Tumgik
#最後に行った時中学生だったし ちょうどその時にジェンダーやら色々考え出したぐらいで
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情緒不安定すぎてワロ^^
#急〜〜〜にしにたくなるんやぁ#マジでさっきまで安心してたのに 成績のこと#やばかったのが英・社・絵やったんけど#先に絵と社をやって とりあえずBぐらいにはなる感じ#問題は英語^^#あれはやばい しかも5000mぐらい墓穴掘ってた#今の成績35%とか やばい(2回目)#エッセイ(として加算される課題)がな 3つ しかも水曜まで#完全に敗北したわこれ#しかもたとえそれなりに出来たとしても50%ぐらいにしか上がらん#これはplato覚悟 日本に行く期間が削がれる……#最終期日が今夜(昨夜)だと思ってたのが実は英だけ水曜だったのが不幸中の幸い#でも気付く前ほんと死にたくなるぐらいストレスやったからまだ消えとらん#ほんと全て投げ出して死にたくなってくる#日本に行くまで我慢とか言ってもさ 考えれば考えるほど日本に行くこともストレスになってくるのよ#最後に行った時中学生だったし ちょうどその時にジェンダーやら色々考え出したぐらいで#当時の結論はジェンダーフルイドだったけど 今はそ〜簡単に行かんな〜#トイレ・服装・外見・言葉遣い・一人称・仕草…………#名前もそうだな#楽しみなのは本当だけど……嫌になってくる#親から一時でも離れたいけど、一人じゃ何も出来ないダメ人間だから不安になってくる
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shukiiflog · 3 months
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ある画家の手記IF.?-6 雪村絢視点 告白
絢:まこまこー。髪型がいま真澄さんとおそろっぽくなってる♡から今度遊ぼー。見てー。 まこ:おーそうか。…わかった まこ:ウチくる?俺がそっち行くか? 絢:…(・ω・;)俺はまこの部屋行きたいけど…免疫弱ってるとかで、俺が出かけるとかえって各方面に迷惑かけるかも…? まこ:じゃとりあえず行くわ。そしたらこっち来たいんだったら俺についてくればいいし。まーそれは体調次第な 絢:んー。ありがと~。
…間の取り方で 髪の変化の理由は察されたかな。 仕方ない、現実の形はいつも具体的だ。 髪型と髪色は口実にしても、色々と関係なくもない。
ここ最近外に出かけるより家で翻訳作業してたから、たぶん今迂闊に俺が外出したら季節的にもなにかウイルスもらってきちゃう。うちは三人ともそういう攻撃に弱いとこあるし、気をつけてないと。 翻訳ばっかりしてるのは、どうも付き合ってくしかなさそうな焦燥感があるから。後世に名を残すとか歴史に残る名訳を残すとか、そんな大層なこと望んでるわけじゃない、それでも時々俺はこのまま、どこにもなにも残さないで、一人で煙みたいに跡形もなく消えて、それっきりで、それが死んじゃうってことなのかって、朝起きたときとかに、思うから。 もちろん現実はそうじゃない。死後にきっと俺は俺が思ってる以上の人に、俺が思ってるよりきっと深く、爪痕を残していく。ちゃんと遺る。そういうことが分かってても、俺は翻訳を少しでも多く、精度高く、自分の言葉で残していきたい。 たくさん溜まった日記は…恥ずかしいから軽めの暗号化してるんだけど、言語さえ読めるなら二人には簡単に解読されちゃうかな。 今日まこを呼んだのは、最低限でも伝えるべきことを伝えていくため。 ほかの何が伝わらないままでもこれが伝わらないと困ること、だ。 今日一日でどこまで話せるかは分からない。長い話にまこがキャパオーバーするってことはなさそうだけど、この話をどう解釈してまこが今後どうするのかには、それなりの判断までの時間がいるかも。 もしかしたら俺も真澄さんも導き出さなかった別角度からのアプローチをまこは試みるかもしれないし、あの頃と違って今の状況はそこまで切迫してない、香澄も一年前とは違う。直にぃと結婚して、本来煩わなくていいことが綺麗に吹き飛んだ感じがするかな。 タイミングとしてはベストだと思う、俺が知り得たことをまこに託していくための。 玄関で真澄さんがまこを迎える気配がした。 けど俺はベッドの上にゆったりジェラピケ着たまま、上半身起こして書きものしてる体勢のままでいた。
前は来客の予定あったら朝からちゃんと身支度して髪セットして服着替えて体調もその日に合わせて整えて、お客さん来たら必ず俺も顔出してリビングにも出てお茶用意して、ってしてたんだけど、そろそろそういうのもきつくなる頃合いかと思って、やめた。 本当にきつくなってからじゃ余計に体壊すから、予兆があるなら早め早めに対処してかないとね。運良くここに顔出す人ってみんな、俺がだらしないカッコしてても気にしなさそうだし。
真澄さんが開けてくれた書斎のドアからまこがいつもの軽めの荷物抱えて入ってくる。 俺は書きものをやめて隣のデスクにまとめて置いた。 真澄さんから最初にもらった万年筆とコピー用紙であれから何も変わらずそのままずっと書いてて、インクも用紙も足してくけど、俺はパソコンとかより自分の直筆で文字を綴るってこと自体も好きみたい。真澄さんからノートパソコンももらったけど、結局手書きに戻っちゃったし。 「まこ いらっしゃい」 にっこり笑って体を少し伸ばしてベッドの上を整頓して片付ける。 「あんま部屋片付けてなくてごめんね。最近ここにいること多いから…」 俺が書いたものまとめてたら目に入ったのかまこが「おーすげー」って感嘆の声をあげた。…翻訳っぽいことってまこの前ではそんなしてなかったっけ…?でも留学中にさんざん多国語は喋ったな…。すごいのかなこれ…? きょとんとしてたらまこはテキパキ荷物をその辺に置いて防寒用の上着を脱いだ。 「ハンガーある~」って差し出したら使ってくれた。 まこの手が俺の前髪をさらさらいじる… 俺の耳にはサメのピアス。まこの耳にも。二人ともやっと開けた穴が安定してきたから。かいじゅうピアスは今日はおやすみ。 「翻訳作業するなら髪よけろよ」 「案外慣れると髪って気になんなくなるよ~。それにこれ、真澄さんヘアー!」 満面の笑みで言いながらベッド脇に立ってるまこの胸あたりに頭ぐりぐりしたらぽんぽん頭撫でられた。 「似合う似合う」 一拍置いて話が変わる。 「誕生日会のこと聞いた。…大丈夫か」 …誕生日。まことした誕生日じゃなくて、直にぃの家で…吐いちゃった方の。 「あーうん…誕生日会…。俺は直にぃと香澄のほうが打撃うけたんじゃないかと思ってる…。調子悪い本人はもうそういるしかないとこあるけど、周りはなんかできることないかって最後まで必死になったりそれで疲れきっちゃったり…とか…」 できることないかって、本当はそんなにないのも分かってて、それでもあの人のために俺はまだベストを尽くしてないんじゃないか、もっともっとやれることが俺にもあるんじゃないか、もっと必死に、救いたいなら愛してるならもっともっと、俺がボロボロになったって最悪死んだってあの人にできることがーーー そばにいて、あの人が弱ってたとき、俺はそんなふうに思い詰めそうになることも度々あったから。 「当事者のお前より他人が打撃うけてるわけないだろ」 …まこの言葉に小さくうなずくしかなかった。 …頭、切り替えよう。俺の話じゃないんだ今日は。 まこにベッドに座るようにぽんぽんベッドを叩いて促す。 「それより今日ちょっと聞いてほしい話あってさ…。お願い…になるのかな…微妙なとこなんだけど、結構重い話…かな…。」 重い話の重みでまこがダメージ受けるとはあんまり思ってない、そういう1ケースとして聞けば。でもこれは、他でもない、香澄の話だ。 「…。」 ベッドに浅���腰掛けて聞く姿勢になったまこに一旦切り出す。 「香澄のことなんだけど…」 ここまでで一度言葉を切る。 まこは自認するように淡白だ。それは良し悪しじゃなくて性質の話。まこは自分が進む道においてまだどういう形かは分からないけどもし香澄が道を阻害するような存在になると感じたら、香澄のことも遠ざけるかもしれない。 俺はまこのそういうとこを信頼してるし好きだから、改めろってもいえなくて、難しいところ。人間関係と感情と愛でほかのすべて自分の志すものさえ場合によってはなにもかも捨てるような俺には、できない判断。例えば香澄が煮詰まっちゃってもうどうしようもなくなって、俺に「しにたい」って言ってきたら、きっと俺は…
「…ねえ。寿峯はこの先もずっと香澄の友達だよね。 大学からの延長でなんとなくとか、仕事の都合で遠くに引っ越すことになったらそこまでとか、香澄が寿峯を失望させるようなことしたり言ったりしても。」 ちょっと俯いてまこのほうをチラッと伺う。 「…友達でいるための努力はするけど」 一度言葉を切って続けるのを静かに聞く。 「確約はない。俺も人間だし。自分だけ��頑張って関係を続けるのは無理。…香澄は…よほど大丈夫とは思うけどな」 少なくともまこには香澄と自分が関係を続けるために頑張ることは、大前提としてあるものと、思っていい語り口。ちょっと安心した。 三人でいるときの様子から推し量れるものはあるけど、俺がいない間も二人は二人の関係を築いてきたし、ぱっと見良好に見えるけど俺はよくないものばっかり見ちゃう癖があるし。 「そういう条件は俺と香澄も今だって同じだから。無理して香澄のそばにとどまれとかって要求してるわけじゃないよ。まこが自分の人生を犠牲にしない範囲で、ってことかな…。線引き難しいけど自分の感覚でいいならまこはそういうの自然にできるかなと思って。」 「なるようになるんじゃねーかな…なんでずっととか言うんだよ」 うーん。最近自然とそういう、俺のほうの終わりを想起させるような言葉が無意識に出ちゃってよくないな。死とか終末とか悲観的で暗くてジメジメしたようなずっとそういうことばっか考えてるわけじゃないんだけど、でも遠くない自分の死を踏まえて生活すること自体はべつに不健全でも病んでもないと思う。 「お前が傍にいれなくなるからって俺じゃ代わりにはならんからな」 まこは香澄への自分の影響力をすこし低くみてるからなぁ。 以前、香澄とまこが少し揉めたとき、なんとなく察する事情からしてもいずれは起きたことだったように思う。香澄は直にぃとのここまでの関係を、おそらくどこかで「これは世間から非難されるんじゃないか」って風に思ったことは、ただの一度もない。多様化していく恋愛や愛、人間関係、結婚生活、ジェンダーやセックス、そういう世の中の潮流と、香澄と直にぃの事情がギリギリうまくはまったのは完全に偶然で、二人はそんな世間の向きなんて知らなかった。それだけで、まこと根幹から亀裂が入るのは目に見えてる。 この手のことに関してまこの言い分はおそらく首尾一貫していて非の打ち所がない。つまりそこで完全に閉じてしまったもの、論理の手前の段階の基礎ルール。これを香澄が突きつけられると切り崩しにくい、俺だってまこの主張自体を切り崩すことは口先でもできない、切り崩せないものだから仕方ない、物事の見方を転換させるような方法とらないとね。 そして香澄にかかる負荷のうち、なにが起爆剤になるかはーーーー誰にも分からない。 俺はこの件に関しては誰のことも信じてはない。 真澄さんも。光さんも。寿峯も。直にぃも。香澄も。俺もだ。 この中の誰だって香澄を殺すに十分な殺傷能力を持ってる。その中でも、話しておいたほうが安全性が高くなる存在にだけ、俺は話していく。 「まあ聞けって。お前の受け取りようにかかってくる面も大きいけど、代わりとは違うよ。ただの情報共有だ」 少し声のトーンを変えた。まこの顔つきも変わる。 そう、ここからが本題だ。 「俺が、香澄の体が傷だらけだって言ったの覚えてる?結構前の…会ったばっかの頃のことだけど。 俺はあの頃、直にぃのそばに綾瀬香澄がいることが直にぃにとってベターな選択なのか探ってた。だから香澄の体の傷痕見ただけで少しは憶測できた。まこも全裸じゃなくても少しなら傷痕見たようなこと言ってた。そこから厳密じゃなくてもなにか予測や予想できることってある?」 じっとまこを見る。 逸脱しない範囲で香澄に最も接近した距離にいる寿峯にどこまで予測がたつかで、香澄が両者とも不可侵領域にいる安全な距離感から相手に一方的にどこまで察せられてしまうのかをはかることができる。寿峯はそういうことを思考しようとすればできる。 「そういうの口に出すのあんま好きじゃねーんだけど…」 前置きみたいに言ってから、まこは考え始めた。 「…目につく事故や事件があると…違うな、危ない目にあいそうな誰かがいると、庇わずにいられない。ってふうに見えた。怪我から推し量ってんのかこれ微妙だけど」 まこの前でもそういう瞬間が日常的にあったというより…推測かな。 「俺は最初直人さんが電車にひかれそうなとこを香澄が庇ったって聞いて…香澄のそういう…ほっとけない性格、っていうには危なっかし過ぎんだけど、…つけこまれたんじゃないかと思ってたんだ。まぁ今は思って無い、直人さん本人見たら違うのもわかったし」 ほっとけない性格…に、つけこまれた可能性まで思い至ってる。つけこみたい人間はつけこめる相手を嗅ぎ分けるのがうまい。まこの把握は起きたこととしっかり一致してるな。 「俺も好きじゃないよ、俺自身が意図して示してもないものを勝手に詮索されたり読まれたりとかね。 でもプライバシーや本人の意思を無視しないと守れない存在がいる。これから話すのはその極例・綾瀬香澄と、彼が今の怪我のない状態に落ち着くまでのこと…。」 まこがどう受け取るかは分からない、それでも安全性は上がる、俺がまこを信頼してるからじゃない、まこの中に香澄への好意があるからだ。 「香澄について、俺は真実に限りなく近いはずのことを知ってる。誰も知らない、香澄も知らない、香澄のこれまで。 それをまこに話したい。 今ので分かったと思うけど、いまだに香澄が知らない、それを俺がそのままにしてる、香澄が知るとまずいことがある。 香澄も変わって来てるから、俺もやり方を適宜変えてきた。 聞いて、もし俺と同じ危険を感じたなら、警戒して、香澄を守ってほしい。これは強要できない、だからお願い」 にっこり笑って、話し始める。なるべく心を均一に保って、事実を。 香澄がどう生まれて誰に育てられ、なにが起きたか、真澄さんやほかの関係者は記号か父・母とか関係性だけで呼んで説明した。香澄が今に至るまで。 だから俺は、知る限りでの直にぃのことも、生い立ちからすべてを話した。香澄を守るために直にぃはもう切り離すことができない。 それにこの二人がなぜ関係を育めたのかは、二人ともの成り立ちが深く関係してくる。これは直にぃ本人から俺が聞いたことでもある。そしてこの二人は奇妙な点で、トラウマが表層だけ絡み合ってもいる。攻撃しようとすれば二人同時に殺せる。 話し終わっても、まこはじっと座ったままだった。
…ここからは、俺の話だ。 「浅い事情でも深い事情でも人は死ぬ。香澄だってこんなこととはなにも関係なくただある日転んで運悪く頭打っちゃって死んじゃうかもしれない。死んだらそれまでだっただけって。 理屈じゃなくてさ、俺は香澄の幸せを願ってるだけで。 これだけのことがあったならもういいだろって 思う この先うれしいこととか楽しいこととか幸せなことだけしか起きなくても…どれだけ俺がそう願ったって現実はそうはならないから だから現実の中で 願いだけは自由じゃないと いつかそれが現実にそっちへの道標をつけるかもしれないから」 どう考えるか決めあぐねてるような様子のまこに、今日は帰るように軽く促す。 なにか返事が欲しいとかは言わなかった。言ったとおり、情報共有、伝えただけでもそれだけで意識にないのとあるのとでは全然違ってくる。ここから先はまこが香澄にどう接していくかで、俺が口出せる領域じゃないとも言える。 まこが帰るのを玄関まで見送りしようとして、真澄さんに書斎に押しとどめられた。小さくまこに手を振る。見送りできないのは残念だったけど、書斎のベッドに倒れこんだら重力に負けたみたいに大粒の涙が次々出てきた。 余裕で平気なふりして話してもうとっくに整理できた俺の中では冷静に考えられることみたいに喋って、声も震えたり感情的になったりしないで、ちゃんと喋り終えた。 でも俺には そんな余裕ぶって話せないよ 本当は どうして香澄の身に起きたの?ほかの誰かじゃだめだったの?もっと最低のクズ野郎とか犯罪者とか大人とかいっぱいいるだろ、そういうやつでいいじゃん、なんで香澄だったの? ひとのことを愛せる、信じられる、優しくできる、気遣える、心配できる、どうしてそういう人たちがいつも利用されて傷つけられる? わかるよ、俺は、香澄じゃない、直にぃでもない、使わない手はないよねああいう人種は こういう人間が、俺みたいなのが、二人の人生をずっとずっと蝕んだんだ 薄く開いた扉にノックの音。涙声で返事したら真澄さんが入ってきた。 俺の頭を撫でていった手が額に当てられる。あつい。まこを早く帰したのも熱が上がりそうだったから。あと泣いたらさらに熱が上がった。 真澄さんの服の裾をくいくい引っ張ってねだる。「飲ませて」 サイドテーブルの水を薬と一緒に口に含んだ真澄さんにキスされて解熱剤を飲まされる。 こくっと喉を鳴らして全部飲み込んでから、布団の中に首まで入って大人しく寝る体制になったら、真澄さんは静かに微笑んで書斎から出ていった。 こういう人間が、二人の人生を蝕むのが分かる、二人には見えなくて俺には見えるそういう人間から、俺が二人をこれから先もずっと守れたらよかった でもそうはならないんだよ そうはならない 俺がもっと頑張ればとかもっと誰かの助けがあればとかじゃない 俺は今誰からも殴られてないし犯されてもない 食事も服もお金もなんにも困ってなんてない なんにも不足なんてない 周りは大好きな人たちに囲まれてて その誰も悪くない ここにいない誠人さんだって、現実はゲームじゃない、あの人を倒せば俺の命が伸びるとか、そんな分かりやすい悪人も悪役もどこにもいないんだよ 俺は 今 幸せ で、 一度入った布団から飛び出して書斎のデスクからハサミを引っ掴んだ そのまま風呂場にいって 伸びすぎた前髪を掴んでハサミでジョキジョキ切り落とした 前髪伸びたからなんなんだよ …なんだってんだよ… 黒く染める前はすこし自分に期待もした 色々偶然も重なったけどそれでも黒く染めたら髪型の印象がちょうど大好きな真澄さんとお揃いになりそうで 黒くするのはこれからもっと弱って 死んでく からだけど でも真澄さんとお揃いになるからそれだけで充分俺は心から嬉しくてはしゃげて だんだん死に装束に近づく現実なんかよりずっと嬉しさが上回るかもって なんで俺はそういうとこでだけおめでたい頭してないんだよ かなしい 悔しい こわいだけだった なにもはしゃげない きっとなんの事情もなく真澄さんとお揃いにしたくてこうしたなら心から幸せだったはずのことなのに 俺の現実が起きることなにもかも暗い不幸な出来事みたいに塗りつぶして 本当なら嬉しかったはずのことも書き換えられてく 今日寿峯と会って話せたのだって 嬉しくて寿峯のことが好きで幸せで それだけでいいはずのことなのに、これが最後になったらどうしようって頭をよぎって 別れ際、玄関までついていこうとした 幸せが、現実に貶められてく…
風呂場で髪をめちゃくちゃにハサミで切り刻んだまま散らばった髪の毛の真ん中で呆然と泣いてたら、光さんが風呂場に入ってきた 泣きついたら黙って抱きしめ返された 服を脱がされて俺の切りっぱなしの髪をシャワーで優しく洗われる 傾けた頭から切った髪が綺麗に洗い流される 髪を乾かしてみたら、ちょうど香澄と初めて会った頃くらいの、眉あたりに前髪がくる絢人の頃とほとんど同じ長さになってた ヤケになって髪切り刻むとか衝動的なことして、きっと心配もかけたのに光さんは怒らなかった 泣きながら手を繋いで寝室に連れてかれて、 寝室で待ってた真澄さんにハサミですこし怪我した指をベッドに座って手当てされる なにか言おうとしたけどその度にもっとひどく泣きじゃくって 嗚咽に全部つぶされた
その日は三人で一緒に寝た 俺はずっと泣いてた 二人は黙って寄り添っててくれた
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manganjiiji · 7 months
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羽毛ほど軽ければもう諦めも飛んで囁くそうはならない
洗い物、洗濯物、資源ごみ(ダンボール、ペットボトル)、ヨシ!今日は朝起きてどうにか朝食らしきものを食べ、風呂に入ることができた。現時点(23:49)での疲労・疲弊度を思うと正直まだ早かったのではないかとも思うが、ともかく風呂に入れた。化粧して服を着て歩きロイヤルホストへ行って昼ごはんを食べ、歩き、タリーズで勉強をし、電車に乗ってユニクロに行き、ジムでのトレーニングのためのスポブラのようなものを買った。帰り際に牛乳とバナナとトマトを買い、帰宅してからなすを焼いてトマトを切って食べた。白いご飯も1合炊いて、3食分を作り、残りを食べた。食べるものに激しくお金を使った気がするが、その甲斐あってか、かなり生活とか、体を動かして取り組まねばならなかったことが進んだように思う。ダンボールの中身を適切な場所にしまうこととか。
明日はダイエットのためのパーソナルトレーニングのカウンセリングを受けに行く。とにかく人の目があれば頑張れる気がする。早速今日は野菜を焼いて食べていたし、ご飯も炊いたし、誰かに怒られるのでは?と思うと、結構できるのかもしれない。それにしても夜ずっと(いや昼からずっと)体が重くて難儀した。体力が落ちるところまで落ちているのだろう。毎日寝ていたため。
友人伝いで教えていただいた社会学の学部生用の教科書、アンソニー・ギデンズの『社会学 第五版』の初めをまず読む。目次と全体に目を通し、用語辞典、引用元、訳者略歴を見て、はしがきのあとの第1章をいよいよ読んでみたところ、驚天動地の新展開だった。なんと、私のやりたい勉強の分野のすべてが社会学で扱えることがわかったのである。そんな。まさか。そんなことって。社会学という選択肢、今までの人生に全然なかったけれど、実は私が考えていたことややりたかったことは、社会学の学問領域だったのだ。びっくりした。そんな。たまたま編入学できる学群のなかの学問で自分でもなんとか行けそうと思えるのが社会学だったから社会学に決めただけなのに、実はここが本当に私のいるべき場所だった。そんな。歴史学とかじゃないんだ…そうか、社会なんだ…そうか…。たしかに、大澤真幸も橋爪大三郎も、社会学者なんだよなとは思っていたんですよ。ジェンダーやフェミニズムが社会学ということは、家族を扱ってもいいのでは?と思っていたが、政治や歴史や経済や文化に類することも、「現状」を理解したいのであれば、市井の人々のことを知りたいのであれば、どうやら、社会学で……いいらしい!そんな……まだ出会って2日目なのに、社会学と……。私がやろうとしていたことややってきたことが、だいたいここに、このアンソニー・ギデンズが、書いているんですよ…。マジか……。とにかくすごく面白い本なのでどんどん読めちまうなと思いました。その一方で相変わらず大澤真幸の『資本主義の〈その先〉へ』は1回読んだだけではすんなりとは理解できない。というかこれは集中力の問題かもしれない。とりあえずノートを取りながら行きつ戻りつすれば理解はできる(覚えていられるかというとそうではない)。有斐閣ストゥディアの『社会学入門』があまり面白くないなと思って、というかそもそも字がでかくないか?情報量少なくない?と思って、ストゥディアの『国際政治史』と比べようと思い久しぶりに机の下の勉強用の本たちのスペースをひっくり返したら、『精読 ハンナ・アレント』が出てきて、やばい!『資本論』の理解が進むじゃん!と思ってこのテキストご機嫌でやっていたんだった!ということを思い出し、これも早く続きに手をつけなければと思った。やりたい本が多すぎて分裂したい。ちなみにストゥディアは、国際政治史のほうがかなり字が小さく行間も詰まっていた。並行して英語のリーディングも速読できるようになりたいし、単語も抜けが多い。友人(こうこさん)の誕生日祝いとして英検の1次試験突破という1月に向けても気を引き締めていきたい。
そんな感じで小説は書いていないが、朝方4時に起きた時に久しぶりにあんスタを叩いて、ダブルフェイスの最後のライブを終わらせた。まだこはゆるワンドロさんもまたやるみたいだし、本腰入れてダブルフェイスについて学び、まだこはも書いてみたいと思った。その前に燐一を書きたい。燐一はもうかなり、頭の中では文章化が終盤まで来ているので、早く打ち出さないと忘れる。萌えていた箇所を忘れて萌えなくなってしまいそうなので、本当に今まじで書くことが必要だと思う。ほんとジムとか行ってる場合か?と思うが、あと5kg痩せれば光明が見えるので、精神の健康のためにも今やるしかないと思える。アルバイトは1件落ちたが、1件また学習塾に応募している。こちらは結構受かるといいなあと思っている。今ならぎりぎり半年、3月まで居られるので。(もう4月から大学に通うために引っ越す気でいる。気が早すぎる)2ヶ月で5kg痩せる&筋力をつけることができれば、その後の4ヶ月、塾とは別に短期で働いてお金を作ろうと思っている。そんなに何もかもうまくいくかな。まあいかなくてもとくに損をするわけでもないので、そういうざっくりとした計画でいる。私はこういう人生の計画を立てる時、誰に何を言われてもたいてい変えることはないうえ、誰に何を言われても大抵達成してしまうため、大体色んな人の心配や心配や心配は杞憂に終わる。なぜかいつもそう。大学も、中学までの勉強以外一切分からないのにまぐれで受かってしまい家を出ることができたし、新卒の会社を退職する時にも、あっさり書店のフルタイムで採用された(これは条件の合致と当時の若さゆえ当然かもしれないが)。「今度こそもう駄目なのでは?」という時に限って、なぜかうまくいって「しまう」。そしてそこでの経験がその後の人生に繋がっていく。なぜかそのように、かなり細い橋を全速力で渡ってきた。今回はどうなるかはわからないが、とりあえず気合だと思う。気持ちの面では全然負ける気がしない(?)ので、とにかく気持ちを折らないで、やれることをやっていきたい。こんなところでここまで自分に檄を飛ばす必要はそんなにないのだが、なんだかテンションが上がっていると思う。
友人に共有したいことがあり、メッセージを開いたら、なんと、9月20日つまり2週間近く前に、友人からメッセージが来ていた。なぜ通知が来ていないのかまったくわからないが、とんだ不義理をしてしまった。まあでもこちらは元気ですということと、ウルフくんのグッズ情報と、レノフィの良き小説を共有することくらいしか言うことはなかったので、いいか、と思った。日によって私は元気だったり元気でなかったりするので、風呂に入って外に歩きに行った今日、つまり元気な日に返信ができてよかったと思う。
友人たちがどんどん文芸や文学に向かって突き進んでいるなあということを感じつつ、私はしばらく文芸や文学は二次創作で遊ぶ程度でいいかと考えている。べつに二次創作は遊びではないのだが、自分の小説を書くということと比べると、こちらは完全に「仕事」になるので、二次創作は相対的に遊びというか、「好きでやっていること」になる。私にとっては二次創作ではない自分の小説を書くことは、やらなくてはいけないことであり、遊びではない。ただ、楽しくないのかと言われれば楽しいことであり、やりたいときにしかやらない(やれない)ので、これは本当に自分にとって生涯の「仕事」だと思う。二次創作の小説を書くことも「仕事」の一部だが、これはあくまで非営利なので、対外的には「仕事」にはならない。ただ、遊びというよりはかなり切実な希いがそこにはある。まあ一足飛びには何もかも難しいだろうから、二次創作の延長でオリジナルのBLを書き、オリジナルBLの延長線上で、いつかなんらかの一般文芸を書けたらいいなと思う。全てはひとあしづつ。詩と短歌は、またちょっと違うところにいる。短歌は二次創作で始めたが、かなりそうではないものも書き溜めていた時期があった。詩は最初から二次創作ではなく、自分のものとして書いていた。このあたりは並行してやっていけばいいかと思う。やりたい時にやるしかない。詩人や歌人ではなく、私は小説を書く人になりたいわけなので、ノルマは小説に課したほうがいい。自分の本質が詩にあるとしても、それを表現するのは小説の上でだと思う。
明日はパーソナルトレーニングの体験コースで、明後日はワクチン接種で、その後は体調を崩す予定で、日曜には人と会う予定があり、おそらく学習塾の選考も進み、ジムも本格的に始まっていき、なんだかんだ忙しくなる気がする。そして社会学と英語の勉強をしつつ出願の準備を進める。仕事を辞めて良かったなと思った。というか、どうせ辞めたんだから、それに見合うというか、それ以上のものを掴むことができるに決まっている。
2023.10.2
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chilchilmischie · 11 months
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Mo’ bitter words
前の日記に続けて書いている。
昨日は気持ち的にグワーっとしてたから、なんかとんでもないことを書きそうだったけど、今日は落ち着いて書けそう。内容は重いかもしれないけど、あんまり難しく考えずに書いていく。
本当は「土鍋でご飯炊くのにハマった!」みたいな日記を書き残すのが好きなんだけど、常にそういう時だけじゃ無いし、ちょっと際どいことも書き残してみようと思う。
■性の話
当たり前のことを書くけど、自分は男である。
性染色体をXYの組み合わせで受け継ぎ、生物学上「男」であるし、性自認も「男」だ。
ということで、「男だよ!」と言うことは簡単なんだけど、正直「男らしい男」であるかとなると、ちょっと怪しい。まあ「男らしいって何?」という疑問もあるのだけど、日常生活で男性として求められているようなことに対して、「え?うちをそれに当てはめるのは嫌だな」ということはちょこちょこあったりする。
まずさっきから書いている一人称については、やっぱり「僕」や「俺」と言うものを使うのがしっくり来ないという点がある。
一方で「うち」を使っていると「女の子みたい」と言われる。
確かにそうかもしれないなと思いつつ、でもこれが一番しっくりくるので、「男らしい一人称使って」と言われると、「どうしよう」という気持ちになる。
他にも「男らしい」で困った点は、振る舞いだろうか。
床に座る際、よく正座や体育座りをするのだけど、それがどうも男らしく無いようだ。初めて指摘された時、周りの男性を見てみると、確かに自分と同じように座ってる人がいなくてビックリした記憶がある。
バッグの持ち方でも言われたことがある。肩掛けバッグを両手で握っていたり、買い物カゴを両手で持ち歩いていたりしたら「女の子持ち」と言われた。これも「え!」ってなった。
他にも細かい部分で「男らしくない」と言われたことが何度もある。その度に「でもこれが一番落ち着くし」と思ってしまう。
見た目のことでも、ちょっと疑問に思うことがある。髪の長さなのだけど、自分としては髪の毛は短いよりも長い状態の方が「自分らしい」と感じる。だが、周りからは短い髪型の方が「似合っている」とか「短い方が良い」と言われる。「短い方がカッコいいよ」と言われることがあるけど、カッコよさなんて求めてない。むしろ丸っこいフォルムに柔らかい感じが好き。
以前、両耳がすっぽり髪の毛に隠れ、頬の部分まで髪が掛かった状態まで伸ばしたことがあるけど、その時の髪の長さについて個人的には気に入っていた(流石にこれ以上伸ばすのは変かなとは思っていたけど)。
ただその時も周りからは「変!」と言われてて、その後バッサリ切ってもらった後は「そっちの方が断然良い!」となった。それでもやっぱり自分の中では短い髪型の姿が嫌で、「早く髪伸びてくんないかな」と仕切りに思い、髪が伸びるまでの間ずっとモヤモヤしていた。
ちょっと話はズレるけど、男の人が髪を切る頻度にも驚いたことがある。どうやら月に1回程度らしい。
「え!?全然伸びてないのに何で切るの!?」と思うのだけど、髪をセットする際のことを考えると、どうしても一ヶ月周期になるようだ。
まあ、確かに自分も髪が短い時とかはワックスを付けたりして纏めたりするし、長くなるとセットしづらくなるよな、と理解は出来る。
でも毎月行くようだと髪切ってくれる人との会話内容が無くなりそうな気がする。「あ、その話前にも聞きましたよ」ってならないのかな?うん、大分話が逸れた。
たまたま自分が今いる環境下で、「男らしくない」って言われるだけで、実際はそんなことない(男らしくなくもない)のかもしれない。でも、「変!」と言われる機会が何度もあると「自分は普通だと思ってるけど、なんか変なのかな?」と思ってしまうものである。
ということで、最近になって自分の性について疑問に思うようになった。自分のことを女性と思ったことは無いけど、男性であるというのも、もしかして違うのかもしれない。
こういった話って、おそらくジェンダー論に関わる問題になるのだろう。
大学生の頃、社会学専攻だったので、こういった話は何度か授業で聞いたことはあったけど、正直他人事だと思っており、あまり難しく考えたことはなかった。「LGBTって大変だな」ぐらいの感覚。
でもいざ自分のことを当てはめてみたら、「性って何?」と、全く分からなくなる。
自分は自分のことを男だと思っているけれど、自分の振る舞いに対して『男らしい』と周りからは思われないし、自分自身も『男らしい』とされる振る舞いに対しては、違和感があってそういったことをしたくないと思っている。
振る舞いが性を示すのであれば、自分は男であると言えなくなるし、そもそもこちらから「じゃあ男じゃなくて良いよ!」となってしまう。
そうなると、自分は女性なのか?ということになるけど、これも絶対に違うと思う。「女の子みたい」と言われれば、ムッとなる訳だし。
となると、「どちらでもない」とするのか。ノンバイナリー?本当にそうなのかな。むしろクエスチョニングと言われるものの方が近そう。でも、そこに自分を位置付けするのも早計なような気がする。
と、あれこれ考えてしまうのだけど、直感的に自分はやっぱり男なんだと思う。色々当てはめようとしてみて、しっくりくるのは自分を男だと位置付けた場合だけだから。
答えはきっとこれで合ってると思うけど、もう少し「自分はこうだ!」と言える根拠のようなものが欲しい。
ということで、一般的(?)に性を構成しているとされる要素について、一つひとつ考えてみたいと思う。
1、身体的性
さっきも書いたけど、XY染色体に基づく男性。
生殖器官も男性のそれだし、見た目で男だと分かる。
2、性自認
男だと思ってる。根拠は無いけど、やっぱりそうだと思う。
3、性的指向
これがちょっと難しい気がする。
ドキドキしたりムラっときたりする場合のことなんだろうけど、基本的に女性に対してそういった意識が向く。とはいえ詳しいことは後述するけど、もう少し身体が女性っぽければ男の人とでも良いかもぐらいには思ってしまう。それと比べたがりな性格なので、女性との場合に比べて、男性とした時はどんな感じなんだろうという興味もあったりはする。実際にそんな目で男性を見た試しは無いけど。正直、気持ち良くなれて幸せに感じられるなら、これについてはなんでも良いと思う。
4、恋愛指向
これも正直よく分かんない。
他人に対して恋愛感情を抱いたことなんて多分無いような気がする。一人でいるのが好きだし、誰かと一緒にいたいという気持ちが無い。これは男女関係ないと思う。
でも、子どもの頃ぐらいはそういった気持ちがあったかもしれない。そういえば、幼稚園児の頃に仲良しだった男の子に「どっちかが(性別)反対だったら結婚できたのにね」と話をしたことがある。仲が良いというか、その子のことが好きだったのかもしれない。分かんない。
5、性表現
これが今一番自分の中で問題になってる分野なのかな。
ちょっと調べてみたら、一人称の扱いも性表現のひとつのようで、ちょうど「僕」や「俺」を使うのが嫌で、「うち」を使いたい自分の様なことが問題として挙げられていた。この日記書いてて初めて知ったことなので、びっくりした。
振る舞いについて。「男らしい」とされる振る舞い(益荒男振?)よりかは「女らしい」とされる振る舞い(手弱女振?)の方がしっくりくる。「お淑やかな風になりたいな」と思っているし、そういった風に見られたいとも思っている。けど「女性っぽい」とはまた違う。難しい。
身体的外見についても、「こうでありたい」と思うのは筋骨隆々な姿ではなく、華奢で少し丸みを持って、肌も白い方が良いと思ってる。多分、女性のそれに近い身体付きなんだろうけど、胸は無くて良いし、男性器があることについても特段不満はない。幸い、自分の身体に対してはお金やら努力やらで解決できる部分が多いし、そこまで気にすることはなさそう。というか、周りの人にそこを指摘されたことないから、自分だけでこっそり満足出来れば良い。
ファッションはどうだろう。スカートやヒラヒラのワンピースを着たいと思ったことは無いけど、服を買う際の基準を考えると、「あ、これ可愛い。」で選んでいるような気がする。だけど、服装については「女の子みたい」と指摘されたことは無いと思う。上はフーディーやカーディガン、ボトムスはワイドかスキニーパンツしか選ばないし、自ずと男女問わずな格好になってるだけだからかもしれない。
「どうありたいか」という表現はどちらかと言えば女性のそれに近いのかもしれない。それでも「うちは男です」と言うけど。
(今日はこの辺で書くのやめよう。疲れた。)
続きを書く。
読み返すと、なんか本当に際どいこと書いてると思ってしまう。
こういった気持ちをずっと前から持ち続けていたのか、それともここ最近になってのことなのか。いや、でも多分あまり意識してなかったことを、文字に書き起こして「あ、そうか」ってなっていったというのが一番近い気がする。
さて、昨日書いた要素について、それぞれどの性ジャンルに近いのか確認してみる。一日置いてみたので、少しは客観的に考えられそう。
1+2のこと:シスジェンダー
肉体的にも気持ち的にも合致しているので、多分これ。ただ、100%男である、という結論を下して良いのかは分かんない。
もしかしたら無意識下で「こういったところは女性のそれ」という気持ちが内在しているかもしれない。どうやらそういうもののことをデミジェンダーと呼ぶらしい。
じゃあ、デミジェンダーってことにしておく?でもやっぱり「男です!」って思うからシスジェンダーだと思う。
3や4のこと:アロマンティック
多分これ。
性的指向については、上に書いたとおり「幸せに感じられて、かつ気持ち良ければなんでも良い」という考えがある。大分退廃的で快楽主義的な考え方してるなとは思うけど。でも、そもそも人とそういった関係を持つのさえ嫌かもしれない。
恋愛指向は、まず誰かを好きになる感覚がよく分かんない。家族や友だちは大切だけど、���れとはまた別の感情ということになると、「え、それってどんな感じなの?」ってなる。でも、これまた無意識にそういった気持ちを持ったりしてるのかもしれない。やっぱり、こうだって言い切れない部分が多い。
5 のこと:ノンバイナリー(トランスジェンダー?)
若干女性寄りな部分が多いような気がするけど、でも飽くまでも「こうしたいからしてるだけで、それが偶々女性のそれに近い」が正しいと思う。男らしい言動や理想とする身体付きに対して、「そういうの趣味じゃないし」という感覚で選ばないだけ。
となると、これについては男性でも女性でもないってことになる。恐らくノンバイナリーが一番当てはまる。
一人称の話から大分長々と書いてきたけど、そういった部分から大分込み入った話にまで発展したので、ちょっと驚きである。
男の身体で生まれて男として育ってきたので、それに対して疑問を挟む余地なんて無い、というか自分の性について考えること自体思いつきもしなかったことだけど、いざ実際に考えてみると、性って本当に酷く曖昧なんだなと思った。
ここ数年は「自分のことって実はよく分かっていないんだ」と感じることが多いけど、この性についてもそうだったということみたいだ。でも、それに対して少しだけ理解できたような気がするし、ある程度自分自身に説明が出来るようになったと思う。
もしかしたら今後も「え、そんなこと疑問に思ったことすら無いよ!」みたいな事柄について、いつかどこかで「え、でもどうなんだろう?」と疑問に思うことがあるかもしれない。
そういった時はまた黙々と考えてみて、でも難しい気持ちにならない程度に日記として書いてみようと思う。書くのすごい時間がかかるから大変だけど。
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sawachkainradiumoon · 2 years
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『女の子は死なない 実録演劇犬鳴村/男尊演劇死滅譚』 
を観てきました。平日は脳死で社会人をしていて感想を言語化できなかったのでめちゃくちゃ時間がかかったんですが台本も届いたので。
感想というか、あらすじはもうタイトルそのままなので何も説明する必要がないです。
女の子は死にません。実録演劇犬鳴村の実態が(結構実名入りで)描写され、男尊演劇を死滅させます。
まあ私は演劇通では全然なく、普段は1人部屋で小説かドラマか映画か犯罪ドキュメンタリーを見ている根暗な女なわけだけど、まあその中でも女の可哀想な人生というポルノでもなく、男が透明化されたものでもなく、レイプの話をするのにレイプシーンを入れる必要もない、という当たり前を当たり前にやっている作品のなんと少ないこと!
そんな作品を観たかったあなたは今すぐ配信を見よう(宣伝するのがおそくなったけど10日までらしいので間に合うぞ!)
◆感想
まず脚本がめちゃくちゃ良くて、すごいハイコンテクストな内容かつテンポも密度もすごいんですけど自分の頭にはするする入ってくるので気持ちよかったです。気持ち良い分かなり辛いシーンもあり。読み返したくなる内容で台本も買いました。あと本当にこれは結構実録というか、演劇界に限らず普通に現実なのが改めて見せられるとキツすぎる。どこかで何度も聞いたフレーズ、言われたことある発言、私の好きなアーティストにワイドショーで大物芸能人(笑)のジジイが言い放った台詞とほぼ同じ。改めて考えるとこの社会で正気でいられるほうが正気ではない。ヒステリー上等。
次に演者もみんな良くて、そのハイコンテクストかつテンポも密度もすごい内容をきちんと共有して自分たちのものにしてる熱量を感じて、勝手に信頼と安心と希望が生きているんだと思いました。あと衣装もメイクも歌も踊りも可愛くてかっこいい!目が足りんかった。
次に、個人的に大好きな狼乙女/ヴァージニア・ウルフが素晴らしくて感動しました。ヴァージニア・ウルフは私が弱気になるたびに正気に戻してくれる作家だから。今までたくさんのウルフを見てきたけど1番かもしれない。私も朝子、ありがとうって思った。ジュディスが生きているということ。誰かの娘でも妹でも夫人でもない女が生きている、生きていけることを求めているだけなのになと時々思う。
ロリータはもう作品の文脈すら離れて勝手にアイコンのように消費されてきた女の子だと思うけど、自分の名前を自分で思い出すことができた。まあ色々あったけど今は健康的なニーナの演じる舞台を私も観たい。エミリー、ティターニア、(ソフィア、ゼルダ、シャルロッテ、2人のクララ、シェリー、ミレヴァ、イェニー、シルヴィア、たくさんの才能ある女の子たち)は死なない。
場外乱闘がTwitterで起こってるのみて気の毒な気持ちになった。
これも懇切丁寧に説明したくないけど「男」だから加害者だとかそういう話じゃないことは観たらわかるというか、やっぱ面倒なのでまずこの舞台を配信でご覧になって、『マッド・マックス 怒りのデスロード』とか見たら良いんじゃない? 社会の権力がいかに同じ人間を「男」と「女」というジェンダーに二分して、構造化してきたのか、その構造で女がどういう目にあってきたのか考えて見たらいかがでしょうか、なんで男が責められる気がして僕が傷ついちゃうのか、女の子に訴える前に自省してみたらどうでしょうか。
もうひとつ良かったのは、観劇における心理的安全性が高かったこと。
上記のように実録すぎて辛い思いをする可能性も前もってアナウンスされていたので、その時点でかなり安心した人も多いと思います。
私が観劇したのは女性専用回だったんですが、まあテーマがテーマなので心配な方も多かったのではないかと思うのですが、他の観客の笑いとか態度でめちゃくちゃ傷ついたり怖くなったり何か思い出す人もとても多いんじゃないか、そういう経験も最悪なことによくあることなので、その点も気を遣ってくれてるのは素晴らしいなあと思いました。
以下は蛇足です。
蛇足1. 
インターネットでミソジニーとかミサンドリーを爆発させている人の中には多分、それって本当はあなたの母親や、妻や、昔のクラスメイトや、父親や、彼氏や、夫に言いたいこと、言った方が良いことですよね?みたいな人も多くて、でも言えないから言えるやつに向かって発散してるんだと思うけど、それって本当に悲しいし不毛だなと思う。それでツイフェミって呼ぶ人も呼ばれる人もそういう極端な例を持ち出して永遠にお互いを攻撃して何も良くならないから私はインターネット論争空間がマジで嫌いです。それは自分も昔そうだったからで、私はフェミニズムにとても興味があって、卒論でも書いて、一通り勉強してきたけどこの原動力と怒り社会への復讐心のきっかけは結局わたしの家の中にあって、父親と、母親と、母親をこんな目に合わせた父親と、それを許してきた社会の構造に対して怒ってたってことが初めてわかったんですけど、生きていくのに疲れすぎて父親との連絡手段を全ブロックして音信不通になることで逃げました。更にわたしと母の間には、母を奴隷から解放するための長い長い闘いがあったんですけど、まあわたしの話は置いておいて、というか関係はあるんですけど、今回この舞台を作った人たちだって演劇なんても〜終わりじゃん‼️や〜めっぴ‼️でTwitterで怒り続けてたって良かったわけだけど、それをちゃんと演劇にしてブチ上げていたことが素晴らしいと思いました。
簡単にできることではなくて、自分が通ってきたものを、自分自身の問題を正面から見つめる覚悟がないとできないことだから。だって普通に小屋に火をつけて回ってもいいと思うんですけど未来のために覚悟みせて、で、お前らどうすんだよって叩きつけたわけなので。わたしも今は干からびてるけど元気になったらこのファッキン社会めちゃくちゃにしてこれから生まれてくる女の子の幸せを祈って実現してから死にて〜。
蛇足2.
演劇を思想を押し付けるための道具にしているかどうか、自分の演劇は思想とか関係なくただ純粋にエンタメとして作りたいとか、これ演劇以外でもよく聞くんですけど、そういう感情持ってる時点でそれもあなたの思想なんだよ、ってか文学部で何を学んでいるんだ、って思うけどまああなたの思想を頑張ってください。何かを創作して、世に出し、誰かに見て(読んで/聞いて)もらうことってすごい人間的かつ社会的な行為で、社会的な行為は社会からは切り離せないんですよね。
蛇足3.
『女の可哀想な人生というポルノでもなく、男が透明化されたものでもなく、レイプの話をするのにレイプシーンを入れる必要もない、という当たり前を当たり前にやっている作品のなんと少ないこと!』って冒頭に書いたんですが男の役者使った方がリアルでは?(ニュアンス)みたいな感想を見てえ????????????????????????????????という感じだった
蛇足4.
おそらく男性であろう人の感想を読んでいるとウ〜ンとなることがあり、まあそのウ〜ンの正体はすでに『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』という本の前書きに大体書いてある。これは思想ではなく、自分の話をするときに、さえぎられず、マンスプされないようにするにはどうしたらいいかというハウツー本なんですが、なぜ私たちが懇切丁寧に説明し、疲弊し、「わかってくれた」ことに感謝し、相手が立派な男であるということになるのか?という疑問から生まれた本です。わかってないのはあなたじゃない。答える義務もないし、相手の間違いを正してやる必要もない。それでも対話する人は本当に立派だと思う。あとフェミニズムはヒューマニズムではないので男の生き辛さはまず自分たちで頑張ってくれ^^
(そういえば朝子が持っていた本、装丁がキム・ジヨンぽかった?それか『母親になって後悔してる』だろうか。)
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itokawa-noe · 2 years
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ねこはいるだけでいい
「お母さん」をめぐるSF。
Kaguya Planet公募(ジェンダーSF特集)参加作品でした。(1,1802文字/2021年12月12日)
ーーー
【マーサ】
 信じるもんかと彼女は思った。  白い肌に金の髪に青い瞳などという不気味な色をした人間が、まともであろうはずがない。向こうは向こうで緑の肌に銀の髪に紫の瞳という彼女の外見にぎょっとしたようだが、表情に出したのはほんの一瞬、のぞきかけた腹のうちを笑顔の下にしまいこんだそのすばやさが、かえって彼女を警戒させた。相手の女の口から出てくる妙ちきりんな音の連なりは自動翻訳機によると友好的な文句ばかりで、それがまた胡散臭さに輪をかけた。  女はしつこかった。おなじ色をした子どもとふたりで朝な夕な彼女を訪ねてきた。  彼女は船に立てこもり、まともにとりあおうとしなかった。  扉の前に置いてゆかれた物資は、慎重に検めたうえで使えるものだけ船の中にひっぱりこんだ。燃料や毛布は害なしと判じた彼女だけれど、食べものには手を出さずに我慢した。冷凍睡眠明けの飢えは、草や実や根を食べてしのいだ。同じ未知なら人間よりも植物のほうがまし。それが彼女の見解だった。  連中が大きなバスケットを抱えて現れたときは、心が揺らいだ。  子どものほうが「ほら」と目の前であけてみせたバスケットの中身は彩り豊かで匂いもよく、ちらとのぞくなり口の中が唾でいっぱいになった。思わず手をのばしかけたとき、女のほうが言った。 「私はマーサ。この子はチリル。あなたの名前を訊いてもいい?」  彼女はふたりに背を向けた。それから数日というもの、一歩も船から出なかった。  堅牢な要塞は、だけど突然やぶられた。敵が飛び道具を持ち出したのだ。  マーサと名乗った女が使ったのは火。燃やしたのは彼女の船、ではなく、拾い集めた枯れ枝や落ち葉だった。焚き火の上に吊るされた小鍋から立ちのぼる匂いに鼻先をくすぐられるや、投げ縄に捕まったみたいにぐいと体が引き寄せられた。そこから記憶が曖昧になり――気がつくと、からっぽの鍋が目の前に転がっていた。 「うちにくればもっとあるよ」 「でっかい鍋にたっぷりとね」  最後はあっさり陥落された。
 浮遊車で連れてゆかれた先は、赤い三角屋根の家。  マーサは彼女を風呂に入れ、温かい服を着せ、鍋いっぱいの煮こみ料理を食べさせてくれた。 「しちう」というらしいそれは、緊張にこわばっていた顔が一瞬でとろけてしまうほどおいしかった。味のしみた野菜や舌のうえでほろりとほどける肉をとろみのついた汁と一緒におなかの中へと送りこむにつれ、体がぽかぽかぬくもってくる。夢中で掻きこみ「おかわり!」と視線をあげ、やわらかく細められた瞳に見守られていたことに彼女は気づいた。〈お母さん〉みたいな人だ。耳が火照るのを感じながら、そう思う。自分の〈お母さん〉のことは、なにひとつ知らないけれど。 「どうして親切にしてくれるの」彼女には、それが不思議でたまらない。 「困ったときは助けあうものでしょ」横っちょにしちうをくっつけた口で、こともなげにチリルが返した。 「でも私は異星人だ。もっと疑ったり怖がったりするものじゃないの」 「でもおなじ人間だ。生まれた星が違うだけで」 「しかも、あなたはまだ子どもじゃない。たったひとりで遠くからきて、心細い思いをしているでしょう」 「子どもじゃないし」むっとして、彼女は頬をふくらませた。「年齢的には〈お母さん〉にだってなれるぐらいだ」 「おかあさん?」 「そうだよ」と尖らせたくちびるが、ぽろりと続きを取り落とす。マーサの肩越しに見えたものに、彼女の瞳は釘づけになる。  まるい顔、三角の耳、長いしっぽに光るまなこ。  へんてこな姿をした毛むくじゃらが、窓の外から彼女を睨んでいる。 「あれはなに」 「なにって、猫だよ。知らないの」  知らない。四つ足の獣なんて、彼女の星ではもう図鑑の中にしか存在しない。〈役割〉を自覚する以前、幼かった頃の彼女は図鑑を愛読していた。けれど、こんな意地の悪そうな目つきをした生き物はどこにも載っていなかった。 「どうしたのサミィ。入っておいでよ」  全身の毛を逆立てて、ねこは呼びかけを拒絶する。チリルは困惑しているようだが、彼女にはわかる。射殺さんばかりの眼光、剥き出しの牙と憎悪の唸り。これは糾弾、彼女がここにいることを責める顔。彼女にはわかる。彼女はこの顔を知っている。  彼女は立ちあがった。 「帰る」 「帰るってどこに」 「船」 「船って、まさかあの地面にめりこんでるやつのことじゃないよね」チリルが目を剥き、 「このままうちにいればいいよ」マーサが肩に手を置くも、 「私には〈役割〉がある。馴れあいは不要だ」  ぴしゃりと言ってはらいのけ、彼女は家を飛びだした。    マーサもチリルも追いかけてはこなかった。  ほっとしたような肩透かしを食らったような気分で、彼女は足をとめる。  森の中だった。  彼女の船が不時着した、落葉広葉樹の小さな森だ。  この土地の人々にとってはありふれた風景らしいが、彼女は一向に慣れる気がしない。両腕をまわしても抱えきれない幹に、雨宿りができるだけ茂った枝葉に、ふりそそぐ鳥のさえずりに――自分の背より高い木を見たことのなかった彼女は、何度だって圧倒される。  ひらきっぱなしになっていた口が、ゆっくりと笑みの形になる。  完璧だ。申し分のない環境だ。  約束された未来を思い、彼女は胸を昂ぶらせる。――この星には私たちが失ったものが残っている。きっと誰もが私を見直す。新しい家を見つけた私を、みんなの〈お母さん〉と称えさえするかもしれない。  問題は、この大発見を同胞に報せる術がないことだ。  自動操縦で彼女をここまでつれてきた船は、墜落の衝撃ですっかり壊れてしまった。通信機だけでも早急に修理したいところだが、彼女には機械を扱う心得がない。学ぼうにも学ぶ機会がなかった。彼女に求められる〈役割〉には必要のないことだったから。 「こんにちは」  急に声がして飛びあがった。  いつの間にか、背後に老女が立っている。 「はじめまして。わたしはトキエ。あなた、お名前は?」  不意打ちの問いに彼女は凍る。心臓が乱れ打ち、冷たい汗が噴き出してくる。 「……忘れた。記憶がない。宙から落ちて頭を打って、ぜんぶ忘れた」  言うだけ言って船に逃げこみ扉を閉める。  その場にへなへなしゃがみこみ、膝を抱えて小さくなった。
【ハオラン】
 彼女の星にだって様々な色の人間がいた。  いたにはいたが、ともに暮らす者どうしは同じ色をしているのが普通だったから、ちぐはぐな色に並ばれると居心地が悪くなる。 「はじめまして」ふわふわ喋るのは髪も瞳も黒い女。 「マーサからあなたのことを聞きました」ほわほわ笑うのは赤っぽい髪に緑の瞳の男。 「マーサ、あなたを気にかけていたよ。でも急に出かけなくちゃならなくなって」 「かわりに様子を見てきてほしいと頼まれたんです」 「どうかな、一緒に朝ごはんでも」 「きっとおなかが空いているでしょう」  まんじりともできなかったせいで充血した目で、彼女はふたりを睨めつけた。 「べつにおなかなんて」  空いてない。そう続けようとしたのを遮るように、ぐぎゅうぐるると腹が叫んだ。  頬を赤らめ、彼女は俯く。  ふわふわとほわほわが、顔を見あわせにっこりした。
 ふわふわ女の名はハオラン。ほわほわ男の名はエドゥアル。  ふたりはマーサとチリルの「お隣さん」で、マーサたちの家の屋根だけを青くしたような一戸建てに住んでいた。  改めて見まわしてみれば、周囲の家々はどれも似たり寄ったりの外観だ。こぢんまりとした三角屋根で、塀がない。住宅どうしが共同の庭でゆるやかに繋がったさまが、彼女の目には奇妙に映る。国も街も住居も人も、彼女の星では区切られ隔てられていた。  ハオランの用意してくれた「さんどいち」はおいしかった。だけどマーサのしちうのほうが、彼女はずっとすきだった。
 朝食が済むと、エドゥアルはハオランに口づけをして出ていった。  エドゥアルだけじゃない。窓の外の広い庭は、いつのまにか近隣住民と思しき人たちでいっぱいになっている。「おはよう」「おまたせ」などと挨拶をかわしながら、続々とどこかへ出かけてゆく。 「みんなどこに行くの」  窓辺の花に水をやっていたハオランに、彼女は訊ねた。 「人によって違うけれど、子どもは学校、大人は職場に行く人が多いんじゃないかな」 「ハオランはいかないの」 「いかないよ」  なるほど家で働いているのか。そう考えた彼女は、自分も仕事を手伝いたいと申し出た。 「仕事? そんなのないない。さ、お茶しよう」  冗談を言っているのだと思った。他の人達が〈役割〉を果たしているあいだに自分だけお茶なんて。ところが、ハオランは本当にお茶を淹れはじめた。小皿に焼き菓子まで添え、いそいそとソファへ運び、準備ができたよと彼女を呼んだ。  得体の知れないものを前にしたような気味の悪さに襲われ、彼女はハオランを凝視した。 「どうしたの? こっちにおいでよ」  不思議そうに見返してくる黒い瞳と目があって、そこではっと気がついた。ゆったりした服が体の線を隠しているせいでわからなかったが――そうか! 〈お母さん〉になるのだ! であれば彼女も納得だ。新しい命を胎に宿した〈お母さん〉は、盗まれたり傷つけられたりすることのないよう家に仕舞いこまれるものだから。  彼女はハオランを言祝いだ。  ハオランはきょとんとし、そのあとで吹き出した。 「このおなかに詰まってるのは、ほどよい量の脂肪と内臓だけだよ」  早とちりを彼女は詫びて、 「でも」気まずさを紛らわせようと急いで言った。「いずれ〈お母さん〉になるんでしょう」 「おかあさんってなあに?」  今度こそ冗談だと思った。だけどハオランの表情に悪ふざけの色はない。 「〈お母さん〉は、女の親だよ」面食らいつつ説明するも不十分な気がして「ええと、それから」頭の中にある〈お母さん〉を言葉にしようと試みた。「おいしくて栄養のある手作りごはん、よく手入れされた服、掃除のゆきとどいた住まい、そういうものを整えて、子どもを健やかに育む人。いつも家族が優先で、自分のことは後まわし。愛情深くて忍耐強く、対価は決して求めない。自己犠牲と献身と無償の愛、それが母性、すなわち〈お母さん〉の条件だから」  彼女の演説のなかばから詰めていたらしい��を、ハオランは「……へええ」と吐きだした。「すごいんだねえ。人間というよりも、神様かなにかみたい」 「本当にこの星には〈お母さん〉がいないの?」 「いないよ、そんなすごい人」 「だったら、子どもは誰が育てるの」 「親と周囲の大人たち。みんなで一緒に育てるよ」ハオランはにこやかに答え「そういう意味なら」と話をもどした。「わたし、親にもならないよ」 「それってつまり」口にしかけた問いが、音になる直前で喉につまる。鼓動が速くなるのを自覚しながら、彼女は訊いた。「あなたも産めない女なの?」 「うーん、どうだろう。そもそも産もうと思ったことがないんだよね。わたしとエドゥアルは、ふたりの暮らしが気に入ってるから」  彼女は絶句した。顔色を失くし、瞬きを忘れ、唇を震わせてハオランを見つめた。 「おかしいよ」やっとのことで出た声は悲鳴みたいに引き攣っていた。「産めるかもしれないのに産まない? そんなのおかしい。ありえない。子を産み育てることが女の〈役割〉でしょう。〈役割〉を果たさない者は罰をうけるよ。生きてる価値がないって責められるよ」  ハオランの瞳がゆれた。  おだやかな笑みに彩られていた顔が、痛みを堪らえるように歪んだ。 「そんなことないよ」ハオランは彼女の手をとった。そっと握って、静かに言った。「他人から押しつけられる役割なんてない。そんなことをしようとする人がいたら、うるせー知るか! って蹴散らしていいんだよ。もちろん罰なんてものもない。この星では、誰もあなたを責めたりしないよ」  ハオランの言っていることが、彼女にはわからない。わかるのは、自分を抱きしめんとするようにさしのべられたまなざしのせいで胸がざわざわすることだけだ。  逃げるように目を逸らす。  窓の外にねこがいた。  陽だまりのベンチで丸くなり、気持ちよさそうに眠っていた。 「そうだよ、ほら」彼女からねこへ、また彼女へ。視線を移し、ハオランが口もとをほころばせた。「猫は、ただそこにいるだけでいいでしょう。人間だって同じだよ」 「違うよ。ぜんぜん違う」彼女は激しく首をふる。「それに私、ねこは嫌いだ」  ハオランが悲しげに目を伏せる。  短い沈黙のあとで、 「訊いてもいいかな」彼女を見据えた双眸は、夜の湖面を思わせた。「あなたは『おかあさん』になりたいの?」 「当たり前でしょ。女に生まれた者は誰だって――」 「そうじゃないよ。あなたの心は『おかあさん』になることを望んでいるの?」  彼女は答えなかった。  心のどこにも、答えがなかった。
【ユースフ】
――あなたの心は『おかあさん』になることを望んでいるの?  それならいいの。でも、もしもね、自分の心の声を聞くより先に外側からそう思いこまされているのだとしたら、それは苦しいことなんじゃないかって。  考えないほうがいい考えるべきじゃない早く追い出してしまえ、でないと頭がぐちゃぐちゃになる、と彼女は思う。だけど何度寝返りを繰り返しても、ハオランの声をふりはらえない。 ――「おかあさん」のことは、わたしにはよくわからない。でもね、産まなくても、同じ家で暮らさなくても、誰かと一緒に子どもを育てる方法はたくさんあるよ。  扉を叩く音に物思いが破れる。  彼女は息を潜め、招かれざる客が去るのを待った。  だが敵は粘り強い。  痺れを切らして起きあがる。追い返してやろうと扉をあけて、驚いた。  ひとつには、いつの間にかすっかり夜がふけていたから。もうひとつには、そこにいたのが予期したのとは違う人だったから。 「夜分遅くにごめんなさい。格好いいおうちを見つけたから、どんな方が住んでいるのか気になって」 「おうちじゃなくて、これは船」 「あら、お船なの。色も形もイルカみたいでお洒落ねえ」くしゃっと丸めてゆるく広げた紙を連想させるしわしわの顔のうえで、きらきらっと瞳が光る。「はじめまして。わたしはトキエ」  昨日も会ったよ。憶えてないの。突っぱねかけて、はっとした。異星人に遭遇したことを憶えてない? そんなの普通じゃありえない。 「あなた、お名前は?」昨日とおなじ質問に、 「ない」昨日とちがう答えを彼女は返した。どうせ明日には忘れられる。そう思ったとたん、嘘をつくのがばかばかしくなったのだ。「昔はあったけど、今はない」  名前を所有できるのは、社会にとって価値のある人間だけだ。  社会にとって価値があるというのは、求められる〈役割〉を果たせるということだ。  だから彼女は、ハオランのような人がのうのうと暮らしていられることが理解できない。どうして名前を取りあげられないのか。どうして役立たずと糾弾されないのか。どうして「不要な」髪を剃られたり「無駄な」腹を蹴られたりしないのか、生きている価値がないと罵倒されないのか。 「おなかが痛いの?」  トキエの声で、無意識に腹をおさえていたことに気がついた。  額に湧き出した脂汗を、ひんやりした指がぬぐってゆく。トキエの体温でぬくもったストールが、すっぽりと彼女をつつみこむ。 「行きましょう」言うなりトキエは彼女を抱きかかえるようにして歩きだした。  細腕に見あわぬ力の強さに彼女はたじろぐ。「行くってどこに」本気で抵抗すれば勝てるのだろうが「ねえったら」年寄り相手にそうもゆかず「離してよ!」そのままどこへやら運ばれてゆく。
 星あかりの下を引かれてゆくうち、男に出会った。  がっしりとした肩のうえの人懐こい笑顔を見あげ、この星の木みたいな人だと彼女は思う。大柄で体格もよいけれど、雰囲気がゆったりしているせいか怖くはない。広々とした胸に抱かれた赤ん坊が、青みがかった澄んだ瞳を彼女に向けた。 「こんばんは、ユースフ。こんばんは、ココちゃん」 「こんばんは、トキエさん。そちらは宇宙から来たお嬢さんだね」  名前を訊かれなかったことに、彼女は内心で安堵する。ほっと息を吐いたその口から、次の瞬間、心臓が飛びだしそうになった。ココが大声で泣き出したのだ。 「ああ、ごめん、ごめんね」ユースフが太い腕を揺らしてココをあやす。「立ちどまっちゃうとだめなんだ」  そう言って歩きだした大きな背中を、彼女は追いかけこっそり告げた。 「このおばあさん、昨日も今日もひとりで徘徊してたんだけど」 「徘徊じゃなくて散歩だよ」 「どっちだっていい。ひとりでふらふら出歩いて、事故にあったらどうすんの」 「平気だよ。トキエさんも僕たちも、トキエさんにできることとできないことを知っている。困ったときは誰かしらが手助けする。ね、トキエさん」ユースフがトキエに向かって首を傾け、 「ね」とトキエも同じ角度に首を倒す。  待ちあわせでもしていたような自然さで一緒に歩きはじめた。  トキエの体が離れ、彼女は自由をとりもどす。ひとりで船に帰ることもできたけれど、なんとんなくそうはしなかった。 「ねえ」ゆきずりの道連れに、歩調をあわせてついてゆく。「〈お母さん〉はどうしてるの。お留守番?」 「おかあさん?」 「その子のもう一人の親のこと」 「ココの親は僕だけだよ」  では、いつもこうなのか。眠らない赤子を抱え、夜な夜なひとりで歩いているのか。ぎゅうと胸が苦しくなって、彼女は思わず呟いた。 「片親なのか。大変だな」 「かたおやって?」ユースフが訊き返す。 「親が一人しかいないってこと」 「うーん、大変なのかな」 「大変じゃないの」 「そりゃ、子育ては大仕事だよ。でも親の数はあんまり関係ないんじゃないかな。一人だろうと二人だろうと三人だろうと、結局はまわりのみんなに助けてもらうわけだし」 「かたおや。おかしな言いまわしね。まるで、親は二人いるのがふつうみたい」 「だってそうでしょ」 「そんなことないよ」「そんなことないでしょう」 「え、そんなことないの?」 「ないね」「ないない」 「私の星では、親は二人そろっているべきだとされてるよ」 「じゃあ、僕みたいにパートナーを必要としない人間は親として失格なの」  失格どころか資格がない。養子をむかえるのも第三者の協力を得て人工的に子をもうけるのも、両親がそろっていることが大前提。彼女の星の彼女の国では、そういうきまりになっていた。  だけど彼女にはそれが言えない。隣りを歩くユースフに言いたくない。  気づまりな間を埋めたのは、おっとりとしたトキエの声だった。 「ところ変われば、考えかたも変わるのね」 「そうか。そうだね。人それぞれ、星それぞれ」  ユースフの顔に笑みがもどり、彼女は胸をなでおろす。  人それぞれ、星それぞれ。心の中で復唱し、なるほどな、と小さく頷く。  その一方で、こんなふうにも思うのだ。  もしもユースフが彼女の国に生まれていたら。ひとりで親になりたいと望み、ひとりでも子を育てられる環境にあったとしたら。  残念、この国ではとおりません。  そんな一言で握りつぶしてしまって、よいのだろうか。    やがて、行く手にぼんやりと白っぽい影が浮かびあがった。  「到着だ」「到着ね」  ユースフとトキエが、同時に言った。
「夜の図書館には、ねむれない人たちが集まってくるんだ」  ユースフがひそひそ声で説明するのを聞きながら、ランプの灯りに照らされた通路を行く。ふかふかの布団が敷きつめられた館内でくつろぐ利用者は大半がユースフのような子連れだが、そうではない人たちもちらほら見えた。耳打ちや筆談でおしゃべりを楽しむ者、ぶあつい本を膝に置いて船を漕ぐ者、天井に投影された星を寝転んで数える者……ぬるめに入れたお風呂みたいな空気に身をひたし、めいめいが思い思いの時間を過ごしている。 「あら、ここは」貸し出しカウンターの前でトキエが足をとめた。「そうそう、そうだった。ちょっと寄ってゆきましょう」  どこに? と訊ねた彼女にユースフが教えてくれる。 「トキエさんは、時々ここでお手伝いをしているんだ」 「楽しいのよ。赤ちゃんにミルクをあげて、おむつを替えて、大人には温かい飲みものや小さなチョコレートをお出しして。あなたもどう?」  彼女は首をふった。赤ん坊はすきじゃない。  トキエにありがとうを言ってストールを返し、ユースフについてゆく。  前方からふわふわした声が流れてきた。絵本かなにかの読み聞かせをしているらしい。声を手繰るようにして奥へとすすみ、驚いた。毛布をかぶって、ぬいぐるみを抱いて、天幕から顔だけのぞかせて――おのおの好きな格好で寝そべる人たちに向かって本を読んでいたのは、彼女の知っている人だった。 「ハオランは、毎晩ここでお話を読んでくれるんだ」  ユースフが床のうえの揺りかごにココをおろす。彼女はとっさに身構えたけれど、ココは泣かなかった。ふわふわした声に聴き入るように、じいっとハオランを見つめている。  ぱっちりひらいていた瞳は、だけどたちまちとろんとし、数分とたたないうちにぴたりとふたをされていた。  ハオランの声は、彼女の耳にも心地よい。 「これがハオランの〈役目〉なの?」子が、親が、一人またひとりと眠りに落ちてゆくのを眺めながら、あくび混じりに彼女は訊ねる。 「役目とか、そういうのはよくわからないけれど」彼女からひきとったあくびをふああと宙に放り、ユースフが答える。「ハオランは、すきでやっているんだと思うよ」    彼女は毛布にくるまって、ハオランの朗読にココとユースフの寝息が合いの手を入れるのを聞いている。とろとろと微睡みはじめた矢先、なにやらもぞもぞうごく小さいやつが懐にもぐりこんできた。大声をあげて図書館じゅうの人たちを叩き起こしてしまわずに済んだのは、毛布の端からはみ出したしなやかなしっぽで、そいつの正体がわかったからだ。  悲鳴を呑みこみ、静かに胸を高鳴らせながら天井を眺めることしばし。 ……ぷう、ぷすうう、ぷすすう、ぷう……  耳に届いたかすかな音が寝息だと気づくや、しちうを食べたときみたいなぬくもりが全身にひろがった。  堪えきれずに笑みがこぼれる。その顔のまま瞼を閉じる。    仄白いひかりの中で、彼女は自然に目をさました。  懐がもぬけの殻になっているのを残念に思いつつ身を起こし――そこでぴたっと動きが止まった。  言伝のように。ささやかな贈り物のように。  マーサから借りた服のおなかのところに、柔い毛がぽそぽそとくっついていた。
【マーサとラウラとアヌシュカ】
 彼女はユースフの家で朝ごはんをご馳走になり、いったん船へと引きあげるところ。  おなかにくっつけたままの毛を落っことしてしまわないよう、そっとそうっと歩いている。一歩いっぽに集中しているせいで「おーい」という声が近づいてくるのに気づかない。特大の「おーい!」にようやく足をとめたのと傍らに停まった浮遊車のドアがひらいたのとは同時だった。 「マーサ! チリル!」  毛のことをすっかり忘れ、彼女はマーサに飛びついた。 「よかった。どうしてるか気になっていたの」マーサが彼女を抱きとめて、 「元気そうだね」チリルもぴとりとほっぺたを寄せてくる。 「元気だよ。みんなに助けてもらってた」でも私は。マーサの腕の中でもじもじと身をよじり、彼女は早口に打ち明けた。「マーサのしちうが食べたかった」 「シチュー?」マーサが���を傾げかけ、ああ、と笑って手を打った。「あれを作ったのは私じゃないよ」 「え?」 「私、料理はからっきしなの。わが家のごはん担当は、このアヌシュカ」  車からおりてきた小柄な人を、マーサが彼女に紹介する。 「あたしのシチューを気に入ってくれたの? 光栄!」  握られた手をぶんぶん上下にふられながら、彼女はぽかんとする。  アヌシュカの後ろから背の高い人がおりてきたことで、困惑はさらに深まった。ラウラと名乗ったその人は、腕に赤ん坊を抱いていた。ココより小さくふにゃふにゃで、まだ目もあいていない、正真正銘の生まれたてだ。 「ぼくのきょうだい」  チリルは胸を張るけれど、それはおかしい、と彼女は眉を寄せる。マーサのおなかは数日前までぺたんこで、出産を控えているようには見えなかった。チリル、マーサ、アヌシュカ、ラウラ、赤ん坊……せわしなく視線を走らせ、口をひらく。  だれが〈お母さん〉なの。  転げ落ちかけた問いが、舌先で止まる。  彼女はもう一度、目の前の人たちを見た。三人の大人は色も顔だちもてんでばらばら、マーサとチリルにしたって面ざしはあまり似ていない。けれど彼女に向けられた八つの瞳は、あったかさがそっくりだ。  そうか、と彼女は理解した。なるほど、と心から思った。こういう形もあるのか、と。  誰が産んだとか誰がごはんを作るとか親は何人とか、そういうことはもう、どうでもよかった。 「……かわいい」  彼女は赤ん坊がすきじゃない。何を考えているのかわからないところやひとつ扱いを間違えたら壊してしまいそうなところが怖くて遠くて落ちつかず、無理やり抱かされたり褒めそやすよう強いられたりするたび、どろりとした苦いものに喉を塞がれて息がつまった。いつからか、そういうふうになっていた。  だけど今。ラウラの胸で眠る小さな命が、彼女は愛おしくてたまらない。 「ほんとうに、かわいい」  眩しさに細めた瞳から、はらはらと涙が落ちる。彼女は気づいていない。気づかないまま、まだ名前のない、性別もさだまらない、まっさらなひかりを見つめつづける。
 この星には、新しい命が生まれると〈お墓参り〉をする習慣がある。  それで彼女たち――マーサとアヌシュカとラウラとチリルに、少し大きくなってミンナという名前をもらった赤ちゃん、そして彼女は、お弁当をもって〈お墓〉を訪ねた。   〈お墓〉は、かつて彼女の星にあったという動物園に似ていた。   動物園は生きた動物に会うための施設。動物たちは檻か柵の向こうにいる。   〈お墓〉はもういない動物に会うための場所。動物たちはすべてよくできた映像で、ゆえに檻も柵も必要ない。  まっしろなクマが、思慮深げな顔つきをした大きなサルが、岩と見紛うような甲羅を背負いヒレ状の脚で這うカメが……図鑑でしか知らない生き物たちが暮らす森の中を、彼女は顔を輝かせ、チリルとふたりで駆けまわった。  大人たちが静かなのに気づいたのは、ひとしきりはしゃいだあとだった。 「〈お墓〉に来るとね、考えずにいられなくなるの。ひとつ違えば私たちもあちら側だったんだって」マーサの口調は常に似ずしんみりしていた。 「あたしらがここにいるのは、先人が踏みとどまってくれたおかげだ」日頃は陽気なアヌシュカも神妙な面持ちになっている。  その横顔の向こう、茂みの陰に、緑色の人が視えた。  彼女は息をとめる。まばたきの隙間に緑は消える。だけど呼吸はもどらない。 「私たちは」喘ぐようにひらいた口から、声が落ちた。「踏みとどまることができなかった」  大人たちが彼女を見る。頷き、屈み、寄り添って、言葉の先をじっと待つ。 「競いあい蹴落としあい奪いあい、星をめちゃくちゃにしてしまった」ぽつりぽつりと彼女は続けた。「勝てないものや戦えないものから死んでいった。人も、それ以外のみんなも」 「この星でもそうだったよ」ミンナを抱いたラウラが言った。「このままでは星そのものが駄目になる。わかっていても、当たり前のようにやってきたことにブレーキをかけたり、既に持っているものを手放したりすることは、難しかった」 「そこからどうやって踏みとどまったの」 「いくつかきっかけがあったんだ。たとえば」 「たとえば?」 「猫」 「ねこ?」 「猫がいなくなったの。ある日突然、この星から」 「なにそれ。絶滅したってこと?」 「そうじゃない」「消えたんだって」「溶けるみたいに」 「溶けた? 猫が?」 「溶けた、じゃなくて、溶けるみたいに」 「……どいうこと?」 「猫は臆病で繊細だから」「平穏とやすらぎを好むから」「殺伐とした星に嫌気がさして、出ていったんだろうって言われてる」 「……それで、どうなったの」 「ずっと傍らにいてくれた友を失い、先人たちは悲しみに暮れた」「打ちひしがれたそのあとで、手をとりあって立ちあがった」「この星を、猫がもどってきてくれる場所に作り変えよう」「不均衡をならし、壁を取りはらい、競って蹴落としあう世界から、寄りかかりあい分かちあう世界に」「長い時間が必要だった」「気が遠くなるような時間がね」「何世代もかけてようやく、猫は帰ってきてくれた」「だけど彼らは」  大人たちの語りに聴き入っていた彼女の前に、子どものゾウが立った。耳をぱたぱたさせて彼女を見あげ、握手をもとめるみたいに鼻をさしだしてくる。つられてのばした指の先が、幻影をすりぬけ空を掻く。 「もう二度と、戻らない」
 帰り道、やわらかな夕陽のさしこむ後部座席で、彼女は淡い夢をみた。緑のねこにぐるりと囲まれ、よってたかって詰られる夢だ。  剥きだしの牙にも憎悪の唸りにも、彼女はもう怯まない。首をふって受け流し「さようなら」を風にのせる。別れの言葉がねこに届く。彼女の肌とおなじ色の輪郭がふるふると震えてゆらぐ。ゆるんでとけて土に還るのを見送っていると、背後から声がかかった。 「はじめまして」  ふり返った彼女にトキエが訊ねる。 「あなた、お名前は?」  マーサがかけてくれた上着の下で、彼女は微かに身じろぎをする。 「名前はね」にっこり笑って、こう返す。「これから探しに行くところ」
ーーー
【参考文献】
伊藤亜紗他『「利他」とは何か』集英社 小川 公代『ケアの倫理とエンパワメント』講談社 ケア・コレクティヴ 他『ケア宣言』大月書店 渡邊淳司 他『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』ビー・エヌ・エヌ新社
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dreamingtime96 · 3 years
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‪脱コルセットとマニキュアとスカートと剃刀、そして制服
マニキュアも毛を剃るのもどうしてもそれが必要な人だけすればいいのです。
必要な人、とは例えばアスリートや楽器演奏者など仕事上の理由で爪を保護する必要がある人や生まれつき爪が薄い人。
手術のために毛を剃る必要がある場合ら特殊な例ですが体臭の病気などがある場合。
女性は常に不必要に清潔にしてその上で香水をつけたりして過敏にさせられすぎているからこそ脇の毛も陰毛もどこも剃らなくて構わないと自分は思っていますが、身体や健康の都合上それがないといけない人にも強制するものではありません。
ここでちょっとしたカミングアウトをすると、自分は体臭の病気があるから必要な場所だけ体毛を剃っています。そんな大そうな、と思われるだろう。
いやいやいや〜いやいやいや、否。
私は体臭の病気、というと大袈裟ですが体質的に体臭がかなりキツいです。
少し汗をかいただけで、香辛料と腐った玉ねぎと腐ったニンニクをお酢で漬け込んだようなどうしようもない匂いが体からするのです。その不快感や苦痛はとんでもない。それが原因で外出が辛かった時期すらあります。
だから、未だにデオドラントを塗る必要があるところだけ剃るようにしています。一度脱コルしてから剃らないようにしていた時期もありました。
けれど、体臭があるというだけで精神的にとてもやられるのです。それに、服が汗で変色することもあるため、やはりデオドラントは手放せません。(僕には絶対に必要なものだとわかってよかった)
話を戻します。スカートや肌の保湿もそれと同じで心身の健康やからだの問題でそれが必要な人が使えばいいと思っています。
脱コルセットは、生まれつきの病気や事故などで性器や肛門を再成形手術をしたばかりの人(ズボンを履くときやズボンを履いて歩くと術後の皮膚が引っ張られて強い痛みが生じる)にまでズボンを絶対に履かせようとするものではありません。
皮膚が弱かったり皮脂が出にくい体質だったり、どうしてもそれがないと乾燥して痛みを感じたり痒みが出る人に保湿剤を絶対に使うな!と強制するものではありません。
そうした健康や身体の都合でスカートを履けない人がいることは承知だし、そういった事情がある人にまでも絶対何がなんでもズボンを履け!と強制する運動ではありません。
問題視しているのは制服が未成年を性対象とみなす記号としてアイコン化している問題と女性に押し付けられているジェンダーの問題と女性の弱体化です。
女男では制服に差をつけられています。冬のスカートはそもそも寒く、女子生徒の防寒の手段は限られています。また、スカートは素早く動いたり走ったりするのに向いていません。
なんらかの事件に巻き込まれてしまった時、災害時などの緊急事態化ではスカートの機能性の低さは命取りになります。
これは機能の問題になるけれど、男子制服のズボンはスマホが入るくらいのポケットが二つつ���ているのに対して、女子制服のスカートのポケットは一つしかなく、生理用品かハンカチを一枚入れたらすぐいっぱいになってしまいます。スカートの生地によってはポケットにいれたものの形がはっきりとわかってしまうこともあり、機能性に欠けています。
ブレザーも女子のものはポケットが少ないけれど男子のものでは内ポケットがあるなど機能に差をつけている場合があります。
女子生徒が遭遇する盗撮や覗き見の被害リスクは駅の中だけに充満しているものではありません。それは学校内や生徒間でも変わらず存在しています。更衣室に男が侵入したり、ちょうどスカートの中が見える位置に盗撮用カメラが仕掛けられたりという被害は俺の在籍していた高校にもありました。つい最近、校内の盗撮が刑罰の対象となりましたが、これまでそれらは犯罪とすらもみなされてこなかったのです。
しかし、学校ではそれでも常に覗き見などが行われています。いちばん覗き見が起こる場所はどこか?それは階段です。
階段をイメージしてください。
まず段があって、ちょうど左手側に手すりが設置してありますよね?その手すりが設置してある部分の横、上の階から下の階までが見通せる隙間というか、スペースがありますよね?(わかるかな)
あの場所こそ犯罪スポットなのです。多くの男子生徒はそこから女子生徒やスカートの中を覗き見たりしていました。
制服のスカートがどれほど着用者にたいして思いやりがなく、そして女卑男尊が濃く残る国においてどれほど危険な服なのかがよくわかるはずです。
また、冴えないデザインや好みではない形の制服だった場合、女子男子関わらずオシャレに見せる工夫をいつの時代の学生も熱心に頑張るものですが、その「オシャレ」のルールは女男では特に性差が出ます。男子は多くが腰までズボンを下げたりして腰パンにして履きこなそうとしますが女子の場合はその逆でスカートの腰の部分を短くします。
ここにも装飾における美の規範が濃く出るのです。
小説『桐島、部活やめるってよ』では制服のスカートや体操着を私服のように履きこなすスクールカースト上位の女子生徒やスカートの裾と靴下の境目がくっつくくらい長い女子生徒らの描写がありました。(手元に書籍がないので抜粋は控えます、ごめんな)
そうなのです。服装が自身のカーストの位置や優位性を示すと、同時に立場の分断と序列化を可視化しているのです。
ここから少し、スクールカーストと女性に関して、僕なりに考えたことや思うことなどを記述していきます。(脱線)
この序列化はカースト下位によって割り振られた女子生徒当事者になんとも言えない心理的な拘束感を与えます。それは100%の強い屈辱のようなものではなく、なんとなくいやな居心地の悪さのようなものです。カースト上位の女子生徒からいじられたり、服装や地味な感じをネタにされたり。あるいはそういう地味さを面白がられたり。そういう居心地の悪さは女子生徒の自己肯定感を削るものです。俺はそちょくちょく休んだり遅刻ばかりしていた不真面目な生徒でしたが、それでもカーストそのもののなんとも言えない閉塞感やいやな感じは知覚していました。
けれど、校内カースト上位の女性が本当に強い権力を持っているのかというとそれはまた違うことです。
そもそも、彼らもまた家父長制の社会が定めた女性を体よく性対象として位置付ける規則から編み出された美の規則に従っている弱者なのです。本人たちはそうとは知らずにオスにとって都合のいい存在になるよう仕向けられ、オスの手の内側にいます。
美は他者から選ばれなければ存在しえない権力です。選ばれなければ存在できないという時点でその権力のなかに客体化か自動的に組み込まれています。
装飾の楽しさや喜びを引き換えに、女性らは若い頃から「かわいい」こそが力で、そしてカースト上位から認めてもらえる武器で、客体化が必須の緩やかな自己犠牲の毒薬だということをわかっていません。
そもそも、スクールカーストの中にすら、権力者として選ぶ側がいるのです。
あなたのクラスにもいませんでしたか?夏休みのあとに急に変身を遂げた女の子や男の子、とりわけ太っていた子が痩せて「可愛く」なったり、ピアスを開けたり。
そんな変身を遂げた子がいつのまにか、クラスの結構賑やかなグループの子と交流するようになってたり、ありませんでしたか?
クラスの中で立場や「人権」の扱いが低い立ち位置の女子生徒がそこを抜け出すためにはカースト上位グループに属するための努力が必要です。
そのために美を磨いたり、ピアスを開けたり、上位グループの子と同じ趣味をもったり、あるいは上位グループに属する男子と付き合ったり。そうして上位カーストに属した権力者から選ばれるために自分を自ら客体化し、改変していくのです。
スクールカーストという暗黙の制度自体が家父長制から生まれたカースト下位の生徒を他者化するちいさな家父長制、いわば家父長制の息子なのです。
年齢が高くなればなるほど、装飾歴が長くなればなるほどエイジズムやルッキズムの毒がまわって女性を苦しめます。
また、スクールカーストの世界観を補足する『JK』文化もスクールカーストと同じように制服と深く関わっています、
女子高校生が『JK』という言葉によってエイジズムとルッキズムの琥珀をブランド化しているこの異常な社会では、女性たちは自身を家父長社会が抽出したJK像に当てはめます。
皆女性はテンプレートの女子高校生みたいになりたがり、逆に女子高校生なのに女子高校生らしい青春を送っていない自分に劣等感を抱いたりします。
その劣等感も、またミソジニーの種となることが多くあります。
そこらへんの一般人の女たちと違う、既存の女性らしくない自分に大きな存在価値や自己肯定の要にしたり、ホモソーシャルの中で認められようとしたり。
あるいは若い女性をインスタ蠅やスイーツ(笑)、タピオカ女子など侮蔑の記号を被せられた女性像のレイヤーでもって解釈して現実の女性へのミソジニーや女性ステレオタイプを内部に蓄積していくことになります。それはあらゆる場面で吹き出すことになります。
実はこれ、非装飾界隈もこれなんではないかと思っています。
けれどこの結果は逆に、ミソジニーを内包してしまっている女性自身を傷つけ苦しめるものです。ミソジニーそのものが女性から自尊心を溶解させていく性質がある以前に、ミソジニー質な女性は
他の女性とは違う女性である自分を特別だと思ってしまう状況は家父長制によってつくられます。家父長制によって差し向けられた結果なので、これを中二病と表すのは個人的に全くもって正しくないと思っています。家父長制という害悪の根源である焦点をぼやけさせてその女性本人が思春期を脱していない半人前の大人であるかのような、ある意味自己責任的な意味合いに転じさせる言葉です。絶対使って欲しくないです。
そもそも中二病自体がひろく全年齢的なものであり、思春期特有の自我の発達と深くかかわっています。
中二病は自分と他者や個性について深く考える時期だからこそのものです。
「中二病」の表露は自己の成長の証で通常のものでもあります。
学校内であろうとミソジニーと家父長制が基盤になった校内制度の中で常に上位と下位に区分けられ選抜され続ける女性らはその上位にあろうと下位にあろうと客体化を強いられ、知らずして搾取される立場です。他者によって下位と位置づけられた女性たちにとって、ミソジニーは精神的な拠り所として機能するのです。そしてミソジニーに救いや自己存在を肯定する居場所を見出した女性は、その新しい居場所で盤石な基盤を築こうとするために今度はホモソーシャルな価値観を吸収します。その居場所はオタクカルチャーであったり、サブカルであったりします。
そうした世界の中では女性差別は当たり前にちりばめられていて、姿が霧のように見えません。
ときに女性差別はパパ活や売春や女性の殺害や加害行為、自己顕示欲の高い「クソ女」を笑い飛ばしたりなどの、あらゆる濃度の毒々しい表現として存在しています。女性の激しい自傷や精神疾患、女性へのDV、暴力をふるわれたり殺されたりすることをのぞむ女性が「性癖」という題目で過激な表現として存在することを許されています。それはまるで生ハムの原木のように、女性という身体に意味づけされた記号と煮詰められたステレオタイプが発酵したもので、それらは女性の生身の姿からかけはなれています。
そして、実体と尊厳と権利をもつ生きた存在であることは隠されながら、変形して記号化した女性身体や年齢がきりわけられて配布されているのです。
それらを理解し尊重して肯定する自分自身を自己肯定の養分としている女性たちは多いはずです。肯定しながはミソジニーと女性ステレオタイプを蓄えますがそれはある意味では遠回りな自傷です。女性という性別に向けられたミソジニーはいずれ自分をも苦しめ抑圧の根拠となります。それをゆるし支持しているだけでもミソジニーを放出していることと変わりません。それは自分自身への自傷にもなりえるものであり、ふとしたときに他者に対してもその価値観を表露していくでしょう。
そうした意味でも思春期に接するスクールカーストは女性に大きな影響を与えます。それは下位者と上位者の異なる立場の女性たちにそれぞれに異なる形で差別を補完する支持者を再生産し、差別を延長させているのです。
ジェンダーロールに則った制服が女性たちの序列化を促進・強化し、互いの他者化をはげしくさせる側面があるのです。
上位になれなかった女性はどの趣味を選んでもその中に公然化しながらもその醜悪さを消臭したミソジニーの中に取り込まれていきます。そしてまた家父長制を持続させる分子になるのです。
自分を排除してきた女性への憎しみやかなしみを抱えた女性にはミソジニーが「居場所」を与えてしまいます。
また、下位から脱するために装飾や校内の権力者らに合わせる(自己客体化)を選んだとしても、美の規範や美のルールは性対象化を軸にしたルールです。ルールの基盤にある家父長制は男に欲情の罪悪感を与えず、女性を誘惑者として固定して男を免責します。
装飾はすれば価値の高いランクにすすむことができるようだけれど、実際は女性を性対象としてふさわしい容姿になるよう女性自身に適正化させているのです。
女性たちが女性を敵視するのは、こどものころから女性らがスクールカーストなどの暗黙の校内制度によって序列化させられ選抜されているからなのです。
権力者から選ばれるかそれ以外かの二択しかない校内という密閉された閉鎖空間の中では、選ばれる側も選ぶ側も互いしか見えません。互いに不可視なのです。
スクールカースト自体、部外者を避けた排他的な空間のなかにあるものなので、その性質も排他的です。下位女性が上位女性を憎むのも、その場所が閉鎖された空間であることと関わっています。閉鎖されている場所という直接的意味だけではなく、それは女性たちにも作用しています。
学校という箱の中に、壁をすり抜けて家父長制ははいりこんでいます。
これは家父長制がいかに空気のように透明化されているかということを内包しています。ここまで堂々と存在しているのに気づけません。
制服のジェンダーはその差別を前提として成立する制度を後押ししている部分があるのです。
制服は生徒間の服装の貧富の差(いじめの種)をフラットにするためのものとして機能している側面もあります。完全に制服そのものをなくしてしまうことは不可能ですが、ジェンダーをなくすことはできるはずです。
女性がミソジニーをこじらせればこじらせるほど家父長制という差別の源流にのみこまれます。
制服やJK文化こそ、男が女性を性消費することをはばからなく��せる感情制度のうえに成り立っているものであり、JK文化そのものが男にとってより性対象として価値の高��エイジズムとルッキズムの結晶なのです。
制服が女性にとってあらゆる面でエイジズムやルッキズムを強化し、客体化と弱体化の裏表のコインを含意したコルセットとして機能し、若さを無駄にしてはいけない、若い時こそ装飾は楽しい、今の時期を楽しまなくてはいけないというメッセージを着用している女性やその周囲の女性たちに双方向的に放射しているのです。
女子学生はスカートの中を盗撮される被害にあったり階段の下で覗かれたり、痴漢に遭う危険があるにもかかわらず強制的にスカートをはかされている状況は全くおかしなことです。
未成年女性の性対象化や機能性が低いスカート強制の見直しがされないことは問題だと考えます。
そして、学校という世界を去った後も女性たちの心に傷や劣等感の塊をのこします。序列化を強いられたゆえに女性たちの体内には自己客体化の芽や劣等感が残留します。学校を出た後も姿の違う序列化制度の中に女性たちは閉じ込められるのです。
自己客体化を女性たちの心身に刻ませ、あらゆる方向のミソジニーに走らせ、家父長制を補完し舗装する路道を作り続けさせます。制服だけの責任とは言えませんが、家父長制が軸にあるジェンダーを前提とした制服にもその一端はあるのです。
ジェンダーが基盤にある制服も差別の根が集約されているもののひとつです。差別の先にあるいくつにも分岐した差別とミソジニーを女性自身に延長させてきたことを考えてほしいと思います。
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ashita-s · 5 years
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表現の自由・ヘイト・規制 〜アーティストの自由はどこにある?〜
私たちは日本とアメリカ両方で活動したことのあるアーティスト達に、どちらの国の方が、アーティストの表現の自由が保証されていると感じるか、聞いてみました。
Tumblr media
↑(Cunt Quilt マンコキルト、使用済みの女性下着で制作、ウィメンズマーチ、ワシントンDC、2016)
現地にいる隊員の話によると、
性的表現物のゾーニングや警告などの規制は、アメリカは日本よりもはるかに厳しく行っているようです。
例えば、アメリカでは性差別的な内容のメディアは、公共性の高い場所に置かないよう配慮されており、それらの雑誌、漫画、映画、CDなどには、パッケージのわかりやすいところに、「性的表現注意」の警告の表示が義務付けられています。
(アメリカの本屋さんでのゾーニング参照)
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このように、表現物へのゾーニングや規制が強いように思えるアメリがですが、アーティスト隊員たちに話を聞いてみると、
全員が、性的な表現を含め、アメリカの方が日本よりもはるかに表現の自由が約束されていると感じる
とのことでした。
実際に、日本では多くの場合展示が困難な、
政治的な作品の展示や、
性器をモチーフにした作品の展示、
全裸でのアート・パフォーマンス
も、アメリカでは日常的に行われています。
それぞれの国で、規制されるものの対象と規制の方法がずいぶん違うようです。また、
規制されるもの・されないものの違いによって、アーティストが感じる息苦しさも違ってくるようです。
どうしてなのでしょう? それは、アメリカの方が、
守る相手をはっきり見定めた、弱者の声に耳を傾けるという意思のある規制
だからではないでしょうか。
表現の自由って何?
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(↑ Elana Mannのメガホン型彫刻。どんなに口を塞がれても声をあげるという力強いメッセージの作品。撮影:明日少女隊)
ゾーニングの話題になると、必ず出てくる「表現の自由」って何でしょうか?
表現の自由とは、国家が、個人の表現する権利を侵害することのないよう保証することです。 その目的のひとつは、
とくに社会的少数派(マイノリティー)、被差別者などの弱い立場にある人たちが、国家や大企業などの大きな権力、もしくは多数派の強い相手に対して自由に意見できるようにすることで、平等な社会をつくることです。
表現の自由が守られている社会とは、弱者が発言しやすい、より平等な社会といえます。
社会的少数派・マイノリティーって誰?
マイノリティーは、多数派ではないグループということです。一般的には、女性、性的少数者(LGBTQ+)、(欧米においては)有色人種、(日本においては)外国人、先住民、などが挙げられます。
女性は、人口の半分を占めるのにどうしてマイノリティーなの?
それは、多くの国で、女性は社会的に抑圧され、社会的に不利な立場に追いやられた結果、意思決定の場に女性が少ないからです。
そのため、多くの場所で女性の声は拾われにくい現状があります。
例えば、政治家の多くが男性で法律のほとんどが男性の手で作られていることなど。
アート界でも、コレクターや美術館館長、ギャラリーのオーナー、契約作家、美術大学での常勤教授のほとんどが男性であることから、男性が社会的多数派で、女性が社会的少数派であることが伺えます。
<参考>
・東京芸大の常勤教授の男女比のグラフ
・2017年に発表されたニューヨークのアート業界のそれぞれの男女比や人種の比率を示したグラフ
ちなみに、人種の問題をさらに上乗せすると、欧米では白人男性、日本では日本人男性が社会的多数派と言えます。
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(↑Elana Mann, honeyhands, 明日少女隊のコラボ作品)
ヘイトスピーチって何?
差別的な発言の中でも極めて悪質なものを、ヘイトスピーチと呼びます。多くの国で、ヘイトスピーチは表現の自由と認められていません。それは、
ヘイトスピーチが社会的弱者の表現の自由を奪ってしまう可能性があり、 社会的弱者を守るためにヘイトスピーチは規制されるべき
と考えられているからです。 私たちは、人はどんなことでも想像し、それを様々な形で表現したり、行動したりする権利があると考えています。 しかし、その表現物や行動が、一部の人たちへの差別を容認したり、差別の拡大につながってしまうような場合は、ゾーニングや警告などと共に、慎重に規制されるべきだと考えています。 このような規制は、人々が日常生活で不利益を受けることなく、安心して快適に暮らすためには必要なことだと考えています。
弱い立場の声が大事にされた時、社会はより自由で平等になる
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(↑ロサンゼルス ウィメンズマーチ2017 明日少女隊)
アメリカではトランプ政権の台頭もあり、これまでになく、弱者を守るという視点が脅かされています。
トランプ大統領は、得票数はヒラリーよりも200万票以上も少なかったにもかかわらず、200年前のアメリカで決められた差別的な選挙制度により大統領の座につきました。 少なくとも23名の女性からセクハラで訴えられており、人種差別発言、移民差別発言、障害者差別発言が目立ち、その政権は、LGBTQの権利や女性の権利を脅かすような政策を推し進めていることで批判されています。トランプ大統領が不正行為をした可能性も浮上し、任期途中で弾劾させられる可能性もあると言われています。 参考:トランプ政権のジェンダー差別政策についての明日少女隊の作品
そのような状況の中、アメリカのアート業界は、反トランプ政権を掲げ、以前にも増して平等な業界のあり方を訴え、これまで埋もれてきたマイノリティーのアーティストの声を拾おうという運動が盛んです。
これは長い間、アメリカのアート業界で、
ダイバーシティを取り入れるにはどうすれば良いか、マイノリティーをいかに守るか
という議論が蓄積されてきた結果、権力が暴走している中でも、多くの市民が自主的に弱者を守る運動を続けられているということではないでしょうか。
例えば、2018年は、
ロサンゼルスの美術館で発表した作家のうち、半分以上が女性作家だったと言います。
これは、歴史上初めてのことで、言い換えれば、これまでは男性作家の方が常に多く展示されていたことになります。他にも、2018年は、これまでスポットライトが当てられてこなかった、有色人種の女性作家の展覧会も多く開催され、話題を呼びました。 アメリカでは、長い間アートを評価する立場にいるのが男性中心であったため、観客が目にする作品は非常に偏りがあったと考えられています。今、アメリカのキュレーターたちの多くは、これまで歴史の中で埋もれてしまった才能あるマイノリティーの作家を探すことに奔走しています。 それと同時に、観客たちは、差別や暴力を土台にして成功してきた作家たちに”NO”の意思表示をするようになりました。
今、アメリカのアート業界で自由を感じているのは、多様な表現をみたいと願う観客や、平等な舞台で勝負したいと願うアーティストたちではないでしょうか。
そして、自由を奪われていると感じているのは、まさに、差別的な作品を作るアーティストや、セクハラやパワハラなどの発言や暴力の目立つアート界のプロフェッショナルたちではないでしょうか。
今、日本の環境が、誰に自由を与えていて、誰を萎縮させているのか、考えることが大切だと思います。
最後に、会田誠氏のこちらのコメントをご紹介してこの記事を終わりにします。
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(2017年11月号美術手帖「アートとポルノ 性に関する表現をめぐって」会田誠対談)
「僕の中にお高くとまっていたヒラリーだけではなく、トランプもいた。」
会田誠氏は、非常に繊細で高い画力で現代日本社会を映し、時に権力も批判することのできる才能のあるアーティストであると思います。 一方で、半裸の女性をモチーフにしたものの大半は、社会の構図をなぞっただけで、批判的視点が弱く、性差別的なものであると思います。それは、上記の記事で、彼自身が「モロにポルノにしたくて描くものもある」という言葉で現れているように思います。 私たちは、今、このような高い才能があるけれど、一方で非常に差別的な一面を持つアーティストを、社会としてどう扱うべきなのか、考え直す時代にきていると思います。
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NEWSLETTER  vol.48
ニュースレターの第48号をお届けします。
今回は2018年6月8日に Art Jewelry Forum に掲載された、リン・チャン氏へのインタビューをお届けします。
翻訳をはじめたのはもう何か月も前ですが、思いのほか時間がかかって前回配信から10か月も経ってしまいました…今後も不定期の配信となりそうですが気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。あいかわらず、メールに埋め込むと画像が小さくなってしまうので、ぜひ元の記事もご覧になってくださいね。
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https://artjewelryforum.org/lin-cheung-0
2018年6月8日
リン・チャン
日常性と非日常性 その共存を実現させるもの
アドリアーナ・G・ラドレスク
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リン・チャン《遅ればせながらの応答:混乱、言葉もない、意気消沈》、2017年、ブローチ、ラピスラズリ、金、各51 x 9 mm、撮影:リン・チャン
リン・チャンの作品は絶えず議論を呼ぶ。《敵か味方か》のネックレスや《室温》のオブジェ、書籍にインスタレーションから、最近作の《遅ればせながらの応答》のブローチや《保管》シリーズに至るまで、彼女の作品は、人のありように対する一解釈であり、作り手の思想や感情の運び手であり、ジュエリーの意味を模索する飽くなき探求である。
リン・チャンはこれまで、数多の賞を受賞してきた。最近では、2018年にフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞とヘルベルト・ホフマン賞を受賞。2017年には英国のBBC Radio 4が主催するウーマンズ・アワー・クラフト・プライズにおいて、1500名の応募者から最終選考12名のうち1名に選出された。
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アドリアーナ G. ラドレスク:あなたは今年、その作品と、コンテンポラリージュエリーの振興における国内外での示唆に富む役割が認められ、栄誉あるフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞を受賞されましたね。そのすべてがどのように始まったのか、お聞かせいただけますか? いつごろからジュエリーを作りたいと思うようになりましたか? また、どこで勉強されましたか?
リン・チャン:ありがとうございます! 今年はこれまでのところとてもいい年で、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団には心から感謝しています。彼らは独立機関として、熱意をもって主体的に、人々の想像を超える優れた仕事をしています。これは今の時代にあって珍しいことで、それだけに特に光栄に感じています。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:動揺》、2017年、ブローチ、ベルジャンブラックマーブル、ハウライト、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
私は、なんでも手作りしたり修理して使うことを良しとするごく堅実な家庭で育ちました。裁縫や編み物、刺繍にくわえ、ものが動く仕組みや素材に興味が湧いて、何かを分解したりもしました。でも、ジュエリーを作った記憶はありません。私は子ども時代とティーンエイジャーを経て成人してからも、もらったものも自分で買ったものも含め、たくさんのジュエリーを身に着けてきましたが、自分で作るようになったのはずいぶん後のことです。
私は、ブライトン大学の学士課程(通称WMCP、(訳注:木工、金工、陶芸、樹脂の英単語の頭文字をつなげたもの))で陶芸と金工を専攻しました。そこで偶然ラルフ・ターナーの著作である「ニュー・ジュエリー」を手に取りました。それからというもの、この道一筋です。それ以降、私が置かれたすべての環境や訪れた場所、出会った人々は何かしらこの本と結びついているので、遠い親戚のような縁を感じますし、それだけにこの本は私の考え方に深い影響を与えた存在です。作品の素材や技法は何なのか、思いを巡らせながら夢中になってページをめくっては「これはおもしろい!」と思っていました。
あなたは今年、石を彫ったブローチのシリーズ、《遅ればせながらの応答》でヘルベルト・ホフマン賞を受賞され、忘れがたい1年のスタートを切られました。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:バラ色》、2017年、ブローチ、ローズクォーツ、金、43 x 8 mm、撮影:リン・チャン
審査員から「時事問題とその意味との関係性を表現した、政治的見解の表明」と評されたこの作品は、英国のEU離脱を決する国民投票と世界の政治情勢への個人的な応答として作られたとのことですね。この作品は缶バッジの形をしており、表面に絵文字やシンボルを思わせる顔が描かれていますが、一般の缶バッジのようにプレスした金属やプラスチックでできてはおらず、半貴石を研磨し、表面に金を点在させて作られています。政治キャンペーンで多用される、安価で息の長い定番アイテムであり、質素ともいえる装着型の伝達装置である缶バッジと、高価な素材とを結びつけようと思ったのはなぜですか? また、タイトルの「遅ればせながら」にはどのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私が石という、硬くて容赦なく、永続する素材でこのブローチを作ることにしたのは、使い捨てで瞬時に作れるお手軽な金属製のバッジとの対比を表現しようと思ったからです。皮肉なことに、私は、メッセージの内容が浅いか深いかにかかわらず、一度使えば用済みとなるはずの缶バッジをいつも大事に取っておきます。手元に残しておくと、その時の気持ちや信条、出来事、気分を鮮明に覚えていられるので。これが、私が半貴石を使った理由のひとつです。つまり、一部の発言や行為はやり直しがきかないから、ほんの一瞬の出来事でも人の心に長く残りうるということを言いたかったのです。
タイトルの「遅ればせながら」は、すぐさま反応するのとは逆のリアクションの仕方を表しています。私は、国民投票の前後の情勢を目にして悲しくなったのをはっきりと覚えていますが、それをどう表現すればよいのかわかりませんでした。ただ、いつかこの思いを作品にすることだけはわかりました。後から行動に出るということは、蓄積された何かが、時間を経てから展開していくということです。私は、実際の出来事からかなり時間がたってからようやく、抑圧された思いやぐるぐると混乱した感情を、石の研磨を通じて解放できるようになりました。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:しかめ顔》、2018年、ブローチ、ラピスラズリ、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
また、「遅ればせながら」は、石の加工にともなう労力と、石や石の研磨から連想される隠喩的な意味も表しています。さらに、研磨や切削は、熟考や仕上げ、そぎ落としていく過程も意味します。つまり、考えを整理し、遅まきながら納得し決心が固まるまで時間を稼ぎ、じっと待つという、時間のかかる肉体的行為を表します。石の研磨はほぼ独学で習得しました(最初だけ、シャルロッテ・デ・シラスによる5日間の特別クラスで専門的な講義を受けました)。そのため、新しい素材に初挑戦する時の常として、時間こそ余計にかかりましたが、素人であったことがむしろ好都合に働きました。知識のなさに妨げられず、失うものがないまっさらな気持ちで制作に打ち込むことができました。
コンセプチャルなジュエリーは、政治的な意識の向上という点で、大衆を説得する力を持ちうると思いますか?
リン・チャン:ええ、その力があると信じています。また、すでに知られていたり、こうだと信じ込まれている方法以外のやり方で、そういった力を量る方法にも興味があります。ただ、《遅ればせながらの応答》シリーズが必ずしも「大衆の政治的な意識を向上させる」とは思いません。このシリーズはそれ自体が議論の一部をなす当事者性の強い作品で、すでに広く認識されている問題を扱っているため、意識の向上というよりはタイムリーなコメントとしての趣が強いでしょう。私は今も、この決定がもたらした損害を忘れてはならないと思いますし、今後は今以上に不確かな時代になるでしょう。だからこそ、ジュエリーには、自分たちの周囲で起きている出来事について考えさせる存在であり続けてほしいのです。大衆の政治に対する意識の向上という点では、エスナ・スーこそシリアの難民危機を表現した作品でそれを実行しているといえます。彼女は私たちに、時間とエネルギーを費やして作品について考えることで、難民危機の問題を忘れないよう促しています。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:逃げ腰》、2018年、両面装着式のブローチ、ハウライト、ベルジャンブラックマーブル、金、49 x 12 mm、撮影:リン・チャン
作品の持ち主がご自身の考えに共感してくれるかどうかは重視していますか?
リン・チャン:自分の考えや見解に共感してもらえるといつでもうれしいです。私の場合、それを知るのは直接人と会った時なので、会話ができたり、同じ考えを持っていることに気づいたりできるのは、私にとってはありがたいおまけです。私は時間の許す限り、工房にこもるようにしているので。外に出て別の視点から作品を見られるのはいいリフレッシュになりますが、共感してもらえなくても構いません。私は自分の考えが伝わるよう素材や大きさ、造形を制御しはしますが、作品は独立した存在です。私の手元を離れたら、自由の身です。勝手に別の意味や価値観を帯びたり、身につけてもらえたりもらえなかったり、好かれたり嫌われたりすればいいのです。それは自力では制御できない領域ですし、制御したいとも思いません。私は、最善の方法で考えや意見を表現することにやりがいや興奮を感じますし、そこが重要なポイントなのであって、自分が答えを知っていると思えるかどうかという点は重視していません。
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リン・チャン、《真珠のネックレス:グラデーション》、2017年、ネックレス、淡水パール、金、ビンテージのケース(修繕済み)、ネックレスの長さ:406.5mm
あなたのウェブサイトには、「《真珠のネックレス》シリーズは、母親から譲り受けたものの使わずにいた真珠のネックレスをインスピレーションの源とした。このネックレスは自分に似合わないと思ったし、たった一種類の女性性を信じているわけでもない」と書かれています。男性モデルに着用させたこの作品は、淡水真珠を1粒1粒削り出し、ホイットビージェットのチェーンと同じ構造でつなげてネックレスにしたものです。このシリーズは、装飾品としてのジュエリーや、個性の形成におけるジュエリーの役割の探求の一環として作られたものですか? また、ジュエリーは新たな形のジェンダー表現を推し進める上で効果的な手立てだと思いますか? この作品には、どのようなメッセージや意図が込められていますか?
リン・チャン:後から思えば、この作品はずいぶん複雑な意味を帯びていますね。一方では、ごくシンプルな作品で、元のネックレスを手に取って加工するに至ったのも、チェーンにできるかどうか試したかったという単純明快な動機からです。実験が済んでチェーン全体が完成してはじめて、どんな意味を持ちうるか、なぜこんなことをしたのか、それがどうなったのかを考える時間を持てました。このネックレスは、身に着けるとお高く留まって見えるような気がして、長い間しまったまま使うことはありませんでした。
真珠にはさまざまな意味合いが込められています。そして、形状や機能の面で可能性の幅が広いダイヤモンドや金などと違って、ジュエリー素材としての革命がもっとも起こりづらい素材ではないでしょうか。その意味では、この真珠作品では、おそらくその形が一番の理由で、少しだけその遅れを取り戻せた気がします。真珠の「ジュエリーらしさ」は丸い形に生まれついた時点で既定路線であり、人はなぜかそこに女性らしさだと受け止めるのです。私が真珠を研磨してチェーンを作って、最初に、そして一番強く感じたのは、これはもはや真珠のネックレスではない、ということです。そのことで、真珠にまつわる意味合いを薄められましたし、おめかしや着飾ることを目的にジュエリーを着けていたのは過ぎ去った昔の話であって、ジュエリーとは単に着けたいから着けるものだという私自身のジュエリー観に沿った作品になったと思います。
私は女性性とは何であるかに興味を引かれます。それは必ずしもジェンダーと関連づいているわけではありません。私は女性性をもっと広義にとらえていて、体力とは別の、知的な精神力や思考、思いやりと関わるものだと考えています。作品を男性モデルに着用させて撮影したのは、実験的な見せ方をしたかったからです。そして、それが真珠のネックレスは女性的なものだという狭量な考えを打ち破ったと伝える上で有効な手段であるかどうか、そして、それでも依然として残る繊細な強さと多義的かつ対照的な複数の側面が、また別の女性性を表現しうるのかどうかを確認したかったのです。つまり、自分が身近に感じられ、さらに女性という自分のジェンダーも手放さずにいられるという形の女性性です。そうですね……この作品については、完成してからもそのインパクトについて考えていますが、今もまだ、的確に言い表すのが難しいです。が、そうやって考えるのも、とても面白いことですね。
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リン・チャン、《真珠のネックレス:マチネー》、2016年、ネックレス、淡水パール、金、長さ:560 mm、撮影:リン・チャン
《真珠のネックレス》シリーズの一部の作品は、修理を施したビンテージの真珠のネックレスの専用ケースがついていますね。このようにケースに手直しをして再利用するという行為には、どのような意味があるのでしょうか?
リン・チャン:アンティークのケースを再利用することで、過去の所有など、物語に歴史という側面が若干加味されます。最初に作ったネックレスと箱は母の所有物で、それ以降のネックレスと箱は、最初につくったものの形式を借用したものです。
作品が装着されることについては、どれくらい重要視していますか?
リン・チャン:どちらでも構いません。着用性の高いデザインであっても、実際につけるかどうかは別問題で各自が判断することです。私はどちらの考えも理解できます。私自身、身に着けないジュエリーをたくさん持っていますが、そのことが物への愛着に影響するわけではありません。手に取って眺めて、またしまうということも好んでやります。時に実用的でないジュエリーをじゃらじゃらつけることもあります。このようなアイテムは注意が必要ですし、つけている間ずっと気になってしまう���のです。おまけに針先がとがっておらず、ブラウスやTシャツに大穴が開いてしまうこともあります。それでも、ジュエリーとしての出来がよければ、その価値はあるのです。同じものを数週間つけっぱなしにすることもあります。装着するしないにかかわらず、ジュエリーが喜びをもたらしてくれることに変わりありません。
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リン・チャン、《保管:紙と輪ゴム》、2016年、ブローチ、合成石、金、輪ゴム、70 x 22 x 15 mm、撮影:リン・チャン
《保管》シリーズは、あなた自身のジュエリーの保管方法を扱った作品です。このシリーズは、こう言っては何ですがとても生活感があって、《紙》や《輪ゴム》と題されたブローチでありふれた物体を描写しています。この作品では、合成石や金という耐久性のある素材と、輪ゴムという長持ちしない素材が混在しています。この袋に何が入っていたのか、また、この作品のコンセプトは何なのか、興味を惹かれます。この素材の組み合わせには、どのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私はよく、ティッシュやキッチンペーパーやトイレットペーパー、チャック式のビニール袋やただの紙など、その時手元にあるものにジュエリーをしまうことがよくあります。私はよく旅行をするので、ジュエリーに箱やケースがある場合はそこから出して、もっと実用に即した方法で収納するようにしています。《紙》と《輪ゴム》のブローチは、私が紙と輪ゴムで包装してきたすべてのブローチを表現していると言えるかもしれません。自分がつけるジュエリーはいつもこの方法で収納します(そのほとんどは自分で作ったものではありません。自分の作品はめったにつけません)。なので、この保管方法自体はごく普通で生活感がありますが、興味深いことに、それによってそのアイテムが私にとって特別な存在になるのです。この作品を白い合成石で彫り出して作ったのは、紙の質感を表現するためで、本物の輪ゴムを用いたのは日常性を加味するためです。ここにおいて私は、ジュエリーの秘密の生活を覗いてみませんか、作品を通じて価値や意味が表明されているさまを見てみませんか、と誘いかけているのだと思います。高価な素材や予期せぬ素材やプロセスを用いて日常のディテールを描写することで、単なる人工物を超えたジュエリーのおもしろみについて考えることを促しているのかもしれません。
この《保管》シリーズでは、特に私自身の持ち物であるジュエリーの私的な生活と公的な生活、そして、同じ作品でも配慮の度合いが変わりうるのかという点を考えました。紙やプチプチ、ビニール袋による収納方法は、退屈に見えるかもしれませんが、私にとってはとても便利で安全ですし、それによって自分だけのものになるのです。私は、ジュエリーを買った時ではなく、生活をともにしてはじめて、そのアイテムが自分にとってどんな意味を持つのかについて気にかけ、注意を払えるようになります。作り手やブランドによる包装は、提示方法や、その魅力、モノのコンセプトの延長、作り手の創造性や配慮を通じて、ジュエリーを商品とみなしています。購入後の私だけの管理方法は、所有、つまり自分の持ち物であり日々の生活の一部であることを表します。
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リン・チャン、《保管:古い真珠のネックレス》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、62 x 42 x 20 mm、撮影:リン・チャン
同じシリーズの《古い真珠のネックレス》や《ベニータのブローチ》では、ジュエリーの形は見えません。そのかわり、それをしまうための(ロッククリスタルを研磨した)透明な袋が主役になっています。これは、姿は見えずとも存在する、あるいは過去に存在したジュエリーを示唆し、その記憶を保持する手立てということでしょうか? この作品の背景とはどのようなものでしょうか?
リン・チャン:おっしゃる通り、どちらも実在するジュエリーです。古い真珠のネックレスも、ベニータが作ったブローチも私の持ち物です。それらが小さなビニール袋の中で占める空間を観察し、石を研磨して造形しました。どちらも、空っぽであるようにも中身が入っているようにも見えます。また、モノが持つ日常的な側面と非日常的な側面との対比を考察した作品でもあります。ジュエリーはその両方の性質を兼ね備えられるところが、すごく好きです。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:困難な時代》、2018年、ブローチ、ロッククリスタル、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
あなたの作品の中には、パブリックな仕事も見られます。2012年ロンドンパラリンピック大会のメダルをデザインされましたし、2014年には唐奨のメダルデザインのコンペでファイナリスト10名の1人に選ばれました。2年前には、唐奨教育基金会から、2016年の賞状のデザインと制作を依頼されたそうですね。このようなパブリックな仕事と、個人の作品とでは、工程の面でどのような違いがありますか? また、どのようなことが課題になりましたか?
リン・チャン:特にパブリックな依頼は、往々にして極度のプレッシャーにさらされます。莫大な予算と、短い納期での納期厳守に対する大きな責任が常にのしかかります。株主や資金提供者、プロジェクトマネージャーやマーケティング部門、CEOやインターンなど、あらゆる立場の人たちとチームを組んで仕事をするのは一見怖そうですが、実際のところは共同作業について学ぶにはすばらしい方法です。アーティストという立場で一大プロジェクトに携わるということは、全体を見渡し、常時すべての場に存在するかのような独自の立場に置かれるということです。私はあらゆる視点からプロジェクトを眺め、はじまりから実現に至る過程を見るのを楽しめるタイプなのでしょうね。また、プロジェクトの一員になれることは、大きな見返りがあります。
こうした学びは有益ですが、多くの依頼は問題解決からプロトタイプの制作、完成品の仕上げが息をつく暇もなく、同時に進行する感じです。先を読んであらゆる結果を予想し、プロジェクト管理をやりこなし、チームのメンバーに仕事を任せて、仲間からも自分からも最高の力を引き出せるよう、短期間で学ぶわけです。こんなことまでできてしまうんだ! と自分でもよく驚きます。スタジオでの作業はそこまで込み入っていません。当然ですが、それは私ひとりだからです。プレッシャーもさほど強くかかりませんが、多くの場合プロセスは酷似しています。同じような悩みを抱え、大勢でやる時と同じような会話を自分とします。葛藤もありますが、最初から確固たる決まり事もないですし、委員会からの承認がないと次に進めないというわけでもありませんから、後戻りをしたり、手抜きをしたり、自分の意志で課題を設定したり、リスクのある道を選んだりできます。これは周囲からの許可が必要な場合はそう簡単にはできないことです。
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どのような流れでデザインを進めますか? スケッチやモデル、モックアップの制作から始めるのでしょうか? コンセプトを伝える上で素材の選択はどの程度重要なものですか?
リン・チャン:つい最近までは、最初にコンセプトやイメージを考えたら、そのまま制作に突入していました。私はすごく大雑把なスケッチ以外は紙にイメージを描きません。線画や、ひとつかふたつの単語、文章で十分な時もあります。その意味では、私は多くの作り手と違うのかもしれませんね。明快なプロセスでデザインを進めるわけではないですから。
素材の選択はとても重要です。アイデアを思いついたら、自分の考えや感覚と合致する素材を探します。可能性のある選択肢を考え抜いて「こうすれば思い通りの雰囲気になるかしら」とか「やっぱりこっちかもしれない」と迷いながら自分の仮説を検証します。石の加工をした時は、コンセプトよりも素材が先でした。それまで、具体的な素材や技術からアイデアを発展させていくことはあまりなかったので、新たな感覚で制作に燃え、手の中の素材の変化や自分が目にしているものを基にアイデアやコンセプトを練る間じゅう、強迫的なまでに熱心に打ち込みました。
外部からの特にパブリックな仕事の依頼の場合は、コンセプトや工程、プロトタイプの制作、実制作、情報の記録、納品に至るプロセスを厳守せねばならず、その順番が狂うことはめったにありません。
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リン・チャン、《保管:ベッティーナのブローチ》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、52 x 34 x 23 mm、撮影:リン・チャン
あなたはアーティストとしてご活躍されているだけでなく、2009年以降、ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズのジュエリーデザイン科の学士課程の上級講師として教鞭を執っていらっしゃいます。その傍ら、レクチャーやワークショップの講師や、書籍や記事の執筆活動もされていますが、限られた時間のなかでそれをどう両立されていらっしゃるのでしょうか? またそれらすべてをやりこなす強い意志はどこからきているのでしょうか?
リン・チャン:確かに、全部並べて見るとずいぶん抱え込んでいるように見えますね! あまりの多忙さに、混乱に陥ってしまう時があることは否めませんが、ジュエリーへの好奇心が、さまざまな魅力的な形をとって、私を突き動かすのです。
忘れないでいただきたいのは、プロジェクトによっては構想に何年もかかるという点です。ずっと前にまいた種を折に触れては世話してやり、立派に育て上げるのです。コラボレーションもありますし、自分がやりたくてやるものもあります。人に教える仕事は、どれもとても楽しいです。セントラル・セント・マーチンズで、いきがよくて一生懸命な学生たちを大勢相手にしていると、ジュエリー界の今後の行方が見えるような気がする時があります。これは役得ですね。また、コンテンポラリージュエリーをまるで知らない別分野の作り手の人たちと一緒に何かをするのも楽しいです。ザルツブルクで行われた国際芸術サマーアカデミーの際に行ったワークショップがその例です。ほかにも、近々コロンビアで開催されるEn Construcción IIIでワークショップを行う予定があり、とても楽しみにしています。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能(※)》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン(※訳注:英語タイトルはTwitで、Twitterとかけていると思われる)
私は、プレッシャーや日々の雑用に邪魔されることなく、スタジオや作業場でひとりになってジュエリーについて自分だけの考えに没頭したり、表面の具合を観察したり、何に注意を払ってやればよいのか、自分が何をしたいのかを考える、ユニークで貴重で特別な時間を確保するためならなんだってします。常にそれを達成できるとは限りませんが、いつも虎視眈々とそのタイミングを狙っています。
最近感銘を受けたり、作品に影響を与えたり、興味を引かれた映画や音楽、本、展覧会、ニュース、旅行などはありますか?
リン・チャン:《遅ればせながらの応答》シリーズの《しかめ顔》というブローチが今年度のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏期展覧会に出品されたので何度か足を運びましたが、その時の作品の多様性には驚かされました。この展覧会は、優れた偉大なアーティストと一緒に、アーティストの卵や無名の作り手、「凡人」(グレイソン・ペリーが私たちのような人を親しみを込めて呼ぶ時の愛称です)の作品が一堂に並ぶことで有名です。目玉となる作品ばかりを見ないよう努めるうちに、若手作家のリー・カッターの作品に目が留まったのですが、この作品には心から感動しました。
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リー・カッター、《監獄文化》、彫刻、刑務所で支給されるバターミルク石鹸、画像はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの厚意により掲載
それは《監獄文化》と題された、彫刻を施した大量の石鹸を何段もきれいに並べて額に収めた作品でした。私は、日常の素材を再評価させ、当たり前だと思われているものや状況を見直させてくれる作品や、想像する以外に知りようのない世界を見せてくれる作品が好きなのです。器用かつ無心に彫られているだけでなく、骨や象牙の細工や、木彫品、彫像、ストリートファニチャーを見た時と同じような感情を抱かせ、人生のおかしみと哀愁とが一体となって表れていました。
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リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン
現在はどのようなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいますか?
コロンビアで行われるコンテンポラリージュエリーのシンポジウム、En Construcción IIIの一環として、マーク・モンゾとセス・パパック、テレーザ・エスタぺと一緒に1週間のワークショップを行う予定です。また、2019年のミュンヘン・ジュエリー・ウィークでMicheko Galerieで行う個展の準備も進めています。ほかには、通常の依頼品やリサーチ、構想に加え、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞の賞金で、2019年の年末か2020年の初頭からオランダで開催される個展に向けて作品を制作するという、刺激的なひとときを過ごしています。近いうちにまた皆さんに詳細をお知らせできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。
アドリアーナ・G・ラドゥレスク:建築家、ジュエリー作家。ワシントンD.C.在住。ルーマニア、ブカレストのイオン・ミンク建築都市大学にて建築と都市計画の修士号を取得。ワシントンD.C.のコーコラン・スクール・オブ・ジ・アート・アンド・デザインにて金工を学ぶ。2013年よりAJFに参加。
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本ニューズレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。配信停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来の発音とは異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
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nara-artproject · 3 years
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MIND TRAIL 2021 参加アーティスト幸田千依さんインタビュー
インタビュー実施日:2021年10月19日(火) 13:20〜14:30 聞き手・編集:西尾美也+2021年度コモンズゼミⅠ(西尾ゼミ)メンバー
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__幸田さんは今回、吉野で滞在制作をされましたね。
 9月23日から吉野に滞在し、1週間くらい元お土産屋さんで公開制作を行いました。吉野のメインストリートにある場所だったので、声をかけてもらいやすかったし、街の雰囲気を味わいながら絵を描くことができました。未知の場所に行って人と関係し合いながら絵を描くことを大切にしています。これまでに3ヶ月間ぐらい絵を描くために住むこともありました。  MIND TRAILは吉野を歩いてまわる芸術祭だったので、自分も視察で4時間ほど歩きました。視察中には、絵になるようなきれいな場所がたくさんあって感動しましたが、その景色の中を歩く芸術祭で風景を絵にするということに面白さを感じませんでした。歩いている時にふと足を留める、道端のお地蔵様のような一瞬のささやかな存在を描こうと決めました。
__公開制作の中でも今のようなお話を伝えていたのですか?
 声をかけてくださる人は少なかったですが、お話はしていました。基本的には「わあ」とか「ええ」といった驚きの声を通りすがりに皆発していたように思います。地元の方は「これは吉野のどこの場所なのか」といったことを尋ねてくることが多かったです。
__公開制作の様子をみて、設えがシンプルだという印象を受けました。
 あちこちに「滞在して、絵を描く」ということを繰り返していたら、持ち物などもコンパクトになっていきました。ブルーシートを一枚敷いて、どこででも絵が描けるような気がします。絵を前に置きさえすれば、そこを居場所にしてしまうということが得意になりました。
__どうしてアトリエではなく、外で絵を描くようになったのですか?
 美大卒業後、もともとアトリエを持っていなくて、ひょんなきっかけから7年間ぐらい移動しながら絵を描くことになり「旅先で絵を描き、自宅にいる時は休んでいる」という生活になっていきました。アトリエにこもって自分のテーマで絵を描き続けるということができず、未知の場所と出会いながら絵を描く暮らしにだんだん引き込まれていったという感じです。その頃は新しい場所に行く毎に自分の中に新たな感覚が生まれて、とにかく楽しかった。その推進力で次の作品へと繋がっていっていました。
__そうした制作スタイルが確立されるきっかけになった作品について覚えていますか?
 はい。2009年に別府で開催された「混浴温泉世界」という芸術祭の一つに「わくわく混浴アパートメント」というクレイジーな企画がありまして、それに参加したことがきっかけです。古い木造のアパートに会期中様々なアーティストが滞在して、そのアパートで制作も展示も生活もするというものでした。私はそこに2か月間くらい住んでいました。20代半ばの年齢でこのイベントに参加して、たくさんのアーティストや作品に影響を受けたと思います。「アートといえば○○」という概念が消え去り、それぞれの人がそれぞれらしく作り暮らす様子をみて、とにかく面白かった。東京で活動する以外のアーティストにたくさん出会えたことも一つ大きな経験だったかもしれません。そのつながりから各地のアートプロジェクトに参加するきっかけを得たということもあります。別府がなかったらブルーシートの上で絵を描くこともなかったかもしれません。
__こうしたプロジェクト参加の経験が「歩く絵」という発想につながったのですか?
 そうですね。「歩く絵」の発端は、横浜の寿町という日雇い労働者などが多くいる町のドヤ(主に日雇い労働者を対象とした簡易宿所のことをいう)で暮らして描いていた時でした。2畳ぐらいの狭い部屋で絵を描いていると、さすがに悶々としてきます。そこで、外でお酒を飲んでいるおじさんたちとよく話をしていました。おじさんたちに「絵なんてわからん」というようなこと言われていて、絵に興味がない人やアートに触れる機会がない人に対して、どうしたもんかと考えて、絵が会いに行ったり歩いたりして道端にいる人に見てもらえばいいのではないかな?と思ったことが、「歩く絵」というパフォーマンスに繋がったかと思います。
_寿町とはずいぶん場所の特性が異なりそうですが、吉野の人の反応はどうでしたか?
 制作もパフォーマンスも非常に風通しの良い雰囲気でした。吉野の方から「マインドさん」と呼ばれることもあったりして、MIND TRAILが吉野では2年目ということもあってお祭り的な受け入れ方をされているのだなと感じました。お店をやっている人たちとも程よい距離、付き合いが共有されていました。「歩く絵」のパフォーマンスの日も、事前に役所の方が知らせてくれていたようで、「水分神社まで行くの?頑張って」と声をかけられたりもしました。
_「歩く絵」のパフォーマンスでは、学生も参加させてもらって映像撮影もしましたね。
 ありがとうございました!「歩く絵」では絵だけを見るというよりは、絵があることで後ろの景色もいつもと違って見えるというところが面白いです。見ている方には絵に足が生えているように見え、思いがけない光景になるということもあります。  パフォーマンスの際、序盤は坂道が多いためしんどかったですね。学生さん3人が参加してくれたおかげで、足も腕もきつい道中も細かい交代をはさみながら楽しく、引率の先生のような気持ちで歩くことができました。林道に入ったあたりから景色もよく清々しい気持ちになりました。神社に絵が入っていくように見える映像箇所もお気に入りです。撮影時、映像クリエイターさんは先に進む必要があり、大変そうでした。
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撮影:吉永ジェンダー
_特に印象的なことはありましたか?
 きつい山道を上がっている時、突如ほら貝の音が山の上から聞こえてきたんです。吹いていたのは滞在していたゲストハウスの女将の片山さんです。彼女は修験道の行者でもあるのです。行者は山に登って歩きながらほら貝を吹くんです。ほら貝を吹くことは呼吸を整える意味もあると言っていました。このほら貝の音が水分神社のところで待っているという女将さんからのメッセージとなり、みんなうわーっと気持ちがあがって、勇気をもらい、なんだか体が軽くなりました。歩く絵のゴールが近いぞ!という感じで、そこからはなんだか夢みたいでした。花矢倉にも立ち寄り、吉野が一望できる景色を眺めたりして とても清々しかったです。ほら貝すごいです。
_女将さんとの出会いも幸田さんにとって重要でしたよね?
 ゲストハウスで女将の片山さんと出会ったことによって吉野の歴史や修験道に触れることができました。初めは一人静かに暮らし描くことになるかなと思っていましたが、彼女との関わりによって祈ること、それについて考えたり感じることが加わったのが驚きです。朝6時半からの勤行に参加して1日を始めるという暮らしを日常化していくにつれ、話を聞くにつれ、自分の中で、絵を描くことと、暮らしと、祈ることがしっくりくるようになっていきました。
_出会いと言えば、水分神社の宮司さんと幸田さんの対話に居合わせることができてとても感激しました。
 絵を描き始める時に、こういう風に見てほしいみたいな強い考えはなくて、人に何かを伝えるとしてもそれは実際展示してみないとわからないということが多く、今回も水分神社に絵を置いた時にわかることがあるだろうという気持ちはありました。しかし、完成した作品を置かせていただく際に、宮司さんから水分神社でこの絵を奉納・展示する意味を問われて、はじめうまく答えられませんでした。制作に至るまでの動機や描きたかったものについては説明できたのですが、その場所に展示する意味は考えたことがなかったんです。  私がもごもごしていると、絵をみた宮司さんが自分なりの解釈を話してくれました。折れた木の中だけに木漏れ日がさして光が不思議なかたち、不思議な丸い光を作っている特別な一瞬を描いた部分について、宮司さんは「この仏さまが持っている球が絵の球なんじゃないか」と小さな木仏を取り出して言ってくれたんです。その木仏はもともとお土産品で、水分神社の「みくまり」が「御子守」となまったことで子授かりの意味が込められており、何でも願い事が叶う球である如意宝珠を持っています。宮司さんがその球と絵の光を重ね合わせて考えてくれたことがすごく嬉しくて、そうだったのかと言うくらい納得出来ました。こんなふうに自分なりに絵を見てくれる人が一人でもいてくれる瞬間があると描いてよかったなあと思うし、その時完成したのかなと思えることがよくあります。
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__イーゼルに使う木も手作りされましたね。
 森の中で木を拾って作りました。地元の林業の方が手伝ってくれて、傾斜がすごいジェットコースターのような道をどんどん進んで、木をチェンソーでバシーンと切ってくれたりして、かっこよかった。 実際木材集めに行ってみて、林業の人たちが普段どういう風に仕事をしているのかを知る機会になって驚きがすごかったです。イーゼルはインストーラの高橋さんが半日で作ってくれて、それだけ展示したいぐらい場に馴染んでいる良いイーゼルが出来上がりました。
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__いろいろ発表機会をお持ちですが、MIND TRAILに参加してみて、どういう感想を抱きましたか?
 個展などの展示では、そこの空間を最大限整えることはできるのですが、見に来てくれるお客さんがどういう景色を見て、どんな気持ちでそこに来るかまでを把握することはできませんよね、普通はそうです。絵を見に来る人の気持ちもどこから来るかも様々です。でも、MIND TRAILは歩く中に作品がある芸術祭だから、ある程度、作品を見る時の気持ちを他の人と共有できるような気がします。私は吉野を歩いてみて、心の調子を整えて、作品を見るのに気持ちのいい状態に自然となりました。目が素直になると言いますか。その時の感覚を大切に、作品に反映させることができたかなと思っています。
_絵で食べていくことや、いろいろな表現方法がある中で絵画を選ぶことについてどう思いますか?
 学生時代から「アーティストとして食べていく」という言葉の本質がうまく腑に落ちずにいました。でも、自分なりに生きていくことと描いていくことを足がかりとして続けてきたら、今、明日食べるものがないとか激ヤセしているとか全然ない。お金を稼ぐことが生きることではなく、毎秒どんな様子でいるかということそのものが表しているものに、今はなんとなく自信をつけてきた感じです。  今でも絵を描くことは仕事という感覚がないし、趣味でもないと感じます。絵を描くことはいつのまにか、生きる中で行う沢山の習慣の中でも大切な軸になっていると思います。絵を描くことで出会える人、場所、考えつく思考があり、それらが生活に及ぼす力も大きい。一人で絵を描くということは、この世界の誰とでも、一対一で向き合えるということなのではないかと感じていて、私が絵を選ぶ?というか続けている理由の一つはそこにあると思います。人によって何もかもバラバラでも良いのが表現の世界だと思うので、自分なりに生きる、その速さや重さ、全てを��かめながら、生きていく実践をすることが大事なのかなと思います。
学生質問
竹中_描いた時はどんな気持ちでしたか。特別な気持ちになっていますか?
 なっています。絵を描いているときにしか感じない考え方や気持ちがあります。その時の気持ちは、なぜか本当に大切だと信じている面があります。でも、それはご飯を食べている時には食べている時の特別な気持ちがあるのと同じことかもしれません。 それぞれの時に、それぞれ特別な気持ち。  今回の絵では、木漏れ日があるささやかな一瞬を描こうというところから、滞在を経ていくうちに、この光を美しく描きたい!という思いが自然と増してきました。それをどう表現するかという点については、やりながらしか答えはわからず、直観が頼りです。でも確かにこちらが良い!という方向は存在していて、自分でも不思議です。「違うな」と「これだ」を繰り返していく中で「これで良い!」というところになんとかたどり着きます。今回は不安もいっぱいでしたが、絵を奉納した時に、これでよかった、がやっときました。
竹中_最低限「どんな風に見てほしい」と考えていることはありますか。
 自分なりに見てもらえたら嬉しいです。それを知ることができたなら私は嬉しいですが、それぞれが秘めているのも良いなと思います。 こうでないといけない、という思いはないです。
佐藤_撮影に参加させて頂いたときにも感じていましたが、吉野の人への思いやりがあふれていると思いました。吉野の町に対する意識や見る人への意識が片隅にあり、人に寄り添うアーティストだと思います。
 絵を描いていたから吉野の人々と関わらせて頂けるというのは、すごく特別なことだと感じています。滞在中は、できうる限りのことを逃したくないし、感謝したり嬉しい気持ちでいっぱいです。毎日の一瞬一瞬が面白いです。マイナスな感情が湧くことすらも面白いと思っています。今回の芸術祭でも、ここに来られたからこそ貴重な経験ができたと心から思います。
MIND TRAIL公式サイト:https://mindtrail.okuyamato.jp/
幸田千依さん吉野滞在後記:http://kodachie.com/?p=1810&fbclid=IwAR2FpHTN6YwcQ3Eux0hTN04fd40fWwDueLRPfabL8txForW7FFPa9alVO3E
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tkatsumi06j · 6 years
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Les Japonaises privees de #MeToo
#MeToo を奪われた日本の女性たち
Japanese women deprived of #MeToo
著:Sophia Marchesin
訳:"B"-san / @tkatsumi06j
登場人物(登場順)
Featured Individuals
石川優実|グラビア女優 - Yumi Ishikawa, Actress
伊藤詩織|ジャーナリスト - Shiori Ito, Journalist
勝見貴弘|飜訳者・活動家 - Takahiro Katsumi, Translator/Activist
匿名女性|NHK記者 - Anonymous woman, NHK reporter
小川たまか|ライター - Tamaka Ogawa, Writer on sexual violence matters
清水めいり|舞台女優 - Meili Shimizu, Stage Actress
望月晶子さん|弁護士・TSUBOMI代表 - Akiko Mochizuki, Lawyer/Director TSUBOMI
牟田和恵 |大阪大学教授・ジェンダー学 - Dr. Kazue Muta, Prof., Osaka University, Gender Studies
谷口真由美|大阪国際大学准教授・国際公共政策 - Dr. Mayumi Taniguchi, Assistant Prof. Osaka Univ., Global Public Policy
岡野八代 |同志社大学教授・政治学 - Dr. Yayo Okano, Professor, Doshisha Univ., Political Science
斉藤章佳|精神保健福祉士・社会福祉士 - Dr. Akiyoshi Saito, Psychiatric Social Worker
イヴ・ボゴン |『エルジャポン』ディレクター - Yves Bougon, Director, Elle Japon
ミエ・コヒヤマ |AFP通信記者・アクティビスト - Mie Kohiyama, journalist, AFP/Activist
ミュリエル・サルモナ |精神科医・研究者(解離性健忘) - Dr. Muriel Salmona,  Psychiatrist specializing n post-traumatic amnesia
性暴力の被害者たちを表すハッシュタグが、世界中の至るところに拡散している。ただし、日本を除いて。
日本で沈黙のルールを破った被害者たちは、脅迫や社会排除のリスクを負う。
名前を変えることも、顔を隠すこともしない。
She would not use different name nor will she hide here face.
「ええ、怖いですよ。でも現実を見つめなければ。去年の12月に #Metoo を表明してから、私の俳優としてのキャリアは台無しになりましたから」
石川優実さん(31)は、敢えてこのハッシュタグを使う日本の数少ない女性の一人だ。しかし、これは彼女一人だけの話ではない。何百人もの女優たちにかかわる話なのだと、優実さんは言う。
「私のマネージャーは2人の監督と1人のプロデューサーに、およそ十数回、私をあてがいました。役を得るために男と寝る。映画業界の暗黙の了解だと。とくにデビューしたての女優たちは。女性としてみな通る当然の道だと思っていました。#MeToo を通じて初めて、問題だと認識したのです」
優実さんは [ #MeToo により] まず解放感を感じたが、それも束の間のことだった。「みっともない女」「尻軽」「日本女性として恥に思え」などの批判や侮辱によって、それはすぐに辱めに変わった。
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女優の石川優実さんは『#Metoo 』と投稿することを躊躇わなかった。以来、「私のキャリアは終った」と、彼女は言う。(撮影:Xavier Tera)
日本では、レイプはスティグマ化する。とりわけ、レイプの被害を受けたことを語る女性たちは激しく非難される。優実さんは、この破らざるタブーを破った。
「私たちの文化は、私たちの苦痛や、疑問、否定的な感情を内在化することを人びとに求めます」
大阪国際大学法学部准教授でフェミニストでもある谷口真由美さんはこう説明する。
日本では、路上や地下鉄、隣人同士の間で、性差別的な言動や侮辱的な表現が飛び交うことはない。人びとの交流は礼節を持って行われ、日常生活は快適そのものだ。
「公共の場では人々は”空気”を読み、軋轢を避けることを求められます。人びとは子どもの頃から、大声でものを言わないこと、”私は”と自己を主張して自身を尊大に見せないようにすることを学びます」
社会の調和を守り、自身が排除されないよう、無秩序を生み出す要因となるような主張をしない。そいう人を支持しないことが求められる。女子は共感的な姿勢を持つこと(同調)を期待され、若い女の子は「可愛いらしく」、ほほ笑みを絶やさず、男を裏切らない存在でであるべきとされる。
『 #MeToo 』は、その急進性により、この同調を求める家父長制のドクサ(臆見)を脅かすのだという。
折り込み広告やテレビのに映る舞台の上でも、こうしたステレオタイプが次々形となって表れる。完璧な母親や、超セクシーな肉体を持った若い女と言う風に。
「私たちは未だに、男性に支配された、男性のためのみに作られた社会に暮らしているのです」
谷口准教授はこうまとめる。
この世界第三位の経済大国は、世界で最も保守的で差別的な国に位置付けられる。女性議員と女性管理職の割合は一割に満たず、第一子を出産した後、母親たちの大部分は家庭に留まるために仕事を辞める。
『世界経済フォーラム』が昨年11月に発表したジェンダー平等性に関する最新の報告によると、日本の「ジェンダー・ギャップ指数」は144か国中114位だった。
「自分の国で身の危険を感じてしまう」
"I FEEL AT RISK IN MY OWN COUNTRY."
伊藤詩織さんは、日本の #MeToo ムーヴメントの火付け役となったとみられる人物だ。昨年出版された自著『 #BlackBox 』の中で、安倍晋三首相に近い人物から自身が受けたレイプ被害を告発した。
3年前、つまりこの事件の起こった時、警察は彼女に告発することを思いとどまらせようとした。加害者とされる男性は法廷で追及されることもなく、詩織さんは国外に住むことを余儀なくされた。
「自分の国なのに、身の危険を感じました。本を出版した後、昼夜問わず、悪意に満ちたメールが沢山送られて来ました、男性だけでなく、女性からもです。脅迫電話も沢山かかってきました。私に『死ね』と言う内容のものでした。とりあえず2か月半の間、友人の家に身を潜めました。そして女性の人権のために闘うNGO団体の代表の女性の方からロンドンに行くように勧められました。最悪なのは、私の妹が私のせいで未だ仕事が見つからないことです。家族との関わりは絶つしかありませんでした」
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ジャーナリストの伊藤詩織さんは、自身が被害者となったレイプについて証言した自著を出版したのち、日本を離れることを余儀なくされた。(撮影:Xavier Tera)
ツイッターで16,000人がフォローするベテラン飜訳者の勝見貴弘さん(45)は、幾世代にも渡る被害者たちの心の解放を目指し、彼女たちのメッセージを発信し続けている。
「詩織さんは、このミソジニスト社会が嫌悪するあらゆる要素を兼ね備えている人です。美しく聡明で、権力に近い者を批判することを厭わない勇敢さを持っている。彼女が受ける激しいバッシングは、日本の女性に声を上げることを躊躇させる効果を持ちます。日本のメディアでいうと、被害者に『声』を与えた雑誌など、『エルジャポン』くらいのものです(下記参照)」
「取り上げるテーマがセンシティブな内容を含むものであれば、メディアは自己規制をかけます」
巨大公共放送『NHK』の女性記者は匿名を条件にこう断言した。
「私は毎日、私の小さい胸のことをからかう上司のセクシストな冗談に笑って応えさせられています。こんな状態で、セクハラ(性的加害)について、真面目な問いかけが行われることがあると思いますか?まるで日本は例外かのように扱われているんですよ」
「自身の苦悩を表明することは利己的といわれるかもしれない。でも、私にとっては #MeToo が最後の砦だったんです」
"IT MAY BE SELFISH TO EXPRESS ONE'S SUFFERING, BUT #METOO WAS MY LAST RECOURSE "
フリーランスのジャーナリストである小川たまかさんは、あるインターネット・サイトの仕事で壁にぶつかった。サイト名は彼女の希望で伏せる。
「女性編集長たちでさえ問題を過小評価しています。否定的であるか、無関心であるかのどちらかです。他者の悪いところを直視したくないからと、黙って苦しむことを選ぶことがあまりにも多いの���す」
この37歳の活動家はそれでも諦めない。 学生の頃に性暴力の被害に遭った彼女は3年前、ブログで自身の体験をシェアすることで、勇敢にもタブーを打ち破った。
「電車に乗る思春期の人たちの大部分が性的虐待の被害(痴漢)に遭っていると思います(下記を参照)。それが私たちの日常です。���が初めて痴漢に遭ったのは10歳の時でした。高校生の時には少なくとも週に一度は痴漢に遭いました。なかには、私の性器に指を突っ込んだ男もいました」
たまかさんに「フランスの法律ではそれはレイプに該当する」と説明すると、彼女は大きく目を見開いた。
「本当に?」
彼女は話を続けた。
「痴漢については友だち同士では話をしましたが、大人たちを信用してよいのかわかりませんでした。私たちの母親は「気をつけなければダメよ!」と言うだけでしたから。私の両親は私の受けた被害を知りません。それは今でも見えない傷として残っています」
メディアにおいても、学校でも、家庭でも、性的虐待の被害者たちは沈黙を強いられる。
In the media, at school, at home, the victims of sexual abuse often remain silent.
当局を信用する女性は稀である。日本は、盗難、レイプといった犯罪の割合の少なさから、世界で最も安全な国の一つとして紹介されるが、性暴力の被害者を通報する割合は4%以下である(フランスでは11%)。彼女たちの七割以上が親しい人にさえ何も話さない。
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[参考] 2015年度内閣府調査
「自身の苦悩を表明することは利己的といわれるかもしれない。でも、私にとっては #MeToo が最後の砦だったんです」と話すのは、舞台女優の清水めいりさん。
「半年前、酔い潰れさせられた後、私はある舞台プロデューサーに2度に渡りレイプされました。警察はホテルの防犯カメラを確認しました。そこには私がプロデューサーと肩を組んで、よろめいて歩く姿が映っていました。警察は私が同意の上であったと結論づけ、被害届は受理されませんでした」
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俳優の清水めいりさんは当局に同意の上であったと見做され、被害を受理されなかった。(撮影:Xavier Tera) [詳細追記]
「レイプを犯罪として証明するために、被害者は物理的外傷を証明しなければならないんです!」"FOR A RAPE TO BE A CRIME, THE VICTIM MUST PROVE PHYSICAL INJURY! "
女性が男性と酒を飲みに行くことに同意したら、その女性が性的被害を受けたとしても責任は彼女にあり、彼女は自分の身を守る術を知らなければならない――日本には、こんな考えが根強く残っている。
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[参考:NHKネットワークが実際に行ったアンケート]
110年前に作られた性暴力に関する法律もこれと同じ考えに依拠している。
「レイプを犯罪として証明するために、被害者は物理的外傷を証明しなければならないんですよ?」
弁護士の望月晶子さんはこう強調する。
「世間一般はいまだに、当然のように、被害者は夜どこからともなく現れた全く知らない人から襲われるものだと想像しているのです!」
晶子さんは東京に、レイプ被害者を全国規模で支援するNPO法人「レイプクライシスセンターTSUBOMI」を設立し、これまで1,500人ほどの被害者を支援してきた。
伊藤詩織さんの闘いにも敬意を表する。詩織さんのおかげもあって、昨年の7月に法律が改正されたからだ。改正された刑法では、レイプ [強制性交等罪] は懲役3年から5年に変更され、男性も性暴力の被害者として見做されるようになった。
だが彼女にとって、この闘いは初めから勝つ見込みのないものだ。レイプ犯の99%が不起訴となるからだ。
「私自身、依頼人たちには告訴することを勧めません。それ以上被害者たちにトラウマを与えたくないと思うからです。そう、加害者たちはお金で被害者たちの沈黙を買うのです。支払う能力のある加害者たちに対しては、平均で4万ユーロ(約500万円)の高額で示談を交渉します。このような状況では #MeToo が日本で理解されないのも無理もないのかもしれません」
より深刻なのは、性的同意の問題が法律でも学校でも言及されないことだという。
「社会はこの問題について議論の場をもったことがありませんし、高校で性教育を実施することも拒んでいます。それは一般に、『非行の扇動』とみなされるからかもしれません」
社会学者でジェンダー論の専門家である大阪大学教授の牟田和恵さんはこう嘆く。
結果、ポルノが性的な物事への入り口となっている。
「ワンクリックで視聴が可能なビデオの多くにおいて、地下鉄の中で少女たちが『いや!いや!』と叫びながら(それでも「イエス」と受け止める人もいるのでしょうけども)レイプされるストーリーが描かれています。アダルトビデオの中のレイプはまるでゲームのように描かれています。日本人が『同意』の意味するところを知らないのも無理はないと思いませんか?」
ひと握りのフェミニストたちが、牟田教授のように、シンポジウム等を通して #MeToo に関する議論を活発化させようとしている。
前出の大阪大准教授の谷口真由美さんは、課題の大きさをこう言い表す。
「これは構造的な問題です。どこから手を付ければいいのか。教育?政治?経済?メディア?司法?それとも家庭?」
同志社大学教授の岡野八代さんにとってさらに気がかりなのは、政治的な状況が沈黙と、他人を中傷する言説の正当化をさらに強めていることである。 フェミニスト活動家の彼女はこう憤る。
「ソーシャルメディアを使って、匿名の人たちや、極端な保守派議員たちが私たちの活動の信用を失わせようとしています。バッシングは10年前と比べると、よりあからさまで、当たり前のものになっています。私たちはきっと、日本の社会と日本の全男性を敵に回しているのでしょうね!」
だが、伊藤詩織さんは希望を失わない。彼女はひそかに、根強い支持を受けている。
「多くの男性や女性が私的に感謝の意を表してくれました。彼らはそれを公に行うことを恐れていますが、確実に連帯してくれています。ただし、ひそかに。だから、続けなくてはならないのです!」
蔓延する痴漢
THE PLAGUE OF GROPERS
GROPERS(痴漢)または "TCHIKAN" の問題は1990年代になって公共機関でも配慮されるようになった。女性のために、鉄道各線にピンク色の車輌が用意されている。 しかし、「所詮、男が潜在的な脅威であることに変わりはない」という考えが根強く残っている。
東京のクリニックで働く [臨床医で精神保健福祉士の] 斉藤章佳さんは、弁護士や家族の依頼で2年間に1,200人もの"TCHIKAN" を治療した経験を持つ。
「男性を敬い、女性を蔑視する男尊女卑の風潮は、いまも根強く残っています。痴漢は被害者たちをモノのように見ます。しかし、彼らは捕食者ではありません!これは、私が患者さんたちに一番初めに伝えることです。痴漢は根治することも、リハビリを通して更生させることもできます。しかし残念ながら、われわれは『助平な変質者から身を守る術を知らない被害者』というステレオタイプに逃げ込みがちです」
この臨床医によれば、典型的な患者像は、「サラリーマンで、既婚で、会社の上司たちに苛められている人」であるという。
「地下鉄の中は、彼らにとって家庭と職場の間で唯一、彼らの激しい支配欲を満たすことのできる空間なのです」
章佳さんによると、毎年10万人の日本人女性が痴漢の被害に遭っている。
奮起する彼女(ELLE)たち
ELLES (THEY) ARE MOBILIZING
『エルジャポン』は3月、安倍晋三首相に近い者にレイプされたと告発したジャーナリスト・伊藤詩織さんの肖像を描く記事を掲載した。彼女の戦いは多くの海外メディアで報道されたが、日本ではほとんど報じられなかった。
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「私たちはリスクをとらなけばなりません。レイプや政治について話すことは大きなタブーです。読者の大部分はショックを受けた、それは確かです。しかし私たちは、この話に世界的な広がりを与えなければならないと思いました」
『エルジャポン』のディレクター、イヴ・ブゴン(Yves Bougon)は語る。
記事を書いた ミエ・コヒヤマ(Mie Kohiyama)さんには、多くの賛同の声が寄せられた。
「記事はひじょうに沢山シェアされました。とくに女優のアーシア・アルジェント(Asia Argento)によって。多くの日本人が私にコンタクトをとって来きました。#MeToo ムーブメントは日本でもひそかに進行しているのです」
未成年者に対する性犯罪の公訴時効 の廃止と心的外傷による記憶喪失 [解離性健忘=PTA] の問題について活動するミエさんは、性暴力について活動する国際団体の支援を受け、シンポジウムの企画を進めている。
フランスで「心的外傷性の記憶及び被害者学に関する協会」の会長を務めるミュリエル・サルモナ博士(Dr. Muriel Salmona)は今月初め、女性の弁護士や医師で構成された日本の代表団をパリで迎えた。
「積極的なやりとりや意見交換がなされました」
フランセーズのサルモナ博士は興奮気味に語る。
「彼女らは北海道にレイプ被害者を受け入れる先進的なセンターを開設した人たちで、情報と支援を求めていました。私たち日仏の両団体は、団体間で、あるコラボレーションを行おうと考えています」
この記事は『ELLE』マガジン2018年4月28日号に掲載されました。
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kozuemori · 3 years
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今日の東京は、ポカポカ陽気。窓からは小鳥のお喋り、黄金色の銀杏並木、雪の冠をかぶった富士山が楽しめますが、しばらくは家に篭って大人しくしていようと思います。というのは、コロナウィルス感染拡大だけが原因ではなく、先日外出中に派手に捻挫してしまい、事実上外出不可能になってしまったからです😅(今は大分腫れが引いてきました)秋学期を今週で無事に終え、ここらでゆっくりしなさい、というメッセージなのかもしれません。とりあえず、明日から始まるNetflixの『The Crown』のシーズン4と、16日に延期された野口聡一さんの『クルードラゴン』の打ち上げを見るのが楽しみです。
とはいえ、昨日は春学期のPrime90のアイデアを考えていました。まだ仮題ですが、3回のレクチャーの内容を『スピリチュアリズムの先駆者たち』『ミディアムシップへの道のり(個人的体験談)』『スピリチュアリズム in LONDON Part 2』にしたいと思っています。
また、来学期用の誘導瞑想のBGMも作っていました。Zoomクラスとなり、より良い音でクラスを運営するために色々試してきましたが、誘導瞑想の動画に使う音源をアプリ(GarageBand)で作るという、新たな楽しみが増えました。今まで音���は数学的で少し苦手だったのですが、アプリを使うと直感的に作曲ができるという発見が、私にとって今年の大きな学びになりました。皆さんにとって、今年の新たな学びは何でしたか?
4年前の私のブログで、アメリカ大統領選挙で敗退したヒラリー・クリントンの素晴らしいGood Loserなスピーチを紹介しました。今回はスピリチュアルで感動的な、カマラ・ハリスのスピーチを紹介したいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(公民権運動を率いた)ジョン・ルイス下院議員は亡くなる前に、「民主主義は状態ではない」と書いています。それは行為であり、彼が言いたかったのは、アメリカの民主主義は保障されていないということです。民主主義のために闘う私たちの意志を強くしないと、民主主義も強くならないのです。
民主主義を守り、決して民主主義があることを当たり前と思わず、保護すること。私たちの民主主義には闘争が必要です。犠牲を伴います。しかし、そこには喜びがあり、進歩があります。なぜなら、私たち国民には、より良い未来を築く力があるからです。
そして、この選挙で私たちの民主主義が問われ、アメリカの魂が危機に瀕し、世界が見ている時、みなさんはアメリカの新しい日を保障してくれました。
この素晴らしいチームのスタッフとボランティアのみなさん。これまで以上に多くの人々を民主主義のプロセスに巻き込んでくれたことに感謝します
そしてこの勝利を可能にしてくれたのは... 一票一票を確実に数えるために疲れを知らず働いてくれた全国の投票所の職員と選挙管理者の皆さんのおかげです。みなさんが民主主義の一体性を守ってくれたことに、国中が感謝しています。私たちの美しい国をかたちづくる人々、記録的な数の投票をしていただき、ありがとうございます。
そして私たちは困難な時を過ごしています。特にここ数ヶ月は、悲しみや痛み、懸念や闘争が相次ぎました。しかし、私たちはまた、国民の勇気と回復力、寛大な精神も目撃してきました。私たちの暮らしのために、そして地球のために、礼儀と正義を求めて、みなさんは投票しました。
そしてみなさんは、明確なメッセージを示しました。 希望と団結と良識の科学を選んだのです。そして、みなさんはジョー・バイデンを次の大統領に選びました。
ジョーは癒やしと団結をもたらす人物です。(交通事故などで妻子を失うという)自らの喪失体験が彼に目的意識を与えました。そして、国としての目的意識を取り戻すのにも役立つでしょう。
母シャンバラ・ゴパラン・ハリスは、いつも私たちの心の中にいました。 彼女が19歳でインドからアメリカに来たとき、この瞬間を想像していなかったかもしれません。しかし、アメリカとはこのようなことが可能な国であると、彼女は深く信じていました。 だから私は、母のことや、これまでの黒人、アジア系、白人、ラテン系、アメリカ先住民の女性たち、今夜のこの瞬間のために道を切り開いてくれた人々のことを今、思っています。全ての人々の平等と自由と正義のために多くのことを犠牲にして闘った女性たちです。その中には、あまりにも見落とされがちになってきた黒人女性たちのことも含まれています。彼女たちが私たちの民主主義のバックボーンであることを証明してくれました。
女性たちは、100年以上にわたり権利のために闘ってきました。100年前には(女性に参政権を保障した)憲法修正19条の成立に向けて、55年前には(人種差別を禁止する)投票権法の制定のため、そして今2020年には、投票権を行使し、投票して声を届ける権利を守るために戦い続けている、私たちの国の新しい世代の女性たちがいます。
今夜、私は彼女たちの闘争に思いを馳せます。
ジョーは、この国に存在する最も実質的な障壁の一つを破るための大胆さを持ち、副大統領に女性を選んだのです。
私は副大統領となる最初の女性かもしれません。しかし、私で最後ではありません。
なぜならば、今夜これを見ている全ての少女たちが、アメリカは可能性に満ちた国だと思うからです。そして私たちの国は、ジェンダーを問わずアメリカの全ての子どもたちに明確なメッセージを送りました。大志を持って夢を見なさい。信念を持ってリードしなさい。他の人がやったことがない方法で自分自身を見なさい。そして、私たちは、あなたが取るどんなステップも讃えることを知っていてください。
アメリカ国民のみなさん、誰に投票したかに関わりません。私はジョーがオバマ大統領にしたように、忠実で正直で、準備ができていて、あなたとあなたの家族のことを考えて毎朝起きるよう、懸命に努力します。
なぜなら今が、本当の仕事が始まる時だからです。生命を守り感染対策を行うこと、勤労者のための経済の再建、この社会と司法制度の制度的人種差別を根絶すること、気候危機に立ち向かうこと、 団結と国の魂を癒すこと。
簡単な道のりではではないでしょう。しかし、アメリカは準備ができています。ジョーと私もです。
日本語訳:貫洞欣寛 BuzzFeed Chief Editor, News, Japan
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スピリチュアリズムを本当に理解したならば、人種や性差別、年齢や職業で人を判断することなど、無意味だと知るでしょう。何故ならば、あなたは以前、今とは全く違う時代や境遇の中で魂の学びを何度も経験していて、来世もそれは続いていくからです。
現在、アイイスの冬のイベント、2021年春学期クラスのお申し込みを受付中です。2021年度のスピリチュアル・ヒーリングコースも1月から開始します。(ヒーリングコースは年に一度の募集となります。)。
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ミディアムシップへの招待状
お申し込みはこちらからどうぞ。

11月28日(土)10:00〜17:00(途中1時間のお昼休憩あり) 11月30日(月)10:00〜17:00(途中1時間のお昼休憩あり)
両日ともに同じ内容です
料金:9,000円(会員7,200円)
講師:森 梢
参加資格:どなたでもご参加できます
この6時間のワークショップは、ミディアムを目指す方、ミディアムシップや霊性開花に興味がある方に向けたプログラムです。
私たちは皆、異なる美しいエネルギーを持つ光です。 ミディアム全員が、異なったミディアムシップの個性を持っています。
自分自身の知覚を信頼することで本当の自分に出会い、他にはない自分だけのオリジナルな光への道を模索することがミディアムシップの本質です。
前半は最新の情報を含むレクチャー、後半は様々なテクニックを用いた実習を行うことで、ミディアムシップに必要な知覚に気づくお手伝いをいたします。
レベル別に実習を行いますので、初心者の方でも安心してご参加いただけます。
ミディアムシップという一期一会の光のストーリーを、一緒に紡いでみませんか。
レクチャー・実習では以下の内容を予定しています。
・祈り・瞑想とミディアムシップの関係 ・パワーとエネルギー ・デモやカウンセリングの適正時間とその理由 ・ミディアムシップへの個人的なアプローチ ・Noと言われた時の対処法 ・自分の想像と霊界からのメッセージの違い ・ミディアムシップに必要な環境の整え方 ・Sitting in the Power ・知覚実習(クレアヴォヤント・ノウイングetc.) ・レベル別カウンセリング(エビデンシャル・アセスメント)実習 ・質疑応答

持ち物:紙と筆記用具
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ウェブ サイキックアート with スピリット
お申し込みはこちらからどうぞ。
水曜日:16:00~18:00  開催日程:1/13、1/27、2/10、2/24、3/10  
講師:森 梢 料金:7,500円
持ち物:
・B4のスケッチブック
・鉛筆(4B・2B・B・HB各1本)
・色鉛筆(12色程度のもの)
サイキックアートに興味のある方に、楽しみながら絵に親しみ、ご自身の画風を捉えながらスピリットとともに絵を描いていただくクラスです。 瞑想、ヴィジュアライゼーション、ポートレートを描く基本のテクニックなどの実習を通して、様々な人物の特徴や時代背景を踏まえたエビデンシャルなサイキックアートを描く事を目的とします。
また、様々な画材によるテクニックで霊界とつながるレッスンも行います。 人物の特徴やコスチューム、髪型の描き方などもレクチャーいたします。 指導霊・先祖霊・友人、知人霊や過去世、ハイヤーセルフ等、光の世界のスピリット達や、ヴィジュアライゼーションの心象風景等を絵に落とし込んでいきます。 サイキック・アートのデモンストレーションにも挑戦していただきます。
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プロフィール
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gunosy-news · 4 years
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時代遅れ?過剰反応?「レディース&ジェントルメン」廃止に対する様々な意見
集計期間:2020年9月23日~9月25日 回答数:16749
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航空会社のJALは、機内の英語アナウンスで用いられる「レディース&ジェントルメン(ladies and gentlemen)」という表現の撤廃を決定しました。
10月以降は「ジェンダーニュートラルな表現」へ変更するとのことです。
近年、このようなLGBTへの配慮はさまざまな場面で見られるようになりましたが、みなさんはどう思いますか?調査を行いました。
機内アナウンスから「レディース&ジェントルメン」を撤廃することに賛成ですか?反対ですか?
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回答者16749名のうち「レディース&ジェントルメン」の撤廃に賛成の人は約57.9%、反対の人は約42.1%という結果になりました。
ここからは、双方の意見を見ていきましょう。
賛成
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<時代の流れ>
・時代が、変わりました。
・気にする人が多い世論になったからその都度変えていけばいいのでは?別にどっちでも全然構わない。
・今の時代、色々な人がいるから、性別を言う事はないのかな?と思う。でも今まで考えた事がなかった。
・多様化の時代に合ってない。古き良き慣行でも気分を害する人が居るならば、止める事=共感する事だと思う
・特定することなので良いと思う。子供も乗るわけだし乗客全員対象とした事を言うのも大変なので、それならない方が良いのでは。��き慣れた自分は寂しいですがね...。時代と共に色々変化していくものだと思います。
・お洒落な呼びかけだけで音の耳触りも好きだけど、多様性の時代にあえて必要かどうか問われると無い方がいい、という答えになる。
<表現が適当ではない>
・心がない、表現ですから。
・性別での区別は適当ではない!
・あまりにも古い慣用句ですね。
・聞いてておかしい。
・中世の、言葉使い方です。
・スチュワード&スチュワーデスがキャビンアテンダントに変わったんだから当然だと思う。
<代わりにどんなフレーズになる?>
・具体的にどのような言葉になるのか楽しみです。
・大賛成です。youngs & oldsがいいな
・機内アナウンスの内容に男女別に伝えることがあるのならこのまま使ってもいいとは思うけどそもそも機内アナウンスは乗った人全身に伝えることがあると思うので、everyoneでもいいのでは?
・性別がどうのこうの・・・という考えでの廃止には何とも思わないが、普通の会話として、紳士淑女の方々・・・というのは何か不自然さを感じていた。単純に「ご搭乗の皆様」でいいと思う。
・マイノリティの人の心情を考えるとそれしかないかな、とは思うけど、言葉としての響きの美しさみたいなものもあったと思うので、新しい言い回しも無難な感じにするのではなく、粋な感じで、思わずこちらも真似したくなるような表現にしてくれたらいいなと思う。
<その他の意見>
・特に必要としないと思うので
・世界的に、そのような方向のアナウンスになっているのであれば合わせた方がよいと思う。
・その言い方に違和感や不快感を感じる方がいるなら、他の言い方も良いと思う。
・心底どっちでもいいと思うけど、気にする人がいてクレームになるくらいなら別の表現にしてもいいのではないかと思う。
・いちいち性別固定して呼びかける必要性を感じない。医療も科学も進んでいる中で、変化していくのが人間社会だと思う。
・男性が後回しにされていることにムカムカしていた。廃止は嬉しい
反対
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<過剰反応?>
・どっちでもいいんじゃない。世の中いちいち細かいこと気にし過ぎ 
・長年聞き流れていたお決まりのセリフだから別にこんな事くらいで蔑視とは思わずスルーできるレベルなのでは
・こんなことで差別だと思う人はこの世から「男」「女」という表記が無くなるまで言い続けるんだろうか。面倒臭くて今後関わりたくないと思うから、かえって差別を生むと思う。
・区別と差別と同じにするな。履き違えた主張をするから認知されないんだぞ
・性別があるのは事実!この表現が別に差別でもなんでもないし、こんな細かいこと言い始めたら差別かどうかの議論以前の問題。
・いちいち何にでも過剰反応しすぎです。多様性と言うのは、マジョリティがマイノリティを受け入れることばかりではない。
<そもそも配慮が必要な表現ではない?>
・なにに配慮してるのか?紳士淑女は心持ちの問題ではないのか? 
・撤廃するくらいなら第3の性を言葉にしてあげたらいいと思うから
・もうよくわからないところまできてしまった感じがします。ジェンダーレスは必要でも、この言葉は皆さんと同義語だと思うんです。そこにいちいち声を発していても私たちが、いいと思っていた響きまでもが失われる気がして、同意出来ないです
・性別を意識するものではなく、あくまでも言い回しのひとつだから。日本語にも「父兄」との言い回しがあるが、決して父と兄を意味するものではなく、保護者を意味するものであるから、言語表現は排除しなくて良いと思う。
<旅情が失われる?>
・お決まりのアナウンス。聞くと「嗚呼…飛行機に乗ってる」「これから海外へ行くんだ!」って気分になるので残念です。時代の流れかもしれないけど、すべて同じ物差しで計らなくても良いと思います。
・飛行機に搭乗した醍醐味がなくなってしまいます。あのアナウンスを聴くと旅行に行くんだな♪飛行機に搭乗したんだな♪と気分があがるのに!!
<配慮のしすぎは新たな差別?疑問を呈する人も>
・「皆様」という意味だと思うので、基本的にはどちらでも良いが、何でもかんでも性別の区分を目の敵にする風潮には疑問に思う。
・言葉狩りが行き過ぎると、何も発信できなくなると思います。究極の配慮が「無関心」となってはいけないと思います。 
・くだらないただの言葉狩り。表現の自由を言う一方でそうやって男女差別を謳えばなんでも通る世の中はおかしい。差別と区別も分からない大人たちには残念としか言いようがない。現に性別としてオスとメス。男と女しかない。人間の勝手な欲望でジェンダーフリーとかぬかして本質的な男と女の差別には目を瞑ってるのは甚だ嫌気がさす。
・最近、この手の話が多すぎる。こういうことが多様性を認めるということになるのであれば同時に少数派を尊重して多数派を蔑ろにしているような気がする。他者を侵害しない限りは色んな人がいてもいいし、色んな人がいることが普通な世の中とは互いを受容しあうこと、例えば、身体の作りからみても、機能的にジェンダーの非対称性は必ずあるものだし、全てを同じくというものではなく、その違いを認め合い尊重し合うことこそが重要なのではないかと思う。最近は自分の主義主張を押し通そうとするノイジーマイノリティに合わせなければいけないようになっている状態が多い気がする。
・差別だ何だってうるさすぎる。どんな事にせよ、誰かの差別になってるかもしれない。そう考えたら、人と接する事すら出来なくなる。性別は2種類でいい。今の世の中何かにつけて文句を言いすぎる。個性としてやればいいだけで、その個性を一般人に無理強いするのはおかしい。個性としてなら認めるし批判もないけど、それを差別だ何だと騒ぐのは理解できない。
・人間は誰しも、紳士&淑女だと思う。そもそも世の中が、ジェンダーレスにこだわりすぎていて逆に気持ち悪いし、余計に差別的に感じる。自分が思う性に自身をもっている人に対して、侮辱しているようだ。ボーダーレスにするのではなく、全てを受け入れられる心を大事にしたい。 
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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dontleavestan · 4 years
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父は脳腫瘍という病気を患い、手術を終えたあと50代にして視覚障がい者になった。
今は障がい者一級の認定を受け、基本的には何も見えない生活をしている。
最初は家族も私も戸惑ったし、ショックだったけど離れて住んでいたので病院にもいられなかったし、実感もわかず涙も出なかった。そうなんだ、これから大変になるね、とくらいしか言わなかったと思う。
そして、この件についてあまり人に積極的に話してこなかった。本当に気持ち的に距離の近い親友や、文脈として話さないと意味が通らない時しか発信しなかった情報である。※この件について知らなかった友人や近しい皆さん、デリケートな話題で話すにも気力が必要なので、話すかどうかはその時々の気分で決めていることがほとんどです。知らなかった=私があなたのことを大事と思っていないとは思わないでください。
父が手術を受ける直前に一度、出張ついでに私の住む横浜に遊びに来てくれたことがある。予約していた駅近の居酒屋に現地集合でいいだろうと思い、ラインでその連絡だけ入れてお店で待っていたが一向に現れない。
心配になり電話すると、「一人ではお店に行けない。横浜駅まで来てほしい」と言われて急いで駅まで戻った。
そこで再度電話をかけると、「改札口がわからない」と言っている。JRなのか京急なのか、どこにいるのか聞いても全然わからない様子だった。
短気な私は事態が飲み込めなさすぎて少しイラつき、「え?なにか上の看板に書いてない?」と聞いても上の看板って何?わからない。。というような返答でいやいやまいったなと思った。
とりあえずJRの改札にいるから駅員さんに聞いてそこまで来てほしいと伝えた。電話は切らずにつないでいると、改札のすぐ向こう側に父の姿が見えた。
電話越しに「パパいるの見えるよ、パパが今立ってるところからまっすぐのところにいるよ」と言い、普通ならすぐに気づくような距離だったが、全く気づかないでボーっとしている。
この時点で、なんかおかしいなと思った。注意力があまりにもないというか、視野がものすごく狭い。
周りの目は気になったが仕方ないので改札のそばにあった鉄の仕切りのようなものを拳で叩いて音を立て、「パパ!」と大きな声で呼んだ。
すると「おお、エミ」とか言ってた。すぐそばの改札を通ろうとすると、引っかかっている。マジかーと思いつつ、まずみどりの窓口で駅員に通れないって話してみて、と言ったがすぐそこに見えるみどりの窓口が、どこにあるのかわからないと言う。このエスカレーター超えたところにあるよと伝えて、すぐ出てくるだろうと思い電話を切って窓口の出口で父が出てくるのを待っていたら、またまた全然出てこない。というか姿が消えている。
焦った私は窓口にいる駅員さんに、たった今スーツケース引いてメガネをかけてる男性が改札通れないって聞いたと思うんですけど、どっちに出ましたか?と聞いた。すると「え、さすがにわかんないです」と言われ、正直「は?たった今のことも覚えてねーのかよ!」とキレそうになったがぐっと堪えてわかりました、いきなりすみませんと言って窓口を出た。
電話をかけても全然出ないので焦ったが、とりあえず私はあまり動かない方がいいかなと思いその場に留まることにした。
すると父が突然現れたので、目の前まで駆け寄って「パパどこにいたの?心配したんだよ」と言うとまだ遠くの方をキョロキョロ見渡している。目の前の私に気付いていないのだ。驚きながらも肩をトントンしてもう一度声をかけると、「ごめんごめん、京急に乗ってきたのにJRの改札から出ようとしちゃったのさ」と言っていた。
そういや羽田からはそりゃ京急だよな。。と自分がめちゃくちゃ焦っていたことにもここで気づいた。そして、父が前と同じようには行動できなくなっていることを確信した。
予約時間をかなり過ぎてから、ゆっくりゆっくり歩いてお店まで向かった。その途中、何度も電柱にぶつかりそうになっている。また、後ろから追い抜かしてくる人にも気付けず、さっと避けることもできないのでぶつかってしまっている(いや、ぶつかられている?)。
スーツケースは私が引いた。話を聞くと、空港の切符売り場でスーツケースを忘れて置いてきてしまうところだったらしい。ここでさらに、やばい、これはただごとじゃないと気づかされる。居酒屋で美味しい料理を食べながら2人で話していると、いつものパパだと思った。なんでも好きなもの頼みなさい、横浜でちゃんと頑張ってるんだねえ安心したよ、はなはボールを空中キャッチするようになったんだよ、と前と同じように話している。混乱したし、戸惑った。そしてまたゆっくりゆっくり歩いて電車に乗って、やっと家に着いた時には正直クタクタだった。脳腫瘍ってやばい病気だな、と実感した。
父は昔から仕事人間で、子どもの私たちと話す時もロジカルで、ただ「あれやりたい」「もうやめたい」だけじゃ通じない人だった。なんでそれをしたいのか、それをして何になるのか、今やめることがほんとに自分のためなのか?色々深く問いただされる。そして大体の場合、途中でこちらが折れることになるのだ。その結果犬や携帯電話、めちゃくちゃ厳しい部活をやめることなど、色んな物事を諦めた。
そんな中、私がどうしても諦めなかったのが海外留学だ。父は基本的に、私を自分の手元に置いておきたがった。高校生の間はずっと、「お前には弟と妹がいて、2人にもお金がかかるから大学は道内の国公立しか行かせない」と言われていた。私は生徒全員が必ず海外留学をする必要があるという秋田国際教養大に興味があったが、先述した内容や「そんな田舎に耐えられるのか」など色々言われ、確かにそもそも結構難しい大学だし、私田舎とか自然興味ないしなあと思い諦めた。
でも、国際教養大に行くつもりで数学Bの授業ではなく英語の授業を選択していた私は、進路の選択肢のほとんどが私大という状況だった。唯一の国立大の選択肢は数学2までとっていれば受験できる小樽商科大学、父の母校だ。父は浪人して入学した、当時、英語以外の教科は先生への愛想やキャラクターで成績をよくしていたと言っても過言ではない私にとってはそこそこチャレンジングな大学(国際教養大より下なんじゃ?と思うけど)。
そして私はセンター1ヶ月前というギリギリになってやっと1日12時間の猛勉強に取り組み、なんとか推薦で同大学に合格する。それを誰よりも喜んだのも父だった。「エミが俺の母校に入るのか〜」とよく言っていた。こっそり母から「自分の母校に入るのも嬉しいんだろうけど、札幌を離れず実家から大学に通ってくれることを一番喜んでるのさ」と聞かされる。そういうことかよとやっと気づく。私はいつも気づくのが遅い。
大学に入り、往復5時間かけて通学する日々が始まった。めちゃくちゃ遠い。朝めちゃくちゃ早い。めちゃくちゃ眠い。行き帰りだけで本当にクタクタで、なんでこんな大学に入ったんだろうと、通学中に関しては4年間ずっと思っていた。
ただ、それでも私は在学中勉学についてはそこそこ頑張った。英語のクラスを担当する教授に色々と機会をいただき、在札幌米国領事館が主催する英語のエッセイコンテストでジェンダーについて書き、特別賞でiPodと日本女性会議に出席(という名目の見学)する権利をもらった。
日本女性会議ではニューヨークの裁判官の女性と話し、女性から男性に対してのDVについてはどう対策すればよいと思うかを質問した。ただ、当時の私の英語力ではせっかくもらった回答の内容を理解できなかった。いい質問だと言われたことしか覚えていない。これは私の人生の中の最大の後悔の一つだ。
他にもオーストラリアの元衆議院議員の方との会食に同行させてもらったり、米国領事館のパーティーに参加したり、なんか色々やってた。単位は落とさずにいられた。サークルにも入らず固定のグループにも属さず、なんかよくわかんない子だったと思うが、友達にかなり恵まれ、みんなのおかげですごく楽しい大学生活を過ごせた。
大学2年の前期、私は最初の留学のチャンスを見送った。理由は元々父に言われたとおり、弟と妹にもお金がかかると思ったからだった。当時弟は受験生になっていた。それでなおさら、自分にだけお金をかけさせるわけにはいかないと思ったのだ。ただ両親は弟には道内国公立という条件を出さなかった。理由は弟が男だからだ。私はこれにマジギレした。多分人生で一番親にムカついたのはあの時だった。私の方が高校時代の成績も良かったのだ。私は絵に描いたような男尊女卑だと、親にめちゃくちゃキレた。
それで、私も留学する!!と勝手に決めたのだ。実は私は自分が見送ったtermで留学した他の子たちをめちゃくちゃうらやましく思っていたのだ。私の方が英語できる気がする、私の方が海外生活への挑戦意欲は絶対強いと思う、これまで頑張ってきた自分の力を試したい、と毎日毎日思っていた。そして親に留学を反対・阻止されないよう、TOEICやTOEFLの勉強をめちゃくちゃして、どちらも本番で過去最高得点を取った。そしてほとんど誰にも言わずに留学の学内選考に申し込み、勝手に合格してしまった。当時私にものすごく期待してくれていたアメリカ人の教授が親身に相談に乗ってくれて、志望理由の添削なども快く引き受けてくれた。そのおかげもあり、学内推薦の枠をとれた。
母には選考が始まった時点で留学のことも話しており、「そんなにやりたいならお金はなんとかするからやりなさい。きちんと努力する子には私は投資するよ」と言ってくれた。母は、いつも私の英語の勉強意欲や海外への憧れを認め、後押ししてくれた。そして、この言葉は今でも励みになっている。
問題は父である。昔から日本のものより海外のものに惹かれていた私を海外かぶれと呼び、アメリカをホワイトアングロサクソンが牛耳る国と表現し、なぜそんなところに憧れる!?と言われて育った。今思えば結構なレイシストだった。
絶対嫌がるだろうな、と思ったが、私にはあまり反対意見を言ってこず、受かってしまったものは仕方ないという感じで、銀行に通い教育ローンを組んで私をニュージーランドに送り出してくれた。アメリカは私の申し込んだtermの選択肢にはなかったので、消去法で唯一の英語圏だったニュージーランドを選んだのだ。
ニュージーランドでの2学期が私にとってどれほど楽しかったかは私を知る人はもう知っているだろうから話さない。とにかく人生最高の時間だった。初めて親元を離れたが、シェアハウスに住んでいたからかあんまり寂しくなかったし、親の目につかないところでちょっと悪いことをするのは最高に楽しかった。ただ、とにかく高い生活費や家賃を嫌な顔一つせず振り込んでくれる親への感謝は絶対忘れないよう決めていた。
後になって知ったことだが、父がすんなり承諾してくれたのは母の説得のおかげだった。父が「エミがボブサップみたいな黒人でも連れて帰ってきたらどうすんのよ!」と母に怒ると、母は「え〜。。ハーワーユーって言う。」と答え、さらに怒らせていたらしい。めちゃくちゃうちの母らしい。でも、やりたいことはやらせようよと頑張って説得してくれたんだと思う。そのおかげで、私はとにかく充実した時間を過ごして、自信をつけて家に帰ってこられた。ちなみに行きも帰りも母は空港で普通に結構泣いていた。行きは当時の彼氏も涙を必死で堪えていた。私だけが全く泣なず、これから始まる新生活への覚悟と期待ばかりが頭にあった。帰りの空港に彼は来なかった。当時は色々思ったが今思えば当たり前である。
帰国後足りない分の単位をとりながらバイトも再開して忙しくしていると、さらに就活も始まった。今思うと、新卒の就活はマジでクソみたいな行事だった。私は正直留学で燃え尽きていて、みんなと同じ格好をして綺麗事を並べる就活というものに疲れ切り、適当に受かった地元の会社に決めてしまった。
そこで働く間、両親は小学校高学年から英語の個人レッスンを受けさせてもらい、高校大学とずっと私の英語の勉強に投資し、応援してくれたのに、なんでそこで培ったスキルを活かす仕事につけるよう必死で頑張れなかったんだろうと、ずっとずっと後悔していた。あと当時の上司と先輩がめちゃくちゃ意地悪だったので、普通にやめたかった。
そして、父の病気はその会社に入って2年目の半ば頃に発覚した。当時福岡で単身赴任していた父は、なんとなく様子が変わっていた。まずあんなに大好きだった仕事が、全然楽しくなさそうだった。私は子供の頃から父から仕事の話を聞くのが好きで、よくわかんなくても色々聞いていた。福岡の前にいた島根では色々功績を残していたようで、その過程の話を聞くのはとてもワクワクしたし、娘として誇らしかった。でも福岡に行ってからは愚痴が増えた。というかあんまり楽しくない、としか言わない。それ以上は話したがらなかった。
また、なんか運転荒くなったな〜と思うようになった。いや元々荒い方なのだが、それにしても危なっかしい。注意散漫な感じだった。私は免許がないので運転のことがよくわからなかったが、毎日運転する母はめちゃくちゃびびっていて、危ない!と叫んだりするほどだった。あまりにも運転が荒すぎて、車酔いしやすい妹は父が運転するなら出かけないようにすらなった。
あんまり詳しく覚えてないけど、なんか他にも物忘れが激しくなったり、前は帰省の間毎日札幌ドームに野球観戦に行ってたのにぱたりと行かなくなったりと、色々おかしいなと思うことが増えていた。母がかなり心配するのを、私たち子供3人は元々危なっかしいところはあるよとか、天然だからねとか言って流していた。
しばらくしてから本人が病院に行くと言い出した。赤信号を無意識に無視しようとしてしまったらしい。病院で色々検査した結果、脳に拳大くらいのものすごく大きい腫瘍が見つかった。
それを最初聞いた時は、なんて思ったか正直覚えていない。多分ショックだったとは思うけど泣いた記憶はない。でも、何回目かの精密検査のあと、印刷された結果の紙に手術によって起こりうることみたいなのが一覧にして書いてあった。そこには脳梗塞とかなんか難しい漢字がたくさん並んでいて、失明というのもあった。それを見た瞬間、こんなにリスクがある病気なの?と母の前で泣いたのは覚えてる。それでも、父の病気のことであんまり泣いた記憶がない。私は普段かなり泣き虫なので、本当に泣けないほどショックだったのかもしれないな、と今となっては思う。
父の病気が発覚してから、色々考えることが増えた。父の病院の付き添いやお見舞いのため、会社を休むことも増えた。そのうち何回かは自分のためだった。色々気持ち的に疲れ、遊びに行くとかいう気持ちにもなれず、とりあえず犬と家にいたりした。でも会社や当時の上司はその辺はすごく理解してくれて、深く聞かずに協力してくださった。そこには本当に感謝している。
ちょいちょい会社も休みつつ、毎日色々ぐるぐる考えた結果、「私、結構親に恩返ししたいと思ってるんだな。その一番の方法って、ちゃんと英語のスキルを生かして楽しく働いて、親が私に投資した分を回収できるほど稼ぐことだ!」と気づいた(今思えばちょっと突っ込みどころもある)。
そして職場でも男尊女卑とか古い思考が蔓延しているのを感じ、基本不満しかないような状態になっていたので、本格的に転職活動を始めた���
転職活動は、新卒の就活よりチャンスは限られていた。有名な企業の求人にもとりあえず色々申し込んだが、新卒の時は当たり前のように通った書類審査でほとんど落ちた。でも、2年の経験で多少のスキルやマナーも身についていたおかげか、はたまたこの場から抜け出せれば人生やり直せるぞという強い希望からか、かなり高いモチベーションを保って行動できていた。平日の夜と土日はTOEICの勉強や企業研究、面接準備をしていて遊ぶ暇はなかった。けど、当時はそれを負担にすら感じないほどそれらに打ち込めていた。ある意味、こういう行動が辛い現実から目をそらす一つの方法だったのかもしれない。そんなときも自分の会社で面接官を担当したこともある父には、色々相談に乗ってもらった。
その結果、今働いている大きな会社から内定をもらえた。それまでわりと傍観していた、というかどの会社を受けているのかとかも多分よくわかっていなかった両親も、いざ転職が決定したとなると色々態度が変わった。当時私は色々あって両親(特に母)とあまり良好な関係を築けていなかったため、物件探しなどは全部一人で行った。というか23歳にもなり、これから一人暮らしするとなるとそれくらい一人でできないとダメだろうと思ってもいた。ただ、母は気まずそうに家具の買い出しや引っ越し手配などの手伝いを申し出てくれた。実際、そのおかげでかなり助かった。費用もかなり浮き、結局親の助けって大きいんだなと実感し始めた。父からはそういう類の協力は特になく、ただただ何回も「本当に横浜に行くの?」と聞いてきたり、「そうかあ、行っちゃうのかあ」とぼやいたりしていた。仕事中に「エミが横浜に行っちゃうのが寂しくて仕事にならない」とラインしてきたりもした。この人は本当に私のことを手放したくないんだなと思った。
子どものときから私はパパっ子だったし、父は実際私たち兄弟3人をめちゃくちゃ可愛がってくれたので、ここまで寂しがるのも仕方ないことなんだろうと思った。
それまでなんだこいつらと思っていた両親に対して、少しずつまた感謝の気持ちが湧くようになっていた。
そしてなんとか横浜や新しい会社での生活に少しずつ慣れてきた秋頃、ずっと保留にされていた父の手術が決行されることになった。いつ行われるのか、手術日直前までずっと計画が流動的だったので、飛行機を取るにも取れず、私は付き添うことはできずに当日も横浜で働いていた。まだ試用期間だったので本当はダメだったが、上司が在宅勤務にしてくれた。
手術は24時間以上かかり、母はずっと手術室の前で待っていた。普段父の愚痴ばかり言っていたのに、こういうことになると24時間とかでもあの固そうなベンチで待てるんだな、夫婦って謎だなと思った。
手術が終わった後、まだ腫瘍が残っているので来週また手術すると聞いた。どんだけ腫瘍あるんだよと思った。そりゃ運転なんかまともにできないよとか、その状態でずっと働いてくれてたんだなとか、色々思った。普段の私なら泣きそうな考え事だが、その時も泣けなかった。
そして2回目の手術も終わった後、母から顔がパンパンに腫れて管が繋がれた状態で、病院のベッドで寝ている父の写真が送られてきた。
正直、なんとも言えない気持ちだった。運動神経が悪く運動会を地獄と思っていた私だったが、運命走では父が毎年私を1位にしてくれた。仕事がめちゃくちゃ出来て、休日でも電話が鳴ると仕事モードになってテキパキ応答していた。友人関係で悩み学校にいけなくなった中学時代、忙しい中母と学校に出向いて先生に直接相談に行ってくれた。そんな父の姿が変わり果てた状態で札幌にある、とあんまり信じられなかった。
とりあえず親と妹に付き添いありがとうとだけは言ったと思うけど、なんか詳しいことはあんまり覚えてない。
その次の月に札幌に帰り、2週間ほど実家から在宅勤務させてもらうことにした。父が視覚障がい者になったことで、母の生活はとにかく大変になった。札幌を出るときにも感じたことだが、遠くから何もできない自分に対し自己嫌悪の気持ちを感じていた。一人だけ、大変な状況から逃げてきたような気持ちだった。それで今後後悔しないように上司やチームのメンバーに相談して快く受け入れてもらい、在宅勤務をさせてもらったのだ。
当時の父はほとんど何も自分ではできなかった。コップに水を入れることも、薬を包装のプラスチックから出すことも。何せ手術がおわり目を覚ましたら何も見えないのである。仕方ないと思い、みんな全部やってあげていた。
これがなかなか大変だった。普段通り続く仕事や父が障がい者になったことによる諸手続き、家事でも忙しいうえに、ずっと父のそばにいて余裕がなくなってきていた母と妹は、少しは自分で何かできるようにチャレンジだけでもしてほしいという気持ちでストレスを感じていた。また、それで父に優しくできない自分たちにも嫌悪感を感じてしまう。その時、本当にこのタイミングで札幌に帰ってきてよかったと思った。私はまだ気持ち的に余裕があったし、父のことをかわいそうに思う気持ちの方が強かったので、代わって父の相手や手伝いをしてあげられた。母が何度もお礼を言ってコーチのバッグとポーチまでプレゼントしてくれたが、私としては何もせずに傍観することで今後後悔したくないと思う、自分のための行動でもあったので、お礼を言われるようなことではないと思っていた。実際、終盤は私も疲れてきて、母と妹と3人でラーメン屋さんで父の横柄さや自己中さを愚痴りまくったりもしてしまったし。たしかにこれが日常なのはキツいと思った。
札幌から横浜に戻った後もしばらく、自分だけ逃げてきたような気持ちに苦しんでいた。特に、大好きでかわいい、しかも4つも年下の妹をあの大変な日常に置いてきてしまったことが辛かった。
それまで私は当時、彼氏にこの話をあんまりしたくなかった。しても楽しくないからだ。また、正直付き合って半年ほどの彼氏に話すには色々と重かった。だからずっと黙っていたが、なぜか横浜に帰ってきてから1ヶ月ほど経ったあとのクリスマスデートの準備中、とうとうこの罪悪感を打ち明けた(理由は、なんとなく今なら言えそうだなと思ったからである)。
すると「でも、エミちゃんは家族と離れているおかげで多少余裕を持って家族に接してあげられてると思うよ。全員が同じ場所にいたら、誰も家族の話を冷静に聞いてあげられる余裕がなかったと思うから、お母さんもみーちゃんも、エミちゃんに話聞いてもらってるだけで助かってると思うし、ここにいてよかったんだよ」と言ってくれた。正直、この時初めて結構泣きそうな気持ちになった。けどただでさえ変な空気にせざるを得ない話をし、その上泣いたらなんかマジで変な空気になるしなと思って、化粧をしながら平然を装ってありがとうと、今まで自分の殻に閉じこもってて本音を言わなくてごめん、と言った。一言だけ「俺はエミちゃんの話聞くくらいしかしてあげられへんから」と言ってくれたが、彼のいう通り、ただ話を聞いてくれるだけの人って、本当に助かるのだ。それを身をもって実感したことで、私も家族にとってのそういう存在になれてるのかもな、と思えた。それにより、やっと家族と離れていることへの罪悪感を消すことができた。慎重な私からすると、正直大丈夫なの!?と思うこ��もあるくらいいつも楽天的な彼だが、こういうことを偽りなくスラスラ言える優しさや前向きな気持ちを持つ人と一緒にいることが、私にとってどんなエリートや大富豪といるよりも最良の選択肢に感じた。そして今もそう思っている。
その間も、父の手助けをしたり一日中話し相手になる大変さを何度も二人からは聞いた。そう言われると辛いよね、ママやみー(妹)の立場だとそう思っちゃうよね、とか、なるべく相手の気持ちを汲んでいるような言葉遣いを意識した。前のわがまま女王の私には到底できなかったことである。
そして、父が函館の視覚障がい者向けの訓練センターに入ることになった。本当に少数の視覚障がい者と、色々と教えてくれるメンターの方しかいない施設だそうだ。
父は行きたがらなかった。施設どころか、自分の実家にも帰りたがらなかった。母が諸々の手続きを済ませるために家をあける間、また妹も仕事などで��ない間、一人にしておけないので実家にいて、ついでに(少し休みたいのでとは言わないがそういう意味も込めて)今夜は泊まってきて、と頼んでも嫌がっていた。無理矢理行かせてもいつ迎えに来るんだと電話が来る始末だった。これはまじでキツいだろうなと思った。
父は仕事ももちろんまだ行けないので、一日中リビングの一人がけソファからトイレ以外は一歩も立たず、ずっとそこにいて話しかけてくるのだ。目が見えるとある程度読める空気も、読めないので仕方ない(元々かなりのkyおじさんなのもあるが)。本当に何もしようとしなかった。実際父もストレスはかなりあっただろうから、無意識に嫌な言い方をされることも多く、色々書類を書いたり細かい手続きを済ませたりしないといけない母はクタクタだったし、妹も精神的にかなり疲れていた。父の無意識のきつい言葉に傷つき泣いたりもして、一緒にご飯食べたくないとも話していた。
そのため、母も妹も父の函館行きをある意味心待ちにしていた。ひどいように聞こえるかもしれないが、そうでもしないと二人とも身を入れて休めなかった。
父が函館に行ってから、母は生き生きしだした。自分の好きなことを好きなペースでできるようになったからだ。我が家の愛犬のはーちゃんも散歩嫌いを克服し、毎朝長い距離母を連れ回すようになった。それによって他の飼い主さんと仲良くなったり、友達とのランチやピラティスの時間もとれたり、母の生活が目に見えて充実し始めた。ずっと辛い話を聞いていた私はかなり安心できた。妹の電話口の声色もかなり明るくなり、みんな父のことが嫌いになったとかではなく、単にこれまでどうしても疲弊してしまう日々だったんだろうなと思った。
そんな中、突然父からラインが来た。え、ライン?と思った。なんせ前実家に手伝いに帰った時はiPhoneのロックを解除することもできなかったのだ。視覚障がい者用のモードに変更して、音声を頼りにパスコードを打つのがどうしてもうまくできず、イライラしてすぐ途中でやめていたし、基本的に携帯を触ろうともしなかった。そんな父から誤字脱字がほぼないラインを受け取り、本当に驚いた。と同時に訓練を一生懸命頑張ってることがわかり、とても嬉しかった。実は施設に入る直前に父と電話で大喧嘩したこともあったので、なんか色々安心した。
その頃、ニュージーランドでの1学期目の間、とても仲良くしてくれた香港人の友人と久々に連絡を取った。彼女は去年お父さまを突然亡くしたと話していた。とても賢く明るく、私と同じように男の子みたいにわんぱくな彼女だったが、ストレスで毎日浴びるようにお酒を飲み、円形脱毛症にもなったという。私も友人には積極的に話さなかった父の病気の経緯を初めてその子に打ち明けた。余談だが日本語だと言いにくいことも英語だと言いやすいことって結構ある。そして、「大変だったね。お父さんも家族もストレス溜まるよね。でも、エミがお父さんのことをちゃんと気にかけてあげていることは本人がわかるようにしてあげてね。じゃないと後悔するから」と言ってくれた。
それから私は毎週末、なるべく施設で訓練を受ける父にラインで連絡を入れるようになった。YouTubeの使い方を練習しているので、面白いラジオやいい音楽を教えてと頼まれて、私の大好きなオードリーのトークまとめと、父のために作ったプレイリストを送った。父もお気に入りの音楽を教えてくれたが、どれも命や周りの支えに感謝する歌だった。今の自分の気持ちにピッタリなんだと書いてあるのを見て、なんとなく父の内面的な変化も感じた。そして、やっぱり父は努力の人、やればなんでもできる人なんだと思い、誇らしかった。それは母も同じなようだった(ちなみに母にはラインに慣れてない頃、訳の分からない文章をたくさん送っていたらしい)。
しかしコロナウイルスの影響で父の訓練は中断され、一度札幌に帰ることになった。そしてこの後の訓練は札幌でやることになると言う。正直私たち3人はエッと思った。思っていたより二人が休める時間が縮むことを意味するからだ。ここからまた大変だな。。と思っていた。
それでもいざ訓練から戻ると、父はできることがだいぶ増えており、郵便屋さんからの荷物を自分で受け取り支払いも済ませたり、歩いて近所のスーパーに行ったりまでできるようになっていた。また、一人で部屋で過ごす時間も前より自然と取るようになり、妹は父のそういう進歩や変化について嬉しそうに話してくれた。
結局父はみずからやっぱり落ち着いたら函館にまた戻って訓練を受けると言い出した。実際、後続の訓練は札幌で、というのは父だけでなくセンターの方の意見でもあったので、なぜ函館に戻ると言い出したのかはわからない。でも、訓練を頑張りたいという意志は伝わってきて、手術後はあんなに色々と後ろ向きだった父が積極的に訓練に向き合ってくれたことがとても嬉しかった。
そして、函館での訓練を終えて帰ってきた父は、どうも色々性格的にも変化しているようである。元々理論派な仕事人間ながら天然でウケる部分もあった父だが、特に明るいタイプではなかった。失明してからは尚更で、無神経な物言いをしたりもしていたが、今はそういうことがかなり減ったらしい。なんとなく明るくなったと言う。この前は父から母に「今日は実家に泊まる。少し休めるしょ?」と言い出してくれたらしい。父も、自分の存在が負担ということではなく、単に母の疲れを感じ取って休みが必要だと配慮することができるようになったのだと思う。
夫婦生活を何十年としていると、最初にあった思いやりや配慮が薄れていくだけだと思っていたが、夫婦というものはいつになっても悪い方向だけでなく、いい方向に形を変えることも可能なのだと親を見ていて知ることができた。
はっきり言って、去年から今年にかけて私はかなり辛かった。涙こそ思っていたより出なかったけど、悲しみや精神的な疲れがいろんな形で出ていたと思う。それに、仕事の変化についていくのも大変だった。
そういう時、一緒にバカなことをして騒いだり、美味しいものを食べながら恋愛や仕事の話をしたりしてそういう悩みから気を逸らさせてくれた友達や、私の精神的疲労の弊害を受けながらも見捨てず、常に優しくそばにいてくれた彼氏にとても助けられた。
そして突然視覚障がい者になったことを、多少時間を要しても最終的に受け入れ、その生活に順応する努力をする父、そしてそれを献身的にサポートする母や妹を心から尊敬する。あと、いつもみんなのストレスを無意識のうちに緩和し癒してくれる、犬のはなみちくんにもとっても感謝している。
こういう言い方をしてはなんだが、この事を通さないと分からなかった各人の良いところを知れた、いい機会でもあったとすら思えるようになってきた。
障がい者になること=マイナスではない。障がいを通じて、得られるプラスだってあるのだ。
せっかく色々書いたので、最後に一言。
話は少しずれるが、人種、セクシュアルオリエンテーション、宗教など、各分野でマジョリティ、マイノリティが存在し、その間での格差や差別、抗争が日々生まれている。こういった問題について、個人としてマジョリティ、マイノリティどちらも万人に受け入れられるべきであるとハッキリ言える人間になれたのは、ティーンの頃からこのような問題について国内外の同世代の友人とのディスカッションを通じて熟考したり、当事者とコミュニケーションを取ったりする機会の基盤にある、高度な教育を受けさせてくれた両親のおかげだと考え、心から感謝している。黒人、女性、同性愛者、トランスジェンダー、ムスリム、そして身体障がい者、またその他のすべてのマイノリティに属する人も、決して理不尽な迫害を受けるべきではない。すべての人間が人間として尊重されるべきである。この信念だけは決して曲げずに生きていく。
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当たり前に片付けられてしまうきらきらしたお守りたち
私は小さな頃、本を読むのが苦手で字を書くのも大変だった。親の教育方針的にスパルタ保育園に通っていたからだ。私はそのスパルタ保育園が大好きだ。なにがスパルタかって、自然に従うのだ。自然に従うという姿がスパルタ。パンツ一丁で春夏秋冬外で遊び時に泥水をのみ、みんなで竹馬を作って遊んだり、10何キロ先の公園へ「遊び」に行くために歩いたりする。それは遠足のような特別ではなくライフワークである。遠足のようなものに当てはまるのは、本格的な登山、川を泳ぐといったこと、年中さんになれば年に一度お泊まり会がはじまり、年長になると何泊も家をでてみんなで山に行く。川をイカダで下り、ヤマメを手で捕まえ、自分で枝を刺し、焚き木で焼いて食べる。すべて自分で行うのだ。ライフワークの中で雑草や虫、動物たち、そして大自然は友達だった。フキノトウやオオイヌノフグリを見つければ春の訪れを、ミミズが干からびているコンクリートをみて夏の暑さを、落ち葉を拾い焼き芋をして冬の支度をする木々に秋の食べ物を、大きな雪の中、肌に落ちる雪の結晶を捕まえて冬の寒さを、薄着のその肌で感じていた。年少か年中でビックイベントがひとつ、保育園の敷地内の一部を永遠に掘るというものがある。一週間ぐらいの時間をかけて終わりの日には子供が一人では這い上がれないような穴になる、はしごをかけて、順番に皆で掘る。水が湧き上がる穴で土の下に水がありそれを井戸水で飲むことができることを皮膚感覚で実感するのだ。(私は姉と2つ離れているのだが、姉がそのイベント時に無くした靴の片方を私の時に出て来たというおもしろ話がある。もちろん子供の成長ははやいので履けるサイズではなくなっていたが。)そしてまた、みんなでその穴を埋める。来年の人たちのために。ショベルカーなんてものは使わず、みんなの手に持ちやすいサイズのスコップ、ショベルで掘る。そんなある意味でスパルタな保育園のことが大好きだった。年長になったとき、サンタさんにもらうものはコマとマリ。コマはもらった時から一斉に練習がはじまり、誰が一番最初に回せるようになるか、ということを競い、変な投げ方を編み出したりしてみんなで遊ぶ。先生(と呼ばれる人)たちのことも「先生」と一度も呼んだことがない。みな同じ人間だからという理由で、同級生のことも全員呼び捨てで呼んでいた。好きな先生(的な立場の人は)はあおっちゃんという名前の青木さんだ。あおっちゃんはものすごく怒ると怖い、だけど一番慕われていた。この間、成人式で実家に帰った時もたまたま道端で会い何も変わらず「あおっちゃん!!!」と名前を呼んだ。あおっちゃんもなにも変わらず「ひかりー!!!」と再会をよろこびあった。幼稚園などで「先生」と呼ばせる理由に上下関係を強調するし対等であるとなめられるからとあると聞いたことががある。(本当かどうかわからないけれど)けれど、私たちの保育園は「あおっちゃん」等のニックネームで呼ぶのであるが、その職員たちをなめる人間なんていなかった。だって、人間は全員平等で対等だから。
毎日、朝は体操と掃除がある。体操はものすごく楽しく、掃除も苦なものではない。掃除をするためにいらないタオルを家から持参し、自ら糸と針で縫って雑巾を作る。手の皮の間に針と糸を通し、友人を驚かせることがわたしは好きで何度もやっていた。時に血が出たりしたが。その雑巾に穴があくまで、毎日雑巾掛けをする。園内は大きな四��で一周できる。それを休むことなく何周もかけていた。そんな生活が楽しく、喜びだった幼い頃の私はとっても活発で大きな声で歌を歌うことが大好きで外で木に登ること、泥団子を作るのは苦手だったけれど足ははやく、小さな雑草が大好きで、逆上がりができなければ親が迎えに来てもずっと練習を行うような活気のある人間だった。
髪の毛は坊主に近いベリーショートで、夏の暑い日は頭から水を浴び、けれど夏の日差しですぐに乾く髪の毛が大好きだった。絵を描くことや本の読み聞かせも楽しくて、保育園時代に印象深く覚えているのが2つある。ひとつめは、その保育園のいちばんおばあちゃんの園長先生が文字だけの分厚い本を何日もかけて読み聞かせてくれる。それは子供向けのような本でない。物語だ。そしてその本が読み終わった日は、その本の中で印象的だったシーンの絵を自分で描くというものだ。自分で全てを想像し、作り上げ物語を描く。ふたつめは、年少ぐらいから毎年近くの公民館に見に行く「森は生きている」という演劇だ。みんなその劇の中の歌が大好きで演劇中に大合唱する。大学1年生ぐらいのとき、地元でやるということになりタイミングがよくそのために帰省して大きくなってからちゃんと見た。その小さなホールの中には私の通っていた保育園の人たちもいて、演劇を見るということを幾度か経験した私は衝撃を受ける。子供達がちゃんとそこに座って演劇をみているという集中力にも驚いたのだが、みんな素直に笑いそして歌唱パートでは大きな声で歌うのだ。これがあるべき姿なのではないだろうかとその子たちに感銘を受けた。森はいきている、それを身体の全てで体感し、そのことが大好きで、実家は海も山も近いから、その環境の全てが偉大で愛おしく、憧れだった。
そんな大好きなことで溢れた生活の中、私は小学校になった。
市立だったのに制服がある小学校は女の子はスカート、男の子はズボンだった。スカートを全く履かなかったわけではないけれど、木を登るのに邪魔なスカートは選ばなかった、ズボンばかり履いたベリーショートの女。そんな私はスカートを履くことを強制される空気が苦しくて、悲しかった。今でも呪いのように覚えている言葉がある。入学式が終わりこれから共に同じ場所へ通うみんなと同じ場所にいて、親と合流できた、その安心感で周りの声が少し聞けていた。私はそんな活発だったけれど、初めましての人や初めましての環境がものすごく苦手でいつも親の後ろに隠れていた。一人でいるときは周りの言葉が聞こえないほどに緊張してしまっていた。親との再会、けれどこれから長い間このよくわからない学校の中でそれは続くのだということの大きな不安の中、小さく安心を感じていた時、名前も知らない、顔も覚えていない(というか見ることができなかった)男の子に「わ!、あいつ男なのにスカートはいてる!」と無邪気に喋ったのだ。それは私にいうのではなく、親に話しているような言葉で、今思えばその子だって私が感じていた小さな安心を感じ、おしゃべりになっていたのかもしれないなと思えるけれど、その言葉は呪いのようだ。私の大好きなすぐ乾く髪の毛、履きたくもないけれど頑張って履いているみんなと同じいろ、かたちのスカート、すごく自分が恥ずかしくなった。きっとその時の私の顔は真っ赤だっただろう。そしてものすごく傷ついたのだ。いや、その時は傷ついたということもわからなかった。保育園のみんなと取っ組み合いの大げんかは何度もしたけれど、ちゃんとお互いにごめんなさいができた、それは喧嘩なのに全く傷ついていなかったのだ。今になってわかるけれど、あの頃の私はものすごく傷ついていた。そして悲しかった。虚しかった。私は女だけど、女だから、近くにいる女の子たちみたいに髪の毛を可愛く結ばなければならない、水浴びをしたらすぐに乾かない長さまで伸ばし、走ったり木を登ったりするのに邪魔なスカートを履かなければならない、その女の子という役割を当てつけられるということを知った。そうでなければ「男なのに」と言われてしまう。「男の子」じゃないのに。それまで私は自分のことをただ人間だと思っていた。それはその頃の友人たちもきっとそうで人間同士で仲良くしていた。けれど、その言葉で私は「女の子」なのだと知った。それは生物学上の「おんな」ということではなく、もっと不確かな「女の子」という存在を。保育園から一緒な友人たちは片手で数えるほどしかいなかった。一番最初に、友人のことは「くん」「ちゃん」付で呼びましょう!と先生は無垢な声で行った。だからわたしはそら!と呼んでいた友人をそら「くん」と呼ばなければいけなくなり、わたしも周りの人からひかり「ちゃん」と呼ばれるようになった。女の子であるから「ちゃん」なのだ、と。それから、私は女性的なものを着れなくなった、着ている服は靴は自転車は全て「男の子」のために作られたもので、髪の毛も短く男の子たちと野球をしたりして遊ぶような人になった。「女の子」のために作られたギラギラピンクの靴、フリフリのスカート、長い髪に憧れはあった。自分もあんな服を着て、ちゃおとかリボンを毎回買って、付録を眺めていたいなんて思っていた。漫画なんて読めなかったのに。読めないコロコロコミックの付録のカードがうれしくないわけではないけれど、一度でいいから、りぼんやちゃお、プリキュア、おジャ魔女どれみに真っ白に心が踊ってみたかった。圧倒的に「恥ずかしい」という気持ちを持ったまま、私はそんなことを親に言えるわけもなく、一人で「男の子のものが好き」ということを演じた。全くの嘘ではなかったけれど、誰にも言えない憧れは持っていた。「女なのに、男の服着てる」と呪いに似た言葉をかけられても、そっちの方がマシだった。「女なのに」という言葉に肯定を感じ、この格好をしていれば「女なのに」という言葉をかけられれば、わたしは「女の子」であることを認められるような気がしていた、その言葉を受けるためにそんな格好を選んだ。「女の子」を排除した生活は学校にいけなくなる5年生まで続く。あの呪いが簡単にとけることはなかった。
小学一年生の頃に話を戻すと、保育園時代、全く文字を読むことを教えてもらわなかった。私の解釈として、文字を知らない世界を味わえる短い時間を作っていただったのだと思う。もう絶対に戻ることのできない感覚だ。その時間の中で、町の広告や絵本の文字、読めない私宛の手紙はどんなように捉えていたのかもう全くわからない。その時間がたまに羨ましくなる。全く知らない言語の文章を見ても、もう言語だと捉えてしまう。言語という概念がない貴重な時間だ。だから、小学校で初めて「文字」というものに触れた。今書いているこの文字だ。あいうえおのあから始まる。なんどもかき、覚えなければならないものだと教わる。それはそう、今になっては当たり前にわかるけれど、その頃の私はものすごく苦しかった。なぜ、あをめと書いたら間違いなのか、ぬとめ、はとほ、にとた、れとね、ちとさ、まとき、つとて。違いがわからなかった。違いがわからなかった、というより、理解ができなかったの方が近いかもしれない。閉鎖的なクラスの中で他のみんなは学校に入る前から言語というものに少し触れている人が多かったから、できないのはわたしだけなのだと思うとまた苦しくなる。保育園の環境とは違い、みんなと違うことは「悪」だという環境に押しつぶされそうだった。あんなに野草を見つけるのが上手で、名前もすぐに言えたのに。「あ」というものが「あ」であるという全く覆されることのない共通認識があり、それを当たり前のように理解するのが難しかった。なぜ「あ」は文字を扱う人々に「あ」という同じもので捉えられるのか、ということを考えてしまっては、暗記するというステップまでに沢山の時間を要し、程遠い道のりだった。覚えるためにたくさんの宿題が出た。家で泣きながら毎日あをいをうをえをおを、なんどもなんども書いた。音読も大嫌いで、みんなすらすらと読む姿にわたしは変な汗をかいていた。わたしの番になり、めとぬの違いを考えていればたくさんの時間が過ぎていて、何も言葉を発せられないその時間は苦痛そのものである。読めないものを読もうと頑張ってもみなができる、いる場所の何歩か手前でひどく挫けていた。その頃の私はまだその小学校という環境に慣れず、ちゃんと友人のような人たちと会話した記憶がない。牛乳アレルギーだったから、私が飲める特別の牛乳がみんなとは違う教室の冷蔵庫にあり、私は毎度取りに行かないと行けなかった。その教室には先生がいたりいなかったりする。いなかった場合、どうすれば、誰に聞けばいいのか、というかほとんどはじめましての人にどうやって話しかければいいのか、わからずそのことを考えていると、どきどきと体が変になる。硬直する。人がいた場合もなんと声をかければいいか、どうその教室に入ればいいか、教室前で中の先生が気づかないところに固まったまま、中の様子を伺い、けれど給食が始まってしまうという時間制限の中でまた体が変になった。学校なのに覚えられないひらがなのことばかり教えられ、そういう時はどうしたらいいか、体が変になったときは、の事は誰も教えてくれなかった。助けを求めたくても求め方がわからず、丁寧に教えてもらったとしても「男なのにスカートを履いている」と思われてしまう私が誰かに助けを求めているということが自分の中でものすごく恥ずかしいことだった。恥、とは違うはずかしさ。一年生の時、何度もストレス性のヘルペスになった、自由の時間以外にトイレに行くことができず、背の順では一番前、一番小さいサイズの制服がブカブカだった小さな体で膀胱炎になった。血の混じるおしっこを見ても親になんて言えばいいかわからず、本当に痛くなるまで黙っていた。ご飯は大好きだったけれど、緊張などで制限時間内に食べきれない給食を「食べましょう」と言われ、昼休みまでそれはいやだからと給食の中盤の時間でトイレに行って吐いていた。何を食べたか完全にわかる、ぐじゃぐじゃになった給食を便器の中に入れて毎回それを最後までちゃんと見届けるように流した。保育園の時に教えてもらった食べ物を大切にしなければならない、私たち頂いている身だという自分の中の哲学に反することをこの環境で強いられていることが悲しく、つらく、苦しかった。次第にわたしは自分の大切なことをどんどん諦めて行くようになった。この環境に順応するために、それを第一に考えて自分の大切な哲学を簡単に捨てることを選んだ。そうでなければ生きていくことが大変すぎてどうにかなってしまいそうだった。その頃は膀胱炎ということをいいことに学校内で体操ズボンを履くことが許された。その流れに甘え、私は学校に通っている間はずっと体育ズボンだった。決まった事を常に破っていることになるから何度も先生に「明日は履いてきなさい」と言われた。けれど「女の子」になるということは唯一譲れない、捨てきれないものだった。一番捨ててしまいたいことなのに、じんわりと縛られる呪いがいつも心の奥に住んでおり、その言葉は何度も何度も初めて聞いた時のように再生された。
天国のような保育園、地獄のような小学校を経て、こんな思い出したくないと感じていたことをなぜなぞるように書いているかというと、成人式の同窓会、私は1日も通ったことのない中学校の同窓会へ高校時代に出会った唯一の友人と参加した時に、保育園が一緒だった懐かしい友人に「久しぶり!」と当たり前に話しかけられ、嬉しく、その人はこの春から私たちが通っていた保育園で保育士として働くということを教えてくれてとっても嬉しくなった。その嬉しさがこの過去のことを思い出せ、時がたつという力はすごいな〜なんて雑に思った。思い出してちょっぴり泣いちゃったけれど。その子が帰り際に「ひかりの子供を保育園にいれてね!」と一声かけられたとき、やっぱりちくっとしてしまい、ここは生まれ育った地元であった、、、とまた諦めてしまった。その人がそんな気持ちで言っているとは決して断言できないけれど、地元の正義は「女は若くして結婚し家にはいり、子供をたくさん産む」ということだった。それがいやで逃げてきたのにその断片をこんな嬉しいときにも感じてしまうなんて、と私がそのことに執着しているからそういう風に捉えてしまうのかもしれないけれど、やっぱりちくっと体が変になった。しかし、私はあのかわいい小さなひかりちゃんから少し大きく成長した。私は変わったのではなく、できることが増えたのだと思う。だからその変になった体のまま、硬直することなんてもうほとんどない。「そのときはよろしくね〜」なんて軽々と返し、ざわついた心を人前から隠した。その隠すことをできるようになったのが良かったのか悪かったのかはわからないけれど、生きやすくなるのは確かである。あるが、硬直してしまっていた私が少し羨ましい。ないもやねだりだけれど。そんな素直に生きていくことができるのならば、いまよりも生きにくかったとしても、悲しいこと、虚しいこと、傷つくことをただただ受け取ることはできたのに、と思う。
あの呪いは未だにまだわたしのことをゆるく縛る。大学で上京して本格的な自由と不自由を手に入れた。自分の哲学だって取り返した。強くわたしの中に私だけの哲学は存在する。そしてファッションはジェンダーに付随しないことを皮膚感覚で感じ、それが喜びだった。だからわたしは今、自分で選んだ好きな服を着ている。買うものは男物ばかりだけれどそれはもうほとんどどうでもいいことになった。好きな服を着て好きな色に髪を染め好きなピアスをつける。もう誰も「女の子なのに」「男の子のなのに」なんて呪いの言葉をかけてこない。その街が東京だ、なんでもあるけど、何もない、お金で全てを解決できる東京の端っこで生きている。けれど、やっぱり憧れを捨てきれないでいる。心の深海で真っ赤なワンピースをきて可愛らしいサンダルを履いて、天気の良い日に外を歩きたいなんて思ってしまう。でも自分がそれをやっていることを想像すると恥ずかしすぎて吐きそうになる。苦しくなる。綺麗なワンピース、かわいい柄のスカートを見つけては「かわいい!」と思うのに買おうとは全く思えない。着れないことがわかりきっているから。
ハタチの人間が当たり前にできること、というもう大前提みたいな誰の目にも触れられないことをふと思い出して、それはすごいことなのだと気づく。文字がかけ、知らない人と話し、人前でもすらすらではないけれど話すことができる。傷ついたことを言われたら、おちゃらけて「めっちゃ傷ついたわ〜」なんてその場を意識した行動ができるし、一人でずーんと傷つき、人に迷惑をかけないことができる。時に本当に怒り、その言葉はどうなんだろう!と相手に私の思いを伝えることだってできたりする。その言葉たちを今のわたしは、あの頃よりは、持っている。
それは小さなひかりちゃんが毎日毎日頑張ってくれたから、頑張ってどう生き抜いていくか、どうすればいいか、と真面目に生きてくれたからである。本当に頭がさがるよ。小さなひかりちゃん。いや、今だって体は大きくなってしまったけれど、まだまだ小さなひかりちゃんなのかもしれない。けれど今が小さなひかりちゃんだったなと感じるのはまだまだ先の話である。
ありがとう、小さなひかりちゃん。私が今日、今まで生きてこれたのはあなたの残してくれた、こんなに小さなきらきらした生きる術のおかげだよ。でも、小さなひかりちゃんに「きらきらした」なんてことを伝えたら、あなたは咽び泣くと思う。現実はいつもきらきらしていることなんて少ないから。それは今もなおまったく変わらないことで、小さなきらきらを集めることに必死だけど、けれど、いつかそれが眩しいぐらいに輝くようなことがあれば嬉しいね。そんなことが起これば小さなひかりちゃんと共にものすごく喜ぶと思う。小さなひかりちゃんが行なっていたように、毎日の小さなきらきらしたものを今も私は集めて、感じて、喜んでいるから、大丈夫だよ。今年ももうオオイヌノフグリを見つけたよ、つくしはまだ先かな。
でも、まだあの呪いは完全には解けていないから、今のわたしも頑張るよ。あなたがくれた小さなきらきらしたお守りがあれば、少しだけ強くなれる。強くいなければならないなんてこともないかもしれないけどさ。
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theatrum-wl · 6 years
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【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により犯人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場)  1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁寧な言葉を紡いで描いた意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だ���た。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優石井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸を締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」というキャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったかを観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会  「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアターミラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、��曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL)  今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で応答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール)  2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、今は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
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