地図を手がかりにホテルに向かったのだが、この地図には駅が示されていないので、まず方角で迷う。ドイツと同じでオランダにはすべての通りに名前がついているので、一つだけでもその通りが認識できれば後は大丈夫。しかし、大きな地図に細かな道がたくさん記されていると、求める名前を探すこと自体が大変だ。大きな荷物を抱えながら目的のホテルにやっとのことで到着した(初めから路面電車のルートが分かっていれば、もっと楽だったろう)。  デン・ハーグの街は日曜日であるせいなのか、とても閑散としていた。駅前に超近代的な高層のビル(デザイン的にすぐれている)があると思えば、宮殿風の非常に大きな古い建物が運河沿いに続いている。(後で分かったのだが、オランダの国会議事堂だった。なんと立派な!)自転車道路、路面電車道路、車道、歩道と4つがきれいに分かれていて、道路が全体としてとても広いせいか、街の見通しがよく、気持ちがよい。花壇や街路樹も到るところに目にするし、洗練されたショーウィンドを持つお店などが並ぶ路地も面白い。なぜか書店、ギャラリー、古本屋が多い。日本人が着ても似合う人は少ないだろうなと思える、いかにも高級で見栄えのするスーツやドレスのお店も目に付く。もちろん、教会の聖堂や塔もある。  ただ、日曜日だということでレストランがほとんど閉まっていて、探すのにちょっと苦労した。1件見つけて入ったのはおよそ午後4時半。夏の盛りに入っているのだろうか、非常に日差しが強く、かなり暑い(蒸し蒸しはしないけど)。美味しいビールを飲んで、まったくわからないオランダ語のメニューを見ながら給仕の人にひとしきり説明を受けて、海産物の取り合わせがいろいろある品を注文した。海老やイカの揚げ物や炒め物が中心だったが、なかなか美味しかった。いつものうように、店の外にテーブルを並べているテラス風のスペースで(正式にはなんて言うのでしょう、こういうスペース?)食べたが、60席くらいあるとこ���に数組しかおらず、日本だったらかかっていそうなBGMもまったくなく(これは街全部がそうです)、なんとも静かでさんさんと明るい夕方だった。こちらのカラスに相当するのか、日本のカラスの半分ほどの大きさのカラスが、もの欲しそうにテーブルのまわりをちょっと高めのトーンの「カァ」という鳴き声を出しながらうろついているのがおかしかった。  夜は9時半頃まで明るいので、食後もデン・ハーグの街をぶらつきながら、明日のインタビューや明後日の「被曝モデル」の相談、そして日本の友人たちのことを考えた。国際電話をかけてみようかなと思ったが、時差が7時間ほどあるので、日本は真夜中。さすがにあきらめました。
6月20日(月) デン・ハーグ  デン・ハーグでの取材の日。  朝一番に、取材先である「オランダ健康評議会」が入っている建物を探す。駅からホームページにあった指示通りに歩いてみると、なんと昨日デン・ハーグの駅に着いてすぐに通りがかった巨大でモダンな建物の中にあることが分かった。この建物自体は「健康、福祉およびスポーツ省」という政府の省庁であり、その中に健康評議会が入っている。  今日も朝から相当暑かった。部屋には冷房が欲しいほどだったが(ちょうど朝の日差しが部屋に入ってくる位置だった)、安いのホテルの悲しさで、空調はなく、トイレとシャワー室も共用。少し落ち着かない感じでシャワーを浴び、インタビューの準備をする。  お昼の2時頃に永瀬ライマー桂子さんが宿に到着。1年ぶりに再会する。今日と明日のインタビューの通訳していただくためだ。本日のオランダ健康評議会は英語でのインタビューも可能であると知らされていたが(というより、オランダ人にとってドイツ語を使われることはむしろ若干嫌われる傾向がある、第二次大戦でのドイツによる支配の歴史があるから)、相手にドイツ語で話を進めてみることを承諾してもらえるようならそれでいき、専門用語などで差し障りが生じるようなら英語を随時使うという方針にした。  インタビューの時間(午後4時半)を迎えて建物の中に入っていったのだが、ベルンの時にもまして、とても省庁とは思えない見事なデザインと構造になっていることにまず驚かされる。入口で電子入館証となっているカードをもらい、目的の部屋まで歩いていったが、階段といい、各部屋といい、資料が並べてあるスペースといい、モダンな博物館・美術館といった雰囲気がしてならない。健康評議会の入口には、何ゆえか日本の着物とおぼしきもの(ただし人が着るものの2倍くらいはありそう)が飾ってある。秘書さんが待ち構えていてくださって、部屋に通され、冷たい飲み物をすすめられた。普段から打ち合わせに使っていると思えるそのオフィスのものも、明るくて落ち着いたオレンジっぽい色調で統一されている、広くて清潔感にあるれる部屋だった。  インタビューに応じてくださったのは、健康評議会のヘッドの地位に相当すると思われるExecutive DirectorのPasschierさん。白髪の60歳ほどのお年にみえるいかにも厳格な学者を思わせる感じの方だ。マースリヒト大学のリスク分析の特任教授もしておられる。105年の歴史を持つこの健康評議会が、公衆衛生や健康にかかわる政策決定をなすにあたって必要な専門的情報や判断を政府や国会に提供するための研究機関であり、かつ審議・諮問機関でもあることから話が始まった。200人ほどの専門家(科学者、公衆衛生関係者)を擁して、政府からは独立しながらも、科学技術政策のためのブレインとして機能する極めて重要な機関だ。 Passchierさんの話は脳死臓器移植や環境問題、予防原則の一般論にも及び、驚くほど守備範囲が広いことを伺わせたが、さらに驚いたのは、おそらく扱う領域の一部でしかないはずの電磁波問題に関しても、こちらが言及した、国際的にある程度知られた報告書やデータのことはどれもよくご存知で、「日本にはこういうタイプの専門家はほとんどいないのではないか……」と感じないではいられなかった。Passchierさんは「予防原則は科学的根拠に立脚しつつ適用することができるものだ」との考えを示されていたが、オランダが予防原則をどう政策に適用していくかの方針に関わる報告書を現在まとめておられるとのことだった。年末に英語で報告書がまとまるらしい。私の直感だが、これは世界的に見て、予防原則に関する重要な文書になるのではないだろうか。インタビューの詳しい内容は、また別の機会に紹介する。  取材を無事終えて、永瀬さんが前もって教えてくれていた「オランダはインドネシア料理が美味しいのですよ」という教えにしたがって、ホテルの近くのインドネシア料理店に入る。食べ物が美味しかったのはもちろんだが、お店の店主やウエイトレスさんたちが大変フレンドリーで、思いっきりくつろげた。店を出た後もホテルの軒下のカフェ・スペースで引き続きビールをいただき、気づいてみれば4時間ほども楽しいおしゃべりに興じたのだった(次々と面白い話題が飛び出してきて、笑いすぎてお腹が痛かったです)。 
6月21日(火) デン・ハーグ→ケルン→フランクフルト  昨年も訪れたnova研究所(nova-Institute)でのインタビューのために、デン・ハーグからユトレヒトを経てケルンに向かう。ユトレヒト行きの電車が、通勤に利用されているのか、けっこう混雑していた。途中の駅で電車が何かのトラブルのために止まってしまい、「どうしたのだろう?」と思っていると、「ドアが開きません。今開けようとしています」とのことで、都合1時間近くも遅れることになった。でも乗客たちはそんなに焦っているふうでもなく、車内アナウンスが流れたときに苦笑している人が多かった。  ユトレヒトからケルンに向かう電車では、指定席のコンパートメントは4人が2人ずつ向かい合う形の座席だったが、同席したアメリカ人のビジネスマンが、同席のよしみで声を交わすうちに、なんと永瀬さんが学んだのと同じオランダの大学の同窓生であることが判明。ひょっとして同期かもしれないと、話が盛り上がった。彼は物理学を専攻して、情報系の会社、自動車メーカーと勤め、今は放送関係企業のIT関連の部署で働いている。一流のビジネスマンであり、極めて頭がよいように思われた。私が「電磁波問題でWHOのワークショップに参加した」と言ったら、俄然興味を示し、電磁波リスクのことやモバイルのシステムや規格のことなどで矢継ぎ早に質問を投げてきて、ひとしきり議論してしまった。日本では乗り合わせただけの他人とここまで話が弾むことはなかなかないので、これも国境を越える旅だからこその体験かなと思った。  電車のトラブルはあったものの約束の時間に10分遅れほど駆け込むことができそうなので、ケルンの駅について駅前の超巨大な大聖堂に見とれる暇もなく、すぐさまタクシーに乗り込んでnova研究所に向かう。  1年ぶりに再会したスタッフのPeter Nieβen博士およびMonika Bathow さんのお二人は、素敵なアパートメントの2階つながりの部屋を使った事務所で私たちの到着を待ち構えてくださっていた。「この1年の活動はどうでしたか?」と聞いてくださったので、食プロジェクト、ナノテクリスクプロジェクト、生命操作プロジェクトのことなどとともに、電磁波プロジェクトで行った、関東の鉄道会社13社への「電車内の携帯電話使用に関する公開質問状」のことなどもお話した。  nova研究所は、電磁波、過疎地域援助(EUから資金援助を受けて、旧東ドイツの産業不振地域などを対象に)、代替原料(ディーゼル→菜種油、木綿→麻などエコロジカルな原料の推奨・普及)の3つのテーマに取り組むNPOで、専属スタッフ20人、うち電磁波チームは4人でそのうちの2人が電磁波問題専属だ(インタビューに応じてくれた二人が専属である)。  このたびは、市民科学研究室の「電磁波プロジェクト」がIHクッキングヒーターの調査研究をすすめるにあたって、いかに被曝モデルを設計して有効な計測データを得るのか、そして得たデータをリスクの評価にどうつなげるかを相談するのが目的だ。ドイツではIHはほとんどまったく普及していないが(逆に「日本ではなぜ普及するのですか? 電熱器ではダメなのですか?」と訊かれました)、nova研究所が様々なところから請われて精密な電磁波計測(低周波ならびに高周波)を行っているので、私が考案した「IH被曝モデル」が妥当かどうかを議論していただこうと考えたわけである。  近くのレストランでの庭先のテーブルを囲んで、私が用意した資料などにも目を通してもらいながら、熱心に意見を述べてくださった。計測にあたっての具体的なアドバイスもいくつかいただき、本当に来てよかったと思った。2時間半に及ぶ話し合いが終わり(永瀬さん、通訳お疲れ様でした!)、お二人はアップルパイを私たちにおごってくださった。いやー、そのパイの大きいこと! お二人の心の広さ、暖かさに似つかわしい、大きくて美味しい手作りパイだった。  nova研を後にして、ケルンの駅で永瀬さんと別れ、フランクフルトに向かう。昨年泊まったのと同じ駅前のホテルを予約しておいたのだが、その場所が変わっていて、戸惑ってしまった。この欧州旅行の最後の夕食を、喉越しに気持ちよいビールとともにいただいた。ひと時の夕立も涼しい夜を招いてくれる恵みのように感じられた。
6月22日(水) フランクフルト→(アムステルダム)→成田  11日間の欧州取材旅行を無事終えて、11時の飛行機に乗るためにフランクフルトに向かった。フランクフルトは欧州最大の空港で、成田空港も作る際に日本から視察団が訪れて参考にしたといわれる。オランダ航空の便に南米からの一行が乗り合わせたのだが、陽気で騒がしく、この人たちもし12時間も飛行機で隣同士になったら大変だろうな、と思った。中継はアムステルダム空港だったが、これがまた大きい。トランジットで1時間半ほどあったので、御土産の買い物がてら時間をつぶしたのだが、「寿司バー」(カウンターで寿司とワインがいただける)あり、インターネットカフェあり、大きな書店あり、高級ホテル風のレストランあり……で飽きさせない。チーズを数種類買ったが、その際に搭乗券の提示を求められ、バーコードが素早く読み取られるシステムになっていた。  11時間のフライトは、窓際の座席の上の蛍光灯が始終点いたままになっていたので、快適とはいいかねたが(私は外が明るかったり、電灯が点いていたりすると、眠れないのです)、途中で延々と広がる雲の“大海”のはずれから太陽がゆっくりと昇る、極めて美しい“日の出”を眺められたのは嬉しかった。驚いたのは、機内でヘッドホンで聞ける音楽のうちクラシックのチャンネルをひねったら、ずいぶんと通(ツウ)向きの曲が流れていたこと。私が愛してやまない、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲たちの嚆矢、第12番の第一楽章が、久しぶりに聞けた。雲上で体験する“日の出”とボンの巨匠の流麗な音楽。ヨーロッパの旅の締めくくりにふさわしいな、と思った。
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gghghhgghgghhg-blog · 7 years
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 知人が奄美大島に行って夏ですねとか海ですねとか言ってて妬ましさのあまりプロポーズしに行くぞ畜生とか思ってたんですけど、どこかでなにかがねじ曲がって、南の島には女子中学生がいて都会で疲れた人が行くと癒やしてくれるという都市伝説を思い出しまして、妄想がさらに発展して止まらなくなったのでなんか書いておきます。なお資料はウィキペのみなのであまり深く突っ込まないでいただけると幸いです。さすがに1記事で15000字越えはちょっと頭おかしいかなと思いました。なおまだ完成してません。気が向いたら続き書きます。
 俺の名は田中(仮名)。東京の都心で働く仕事に疲れた会社員である。年齢は27歳であり、年収は550万程度であり、結婚はしておらず、彼女とかはいない。いたことがない。まあ首尾よく社員としてそこそこの企業に潜り込めたはよかったが、なんかもう疲れた。どのへんに疲れたかというと、仕事をすることになんの意味も感じられないあたりである。金を稼ぐ。自分を養う。ではその自分はそんなに大事な存在なのかというと、けっこうどうでもいい。最近ベルトがちょっときつくなってきたわりと死んだ目をした独身のアラサーなどこんなに真剣に養ってやる必要がどこにあるのだろうか。  そう思った俺は発作的に会社をやめることにした。やめるにあたってはけっこういろいろあったのだが、なんかもうすべてがめんどくさいので「故郷の親が危なくて」で押し切った。まあこの時代、先のことを考えておかないと、いざとなったときに社会復帰できないという恐怖がないではなかったが、いざとなれば実家に戻ってフリーターでもやりゃいいやくらいの気分しかなかった。どうせ自分ひとりを食わせればそれで充分なのである。まあ親が帰ってこいとやかましいのは事実であるし。  というわけで、必要な手続きすべてを終えた帰り、ドトールに入って、その場でスマホで航空券の予約をした。夏とはいえお盆も過ぎて八月も終盤となると、格安航空券も取り放題である。出発はあさってということになった。
「あづい……」  実のところ、南の島とかに来てもやることはなんにもないのである。空港から島いちばんの都会までは、直行のバスがある。昼下がりの南の島は、圧倒的な直射日光の下、静まり返っていた。いや、車はけっこう通るんだけど。  印象といっても、特になにかあるわけではない。いってみれば、市街地である。大きな違いといえば、建物が平均的に低いせいか空が広く思える。あと道端にも南国っぽい木が平然といることだろうか。それ以外は、見慣れないチェーンながらもコンビニもあるし、ファミレスもある。なんなら筆文字で看板書いた「こだわってます」的な雰囲気を醸し出したラーメン屋もある。 「でも、まあ……」  俺は目を細めて空を見上げた。  空が青い。この青さは、いっそばかげている。いくらお盆は過ぎたとはいえ、しょせん日本は高温多湿、さらにこの島は降水量がやたら多いことでも知られている。豪雨災害なんかでもよく名前が挙がる島だ。いまも空にはおそらくぼんやりと水蒸気がかかっているのだろうが、そういうことは抜きにして、純度の高い青空だと思った。絵に描いたような入道雲なんて、いったい何年ぶりで見たんだろう。東京で、あるいは関東地方で見れないということもないと思うのだが、海というのは、自分とは違う民族の半裸族が闊歩する恐怖の場所、みたいな価値観の自分では、あまり見ることはなかった。  そして空気だ。  俺には年の離れた妹がいる。その妹というのがけっこう重度の喘息持ちで、東京都内に入るとてきめんに発作を起こす。そばにそういう存在があると、空気の汚れにはかなり敏感になる。かすかな潮の香りは、都会のそれのように淀んだ感じはまったくなく、どこまでも清々しい。  どこからか子供の笑い声がする。どうやら空を見て呆然と口を開けていた俺を見て笑ったものらしい。わりと気まずい。  なので、目の前にある、なんか筆文字で「一生懸命営業中」みたいなこと書いてあるラーメン屋に入った。 「らっしゃい!」  おっちゃんの威勢のいい挨拶に迎えられた。あとエアコンのものすごい冷気。壁面には鹿児島とんこつラーメン的なことが書いてある。ふだん家系しか食わない俺ではあるが、わざわざこんな場所まで来て家系にこだわる理由はない。それに鹿児島はラーメン激戦区でやたらレベルが高いという話を聞いたことがある。 「チャーシュー麺で」 「麺と脂は」  え、選べるんだ?  にしてもだ。  こういうところに来るときっと方言すごいんだろうなーとか思ってたのだが、おっちゃんの言語は別にふつうだった。ただ、イントネーションのことごとくが俺からするとおかしい。 「お兄さん、観光かい」  おかしい。圧倒的におかしい。まったく聞き慣れないイントネーションである。なんならいっそのこと異国情緒感じるレベルである。つーかおっさんの顔すごい濃い。 「まあ観光のー、人はーすぐぅわかるから��ー」  な、なんとか俺のこの違和感を感じ取ってほしい。 「なんか、ある���ですか。その、観光名所とか」 「うーん……地元の人間にはよくわからんな。だいたいほら、観光の人はまず鶏飯食べに行くでしょ。わざわざラーメン食べに来る人は珍しいよ」  そう言いながら、大島紬記念館、金作原生林、などとぽつぽつと観光名所らしきものを列挙してくれた。 「あそーそー。うちの姪っ子がさ」  とつぜん身内話が始まった。  なにごとかと思って身構えると、ラーメンの丼が出てきた。ものすごい腰の折られかたである。  出てきたラーメンは、白濁したスープでいかにも豚骨風。そこに大量のネギ、豚バラっぽいチャーシュー。れんげはカウンターに立ててあるから、それを使ってスープをすくって飲む。 「うわ、うっま」  思わず声に出た。  豚骨の臭みはある。あるのだがコクがやばい。そしてコクがあるのにあっさりとスープが喉を通る。 「いや、うまいっす」 「ありがとう。都会の人なんかもっとうまいラーメン屋いくらでも知ってるだろうに」  謙遜も甚だしい。固めの細麺はスープとの相性もばっちりであり、なによりチャーシューがやばい。なにこのやわらかさ。しばらくは俺が麺をすする音だけが店内に響く。 「あ、それでな。うちの姪っ子が」 「はいはい」  ラーメンに夢中なので話半分にしか聞いていない。 「あの、ほら、MPS? ボランティア?ってのやってて」  なんの略だろう。ボランティア……まさかNPOじゃねえよな……。 「土日に、地元の中学生が観光案内するっつー、なに、その企画みたいなのあんのよ。社会勉強みたいなもんかね」 「はあ」 「行くとこ決まってないなら、そういうの、どうかね」  まあ子供のやることなんだから、素人同然なんだがね、などと付け加えながら、なんかこう、某いらすとが有名ないらすと屋さんの絵とかワードとか使ったような素朴な味わいのA4のチラシをいただく。出現!創英角ポップ!! 「ごちそーさんでした」 「あぃやとーざいゃした!!」  代金900円を払いつつ、元気のいい声に送られて店を出る。  そしてまた灼熱の地獄である。エアコン効きすぎの店内で食ってたせいか、汗ひとつかいていなかったものが、ここに来てどっと汗が出た。喫煙者の俺としては一服したいところだったが、あいにく見える範囲に吸えそうなところはない。もっとも自転車のじーちゃんめっちゃタバコ吹かしながらふらふら走ってるけど。あれいいのか。  裏道では人もあまり通らないことであるし、ガードレールなんぞに腰掛けて、もらったチラシを見る。  地名はよくわからない。が、市街地からはそこそこ距離があるようだ。  少し考えてから、スマホの検索ウィンドウに「レンタルバイク」と入力する。結果、1件ヒット。  とりあえずの行動方針が決まった。あとはスマホの電源を切ればいい。もう、俺を束縛するものは、なにもない。
「ああああああああ……きーえるひこーきぐもー……」  バカみたいに声が出る。  海辺の道やばい。夏の空気突っ切って原付で走るのまじやばい。もうこれはほぼセックスといっていい。夏とセックス。セックス。煮詰まった独身男の思考はろくな方向に向かわない。ここには女性はいない。  気分いいなんてもんじゃない。  そもそも原付なんてものに乗るのが学生以来だから、もう10年近くだ。最初はおそるおそるアクセルを回していたものの、慣れてきたらコツを思い出した。そして市街地を出ると車の数は激減する。幅の広い二車線道路、路面状態も良好。車も少ない。そんな海辺の道を風を切って走ってたら国歌のひとつも口をついて出そうになるというものだ。いや、出てた。  もう、やばいの。濃密な緑色と、そこから飛び出しように生えているバナナみたいな木。エメラルドグリーンの海。スクーターで曲がるにはちょうどいいカーブで少し内陸に入ると、山のあたりでは切通しがある。その切通しを抜けると、また眼下には海が広がる。海に飛び込むようにまっすぐ下りていく道路。  とうの昔に営業をやめたような食堂めいた建物があって、その前に、こちらはぴかぴかの例の赤い自販機がある。ラーメン食ってからなにも飲んでいなかったので、そこにスクーターを横付けにして、飲み物など買う。  携帯灰皿は持参しているし、これだけ人がいないのなら、まあ一服くらいしても文句は言われないだろう。スクーターのシートに横向きに腰掛けて、海を見ながらタバコに火をつける。目線の高さに、海がある。とても近い。  チラシに目を通す。「わたしたちが、ご案内します!」という文字と、制服姿の女の子のイラスト。学校やPTAの名前も並んでいる。ぶっちゃけ最初に「姪っ子の中学生がご案内」という文字列を聞いたときには、迂闊に乗ったらそのまま交番に連れていかれる系のやつかと思ったが、地域ぐるみともなれば、そういうこともないのだろう。それにまあ、中学生といってもかならずしも女子が出てくるとも限らない。つーか年齢関係なく女子と名がつくものは苦手なので、積極的に避けていきたいスタイル。  どのみち予定なんか決まってない。なんなら帰りの切符の手配すらしてない。だとしたら、なりゆきで行動を決めてしまってもいいわけだ。なぜなら俺は自由なのだから。  ……などと言いつつ、やはり連絡が入ってないかどうか不安になって、スマホの電源を入れてしまうのは現代人の悲しい習性である。 「……」  着信6件。  え。  めったに見ない数字を見て呆然としていると、すぐにスマホが震えた。 「はい?」 『お兄ちゃん!?』 「え、ええ、ああ、おう!?」  切羽詰まった声にスマホを取り落としそうになった。  電話は、妹からだった。 『いったいいまどこにいるの!? 連絡しようと思ったらつながらないし、会社に電話したらやめたっていうし、心配したんだからね!?』 「あ、ああ、すまん……」 『法に触れるようなことはしてないんだよね!?』 「安心しろ。そんな度胸はない。つーかおまえは自分の兄をなんだと思ってるんだ……」 『ロリコン』 「ちげーよ!」  二次限定だし。 『シスコン』 「そっちはもっと違う」 『死ね!』  なんでいきなりキレるんだよ……。 「つーか用事なんだよ」 『お母さんが、週末には帰って来いって』 「あ、無理。いま俺、南国の島」 『どういうこと……』 「アローハー」 『うっざ……。ていうか、ちゃんと説明してよ……なにやってんのお兄ちゃん』 「あーうん、まあ……」  確かに実家への連絡を忘れていたのは俺の落ち度だった。ここまでの事情をかいつまんで説明する。が、やめた動機については、自分でも曖昧すぎてうまく説明できない。 『……なんか、よくわかんないけどさ』  妹が電話の向こうで深々とため息をつく。 『実家、戻ってきてもお兄ちゃんの居場所なんてないからね』 「そんなんわかってるよ。ただでさえ敷居高いんだし」  実家に戻るのは、あくまで最終手段である。 『……』 「なんだよ」 『お兄ちゃんのバカ!』  電話が切れた。  意味がわからない。  思春期?  17歳にもなって思春期はねーよな……。 「でもまあ……」  俺はスマホをポケットにねじ込む。  なんか少し、ほっとした気がする。遠く離れた南の島で、聞き慣れた声を聞く。ここもまた、日常と地続きである。考えてみれば、なんだか俺は無理にはしゃいでいた気もする。  そりゃまあ、特に問題なく勤めていた会社をやめて、不安がないといったら嘘になるのだ。不安をごまかすいちばんよい方法はなんであるか。  そ���ゃ、不安なんて存在しないんだと、なかったことにしてしまうのがいいに決まっている。  また、スマホが震えた。LINEの着信である。  妹さまからだ。 『バカ!』  と書いてあった。だからなんなんだよおまえは。
 目的地はまでは40キロほど。車だと1時間弱の道のりだが、スクーターだともう少しかかる。通年で営業している民宿があるようだったから、予約の電話を入れる。今日は金曜だから少し不安はあったが、問題なく予約できた。そして電話越しに聞くとイントネーションの不思議さは決定的である。  現地に着いたのは夕方の5時。  そこには、ちょっと冗談のような光景が広がっていた。  海岸線ぎりぎりのあたりを、緩やかなカーブを描いて貫く、真新しい舗装の道路。その海岸線まで山が迫っていて、わずかな平地に家が一列に建ち並んでいる。どこまでも続く石塀と、低くて黒ずんた屋根の平屋建て。海側にはさほど高くない堤防があり、堤防の向こうには、真っ白な砂浜が広がっている。その向こうには、こんな時間だというのに真昼の輝きを失わない、透明度の高い海が、どこまでも、本当に見渡す限りどこまでも広がっていた。 「おあー……」  堤防に座った俺は、なぞの呻きをあげた。  海を抱くように、両側に長く岬が伸びている。その岬が太陽の光を遮り、海を二色に分けていた。透明度の高い海は、光の乱反射で、なんの色ともいえない複雑な色味を呈していた。ただ、圧倒的で、きれいだった。日差しはかなりやわらいでいて、海から吹く微風がここちよい。 「夏だわ……」  正しい夏。本当の夏。  学生のころに思うぞんぶん夏を楽しまなかった、楽しめなかった人間は、すぐにそういうことを言い出す。それが幻想だということを百も承知でだ。  なんだ、あるじゃん、ここに。  これが本物でなくて、いったいなんだというのだろう。  宿さえ予約していなければ、ここでこのまま眠ってしまいたいくらいだった。  大学を卒業して、働きはじめて、長期休暇は混雑がいやだからどこにも行かず、冷静に考えてみれば、俺をそこまで束縛するものはなにもなかったかもしれないのに、それでもなにもせず。穴蔵みたいなワンルームで腐っていく。そんな妄想をいつもしていた。  飛行機に乗って、ここにたどりつくまで、半日も経っていない。  俺はいったいなんのために、なにに束縛されていたのだろう。  背後に人家さえなければ、俺は力の限り、大声で海に向かって叫んでいたと思う。それくらい、なにかの箍が外れたと思った。  てゆうか、その人家のほうに人影がある。数人が集まって、俺のほうを指差してなんか言ってるのが見える。  あ、これ知ってる。たぶん不審者扱いだよね。  俺は堤防から身軽に飛び降りたつもりで運動不足の下半身がしたたかなダメージを受けたのを感じつつ、道路の反対側にいる人たちに手を振った。小走りで走ったつもりになりつつ重力をその身で感じながら、道路を横切りつつ、声をかける。 「すいませーん、よしだ旅館ってこのへんですかー?」  警戒もあらわにしていた人たちが、その名前を聞いて、お互いの顔を見合わす。構成メンバーは、ばーちゃん一人、中年のおばちゃん二人、あと中学生くらいの女の子が一人である。 「まあまあ、それじゃあなたが予約の方ですか?」 「はい。って、え? じゃああなたが」 「はい。よしだ旅館の女将です」  よかった……名乗ってよかった……これから世話になる民宿の女将に不審者扱いされかけてた……。
 民宿ってのは初めて泊まった。あんまりプライベートが確保できなさそうなイメージだったが、まあだいたいそのとおり。食事は食堂というよりほとんど居間みたいなところで、経営している家族と一緒に食べる。メンツは、さっきの女将と、その旦那さん(やっぱり顔が濃い)。あと、さっき一緒にいた中学生の子は、ここの子だったらしい。そんで宿泊客は俺だけ。  つーかやばいのはメシ。魚介類まじやばかった。俺は本来あまり海鮮は好きじゃないのだが、好き嫌い無関係にうまいものはうまいのだと今日知った。女将さんいわく「急だったから大したものは用意できなかった」とのことだったけど、あれが大したものじゃないのだとしたら、大したものはいったいなにが出てくるんだ。想像がつかない。黒糖焼酎なるものを生まれてはじめて飲んだ。もともと酒は強いほうではないし、飲むとしてもチューハイくらいである。とうぜんストレートやロックはきつかった。そこで出てきたお湯割りってやつが、意外なくらいうまかった。クセはあるのだが、なんというか、まろやかで、香ばしい感じがする。  というわけで俺はいま、自分の部屋としてあてがわれた6畳間でひっくりかえっている。食い過ぎである。飲み過ぎというほどではないが、めったにないこと酔った。  時間は7時半。驚くべきことに、窓の外の海は、まだぼんやりと夕暮れの名残がある。窓を開けると、意外なくらい涼しい風と、奇妙な虫の声が聞こえてきた。あれはセミ……なんだろうか? 俺の知ってるセミと違う……なんかこう、セミ?的な。電子音っぽい……。  そして潮騒の音がここまで届く。  ときおり、車のエンジン音がして、セミが鳴きやむ。車が通り過ぎると、またセミの声。それ以外は、本当の無音である。  と、思いきや、なにか太鼓のような音が響いてきた。闇夜を揺るがすくらいの大音量だ。それに続いて、民謡の節回しが聞こえる。かなりの人数で歌っているのだろうか、太鼓に負けないくらいの音量である。メロディとしては、沖縄の民謡というよりは、俺が知っているふつうの「民謡」に近い。ただ、メロディが実に陽気だ。太鼓のリズムはどんどん速くなっていき、それに応じて歌も高揚していく。  ほとんど、異国に来たような気分だった。  俺は、呆然と、その響くような音楽を聞いていた。  ぎし、と背後で音がした。  思わず振り向く。  その音そのものには心当たりがあった。というより、古い木造家屋で育った人間なら、その音は馴染みが深いものだろう。  廊下へと続く襖は開けっ放しだった。そこに、ぎくりとした顔で立ち止まっている少女がいる。食事のときも見かけた、この宿の娘さんだった。  部屋の蛍光灯に照らされたその顔は、よく日焼けしていて、ぽかんと開いた口から覗く歯が、やけに白く見えた。 「あ、ども」  曖昧に挨拶をする。  ぺこりと、娘さんは首だけを曲げた。そのまま立ち去ろうとするのを、なんとなく呼び止めてしまった。 「あの、音楽って」  娘さんは振り返る。 「いま鳴ってる、太鼓の音、あれ、なに?」  体ごとこちらに向き直すと、つまらなさそうに答えた。 「八月踊り」  こちらがまったく理解してないのを察してくれたのか、ぽつぽつと続けた。 「八月に、踊る」 「ああ、うん……」 「ごはん食べたり」 「うん」 「お酒飲んだり」 「うん」 「屋根に上ったり」 「……うん?」 「なんか、お祭り」 「そ、そうなんだ……」  ぺこっと頭を下げて、娘さんは床を軋ませながら走り去る。  なんか、ぜんっぜんわかんねーな……。  ちなみに、この宿の娘さんがなぜこの廊下を通っていたかは、酔いが覚めてめっちゃトイレ行きたくなったら判明した。そうよね……古い木造家屋ってトイレっていちばん奥まってる場所にあるもんな……。
 朝は、起こさなくてもいいと伝えてあった。  が、自然に6時くらいに目が覚める。つーか暑い!! エアコンなしでもあんがい寝れるもんだなーとは思ったけど、朝になったらこの日差しである。太陽まじ容赦ねえ。  セットしてあったスマホのアラームも意味がなかった。ちなみにスマホだが、驚くべきことに、こんな海辺の小さな漁村であるにもかかわらず、ちゃんと電波は来る。そしていつ届いたのだろう、妹からは「実家にはもう、お兄ちゃんの居場所なんてないんだからねっ」というツンデレのようなメールが入っていた。なんのキャラを演じてるんだろう……いや待て、もともとそういう傾向あったような気がする……。  その後、軽く調べてみた。  八月祭りというのはなんちゃらペディア様ほかを参照すると、鹿児島から沖縄にかけてよく行われる祭りであるらしい。動画もあったので確認してみたが、まさに昨日聞こえてきたアレである。BPMは最終的には相当のレベルまで上がる。日本の民謡のようだといったが、ものによっては指笛なんかも入っていて、そのへんはやはり沖縄の雰囲気を感じる。このあたりでは旧暦の8月、つまり9月の末から10月の頭にかけておこなわれることが多いようだった。  朝食は8時からとのことだったので、顔を洗って、周囲を軽く散歩してから宿に戻る。  食堂には女将だけがいて、食事は俺のぶんだけが用意されていた。どうということのない旅館朝食メニューだが、中央にどっかーっとなんか巨大な白身魚の焼いたやつが置いてある。あと娘さんがテーブルの反対側に用意されている。別に俺のためじゃないからこれは関係ないか。あいかわらずむすっとしてるのでちょっと気まずい。 「この魚……なんですか?」 「ん? アオマツだよ」 「ほー」  聞いてもわからん。すぐにでもウィキペ先生に聞きたくなるが、まああとでいい。  そんでまあ、うまい。白身魚っていうと、すぐにぼろぼろとなるような印象があるんだけど、噛みごたえがしっかりしていて、旨味すごいある。必死に食ってると汗が出てくる。家のなかは意外なくらいに涼しくはあるのだが、しょせんは夏である。南国である。ちなみにこの食堂、エアコンあるんだよね……なんでつけてくれないんだろう……。  なんとか食い切ると、女将さんが麦茶を持ってきてくれ。礼を言ってコップを持つと、手を思わず引っ込めるほどキンッキンに冷えている。飲むと体からすーっと熱さが抜けていく感じがする。なお娘さんはプリンをちまちまと食っている。こればかりには日本全国どこでも同じ、例の底の穴がプッチンするとプリンが出てくるやつだ。 「お客さん、今日は?」 「いや、特に予定ないです」  宿はいちおう2泊取ってある。つまり、今日一日はまるごとフリータイムである。 「じゃあさ」  女将さんが、娘さんの肩に手を置いた。 「今日は、この子がガイドやるから」 「はい?」 「だから、ボランティア」 「……え?」
 実はもらったチラシは、昨日の夜に女将さんに渡してあった。わざわざ書くまでもないだろうと思ったのは、もう実質的にその制度は廃止になっていたからだ。 「田舎の人間はねえ、こういうのぱーっとやりたがるんだけど、反響がないとすぐに放り出すんだよー」  まあ田舎に限らずそんなもんであろう。  俺としては、別にそれ目当てで来たわけではない。単にきっかけに過ぎない。女将さんもその話はそれで切り上げてしまったので、まあそういうもんだろうと思っていた。  そんで、なぜかいま、炎天下、俺は宿の娘さんと二人で立っていた。  この子、ちっこい。中学生にしてもちっこい。さらに日焼けした肌と、わりとてきとーに短く切った髪と、アディダスとか書かれたどうでもいいTシャツにハーパンで子供っぽさ役満である。どうかすると小学生に見える。虫取り網似合いそう。俺と並ぶとほぼ親子である。  ……親子ならまだしも、犯罪臭漂ってねえよな?  親子と言い切るにはちょっと微妙な感じだ。俺が27歳。この子が中学生。お兄ちゃんでギリギリ行けるでしょうか。  奇妙な電子音っぽい鳴き声のセミが鳴いている。潮騒の音と、背後の山が風でざわめくかすかな音。圧力すら感じる直射日光。ここは静かだ。すっげえ間がもたねえ。 「あ、あのさ、その、俺、別にひとりでかまわないし、女将さんにそう言ってくるから」 「……」  娘さんは首を横に振った。 「お母さん、怒ると怖いから」 「あー」  うん……なんか断れない雰囲気あるっていうか、押し強そうだしね……。 「おじさん」 「……」 「……おじさん」 「……俺?」 「うん」  俺は思わず娘さんをガン見した。  つむじ見えた。  ……ですよね。ええ。うん。いいんだけど別に。わかってるから。これくらいの年の子から見たら俺もうおっさんですよね……。でもなあ、同期のなかじゃ比較的童顔で通ってるんだけどなあ……。 「おじさん、どこ行くの?」 「どこって……え、それはガイドさんが案内してくれるのでは?」 「だって、観光しないし」 「ですよねー。あと俺は27歳です」 「……?」 「27歳は、世間的にはおじさんかなー?」 「うん」 「あーうん。そうですか……。ちなみに君は……えっと……」 「中2」 「まじで!?」  言った瞬間、抗議の視線が飛んできた。踏んじゃいけないもの踏んだらしい。まあデリカシーのなさには自覚がある。まあ自覚あったところで治るものでもないんですけどね!  ともあれ、場の空気はもっと悪くなった。 「んー、じゃあさ、とりあえずふだんよく行くところとか案内してよ。こっちはなにも知らないし、こんな場所まで来たの初めてだから、なに見たって退屈しないし」 「私がつまんない」 「いや、そこは折れようよ……」 「……」  娘さんは、ちょっと考えたあと、学校、店、海、おじさんち、むらかみさん、などの単語を挙げた。後半ちょっとよくわからない��。 「ほんとに、こんなんでいいの?」 「なんでもいいって。ほら、君だって別に来たくて来てるわけじゃないし、俺も無理させてるようで気が引けるし、ちゃっちゃと済まして、やることやったよーってお母さんに報告すればいいじゃん」 「別に、いやなわけじゃない」  ふてくされた顔で言った。あ、いちおうそういう建前を言う感覚はあるんだ。  娘さんが歩き出す。俺もそのあとをついていく。  ゴオオと空気を切り裂くような重低音が響いてきた。思わず空を仰ぐと、かなり低い空を飛ぶ飛行機が見えた。その金属質のボディと、轟音と、夏の空とは、なぜか調和しているように見える。
 人っ子ひとり通らない海沿いの道を淡々と歩く。セミの声となんかよくわからんけどとにかくやかましい鳥の声。ときたま通りかかる車の音以外はほんとうに自然の音しかない。こんな場所を知らない人間と二人で歩いていると、現実感みたいなものが失われてくる。あと娘さん、歩くペース速い……。  ふくらはぎが痛くなってきたのを自覚しつつ、俺は娘さんに話しかけた。 「そういえば、名前聞いてなかった」 「……?」  娘さんは振り返った。振り返って、不思議そうな顔をした。 「おじさん、足遅いの?」 「……ハハハハおじさんだからね」  いま気づいたけど、人に言われるより自分で名乗るほうがグッサリ来るなこれ……。 「もうちょっとゆっくりしたほうがいい?」  気遣われました。ありがとうございます。死にたい。  そうは言ってもこの直射日光、けっこう来るものがある。気温そのものは、たとえば東京都心の昼下がりなんかと比較すると、そこまでやばくはない。なにしろここでは心地よい風が吹く。ただ日差しな。直射日光ってのがここまで人体にダメージ与えるものだとは思ってなかった。 「暑いの?」 「暑い。つーか君、よく平気だね」 「だって、10月くらいまでずっとこんな感じだし」 「南の島やべー。あーコンビニとかないのかな」  タオルとか飲み物とかすっげー欲しい……。 「あるよ。町に」 「歩いていける範囲には……」 「ない。お父さんの車で30分くらい。お母さんだと20分」  女将さん、やばい。そもそもさっき地図見たときに、ここまで1時間弱って出てた気がするんですが。どこかほかの場所にコンビニがあることを祈ろう。  タオル欲しい。あと飲み物欲しい。まじで熱中症心配になってきた。 「自販機とかは?」 「あと10分とか、15分くらい」 「おー……」  がんばろう。行軍再開である。 「あ、よしだ」 「……え?」 「名前。よしだ」 「ああうん。よしだ旅館の娘さんだもんね……」  なんだろう、名字呼びしたほうがいいんだろうか。  俺にペースをあわせると退屈なものらしく、歩道の縁を歩いたり飛び降りたりしている娘さんに呼びかけてみた。 「よしださん」 「ぅえー」  露骨にいやな顔をされた。 「どう呼ぼうか」 「梨衣でいいよ」  果物の梨に、衣類の衣で、りえ。そう説明してくれた。 「梨衣ちゃん」 「……」  梨衣ちゃんとやらの動きが落ち着かなくなった。もじもじとあっち見たりこっち見たりしたあげくに、 「ちゃんとか、恥ずかしい」  ぷい、と視線を逸した。  やだなに、かわいいこのいきもの……。  まあそういえばこの梨衣ちゃんとやら、あまりに素材そのまんまなものでうっかりスルーしてたが、けっこうかわいいのである。髪の毛はバサバサだし、日焼けしまくりだし、眉毛はしっかり主張してるんだけど、目元とかぱっちりしてて、わりとアイドル顔っぽい感じである。ただし80年代くらいの。でもまーかわいいものはかわいい。そういや女将さんからして、鄙には稀な、といってはアレかもしれないが、まあちょっと目を引く感じの美人さんではある。 「なんとかそれで慣れてください。俺も呼び捨てとか気がひけるんで……」 「……なんかやだ」 「まあ、観光客だから。すぐいなくなるから」 「……」  唇をとがらせて黙り込む。いちおー承諾と受け取っていいんだろうか。
 歩くこと15分ほど。  道路は海沿いから内陸に入っていた。この見るからに山だらけの島で、内陸に入るということは、つまり上り坂ということである。トンネルなんかも潜った。すでに路肩に車道はない。とはいえ、道はあいかわらずの高規格で、車もめったに通らないから、不安はない。でも人家まったくない。なんとかヤマネコとか出てきて食われそう。やっぱ怖い。  問題は俺の体力である。つーかさすがに30分ばかり歩いた程度でここまでバテるとは思ってなかった……。  もうだめだ。  そう弱音を吐きそうになったときに、先を進んでいた梨衣ちゃんが呼びかけた。 「おじさん、自販機」 「おお……」  よろよろと前のめりに速度を上げる。  山側を大きく削りこんで、車の10台は止められそうな砂利敷きのスペースがあった。そのいちばん奥に、例の真っ赤な自販機が1台、ぽつんと立っている。そしてそのワキにプラスチック製のベンチが5台くらいずらずらと並んでいる。なんだこのシュールな光景。 「す、すぽど……」  500円玉ぶちこんで、アクエリアスのボタンを連打。ガコンと音がして出てきたペットボトルを速攻で取り上げて一気飲み。 「ぷっはーーーー生き返るわーーーー」  もちろん梨衣ちゃんが物欲しそうにこちらを見ている。 「梨衣ちゃんは? なに飲む?」 「え、いいの?」 「そりゃまあ、ガイド代払うわけでもなし、飲み物くらいは……」 「じゃ、じゃあ……」  梨衣ちゃんは、周囲を窺うようにしてから、こっそりと言った。 「コーラ、飲んでいい?」 「? いいんじゃない? 真っ赤な自販機のアレだし」  ぱーっと梨衣ちゃんの表情が明るくなる。怪訝に思いながら自販機に200円を投入。梨衣ちゃんが、祈りでも込めるようにボタンを押す。  黒い液体の入ったボトルを見て、感動の表情を浮かべる。 「……コーラ、そんなに好きなの?」 「えっと……飲んだことない」 「え」  なにこれ。若者のコーラ離れ? 「お母さんが、骨溶けるからって……。でもお父さん、いっつも飲んでるし」  女将さん……まじか……いつの時代の話だよ。  まあ飲みすぎていいもんではないだろうが、よそから来た人間がこっそり飲ませるくらいはいいだろう。 「お母さんには、内緒だからね」  真剣な顔で梨衣ちゃんが言った。  ウッ。かわいい……。  俺は、追加でアクエリを買って、ベンチにどっかと腰掛ける。梨衣ちゃんがちょっと距離を開けて、ベンチに座る。神妙な顔でキャップを開ける。すると、コーラ最初の儀式が始まった。 「あわっ、あわっ、あわすごいっ」  ベンチにペットボトルを置いて、飛び退る。泡はじきに収まる。梨衣ちゃんは、おそるおそる近寄って、俺を見上げて不安げに聞く。 「爆発しない?」  なんかもう、純朴そうな日焼け少女がそんな顔でこんなこと言ったら反則である。  コーラで汚れたぶん、もうちょっと俺の近くに座る。べたべたするのか、指で支えるようにして両手でペットボトルを持って、慎重に飲む。 「ぴりぴりする」 「炭酸だからね」 「変な味」  舌をべっと出す。動作のいちいちがかわいいなこの子。 「でも、ちょっとおいしい」 「それはよかった」  コーラ初体験の梨衣ちゃんが全部を飲み終えるまでは時間がかかるだろう。俺としても、ちょっとは休憩していきたい。水分が体に浸透してきたのか、疲れは相当にましになっている。  風が、心地よかった。  BGMは、あいかわらず謎の鳴き声のセミがメインである。昨日調べたところによると、オオシマゼミというやつらしい。このへんになると、聞き慣れたニイニイゼミだとかクマゼミの声も聞こえる。時間帯とか棲み分けとかあると思うんだけど、なんかごっちゃになって鳴いている。  ベンチにもたれかかって空を仰ぐと、あいもかわらずの容赦なしの青空である。  夏休みって、こんな感じだろうか。  子供のころ、夏休みって、なにをやってただろう。個々の記憶はあるのだが、全体のイメージは漠然としている。40日もあるあの長大な休み。あの膨大な休みは俺の記憶のどこに消えたのだろう。ただ、気分だけは残っていたらしい。こんな年になって、俺の上に夏休みが降ってくる。この瞬間が永遠に続くような錯覚を覚えた。 「おじさん、東京から来たの?」  ちびちびとコーラを舐めるように飲んでいた梨衣ちゃんが言った。 「あー、うん」 「東京って、原宿?」  把握が雑だった。 「原宿にオフィスはあんまりないなー」 「秋葉原?」  どうやら知ってる地名を言ってるだけのようである。  どうやって東京を説明しよう。 「えーと、そうだな、東京は、この島よりちょっと狭い」 「ふーん?」 「で、そこにここの200倍くらいの人が住んでる」 「にひゃくばい……」  よくわからなくなったようだ。 「そうだなー、島全部が、あの町みたいなのでべったりと埋め尽くされてて、もっとビルとかたくさんあって、人間がいる感じ」 「……」  小さく首をかしげる。 「じゃあ、どこで泳ぐの?」 「うーん……泳がねーなー」 「じゃあ、夏はなにしてるの?」 「……ゲームとか? あと……なんだろ……」  なんだろう。  いわれてみれば、俺はなにをしていたのだろう。  いったいあの町で、俺以外にも無数の人間がいるあの町で、俺は、何者だったのだろう。 「わかんねーなー」  俺は苦笑してみせた。  あまりに強い直射日光は、人から思考能力を奪う。濃い緑のにおいが、それを肯定する。おまえはちっぽけだと、大したことのないものなんだと、大きくて深い声を浴びせてくる。それを一緒に聞いているのが、たとえば将来を誓いあった女性でもなく、親友でもなく、昨日会ったばかりの見知らぬ女子中学生だというこの状況が、少しおもしろかった。少なくともここでは俺は俺以外ではありえない。なぜなら、ほかに人間がいないのだから。 「さてと」  ゴミ箱めがけて空のペットボトルを放り投げる。数メートルの距離だったが、見事に命中。目を見開いた梨衣ちゃんが真似をする。これも命中。俺に対してちょっとドヤ顔をしてみせる。やだかわいい……。
「学校」  道は海沿いに戻っていて、ちょっとした集落に差し掛かっていた。目の前の鉄筋コンクリート2階建てのごつい建物。どんな台風が来てもびくともしなさそうな重厚さがあるが、あちこちひび割れて補修の跡もある。そして敷地をぐるりと取り囲む石垣。この場所では、学校すら石垣のなかである。  梨衣ちゃんはすたすたと校門を通って敷地内に入る。俺はもちろん立ち止まる。 「おじさん?」 「部外者とか、まずいでしょ」 「? 別にいいと思うけど」 「あとで見つかって文句とか言われない?」 「なんで? おじさんうちのお客さんだよ」  すごいなー。ゆるいなー。地域全体がそうだってことは絶対にないと思う。単にこの子が警戒心ないだけなんじゃないだろうか。  地域で開放されているのかなんなのか、玄関も開きっぱなしである。梨衣ちゃんは自分の下駄箱とおぼしきところまで行き、とぼとぼと帰ってきた。 「うわばき、うちだった」 「あー、夏休みだからね……」  来客用とおぼしきスリッパを2つ持ってくる。 「ほんとにいいのかな……」  スリッパのひんやりとした感触。床の素材は、これリノリウムってやつじゃないだろうか。この妙に光沢ある感じと、ちょっとやわらかい感触。  民宿でも思ったのだが、室内はほんとうに過ごしやすい。廊下をぺたぺたと歩いていくと、梨衣ちゃんが教室の扉を開けた。 「ここが、私の教室」
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